科学技術のアネクドート

書評『GRIT やり抜く力』

よく売れているからでしょうか。書店を覗くと続編の「実践版」も出ていますが、まずはこちらから。

『GRIT やり抜く力 人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』アンジェラ・ダックワース著、神崎朗子訳、ダイヤモンド社、2016年、376ページ


“GRIT”を辞書で引くと「根性」とある。“grit my teeth”で「歯を食いしばって堪える」といった熟語もある。GRITを書名に掲げる本書は“根性論の現代版”といえよう。

人はとかく「天才」(才能)と「努力家」(根性)を、どちらのほうが価値が高いかとくらべる。世間のこれまでの正直な評価は、どちらかといえば「天才」「才能」を高くみるものだった。

だが、心理学者としてグリットを研究する著者はこう述べる。

「才能が人の2倍あっても人の半分しか努力しない人は、たとえスキルの面では互角であろうと、長期間の成果を比較した場合には、努力家タイプの人に圧倒的な差をつけられてしまうだろう」

つまり、才能があっても努力なしでは努力家に後塵を拝するし、また、才能がなくても努力があれば才能あふれる人に優るということだ。

となると、「努力(やり抜く力)は養えるのか」ということを知りたくなる。これについて著者は、過去の双子を対象とする研究などから、「人によって『やり抜く力』の強さに差があるのは、ある程度は遺伝的な要素によるが、経験による部分も大きいことを意味する」と述べる。

努力(やり抜く力)は人生において大切だし、養うこともできると示したうえで、どのようにその力を伸ばしていくかを「やり抜く力」の強い人びとの傾向や証言などを引きあいにして示していく。

その方法として書かれていることは、ごくまっとうなことだ。

たとえば、興味をもてることにとりくむこと。それにより自分の満足度も仕事の業績も高くなるという。

また、自分のスキルを上まわる目標を設け、それを達成する練習を習慣化すること。世界で活躍する「エキスパート」とよばれる人たちが実践していることだ。

さらに、とりくむことが自分より大きな目的とつながっていることを意識すること。「自分がやっていることは世のため人のためになる」と考える人のほうが、「やり抜く力」は高いという。

これらは、「やり抜く力」を得るうえでごくまっとうな方法だ。読者は「あたりまえのことが書かれてある」と思うかもしれない。だが、これらの要点は研究を蓄積したうえで達した結論だろう。論のひとつひとつに根拠や事例を示し、本にまとめて伝えることにはやはり価値がある。

あえて、読後の引っかかりを挙げると、ふたつばかりある。

ひとつは、書名にもあるような「人生の成功」が、なにを意味しているのかがやや曖昧だったこと。高学歴を経ることや、偉人とされるような人物がおこなう偉業あたりのことを指していることは読みとれる。より明確に「成功」とはなにを指すのかを読者に示しておくと、「やり抜く力」がいかに大切であるかがより伝わったのではないか。

また、「やり抜く力」とそれに関連する行為のあいだの関係性についても曖昧なところはあった。「この行為をすれば『やり抜く力』を得られる」という論と、「『やり抜く力』をもっている人はこの行為をしている」という論が混在しているのだ。後者の場合、その行為にがんばってとりくんでも「やり抜く力」を得られるかはわからないということになる。「因」と「果」を明確にするのはかんたんではないこともまたたしかだ。

こうした引っかかりを差しひいても、多くの読者に「やり抜く力」を得ることの大切さが伝わる本となっている。なにより、たくさんの「やり抜く力」の事例に触れることが、読者にとって「やり抜く力」を得ようとさせる刺激になる。

『GRIT やり抜く力』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4478064806

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「ラッフルズカリー」のマトンカリー――カレーまみれのアネクドート(114)
これまでの「カレーまみれのアネクドート」はこちら。



ひとえに「インドカレー」といっても、作る人のインドカレー観も、食べる人のインドカレー観もさまざま。よって多種多様なインドカレーが存在します。これがカレーの奥深さにもなるのでしょう。

ツイッターで「日本人向けに食べ易くしたインドカレーです」と自己紹介している店があります。東京・台東にある「ラッフルズカリー」というカレー専門店です。

JR御徒町駅から春日通りを徒歩3分。地下鉄の仲御徒町駅や、新御徒町駅はもっと近く、便利なところにあります。近くには「サカエヤ」「ラホール」「CoCo壱番屋」といったカレー店もあり、結構な競争区のもよう。

かわいいゾウさんの描かれた橙色の看板が目印。店のなかは、カウンターの長い食卓に椅子が並ぶのみ。奥の暖簾や瓶詰めされた香辛料などからはインドらしさを感じます。しかし、大滝詠一の『A LONG VACATION』のアルバムが飾られていたり、TBSラジオが流れていたりと、「日本の店」の要素も多め。店員は日本人だし、おそらく大半の客も日本人でしょう。

献立から、正規のカレーだけでも「チキンカリー」「野菜たっぷりカリー」「キーマカリー」「マトンカリー」「クリームチキンカリー」が常備されているのがわかります。さらに、「チキン」と「野菜たっぷり」を半分ずつにした「野菜チキンカリー」などの、「野菜たっぷり」とのくみあわせも選べます。

多くのカレーが揃うなか、献立に唐辛子の印がもっとも多くついているのが「マトンカリー」。「たっぷりのスパイスでじっくりマトンをにこみました」とあります。

ライスの皿とカレーの器はべつべつ。ステンレス製のカトリでなく、白い陶器を使うあたりも「日本の店」感を高めます。日本の店なのだから当然ですが。

カレーソースのなかに見える具はマトンの肉み。野菜などはソースと化しているよう。肉はフォークでかんたんにほぐすことができます。口に入れれば、カレーにまみれながらもたしかなマトンの味がします。

カレーソースのほうは献立の説明どおり、香辛料がたっぷりと使われているもよう。クミンなどの基本的な香辛料が均衡よく使われているもよう。とりわけ辛くはないものの、香辛料や野菜などで調和のとれた味が、舌や鼻に実直に伝わってきます。

「日本人の店の人が、日本人の客のためにつくるインドカレー」を地でいくようなカレー屋とカレーです。

「ラッフルズカリー」の食べログ情報はこちら。
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13033116/

参考資料
ヤバイカレー屋さん twitter
https://twitter.com/raffles_curry06
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オートファジー、大もとの動作は「分解する」

写真作者:Zappys Technology Solutions

いろいろなものごとが、それぞれ関わりなくなされているように感じられても、それらに通じる大もとの「動作」をつかむと、やはり関わりがあるのだと感じられるものです。酒、納豆、鰹節。関わりないささそうなこれら食べものが、いずれも「発酵させる」という大もとの動作でなされているといった具合に。

生命科学の分野には「オートファジー」とよばれるしくみがあります。2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典さんの研究分野だったことから、その名がよく知られるようになりました。

オートファジー(autophagy)は、細胞が細胞内のたんぱく質を分解するしくみのことを指します。細胞が「自分自身」(auto)を「食べる」(phagy)というおこないからこうよばれています。

オートファジーが生きもののからだにどんなことをもたらすのか。大隅さんが見つけたのは、飢餓に陥ったときに「栄養源を保つ」というオートファジーの作用です。オートファジーによって細胞のたんぱく質がさまざまなアミノ酸に分解されて、これが栄養源としてふたたび使われるようになります。

しかし、その後の研究などで、オートファジーのはたらきには、栄養源を保つことのほかにもさまざまあることがわかってきました。

ひとつは、「細胞を代謝させる」というものです。

人などの体では、化学変化によってあらたな物質をつくり、要らなくなった物質を出す、新陳代謝がたえずおこなわれていますが、細胞ひとつひとつでも、体の新陳代謝とおなじようなことがおこなわれているといいます。細胞は、オートファジーによってみずからのたんぱく質を分解しますが、その7、8割は、べつの細胞のたんぱく質合成に使われるといいます。「壊しては造り、壊しては造り」をくりかえしているわけです。むだな営みのようにも思えますが、この細胞の新陳代謝がなされないと、細胞は弱るなどして、がん、2型糖尿病、心不全、感染症、炎症といったさまざまな病気が生じることがわかっています。病気が生じないようにするには、オートファジーによる細胞の新陳代謝が大切というわけです。

また、オートファジーには「害ある物質をとりのぞく」というはたらきもあります。

細胞のなかには小器官とよばれる、なんらかの機能をもったかたまりがさまざまあります。たとえば、ミトコンドリアという小器官は呼吸にかかわります。こうした小器官のうち傷ついたものを細胞のなかで放っておくと、生きものの体は病気になりやすくなります。おなじく、異常な状態となったたんぱく質や外から来た病原体を細胞のなかで放っておいても病気になりやすくなります。そこで、オートファジーのしくみで、こうした異常のもととなる物質をとりのぞくわけです。

ほかにも、オートファジーは、生きものの初期段階における胚が必要とするアミノ酸を得るために必要であるなど、さまざまな役割が解きあかされてきています。

オートファジーのしくみに通じる「動作」はなにかといえば「分解する」となるでしょう。よりかんたんなことばで「ばらばらにする」といってもよいでしょう。

細胞がみずからを分解するからこそ、その結果として栄養源となる材料が生じたり、ふたたび細胞のたんぱく質がつくられたり、細胞にとって要らないものがとりのぞかれたりするわけです。また初期胚にとって必要なアミノ酸は、母にあたる細胞のたんぱく質がオートファジーで分解することによりつくられるといいます。

「分解する」といった大もとの「動作」から、これからもオートファジーの未知なるはたらきがわかってくるかもしれません。

参考資料
デジタル大辞泉「オートファジー」
https://kotobank.jp/word/オートファジー-685600
大阪大学大学院 吉森研究室「オートファジー」
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/yoshimori/jp/research/030/
東京大学医学部・大学院医学系研究科 水島研究室「オートファジー(自食作用)」
http://square.umin.ac.jp/molbiol/research/proffessional.html
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さくらももこさん死去、1年のラジオで音楽の魅力も届ける


漫画家のさくらももこさんが、(2018年)8月15日(水)亡くなりました。さくらさんの公式情報を発信している、さくらプロダクションがこのたびウェブサイトで伝えました。

『ちびまる子ちゃん』や『神のちから』といった漫画作品や、『もものかんづめ』『さるのこしかけ』といった随筆などが多くの人の支持を受けました。これらの作品に触れて、さくらさんの愛好者になった人は多くいることでしょう。

いっぽう、日ごろラジオを聴いている人にとっては、1991年10月から翌1992年10月まで放送された深夜番組「さくらももこのオールナイトニッポン」を愛聴していたという人もいるのではないでしょうか。

テレビのアニメーション番組「ちびまる子ちゃん」では、声優TARAKOの「まる子」の声が独特ですが、オールナイトニッポンでのさくらさんの声は、ほぼ「まる子」の声そのまま。そっくりだということで聴取者たちを驚かせました。そして、TARAKO、さらに歌手のイルカが同時に客人として招かれた回では、3人のだれが話しているのかわからないという混沌な番組内容と化しました。

さくらさんのラジオ番組から、音楽のおもしろさに気づかされ、楽曲のかかった歌手や音楽家にまで興味を抱くという人もいたことでしょう。

番組中にかける音楽は、ただ単に流行の楽曲を流すのでなく、さくらさんと、おなじく番組に出演した、当時の夫の宮永正隆さんが選曲し、どれだけその楽曲が魅力的かの解説もつけて放送していました。とりわけ大滝詠一の楽曲は多くかけられていました。番組中のほか、番組終了時間には大滝のアルバム・レコード「ナイアガラ・カレンダー」から、4月には「Baseball-Crazy」、5月は「五月雨」、8月は「真夏の昼の夢」といった具合に月ごとに楽曲を変えて流すといった凝りかたでした。

こうした縁からでしょう、さくらさん原作の映画「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」では、大滝詠一作曲・歌の「1969年のドラッグ・レース」が挿入歌で流されるなどしていました。

自分たちが「これはいいよ!」と感じているものを、ラジオを聴いている人たちに伝えたい。そうしたさくらさんたちの思いが常に溢れでている番組でした。

さくらさんのご冥福をお祈りします。
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「通訳」は人も指し、「翻訳」は人を指さず

ドイツの医者フィリップ・シーボルト(1796-1866)が『日本』に描いた長崎の出島

職業には、じつにいろいろな種類があるものです。厚生労働省が発行する「職業分類表」には「細分類」でおよそ900ほどの職業が載っています。

似て非なる職業の例として「通訳」と「翻訳家」をあげることができます。通訳は、おもに対話する人たちのあいだに入って、言語が異なるために通じない話の仲だちをする職業。翻訳家は、おもに文に対して、ほかの言語になおして表現する職業。どちらも「ほかの言語にする」という点は共通しているものの、意思疎通の種類や、即時性の有無といった点で異なります。

細かい点でもうひとつ、「通訳」は「者」や「家」といった接尾辞をつけなくても職業名として通るのに、「翻訳」のほうは「者」や「家」などの接尾辞をつけないと職業名としては通らないというちがいもあります。職業名のほか人のことをさすときも「通訳」は「通訳」でもよいのに、「翻訳」は「翻訳者」や「翻訳家」などと接尾辞をつけなければなりません。たとえば「通訳になりたい」「関根通訳」「通訳さん」とは言えば通じても、「翻訳になりたい」「熊谷翻訳」「翻訳さん」では、ちょっとなにを言っているのかわかりません。

どうして「通訳」は「者」や「家」をつけなくても職業や人を指すのに、「翻訳」は「者」や「家」をつけないと職業や人を指すことにならないのか。なかなか答はみつかりませんが、探ることはできます。

通訳をする人も、翻訳をする人も、かつて江戸幕府における公的な職業者として認められていました。

幕府のために翻訳をする人は、「翻訳方(ほんやくがた)」とよばれ、江戸時代末期の安政年間(1854-1860)、海軍所や外国関係の事務を司る外国奉行の下で、外国語の翻訳をしていたといいます。

いっぽう、幕府のために通訳をする人は「通詞(つうじ)」あるいは「通事(つうじ)」などとよばれていました。たとえば1604(慶長9)年には中国語の通訳である「唐通事」が長崎に置かれましたし、おなじ17世紀には、オランダ語の通訳として「蘭通詞」が平戸、ついで長崎に置かれました。役職の歴史としては、翻訳方より通詞や通事のほうが200年以上も古いことになります。

江戸幕府の職名には「勘定方」や「鉄砲方」のように「ところ」などを意味する「方」のつくものが多くあり、「翻訳方」も「翻訳」に「方」がついたものと考えられます。つまり、「翻訳方」の「翻訳」は「翻訳する」という動詞の要素であることになります。

では、通訳者をあらわす「通詞」には「通詞方」のように「方」をつけるよびかたが
なかったかというとそうでなく、普通に使われていたようです。書物では1749(寛延2)年ごろ『阿蘭陀通詞方分限帳』が発行されていますし、ほかの多くの書物でも「通詞方」とよく記されています。つまり、「通詞」でも「通詞方」でも、職業や人のことを指していたわけです。

国語辞典の「通詞」の項目には「『通訳人』の旧称」とあります。いまの「通訳」ということばは「通詞」ということばが使われなくなるかわりに広まったのでしょう。つまり、「通詞」を職業や人として指していたのだから、「通訳」もまた職業や人を指して使う言葉として使われるようになったことが推しはかれます。

では、「通訳人」ないし「通訳」の旧称である「通詞」は、どうして職業や人も指すことばだったのでしょう。

ここからは想像の域ですが、通詞には、さまざまな階級があったことが関係しているのではないでしょうか。

通詞という職業は、見習いの通訳である「稽古通詞」から始まって、補佐役の「小通詞(こつうじ)」、そして最上位の「大通詞(おおつうじ)」へと昇進していったといいます。つまり「通詞」の前に「稽古」「小」「大」がつくわけです。

はじめ、人びとは、通訳をする職や人を「通詞方」とよんでいたかもしれません。しかし、「稽古通詞」に「方」までつけて「稽古通詞方」とよぶのは、なんとも冗長です。「通詞方」は「通詞方」とよぶけれど、「稽古」や「小」「大」がつくときには「方」を省いて、職や人のことを指すときも「稽古通詞」「小通詞」「大通詞」で通したのではないでしょうか。

そして、「通詞」だけで職や人を指すという使いかたは定着し、この使いかたが「通訳」にも引きつがれたという説です。

「通訳」のように、作業を示す体言の言葉が、「者」「家」「人」などをつけずに職業や人も指すという例はそう多そうではありません。ほかには「監督」「窓口」「代理」ぐらいでしょうか。

なお、「翻訳さん」というよびかたは、ごく一部で使われているようではあります。

参考資料
厚生労働省「職業分類表 平成24年3月改訂」
https://jsite.mhlw.go.jp/kanagawa-roudoukyoku/var/rev0/0112/9664/06bunruihyou.pdf
デジタル大辞泉「翻訳方」
https://kotobank.jp/word/翻訳方-632615
ビバ! 江戸「江戸幕府役職一覧」
http://www.viva-edo.com/yakusyokuitiran.html
ブリタニカ国際大百科事典「オランダ通詞」
https://kotobank.jp/word/オランダ通詞-41387
石原千里「ラナルド・マクドナルドの生徒たち」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeigakushi1969/1991/23/1991_23_57/_pdf
imidas時代劇用語指南「通詞(つうじ)/通事(つうじ)」
https://imidas.jp/jidaigeki/detail/L-57-108-08-04-G252.html
稲生衣代「放送通訳の変遷と通訳・翻訳手法に関する考察」
http://someya-net.com/10-JAIS/Kaishi2003/pdf/04-Inou_final_.pdf
| - | 18:35 | comments(0) | trackbacks(0)
伝える文とともに、伝わる絵
街なかでは、工事現場のところに、「ご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありません」などと書かれた看板が掲げられてあることがあります。工事で大きな音を出したり、搬入車を出入りさせたりすることに対して、まわりの人びとにお詫びを伝えようとしているのでしょう。

「ご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありません」と伝えようとするとき、ことばだけでなく、絵も添えるほうが効果的。そこで、「まことに申し訳ありません」という思いを具現化したような人物の絵を、看板に添えることになります。



この写真にある看板の絵の人物も、「ご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありません」という文言とともに描かれていますから、お詫びの意を示そうとしていると考えられます。

そのしるしに、まず、工事帽をとることにより、相手に敬意をはらっています。そして、腰をかがめることにより、相手より低姿勢でいようとしています。

なによりも伝わってくるのは、「顔の表情」ではないでしょうか。

この絵の人物の前には、相手の人つまりお詫びを受けている人が立っているのでしょう。その相手のことを上目づかいで見つめています。しかも、なみなみならぬ上目づかいです。眼の黒い部分が眼の上半分まで上がるほどの上目づかいをしている人を見たことがあるでしょうか。

一般的に、お詫びをするときは、伏し目がちにするほうが、相手に誠意が伝わるとはいわれるもの。しかし、相手の目をまったくみないとなると、それも相手に「失礼だ」ととらえられかねません。

おそらく、この絵は、伏し目がちにお詫びをしながらも、相手の目を見たときの一瞬を切りとったのではないでしょうか。これほどの上目づかいを続けていると、目の筋肉が疲れてしまうでしょうから。

表情でもうひとつ伝わってくるのは、口が引きしまっているということです。とくに、くちびるの左右端の口角のところにきゅっと力を入れています。その結果、あひる口のようになっています。

見方によっては、この口のかたちは、笑みをがまんしているときの表情に見えなくもありません。実際、そうなのかもしれません。では、なにに対して笑みを浮かべているのか。それはおそらく、この人物がこの工事現場で新しい建てものをつくり、街をよりよいものにしていくことへのよろこびや希望に対してではないでしょうか。



建てものを建てることへのよろこびを隠せない人が、帽子を脱いで腰をかがめ、そして相手の目をしっかり見て、お詫びをする……。このようなことがひしひしと伝わってくる絵といえるのではないでしょうか。
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航海の“保険”が「沖縄人」につながったという可能性も
沖縄の諸島に住む人びとをさして、一般的に「沖縄人」または「琉球民族」などということがあります。日本の本土とはやや異なる独特の文化をもち、またどちらかというと堀の深い顔をしている人が多くいます。

沖縄人がどこからやってきたのかについては、いまもまだ確定しているわけではありません。

もっとも主流となっている説は、「二重構造説」とよばれる説の一部となるもの。1970年代、人類学者の埴原和郎(1927-2004)が唱えました。この説では、東南アジアの原アジア人が琉球列島を北上して日本の縄文人の祖先となり、琉球列島から北海道まで広く分布したのち、大陸から北九州に渡来した弥生人が、縄文人と混血しながら日本列島に広がったというもの。ただし、琉球列島や北海道には、縄文人と弥生人の混血は及ばなかったため、その結果、本土人、アイヌ人、そして沖縄人といった具合に民族が派生したというものです。

つまり、二重構造説をとると、沖縄人は東南アジアからきたということになります。

いっぽうで、沖縄人は本土の九州から南下してきた人びとを祖先とするという説もあります。


九州から沖縄諸島にかけて
画像:Google Earth Pro

琉球大学の研究者チームは、いまの沖縄人の遺伝情報を広く分析し、台湾や大陸の集団と遺伝的なつながりはなく、日本本土に由来するとする研究成果を2014年に発表しています。

本土から沖縄人の祖先がやってきたとすれば、もっともありうるのは九州南方から東シナ海を航海し、大隅諸島、トカラ列島、奄美諸島、そして沖縄諸島までたどり着いたという経路です。本土と沖縄を結ぶ経路はこのくらいしかありません。

しかし、途中の諸島を伝っていくとしても、九州南方から沖縄まで古代の人びとが航海により移動していくのはむずかしそうです。沖縄から九州の沿岸に向けて、黒潮が流れており、九州から沖縄へという方向は、まさにこの黒潮の流れに逆らうことになるからです。

古代の人びとも、一定の方向に潮の流れがあることは知っていたでしょう。では、なぜ九州南方の人びとは、この黒潮の流れに逆らって、沖縄諸島へと向かう必要性があったのか……。

ひとつの考えかたとして、「古代の人びとは危険な航海に“保険”をかけていた」という説があります。九州南方から船を出す場合、ふつうに考えれば黒潮にのって北上していくもの。

しかし、流れの急な黒潮にのってしまうと、流れに身を任せるしかなく、どんどん陸から離れてしまい、遭難してしまう危険があります。

そこで、あえて流れとは逆に船を進めていけば、もし食糧が底をついたり、船が壊れたりしても、黒潮に身を任せていればふたたび九州の陸地に戻れる可能性があります。

このため、黒潮の海流にさからって船を進める風習があったというわけです。ただし、そうだとして、なんのために九州南方の人たちが黒潮にさからって船を出していたかまではわかっていないようです。

もし、沖縄人は九州南方から航海で渡ってきたとすれば、それは暮らしの知恵の産物だったのかもしれません。

参考資料
境邦夫「琉球=沖縄人の起源と成立」
harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/h-bunkyo/file/2850/.../bunka6%28Sakai%29.pdf
知恵蔵「二重構造モデル」
https://kotobank.jp/word/二重構造モデル-185618
沖縄タイムズ 2014年9月17日付「沖縄の人々、ルーツは『日本由来』 南方系説を否定」
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/44163
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ふだん使わない「アッセイ」をおそるおそる原稿に
もの書きは、自分がふだん使っていないことばを原稿で使いづらいものです。ふだん使っていないことばが多いと、原稿での語彙表現が貧弱になったり、あえて使って誤用してしまったりするので、ふだんからいろいろなことばに触れておくことは大切となります。

ふだん自分は使っていないけれど、取材対象者が使っているなどのことから、使わなければならないことばもあるものです。そういうことばに対しては、とりあえず国語辞典を引いて、どんな意味か調べることになります。「だいたいこんな感じのことばなのね」と把握して、そのことばを記事に使ったり、べつの表現にしたりします。

ところが、取材対象者がけっこうよく使うものの、国語辞典には載っていないことばもあるものです。

ある生命科学の研究者は、取材で「アッセイ」ということばを何度か使いました。「やはり、そのときはアッセイのしかたをよくよく検討しましたね」「神経細胞を使ってのアッセイにはよく慣れていましたからね」といった具合。

国語辞典で「アッセイ」「アッセー」「アッセ」などと引いても、この研究者の言う「アッセイ」は見あたりません。

しかし、インターネットで「アッセイ」と検索すると、「バイオアッセイ」ということばが存在することがわかります。

たとえばウィキペディアの「バイオアッセイ」の項目には「生物材料を用いて生物学的な応答を分析するための方法のことである。単語はバイオ(生物)とアッセイ(分析、評価)を組み合わせて作られた。日本語では生物検定や生物学的(毒性)試験と訳す」とあります。

ではと、国語辞典で「バイオアッセイ」を引くと、国語辞典では「生物検定」の項目に飛ぶようにという指示があり、その先で意味が載っています。「生物体に与える影響の度合によって、生理活性物質の有無や量、その活性を検定すること。ビタミンの定量やホルモン・抗生物質の効果測定によって定量する方法。生物学的定量法。バイオアッセイ」とあります。

もの書きはこうして「バイオアッセイ」ということばの意味にたどり着くのでした。しかし、自身は生命科学者でないため、人生のなかで本物の「アッセイ」に携わったことはありません。しかし、原稿では「アッセイ」ということばを使わずにはいられなさそう。

そこで、「アッセイ」を「生物検定」ということばと置きかえたとしても、日本語として意味が通じるかを検討しながら、おそるおそる「アッセイ」ということばを原稿に使うのでした。


たぶんアッセイな感じ……。
写真作者:Vivien Rolfe

参考資料
ウィキペディア「バイオアッセイ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/バイオアッセイ
大辞林第三版「生物検定」
https://kotobank.jp/word/生物検定-546270
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「現場」が直接はたらかせるのでなく「本部」に指示を出してもらう

写真作者:ma world peace

人の社会的活動では、よく「現場と本部」というふたつの場があることがあります。現場とは、活動の対象となるものごとがまさにあったりおこなわれたりする場のこと。いっぽう本部とは、現場とはべつに大切な方針を定めたり判断を下したりて、現場にいる人を指示するような場のことをいいます。

ときに現場の長がその場で現場の人びとに指示をする、といったこともあります。現場を見つづけている人のほうが、本部にとどまっている人より的確な判断ができるということなのでしょう。

いっぽうで、現場にいながらも、みずからで現場の人たちがどう動くかを判断せず、かならず本部から指示してもらう、という人もいます。あたえられた役割を重んじているような人でしょうか。

人のからだのなかでも「現場にいながら、みずからで現場がどう動くかを判断せず、“本部”から指示を出してもらう」という振るまいをする物質があります。

胃には、「グレリン」とよばれる化合物があります。グレリンが胃のなかで生じると、その情報が胃のところまで伸びている神経をとおって脳まで伝わります。そして脳の視床下部という部分までグレリンの情報が伝わると、ここの神経細胞を活性化します。

胃で生じたグレリンの情報を視床下部が受けて、視床下部の神経細胞が活性化すると、食欲が増進します。食欲が増進すれば、その人は食べることになりますから、食べたものは胃に達します。すると胃は、その食べものを消化すべく、胃酸を出したり、蠕動運動をしたりして、活発にはたらくことになります。

つまり、胃で生じたグレリンの情報は、脳の視床下部を介して食欲増進作用をもたらし、結果的に胃の動きを活発にさせるわけです。胃という「現場」に現れながら、胃に直接はたらきかけるのでなく、脳という「本部」に合図を出して、胃がよく動くことにつながるようなはたらきかけをしていると捉えることができます。

体内の特定の場所でつくられ、特定の組織や器官の活動を調節する物質を「ホルモン」といいます。グレリンはホルモンの一種とされています。

グレリンのはたらきがわかったことは、胃がたんに消化を担うだけでなく、食欲などにもかかわっているということがわかったことを意味します。

参考資料
中里雅光「胃から発見された摂食亢進ペプチド:グレリン」
http://jams.med.or.jp/symposium/full/124045.pdf
ウィキペディア「グレリン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/グレリン
知恵蔵「グレリン」
https://kotobank.jp/word/グレリン-189055
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研究を支えて100年、数々の統合を経て現在へ


(2018年)8月19日(日)のこのブログの記事「『若手研究者にもっと科研費を』と改革案」に「2018年は、科研費の前身にあたる『科学奨励金』が設立された1918年から100年目」とあります。「科研費」とは「科学研究費補助金」のことで、大学などでの科学研究の助成を目的とする補助金のこと。

では、この100年、この補助金はどのように歩んできたのでしょうか。

1918(大正7)年にはじまった「科学奨励金」の制度は、文部科学省の説明によると「学術新興方策の一つ」だったようです。この年は、1914(大正3)年から始まった第一次世界大戦が終わった年。「第一次世界大戦を契機とする欧米諸国の科学研究動員計画のような重点研究課題に対応する」といった目的があったともいいます。なお、このときの科学奨励金は、自然科学の研究分野にあたえられるものでした。これとはべつに「人文科学助成金」が1946(昭和21)年に始まっています。

1932(昭和7)年には、財団法人としての日本学術振興会が設立されています。費用は御下賜金、つまり天皇陛下からのお金によるもの。日本学術振興会は、いまは独立行政法人となり、科研費の交付などの事業をしています。

1939(昭和14)年、「科学奨励金」とはべつに、「科学研究費交付金」とよばれる制度が設けられます。文部科学省によると、この交付金は「準戦時体制下科学封鎖の危機に際して今日の名称で計算され」たもの。戦争の色が濃くなっていった当時、研究に使われる本や物資などが研究者に行かなくなったり、留学生が来づらくなったりと、科学研究を自由におこないづらい状況があったようです。「科学封鎖」ともいえる、こうした状況を打開するための研究資金といったところでしょうか。

太平洋戦争敗戦の1945(昭和20)年以降、いまの科研費につながる、ほかのさまざまな交付金も設けられていきます。1945年から「科学試験研究費補助金」が、1947(昭和22)年から「研究成果刊行費補助金」が始まりました。これらは、上の「科学研究費交付金」とともに1965(昭和40)年、「科学研究費補助金」として統合されます。

いっぽう、最初に始まった「科学奨励金」も、1946(昭和21)年からの「科学研究助成補助金」に1952(昭和27)年、「人文科学助成金」ともども統合されました。この「科学研究助成補助金」も1956(昭和31)年に、「科学研究費交付金」に統合されました。

こうして、さまざまな種類の交付金や補助金が統合されていき、1965(昭和40)年からの「科学研究費補助金」に一本化されていったわけです。そして1968(昭和43)年度からは、いまの科研費の制度に通じる、書類審査と合議審査による審査方法などの基本的なしくみが築かれました。

2011(平成23)年には、科研費の「基金化」が始まりました。基金化とは、補助金を積みたてにすること。これにより、複数年の研究期間を通じて研究費が確保されるため、研究者の研究の進めかたによっては、研究費を前だおしで使うなどができるようになりました。そこで、いまの科研費は、従来の「科学研究費補助金」と、基金化でできた「科学研究助成基金」によって運営されていることになります。

学術をめぐるほかの多くの制度もそうですが、科研費もさまざまな統合や発展を経た末に、100年を迎えることになったわけです。

参考資料
文部科学省 科学技術・学術審議会 学術分科会 2014年8月27日「我が国の学術研究の振興と科研費改革について」
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/
afieldfile/2014/09/17/1351970_02.pdf

文部科学省 科学技術・学術審議会 学術分科会 2014年6月17日「科研費制度を巡る状況」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/030/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2014/07/17/1349729_01.pdf
文部科学省『文部科学白書』「帝国学土院と学術研究会議」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317727.htm
文部科学省「わが国の教育の現状」(昭和28年度)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad195301/hpad195301_2_164.html
日本学術振興会「科研費の『基金化』」
https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/01_seido/06_kikinka/index.html
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ベルクロを剥がすような音が、肺の病気の診断の手がかりに

企業の開発したものがあまりに有名になったり特徴的だったりすると、それが本来の名称から離れて一般名詞のように使われることがあります。

「ベルクロ」といっても「ああ、あれを開発した企業ね」とわかる人は日本では多くないかもしれません。ベルクロは、日本では「面ファスナー」や「マジックテープ」などとして知られている製品であり、それを開発したオランダの企業の名でもあります。スイスの工学者ジョルジュ・デ・メストラル(1907-1990)が1940年代、アルプス登山の途中で服や愛犬にゴボウの実がついたことから着想し、1950年代に特許を取得し、商業化されたといいます。


ベルクロ
写真作者:LMAP

「ベルクロ」(Velcro)は、フランス語で「ビロード布」を意味する“velour”と、「ひっかけかぎ」を意味する“crochet”というふたつの語から造られたといいます。たしかに、製品としてのベルクロは、一見、ビロード布のように見えつつ、両側から細い繊維どうしがひっかかることでテープとおなじように脱着ができます。

ベルクロを使うとき特徴的なのは「音」ではないでしょうか。日本語で表せば「ベリベリべリ」や「バリバリバリ」といったところでしょうか。

ベルクロのこの特徴的な音から、医師たちのあいだでは「ベルクロ・ラ音」という音のよび名がついているといいます。

肺の壁にあたる間質という部分に炎症が生じる「間質性肺炎」や、炎症が進んで間質が固くなる「肺線維症」という病気をもつ患者には、かねてから「ラッセル音」とよばれる異常な呼吸音が細かく聴こえることが知られていました。

そうしたなか、米国ミネソタ州にあるメイヨークリニックの医師だったリチャード・デレミーは1969年、ベルクロを剥がすときのようなラッセル音が聴こえたら、それは肺線維症と診断してよいとする論文を発表しました。

こうした経緯から、聴診器などをとおして肺から聴こえてくる「ベルクロのようなラッセル音」が「ベルクロ・ラ音」として、医師のあいだで俗称として定着していったといいます。ベルクロラ音はあくまで俗称であり、より正式には「捻髪音」(ねんぱつおん)や「ファイン・クラックル」などとよばれるそうです。

ベルクロラ音がどのようなものか、ユーチューブでその音を聴くことができます。たとえばこちらです。

肺線維症をもつ患者のうち、6割から7割ぐらいの人で、この「ベルクロ・ラ音」が聴かれるといいます。マジックテープを剥がすときの音に聴こえるかどうかはべつとしても、症状を診断するときの大切な手がかりとなります。

参考資料
本田厚瑞『肺の話』
https://www.amazon.co.jp/dp/4004305829
村田朗「間質性肺疾患におけるfine crackleの診断的意義」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnms1923/63/5/63_5_404/_pdf/-char/ja
本間行彦ら「Velcroラ音の音響学的特性およびその発生機序について」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjrs1963/16/3/16_3_196/_pdf
済生会 症状別病気解説「間質性肺炎・肺線維症」
https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/interstitial_pneumonia/

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除塵機でごみを除きながら水を川へ
街なかには、通りすがらなんとなく目に入っているものの、それがなんなのかは自分のなかで明確になってないといったぐらい設備があるものです。



川ぞいに建つ「排水機場」とよばれる施設の門扉には「除塵機を新しくする工事を予定しています」という看板が立っています。

まず、排水機場とは、洪水のときなどに本川の水門を閉じたことにより増えすぎた支川の雨水を、再び本川へ流しもどすための施設のこと。流しもどすためにはポンプが使われます。

そして、この排水機場で使われているのが「除塵機」(じょじんき)という設備です。



写真にある黒い設備が除塵機。本川へ戻す前の雨水が溜まる貯留槽に接するようにして、傾斜のついた除塵機の設備がいくつも横に並んでいます。

排水機場の水ためには、洪水で流れこんだ木の枝や葉っぱ、またビニール袋などのごみがさまざまあります。支川の水を本川へと流しもどすとき、これらのごみまでいっしょに本川に戻す必要はありません。そこで、これらのごみを取りのぞくために除塵機が置かれているわけです。

除塵機には動きかたなどによりいくつかの種類がありますが、基本的なものは水ためのなかにあるごみを掻きあげて、それを取りのぞくというもの。掻きあげるための横棒は「レーキ」とよばれます。英語で“rake”と書き「熊手」や「手把」といった意味があります。傾斜を上下に移動するレーキを下から上に動かすとき、ごみを引っかけるようにして、掻きあげます。

除塵機のような設備は、水のある環境で使うため、老巧化しやすいもの。故障してから交換するのでなく、使いはじめてある程度の時間が経った時点で、予防保全として交換をするようです。

参考資料
デジタル大辞泉「除塵機」
https://kotobank.jp/word/除塵機-534703
ミゾタ「除塵機」
http://www.mizota.co.jp/product/dustCollector/
丸島アクアシステム「レーキ往復式除塵機」
http://www.marsima.co.jp/product/trash_removers/lake_toandfro.html
利根川河川下流事務所「河川管理施設」
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonege/tonege00071.html
日刊建設タイムズ 2014年3月19日付「機場等14施設を予防保全 県河川整備課 河川管理施設で長寿命化計画」
https://www.nikoukei.co.jp/kijidetail/00251661
| - | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0)
「若手研究者にもっと科研費を」と改革案


(2018年)8月17日(金)付のこのブログの記事「基礎分野の研究者『頼りの綱は科研費』」では、基礎的な分野での研究を進めようとする研究者たちにとって、科学研究費補助金(科研費)がいかに依存しなければならないものか、といったことをとりあげました。

科研費をめぐっては、政府が改革の必要性を戦略のなかに示しています。政府は2018年
6月に「統合イノベーション戦略」という政策を掲げました。これは、科学技術の振興についての総合的な計画「第5期科学技術基本計画」の5年計画のうちの3年目を迎え、「PDCA(立案・計画、実施、検証・評価、改善)サイクル」の「Action」(改善)として実行するものと位置づけられています。

「統合イノベーション戦略」で、政府は科研費についてはつぎのような改革案を示しました。

「研究費を獲得できる若手研究者の割合の増加に向けて、2023年度までに科研費における採択件数に占める若手研究者の比率が、応募件数に占める若手研究者の比率を10ポイント以上上回る」

つまり、若手研究者からの科研費に応募の比率がたとえば30パーセントであるとしたら、若手研究者の採択を40パーセント以上にする、といったことになります。

この方策のねらいは「研究生産性の向上」にあるもよう。政府は、優秀な若手研究者に挑戦の機会を増やしたり、年齢にとらわれない適材適所の配置したりすることを「目指すべき将来像」として挙げており、その目標のひとつとして、上にあるような科研費の若手研究者への重点配分を掲げているわけです。なお、科研費を管理している日本学術振興会の説明には「若手研究」は「39歳以下の研究者が1人で行う研究」とあります。

若手研究者への科研費の支援が手あつくなるということは、その分どこかの部分が切りつめられることにもなります。政府は「統合イノベーション戦略」で「大型種目から若手研究者を中心とした種目への重点化等の配分の見直しを推進」するとしています。

「大型種目」とは、科研費の種類のうち、研究費の規模が大きい種目のことで、具体的には「特別推進研究」「新学術領域研究」「基盤研究(S)」などが当たると考えられます。

大規模な研究に科研費を投入するのも大切だけれど、挑戦したいと思っている若手の研究者たちの研究に科研費を投入することも大切だから、若手をこれまでより支援していこうということと捉えられます。

若い研究者のなかには、5年ないし3年で評価を得られるような研究をしなければ、その先の研究費獲得がむずかしくなる、あるいはおなじく5年ないし3年ほどで所属先を移らなければならないといった環境に置かれている人もすくなくありません。研究費を拡充する効果は、若手の研究者がより研究をしやすい環境を得られることによって、発揮されていくものかもしれません。

2018年は、科研費の前身にあたる「科学奨励金」が設立された1918年から100年目にあたります。

参考資料
内閣府 2018年6月15日閣議決定「統合イノベーション戦略」
http://www8.cao.go.jp/cstp/tougosenryaku/tougo_honbun.pdf
内閣府「第5期科学技術基本計画の概要」
http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/5gaiyo.pdf
文部科学省・日本学術振興会「科研費ハンドブック」
https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/15_hand/data/h29/handbook_kenkyuusya.pdf
文部科学省「科研費改革の進展」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/hojyo/__icsFiles/afieldfile/2017/06/29/1387297_01.pdf
日本学術振興会「科学研究費助成事業」
https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/30_front/index.html
毎日新聞 2018年7月26日付「社説 日本の科学研究力『選択と集中』が招く低迷」
https://mainichi.jp/articles/20180726/ddm/005/070/035000c
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住みやすさ世界3位の大阪「文化と環境」「都市基盤」以外は100.0


英国の雑誌『エコノミスト』の調査部門が「2018年世界で最も住みやすい都市ランキング」を8月に発表し、大阪が第3位になったことが話題になっています。

第1位はオーストリアのウィーン、第2位は豪州のメルボルン。大阪はこれにつぐ第3位。10位以内では、日本の都市でほかに東京が第7位に入っています。

この「大阪が第3位」という結果に、驚きの声を上げる日本の人もいるのではないでしょうか。国内でおこなわれている、この手のランキングでは大阪の市町村の順位はさほど高くないからです。

たとえば、東洋経済新報社が発行している『都市データパック2018年度版』をもとにした「住みよさランキング2018」では、上位50位までに大阪の都市が入ったのは、第26位の箕面が最高で、ほかには第44位に吹田が入っているのみです。ちなみに第1位は千葉県の印西、第2位は愛知県の長久手、第3位は宮城県の名取市とのこと。

こうしたランキングは、なにを尺度とするかによって結果が大きく異なるもの。では『エコノミスト』のランキングでは、どんな尺度があるのでしょうか。ランキングの指標を見てみると、“Stability”(安定性、治安のよさ)、“Healthcare”(福祉)、“Culture & Environment”(文化と環境)、“Education”(教育)、“Infrastructure”(都市基盤)となっています。

各指標は100.0を“ideal”つまり「理想的」としており、大阪については“Stability”が100.0、“Healthcare”が100.0、“Culture & Environment”が93.5、“Education”が100.0、“Infrastructure”が96.4となっています。

いっぽう、東洋経済新報社の「住みよさランキング2018」で尺度としているのは、「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」で、ランキングを伝える記事ではこれら各尺度の「順位」を示しています。

日本の人びとからすれば、大阪には独自性の高い文化があるため、『エコノミスト』のランキングで“Culture & Environment”だけ93.5と低いことに意外と思う人も多いのではないでしょうか。

「大阪が住みやすさ世界第3位」に実感がわかないという日本の人も多いかもしれません。とはいえ、大阪や関西の盛りあがりぶりを世界に伝えたいと考えている企業や自治体などは、今回の結果も宣伝材料になることでしょう。

参考資料
The Economist “The Global Liveability Index 2018”
https://pages.eiu.com/rs/753-RIQ-438/images/The_Global_Liveability_Index_2018.pdf
東洋経済オンライン 2018年6月20日付「最新版!『住みよさランキング2018』トップ50」
https://toyokeizai.net/articles/-/225720
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
基礎分野の研究者「頼りの綱は科研費」


将来の技術や素材の開発につながる新たな知識や構想を発見しようとしておこなうような研究活動は「基礎研究」とよばれます。「基礎研究」はしばしば、具体的な技術や素材などを生みだすのに直結するような研究活動をさす「応用研究」と対に使われることがあります。

基礎研究をおこなっている大学の研究者は、よく「大学から配分される研究のための予算が減ってきている。頼りの綱は科研費だ」といったことを異口同音に口にします。これはどういう意味でしょうか。

まず、応用研究にくらべて、基礎研究では、研究を進めるための資金が得にくいといった状況があるようです。応用研究については、たとえば国や、国から委託されている技術開発推進機関、また企業などがつぎつぎと事業を起こして予算をつけるため、大学の研究者が委託先に選ばれれば、研究資金を得ることができます。いっぽう、基礎研究については、国も機関も企業も、その研究からどんな技術や材料が生まれるか絵に描きにくいため、そうした研究に予算をつけづらいといったことが考えられます。

資金が得にくいといっても、基礎研究にも資金は必要です。そこで、基礎研究の研究者は、おもに大学から配分される資金と、「科研費」とよばれる資金のふたつを頼りにしてきました。

大学から配分される資金には、文部科学省から国立大学に交付される「運営費交付金」や、日本私立学校振興・共済事業団を通じて私立大学に分配される「私立大学等経費補助金」などがあります。これらの資金が大学から各研究者にわたるわけです。

しかし、国立大学への運営費交付金は、2004年に国立大学が独立行政法人化してから年々減りつづけています。文部科学省は「国の直轄でなく独立行政法人になったのだから、予算は自分たちで得てよ」という姿勢を見せているのでしょう。

すると、基礎研究者たちにとって、研究を進める頼りにしたくなるのが「科研費」となります。

科研費とは「科学研究費補助金」のこと。「研究活動のはじまりは研究者の自由な発想に基づく研究にある」という国の考えから、こうした学術研究に対して、研究費があたえられるもの。自然科学だけでなく、自分文化学や社会科学といった文系色の強い研究にも使われます。いまは文部科学省の外郭団体にあたる日本学術振興会が管理しています。

ただし、基礎研究をする研究者はただじっと待っていれば科研費を得られるわけではありません。「自分はこういう研究をしますから、お金をください」と応募し、審査で認められれば、得られるというしくみになっています。こうした資金は「競争的資金」とよばれます。

応募して審査で認められないと、科研費は入ってきません。そのため基礎研究をおこなう研究者たちにとっては、科研費を獲得できるかどうかが研究をよく進められるかの分かれ目となるわけです。「頼りの綱は“科研費”だ」ということばには深刻さがあります。

参考資料
産学連携キーワード辞典「科研費」
https://kotobank.jp/word/科研費-461332
日本私立学校新興・共済事業団「私立大学等経常費補助金」
http://www.shigaku.go.jp/s_hojo.htm
日本学術振興会「科学研究費助成事業2017」
https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/24_pamph/data/kakenhi2017.pdf
毎日新聞 8月14日付「@大学 財務基盤強化へ収益源模索 国からの交付金・補助金、減額で危機感」
https://mainichi.jp/articles/20180814/ddm/013/100/032000c
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「改良の余地をなくしていく」と「完成度」は高まる

写真作者:hiroaki maeda

ものごとを完全に仕上げることを「完成」あるいは「完成させる」といいます。しかし、ものごとを完全に仕上げたはずなのに、完成には程度や度合があるようで、その度のことを「完成度」といいます。

「完全」には、似て非なる意味がふたつあります。ひとつは「必要な条件がすべて満たされていること」。そしてもうひとつは「欠点や不足がまったくないこと」。どちらも「完全」ではありますが、前者については、必要な条件が満たされているだけであり、この意味からいえば、「改良の余地はさらにある」ということになります。いっぽう後者については、欠点や不足がまったくないのだから「改良の余地はない」ということになります。

おそらく、「完成度」ということばは、「必要な条件がすべて満たされていること」けれども「改良の余地はさらにある」ので、その改良をどこまで高めるかをいうときの度合ということになるのでしょう。すくなくとも、「完成度」を高めるという境遇に達するには、必要な条件をすべて満たしていることが前提となるわけです。そのためには、「この部分がまだやり切れていない」といった詰めの甘いところをなくしておく必要があります。

では、そのうえで完成度を高めるにはどうすればよいか。上にある論からすれば「改良の余地をなくしていく」ことが、完成度を高めるには大切になってきそうです。対象にまだ存在する改良点を見つけだし、対象をなすすべての要素に対して「これ以上は改良をするところがない」といえるようになるまで、改良をしていくということが、完成度を高めることにつながるのでしょう。

しかし、なにをもって改良をよしとするかは、人の考えかたにより、また、その時の状況により変わりうるものです。よって「究極まで完成度を高める」という作業は、無理か、あるいはとてもむずかしいものとなります。

しかし、究極の完成度まで達成しないとしても、「完成度を高める」という意識そのものは、完成度を高めるためにプラスになるもの。「完成度を高めたい」と思って完成度を高めていくと、完成度は高まることでしょう。

参考資料
デジタル大辞泉「完成度」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/277027/meaning/m0u/
デジタル大辞泉「完成」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/48651/meaning/m0u/
デジタル大辞泉「完全」
https://kotobank.jp/word/完全-470543
| - | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0)
「CoCo壱番屋」のスパイスカレー THEチキベジ――カレーまみれのアネクドート(113)


「期間限定」のものには飛びつくほうでしょうか。

「いまの時期しか得ることができない」といったことから「いま買っておかないと」という心理がはたらき、つねに売られているものよりも、手が出てしまうという人もいることでしょう。

カレーの世界にももちろん、「期間限定」はあります。

店を全国展開する「CoCo壱番屋」は、2018年の夏から秋にかけ「スパイスカレー THEチキベジ」を出しています。8月末までの限定とのこと。

CoCo壱番屋の通常のカレーといえば、ポークカレーあるいはビーフカレーといった素朴なソースを基本に、お好みで「チキンカツ」「ソーセージ」「ハンバーグ」などの単品からなる具材を選んで注文するもの。

いっぽう、「スパイスカレー THEチキベジ」はというと見た目も賑やか、さまざまな具材が入っています。同店の主要原料についての情報によると、鶏肉、オクラ、なす、ミニトマト、グリーンアスパラガス、豚肉、トマト、玉ねぎといった具材名が並んでいます。くわえて、同店が「にんにくとスパイスが効いた夏のカレー」と紹介しているように、いくつかの種類の香辛料もまぶされています。

つまり、CoCo壱番屋のカレーとしては、異彩を放っているといえましょう。期間限定感が高まります。

カレーソースは心なしか、通常のカレーのソースより辛めでしょうか。しかし、店内には寒気を感じるほどの冷房が効いていて、席によってはカレーソースにも冷風が当たるので熱さはなくなっていき、辛い感じは中和されていきます。ライスとも、さまざまな夏野菜の具材ともよい相性。

「期間限定」で食べてみて辛さと具の豊富さを味わい、再び、三たびと、ついCoCo壱番屋に入ってしまう人もいるのではないでしょうか。

CoCo壱番屋の「スパイスカレー THEチキベジ」の情報はこちらです。
https://www.ichibanya.co.jp/menu/detail.html?id=492

参考資料
CoCo壱番屋「ココイチ 原産地情報」
https://www.ichibanya.co.jp/menu/pdf/origin.pdf​
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敏感なくちばしで巧みにくわえる
街なかの電柱に、「カラスの巣」と書かれた貼り紙があります。「電柱の上にカラスの巣があり、後ほど除去作業を実施します」とのこと。そして、なぜかカラスが「お問い合わせは下記電話番号までお願いします」と伝えている絵となっています。



電柱の頂には、たしかにカラスの巣らしきものがあります。



都会におけるカラスの巣は、小枝のほかに金属でできた衣紋かけなども使われます。細い枝や針金でつくった巣のうえに乗るのは痛そう。しかし、どのカラスの巣もこうした材料で作られるといいます。カラスにとってはふつうのことなのでしょう。

平たい地面のうえでないにもかかわらず、細い枝や衣紋かけを使って巣を作るとは、カラスも巧みです。カラスがものを運ぶときは、足でつかむよりも、くちばしでくわえるほうが多いようです。

人が指先を使って箸を操るといった細かい動きをとれるのは、指の腹に触覚の受容器がたくさん集まっているから。これとおなじように、カラスのくちばしも、ものをくわえたり離したりといった細かい作業をするのにふさわしいつくりとなっているといいます。

くちばしは硬いため、骨のようなものと思われがちでですが、じつは、くちばしの表面は、なかの骨を覆う広い意味での皮膚であるといいます。たしかに、カラスの赤ちゃんの写真を見てみると、くちばしは赤みを帯びているように見えます。

そして、カラスはくちばしの表面を通じて、熱さや痛さなどを敏感に覚えることができるということが、近ごろのカラス研究でわかってきたそうです。

体に対する脳の容積が大きいことから推しはかれる賢さ。それに、くちばしに備えられた、ものを触れるときの敏感さ。こうした能力をもって、カラスは巣を作っているようです。

なお、カラスの巣は、おもに子育てをするためのものといいます。卵や赤ちゃんが巣から落ちてしまうのが心配ですが、その前に電力会社の社員が巣をとり除いてしまうかもしれません。

参考資料
TBSラジオ放送ログ 2018年8月9日付「カラス博士・杉田昭栄名誉教授が語る『くちばしの秘密』」
https://www.tbsradio.jp/281937
生活110番「カラスの巣を撤去する前に一読! カラスの巣について知っておきたいこと」
https://www.seikatsu110.jp/animal/am_pigeon/11853/
いきもの通信 2008年5月11日付「鳥のくちばしは骨なのか?」
http://ikimonotuusin.com/doc/407.htm
AFP 2018年5月23日付「鳥に歯がない理由に新説、卵のふ化を早めるため」
http://www.afpbb.com/articles/-/3175626
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戦時中「B-29」が日本の広告に載る

B-29

太平洋戦争の末期、日本の上空には、米国の「B-29」という大型戦闘機がつぎつぎと襲来し、日本各地を爆撃しました。各都市での多くの空襲、それに広島と長崎での原子爆弾投下にはB-29が使われました。1944年6月、北九州市の八幡製鉄所をねらった空爆を始めとし、日本の敗戦までのべ3万3000機のB-29が出動されたといいます。

当時の日本政府は、国民に対して「敵機がどういうものか」を知らせることを重視していた向きがあります。それは、いまに伝わる戦時中の広告からうかがえます。

いまの日本航空協会の前身にあたる大日本飛行協会は戦時中、兵庫県・西宮北口駅のちかくにあった「西宮航空園」の広告を出稿しました。同園は「関西国民航空錬成場」ともよばれています。広告では「これを叩きつぶすのだ」という文句とともに、B-29の絵を載せ「B29超空の要塞」という説明書きをつけています。ほかに、「グラマン雷撃機」と「ダグラス急降下爆撃機」の絵も。

そして、「アメリカが小癪にも日本に勝てると思つて戦ひを挑んでくるのは物量の力を頼りにしてのことである。敵をやっつけるにはこの物量を叩きつぶすに限る。さあもつと澤山の優秀機を前線に送らう」という文言を載せています。「物量の力を頼りにして」というのはもっともながら、「この物量を叩きつぶすに限る。さあもつと澤山の優秀機を」というあたりは、いまにすれば無謀さ極まりないことを述べているととれます。

適性文化を排除する政策がとられていたというものの、B-29の模型は売られていたようです。

大阪市西区南堀江にあった「ツバサヤ本店」の卸部は、朝日新聞東京本社が発行していた『航空朝日』という雑誌に、B-29をはじめとする戦闘機の模型を発表したことを伝える広告を出稿しています。「B29現る 頭に叩き込まう この正體!」「防空の要訣は先づ敵機を識ることだ! 今! 直ぐ 敵機模型を作れ!」という文句とともに、真横から見たB-29の絵を載せています。

また同号では、大阪市西区靭南通(いまの靱本町)にあった「大阪模型」という模型製造卸も、B-29の模型の広告を出稿しています。文句は「これがB29だ!!! 作つて、覺えて、献納しやう!」というもの。「献納しやう」の意味が謎めいています。ツバサヤ本店の広告にくらべて、より斜め上空からB-29を見おろす角度での絵が載っており、より写実的です。

また、東京・横山町(いまの日本橋横山町)にあった「旭航空機研究所」は、B-29などの戦闘機の「三面図」の広告を出稿しています。「最も正確なる三面圖」といった文言から、B-29の三面図が複数種類、売られていたことがわかります。さらに注目すべきは「陸軍航空本部御指導」という文言。これが、三面圖をつくるうえで、日本の陸軍航空本文から指導を受けたという意味であれば、やはり国がB-29の情報を国民に伝えようとしていたということになるでしょうか。広告にはB-29を真上から見た絵も載っています。

日本は、B-29についての情報を、日本への襲来より早く把握していたものと考えられます。米国は、B-29の開発を隠すことなく新聞や雑誌に報道させており、その情報は、第二次世界大戦で中立の立場をとっていた国を介して、日本に伝えられたと考えられます。

B-29の模型や三面図については、店側の「売らんかな」という商魂と、日本の「敵機を国民に知らせる」という目的が合ったため、発売が許されたと考えられます。「敵機の正体を知る」ということと「模型を売る」ということのどちらが真の目的だったかはわかりません。

参考資料
歴史を色々考えるネタ雑録ブログ 2013年8月6日付「戦時中の広告は気分が出るよね。『これを叩きつぶすのだ!!』」
http://rekisineta.ldblog.jp/zaturoku/kohkoku-hikohnippon.html
若林宣 twitter「『戦う広告』の著者でございます」
https://twitter.com/t_wak/status/464055139267911680
日本大百科全書「B-29」
https://kotobank.jp/word/B-29-120490
日本放送協会 戦争証言アーカイブス「太平洋戦争と空襲」
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/vol2.html
時事通信「終戦特集 太平洋戦争の歴史」
https://www.jiji.com/jc/v2?id=20110803end_of_pacifi_war_18
日本航空協会「沿革」
http://www.aero.or.jp/gaiyo.html
Yahoo!知恵袋「戦時中、アメリカン軍の銀色の爆撃機を日本人はこどもでさえも『B29』だと知っていましたが、何で機種を知っていたのですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12154105517
| - | 20:05 | comments(0) | trackbacks(0)
投げ縄で牛や馬を捕まえる意味を込めて「ラリアート」
プロレスリングを愛好する人は、選手が技を決めたときの快感を味わうのではないでしょうか。応援している選手が技を決めたときはなおさらです。

愛好者に技を知ってもらうためという理由もあるでしょう、それぞれの技にはよび名があります。たいていの技は英語で表されるものであり、日本語に訳すれば、技と意味が一致するものです。

たとえば、かつてメキシコ出身で覆面のミル・マスカラス(1942-)が得意技としていた「フライング・クロス・アタック」は、勢いをつけて飛びながら両腕を交差させて相手選手の体にぶつかり攻めるもの。だいたい、名が体を表しています。

しかし、技の名は有名でありながらも、その語がなにを意味しているのか、さほど知られていないといった技もあるものです。

かつて日本で活躍し、「不沈艦」の愛称をもつスタン・ハンセン(1949-)の得意技といえば「ウェスタン・ラリアート」。「ウェスタン」は、ハンセン選手のカウボーイ姿から、「西部」あるいは「西部劇」にちなんだものと想像できます。

では、「ラリアート」とはなんなのでしょうか。

「ラリアート」を英語で綴ると“lariat”。ではと、「lariat」で画像検索すると、紐状の道具を写した画像が多く出てきます。

「ラリアート」は、「(馬、牛などを捕まえる)投げ縄」「(草を食べている家畜を杭につなぐ)つなぎ縄」とあります。また、動詞として「投げ縄で捕まえる」「つなぎ縄でつなぐ」という意味も。


“lariat”で出てくる写真
写真作者:Mac Armstrong

これらの意味と、ハンセン選手のウェスタン・ラリアートのようすから見ると、「投げ縄で馬や牛を捕まえるように、腕を当てて相手選手の首を捉える」といった意味が、技としての「ラリアート」に込められていることがわかります。

日本の文化においては、投げ縄としてのラリアートは、ほとんどの人にとって縁のない道具。いっぽう、プロレスリングの技としてのラリアートは、ハンセン選手の活躍などもあり多くの人びとに知られるようになりました。日本語で「ラリアート」と入れて画像検索すると、上位には、長州力選手、小島聡選手、金丸義信選手、そしてスタン・ハンセン選手らがぶちかますラリアートの写真ばかりが出てきます。

参考資料
小学館ランダムハウス英和大辞典「lariat」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/lariat/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
自然物は直線を嫌い、人間は直線を選ぶ

写真作者:Masaki Shiina

人は、人がつくった人工物と、人の手が加わっていない自然物と、両方に囲まれて暮らしています。山に行けば、階段や山小屋などの人工物に合うし、木々や岩々などの自然物にも合います。

たいていのものを見れば「これは人工物だ」「これは自然物だ」とわかるもの。では、直感的にわかる人工物と自然物のちがいを、ことばで表すとどうなるでしょうか。

英国の造園家ウィリアム・ケント(1685-1748)は「自然は直線を嫌う」ということばを遺しました。自然物には、直線がほぼ見られないということです。木の幹や枝の進みかた、岩のかたち、小川の流れかた、なにをとっても直線的な要素がありません。

なぜ、自然は直線を嫌うのか。これは、「万物は重力などの力を受けており、その力のかかりかたは一方向性にはならないため直線が生じない」といった論で説明がつきそうです。直線を生みだすような力のかかりかたは、自然界では生じづらいのです。

直線的な自然物もないとはいえません。たとえば、重い雨や雹が落ちてくる軌跡は直線的です。ただし、これも水滴や氷が地球の重力にしたがった結果としての直線といえます。なお厳密には、地球の自転や太陽光によって風が吹いているため、重い雨や雹の軌跡も純粋な直線とはいえませんが。

いっぽうで、人間は直線を嫌いませんでした。物理学者の湯川秀樹(1907-1981)は「自然と人間」という随筆で、「人間は何故に直線を選ぶか。それが最も簡単な規則に従ふといふ意味において、取扱ひに最も便利だからである」と述べています。

自然界では、偶然に直線が実現する確率は無限に小さいけれど、人間は自分で手を加えてものを作るとき、とりあつかうのにもっとも便利だから直線を選ぶというわけです。使われずむだになってしまう部分をできるだけ廃して建材を用意しようとすれば、その建材は直線的になるでしょう。

ただし、人工物も万物のひとつです。時が経てば、重力などの力の影響を受け、自然物の姿に近づいていきます。さいころのように四角かったコンクリートのブロックが、雨風にうたれて風化し、丸みを帯びていくといった現象も、自然物に近づいた表れといってよいでしょう。

自然や物理を大きく捉えると、人間が直線的な人工物を作るという営みが、いかに自然のありかたに逆らっているかが感じられます。

参考資料
永井由佳里「工学を人間らしくするデザイン知識」
http://mikke.g-search.jp/QHBR/2015/20150316/QHBR20150316HTB008.html
澁澤龍彦『バビロンの架空園』
https://www.amazon.co.jp/dp/4309415571
Yahoo!知恵袋「『自然は「直線」をつくらない』というのはどうしてですか。」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1080267670
池内了編・湯川秀樹『科学を生きる』
https://www.amazon.co.jp/dp/4309413722/
| - | 16:01 | comments(0) | trackbacks(0)
絞りを狭めて、手前から奥までぼかさず

デジタルカメラでは、「自動」の機能を使えば、対象物をそれなりに卒なく撮ることができます。多くの人は、この自動の機能を使って撮っていることでしょう。

しかし、どんな写真を撮りたいかという目的によっては、自動でない方法で撮るほうがその目的をかなえられます。

たとえば、手前から奥にかけて並んでいるような対象物を撮るとき、なるべく手前から奥までをぼやかせずに撮りたいとします。そうしたとき、たいていのカメラの機能としてついている「絞り優先」を使うと、かなえられそうです。

「絞り」とは、光線束の方向範囲を限定するための孔が空いた板のこと。絞りの孔を狭めると、光の入ってくる角度は狭まります。すると、絞りの孔を狭めていないとき、つまり孔の空きが大きいときにくらべて、手前から奥までのより長い範囲を焦点にすることができます。この焦点の範囲を「被写界深度」あるいは「焦点深度」といいます。

絞りの孔の空きを狭めることで、被写界深度は深くなります。つまり、対象物の手前から奥までを、ぼかすことなく撮ることができるようになります。しかし、その利点を得られる反面、犠牲が生じます。絞りの孔を狭めるということは、入ってくる光の量をすくなくかぎることにもなりますから、絞りの孔を狭めずに撮るときにくらべて、暗めに写ってしまいます。

この犠牲を穴うめするにはどうすればよいでしょう。

シャッターを長い時間にわたり空けておき、得られる光の量を多くすれば、暗めに写ってしまうことを避けられます。

しかし、シャッターを長い時間にわたり空けておくことについても、その利点を得られる反面、犠牲が生じます。シャッターを長い時間にわたり空けておくということは、撮影中にカメラが揺れるおそれが高まります。撮影中にカメラが揺れると、対象物がぶれて写ってしまうことに。

この犠牲を穴うめするにはどうすればよいか。

三脚を使うなどしてカメラを固定することができれば、カメラのぶれを防ぐことができます。

これらをまとめると、対象物を手前から奥までぼやかさずに撮ろうとする場合、カメラのシャッターの絞りを狭めて、シャッターを長く空けて、カメラを固定するといった方法が効く、ということになります。


絞りの孔を狭めて撮った写真


絞りの孔を狭めず撮った写真

参考資料
ニコン「露出 絞り値(F値)」
http://www.nikon-image.com/enjoy/phototech/manual/04/04.html
Canonが教える写真のコト「Av(絞り優先)モードにしてみましょう」
https://cweb.canon.jp/eos/special/beginner/column12/
KAN’S MEMO 2010年6月27日付「サルでもわかって欲しいカメラ原理講座: #02 絞りとは」
http://www.kansmemo.com/photo/camera/principles/entry-59.html
超簡単♪写真スクール「レンズの絞りと被写界深度の関係」
http://www.st39.net/pic-school/z0261.html

| - | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0)
商品の目的が実現し、商売できなくなる


人のなにげない発言には、ものごとへの考えかたについて深く考えさせる内容が潜んでいるものです。そのなかには、「なぜ、会社を続けるのか」といったことを考えさせるものもあります。

2018年の夏から秋にかけての猛暑により、蚊の数が減っているといわれています。蚊が活動するための適温は25度から30度。ところが、各地でこの温度帯をはるかに上まわる35度以上の気温となっているため、蚊の活動がにぶっているということです。

蚊が多いと感じれば、人は蚊取り線香などの虫よけ薬を買うようになります。しかし、そう感じなければ、人はこうした商品を買いません。

蚊が多いと人が感じないと、虫よけ薬を作り、売っている会社は困ってしまいます。蚊がいるはずの夏に蚊がいなければ、商売あがったりだからです。そうしたことが、今年2018年に起きているようです。

今年の異変を伝える報道では、虫よけ薬をつくる会社の経営者が、取材にこう答えたといいます。

「夏バテ気味の蚊の『復活』を待ちたい」

おそらく、この人物は「自分たちの作った商品がもっと売れてほしいので、夏ばて気味の蚊の復活を待ちたい」と言いたかったのでしょう。

なぜ、会社を続けるのか。

この人物にとって、自分が仕事をする理由は、「虫よけ薬をより多くの人に売りたいから」もしくは「虫よけ薬をより多く使ってもらいたいから」ということなのでしょう。

一方で、虫よけ薬が存在する理由は「嫌な蚊をいなくさせるため」です。その蚊が、今年はあまりいません。

蚊をいなくするための商品を作っている会社は、蚊がいなくなってしまうと商売できなくなってしまうわけです。そして、今年、商品を作るうえで目標としていた「蚊をいなくする」は、その商品が使われることなく達成されました。

では、虫よけ薬をつくる会社の人は取材に対して、「蚊がいなくなり、私たちの夢も達成されました」と言えばよいのでしょうか。

経営者は、社員のために、あるいは株主のために、会社を保つ必要があります。そのようなことはなかなか言えないでしょう。苦渋の末に「夏ばて気味の蚊の復活を待ちたい」という本音が出てきたのではないでしょうか。

会社がある理由とは、「おなじ実現したいことをめざす人びとが集まって、その実現したいことをおこなう」ことが本義とされます。しかし、実現したいことが実現しても、会社は続いていかなければならない。矛盾の要素をふくむこの状況は、深く考えさせるものです。

参考資料
スポーツニッポン 2018年8月7日付「活動適温25〜30度 蚊の逆襲 もう少し下がればきっと来る」
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/08/07/kiji/20180806s00042000379000c.html
日本経済新聞 2018年8月8日付「猛暑で蚊も夏バテ? フマキラやアース製薬、大幅減益」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33948230Y8A800C1DTB000/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
大人たちのすることで10歳代が影響を受け……


東京都内の医科大学では、女子や浪人年数の長い男子が不利となる得点操作がおこなわれていたことが明るみになり、社会問題となっています。

アマチュア・ボクシングでは、連盟会長の不正が告発されて以来、報道各社が試合会場にも詰めかけ、“会長の欠席“を伝えるなどしています。この会長は(2018年)8月8日に辞任を表明しました。

いっぽう、夏の高校野球全国大会では、予選も本戦もふくめ、選手や応援者たちが熱中症で倒れるといった事故が起こり、これもどのような対策をとるか課題となっています。

このところ社会でわいているこれらの問題には、なんの共通点もなさそうに感じられます。しかし、いずれも「大人たち意思決定で10歳代をはじめとする若い人たちが影響を受けている」という点で一致しています。

医科大学を受験するのは、たいてい10歳代後半か20歳になったばかりの世代たち。公平に扱われていたら合格し、入学できていたかもしれない受験を、大人たちの判断によって不合格にさせられてきたわけです。大学受験は、人によっては、人生を左右するような大きなできごとです。

連盟会長の欠席を伝えるために報道各社が詰めかけたボクシング会場でおこなわれていたのは、全国高校総合体育大会の会場です。選手は10歳代の高校生たち。試合内容はなにも報じられず、ただ大人たちの不正に端を発した問題だけが伝えられました。通常の試合とはちがう雰囲気のなか、選手は試合に臨んだことでしょう。

高校野球の全国大会が夏におこなわれるというのは、だれもが知っていることであり、主役の高校生たちもそれは承知してはいるでしょう。しかし、「暑い時間帯には試合を避ける」「ドーム球場で開催する」といった決定を彼らが自分でくだすことはできません。高校生たちは、大人たちがくだす決定事項にしたがって、試合をしたり応援したりする立場にあります。そして、酷暑のなか、熱中症で倒れていきます。

10歳代の若い人たちからすれば、「自分たちをそんな、かわいそうな目で見なくてもいい」とあるいは感じるかもしれません。しかし、10歳代が、自分たちでどうすることもできないことを、大人たちのおこないによって強いられているという状況は、大人たちが一種の社会的弱者をつくりだしている状況といえます。意思決定権のない人たちに対して責任をもっているのは、意思決定権をもっている人たちです。

参考資料
朝日新聞 2018年8月7日付「東京医大『寄付増やしたかった』不正合格の親から謝礼」
https://www.asahi.com/articles/ASL874VKYL87UTIL029.html
デイリースポーツ 2018年8月2日付「山根会長入院 批判回避? 高校総体ボクシング開会式欠席『体調不良』
https://www.daily.co.jp/general/2018/08/02/0011503053.shtml
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「緑の甲子園」は「緑の京セラドーム」に

阪神甲子園球場
写真:Google Earth

2018年の高校野球全国大会が、兵庫県の阪神甲子園球場で8月5日(日)に始まりました。例年にない暑さのため、球場で熱中症になる人のことが心配されています。実際、初日の6日(日)には、熱中症の疑いがある人が16人いたと大会本部が発表しました。

夏の高校野球の暑さ対策のひとつとして議論されているのが「ドーム球場で開催する」といったもの。冷房が効くためです。そして、もしドーム球場で開催するとなった場合、よく候補にあげられるのが、大阪市内にある「京セラドーム大阪」です。


京セラドーム大阪
写真:Google Earth

これまで、「甲子園(球場)」は、高校野球の全国大会が開催される場所として、100年のあいだに定着してきました。そして、「甲子園」は「高校生をはじめとする若い人たちの全国大会」を象徴することばとしても定着してきました。

「甲子園」の名がつく高校生の大会は、さまざまな分野に及びます。もし今後、高校野球を「京セラドーム」でおこなうことになり、「夏の高校野球の全国大会といえば京セラドーム」という概念が定着してきたら、高校野球以外の高校生の大会も「何々の甲子園」から、よび名は変わっていくものでしょうか……。

たとえば、全国高校ゴルフ選手権は「緑の甲子園」ともよばれているそう。これは「緑の京セラドーム」となります。京セラドーム大阪の巨大な金属色の円盤が緑色に塗られたようすを想像させます。いまは。

全国高等学校対抗民家町並みフォトコンテストという事業は「民家の甲子園」とよばれているそうです。これは「民家の京セラドーム」となります。京セラドームには、公共施設のほかに民家があるような印象をあたえます。いまは。

また、高校生が森、川、海の名人を訪ねて考えかたや生きかたを「聞き書き」して発信する「聞き書き甲子園」という活動もあります。これは「聞き書き京セラドーム」となります。京セラドームの魅力を伝える本の名前にありそうです。いまは。

ほかにも「甲子園」がついた大会名はいろいろあります。それらが「将棋の京セラドーム」「アニメ京セラドーム」「科学の京セラドーム」「俳句京セラドーム」「鉄道模型の京セラドーム」とよばれるときはくるのでしょうか。

ただし、「京セラドーム大阪」は、京セラが命名権を得て、名称としてよばれているもの。このさきもずっと「京セラドーム大阪」とよばれるつづけるとはかぎりません。

「夏の甲子園は第3日目」といったように、「甲子園」といえば「高校野球の全国大会」といった意味で通じます。それほどまで、甲子園球場がどんなところであるのか、そのイデアが一般の人には共有されています。「京セラドーム」には、まだそうしたイデアがありません。いまは。

参考資料
ウィキペディア「甲子園の名がつく高校生大会一覧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/甲子園の名がつく高校生大会一覧
サンケイスポーツ 2018年8月6日付「熱中症の疑いは16人 大会本部発表/甲子園」
https://www.sanspo.com/baseball/news/20180806/hig18080621330037-n1.html
| - | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0)
写生は撮影とは異なるもの

絵作者:Diogo Moraes

撮影機能つきのスマートフォンを多くの人が持ちあるいています。だれもが、自分の見ている景色を写真におさめることができるわけです。このイノベーションがあったからこそ、フェイスブックやインスタグラムといった、新しい意思疎通のかたちが広がったわけです。

しかし、だれもがかんたんに撮影できるいまの時代であっても、「写生」つまり眼前の景色を絵に描くという行為はなくなりそうもありません。撮影ではできないけれど、写生であればできるようなことがあるからです。

たしかに、対象となる景色やものを「見る」ということでは撮影も写生も共通しています。けれども、撮影と写生では見ている時間の長さが大きくちがいます。写生をするときは、対象物を見つめつづけたり、何度も見たりしなければなりません。

それだけ詳しく対象物を見るということは、対象物がどんなつくりをしているのかを詳しく理解することにつながります。たとえば、渓流の景色を写生すれば、どのくらいの大きさの岩があるか、岩の置かれかたによってどのように水が流れているか、どのくらいの速さで水が流れているか、といったことを掴むことができます。そこで得られた情報は、写生をしたものを模型にするといった目的でも役立つでしょうし、観察力を養うといった能力向上にもつながるものとなります。

また、写生をすることは、対象物の特徴を明らかにすることにもつながります。写真撮影とちがって、眼前の景色のすべてを写生で表現することはできません。そのため、写生するときは必然的に、対象物の特徴的な部分を選んで拾って、それを絵にしていくことになります。つまり、写生をとおして、対象物のなかで伝えるべき部分を明確にすることができるわけです。その成果は、つぎの段階として絵画や模型などをつくる場合、デフォルメの作業に活かせます。

また、抽象的ではありますが、写生をすることにより、対象物と長く向きあうことになるため、対象物に対する記憶や印象の度合を高めたり、思いいれを強めたりすることにもつながります。こうした、印象や記憶、また思いいれは、創作の源にもなりうるものです。

複数の人が、作品づくりに携わっているような場合は、写生した絵が、みんなで分かちあう設計図のような役割を果たすことにもなります。人それぞれの頭にある完成形のイメージがばらばらなままだと、完成品の精度や統一性にも高まりづらいもの。しかし、写生で絵が描けていれば、みんながその描かれてある絵を完成イメージとして共有することができます。

写生を手段でなく目的とする人もいることでしょう。つまり、写生している時間を「楽しい」と感じ、描いたものに満足するわけです。撮影でもおなじように「楽しい」と感じる人もいるでしょうが、自分で手を動かして絵にしていくという点は、写生ならではの楽しさといえます。

撮影でなく写生をすることの目的や意義は、これほどさまざま。一見、撮影と写生はおなじような行為に捉えられがちですが、じつは根本的に内容の異なる行為と捉えるべきものといえそうです。

参考資料
3dtotal.jp 2017年1月27日付「特集 スケッチを上達するための10の心得」
https://3dtotal.jp/features/3339/
西川悠子「観察時における学習効果を上げるためのスケッチの研究」
https://aue.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5168&item_no=1&page_id=13&block_id=21
清須市はるひ美術館 館長ブログ 2013年4月4日付「スケッチすることは、スケッチ画を作ることではない。」
http://museum-kiyosu.jp/blog/blog/2013/04/04/april-4-2013-スケッチすることは、スケッチ画を作ること/
増成和敏『プロダクトデザインのためのスケッチワーク』
https://www.amazon.co.jp/dp/4274069281/
ゆる〜く嗜む鉄道模型「スケッチを描く」
http://moritetsu.info/model-railway/a-layout-is-made/a-sketch-is-drawn/
| - | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0)
表現したい部分を強調する

写真作者:art_inthecity

芸術や工業などでは、意匠のしかたひとつとして「デフォルメする」ということがあります。

「デフォルメ」は、“déformer”と綴るフランス語。さらにその語源は、ラテン語の「形をくずす」という意味の語とされ、その原義には「形を悪くする」「醜くする」といった否定的な意味があるともされます。

しかし、いまの時代においては、形を悪くしたり、醜くしたりするために対象物をデフォルメすることはまずありません。とくに美術では、対象を変形させて表現することを「デフォルメ」とよびますが、その目的は大きくいえば「表現したい部分を強調するため」といえるのではないでしょうか。

産業的な意匠においてもデフォルメはなされます。たとえば、地図をはじめとするインフォグラフィックスでは、使う人が情報を取捨選択でき、わかりやすく使えるためにデフォルメがなされます。これも上に示したような「表現したい部分を強調する」といった目的に当てはまります。

ほかにも、「モデルとなるものが細かすぎて忠実に模造できないから」といった理由でデフォルメをするといった、必要性からくる理由もあるでしょう。ただし、しかたなく簡略化することは消極的ですし、デフォルメする本分からは外れそうです。

デフォルメが、表現したい部分を強調するためものとすれば、意匠でデフォルメをほどこす人は「自分はなにを表現したいのか」を定めておかなければなりません。そのためには、モデルとなるものをよく観察して「なにがそれを特徴たらしめているのか」「なにを自分として伝えたいのか」といったこと考える作業が必要となります。また、デフォルメをするために「なにを省いたら伝えたいことをより効果的に伝えられるか」といった削る要素についても吟味する必要があるでしょう。

デフォルメも、伝えたいことを伝えるための手段と考えると、なにをどうすべきかがわかってきます。

参考資料
カタカナ語の意味まとめ「デフォルメの意味とは」
http://imimatome.com/katakanagonoimi/katakana41.html
笑える国語辞典「デフォルメ」
https://www.waraerujd.com/blank-34
菅沼優子、根岸博康、川又武典「図形のデフォルメ技術」
http://www.mitsubishielectric.co.jp/corporate/giho/2011/11/pdf/1111112.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『「がん」はなぜできるのか』

たちまち重版のようです。

『「がん」はなぜできるのか』国立がん研究センター研究所編、講談社ブルーバックス、2018年、288ページ


病気への関心とは、自分や家族がならないとなかなか起きないもの。しかし、こと「がん」については、日本人の2人に1人が生涯に一度はがんになるといわれている。病気の重さや、率の高さからすると、がんの経験ある人もない人も、がんは「知っておくべき病気」といえる。

がんを知ることで、私たちはなにを得られるのか。本書『「がん」はなぜできるのか』は「がん対策の重要な柱となっている『がんの予防・早期発見』『がんの効果的な治療』、さらには、『がんと共生すること』が可能となる」と述べている。

本書は、書名にあるような問い、つまりがんの生じかたについての知見を詳しく示す。だが、それだけでない。生じたがんがその後、生きのこって転移する過程や、生じたがんの治療法、生じさせないための予防法などについても各章を割いて詳しく説く。そして、刊行時の2018年前半までにおける最新の知見も提供する。

つまり、本書は、がんをめぐる先端的な知見を総じて伝えるものになっている。

はじめに示されるのは、がんの実相だ。勝手に増殖を続ける「自律性増殖」、周囲組織への拡大や血流に乗ってほかの部分移る「浸潤と転移」、そして体の衰弱をもたらす「悪液質」といった、がんの特徴をあげる。また、「遺伝子変異が次第に積み重ねられた結果、がんが発生する」といった、広く受けいれられているがん発生のしくみも示す(第1章)。

その後は、その「多段階発生説」とよばれるしくみをさらに掘りさげる。細胞の遺伝子の複製に誤りが生じ、さまざまな修復機構をかいくぐるように誤りが残されると、それががん細胞になる(第2章)。

そして、がん化した細胞は、がんを異物として攻撃する免疫のしくみを、排除、平衡、逃避という段階的なしくみで打ちやぶっていくという(第3章)。

さらに転移の段階では、がん細胞を無限につくりだせる「がん幹細胞」が、静止期には抗がん剤の影響を免れるため、これが再発のもとになるとする最新の説を示す(第5章)。

いっぽうで、がんと老化との関係も解明が進んでいるようだ。細胞の老化が起きると、液性因子とよばれるホルモンのような物質が細胞外に出て、これが周囲の細胞に慢性炎症という状態をもたらし、発がんにやがんの悪性化につながる可能性があるという(第4章)。

がんへの対処のしかたにも進歩が見られる。

治療法では、がん細胞が免疫から逃れるしくみを壊す「免疫チェックポイント阻害剤」が開発され、がん治療法のひとつ、免疫療法において「まったく新しいページを開いた」と期待を抱かせる(第3章)。

がんの見つけかたについても、多数種あるマイクロリボ核酸(miRNA:micro RiboNucleic Acid)という物質のうち、特定の種類の増減が、がん発生の目印になるとして、診断法の開発に向けた研究が進んでいるという(第6章)。

予防についても、喫煙や飲酒あるいは感染などの予防可能な要因でがんになった日本人は男性で66%、女性で30%近くといった具体的な数値を示す。そのうえで、「禁煙」「節酒」「食生活」「身体活動」「適正体重の維持」を実践している人は、実践していないあるいは1つのみ実践している人にくらべて、男性で43%、女性で37%、がんになる危険が低くなるといった数値も示す。疫学的な研究で、こうした効果も具体的な数値とともに示せるようになってきたのだ(第7章)。

最後は、がんにかかわるタンパク質や酵素の分子を狙いうちする分子標的薬の可能性や、発症部位でなく原因遺伝子をがんの分類の根拠とする時代に転換する展望などを示して本書をしめくくる(第8章)。

このように、がんをめぐる知見を総合的に伝える本になったのは、国立がん研究センターの多数の研究者がこの1冊の新書に携わったからだろう。専門分野の異なる12人の研究者が、各章で先端研究の知見を示している。また、そうした専門的な話を、4人のサイエンスライターが取材し、執筆したともいう。多くの人物が携わったからこそ、すべての章で詳しい内容となった。大勢でつくる本の力を感じさせる。

がん幹細胞と転移についての話や、がんと老化の話などもそうだろうが、研究が進んでいる最中の話題についても多く述べている。長く読まれる本のかたちで、結論のまだ出ていない話を出すことにはリスクもあるだろう。だが、「未解決な問題についても広く多くの方に知ってもらうこと」も目的のひとつとしたという。これを、がんに対する関心を抱かざるをえない人びとに対する誠意と受けとめたい。

『「がん」はなぜできるのか』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4065120934

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設計にともなう思想を明らかに

写真作者:Lyncconf Games

人工知能がこの先どれほど人間のような創造的行為をするかはわかりませんが、いまのところ「設計する」という営みは、人間だからこそなせる業といえそうです。

設計とは、建てものを建てたり、ものを作ったりするときに、対象となるもののつくり、材料、作りかたなどの計画を図に表すことをいいます。そして、意味が一般化して、計画を立てることや、その計画のことをさすようにもなっています。

すでに存在するものをあらためて作るときには、設計する必要はさほどありません。そのものをつくる設計がすでにされているからです。よって「設計する」という行為は、たいていにおいて「新しいものを作る」ときにおこなわれるものとなります。

設計には、よく「思想」がともなうともいわれます。思想とは、一般的には、生きる世界や人生についてのひとつのまとまった考えのことをいいます。「設計の思想」とは、設計をするうえでのまとまった考えということになります。工学者の田浦俊春は、「設計思想」を「プロダクトを設計する際に意識する理念や戦略」と定義し、ここでの「理念」とは「あるべき姿に関与するもの」、また「戦略」とは「優先順位づけ」としています。

なにか新しいものを作るとき、人は頭を使って「こんなものを作ろう」と考えるはずです。さらに「こんなものを作ろう」と考えるまえに「こんなことで困っている」「こんな夢がある」といった思いももっているかもしれません。つまり、なにかのものを設計するとき、思想がともなうのはあたりまえともいえます。

じかし、あたりまえのことに対して「設計思想」といったように「思想」ということばがあえて使われるのは、設計するときその思想を明らかにしておくことが大切だと人びとが考えているからではないでしょうか。

どんな設計にも思想はあります。しかし、設計をする人が、設計の思想を具体的に明らかにしておくことには利点があるわけです。

その利点とはどんなものか。突きつめていけば、作られたものに接する人びとの心をより動かせるようになる、ということではないでしょうか。

設計思想を具体的に明らかにしておけば、まずそのものを作っていく人の迷いや、自己判断による誤りをすくなくすることができます。設計思想があれば「こういう設計思想があるのだから、ここにはこの材料が使われないとおかしい」「こっちの色がふさわしいに決まっている」と、おのずと選択肢の答が見つかるはずです。つまり、人の迷いや誤りがすくなくなり、全体として、作られたものにおけるあいまいな部分をなくせるわけです。

そして、作られたねらいが、あいまいでなく明らかであるものは、それに接する人の心を動かすことになります。伝えたいことが具体的で端的であるほど、そのものに接する人はその伝えたいことに心を集中させるでしょうし、設計者の考えと一致すれば、その人は共感することでしょう。たとえ、共感しないとしても「自分はこの手の作品は受けつけない」と反応させることができます。

「とりあえず手を動かして作っていく」といった考えかたもあり、そのほうが作業を速くできる可能性はあります。しかし、ものを手をかけて作るときには、時間をかけてでも設計の思想を具体的で明らかにしておくほうが、設計者にとっても、ものを作る人にとっても、ものに触れる人にとっても、作られたものに対して納得の進むものになるのではないでしょうか。

参考資料
デジタル大辞泉「設計」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/124370/meaning/m0u/設計/
デジタル大辞泉「思想」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/97175/meaning/m0u/思想/
田浦俊春「『設計思想』に関する一考察」
http://www.research.kobe-u.ac.jp/eng-mech-design/taura/img/taura_pub/Japanese/taura1017.pdf
| - | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0)
アナウンサーも日常的に「やつ」

写真作者:Renée Johnson

ラジオやテレビの放送を聴いていると、日常的に「やつ」ということばが使われています。

「いま2枚の写真を見ていますが、右のやつは5年前に撮ったんですね」
「高価なやつが出まわっていましたが、ついにこの値段になりましたか」
「スーツはやっぱり、黒いやつを一着、もっていますよ」

このような具合です。

「やつ」は、漢字で表すと「奴」。国語辞典には、意味のひとつとして「『こと』『もの』の意をくだけていう語」とあります。放送で聞かれる「やつ」はたいてい「もの」と置きかえられそうです。

「いま2枚の写真を見ていますが、右のものは5年前に撮ったんですね」
「高価なものが出まわっていましたが、ついにこの値段になりましたか」
「スーツはやっぱり、黒いものを一着、もっていますよ」

もともと「奴」は「やつこ」、漢字を入れると「家つ子」とからきていることばで、その意味は「最下級の奴隷」「家来」「とりこ」「人などをののしっていう語」また「自分をへりくだっていう語」などとあります。これらの意味からは、「卑しい人、もの」といった語感があったとうかがえます。

そして「やつこ」が略されて「やつ」になったとも。略されたとはいえ、やはり「やつ」にも俗っぽい表現といった感覚はつきまとうものです。

放送での人びとの発することばに着目していると、「やつ」を使う人は広くいるもよう。なかでもアナウンサーが平気で使っているときもあります。もちろんニュース原稿を読むときは「やつ」でなく「もの」と書かれてあり、それを読んでいるようですが、原稿のない自由な会話では、むしろ「もの」を使うより「やつ」を使うアナウンサーのほうが多いのではないでしょうか。

なかにはアナウンサーが「やつ」を口にしている場面に遭って、「伝達の職業とする人が『やつ』を口にするとは」と不快な思いをする人もいるのかもしれません。

しかし、アナウンスの規則などで「『やつ』は使わず『もの』を使うように」などと書かれていなければ、あるいは書かれているとしても、アナウンサーでさえ多くの人が「やつ」を使っている実状があります。

それほど、「やつ」というやつは口に出しやすいことばなのでしょう。「自分は使っていない」と思っている人も、自分で気づかないだけで使っているのかもしれません。

参考資料
Yahoo!知恵袋「言葉遣いで気になっているのですが……」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1241572007
デジタル大辞泉「やつ」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/222093/meaning/m0u/やつ/
デジタル大辞泉「やつこ」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/222134/meaning/m0u/やつこ/
| - | 19:53 | comments(1) | trackbacks(0)
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