科学技術のアネクドート

三月さっとくる
このブログでは、毎年のように2月の末日に、伝える内容のおなじ記事がくりかえされてきました。「2月の日数がすくない影響は3月に現れる」というものです。2018年の2月末日の記事も「2月から3月は『ふだん10秒のところを9秒で』こなすことに」というもの。短い2月が終わったとしても、その影響を受ける3月に気をつけなければなりません。

2月がほかの月より短いということは、その短い分、3月が早くやってくることを意味します。たとえば、8月28日から見て、9月1日がやってくるのは「4日後」ということになりますが、2月28日つまり今日から見て、3月1日がやってくるのは「1日後」つまり明日ということになります。

あたりまえのことです。

でも、人はそれをなかなか実感できません。

たとえば、2月25日に仕事を受けて「来月の5日までにお願いしますね」と言われたとしましょう。油断している人は、「来月の5日までなら10日以上あるから、まぁ大丈夫だろう」と高をくくるかもしれません。

しかしその日数の感覚は、2月以外の月またぎを考えてのもの。8月25日から9月5日では、たしかに当日をふくめ12日もあります。

2月から3月にはその感覚は通じません。2月25日から3月5日では、当日をふくめても9日しかないではありませんか。12日ぐらいあるという感覚のところが、9日しかないというのは相当なちがいです。


25日に受けるときでさえそうなのですから、しめきりがおなじく翌月5日という場合、仕事を受ける日が26日、27日、28日と、月末に近づけば近づくほど、ほかの月またぎとのちがいが際立ってくることになります。

正月からの3か月は慌ただしく過ぎていくということを「一月往ぬる二月逃げる三月去る」といいます。4月になって1月から3月までをふりかえればたしかにそうでしょう。しかし、2月の時点では「一月往ぬる二月逃げる三月さっとくる」ではないでしょうか。
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「確定申告がたいへん」の中身はおもに領収書についての作業
2月なかばから3月なかばにかけては確定申告の期間にあたります。

2月なかばから3月なかばにかけては確定申告の期間にあたります。

確定申告とは、「私は税金をいくら払います」と申しでて税を納めるべき人がその税の額などを「確定」するために、前の年など一定の期間の所得額や控除額を税務署に「申告」するもの。所得税についての申告はいつも3月15日まで。また消費税を収める必要のある人の消費税についての確定申告はいつも3月31日までですが、2019年は3月31日が日曜のため、4月1日(月)までにとなっています。

会社に天引きされるような人は「確定申告ってなんだかたいへんそう」といった印象をもっているかもしれません。実際のところ、なにがどうたいへんなのでしょう。

下記は、自由業の人が所得税についての申告をするときの例です。また、一般的な白色申告という方法においてのものです。

確定申告をするとき、作業としてあるのは、「確定申告書」という書類に必要な情報を記していくということ。情報を記した確定申告書を、税務署員に手渡し、署のポストへ投函、郵送、インターネット送信などの方法で、税務署に提出することになります。


確定申告書

確定申告書に必要な情報を記す作業では大きく、所得についての作業と、控除についての作業があります。

所得についての情報は、あらかじめ報酬の支払い元から送られてくる「支払調書」とよばれる小さな紙に書かれている収入額や、その支払い元の企業名また住所などがあたります。収入額は前年の1年もの。前年に10社からの支払いがあれば、おそらく10枚の支払い調書が届いており、申告書の10個の欄に収入額などを入れていくことになります。


支払い調書

この作業は支払調書に書いてある金額や企業名などを入れていくだけなので、さほど手間のかかるものではありません。作業が済んだら前年の年収が明らかになるため「こんなに稼いだのか」あるいは「これっぽっちしか稼げなかったのか」と、一喜一憂するかもしれませんが。

よりたいへんな作業は、控除についての情報を記すほうではないでしょうか。前年に費やしたお金のなかで、経費としてかかったとみなせる額は、控除の対象になります。そのため貯めておいた領収書を1枚ずつ見ていき、どの支払い調書の仕事にいくら使ったかを振りわけていくことになります。

宴会などで自由業の人が「領収書、私がもらっておいてもいいですか」と言うのは、その領収書を仕事の経費でかかった額の証しとしてみなし、控除の対象にするというねらいからのものです。

この作業で、実際どこまで正確に振りわけをしているのかは、人によるかもしれませんが。

ほかに生命保険などに入っていれば、それも控除の対象になります。これも確定申告書に入力。また、あらかじめ保険会社から送られてくる証明書を、確定申告書に添付することになります。書類の管理が悪い人は、こうした証明書を部屋のなかで探すという作業に手間をとられることもあります。orz。

確定申告をしている、とある自由業の人は「確定申告書をつくりあげるまでには、だいたい半日ぐらいかかるでしょうか。年度末の忙しいときに重なるため、期日ぎりぎりでつくり終えて税務署に提出したときはいつもほっとします」と言います。

なお、所得の額と控除の額によって、所得税の確定申告を提出するときに税金を支払う場合と、還付金を受ける場合とがあります。
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谷戸で暮らし、営む

google earth pro

人がどこかの土地に入るよりまえから、そこでは地形ができあがっていました。ですので人はそこの地形を受けいれて、いろいろな工夫を凝らして暮らすことになります。

小高い山や丘に囲まれたところには谷があります。山や丘が細長いものだと、その分、谷も細長くなります。そうした、谷が細長くつづくような地形は「谷戸(やと)」「谷津(やつ)」「谷地(やち)」などとよばれます。とくに神奈川県や千葉県などの関東地方南部には、これらが地名となっている土地が多くあります。

谷戸のあるところは山がちなところ。山に人が住むのはむずかしい反面、山からはさまざまな自然の恵みももたらされます。そのため、山に接した谷戸の利用のしかたには人びとの営みかたがうかがわれます。

谷戸で暮らす人びとは、山から流れてくる豊かな水を使って、低地で田植えをしました。また、雑木林から薪や落ち葉を集めてきて南向きの斜面などで畑作もしました。

武士たちも谷戸に興味を抱いていたようです。鎌倉時代の武士たちは街に住んでいましたが、手狭だったため、街から離れた谷戸に別邸をつくるようになったといいます。

そして、武士たちはその別邸に仏を安置しました。鎌倉時代は、新たな仏教の宗派がさまざま興った時代でもあります。そして、それらの仏堂が、のちに寺になっていきました。鎌倉では崖の中腹などに洞穴を掘り、そこにお墓や仏像などを置いたつくりの寺もあります。山に接した谷戸ならではのお寺のつくりといえましょう。

いまは谷戸にも多くの人が住むようになり、小高い山や丘が住宅地に囲まれるような風景になってきています。

参考資料
山崎・谷戸の会「谷戸とは」
http://yato-yamasaki.sakura.ne.jp/山崎の谷戸やまさきのやと/谷戸とは/
鎌倉市「鎌倉市歴史的風致維持向上計画」
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sekaiisan/documents/1shou.pdf
鎌倉市「地形」
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh231.html
NHK「美の壷 File225『鎌倉の古寺』」
https://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file225.html
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案山子は減り……


昔にくらべて、人の姿をした「案山子(かかし)」が立っている田園地帯は減ったのではないでしょうか。

農家の担い手が減り、案山子を作る暇もなくなったといえばそうなのかもしれません。いっぽうで、「案山子には田畑を荒らす鳥獣を寄せつけない効果がさほどない」といったこともいわれるようになり、農家が熱心に作るものでなくなってしまったということも、案山子が減った理由にあるのかもしれません。

案山子は、鳥獣に「人がいる」と思わせることで田畑に寄せつけない効果をもつと考えられてきました。しかし、害獣にも「慣れ」はあるもの。ずっとおなじ位置に立ってなにもしない案山子に対して、鳥獣は「攻めてこないもの」と慣れてしまい、びくともしなくなっていきます。慣れきったカラスが、案山子に巣づくりを始めたといった話もあるとか……。

農家に害をもたらす鳥獣を寄せつけないといったこととはべつの「効果」を、案山子に見いだしている例はあるようです。

群馬県の両毛漁業協同組合は、放流した魚たちをカワウから守るために、黄色い雨合羽のような服を身につけた案山子20体を渡良瀬川の岸辺に置いたとのこと。このとりくみに、地元の新聞などが飛びつき、10本ほどの記事が出たようです。

そして組合の担当者はとりくみを紹介する資料でつぎのような結論を述べています。

「川鵜の食害に対しての直接的な効果は少ないかもしれないが、市民から多くの反響を頂いた。PR効果は絶大だった!」

この地域では漁協ががんばっている、といったことを市民に広くしらせる効果があったというわけです。

また、案山子のべつの効果を説く人もいます。長岡造形大学教授の上野裕治さんは「棚田学会通信」という定期刊行物のなかでつぎのように述べています。

「田植え、稲刈りは親戚等 多くの人々が参加するものの、夏場の水管理や除草などは孤独な作業だ。そんなときにカカシが立っていると、作業中や休憩の時に『ひとりじゃない』『何かホッとするなあ』などという感情が生まれるのだと思う」

つまり、農作業を一人などの少人数でおこなう人たちの孤独感を減らしたり、癒しをつくりだしたりする効果があるというわけです。

しかし、これらの効果は、案山子に望んでいた「鳥獣を寄せつけない」という効果からすれば副次的なもの。

近ごろでは、にたような効果をねらって小型無人航空機を使う方法も研究されているようです。航空機に載せた赤外線カメラで、害獣がどこにいるかを把握したり、超音波を発信して害獣を退散させたりする、といった試みです。

動物にとって「餌があればありつく」というのは本能的な行動。だれかの作物を取ることについて「盗みをおかす」という意識があるのは人だけです。

参考資料
農業・食品産業技術総合研究機構中央農業研究センター 鳥獣害グループ「よくある質問(FAQ)」
http://www.naro.affrc.go.jp/org/narc/chougai/wildlife/faq_j.htm
山本麻希ら「心拍数を指標としたカワウに効果的な心理的ストレスの評価」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjo/61/1/61_1_29/_pdf/-char/ja
中島淳志「川鵜の防除の取り組み 案山子設置の概要」
http://www.ryomo-fishing.com/atsushi-kakashi22317.pdf
上野裕治「棚田を舞台とすることの意味 比礼カカシ・プロジェクトを例にして」
http://tanadagakkai.com/tuusin51.pdf
日本経済新聞 2017年6月28日付「ドローン × AI、『優しい』獣害対策」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO1816649027062017000000/
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「天使の梯子」真上からでなく奥から


薄曇りの日には、「空の表情を眺める」という楽しみがあります。朝や夕などには、雲の切れまからさしこむ太陽の光、薄明光線がみられることがあります。

薄明光線は「天使の梯子」とも。これは『旧約聖書』の「創世記」に由来するもので、薄明光線のような梯子を天使が上り下りしている光景を、族長のひとりだったヤコブが夢のなかで見たことから、こうよばれるようになったといいます。

たしかに、「天使の梯子」の左右両端は、階段のような角度がついていて、上っていくことができそうです。光線が両端のほうになればなるほど、末広がりになっています。

この天使の梯子を見て、ふと疑問を抱く人もいるよう。「太陽の光はほぼ平行に地球に向かってくるはずなのに、どうしてこうも放射状にひろがっているのか」と。

たしかに、写真にあるような「天使の梯子」の光の線を天のほうにたどっていくと、地球のすぐ上、標高3000メートルぐらいの高さに太陽がある位置どりになってしまいます。しかし、実際のところ地球から太陽までの距離は1億4960万キロメートルもあります。

「天使の梯子」が平行でなく放射状に見えることそのものは、目の錯覚ではありません。空が晴れているときに見える太陽の光も、放射状に広がっています。これは、遠くのもののほうがより小さく見え、しまいには一点に収束されるという見えかたのしくみによるもの。


晴れている日の太陽光線

「天使の梯子」がかかっているときも、光の線は真上のほうから降りそそいでいるわけでなく、太陽のある奥のほうから自分のいる手前のほうに向かってきているわけです。この点については、錯覚を起こしている人もいるかもしれません。錯覚を起こすほど幻想的な景色であるともいえます。

参考資料
レファレンス協同データベース「雲の隙間から太陽の光がさす「天使の梯子」と呼ばれる現象があるが……」
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000167394
デジタル大辞泉「薄明光線」
https://kotobank.jp/word/薄明光線-1721431
ウィキペディア「薄明光線」
https://ja.wikipedia.org/wiki/薄明光線
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
“since 何年”に「ロゴマークの安定感」説



街なかのお店には、店の名前の近くに“since”の表示が見られることがあります。「since 1954」とか「since 1972」とかいった具合に。

“Since”は英語の前置詞や接続詞で「……以来」といった意味になります。ですので「何々堂 since1954」というお店の看板があれば、「何々堂 1954年から」といった意味になります。つまり、ほぼまちがいなく「since 何年」は、「何年に創業」や「何年に設立」といったことを示していることになります。

お店が看板の近くやロゴマークのなかに“Since”を入れようとするねらいにはどんなものがあるのでしょうか。

古くから営んでいることを示せれば、客たちに長く信頼されているといったことを暗に示すことはできます。たとえば、東京・赤坂にある酒店の「赤坂四方」は“since 1624”を掲げています。1624年といえば、江戸時代初期の寛永元年。同店サイトにも「創業1624年(江戸 寛永元年)」とあり、また「常にお客様が安心しご納得の頂ける”お酒”をお届けすること」を大切にしているとしています。

しかし、なかにはごく最近の創業年、たとえば“since 2018”を掲げるようなお店も見られます。たとえば、アンドモワという企業が運営する「東京ミートチーズ工場」の開店を報じた記事には、“since 2018”が入ったロゴマークが見られます。ただし、なぜか公式ツイッターでは、この“since 2018”の部分が隠れたようになっていますが……。

また、タピオカを売る「EMMA」というお店のロゴマークや容器にも“since 2018”とあります。

これらだと「長く信頼されている」ことを伝える意味は失われます。しかし、「いつぞやの時点に私たちは開店・創業した」といったことを示すことはできますから、営業を始めたことに対する決意表明にはなりそうです。

よりありえそうな理由としては「意匠の見ばえがよくなるから」ということが考えられそうです。ただたんに店の名前やそれにちなんだ形をあしらうだけでは、どこかすわりが悪い。そこで“since 2008”などと加えることで、意匠に安定感をあたえるというわけです。

実際、“since”入りのロゴマークを見てみると、お店の名前などを大きく示したその下側に、左右中央寄せで“since 何年”と示したものが多く見られます。こうすることで、左右対称を意識したロゴマークをつくることができます。ロゴマークの意匠を担うデザイナーたちが、まず「安定感をもたせることができて安心した」となるのかもしれません。

店を利用する側の客はさほど“since 何年”入りの看板やロゴマークを意識しなくても、店やデザイナーが意識し、ほかの店がやっているのを追随する。こうして「since 何年」のミームは、日本社会に確実に広まったのでしょう。

参考資料
赤坂四方「四方のこだわり」
http://yomo-akasaka.com/yomonokodawari.html

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
科学的根拠のないものごとを信仰したり拒絶したり


「自分は科学に通じている」と考えている人と、「自分は科学に通じていない」と考えている人がいるようです。このうち「通じている」と考えている人は、非科学的なものごとが話題になると、やや敏感に反応する向きがあるかもしれません。

たとえば、科学に通じている人のすくなからずは「血液型によって性格を分類できる」といったことを信用していません。科学的根拠のない話だと考えているためです。「誰々さん、血液型O型ですか」などと聞かれると「そうですが。それがなにか」と反応する人もいるでしょう。

では、科学に通じている人が、科学的根拠のないものごとの一切を受けつけないかというと、そうとはなりますまい。なかにはそうした純粋な人もいるでしょうが、多くの人は科学的根拠のないものごとにも関心をもつし、動かされることもあるものです。

しかし、ひとえに科学的根拠のないものごとといっても、科学に通じている人が関心をもちやすいものもあれば、逆に拒絶しがちなものもあります。

たとえば、寺社仏閣についてのものごとでも、「お賽銭を入れて、神前で祈りごとをする」といったことは、科学に通じている人たちにもよくなされます。きょう(2019年)2月22日(金)に小惑星リュウグウへの着陸を果たした「はやぶさ2」をめぐっても、宇宙航空研究開発機構の開発員(おそらく科学に通じている人)が、安全祈願のために、ゆかりある神社にお参りをしたといいます。

しかし、寺社仏閣をめぐってのぼりがちな「パワースポット」の話題になると、科学に通じている人はあまり乗ってこないのではないでしょうか。パワースポットは、心身を活性化させたり、心が癒されたりするとされる場所のことですが、パワースポットに科学的根拠があるといわれたためしがありません。もし、科学に通じている人が、まわりも科学に通じている人たちばかりという場で「私、休みの日はパワースポットをめぐって癒されているんです」などと言えば、たぶん白い目で見られるのではないでしょうか。

すると、科学的根拠のないと考えられるものごとでも、科学に通じている人を引きつけるものと、遠ざけるものの「線」はどこにあるのかといったことが問題となります。

考えかたとしては、「科学的に怪しいこと」を疑うようになりだした時代より前からその習慣や信仰があったものかが、ひとつの「線」となりそうです。中世からあるような「参拝」という行為は、もはや習慣として根づいているため、人びとは科学的根拠はどうかとは挟みません。

しかるに「パワースポットめぐり」は2000年代に流行しだしたもの。すでに「科学的に怪しいこと」を疑うようになりだしてから生じたものといえます。新たに流行しだしたものに対し、すくなからぬ人たちが「科学的な根拠があるのか」といった疑いの目で見ているはずです。

参考資料
山陽新聞 2014年11月9日付「『はやぶさ2』の安全航行祈願 真庭・中和神社にファンら参拝」
http://www.sanyonews.jp/article/93118/1/
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人工知能、文章を創る前にまず評価

写真作者:steve freeman

人口知能はそのうちに職業作家にも負けぬような文章を創ることでしょう。その前に確実に起きる、いや、現に起きはじめているのが「人工知能が文章を評価すること」です。

人工知能は学習をします。人びとが、読んで「いいね!」と多く評価したような文章は、人工知能が「こういうのがよい文章なんだ」と学習するときの模範になるはずです。つまり、多くの人びとに「いいね!」と評価されているような文章や、逆に多くの人びとに「よくないね!」と評価されているような文章を、どんどん人工知能に読ませていけば、よい文章とよくない文章を判断できるようになっていくことでしょう。

実際、ディズニーの研究開発部門であるディズニーリサーチと、マサチューセッツ・ボストン大学は、対象の文章が「ウケるか」どうかを判断する人工知能を開発したといいます。人びとが質問や回答を自由に書きこみし、さらに回答について「賛成票」か「反対票」かを投じられる「Quora」というサイトでのおよそ5万5000の投稿から、学習するにふさわしい2万8000の投稿を選りぬき、人工知能に学習させたそうです。

この研究では人工知能のしくみをふたつ用意。うち、全体的に文章を解析するしくみのほうでは、人工知能のネットワークの精度が従来の文章評価のしくみにくらべて2割ほど増したといいます。

中国でも、政府と軍研究所の言語研究チームが人工知能による作文評価プログラムを開発したといいます。人間の教師がするように、人工知能が学生のつくった文章を評価するというもの。プログラムのテストに1億2000万人が参加しているといいます。

人工知能が「文章を評価する能力」をつけていけば、人びとは「人工知能がこの文章はいいといっているんだから、いいに決まっているんだよ」と考えるようになるでしょう。文章の客観評価は人工知能におまかせあれ、と。

そうなると、いままで「あの人の書く文章はとてもいい」と評価されているような人の文章が、人工知能には低く評価されることもあるかもしれません。そして、人びとからも「なんだ。やっぱりたいしたことなかったんだ。私もうすうすあの人の書く文章はそんなによくもないと思ってたんだ」と手のひらを返されてしまうことがあるかもしれません。

実際、上の中国の作文評価プログラムでは、米国ワシントン・ポスト紙の評論が、100点満点中71.5点という低い評価を下されたといいます。人工知能が未熟なのか、評論がほんとうは価値の低いものだったのかは、なんともいえませんが。

文章を評価する人工知能は、まだ世に出たばかりとはいえます。しかし、人工知能が能力を高める速度は、人間が能力を高める速度とくらべものになりません。いまはめずらしくても、あっというまにあたりまえになっていくことでしょう。

参考資料
Ledge.ai 2017年10月20日付「この文章はウケる?ウケない?文章を評価するAIをDisney Researchが発表」
https://webtan.impress.co.jp/e/2017/11/09/27361
フォーブズジャパン 2018年6月3日付「中国6万校が『添削AI』を導入 1億2000万人の作文を判定」
https://forbesjapan.com/articles/detail/21325
| - | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0)
これまでは「東海林」でも、買いかえ直後は「庄司」
自分の使うコンピュータを買いかえるとき、すこし気がかりになるのが「データをうまく移せるか」ではないでしょうか。

アップルのMacOSのコンピュータには、新旧の2台を線か無線でつないでデータを自動的に移す「移行アシスタント」など、いくつかのデータ移行のしかたがあります。また、マイクロソフトのWindows OSのコンピュータでも同社の「ワンドライブ」というデータ保存クラウドサービスを使うなどして、データをなかば自動的に移す方法があります。

ただし、データがそっくりそのまま移るわけではありません。そのため、古いコンピュータでいままであたりまえのようにしていた作業を、新しいコンピューターでもそのままあたりまえのようにすると、思わぬ痛い目にあうこともあります。

ひとつの例は、ひらがなの文字を漢字に換えてくれる「漢字変換」についてのものです。

近ごろの漢字変換ソフトウェアには、コンピュータの使い主の漢字変換のしかたを学習し、最適な変換候補を予測するといった技術が入っています。たとえば「きょうと」と打つ人が、よく「京都」と変換していれば「今日と」や「教徒」よりも「京都」が上にくるようになるといったもの。

しかし、データを移しかえたあとの漢字変換ソフトでは、多くの場合、その学習内容までは移されていないようです。古いコンピュータを使っていたとき、変換で上にきていた漢字の語が、新しいコンピュータではかならずしも上にくるわけではありません。

コンピュータを買いかえたという、ある人物は「こんな痛い目に遭いました」とみずからの経験を話します。

「とてもお世話になっている、東海林(しょうじ)先生という方がいましてね。『しょうじせんせい』と打てば『東海林先生』がいちばん上にきていました」

「ところが、パソコンを買いかえて、はじめて先生にメールを出したときのこと。先生からのご返事で『私は庄司ではなく、東海林ですよ』とご指摘をいただいてしまったんです」



その漢字変換ソフトでは、初期には「東海林」よりも「庄司」のほうが上にくるため、買いかえた直後のコンピュータでも「庄司」と変換されてしまったもよう。しかし、その人は「『しょうじ』と打てば『東海林』と出る」ことにあまり慣れてしまっていたため、「庄司」と変換されていたことに気づかず、東海林先生にメールを送信してしまったというわけです。

「古いコンピュータでは自動変換されていた。頭のなかでも自動変換されていた。新しいコンピュータだけは自動変換されていなかったわけです」

だれかにむけてなにかを書くときには、いつも初心に返ることができればよいもの。実際はなかなかそうもいきません。けれども、買いかえた直後のコンピュータを使うときにはとくに注意が必要といえます。
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日本人の4人に1人は地下水飲み


水は重力に逆らわず低いところに落ちていきます。また、わずかなすき間があるところにもしみこんでいきます。

このことからすると、「地下水」の存在は、そうめずらしいものではないともいえそうです。

地下水とは、一般的に地下の岩石の割れめや、地層のすき間を満たしている水のこと。雨水が地面のなかに浸みわたっていき、地下水がたくわえられます。では地球の奥深くまで水が降りていくかというと、そうはなっていないもよう。地下のある深度のところには、もうそれ以上は水がしみこまない「飽和層」という層があり、水はそこにたまるといいます。

日本地下水学会の説明によると、日本では約4分の1の人が地下水を水道水として使っているとのこと。残りのほとんどは川や湖などにある地表水を使っていることになるでしょうが、4人に1人は地下水を使っているという事実に「意外と多いな」と感じる人もいるのではないでしょうか。

東京にも地下水はあります。ただし、昔のほうがよく使われていたようで、多摩川や荒川などの低地帯や、谷ぞいの地には、昭和時代の初期まで、地下水が地表に噴きでる「自噴井(じふんせい)」という井戸が見られたといいます。1932(昭和7)年には、府中市にあるいまの東京競馬場の深さ62メートルの井戸から、地下水が高さ1.8メートルまで噴きあがったという記録もあるそう。

しかし、地下水を得られるところに人が多く住むようになると、地下水をくみすぎて地盤沈下が生じるといった問題も起きるようになります。そこで、自治体によっては条例をつくり、井戸のつくりを定めたり、揚げる水の量に制限を設けたりしています。

地層がろ過の役割を果たすため、一般的に地下水は消毒するだけで飲めるもの。長いこと、岩石などのなかで眠っているため、無機塩類を多くふくんだ“おいしい水”になります。

地下水もまた、使いつづけられる状態を保ちながら使うべき資源のひとつといえます。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「地下水」
https://kotobank.jp/word/地下水-95886
日本地下水学会「地下水の方が、地表水よりも飲料水に適している理由は何ですか?」
http://www.jagh.jp/jp/g/activities/torikichi/faq/23.html
新藤静夫の地下水四方山話「地下水研究50年史 武蔵野台地の地下水(4)」
http://www.jkeng.co.jp/file/column012c.pdf
府中市 2019年1月10日更新「地下水の揚水規制」
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/kurashi/sekatu/kogai/yousui.html
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書評『武蔵野』
「武蔵野」ということばやその響きから、どのような風景を思いうかべるでしょうか。

『武蔵野』国木田独歩著、新潮文庫、1949年、362ページ


さまざまな地域には、「どこどこといえば……」といった人びとの抱く原風景のようなイデアがある。その原風景は、たとえ歳月が経って実風景が変わりはてたとしても、人びとの心のなかにどこか残りつづけるものかもしれない。文学作品として刻まれているとすればなおさらのことだ。

「武蔵野」に対する人びとのイデアは、小説家の国木田独歩が結びとめてきた。同名の短編小説によって。独歩は1871(明治4)年に生まれ、27歳の1889(明治31)年に「今の武蔵野」(のちに「武蔵野」と改題)を発表する。千葉県銚子で生まれ、幼少から青年期にかけてを山口県山口で過ごし、1887(明治29)年9月9日から翌1888(明治30)年3月21日まで、東京渋谷村の「小さな茅屋」に居を構えていた。その期間、都会から離れては武蔵野に座し、自然の美しさに思いを巡らせたのだった。

航空写真もない時代、独歩は武蔵野の特徴を鳥瞰的に描写ししている。

「即ち野や林やら、ただ乱雑に入組んで居て、忽ち林に入るかと思えば、忽ち野に出るという様な風である。それが又た実に武蔵野に一種の特色を与えて居て、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道の様な自然そのままの大原野大森林とは異て居て、その趣も特異である」

広い武蔵野を歩きまわったからこそ、描ける風景といえよう。そんな林と野が入りくんだ景色は、独歩を飽きさせなかった。「自分は武蔵野を縦横に通じている路は、どれを撰んで行っても自分を失望させないことを久しく経験して知て居るから」とも述べている。

当然ながら、いまにくらべれば、明治期の武蔵野にはみどりが豊かにあったにちがいない。だが、「都市に対する郊外」つまり「都心に対する武蔵野」という感覚は、いまも昔も相対的にはそう変わらないものなのかもしれない。独歩はこんなことも述べている。

「斯様な町外れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思をなさしむるからであろう。……更にその特点を言えば、大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とが此処で落合って、緩かにうずを巻いて居るようにも思える」

100年以上も前から、武蔵野は大都会の脇に座っていたのだ。その位置づけを決定的なものにしたのが独歩の「武蔵野」でもあるのだが。

新潮文庫『武蔵野』には、「武蔵野」をはじめ18本の短編がまとめられています。こちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4101035016
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「とんきち」のジャンボ! カツカレー――カレーまみれのアネクドート(116)


カツカレーの“主従関係”にはさまざまなものがあります。

要素としてあるのは、カレーソース、カツ、ライス、それにカツ以外の具材といったところ。「カツカレー」といってもカレーですので、たいていの場合、カレーソースが“主”となり、カツをふくむほかの要素は“従”になるもの。カツもあくまで、具材のなかでは目玉となる存在といった位置づけになりがちなものです。

しかし、店によっては、明らかにカツが“主”となるところもあるもの。東京・府中市本宿町にある「とんきち」のジャンボ! カツカレーもそのひとつといえましょう。

店は、ひれかつやロースかつなどのカツを定食で出すとんかつ屋。甲州街道ぞいに建つ趣ある店で、開店は1974年といいますから45年ほどの歴史があります。

献立を見ると、ほかにもチキンカツ、カキフライ、クリームコロッケなどの揚げものの定食が充実しています。その献立表を裏がえすとあるのが「とんきちカレー 大人気!」の見だしのもとにある、カツカレーなどのカレー料理の献立。「カツカレー」の類は「ジャンボ! カツカレー」「ジャンボ大盛り! カツカレー」「カツカレー」「納豆カツカレー」「チーズカツカレー」「メンチカツカレー」。やはりカツカレー類が充実しているようです。

写真の「ジャンボ! カツカレー」は、直径40センチメートルにもなろうかという大きさの白皿に盛られたカツカレーライス。野菜サラダと味噌汁がついてきます。

カレーソースがかかったライスの上に乗るカツはじつに堂々としています。カツ定食などにも使われるであろうカツがそのままカツカレーに使われているのでしょうか。巷のチェーン店にあるような、チキンカレーや野菜カレーなどの顔ぶれのひとつとしてあるカツカレーとは、カツが明らかにちがいます。

カレーソースはややさらさらしていて、味はさほど辛くなく、主張は強くありません。ライスによく染みこんでいます。白ソースがかかっている点は特徴的ですが、こちらも隠し味といった程度。カツよりもさきに、まずカレーソースとライスだけを食べた人は「ソースとライスはあくまで脇役といったところだろうか」と感じるかもしれません。

その感じかたは、カツを食べたときに「やっぱりそうだったのか」となります。厚みのあるカツは、衣ごとスプーンでかんたんにちぎれるほど柔らかい。肉の味はさっぱりとしていますが、それがほどよい味のソースとよくなじみます。肉の白い部分にソースをかけて食べると、ソースとカツの相性のよさがさらに感じられるでしょう。まさに「カツカレー」。

堂々たるカツを主役とすれば、皿の大きさや、ソースやライスの量の多さは、カツの大きさとの均衡をとるためといえそうです。この店が扱うカツを中心に据えると、必然的に「ジャンボ! カツカレー」ができてしまうのではないでしょうか。

「カツをカレーで食べたい」と望んでいる人にとってはうってつけの店です。

「とんきち」の食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/tokyo/A1326/A132602/13099105/
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「あますところなく枯木に雪の花が咲く」と解釈
「雪やこんこ」の歌詞ではじまる童謡「雪」は、1911(明治44)年に初めて教科書『尋常小学唱歌』の第二学年向けとして世に出たとされます。作詞者も作曲者も「不詳」とされています。ほかの尋常小学唱歌もですが、文部省(いまの文部科学省)が「名を出さず、口外もしない」という契約で作者に歌をつくらせたことが背景にあるともいわれています。

「雪」でよく話題になるのは「ゆきやこんこん」でなく「ゆきやこんこ」であるという点でしょう。ただし、国語辞典には「こんこん」は載っているものの「こんこ」は見つかりません。「雪や来む来む」つまり「雪よ来い来い」が「雪やこんこ」の意味であるという説が強いようです。

2番のほうがよく知られるようになってしまった歌でもあります。「降っても降って まだ降りやまぬ。犬は喜び庭駆けまわり、猫は火燵で丸くなる」という歌詞です。犬と猫の行動の対比がうまい具合に描かれていて、歌う人や聞く人の印象に残るのでしょう。

1番は、やや2番の後塵を拝しているといったところでしょうか。「降っては降っては ずんずん 積もる。山も野原も 綿帽子かぶり、枯木残らず 花が咲く」と歌われます。

「山も野原も 綿帽子かぶり」のところは、結婚式で和装のお嫁さんがかぶる綿帽子のように雪が野原を覆いかくしているといっているのですから、相当な積雪量といえそうです。この写真の景色ぐらいでしょうか……。



より想像力をはたらかせるのが、つづく「枯木残らず 花が咲く」です。解釈はさまざまでしょうが、雪のことを歌っているのだから「花が咲く」は、木々の枝などに積もった雪を「花」に見たてているととるのが適切そうです。また、「枯木残らず」は「あますところなく枯木には」といった意味がふさわしそうです。こんな写真のようなようすでしょうか……。



長調で明るく歌われることもあり、全体としては子どもが雪降りを楽しんでいるような雰囲気を醸しています。

ただし、1番で「ずんずん積もる」のに加えて、2番では「降っても降ってもまだ降りやまぬ」のですから、たとえ雪国でのようすだとしても豪雪級の雪の量といえるのではないでしょうか。とにかく雪景色にあこがれる、非雪国出身者がつくったのかもしれないなどと想像をかきたてます。

参考資料
Wikisource「雪(童謡)」
https://ja.wikisource.org/wiki/雪_(童謡)
ウィキペディア「尋常小学唱歌」
https://ja.wikipedia.org/wiki/尋常小学唱歌
若井勲夫「童謡・わらべ歌新釈(上)」
https://ci.nii.ac.jp/naid/110006622356
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「重イオンビームに陸上養殖、『ワカメの革新』進む」



ウェブニュース「JBpress」で、きょう(2019年)2月15日(金)「重イオンビームに陸上養殖、『ワカメの革新』進む 日本の縁深き海藻、その歴史と現在(後篇)」という記事が配信されました。

ワカメはとりわけ日本人にゆかりの深い海の幸ですが、戦後からいまにかけて、まさに技術革新が進んでいます。戦後の1955(昭和30)年に、ワカメの養殖法が確立されました。そして、2000年代に入り、ワカメの育種や養殖の方法に技術革新が起きているのです。

記事で紹介されている理化学研究所仁科加速器科学研究センターイオン育種研究開発室の研究者たちは、「重イオンビーム」という線を使ったワカメの育種にとりくんでいます。加速器という装置で、原子のイオンを高速のビームにし、ワカメの受精卵などに照射。これにより、デオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)にふくまれる遺伝子の変異を引きおこします。そのなかから、大きく育つなどの人間にとって利点となる特徴が備わったワカメを選び、養殖などをしていくわけです。動画もあります。

また、研究の過程で「浮遊式回転陸上養殖装置」という水が複雑な方向で循環する水槽も開発したとのこと。これにより、生活環を通じてワカメを育てることができるようになりました。こちらも動画で見ることができます。

理化学研究所との共同研究で、浮遊式回転陸上養殖装置を使って、ワカメ養殖の新たな産業化を進めているのが、理研ビタミンや、その子会社の理研食品といった企業です。岩手県の三陸地方で採れたワカメから、早生のワカメや晩生のワカメをつくりだすなどのとりくみをしています。

「理化学研究所」に「理研ビタミン」に「理研食品」。みんな「理研」の名がつきますが、これは偶然とはいえなさそうです。理研ビタミンは1949年に「理化学研究所から、ビタミンA部門を引き継いだ、理研ビタミン油株式会社」(同社サイト)を端緒とするもの。もともとは、理化学研究所の一部門だったわけです。

いっぽうは研究所としてありつづけ、いまに至ります。もういっぽうは企業となり食品をつくったり売ったりしてきました。しかし、学術と産業の密な連携による研究や技術開発がいまも続いているようです。その連携の成果も記事では垣間みられます。

「重イオンビームに陸上養殖、『ワカメの革新』進む」の記事はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55473

また、前篇の「神事にしきたり、ワカメと絡み合う日本人の食生活」では、日本人とワカメの関わりの歩みを追っています。こちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55411

これらの記事の取材と執筆をしました。

参考資料
理研ビタミン「Aから始まる理研ビタミンストーリー」
https://www.rikenvitamin.jp/corporate/history/

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全体像も、ほしいものも「目印」あるからこそわかる

画像作者:greyloch

それは、Aなのか、Bなのか、Cなのか……。人は、あるものとほかのものとのちがいを見ることで、それがどの型あるいは種類に当てはめられるかを求めます。型や種類を分けることができれば、ものごとの状況を整理できるし、「それがAならこうする」「Bならこうする」「Cなら……」と、その後の行動を定めることもできるからです。

こうした識別をするときには、「目印」の存在が便利です。たとえば、カードゲームのスペード、ハート、ダイヤ、クローバーは目印ですし、運動選手のゼッケン番号も目印です。すべてのカードにマークがなかったり、選手にゼッケン番号がついていなかったりしたら不便でしょう。

生命科学の分野でも「目印」の存在は、さまざまな作業をするとき便利なものとなります。

生命科学で使われる「目印」の一例が、DNAマーカーとよばれるもの。遺伝子の部分をふくむデオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)のなかに「目印」があり、それを使うと遺伝子の「地図」をつくれたり、個体のなかにほしい遺伝子があるかを調べたりすることができます。

DNAマーカーとなる部分では、塩基という物質をつくる「A(アデニン)」「T(チミン)」「G(グアニン)」「C(シトシン)」の4文字の並びかたに個体差があります。個体差が生じるからこそ、それは「目印」となるわけです。

たとえば、ある特定のDNAマーカーの部分を見ると、ある個体のものでは「AAA」となっており、またある個体のものでは「AAT」、またある個体のものでは「ATG」となっていることでしょう。型がいろいろとあることを「多型性がある」ともいいます。

DNAマーカーに着目して、「このDNAマーカーはAAAタイプだ」「これはAATタイプだ」などと見分けられれば、そのDNAや、ご主人さまである個体についての、特徴的な情報を得られるわけです。もちろん、ただ1個のDNAマーカーに着目しただけでは、AAAとAATとATGの3種類といったわずかな特徴の情報しか得られません。けれども、DNAのなかに散らばっているいくつものDNAマーカーに着目すれば、細かく特徴分けをしていくことができるようになります。

DNAのある部分を「目印」として使えると、どういったよいことがあるでしょう。

そのひとつとして、DNAの全体像を把握できるということがあります。「目印」を1個、2個、3個……といくつか揃えていき、それらどうしの関係がどうなっているかを調べていくのです。それにより「目印」をふくむDNAの全体像がどうなっているかが見えてきます。

たとえば、選んだ複数個のDNAマーカーつまり「目印」のうち、Aという目印と、べつのBという目印について着目し、この二つの関係の強さ・弱さはどうかを調べます。つぎに、Aの目印と、Cというべつの目印についても、関係の強さ・弱さはどうかを調べます。ここでの「関係の強さを調べる」とは、減数分裂を経て生じた次世代以降の個体において、AとBが相変わらずもとの型の組みあわせのままでいやすいか、それとも、ほかの型の組みあわせになってしまいやすいかなどを調べることを指します。AとCの関係についてもおなじです。

こうして「目印」どうしの関係の強さ・弱さを調べていけば、「Aと近い関係にあるのがBであり、Aとより遠い関係にあるのがCである」といったことが見えてきます。この作業を積みかさねることで、それぞれの「目印」どうしの位置関係を推定することができます。また、その「目印」は、DNA内の特定の遺伝子の近くにあるものであれば、特定の遺伝子どうしの位置関係も推定することができます。

これらの得られた情報から、DNAの全体像つまり「地図」を得ることができます。

また、DNAマーカーの目印を使えば、選抜された個体や、交配によって生まれた個体のなかに、ほしい遺伝子がふくまれているかを調べることもできます。ほしい遺伝子の近くにあるDNAマーカーは、ほしい遺伝子とともに次の代へ遺伝するからです。

選抜した個体や、交配で生じた個体で、その目印が見つかれば、その個体にほしい遺伝子の型が残されているだろうとなります。いっぽう、その目印が見つからなければ、その個体にはほしい遺伝子の型は残されていないだろうとなります。

生命科学におけるDNAマーカーという目印は、全体像を得るのにも、ほしい遺伝子を得るのにも、どちらにも便利なわけです。

参考資料
知恵蔵「多型生マーカー」
https://kotobank.jp/word/多型性マーカー-185392
デジタル大辞泉「DNAマーカー」
https://kotobank.jp/word/DNAマーカー-686786
Akifumi Shimizu「クローニングのための遺伝学(前編)」
http://www.eonet.ne.jp/~vor-dem-gesetz/Genetics1.pdf
動物遺伝研究所『動物遺伝研究所年報』
http://jlta.lin.gr.jp/laboratory/pdf/nenpo11.pdf
金谷重彦「比較ゲノム学:ゲノム情報を基盤とした生物学と数理の架け橋 2009 講義資料」
http://kanaya.naist.jp/Lecture/QTL2010.pdf
國久美由紀「リンゴ育種研究の進展とゲノムインフォマティクス」
https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/publication/files/34d8b648c2178b2ceea9b9352d47cc19.pdf
不思議Labo「遺伝地図とは何か」
http://ipsgene.com/genome/human-genome-plan/genetic-map
楊和平「植物におけるDNA多型の検出方法とその応用」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/37/5/37_5_345/_pdf/-char/ja
| - | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0)
“直前の直前”に“紙を置く”という準備

写真作者:Steven Brown

「備えあればうれいなし」とか「備えあればうれしいな」とか、よくいわれます。どんなものごとでも準備をきちんとすればこそ、“本番”がうまくいきやすくなるというものです。

記者にとっての「取材に向けての準備」も、おなじことがいえそうです。取材の対象者が書いた資料を読みこんで調べておいたり、聞くべきことをメモにしたためておいたりすればこそ、必要な“材料”をきちんと“取る”ことができる、つまり取材がうまくいくわけです。

実際、取材の場で、用意しておいた資料を取材対象者にも見てもらえば、そこから「このグラフのポイントはね」とか「この写真をどうやって撮ったかっていうとね」といったように話が盛りあがってくることもあるでしょう。また、聞くべきことをしたためたメモを懐にしのばせておけば、もれなく質問できるようになるでしょう。

ところが、いくら取材に向けて入念に準備できたとしても、取材の“直前の直前”で、その備えの甲斐をおおいに失してしまう“落とし穴”があるとかいいます。

“落とし穴”に落ちた経験のあるという記者は、つぎのように証言します。

「読みこんだ資料も、質問メモもかばんに入れて、『準備万端だ』と意気ごみながら、ようよう取材の場所に行きました」

「そして、取材対象者にお会いして名刺を交換し、『きょうはお時間ありがとうございます』『いえ、よう遠くまでおいでなさった』などと話をして、いよいよ取材に臨もうとしました」

「ところが、です。読みこんだ資料とか質問のメモをかばんのなかから取りださないまま、質問をはじめてしまったのです」

「相手とのやりとりには“流れ”みたいなものがあるでしょう。途中で流れをぶったぎって、かばんから資料やメモを取りだすというのはできないものでした」

「結局、その取材では、資料やメモをかばんから取りだして机に置くことなく、取材を進めることになりました。流れに流されてしまったわけです」

準備した資料やメモを机のうえに出しておかなければ、かなり備えの効果は減ってしまうわけです。備えの甲斐がまったくなくなってしまうとまではいかないまでも。

「それ以来、私は取材の部屋に入るとき、相手に見てもらいたい資料や、ちら見したいメモは、かばんのなかに入れず、手に持っておくようにしました。そして、かばんやコートを置くとき、手に持っておいた書類をそうそう机に置いてしまうのです」

人と会うときの人は、えてして緊張しているもの。相手に初めて会うような場合はなおさらのことです。取材対象者に会ってから質問を始めるまでという“本番の直前の直前”にどう行動をとるかでも、本番の成果は大きく変わってくるというわけです。
| - | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0)
雪の日の“ワイパー立て”は「ゴムの凍結防止」と「雪かきの便利」のため



関東地方では(2019年)2月に入り、9日(土)11日(月祝)と雪が降りました。あす13日(水)もまた、にわか雪の可能性が予報されています。

雪国ではあたりまえの光景かもしれませんが、雪の降る日の駐車場では、あちこちで車のワイパーが立っています。ワイパーがみずから立つのでなく、車のもち主が立てているのでしょうが。

ふだん車を使う人たちにはなかば常識になっているようですが、なんのために雪が積もる日にワイパーを立てるのでしょうか。巷ではいろいろいわれていますが、この分野の社団法人や保険会社の説明を覗いてみると……。

「JAF」として知られる日本自動車連盟は、雪の日にワイパーを立てわすれたときに被る害を伝えています。

「ワイパーを立て忘れると、フロントガラスの雪かきがしにくいばかりか、ワイパーゴムがフロントガラスに凍りついて、はがすのが大変になることも」

つまり、ワイパーを立てるべき理由は大きく二つ、「雪かきをしやすくするため」と「ゴムが凍りつかないように」ということのようです。これが「雪道ドライブのきほんの『き』」なのだそう。

チューリッヒ保険会社も、「雪の日に車のワイパーを立てる理由は?」という記事を出して、その理由を伝えています。こちらは、大きく三つの理由。

「ワイパーがフロントガラスに張り付いたまま凍結し、動かなくなるのを防ぐため」

「凍ったワイパーを無理やり動かして故障するのを防ぐため」

「フロントガラスの雪かきを容易にするため」

1番目と2番目の理由は、どちらも「ワイパーゴムがフロントガラスに張りつく」という点で問題のもとはおなじといえるでしょう。すると、やはり「ゴムが凍りつかないように」と「雪かきをしやすくするため」の二つが理由ということにになります。ただし、「雪かきをしやすくするため」という理由も、「ワイパーを立てないとゴムがフロントガラスに張りついたら雪かきが厄介だから」と考えれば、問題のおおもとは「ワイパーゴムがフロントガラスに張りつく」にまとまりそうです。

連盟や保険会社の説明で、対策をとる必要があることの理解は多くの人にとって進むことでしょう。しかし、どうしてワイパーをフロントガラスにつけたままにしておくと、雪のときワイパーのゴムが凍りついてはがれなくなるのかについては、若干べつの説明が必要となりそうです。いつかつづく。

参考資料
日本自動車連盟「雪道ドライブきほんの『き』」
http://www.jaf.or.jp/dguide/yukimichi_drive/locale.htm
チューリッヒ保険会社「雪の日に車のワイパーを立てる理由は?」
https://www.zurich.co.jp/car/useful/guide/cc-the-wipers-of-the-day-of-snow/

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「博多 熊本 鹿児島」でなく「福岡 久留米 鹿児島」



鉄道を題材にした歌では、おなじ旋律で歌詞だけかえて「どこどこ編」として連作されることがあります。たとえば1900(明治33)年につくられた「鉄道唱歌」は「汽笛一声新橋を」で始まる東海道編がよく知られますが、ほかに山陽・九州、奥州・磐城、北陸、関西・三宮・南海という各編もあります。

三木鶏郎が1951年に作詞・作曲してつくった「僕は特急の機関士で」にも、「東海道の巻」のほか、「九州巡りの巻」「東北巡りの巻」「北海道巡りの巻」があります。

「僕は特急の機関士で」は、特急の機関士に扮した歌い手が、「可愛い娘が 駅毎に いるけど 三分停車では キスする ヒマさえ ありません」などと冗談めかして拍子よく歌ったあと、この歌い手をふくむ3人から4人の歌い手が、その巻にちなんだ代表的な駅名を三つ口に出して合唱します。たとえば、「東海道の巻」では「東京 京都 大阪 ウウウウウウウウ ポポ」といった具合。

着目すべき、というか謎が残されているようで興味深いのは「九州巡りの巻」における「三つの駅」についてです。「福岡 久留米 鹿児島  ウウウウウウウウ ポポ」と歌われています

久留米を通って鹿児島に至るということからすると、この「三つの駅」は鹿児島本線を想定してのことと察しがつきます。実際のところは歌詞のなかには鹿児島本線の沿線にない「佐世保」や「長崎」といった街の名も出てきますが。

しかし、最初にくる駅名は「福岡」となっています。九州には「福岡駅」は「西鉄福岡(天神)駅」があるものの、最初の駅名だけ国鉄でなく私鉄の駅というのは釣りあいがとれません。いずれにしても三木鶏郎は、最初にくる駅に、鹿児島本線の起点となる「門司港」や、九州最古の駅である「博多」などではなく「福岡」を選んだわけです。

さらに、2番目にくる駅名が「久留米」である点も興味をそそるところです。

もちろん歌がつくられた1950年代の久留米駅も鹿児島本線のほかに、久留米駅と大分駅を結ぶ九大本線の起点となっており、大きな駅であることはたしかです。

しかし、鹿児島本線には、ほかに熊本駅という大きな駅もあります。仮に2番目にくる駅名を「熊本」とすれば、「福岡 熊本 鹿児島」で地勢的には均衡がとれます。いっぽうで「久留米」を選ぶと、最初が「福岡」でつぎも福岡県内の「久留米」となり、やや均衡に欠ける印象をあたえます。

参考にほかの巻における「三つの駅」を見てみると、「東海道の巻」は上にあるように「東京 京都 大阪」。「東北巡りの巻」では「上野 仙台 青森」。また「北海道巡りの巻」では「函館 小樽 札幌」。これらはいずれも均衡はまずもってとれています。

なぜ「博多 熊本 鹿児島」や「門司港 熊本 鹿児島」でなく「福岡 久留米 鹿児島」なのか。

ここからは推測ですが、最初にくる駅名を絞れなかったのではないでしょうか。門司港駅もあるし、博多駅もある。さらには小倉駅もある。こうしたことから最初は「福岡」にしたことが考えられます。

そして、最初の駅名に「ふくおか」という4文字を使ったため、2番目の駅名には律動の関係から3文字の駅名を選ぶ必要があった。そのため、4文字の「くまもと」は選ばれず、鹿児島本線の駅としてはわりと大きい「くるめ」が選ばれた。その結果「福岡 久留米 鹿児島」の三つの並びができあがった、という推測です。

なお、「僕は特急の機関士で」の「九州巡りの巻」が出された1951年ごろの九州地方では、国鉄の優等列車として「有明」が門司港駅から博多駅や久留米駅などに停まり熊本駅まで走っていました。ただし、この列車はまだ準急列車。楽曲名にもある「特急」に格上げされたのは、ずっとあとの1967年のことです。

参考資料
三木鶏郎資料館「『僕は特急の機関士で』1950年発売 コロムビアレコード」
http://www.mikitoriro.jp/html/qanda/Colombia.html
ウィキペディア「僕は特急の機関士で」
https://ja.wikipedia.org/wiki/僕は特急の機関士で
wikiwand「有明(列車)」
http://www.wikiwand.com/ja/有明_(列車)

| - | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0)
コンピュータの「やっておきます」があまりきちんとやられていなかった

「やっておきますから」と言われて信じていたけれど、じつはやられていなかったということは、人と人とのやりとりではありうるものです。人間だもの。

コンピュータのしくみについても、人が手がけたものである以上「やっておきますから」の不実行はおきうると考えておいたほうがよいでしょう。

アップルのオペレーティングシステム「MacOS X」では、2015年9月から「El Capitan」というものが世に出ました。これは「Yosemite」というシステムの後継版に当たるものです。

YosemiteとEl Capitanのあいだで異なる点のひとつに、「確実にゴミ箱を空にする」という作業の選択肢がなくなったことがあります。


Yosemiteまであった「確実にゴミ箱を空にする」

「確実にゴミ箱を空にする」は、要らなくなったデータを復元されないように葬るためのもの。にた作業に「ゴミ箱を空にする」がありますが、これはいわば表面的なもので、コンピュータ内を探れば復元できるものとされます。

つまり、「ゴミ箱を空にする」は紙の書類をほかの場所に移しておくようなものであるのに対し、「確実にゴミを空にする」は紙の書類を裁断機にかけたり、燃やしたりして跡かたもなくするものであると考えられてきました。

ところが、「確実にゴミ箱を空にする」を選んで葬られたデータのうち、かなりの部分が復元できてしまうことが、かねてから指摘されていました。2011年に米国サンノゼで開かれた「FAST '11」という集いで、ミカエル・ウェイさんという学生が、ソリッド・ステート・ドライブという記憶装置が使われているアップル製コンピュータで「確実にゴミ箱を空にする」で葬ったファイルの復元を試みたところ、全体の67パーセントを復元できたという報告をしていました。

こうしたことから、アップルは「確実にゴミ箱を空にする」を選んでも、この作業の信頼性には疑義があると判断したのでしょう。オペレーションシステムの版をあらためるときに、この選択肢を外したというわけです。


El Capitanでなくなった「確実にゴミ箱を空にする」

この一連のできごとは、コンピュータが言ってくる「やっておきますから」が、じつはやられていなかったものと捉えることができます。ほんとうに「確実にゴミ箱を空にする」ような改善は、いまのところなされていません。

データを葬るときの選択肢は「ゴミ箱を空にする」だけになってしまいました。従来の作業に当たる「確実ではないが、かなりしっかりゴミ箱を空にする」といった選択肢はありえないものでしょうか。

参考資料
AAPL Ch. 2015年10月1日付「Apple、フラッシュストレージを搭載したMacでは「確実にゴミ箱を空にする」オプションが保証できないとして、OS X 10.11 El Capitanからこのオプションを削除。」
https://applech2.com/archives/46437181.html
ウィキペディア「OS X El Capitan」
https://ja.wikipedia.org/wiki/OS_X_El_Capitan

| - | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0)
植物たちに「生きやすい」環境を


植物の身になって「生きやすさ」を考えると、どのような環境がふさわしいものでしょうか。

光合成に使う二酸化炭素や水や炭水化物や光がそれなりにあることや、自分にとって成長しやすい温度が保たれていることなどはその条件かもしれません。

もうひとつ、「根を土のなかで自由に張れること」も、植物の「生きやすさ」のための条件になりそうです。

根は、土壌にある水や栄養分などを吸収するための器官です。また、植物のからだを支えるはたらきや、物質を貯めておくはたらきもあります。

根を張れれば張れるほど、その植物は土壌から水や栄養分を吸収できるようなりますから、その植物はすくすく成長できます。まさに生きやすくなるわけです。なお、根のうち、おもに新しくつくられた部分が水や栄養分の吸収するところになります。

人が野菜などの作物を育てるときは、根を土のなかで自由に張れる土壌を用意してあげることが大切になります。作物の根が妨げられずに伸びることのできる物理状態にある土層は「有効土層」とよばれます。

一般的に、水田や畑などでは有効土層が50センチメートル以上、また果樹園では1メートル以上あれば、植物たちはすくすくと育つとされています。逆に、有効土層があまりないと、根を伸ばせなくなり、栄養分を吸収したり運んだりしにくくなります。

有効土層を十分に保つためには、その場所の土を深くまで耕したり、ほかの場所から土を運んできたりします。作物などの植物の生きやすさは、それを穫って食べる人にとっての生きやすさにつながります。人が植物のために有効土層を用意することは、植物にとっても人にとっても大切といえます。

参考資料
日本植物生理学会「みんなのひろば 根の働きについて」
https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1485
農林水産省「都道府県施肥基準等」
http://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/hozen_type/h_sehi_kizyun/pdf/ntuti4.pdf
農業技術事典「有効土層」
http://lib.ruralnet.or.jp/nrpd/#koumoku=15318
| - | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0)
「手書きの能力は退化する」にふたつぐらいの意味


写真作者:MIKI Yoshihito

コンピュータが使われてるなか、人は筆記用具を手にして「書く」という機会を減らしています。

「このままいくと、人の手書きの能力は退化してしまいそうだ」という人もいます。

このようにいうときの「退化」には、厳密にはふたつぐらいの意味があるのではないでしょうか。

ひとつは、生物学的な定義に寄った、器官や組織をさしての「退化」です。

ヒトをふくむ生きものには、器官や組織がありますが、それらが小さくなったり失われたりすることが、生物学における「退化」です。そしてこの「退化」は、生きものの個体にも、系統にもいえるものです。

たとえば、血管という器官がかたくなったり、心臓という臓器の筋肉が衰えたりといったものが個体における退化です。これらの結果、血圧が上がったり、心臓のポンプ機能が衰えたりします。

また、ヒゲからものを感じとる力が消えたり、ほかの霊長類にあるような尻尾がなくなったりしているのは、系統的な退化です。

これらの生物学的な「退化」はあくまで器官や組織のことを指すものですから、「手書きの能力の退化」を当てはめると、「手の、物体を持つときの握力が衰える」「指の、長い物体をつまむ能力が衰える」あるいは「脳の、筆記用具と紙の距離関係を認知する能力が衰える」といったことになりそうです。それが、個人のことを指す「退化」であっても、ヒトという種のことを指す「退化」であっても。

しかし、そこまで生物学的な定義に厳密に「退化」を口にする人はそう多くはないでしょう。

一般的に「退化」は「衰えること」をさします。

ですので、手や指や脳という器官・臓器を指すまでの意図はなく、「手書きをしなくなると、だんだん手書きに不慣れになって、そのうち手ではうまく書けなくなっていく。自分自身もそうだし、人類もそう」といったぐらいの意味で「退化」を口にしているわけです。この意味の「退化」であれば、ひんぱんに手書きで文字を書くことをしていれば「退化をなくす」こともできそうです。

参考資料
デジタル大辞泉「退化」
https://kotobank.jp/word/退化-90854
ブリタニカ国際大百科事典「退化」
https://kotobank.jp/word/退化-90854
ブリタニカ国際大百科事典「老化」
https://kotobank.jp/word/老化-152371
ウィキペディア「退化」
https://ja.wikipedia.org/wiki/退化
龍谷大学「人類学のすすめ 第14回 ヒトの身体特徴の進化1」
https://www.pri.kyoto-u.ac.jp/sections/ecolcons/hanya/ru/ru.html

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表示版で「ノッチオフ」伝える

鉄道の先頭車両の最前列に立つと、運転士とおなじように前面の眺めを楽しむことができます。この眺めを楽しむため、あえて最前列に行くという人もいるのではないでしょうか。

近ごろはユーチューブなどのサイトで「前面展望」と検索すると、鉄道の最前列から窓ごしに前面を撮影した動画がいくつも出てきます。これは「前面の眺めファン」が疑似体験できるもの。鉄道に乗ったときのわくわく感やロマンを掻きたてられる人もいるのではないでしょうか。

「前面展望」からは、運転士に対する司令や伝言と思われる表示板が見うけられるときがあります。

たとえば、東京駅と名古屋駅を結ぶJR中央本線の、相模湖駅から藤野駅にかけての区間には、黄色の下地に黒字で「ノッチ オフ」と記された表示板が見られます。架線をささえるための柱に掲げられています。たとえば、ユーチューブに出ている動画「前面展望 特急あずさ3号 千葉〜南小谷 E257系」という動画の1時間39分20秒ごろから「ノッチ オフ」表示板が見えてきます。


中央本線の相模湖駅-藤野駅の区間。星印のところに「ノッチ オフ」の表示版がある
画像:Google Earth Pro

「ノッチオフ」とは、なんのことでしょうか。

英語の“Notch”には「V字型の刻み目」とか「切りこみ」といった意味があります。ここから、鉄道での「ノッチ」は「ハンドルを操作するときの刻み」を意味し、さらにそこから「操作の段階」といった意味で使われるようです。たとえば、ハンドルを「切」から、「カ行」という加速するための位置に移すときには、「ノッチを入れる」というそうです。

「ノッチオフ」では、この「ノッチ」に「オフ」がついているわけです。つまり「操作の段階をオフにする」ということから「ノッチオフ」には「加速をやめる」という意味があるといいます。これで車両は減速していくことになります。

黄色の字に黒字で「ノッチ オフ」と記されているからには、運転士に対して「ここはノッチオフで進め」と伝えているのでしょう。ここから列車は加速を解くことになるので、速度は落ちていくことなりそうです。

参考資料
こひつじの家「ノッチ」
http://www.isok.jp/rail/term/term_no/notch.htm
うっどぶっく「専門用語 機器名称」
http://www3.tok2.com/home/woodbook/woodbook/train/maschineword.htm
ウィキペディア「マスター・コントローラー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/マスター・コントローラー

| - | 12:05 | comments(0) | trackbacks(0)
元気ある人に元気を吸いとられることも


「元気のある人」はいるものです。そういう人は、まわりの人に快活な感じでいろいろ話をしたり笑わせたりします。元気ですから。

そんな「とても元気のある人」にたまに会う人たちは、いっしょに話をしたり笑ったりして「じゃあまたね!」とさよならしたあと、「いつもあの人は元気よねー。私も元気をもらっちゃったわ」などと話すことがあります。

「元気ある人に会うと元気をもらう」というのは、ほんとうでしょうか。

元気のある人と会った人については、おそらく、その元気のある人よりも元気はありません。定常的な元気度が低いといいますか。ですので、元気のある人と会うときには、その「元気ぶり」に多少なりとも自分が合わせる必要が出てきます。

たとえば、元気のある人がしてくる笑い話を聞いていて「おもしろくないな」と感じていても、「元気がある人が笑い話をしているのだから、ここは笑わないと」とおもんばかって、むりやり笑うといったことはありえます。つまり、元気ある人の話の進めかたに自分が合わせて、笑うことを演じるわけです。

そうした「元気ある人に合わせなければならない人」が、元気になれるかというと、なんともいえないのではないでしょうか。

ほんとうは笑いが出てくる話ではないのに演じて笑うというのは、明らかな精神的負担です。これは、むしろ「元気ある人に会って元気を失う」あるいは「元気を吸いとられる」状況ではないでしょうか。

しかし、いっぽうで、「人はとにかく笑うことで明るくなる」という理論もあります。「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」というもの。この理論からすると「元気ある人に会って元気をもらう」という経験が得られそうです。

すくなくともいえるのは「人と会って元気をもらうには、相手が元気ある人でなくてもよい」ということでしょう。元気というのは活動のもとになる気力のことですから、自分の活動につながるような刺激をあたえてくれれば元気が出てくることになります。

たとえば「こんな仕上がりじゃだめですね。やり直していただけませんか」と言ってきたりする人や、「納品は1週間後ですよ。いまのペースで大丈夫ですか」と言ってきたりする人からも、いわば「元気」をもらえるわけです。その元気は、あまり明るいタイプのものではないかもしれませんが。
| - | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0)
生産量は減ったが、産出量は増える


日本の漁をめぐっては、昔ほど魚が獲れなくなったとか、海産物を食べる量が減ったとか、とかく勢いが失われているような話がよく聞かれます。

数値ではどのように現れているのでしょうか。

2017年度の「漁業白書」には「漁業・養殖部門別生産量・産出額の推移」という数値情報が載っています。

ここで目だつのは、最新の2016年のそれぞれの部門の生産量と、10年前の2006年の生産量との増減率。海での漁業と養殖業、そして内水での漁業と養殖業のすべてにおいて「▲」つまり、10年前より減っているという結果が出ています。

海での漁業では、27パーセント減。養殖業では12.7パーセント減。また内水での漁業は33パーセント減、養殖業では14.5パーセント減、といった具合です。

さらに漁業・養殖業全体の大きな推移としては、生産量の頂点だった1984年の1282万トンにくらべて、2016年では436万トン。およそ3分の1まで減っていることになります。白書では、減少の理由として「沖合漁業のうちまき網漁業によるマイワシの漁獲量の減少によるものであり、これは海洋環境の変動の影響を受けて資源量が減少したことが主な要因と考えられています」としています。これだけではないでしょうが。

しかしながら、これからの漁業・養殖業を考えるうえでの示唆になりそうな数値情報もあります。

「産出額」のほうを見てみると、すべてが「▲」となっているわけではありません。漁業・養殖業の種類によっては「生産量は減っているのに、産出額が増えている」という場合があるのです。

たとえば、「わかめ類」の2016年の生産量は、2006年にくらべて19.3パーセント減となっていますが、産出額のほうは30.1パーセント増となっています。

白書によると、漁業や養殖業における「産出額」とは「漁業・養殖業の生産量に産地市場卸売価格等を乗じて推計したもの」。

つまり、獲れる量は減っているものの、漁業や養殖業の種類によっては、市場で卸売りされたときの総額は増えているという場合もあるということです。

もちろん、市場価格というものは需要と供給により決まっていくものですので、「量が獲れなくなって、需要のほうが大きくなり、価格が上がった」という見かたもできます。

しかし、それ以外にも、産出額が増えた理由はあるかもしれません。かつては単なる海産物のひとつとして売られていたものが地域の特産品として価値をつけられて売られるようになったり、新しい技術の導入によって生産効率が上がったりして、生産量あたりの単価が高まったという可能性です。

漁業・養殖業の生産量と産出量からは「獲れる量は減っているが、売るときの値段は高くなっている」という全体的な傾向が見られます。

参考資料
水産庁「平成29年度水産白書」
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h29_h/trend/1/t1_2_2_1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h29_h/trend/1/sankou_2_1.html
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h29_h/trend/1/sankou_2_2.html
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h29_h/trend/1/sankou_2_3.html
| - | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0)
経験と記憶がおびただしい人びとの絵を描かせる

風景画には、細やかに描かれていながら、ふだん見慣れない異様な光景を写したものがあります。

2015年7月9日付のこのブログの記事「北大と同志社、酷似の歌の源流に南北戦争」では、米国の音楽家ジョージ・F・フットがつくった「トランプ! トランプ! トランプ!」という歌について紹介しました。この歌をユーチューブで何通りか聞くことができます。

ユーチューブで“Tramp Tramp Tramp”と検索していちばん上に来る「トランプ! トランプ! トランプ!」の動画では、この歌の題材となった米国南北戦争にゆかりのある絵画や写真がいくつも示されていきます。星条旗と銃を持って進軍する兵士の絵や、整列する鼓笛隊の写真などなど……。

そうしたなか、1分51秒ごろから「その絵」は現れます。小川が流れる裸地の谷の途中に高い塀が連なっている。その塀の向こう側は小屋や橋や列をなしている人びとの姿が見えるのみ。いっぽう、塀の手前側には、スキージャンプ競技場での観客のように、おびただしい人びとの群れ……。

尋常な景色の絵ではありません。

いまは便利な時代です。この絵を画面から切りとって、インターネットの「画像で検索」をかけると、インターネット上の似た画像がいくつも示されます。



その結果から、この絵は、1861年から1865年にかけての南北戦争の保留収容所を描いたものであることがすぐにわかります。塀の奥にまばらにいるのは収容所をつくった側の南軍の人びと。塀の手前にいるのは収容された北軍の人びと。奥の空や森の色あい、また人の姿をすこし変えたような絵や、より俯瞰した角度から描いた白黒の絵なども見られます。

イリノイ大学のリチャード・ジェンセン教授による「南北戦争収容所のワールドワイドウェブ案内」(WWW Guide to Civil War Prisons)というサイトによると、描かれているこの場所は「アンダーソンズビル収容所」。南軍が北軍の捕虜を収容した施設で、ジョージア州南部のアンダーソンズビルの地名をとってこうよばれていました。

この絵画を描いた人物もわかっています。実際に捕虜となった経験をしたトマス・オデアによる作品で、戦争中の1864年8月のようすを、戦争後の1879年から1885年にかけて回想することで描いたものといいます。

そして1887年に、オデアはこの作品についてつぎのように述べています。

「ぱっと観るだけの人は、こうしたことは不合理で不可能に見えるだろう。ここで描かれているような完璧な一覧と詳細を長いこと『記憶』に残すのは無理であり、特徴や状況をこれほどまで広大に組みあわせるには、私がなにかほかの情報源に頼ったにちがいない、と。わが友よ、あなたはあの場所にいて、私とおなじく、なにもかもがパノラマ写真のように人生最期の日まで記憶に残るような苦痛を経験しただろうか。『あそこにいた』ほかのたくさんの不幸な人びとに共通するものだ」

実際この収容所に収容された捕虜は3万5000人にのぼったといいます。絵には、人に語りかける力があります。

参考資料
“WWW Guide to Civil War Prisons by Richard Jensen, professor emeritus of history, U of Illinois”
https://rjensen.people.uic.edu/prisons.htm
WINDOWS OF HISTORY 2006年12月6日付「アンダーソンズビル捕虜収容所」
http://nakanosatoshi.com/2006/12/06/アンダーソンズビル捕虜収容所/
National Park Service “Thomas O'Dea's drawing of the Andersonville Prison”
https://www.nps.gov/media/photo/gallery.htm?id=8D47CC1C-1DD8-B71C-07AF929987E6B3A5

| - | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0)
「わたなべさん豆まき不要」は渡辺綱の故事から


2019年の節分は2月3日。各地で豆まきの行事などがおこなわれました。

冬から春に移りゆく日に豆をまくのは「つぎの年」に向けて、鬼を退治しておくためといわれます。昔、日本の人びとは、一年の経過を「春夏秋冬」で考え、最後の「冬」が終わる日にあたる節分が、一年の区切りであると考えていました。そこで、この大切な日に、悪さをする鬼を退治しておこうと考えたわけです。もちろん、鬼は人びとが創りあげた幻想ではありますが。いま大晦日に年越しそばを食べる習慣があるように、節分に豆をまく習慣が根づいていたわけです。

近ごろ、ことに「『わたなべ』の姓と、『さかた』の姓をもつ人は、豆まきをする必要はない」という話が知られるようになりました。

「さかた」姓については、「金太郎」の故事があることから、なんとなく察しがつきます。平安中期の武将とされる坂田金時(さかたのきんとき)は幼少時代「金太郎」とよばれてる怪童だったそうです。足柄山で熊などと暮らして剛力として名を馳せ、武将の源頼光(948-1021)に見そめられ、「金時」の名をあたえられました。そして、頼光らととともに、丹波に住んでおり鬼の統領だったとされる「酒呑童子」を退治したということです。なお「坂田金時」は「酒田金時」と記されることもあるようなので、坂田さんだけでなく、酒田さんも豆まきの必要はさほどなさそうです。

いっぽう、「わたなべ」姓が豆まきしなくてよいということについては、さほど察しがつきません。

こちらは、平安中期の武士だったとされる渡辺綱(わたなべのつな)に由来するもの。じつは、渡辺綱は、坂田金時とおなじく、源頼光に仕えた者。頼光や金時がおこなった酒呑童子退治のメンバーの一人でした。そのため「渡辺」姓も、鬼退治をすでにしており豆まきは不要ということになっているようです。また、べつに、渡辺綱は羅生門の鬼の片腕を斬りおとしたとも伝えられています。

源頼光に仕えていた武将には、ほかに卜部季武(うらべのすえたけ)と、碓井貞光(うすいのさだみつ)がいます。彼らも、頼光、金時、綱とともに酒呑童子退治のメンバーだったとされます。

しかし、「うらべ」さんや「うすい」さんは、さかたさんやわたなべさんほど「豆まき不要」の名声を得ていません。これには「卜部と碓井は鬼退治のとき主役級ではなかったため」という、ぱっとしない理由もいわれているようです。鬼たちからしてみれば、「源、坂田、渡辺には懲りごりだ。もう二人ぐらいいたような気もするけれど」ぐらいに、思われているのかもしれません。

どの時代にも、どの集団にも、主役たちをひきたてる役まわりの人物はいるものです。

参考資料
学研サイエンスキッズ「どうして節分に豆をまくの」
https://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1579.html
デジタル大辞泉「坂田金時」
https://kotobank.jp/word/坂田金時-509062
ウィキペディア「金太郎」
https://ja.wikipedia.org/wiki/金太郎
ウィキペディア「源頼光」
ピクシブ百科事典「頼光四天王」
https://dic.pixiv.net/a/頼光四天王
生活役立ちブログ 2017年12月19日付「渡辺さんは節分に豆まきをしなくていい由来 酒呑童子の物語」
https://usisan.net/6723.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
目だたせるためメールを文語体に


電子メールでの文をほぼすべての人が「口語体」で書きます。口語体とは、話しことばにできるだけ近い形で書く文体のこと。このブログでの文体も、口語体のひとつといえます。

口語体と対をなす書きかたに「文語体」があります。解釈によって、どこまでを文語体とするかはさまざまなようですが、たとえば「のごとき人物には近づくべからず」といった、話しことばでは使わないような形の書きかたをさします。

みんながメールで口語体を使うおもな理由は、そのほうが便利と感じているからでしょう。明治時代から大正時代にかけておこなわれた、書きことばを話しことばに近づける「言文一致運動」は、書きことばと話しことばのちがいによる不便が人びとに感じられたため、文筆家たちによって起こされたものといわれます。

しかし、情報があふれる社会のなかで「いかにほかの人の発信より自分のことばを目だたせて、読んでもらうか」という点では、「メールを文語体にする」というのも一手になるかもしれません。

たとえば、知人につぎのようなメールまたはLINEなどを送るとします。

〉ごめんなさーい。
〉今日のパーリナイ楽しみだけど、ワイちょっと遅れちゃうかもー。
〉ま、とにかく18時から始めちゃってねー。

これを文語体を使って送るとつぎのようになるでしょうか。

〉ひとつお詫びを。
〉本日は会合で過ごす夜を楽しみにしているが、私は少々遅れるかもしれぬ。
〉いずれにせよ、十八時から開始していただくようお願いする。

目上の人に文語体を使うのは、とげとげしく愛想もないようでためらわれるかもしれません。しかし、かつては「申上候(もうしあげそうろう)」という丁寧語で文を終わらせる「候文」が書簡で多く使われ、これはどんな立場の人に対しても広く使われていたとされます。

ただし、文語体を使ったメールは明らかに「自分自身が意識的に使っている」ということが相手に伝わるもの。格好をつけるわけです。下手な文語体を使って、逆にこの分野に詳しい人から、「さっきのメールのことばの使いかた、ちょっとまちがってたよ」などと指摘されると、とても恥ずかしい目にはなりそうではあります。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「言文一致運動」
https://kotobank.jp/word/言文一致運動-61054
デジタル大辞泉「候文」
https://kotobank.jp/word/候文-89782
昭和/平成の思い出をつづる「【昔と今】手紙文(候文)」
https://s.webry.info/sp/romaneko.at.webry.info/201706/article_3.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
みずからの常なる臭いはみずから気づきづらい

写真作者:Barney Moss

2月1日は「ニオイの日」なのだそうです。ウィキペディアなどの情報によると、P&Gの「ファブリーズ暮らし快適委員会」が「におい」と「2(に)月01(おい)日」をかけて、2000年に制定したということです。ただし、ファブリーズの公式サイトには「ニオイの日」についての言及は見つかりませんが。

人は、ほかの人が発している臭いよりも、自分が発している臭いに気づきづらいといわれます。その理由も説明されています。

その理由は、ごくかんたんには「自分は自分の臭いに慣れきっているため鈍感になっている」ということのよう。さらに、その理由はというと「敵を臭いで察知するうえで、自分の臭いを感じてしまうのは不利になるので、機能としてそうできている」といったことがいわれています。自分の臭いに鈍感な人ほど、敵の臭いに敏感でいられるため、生きのこりやすかった、といったところでしょうか。

この話からすると、自分が慣れきっていない自分からの臭いについては、自分でも気づきやすいということになります。たとえば、毎日にんにく入りラーメンを食べたりしないかぎりは、にんにくを食べたあと、自分はその臭いに気づくことになります。ほかの人よりも客観的にその臭いを感じる能力は低そうではありますが……。

問題は「自分が臭っているかどうかを確かめられるか」といったことになりそうです。

これについても、確かめる方法があるといわれています。

体の臭いについては、服を脱いでみて臭いを嗅いでみるというもの。とくに、汗で濡れている部分を確かめると、臭いがあるかどうかわかりやすいといいます。

頭髪の臭いについては、お湯で手を洗ってから頭皮を何度か指でこすり、指先の臭いを嗅いでみるというもの。

口臭については、腕をなめて10秒後にその部分を嗅いでみるというもの。ただし、これは冬場では腕まくりしなければならないためむずかしそうですが。

こうした試みをせずとも、近いうちに身近な機械に臭いの感知器が加わり、より客観的に自分の臭いがわかってしまうのがあたりまえという時代がくるかもしれません。

コニカミノルタが2017年に、スマートフォンと連動させて口や体の臭いを測る「クンクンボディ」を発売しています。「大きな反響」はあったと伝えられていますが、売れゆきがどうかは伝えられていないようです。

また、2013年にはすでに、米国の新興企業アダマント・テクノロジーズがiPhonedでにおいを識別するための素子を開発したと伝えられています。スマートフォンそのものに臭いを測る機能がつくようになるかもしれません。

そうした世の中が、総体として幸せになるかどうかはなんともいえませんが。

参考資料
ウィキペディア「2月1日」
https://ja.wikipedia.org/wiki/2月1日
東洋経済オンライン 2018年6月28日付「なぜ人は『自分のにおい』に気づけないのか」
https://toyokeizai.net/articles/-/226565
lifegacker 2017年4月21日付「自分の匂いに気づいてる?体臭をセルフチェックする方法まとめ」
https://www.lifehacker.jp/2017/04/170421_tell_you_smell.html
コニカミノルタ「クンクンボディ」
https://kunkunbody.konicaminolta.jp/product/
Digital PR Platform 2017年7月25日付「世界初3大体臭チェッカー『クンクンボディ』に大きな反響」
https://digitalpr.jp/r/22754
ギズモード 2013年1月11日付「iPhoneでにおいや風味を認識するチップを開発」
https://www.gizmodo.jp/2013/01/iphone_429.html
| - | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0)
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