科学技術のアネクドート

結びついてはたらきを制御

写真作者:University of Michigan School for Environment and Sustainability

生きものの体の細胞には「リボ核酸」(RNA:RiboNucleic Acid)とよばれる高分子物質があります。たんぱく質を合成しているリボソームという物質をなす「リボソーム・リボ核酸」、たんぱく質の合成に直接的にかかわる「転移リボ核酸」など、リボ核酸にはさまざまな種類があります。

伝令リボ核酸は、たんぱく質を合成するための遺伝情報を写しとり伝えるリボ核酸です。遺伝情報を受けとった伝令リボ核酸は、細胞核の外側へと出て、リボソームにくっつきます。そこで、伝令リボ核酸のもっている遺伝情報にしたがって、特定のたんぱく質が合成されていきます。

この伝令リボ核酸の一連のはたらきは、ただ単に伝令リボ核酸そのものが自分で動いておこなわれるものではありません。

伝令リボ核酸が細胞核の外へ移っていくときには、ある種のたんぱく質が結合しています。これらは「リボ核酸結合たんぱく質」とよばれるもの。細胞核の内側などにあって、伝令リボ核酸と結合し、さまざまなはたらきをします。

たとえば、Musashiとよばれるリボ核酸結合たんぱく質は、トラムトラック伝令リボ核酸(Tramtrack mRNA)とよばれるリボ核酸と結合して、翻訳、つまりアミノ酸を配列して特定のたんぱく質をくみたてる過程を阻害するはたらきをもっています。このMusashiのはたらきで、モデル動物のショウジョウバエの毛は神経細胞となり、感覚器の一部になります。もし、Musashiたんぱく質をつくるための遺伝子に異常があると、神経細胞がつくられず、たんなる毛ができてしまいます。

ほかにも、リボ核酸結合たんぱく質は、リボ核酸から特定のたんぱく質がつくられるまでの過程のなかで、さまざまな役割を担っていることわかってきました。リボ核酸たんぱく質の種類はおよそ1500以上あるとも。研究者たちが考えていたよりも多くの種類があることがわかってきました。

参考資料
脳科学辞典「RNA結合タンパク質」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/RNA結合タンパク質
MBLライフサイエンス「RNA結合タンパク質」
http://ruo.mbl.co.jp/bio/product/epigenetics/article/RNA-binding-proteins.html
片平じゅん「mRNA核外輸送複合体の形成機構」
https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2015.870075/data/index.html
ブリタニカ国際大百科事典「メッセンジャーRNA」
https://kotobank.jp/word/メッセンジャーRNA-141490
ウィキペディア「Musashi」
https://ja.wikipedia.org/wiki/Musashi
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慶應大学が承認したのは「治療」でなく「試験」


慶應義塾大学の岡野栄之教授や中村雅也教授らが研究している、脊髄損傷に対するiPS(人工多能性幹細胞)由来の細胞を用いた再生医療について、慶應義塾大学は(2018年)11月28日(水)、研究計画を審査する学内委員会が27日(火)に研究の実施を「承認」したことを発表しました。

この発表を受け、さまざまな報道機関が記事を出しました。発表のあった11月28日(水)から翌29日(木)の新聞などの見出しを見てみます。

 「世界初、脊髄損傷にiPS 慶大が臨床研究申請へ 学内で承認」(日本経済新聞)
 「脊髄損傷にiPS細胞 研究承認」(時事通信)
 「iPSで脊髄損傷再生 慶大、臨床研究を学内承認 厚労省申請へ」(日刊工業新聞)

いっぽうで「おや」と思わせるような記事の見出しもあります。

 「iPSで脊髄損傷を治療 慶応大が承認、国に申請へ」(朝日新聞)
 「iPS脊髄損傷治療 慶応大が正式了承 来年にも移植」(産経ニュース)
 「iPS細胞を使った脊髄損傷治療を承認」(毎日新聞)

おなじ発表を指したものですが、日本経済新聞など上の三つでは「研究を承認」と読める文言となっていて、下の三つでは「治療を承認」と読める文言となっています。

「研究」と「治療」はちがいます。今回、慶應義塾大学が発表したのは「臨床研究が(学内委員会に)承認を受けた」というもの。臨床研究とは、患者の協力を受け、病気の原因の解明したり、病気の予防や診断や治療を改善したり、患者の生活の質を向上させたりするためにおこなう研究のこと。こうした臨床研究を積みかさねていった結果、「治療をおこなっても安全そうだ」「治療は有効そうだ」ということがわかれば、治療がおこなわていくことになります。

慶應義塾大学は今回の発表で、臨床研究を「新たな治療法の実現を目指す」ものとしています。また、「本臨床研究についてご理解いただきたいこと」として、「今回の臨床研究の主目的は、まず第1に移植細胞および移植方法の安全性を確認することです」としています。

ということで、今回、承認されたのは治療をすることではなく、臨床試験をすることです。

「治療」ということばを見出しに使っている朝日新聞と産経新聞の各記事の本文では、いずれも学内で認められたのは「臨床研究」の実施であることが述べられています。記事の本文では「臨床研究」のことが書かれ、記事の見出しでは「治療」のことが書かれてあることになります。一般的に報道機関では、記事の本文を書く担当と、記事の見出しをつける担当がちがいます。認識のちがいが、こうしたちがいにつながったのかもしれません。

記事を読む多くの人は、まず見出しから見るため、朝日新聞や産経ニュースのこの記事に触れた人は「iPS細胞を使った脊髄損傷の治療が認められたんだ」と捉えることでしょう。

発表によると、今回の臨床研究は、亜急性期とよばれる脊髄損傷を負ってから14日から28日の患者に対し、iPS細胞由来の神経前駆細胞という細胞を移植してみるもの。移植された細胞の安全性や移植方法の安全性を確かめます。また、副次的な目的として、精髄損傷治療における有効性を確かめます。

慶應義塾大学は発表で、「本臨床研究で安全性が確認できた場合、将来の計画として、細胞数を増やすことによる有効性の検討や、『亜急性期脊髄損傷』だけでなく『慢性期脊髄損傷』における安全性や有効性の検討を行いたいと考えております」としています。治療が認められるかどうかが決まるのは、これらの先となります。

参考資料
慶應義塾大学 2018年11月28日発表「『亜急性期脊髄損傷に対するiPS細胞由来神経前駆細胞を用いた再生医療』の臨床研究について」
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2018/11/29/181128-1.pdf
慶應義塾大学病院臨床研究推進センター「臨床研究とは」
https://www.ctr.hosp.keio.ac.jp/patients/about/clinical.html
朝日新聞 2018年11月29日付「iPSで脊髄損傷を治療 慶応大が承認、国に申請へ」
https://www.asahi.com/articles/ASLCY02Q5LCXUBQU017.html
産経ニュース 2018年11月28日付「iPS脊髄損傷治療 慶応大が正式了承 来年にも移植」
https://www.sankei.com/life/news/181128/lif1811280024-n1.html
毎日新聞 2018年11月28日付「慶応大 iPS細胞を使った脊髄損傷治療を承認」
https://mainichi.jp/articles/20181129/k00/00m/040/024000c
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「まりあん」が人格的望遠鏡とともに浜で見張る


漁港のある街には、漁業協同組合が掲げる「共済事業の宣伝看板」があります。全国の漁業協同組合などの水産に携わる組織が、漁業者やその家族などにおこなう共済活動は「JF共済」とよばれています。

この「JF共済」の看板で、多くの人の想像力をひときわかきたてるのが、子どもが手に持っている望遠鏡のレンズの部分ではないでしょうか。これはどういうことか、レンズの表面が肌色になっていて、そこに満面の笑みを浮かべる人の顔のようなものがあります。

まず、この子どもは「JF共済」のマスコットで、「海の子まりあん」というそうです。公式紹介では「年齢不詳」となっているので、子どもかどうかもわかりません。また、妖精であるため、男子でも女子でもないそうです。仕事は「JF共済マスコット」で、趣味は「いたずら」なのだそうです。そして帽子は「わかめ」でできています。

「海の子まりあん」が灯台の見える海辺でカモメの背中に乗り、空から望遠鏡でその先のどこかを眺めているわけです。

しかし、「海の子まりあん」が望遠鏡を通して景色を眺めることができているのかどうかはなんともいえません。望遠鏡のレンズの表面が、人格をもっていそうな顔になっているからです。これだとレンズが顔で蓋をされていることになり、のぞき窓を覗いてもなにも見えそうもありません。

あるいは、この人格化された双眼鏡が、遠くの景色を捉えて「海の子まりあん」に、なにが見えるかを伝えているのでしょうか。この満面の笑みからすると、かなり愉快なできごとが起こっていそうです。


望遠鏡役「まりあん! 見つけちゃいました! 八代亜紀さんが船着場で、だれもいないのにステージ衣装を着てマイク持って歌ってますよ。しかも、トランペットで伴奏してるのは、さかなクンですよ!」


まりあん「お、ほんとだ! 振りつけからするとあれは『雨の慕情』だね。『舟歌』じゃないんだ!」


カモメ役「深酒させられずに済みそうで、よかったでげす」

こんな会話が聞こえてきそうです。

しかし、この「海の子まりあん」と、人格化した望遠鏡は、もうすこしきちんとした巡視をしているようです。この“ふたり”が登場するべつの絵には、つぎの文言が合わせて記されています。

「浜に笑顔の見張り番」

この「浜に笑顔の見張り番」に込められた意味はなんでしょうか。探れども探れども見つかりません。おそらく「組合員や家族のみなさんが安心して暮らしや仕事をできるよう、海の子まりあんと人格的望遠鏡が、事故や危険に対する備えを万全にしていますよ」といった意味を込めているのではないでしょうか。

ちなみに看板にある「チョコー」とは、「普通更生共済」のことで、「万一の場合を保障する」JF共済を代表する生命共済のこと。2018(平成30)年7月から、生存保障制度を充実させるとともに、女性、未加入者、高齢者が加入しやすいしくみに変更されました。

参考資料
ウィキペディア「全国共済水産業協同組合連合会」
https://ja.wikipedia.org/wiki/全国共済水産業協同組合連合会
マイナビ2020「全国共済水産業協同組合連合会(JF共水連)」
https://job.mynavi.jp/20/pc/search/corp75569/outline.html
山形県漁業組合広報誌『すいさん山形』2018年7月号
http://www.kengyokyo.or.jp/suisan/No341.pdf
日刊水産経済新聞 2018年6月29日付「JF共水連7月から『チョコー』ニーズ対応し大幅改正」
http://www.suikei.co.jp/jf共水連7月から「チョコー」ニーズ対応し大/
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「サイバーフィジカルな」でなく「サイバーとフィジカルをまたぐ」

画像作者:medithIT

カタカナがいくつもならんでいて「なんかむずかしそうだな」と感じても、意味や語感がわかれば「ああ、なんだ。そのことか」と思うような外来語はあるものです。

情報技術系の報道記事や企業の広報発表では、「サイバーフィジカルシステム」ということばが目につくようになりました。

「この機能はIndustry 4.0の各種アプリケーションのリアルタイム通信に重要であるとともに、ソフトウェアで再設定できる工場内のサイバー・フィジカル・システムを可能にするという」(コンピュータ装置開発の報道より)

「サイバーフィジカルシステムの一部としてそうした設備をIoT化して繋ぐだけに限らず、最新の制御技術やAIを活用して本当に自分たちが必要としている設備をユーザの立場から構築できたことは、来るべきオープン化の時代を先取りするとても有意義な取り組みでした」(小型マシニングセンタ開発の発表より)

「サイバーフィジカルシステム」は、英語では“Cyber Physical System”と綴ります。
3語それぞれの意味は「コンピュータネットワークの」「現実の」「体系」といったもの。

カタカナがみっつ並んで「“サイバーフィジカル”な“システム”」と捉えられがちですが、「サイバーフィジカル」という形容詞句があるわけではありません。「“サイバー”と“フィジカル”にまたがる“システム”」というのが、よりふさわしい捉えかたです。「中央総武線」や「日産ルノー連合」とおなじような各語の位置づけとなります。

いままで企業や人が、評価したり意思決定したりするとき、勘や経験を頼りにしてきました。これからは、世の中のさまざまなところに出まわった感知器を使うことで、人びとの行動のとりかたなどをデータにし、そのデータを評価したり意思決定したりするときのよりどころに使うことが増えていきそうです。新たなこの方法は、コンピュータネットワークの(サイバーの)空間と現実の(フィジカルの)空間の両方にまたがるものであるため、「サイバーフィジカルシステム」とよばれるわけです。

このシステムがあたりまえのようになれば、感や経験でなく、世の中の実際の状況を表すデータがよりどころになるため、現実に即した評価や外さない意思決定ができるようになると考えられています。

日本人にとっては、「システム」はなじみあることばであるものの、「サイバー」や「フィジカル」はそれほどではありません。「サイバーフィジカル」というひとまとまりの語句と捉えられるおそれはまだ強くありそうです。

いい換え語として、「デジタルツイン」というのもあるそうです。コンピュータネットワークの空間上に現実の世界の情報をすべて再現する、つまり「双子」のような状況だから「デジタルツイン」とよばれるそうです。しかし、まずもって「デジタルツイン」が、一般の人びとに浸透することはなさそうです。わけがわからないからです。

より日本人になじみある日本のことばで「サイバーフィジカルシステム」や「デジタルツイン」を表現できれば、人びとの意思疎通はより滞らなくなることでしょう。

たとえば「脱勘システム」とか「データ根拠システム」あるいは「データ語り系」といったことばではどうでしょうか……。

参考資料
IoTニュース 2018年10月30日付「テキサス・インスツルメンツ、Industry 4.0向けマルチプロトコル・ギガビット・TSN対応のプロセッサ製品を発表」
https://iotnews.jp/archives/110287
PR Times 2018年10月31日付「ベッコフオートメーション、駿河精機、コアコンセプト・テクノロジーは、工作機械のCNCにリアルタイムモニタリング、自作制御処理、AIを組み込み、IoTと知能化を実現する小型マシニングセンタを開発」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000027362.html
岩野和生・高島洋典「サイバーフィジカルシステムとIoT(モノのインターネット) 実世界と情報を結びつける」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/57/11/57_826/_html/-char/ja
Analytics「サイバーフィジカルシステム(CSP)とは」
https://analytics-news.jp/info/cps
大辞林第三版「サイバー」
https://kotobank.jp/word/サイバー-508285
weblio 英和・和英辞典「physical」
https://ejje.weblio.jp/content/physical
Monoist 2018年8月8日付「いまさら聞けない『デジタルツイン』」
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1808/08/news043.html
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指揮者に「企てない」という選択肢も

写真作者:Petras Gagilas

野球の監督は、攻撃のとき打者が塁に出ると、犠打、ヒットエンドラン、盗塁などをしかけることができます。でも「なにもしかけず、つぎの打者に打たせる」という指示を出すこともできます。つまり、監督は、企てるか、企てないかを選べるわけです。

攻撃がうまく進めば、企てても企てなくても試合を観ている人たちからは「よし、いいぞ」とよく思われます。いっぽう、攻撃がうまく進まないと、企てないときのほうが「この監督、なにもしかけないとは」と心象を悪くしてしまうようです。

しかし、無死1塁といった場面では、犠打を成功させるよりも、なにもしかけず打者に打たせるほうが、得点期待値は高まるという統計な結果もあります。企てないほうが成功する率が高いという場合もあるわけです。

世の中の組織でも、人びとを率いる指揮者は、とかく「企てる」ことを求められがちです。組織の人びとや、その組織に外から携わる人びと、さらによく知られている組織では社会全般から、「あらたに就任した統率者は、なにをしてくれるんだろうか」といった目で見られます。

つまり、指揮者はなにかを企てているような姿勢をつねに示していないと、「あの人は無策で無能」と思われてしまうおそれがあるわけです。

しかし、その組織のなかにいる人びとも、外側から携わっている人びとも、「改善が必要だ」「変革しないとまずい」と感じず、「順調だ」「このままの状態なら問題ない」と感じているときはどうでしょう。新たな指揮者がなにかを企てないほうが、ものごとがうまく行くという場合もあるでしょう。

「指揮者であるからには組織を改革をしなければ」とか、あるいは「自分が指揮者になったことの痕跡を残さなければ」とかいった思いと企てが、ときに組織の状況を前より悪くさせるということもあるわけです。

組織が抱えている事業はひとつでなく複数あることが多いでしょう。ですので現実的には、「この事業はうまくいっていないから、改革が必要だ」「この事業はうまくいっているからこのままでいい」といったように、「企てる」「企てない」の峻別をすることが、新たな指揮者のすべきこととなります。

「今日からは自分が指揮者だ。この組織をなにもかも自分の独自色に変えていくぞ」。そういう思いを抱いて企てる人は、自分が率いることになった組織よりも、その組織を率いている自分のほうを愛してやまないのでしょう。

参考資料
Wedge Infinity 2015年4月30日付「『無死1塁で送りバント』という定石とリスク 『なにもしない』という戦術が利益を最大化することも」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4933
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それである必要はなくなっても灯りつづけ


ガスを燃やして発する光を使った明かりが「ガス灯」です。日本では江戸時代後期、すでにガス灯は使われていたようです。島立甫という医師が安政年間(1854-1860)、石炭からコールタールをつくるとき生じるガスを使ってガス灯をつくったとされます。

西洋式のガス灯が使われだしたのは明治時代に入ってから。1871(明治4)年、大阪市の造幣局のまわりで、工場の機械の燃料を動かすために使っていたガスを、工場やまわりの街を灯すため明かりにも使ったといいます。

写真にあるガス灯は「ガスマントル」とよばれる材料を使ったもの。麻などの織物を網状にして、ガス灯の点火口にかぶせ、熱して発光させます。1886(明治19)年、オーストリアの化学者カール・ヴェルスバッハ(1858-1929)が発明しました。日本には、1894(明治27)年にガスマントル式のガス灯が現れたといいます。

ガス灯は、夜などの暗いとき、その場を明るくするために使うもの。この目的をかなえる、より効率のよい道具が現れれば、その新しい道具が使われるようになります。実際、石油ランプや電球が使われるようになると、ガス灯は使われなくなっていきました。

しかし、今日日「明治時代に使われていた」という事実には歴史的価値が生まれるもの。その場を明るくすることともに、景色をよくするといった目的も加わり、いまも北海道、東京都、兵庫県、千葉県など全国各地でガス灯が使われています。

参考資料
福岡市立博物館「身近な道具の近代史2」
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/276/index.html
ウィキペディア「カール・ヴェルスバッハ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・ヴェルスバッハ
大多喜町「天然ガス記念館」ガス燈説明板
http://img-cdn.jg.jugem.jp/b82/15839/20181126_2880321.jpg
ウィキペディア「ガス灯」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガス灯
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左右対称の便座、かかる力は左右非対称


暮らしのなかで使うものにはそれぞれに意匠、つまり形や性状などの工夫があります。そして、左右対称の意匠でよさそうなものの、ほんとうは左右非対称であるほうが理にかなっているものはあります。

洋式便所の便座についてはどうでしょうか。

便座は「U字」または「O字」をしています。そして、ほとんどのものは、U字にしてもO字にしても左右対称です。

家や会社などで座るいすが左右対称であることからすれば、便座が左右対称であるのもあたりまえのよう。

しかし、便座には、お尻の左右どちらかが離れ、逆の左右どちらかだけで人の体重を支えるという時間があります。紙でお尻を拭くため。右利きの人では、お尻の右側が便座から離れ、左側だけが便座に接することになります。左利きの人ではこの逆に。

このとき便座が受ける人の体重の圧力は、お尻の左右両方で座られているときよりはるかに高いものに。

9割の人は右利きといいますから、多くの便座では、人が座ったときの右側の部分に力がかかっていきます。そして、高血圧の人の血管が血液の圧力でだんだん破綻に向かうのとおなじように、洋式の便座は人のお尻の右側か左側かどちらかの圧力でだんだん破断に向かっていきます。

工業品のかたちやつくりなどを定める日本工業規格では、便器について「便座強度試験」で通過することが定められています。それは、便座の上に厚さ約10ミリメートル、直径300ミリメートルゴム板および厚さ5ミリメートル、直径300ミリメートルの鋼板を置き、垂直方向から1500ニュートンの力を10分間にわたり加える、さらに便ふたを閉じて開いてもう一度くりかえす、などなどの厳密なもの。

日本で使われている便座のほとんどは、こうした試験を通過したもののはず。にもかかわらず、「便座が割れる」といったできごとは、便座によっては生じるみたいです。

「右利きの人が使う(座の右側を強化した)便座」とか「左利きの人が使う(座の左側を強化した)便座」といった、左右非対称の意匠の便座についての情報は出まわっていません。

しかし、日本の便器製造業者は、すくない水の量で効率的に洗浄するため便器水溜り面を左右非対称にしたり、温水洗浄便座用スイッチを入れるため便座裏の脚ゴムを左右非対称にしたりと、意匠をこらしています。

これほどきめ細やかに便器の意匠をするからには、便座にも左右非対称性を検討したり、実際に意匠したりしている企業もきっとあるでしょう。

参考資料
日本工業規格「JIS A 4422:2011温水洗浄便座」
http://kikakurui.com/a4/A4422-2011-01.html
国立国会図書館レファレンス協同データベース「右利きの人と左利きの人の割合を知りたい」
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000114063
TOTO Q&A「便器水溜り面の左右非対称について知りたい」
https://qa.toto.jp/shindan/faq_detail.htm?id=700210
パナソニック よくあるご質問「温水洗浄便座 便座の脚ゴムが左右で高さ違いなのはなぜ?」
http://jpn.faq.panasonic.com/app/answers/detail/a_id/15229/~/便座の脚ゴムが左右で高さ違いなのはなぜ?
| - | 13:36 | comments(0) | trackbacks(0)
パソコンを使わない大臣がいるが、パソコンを使わない大学生もいる

写真作者:akiraak2

(2018年)10月に入閣した東京五輪担当大臣が、みずからパーソナルコンピュータを使ったことがないことや、スマートフォンを使っていることを国会で答弁しました。

パソコンについては「教室にも何回か行った。でも自分でも忙しすぎてやりきれない。自分でみずから覚えるのはやめよう、と。パソコンがみずから打てないということで不自由を感じたことは一回もない」と述べました。スマホについては「極めて便利なので、一日何回も使っている」と述べました。

この大臣が、政府のサイバーセキュリティ戦略本部の副本部長もつとめていることなどから、大丈夫かと不安の声もあがっています。

「パソコンを使ったことがない。スマホは使っている」という話は、いまの大学生世代を思いおこさせます。2016年ごろに私立大学生を対象とした実態調査では、スマートフォンと携帯電話の所有率あわせてほぼ100パーセント、ノートパソコンは80パーセント台だったといいます。「パソコンを使ったことない」といった状況とは大きく異なりそうです。

しかし、パソコンを使いなれているかを見るひとつの尺度となるタッチタイピング習熟度については、「ほとんどキーを見ずに入力できる」が14パーセントほどにとどまったとのこと。また、親しい友人との連絡手段としては、スマーフォンアプリであるLINEが98.1パーセントであるのに対し、おもにパーソナルコンピュータで使うメールは7.2パーセントと大きく差が開きました。

「パソコンをさほど使わない。スマホは使っている」といった大学生の状況を見ることができます。

これからすると、68歳である件の大臣と、20歳前後であるいまの大学生とで、パソコンとスマホの使いかたに大きなちがいはなさそうです。しかし、多くの人は「あの大臣といまの学生では大きくちがう」と感じそうです。なぜでしょうか。

件の大臣の年齢は、やや高齢層とはいえパソコンをおおいに使ってきた世代に入ります。1995年に「ウィンドウズ95」が発売されたとき、この大臣は45歳ぐらい。「ほかのみんなが触りだしたから、自分もパソコンを使えるようにならなければ」とパソコンを使いはじめた人も多くいるでしょう。でも、この大臣はパソコンを使わない生きかたを選んで、生きてきたわけです。そうこうするうちにスマートフォンが世に現れました。パソコンより使いやすかったのか、「一日何回も使っている」ようです。

いっぽう、いまの学生には「ほかのみんなが触りだしたから、自分もパソコンを使えるようにならなければ」という意識は、大臣の世代ほどないのかもしれません。なぜなら、はじめからスマホがコンピュータ端末の主流であり、パソコンを使わなくともスマホを使えば不便を感じないからです。目的は手段を問いません。

そんなスマートフォンを駆使する世代の大学生やそれより若い人たちが、ゆくゆく社会で多数派になっていきます。「この大臣、パソコンも使えないだなんて」と感じている人びとのその考えは、だんだんと追いはらわれていくことでしょう。

そして、もっとあとになったとき、その時代を生きている人たちは「パソコンとかスマホとかよばれていた道具を、だれもがみんな使っていた時代がほんの一瞬あったみたい」と歴史をふりかえるのかもしれません。

参考資料
ANN news CH 2018年11月21日付「桜田大臣『触ったことある』 連日パソコン巡り追及」
https://www.youtube.com/watch?v=zaffqVbLOjg
FNNプライム2018年11月22日付「桜田大臣『スマホは何回も使う』 安全対策も言及」
https://www.fnn.jp/posts/00406065CX
NHK政治マガジン 2018年11月14日付「自分でパソコンを打つことはない」桜田五輪相
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/11062.html
木村修平、近藤雪絵「“パソコンが使えない大学生”の実態に迫る」
http://gakkai.univcoop.or.jp/pcc/2017/papers/pdf/pcc086.pdf
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教える人は「わかりません」と言いづらい

写真作者:British Province of Carmelites

ものごとを教える立場にある人には、「教わる人の知りたいことに答える」といった役目があります。そのため教える人は、教わる人びとの前で授業や講義、講演などをします。

こうした対面型の授業、講義、講演などでは、しばしば教わる人から質問が出ます。「先生がいまおっしゃったクローンは、どんな意味でお使いになったのですか」とか、「そのパラドックスが言われるようになったのはどうしてですか。だれが言いはじめたものでしょうか」とか。

教える立場にある人には、教える立場であることから、そうした質問に答えるべきといった前提があります。

とはいえ、教える立場にある人がなにもかも知っているわけではありません。ときには教わる人からの質問に対し、答えられる知識をもちあわせないこともあるでしょう。

けれども、教える立場にある人は、なかなか「それについてはわかりません」とは言いづらいものです。「わからないはずはない」という前提からくる無言の圧力があったり、「わからないというのは恥ずかしい」という羞恥心があったり、「できるだけ求めに応えたい」という責任感があったりするからでしょう。

教える立場の人が、あげられた質問についてほんとうにわからない場合、「わかりません」という以外に、いくつかの答えかたがあるようです。

まず、自分がもちあわせている関連しそうな知識に寄せて答える、という人がいます。たとえば「直接の答えになっているかわかりませんが、私が経験したことから言うと……」のような感じで、自分の経験談を話すといったようなものです。

これだと「質問に答える」という体は保たれます。しかし、質問した人の知りたいことに直接、答えているわけではないので、質問後もやもやします。

より正直な人は、「いまそれについて、私には答えがないけれど、宿題とさせていただき、あすのこの時間に答えさせていただきます」と応えるかもしれません。質問した人の知りたいことをきちんと答えようとする態度とはいえます。

ただし、「わからないはずはない」という前提がくつがえされるため、その場での教える人への信頼性はやや低まるかもしれません。教わる人が「この先生はあまりこの分野のことを知らないんじゃないか」と感じそうです。

どちらの場合も、教わる人の知りたいことにその場では答えられていません。この状況を避けるためには、教える人がどんな質問にも直接的に答えられるような広い知識や考えをもっておくことが理想的となります。

そこまでの広い知識や考えをもっていない場合は、どんな質問があがるかを想定して、あらかじめ答えとなる知識や考えを用意しておくといったことが、次善の策となります。
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職業、動詞、呼称をすべて兼ねることば、「見る」「示す」系に多い傾向



(2018年)8月27日(月)のこのブログの記事「『通訳』は人も指し、『翻訳』は人を指さず」では、「通訳」は人や職業のことも指すが、「翻訳」は人や職業のことを指さず「翻訳家」と言わなければならない、といった話がくりひろげられています。

この話とにたものとして「職業、動詞、呼称を兼ねることば探し」があります。

「監督」も、職業を指すことばです。と同時に、「監督する」のように「する」が後につくと動詞にもなることばです。さらに「野村監督」や「北野監督」のように、名前が前につくと「さん」代わりの呼称にも使えることばです。

こうした、「職業をさすと同時に、『する』が後につけば動詞になると同時に、名前がつけば呼称にも使えることば」には、「監督」のほか、上の「通訳」があります。

例)「通訳」。通訳という職業。通訳する。関根通訳。

しかし、この「職業、動詞、呼称」をすべて兼ねることばは、そうそう多くはなさそう。ほかに存在するかどうかを調べるにはどうすればよいでしょうか。

ひたすら「うーん、うーん」と思いだすという方法はありますが、ほかにインターネットの国語辞典で「“また、その人”検索」をするという方法もあります。国語辞典の検索欄に「また、その人」と入れ、「を説明文に含む」を選んで検索するのです。これで、「また、その人」と説明されていることばが検索されます。

それでも、1000件以上が、検索されますが、「職業、動詞、呼称」をすべて兼ねることばを探すには、かなり絞りこまれたといえるでしょう。実際、片はしから見ていくと、つぎのようなことばに当たります。

「看守」。看守という職業。看守する。佐藤看守。

「監督」。監督という職業。監督する。古葉監督。

「教授」。教授という職業。教授する。篠沢教授。

「コーチ」。コーチという職業。コーチする。達川コーチ。

「執事」。執事という職業。執事する。鈴木執事。

「通詞(通事、通辞)」。通詞という職業。通詞する。名村通詞。

「通訳」。通訳という職業。通訳する。関根通訳。

「統領」。統領という職業。統領する。ナポレオン統領。

「奉行」。奉行という職業。奉行する。大岡奉行。

「補佐」。補佐(輔佐)という職業。補佐する。ホセ輔佐。

それでも10語ぐらいは当てはまるものがあるようです。あえて、これらのことばに共通することあるいは傾向を見いだすとすれば、「見ること」や「示すこと」を本質とする作業に従事する職業名が多いといえそうです。これは偶然なのでしょうか、それともなにかしら原因があるのでしょうか。

なお、ほかに「職業、動詞、呼称」をすべて兼ねることばといえなくないものの、若干、外れていることばも見いだせます。

「代表」。代表という職業(△)。代表する。岡田代表。

「主宰」。主宰という職業(△)。主宰する。佐藤主宰。

「摂政」。摂政という職業(△)。摂政する。藤原摂政。

「入道」。入道という職業(△)。入道する。清盛入道。

参考資料
goo国語辞書「また、その人 を説明文に含む」各種
https://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/また、その人/m3p1u/

| - | 15:34 | comments(0) | trackbacks(0)
真夜中の黒門市場を行く


大阪・日本橋には「黒門市場」とよばれる屋根つき商店街があります。鮮魚をはじめとする食料品のお店や食事処などが並び、平日でも日に2万3000人が訪れる「大阪の台所」。

しかし、日付を超え、真夜中になると、活気ある昼間とは異なる佇まいに。千日前通りにほど近い北端から、屋根の切れる南端まで歩いていくと、どんな風景が見られるでしょうか。


屋根から吊りさげられているのは、魚のオブジェ。海の幸を豊富にとりあつかう商店街を感じさせます。


目抜き通りを左に向くと、「ふぐ」や「寿司」などのちょうちん、また店の名が書かれた行灯を掲げる食事処がたくさん。ほぼ閉まっていますが……。


なかには営業中の手打ちそば・うどん屋も。


軒下に洗濯機がむき出しもコインランドリーがあります。


ふたたび目抜き通りへ。24時間営業のスーパーマーケット「黒門中川」には、数人のお客さんが買いものをしています。


黒門市場の横丁の終わりを見あげたところ。歌舞伎の定式幕を思いおこさせるような色の暖簾がぶらさがっています。


活ふぐ屋のまえには大きなステンレス製の台。明るくなったら、ここにふぐたちが置かれるのでしょう。


雲丹、鯛、鱸などなど海鮮をとりあつかう鮮魚店のあるビルでは階上への階段が開かれています。


関西空港などからピーチなどの格安航空会社を使って大阪を訪れる外国人客が増えているとのこと。“You can eat in nextdoor too.”と書かれています。「おとなりでも食べられますよ」といったところでしょうか。


真夜中に、大きな送管がふたつ軒下から飛びだしています。ここは、魚介類を具にした串かつ屋。


目抜き通りから右を向くと、堺筋のほうへと通じる細い天井つきの路地が。もうすぐ店の支度がはじまるでしょうか。


発泡スチロールには、今日もこれから使う値札などが。「日本海ずわい」「柴山カニ」などと書かれています。


青シートのなかから振動音が。水槽の排気器の鳴る音でしょうか。


十字路の真上には、獣たちを支配する龍、麒麟、鳳凰、霊亀の「四霊獣(しれいじゅう)」が描かれています。


薄ねずみ色トタン張りをくぐった向こうには家やマンションにつづく路地が。


中央区のマンホールの意匠は大阪城。模様は大阪城がある北の方角に向いています。


タコの吊りさげオブジェ。日本人はまだしもタコ食文化のない外国人は驚くのでは。


多くの店の前には、カラーコーンと立入禁止棒が。駐輪禁止ということでしょうか。


ここが黒門市場の南端。あと3時間も経てば午前5時まえとなり、人びとがはたらきはじめます。都会のなかの台所の深夜は短かし。

参考資料
黒門市場「市場の概要」
http://www.kuromon.com/history.php?page=gaiyou
神魔精妖名辞典「四霊獣(しれいじゅう)」
http://myth.maji.asia/amp/item_sireijuu.html
| - | 16:49 | comments(0) | trackbacks(0)
「ビリケンさん」の台座に“THINGS-AS-THEY”


大阪・恵美須東に建っている通天閣の展望室には「ビリケンさん」とよばれる神さまの像が鎮座ましましています。

大阪を象徴する建てものである通天閣のなかにあるため、日本にゆかりのある神さまと思われがち。しかし、「ビリケン」は英語辞典で“Billiken”とも載っており、米国にゆかりのある神さま。

1908年、米国の女流絵描師だったフローレンス・プレッツが意匠した作品に由来します。その見た目が、第27第大統領ウィリアム・タフト(1857-1930)に似ており、タフト大統領の愛称「ビリー」(Billy)に、接尾辞「-ケン」(-ken)がついて「ビリケン」とよばれるようになったとされます。その後、シカゴの企業ビリケン・カンパニーが、像を作って売り、「幸福の神さま」として知られるようになっていったとのこと。

ところで、通天閣内の「ビリケンさま」像の台座には、“BILLIKEN”の一段下に“THINGS-AS-THEY”と刻まれています。これはなんなのでしょうか。むりやりに訳すと、「それらのようなものごと」といったことになりそうですが……。



じつは、正面からだと“THINGS-AS-THEY”しか字は見られませんが、横に回ってみると、“THE-GOD-OF THINGS-AS-THEY OUGHT-TO-BE”と刻まれています。

これは、「それらがあるがままのものごとの神」といった訳になるでしょうか。通天閣の「ビリケンさん」の公式サイトでは、本人が「直訳すると"万事あるがままの神"ということ」と答えており、「要するに全知全能の神様、ということですよね」とただされると「そこまでは言うとらんて」と謙遜しています。

フローレンス・プレッツが意匠したビリケンの絵にも、やはり“GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE”と書かれてあります。


プレッツが描いたビリケン(左)と、著述家マルグリート・マーティンが描いたフローレンス・プレッツ(右)

真正面に向きあうだけでなく、さまざまな角度から見て捉えることの大切も「ビリケンさん」は教えてくれているようです。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「ビリケン」
https://kotobank.jp/word/ビリケン-121668
wikipedia“Billiken”
https://en.wikipedia.org/wiki/Billiken
ウィキペディア「ウィリアム・タフト」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・タフト
幸運の神様ビリケンさん「ビリケンさん独占インタビュー」
http://www.billiken.jp/about/interview.html
| - | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0)
STEAM教育の“A”は深くて広い

写真作者:State Farm

2020年以降、小学校、中学校、高校とあいついで、改訂される学習指導要領のもとでの授業がはじまっていきます。

新たな教育のありかたを教育関係者たちが模索するなかで「STEAM教育」の大切さが言われつづけています。“STEAM”は、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Arts(芸術)、Mathematics(数学)の頭文字をとったもの。これらの分野を重点的かつ融合的に教育することで、児童や生徒たちの批判的思考力や課題解決力を養おうとする考えです。このブログでは2017年1月18日付の記事などで、STEAM教育についてとりあげてきました。

“STEAM”という考えが成立する過程では、「あとからArtが加わった」という経緯があります。従来、科学、技術、工学、数学という理工系の分野が重視され“STEM”とよばれていたところ、「芸術」が加わり“STEAM”とよばれるようになったわけです。

では、“A”が、美術や音楽といった意味での「芸術」なのかというと「それらも含まれるが、もっと広い概念をもつ」とよく指摘されます。

“Arts”ということばには、「科学とはべつに学べる対象」といった意味もふくまれます。たとえば、歴史、言語などの人文学は“Arts”の例とされます。どのようにその作品ないし文化が成立したのかの過程を追う行為までを含めて“Art”あるいは「芸術」とするといった考えがあります。

また、“Arts”は“Liberal Arts”(リベラルアーツ)でもあるとする考えかたもあります。もともと「リベラルアーツ」は、古代ギリシャにおける文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽を基本とする「人を自由にする学問」からきているもので、これらは「自由7科」とよばれていました。いま日本では、リベラルアーツをより広い意味で「一般教養」と捉えることも多くあります。

つまり、“STEM”のあとに加えられた“Art”ないし“Arts”は、理工系分野の“STEM”では補えない、広い役割を担わっているともいえそうです。“Science”(科学)も広い分野を対象としたものですが、ここでの“Art”(芸術)は深くて広い分野を対象とするものと捉えることもできます。

参考資料
文部科学省「今後の学習指導要領改訂スケジュール」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/08/29/1376580_3.pdf
ロングマン現代英英辞典「arts」
https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/arts
room 2412017年11月8日付 “Why the “A” in STEAM Education is Just As Important As Every Other Letter”
https://education.cu-portland.edu/blog/leaders-link/importance-of-arts-in-steam-education/
| - | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0)
「悲しみがとまらない」の訴えも聞きながされる


写真作者:risa ikeda

人間は“聞きながす”ことのできる生きものです。目のまえの人が自分に向かって話しかけてくるのとはちがう“声”が聞こえてきたとき、さほど真に受けない場合もあります。

歌手の杏里さんが1983年に出した歌に「悲しみがとまらない」があります。作詞は康珍化。作曲は林哲司。

いまもラジオ番組などで、ディスクジョッキーから「ではここで一曲お聞きください。杏里の『悲しみがとまらない』です」などと紹介され、歌が流れてきます。

この歌詞の内容を要約すると、つぎのようになります。

主人公の女性が、自分の彼氏を女友だちに紹介したところ、女友だちに彼氏を奪いとられ、別れてくれと迫られて、悲しみがとまらない。彼氏からは誤解だと諭されて抱きしめられたけれど、愛を感じられない。彼を返して、だれか助けて、悲しみがとまらない。

主人公が置かれた状況は、たいへん深刻です。

もし、こうした状況に置かれた人物が本当にいて、ラジオ番組の途中に当人が「悲しみとまらないんです」と訴えはじめたら、聴いている人は「なんだこの人は」「いったいどうしたというんだ」と、他人ながらとても不安に思うことでしょう。

しかし、そうなりません。ディスクジョッキーが軽快に「杏里の『悲しみがとまらない』聞いていただきましたー。では続いては交通情報をどうぞ」などと、こともなげに聴取者を導いていきます。ほとんどの聴取者も聞きながすことでしょう。「悲しみがとまらない」が、実際だれかに訴えられているものではないとわかるからです。

ただし、自分が「悲しみがとまらない」の歌詞の内容とおなじくらいに悲しみにくれているとき、「悲しみがとまらない」の歌が聞こえてきたら、その人も涙を流すかもしれません。共感する能力を人はもっているからです。

参考資料
ウィキペディア「悲しみがとまらない」

https://ja.wikipedia.org/wiki/悲しみがとまらない

| - | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0)
「なぜ太くなる? 大根の謎をゲノム解析で明らかに」



ウェブニュース「JBpress」で、きょう(2018年)11月16日(金)「なぜ太くなる? 大根の謎をゲノム解析で明らかに 白くて太い野菜の多様性に迫る(後篇)」という記事が配信されました。

大根はとくに冬、おでんや煮ものなど、さまざまな食の材料として活躍します。いま大根といえばもっぱら、根の上のほうが緑色になる「青首大根」です。しかし、日本人と大根のかかわりの歴史は古く、どんな地域でも栽培しやすい野菜として、人の手で多くの品種がこれまで生まれてきました。守口大根、練馬大根、聖護院大根などなど。江戸時代には全国各地で100品種以上が栽培されていたともいいます。

こうした大根の品種の多様性は、どのように起きたのか。それを、現代の科学で解明しようとする研究が進んでいます。

ダイコンゲノムの解読が、2014年にはじめて完了しました。ヒトゲノムの解読完了が2003年だったため、それから11年もかかったのは意外かもしれません。しかし、植物には植物なりのゲノム解読のむずかしさがあるそう。にたようなゲノムの一部分がたくさんあるため、つなぎ合わせてゲノムの一連の配列を決めていくのがむずかしいということです。

記事に登場する、東京農業大学准教授の三井裕樹さんはこれまで、大根が太るしくみや、遅く花を咲かせるしくみなどを、遺伝子をつきとめるといったゲノム解析の手法などにより研究してきました。これらの成果は、大根の品種が広がった系譜を描くことにつながったり、新たな大根の品種を開発することにつながったりしそうです。

記事では、さらにハマダイコンという野生種をめぐる、研究者たちの「議論」が決着しようとしているといった状況も伝えています。

「なぜ太くなる? 大根の謎をゲノム解析で明らかに 白くて太い野菜の多様性に迫る(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54658
日本における大根の歴史を追った前篇「江戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54609

記事の取材と執筆をしました。

| - | 12:27 | comments(0) | trackbacks(0)
「食べきれるサイズなんて思わない」と思う人も


製造業者が、製品を値上げすることがあります。おなじ製品を、それまでの値段より高く売るわけです。

いっぽうで、おなじ値段で、それまでの製品より量を減らして売ることもあります。こちらはよく「実質値上げ」などとよばれます。

製品の量が減ったことを文句で伝える企業もあれば、食品表示の内容量を変えるだけにとどめる企業もあります。

なかには、量がすくなくなったことを「食べきりサイズにリニューアル」とか、「食べごろサイズでお届け」とか、「消費者のみなさんにも便利でしょ」と伝えたげに記す企業もあります。

製品の説明のしかたにはさまざまあります。「食べきりサイズにリニューアル」という手の説明は、「客側の都合や便利さを、企業側が決めつけたもの」ととることができます。客側が「これは食べきれるサイズだ。都合がいいぞ」と思えばなにも感じないでしょうが、「食べきれるサイズなんて思わない。もっとたくさん食べたい」と思ってしまえば、その説明に違和感を覚えることになります。

記事の題でも、おなじようなことがいえます。記事をつくる側の記者や編集者が「すごい! 誰々氏、究極の何々理論を語る」という題を記事に打つことがあります。しかし、「すごい!」と感じるかどうかは、読者側の受けとめかたにもかかっています。読者が記事を読んで「すごい!」と感じればまあよいのでしょうが、「すごくない」とか「しょぼい」とか思えば、その題に違和感を覚えることになります。

日常会話で人は「食べきれる分だけつくってきたよ」とか「ねぇ、すごいことがあってさ」とか言うこともごく自然にあります。伝えたいことを相手に伝えたのだから目的達成です。製品にある「食べきりサイズにリニューアル」という説明や、記事にある「すごい!」という題は、その延長にあるものととれなくもありません。

しかし、製品への説明や記事の題は、日常会話より公共性が高いもの。受けとる人も多いため、“外した”ときの違和感の総体は大きなものになります。相手がそう感じるかどうかは相手次第といった主観的な表現を使わないほうが無難です。
| - | 14:39 | comments(0) | trackbacks(0)
食料「不測の事態」の深刻度「レベル0」から3段階

写真作者:tamba sc

危機への対策には、その深刻さなどの程度により、いくつかのレベルを設けることがあります。たとえば、政府は、国民が日々摂っている食料について、「不測の事態」の深刻度を「レベル0」から「レベル2」までの3段階を設けています。

「レベル0」。これはみっつあるレベルでもっとも低いもの。農林水産省は「レベル1以降の事態に発展するおそれがある場合」のレベルと位置づけています。

具体的には、日本国内での大不作の予測、主要輸出国における大不作の予測や輸出規制の動き、主要輸出国における突発的な事件・事故などによる貿易などの混乱、安全性の観点からおこなう食品の販売などの規則、といった場合を想定しています。

「レベル1」。これはみっつあるレベルで中程度のもの。「特定の品目の供給が、平時の供給を2割以上下回ると予測される場合を目安」(農林水産省)としています。

具体的には、米の大不作の発生、それに主要輸出国における輸出規制の実施を想定しています。ここでいう「米の大不作」とは、1993(平成5)年にあった「平成の米騒動」ともよばれた米の不足に相当するもの。とくに東日本で米の不作が深刻で、北海道の作況指数は74、また東北全体の作況指数は56でした。当時の1000万トンのコメ需要に対し、収穫量が800万トンを下回り、政府はタイ、中国、米国から米を緊急輸入しました。

また、「主要輸出国における輸出規制の実施」の例とされているのは、1973(昭和48)年の大豆の価格高騰。前年の秋から農作物の国際市況が全体的に高騰し、調味料や加工食品が1973年2、3月に相次いで値上りするなどしました。

「レベル2」。これがみっつあるレベルのもっとも高いものとなります。「1人1日当たり供給熱量が2000キロカロリーを下回ると予測される場合を目安」(同)としています。日本人が一日に必要なエネルギー量は、活動量のすくない女性で1400〜2000キロカロリー、また男性で2200 ± 200キロカロリーとされています。必要なエネルギー量を摂るのが困難になった場合が「レベル2」ともとれます。

具体的には、穀物や大豆および関連製品の輸入の大幅な減少を想定しています。「レベル2」になると、小麦や大豆の増産、また熱量効率の高いいも類への生産転換などの対策をとることになります。

「レベル1からレベル3」でなく「レベル0からレベル2」までとしているのにも、「レベル0」と「レベル1」のあいだには相当な隔たりがあるといったふくみをもたせているのでしょう。

参考資料
農林水産省「食料の安定供給と不測時の食料安全保障について」
http://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/kikaku/bukai/H26/pdf/140422_06_01.pdf
ウィキペディア「1993年米騒動」
https://ja.wikipedia.org/wiki/1993年米騒動
内閣府「経済企画庁 昭和48年年次経済報告」
http://www5.cao.go.jp/keizai3/keizaiwp/wp-je73/wp-je73-00301.html
農林水産省 実践食育ナビ「一日に必要なエネルギー量と摂取の目安」
http://www.maff.go.jp/j/syokuiku/zissen_navi/balance/required.html
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
「これからはOODA」で、PDCAは廃れそう

写真作者:TANAKA Juuyoh

あらゆるものは変化し、生滅するものともいいます。ものごとの進めかたにも、おなじことがいえるのでしょうか。

近ごろ、仕事の進めかたは「PDCAからOODAへ」といった話がよく起きているようです。インターネットで[”PDCA” “OODA”]と検索すると、「『OODAループ』:PDCAでは生き残れない」「さらばPDCA!現場に強いビジネスメソッド『OODAループ』とは?」「OODAループはPDCAにとって代わるのか?」といった記事の見出しが検索されます。

PDCAとは、「計画」を意味するPlan、「実行」のDo、「評価」のCheck、「改善」のActionの頭文字をとったもの。この流れで事業を進め、その結果をつぎの事業にも活かしていく、といった方法が打ちたてられています。多くの職場や組織で、「PDCAを回していかなければ」などと考えられているのではないでしょうか。

いっぽう、OODAとは、「観察」を意味するObserve、「方向づけ」のOrient、「決定」のDecide、「行動」を意味するActの頭文字をとったものといいます。

まず「観察」の段階で、事業の対象となる現場や相手、また自己などをよく見て、その後の段階のための情報を得ることから始まります。

つぎに「方向づけ」。どのように事業を進めていけばよいか、方針を考えるわけです。

そのつぎは「決定」。いわば「よし。これでやりましょう」と決断すること。個人での仕事の場合は「決心」とも表現されているようです。

そして「実行」。観察し、方向づけて、決定したことを実際におこなうわけです。

PDCAが「PDCAサイクル」ともよばれるのとおなじように、OODAは「OODAループ」ともよばれます。つまり「実行」して状況に展開があったら、また「観察」をして、つぎのOODAループに入っていくというわけです。

OODAは、「欠点のあったPDCAに代わるもの」という文脈で説明されることが多いようです。たとえば、PDCAでは、「計画」と「実行」した結果に開きがあって場合、その後の「評価」でようやく、その開きがとりざたされるため、「改善」に向けた速度が遅いといった指摘もあるようです。また、作業現場を見ないで進めてしまうため、作業現場での実状と合わない事業がおこなわれてしまう、といった指摘もあります。このふたつは、おなじことをちがう視点でいっているものと考えられますが。

たしかに、PDCAよりOODAのほうが、手軽にすばやくおこなえそうな印象をあたえるのでしょう。

しかし、「ものごとを観察して、方向づけをして、決断して、実行する」といった過程は、意識しないでも、これまで人びとが暮らしのなかでつねにしてきたものです。

「チラシを見て今日はキャベツが安いと知り、ロールキャベツでもつくるかと考え、よしつくるぞと決断し、店でキャベツを買って料理する」

「顧客が必要としているサービスを調査して、新たなサービスの方向づけをし、サービスの実施を決定して、そのサービスを実際におこなう」

「いまの旬な話題はなにかと調べて、つくる記事のテーマを方向づけて、取材対象者を決めて、取材依頼して取材する」

つまり、OODAに対する評判は、これまで人びとがしてきた作業に名をあたえて、その作業の価値を高めようとするものとも捉えられそうです。

OODAの名声が高くなるにしたがい、PDCAの肩身はせまくなっていきそうです。人びとが「PDCAなんて古い。これからはOODAだ」と考えるようになると、これまで「大切だ」「ぜひわが部署でも回していこう」と重んじられてきたPDCAは捨てさられることになるかもしれません。

いままで大切にしてきたPDCAが、これから、いともかんたんに人びとに捨てられてしまうとしたら、PDCAはなんという幻想だったのでしょう。

「何々の時代はもう終わった。これからは何々の時代だ」と説かれるものに、人びとは弱いものです。これから、PDCAが廃れ、OODAがさかんに取りざたされることになるでしょうか。その後また、PDCAの再評価は起きるでしょうか。

参考資料
IT用語辞典「OODA」
https://www.weblio.jp/content/OODA
起業.tv 2018年9月24日付「まだPDCAで消耗してるの? 注目の意思決定理論『OODA(ウーダ)ループ』とは」
https://kigyotv.jp/news/ooda/
ZUU online 2017年11月23日付「PDCAとOODAの違いとは?新たなループの考え方」
https://www.msn.com/ja-jp/money/news/pdcaとoodaの違いとは?新たなループの考え方/ar-BBFwsZC
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「昔から日本人は、そういう『初物』を楽しむことが好きだったんだと思うんです」


写真作者:Tatsuo Yamashita

ワインの「ボジョレーヌーヴォー」の解禁日は11月の第3木曜。2018年の解禁日である15日(木)まで、あと2日とすこしということになりました。

かつてほどの勢いではないでしょうが、世界のなかでもとりわけ日本は、ボジョレーヌーヴォーの解禁に対して、盛りあがりを見せるといいます。

ボジョレーワインの原産国フランスはおいておいて、ボジョレーヌーヴォーを世界一輸入している国は日本だという話もよく聞きます。

なぜ、日本人はボジョレーヌーヴォーを好きなのでしょうか。

この国民性について、「ボジョレー騎士号」の称号ももつ、落語家の春風亭昇太さんが、発売中の雑誌『東京人』2018年12月号の記事で、つぎのような論をくりひろげています。

「昔から日本人は、そういう『初物』を楽しむことが好きだったんだと思うんです。江戸時代にも毎年『初鰹』が魚河岸に入ると、みんな『どんな努力をしてでも食べてやる』と飛びついたっていうでしょ。『この季節にはこれを口にしておく』っていう風習が、日本にはもともとあった。だから、ボジョレーヌーヴォーについても『今年もできたてを飲んでおかなきゃ』という気持ちになるんでしょうね」

かつての日本人は、鰹のほかにも、鱒、鮎、鮭などの魚、また、茄子、瓜、筍などの野菜の「初物」を得ることに勤しんでいたともされます。

「初物七十五日」といったことばもあります。これは、初物を食べると寿命が75日伸びるという言い伝え。初物にはご利益があると考えられてきたわけです。

こうしたことばが生まれるのも、日本人が、とりあえずの流行に乗っかることを厭わないからこそかもしれません。まわりのみんなが行動を起こしはじめれば、自分も行動を起こすわけです。今日日そのきっかけづくりは、もっぱら大衆だけでなく、企業やマス媒体が強くすることにもなってはいます。

日本でも、ボジョレーヌーヴォーの消費量が頂点だった2004年からすると、最近の消費量は半分ほどに落ちついてきているといいます。まわりのみんなが「飲まなくなる」という行動を起こしはじめたため、自分もそれに乗るという人がすくなからずいるのかもしれません。

けれども、半分ぐらいの人は、やはり「初物」に対する根づよい愛着があるのでしょう。

参考資料
春風亭昇太「ボジョレーヌーヴォーは一期一会。」『東京人』2018年12月号
http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html
東京カレンダー 2017年11月16日付「11月16日解禁! なんとボジョレーの全生産量の半分は、日本に輸入されている!?」
https://tokyo-calendar.jp/article/11147?
食育博士の辛口レクチャー 2014年3月17日付「日本食の伝統54 江戸っ子の初物好き」
https://www.mealtime.jp/shokublog/naohashi/2014/03/post-186.html
BIZTIPS 2017年11月27日配信「『ボジョレー・ヌーボーの輸入量』をウォッチ!」
https://biztips.ohmae.ac.jp/biz-topics/20171127watch

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読書の時間帯、実態と理論に隔たり

写真作者:Hernán Piñera

さまざまな団体が「読書の実態調査」をしています。このところでは、2018年2月に全国大学生活協同組合連合会が公表した学生生活実態調査の結果で、1日の読書時間が「ゼロ」と答えた学生が53パーセントだったことがわかり話題になるなどしました。

読書の実態調査では、「1日に何分、本を読むか」や「1か月に何冊、本を読むか」などがよく聞かれるようです。

いっぽうで、「いつ読書をするか」、つまり読書の時間帯については、さほど調査で聞かれることはありません。関心はさほどないということでしょうか。本を読まない人にとってはあまり関係ないことですが。

読書の時間帯を聞く実態調査はすくないながらも、あります。たとえば、熊本商工会議所が2008年に熊本市内の会員事業所の135人を対象におこなった調査では、読書をする時間帯も聞いています。

それによると、複数回答可で、「早朝」が10.5パーセント、「午前中」が3.2パーセント、「午後」が13.7パーセント、「夕方」が9.5パーセント、「夕食後」が12.6パーセント、そして「就寝前」が65.3パーセントだったとのこと。「就寝前」が圧倒的に多いという結果でした。

この「読書の時間帯は就寝前」という向きは、一般の人びとにもだいたい当てはまるものではないでしょうか。ほかにやるべき仕事や家事などをすべて済ませ、「あとは寝るだけ」という状況のなかで本を読む、というものです。

この実態調査とは対照的に、読書の“効果”を考えた理論では、だんぜん「朝の読書が効果的」とする論が強いようです。いわく、朝は交感神経が優先され、達成意欲や前向きな気分が生じやすい時間だとか、朝の時間帯は脳の情報が整理されているため、夜より3倍も読書の効率が高まるとか。

たしかに、朝の時間帯は多くの人にとって、作業効率が高くなっていることでしょう。作業効率が高くなっている時間帯に読書をすれば、より文章が頭に入ってくるかもしれません。

しかし、「朝の読書が効果的」というのは、あくまで「読書をするならどの時間帯が効果的か」という疑問に対して答えたもの。おなじ理論でいえば、「朝の仕事は効果的」「朝の勉強は効果的」「朝の創作は効果的」となります。

作業が効率的になるとされる朝の時間帯に、読書をするか、それとも仕事をするか。多くの人は、仕事や勉強を優先するのではないでしょうか。朝の時間帯に、仕事をさしおいて読書するのは、もったいないと感じるからです。朝から片づけるべき仕事があるなかで読書をしても、あまり頭に入ってこない、ということもありえます。

こうした心理から、一日のこなすべきことをいちおう済ませてから読書をするというのが、多くの人にとっての現実的な生活のしかたとなっているのでしょう。

さまざまなものごとをこなさなければならない生活のなかで、自分にとってむりのない時間帯に読書をするというのが、効率的かはべつとして、最適な読書のしかたといえるのではないでしょうか。

参考資料
全国大学生活協同組合連合会 2018年2月26日発表「第53回学生生活実態調査の概要報告」
https://www.univcoop.or.jp/press/life/report.html
熊本商工会議所「なんでも調査 読書編 結果発表」
http://www.kmt-cci.or.jp/pdf/nandemo_dokusyo_0806.pdf
BOOK・OFF Onlineコラム「効果的な 読書の時間帯とは」
http://pro.bookoffonline.co.jp/book-enjoy/reading-skills/20180310-dokusyo-koukateki-jikantai.html
くらしのワンシーン 2018年7月14日付「本を読むタイミングはいつ? 読書時間を確保するコツ! 時間帯で効果が違う?」
https://senkokugoshochi.com/koharu/book-when-to-read/
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「伝えたい」という気もちをつくる

写真作者:clement.stenac

新聞、雑誌、ウェブニュースといった、不特定多数の人が読む記事では、「どれだけ多く読まれるか」が、その記事の価値尺度のひとつとなります。もちろん、多く読まれさえすれば、記事の価値が高まるといったものではありません。けれども、なにかを伝えることを目的とした記事がだれにも読まれなければ、記事の価値はないといえます。このことからすると、多くの人に読まれる記事には一定の価値があるといえます。

多くの人に読まれる記事をつくる方法に王道があるわけではありません。王道があるなら、みんなそれを実践して確実に多くのページビューを得ているでしょうし、出す本はかならずよく売れているでしょう。そうはなかなかうまくいくものではありません。

けれども、多くの人に記事を読まれるために、やっておいたほうがよいといった必要条件のようなものはありそうです。

そのひとつが、書く人が原稿をつくり終えるまでのあいだ、「この記事でこれを伝えたい」という気もちをつくっておくこと。気もちを高めるといってもよいでしょう。

記事をつくることを仕事としている人は、伝えたいことがあってその記事をつくっているのでしょうか。そういう場合もあるでしょう。でも、かならずしもそうとはかぎりません。伝えたいことがなくても「書いてと依頼がきたから」とか「つぎの締めきりが迫っているから」とかいったことで記事をつくることはあるものです。人によってはそういう場合ばかりかもしれません。

とはいえ、記事をつくるからには、多く読まれる記事をめざすべきもの。多く読まれて反響が高ければ、つぎの書く機会を得る可能性も高まります。

ですので、「書いてと依頼がきたから書く」とか「つぎの締めきりが迫っているから書く」といったときでも、「いまの自分の心のままに、やっつけに書く」のでなく、「伝えたいという気もちを、つくって書く」ことが大切になります。

では、そうした心をつくるにはどうすればよいのでしょうか。

原稿を書く段階よりずっと前にできることもあります。取材で相手の話を興味ぶかく聞く素ぶりをするのです。相づちを大きく打ったり、声を出してうなずいたり。意図的であっても、体がそのような反応をしていると、だんだんその話にほんとうに興味がわいてくることがあります。

原稿を書く直前にもできることがあります。いまから自分がつくる記事は、なにを伝えることにすればよいのか、それにはどんな意味があるのか、といったことを考えるのです。そして、それを文として書きだします。ことばとして、その記事でめざすことを表すことが、「こう書かないとな」と、自分に納得させることにつながります。

だれかと会って接しているときも、相手に「なぁ、こないだびっくりしたことがあってなぁ……」とか、「ちょっと聞いてよ! じつはさ……」とか言われれば、「なにがあったん」「どうした」と、聞こうとするもの。相手の伝えたいという意思を感じたわけです。

記事でも、「伝えたい」という気もちがこもっていれば、それは読者を惹きつける要素になるはずです。記事をつくるとき、「伝えたい」という気もちがなければ、「伝えたい」という気もちをつくるしかありません。
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花づくりを抑える遺伝子のはたらきが低温で鈍り、花が咲く

シロイヌナズナの花
写真作者:EfrenAve

草木が花を咲かせるかどうかには温度がおおいにかかわっています。たとえば、アブラナ、シロイヌナズナ、またキャベツなどをふくむアブラナ科の植物では、しばらくのあいだ低い温度を経験することで花が咲くということがわかっています。温かい日がつづくと花が咲くという印象がありますが、逆なのですね。

どうして、しばらくのあいだ低い温度を経験すると、アブラナ科のような植物は花を咲かせるのか。それには、やはり開花を調節する遺伝子がかかわっています。

「花成抑制遺伝子」(FLC:Flowering Locus C)とよばれる遺伝子があります。研究でよく使われるモデル植物であるシロイヌナズナから見つかったもの。アブラナ科の植物のほか、ヒルガオ科のアサガオなどもこの遺伝子をもっています。

よび名に「花成抑制」とつくように、花成抑制遺伝子は花を咲かせるのを「抑える」遺伝子です。花を咲かせることにかかわる下流の遺伝子に対し、花を咲かせないように命令を出すわけです。たとえば、日が長くなることで開花を促すFTという下流の遺伝子のはたらきを抑えつけるなどします。

つまり、花成抑制遺伝子が活発にはたらいているときは、植物は花を咲かせることを許してもらえないわけです。このとき植物は、花を咲かせるかわりに葉をつくります。

ところが、摂氏4度ほどの低い温度がつづくと、この花成抑制遺伝子のはたらきが鈍くなっていきます。花を咲かせないような命令が出なくなってくるわけですから、下流の開花をつかさどる数々の遺伝子ははたらくようになります。植物は束縛から解かれたように花を咲かせることになるわけです。

一般的に、植物が低い温度をしばらく経験することで花を咲かせるのは、低い温度が休眠を打ちやぶる刺激となっているからと説明されます。この休眠打破というしくみは、よくサクラの開花で話題になりますが、シロイヌナズナなどの植物も休眠打破を経験していると考えられています。

参考資料
工藤洋「季節を測る分子メカニズム」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/179447/1/6_23.pdf
新潟大学 アサガオの生理学「花成生理学序論」
https://www.sc.niigata-u.ac.jp/biologyindex/wada/p11/p11-6-1.html
山口礼子、阿部光知、荒木崇「花芽をつくるときを決める制御システム」
http://lifesciencedb.jp/dbsearch/Literature/get_pne_cgpdf.php?year=2006&number=5105&file=q4enW6ZGHWLA7XX8HlqUjQ==
藤倉潮ら「シロイヌナズナ種子における低温刺激応答性と休眠打破機構の分子解明」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspp/2004/0/2004_0_310/_article/-char/ja/
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「倍」になり進化が進む

元写真作者:Michael Coghlan

ある子どもが、前日、親に買ってもらったレゴブロックをいろいろ組みあわせて遊んでいます。さまざまなかたちのブロックを組みあわせてお家をつくったりしています。

しばらく経ったある日、親が「レゴブロック、さらに買ってきたよ」と言って、先日買ったのとおなじレゴブロックを子どもにあたえました。これで、レゴブロックは2倍の多さに。この子どもは大よろこびで、こんどはお城をつくりました。ブロックの数が2倍になって、かんたんな家のほかに、込みいったお城をつくることができました。

生きものの世界でも、生きもののかたちや特徴をつくるおおもとの材料が“倍”になるというできごとがあります。

生きものの歴史のなかでは、ごくまれに「ゲノム倍加」とよばれるできごとが起きます。ゲノム倍加とは、まさに字のごとく、その生きもののもっている「ゲノム」つまり遺伝子をふくむ染色体の全体が「倍」になること。ある生きもののゲノムひとつの総量が100だったとすると、ゲノム倍加によって200になるわけです。おなじゲノムがそっくりそのまま倍になるため「ゲノム重複」ともよばれます。

ゲノムが倍加すれば、遺伝子の数も2倍になります。たとえば、パン酵母という菌類では、過去にゲノム倍加を経験したことが知られていて、もともと5000個ほどだった遺伝子が1万個ほどに増えたといいます。

ただし、ゲノム倍加のあと、そのまま遺伝子の数がもとの倍のままがつづくというとそうともいえず、2倍の数から減っていくようです。その過程では、重複した遺伝子のいっぽうが失くなるなどして、ゲノムの再編成が起きるようです。パン酵母の遺伝子の数は、いまでは5600個ほどといいます。

植物ではさらに、ゲノムが2倍でなく、3倍になる「ゲノム三倍加」を経験している種もあるといいます。たとえば、アブラナ属のすべての種がゲノム三倍加をかつて経験したとされます。また、ナス属の系統にいたっては、ゲノム三倍加を2回つづけて経験したということがわかっています。

ゲノムが2倍や3倍になれば、遺伝子の数が増えたり、ゲノムの再編成が起きたりします。よって、その後の進化のしかたは倍加するまえより複雑になりえます。つまり倍化により、その種の分化や多様化がより進んでいくことになると考えられています。

参考資料
杉野隆一「遺伝子の並び順の進化と非コードDNA」
http://www.nsc.nagoya-cu.ac.jp/~jnakayam/_src/sc772/83j8385815B83X838C835E3C_ncDNA-48D860612.pdf
青木考「果菜のモデルとしてのトマト」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscrp/50/2/50_KJ00010115792/_pdf
nature 2012年5月31日付「遺伝:トマトのゲノム塩基配列から得られる多肉果の進化の手がかり」
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/485/7400/nature11119
nature genetics 2016年10月1日付「アブラナ属:Brassica rapaおよびBrassica oleraceaではサブゲノムの並列選択が形態型の多様化および収斂的な作物栽培化と関係する」
https://www.natureasia.com/ja-jp/ng/48/10/ng.3634/
大熊康仁の進化爆発「脊椎動物の全ゲノム倍加と遺伝子発現調節メカニズムの進化」
https://ameblo.jp/832d-d-s/entry-12240027911.html
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「新語・流行語2018」自然災害を受けての候補語も


「ユーキャン新語・流行語大賞2018」の候補語が、(2018年)11月7日(水)発表されました。『現代用語の基礎知識』を出版する自由国民社と大賞事務局が選んだものです。

2018年の候補語から、科学・技術にかかわるものを挙げてみます。

「eスポーツ」。コンピュータ上での対戦型ゲームを指すもの。運動競技として捉えることから、このようによびます。「e」は「エレクトリック」(electronic)の頭文字とされます。

2018年8月にジャカルタで開かれたアジア競技大会では、サッカーゲームの「ウイニングイレブン2018」、トレーディングカードゲームなどの要素をもつ「クラッシュ・ロワイヤル」、戦闘型ゲームの「リーグ・オブ・レジェンド」などが競技種目となりました。着実に「スポーツ」のひとつの分野として浸透しつつあるようです。もともと「スポーツ」の語源は、「気晴らし、遊び」といったものなので、原義からすればeスポーツもスポーツとなるでしょうか。しかし、運動競技としてのスポーツとはおもむきが異なるところから、「eスポーツをスポーツにふくめてよいのか」といった反対論もあるようです。

「計画運休」。台風などの風水害が予想されるため、旅客会社があらかじめ企てて鉄道やバスの運行をとりやめることをさします。2018年には、9月の台風21号に対してJR西日本が、また、おなじく9月の台風24号に対して、JR西日本やJR東日本が実施しました。

台風が近づいたとき、これまで鉄道やバスは路線ごとに、その都度、間引き運転をしたり、運休をしたりして対応してきました。いっぽう、計画運休では、事前に人びとに知らせたうえで、広い範囲の路線をぼ全面的に運休させます。鉄道会社の方針や判断とはべつに、マス媒体や人びとのあいだで、どちらのほうが都合がよいかが論じられています。

「災害級の暑さ」。災いや被害がおきるほどの暑さをいいます。気象庁気象情報課の職員が7月23日の記者会見で「命の危険があるような暑さ」「一つの災害と認識している」と表現しました。

日本では2018年、全国的に記録的な高温となり、6月から8月の平均気温は、関東甲信、東海、北陸で平年より1.7度高くなりました。これは1946年の統計開始以降、最高。西日本でも平年より1.1度高くなり、統計開始以降、2位の記録となりました。

国語辞典によっては「災害」を「地震・台風・洪水・津波・噴火・旱魃かんばつ・大火災・感染症の流行などによって引き起こされる」としています。今後、これらの要素のなかに「猛暑」も入ってくるのかもしれません。

「ブラックアウト」。ある地域の停電のことをさし、とくに、とても大きな規模での停電をいいます。9月6日(木)未明、北海道胆振地方を震源に起きた地震では、北海道全域で停電となりました。道内で、大きな量の電力をつくってきた北海道電力の苫東厚真火力発電所からの電力供給が止まり、これにより道内での電力の需要と供給の均衡が大きく崩れた影響で、ブラックアウトが生じたと考えられています。

この日から翌日にかけて、NHKラジオなどの報道では、停電のなかで過ごす人に向け、充電していた電気をなるべく費やさずスマートフォンを使うための方法を伝えたり、夜明けまであと何時間かを伝えて励ましたりしていました。

電力の需要と供給の均衡をとることの大切さとむずかしさがあらためて、浮きぼりになりました。

新語・流行語の大賞などは12月3日(月)に発表されるとのことです。


参考資料
「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン新語・流行語大賞
https://www.jiyu.co.jp/singo/
ファミ通APPvs 2018年5月29日付「第18回アジア競技大会eスポーツ競技スケジュール・結果まとめ」
https://appvs.famitsu.com/20180529_5728/
産経新聞 2018年7月23日付「暑さ猛烈、災害レベル 熊谷、東京消防庁、高校球児ら…記録的な1日に悲鳴『まるでサウナ』」
https://www.sankei.com/life/news/180723/lif1807230043-n1.html
ウィキペディア「2018年の猛暑(日本)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/2018年の猛暑_(日本)
大辞林第三版「災害」
https://kotobank.jp/word/災害-67717
デジタル大辞泉「ブラックアウト」
https://kotobank.jp/word/ブラックアウト-126191
自然エネルギー Next 2018年9月7日付「北海道のブラックアウト、なぜ起きた?」
https://tech.nikkeibp.co.jp/dm/atcl/feature/15/031400070/090700076/
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文部科学省、先生たちに「自らプログラミングを体験することが重要」とよびかけ


2020年から、小学校で「プログラミング教育」が必修となります。文部科学省は「プログラミング的思考」を育むことなどをこの教育の目的としています。

文部科学省が、2016年段階での有識者会議をまとめたところによると、プログラミング教育とは、「子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての『プログラミング的思考』などを育むこと」とあります。

「プログラミング的思考」とはなんでしょうか。きょう(2018年)11月7日(火)文部科学省が公表した「プログラミング教育の手引き第二版」によると、「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」としています。

こうしたプログラミン的思考を育むことのほか、文部科学省は「プログラムの働きやよさ、情報社会がコ ンピュータ等の情報技術によって支えられていることなどに気付くことができるようにするとともに、コンピュータ等を上手に活用して身近な問題を解決したり、よりよい社会を築いたりしようとする態度を育むこと」そして「各教科等の内容を指導する中で実施する場合には、各教科等での学びをより確実なものとすること」を、プログラミング教育のねらいとしています。

「各教科等の内容を指導する中で実施する場合には」とあることから、各教科での授業にプログラミング教育をとりいれるといった教育のしかたが考えられます。「手引き」では、各教科での授業を想定しての、プログラミング教育のおこないかたの例を掲げています。

たとえば、6年生の理科では、電気の性質やはたらきを利用した道具があることなどを、プログラミングを通して学習する場面がありうるとしています。ここでは、コンデンサで蓄えた電気を夜の照明に使うとき、どのような条件で点灯させれば効率よく使えるか、問いを子どもたちに出すとのこと。

子どもたちはこの問いに対し、「電気を無駄なく使うにはセンサが人を感知するための条件をどう設定すればよいか」と疑問をもち、「センサを用いた通電の制御はどのような手順で動作するか」「命令をどう組みあわせればよいか」と考えたうえで、プログラミングをつくることになるといいます。子どもたちがみんな自発的にこのような過程を踏むわけではないでしょうから、先生がある程度、仕向けることにはなるでしょう。

ほかにも、音楽の授業での「音楽づくり」や、家庭の授業での「炊飯」などでも、プログラミング教育をとりいれられるとして、授業展開の事例を示しています。

「手引き」では、「何より、教師が自らプログラミングを体験することが重要です」と、先生たちに対してメッセージを発してもいます。先生たちが、体験をつじてプログラミングを学ぶことの大切さを知ることも、プログラミン教育の成否にはおおいにかかわってきそうです。

参考資料
文部科学省「小学校プログラミング教育の手引き(第二版)」
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/11/06/1403162_02_1.pdf
文部科学省 2016年6月16日発表「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/122/attach/1372525.htm
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チェッコリ、アパチャパ、ビスタ……歌詞にとりわけの意味なし

画像作者:SigNote Cloud

小学生ぐらいのまで子どもは、「なぜ、それを習うのか」や「それがどんな意味をもつのか」といった疑問をさほど抱かず、先生から教わることをすんなり受けいれてしまうものかもしれません。

音楽の授業や、林間学校の準備で、「歌詞の意味がわからない外国の童謡」を念仏を唱えるように歌いこんで、口ずさめるまで覚えてしまったという経験をした人もいるかもしれません。

世代によっては、つぎのみっつの歌はそうした意味不明ながら覚えた歌となっているのではないでしょうか。どうつくられた歌で、どのような意味があるのでしょうか。

「チェッチェッコリ」。歌詞の途中を「二酸化マンガン」と歌って覚えた人も多いのではないでしょうか。一説では、この歌はガーナでの子どもの遊び歌だったとのこと。「二酸化マンガン」の部分は、日本では「リサンサマンガン」と歌われていますが、より原曲に近い歌詞では「コフィンサランガ」(Kofinsa Langa)と歌っているようです。

子どもの遊び歌なので、とりわけ歌詞に意味はないともされます。

「アチャパチャノチャ」。曲名でもあるこの歌詞を2回つづけて歌ったあと、「エベスサデベスサドラマサデ」とつづきます。さらに「セタベラケイセアバチャ」などと歌っていきます。こちらは、北欧のスカンジナビア半島北部からロシアのコラ半島にかけてのラップランド地方に起源のある歌とされます。

やはり、とりわけ歌詞に意味はないようです。

「ビスタ」。こちらは片ほうの膝を両手で叩いて調子をとりながら「クマラ クマラ クマラ ビスタ」「オー ノーノー ノーノダ ビスタ」「エネミニー デセミニー ウワーラウラミニー」などと歌っていきます。お笑い芸人のハリセンボン近藤春菜さんがテレビ番組で紹介したことで、最近また知られるようになったといいます。

やはりやはり、とりわけ歌詞に意味はないようです。

歌詞に意味はなくても、何度も歌っている子どもたちは、いつしか「みんなで歌う」ということの一体感を覚えるもの。これらの歌は、そうした結束心のようなものを身につけさせるものだったのかもしれません。

それとともに、意味のない歌詞の歌でも何度となく歌うことで、何年経っても口ずさむことができるという暗誦の効果を、大人になってから知らせるためのものだったのかもしれません。

参考資料
世界の民謡・童謡「チェッチェッコリ(チェチェコリ)」
http://www.worldfolksong.com/songbook/africa/kye-kye-kule.html
タナナことば研究室「アチャパチャノチャ考」
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/tanana/2012/05/post_326.html
なんでもないひ.どっとこむ「『ビスタ』はガールスカウトの歌?歌詞の意味は?」
https://nandemonai-hi.com/bisuta20170902/
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銀2枚と金2枚を並べ盤石の守りに



将棋には「囲い」とよばれる守りの方法があります。自分の玉をほかの駒で囲うようにして守ることをいいます。玉を囲わずに戦うと、玉に対するすきが多いなかで戦うことになるため、一般的には手順はかかっても玉を囲うことが薦められています。

囲いにも、さまざまな駒の置きかたがあります。なかでも最強と評される囲いが「ビッグ4」とよばれるもの。

玉を自陣の隅に移して、ほかの駒で囲う囲いかたを「穴熊」といいます。「ビッグ4」は「穴熊」のひとつ。碁盤の左下隅、9九の位置に玉を移す場合、下のような駒の配置になります。

 六歩歩歩
 七 銀銀歩
 八香金金
 九玉桂
  9876

いっぽう、碁盤の右下隅、1九の位置に玉を移す場合は、下のような駒の配置になります。

   歩歩歩六
  歩銀銀 七
   金金香八
    桂玉九
  4321

金と銀という価値の大きな駒を2枚ずつ使って囲うことから「ビッグ4」とよばれます。

敵に縦に攻められたときは、歩やその下にある銀2枚で防御できます。また、横から攻められたときには、金や銀で守ることができます。斜めからの攻撃に対しても、7七(または3七)の銀が斜め前に動け、また7八(または3八)の金が斜めに動けるため、強さを発揮します。

また、金と銀の連結の度合が高いため、この点でも守りが固くなります。さらに、ほかの穴熊でも同様ですが、玉が敵からもっとも遠い位置にあるため、この点でも攻めこまれにくいといった利点があります。

ただし、ほかの囲みにくらべて、「ビッグ4」になるまでに手順がかかるため、陣形をつくっている最中に、敵に攻められて「ビッグ4」づくりどころではなくなる場合もあります。

しかし、プロの将棋でも、羽生善治現竜王(当時の6冠)が、三浦弘行5段(当時)に棋聖戦という大会で「ビッグ4」の陣形をとるなどしたといいます。プロ棋士も「ビッグ4」の強さを認めているということでしょう。

参考資料
初段になるための上達法「囲いを作ることの大切さ」
http://syougi-joutatu.com/syosinsya/kakoi.html
じゅげむの将棋ブログ 2016年5月21日付「将棋で最強の囲いは何か? 囲いの堅さランキング(11種類を徹底比較)」
http://shogijugem.com/kakoi-saikyo-1744
将棋ペンクラブログ 2016年2月15日付「自戦記 羽生善治六冠(当時)のビッグ4と三浦弘行五段(当時)」
https://shogipenclublog.com/blog/2016/02/15/miura-12/

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国民の祝日16日のうち12日分は「固定日」か「ほぼ固定日」


11月3日は国民の祝日のひとつ「文化の日」。「国民の祝日に関する法律」には、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日であると定められています。

土曜と日曜に仕事のお休みをとる人にとっては、ことし(2018年)のように、土曜と祝日が重なると、ちょっと損をした気分になるかもしれません。3連休のあとの仕事の辛さを感じる人にとって、ほんとうに損であるのかどうかはべつとして……。

1998年に定められた「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」によって、月曜日に移動した祝日もあります。そのためか「やたら月曜の祝日が多い」と感じる人もいることでしょう。

しかし、「文化の日」は、11月3日が月曜以外の年でも11月3日と決まっています。そして「やたら月曜の祝日が多い」と感じる人には、意外かもしれませんが、1年に16日ある祝日のうち、いまも7割5分にあたる12日分が、固定された日、もしくはほぼ固定された日に祝日となっているのです。

固定されている祝日は、1月1日の「元旦」、2月11日の「建国記念の日」、4月29日の「昭和の日」、5月3日の「憲法記念日」、5月4日の「みどりの日」、5月5日の「こどもの日」、8月11日の「山の日」、11月3日の「文化の日」、11月23日の「勤労感謝の日」、12月23日の「天皇誕生日」。

ほぼ固定されている祝日とは、3月20日ごろの「春分の日」と、9月23日ごろの「秋分の日」。このふたつは、地球と太陽の位置のかかわりから、年によっては1日ほどずれることもあります。

そして、月曜日が祝日となっているのは、1月第2月曜日の「成人の日」、7月第3月曜日の「海の日」、9月第3月曜日の「敬老の日」、10月第2月曜日の「体育の日」。この4日分しかありません。

祝日が固定日か、月曜日かを分ける基準については、政府の公式な見解や説明は見られません。しかし、祝日の経緯を考えると、見えてくるものはあります。「昭和の日」はかつての昭和天皇誕生日、「文化の日」はかつての明治天皇誕生日、「勤労感謝の日」は天皇が新穀を神々に供える新嘗祭が前身、「建国記念の日」は、神武天皇即位の日を紀元の始まりとして制定したの紀元節が前身です。これらの歴史的経緯のある祝日は、固定の日として動かしがたいのでしょう。

また、「憲法記念日」「みどりの日」「こどもの日」あたりも、4月から5月にかけての大型連休を祝日であるため、月曜日に移すのは合理的ではありません。また、もっとも新しくできた祝日「山の日」には、祝日をこれ以上つくるのはどうかという世論もあるなか、影響の小さいお盆休みの近くに設けたという経緯があるとされます。

こうして消去法的に絞りこんでいくと、「成人の日」「海の日」「敬老の日」「体育の日」が残されていきます。これらの祝日が月曜日となっているのは、むしろいまも例外的なものといえそうです。

では、「やたら月曜の祝日が多い」と感じるのはどうしてかといえば、これら4日の月曜祝日に加えて、固定祝日がたまたま月曜日になる場合と、固定祝日がたまたま日曜日になり翌日の月曜が振替休日になる場合があるからではないででしょうか。1週間は7日しかないので、これらの場合も頻度高く起きるわけです。

参考資料
e-Gov 「国民の祝日に関する法律」
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=323AC1000000178
内閣府「『国民の祝日』について」
http://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html
ウィキペディア「ハッピーマンデー制度」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハッピーマンデー制度
| - | 15:53 | comments(0) | trackbacks(0)
都市部での移動、地下鉄はタクシーの約1.8倍速い
日々の暮らしでは、短い時間でつぎの目的地まで行かなければならないといった状況が起きるもの。あらかじめ、「何時何分にどこどこに」といった予定が決まっていれば、いまやインターネットの「路線情報」などを検索して、何時何分にどの路線に乗って、どこで乗りかえれば間にあう、といった安心を得ることができます。

しかし、「できるだけ早く目的地に行かねばならない」となったときは、電車のほかに「タクシーを使う」といった手段を思いつく人もいるはず。とくに一刻を争うようなときは「駅まで行って電車を待っていてはまにあわない。走っているタクシーをすぐ拾おう」ととっさの判断が起きるかもしれません。

実際のところ、電車で移動するのとタクシーで移動するのでは、どちらのほうが早く目的地にたどりつけるのでしょうか。


写真作者:Pember_

このブログでは、2016年5月25日付の記事「距離あるところの速さには『旅行速度』」で、車の旅行速度、つまり、停滞や停止などをふくめて移動にかかる速度について触れました。

国土交通省が、東京都の千代田区、中央区、港区における道路での車の旅行速度を調べたところでは、一般道路で時速16キロメートルだったといいます。なお、全国の一般道路では時速35キロメートルとのこと。

また、同省は、大阪市や名古屋市の一般国道や一般道路の旅行速度も公表しており、東京とさほどちがいはありません。各年度の推移も、おしなべて時速20キロメートル未満にとどまっているようです。


写真作者:Windslash

一方、鉄道では「表定速度」とよばれる速さの度合があります。日本民営鉄道協会によると、これは「列車が駅間を走る時間だけでなく、これに途中駅の停車時分を加えた運転時間つまり表定時間で列車の運転区間の距離を割り得た速度」のこと。車の旅行速度と近いものと考えてよさそうです。

鉄道各社は、表定速度を公表していない場合が多いようですが、時刻表から始発から終点の駅までの距離と所要時間がわかるため、表定速度を調べている一般の人もいるようです。

「けいちゃん」というブロガーの方の「表定速度(地下鉄その他編)」という記事によると、都心を走る、東京メトロ銀座線の表定速度は時速27キロメートル。丸ノ内線の池袋-荻窪間では時速29.1キロメートル。千代田線の代々木上原-綾瀬間では31.3キロメートルなどということです。また、都営地下鉄の各線も、時速30キロメートルを超えるぐらいの速度となっています。

これらからすると、とくに都心などの都市部では、鉄道の表定速度のほうが、タクシーの旅行速度よりも高いということになります。その差はおよそ1.8倍といったところ。

つぎの目的地まで1駅分や2駅分などの短い距離で、タクシーをすぐに拾えそうなときは、タクシーを使うほうが得策かもしれません。車内で、短い時間を使って約束ごとの準備をしたりもできます。

しかし、とくに都市部においては、地下鉄などの鉄道を使うことを選ぶほうが、結局のところ早く目的地までたどりつける場合が多そうです。あとは、今時分のいるところから駅まで、また降りた駅から目的地までの距離などによるでしょうけれども。

参考資料
国土交通省「三大都市の旅行速度の推移」
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-data/data/107.pdf
日本民営鉄道協会「表定速度」
https://www.mintetsu.or.jp/knowledge/term/128.html
もでらあとブログ「表定速度(地下鉄その他編)」
https://ameblo.jp/keichan201/entry-11045299177.html
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稲荷で稲荷に稲荷


街なかの小さな神社にも、きつねの像がましましているところがあります。稲荷神社です。そして、人の信仰心からでしょう、きつねの像のそばには油揚げが供えられています。

稲荷神社といえばきつね。きつねといえば油揚げ。油揚げといえばお稲荷さま。これらは切っても切れない間がらです。

各地の稲荷神社に奉られている神は、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)という食べものの女神。米、麦、粟、黍、豆の五穀をつかさどっているとされます。「稲荷(いなり)」も「飯成(いいなり)」あるいは「稲成(いななり)」からきているといいます。

この倉稲魂神の仕えているのが、きつねです。倉稲魂神の異名は、御食津神(みけつかみ)。いっぽう、「三狐神」と書いて「みけつかみ」。この結びつきから、御食津神、すなわち倉稲魂神にはきつねが仕えるということになったとか。

五穀のひとつに豆があるので、豆腐を薄く切って揚げた油揚げがきつねに供えられてもおかしくはありません。しかし、「きつねに油揚げ」の組みあわせにはべつの由来があるようです。

きつねは人にとっての害獣であるねずみをやっつけてくれるありがたい動物でした。そこで、人はきつねたちに「ねずみの油揚げ」をあげていたといいます。

しかし、生きものを殺すことは仏教における十悪のひとつ。そこで、ねずみを油で揚げるのでなく、豆腐を油で揚げて、それをきつねにあげるようになったとされます。

油揚げで包んだ鮨を「お稲荷さん」といいますが、これは、稲荷神社の女神の仕えであるきつねの好物である油揚げを使った鮨ということで当てられたことば。いま、稲荷は、神社でもあり、きつねでもあり、油揚げでもあり、鮨でもあります。お稲荷さまでお稲荷さんたちにお稲荷さんの具にもなる稲荷をあげているわけです。

参考資料
デジタル大辞泉「稲荷」
https://kotobank.jp/word/稲荷-435204
デジタル大辞泉「御食津神」
https://kotobank.jp/word/御食津神-637484
MACHI × CAMP「きつねの好物が油揚げなのはなぜ? キツネは本当に油揚げを食べるの?」
https://colorssss.com/archives/1443/
神社ch「なぜ狐?稲荷神社のご利益・鳥居のナゾに迫ります!」
https://zinja-omairi.com/kitsune/
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