科学技術のアネクドート

すくうにも適性あり



おなじ大きさぐらいの赤い粒々がたくさんあります。はて、なんでしょうか。筋子でしょうか。梅干しでしょうか。それとも赤血球でしょうか……。

水槽に入ったミニトマトです。夏まつりの屋台として出されているもの。1回300円で、金魚すくいとおなじような紙を張ったポイがお店からあたえられます。この日の最高記録は37個だったとのこと。

金魚すくいは、すくう対象が動物だけに、屋台を出す側にとっては管理に手間がかかるし、遊ぶ側にとっても家で飼うのがややわずらわしい。スーパーボールすくいは、たくさんすくってもお得感を得づらい。

その点、ミニトマトすくいは、すくったら、その場でも家でも食べることができます。何時間か水に浸けている程度であれば、衛生面もそれほどは問題にならなさそうです。

ごく最近ミニトマトすくいがやられはじめたのかというと、発想そのものは数年前からあったようです。2011年9月、「コミュニティみやぎ野菜ソムリエの会」という団体が、「お野菜縁日」という催しもので、子ども用プールを使ったミニトマトすくいを出しものにしたという記録が残っています。

すくった数種類のトマトに溶かしチョコレートを食べ、「大盛況」だったとのこと。ミニトマトをくだもののように扱っている点に、この団体の本気がうかがえます。

「まるい粒々としたものをすくう」となれば、栄枯盛衰はなはだしいタピオカを水に入れて「タピオカすくい」をしたらどうかという発想も人は考えそうです。

案の定、実際に人びとは「タピオカすくい」をやっています。水槽にミルクティーを入れてタピオカを浸す人もいますが、タピオカが見えないため、すぐ水に切りかえています。

しかし、タピオカはミニトマトより軽く、粒径も小さいもの。さまざまなタピオカすくいの映像からは、どんどんすくえてしまうようすが見てとれます。“軽いノリ”といったところ……。

ミニトマト1個の直径は3センチメートルほどで、重さは12グラムぐらい。いっぽう、タピオカ1粒の直径は1センチメートルほどで、ゆでたときの重さは1グラムぐらい。「何々すくい」には、紙が破れるか破れないかぐらいの適度な大きさと重さも大切な要素なのでしょう。

参考資料
コミュニティみやぎ野菜ソムリエの会 2011年9月4日付「料理研究部会はトマトすくいで大盛況!!」
https://blog.goo.ne.jp/vfcmiyagi/e/120522bc7832208147ef7f6ded50a40c
サカタのタネ 園芸通信「ミニトマト キャロル7」
https://sakata-tsushin.com/oyakudachi/directory/vegetable/004647.html
タピオカエクスプレス「クイック3kgは約100杯分なのに生は約150杯分?」
https://www.tapi-ex.com/contents/news/news_1278906361.html

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iPS細胞からつくった角膜の世界初の移植、「他家」の道ひらこうと



大阪大学は(2019年)8月29日(水)、人工多能性幹(iPS:induced Pluripotent Stem)細胞からつくった角膜上皮細胞シートを使って、角膜の病気をもつ患者に移植する臨床研究を、7月におこなったことを発表しました。報道によると、手術前この患者の左眼はほぼ見えていませんでしたが、手術後には視力が大きく改善したということです。

角膜とは、眼球の前側、中央にある、皿状の透明な膜のこと。そして角膜のもっとも表面側にあるのが角膜上皮細胞です。角膜のまわりが傷つくと、角膜上皮細胞をつくる細胞がなくなってしまい、結膜というべつの部分の細胞が入ってきてしまい、眼が見えなくなってしまうことがあります。今回の患者の症状です。

今回の臨床研究では、iPS細胞から角膜細胞をつくり、それをシート状にして、患者の角膜に移植したというもの。移植することで、角膜シートがもとの角膜の役割を担い、視力が回復することが期待されました。いまのところ、その経過は順調のようです。

大きな要点として、まずひとつ、今回は「他家」のiPS細胞を使ったということがあります。

iPS細胞を使う再生医療では、大きく、患者本人の細胞からつくったiPS細胞を用いる「自家細胞移植」と、他人の細胞からつくったiPS細胞を用いる「他家細胞移植」に分かれます。

自家細胞移植では、患者自身の細胞をもとにするので、移植された細胞も患者のからだに受け入れられやすいといえます。これに対して、他家細胞移植では、他人の細胞をもとにするので、移植された細胞は、自家細胞移植にくらべれば、患者のからだに受け入れられにくいものとなります。ですので、移植された角膜シートに対する拒絶反応の危険性は、自家よりも他家のほうが高いとはいえます。

いっぽうで、他家細胞移植では、今回もそうだったように、あらかじめ移植する細胞を備えておくことができるため、自家細胞移植より時間もお金もはるかにかからないという利点があります。拒絶反応に対しては、今回の臨床研究では、拒絶反応を起きにくくする免疫抑制剤という薬を使って、抑えこもうとしています。

もうひとつ要点として、ヒト白血球型抗原(HLA:Human Leukocyte Antigen)の型が「不適合」ながら、手術をおこなったということもあげられます。HLAは、拒絶反応の起きやすさの鍵を握る因子といえます。HLAには型があり、不適合、つまり異なる型どうしだと拒絶反応は起きやすくなるはず。今回の研究では、患者と移植された角膜シートではHLA型が「不適合」だったといいます。計画におりこみ済みではあったようですが。

他家細胞移植であり、かつ、ヒト白血球型抗原型が不適合。これらの条件で臨床研究に臨んだわけです。拒絶反応という問題を、大きく乗りこえようとする研究チームの姿勢がうかがえます。

この点については、研究チームは相当な自信をもっていたのではないでしょうか。これまでチームは動物モデルへの移植の実験をおこなってきました。今回の臨床研究では、治療の効果よりも、安全性を検討することに主眼が置かれているといいます。

研究計画によると、今後おなじ手法による手術を2例目の患者にもおこない、中間的な評価をしていくことになりそうです。そして、2例のうち、拒絶反応が1例以下にとどまれば、3、4例目でもヒト白血球型抗原型が「不適合」の患者におなじ手法による手術をおこなっていくとのこと。もし、最初の2例のうち、拒絶反応が2例とも現れれば、3、4例目ではヒト白血球型抗原型が「適合」の患者に手術をするとのことです。

参考資料
大阪大学大学院医学系研究科・医学部 2019年8月29日発表「世界初、iPS細胞から作製した角膜上皮細胞シートの第1例目の移植を実施」
http://www.med.osaka-u.ac.jp/archives/19156
毎日新聞 2019年8月29日付「iPSから作った角膜細胞を世界で初めて患者の目に移植 大阪大」
https://mainichi.jp/articles/20190829/k00/00m/040/185000c
臨床研究情報ポータルサイト 2019年5月24日更新「角膜上皮幹細胞疲弊症に対する他家iPS細胞由来角膜上皮細胞シートのfirst-in-human臨床研究」
https://rctportal.niph.go.jp/detail/um?trial_id=UMIN000036539
医療NEWS 2019年3月11日付「世界初、ヒトiPS細胞から作製した角膜上皮細胞シート移植の臨床研究が承認−阪大」
http://www.qlifepro.com/news/20190311/approval-of-transplantation-of-corneal-epithelial-cell-sheet-derived-human-ips.html

| - | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0)
お茶の色は変われど、茶色は変わらず


お茶はどんな色をしているでしょうか。

多くの人は「緑」あるいは「黄緑」といった緑系統の色を思いうかべるでしょう。実際、「お茶」で画像検索をかけると、ペットボトルの色もふくめ、ほとんどの画像や写真で緑系統の色がおもに使われています。

では、茶色はどんな色をしているでしょうか。

多くの人は「チョコレートやカレーみたいな色」とか「赤土のような色」などと褐色系の色を答えます。「茶色なんだからお茶の色に決まっているじゃん」とは答えません。

色と、色のよび名のもとになったものの実態とが、これほどまでかけはなれているのはそう多くありますまい。しかし、多くの人は、そうした色と実態の乖離についてなんの疑問を抱くことなく「茶といえば緑色系」「茶色といえば褐色系」を受けいれています。

なぜ茶色が褐色系の色であるのかには、ふたつぐらいの説明がされているようです。

ひとつは、日本では、かつて「お茶の色」といえばまさに茶色だったというもの。いまは、チャの若芽を蒸気で蒸して、緑色を保たせた「煎茶」がお茶の代表的存在です。しかし、江戸時代中期ごろまでは、チャの葉を釜などで炒ったあと、揉んでから天日干ししてつくるのが主流でした。こちらは「ほうじ茶」のようなつくりかた。こうしてできるお茶は、まさに「茶色」をしています。むかしは「茶色といえばお茶の色」で合っていたことになります。

もうひとつは、茶葉を使って布を染めると、色が褐色系になるからというもの。こぼしたお茶をふきんなどの布で拭くと、しばらくしてふきんが褐色系の色を帯びることがあります。お茶にふくまれるカテキンやタンニンといった成分が布を茶色くします。

江戸時代なかば以降、だんだんとお茶といえばおもに煎茶などの緑茶をさすようになっても、「茶色」はそれに引きづられることはなかったわけです。これはひとえに、緑色のものを「緑」や「青」とよんでいた習慣がすでにあったからではないでしょうか。すでに緑や青とよんでいるのに、それらの色をさして「茶色」とよぶ余地はなさそうです。

参考資料
東京都茶協同組合「『茶』のつく言葉やことわざの四方山話」
http://www.tokyo-cha.or.jp/article/proverb-about-tea.html
小野園「『茶色』はお茶の色 !?」
https://onoen.jp/column/column_06.html
世界緑茶協会「茶色の理由」
http://www.o-cha.net/jiten/nihonocha/chairo.html
「色の名称の由来について」
http://www.slis.tsukuba.ac.jp/~matsumoto.makoto.fm/jugyou/yukari.html
| - | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0)
北口へは階段を上り、南口へは階段を下る
東京都日野市にあるJR中央線の豊田駅では、改札を出て北口と南口へ向かうことができます。

よくある駅のつくりではあるものの、ほかの大きく異なることがひとつ。駅北口へ向かう通路の先は上り階段があり、駅南口へ向かう通路の先には下り階段があります。つまり、大きな高低差のある駅北口と駅南口を、駅の通路と階段が結んでいるわけです。


駅北口へ向かう上り階段


駅南口へと向かう下り階段

北口への階段をのぼっていくとロータリーが広がっています。ロータリー自体はバス停やマクドナルドが隣接する、いわばどこにでもあるようなもの。しかし、「階段を、上りきったらロータリー」という体験は、なかなかできるものではありません。いっぽう南口ロータリーは、駅の線路とほぼおなじ高さにあり、こちらはよくある風景といえます。

国土地理院の「地理院地図」で豊田駅の北口から南口にかけての断面図をとると、100メートルたらずの距離で、高低差が10メートルちかくあります。


豊田駅の北口(図左側)と南口(図右側)の断面
標高50メートルより上
国土地理院「地理院地図 断面図」

つまり、豊田駅は崖のすぐ脇にある駅なのです。

この崖は、ふたつの「段丘面」という面の境にあるもの。段丘面とは、川に沿って分布する階段状の地形の平坦面にあたるもの。階段状の地形の垂直面にあたるものが崖です。

なぜ、段丘面と崖はできるのか。川が流れていることころでは、川床の砂利が水の流れにより削られていきます。こうしてだんだんと川床が低くなっていくなかで、階段状の段丘がつくられていくのです。実際、豊田駅から南東800メートル先には、浅川という川が流れています。

北口をふくむ段丘面と、南口をふくむ段丘面には、よび名がついており、それぞれ「多摩平面」と「豊田面」といいます。なお、多摩平面の北側にはもう一段高い「日野台面」という段丘面が、また豊田面の南側、つまり浅川寄りには、もう一段低い「石田面」という段丘面がそれぞれあります。この4つの段丘をあわせたところは「日野台地」とよばれています。

北口から階段を降りて改札前を通り、さらに階段を降りて南口まで行く。そして、南口から階段を上り、ふたたび改札前を通って、さらに階段を上り北口まで行く。わずかこれだけで、段丘面と崖の「現在のあり方」を体験することができます。


豊田駅の駅舎と、北口ロータリー(図上側)・南口ロータリー(図下側)
Google Earth Pro

参考資料
国土地理院「地理院地図」
https://maps.gsi.go.jp/globe/index_globe.html#584/35.65940999/139.38152463/1/360/-90/0/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=
角田清美「日野台地の地形と自由地下水」
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33100/rcr048-04-sumida.pdf
世界大百科事典第2版「河岸段丘」
https://kotobank.jp/word/河岸段丘-43437
| - | 12:12 | comments(0) | trackbacks(0)
男の子か女の子かは、YかXかで決まる

写真作者:Rockin'Rita

生まれてくる赤ちゃんが、男の子か女の子かは、いまやお母さんのお腹のなかにいるときからわかります。お腹の壁に超音波をあてて、お腹の赤ちゃんのかたちを画像で映しだす超音波検査などの方法で、男女を判別することができます。

しかし、お腹のなかの赤ちゃんを超音波検査で見たから、その時点でその赤ちゃんが男の子か女の子かが決まるというわけではありません。もっとずっと前に、赤ちゃんの性別はすでに決まっています。

その鍵を握るのは父親のほうの配偶子、つまり精子です。精子は細胞ですので、ひとつひとつに染色体があります。染色体には型がふたつあって、それぞれX染色体とY染色体とよばれています。

母親のほうの配偶子、つまり卵子がもっているのはX染色体のみ。いっぽう、精子がもっている染色体には、X型とY型があります。

受精のとき、卵子がX染色体をもっているのに対して、精子もX染色体をもっていたら「XX」のくみあわせになります。こうなると、赤ちゃんは女の子になります。

いっぽう、X染色体の卵子とY染色体の精子のくみあわせで受精すると、「XY」のくみあわせになります。こうなると、赤ちゃんは男の子になります。ただし、染色体の異常によって、染色体のくみあわせが「XX」のときも、まれに男性になることがありうるとされます。

Y染色体をもつ精子と、X染色体をもつ精子では、後者のほうの数がやや多いとする情報もあります。これが本当だとすると「XY」より「XX」のくみあわせのほうが多くなり、女の子の赤ちゃんが生まれてくる確率が高くなることに。そこで、X染色体は酸性環境にある卵子にたどりつくのがむずかしく、結果として「XX」と「XY」はほぼ5割ずつになるのだと説明されることもあります。

そのいっぽうで、X染色体の精子とY染色体の精子の数にちがいはほとんどないとする論文もあります。このあたりについては、説が定まっていないといった状況でしょうか。

参考資料
東邦大学理学部生物分子科学科「性決定のしくみ」
https://www.toho-u.ac.jp/sci/biomol/glossary/bio/sex_determination.html
牧田産婦人科「コラム:赤ちゃんの性別はいつどうやって決まる?」
https://www.makita-sanfujinka.com/support/column/baby-gender/
こそだてハック 2019年6月1日付「赤ちゃんを女の子・男の子に産み分ける方法!排卵日と精子量がコツ?」
https://192abc.com/17360
Jacquelyn Irving et al. “The Ratio of X- and Y-Bearing Sperm in Ejaculates of Men with Three or More Children of the Same Sex”
https://link.springer.com/article/10.1023%2FA%3A1020555101059
| - | 12:15 | comments(0) | trackbacks(0)
細胞から臓器や器官を模した立体物をつくる

腎臓のオルガノイド
写真作者:National Center for Advancing Translational Science

空想科学の小説や映画では、暗い実験室で白衣を着た科学者が、大きな試験管を目の前にして、「ついに人工脳をつくることに成功したぞ!」と叫ぶような場面が描かれていそうです。実際そうした描写があるかはべつに。

人工的に臓器をつくりだすというのは、描かれやすい研究者の夢であるといえそうです。しかし、こうした「臓器づくり」は、もはや空想じみたことではありません。

医療の分野では、研究者たちが「オルガノイド」とよばれる立体物をつくろうとしています。オルガノイドは、細胞を材料に、臓器や器官を模してつくる人工3次元組織のこと。いまは本物の臓器や器官よりまだ小さいため、俗に「ミニ臓器」ともよばれます。

あらゆる臓器や器官の細胞に分化できる人工多能性(iPS:induced Pluripotent Stem)幹細胞をもとに、ほしい臓器や器官の細胞を得る。その得られた細胞を、機能が失われた患部などに注入することで、機能をふたたびとりもどす――。これは「再生医療」の方法としてよく説明される流れです。

ただし、この「再生医療」の流れは、あくまで臓器や器官の細胞を、患部の臓器や器官に“注入”するといった方法を前提にしていました。もしくは、せいぜい細胞を2次元のシート状にして、それを患部に充てがうという方法です。

いっぽう、多くのオルガノイド研究者は、試験管内で3次元的に、臓器や器官のような物体を形づくることをめざしています。細胞から3次元の臓器や器官を形づくるには、いくつかの方法がありますが、主要なもののひとつに「足場」とよばれる「細胞の周辺環境」を使ったものがあります。足場を足がかりに細胞を育てていく方法で、足場には、網目や繊維やスポンジのようなかたちをした材料が使われます。

なぜ、研究者たちは、ばらばらの細胞や2次元の細胞シートでなく、3次元のオルガノイドをめざすのか。これはひとえに、ヒトなどの動物の臓器や器官が3次元だからです。本物を糢してオルガノイドをつくれば、現実の臓器や器官により近いはたらきを得られることになります。また、オルガノイドをつくられ方を得て、動物のからだの発生のしくみなどの研究に活かしたいと考える発生学の研究者もいることでしょう。

医療・医学の分野では、いまのところオルガノイドは創薬に役立てられようとしています。たとえば、薬の候補化合物をオルガノイドにあたえ、どう作用するか調べるといったもの。ヒトの臓器などを使ってはできない実験をオルガノイドでおこなうわけです。

しかし、ゆくゆくは、オルガノイドの臓器をそっくり患者の傷んだ臓器と交換するといった再生医療もできているのかもしれません。そこまで行くと、まさにくだんの空想科学小説の“場面”がほんものとなります。

研究の歩みは速いようです。たとえば、脳については、数年前に「脳ボール」とでもよぶような、ごく初歩的な球塊しかつくられませんでした。しかし、いまでは、つくられた脳のオルガノイドが、みずからで血管や血液をつくりだすところまで進んだといいます。

脳のほかに、腸管、肝臓、膵臓、肺、腎臓などのさまざまな臓器についても、オルガノイドをつくるための環境が、企業などにより整えられています。

多くの研究者たちは、それぞれの臓器や器官のオルガノイドを、できるだけ本物の臓器や器官に近づけること、あるいは、ほしい役割をきちんと得られるものにすることを、大目標としていることでしょう。すくなくとも、これらの大目標がありつづけるかぎり、研究の速さが衰えることはなさそうです。

参考資料
デジタル大辞泉「オルガノイド」
https://kotobank.jp/word/オルガノイド-2100142
Merck「3次元細胞培養―最先端のツールおよび技術の概要」
https://www.sigmaaldrich.com/japan/lifescience/cell-culture/learning/3d-cell-culture-technology.html
実験医学 online「スキャフォールド」
https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/keyword/1270.html
WIRED 2018年4月17日付「細胞から生まれた「ミニ大脳」が、自ら血液をつくれるまでに進化した」
https://wired.jp/2018/04/17/mini-brains/
ベリタス 2018年4月23日付「腸管・大脳・肝臓・膵臓・肺・腎臓オルガノイド研究用培地(STEMCELL Technologies社)」
https://www.veritastk.co.jp/sciencelibrary/special/organoid-portal.html
| - | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0)
大腸菌に「不朽の名作」演じさせ

写真作者:Gabor Dvornik

自然界で生きる生きものに、人間はあの手この手で介入してきました。

21世紀に入ったころには、自然界にはない分子や生体システムを人の手でつくりだし、それを人の営みのために利用しようとする動きもでてきました。この分野の研究は「合成生物学」などとよばれます。

大腸菌は、よく合成生物学の対象になる生きものです。桿菌(かんきん)とよばれる細ながい棒のかたちをしていて、人をふくむ哺乳類の腸内でも生きている菌です。


大腸菌
写真作者:Rocky Mountain Laboratories, ca:NIAID, ca:NIH

研究では、新薬の開発などに向けて大腸菌が使われてきました。大腸菌のはたらきを人工的に変えることで、大腸菌にあらたな化合物をつくらせ、それを薬の材料にするといったものです。いわば、大腸菌という細胞に工場役を担わせるわけです。

いっぽうで、大腸菌に「文学」とのかかわりをもたせる研究がおこなわれたこともあります。

ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)が1594年ごろ手がけた『ロミオとジュリエット』は、不和の間柄にあった家どうしのロミオとジュリエットが、恋に落ちるものの実らず、ふたりとも自害するという悲劇です。

東京工業大学の生命理工学部や工学部に所属していた学生9人は2012年、2種の大腸菌の情報伝達のしくみなどから、「ロミオとジュリエット」を演じる大腸菌をつくることをめざしました。

一方の大腸菌の刺激が、もう片方の大腸菌の刺激をもたらすといった関係性や、一方の大腸菌が死んでしまうと、もう片方の大腸菌も追いかけるようにして死んでしまうといった関係性をもたせたとのこと。

これにより、東工大の学生たちは、マサチューセッツ工科大学が毎年開催している「iGEM」(The International Genetically Engineered Machine competition)とよばれる合成生物学の国際コンペティションにこの研究などで参加し、最優秀部門賞を得ました。

参考資料
知恵蔵「合成生物学」
https://kotobank.jp/word/合成生物学-185424
デジタル大辞泉「合成生物学」
https://kotobank.jp/word/合成生物学-185424
科学技術振興機構研究戦略開発センター 2010年3月「特定課題ベンチマーク報告書『合成生物学』」
https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2009/GR/CRDS-FY2009-GR-02.pdf
東京工業大学 2012年11月14日発表「本学学生チームがiGEM世界大会で最優秀部門賞獲得」
https://www.titech.ac.jp/news/2012/020258.html
iGEM2012 “Romeo and Juliet” by E.coli cell-cell communication.
http://2012.igem.org/Team:Tokyo_Tech
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大笑い後の「はぁーあ」よび方が見あたらず

写真作者:Mazda Hewitt

ヒトは、もっともよく「笑う」動物です。自分たちが笑うことを認識しているからこそ、「笑い方」にもさまざまなよび方がついています。「大笑い」「失笑」「ほくそ笑み」といったように。

しかし、笑い方に対するよび方がじゅうぶんかというと、かならずしもそうとはいえないのではないでしょうか。かなりの人がしているにもかかわらず、よび方の定まっていない笑い方があるからです。

その笑い方は、大笑い、つまり大声をあげてげらげらと笑ったときに、付随するようにして起きます。

「あーっはっはっはっはっはー(しばらくの時間)……はぁーあ」

上記のような笑いにおいて、はじめの「あーっはっはっはっはっはー」は、いわば大笑いの本体といえます。

着目すべきはそのあとです。しばらくの時間を置いてから、「はぁーあ」を付随させる笑い方がたしかにあります。男性も女性も、裏声で、息を吐きだすようにして、この「はぁーあ」を発します。人によっては、「はぁーあ」のあとにすぐ「おかしい」を加えて、「はぁーあ、おかしい」と口にすることもあります。

大笑いの本体が過ぎたあと、「はぁーあ」を付随させる人は、ほぼ無意識にこれを口にしていることでしょう。しかし、無意識であろうとなかろうと、この「はぁーあ」にも口にすることの意義というものがあるのではないでしょうか。

「はぁーあ」の意義としてひとつありえそうなのは、「大笑いの本体で笑いすぎてからだが正常な状態でなくなったため、笑う前のからだの状態に戻そうと息を整える」ということです。

笑いすぎるとヒトは失神したり、さらには死ぬことがあります。そこまでいかずとも、笑いすぎにより一時的な疲れを覚えることがあります。その「笑いすぎ」の状態がさらにつづくと、からだに異常などの問題をきたすため、「はぁーあ」を挿んで、笑いを休止させているのではないでしょうか。「はぁーあ」までたどりつけば、そのときの大笑いは終息へと向かいます。つまり、「はぁーあ」で息を整えつつ、大笑いに区切りをつけるという意味があるのではないでしょうか。

もし、「はぁーあ」にこうした意義があるとすれば、この笑い方に「終わらせ笑い」とか「息笑い」とかのよび方があってもよさそうなものです。しかし、ほとんどの人は、この笑い方を意識していないのか、なかなか該当するよび方が見つかりません。

参考資料
義務教育に笑いを 2016年4月3日付「色んな笑いの表現」
https://ameblo.jp/isihakai333/entry-12146140557.html
ウィキペディア「笑い死に」
https://ja.wikipedia.org/wiki/笑い死に
| - | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0)
運動直後は空腹感が失せがち


写真作者:Kenny Holston

気の向くままにたくさん食べることの“免罪符”として運動をしているという人は多いことでしょう。「きょうは運動したから、その分、余計に食べてもいいだろう」と。

しかし、激しめの運動をしたすぐあと、激しく食べたいくらいにお腹が減っているかというと、そう感じない人は多いのではないでしょうか。「食べものは運動をするエネルギー源であり、運動でエネルギー源が減ったのだから、運動したあとに食べたくなる」というのは筋がとおるものの、実際の感覚はそうならないわけです。

運動直後に空腹感がない理由としては、つぎのようなことがいわれています。

まず、空腹感が起きるのは、血糖値が低いときとされます。血糖値とは、血液のなかのブドウ糖の濃度のこと。ブドウ糖は、エネルギーのもとですから、それが血液中ですくなくなると、脳が空腹感をもたらすわけです。逆に、血糖値が高いとき、脳は空腹感をひきおこしません。

では、激しめの運動をしたすぐあとの、人の血糖値はどうなっているのでしょうか。

じつは、一時的に、血糖値が高まった状態になるといいます。これは、運動しているときの刺激によって、肝臓や筋肉に貯めこまれているグリコーゲンというエネルギー源が引きだされ、それがブドウ糖へと変わり、血液中でのブドウ糖の濃度が上がるからと説明されます。つまり、運動でからだがエネルギーを必要としたので、エネルギー源がからだに供給されたわけです。

こうしたことから、運動前は「運動しおえたらたくさん食べよう」と考えていても、実際は「運動したけれど、お腹が減らないぞ」となり、夜なのでそのまま寝てしまう、といった人もいそうです。けれども、このときの「空腹感のなさ」はあくまで一時的なもの。翌朝に起きたときは「とてもお腹が減ってしかたない」といったことも起こりえます。

参考資料
HelC+「満腹感や空腹感を感じる食欲のメカニズムを探る」
https://www.health.ne.jp/library/detail?slug=hcl_3000_w3000111&doorSlug=fat
教えて!goo「運動すると食欲がなくなる理由は?」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7678910.html
ライフハッカー 2013年9月25日付「『激しい運動で食欲が減る』現象の科学的分析」
https://www.lifehacker.jp/2013/09/130925exercise_eat.html

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屈折の原理を使って前方を視野に入れる

写真作者:JD Lasica

暑い季節、プールには人が多くなります。浮き輪でぷかぷか浮かんだり、水中歩行をしたりと思い思いにプールで過ごします。

そのいっぽうで、プールに確保されている泳者用レーンでもくもくと泳いでいる人もいます。

泳ぐ人の速さはまちまち。陸を小走りするぐらいの速さで泳ぐ人もいれば、ほぼ前に進んでいないぐらいにゆっくり泳ぐ人もいます。そうしたなか、泳いでいる人たちにとってはかなり大きな課題が生じます。

ぶつかってしまう(しまった)!

プールによってはレーン内の左側を遅い人向け、右側を速い人向けなどと、分けているところもあります。それでも、速さはさまざまですので、ぶつかるおそれは残ります。

ほかの人より速く泳ぐ人にとっては、前で泳いでいる人にぶつかるのは避けたいところ。そこで、混んでいるプールなどでは、自分の前で泳いでいる人に近づいてしまっていないかを、顔を前のほうに向けて、目で確かめることになります。

しかし、これが日本人の泳ぎかたを悪くする弊害にもなっているといわれます。

水泳のクロールでは、顔の向きは真下を基本とし、息つぎのときだけ横を向くのが理想的な姿勢とされます。顔を前のほうに向けると、体の姿勢が崩れて、水の流れに対して抵抗が生まれてしまい、前に進みづらくなるからです。

とはいえ、顔を前のほうに向けないと、前で泳いでいる人にぶつかってしまいます。はて、どうにかならないものか……。

車の運転では、鏡を使って運転者が自分の死角も見えるようにしています。いっぽう、泳者はゴーグルとよばれる水よけの眼鏡をかけています。車の鏡とおなじようなことを、ゴーグルでもできないものか……。

運動用具の製造業者はこうした課題を解決する、「かゆいところに手を届かせられる」用具をちゃんと開発しているものです。

運動用品製造業のミズノは、「水泳中の前方視界が2倍以上に広がる」ゴーグルを開発・製造し、商品にしています。

きもは、ゴーグルのレンズの角度を傾けていること。通常のゴーグルでは、レンズの表面は目の表面と平行になっています。これに対し、このゴーグルのレンズには、天側から地側にかけて傾斜があります。地側が出っぱっているかたちをしています。

このレンズの傾きが、光の屈折の効果を高めます。ゴーグルの内側は目を覆う空間があるのに対し、外側は水で満たされています。つまり、レンズを境界にして、空気と水という異なるふたつの媒質が存在していることになります。こうした境界では、境界面と光の進む方向に角度がつくほど、光の進む方向が大きく変わってきます。

このゴーグルは、レンズを傾けることで大きな屈折を生じさせ、これにより、泳者の顔は真下を向いていながら、眼では前方の視界を捉えることを可能にしているわけです。

レンズ表面に角度をつけられる仕様のゴーグルは、ほかにも、水泳用具の販売をおこなうアリーナの商品に見られます。

運動では、何度もからだの動きをくりかえすことで、「型」ができてしまうもの。運動環境の事情によって、人びとがふさわしくない「型」を身につけてしまうのは、できれば避けたいところ。

課題の解決をはかったこれらのゴーグルは、泳ぐ人の「型」をふさわしいものに導くものといえます。

参考資料
ミズノ公式オンラインショップ「トレーニング用スイミングゴーグル(ノンクッションタイプ)」
https://www.mizunoshop.net/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=59494
アリーナ「COBRA ULTRA(ミラー加工)」
https://asia.arenasport.com/ja-JP/ja-JP/AGL-180M.html
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「考えさせるな」で、使い勝手を高める

写真作者:emdot

モノやアプリケーションなどを意匠するときは、見た目のよさとともに、使い勝手のよさを考えることが大切になります。

たとえば、自動券売機がいくら洗練されたかたちをしていて、前を通る人を見た目でうっとりさせるものだとします。見た目のよさは申しぶんない。しかし、いざ利用者がこの機械で券を得ようとするとき、画面のどこを押したらよいのかがわからない、あるいは、硬貨をどこに入れたらよいかがわからない、といったことでは、見てくれがよいだけの役たたずとなってしまいます。残念な自動発券機です。

このようにならないために、モノやアプリケーションの設計や意匠を担う人は、使い勝手のよさも意識するわけです。ただ見たり眺めたりすることが目的のモノやアプリケーションはそう多くありませんから、設計者や意匠家はほとんどの場合において使い勝手も重視しなければなりません。

では、モノやアプリケーションの使い勝手をよくするには、どうすればよいか。世の中には、「鉄則」や「法則」がさまざま述べられています。

そうしたなかでも、米国のスティーブ・クルーグという、使い勝手の分野における専門家が述べる、つぎの原則は多くのモノやアプリケーションを意匠するうえで参考になりそうです。

「考えさせるな」
Don't Make Me Think.

つまり、使い手が、そのモノやアプリケーションを目の前に「どう使ったらよいのか」と考えなくてもよいように設計や意匠をせよ、というわけです。この法則は、ウェブサイトの使い勝手について述べたクルーグの著書『超明快 Webユーザビリティユーザーに「考えさせない」デザインの法則』で、述べられ、書名にも入っています。しかし、この法則は多くのモノやアプリケーションにも当てはまりそうです。

いまが、「考えさせるな」を実行しやすい時代であるのもたしかでしょう。コンピュータを使って途中までを、またすべてを、設計・意匠できるからです。設計・意匠をしてみて、試しに使い勝手を吟味してみて、「ここが使い勝手が悪い」という点が見つかったら、その部分を改善すればよい。かつては、設計図の紙に戻って、図面を描きなおさなければなりませんでしたが、いまはコンピュータ上でそうした設計変更の作業ができます。

設計や意匠をする人も、「使い勝手を試してみる」ことはもちろんできます。この作業をおこたらずきちんとやることが、使い勝手をよくする大きな近道であったりするのかもしれません。

参考資料
Pop !n Sight 2019年7月25日更新「優れたUIデザイン(ユーザインターフェース)を作るために意識すべき、たった1つの原則」
https://popinsight.jp/blog/?p=2594
An Event Apart “Steve Krug”
https://aneventapart.com/speakers/steve-krug
wikipedia “Steve Krug”
https://en.wikipedia.org/wiki/Steve_Krug
| - | 14:40 | comments(0) | trackbacks(0)
井伏鱒二が放屁したなら、太宰治が音で知った可能性大


三ツ峠
写真作者:アラツク

「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた」(太宰治『富嶽百景』)

太宰治(1909-1948)が、師に仰いでいた井伏鱒二(1898-1993)と、1938(昭和13)年の初秋、山梨県の三ツ峠に登山したときのこと。頂上で井伏が「放屁」つまりおならをしたと、太宰は『富嶽百景』で記しています。ほんとうは井伏はおならをしていなかったともいわれていますが……。

ここでは仮に、井伏がおならをしたとします。太宰がそれに気づいたのだとしたら、太宰は井伏のおならをどのように感じとったのでしょうか。

おならの伝わりかたには、おもに臭い、自己申告、音があります。

臭いにより、井伏のおならを太宰が感じとったというのはやや考えづらいもの。太宰によると、このとき三ツ峠の頂上には、濃い霧が吹きながれてきていたといいます。屋外であり、風も吹いていたでしょう。また、太宰は「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし」などと、かなり客観的に井伏氏の行動を捉えています。太宰は井伏からすくなくとも1メートル以上は離れていたのではないでしょうか。こうしたことから、太宰が、おならをした井伏の風下にいて臭いを感じた可能性は残されるとしても、井伏のおならの臭いは届きづらい状況だったことが考えられます。

井伏の自己申告という線もまずなさそうです。太宰は、井伏のようすを「いかにもつまらなそうであつた」と書いています。ことばを発せず、ただぶぜんとしてたばこを吸っている井伏のありようが想像されます。「ああ霧ばかりでつまらんから。屁をこいてやつた」などと井伏が自己申告していれば、太宰はそれを記述するのではないでしょうか。

すると、残されるのは音。これが、太宰におならが伝わった可能性としてはもっとも高そうです。臭いよりも音のほうが指向性、つまり方向を限定する度合が低いもの。井伏に対して太宰がどんな位置にいても、おならの音は聞こえてきたでしょう。

問題は音量です。一般的におならの音量は、ガスの速度と量で決まり、勢いよく量も多く出すと「ぶぉー」と大きな音になります。晩年の恰幅のよい井伏には「ぶぉー」という音がにあいそうですが、戦前期の井伏はけっこう痩せていたことが肖像写真などからうかがえます。

ですので「ぶぉー」だったかどうかはともかく、意図的に勢いよくおならを出したのかもしれません。「つまらない」と口にするかわりに。

参考資料
太宰治『富嶽百景』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/270_14914.html
朝日新聞 2017年1月21日付「井伏鱒二が読む『屋根の上のサワン』 魂のバリアフリー」
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20170116003464.html
朝日新聞 2013年2月2日付「おならの音は、何で決まる?」
https://www.asahi.com/shimbun/nie/tamate/kiji/20130204.html

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
水分が抜けるから体重が落ちていくという考えも

写真作者:Leifheit International USA

糖質を摂るのを抑える「糖質制限」は、減量法として根づよい人気を保っているようです。「体重が減る」という効果を実感しやすいからでしょう。

いっぽうで、糖質制限によって体重が減るのは、「見かけだおし」だとするような論もあります。それはつぎのようなもの。

ふだん、人は、糖質をエネルギー源として使っています。糖質は、穀物や砂糖などにふくまれる物質で、炭水化物から食物繊維を引き算したものともいえます。

しかし、糖質制限をして、エネルギー源として使っている糖質を摂らなくなると、人はどうにか体内でエネルギーを捻出しなければなりません。そこで、人のからだは、肝臓や筋肉に多く貯められている糖原質とよばれる物質を分解し、これをエネルギーに変えていきます。糖原質は、グリコーゲンともよばれます。

このとき、糖原質には結合水とよばれる水分がともなわれています。糖原質1グラムに対し、結合水は3グラム。つまり糖原質は、つねに3倍の水分をともにしているというわけです。

この糖原質が、エネルギー源として使われて糖質になるとき、糖原質は分解されます。そのとき結合水が解かれ、水分として体外に排出されることになります。

こうしてどんどん水分がからだから抜けていく現象が、体重減として現れるため、「糖質制限で体重が減る」という事実がつくられるというわけです。

そして、この逆もまた真なり。ふたたび糖質を摂れば、エネルギーとして使われない分が、糖原質となって、肝臓や筋肉に貯えられます。糖原質がつくられるときは結合水がともなうので、人のからだは糖原質の3倍の重さの水分を得ることになります。こうして体重がふたたび増えていくわけです。

人のからだの内訳は、人によって異なるもの。

ふだん糖質を摂りすぎているような人が糖質制限をして、望ましい摂りかたになるということであれば、糖質制限をする効果はあるのかもしれません。

しかし、糖質を摂るのを断つといった極端な糖質制限は、一般的にすすめられていません。糖原質が分解されたあとは、つぎに筋肉が分解されるようになるため、糖質を摂るのを断ちつづけることは、筋肉を失うことになるといいます。また、日常的に得るべきはずのエネルギーを断つというおこないが、生存の危険をもたらすという論もあります。

参考資料
MYLOHAS 2019年7月12日付「糖質制限ですぐに体重が落ちるのはなぜ? 勘違いポイントを教授が解説」
https://www.mylohas.net/2019/07/194202sp_muscle_moritani03.html
農畜産業振興機構「スポーツ選手の食事法」
https://sugar.alic.go.jp/japan/view/jv_0106b.htm
デジタル大辞泉「糖質」
https://kotobank.jp/word/糖質-580418
デジタル大辞泉「グリコーゲン」
https://kotobank.jp/word/グリコーゲン-56758
福永倍雄「糖尿病」
https://www.toyama-kusuri.jp/ja/members/lectures/document/tounyoubyo/tounyoubyo.pdf
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
やけに「二俣新町」だけ小さい

街なかには、「ちょっと違和感を覚えつつ、いつもなんとなく見ている」ものがあります。「べつになおしてほしいとまでは思わないけれど、でもちょっと……」といったぐらいのものが。

府中本町駅と東京駅や海浜幕張駅のあいだを走るJR武蔵野線の「停車駅のご案内」という車内表示には、40以上の駅名が書かれてあります。西船橋駅から府中本町駅までの武蔵野線の区間のほか、電車が乗りいれる京葉線の海浜幕張駅まで、それにおなじく京葉線の東京駅までの駅なども示されています。

40以上の駅が並ぶなか、ただひとつ、やけに小さく示されている駅があります。



二俣新町駅……。

この駅は、千葉県市川市内にある京葉線の駅。西船橋駅から南船橋駅や海浜幕張駅のほうへ行く路線と、西船橋駅から市川塩浜駅や東京駅のほうへ行く路線の分かれた先に、ぽつねんと孤立している駅です。海浜幕張駅方面に行く武蔵野線も、東京駅方面に行く武蔵野線も、どちらも二俣新町駅には停まりません。


衛星写真で見た二俣新町駅。手前の西船橋駅から線路が「Y」に分かれた先にある。
Google Earth Pro

だからというわけではないでしょうが、「二俣新町」の字だけ「ちょっと違和感を覚える」ほど、やけに小さくなっています。となりの「南船橋」や「市川塩浜」などの字とくらべると、半分ほどの級数しかないのでは。漢字の上にある英字“Futamata shimmachi”の大きさは、ほかの駅とおなじにかかわらず……。

この「停車駅のご案内」には、ほかにも位置づけ的には、ぽつねんと孤立している駅があります。快速の「しもうさ号」と「むさしの号」のみが停まる大宮駅です。


しかし、大宮駅のほうは、二俣新町駅とちがって、小さな扱いではありません。

なぜ、おなじ孤立した位置づけの駅なのに、二俣新町駅の表示は小さくて、大宮駅の表示はほかの駅と同等なのか。

これを推測するに、まず、大宮駅のほうが二俣新町駅よりも主要な駅であるため、二俣新町駅クラスの小さな表示にするのははばかれるといった事情はありそうです。二俣新町駅の1日平均乗車人員は4800人ほどなのに対して、大宮駅のほうは25万8000人ほど。また、二俣新町駅は京葉線の各駅停車のみしか停まりませんが、大宮駅には東北、上越、北陸の各新幹線や東北本線などの在来線、それに私鉄やニューシャトルも停まります。「二俣新町とは格がちがうのだよ、格が」といった声が大宮方面から聞こえてきそうです。

また、この「停車駅のご案内」に特有の事情もあるでしょう。二俣新町駅の表示を、ほかの駅とおなじ大きさにすると、そのすぐ下にある路線の分かれ目の「Y」に駅の枠が重なってしまいます。すると、実際は二俣新町駅には停まらないのに停まるように見えてしまう誤表示になりかねません。これは情報としてよくない。

それにしても、もうすこし二俣新町駅の存在感を強くしてもよさそうなものです。

二俣新町駅の表示だけやけに小さいことの経緯を探ると「過去の名ごりである」という線が浮かんできます。

武蔵野線の、2012年ごろまで使われていた「停車駅のご案内」には、二俣新町駅のほか、潮見駅と越中島駅という二つの駅の表示も小さなものでした。インターネットでは過去の「停車駅のご案内」が見られます。

かつて、武蔵野線から乗りいれた列車は潮見駅と越中島駅を通過していたため、その列車の橙色の帯に重なるのを避けるため、ほかの駅の半分の大きさで表示されていたのでした。

当時の「停車駅のご案内」では、潮見駅と越中島駅の表示の小ささと、二俣新町駅の表示の小ささを統一させていたのでしょう。ところが、潮見駅も越中島駅もダイヤ改正によって停車駅となったため、大きな字の駅に格あげに。その結果、二俣新町駅の表示だけがもとのまま残され、二俣新町駅のみがやけに小さい表示になっているという線ではないでしょうか。

二俣新町駅の級数を1.5倍ぐらいにして存在感を強くすることは意匠上できそうです。それにより、「二俣新町駅がここにある」という情報は伝わりやすくなるでしょう。

しかし、載せないわけにはいかないけれども、武蔵野線にとって二俣新町駅は停まる駅ではありません。「この電車は二俣新町駅には停まりませんからね」と伝えるには、むしろこの小ささのままのほうが効果的といえます。

参考資料
ウィキペディア「二俣新町駅」
https://ja.wikipedia.org/wiki/二俣新町駅
ウィキペディア「大宮駅」
https://ja.wikipedia.org/wiki/大宮駅_(埼玉県)
Rapid for Minami-Koshigaya 2012年9月13日付「武蔵野線車内ドア上用路線図購入w」
https://ameblo.jp/sakaiseita/entry-11353891674.html
ニコニコ大百科(仮)「武蔵野線」
https://dic.nicovideo.jp/a/武蔵野線

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「ジョナサン」のトマトとチキンのヘルシー雑穀カレー――カレーまみれのアネクドート(121)

これまでの「カレーまみれのアネクドート」はこちら。



ファミリーレストランのカレーは,万人が食べられるカレーから、好きな人が食べるカレーへと進化しています。このブログでも2015年にデニーズの「マッサマンカレー」をとりあげました。

いっぽうで、ファミリーレストランは、「健康」志向のカレーにも力を入れています。

ジョナサンでは、グランドメニューのひとつとして「野菜の旨み! トマトとチキンのヘルシー雑穀カレー」を出しています。さまざまな野菜を具にし、また、ライスを雑穀米にし、健康を意識したカレーであることを訴えます。献立表には「カロリー630」とあり、減量にはげんでいる人にはこの熱量表示も惹くのでは。

献立の説明によると、味の基本はトマト。酸味あるトマトペーストと甘みの強いイタリア産トマトがカレーソースに使われているよう。いっぽう具のほうは、鶏肉のほか、ブロッコリー、ひよこ豆、パプリカなど。さらに、乾いたグランベリーが散らばっていて、これがカレーとは異なる味を味を出しています。

ライスのほうは、ジョナサンで出している汎用的な雑穀米とおなじでしょう。わずかに紫色をしていてナッツがふくまれています。「ヘルシー」をうたっているからか、量は少なめライスほどで多くありません。

献立の写真にある、トマト8分の1切りや、ブロッコリーひとかけ、ごろごろした鶏肉のカレーが出てくるかというと、実際はそれぞれかなり小さめ。ファミリーレストランの献立の写真と実際の料理の差をいかになくしていくかは、このカレーにかぎった課題ではありません。

とはいえ、小さい具だからこそ、それぞれがトマトを基本とするカレーソースにきちんとまみれています。

個人経営のカレー専門店が、新たな料理として「ヘルシーカレー」ひとつを出すのは労力のかかるもの。対して、ファミリーレストランは、つねに料理を開発しています。そうした行動力の強みから生まれたカレーともいえるでしょう。グランドメニューのひとつになっているものの、ファミリーレストランのグランドメニューはひんぱんに変わるもの。興味ある方は、早めに食べておいたほうがよいかもしれません。

ジョナサンによる「野菜の旨み!トマトとチキンのヘルシー雑穀カレー」の紹介はこちらです。
https://www.skylark.co.jp/jonathan/menu/menu_detail.html?mid=107_12542

| - | 15:23 | comments(0) | trackbacks(0)
欲望に対する行為が遅いと上品――法則古今東西(30)
これまでの「法則古今東西」の記事はこちら。

人がなにか行動をとるとき、「品よく見られたい」と願うことがあります。「品よく」を意識するということは、その当人はふだんの自分の行動に品があるとは思っていないのでしょう。とはいえ、人はその場で演じることができる動物ですから、品よく振るまえれば、うまくやりすごせることもあります。

では、品よく振るまうにはどうすればよいか。落語家だった立川談志(1936-2011)が、品のよさや悪さについて「法則」ともいえる、見かたを遺しています。

「上品とは、欲望に対して行為の遅いこと」


立川談志。1959年、柳家小ゑん時代。
写真作者:朝日新聞社

暑さから免れたい。座席に座りたい。早く帰りたい。あの人に会いたい。崎陽軒のシウマイを食べたい……。人はさまざまな欲望を抱きます。おそらく目が覚めているときは1分に一度くらいはなにかしら欲をもつのではないでしょうか。眠っているときでさえ、呼吸をしたい、肌を掻きたい、夢のなかでの理不尽から解放されたいなどと、欲を抱きます。

こうした欲を叶えるには、それを満たすための行為をすればよいことになります。このときの行為が遅い人は上品であり、逆に、行為が早い人は下品であるというわけです。

たとえば、電車で「座席に座りたい」と思っていたところ、10メートルほど先に1人分だけ席が空いていたとします。空席を見るやいなや、全力で走ってその席に向かい、ずどんと腰を落としたら、まわりの人からどう見られるでしょう。「品のないやつだ」と感じられることでしょう。

いっぽう、「座席に座りたい」と思っていても、自分の目の前の席が空いたらおもむろに座る、ぐらいの行為であれば「品のないやつだ」とは思われません。

あるいは、立っている年配の客がいるのを見て、空いた席を確保し、「さあ、どうぞ」などと導けば、「まぁ上品な人だこと」と思われるでしょう。このときの行為は、欲望に対して遅いといえます。自分の「座席に座りたい」という欲は、まだ満たされていないわけですから。

意匠でも、余白を大きく使って小さな文字で書かれたものは上品な印象をあたえ、逆に、余白がないくらいの大きな字で書かれたものは下品な印象をあたえます。これも、「上品とは、欲望に対して行為の遅いこと」が当てはまります。つまり、「伝えたい」という欲に対して、小さな文字で書けば、相手に伝わるまでの時間は遅くなります。逆に、大きな文字で書けば、相手に伝わるまでの時間は早くなります。この表現のちがいが、上品な印象か下品な印象かのちがいに現れるというわけです。

「品」は人に備わっている性質といいますから、そうそう変わるものではなさそう。しかし、すくなくとも、「上品とは、欲望に対して行為の遅いこと」を心得ておくことで、上品な振るまいかたに近づくことはできるでしょう。欲望に対する行為を遅くすればよいのですから。
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「おおよそ24時間周期」のきっかけつくるゲノム配列のひとつ決まる

写真作者:Housing Works Thrift Shops

ヒトをふくむ多くの生きものでは、「おおよそ24時間の周期」で生理現象が起きています。これは、それぞれの生きものが細胞内にもっている「体内時計」のしわざによるものとされます。

この体内時計によるおおよそ24時間周期でのくりかえしをもたらすゲノム配列の一部を、東京大学の研究者たちが決定したと、(2019年)8月8日に東京大学が発表しました。理学系研究科生物科学専攻教授の深田吉孝さんらの研究チームによるものです。

多くの生きもののからだにおおよそ24時間の周期がつくられるのは、生きものの細胞のなかで、「転写・翻訳を介したフィードバックループ」がはたらいているからと説明されます。

転写とは、デオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)の配列を、相補的リボ核酸(cRNA:complementary RiboNucleic Acid)に写しとる反応のことで、遺伝子をもとにたんぱく質がつくられるまでの第一段階にあたります。

また、翻訳は、転写のさきの段階にある反応で、べつの種類のリボ核酸が、いくつかのアミノ酸をならべてタンパク質をくみたてることをさします。

そして、フィードバックループとは、ここでは「活発」な状態と「抑制」の状態の両方が、影響を及ぼしあいながら、その過程が一周すること、といった意味です。

転写から翻訳へという過程が「活発」になると、その結果としてタンパク質がつくられます。ここでのタンパク質は、体内時計のしくみにかかわるものなので、「時計タンパク質」などとよばれます。こうしてつくられた時計タンパク質は、今度は転写の反応を「抑制」する方向にはたらきます。これで転写の反応はいったん抑制されるますが、時が経つと、ふたたびべつの時計タンパク質が転写のきっかけをつくり、転写から翻訳へという過程が活発になります。

これで一周したことに。

この「活発」と「抑制」のくりかえしが、おおよそ24時間の周期でなされています。つまり、「転写・翻訳を介したフィードバックループ」とは、転写から翻訳へという過程が起きながら、「活発」な状態と「抑制」の状態がたがいに起き、一周することをさします。この一周が約1日をかけておこなわれているため、体内時計による「おおよそ24時間の周期」が保たれているのです。

じつは、この「転写・翻訳を介したフィードバックループ」は、はたらく時計タンパク質などの要素のくみあわせによって、3種類あることがわかっています。それぞれ、異なる時間帯に、「活発」な状態と「抑制」の状態が起きています。

今回、東京大学の研究チームは、その3種類のループのうちの1種類についての成果をあげました。転写が起きるには、転写因子とシス因子というふたつの要素が結びつく必要がありますが、今回、DBP転写因子と結びつく「D-Box」というシス因子のゲノム配列を決定したということです。

今回の研究でチームは、MOCCS2とよぶ解析法を開発し、転写因子が結びついた部分のゲノム配列がどうなっているかを網羅的に調べ、D-Boxのゲノム配列をけっていしたとのこと。

今後は、ほかの2種類のフィードバックループではたらく時計シス配列などの解析や決定が進んでいくかもしれません。

参考資料
東京大学大学院理学系研究科・理学部 2019年8月8日発表「体内時計による約24時間周期のリズムを生み出すゲノム配列を決定」
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6494/
東京大学大学院理学系研究科・理学部「パネルディスカッション『なぜ私は理学を選んだか』」
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/event/guidance/2011/yoshitane.html
名古屋大学 2015年5月11日発表「触媒で体内時計のリズムを変える」
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20150511_itbm.pdf
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「科学のこと」より「人のこと」


科学ライターや科学ジャーナリストとよばれる人たちは、仕事のなかで「科学のこと」を伝えます。

たとえば、ノーベル賞が発表されたとき、科学ライターや科学ジャーナリストは、「今回、受賞した大隅さんが研究対象としたオートファジーというのは、細胞がタンパク質を分解するためのしくみのひとつで、『自食』ともよばれ……」などと解説したりします。

このあたりの「科学のこと」を伝える仕事は、科学ライターや科学ジャーナリストの本分といえましょう。

しかし、科学ライターや科学ジャーナリストたちが個人的な食事の席などで、そうした「科学のこと」を話しあうかというと、まったくないわけではないものの、そうしたことはあまり起きないようです。

「やっぱり、大隅先生が酵母からオートファジーの遺伝子群を発見したことが、この分野の歩みでは大きかったですよね」などと「科学のこと」を口にするよりも、「私、10年前ぐらいに大隅先生に会って取材したことがあって、熱っぽく語ってくれた人柄ををいまでも覚えてますよ」などと、自分や相手をめぐる「人のこと」を口にすることのほうが多いようです。

「人のこと」を伝えるのは、新聞では社会面などで、放送ではワイドショーなどでよく見られるもの。仕事の場面では、かならずしも科学ライターや科学ジャーナリストの出番とはなりません。

では、仕事では「科学のこと」を伝える科学ライターや科学ジャーナリストが、なぜ個人的な会合などでは、科学をめぐる話題で「科学のこと」をあまり話さず、むしろ「人のこと」を話しあうのか。

多くの場合は、その会合のときに、当人たちが「科学のこと」を話題にできるほどのきちんとした知識や伝え方を、もはや失っているからではないでしょうか。

科学ライターや科学ジャーナリストは、仕事で「科学のこと」を伝えようとするとき、知識や情報を集中的に得て、きちんと伝えることを心がけます。しかし、基本的に「科学のこと」は、複雑なしくみをふくんでいるもの。その時点ではきちんと伝えられたとしても、その後は得た知識をすぐ忘れていってしまいます。

そのため、たまに個人的な会合でおなじ職業の人と会っても、得た知識や情報をもはや忘れてしまっているため、「科学のこと」を話しあうということにはなかなか至らないわけです。うろ覚えな知識で「科学のこと」を話して、相手に伝わらなかったり、問いかえされてしどろもどろになったりといった状況を無意識のうちに避けている、といった理由もあるでしょう。

その点、「科学のこと」それもある分野に特化した「科学のこと」をつねに考えている研究者たちの会合のほうが、より「科学のこと」が話しあわれることは多いのではないでしょうか。研究者どうしの雑談から、あらたな発想や発見のたねが生まれるともよくいいます。

「科学のこと」より「人のこと」のほうが、話すときに知識を必要としません。自分の感覚や体験をもとに話すことができます。気軽に話すことができるため、ふだんの会話では「人のこと」が話しあわれることが多くなるのです。
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「機知に富んだ話」には「予期しがたい着想」と「驚き・喜びをあたえる意図」がある

写真作者:Krystyn Wukitsch Foran

「あの人は機知に富んでいる」といいます。「機知に富んでいる」といった話をして、不快な感情を抱く人はまずいません。しかし、機知に富んでいるとは、具体的にどんなことをさすのでしょう。

「機知」そのものは、才能や知恵のことをさします。国語辞典などでは、その場その場に応じてはたらかせるものとされます。しかし、これだけでは具体性に欠け、機知に富んだ人をめざすことはなかなかできません。

にた英語に「ウィット(wit)」があります。『オクスフォード英語辞典』には、“wit”はつぎのように説明されているそうです。英文学者の早乙女忠が紹介しています。

「予期しがたい着想により、驚きと喜びをあたえようと意図した思考と表現の適切な結合に基く談話または記述」

ここでの「予期しがたい」とは、ウィットに富んだ話を聞かされることになる自分以外の人たちにとって「予期しがたい」といったことでしょう。ウィットに富んだ話を企図するのは自分自身ですから。ただし、自分もウィットに富んだ話を考えつくまでは、「こんな話を思いつくなんて」と予期していないという点では、過去の自分もふくまれてよいかもしれませんが。

そして、「驚きと喜びをあたえようと意図」する点も、ウィットに特徴的です。おそらく「驚き」だけでも「喜び」だけでもなく、「驚きかつ喜び」なのでしょう。驚きをあたえるだけであれば、相手が知らないようなことを言えばかなえられそうですし、喜びをあたえるだけであれば、相手をほめればかなえられそうですから。なお、「予期しがたい着想」にはたいてい「驚き」の要素もふくまれるでしょうから、予期しがたい着想をすれば「驚き」をあたえるという点は乗りこえられそうです。

そして、この「驚きと喜びをあたえようと意図した思考」と「表現」が「適切な結合」を起こすことが条件であるとしています。これは、相手に表現として伝わらなければ元も子もないわけですから、当然といえば当然です。もっとも、思考と表現を結びつけることはかんたんなことではありませんが。

ウィットは「談話または記述」であるということも記されています。より難易度が高いのは、談話のほうではないでしょうか。とっさに機転をきかせる必要があります。記述のほうは、より長い時間を費やして考えることができます。

「機知に富んだ話」も、だいたいこの「ウィット」で記されている要素が揃っていることが条件になるのではないでしょうか。談話において、相手に対して機知に富んだ話で返せるのは、心に余裕のあるしるしととられます。ほんとうにその場での着想で機知に富んだ話ができる人は、あふれんばかりの才能や知恵をもっているといえそうです。そうしたその場での着想がなかなかできない人は、せめて機知に富んだ話を自分の引きだしに閉まっておくのが手でしょうか。

なお、この記事に、機知やウィットは見あたりません。

参考資料
早乙女忠「ウィットとポエトリー」
https://www.meijigakuin.ac.jp/gengobunka/bulletins/archive/pdf/2018/19saotome.pdf
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書評『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』
わずか3年間で消えた、「伝説」といってよいプロ野球球団の全貌を追った1冊です。

『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』長谷川晶一著 彩図社 2015年 288ページ


日本のプロ野球にはセントラル・リーグとパシフィック・リーグがあり、両リーグに6球団ずつが所属している。この「セ・パ12球団」の体制はいまや定着しきっているものの、かつてはそうでなかった。1954(昭和29)年から1956(昭和31)年にかけて、パ・リーグに8球団が所属する時代があったのだ。この3年間だけ存在していたのが「高橋球団」だ。

1953(昭和28)年まで、パ・リーグは7球団制という不規則な試合日程を余儀なくされる体制にあった。そこで、当時のパ・リーグ総裁で、いまの千葉ロッテマリーンズの源流にあたる大映スターズのオーナーでもあった永田雅一が、財界の名うてだった高橋龍太郎を口説き、8番目の球団として高橋ユニオンズを設立させた。

選手や監督がいなければ球団はなりたたない。高橋球団に集まったのは、ほかの7球団ですでに全盛期を過ぎていた選手たちだった。そのなかに、かのヴィクトル・スタルヒンもいたというと聞こえはよいが、すでに18年目。「横綱」と体型を揶揄されていたともいう。監督は、前年度まで阪急ブレーブズの監督だった浜崎真二が就いた。川崎球場を本拠地とした。

本書では、この「最弱」とまでいわれた高橋ユニオンズのペナントレースの、さらには球団経営の、“悪戦苦闘ぶり”を、時系列で追っていく。著者はプロ野球を主題にいくつもの本を著しているライター。高橋龍太郎の孫が遺していた高橋ユニオンズ関連の膨大な資料と、いまも存命している所属選手たちへの取材をもとに執筆しており、ウィキペディアなんかでは得られない逸話がふんだんに披露される。オーナー、選手、監督、球界関係者などのセリフも豊富で、登場人物たちの歓喜や落胆が生々しい。

「最弱」の球団に所属していたからこそ、プロ野球選手でいられたという人物も多かったろう。多くの選手は、高橋球団が「解散」すると、ほどなくして引退してしまった。なかには、東京六大学野球のスター選手だった佐々木信也のように将来を嘱望される選手も入団していた。だが、佐々木さえその後、大映ユニオンズで1年、大毎ユニオンズで2年を過ごしたあと解雇されている。

また「1イニング7四球」といういまも破られぬプロ野球記録をつくってしまった田村満は、いまも自分がうちたてた成績を悔いている。それぞれが人生をかけていた。

高橋球団は4年目にさしかかった1957(昭和32)年の春、突然のように「解散」を余儀なくされ、選手は散りじりになった。むしろ赤字つづきながら3年間も存続できたという点をたたえたい。これはひとえに、オーナーの高橋龍太郎に“球団愛”があったからにちがいない。3年間の勝率は、いずれも4割さえ超えることがなかったが、それでも足しげく球場に赴いて選手たちを励まし、勝利したときはほんとうにうれしそうにして選手をねぎらったという。

いまほど映像記録が発展していなかった時代だ。高橋球団に関する映像や音声の記録ももはやないだろう。そうしたなか、1冊の読みものとして高橋球団がいまの時代にも「存在」していることの価値は大きい。

『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』はこちらでどうぞ。
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刺激を感知器が受け、脳が指令して「ごほんごほん」


「ごほんごほん」

夏かぜでしょうか。せきをしている人を見かけます。止めたくても止められない人は、街なかでまわりの人から白い目で見られるなどして、辛い思いもしていることでしょう。

せきは、からだの外から入ってきた異物をとりのぞこうとするからだの防御反応といえます。のどや気管、それにふたつの肺への通り道である気管支などには「咳受容体」とよばれる感知器の役割が備わっています。

この咳受容体が、異物が入ってきたときの刺激を感じると、その刺激が脳にある「咳中枢」に伝わると、今度は咳中枢から横隔膜や呼吸筋に対して「せきをせよ」という指令が伝わり「ごほんごほん」とせきが出ます。

かぜなどでウイルスが軌道に感染すると、そこの部分が炎症を起こします。炎症そのものも異物に対するからだの防御反応のひとつととれますが、炎症が起こるとそれだけ咳受容体は敏感になり、せきが出やすくなるとも考えられます。

たいていのせきは3週間未満でおさまる急性のものですが、咳喘息(せきぜんそく)やアトピー咳、また慢性気管支炎などの場合は3週間以上もせきが続くことがあり、遷延性のせきと診断されます。さらに8週間もせきが続くと慢性と診断されます。

参考資料
くすりと健康の情報局「咳(せき)の原因」
https://www.daiichisankyo-hc.co.jp/health/symptom/20_seki/
角田康典「咳について考えてみませんか」
http://www.ekisaikai.com/health_column/pdf/helth_h25_007.pdf
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球速表示の上に「育 它 罠」
漢字などの文字を長いことじっと見ていると、その文字が部分ごとにばらばらに見えてきて「こんな文字をしていただろうか」と感じることがあります。これは「ゲシュタルト崩壊」とよばれる心理です。「ゲシュタルト」とは人名でなく、ドイツ語で「形態、状態」を意味する“Gestalt”からきています。

いっぽうで、人は、かたちあるものがなにかの文字っぽく見えたとき、それを知っている文字に当てはめようするものかもしれません。

千葉県美浜区にあるZOZOマリンスタジアムの内野2階席には、電光掲示板があります。ボール、ストライク、アウトの数を表示する緑、黄、赤のランプの左側に電光掲示板があり、白い文字で情報が示されます。白色発光ダイオードかなにかでできているのでしょう。

プロ野球の試合などでは、通常はその電光掲示板に、上から順に、選手名、その選手の現在の打率、その選手の現在の本塁打数が記されます。

しかし、投手が投じた直後には、掲示が切りかわり、下部に「138km/h」のように球速が示されます。

さて、そのときの電光掲示板の上段には、三つの文字のようなかたまりが見られます。



しかし、外野スタンドなどのごく遠くで観戦していて、しかもあまり視力のよくない人は、ぱっと見ではなんと書いているのかわかりません。

ZOZOマリンスタジアムの外野席で観戦していたある人は、つぎのように言います。

「球速の表示が出るたびに、その上はなんて書いているのだろうと疑問を抱くようになりました。ほかの球場では球速表示のすぐそばに、合わせて広告が出るようにしているところもあります。だから、はじめはなにかの広告ではないかと思っていたんです」

このときの試合は千葉ロッテマリーンズ主催のもの。ロッテの製品にちなんだ広告かなにかでしょうか。

「ところが、どうも漢字3文字に見えました。左は『育』という文字にに見えます。まんなかの文字は、はじめ『毛』に見えていました。すると『育毛』ですね。そして右の字は、こざとへん『阝』に『宅』でしょうか」

となると「育 毛 𨹏」です。

「しかし、こんな名前の製品をロッテが売っているはずないと、いぶかしがりました」

この観戦者は、まんなかと右の「文字」について、つぎのような推測をしたそうです。

「まんなかの文字は『它』ではないかとも思いました。日本語では、あまり使われていないので中国語のように感じました。右の文字は『罠』にも見えてきました」

これだと「育 它 罠」となります。「它」は「タ」と読み、「へび」などの意味をもちます。

「『育てる』はべつにしても、『へび』と『わな』ですから、なにか意味がありそうです。しかし、球速表示のすぐ上に『育它罠』という文字を合わせて示す球場の意図がさっぱりわかりませんでした」

試合よりもこの「みっつの文字の塊と思しきもの」が気になってしまった観戦者は、スマートフォンよりも望遠の効くカメラを持っていたので、それで電光掲示板を撮ってみて、確かめたそうです。

「ああ! となりました。漢字ではなく『H E Fc』の三つだったのです!」



この「H E Fc」は、そのときのプレーが記録上なにに該当するかを観客に示すもの。Hは「ヒット(Hit)」、Eは「エラー(Error)」、Fcは「野戦(Fielder's Choice)」を意味します。

「それぞれの枠の上のほうに白いグラデーションがかかっているでしょう。それを、私は心のなかで漢字の部首のなべぶた『‎亠』とか、うかんむり『宀』とかにちがいないと決めこんでしまったんですね。『Fc』の『F』の部分は、こざとへん『阝』だっていうね……」

人は、正体のまだわからない象形に対して、なにかしらの意味を求めようとするようです。
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運転手に「ラム確認」促す



街なかには、いわゆる業界用語が貼りだされていることがあります。一般の人はほぼ知らないだけに、「これはなんの意味だ」とかきたてられます。

駅前のバス停には「ラム確認」という札が掲げられてあります。まさかバスの利用客に伝えるものではありますまい。そのうえに「経路確認」とあるので、「ラム確認」もバスの運転士に伝えるものでしょう。つまり「ラムを確認せよ」と。

「ラム」といえば、蒸留酒の「ラム酒」、うる星やつらの「ラムちゃん」、横浜大洋ホエールズの「ラム一塁手」などが思いうかばれます。しかし、この「ラム」は「ラムコーダー」の「ラム」なのだそう。

「ラムコーダー」と聞いても多くの人はぴんときませんが、路線バスに乗ったことのある人は、だれもが「ああ、あれね」とわかるようなものです。

「つぎは、免許センター、免許センターでございます。お降りの方はブザーでお知らせください」

このようにバスの車内で流す放送の音声を出す装置を「ラムコーダー」といいます。バス業界の人たちは、これを省略して「ラム」とよんでいるのでしょう。そして、出発前に運転手に「経路確認」とともに、「使うラムコーダーが合っているかの確認」を促しているのでしょう。異なる車内放送を流すと、乗客が混乱したり、降りたい停留所で降りれなくなったりしますから。

なぜ、「ラムコーダー」なのか。日本語では「音声合成装置」ともよんでいるそう。「合成装置」に当たる部分が「コーダー」でしょうが、「ラム」がなんなのか。インターネットで、“Lamcoder”、“Lambcoder” “Ramcoder”などと検索しても、それらしい情報は見あたりません。

日本で初めてラムコーダーをつくったのは、レゾナント・システムズという企業のようです。それまで、バスの車内放送には音声テープが使われていました。しかし、運転手が操作でたいへんだったり、テープが摩耗してのびたりと、問題もあったようです。

これらの問題を解消すべく開発されたのがラムコーダー。レゾナント・システムズは1980年代後半に「TLS-1」という装置を富士急行バスに収めたとされます。

その後、ラムコーダーは発展し、近ごろの型では、放送する機能だけでなく、経済的な運転や安全運転などを支える機能までついているといいます。

ところで、日本語で「音声合成装置」というからには、「つぎは、免許センターでございます」といった声は、じつは機械によってつくられているのでしょうか……。

レゾナント・システムズのサイトには、「レコーディング → データ化 → プレイ」という工程があり、女性がレコーディング・スタジオで録音に臨んでいる写真も掲げられています。声そのものは、人の肉声をもとにしたもののようです。おそらく「データ化」の工程を「音声合成」とよんでいるのでしょう。

バスが出発する近くに、運転手の視界に入るように「ラム確認」と札を掲げるのは、注意を促す手立てとしては原始的ともいえます。原始的ではありながらもこうした手だてが使われるのは、きっと効果的であるから。

参考資料

産業技術資料データベース「ラムコーダー TLS-1」
http://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?no=107211161057&c=&y1=&y2=&id=&pref=&city=&org=&word=&p=890
資材部会ビジネスネットワーク VOICE「(株)レゾナント・システムズ トランジスタからICヘ 時代を先取りした放送装置」
http://jabia.or.jp/car_news/pdf/voice/09.akivoice.pdf
レゾナント・システムズ 製品情報「音声合成技術」
http://www.resonant-systems.com/seihin_n/seihin00.html
ウィキペディア「レゾナント・システムズ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/レゾナント・システムズ
ユキサキNAVI「バス停[バス]用語集(あ行)」
https://www.homemate-research-bus.com/useful/glossary/bus/

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膠のような“べたべた”こそ愛想
  枯れたまち にべもなし 侘しげに鼻垂らし
  (米津玄師作詞・作曲「Flamingo」)

「にべもなし」は「そっけない」は「愛想がない」といった意味のことば。川柳などに出てきそうですが、現代の楽曲でも出てきます。

漢字もふくめると「鮸膠も無し」となります。「鮸膠」はニベ科の魚のうきぶくろを原料とする膠(にかわ)のこと。膠とは、接着剤にもなるゼラチン状の物質です。このニベ科の魚は「鮸」や「鰾」と書いて「ニベ」と読みます。つまり、膠のことも、そのもととなる魚のことも「にべ」というわけです。また「鰾」で「うきぶくろ」ともよびます。この魚は、ほぼうきぶくろとおなじものと捉えられていたのかもしれません。

「膠がない」から「にべもなし」。つまり、べたべたしない。人の心と人の心が親しくべたつくようなことがないから、「そっけない」「愛想がない」という意味になるわけです。いにしえの人は、魚の名から、洒落や風流のきいた表現をうみだしたものです。


毛氏梅園元寿撰輯「梅園魚品図正 巻1」より「鰾」
所蔵:国立国会図書館

魚のうきぶくろの大きな役割は、気体をこのなかに入れて浮力を得ること。魚の種類によってはほかにも、水中の音を響かせられるため聴覚を補助的に支える役割や、原始的な魚では呼吸を支える肺の役割もあるといいます。

ニベの膠は、日本ではかつて弓を作るときの接着剤として使われていたといいます。

ニベのをふくめ、膠のおもな成分はコラーゲン。タンパク質の一種で、動物のからだにおいては細胞どうしを接着します。つまり、ニベのからだでも「接着」のために使われていた材料が、うきぶくろから抽出されて、膠という「接着」の材料となり、人びとにも使われてきたことになります。

参考資料
J-Lyric.net「Flamingo 歌詞」
http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l049516.html
棚橋正博 そのことば、江戸っ子だってね!?「にべもない」
https://www.web-nihongo.com/edo/ed_p050/
ウィキペディア「ニベ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニベ
| - | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0)
興行の興奮高めるリング外
プロレスリングの興行では、むかしもいまも選手どうしの「場外戦」とよばれる戦いが、ほとんどの試合で見られます。

選手たちの戦場は基本的にリング内。しかし、リングのふちには3本の細いロープが張りめぐらされているのみ。技を受けた勢いで選手がリング外に出されたり、あるいは劣勢の選手が意図的にリング外に出たりします。そして、片方の選手がこうしてリング外に出ると、それを追ってもう一方の選手もリング外へ出て戦うことも多々あります。これが、試合における場外戦です。

プロレスはリング内で決着するものというのが大義。そのためリング外に出た選手は、審判役のレフェリーが「20カウント」を数えるよりまえにリング内に戻ってこなければ負けとなります。双方の選手ともリングに戻れなければ「両者リングアウト」となり、事実上の引きわけとなります。両者リングアウトを見せられた観客には「両者負け」にも映りますが。

「20カウント」内に戻らなければならないということは、逆にいえば「20カウント」内ならリング外にいられるということ。選手たちはむしろリング外で派手に場外戦をくりひろげます。昭和時代のプロレスでは、ジャイアント馬場(1938-1999)などの日本人選手が、クラッシャー・リソワスキー(1926-2005)やディック・ザ・ブルーザー(1929-1991)などの外国人選手を場外戦で鉄柱にぶつけ額を“流血”させるというのがよくある展開でした。また、場外戦でテレビ中継の実況席がめちゃめちゃに破壊されるというのも定番的なできごとでした。

もし、プロレスリングの戦場がリング内のみだったとしたら、どうでしょうか。選手たちはいったんリング外に逃げて体力を回復するといったことができなくなります。でも、それだけではありません。

リング外の選手めがけて跳んだり、観客席の折りたたみいすを持ちだして相手選手にぶつけたりといった、選手たちの“戦いの表現”もかぎられてしまいます。これは、勝敗だけでなく、戦いかたをも楽しもうとする観客たちの興味をも失わせるもの。興行にとって非常に重要な“試合中のスパイス”が失われてしまいます。ですのでプロレスでは、特別な試合を除けば、場外戦を排するようなことにはなりません。


写真作者:dat'

近年では、リングの外に出ると、さらに花道や観客席まで移って場外戦をおこなう選手たちもいます。

そこまでリングから遠ざかると「20カウント」内にリングに戻ることはできるのでしょうか。

できるのです。「20カウント」とは、レフェリーが数を数えること。「1カウントは1秒」とはかぎりません。むしろ「1カウントは1秒」としてカウントをとるレフェリーを見たことがありません。

選手たちとレフェリーのあいだには「あうんの呼吸」のようなものがあるのでしょう。たいてい18カウントや19カウントほどで選手はリング内に戻ってきます。あるいは、選手がリング内に戻るときに18カウントや19カウントほどが数えられているといってもよいかもしれません。いずれにしても、観客は「よくぞリング内に戻ってきた」と興奮ぎみに拍手を送ります。

こうして、試合が決するまでに、何度かの場外戦がくりひろげられます。場外戦により観客の興奮度は高まっていきます。

ただし、ときには観客が場外戦にまきこまれてけがをすることも。けがを負った観客が主催者に損害賠償を求める訴訟を起こしたことも過去にはあります。観客に危害をあたえず、観客が興じる場外戦をくりひろげる方法を磨くことも、リング外での“戦いの表現力”を高めるものといえましょう。

参考資料
ウィキペディア「インターナショナル・ヘビー級王座」
https://ja.wikipedia.org/wiki/インターナショナル・ヘビー級王座
日刊サイゾー 2012年7月5日付「『プロレスから場外乱闘が消える!?』観客の訴訟リスクを抱え込んだプロレス界に垂れ込める暗雲」
https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201207_post_10918/
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
ひとつの製品でも「実用」と「趣味」の度は変わる
たいていのものごとは、「でない」や「非」がつくと、反対の意味になるもの。たとえば「日常的」の反対は「非日常的」です。

けれども、ものごとによっては「でない」や「非」をつけてもさほど意味をなさず、むしろほかの表現で示するほうが、意味の反対ぶりが伝わりやすくなるものもあります。

「実用的」に「非」をつけると、「非実用的」となります。「この製品は非実用的だ」などといった言いかたはできます。では、「非実用的な製品」とはどういう性質をもったものかというと、それは「趣味に用いられる性質をもった製品」となるでしょう。

つまり、「実用的」の反対は、「非実用的」といえるけれど、「趣味的」ともいえるわけです。おなじように「実用と趣味」「実用性と趣味性」なども、ほぼ反対にあるものといえます。「非実用的」というと「役に立たない」という印象が強くなります。より嗜好されている印象をあたえたいときは「趣味的」と表現するのがよいでしょう。

反対にあるものとはいっても、多くの製品やサービスは、「実用」の要素だけが、あるいは「趣味」の要素だけが込められているというものではありません。このふたつが“同居”している製品やサービスは多くあります。

たとえば自動車は、一台に「実用」と「趣味」の両方が込められやすい製品の典型例ではないでしょうか。遠くまで移動する手段としての実用の側面と、運転することに快を感じる趣味の側面があり、どちらの度が高いかはそのときの目的、運転手の気分、その車の設計思想などによって変わってくるわけです。

ひとつの製品やサービスにふくまれる実用性と趣味性の比率は、時代とともに変わるものでもあります。

航空分野の雑誌は、かつて戦争前や戦争中は「必要な知識を得るためのもの」と位置づけられ、実用性の度が高かったといいます。しかし、戦争が終わり、読者が実用性を感じなくなると、こうした雑誌あるいは、そこに載る航空模型などに対し、趣味的な価値が見いだされるようになったようです。

また、カメラという道具はかつてはとても高価だったため、趣味としてもたれ、使われる道具でした。しかし、戦争の色が濃くなると、趣味を推奨しづらい風潮が生じたようです。そこで、写真雑誌などで、国策宣伝に寄与する写真の募集がされるようになったといいます。つまり、意図的な趣味性から実用性への転換がはかられたわけです。

一般的に、それが目的をかなえる唯一の手段であるという状況であるほど、実用性の度は高くなるものです。はじめは手段がそれしかなかったものの、ほかの手段も現れて選べるようになれば、はじめの手段は選ばれにくくなります。あとから現れた手段のほうがより目的をかなえるものと見なされれば、はじめの手段の実用性は一気に失われます。それでもなお、そのはじめの手段が選ばれるのは、趣味としての価値を感じる人が残るからでしょう。


寝台特急の車内
写真作者:tsuda

たとえば、深夜の移動手段としてかつて寝台列車が多く走っていました。きわめて実用性は高かったことでしょう。しかし、より安い価格で夜行バスなどの手段が現れると、寝台列車は実用性を失いました。しかし、それでもほんのわずかな実用性と、それなりの趣味性がまだ残されているため、寝台列車は絶滅はしていません。

こうして製品やサービスなどの歩みを、「実用性」と「趣味性」の度の変わりかたで見ていくと、その背景にある社会状況までよく見えてきます。

参考資料
神野由紀「近代日本の手作りとジェンダー 大量生産の時代における趣味のジェンダー化」
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-15K01927/15K01927seika.pdf
兵器生活「非常時とカメラ」
http://www2.ttcn.ne.jp/heikiseikatsu/737000.html
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紙ストローはプラで覆われず、紙コップはプラで覆われ……



2019年に入り、ストローに紙製のものを使う飲食店が増えてきました。プラスチックのごみが海に流れこみ環境汚染が広がっているという報道などを受けてのものでしょう。

紙とプラスチックのちがいのひとつは、水がしみこむかどうかです。プラスチックとちがって、紙には水がしみこんできます。そのため、紙製ストローを長いことコーヒーなどの液体に浸しつづけていると、途中で折れまがるなどしてしまいます。

紙ストローの耐久性実験を伝える記事では、紙ストローを1時間ほど飲みものに浸しておくと、指の圧力にふにゃふにゃになったとのこと。

しかるに、飲食店のもちかえり商品で使われている紙コップは、しばらく飲まずにコーヒーなどを入れていても、紙製ストローほど水がしみこんでぐしゃぐしゃにならず、液体を貯めておくコップの役割を果たしつづけます。

一般的に、こうした液体に耐えうる紙コップの内側は、ポリエチレンというプラスチック材料で覆われています。

つまり、飲みものを出している飲食店のなかには、いまのところ「内側をプラスチックで覆っているために液体がしみこまない紙コップ」と「内側をプラスチックで覆われていないために液体がしみこんでふにゃふにゃになる紙ストロー」を同時に使っているところもあるはずです。

紙ストローが使われるようになったなかで、「プラスチックでコーティングされている紙ストローはいかがなものか」といった声もあります。たしかに「紙製」でありながら、プラスチックが使われているという点では、いんちきな感を抱く人もいるでしょう。

しかし、紙ストローについて、プラスチックで覆われているものを許さないということになると、おなじことを紙コップでも求めなければ、筋が通らないことになります。

紙コップにコーヒーを入れて、机に置いていたら、やがて紙コップがずぶずぶになって、机が水浸しに……。このような状況が起こりうることを考えると、紙コップに水がしみこむときの深刻度は、紙ストローに水がしみこむときよりも高いといえそうです。

それでも、紙コップの耐水性と紙ストローの耐水性の足なみを揃えていくのだとすれば、どちらも生分解性の、つまり微生物によって分解される、プラスチックで覆うという方法に行きつくのではないでしょうか。

さらにその先は、生分解性プラスチックが広まり、結局のところコップもストローも紙でなくプラスチックを基本材料としたものに戻るかもしれません。

しかし、いくら生分解性だからといっても、そうかんたんには分解されなかったり、大量に使いすぎて処理しきれなかったりして、ふたたび生分解性プラスチックで覆った紙コップや紙ストローへの需要が高まっていくのかもしれません。

参考資料
atta 2018年12月6日付「話題の紙ストロー 耐久性実験!! byスタッフM」
https://www.atta-v.com/pages/ideanote_detail.php?id=7900
スラド「スターバックス、全世界の店舗で2020年までに従来のプラスチック製ストローを廃止する計画」
https://science.srad.jp/story/18/07/11/0542212/
木村容器 2018年10月12日付「もっと紙コップを使おう! 紙コップはなぜ水が染み出さないの?」
https://www.pack-kimura.net/useful/article052593/
プラなし生活 2017年11月24日付「プラスチックストロー全面廃止!シアトルの偉大な決断」
https://lessplasticlife.com/marineplastic/responses/seattle_plasticstraw_ban/

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地球は自分の引力で丸くなる

地球
写真作者:NASA

ありとあらゆるものには「かたち」が備わっています。水のようにときによってかたちが変わるものでも、その瞬間にはかならずかたちがあります。

宇宙における基本的なかたちのひとつといえるのが「球」ではないでしょうか。太陽や地球などの天体は、完全な球とはいえないものの、「地球にはどんなかたちをしているか」といわれれば、ほとんどの人は「球」とこたえるでしょう。

どうして多くの天体は球体なのか。これには、万有引力が深くかかわっています。

万有引力とは、すべての物体のあいだに作用する引力のこと。この万有引力は、物体の中心からあらゆる角度にあるものが等しく引っぱられるように作用しています。ですので、いったん、まわりの小さな物体を引きよせるくらいの重さの物体ができると、その物体に向けてあらゆる角度から小さな物体が引きよせられるようになります。この物理からすると、まずもって天体は、三角錐や直方体のようなかたちでなく、球のかたちになっていきそうです。

その途中には、引きよせられた物体が尖ったかたちをしていて、全体としてもいびつなかたちになるときもあるかもしれません。

しかし、天体は大きくなるほど、大きな引力をもつようになります。すると、天体そのものが、自分の中心に向かって等しい強さで引っぱられるようになります。だとすると、たとえ長い時間がかかるとしても、いびつになっている部分もいびつでなくなっていきます。

こうして天体は結果的に球のかたちになると考えられます。

「はやぶさ」が到着した小惑星イトカワや、おなじく「はやぶさ2」が到着したリュウグウなどは地球や太陽ほどの球のかたちをしていません。イトカワは、長ほそいジャガイモのようなかたちをしていますし、リュウグウは四角いクッションをぱんぱんに膨らましたようなかたちをしています。

これの小惑星は、自分のもっている重力がさほどなく、かたちを保つ強度のほうが上まわっているため、完全な球体に近いかたちまでにはならず、いびつになっているものと考えられます。

参考資料
国立科学博物館「地球はどうして丸いのですか?」
https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/earth/earth01.html
コカねっと「惑星の形はなぜほとんど丸いのか?」
https://www.kodomonokagaku.com/hatena/?2fe803545be2dc87d0bebf5c6f7f013a
月探査情報ステーション「天体はどうして丸いのですか?」
https://moonstation.jp/faq-items/q024
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建てものの跡地は植物観察の適地
建てものがとり壊された空き地では、やがて時が経つと草が生えはじめます。とくに暑い季節は、雨が降り陽が照りがくりかえされると、さまざまな草がどんどん生えてきます。

それらの草を人はよく「雑草」といいます。それらの草が「雑草」であるかどうかは、人の観念や見かたによるもの。草は、ほかの生きものから「雑草」といわれていることを知るよしもありません。



「ねこじゃらし」ともよばれるイネ科のエノコログサなどがたくさん生えているなかで、ひときわ背の高い草が目だちます。梅雨に入ったころに芽生えたのでしょうか。8月にもなると、人の背丈とおなじぐらいまで育ちました。

人は、空き地の草を「雑草」と括りつつも、名を当てて分けていきます。

この草は、「オオアレチノギク」ではないでしょうか。南アメリカ原産で、名にあるとおりキク科。一年草です。

葉に触ってみると、かなりすべすべしています。葉のかたちは、下のほうはのこぎり形。インターネットなどの画像では、葉はほうぼうに開いているものの、この草は成長したてということか、天側に向かっているばかり。

このまま時が経つと、鐘のかたちの花をつけるでしょう。そして、10万ほどともいわれる種を実らせます。つぎの代へと命をつないでいきます。

どんな草が生えるか。葉はどんなかたちや色をしているか。成長の早さはどれほどか。どのくらいまで高くなるか……。建てものがの跡地は、草の育ちかたを観察するのにぴったりです。もっとも、つぎの建てものが建てられるまでの、はかない観察ではありますが。

参考資料
シンジェンタ 雑草ポケットブックオンライン版「オオアレチノギク」
http://www.syngenta.co.jp/golf/weeds/weeds13.html
ウィキペディア「オオアレチノギク」
https://ja.wikipedia.org/wiki/オオアレチノギク
ブリタニカ国際大百科事典「エノコログサ」
https://kotobank.jp/word/エノコログサ-37102
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サイゼリア「刻んだ野菜の=ディアボラ風」を公言


サイゼリヤ愛好者のみなさん、お元気でしょうか。きょうはお店でどんな料理を注文するでしょうか。

肉料理の献立には、「ディアボラ風」とつく料理があります。たとえば、「若鶏のディアボラ風」。この「ディアボラ」(daivola)とは、イタリア語で「悪魔」の意味。鶏肉をほぼからだ丸ごと焼いて皿に置いた料理をイタリアでは“pollo alla diavola”(鶏肉の悪魔風)というそうです。「悪魔」が料理名につくのには、諸説あるようですが。

ですので、サイゼリヤでの「若鶏のディアボラ風」という料理名は、イタリアで言われている“pollo alla diavola”とわりと近いことになります。

しかしサイゼリアの献立表の「若鶏のディアボラ風」のうえに載っている欧文でのよびかたは、“Grilled Chiken with Vegetable Salsa”。“Diavola”を使っていないのは、本場の欧州料理に対する尊敬の念からでしょうか。

「若鶏のディアボラ風」のほかにもうひとつ「ディアボラ風」がつくサイゼリヤの料理として「ディアボラ風ハンバーグ」があります。こちらの欧文でのよびかたは“Humberg Steak with Vegetable Salsa”。 

このふたつの「ディアボラ風」に通じているのは、同店が「野菜ソース」とよんでいる切りきざんだ野菜が肉のうえに乗っていること。これらの料理名と料理法から、たいていの人は「“ディアボラ風”というのは“あの野菜ソース”が乗った肉料理のことだ」と捉える人も多いのではないでしょうか。

おそらく、サイゼリヤ側にも「野菜ソース」を乗せる肉料理は「ディアボラ風」とつけることで、客にひとまとめで認識してもらおう、といった意図はあったのではないでしょうか。

サイゼリヤの(2019年)7月に改定された献立表には、その意図があらわれでています。肉料理の「リブステーキ」の献立の横には「トッピングディアボラ風ソース(ガーリックガルム付き)」という新たな単品があり、「トッピングディアボラ風ソースをかけて」とうたっています。

つまり、このサイゼリヤの「野菜ソース」を「ディアボラ風ソース」とよぶことを、サイゼリアは公式的に認めているわけです。といいますか、サイゼリアみずからがそうよぶよう、導いているわけですが。

このサイゼリヤの「野菜ソース」は、明らかに「野菜ときのこのピザ」の食材としても使われています。「若鶏のディアボラ風やディアボラ風ハンバーグに使われている刻み野菜が使われているピザ」ということで、「このディアボラ風のピザを1枚お願いします」と注文する客もいそうです。「悪魔風」というのがなんのことかあいまいなわけですし、そう注文して店員に通じれば、店内での意思疎通としては問題ありますまい。

なお、「トッピングディアボラ風ソース(ガーリックガルム付き)」とはべつに、献立表にはないものの「野菜ソース」またの名を「ディアボラ風ソース」を単品で注文することもできるもようです。

参考資料
サイゼリヤ「グランドメニュー」
https://www.saizeriya.co.jp/menu/grandmenu.html
ネタフル 2018年11月26日付「サイゼリヤ『野菜ソース』は必ず追加オーダーするべし」
http://netafull.net/saizeriya/059360.html
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