科学技術のアネクドート

特集の取材対象者どうしが敵対関係


写真作者:Geoff Stearns

雑誌の記事や本などをつくるとき、複数の人に取材をすることがあります。たとえば、ある雑誌で「スニーカー」の特集を組むとき、最初の記事では靴メーカーに取材をし、二番目の記事ではスニーカー評論家に取材をし、それぞれの記事をまとめるといったことです。

世界はせまいもの。取材のとき取材対象者に「この特集ではほかに、スニーカー評論家の誰々さんに取材するんです」と伝えると、「ああ、私も誰々さんとよく話をしますよ」などと言われることがあります。

「私も誰々さんとよく話をしますよ」と言われるくらいならよいのですが、「この特集ではほかに、スニーカー評論家の誰々さんに取材するんです」と伝えると、取材対象者の顔色が急に曇りだすときもあります。

「ふーん、誰々さんねぇ。あのインチキ評論家を登場させるとは、特集のクオリティが落ちますよ。彼は、お金をもらっている企業の商品を過度に評価し、弊社のように癒着のない企業の商品については酷評しますからね」

二者のあいだには、なんらかの遺恨がある。そういう関係であることを知らずに、取材対象者としてこの二人を設定し、その状況をつい伝えてしまうことがときにあるのです。

取材のときほかの記事に登場する人がだれかの話をしなくても、校正刷の確認作業のとき、特集全記事のPDFファイルを取材対象者に送信すると、ほかの記事にだれが登場するかが伝わります。

取材対象者どうしの遺恨がひどいと、記事を超えて修正を求めてくるという場合もありえます。「私が取材を受けた記事ではありませんが、このページにある弊社商品の写真のほうを大きくしてくれませんか」などのように。

編集者はその要求に対して、毅然とした態度で拒まなければなりません。その要求は筋が通っていないからです。それに、もし要求を飲んでしまうと、本来、確認依頼をしている取材対象者に「べつの記事で取材したA社が、A社製品の写真を大きくしてと言ってきたので大きくします」と伝えなければなりません。「なんでそんな要求を飲むのですが」と言われ、収集がつかなくなることもあります。

「ほかの記事の内容については私たちが責任をもって編集しますので、どうかお任せください」

取材対象者どうしが敵対関係ということを取材前に知るには、よほど予備知識を集めておかなければなりません。記事の垣根を超えた取材対象者どうしのバトルを避けるためには、「ほかの記事では誰々さんに取材する予定です」とは伝えないことが先決です。また、特集全体の校正刷を確認用に送信するのでなく、記事ごとに分けて送信するといったことも大切になります。

とはいえ、ふだんこうした事態はめったに起きるわけではないので、このリスクは軽視されがちではあります。

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あえて遅い移動手段を選ぶ


人の好みや価値観はさまざまです。移動のしかたについても、その人の好みや価値観が現れるもの。

たとえば、東京と福岡のあいだを移動するというとき、たいていの人は航空機を利用するでしょう。しかし、なかには「新幹線を利用する」と言う人もいます。

「新幹線のほうが自由度が高いからね。ホームに止まっている新幹線に飛びのることができるし、乗っているあいだもシートベルトを締める必要がない。それに、手荷物検査のわずらわしさもない」

羽田空港から福岡空港まで航空機を利用すると1時間50分ほど。いっぽう、東京駅から博多駅まで新幹線を利用すると5時間30分ほど。「すぐに着く」という点では断然、航空機のほうが有利ですが、それでも新幹線のほうを選ぶ人には選ぶなりの価値観があります。

「5時間30分もあれば、大きな仕事を二つ、三つぐらいこなすことができる。これほどまとまった時間を確保できるのはあまりないね」

航空機を選ぶか新幹線を選ぶか以外にも、移動のしかたの好みや価値観はあらわれます。たとえば、最速経路を選ぶか、最少乗りかえ回数を選ぶかもそのひとつでしょう。

自分が電車に乗る駅には、各駅停車の電車しか止まらないとします。また、目的地の駅も各駅停車しか止まりません。このとき、途中の駅で快速や特急などに乗りかえることを多くの人はします。

しかし、快速や特急に乗りかえない人もそれなりの価値観をもっています。

「ずっと電車のなかで本読みに集中していたいわけ。途中で特急を使うとなると、2回も乗りかえなきゃならないじゃない」

経済的合理性のみに基づいて個人主義的に行動すると想定した人物像のことを「経済人」といいます。移動のしかたを「経済人」として捉えると、「もっとも早く着く」とか「もっとも安い」とかの尺度が大切になるのでしょう。しかし、移動のしかたというものには、「経済人」の尺度でははかれないほどの価値観の多様性があるものです。
| - | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0)
鉄道駅脇のヤギ、母親が遺る


鉄道会社の西武鉄道は「ヤギによる草刈り」というとりくみを2009年8月からしています。

これは、西武池袋線の武蔵横手駅線路脇の社有地の草原の除草を社員が機械でおこなうかわりに、ヤギに草を食べてもらうことで果たそうというもの。武蔵横手駅は埼玉県日高市にあります。終点の西武秩父駅の7駅手前にある、まわりにみどりの多いのどかな駅です。

グーグルの航空写真からも、駅のすぐ南側にいるヤギと思われる白い姿を確認することができます(南北の方角には向いていません)。またストリートビューでも、ホームの向こう側にあるヤギの小屋が確認できます。

西武鉄道によると、除草に機械を使わないことでの二酸化炭素の排出を削減することを目的としているのだそう。試算では、年間およそ176キログラムの二酸化炭素が削減されるとのことです。

ヤギの胃は四つに分かれていて、第一・第二の胃に入れた草を一度、口に戻してかみ直してから第三の胃へ送ります。飲み込んだ食べものを胃から口に戻してかみ直すことを反芻といいますが、ヤギが反芻するするときに生じるげっぷにふくまれるメタンガスは、一般的に二酸化炭素とおなじく温室効果ガスといわれています。西武鉄道の試算に、ヤギのゲップが考慮されているかどうかはわかりません。が、地球環境の保全に対するとりくみを象徴的に示すという点では効果はありそうです。

ところが、2014年3月から2016年7月のあいだに、飼っていた家族のヤギ4匹のうち、3匹までが死んでしまいました。

まず、2014年3月に、お父さんヤギの「そら」が点滴や注射などの看病のかいなく死にました。西武鉄道は「残された『みどり』、『だいち』、『はな』の3匹は、引き続き草刈りを頑張って参ります」とサイトの「日記」に書きました。

しかし、つぎに2016年1月、「そら」の娘である「はな」が死にました。西武鉄道によると急性心不全だったようです。西武鉄道は「母『みどり』、兄『だいち』が元気に草刈りをしています」と発表しました。

しかし、「はな」の兄にあたる「だいち」も2016年7月に死にました。発表には死因のことはとくに書かれていません。西武鉄道は「母『みどり』が元気に草刈りをしています」と発表しています。5月の朝日新聞に「取材中、だいちが草を食べるのを止めて、頭頂部をしきりに有村さんの体へぶつけていた」などと紹介されていた1か月半後のできごとでした。

いずれの訃報も、西武鉄道は「天国へ旅立つ」と、ヤギたちに対する愛情を表現しています。家族のヤギのうち、母の「みどり」だけが残されたことになります。飼育されているヤギの平均寿命は15年とも20年ともいわれます。「みどり」はいま7歳とすこし。長く、草を食べつづけてほしいと願う人も多いことでしょう。

参考資料
西武鉄道「草刈りの概要」
http://www.seibu-group.co.jp/railways/smile/yagi/outline/index.html
西武鉄道ヤギ日記 2014年3月26日「ヤギ一家の『そら』天国へ旅立つ」
http://www.seibu-group.co.jp/railways/smile/yagi/topics/1206448_2712.html
西武鉄道 2016年1月12日発表「ヤギ一家の『はな』天国へ旅立つ」(Explore Docに掲載)
http://exploredoc.com/doc/7236421
西武鉄道 2016年7月6日発表「ヤギ一家の『だいち』天国へ旅立つ」
http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/information/__icsFiles/afieldfile/2016/07/06/20160706information.pdf
動物の寿命図鑑「ヤギ」
http://www.zooing.net/archives/ヤギ
朝日新聞 2016年5月17日付「武蔵横手駅 アイドル保線員は草食系」
http://digital.asahi.com/articles/ASJ4V4CDKJ4VUTNB00J.html
| - | 19:49 | comments(0) | trackbacks(0)
「捨てる」とは「放っておく」


「捨てる」ということばにほぼぴたりと対応するような英語のことばはないようです。「要らないものを捨てる」という意味では、“throw …… away”のように表し、また「恋人を捨てる」のような意味では、“dump”や“jilt”、さらに「ペットを捨てる」という場合は、“abandon”を使うといいます。

では、日本語になっている「捨」の意味はどんなものなのか。これには、てへんのない「舎」という字との結びつきがあるといいます。

「舎」は、「校舎」や「寄宿舎」のように、「建てもの」や「家」を表す字ですが、「手足を伸ばして放っておけるような、くつろげつ建てもの」といった語感があったようです。たとえば、孔子のことばに「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎(す)てず」というものがあります。流れる川を前にして、孔子は「過ぎゆく人生は、このように昼も夜も休まない」ということを示すために「舎てず」を使いました。「舎(お)かず」と読む場合もありますが。

そんな「舎」の意味が派生していき、「手をゆるめて離しておく」さらには「捨ておく」といった意味ももつようになったといいます。

このため「舎」は、「建てもの」「家」だけでなく、「放っておく」「捨てる」の意味までふくむものになったわけです。そこで、区別して使うため、後者の意味で使うときにはてへんがついて「捨」になったのだと一説ではいいます。

「捨」は、もともとは「放っておく」や「捨ておく」の語感が強い字であり、どちらかというと積極的でなく消極的な行為を指すものであったというのです。「選ばない」といった感じでしょうか。

しかし、いまは「断捨離」といった新語も出てきて、「捨てる」といえば、積極的に不要なものを自分の手元から離すといった意味で使われるようになっています。

なお、戒律にしたがうなどして、お金やものをお寺や困っている人などに差しだすことを「喜捨」といいます。「喜んで捨てるのだから、積極的ではないか」となりそうですが、この「喜捨」は「喜んで捨てる」から生まれたことばではないとされます。

仏が四つの方面に心をかぎりなく配ることを「四無量心」といいますが、その四つの方面とは「慈」「苦」「喜」「捨」であり、「喜」と「捨」のふたつを指して「喜捨」が使われるようになったという説があります。ここでの「捨」には「心が特定の対象に向かわず放られている」つまり「中立で平等」といった語感があるようです。

参考資料
master language「『捨てる』は英語で何と言うのでしょうか? 捨てるという英語の正しい言い方とスラングを紹介!」
http://masterlanguage.net/word/3335.html
みんなの名前辞典「舎」
https://mnamae.jp/c/820e.html
ブリタニカ国際大百科事典「捨」
https://kotobank.jp/word/捨-75451
YAHOO!知恵袋「捨てる・拾うは字が似ていますが、意味は全く逆に近いです」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q117354481
とっさの日本語便利帳の解説「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」
https://kotobank.jp/word/逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず-897623
YAHOO!知恵袋「宗教における喜捨の矛盾」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1122934521
生活の中の仏教用語 兵藤一夫「捨」
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq000001juxx.html

参考文献だらけになりました。
 
| - | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0)
支離滅裂な夢にも辻褄をあわせ


支離滅裂な夢があります。

ある人は数年前、プロ野球球団のバファローズの選手たちと、ベイスターズの選手たちが、両リーグの最下位球団として「“逆”日本シリーズ」に出場していたところ、ある選手が「なあ、おれたち弱いからさ、野球じゃなくサッカーで勝負しようぜ」と言いだし、みんな「そうしよう、そうしよう」とサッカーを始めだした夢を見たといいます。

もし、夢のなかの世界でなく現実の世界でこのような話に直面したとすれば、それは虚構の話にちがいありません。すくなくとも野球とサッカーの知識をもっている人は、「そんなのありえない。ギャグ漫画かなにかだ」と思うはずです。

しかし、夢のなかの世界で、そのようなことが描かれると、夢を見ている人はその支離滅裂な話の展開を、目覚めているときよりも受けいれがちです。この夢を見た人は「プロ野球選手たちが野球を途中でやめてサッカーを始めるなんてと驚いたけれど、夢のなかで『どっちが勝つんだろう』と思っていた」と話します。

まず、人が支離滅裂な夢を見るのは、その人が経験したことの記憶のさまざまな断片が結びついていくからだと考えられています。この人は、映像かなにかでバファローズやベイスターズの野球の選手たちが野球をしている姿を見ていたのでしょう。当時、このふたつの球団が弱かったという情報も入っていたのでしょう。そして、サッカーの映像も見ていたのでしょう。これらがつながり、支離滅裂な夢の展開が起きたものと考えられます。

では、どうして夢のなかで展開される支離滅裂な話を、夢を見ている人は受けいれてしまうのか。これには、脳の「理由づけ」したがる性質のせいだという話があります。

異なる経験の話が夢のなかでつながり支離滅裂な展開になっても、脳はそれをどうにか秩序だった話であるように理由づけしようとします。支離滅裂な話の展開だけれど、いまそれが(眠っていながらも)くりひろげられている。だから、それを「そういうものなのだ」受けいれてしまうわけです。

夢の内容ほど支離滅裂でなくとも、覚醒しているときの人もときにとんでもないうその話を信じこんでしまい、どうにか辻褄を合わせようとします。かつてテレビ番組の心理学実験で、子どもが知識も技もなくつくった料理を「懐石料理です」と言われて出されたおとなたちが、それを食べると「ご飯がかたいけれど、昔のおこわはこのくらいのかたさだったのよね、きっと」などと言いあいながら食べていました。いわゆる認知バイアスです。

現実でもこうしたバイアスがあることからすると、夢での話と現実の話では支離滅裂さの度合がちがうだけであって、夢での話であっても現実での話であっても辻褄あわせをしようとしてしまう人の脳のしくみは、さほどちがわないのかもしれません。

参考資料
おとなのカラダゼミナール 2015年9月28日付 佐田節子「人はどうして、訳の分からない夢を見るの?」
http://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100018/092400024/
YAHOO!知恵袋「なぜ、夢では、支離滅裂さに気づかないのでしょうか?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137944670
YAHOO!知恵袋「なぜ、夢ではあり得ないことがたくさん起きるのに、夢だと気づけないのですか?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=1415232014
| - | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0)
人と道具を資源と捉え、最大限の力を発揮させる

サバイバル訓練に臨む宇宙飛行士候補者たち
NASA

複数の人が集まって、いくつもの道具を使ってなにかの目的をなしとげようとするとき、それぞれの人、道具、情報が、目的達成のためにもっとも適切に使われれば、それほどよいことはありません。しかし、それぞれの人、道具、情報が適切に使われないと、目的達成に至らないかもしれません。「資源は使いよう」というわけです。

人びとがチームで宇宙に行って活動する有人宇宙開発の分野や、人びとがチームで飛行機の運航にあたる航空業界などでは、「クルー・リソース・マネジメント」(CRM:Crew Resource Management)という考えかたで、安全を保つといったことがおこなわれています。

クルー・リソース・マネジメントとは、“クルー”つまり乗組員、それにクルー以外の関係者、さらに環境や道具などを“リソース”つまり資源と考え、これらすべてを“マネジメント”つまり管理することで、チームとして最大限の力を出し、安全航行をおこなうことを目的とするとりくみのことをいいます。

この考えは、重大な飛行機事故が世界であいついでいた1970年代に、米国の航空宇宙局(NASA: National Aeronautics and Space Administration)が発案したものとされます。航空宇宙局は技術や経験が豊富な人びとからなる36組のチームをつくり、危機からの生還を目指すシミュレーション実験にとりくませました。

ところが、ふさわしい判断をして、チームワークがとれていれば生還できるはずの実験でありながら、生還を果たせたのは1組だけだったといいます。一人ひとりの力は優れていても、チームとして危機を乗りきるとはかぎらないことを示した結果といえます。

この結果を受けて、航空宇宙局は研修会で「コクピット・リソース・マネジメント」(CRM:Cockpit Resource Management)の大切さを発表しました。積極的に意思疎通をとりあうこと、機長がリーダーシップを発揮すること、適切な権威勾配を保つこと、正確に意思決定することなどが、航空機事故を減らすために大切であることを示したのです。

このなかの「権威勾配」とは、機長と機長以外の人とのあいだの権威の差の大小を傾きにたとえたもの。権威勾配が急すぎるとだれも機長に注意や進言できなくなり機長は独りよがりになってしまいます。逆に勾配が緩すぎると機長の言うことを聞かなくなってしまいます。急すぎでも緩すぎても事故につながるおそれは高くなる。だから「適切な」権威勾配を保つことが大切というわけです。

その後、1981年に、ユナイテッド航空、それにサクセス・モチベーション・インスティチュートという企業が、コクピット・リソース・マネジメント訓練を共同開発しました。よび名も「コクピット」から「クルー」へとかわり、人としての資源を操縦士だけでなく、客室乗務員、地上運行管理者、整備士などにも広げました。

いまでは、どの航空会社も、また有人宇宙開発を管理する組織も、クルー・リソース・マネジメントの考えかたによる訓練をとりいれるなどして、チームで安全航行を達成することを日ごろから目指しています。

クルー・リソース・マネジメントの考えかたは、ほかの分野でも応用できるかもしれません。たとえばスポーツの団体競技や軍隊などは、組織のありかたとして、航空機や宇宙船におけるチームのありかたととても近いものがあります。

参考資料
重松和典「最新の航空安全技法に学ぶリスクマネジメント」
http://www.tokiorisk.co.jp/risk_info/up_file/200902101.pdf
Gard「クルー・リソース・マネジメント」
http://www.gard.no/Content/20827851/Gard%20Insight%20-%20Crew%20resource%20management%20–%20silly%20small%20talk%20or%20crucial%20dialogue%20(JP).pdf
東洋経済オンライン 2013年7月30日付 林公代「宇宙飛行士が鍛える、『上司にモノ申す」技術』」
http://toyokeizai.net/articles/-/16324
はてなキーワード「権威勾配」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%A2%B0%D2%B8%FB%C7%DB
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圧縮して入れる方法と、回転板で入れる方法と


子どもは「はたらく車」に興味をもつようです。とくに、はたらくうえでのしくみやからくりがたくみな車には、大きな興味をもつようです。

家などから出るごみを集めて清掃工場に運ぶための「ごみ収集車」も人気のある「はたらく車」のひとつのよう。最大の特徴は、ごみ収集作業者が放りこんだごみ袋を、つぎつぎとなかの空間に入れていく動きでしょう。

よく見てみると、ごみ収集車がごみ袋をなかの空間に入れていく方法には、ふたつの方式があるようです。

ひとつは、「圧縮板式」とよばれる方式。ごみ袋が投げこまれる部分を「ホッパー」といいますが、そのホッパーの底のところで、ごみ袋を圧縮板でまず圧縮します。さらに、ごみ袋をなかの空間に押しやるとき、ホッパーの壁を利用してさらに圧縮します。こうして、二段階でごみ袋を圧縮することにより容積を小さくして、なかの空間に入れていきます。

圧縮式ではごみ袋が圧縮されるため、一般的な2トン車で一度に1トンから1.4トンほどのごみを集めることができます。

もうひとつは、「回転板式」とよばれる方式です。こちらは、回転板とよばれる板がホッパーの上のほうと、ホッパーのまんなかあたりにそれぞれ異なる軸でふたつあり、それぞれが動いてごみを入れていく方式です。

まず、ホッパーのまんなかあたりにある小さな回転板が回転し、ごみをなかの空間のほうに向けてかきこもうとします。この小さなホッパーが水平の角度まで回ると、ちょうどごみ袋を水平の台に乗せて、なかの空間へ押しやる“お膳立て”ができた状態になります。すると、今度はホッパーの上のほうにあるもうひとつの大きな回転板が回転してきて、“お膳立て”されていたごみ袋を、なかの空間におしやります。

圧縮板式と回転板式は見た目がにているため、ぱっと見ではどっちだかわかりづらいかもしれません。

また、ごみ収集車がごみを運んだ先の清掃工場で、ごみを工場のごみを貯める槽に下ろすときにもふたつの方式があります。

ひとつは、「ダンプ式」。こちらはダンプ車が砂利などの運んだものを下ろすとき、荷台の運転席側のほうを高くして傾きをつくり、砂利を下ろすのとおなじように、ごみを入れていた空間をまるごと傾けさせてごみ袋を下ろす方式です。

もうひとつは、「押しだし式」。こちらはごみを貯めていた空間の奥から手前に向けて、板が出てきてごみを押しだす方式です。「ダンプ式」も「押しだし式」も両方、使われています。

ごみ収集車の、ごみを入れたり出したりは、ほとんどの工程で金属の板の向こう側でおこなわれるため、しくみがわかりにくいもの。そこで、自治体によっては、ガラスばりにして中身がわかる「スケルトン型ごみ収集車」などをつくって、子どもたちにごみ袋を空間に入れるしくみなどを見てもらっています。たとえば、札幌市のスケルトン型ごみ収集車のようすを動画で見ることができます。

参考資料
極東開発工業「ごみ収集車」
http://www.kyokuto.com/hataraku/gb.html
富士車輌「特色ある各種特装車ラインナップ」
https://www.fujicar.com/products/products05.html
自動車保険ガイド「ゴミ収集車の仕組みや種類」
http://www.car-hokengd.com/car-news/dust/
| - | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0)
ウシやシカは南北を向きがち


東西と南北は、人にとって方角の向きという点ではおなじです。出張の目的地が東西方向にあれば東か西へ向かい、旅の目的が南北方向にあれば南か北へ向かうことになります。

いっぽう、ある種の動物にとっては、東西に近いの向きより、南北に近いの向きのほうが、からだが向くのに強い力がはたらいている基準的なものになっているようです。

2008年4月、ドイツの動物学者サビーネ・ベガルさんたちの研究グループは、「ウシやシカが南北を向く傾向がある」ということを『米国科学アカデミー紀要』という冊子に発表しました。

これは、べガルさんたちが「簡単かつ非侵襲性の方法」とよぶ、衛星画像、地上観察、また雪に残される『シカの寝床』とよばれるたたずんだ跡などをつぶさに調べた結果によるもの。ウシは8510頭、シカはアカシカとノロジカ合わせて2974匹を調べたそうです。

そのなかで、シカを直接観察したところでは、草を食んでいるときや休んでいるとき、頭を北の方角に向けがちであることもわかったといいます。

どうして、ウシやシカのからだは東西方向でなく南北方向に向くのか。これには、地球の磁気である地磁気がかかわっていると考えられます。地球は巨大な磁石の性質をもっていて、北極の近くにS極、南極の近くにN極があります。これにより、方位磁石は、まわりにある磁石の影響を受けないかぎり、いつも南北の方角を指すわけです。

ウシやシカは方角としての南北方向を向いているのでなく、地磁気が走る方向である南北を向いているのではないか。べガルさんたちはそのような仮説を立てて、これも調べたといいます。地球の方位的な南北と、地磁気の向きというのは微妙に異なるため、ウシやシカがどちらを絶対的な尺度にしていそうなのかを調べることもできます。結果は仮説どおりで、地磁気の向きに従っているとのことでした。

渡り鳥や回遊魚なども、目的地までたどりつくための手段のひとつとして、地磁気の向きを感知しているといわれています。

ひょっとすると、人間の東西と南北の方角をめぐる文化や傾向なども、地磁気の存在がかかわっているのかもしれませんが、解明はされていません。遊牧民たちは、南北を向きがちなウシたちをいつも飼っていたのですから、間接的にでも、南北の向きへの影響を受けていてもおかしくありません。

ちなみに、ベガルさんたちは、その後もこの分野での研究を進めており、2014年には「犬は排便排尿をする際、体を地磁気の南北軸に沿わせるのを好むということを注意深く記録したこと」に対して、イグノーベル生物学賞が贈られています。

参考資料
Sabine Begallら“Magnetic alignment in grazing and resting cattle and deer”
http://www.pnas.org/content/105/36/13451.abstract
柴田一成『太陽の科学』
https://www.amazon.co.jp/dp/4140911492
ウィキペディア「イグノーベル賞受賞者の一覧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/イグノーベル賞受賞者の一覧
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ごみを燃やしたときの熱で電気をつくって売る

写真作者:くーさん

ものを燃やすことで得た熱エネルギーをタービンで運動エネルギーに換え、さらにそれを発電機で電気エネルギーに換える。これが火力発電です。

火力発電で燃やすものは、おもに石炭などの化石燃料です。しかし、燃えやすいものならば化石燃料である必要はありません。

「ごみ」も、燃やした熱で発電をするためのものとして使われています。ごみを燃やすことによる発電は「ごみ発電」や「廃棄物発電」とよばれることが多いですが、しくみとしてはこれも「火力発電」のひとつといえます。

清掃工場でごみを燃やします。すると熱エネルギーが生じます。その熱で水を沸かすと蒸気ができます。この蒸気の勢いでタービンのはねを回して、電気エネルギーを得るわけです。

公共的な清掃工場での「ごみ発電」は、日本では1965年に始まりました。大阪市の西淀工場が完成し、1日200トンのごみを処理できる焼却炉とともに、発電のためのタービン2基が置かれ、発電をはじめました。

その後、1970年ごろになると、ごみを燃やしたときの発熱量が高くなり、また焼却炉を24時間運転することで安定的に発電向けの熱を得られるようになり、「ごみ発電」はさまざまな清掃工場でおこなわれるようになりました。

公共的な清掃工場でつくられた電力の多くは電気事業者に売られています。たとえば、東京23区すべての清掃工場から2014年度に売られた電気の量は、5億8737万キロワット時でした。これは、ざっくり10万世帯分ぐらいで使われる電気をまかなえる量となります。収入額で計算すると、104億607万円だったそうです。

ごみは発電のための資源。そう考えると、電力会社が火力発電のために化石燃料を買って得るのとおなじように、清掃工場を管理する母体がごみ発電のためにごみを「買う」という考えかたもできそうなものです。

しかし、つくった電力を売ってお金を得る以上に、ごみを燃やして処理するためのお金がかかります。たとえば東京23区の2014年度「工場等運営費(可燃)」は、およそ315億年。電気を売ることによる儲けの3倍ほどのお金がかかっています。やはり、すこしでもごみ処理の費用を減らすために発電と売電をしていると考えるほうがよさそうです。

参考資料
東京二十三区清掃一部事務組合「熱エネルギーの有効利用」
http://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/shiro/shori/kanen/joki.html
東京二十三区清掃一部事務組合 2015年2月「経営計画」
http://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/kikaku/kikaku/kumiai/kekaku/kee/documents/keekekaku2703.pdf
エネルギー総合工学研究所「これからの廃棄物発電を考える」『季報エネルギー総合工学』
http://www.iae.or.jp/wp/wp-content/uploads/2014/06/199801_Vol20_No4.pdf
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「研究で実証、目の下のクマには甘酒が効く」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」できょう(2016年)7月22日(金)「研究で実証、目の下のクマには甘酒が効く 暑い季節に熱い甘酒の話(後篇)」という記事が配信されました。

「甘酒」が夏の季語であるという話を聞いたことがあるでしょうか。かつて江戸では、甘酒は寒い季節に売られていたものでしたが、18世紀後半の安永年間(1772-1781)から天明年間(1781-1789)年ごろ、うなぎが「土用丑の日」の食べものにされたのと近い年代に、甘酒も寒い季節だけでなく、夏をふくむ四季を通しての飲みものになったことが、江戸時代の『明和誌』などの書物などから察せられます。このあたりの経緯については「前篇」で紹介しています。

その後、甘酒は大正時代(1912-1926)または昭和初期ごろまで、暑い季節によく飲まれていたことが、むかしの新聞などからもうかがえます。

ということは、すくなくとも150年ぐらいにわたり、甘酒は夏の飲みものとして通っていたということになります。これほどの年数、甘酒が夏に飲まれていたということは、一時期の流行というよりは、定着していた食文化だったといってもよいのではないでしょうか。

なにかの食べもの・飲みものが文化として定着するのには理由があります。夏に甘酒を飲んでいたかつての日本人は、「体にこたえる暑さに対して甘酒が効く」といったことに気づいていたのではないでしょうか。栄養価の高い食事がまだすくなかった時代とも合致して、甘酒は長いこと夏に飲まれていたのではないでしょうか。

こうした直感的な効果の裏づけにもなるような研究や実験がおこなわれています。後篇の記事では、その事例として、甘酒メーカーでもある森永製菓がおこなってきた、甘酒の健康効果についての研究を紹介しています。具体的には、「夏バテ改善」「目の下のクマの改善」「皮脂抑制効果」といった効果があることを確かめたものです。

暑い季節に甘酒を飲む習慣がすたれた経緯について、前篇の記事では、かつて多くいた甘酒売りの商売人だけでなく、各家庭も甘酒をつくるようになって衛生管理が行きとどかなくなり、食中あたりなどが多発したからではないかと紹介しています。

いまや、冷蔵技術などが完全に普及し、暑い季節の甘酒による食あたりを防ぐことはかんたんになりました。いっぽうで、暑い季節だからといって甘酒をぜひとも飲むという必然性もなくなりました。このさき「甘酒は暑い季節に飲む」という日本の文化は復活するでしょうか。

「研究で実証、目の下のクマには甘酒が効く 暑い季節に熱い甘酒の話(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47404
前篇の「『甘酒』はなぜ夏の季語なのか?」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47350

これらの記事の取材・執筆をしました。
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文殊の知恵は発揮されるか……「検証! ことわざって正しいの?」『Rikejo』マガジンで


理系進学を目指す女の子たちを応援する講談社の会員誌『Rikejo』マガジンの第40号が、(2016年)7月中旬に発行されました。

『Rikejo』マガジンは紙媒体の会員誌ですが、講談社のデジタル版サービス「codigi」でかんたんな手つづきをすれば、おなじ内容を会員登録なしで見ることができます。「codigi」の手つづきをするのも面倒という人も、「codigi」サイトで、内容の一部を試し読みすることができます。

科学特集「リケジョサイエンス」では、「Kotowaza meets Science 検証! ことわざって正しいの?」という特集が組まれています。「さまざまなことわざが世の中で使われているのには根拠があるのかも。科学と技術が進歩し、ことわざで言われていることが本当なのかも探れるようになりました」ということで、つぎのようなことわざに対する「検証」を紹介しています。

「急がば回れ」「二度あることは三度ある」「百聞は一見にしかず」「人の噂も七十五日」「読書百遍義自ら見る」「チャンスの後にピンチあり」「三人寄れば文殊の知恵」

国内外のこれまでの研究や実験の結果を紹介するものもあれば、さらに編集スタッフが自分たちで実験を試みたものも。

「三人寄れば文殊の知恵」については、スタッフたちが実験をして、このことわざが正しいのかどうかの検証を試みています。3人のスタッフが、コンピュータゲームの将棋、オセロ、五目ならべを、1人ずつがでおこない、また3人が力を合わせておこなっています。1人プレイのときの平均の成績と、3人プレイのときの成績では、どちらが優秀な結果となったのでしょうか。ちなみに、この実験を“高みの見物”している文殊菩薩は「ちょっとは私に近づけたようじゃのう」と意味深長なコメントをしています。

この科学特集では、ほかにことわざがどのように生まれて、どのように伝わるのかを、ことわざ研究者の北村孝一さんに聞いた記事も。ことわざと生物の遺伝子の共通点が見えてきたといいます。

「Kotowaza meets Science 検証! ことわざって正しいの?」は、『Rikejo』マガジン第40号で読むことができます。デジタル版は「codigi」の会員登録をして、コード番号を入力することで見ることができます。デジタル版を読むための方法について、詳しくは「リケジョ」のウェブサイトの記事をご覧ください。

「codigi」のサイトはこちらです。
https://codigi.jp/
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石炭を燃料にガス、蒸気、燃料電池で発電

写真作者:Sicko Atze van Dijk

石炭を原料に使う、新たな発電方法「石炭ガス化複合発電」(IGCC:Integrated coal Gasification Combined Cycle)の本格実用化の時代に入りつつあるといいます。

石炭ガス化複合発電とは、石炭をガス化炉に入れてガス状にしたうえで、これを燃焼させることによりガスタービンを回し、さらに高温の排ガスをボイラに導いて蒸気を発生させることにより蒸気タービンも回して電力を得る技術のこと。

これまでの石炭を使った発電方法である石炭火力発電では、石炭を石炭のまま燃やして蒸気を得て、それにより蒸気タービンを回して発電していました。いっぽう、石炭ガス化複合発電では、ガスタービンと蒸気タービンの両方を回して発電することから、石炭火力発電よりも効率的に、燃料の石炭を電力に換えられるといいます。石炭火力ではその効率は40パーセントほどだったのに対し、石炭ガス化複合発電では46〜50パーセントとも。

石炭ガス化複合発電の実用化に向けて実証事業がおこなわれているのが、広島県大崎上町の中国電力大崎発電所に置かれた石炭ガス化複合発電実証機です。「実証」とは、事実によって証明することを意味し、ここでは石炭ガス化複合発電の施設をほんとうに建てて動かして実用化できることを証明することを指します。

実証機のもち主であり、実証の試験をおこなっているのは大崎クールジェンという企業です。中国電力、それに電気事業を手がける電源開発(J-Power)が株主となっています。

この実証機では、石炭ガス化複合発電のなかでも「酸素吹」という方式が選ばれています。これは、石炭ガス化炉に酸素を送りこむ方式。ほかに、空気を送りこむ「空気吹」という方式もありますが、発電により生じる二酸化炭素を分離して回収することまで考えると、「酸素吹」の効率のほうが優れるといいます。この方式による実証実験は2018年度までの予定です。

その、生じた二酸化炭素を分離して回収するための技術も、大崎クールジェンの施設内で実証試験がおこなわれる計画になっていました。ことし(2016年)4月、その事業が着手され、大崎クールジェンでのプロジェクトは第2段階に入りました。2019年度中に実証試験を始める予定で、こちらは2020年度までの予定です。二酸化炭素の回収には、大気に放たず、地中や海底に貯めておくという目的があります。

さらに、石炭ガス化複合発電の過程で生まれる水素ガスを燃料に使って、燃料電池で発電もおこなう「石炭ガス化燃料電池複合発電」(IGFC:Integrated coal Gsification Fuel cell Combined Cycle)の実証研究も、この大崎クールジェンの施設内でおこなわれる予定です。こちらは第3段階の位置づけであり、2018年度から2021年度までの予定。

じつは、石炭ガス化複合発電をめぐっては、大崎クールジェンにさきがけて2013年4月、東北電力や東京電力などが株主の常磐共同火力が福島県いわき市の勿来発電所内で実用運転を始めています。それまでの実証試験の期間が終わったことを受けて、同社が設備を引きとり、実用化を始めました。

石炭ガス化複合発電そのものも、石炭火力発電より技術的に進んだものといえます。さらに、二酸化炭素の分離・回収技術や、燃料電池による発電技術を組みあわせることで、石炭を燃料に使う技術が高度化されようとしています。

参考資料
スマートジャパン 2016年5月13日付「石炭火力で発電効率50%に、実用化が目前の『石炭ガス化複合発電』」
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1605/13/news054.html
大崎クールジェン
http://www.osaki-coolgen.jp
新エネルギー・産業技術総合開発機構 2016年4月4日発表「CO2分離・回収型酸素吹石炭ガス化複合発電の実証事業を開始」
http://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_100554.html
石橋喜孝「石炭ガス化複合発電(IGCC)実証機の実証試験終了と商用転用」
http://www.joban-power.co.jp/igccdata/research/pdf/doc/201305_Energy_and_power.pdf
常磐共同火力
http://www.joban-power.co.jp
新エネルギー・産業技術総合開発機構 実用化ドキュメント「石炭をガス化して高効率化を実現『石炭ガス化複合発電(IGCC)』
http://www.nedo.go.jp/hyoukabu/articles/201306igcc/index.html
| - | 17:58 | comments(0) | trackbacks(0)
「読みごたえ」に「読みがい」の語感と「ほね折り」の語感


書評や読書感想記事などで「読みごたえ」ということばを見ることがあります。読みごたえとはなんでしょうか。

実際、「読みごたえ」が使われている記事にあたってみると、たとえば、このように使われています。

「東日本大震災に関する記事やシリーズは読みごたえがあった。3月11日に終わった「『千人の声』2016 いま伝えたい」は、これからも、随時、掲載してほしい」

「読みごたえ」の「ごたえ(こたえ、応え)」は、ほかからの刺激や作用を身に感じることをいいます。たとえば、「手ごたえ」や「見ごたえ」などの「ごたえ」もおなじ使われかたをしています。

これらからすると、「読みごたえ」は、「読むことにより外部からの入力を受け、その作用を感じること」を指すことになります。つまり、「読んで感じることがあった」ことが「読みごたえ」というわけです。

ただし、「読みごたえ」にはつぎのような使われかたもあります。上の「東日本大震災に関する記事やシリーズは読みごたえがあった」の文例とは、すこしだけ意味あいのちがいを感じられます。

「全3冊と読み応えのある企画ですが、監修者として強く意識していたところは?」

こちらは、「読み応えのある」ことの理由を「全3冊と」に帰しています。「全3冊」は「1冊」の3倍の量。読む量が多いことを意識した「読みごたえ」といえそうです。

すると「読みごたえ」のふたつ目の意味が意識されます。「読みごたえ」ふたつ目の意味とは、「読むのにほねが折れる」というどちらかというと否定的なもの。「全3冊と読み応えのある企画ですが……」と言っているこの人は、「全3冊なんて、読むのに骨が折れてたいへんだよ」といった否定的な感覚を相手に示そうとしたのではないでしょうが、「読む分量が多い」ということは、この「読み応えのある」で、じゅうぶんに伝わってきます。

このように、「読みごたえ」には「読みがいがある」といった意味と、「読むのにほねが折れる」といった意味と、じつはふたつあるようです。「読みごたえ」を使う人は、さほど明確に肯定的な意味と否定的な意味を使いわけてはいなさそうですが。

興味ぶかいことに、おなじ「ごたえ」がつくことばでも、「見ごたえ」については「見がいがある」という意味で使われはしても、「見るのに骨が折れる」という意味で使われることはありません。「3時間の映画は見ごたえがあった」のように、ただだんに見る対象の分量が多いときには使いはしますが、「しんどかった」「疲れた」といった意味はふくまれません。

この「読みごたえ」と「見ごたえ」の意味のありかたのちがいからすると、「読む」という行為のほうが、時間を投資して刺激を受けようとするという能動的な姿勢が「見る」という行為よりも色濃いといえそうです。「見ごたえ」のほうにはない、否定的な意味あいの「読みごたえ」は、読むのに時間を使った割には、読みおえるまでに長く感じられたときに抱いがちなものだからです。

参考資料
デジタル大辞泉「読み応え」
https://kotobank.jp/word/読み応え-654967
大辞林第三版「読み応え」
https://kotobank.jp/word/読み応え-654967
朝日新聞 2015年10月3日付「みなさんから・編集部から」
ハフィントンポスト 2016年7月4日付「『こんなふうに生きている人、実はいっぱいいるんだ!』"多様な性"を伝える児童書ができるまで」
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/03/sexuality-education-daisuke-watanabe_n_10798716.html
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野球のことばは攻撃側中心主義


慣れしたしんでいるものごとのことばほど、「そもそもなぜこんなことばなんだ」と思わず当たりまえに使ってしまうものかもしれません。

野球には、「ストライク」「ボール」「アウト」ということばがあります。

投手が投げたとき、球がストライクゾーンを通過したり、打者が空振りまたはファウルしたりしたとき、その投球を「ストライク」といいます。これは「打つ」の意味の英語“Strike”から来たもの。

打者からすると、打てそうな投球がきたわけです。そこで「打て!」ということから、ストライクゾーンに入るような好球を「ストライク」とよぶようになったそうです。

いっぽう、投手の球がストライクゾーンを通過せず、かつ打者がバットを振らなかったとき、その投球を「ボール」といいます。「ボール」は、“Ball”。直訳すれば単なる「球」ですので、不可解といえます。

かつて米国では、「打てる球」の「ストライク」に対して、「ボール」のことを「こんな球、打てるわけがないだろう」といった意味を込めて「アンフェア・ボール」とよんでいたそうです。これが短くなって「ボール」になったというのが経緯のようです。短くするのであれば「アンフェア」のほうがふさわしそうですが、より言いやすいのは「ボール」といえます。

打者または走者が攻撃の資格を失うことを「アウト」といいます。これは、英語では“Out”。「中から外へ」という語感をもった前置詞などとして、“Out”は使われます。打者や走者は「アウト」になると、プレイから除かれることになるわけですから、「アウト」の語感はふさわしいといえそうです。

「ストライク」「ボール」「アウト」いずれも、攻撃側あるいは打者の視点で使われていることばであることがわかります。フェアグランドに打ちかえされた球を「正しい」の意味の「フェア」とよび、ファウルラインの外側にそれた球を「不正」の意味の「ファウル」とよぶのも、野球が攻撃すること中心の競技であることを物語っています。

参考資料
日本獣医師会「馬耳東風」
http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06305/f1.pdf
| - | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0)
顔面プロジェクションマッピング、動きはまだゆっくり

写真作者:tangi bertin

コンピュータでつくった映像と投影機を使って投影面に映像を映す技術を、プロジェクションマッピングといいます。古くは、米国のディズニーランドで1969年から実用化されていたという話もあります。

2000年代以降、数学的技術を使った歪み補正のしくみが発達し、プロジェクションマッピングを使った催しものがひんぱんに開かれるようになりました。投影される壁面にぴったりと映像を映しだす技術が実現することで、映像のずれがなくなり、観ている人びとを没頭させることができるようになったといいます。

近ごろでは、動く被投影物に対してもプロジェクションマッピングがなされるようになっています。2014年ごろからは、人の「顔」に投影する「顔面プロジェクションマッピング」も催しものなどで見られるようになっています。

日本の浅井宣通さんは2014年に「OMOTE」という作品で、女性の顔にプロジェクションマッピングで即時的に化粧をさせたり、ダースベイダーの仮面のような模様を写したりしました。また、メキシコ生まれの刺青師キャット・ヴォン・Dさんは2015年、米国の化粧品ブランド「セフォラ」の催しもので、自分の顔を薔薇の花のもようでうめつくしたり、蝶を舞わせたりして話題になりました。

微妙に揺れ動いたり、瞬きをしたりする、顔に対して映像を映しだす技術には、映像技術の進歩が感じられます。

ただし、どの顔面プロジェクションマッピングの作品でも、顔がゆっくりと動く、あるいは顔が動かない、といった「静的」な印象をあたえます。

これは、まだ、動く被投影物に対して、ずれの内容に映像を映しだす技術がさほど進んでいないためとされています。顔をすばやく動かしてしまうと、投影がその動きに追いつかなくなり、顔の表面から映像がずれてしまうというわけです。

プロジェクションマッピングの作家たちは、妖艶な雰囲気を醸しだす演出などにより、観ている人びとに「あれ、なんだか動きがないな」と感づかれないようにしているという苦労もあったりするということです。

「顔面プロジェクションマッピング」での顔を見ると、投影される顔の輪郭に白い光の点が写っています。これを、投影するときの位置的な基準にしているのでしょう。こうした点も、おそらくは作家たちにとっては、できるならば取りのぞきたい要素であうにちがいありません。

映像技術は進歩していきますので、これからは、よりすばやく動く顔や体に対しても、きわめてなめらかなプロジェクションマッピングがなされていくことでしょう。
| - | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0)
展示施設「統一された世界観」があるとおとな向け感


街には、テーマパーク、博物館、科学館などのいろいろな展示施設があります。これらの展示施設には、「どちらかというと子ども向け」「どちらかというとおとな向け」という見られかたがあるようです。

運営者が「わがテーマパークは子どもに楽しんでもらう施設にしよう」とか「われわれのテーマパークはおとなが楽しめる施設にしよう」とかねらいを定めることはあるでしょう。しかし、その展示施設を知る一般の人びとが、その施設に対してなんとなく抱く「子ども向け感」「おとな向け感」もあるものです。

たとえば、動物園と水族館という展示施設があります。これらについて「どちらのほうが子ども向けで、どちらのほうがおとな向けか」と聞かれれれば、多くの人は、「どちらかといえば、動物園が子ども向けで、水族館がおとな向け」と答えるのではないでしょうか。

どうして、「どちらかといえば、子ども向け、おとな向け」というちがいが出てくるのでしょう。そこには「統一された世界観」の存在がかかわってくるのかもしれません。「統一された世界観」がないと子ども向けと人びとは感じ、「統一された世界観」があるとおとな向けと人びとは感じる傾向があるのではないかということです。

たとえば、動物園には、ライオン、コアラ、ペンギンなど、さまざまな動物の展示があります。これらの動物は、陸上に生きる動物という点では共通していますが、それぞれサバンナ、ユーカリの森、南極と、それぞれまったくべつの環境のなかで生きています。人も陸上で生きているため、それぞれの動物に対して「べつべつの環境で生きている」という意識がどこかではたらき、それぞれが生きる世界をべつのものとして見がちになるのかもしれません。

いっぽう、水族館には、サメ、マグロ、エビなど、さまざまな生きものの展示があります。これらの生きものは、すべて「水のなか」という、多くの人が統一された世界を感じることのできる環境のなかで生きています。極端にいえば、大きな水槽のなかで、クジラもマグロもエビも展示することが可能です。すると、人びとは、これらの生きものたちに対して、「水のなか」という世界のなかで生きているという意識がはたらき、それぞれが生きる世界をひとつのものとして見がちになるでしょう。

では、どうして統一された世界観がないと人びとは子ども向け感を抱き、統一された世界観があるとおとな向け感を抱くのでしょう。

これはひとえに、おとなのほうが子どもよりも「統一された世界観」があるかどうかに敏感だからではないでしょうか。世界観のばらばらなものが、おなじ展示施設のなかに置かれていると、おとなはそれが気になってうっとりできない。いっぽう、こどもは、そうした世界観があるかどうかに、おとなほど敏感ではない。このちがいがあるのではないでしょうか。

だからといって、子ども向けの展示施設であっても、「統一された世界観」を示すことがむだになることはないでしょう。子どもは、おとなほどそれに対して敏感でなくても、「統一された世界観」があればあったで、そこに没頭しやすくはなるだろうからです。
| - | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0)
おつとめ人の「自分の居場所」スターバックス、飲食のみの客と席を分ける店も
コーヒーチェーン「スターバックス」は(2016年)8月で、日本で店を開いて20年となります。

きのう7月14日(木)、スターバックスコーヒージャパン最高経営責任者の水口貴文さんが記者会見で、2020年までに店舗数を、2015年度末の1178から1500にまで増やす考えを明らかにしたそうです。2013年に増えた店数は49、2014年では62、2015年では82と、年ごとに増え幅は高まっています。

サンケイビズは「店舗数を2020年までに、3月末比で約3割増」と伝えていますが、これまでの増え幅からすると、5年で65店ずつ増やしていけばよいことになるので、ものすごく高い壁とはいえなさそうです。しかし、都心を中心に店が増えたことから、その勢いで増やすと“飽和状態”になるのではという見方も出てきそうです。

同社は「ミッション」として、「人々の心を豊かで活力あるものにするために ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」を掲げています。また「バリュー」として、「お互いに心から認め合い、誰もが自分の居場所と感じられるような文化をつくります」などと掲げています。

「自分の居場所と感じられる」ということでは、コーヒーや食べものを囲んでくつろいでいる人びとが見られます。「自分の居場所」と感じている人も多いことでしょう。

かたや、コーヒーや食べものをテーブルに置きつつ、コンピュータと向きあって懸命に仕事をしている人びとも見られます。スターバックスで仕事をしているわけです。こちらも「自分の居場所」と感じている人は多いことでしょう。

数あるスターバックスのなかには、おなじ店内でありながら、目的別に「自分の居場所」を分けることをしている店もあります。



写真の店は、12時から19時まで、「PC・タブレット・書きもの」の客は6人がけテーブルまたはカウンター席に、「ご飲食のみ」の客はテーブル席に座るような決まりをつくっています。いわば「仕事の人はこの席で」「くつろぐ人はこの席で」と分けているわけです。

仕事目的の客の数と、仕事向け席の数の割合があまり合わないらしく、しばしば仕事目的の客の行列ができ、30分ほど待っているような客の姿も……。

コンピュータなどの充電に使えるプラグをテーブルの下に備えたスターバックスは増え、仕事目的の客などには好評です。また、もっとも基本的な商品であるドリップコーヒーを買うと2杯目を108円で飲める「ワンモアコーヒー」のサービスも好評です。しかし、「自分の居場所」と感じて仕事にどっぷり使っている客で店が占領されてしまうことには、やはり抵抗感や危機感があるのかもしれません。

かつて、おつとめの人たちの「自分の居場所」といえば、ドトールコーヒーや銀座ルノアール、また、いまはなき談話室滝沢あたりだったでしょう。これらの店ではたばこを吸って一服することができるからです。

いっぽう、スターバックスは、タバコを吸わず、一服もせず、ただ仕事をしたいというべつの種類のおつとめ人たちにとっての「自分の居場所」と化しています。水口さんは「消費者の多様な生活スタイルやニーズに合わせた商品や店づくりを進めたい」と言ったそうです。1500店に増える予定の2020年ごろ、「仕事の人向けスタバ」も生まれていることはあるのでしょうか。

参考資料
サンケイビズ 2016年7月15日付「スタバ、店舗3割増計画 都心部で新業態も検討」
http://www.sankeibiz.jp/business/news/160715/bsd1607150500005-n1.htm
流通ニュース 2016年7月14日付「スターバックス 2020年に国内1500店へ」
http://ryutsuu.biz/strategy/i071421.html
朝日新聞 2016年7月15日付「スタバ、日本進出から20年」
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7G63VBJ7GULFA02K.html
スターバックス「Our Mission & Values」
http://www.starbucks.co.jp/company/mission.html
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障害者がスポーツをはじめる機会を催しもので


リオデジャネイロパラリンピックが(2016年)9月7日(水)から18日(日)までおこなわれる予定です。五輪の閉会式がある8月21日(日)から24日後にパラリンピック開会となります。

障害者スポーツには、健常者スポーツよりもさまざまな意義を見いだせます。自分の障害をなおす、または悪くしないために、スポーツにとりくんでいる選手もいることでしょう。そして、競技でだれよりも優りたいという気もちや、体を動かしたいという気もちに、健常者と障害者の分けへだてはありません。

スポーツの多くの競技を選手がするとき球などの道具を使います。さらに障害者スポーツでは、選手が自分のからだを動かすための用具なども使うことになります。そのため「スポーツをはじめる」という点では、障害者スポーツの敷居のほうが高いということはたしかです。たとえば、足を切断した人が走る競技を始めるには、走ることに向いた義肢をつけることになります。ふだん身につけている義肢とかたちや性質がちがうため、走りかたもぎこちないものになるかもしれません。

走りたいけれどなかなかきっかけをつかめずにいる。そうした障害者が、走りかたのアドバイスなどを受けるような機会を企業がつくっています。

福祉機器の総合商社であるパシフィックサプライは、グループ会社の川村義肢とともに2013年より「ランニングチャレンジ(ランチャレ!!)」という催しものを開いています。

受講者は義足使用者、そして支援者。半日のプログラムでは、午前中にまず日常で使っている義足での正しい歩きかたをひとりずつアドバイスします。その後、昼食を食べてから「フレックスラン with ナイキソール」という走るための義肢をとりつけ、走りかたのアドバイスを外部講師から受けます。

「ランチャレ!!」で試走したあと「フレックスラン」を使いつづけたくなった義足使用者は、通常よりも安い価格でレンタルを受けることもできます。

2016年の「ランチャレ!!」は、7月23日(土)に大阪・森ノ宮中央のもりのみやキューズモールのフットサルコートなどで、また8月6日(土)に北海道恵庭市めぐみ野の北海道ハイテクノロジー専門学校で開かれる予定とのこと。

障害者スポーツの人口が拡大すれば、用具にかかる費用などもより安くなり、より多くの障害者がスポーツを始めやすくなります。また、パラリンピックで活躍するような一流競技者が現れる可能性が高まります。

パシフィックサプライなどが開催する「ランニングチャレンジ(ランチャレ!!)」の紹介サイトはこちらです。
https://www.p-supply.co.jp/seminars/98

参考資料
漆原次郎「障害者スポーツ選手の能力を発揮させる用具」『化学と工業』2016年7月号
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東京五輪ボート・カヌー競技場予定地は防波堤内側と埋立処分場のあいだ

写真作者:superidoljp

2020年の東京五輪では、東京湾を臨むところに競技施設がつくられる計画があります。東京湾に近い街としては、これまでお台場や有明などが発展してきました。五輪施設がつくられることで、さらにその先の湾内側に人が訪れる機会が増えていくかもしれません。

東京五輪のボートとカヌーの競技は、新しくつくられる「海の森水上競技場」で開かれる予定です。いまのところの住所は、「江東区青海二丁目地先」。江東区青海のゆりかもめテレコムセンター駅から南東に延びる道路を進み、「第二航路海底トンネル」を抜けでると、「中央防波堤内側」とよばれる人工島にたどり着きます。さらにその奥、つまり湾内側には「外側埋立地」とばれる人工島があります。このふたつの人工島のあいだの運河が、海の森水上競技場となります。

中央防波堤内側の人工島には、東京都の中央合同庁舎や、東京二十三区清掃一部事務組合の不燃ごみ処理センター、また粗大ごみ破砕処理施設などがあります。

外側埋立地のほうは、東京都環境局が管理しているごみの埋立処分場になっています。その外側埋立地には、「中央防波堤外側埋立処分場」と「新海面処分場」というふたつのよび名がついています。

中央防波堤外側埋立処分場のほうは、さらに目的別にふたつの地域に分かれています。海の森水上競技場建設予定地に近い北東側は、廃棄物の埋立処分に、いっぽう南西側は港湾などの水底をさらったときに出る浚渫(しゅんせつ)土や、建設工事のとき出る建設発生土の最終処分に、それぞれ使われています。

新海面処分場のほうは、AブロックからGブロックまで区画があり、AブロックからEブロックまでが廃棄物の埋立に、FブロックとGブロックが浚渫土や建設発生土の埋立に使われます。すでにAブロックでの埋立処分は2003年に終わっています。2003年からはBブロックが埋立処分に使われています。

東京都の最終処分地は、かつて夢の島や若洲などでした。しかし、それらの場所での埋立処分が終わったため、中央防波堤外側と新海面がいまのところの残された最終処分場となっています。

とりわけ東京都民の方々は、自分たちが出したごみの最終形がどんな場所で処分されているのか、ボートやカヌーの観戦で海の森水上競技場を訪れたときなどに、現場を見てみるのもよいかもしれません。

参考資料
東京都環境局「東京都廃棄物埋立処分場」
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/resource/attachement/22leaf.pdf
東京都オリンピック・パラリンピック準備局「海の森水上競技場 基本設計」
http://www.2020games.metro.tokyo.jp/docs/第1回諮問会議_【資料7(3)】.pdf
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「科学ジャーナリスト塾」第15期の募集開始、定員は20人


日本科学技術ジャーナリスト会議が、「科学ジャーナリスト塾」第15期の塾生の募集を始めました。募集の期間は(2016年)8月20日(土)までですが、約20人の定員で締めきるということです。

科学ジャーナリスト塾は、科学ジャーナリストなどを目指す人たちを育てる塾。2002年の秋、同会議に所属する有志たちが始めました。一時期、運営母体がべつの団体に移るなどしましたが、2013年の第12期から、ふたたび同会議が運営母体になっています。

今期は、大きなテーマとして「海」が掲げられています。同会議はその理由を「今期、身近な題材として海に目を向けるのは、なお謎が多い未知の世界であり、また解決すべき課題も多くあるからです」としています。そして、海の生き物の生態、地震・火山の活動、水産資源の枯渇、海洋の汚染、海浜の消滅、温暖化と気象、海底資源、領海問題などの、さまざまな「海」の話題の一端を知り、伝え方を学ぶとしています。

9月7日(水)の第1回から、翌2016年2月の第10回までの全10回。東京・内幸町の日本プレスセンタービルを拠点としつつ、今期は11月に3か所ほどの取材を計画しているとのこと。海をめぐる「現場」を見ることを重視しているようです。

ほかの回の内容も「質問とインタビューの仕方」「編集者からみた写真」「ライティングの指導」などの実践的なものが多くなっています。

塾長をつとめるのは、昨期につづき、元時事通信編集委員の佐藤年緒さん。海に関する話題の提供を、元朝日新聞科学部長・社会部長の柴田鉄治さん、サイエンスライターで元読売新聞記者の保坂直紀さん、サイエンスライターの瀧澤美奈子がする予定です。また、アドバイザーとして各新聞社の現役記者または記者経験者、テレビ局の現役解説委員などがつとめます。

日本科学技術ジャーナリスト会議は「会員が応援します。多くの塾生の参加をお待ちしています」とよびかけています。

詳しいお知らせは、日本科学技術ジャーナリスト会議のホームページに載っています。こちらです。
http://jastj.jp/tcsj
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見上げればいつも「中年の星」



青年と老年のあいだを「中年」といいます。齢にして40歳前後から50歳代後半あたりまででしょうか。

「中年」と見なされる年齢なのに、自分のことを中年と思っていない人はいるものです。「自分がおとなになるとは思ってもみなかった」という感覚をもちがちなのとおなじように、人はその年齢になった実感をもちにくいのでしょう。

著名人には「中年」を自負する人もいます。アーチェリー元日本代表の山本博選手はアテネ五輪で銀メダルをとるなどして「中年の星」とよばれました。宇宙飛行士の油井亀美也さんも「中年の星」といわれました。山本さん、油井さんともに自称もしていたのではないでしょうか。

よくよく考えてみると、「中年の星」は、山本さんや油井さんよりも、ごく身近に存在しています。

青年期を過ぎたけれども、老年期にまでは至っていない。そんな中年の期間を過ごしている存在が、太陽です。

いま太陽はおよそ47億歳と考えられています。年齢の根拠のひとつは、地球の年齢もだいたい47億歳だからというもの。その地球の年齢は、地球に落ちてくる太陽系の隕石にふくまれる鉛の組成から求められます。鉛には、おなじ鉛の元素ながら質量数が異なる原子、つまり同位体があります。隕石にふくまれる鉛の同位体の比から、その鉛が生まれて何年経ったものかがわかるのです。

隕石のなかの鉛の生まれた時期がわかれば、その隕石が生まれた時期がわかり、それがわかれば地球が生まれた時期がわかり、それがわかれば太陽が生まれた時期がわかる。こうした推測の連鎖から、いま太陽はおよそ47億歳と考えられています。

太陽の年齢あてには別解もあります。太陽に存在する水素とヘリウムの量の比からも、太陽の年齢は求められます。

太陽では、水素原子4個がヘリウム原子1個になる核融合反応が起きています。水素を「反応前の物質」、またヘリウムを「反応後の物質」と考えれば、それぞれの量の比から、その恒星がどれだけの期間、核融合をしつづけてきたかがわかります。水素がまだたくさんある恒星はエネルギーをたくさんもっているため、本来の星の明るさにくらべて明るく、また温度も高くなっています。こうした尺度と情報から、恒星の年齢を求めるわけです。この求めかたでも太陽の年齢はおよそ47億歳とされています。

では、太陽の寿命は何年かというと、およそ100億歳といわれています。これも計算により求めることができます。

まず、太陽から地球に届いているエネルギー、それに地球と太陽の距離から、太陽が1秒に放っている全エネルギーを求めることができます。さらに、これを、太陽で起きている「水素からヘリウムに」という核融合反応でエネルギーが生じるときの計算に当てはめると、太陽が1秒間にどれだけ質量を失っているかが求められます。

ちなみに、核融合反応で水素がヘリウムになってエネルギーが生じたとき太陽が質量を失う現象は、アルバート・アインシュタイン(1879-1955)が「E=mc2」という式で「エネルギーは質量である」と唱えた、まさにその実際例です。

太陽の質量が軽くなっていくことは、水素が核融合反応に使われていくことを意味します。そして、核融合反応に使われる水素が尽きると、ほぼ太陽は寿命を迎えることになります。その寿命を迎えるまでの時間があと50億年強とされています。これまでの太陽の年齢と合わせると、太陽の寿命はおよそ100億年となるわけです。

なお、寿命を迎えるまでには、太陽の中心に増えたヘリウムがたまって星自体がふくらんでいき、赤色巨星という状態になって、地球を飲みこんでしまうことでしょう。

寿命が100億年として、いまの年齢が46億歳とすれば、太陽という星は「中年」といえます。

晴れた日に外に出れば「中年の星」を拝むことができます。そして「おお、中年の星よ、きょうも燃えに燃えとるのぉ」と声をかけてあげることもできます。

参考資料
ブリタニカ国際大百科事典「地球の年齢」
https://kotobank.jp/word/地球の年齢-157521
ウィキペディア「地球の年齢」
https://ja.wikipedia.org/wiki/地球の年齢
朝日新聞「星の年齢、どうしてわかるの?」
http://www.asahi.com/shimbun/nie/tamate/kiji/20090430.html
一本潔「太陽を調べる光の目」
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/sun_tour/sun_tour2013/list/20130807_ichimoto.pdf
Yahoo!知恵袋「太陽の寿命」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1141334801

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「ウルトラマン」第1回は公開収録の「前夜祭」


テレビの特撮番組「ウルトラマン」は、人づてに語りつがれるだけでなく、いまも各メディアで紹介されるなどして、認知度は衰えません。

「ウルトラマン」には、さまざまなシリーズがありますが、原点となったのは1966年1月から7月にかけて東京放送で放映された「ウルトラQ」でした。ガラモン、カネゴン、バルンガなどの怪獣が登場します。

「ウルトラQ」はほとんどの回で30%を超える高視聴率となりました。その流れで、7月からひきつづき「ウルトラマン」が放送されることになりました。

ところが、「ウルトラマン」の撮影開始は、放送予定ぎりぎりとなりました。これには、前作「ウルトラQ」で放映される予定だった第20回「空けてくれ!」が、怪獣が登場せず内容も難解だったため、放映見送りとなり、「ウルトラマン」の放映開始が1週くりあげになったという理由もありました。

苦慮した東京放送のプロデューサー栫井巍は、撮影による第1回目「ウルトラマン」放映を先延ばしし、急遽、東京・上荻の杉並公会堂で、「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」という公開収録をし、その収録番組を「ウルトラマン」第1話として放映することにしました。

公開収録は、客席に多くの子どもと保護者を迎えてのものになりました。冒頭、女性の進行役が、「よい子のみなさん、きょうはウルトラマン前夜祭をお送りします。お薬の武田薬品がよいこのみなさんにお伝えしている番組です」と説明し、収録ははじまります。

そして、円谷英二役の俳優・田中明夫が、「ウルトラマン前夜祭の開幕!」と高らかに宣言し、舞台がはじまります。

ところが、会場にきている子どもたちの多くは「志村! うしろー!」のようには乗り気でなく、きょとんとしたり、ざわついたりしています。

そんななか、客席に現れたのが芸人3人組のナンセンストリオ。客席の少年たちに、「怪獣の夢は見たかい」と問いかけます。

対して、マイクロフォンを差しだされた少年たちは、「わかんない」。

べつの少年にも「わかんない」と言われ、すかさず「じゃあ、どんな夢を見るの」と聞きますが「なにも見ない」。

3人目の少年に「怪獣の(夢)見てるでしょ。怖いと思わない」と聞くと「怖いと思わない」と返されます。むかしの少年たちも自分に正直だったようです。むしろ、いまの子どもたちほど、場の空気を読むということもしていなかったことが伺われます。

そうこうしているうちに、カネゴン、ガラモン、ピグモン、レッドキング、バルタン星人などの怪獣が舞台に立ち暴れだします。ようやく舞台奥のほうからウルトラマンが登場し、怪獣たちと闘います。

その後、科学特捜隊も現れ、会場からは「がんばれー!」という少年の声も。しかし、科学特捜隊の自己紹介がつづくと、ふたたび会場はざわざわしはじめ、最後に円谷英二役の田中明夫が「どうもありがとう」と言うと、会場でぱちぱちと拍手が鳴りひびきました。

途中では、本物の円谷英二さんが登場します。しかし「ウルトラマン」の初回がこのような会になったからか、あまり笑顔はありません。

最後に、カネゴンが「フィナーレです。音楽!」と言って、「ウルトラマンの歌」の曲が流れはじめます。伊藤素道とリリオリズムエアーズを中心にコーラスを歌うなか、会場の観衆からも歌声が聞こえてきます。最後に、ナンセンストリオが「毎週日曜日7時。みなさん日曜日の夜はウルトラマンでお楽しみください!」と言って、公開収録は終了となりました。

公開収録の翌日、「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」は放映となりました。放送はされなかったものの、本番では演出用の豚が暴走したり、ウルトラマンがつまずいたり、怪獣アントラーのぬいぐるみが前後逆になっていたりと、逸話に欠かない収録になったようです。

「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」の視聴率はというと、30.6パーセント。どたばたの公開収録でもこれほどの視聴率をとれてしまう時代だったのでしょうか。ただし、その後の本編で、視聴率は30パーセント半ば、または40パーセント台に乗せていたことからすると、ロケ撮影がまにあわなかったなかでの急遽の放送として、どうにか乗りきったという感じだったのかもしれません。

「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」が放映されたのは、1966年7月10日の日曜日。きょうからちょうど50年前のことになります。

参考資料
ウィキペディア「ウルトラQ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラQ
ウィキペディア「ウルトラマン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラマン
pideo「ウルトラマン前夜祭『ウルトラマン誕生』」
http://www.pideo.net/video/pandora/a5a100cb4640c664/
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占いに科学的根拠


人には、選ぶことを面倒くさがる性質があるといいます。カナダの社会心理学者シーナ・アイエンガーは実験で、スーパーマーケットに試食用の24種類のジャムと、4種類のジャムを用意したところ、4種類の場合に購入した人は24種類の場合の6倍になったそうです。

自分で選ぶと、自分に選んだ責任が生じます。選んだ結果、後悔すれば、「選ぶんじゃなかった」となります。自分以外の人が選んでくれれば、選んだ結果が後悔するものであっても「自分のせいではない」となるので心は楽になります。

自分がどんな行動をとるべきか、占いを参考にする、あるいは占いで決めるという人もいることでしょう。しかも、近いうちに「根拠をもった占い」が登場するかもしれません。

人の毎日の行動をつぶさに観察することができれば、貯まったデータから、その人がその日その日ごとにとるべき行動を導けるようになります。たとえば、「月曜日は疲れている傾向があるので、きょうは外回りよりも内勤で事務作業をするほうが1週間、効率よく過ごせますよ」とか、「週末の旅行は、過去のデータから東のほうに行くとすぐに飽きてしまうので、西のほうへ行くほうがいいですよ」といったものです。

根拠をもった占いは、それが当てはまる率が何パーセントといったような、確率的なものになるでしょう。しかし、自分の意思ではないものに、方向性を進めてくれるということは、まさに「選ぶことを面倒くさがる」人にとって福音になります。

実際、日立中央研究所は、体に身につけるセンサと人工知能を駆使することで「幸福感」を高めるための方法を研究しています。同研究所主管研究長の矢野和男さんは、未来に誕生するであろう「根拠をもった占い」について、こう話しています。

「『今日のためのアドバイス』のようなサービスを皆さんが活用されているかもしれません。毎朝、皆さんは通勤前、携帯電話やスマートフォンを開くのが当然のようになっていることと思います。そこで朝、『今日は新しいお友達をつくってみてください』といったアドバイスが、その人に向けて示されるというものです」

「確率的に『今日はこれをするのがふさわしい』というのが出てくるようなイメージです。『こういう条件のとき、これを行う人と行わない人では、これだけの有意差がある』といった根拠を示すわけです」

この技術が社会に浸透すれば、おそらく多くの人びとがこれに興味をもち、また実際これを利用することになるでしょう。選ぶことを面倒くさがるからです。ただし、その「占い」が、権力者の都合のよいように人びとを導くような結果を招くことは避けなければなりません。実用化がなされるときには倫理的な課題が起きてくるでしょう。

参考資料
Newspicks 為末大の未来対談 2015年2月19日「機械と人間が作る『ハイブリッド』な関係とは?」
https://newspicks.com/news/836064/body
| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0)
脳に「自分のおばあさん」「ジェニファー・アニストン」を担当する細胞



だれの顔であるか、または、どんな顔の表情をしているかがわからなくなる「相貌失認」という病気があります。家族や友人の顔を見ても、だれであるのかわからなくなることもあるといいます。

人の顔を顔として認識できるのは、脳にそうした機能を担う部分があるからです。顔または顔のような模様の刺激を視覚で受けたときに反応する部分を「顔領域」などとよびます。顔領域の機能が失われると、相貌失認になってしまいます。

しかし、人の脳は、「顔」に特化して「顔」と認識するだけでなく、「あの人の顔」にまで特化して「あの人の顔」と認識する機能ももっているのかもしれません。

1960年代、米国の神経科学者ジェローム・レトビン(1920-2011)が、人は「その人のおばあさん」のような、たったひとつのものに反応する神経細胞をもっているという説を唱えました。「おばあさん細胞仮説」とよばれます。

レトビンが唱えたこの説に、ほかの心理学者など多くの研究者が否定的でした。しかし、2000年代になり、英国レチェスター大学の脳科学者ロドリゴ・キロガが「おばあさん細胞仮説」を支持するような実験結果を報告しました。

2005年にキロガは、8人の被験者に、女優のジェニファー・アニストンやハル・ベリー、また俳優のブラッド・ピットといった有名人の画像を見せました。すると、ある1個の神経細胞が、同一の人物が写っている顔写真のみに対して、強く反応したといいます。たとえば、いろいろな人の顔写真を見せられたなかでジェニファー・アニストンの顔写真を見せられたときだけ、脳のある1個の神経細胞が反応したというのです。

この成果により、「おばあさん細胞」のようなたったひとつのものに反応する神経細胞は、「ジェニファー・アニストン細胞」ともよばれるようにもなりました。もちろん、この説が正しければ、ひとりの人の脳内には「(その人の)おばあさん細胞」と「ジェニファー・アニストン細胞は」が1個ずつあるはずですが。

2015年になって、名古屋大学理学研究科教授の森郁恵さんたちの研究グループが、脳内のただ1個だけの神経細胞で記憶のしくみがはたらくことを、線虫というモデル動物を対象としたたんぱく質の解析で明らかにしました。これまで、記憶はいくつもの神経細胞がたがいに作用しておこなわれるものとばかり考えられてきただけに、それを覆す研究成果といわれています。

1個の神経細胞だけで記憶がはたらくという点では、「ジェニファー・アニストン細胞」のような、ある人の顔だけに刺激する1個の細胞が存在するという話とも、遠くはなさそうです。

人工知能の研究では、2012年にグーグルが、コンピュータに猫をみずから認識する能力を身につけさせることに成功したと報じられました。大量の画像をコンピュータに認識させたところ、人が「こんな感じのが猫だから」と教えなくても、猫の特徴を把握できたといいます。そして、このコンピュータでは、インターネット上の大量の画像を情報処理するなかで「おばあさん細胞」に該当するようなものが生成されたといいます。

近いうちに、「おばあさん細胞仮説」から「仮説」がとれる日は来るでしょうか。

参考資料
日経サイエンス「顔認識専門の脳領域」
http://www.nikkei-science.com/?p=17158
ネイチャーアジア2005年6月23日付「視覚:ハル・ベリーは選択的な応答を引き起こす」
http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/4380
名古屋大学 2015年12月25日発表「単一神経細胞による記憶(Single-cell memory)を世界で初めて発見」
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20151225_sci.pdf
Quoc V. Le, Rajat Mongaら 2013年12月2日発表 “Building high-level features using large scale unsupervised learning”
https://arxiv.org/pdf/1112.6209v1.pdf

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大西卓哉さん、2008年2月28日の午前に「迷いはなかった」

大西卓哉さんらを乗せて打ちあがるロシア宇宙船「ソユーズ」
写真作者:NASA HQ PHOTO

宇宙飛行士の大西卓哉さんたち3人を乗せたロシアの宇宙船「ソユーズ」が(2016年)7月7日(木)、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ちあげられました。打ちあげは成功と伝えられています。ソユーズは9日(土)国際宇宙ステーションにドッキングする予定で、大西さんらは10月末まで宇宙に滞在し、日本棟「きぼう」で、小動物飼育実験やたんぱく質結晶生成実験などに臨みます。

大西さんは、宇宙航空研究開発機構(JAXA:Japan Aerospace eXploration Agency)宇宙飛行士として10人目の宇宙滞在経験者となりました。

大西さんの前職は全日本空輸の航空機パイロット。機長を補佐する副操縦士でした。就職前の大学生時代、映画「アポロ13」を観て宇宙飛行士になることを意識していましたが、乗りものが好きで飛行機にも興味をもち、全日空に就職しました。入社後、5年で副操縦士に。大西さんはパイロット時代をふりかえり、「飛行場では、コックピットから展望デッキが見えます。そこでは飛行機が動き出すと見送りの人が手を振っている。それを見て、この仕事に就けてよかったなと思っていました」と述べています。

ところが、2008年2月28日の朝、パイロットの仕事で泊まっていた大阪のホテルで新聞を読んでいると、宇宙航空研究開発機構が宇宙飛行士を10年ぶりに募集するという記事を目にしました。

「おお!」と大西さんは心のなかで声を上げたといいます。航空機パイロットになったものの、宇宙飛行士になるということを決して捨てさっていたわけではなかったようです。その日のフライトは午後からだったため、午前中いろいろなことを思いめぐらせたといいます。

とはいえ、大西さんのその日の午前中は「宇宙飛行士の道を目指す」という希望が中心のものだったようです。「迷いはありませんでした」とも語っています。当時、大西さんは32歳。宇宙飛行士を目指せる千載一遇の機会と考えていたようです。

その後、宇宙飛行士候補選抜試験で、およそ1000人のなかから宇宙飛行士候補に選ばれました。そして2009年3月、松山発羽田行きの全日空便に副操縦士として搭乗したのち全日空を退社しました。

宇宙飛行士の訓練には、T-38という米国の航空機の乗って練習をします。もちろんこうした訓練では元航空機パイロットの力を発揮できたことでしょう。それ以上に、パイロット職だったことが宇宙飛行士の仕事で役に立つ場面がこれからありそうです。大西さんはこう話しています。

「宇宙船のコマンダーとフライトエンジニアが相互確認しながら操作するのは、飛行機の世界でいうキャプテンと副操縦士の関係に似ています。そういう意味で、自分のパイロットとしての経験がとても生かされていると感じています」

大西さんは、宇宙滞在の前半を、米国の宇宙飛行士ジェフリー・ウィリアムズ船長のもとで、また後半をロシアのアナトーリ・イヴァニシン船長のもとで、任務にあたります。

参考資料
宇宙航空研究開発機構 2016年7月7日「ソユーズ宇宙船(47S)打上げ!」
http://iss.jaxa.jp/iss/jaxa_exp/onishi/news/47s_launch.html
漆原次郎『宇宙飛行士になるには』
https://www.amazon.co.jp/dp/4831513806
ファン!ファン!JAXA!「未来の大人たちに宇宙を身近に感じてほしい 大西卓哉」
http://fanfun.jaxa.jp/feature/detail/2788.html
| - | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『脳・心・人工知能』

ばんばん出てくる数式もなんのその。出版後すぐに増刷したそうで、アマゾンでも売れ筋ランキング、カスタマーレビューの評価ともに高くなっています。

『脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす』甘利俊一著 講談社ブルーバックス 2016年 238ページ


脳や心は、じつはまだほとんどのことがわかっていないとよくいわれる。これからも、脳や心の未解明な部分をすこしずつ明らかにしていくための地道な研究がおこなわれていくことだろう。

いっぽう、人工知能の発達のしかたはとても速い。もはや、単なる「ブーム」では片づけられそうもなくなった。オーストリアの詩人ライナー・リルケ(1875-1926)は「未来はそれが実際に起こるずっと前に、われわれの中に入り込み、みずからの姿を変えようとしている」ということばを残したが、人工知能がしみわたる未来は、まさにそのように近づいているのだろう。

長年、脳科学の研究をしてきた科学者は、ここまでの脳や心の研究の歩みかたを、そして人工知能の技術の走りかたを、どう見ているのだろうか。本書『脳・心・人工知能』を読めば、その一例がわかる。

著者は、脳のはたらきのしくみを数学によって分析したりモデル化したりする、「数理脳科学」の研究者だ。御年80歳。30年前にブルーバックスから誘いを受けていたが研究が忙しく、傘寿を迎えたいま、ついにこの本を上梓できたのだという。

脳研究と人工知能研究の進む速さがちがうのはどうしてか。著者は「脳をそのまま真似する必要はない。脳が用いている基本原理、脳が進化の過程で獲得した原理を、脳とはまったく違った形で工学技術として実現してよいのである」と述べる。人工知能の研究は脳科学とは独立して進んでいったわけだ。「人間以上の知能を実現する」という明確な目標もあるので進みかたも速い。

脳が用いている基本原理を、人工知能の開発に応用するための手段が、著者の研究してきた数理脳科学といえる。脳のしくみを数学で表現していくのだから、その記述は生物学的な脳科学よりずっと抽象的になる。そこからは、人工知能のモデルづくりとの接点も生じる。

たとえば、著者は1967年に数理脳科学の研究で「確率降下学習法」という脳の情報処理モデルを見いだした。一回ごとの学習では誤差が減らないときもあるが、全体的には誤差が減っていくため、全体的には情報処理の性能が高まっていく、というのが確率降下学習法の基本的な考えだ。こうした方法を礎にして、いま人工知能で注目されている深層学習(ディープラーニング)といった手法が発展していったのである。

数学により、脳研究から人工知能研究へと“橋”を渡してきた著者にとっても、いまの人工知能の発達には目を見はるものがあるようだ。2016年になり、グーグルが開発した人工知能「アルファ碁」が、人間の世界王者を4勝1敗で負かした。著者は「いや、大変なことになったものである」と漏らしている。一般人の単なる感嘆とは意味がちがう。

人工知能が発達する将来における、人間と人工知能のかかわりかたについても著者は想像する。

「機械が賢くなれば、人間もそれに適応して賢くなる。途中でいろいろな軋轢があっても、人間は人工知能を自分のパートナーとして活用し、新しい文明を発展させていくだろう」

このことばに、楽観すぎると感じる人もいるだろう。人工知能の発達の速さは、人間の進化の速さを凌駕する。それでも、人間は自分たちがつくりだした人工知能とつきあっていかなければならない。著書のことばは、人間も賢くなっていかなければならないという願いのようにも読める。

30年間、貯めこんでいたものが本書に一気に放たれたのだろう。研究者自身の手で書かれた、中身の濃い「脳、心、人工知能」の話だ。

『脳・心・人工知能』はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062579685/

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人工降雨技術の出番あるかも

水が多いときの矢木沢ダム
写真作者:ogajud

九州や北海道で大雨がつづくいっぽう、関東甲信や東北南部など雨が降らないなど、2016年の梅雨の気候が均衡しません。

関東地方のうち、東京の降水量は7月4日までの30日間で平年比98パーセントとそれなりにあるものの、水の供給源である利根川水系のダムのあたりに雨がふらないため、群馬・みなかみ町の矢木沢ダムの貯水率は5日現在で21パーセントまで下がっています。ただし、水系の8ダム合計の貯水率は、まだ51パーセントあります。

渇水の問題が深刻になると、人工的に雨を降らせる技術が話題になってきそうです。

人工降雨のつくりかたは、おもにふたつあります。

ひとつは、飛行機から固体の二酸化炭素であるドライアイスを雲に散布する方法。雲のなかを通るドライアイスに空気中の水蒸気が触れると細かい水滴になり、それが瞬時に低温で固まって氷晶になります。この氷晶がさらにまわりの細かい水滴から水分をもらって成長し、雪として降ってきます。7月のように地上付近の温度が高けければ、雪がとけて雨になり降ってきます。

もうひとつは、地上からヨウ化銀という物質を熱して、その煙を空の雲へと送りこむ方法。ヨウ化銀が氷晶とにたような役割を果たし、まわりの水分を集めて雪として降ってきます。数ある物質のなかでもヨウ化銀が使われるのは、結晶構造が氷晶の構造とにているからです。

日本でも、人工降雨の実用化に向けた研究がおこなわれています。代表的なところでは、茨城県つくば市にある気象庁気象研究所があります。集中豪雨や台風、地震や火山噴火などの現象の解明・予測にかかわる研究や、地球規模の気候変動にかかわる研究をする一環として、人工降雨の研究にもとりくんでいます。

気象研究所は過去に、いま渇水が深刻な矢木沢ダムなどを対象にしたモデル解析をおこなったことがあります。あくまで計算上の話ですが、ドライアイスを使って人工降雨を施すと、6月末時点で77パーセントの貯水率が100パーセントにまで回復するという結果を得られたといいます。

そうであるなら、「いますぐ矢木沢ダムの上空にドライアイスを撒いて、雨を降らせればよいではないか」ということになりそうなものですが……。

実際、渇水が深刻だったとき、人工降雨装置はかなりひんぱんに実用化されていました。1965(昭和40)年から翌年にかけて、関東地方の水不足を受けて東京都が1800万円でヨウ化銀を炊いて雨を降らせるための装置を導入しました。以来、じつは800回もこの装置が使われてきたそう。

つい最近でも2013年8月に、東京都が多摩川水系の小河内ダムで2001年以来12年ぶりに人工降水装置を稼働させました。すべてが人工降雨装置によるものかは不明ながら、稼働後1時間で11ミリメートルの降水量を記録したといいます。

今回の渇水も、より一層、深刻なものになれば、人工降雨技術の出番があるかもしれません。

参考資料
国土交通省関東地方整備局「首都圏の水資源状況について」
http://www.ktr.mlit.go.jp/river/shihon/river_shihon00000111.html
漆原次郎「“雪国”日本で発展 資源活用と被害対策2つの面で見る雪氷学」『化学と工業』2013年1月号
気象庁気象研究所「所長挨拶」
http://www.mri-jma.go.jp/Information/greeting.html
JCAST 2013年8月22日付「小河内ダム『人工降雨装置』稼働!直後に降雨…東京都は『効いたのかどうか…』」
http://www.j-cast.com/tv/2013/08/22181956.html
| - | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0)
靴の音鳴り問題、製造業者は「研究開発に力注ぐ」


歩いていると、足裏が地面につくたびに「音がなる」ことがあります。おならが「ぷっぷっぷっ」と出てしまうという人もいるかもしれませんが、そちらではなく、靴が「きゅっきゅっきゅっ」と鳴る話です。

靴を買った直後から、足裏が地面につくたびに靴が鳴るということもあるのかもしれません。しかし、はじめ音が鳴らないからといって、その音がいつ鳴りはじめるかはわかりません。本人が気づいていなかっただけかもしれませんが、突如「きゅっきゅっきゅっ」と音が鳴りだすこともあります。左右の片方の靴だけ鳴ることもあり「きゅっ(とん)、きゅっ(とん)、きゅっ(とん)」と聞こえたりします。

まわりに人がいないところでも「きゅっきゅっきゅっ」と靴の音が鳴ることが気になる人はいるかもしれません。

しかし、鳴る靴をはいて歩いている人の多くは、まわりに人がいるときに「きゅっきゅっきゅっ」と鳴ることに対して、とりわけ恥ずかしさを覚えるようです。自分の歩く調子に合わせて「きゅっきゅっきゅっ」と鳴れば、どう考えても音の発信源は自分にあるとわかってしまいますから、知らんぷりのしようがありません。とくに、廊下などの音の響く静かなところをほかの人と歩くものなら、絶対に音の発信源は自分であるとばれてしまいます。

靴が鳴るときの音は、どのように生じるのでしょうか。靴の製造業者も、買った人びとから多くの声を受けているのでしょう。ホームページで理由を説明しています。

「素材の組み合わせや構造によって生じるものです。また、スニーカー等でも、カップインソールと裏材との摩擦により音鳴りする場合があります」(リーガルコーポレーション)

「屈曲性を高めたソール構造による甲被や中敷と中底との摩擦音、靴底のグリップ性を高めるための構造による接地音の他、特に、アーチ部やフォアフット部に通気穴を設け、空気循環を活性化させる機能を備えた構造のシューズでは、空気排出音が発生することがあります」(ニューバランス)

「シューズ構造や素材の組み合わせによって、接地時や屈曲時に音鳴りする場合があります。屈曲性を高めたソール構造による甲被や中敷と中底との摩擦音、靴底のグリップ性を高めるための構造による接地音の他、特に、ビジネス用で通気性を高めムレを少なくするエアサイクル構造のシューズでは、空気排出音が発生することがあります」(アシックス)

大きくは、異なる素材どうしが擦れたときの音、靴底が地面に接するときの音、靴から空気が出てくるときの音に大別されるようです。

これらの企業は、靴が鳴る問題を認識しているようではありますが、では絶対に音の鳴らない靴をつくれるかというと、そうかんたんなことではないようです。

「音鳴りを減らすよう研究を重ね、改良改善に取組んでおりますが、天然素材を多く使い、多くの手をかけて一足一足、製法にこだわり製造していく過程で、どうしても抑えきれない面もあります。製品の特性・特徴をご理解の上、ご使用くださいますようお願いいたします」(リーガルコーポレーション)

「商品完成度をアップさせ、音鳴りを減少するよう、さらに研究開発に力を注ぎ、改良改善を重ねておりますが、路面グリップ性(滑り難さ)や通気性(むれ難さ)などの商品の機能をご理解のうえ、ご使用くださいますよう、お願いいたします」(ニューバランス)

「商品完成度をアップさせ、音鳴りを減少するよう、さらに研究開発に力を注ぎ、改良改善を重ねておりますので、何卒、路面グリップ性(滑り難さ)やエアサイクル機能(むれ難さ)などの商品の機能をご理解のうえ、ご使用くださいますよう、お願いいたします」(アシックス)

いずれも問題解決のために研究や開発をしてはいるのですということを示しつつ、音が鳴るのは靴の特性や機能によるものなので、ご理解のうえ使ってくださいね、ということで締めくくっています。

靴の一種である「スニーカー」は、英語の「こっそり忍びよる」という意味の“Sneak”から名づけられたもの。なので「きゅっきゅっきゅっ」と音の鳴る「スニーカー」には、おかしみがあります。

参考資料
リーガルコーポレーション「お問い合わせの前に」
https://www.regal.co.jp/inquiry/before/
ニューバランス「よくあるご質問」
https://www.newbalance.co.jp/support/faq/#q01
アシックス「ウォーキングシューズのQ&A」
http://www.asics.com/jp/ja-jp/support/faq/walking
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東京は35度を超え、銚子は30度に届かず



きょう(2016年)7月2日(日)、各地で最高気温が35度以上の猛暑日となりました。関東でも、東京で35.4度、群馬県の館林で37.5度などを記録しました。

各地で軒なみ最高気温が30度、さらに35度を超えるなかで、千葉県の銚子の最高気温は29.5度と、30度に届きませんでした。銚子からわずか30キロメートル離れただけの横芝光では34.7度、また成田では33.1度の最高気温を記録しており、銚子の涼しさが目立ちます。

銚子の7月の最高気温の平均は25.9度。東京の29.2度より3.3度も低い気温です。8月も東京が30.8度なのに対して、銚子では28.1度と2.7度も低い気温です。

きょうは銚子にしてみればとりわけ暑かったことになります。しかし、それでも30度に届かないわけで、銚子は関東地方のなかでの有数の避暑地と考えることもできます。

緯度でいえば、東京と銚子はさほど変わりません。銚子が涼しいのは、黒潮の流れる海に近いことが関係していると説明されています。

銚子では昼間、海から陸へと海風が吹いてきます。一般的に陸のほうが海より暖まりやすいため、昼の陽射しのあるときは、陸上の空気が海上の空気より早く暖まり、上昇気流が生じます。このとき、陸上の気圧のほうが海上の気圧よりも低くなるため、気圧の高い海上の空気が陸上へとやってくる、つまり海から陸に風が吹いていくるわけです。

銚子の街へと吹いてくる海風は、黒潮が流れている太平洋上から吹いてきます。夏場の黒潮の水面温度は25度くらいしかなく、涼しい風が流れ込んでくるため、銚子はほかの内陸の地域にくらべて涼しいと考えられています。

銚子とおなじような理由で、東京からおよそ80キロ南東にある千葉県の勝浦も、夏場は東京などよりも涼しくなります。ちなみにきょうの勝浦の最高気温は銚子よりさらに3.5度も低い26.0度でした。

関東圏の避暑地というと、軽井沢や箱根などが有名ですが、風も強い銚子で涼しく過ごすこともできます。

参考資料
気温と雨量の統計ページ「千葉県銚子の気候」
http://weather.time-j.net/Climate/Chart/chyoshi
気温と雨量の統計ページ「東京」
http://weather.time-j.net/Climate/Chart/chyoshi?compare=tokyo&select=44
気象庁「2016年7月3日 日最高気温」
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/tem_rct/index_mxtem.html?gazou=mxtem00s&zoom=3&x=2237&y=1746&v=p
ウィキペディア「海陸風」
https://ja.wikipedia.org/wiki/海陸風
千葉建築士会「ちば県の気候特性」
http://chiba-kenchikushikai.com/environmental_building/2.pdf

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「食育」の提唱、明治時代から
食生活にかかわるさまざまな教育のことを「食育」といいます。近年、食育の大切さがよくいわれるようになっています。

国立国会図書館の本や雑誌記事の蔵書検索で「食育」と入れて当たるもっとも古い文献は、毎日新聞社が発行していた雑誌『月刊教育の森』1983年3月号。大分大学教授だった飯野節夫氏が 「非行・落ちこぼれは健脳食で治る 食育(食べもの教育)のすすめ 」というタイトルの記事を著しています。

「『食育・食教育』どのように行なわれているか」という特集名なので、それまでも学校などで食育を意識した教育はおこなわれていたはずです。そこで日本での食育の歴史を追ってみると、古く19世紀末までさかのぼります。

1896(明治29)年、医師の石塚左玄(1851-1909)が『化学的食養長寿論』という本を著しました。このなかで、石塚は次のように述べています。

「嗚呼何そ學童を有する都會魚鹽地の居住民は殊に家訓を嚴にして躯育智育才育は即ち食育なりと観念させるや」


石塚左玄『化学的食養長寿論』
所蔵:国立国会図書館

児童のいる都会の人びとはとくに家訓を厳しくして体育、知育、才育は食育なのだと意識させなければならないということを述べています。

石塚は、食べものの栄養を考えて病気の予防や治療をはかる「食養」の考えを解きました。『化学的食養長寿論』は当時の最新の化学の知識などから食養の具体的な方法や考えかたを説いたもの。そのなかで「食育」ということばを造り、使ったのでした。

また、小説家の村井弦斎(1863-1927)も、報知新聞の連載を小説にした『食道楽』「秋の巻」で、「食育論」という回を設け、つぎのように述べています。

「今の世は頻りに體育論と智育論との争ひがあるけれどもそれは程と加減に依るので、智育と體育と徳育の三つは蛋白質と脂肪と澱粉の様に程や加減を測つて配合しなければならん、然し先づ智育よりも體育よりも一番大切な食育の事を研究しないのは迂闊の至りだ」


村井弦斎『食道楽 秋の巻』
所蔵:国立国会図書館

村井はその後、鶏、牛、豚などの家畜が多産性や体質は食べもののよしあしで決まるということを引きあいに出して、人間についても体育の根源も知育の根源も食育にあると説いています。ここで村井が述べる「食育」には、「食で育てる」という意味あいが強くあります。

このように、19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて、すでに「食育」ということばはつくられ、世に出ていました。

ただし、石塚や村井が示した「食育」のことばや考えかたは、さほど社会には響かなかったようです。「食育」ということばは一般に定着することはなかったようです。

その後、1980年代、冒頭の飯野節夫氏などの記事で、ふたたび「食育」のことばが見られるようになりました。もっとも、この記事で「食育」にかっこ書きで「食べもの教育」とつけられていることから、当時の社会では浸透してない考えかただったことがうかがえます。

1990年代には、食育の大切さがよりいわれるようになりました。背景には、脂肪の過剰摂取などの栄養バランスの乱れ、欠食や孤食の増加、過度に太っているまたは痩せている子どもの増加などがあると指摘されています。

2000年代に入ると、2005年に「食育基本法」が制定されました。前文では、「国民一人一人が『食』について改めて意識を高め、自然の恩恵や『食』に関わる人々の様々な活動への感謝の念や理解を深めつつ、『食』に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力を身に付けることによって、心身の健康を増進する健全な食生活を実践するために、今こそ、家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいくことが、我々に課せられている課題である」と高らかに謳っています。

参考資料
ウィキペディア「食育」
https://ja.wikipedia.org/wiki/食育
石塚左玄『化学的食養長寿論』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/836793/2
村井弦斎『食道楽 秋の巻』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886115
「食育の背景と経緯 『食育基本法案』に関連して」
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/0457.pdf
内閣府「食育基本法」
http://www8.cao.go.jp/syokuiku/about/law/law.html
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