科学技術のアネクドート

身の丈に合ってこそ、組織

写真作者:anyjazz65

人はほかの人と、なにかの目的を果たすため「組織」をつくります。会社、自治会、サークル、任意団体などはみな組織です。

たいてい、組織は少人数で立ちあがるもの。初期のうちは、人数が変わらないことはあっても、減ることはあまりありません。2人で始めた組織の人数は3人、4人と増えていくもの。1人だけになったら、ほぼ組織の体をなさなくなります。

人数が増えていくうちに、部や課や委員会などといった、役割ごとの小区分がつくられていきます。少人数のときは1人がその役割を担う程度なので、小区分をつくる必要はありません。しかし、おなじ役割が2人、3人、4人と増えることで、人は、その担当者をたばねた部や課や委員会をつくろうとします。

その段階になると、「部や課や委員会の体を保つこと」が組織の課題となります。人は、いったんつくったそれらの小区分をなくすことを、どういうわけかためらいます。

しかし、組織の人事は流動的なものでもあります。なかには組織を去る人もいます。4人いたうち、1人が組織をさり、2人が組織をさり、となると小区分の人数が減っていきます。

組織のなかからほかの人を補充できればよいでしょう。企業などでは、経営者や人事担当者がそうした権限を使い、なかば強制的に人の補充をします。しかし、自治を基本とする組織では、強制的な人の補充はなかなかむずかしいもの。どこまでその自治的組織に貢献するかは、その人の自由意志によるものとなるからです。

そうなると「部や課や委員会の体を保つこと」がむずかしくなります。「後任者が見つからないよぅ。困ったよぅ」と頭を抱える人も出てきます。

しかし、「部や課や委員会の体を保つことができなくなれば、部や課や委員会をを保たずに畳んでしまえばよい」という考え方もできます。むしろ、そのほうが自然な考え方ではないでしょうか。その役割を担いたいという人がいないのであれば、無理をする必要はありません。もともと組織とは、なにかの目的を果たすことに賛同する人たちが集まるものです。目的を果たすために役割を担うという人がいなければ、小区分はもとより組織そのものを保つ必然性は危ういものになります。

人のもつ能力、器量、経済力などのことを「身の丈」といいます。つねに組織とは、その組織の身の丈と合っていてしかるべきもの。規模が大きくなったり、やる気ある人が多くいたりすれば、それに見あう活動をすればよいし、規模が小さくなったり、やる気がある人がすくなかったりすれば、それに見あう活動をすればよいのです。
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プロ野球の「球・グラウンド比」はおよそ3万733倍

阪神甲子園球場
写真作者:上野宝彦

2019年のプロ野球が3月29日(金)に開幕しました。各球場で熱戦がくりひろげられています。

野球は、ひとつの球を投手が投げ、打者が打ち、野手がとる、といったことで進んでいく運動競技です。守備につく選手たち、また攻撃側の打者や走者のすべてが「球がどこにあるか」を認識しながら、それぞれに動いているわけです。

野球の試合で使われる球に対して、おなじく試合で使われる球場は、とてつもなく大きなものといえます。野球を見なれている人にとってはこうした感覚をもはやもたないかもしれませんが。

プロ野球の公式球の外周は22.9〜23.5センチメートルといいますから、円周率で割ると直径はおよそ7.34センチメートル。断面積は、およそ42.3平方センチメートル。いっぽう野球場のグラウンド面積は球場によって異なりますが、たとえば阪神甲子園球場ではおよそ1万3000平方メートルといいます。

すると、球の断面積に対し、球場グラウンドの面積は、およそ3万733倍となります。

運動競技で野球とよくくらべられるサッカーについてもおなじように計算します。球の断面積がおよそ380平方センチメートルであるのに対し、コート面積は、たとえば「埼玉スタジアム2002」では7140平方メートル。

すると、サッカーの球の断面積に対し、コート面積は、およそ1879倍となります。プロ野球の「球・グラウンド比」にくらべると、およそ16分の1でしかありません。

野球の「球・グラウンド比」に対抗できる運動競技はなにかあるでしょうか。フィールドホッケーは、かなり小さな球を、かなり大きなフィールドで選手たちが追いかけます。どうでしょうか。

しかし、フィールドホッケーの球の大きさは、22.4〜23.5センチとされており、野球の球とさほど変わりません。フィールドは野球グラウンドよりずっと狭いので、野球に軍配があがります。

と、いろいろな運動競技をあげてきましたが、ゴルフがありました。これは球も野球の球より小さく、ゴルフ場の面積も野球場グラウンドより広い。ただし、ゴルフは基本的には個人競技。選手たちがひとつの球の位置をめぐって、いろいろな動きをとるわけではありません。

やはり、「ひとつの球をめぐって複数の選手が動く」運動競技においては、野球の「球・グラウンド比」がもっとも大きいのではないでしょうか。「野球」という競技名もしっくりきます。

参考資料
NAVERまとめ「ボールの種類・公式規格まとめ(大きさ・重さ・素材など)」
https://matome.naver.jp/odai/2142915666380590401
いまさら聞けない甲子園球場超入門 2017年7月16日付「日本プロ野球12球団の本拠地の大きさ比較と特色」
https://imedthc.com/archives/16
オン・ザ・ピッチ「そんなに違うの?サッカースタジアムのコート面積・大きさ・広さ」
http://on-the-pitch.com/soccer-court-size
| - | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0)
実質主義に立って「→」も使うべし


雑誌やインターネット記事は、基本的に、文字や数字、また括弧、疑問符、感嘆符などの約物で埋めつくされます。そうしたなかで、たまに「→↓←↑」つまり矢印が使われていることがあります。

矢印は、矢のかたちをしていることから「矢印の尻から先へ進んでいく」ということを読者に意識させます。

たとえば、東京駅から横浜駅までの鉄道の駅順を伝える記事では「東海道線は、東京→新橋→品川→川崎→横浜の順に停車していく」などと記されることがあります。

しかし、このような何段階かを追っていくための矢印を記事で使うことについては、「記事内で使うべきか」といった議論は起きうるものです。

たとえば、共同通信社が発行している『記者ハンドブック』には、「―」「…」「=」などの符号の使い方は記されているものの、矢印の使い方を示した項目は見あたりません。すくなくとも、「―」「…」「=」などの符号よりは、使うことが意識されていないようです。

矢印を使うことにためらいのある記者や編集者は、「記事というものは、文字、数字、そしてかぎられた約物でなりたつものだ。矢印はそうした記事の構成要素にはふくまれていない。よって、使うべきではない」と考えているかもしれません。「矢印は使われていないから使わない」あるいは「矢印を使っていないから使わない」という考えです。

いっぽう、矢印を使うことに積極的な記者は編集者は、「記事というものは、読者に伝わることがめざされるものだ。その目的のために矢印がより効果的になる場合がある。その場合は、使うべきだ」と考えているかもしれません。

たとえば、上にある東京から横浜までの駅順を矢印なしに記すと、「東海道線は、東京、新橋、品川、川崎、横浜の順に停車していく」となります。矢印があれば「東京」と「新橋」の関係は「前の駅と次の駅なのだ」と直感できますが、矢印がないと「東京」と「新橋」の関係はまだ見えてきません。「の順に」というところまでたどりついて「前の駅と次の駅なのだ」とわかることになります。矢印があるほうが、より読者に伝わるわけです。

これらのことから、矢印を使うかどうかは、いわば形式主義をとるか実質主義をとるかのちがいといえるでしょう。

読者に伝わることを考えたら、実質主義、つまり矢印を使うほうが優っていそうではあります。しかし、かならずしも矢印を使うほうが優るともいいきれません。

たとえば、記事のなかに矢印が大量に使われ、読者が「なんだこの記事は、矢印ばかり使って」と嫌気をさして記事を避けてしまえば、矢印を使うことは失敗となります。

そこまでいかなくても、矢印が使われる記事に慣れていない読者が、読んでいる記事で矢印を目に入れたら多少の違和感を覚えるかもしれません。その違和感は、記事が伝わるためには邪魔なものとなります。

記者や編集者は、「読者に効果的に記事を伝える手段として、矢印も使えばよい」という考えを基本にしつつ、「この場面で矢印を使うことは逆効果にならないか」といった慎重な姿勢も保つ、ぐらいの感覚で矢印に向きあうのがよいのではないでしょうか。

参考資料
共同通信社『記者ハンドブック 第13版』
https://www.amazon.co.jp/dp/4764106876
| - | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0)
花はかわいく、体は毒をもち


馬酔木折つて髪に翳せば昔めき 高浜虚子

3月も下旬になり暖かくなると、みどりの多い小道ぞいにはさまざまな春の花の色で彩られます。

この庭の主人は、ていねいに木に名札をつけて植物の名を示してくれています。

「紅馬酔木」。べにうますいぼく……こうばよいき……。これで「ベニアセビ」あるいは「ベニアサビ」と読みます。

ベニアセビは、ツツジ科アセビ属の一種。アセビは高さ数メートルにも育つ常緑樹。しっかりつやつやとした葉のみどりを背に、小さな壺型の花の列をつくります。紅色の薄いベニアセビは「ウスベニアセビ」、濃いものは「ベニバナアセビ」とも。

小さな花がみな下に向いて垂れているところ、そしてそれが1本の木のあちらこちらに見られるところにかわいらしさがあります。

しかし、花のかわいらしさとは裏腹に、葉や茎にはアセトポキシンという毒の成分がふくまれています。ベニアセビないしアセビを食べる動物はほぼいません。「馬酔木」というあて字は、馬が食べると毒の作用で酔ったようにふらふらになることからとされています。

小さくてかわいい花をつけながらも、その裏では馬を酔わせるほどの毒をもつ。なかなかのやり手です。

参考資料
NHK出版 みんなの趣味の園芸「アセビ」
https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-882
広島大学デジタル自然史博物館
https://www.digital-museum.hiroshima-u.ac.jp/~main/index.php/アセビ_宮島の植物と自然
植木図鑑 植木ペディア「アセビ」
https://www.uekipedia.jp/常緑広葉樹-ア行/アセビ/
ウィキペディア「アセビ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/アセビ
五百五十句 高浜虚子
https://www.aozora.gr.jp/cards/001310/files/51838_59542.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「写実的」は「ありのまま」にとどまらない
「写実的」という表現があります。一般的には、ものごとをありのままに描きだそうとするさまのことを指します。けれども、ありのままに描こうとすることだけが「写実的」なのでしょうか。

人がなにか描かれたものを見せられて、「こういうの、いかにもあるよねー」と感じれば、その描かれたものは写実的かもしれません。では、「いかにも、ある」と感じさせるような描き方は、「ありのまま」にとどまるものなのでしょうか。

「写実的であること」が、ときに「ありのまま」を超えたところにもある。そのことを感じさせてくれる作品に、運慶(1150ごろ-1223)作によるかずかずの仏像があります。

運慶は仏師、つまり仏像をつくる匠でした。仏師集団「慶派」の統領だった康慶(生没年未詳)の長男であり、奈良の興福寺や東大寺などの仏像修理を手がけたり、かずかずの仏像をつくったりしました。

運慶がつくったとされる仏像として、東大寺の「金剛力士像」2体のうちの阿形像や、金剛峯寺の「八大童子」などがあります。


東大寺の金剛力士像(阿形像)
写真作者:coniferconifer


金剛峯寺八大童子

これらの仏像は、とても「真に迫るもの」があります。けれども、これらの仏像に感じられるような「怒れる」「きつい」「鬼気迫る」といった表情を、生身の人間が表そうとしてもなかなかできるものではありません。しかめ面にも、眉毛のつり上げにも限界というものがあります。

つまり、造形としては「ありのまま」とはいえない要素を、運慶の仏像はたぶんにふくんでいます。それにもかかわらず「運慶の仏像は写実的だ」と評されるのは「写実的であることを追究すると、写実を超えた表現になりうる」ということを運慶が心得ており、意図的にそれをしかけたからではないでしょうか。

東京国立博物館の主任研究員で、2017年に同館が開催した「運慶展」にかかわった皿井舞さんが、「仏像を『革新』した天才仏師『運慶』の生涯」という記事で、運慶の作風について、つぎのように述べています。

「運慶は単なる写実とは異なって『実在感をどう実現するか』という意味でのリアリズムを追求していました。肉体をありのままに再現するのは『写実』ですが、運慶の場合、実は造形として不自然な部分はあるけれども、見ている人にとって非常にリアルに感じられるような造像をしています」

写実的であることを超越した感覚を「実在感」と言いあらわしています。

写実的であること。実在感があること。これらを包含した仏像の表情を、かずかずの運慶作品から感じることができます。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「運慶」
https://kotobank.jp/word/運慶-35637
朝日新聞掲載「キーワード」「運慶」
https://kotobank.jp/word/運慶-35637
ハフィントンポスト 2017年10月17日付「仏像を『革新』した天才仏師『運慶』の生涯 フォーサイト編集部」
https://www.huffingtonpost.jp/foresight/buddhism_a_23244201/
| - | 21:09 | comments(0) | trackbacks(0)
ロボット教材で“いいとこどり”

写真作者:David Luders

2020年から小学校で「プログラミング教育」が必修となります。このブログでも、2018年11月6日付の記事「文部科学省、先生たちに『自らプログラミングを体験することが重要』とよびかけ」で、国にとってのプログラミング教育のねらいなどを伝えました。

プログラミングを子どもたちに教えるにあたっては、「どんな教材を使うか」がとりわけ大切になってきそうです。一般的に、プログラミングとは、コンピュータに情報処理を指示すること。小学校教育ではより解釈を広げて、コンピュータを使うかどうかにかかわらず、日常生活でなにかにはたらきかけて動かすようなことを指す場合もあります。コンピュータを使うにしても使わないにしても、働きかける対象や、その働きかけがどう反映されたかを見る対象として「教材」を使うことが教育には効果的となるわけです。

教材には、まず、コンピュータを使わないことを前提としたものがあります。たとえば「手をたたく」「足ぶみ」「ジャンプ」などと書かれた札は、コンピュータを使わないプログラミング教材のひとつ。札のひとつを先生やひとりの子が掲げ、ほかの子たちがそれどおりに体を動かすわけです。

また、画面のあるコンピュータやタブレット端末なども、プログラミング教材になりえます。コンピュータ上で「右へ進め」などと指令を出すと、おなじくコンピュータの画面に示された人や生きものなどのキャラクターが指令にしたがって動きます。これにより、子どもたちは、自分の出した指示が対象にどう反映されるかを知るわけです。

コンピュータを使わない教材。コンピュータのみの教材。これらよりも優れているともされるのがロボット教材です。ロボット教材では、コンピュータや機械ないししかけを扱いながら、かつ、ロボットという実体に触れることになります。プログラミングを学ぶうえでの「効果的なところ」が複数、盛りこまれているわけです。

おもに低学年向けには、コンピュータは使わずに機械やしかけを自分でつくったり手を加えたりして動かすような教材が、教育系企業などにより用意されています。

学年が高くなるにしたがい、コンピュータやタブレット端末にプログラムを入れ、その結果をロボットが動くかで見てみる、といった方法がとりいれられるようになります。

子どもたちは「動くもの」に興味を抱くもの。まして、それが自分からのはたらきかけが反映されるようにモノが動くとなれば、子どもたちが強い興味を抱かないはずはありません。はたしてロボットは、プログラミング教育における効果的な教材となりうるわけです。

参考資料
ICT教育ニュース「プログラミング学習ロボット比較」
https://ict-enews.net/expo/robot_201706/info/
総務省「2020年必修化を見据えたオープンで探求的・総合的なプログラミング学習実施モデル」
http://www.soumu.go.jp/programming/code.html
atmark IT 2017年10月12日付「PCを使わない“アンプラグド”なプログラミング教育は入り口であり、目指すところではない」
https://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1710/11/news015_2.html
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
とっさのときは両手でなく袖で抑える

写真作者:auguste rodin, glyptoteket museum, copenhagen

春は花粉が多く飛ぶ季節。街かどでは、くしゃみをしている人が多く見られます。

とくに電車のなかなどでくしゃみが出るとき、口に対してなにもせずにいる人は、まわりの人たちから白い目で見られることが多くなったのではないでしょうか。かなりの飛沫がまわりに散ることが知られるようになったからです。くしゃみの飛沫は前のほうでは2メートル以上、飛ぶとも。他人から無言の憎しみが注がれるようになったため、自分のくしゃみ現象をまったく放置する人はすくなくなりました。

では、くしゃみが出るとき、どんな方法をとれば、まわりの人びとにできるだけ迷惑をかけずに済ませられるのでしょう。

とっさの対応として「両方の手のひらで口と鼻を抑える」といった方法をとる人はいます。しかし、どうやらこれは「放置」につぐかおなじぐらい、とるべきではない方法のようです。

まず、両手で口と鼻を抑えても、くしゃみの飛沫はすきまから飛んでいってしまいます。ためしに口と鼻を抑えるときの両手のかたちをつくってみると、両手の間や指の間にすきまができるのがわかります。では、すきまをつくらないように両手をぎゅっと狭めたらどうでしょう。今度は両方の親指あたりの防御がゆるくなるのが、両手で口と鼻を抑えてみるとわかります。

もうひとつ、この方法をとると、手のひらについた飛沫が、街なかの手すり窓や机などにつきまくるおそれがあります。くしゃみのあとただちに手を洗えば、そうした影響はすこしは減るものの、万人がそうするはずもありません。

これらから「両方の手のひらで口を抑える」はご法度とされます。広まっていないものの、知られるべき「べからず行為」といえるでしょう。

では、とっさのときどうすればよいか。「まだましな方法」とされるのが、片方の腕を前に出して、服の袖で口や鼻を覆うというもの。腕を曲げたところに口や鼻をあてがいます。すくなくとも、口や鼻より上のほうに飛沫は散っていかなさそうです。また、手のひらよりも袖に飛沫がついたほうが、まだ飛沫がほかのところにつくおそれは低いともいえそうです。

もっとも、この方法は「とっさのとき」のもの。考えられる最善の方法は、あらかじめマスクで口と鼻を覆っておくというもののようです。マスクの布の穴はウイルスより大きいものの、ウイルスは飛沫についており、その飛沫はマスクにひっかかります。ウイルスや飛沫を撒きちらさない効果はあるわけです。

また、次善の方法として、テュッシュペーパーやハンカチで口や鼻を覆うというものもあります。

厚生労働省はこれらの方法を「咳エチケット」としてまとめ、啓発のとりくみをしています。

ただし、エチケットが記されたポスターやリーフレットに描かれている『進撃の巨人』のエレン・イェーガーが袖で口や鼻を覆う姿はやや“ゆるめ”に見えなくもありません。はたして飛沫を効果的に防げるかどうか……。リーフレット裏面に、よりしっかりと袖で口や鼻を抑えている見本があります。

参考資料
厚生労働省「咳エチケット」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000187997.html
FNN PRIME 2019年2月8日付「くしゃみをおさえるのは“手”じゃなく“肘の内側”ってホント? インフル感染防ぐ『エチケット』を聞いた」
https://www.fnn.jp/posts/00422220HDK
朝日新聞デジタル 2017年1月21日付「飛沫感染、マスクの予防効果は?」
https://www.asahi.com/articles/ASK1N65LBK1NUBQU00J.html
| - | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0)
しっかり持ち、ずれ落ちを手で抑え、入れたことを忘れずに

写真作者:Jack Sem

スマートフォンのガラスを割ってしまった、あるいは割れてしまっていたという経験をしたことはあるでしょうか。

ひんぱんにスマートフォンの画面を覗く人は、画面と向きあうたびにガラス割れを見ることに。気にしない人や慣れた人はべつにしても、小さなストレスや不快感が貯まっていきます。精神的な苦痛だけでなく、ガラスが割れていることで耐水性が落ちるなどの実害もあります。

スマートフォンのガラス割れについては経済損失の規模も調べられています。ゲオは、スマートフォンの画面割れによる経済損失額を、1382億1250万円だったと2017年に発表しています。これは、中古スマートフォンの平均買取価格から、画面の割れたスマートフォンの買取価格を引き算し、それを国民が所有する画面の割れたスマートフォンの台数で掛け算して導いた額とのこと。

スマートフォンのガラス割れによる個人的被害や社会的損失を減らすためには、スマートフォンのガラスが割れないようにすることです。強化ガラスをつけたり、外装ケースで覆ったりという方法もありますが、「スマートフォンのガラスが割れるときの状況を把握して、割れないように心がける」といった方法あります。

では、スマートフォンのガラスを割ってしまう原因にはどのようなものがあるのか。市場調査などを手がけるネオマーケティングは2014年におこなった「スマートフォンケースに関する調査」のなかで「スマートフォンの落下原因」について調べました。86件の回答を得られ、結果はつぎのようになったといいます。

 ・操作中の手からの落下 44.2パーセント
 ・ズボンやスカートのポケットからの落下 37.2パーセント
 ・シャツなどの上着のポケットからの落下 26.7パーセント
 ・机などに置いてある状態からの落下 20.9パーセント
 ・子供による過失 3.5パーセント
 ・その他 4.7パーセント

いかがでしょうか。きわめて“考えられうる”原因が上位に連なったといえるのではないでしょうか。これらからいえるのは、「スマートフォンを使うときは落とさぬようしっかり手で握る」「ズボンやスカートのポケットに入れているとき、とくに座ったり立ったりするときはずり落ちぬよう手で抑える」「シャツなどのポケットに入れているとき、とくに前かがみになるときはポケットに入れていることを忘れない」といったことになりそうです。

「あたりまえのことじゃないか」と思われるかもしれません。しかし、どのような原因が多くあるかを知っておくことも、問題を防ぐためのひとつの手にはなります。

参考資料
ゲオホールディングス 2017年7月27日発表「画面を割ると経済に影響を与える!?
ゲオがスマホと経済の意外な関係性を算出! “スマホの画面割れ”がもたらす経済損失額は『1,382億1,250万円』」
https://www.geonet.co.jp/news/2702/
マイナビニュース 2014年6月12日付「スマホの故障原因として多い『落下』、最も多いシーンは●●からの落下」
https://news.mynavi.jp/article/20140612-a037/
千日のブログ 2015年11月2日付「落下リスクに備えるベストなスマホケースの選び方に答えます」
https://sennich.hatenablog.com/entry/2015/11/02/184502
| - | 12:55 | comments(0) | trackbacks(0)
街なかでふらっと小さな音楽祭


東京の上野地区を中心に「東京・春・音楽祭」という音楽の催しものが、春のあいだ開かれています。

この音楽祭は、上野公園内にある東京文化会館などの演奏会場のほか、国立科学博物館や東京国立博物館などさまざまな建てものを演奏場として使い、クラシックなどを演者が奏で、人びとが聴き、思い思いに楽しむというもの。2019年で15年目となりました。

お金を払って聴く公演もたくさんありますが、上野駅のなかなどの公共空間では「桜の街の音楽会」と称して、無料で聴ける小さな演奏会も開かれています。

JR上野駅の中央改札外、ハードロックカフェ上野駅東京のすぐ近くでは、「サクソフォーン・カルテット・アヴァンス」という4人組のサックス奏者が30分間にわたり演奏。モーツァルト作、山口景子編「モーツァルト・トリビュート」や、ムソルグスキー作「展覧会の絵」の編曲版などを奏でました。

駅の建てもののなかなので、当然ながら閉ざされた音楽堂の空間よりも騒がしいなかでの演奏となります。遠くでは、救急車の拡声音も聞こえたり。それでも、演奏が始まるやいなや、まわりにはたくさんの聴衆が集まります。「心地よい音色を出す」という行為は、人びとの歩みを止めさせ、集わせやすいのでしょう。

無料で聴ける「桜の街の音楽会」のほうは、20分や30分の長さのものが多く、“立ち聴き”でもさほど疲れないくらい(いす席も若干、用意されていますが)。ふらっと行って、ふらっと聴いて、ふらっと立ちさることのできる音楽会です。

「東京・春・音楽祭」の公式サイトはこちら。冒頭画面右上に「桜の街の音楽祭」のページへの入口があります。
http://www.tokyo-harusai.com/program/sakura.html
| - | 17:33 | comments(0) | trackbacks(0)
「バナナチップスチョコ」を作るのは芥川製菓


セブン-イレブンのお菓子「バナナチップスチョコ」が品薄状態を超えて、ふたたび店頭で多く置かれるようになってきたようです。

このお菓子は、バナナチップのチョコレートがけ。セブン-イレブンは「ココナッツオイルでカリッと揚げたバナナチップスに、チョコレートをコーティングしました。バナナの香りとチョコレートの優しい甘さが感じられます」とうたっています。

品薄だったのはとてもよく売れたからでしょう。実際、食べた人たちからは「これ、めちゃおいしい」「セブンのこれうますぎる!」「天地がひっくり返るほどおいしい」などと好評のつぶやきがあがっているようです。

セブン-イレブンは「チョコレートをコーティングしました」と、自分自身が作ったような伝え方をしていますが、実際のところは菓子を作る企業にお金を払って作らせたにちがいありません。

袋の裏面には「販売者 芥川製菓株式会社」と記されてあります。ここでの「販売者」は、セブン-イレブンが他社に製造委託をして販売をおこなっている場合、その製造委託先をさすものとされます。



芥川製菓の企業サイトによると、同社の創業は1914(大正3)年。「日本のチョコレート史の幕開けとほぼ同時のスタート」とあります。

製品紹介のページの「取扱い製品」には「通販用チョコレート」「ホテルブランド チョコレート」そして「各種OEM商品」とあります。業務用という雰囲気がただよいます。OEMとは“Original Equipment Manufacturer”の頭文字をとったもので、相手先から委託を受けてものをつくる者をさします。「バナナチップスチョコ」はまさにOEM商品のひとつといえましょう。

ただし、自社ブランドも「アクタガワ」「アクター」「サラモア」「ウブリエ」「ファンシーランド」とさまざまあるもよう。

そして、オンラインショップの「定番商品」にはシェル型のチョコレート「シェルマーブル」と、日常のおやつにおすすめという「ミルクチョコ クリアボックス」を掲げています。

「バナナチップスチョコ」がこれほどの評判ですから、自社製品もさぞかし良質な風味のお菓子なのでしょう。

同社は「ただ単に『おいしさ』だけでなく、『楽しい夢』『贈る心』を商品に与えることを心がけてきました」とも述べています。これが理念とのこと。この理念を知らずとも、「バナナチョコチップス」を買った人たちは、「おいしさ」だけでなく「楽しい夢」も「贈る心」もあたえられた気がしているのではないでしょうか。

参考資料
セブン-イレブン「バナナチップスチョコ」
http://www.sej.co.jp/i/item/300405321584.html?category=188&page=1
NAVERまとめ 2018年11月25日付「売り切れ続出! セブンで売れてる『悪魔の食べ物』がヤバい」
https://matome.naver.jp/odai/2154311841289516501?page=2
BLOGOS 2014年6月4日付「プライベートブランドの表示と製造所固有記号」
https://blogos.com/article/87740/
芥川製菓「芥川製菓の歴史」
http://www.akutagawaseika.co.jp/history.html
芥川製菓オンラインショップ「定番商品」
https://www2.enekoshop.jp/shop/akutagawaseika/item_list?category_id=105583
| - | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0)
「二代目」「三代目」を買うときネットストアが便利


自分が使いこなしたい道具、服、靴などを、よく調べ、考えて買ったとします。そして使ってみて、思いどおりかそれ以上の使い勝手を感じられたときはうれしいものではないでしょうか。

これは人の性格や気質によるでしょうが、「自分の気に入ったものを使いつぶしたら、おなじものを、二代目、三代目と買いつづけたい」と思う人もなかにはいることでしょう。すり減ったり、穴があいたりしてしまったため、これ以上、使うのはむずかしいが、使い勝手はとてもよいので、まったくおなじ新品をあらためて買いたい、といったものです。

しかし、人の記憶は曖昧なもの。買ったときについていた荷札や品番などを捨てたりどこかになくしてしまったりすると、どこで買ったかや、なんという商品名かなどの詳しいことを忘れてしまうことも。さらに、買った店がどこかは覚えていても、いまもおなじものがその店に置いてあるかはわかりません。

こうした「二代目」や「三代目」を買いたいという求めに対して、アマゾンなどのオンラインストアは応えています。

自分のアカウントのページから「注文履歴」に進むと、買った商品の一覧を見ることができます。たとえば、アマゾンでは「過去30日」「過去6カ月間」「2019年」「2018年」……などと、さかのぼって自分が買ったものを見ることができます。

さらに「再度購入」というボタンもあります。このボタンを押して買うことで、自分が慣れ親しんで使ってきたのとおなじ商品を使うことが確実にできるわけです。

しかし、「再度購入」を押しても、「現在お取り扱いできません この商品の再入荷日は未定です」と示されてしまうことも多々あります。多くの場合は、売り切ってしまい、もはや作っていない、ということなのでしょう。

それでも、商品名や寸法の情報は得られてはいるので、その情報をインターネット検索すれば、ほかのオンラインストアや実際の店などで買える糸口はつかめるかもしれません。

自分がなにを買ったかを具体的に詳しくさかのぼれるというのは、さほど言われてはいないものの、インターネットストアの大きな利点ではないでしょうか。
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ゲノム編集技術応用食品、表示のしかたが争点に

写真作者:yumtan

新たな育種技術が使われる食品のとりあつかいを議論する厚生労働省の新開発食品調査部会は(2019年)3月18日(月)「ゲノム編集」が使われる食品について、開発者などから必要な情報の「届出」を求めるのが適当という考えを示しました。

食品製造業者などが国に届け出をすれば、ゲノム編集技術応用食品を売ってよいものと捉えることができます。ただし、外から入れた遺伝子がふくまれる食品については「安全性審査の手続を経る必要がある」と別あつかいしています。

ゲノム編集応用食品が店先で売られるとなると、多くの人たちの関心事は「その食品はゲノム編集されたものなのかわかるのか」ということでしょう。自分が食べようとする食品について、新しい技術が使われているかどうかは、多くの人にとって気にかかるもの。得体の知れないものに用心がはたらくというのは自然なことです。

まず、届け出された情報のうち、つぎの情報については公表される見通しです。

「開発したゲノム編集技術応用食品の品目・品種名、利用方法および利用目的、利用したゲノム編集技術の方法、遺伝子の改変の概要」

「確認されたDNAの変化がヒトの健康に影響を及ぼさないことを確認したことの概要」

「特定の成分を増強・低減させるため代謝系に影響を及ぼす改変を行ったものについては、当該代謝系に関連する主要成分(栄養成分など)の変化の概要」

つまり、届け出の情報のうち「この食品は、こんな目的のため、こんな技術が使われています。健康に影響ないと確認しています。成分にこんな変化がありました」といったことを、公表することになりそうです。

しかし、この「公表」は、食品のラベルなどに表示されるものとは別のものと考えてよさそうです。インターネットなどで公表することを想定してのものと考えられます。

食品の表示のしかたを定めるのは厚生労働省でなく、内閣府の外局にあたる消費者庁。この部会には「消費者が選択できるよう表示が必要」といった市民の声が複数、寄せられましたが、部会は「食品表示に関する取扱については、今後、消費者庁にお いて検討が行われるものと考えています。いただいたご意見について は、消費者庁へお伝えさせていただきます」とだけ述べています。

では、消費者庁としては、どのような表示のしかたを考えているのでしょう。

(2019年)2月6日(水)の岡村和美消費者庁長官の記者会見では、「表示の仕方についても検討しております」としつつも、表示内容に偽りなどがないかを確認する作業に関しては、「分析をしても判定ができないところにつきましては、なかなか厳格な規制をすることが難しい」とも述べています。あわせて、同庁の食品表示企画課の担当者も「検証可能性、実行可能性というところは十分考慮した上で検討していく必要がある」と述べています。

ゲノム編集では、遺伝子を大幅に改変することなく、最小単位である1塩基といったごく小さな部分を改変すれば済む場合も多く、改編した痕跡が残りにくいという特性があります。そのため、仮に「この食品はゲノム編集技術を使っていません」などと表示したとしても、「使っているじゃないか」と覆すことがむずかしいわけです。

とはいえ、さきの厚生労働省への市民からの声には「表示」を求めるものが多くあります。表示をなにもしないということは考えづらいもの。いかに実効性をともなわせるかが課題といえましょう。

参考資料
厚生労働省 2019年3月18日配布「『薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会 新開発食品調査部会 報告書(案)ゲノム編集技術を利用して得られた食品等の食品衛生上の取扱いについて』に係る御意見について(案)」
https://www.mhlw.go.jp/content/11121000/000490390.pdf
同部会 2019年3月18日配布「ゲノム編集技術を利用して得られた食品等の食品衛生上の取扱いについて 報告書(案)」
https://www.mhlw.go.jp/content/11121000/000490381.pdf
ロイター 2019年3月18日付「ゲノム編集食品、夏にも」
https://jp.reuters.com/article/idJP2019031801002134
消費者庁 2019年2月6日「岡村消費者庁長官記者会見要旨」
https://www.caa.go.jp/notice/statement/okamura/190206c/
ウィキペディア「ゲノム編集」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲノム編集
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人物像の深さが文化的遺伝子の作用の強さに


人の脳から脳へと伝えられる文化的な遺伝子を「ミーム」とよぶことがあります。人から人に伝わりやすいものごとは、それだけミームとしての文化的遺伝の作用が強いといえます。

テレビジョンのアニメーション番組に出てくる登場人物もミームの一種です。そして、多くの人びとに見られ、また話題にもされやすいため、これらのミームの文化的遺伝の作用は総じて強いといえます。

なかでも『サザエさん』に出てくる「花沢さん」こと花沢花子ミームの文化的遺伝の作用は、相当に強いといえそうです。

「花沢さん」という固有名詞を聞いた10人のうち、おそらく8人か9人は、「あ、『サザエさん』に出てくる『花沢さん』のことね」と思いうかべるのではないでしょうか。そして多くの人の脳裏には、ダミ声で「磯野くーん」と呼んだり、「アハハハ!」と笑って同級生の磯野カツオの背中を叩く言動が描かれることでしょう。これらは、花沢さんの文化的遺伝の作用が強い証左といえます。

現実世界でも、「花沢さん」というあだ名でよばれている人はいるものです。本人に伝わっているかはべつとして。容姿が似ている、声が似ている、性格が似ているなど、理由はさまざまでしょうが、多くの人びとが「花沢さん」で理解しあえるイデアを共有しているわけです。

花沢さんの同級生女子には「カオリちゃん」こと「大空カオリ」や、「早川さん」こと「早川」もいます。これら女子は、アニメーションまたは原作漫画では、磯野カツオの憧れの対象というヒロイン的な存在。文化的遺伝の作用はそれなり強くてもよいはずです。

けれども、花沢さんの文化的遺伝の作用にはかないません。豪快な性格からカツオでさえ手を焼く。それでいて、不動産屋を営む家では父母が忙しいとき、買いものや料理などをこなすといった“女子力”も高い。そして、小学生にして人生設計もしっかりしている。深みある人物像の設定であるがゆえに、多くの人びとの心に響くのではないでしょうか。

2016年に、@nifty編集部が発表した「サザエさんの人気キャラクターランキング」では「花沢さん」は総合11位。磯野家の登場人物をのぞけば「波野ノリスケ」につぐ人気だったそうです。

参考資料
@niftyニュース 2016年11月4日付「サザエさんの人気キャラクターランキング、2位『サザエ』、1位は…」
https://news.nifty.com/article/item/neta/12225-161101008357/
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「シェフの気まぐれ……」にもシェフの誇り

写真作者:dreamcat115
記事の内容とは関係ありません

レストランなどに行くと、ときたま献立に「シェフの気まぐれ」のついた料理名を見かけることがあります。

「シェフの気まぐれサラダ」
「シェフの気まぐれパスタ」
「シェフの気まぐれランチ」

インターネットで「"シェフの気まぐれ"」と検索すると、当たる件数は約61万4000。これほどまで、世の中に浸透しているわけです。

「気まぐれ」とは、その時どきの気分や思いつきでものごとをおこなうこと。シェフつまり料理長が、営業当日の朝や前日あたりに「よし、月曜はきのこをたっぷり使ったサラダでもつくろう」という気分であれば、月曜の「シェフの気まぐれサラダ」は「きのこのサラダ」ということになるでしょう。

しかし、「シェフの気まぐれ料理」に対しては、「残ったお野菜の冷蔵庫掃除なだけでは?」「その日に余っている食材を、もっともらしく客に高値で売りつけるためのメニュー」「気まぐれならたまにはすごいの出てほしいw」などといった批判的な反応も見られます。

ネットニュースの「しらべぇ」調べでは、20歳代から60歳代の男女1365人のうち「『シェフの気まぐれメニュー』は余った食材の調整用だと思う」と答えた人は32.1パーセントだったといいます。

この3割強という数字、いかがでしょうか。7割弱は「食材の調整用だと思う」とは答えてないことになります。「なにが食べられるのか楽しみ」とか「その日に行ったからこそ食べられる料理があるのはよい」とか考える人もかなり多いということか、それとも「気まぐれメニューなんて興味なし」という人が多いということか……。

「シェフの気まぐれ料理」をだれがいつごろから始めたのかはなかなかわからないものです。「気まぐれ」ということばについては、1911(明治44)年に、ドイツの詩人ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの文学作品が、島崎辛月により『気まぐれ者:滑稽小説』という邦題で訳されています。

いっぽう、「料理長」を意味する「シェフ」が一般に使われるようになったのはもっと後のよう。本の書名になっているものは、1975年に出版された『やさしく作れるおせち料理 : 小さなキッチンでも作れるお正月の酒のさかな90品(シェフ・クッキングブックス)』という本が最古の部類に入るようです。

おそらくは昭和の終わりごろか平成に入ってからか、どこかのレストラン従事者が「シェフの気まぐれ……」を献立に出しはじめたところ、ほかのレストラン従事者たちも「このよび名はいい」と模倣し、広がっていったのではないでしょうか。

「気まぐれ」ということばに対して、「深い考えがない」「計画性がない」といった否定的な感じをもつ人もいるのでしょう。いっぽう「シェフの気まぐれ……」を出しつづけるシェフも料理の職人。「気まぐれ」とついても「在庫調整」や「ありあわせ」を感じさせない料理を出しつづけることが、そのシェフの沽券となりましょう。

参考資料
Yahoo!知恵袋「『シェフの気まぐれサラダ』って・・・」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012394710
名言と愚行に関するウィキ「シェフの気まぐれサラダ」
http://totutohoku.b23.coreserver.jp/totutohoku/index.php?%A5%B7%A5%A7%A5%D5%A4%CE%B5%A4%A4%DE%A4%B0%A4%EC%A5%B5%A5%E9%A5%C0
ガジェット通信「まとめ なーにがシェフの気まぐれパスタだ」
https://getnews.jp/archives/190213/gate
しらべえ 2016年10月8日付「『気まぐれメニュー』は在庫処分の食材なの?シェフの回答は…」
https://sirabee.com/2016/10/08/171393/
国立国会図書館 NDL ONLINE「気まぐれ者 : 滑稽小説」
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000518354-00
国立国会図書館 NDL ONLINE「さしく作れるおせち料理 : 小さなキッチンでも作れるお正月の酒のさかな90品(シェフ・クッキングブックス)」
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001303117-00
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いまはなし……東京の姿、人びとの表情



「田沼武能写真展 東京わが残像 1948-1964」という展覧会が、東京・砧公園の世田谷美術館で開かれています。(2019年)2月9日(土)から4月14日(日)まで。

田沼武能は1929年生まれの90歳で、いまも現役で活動する写真家。写真家の木村伊兵衛(1901-1974)の助手を経て、『藝術新潮』の嘱託写真家、米国タイム・ライフ社の契約写真家などをつとめました。

展覧会では、田沼が撮影した1948(昭和23)年から1964(昭和39)年までの東京の写真180点が掲げられています。日本が太平洋戦争に敗れてから間もないころから、東京五輪が開かれたころまでの「戦後」ということばがまさに合う時代の街、そして人びとの姿を捉えています。



代表作のひとつとして会場の正面にも掲げられているのが、佃島で1958(昭和33)年に撮った「裏路地の舞台将棋」。少年ふたりが腰かけにまたぎ一局、指しています。戦況を見つめる少女。その向こうでは浴衣を着た少女ふたりが線香花火を灯し、そのまた向こうでは老婆が木戸に手をかけています。

いまも佃や月島などの港湾地域には路地はあるものの、高層マンションにとり囲まれて、もはや「昭和の風景を残す特徴的な地点」という文脈で語られるようになりました。いっぽう、田沼が撮った昭和30年代には、こうした路地のコミュニティがごく日常の風景としてありました。

田沼がファインダーごしに多く捉えたのが、子どもたちの表情です。紙芝居を食いいるように見つめる子たち。着物を着てうれしそうな女子ふたりを「ふん」「なによ」と言わんばかりに一瞥する洋服姿の女子ふたり。劇場の屋上で休憩する踊り子たち。被写体まで近づかないと生き生きとした表情は撮れません。

3月16日(土)には田沼本人による講演会「わが写真家人生」も開かれました。「撮っていないと(写真集などの)本はできない。撮ったものがないと写真ではない」「勤め人でなく写真家になりたかった。写真家になってよかったなぁとつくづく思う」と話します。

戦争直後には焼け野原やバラックばかりだった東京は、やがてビルディングが建ちならぶようになり、五輪に向けて交通網も整備されていきました。街が大きな変貌を遂げたわけですが、田沼はその変貌を起こしたのは人びとであるということを意識していたのでしょう。いまの時代にはもう見ることのできない街の姿と人の表情があります。

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「バルミューダ」のバルミューダ・ザ・カレー――カレーまみれのアネクドート(118)

これまでの「カレーまみれのアネクドート」はこちら。



「家電量販店の白物家電コーナーにカレーが売っている」といったら驚きでしょうか。実際、炊飯器の売り場には、「バルミューダ・ザ・カレー」というカレーソースが売られています。

バルミューダは、おもに家庭用電器製品を開発・製造する新興企業。トースター、電気ケトル、オーブンレンジなどを販売するなか、電気炊飯器「バルミューダ・ザ・ゴハン」が人気を集めています。炊く米をあえて踊らせず、蒸気で炊きあげる方法で「土鍋よりおいしいごはん」を実現しようとしました。

この電気炊飯器と組みあわせるとよいカレーを念頭に、バルミューダはカレーソースも販売しているというわけです。

とはいえ、カレーをつくるのにふさわしいのはカレー屋。同社は、東京・湯島などに店を構えるカレー料理専門店「デリー」の協力を得て、この「バルミューダ・ザ・カレー」を誕生させました。家庭用電気製品を手がける企業のカレーが電気炊飯器のすぐ横で売られているわけです。

1箱で2皿分。カレーソースのみで、肉や目に見える野菜などは入っていません。この点は、デリーが持ちかえり用に売っている各種カレーソースとおなじです。「バルミューダ・ザ・カレー」については、「山ほどの玉ねぎを炒め抜くところ」から始め、繊細に重ねたフレーバーなどを「特別な製法で損ねることなくそのままパッケージに封入」しています(バルミューダサイトより)。

「つくりかた」として提案しているのが、鳥もも肉とじゃがいものみを具材としたカレー。塩、こしょう、カレー粉を振った鳥もも肉を炒め、ゆでたじゃがいも一口大に切り、これらをカレーソースに入れて火にかけるという簡単なもの。

味は、デリーのカレーをよく食べている人であれば、なじみあるもの。デリーの「辛さ5」のカシミールカレーよりも辛さは穏やかで、「辛さ3」のインドカレーなみでしょうか。ソースの質も粘り気はまったくない「シャバシャバ系」。これもデリーのカレーおなじみです。

バルミューダがカレーソースを売るようになったのには、「もっと直接的な体験をお客さまに提案したい」という思いがあったようです。デリーに「ダメ元」で連絡したところ、デリーの社長から了解の返事があり、実現したということです。

電気炊飯器を売るだけでなく、それで炊くご飯をどう食べるかまで提案し、その材料まで世に出すというのは、企業の消費者に対する新たな姿勢といえましょう。そうした開発の経緯もふくめて食べると、カレーの味もよりいっそう深いものになるかもしれません。

バルミューダによる「バルミューダ・ザ・カレー」のサイトはこちらです。
https://www.balmuda.com/jp/curry/

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「興奮してもリラックス、コーヒーの作用を解明する」


ウェブニュース「JBpress」で、きょう(2019年)3月15日(金)「興奮してもリラックス、コーヒーの作用を解明する カフェインとの賢いつきあい方(前篇)」という記事が配信されました。

カフェインは、コーヒー豆や茶葉などにふくまれる物質で、窒素原子をふくみ苦味を示す「アルカノイド」の一種です。

カフェインをコーヒーなどの飲みものからからだに摂りこむと、眠気を覚ますなどの効果を得ることができる、というのは多くの人に伝えられているところです。実感する人も多いかもしれません。

しかし、カフェインの作用についていわれていることは、それだけではありません。たとえば、コーヒーを飲んだあとは、おしっこが近くなるといった経験をもっている人もいるのではないでしょうか。

さらに、小説などでは「コーヒーを飲んでリラックスして」といった表現も見られます。しかし、コーヒーを飲むと頭がさえるなどして興奮するという人もいます。もし、「興奮」と「リラックス」の両方を得られるのであれば、その理論はどのようなものになるのでしょうか。

こうした疑問の数かずに、カフェインを研究対象のひとつとしてきた、元東京福祉大学の栗原久さんが答えています。栗原さんは2004年に『カフェインの科学 コーヒー、茶、チョコレートの薬理作用』(学会出版センター刊)という著書も出しています。

記事では、どうして人類はコーヒーを飲むようになったのか、からだへの作用にはどういったものがあるか、作用に個人差や時間差はあるか、といったカフェインをめぐる数かずの疑問に対し、理由や根拠をもって栗原さんが答えていきます。

味として苦いコーヒーを、人びとが長らく愛飲してきたのも、カフェインの作用や効果からすれば故なしではありません。

JBpressの記事「興奮してもリラックス、コーヒーの作用を解明する カフェインとの賢いつきあい方(前篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55734

後篇は、(2019年)3月22日(金)ごろに配信される予定です。

この記事の取材・執筆をしました。
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マイナンバー制度で「提出」が激増


社会保障、税、災害対策で個人情報を確認するための「マイナンバー制度」が2016年1月に始まってから3年以上が過ぎました。

行政が新たな制度を始めるからには、なにか利点があるはずです。内閣府は、マイナンバー制度がめざしているのは、「便利な暮らし、より良い社会」としています。より具体的には、「皆さんの行政手続がラクに!」「事務処理がスムーズで時間も短縮!」「必要な人に必要な支援を!」といったことを掲げています。

このうち「皆さんの行政手続がラクに!」については、政府の「マイナンバー制度の目的と効果」という説明によると、これまで申請ごとに提出書類が多いなどの不便があったが、マイナンバーを提示することで添付書類が減る、という利点をいっているようです。

しかし、マイナンバー制度が始まってから、むしろ提出書類がとても増えたと実感する人もいるのではないでしょうか。とくに、いくつもの企業から報酬を得ている自由業のような職業の人などは、それを実感しているはずです。

自由業の人たちには、報酬の支払いもととなる企業から、「マイナンバー提出のお願い」といった手紙が送られてきます。これは、支払いもと企業が、その自由業の人にいくら報酬を支払い、いくらその人の所得税を源泉徴収としてとりたてたかを記す「支払調書」に、その自由業の人のマイナンバーも記さなければならないためとされます。手紙のなかには、依頼内容の説明、マイナンバーの写しの貼りつけ用紙、返信用の封筒などの一式が入っています。

10社から仕事を得て、報酬を受けている自由業の人は、基本的に10社から「マイナンバー提出のお願い」が送られてきて、マイナンバーの写しを用紙に貼りつけ、封筒に入れて、自分の住所を書いて、投函する必要があります。

実際、10社ほどから仕事を得ており、マイナンバーの提出を求められた経験ををもつ、ある自由業の人は、つぎのように証言しています。

「マイナンバーの提出には、投函までをふくめてだいたい1件30分ぐらいかかるでしょうか。これを10社分おこなうので300分。だいたい半日から1日分をマイナンバー提出のために費やすことになります」

「これのどこが、『皆さんの行政手続がラクに!』なのでしょうか!」

すこしお怒りのようでもあります。

「個人に割りあてられたひとつの番号によって管理する」というしくみは、「その個人ととりひきする企業すべてが、そのひとつの番号を共有する」ことをさしているのではないわけです。1企業ごとが、その個人に「あなたのマイナンバーは何番ですか」と聞く必要があります。その依頼の集まる先が、個人ということになります。

2018年7月の時点でのマイナンバーカードの、人口に対する交付枚数率は11.5パーセントといいます。カードを得なくても通知書類があれば事足りるからという理由もあるでしょうが、「マイナンバー制度で便利になる」ということを実感できないことも、普及率の低さにつながっているのかもしれません。

参考資料
内閣府「マイナンバー(社会保障・税番号制度)」
https://www.cao.go.jp/bangouseido/seido/index.html
総務省「目指しているのは、『便利な暮らし、より良い社会』」
https://www.cao.go.jp/bangouseido/pdf/seido_beforeafter.pdf
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サクラの花には近づかず……


3月もなかば。東京の街なかでは、早咲きのサクラが見ごろを迎えています。ソメイヨシノよりも赤みがかったサクラの花に人びとは惹かれ、三三五五、スマートフォンでサクラを撮っています。

垂れている枝先の花は、手が届きそうなくらい。しかし、たいていの人はそこに近づいてサクラの花を接写するようなことはせず、みな一様にサクラの木からすこし距離を置いてスマートフォンを向けています。

どうしてでしょう。花びらを接写するより、サクラの木をまるごと望遠で撮影するほうが、みんな好きなのでしょうか。

一般的に、人は、見えるところで起きているできごとについて、ほかの人たちも見ているようなときは、みずから進んで行動を起こさない心理がはたらくといいます。これは「傍観者効果」といわれるもの。

とくに人が困っているようすが見えるといった状況では、まわりにだれもいなければその人を進んで助けるものの、多くの人がいれば進んで助けないといった心理になりやすいようです。「自分が行動しなくても、だれかが行動するだろう」といった心がはたらくといいます。

しかし、ここで人びとが見ているのはサクラ。花びらを接写したければ、自分が近づけはよいだけの話です。けれども、サクラの幹から数メートルのところを囲むように人びとは立ち、花びらに近い木の下まで進むような人はほぼいません。

好きな歌手の演奏会などでは、人びとは進んで最前列の席を得ようとします。好きな歌手を目の前で見たり、ときには触れたりすることができるからでしょう。

サクラについても、人びとが引かれているのはおそらく花。であれば、木の前まで進んで花を接写したり、手に触れたりしてもよさそうなもの。演奏会とのちがいはなんでしょうか。

演奏会で舞台に好きな歌手がいるときほどの熱狂ぶりは、サクラの花に対してないのかもしれません。街を歩いていて、たまたまサクラが咲いているのを見かけて「お、きれいだな」と思ったので、スマートフォンで撮ろうとした。花を接写するほどの熱はないが……。そのような心もちはあるかもしれません。

多くの人たちが、そのぐらいの“穏やかな熱狂ぶり”にとどまっているため、たとえだれかが「花を近くで撮りたい」と思っても「自分だけ近づくのは恥ずかしい」という心理がはたらくということも考えられそうです。

さらに、「みんなスマートフォンを向けている先に身を置けば、自分が被写体になるのは確実。恥ずかしいし、迷惑にもなってしまいそう。近づくまい」という心理もありそうです。

そもそものところ、熱狂しすぎることなく、そっと愛でるぐらいのほうが、静かに花を咲かせた木々に対してはつりあいがとれているともいえそうです。

参考資料
心理学用語集「傍観者効果」
https://psychoterm.jp/basic/society/13.html
ウィキペディア「傍観者効果」
https://ja.wikipedia.org/wiki/傍観者効果
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ケモカインが白血球を現場に向かわせる

白血球(右)。左は赤血球、中はリンパ球。
写真作者:Andrew Robertson

ものごとの道理では、なにかの問題に対処するとき、対処する役割の者を現場に向かわせなければなりません。たとえば、火事が起きたとしたら、救急隊を火事場に急行させなければなりませんし、先発投手が打たれているとしたら、べつの投手を登板させなければなりません。

おなじようなことが、からだのなかの防御や免疫のしくみでもいえそうです。細菌や異物などがからだのなかにあるとき、それをやっつけるため、たくさんの白血球がそこに寄ってきます。そして、からだを防御する反応としての炎症を引きおこします。

このとき白血球たちを「現場」に向かわせるのが、「ケモカイン」というたんぱく質です。

ケモカインの英語のつづりは“Chemokine”。これは「走化性」を意味する“Chemotactic”と、「サイトカイン」を表す“Cytokine”からなっており、「走化性のサイトカイン」ということになります。

サイトカインとは、細胞は放たれて、免疫作用などに携わるたんぱく質のこと。そのサイトカインのなかでも「白血球を走らせる」、つまり「走化性のある」ものが「ケモカイン」です。

1987年に、米国の国立衛生研究所で研究していた松島綱治と吉村禎造が、白血球の一種である好中球を走らせる因子として、「インターロイキン8」というサイトカインを見つけました。これが、世界ではじめて報告されたケモカインとされます。

その後、多くのケモカインが研究者たちに発見されていき、つくりによって分類されていくことになります。「システイン残基」とよばれる部分の個数や、そのあいだにアミノ酸があるかどうかにより、「CCケモカイン」「CXCケモカイン」「Cケモカイン」「CX3Cケモカイン」に分類されます。

さらに、それぞれの種類は、さらに細かい種類に分かれており、全体ではおよそ50以上のケモカインが見つかっています。

いずれのケモカインも、「Gタンパク質共役型受容体」という受容体と結びつくことで、白血球を走らせる走化性を生じることになります。

炎症という現象は、からだに発熱や痛みを起こすだけでなく、神経系の病気やがんなどともかかわっていることがわかってきています。それらを司るケモカインに対しても、今後より研究者たちの関心が高まってくるかもしれません。

参考資料
日本薬学会 薬学用語解説「ケモカイン」
https://www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi/img/wiki.cgi?ケモカイン
日本血栓止血学会「ケモカイン」
http://www.jsth.org/glossary_detail/?id=16
ウィキペディア「ケモカイン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ケモカイン
「ケモカインレセプター」『アレルギー』64(8)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arerugi/64/8/64_1178/_pdf
東京理科大学研究推進機構 生命医科学研究所 炎症・免疫難病制御部門「松島綱治教授からのメッセージ」
https://k-matsushimalab.org/greeting/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
偽アマゾンの日本語……一部分は不足、あるいは正しくないです、



大手通信販売サイトのアマゾンから「偽メール」が届くことがあります。

どうしてそのメールが偽ものであるとわかるかというと、「配達のお知らせ」といった見だしがメール本文に記されているにも関わらず、メールの「宛先」欄に紛らわしいアドレスが数件、あわせて載っているからです。自分自身だけに宛てられるべき「お知らせ」に、ほかの人のアドレスが入っているのは、明らかにおかしなことです。

そのメールが「偽アマゾン」からのものであることは、メール本文の日本語のふしぎさからも察することができます。

「Amazonをご利用いただきありがとうございます。」

ここまでは、本物のメールであってもおかしくはありません。

「お客様のAmazon ID情報の一部分は不足、あるいは正しくないです、お客様のアカウント情報を保護するためには、検証する必要があります。」

この文からおかしくなります。「不足、」は「不足している」ということを伝えたいのでしょうが、「している」にあたる語が見つかりません。「正しくないです」にもやや違和感がありますが、つづいて、句点「。」でなく、読点「、」がきているところも、文としてはつっこみどころです。

「ご注意:24時間以内にお客様からのお返事がない場合にはアカウントはロックされます。」

これは、日本語としては、おかしくありません。

「なぜこのメールを受け取ったのだろうか?」

この1文が、偽メール文としては決定的ではないでしょうか。「なぜこのメールを受け取ったのだろうか?」は、だれの立場からの表現でしょうか。「受け取ったのだろうか?」は、ふつう「受け取った」人が考えるものなので、「自分は、なぜこのメールを受け取ったのだろうか」といった自問のような文になっています。それを、アマゾン側から問われる筋あいはありません!

「この電子メールは、定期的なセキュリティチェック中に自動的に送信されました。当社はお客様のアカウント情報に完全に満足しておらず、引き続きサービスをご利用いただくためにはアカウントを更新する必要があります。」

この2文では、「当社はお客様のアカウント情報を完全に満足しておらず、」の部分がつっこみどころです。「お客様のアカウント情報にはご登録不足の点があり、」などのように「お客様」の立場でなく、「当社」の立場で話をしています。客でなく会社の立場から話をするのは、現実らしいといえばそうなのかもしれませんが……。

明らかにメール宛先も本文内容もおかしい偽メールでも、何万分の一や何百万分の一といった確率で人はひっかかってしまうものなのでしょう。だからこそ、ひっきりなしにこうした偽メールは届くものです。そして、今後、偽者たちの表現力が高まり、より違和感のないメールが送られてきたら、ひっかかる確率は高まることになりそうです。

日本サイバー犯罪対策センターは、このブログの記事でとりあげた偽アマゾンからのメールを「注意情報」のひとつに挙げています。

参考資料
日本サイバー犯罪対策センター「情報提供 2019年3月」
https://www.jc3.or.jp/topics/v_log/201903.html

| - | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0)
メール返信「Re : 」をつけただけにする人が8割


メールの件名をどのように記しているでしょうか。とくに、だれかから届いたメールに返事をするとき、なにも手を加えないと、相手からの件名のまえに「Re : 」がついただけの件名になりますが、この件名を改めるでしょうか。それとも「Re : 相手の件名」のままにするでしょうか。

日本ビジネスメール協会が2014年におこなった「ビジネスメール実態調査」では、「『Re:』を削除して件名を変えているか」という問いに対し、「変えている」は15.75パーセント、「変えていない」は82.63パーセントだったといいます。

また、同協会の代表理事が代表取締役を務めているアイ・コミュニケーションズが2年前の2012年におこなった「ビジネスメール実態調査」でもおなじ質問がされています。そこでは「変えている」は20.82パーセント、「変えていない」は78.69パーセント。これらの結果からすると、件名を「変えていない」人が増えていることがうかがわれます。

件名を「Re : 」をつけただけのままで送るかについては、ビジネスメールのしかたを説くサイトなどでは「『Re : 』はつけたままでOK」とするものが見られます。その理由としては「『Re : 』によって返信かどうかを知らせる」ため、「ツリー構造が崩れる」ことでメールの管理がしづらくなるのを防ぐため、「効率」を高めるため、といったことがいわれているようです。

「『Re : 』によって返信かどうかを知らせる」という効果はたしかにありそうです。「
Re : 」をつけずに件名を変えた返信がされてきたとき、受けては自分が送った返信かわかりにくくなります。

しかし、すくなくとも個人から個人に対してのメールであれば、はじめにメールを送った人は、自分がその人に送ったことを明らかに覚えているわけですから、「Re : 」の返信がこなくてもわかりそうなものです。多くの相手に対しての一斉メールであれば話はべつですが。

「ツリー構造が崩れる」ことを防ぐためと、「効率」を高めるためをふくめ、「Re : 」をつけただけのままで返信することは、「メール管理の利便性を高める」ためと括ることができそうです。

しかし、何度もメールをやりとりしていると、はじめの件名がそぐわなくなるような場合もあります。たとえば、「あすの会合、中止になりました」といった件名で始まったメールで、やりとりしているなかで、やはり実施することになったにもかかわらず、「Re : あすの会合、中止になりました」の件名のままでは、件名と実態が異なる状態になってしまいます。そうしたことを気にせずに、かならず「Re : 」で返信するというのも杓子定規的にすぎます。

近ごろでは、メールの件名欄のはじめに「【αプロジェクト】」などと、なにについてのメールであるかを「隅付きかっこ」で括ってから具体的なメール内容を短く記す、といった方法もあります。

新聞や雑誌の見だしなどでは、たとえ投稿欄での発言の感想などであっても、「Re : 」をつけて記すといったことはまずもってありえません。手紙やはがきなどのべつの通信手段での返信でも「Re : 」の表記をする人はめったにいないのではないでしょうか。

それから考えると、メールの「Re : 」だけをつけた返信は、メールのソフトウェアを提供する会社による「Re : 」のしかけに多くの人が乗っかった、メールだけに特徴的な表記のしかたであるとはいえそうです。

参考資料
日本ビジネスメール協会「ビジネスメール実態調査2014(平成26年)」
http://businessmail.or.jp/archives/2014/08/04/2226
アイ・コミュニケーション「ビジネスメール実態調査2012(平成24年)」
http://www.sc-p.jp/news/12/001014.html
ビジネスメールの教科書「返信のとき件名を変える?変えない?」
https://business-mail.jp/technique/title-change
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黒に黒と黒と黒……取りだすのに苦労

写真作者:RobBeer

人それぞれに「好きな色」はあります。好きな色について聞くような意識調査では、たいてい「白」「青」や「緑」あたりが上位にくるようです。女性は「ピンク」や「赤」などの暖色系を好むようですが、男性にはあまり人気がないためこれら暖色系は下位になってしまうもよう。

「黒」と答える人はさほど多くはないものの、身のまわりでよく使われる基本的な色のひとつとはいえるでしょう。洋服の色の種類にも、たいてい男性ものでも女性ものでも「黒」はあります。また生活雑貨や電化製品でも「黒」はよくあります。

志向や意識が高い人は、自分の使うものを黒い色のものに揃えるかもしれません。黒色のもので揃えていくと、それ以外の橙色や赤色などのものを買う気が引けて、「黒ずくめ」といったことになります。財布も黒、筆入れも黒、小物入れも黒、タオルも黒、帽子も黒。黒、黒、黒……といった具合に。

そうした黒ずくめの人にとっては、黒で揃えることは自分の心を満たすことになります。そして、それが「自分らしさ」をつくることにもつながっていくのでしょう。

ただし、自分のものを黒で揃えることについては、生活を送るうえでの欠点もともなうかもしれません。

買うものの色の種類に黒があれば進んで選び、「半黒ずくめ」ぐらいの状態の人は、つぎのようなことを言います。

「かばんの色は当然ながら黒です。そこに入れているのは黒い筆入れ。それにコンピュータを入れる黒いケース。また、財布も黒です。傘も。先日は、あらたに運動用具を入れるための黒いポーチも買いました」

「かばんが黒いうえに、小ものもみんな黒でしょう。すると、カバンからすっと財布を取りだしたつもりが、黒いケースを手に取っていたり、ケースを取りだしたつもりが、黒いポーチを取りだしたり、色での見わけがつかなくなるから、すんなり取れだせないのですよ……」

黒の色のものがさまざま黒いかばんに入っているなかで、赤い財布が入っていれば、ぱっと目で見て手につかむことができるでしょう。しかし「背景」となるかばんも、「対象」となるものもみんな黒いため、かばんの外まで出さないと、自分が取りだしたいものを持っているかわからないことがあるというわけです。

ひとつの色が好きで、その色でものをすべて揃えているという人はおなじような経験をするかもしれません。しかし、黒ほど光を吸収する色はありません。白や緑や青や赤やピンクであれば、たとえかばんといろいろなものの色がおなじであっても、見た目では自分がなにを取りだしているのかがわからない、ということはさほどないのではないでしょうか。

「まぁ不便を感じるときはあります。けれども、不便をなくすことをとるか、色を黒で揃えることをとるかといわれれば、私は黒で揃えるほうをとります」

どんな色が好きかは人それぞれ。さらに、その色にどこくらいまでこだわりがあるかも人それぞれといったところでしょう。

参考資料
色カラー「2014年下半期の色の好き嫌い」
https://iro-color.com/questionnaire/result/2014-second-half.html
Mikurumi Cafe「好きな色・嫌いな色・落ち着く色は何色?日本人の傾向が分かる、色のアンケート結果 Vol.1」
http://www.blanc39.com/150620
@niftyニュース 何でも調査団 2012年9月14日付「色についてのアンケート・ランキング」
http://chosa.nifty.com/hobby/chosa_report_A20120914/
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「作用」は「効果」よりすこしだけ先

写真作者:Melanie Tata

大きくはにていながらも、微妙にちがう意味をもつことばをいかに使いわけるかは、人びとがものを書くときの課題となります。

「作用」と「効果」のふたつについてはどうでしょうか。薬のことについて、また物理のことについてなど、理系の文を書く人にはよく出くわす問題でしょう。

「作用」も「効果」も、なにかがべつのなにかにはたらきかけることにかかわるものという印象をあたえます。「薬の作用」とも書けるし「薬の効果」とも書けます。また「重力の作用」とも書けるし「重力の効果」とも書けます。

大きなちがいのひとつは、「する」をつけられるかどうかでしょう。「作用する」という書きかたはありますが、「効果する」と書くと読み手に「おかしな文だ」と思われてしまいます。「作用」はおもに、はたらきかける側を主体にして述べることができるわけです。いっぽう「効果」のほうは、はたらきかける側も、はたらきかけられる側も主体にすることができそうです。

「する」をつけられるかどうかのちがいはありますが、「がある」は両方につけることができます。そして、どちらもにたような意味になります。「薬の作用がある」と「薬の効果がある」。「重力の作用がある」と「重力の効果がある」。

ことばの厳密な使い方を求められる弁理士の書いた「作用」と「効果」は参考になりそうです。この課題にぴたりと答えてくれるような「発明の作用と効果」という論文を、日本弁理士会の『月刊パテント』という雑誌で見ることができます。

この筆者は、必要かつ十分な構成要素で記載されていることなどが、クレーム、つまり特許請求の範囲の条件であることを示したうえで、つぎのように述べています。

「これらの条件は、発明の『構成』と『効果』とを繋ぐ『作用』が構成要素ごとにどのように発揮されるかを理解することを端緒とする点で共通している」

とてもわかりやすく「作用」と「効果」の関係性を示しています。「構成」と「効果」を「作用」がつないでいる、というわけです。これからすると「作用のあとに効果がある」ということができそうです。

また、これは国語辞典などから読みとれることですが、「作用」のほうが「効果」よりも中立的な語感がありそうです。たとえば「副作用」という熟語があるように、「作用」はそれを受ける人にとってよいと思えることも、よくないと思えることも
当てはまります。いっぽう、「この薬には眠くなるという効果もある」などと書くと、眠くなることはよいことのような印象をあたえます。たいてい、薬を飲んで眠くなることは避けるべきことであるのに。

これらからすると、「作用」のほうが「効果」よりも、先にあり、はたらきかけそのものに近く、また、よいことにもよくないことにも使える、といったことがいえそうです。ただし、物理学などでは「温室効果」や「ドップラー効果」のように、よいことでない現象もさすので、一筋縄にはいきませんが。

国語辞典では、「作用」の第一義は「他のものに力を及ぼして影響を与えること。また、その働き」、また「効果」の第一義は「ある働きかけによって現れる、望ましい結果。ききめ。しるし」とされています。

参考資料
右田俊介「発明の作用と効果 より良い明細書を求めて」
https://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/200704/jpaapatent200704_032-039.pdf
デジタル大辞泉「作用」
https://kotobank.jp/word/作用-512172
デジタル大辞泉「効果」
https://kotobank.jp/word/効果-494189
精選版 日本国語大辞典「効果」
https://kotobank.jp/word/効果-494189
| - | 17:11 | comments(0) | trackbacks(0)
“小さな環境”が細胞の分化をつかさどる――血液多様性を見る(3)
種類が多ければはたらきも多く――血液多様性を見る(1)
もとをたどれば造血幹細胞――血液多様性を見る(2)


血液にふくまれる赤血球、白血球、血小板などのさまざまな細胞の電子顕微鏡
写真作者:Bruce Wetzel、Harry Schaefer、National Cancer Institute

骨髄にある造血幹細胞は、細胞分裂をしていくうちに、血液をなす赤血球、白血球、血小板などのさまざまな細胞になっていきます。分化とよばれるこのしくみでは、幹細胞のなかにふくまれる転写因子などの要素とともに、細胞の外にある環境もおおいにかかわってくるとされます。

造血幹細胞にかぎったことではありませんが、分化した細胞のもととなる幹細胞は、まわりの「微小環境」とよばれる環境によっても影響を受けているといいます。この微小環境もまた細胞でできています。また細胞からの分子もふくめて、微小環境とよぶことも多くあります。

さまざまな臓器・器官の幹細胞のなかでも、造血幹細胞については、研究者たちに微小環境がよく注目されているようです。影響のしかたは、造血幹細胞をとどめる、分裂のしすぎを抑える、そして必要により細胞の増殖や分化を促す、などさまざまです。

実際に造血幹細胞に影響をあたえる分子としては、サイトカインとよばれるたんぱく質の分子、接着分子、細胞外基質の分子、また、カルシウムイオンや酸素分子などであると知られています。

造血幹細胞の細胞分化をつかさどる微小環境の要素とはなんなのか。これまで、骨の細胞のもととなる骨芽細胞や、血管の内側の層をなす血管内皮細胞などがそれなのではとも考えられてきました。

いっぽうで2010年代に入り、「CAR(CXCL12- Abundant Reticular)細胞」とよばれる細胞が、造血幹細胞などの細胞分化についての鍵をにぎる微小環境であるということがわかってきました。「CAR」を開いた「CXCL12- Abundant Reticular」は、「サイトカインの一種であるCXCL12の豊富な、網状の」といった意味になります。このCAR細胞が、CXCL12というサイトカインを出すことで、造血幹細胞にとっての微小環境ができると考えられています。

今後、こうした微小環境のつくりやしくみがさらに明らかになっていけば、どのように造血幹細胞が維持されたり、また、さまざまな細胞に分化したりするかといったこともわかってきそうです。了。

参考資料
有信洋二郎・赤司浩一「造血幹細胞からの骨髄球系細胞の分化」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arerugi/60/7/60_KJ00007405478/_pdf
田久保圭誉「ニッチによる造血恒常性維持」
http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2015/07/86-06-06.pdf
nature japan jobs 2010年11月11日付「造血幹細胞の維持と分化を支える『司令塔細胞』を特定!」
https://www.natureasia.com/ja-jp/jobs/tokushu/detail/220
長澤丘司「造血幹細胞,免疫記憶細胞を維持するニッチの同定とその作用機構」
https://ueharazaidan.yoshida-p.net/houkokushu/Vol.25/pdf/065_report.pdf
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もとをたどれば造血幹細胞――血液多様性を見る(2)

種類が多ければはたらきも多く――血液多様性を見る(1)


赤血球のコンピュータ画像
画像作者:SciTechTrend

血液の成分のうち、赤血球や白血球のように「球」がつくものや、血小板のように「板」がつくものは細胞です。細胞であるということは、その細胞はもととなる細胞から複製されたことになります。その過程をさかのぼっていくと「血液のさまざまな細胞をつくるための細胞」にたどりつきます。

その源流となる細胞は「造血幹細胞」といいます。トーナメント表の頂点にあるような存在です。

造血幹細胞は、おもに骨髄、つまり骨の中心のところにあります。ただし、白血球を増やすための薬があたえられるなどすると、造血幹細胞が骨髄から血液へと出ていき、血液のなかで血液の成分になっていく細胞をつくることになります。こうした細胞は「末梢血管細胞」といいます。さらに、おなかの赤ちゃんとお母さんをつなぐ臍帯というひものなかにも造血幹細胞はあります。

造血幹細胞は、分裂するとともに「造血前駆細胞」という細胞になります。その後の分裂で、さらに「リンパ球性共通前駆細胞」という細胞と「骨髄球性共通前駆細胞」という細胞に分かれます。前者は、さらにT細胞やB細胞などのリンパ球になっていく前の段階の細胞。後者は、赤血球、好中球、マクロファージ、血小板などのさまざまな細胞になっていく前の段階の細胞です。

では、どのように造血幹細胞は、トーナメント表を逆に下っていくようにして、さまざまな血液の細胞へと分かれていくのか。これには造血幹細胞などの細胞のなかに組みこまれたしくみと、細胞の外にある環境のふたつがかかわってくるといわれています。

細胞のなかに組みこまれたしくみの代表例は、転写因子という遺伝子の群によるもの。血をつくることにかかわる転写因子たちが、血をつくるどんな細胞に分かれていくかを制御しているといいます。

転写因子とは、デオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)の配列を、向かいの伝令リボ核酸(RNA:RiboNucleic Acid)に写しとるのを促したり抑えたりするたんぱく質のこと。さまざまな種類の細胞が生みだされるときは、さまざまな転写因子によって、どの遺伝情報を使うかが定まります。血液をつくる各細胞になっていく系統では、GATA-1、GATA-2、PU.1、C/EBPαといった転写因子が、どんな細胞に分化していくかの鍵を握っているとされます。

たとえば、赤血球や血小板などの細胞に分かれていく道筋と、白血球などの細胞に分かれていく道筋の分岐点では、GATA-1とPU.1のふたつの転写因子がかかわっているといいます。もし、GATA-1のほうがPU.1よりも強く現れるようであれば、赤血球や血小板への道筋がひらかれます。いっぽう、PU.1のほうがGATA-1よりも強く現れるようであれば、白血球への道筋がひらかれます。さらにそれぞれの先にも分岐点がいくつかあるわけですが。

細胞のなかに組みこまれたしくみとしては、転写因子による制御のほか、マイクロリボ核酸というリボ核酸や、エピジェネティクスとよばれる後天的な遺伝子制御の現象も携わっています。細胞のなかにある精緻なしくみが、血液の細胞の多様性を導いているわけです。つづく。

参考資料
Merck「造血幹細胞・免疫システム研究」
https://www.sigmaaldrich.com/japan/lifescience/bsmexplorer/discover-bioactive-small-molecules/hematopoietic.html
国立がん研究センター がん情報サービス「造血幹細胞移植とは」
https://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/HSCT/hsct01.html
デジタル大辞泉「造血幹細胞」
https://kotobank.jp/word/造血幹細胞-552143
日本骨髄バンク「骨髄・末梢血幹細胞移植とは」
https://www.jmdp.or.jp/recipient/info/about.html
有信洋二郎・赤司浩一「造血幹細胞からの骨髄球系細胞の分化」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arerugi/60/7/60_KJ00007405478/_pdf

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種類が多ければはたらきも多く――血液多様性を見る(1)


写真作者:Alden Chadwick

りんごの皮むきで、りんごでなく指の皮を切ってしまうと血が出てきます。赤く染まった液体であるため「血は血である」という感覚をもちがちですが、血液は「球」のつくいくつもの種類の細胞と、それ以外の液体の成分でなりたっています。

まず、「球」のほうは大きなくくりで「血球」とよばれ、つぎに大きなくくりで「赤血球」「白血球」「血小板」に分けられます。

血が赤いのは「赤血球」のしわざです。赤血球は酸素と結びつくヘモグロビンというある種のたんぱく質をもっており、このヘモグロビンをなすヘムという色素が赤いため、おしなべて血液が赤く見えるわけです。

赤血球がヘモグロビンを使って酸素を結びつけ、それが血液としてからだのすみずみまでめぐります。これにより、ヒトをはじめとする動物たちは酸素を細胞に行きわたらせることができているのです。

いっぽう、白血球は、おもにからだをまもるためにはたらく細胞です。

細胞のからだのなかにつぶつぶが多く入っている白血球は「顆粒白血球」とよばれます。顆粒白血球はさらに「好中球」「好酸球」「好塩基球」という種類に分けられますが、白血球の6割を占める代表的な存在の好中球は、からだの外からやってきた細菌を食べてしまうなどの活発な動きをします。

白血球には、ほかにリンパ球があります。リンパ球はさらにT細胞とB細胞とよばれる種類に分けられ、おたがいが協力して免疫のしくみを発揮させます。異物を攻撃する抗体になるB細胞を、T細胞が支えるといった役まわりがあります。

さらに白血球には、単球とよばれる大きなものがあります。血管から出て組織にたどりつくと、細菌や異物をむしゃむしゃ食べるマクロファージという細胞になります。

赤血球、白血球のほかに、血球としては血小板もあります。これはわりと人びとにとって身近な存在といえるでしょう。指などを切って血が出たあと、その血が固まっていき、やがてかさぶたができます。これはおもに血小板によるもの。血小板は、血液をかためるはたらきをするわけです。

ここまでは「球」についてでした。ここからは「液」についてです。

血液の「液」は、大きくは血漿とよばれます。「漿」には「どろっとした汁」といった語意があります。

血漿は、おもにフィブリノーゲンと血清というふたつの成分からなっています。

血漿のなかに糖たんぱく質として存在するのが「フィブリノーゲン」です。血小板との協調性があり、血液を高める役割をもちます。多くの血液の成分が骨髄のなかなどでつくられるのに対し、フィブリノーゲンは肝臓でつくられます。

血漿からフィブリノーゲンを引き算して、残ったものが「血清」といえます。血清は、すこし黄色味を帯びながらも透きとおった液体で、免疫の抗体や、栄養素、また老廃物などをふくんでいます。

ひとえに「血」あるいは「血液」といっても、これほどの種類の成分でなりたっているわけです。酸素を運んだりからだをまもったりするさまざまなはたらきが詰めこまれた“赤いもの”といえましょう。

驚くべきことに、血液の「球」のほうは、これほどの種類に分かれながらも、もとをたどるとただ1種類の細胞になるといいます。つづく。

参考資料
デジタル大辞泉「血液」
https://kotobank.jp/word/血液-59518
ブリタニカ国際大百科事典「赤血球」
https://kotobank.jp/word/赤血球-87231
大辞林第三版「顆粒白血球」
https://kotobank.jp/word/顆粒白血球-468032
大辞林第三版「好中球」
https://kotobank.jp/word/好中球-496566
デジタル大辞泉「リンパ球」
https://kotobank.jp/word/リンパ球-150471
ブリタニカ国際大百科事典「T細胞」
https://kotobank.jp/word/T細胞-157669
デジタル大辞泉「単球」
https://kotobank.jp/word/単球-563797
大辞林第三版「血漿」
https://kotobank.jp/word/血漿-59608
東邦大学理学部生物学科「血液が固まるということ」
https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/032849.html
ブリタニカ国際大百科事典「血清」
https://kotobank.jp/word/血清-59644

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「別れる」では重すぎる

写真作者:ePi.Longo

文などにして使うと、読む人たちに“重い意味”で受けとめられてしまいがちなことばはあるものです。

「別れる」は、日常的なおこないを伝えようとして使うとき、重すぎやしないでしょうか。

たとえば、恋人どうしの二人が旅先で「今日は別行動にしよっか」「うん、いいよ!」と合意して、それぞれ単独行動をとったとします。そして、夜にまた宿で二人は合流したとします。

これをかんたんに表現すると「恋人どうしの二人は旅先で別れた」となります。この文を読んだ人は「え! 二人とも楽しそうだったじゃないか。なぜに旅先で突然!」と衝撃を受け、つづく「それぞれ別行動をとり夜に再会した」という文を読んで「なんだ。いったん別べつになっただけか」と理解することになります。衝撃をあたえなくてもよいところで衝撃をあたえてしまうのだから、伝え手としては本意ではないでしょう。

「別れる」には、「いっしょにいたものが離ればなれになる」「夫婦や恋人などが、それまでの関係を解消する」「死別する」という三つの意味がおもにあります。1番目が原義でしょうが、もっぱら人びとの受けとめる意味として主流になっているのは2番目です。

ためしに、インターネットで「別れる」と検索してみると、上位に出てくるのは……。

 「恋人と別れる前に『知っておくべきこと』」
 「別れる(ワカレル)とは」
 「《もう潮時?》彼氏と別れるべきタイミングと別れを切り出す方法」
 「思い切って彼氏と別れることで『得られるもの』9パターン」
 「そりゃ短命だわ。すぐ別れるカップルにありがちな6つのこと」
 「彼氏のこんな行動に要注意。別れる前、彼氏が見せた『別れたい』サイン4選」
 「『好きだけど別れる』は本当に正しい?後悔しない決断方法」
 「彼氏と別れるべきか迷う……! 悩んだときに実践したい6つのポイント」
 「イイ女ほど知っている、恋人と上手に別れるためのマナー&コツ。」
 「倦怠期 もう別れる? やっぱり続ける? 乗り越えたカップル・別れたカップル」
 「永久保存版 カップルが別れる理由と別れないための対策」
 「彼女と別れたい!綺麗な別れ方と別れた後の注意点を知っておこう」
 「彼女と円満に別れる方法!トラブルにならない上手な別れ方と注意点」
 「彼氏と別れる方法を知りたいあなたに!別れる理由と上手な別れ方とは」

このように続きます。2番目のインターネット辞典の見だしのほかは、すべてが「それまでの関係を解消する」という意味での「別れる」についての見だしです。しかも「9パターン」「6つのこと」「4選」と、なぜか数字がともなうものが多いもよう。

軽い意味の「別れる」だと伝わる、べつの表現はないものでしょうか。

話しことばではいくつかありそうです。

「またねする」であれば「離ればなれになる」よりも「また会う約束をする」という点に重きが置かれるため「関係を解消する」といった意味に捉えられることは避けられそうです。

「バイバイする」や「グッバイする」もよいかもしれません。気軽な感があり「関係を解消する」と捉える人はすくなそうです。「あばよする」や「ほなねする」なども、くだけていてよさそうです。

いっぽう、書きことばでは「いったん別れる」「その日は別れる」のように副詞や副詞句をつけるほうほうはあります。しかし、1語だけで置きかえられる表現がなかなか見あたりません。「ひとたび別れること」を意味する「一別する」ぐらいでしょうか。しかし、「ちらっと見る」の意味の「一瞥(いちべつ)」と紛らわしいからか、あまり「一別」は使われません。

「離ればなれになったものがふたたび合わせる」という語感をもつことばが生じづらかったか、いまの時代まで受けつがれなかったか、すくなくとも日本にはそうした事情があるのでしょう。別れるものは別れるという観念が強いのかもしれません。

こうなったら、ことばを造るしかないでしょうか。「またあわむ」「ぱかれる」「空中ブランコする」……。

こうした表現は、おとながうんうんと唸って考えるよりも、ことばづかいに柔軟な若い人たちに生みだしてもらうほうが得策かもしれません。「フロリダする」も女子高生が生みだしたといわれます。

参考資料
精選版日本国語大辞典「いちべつ 一別」
https://kotobank.jp/word/一別-433667
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銘仙の伝統を受けつぐ催し、伊勢崎の各地で
明治から昭和の太平洋戦争前まで、日本は絹にちなんだ産業がさかんでした。絹を原料とした織物も各地でよくつくられていました。

群馬県の伊勢崎、栃木県の足利、埼玉県の秩父、東京都の八王子などでは、たての絹糸とよこの絹糸を交互に交差させて織る「平織り」でつくる「銘仙」とよばれる絹織物がさかんにつくられてきました。

伊勢崎では、もともと農家が自分たちのために銘仙をつくっており、江戸時代には出荷品として地元だけでなく、江戸、大阪、京都にもでまわったといいます。近ごろは、洋服があたりまえになり、また化学繊維やウール地が使われるようになったため銘仙はあまりつくられなくなりましたが、それでも伝統を残し、盛りかえしていこうとする機運はあります。

伊勢崎市では、3月の第1土曜が「いせさき銘仙の日」に制定されており、市内のさまざまなところで銘仙の展示会が開かれています。



市内曲輪町の伊勢崎市立図書館では「ドラマチック銘仙展」が(2019年)3月16日(土)までおこなわれています。テレビのドラマ番組などで使われた銘仙などを紹介しています。



NHKの「連続テレビ小説」などでとくに銘仙のデザインの着物がよく使われてきたもよう。織るまえにあらかじめ絹糸を染めておき、それを織っていく「締切絣」に類するデザインの着物は2013年の「ごちそうさん」に使われたと説明があります。



また、仮織りをして型染めしたのをほぐして織る「解(ほぐ)し絣」に類するデザインの着物は2014年の「マッサン」に使われていました。



おなじく曲輪町にある「いせさき明治館」では、6月16日(日)まで「オトメチック銘仙展」が開かれています。この館は、明治末年に黒羽根内科医院として建てられた館が、市に寄贈され、100メートル曳き屋されて移ってきたもの。古風な2階建の館に、色とりどりの銘仙が展示されています。



この展では、1930(昭和5)年に開発された、たて糸に柄をつけるだけでなく、よこ糸にも柄をつけて織る「併用絣」が伊勢崎の独特の手法であると強調されています。



いまの時代でも前衛的なデザインとして通用するような、凛とした柄と鮮やかな色の絣が多く飾られています。

日常的に銘仙をつかった着物を着る習慣はもはやなくなったものの、昔の日本で見られた和柄などを評価する向きは高まっています。伝統を守っていくという考えと相まって、銘仙の美は保たれていくでしょうか。

参考資料
朝日新聞掲載「キーワード」の解説「銘仙」
https://kotobank.jp/word/銘仙-141114
百科事典マイペディア「絣」
https://kotobank.jp/word/絣-44701
世界大百科事典内の「締切絣」への言及
https://kotobank.jp/word/締切絣-1333685
ウィキペディア「伊勢崎絣」
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊勢崎絣
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「マディナカレーレストラン」のターリー――カレーまみれのアネクドート(117)


群馬県の伊勢崎市には、パキスタン人をはじめとするイスラム教信者が集い礼拝するモスクがあります。そのモスクから、ひとつ隔てた通りにパキスタン料理の店「マディナカレーレストラン」があります。

伊勢崎駅の北側。商店がぽつんぽつんとあるぐらいの通り。そこに見えてくる、裸電球で照らされた「オリジナルインドパキスタンカレー」の看板。

「O・P・E・N」の看板が下がる扉を開けると、そこには“パキスタン”があります。手前から奥のほうにいくつも置かれている長いすに座っているのは、(おそらく)みなパキスタンの人びと。いちばん奥には壁かけテレビがあり、(おそらく)パキスタンのテレビ番組が映しだされています。

もちろん店員もパキスタンの人。しかし、ここでの“異国人”である日本人の客を笑顔で迎えてくれます。

店のつくりとおなじく、献立表も手づくり感あふれるもの。ワードプロセッサで印字された料理名の行間に、手書きで加筆されています。

多くの客が頼むであろうセットメニューが「ターリー(下記カレー3品ただし野菜入りは1種類のみ)+ チキン1本 ナンお替り自由」。カレー3種類を選べるからです。チキン、ホウレン草、ひよこ豆、チキンマサラ、マトン、カリフラワー、キーマ、ハリーム(牛肉と豆をペースト状にしたもの)、ジャガイモ、グリーンピース、オクラ、ダルカレー(豆のカレー)というさまざまな種類のカレーがあり、さらに1種類として「チキンとホウレン草」のような組みあわせもあるため、あわせて15種類にもなります。

「ターリー」は、南アジア地方における定食。大皿にいろいろな具材がまとめられるのが特徴です。

写真にあるカレーはマトン(左)、ダル(手前)、そしてチキン(左)。そして奥には2枚のナン。ナンというと、いびつで長ほそいかたちのものを想像しがちですが、この店のはまん丸。しかも、もちもちのピザ生地のように厚みがあります。しかも皿に2枚ものっています。しかも「お替り自由」。加えてキャベツの上に盛られた大きなチキンと発酵乳もあります。

カレーはそれぞれ、マトン、ダル、チキンという主役の具を活かすようにつくられた味。そうしたねらいを店の人が考えているのか、それとも「マトンカレーといったらこう」といったようにつくりかたが染みついているのかはわかりません。それぞれのカレーソースは、さほど辛くありません。「カレーといえば辛さを極めるもの」といった日本の考えかたとはやはりちがいます。カレーにまみれたマトンやチキンの肉は、スプーンとフォークでかんたんに骨から離せます。

ひっきりなしに扉が開いて、(おそらく)パキスタンの人がやってきて、長椅子に座っていた(おそらく)パキスタン人の客と挨拶や握手をし、また、べつの(おそらく)パキスタン人の客が店を出ていきます。

そうした「パキスタン空間」にいる日本の人は、所在なくなるかというとそんなことはありません。自分たちのコミュニティを保ちながらも日本人客を重んじるといったパキスタンの客や店員の心もち、そしてなにより料理としての完成度の高さが、所在なさをとり払います。

店のなかはパキスタンでありながら、日本の客にとっても居心地がなんともよい。不思議な空間です。

マディナカレーレストランの食べログ情報はこちら。
https://tabelog.com/gunma/A1002/A100202/10007688/
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