科学技術のアネクドート

ごく近い対象物を大きく画面に入れてみる
最近のスマートフォンは、スリープモードを解除した画面にすでにカメラの印があり、その印を押すとパスワードを入れて主画面を経ずとも撮影を始めることができます。好んで街なみや料理などを撮影する人にとっては便利なものとなりました。

気軽に使えるスマートフォンの撮影機能でさまざまな写真を撮っていくわけですが、ひとつ効果的に撮る方法とし「ごく近い対象物を大きく画面に入れつつ、奥の対象物を撮る」といったものがあります。



たとえば、写真は東京駅の丸の内口ですが、真正面のアスファルトの広場から左右対称で駅舎を撮るという人は多くいます。

ここで、注目すべきは、アスファルトの脇に緑の芝生があるということ。駅舎の赤いレンガと芝生の緑の色の対照もよさそうです。

芝生には縄が張られているので、なかに入ることはできませんが、縄の手前のアスファルトににべたっと座ることはできます。

そして、芝生のすぐ手前にスマートフォンを横向きに置いて、画面の手前に大きく芝生、画面の奥に駅舎を入れてみるとどうでしょう。



駅舎の前のアスファルトの部分がほぼ画面には写らなくなり、手前の緑の芝生のうえに奥の赤レンガの駅舎が建っているような見えかたになりました。しかも、その間には人びとがたくさんいるため、駅舎の前にもかなり空間があるということも暗に示すことができます。

スマートフォンのカメラにも「グリッド」という設定があり、この設定を選ぶと、画面が縦に3分割、横に3分割する便宜上の細い線が表れます。これも使えば、画面の下3分の1は芝生が占め、中3分の1は駅舎が占め、上3分の1は空が占めるといった構図もかんたんにつくることができます。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
旋律に勝手に歌がついてくる


写真作者:Kouki Kuriyama

歌の入らない旋律だけが流れる曲というものは、巷に溢れているものです。しかし、耳を澄ませていると、その旋律に勝手に歌までついて聞こえてくるという感覚をもつ人もいるのではないでしょうか。

たとえば、一般者参加型の歌番組「NHKのど自慢」では、出場者が歌っていると、歌唱力の審査結果が「鐘」で流されます。最高の「鐘みっつ」とよばれる旋律にも聞こえてくるものがあります。

「あなたはあなたはえっらっいー」

また、これとはべつにつぎの歌詞が意識されているという説もあるようです。

「ごうかくしましたおめでとー」

もちろん、このような歌は聞こえてこないとか、このような歌詞では聞こえてこないという人もいるでしょうが……。

もうひとつ、大阪市などを走る地下鉄「大阪メトロ」の駅では、電車が近づいてくると、駅放送で決まった曲が流れてきます。曲には何種類かありますが、北または西へと向かう電車がくるときにおもに使われる曲では、勝手に歌がつぎにように聞こえてくるといいます。

「でんしゃがっ…きまっすよ。でんしゃがっ…きまっすよ」

30秒ほどすると、実際に電車がきます。この旋律は、電車が接近してくることを駅の客に注意喚起する目的のものでしょうから、歌まで聞こえてくるとすれば効果は絶大です。

この旋律をつくった人物をめぐっては、大阪芸術大学短期学部の講師だった藤本由紀夫さんだという説があります。しかし、藤本さんが取材に答えている記事を読むかぎりは、藤本さんが手がけたのは長堀鶴見緑地線の駅ホームに流れる旋律であり、大阪メトロでは例外的なもの。「でんしゃがっ…きまっすよ」も藤本さんが手がけたとは読みとれません。

となると、大阪にちなんでいて、つい勝手に歌が聞こえてしまう旋律をつくる人物といったら、やはり「浪花のモーツァルト」とよばれるあの方が携わったのでしょうか……。

参考資料

Yahoo! 知恵袋「素人名人会やのど自慢の合格だったときの鐘のメロディ。」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1440890109
SAS「車内放送・駅放送」
https://subway-osaka.sakura.ne.jp/subway.html
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ「藤本由紀夫オーラル・ヒストリー 2009年3月26」
http://www.oralarthistory.org/archives/fujimoto_yukio/interview_02.php

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「電話していきますので」のあと「トイレ駆けこみ」で罪悪感


「きょうはありがとうございました」「こちらこそ。ではまたお会いしましょう」と言ってさようならしたあと、すぐその建てもののエレベーターホールや出口などで会ってしまったとき「バツの悪さ」を感じる人も多いのではないでしょうか。

知人どうし、あるいは仕事仲間ぐらいの関係にある人と人は、会っている最中はそれなりに社交的に話します。でも、「ではまた」とさようならすれば、その人と社交的に振るまう必然性はなにもなくなります。その後は物理的に離ればなれになり「会っていない」時間を過ごすことになるのだから、当然といえば当然です。

人によっては、相手に「じゃあ、ここで電話していきますので」、あるいは「私、ちょっと買いものしていきますので」などと言って、べつの方向に歩いていった振りをし、すぐ戻ってきて最寄りのトイレに駆けこんだり、いままで乗っていた電車にふたたび乗りかえしたりする人もいるのではないでしょうか。

そうしたとき、さようならをしたばかりの人とまた会ってしまうと、バツの悪さを超えて、罪悪感さえ覚える人もいることでしょう。

ある慎重派の人は、駅で相手とさようならしたときのことを、こう話します。

「便意をもよおしていたので、いますぐにでもトイレに駆けこみたい気分でした。でも、感づかれたくないので、クールな顔をして『では、私、ここで電話していきますので』と言って相手とさようならをしました。その場で電話を手に持って通話している振りをしつつ、相手が遠ざかるのを見とどけ、さらに電車が2、3本、止まって相手が確実に電車に乗ったであろうタイミングまで待ってから、トイレに向かいました。なおも、相手もトイレに戻ってきて列で待っていやしないかなどと慎重になって、顔を伏せながらトイレに入りました」

もちろん、さようならした直後の相手とトイレで会ったり、おなじ電車のなかで出くわしたりしたとしても、法に触れるような罪になるわけではありません。

しかし、その場でさようならするということにより「おたがいべつの目的地や方向に向かう」という前提がつくられてしまうのです。抱えることになったその前提を破ってしまうことに対し、人は決まりの悪さを感じてしまうのでしょう。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「ご飯セット」で叱られる

写真作者:Jun OHWADA

飲食の会などでの「あるべき姿」や「あるまじき姿」は、個人や世代によって異なるもの。とくに上下関係が重視される企業においては「あるべき姿」や「あるまじき姿」をめぐって相当な齟齬も起きうるようです。

ある若手社員は会社帰り、ごく親しい先輩社員と居酒屋に行くことになったそうです。

店に入ると、偶然にも営業部長が一人で飲んでいました。「おお、若い連中。きたまえ。いっしょに飲もうじゃないか」

こうして、若手社員、先輩、営業部長という、ふだんあまり生じない面子で小さな宴席がはじまりました。

しかし、その直後、若手社員は営業部長に「なんなんだね、きみは」と叱られたのだそうです。そのときのできごとを、若手社員はこう証言します。

「先輩と夕飯を食べようということで居酒屋に入ったんです。だから、私は『ご飯セット』を注文しようとしました」

「ところが『ご飯セット』を注文したところ、営業部長に『なんなんだね、きみは』と叱られてしまいました。なぜ叱られたのか、いまもよくわかりません……」

おそらく営業部長は「飲む」ということを前提にしていたため、注文する品は「肴」になるようなものと考えていたのでしょう。たとえば「刺身の3種盛り」とか「鶏の唐揚げ」とかです。

しかし、そうした暗黙の了解とは裏腹に、若いのが注文したのは「ご飯セット」でした。「なんなんだね、きみは」の言外には「ご飯セットで、どう酒を飲もうとしているんだ」といった思いがあったのでしょう。

いっぽうの、若手社員からすれば、営業部長と店で会ったことは偶発的なできごと。本来の目的は「親しい先輩と夕飯を食べる」ことでした。よって「ご飯セット」を注文することは、その目的をかなえる手段として必然だったわけです。はじめから「営業部長と飲む」と決まっていれば、「ご飯セット」は頼まなかったことでしょう。

この若手社員は、先輩からの助言も受け「ご飯セット」の注文をとり消したそうです。そして、偶然による3人での小宴会がお開きになったあと、べつの居酒屋に1人で入り、「ご飯セット」を注文したといいます。「当初の目的のためです」と若手社員。
 
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
生物・化学系ライター大平万里さんの新連載「生物進化を食べる」始まる


ウェブニュースのJBpressで、きょう(2019年)4月26日(金)「生物進化を食べる」という連載が新しく始まりました。執筆者は大平万里さん。2018年4月から2019年3月までJBpressで「考究:食と身体」という連載に寄稿してきた「生物・化学系ライター」です。

「生物進化を食べる」は、「なぜヒトが『その食材』を食べることになったのか」を、地球上でヒトや生きものがたどった「進化」からひもといていくもの。1話ごとにひとつの食材に光を当て、その食材に隠された「生物進化のドラマ」を知り、味わいます。

第1話で主役となっている食材は「イシクラゲ」。屋上や空き地などで、ゼラチン状の生きものとして見かけることがあります。食べることもでき、よく人びとはイシクラゲを「海藻みたいなもの」と考えて料理するようですが、進化の視点ではイシクラゲと海藻類は大きく異なるもの。

記事では、生きものの進化のしかたをしめすとともに、いまの生きものを「バクテリア」「古細菌」「真核生物」という三つの分類に分けた「系統樹」という図を示しています。イシクラゲは、系統樹のなかでは「バクテリア」のなかの「シアノバクテリア」の一種に分類されます。いっぽう、海藻で多いのは「バクテリア」とはべつの「真核生物」という領域ににある「紅色植物」とされます。イシクラゲと海藻類はおたがい遠い位置どうしにあるわけです。

第1話で大平さんがイシクラゲをとりあげたのは、イシクラゲも属するシアノバクテリアが「元祖」だから。なんの「元祖」かというと、光合成をおこなう生物としてのです。ほかのよりつくりが複雑な植物よりもはるか前の27億年前からシアノバクテリアは光合成をしはじめ、酸素をつくりだしてきました。

このことから大平さんは「私たちが日々食べている生物のほとんどは、生きてゆくのに酸素を必要とする。すなわち、私たちが食べているものは、シアノバクテリア以降に出現した生物が大半なのである」と述べます。

シアノバクテリアに属する生きものとしては、イシクラゲのほかにスイゼンジノリやスピルリナもあり、これらも食べることができます。大平さんは「太古のシアノバクテリアの遺伝子を受け継いだ『27億年前の味』と思えば、その淡白な風味も感慨深いものになるのではないか」と味わいかたをすすめています。

「生命進化を食べる」第1話「イシクラゲは27億年の生物史が詰まった味だった」は、こちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56210

第2話以降は、じょじょに時代を進めて、新たな食材を主役に据えていくことになりそうです。「生命進化を食べる」は毎月最終週の金曜日に掲載の予定です。
| - | 15:09 | comments(0) | trackbacks(0)
「科学ジャーナリスト賞2019」大賞2件、金沢工業大学とNHK森哲也さん・遠山哲也さん受賞


日本科学技術ジャーナリスト会議はきょう(2019年)4月25日(木)、「科学ジャーナリスト賞2019」の受賞者と受賞作品を発表しました。今回は「大賞」が2件となり、金沢工業大学、それに日本放送協会(NHK)津放送局の森哲也さんと遠山哲也が選ばれました。

科学ジャーナリスト賞は、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰するもの。2006年に始まり、今年2019年で14回目となります。

金沢工業大学には、東京・上野の森美術館で2018年9月に開催された「『世界を変えた書物展』など金沢工業大学による自然科学書の稀覯本収集・展示活動」に対して大賞が贈られることになりました。贈呈理由は「展示企画の顕彰は、開催期間が限られているため難しい。今回は、開催期間中に選考委員に見てもらうことができ、ほぼ全員から高い評価を得たので、展示企画作品として初めての大賞受賞が実現した。多くの来場者が『新しい世界を開いた初版本』に直に触れ、科学の発展に果たした役割を学べた」というもの。

また、森さんと遠山さんには、2018年11月11日に放送されたNHKスペシャル「見えないものが見える川 奇跡の清流・銚子川」の制作に対して大賞が贈られることになりました。贈呈理由は「映像が美しく、見る人を引き込む力がある。『奇跡の清流』として銚子川を取りあげた着眼点もよかった。サイエンスとしては、いま一歩のところもあったが、映像作品としての秀逸さが救いとなった」というもの。

また、「賞」が3人へ贈られることになりました。

毎日新聞水戸支局兼科学環境部記者の鳥井真平さんへ、2018年4月から2019年1月までの「『ハゲタカジャーナル』をめぐる報道」に対して。受賞理由は「掲載論文の品質管理をせず高額な掲載料を徴収する『ハゲタカジャーナル』の問題点を鋭く衝いている。この報道を契機に文部科学省や大学でハゲタカジャーナルに注意を促す動きが生まれた。科学・技術ジャーナリズムの原点に迫るものだといえよう」。なお、鳥井さんは報道時は大阪本社の科学環境部記者でした。

駿台予備学校講師へ、『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』(岩波書店)の著作に対して。贈呈理由は「『明治維新から150年』を成長と繁栄の時代だとナショナリズムを強調するような視点とは異なり、福島第一原発事故に至る科学技術体制の破綻の歴史と捉えた。科学ジャーナリズムに批判精神が足りなかったことを厳しく糾弾した書でもある」。

国立科学博物館副館長 兼 人類研究部長の篠田謙一さんへ、『江戸の骨は語る――甦った宣教師シドッチのDNA』(岩波書店)の著作に対して。受賞理由は「江戸屋敷で発掘された3体の遺骨から宣教師シドッチのDNAを蘇らせた過程をドラマティックに描いた好書で、研究者の熱い思いも盛り込まれていて興味深い。科学者の書いた啓蒙書としても、高く評価されよう」。

応募作品は、新聞4、映像7、書籍42、ウェブ2、展示3の計58点。これらから、大賞と賞が決まりました。

日本科学技術ジャーナリスト会議による知らせ「科学ジャーナリスト賞の2019年度の贈呈作品決まる」はこちらです。
https://jastj.jp/info/190425/
| - | 16:52 | comments(0) | trackbacks(0)
横書きの読点、国がまず示したのは「,」


日本語には縦書きと横書きがあります。横書きで文を書くとき、読点をどのように打つでしょうか。「、」でしょうか。それとも「,」でしょうか。

この書きかたをめぐり、日本教育新聞の2018年10月8日付記事に「読点は『,』よりも『、』現状維持派を上回る」という見だしが出ています。

現状維持派といえる「,」よりも、現状維持派でない「、」を使う人が多かった、というのが見だしの要旨といえましょう。

この記事の情報源となっている2017年度の「国語に関する世論調査」の結果報告書には、横書きで文章を書くとき、「。」と「、」を使う人が81.3パーセントであるのに対し、「。」と「,」を使う人が9.5パーセントなど、「、」が「,」を大きく引きはなしている現状が示されています。

しかし、新聞の見だしでは、「,」を使う人のほうが「現状維持派」というのです。どういうことでしょう。

新聞の本文は会員登録なしには見られませんが、政府は戦後の国語政策として、横書きの文では「,」を使うという方法を定めていた経緯があり、そのことを指しているのでしょう。

まず、1946(昭和21)年、文部省(いまの文部科学省)の教科書局調査課国語調査室という部署が、『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』を発表しています。そこには、「もつぱら横書きに用ひるもの」のひとつに「コンマ( ,)」を掲げており、「出た,出た,月が。」という用例を載せています。

さらに、1950(昭和25)年に文部省が出した『国語の書き表し方』では、「くぎり符号」の使いかたについて、つぎのようにしています。
_____

くぎり符号の使い方は,縦書きの場合と同じである.ただし,横書きの場合は 「、」を用いず,「,」を用いる.
_____

ここでは、横書きでは「、」を用いない、ということをはっきり記しています。

こうした、政府の示す読点の使いかたを起点とすると、横書きで「,」を使ってきた人のほうが「現状維持派」となるわけです。

しかし、政府の定めるものごととはべつに、独自の読点のつけかたを定める組織や機関もあります。

たとえば、共同通信社が2016年に発行した『記者ハンドブック』第13版には、「読点『、』」とあり、読点に「、」を使うということを前提にしています。1994年発行の第7版の段階では「『 ,』は使わない」とまで書かれていたといいます。

国が示すものごととはべつに、世の中で定められた書きかたが市民にも浸透し、その結果、横書きで文章を書くとき、「。」と「、」を使う人が81.3パーセントと多数派になったのでしょう。横書きに「 ,」を使う人が現状維持派であるという認識をもっている人は、もはやすくないかもしれません。

参考資料
日本教育新聞電子版 2018年10月8日付「読点は『,』よりも『、』現状維持派を上回る」
https://www.kyoiku-press.com/post-194076/
文化庁「平成29年度『国語に関する世論調査』の結果の概要」
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf
文部省教科書局調査課国語調査室 1946年3月作成「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf
渡部善隆「横書き句読点の謎」
http://ri2t.kyushu-u.ac.jp/~watanabe/RESERCH/MANUSCRIPT/OTHERS/YOKO/ten.pdf
共同通信社『記者ハンドブック 第13版』
https://www.amazon.co.jp/dp/4764106876
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
媒体の性質に合った作品の題材を

写真作者:Bernard Goldbach

2000年代の後半は、「ウェブ2.0」の時代などといわれ、インターネットをする多くの人たちが、自分についてのことをブログや自作ウェブページなどで表現できる時代でした。ただし、そのときの表現のしかたはおもに、文章と画像によるもの。

2010年代の後半になると、自分で録音して音声をポッドキャストにあげたり、動画を撮って映像作品にしてユーチューブにあげたり、人びとができる表現のしかたも幅広くなってきました。

さまざまな表現媒体があるなか、なにか表現したものをインターネットに載せたいと思っている人は、手はじめに書いたり撮ったりすることからはじめることになります。

このとき「媒体の性質と作品の題材が合っているか」を考えることは、意外と大切なのではないでしょうか。

たとえば、ポッドキャストという媒体は、動画でも表現できるものの、音声が中心です。世の中の媒体でいえばラジオが近いものとなるでしょう。このポッドキャストで自分の表現したいことを伝えようとするとき、作品の題材となるのはどのようなものでしょうか。

たとえば「虹の美しさ大解明」とか「花の咲く瞬間」といった題の音声の作品をつくって伝えるとしたらどうでしょう。絵や映像を使うことはできないため、きっとわかりづらいものとなるでしょう。

伝える方法が「音声で」となれば、やはり音にかかわるものを題材とするほうが合っているわけです。「ピアノの響きを解明する」とか「声変わりの瞬間」といった音声の作品であれば、合っている度は高いといえましょう。

おなじようなことが、文章と画像が伝える方法として中心となるブログでも、映像と音声が伝える方法として中心となるユーチューブでもいえるわけです。

いくつもの作品をつくって表現方法を身につけている人は、「音声で色を伝える作品をつくる」とか「文字で風景を伝える作品をつくる」といったことに挑むこともまた楽しみとなるでしょう。

いっぽうで、はじめて作品をつくるような人は、まずはその媒体の性質に合った題材を選ぶということから入るのは手です。それなりの作品になるのではないでしょうか。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
系統樹「英字3文字」は「門」仲間


ウィキペディア「系統樹」より

生きものの類縁関係を樹木のように表したものを「系統樹」といいます。さまざまに分類される生きものも、もとをたどれば共通祖先にたどりつく、という考えにもとづいています。

ウィキペディアの「系統樹」の項目には、「細菌(バクテリア)」「古細菌(アーキア)」「真核生物」という3種類に大きく分かれている系統樹を見ることができます。

そこで示されている生きものの種類やその括りのよびかたは、見なれないものだらけ。orz。コンピュータの変換ソフトを使っても、一発でカタカナに変換されないものもざらにあります。

ここでは、とりいそぎアルファベットで示されているものがなんなのかを見ていきます。

まず「細菌(バクテリア)」のなかにあるのが「CPR細菌」。共通祖先とごく近い位置にあります。CPRとは、“Candidate Phyla Radiation”の頭文字をとったもの。“Candidate Phyla”は「候補門」、つまり生物分類の一段階である「門」の候補 を指します。また“Radiaton”はここでは「放散」を指すようです。ネイチャーでは「放散に属する35を超える細菌」が「CPR細菌」であると説明しています。

おなじく「細菌(バクテリア)」のなかの「グラム陰性菌」には「FCB」という3文字が見られます。FCBは“Fibrobacteres, Chlorobi, and Bacteroidetes”の頭文字をとったもの。それぞれ「フィブロバクター門」「クロロビウム門」「バクテロイデス門」という門を意味し、これらの仲間を群として捉えた括りとされます。「クロロビウム門」は「緑色硫黄細菌」などにより構成されます。

「グラム陰性菌」には、ほかに「PVC」とよばれる群もあります。これは、“Planctomycetes, Verrucomicrobia, and Chlamydiae”の頭文字をとったもの。それぞれ「プランクトミケス門」「ウェルコミクロビウム門」「クラミジア門」を指します。これらの仲間を群として捉えた括りとされます。

つまり、FCBやPVCは、その下に書かれてある3つずつの門を括った群を意味するわけです。これとおなじ括りが、「真核生物」にある「SAR」。“Stramenopiles, Alveolata, and Rhizaria”の頭文字をとったもの。それぞれ「ストラメノパイル門」「アルベオラータ門」「リザリア門」を指します。

また「古細菌」の「ナノ古細菌」にある「DPANN」は、“Diapherotrites, Parvarchaeota,. Aenigmarchaeota, Nanoarchaeota, Nanohaloarchaea”の頭文字をとったもので、それぞれ「ディアペロトリテス門」「パルウ古細菌門」「アエニグム古細菌門」「ナノ好塩古細菌門」「ナノ古細菌門」「ミクル古細菌門」を指します。

いっぽう、おなじく「古細菌」の「ロキ古細菌」にある「ASGARD」は、「アスガルド古細菌」とよばれ、これは“Asgard archaea”や“Asgardarchaeota”のように綴られます。

「細菌(バクテリア)」「古細菌(アーキア)」「真核生物」という3種類の大きな括り方による系統樹は、研究者たちに提唱されて間もないため、分類のしかたはまだ大きく揺れています。それだけ新しく熱を帯びた分野であるともいえます。

参考資料
ウィキペディア「系統樹」
https://ja.wikipedia.org/wiki/系統樹
『ネイチャー』2015年7月9日付「微生物学:未知の細菌を知る」
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/65566
ウィキペディア「FCB群」
https://ja.wikipedia.org/wiki/FCB群
天海のホームページ(Tenkai Homepage)「細菌界(バクテリア(真正細菌)ドメイン)(Bacteria)」
http://taxonomy.html.xdomain.jp/taxonomy/bacteria.html
写真で見る生物の系統と分類「SAR(=ハロサ亜界 Subkingdom Harosa)」
http://natural-history.main.jp/Tree_of_life/Eukaryote/Chromalveolata/Chromalveolata.html
ウィキペディア「DPANN群」
https://ja.wikipedia.org/wiki/DPANN群
アスガルド古細菌
https://ja.wikipedia.org/wiki/アスガルド古細菌

| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
遠くにきていることを伝えたがる

写真作者:Apprentice Tran

メールや電話などを使うとき、冒頭で「自分はいまどこにいる」ということを伝えようとする人がいます。とりわけ、自分のふだんの生活場所から遠くにいればいるほど、それを伝えたがる傾向がありそうです。

「いまね、じつは沖縄にいるんだけどね……」

「こんにちは。鈴木@ヒースロー空港です……」

相手からすれば、電話もメールも遠方からのものであるということを知っておく必要性はそう高くはありません。固定電話であれば、長距離だと電話代がかかるので知っておいたほうがよいでしょうが、携帯電話の多くは距離で電話代がかわることはあまりありません。メールについてもおなじです。

ということは、遠方に滞在している人が、つい「自分はいまここにいるんだ」と伝えたくなるなにかがあるのでしょう。

たしかに、旅や出張というものは、日常生活からすると特殊性の高いものです。ふだんは乗らないような飛行機や鉄道などに乗り、めったに訪れることのない場所に行き、家の部屋とは異なる寝床で寝るわけですから、高揚するのでしょう。

そしてその高揚の度は、おそらく自分がふだん生活している場所から遠く離れれば離れるほど、そして自分が過去に行ったことのないところであればあるほど、高まるものではないでしょうか。

たとえば、東京で暮らしている人が横浜に行ったからといって、「いま横浜です」と伝えることはあまりないでしょう。しかし、その人がなんらかの理由で南極を訪れていたり、あるいは大気圏外を出ていたりすれば、むしろ「いま南極にいます」とか「いま月面から連絡しています」と伝えないほうが違和感を覚えるのではないでしょうか。それほど、自分自身にとっては特殊性の高い場所にいるからです。

自分が遠方まできていることを、伝える必要はないのに伝えたくなるというのは、そこまで遠くにきているということを、相手に驚いてほしい、あるいはすくなくとも知ってほしいという高揚感の発露と捉えてよいのではないでしょうか。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
藤井棋士のポスター“続編”、味わい深さやや減るも注目される

2018年2月7日付のこのブログの記事「藤井棋士のポスター、ごく一部で『たいへん味わい深い』と話題に」は、将棋の藤井聡太五段(当時)の写真が使われている「振り込め詐欺」対策の啓発ポスターの味わい深さを伝えるものでした。ポスターは下にあるもの。藤井棋士という、将棋のプロの写真が使われていながら「その電話。待った!」という惹句が見られ、じつに堂々としております。



じつは、この藤井棋士のポスターには続編というべきものがあり、ポスターづくりに携わった原宿警察署のまわりなど、東京の街なかで見ることができます。下のものです。



「振り込め詐欺 撲滅」「その手には 乗らない!!」

いかがでしょうか。前回の赤いポスターでは、上のほうに「振り込め詐欺撲滅へ対策の一手」という文言があり、これが「その電話。待った!」を絶妙に引きたたせていました。いっぽう、今回の青いポスターでは、上のほうの文言は「振り込め詐偽撲滅」と、単純なものとなっています。

となると、下のほうの「その手には乗らない!!」という惹句に、今回のポスターの味わい深さがかかってきそうです。

「その手に乗る」というのは、相手の策略にひっかかること。将棋で、棋士が「その手には乗らない!!」と思うような局面はあるのでしょうか。

戦法のひとつに「猫だまし」というものがあります。これは、先手が初手でいきなり飛車を「7八飛」と、角行の横まで移すというもの。意外な打ち手であり、相撲で立ちあいに手を叩いて相手をひるませる「猫だまし」のようだということで、名づけられたようです。

将棋で相手が「猫だまし」をしかけてきたとき、棋士が「その手には乗らない!!」と感じるとすれば、「相手の不意打ちには惑わされることなく、自分の攻めを貫こう」といったことになるでしょうか。

もうひとつ「その手には乗らない!!」と棋士が思う状況として「相手に頓死(とんし)をしかけられたとき」が考えられそうです。

「頓死」とは、最善の手を打っていれば自分の玉が詰まないような局面で手を誤り、詰まされてしまうことをさします。どちらかというと、自分が最善の手を見落とすなどの自分側の誤りによって頓死に陥ってしまうことのほうが多いもよう。しかし、ねらって相手を頓死させようとすることもまれにはあるかもしれません。

ともあれ、いずれの場合も藤井棋士ほどの実力ある棋士ならば、そうそう相手の策略に乗ってしまい局面を悪くするといったことはなさそうではあります。

前回の「その電話。待った!」の惹句にくらべると、「その手には乗らない!!」のほうが将棋の局面としてはまともさがありますが、味わい深さはやや低まったというところでしょうか。

使われている写真が前回と今回でまったくおなじである点や、藤井棋士の肩書きが「日本将棋連盟所属」から「将棋専門棋士」に変わった点などには、くらべ甲斐があります。

なお、今回の「その手には乗らない!!」のポスターは、2018年9月、道路交通法違反と自動車運転処罰法違反に問われた元アイドルグループの被告が原宿署から保釈されようとするとき、警察官が報道陣の眼前でこれ見よがしに貼っていたことで注目されてはいたようです。

参考資料
三間飛車のひとくちメモ 2017年8月11日付「猫だまし(初手▲7八飛)戦法講座 第1章・第1節 猫だまし戦法とは?」
https://thirdfilerook.jp/entry/2017/08/11/064704
将棋講座ドットコム「将棋用語 頓死」
https://将棋講座.com/将棋用語/頓死.html
togetter 2018年9月27日付「吉澤ひとみ保釈を待ち構えるマスコミの前で、『振り込め詐欺撲滅』のポスターを貼る原宿警察署が生中継される」
https://togetter.com/li/1271032

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「革命的ゴボウ『サラサラごんぼ』はなぜ生まれたのか」


ウェブニュース「JBpress」で、きょう(2019年)4月18日(金)「革命的ゴボウ「サラサラごんぼ」はなぜ生まれたのか 世界で唯一の発展を遂げた根菜の物語(後篇)」という記事が配信されました。

ゴボウは、日本でのみ、さまざまな料理に使われるために栽培されてきた植物といわれます。フランスには「西洋ゴボウ」ともよばれる「サルシフィ」が食材にありますが、これはキク科バラモンジン属。おなじキク科でも、日本のゴボウはゴボウ属。属が異なります。

ゴボウを栽培してきた歴史の最先端にいまがあります。いまも日本人は、ゴボウに対しての改良を重ねています。

記事では、福岡県農林業総合試験場が開発した若掘りゴボウの新品種「サラサラごんぼ」について伝えています。若掘りゴボウとは、短期間で収穫するやわらかいゴボウのこと。冬や春に収穫する若掘りゴボウは、気温を保つためトンネルをかぶせる必要がありましたが、この「サラサラごんぼ」はそれを不要にしたもの。農家たちの負担を軽くすることができました。

さらに、トンネルを被せないため葉がよく残り、光合成が進むため、従来の品種より根に栄養が蓄えられ味がよく収量も多いといった利点も得られたといいます。

福岡県農林業総合試験場はこのゴボウの新品種を、人工交雑という方法で開発しました。人工交雑とは、人の手によって遺伝子の特徴の異なる二つの親どうしをかけあわせ、特徴ある個体を生みだす技術。イネやトマトなどの、ほかの作物では人工交雑はごくあたりまえのようにおこなわれてきました。しかし、意外かもしれませんが、ゴボウについては花が小さくて、人の手で交雑させるのがむずかしいといった理由などから、人工交雑による新品種の開発はされてこなかったのです。

記事では、新品種が開発されるまでの過程などを追っています。

「サラサラごんぼ」という名は、サラダなどの食材を意識したものといいます。「ごんぼ」というのは「ごぼう」が転じたもの。いまは「博多新ごぼう」という地元のブランド食材の一部に充てられていますが、規模拡大によりブランド食材として独立していくことが期待されています。

「革命的ゴボウ『サラサラごんぼ』はなぜ生まれたのか 世界で唯一の発展を遂げた根菜の物語(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56147

前篇「なぜ日本人だけがゴボウを育て文化に発展させたのか」では、日本におけるゴボウ栽培やゴボウ食の発展のしかたを追っています。前篇はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56064

これらの記事の取材と執筆をしました。
| - | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0)
「餃子がイイー!」から学べること多々



人びとがなにかを意思決定するときには、提案する「ころあい」や「時宜」が重要になるものです。「どうしようか」「ああでもない」「こうでもない」と人びとがあれこれ思案しているなか、すかさず鋭い提案を発して空気をつくり、一気に満場一致までもっていく、といった方法に長けている人がいます。

「すかさず鋭い提案」の模範とすべき対話例のひとつが「ぎょうざの満州」のラジオ広告でしょう。同社は埼玉県内に本店を置くため外食チェーン。NACK5をはじめとする関東地方のラジオで放送広告をひんぱんに聴くことができます。

この放送広告に登場するのは、家族とおぼしき父母、そしてひとりの子。子は、声からすると小学校低学年ぐらいでしょうか。

放送広告は、この家族がご飯になにを食べるかで思案している場面から始まります。

  母「きょうは久しぶりに外食にしない?」

  父「いいねー」

  子「餃子がイイー!」

  父「餃子か」

  母「餃子といえば……」

  子「ぎょうざの満州!」

  父「よーし決定!」

  子「やったー!」

提案のしかたとしておおいに学ぶべきは、上の対話における3行目。子の「餃子がイイー!」です。

おそらくこの子は、つぎのご飯をめぐる家族会議が始まったら、餃子を提案することを心に決めていたのでしょう。父の「いいねー」にかぶるかどうかの間髪を入れぬころあいで「餃子がイイー!」と提案するのです。しかも、この提案には「ほかに選択肢はなにもない」というぐらいの思いきりのよさ、あるいは信念があります。

父母にとっては、さまざまな食の選択肢があって逡巡しかねないなか、わが子の提案はまさに心に響くものだったのでしょう。すぐに「よーし決定!」と意思決定します。子は、鋭い提案をしつつも、「やったー!」と素直によろこぶ心も忘れてはいません。

この子の「餃子がイイー!」から学ぶべきことは、つぎのことです。「ほかの人がなにかを選ぶのに迷っていると感じられた瞬間、自分がよいと信じて疑わないことを、勢いよく提案することが、その場での意思決定を促すうえで非常に有効となる」。

この子は、人生経験がまだ浅いにもかかわらず、いつかどこかで「場のもっていきかた」のようなものをすでに体得していたのでしょう。もちろん「餃子が好き」という心がなければ、この鋭い提案も起こりえなかったでしょうが。

| - | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0)
新紙幣の「0」、カールおじさんのヒゲを想起させ……



財務省が(2019年)4月9日に発表した新しい紙幣について、世のなかが騒ついているようです。とりわけ、額面を示したアラビア数字の書体について「ダサい」などと不評が上がっているようです。いかがでしょうか。

多くの人が不評の声を上げているということは、かなりの人がこの数字の意匠に対し、直感的に違和感を覚えているにちがいありません。新紙幣の数字のなにが違和感を抱かせるのでしょうか。

「10000」「5000」「1000」に使われる「0」の字が、「カールおじさん」のヒゲのように輪っか状になっています。いま出まわっている紙幣は、輪っかの内側がさほどふくらんでおらず、“締まり”があります。

ということで、まず、“締まり”のない「0」を紙幣で見ることにより、人びとはよからぬ違和感を抱くのではないでしょうか。

さらに、アラビア数字の大きさにも、面くらう人は多いことでしょう。とくに、3種類の紙幣の裏側の右上に印刷されている「10000」「5000」「1000」の数字の大きさは、ほかの文字にくらべて突出しています。

文字の意匠では「ジャンプ率」が、人びとの印象を変えるといいます。ジャンプ率とは、その意匠のなかでのもっとも大きい文字と、もっとも小さい文字の比率のこと。ジャンプ率が高いと大衆的、また動的な印象をあたえ、逆にジャンプ率が低いと知的、また信頼といった印象をあたえます。

新紙幣のとくに裏側のジャンプ率はとても高いものとなっているわけです。「大衆的」という印象を超えて、右上のアラビア数字にどこか間抜けさを感じる人もいるのかもしれません。地平線近くに見える月は大きく見えてびっくりしますが、それと似た感覚を抱く人もいるのではないでしょうか。

財務省は、額面数字の大型化は「ユニバーサルデザイン」を考えてのことだと述べています。

もうひとつあげると、アラビア数字があまり立体的に意匠されていないという点も、負の印象を抱かせるのかもしれません。いま出まわっている紙幣では、多くの数字が右下に影がついたように意匠され、立体的になっています。

いっぽう、新紙幣では、数字によっては縁に濃淡をつけるなどはされているものの、影をつけて立体的に見せることはしていません。これが、のっぺりとした印象を抱かせ、不評の一因となっているのではないでしょうか。

紙幣で大切なのは「いかに偽装を防ぐか」といわれます。人びとの不評を買うような意匠にも、なにかしらの理由があるのかもしれません。あるいは、紙幣を使う気を失せさせてキャッシュレス社会を促すといったねらいまであるのでしょうか。

新しい紙幣は、2024年度上期に発行される予定。財務省は「形式等の細部については、今後、検討の上、決定予定」としています。アラビア数字の意匠については、「検討」の対象となっているのでしょうか。

参考資料
財務省 2019年4月9日発表「新しい日本銀行券及び五百円貨幣を発行します」
https://www.mof.go.jp/currency/bill/20190409.html
日本銀行「銀行券/国庫・国債」
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/valid/issue.htm/

| - | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』
本書は新書と電子書籍で売られています。大きな画面で電子書籍を見ることで、臨場感が増すことでしょう。

『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』J・ウォーリー・ヒギンズ、光文社新書、2019年、455ページ


昭和30年代は、日本がもはや戦後ではなくなり、経済の高度成長を遂げた時代。東京では1964(昭和39)年の東京五輪に向け、高速道路や地下鉄がつくられ、より高い建てものが建てられるようになった。街の雰囲気を表すのに「ギラギラ」あるいは「ガッタガタ」という表現が合っている。

東京にもほかの都市にも60年前の街の姿はもはやない。写真などの媒体に記録されている街のようすは貴重だ。ましてモノクロームの写真や映像が主流だったなか、カラーで風景や人物を見られる機会はいまのところあまりない。

本書は、東京や日本各地の街の姿を382枚のカラー写真で示し、撮影したときの状況などを文章で綴ったもの。とくに電車などの乗りものが対象となった写真が多い。

著者のJ・ウォーリー・ヒギンズは、1927年生まれの米国人。1956(昭和31)年、駐留米軍の軍属として来日した。かねてから路面電車などに興味があり、日本でもさっそく旅をし、「日本の電車に魅せられた」。貴重なカラーフィルムで撮影できたのは、従軍をしていたことで安価に手に入れられたからという。

はじめの3割ほどのページが「東京編」だ。

都電の活躍ぶり、自転車をこぐ人の多さ、建設工事の慌しさなど、当時の街の息づかいが感じられる。看板の書体も時代を感じさせる。駅の「1番線ホーム」といった表示板も手書き。電光掲示板などあるはずない。アナログの概念さえないような世の中は、もう二度とこないだろう。

「地方編」では、むしろ当時のほうが街に活気があったこともうかがわせる。

高知県の室戸の街道を撮った1枚には、野菜の売り買い、馬の台車引き、オートバイの疾走などが写され、とても動的だ。ちなみに、この写真でいくつも看板が見られる「太田旅館」はいまも営業しており、これを足がかりにグーグルの「ストリートビュー」でおなじ場所からのいまの眺めを見ることができる。1962(昭和37)年のほうが圧倒的に人が多い。

街は発展していくというけれど、発展するなかで「失われたもの」があるのもたしかなこと。舗装されていない道路、アドバルーン、半ズボン男子……たくさんの「失われたもの」が写真には詰まっている。

『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07JJ4FH3M/
| - | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0)
緊急地震速報の遅延という根本的問題に第5世代通信移動通信システムの期待
さまざまな情報媒体があるなかで、ラジオの重要な役目に、災害関連情報があります。たとえば大地震が起きて、停電によりテレビが使えなくなったときも、ラジオには電池にうよりしばらく使いつづけることができる、といった利点があります。各ラジオ局は、防災や災害についての情報を伝えることに力を入れています。

近ごろでは、スマートフォンなどからインターネット経由でラジオを聴けるようにもなっており、災害のとき使える機会は増えてきています。

しかし、ラジオで災害情報を伝えるうえでの根本的な問題もあります。インターネットラジオでは放送の遅延が生じるため、地震が生じた直後の「緊急地震速報」の意味をほぼなさないという問題です。

インターネットのラジオでは、音声が途切れることを防ぐため、ある程度の音声データを貯めておき、それを途切れないようにして流す「バッファ」とよばれるしくみがあります。これは、放送がすこし遅延することを犠牲にして、放送が途切れないことを選ぶ、といった状況といえます。


スマートフォンの「Radiko」でのバッファ時間設定

インターネットでラジオを聴ける機能のひとつ「Radiko」には、「メニュー」のなかに「バッファ設定時間」という項目があり、これにより標準の「1分」よりも、遅延時間を短くすることはできます。しかし、もっとも短い設定にしても「15秒」の遅延が生じることを余儀なくされます。さらに、パーソナルコンピュータで使うRadikoには、このバッファ設定の機能が見あたりません。

緊急地震速報は、地震が起きて揺れが大きくなる前の数秒の人びとの対応のしかたや心がまえを促すもの。インターネットラジオを聴いていると、従来のAM(Amplitude Modulation)波やFM(Frequency Modulation)波よりも、緊急地震速報が耳に届くのは、いくら早くても15秒後ということになります。

大地震のときの災害情報は緊急地震速報から始まるとすると、インターネット経由がさかんになってきているラジオは、その役割を果たせていないことになります。

そこで、これから期待されるのは、インターネットで「第5世代移動通信システム」とよばれる通信のしくみが使われようとしていることです。このしくみではいま使われている「第4世代」よりも100倍、通信速度が高まるというふれこみ。2020年には社会で本格的に使われはじめるとされています。

通信速度とは、1秒間などのある時間に送受信することのできるデータの量のこと。Radikoなどのインターネットラジオでも、音声が途切れないようにつぎつぎと音声データを送受信できれば、しばらくの時間データを貯めておくといったことは不要あるいは、より短時間に縮められるかもしれません。

しかし、いまのところ、ラジオ各局や、民間局が集まった日本民間放送連盟が、第5世代移動通信システムの時代を迎えてインターネットラジオでの放送遅延をどれほど短くするかの見解は見あたりません。

さらに、日本民間放送連盟は、2019年ごろより、FM放送とインターネットラジオのふたつを兼ねそなえた「ラジスマ」という機器を開発したとして、大きく宣伝をしています。「遅延がない」FM放送を「ラジスマ」で聴けることを宣伝するということは、第5世代通信移動通信システムが始まってもインターネットラジオの放送遅延の問題解決は期待するなという意味あいがあるのでしょうか。

第5世代移動通信システムでは、デジタル情報の送受信を「低遅延」でおこなうことができることも売りとなっています。これにより遅延の度は、いまの通信規格「LTE(Long Term Evolution)」の10分の1になるとも。インターネットラジオにも生かせそうな技術ではあります。

参考資料
読売新聞オンライン 2018年3月26日付「通信速度100倍! 次世代通信『5G』とは?」
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180323-OYT8T50015/
IT media Mobile 2018年11月17日付「『5G』は『LTE』と何が違う? 歴史と共に振り返る」
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1811/17/news012_2.html
日本民間放送連盟 2019年3月27日発表「ラジオの意義と課題」
http://www.soumu.go.jp/main_content/000610221.pdf
KDDI「次世代モバイル通信『5G』で低遅延を実現」
https://iot.kddi.com/column/5g_business/
| - | 13:52 | comments(0) | trackbacks(0)
「寄付行為」すなわち「根本原則」



国語辞典は、わからないことばの意味を調べたり、ほかに言いかえられることばを見つけたりするのに便利なのもの。たいてい、国語辞典を引くことにより、人のわかる度は高まることになります。

ところが、国語辞典を引くことにより、わかる度が低くなることも、調べたことばによってはあります。

「寄付行為」の項目を引くとどうでしょう。たとえば、小学館の「デジタル大辞泉」には、つぎのようなことばの意味が載っています。

1 寄付をすること。
2 (寄附行為)学校法人や、財団法人の認可を受けた医療法人の定款をいう。

ひとつめの「寄付をすること」は、わかります。寄付行為は「寄付」の「行為」ですから。

しかし、ふたつめについては、はじめて知る人にとっては、まるでわけがわかりません。意味に出ている「定款」とは、会社をふくむ社団法人の目的、組織、活動などについての根本規則のこと。その学校版などが「寄付行為」だというのです。つまるところ、「寄付行為」は「根本原則」である、ということになります。

実際、大学などはホームページに「寄付行為」あるいは「寄附行為」を掲げ、そこに条文を掲げています。「学校法人拓殖大学寄付行為」「学校法人上智学院寄附行為」といったように。また、財団法人の根本原則にも「寄付行為」「寄附行為」が使われることがあります。

どうして、基本原則のことを「寄付行為」または「寄附行為」とよぶのか。別府市綜合振興センターという財団法人は、つぎのように説明しています。

「明治維新の時代に外国語の法律を翻訳する際の直訳や誤訳、または速訳で作られた造語であるとされる説があります。いずれにしても、『寄付行為』の字面から『定款』に相当する団体の基本規則であることを読み取るのはむずかしいと思われます」

財団法人についての「寄附行為」ということばは、旧民法の第43条で2008年まで使われてきました。つぎのように。

「法人ハ法令ノ規定ニ従ヒ定款又ハ寄附行為ニ因リテ定マリタル目的ノ範囲内ニ於イテ権利ヲ有シ義務ヲ負フ」

この民放は2006年に改正され、改正された民法が2008年12月に施行されました。これにより一般法人については、根本原則を意味する「寄附行為」は「定款」とよばれるようになりました。

しかし、日本大百科全書によると、「一般法人ではない法人については、医療法による医療法人のうちの財団型医療法人や私立学校法による学校法人に関して『寄附行為』が用いられるなど、従来どおりの概念が用いられている」とのこと。

学校法人の運営では、「寄付をする」といういみでの寄付行為が大切になるもの。まぎらわしさきわまりない「寄付行為」という法律上のことばが長年にわたり使われつづけ、多くの大学もこのことばづかいに従いつづけているわけです。

参考資料
デジタル大辞泉「寄付行為/寄附行為」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/53632/meaning/m0u/
別府市綜合振興センター
http://www.shinkoucenter.jp/soumu/gaiyo.html
日本大百科全書「寄付行為」
https://kotobank.jp/word/寄付行為-51462
RONの六法全書 on LINE「民法 第一編 総則」
https://www.ron.gr.jp/law/law/minpo_m1.htm

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「バキン」の日がわりカレー――カレーまみれのアネクドート(120)
これまでの「カレーまみれのアネクドート」はこちら。



行列に並んでも食べたいカレーとはどのようなカレーでしょうか。そこには客に「また来たい」と思わせる味わいがあるにちがいありません。

福岡・長浜には「バキン」という行列ができる店があります。店は看板に「カレー スパイス料理のバキン」と掲げています。そして「うまい からい せまい」と書かれた木板も。

昼の部は11時30分の開店ながら、11時すぎにはすでに数人が店の前で並んでいます。シャッターはまだ閉まっていても、香辛料の効いたカレーの香りはその行列まで漂ってきます。

このお店の献立は日がわりのカレーただ1品のみ。量は、大、中、小から選べます。その献立は「オクラチキンのカレー」や「なすとチキンカレー」など鶏肉を基本とするカレーが中心。

写真にあるカレーが供された日の献立板には「豚バラ」と出ていましたが、肉はまちがいなく鶏肉です。そこに、ミニトマトと青唐辛子が加わっています。実際は「ミニトマトとチキンカレー」でしょうか。

カレーソースはライスすぐ染みこむような、しゃばしゃばとしたもの。豊富な種類の香辛料が効いています。辛さは食べられないくらいではないものの、つねにからだに熱が保たれ、途中からじわじわ汗が出てきます。スプーンが皿が当たる涼しげな音があちこちの席から聞こえてきます。

カレーの添えものはキャベツを細かく切ったサラダと、ミルクがかかったコーヒー風味のゼリー。また、店の食卓には福神漬けとらっきょうが入った器が置かれています。

食べログなどでの見た目よし、食器の奏でる音よし、カレーの風味よし、添えものや着けものもよし、総じてよし、ということで福岡での評判になっているのでしょう。献立は日に1品で「今日はなにだろう」という楽しみも加わるのかもしれません。

果たして、バキンの店の前には行列ができるのでした。

バキンの食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400103/40034639/
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
読んでいない人、辞職大臣のほかに……


写真作者:Sebastien Wiertz

桜田義孝衆議院議員が(2019年)4月11日(木)五輪担当とサイバーセキュリティ担当の大臣職を辞任しました。辞任を迫られるようなかずかずの要因をみずからつくりつづけ、最後の決め手もみずからつくり、辞任に至りました。

「かずかずの要因」のひとつに「(五輪憲章を)読んでいない」という国会答弁を挙げるひともいるでしょう。これは、2月13日の衆議院予算委員会で、国民民主党議員の質問に対しての答弁です。質問した議員は「五輪の根本的な理念もわかっていなくて大臣が続けられるのか」と批判。ほかの議員からも批判が噴出しました。

これに対しては、インターネットで人びとから「え、え、え? 五輪担当相なのに読んでない???」「本当にポンコツだな!」「ありえん」などといった声も出ていました。

たしかに五輪担当大臣が、五輪の基本原則にあたる五輪憲章を読んでいないというのは担当大臣としてふさわしいことではありません。

けれども、「担当の仕事に携わる基本原則を読んでいない」という人は、桜田元大臣だけでなく、世にはごまんといるのではないでしょうか。その一人であり、ほかの資質もふくめて厳しく追究される国会という場で明るみに出たのが桜田元大臣だったという話です。

たとえば「定款は会社の憲法」ともよくいわれますが、会社の社長に引きぬかれて就いた人みんなが、その会社の定款を読んだうえで社長に就いているのでしょうか。わかりません。

あるいは、団体の会長に就いた人みんなが、その団体の会則を読んでいるのでしょうか。なんともいえません。

あるいは、編集者とよばれる人みんなが、その出版社がつくったり、市販されたりしている「編集必携」を読んでいるでしょうか。これは、明らかです。読んでいない人もたくさんいます。

「読んだか、読んでいないか」とはべつに、そこに書かれている内容や精神を「わかっているか、わかっていないか」という尺度があります。

この二つの尺度をかけあわせると、「読んでいて、わかっている」「読んでいないが、わかっている」「読んでいるが、わかっていない」「読んでいないし、わかっていない」の四つになるわけです。

桜田元大臣の場合は「読んでいないし、わかっていない」が当てはまります。対極にある「読んでいて、わかっている」が理想なのでしょう。

 

残る「読んでいないが、わかっている」と「読んでいるが、わかっていない」についていえば、「読んでいないが、わかっている」という状況にしておくのが、なにかを担っている人により求められる資質なのではないでしょうか。「読んでいる」より「わかっている」のほうが担当者として大切だからです。

参考資料
朝日新聞 2019年2月13日付「桜田五輪相、五輪憲章「読んでない」 目的も答えられず」
https://www.asahi.com/articles/ASM2F5FL5M2FULFA02B.html
まとめダネ 2019年2月13日更新「五輪憲章 桜田大臣、五輪憲章を読んだことがなかった『セキュリティ相なのにパソコン使えない』『五輪相なのに五輪憲章読まない』『がっかり大臣』」
https://matomedane.jp/page/23176

| - | 13:17 | comments(0) | trackbacks(0)
実際のモデルが得られ、描かれかたも変わっていくことに
日本をふくむ世界各国からなる天文研究チームが(2019年)4月10日(水)、巨大ブラックホールとその影の存在を初めて画像で直接証明することに成功したと発表しました。

ブラックホールは、物質も光でさえも外へ出られないほどの強い重力をもつ天体です。星が超新星爆発を起こして死ぬとき、残った星の中心がみずからの重力で潰れてぎゅうぎゅうになり、とても高い密度をもつようになります。密度が高いものは重力が高くなるので、これで高い重力をもつブラックホールが生まれるわけです。残った星の中心の質量が太陽の1.4倍以上あるとブラックホールになるとされます。

今回、研究チームが発表したブラックホールの像にある中央の黒い部分は「ブラックホールの影」とよばれるもの。ブラックホールちかくの光はブラックホールに閉じこめられますが、より遠くにある光もブラックホールの重力の影響を受けて進む方向を変えられてしまいます。そうしたことで、ブラックホールのまわりでは光がない影ができるわけです。ですので、実際のブラックホールの大きさは、この影より2.5倍小さいものとなるそうです。

天文学などの物理学、さらには科学全般では、「理論が立てられてから、のちに実際の現象が確かめられる」ということがよくあります。物理学者のアルバート・アインシュタインが理論のなかでブラックホールの存在を予言してからというもの、人は「ブラックホールはある」と考えてきました。しかし、その後も人は「ブラックホールを像として見た」ことなく過ごしてきました。

その姿をついに見ることになったのですから、大きなできごとというほかありません。この成果でノーベル賞が贈られるのは確実でしょう。国際研究事業であるため、だれに贈られるかはむずかしそうですが。


2019年3月までの「ブラックホール」グーグル画像検索結果

これまでブラックホールの像を捉えることはできなかったため、人はブラックホールを想像図として描くしかありませんでした。画像は、2019年3月までに描かれていたブラックホールの姿です。渦を巻く銀河の中心にあり、光も閉ざされるといった話をもとに、「渦の中央にまっ黒な円」という描かれかたが多くあります。

これからも、人はブラックホールを描いた図を描いていくことでしょう。けれども、そのモデルは、もはや理論でなく、実際の像となるわけです。これにより、ブラックホールを描く図は、どのように変わっていくか。その移りかわりを追っていくのも、天文学の大きなできごとが起きてからの興となります。

参考資料
国立天文台 2019年4月10日発表「史上初、ブラックホールの撮影に成功 地球サイズの電波望遠鏡で、楕円銀河M87に潜む巨大ブラックホールに迫る」
https://www.nao.ac.jp/news/science/2019/20190410-eht.html
知恵蔵「ブラックホール」
https://kotobank.jp/word/ブラックホール-8300

 
| - | 15:32 | comments(0) | trackbacks(0)
「みずから成長する」から「子孫を残す」へ

写真作者:Harry Rose

ヒトをふくむ動物にもいえることですが、植物は意識せずとも「みずからを成長させる」ことと「子孫を残すこと」というふたつの大きな課題を抱えています。このふたつの課題のために使える時間や栄養素などの資源にはかぎりがあります。そこで、どこかしらの機に、みずからを成長させることから、子孫を残すことに切りかえることになります。

植物の成長を追っていくと、花茎の節と節のあいだが急に伸びていく、つまり成長していくことがあります。これは「薹立(とうだ)ち」あるいは「抽台・抽苔・抽薹(ちゅうだい)」という現象として知られています。

たとえば、冬を越して生きるロゼットなどの草では、冬のあいだは地面ちかくに這うように広がる葉だけで過ごしますが、春になり温度や日の長さなどが変わっていくと、薹立ちが生じて花茎がぐんぐん伸びていきます。

こうした植物の薹立ちは、「子孫を残すこと」のための成長が始まった徴しであると考えられています。

植物の薹立ちでは「しばらくのあいだ低温にさらされること」が必要な条件のひとつとされています。これにより、花芽が形づくられ、薹立ちをしていきます。ただし、種子が発芽するぐらいの早い段階から「しばらくのあいだ低温に」という条件が関係しはじめる植物と、ある程度の大きさに成長してから「しばらくのあいだ低温に」という条件が関係しはじめる植物があります。

植物たちからすれば人間の都合を汲む余地などありますまい。しかし、作物としての植物の薹立ちは、人間たちにとっては不都合なもの。「みずからを成長させる」段階では、作物が太ったり、甘みを増やしたりするため栽培には好ましいこと。しかし、「子孫を残すこと」のための成長が始まると、もはや太ったり甘みを増やしたりといったことはあまりしなくなります。むしろ葉っぱを固くさせたりして、野菜の品質としてはよからぬほうへ向かっていく植物も。

こうしたことから、野菜や根菜などについては「薹立ちするまえに収穫すべし」という原則がいわれています。

参考資料
タキイ種苗 農業・園芸用語集「抽苔」
http://www.takii.co.jp/glossary/chi.html#10
世界大百科事典 第2版「抽だい(抽薹)」
https://kotobank.jp/word/抽だい%28抽薹%29-1185412
やまむファーム「野菜のとう立ち(薹立ち・抽苔)について」
https://ymmfarm.com/cultivation/basis/bolting
| - | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0)
「雄しべと花粉親」「雌しべと種子親」はそれぞれだいたいおなじ

カボチャの花

小学校5年生の理科には「植物の発芽、成長、結実」という単元があります。ここで登場するのは花の「雄しべ」と「雌しべ」。雄しべには花粉が詰まっている「やく」とよばれる袋があり、いっぽう雌しべには柱頭などの部分があると習います。

そして、受粉、つまり雌しべの柱頭に雄しべの花粉がつくことによって、雌しべにある子房のなかの胚珠がふくらみ、実になります。

小学校5年の理科では、植物が自然な状態で受粉することを前提としているにちがいありません。いっぽう、人が営む農業の世界では、人によって植物を受粉させるということがよくおこなわれます。

人工的な受粉の目的としては、くだものなどの作物の実を効率よくつかせるため、ということがあります。農家が手で花粉を柱頭につける方法から、マルハナバチやミツバチなどの昆虫に委託する方法まであります。

もうひとつ、人工的な受粉の目的としてもうひとつあるのが、交雑による育種のためです。交雑とは、遺伝子のなりたちの異なるふたつの個体間で交配をすること。交雑により、両親のもつ優れたかたちや性質などの特徴を備えた品種をつくっていきます。

交雑についての話では、「花粉親」と「種子親」という対のことばが現れることがあります。なにやらむずかしそうですが、これも小学校5年生の理科で習うことをもとにすれば、理解が進みます。

花粉親とは、交雑に使われる両親のうち、花粉のもち主のほうの親のこと。雄しべに花粉は備わっているので、ごくおおまかにいえば「花粉親は雄しべのほう」といえます。

いっぽう種子親とは、交雑に使われる両親のうち、種子を実らせるほうの親のこと。雌しべには子房があって、そこで胚珠がふくらみ実がなるのですから、ごくおおまかにいえば「種子親は雌しべのほう」といえます。

参考資料
文部科学省 学習指導要領「生きる力」「小学校理科の観察、実験の手引き 第5学年B(1)植物の発芽、成長、結実」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/senseiouen/1304651.htm
ウィキブックス「小学校理科 5年学年」
https://ja.wikibooks.org/wiki/小学校理科_5学年
長野県「ぶどう『ナガノパープル』に係るDNA鑑定結果について」
https://www.pref.nagano.lg.jp/kajushiken/jisseki/joho/documents/naganopa-purudnakantei.pdf
| - | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0)
社会とおなじように教育でも情報化


世の中では、情報通信技術が発達していくばかり。当然ながら学校でも「教育の情報化」が進んでいくことになります。

小学校では2020年度より、中学校では2021年度より新学習指導要領が全面的に実施されます。文部科学省は、新たな指導要領で「学習の基盤となる資質・能力」として、言語能力や問題発見・解決能力とおなじく「情報活用能力」もそのひとつと位置づけています。

これまでも、文部科学省は、2010年に「教育の情報化に関する手引」を示し、教科指導における情報通信技術活用の考え方を示してきました。その内容がどのようなものだったか見てみます。

まず、情報通信技術を使われかたについて。「手引」は、準備や評価のために教員が情報通信技術を使うことも情報通信技術活用のひとつとしています。けれども、より子どもたちに直接的な効果をあたえるのは、もうひとつの「授業での活用」でしょう。

「授業での活用」についても、さらに、教員が情報通信技術を使う場合と、子どもたちが情報通信技術を使う場合とに分けています。

教員が使うときの例示の多くは「映像や音声といった情報の提示」とし、教員による発問、説明、指示とも関係が深いともしています。

いっぽう、子どもたちが使うときの目的は「情報を収集・選択したり、文章や図・表にまとめたり、表現したりする」ことや、「繰返し学習によって知識の定着や技能の習熟を図る」ことなど「教科内容のより深い理解を促すため」としています。

具体的にどのような授業で情報通信機器を使うとよいのか。「手引」は、その例も示しています。

たとえば、小学6年生の理科の「月と太陽」の単元では、教員は「月の表面の様子について、児童に驚きと感動を与えるように、デジタルテレビなどを活用して、大画面で鮮明な映像を拡大提示する」ことで、子どもたちの興味・関心を高める効果をねらえるとしています。ほかにも教員が情報通信技術を使うことで、児童生徒一人一人に課題を明確につかませる、わかりやすく説明したり児童生徒の思考を深めたりする、児童生徒の知識の定着をはかる、といった効果もねらえるとしています。

いっぽう、子どもたちが情報通信技術を使う例では「『電流とその利用』において,コンピュータなどを活用して、生徒の探究の目的に合わせたデータ処理や、グラフを作成したりそこから規則性を見いだしたりする」(理科第1分野)や、「『気象とその変化』において、気象に関するデータを長期にわたって観測する際に、コンピュータなどで自動記録できる装置やセンサーを活用して、観測したデータと天気の変化の関係について考える」といったことを示しています。

「手引」は、小学校、中学校、高校における、それぞれの教科での情報通信技術の使いかたを幅広く示しています。これは、世の中での使われかたとおなじように、情報通信技術が教育でもあまねく使われうることを意味しているといえます。

「ICTそのものが児童生徒の学力を向上させる」のではなく「ICT活用が教員の指導力に組み込まれることによって児童生徒の学力向上につながる」のであるということも念を押しています。これも、世の中での情報通信技術がおもに、なにかをするための手段であることと合っています。

参考資料
文部科学省 2019年2月4日付「『教育の情報化に関する手引』作成検討会について」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/056_01/gaiyou/1413459.htm
文部科学省 2010年10月29日発表「教育の情報化に関する手引 第3章 教科指導におけるICT活用」
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2010/12/13/1259416_8.pdf
| - | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0)
ファミリーマート銀座三越店、見つからず、入れず



東京・銀座の目抜き通り「中央通り」は土曜、日曜、祝日の午後の時間帯の一部で歩行者天国となります。「銀ブラ」をする人のなかには、銀座4丁目の木村屋總本店であんぱんを買って、近くのコンビニエンスストアで淹れたてコーヒーを買って、歩行者天国で食べる、といった人もいるのではないでしょうか。

そうした人は、スマートフォンの地図アプリに「コンビニエンスストア」と入れ、地図検索をします。銀座4丁目の交差点から最寄りのコンビニエンスストアとして示されるのが「ファミリーマート銀座三越店」。交差点の一角が銀座三越なので、すぐ近くにあるはずです。


グーグルマップに示された「ファミリーマート銀座三越店」

ところが、探しても探しても「ファミリーマート銀座三越店」は見つかりません。銀座三越が建っているブロックには「銀座センタービル」というビルも隣接しています。このビルには銀座四郵便局、それに三菱UFJ銀行の現金自動預け入れ払い機などがあるので、コンビニエンスストアがあってもおかしくありません。地図アプリでも、まさに郵便局のすぐとなりに「ファミリーマート銀座三越店」が示されています。いったいどこにあるのでしょうか。

木村屋で買ったあんぱんを手に持ち、ファミリーマート銀座三越店でコーヒーを買おうとしていたある人は、あたりを15分ほど歩いたけれど、見つけられなかったといいます。そこで、銀座三越の1階の受付係に、地図アプリを示しながら、尋ねてみることにしたそうです。

迷い人「あのぅ。このあたりにファミリーマートがあると、この地図には描かれてあるのですが、わかりますでしょうか」
案内係「はい。こちらのファミリーマートは従業員用のお店となっております」
迷い人「あぁ……」

じつは「ファミリーマート銀座三越店」は、銀座三越の地下にあるもよう。ウィキペディアの情報では、地下4階の従業員休憩室にあり、関係者以外利用不可とあります。銀座三越のフロアガイドの地下4階の情報では、ファミリーマートはもとより従業員休憩所の場所も描かれていません。入ることのできない客に伝える必要がないのだから、当然です。


件のあんぱんを手に持った人物は、コンビニエンスストアの淹れたてコーヒーを求め、銀座4丁目の交差点から西に150メートルのセブンイレブンに行ったそうです。なお、このセブンイレブンも地下にあるため、迷う人は迷うようです。

参考資料
ウィキペディア「ファミリーマート」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ファミリーマート

| - | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0)
オスがメスを甘噛み
冬鳥のオナガガモは、越冬のため秋に日本にやってきて、春ごろに日本を発つとされます。いま、各地の池にいるオナガガモたちも、もうすぐ北のほうへと飛びたつころでしょうか。

オスのほうが羽が長く、その色も灰色、白、黒などの対比が鮮やかです。オナガガモは英語では、“Northern Pintail”といいますが、オスの尾(tail)がまち針(pin)のようだからこうよばれているとも。いっぽうのメスのほうがやや小ぶりで羽は短く、その色は褐色でやや地味目。マガモやコガモなどのほかのカモ科の鳥でもおなじようなことがいえますが。



オスとメスのオナガガモが春の池でたわむれています。メスが石の上に足を乗せて佇んでいるところを、オスがやってきてくちばしで体をつんつん……。オスはメスの乗っている石の上に乗りたいのでしょうか。



さらにオスは、メスの羽をくちばしでまさぐるようにします。けれどもメスは動じません。オスはおそらく水中で脚をじたばたさせているでしょうからたいへんそうです。



な、なんと……。オスがメスの羽を甘噛みしはじめました。完全にくちばしで羽の一部を挟んでいます。さすがのメスも、オスのこの行動にはたじろぎ、石の台座を離れて、オスを避けるように潜っていってしまいました。

カモのオスからメスへの求愛は、たくさんのオスがメスをとりかこんだり、尻尾を高々と上げて姿を強調したりします。それに対してメスは、気に入ったオスを相手に選びます。この2羽は、そうした求愛行動の末に成立したつがいでしょうか。

参考資料
バードリサーチ 2010年9月「カモの季節移動に関する報告書」
https://www.bird-research.jp/1_katsudo/kamo_analysis/pdf/hiraijokyo_report09-10.pdf
サントリー「日本の鳥百科 オナガガモ」
https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/4526.html
NHK for School「カモの求愛」
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005400511_00000
| - | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0)
「辛口Lab.」のA(アディクト)カレー――カレーまみれのアネクドート(119)
これまでの「カレーまみれのアネクドート」はこちら。



大阪には「辛口料理ハチ」という店のカレーを源流とする系譜があるといいます。同店はかつて天神橋2丁目にあり、店名にもあるように「辛口」を売りにしていましたが、2012年4月に閉店。切りもりしていた「おばちゃん」の体調不良によるとされます。その後、同店ファンが「辛口料理スズメバチ」という店を開いたものの、2017年5月に倒産するなどしています。

しかし「ハチ」のミームは根づよいもののよう。2015年12月には、新大阪駅の東側、東中島の地に「辛口Lab.」が開店しました。やはり「辛口」の2文字が店名につけられています。空中店舗のチェーン店がやたらと多い新大阪界隈ながら、同店は路面店。かつ個人営業の雰囲気が漂います。

基本となるカレーの献立は2種類。「大辛」の「A(アディクト)カレー」と、「中辛」の「B(ベスト)カレー」。注文すると、鍋にソースをつくりおきしているため、ほどなくして出てきます。これらに「ジャガ」「なす」「トンカツ」などの具をのせることもできます。また、食卓に置かれている添えものは、たまねぎの漬物とにんじんの漬物。

Aカレーの「アディクト(addict)」とは、「病みつきな人」といった意味。「衝撃的な辛さと旨さが病みつき」といった意味が込められているようです。

ライスの頂からカレーソースがまんべんなくかかっています。目に見える具材は角切りの牛肉。店の看板には「じっくり柔らかく炊いた味噌仕立て」とあります。

カレーソースの味は、たしかに辛口です。その辛さは、ソースと舌が触れた瞬間だけほんのり甘さがあり、その後は直接的な辛さが舌を刺しつづける、といったもの。2口目以降もこの感覚がくりかえされます。何種類かの香辛料を使っているのでしょう、チェーン店やカレー商品にはない、手づくりの風味がします。

同店も「辛口料理ハチ」を強く意識しているにちがいありません。

「辛口Lab.」の食べログサイトはこちらです。
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270301/27089740/

参考資料
かれおた curry maniacx 2017年5月3日付「『辛口Lab. 新大阪』〜スズメバチの系譜?? 東中島に隠れし激辛カレー店☆〜」
http://kareota.com/archives/16649
不景気.com 2017年6月8日付「大阪のカレー店『辛口料理ハチ』に破産決定、負債3億円」
https://www.fukeiki.com/2017/06/karakuchi-hachi.html
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『ウォールデン 森の生活』

邦訳書として文庫や単行本が何点か出版されていますが、こちらは2016年に発売のもっとも新しい版です。各ページの上8割を「ですます調」の本文に充て、下2割を訳者の注釈やソローのスケッチの紹介に充てています。

『ウォールデン 森の生活』ヘンリー・D・ソロー著、今泉吉晴訳、小学館文庫、2016年、上巻445ページ・下巻437ページ


あくせくと忙しない都会での暮らしに嫌気がさし、「森での生活でもしてみたい」と漠と感じている人は多いことだろう。上司とではなく鳥や魚と対話したい、高層ビル群に向かってではなく、森や池あるいは自分の心のなかに向かって歩きたい、と。

そんな「森の生活」の源流に位置されるのが、『ウォールデン 森の生活』で著書ヘンリー・D・ソローが描いている、みずからの暮らしだ。

ソロー(1817-1862)は19世紀の米国で生きていた詩人。マサチューセッツ州のコンコードという町で生まれ、27歳からのおよそ2年間を、町のなかにたたずむ「ウォールデン池」のほとりで生活した。古びた小屋を買いとって、みずからの住まいとし、畑を耕して豆などを採り、池の水をすくって飲むという生活だ。簡素な生活でありあまった時間のほとんどを、散歩にあてていたともいう。その距離は1日にして32〜48キロメートルだったとも。

家を訪ねてくる人びとを受けいれはするが、みずから積極的に街で人と交わることはしない。「惨めな暮らしが文明化に付き物であることを、すべてが証明している」「他の人と一緒にいると、たとえ最高にいい人とであっても、まもなくうんざりして、消耗します」などと述べていることから、街での人びとの(当時でいう)現代的な生活には嫌気がさしていたのだろう。

いっぽうで、ソローのほとんどの興味は、自然の営みに向けられた。太陽が草原と森を分け隔てなく照らしていること、どの木もが淀みのない湖面の鏡に映るわが身に驚きの声を上げること、そして、あらゆる事物の高らかな歌声をもって暖かな春がくることを、深々とした観察や洞察、そして自然との対話から感じ、それをことばで表現していった。

なぜソローは自然のなかに身を置こうとしたのか。その答えは、最終章の「結論」からうかがえる。つまり、森の生活が、自分自身のためになるのではないかと考えたからだ。それまで自然というものに向いてきたソローのまなざしは、ここで自身をふくむ人間の内面へに向くようになる。

「私は、森で生活する実験から、少なくとも次のことを学びました。人は夢に向かって大胆に歩みを進め、心に描いた理想を目指して忠実に生きるなら、普通の暮らしでは望めない、思いがけない高みに登ることができます。(略)そして、人として高い次元の生き方をする資質が備わります」

つまりソローにとっての森の生活は、それ自体が目的なのではなく、自身が高みに登るための方法のひとつだったのである。「引き続いて生きてみたいいいくつからの別の人生が見えてきて」、約2年間の「森の生活」を終わらせた。

ソローが「森の生活」を送っていた時期から、およそ175年も過ぎてしまった。けれども、いまを生きる人びとが加速する文明化にためらうのとおなじように、ソローもまた鉄道の発達をはじめとする当時の加速する文明化を嫌がっていた。「いつもぴりぴりと神経質で落ち着かず、大忙しに動きまわりながら、これといって取り柄のないわれらが一九世紀です」と。

ソローのまなざしは、現代の人びとにとっても、ただの古いものではないのだ。

『ウォールデン 森の生活(上)』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4094062947/
『ウォールデン 森の生活(下)』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4094062955/

| - | 13:28 | comments(0) | trackbacks(0)
運転手側がつぎの停留所を伝え、乗客側が応じる



公共の乗りもののなかでも、バスに乗るときにかなりの緊張感を強いられるという人は多いのではないでしょうか。小銭はあるか、料金をきちんと支払えるか、行き先はあっているかなど、乗ってから降りるまでにさまざまな課題が生じうるからです。このブログでも、「『整理券による後払い方式』に技術と信頼」という記事で、ふだん都市部のバスしか乗らない人にとっての「整理券による後払い方式」のむずかしさなどについて触れています。

「どの瞬間に降車ボタンを押すか」も、絶対的な正解が決まっているものではないようすです。ですので、これも乗る人にとってのちょっとした課題になります。

押す瞬間が非常に早い人は、前の停留所からバスが出発した直後あたりにボタンを押します。しかし、これは運転手に「いま停まった停留所で降りたいのか。つぎの停留所で降りたいのか」と惑わせるため、まずもってすべきでないと考えられます。

前の停留所から離れて、バスがしばらく走ってからという瞬間はどうでしょう。これは、よくある瞬間ではないでしょうか。ただし、「自分の降りるバス停に近づいたらボタンを押そう」と楽しみにしている子ども客より先に押してしまい、子どもをがっかりさせることは、できれば避けたいものです。

そのつぎのありうる瞬間としては、「つぎは、知恩院前、知恩院前です」などと、車内放送が流れたときです。この瞬間のボタン押しは、最善の方法であるとさまざまな記事・媒体でも書かれています。放送が流れたときに降車ボタンを押せば、つぎの停留所で降りるという意思表示をもっとも明確に示せそうです。しかも、意思疎通のかたちとしては、運転手側が、音声機械によるものであっても「つぎは知恩院前の停留所ですよ」とよびかけたのに対し、おなじくボタンであっても「降ります」と答えているので、不自然ではありません。

車内放送が流れてしばらくしてから停留所が近づくまでのどこかの瞬間というのも避けたほうがよさそうです。停留所の直前までバスが進んでいると、運転手が停車しづらいだろうからです。

バスマニアのなかには、車内放送が流れてから降車ボタンを押すまでの最善の間隔を極めようとする人もいるとかいないとかいいます。乗客、運転手、そして自分。そのバスに乗っているだれにとっても、自然に感じられる心地よい「呼応」をめざしているというわけです。

参考資料
ドライバー・タイムズ 2018年6月14日付「バスの降車ボタンはいつ押すのか・終点で押すべきか|タイミング」
https://driver-times.com/driver_job/driver_bus/1053717
路線バス運転士になった元ウェディングプランナーの乗務日誌 2015年8月26日付「バスの降車ボタンはいつ押すの? 運転士目線で解説します!」
https://driverk.com/archives/542

| - | 17:16 | comments(0) | trackbacks(0)
「骨髄で血液がつくられる」に謎あり

写真作者:Duc Ly

骨の中心にある骨髄は、血液をつくります。けれども、ヒトなどの個体は、発生してまもないころから骨髄で血液をつくっているわけではありません。

まずは、卵黄嚢とよばれる、卵黄を包んでいるところで、その後は肝臓や脾臓という臓器が血液をつくる担い手となります。発生から4か月ほどすると、血液がつくられる場が移り、やがて骨髄が血液をつくるようになります。

とはいえ「血液がつくられる場所といえば骨髄」ということでだいたい合っています。感覚的に骨と血液が結びつかないという人もいるのではないでしょうか。なぜ、血液は骨髄でつくられるのでしょう。

骨髄での造血をめぐっては、生きものの陸上への進出が深くかかわっているという話がいわれているようです。

海などの水中で暮らしていた生きものは、水の浮力を受けるため、重力をさほど受けずにいました。しかし、陸に上がると水の浮力を受けないため、水中にいるときより6倍の重力を受けるようになりました。すると、血液が体の下のほうに落ちてしまうため、それに対応するため生きものの血圧が高まり、これを引き金に軟骨が硬い骨になり、そこに骨髄腔がつくられ、血液をつくる作用が肝臓などから骨髄に移るというのです。

また、水中より陸上の酸素濃度のほうが高いことも、骨髄腔が生じる要因になるといいます。

しかし、これらの説明では、骨髄腔が生じたとしても、なぜそこに血液をつくるしくみが移るのかまではわかりません。生きものの進化の過程は、個体の発生以降の過程とにているから、ということだけでは説明がつきづらいものです。

ひとついえるのは、骨髄には、血液がつくられるのに適した微小環境があるということです。血液がつくられるのにより適した場所があれば、そこで血液をつくるのが理にかなっているという考え方ができます。つまり、この考え方からすると、「骨髄で血液はつくられるのは、骨髄がもっともふさわしい場所だから」ということになります。この話もまだ推測の域を超えないようではありますが。

参考資料
ウィキペディア「造血幹細胞」
https://ja.wikipedia.org/wiki/造血幹細胞
西原克成『追いつめられた進化論』
https://www.amazon.co.jp/dp/4531063554
西原克成、田中順三「海から陸へ 脊椎動物の上陸劇の重力対応」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sobim/21/4/21_KJ00000972302/_pdf
生物史から、自然の摂理を読み解く 2009年8月7日付「上陸に伴って造血機関が骨髄へ移ったのはなんでだろう」
http://www.seibutsushi.net/blog/2009/08/000850.html
医療科学 Q and A 2009年5月6日付「造血は、なぜ、骨髄で?」
https://h-ninomiya.at.webry.info/200905/article_1.html
科学技術のアネクドート 2019年3月7日付「“小さな環境”が細胞の分化をつかさどる――血液多様性を見る(3)」
http://sci-tech.jugem.jp/?day=20190307
| - | 14:22 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『プロの撮り方 創造力を極める』
雑誌『ナショナルジオグラフィック』の「プロの撮り方」シリーズとしての一冊です。

『プロの撮り方 創造力を極める』ブライアン・ピーターソン著、関利枝子・武田正紀訳、日経ナショナルジオグラフィック社、2015年、146ページ


たとえおなじ場所、おなじ時間帯、そしておなじ機材で撮影をしても、撮った人によって写真のできばえはちがってくる。もって生まれた感覚の差もないわけではないだろう。だが、人の心を惹くような写真は、心がまえや技によっても実現することを、この『創造力を極める』は教えてくれる。

著者のブライアン・ピーターソンは、米国シカゴ在住の写真家。30年以上のプロ経験をもち、また20年にわたり写真を教えてもきた人物だ。世界を飛びまわって撮った写真のかずかずを本書でふんだんに披露する。

著者いわく「創造力」とは「独創性と想像性、着想力と知覚力の組み合わせ」。これらを束ねるようなことばとして「アイデア」も使い、「本書のテーマを一言でいうなら『アイデア』だ」と述べている。

実際の写真の例は、たしかにアイデアが光るものが多い。ほんの小さな水たまりにズームして写真下半分を水面にしてしまった写真や、街なかの壁の模様の乱れに近づいて切りとり前衛芸術風にした写真など。「こんなアイデアがあったか」と膝を打つ読者も多いだろう。

いっぽうで、どんな撮影者にも基本となる心がまえも記している。「あと60cm近づくだけで、傑作になりますよ。近寄ってみましょう!」とか「この被写体で、別の構図がまだ可能ではないか」とか。人物を撮るときには背景選びを先決することの大切さも述べている。そして最後には、本書で述べたことをおさらいするように「創造的に見る」ためのチェックリストも掲げている。

書名の「プロの撮り方」からは、専門的な印象をあたえるかもしれない。だが、専門的な話はレンズの特徴や被写界深度についてぐらいで、プロでなくても参考になる話は多い。プロも基本を大切にしていることを知らせてくれる。

『プロの撮り方 創造力を極める』はこちらです。
https://www.amazon.co.jp/dp/B073VDDSR5
| - | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< April 2019 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE