科学技術のアネクドート

動物たちもあざむく、戦略的に、戦術的に

相手にそうだと思いこませて相手をだますことを「あざむく」といいます。人の社会では人が人をあざむくことは当然のようにおこなわれているようです。では、人でない動物たちはあざむくことのない世界で生きているかというと、かならずしもそうではないようです。動物もほかの動物をあざむくときがあります。

動物があざむく方法は、大きく「戦略的あざむき」と「戦術的あざむき」に分けることができます。

「戦略的あざむき」とは、あざむく“しかけ”が、決まりきったかたちをしているものをいいます。たとえば、動物がほかの動植物ににたかたちや色もようなどをとることを擬態といいますが、擬態の多くは戦略的あざむきの代表例。なぜなら、擬態をする動物は、決まった擬態のしかたをしてあざむくからです。昆虫のナナフシは、木の枝に擬態をすることで天敵の鳥たちに自分の存在を気づかれないようにしています。これは戦略的あざむきの一例といえます。

 

ナナフシ


いっぽう「戦術的あざむき」のほうは、ある動物が、通常の行動のしかたのなかから特定の行動を選んで、ほかの個体に状況を誤認させるようなあざむきかたをいいます。最初からあざむくしかけが決まっているわけではありません。この点、戦略的あざむきよりも、より高度なあざむきかたと考えることができます。

戦術的あざむきの例として知られるのが、鳥のチドリの仲間たちの「偽傷」とよばれる行動です。偽傷とは、地上に巣をつくる鳥が、あたかも自分が傷を負って飛べないでいるかのような振るまいをして、敵にあたる捕食者の注意を引いて、卵やひなから遠ざけようとする行動をいいます。


コチドリ

じっさい、コチドリという小さなチドリの親が、偽傷の行為をしているようすを、インターネット上の動画で見ることができます。羽をばたつかせながら、右へ左へと体をよろめかせています。うしろ姿を見ると、いかにも「痛い痛い」と悲痛そうな態度を示しています。しかし、顔はいたって平静にも見えます。

コチドリの親は、いつでも敵をあざむいているわけではなく、自分の雛や卵に危機が迫っているときに偽傷の行為をします。あざむく機会を自分で選んでいるわけで、これが戦術的あざむきの一例です。

参考資料
山極寿一編『ヒトはどのようにしてつくられたか』
https://www.amazon.co.jp/dp/4000069519
「欺きのメカニズムに関する研究 脳機能ならびに心の理論との関連性」
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/48184/1/02Kishi.pdf
Shinji kawamura「コチドリ偽傷行動」
世界大百科事典「偽傷」
https://kotobank.jp/word/擬傷-473763

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粒子や隕石がぶつかって砂が厚くなる
河原には石ころが、海岸には砂が、広がっています。これらは地球のごくあたりまえの景色のひとつです。いっぽう、月や火星などの天体の地面には、なにが広がっているかというと、一面ふわふわとした小石や砂などで覆われています。

月や火星、そして地球などの天体には、たえず宇宙から粒子が降ってきています。しかし、地球には大気があるため、こうした粒子は大気圏に迫ると燃えつきてしまいます。地球からは、それは流れ星として見られます。

いっぽう、月には、大気がないため宇宙からの粒子は月の表面に“ぶつかり放題”です。しかも速度は、時速1万8000キロメートルから3万6000キロメートルといった、想像できないほどのものとなります。

そんな速さの粒子が、月の表面にぶつかったらどうなるか。月の表面のかたい岩が、削られることでしょう。そして岩が削られれば、それは小さな小石や砂のような大きさになるはずです。こうして、“ぶつかり放題”の粒子によって、長いこと岩が削られていったため、いまの月には、小石や砂の粒が少ないところでも数センチメートル、多いところでは数十メートル積もっていると考えられています。

このような、岩石でできた天体の表面を覆う小石や砂の層を「レゴリス」といいます。月のレゴリスでは、カルシウムに富んでガラスのような光沢を示す灰長石や、鉄やチタンなどの元素で構成されるイルメナイトといった成分でできています。レゴリスでの砂の大きさは50マイクロメートルほどとされています。

月だけでなく、火星の表面も火星のレゴリスで覆われています。火星には、地球の0.75パーセントの圧力の大気があるとされています。そのため、小さな粒子が火星の大気圏に迫ったときには燃えつきてしまいます。ただし、大きな隕石は火星の表面まで届きます。そのため、火星の表面もいわば、大きな隕石が“ぶつかり放題”です。そのためこうした隕石が火星の表面にぶつかり、もともとあった岩が削られるなどして、小石や砂が増えていったと考えられています。

さらに、火星には大気があるため、地表のあたりでは風が吹いていると考えられています。表面の砂は巻きあげられるなどして、溜まるところに溜まっていくことでしょう。こうして、いまの火星の表面はレゴリスで覆われています。また、火星のレゴリスは、ケイ素、鉄、マグネシウム、カルシウムなどの元素からなる成分で構成されていることが、米国の火星探査機バイキングの観測などにより報告されています。


火星表面レゴリスの上に乗る米国の火星探査車キュリオシティ
Image Credit: NASA/JPL-Caltech/Malin Space Science Systems

なお、地球の表面にも隕石は落ちてきますので、それにより岩が削られて砂がつくられます。ただし、地球では雨が降るなどして砂が流されて粘土や堆積岩などになるため、月や火星とおなじような小石や砂で覆わているわけではありません。

参考資料
大阪市立科学館「月の砂レゴリスと月面探査」
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/news/text/a050408.html
Today's Moon「火星の前に月へ Science@NASA」
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/yoko99/ref/ref2.html
宇宙教育センター「月面の環境(レゴリスを中心に)」
https://edu.jaxa.jp/himawari/pdf/2_moon.pdf
木村靖子「宇宙環境における陸棲ラン藻Nostoc sp. HK-01の食資源としての検討」
http://jairo.nii.ac.jp/0025/00039326
渡辺隆行「月資源利用技術について」
http://www.chem-eng.kyushu-u.ac.jp/lab5/Pages/review/lunar.html
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陸でも生きる藻は食材にも

ネンジュモ
写真作者:Christian Fischer

「ネンジュモ」という生きものがあります。漢字で書くと「念珠藻」。仏具の念珠のようなかたちをした藻であることから、このようによばれているようです。

藻というのは、広く「水草」のことで、通常は水中で生活し、光を使って二酸化炭素と水から炭水化物や酸素をつくる光合成などをして栄養を得ています。藻は、さらに、緑藻類、褐藻類、紅藻類、ケイ藻類、ラン藻類などに分けられます。

ネンジュモはラン藻類に属する生きもの。ラン藻は、細胞のなかに、核やミトコンドリアといった器官をもちません。生きものの進化の歴史のはじめのほうに現れた原始的な生きものといえます。

ラン藻類には単細胞のものが多いのですが、ネンジュモは細胞が一列に並んで糸状のかたちをなしています。そのため、多細胞生物といってよいとされています。

ネンジュモのなかにも、さまざまな種があります。なかには、食用として使われてきた種もあります。

たとえば、アシツキはその代表格。多くの藻類、あるいはラン藻類が水のなかで暮らしていますが、アシツキには水辺のほかに、芝生などの陸上で生きているものもあります。万葉集の巻17には「雄神川 紅にほふ 娘子(おとめ)らし 葦付(あしつき)取ると 瀬に立たすらし」という歌があります。食べるために採取されていたのでしょう。

また、イシクラゲも食用のネンジュモとして知られています。こちらも陸上の土のうえで生き、日本でも庭先や道ばたなどに置かれているように見られます。雨が降るなどして、水気をふくむと膨れるため、突然に存在感が増します。

ネンジュモには、乾燥しても生きつづけることができ、たとえば1年間、真空に晒されつづけた乾燥ネンジュモが、水を得ると蘇生したといった事例も見られます。過酷な条件でも生きつづけるといったことから、火星で栽培すれば食用になるのではないかともいわれています。

参考資料
ウィキペディア「ネンジュモ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ネンジュモ
ウィキペディア「藍藻」
https://ja.wikipedia.org/wiki/藍藻
植物生理学会 植物Q&A「糸状体を形成する藻類は多細胞生物ですか?」
https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1788
日本大百科全書「アシツキ」
https://kotobank.jp/word/アシツキ-1499527
新井真由美「火星地下居住構想とラン藻の活用」
http://www.jasma.info/wp/wp-content/uploads/2011/04/2013_p105.pdf
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動機があろうがなかろうが、してもらう仕事は仕事


仕事をするうえでは、その仕事をするため動機や意欲になるものがあることが大切になるといいます。その人が仕事をすることを駆りたてる動機づけを、英語ではモチベーションともいいます。

企業などの組織において、社員が動機づけをして仕事にとりくむことがいかに大切であるかは、動機づけを主題とするさまざまなビジネス書や企業向けセミナーがあることからうかがえます。

たとえば、ビジネス書では、つぎのような書名のものが売られています。

『人を活かし成果を上げる 実践モチベーション・マネジメント』(モチベーション・マネジメント協会著、PHP研究所刊)
『職場活性化の「すごい!」手法 モチベーションを一気に高める48の処方箋』(大塚寿著、PHPビジネス新書)
『マジマネ5 部下の「やる気」を育てる!』(小林英二著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)

また、企業向けセミナーでも、つぎのような研修名のものがあるようです。

「社員のモチベーションアップを実現する!人事制度の見直し方」
「社員のモチベーションを高める――人事教育担当者の役割」
「従業員のモチベーションを向上させる人事評価再構築セミナー」

これらのビジネス書や企業向けセミナーに共通する主題は、上役や人事部社員などの“会社側”の人たちが、いかに社員たちに仕事の動機をもたせるかといったものといえます。社員たちの仕事への動機づけがなされれば、社員たちが仕事をがんばるので、会社としてもよい結果をせることにつながる、といった考えかたがもとになっているものが多いようです。

しかしながら、「会社側が社員たちの仕事への動機をつける」ということについては、批判的な見かたもあるようです。つまり、「どうして企業側が社員の仕事への動機のことまで考えなければならないのか」といった考えです。

そもそも、その社員に仕事への動機があってもなくても、社員のすべき仕事はあたえられています。その時期に、その社員に仕事をする意欲があろうとなかろうと、会社がその社員に成果を出すことを求めるのは当然です。会社は、その社員が仕事をして成果を出すことを期待して、その対価として給与を払っているわけですから。いっぽうで、社員はその前提で、所属する企業に対して、その会社で仕事をする約束をしているはずですから。

原理的にいえば、その社員が「仕事への動機づけができない」と感じて、会社が求める成果を出せない場合、その社員には辞めてもらってもよいわけです。さらにいえば、その社員が「仕事への意欲を高くもっている」と感じていても、会社が求める成果を出せない場合、その社員には辞めてもらってもよいわけです。

とはいえ、企業からしてみれば、せっかく雇った社員です。会社側の手によってでも、社員たちに仕事への動機をもってくれれば、結果はよいほうに転ぶはず。

企業が社員に動機づけをさせる必要があるがあるのかどうか。この課題では、企業側が社員の存在をどのように考えるかが問われます。

参考資料
ウィキペディア「動機づけ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/動機づけ
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ハザードは「危険のもと」

写真作者:jam343

「リスク」や「ベネフィット」といったことばは、「リスクを冒してまでベネフィットを得にいく」などのように日本でもよく使われています。

しかし、「ハザード」ということばは、自然災害などの種類や危険度を記した「ハザードマップ」や、自動車の非常用点滅灯である「ハザードランプ」といったことばでは使われているものの、「ハザード」単独で使われることはさほどありません。

ハザードは、よくリスクという概念とのかかわりのなかで示される概念です。

国際標準化機構が策定している、機械類の安全性を確保するための規格「ISO12100」では、「ハザード」は、「危害を引き起こす潜在的根源」と定義されています。しかし、これではハザードの意味はさほどよくわかりません。

行政などの説明では、ハザードは「危険性または有害性」とされています。たとえば、厚生労働省の「職場のあんぜんサイト」では、「危険性」の例を、「爆発性の物、発火性の物、引火性の物、腐食性の物等による危険性」や「作業方法から生ずる危険性」などとし、「有害性」の分類例を、「原材料、ガス、蒸気、粉じん等による有害性」などとしています。

さらに、このサイトでは、「ハザード」と「リスク」の関係を、ライオンを例にして説明します。ライオンは危険性をもっているのでハザードであるものの、ライオンのそばに人がいなければ、ライオンに襲われる危険性はないため、負傷の生じるリスクのない状態といえる、といいます。

いっぽう、ライオンの近くに人がいるとすると、ライオンに襲われるリスクが高まっている状態といいます。

これらをまとめると、危険のもととなるものが「ハザード」であり、ハザードを原因とする危険によって損害を受ける可能性が「リスク」といえそうです。

社会が危険であることについて関心をもつとき、「何々は危険」といったことをよく議論します。これはハザードのほうを指しているものと考えられます。いっぽう、「どのくらいの可能性で危険」といったことはさほど議論しません。こちらはリスクのほうを指しています。

つまり、「リスク」ということばはよく使われているものの、実際はあまりリスクについて話されておらず、むしろ、ことばとしてはあまり使われていない「ハザード」のほうが話されている傾向があるということになります。

参考資料
厚生労働省「職場のあんぜんサイト リスクとハザード」
http://anzeninfo.mhlw.go.jp/risk/syokuhin07.html
ウィキペディア「ISO 12100」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ISO_12100
経済産業省「商業施設内の遊戯施設の安全に関するガイドライン」
http://www.cao.go.jp/consumer/iinkai/2016/229/doc/20160726_shiryou3_0.pdf
安全・安心科学技術及び社会連携委員会 2014年3月27日「リスクコミュニケーションの推進方策」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/064/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2014/04/25/1347292_1.pdf
| - | 16:16 | comments(0) | trackbacks(0)
2回接種で免疫のはたらきをより確かなものに


感染症を防ぐためにはワクチンを摂取することが大切とされています。ワクチンは、感染症の原因となる菌やウイルスからつくった抗原のこと。ワクチンを摂取することで、たとえその感染症にかからなくても、からだに免疫のしくみが備わります。その結果、ワクチンの接種を受けた人は、その感染症にかかりにくくなります。

とはいえ、ワクチン接種も感染症を防ぐのに万能とはなりません。近ごろは、おなじワクチンを2回接種することの大切さが、医師や保健期間などによっていわれています。

なにかの問題を防ぐための処置を1回でなく2回にわたり受けるほうが、効果は1回のとき以上、得られそうだと多くの人は直感するかもしれません。では、ワクチンの2回接種については、どんな効果を得られるのでしょうか。

国立感染症研究所は、ワクチンのひとつである「麻疹・風疹ワクチン」について、小学校入学前の子どもが2回接種することには、つぎのみっつの意義があると説明しています。

ひとつめの意義は、1回目の接種で免疫がつかなかった子に免疫をあたえられること。麻疹・風疹ワクチンを摂取しても、数パーセントの子どもは免疫のしくみを得られないとされています。そこでもう1回ワクチンを摂取することで、今度こそ免疫をしくみを得るというわけです。

ふたつめの意義は、1回目の摂取で免疫がついたものの、その後、時が経って免疫の機能が衰えた子に刺激をあたえること。こうした子の免疫は、2回目の摂取によって強固なものになります。

みっつめの意義は、1回目に摂取しそびれた子どもにもう一度、ワクチン接種の機会をあたえるということ。1回目の接種する機会があったのに、なんらかの理由で摂取できなかったと言う子もいるようです。そうした子に、あらためてワクチン接種の機会があたえられれば、ほんとうにワクチンを摂取することができるということのようです。

ひとつめの意義とみっつめの意義は、初めてのワクチン接種の機会に、免疫を得られなかったという点でおなじといえます。そして、免疫を得られたとしても、その機能が衰えるおそれがあるために2回目を受ける利点があるというのがふたつめの意義です。

厚生労働省は「近年はワクチンの2回接種が行われ、麻しんに感染する方の人数は減っています」と説明しています。

参考資料
スーパー大辞林「ワクチン」
国立感染症研究所「麻疹・風疹ワクチンなぜ2回接種なの?」
http://www.nih.go.jp/niid/ja/diseases/ma/655-measles/idsc/567-cpn01.html
厚生労働省「麻しん(はしか)に関するQ&A(平成19年5月30日作成、平成24年4月21日改訂)」
http://www.mhlw.go.jp/qa/kenkou/hashika/
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ネコのハンターとしての素顔に迫る……「研究でわかってきた! ネコのネコらしさ」『Rikejo』マガジンで



理系進学をめざす女の子たちを応援する講談社の会員誌『Rikejo』マガジンの第41号が、(2016年)9月下旬に発行されました。

『Rikejo』マガジンは紙媒体の会員誌ですが、講談社のデジタル版サービス「codigi」でかんたんな手つづきをすれば、おなじ内容を会員登録なしで見ることができます。「codigi」の手つづきをするのも面倒という人も、「codigi」サイトで、内容の一部を試し読みすることができます。

科学特集「リケジョサイエンス」は、「研究でわかってきた! ネコのネコらしさ」というテーマとなっています。「気ままでツンデレ。でもニャーニャーとかわいい。そんな印象のネコですが、ほんとうはどんな生きものなのでしょう? 体、心、行動などの研究でわかってきた“ネコのネコらしさ”を見てみます」とリードにあります。

最初の記事の題目は「いまもくすぶる狩猟本能 ネコの正体は『ハンター』だった!」。後ろ脚を使って高く飛びはねたり、180度回転する耳で獲物の動きを感じとったり、また顔でなく前脚に生えている“ひげ”で獲物が息しているかを確かめたりと、ハンターとしての能力がネコにはいまもなお備わっていることがわかります。

いまではネコといえば、家で家族の一員として飼われたり、「猫カフェ」で癒やしてもらったり、人間にとっての愛玩動物と化しています。しかし、ネコが人間に飼われるようになった数千年前からほんの100数十年ほど前までは、おもにネズミを駆除してくれる動物と見られてきたわけです。ハンターとしての側面は、まだまだ失われていません。

この特集では、ほかにも外で飼っているネコに、データロガーという装置をつけて普通に過ごさせて、全地球無線測位システム(GPS:Global Positioning System)で、ネコが街のどのあたりを歩きまわっているかを調べた研究成果なども紹介しています。

「研究でわかってきた! ネコのネコらしさ」は、『Rikejo』マガジン第41号で読むことができます。紙媒体とおなじ内容のデジタル版は「codigi」の会員登録をして、コード番号を入力することで見ることができます。デジタル版を読むための方法について、詳しくは「リケジョ」のウェブサイトの記事をご覧ください。

「codigi」のサイトはこちらです。
https://codigi.jp/

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「『ミツバチ問題』は農薬規制だけでは解決しない」


ウェブニュース「JBpress」できょう(2016年)9月23日(金)「『ミツバチ問題』は農薬規制だけでは解決しない 養蜂とはちみつの過去・現在・未来(後篇)」という記事が配信されました。記事のための取材と寄稿をしました。

「ミツバチ問題」とは、2000年代なかばから、日本をふくむ世界で騒がれている「ミツバチが大量に消滅してしまう問題」をはじめとするミツバチの個体数減少や生存危機をめぐる問題のことです。

ミツバチの大量消滅の問題の経緯はおおまかに、つぎのようなものです。

欧米で2000年代から、ミツバチの働きバチが大量失踪し、群れを維持できなくなる「蜂群崩壊症候群」が問題化しました。日本では、蜂群崩壊症候群とは認められないものの、2008年から2009年にかけてミツバチの群数が減少し、花粉交配用ミツバチが不足するなどしました。

ミツバチ大量消滅と同時期に使用が増えた農薬が、「ネオニコチノイド系」とよばれるものでした。これは、クロロニコチニル系殺虫剤の総称で、イミダクロプリド、クロチアニジン、チアメトキサムなどのことです。ミツバチの大量消滅とネオニコチノイド系の使用量増加には因果関係があるのではと疑われました。そして2012年に、米国の科学誌『サイエンス』にネオニコチノイド系殺虫剤への暴露がミツバチの高い致死率を引き起こすとする研究結果などが報じられました。

この動きにいちはやく反応したのが欧州でした。欧州連合は2013年12月、ミツバチが好んで訪れる作物へのネオニコチノイド系農薬3種を使用禁止にしました。これは、ある物質が環境に回復不可能な損害をもたらす“可能性”があるとき、因果関係がきちんと確かめられていなくても、安全を優先して行動すべきとする「予防原則」という考えかたに基づいたものとされます。

日本では、2016年7月、農林水産省が「蜜蜂被害事例調査(平成25年度〜27年度)の結果及び今後の取組について」という発表をし、「分析を行った死虫の発生は、水稲のカメムシ防除に使用された殺虫剤に、蜜蜂が直接暴露したことが原因である可能性が高いと考えられます」などと結果の要点を示しました。いっぽうで、ネオニコチノイド系農薬を規制することについては、「これらの農薬は水稲のカメムシ防除に重要です」などと説明し、規制をしていません。

取材に応じてくれた玉川大学ミツバチ科学研究センター教授の中村純さんは、ネオニコチノイド系農薬が、死虫の発生の原因であることは「わかっていること」としながらも、ミツバチと農薬をめぐる現状については、関係者が「全体を見たつもりになっている」状況といいます。

そして、記事では、農薬を使わなくなった場合に影響を受ける農業全体への視点や、ミツバチが利用できる植物の減少が「農薬以上に重要な課題」などとする考え、さらに、ミツバチの蜜源を確保するため産学官連携でとりくみはじめたプロジェクトの内容などを示します。

ミツバチ大量消滅の原因がネオニコチノイド系農薬であるとする報告は世界的に複数あがっており、関係性がないとはもはやいえない状況です。

しかし、新聞で「大量死ミツバチから農薬」や「水稲でのカメムシ防除がミツバチに被害」などと見出しになるたびに、社会では「悪いのは農薬だから、農薬を規制すればミツバチを救える」といった単純な見かたが強くなっていきます。この「農薬イコール悪者」という構図が単純明快だからこそ、新聞記者などは記事にしやすいのかもしれませんが。

JBpressの記事「『ミツバチ問題』は農薬規制だけでは解決しない 養蜂とはちみつの過去・現在・未来(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47939
前篇では、日本におけるはちみつ食や養蜂の歴史を追っています。前篇の「最古の記録は“失敗”だった日本の養蜂」はこちら。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47892

参考資料
Mickaël Henry et al. “A Common Pesticide Decreases Foraging Success and Survival in Honey Bees”
http://science.sciencemag.org/content/336/6079/348
農林水産省 2015年9月9日更新「農薬による蜜蜂の危害を防止するための我が国の取組」
http://www.maff.go.jp/j/nouyaku/n_mitubati/qanda.html
中村純「ネオニコチノイド系農薬の使用規制でミツバチを救えるか」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpestics/40/2/40_W15-20/_pdf
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19世紀はじめ、ロンドンでインド人企業家がカレー店を開業――カレーまみれのアネクドート(86)
きのう(2016年)9月21日(水)付のこのブログの記事は「『ヘイスティングズが香辛料と米を持ちかえった』英国では言われず」というものでした。日本でいわれている、インドから英国へのカレー伝来の説には疑問点がいくつかあるといったものです。

S&Bのサイト「カレーの世界史」には、「このカレーと米を組み合わせたライスカレーはイギリス王室で大変な評判となり上流階級の人々へ広まり、次いで産業革命で頭角をあらわしてきた資本家階級など、生活に余裕のある人々へと広がっていきました」とあります。

これについても英国で発信されている情報をたどってみても、カレーと米の組みあわせの料理が王室で評判となったことや、その後、上流階級や資本階級に広がっていったことを示す記述にはなかなか出合えません。

その後、英国の企業クロス・アンド・ブラックウェルが世界で初めてカレー粉を商品化したというのが、日本でいわれている、英国でのカレー産業の歩みです。クロス・アンド・ブラックウェルは、1706年創業のウェスト・アンド・ワイアットを前身とする企業。1830年に従業員だったエドモンド・クロスとトーマス・ブラックウェルが経営権を買いとってクロス・アンド・ブラックウェルの社名にしました。

1950年から2002年まで、クロス・アンド・ブラックウェルを買収して、ブランド化していたネスレのサイトには、「かつて植民地であったインドからインド料理の秘密をカレー粉に凝縮して初めてヨーロッパに広げたのがクロス&ブラックウェル社でした」という記述が残っています。ちなみに、いまクロス・アンド・ブラックウェルは米国企業のJ・M・スマッカー傘下にあります。

しかし、きのうの記事で紹介した、ロンドンで出稿されたとする商用カレー粉の広告は1780年代のものとされています。ですので、「初めてヨーロッパに広げたのがクロス&ブラックウェル社」というのであれば、それはクロス・アンド・ブラックウェルの前身のウェスト・アンド・ワイアット時代でなければなりません。

いっぽう、英国放送協会のニュースサイトでは、ジャーナリストのローレン・ポッツさんが「18世紀後半に英国がベンガルを支配してから初めてインド料理が流行となり、1809年までにロンドン初のカレー屋も開店した」と述べています。

この「ロンドン初のカレー屋」とは、べつの英国放送協会ニュース記事によると、インドからの移民企業家ディーン・マホメッド(1759-1851)が開店したものとされます。英国では、すでにコーヒーハウスでもカレーが出されていました。しかし、マホメッドが出したカレーは、辛さが効いていたようで、1809年の新聞には「これまで英国でつくられてきたカレーとは一線を画す」と宣伝されたそうです。


ディーン・マホメッドの肖像

カレーという料理がどのように英国に入ってきたのかを追ってきました。日本と英国での情報内容のちがいがあり、一筋縄ではありません。

ちなみに、日本の「カレーライス」については、ウィキペディアには「インド料理を元にイギリスで生まれ、日本で発展した料理である」と説明されています。

英国カレー小史の記事は、これでいったん終了です。

参考資料
S&B「カレーの世界史」
http://www.sbcurry.com/dictionary/world/
ネスレプロフェッショナル「Crosse & Blackwell®」
https://www.nestleprofessional.com/japan/jp/BrandsAndProducts/Brands/Crosse_and_Blackwell/Pages/default.aspx
BBC NEWS 2015年1月17日付 “Dripping, apples and milk: Making curry the Victorian way”
http://www.bbc.com/news/uk-england-humber-30718727
BBC NEWS 2009年11月26日付 “How Britain got the hots for curry”
http://news.bbc.co.uk/2/hi/8370054.stm
ウィキペディア「カレーライス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/カレーライス
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「ヘイスティングズが香辛料と米を持ちかえった」英国では言われず――カレーまみれのアネクドート(85)

きのう(2016年)9月20日(火)付のこのブログの記事は「18世紀半ば『インド流』カレーのレシピが英国に」というものでした。

英国のカレー史については、その後、1772年ごろ「ウォーレン・ヘイスティングズが、インドから英国へ、カレーの原料となる香辛料と米を持ちかえった」という説明がよくされています。たとえば、S&Bの「カレーの世界史」や、ハウス食品の「カレーの世界史18世紀」などのサイトでは、そのような記述が見られます。

ウォーレン・ヘースティングズ(1732-1818)は、英国チャーチル出身の英国人です。1773年に英国がインドを植民地化してから初のインド初代総督となりました。総督になるまえは、東インド会社に入社したあとは、ムルシダーバード地区理事官、カルカッタ管区参事会参事、マドラス管区参事会参事、そしてベンガル知事をつとめるなどしてきました。


ウォーレン・ヘイスティングズ

ところが不思議なことに、ヘイスティングズがカレーの原料となる香辛料を1772年に英国に持ちかえったという英語圏での記述は、まったくといってよいほどありません。

インターネットで、["Warren Hastings" "curry"]と検索しても、目ぼしいサイトは、日本のS&Bのサイトの英語版や、日本人向けの英語の学習教材ぐらい。それらには「ヘイスティングズが英国にカレーを持ちかえった」という内容の記述が見られます。しかし、英国発の情報としてヘイスティングズとカレーをめぐる記述は見あたりません。

もうひとつ、ヘイスティングズが香辛料と米を英国に持ちかえったという説で疑問点となるのが、彼の英国への帰国時期です。

英国のカレーの歴史をめぐる日本での俗説では、ヘイスティングズは1772年に香辛料や米を英国に持ちかえったとされています。しかし、この年、ヘイスティングズは英国に帰っているのでしょうか。彼のさまざまな略歴には、1764年に英国からインドへ行き、そして、1786年にインドから英国に戻るという記録はあるものの、その途中の1772年に英国に一時帰国したという記述は見られません。

当時、インドから英国までの船旅はたいそうなものでしたでしょうから、1772年にベンガル知事をつとめたあと一時帰国をせず、そのままインド総督に就くのが、自然な流れではないでしょうか。

英国の料理著述家のローラ・ケリーさんは、彼女のサイトの「カレー粉の原点」(The Origins of Curry Powder)という記事で、1780年代にロンドンで出稿されたとする商用カレー粉の広告を示しています。そして、広告のなかでは、つぎのような記述があります。

「カレー粉とよばれる非常に貴重なこの食材は、かの有名なソランダーによって東インドから持ちこまれたものであり……」

ソランダーとは、スウェーデン出身の植物学者ダニエル・ソランダー(1733-1782)のことと考えられます。彼は1760年から英国に住みはじめ、1768年から1771年にかけて、英国の探検家ジェームズ・クック(1728-1779)率いる太平洋航海に参加するなどしています。

しかし、ソランダーが参加した航海では、船はインドに寄港していないため、広告の「かの有名なソランダーによって東インドから持ちこまれた」という記述には捏造の可能性があります。

どうして、日本では、ヘイスティングズが香辛料と米を英国に持ちかえったという記述がなされるのか。どうして、英国にはそうした記述が見られないのか。英国にカレーの材料を持ちかえったのはだれなのか。

謎は深まるばかりですが、「小史」をさきに進めます。

参考資料
S&B「カレーの世界史」
http://www.sbcurry.com/dictionary/world/
ハウス食品「カレーの歴史18世紀」
https://housefoods.jp/data/curryhouse/know/world/w_history02.html
New World Encyclopedia “Warren Hastings”
http://www.newworldencyclopedia.org/entry/Warren_Hastings#cite_ref-lyall29_4-0
Sir Charles Lawson “The Private Life of WARREN HASTINGS”
https://archive.org/details/privatelifeofwar00laws
The Silk Road Gourmet 2013年9月30日付 “The Origins of Curry Powder”
http://www.silkroadgourmet.com/curry-powder/

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18世紀半ば「インド流」カレーのレシピが英国に――カレーまみれのアネクドート(84)

このブログの連載「カレーまみれのアネクドート」では、おもに日本国内の店などで食べられるカレーの味を伝えています。このたびは趣をかえて、カレーの歴史を見てみます。

日本のカレーが、インドからでなく、インドとの深いかかわりがあった英国から伝わってきたというのはよく知られる話です。日本人とカレーのかかわりからすれば、インドから英国にその料理が伝わったことが大切になるわけです。では、どのように、インドから英国に伝わったのでしょうか。

18世紀、インドはイスラム帝国のムガル帝国の時代にありました。とはいえ、1600年には英国の特権会社だった東インド会社がすでに成立しており、18世紀には東インド会社が、フランスの勢力とも争いつつ、インドの植民地化を進めていました。

そうしたなかで、1747年、英国の料理著述家ハナ・グラッセ(1708-1770)が、『料理法の技術、平易で簡単に』(The Art of Cookery, Made Plain and Easy)という本を出し、そのなかで「インド流、カレーのつくりかた」というレシピを紹介しています。これが、英国で出版された料理書として初めて、インドのカレーが紹介された事例とされています。

1758年版の、カレーのつくりかたがインターネット上にあるので見てみます。


“The Art of Cookery, Made Plain and Easy”1758年版の“To make a Currey the Indian Way.”

「2つの小さな鶏肉を用意し、皮をはぎ、切って、フリカッセのため、きれいに洗い、約1クォート(1.136リットル)の水で、煮ること約5分間。煮汁をこし、鶏肉をきれいな皿に置いておく」

「大たまねぎ3個を切って小さくし、バター2オンス(約57グラム)で炒める。そして、鶏肉とともに茶色くなるまで炒め、ターメリック4分の1オンス(約7グラム)、大さじ1杯のしょうがとつぶしたこしょう、お好みで塩を少々、加える」

「これらすべてを、鶏肉に火を入れつつ煮る。煮汁をかけながら、30分ほど煮込み、クリーム4分の1パイント(約0.14リットル)、そしてレモン2個の絞り汁を加え、加熱する」

「しょうが、こしょう、ターメリックは砕けたものにすべし、とてもよい」

フリカッセとは、鶏肉などを煮込んだフランス料理のことを指します。ここでは「煮込むため」といった意味でしょう。

鶏肉やたまねぎといった食材、それにターメリックやこしょうといった調味料を使い、煮ていくといった調理法は、いまにも通じる一般的なカレーのつくりかたといえそうです。

このようにして「インド流」のカレーが英国で紹介されることになりました。

おなじ18世紀には、その後、香辛料と米がインドから英国へともちこまれ、「カレーライス」がつくられるようになります。つづく。

参考資料
S&Bカレー「カレーの世界史」
http://www.sbcurry.com/dictionary/world/
wikipedia“The Art of Cookery made Plain and Easy”
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Art_of_Cookery_made_Plain_and_Easy
wikipedia“Hannah Glasse”
https://en.wikipedia.org/wiki/Hannah_Glasse

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無花果と石榴、にてまったく非なるくだもの

ものに親しんでいないと、ふたつの異なるものを「これはどっちだっけ」とわからなくなったり、「おなじものなんでしょ」といって扱ったりしてしまうものです。

くだものの「無花果(いちじく)」と「石榴(ざくろ)」も、ふだん接していない人にとっては、混同してしまうものかもしれません。

無花果は、クワ科の植物で、高さ2メートルから4メートルほどの木になります。熟した果実がなるので、それを割ってなかの果肉を食べます。

無花果の原産地は小アジア。「無い花の果」と書くのは、白い小花をつけるものの外からは見られないためといわれています。日本には江戸時代、ペルシャから中国を経て長崎へと伝わり、その後、挿し木などにより各地に広がりました。日本でははじめ薬用でしたが、のちに食用になったようです。


無花果
写真作者:giffconstable

いっぽう、石榴は、ザクロ科の植物で、木の高さは3メートルや4メートルほどにもなります。ころころとした果実をつけて、それが熟すと裂けて、なかから種を見せます。種のまわりの皮を食べます。また、種を食べる人もいます。

石榴は、西アジア原産とされます。「石榴」と書くのは、古代西アジアの王国だったパルティア朝のアルサケスを、中国で「安石榴」または「石榴」と音訳したものとされます。日本には923(延長元)年に中国から伝わったとされています。


石榴
写真作者:Fir0002

実のかたちが、見た目どちらも玉ねぎのようであり、実を割いてなかのつぶつぶとしたものを食べるという点で、無花果と石榴はにています。

しかし、無花果の実の尖っている部分は枝のほうに接しているのに対して、石榴の実の尖っている部分は逆に地面を向いています。

食感についても、無花果のほうがよりじゅくじゅくした糊状のものであり、石榴のほうはつぶのひとつずつが個々にしっかりしている、といったちがいがあります。

植物学的にはまったく異なるといってよいほど。無花果のほうは、分類を小さいところから大きなところにさかのぼっていくと、「イチジク」「イチジク属」「クワ科」「バラ目」「バラ類」「真正双子葉類」となります。いっぽう、石榴のほうは「ザクロ」「ザクロ属」「ミソハギ科」「フトモモ目」「真正双子葉類」となります。真正双子葉類とは、被子植物の系統群のひとつです。

実が見た目にている。漢字で書くことができて、どこか和風っぽい。そして秋の季語である。こうしたことから無花果と石榴は「おなじような果物」と捉えられがちなのでしょう。インターネットの質問サイトには「ザクロといちじくの違いを教えてください」「ざくろといちじくはどうちがいますか?」といった質問が見られます。

参考資料
スーパー大辞林
ウィキペディア「イチジク」
https://ja.wikipedia.org/wiki/イチジク
ウィキペディア「ザクロ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ザクロ
ウィキペディア「真正双子葉類」
https://ja.wikipedia.org/wiki/真正双子葉類

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「元号がない年」は天皇の名で表記(2)
「元号がない年」は天皇の名で表記(1)

きのう(2016年)9月17日(土)の、このブログでは、元号がなかった時代のできごとがいつ起きたかを表すとき、西暦のほかに、天皇の名前を便宜的に使って、「604(推古天皇12)年」「645(皇極天皇)4年」「677(天武天皇6)年」などと表すことがある、という話をしました。

さて、歴史に詳しい人であれば、あたりまえのことかもしれませんが、この天皇の名前を使った年代の表しかたで興味深いのは、「在位初年にあたる年が、からなずしも元年ではない」場合があるということです。

たとえば、天智天皇の場合。645(皇極天皇)4年に、中臣鎌足(614-669)とともに豪族の蘇我入鹿(610-645)を暗殺した中大兄皇子(626-672)が、のちの天智天皇です。在位したのは668年からおよそ3年です。


『古今偉傑全身肖像』(1899年、東京造画館刊)における天智天皇像

天智天皇の在位した西暦668年には元号がありませんでした。そこで、西暦でない年の表しかたをするときは、天皇の名前で表すことになりますが、天智天皇の在位した年は、それでいうと「天智天皇7年」となります。つまり、天智天皇は天智天皇7年に天皇に在位したことになります。

おなじようなことは天武天皇でもいえます。天武天皇の在位は673年からのおよそ13年間。在位が始まった673年は、元号がなく、天皇の名前で表すと「天武天皇2年」です。

どうして、天智天皇の在位のはじめの年が「天智天皇元年」ではないのでしょう。どうして、天武天皇の在位のはじめの年が「天武天皇元年」でないのでしょう。

この謎には「天皇不在」がかかわっています。

天智天皇の一代前の天皇は、斉明天皇(594-661)年でした。在位は665(斉明天皇元)年から661(斉明天皇7)年。

いまの常識からすれば、斉明天皇が死んだ直後に、つぎの天皇が即位するはずです。順当に行けば、中大兄皇子が即位するはずですが、中大兄皇子は皇太子のままいつづけ、7年にわたり天皇不在となったのです。

皇太子などのつぎに天皇につくはずの人物が、天皇に即位せずに政務をつかさどることを「称制」といいます。中大兄皇子はおよそ7年にわたり称制をしました。そして、668年に天智天皇に即位したのです。

元号がないため、そのかわりに天皇の名前で年代を表さなければならない。しかし、天皇は不在となっている。そうした場合、この不在の期間を、つぎに即位した天皇の名前に「元年」をつけて「天智天皇元年」などとよぶわけです。

おなじように、天武天皇も天皇に即位したのは西暦673年2月27日でしたが、前年672年の7月23日に前代の弘文天皇が死んでから、半年ほどは天皇が不在でした。そのため、弘文天皇が死後から672年の終わりまでは「天武天皇元年」とよばれています。よって、天武天皇の即位した673年は、「天武天皇2年」となるわけです。


大和国矢田山金剛寺所蔵の天武天皇像

日本最初の勅撰歴史書である『日本書紀』では、神武天皇から持統天皇までの代の歴史を追っています。ここでは、天皇不在の期間は、次代の天皇の記述に収められており、そのはじめを「元年」としています。天智天皇や天武天皇などにおいて、即位年と「元年」が一致しないというのは、この『日本書紀』での表しかたに即したものであると推測されます。

「元年」とはならなかった即位の例としては、ほかに、持統天皇(645-702)の690(持統天皇4)年があります。了。

参考資料
ウィキペディア「天皇の一覧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/天皇の一覧
日本書紀について「天智天皇」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_27.html
日本書紀について「天武天皇」
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_28.html
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「元号がない年」は天皇の名で表記(1)


645(皇極天皇)4年の「乙巳の変」。左上は皇極天皇

雑誌やウェブなどの記事で、ある時期を示すとき、元号を記す場合と、西暦を記す場合と、両方を記す場合があります。とくに、外国のできごとと日本のできごとの両方が出てくる記事では、たとえば「1901(明治34)年」のように西暦も元号も記すことが、情報の伝えかたとしては親切といえます。

元号は、特定の年代につけるよび名のこと。日本では、西暦645年6月19日から650年2月15日までの「大化」がはじめとされています。歴史の教科書で習う、あの「大化の改新」の「大化」です。「改新」は、古い制度を一新することであり、「大化の改新」は646(大化2)年に行われました。その発端となった、中大兄皇子(626-672)と中臣鎌足(614-669)が豪族の蘇我入鹿(610-645)を暗殺した「乙巳の変」が起きたのは、前年645年の6月12日です。

日本で元号が使われ始めたのが大化であるとして、それより前から日本史はあります。西暦も元号も示す記事では、大化より前のできごとの記述についても、なるべく西暦も元号も記す方法とおなじようなかたちをとることになります。

そこで、よく見られるのが「天皇の名前を、元号を記すところにもってくる」という方法です。たとえば、聖徳太子(574-622)がつくったとされる「十七条憲法」が成立したのは西暦604年ですが、その年は推古天皇が在位してから「元年、2年、3年……」と数えて「12年」のことでした。そこで、記事では「604(推古天皇12)年には十七条憲法が成立した」などと書かれるわけです。

上の「乙巳の変」が起きたのも、元号が「大化」で始まる7日前のことになるので、「645(大化元)年」とはならず、在位していた天皇の名をとって、「645(皇極天皇)4年」となります。

「大化より前の元号では、天皇の名前をそのまま使っていたんだ」と思っている人もいるかもしれませんが、そうではありません。天皇の名を使っているのは、元号がなかったからであり、あくまで便宜的なものといえそうです。

ちなみに、大化のあとにも元号が使われなかった期間があります、大化が終わった649年から約51年間は、ふたたび元号のない時代となりました。その時代のできごとをあらわすときも、たとえば「677(天武天皇6)年」などと書かれます。

ただし、こうした天皇の名を使った年代の表記については、すこし謎めいたものもあります。つづく。

参考資料
ウィキペディア「大化の改新」
https://ja.wikipedia.org/wiki/大化の改新​
ウィキペディア「元号」
https://ja.wikipedia.org/wiki/元号

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「脳がオーバーヒート」のしくみが謎めく

写真作者:Ivan

「脳を酷使しつづけると、脳がオーバーヒートを起こす」とよくいわれます。「オーバーヒート」とは、なにかしくみをもつものが加熱することを意味します。脳がオーバーヒートするとき、脳でなにが起きているのでしょうか。

「オーバーヒート」ということばをそのまま捉えれば、「発熱する」ということになります。実際、脳を酷使しつづけると、からだが発熱することはあります。

極度の緊張するような仕事をしたり、あるいは人とけんかをしたりといった精神活動をしていると、高熱が出ることがあります。また、残業がつづくとか、介護づかれがつづくとかいった、精神的ストレスをいつも経験していても、熱が出ることがあります。これらによる熱を「心因性発熱」といいます。

風邪を引いたときには、病原ウイルスに対してからだを守るための反応として、脳が発熱を命令するために熱が出るという説明がつきます。しかし、心因性発熱については、どういうしくみで熱が出るのかまではわかっていないようです。

精神活動やストレスにより心因性発熱が起きる。でも、それで「脳がオーバーヒートする」という状況をすべて説明できるわけではなさそうです。よく「オーバーヒートした脳を休めるために眠る必要がある」などといいますが、心因性発熱が起きていなくても眠る必要はありそうですから、「脳のオーバーヒート」という表現は現象もあらわしていそうです。

脳には、からだが受けた刺激を伝えたり、からだに対して動く司令を出したりする、神経細胞などの細胞があります。脳の細胞が正常にはたらくためには、脳の細胞の状態が正常に保たれていなければなりません。

しかし、脳を酷使しつづけると、細胞の活動のために使われる化学物質などのバランスが狂っていってしまいます。すると、たとえば神経細胞による刺激の伝達は、正常のときよりもされにくくなります。

こうなると、いくら仕事をがんばってつづけようとしても、書類になにが書かれているのかわかりづらくなったり、文章を書こうとしても文が出てこなくなったりします。正常なはたらきをすることができる状態を脳が逸してしまっている状態といえましょう。

また、脳は、みずからのはたらきが低下すると、脳の外とつながっている回路をみずから切断して、はたらくのをやめる「ブロッキング」という現象を起こすこともいわれています。

「脳を酷使しつづけることによる、脳のオーバーヒート」について、あまり具体的な定義や説明が書かれている情報は見あたりません。脳のオーバーヒートは、「脳の活動によって、脳の細胞が使われつづけたため、細胞が正常な状態を保たなくなり、普段ならできる脳を使った活動ができなくなっていること」ぐらいの意味で捉えるのがよさそうです。

参考資料
九州大学病院心療内科「心因性発熱(ストレス性高体温症)について」
http://www.cephal.med.kyushu-u.ac.jp/psychogenic%20fever.html
近畿大学保健管理センター「睡眠について」
http://www.kindai.ac.jp/health/about/sleep/
テルモ体温研究所「発熱のメカニズム」
http://www.terumo-taion.jp/health/temperature/06.html
教えて!goo「脳は疲れない?」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7406101.html
香川大学石井研究室「周辺視目視検査法とは」
http://www.eng.kagawa-u.ac.jp/~ishii/
| - | 14:54 | comments(1) | trackbacks(0)
「ものの見かた」にはたらきかけて心の病を軽くする


精神的な病気には、うつ病、不眠症、依存症などさまざまなものがあります。こうした病気に対する治療のしかたとして、「認知行動療法」という方法がとりいれられています。

よく、「ものの見かた」とか「受けとめかた」などといいます。おなじ場面や風景にでくわしても、「さわやかだな」と感じる人もいれば、「もの悲しいな」と感じる人もいます。さらに、おなじ人のなかでも、時と場合により感じかたは異なってきます。

そうした「ものの見かた」や「受けとめかた」が「認知」であると説明されます。心理学では「認知」とは、人などが知覚のほか、推理や判断や記憶なども使って、知識を得ることを指します。

精神的な病気をもつ人の認知にはたらきかけて、その人の気もちを楽にする療法が認知行動療法です。

人には、なにかのできごとが起きたとき、それに対して心のなかで自然と浮かんでくる印象や考えがあります。ストレスを感じている人では、その浮かんでくるものはつい悲観的なものになってしまいがちです。そんなとき「悲観的に捉えているようだけれど、現実はそんな悲観的じゃないよ」といったことを確かめて、よりバランスのとれた考えかたを求めていきます。

国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センターのサイトには、認知行動療法の具体的な方法が紹介されています。かいつまむと、「患者と治療方針を立てるために面接をする」「生活のリズムをつけていく」「自動思考の根拠と反証を検証することで自動思考の偏りを修正する」「治療集結に進む」といった順番になっています。

このなかでも「生活のリズムをつけていく」うえでは、「日常的に行う決まった活動」「優先的に行う必要のある活動」「楽しめる活動ややりがいのある活動」のなかで、「楽しめる活動ややりがいのある活動」を増やしていくことが効果的とあります。

認知行動療法は、1950年代から1960年代にかけて起きた、論理療法や認知療法といった精神的な療法に端を発するといいます。これらは、気もちに不適切な反応が起きるのは思考のしかたに誤りがあるからで、それを修正すれば改善をはかれるという考えかたで共通しています。

参考資料
国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター「認知行動療法とは」
http://www.ncnp.go.jp/cbt/about.html
日本認知療法学会「うつ病の認知療法・認知行動療法(患者さんのための資料)」
http://jact.umin.jp/pdf/cognitive_patient.pdf
ウィキペディア「認知行動療法」
https://ja.wikipedia.org/wiki/認知行動療法
| - | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0)
空気感染もするはしか、有効策はワクチン摂取
はしかの感染が国内の一部の地域で広がっています。(2016年)9月13日(火)の報道では、はしかの患者は82人になったそうです。

はしかは、当て字で「麻疹」とも書きます。また「麻疹」を素直に読んだときの発音である「ましん」ともよびます。「はしか=麻疹=ましん」というわけです。

はしかは、麻疹ウイルスにより引きおこされる感染症です。感染力は高く、感染者に触れることなどによる接触感染や、くしゃみなどによる飛沫感染だけでなく、飛びちったウイルスが空気によって運ばれて、ほかの人の皮膚についたり、呼吸によって体のなかに至ったりして感染する空気感染によっても広がります。


はしかのウイルス
画像作者:Cynthia S. Goldsmith Content Providers(s): CDC/ Courtesy of Cynthia S. Goldsmith; William Bellini, Ph.D. 

免疫をもっていない人が感染すると、ほとんどの人で症状があらわれます。潜伏期間は感染から10日ほどと風邪よりも長くあります。症状は、発熱やせきや鼻水などの風邪のような状態から現れ、2、3日後には39度ぐらいの高熱となり、さらに発疹が現れます。また、排煙や中耳炎、さらに深刻になると脳症などを引きおこします。

いっぽう、はしかに一度かかると免疫がつくられ、はしかに対する免疫の効果は一生つづくと考えられています。

空気感染が強力であり、手を洗ったりマスクをつけたりといった風邪やインフルエンザへの対処法だけでは、予防はできないとされています。そこで、ワクチンを摂取することが有効な予防策となります。

はしかとにたよび名の病気に「三日ばしか」があります。こちらはまたの名を「風疹」ともいいます。軽いはしかのような症状がでますが、3日もあれば治るため「三日ばしか」とよばれています。潜伏期間は感染後14日から21日と、はしかよりもさらに長くあります。

「たしか子どものころ、はしかにかかったんじゃないかな」と思っている人たちには、「三日ばしか」にかかっていたのと記憶ちがいしている人もいることでしょう。三日ばしかにかかったからといって、はしかの免疫を獲得できたことにはなりません。

2006年からは、はしかのワクチンと、三日ばしかのワクチンを混合した「麻疹・風疹混合ワクチン」が病院での予防接種で使われるなどしています。どちらにかかったかわからなくなった人も安心です。やはりワクチン接種が、有効な予防策といえそうです。

参考資料
NHK NEWS WEB「はしか『局所的な流行状態』専門家 患者は82人に」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160913/k10010684321000.html
厚生労働省「麻しん(はしか)に関するQ&A」
http://www.mhlw.go.jp/qa/kenkou/hashika/index.html
国立感染症研究所「風疹Q&A(2012年改訂)」
http://www.nih.go.jp/niid/ja/rubellaqa.html
日本大百科全書「空気感染」
https://kotobank.jp/word/空気感染-482322
語源由来辞典「はしか」
http://gogen-allguide.com/ha/hashika.html
| - | 20:29 | comments(0) | trackbacks(0)
リーダーシップを共有する



集団を率いる者としての任務や、その能力を「リーダーシップ」といいます。リーダーシップというと、たいてい、その集団のなかの一人が発揮するものと考えられがちです。しかし、「複数の人がリーダーシップをもつ」という考えかたもあります。

たとえば、「共有型リーダーシップ」という考えかたがあります。コーチングを職業とするマーシャル・ゴールドスミスは、「共有型リーダーシップとは、組織における人びとに専門領域におけるリーダーシップを発揮する権限や機会をあたえることによって、組織における人的資源のすべてを最大化することである。リーダーシップへの要求が高まる複雑な市場では、多くの場合、個人がうけおう仕事は大きくなりすぎている。共有型リーダーシップは簡単なことではないが、可能である。そして、多くの場合は成功をみちびくものである」と述べています。

たとえば、企業によっては「最高経営責任者」(CEO:Chief Executive Officer)と「最高執行責任者」(COO:Chief Operations Officer)という役職があるところがあります。

最高経営責任者は、その会社のすべての業務を統括する役職にある人のこと。かんたんにいえば「社長さん」です。

いっぽう、最高執行責任者は、その会社で事業の運営を統括する役職にある人のこと。かんたんにいえば「実行部隊長さん」です。

いわゆる「ワンマン社長さん」が社員を率いるような企業では、リーダーシップを発揮するのは一人だけとなります。いっぽう、最高経営責任者のほかに、最高執行責任者がいて権限をあたえられているような企業では、リーダーシップを発揮する人は複数人ということになります。

しかし、最高経営責任者が集団のリーダーとして集団で実現したいことをもっているとして、それを共有型リーダーシップで実現させようとするのは、なかなかむずかしいものもありそうです。権限委譲をした相手が自分の考えかたとことなる考えでものごとを進めていったら、方針をめぐる対立が生じかねません。

ですので、共有型リーダーシップをとるときには、まず、ふさわしい人物に権限をあたえることが大切とされます。また、意思決定の権限をどこまでもたせるか、その範囲を明確にしておくことも大切とされます。権限をあたえた相手が権限の範囲内ですることについては、あとになってとやかく言わないという潔さも要りそうです。

“ゆずりあい”の度合が強いとされる日本の組織では、問題が起きたときにだれが責任をとるのかといったことについても、共有型リーダーシップでは課題になりそうです。

「共有型リーダーシップの体制で集団を運営しよう」と考えるのは、おそらく最高経営責任者、あるいはその組織でいちばんえらい人でしょう。すると、やはりいちばんえらい人がリーダーシップをもっているかどうかが、共有型リーダーシップを成功させる大きな要因になりそうです。

参考資料
マーシャル・ゴールドスミス「リーダーシップの共有が組織と人を強くする」DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2013年9月30日 
http://www.dhbr.net/articles/-/2131
On Leading Well 2010年6月9日付 “What Is Shared Leadership?”
http://www.onleadingwell.com/2010/06/09/shared-leadership/
Wikipedia “Shared Leadership”
https://en.wikipedia.org/wiki/Shared_leadership
マイナビニュース「CEOやCOOってどういう意味?」
http://news.mynavi.jp/news/2013/10/25/044/

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「バンタイ」のゲンキョワンガイ――カレーまみれのアネクドート(83)


タイ料理のカレーというと、ココナッツミルクが多く使われ、甘さと辛さが一体化している印象をもつ人は多いでしょう。そして、汁の色は青唐辛子による緑色。

東京・歌舞伎町にあるタイ料理店「バンタイ」で出される鶏肉入りグリーンカレーも、まさにそうしたタイカレーの印象カレーを地で行くようなカレーといえます。

店は歌舞伎町一番街の入口から入ってすぐの建てものの3階にあります。昼時は、店の評判を「食べログ」などで聞きつけてか、女性客が多め。一人客もかなりいます。店の名前「バンタイ」は「タイの家」という意味です。

接客する店員はタイ人たち。タイ語も飛びかいます。床は木目調で、いすや食卓も木製で彫りをあしらった本格的なもの。創業は1985年といいます。

緑色のカレーの名前は「ゲンキョワンガイ」。「ゲン」は汁気のあるカレーのことで、「キョ」は「緑」の意味。また「ワン」は「甘い」を意味します。さらに「ガイ」は「鶏」。合わせて「鶏の甘い緑の汁カレー」となります。

ランチでは、これにライス、サラダ、香草が入ったスープ、ココナッツミルクに入ったタピオカがついてきます。

汁は、スプーンですくって食べるごとに、はじめはココナッツミルクの甘さが、そしてその後、唐辛子などの香辛料の辛さが波状にやってきます。しかし、サラダやスープなどを食べると口のなかの辛さは一旦、取りのぞかれ、ふたたび「甘い」「辛い」を味わうことに。

当然ながらタイでのカレー「ゲーン」の味は、タイでの主食である米との関係性のなかでできあがっていったのでしょう。この店でも、料金を追加すればライスにタイ米を選ぶことができます。汁や鶏肉のうまみと、タイ米の香ばしさがよく合っています。

カレーの具は、ほかになす、パプリカ、ピーマンなど。どの具も一口では食べられないくらいの大きさです。

日本におけるタイ料理の王道を行くような、緑色のカレーといえましょう。タイ国料理バンタイのホームページはこちらです。
http://ban-thai.jp
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「茎」は「根」を支えないが「歯茎」は「歯根」を支える

写真作者:Steve Snodgrass

「ぎくっとする」や「ぎっくり腰」といったことばから思いおこされるのでしょうか、「歯茎(はぐき)」ということばには、どこか“びっくり感”や“どっきり感”が漂っています。「はぐき」とあらためて発音してみます。2文字目が「ぐ」という濁音文字であることが、このことばのひょうきんさを強めているのかもしれません。

そもそも、どうして「歯茎」は「歯茎」とよばれているのでしょうか。

「歯茎」ということばにおける「歯」と「茎」の関係性は、おそらく「歯の茎」または「歯にとっての茎」ということになるでしょう。

では、「茎」とはなにかというと、国語辞典には「植物体を支え、根から吸収した水分や養分を師部・木部を通して各部に運ぶ、軸上構造の器官」とあります。

ここで大切になるのは「植物体を支え」という部分です。「歯」を「植物体」と置きかえれば、「歯茎」は「歯(という本体)を支える器官」となりますから、「茎」のような役割をしているのが「歯茎」であるということで、しっくりきます。

しかし、「歯茎」ということばを、歯にかかわるべつのことばとの関係のなかであらためて考えると、やや違和感が残るという人もいるかもしれません。なぜなら、歯の根元を指すことばに「歯根」があるからです。

「歯根」は、歯茎のなかに埋まっている歯の部分をいいます。「根」ということばは、「地中のなかに伸びて植物体を支える部分」といった意味で使われているので、「歯根」ということばを単独で考えると、このことばについては多くの人はしっくりくるでしょう。

けれども、「歯茎」と「歯根」の関係で考えてみると、その関係はこじれたものとなります。なぜなら「茎」のなかに「根」が埋まっていることになるからです。

植物体では、ふつう茎と根は連続的なものであり、「茎の先に根がある」あるいは「根よりも上にあるのが茎」といった見かたをします。「歯茎のなかに歯根がある」というのは、植物体の部位の位置関係からするとおかしなことになってしまいます。

「歯根」中心に考えると、「歯茎」はむしろ歯根や歯の本体を囲んでがっちり支える、植物体にとっての「地面」のようなものといえなくもありません。

実際、愛知県東部の三河地方の方言では、歯茎のことを「根地(ねち)」とよんでいるそうです。「地面」と近い意味で使われているものと考えられます。こちらのほうがしっくりくる人もいるのかもしれません。

そもそも、どうして「歯根」という「根」を支える器官のよびかたが「歯茎」つまり「茎」なのでしょうか。

これは推測の域を出ていませんが、もともと「歯茎」ということばのほうが「歯根」より先にあったものと考えることができます。「歯茎(はぐき)」は「歯(は)」や「茎(くき)」と発音することからわかるように和語からなることばです。いっぽう、「歯根(しこん)」は、「歯(し)」「根(こん)」ともに漢語でなりたっていることばです。

一般的に、和語からなることばは、漢語からなることばよりも、古くから存在する傾向があります。おそらく、江戸時代以前から「歯茎(はぐき)」ということばは「歯の本体を支えるところ」という意味で人びとに使われていたのでしょう。

しかし、その後、西欧医学が日本に入ってきたとき「歯根」という概念も入ってきて、それに対応する日本語をつくりださなければならなくなった。そこで日本人のだれかが、「歯茎」ということばとの関係を無視して、漢語からなる「歯根(しこん)」ということばを新しくつくったのではないでしょうか。

参考資料
『スーパー大辞林』
ウィキペディア「三河弁」
https://ja.wikipedia.org/wiki/三河弁
| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0)
知識欲が必然的に科学を進める


人には個人差があります。体操の得意な人もいれば、平面図を立体的に想像するのが苦手な人もいます。

欲の深さにも個人はあります。それは、どちらかというと、生まれながらにあるものというより、生きていくなかでできていくもののようではありますが。

欲には食欲、睡眠欲、性欲といろいろありますが、知識欲もあります。自分の知らないことを「知りたい」と感じているときの欲です。そして、この知識欲こそが、とくに科学の分野で研究成果がつぎつぎとわいてくる源泉にもなります。

「本当はどうなっているのかを知りたい」
「研究によってそれを知ることができた」
「ところが、それによりまた知りたいことが生まれてしまった」
「よし、さらに研究をやって、それを知ろう」

このように、知れば知るほど謎が膨らんでいくのが、科学の正体とされています。すべての物理を記述することのできる大統一理論を発見したとしても、ひょっとするとその時点が人間の「知る営み」の新たな出発点になっているのかもしれません。

そんなわけで、知れば新たに知りたいことが出てくるわけですから、科学はどんどん進んでいくことになります。人間のような推論や判断の能力をもつ人工知能も、遺伝子の切断や改編を可能にするゲノム編集も、相当な部分は「やってみたらどうなるか知りたい」という研究者の知識欲によって進んでいるもののはずです。

知識欲が強い人は、こうしてどんどんと人ができることの範囲を広げていきます。その人に知能の高さもあれば、さらにその加速度は増すでしょう。あるいいは、その人に財力もあれば、科学者などの人を雇えるので、やはりその加速度は増すでしょう。

いっぽうで、知識欲が人びとのなかで普通ぐらいにしかない、あるいは普通ほどさえないような人びとは、科学の進歩を受ける側にまわることになります。もちろん科学の進歩を受けるほうのが側にいる人のほうが、大多数です。

つまり、ごく一部の、知識欲と知能あるいは財力を兼ねそなえたような人たちによって科学は進歩し、そこから生まれる技術も進歩していくことになります。その進歩のしかたは、知識欲が人並みなひとからすれば「え、こんなことができるようになっちゃったのか」と驚くほどであることは当然となります。

科学があまりに進歩しすぎるあまり、倫理的な問題が現れることがあります。倫理的問題に敏感な人や、倫理的問題を議論することを大切にする人は、進歩しすぎる科学に「待った」をかけようともします。

しかし、知識欲の高い人の知りたい心は、そうした歯止めをもってしてもなかなか止まるものではありません。食欲や睡眠欲に抗いがたいのとおなじように。

これからも科学は倫理的問題から設けられる歯止めを突破するようなかたちで進んでいくことになるでしょう。人は後もどりすることができないのです。
| - | 17:46 | comments(0) | trackbacks(0)
研究機関の知名度の差に「広報が必要か」のちがい

宇宙航空研究開発機構筑波宇宙センター
写真作者:Tnk3a

日本には「独立行政法人」とよばれる法人の種類があります。省庁から分離し独立した法人であり、省庁が担っていた役割の一部を担っています。

独立行政法人のなかでも、おもに研究開発を担う法人は「国立研究開発法人」とよばれます。2014年の「独立行政法人通則法の一部を改正する法律」の施行で、2015年4月から、そうよばれるようになりました。

国立研究開発法人の数は30以上。そのなかには、人びとによく知られている組織もあれば、そうでない組織もあります。

よく知られている組織は、理化学研究所、国立がん研究センター、宇宙航空研究開発機構(JAXA)あたりでしょうか。

よく知られている組織は、どうしてよく知られているのか。その理由はさまざまです。

たとえば、理化学研究所については、2015年のSTAP細胞問題によって科学にあまり関心のなかった人びとの関心までもが高まったり、その年末から2016年にかけての、113番元素の命名権獲得の話題で今度は快挙として人びとの話題になったりと、つぎつぎ発表される“研究結果”で話題に欠きません。

国立がん研究センターについては、このセンターの病院で患者としてがんの治療を受ける人も多くいます。一般の人びととが直接的に接する部分が大きいということが、よく知られている理由としてあるでしょう。

さらに、社会に知られるかどうかを決める大きな要因となるのが広報への力の入れかたです。「私たちの研究所では、こんな研究をしています」ということを、催しもの、パンフレット、ホームページ、また報道発表や取材対応などで、広めるわけです。

たとえば、宇宙研究開発機構が社会に知られるのは、研究対象分野が社会の興味をひきやすい宇宙開発であることもあるでしょうが、広報活動に力を入れてきたことも大きいでしょう。

とりわけ広報に力を入れなければならない組織は、社会の理解や応援を得ることが大切な分野を研究しているところです。たとえば、宇宙航空研究開発機構のおもな研究分野である宇宙開発は、地球で暮らす人びとに「なんの役に立つのだろう」と疑問にもたれやすい分野。そこで、広報活動で「宇宙を開発することのすばらしさ」などを社会に伝えつづけなければなりません。

いっぽうで、さほど知られていない、またはほぼ知られていない国立研究開発法人があります。そうした組織は、やはり逆に広報活動が活発ない傾向はありそうです。研究や開発を進めていくにあたり、「社会の理解や応援を得る必要はあまりない」と考えているのかもしれません。

あるいは、マスメディアへの対応をしすぎると、組織を管理している省庁から「ですぎたまねをしおって」と白い目で見られてしまいそうだからといった、消極的な理由もあるのかもしれません。

取材を申しこむ記者にとっても、あまりこれまで各種記事などに登場しない組織については、「取材に応じてもらえる確率が低いのかもしれない」と思いながら臨むほうがよいこともあります。

参考資料
ウィキペディア「国立研究開発法人」
https://ja.wikipedia.org/wiki/国立研究開発法人
| - | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0)
薬も運んでしまう運び屋をどうにかしたい

細胞膜の模式図
画像作者:140264jd

「膜輸送体」とよばれるたんぱく質への注目が高まってきています。薬の開発にかかわる大切なはたらきをもっていることがわかってきたためです。

人などの生きものの体には「膜」があります。細胞を囲む細胞膜などです。こうした生体膜を、膜輸送体は突きぬけることができます。そして「輸送」ということばがふくまれていることからもわかるように、膜輸送体は生体のなかにあるさまざまな物質を、生体膜を通りぬけて運ぶことができます。

膜輸送体は、生きものにとって栄養となる物質や、生きもののからだの状態を調整するホルモンなどを運びます。生きものが生きていくうえでは、これらのはたらきはとても重要になります。

しかし、膜輸送体は、クロネコヤマトなどとちがって、運ぶ物質をあまり区別しません。たとえば、薬となる物質も膜輸送体は膜を通りぬけて運びます。薬となる物質のつくりは、栄養となる物質などとにているため、膜輸送体は薬となる物質を、ほかの体内の物質とおなじように扱って運ぶのです。

薬の開発にとって、こうした膜輸送体のはたらきは厄介なものとなります。からだのある部分に対して効くような薬をつくっても、それを膜輸送体がその薬の物質をほかのところへと運んでしまうことがあるからです。

薬の開発では、候補となる物質のほとんどに問題が起きて、開発中止となってしまいます。その原因のうちのかなりの部分が、膜輸送体の“誤送”によるものではないかと考えられています。

そこで、膜輸送体のはたらきをじゃまするような薬を使って、もともと望んでいた効き目を生じさせるといった研究開発がいたるところでおこなわれています。

たとえば、ある種の肺がんに対する治療薬に耐性、つまり使いつづけていると効かなくなってしまう性質があることが問題となっていました。研究者がその原因を調べると、ある種の膜輸送体が現れすぎて、がん治療薬をがん細胞の外側に運んでしまっているからということがわかりました。

こうした問題をひきおこす膜輸送体の阻害剤を開発することが、創薬では大切であるとわかってきたわけです。

参考資料
ウィキペディア「膜輸送体」
https://ja.wikipedia.org/wiki/膜輸送体
ジェノメンブレン「トランスポーターとは」
http://www.genomembrane.com/Transporters.html
医療NEWS 2016年1月5日付「ALK陽性肺がん治療薬耐性の原因発見 日本医療研究開発機構」
http://www.qlifepro.com/news/20160105/cause-the-discovery-of-alk-positive-lung-cancer-treatment-drug-resistant.html
| - | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0)
虫たちの送粉がもたらす日本農業の恩恵はおよそ4700億円



「人間たちのために」などといったことは考えいないでしょうが、虫などの小動物たちは、人にとっての恩恵をもたらすような「送粉」の営みをしています。

送粉とは、植物のめしべについている花粉を運んで、おしべに受粉させること。そして、送粉を営む動物を「送粉者」といいます。

たとえば、いちご、りんご、もも、なしなどの果物や、きゅうり、なす、たまねぎなどの野菜は、ミツバチによる送粉や受粉によって作られる面があります。

人も手を使って、これらの植物に対して受粉させるができますが、手間がかかります。人のかわりにミツバチが受粉のための作業をしてくれていると、人は考えているのです。

人が生態系から提供を受けるさまざまな資源や機能のことを「生態系サービス」といいます。生態系サービスのうち、花粉が運ばれることなどによるものを「送粉サービス」といいます。

では、送粉サービスにはどのくらいの価値があるのでしょうか。

農業環境技術研究所は(2016年)2月、「農作物の花を訪れる昆虫がもたらす豊かな実り 日本の農業における送粉サービスの経済価値を評価」という発表をしました。

研究所は、送粉者たちが日本の農業にもたらしている、送粉サービスでの利益の経済価値を推定したのです。すると、2013年の時点で、およそ4700億円だったとのことです。これは、日本における植物を利用しておこなう農業の産出額およそ5兆7000億円の8.3%にあたる額です。

どのように具体的に4700億円という額を出すことができるのか。研究所は、フランスの環境経済学者ニコラ・ガライが2009年に発表した「送粉者の減少に直面する世界農業の脆弱性の経済価値」という論文で使っている試算方法を使ったとのこと。この方法は、農作物が実をみのらせるとき、それがどのくらい虫の総分に依存しているかを0から1の数であらわし、作物ごとに年間生産額をかけ算して合計額を求める、というものです。

4700億円の価値のうちの7割ほどが、野生の送粉者によるものでした。いっぽう、マルハナバチなどの人が意図的に使っている送粉者による価値は3割にとどまりました。

虫たちは、花の蜜などを求めて植物のまわりを飛びまわりますが、そのとき自分のからだに花粉がついてしまいます。「めしべの花粉をおしべにつけるぞ」といった目的はおそらくありません。人間にとって送粉者たちは、じつにありがたい存在といえます。

参考資料
農業環境技術研究所 2016年2月4日発表「農作物の花を訪れる昆虫がもたらす豊かな実り 日本の農業における送粉サービスの経済価値を評価」
http://www.niaes.affrc.go.jp/techdoc/press/160204/
ウィキペディア「送粉者」
https://ja.wikipedia.org/wiki/送粉者
ウィキペディア「生態系サービス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/生態系サービス

| - | 15:58 | comments(0) | trackbacks(0)
油井さんレモネード、大西さんコーヒーなどを摂る

NASA

いまは2010年代のなかごろ。この時代に宇宙で仕事をしている宇宙飛行士たちは、どんなものを食べているのでしょうか。

2015年7月から12月まで、国際宇宙ステーションで科学実験などの仕事をしてきた油井亀美也さんは、ステーションからの動画の報告で「レモネードとごはんのつくりかた」を紹介しています。

レモネードのほうは、レトルトパウチの容器の口に給水装置から水を入れて飲めるようにしています。容器には、おそらく粉が入っているのでしょう。

また、ご飯のほうは、透明の容器のなかに乾燥させたご飯が入っており、おなじ給水装置から今度は80度のお湯を100ミリリットル入れています。そして容器を振って、ご飯とお湯をよく混ぜてから30分、待って食べるのだそう。

油井さんはほかにも「宇宙パン」や「宇宙鯖の味噌煮」などを食べたと、ツイッターで伝えています。「宇宙鯖の味噌煮」とは、マルハが開発したもので、飛びちらないように汁に地球で食べるものよりも粘り気をもたせているといいます。オーブンレンジでも使われる過熱水蒸気で水分を減らしているようです。

なお「宇宙日本食」は2008年から、ステーションでの食品に加えられました。

2016年7月から国際宇宙ステーションで仕事をしている大西卓哉さんは、好物であるコーヒーを1日2杯、それに緑茶、紅茶、レモンティーなどのお茶を日がわりで1日1杯、飲めるようにしてもらっているそうです。

ほかにも、乾燥フルーツや乾燥肉などの半乾燥状態の食べもの、もともと乾いているナッツやクッキーなどの自然形態食、それにリンゴやバナナやセロリなどの新鮮な食べものも国際宇宙ステーションで、宇宙飛行士たちに食べられているようです。

また、塩、こしょう、ケチャップ、マスタード、マヨネーズ、さらにチリソースやタバスコといった調味料もあります。ただし、粉として飛びちらないよう、塩やこしょうは液体になっているそうです。

地上のレストランや食卓とちがって、すべてが皿のうえに盛られた「料理」というわけにはいかないものの、それでも宇宙飛行士たちは、食べることによってエネルギーを得たり、ストレスを解消したりしているのでしょう。

参考資料
宇宙航空研究開発機構「『宙亀通信』(Vol.23) ISS探検ツアー 米国実験棟『デスティニー』編」
https://www.youtube.com/watch?v=cYxzz_FpvOM&feature=youtu.be&t=4m38s
ファン! ファン! JAXA「時速28,000キロのキッチン 宇宙で食事どう作る? 何食べる?」
http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/7731.html
朝日新聞 2007年8月9日付「日本製『宇宙食』を食べてみた」
http://www.asahi.com/komimi/TKY200708060118.html
宇宙食の種類
http://iss.jaxa.jp/spacefood/overview/category/
| - | 19:17 | comments(0) | trackbacks(0)
自分に直接は返ってこなくても報われる

写真作者:rachel_pics

人は、だれかから受けた行為に対して、たいていなにかしらの反応を示します。行為を受けてから短い時間のうちには、反射運動のような具体的な反応もあります。

いっぽう、より長い時間をかけての反応となると、抽象的ですが、人は「報いる」ことがあります。

「報いる」とは、受けた恩や、払われた労力などに対して、ふさわしいお返しをすることを指します。酷い目にあわされたために仕返しをする、というときにも「報いる」は使いますが、国語辞典などでは第一に、よいことに対してのお返しのほうが載っています。

では「ふさわしいお返し」とはどんなことになるでしょうか。

もちろん、だれかから、自分にとって価値になるようなことをしてもらったら、その人に対してその価値に見あうようなお礼をするというのは「報いる」ことの典型ともいえる例です。たとえば、スポーツ競技で監督に指導を受けて代表選手になった人が、目標の大会で優勝を果たせば、監督からの指導に報いることができたといえるでしょう。

しかし、報いかたは、人から受けた恩をその人に返すというだけでないのが、人間のいわくいいがたい心理を示しています。

たとえば先輩から、なにかの知識や技術を教えてもらうようなことがあるとします。会社の先輩から仕事のしかたを教えてもらう。部活動の先輩からシュートの技術を教えてもらう。劇団の先輩から発声のしかたを教えてもらう。このようなことです。

それに対して、教えてもらったしかたで仕事ができるようになったのを先輩に見せた、教えてもらったシュートの打ちかたでゴールを先輩に見せた、教えてもらった発声のしかたで声量が増したのを先輩に見せた、ということも「報いた」ことになるのでしょう。

しかし、先輩から後輩である自分に教えてもらったそれらの知識や技術を、自分が先輩としてまたべつの後輩に教える、という行為をもってしても、「報いた」ということになると一般的に考えられています。

つまり、「ふさわしいお返し」というのは、恩を恵んでくれた当人に直接的にしなくても、なりたちうるということを意味します。

先輩の立場からすれば、自分が後輩に教えたことが、さらに下の代の後輩に受けつがれていることを感じることができれば、「教えた甲斐があった」つまり「報われた」ということになりうるのです。

長いあいだ、優秀な成績を保ちつづけるような組織には、この先輩からの教えてもらったことを、後輩に教えることで先輩に報いるという、行為と心理の連鎖があるのではないでしょうか。
| - | 14:02 | comments(0) | trackbacks(0)
「……の時期と台風の接近が重なるため高潮」はけっこう起きやすい

1959年の伊勢湾台風で浸水した街のようす

台風がいくつも日本列島に近づいてきます。台風の情報では、よく「大潮の時期と台風の接近が重なるため、高潮による浸水や冠水のおそれがあります」という表現を聞きます。もちろん、聞かないときもありますが、「大潮の時期と台風ってよく重なるよなぁ」とあらためて感じる人もいるかもしれません。

大潮とは、1日のなかで、海水面が低く下がりきった干潮のときと、潮が満ちて上がりきった満潮のときの差がとても大きい現象のことをさします。地球上の海水は、月や太陽などの引力に影響を受けて干満をくりかえしますが、太陽、月、地球の位置が直線上に重なるとき、1日の干満差がもっとも大きくなります。

太陽と月と地球が一直線上に重なるのは、1か月にほぼ2回。「太陽-月-地球」の順で並ぶ新月のときと、「太陽-地球-月」の順で並ぶ満月のときです。つまり、およそ日にして15分の1ぐらいの確率で「大潮の時期と重なる」ことになるわけです。

さらに、太陽や月との位置の関係から、春分や秋分のときの大潮がもっとも大きくなります。秋分のころは台風が来やすい時期であるため、より「大潮の時期と重なる」が強調されます。

また、大潮でなくても、1日のなかで満潮と干潮は起きます。自転する地球のなかで、その場所が月に近づいたとき引力の影響をもっとも大きく受けるので、海の潮位が上がりきる、つまり満潮になります。満潮は1日2回おきます。

台風の情報では「満潮の時期と台風の接近が重なるため」という表現もなされています。

「大潮の時期」または「満潮の時期」のどちらかと台風の接近が重なる場合というのは、かなり起きうることになるので、大潮を満潮を一緒くたに捉えて、「大潮の時期とよく重なるよなぁ」と思うのかもしれません。

台風は低気圧ですので、海水面が引きあげられ、高潮になることがあります。大潮または満潮の時期と重なると、さらに海水面が引きあげられます。高潮になると、浸水や冠水も起きやすくなるので、警戒が必要です。

参考資料
気象庁「潮汐の仕組み」
http://www.data.jma.go.jp/kaiyou/db/tide/knowledge/tide/choseki.html
ブリタニカ国際大百科事典「大潮」
https://kotobank.jp/word/大潮-39239
宇宙科学研究所キッズサイト「宇宙ワクワク大図鑑 月」
http://www.kids.isas.jaxa.jp/zukan/solarsystem/moon01.html
| - | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0)
「よくなっちゃった……、どうしよう」


人は、自分が“明言”したことについては、できるかぎりその状態が保たれるように願うものかもしれません。かんたんにいうと、「言っちゃったことは変えたくない」ということです。

しかし、ときにそうした人の性が、心理をおかしな方向に導くことになります。

たとえば、家電製品の修理という状況で、その「おかしな方向」が見られます。

使っているテレビの映りが悪くなってしまったとします。画面がちらちらとしています。叩いたり、いったん電源を切ってからまたつけたりすると、直ることもありますが、また、ちらちらしはじめます。

「こんな映りのテレビはいやだ」と思い、元どおりに映るようになることを願って、電気店に修理の相談の電話をするとします。

依頼人「うちのテレビが、ここ何日かちらちらして調子が悪くて。ちょっと見てみてくれませんか」
電気店「はいわかりました。では午後に参ります」

さて、この時点から、修理を依頼した人の心理は、「おかしな方向」に導かれていきます。

「まったく、いやだなぁ。ちらつき、直らないかなぁ」。そんな思いで電気店が午後に来るのを待ちながらテレビを見ていると、どういうわけか画面のちらつきがなくなってしまいました。

「あれ、よくなっちゃった……、どうしよう」

修理を依頼した人は、電気店に「ちらちらして調子が悪くて」と明言し、さらに電気店に来てもらう約束までしてしまっています。画面のちらつき状態が続いていないと「まずいこと」になるわけです。電気店に来てもらっても、「あれ、画面のちらつき、ないじゃないですか」と言われてしまうのですから。

過度に相手に対する申しわけなさを感じる人は「画面のちらつきをどうしたら起こせるか」を考えはじめることでしょう。

本来、修理を依頼した人が望んでいる「理想状態」は、「画面のちらつきがなくなり、元のようにテレビを視られること」だったはずです。しかし、いまやその「理想」をどがえしして、「ちらついていないとまずい」という心理に至ってしまいました。

これは、「テレビを直してもらう」という大きな目的よりも、「電気屋に来てもらいテレビの症状をみてもらう」という小さな目的のほうが、故障を依頼した人にとって優先事項になっている心理状態と解釈することができます。
| - | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0)
沈黙は金、雄弁は銀

写真作者:Sean MacEntee

「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざがあります。「沈黙のほうが、雄弁よりもまさっている」ということをたとえたものです。

ことわざは得てして外国から輸入されてくるもの。「沈黙は金、雄弁は銀」も他聞にもれず、スイスにあったドイツ語の碑文を、英国の歴史家トーマス・カーライル(1795-1881)が、著書『衣装哲学』で“Speech is Silver, silence is golden.”として触れたものとされます。

このことわざは、表面上は「沈黙のほうが雄弁よりまさる」といっているだけで、どういう場面における、だれの沈黙や雄弁のことかまでは、書かれていません。「総じてそういうものだ」ということであれば、そのとおりなのでしょうが……。

いまの日本人の感覚からすれば、「たくさんのことを人びとにしゃべりまわっている人より、ただ黙ってなにかに打ちこむ人のほうが価値が高い」といったところになるでしょうか。

いっぽう、こんな考えかたもできます。「雄弁と沈黙」の関係を「人間と無生物」の関係と考えるのです。

たとえば、とりわけ「安全第一」を重視する企業で、社員に「安全第一」の大切さを身につけてもらうためには、どうすればよいでしょうか。

「雄弁」的な方法をとるとすれば、会社の人が「安全第一のための手引き」のような資料を用意して配り、研修会で安全学の講師に講演してもらい、職場の長が朝礼のたびに「今日も安全第一で作業しましょう」と声かけをする、といったことになるでしょう。

これに対して「沈黙」的な方法もあります。それは、過去にその企業で起きた、安全を脅かすような事故の残骸などを、社員の目につくところに置いておくのです。たとえば、重大な死亡事故が起きたときの設備や機器の残骸を展示するといったことです。

たとえば、日本航空は、東京・羽田空港の「JAL M1ビル」の「日本航空安全啓発センター」内に、1985年8月に起きた「日航機墜落事故」での123便の後部圧力隔壁や後部胴体、コックピット、乗客の遺品などを展示しています。日本航空は、安全啓発センターを「事故の教訓を風化させてはならないという思いと、安全運航の重要性を再確認する場」に位置づけているとのこと。

残骸という無生物には「口」や「声帯」がないため、ことばを発することはありません。しかし、なにも音を出さず、なにも動かないものが語りかけてくる効果は大きいもの。雄弁な人間よりも大きいかもしれません。

参考資料
故事ことわざ事典「沈黙は金、雄弁は銀」
http://kotowaza-allguide.com/ti/chinmokuwakin.html
ウィキペディア「トーマス・カーライル」
https://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・カーライル
日本航空「安全啓発センター」
https://www.jal.com/ja/flight/safety/center/
| - | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0)
「くら寿司」のシャリカレーうどん――カレーまみれのアネクドート(82)


回転寿司屋はもはや寿司だけを食べるところではありません。もちろん、回転寿司屋から寿司をとってしまえば、「言っていることとやっていることがちがう事態」に陥りますから、回転寿司屋の献立に寿司は必要です。

しかし、寿司はひとつずつが小皿の上に乗せられてくるので、“小粒”。すると、商品としての強い印象をあたえやすいのはどちらかというと寿司以外の副菜のほうということになります。回転寿司屋に寿司は欠かせないものの、むしろ副菜のほうが回転寿司屋の名物になっていく現象が起きうるわけです。

「くら寿司」の「シャリカレー」と名のつく副菜の類はその典型例でしょう。2015年7月に、酢のきいたご飯であるシャリにカレーをかけた「シャリカレー」を発表しました。

これがよく売れたのでしょう。くら寿司の副菜の献立には、「シャリカレー」の応用版ともいえる商品がつぎつぎとあらわれています。

「シャリカレーうどん」はそのひとつ。うどんに「シャリカレー」のルゥがかけられ、さらにちくわ天、たまご天、ねぎ、そしてシャリを揚げた「揚げシャリ」が乗せられています。

くら寿司は、前々から寿司以外の副菜としてうどんを提供していました。そして副菜の顔ぶれに「シャリカレー」のカレーが加われば、当然「うどんとシャリカレーのルゥの組みあわせ」があらたな副菜として考えられます。

くら寿司は、おそらくうどんもシャリカレーのルゥも手を抜いていないでしょうから、うどんとカレールゥだけの組みあわせでも商品として客からある程度の評価を得たことでしょう。

しかし、そこに「ちく天」と「たまご天」、さらには「揚げシャリ」を加えました。「ちく天」は前々からの副菜のひとつ。「たまご天」はおそらくこの商品で初登場した具材です。

「揚げシャリ」については、この商品のなかにふくませていないと、「『シャリカレーうどん』なのに『シャリ』がどこにもないじゃないか」と客からいわれかねないという心配もあったのでしょうか。

うどんや具材の量からすると、ルゥはたっぷりかかっています。うどんや具材にルゥをからめてたべるにも、からめられるルゥの量には限界があります。

そこで、ルゥだけが残された皿に、「特製茶碗蒸しなど」を食べるためにも使う小さな鉄さじを入れて、ルゥをすくって食べて、「シャリカレーうどん」を食べおえることになります。

最後にルゥだけが残されることにも、くら寿司の“企て”があるのかもしれません。「26種類のスパイス」と「13種類以上の野菜と果物」を使い、「100種類以上の試作により完成した」カレーといいます。その自信作であるルゥを最後に単独でも食べてもらい、客に印象をあたえたいというねらいがあるのではないでしょうか。たんなる推測ですが。

くら寿司の「しゃりカレーうどん」の紹介はこちらです。
http://www.kura-corpo.co.jp/fair/2016_curry_udon.html
| - | 18:45 | comments(0) | trackbacks(0)
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