科学技術のアネクドート

「歌のなかに口笛」で印象を高める


写真作者:viviandnguyen_

現代の歌謡曲などの楽曲は「演奏と歌」を基本にしています。楽器により音楽が奏でられるなか、歌い手が歌詞のついた歌を歌うということです。

しかし、なかには歌い手が歌詞つきの歌を歌うかわりに、べつの表現方法を使って楽曲に特徴を加えることがあります。たとえば、歌の途中でハーモニカやオカリナを吹いたり、声を鼻に抜いて「フンフフフフフーン」とハミングしたりといったことです。

「口笛」も、歌詞を歌うのとはべつの方法で、曲に特徴を加えるものといえるでしょう。

口笛は、口のなかで空気の渦を生じさせ、さらにそれを響かせることで鳴らす音です。歌の上手さ・下手さと口笛の上手さ・下手さはある程度、関連しているようで、口笛が音痴だと「感覚性音痴」とよばれる脳が問題が原因の音痴である場合が多いとのこと。

口笛の名手として名高かったのが、歌手の坂本九(1941-1985)です。その実力がわかるのは、全米ビルボードでも第1位を獲得した、永六輔作詞、中村八大作曲の「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」。曲調の変わる「幸せは雲の上に」というBメロディをふくめ、坂本がひととおりの歌詞を歌い終えたあと、「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す 春の日 一人ぽっちの夜」という出だしの歌詞に相当する部分を、口笛で表現しています。さらに、この楽曲の終わりも口笛をフェイドアウトさせることで締めくくっています。高音に変わるところでも安定感があり、とても明瞭です。

この坂本の口笛に触発されたのでしょう、スウェーデン出身のディスクジョッキー、アヴィーチー(1989-2018)も「Freak」という楽曲に「上を向いて歩こう」の坂本による口笛を音源に使っています。

また、ほかの楽曲でも口笛が効果的に使われているものはあります。たとえば、ビリー・ジョエル作詞・作曲の「ザ・ストレンジャー」では、ジョエルが歌うまえと歌ったあと、歌の部分とはちが曲調の口笛が流れ、哀愁感を漂わせます。

また、スガシカオ作詞・作曲の「夜空ノムコウ」では、「あれから僕たちはなにかを信じてこれたかな」という歌詞のAメロディの部分を途中で口笛に代えることにより、切なさを醸しだしています。

歌として歌うところを口笛に代えることにより、たとえ歌とおなじ曲調であっても、聴く人々に、歌とはまたちがう印象をあたえることができる。そうした効果が歌のなかの口笛にはあります。

参考資料
ウィキペディア「上を向いて歩こう」
https://ja.wikipedia.org/wiki/上を向いて歩こう
ShareWis PRESS 2013年10月17日付「音痴かどうかは口笛でわかる?自分が音痴か知る口笛チェック法」
https://press.share-wis.com/no-ear-for-music
KoKaNet!「口笛はどうして鳴るの?」
https://www.kodomonokagaku.com/hatena/?94088f9049d9259e5a4634c9ad4af701
Youtube「Avicii - Freak (Lyric Video) ft. Bonn」
https://www.youtube.com/watch?time_continue=180&v=Jc2xfYuLWgE

| - | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0)
ヘッドホン誕生は1880年代、イヤホン誕生は1980年代

写真作者:renatomitra

日ごろ出かけているときにヘッドホンやイヤホンで音楽やラジオなどを聴いている人は、それらを家に忘れてきたと気づいたとき、絶望感にさいなまれるのではないでしょうか。

電車に乗っているときでも、歩いているときでも、まわりの人に音を聴かせることなく、自分の好きな音楽や番組を鑑賞しつづけることができる。愛用者にとっては、これほど便利な道具はないといったところでしょうか。

たまに、街なかで、スマートフォンを片耳に当てています。電話でしょうか。でも話しているようすはありません。おそらく、ヘッドホンをもち忘れてしまい、直接スピーカーから微弱音を出して、まわりにはできるだけ音漏れしないようにして聴いているのでしょう。

ヘッドホンやイヤホンで音が聴こえるしくみとはどういったものでしょう。スマートフォンやラジオなどから発される音源の電気信号が、ヘッドホンのケーブルを介して「ドライバーユニット」とよばれる耳元の音の出る素子まで伝えます。このドライバーユニットには振動板があり、ここで音源の電気信号が振動に変換されます。この振動が音となり、耳に届くのです。また、耳に蓋あるいは栓をした状態で音が出るので、高音や大音でなければ音が外に漏れでることはほぼありません。

ヘッドホンの原型にあたる装置が世に出たのは19世紀だったといいます。音楽鑑賞用でなく、電話交換手が使う片耳用のものでした。その後、1881年に開かれたパリ国際電気博覧会で、音楽鑑賞用のヘッドホンが発表されたとのこと。電話回線を通じて劇場の音声を聴きとるための道具として使われたとのこと。さらに、いまも使われているオーバーヘッド型のヘッドホンは1906年ないし1907年には、ラジオ放送聴取向けに使われだしていたといいます。

また、ドライバーユニットを耳にそのまま入れる「インナーイヤーヘッドホン」つまり「イヤホン」が発売されたのは意外にも最近で、1982年のことだそう。ソニーの「MDR-E252」がそれに当たります。

いまも、歩きながら、走りながら、仕事をしながら、多くの人がヘッドホンやイヤホンを耳にして「自分の好きな音」を自分だけで聴いていることでしょう。

参考資料
わたしのオト 2019年4月26日付「イヤホン誕生前夜 ヘッドホンの歴史」
https://www.j-cast.com/justmysound/2019/04/26355979.html
わたしのオト 2019年5月24日付「イヤホンの誕生 ポータブルオーディオという新世界」
https://www.j-cast.com/justmysound/2019/05/24358088.html
wikipedia “Nathaniel Baldwin”
https://en.wikipedia.org/wiki/Nathaniel_Baldwin
オーディオテクニカ「ヘッドホンを識る」
https://www.audio-technica.co.jp/headphone/navi/whatis/index.html
ソニー「ヘッドホンとドライバーユニットの切っても切れない関係とは。」
https://www.sony.jp/headphone/special/park/special/history2.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
PC-8000発売から40年、パーソナルコンピュータ普及率は頭うち

写真作者:htomari

きょう(2019年)9月28日(土)は、日本電気がパーソナルコンピュータのPC-8000シリーズを1979年に発売してからちょうど40年にあたります。当初のPC-8000の価格は、16万8000円だったとのこと。そして、9月28日は、「パソコン記念日」とされているそうです。

パーソナルコンピュータが発売された当初は、世間でも一部の人が興味を示す状況だったことでしょう。しかし、1980年代の「マイコンブーム」つまり、マイクロコンピュータとよばれる小型のコンピュータの流行があり、1990年代にはマイクロソフトからオペレーションシステムの「ウィンドウズ」が発売され、1990年代後半から2000年代にかけて、パーソナルコンピュータは一気に普及していきました。

この普及期を過ごしてきた人たちには、紙などアナログの手段でおこなっていた作業が、コンピュータによるデジタルの手段に切りかわった経験が多くあります。職場での意思伝達は伝票から電子メールによるものに切りかわり、また、就職活動の応募もはがきからインターネットによるものに切りかわりました。デジタルの手段に切りかわった要因に、パーソナルコンピュータの存在があるのはまちがいありません。

しかし、2000年代後半に入ると、早くもパーソナルコンピュータの普及率は頭うちとなりました。2人以上の世帯における普及率は、2007年に70パーセントを超えましたが、それからいままで80パーセントに届くことはなく、ずっと70パーセント代を推移しています。「高どまり」と見ることもできますが、世帯あたりの保有台数は2010年代に入り、ついに減りはじめています。

世のなかは、ほぼ完全にデジタルのしくみが主流となりました。パーソナルコンピュータも、もちろんデジタルのしくみのうえにあるものではあります。しかし、個人あるいは法人が利用するデジタルの道具は、もはやパーソナルコンピュータだけではなくなりました。すくなくとも大学生までの世代では、完全にデジタルの道具の主流はスマートフォンにとって代わられています。

とはいえ、文書を綴っていくという作業の効率性は、いまのところパーソナルコンピュータの上に出るものはありません。つまり、とって代わられない特性もパーソナルコンピュータはもっています。スマートフォン、そして、さらに「次」のデジタルの道具が現れていく未来において、パーソナルコンピュータは存在しつづけるでしょうか。

参考資料
はてなキーワード「パソコン記念日」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D1%A5%BD%A5%B3%A5%F3%B5%AD%C7%B0%C6%FC
HH News&Reports「デジタル・ヒストリー 1979年9月28日 PC-8000シリーズ発売」
https://www.hummingheads.co.jp/reports/d-history/141014.html
不破雷蔵 2018年5月2日付「パソコンの普及率の長期推移をさぐる」
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20180502-00084650/
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女性執筆者が多くなれば、内容も女子生徒向けに


理科や数学の教科書の最後のページを見ていると気づくことがあります。執筆者の多くが男性であるということです。理科にかぎったことではないかもしれませんが。

どの出版社の教科書も、たいてい大学の教授や高校の教諭など複数人により書かれているもの。数ある教科書のなかで「女性の執筆者のほうが男性より多い」といったものは、すくなくとも数学や理科では、これまでのところめったにないか、まったくないのではないでしょうか。

概して、女子のほうが男子よりも、数学的な知識や科学的な思考を使った問題を解くのは苦手なようです。経済協力開発機構がおこなっている生徒の学習到達度調査(PISA:Programme for International Student Assessment)における分析では、状況を数学的に定式化することを求められるような出題で、女子の成績は男子の成績より悪い傾向にあるといいます。

また、なにかの現象について科学的に解釈をして、変化を予測するために科学の知識を当てはめていくような出題でも、女性のほうが成績が悪い傾向にあるといいます。

いっぽうで「興味」という点では、女子のほうが男子よりも興味をもつ傾向にあるものごともあります。一般的にいって、女子は「自分の身近で起きている現象」に興味をもちやすく、また、「美を求めたり評したりするような事象」にも興味をもちやすいとされます。

こうした能力や興味の男女差が実際あるものとしましょう。では、教科書の執筆者に男性ばかりが名を連ねていたら、その男女差にはどのような影響が生じうるでしょうか。逆に、教科書執筆者の多くを女性で占めるようになったら、その男女差にはどのような変化が生じうるでしょうか。

男性執筆者が多い教科書の記述内容は、やはり男子生徒に興味や理解をもたれやすいのではないでしょうか。逆に、女性執筆者が多い教科書は、女子生徒に興味や理解をもたれやすくなるのではないでしょうか。どちらの場合も、教科書執筆者と教科書利用者が同性どうしだからです。

女子向けの理科教育をすれば、女子はより興味を示すようになることを示唆する研究も見られます。たとえば、教育学者の稲田結美さんという方が書いた「理科学習に対する女子の意識と態度の改善に関する実践的研究」という論文。女子中学生がとりわけ苦手とする「電流とその利用」という単元を、女子向けの教え方にして授業を試みてみた結果が述べられています。

試みでは、女子の美的観賞への意識の高さを重視して「独創的で美しい電飾を作ろう!!」という実験をとり入れてみたそうです。すると、この実験はかなり女子の好感度が高かったといいます。効果が見られなかったほかの試みもあったようですが、「女子の興味の抱きかたを考えたうえでの授業は、女子の興味をひく」ということがいえそうです。あたりまえですが。

教科書でも、おなじようなことはいえないでしょうか。女性の執筆者が増えれば、それだけ「女性の観点での理科への興味」が教科書の記述に反映されていくことになります。それは、教科書を使う女子生徒たちの興味や理解の助けになるのではないでしょうか。

参考資料
経済協力開発機構「教育における男女格差の背景」
https://www.oecd.org/pisa/pisaproducts/pisainfocus/PIF-49%20(jpn).pdf
朝日新聞 2015年3月19日付「読解力・数学で男女に差 15歳の学習到達度を分析」
https://www.asahi.com/articles/ASH350DF0H34UTIL05T.html
稲田結美「理科学習に対する女子の意識と態度の改善に関する実践的研究 中学校理科『電流』単元を事例として」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjst/54/2/54_12039/_pdf
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「火災件数 0件」は都民全員で誇れる記録


東京消防庁「災害・救急情報」より

きのう(2019年)9月25日(水)は、東京都民みなさんにとって「とても誇れる一日」となったのではないでしょうか。なったにちがいありません。

東京都のほぼ全域にあたる東京消防庁の管轄地域で、きのう25日(水)「火災件数 0件」が記録されたのです。同庁の管轄でない都内の地域は稲城市と島嶼部のみ。これらの地域でも、きのう1日に火災が起きていなければ、「東京都で消防隊が出動するような火災はまったくなく、丸一日を終えた」ということになります。

同庁の報告によると、2019年1月から6月における管轄地域での火災件数は12.4件。つまり、ならすと12.4件の火災が都内のどこかしらで毎日おきていたわけです。ところが、それが「0件」に。驚異的な記録と捉えることができます。

一般的に、統計では対象となるものの規模が小さいほど、特異な結果となる確率は高まり、逆に対象の規模が大きくなればなるほど、特異な結果となる確率は低くなるものです。

たとえば、江戸川区だけとか、狛江市だけとか、小さな規模の対象だけをとってみれば、1日の火災が0件となる場合も相当に起こりえます。

しかし、都内ほぼ全域が対象となると、かならずといってよいほど「どこかしら」で火災が起きます。その火災がどこで起きるのかは、前もってわかるべくもありません。けれども実際のところ、毎日かならず「どこかしら」で火災は起きてきました。そのくらい「東京都」という統計の対象の規模は大きいものなのです。「火災0件」という特異な結果になる確率はきわめて低いはずです。

では、この「火災件数 0件」を、統計学的に極めてめずらしいと驚いて済ませるだけでよいのでしょうか。決してそうではありますまい。「火災件数 0件」は、非常に多くの人が関わる「人為的な原因」によるものだからです。東京都民や都内勤務者たち一人ひとりの小さな心がけや注意の積みかさねによって「火災件数 0件」は達成されました。

すくなくとも東京消防庁の管轄地域内で「火災件数 0件」を達成したのは、1952年に統計をとり始めてからは初めてとのこと。都がすべての都民に「東京都栄誉賞」を贈るか、「都の記念日」として定めるか……。そのくらい誇れるできごとです。

参考資料
東京消防庁「災害・救急情報」
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/saigai/nikkan.htm
TBSニュース 2019年9月26日付「東京消防庁管内で“火災件数ゼロ”」
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3788361.htm

| - | 17:36 | comments(0) | trackbacks(0)
「暑さ寒さも彼岸まで」はまずまず当たっていそう


2019年は、9月20日(金)から26日(木)までが秋の彼岸。秋分の日だった23日(月祝)が中日です。

ことわざに「暑さ寒さも彼岸まで」というものあります。秋の場合、暑さも彼岸のころにはやわらいでしのぎやすくzなる、といった意味になります。これは、いい得ているのでしょうか。

最高気温が30度を超えれば、かなりの人は「暑い」と感じることでしょう。ほんとうは湿度も「暑い」という感覚に大きくかかわっていますが、湿度の要素をふくめると話が複雑になるため、ここでは最高気温のみで考えます。

東京での、気温30度以上となる真夏日が、秋の彼岸よりも後日に生じているかどうか。2016年から2018年までの3年分、気象庁の気象データから確かめてみます。

2016年秋の彼岸の明けは9月25日。しかし、彼岸明けの翌日26日には30.1度、さらに28日には30.6度の真夏日を記録しています。さらに、10月に入っても、4日に32.0度、6日に31.3度を記録。

2017年の秋の彼岸の明けは9月26日。この年は、彼岸明け以降に真夏日となった日は観測されていません。最後の真夏日は、彼岸の入りより2日前の9月18日で33.3度。10月に一度、29.0度の最高気温が記録されましたが、彼岸明け以降で目だつ気温はそのくらい。ことわざの面目躍如といったところです。

2018年の秋の彼岸の明けは9月26日。この年は、10月になってから、1日に32.3度、7日にも32.3度の最高気温を記録しています。それ以降は日に日に最高気温が下がっていきます。

東京のみの記録のため一概にはいえませんが、「暑さ寒さも彼岸まで」についてはつぎのようなことがいえるのではないでしょうか。

ときどき「暑さ」が戻る例外的な日はあるものの、まずまず当たっている――。

あるいは、人びとは「暑さ寒さも彼岸までだ」と願望的に自分たちに言いきかせて、暑さをしのいでいたのかもしれませんが。

あす26日(木)は秋の彼岸の明け。予報では東京で最高気温28度ですが、名古屋と大阪で31度と予想されています。その後はどうなるでしょうか。

参考資料
気象庁「過去の気象データ検索 日ごとの値」
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=44&block_no=47662&year=2016&month=09&day=23&view=p1
| - | 17:01 | comments(0) | trackbacks(0)
看護師にして、統計の先駆者にして、説明の達人
人に知らせたい情報を視覚化すると、相手に伝わりやすくなることがあります。行と列で組んだ表に数値を並べるより、x軸y軸上に点を打っていくほうが理解が進むことがあるわけです。

ものごとがどうなっているかを視覚化して示す。この人類の営みについて重要な役割を果たした人物が、英国の看護師フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)です。


フローレンス・ナイチンゲール

ナイチンゲールというと、看護師の地位向上や、赤十字運動への尽力といったことで知られています。しかしそれだけではなく、統計学の知識を駆使することと、情報を視覚化させることにも長けていました。

1853年にウクライナ南部のクリム半島で勃発したクリミア戦争では、オスマン帝国、英国、フランス、サルジニアの連合軍と、ロシアが激しく戦いました。

翌年の1954年、クリミア戦争の惨状を知ったナイチンゲールは、オスマン帝国のイスタンブールに開かれた野戦病院に38人の看護師をつれて赴きました。ここで、彼女は、看護師それぞれの役割を明確にしたり、医療的な補給のしくみを整備したりと、大活躍をしました。

結局この戦争は、1856年にパリ条約が締結されて終結。ロシアの敗北で幕を閉じました。

英国に帰国したナイチンゲールは、女王ヴィクトリア(1819-1901、在位1837-1901)に謁見します。ここで、ナイチンゲールは女王にふたつの円グラフを示します。図の見だしは「東部駐屯兵士における死亡率の要因の図」(Diagram of the Causes if Mortality in the Army in the East)というもの。


東部駐屯兵士における死亡率の要因の図

ひとつめのグラフは、1855年4月から1856年3月までの1年間を12か月に等分し、青、赤、黒で色わけしたもの。青色の示す部分は感染症による死亡率。赤色の示す部分は負傷による死亡率。黒の示す部分はほかの原因による死亡率を示しています。

ふたつめのグラフは、その1年前、1854年4月から1855年3月までの1年間を12か月に等分し、おなじく感染症の青、負傷の赤、そのほかの黒で色わけしたもの。

どちらのグラフでも、感染症の青の面積が、ほかの色の面積よりとても大きくなっています。これらのグラフによりナイチンゲールはビクトリア女王に、戦死者の多くが負傷やほかの原因でなく、感染症により死亡したかを示し、病院の衛生状態が不十分であることを訴えたのです。

ビクトリア女王は、数字を見るのが嫌いだったといいます。しかし、こうして視覚化して伝えれば、いかに病院の衛生状況が悪いかも伝わるというもの。これで女王は惨状を理解し、納得したといいます。

このグラフのもととなった統計分析を、ナイチンゲールはロンドンのバーリントンホテルで周到におこなったといいます。グラフについても、女王に伝わるものをと心がけたにちがいありません。

この円グラフはいまも「鶏頭図」あるいは「鶏のとさか」とよばれ使われています。ナイチンゲールは、看護師であり、統計学の先駆者であり、説明の達人でもあったのです。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「ナイチンゲール」
https://kotobank.jp/word/ナイチンゲール-107370
デジタル大辞泉「クリミア戦争」
https://kotobank.jp/word/クリミア戦争-486296
草の実堂「ナイチンゲールの真の功績 について調べてみた 統計学の先駆者」
https://kusanomido.com/study/history/western/21987/
総務省統計局 統計学習の指導のために(先生向け)「ナイチンゲールと統計」
https://www.stat.go.jp/teacher/c2epi3.html
Florence Nightingale “Diagram of the Causes if Mortality in the Army in the East”
https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Nightingale-mortality.jpg
| - | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0)
「こうなったら助けをよぶ」で命が助かることも


写真作者:arataman

自分の思いえがくどおりにことが進まず、急いで心が落ちつかなくなったり、気がいらだったりする心の状態を「焦り」といいます。

焦っているときは、焦っていないときとはちがって情動が抑えられておらず、かえって失敗を起こす危険性が高まるともいいます。

たとえば登山で、すでに太陽が傾きかけているのに、まだ目的地まで下山できないようなとき、人は焦ることでしょう。すると、たとえば獣道に進むのを選んでしまうなど、普段はしないような判断をしてしまうことがあります。こうなると遭難の危険性が高まります。

このように、焦りによって判断の失敗などがつづき、自分または自分たちだけではその緊急事態を回避できないようになったとします。となると、携帯電話がつながるなどして助けをよべる状況にあれば、助けをよぶことになります。

しかし、そうした状況でも、焦っている人は「ここで救助隊をよんだりしたら、おおごとになってしまう」などと感じて助けをよばずにどうにか状況を脱しようと考えてしまうかもしれません。ほんとうに命に危険が迫ったところでようやく助けをよんでも「時すでに遅し」ということもありうるものです。

「助けをよぶ」という経験がなく、ついためらってしまう心理が、人によってははたらくわけです。その心理は、状況を悪化させてしまうものであるにもかかわらず。

では、どうすればよいか。

ひとつの手として、「自分が焦って、ふだんの判断をしづらい状況になったら、自力で脱するのはあきらめて、助けをよぼう」ということを、あらかじめ心のなかで設定しておくことが大切ではないでしょうか。

明らかに、下山する道とちがう雰囲気であることを感じたら、「自分はもはやふだんの判断をできていない」と考え、なかば自動的に助けをよぶ方向性に切りかえるわけです。自分の判断能力そのものを判断するというのも、またむずかしいものではあるでしょうが。

「焦って判断ができないようになったら、助けをよぶ」ということを心に定めておくだけでも、命が脅かされるような危険は回避しうるものです。こうしたことも学校の授業などにとり入れてもよいのではないでしょうか。とり入れている学校もあるでしょうか。

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「清浄国」の対面を保つより、伝染拡大防止を



家畜の伝染病「豚コレラ」が日本国内で広まっているのに対して、江藤拓農林水産大臣は(2019年)9月20日(金)飼育されている豚へのワクチン接種を認める方針をとりました。実際にワクチン接種をするかの判断は、各都道府県の知事がするということです。

豚コレラは、豚コレラウイルスによって、ブタやイノシシに起きる熱性の伝染病です。伝染力は強く、また致死率が高いことが特徴とされます。ヒトには感染しないといいます。

昨年2018年9月、岐阜市内の養豚場で豚コレラが確認されました。豚コレラの発生は、1992年に熊本県で発生してから26年ぶりのことでした。岐阜での発生に対しては殺処分で対応したものの、ことし2019年に入り、同県や、愛知県、福井県、長野県などで、発生が確認されています。

これまで政府は、豚コレラワクチンの接種によって豚コレラ拡大を防ぐという方策には消極的でした。その背景として、「非清浄国」とよばれる格づけに入ってしまうのを避けたいという思惑があったとされます。非清浄国になると、豚の輸出が制限されるなどし、豚肉の輸出産業に不利になるというわけです。

なお、いまのところ日本の格づけは、「清浄国一時停止」の状態といいます。この状態が解かれるためには、最初の発生から2年以内、つまり2020年9月までに新たな伝染がない状況が3か月つづくことが必要。それが果たせないと、自動的に「非清浄国」になります。

また、地域をかぎってワクチン接種をすれば、その地域から豚肉を外に出さないかぎりは、国全体としては「清浄国」の立場を保つことができるとのこと。そのため、広く豚コレラが蔓延するようなことが起きないかぎり、全国一斉にワクチン接種をすることはなさそうです。

豚肉の輸出量は、2017年ではおよそ644トン。76パーセントが香港、ほかにはシンガポールや台湾などに輸出されています。「非清浄国」となって豚の輸出が制限されることについては、たしかに豚肉の輸出産業に影響はあるでしょう。

しかし、「清浄国か非清浄国か」は、本来その国の状況を鑑みた結果として判断されるべきものです。豚コレラが拡大しているにもかかわらず、拡大を抑える有効な手だてであるワクチン接種をせず、「清浄国」であるという対面を保とうとするのは本末転倒ではないでしょうか。明らかに風邪でせきをごほごほしているにもかかわらず「大丈夫です」と言って、マスクもせずに職場にいつづけるようなものです。

豚コレラワクチンは1969年に実用化され、これにより国内の豚コレラは激減したとされます。課題として、ワクチンから豚コレラの病原性が復帰してしまう危険はあるとされます。しかし、いま起きている感染拡大の状況に対し、いち早く手だてを打つことが先決です。

参考資料
日本経済新聞 2019年9月20日付「豚コレラ対策、豚にワクチン接種へ 農相が方針表明」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50030180Q9A920C1MM8000/
中日新聞 2019年9月5日付「あと1年で『非清浄国』 三重県訴え『国は積極的に情報を』」
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/tonkorera/list/CK2019090502000251.html
食品産業新聞社 2018年9月11日付「岐阜県で豚コレラ発生 9月10日朝には殺処分完了、国内発生は26年ぶり/農水省」
https://www.ssnp.co.jp/news/meat/2018/09/2018-0911-0959-14.html
農畜産業振興機構「日本からの畜産物輸出(輸出量)」
http://lin.alic.go.jp/alic/statis/dome/data2/i_pdf/8000a-8000b.pdf
農研機構 動物衛生研究部門「豚コレラ」
http://www.naro.affrc.go.jp/laboratory/niah/swine_fever/explanation/classical_swine_fever/018060.html

| - | 08:31 | comments(0) | trackbacks(0)
撮影に「魔法の時間帯」あり


職業写真家か素人かのべつを問わず、撮影者たちに平等にやってくるのが「魔法の時間帯」とよばれる時間帯です。

明け方や夕方、太陽の位置は地平線の近くにあります。このときの太陽光は、赤い世界をつくります。正午などの太陽が高い位置にいる時間帯とちがって、明け方や夕方の太陽光は、長い距離を通ることになります。すると、昼間は大気中の細かい塵をすり抜けてきた赤い光も、明け方や夕方には細かい塵にたくさんぶつかって散乱します。これにより、明け方や夕方の太陽光は赤く映えるわけです。

太陽光が赤く映えると、空や雲、また街の建てものほかの時間帯には見られないような、赤みを帯びます。

また空の色も、太陽や太陽のまわりでは赤みを帯びているいっぽう、太陽から離れたところでは夜の藍青色が広がっており、そのあいだは色が段階的に移りかわっています。

さらに、太陽の光が地上のすぐ上あたりから射しこむため、建てものの壁などに反射して、壁が光を放っているように映ります。原理としては、月が輝いているのとほぼおなじです。

こうした色の呈しかた輝きかたに、人は美しさ、あるいはめずらしさを感じるのでしょう。

「魔法の時間帯」にも、より写真が映えるための撮りかたはあります。しかし、なによりも「魔法の時間帯」に写真を撮るということ自体が、ほかの時間帯では実現できない写真をもたらします。

参考資料
富士通研究所「小話(空はなぜ青くて、夕焼けはなぜ赤いのかな)」
https://www.fujitsu.com/jp/group/labs/resources/tech/techguide/list/photonic-networks/p08.html
ログカメラ 2017年2月4日「どんなものでもキレイに写る魔法の時間!マジックアワーとブルーアワーを逃さず撮影しよう!!」
https://logcamera.com/magic/
| - | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0)
電柱がわりに「ごみ集積場所」シール貼る
神奈川県横浜市内には、道路と歩道のあいだに、灰色をしたかさの短い円柱が置かれています。街の風景にすっかり溶けこんでいますが、いったいこれはなんなのでしょうか。



西区内の県道ぞいにある写真の円柱には、「この集積場所の収集曜日」「燃やすごみ → 月・金」などと記されたシールが貼られています。ということは、ごみの集積場所の目印なのでしょうか。

よく、都市ごみを発酵させて堆肥をつくるためのコンポストとよばれる容器がこのようなかたちをしています。しかし、コンポストのふたは見あたりません。そもそも横浜の市街地の道路ぞいにコンポストがあるのも不釣りあいです。

ほかの場所では、こうしたごみ集積についてのシールが貼られていない、おなじかたちの円柱もあります。

横浜市内の道路調査などに携わっている市の当局の話によると、この円柱はごみ関連の設備や目印ではなく、電線の途中にある変圧器なのだそう。

変圧器とは、電圧を高圧から低圧に下げるための装置。街なかでよく見かけるのは、電柱の上に置かれてある円柱形をしたものです。


架空配電線の変圧器

いっぽう、電線が地上でなく地下に張られている地域では、電柱がないため変圧器は地面上に置かれます。地下でなく地面上に置かれるのは、そのほうが修理などの作業をしやしからでしょう。


立方体のかたちをした地中配電線の変圧器

都市部の電線が地下にある地域でよく見かける変圧器は、写真のような立方体のかたちをしたもの。円柱の変圧器はめずらしいのではないでしょうか。

冒頭の、ごみの集積場所であることがわかるシールは、このあたりにそうしたシールを貼るべき電柱がないために、円柱形の変圧器に貼られているのだと考えられます。

参考資料
東京電力ホールディングス「配電」
http://www.tepco.co.jp/electricity/mechanism_and_facilities/supply/distribution.html
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植物園、研究のため、教育のため、種の保存のため

写真作者:t.ohashi

「植物園」というと、生きものたちが動く動物園にくらべて、やや地味な印象があるかもしれません。しかし、植物園はみどりの宝庫。じっとしているようで、じつはさかんに戦略を立てて生きている植物たちの営みを感じることができます。

あまり知られていませんが、動物園や水族館などとともに「自然系博物館」という博物館に分類されています。文部科学省の「公立博物館の設置及び運営に関する基準」では、「生きた植物を扱う博物館で、その栽培する植物が千五百種以上のものをいう」と定められています。

植物園はなんのためにあるのか。植物園を運営する目的はさまざまあるようです。

ひとつは研究に役だてるため。植物を研究対象とし、形態、生理、遺伝のしくみなどを研究する「植物学」という学問分野があります。植物学では、当然ながら実際の植物を扱うことが多くなりますから、研究者のすぐそばでさまざまな植物が栽培されていることは、植物学の研究を進めるのに適しています。

教育の目的もあります。広くは、一般の人びとに園の植物を見てもらい、植物やみどりに対する知識を得てもらうといったことがそれに当たります。また、大学附属の植物園などでは、学生たちが植物のことを学ぶために植物園を訪れることもあるでしょう。とくに、大学附属植物園として多いのは「薬用植物園」とよばれる、薬草が多く栽培されている園。薬学部が運営していることが多いようです。

また、種の保存という役割を担っている植物園もあります。絶滅に瀕している植物は、遺伝資源の多様性を保つといった目的から保存対象となります。世界には、種の保存だけを目的とした「種子貯蔵庫」もありますが、植物園がこの役割を担うこともあります。

さまざまなみどりに囲まれてただ過ごすだけでも癒されます。そうした癒しやレクリエーションの目的で植物園を訪れる人も意外と多いかもしれません。

日本植物園協会には、2014年1月現在、学校に属する植物園6園、国公立園、またはこれに準ずる施設55園、会社や個人が経営する植物園11園、薬用植物を扱う専門植物園38園が所属しています。地元の植物園を訪れてみてはいかがでしょうか。

参考資料
文部科学省「公立博物館の設置及び運営に関する基準」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19731130001/k19731130001.html
日本大百科全書「植物園」
https://kotobank.jp/word/植物園-80225
世界大百科事典第2版「植物園」
https://kotobank.jp/word/植物園-80225
日本植物園協会「分野」
http://www.syokubutsuen-kyokai.jp/outline/section.html
ウィキペディア「日本の植物園一覧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の植物園一覧
| - | 09:19 | comments(0) | trackbacks(0)
凹凸が大きいと起伏は小さく、逆もまた真なり――法則古今東西(31)
これまでの「法則古今東西」の記事はこちら。


八ヶ岳

「自然な地形」とはどういったものでしょうか。

地形とは、人の手による造成を除けば、さまざまな自然の現象がつくりだすものです。たとえば、川の流れにより地面が削られていけば段丘や崖ができるし、地層が波状に押しまげられていけば山脈ができます。

そして、これらの自然現象は法則性もともないます。たとえば、川の水は、重力によって上から下へと流れるという法則。また、地層は、時間の経過によって下から上へと積みかさなっていくという法則、などなどです。

こうした自然現象の法則性にのっとってつくられていった地形には「自然らしさ」があるはず。その地形は自然のはたらきによりつくられたのですから。

日本列島にいくつもある山地からも、「自然な地形」の姿を求められるでしょうか。この問いに対して、山地の形をみっつの特徴で捉え、それらのあいだの関係性を求めて答を導いた地理学者がいます。

大阪教育大学教授の山田周二(1668-)は、山地の形の特徴として「起伏」「垂直方向の凹凸」「水平方向の凹凸」という三つをとりあげ、それらを「地形量」とよばれる値で表し、それぞれの関係性を求めていきました。

ここでの「起伏」とは、かんたんにいえば、おなじ面積あたりの「高さ」のこと。尖っている山は起伏が大きく、平らな山は起伏が小さいことになります。

また「垂直方向の凹凸」とは、対象とする山地に存在する「縦方向のでこぼこ」のことといえます。たとえば、本州にある八ヶ岳には多くの峰があるため、垂直方向の凹凸は大きいといえます。いっぽう、富士山には大きな峰がひとつしかないため、垂直方向の凹凸は小さいといえます。

そして「水平方向の凹凸」とは、対象とする山地における「等高線のうねうね」のことといえます。等高線が、あるところでは窪み、またあるところでは出っぱり、全体的にうねうねしていれば、水平方向の凹凸は大きいといえます。逆に、等高線が窪んだり出っぱったりしていなければ、水平方向の凹凸は小さいといえます。

山田は、日本列島から、厳密な基準に当てはまる85の山地をとりあげ、それぞれを「起伏」「垂直方向の凹凸」「水平方向の凹凸」の地形量で評価し、それらから関係性を導きだしました。

その結果、「垂直方向の凹凸」と「水平方向の凹凸」が大きいほど、その山地の「起伏」は小さくなる、という法則性があることがわかったといいます。これは逆にも当てはまり、「垂直方向の凹凸」と「水平方向の凹凸」が小さいほど、その山地の「起伏」は大きくなる、ともいえます。

この法則性をごくごく単純化すれば、「自然は山地をつくるとき、尖ることを選ぶか、でこぼこうねうねすることを選ぶかであって、すべてを欲ばろうとはしない」といったことになるでしょう。もちろん、日本列島だけを見ても、例外的な山地はあるでしょうが。

こうした地形量から求められた山地の形の法則性は、人が人工的に地形を改めて、宅地やゴルフ場などをつくろうとするとき、より自然に近い地形を保つための参考にもなっているようです。

参考資料
山田周二「山地次数区分に基づく日本の山地区分と地形計測」
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~syamada/map_syamada/Research/Yamada2001JG110m.pdf
山田周二「人工的に改変された山地・丘陵地の地形自然度評価」
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~syamada/map_syamada/Research/Yamada2001GRJ74.pdf
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「みちがえる」のは家でなく人

写真作者:scarletgreen

見てほかのもののようだと感じることを、「みちがえる」といいます。「みちがえるくらい立派になったね」といったように、たいていは褒めことばとして使うようです。

さて、「みちがえる」の過去形は、どう書くでしょうか。過去形だと、語尾に「た」がつくわけですがて……。

たとえば、古くなった家を改築したところ、とてもきれいになったとします。

「ぼろぼろだった家がみちがえた」
「ぼろぼろだった家がみちがえった」

しっくりくるのはどちらでしょうか。それとも、どれもしっくりこないでしょうか。

「みちがえる」が、「見(み)る」と「違(ちが)える」が連接したものであることは確実です。そのため、語尾という点では「ちがえる」の過去形を求めれば、“正解”にたどりつくはず……。

「ちがえる」は、「こたえる」などとおなじ、ア行下一段活用の動詞ですので、「る」を「た」にすれば、過去形になります。

すると、「ぼろぼろだった家がみちがえた」が正解でしょうか。

しかし、「みる」も「ちがえる」も、動作の主体は「人」、具体的には多くの場合「自分」であるはずです。「家がみちがえた」だと、家がなにかを見てほかのもののようだと感じることになってしまいます。

そこで、「家が」のように、自分でないものを主語にして「が」をつけ、さらに「みちがえる」的なことを言おうとするとき、「みちがえる」を「帰る」とおなじように、ラ行五段活用に置きかえることを、人はするのかもしれません。ラ行五段活用の過去形(連用形)では、「帰った」のように「る」のところに「った」がつきます。

「みちがえる」をラ行五段活用の動詞とみなせば、「みちがえった」となる。そのため、「家がみちがえった」がなんとなくふさわしそうに聞こえるのではないでしょうか。

そもそも「みちがえる」が、自分の動作からくる動詞である以上、みちがえた対象のものが主語にくるのは苦しさがあります。どうしても「家が」のように、対象のものを主語にもってきたいときは「家がみちがえるようにきれいになった」のように、「家が」に対応する述語でしめくくる必要があります。

参考資料
デジタル大辞泉「みちがえる【見違える】」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/212220/meaning/m0u/
ウィキペディア「五段活用」
https://ja.wikipedia.org/wiki/五段活用
| - | 15:16 | comments(0) | trackbacks(0)
表面をきれいに保って生きのびる


ハスが生息している池では、水面が隠れるほどに葉が広がっています。写真は東京・上野公園の不忍池のハス。

ハスの特徴のひとつに、「葉が水をはじく」といったものがあります。葉の表面についた水は、表面張力のはたらきで、できるだけ収縮して小さな表面積になろうとします。その結果、葉のくぼんだ部分をのぞけば、葉のうえに止まることなく落ちていってしまいます。どのように表面張力が生じるかというと、葉の表面に無数の小さな突起があり、この構造によるものといいます。

なぜ、ハスは、水をはじくような葉をからだに備えることになったのでしょうか。これについてはいくつかのことがいわれています。



植物にとって葉は「光合成」をおこなうための器官です。無数の細胞のなかにある、無数の葉緑体が光エネルギーを受け、また、二酸化炭素も使って、植物に必要な炭水化物と酸素がつくられます。

もし、ハスの葉の表面に泥やほかの植物の葉っぱなどがついていたら、そこの部分は光をさえぎられるため光合成が進みません。

そこで、そうした葉っぱについてものを、雨のしずくなどとともに流しおとして、いつでも光合成できるようにしているのだとする考えがあります。

また、葉の表面が汚れていないことは、ハスが呼吸をするための酸素を得るうえでも有利にはたらきます。このため、水とともに汚れを落としているのだという話もあります。

おなじ植物でも、バラ科のバラなどは、小さな水滴をのつけたままにして逃さない花びらをもっています。こちらは、できるだけ水分を保ってみずみずしさを保つためとされます。

植物による生存戦略はさまざまです。戦略といっても、植物たちは意図的にこうした機能を求めたのではなく、こうした機能がある個体が生存し、子孫を残したということではありますが。

参考資料
結晶美術館「ハスやサトイモの葉が水をはじくわけ」
https://sites.google.com/site/fluordoublet/nature/lotus
Yahoo! 知恵袋「蓮の葉はなぜ水をはじくようになっているのでしょうか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q128885012
ウィキペディア「ロータス効果」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロータス効果
石井大佑「自己組織化による生物模倣超撥水表面の作製技術」
http://jcot.or.jp/download/50-03-3.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
東京の“剥きだしホーム”に屋根がつくことに


東京・四谷にある東京メトロ四ツ谷駅のホームに、全面的に屋根がつけられようとしています。駅の案内によると2020年12月には工事完了の予定。そのころには屋根がついていることでしょう。

東京メトロはおもに東京を走る地下鉄。地下鉄の駅というと、たいてい地下にあるものの、四ツ谷駅は地上にあります。江戸時代、台地だったこの地に幕府がお濠を掘ったため、人工の深い谷ができました。ここに、1959(昭和34)年、地下鉄丸ノ内線の霞ケ関駅と新宿駅間が開業しました。当時、まだ東京の地下鉄は浅い地下に建設できたため、お濠よりも高いところに駅ができました。

乗っている地下鉄がほんのわずかな時間だけ地上に出たとき、なぜかほっとする人もいるのではないでしょうか。また、地上駅で待っているときも、「どうせだったら、陽の当たるところで、やってくる地下鉄を待っていよう」と、屋根のない剥きだしのホームまで行く人もいるのではないでしょうか。

今日日、東京の駅のなかで、屋根のないホーム部分があるのは、とてもめずらしいもの。おなじく丸ノ内線で地上である茗荷谷駅にはホーム前面に屋根がついています。

どうして四ツ谷駅には屋根がなかったのか。これを東京メトロに問いあわせた一般の方が、インターネットの質問サイトでその答えを伝えています。「東京メトロに問い合わせたら『景観と警備上の関係』で屋根の設置ができない模様です」とのこと。

「景観」というのは、この駅のホームから「旧御所トンネル」という歴史ある隧道を眺めることができることをさしているのかもしれません。この隧道は、JR中央線各駅停車の三鷹方面行きが通るもの。東京23区でただひとつ残る、明治時代につくられた鉄道隧道といいます。

東京メトロ四ツ谷駅の荻窪方面ホームの南端からは、この隧道を見ることができます。しかし、屋根がつけられると見えなくなってしまうことでしょう。

もうひとつの「警備」というのは、どういったことでしょうか。屋根がつくことで、駅のまわりからのホームにかけての見とおしが悪くなり、それが警備に支障をきたすということでしょうか。四ツ谷駅のすぐ南西には国賓などの宿泊に当てられている迎賓館があります。その関係なのでしょうか。

しかし、この「景観と警備上の関係」を超えて、駅に屋根がつくられることになります。

駅に屋根があるおもな目的は雨を避けるため。屋根のないホームで電車を待つ人は濡れないために傘をさすことになります。しかし、それも面倒でしょうから、多くの人は屋根のあるホームの下にいることに。朝の通勤時間帯などには混雑します。

こうしたことを考えて、東京メトロは工事に踏みきったのかもしれません。

屋根のない東京の地上駅を味わえるのは、あと1年ばかり。東京の“ちょっとした味わいどころ”がまたひとつなくなります。


東京メトロ四ツ谷駅ホーム上の案内版に描かれる工事完了後の駅イメージ

参考資料
東京メトロ、四ツ谷駅の工事案内
http://img-cdn.jg.jugem.jp/b82/15839/20190915_3104203.jpg
東洋経済オンライン 2017年7月14日付「丸ノ内線の地上走行は徳川家康のせいだった」
https://toyokeizai.net/articles/-/180047?page=3
メトロアーカイブアルバム「丸ノ内線の歴史」
https://metroarchive.jp/content/marunouchi.html/
ウィキペディア「四ツ谷駅」
https://ja.wikipedia.org/wiki/四ツ谷駅
奥ゆかし廃探索記 2017年8月31日付「中央本線 旧御所トンネル」
http://obsolete-transport.lalulintas.net/Gosyo_old.html
アクエリアンの知・遊・楽の世界へようこそ 2002年10月21日付「御所トンネル」
http://aquarian.cool.coocan.jp/tokyo/Tunnel/Tky021021.htm
okwave 2007年7月14日付「丸の内線 四ッ谷駅には、なぜ屋根が無い?」
https://okwave.jp/qa/q3168219.html
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ロシア人のウォッカ飲み「寒くても凍らないから」との話も

写真作者:satemkemet

ロシアのウラジミル・プーチン大統領は、ロシア人が抱かれやすい像とちがい、酒をほぼ飲まないといいます。酒が嫌いなようで、「酒と煙草は国難」とも発言したとか。大統領が酒を飲まないことを反映してか、ロシア人のウォッカ類の消費量は、1999年に15.2リットルだったところが、2015年には6.6リットルに減ったとされます。

それでも、日本人よりはるかにロシア人はウォッカを飲みます。ウォッカ発祥の地はロシアであるという説は有力。すくなくとも12世紀ごろから、農民のあいだで飲まれていたということです。事実上の「国酒」といってもよいのではないでしょうか。

大麦、ライ麦、小麦などに麦芽を加え、発酵させてから蒸留し、木炭で脱臭・濾過してつくります。一般的なウォッカのアルコール度数は40度くらい。なかには、アルコール度数96度の「スピリタス」という銘柄もあり、これが世界の種類のなかで最高のアルコール度数であるといいます。ただし、スピリタスはポーランドを原産地とするウォッカですが。

どうして、ロシア人にアルコール度数の高いウォッカという酒が根づいたのか。どの地酒にもいえるのは、その土地の料理との相性がよいということです。ピクルス、酢漬けのマッシュルーム、塩漬けのニシンなどを、ウォッカで胃に流しこめば、五臓六腑にしみわたることでしょう。

もうひとつ、寒くても凍らないためにウォッカが根づいたという話もあります。

ウォッカの主成分は水、それにアルコールの一種エタノール。水は摂氏0度で凍りますが、純度100パーセントのエタノールは氷点下114.5度まで凍りません。水と混じると凝固点は高まっていくものの、濃度80パーセントで凝固点は氷点下67度。40パーセントまで薄まっても凝固点は氷点下30.7度といいます。

厳寒の地域では、アルコール度数5度のビールや、14度のワインなどの酒は、放っておくと凍ってしまいます。いっぽう度数の高いウォッカは、屋外で冷やしても凍りません。むしろとろりとしてきて舌ざわりがよくなります。ロシア人はこれをストレートでくいっと飲むのが好きだとか。これも抱かれやすいロシア人像かもしれませんが。

一般的なウォッカのアルコール度数が40度であるのにも経緯があるよう。周期表を開発したことでも有名なロシアの化学者ドミトリ・メンデレーエフ(1834-1907)が、ロシア政府からウォッカの組成について解明するように依頼され、試行錯誤を重ねた結果、40度となる重量比のときがもっとも美味しくなると発見したのだとか。地酒にはいろいろな逸話があるものです。

参考資料
プロフェッショナル・バーテンダーズ機構「ウォッカの歴史(1)」
http://www.pbo.gr.jp/column/ウォッカの歴史(1)/
RUSSIA BEYOND「ウォッカの肴12種」
https://jp.rbth.com/articles/2012/09/22/39115
田苑スタイル「極寒のロシアで生まれた『ウォッカ』は -30℃でも凍らないってホント!?」
http://denen-style.com/liqueur-vodka/
アルコール協会「エタノール水溶液の凝固点」
http://www.alcohol.jp/expert/expert_table/07%20gyoukoten.pdf
米原万里『旅行者の朝食』
https://www.amazon.co.jp/dp/4167671026/
| - | 06:55 | comments(0) | trackbacks(0)
食品業界の展示会、業界紙・専門紙も目白押し


きのう(2019年)9月12日(木)付のこのブログの記事「食品業界の展示会、HACCP関連の製品・技術が目白押し」は、東京・青海で開かれている「フードシステムソリューション」などの展示会についての記事でした。

業界向けの展示会は、「業界紙」や「専門紙」との出あいの場でもあります。会場のどこかしらに、その展示会の分野にかかわる新聞の最新号などが置かれていて、来場者は自由にもっていけるようになっています。

「フードシステムソリューション」などの展示会場にもやはり置かれていました。"業界的なもの”が好きな人にとっては、どんな記事が載っているのか興味わくものでしょう。

「冷食タイムス」は、水産タイムズ社が毎週火曜に発行している新聞。同社は東京・芝に会社があり、「水産タイムス」も発行しています。

9月10日付の「冷食タイムス」第一記事は「三菱食品 糖質オフの冷食3品発売」という見だしのもの。同社の「食べるをかえるからだシフト」の糖質コントロールシリーズの新商品として「肉焼売」「えびグラタン」「いちごプチケーキ」の3品が発売されたことを伝えています。ほかにも、日本冷凍食品協会が創立50周年を迎えたことを記念する特集があるなど、業界情報満載です。

「空調タイムス」は、空調タイムス社が毎週水曜に発行している新聞。同社の本社は、東京・浜松町にあります。

9月4日付の第一記事は、「技能五輪世界大会 in ロシア 冷凍空調技術競技には世界から28選手が参加」という見だしのもの。この大会は1950年にスペインで始まったものだそう。42の「職種競技」のうちのひとつ「冷凍空調」では、日本代表の北澤未鈴さんが21位に入ったと伝えています。金メダルはロシアと韓国の代表が獲りました。この大会は原則22歳以下の人が参加するもの。若い人たちの空調分野での活躍ぶりを積極的に伝える同紙の姿勢がうかがえます。

「熱産業経済新聞」は、熱産業新聞社が毎月5の日に3回発行する新聞。同社は東京・東新橋にあります。ホームページはないようです。

9月5日付の第一記事は、「令和2年度資源・エネルギー関係予算概算要求 エネ転換・脱炭素化に5千億円」という見だしのもの。経済産業省が同省の概算要求をとりまとめ、エネルギー対策特別会計として、福島復興の加速化などのほか、エネルギー転換・脱炭素化の推進が内訳に入っていることを伝えています。また、2面は「総合ニュース」面、3面は「空調・給湯」面に分けるなどしており、読みやすい構成になっています。

「教育家庭新聞」は、教育家庭新聞社が第3月曜の発行している新聞。同社は東京・東浅草にあります。港湾施設が多い港区などとは一線を画しています。

8月19日付の第一記事は「ブロック塀の安全6343校が確認済」という見だしの食の分野以外のもの。しかし、食にかかわる記事として1面に「学校給食費 徴収・管理を自治体一元化に」「岐阜で全国栄養教諭・学校栄養職員研究大会」「給食の地場産物26% 目標達成もう少し」という3記事が載っており、「救育における食」を伝える姿勢がうかがえます。

「商業施設新聞」は、産業タイムス社が毎週火曜に発行する新聞。同社は東京・岩本町にあり、ほかに「電子デバイス産業新聞」も発行しています。

9月10日付の第一記事は「拡大するコインランドリー 4万店へチェーン積極出店」という見だしのもの。食に関係するところでは、1面のもうひとつの記事「森ビル『緑』の街が23年3月竣工」という見だしのもと、「世界有数の食体験」の提供をめざすフードマーケットが商業機能として注目されると伝えています。また、7面の一部と8面は「外食産業動向」面となっており、ここに食関連施設の新規開業のニュースなどが集約されています。

日本の各県で地元の情報を詳しく扱う地方紙が読まれているのとおなじように、各業界にはその業界の情報を詳しく扱う業界紙や専門紙があるものです。その業界の人たちに、業界の最新動向を伝えつづけています。
| - | 16:47 | comments(0) | trackbacks(0)
食品業界の展示会、HACCP関連の製品・技術が目白押し


(2019年)9月11日(水)から、あす13日(金)まで、東京・青海の東京ビッグサイト青海展示棟で、「フードシステムソリューション」などの食関連の展示会が開かれています。

この展覧会は、上記展のほか、「フードセーフティジャパン」「フードファクトリー」「フードディストリビューション」「フードeコマース」「SOZAI JAPAN」といった展示会がほぼ一体となって開催しているもの。食にかかわる業界向けの製品・サービス展示会といったところです。食の産業をめぐっては、つくる、つくる場所をつくる、運ぶ、売る・支払うなど、さまざまな行為がかかわるため、出展者も調理機器製造業から害虫駆除業者まで幅ひろいものがあります。

展示棟のあちこちで、目にするのが「HACCP」の文字。これは、“Hazard Analysis and Critical Control Point”の略で「ハサップ」と読みます。食品をつくる過程で生じうる衛生面や品質面での危険性を分析し、安全性を保つために監視すべき点を定め、厳しく管理や記録をするしくみのこと。1960年代、米国で、宇宙食の安全性を管理するために航空宇宙局が開発したしくみとされます。食の安全性を厳しく保つための方法ということで、宇宙食以外の食の現場にも、HACCPの考えかたは広まったようです。

2018年6月13日に、食品衛生法などの法律が改正され、原則としてすべての食品などの事業者が、HACCPに沿った衛生管理にとりくむことが定められました。義務化が進む先進国などと足なみを揃えたかたち。そうしたことからも、HACCPにかかわる製品や技術への注目が高まっているようです。

会場では、HACCP対応の作業服、野菜洗浄機、異物混入や防虫のための装置、微生物の検査装置などを紹介する展示ブースが多くあります。

ふだん、人びとがなんとなしに買って食べている食品の裏側は、つくる側の厳しい安全管理と、それを支える技術があります。その裏側をたっぷりと知ることのできる展示会です。

これらの展示会は、あす13日(金)17時まで、東京ビッグサイト青海展示棟にて開かれています。

「フードソリューションジャパン2019」の公式サイトはこちら。
http://www.f-sys.info/f-sys/
「フードセーフティジャパン2019」の公式サイトはこちら。
http://www.f-sys.info/fsj/
「フードファクトリー2019」の公式サイトはこちら。
http://www.f-sys.info/f-fac/
「フードディストリビューション2019」の公式サイトはこちら。
http://www.f-sys.info/fd/
「フードeコマース2019」の公式サイトはこちら。
http://www.f-sys.info/fe/
「SOZAI JAPAN 2019」の公式サイトはこちら。
http://www.f-sys.info/souzai/

参考資料
厚生労働省「HACCP(ハサップ)」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/haccp/index.html
朝日新聞掲載キーワード「HACCP」
https://kotobank.jp/word/HACCP-179381
東京都食品衛生協会「HACCP 危害分析重要管理点」
http://www.toshoku.or.jp/haccp/index.html
フードシステムソリューション、フードセーフティジャパン、フードファクトリー、フードディストリビューション、フードeコマース、SOZAI JAPAN  2019年9月11日発表「プレスリリース」
| - | 17:53 | comments(0) | trackbacks(0)
自治体はよぶようにと言われ、一般の人びとはよばない


写真作者:t-mizo

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、主催者側の打ちだすさまざまな案が、人びとに味わわれています。マラソンのテスト大会に位置づけられた(2019年)9月15日(日)開催予定の「グランドチャンピオンシップ」では、ゴール後の地点に氷風呂を用意するとのことですが「バラエティー番組か」といった声も。観客向けには「かぶる傘」がお披露目されたものの、東京都知事はめったにかぶっていません。

大会のよび方についても、一般の人びとにまったく定着していません。

組織委員会は「東京2020大会」というよび方をつくり、これを「トウキョウニーゼロニーゼロタイカイ」とよばせようとしています。「2020」をつけるのは1964年に開かれた東京オリンピック・パラリンピックとの混同を避けるためと考えられます。

組織委員会側から指示を受けた自治体などは「2020」を「ニーゼロニーゼロ」と読むということを、ホームページなどで明記しています。市民や区民に口頭でよびかけるときも「ニーゼロニーゼロ」とよぶようにしていることでしょう。また、スポンサー企業が放送広告などを出すときも、「トウキョウニーゼロニーゼロタイカイ」と読んでいます。

では、一般の人びとが日常的な会話で、「トウキョウニーゼロニーゼロタイカイ」と発言するかというと、まずもってしないのではないでしょうか。

たとえば、学校で先生が児童に向かって「来年のトウキョウニーゼロニーゼロタイカイに向けて、学校の運動会もこれまでとちょっとちがった種目をやりましょう」と言うわけでしょうか。律儀な先生は、そう言うのかもしれませんが。

これまで、人びとは「2020」を「ニーゼロニーゼロ」とよぶのは、番号をよぶときにかぎられてきました。電話番号であれば「ゼロサン、ゴーゴハチキュー、ニーゼロニーゼロ」などと読みあげていたでしょう。

しかし、ある特定の年のことを「ニーゼロニーゼロ」とか「イチキューハチロク」とか、数字を並べて発音することは、小説のタイトルなどごく一部をのぞけば、ほぼありませんでした。すくなくとも日常生活のなかでは、耳にするのも口にするのも違和感を覚える人が多いことでしょう。

組織委員会が「トウキョウニーゼロニーゼロタイカイ」とよぶと定めたところで、それに従わなければならない立場の人はそうよぶだけの話で、日常的にそういう使いかたをしない人たちはそうよばないのは当然です。組織と一般の人びとの隔たりがここにあります。そもそも、一般の人びとに「ニーゼロニーゼロ」とよんでほしいのかもよくわかりませんが。

おなじ国際的なスポーツ大会でも、各種競技の「世界選手権大会」を「世界陸上」や「世界水泳」とよび方でよぶのが一般の人びとにも浸透しているのとは、大きなちがいです。

なお、2020年の東京オリンピックの正式名称は「第32回オリンピック競技大会」、おなじくパラリンピックの正式名称は「東京2020パラリンピック競技大会」だそうです。このときの「2020」はなんと発音するのでしょうか。

参考資料
産経新聞 2019年9月11日付「東京五輪、暑さ対策で課題続々 氷風呂用意『奇策』も」
https://www.sankei.com/tokyo2020/news/190911/tko1909110006-n1.html
東京都北区「第3回 北区リレーションシップ協議会会議録」
https://www.city.kita.tokyo.jp/ori_para/documents/291205relationshipkaigiroku.pdf
八王子市「八王子市東京ニーゼロニーゼロオリンピックパラリンピック競技大会に向けた取り組み方針(八王子レガシープラン) 音声読み上げ版」
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/shisei/001/001/003/p018400.html
東京都オリンピック・パラリンピック準備局「2020年東京大会の正式名称」
https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/taikaijyunbi/torikumi/facility/kankyou/ikenkenkaisho/pdf/musashi1-4.pdf

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「準備中」、英語になると「準備できていない」

交通系電子マネーが広まり、存在感が低くなった駅のきっぷ売り場。たまに覗いてみると、「準備中」という画面になっていることがあります。裏側では、駅員がきっぷを補ったり、お金を集めていたり、いろいろな準備をしているようです。

ところで、日本語で「準備中」と記されている上には、英語で“Not Ready”と記されています。「準備中」つまり「準備している」とは、“Not Ready”つまり「準備できていない」ことだというわけです。禅問答のようですが。



日本語での「準備」と、英語での“Ready”は、似て非なるものなのでしょう。

「準備」のほうは、あることをうまくおこなうために支度をすること。この場合、きっぷを売ることをきちんとおこなうために、きっぷを補ったりすることを指します。

では、“Ready”のほうはというと、あることをうまくおこなうのにふさわしい状況にあることを意味します。つまり「準備が整った」状況を“Ready”というわけで、支度をしている最中はまだ準備が整っていないため、“Not Ready”だというわけです。

日本語の「準備」に、より近い英語はあるでしょうか。英語辞典などでは、“Prepare”という単語が見られます。“Prepare”には、「なにかを使うための“Ready”状態にする」といった意味あいがあります。つまり“Prepare”できたら“Ready”になるわけです。

英語で意味あいのちがう“Prepare”と“Ready”のふたつの語を、日本語では「準備」のひとことで表していることになります。その意味あいのちがいを日本語で明確にすれば「準備しています」と「準備できています」になるでしょう。

この事例では、英語よりも日本語のほうがあいまい度が高い。これは、英語がきちんとことばで説明したり確認したりする「低文脈文化」の言語であるのに対し、日本語はあいまいなことばながら通じあおうとする「高文脈文化」の言語であるというちがいを象徴しています。

参考資料
Yahoo!知恵袋「自動券売機について」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012032595
デジタル大辞泉「準備」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/106965/meaning/m0u/準備/
ロングマン現代英英辞典 “ready”
https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/ready
ロングマン現代英英辞典“prepare”
https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/prepare

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「同時に撮影があるかどうか」で記者の取材のしかたは変わる

写真作者:adfc.sachsen

雑誌やウェブなどの記事をつくるとき、記者はたいてい取材をします。その記事の主題について詳しい専門家や、当事者などに話を聞き、記事の材料を得るわけです。

取材をする記者にとって“大きな分かれ目”になるのが、「同時に撮影がおこなわれる取材かどうか」です。

「同時に撮影がおこなわれる取材」というのは、記者のほかに写真または映像を撮る撮影者がいて、取材対象者が話しているようす撮影しながら取材することをさします。

最近は、記者が撮影者を兼ねることもありますが、その場合は、話をひととおり聞いてから、そのあとに撮影するといった手順が多いようです。この場合は、話を聞く作業と撮影する作業がべつべつになるので「同時に撮影がおこなわれる取材」ではありません。

なぜ、「同時に撮影がおこなわれる取材かどうか」が、記者にとって大きな分かれ目となるのか。それにより、記者の取材時の行動のとりかたが変わってくるからです。

同時に撮影がおこなわれる場合、取材を受けている人は被写体にもなります。できるだけ取材対象者には、カメラのレンズとおなじぐらいの高さに視線をもっていってもらうことが大切になります。

しかし、ここで記者が相手の話を聞きながらメモをとっていると、取材対象者の視線はその記者のメモに向かいがちになります。つまり、伏し目がちになってしまいます。これだと、記事に載せるにふさわしい写真になりません。

そのため、記者はメモは極力とらず、取材対象者と向きあって視線を合わすように努めることが大切になります。

また、映像での撮影がおこなわれる場合、取材を受けている人の声が明瞭に録音されることもとても大切になります。そのとき、記者が、取材対象者の言うことに調子を合わせて「えぇ」「はい」「おっしゃるとおり」などといちいち相槌を打っていたら、その記者の声も映像に入ってしまいます。これは、映像を見ている人にとってじゃまなもの。

そのため、記者は相槌を極力とらず、取材対象者の話にただうなずくように努めることが大切になります。

ふだん取材でメモをとったり、相槌をうったりして、取材対象者の話を聞く記者にとって、これらの行為を意識的に抑えるのはなかなかむずかしいもの。

しかし、こうした状況において撮影者と記者は“共同作業者どうし”です。「撮影はあとでやってくれ!」「相槌がうるさい!」などと対立していたら、取材対象者におおいに語ってもらうことなどできません。

記者ができることは、これから臨む取材が同時に撮影がおこなわれるものかどうかを知っておくことです。そして、同時に撮影がおこなわれるものであれば、「メモは極力とらず、視線は取材対象者に」「映像撮影であれば相槌はうたない」といった心の備えをしておくことです。
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睡眠の質を高めるためリモコン照明を


日本人の平均睡眠時間は、10歳以上では7時間42分とされます。これは、韓国人の睡眠時間7時間41分とならぶ世界屈指の短さ。睡眠時間が短い要因としては、都会の店や交通機関が夜遅くまでやっていることや、スマートフォンなどのを夜遅くまでいじっていることなどがあるのでしょう。

たとえ睡眠時間があまりとれなくても、できれば質のよい睡眠をとりたいもの。この点で重要といわれているのが、「部屋をできるだけまっ暗にして寝る」ということです。ほぼ暗闇の0.3ルクスから家での照明に相当する300ルクスまで部屋を明るさを変えて、被験者に眠ってもらったところ、室内が明るくなるほど睡眠が浅くなり、50ルクスという薄暗い部屋の状態でも睡眠の質が有意に低くなったという実験結果もあります。

光と睡眠の質については関係あるという説と、関係ないという説があるようですが、わずかな光でさえ、眠っている最中の人はなかば無意識に感じとっており、これが目覚めやすくさせるなど、睡眠の質を悪くするという考えかたはあります。

しかし、眠りにつくとき、「部屋をまっ暗にするのが面倒だ」という人は、かなりいるのではないでしょうか。

たとえば、寝る間際まで、部屋の明かりをつけて、本を読むなり、ラジオを聞くなりしているとします。するとだ、んだん眠くなってくる。「さぁ、眠いから寝よう」となる。

ところが、部屋をまっ暗にして眠ろうとすれば、部屋の明かりを消さなければなりません。ホテルのように、ベッドのすぐちかくに照明のスイッチがあるような家はそう多くはありません。明かりのすぐ近くにスイッチがあるような照明器具だと、わざわざ寝床から出て、スイッチのあるところまで向かわなければなりません。

そのようなことをするぐらいなら、多少は部屋が明るいままでも寝てしまうというのが、人間の性ではないでしょうか。

テレビを見ていて、眠くなってきたらリモートコントローラーで消してから眠りに入るという行為はよくあるものです。それとおなじように、照明をつけていて、眠くなってきたらリモコンで消してから眠りに入るといった生活がより広まってもよさそうなものです。

実際、リモコンでスイッチを入れたり切ったりすることのできる照明はないわけではありません。ただし、テレビのリモコンにくらべてそれほど普及していないのは、「わざわざリモコンを使うほどのものでもない」といった考えがあるからかもしれません。

参考資料
日本睡眠科学研究所「現代人の睡眠状況」
https://www.nishikawasangyo.co.jp/company/laboratory/topics/01/
ナショナルジオグラフィック「睡眠の都市伝説を斬る 明るい寝室は不眠のもと、暗い朝は寝坊のもと」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/403964/080300047/?P=3
BeauBelle「リモコン照明」
https://beaubelle.shop/shopbrand/ct54
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健康に危険があれば「自由」を行使すべき

写真作者:Ken Hawkins

自由業の人たちには、「仕事の依頼がこない」という危険性がつねにあるいっぽう、「仕事を断ることができる」という利点もあります。よく、自由業に対する一般的な見かたとして「仕事がこない危険性はあるが、自由にいられる」といわれますが、ここでの「自由」には「仕事を断る自由な権利がある」という意味もふくまれます。

とはいえ、「面倒だから」とか「性に合わないから」とかの気まぐれな理由によって、つぎつぎと「仕事を断る自由」を行使していれば、やがて仕事の依頼はこなくなってしまいます。仕事を受けつづけるといった点からすれば、これらの理由で「仕事を断る自由」を行使すべきではありません。

では、どのような仕事依頼に対して「仕事を断る自由」を使うべきなのでしょうか。

ひとつの考えかたとしては、「その仕事を引きうけた場合、自分の健康状態を侵される危険があれば、仕事を断る自由を使うべき」というものがあります。

たとえば、ある自由業の司会者に「1週間後の金曜の朝10時から夕方16時までの催しもので、司会をしてほしい」といった仕事依頼があったとします。ところが、依頼を受けたとき、発注元からはこう言われました。「すいませんけれど、必要な情報材料を揃えてお渡しできるのが、前日の木曜の22時ごろになってしまうかもしれないのです」と。木曜の22時といえば、催しもののが始まる12時間前です。

もちろん、その司会者は、その催しもののあらましを把握しておいたり、衣装の用意をしておいたりと、ほかの準備をすることはできます。

しかし、木曜の夜に情報材料を受けて、明くる金曜の朝から本番にのぞむというのは、本人の健康を相当に侵しうるものです。その司会者は、情報材料が届いたらそれをまず読んで理解し、そのうえで舞台でどうたち振るまうかの筋書きを考えておかなければならないでしょう。これらの必要な作業を木曜22時から始めたら、まちがいなく日付をまたいで金曜までかかるでしょう。場合によっては、徹夜になるかもしれません。

真夜中の作業というものは、一般的に人の生活リズムを相当に害するものです。まして、翌朝に人びとの前で本番の司会をするとなれば、睡眠もとっておかなければなりません。

このような、自分の健康状態を侵される危険のある仕事依頼に対して、自由業は「仕事を断る自由」を行使することができます。むしろ、本番で失敗をおかしたり、その後の健康状態を乱してしまったりするおそれを考えれば、積極的に「仕事を断る自由」を行使すべきなのです。

この例え話がまだましなのは、発注元からあらかじめ、必要な情報材料をお渡しできるのが本番ぎりぎりになりそうと予告されていたことです。往々にして、そうした予告さえない状況で仕事を受注してしまい、本番ぎりぎりまで待てども待てども必要な情報材料がこない、といった状況も起きうるものです。

そうした場合も、あらかじめ「本番の何日前までに必要な情報材料をもらえないと、本番への準備ができないため舞台には立てません」と伝えたり、次回おなじような仕事依頼がきたとき「前回、健康を害されるような仕事だったので、もう引きうけません」と断ったりするかたちで「仕事を断る自由」を行使することはできます。
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PD-1のはたらきを“段階的動画”で直感的に伝える

T細胞
写真作者:NIAID

からだのなかなどで起きている現象は、ふつう人の目に見えるものでないため、見えているものにくらべると理解しづらいものです。まして、分子ぐらいの大きさの世界のことは、そのときの説明ではわかっても、しばらく経つと「どうなってたっけ」と忘れがちに。

しかし、その現象が図解で示されていて、かつ、理解しようとする人がその図解の展開の流れを操作することができれば、相当に理解度は高まるものかもしれません。

ある医療関係者は、「PD-1のはたらきが、こんなに直感的に理解できるページがあるとは」と興奮気味に言っていました。

PD-1とは、大きくいうとタンパク質のひとつ。免疫のしくみで大切な役割を果たすT細胞という細胞の表面にあります。そして、このPD-1は「リガンド」とよばれる「相手」を受けいれて結びつく「受容体」とよばれる物質のひとつでもあります。2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑さんは長らく、このPD-1を研究対象にしてきました。

このPD-1は、T細胞の表面で発現つまり現れると、T細胞に対してどんな作用をもたらすのか。

PD-1とにたことばの物質に「PD-1L」というものがあります。これは上の話にある、PD-1の「リガンド」のこと。しかし、「PD-1」と「PD-1L」は綴りがにているため、これらの知識や情報に接しつづけていないと、「あれ、PD-1はなにをするんだっけ」「あれをするのはPD-1Lのほうじゃなかったかな」などと混乱してしまいがち。

そうしたなかで、上記の医療関係者は、PD-1のはたらきを直感的に理解できるサイトに出あったようです。

「『がん免疫.jp』というサイトの『PD-1経路』というサイトがあります。医療従事者しか見ることができないので、一般の方々にお見せできないのが残念ですが。ここには、T細胞を模したイラストがあります。そしてその下に『スライダーを左右に動かすと、PD-1発現に伴うT細胞の変化をご覧いただけます』という説明書きがあります」

「で、実際、その説明書きのすぐ上にあるスライダーを左側から右側にぎーっと移していくと、ちょっとずつちょっとずつT細胞が縮まっていき、やがてT細胞の表面にPD-1が間欠泉のように吹きだしてきます。それはスライドを右へ移すほど、2か所、3か所と表面に吹きだすPD-1が増えていきます」

「それと同時に、T細胞の色あいがどんどん褪せていくのです。そして最後に、『▼疲弊したT細胞』という説明文が色あせたT細胞のイラストの上に記されます」

この医療関係者は、このサイトではPD-1のはたらきが、なぜ直感的に理解できるのかをつぎのように分析します。

「段階を追って、動画でPD-1が噴出していく点。それにともない、T細胞が色あせていく点。これらひとつひとつのPD-1に『PD-1』とネームがついている点などがあるのでしょう。それらとともに、いろいろなほかのしくみの説明とは切りはなして、この動画に登場する要素を、T細胞と複数のPD-1に絞ったことも、直感的に理解できることにつながっているのだと思います」
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がん治療薬のよび名「-マブ」「-ニブ」は偶然でなし

写真作者:sk

薬剤師や薬学部生たちであれば常識の話かもしれませんが、がん治療薬には、「-マブ」や「-ニブ」のように、「-ブ」で終わる名前のものがよくあります。

たとえば、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑さんらが研究に携わり、小野薬品工業から発売されたがん治療薬は「ニボルマブ」。また、エーザイが開発した甲状腺がんの治療薬は「レンバチニブ」といいます。

ほかにも、「トラスツズマブ」「リツキシマブ」「ゲフィチニブ」「イマチニブ」など、「-マブ」「-ニブ」で終わるがん治療薬が見られます。

偶然、よび名に「-マブ」「-ニブ」がついたとか、製薬業界の流行だとかいうわけではありますまい。

医薬品名には、大きく分けて、一般名と商品名があります。商品名のほうは製薬会社がその薬に対してつける名前のこと。いっぽう、一般名はというと、国連の専門機関である世界保健機関(WHO:World Health Organization)の医薬品国際一般名称委員会という会が名づけます。一般名のほうは、商品名が異なっていても、成分や効能がおなじ薬であれば、それらを括ってつけられます。

「-マブ」や「-ニブ」がつくのは、たいてい一般名のがん治療薬のほう。名づけかたに法則性をもたせているため「-マブ」や「-ニブ」とつく薬が複数あるわけです。

まず、「-マブ」は「モノクローナル抗体」とよばれる薬に共通してつけられています。「抗体」とは、ヒトなどの生きものの体がつくりだすタンパク質のひとつで、がんなどの特定の異物をやっつけるはたらきをもっています。「モノ」は「ただ一種類の」という意味。ここでは、ただ一種類の「B細胞」とよばれる免疫細胞がこの抗体をつくりだすことをさします。また「クローナル」は「混じりけのない集合」といった意味。

まとめると、モノクローナル抗体は、「ただ一種のB細胞がつくりだす混じりけのない抗体」ということになります。

モノクローナル抗体は、英語では“Monoclonal AntiBody”と表します。大文字はしい的ですが。このなかの、MABの3文字をとり、「-マブ」で終わらせるという名づけかたの法則性を、世界保健機関はもたせているわけです。

いっぽう「-ニブ」については「リン酸化酵素阻害薬」とよばれる薬に共通してつけられています。酵素というのはタンパク質のひとつ。なかでも、ほかのタンパク質をリン酸化させる役割をもつものは「リン酸化酵素」とよばれます。リン酸化酵素がはたらいて、タンパク質がリン酸化すると、細胞の増殖などが調節されることがわかっています。しかし、リン酸化酵素が異常にはたらくと、影響を受けた細胞が異常をきたします。がんでは、このリン酸化酵素が異常にはたらいてしまい、細胞が際限なく増えていってしまいます。

この異常なるリン酸化酵素のはたらきを「阻害」して、がんを治療しようというのが、リン酸化酵素阻害薬というわけです。

リン酸化酵素阻害薬は、英語では“kiNase inhIBitor”と表します。大文字は恣意的ですが。このなかの、NIBの3文字をとり、「-ニブ」で終わらせるという名づけかたの法則性を、世界保健機関はもたせています。

「-ニブ」と「-マブ」で終わる名のがん治療薬は、がん細胞のみを標的にすることができるという点で共通しています。この特徴をもつ薬は「分子標的薬」ともよばれます。

ほかにもがんの治療薬のよび名には、「-マイシン」や「-プラチン」などで終わるものが複数あります。抗生物質が使われているものは「-マイシン」、白金製剤とよばれる物質が使われているものは「-プラチン」といったように、これらにもやはり使われる物質の共通性から語尾が決まります。

参考資料
協同病理「分子標的治療関連抗原」
http://www.kbkb.jp/list/category_MTD.html
木下和生「がんの分子標的薬」
http://www.shigamed.jp/common/pdf/150913.pdf
国立医薬品食品衛生研究所 生物薬品部「一般的名称」
http://www.nihs.go.jp/dbcb/inn.html
全日本民医連 2013年1月1日付「くすりの話 152『一般名処方』とは」
https://www.min-iren.gr.jp/?p=7547
中外製薬「モノクローナル抗体とは?」
https://www.chugai-pharm.co.jp/ptn/bio/antibody/antibodyp11.html
寿製薬「キナーゼ阻害剤(分子標的薬)とは?」
https://ssl.kotobuki-pharm.co.jp/kinase
クリノス オフィシャルブログ 2016年6月22日付「速くて楽な語彙力強化法:医薬用語の接頭語と接尾語を知ろう!」
https://clinos.com/blog/2016/06/22/learn_prefixes_and_suffixes/
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「使い心地」のよさは、仮説と試験から

写真作者:City University Interaction Lab

人びとが使う製品やサービスをつくるときは、せっかくなら多くの人びとが「使い心地がよい」と感じてほしいもの。そのために、製品やサービスを開発したり意匠したりする人は、完成までの途中段階で「使用性試験」とよばれる試験をおこなうことがあります。

これは、いわば試しにつくってみた製品やサービスを、使用者とおなじ特性の人たちに試しに使ってもらい、使用者の心理を理解したり、使用上の課題を見つけたりするためのもの。使用性試験によって得られた心理や課題を検討し、それらをつくっている製品やサービスに活かしていけば、「使い心地のよさ」が高まるはずです。

あらかじめ開発者や設計者が抱いていた、「このように使われるものだ」という予想と、まったく異なる使われかたをするのだと、使用性試験でわかることもあるといいます。開発者や設計者がねらっていたことを、使用者はまったく求めていなかったといったことです。そのときは、開発者や設計者はがっかりするかもしれません。しかし、本番でそのがっかりを体験するよりは、はるかによいものととるべきです。

「このように使われるものだ」と予想することをより詳しくおこなっておくことは、「仮説を用意しておく」ともいいます。仮説の用意は、使用性試験をするにあたりとても大切とされます。「使用者はこの機能に対して、このように反応して、こう製品を使うだろう」といった仮説をもって製品やサービスをつくっておけば、使用性試験ではその仮説との「ちがい」がどのようなもので、どのように生じるかといった視点に立てるからです。なにも仮説を用意せずやってみて、使用者の使いかたに漠然と影響を受けてしまうといった状況を避けることができます。

使用性試験をおこなうには手間やお金がかかります。しかし、試験をすればかならずとってよいほど製品やサービスへの改善点は出てくるでしょう。ウェブのデザインなどのように公開後でも更新しやすいものはべつとして、世に出したら修正や改善を加えづらいような製品やサービスについて使用性試験をすることの利点は大きいといえます。

参考資料
SEO HACKS 2017年2月20日付「ユーザーテストとは」
https://www.seohacks.net/basic/terms/user_test/
コンテンツハブ 2015年7月27日付「ユーザーテストで課題を発見するための基本的な考え方と5つの準備プロセス」
https://cont-hub.com/blog/02/348/
ウィキペディア「ユーザビリティテスト」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ユーザビリティテスト
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(2019年)9月15日(日)は「全国学校飼育動物研究大会」


研究大会の案内です。

(2019年)9月15日(日)、東京・弥生の東京大学弥生講堂で「第21回 全国学校飼育動物研究大会」が開かれます。主催は、全国学校飼育動物研究会。

この研究会は、幼稚園や保育園、また小学校などでの教育における動物飼育の重要性を明確にするため、意見交換や実践研究の交流などの研究会活動を推しすすめている団体です。

開催趣旨には、園や学校での動物飼育が減ってしまったことへの問題意識がうかがえます。かつては、ウサギやニワトリなどを園や学校で飼育するのは一般的でした。ところが、鳥インフルエンザが社会に知られるようになると、園や学校でのニワトリ飼育が「激減」したといいます。ウサギの飼育も減少しているとのこと。そこで、小学校における動物飼育の実態調査結果や、小学校・園での動物飼育活動の実践事例の発表などを通じて、あらためて子どもへの教育における動物飼育の大切さを、参加者どうしで実感しあおうとしているようです。

大会テーマとして掲げているのは、「幼稚園・保育園と小学校の連携による動物飼育の教育効果を探る」。

案内によると、特別講演として、白梅学園大学子ども学部名誉教授の無藤隆さんが「今改めて、動物を飼育することの意義を考える」という主題で登壇します。

また、口頭発表では、大手前大学准教授の中島由佳さんが「鳥インフルエンザ後の小学校における動物飼育状況 全国調査結果」という題で報告する予定とのこと。ほかに、武蔵村山市立第一小学校の先生たちによる「園児のみなさん、ようこそ一小動物ランドへ」、横浜国立大学附属鎌倉小学校卒業生の加藤直子さんによる「子どもと親が実感した継続飼育の学び 6年間のモルモット飼育を通して」という発表もおこなわれます。

会場ではほかに、ポスター発表や、モルモットとの触れあい体験実習なども開かれるとのこと。

園や学校における動物飼育がいまどうなっているかを知る機会になりそうです。「第21回 全国学校飼育動物研究大会」は15日(日)東京大学弥生講堂で、12時30分から17時まで。参加費は1000円で、学生の方は半額とのことです。

全国学校飼育動物研究会による大会の案内はこちらです。
http://www.schoolanimals.jp/第21回全国研究大会の内容/大会リーフレットのダウンロード/?action=common_download_main&upload_id=408
| - | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0)
「2000年だけ2行」は、農林漁家世帯の扱いの移行期だから
総務省は「家計調査」という調査を毎月おこなっています。家計調査は、「国民生活における家計収支の実態を把握して、景気動向の重要な要素である個人消費の動向など、国の経済政策・社会政策の立案のための基礎資料を提供する」ことを目的とするもの。対象は、学生の単身世帯などをのぞく全国の世帯で、全国民のおよそ96.5パーセントが対象にあたるといいます。

さて、総務省の家計調査のサイトでは、各種データを見ることができます。ここでひとつ、気に留めておくべき点としてあるのが、おなじ項目のデータのなかに「2000(平成12)年」の数値がふたつある場合がある、ということです。

たとえば、「1世帯当たり年間の品目別支出金額、購入数量及び平均価格(二人以上の世帯)」という家計調査の項目があります。これは、2人以上からなる世帯が各年において、特定の食材にどれだけの金額を費やしたり、重量として消費したりしたかを調べたもの。

家計調査のサイトからデータをダウンロードすると、エクセルの表が得られます。そのうちの「年月」の列見ると、1996(平成8)年から数値が始まり、1997、1998、1999、2000と、行が降りていきます。そのつぎの行は「2001」となるかというと、もう一度「平成12年 2000年」がくりかえされます。つまり、「2000年」の行がふたつあるわけです。


「家計調査」の表データ。赤いところが「2000年」の2列

「2000年」がふたつあるということは、そのふたつ行の数字もちがってきます。たとえば、「りんご」を見ると、「2000年」の1行目では、金額「5,688円」、数量「14,816g」となっています。では2行目はというと、金額「5,536円」、数量「14,870g」となっています。りんごにして5分の1個分くらい、2行目のほうがすくなくなっています。

その後は、2001、2002、2003、2004……と、たんたんと「1年1行」で行が降りていき、最新の2018年までたどりつきます。

なぜ、2000年だけ、異なる2行があるのか。総務省の統計局統計調査部消費統計課審査発表係の話によると、2000年は「農林漁家世帯をのぞく数値」と「農林漁家世帯をふくむ数値」の両方を載せたとのこと。

農林漁家世帯とは、農業、林業、漁業のいずれかの世帯のことをさします。2000年までは、この農林漁家世帯を「2人以上の世帯」には入れずに統計を出していました。食材の購入のしかたが異なるといった理由が考えられます。

たしかに、農林漁家は、家に食材が豊富にあるため、一般の世帯より店で食材を買わない向きはありそうです。しかし、そのちがいは、りんごにして5分の1個分ぐらいの差しかないわけです。

りんごにかぎらず、さまざまな食材について、わずかな差しか出ないことや、農林漁家の世帯の数が減ってきたことなどから、「農林漁家の世帯を、わざわざ2人以上の世帯から切りはなさなくてもよいではないか」と考えるようになっていったのでしょう。

2000年は、「農林漁家をふくめない」から「ふくめる」への移行期間にあたり、そこでふたつの数値を併記したようです。

このデータから、記事のグラフなどをつくる編集者などは、注意が必要です。年月の列をきちんと見ず、「2000年のつぎは2001年」とたかを括っていると、2000年以降の各年が1年ずつずれたグラフができあがってしまいます。

参考資料
総務省「家計調査に関するQ&A(回答)」
https://www.stat.go.jp/data/kakei/qa-1.html
総務省「家計調査 1世帯当たり年間の品目別支出金額,購入数量及び平均価格(二人以上の世帯)」
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=dataset&toukei=00200561&kikan=00200&tstat=000000330001&stat_infid=000031705242&result_page=1
総務省「家計調査の抽出区分の見直しについて」
http://www.stat.go.jp/info/kenkyu/skenkyu/pdf/28031601.pdf
料理のいろは「りんごの重さは1個・1玉で何グラム、りんご3個分のキティちゃんの重さは?」
https://www.seikatu-cb.com/omosa/apple.html
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2000安打より200勝が出にくいのは当然との見かたも


写真作者:shi.k

プロ野球選手の大きな勲章に「投手で200勝」と「打者で2000安打」というものがあります。このふたつと「投手で250セーブ」のいずれかに達することが「日本プロ野球名球会」入りの条件とされています。

近ごろは、「200勝できる投手がすくなくなった」といわれます。日本のプロ野球のみに絞ると、2008年8月に中日ドラゴンズの山本昌投手が200勝を上げたのが最後。米国大リーグでの成績を合わせた200勝としては、広島カープやニューヨークヤンキースで活躍した黒田博樹が2016年7月に達しているものの、大リーグのほうが日本プロ野球より年間で19試合多いなど、条件はやや異なります。

200勝にいまもっとも近い投手は、日本プロ野球のみでは東京ヤクルトスワローズ石川雅規投手で169勝。日米通算では、読売ジャイアンツの岩隈久志選手の170勝となっています。石川投手も岩隈投手もすでに「大ベテラン」の域に入っており、あと30勝あまりを積みかさねられるか、ファンは登板ごとに期待と不安をふくらませていることでしょう。

打者のほうでは、2019年に福岡ソフトバンクホークスの内川聖一選手と千葉ロッテマリーンズの福浦和也選手が2000安打を記録しました。2000安打にもっとも近い選手は、阪神タイガース福留孝介選手の1882本。これに、読売ジャイアンツ坂本勇人選手が1859本、また、埼玉西武ライオンズ栗山巧選手が1808本でつづきます。福留選手や栗山選手も「大ベテラン」。いっぽう坂本選手は、まだ30歳。2020年には、すくなくともこの3選手のなかから1人は2000安打を達成しそうな状況です。

打者の2000本にくらべて、投手のほうが200勝に届きづらくなったとされるのは、投手の登板頻度が低まったからとする見かたがあります。昭和時代には、先発投手が登板をしてから中4日でつぎの登板ということがよくありました。いまのプロ野球では、中6日あけるのが標準的になっています。

また、投手の分業制が確立しているため、先発投手が長く投げない試合も増えました。5回途中までに降板してしまうと、勝ち投手の権利をあたえられません。また、6回あたりで降板しても、勝負が定まっておらず、勝ち星が消えてしまうおそれも高くなります。

こうしたことから、今後、打者のほうでは2000安打に達する人は現れつづけるものの、200勝に達する投手はめったに現れないのではないかといわれています。

おそらくこれはそのとおりなのでしょう。しかしいっぽうで、「200勝投手のほうが、2000安打の打者よりも現れにくいのは、当然のこと」とする見かたもあります。

野球の試合では、投手が1人だけ出場しているのに対して、投手以外の選手は8人、指名打者をふくめると9人も出場していることになります。つまり、投手にくらべて打者のほうが試合に出る機会が圧倒的に多いわけです。

その試合で勝ち星を上げられるのは1人のみ。いっぽう、打者は9人以上が打席に入り、安打を1安打だけでなく、3安打も4安打も放つことができます。

この投手と打者に課せられた条件の差が「200(勝)と2000(安打)」というちがいに現れているとも考えられます。

なお、投手と投手以外の選手の人数比でいうと、球団によりばらつきはあるものの、だいたい1対1で拮抗しています。福岡ソフトバンクホークスや読売ジャイアンツなどのように、投手の人数のほうが多い球団もあります。意外でしょうか。

これまで日本プロ野球で2000安打を達成した選手は52人。いっぽう、200勝を達成した投手は24人。おおよそ打者2対投手1という比率です。むしろ投手のほうがよくがんばってきたともとれるのではないでしょうか。

参考資料
日本プロ野球機構「歴代最高記録 安打 通算記録(現役選手)」
http://npb.jp/bis/history/acb_h.html
日本プロ野球機構「歴代最高記録 勝利 通算記録(現役選手)」
http://npb.jp/bis/history/ltp_w.html
日本プロ野球機構「各種記録達成者一覧 2000安打」
http://npb.jp/history/alltime/milestones_hit_2000.html
日本プロ野球機構「各種記録達成者一覧 200勝利」
http://npb.jp/history/alltime/milestones_win_200.html

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