科学技術のアネクドート

2月から3月は「ふだん10秒のところを9秒で」こなすことに


2月も28日。つまり末日になってしまいました。日が明ければ3月1日がきます。

「2月28日が終わると3月1日がくる」ことの意味の重大さに気づいている人はあまり多くありません。このブログでは、毎年この時期、ほぼおなじ内容の記事を出して、重大さを訴えています。しかし、どういうことか、世間ではまったくといってよいくらい話題になっていないようなのです。orz.

なにが重大かといえば、「2月のある日から、3月のおなじ数字の日までは、31日間でも30日間でもなく、28日間しかない」ということです。たとえば、2月15日から3月15日までは28日間しかありません。1月15日から2月15日まで、あるいは3月15日から4月15日まではともに31日間もあるというのに……。

ここに、毎月15日に品物を納めるような仕事をしている人がいるとします。こうした人はたいてい、その月の納品を終わらせてから、つぎの月に向けての作業を始めるのではないでしょうか。

すると、2月15日に納品をするためには、前月の納品日の翌日である1月16日から数えて31日間かけることができるわけです。ところが、3月15日に納品をする分は、2月16日から数えて28日間しかかけることができないわけです。

「3日間、短い」ということの影響は、1か月の長さからするとさほど感じらないものかもしれません。しかし、28日間は、31日間にくらべて、およそ9.6パーセントも短いという厳然たる事実があります。もっと短い間隔でこのちがいを考えると、そのおそろしさが感じられるのではないでしょうか。たとえば、ふだんは10秒かけることができる作業を、およそ9秒しかかけることができない日常が1か月間つづくとしたら……。

まさに、2月のある日から3月のおなじ数の日にかけての1か月間は、いつもより9.6パーセント短い日常がつづいているのです。

このことの重大さに気づいている人は、2月から3月にかけて、ふだんは仕事をしない土曜や日曜に3日間分の仕事をして埋めあわせるか、3日分の仕事を意図的に引きうけず仕事の量をほかの月とおなじにするか、なんらかの手を打つかもしれません。ことの重大さを意識して過ごすというだけでも、それなりの効果はあるかもしれませんが。

しかし、ことの重大さに気づいていない人は、2月から3月にかけてもほかの月とおなじ仕事の量を、9.6パーセント短い期間にこなすことになります。「3月はやけに忙しかったな」と感じたらそれは気のせいではありません。実際に忙しかったのです。

月単位以上で定期的に品物を納めている多くの方々が、この事実に気づくことを願ってやみません。
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(2018年)3月17日(土)は「百寿社会の展望」シンポジウム


催しものの案内です。

(2018年)3月17日(土)東京・本郷の東京大学伊藤国際学術研究センター伊藤謝恩ホールで「百寿社会の展望」シンポジウムが開催されます。代表世話人は、慶應義塾大学医学部教授の伊藤裕さん。

『ライフ・シフト 100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン著、東洋経済新報社刊)が売れるなどし、「100歳まで生きることがあたりまえになる」といった雰囲気が社会で起きはじめています。厚生労働省による2017年の高齢者調査では、100歳以上の人は全国で6万7824人。20年間でおよそ6.7倍、増えたといいます。

しかし、シンポジウムでは、「『生命寿命』は延伸する一方で、社会的に自立して生きることのできる時間、『健康寿命』は伸び悩み、その10年のギャップは一向に縮まる様相がありません」「長く生きながらえたその先に、『幸福』は待っているのでしょうか」と、長生きをめぐる課題も投げかけます。

案内文には「本シンポジウムは、可能な限り多彩な領域から、さまざまな方々にお集まりいただき、我が国に現出した『百寿社会』という巨象を、それぞれの立場から『撫で評して』いただき、求心的にその全体像を浮き彫りにすることを意図して企画致しました」といったねらいが述べられています。

シンポジウムは3部構成。

「セッション1」では、「百寿者を支える医学と医療」という主題のもと、京都大学元総長の井村裕夫さん、日本医師会会長の横倉義武さん、国立長寿医療研究センター名誉総長の大島伸一さんが出演します。

「セッション2」の主題は「百寿者を支える社会の機構」。厚生労働省医務技監の鈴木康裕さんと日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介さんが出演します。

そして「セッション3」では「百寿者を支える技術と思想」というより広い視点での主題が設けられています。日立製作所理事でウェアラブルセンサや人工知能の研究開発者である矢野和男さん、それに東京大学名誉教授で科学哲学史を専門とする村上陽一郎さんが出演します。

人生100時代に向けての見通しや、社会が抱える課題が見えてきそうです。その解決策も見いだせるでしょうか。

「百寿社会の展望」シンポジウムは、3月17日(土)12時50分から17時30分まで、東京大学伊藤国際学術研究センター伊藤謝恩ホールにて。参加費は無料ですが、事前申しこみ制で3月15日(木)正午まで受けつけているとのこと。詳細や申しこみフォームは、シンポジウムのホームページにあります。こちらです。
https://www.c-linkage.co.jp/centenarians/

参考資料
日本経済新聞 2017年9月15日付「100歳以上の高齢者、20年間で6.7倍に 西日本に多く」
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H8O_V10C17A9EA1000/
| - | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0)
「(この駐車場では、ご利用がお得になる)最大料金(のシステムが)あります」だろう


道を歩いていると「これはどういう意味なんだろう」と思えるような表現を見ることがあります。

東京都内の有料駐車場の入口には「最大料金あります」という文言が書かれた看板があります。これはどういう意味なのでしょうか。

有料駐車場では、駐車することで料金が課せられます。なので、この駐車場で「(課す)料金あります」というのはまっとうなことです。

「どういう意味なんだろう」と考えさせられる大きな要因は「料金」の前に「最大」ということばがあることです。

「最大料金あります」。「最大料金」が「ある」ということです。「そうですか。最大料金があるのですか」と納得する人もいるかもしれませんが「最大料金があるからなんんなのか」とか「最大料金がなににおいてあるのか」とか、疑問に思う人もいるでしょう。とくにこの駐車場の料金体系を知らない人にとっては。

この駐車場を運営する企業のホームページには、「最大料金について」という小見だしのもと、つぎの説明があります。

「最大料金とは、長時間駐車のご利用がお得になる料金システムです。『最大料金 駐車後●●時間』・『時間帯最大料金』・『当日24時まで最大料金』など、主に3種類あります。最大料金は繰り返し適用されます。最大料金の設定がない曜日・時間帯については、繰り返し適用されません」

この説明からすると、「最大料金」とは「システム」だそうです。この説明だけは理解できない3種類の「最大料金」があるものの、車を停めるときこの「最大料金」を選ぶと、駐車の利用で「得する」システムであるようです。

おそらくこの看板で伝えたいことは、「この駐車場では、ご利用がお得になる最大料金のシステムがあります」ということなのでしょう。この説明を、看板の面積が狭いため「最大料金あります」と記されているのでしょう。この駐車場をつねに利用している人など、システムを知っている人は「最大料金あります」で通じるもようです。

参考資料
タイムズ駐車場検索「駐車場の料金・お支払い方法」
https://times-info.net/info/charge.html
| - | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0)
地下街を「迷宮」に見立てて未明に遊ぶ催し、大阪で


遊戯にとって「迷宮」の役割は大きなものがあります。

たとえばコンピュータゲームには、1983年にエニックス(いまのスクウェア・エニックス)から発売された「ポートピア連続殺人事件」で、事件現場で見つかる地下の迷路が展開にとって大きな鍵を握りました。また、1987年から発売されている「女神転生」シリーズでも、ゲームそのものが迷宮のなかを進むような設定となっています。

また、遊園地や空き地などには、人が出発点から到着点までたどりつくことをめざす迷路が置かれるなどもしています。

コンピュータ上の迷宮であっても構造物としての迷路であっても、これらは遊びのために設計したもの。いっぽうで、実際の街の一部を迷宮とする設定で、遊戯をしようとする企画もあります。

大阪地下街が大阪・角田町で運営する「ホワイティうめだ」では、(2018年)3月11日(日)未明の1時30分から「ホワイトシティ迷宮(ダンジョン)からの脱出」という遊戯型の催しが開かれます。

「2XXX年、目覚めると知らない空間に捕らわれていたアナタ。状況をのみ込めない中、突如モニターから声が鳴り響いた…タイムリミットは60分。脱出方法はひとつ。暗号化されたセキュリティ。脱出率1%の地下迷宮から脱出せよ」

こういった設定のもとで、応募抽選で当選した参加者100組200名が、ホワイティうめだを舞台にした「脱出」を目的とする遊びに挑む予定です。公開されている告知動画によると、60分以内に、ホワイティうめだから「脱出」することに挑むのが目的のもよう。営業時間帯はもちろん、地上出口がたくさんあって、緊急のときなどは脱出できますが、この遊びでは、おそらく脱出口を限定するのでしょう。その途中では暗号を解くようなしかけもあるようです。

「逃走中」という放送番組では、出演者たちがハンター役に捕まらぬよう一定時間を逃げまわることを目的とする設定がされています。この番組でも、日光江戸村やパレットタウンなどの街なかの遊戯・商業施設を舞台として使っています。「ホワイトシティ迷宮(ダンジョン)からの脱出」も、この番組に鼓吹されたところもあるのかもしれません。

大阪駅や梅田駅のあたりの地下街の通路網はとても発達しており、日ごろから道に迷って「ここは迷宮か」と思う人も多いことでしょう。そんな「迷宮」の評判を逆手にとった企画といえるかもしれません。催しは、日曜未明の1時30分ごろから、4時ごろまで二部に分かれておこなわれるようです。真夜中の「脱出」劇、成功を収めるでしょうか。

「ホワイティうめだ」の2018年2月15日付の新着情報「脱出ゲーム『ホワイトシティ迷宮(ダンジョン)からの脱出』2018年3月10日(土)深夜25:30開始!」にこの催しの詳しい情報があります。こちらです。
http://whity.osaka-chikagai.jp/whatsnew/detail.php?newsId=207
| - | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0)
葛西から道なりに進むと池上台に

写真作者:Hiroyuki Naito

東京には、大阪や京都などとちがって、東西と南北で交差する道路がすくなく、不規則にゆるく曲がる道路が多くあります。

ためしに、葛西臨海公園にほど近い、江戸川区葛西から北に向かうとしまいにどこまでたどり着くでしょうか。

出発地点は都道318号の始点。都道318号は「環状七号線」や「環七通り」のよびかたのほうがより知られています。

東京を車などでよく移動する人は知っているかもしれませんが、環七通りは東京23区の外縁部にある区を進んでいきます。そして、けっして直角に折れ曲がるようなところはありません。

東京メトロ東西線の葛西駅のガードをくぐり、都営新宿線の一之江駅の地上部を通り、葛飾区へ。JR総武線のガードをくぐり、中川にかかる橋をわたり、京成電鉄の高架下をくぐり、さらにJR常磐線の高架もくぐります。

そして中川公園が近づいたところで、大きく左に曲がり、南北方向から東西方向に方角が変わりますが、ごくゆるやかな曲がりかたです。足立区に入り、東京メトロ千代田線の北綾瀬駅の下をくぐり、首都高速6号三郷線の加平インターチェンジと交差します。

さらに、つくばエキスプレス、東武スカイツリーライン、日暮里・舎人ライナーの各鉄道の路線をくぐって西へ西へと進みます。

すると、道路はほんのすこしだけ左折方向に。荒川をわたる鹿浜橋を通ります。そして橋を渡ると、JR東北新幹線と東北本線の高架橋の下を、またJR埼京線の高架の下をくぐります。さらに、道は続き、首都高速5号池袋線の高架の下を、また東武東上線の高架の下をくぐります。

中野区に入ると環七通りは南へ。高円寺でJR中央総武線の高架をくぐり、その後は首都高速4号新宿線、京王電鉄、京王井の頭線、小田急小田原線を下に上にと横切ります。そうこうしているうちに環七通りは世田谷区から大田区へ。JR東海道本線の上を通り、さらに京浜急行の高架橋をくぐり、ついに環七通りの終点、平和島へ。

しかし、道路はさらに先へ進みます。道路は都道316号線に変わり、東京港野鳥公園を右に見て、左に大きく曲がります。そして大井のコンテナ埠頭を右に見ながら北上していき、首都高速湾岸線の大井料金所の上を通り、また西のほうへ。

京浜運河をわたり、ふたたび京浜急行の高架下をくぐります。ここから、都道421号線。通称「池上通り」です。青物横丁駅のすぐ北側を抜けて、道路はJR大井町駅の南のほうへ。さらにJR京浜東北線の大森駅のすぐ横を通ります。そして、春日橋で、なんとさきほど通ってきた環七通りの下をくぐります。

東急池上線の池上駅のすぐ側を通り、千鳥一丁目で第二京浜、つまり国道1号線を横切ります。そして……。

東急池上線が前方に見えてくると、池上通りはここで寸断されます。しかし、線路の先の池上通りの続きとはべつに、道路は右前のほうに向かい、東急池上線沿いを進みます。久が原駅、御嶽山駅、雪が谷大塚駅と横に見て、道路は大田区内の住宅街のなかへ。東雪谷三丁目の交差点を抜け、さらに道を進むと東急池上線の上の橋を渡ります。そして、そこから80メートルほど進むと、ついに道路は丁字路となり、緩やかな曲がりはここで終わります。

直角に曲がるようなところはなく、江戸川区葛西から大田区池上台まで、およそ74キロメートル、道路は続くのでした。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
“こちら側”の因子と結びついて転写が始まったり転写量が増えたり

「転写」のイメージ
画像作者:Servier Medical Art

生きもののからだのなかでたんぱく質がつくられるとき、その第一段階には「転写」とよばれる反応があります。転写は、デオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)をなりたたせる「アデニン(A:Adenine)」「チミン(T:Thymine)」「グアニン(G:Guanine)」「シトシン(C:Cytosine)」という4種類の塩基の並びかたを、相補的リボ核酸(cRNA:complementary RiboNucleic Acid)に写しとる反応をさします。

転写が生じるときには、転写調節因子とよばれるたんぱく質群が、相補的リボ核酸の転写の手はずを整えるリボ核酸ポリメラーゼという酵素のはたらきを促したり抑えたりします。これにより転写の反応が進んでいきます。

では、転写調節因子がどのようになると、転写が起きるのでしょうか。

塩基の並びのなかには、「シス因子」とよばれる領域があります。「シス」(cis-)とは、かつては「ローマ側の」といった意味をもっていた接頭辞で、「こちら側の」や「おなじ側の」といった語感をもちます。「ローマの向こう側の」といった意味をもっていた「トランス」(trans-)とは反対の意味をもちます。転写因子のようなたんぱく質がデオキシリボ核酸から拡散するのに対して、シス因子はデオキシリボ核酸のうえにあり、デオキシリボ核酸そからすれば「こちら側の」あるいは「おなじ側の」因子であるため、「シス因子」とよばれているようです。

デオキシリボ核酸の塩基の並びのなかで、このシス因子の領域は、遺伝子の領域の近くにあります。この領域に、さきの転写調節因子のたんぱく質がくっつくと、転写調節因子による転写の調節が始まるのです。

シス因子は大まかに二つの種類に分けられます。プロモーターとエンハンサーです。

プロモーターは、転写因子と結びつくことで、転写を始めさせる役割をもっています。「プロモーター」には「発起する者」などの意味がありますから、転写の始まりを発起するところ、とでもいえるでしょうか。

いっぽう、エンハンサーは、転写因子と結びつくことで、プロモーターきっかけで始まった転写の量を増やす役割をもっています。「エンハンサー」には「増進させる者」といった意味があります。まさに転写を増進させるわけです。

転写因子のたんぱく質と、それが結びつくシス因子の領域のふたつがわかることで、「この転写因子がこのシス因子と結びついて、ある特定の遺伝子の転写が始まる」といったことがわかるわけです。「転写調節のしくみの解析は、シス因子を定めることから始まる」などともいわれています。

参考資料
滋賀医科大学 実験実習支援センター「遺伝子発現調節機構の解析」
http://wwwcrl.shiga-med.ac.jp/home/seminar/toku_sem/sp99/idenshi/home.html
栄養・生化学辞典「シス調節配列」
https://kotobank.jp/word/シス調節配列-766740
ウィキペディア「シスエレメント」
https://ja.wikipedia.org/wiki/シスエレメント
ブリタニカ国際大百科事典「プロモーター」
https://kotobank.jp/word/プロモーター-157675
脳科学辞典「エンハンサー」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/エンハンサー
ウィキペディア「エンハンサー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/エンハンサー
| - | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0)
「できた順に」と言われ、原稿を続けざまに送るもの書きも


もの書きは、編集者から「できた順に原稿をください」と言われることがあります。

たとえば、本の原稿であれば、第1章、第2章、第3章……といったように章立てがされていますから、「できた順に」というのは、たいてい「書きおえた章から」といった意味になります。

また、雑誌の特集の原稿であれば、多くは2ページごとに1記事目、2記事目、3記事目……と構成されているので、「できた順に」というのは、たいてい「書きおえた記事から」といった意味になります。

「できた順に原稿を」と編集者が求めるのは、一挙にすべての原稿を送られてから編集作業を始めるよりも、「できた順」に送られるほうが編集作業の開始時期が早まり、作業時間を長く使えるからです。

もの書きの立場からすれば「できた順に」というのは、理想的には「これ以上、推敲をする必要がないと思える原稿を用意できた順に」といった意味になります。自分としては原稿の完成度をそれ以上なく高められた章や記事から、順に原稿を提出していくわけです。

しかし、残りの章や記事が「まだできていない」ときに、まず第1章や1記事目の原稿を編集者に提出するのは、実際むずかしいものです。これから書いてく第2章以降や2記事目以降の原稿の内容が、第1章や1記事目の原稿の内容にも影響を及ぼすおそれがあるからです。

たとえば、第1章で、「問題」と「課題」ということばを使って原稿を書いたとします。しかし、第2章以降を書いていくうちに「うーむ、『問題』と『課題』は、『課題』に統一するほうがわかりやすいな」と考えるようになり、「問題」を「課題」に換えていくとします。

もし、さきに第1章を提出してしまったとすると、第1章には「問題」と「課題」が混在したままとなります。極端にいえば、第1章の原稿は「これ以上、自分としてはもう推敲をする必要がないと思える」までにはなっていなかったわけです。

もちろん、後日くる校正刷を確認するとき、「問題」となってしまっているところを「課題」にすることはできます。

しかし、ことばの選びかたひとつだけを直すのならまだしも、書きかたによっては「ほんとうは第2章で書くべきだった内容を第1章で書いてしまい、すでに第1章を提出してしまった」といった事態なども起こりうるわけです。

そうなると、編集者に「第1章を送ってしまいましたが、やはり書きなおさせてください」と頼むか、すでに送ってしまっている第1章の内容に合わせて第2章以降を書いていくかしかありません。どちらも厄介なことですし、第1章を「できた」原稿として先に提出していなければ済んだことです。

こうしたおそれがあるため、「できた順に原稿をください」と求められても、それをすることのできないでいる書きもいるようです。すべての原稿を「できた」状態にしてから、章ごと、または記事ごとの提出メールに添付して、「第1章を送信!」「第2章を送信!」「第3章を送信!」……といった具合に、続けざまにポチポチ送信ボタンを押すくらいしか「できた順」には送れないわけです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
科学技術振興機構が第43回「井上春成賞」の候補技術を募集


国立研究開発法人の科学技術振興機構が、主催している「井上春成賞」の第43回の候補となる技術の推薦をよびかけているそうです。

賞のホームページによると、井上春成賞は「研究機関等の独創的な研究成果をもとにして企業が開発、企業化した技術であって、わが国科学技術の進展に寄与し、経済の発展、福祉の向上に貢献したものの中から特に優れたものについて研究者および企業を表彰するもの」。賞の名前になっている井上春成(1893-1981)は、同機構の前身のひとつ、新技術開発事業団の初代理事長。また、1948年に設立され、いまは産業技術総合研究所に改組されている工業技術庁の初代長官もつとめました。

毎回、原則として2件の表彰があり、表彰1件につき研究者1名と企業代表者1名が受賞しています。

前回の2017年度(第42回)の賞では、「プラズマCVM技術を応用した超小型水晶振動子の開発」に対して、大阪大学大学院工学研究科准教授の山村和也さんと、京セラ社長の谷本秀夫さんが受賞しています。CVMは“Chemical Vaporization Machining”の頭文字をとったもので、日本語では「化学気相加工」などとなるでしょうか。また、おなじく「血流画像化装置 レーザースペックルフローグラフィー」に対して、九州工業大学名誉教授の藤居仁さんと、ソフトケア代表取締役の安藤靜子さんが受賞しています。

表彰の対象となる技術については、「大学、研究機関等の独創的な研究結果であること」や、その研究成果を受けて「企業が開発し、企業化した技術(販売実績があるもの)であること」、また「科学技術の進展に寄与し、経済の発展、福祉の向上に貢献した技術であること」などが掲げられています。

同機構は「表彰候補として適当と思われるものをご推薦いただくとともに、あわせて本募集につきまして関係方面に広くお知らせくださいますようお願い申し上げます」とよびかけています。

第43回の応募期間は、2018年3月31日(土)まで。推薦書とともに、審査の参考になる書類を添付し、科学技術振興機構の事務局に提出します。

詳しくは、科学技術振興機構「井上春成賞」のホームページで。こちらです。
http://inouesho.jp/index.html
| - | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0)
「娯楽」を関心をよぶための手段にする

画像作者:Sheila Tostes

心をなぐさめ、楽しむことを「娯楽」といいます。娯楽に触れて楽しい時を過ごし「ああ楽しかった」と満たされることで人は幸せになるでしょうから、娯楽は「目的」といえます。

そのいっぽうで、娯楽の文脈で表現することで実現したいものごとに近づくという方法もあります。この場合、娯楽は「手段」となります。

たとえば、「中学校や高校などの生徒に勉強をしてもらいたい」という目的があるとします。この目的に近づくため、勉強にゲームの要素をくみこむこんでやる気を促すという方法があります。

これは「教育」を意味する「エデュケーション」と「娯楽」を意味する「エンターテインメント」をかけあわせて「エデュテインメント」などとよばれます。

また、「医療についての理解や関心をもってもらいたい」という目的があるとします。この目的に近づくため、患者やその家族が参加できて楽しめる催しものを開いて人びとが触れられる話題を提供したり、テレビ番組などで知られるキャラクターを医療機関内に目立つように置いて子どもと医療機関の距離を近づけたりするような活動があります。

こうした活動は「医療と娯楽の融合」としてすこしずつ世の中の関心を高めているようです。

実現したいことをかなえる手段として「娯楽」を利用することに対して、人びとのなかのある一定の割合の人は「真剣にとりくむべきことと娯楽を結びつけるだなんて」といった視線を注ぎこむかもしれません。

しかし、娯楽として楽しめる媒体にするからこそ、新たに関心をもつ人がいるのもたしかでしょう。こうした手段としての娯楽は、より具体的には、「関心や興味のきっかけづくりのための娯楽」だといえそうです。

参考資料
藤本徹「ゲーム学習の新たな展開」
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/media/pdf/2015_34.pdf
HeaithTech「キャップスクリニック総院長・白岡亮平氏が語る『エンタメ×医療』の可能性(後編)」
https://healthtechplus.medpeer.co.jp/people/772
シブヤ経済新聞 2018年2月19日付「渋谷で『医療福祉』テーマのクラブイベント DJライブや手話で注文するバーなど」
https://www.shibukei.com/headline/12724/
| - | 09:00 | comments(0) | trackbacks(0)
「短く」して、「切れ味」スパッと

写真作者:OIST Dani Keshav

波の振動のあり方や長さ、また方向を揃えた人工の光をレーザー光といいます。

通信や医療などにもレーザー光は使われますが、ものの材料を切ったり削ったりするため、つまり加工のためにもレーザー光がよく使われています。光を材料のごく小さな部分に集中させることで、エネルギーの密度を高め、材料を変性させていきます。

加工用のレーザー光では、ふたつの「短い」が、加工した材料の品質を保つうえでは大切といわれます。つまり、つぎのふたつの「短い」を実現すれば、材料を“スパッ”と切ることができるわけです。

ひとつめは「短い」波長。波長とは、波の「山と山」あるいは「谷と谷」の距離をさします。この距離が短い光はエネルギーを強くもちます。たとえば目で見える可視光よりさらに波長の短い紫外線を多く浴びつづけると、日焼けなどのからだへの影響が起きるのは、紫外線のもっているエネルギーが強いからです。

材料の要素となる物質の原子や分子はたがいに結びついています。この結びつきに必要なエネルギーよりも高いエネルギーをレーザー光で射せば、原子や分子の結びつきは解かれます。そのため、レーザー加工では、まず基本的に青、紫、紫外などの「短い」波長の光を用意することがめざされます。

もうひとつは「短い」光の出る時間です。この時間は「パルス幅」ともよばれます。レーザー光が出る時間が短くなると、エネルギーの瞬間的な頂点はきわめて高くなります。「プッ」という感じで、材料に対してレーザー光のエネルギーをあたえ、材料の原子や分子の結びつきを解いていくわけです。

光の出る時間の短さは、「ピコ秒」さらに「フェムト秒」とよばれる単位などで表現されます。「ピコ」とは「1兆分の1」を表す接頭辞で「1ピコ秒」は「1兆分の1秒」をさします。また、「フェムト」とは「1000兆分の1」を表し、「1フェムト秒」は「1000兆分の1秒」となります。このくらいの短い「プッ」だと、人には気づかないほどの短さかもしれませんが、瞬間的にエネルギーがきわめて高くなるため、材料をスパッと切ることができるといいます。

参考資料
気象庁「紫外線とは」
http://www.data.jma.go.jp/gmd/env/uvhp/3-40uv.html
杉岡幸次「レーザー加工の物理2 光波長と加工」
https://annex.jsap.or.jp/photonics/kogaku/public/36-08-kaisetsu3.pdf
コヒレント「ピコ秒レーザーのすすめ」
http://www.coherent.co.jp/landingpage/mmp_2014Jan/
新エネルギー・産業技術総合開発機構「『高輝度・高効率次世代レーザー技術開発』基本計画」
http://www.nedo.go.jp/content/100797144.pdf
日経サイエンス 2000年11月号「レーザーの新たな革命『フェムト秒技術』」
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0011/femto.html
| - | 17:39 | comments(0) | trackbacks(0)
近代冬季五輪の初期に「軍事偵察」
近代の五輪競技が1896年、アテネ大会から始まったのはよく知られていることです。

では、冬季五輪競技大会はというと、1924年、フランスのシャモニー・モンブランで開かれたということが“認められて”います。開催当時、この大会はフランスが「国際冬季競技週間」として開いたのを国際五輪委員会が後援したものでしたが、翌1925年に「あれが第1回冬季五輪大会だった」と追認されたといいます。

この第1回大会では、スピードスケート、カーリング、スキージャンプ、ノルディック複合など、いまの五輪競技大会でも続いている競技がほとんどのなか、いまは競技・種目となっていない「軍事偵察」という公開競技がありました。英語では「ミリタリー・パトロール」(military patrol)といいます。

この競技では、1チーム4人が30キロメートルのクロスカントリースキーをおこなう途中、中間点にある射場で3人が合わせて18発の射撃をおこなれました。射撃で1発、当たるごとに30秒分、チーム全体でかかった時間から差しひかれます。その時間がもっともすくないチームが金メダル獲得となるわけです。またクロスカントリースキーでの高低差は数百メートルにもなりました。

シャモニー・モンブラン大会では「軍事偵察」(男子競技)に開催国フランスのほか、スイス、フィンランド、チェコスロバキア、イタリア、ポーランドが出場し、金メダルにスイス、銀メダルにフィンランド、銅メダルにフランスが入ったといいます。4位はチェコスロバキア。イタリアとポーランドは悪天候の影響で途中棄権となったようです。スイスは射撃で8発を命中させ、総合時間は3時間56分6秒でした。

なお、シャモニー・モンブラン大会では、選手宣誓を軍事偵察のフランス代表カミーユ・マンドリヨン選手(1891-1969)がおこなったという記録も残っています。


カミーユ・マンドリヨン選手
写真作者:Agence Rol

「軍事偵察」はその後、1928年のスイスでのサンモリッツ大会、1936年のドイツでのガルミッシュ・パルテンキルヘン大会、そして1948年の2度目となるサンモリッツ大会でも、公開競技としておこなわれました。

クロスカントリースキーと射撃のくみあわせという点では、いまも冬季五輪の競技となっているバイアスロンとにており、軍事偵察はバイアスロンの前進ともいわれます。

参考資料
日本オリンピック委員会「冬季オリンピックの歴史 vol.1(後編)」
https://www.joc.or.jp/column/olympic/winterhistory/0102.html
ウィキペディア「1924年シャモニー・モンブランオリンピックのミリタリーパトロール競技」
https://ja.wikipedia.org/wiki/1924年シャモニー・モンブランオリンピックのミリタリーパトロール競技
国際五輪委員会 2014年更新「FACTSHEET OPENING CEREMONY OF THE OLYMPIC WINTER GAMES」
https://stillmed.olympic.org/Documents/Reference_documents_Factsheets/Opening_ceremony_of_the_Olympic_Winter_Games.pdf
ウィキペディア「カミーユ・マンドリヨン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/カミーユ・マンドリヨン
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将棋でもカーリングでも「みずから負けを認める」
娯楽や運動などの対戦競技には、「みずから負けを認める」という行為があります。きょう(2018年)2月17日(土)にも、典型的な場面がありました。



将棋では、ほぼ例外なく「投了」つまり、自分の負けを悟ったほうの棋士が「負けました」と言って勝負がつきます。

将棋の第11回朝日杯将棋オープンでは、藤井聡太五段(当時)と準決勝で対戦した羽生善治が、119手目、藤井五段に「4七桂」を指されたところで、「負けました」と頭を下げました。

さらに、決勝では、藤井五段と対戦した広瀬章人八段も、117手目、藤井五段に「3七金」を指されたところで、頭を下げました。

段位をもっているような棋士は何手も先の展開を読んでいるもの。どちらの対局でも、何手か前から対戦者がおたがいに「詰み筋」つまり、このあとかならず勝負が決することをわかっていたようです。ただし、棋士によっては、詰み直前のかたちになるまでは手を指すといった意思もあり、どちらの対戦でも最終局面ではその境地に達していたようでした。



いっぽう平昌五輪のカーリング女子では、日本と“ロシアからの五輪選手”の対戦があり、最終第10エンドを待たず、ロシアの選手たちが日本の選手たちに握手を求め、ここで日本の勝ちとなりました。第9エンドが終わったところで5対10と5点差をつけられていて、勝ち目がないと考えたロシアが負けを認めたわけです。

カーリングでは、自分たちの負けを認めることを「コンシード」といいます。英語では“concede”で、“con-”には「何々させる」、また“cede”には「進む」といった語感があり、「相手に進ませる」つまり「道をゆずる」といった意味あいをもつといいます。野球での、定められた大量得点差がついたときに試合を打ちきる「コールドゲーム」とはまたちがった趣があります。

将棋では、投了がなければ「詰み」まで進むしかありません。また、カーリングでは、コンシードがなければ「大量得点差による決着」まで進むしかありません。

しかし、そこまでたどり着かず、その手前で形勢不利な側が負けを認めるという行為には、どちらも勝者への敬意が込められていそうです。

参考資料
朝日新聞 第11回朝日杯将棋オープン戦「棋譜再生」
http://www.asahi.com/shougi/asahicup_live/?ref=jsa
カーリングのルールと用語の紹介サイト「カーリングのルール」
http://www.sports-rule.com/curling/rule.html
gogengo「英単語 concedeの意味」
http://gogengo.me/words/859
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「サプリになった沖縄・長寿村の『ノビレチン』」


ウェブニュース「JBpress」で、きょう(2018年)2月16日(金)「サプリになった沖縄・長寿村の『ノビレチン』 シークヮーサーと沖縄の人々の“共生”(後篇)」という記事が配信されました。

沖縄県の沖縄本島北部、大宜味村では沖縄の自生種とされる柑橘類「シークヮーサー」がさかんに利用されてきました。人間がシークヮーサーから恵みを得て、シークヮーサーが人間に保護されるという関係を「共生」と捉え、そのあり方の変遷を追ったものです。

人間からすれば、個人利用から産業利用へと移りかわり、そして今後はそうした利用に科学研究の成果が加わっていくといった大きな流れが見られます。記事では、大宜味村のシークヮーサーの果汁粉末に含まれる「ノビレチン」という成分をロート製薬が活用して「ノビリンクEX」という食品を開発した事例が紹介されています。

記事では、大宜味村の村長の宮城功光さんも取材に応じています。

大宜味村は1993年に「長寿日本一宣言」をした自治体。3000人ほどの村民のうち、90歳以上がおよそ150人、100歳以上が10人おり、最高齢者は女性も男性も元気に生活を送っているといいます。べつの資料によると、村の80歳代の高齢者たちには「健康維持のために食べなくてはいけないもの」という習慣があったそうです。

村長がみずからトップセールスで全国をまわるなど、村やシークヮーサーなどの宣伝に積極的です。あす2月17日(土)には、東京・押上の「東京スカイツリータウン・ソラマチひろば」で「第一回シークヮーサー祭り」が開かれ、シークヮーサージュースの試飲などもできるとのこと。こちらに詳しい案内があります。

利用のしかたが多種多様化するなかで、宮城さんは「地消地産」を続けていきたいと話しています。まず村の人びとがシークヮーサーを食べるという状態を保ちつづけ、その魅力を感じながら、さまざまな製品を手がけていこうということです。

JBpressの記事「サプリになった沖縄・長寿村の『ノビレチン』 シークヮーサーと沖縄の人々の“共生”(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52342

前篇では、「シークヮーサー」などの沖縄ことばの由来や、大宜味村でのシークヮーサーの利用法の変遷などの歴史を追っています。「本土復帰した沖縄で産業の柱になった果物」はこちら。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52291

ロート製薬が2月7日に発表した「『ノビレチン×DHA』のサプリメント『ノビリンクEX』新発売」の情報はこちらです。
http://www.rohto.co.jp/news/release/2018/0207_01/

参考資料
杉原たまえ「南西諸島の在来生物資源の商品化の過程と諸問題」
https://ci.nii.ac.jp/naid/10027729409
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提出日に品質が0パーセントから100パーセントに


「何日の何時までに納品しなければならない」という締めきり日時のある仕事に対して、ごくたまに「提出を1日、早めていただけませんか」という依頼が生じることがあります。たとえば、もの書きが「原稿のご提出、1日、早めていただけませんか」と頼まれるようなことです。その理由は「記事掲載予定日が都合により早まってしましまして」とか、「広告主が早く原稿を見たいと言ってまして」とか、さまざまです。

提出の締めきり日時が早めることは、どのように影響するものでしょうか。

締めきり日時までに成果物の提出を請けおった人が、その成果物を「どのようにつくるか」は、千差万別です。請けおった直後から作業を始め、締めきりの数日前までつくり終え、余裕をもって提出する人はいます。

そのいっぽうで、締めきりの日時が迫まるなかで、「そろそろ作業を始めなければ……」「もう始めなければ……」「やばい……」といったように、時間制限とのたたかいのなかで作業に挑む人もいます。どうしてそうした「たたかい」を強いられるのかといえば、「ぎりぎりにならないと始めない性格だから」と言う人もいるでしょうし、「先にすべきべつの作業が詰まっているから」と言う人もいるでしょう。

こうした、締めきりのぎりぎりに作業にとりかかり、締めきり間際にどうにか成果物をつくりあげるという人にとっては、「最後の1日」こそがとても大切な時間となるはずです。その日に原稿を書きはじめ、その日に原稿を書きおえるのですから。

その人がつくる成果物が、締めきり前日どのような状態だったかといえば、当然まだなんのかたちにもなっていないでしょう。

「完成度」イコール「品質」と捉えるならば、締めきり前日の段階での成果物の品質は「0パーセント」となります。まだ成果物がなんのかたちにもなっていないわけですから。締めきり当日の昼ごろでは、成果物の品質は「50パーセント」ぐらいにはなっているでしょうか。そして品質が「100パーセント」となるのは、締めきり日時の直前となるわけです。

こうしたぎりぎりの人が、「提出を1日、早めていただけませんか」という問われたとき、「1日分、提出が早まると、成果物の品質が0パーセントになってしまうおそれがありますが、それでもよろしいですか」と逆質問してもよいはずですが、そういう逆質問はなかなかおこなわれないみたいです。
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すべての動きあるものは流れがよくなるほうに進む――法則古今東西(28)

これまでの「法則今東西」の記事はこちら。



法則とはもともと存在していたものであるとともに、人間によって見いだされるものでもあります。20世紀から21世紀にかけても、「新たな法則が見つかった」という話題が続いています。

物理の分野にかかわるものでは、「コンストラクタル法則」とよばれるものが1997年ごろから唱えられるようになりました。研究の歴史が浅いことや、物理のかなり根源的な部分にかかわりうる内容であることから、物理学者たちのあいだでもまだ完全には「法則」として認められてはいないようです。しかし、米国物理学会の論文誌『応用物理学』(Journal of Applied Physics)におけるコンストラクタル法則関連の論文掲載数はすでに200本を超えているといいます。

この法則の定義はどのようなものでしょうか。エイドリアン・ベジャンとJ・ペダー・ゼインの共著書『流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則』(柴田裕之訳、紀伊國屋書店刊)のなかで、つぎのように説明されています。

「有限大の流動系が時の流れの中で存続する(生きる)ためには、その系の配置は、中を通過する流れを良くするように進化しなくてはならない」

よりかんたんに表現することを試みると、「すべての動きのあるものは、流れがよくなるほうに進むようできている」といったところでしょうか。

コンストラクタル法則は、上記の『流れとかたち』の著者の一人エイドリアン・ベジャンが提唱しはじめたものです。べジャンはルーマニア生まれの工学者で、米国デューク大学の教授をつとめています。

コンストラクタル法則を示す例のひとつに、「湧水から河川ができるまで」の過程があります。流れが速くなく近い距離を移動するだけの段階では水は拡散していくものの、流れが強まっていくと流路をもつ組織化された構造が優るようになるため河川ができていく、と説明されています。「水」にとっては、拡散の段階から組織化の段階に移ることが、「流れを良くする」ような「進化」になるわけです。

このコンストラクタル法則について特筆すべきは、天然界に見られる現象のみならず、人類の営みのしくみについても説明がつくとしている点です。

たとえば、人類はよく「階層性」を築きます。これも、「流動系が同じ有限の領域を通過する流れを効率的に動かすために、さまざまな大きさの構成要素の適切な組み合わせを使うから」(『流れとかたち』)と説明されています。

水でいうところの「本流と支流」の関係は、階層社会における「上層と下層」の関係とおなじだといいます。そして、人類の活動も「流れ」をともなうものであり、効率的な流れがなりたつには階層の存在が必要になるとのこと。

コンストラクタル法則では、そもそも、どうしてものごとは流れがよくなるように進化すると説明されているのでしょう。そこは「そういうふうにできている」としかいえないようです。

人類の営みもコンストラクタル法則に支配されているとしたら、これからの人類はどのようになっていくのでしょうか。ベジャンは『流れとかたち』の最後でつぎのように述べています。

「地球上での情報や人やものの流れを加速させた、携帯電話や携帯型のコンピューターなどの比較的新しい科学技術は、さらなる発明によって補足され、私たちの流れは、より容易に、より安く地球上を席巻できるだろう」

ベジャンのこの一文の言外には、人類は流れに沿って時を進んでいるので、人類にとってよりよい状態が未来にはやってくるという意味が込められていそうです。

過度に速度が高まっている人類の技術開発の流れは、人類や世界の破滅を招かず、「存続する」ように進んでいくのでしょうか。べジャンの言うとおり、コンストラクタル法則は人類の営みにも当てはまるのでしょうか。

その答は、近い将来にやってきそうです。

参考資料
エイドリアン・ベジャン、J・ペダー・ゼイン共著、柴田裕之訳『流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則』(紀伊國屋書店)
https://www.amazon.co.jp/dp/4314011092

| - | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0)
研究者より一般読者の知識水準で取材すべきときも

写真作者:Ivan T

記事の材料となることを、人に聞くなどして得ることを「取材」といいます。

伝え手が取材をするわけですが、「取材対象者と情報の受け手と、どちら側の位置に立って取材するか」は、伝え手にとっての板ばさみ問題といえます。

たとえば、あるもの書きが数学でだれにもできなかった証明問題を解いた数学者に雑誌の取材をするとします。

おそらくは、取材対象者であるこの数学者と、情報の受け手である読者のあいだには、数学の専門知識の相当な差があるはずです。

いっぽう、このもの書きはというと、大学時代に数学を専攻した経歴があり、数学者の話になんとかついていけなくもありません。

もの書きは取材のとき、数学者の話す専門知識の水準に合わせて「先生、有理数体上定義される各楕円曲線のモジュラー形式への翻訳については……」と質問をしたほうがよいのでしょうか。それとも、多くの読者の知識として考えられる水準に合わせて「先生、代数とはどんな数学の分野か教えていただけますか」と質問をしたほうがよいのでしょうか。

もし、この記事が、もの書きが説明する「地の文」と、数学者が談話する「かぎかっこ文」が混ざったような形式のものであれば、もの書きはおおいに数学者の専門知識の水準に合わせて聞くべきでしょう。質問を受けた数学者は「こいつ、わかっておるな」と思って多いに語ってくれるでしょう。この場合もの書きは、原稿を書くとき「誰々教授が口にした『モジュラー形式』とは……」と説明を加えればよいのです。

いっぽう、この記事が、もの書きが尋ねる質問文と、数学者が応じる回答文のくりかえし形式のものであれば、もの書きは読者の知識の水準に合わせるか、すくなくともそれを意識したほうが得策です。この形式の記事では基本的に、読者が得るべき必要な情報は取材対象者つまり数学者の話のなかのみにふくまれるものであり、その話が専門的なものとなると、読者がついていけなくなるからです。

実際、取材でもの書きの話が、取材対象者の水準に合わせたものになってしまった場合、原稿づくりではリード文や質問文にむずかしい用語や概念の説明を含ませるか、取材対象者の談話文に補足をたくさん加えて原稿を書き「先生、私のほうで補足させていただきましたので、内容ご了解ください」と了承を得るか、といった必要が出てきます。

そうなることを避け、かつ取材対象者から「こいつ、なにもわかっておらんな」と思われないためには、ところどころで専門知識を含ませた質問をしてみたり、質問をする前にあらかじめ記事が質問形式であることを伝えておくといった試みが効果的となります。

にたような板ばさみ問題は、五輪競技大会の入賞者への生放送の取材でもいえるようです。何社からの取材を続けざまに受けている入賞選手に対して、他社より専門的な質問に終始すれば、その選手は「このインタビュアー、わかっていそう」とよろこんで話すかもしれません。

しかし、視聴者の多くは、入賞選手が出演する番組を“はしご”して視聴しているわけではないので、いきなり専門的な質問から始まっても困ってしまうわけです。

その取材が、どんなかたちの記事や放送のためのものであるかをあらかじめ把握したうえで取材に臨むことが大切になります。
| - | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0)
果物の果皮成分、注目度が高まる
一般的に、果物の皮には「ポリフェノール」とよばれる、健康につながるような成分が多くふくまれています。植物にとって、次世代の種が詰まった果実を鳥やサルなどの動物に食べられてしまうのは避けたいところ。果皮に苦い成分を多く含んでいれば、そうした天敵に食べられにくいというわけです。いっぽう人間は、このポリフェノールに機能性を見いだし、逆に利用しようと考えました。

ポリフェノールは、酸素原子1個と水素原子1個からなる水酸基が複数、結びついた芳香族化合物のことを総じてさすもの。その種類はさまざまあります。代表的なものが「フラボノイド」です。炭素原子6個、炭素原子3個、炭素原子6個でなるフェニルクロマンとよばれる構造を基本にもっています。

さらに、フラボノイドも多くの種類からなりたっていますが、人の健康につながるとして注目が高まっているフラボノイドに「ポリメトキシフラボノイド」とよばれる種類のものがあります。これは、フラボノイドのもつ水酸基が、酸素原子1個と炭素原子1個と水素原子3個からなる「メトキシ基」に置換されたものをいいます。

このポリメトキシフラボノイドにもさらにいくつかの種類があり、なかでも柑橘類の果皮に多く含まれる「ノビレチン」とよばれる化合物には、さまざまな健康の効果があるとされています。


ノビレチンの化学構造

これまで、ノビレチンに対する研究では、血糖値の上昇を抑える効果、発がんを抑える効果、慢性リウマチを抑える効果などが動物実験を対象にした研究をふくめ、報告されてきました。さらに、記憶障害を改善したり、アルツハイマー病の原因とされるアミロイドβタンパク質が脳に沈着するのを抑えたり、また神経細胞を成長させるといった認知症に抗う効果があるとも報告されています。

ノビレチンそのものは、すくなくとも1990年代からその存在が報告されていましたが、あまり人びとの認知度は高いものではありませんでした。2017年に「ノビレチン研究会」が発足されるなどして、すこしずつこのポリフェノールの存在が知られだしているといった状況です。

なお、ノビレチンの発見者をめぐっては、インターネットで「“ノビレチンを発見”」や「“ノビレチンの発見と入れて検索すると、複数の固有名詞が上がってきます。高い機能性が期待されているだけに、発見者として認められることは大きなことといえそうです。

参考資料
東北大学工学研究科付属超臨界溶媒工学研究センター抗認知症機能性食品開発部門「ノビレチンとは」
http://www.che.tohoku.ac.jp/~scf/o-scf/nobiletin.html
福岡県薬剤医師会「薬事情報センターに寄せられた質疑・応答の紹介(2007年7月)」
http://www.fpa.or.jp/library/old/infomation/qa/Y7K07.html
からだサポート研究所 2017年10月12日付「ノビレチン研究会第1回学術講演会で講演します」
http://ebn.arkray.co.jp/2017/ノビレチン研究会(anr)第1回学術講演会で講演し/
| - | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0)
「自分の職業はまず、人工知能やロボットに奪われやしないだろう」

写真作者:A_Peach

人工知能やロボットの技術の進歩を受けて、近ごろ「将来、人工知能やロボットに代替される職業」をめぐる予想がさかんにおこなわれています。

オクスフォード大学のマイケル・A・オズボーンが「雇用の未来 コンピューター化によって仕事は失われるのか」という論文を発表したのが2013年9月。また、野村総合研究所が「日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に」という分析を出したのが2015年12月でした。

これらの予想では、将来、機械に代わられる職業として、たとえば受付や、ある程度の技術的作業をともなうオペーレーターなどがあげられています。

いっぽう、将来も機械に代わられることなく、残る可能性の高い職業もあげられています。それらには大きくふたつの傾向があるもよう。つまり、編集者などの「創造性や認知機能の発揮が求められる職業」と、歯科医などの「人との接触が求められる職業」のふたつです。

人工知能をめぐる未来予想を世の中に発信しようとする人は、えてして「自分は創造性や認知機能の発揮をともなう仕事に就いている」と自負しているものではないでしょうか。研究者が失われゆく職業についての論文を発表するのも、編集者が人工知能に代替される仕事の特集を雑誌で組むのも、そうした例です。

人というのは、「自分については大丈夫」とは思いこみやすいもの。これは「正常性の偏り」などともよばれます。

創造性や認知機能を発揮する人たちのあいだで「自分の職業はまず、人工知能やロボットに奪われやしないだろう」という意識が強くはたらくということもありえます。

こうした人たちはよく「将来、人間はより人間がするのにふさわしい仕事に特化して職につくようになる」といった予想もします。こうした話の言外には「私もしているような、創造性の発揮をともなう仕事こそが、これからの人間のすべき仕事なのだ」という意味も込められていそうです。

では、残る可能性の高い職業の方向性のもうひとつ、つまり歯科医などの人との接触を必要とする職業についてはというと、こうした人たちはさほど「人間がするのにふさわしい仕事」の文脈では語ろうとはしません。認知性にくらべて肉体性は「人間がするのにふさわしい仕事」と強く結びかないのかもしれません。「認知性のほうで自分は仕事をしている」という自負心をもっていれば、それも無理はありません。

人工知能とロボットでいえば、どちらかといえば人工知能のほうは、人がおこなってきた創造性や認知機能の発揮に食いこむ可能性をもち、また、ロボットのほうは、人がおこなってきた人との接触に食いこむ可能性をもっています。

実体をともなうロボットの進歩の速度より、実体をともなわない人工知能の進歩の速度のほうがはるかに高いのは明らかなことです。

はたして、創造性や認知機能の発揮をともなう仕事は、いつまでも人工知能に代替されずに済むのでしょうか。人工知能の進歩のしかたは、時が経つにつれてどんどん速度を高めるものです。未来を予想する人たちの「自分については大丈夫」という意識が強すぎるということはないでしょうか。

参考資料
Carl Benedikt Frey & Michael A. Osborne “The Future of Employment:How Susceptible are Jobs to Computerisation ?”
https://www.oxfordmartin.ox.ac.uk/downloads/academic/The_Future_of_Employment.pdf
野村総合研究所 2015年12月2日発表「日本の労働人口の 49%が人工知能やロボット等で代替可能に」
https://www.nri.com/~/media/PDF/jp/news/2015/151202_1.pdf
| - | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0)
山手線の車内に時計表示

このブログの2012年6月21日の記事「『電車に時計なし』の理由にトラブル防止説」は、ほとんどの電車に時計が付いていないという話題のものでした。

「有力な説」として述べられたのが、鉄道会社が客とのトラブルを抑えたいからというもの。電車の運行に遅れが生じたとき、時計の存在はストレスや怒りを助長させる道具になりかねないため、鉄道会社にとっては時計がないほうが無難という説です。

しかし、時代は移りゆき、状況は変わるものです。

近ごろ、JR東日本の山手線では、扉の上にある電子表示板に時計が示されるようになりました。



上の写真のように、画面の右上に「現在時刻」の文字があり、その下に「12:42」のように、時刻がデジタル表示されています。

ただし、この時計の表示について特筆すべきなのは、文字がとても小さいということ。「まもなく浜松町です」といった駅名の表示や、「こちら側のドアが開きます」といった扉の開く側の案内、また「4号車」といった号車番号などの文字にくらべると、時計の文字は小さくて目だちません。



新たな試みとして、時計の表示を始めたものの、これまで長らく時計の表示をしてこなかっただけに、控えめな表示にとどめているといった状況でしょうか。

JR東日本の報道発表の一覧を見ても、「山手線で時刻表示を始めました」といった記事は見られず、ひっそりと時計の表示を始めたことがうかがえます。

しかし、多くの人が使う路線で時計の表示を始めるということは、日本の長い鉄道の歴史において、大きなできごとではないでしょうか。報道でも、まだこの情報は見あたりません。

ほとんどの乗客が、スマートフォンや腕時計などを持っていて、自分で時刻を見ることができるなかでの車内電子表示による時計。これから、どのように発展していくでしょうか。

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「セイロンカリー」のバナナの葉に包んだスペシャルアンブラ――カレーまみれのアネクドート(105)


スリランカはインド半島の南東、ラッカディブ海に浮かぶ島国。将来インド半島とくっついてしまうかもしれませんが、いまは海を隔てていて独自の文化があります。スリランカのカレーもインドのカレーとは異なります。

スリランカのカレーは、小麦でなく米を主食としたもの。具には肉や魚をよく使います。そして、ココナッツミルクもよく使います。

そんな、スリランカのカレーを日本で“きちんと”食べられる店が大阪にあります。大阪市・南船場の「セイロンカリー」です。セイロンとは、スリランカの昔のよび名。この店はもともと同市内の泉尾にありましたが、2016年に南船場に移転しました。

この店の献立表の最初にあるのが「アンブラ」。「たくさんの副菜とパパダムとカリーを混ぜて食べる」とあります。「パパダム」とは、南アジアで食べられている薄いクラッカーのこと。そして「副菜」としては「マッルン」(炒めもの)、「ポルサンボーラ」(ココナツのふりかけ)、「モージュ」(和えもの)、「アラバドゥマ」(じゃがいもの辛炒め)、「パリップ」(レンズ豆カレー)などの名が連なっています。

さて、この「アンブラ」を特別な料理にした「バナナの葉に包んだスペシャルアンブラ」が、土曜と日曜に「本日のスペシャル」でたまにお目見えすることがあります。冒頭の写真は「スペシャル」のほうのアンブラ。

皿に載ったバナナの葉を開けると、なかからさまざまな副菜が。青バナナや、スリランカの茄子「ノーコール」などの、より現地に近い食材が使われているとのことです。卵やライスもバナナの葉に包まれています。また、賽の目切りの胡瓜やパイナップルなどが入った白い舟形の皿も。

さらに、別皿で一種類のカレーも出されます。写真はマトン(羊肉)のカレー。とろっとしていません。スリランカでは「カレー」とは「煮込み」を指すという話もあります。

献立表の「アンブラ」の説明にあるとおり、これらをすべて混ぜていきます。マトンカレーも上からすべてかけて、スプーンで混ぜ混ぜ。卵は、半熟よりもややかためです。

副菜や具材どうしの境界線はもはやなくなりました。それを口に入れると、それぞれに異なる味の具が調和し、“ただひとつの味”となります。さほど辛くはありません。パイナップルの酸味が味全体のなかでは際だちますが、これも“ただひとつの味”の要素となっています。

スリランカのカレーとの初めての接点を、この店で果たしたという人は、「スリランカのカレーとは、かくも完成度の高い味のものなのか」という印象をもつことになりそうです。

「セイロンカリー」の食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270106/27072653/

「スペシャルアンブラ」が「本日のスペシャル」として出される日にちについては、同店のツイッターでご確認ください。
https://twitter.com/ceyloncurry2013
| - | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0)
環境を評価するように景観も評価する


「どんな風景がお気に入りですか」と聞けば、さまざまな答が返ってくることでしょう。湖面にも反射する山並み、都会の建てものに溶けこんだ銀杏の並木、街のなかにめぐらされた清流……。人はそれぞれ、心豊かになる風景をもっているものかもしれません。

目に映える景色や風景のことを「景観」といいます。もともと「景」には「日ざし、ひかり」といった意味があったそう。「景観」がとくに優れた景色をさすことが多いのも故なしとしません。

景観を大切にするという社会の意識は、昔にくらべて高まっています。親しみなれた風景の地に、不釣りあいな印象をあたえる建てものがたてられようとすると、「景観を損ねる」から反対するという人びとの意識も昔より高まっているのではないでしょうか。

そうした社会の背景があって、日本では2004年に「景観法」が制定されました。この法律の第一条には、法律の「目的」がつぎのように書かれてあります。

「我が国の都市、農山漁村等における良好な景観の形成を促進するため、景観計画の策定その他の施策を総合的に講ずることにより、美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現を図り、もって国民生活の向上並びに国民経済及び地域社会の健全な発展に寄与すること」

さらに、この法律がつくられる拠りどころとなったのが、2003(平成15)年に国土交通省が定めた「美しい国づくり政策大綱」という国の方針です。この大綱で「景観に関する基本法制の制定」が施策として出されました。つまり、よい景観をつくったり保ったりするには、法律をつくるべきだという方策が示されたのです。こうしたことがあり、景観法は制定されました。

景観についての国の方針や法律を受け、「景観評価」のしくみも整っていきました。景観評価とは、建てものや土木施設などをつくる計画が立てられるとき、それらのまわりの景観にあたえる影響をあらかじめ評価するというもの。「景観アセスメント」ともよばれます。開発が環境にどう影響するかを事前に評価することを「環境アセスメント」といいますが、おなじような考えかたが「景観」に対してももたれるようになったのです。

国土交通省は2004年6月、「国土交通省所管公共事業における景観評価の基本方針(案)」を通知しました。公共事業をするとき、協力して景観づくりをしていく関係者たちができるだけ客観的に、また論理的に景観についての価値判断をおこなう必要があるために、こうした方針がつくられました。事業の構想から施行の段階では「景観整備方針」を定めて、景観形成の「目標像」や整備の「具体的方針」などを事項に入れること、また完成後は、見直しが必要ないかの評価することなどが示されています。

さらに、この方針が示されてから約3年後の2007年3月には、景観アセスメントを本格的におこなうため見直しが必要という考えのもと、国土交通省は「国土交通省所管公共事業における景観検討の基本方針(案)」を示しました。この基本方針では、「景観検討」をつぎのように定義しています。

「『景観検討』とは、事業の構想・計画・設計段階における景観整備の方針の策定、景観の予測と評価、その結果を踏まえた計画・設計案への反映、施工段階における景観整備の方針に則した事業の実施及び維持・管理段階における景観の保全並びに事業完了後の事後評価による改善方策の検討や類似事業、景観検討手法への反映をいう」

つまり、公共事業の構想段階から完成後段階までにわたり、景観のことをよく考え、保とうとすることを指しています。

その後、2009年に改定されるなどしつつ、この基本方針は続いています。

開発や工事が構想・計画どおりに進むと、その場所がどんな景観に変わるか。これを実際に工事しないうちに、実物とおなじようにありのまま表現するための技術は進んでいます。そうした技術や制度の進歩とあいまって、環境評価はこれからも続けられていきます。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「景観」
https://kotobank.jp/word/景観-58609
国土交通省「公共事業における景観アセスメント(景観評価)システムの概要」
http://www.mlit.go.jp/tec/kankyou/keikan/pdf/keikanasesusystem.pdf
e-Gov「景観法」
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=416AC0000000110&openerCode=1#A
国土交通省「美しい国づくり政策大綱」
http://www.mlit.go.jp/keikan/taikou.pdf
国土交通省「国土交通省所管公共事業における景観評価の基本方針(案)」
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/13/130625/02.pdf
国土交通省「国土交通省所管公共事業における景観検討の基本方針(案)」
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/13/130330/01.pdf
| - | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0)
藤井棋士のポスター、ごく一部で「たいへん味わい深い」と話題に

棋士の藤井聡太五段の写真が使われている「振り込め詐欺」対策を啓発するポスターが、ごく一部のあいだで「たいへん味わい深い」と話題になっていました。



このポスターの出稿者は、原宿警察署、原宿防犯協会、日本将棋連盟の共同によるものと考えられます。

写真の状況は、おそらく対局中。藤井四段(当時)は将棋盤上に集中していたのでしょう、伏し目です。

ポスターの惹句はというと、まず、上のほうに赤帯のなかに白抜き文字で「振込詐欺撲滅へ 対策の一手」とあります。「一手」というのは「ひとつの方法」、厳密にいうと「ただひとつの方法」を指します。ここは当然、藤井四段が棋士であることから「将棋のさし手」としての「一手」をかけているのでしょう。

つぎに下のほうにもうひとつ、白地に赤文字をあしらった惹句があります。

「その電話。待った!」

こちらの惹句を、どのように解釈すればよいのでしょうか。その解釈をめぐって「考えるほど、このポスターはたいへん味わい深い」と感嘆している人もごく一部いるようです。

ポスターの上のほうに「対策の一手」とあるからには、その下に書かれている文言は「一手」の内容を意味するものと考えてもおかしくありますまい。

その「一手」を指す文言が「その電話。待った!」です。

「待った!」

将棋における「待った」とは、相手がさしてきた手を待ってもらうことをいいます。しかしながら、将棋で「待った」は公式規則では「反則負け」となります。

公式戦29連勝という実績をもつ藤井四段が、写真にあるような対局中の状況で「待った!」と言ったら、反則負けになってしまいます。それにもかかわらず、この「その電話。待った!」の表現はじつに堂々としたものがあります。

これは、陸上短距離の桐生祥秀選手が競技中に走っている姿を被写体に使った交通安全ポスターで「ダメ! スピードの出しすぎ」という文言が使われたり、落語家の春風亭昇太さんが寄席で一席うっている姿を被写体に使った乗車マナーポスターで「おしゃべりはほどほどに」という文言が使われたりするのとにていなくありません。

しかしながら、この藤井五段のポスターの「詐欺師から電話がかかってくるおそれもあるから留意してほしい」と啓発する文言としての「待った!」と、藤井五段が対局中に言ったら反則負けになる文言としての「待った!」が重なって使われている点は、ほかにはない表現法。まるで意味の異なる「待った!」の重ねぶりが、藤井五段の表情とあいまって、絶妙な味わい深さをもたらしています。

このあたりに、ごく一部に「たいへん味わい深い」と賞賛される故があるのでしょう。

| - | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0)
「たんぱく質まで」の第一歩「転写」を調節

生きものの体でたんぱく質がつくられるとき、「どんなたんぱく質がつくられるか」は、細胞核のなかのデオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)を構成する「アデニン(A)」「チミン(T)」「グアニン(G)」「シトシン(C)」という4種類の塩基とよばれる物質の並びかたで決まります。つまり、デオキシリボ核酸はたんぱく質の“設計図”といえます。

デオキシリボ核酸を設計図としてたんぱく質がつくられるまでの第一歩に「転写」という段階があります。

デオキシリボ核酸を構成する4種類の塩基の並びは、相補的リボ核酸(RNA:RiboNucleic Acid)という物質に写しとられます。これが「転写」です。たとえば、デオキシリボ核酸の「チミン(C)」に対して、相補的リボ核酸では「アデニン(A)」が転写されます。おなじく、「グアニン(G)」に対しては「シトシン(C)」が、また「シトシン(C)」に対しては「グアニン(G)」が転写されます。そして例外的に、デオキシリボ核酸の「アデニン(A)」に対しては、相補的リボ核酸の「ウラシル(U)」という塩基が転写されます。

転写の段階のずっと先に、たんぱく質がつくられる段階があるわけですが、細胞の種類によって、デオキシリボ核酸のなかの使われる塩基の部分、つまり遺伝子は異なってきます。

よって最終的にたんぱく質がつくられるところの細胞の種類によって、どの遺伝子を使うかを制御しなければなりません。その制御の役割を担うのが「転写調整因子」あるいは「転写因子」とよばれるたんぱく質群です。


橙色のデオキシリボ核酸と結合する青色の転写調節因子
画像作者:Thomas Splettstoesser

転写調整因子は、デオキシリボ核酸の塩基の並びに結合します。そして相補的リボ核酸を1重鎖から2重鎖にするリボ核酸ポリメラーゼという酵素のはたらきを、ときに促進し、ときに制御します。こうして、デオキシリボ核酸を設計図にたんぱく質がつくられるまでの第一歩である転写を調整するのです。

転写調節因子は1000種類以上あると考えられています。また、転写調節因子もたんぱく質ですから、もとの設計図はデオキシリボ核酸の遺伝子の部分にあります。

参考資料
NHK 高校講座 生物基礎「DNAとタンパク質合成」
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/seibutsukiso/archive/resume013.html
脳科学辞典「転写制御因子」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/転写制御因子
栄養・生化学辞典「転写因子」
https://kotobank.jp/word/転写因子-769786
理化学研究所 2016年5月10日発表「遺伝子発現から転写因子を予測」
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160510_1/

| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
光の波長を換えてより便利に使う

画像作者:Thomas Bresson

光には波の性質があり、波における山と山あるいは谷と谷の距離のことを波長といいます。たとえば、波長が640ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)から770ナノメートルをとれば赤色光、また波長が10ナノメートルから400ナノメートルをとれば紫外線といったように、波長ごとに光の「色」が決まります。

光の波長の領域には、それぞれに特性があります。さまざまな波長の領域をもつ光を、あるねらった波長に換えることができれば、その光を使って望みにかなう作業が実現できるはずです。こうした技術は「波長変換技術」などとよばれています。

たとえば、波長が100マイクロメートルから1ミリメートルのテラヘルツ波という光を、波長変換技術によって、波長が0.75マイクロメートルから1.4マイクロメートルの近赤外光という光に換える技術があります。ニオブ酸リチウムという化合物でできた結晶にテラヘルツ波を集め、それを高いエネルギーの状態の光にして近赤外光に換えるというものです。

テラヘルツ波には、物質が固有にもつ特徴を計測する能力がありますが、テラヘルツ波のままでその能力を活かそうとすると、装置を冷却する必要がありました。波長変換技術でテラヘルツ波をより扱いやすい近赤外光にすれば、効率よく計測することができるわけです。

また、赤外線の波長を、波長変換技術によって、紫外線の波長に換える技術もあります。紫外線は波長が短くエネルギーが強いため、加工技術などに広く向いています。セシウム、リチウム、ホウ素、酸素の原子や分子からなる結晶を使うことにより、赤外線の光を紫外線のレーザー光に換えて、高いエネルギー効率で材料を加工をする技術がすでに実用化されています。

こうした技術は、光の波としての性質についての自然科学の知見と、波長を換える工学の技術の両方があって実現するものといえます。

参考資料
理化学研究所・東京工業大学 2017年3月2日発表「光波長変換によりテラヘルツ波を高感度に検出」
http://www.riken.jp/pr/press/2017/20170302_2/
新エネルギー・産業技術総合開発機構 実用化ドキュメント「波長変換特性に優れた、全固体紫外レーザー光源を世界で初めて実用化」
http://www.nedo.go.jp/hyoukabu/articles/201312kogakugiken/index.html
ウィキペディア「赤外線」
https://ja.wikipedia.org/wiki/赤外線
| - | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0)
レーザー光源に、二酸化炭素、ファイバー、半導体も

写真作者:Mr ATM

方向、位相、波長を揃えた人工の光をレーザー光といいます。太陽光や照明の光とちがって、減衰や拡散がしづらく、通信、医療、機械加工などさまざまな目的で使われます。

レーザー光には、光源とよばれる光を発するもとの材料が必要です。その種類は、かなり明確に分かれます。

長らく主流のレーザー光源として使われてきたのが二酸化炭素です。レーザー光の材料をもとに光をつくりだす発振管とよばれる装置のなかで、二酸化炭素が窒素やヘリウムなどと混ざりあい、分子がぶつかることでエネルギーが交換されて、レーザー光が放たれます。費やすエネルギーに対して通常10パーセントから15パーセントほどの出力を得られます。

その後、新たなレーザー光源として開発され、広く使われるようになったのが固体のファイバーです。ファイバーとは「糸状のもの」を指し、ガラスやプラスチックなどをおもな材料としています。さらにガラスやプラスチックで囲まれた中心部分にはイッテルビウムという希土類元素が添加されたコアがあります。ファイバーに入ってきた光がガラスの外側で反射しながら伝わるうちに希土類元素に吸収されて、レーザー光となります。細いファイバーのなかに光を閉じこめるため、エネルギーの変換効率は通常30パーセントから35パーセントと、二酸化炭素よりも高くなります。

近年になりもうひとつ、レーザー光源として使われるようになったのが半導体です。半導体とは電気を通す金属と電気を通さない絶縁体の中間の性質をもつような固体物質のこと。一般的な半導体レーザーでは、性質の異なる半導体の結晶を重ねます。その中心には活性層とよばれる光が放たれる層を置き、活性層をサンドイッチするようなかたちで両側にべつの半導体を置きます。両側の半導体が光を往復させる2面の鏡のようなはたらきをし、これで光の出力が強くなります。活性層には、ガリウム、インジウム、ヒ素、リンなどの元素を組みあわせた半導体が使われます。エネルギーの変換効率は40パーセントから60%と高いものがあります。

参考資料
ウィキペディア「炭酸ガスレーザー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/炭酸ガスレーザー
迫宏「エネルギー変換効率から見たレーザ技術動向」『Sheetmetal ましん&そふと』2015年4月号
http://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/tokus_apr2015.pdf
ファイバーラボ「ファイバレーザとは」
https://www.fiberlabs.co.jp/about-fiber-laser/
フジクラ「ファイバレーザとは」
http://www.fiberlaser.fujikura.jp/products/about-fiber-laser.html
キーエンス「レーザーの教科書 基礎知識編」
https://www.keyence.co.jp/landing/lasermarker/o/1065fffl/show.jsp
trotec「レーザーの分類」
https://www.troteclaser.com/ja/knowledge/faqs/laser-types/
科学技術振興機構「革新的半導体レーザーの新たな挑戦」
https://www.jst.go.jp/pr/jst-news/pdf/2014/2014_04_p03.pdf
応用物理学会「キーワード解説 高出力半導体レーザー」
http://annex.jsap.or.jp/OSJ/50th_cd/main/keyword/koshutu_014.htm
| - | 09:37 | comments(0) | trackbacks(0)
「伊達何々」が多い理由に「もとは『立て』」説

伊達政宗

「伊達」ほど、一般の名詞として多く使われる姓はないのではないでしょうか。「伊達襟」「伊達男」「伊達女」「伊達着」「伊達こき」「伊達心」「伊達拵え」「伊達師」「伊達締」「伊達者」「伊達姿」「伊達染め」「伊達の薄着」「伊達巻」「伊達眼鏡」「伊達模様」「伊達紋」などの名詞があります。

そして、これらに共通しているのは、「洒落」「派手」「華やかさ」「粋」といった語感がともなうということ。たとえば、「伊達眼鏡」は実際はかける必要はないものの、身なりに気を配る人がかける度なし眼鏡のことをさします。

伊達といえば伊達政宗(1567-1636)。たしかにいまの時代にも語りつがれる名将です。実際、伊達政宗の愛用していた服は、「水玉模様陣羽織」に見られるようにしゃれているものが多くあります。

いっぽう、戦国時代から江戸時代にかけてより影響力をもった武将の姓が一般的な名詞になるという例はほぼ見られません。「伊達何々」がこれほどあれば「徳川建築」「織田茶器」「豊臣邸宅」といった名詞がすこしはあってもよいはずなのに、なかなか見られません。

「伊達」がつく一般的な名詞については「伊達正宗」に由来するという説のほかに、もうひとつ強く言われている説があるようです。それは「立つ」という動詞に由来するというもの。

「立つ」には「目立つ」「際立つ」といった動詞もあるように、「人目につく」といった語感があります。この「立つ」が「立て」となり、名詞の前につくことで「人目につく何々」のような意味をもつことばがつぎつぎと成立したというのです。そうすると、「立て襟」「立て眼鏡」「立ての薄着」が本来の使われかたとなるでしょうか。

しかし、「伊達模様」や「伊達紋」などについては、おそらく伊達政宗や伊達家が採りいれた意匠の存在を受けて、「人目につく」という意味での「立つ」という動詞と相まって、使われるようになったのではないでしょうか。

多くの「伊達何々」の由来が「立つ」にあるとしても、いまの世で「立て眼鏡」「立て衣装」「立て男」と言ってもおそらく通じません。「立て」を凌駕するほどに「伊達」の影響力がはたらいたものと考えられます。

参考資料
由来・語源辞典「伊達」
http://yain.jp/i/伊達
故事ことわざ辞典「伊達の薄着」
http://kotowaza-allguide.com/ta/datenousugi.html
ウィキペディア「伊達」
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊達
ウィキペディア「伊達眼鏡」
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊達眼鏡
| - | 19:00 | comments(0) | trackbacks(0)
点検の機械化が進まない理由に「見つかりすぎ」の懸念も


写真作者:kanegen

水道、ガス、道路などに見られるように、社会基盤の多くは「実物」をともなうものですから、使いつづけていればほころびが出てきます。修繕したり交換したりしなければなりません。

しかし、定められた耐用年数を超えたらかならず交換しなければならないとなると、本当はまだ使えるのに交換しなければならないものも出てきます。そこで多くの社会基盤では「点検」をして、「交換すべきか」「まだ使ってもよいか」などを判断することになります。

2010年代になり、こうした社会基盤の点検を人でなく機械にさせるという案が出てきています。さまざまなセンサを載せた「点検ロボット」のような機械が実現すれば、人による点検作業の代わりをしてくれるか、代わりとまでいかずとも支えてくれることでしょう。さらに、人ではなかなか立ち入ることのできないような危険な場所にも入っていって点検することもできそうです。

しかし、点検の機械化が案として出されるのとは裏腹に、社会基盤を維持・管理する自治体や企業などは、点検の機械化にさほどの乗り気ではないという話もあります。人手不足に対する効果的な解決策のようでありながらも……。

点検の機械化に積極的になれない理由があるとすれば、そのひとつに「機械が危険な場所を見つけすぎてしまうから」ということがあるのかもしれません。

機械が点検するとなると、精度高く、効率的に危険な場所を見つけだしていくため、「この場所が危険だとわかりました」「この場所も危険だとわかりました」「ここも」「ここも」と、市民に公表する件数は増えることが予想されます。

すると、それを知った市民や利用者たちから「そんなに多くの危険箇所が見つかって、いったい大丈夫なんですか」「早く修理しないとまずいんじゃないですか」といった声があがってきます。

もちろん、見つかった危険な場所を直すのは自治体や企業の責任ではあります。しかし、緊急的な工事はべつとして、何か年かの計画を立てて、そのなかで社会基盤の修繕・交換をしようとしている事業もあることでしょう。市民の心配の声が大きいと、そうした計画について変更を余儀なくされてしまうことにもなりかねません。

そうした、計画の変更を伴いうる状況を避けるために、点検の機械化について積極的になれないという自治体や企業もあるのではないでしょうか。市民や利用者たちの安全を考えるという点では、あまり健全な考えかたとはいえませんが。

| - | 20:04 | comments(0) | trackbacks(0)
“地球食”をもたらす月の“ぺったんこ感”をもたらすのは太陽の位置どり
きのう(2018年)1月31日(水)夜、日本各地で、月すべてが地球の影に隠れて暗くなる皆既月食が見られました。お住まいのことろでは月食を見られたでしょうか。

天体がほかの天体を隠す現象は「食」とよばれます。観察者の視野のなかで、「ある天体」と「ほかの天体の影」が重なれば「食が見えた」となるわけです。

今回の皆既月食では、地球という天体が月という天体を隠したわけですが、この話題で盛りあがっているころ、月食とはべつに、「月が地球を隠した地球食」とでもいえる画像も話題になっていたようです。


画像作者:NASA/NOAA

これは、米国の航空宇宙局と海洋大気庁が共同で使っている深淵宇宙気候観測衛星(DSCOVR:the Deep Space Climate Observatory satellite)が、地球の手前を月が横切るところを撮影したときの画像が一部で報じられたもの。航空宇宙局がこの画像を「100万マイル離れたところから、NASAのカメラが地球表面を横切る月を写す」という記事で公表したのは2年半前の2015年8月なので、今回の皆既月食を意識してこの時期に報じたのでしょうか。

航空宇宙局の記事によると、地球からおよそ161万キロメートル離れたところから撮影されたものといいます。

月の姿に立体感がなく、ぺったんこな石のように見えるため、多くの人が違和感をもっているようです。

どうして、ぺったんこに見えるのでしょうか。

それを考えるうえでは、べつの人工衛星が、おなじように地球の手前を月が横切るところを撮影したときの画像が参考になります。


画像作者:NASA

この画像は、2008年5月に航空宇宙局の宇宙探査機ディープ・インパクトが地球からおよそ4989万キロのところから月と地球を撮ったものです。

明らかに光が画面の右側から射しています。そのため地球にも月にも、明るいところと暗いところの境目が弧を描くように見えます。画像にあるように、このふたつの天体が重なると、「球体(月)が球体(地球)の前を横切っている」ということをより実感できます。

いっぽう2015年の「ぺったんこ」な月の画像はというと、人工衛星の背後に太陽があり、月や地球の表面をほぼ全面的に照らすような位置どりで撮られたのでしょう。月の右縁にほんのすこしだけ影が見えることが、ぺったんこ感をより高めています。

人類はまだ、月より遠くに行ったことがありません。地球の前を月が横切るところを目で見るには、月より遠いところまで行かなければならないわけです。そうした経験がないことから、このような画像に違和感を覚えるということもあるのかもしれません。

参考資料
ライブドアニュース 2018年1月29日付「NASAが撮影した月を地球の反対側から見た写真 ネットで驚きの声」
http://news.livedoor.com/article/detail/14225091/
米国航空宇宙局 2018年8月5日付 “From a Million Miles Away, NASA Camera Shows Moon Crossing Face of Earth”
https://www.nasa.gov/feature/goddard/from-a-million-miles-away-nasa-camera-shows-moon-crossing-face-of-earth
米国航空宇宙局 2008年7月17日付 “NASA's Deep Impact Films Earth as an Alien World”
https://www.nasa.gov/topics/solarsystem/features/epoxi_transit.html
| - | 11:46 | comments(0) | trackbacks(0)
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