科学技術のアネクドート

「誤解なきよう」をシールの文言で強調
乗った電車の車両がたまたま先頭だったりすると、運転室ごしに前方の風景を見るという人もいるでしょう。車窓を左から右へ、あるいは右から左へ流れゆく風景とはちがって、線路や架線、入線する駅、また前方からやってくる電車などが見えて、迫力があります。

近ごろ、JR東日本の鉄道の一部では、先頭車両の客室と運転室を隔てるガラス窓に、シールが貼られるようになりました。シールには、つぎのような文言が印刷されています。



「JRを御利用くださいまして、ありがとうございます。運転室のカーテンは、光りの反射を防ぐため、夜間およびトンネル内におきましては下げさせていただきます。JR東日本」

暗いなかを列車が走っているとき、運転室の運転士から見て前方のガラス窓に、後方の
客室の光が反射してしまうため、遮光カーテンを下ろすわけです。この、ことわり書きは、かなり古くから見られたものです。

さらに、このシールには、別枠を設けて、つぎのような文言も印刷されています。



「緊急時の連絡や運行情報の確認のために、乗務員が乗務用携帯電話を使用する場合がります。」

こちらは、かつては見なかったことわり書きです。統計をとったわけではありませんが、運転士が私用の携帯電話やスマートフォンを運行中に操作したというニュースが、頻繁に報じられるようになりました。私物の携帯電話やスマートフォンの使用は安全確保の観点から社内規定で禁じられているため、運転士が規定を守らないと不祥事として報じられてしまうわけです。

たいてい、こうしたできごとは、乗客が運転士の姿を目撃し、会社に「運転士が携帯電話をいじっていたぞ」などの情報が寄せられて発覚するものです。

しかし、ときには運転士が使っている通信機器が、私用のものでなく業務用のものである、という場合もあるようです。その場合も乗客に「運転士が携帯電話をいじっていたぞ」と言われては、運転士としても会社としても困ってしまいます。

「運転士が私用操作」というニュースが多いことを受けての、ことわり書きといったところ。枠を囲って白地に乗せて印刷してあるところからすると、このシールで乗客に伝えたいのは、遮光カーテンの文言より、こちらの文言のほうなのではないでしょうか。
| - | 20:51 | comments(1) | trackbacks(0)
環境問題を経済の“内側”で扱うものに


「環境を保つこと」と「経済を保つこと」は、しばしば相反したことと考えられます。環境を保とうとすると経済活動に制限をかけなければならないし、いっぽうで経済活動を保とうと考えると、環境を犠牲にしなければならないからです。厳密にいえば「経済活動を保つ」とは、「経済活動の拡大路線を保つ」といったほうがよいかもしれませんが。

環境問題は地球規模で深刻になってきている。とはいえ、一人が今日からいきなり野菜食に切りかえて健康をめざすのとちがって、社会全体がある時点から急に環境を保つために極端なとりくみを始めるというのは、よほどの環境事変が起きないかぎり、ありえないことです。社会は一人ではないからです。

しかし、環境を保つため、またはよりよくするために、これまで人がおこなってきた経済の手法や、人が培ってきた経済学の知識を活用するという考えかたがあります。

環境問題は、経済学的には、「市場における経済活動の“外側”で生じるできごとであり、個人や企業に悪い効果をあたえるもの」と考えられてきました。これは「外部不経済」ともよばれます。たとえば、大気汚染や騒音は、地域の住民にとって市場での経済活動の対象になんらならないにもかかわらず、健康を蝕むものですから、外部不経済の例となります。

そこで、「環境問題をできるだけ外部不経済の対象とせず、経済の内側で扱える対象とする」といった考えが出てきます。経済活動とは無関係に考えられていた環境を、人為的にでも経済活動とのかかわりをもたせることで「経済のことを考えることは環境のことを考える」あるいは「経済的な利得を生みだす営みが環境をよくすることにつながる」といった状況をつくりだすわけです。

「環境税」を課すことは、この考えを具体化する一例といえそうです。たとえば、石炭、石油、天然ガスなどの二酸化炭素を排出する資源に対して、税金を課す「炭素税」があります。二酸化炭素が多く排出されると地球が温暖化して気候が変わってしまうと考えられているので、二酸化炭素の排出源となる資源に税を課して、その資源が使われる量を抑えよういうねらいがあります。

また、「排出量取引」というしくみも、環境問題を経済の内側で扱おとした活動のひとつといえるでしょう。ここでいう「排出量」とは、二酸化炭素などの温室効果ガスを排出する量のこと。社会全体で、排出してもよい温室効果ガスの上限量を決めておいて、その範囲のなかで国や企業に割りあてられた排出量を売買してよいことにするしくみです。

こうした考えをもってしても、環境を保つよりも自国あるいは自社の利益を優先しようとする国や企業が存在することもまた事実。しかし、経済学の知見や手法を使って、できるだけ環境と経済を関係あるものしていくという取り組みには、環境をよくするうえでの価値はあります。

参考資料
ウィキペディア「環境経済学」
https://ja.wikipedia.org/wiki/環境経済学
ブリタニカ国際大百科事典「外部不経済」
https://kotobank.jp/word/外部不経済-167649
「環境・持続社会」研究センター「温暖化防止のための環境税 『炭素税』とは」
http://www.jacses.org/paco/carbon/whatis_carbontax.html
知恵蔵「排出量取引」
https://kotobank.jp/word/排出量取引-182427
| - | 16:35 | comments(0) | trackbacks(0)
ヒトの歩んできた道を追う、『Rikejo』で


理系進学をめざす高校生などの女子を応援する講談社の会員誌『Rikejo』の第48号が、(2017年11月)に発行されました。

『Rikejo』は登録をした会員に紙で配られますが、同時に、会員でない人も講談社のデジタル版サービス「codigi」で、かんたんな手つづきをすれば見ることができます。メールアドレスやパスワードを決める手つづきをして、codigiの「電子書籍登録」のページで、今回の第48号のコード番号「r348 ap9p rd46」を入力すると、紙のものとまったくおなじ内容を全編にわたって見ることができます。

同誌の真んなかあたりにあるのが、科学特集「リケジョサイエンス」。今回の第48号では、「入門、自然人類学! ヒトの歩んできた道」という特集が組まれています。

2016年から2017年にかけて、会社づとめの社会人たちを中心に、『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之、河出書房新社刊)という本がよく売れました。現生人類、つまりいまを生きているホモ・サピエンスの生きものとしての進化や発展などを追うものです。今回の『Rikejo』での「ヒト」特集も、この『サピエンス全史』に触発されたであろうことが、誌面からうかがえます。

最初の記事は「消えたネアンデルタール人、残った私たち……」というもの。4万年前ごろまで私たちホモ・サピエンスとおなじ世界でおなじ時間を過ごしていたとされるのがホモ・ネアンデルターレンシス、つまりネアンデルタール人です。しかし、ネアンデルタール人は地球から姿を消し、ホモ・サピエンスはいままで生きのびました。記事では、このちがいがどういうところからきたのかを探ろうとしています。

地球のさまざまな環境に適応できたホモ・サピエンスは、生きものとしての特徴を伸ばしていくことになりました。つぎの記事では「心を読み、幻想を共有するホモ・サピエンスのスゴさ」と題して、ホモ・サピエンスが身につけていった能力の数々を紹介していきます。

しかし、繁栄を築いてきたはずのホモ・サピエンスにここのところ、生きものとしての進化の速さと、開発する技術の進歩の速さに大きな差が生じ、それによる問題も起きています。最後の記事では、「私たちサピエンスはどこへ行く?」と題して、現代のホモ・サピエンスが抱えている問題を見つめなおし、なにを意識して生きるべきかを示します。

特集全般にわたって、総合研究大学院大学学長の長谷川眞理子さんが取材を受けています。長谷川さんの専門は行動生物学、また自然人類学。自然人類学とは、ヒトという生物がどのような進化を経てきたかを探る学問分野。文化や社会からヒトの歩みを研究する文化人類学とは一線を画します。長谷川さんは、アフリカなどの自然のなかで生きるチンパンジーなどを対象に実地研究などをおこない、ヒトの生きものとしての特徴を浮きぼりにし、自然人類学の道を切りひらいてきました。

特集の最後に紹介されている、長谷川さんからの「メッセージ」は、会員の女子高生たちのみならず、いまを生きるだれもが心得ておくべきものです。詳しくは特集をご覧ください。

紙媒体の『Rikejo』とおなじ内容のデジタル版は、「codigi」の会員登録をして、コード番号を入力することで見ることができます。デジタル版を読むための方法について、詳しくは「リケジョ」のウェブサイトの記事をご覧ください。
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「最低限必要とする熱量の供給が困難」な事態まで考えておく

サツマイモ畑

人びとは、ごくたまに、「あってあたりまえ」と信じこんでいたものがなくなり、あ然とする経験をします。2011年3月の東日本大地震と大津波の影響で東北地方一帯の発電施設の運転が停まり、「計画停電」を余儀なくされたといったできごとはその一例です。

食べものも「あってあたりまえ」とはけっしていえない資源です。日本では、国内の食料消費が国産でどのくらい賄われているかを示す「食料自給率」は熱量をもととする計算では2016年度で38パーセントしかありません。また、日本の農林水産業がもっている食料の潜在生産能力を示す「食料生産力」も、いも類中心といった極端な農業形態に変えないかぎり、1人が必要なエネルギー必要量には届きません。

農林水産省は、2015年10月「緊急事態食料安全保障指針」という指針をとりまとめて公表しました。「食料・農業・農村基本法」という法律にもとづく「食料・農業・農村基本計画」において、不測のときに食料供給の確保をはかるための対策などを文書として定めることをになったのを受けてです。

この指針では、緊急時のレベルを「0」から「2」までと定めています。

「レベル0」は、「事態の推移いかんによっては、特定の品目の需給がひっ迫することによ り、食生活に重大な影響が生じる可能性がある場合」と定められています。そして、その想定される事態として「大不作の予測」「主要輸出国における(略)輸出規制の動き」「安全性の観点から行う食品の販売などの規制」といったものがあがっています。

「レベル1」は、「国民が最低限度必要とする熱量の供給は可能と見込まれるものの、特定の品目の需給がひっ迫することにより、食生活に重大な影響が生じるおそれがある場合」と定められています。想定される事態としては、「米の大不作の発生」、具体的に1993年に起きた「米不足」のような事態、また「主要輸出国における輸出規制の実施」、具体的には1973年の大豆価格高騰があがっています。

より深刻な「レベル2」は、「国民が最低限必要とする熱量の供給が困難となるおそれがある場合」とされています。具体的には、1人1日あたりの供給熱量が2000キロカロリーを下回ると予測される場合とのこと。そして、想定される事態としては「穀物、大豆及び関連製品の輸入の大幅な減少」があがっています。

さらに、この最高水準の「レベル2」は「市場メカニズムに委ねていたのでは、国民が生命の維持に最低限度必要な食料さえも入手できなくなるおそれのある事態」とし、生産、流通、消費などの広範囲で法律による規制を強化し、熱量を確保した農業生産への転換をおこなうことの必要性が明記されています。

“食料確保のためであれば、贅沢もいっていられない”というのがこのレベル2の状況でしょう。戦時中の、至るところでのいもの栽培や配給制度などが思いうかばれます。

大多数の人が、この「レベル2」のような状況が来るようなことを考えもせずに暮らしています。しかし、だれも思わないようなレベルのことでも、最低限、考えておき、指針として文書にしておくというのは、社会の安全を保つうえでは必要なことといえます。

参考資料
農林水産省「食料自給率の計算方法」
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/attach/pdf/012-4.pdf
農林水産省「日本の食料自給力」
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012_1.html
農林水産省 2015年10月公表「緊急事態食料安全保障指針」
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/anpo/pdf/anpo_shishin.pdf
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「らせん構造」を材料に活かす

らせん構造のイメージ

「らせん構造」は、世のなかのさまざまなところ、そしてさまざまな寸法で見られます。つる植物はたとえ巻きつく相手の樹木がなくても、みずからばねのようにくるくるとらせんを巻くことがあります。また、細胞内のデオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)も、二重のらせん構造をしていることが20世紀なかごろにわかりました。

「カーボン・ナノ・コイル」や「カーボン・マイクロ・コイル」とよばれるらせん構造をした素材もあります。「カーボン」とは「炭素」のことなので、これらの素材には炭素がふくまれています。そして「ナノ」や「マイクロ」とつくのは、マイクロメートル(100万分の1メートル)、あるいはナノメートル(10億分の1メートル)のコイル径をもつため。

らせん状に巻いた炭素繊維については、1953年、英国の科学雑誌『ネイチャー』に、「炭素の特異な構造」という論文名ですでに報告がありました。しかしながら、炭素繊維をらせん状に巻く技術が進歩せず、その後、らせん状の炭素繊維については話題にならなくなったといいます。

その後、1989(昭和54)年、岐阜大学工学部の助教授だった元島栖二(1941-、現CMC総合研究所の代表取締役)の研究室で、卒業研究にとりくんでいた学生が、渦を巻く物質の写真を撮影していたことがわかりました。

元島は、この構造をとても興味深いものと感じ、興奮しながら電子顕微鏡を覗いては写真を撮りつづけたといいます。元島はもともと、らせん構造をとるものの美しさや魅力に惹かれていたといいます。その意識が、学生のなにげなく撮った1枚の写真を見逃さなかったことにつながったのかもしれません。このできごとからカーボン・マイクロ・コイルの研究が進展しました。1990年には、元島らがカーボン・マイクロ・コイルを再現性よく合成する技術を開発しています。

カーボン・ナノ・コイルやカーボン・マイクロ・コイルは、炭素がもつ導電性と、らせん構造から、マイクロ波やミリ波の電磁波を効率よく吸収し、最終的に熱エネルギーに変換するという特徴をもっています。そのため、電磁波の影響を防ぐ必要のある設備や器具などを保護する材料などに応用されることがで期待されています。

この「らせん構造」は、次代の世のなかを担う新しい素材となるでしょうか。

参考資料
at home「『らせん』に対する強い思いが、偶然と幸運を呼び寄せ、大発見へとつながったんです。」
https://www.athome-academy.jp/archive/engineering_chemistry/0000001030_all.html
元島栖二「カーボンマイクロコイル(CMC)の合成とその性質」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj/59/8/59_8_534/_pdf
W.R. Davis, R.J. Slawson & G.R. Rigby “An Unusual Form of Carbon”
https://www.nature.com/articles/171756a0
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
(2017年)12月17日(日)は「AIは記者にとってかわるか?」

写真作者:Satoshi Kobayashi

催しものの案内をふたたび。

(2017年)12月17日(日)、東京・戸塚町の早稲田大学大隈小講堂で、「AIは記者にとってかわるか?」というテーマのシンポジウムが開かれます。これは、早稲田大学ジャーナリズム大学院(J-School)の設立10周年を記念してものもの。

人工知能(AI:Artificial Intelligence)が新聞の記事をつくるといった事例が、国内外で伝わってきます。2015年ごろから米国のAP通信が人工知能を使ってスポーツ記事をつくっているほか、2017年には日本経済新聞も人工知能を使って「決算サマリー(Beta)」という決算速報記事をつくっていると伝えられます。

さまざまな職業のありかたが、人工知能によって変わっていくと予想されるなかで、ジャーナリズムを担ってきた記者の活動には、どのような影響が起きうるのでしょうか。

シンポジウム「AIは記者にとってかわるか?」では、現場を取材するジャーナリスト、また人工知能やジャーナリズムの倫理を研究する専門家が登壇し、「取材」「報道」「議論」の観点から考えます。

現在のジャーナリズムにおける人工知能の進出だけでなく、すこし先の未来予想シナリオをもとに、人工知能がもたらす可能性や、社会が抱えることになりそうな課題などをあぶりだします。

登壇者は、ジャーナリストでメディア・アクティビストの津田大介さん、朝日新聞IT専門記者で“デジタルウオッチャー”の平和博さん、龍谷大学准教授の畑中哲雄さん、名古屋大学大学院准教授の久木田水生さん。進行は、早稲田大学大学院准教授の田中幹人さん。

「AIは記者にとってかわるか?」に先立って、第一部では「世界とつながるOB・OG〜教員・修了生からの報告」という報告会もおこなわれます。

J-Schoolの設立10周年記念シンポジウムは、2017年12月17日(日)13:00から、早稲田大学大隈小講堂にて。シンポジウムの入場は無料ですが、事前の参加登録が必要です。また、シンポジウム終了後に有料の懇親会も予定されています。

シンポジウムの詳細は下記のURL先にて。参加登録手続きもできます。
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01p319z5i43g.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
金属の製錬に「湿」と「乾」の方法

写真作者:Tony Hisgett

さまざまな科学や技術のなかには、方式を「湿っているもの」と「乾いているもの」に分けることがあります。たとえば、生物情報科学とよばれる分野では、生きものを扱う実験などをする研究や研究者を「ウェット系」とよび、コンピュータを使った計算をする研究や研究者を「ドライ系」とよぶことがあります。

金属の製錬法、つまり鉱物から金属をとりだして精製・加工する方法でも、「湿っているもの」と「乾いているもの」があります。

湿っているほうは「湿式製錬法」。これは、鉱物のなかの金属を液体に溶かして、その溶液から金属分を得る方法。液体が使われるので「湿式」とよばれます。湿式製錬法で使われる液体には、たとえば塩化アンモニウムと硝酸アンモニウムをおよそ1対3の比で混ぜた「王水」があります。

王水はとても強い酸化力があり、金などの金属を溶かしてしまいます。しかし、金属でないものは溶けません。そのため、金属成分とそれ以外の成分を分けることができます。

非金属成分と分けられた金属成分は、王水によって溶かされています。ここに、亜硫酸塩などの「還元剤」とよばれる液体を加えると、酸化還元反応が起きて、溶けていた金を析出することができます。ただし、一度この作業をしただけでは金属の純度はさほど高くないため、通常はくりかえしおこない純度を高めていきます。

いっぽう、乾いた状態でおこなう製錬法は「乾式精錬法」といいます。液体を使わず、高温における鉱物の反応を利用します。鉱物における金属成分とそのほかの成分とをともに高温で溶かして、このふたつを分離するのです。

たとえば、乾式製錬法による銅の製錬では、銅の混ざった鉱物に珪酸と酸素を入れて不純物をあらかたとり除いていく溶融炉の工程、さらに溶融炉ではとりのぞけなかった不純物をさらに珪酸と酸素を入れてとり除いていく転炉の工程、さらにここまでで酸化している銅に対してブタンガスやアンモニアなどの還元剤を吹きこんで銅から酸素をとり除く精製炉の工程を経ます。

最後に、ここまでの工程で99.5パーセントの純度になった銅を陽極とし、そして99.99パーセントというさらに高い純度の銅板をべつに陰極として用意し、電解液につけて電気分解をします。すると、陽極の銅の成分が溶けだし、陰極の銅へと移ってくっついていきます。こうして陰極の銅は99.99パーセントの純度を保ったまま、厚くなっていくのです。

こうして、乾式製錬法によって、銅などの金属はつくられます。

また、銅の成分が抽出されたあとの鉱物には、金や銀などの貴金属の成分が入っていることがあるため、これを湿式製錬法で抽出したりすることもあります。

全行程を見ると、乾式製錬でも電気分解のときなどに液体が使われるわけですが、湿式製錬に対する意味で乾式製錬とよばれています。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「乾式製錬」
https://kotobank.jp/word/乾式製錬-48833
百科事典マイペディア「乾式製錬」
https://kotobank.jp/word/乾式製錬-48833
ブリタニカ国際大百科事典「湿式精錬」
https://kotobank.jp/word/湿式製錬-74068
百科事典マイペディア「湿式製錬」
https://kotobank.jp/word/湿式製錬-74068
新井陽太郎「レアメタル・貴金属の回収技術の基礎」
www.jikkyo.co.jp/contents/download/9992655133
岡部徹・野瀬勝弘「レアメタル・白金族金属の乾式製錬とリサイクル技術」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mcwmr/22/1/22_50/_pdf
神戸製鋼「銅原料」
http://www.kobelco.co.jp/alcu/technical/copper/1174588_12414.html
| - | 13:13 | comments(0) | trackbacks(0)
「鼻づまり」でなく「鼻つまみ」



1979(昭和54)年から1985(昭和60)年にかけて、「あばれはっちゃく」という子ども向けのテレビドラマが放送されていました。児童文学作家の山中恒(1931-)の原作によるものです。多くの地域では土曜日の19時30から30分間の放送だったので、20時からの「8時だョ! 全員集合」の前に見ていたという人も多いのではないでしょうか。

このドラマは、桜間長太郎という主人公の少年が、学校や家庭で起きる課題に子どもなりに一生懸命とりくむという内容のもの。長太郎の人格は「勉強は苦手だが正義感の強い慌てんぼ」といったものでした。

番組の冒頭に、本編のよび水となるような短いドラマがあり、その後、主題歌が流れてきます。主題歌は堀江美都子の歌う「タンゴむりすんな!」。山中恒が作詞、渡辺岳夫が作曲しました。

「むりすんな むりすんな よばれたら『ハイ』おへんじ」という歌詞で始まるこの歌は、「おまえはできの悪い子なんだから、よい子のふりをして無理なんかするな」と、長太郎をけしかける内容です。

楽曲名のとおりタンゴ調で歌は歌われていきます。そして、1番の最後のほうで、多くの視聴者はこんな歌詞を耳にします。

「あばれはっちゃくはなづまり おいらははなのおちこぼれ」

「はなづまり」は「鼻づまり」のことと捉えられます。ところが、「はなづまり」に至るまでの歌詞や、ドラマの内容には「鼻づまり」に関係するできごとはなにも描かれていません。どうして「鼻づまり」という句がここで出てくるのだろうと不思議に思っていた人も多いのではないでしょうか。

さらに、深読みする人は「『鼻づまり』ということは、つづく歌詞も『おいらは華の落ちこぼれ』ではなく、『おいらは鼻の落ちこぼれ』つまり、鼻汁を垂らしているということなのだろうか。もし、そうであれば『おいらの鼻は落ちこぼれ』のほうがふさわしいのでは」と考えこんだとか考えこまなかったとかいいます。

では、と、あらためて歌詞を見ると、この部分は「あばれはっちゃくはなづまり」ではなく、「あばれはっちゃく はなつまみ」であることに気づかされます。

「はなつまみ」とは、「鼻をつまむ」という意味の「鼻つまみ」のことでしょう。ただし「鼻つまみ」についても、ドラマのなかで長太郎が鼻をつまむ演技をするわけではありません。「鼻つまみ」は「まわりの人たちが鼻をつままなければならないほど醜い存在だ」といった意味で使われていたのかもしれません。

だとすると、これはいまでいうところの「ディスる」ような表現ですが、そこは昭和時代。卑しみのある直接的な表現もふつうに使われていたということでしょうか。

歌の内容とは裏腹に、ドラマの本編での桜間長太郎は、友だちや家族思いの部分が強く、ひらめきの感覚にも長けた人気者という設定ではありました。

インターネットで「”あばれはっちゃく鼻つまみ”」と検索してみると、該当数は1410件だったのに対して、「”あばれはっちゃく鼻づまり”」では2390件。空耳の歌詞のほうが、より多く表現されていることになります。

では、と、あらためて堀江美都子の「タンゴむりすんな!」を耳を澄まして聴いてみると、たしかに「あばれはっちゃくはなつまみ」と聴こえます。

参考資料
J-Lyric.net「タンゴムリすんな!歌詞」
http://j-lyric.net/artist/a0011ee/l01cea9.html

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
地球外に生命を探す(4)――地球のみんなが探索に協力
地球外に生命を探す(1)――そもそも生命は宇宙からやってきたとする説あり
地球外に生命を探す(2)――火星に生命体がいると信じて火星を観る
地球外に生命を探す(3)――宇宙の生命体に出合う数を計算する時代に

地球外生命体の探索は、社会の情報技術化が進んでから新たな展開を見せました。

前回の第3回では、米国の天文学者フランク・ドレイクが電波望遠鏡を使って、宇宙からの生命体の交信を電波で受信しようとした試みを紹介しました。結局、有意な信号を得ることはできなかったわけですが。

現代のコンピュータの力を活かして、「ノイズとはいえない」信号を見つけることができれば、生命体の発見に近づくかもしれません。

そこで、米国カリフォルニア大学バークレイ校は、20世紀末、「SETI @ home」とよばれるプロジェクトを始めました。このプロジェクトの特徴となるのが、「ボランティア・コンピューティング」という考えかたです。

まず、プエルトリコにあるアレシボ天文台の観測データで、地球外生命体からの信号ではないかと疑われる痕跡を探索します。その記録が、SETI @ home の施設に送られると、管理者はそのデータを時間と周波数によって分割し、それをコンピュータをもっている世界中の数百万の協力者たちに振りわけて送信します。


「SETI @ home」協力者のコンピュータ画面。
写真作者:ITU Pictures

データをあたえられた各コンピュータはそれぞれがデータ分析をし、結果がSETI @ home の施設に報告されます。つまり、情報通信技術を使った“手分け作業”をするわけです。これにより、スーパーコンピュータのような費用がかかる設備を導入する必要はなくなります。

いまのところ、地球生命体からの信号と見られる明らかな痕跡が見つかってはいません。しかし、2004年9月1日には、「電波源SHGb02+14a」と名づけられるほどの大きな信号が受信されるなどしています。

アレシボ天文台の運営が資金的に厳しくなったり、またプロジェクト自体の資金不足が生じたりと、つづけていくことへの課題もあるようです。ふたたび大きな兆候が見つかり、話題になれば、こうした課題は克服されるかもしれません。

人間が「宇宙にわれわれとおなじような生命体がいる」と考えた瞬間から、宇宙生命体探索が始まりました。宇宙生命体探索が話題になればなるほど、その“ゴール”は近づいてきているような感覚になるものです。了。

参考資料
ウィキペディア「SETI@home」
https://ja.wikipedia.org/wiki/SETI@home
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地球外に生命を探す(3)――宇宙の生命体に出合う数を計算する時代に

地球外に生命を探す(1)――そもそも生命は宇宙からやってきたとする説あり
地球外に生命を探す(2)――火星に生命体がいると信じて火星を観る

地球外生命体の探索をめぐる論文が、英国の科学誌『ネイチャー』に掲載されたら、より学術的な色を帯びてきたような印象になるでしょうか。

1959年9月19日、イタリア出身の物理学者ジュゼッペ・コッコーニ(1914-2008)と米国の物理学者フィリップ・モリソン(1915-2005)は、共著で『ネイチャー』に「星間交信の探索」(Searching for Interstellar Communications)という論文を発表しました。この論文は『ネイチャー』の論文で初めて地球外生命体について言及したものとされます。


フィリップ・モリソン。1969年。
NASA

論文は、「(1)惑星の形成(2)生命の起源(3)先進的な科学力を伴う社会進化、といったものの可能性を信頼をもって計算できるような理論は存在してこなかった。そうした理論がないなかで、長い生涯をもった主系列星は惑星をもつということが、われわれの環境からわかる……」といった内容で始まります。

そして、コッコーニとモリソンは、宇宙人どうしが、宇宙によく存在する「中性水素原子」という原子のもつ波長21センチメートルの電波を使って更新している可能性などを論じています。

この論文は、さほど知られるものではありません。しかし、米国の天文学者フランク・ドレイク(1930-)に影響をあたえ、よく知られる1961年の「ドレイクの方程式」誕生を導いたといわれます。

「ドレイクの方程式」は、地球に住む人間が銀河系で接触しうる地球外生命体の数を推算するもの。このブログでは2016年5月29日付の「宇宙の知的生命体遭遇率、天体の経済状況がかかわる」という記事で紹介しています。

その後、ドレイクは、26メートル電波望遠鏡を「エリダヌス座イプシロン星」と「くじら座タウ星」という太陽に近い二つの星に向け、波長21センチメートルの電波を受信する「オズマ計画」を実行しました。地球外生命体からの電波の発信を期待してのことです。しかし、計画の期間中、有意な信号を得ることはできませんでした。

しかし、宇宙から地球外生命体が発信する信号を受けとろうとする試みは、その後、地球規模のかたちで続いていくことになります。つづく。

参考資料
ウィキペディア「地球外生命」
https://ja.wikipedia.org/wiki/地球外生命
Giuseppe Cocconi & Philip Morrison “Searching for Interstellar Communications”
http://www.coseti.org/morris_0.htm
日本大百科全書「地球外知的生命体探査」
https://kotobank.jp/word/地球外知的生命体探査-1612465
ウィキペディア「フランク・ドレイク」
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランク・ドレイク

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地球外に生命を探す(2)――火星に生命体がいると信じて火星を観る

地球外に生命を探す(1)――そもそも生命は宇宙からやってきたとする説あり

地球に住む人間にとって、とても身近な星のひとつが火星です。米国の天文学者パーシヴァル・ローウェル(1855-1916)は、火星に生命がいることを人びとに印象づけるような研究成果をあげました。


パーシヴァル・ローウェル

ボストンの大富豪だったローウェルにとって、私財を投じて天文台を建設することは、自分の好奇心を抑えることよりもよほど安い買いものだったのでしょう。1894年に彼は「ローウェル天文台」を建てました。

「火星には火星人がいる」とローウェルは信じていたようです。その根拠としたのが「星雲説」という説。1775年にドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)が唱え、1796年にフランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスが補足した説で、回転する高温ガス塊が重力で収縮して中心に太陽をつくるとともに、遠心力で飛びだしたガスが冷却して惑星になったと主張するものです。この説のとおりであれば、地球のなりたちも火星のなりたちもいっしょなので、火星に生きものがいても不思議ではないと、ローウェルは考えたようです。

ローウェルは、天体望遠鏡を使って観測をした結果、火星表面には幾何学的なかたちをした運河が見つかったとしています。


ローウェルによる火星運河のスケッチのひとつ

しかし、この運河の模様は、その後20世紀後半以降の火星探査機による観測によって、すべて否定されています。「火星に生命がいる」と信じていると、火星表面に生命体の仕業による痕跡まで浮かんでくるということでしょうか……。

ローウェルらの「火星に生命体がいる」という主張は、その後、英国の小説家ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866-1946)の『宇宙戦争』など、さまざまな火星を舞台とする文学作品に影響をあたえたとされます。このブログの過去記事にあるとおり、1938年10月30日、『宇宙戦争』をもとにつくられた「火星人来襲」という嘘の情報がラジオで放送されると、全米の市民が大混乱に陥ったというできごとも起きました。

天体望遠鏡でしか、地球のほかの天体のようすを知ることができなかった時代、人びとはいまよりも相当に、地球外生命体の存在の可能性を高く見つもっていたのかもしれません。

その後も、人類による飽くなき地球外生命体探索は続きます。つづく。

参考資料
ウィキペディア「地球外生命」
https://ja.wikipedia.org/wiki/地球外生命
ウィキペディア「パーシヴァル・ローウェル」
https://ja.wikipedia.org/wiki/パーシヴァル・ローウェル
涌井隆「パーシヴァル・ローウェルは日本人と火星人をどう見たか」
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/0-kyouiku/seminar/2008sympo/06.pdf
デジタル大辞泉「カントラプラスの星雲説」
https://kotobank.jp/word/カントラプラスの星雲説-471030

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地球外に生命を探す(1)――そもそも生命は宇宙からやってきたとする説あり

地球ではないところに生命体がいるのかどうか。この問題は、長らく人の好奇心や関心の的でありつづけてきました。

地球外生命体を探索する歩みの黎明期には、根源的な説があったといいます。それは、「そもそも地球の最初の生命は宇宙からやってきたのである」というもの。

この考えかたのもち主の一人が、イタリアの博物学者だったラザロ・スパランツァーニ(1729-1799)です。スパランツァーニは、当時の説としてあった「微生物は自然発生するものである」という説に否定的でした。1765年には、フラスコに入れたスープを加熱処理し、フラスコの口を溶かして密閉する実験をおこない、微生物が自然発生しないことを確かめようとしました。


ラザロ・スパランツァーニ

1787年ごろ、スパランツァーニは、上記の地球最初の生命は宇宙からやってきたという説を唱えます。この説は「パンスペルミア説」とよばれるようになりました。

もし、パンスペルミア説が本当であるとすれば、「地球ではない天体に生命がいるのか」という問いそのものが成立しづらくなります。地球ではない天体から生命がきたのだから、地球ではない天体に生命はいる、あるいは、いたということになりそうです。

地球最初の生命は宇宙からきたという説は、スパランツァーニのみが唱えた突飛なものではありません。1903年に、ノーベル化学賞を受賞した、スウェーデンの化学者スヴァンテ・アレニウスがこの説を唱え、以降「パンスペルミア説」のよびかたが定着していったようです。

ほかにも、英国の物理学者ウィリアム・トムソン(1824-1907)とドイツの物理学者ヘルマン・ヘルムホルツ(1821-1894)、また、定常宇宙論で知られる英国の天文学者フレッド・ホイル(1915-2001)、さらにデオキシリボ核酸の二重らせん構造の解明で知られる英国の生物学者フランシス・クリック(1916-2004)なども、この説の支持派だったとされます。

地球外生命体探索は、“Search for Extra-Terrestrial Intelligence”の頭文字をとって“SETI”ともよばれます。SETIの歩みをみていくことにします。つづく。

参考資料
ウィキペディア「地球外生命」
https://ja.wikipedia.org/wiki/地球外生命
ウィキペディア「パンスペルミア説」
https://ja.wikipedia.org/wiki/パンスペルミア説
ウィキペディア「ラザロ・スパランツァーニ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラザロ・スパランツァーニ
ウィキペディア「スヴァンテ・アレニウス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/スヴァンテ・アレニウス

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
1枚の絵にアインシュタインとモンロー
物理学者のアルバート・アインシュタイン(1879-1955)と女優のマリリン・モンロー(1926-1962)には、とある縁があったといわれています。

高齢となっていたアインシュタインがあるパーティーに出席すると、モンローが現れて「私の美貌とあなたの頭脳をもった子ができたら素晴らしいと思いませんか」とアインシュタインに聞くと、アインシュタインは「生まれてくる子どもが私の顔とあなたの頭脳をもってるかも」と切りかえしたといいます。

こんな二人の顔を、一枚に重ねあわせた画像が出まわっています。マサチューセッツ工科大学の認知科学者のオード・オリヴァがつくったもの。


クリックすると絵が出てきます。
http://cvcl.mit.edu/hybrid_gallery/monroe_einstein.html より

絵を近くで見たときは、アインシュタインのおなじみの顔に見えます。しかし、絵を遠ざけて見ると、だんだん顔が変わっていき、モンローのおなじみの顔に見えてきます。

この錯覚は、空間周波数のちがいを利用したものといいます。空間周波数とは、縞模様のような空間的な周期的構造における、単位長さあたりにふくまれる構造のくりかえし数のこと。空間周波数が多く感じられる、つまりくっきり感じられるほど、この絵はアインシュタインの顔に寄っていき、空間周波数が少なく感じられる、つまりぼんやり感じられるほど、モンローの顔の絵によっていきます。

この絵に刺激を受けた物理学者もいます。超ひも理論の研究で知られる米国の物理学者ブライアン・グリーンは、著書『隠れていた宇宙』で、この絵を「びっくりするようなグラフィックアート作品に出会った」と述べ、あるひも理論がべつのひも理論に変わりうるという事実とこの絵の共通性をつぎのように述べています。

「一つのひも理論で結合定数が大きすぎるために摂動計算ができない場合、その計算を、結合定数が小さいので摂動アプローチがうまく行く、べつのひも理論の定式化言語にきちんと翻訳することができる」

つまり、計算するにはその材料が大きすぎるというとき、小さな材料で計算できるべつの理論に翻訳することができるということです。アインシュタインの顔を前提に計算しようとすると空間周波数が多すぎるけれど、空間周波数の小さなモンローの顔を前提にすれば計算することができる、といったことを言いたかったのでしょう。

アインシュタインとモンローの重ねあわせの絵は、「このくらいの距離感で見るとこう感じられるが、このくらいの距離感で見るとこう感じられる」といった比喩や説明
で使うことができそうです。

参考資料
デジタル大辞泉「空間周波数」
https://kotobank.jp/word/空間周波数-1304094
タビジン「誰に見える? 視力を試すハイブリッドイメージ」
http://tabizine.jp/2015/04/17/35273/
ブライアン・グリーン『隠れていた宇宙 (上)』
https://www.amazon.co.jp/dp/4152092254
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「チバニアン」直訳すれば「千葉時代」というより「千葉の時代」

google earth pro

77万年前から12万6000年前の時代を世界的に「チバニアン」とよぶことが実現に向け前進しました。国際地質科学連合の作業部会の作業により有力候補となったもの。「チバニアン」は、77年前に地球のN極とS極が最後に逆転した跡を示す地層が千葉県市原市内にあることに由来します。

地質時代には、大きく「界/代」、より小さく「系/紀」、より小さく「統/世」、さらに小さく「階/期」とよばれる区分があります。今回の「チバニアン」は、決まればもっとも小さい「階/期」の区分のよび名のひとつになります。具体的には新生代第四紀更新世の4つある最小区分のうちの、古いほうから3番目の時代区分が、「チバニアン」になるかもしれないというのです。

千葉県市原市田淵にある地層には、77年前に地球で最も新しい地場逆転があったことを示す証拠が見つかっています。この77万年前を区切りとして、「ここから“千葉の時代”が始まった」とするわけです。

「新語・流行語大賞2017」の検討や候補語発表がもうすこし遅ければ、まちがいなく「チバニアン」も候補に入っていたことでしょう。2018年には候補語になるでしょうか。

「チバニアン」をめぐっては、申請者の茨城大学の研究者らのあいだで、相当な検討があったようです。

ラテン語の“-ian”という接尾辞は、「何々に属す」といった語感をもっています。地質時代の最小区分の大多数は「-ian」で終わることばとなっています。たとえば「チバニアン」のひとつまえの区分は、「カラブリアン」(Calabrian)、そのまたひとつまえの区分は、「ジェラシアン」(Gelasian)となっています。

では、「千葉」のローマ字表記である“Chiba”に、“-ian”をつなぐとどうなるかというと、“Chibian”となり「チビアン」と発音するそうです。

しかし、申請をした研究者らは「これでは千葉らしくない」と判断し、「千葉の」を意味する“Chiban”に“-ian”をつけた“Chibanian”で申請することに決めたといいます。直訳すれば「千葉の時代」あるいは「千葉的時代」といったことになるでしょうか。

それにしても形容詞句的な意味をもつ「千葉の」という言葉が「Chiban」であることを、どれだけの千葉県民が知っていたことでしょう。

「チバニアン」は、何度も発音していると「チバニャン」と聞こえることもあるので、そのうち「千葉にゃん」といったキャラクターなども開発されていくかもしれません。

なお、「チバニアン」の呼称が「内定」したという報道もありますが、申請をした研究者たちは、まだ慎重姿勢のようです。「千葉の時代」に決まるでしょうか。そして「千葉の時代」はやってくるでしょうか……。

参考資料
毎日新聞 2017年11月13日付「チバニアン地質年代に 77万年前、磁場逆転の痕跡」
https://mainichi.jp/articles/20171114/k00/00m/040/038000c
毎日新聞 2017年6月8日付「チバニアン『千葉時代』命名申請 市原の地層、77万〜12万年前の地質時代」
https://mainichi.jp/articles/20170608/ddm/012/040/055000c
国際層序委員会 2017年2月更新「国際年代層序表」
http://www.geosociety.jp/uploads/fckeditor//name/ChronostratChart_jp.pdf
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「日比谷松本楼」のハイカラビーフカレー――カレーまみれのアネクドート(103)


東京・日比谷公園はほぼ黄金比の長方形をした都会の森。秋には銀杏や紅葉などがつける黄や赤の葉が映えます。

園内にはいくつかのレストランや売店などの飲食ができる施設があります。なかでも伝統があり、「日比谷公園のレストランといえば」とすぐ思いうかぶのが、和風仏蘭西料理店「日比谷松本楼」でしょう。

松本楼の開業は1903(明治36)年。日本発の洋式公園として開園した日比谷公園と時をおなじくして開業となりました。以降、明治期の文芸活動の拠点になるとともに、美術家たちも松本楼に集ったといいます。

松本楼の名物料理のひとつがカレーライスです。カツカレーやシーフードカレー、また野菜カレーなどが献立にあるなかで、「ハイカラビーフカレー」がもっとも基本的なカレーライス料理といえそうです。

このカレーライスは、松本楼の話題としてよくのぼる「10円カレー」とおなじもの。「10円カレー」とは、1973(昭和48年)から1年のうち9月25日
にかぎって10円で供しているカレーライスのこと。2年前の1971(昭和46)年4月、人びとが沖縄の本土復帰を訴えた「沖縄デー」のとき同店が放火を受け焼失しました。

そして、再開業となった1973年9月25日、全国からの励ましに応えて、同店は「10円カレー」を始めたといいます。以降、毎年9月25日には限定で「10円カレー」を供しています。その売上は、交通遺児育英会や日本ユニセフ協会などに寄付されているため、この年に一度の行事は「10円カレーチャリティー」ともよばれています。

9月25日に出される「10円カレー」は、松本楼がそれ以前より出していた「ハイカラビーフカレー」です。10円とはいかずとも、9月25日以外の日でも「10円カレー」とおなじカレーを食べることができるわけです。

その味は上品なもの。さほど辛くないカレーソースのなかに牛肉のかけらが5個ほどあります。ライスの量はややすくなめのほう。漬けものは赤くない福神漬。

秋の季節、紅葉を見ながら都会の真中でカレーを食べることができます。

日比谷松本楼のレストランのサイトはこちらです。
http://matsumotoro.co.jp/restaurant/restaurant.html

参考資料
松本楼「日比谷松本楼の歴史」
http://matsumotoro.co.jp/history/history.html
ユニセフ「パートナー 日比谷 松本楼 10円カレーチャリティ」
https://www.unicef.or.jp/partner/ex1/partner_ex2.html
ウィキペディア「松本楼」
https://ja.wikipedia.org/wiki/松本楼
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芸術家が社会との結びつきを意識


芸術の分野では、いつの時代も前衛的な作品が誕生し、それが時代ごとに見られる様式の変容ぶりのきっかけをつくっているものなのでしょう。つまり、いつの時代の芸術にも「新しい試み」はある程度は見られたにちがいありません。

いまを生きる人たちにとって、現代の芸術はほかの時代にくらべても、もっとも変容を遂げているように見えるかもしれません。

「社会関係型芸術」などと直訳される芸術の様式が、1990年代から現れはじめたとされます。もっとも日本人も漢字でこの芸術を表現するより、「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」(SEA:Socially Engaged Art)と外来語で表現するほうが断然に多いようですが。

「エンゲイジド」とは、「婚約している」や「従事している、関係している」といった意味のことばです。つまり、社会との結びつくことを特徴とするような芸術のことを「社会関係型芸術」とよんでよさそうです。

「SEAリサーチラボ」というサイトでは、「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)とは、アートワールドの閉じた領域から脱して、現実の世界に積極的に関わり、参加・対話のプロセスを通じて、人々の日常から既存の社会制度にいたるまで、何らかの『変革』をもたらすことを目的としたアーティストの活動を総称するものである」としています。

従来の芸術にも、おそらく現実世界とかかわることや、なにかを変革することにつながる要素がふくまれた作品はあったことでしょう。しかし、そうした目的をより明確に意識して作品を手がける芸術が現れてきたのです。英国の現代芸術家ジェレミ・テラー(1966-)は、「私は、モノを作るアーティストから、コトを起こすアーティストに身を転じた」と述べたそうです。

社会関係型芸術が興った背景に、「公共的」と「私的」の境界があいまいになったことに対する芸術家たちの問題意識があったとの指摘があります。近年、「公共」の場に「私」が進出していることに対し、公共空間を使う芸術をくりひろげることで、公共性の危機を主題にしようとしたということです。

芸術分野の非営利組織「クリエイティブタイム」の主任学芸員であるネイト・トンプソン(1972-)は、2012年に上梓した編著書『リビング・アズ・フォーム ソーシャリー・エンゲージド・アート 1991〜2011より』において、社会関係型芸術の特徴として、「人びとが集まること」「メディアを巧みに操ること」「調査し、それを発表すること」「構造的な代案」「意思疎通」の五点を指摘しています。

芸術というと、「芸術家が感性のおもむくままに表現したものが作品となる」といったことを想起されがちなものです。しかし、公共や社会といったものを強く意識し、人びとにはたらきかけをすることを意識する芸術家が増えてきたといえるのかもしれません。結果でなく手段としての芸術作品がより明確に現れてきているといいますか……。

参考資料
工藤安代「ソーシャリー・エンゲイジド・アートの現在」(PDFファイル)
https://jissen.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1369&file_id=22&file_no=2
SEAリサーチラボ「SEAとは?」
http://searesearchlab.org/definition
アート&ソサイエティ研究センター「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展 社会を動かすアートの新潮流」
http://www.art-society.com/researchcenter/wp-content/uploads/2017/01/SEAPressRelease%E3%80%8001.31.pdf
| - | 18:49 | comments(1) | trackbacks(0)
(2017年)12月19日(土)は「魅力的な女性社員が活躍している! ビジョ活!! 2017」


催しものの案内です。

講談社の媒体「Rikejo」が2017年12月9日(土)、東京・音羽の講談社内特設会場で、「魅力的な女性社員が活躍している! ビジョ活!! 2017」という催しものを開きます。女子大生や女子大学院生、また女子高校生の参加を募集しています。

「ビジョ活」とは、自分の理想のワークスタイルを探す活動のこと。「自分の理想」つまり「ビジョン」求めていく「活動」のため「ビジョ活」というわけです。

催しものでは「ビジョ活」が進む、三つの機会が待っています。

ひとつは、「池澤あやかさんによる『ビジョ活のススメ!』 スペシャルトーク」。池澤さんは、映画、テレビ番組、コマーシャル・メッセージへの出演のほか、「週刊アスキー」「東洋経済オンライン」などで連載をもつエンジニア兼タレント。企業就職でなく、このような道を選んで活動する池澤さんが、一先輩として「ビジョン」を語ります。

また、「参加企業の女性社員によるパネルディスカッションと質疑応答」もあります。参加企業のVASILYとパナソニックから理系女性社員が登壇。とくに、デジタル業界での活躍のしかたや日々の過ごしかたなどのお話が聞けそうです。

さらに「参加企業による個別ラウンドテーブル『働く女性って幸せ? 仕事も課程も充実させる秘訣とは』 powered by 凛」というプログラムも。参加者は、社会人の理系女性を囲み、聞きたいことを直接、聞くことができます。「凛」は、理系女子大生コミュニティで、この催しものの協力をしています。

このほか、申込み先着順30名限定で、講談社専属のプロカメラマンが、参加者を撮影し、写真データをプレゼントします。さまざまな用途で使うことができそうです。

主催する講談社Rikejoは「理想の将来を迎えるために『ビジョ活!!2017』を一つのきっかけにしてみませんか」と参加をよびかけています。

講談社Rikejoが告知する「魅力的な女性社員が活躍している! ― ビジョ活!! 2017 開催のお知らせ」こちらです。申込み口もあります。
http://www.rikejo.jp/event/article/19221.html
| - | 13:39 | comments(0) | trackbacks(0)
社会はスペクタクル化していった(2)
社会はスペクタクル化していった(1)

フランスの映画作家ギー・ドゥボールが理論化し、また批判対象とした概念「スペクタクル化社会」に目を向けています。

ドゥボールは、スペクタクルの社会では、人びとは受動的な立場に疎外されていくとして、この社会を批判しました。そして、スペクタクルを打破する「状況」の構築をめざそうとしました。

ドゥボールのこうした考えかたから生まれた概念に「シチュアシオニスム」(situationisme)があります。日本語では「状況主義」ともよばれます。ただし、ドゥボール自身は「シチュアシオニシト」という主体はあるものの、「シチュアシオニスム」という主義は存在しないと述べていたそうです。

ドゥボールは1957年、シチュアシオニストたちからなる「アンテルナシオナル・シチュアシオニスト」という組織を結成し、雑誌『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』を創刊、この雑誌を主要な媒体としました。

シチュアシオニストたちは、「資本化された合理主義社会の改革」を最終目標としていたといいます。そして、合理主義による大量生産に、シチュアシオニストたちは「転用」あるいは「ディトルヌマン」とよばれる手法で対抗をとりました。ある製品を、従来の使いかたとは異なる方法で使うというものです。

さらに、シチュアシオニストたちは「転用」の考えかたを「都市」に対しても広げようとしました。これを「漂流」あるいは「デリーヴ」といいます。漂流とは、目的なく都市をさまよい、遠回りをしたり、道なきところに侵入したりするような行動の方法です。ドゥボールは「漂流」の概念を「志を同じくする者たちが三々五々に集まって日が高い時刻に行う。パリを解き放たれた集団的な生の表現の空間として捉え直すこと」と説きました。

フランスでは1968年5月10日、「五月革命」とよばれる大規模なストライキが起きました。この社会動向に対して、インテルナシオナル・シチュアシオニストの活動や存在はすくなからぬ影響をあたえたとされます。


パリでの「五月革命」
写真作者:Robert Schediwy

1972年に、インテルナシオナル・シチュアシオニストは解散しました。了。

参考資料
アートスケープ「シチュエーショニズム/シチュアシオニスム」
http://artscape.jp/artword/index.php/シチュエーショニズム%EF%BC%8Fシチュアシオニスム
GARAGE SALE「シチュアシオニストの活動とその意義 三浦丈典」
http://d.hatena.ne.jp/araiken/20110804/1312631050
@Arumikuos「「目標地点なき〈漂流(デリーヴ)〉。……」
https://twitter.com/Arumikuos/status/915600460681117697
ウィキペディア「五月革命(フランス)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/五月革命_(フランス)
| - | 13:08 | comments(1) | trackbacks(0)
社会はスペクタクル化していった(1)

私たちは自分の意志によってものごとを選んでいるのでしょうか。それとも、社会にしくまれている“なにか”によってものごとをあたえられているのでしょうか。

フランスの映画作家ギー・ドゥボール(1931-1994)が1967年に『スペクタクルの社会』という本を刊行しました。


英語版の『スペクタクルの世界』表紙

「スペクタクル」とは一般的に、「壮観」といった意味や、そこから「大じかけな見せもの」といった意味をさします。

いっぽう、ドゥボールが述べる「スペクタクル」とは、「イメージと化すまでに蓄積の度を増した資本」のこと。そうした意味での「スペクタクル」に支配されたような社会は「スペクタクル化社会」や「スペクタクルの社会」と表現されています。

芝居では、つぎつぎと大じかけな見せものが観客の前でくりひろげられられます。観客は、舞台を見ているだけで、さまざまなできごとを見て感じることになります。

「スペクタクル化社会」においては、観客は保守的な中間階層であり、この層が中心を占めるとされます。いわゆるサラリーマン層のことといってもよいでしょう。

そして、ドゥボールは、彼の述べる「スペクタクル」のなかにおいては、「商品の物進化」そして「感覚しうるけれども感覚を超えたさまざまなモノによる支配」が完遂されるといいます。

かつては社会における中間階層とは、労働によって搾取され、それに対する抵抗活動をする主体と捉えられてきました。しかし、スペクタクル化された社会では、中間階層はもはや日常生活において搾取され、余暇や消費をめぐる闘争をする主体と化しているといいます。

そしてドゥボールは、スペクタクルを「財を商品と同一視し、満足をそれ自体の法則にしたがって増大する余分な生と同一視することを受け入れさせるための、永遠の阿片戦争」とも表現します。

ドゥボールは、情報媒体のスペクタクル性にも目を向けます。つぎつぎと「観客」たちに情報をあたえつづけることによって、媒体のもつ権力性は社会において無意識になっていくとドゥボールは考えました。

大量にある言説が流されていくと、たとえそれが嘘であっても、いつのまにか人びとがその言説に対して無意識になってしまうということもあります。近年いわれているフェイク・ニュースがもつ性質もそれに近いかもしれません。

ドゥボールは、こうした「スペタクル化社会」に対して批判をし、運動を展開しました。つづく。

参考資料
世界大百科事典「スペクタクル」
https://kotobank.jp/word/スペクタクル-84782
アートスケープ「アートワード 『スペクタクルの社会』ギー・ドゥボール」
http://artscape.jp/artword/index.php/『スペクタクルの社会』ギー・ドゥボール
ブリコラージュ@川内川前叢茅辺「ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』木下誠訳、ちくま学芸文庫、2003年」
http://st.cat-v.ne.jp/kawamae_cho/book/suppl_45.html

| - | 23:59 | comments(1) | trackbacks(0)
「新語・流行語2017」候補語、知られる価値ある科学・技術のことばも


「ユーキャン新語・流行語大賞2017」の候補語が、(2017年)11月9日(木)発表されました。『現代用語の基礎知識』を出版する自由国民社と大賞事務局が選んだものです。

このブログでは、毎年の候補語について、科学や技術の分野とかかわりのある候補語をとりあげています。今年は、科学・技術にかかわる候補語の数そのものはすくないものの、これらの分野に直結するような内容の濃い候補語が見られます。

「AIスピーカー」

「AI」とは、Artificial Intelligence、つまり人工知能のこと。人工知能の技術が使われた「AIスピーカー」とよばれる音声応答装置が新たな家庭電化製品の仲間入りをしはじめています。

AIスピーカーは、人の話す音声を認識して、人のさまざまな要望に対応する装置。音声で返答することもあれば、家のなかのほかの電化製品を制御することもあります。情報通信技術の世界大手がのきなみAIスピーカーを開発しています。グーグルの「グーグル・ホーム」、LINEの「ライン・クローヴァ・ウェーブ」、アマゾンの「アマゾン・エコー」、アップルの「アップル・ホームポッド」などです。

来年2018年には、日本での本格普及もあるかもしれません。いっぽうで、「スマートフォンの音声認識との差はどこにあるの」といった声も聞かれます。

2016年の候補語には「AI」が入っていました。1年が経ってより「AI」が具体的に製品に使われることになったことを示唆する「AIスピーカー」の候補語入りです。

「睡眠負債」

日々の睡眠不足が借金のように積みかさなり、心身に悪影響を及ぼすおそれのある状態のことをいいます。睡眠不足が「借金をする」だとすれば、睡眠負債は「借金が貯まる」といったところでしょうか。

このことば自体は、スタンフォード大学の睡眠障害研究者ウィリアム・デメントが、1997年ごろから使いはじめたもの。研究者たちのあいだでは使われてきました。造語から20年後に「新語・流行語」の候補語に入ったことになります。(2017年)6月18日に放送されたNHKスペシャル「睡眠負債が危ない」という番組が、このことばが日本の社会に普及しはじめるきっかけとなったようです。

「線状降水帯」

線状に伸びる雨の地域のことを指します。積乱雲がつぎつぎと生じるなどして強い雨をもたらします。規模としては、幅20キロメートルから50キロメートル、長さ50キロメートルから300キロメートルとなります。

(2017年)7月上旬、九州北部の各地に豪雨が降りました。この豪雨も、線状降水帯を伴うものだったとされ、この言葉が人びとにより知られるようになりました。

この三つの候補語ほど科学や技術の分野に直結しているわけでありませんが、ほかの候補語のなかで「人生100年時代」が扱われる健康や長寿という学問分野には、科学の要素が多分に含まれています。

また、男子陸上100メートル層で日本記録を更新した桐生祥秀選手の功績にちなんで「9.98(10秒の壁)」といった候補語もあります。より速く走るための科学的な追究も、10病の壁を破るまでにはあったことでしょう。

こうして見ていくと、「新語・流行語大賞2017」の候補語30個のなかには、科学や技術にかかわることばがそれなりにふくまれているといえます。とりわけ「睡眠負債」と「線状降水帯」という候補語は、多くの人たちの身の危険にかかわることばです。こうしたことばが社会に広がることで、関心や注意を払う人が多くなるでしょうから、「新語・流行語大賞」の候補語に選ばれたことには、それなりの価値があるといえそうです。

「ユーキャン新語・流行語大賞」のサイトはこちらです。
http://singo.jiyu.co.jp

参考資料
Watch Headline「特集 スマートスピーカー」
https://www.watch.impress.co.jp/smartspeaker/
ウィキペディア「睡眠負債」
https://ja.wikipedia.org/wiki/睡眠負債
William . Dement, M.D., Ph.D “What All Undergraduates Should Know About How Their Sleeping Lives Affect Their Waking Lives”
https://web.stanford.edu/~dement/sleepless.html
デジタル大辞泉「線状降水帯」
https://kotobank.jp/word/線状降水帯-689262
ハフィントンポスト 2017年7月5日付「『線状降水帯』とは? 積乱雲が次々と発生、九州北部に記録的な豪雨」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/05/linear-rainbands_n_17400996.html
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「『眠れてないときほど腹が減る』の根拠はどこに?」



ウェブニュース「JBpress」で、きょう(2017年)11月10日(金)「『眠れてないときほど腹が減る』の根拠はどこに? 睡眠不足と食欲の関係を探る(前篇)」という記事が配信されました。

仕事や家事で忙しい、あるいは、夜更かしなのに朝起きなければならない、といった事情を抱えている人は、睡眠不足に陥りがちではないでしょうか。そして、そういった人の多くは、やたらと腹が減る感覚を抱くのではないでしょうか。つまり、「眠いと空腹」となるわけです。

こうした感覚は研究で確かめられているのか。確かめられているとすれば、どうして、眠れていないときほど腹が減るのか。そうした疑問に答えるような記事となっています。

取材に応じているのは、埼玉県立大学准教授の有竹清夏さん。臨床生理学、睡眠学、時間生物学などを専門分野としています。そして、有竹さんは2017年1月「睡眠不足がエネルギー消費、深部体温、食欲にもたらす影響」という主題で、雑誌『サイエンティフィックレポート』に論文を、早稲田大学や花王の研究者とともに発表しています。

どうやら「眠いと空腹」は迷信ではないようです。有竹さんはまず、海外の研究者たちによる研究成果を紹介します。

睡眠不足になると食欲を抑えるホルモン「レプチン」の分泌が減り、いっぽうで食欲を促すホルモン「グレリン」の分泌が増えるといった生理学的な研究成果があるとのこと。

また、ある地域の住民全体を対象に病気や健康についての発生原因や動態を明らかにする疫学調査でも、睡眠時間の短い人は肥満の指標となるボディ・マス指数が高くなる傾向が示されているとのこと。

では、どうして睡眠不足になると空腹を感じるようなからだのしくみになっているのでしょうか。それを解明するために、有竹さんたちは実験にとりくみ、そしてそれを論文にまとめた言います。

今回の前篇では、7時間の睡眠と、3.5時間の睡眠とで、エネルギーの消費量は全体としては有意な差はなかったとする結果を、有竹さんは紹介しています。

だとすると、「睡眠不足で空腹」になるのは、「長く寝ているときよりエネルギーがより多く消費されたから」ということではないことになります。いったい睡眠不足の人のからだに、どのような変化が起きているのか。記事は、来週17日(金)掲載予定の後篇へとつづきます。

「『眠れてないときほど腹が減る』の根拠はどこに? 睡眠不足と食欲の関係を探る(前篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51565

この記事で取材と執筆をしました。

| - | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0)
一気に4点、5点、6点、8点、5点

写真作者:american_rugbier

対戦型の運動競技には、たいてい「得点」があります。得点とは競技で点をとること、また得た点数をいいます。最終的に得点の大きいほうの選手やチームが勝ちとなります。

サッカーやホッケーなどでは、一度に獲られる得点は1点です。たとえば10対0といった大量得点差の試合でも、1点ずつを積みかさねていくわけです。

いっぽう、サッカーやホッケーとちがい、ひとつの動きや技によって、一挙に複数の得点を獲られる競技もあります。

多くの人が思いうかべるのは野球でしょう。3人の走者が塁にいる満塁の場面で打者が本塁打を打つと一挙に4点が入ります。満塁本塁打でサヨナラ勝ちを収める場合もあり、満塁本塁打での一挙4点は選手も観客も興奮するもの。

野球だけではありません。ほかの競技でも一挙大量得点の場面があります。

ラグビーのトライや認定トライでは一挙に5点。ただし、ラグビーのひとつの技による最低得点はコンバージョンゴールの2点なので、一挙大量得点でも最低得点の2.5倍のみとなります。

アメリカンフットボールでは、タッチダウンで6点が入ります。フィールドゴールの3点にくらべると2倍ですが、この競技にはポイント アフター タッチダウンという技による1点の得点があるため、一挙大量得点は最低得点の6倍ということにはなります。

さらに一挙大量得点感が強い競技にカーリングがあります。1エンドの最終局面で、中心に近い石が多いチームが得点します。敵側の中心にもっとも近い石よりも中心に近い石が1個あれば1点の得点となります。1エンドで、4人が2回ずつ投石するので、理論的にはすべての石が敵側のもっとも中心に近い石より中心に近い位置にあれば、8点が入ることになります。この得点は特別視されていて「エイト・エンダー」ともよばれるそう。

球技ではありませんが、レスリングでも一挙大量得点の機会があります。投技のなかでも、相手の体を完全に持ちあげて、大きく円弧を描きながら投げると一挙に5点が入ります。これが、フォール勝ちをのぞく最大の一挙大量得点となります。

「最低得点は1点だけれど一挙大量得点は100点」という競技がじつはあった! といったような落ちがある話ではありませんが、どの競技が、最低得点に対して最高得点が大きいかを探したり、どの競技が試合における一挙大量得点の影響力が大きいかを探したりするのも一興です。

参考資料
熊谷市「ラグビーの得点」
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/kumaspo/rugbyjoho/kiso/tokuten.html
アメフトを学ぼうのページ「得点方法」
http://www.geocities.jp/hironamicky/syokyuu/01tokuten.htm
ウィキペディア「カーリング」
https://ja.wikipedia.org/wiki/カーリング
Yahoo!知恵袋「レスリングのルールを簡単に教えてください」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13163110313
| - | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0)
「カラクサカレー」の黒カレーライス――カレーまみれのアネクドート(102)


碁盤の目のように小路が走る京都の街では、歩いているとカレーの香りが漂ってくることがあります。道幅が狭く、かつ建てものがすき間なく並んでいるところでは、カレーの匂い成分も散らばりにくいのでしょうか……。

四条通りから南に下ったところ、東西に走る綾小路通りを歩いていると、やはりカレーの香りが漂ってくるところがあります。そこは神明町。「カラクサカレー」の前です。

店を入ると奥にとても長いかまえです。細長の食卓に越高のいすが7脚。食卓の向かいには細長の厨房。店主と弟子の店員2人が、精魂込めるようにカレーをつくっては出しています。

この店のカレーはおもに「黒」と「赤」に分かれます。黒は、煮込んだ牛肉が入っているカレー。赤は、わりと大きめの鶏肉が入っているカレーです。

写真は「黒 カレーライス」。まず基本として明るい色のカレーソースがよそわれ、その上から黒いソースがかかっています。そして、その内側に黒いカレーソースのなかに牛肉が。さらに、ふた筋の白いソースがかかっていて、品の高さを漂わせています。

店の献立表によると、基本にある明るい色のカレーソースは「香りのルー」から、また内側の黒い、あるいは赤いソースのほうは「旨味のルー」からのものということです。「ハーフ・アンド・ハーフ」といった献立はカレー店でも見かけますが、「外側と内側」でソースを供しているカレーはめずらしいのではないでしょうか。

外側のカレーも内側のカレーも、飛びぬけて辛いわけではなく、やはり品のよさのようなものが漂います。それは京都にいるからでしょうか。

なお、外側のソースの内側に、「黒」と「赤」を隣どうしで入れた「赤黒ハーフ&ハーフ」という献立もあります。京都を旅している人にとっては「黒」も「赤」も一度に食べてしまいたい。そんな人たちのことを慮っているのでしょうか。

「カラクサカレー」の食べログ情報はこちらです。
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260201/26025396/
| - | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0)
(2017年)12月17日(日)は「AIは記者にとってかわるか?」


催しものの案内です。

(2017年)12月17日(日)、東京・戸塚町の早稲田大学大隈小講堂で、「AIは記者にとってかわるか?」というテーマのシンポジウムが開かれます。これは、早稲田大学ジャーナリズム大学院(J-School)の設立10周年を記念してものもの。

人工知能(AI:Artificial Intelligence)が新聞の記事をつくるといった事例が、国内外で伝わってきます。2015年ごろから米国のAP通信が人工知能を使ってスポーツ記事をつくっているほか、2017年には日本経済新聞も人工知能を使って「決算サマリー(Beta)」という決算速報記事をつくっていると伝えられます。

さまざまな職業のありかたが、人工知能によって変わっていくと予想されるなかで、ジャーナリズムを担ってきた記者の活動には、どのような影響が起きうるのでしょうか。

シンポジウム「AIは記者にとってかわるか?」では、現場を取材するジャーナリスト、また人工知能やジャーナリズムの倫理を研究する専門家が登壇し、「取材」「報道」「議論」の観点から考えます。

現在のジャーナリズムにおける人工知能の進出だけでなく、すこし先の未来予想シナリオをもとに、人工知能がもたらす可能性や、社会が抱えることになりそうな課題などをあぶりだします。

登壇者は、ジャーナリストでメディア・アクティビストの津田大介さん、朝日新聞IT専門記者で“デジタルウオッチャー”の平和博さん、龍谷大学准教授の畑中哲雄さん、名古屋大学大学院准教授の久木田水生さん。進行は、早稲田大学大学院准教授の田中幹人さん。

「AIは記者にとってかわるか?」に先立って、第一部では「世界とつながるOB・OG〜教員・修了生からの報告」という報告会もおこなわれます。

J-Schoolの設立10周年記念シンポジウムは、2017年12月17日(日)13:00から、早稲田大学大隈小講堂にて。シンポジウムの入場は無料ですが、事前の参加登録が必要です。また、シンポジウム終了後に有料の懇親会も予定されています。

シンポジウムの詳細は下記のURL先にて。参加登録手続きもできます。
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01p319z5i43g.html
| - | 16:44 | comments(0) | trackbacks(0)
「ワン・モア・コーヒー」値上げに“データ獲得”のねらい漂う


コーヒーのチェーン店「スターバックスコーヒー」の、2杯目が定価より安く飲める「ワン・モア・コーヒー」の価格が、2017年11月から値上げされました。飲料類でもっとも安いドリップコーヒーを購入したときの領収書をその日に提示することで、どの店でも、また店を変えても、2杯目を税込108円で飲むことができました。11月からは54円、高くなり162円となっています。

ドリップコーヒーのもっとも小さい「ショート」が302円。10月までは2杯目が108円だったので410円で、ショート2杯分を飲むことができました。1杯あたり205円。これはコーヒーのチェーン店のなかでも相当に安い価格といえます。

11月からは2杯合わせて、464円。1杯あたり232円となります。従来より27円、高くなることに。

ただし、領収書を見ると値上がり前の価格でワン・モア・コーヒーを飲めるといったことも書かれてあります。

「Web登録済みのスターバックスカードで1杯目をご購入の場合は、100円(税抜)でご利用いただけます」

「スターバックスカード」とは、スターバックス各店で利用できる代金前払いカードのこと。このカードについてウェブで登録をすると、クレジットカード決済で入金できたり、設定金額未満になったら自動入金できたりするそうです。これらに「ワン・モア・コーヒーが現金支払いだと162円のところ、108円で済む」というサービスが加わったことになります。

今回の値上げは、「ワン・モア・コーヒー」の人気が高まり、採算に影響が出はじめたためにおこなったのでしょうか。

ほかの可能性を考える余地はあります。

スターバックスカードによって支払いをすれば、購入履歴は確実にスターバックス側に貯まっていきます。これは、客がどのような商品をどのように買うか、その傾向を知るための貴重なデータとなることでしょう。

ウェブ登録済みのスターバックスカードを使ってもらえば、スターバックスカードを介して市場調査をより効果的におこなうことができる。そのため、ワン・モア・コーヒーを値上げして、ウェブ登録済みカードを使う場合にかぎって価格は据えおきとする。このようなねらいもあるのではないでしょうか。あるにちがいありません。

ウェブ登録済みスターバックスカードをもっていあにワン・モア・コーヒー利用客にとっては、値上げを飲むか、ウェブ登録をしてカードをつくるかの選択となります。そして、その選択の傾向も、データを利用した市場調査に使われるのでしょう。

参考資料
スターバックス領収書
| - | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0)
「世界最速の芸術鑑賞」が新潟県を走る


たとえ新幹線のような主要な電車の路線であっても、自分の住んでいる地域から離れると、どのような駅があり、どのような列車が走っているかはなかなかわからないものです。東日本の人は、九州新幹線の筑後船小屋駅をさほど知らないでしょうし、西日本の人は、東北新幹線のいわて沼宮内駅をさほど知らないでしょう。

JR東日本の上越新幹線にも、東京に住む人があまり知らないような新幹線が、新潟県の新潟駅と越後湯沢駅のあいだを走っています。その新幹線を「現美新幹線」といいます。

JR東日本のサイトによると、現美新幹線は「世界最速の芸術鑑賞」なのだそう。新幹線が芸術鑑賞であるということに、おかしな感を抱く人もいるかもしれませんが、それほどJR東日本はこの新幹線で芸術面を推したいということでしょう。

また、「本列車では、注目のアーティストがこの場所のために制作した現代アート、『romi-unie』のいがらしろみ氏が監修した地元の素材にこだわったスイーツ、燕三条で人気の『ツバメコーヒー』監修のコーヒーなどを提供するカフェ、現代アートに直接触れることができるキッズルーム、沿線に広がる車窓など、様々な魅力をご用意しております」ともあります。

運転日は、年末年始を除く土曜・日曜や祝日などの限定的なもの。越後湯沢駅を8時台、12時台、15時台に出る下り3本と、新潟駅を11時台、14時台、16時台に出る上り3本があります。越後湯沢駅と新潟駅のあいだでかかる時間は1時間足らずなので、ゆっくりと現代美術を鑑賞できるかどうかはわかりません。

現美新幹線で作品を鑑賞できる芸術家としては、荒神明香さんや蜷川実花さんなどの名前が上がっています。

新幹線の新しい楽しみかたを提供する試みの一例といえましょう。

参考資料
JR東日本「現美新幹線」
http://www.jreast.co.jp/genbi/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
雪国の道路は赤く
新潟県内の上越地方の街なかを歩いていると、ところどころ赤茶けている道路が見られます。



写真は、新潟県南魚沼市のJR塩沢駅です。駅前では、階段からタクシー乗り場の道にかけて赤茶けています。また、点字ブロックも赤茶けています。こうした、道路などが赤茶ける現象は、南魚沼市のほか、長岡市などでもよく見られるようです。



ほかの日本の地域とちがう特殊な事情があるからこそ、道路が赤茶けるわけですが、その原因は明らかになっています。「消雪パイプ」のさびが道路に溜まり、道路の表面などを赤くしているというもの。

消雪パイプとは、地下水をポンプで汲みあげ、路面にその水を撒いて雪を溶かすための施設のこと。道路の中央の地面にパイプがあり、雪の季節になると、パイプに開けられた穴から水が小さな噴水のように噴きだします。

昭和30年代、消雪パイプがなかったころは、除雪のやり場がないため雪がうず高く積もるばかりでした。しかし、その後、民間企業が消雪パイプを開発し、1961(昭和36)年には長岡市がこのパイプによって消雪を始めたとされています。

いっぽう、消雪パイプは鉄でできていて、酸素や水分などと反応し、酸化するとさびが生じます。そして、酸化した鉄の粒子が赤い膜をつくり、これが水といっしょに道路上に噴きだすため、道路が赤茶けてしまいます。

道路が赤くなることは、見た目としてはよいものではないかもしれません。しかし、それを上まわる消雪という利点があるわけです。

参考資料
新潟県「消雪(しょうせつ)パイプ」
http://www.pref.niigata.lg.jp/nagaoka_seibi/1195402265145.html
ウィキペディア「錆」
https://ja.wikipedia.org/wiki/錆
| - | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0)
ペプチドから薬をつくる(2)
ペプチドから薬をつくる(1)


写真作者:Gerit Linneweber

複数個のアミノ酸分子が、いっぽうのアミノ基と、他方のカルボキシルとから1分子の水がとれて結合した化合物を総称して「ペプチド」といいます。

アミノ酸が生体の維持など、さまざまな用途で使われているのとおなじように、ペプチドもまた構造によっては“使いもの”になります。とくに近ごろでは、「ペプチドから医薬品を創る」といった動きがさかんになってきています。

医薬品も物ですので、分子からなりたっています。そして医薬品を分類するうえでは、「分子の数が何個ぐらいか」が尺度になることがあります。

分子の個数が500個の医薬品は「低分子薬」とよばれます。このくらいの個数の分子だと、物理的にも大きくないため、細胞のなかに入りこみ、小さな標的に作用することができます。また、製造費用も安く抑えられます。しかし、病気を引き起こすもととなる、たんぱく質どうしの相互作用を阻害するようなことはできません。薬が小さすぎるからです。

いっぽう、分子の個数が15万個以上の医薬品は「高分子医薬品」とよばれます。このくらいの個数からなる大きな薬は、がん細胞をふくむ体内の異物に対してのみ結合し、免疫のしくみを使ってその異物を壊すことができます。こうした役割の薬は「抗体医薬」ともよばれます。抗体医薬を使えば、たんぱく質どうしの相互作用を阻害することもできます。しかし、薬にするまでには遺伝子組換えが必要で製造費用が高くついたり、また細胞内には大きすぎて入らなかったりする欠点もいわれています。

さて、低分子薬と高分子薬のあいだには、分子の個数の隔たりがあります。つまり500個から2000個ほどの分子でなる領域があるわけです。この領域の医薬品を「中分子薬」とよぶことがあります。そして、この中分子薬を創るのに、ペプチドが使われるのです。

中分子薬であれば、低分子薬ではねらうことのできなかった、大きな分子に作用して病気が生じるのを抑えることができると考えられています。しかも、低分子薬とおなじように、化学合成によって薬をつくることができるので、費用も抑えることができます。

こうした利点があることから、中分子薬を創ることに、さまざまな製薬企業が関心をもっているようです。ペプチドをもとに創薬することを「ペプチド創薬」ともいいます。

ただし、ペプチドは、体内に摂りこまれると分解されやすいため、いかに分解されない構造にするかが、ペプチド創薬での課題となっています。

病気を治療するために医薬品を使う人びとにとって、薬の選択肢が増えるのは基本的によいこと。ペプチド創薬にも期待がかかります。了。

参考資料
藤井郁雄「中分子創薬のすすめ」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/faruawpsj/52/2/52_116/_pdf
Answer News 2016年3月24日付「中外製薬も名乗りを上げた『中分子創薬』…抗体と低分子の特徴を併せ持つ、次世代技術かかる期待」
http://answers.ten-navi.com/pharmanews/6428/
JITSUBO「ペプチド医薬品の社会的意義」
http://www.jitsubo.com/jp/business/peptide.html
日経電子版 2017年10月24日付「創薬は赤字覚悟、その常識覆す ペプチドリーム会長」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO22392200Y7A011C1000000
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
ペプチドから薬をつくる(1)
「ペプチド」とよばれる物質があります。ペプチドを説明するには、まず「アミノ酸」という物質の説明が要りそうです。ペプチドは、アミノ酸からつくられるからです。

アミノ酸とは、分子に「アミノ基」と「カルボキシル基」とよばれる原子の集まりをもっている化合物のことをいいます。アミノ基は、窒素元素1個と水素元素2個で「-NH2」のかたちをしています。また、カルボキシル基のほうは、炭素原子1個、酸素原子1個、さらに酸素原子1個と水素原子1個で「-COOH」のかたちをしています。

このアミノ酸が2個あるとします。たとえばAとBというアミノ酸としましょう。Aのほうのアミノ基と、Bのほうのカルボキシル基が近づいていきます。すると、アミノ基「-NH2」からは水素原子1個つまりHが、カルボキシル基「-COOH」からは、酸素原子1個と水素原子1個つまりOHがもちだされ、水素原子2個と酸素原子1個からなる水(H2O)が1分子、生じます。いっぽうAとBだったアミノ酸は、水となって出ていった部分どうしが結ばれて、あらたな化合物になりました。

これがペプチドです。つまりペプチドとは、複数個のアミノ酸分子が、いっぽうのアミノ基と、他方のカルボキシルとから1分子の水がとれて結合した化合物のことをさします。

もし、もとのアミノ酸の数が2個だったときは、そのペプチドをとりわけ「ジペプチド」(Dipeptide)とよびます。3個だったときは「トリペプチド」(Tripeptide)、4個だったときは「テトラペプチド」(Tetrapeptide)とよびます。


トリペプチドの例。ウィキペディア「ペプチド」より。

こうして、いくつものアミノ酸が結びついてペプチドがつくられていくわけですが、2個から10個ぐらいのアミノ酸からつくられるペプチドは「オリゴペプチド」(Oligopeptid)とよばれ、さらに10個以上からなるペプチドを「ポリペプチド」(Polypeptide)とよびます。オリゴペプチドには、接頭辞の“Oligo-”に「少数」という意味があることから、「すくないアミノ酸から構成されたペプチド」といった語感があります。いっぽう、ポリペプチドには、接頭辞“Poly-”に「たくさんの」という意味があることから、「多くのアミノ酸から構成されたペプチド」といった語感があります。

ポリペプチドのうち、もとのアミノ酸が約50個以上だったものは、たんぱく質に分類されます。

ペプチドが注目されているの分野に、創薬があります。つづく。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「ペプチド」
https://kotobank.jp/word/ペプチド-130060
デジタル大辞泉の解説「ペプチド」
https://kotobank.jp/word/ペプチド-130060
世界大百科事典第2版「ペプチド」
https://kotobank.jp/word/ペプチド-130060
和田勝「多様な細胞の形と働きはタンパク質のおかげ」
http://slidesplayer.net/slide/11201255/
| - | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0)
天然なのに「天然」とつける


日本人は「天然」であるものやことに対して、高い価値を感じるものかもしれません。日本人だけではないかもしれませんが。

「天然温泉」ということばがあります。「温泉」のまえに「天然」がついたもの。「温泉」といえば、自然の地下からわき出る温水のことを指すものです。しかし、その「温泉」にわざわざ「天然」をつけるわけです。

インターネットで「”天然温泉”」と検索すると、1190万件もの検索数となりました。

かたや「人工温泉」ということばもあります。天然鉱物由来のミネラルに起因する薬効を機械的に得る温浴施設のことを指します。「”人工温泉”」のほうは、インターネット検索では40万2000件の検索数しかありません。

「天然」が1190万件に対して、「人工」が40万2000件。もちろん、「人工温泉」のほうが「温泉」と名のつく温浴施設では例外的な存在なので、件数がすくないという見かたはできます。

しかし、温泉といえば天然のものであり、その温泉を人工的に模したものが人工温泉であることを考えれば、わざわざ「天然温泉」を名乗る必要性はあまりなさそうです。それにもかかわらず、1190万件にものぼっています。

「天然」を名乗るのには、自然のものに対して日本人がいかに高い価値を置いているか、その精神性の現れであると考えられそうです。

その温泉が、単純温泉なのか、炭酸水素塩泉なのか、それとも硫黄泉なのかといった泉質についてはさほど重視されません。その温泉が「天然」であることが重視されるのです。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「温泉」
https://kotobank.jp/word/温泉-41936
wikipedia「人工温泉」
https://ja.wikipedia.org/wiki/人工温泉
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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