科学技術のアネクドート

「2月から3月の短さ警戒」よりも「仕事のペース配分維持」が大切な年に


画像作者:Sazzad Khan

このブログでは、毎年のように2月末日に「2月から3月にかけての日数は、1月から2月にかけての日数よりも短い」ことについて、警鐘を鳴らしつづけてきました。「2月の短さの影響が出るのは、2月よりもむしろ3月なのだ」と。

仕事などで、毎月、何日かに納品することが決まっているような人にとって、1月から2月にかけての1か月間とくらべて、2月から3月にかけての1か月間のほうが、3日または2日、短いわけです。

たとえば、1月15日から2月15日にかけては31日ありますが、2月15日から3月15日にかけては通常28日しかありません。3日、短いわけです。今年2019年はうるう年のため1日多く29日あるものの、それでも2日、短いわけです。

1日を24時間周期で考えるため、なかなか気づきづらいものですが、1か月の単位で考えると、2月から3月にかけての1か月は、たとえば1月から2月にかけての1か月より、9.7パーセントも時間がすくない計算になります。うるう年でも6.5パーセント時間がすくないことになります。

とはいえ、この警鐘を鳴らす効果があるのは、人びとが仕事や生活のしかたがとりたてて変わることなく、ふだんどおりに過ごすことができているときこそともいえます。

新型コロナウイルス感染症「COVID19」(COronaVirus Disease 2019)の拡大を受けて、かなりの人が仕事のしかたにまで影響を受けているかもしれません。通常は仕事場まで行っていたところ、いまは自宅で仕事をしているとか、新型肺炎のニュースが気になってついテレビやヤフーニュースを見込んでしまうとか……。

通常どおりの方法で仕事をしている人も、通常どおりに仕事ができるかというと、むずかしさがあるのではないでしょうか。通勤電車を使うことへの不安もあるでしょうし、相手先の事情で「3月の納品は不要だから」といわれる場合もあることでしょう。

この2020年にかぎっては、2月から3月にかけての短さに気をつけるよりも、仕事をいつもどおりのペース配分でおこなうことに気をつけるほうが、むしろ大切かもしれません。

| - | 23:59 | comments(0) | -
「立ったまま机仕事」の熱量消費効果、6時間でパン1切れ分ほど

写真作者:Kiran Jonnalagadda

ふだん座って仕事をしている人が、長いこと立ったまま仕事をする経験をしたとします。多くのそういった人は仕事が終わったとき「とても疲れた」と感じることでしょう。足がむくんだり、棒のようになったり……。

しかし巷には、コンビニエンスストアの店員や警備員など、立って仕事をするのが基本という職業も多くあります。座って仕事をする人からすると、そうした人たちの仕事ぶりに「自分はとてもできない」と感じるかもしれません。慣れの問題かもしれませんが。

座っておこなうのが当然とされている仕事に対して、椅子をなくして、机を高くして、立ったまま仕事に臨むという人もいます。欧米では「スタンディングデスク」が流行しているとも。日本でも大学などで、立ったまま机に向かい、コンピュータを使ったり、電話をかけたりしている研究者もいます。

もともと、「立ったままの机仕事」は、健康のために始まったとされます。海外では以前から、バスの運転士にはバスの車掌とくらべて突然死のリスクが3倍あるとする研究結果などが出まわっていました。

座っているよりも立っているほうが、「健康的」と考える人は多いかもしれません。立っているほうが疲れを感じるので、「運動をした」とか「熱量を消費した」という印象を抱きやすいのでしょう。

ただし、職場で長いこと立っていたとしても、さほど熱量の消費にはつながらないという研究結果もあります。1時間、座っているのと立っているのでは、9キロカロリーほどの差しか生まれず、パン1切れ分の熱量消費の差をつけるには、6時間、立っていることが必要となるとのこと。

かといって、座りっぱなしもやはり健康によいとはいえなさそうです。およそ8000人の中高年を対象とした調査では、30分にわたり座っているのを軽い運動に変えることで、早期死亡のリスクが17パーセント減ったという調査結果もあります。

「立ったままの机仕事」が結局のところ健康によいかどうかについては、まだ結論は出ていないと見てよいのではないでしょうか。しかし、健康のためとはべつに、「仕事をしているときの動きが機敏になる」とか「姿勢がよくなり仕事に積極的になれる」といったべつの実感を覚えている人もいるようではあります。

参考資料
WIRED 2019年6月7日付「スタンディングデスクには意味がない? 座りすぎと健康の関係を研究してわかった『もっと重要なこと』」
https://wired.jp/2019/06/07/standing-desk-benefits/
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世界には感染初期や未感染の国がまだ多数



新型コロナウイルス感染症「COVID19」(COronaVirus Disease 2019)拡大の影響で、東京五輪の開催を危ぶむ声が上がっています。国際オリンピック委員会の一委員が、「感染が収束せず開催が危険すぎると判断された場合、中止になるだろう」と述べたことで、大ごととなりました。

さらにこの委員は、開催か中止かの判断は5月末にすることになるとも述べたとのことです。

五輪が開催されるか中止されるか。鍵を握る要素はいくつかありそうです。

開催国となる日本で、もしいまおこなわれているスポーツ大会中止などの拡大防止策が功を奏して、5月末までに国内での感染拡大が落ちつくという可能性はあります。そうなれば、これは開催に向けての好材料です。

しかし、五輪は国際大会です。世界中から選手や観客が開催国にやってきます。たとえ日本国内でこれ以上の感染拡大は起きないだろうという状況になったとしても、世界的にいぜんとして感染が拡大していれば、東京五輪の各種目会場が感染を拡大させる場になってしまうため、やはり開催が危ぶまれます。

では、世界の状況はどうでしょう。

NHKがきょう(2020年)2月27日(木)報じたところでは、「感染者10人以下」の国が、27の国と地域であります。マカオ、カナダ、スペインが10人。英国が9人。イラクが5人。オマーンが4人。インド、フィリピン、クロアチアが3人。ロシア、オーストリア、レバノンが2人。ネパール、カンボジア、スリランカ、フィンランド、スウェーデン、ベルギー、エジプト、アフガニスタン、スイス、アルジェリア、ギリシャ、ブラジル、ジョージア、ノルウェー、北マケドニアが1人。

これらの国と地域は、これまでの日本や韓国などでの感染拡大の経緯からすると、「感染が始まったばかり」ともとれます。では、感染がこれから拡大する国と地域は、いつごろ「感染拡大がおさまりつつある」という状況を迎えるのでしょうか。

中国の武漢ではじめて「原因不明の肺炎患者」と報告されたのが、2019年12月8日でした。その中国では、新たな感染者の報告数は減りつつあるようです。推移のグラフを見てみると、頂点を過ぎたとみなせるのは、2020年2月14日。つまり、はじめての報告から68日目ということになります。

国の対策も衛生状態も国によってさまざまであるため、一概に中国の場合がほかの国や地域に当てはめられるわけではありません。しかし、「感染拡大の頂点を過ぎるまでに2か月強」というのは、ひとつの参考にはなりそうです。

きょう2月27日から68日目はというと、5月4日です。感染者10人以下の各国でもし感染が拡大した場合、そのころようやく感染拡大の頂点を超えるかどうかの時期にさしかかっているのかもしれません。

しかし、感染者が確認された国と地域は、きょうの時点で45にすぎません。世界には190以上の国があります。まだ感染者が確認されていない国と地域で、これからも感染者が確認されない保証はどこにもありません。むしろ、移動手段が発達している現代において、残りの150か国ほどに感染者が生じない可能性のほうが低いでしょう。

すると、感染拡大が抑えきれていない国がまだ多くあるなかで、開催か中止かの判断期限とされる5月末を迎えることになります。

たとえ開催国の首脳がふたたび世界に向けて「状況はコントロールされている」と発信したとしても、それは意味をなしません。大きな鍵を握るのは、感染者が出はじめたばかりの国と、感染者がまだ出ていない国のこれからの経過です。

参考資料
ハフィントンポスト 2020年2月26日付「東京オリンピック『延期や代替地開催は難しい』 IOCメンバーが新型コロナの影響に言及」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e55c38fc5b649ec432f3928
時事通信 2020年1月25日付「新型肺炎、真実語らない政府の隠蔽体質」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020012400797&g=int
日本環境感染学会 2020年2月13日「医療機関における新型コロナウイルス感染症への対応ガイド 第1版」
http://www.kankyokansen.org/uploads/uploads/files/jsipc/COVID-19_taioguide1.pdf
NHK News Web 2020年2月27日付「中国と日本以外43の国と地域 感染者2303人 新型コロナウイルス」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200227/k10012303601000.html

| - | 11:03 | comments(0) | -
「能力ありそう」も「誠実そう」もないと安心できない


画像作者:Mike Lawrence

なにかの危険について、関係者みんなが情報を分かちあい、意見や情報を交わすことで意思疎通や相互理解をはかることを「リスクコミュニケーション」といいます。

リスクコミュニケーションでは「安全と安心はべつのものである」と考えます。本来は「安全であればあるほど安心になる」といった関係があるはずですが、実社会ではそうなっていない場合があるといいます。

その原因として「安心を得らえるかどうかは、その安心材料を提供する人が信頼のおける者であるかどうか」にかかってくるからとされます。

では、どういう人が「あの人は信頼をおける」と思われるのでしょうか。

リスク認知がどういう性質をもつのかを研究している同志社大学教授の中谷内一也さんは、過去の取材記事で、人が安心するには、つぎのふたつの認知に基づく信頼が必要と述べています。

ひとつは「あの人は能力があるから任せておけば安心だ」という、その人の能力への認知。

もうひとつは「あの人は誠実そうだ、あるいは、ヘンなことをするとあの人自身がひどい目に遭うようになっているからから任せても安心だ」という、その人の意図や意志への認知。

つまり能力がありそうで誠実そうであれば、人びとはその人のことを信頼し、安心するわけです。

今回の新型コロナウイルス感染症「COVID19」(COronaVirus Disease 2019)の拡大をめぐり、政府が発信する対策方針などを人びとはどう受けとめているでしょうか。

フジニュースネットワークが(2019年)2月22日(土)23日(日)に有権者を対象におこなった電話世論調査では、「新型コロナウイルスに関する政府の情報提供は十分かつ的確だと思うか」との問いに対して「思う」が23.9パーセントだったのに対し、「思わない」が68.6パーセントとなったといいます。政府の対応について不満と感じている人が多いことの表れととれます。

ここまで政府の基本方針などを記者会見などで説明しているのは、厚生労働大臣です。厚生労働省の長ではありますが、信頼される要件である「能力がありそうで誠実そう」をどれくらい満たしているでしょうか。

まず「能力がありそう」については、本人は防疫や公衆衛生についての専門知識をもっているわけではありません。感染症対策についての「能力」があると、人びとからは思われていません。

つぎに「誠実そう」については、これまでの国会答弁で論点のすりかえやはぐらかしといった「追及かわし」が何度も指摘されています。すくなくとも、こういう指摘があることを知っている人びとからは「誠実そう」とは思われていなさそうです。

つまり、「信頼されるためのふたつの要件とも満たしているとはいいがたい人物が国の基本方針などを国民に向かって説明しており、その結果、国民の不満が募っている」というのが、今回の見えかたといえます。

おなじ調査では、「新型コロナウイルスにどの程度不安を感じているか」との問いに、「大いに感じる」と答えた人が41.3パーセント、「ある程度感じる」がと答えた人が43.7パーセントだったといいます。85パーセントの人が不安を感じていることになります。

参考資料
デジタル大辞泉「リスクコミュニケーション」
https://kotobank.jp/word/リスクコミュニケーション-182373
FNN PRIME 2020年2月25日付「『新型コロナ』世論調査…政府の情報提供に不満7割 『中国全土からの入国拒否すべき』が65% 国民意識に2つの矛盾も」
https://www.fnn.jp/posts/00050444HDK/202002251700_KeitaTakada_HDK
科学技術のアネクドート 2009年1月29日付「『あの人にまかせていいのか』の答は案外正しい」
http://sci-tech.jugem.jp/?day=20090129

| - | 10:32 | comments(0) | -
「基本方針」の重要事項、語尾を揃えないと

厚生労働省はきょう(2020年)2月25日(火)、新型コロナウイルス感染症「COVID19」(COronaVirus Disease 2019)対策の基本方針を発表しました。この発表を受け、報道機関もその基本方針を伝えています。

基本方針では、「重要事項」は以下の4つだとしています。

(1)国民・企業・地域等に対する情報提供
(2)国内での感染状況の把握
(3)感染拡大防止策
(4)医療提供体制

NHKのニュース番組などでも、この4つをより短い表現でフリップチャートにして示しています。



これらの厚生労働省やNHKなどの表現に“違和感”を抱く人もすくなくないはずです。語尾のことばがばらばらだからです。

(1)と(2)の語尾は、それぞれ「提供」「把握」なので、「提供する」「把握する」といったように、動作を示した意味といえます。

しかし、(3)の語尾は「策」です。「策」とは「計画」とか「手段」とかいった意味であり、(1)(2)とちがって動作を示していません。(1)(2)が動作を示したことばである以上、(3)も「感染拡大防止策の実施」のように、語尾を動作を示したことばにすべきです。

加えて(4)の語尾は「体制」です。「体制」とは「しくみ」のこと。「医療提供体制」では、「医療提供のしくみ」をどうするのかわかりません。これも「医療地峡体制の整備」などのように、語尾を動作を示したことばにしなければなりません。

なぜ、語尾を動作を示すことばに統一すべきかといえば、そのほうが人びとに伝わりやすいからです。もちろん、この4つの重要事項をきちんと理解し、把握する国民はかぎられてはいることでしょう。

しかし、なにが重要とされているのかを、おぼろげであっても知っておくことは、感染を広めるほうにつながるか、抑えるほうにつながるかといえば、後者のほうです。そのためには、できるかぎり伝わりやすい表現を心がけなければなりません。

理想的には、つぎのような表現にすべきです。なにを政府が「する」ことが大切だと考えているのかがより明確になるからです。

(1)国民、企業、地域などに情報を提供する。
(2)国内での感染状況を把握する。
(3)感染拡大防止策を実施する。
(4)医療提供体制を整備する。

危機管理やリスクコミュニケーションの観点から、この4つの重要事項には欠陥があります。そして、政府が発表したのと合わせて、おなじような表現で人びとに伝える報道機関にも問題があります。

参考資料
厚生労働省 新型コロナウイルス感染症対策本部 2020年2月25日決定「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000599698.pdf
NHK 2020年2月25日付「新型コロナウイルス 政府 対策基本方針を決定」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200225/k10012300241000.html

| - | 21:46 | comments(0) | -
ガードレールを半回転させて継ぎ手部も変更


かつて沖縄県では、車の対面交通を右側通行から左側通行に切りかえるという大規模な事業がおこなわれました。本土復帰を果たしたため、かつて占領していた米国の交通法から、日本の交通法に切りかえる必要があったのです。この事業は、本土復帰の6年後にあたる1978年の7月30日(日)におこなわれました。当日の日付から「730(ナナサンマル)」とよばれています。

ひとつの県のほぼすべての交通のしくみを、未明から朝にかけての8時間のうちに一斉に切りかえたといいます。県民を挙げてのたいへんな事業だったことでしょう。長らく続いていた右側通行が、左側通行に変わるわけですから、標識や信号などの切りかえも、人びとへの周知も徹底的におこなわなければなりません。この事業で交通事故死した人は1人もなかったといいますから、成功を収めたといってまちがいありません。小さな事故はあったため「大」までつく成功かはわかりませんが。

この「730」の記録を残そうと、沖縄県土木部が企画し、シネマ沖縄が製作した「沖縄730 道の記録」という映画があります。きわめて計画的に事業が進められたかが映像を通してわかりますが、このなかに「なぜこれをするのだろう」と疑問を抱かせる工事の一場面が出てきます。

まず沿道のガードレールが映されます。そして、作業者たちがそのガードレールを外していきます。問題の場面はここからです。作業者ふたりでガードレールの両端を持って時計まわりに半回転させ、さらにガードレールの上下も半回転させます。そして、継ぎ手部のナットを手ではめていき、ガードレールをもとの姿に戻していきます。

この場面の声の説明はつぎのとおり。

「ガードレールは、車の進行方向に継ぎ手が重ねあわされている。これを左側通行に沿った継ぎ手部に修正」

ガードレールには、冒頭の写真のように「継ぎ手部」とよばれる継ぎ目があります。継ぎ手部には、ガードレールどうしが重なりあう部分があります。ダブルのスーツをボタンで留めるようなもの。すると、どちらかが道路の内側に、どちらが道路の外側になります。「730」より前の沖縄県では、右側通行で走る車の右路側にあるガードレールの継ぎ手部は、運転者から見て手前のガードレールが内側に、奥のガードレールが外側になっていました。

この内側と外側の関係を「730」より後は、逆にすべく作業者たちは作業したわけです。

この時点でも「なぜこのようなことを」と疑問に思う人は多いかもしれません。映画ではその理由までは伝えずじまいです。しかし、「どうガードレールが使われるか」を考えると、その理由が見えてきます。

ガードレールは、車が道の外へ飛びだすのを防ぐためのもの。ほとんどの場合、車は前方に走りながら道を外れてガードレールに寄っていき、そしてガードレールにぶつかることになります。

場合によっては、車はガードレールの継ぎ手部にぶつかることもあります。このとき、奥のほうのガードレールが車道の内側になっていると、この継ぎ手部のところに車体が引っかかってしまい、車体がめくれ上がるような大事故になりかねません。

いっぽう、奥のほうのガードレールが車道の外側になっていれば、この継ぎ手部に引っかかる可能性は低くなります。

一般的なガードレールの支柱間隔は、長いものでも4メートルとされます。車が継ぎ手部にぶつかって止まることはおおいにありうるわけです。

奥のガードレールと手前のガードレールのどちらを外側にするかは、景観の点でいえば「そんなのどっちでもいい」といった些細なことです。しかし、機能の点ではおおいに差が出るわけです。そしてガードレールはいうまでもなく、景観のためでなく機能のために置かれています。

「730」では、ガードレールの継ぎ手部の位置関係を変えるという、地味ながらも重要な作業までおこなわれたわけです。

参考資料
科学映像館「『沖縄730 道の記録』シネマ沖縄1978年製作」
https://www.youtube.com/watch?v=hKhoN-PncCA
ウィキペディア「730」
https://ja.wikipedia.org/wiki/730_(交通)
JFE建材「JFE防護柵」
https://www.jfe-kenzai.co.jp/download/catalogue/pdf/05/12.pdf
くるまのニュース 2108年11月21日付「ガードレールの継ぎ目にはルールがある? 事故の時にクルマを保護する工夫とは」
https://kuruma-news.jp/post/114740
| - | 18:34 | comments(0) | -
力士を見かけても興を示さず


東京の両国あたりには、相撲部屋が数多くあります。インターネットには「相撲部屋マップ」もあり、両国駅のまわりに数部屋が散らばっていることがわかります。

相撲部屋があるということは当然、力士がたくさんいるということ。角界には600人以上の力士がいるとされ、かなりの人数が地方場所や巡業のとき以外は両国界隈で過ごしていることになります。

そのため街かどで力士を見かけることもしばしば。両国駅やJR総武線などでは、電車を使っている若手の力士がいますし、隅田川を渡ったところにある「餃子の王将」には、部屋の衆のために焼き餃子を買いこんでいる中堅どころの力士もいます。

力士のからだは大きいため、街なかでは目だちます。また、まげに瓶づけ油をつけているためその香りでも存在感を出しています。

力士の姿は、多くの一般人にとってはめずらしいもの。しかし、この界隈での一般人は力士を見ても、遠くからスマートフォンで撮影したり、「あのお相撲さん有名かな」とひそひそと話したりすることはあまりないようです。

これは、力士の姿を見慣れている地元の両国界隈の人たちにかぎったことではありません。たまたま両国あたりを移動しているときに、力士の姿を目にした人たちでもいえることです。

これには、「力士にも多忙な支度や私的な生活があり、存在がめずらしいからといってむやみやたらに興奮したりしない」といった一般人の粋な心がはたらいているからなのかもしれません。こうして、自然と「力士のいる街」の風景はつくられていきます。

その点、やはり外国人観光客のほうが、もの珍しさに力士に近寄って撮影したりすることは多いかもしれません。とはいえ、異国の地で、日本を象徴するような職業の人を見かけるのですから、それも無理からぬことです。

参考資料
オラッ!どすこいスポーツ 2018年1月23日付「大相撲 角界にいる力士の人数は何人?」
https://www.ola-dosukoisports.com/2018/01/blog-post.html
| - | 23:59 | comments(0) | -
夜型生活者の死亡リスクが高いのは朝型生活を強いられるから

写真作者:Laura

「夜型生活者と死亡リスク」をめぐる話題が、ここにきてインターネットで多くのぼっているようです。とくに「夜型人間は朝型人間より死亡リスクが10%高い」という海外の研究結果についての話題です。

おそらく、2018年4月、ノースウェスタン大学ファインバーグ医学部のクリステン・クヌットソン准教授らの研究成果が発表され、ニュースになったことが、今回の話題のもとでしょう。

たとえば、CNNが「夜型生活を続けていると糖尿病や精神的問題を抱える可能性が高まり、死亡リスクも10%上昇する――。米ノースウェスタン大学ファインバーグ医学部などの研究チームが12日、時間生物学の専門誌にそんな論文を発表した」と報じています。

注意すべきは、「夜型生活者が朝型生活に矯正すれば、死亡リスクが減る」かというと、かならずしもそうはならず、かえって死亡リスクを高めてしまうおそれもあるということです。

夜型生活者のなかには、夜型生活に適した遺伝子をもっているため、努力しても朝型生活になれないという人もいます。

英国のエクセター大学医学部のマイケル・ウィードン教授は2019年4月、体内時計を制御する時計遺伝子は351個あり、これらの遺伝子が朝型生活に向いているか、夜型生活に向いているかを決めているということです。

このような、体質的に夜型生活が向いている人にとって、朝型生活に合わせることは、体質に合わないことを強いられることを意味します。この体内時計と社会時計との差が、代謝症候群などの生活習慣病になる率を高めていると、睡眠学の研究者たちは見ています。

日本には古くから「早起きは三文の徳」ということわざもあり、朝型生活は美徳でめざすべきことという考えが強くあります。しかし、朝型生活を強いられることにより、死亡リスクが高まる以上、「早起きは三文の徳」もそうとはかぎりません。

夜型生活の体質をもつ人びとが、その人なりの健康リスクを避けられる生活を送れるような社会的しくみを、社会がもっと考えてもよいのではないでしょうか。

参考資料
@Kohler_volnt 2020年2月16日「夜型人間は朝型人間より死亡リスクが10%も高い、というサリー大学とノースウェスタン大学の共同研究がある……」
https://twitter.com/kohler_volnt/status/1229025703758139397
Northwestern Now 2018年4月13日付 “Night owls have higher risk of dying sooner”
https://news.northwestern.edu/stories/2018/april/night-owls-have-higher-risk-of-dying-sooner/
CNN 2018年4月13日付「夜型生活者、死亡リスクが10%上昇 英国のデータを調査」
https://www.cnn.co.jp/fringe/35117713.html
Wired Digital Well-Being 2019年4月6日付「『夜型』の人が努力しても、決して『朝型』になれない:研究結果」
https://wired.jp/2019/04/06/morning-person-genetics-how-to/
| - | 17:15 | comments(0) | -
「自分は感染者ではない」とはいえないのだからマスクの効果は大



新型コロナウイルス感染症「COVID19」(COronaVirus Disease 2019)の拡大を受けてでしょう、街ではマスクをしている人が例年に増して多くなりました。電車内では、マスクをつけない乗客のほうが少数派という状況です。

専門家のおおかたの見解は「マスクによる防御の効果は小さいが、感染者がウイルスを広めるのを抑制する効果は大きい」といったものです。

たとえば、自治体の健康安全研究所の所員は、新聞社の取材に「防御の意味でマスクをしても、どの程度ふせげるだろうか。(略)人は自分の顔を触ることが多いので、しっかり手洗いすることが肝心。マスクの過信は禁物だ」としながらも、「通常のコロナウイルスなら飛沫か接触感染。感染者がマスクをすればかなり防げる」としています。

しかし、今回のCOVID19の拡大で厄介なのは、「感染しても無症状という人がいて、自分が感染者であるのかどうかがわからない場合がある」ということです。ウイルスが陽性であるか陰性であるかを調べる検査では、陽性でありながら症状がないという人が、たとえば「ダイヤモンド・プリンセス号」の乗客への検査などから、つぎつぎと見つかっています。こうした人は「無症状病原体保有者」とよばれます。

ウイルスは目に見えないものであり、しかも今回のウイルスは無症状病原体保有者を生みだしていく。そうなると、もはやだれも「自分は感染者ではない」とはいえない状況です。

街なかでマスクをしている人は、「マスクによる防御の効果は小さい」ということに無知なのではなく、むしろ、「自分が感染者であるおそれもあるのでマスクによりウイルスをまき散らさないようにする」と心がけているということもありうるでしょう。日本の「ほかの人に迷惑をかけたくない」という国民性は、総じて高いものがあります。

ただし、問題なのはマスクの供給不足により、患者への直接の診療に当たる医療従事者にマスクが行きわたらないことです。行政は、医療従事者のマスクの不足分がどのくらいなのかを国民に対して説明するか、あるいは医療従事者分のマスクを確保するか、どちらかをおこなうべきでしょう。

参考資料
東京新聞 2020年2月13日付「マスク効果 過信はダメ 空気中に漂う微粒子でも感染?」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202002/CK2020021302100027.html
厚生労働省 2020年2月19日発表「新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について(令和2年2月19日版)」
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09637.html
日経メディカル 2020年2月18日付「マスクが足りない!医療機関でも深刻な事態に」
https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/report/t344/202002/564405.html

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「引っかかる」ことは嫌なことだらけ

写真作者:Sonny Abesamis

「引っかかる」という物理的な現象があります。突きでているものや、張りだしているものにかかって、そこに止まることを指します。ものとものが接触するところで、運動を阻止しようとする力がはたらいて、「引っかかる」わけです。つまり、ものが引っかかっているとき、摩擦が生じていることになります。

ものが引っかかるということを、人は相当に嫌なことだと捉えてきたようです。国語辞典の「ひっかかる」の項目には、1番目に「突き出ている物、張り出している物にかかってそこに止まる」とあります。これは物理的な現象を表したものですので肯定的も否定的もありませんが、その例文として「凧が電線にひっかかる」とあります。

嫌な状況です。

つづく2番目以降の意味は、すべて否定的です。

2「何かに妨げられて進行が止められる」。例文は 「検問にひっかかる」「物差しがひっかかって引き出しがあかない」といったもの。心の緊張や苦痛を強いられる状況です。

3「やっかいな事柄や人物とかかわりあいをもつ」。鼻から「やっかいな」とあります。 例文は「面倒な事件にひっかかる」「悪い男にひっかかった」「行(くだ)らない者にひっかかつて、養母や許嫁に泣を見せるやうな事があつては/青春 風葉」。すべてにおいて、順調に進んでいたことが妨げられています。

4「だまされて仕組まれたとおりに動かされる。計略にはまる」。こちらも、自分がだまされて動かされていたとわかったときは、心に強い衝撃や不快さを感じます。例文は「詐欺にひっかかる」「もうその手にはひっかからない」。2番目の例文は用心ができているようすです。でも「もうその手には」とあるので、過去に一度はひっかかったのでしょう。

5「すっきりしない感じが残る」。例文は「ひっかかる言い方をする」。そんな言いかたをされたら、なかなか放ってはおけません。「なにか言いたいことでもあるのか」などと聞くと、かえって関係を悪化させることもあります。いずれにしてもすっきりしません。

6「液体などを浴びせられる。かかる」。これはやや物理的な状況の要素が入った意味といえます。しかし、水かけ祭りなどをのぞけば、これらの体験も基本的には嫌なものです。例文は「ズボンに泥水がひっかかる」。不快な体験です。

これらほとんどの意味が、1番目の「突き出ている物、張り出している物にかかってそこに止まる」という物理的現象を、人のとる行動やもつ感覚に置きかえたものになっています。引っかからなければ、なにも起きずにものごとが進んでいたのですから、逆に、引っかかれば思いどおりとはなりません。やはり引っかかるのは嫌なものです。

参考資料
大辞林 第三版「ひっかかる」
https://kotobank.jp/word/引っ掛かる・引っ掛る-366338
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自由業「一度」を採るか「何度も」を採るかジレンマに遭う

画像作者:Damien Pollet

自由業の人が食べていくためには仕事を得ることが必要です。依頼者から注文を受けなければなりません。

そして、できることなら、おなじ依頼者から注文を受けつづけたいものです。新たな依頼者から注文を受けるよりも手間がかからないからです。

となると、ひとつの仕事が終わったとき、依頼者に「つぎの仕事も頼んでみるか」と思わせるような印象をあたえることが大切になります。

しかし、仕事によっては、こうした状況で自由業の人は「ジレンマ」に陥ることもあるようです。

ある自由業の人はつぎのような体験談を口にします。

「毎月1日に依頼者から発注がきたら2週間後の14日に納品する。この約束のもとで、安定的に仕事を続けていました」

「ところが、発注がきてもよい日に発注がこず、2日、3日と経ちました。ほされちゃったかなと思っていたところ、いつもより4日ほど遅れて依頼者から発注がありました。発注者は『すいません』と詫びつつ『納品はいつもどおり14日でお願いできますか』と言ってきました」

「私は『それは約束がちがうので、きょうから2週間後の18日の納品とさせてください』と答えました。スケジュール的にかなり厳しかったこともありますが、約束が反故されることへの抗議の気持ちもあったと思います。依頼者は慌てふためいていましたが、私は約束どおり2週間後に納品しました」

「でも、その後は、その依頼者から仕事がくることはありませんでした……」

この自由業の人は、依頼者からの約束とは異なる注文であっても飲んで、その依頼者からの信頼も高まり、末長く安定的に仕事を受けることができたのかもしれません。依頼者が発注をやめたのは、「あの人は融通のきかない人だ」と感じ、印象を悪くしたからということが考えられます。

いっぽうで、約束とは異なる注文を飲んでしまうと、相手の都合に屈してしまうことにもなります。また、その後も注文を受けられたとしても、発注が遅れて「納品はいつもどおり14日で」といったことが定常化しかねません。

一度の大切なことを採って、何度も続くはずのことを失うか。何度も続くはずのことを失う危険をとって、一度の大切なことを採るか。これが「ジレンマ」というわけです。

こうした場面になったら、その大切なことが自分にとってどのくらい大切か、相手との関係性はどうか、割のよい仕事なのか、たとえ発注されなくなっても食べていけるのか、これらのことを総合的に考えて判断するぐらいしか手はなさそうです。あるいは「これだけは譲れない」ということを定めておいて、その一線を越えるかどうかで判断するとか……。
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より確率的にありうるのは「左近左近さん」より「美保美保さん」

写真作者:Robbie Sproule

苗字と名前の字も読みもおなじという人物は、理論的にありえます。苗字にも使われるし、名前にも使われるような名前があるからです。

よく例に出されるのが「真弓真弓(まゆみまゆみ)さん」。仮に、プロ野球解説者の真弓明信さんと、歌手の五輪真弓さんが結婚したら、五輪さんは「真弓真弓」になるというわけです。

フィクションの登場人物の名づけを支援する人名紹介サイトには「苗字とも名前ともとれる読み」を集めたページがあり、そこにはじつに約500例が載っています。

では、確率的に「左近左近(さこんさこん)さん」と「美保美保(みほみほ)さん」では、どちらのほうがよりありうるのでしょうか。

「左近」というと、元プロレースドライバーの山本左近さんのように「名前の左近」が知られています。しかし、奈良時代に新設された官職名のひとつ「左近衛府(さこんえふ)」などに由来する「苗字の左近」も、全国にはおよそ2900人いるとされています。

「美保」というと、やはり女優の高木美保さんのように「名前の美保」はよく見聞きするもの。とはいえ、おなじく女優に美保純さんがいるように、「苗字の美保」も全国には220人いるといいます。

どちらがよりありうるのかという点でいうと、「美保美保さん」ではないでしょうか。「名前の美保」が女性に使われる名前だからです。夫婦がおなじ苗字でなければならないことが民法で定められている日本において、女性が結婚したとき、苗字を男性のものに変えることのほうが圧倒的に多いからです。結婚して女性のほうが苗字を変える率は96パーセントともされます。冒頭の「真弓真弓」さんとおなじ場合です。

いっぽうの「左近左近さん」が成立する条件としては、「左近」という名前のおそらく男性のほうが、「左近」という苗字の異性と結婚し、自分の苗字を「左近」に変える場合か、左近家に生まれたおそらく男子が、親などの名づけ親により「苗字とおなじく名前も左近にしよう」と意図的に名づけられる場合か、このどちらかしかありません。しかし、男性が名前を変える率は5パーセントもなく、また、「苗字が左近だから名前も左近に」などと奇をてらう家族は、よほどの意図がないかぎりは考えにくいものです。

よって、現状のもとでは、「左近左近さん」よりも「美保美保さん」のほうが起こりやすいといえます。

参考資料
創作支援名前倉庫「苗字とも名前ともとれる読み」
http://naming.nobody.jp/other/myoji-namae.html
名字由来net「名字 左近」
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=左近
名字由来net「名字 美保」
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=美保
朝日新聞 2018年8月9日付「結婚後の名字、選べる日は 姓変える96%が女性の国で」
https://www.asahi.com/articles/ASL823PP4L82UPQJ006.html
wikibooks「民法第750条」
https://ja.wikibooks.org/wiki/民法第750条
| - | 22:12 | comments(0) | -
入口封鎖激減の原因に、民営化、渋滞緩和……

関東地方に放送されるラジオ番組の交通情報で、かつてはひんぱんに伝えられていたものの、近ごろはとんと減った情報があります。「首都高速道路の入口閉鎖」です。

入口を閉鎖するおもな目的は、渋滞を軽くするというもの。首都高速道路の入口が閉鎖されれば、車はその入口から首都高速道路に入ることができません。よって交通量は減ります。

入口閉鎖は、運転者たちには道路状況を把握するうえでの重要な情報でした。そこで、かつての交通情報では、日本道路交通情報センターの担当者が毎時の時報の前に、「首都高18時から閉まる入口は、3号線の高樹町、6号線の駒形、それに箱崎です」などと伝えていました。

ところがいまは、要人の移動などにともなう交通規制がないかぎり、「入口閉鎖」の情報が流れることがありません。首都高速道路の入口閉鎖そのものが激減したからです。

では、なぜ入口閉鎖が激減したのか。これにはいくつかの理由がありそうです。

ひとつは、首都高速道路の基本的な考えかたが変わったというもの。2006年度までは入口の閉鎖がひんぱんにおこなわれていました。しかし、2007年度以降は、入口閉鎖を基本的にはおこなわなくなったそうです。首都高速道路の渋滞対策課の担当者が、取材記事に「お客様の利用をこちらで制限するのは好ましくないというのが、現在の当社のスタンスです」と答えています。2005年には首都高速道路公団から首都高速道路株式会社へと民営化され、儲けのために入口を開けっぱなしにしておくという考えかたになったのかもしれません。

また、この基本的な考えかたの変化の背景にもなるでしょうが、首都高速道路の渋滞そのものが減ってきている点も見のがせません。2000年代に入ってからも、首都高速道路の道路網では、新たな路線が開通したり、ジャンクションが改良されたりして、渋滞緩和がめざされてきました。

たとえば、2015年3月、中央環状線の湾岸線と渋谷線が開通したことにより、都心環状線の渋滞損失時間は、開通前にくらべておよそ5割減少し、また首都高速道路全線でもおよそ4割減少したといいます。

とはいえ、首都高速道路から渋滞がなくなったわけではありません。たとえば、3号渋谷線と中央環状線を結ぶ大橋ジャンクションのあたり、とくに夕方以降の3号渋谷線の下り方面では、きつい渋滞がよく生じています。こうした渋滞への対策のため、入口閉鎖を復活させるべきだという声も上がっています。

東京五輪の期間中は、輸送路を確保するため、50か所以上の首都高速入口が閉鎖される可能性もあるといいます。このときだけは、ラジオの交通情報から「首都高の入口閉鎖」がひんぱんに聞かれることにはなりそうです。予定どおりに開催されれば……。

参考資料
乗りものニュース 2015年3月29日付「首都高C2の渋滞 特効薬は入口封鎖」
https://trafficnews.jp/post/39092
首都高速道路「首都高速道路の渋滞状況の推移」
https://www.shutoko.co.jp/~/media/pdf/corporate/company/press/h19/9/sankou2.pdf
東京都「1-2. 首都高速道路の混雑が緩和」
https://www.metro.tokyo.lg.jp/INET/OSHIRASE/2015/04/DATA/20p4o500.pdf
乗りものニュース 2019年7月22日付「首都高入口50か所以上で閉鎖の可能性 五輪1年前の交通規制テスト、どんな影響が?」
https://trafficnews.jp/post/87912
教えてMJブロンディ 2010年8月12日付「大橋JCTって渋滞緩和に意味があるの?」
https://autoc-one.jp/word/579986/
| - | 18:36 | comments(0) | -
ひと世代で学校の常識も変わる

写真作者:mrhayata

「ひと世代は30年」といわれます。単に親子がだいたい30歳ほど離れていることを意味するだけでなく、ものごとの常識も30年ほどで移りかわるということを意味しているのでしょう。

学校であたりまえのようにおこなわれていたことも、いまの常識では考えづらいことになっているかもしれません。以下は、いまからひと世代前の1990年代前半、日本の公立中学校で過ごした人物の回想による話です。

地域によっても異なるでしょうが、公立の中学校で1990年代前半、中間試験と期末試験の成績の実名公表がおこなわれていたところもあります。試験が終わってから数日後、廊下の掲示板に、全教科の試験の合計点数の上位から順に、全員分の実名と順位と点数が掲げられました。

全員分ということは、最高点をとった生徒の名前も、そして最低点をとった生徒の名前も、すべて載っていたわけです。そして、それを全校生徒が見られるようになっていたわけです。高い点をとった生徒は鼻高々だったかもしれませんが、低い点をとった生徒にとっては、決して気分のよいものではなかったことでしょう。

ただし、ひと世代前はこの試験成績実名全公表を、教師も生徒も、そしておそらく親も、多くがあたりまえのことと受けとめていたようです。

また、これも地域によって異なるでしょうが、公立の中学校では1990年代前半、校内テレビ放送で遅刻者の実名公表がおこなわれていた学校があります。司会役の放送委員が、「今日の遅刻者です。誰々くん。誰々くん。誰々くん」と読みあげ、画面には「今日の遅刻者」という題字のもと、彼ら・彼女ら遅刻者の名字が掲げられました。

そして、司会役の放送委員が「遅刻しないようにしましょう」と言って、校内放送の「今日の遅刻者」の部分が終わります。たいていこの校内放送で公表される遅刻者は、決まった生徒たちのようでした。

この遅刻者の公表についても、当然のように放送がおこなわれていました。遅刻した生徒は「遅刻上等」と考え、放送を見た生徒は「遅刻してあたりまえの生徒たち」と見ていたのでしょう。

試験成績実名全公表も、遅刻者実名公表も、いま学校でされたら問題視する人は多くいることでしょう。2003年に「個人情報の保護に関する法律」が制定され、「あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならない」という条項が適用されたため、学校側によるこれらの行為は法律違反になる可能性があります。

なにより世代が変わり、常識が変わりました。評価の対象となりうるものごとについて、実名が晒すなんてありえないと考える人が大半となりました。この常識の変化と、個人情報保護法の制定とは、密接に関係しているところはあるでしょう。

ひと世代前といまの世代とで常識が変わることは多いにあります。ということは、いまの世代の常識が、ひとつ先の世代ではもはや古びた常識になっているということもおおいにありえるわけです。そして、その常識の変化には、ものごとの規模や程度が激化するものと、もとに戻ることの両方があります。たいていは、激化するほうに進むようではありますが。

参考資料
e-Gov「個人情報の保護に関する法律」
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=415AC0000000057
| - | 23:59 | comments(0) | -
「エーテル」なくとも「イーサー」あり

写真作者:Andy Melton

ものごとのよび名の由来を知らないまま、「そういう名がついているから」と、そのよび名を使っていることは多いものです。

家電量販店などでは、客が店員に「あのぉ、イーサーネットっていうんですか、パソコンをインターネットに接続するケーブルの。どこに置いてありますか」などと尋ねていることがあります。

厳密には「イーサーネット」はケーブルではありません。コンピュータネットワークの規格です。このイーサーネットの規格にもとづくケーブルは「LAN(Local Area Network)ケーブル」とよばれます。

「イーサーネット」はなぜ「イーサー」とよばれているのか。これは、かつて光の波を伝える媒質として存在が信じられていた「エーテル」という物質の由来するものとされます。「イーサー」も「エーテル」も、ともに“ether”と綴ります。

1973年5月、米国の電気工学者ロバート・メトカーフ(1946-)が、米国ゼロックスのパロアルト研究所に所属していたころ、ほかの研究者とともに新たなネットのしくみを発明しました。米国の情報学者ノーマン・エブラムソンが開発した、ハワイ諸島の島々を結ぶ無線ネットワークのしくみの発想を端緒としていました。

メトカーフはこのネットワークに「イーサーネット」と名づけ、研究所の同僚にメモを配ったとされます。

エーテルはかつて、「光は波である」とする波動説を主張するとき、なくてはならない物質とされてきました。「光が波であるのなら、その波が伝わるための媒質がなければ波は届かない」というわけです。エーテルは目には見えないものの、そこいらじゅうに充満していて、光の波を届かせていると考えれられてきました。

ところが、科学者たちはエーテルを正体を探っても、見いだすことができません。

そうしたなか1887年、米国の物理学者アルバート・マイケルソン(1852-1931)と、おなじく米国の物理学者エドワード・モーリー(1838-1923)が、エーテルの存在を証明するための実験をおこないます。エーテルは時間ごとの風の変化の影響を受けるはずだから、それを光線を受ける装置で観測しようとしたのです。予想どおりであれば、観測装置に縞模様が出るはずです。

しかし、実験の結果は、マイケルソンとモーリーの期待に反するものでした。風の変化を示す縞模様は思ったよりも小さく、結局「風速は0」という結論に至りました。

正確を期しておこなった実験で、エーテルの存在を得られませんでした。科学者たちは、「エーテルはないのではないか」と考えるようになりました。マイケルソンとモーリーの実験が、風向きを変える大きなきっかけとなりました。

その後の研究により、エーテルの存在は否定されました。いま、光は、空間そのものを媒質とする電磁波であると考えられています。また、波の性質とともに粒子の性質ももっていると考えられています。

いっぽう、メトカーフは、開発したネットワークのしくみに「あらゆるところに存在し、情報を伝える媒介になるもの」との意味を込めて、「イーサー(エーテル)」と名づけたとされます。

参考資料
平成義塾大学 2011年11月25日付「イーサネットとエーテル」
https://blogs.itmedia.co.jp/heisei2100/2011/11/post-f950.html
日経XTECH 2013年12月9日付「イーサネット40年の技術」
https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20131127/520968/
デジタル大辞泉「エーテル」
https://kotobank.jp/word/エーテル-36876
精選版日本国語大辞典「波動説」
https://kotobank.jp/word/波動説-603177
ウィキペディア「マイケルソン・モーリーの実験」
https://ja.wikipedia.org/wiki/マイケルソン・モーリーの実験
| - | 16:44 | comments(2) | -
理由や根拠が見あたらなくても、行けそうなら行く――法則古今東西(32)
これまでの「法則古今東西」の記事はこちら。


写真作者:Yuko Honda

米国の半導体製造業インテルの創業者のひとりにロバート・ノイス(1927-1990)がいます。1968年、ノイスらが設立したフェアチャイルドセミコンダクターの出資企業にあたる親会社と意見衝突し、ゴードン・ムーアとともに同社を飛びだし、インテルを設立しました。

インテルを設立した当時はごく小さな企業でしたが、その後、半導体製造業の世界大手にのしあがりました。同社で一貫しているのは研究所をもたないという点です。

これには、ノイスの独特の問題解決のしかたが関係しているとされます。

ノイスは、問題解決のしかたには二つあり、それぞれを「かわいいやりかた」と「早くて汚いやりかた」とよんでいました。

「かわいいやりかた」のほうは、発想を試して築くといったことをきっちりおこなうという、いわば伝統的なやりかたです。この課題解決のしかたは、ほかの技術開発者などもよくおこなうものといえます。

「早くて汚いやりかた」のほうが、よりノイスに独自的なものといえそうです。のちに課題解決法は「ノイスの最少情報原則」とよばれるようになりました。

この原則の要点は、つぎのようなものです。

「問題に対してなにが答であるか見当をつけ、その見当があっているかどうか考えるのに必要なかぎりで科学に立ちかえる。もし、それが問題を解決しなさそうであれば、べつの見当をつけ、もう一度そこに立ちかえる」

人は問題に対して答がなにであるか見当をつけたら、それが解決手段になりうるかどうかわかるまで試してみます。ここまではノイスもします。

その後、ふつうの人はうまくいかなかったら「なぜこのやりかたではだめだったのだろう」と原因を突きとめ、その結果をつぎの答出しの作業に活かそうとします。

いっぽう、ノイスは、原因を突きとめることはせず見切りをつけ、「ならばこっちのやりかたでやってみるか」と、つぎの考えられるやりかたを試しはじめるのでした。

端的にいえば、「理由や根拠が見あたらなくても、行けそうなら行く。行けなさそうなら行かない」といったところでしょうか。

研究所をもつということは、ものごとを深く調べ、そのしくみや道理を突きとめることを意味します。ノイスの「早くて汚いやりかた」はこれを受けいれません。ノイスのこの問題解決法は、インテルの社内で広く行きわたったといいます。

参考資料
ASCII.jpデジタル用語辞典「ロバート・ノイス」
https://kotobank.jp/word/ロバート・ノイス-10087
西村吉雄『イノベーションは、万能ではない』
https://www.amazon.co.jp/dp/4296104659
ideaphore “The Noyce Principle of Minimum Information”
https://ideaphore.wordpress.com/2014/08/25/the-noyce-principle-of-minimum-information/
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書評『イノベーションは、万能ではない』
装丁も分量も重厚感あります。中身には、長年この分野に携わってきた著者の想いが込められています。

『イノベーションは、万能ではない』西村吉雄著 日経BP 2019年 494ページ


大学で講義を受ける学生の8割が「イノベーション=技術革新」と思いこんでいるという。著者によると、それは「誤解」だという。本書では「イノベーション」の原義をあらためて整理したうえで、近年イノベーションが、その原義にある経済成長の原動力になっていないと指摘する。

イノベーションの概念を世に出したのはオーストリアの経済学者ヨゼフ・シュムペーター(1883-1950)である。彼は、イノベーションの本質は「経済システムが自らを時間的に変化させる力」にあるとした。著者は「すなわちイノベーションは、経済を成長させる原動力だということになる」と補足する。

そして、シュンペーターの示したイノベーションの例は「新しい財貨(新製品など)の生産・販売」「新製法の導入」といった技術にかかわるものにとどまらず、「新しい販路の開拓」「原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得」「新しい組織の実現」といった技術とはかかわりないものもふくむと質す。

心象的にわかりやすいのは、底の部分が結合している二つの水槽の片方に水を注ぎ入れて水位差をつくるような行為がイノベーションであるという説明だ。経済成長のもととなる利潤を得るには「差異」と「媒介」が必要である。そこで、二つの水槽がつながっている、つまり二つの経済圏に「媒介」がある状況で、片方の水槽に水つまりイノベーションを注ぎ入れれば「差異」をつくりだすことができる。

つまり、イノベーションにより利潤や経済成長が生じる……はずだ。

ところが、情報通信技術の発展などでいまもイノベーションは起きているものの「その恩恵にあずかれるのは一部の先進的企業だけ」であると著者は指摘する。そして、「先進諸国全体では、国の経済発展や格差解消にイノベーションが機能していないのではないか」と疑問を示す。実際、先進国の1人あたりの国内総生産の成長率のグラフは、1970年ごろから低成長を描いている。

では、なぜ、1970年以降の先進地域では経済成長率が低下したのか。著者は「原因は、農業圏の余剰労働力の枯渇ではないか」と仮説を示す。情報通信技術がイノベーションの主役になったものの、同時に先進国では余剰労働力がなくなったため経済成長は止まったというわけだ。とにかくイノベーションが起きれば経済成長が起きるというわけではない。すなわち「イノベーションは、万能ではない」のだ。

著者はシュムペーターによるイノベーションの原義に忠実であり、その原義に照らしあわせて、「イノベーションは、経済を成長させる原動力社会や経済を成長させる原動力(であるはずなのにそうなっていない)」とする。この点については、イノベーションに対する人びとの捉えかたが変容した可能性があるのではないかと、脳裏をよぎった。

シュムペーターの示したイノベーションは、本書の著者のような“翻訳者”が、わかりやすく解説を加えないかぎり理解しづらいものだ。「経済システムが自らを時間的に変化させる力」と提示されたところで、いまの人びとにどれだけ伝わるだろうか。イノベーションの5つの例をどれだけの人が知識としておさえているだろうか。

そうなると、もっと単純な「イノベーション」の説明が人びとには好まれる。「イノベーション = 技術革新」はその好例だ。さすがに近ごろの報道機関は「イノベーション = 技術革新」という伝えかたをしなくなってきているという。だが、大学生ならずとも社会にこの等式は浸透している。単純だからだ。シュムペーターによるイノベーションのもともとの説明と、社会によるイノベーションの認識は、いまも大きく離れている。

「イノベーション = 技術革新」と捉えている人たちにとって、「イノベーションがなにをもたらすのか」の答もちがってくるだろう。そうした人びとは、イノベーションは「経済成長をもたらす」というよりむしろ、「社会状況や生活様式の変化、つまり便利をもたらす」と考えるのではないか。すると、イノベーションと経済成長はますます離れていくことになる。

日本政府でさえ「イノベーション」に「科学技術」を冠して、「科学技術イノベーション」はまずもって「科学的な発見や発明による新たな知識を基にした知的・文化的な価値の創造」のことであると説明している。

イノベーションは自然現象ではなく概念である。自然現象の捉えかたはやすやすと変わるものではないが、概念に対する人びとの捉えかたは時とともに移ろう。イノベーションの概念そのものが揺れるという点においても「イノベーションは、万能ではない」のかもしれない。

『イノベーションは、万能ではない』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4296104659
| - | 16:12 | comments(0) | -
からだごと一直線になったうえで前傾に

写真作者:leerobertnixon

運動で長い距離を走るとき、「前傾姿勢」をとるという方法があります。体を前に傾けながら走ることで、前へ前へと進んでいくことができます。

走っている人のからだにも重力がはたらいています。前傾姿勢をとれば、からだは前方の地面のほうへと倒れていきます。倒れるときには勢いがつきます。つまり、前傾姿勢が、走るときの推進力の源になるというわけです。

とはいえ、前傾姿勢を走りにとり入れるときは、それなりの姿勢のとりかたを心えておかねばならないといいます。

たとえば、上半身だけを前傾にして、下半身は追いついていかないような姿勢をとると、重力でからだが前方の地面のほうへと倒れていく効果をあまり得ることができません。試しに上半身だけを前傾にして頭を壁につけても、頭は壁からの反作用をあまり感じません。

また、猫背のような姿勢で走るのもおなじです。猫背で走ると、前に進もうとする力を妨げてしまうことになるといいます。

そこで、頭から腰、そして脚にかけて、できるだけ一直線になっているような姿勢をとりながら、からだを前傾させることが大切であるとされます。試しにからだごと前傾にして頭を壁につけると、頭は壁からの反作用を強く感じます。

もちろん、走っているときにはどちらかの脚は全身よりも前へと出るわけですが、意識としては「からだごと前傾になる」と心えながら走っていると、前へ前へと進んでいきます。

参考資料
高岡尚司のゼロベースランニングチャンネル 2019年7月22日配信「前傾姿勢がランニングのスピードアップに繋がらない2つの理由」
https://www.youtube.com/watch?v=QYy_63FY_NQ
Smart B-Trainerブログ 2017年1月30日付「教えて金哲彦先生! ラクに走れるはずの前傾姿勢で腰が痛くなるのはどうすれば良い?」
https://b-trainerblog.smartsports.sony.net/entry/201701-running006-form
| - | 21:56 | comments(0) | -
舞踏会のごとく座席が回転

JRの特別急行でも私鉄の有料特別急行でも、基本的に座席は列車の進むほうに向いています。そのため終点の駅で折りかえし運転をするときは、作業員が車内を清掃しつつ、座席を回転させていきます。この車内の準備を待っている時間も、特急に乗るときの楽しみの時間といえます。

もっぱらJRの特急に乗っている人は、私鉄の有料特急での座席回転作業に驚かされることがあります。

小田急電鉄の特急ロマンスカーも、多聞に漏れず座席は列車の進むほうに向いています。終点であり始発でもある新宿駅では、女性の社業員が客の残していったごみなどを片づけていきます。

気になるのは、ロマンスカーの出発時刻が迫っていること。車内の清掃と座席回転が終わるまで、客は乗ることができないためプラットホームで待っています。発車まであと数分しかないのに、作業員はようやく清掃を終えたところ。これから、座席を回転させていくとなると、客が車に乗れるのは、出発ぎりぎりの時間になってしまいそうです。

ところが。作業員がロマンスカーから外へ出て、車の壁の小扉を開けると、そこにはボタンが。おもむろに作業員がボタンを押します。

するとどうでしょう。





ボタンを押した車両の座席が自動で回転していきます。前から1番、3番、5番のように奇数番号の座席がまず回転すると、つづいて2番、4番、6番と偶数番号の座席が回転していきます。

この光景をはじめて見た観光客は、「おお! まるでフランスの舞踏会で人びとが踊っているみたい!」と言ったとか言わなかったとか。

こうして一瞬のうちに座席回転は済み、出発の準備ができるとあらためてドアが開き、客はそれぞれの指摘座席へ。定時に新宿駅を出発するのでした。

特急ロマンスカーの座席自動回転の歴史は古く、1980年より特急車両として使われはじめた「LSE7000形」ですでに、「一斉自動回転するリクライニングシート」が採用されていました。

日常使いをしている客からすれば、いつもの光景といえます。はじめて見る客からすれば、驚きの光景といえます。

参考資料
小田急電鉄 2018年5月29日発表「7月10日(火)、特急ロマンスカー・LSEが定期運行終了」
https://www.odakyu.jp/news/o5oaa10000019eyc-att/o5oaa10000019eyj.pdf

| - | 23:52 | comments(0) | -
伝え手は「最悪の場合」が好き

画像作者:Keith Hall

これから起きると予想される災害がどれだけのものかを伝えるとき、「最悪の場合は」といった表現が使われることが多くあります。にた表現に「最悪のシナリオでは」や「最悪のケースでは」があります。

多くの伝え手は、この「最悪の場合は」を好んで使うようです。

「最悪の場合」というのは、想定としては極端なものです。「できるかぎりひどいことを考えたなら、こうなる」といった状況を指しているわけです。つまり、この「最悪の場合」は、本来は「もっともありえない場合」ということになります。

「最悪の場合」があるということは、「最悪よりはましな場合」もあるはずです。そして「最悪よりもましな場合」のほうが、起きる確率は高いでしょう。「最悪な場合」が「もっともありえない場合」なのですから。

そうすると、「もっともありえない場合」よりも「最悪よりはましな場合」を伝えるほうが、受け手にとっては「より起こりうる場合」を得られることになります。それにもかかわらず、伝え手は「最悪の場合」を伝えようとします。

伝え手からは、「受け手のみなさんに、最悪の場合を知っておいていただければ、実際に災害が起きたときの心がまえができるでしょう」といった言い分が聞かれそうです。心からそう思って「最悪の場合」を伝えようとする人もいるでしょうが。

しかし、多くの伝え手が「最悪の場合」を伝えようとする理由は、ほかにありそうです。「最悪の場合」を伝えると、伝える内容がもっとも衝撃的となり、受け手の気を引くことができます。たとえば、ドキュメンタリー番組などで「最悪の場合」を伝えれば、迫力のある絵を放送することができるでしょう。

災害ではえてして「最悪の場合」を上まわる「想定外のできごと」も起こるもの。それからすると、「最悪の場合」を伝えておくくらいがちょうどよいともとれます。

けれども伝え手は、「最悪の場合」を伝えるとき、「いまから伝えるこの『最悪の場合』は、想定としてはもっともありえない場合です」と、ひとこと加えてもよいのではないでしょうか。受け手が正しく情報を得るために。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「正常性の偏見」は「行動をとることが面倒」から

写真作者:Jason Howie

災害などで犠牲者が出るたびに、人のもつ「正常性の偏見」という心理が、その人の行動に影響をあたえるといわれ、また知られるようになってきています。

正常性バイアスとは、たとえば災害が起きても「自分だけは大丈夫だ」と思いこみ、自分に都合の悪いことを無視したり、過小評価したりすることをさします。2011年3月の東日本巨大地震にともなう大津波では、警報が出ていながら避難せずその場にいとどまり、ついに津波が見えたため逃げはしたものの、犠牲にあった人が複数いたとされています。こうした人びとの行動に「正常性の偏見」が影響していたともいわれます。

なぜ、正常性の偏見は人びとの心に生じうるのでしょうか。

これはひとえに「これまでとらなかったような行動をとることが面倒だから」ということにちがいありません。

大津波などの災害の警報が伝わるまでは、ほとんどの人はなんともない日常生活を過ごしていたはずです。地震が起きるまえから「いつ津波がきても逃げられるようにしながら日常生活を送ろう」という考えている人は、直前に避難訓練を受けた人ぐらいしかいないでしょう。ほとんどの人にとって「いますぐ避難しなければならない」という状況は、考えてもみなかったことであり、その行動をとるのはとても面倒なことになるわけです。

防災・危機管理アドバイザーの山村武彦さんは、講演会で、正常性の偏見が人びとの心に起きる理由についてつぎのように伝えています。

「異常と認めると何かしなきゃいけないのです。でも正常だと思っている間は、何もしなくていいのです。まだ自分は大丈夫だろうと」

考えもしなかったことを急にしなければならないのと、これまでどおりなにもしなくてよいのとでは、人は明らかに後者のほうを好みます。そうしたなかで異常が起きて、急になにか行動をとるというのは、相当に壁の高いことといえます。

正常性の偏見を生じさせず、異常が起きたらすぐ対応する行動に移るようにするには、心の片すみにでも「いつ異常が起きてもおかしくない」という構えをもってことが大切となりそうです。

参考資料
東京都昭島市自治連合会 2012年2月11日開催「防災リーダー研修会」
https://www.akishima-jichiren.jp/material/011.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | -
太陽光の照度は仕事場の80〜325倍

写真作者:The 3B's

太陽光などの強い光に照らされると「まぶしい」と感じます。いっぽう、夜空に輝く太陽以外の恒星の光を見ても「まぶしい」とは感じません。照度にちがいがあるからです。

ある面が光に照らされたとき、単位あたりの面積が受ける光束を「照度」といいます。「光束」とは聞きなれないことばですが、これは単位あたりの時間にある面を通過する光エネルギーのこと。たとえば、これは心象的な説明ですが、ある面に光がぎゅっと束になって詰まっているようなときは「照度は高い」といえます。

照度は「ルクス」という単位であらわします。1平方メートルの面が、1ルーメンという光源の明るさで受けたときの照度のことをいいます。ルクスは照らされる側についての単位で、ルーメンは照らす側についての単位といえます。「ルクス(lux)」はもともと「光」を意味するラテン語からきた単位で、1889年につくられ、1948年の国際度量衡学会で国際単位系(SI:Système International d'unités)として定められました。

1ルクスはどのくらいでしょうか。目安として「月の明かりが1ルクス」といわれることがあります。ただし、これを大きく下まわる「満月で0.2ルクス」という説明もありますから、あくまで目安です。あるいは、「薄明・薄暮で0.1〜3ルクス」とされるので、薄明や薄暮の時間に外にいれば、いつかの時点で「1ルクス」の照度を体験していることになります。

これらの照度よりもはるかに高いのが太陽光の照度です。直接の太陽光では、3万2000〜13万ルクスといったきわめて高い照度になるといいます。明かりが使われている仕事場での照度がおよそ400ルクスとされるので、太陽光の照度は仕事場の80〜325倍もあるということになります。

参考資料
世界大百科事典第2版「ルクス」
https://kotobank.jp/word/ルクス-9894
DIYラボ「カンデラ、ルーメン、ルクスの違いをスッキリ理解」
https://www.diylabo.jp/column/column-121.html
ウィキペディア「ルクス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルクス
中村芳樹「『光の見え方』という視点」
https://www.asahi-kasei.co.jp/j-koho/press/hokokusho20100601.pdf
遊磨正秀「動植物に対する『光害』、特にホタル類への影響」
http://www.est.ryukoku.ac.jp/est/yuhma/reprint/20l706_LightPollutionReview_Zenhoken.pdf
ウェザーニュース 2019年6月17日付「満月の明るさって、どのくらい?」
https://weathernews.jp/s/topics/201809/200105/
黒田和男 光学講義ノート「光学 第10章 測光・測色」
http://qopt.iis.u-tokyo.ac.jp/optics/10radiometryK.pdf
| - | 16:05 | comments(0) | -
日の照る時間の変化を頼りに花をつける
植物にとって光はとても大切なもの。多くの植物は光を頼りにして光合成をおこない、みずからの栄養をつくります。

光の大切さはそれだけではありません。植物の種類によっては、光は花をつけることに大きく関わってきます。

たとえばイネは、日の照っている時間が短くなってくると花をつけます。イネには「この時間よりも日照が短くなったら花をつける」というしくみがからだのなかにあるのです。これは「短日性」とよばれます。地球の公転や自転により生じる日照時間の変化により引きおこされる「光周性」とよばれるからだの反応のひとつ。


イネの花
写真作者:m-louis .®

短日性の植物には、イネのほかにキクやアサガオなども知られています。愛知県で栽培されている「電照菊」は、キクに光を当てつづけることで「この時間よりも日照が短くなったら」という時期をこなくさせて開花を遅らせ、出荷の時期をずらすことをねらったものいえます。

短日性とは反対に、日の照っている時間が長くなってくると花をつける植物もあります。たとえば、ホウレンソウには、「この長さの時間よりも日照が長くなったら花をつける」というしくみがからだに備わっています。こちらの性質は「長日性」とよばれ、これも「光周性」の反応のひとつ。


ホウレンソウの花
写真作者:allispossible.org.uk

ほかに長日性をもつ植物には、アブラナやコムギなどがあります。

ただし、短日性については、実際のところは「日の照っている時間が長くなること」というより「暗い時間が短くなること」のほうが重要であるという話もあります。暗い時期さえ短くすれば、明るい時期を短くしても花がつくられたという実験結果もあるそうです。

多くの植物は、1年を周期に花をつけたり実をつけたりします。ではなにを頼りに「1年」を感じとるのがよいのでしょうか。気温を頼りにするという方法もあります。しかし、気温の変化は年により早くなったり遅くなったりして不安定なもの。これに対し、日照時間の変化は年により変わることはさほどなく安定しています。そのため、植物のなかには日照時間を頼りにしている種があるのだと考えられます。

なお、花をつけることと光の照っている時間のあいだに関係性をもたない植物もあります。トマトやキュウリなどです。これらは「中性植物」とよばれます。

参考資料
世界大百科事典 第2版「短日植物」
https://kotobank.jp/word/短日植物-95075
世界大百科事典 第2版「長日植物」
https://kotobank.jp/word/長日植物-97872
ウィキペディア「光周性」
https://ja.wikipedia.org/wiki/光周性
デジタル大辞泉「中性植物」
https://kotobank.jp/word/中性植物-1715073
| - | 15:10 | comments(0) | -
預かり票に署名する時点が「修理サービスを受ける時点」のもよう

写真作者:Stock Catalog

コンピュータなどの電子製品を新品で買うときには、たいてい「保証修理」のサービスがついています。定められた期間内であり、かつ条件を満たせば無償で修理に出すことができるというものです。

「定められた期限」とは、多くの場合「購入から何か月」や「購入から1年」といったものであるようです。製品を買って時が経てば、かならずこの「期限」はやってくるわけです。

では、いつまでがこの「定められた期限」に入るものでしょうか。

アップルの製品にも保証のサービスがあります。ほとんどのハードウェア製品では「製品購入後1年間のハードウェア製品限定保証」がついているとアップルは謳っています。

すると、たとえば、2月6日にアップルのコンピュータを買ったという人は、「購入後1年間」つまりは、1年後の2月6日までに修理サービスを受ければ、保証を受けられることになります。

ここで問題となるのは、「なにをもって修理サービスを受ける」状態になるかということです。

あるマックブックづかいの人は、購入から丸1年にあたる日に、使っていたコンピュータの不具合に気づき、その日の正午ごろアップルに電話をしました。そして不具合の内容などを伝えると、電話相手のアップル社員から「ああ、これは修理が必要ですね」と言われ、修理を受けることになりました。

修理を受ける方法にはいくつかあります。このマックブックづかいは電話相手とのやりとりの末、家の近くにある「正規サービスプロバイダ」とよばれる、アップルが認める非アップル店に修理を出すことになりました。

電話相手は受話器の向こうで「誰々さんの最よりの正規サービスプロバイダはですね……」と、おそらく地図を見て探しているようです。

そして「あっ……」と言いました。そして、「誰々さん、最よりの何々ストアですが、14時でしたら受付可能です。今日が保証期限の最後の日ですから、ぎりぎりになってしまいますが、何々ストアに急がれますか」といった旨のことをマックブックづかいに伝えてきます。

つまり、アップルに電話で製品の故障内容を伝えて修理を受けることを予約するだけでは「修理サービスを受ける」ということにはならないわけです。

この点からすると、製品を正規サービスプロバイダなどの修理受付場所まで持っていき、そこで約款がるる書かれてある「修理お預かり票」に署名し、「約款に同意し修理を依頼します」という約束をしたことをもって「修理サービスを受ける」ということになりそうです。

保証期間が迫っている場合、早めに修理に出せるのであれば、余裕を持って修理に出すにこしたことはないようです。

参考資料
アップル「AppleCare製品」
https://www.apple.com/jp/support/products/
| - | 17:38 | comments(0) | -
おたがいに相いれず、まとめると余すところなく

写真作者:PatrickSeabird

情報の伝えかたや論理的思考のしかたの技法のひとつに「MECEであること」というものがあります。

MECEとは“Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive”のかしらをとったもので、直訳すると「おたがいに相いれず、まとめると余すところなし」といった意味になります。

つまり、扱う情報について、それぞれが重複することなく、かつ、全体としてもれがないという状態になると、情報を意図したとおりに伝えられるし、情報を美しく整理することができる。だから、MECEであることをめざしましょう、ということです。

MECEであるようにするには、いくつかの方法があるとされています。

対象を「因数分解」してみるというのは、そのひとつ。その対象が、なにとなにとなにとなにとなにでできているのかを、分けてみるということです。たとえば、「現代」という時代の区分であれば、「昭和」「平成」「令和」といったように。

また「階層」を統一させるというのも、MECEの状態をつくるための大切な方法です。たとえば、「昭和」「平成」「令和」といった元号で、ものごとを示したり考えたりしているなか、「昭和(戦前)」「昭和(戦後)」のように、元号の下位にあたる階層をもちこんでしまうと、おなじ階層でものごとを扱うことを放棄してしてしまうことになります。便宜的にそうしたくはなりますが、MECEを保つには避けるべきです。

また、「切りくち」を混ざらせないというのも、大切になります。「昭和」「平成」「令和」という元号の切りくちで揃えているなかに、「55年体制以降」とか「バブル崩壊以降」といったできごとの切りくちを混ぜいれてしまうと、「平成とバブル崩壊以降と、どちらに含めればいいのだ」といった迷いが生じてしまいます。

情報を伝えるときは、「MECEであることをめざす」という考えかたのほかに、「とにかく何度も伝えるようにする」という考えかたもできます。1回よりも2回、2回よりも3回、伝えるほうが、相手に伝わりやすいからです。

しかし、「とにかく何度も伝えるようにする」という場合でも、MECEを意識して、「何度も伝える方法」を考えたうえで伝えるようにするほうが、相手に効率的に伝わることにちがいはありません。

参考資料
ferret 2019年8月22日付「MECEって?ロジカルシンキングの基本的考え方を理解して思考の抜け漏れを防ごう」
https://ferret-plus.com/4387#p24
| - | 14:39 | comments(0) | -
「ビストロべっぴん舎」の黒のべっぴんカシミールカリー――カレーまみれのアネクドート(130)
これまでの「カレーまみれのアネクドート」はこちら。



東京のカレーで「カシミール」といえば、多くの人は湯島に本店を構える「デリー」の「カシミールカレー」を思いうかべるかもしれません。しゃばしゃばとした辛いカレーで知られています。

しかし、東京のカシミールはデリーだけではありません。こう書くと、なんだか「大阪のイングランドはロンドンだけではありません」といっているみたいではありますが……。

神田小川町のカレー激戦区に構える「ビストロべっぴん舎」も「黒のべっぴんカシミールカリー」つまり「カシミール」なカレーを出しています。この店には「赤のべっぴん薬膳カリー」もあり、「赤と黒」で双璧をなしているようです。ほかにも「コリアンダー香る濃厚エビカレー」や「赤ワインで煮込んだ牛スジカシミールカリー」もあります。

「黒のべっぴんカシミールカリー」は、白い皿によそわれて出てきます。ライスの皿も白。「ビストロ」と店名についていることもふくめ、上品さを漂わせます。

カトラリーがスプーンとレードルのみだったり、水の入ったコップの取っ手がなぜか指でつまむかたちだったりと、食器類にはやや他店と勝手が異なるところがあります。いっぽう、カレーの味は他店のカレーをよく研究していることがうかがえます。

カレースープは、デリーのカシミールカレーを意識してはいるのでしょう。こちらもしゃばしゃばとしており、ライスにかけるとしみ込んでいきます。

しかし、カレースープの風味や色味は、デリーというよりも、かつて早稲田にあった「メーヤウ」のインド風チキンカレーを彷彿とさせます。食べはじめから辛く、そして食べているうちにさらに辛くなっていくようなカレーです。

具材は、れんこんやオクラといった夏野菜が入っている点が特徴的。とくにれんこんの色は白く味は控えめなため、ライス皿に移してからライスを食べるときのようにカレーをまぶして食べてもよいかもしれません。鶏肉は骨つきです。

店のある駿河台下交差点界隈には「マジカレー」「鴻オオドリー」「スパイスキッチン」そして「エチオピア」といったカレー店がひしめいています。カレー激戦区内の激戦地区でべっぴん舎は、上品さをかねそなえた孤高の存在になっているのでは。「神田のカシミール」を求めて、客がひっきりなしに店に入っていきます。

ビストロべっぴん舎の食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13198751/
| - | 13:48 | comments(0) | -
粉で粉を覆う

写真作者:Darla دارلا Hueske

世の中の製品には、「粉」を原料にしているものがさまざまあります。化学工業の製品の原料のじつに4分の3以上が粉であるともいわれています。

粉を、そのまま単品で使うことができれば、それに越したことはありません。しかし、その粉が用途としてもっとも適したものであるとしても、弱点ももっているという場合もあります。たとえば、時とともに粉のまわりの状況が変わってきて、もともと粉の担っていた役割を果たせなくなってしまう、といったことがあります。

そこで、目的の役割を担わせたまま、粉に加工をほどこしてその弱点をとり除いたり軽くしたりするといったことがなされています。

粉とは特性の異なるもので覆ってしまう「コーティング」は、その代表的な方法のひとつといえましょう。喩えとしては、球状のチョコレートを砂糖菓子で覆いこむようなものです。チョコレートの風味は保ったまま、高い温度でも溶けにくくさせています。


コーティングされたチョコレート
写真作者:Neil Conway

粉をコーティングするにはいくつかの方法があります。そのなかで、「粉が自分自身をコーティングする技術」が用いられたのが、「メカノケミカル法」です。

「メカノ」(Mechano-)は「機械的な」といった語感の接頭辞。「ケミカル」(Chemical)は「化学的な」といった意味のことばです。

粉を砕いたり、超音波を照射したり、つまり粉に機械的な力をあたえることによって、粉の性質が変わることがあります。たとえば、粉に対して摩擦を起こせば熱が生じ、その熱によって粉の性質が変わるかもしれません。

そして、粉の種類によっては表面から粉の粒子の表面だけ、性質が変わることがあるかもしれません。もし、その性質が「かたくなる」というものであれば、粉が自分自身をコーティングすることになります。つまりカプセルのようなつくりになるわけです。

機械的な力を受けることで、粉の表面の性質が変わることのかわりに、粉の内部の性質が変わることもあります。その粉は自分自身の内部に固体として安定的なつくりを生じさせるわけです。この方法でも、コーティングとおなじような効果を引きだすことができそうです。

小さな粉つぶを特性の異なるもので覆うことは、とても微細な技といえます。メカノケミカル法をはじめとする技術は、工業化学の研究成果の粋を集めたものといえます。

参考資料
木俣光正「粉砕するだけでポリマーコーティング メカノケミカル重合反応」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/66/5/66_228/_pdf
福井寛『微粒子の触媒活性・表面処理と粉体への機能性ナノコーティング』
https://www.science-t.com/st/_projects/sandt/pdf/A070sample.pdf
小石真純「メカノケミカル法を利用した粉体/粉体系複合素材の調製」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sptj1978/24/1/24_1_18/_pdf
齋藤文良「メカノケミカル法の可能性 ナノ粒子設計と資源の高付加価値化」
https://www.hosokawamicron.co.jp/jp/service/micromeritics/no_51/pdf/No51_03.pdf
| - | 09:27 | comments(0) | -
“Take-Home Massage”、「要約・まとめ」より強し

写真作者:Hans Splinter

きのう2月1日(土)付のこのブログの記事「論文ではまず『要約』あり、講演では……」は、研究の内容や成果の伝えかたとして、論文と講演では異なるところがあるという話でした。論文では冒頭に「要約」を書くのに対し、講演では「要約」を示すのはその講演の終わりのほうか、その講演のなかでつぎの主題に移るまえ、というものです。

近ごろ、この講演での研究の伝えかたで、研究者たちのあいだで好んでおこなわれるようになったことがあります。

投影する資料に、“Take-Home Massage”という見だしをつけて、講演の要旨を聴衆に伝えるというものです。

“Take Home.”は、「家にもち帰って」という意味。これが“Massage”の前について、全体では「家にもち帰ってほしい伝えごと」といった意味になります。講演が終わると燦々午後、帰途につく聴衆たちに向けて、“Take-Home Massage”を掲げて「家に帰っても、これらだけは覚えておいてね」と伝えるわけです。

講演の投映資料における“Take-Home Massage”と「要約・まとめ」はにたものではあります。しかし、「家にもち帰って」と求める点と、「メッセージ」としている点で、“Take-Home Massage”のほうが、より力強く、また主張性に富んだ見だしといえそうです。

英語圏での講演では、"Take-Home Massage”は昔から使われていたことでしょう。日本では、遅くとも2000年代から使われていたようです。

しかし、まだこの見だしに対する日本語表現がなかなか見られません。"Take-Home Massage”という英語表現は、気のきいたものではありますが、こなれた日本語表現が出てくると、より講演者たちのあいだで広まり、根づくのではないでしょうか。
| - | 23:59 | comments(0) | -
論文ではまず「要約」あり、講演では……

画像作者:Raul Miranda-CasoLuengo

科学の世界では、研究者がみずからの研究内容や成果を人びとを前にして発表する場があります。講演やセミナー発表などとよばれます。

おなじく研究者が研究について発表する媒体として論文があります。

講演での発表も論文での発表も、研究の内容や成果を伝えるということでは目的はおなじといえます。しかし、伝えかたの点で、大きく異なるところもあります。

論文では、ほぼどの研究者も論文の冒頭に「要約」を記します。研究をしてみて、どんな成果を得られたか、その結論もふくめた要点をまずはじめに書くのです。「実験の結果、これまでの何々説とは異なる現象が生じうることが示唆された」といったように。

いっぽう、講演では、この「要約」を冒頭にもってくる人はまずもっていません。「何々説はすべての条件において通用するのだろうか」といったように、この研究の端緒となった疑問を示すことはあります。あるいは、「何々説が通用しない条件について」といったように、結論をふくめないかたちで主題を示すこともあります。

しかし、講演ではほぼ決して、研究成果の結論にあたる情報を冒頭で言ってしまうことはありません。結論を伝える場面があるとすれば、それは講演の最後のほうで「要約」という見だしの資料を投影して伝えるか、つぎの主題に移るまえに「ここまでのまとめ」といったような見だしで投影するかのどちらかです。

講演ではさらに、「要約」のようなかたちで研究成果のまとめを1枚の投影資料に示さずに終わることさえあります。

研究の伝えかたには、長年にわたり続いてきた「様式」があるものです。要約をはじめに記すという論文の書きかたも、要約をはじめに示さないという講演のしかたも、どちらも前々から研究者たちがかたくなに保ちつづけてきた様式といえます。
| - | 23:59 | comments(0) | -
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