科学技術のアネクドート

かたいのをやわらかくするのに合っているのはキャベツのほう


野菜を細長く刻むことを「千切り」といいます。千切りと聞いて、多くの人が真っ先に思いうかべるのは「キャベツの千切り」ではないでしょうか。とくに、とんかつとの相性はよく、キャベツの千切りのついていないとんかつ定食ほど寂しいものはありません。

キャベツと見た目のよくにた野菜にレタスがあります。しかし、キャベツの千切りにくらべると、「レタスの千切り」はさほど料理として広まっていません。ためしにグーグルで「"キャベツの千切り"」「"レタスの千切り"」とそれぞれ入れて検索すると、約919,000件に対し、約30,900件となりました。およそ30倍の差です。

もちろん、「レタスの千切り」でも3万件以上が検索されるわけですから、料理としてないわけではありません。レタスの千切りのサラダやタコライスなどが紹介されています。

しかし、それでもやはり千切りといえば、キャベツ。どうして、こうも差が開いているのでしょう。

大切なのは「なんのための千切りなのか」ということではないでしょうか。千切りの目的にもいろいろあるでしょうが、代表的なものは「食材をやわらかくするため」でしょう。葉を薄く切れば、繊維も切れていくわけですから、やわらかくなります。

では、キャベツとレタスとでは、どちらがより「やわらかくする甲斐がある」でしょうか。多くの人は「キャベツ」と実感しているのではないでしょうか。生の状態では、レタスの葉よりもキャベツの葉のほうがかたいからです。一般的に、キャベツのほうが葉は厚く、また、水分はレタスより3パーセントほどすくない。手でちぎりにくく、歯ごたえがあるのはキャベツのほうです。

千切りの目的を「食べやすいようにやわらかくする」とした場合、合目的的なのやわらかいレタスよりもかたいキャベツのほうであります。

参考資料
野菜ナビ「水分の多い順 主要野菜」
https://www.yasainavi.com/eiyou/eiyouhyou/direction=desc/sort=water/level=1
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抗体検査に期待が高まる


新型コロナウイルス感染症「COVID-19」(COronaVirus Disease 2019)をめぐって、このところ「抗体検査」をおこなえるようになることに向けて期待する声が上がっています。たとえばロイター通信は、(2020年)3月29日付で「焦点:新型コロナの局面変えるか、抗体検査に希望の光」という記事を出しています。日本でも、3月28日(土)未明に放送されたテレビ朝日系「朝まで生テレビ」で話題になりました。

一般的に、ウイルス感染症に関する抗体検査とは、特定の感染症に対する免疫をからだがすでに備えているかどうかを確かめるための検査です。抗体とは、ウイルスの侵入を受けたからだが、その刺激でつくりだすたんぱく質のことを指します。抗体がつくられるとそのウイルスをやっつけようとするしくみがはたらき、からだを防御するようになります。これも一般的な話ですが、一度その感染症にかかるか、ワクチンを接種するかで、その感染症に対する抗体がつくられます。

新型コロナウイルスをめぐっては、若い人などでは感染しても症状が出ない場合も多いとされています。いつのまに感染していて、とりたてて症状がないまま日々を過ごし、抗体による免疫のしくみがすでにできていた、といったような人がいることも考えられます。

すると、「自分がすでに新型コロナウイルスに対する抗体をすでにもっているか」を検査で確かめて、検査の結果「すでに抗体をもっている」とわかれば、その人は未感染の人にくらべて、すでに感染はしづらい状態になっている可能性があります。ただし、下記で議論する「再感染」の危険性がなければという条件つきなので、いまはまだ可能性の話になりますが。

いまのところ、「新型コロナウイルスに感染しているかどうか」を確かめる方法としては、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR:Polymerase Chain Reaction)検査法という方法があります。インフルエンザウイルスの遺伝子を増やして、検出する方法です。新型コロナウイルスがからだに存在するかどうかを調べることが唯一といってよいでしょう。

しかし、ポリメラーゼ連鎖反応検査法は、基本的に発熱やせきなどの症状が出ている人に対して、「いまかかっているか」を確かめるために使われています。また、検査では専門家が対象者ののどの奥から慎重に試料を採りださなければならず、新型コロナウイルスに感染しているかどうかがわかるまでに数日はかかるとされます。

これに対して、抗体検査法では、もし実現すれば調べたい人がみずからで血を採取して調べることも可能とされます。そして、すでに抗体があるかどうかの結果は、検査から15分ほどでわかるとされます。

つまり、発熱やせきなどの症状が出ていない人は、抗体検査法で「感染していたかどうか」を調べることができれば、「自分はこれからも感染に注意すべきか、それほどでもないのか」がわかるわけです。

ただし、いまのところ新型コロナウイルスの正体が未解明な点があるがゆえの課題もあります。

ひとつは「再感染」しないという確証がまだ得られていないという点です。たとえ、新型コロナウイルスに感染して、このウイルスに対する抗体ができたとしても、さらに抗体の能力をウイルスの能力が上まわってふたたび感染するようなことがあれば、すでに抗体ができているからといって感染しない確証はありません。

また、一般的にポリメラーゼ連鎖反応検査法にくらべて、抗体検査法の精度は劣るとされます。調べたい人が自分で抗体検査キットを入手して自分で血液採取し、自分で判断したところで、果たして「自分は抗体があるのだから感染する心配をせずに社会活動をしても大丈夫」となるのかは、なんともいえません。ほかの医療機器が使われるときとおなじく臨床試験の段階を踏む必要があることはいうまでもありません。製造や販売が承認されても、希望者が一斉に検査を始めるというよりも、徐々に検査が広まっていくほうが、危険性や混乱はすくなくなるでしょう。

新型コロナオイルの抗体検査キットの開発をめぐっては3月17日(火)塩野義製薬が「新型コロナウイルス IgG/IgM 抗体検査キット製品の導入に向けたマイクロブラッドサイエンス社との業務提携について」という発表をしています。医療検査器具の開発や検査サービスをおこなっているマイクロブラッドサイエンス社と業務提携して、抗体検査キットの導入を急ぐというもの。

ただし、この検査キットが使われる状況として、塩野義製薬は「空港や港で検疫官(医師)の判断の下で行う入国者の検査」や「COVID-19 患者が勤務、登校していた事業所や学校、その他、クラスターでの接触者等の検査」などにとどめています。広く万人が気軽に使うことまでは考えていないようです。

世界でも、複数の学術研究機関や医療関係企業が、採血による抗体検査法の開発を急いでいると、ロイター通信は伝えています。

感染拡大を抑えることと、経済活動を保つことの両方の均衡をはかるべきとする議論のなかで、今後さらに、抗体検査を実現させることの重要性はいわれていくことでしょう。

なお、経済産業研究所上席研究員の関沢洋一さんが、「新型コロナウイルスに対する抗体検査への期待」という特別コラムで、抗体検査の利点や課題などを整理してわかりやすく説明しています。こちらです。
https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0553.html

参考資料
ロイター 2020年3月29日付「焦点:新型コロナの局面変えるか、抗体検査に希望の光」
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-immune-test-idJPKBN21E0F3
東京都感染症情報センター「インフルエンザウイルスの検査法」
http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/flu/news/1998-2002/pro/p7/
経済産業研究所 特別コラム 2020年3月27日掲載「新型コロナウイルスに対する抗体検査への期待」
https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0553.html
塩野義製薬 2020年3月17日発表「新型コロナウイルス IgG/IgM 抗体検査キット製品の導入に向けたマイクロブラッドサイエンス社との業務提携について」
http://www.shionogi.co.jp/company/news/2020/qdv9fu000001o1fv-att/200317.pdf
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人工知能を使った新型コロナウイルス対策はまだ限定的

写真作者:Ecole polytechnique

新型コロナウイルス感染症(COVID-19:COronaVirus Disease 2019)の世界的な感染拡大は続いています。いつまで感染の拡大が続くのか、いつごろ感染の拡大は収束に向かうのか。これらは、世界的な人びとの関心事となっています。

これまでの流行や話題性とくらべると、新型コロナウイルス感染症に対する「人工知能」の話題が、なりをひそめているのではないでしょうか。とくに、感染の拡大についての予測などでは、「人工知能を使ったシミュレーション」といったものがあまり聞かれません。

人工知能は一般的に、人が知りたいことの材料となる情報をあたえられることにより、精度高く予測をするものです。今回の新型感染症では、地域、人の移動のしかた、ウイルスの拡散のしかた、発症した人の年齢層など、数多くの変数が情報として得られています。これらの情報を、人工知能にあたえることで、これから感染の拡大がどのように推移していくのかを予測することはできそうなものです。

実際、感染源となった中国では、いくつかの試みはおこなわれているようです。

中国の交通運輸部は、通信企業である中国移動が得た人びとの動きについての情報を活かして、人びとの移動に対する大規模な管理・制御のために重要なデータの基礎を提供したとされます。

また、中国企業のアリババクラウドは、人工知能を使った「流行予測ソリューション」というサービスを提供する予定であることを(2020年)3月19日(木)に発表しています。これは、特定の地域における新型感染症の流行の特徴をモデル化し、「流行の規模」「ピーク時間」「期間」「流行の広がり傾向」を、「楽観的」「中立的」「悲観的」の3つの水準で評価するというもの。すでに中国31省のデータを検証し、平均98パーセントの精度を達成したとしています。

いっぽう、日本では、新興企業のSIGNATEが(2020年)3月19日(木)「COVID-19チャレンジ」というとりくみをおこなっていくことを発表しました。まず第1相として、「日本国内のCOVID-19罹患者数と患者間の関係データに関する、マシンリーダブルかつデータ分析可能な最大規模のデータセットの構築」をめざすとのこと。そして続く第2相では、それらデータを分析し、「感染実態に迫るインサイト抽出」をめざすとのことです。同社は、これらのデータ構築のために有用な知見、情報源、データ、プログラムなどを広く募集しているとのこと。趣旨説明に「人工知能」のことばは含まれていませんが、データ分析では当然、人工知能が使われることもあるでしょう。

このほかにも、人工知能の画像診断機能を、患者が新型肺炎にかかっているかどうかの診断に役立てるといった試みはなされています。たとえば、カナダのウォータールー大学と人工知能企業ダーウィンAIが共同開発した「COVIDネット」というネットワークでは、さまざまな肺の病気を抱える2839人の患者の胸部X線画像5941枚を使って、人工知能に新型コロナウイルスの兆候を検出するよう学習させたといいます。

製薬業界では、大手企業も新興企業も含め、今回の新型感染症の対策に向けて、ワクチン開発や医薬品開発を協力しながら加速させていく機運が高まっているようです。人工知能業界でも、おなじような動きは見られるでしょうか。

参考資料
人民網日本語版 2020年3月27日付「中国の経験から見る人工知能による感染対策」
http://j.people.com.cn/n3/2020/0327/c95952-9673456.html
PR Times 2020年3月19日付「アリババクラウド、新型コロナウイルス感染症との戦いを支援する、AIとクラウド・サービスを提供」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000052991.html
SIGNATE「COVID-19チャレンジ(フェーズ1)」
https://signate.jp/competitions/260#organization
SW 2020年3月28日付 “Can Artificial Intelligence Help In Identifying COVID-19?”
https://www.scoopwhoop.com/news/artificial-intelligence-to-help-covid-19/
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「生物進化を食べる」イネの話題の第12話で完結


ウェブニュース「JBpress」の食を題材とする記事を集めた「食の研究所」で(2020年)3月27日(金)、生物・化学系ライターの大平万里さんによる連載「生物進化を食べる」が第12話をもって完結となりました。

この連載は、人びとが日ごろ食べている生物の食物について、「なぜヒトは『その食材』を食べることになったのか」という疑問を設け、「進化の視点」でその疑問を解くべく追うというもの。それぞれの食材に隠された生物進化の「ドラマ」をつまびらかにしていきます。

大平さんは、1964年生まれで、北海道大学理学研究科博士課程修了した理学の博士。旧工業技術院(いまの産業技術総合研究所)、秋田県立農業短大附属属研究所などの流動研究員、また高校教諭などを経てライターとなりました。著書に2017年に上梓した『「代謝」がわかれば身体がわかる』(光文社新書)があります。

「生物進化を食べる」で、これまで大平さんは「シアノバクテリア」「棘皮動物」「軟体動物」「節足動物」「魚類」「シダ植物」「鳥類」「真菌類」「被子植物と果実」「哺乳類・クジラ」「哺乳類・ウシ」を題材にとりあげてきました。

そして、第12話でとりあげたのが「イネ」です。ここのところ消費量が減ってきているものの、いまも米が日本人の主食であることに変わりはありません。また、世界でも異なる品種のイネが栽培され、アジアや欧州など多くの地域で食べられています。

イネをはじめとする穀物は、種子の部分が食べられる部分。植物たちにとって種子は自分の子孫をのこすためのとても大切なもの。そのため、ほかの動物たちに食べられぬよう硬くするなど、消化されづらいものにつくりあげてきました。

しかし、硬いという壁を打ちやぶったのが人類です。加熱することで、硬い種をやわらかくし、食材にしていったわけです。

そして、大平さんはつぎの重要な指摘をしています。

「加熱しないと食べられないということは、加熱しなければ長期保存が可能ということでもある」

こうして人類は、採集したり収穫したりしたものを「その日暮らし」で食べるのでなく、「計画的に栽培し備蓄する」という発想を得ました。人類の食の歴史において、いや、全体の歴史にとっても、この発想は大きなできごとであったにちがいありません。

記事では、イネという植物の起こりや生物学的な進化、そして人類の利用の経緯などが詳細に綴られています。

そして、最後に「次回は『生物進化を食べる』の番外篇『宇宙進化を食べる』をお送りする予定である」との予告も。この連載は毎月最終金曜に記事が配信されていたので、そのとおりになれば番外篇は4月24日(金)に掲載となりそうです。

大平万里さんの連載「生物進化を食べる」完結の第12話「栽培と備蓄、社会構造の転換を体現したイネの主食化」はこちらで読むことができます。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59871

記事の冒頭には、第1話から第11話までのもくじもありますので、合わせて読むことができます。
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1文字かわるだけなのに……


「スマホを落としただけなのに」という映画があります。作家の志駕晃(1963-)による小説が原作で、第1作目は2018年に上映され、この2020年に第2作目が上映されています。

この小説それに映画の題名をめぐっては、「うろ覚えの人が語尾のほうをまちがえやすい」という向きがあるみたいです。

「ほら、いまやっているあの映画、なんだっけ……『スマホを落としただけだけど』っていったっけ」

「だけなのに」でなく「だけだけど」というのは、どちらも逆接の語尾になっているので、意味あいは似ているといえます。

では、最後の1文字の「に」を、べつの1文字にかえてみると、印象はどう変わるでしょうか。あいうえお順に、ありうるものをあげていきますと……。

「スマホを落としただけなのか」。スマホをなくした息子に対し、買いあたえたお父さんが心配そうに聞いているようです。

「スマホを落としただけなのけ」。こちらは方言で相手に詰問しているようです。しかも、ほかにも落とすべきものがあったみたいに。

「スマホを落としただけなのが」。スマホを紛失した人に対して、紛失したものがスマホのみであったことを安堵しているようです。「スマホを落としただけなのが、唯一の救いだったな」とつづくのでしょう。

「スマホを落としただけなのさ」。ちびまる子ちゃんが母のすみれに言っていそうなせりふです。もちろんこう言われた母の怒りは心頭に発するでしょうが。

「スマホを落としただけなのと」。自転車に乗っているときに転んでスマホを落とした人が、知人に傷口も見せながら、「軽いけがで済んだのが、不幸中の幸いでした」などとつづけそうです。

「スマホを落としただけなのだ」。こちらはバカボンのパパのせりふにちがいありません。

「スマホを落としただけなので」。こちらはスマホを紛失した小金もちの人が、やや強がりに言っていそうです。「まぁ、機種変更の機会にもなりました」などとつけ加えそうです。

「スマホを落としただけなのな」。父親が、スマホをなくしてしまった息子に、ややいらいらしながら言っていそうです。

「スマホを落としただけなのね」。こちらは母親が言っていそうです。

「スマホを落としただけなのは」。こちらは「わ」と発音する係助詞の「は」。高校生の修学旅行で、大量の紛失物があることが発覚し、先生がだれがなにをなくしたのかを確かめているようすです。

「スマホを落としただけなのも」。登山で遭難し、熊に襲われそうになった人が、幸運にも軽い傷で済んで下山することができて、救援者から「とにかく命は無事でよかったですね」と言われたのに対し、つけ加えるかもしれません。

「スマホを落としただけなのや」。大阪の人が、ためとも丁寧ともいえないような口調で、自分の身に起きたことを知人に説明しているようです。

「スマホを落としただけなのを」。紛失物を「スマホと、あとタブレットも財布も」となぜか誇張していること人に対して、タブレットや財布はなくしていないことがわかり、ややあきれたように警察官が本人のいないところでべつの警察官に言っていそうです。

「スマホを落とした」という一般的にいえばよからぬできごとに対し、どんな人物がどんな心もちで反応しようとしているのか。最後の1文字で大きく変わってきます。
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「あの娘が小さくうなずいた」のはおそらく岩木山神社あたり

岩木山

歌手の松村和子(1962-)が1980年に発表した「帰ってこいよ」は、その年のレコード大賞新人賞に輝きました。そして紅白歌合戦でも、この歌を松村和子は歌っています。作詞を平山忠夫、作曲を一代のぼる、編曲を斉藤恒夫が手がけました。

歌詞から、東京に行ってしまった「あの娘」のことをいまも恋いこがれている男子が「帰ってこいよ帰ってこいよ帰ってこいよ」と叫んでいるようすがうかがえます。

この男子と娘はおそらくおなじ地域で育った幼なじみだったのでしょう。娘が東京ぐらしを始める直前、男子が「きっと帰ってくるんだよ」と娘に声をかけると、娘は小さくうなずいたのでした。

さて、この男子が「きっと帰ってくるんだよ」と娘に声をかけた場所はどこかというと「お岩木山」つまり、青森県の津軽平野にある岩木山ということがつぎの歌詞からわかります。

  きっと帰って くるんだと
  お岩木山で 手を振れば
  あの娘は小さくうなずいた

標高1625メートルの岩木山からの眺めは爽快です。しかし、この男子が岩木山の頂上から娘に手を振ったのかというと、どうもそうではなさそうです。娘が小さくうなずいたのを視認できる距離はおそらく50メートルか、せいぜい100メートルほど。男子が岩木山の頂上にいて、娘が頂上から50ないし100メートルの距離の岩場にいて、この二人が手振りとうなずきで意思疎通をはかる必然性を見いだすことができません。山頂まではいっしょに登って、「じゃ、ここで」と娘だけが先に下山することはまずないでしょう。

男子が娘に手を振ったのは「お岩木山」のどのあたりなのでしょう。その手がかりは、2番の歌詞にあります。

  白いリンゴの 花かげで
  遊んだ頃が なつかしい

この二人は、りんご畑のあるあたりで暮らしていたことがうかがえます。では、岩木山に近いりんご畑はどこかというと、いまの地図では、岩木山の頂上から南東に直線距離で6キロメートル行ったところにある「岩木山観光りんご園」が、もっとも近そうです。岩木山の南東には、このりんご園のほか、いくつかのりんご園が点在しています。

では、岩木山南東のりんご園から、岩木山の頂上に至る途中で、男子が手を振って娘が小さくうなずくという意思疎通がされるにふさわしい場所はあるでしょうか。

有力な候補ととれるのは、岩木山観光りんご園から西へ2キロメートル、岩木山のふもとにある「岩木山神社」ではないでしょうか。奥宮は岩木山の頂上にあり、ふもとの岩木神社の参道は、岩木山の頂上へとつづく登山道にもなっています。


岩木山神社の参道
yari hotaka

鳥居から境内にかけての道は若干の上り坂となっています。男子が境内の近くにいて、鳥居のほうにいる娘を見下ろすような位置関係であれば、男子が手振りに対して娘が小さくうなずくという意思疎通も自然に映ります。

この神社は「お岩木さま」や「お山」などともよばれています。「お岩木山」とはよばれていないものの、「お岩木山で」という歌詞を、さほど違和感なく受けいれられる場所ではないでしょうか。

なお、「帰ってこいよ」の歌碑は、岩木山から南へ525キロメートル進んだ、千葉県香取市八筋川の横利根大橋のたもとにあります。歌詞をつくった平山忠夫が育った地であり、歌碑には「『帰ってこいよ』の発祥地、横利根大橋の袂に歌碑を建立」とのことばが堂々と刻まれています。

参考資料
J-Lyric.net「帰ってこいよ 歌詞」
http://j-lyric.net/artist/a001426/l000a23.html
ウィキペディア「松村和子」
https://ja.wikipedia.org/wiki/松村和子
青森県観光情報サイト「岩木山神社」
https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000019.html
ウィキペディア「岩木山神社」
https://ja.wikipedia.org/wiki/岩木山神社
歌碑建立委員会、平山忠夫後援会、「詩魂」同人有志 「歌碑建立の記」
http://monument.sakura.ne.jp/file/kaettekoiyo.html
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5G通信を「無線機-アンテナ間」の無線技術が支える

画像作者:Sun Zom

NTTドコモは、きょう(2020年)3月25日(水)、第5世代無線移動通信技術(5G:5th Generation)の商業サービスを始めました。KDDIはあす26日(木)、ソフトバンクはあさって27日(金)に始めるとのことです。

ただし、5Gでの通信をおこなうには専用の携帯端末が必要です。また、5G通信の対象となる地域についても、たとえばドコモでは29都道府県の150か所にとどまるなど、まだじゅうぶんに利用できるようなことにはなっていません。

5G通信を広げるため、いま急がれているのが「無線機-アンテナ間の無線による大容量データ送信技術」の開発です。

スマートフォンなどで5G通信をおこなう人は、基地局のアンテナから発する電波を介して情報データを受信します。これは、いま普及している4Gによる通信でもおなじこと。


基地局
写真作者:bizmac

しかし、5G通信のいま対象地域がかぎられていることからもわかるように、5G通信には5G専用の基地局が必要であり、これから増やしていかなければなりません。

いろいろなところに5G通信向けの基地局を設けていけばよいわけですが、地下街などの電波の届きづらいところでは、より細かやかに電波を行きわたらせるための小さなアンテナを置いていかなければなりません。

こうした小さなアンテナが電波として発する情報データを、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW:World Wide Web)のネットワークから「有線」で送ってやればよいのですが、有線だけでそれをしようとすると街なかは線だらけになってしまい、たいへんです。費用もかさみます。

そこで、WWWネットワークからの情報データを有線を使って「無線機」とよばれる装置に送り、その情報データを無線機から小さなアンテナに「無線」で飛ばすという方法が考えられているのです。これが「無線機-アンテナ間の無線」です。

一般的に、有線よりも無線のほうが単位時間あたりに伝送できるデータ容量は小さいもの。そこで、無線を使って有線なみに大容量データを伝送することをめざし、「大容量データ送信技術」の開発がめざされています。

この無線によるデータ送信に使われる電磁波として有望視されているのが、「テラヘルツ波」とよばれる周波数帯の波です。「テラ」は「兆」を意味する接頭辞で、1テラヘルツは、波長にして約0.3ミリメートルとなります。

テラヘルツ波を生じさせるのには、高価な装置や薬品などが必要で、長らくテラヘルツ波は「未開拓の電磁波」といわれてきました。しかし、米国の企業が割安に扱える技術を開発したため、さまざまな波長がある電磁波のなかでテラヘルツ波が使われるようになってきています。

5G通信向けに無線機-アンテナ間に使われようとしているテラヘルツ波は、0.1テラヘルツないし0.01テラヘルツのレベルであり、正確にいえばこれらの周波数は「100ギガヘルツ」や「10ギガヘルツ」です。けれども、たとえ小数点がついてもテラヘルツの単位を使って表現できれば、それらの波を「テラヘルツ波」とよんでよいという向きはあります。

大学と企業などによる研究では、無線機-アンテナ間の距離を1キロメートルと想定し、この距離を0.04テラヘルツの電磁波でデータ伝送することがめざされるなどしています。

5Gという新たな規格での情報通信は、それを利用するための技術が完全に準備されてから使われはじめるのではありません。使われはじめてからも、それを利用するための技術が準備されていくわけです。

参考資料
日本経済新聞 2020年3月25日付「国内5Gサービス開始、ドコモ皮切りに」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57197670V20C20A3EAF000/
朝日新聞掲載「キーワード」「テラヘルツ波」
https://kotobank.jp/word/テラヘルツ波-185874
デジタル大辞泉「テラヘルツ波」
https://kotobank.jp/word/テラヘルツ波-185874
早稲田理工 by AERA 2020「“Beyond5G”を支える高速・大容量データ通信に挑む」
https://www.amazon.co.jp/dp/4022792485/
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水は通すがイオンは通さない

写真作者:Siyavula Education

生きもののからだのなかには、「ある物質は通すけれども、ある物質は通さない」といったしくみがあるものです。

ヒトの体にも、細菌にも植物にも、あまねくあるしくみのひとつに「水チャネル」があります。「チャネル」とは通路のことですので、いわば「水通路」とか「水の通りみち」といった意味になります。生きものの細胞膜には、この水チャネルが備わっており、細胞の外側と内側のあいだで、水を通しているわけです。

では、水チャネルは水を通すいっぽうで、なにを通さないのか。通さないものの代表例のひとつに水素イオンがあります。水素イオンは、水素原子が電子1個を失った状態のもので「H+」と表します。これは、陽子とよばれる素粒子とおなじです。

水チャネルが水を通すのは、水チャネルのもっとも狭いところの径が、水分子よりもわずかに大きいからです。水チャネルの幅が0.3ナノメートル(1ナノは10億分の1)まで狭まっているところを、大きさ0.28ナノメートルの水分子が通ります。1人がやっと通れるようなトンネルを通るようなものです。

いっぽうで、水素イオンを通さないしくみとして、水チャネルには「NPAモチーフ」とよばれるものがあります。NPAとは、“Asparagine - Proline - Alanin”の頭文字をとったもの。NPAモチーフは、アミノ酸配列の一部分で、アスパラギン、プロリン、アラニンの3種類の原子が並んでいるところをさします。ちょうど、水チャネルのもっとも狭いところにNPAモチーフが2つあります。このうちアスパラギンが、みずからもっている電荷を使って、水チャネルを進んできた水素イオンを捉え、通さないようにさせています。

水チャネルが水を通しても水素イオンは通さないことが、生きものにとってどうして重要なのか。これは、水素イオンが液体のなかでは酸性を示すことが大きくかかわります。水分子のそばに水素イオンがあると、水素イオンが水分子の水素結合を介して細胞の内側に入ってしまうことになります。すると、細胞の内側の酸性度が高まってしまい、均衡が崩れてしまいます。

水は大切なので摂りこみたいが、酸性度は高まってほしくない。細胞のこうした都合にかなっているのが水チャネルといえます。

参考資料
岡山大学分子生理機能解析グループ「アクアポリンについて」
http://www.rib.okayama-u.ac.jp/MolecularPhysiology/aquaporin/sub4.html
北海道大学園芸学研究室「水チャネル(water channel)の話」
http://lab.agr.hokudai.ac.jp/botagr/sakumotsu/documents/3biol2plant.pdf
natureダイジェスト「極低温電子顕微鏡が可能にする、膜タンパク質の構造解析」
https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v11/n8/極低温電子顕微鏡が可能にする、膜タンパク質の構造解析/54592
ウィキペディア「アクアポリン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/アクアポリン
ブリタニカ国際大百科事典「水素イオン」
https://kotobank.jp/word/水素イオン-83011
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次亜塩素酸がウイルスのたんぱく質・核酸を変性させて消毒


新型コロナウイルス感染症(COVID19)の病原体ウイルスに対して、よく「次亜塩素酸(じあえんそさん)ナトリウムが消毒には有効」といった情報が聞かれます。新型コロナウイルスにかぎらず、消毒剤として、かなりよく次亜塩素酸ナトリウムは聞かれるもの。どういう物質でしょう。

「次亜塩素酸ナトリウム」の「次亜」というのは接頭辞です。「オキソ酸」とよばれる、酸素をふくむ無機酸に命名をするときに使われることがあります。「亜塩素酸」のように「亜」を冠する酸よりも、さらに酸化数が小さいことを示すときに「次亜」を冠します。亜塩素酸の塩素の酸化数は+3であるのに対し、次亜塩素酸の塩素の酸化数は+1です。

この次亜塩素酸(HClO)とナトリウム(Na)が結びついた物質が次亜塩素酸ナトリウム(NaClO)です。一般的なつくりかたは、水酸化ナトリウム(2NaOH)水溶液に塩素ガス(Cl2)を吸収させるというもの。この化学変化では、次亜塩素酸ナトリウムのほか、食塩(NaCl)と水(H2O)も生じます。

  2NaOH + Cl2 → NaClO + NaCl + H2O

次亜塩素酸ナトリウムが使われている施設として、もっともよく知られているのはプールかもしれません。とくに昔の学校のプールなどでは独特の臭いが漂い、その臭いを「塩素くさい」という人もいました。この「塩素」といっている物質こそが、次亜塩素酸ナトリウムです。あるいは、家庭用漂白剤の臭いとして認識している人も多いかもしれません。

次亜塩素酸ナトリウムでは、水溶液になったとき残留塩素とよばれる物質が生じます。この残留塩素は強い酸化力をもっており、さまざまなウイルスのタンパク質や核酸という、ウイルスをなりたたせている大部分の要素を変性させます。これにより消毒がなされるわけです。なお、細菌に対しても、酸化力によって細胞膜や細胞壁を破壊する効果があるためおなじく消毒の効果を得られます。

厚生労働省は、新型コロナウイルスを消毒するためには、次亜塩素酸ナトリウムを水で薄めたものが効果的であることを伝えています。つぎのように。

「ウイルスは物についてもしばらく生存しているため、ドアの取っ手やノブ、ベッド柵ウイルスがついている可能性はあります。0.05%の次亜塩素酸ナトリウム(薄めた漂白剤)で拭いた後、水拭きするか、アルコールで拭きましょう。トイレや洗面所の清掃をこまめに行いましょう。清掃は、市販の家庭用洗剤を使用し、すすいだ後に、0.1%の次亜塩素酸ナトリウムを含む家庭用消毒剤を使用します」

なお、微生物の種類によっては、次亜塩素酸ナトリウムによる消毒が効かないものもあります。また、消毒に使うときの扱いには注意が必要です。情報をよくたしかめてから使うことが勧められます。

参考資料
ウィキペディア「次亜塩素酸ナトリウム」
https://ja.wikipedia.org/wiki/次亜塩素酸ナトリウム
ウィキペディア「次亜塩素酸」
https://ja.wikipedia.org/wiki/次亜塩素酸
大辞林第三版「次亜」
https://kotobank.jp/word/次亜-515332
TACMINA「次亜塩素酸ナトリウムについて」
https://www.tacmina.co.jp/library/coretech/279/
立花マテリアル「効果の主役は、次亜塩素酸」
http://tachibana-m.co.jp/files/pdf/bisansui01.pdf
厚生労働省「新型コロナウイルスの感染が疑われる人がいる場合の家庭内での注意事項(日本環境感染学会とりまとめ)」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00009.html
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結果的に「昼は赤みそ」が定着


食品製造業の永谷園が出している即席みそ汁の商品群のなかで、とりわけ孤高の存在となっているのが「ひるげ」ではないでしょうか。全国的にはあまりなじみのない赤だしみそが使われているからです。

同社の即席みそ汁の主力商品は、「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」です。このうち「あさげ」は1974年に発売され、追って「ゆうげ」は1975年、そして「ひるげ」は1976年に発売されたそうです。

使われているみそは、同社によると「あさげ」が2種類の合わせみそ。「ゆうげ」は白みそとのこと。「あさげ」がよく売れたため、つづいて「ゆうげ」そして「ひるげ」と発売していったのでしょう。

2種類の合わせみそを第1弾の「あさげ」で発売した企業が、つぎの第2弾でどのようなみそを使うか。白みそで行くのか、赤みそで行くのか。商品を全国展開する食品製造業者として選ぶのは、やはり白みそのほうではないでしょうか。一般的に白みそのほうがみそ汁によく使われているからです。

2種類の合わせみその「あさげ」が売れて、つぎに白みその「ゆうげ」も発売したとなれば、「ひるげ」が商品として出ないのも、かえって不自然ともいえます。合わせみそ、白みそとくれば、主要なみそとして残るのは赤みそです。結果として、「ひるげ」に赤みそがあてられたのではないでしょうか。

とりわけ昼食のみそ汁に赤みそだしのものを食すという習慣は、おそらくなかったことでしょう。しかし、商品名に「ひる」と書かれていれば、「これは昼に食すものなのだ」と認識する人は、すくなからずいることでしょう。

こうして、「昼に食すみそ汁は赤みそだし」という人びとの認識が、すこしずつ定まっていったのでした。

参考資料
永谷園「『あさげ』『ひるげ』『ゆうげ』はどう違うのですか?」
http://www.nagatanien.co.jp/faq/lst/category/product/2/
永谷園「1974 インスタントのイメージを覆した『あさげ』」
http://www.nagatanien.co.jp/enjoy/backstage/#1967
| - | 21:41 | comments(0) | -
「なにに似ているといえるのか」よく考えられたはず

写真作者:Besanzona

人は、新たなものによび名をつけようとするとき、似ているものをそのよび名にあてることがあります。たとえば、星座には「さそり座」や「かに座」がありますが、これらは主要な星々をつないだとき見えてくるかたちが、サソリやカニであったことからくるものです。古の人たちの想像力のなんとたくましかったことか。

ウイルスについても、似ているものをよび名にあてているものがあります。

たとえば、カリシウイルス科というウイルスの分類があります。いわゆるノロウイルスは、このカリシウイルス科に属します。この「カリシ」とはなにかというと、ラテン語で「コップ」を意味する“calix”からきているといいます。ではなぜ「コップ」なのかというと、ウイルスの表面に合計32個のコップのような凹みがあるからだそう。

また、トガウイルス科というウイルスの分類もあります。この科でよく知られているのは、風疹ウイルスです。では、「トガ」とはなにかというと、これもラテン語で、ローマ時代に人びとが身につけていた「マント」を意味する“toga”からきているといいます。ではなぜ「マント」なのかというと、このウイルスは分厚い膜で覆われているからなのだそう。

ほかに、よく知られているところでは、コロナウイルスもあります。突起のたんぱく質が太陽の光冠「コロナ」に似ているからということで、コロナウイルスとつけられたといいます。

星座のよび名のつけかたに遜色ないくらいに、ウイルスのよび名も想像力を駆使したものといえそうです。

ただし、ウイルスのよび名が星座のよび名と大きくちがうのは、いずれも現代になってからつけられたものであるということ。ウイルスの発見そのものが20世紀末であり、ウイルスの形を見ることのできる装置である電子顕微鏡の発明は1931年のことでした。コップもマントも光冠も、顕微鏡でウイルスの姿を見ないかぎりは思いうかびません。

これらウイルスのよび名をつけた研究者たちは、かなり意図的に「なにに似ているといえるのか」をよく考えて、ウイルスのよび名を決めたのかもしれません。たとえば、ぱっと見えたウイルスのかたちが「あっローマ時代のマントのトガにそっくり」とはならなかったでしょう。これらのよび名に、ロマン主義さえ感じる人もいるのではないでしょうか。

多くの人びとに、そのウイルスの特徴がよび名とともに伝わることは、知識が広がるという点ではよいことです。これからも、新種のウイルスのよび名に対して、「よく考えられた似ているといえるもの」があてられていくのかもしれません。

参考資料
Y's Square 感染対策情報レター「ノロウイルス感染症と新型ノロウイルスの出現」
https://www.yoshida-pharm.com/2015/letter115/
微生物の用語解説「トガウイルス」
https://www.weblio.jp/content/トガウイルス
農研機構動物衛生研究部門「家畜・家禽のコロナウイルス病」
http://www.naro.affrc.go.jp/laboratory/niah/disease/sars/index.html
ウィキペディア「ウイルス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウイルス
ウィキペディア「電子顕微鏡」
https://ja.wikipedia.org/wiki/電子顕微鏡
| - | 21:36 | comments(0) | -
からだの治療に抗菌剤、環境の病原体除去に消毒剤


新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が拡大している傍らで、2019年から2020年にかけては、細菌による感染症である「百日ぜき」の患者が増えてもいるようです。

感染症の対策では、「抗菌剤」や「消毒剤」といわれる薬が使われます。このふたつは、どちらも感染症対策に使われるものの、期待できる効果は異なります。

抗菌剤は、その名のとおり、病気の原因となる細菌に「抗う」ための薬です。細菌が増えるのを抑えることがおもな目的です。なかでも、微生物からつくられた抗菌剤を「抗生物質」とよぶこともあります。

たとえば上記の百日ぜきに対しては、患者への治療として、エリスロマイシンやクラリスロマイシンとよばれる「マクロライド系抗菌剤」が使われます。飲み薬です。

いっぽう、消毒剤は、病気の原因となる微生物を「消す」ための薬です。「消す」とは「殺す」ことを指します。消毒剤の種類は、エタノール、塩類、酸化剤、逆性石鹸、熱湯などさまざまあります。

消毒剤は、一般的に非特定的な作用を示します。つまり、特有な病原体をねらいうちして殺す効果があるわけではありません。そのため、人のからだに消毒剤を適用することはありません。感染症が広がらないよう、環境に対して消毒剤を使います。

たとえば百日ぜきを引きおこす細菌に対しては、医療機関では器具や環境を消毒するため、アルコールや次亜塩素酸ナトリウム、また熱湯などが使われるといいます。ただし、これらは百日ぜきに特化した消毒法ではないわけです。

参考資料
熊本日日新聞 2020年3月20日付「熊本県感染症情報 百日ぜき患者、前年の1・5倍」
https://www.47news.jp/4631646.html
妊娠・子育て用語辞典「抗菌薬」
https://kotobank.jp/word/抗菌薬-14206
デジタル大辞泉「抗菌薬」
https://kotobank.jp/word/抗菌薬-14206
百科事典マイぺディア「消毒薬」
https://kotobank.jp/word/消毒薬-532770
デジタル大辞泉「消毒薬」
https://kotobank.jp/word/消毒薬-532770
国立感染症研究所「百日咳とは」
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ta/mdr/392-encyclopedia/477-pertussis.html
Y's Square 感染対策情報レター「レンサ球菌・髄膜炎菌・百日咳菌」
http://www.yoshida-pharm.com/2004/letter33/
| - | 23:02 | comments(0) | -
低温にする方法で、新型コロナウイルスの構造を解明

低温電子顕微鏡
写真作者:Tina Saey(記事の内容とは関係ありません)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の病原体となっているウイルスの構造を解きあかすため、「低温電子顕微鏡法」という解析方法が研究者たちに使われています。

テキサス大学の分子生物学者ダニエル・ラップらの研究チームは、(2020年)3月13日(金)、米国の科学誌『サイエンス』に、「構造変化前における2019年新型コロナウイルス突起の低温電子顕微鏡構造」という主題の論文を発表しました。

論文によると、3.5オングストロームという解像度をもって、新型コロナウイルスの突起部分のたんぱく質のつくりを解きあかすことができたということです。オングストロームは長さの単位のひとつで、1オングストロームは100億分の1メートル(0.1ナノメートル)のこと。

研究チームは、新型コロナウイルスの突起部のたんぱく質は、2002年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS:Severe Acute Respiratory Syndrome)のウイルスのすくなくと10倍以上、宿主つまりヒトの細胞の受容体に強く結びつくといったことを明らかにしました。

新型コロナウイルスのタンパク質のつくりを明らかにした装置が、低温電子顕微鏡です。スイスの生物物理学者ジャック・デュボシェ(1942-)らが1980年代に開発したもので、デュボシェらは2017年、この業績でノーベル化学賞を受賞してもいます。

低温電子顕微鏡はその名のとおり、つくりを調べたい試料を低温で凍らせて観察するという特徴をもっています。

試料を低温で凍らせるのは、試料をぐずぐずに崩さないためです。電子を使って試料のつくりを調べるときは、試料を脱水しなければなりませんが、脱水がなされるとき試料が崩れてしまい、観察に試料をきたしていたのです。

そこで、研究者たちは試料中の水を凍らせて、脱水が生じないようにさせることを考えました。しかし、水をふつうに凍せると氷の結晶ができてしまい、これもまた観察のさまたげとなります。

そこで、デュボシェらは、エタノールを使って試料を一気に氷点下160度で冷やして、水を「アモルファス化された氷」にする方法を考えました。アモルファスとは、原子や分子が結晶のように規則正しく並ぶことなしに集まっている状態のことです。水をアモルファス化された氷にすれば、脱水は起きないし、かつ氷の結晶もできません。

このアモルファス氷で試料を固める「包埋」という作業によって、つくりを調べたい試料の状態は安定的に保たれ、微細なつくりを観察することができるようになったわけです。

低温電子顕微鏡を用いて新型コロナウイルスのたんぱく質のつくりを解きあかしたダニエル・ラップら研究チームは、論文で「ウイルスの構造をつかめたことは、いま起きている公衆衛生の危機に対する医療的な対応を加速させるだろう」と述べています。

参考試料
Daniel Wrapp et al. “Cryo-EM structure of the 2019-nCoV spike in the prefusion conformation”
https://science.sciencemag.org/content/367/6483/1260
GIZMODO 2020年2月20日付「打倒新型コロナウイルス。原子レベルの姿から弱点を探せ」
https://www.gizmodo.jp/2020/02/sars-cov-2.html
swissinfo.ch 2020年3月6日付「新型コロナウイルス対策にスイスの研究が貢献」
https://www.swissinfo.ch/jpn/covid-19_新型コロナウイルス対策にスイスの研究が貢献/45600540
ウィキペディア「低温電子顕微鏡法」
https://ja.wikipedia.org/wiki/低温電子顕微鏡法
| - | 16:13 | comments(0) | -
「太陽の眩しさを抑える説」に「野球選手に引っぱられた説」

写真作者:Chris Hills

チーターといえば、ネコ科の動物たちのなかでも、さながら「短距離王」といったところでしょう。時速93キロメートルで走りますが、200メートルほどこの速さを保ったら、まもなく走りおえます。

顔にある、2本の黒い縦しまを気にする人もいるのではないでしょうか。おなじネコ科でも、ライオン、トラ、ジャガー、ヒョウなどには見られません。

この顔の縦しまには、「涙線」あるいは「ティアーラインズ」というよび名もついています。「なぜ、チーターには涙線があるのか」という疑問は、チーターに関心ある人たちにとっては答えを知りたくなるものでしょう。

よくいわれているのは、「狩りのとき太陽のまぶしさを抑えるため」というものです。黒いものは、ほかの色のものより光を反射しないので、まぶしさを減らすことができるというわけです。とくに、太陽がぎらぎらと輝く平原などでは、この涙線が大切な役割を果たすとも。

しかし、この説に異を唱える人もなかにはいるようです。

「ピクチャー・オブ・キャッツ」というサイトに記事を書いている動物好きのマイケル・ブロードさんは、この「太陽の眩しさを抑える説」に疑問を呈しています。そして記事でつぎのようなことを述べています。

「これはただたんにカモフラージュなんじゃないかな。猫の模様に残されているのとおなじようにね。猫になぜ黒い斑点が均等に広がっているかといったら、カモフラージュでしょ。ちなみに、バラデイっていうかつてのチーター研究者が、斑点の数を数えたところ、ぜんぶで1976個あったんだって」

よくプロフットボール選手やプロ野球選手たちが、昼間の試合のとき、太陽のまぶしさを避けるために、両目の下に黒い貼りものをしています。ブロードさんは「太陽の眩しさを抑える説」は、その印象を受けて「素人専門家」たちが言いだしたのではないかと疑っているようです。

しかし、「単なるカモフラージュ説」にも根拠はなさそうです。

チーターに聞いても「なんでそんなことおれがわかると思ったんだよ。だいたいおまえたちは、なぜヒトには頭につむじがあるのかと聞かれて答えられるのかよ」などと言いかえされるかもしれません。

「太陽のまぶしさを抑える説」が事実であれば、もうすこし合理的に、目の下のあたりまで黒い部分が広がっていてもよさそうではあります。

ちなみに歌手の水前寺清子さんの愛称は「チーター」でなく「チータ」だそうです。

参考資料
ウィキペディア「チーター」
https://ja.wikipedia.org/wiki/チーター
Real Africa. Real Conservation. “Why Do Cheetah Have Tear Marks?”
https://wildlifeact.com/blog/why-do-cheetah-have-tear-marks/
POC “Why do cheetahs have a tear line?”
https://pictures-of-cats.org/why-do-cheetahs-have-a-tear-line.html
ウィキペディア「水前寺清子」
https://ja.wikipedia.org/wiki/水前寺清子
| - | 17:04 | comments(0) | -
戦後は国が一貫して日本人の栄養の基準を示す――栄養所要量と食事摂取基準の歩み(2)

栄養学の祖「人体の栄養要求量」を定める――栄養所要量と食事摂取基準の歩み(1)

日本人に必要な栄養の量を定めた栄養所要量は、昭和の戦争期間中から、体制翼賛的につくられた民間団体連盟、そして国によって定められていました。

日中戦争の最中の1940(昭和15)年には、民間の食糧関係団体と関係官庁が一体となり前年に設置された食糧報国連盟が「日本国民食栄養規準」を示しています。同連盟はこの「規準」で、青少年期、成人期、老年期といった年齢別、また性別、さらに労作別に、熱量とたんぱく質の所要基準を示しました。また、妊産婦や授乳婦に向けての栄養規準なども合わせて示しています。

その後、日本はそのまま太平洋戦争に突入。敗戦の色が濃くなった1944(昭和19)年、政府の外郭団体として設立された調査動員研究本部が、「戦時最低栄養要求量」を発表しました。この要求量における熱量は1,919キロカロリー。たんぱく質は68グラムでした。

戦争末期の1945年5、6月にも、政府の諮問機関である科学技術審議会が、年齢別と性別による「戦時必需熱量及び必需たんぱく質を政府に対して答申しています。熱量は2,000キロカロリー。たんぱく質は64グラムというもの。しかし、あえなく日本は戦争に敗れ「戦時必需」を考える時代は終わりました。

敗戦を迎えた日本人は、戦争直後をどう生きのびるかを考えなければならなくなりました。1947(昭和22)年には、当時、内閣におかれた国民食糧及栄養対策審議会が「日本人1人1日当たり所要摂取量」を示しています。それによると、熱量は2,150キロカロリー。たんぱく質は75グラム。脂肪は25グラムなど。いまの青年に必要とされる量からすると、熱量は相当に低い数値。たんぱく質はいまよりむしろ高く、いまとさほどかわりありません。


1947(昭和22)年、国民食糧及栄養対策審議会が示した「日本人1人1日当たり所要摂取量」。熱量の単位「Cal」は、いまの「kcal(キロカロリー)」に相当。

その後、戦後の時代を通して、国はいくつかの栄養基準量を示していきます。

大きな転機を迎えたのは、1969(昭和44)年から1970(昭和45)年にかけて。1969年、厚生省(いまの厚生労働省)における栄養審議会が、日本人の栄養所要量を年齢別、性別、労作別、妊婦・授乳婦別に審議し、策定しました。さらに翌1970年、この策定を受けて、厚生省による「日本人の栄養所要量」が1974年度までの5年間にわたり、使われました。

なぜ、これらが大きな転機だったかというと、1970年に厚生省が示したこの「日本人の栄養所要量」が、いま厚生労働省が出している「日本人の栄養摂取基準」の源流となっているからです。いわば、1970年の「日本人の栄養所要量」は、いまの「日本人の栄養摂取基準」の第0次版。その後、厚生労働省は5年度ごとに、名称をかえつつも、この所要量ないし摂取基準を改訂しています。

2020年(令和2年)度は、新たに改定された「日本人の食事摂取基準」が使われ始める年度。厚生労働省は、「誰もがより長く元気に活躍できる社会を目指し、高齢者のフレイル予防のほか、若いうちからの生活習慣病予防に対応」という文章を示して、報告書の内容などを示しています。了。

参考資料
山田修士「大政翼賛体制と内務省 内務省の機構系統を基軸として」
http://nihonnokokoro.web.fc2.com/ronbun2.pdf
沼尻幸吉「『日本人のエネルギー所要量』改定の変遷」
https://darch.isl.or.jp/il/cont/01/G0000002rouken/000/015/000015368.pdf
第一出版『日本人の食事摂取基準2015年版』
http://daiichi-shuppan.co.jp/filedir/book/pdf/摂取基準2015年版_本文.pdf
小島しのぶ「日本における食生活の変貌」
http://repository.tokaigakuen-u.ac.jp/dspace/bitstream/11334/1305/1/KJ00000119162.pdf
厚生労働省健康局がん対策・健康増進課栄養指導室「日本人の食事摂取基準(2015年版)と健康な食事の基準づくりの状況」
https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000053419.pdf
厚生労働省 2019年12月24日発表「『「日本人の食事摂取基準」策定検討会』の報告書を取りまとめました」
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_08415.html

| - | 07:31 | comments(0) | -
栄養学の祖「人体の栄養要求量」を定める――栄養所要量と食事摂取基準の歩み(1)

人類は昔から「食べものを食べれば活力が出る」といったことを経験的に知っていたことでしょう。その後、19世紀以降、そうしたからだのしくみを栄養学として研究する動きが活発になってきました。

日本で「栄養学の創始者」とされるのが、医学研究者の佐伯矩(1876-1959)です。栄養学を学問として医学から独立させ、1914(大正3)年、みずから栄養研究所それに栄養学校を創設しました。

当時の「食糧と栄養」に対しての佐伯の見かたが、佐伯が記した「栄養学校設立の趣旨」にうかがえます。
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ここにおいて「食糧に付帯する栄養ではなくして栄養を完成する食糧である」という考え方を中心として飲食せねばならぬことが、いよいよ判然としてきた。即ち栄養は空理ではなくして科学と理想に基いた実践でなければならぬ。
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こうした考えに基づいて、佐伯は1926(大正15)年に「人体の栄養要求量」を定めました。これが、栄養の所要量つまり、必要な栄養の量を定めた、日本で初めての試みとして根づいています。もっとも、1887(明治20年)には、すでに当時の内務省衛生局が、「保健飲料」という項目で栄養所要量を記していたという話もありますが。

では、佐伯の示した「人体の栄養要求量」はどのようなものだったのか。残念ながら、国会図書館で入手できる当時の佐伯の資料『栄養』では、肝心の該当ページが「欠」となっています。


佐伯矩が1926(大正15)年に著した『栄養』における「人体の栄養要求量」のページ。右ページ表組みは、海外の学者が示す栄養要求量の例。
所蔵:国立国会図書館

佐伯の栄養研究所はもとは私立の民間研究所でしたが、高木は国立の研究所の必要性を、栄養研究所の設立以降も訴えていました。その訴えがみのり、1920(大正9)年には内務省栄養研究所が開設されます。さらに、1938(昭和13)年には厚生省(いまの厚生労働省)が新たに設けられ、栄養研究所は厚生省の管轄下になりました。

当時、栄養学研究所が栄養所要量の策定をしていたわけですが、このように栄養研究所が国の管轄下になることにより、必然的に栄養所要量も国が策定するものとなっていきました。とくに、昭和時代の戦中から戦後にかけては食糧難を迎えていたため、栄養所要量を定めることは国としての重要な政策となっていたようです。国民がその所要量を満たせる食糧をあたえられていたかはべつとして。

戦中から戦後にかけての主だった、栄養所要量や、その後の食事摂取基準の策定の歩みを見ていきます。つづく。

参考資料
第一出版『日本人の食事摂取基準2015年版』
http://daiichi-shuppan.co.jp/filedir/book/pdf/摂取基準2015年版_本文.pdf
ウィキペディア「佐伯矩」
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐伯矩
奥恒行「栄養学の基礎研究と栄養士活動に携わった立場から」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eiyogakuzashi1941/63/4/63_4_180/_pdf
佐伯矩『栄養』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1016744
金子俊・丸井英二「明治20年の『保健食料』と栄養所要量」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshhe1931/51/3/51_3_147/_pdf/-char/ja

| - | 11:23 | comments(0) | -
震災と感染症、「自分ごと」かどうかのちがいも


2020年に起きている新型コロナウイルス感染症「COVID-19」の災禍を、2011年3月に起きた東日本大震災と重ねあわせている人も多いようです。社会活動に影響を及ぼしたり、株価が大きく下がったりといったことから、この二つの災禍を重ねるのでしょう。

しかし、災禍の質として大きく異なることもあります。

東日本大震災をはじめとする地震や津波の災害は、人びとのからだに感じやすいかたちでおきました。地震で揺れれば揺れを感じますし、揺れなかった地域でもその映像を見れば揺れていると感じます。津波も、おなじく感じられるものです。もちろん津波の実体験に遭った人と、映像などで見聞きした人では、その度はちがうでしょうが。

いっぽう、COVID-19をはじめとする感染症では、感染して症状が出ないかぎり、感染を感じることができません。目にしたり、耳にしたりすることができないわけです。ウイルスは小さすぎるし、音も発しません。直接的に、災禍の原因となっているものを感じられないわけです。その分、不気味さや得体の知れなさの度合は大きくなります。

また、地震や津波では、被害を負う人と負わない人がかなりはっきり分かれます。地震や津波では、住まいを失ったり、津波の犠牲になったりする人がいるいっぽう、被災地域以外の地域の人たちは、そうした被害を基本的には追いません。

しかし、ウイルス感染は、地域をあまり選ばずに起きているし、どの地域でも起きうるものです。もちろん、大都市など人の多いところで起きやすい向きはあります。しかし、人の移動がこれほど激しくなっている以上、あまり場所を選びません。

そのため「自分は被害者であるのか、または被害者になるのか」「被害者でないのか、またはならないのか」の線引きがとてもしづらくあります。

震災や津波被害が起きたあとの報道に対するインターネット上のコメントでは、被災者の心をおもんばかったり、放射線の影響に対して冷静な対応をよびかけたりするものが多く見られました。

しかし、今回のような感染症が起きたあとの報道に対するインターネット上のコメントは、自分が被害を受けうるという感情からのものが多く見られます。

地震や津波が及ぼす影響は、原子力発電所事故による放射線の広がりをのぞけば、国土のなかではかぎられたものです。しかし、ウイルス感染症の及ぼす影響はとても広いもので、自分自身にも直接的にかかわるものであるだけに、人びとの心情も大きく異なっています。
| - | 12:19 | comments(0) | -
「名誉返上の心でがんばっていく」


「汚名」「名誉」と「返上」「挽回」からつくられる4字熟語は、3つとされています。「汚名返上」「汚名挽回」「名誉挽回」です。

「汚名返上」は、「汚名を返上」すること。「汚名挽回」は「汚名から挽回」すること。「名誉挽回」は「名誉を挽回」すること。それぞれの2字熟語と2字熟語のあいだに、ふさわしい助詞を入れることで、4字熟語がなりたっているわけです。

「汚名」と「名誉」、そして「返上」と「挽回」の4つのことばがあるということは、くみあわせとしてはもう1つ、4字からなることばがあるはずです。

残る1つは「名誉返上」です。

つい、「汚名挽回、汚名返上、名誉挽回」とくると「名誉返上!」ともいいたくなります。もし「名誉返上」という4字熟語があるとすれば、「名誉を返上」すること、となるのでしょう。しかし、「名誉返上」は、国語辞典などには見あたりません。

しかし、「名誉を返上」することの意味で、「名誉返上」が通じてしまうからには、「名誉返上」を絶対に使ってはいけないということにはなりますまい。つぎのような状況では、「名誉返上」と使うのもありうるのではないでしょうか。

たとえば、運動競技あるいは科学研究などで、かずかずの成果を上げてたくさんの賞をとった人物がいるとします。その人物は多くの人びとから「すばらしい」と認められ「名誉」を得たことでしょう。

しかし、その人物が、みずからの「名誉」に傷をつけることをしてしまったとします。優勝をおさめていた種目で10連敗してしまったり、研究論文にたくさんの不備が見つかってしまったり。

この人物が、「自分はこれ以上、過去の名誉を受けつづけのにふさわしくない! この際、名誉を返上しよう!」と決意し、それを取材の機会などで口にすることがあれば、つぎのように言うかもしれません。

「自分は、これまで受けてきた賞のことなどをすべて忘れ、名誉返上の心でがんばっていく所存です」

国語辞典などに「名誉返上」は出てきません。しかし、この人物が本心から「名誉返上」を心にし、自然に「名誉返上」がでてきたのであれば、「名誉返上」もそのひとにとっての立派なことばだといえます。
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聴き手もつくり手も「癒し」に積極的

癒しを求めて音楽を聴いている人は多いことでしょう。

かつては、聴き手が好きな楽曲を聴いて、個人的に「心が落ちつく」「癒される」といったことを感じるのが主流だったかもしれません。しかし近年は、つくり手が「癒すこと」を意識して楽曲をつくることも増えてきているようです。1999年に発表された、坂本龍一作曲のピアノ曲「energy flow」はその例ではないでしょうか。

「チルアウト系」とよばれる音楽の分野も、「癒し」が意識されたものといえます。英語の「チルアウト(chill out)」は、「冷静になる」や「くつろいで過ごす」といった意味をもちます。チルアウト系の曲の特徴は、ゆっくりとした速さであること、それに電子的につくられていること。1990年代中期から、くつろぐことを意識してつくられるようになったとされます。

癒しやくつろぎをめざすなかで、「効果がきわめて高い楽曲を定めよう」という 動きもありました。

英国の音楽療法学会と演奏集団のマルコニ・ユニオンが、音楽療法士とともに、チルアウトを追究した「ウェイトレス(Weightless)」という楽曲をつくりました。そして、この楽曲のチルアウト効果のほどを、ザ・マインド・ラボという民間の研究機関が実験でたしかめました。

実験では、20人の女性の被験者に「ウェイトレス」を聴かせながら、心拍数の変動や、皮膚の反応、呼吸数などを測ったといいます。

すると、被験者たちのくつろぎの度合が、マッサージを受けているときよりも6パーセント高まったり、ほかのくつろぎ効果があるとされる楽曲を聴いているときよりも11パーセント高まったりしたとのこと。

こうした結果をもっても、「ウェイトレス」がもっとも癒しやくつろぎをあたえる楽曲であるとまではいえません。世界には、無数の音楽があり、癒しやくつろぎの効果が発見されていない楽曲がある可能性もあるからです。

「ウェイトレス」はユーチューブなどで聴くことができるので、どのくらい癒しやくつろぎの効果を得られるか、一人一人がたしかめることもできます。



聴いてみて、いかがでしょうか。

一般的に人は、「効果がある」とされるものごとについて、疑っているときよりも信じているときのほうが、その効果を得やすいものです。楽曲のつくり手も聴き手も「癒しやくつろぎを求める」ということに積極的であるほど、音楽から癒しやくつろぎを得やすいのだといえるのかもしれません。

参考資料
明治学院大学文学部芸術学科 芸術メディア系列 2010年度長谷川ゼミHP「第四回『パーティー・イベントについて』(2)」
http://www1.meijigakuin.ac.jp/~hhsemi10/club4-2.html
デジタル大辞泉「チルアウト」
https://kotobank.jp/word/チルアウト-1830323
ウィキペディア「チルアウト」
https://ja.wikipedia.org/wiki/チルアウト
mind lab. “A Study Investigating the Relaxation Effects of the Music Track Weightless by Marconi Union in consultation with Lyz Cooper”
https://www.britishacademyofsoundtherapy.com/wp-content/uploads/2019/10/Mindlab-Report-Weightless-Radox-Spa.pdf

| - | 15:50 | comments(0) | -
ウイルスをからだに保つ人を「保菌者」ということも

新型コロナウイルス「SARS-CoV-2」の電子顕微鏡写真
写真作者:NIAID-RML

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐって、つぎのような伝え手の発信や、取材対応者の発言があります。

「潜在的な保菌者がいる可能性があります」(2020年3月3日の秋田県知事の会見)

「巨大なクルーズ船が保菌者ごと入港するのは『想定外だった』という議論では通用しない」(2月24日付『論座』)

「症状がない人からの感染の心配がなかったSARSと比べ、新型肺炎は無症状の人でも保菌者であれば、他の人に感染させることがあることだ」(2020年2月3日付ロイター配信コラム)

これらを見て「おや」と思う人もいるでしょう。「保菌者」ということばがあるからです。報道番組でも、新型コロナウイルスの情報で、司会者が「保菌者」と口にすることもあります。

ウイルスと菌は生物学的に異なるものです。もっともわかりやすいちがいは、大きさです。ウイルスの大きさが数10ナノメートルから数100ナノメートルであるのに対し、細菌の大きさは数マイクロメートルから数10マイクロメートルほど。100倍から1000倍、ウイルスのほうが小さいわけです。

ほかにも、ウイルスは、生物としての最小単位である細胞膜をもたないこと、みずからだけで増えることはできないことなどの点で、細菌とは異なっています。

「保菌者」は、病原体をからだにもっていながら、症状を示さず、感染源になりうる者のことをいいます。文字どおりであれば「菌を保っている者」のことなので、新型コロナウイルスをからだに保っている人は「保菌者」でなく「保ウイルス者」となります。

しかし、菌にかぎらず、ウイルスをふくめ、病原体をからだにもっている人のことのを「保菌者」と表現する向きもあります。百科事典には、「日本脳炎、ポリオなどに多い不顕性感染によるものを健康保菌者(略)という」とあります。日本脳炎やポリオは、いずれもウイルスを病原体とする感染症です。

ウイルスと菌が生物学的に異なるものであることを人びとが知っておくことは、公衆衛生の点からして大切ではあります。たとえば、「防菌効果がある」という場合、それが本当であれば、細菌から身を防ぐことはできるでしょうが、ウイルスから身を防ぐことができるとはかぎりません。「防菌・防ウイルス効果」ではないからです。

そうしたことからいうと、病原性ウイルスをからだに保っている人のことを指して「保菌者」と表現するのは、あまりふさわしくはないことなのかもしれません。

かといって、「保ウイルス者」と言うのも、言いづらさがあります。英語では、「運ぶ者」という語義から「キャリア」とよばれ、日本でも使われることがあります。「新型コロナウイルスのキャリア」といったように。ただし「キャリア」は、日本で「経験」「職業」「電気通信事業者」のようにいろいろな意味で使われていることから、ウイルスをからだに保っている者の意味としては通じづらいものでもあります。

「ウイルス」は、その概念が日本に入ってきても、漢字の熟語に置きかえられることなく、「ウイルス」のまま使われつづけてきました。なにか、漢字でのよびかたもできていれば、病原性ウイルスをからだに保っている者に対する「保なんとか者」ということばもできていたでしょう。

漢字の祖国である中国で「ウイルス」はなんというかというと、「病毒」といいます。「コロナウイルス」は、中国語では「冠状病毒」。となると、病原性ウイルスをからだに保っている者は「保毒者」となるでしょうか。しかし、特定の人のことを「保毒者」とよぶのは、日本ではかなり抵抗がありそうです。

報道機関の記者は、新型コロナウイルスをからだに保ちながらも無症状である人のことを、「保菌者」とは表現していません。また「キャリア」も使っていないようです。そういう内規があるのでしょう。「無症状感染者」と表現するところが多いようです。

参考資料
JPubb 2020年3月3日付「秋田県知事会見録 2020年03月03日 知事臨時記者会見」
http://www.jpubb.com/press/2332256/
論座 三島憲一 2020年2月24日付「新型コロナウイルスから身を守る『エゴイズム』の権利」
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020022300002.html
ロイター 2020年2月3日付「コラム:新型肺炎、終息が4月以降なら世界の成長率1%に下振れも」
https://jp.reuters.com/article/column-kazuhiko-tamaki-idJPKBN1ZX0M8
百科事典マイぺディア「保菌者」
https://kotobank.jp/word/保菌者-132656
白水社中国語辞典「ウイルス」
https://cjjc.weblio.jp/content/ウイルス
| - | 15:52 | comments(0) | -
痛みの物質がじわじわと神経に達して……

写真作者:Gordon Joly

慣れない運動をしたり、引っこしや掃除などの作業をしたりすると、ふだん使わない筋肉を使います。そうした筋肉を使いすぎると、翌日あたりに痛みが起きます。遅れてやってくる筋肉の痛みであるため「遅発性筋肉痛」などとよばれます。

筋肉を激しく動かしているとき、筋肉をつくる細胞である筋繊維は破壊されます。細胞が破壊されているわけですから、筋肉を動かしている瞬間に、痛みが走りそうではあります。もちろん、運動をしている最中に筋肉が痛くならないこともありません。

しかし、それとはべつに、痛みは遅れてやってきます。

どうして筋肉の痛みが遅れて感じられるのか。そのしくみは、まだはっきり解きあかされているわけではないようです。しかし、「こういうことではないか」といわれていることはあります。

そのひとつが、破壊された筋肉から、痛みの原因となる物質が時間をかけてじょじょに出てきて、その物質が筋肉のまわりにある痛みを感じる神経細胞に達するのだというもの。筋繊維そのものに痛みの情報を受けとる神経細胞はありませんが、筋繊維の近くになる筋膜という膜には神経細胞があります。

かつては、その原因となる物質として「乳酸」とよばれる酸性の物質があるのではといわれてきました。ただし、いまは、乳酸は痛みの原因でなく、運動の結果として出てくるだけと考えられてもいます。

ほかに、炎症をひきおこすプロスタグランジンという酸性の物質が、痛みの原因ではないかともいわれています。

前日などに激しく筋肉を動かして、まだ痛みがきていないという人は、じょじょにからだが痛みを受けいれていくのを味わうくらいのほうが、やりすごせそうです。どうせ痛むのであれば……。

参考資料
ニッポン放送 News Online 2019年3月9日付「筋肉痛が遅れてくるのはなぜ? 医師が回答」
https://news.1242.com/article/169906
ウィキペディア「遅発性筋肉痛」
https://ja.wikipedia.org/wiki/遅発性筋肉痛
Q&P「疲れのメカニズム」
https://hc.kowa.co.jp/qpkowa/column/body/
Medical Note 2017年4月25日更新「筋肉痛」
https://medicalnote.jp/diseases/筋肉痛
| - | 23:59 | comments(0) | -
道路なのに「マウンテン」を「クロス」が解決
1世代前を少年期として過ごしたみなさん。乗っている自転車の移りかわりはどんなものだってしょうか。

幼稚園児のころに3輪車からはじまり、やがて子ども向けの小さな補助輪つき自転車へ。補助輪なしで漕ぐ練習をしてついに補助輪がとれ、ツノダのテーユー号のようなギアつきのかっちょいい自転車へ乗りかえ。そして、それもどこか子どもじみた感じがしてきて、おとなが乗っている軽快車、つまりママチャリへと移っていく。こうした経験のもち主は、とくに男性のみなさんには多いのではないでしょうか。

軽快車に移るかどうかというとき、よりかっこいい自転車をめざして、そのころ流行っていた「マウンテンバイク」に乗ることを考えたり、乗ったりした人もいるでしょう。1980年代後半から1990年代前半にかけて、“テーユー号卒業後”の軽快車以外の自転車といえば、もっぱらマウンテンバイクが主流でした。


マウンテンバイク
写真作者:John Seb Barber

しかし、マウンテンバイクとはいっても、都市部に住んでいた少年たちが山のなかへと乗りこんでいくことはあまりなかったのではないでしょうか。舗装された平坦な通学路をマウンテンバイクで走るのです。なんの違和感ももたず。

当時、タイヤ幅がより細く、ハンドルの把持部が「つ」のように曲がっている「ロードバイク」も世にはありました。本来、舗装道路を走るとなれば、その名のとおりロードバイクのほうが向いています。しかし、ロードバイクはサドルよりもハンドルがとても低く、かなりの前傾姿勢になるため、乗ることに気おくれする人も多かったことでしょう。


ロードバイク
写真作者:gtknj

そうしたなかで、若い人たちや自転車乗りのあいだに「クロスバイク」が浸透しはじめます。基本的な骨格はマウンテンバイクとにてがっしりしているものの、タイヤ幅はさほど太くなく舗装道路で乗ってもなんらおかしくありません。「街乗り」といったことばに惹かれて、クロスバイクに乗りはじめた人も多いのではないでしょうか。


クロスバイク
写真作者:hiroaki maeda

「クロスバイク」の「クロス」は、「異なる様式の混交」を意味する「クロスオーバー」からきているといいます。マウンテンバイクとロードバイクの混交です。ただし「クロスバイク」は和製英語であり、欧米圏では「ハイブリッドサイクル」などとよばれているようです。

軽快車でない自転車の主流は、マウンテンバイクからクロスバイクへ。自転車販売業者の切りかえも、自転車乗りの乗りかえも、うまくいったといえそうです。

参考資料
ウィキペディア「クロスバイク」
https://ja.wikipedia.org/wiki/クロスバイク
うさぎの雑記帳「自転車を英語でなんて言うの? bike? bicycle?cycle?読み方と発音も」
https://lapinews.com/bicycle-related-english-pronunciation-example-sentence-post7974/7974/#toc16
| - | 12:23 | comments(0) | -
COVID-19患者から「獲得免疫」を得て、治療薬に


武田薬品工業は(2020年)3月4日(水)、新型コロナウイルス感染症「COVID-19」の治療薬を開発しはじめたと発表しました。「抗SARS-CoV-2ポリクローナル高免疫グロブリン」といい、管理のための開発番号は「TAK-888」とのこと。

「SARS-CoV-2」とは、今回の新型コロナウイルス感染症の原因となるウイルスのこと。このSARS-CoV-2に対して「抗う」わけです。

また「免疫グロブリン」とは、たんぱく質のひとつで、からだの外から入ってきたウイルスにとりついて、排除するなどのはたらきをします。そのはたらきが高いために「高免疫グロブリン」とよばれています。

また「クローナル」とは、この免疫グロブリンをつくる細胞の「クローン」、つまり全くおなじ遺伝子をもつ混じりっけのない集合から得られる、といった意味です。そこに「ポリ」がついているのは、この免疫グロブリンが「これはウイルスである」と認識するためのしくみがひとつでなく、複数あることをさしています。

この医薬品を実現させるためには、いまのところ、新型コロナウイルスに感染した患者から血液を採って、そこから、このウイルスに対して認識する免疫グロブリンを得なければなりません。

免疫には、ヒトが生まれたときからもっていて、ウイルスなどがからだに入ってきたらなんでもとりあえず攻撃をする「自然免疫」というしくみと、ウイルスなどに感染してからはじめて得られ、そのウイルスに対して攻撃をする「獲得免疫」という、2種類のしくみがあります。

今回の医薬品は、獲得免疫のしくみを使ったものです。つまり、新型コロナウイルスに感染して、このウイルスに対する免疫を獲得した患者のからだから、免疫グロブリンを得るしかありません。

一般的に、免疫グロブリンを得るほかの方法として、特定のウイルスに対するワクチン接種を受けたヒトのからだから免疫グロブリンを得ることができます。ワクチン接種によっても獲得免疫がからだのなかに生じるからです。

しかし、いまのところ、今回の新型コロナウイルスに対するワクチンは開発されていないため、患者自身から免疫グロブリンを得るしかないわけです。

ただし、一般的に医薬品の開発が始まってから、発売されるまでには時間のかかるものです。同社の広報担当は、報道機関の取材に対し、「向こう9〜18カ月以内に利用可能になる見込み」と話しているとのこと。ふつう新しい医薬品が開発されて発売されるまでには数年間かかるとされるので、今回は相当に早いものです。それでも、この薬を2020年の終わりごろか、2021年まで待つことにはなります。

武田薬品は、新たな治療薬をつくることのほかにも、「上市済みの製品および薬物候補ライブラリの中からいくつかを選定し、それらがCOVID-19の患者さんに対する有効な治療薬の候補となる可能性について探索しています」としています。

参考資料
武田薬品工業 2020年3月4日付「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療薬としての血漿分画製剤開発の開始について」
https://www.takeda.com/jp/newsroom/newsreleases/2020/20200304-8138/
朝日新聞掲載「キーワード」「免疫グロブリン」
https://kotobank.jp/word/免疫グロブリン-165991
研究.net 研究用語大辞典「モノクローナル抗体」
http://www.kenq.net/dic/90.html
百科事典マイペディア「自然免疫」
https://kotobank.jp/word/先天性免疫-550754
デジタル大辞泉「獲得免疫」
https://kotobank.jp/word/獲得免疫-460616
ブルームバーグ 2020年3月4日付「武田薬が新型肺炎治療薬を開発中、9−18カ月以内に利用可能も」
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-03-04/Q6NNSGT0AFBC01
| - | 13:33 | comments(0) | -
選手は「タイムを縮める」も「タイムを伸ばす」も口にする



マラソンや競泳などの、決勝地点に早く着くことをめざす競技で選手たちが取材に応じるとき、つぎのようなことを口にします。

「これからもっとタイムを縮める努力をしていきたいと思います」

また、つぎのようなことも口にします。

「これからもっとタイムを伸ばす努力をしていきたいと思います」

このふたつの発言で異なっているのはただひとつ。「縮める」と「伸ばす」だけです。「縮める」の反対語として代表的なものは「伸ばす」。では、上のふたつで、それぞれの選手は反対のことを言っているのかというと、そうではありません。どちらも「みずからの成績をもっとよくする」という意味のことを言っているはずです。

「タイムを縮める」については、多くの人がわりと直感的に理解できるのではないでしょうか。たとえば、マラソンで1キロメートルごとの時間配分を、これまで出場していた大会での3分30秒から、これからは3分15秒にしようとしている選手が、「もっとタイムを縮める努力をしていきたい」と言えば、この選手は1キロメートルにつき15秒、かかる時間を短くしよう、つまり時間を「縮めよう」としているのだとわかります。

どちらかというと理解しづらいのは「タイムを伸ばす」のほうかもしれません。マラソンで2時間20分という自己記録を5分、更新して2時間15分にようとしている選手が、「もっとタイムを伸ばす努力をしていきたい」と言います。この発言での「タイム」を、たとえば「時間」と置きかえると、つぎのようになります。

「これからもっと時間を伸ばす努力をしていきたいと思います」

「時間を伸ばす」というと、「休みを伸ばす」とか「会期を伸ばす」とか、時間を増やすことについていう場合もあります。この1分だけを捉えれば、この発言者は、とりくんでいることにもっと時間をかけようとしているようにも捉えられます。

そうではなく、この選手は「みずからの成績をもっとよくする」という意味で発言しているのだとわかるのは、マラソン選手が「自己記録よりもっと時間をかけて走ることをめざしている」といったことは常識的にありえないと、受け手がわかっているからです。

選手たちが「タイムを伸ばす」と言うときは、「成績を伸ばす」とか「能力を引きあげる」とかいった意味で使っているのでしょう。国語辞典の「伸ばす」の項目には、「勢力や能力などを大きくしたり、豊かにしたりする」といった意味が載っています。

では、選手たちは「タイムを縮める」と「タイムを伸ばす」を、まったくおなじ意味で使っているのでしょうか。そうともかぎらないようです。

どちらかというと、「タイムを縮める」と発言するときは、1キロメートルあたりとか、1周あたりとか、全体のなかの刻まれた時間に対して「短くする」という意味で使う向きがあるようです。

いっぽう、「タイムを伸ばす」と発言するときは、自己記録のような、より全体的な時間に対して「短くする」という意味で使う向きがあるようです。

報道機関は、「タイムを縮める」「タイムを伸ばす」両方の表現を使っています。グーグルのニュース検索での該当数では、「タイムを縮める」が1,330件。「タイムを伸ばす」がおなじく1,330件。拮抗しています。

参考資料
デジタル大辞泉「伸ばす」
https://kotobank.jp/word/伸ばす-597169

| - | 23:59 | comments(0) | -
あくび、意図も無意図も生も

写真作者:Caitlin Regan

「永き日や 欠伸(あくび)うつして 別れ行く」(夏目漱石)

夏目漱石(1867-1916)は、長らく親しくしていた歌人の正岡子規(1867-1902)が亡くなったことを受け、子規にこの一句を送りました。子規は歌を詠むまえに、かならずといってよいほどあくびをしていたといいます。子規のあくびは、おそらく歌詠みまえの儀式のように、みずから目的をもっておこなっていたものだったのでしょう。いっぽう、子規が移した漱石のあくびは、漱石にとっては移されたぐらいなのだから自然と出るものだったのかもしれません。

あくびは、たいてい思いとは関係なく出てくるものです。しかし、みずから出そうとすれば出せる点が、ほかのからだから出てしまう生理現象、たとえばしゃっくりやくしゃみなどとはちがいます。

とはいえ、ほとんどの人にとって、あくびは「つい出てしまう」というものではないでしょうか。では、あくびの生物学的な意義はなにかというと、おもに「覚醒」があるといいます。ラットを使った実験では、ラットにあくびを引きおこしたとき、脳の表面の脳波が活発になり、覚醒反応も引きおこされていることが確かめられたとのこと。眠いときや退屈なときにあくびが出るのも理にかなったことなのでしょう。

「生あくび」が出てしまう人もいるかもしれません。ここでの「生」は、「生返事」やなどの「生」とおなじ接頭辞で、「じゅうぶんでない」といった意味をもちます。つまり「生あくび」とは「じゅうぶんでない小さなあくび」のこと。あくびをしている最中に「あーっあっあ」といった声が出てしまうのも、中途半端なあくびを促そうとしているのかもしれません。

生あくびは、眠いときや退屈なときでなくとも起きます。脳の病気、低血圧、低血糖などに対するからだの反応ともいわれます。それらの症状にからだを「覚醒」させて対応させるという点では、生あくびも理にかなってはいるのでしょう。だからといって、つい出てしまう生あくびに感心するよりも、からだが変調をきたしている合図として気にかけるほうがよさそうです。

参考資料
趣味時間 2017年3月10日付「漱石らしい俳句の世界」
https://hobbytimes.jp/article/20170314a.html
Web医事新報社 質疑応答「あくびの生物学的意義と伝染機序」
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3615
日本大百科全書 「あくび」
https://kotobank.jp/word/あくび-24762
精選版 日本国語大辞典「生欠伸」
https://kotobank.jp/word/生欠伸-589495
『透析ケア』2019年第6号「ココが看護の目のつけどころ!」
https://www.medica.co.jp/sample_page/magazine/130101906/pageindices/index5.html#page=5
| - | 22:19 | comments(0) | -
人が介入した地形も、動くときは動く
人の歴史が始まってからというもの、人間自然の地形に介入する度合は、高まりつづけているといえるのではないでしょうか。開発のために山を切りひらいて住宅をつくったり、防災のために川の水をせき止めてダムをつくったり、人は自然の地形に対してどんどん手を加えてきました。

手つかずの地形にくらべて、手のついた地形では人が介入しているため、「自然な変化」は生じにくくなると考えることはできそうです。たとえば、手つかずだった川では、上流から水が川岸を削っていき、100年や1000年の長さで見れば、蛇行のしかたは激しかったことでしょう。しかし、人の手が入った川では堤防が固められ、上流からの水が川岸を削る作用は減ったはずです。手つかずのときよりも、蛇行はしかたは抑えられていると考えられます。


琵琶湖
Google Earth Pro

滋賀県にある琵琶湖は、およそ400万年前、いまの三重県と滋賀県の県境あたりにあったとされます。その後、新たに断層が生じて、地底の傾きかたなどが変わるたびに、水が低い地底のほうへ低い地底のほうへと移っていき、湖が北へ北へと向かい、いまの位置まで至ったようです。


琵琶湖西側の護岸された場所

琵琶湖には、コンクリートなどで固められた湖岸もあれば、砂浜のようになっている湖岸もあります。すくなくとも1万年前や1000年前にくらべれば、人の手が入って湖が管理されている度が高まったことはたしかなことです。

「いまも琵琶湖は年に3センチメートルの早さで北へ移っている」とする話はあるようです。しかし、湖の位置を決める大きな鍵となる湖底最深部の位置が、琵琶湖の場合は、さほど移っていないとする考えかたもあるようです。

しかし、長い目で見れば、これからも琵琶湖のあたりで大きな地震が起きるなどして新たな断層が生じる可能性はあります。10万年や100万年の長さでいえば、まずもって生じるでしょう。

そのようにして琵琶湖の水が新たな土地に入りはじめたとき、人が「琵琶湖のかたちを保とう」と元どおりに戻すことをめざすのか、それとも「水がこっちに入ってしまったのであればそれもしかたない」と放っておくのか。それは、琵琶湖のかたちの崩れかたや、そのときの人がもっている修復技術の高さなど、いろいろな要素によって変わってくるものです。

もし、人に「しかたない」と放っておかれたら、いつの日か琵琶湖は「日本海まであと5メートル」といったところまで移っているかもしれません。このとき、日本にまだたくさんの人がいれば、そして利水技術にあまり進歩がなければ、「琵琶湖という水がめを失わせてはならない」と、必死に琵琶湖と日本海がくっつくのを防ごうとするのではないでしょうか。日本にまだたくさんの人がいればの話ですが。

参考資料
水のめぐみ館 アクア琵琶「琵琶湖のおいたち」
https://www.kkr.mlit.go.jp/biwako/aquabiwa/aqua/lake-breed.html
国土交通省近畿地方整備局「琵琶湖浸水想定区域図」
https://www.kkr.mlit.go.jp/biwako/simulation/sinsuisoutei/biwako/sinsuisoutei6.html
滋賀県「トピック 琵琶湖は今も動いているか?」
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/21917.pdf
滋賀県「滋賀県の地震リスク」
http://shiga-bousai.jp/dmap/help/jishin_lisk.html
| - | 22:45 | comments(0) | -
「1年連続上昇」使われない場合も、使われる場合も……


画像作者:Chris Potter

きのう(2020年)3月4日(水)のこのブログの記事「『2年連続上昇』とも『3年連続上昇』ともとれ……」は、「連続上昇」という表現をどう使うべきかについての話でした。

2016年まで下降していた値が、2017年に上昇に転じ、2018年も上昇、2019年も上昇という場合、「2年連続上昇」でなく「3年連続上昇」と表現することが多いようだ、という話です。

この記事の最後には「この問題をむずかしくさせている一因として、『1年連続上昇』という表現は使われないということがあるでしょう」と書いています。2017年、2018年、2018年と値が上昇した場合、2017年のことを「1年連続上昇」とはいわないということです。

しかし、「1年連続上昇」という表現が使われないかというと、そうともいえません。

たとえば、「店の売りあげが、12か月間つづけて前年同月比プラスとなった。つまり、1年連続上昇となったのである」といった表現があるとします。これは、12か月間つづいてプラスだったのだから「1年連続上昇」と表現することができます。

つまり、年ごとの値の推移についてなにか示そうとするとき、「1年連続上昇」とはいえないけれども、年よりも小さく区切った期間、つまり月、日、あるいは時間ごとの推移についてなにかを示そうとするときは「1年連続上昇」とはいえるわけです。

とくに深く考えずにいれば、「この場合は『連続上昇』といえるかどうか」というときの判断は自然とできそうなものです。しかし、理屈をこねていろいろ考えはじめると、「この場合ははたして『連続上昇』といってもよいのだろうか」などとためらいが生じてきます。orz。

| - | 12:58 | comments(0) | -
「2年連続上昇」とも「3年連続上昇」ともとれ……

写真作者:Photocon Japan

「連続」は国語辞典では名詞とされていて、「つぎつぎにつながって続くこと」などと意味が説明されています。しかし、多くの場合は「連続」という表現を副詞的に使うことが多いといえます。「住みたい街ランキングで、横浜が3年連続1位となった」といったように。

「3年連続1位」というときは、「1位を記録したことが、ここ3年で3回つづいた」ということになります。たとえば「2017年に1位を記録し、つづいて2018年も1位、2019年も1位だった」というとき、「3年連続1位」といいます。

では、「3年連続上昇」というときは、どうなるでしょうか。

たとえば、「2016年まで下降していたけれども、2017年に上昇に転じ、つづけて2018年も上昇、そして2019年も上昇した」というデータがあるとします。

この場合、「3年連続の上昇」といえるでしょうか。

「連続上昇」したのは、2017年から2018年にかけてと、2018年から2019年にかけてです。「上昇に転じた」2017年は、「連続上昇」にはふくまれないととれます。ですので、「連続して上昇したのはここ2年」となり、「2年連続上昇」という表現がふさわしいと考えることができそうです。

しかし、「上昇を記録」したのは、2017年、2018年、2019年です。ですので、「上昇を記録したのはここ3年つづけて」となり、「3年連続上昇」という表現がふさわしいと考えることもできそうです。

実際のところ、さまざまな世のなかの資料では、後者の、「上昇を記録したのはここ何年つづけてか」という考えかたを採り、「3年連続上昇」と表現することが多いようではあります。

「2年連続上昇」とすべきか「3年連続上昇」とすべきか。この問題をむずかしくさせている一因として、「1年連続上昇」という表現は使われないということがあるでしょう。1年目の2017年は「1年連続上昇」とはいわないため、2018年の上昇から、「連続上昇」を数えはじめてしまい、2019年はまだ「2回目の連続上昇」なので、前者の「2年連続上昇」を採ってしまいがちです。

しかし、「1年連続上昇」という表現を使わないということは、逆にいえば、この場合の「連続上昇」を「2年連続上昇」から数えはじめるしかないということになります。ですので、2017年、2018年、2019年と上昇していれば、2018年の上昇が「2年連続上昇」となるので、後者の「3年連続上昇」で表現すればよいことになります。

参考資料
デジタル大辞泉「連続」
https://kotobank.jp/word/連続-152166
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「ディエゲる」と「ミメる」の均衡をうまくとる

物語をつくるとき、「『ディエゲる』と『ミメる』の均衡をうまくとることが大切」という考えかたがあるようです。これだけだと、なんのことかさっぱりわかりませんが……。

「ディエゲる」「ミメる」は、ともに造語で、省略形の動詞です。省略しないで綴ると、「ディエゲーシスする」「ミメーシスする」となるでしょう。

すると、「ディエゲる」「ミメる」を理解しようとするとき、「ディエゲーシス」や「ミメーシス」とはなんなのかを理解することが大切、ということになります。

一般的に、「ディエゲーシス」には日本語の「叙述」が、また「ミメーシス」には「模倣」が、当てられています。そして、物語をつくるという点において、「ディエゲーシス」と「ミメーシス」は対立的な概念にあります。

では、「叙述」と「模倣」がどうして対立的なのか。これもどうしてなのか、ぴんときません。

そこで、理解のために、話を一気にギリシャ哲学の世界へと移します。「ディエゲーシス」(叙述)と「ミメーシス」(模倣)を理解するためには、ギリシャ哲学において「ミメーシス」(模倣)の考えがどうやって成立したかをたどることから始めるのがよいようです。

古代ギリシャの哲学者プラトン(前427-前347)は、「自然界にあるものは、イデアの模倣である」と考えました。プラトンの言う「イデア」とは、「自然界にあるものを、そのものたらしめている根拠となるような、真のもの」といえます。

たとえば、自然界にはリンゴというものがいくつもありますが、プラトンの考えにしたがうと、これら自然界の数々のリンゴのには「リンゴのイデア」があるはずです。人が自然界で見ているのはそこにある「リンゴ」だけれど、そこにリンゴがあるからには「リンゴのイデア」があるにちがいない。そう、プラトンは信じました。

「リンゴのイデア」こそが根源的な存在だとすると、自然界におけるリンゴの数々は、「リンゴのイデア」の「ミメーシス」(模倣)である、ということになります。

では、「リンゴのイデア」の「ミメーシス」(模倣)としてのリンゴを絵に描いたとしたら、そのリンゴの絵は、プラトンの考えからすればどのような位置づけになるでしょう。

リンゴのイデアがまずあって、その「ミメーシス」(模倣)であるリンゴがあって、さらにそのリンゴの「ミメーシス」(模倣)であるリンゴの絵がある、ということになります。ですので、リンゴの絵は「ミメーシス」(模倣)の「ミメーシス」(模倣)となるわけです。

イデアを追いもとめていたプラトンにとって、リンゴの絵は「ミメーシス」(模倣)の「ミメーシス」(模倣)という、イデアからはとても遠いものでした。そのため、ものを描いて絵画をつくることに、プラトンは否定的な態度をとりました。ものを描くことだけではありません。詩を書くこと、さらにいえば芸術的創作をすることに対して、プラトンは否定的だったのです。「イデアからはほど遠い」と。

それにしても、どうにか「表現する」ことによって、イデアに近づくことができないものでしょうか。

ここで、芸術的な要素を多分にふくむ「ミメーシス」(模倣)より、もっとイデアを追いもとめて正確に記録するほうがまだよい、という考えが生まれます。これが「ディエゲーシス」(叙述)です。

プラトンからすれば、芸術的な「ミメーシス」(模倣)よりも、記録的な「ディエゲーシス」(叙述)のほうが、イデアには近づけると考えたわけです。

しかし、この考えかたは、あくまでプラトンの考えかたにすぎません。

プラトンの弟子アリストテレス(前384-前322)は、「ミメーシス(模倣)には、プラトン師匠が考えるより、もっとよいところがあるって」と考えました。「ミメーシス(模倣)はたしかに不完全なところもあるけれど、ミメーシス(模倣)こそ、人間のもともとの心から生じるものなのだ」と。


プラトンとアリストテレスの肖像画
画像作者:josealoly

プラトンとアリストテレスという哲学者2人の、ここまでの考えかたを物語論に引きつぐと、つぎのようになります。

人間の心から生じるものを表現するときは、「ミメーシス」(模倣)に頼ればよいのだし、イデアに寄せて自然界のものを表現するときは、「ディエゲーシス」(叙述)に頼ればよい。

そして実際、この世の物語には、登場人物の心のありかたなどを描写する「ミメーシス」(模倣)的な表現のしかたと、その場の状況を記述する「ディエゲーシス」(叙述)的な表現のしかたが両立するものが多くあります。

たとえば、日本の昔話「桃太郎」の「川上から桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。『おじいさんや!  たいへんだ! 桃が流れてきよった』」といった記述は、状況を記述する「ディエゲーシス」(叙述)のあとに、おばあさんの心のありかたを描写する「ミメーシス」(模倣)が続くもの、と捉えることができます。

冒頭に戻ると、「ディエゲる」とは、物語において「状況を記述する」ことを指し、「ミメる」とはおなじく「登場人物の心のありようを描写する」ことを指すということになります。

物語をつくるとき、登場人物の心のありようを描写する、つまりミメれば、読んでいる人の心も動かされることでしょう。物語では、大切な要素です。

いっぽう、状況を記述する、つまりディエゲることによって、読んでいる人の場の理解は進むし、つぎの場面に早く移ることができるでしょう。こちらも、物語では大切な要素です。

つまり、物語をつくるとき、「『ディエゲる』と『ミメる』の均衡をうまくとることが大切」となるわけです。

参考資料
作家の味方Project 2020年2月22日付「ミメーシス&ディエゲーシスの意味を簡単に例で解説! イデア論から学ぶ芸術・文学理論とは?」
https://sakka-no-mikata.jp/2019/12/20/mimesis/#1
togetter 2017年1月22日付「小説を書くなら『何人称何視点』よりも『ディエゲる』『ミメる』でライバルに差をつけろ!」
https://togetter.com/li/1073095
世界大百科事典 第2版「ミメーシス」
https://kotobank.jp/word/ミメーシス-139464
ウィキペディア「物語論」
https://ja.wikipedia.org/wiki/物語論

| - | 13:31 | comments(0) | -
「美味キッチン」のビーフカロブナ――カレーまみれのアネクドート(131)
これまでの「カレーまみれのアネクドート」はこちら。



世界のさまざまな国や地域には、その土地のカレーがあるものです。もっとも、現地の人たちがその料理を「カレーである」と認識しているかどうかは場所によりけりですが。

インド半島の北東にあるバングラデシュにもカレーはあります。というよりも、多くの副菜に香辛料がまぶされるため、必然的に味がカレー風味になるようです。

東京・浅草橋には、そんなバングラデシュのカレーを出している店があります。その名も「美味キッチン」。小洒落た日本人がやっていそうな店名ですが、日本語のできるバングラデシュ人が開いている店です。

月曜から日曜まで「日替りセット」が用意されています。壁の献立表にある料理名で、よく知られるのは「ビリヤニ」でしょうか。ライス、肉、魚、野菜などを混ぜて食べる南インドの料理です。

日曜に日替りセットとして出されるのは「ビーフカロブナ」、それにライスとサラダが基本のセット。さらに、豆の入った黄色い色の「ダールスープ」などをつけることもできます。

「ビーフカロブナ」をインターネットで検索しても、出てくる情報はもっぱらこの店の献立名ぐらい。しかし、数すくない情報から、ビーフカロブナは、バングラデシュの東部、ベンガル湾に面した都市チッタゴンでよく食べられている料理のようです。たしかにインターネット地図で、チッタゴンのレストランを検索すると、それらしき料理が出てきます。

ビーフカロブナは、肉を主とした煮こみを、水気がかなりなくなるまで煮詰めたもの。といっても、出されたビーフカロブナは、見た目ではカレースープの体をなしています。肉は「ビーフ」とついているだけあって、牛肉のようではあります。しかし、羊肉だといわれても、それを否定できる客はすくないかもしれません。

煮込み汁の色あいから、たしかに香辛料が使われているようです。しかし、日本人が思いうかべるカレーのような辛さはありません。むしろ、甘さやしょっぱさが先行します。長いこと煮こむのでしょう。肉のなかまで味がしみいっています。

これを、大きく盛られたライスの上に乗せると、汁がライスのなかへと入っていき、肉はライスの上へ残ります。しみたあたりをすくって食べれば、脂っぽい汁とライスとが中和して、どんどん食が進みます。

ついてきたダールスープのほうは、ターメリックが使われているのでしょう、色はカレーそのものです。しかし、こちらもカレーの味はあまりしません。日本でいえば、ご飯に副えられる味噌汁のような存在かもしれません。

美味キッチンは2018年8月に開店したとのこと。めずらしさから初めて入った客が、日替りセット目あてなどで再訪していけば、店はつづいていくことでしょう。そうなれば、東京のバングラデシュ家庭料理は根づていくかもしれません。

美味キッチンの食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131103/13225540/
フェイスブックはこちらです。
https://www.facebook.com/美味キッチン-バングラデシュ-本場カレーBimi-Kitchen-434680400264957/

参考資料
ウィキペディア「バングラデシュ料理」
https://ja.wikipedia.org/wiki/バングラデシュ料理
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