科学技術のアネクドート

『君の名は。』映像美の裏側にデジタル技術の駆使
新海誠さんが監督をつとめた映画『君の名は。』が、興行収入額200億円を超えることが確実視されていると報じられています。興行収入200億円を超える邦画は、これまで『千と千尋の神隠し』の308億円しかないとのこと。

観た人からは、少年と少女の主人公の設定のしかたや、物語の展開のしかたなどに称賛の声があがっているようです。それとともに、東京・新宿区の大都会や、岐阜県飛騨地方の架空の町である「糸守町」の湖や山や森を描いた“映像美”を評価する声も多くあります。

「この作品の人気の秘密を考えるのに、やはり映像の美しさを外すことはできない。新海作品の最大の特色は、背景描写の圧倒的な美しさだ」(早稲田大学講師の柿谷浩一さん)

「新海誠監督はデビュー作『ほしのこえ』をほとんど一人で作り上げ、ネットの一部のクラスタの間で話題になった人物。デジタル作画技術の発達などで、多くの作業を一人でこなせるようになった。そんな時代を象徴するかのような人物だ」(堀江貴文さん)

「最新のデジタル技術を駆使して生み出す精緻な風景描写はどこか懐かしく、繊細なセリフは心にしみ入る。『デジタル時代の映像文学』とも称されるゆえんだ」(日本経済新聞夕刊2016年8月31日付)

では、『君の名は。』で使われているデジタル技術とは、具体的にはどのようなものでしょうか。

ワークスコーポレーションの雑誌『CG WORLD』2016年10月号は、「新海誠流・画づくりの舞台裏」という副題の特集で、『君の名は。』での作画法などを詳しく伝えています。


『CG WORLD』2016年10月号の表紙

絵コンテづくりで使われているアプリケーションは、ダイキン・コムテックの「ストーリーボード・プロ」というデジタル絵コンテ作成ソフトウェア。動きのある描写をレイヤー毎に個別に重ねたり、キャンバスを時間経過とともに回転させながら描画したりすることができます。

また、少女の主人公が通う学校の教室や、田舎の神社の境内などでは、俯瞰的な角度からの描写が印象的です。その裏側には、さまざまな角度から対象の空間を3次元的に表現することのできる、3DCG(3 Dimention Computer Graphics)や3Dレイアウトと総称される技術が駆使されているようです。教室や境内などの具体的な空間をモデルのために手描きするだけでなく、コンピュータグラフィックスで3次元的に描画するなどして、写実性を高めます。

具体的には、3DCGの担当者は、オートデスクの「3ds max」というソフトウェアを使っていたようです。また完成を予想して透視図を描くレンダリングという作業では、おなじくオートデスクの「Backburner」というソフトウェアをを使ったとのこと。

こうしたさまざまなデジタル技術を駆使することで、「実写を超えた」とも評される風景や背景を実現させているようです。

参考資料
オリコン・スタイル 2016年10月28日付「『君の名は。』興収200億円突破が確実視 『千と千尋』に次ぐ邦画歴代2位が射程圏内に」
http://www.oricon.co.jp/special/49471/
読売オンライン 2016年9月23日付「映画『君の名は。』映像美がもたらす『没入感』とは?」
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160921-OYT8T50150.html
HORIE MON.com 2016年9月28日付「ホリエモンが分析する、映画『君の名は。』大ヒットの要因とは!?」
http://weblog.horiemon.com/100blog/41241/
日経カレッジカフェ 2016年9月23日付「アニメ『君の名は。』監督・新海誠 繊細な映像文学」
http://college.nikkei.co.jp/article/80935016.html​
「新海誠監督が贈る最高傑作 映画『君の名は。』」『CG WORLD』2016年10月号
http://cgworld.jp/magazine/cgw218.html
ダイキン・コムテック「デジタル絵コンテ作成ツール Storyboard Pro」
http://www.comtec.daikin.co.jp/DC/prd/toonboom/storyboardpro.html
オートデスク「3DS MAX」
http://www.autodesk.co.jp/products/3ds-max/overview
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雪をめぐるアニメーション描写を数学で写実的に

写真は本文と関係ありません

ディズニーのアニメーション映画『アナと雪の女王』では、かずかずの写実的で印象的な雪の描写が見られます。アニメーションなので、実物の雪を撮影した映像でなく、あくまで電子的技術を駆使した動画です。しかし、きわめて実際に忠実に、雪のふるまいを表現しています。

この映画における雪をめぐる描写には、数学的技術が使われています。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究者と、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが共同で研究開発した成果です。

コンピュータのプログラムに適用可能な計算手法を「アルゴリズム」といいますが、研究者たちとディズニーが『アナと雪の女王』の雪の描写をするために研究開発したのが「マッターホルン」というアルゴリズムです。映画では、登場人物が雪のなかで動く43の場面で駆使されているといいます。

「マッターホルン」開発の背景には、物質粒子法(MPM:Material Point Method)とよばれる基本的映像技術があります。

物質粒子法は、固体、液体、気体、それに連続して動く物体のふるまいをモデル表現するために開発されたもの。そこには、おもにふたつの数学的手法が使われています。

ひとつは、「オイラリアン」(Eulerian)とよばれるもので、直交する線でなる格子を基本とします。物質のふるまい全体を捉えるのに向いています。そして、もうひとつは、「ラグランジアン」(Lagrandian)とよばれるもので、こちらは粒子の動きを基本とします。格子よりも細かい動きを捉えるのに向いています。

連続的に動く物体や物質を表現する物質粒子法は前々からあったわけですが、それを雪をめぐるふるまいを表現するために洗練させたのが「マッターホルン」といえます。研究開発者たちは論文で、「複雑な雪の場面における物質の粘性、衝突、トポロジカルな変化を効果的に扱うよう設計された、半陰的な物質粒子法を開発した」と述べています。

ユーチューブなどでは、「ディズニー『アナと雪の女王』雪のシミュレーションのための物質粒子法」(Disney's Frozen A Material Point Method For Snow Simulation)という動画があります。このたび開発された雪についての表現法の実例や、そこで使われている数学的手法の一部を見ることができます。

この動画では、オイラリアンとラグランジアン両手法についての手順が示されています。格子を基本にその速さや量や強さなどを計算する流れと、粒子を基本にその速度などを計算する流れとに大きくは分かれます。しかし、オイラリアンとラグランジアンの流れは独立したものでなく、かかわりをもっています。

また、研究者たちは、物質粒子法とはべつに、「使用者が直感的に雪の振るまいを制御するために設計された雪の本質的モデル」も開発した、と述べています。

雪のふるまい方をモデルにする場合、“雪のふるまい”をなりたたせるさまざまな要素を抽出し、それらを変数に設定しておく必要があります。動画では、「雪の強さ」「ヤング率の効果」「効果効果」という3種類の変数があることを示し、それぞれの値を変えたときに、雪の塊が障害物にどのように衝突して、どのように地面に落ちるかを見せています。障害物に雪が残る量や、地面に落ちた雪のつもりかたなどが、変数の値を変えることで異なってくることがわかります。

研究者のひとりは雑誌の取材に対して「さらさらの粉雪や、塊になった雪など、アニメーターが数値を変えれば、自由に表現したい雪を作ることができようになった」と答えています。

すでに映画を見て、アニメーションの美しさを感じた人も、「この裏側には数学やアルゴリズムが駆使されているのだ」と思いながらあらためて見ると、また感じかたもちがってくるかもしれません。

参考資料
Alexey Stomakhin et al. “A material point method for snow simulation”
https://www.math.ucla.edu/~jteran/papers/SSCTS13.pdf
Youtube “Disney's Frozen A Material Point Method For Snow Simulation”
https://www.youtube.com/watch?v=O0kyDKu8K-k
The Daily Dot 2014年4月27日付 “How Disney turned 'Frozen' into a snowy wonderland”
http://www.dailydot.com/parsec/frozen-snow-disney-cgi/
金森由博「流体アニメーションと メタボール」
http://kanamori.cs.tsukuba.ac.jp/lecture/cg2011/rendering3/10rendering_print.pdf
THE PAGE 2014年7月18日付「『アナと雪の女王』 大ヒットを支えた高い技術力」
https://thepage.jp/detail/20140718-00000008-wordleaf
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(2016年)11月12日(土)は「ガリレオ工房 30周年記念ディナーショー」


催しもののお知らせです。

ガリレオ工房が、(2016年)11月12日(土)東京・歌舞伎町のグレース・バリ新宿本店で、設立30周年を記念するディナーショーを開催する予定です。

ガリレオ工房は、「科学の楽しさをすべての人に」伝えるためのとりくみを行っている特定非営利活動法人。身近な材料でできる実験の開発を紹介しあうなどしています。理事長を教育学者で東海大学教育開発研究所教授の滝川洋二さんがつとめています。

前身の「物理教育実践検討サークル」が設立されたのは1986年。以来、8月をのぞく毎月「例会」を開き、参加者が持参した実験の紹介や本、イベント、授業の記録、教育問題、科学おもちゃなどの紹介しあってきました。

また、NHKの番組「大科学実験」の実験監修や、科学の本を読む「理科読」という活動をするなどもしています。

ガリレオ工房は、今回のディナーショーについて「30周年記念式典を兼ねております。ガリレオ工房のこれまでの活動を振り返りながら、新たな挑戦について提言をしたいと考えております。プログラムの1つとして、ガリレオ工房らしく、実験ショーも予定しています」と案内しています。

また、食事はバイキング形式。ドレスコードはなしとのこと。

ディナーショーに参加するための会費は、席により1万円から2万円ということです。

「ガリレオ工房30周年記念ディナーショー」は11月12日(土)18時から、東京・歌舞伎町のグレース・パリ新宿本店6階にて。参加の申しこみは、ガリレオ工房ウェブサイト「会員の皆様へ」にあるフォームから。主催者によると、申しこみ番号は「86」としてください、とのこと。詳細や問いあわせ先については、こちらの告知案内でもご覧いただけます。
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「高級グラスと安物コップ、どちらが食事が進むのか?」


ウェブニュース「JBpress」できょう(2016年)10月28日(金)「高級グラスと安物コップ、どちらが食事が進むのか? 『食の環境』は『食』をどう変えるか(後篇)」という記事が配信されました。記事の取材と執筆をしました。

題にある「食の環境」とは、食べている人をとりまく状況のことです。たとえば、部屋、食器、椅子や机、いっしょに食事をとる人など。

こうした食の環境が、その人の食の意思決定や、食べものに対する感覚、また食事の質などにすくなからず影響します。「その食べものがおいしそうだから」や「お腹がすいているから」といった感覚的な要因とはべつに、これらの環境は食の外的要因などとよばれています。

取材をした日本大学危機管理学部危機管理学科准教授の木村敦さんは、「食の社会心理学」が研究分野のひとつ。記事では、木村さんが行った、グラスのデザインが飲食物の摂取量や食味評価に及ぼす影響を調べる実験などを紹介しています。

この実験は、高級感があると評価されたグラスと、100円ショップなどで売られている高級感のないグラスに水を、ふたつの被験者の群に出して、飲食や会話がどうなるかをしらべたもの。いっしょにスナック菓子も出されます。

グラスのデザインという食の環境のたった一要素が異なるだけで、飲食の量や会話の盛りあがり度にちがいが見られたそうです。その結果は記事をご覧ください。

木村さんが、この研究をしようとしたきっかけは、前に所属していた大学の研究室での宴会で、よい銘柄のお酒を“紙コップ”に注いで飲んでいたことに違和感を覚えていたからと取材で話していました。よい酒はよい器を使って飲みたくなるといった「なんとなく」の感覚に着目をして、それを研究しようとしたそうです。ふだんの暮らしや営みのなかにも、研究のきっかけはあるわけです。

木村さんは「無自覚的にものを食べてしまっているときには、外的要因の影響が大きくなりがちです。そのことを認識し、自覚して食べようとすることが重要だと思います」と記事で話しています。

「高級グラスと安物コップ、どちらが食事が進むのか? 『食の環境』は『食』をどう変えるか(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48225
米欧などでの食の心理学の先行研究について木村さんが解説している前篇「食事のメニュー、本当に自分で選んでいますか?」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48168
| - | 15:01 | comments(0) | trackbacks(0)
「オリンピックレガシー」の裏に「負の遺産」
2020年に開催される東京五輪の競技場をめぐって動きがあわただしくなっています。

水泳の競技会場については、当初の計画では江東区に「オリンピックアクアティクスセンター」という収容規模1万7500人の水泳場が新たにつくられる予定でした。

しかし、東京都の調査班が、アクアティクスセンターのすぐ近くにある東京辰巳国際水泳場を改修して五輪会場にするといった見直し案を出しています。

(2016年)10月25日(火)、アクアティクスセンターの建設を求める国際水泳連盟事務総長のコーネル・マルクレスクさんが、小池百合子都知事と会談しました。そして会談後、マルクレスクさんがアクアティクスセンターを建設する重要性をつぎのように述べたと報じられています。

「東京はスポーツで先端を行く都市であり、選手が最高のパフォーマンスをするためにも大会後のレガシーとしても重要性がある」

この発言のなかの「大会後のレガシーとしても重要性がある」というのはどういう意味でしょうか。

「レガシー」とは、「遺産」という意味です。マルクレスクさんが「レガシー」ということばをもち出した背景には、国際オリンピック委員会が定めている「オリンピック憲章」で述べているつぎの文言に対する意識がありそうです。

「オリンピック競技大会の有益な遺産を、 開催国と開催都市が引き継ぐよう奨励する」(to promote a positive legacy from the Olympic Games to the host cities and host countries)

これは、憲章の第1章第2項にある「国際五輪委員会の使命と役割」のなかのひとつとして述べているものです。

国際五輪委員会は「オリンピックレガシー」という資料で、オリンピックレガシーについてつぎのように説明しています。

「五輪競技大会は、地域社会を、その風景を、そしてその基盤を大きく変えうる継続的な利益をもたらす力をもっている」

つまり、五輪がある場所で開催されると、その後も利益が生じつづけるということを説いているわけです。そしてその利益の具体的な分野として、国際五輪委員会はつぎの5個を挙げています。

「スポーツ」「社会」「環境」「都市」「経済」

マルクレスクさんの「大会後のレガシーとしても重要性がある」という発言にある「レガシー」が具体的にどの分野を意味しているのかはわかりません。おそらく、複数の分野を指して「レガシー」と言っているのでしょう。

たとえば、大規模な水泳場が建設されれば、東京五輪後も優秀な選手が育つという意味では「スポーツ」の分野にかかわるレガシーはあるでしょう。また、東京にすでにある50メートル級の水泳場に加えて、新たな水泳場が建設されれば、「社会」にも「都市」にも正の遺産になるということかもしれません。


東京辰巳国際水泳場
写真作者:Wiiii

しかし、国際的な競技大会がこれまで開催されてきた辰巳国際水泳場の目と鼻の先に、683億円の費用を投じて国際大会を開催するための水泳場をもうひとつ建設するということは、維持費用を捻出しつづければならないといった「負の遺産」も生じうるわけです。

よい側面の「レガシー」だけに光を当てれば、「大会後のレガシーとしても重要性がある」とはいえそうです。しかし、負の側面の「レガシー」にも光を当てないと、「大会後のレガシー」が重要なものかどうかを、広い視野で検討したことにはなりません。

参考資料
NHK NEWS WEB 2016年10月25日付「五輪水泳会場 国際水泳連盟が現計画での整備求める」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161025/k10010743301000.html
日本オリンピック委員会「オリンピック憲章」
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2014.pdf
International Olympic Committee “OLYMPIC LEGACY”
https://www.olympic.org/documents/olympic-legacy
三菱総合研究所「オリンピック・レガシー」とは何か
http://www.mri.co.jp/opinion/legacy/pdf/olympic-legacy.pdf
都政改革本部オリンピック・パラリンピック調査チーム 2016年9月29日発表「調査報告書(Ver.0.9)」
http://www.toseikaikaku.metro.tokyo.jp/kaigi02/olympic/01houkokusyo.pdf
| - | 20:55 | comments(1) | trackbacks(0)
創作における「世界観」は創作者が構築するもの


写真作者:Takarkey

このブログで過去に「展示施設『統一された世界観』があるとおとな向け感」という記事を出しました。おとな向けの印象をあたえる展示施設には「統一された世界観」があるのではないか、という話です。

ここでの「世界観」とは、展示物や創作物が鑑賞する人に感じさせる全体の雰囲気、といったもの。哲学でも「世界観」ということばが使われ「世界についての統一的で全体的な理解」といった意味をもちますが、哲学でいう世界観と創作における世界観はべつのものです。

展示物もそうですが、小説、ノンフィクション、映画、演劇、漫画、アニメーション、ゲーム、映像作品、音楽、写真、あるいは庭園、料理、服装、建築物までふくめた多くの創作物において、ひとつの世界観を保つということはとても重要といわれます。鑑賞者を没入させるためには、その創作物のなかで広がる世界を感じさせる必要があるからです。

たとえば、もし「ドラゴンクエスト」のゲームのなかに、スーパーマリオシリーズのキャラクター「ヨッシー」が現れたら、たとえ「ヨッシーはドラクエとは別キャラ」とは知らずとも、そこはかとない違和感を覚えることでしょう。ドラゴンクエストとマリオの世界観が異なるからです。

世界観は、「世界の見かた」であるので、字面からすれば、鑑賞する人のほうがつくるもののようにも思えるもの。しかし、創作における世界観については、やはり創作をする側が構築して鑑賞者に提示することになります。「示さないと感じられない」といった関係性があるわけです。

では、創作者は創作における世界観をどのように構築すればよいのでしょうか。

その創作物が提示している物語などの内容が、いつの時代の、どこの場所でのものであるのかを定めることは、世界観づくりの大きな一歩となるでしょう。江戸時代の京都なのか、2200年の地球とはべつの星なのか。その設定を決めれば、物語の前提を、その設定で起きうるものごとに絞りこむことができます。

また、その創作物に出現する登場人物などの要素の、言動のとりかたや、性格のありかたなどを定めることも、世界観の構築には大切とされています。この作業は「キャラクター設定」ともいわれ、世界観の構築とはべつとされることもあります。しかし、登場する要素のありかたが、その創作物の全体の雰囲気や印象に影響することはたしかなので、やはり世界観の構築とも大きくかかわっています。

こうして、その創作物における「環境」や「要素」などのありかたを定めていき、その定まったものにしたがって創作をつづけていくと、世界観はさまになっていきます。

もし、構築されたはずの世界観のなかで、なにかひとつでもそれを崩したり破ったりする要素が残っていると、鑑賞者はそれだけで没頭状態から一気に興ざめしてしまいます。定まった世界観にそぐわない要素をつとめて排除していくといった作業も大切になりそうです。

設定がしっかりしていること。そして統一性や完成度が高いこと。これらのことが、鑑賞者にあたえる世界観の印象を決します。

参考資料
コトバンク「世界観」
https://kotobank.jp/word/世界観-86660
ウィキペディア「世界観」
https://ja.wikipedia.org/wiki/世界観
ピクシブ百科事典「世界観」
http://dic.pixiv.net/a/世界観

| - | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0)
浮きの回転するコースロープ、障害者のけが防止から


写真作者:albertstraub

競泳用やフィットネス用のプールにはたいていコースロープがあります。1コース目と2コース目を区分するところにコースロープ。2コース目と3コース目を区分するところにコースロープ。物理的な境界線をつくることで、泳者が泳げる幅をかぎるわけです。

ただしコースロープの役割は区切るだけではありません。たとえば、ひとつのコースで泳者が泳ぐことで立った波を消す役割もあります。フィットネス目的の泳者にとっては、さほど大きな効果とはいえませんが、競技大会に出場する選手にとって影響は大きいもの。コースロープの種類によって、50メートルの泳ぎで0.1秒の差が出るともいわれています。

また、コースロープは泳者にとって距離の目安にもなります。ロープのまわりについている「フロート」あるいは「ブイ」とよばれる浮きの色が、端の手前で「黄色や青」から「赤」へなどと異なっているため、泳者が「もうすぐ折りかえし」などと気づきやすくなっています。日本のプール公認規則では、端から5メートルは赤にすることが定められています。

かつてのコースロープのフロートといえば、もっぱら「俵型」などとよばれる長細いものでした。俵あるいはもっと細長いソーセージのようなかたちのフロートが数珠つなぎのように連なっていました。

その後、フロートの主流は「ディスク型」などとよばれる、回転式の円盤が連なったかたちのものになっています。

このフロートのかたちの変遷は、身体障害者が泳ぐための改善の結果でもあるといいます。以下は、障害者の運動を支える義肢などの用具を開発し提供している企業の人から聞いた話……。

視覚障害者の泳者は、コースロープに手をぶつけることがあたりまえのように起きます。コースロープに手で触れることを利用しながら泳ぐ選手もいます。しかしながら、回転しない俵型フロートのコースロープ時代には、手をロープにぶつけてけがをすることも多くあったそうです。

視覚障害者がコースロープに手をぶつけても、なるべくけがしないようにするには、コースロープのフロートを回転式にすればいい。このような着想から、ディスク型のフロートが生まれたといいます。もちろん、ディスク型のフロートでも、激しく手をぶつければけがにはなりえますが、軽減の効果は確実にあります。

ディスク型フロートのコースロープは、視覚障害者だけでなく、どんな泳者にとっても、回転しない俵型フロートのコースロープより重宝なものでした。からだをかがめてとなりのコースに移るときも、フロートがからからと回るため、頭や肩をこすったりすることがありません。

障害者にとって使い勝手のよいデザインは、健常者をふくむどんな人にとっても使い勝手のよいデザインになりうる。このことを、ディスク型フロートのコースロープは物語っています。

参考資料
デジタル大辞泉「コースロープ」
https://kotobank.jp/word/コースロープ-498226
佐藤陽平ら「コースロープの波消性能と競技にあたえる影響」
http://www.swex.jp/document/1st/1_25.pdf
日本水泳連盟 2010年4月1日施行「プール公認規則」
http://old.swim.or.jp/10_league/rule/pdf/r_tools.pdf​
NHK福祉ポータル「ハートネット 2016リオパラリンピック 第7回 競泳 木村敬一」
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2016-04/26.html

| - | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0)
MOSでできたトランジスタでむだな放熱を抑える

写真作者:Mark Bradshaw

半導体の結晶に存在している電子や、電子の“抜けた孔”である正孔による電気伝導を利用して、電気信号の振幅を拡大して大きなエネルギーを得る増幅などをおこなったり、電気信号の流れを制御したりする素子を「トランジスタ」といいます。

トランジスタは、使われている材料などによって、さまざまな種類に分けることができます。

「FET」とよばれているトランジスタもそのひとつ。声に出すときには「エフイーティー」などとよばれています。

「FET」とは、“Field-Effected Transistor”の頭文字をとったもので、日本語では「電界効果トランジスタ」ともよばれます。トランジスタは電気を通したり通さなかったりして導電率を制御することができますが、その導電率を制御を、外部から加えた電界によってするものを「電界効果トランジスタ」といいます。

「外部から加えた電界の効果で」といっても、どのように導電率の制御をどのようにおこなうのでしょうか。その方法はおもにふたつあります。ひとつは、半導体の電流が流れる幅を外部の電界で変える方法で、このしくみを使った電界効果トランジスタを「接合型電界効果トランジスタ」あるいは「接合ゲート電界効果トランジスタ」といいます。

そしてもうひとつが、金属酸化膜半導体とよばれる素子を使ってどう電離を制御する方法。それに使われる金属酸化膜半導体は、英語で“Metal-Oxide Semiconductor”といい、この頭文字をとって“MOS”などと表します。そして、MOSを材料素子とする電界効果トランジスタを、“MOS-FET“といい、これが電界効果トランジスタのふたつめの種類です。

MOS-FETをむりやり日本語で直訳すれば「金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ」となりそうですが、この表現はあまり見られません。

MOS-FETは、普通のトランジスタとくらべて、熱の損失が小さいとされています。普通のトランジスタでは、コレクタとよばれる電極とエミッタとよばれる電極のあいだを電流が流れますが、そのとき電圧が生じ、電圧と電流との積の分が結果的に熱エネルギーになります。いっぽう、MOS-FETでは、ドレインという電極とソースという電極のあいだを電圧が流れますが、そのときに生じる電圧はわずかなものとなります。

MOS-FETは、素子にとってむだになるだけの熱をあまり出さないため、消費電力はすくなくて済み、また放熱のための装置も小さかったりあるいはなくてもよかったりします。

こうしたMOS-FETの特徴は、電気を信号でなく電力エネルギーとして制御するパワーエレクトロニクス装置などで効果的に発揮されます。

参考資料
マルツオンライン「FETの使い方ガイド」
http://www.marutsu.co.jp/pc/static/large_order/fet_3
鈴木雅臣「FETの基本動作と応用回路」
http://www.cqpub.co.jp/toragi/TRBN/contents/2005/tr0510/0510sp3.pdf
新エネルギー・産業技術総合開発機構、産業技術総合研究所「『超低損失電力素子技術開発』事後評価報告書」
www.nedo.go.jp/content/100089516.pdf
スーパー大辞林
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パワー半導体の材料はケイ素から炭化ケイ素へ
電気抵抗の値が、電気を通す物質と、電気を通さない物質の中間である物質を半導体といいます。半導体というと、コンピュータのなかに入っていて、演算や記憶などのはたらきをするものが知られます。

それだけでなく、よりエネルギーが強力となる電力制御や電力供給にも半導体が使われています。これらの半導体を「電力用半導体」あるいは「パワー半導体」といいます。

電流を交流から直流に換えるコンバータや、直流から交流に換えるインバータなどに、パワー半導体は使われています。いま、パワー半導体ではケイ素(Si)が材料として使われている素子が主流です。しかし、次世代のパワー半導体として、炭化ケイ素(SiC)などの材料が使われることが期待されています。ケイ素の半導体よりも優れている点があるからです。

炭化ケイ素は、シリコンカーバイトや、カーボランダムなどともよばれています。ケイ素でできた砂と、石炭を加工したコークスとを電気炉で加熱してつくります。六角板状の結晶です。


炭化ケイ素の結晶構造

半導体が使われるときは、どうしてもむだな電力が生じてしまいます。この点で、炭化ケイ素による半導体の電力損失は、従来のシリコン半導体よりも抑えることができます。これは、半導体が電気を通しているときの電力損失や、電流を流したり止めたりといったスイッチングをするときの電力損失を減らすことができるためです。

また、むだに生じてしまう電気は熱に換わってしまいます。半導体素子がどのくらいの熱に耐えられるかが課題となりますが、その点、炭化ケイ素の半導体は、200度以上の高温でも動作します。そのため、半導体のまわりを冷却するためのしくみを小さくすることができ、結果的に装置全体を小さくすることができます。

炭化ケイ素による半導体の実用化は、電車のインバータなどではじまっています。地下鉄では、東京メトロ銀座線の1000系という車両で2013年から、電源回路にSiC半導体が採用されています。

また、小田急電鉄も2014年に、1000形リニューアル車という車両でSiC適用のインバータ装置を採用しました。2015年には約4か月間、効果を調べるための実証試験を兼ねた運転をしたところ、全体で約40%の省エネルギー効果を実現したといいます。

参考資料
ローム「次世代パワー半導体のインパクト」
http://www.rohm.co.jp/web/japan/gd2
新エネルギー・産業技術総合開発機構「低炭素社会を実現する次世代パワーエレクトロニクスプロジェクト」
http://www.nedo.go.jp/content/100649015.pdf
テレスコープマガジン「特集:次世代マテリアル 応用は家電から鉄道まで広範囲」
http://www.tel.co.jp/museum/magazine/material/150327_interview02/03.html
小田急電鉄 2014年4月30日発表「世界初!制御装置にフルSiC適用のVVVFインバーターを採用 通勤車両1000形のリニューアルに着手!」
http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8107_0585407_.pdf
三菱電機 2015年6月22日発表「世界初、営業運転鉄道車両で省エネを実証 主回路システム全体として約40%省エネ 小田急電鉄車両での『フルSiC適用VVVFインバーター装置』実証結果のお知らせ」
http://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2015/0622-a.html​
 
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胃液がたいていの病原菌をやっつける

写真作者:Marcin Chady

味のすこし曲がった食べものを「まあいいや」と食べてしまうと、その後、食あたりになることがあります。お腹のあたりに違和感を覚え、気持ち悪くなったり。

しかし、軽い症状であれば、しばらくしていると、治まってくることもあります。胃から胃液が出て、病原菌を殺してくれるからです。

胃液のペーハー度、つまり酸性かアルカリ性かを示す値は、1から1.5程度というきわめて強い酸性です。人のからだは、この強い酸性の胃液によって、食べものに含まれている病原菌をやっつけます。

たとえば、激しい下痢や嘔吐の症状がでるコレラという病気の病原菌であるコレラ菌は、たとえ食べものから入っても、胃酸によりあらかた死滅してしまいます。大量のコレラ菌が体に入ってきた場合のみ、これらの症状が出るとされています。

胃酸の強さが“肌身”で感じるのは、「胸焼け」を起こしたとき。胸の前のほうからみぞおちのあたりにかけて、焼けつくような痛みを覚えるのが胸焼け。この痛みは、強い酸性になっている胃液や、胃液によって消化されている食べものが、胃から食道へと逆流するために食道に炎症が起きるために生じます。胸焼けは、「逆流性食道炎」ともいいます。

では、どうして胃そのものは、その場から出てくる胃液にやられてしまわないのでしょうか。

胃の表面の胃壁は、「胃粘液」とよばれる胃液とはべつの液体に覆われています。その厚さはわずか1ミリメートルほど。この胃粘液がバリアのような役割を果たして、強い酸性の胃液から胃壁を守っています。また、胃粘液には重炭酸イオンとよばれるアルカリ性物質が含まれており、胃液の酸性を中和してもいます。

しかし、胃液と胃粘液の均衡が崩れるなどすると、胃液が胃粘液を消化してしまい、胃壁が傷つくことがあります。「胃潰瘍」となり、ひどい場合は胃壁に穴が空いてしまうことも。

胃液は頼りがいのある物質とはいえるものの、やはり日々の胃へのいたわりは大切です。

参考資料
ウィキペディア「胃液」
https://ja.wikipedia.org/wiki/胃液
アステラス製薬 なるほど病気ガイド「逆流性食道炎」
https://www.astellas.com/jp/health/healthcare/gerd/
エーザイ 胃のサイエンス「vol.07 なぜ胃は溶けないのか?」
http://www.i-no-science.com/column/teach/teach07.html
エーザイ 胃のサイエンス「今すぐ知りたい!胃の症状と対策 胃の不快症状の原因を探る」
http://www.i-no-science.com/condition/trouble/trouble02.html
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不満のはけぐちとなる匿名掲示板にも社会的役割


インターネットの匿名掲示板には、書きこみをする人が見たり体験したりしたさまざまなことが書かれています。よいことの書きこみもあれば、よくないことの書きこみも。

よく見られるのは、書きこみした人が、なにかの催しものなどに参加したところ、主催者の対応がよろしくなかったといったものです。電車にのるために駅を利用したら電車が遅れていて、駅員の対応がよろしくなかったといった書きこみもあります。

そして、こうした書きこみに対してよく見られるのが、ほかの人からの「ここに書きこみするんじゃなくて、直接、主催者に言えよ」といった指摘です。なかには、その主催者の「問いあわせ連絡先」のリンクも合わせて貼るような書きこみもあります。

もちろん、その指摘に対して「主催者にも言ったよ」と返事をしてくる人もいますが、すべての人が主催者にも言ったわけではありますまい。

「主催者の対応がよろしくなかった」と掲示板に書きこんだ人が、今後の主催者の対応のしかたに改善を求めているのであれば、主催者に直接、言うというのが確実に伝わる手段にはなります。

匿名掲示板に「主催者の対応がよろしくなかった」と書きこんでも、それを主催者が見るかどうかはわかりません。見たとしても「匿名掲示板に書くだけなら取りあつかわなくていいや」と判断されてしまうかもしれません。

しかし、匿名掲示板での「主催者の対応がよろしくなかった」という旨の書きこみの内容が、匿名掲示板でなく主催者にすべて行くのだとしたら、かなりとげとげしい社会と化してしまいそうです。もちろん、主催者側は改善の要望を受けてほんとうに改善をすれば、サービス向上になります。

しかし、たんに自分の溜飲を下げたいということで主催者にクレームを出すという人ももちろんいるでしょう。直接クレームの数が増えるほど、社会におけるストレスの総量は増大していくのではないでしょうか。

主催者に直接的なクレームを出さないまでも、匿名掲示板に「主催者の対応がよろしくなかった」とは書きたい。その程度の不満のはけぐちとしての匿名掲示板の役割もあるのかもしれません。ただし、匿名掲示板に書きこんだ不満がほかの人たちの共感を呼んで、その主催者がよりたいへんな思いをするといったこともありえますが。
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出陣学徒の靴に雨がしみこむ
1943(昭和18)年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場で、「出陣学徒壮行会」が開かれました。太平洋戦争の局面が悪くなるなかで、文科系学生の徴兵猶予が廃止され、軍に入り戦争に参加することになりました。その出陣する学徒を壮行するという大義名分のもとで、出陣学徒壮行会が催されました。


1943年10月21日に東京でおこなわれた出陣学徒壮行会とみられる写真

当日の天気は雨もようでした。壮行会のようすを撮った写真や映像などの資料からわかります。壮行会に参加し学徒を見送った当時の女子学生は「雨がどしゃ降りでずぶ濡れになった」とも証言しています。

映像を見ると、地面は一面、濡れています。そのなかを出陣学徒たちが行進していきます。行進によって地面の雨水がはねているほかに、降ってくる雨そのものが地面を叩きつけてもいるようです。

雨が降っているなかで、濡れた地面を行進する学徒たち。はたして、靴のなかは濡れていたのでしょうか。

当時、軍隊の足ごしらえでは、牛革製の編みあげ靴に加えて、ズボンの裾をおさえて膝あたりまで覆うゲートルが使われていました。当時の白黒の映像ではわかりませんが、NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」の映像を見ると、革製と思われる黒い靴にゲートルという足ごしらえだったことがわかります。

現代の靴であっても、ゴム製の長靴や、防水加工をほどこした靴でなければ、靴に水はしみこんできます。まして、革製の靴は水がしみこみやすいとされます。

雨は降りつづき、地面の水が引かないなかで、学徒たちは勢いよく後進し、水がばしゃばしゃと飛びちります。

靴がおそらく革製であることや、雨が降りつづけていること、それに勢いよく行進をしていることなどから、学徒たちの靴のなかは、かなり雨水で濡れていたのではないでしょうか。

しかし、足元が悪いことを気にする素振りを学徒たちは見せていません。見せることはならなかったのでしょう。

なお、出陣学徒壮行会は東京だけでなく、台北、京城、満州国、大阪、仙台、神戸、名古屋、京都、上海、札幌でも、1943年10月から11月にかけておこなわれました。

参考資料
NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」
http://www.nhk.or.jp/special/phoenix/
日本の武器兵器「5、装具」
http://www.日本の武器兵器.jp/archives/108
ウィキペディア「学徒出陣」
https://ja.wikipedia.org/wiki/学徒出陣
科学技術のアネクドート「靴の染みこみ、底から、すき間から」
http://sci-tech.jugem.jp/?eid=2223
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迷惑メールの文の日本語が杜撰


あたかも受信者に「自分に送られてきたもの」とかんちがいさせようとする文面と添付ファイルがついたメールが横行しているようです。

ある人も、「さまざまな文面を使ってメールが送られてくる」と言います。「でも、それらは日本語的にちょっとおかしいものがあって、つい指摘してしまいたくなる」。

たとえば、この人に送られてきた迷惑メールの文面は、つぎのようなものだったそうです。

「お世話になっております
写真で
ご確認ください。
取り直しお願いします。」

写真撮影は、「取り直し」でなく「撮り直し」が正しい表現です。また、1文目に句点がありません。慌てている人なのか、気にしない人なのか。

「添付のもの押印してFAXしてください」

助詞が抜けています。この場合は「添付のものに押印して……」となるでしょうか。

「あなたはそれを10月19日までにお支払い下さい。」

こちらは、日本語を母語としていない人がつくりそうな文です。「下さい」の主語を「あなたは」とする場合は、ほかにも人がいるなかで「あなたは」と限定するためならまだしも、個人あてのメールに「あなたは」とある点が違和感を生じさせるのでしょう。

迷惑メールを受信した人は、このように指摘をしています。

迷惑メールには、「.zip」という拡張子のついた圧縮ファイルが添付されていることが多くあります。これを開いてしまうとコンピュータ・ウイルスに感染して、個人情報、銀行口座番号、各種パスワードなどを勝手に送られてしまう場合があるようです。

送信する側の輩たちからすれば、受信者が実際の仕事などでやりとりしていた内容と混同して、「ああ電話で言われた写真のことか」などとかんちがいし、つい添付ファイルを開いてしまうことをねらっているのでしょう。確率論からいくと、たとえば100万人に向けてなど大量にこの手のメールを送りさえすれば、たとえ1万人中1人が引っかかる率だとしても、100人が引っかかることになります。

日本語の書きかただたどたどしいことからすると、送信主は海外の輩たちである可能性もあります。
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「インチコ」と「ココチ」紛らわしい変換器を区別
ふだんから仕事や研究などでその技術に接している人にとって、紛らわしいことばを区別するまでもなく使いわけていることでしょう。

しかし、その技術をはじめて知る人や、慣れ親しんでいないひとにとっては、「どっちがどっちだっけ」と迷ってしまうこともあります。そうた場合、語呂合わせさえも使って、とにかく覚えてしまえば「こっちの勝ち」といったところでしょう。

「インバータ」と「コンバータ」は、「どっちがどっちだっけ」と迷ってしまう二つのことばの典型例といえるかもしれません。

どちらの装置も、電流の状態を変換するという点でちがいはありません。問題は電流を、どの状態からどの状態に変換するかということです。このとき「インバータ」と「コンバータ」という日本語では、「イ」と「コ」しかちがいがありません。「ンバーター」はすべておなじだから、紛らわしい。

その電流の状態とは、直流と交流のこと。直流とは、時間ごとに流れる方向と大きさが変わらない電流のことをいいます。いっぽう、交流とは、時間ごとに方向と大きさが周期的に変わる電流のことをいいます。

では、インバータとコンバータは「どっちがどっち」か。

まず、インバーターのほうは「直流から交流に」電流の状態を変換する装置をいいます。


インバータ回路の例
画像作者:C J Cowie

いっぽう、コンバータのほうは、その逆なので「交流から直流に」電流の状態を変換する装置となります。

ただし、コンバータには「交流から直流に」変換する装置だけでなく、「直流から異なる電圧の直流に」変換する装置もあります。つまり、コンバータのほうが“よりややこしい”ことになります。

とすれば、まずもって覚えておくべきは、「インバータ」のほうが「なにからなにに」電流の状態を変換するのかではないでしょうか。

語呂あわせで覚えるならば、「インチコ」などというのはよいかもしれません。「“イン”バーターは、“チ”ョクリュウから、“コ”ウリュウに、変換するもの」だからです。「インチコ」などということばはありませんが、「インチキ」とにているので手がかりにはなります。

コンバータの「交流から直流へ」の部分もあえて語呂あわせで覚えるとすれば「ココチ」でよいかもしれません。「“コ”ンバータは、“コ”ウリュウから、“チ”ョクリュウ、に変換するもの」というわけです。

ほかにも、「インバータ」と「コンバータ」の区別のしかたを探ってみると、なにか見つけられるかもしれません。あるいは、自分で開発するというのも手かもしれません。

参考資料
デジタル大辞泉「インバーター」
https://kotobank.jp/word/インバーター-437907
デジタル大辞泉「コンバーター」
https://kotobank.jp/word/コンバーター-3534
ローム「DC/DCコンバータとは?」
http://www.rohm.co.jp/web/japan/dcdc_what1
| - | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0)
薄くなった「共」の概念をとりもどす
現代は、「私」というものが、プライバシーを大切にする社会の風潮もあって重視されている時代といえます。実際のところは、その裏返しとして、インターネットで「私」の情報、つまり個人情報がさらされやすい時代でもあるわけですが。

「私」と反対の意味のことばとして、よくあげられるのは「公」です。「公」には、個人でなく世間一般にかかわっていることや、表むきといった意味があります。

「私」というものが社会で重視されるほど、相対的には「公」が重視されないようになると考えてもよいはず。しかし、「公」の概念がむかしよりも社会のなかで重視されなくなったような形跡はあまり見られません。

これは、「私」というものが重視されるからこそ、「私」と「公」の明暗が強くなり、「公」も重視されているのだということなのかもしれません。

「私」とは正反対とまでいわずとも、「私」とは異なっていて、逆の意味あいもふくむ概念に「共」があります。「共」は、「私」と「公」の中間ぐらいのところに位置する概念かもしれません。

「私」の概念が社会で重視されてきたからという理由だけでは説明がつかないものの、社会のなかでの「共」の重要性は、確実に弱まりつつあるのかもしれません。



日本では、明治時代や大正時代にかけて、森林を自分だけのものでも他人だけのものでもない、地域における「共」のものとして位置づけ、森林がもたらす恩恵を分かちあうといった、考えかたがありました。「コモンズ」などとよばれます。

しかし、みんなで森林を守り、みんなで森林から恩恵を得ていくという考えかたは、昭和の戦後から薄れていったとされています。



まちのなかでも、湧き水などの豊富な地域では、生活用水を地域の人たちで利用しあう「川端(かわばた)」とよばれる場所がありました。しかし、わざわざ川端まで足を運ぶことなしに、自分の家で水を使うという家が増えてきて、暮らしにおける川端の必要性は小さくなっていきました。

近年になり、あらためて「共」の概念の大切さを見なおすことにつながる動きが現われはじめています。

森林については、近ごろ街にいる人たちが森林で週末を過ごすといったことに興味をもつようになり、「新しいコモンズ」のしくみをつくろうとする動きがあらわれています。街にいる人びとと森林の近くにいる人びとがいっしょに森林の使いかたなどを考えていく点に、「新しいコモンズ」の特徴があります。

まちについても、建築家が「自分のもの」「他人のもの」という区別のない「共(コモナリティ)」を重視するような建築物や空間の大切さが、建築の専門家たちのあいだでいわれています。

「共」についての新たな動きがあるのは、裏を返せば「共」の考えかたが重視されなくなってしまったからでもあるのでしょう。しかし、「共」が大切な概念であることを知っている人は、それをいまの時代に合わせたかたちで社会にとり戻そうとしています。

参考資料
みどりの学術賞「都市と山村の交流でつくる森林 三井昭二」
http://www.cao.go.jp/midorisho/pdf/10mitsui_dokuhon.pdf
10+1 web site「対談:空間と個と全体──コモナリティのほうへ」
http://10plus1.jp/monthly/2013/10/post-85.php
| - | 17:13 | comments(0) | trackbacks(0)
サイゼリヤ1号店、一日だけ予約なしで一般公開
ファミリーレストラン「サイゼリヤ」の1号店は、千葉県市川市の八幡にあります。八幡一番街商店会という、八幡でもっとも賑やかな商店街のなかにあります。

1973年にサイゼリヤは設立とされていますが、個人経営のかたちとしての「サイゼリヤ」はそれ以前から八幡にありました。1号店の営業は2000年に終わり、その後は、保存目的の「教育記念館」となっています。



(2016年)10月16日(日)同商店会で「いちフェス2016」というお祭りが開かれたおり、この教育記念館が予約なしで見学できるようになっていました。



店内は、営業をしていたころの椅子や机の配置と基本的に変わっていません。いまの全国展開しているサイゼリヤの店舗からすると、やはり古風で落ちついた感じがあります。



窓側の椅子から窓をのぞくと、商店会の通りを見おろすことができます。



カウンターの椅子の座位置は高め。混んでいるときには、このカウンターも使われていました。



店の奥には厨房も昔のまま残っています。

サイゼリヤは1号店を保存する目的を、「チェーンストア理論により経済民主主義を掲げ発展するサイゼリヤ発祥の第1号店を保存し、その歴史と社会貢献企業としての未来を紹介し訪れたすべての人々に感動を与え、社会貢献の価値とすばらしさの理解をより求めることを目的とする」としています。

参考資料
サイゼリヤ「沿革」
http://www.saizeriya.co.jp/corporate/information/history/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
地方局のコマーシャル・メッセージで方言


ラジオを聞けるインターネットサービス「ラジコ」での課金サービスなどにより、全国各地のラジオ放送を聴く機会が増えました。

自分の普段の聴取圏内にない放送局の放送を聴いていると、個性豊かなコマーシャル・メッセージがさまざまあることがわかります。

とくに、ご当地のコマーシャル・メッセージで特徴的なのは、「その地域での方言を使う」という点でしょう。とくに、男性と女性など二人組が、会話をしながらその店や商品などを紹介していく展開では、方言が使われる場合が多いようです。

たとえば、福岡県をふだんの聴取圏としているラジオのコマーシャル・メッセージでは、二人組の会話でごくあたりまえのように博多弁が使われています。

「午前3時に開いとっと?」
「午前3時にも開いとうばい!」

東京あたりの地域での方言にすれば、「午前3時に開いているの?」「午前3時にも開いてるよ!」といったことになるのでしょう。しかし、そんな会話を福岡のコマーシャル・メッセージで使っても、おそらく博多の人たちには違和感を覚えられるのでしょう。

これが、一人で店や商品を説明するようなコマーシャル・メッセージとなるともっぱら標準語で話されることになり、方言を使うようなことは極端にすくなくなります。

また、コマーシャル・メッセージでなく本編の放送では、意図的でないかぎり、標準語ではなされることが多くなります。

コマーシャル・メッセージでの二人組の会話は、「方言伝承の一翼をも担っている」と、ウィキペディア系のサイト「チャクウィキ」の「ベタなCMの法則」では紹介されてもいます。

参考資料
チャクウィキ「ベタなCMの法則」
https://wiki.chakuriki.net/index.php/ベタなCMの法則
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「麻疹流行から考える、副反応より怖いワクチンの『リスク』」


ウェッジ社のニュースサイトWEDGE Infinityで、(2016年)10月15日(金)「麻疹流行から考える、副反応より怖いワクチンの『リスク』」という記事が配信されました。「学びなおしのリスク論」という連載の第9回目です。

ワクチンは、感染症予防のために特定の病原体からつくった抗原のことであり、接種することで免疫を得られるため、その感染症を免れることができます。2016年8月から9月にかけて、関西空港の職員などが麻疹(はしか)ウイルスに感染しました。

国立感染症などの公的機関は、麻疹対策としてとりうる唯一の方法はワクチン接種による予防であると今回の感染の前からよびかけています。社会的に見ると、感染症を拡大させないためには、社会を構成する人びとのより多くがワクチンを接種していることが大切になります。

たとえば、10人がいるとして10人すべてがある感染症に対するワクチン摂取をしていれば、ワクチンの効果が落ちたりしないかぎり、その感染症にかかる人はいないことになり、感染症を抑えることができます。いっぽう、10人すべてがワクチン接種をしていなければ、10人すべてがその感染症にかかるおそれをもっていることになりますから、感染症が拡がるリスクは高いといえます。

日本の麻疹ワクチンの接種率は、「第1期」とよばれる1歳時では2010年以降、95%を超えています。国は目標を95%としており、それを達成していることにはなります。

記事で取材に応じている感染症対策専門職の堀成美さんは、「私たちからすれば、よく抑えられているなという感じです。ワクチン接種率の高さが効いているのでしょう」と話しています。

しかし、ワクチン接種率が高いということは、その感染症が生じづらい状況になっているわけであり、人びとが怖がらなくなることにもつながります。堀さんは「感染症の怖さを忘れて、『予防接種なんて要らないのでは』と思ってしまうことが怖い。それこそがワクチンの“副作用”」とも言っています。

ワクチン接種率の高さを保つ、あるいはさらに高めるためことを考えると、「2回接種」を強化することや、「反ワクチン派」を低減することなどが課題になりそうです。いっぽうで、海外では特定のワクチンを接種することを義務にしているところもあります。

国から「義務」と言われると、嫌がる日本人は多いのかもしれません。では、なぜ国民が従おうとしないのか。そこには、リスクコミュニケーションの未熟さがありそうです。記事のなかで堀さんはそのことを指摘しています。

「麻疹流行から考える、副反応より怖いワクチンの『リスク』」の記事はこちらです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7978

堀成美さんは、『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(メタモル出版)という本のなかで、執筆者の一人として、ワクチンについての基本的な考え方などを説明してもいます。



本はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4895958981
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「キッチン南海 神保町店」のカツカレー――カレーまみれのアネクドート(87)


東京・神保町の老舗洋食店「キッチン南海 神保町店」のカレーライスについては、この「カレーまみれのアネクドート」の第22回でとりあげました。ルゥがソースの色のように黒光りしているのが、キッチン南海のカレーライスの特徴です。

キッチン南海の献立には、おもに、しょうが焼きと揚げもののくみあわせを基本とした洋食系の料理と、カレーを基本とした料理とがあります。

カレー系の料理には、もっとも基本的といえるカレーライスよりも注文数が多いのではないかと考えられる料理があります。カツカレーです。「食べログ」にも、「カツカレー(1番人気)」とあります。店員が書きこんだのではないでしょうが。

カツには7割から9割ほどの面積であらかじめルゥがかかっています。残りのルゥのかかっていないカツの部分をそのまま食べてさくさく感を味わうか、残りの部分もルゥに浸して食べるかは客によりけり。半分ぐらいはそのままさくさく食べて、もう半分ぐらいはルゥに浸して食べるという客もいることでしょう。

カレーライスは、皿のうえにライスとルゥがよそわれる単純なものですが、カツカレーのほうはそれにトンカツが加わるのはもちろんのこと、カツの脇に千切りのキャベツもそえられています。

このカツカレーの主役はカツまたはルゥでしょうが、千切りのキャベツはこれらの主役たちのあいだをとりもつ脇役としての存在意義をもっています。カツ、ルゥ、そしてライスとともにキャベツをまぜこぜにして食べると、キャベツの作用によってどこか“やわらかみ”が増していきます。

カレーライスよりもよく注文されるカツカレー。値段がカレーライス500円にくらべてカツカレー650円とお得感があることもさりながら、それぞれの具材の“和”を愛でて、ふたたびカツカレーを食べたくなる客も多いのではないでしょうか。

キッチン南海神保町店の食べログ情報はこちらでどうぞ。
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000612/
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野球の球を手に持った幼い子はすぐ投げる


観客席がある野球の試合では、打球が観覧席に入ることがあります。球場によっては、観客席にいる客が球を拾うと自分のものにすることができます。

では、幼い子どもが観客席で球を持ったらどうするか。その実際のようすを「Kids and Foul Balls」という映像で見ることができます。これは、おもに米国大リーグでの観客席で、打球を手に入れた、あるいは手に入れようとする子どもたちを撮った映像を集めたもの。

もちろん、2、3歳ぐらいに見えるとても幼い子どもたちは、みずから観客席に入った球を拾って持つことはまだできません。近くで試合を観ている年上の少年が球を拾い、親切にも、それを幼い子の親に「あげるよ」と渡すなどします。その球が、幼い子の手に渡ります。

ところが、多くの場合、幼い子が球を手に持つと、ぽいっと球を投げてしまいます。その瞬間、球を渡した親たちが、「オーマイ!」とでも言っているような驚きの顔を見せます。

結局、幼い子が投げた球は、前のほうでべつの人に拾われ、ふたたび幼い子の家族のところに投げかえされる場合が多いようですが。

研究によると、1歳を過ぎた幼児の半分以上が、ものを投げるといいます。投げるまでの過程として、赤ちゃんは生後16週までに手のひらに触れたものをつかもうとする把握反射をし、さらに、把握の制御や、偶然の手放しによるものの放出などを経験しているといいます。

球のようなものを手に持ったら投げてしまうという幼い子どもたちの特性と、そのことを忘れてしまってる大人の反応がよくわかる映像です。

参考資料
Baseball & Softball around the World “Kids and Foul Balls”
https://www.youtube.com/watch?v=JLO9dy9dN9Y
塩田桃子「幼児期における運動あそび指導と動作獲得に関する一考察 投動作に着目して」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009554918
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上昇気流に空気が集まって「つむじ風」


街なかなどで、木の葉やほこりが渦を巻くようにまわっているのをみることがあります。「つむじ風」です。専門用語では「塵旋風(じんせんぷう)」ともいいます。秋でも晴れているような日によく見かけます。

どうして木の葉やほこりが渦巻いてつむじ風が生じるのか。そこには上昇気流がかかわっているようです。

陽ざしの当たっているようなところが熱せられます。すると、その場所で局所的に上昇気流が生じます。

そこで、まわりから空気が集まってくると、空気がぶつかったり、空気の移動速度の差が起きたりします。これが、空気が渦を巻くもと。

こうして空気の流れに回転が加わると、強力な渦に発展していくことがあります。これがつむじ風が大きくなるとなるとされています。

つむじ風とにたものに竜巻があります。渦巻状の空気の旋回が起きるという点ではおなじですが、竜巻のほうは積乱雲による上昇気流により渦が生じ、その渦が天から地へと降りてきて地上で空気の旋回が確認されるもの。地上の空気の動きだけによって起きるつむじ風とはしくみ自体はちがっています。現象はにているものの原因は異なるといったところでしょうか。

つむじ風の変化が起きやすい場所に、校舎がぽつねんと置かれている校庭などの学校の敷地や、資材などがぽつねんと置かれている広々とした工事現場などがあります。体育祭や運動会のさなかつむじ風でテントが巻きあげられたり、工事のさなかつむじ風で建設物がめくれたりするのも、場所が関係しているようです。

つむじ風は複雑な動きをするもの。生じていることに気づいたときは、頭を抱えるなどしてすみやかにテントなどの吹きとばされるようなものから遠ざかることが大切になります。

参考資料
チーム森田の“天気で斬る!”「つむじ風と竜巻」
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/59431477.html
ウィキペディア「塵旋風」
https://ja.wikipedia.org/wiki/塵旋風
毎日まんがニュース 2015年3月31日付「『竜巻』と『つむじ風』の違い」
http://mainichi.jp/sumamachi/news.html?cid=20150325mul00m04000600sc
NHKそなえる防災「第7回 怖いのは竜巻だけではない! 自然界にまだある危険な『渦』」
http://www.nhk.or.jp/sonae/column/20131111.html
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ビスケットのくわんくわん問題に解決策を


飲食店には、定番ながら、なかなか食べづらい食べものがあるものです。

ケンタッキーフライドチキンには「ビスケット」という食べものがあります。小麦粉を環状のかたちで焼いたもので、生地の表側はさくさく、生地の内側はしっとりとしています。これに、小袋入りの「ハニーメイプル」とよばれる糖蜜をかけて食べます。

ケンタッキーフライドチキンの公式サイトにも写真つきで紹介されています。ビスケットの生地の肩のあたりに、ハニーメイプルがとろり滴りおちそうにとかけられて、シズル感を出しています。

しかし、この紹介の写真の状態からすると、このあとは食べるのがすこし大変そうです、おそらく、つぎの瞬間にはハニーメイプルは下に敷いている紙にまで落ちて、さらに紙だけではハニーメイプルをすくいきれず、紙の外側まではみだしてしまうのではないでしょうか。

そうすると、ハニーメイプルが机のうえについて、さらに紙の裏側まで入りこんで、くわんくわんになってしまいます。ビスケットを食べるどころではなくなってしまいます。

では、冒頭の写真のように、ビスケットの中心にほうにハニーメイプルをかければ、大丈夫でしょうか。

しかし、“落とし穴”があります。ビスケットの中心にあるくぼみにハニーメイプルは入っていきます。そして、このくぼみは貫通しているため、手で持って食べるときには、ハニーメイプルが下からぽたぽたと滴ってきます。量が多いと、ビスケットづたいに指にまでハニーメイプルが達して、やはり指がくわんくわんに。

おなじ思いをしている人たちは、インターネット上で相談しあったりしています。

「一番最初にビスケットを半分にして、シロップをかけてそのままにして、その間に飲み物飲んだり他の物食べたりしてシロップがビスケットにしみ込んで垂れなくなってから食べました」

「私は上下半分に割って、さらに一口大にちぎりながらシロップをつけ口に運びます」

そもそもケンタッキーフライドチキンでは、チキンを食べると指に脂がつくのだから、ビスケットを食べるときも指にハニーメイプルがついてしまうくらいは気にせず、あとでまた手を洗えばいいといったぐらいの心もちで味わうくらいがよいのかもしれません。

参考資料
とくっち.com「ケンタッキーのビスケットはどう食べてますか?」
http://www.toku-chi.com/pages/bbs/topic_detail.htm?id=3491311
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「はい、もしもし、鈴木ですが」「あ、もしもし、山本でした」


山形県の一部の地域をはじめ、北日本の地域では電話のはじめの会話で、つぎのように話すといいます。

「はい、もしもし、鈴木ですが」
「あ、もしもし、山本でした」
「あ、山本さん、こんにちは、ごぶさたしてます」
……

電話をかけた側の人が、自分の名を名乗るとき「山本でした」のように「でした」を使うというわけです。

かかってきた相手から「山本でした」といきなり言われると、いぶかしがったり吹いてしまったりしてしまう人も多いでしょう。しかし、過去形で自分の名を名乗ることは、考察を深めていくと、そうおかしいこととはいえません。

「山本でした」と名乗った山本さんは鈴木さんと面識があって、鈴木さんに「山本」と名乗れば「ああ、山本さんね」とわかってくれる間柄でしょう。

そんな山本さんが「山本でした」と過去形を使うのを、あえて言語化すれば「あなたのお知りあいには、さまざまな方がいらっしゃるかもしれませんが、電話をかけた私がだれかと申しましたら、山本でした」といったあたりでしょうか。じつに奥ゆかしい表現ともいえます。

もちろん「山本です」と現在形を使っても、誤りにはならないでしょう。現に日本の多くの地方では「はい、もしもし、鈴木ですが」「あ、もしもし、山本です」と普通に現在形を使っているわけです。

しかし、電話以外の発話のなかで、そのとき起きているようなことについて「でした」とおなじく、現在形でないかたちを使うことはすくなからずあるものです。

「あ、タクシーが来る」も言うけれど「あ、タクシーが来た」。

「こちらでよろしいでしょうか」がほんとうはふさわしいとされるが「こちらでよろしかったでしょうか」。

「ああ、よい」とは言わず「ああ、よかった」。

さまざまな事例があることを考えていくと、もはや電話で相手が「山本でした」と名乗ってくることに違和感を抱かなくなってくる人もいるでしょう。とはいえ、やってみると受話器の向こうの相手に笑われてしまうおそれはありますが……。

参考資料
Yahoo!知恵袋「北海道の方、電話していきなり『鈴木でした』って過去形で言います?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1348689018
VIVA!やまがた「山形の七不思議」
http://mumin.s1.xrea.com/yamagata/wander.html
トリビアの泉で沐浴「トリビアNo.309-399」
http://oride.net/trivia/trivia361-368.htm
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「校正」よりも「校閲」「素読み」の時代に

写真作者:Takeshi KOUNO

宮木あや子さん原作の漫画『校閲ガール』(KADOKAWA刊)をもとにしたテレビドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」が放映されています。ドラマに対しては「未経験の若手が校閲部に配属されるなど、あり得ません」「極めて専門性の高い仕事において、編集経験すらない若手がいきなり活躍するなど、無理があります」などという校閲者の批判の声を紹介する記事が話題になるなど、さまざまな意味で「校閲」という作業に関心が集まっているようです。

「校閲」とは、印刷物や原稿を読み、内容の誤りを正し、不足な点を補ったりすることを指します。

にたことばに「校正」があります。「校正」の厳密な意味は、印刷前の体裁の整った校正刷と、それより前段階の下書きである原稿を照合するなどして、文字や内容の誤りを正すこと。校正刷にある内容が、原稿にある内容と合っているかどうかを確かめるわけです。

ただし、厳密な意味での「校正」の作業は、実質的にいまではあまりされなくなっています。過去には、書き手が原稿を鉛筆やペンなどで紙に手書きし、それを活字の文字で組むなどしていたため、誤植が起きる危険が高くありました。そのため校正の作業は大切なものでした。しかし、いまではほとんどの書き手がコンピュータで原稿を書き、そのデータをそのままデジタル編集ソフトウェアに流しこんでいくため、基本的には原稿の内容と、校正刷の内容は一致しているはずです。

そのため、出版社の校正担当者や、自由業の校正者たちは、相対的に「校正」よりも「校閲」の作業をする割合のほうが増えているものと考えられます。

校閲は、「素読み」ということばともにています。「素読み」とは、原稿と校正刷の照合をすることなく、校正刷だけを読んで字や内容の誤りを正すこと。ほぼ「校閲」とおなじ意味ともいえますが、「素読み」のほうが「原稿と校正刷の照合はせずに」という意味あいが強くあります。

ときに、原稿を書く書き手も、そしてその原稿を編集する編集者も、固有名詞の誤りなどを見落としている場合があります。そこで、校閲者が、校正刷に記載されている固有名詞に誤りはないかといったことを素読みするわけです。校閲者は、誤りではないかと気づいたところに、鉛筆で「伊藤博文 デハ?」などと書いていきます。

ほかにも、用字用語の統一がされているか、ノンブルとよばれるページ番号が合っているかなどを、校閲者は素読みで確かめていきます。書き手や編集者にとってはありがたい作業といえます。ただし、校閲者による素読みは、予算とのかねあいで、おこなれる場合と、おこなわれない場合とがあります。とくにオンライン上の記事などでは、校閲者が素読みをおこなうことはめったになさそうです。

参考資料
ビジネスジャーナル 2016年10月8日付「石原さとみ『校閲ガール』、放送事故レベルの現実乖離に批判殺到『校閲をナメるな』」
http://biz-journal.jp/2016/10/post_16860.html
デジタル大辞泉「素読み」
https://kotobank.jp/word/素読み-543770
世界大百科「校正」
https://kotobank.jp/word/素読み校正-1348363
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
ストレスから解除されても「過覚醒」に

写真作者:José María Pérez Nuñez

人はストレスを感じると緊張します。緊張は、自分にいつもとちがう危険なことが起きそうなときなどに身がまえる体と心の反応です。逆に、ストレスを感じても緊張しなければ、起きる危険に対応できなくなりますから、緊張するのは日々生きているなかではごくあたりまえのことといえます。

しかし、緊張のもととなるストレスから解きはなたれても緊張状態がつづくことがあります。これは、脳のはたらきの活発さを意味する「覚醒水準」が高いままである状態ともいえます。そして、ストレス解除後も緊張状態がつづくことを、「過覚醒」といいます。

たとえば、仕事でたいへんな目に遭って、どうにか問題を解決したけれど、その夜、興奮してしまい寝つくことができない。翌日もいらいらがつづく。街のなかのちょっとした物音などに大きく反応する。このようなことがある場合は、脳が過覚醒の状態になっているのかもしれません。

また、大災害や戦争などを経験した人が、その状態から脱しても、夢や錯覚などでくりかえしおなじような経験をした気分になってしまう「心的外傷後ストレス症候群」(PTSD:Post-Traumatic Stress Disorder)もまた、過覚醒の反応のひとつとされています。

人によっては、あるいは症状によっては、安心できる日々を過ごしていくうちに過覚醒からもとの覚醒水準のレベルに落ちついていきます。しかし、過覚醒がかかわる不眠や心的外傷後ストレス症候群などの状態がつづくような場合は、抗精神病薬を使ったり、認知行動療法を受けたりして、積極的な治療をする場合もあるようです。

参考資料
デジタル大辞泉「過覚醒」
https://kotobank.jp/word/過覚醒-459286
e-ヘルスネット「過覚醒/覚醒亢進」
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-009.html
清和会「参照12:覚醒水準とうつ病の薬物療法」
http://www.seiwakaihamada.or.jp/blog/?page_id=622
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「言いきり形」を対話の切り札に


日本語の会話の文体の特徴のひとつとして、「言いきり形」の文末がすくないということがいわれています。「言いきり形」とは、たとえばつぎのようなものです。

「あしたの天気、わかるかな」
「天気予報では、晴れって言っていました」

「これ、やってくれるかな」
「はい、わかりました」

いっぽう、「言いきり型」ではない会話文の文末とは、「もしもし、石田ですけれども」とか、「きっと日ハムが勝ちますよね」とかいったように、「けれども」という接続助詞で終わったり、「よ」「ね」という終助詞がついたりものをいいます。

東北大学文学研究科の石田直美さんが、「『言い切り形』が生じる文脈環境」という論文で、対面会話データを収集し、用いられた述語用言を調査したところ、述語用言1万2626個のうち、言いきり形は1025個だったそうです。率にして8パーセント。

「言いきり形」の表現のかなり多くは、「わかりました」のほか、「お願いします」とか「ありがとうございました」のような、定型的なものであるようです。また、「私、染谷と申します」のように、自己紹介をするときにも「言いきり形」が聞かれるときもあります。

しかし、ときに「言いきり形」を、通常は「言いきらない」場面であえて使うことで、相手との意思疎通で優位に立とうとしている人も見られます。

たとえば、意思決定をするような会議での状況で、通常はつぎのような対話がくりひろげられるものです。

部長「来週のイベントのタイトル案、だれが考えたんだ」
部下「はい、私が考えましたけれども……」
部長「『離島での暮らし展』って、あまり企画の内容を示しているように思えないんだよな」
部下「え、そうですか。私としては、今回、離島での自給自足をどうするかということが展覧会のコンセプトということだったので、そこにねらいを絞って考えてみたんですけれども……」
部長「なんていうか、どうもピンと来ないんだよなぁ」

催しものの題目案を気に食わない部長からの意見に、部下が攻めこまれています。

では、この部下が「言いきり形」の文末を使ったらどうなるでしょうか。

部長「来週のイベントのタイトル案、だれが考えたんだ」
部下「はい、私が考えました(言いきり形)」
部長「『離島での暮らし展』って、あまり企画の内容を示しているように思えないんだよな」
部下「このタイトルについては、今回、離島での自給自足をどうするかということが展覧会のコンセプトということだったので、そこにねらいを絞って考えてみました(言いきり形)」
部長「……うーん、まぁこれでいいか……」

もちろん、すべての場合でこのような対話の展開になるわけではありません。しかし、「言いきり形」で発話を終えることで、相手に自信がある印象をあたえる効果はありそうです。

さらに、「言いきり形」でない文末では相手につぎの発言を促すようなすきをつくりますが、「言いきり形」の文末では発話のあとに沈黙ができるため、相手、この対話の場合では部長に決断をさせるような効果もあるかもしれません。

ほかにも、「私はそうは思わないんですけれどもね」よりも「私はそうは思いません」、また「私はA案のほうがいいようなきがするんですが」よりも「私はA案を希望します」のように「言いきり形」を使うほうが、対話の展開がつぎに進んでいく向きはありそうです。

対話での「言いきり形」はあまり使われるものではないので、多用してしまうと、相手やまわりから「なんだこいつ、生いきそうに」などと、かえって悪い印象をもたれかねません。しかし、ここぞのときの「言いきり形」は効果を発するときもありそうです。

参考資料
甲田直美「『言い切り形』が生じる文脈環境」
http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/63066/1/1346-7182-2015-65-130.pdf
上原聡・福島悦子「自然談話における‘裸の文末形式’の機能と用法」
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8221128_po_109__123.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
| - | 18:23 | comments(0) | trackbacks(0)
部分的な「いいな」が全体的な「いいな」に

写真作者:PICS by MARTY

人は、ほかの人や物事の部分的な特徴について、「いいな」という印象を受けると、その人や物事のほかの特徴も高く評価しようとするもののようです。逆もまたしかりで、「だめだわ」という印象を受けると、ほかの特徴も低く評価しようとするといいます。

こうした心理的な効果は「光背効果」とよばれています。光背とは、聖人像や仏像などの背後に見られる円形や放射形の光のことをいいます。人の視界に光背が射しこむと、まぶしくて見るべきものが見えなくなるということの喩えから、こうよばれているようです。米国の心理学者だったエドワード・ソーンダイク(1874-1949)が造語しました。

光背効果にはさまざまな説明がされており、そこには「たとえばこんなもの」といった例も示されています。いくつか見てみますと……。

「環境対策に対して熱心に取り組んでいる企業の製品やサービスは『環境にやさしい』というイメージを消費者が持つといったこと」(マーケティング用語集)

「商品広告で有名人を起用することで、その商品がイメージアップするのもハロー効果によるものである」(科学事典)

「ある人が難関大学卒であったり、スポーツに優れていたり、字が上手だったりする場合、その人が学力や体力や字の上手さにおいてだけでなく、人格的にも優れていると思い込んでしまうケースが挙げられる」(ウィキペディア)

環境対策や、広告での有名人起用など、部分的にでもよい印象を強くあたえるおこないがあれば、人びとから全体的によい印象を得られやすいということでしょう。

いっぽうで、公平な判断を求められる立場の人などは、光背効果を避けることが大切になってきます。つぎのような光背効果の事例を示して、注意をうながす人もいます。

「(光背効果は)教育場面ではよくあることであり、特に小学生相手の場合、基本的には全科目を教師は担当するため、たとえば算数ができる児童を、理科もできると即断したりすることは注意せねばならないだろう」(山口陽弘・石川克博「教育評価の理論と実践」)

おなじく、「なにをやらせてもこの人はだめだ」などと相手を見下している人は、じつはその相手の一部分の印象を受けて、その人を全体的に「だめだ」と見なしているのかもしれません。

人や物事への評価は、その人や物事をなりたたせるそれぞれの要素ごとになされるのでなく、ざっくりと全体でなされる。このことを光背効果は示しています。

参考資料
三省堂大辞林「ハロー効果」
http://www.weblio.jp/content/ハロー効果
科学事典「ハロー効果」
http://kagaku-jiten.com/social-psychology/society/halo-effect.html
マーケティング用語集「ハロー効果」
http://www.weblio.jp/content/ハロー効果
ウィキペディア「ハロー効果」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハロー効果
コピーライティングと心理学「ハロー効果とは」
http://copyrightingsup.blog.fc2.com/blog-entry-16.html
| - | 17:18 | comments(0) | trackbacks(0)
『日本大百科全書』大村さんの功績と絡めて「オートファジー」を詳説していた

真核細胞
写真作者:tayea1

2016年のノーベル生理学・医学賞が、東京工業大学栄誉教授の大隅良典さんに贈られることになりました。ノーベル賞の公式サイトには、授賞理由を「オートファジーのしくみの解明に対して」と説明しています。

日本国内では、発表があってから、おそらく「オートファジー」ということばをインターネットで検索する件数が爆発的に高まっていることでしょう。ノーベル賞の公式サイトには、受賞理由につづけて、オートファジーをつぎのように説明しています。

「オートファジー(“自食”)とは、進化的に保たれた過程であり、真核細胞がみずからの中身の一部をリサイクルできるように、消化のためにリソソームに届けられる二重膜小胞で細胞質を部分的に分離すること」

この解説そのものは、難解なものといえます。核をもつ細胞を真核細胞といい、ほとんどの生きものがもっています。その真核細胞が自分自身をリサイクルするわけですが、リサイクルのためには、二重の膜に包まれた小胞という構造が、リソソームというべつの小器官と結びつく必要があるようです。小胞がリソソームと結びつくと、細胞をなりたたせる細胞質の一部がばらばらになりますが、これがリサイクルの材料に使われるということのようです。

優秀なことに、小学館の『日本大百科全書』では、大隅さんの功績を踏まえながらオートファジーの説明をしていました。大隅さんについての記述が出てくる部分を引いてみます。

「解明に貢献したのが、生物学者の大隅良典(おおすみよしのり)(1945-)である。大隅は1988年(昭和63)に東京大学教養学部生物学教室助教授となって研究を率い、あまり注目されていなかった酵母の『液胞』に着目した。わずか2か月後に、大隅、馬場美鈴(ばばみすず)(当時、日本女子大学研究員)ら研究スタッフは、液胞の中に、ミトコンドリアやたんぱく質が取り込まれ、分解されていく様子を顕微鏡で撮影することに世界で初めて成功した。大隅らは、さらに酵母を栄養不足状態にすると、細胞質の中に隔離膜ができ、その膜がどんどん大きくなり、不要なタンパク質を取り込んだ二重膜構造の分子『オートファゴソーム』が形成されることを突き止めた。そして、このオートファゴソームが、液胞と融合して不要なタンパク質が分解され、生存に必要なタンパク質が生み出されていくオートファジーの仕組みを解明した」

さらに、大隅の功績を踏まえての「オートファジー」の説明はつづきます。

「その後、大隅らは1993年(平成5)、栄養不足にしてもオートファジーが起こらない酵母と正常な酵母の比較からオートファジーに不可欠な遺伝子群(ATG)を発見。オートファジーの制御にかかわる遺伝子は酵母以外の人間などの高等生物でも存在することが解明された。これを機にオートファジー研究は世界的に急速に広がった」

この記述を担当したのは、玉村治さん。科学ジャーナリストのようです。しくみの発見者が、どのように研究を進めたかの流れを追いながら、しくみを説いています。いまごろ玉村さんも、おそらく科学ジャーナリスト冥利に尽きるとよろこんでいることでしょう。

参考資料
Nobelprize.org “2016 Nobel Prize in Physiology or Medicine Yoshinori Ohsumi”
http://www.nobelprize.org
日本大百科全書「オートファジー」
https://kotobank.jp/word/オートファジー-685600
朝日新聞 2016年10月4日付「オートファジーとは」
| - | 16:36 | comments(0) | trackbacks(0)
「光」によって睡眠やうつの問題を改善



きょう(2016年)10月3日(月)発売の『週刊東洋経済』では「最新科学でわかった! 『脳』入門」という特集が組まれています。

「脳の仕組みとその活用、そして脳の病気について探求してみよう」と、特集のリード文にあります。大きく、第1部「脳 複雑な仕組みとその活用法」と、第2部「ビジネス世代が気になる脳の病気」に分かれています。

第2部の「脳の病気」では、認知症、不眠、脳梗塞といった脳で生じる病気に対する最新科学が紹介されています。

「不眠と眠りのQ&A」という記事では、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部教授の三島和夫さんが、睡眠研究者の立場から、仕事をする世代の読者が抱きそうな七つの疑問に対して答えています。

三島さんの話では、「光」を使った体内時計の制御というのが、さまざまな睡眠の問題への対しかたとして大切なようです。体内時計とは、自分の外側とは無関係に、生きもののからだのなかに備わっているとされる時間測定機構のこと。この体内時計は、太陽などの強い光によって早めたりすることができるといわれています。

たとえば、夜型体質の人がどうしても、朝型生活を強いられるというときには、「昼すぎごろまで強い日光を浴びるとよい」と言います。太陽の光を浴びることによって、体内時計が朝のほうに早まるので、朝型生活に対処しやすくなるということです。ただし、夜型体質や朝型体質の人が、それらの体質を変えることは「基本的にはできない」ため、対症療法的な方法といえそうです。

また、不眠とのかかわりが深いうつに対しては、光を浴びることを効果的にとりいれた「改良型断眠療法」の説明があります。

まず、断眠療法とは、うつ病の患者が一晩、徹夜することにより、うつの症状を改善するというもの。この断眠療法に、さらに光を取り入れたものが「改良型断眠療法」です。断眠による眠気を利用して通常よりも6時間ほど早く寝ることで抗うつ効果を期待できるとともに、「断眠後に強い光を浴びることでも抗うつ効果がよくなる」としています。

光を浴びることで脳のはたらきを制御することができ、これらが睡眠やうつの問題の改善をはかるというわけです。ただし、たとえば夜型体質の人が、夕方から夜にかけて強い光を浴びてしまうと逆効果になってしまうといいます。光を浴びる時間帯には注意も必要のようです。

このほかにも、特集では「効率的な記憶術 7つのワザ」「脳の疲れが取れるマインドフルネス」といった記事などもあります。

『週刊東洋経済』2016年10月8日号のお知らせはこちらです。
http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/

この特集の一部の記事の取材・執筆をしました。

| - | 15:32 | comments(0) | trackbacks(0)
再現性の低さが捏造を捏造のままにさせる

ピルトダウン人の頭蓋骨を囲む、チャールズ・ドーソン(左から3人目)たちを描いた絵

人による発見などの成果が「科学的」であるかどうかを決めるひとつに「再現性がある」ということがあります。たとえ発見者などの第一人者でなくても、その事象とおなじ条件をあたえれば、おなじ事象を成りたたせることができる、というのが再現性です。

しかし、科学の領域で扱われるなかでも、再現することがむずかしい分野というものはあります。たとえば、考古学という学問分野があります。遺跡や遺構や遺物を考察することで、過去の人類の文化を研究する学問とされています。考古学では再現性がなかなか得られないような発見もあります。ある場所で化石が発掘されたとしても、それとおなじ年代や生きものの化石が見つからない場合も多くあります。

こうした、一度きりしか見つからない場合もあるという考古学の特徴があることから、過去には捏造事件もおきました。

1908年から1912年にかけて、英国のアマチュア考古学者チャールズ・ドーソン(1864-1916)が、ロンドン郊外のピルトダウンという地の採掘場所で、人骨の化石を発見しました。この人骨の顎の部分は類人猿のように原始的でしたが、いっぽう脳を包む頭蓋骨の部分は大きなものでした。この化石には、「ピルトダウン人」というよび名がつきました。

発掘されたとされるピルトダウン人の脳は、当時すでに化石で発見されていたネアンデルタール人やジャワ原人などとくらべて明らかに大きなものでした。当時の人類学者たちは、大きな脳であることから、人類の祖先は高い知性をもっていたのだと考えました。なかには、ピルトダウン人の頭のかたちに疑問を呈した形態学者もいましたが、権威のある学者たちのピルトダウン人の存在を肯定する声にかき消されました。

ところが、発見から40年以上が過ぎた1953年になり、ピルトダウン人の骨にふくまれるフッ素の量が分析されると、その骨は過去のものでなく、現代のものであることが発覚しました。地中にある骨は、時が経つにつれてフッ素の量が増えていくことが知られていました。ピルトダウン人の骨からは、発掘された地層の年代に見あうフッ素が検出されなかったのです。

結局、脳を包む頭蓋骨はヒトのものであるいっぽう、顎の骨はオランウータンのものだったと判明しました。「顎は類人猿のように原始的ながら、頭蓋骨は大きい」というのは、そういう組み合わせだったのですから、当然の結果でした。

再現性に乏しい分野での発見に対しては、その発見が本当のことであるのかどうかを、べつの科学的な方法で確かめることがとりわけ大切になります。ピルトダウン人の捏造事件の場合は、フッ素法がその方法でした。しかし、捏造の発覚まで40年以上も時が経ってしまいました。

もうひとつ、再現性があるかないかにかかわらず、科学的な方法で大切になるのは、研究者が倫理観をもっていることも大切です。ただし、ピルトダウン人の捏造事件の真犯人は謎に包まれたままです。

参考資料
島泰三『ヒト 異端のサルの1億年』
https://www.amazon.co.jp/dp/4121023900
知恵蔵2015「ピルトダウン事件」
https://kotobank.jp/word/ピルトダウン事件-185615
みすず書房「ピルトダウン 化石人類捏造事件」
http://www.msz.co.jp/book/detail/04104.html
| - | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0)
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