科学技術のアネクドート

近視の原因はっきりせず


遠くのものがはっきり見えない状態を「近視」といいます。外から眼に達する平行な光が、眼の網膜よりも前で結ばれてしまうために起きます。

では、どうして近視は起きるのか。これについては、さまざまなことがいわれています。

まず、程度の差はあるものの、どんな人でも、子どもから大人へと時を経るにつれて、近視の状態に近づいていくものであるという話があります。

人の眼は、誕生してから、20歳代まで、人によっては30歳代後半まで、大きくなりつづけます。そのため、平行な光の焦点が眼球のなかで結ばれる位置は、時とともに相対的に前のほうへ前のほうへと移動していきます。そのため、だんだんと近視の状態になっていくということです。

とはいえ、子どものころから早く近視になってしまう人や、近視の度が強い人、またそうならない人もいます。近視が進みやすい人とそうでない人がいるのには、やはり原因がなければなりません。

一般的に、病気の原因は「遺伝によるもの」と「環境によるもの」に分けられます。近視についてもこの両方がいわれています。

遺伝については、何歳のときに近視が始まり、何歳のときにどこまで進行するかが遺伝によって決められているという説明がされます。

最近では、2015年3月、京都大学大学院医学研究科眼科講座の研究者たちが、近視の発症に関わる遺伝子変異を発見したとして話題になりました。9800人の日本人のデータを解析したところ、「WNT7B」という遺伝子の変異が、近視の発症に影響をあたえていることがわかったということです。

いっぽうで、環境によるものとしては、近くにあるものばかりを長いこと見ながら作業しつづけることにより近視が進むとよくいわれます。

しかし、じつのところ、近視が進む原因がどのようなものであるかは、はっきりしておらず、遺伝によるものと環境によるものの両方が複雑に関係しているといった説明のしかたがされています。

参考資料
参天製薬「近視」
http://www.santen.co.jp/ja/healthcare/eye/library/myopia/
ウィキペディア「近視」
https://ja.wikipedia.org/wiki/近視
京都大学 2015年3月27日発表「近視(近眼)の発症に関わる遺伝子変異を発見」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2014/documents/150330_1/01.pdf
はるやま眼科「近視の原因と予防」
http://www.haruyama-eye.jp/kussetsu.html
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幾何学の大成者をめぐる記述は乏しい――立体視への挑戦(6)

人は平面で立体を伝えようとしてきた――立体視への挑戦(1)
手前の馬と奥の馬を重ねて示す――立体視への挑戦(2)
“手前”を下に、“奥”を上に描く――立体視への挑戦(3)
遠くのものをかすませて描く――立体視への挑戦(4)
平行透視図を描く――立体視への挑戦(5)

人が目に映るものに対して抱くのとおなじような遠近感が現れるように描いた図を「透視図」といいます。そして、視点をひとつに定めて、人の目に映るのとおなじように遠くを小さく、近くを大きく描く方法を「透視図法」といいます。

透視図法は、いくつかある遠近法の種類のなかでの主役です。この連載では、これまで「上下遠近法」や「空気遠近法」などの遠近法もとりあげてきました。しかし、透視図法こそが、いま使われている「遠近法」ということばの意味するものにもっとも近いものです。「透視図法」を「遠近法」のいいかえとする人もいます。

透視図法をめぐる人類の歩みのなかで、最初に語られる歴史的人物はギリシャの数学者ユークリッド(紀元前300年頃)です。ギリシャ語では、エウクレイデス。いまも、ユークリッドが著したとされる著書『幾何学原本(ストケイア)』の体系にもとづく幾何学は、彼の名にちなんで「ユークリッド幾何学」とよばれています。

ユークリッドの人物像は、謎に満ち満ちています。彼の著書とされる『幾何学原本』、それにもっとも知られる『原論』などの記述は豊富であるものの、ユークリッドのことを語る同時代の人びとの資料は乏しいのです。フランスの数学史家イタールは、ユークリッドについて「そもそも実在しなかった」「数学者集団の名前だった」「数学者たちがその作品をメガラのエウクレイデスという別人の名前に託した」といった三つの仮説を立て、二番目がもっともらしいと主張しました。



エウクレイデスの『原論』の最古の写本の断片

ごくわずかながら、ユークリッドに対する言及の欠片が存在します。最大の情報源となっているのは、哲学者プロクロス(410-485)の著した『エウクレイデス「原論」第I巻注釈』。プロクロスは、ユークリッド(エウクレイデス)について、つぎのように述べました。

「彼はプトレマイオス1世の時代に生きていた。というのも1世の後に生きたアルキメデスがエウクレイデスに言及しているからである。また、プトレマイオス王が、あるとき幾何学を学ぶのに『原論』の道よりも短い道はないかと尋ねたのに対し、エウクレイデスが「幾何学には王道はない」と答えたと言われている。したがって彼はプラトンの弟子たちより後で、エラトステネスやアルキメデスよりは前の人である。というのもこの2人は、エラトステネスがある所で言っているように、同時代人だからである」

プトレマイオス1世(紀元前367頃-紀元前283頃)とは、マケドニアの国王アレクサンドロス大王の侍従であり、大王の死後、プトレマイオス朝を建てた人物です。

プロクロスは、ユークリッドがいつごろの時代を生きた人物だったかを示そうとしました。そこで、プトレマイオス1世と対話をしたという事例から、ユークリッドをプトレマイオスの同時代人と推定したわけです。その対話の中身が「幾何学に王道はない」だったというわけです。このことばは、幾何学に対する志を示すことばとして、いまの時代にも伝えられています。

しかし、この「幾何学に王道はない」という発言さえ、ユークリッドのものではなかったとする説があります。ギリシャの詞華集編者ストバイオス(5世紀頃)は、このことばを、ギリシャ時代の数学者で幾何学の完成に尽くしたメナイクモス(生没年不詳)が、アレクサンドロス大王に対して言ったものだと主張しています。

とはいうものの、プロクロスもストバイオスも、ユークリッドが生きていたとされる時代より数世紀あとの人物。だれが「幾何学に王道はない」と言ったかは謎のままかもしれません。

プロクロスなどが残したわずかな情報しか、ユークリッドの人物像を探る手がかりはありません。ユークリッドの著書とされるものも、本当にユークリッドという個人が著したものであるかはわかりません。

しかし、ユークリッドが本当に著したかどうかに関係なく、紀元前に幾何学の知識はだれかによって完成し、書物によって保存され、後世まで伝わった。これは事実です。

ユークリッドの著書とされるものは、人物像を知るための手がかりのすくなさにくらべて数多くあります。そのなかのひとつに、現存する最古のギリシャ語の書物『光学(オプティカ)』があります。透視図法を連想させるような著書です。つづく。

参考資料
斎藤憲・三浦伸夫訳『エウクレイデス全集 第1巻』
https://www.amazon.co.jp/dp/4130653016
ブリタニカ国際大百科事典 「プロクロス」
https://kotobank.jp/word/プロクロス-127917
日本大百科全書「メナイクモス」
https://kotobank.jp/word/メナイクモス-1600198
ブリタニカ国際大百科事典「ストバイオス」
https://kotobank.jp/word/ストバイオス-84346

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「吊り橋効果」の「吊り橋」を渡る―sci-tech世界地図(10)
気軽に読める恋愛心理学の本に、「吊り橋効果」の話がよく出てきます。吊り橋効果とは、「不安や恐怖を強く感じているとき出会った人に対しては恋愛感情をもちやすくなる」と説明される効果のこと。

この効果に「吊り橋」のよび名がつくのは、この効果を検証する実験が吊り橋でおこなわれたからです。その吊り橋は、カナダのブリティッシュコロンビア州ノースバンクーバーにある「カピラノ吊り橋」。イングリッシュ湾に注ぐカピラノ川にかかる吊り橋です。


カピラノ吊り橋
写真作者:Michael Gardiner

1973年、ブリティッシュコロンビア大学の心理学者ドナルド・ダットンとアーサー・アロンは、カピラノ吊り橋に女性インタビュアーを立たせました。女性インタビュアーは、吊り橋を渡ってきた男性たちに、「自分の心理学のクラスで、創造的表現に関する風景の印象の効果を調べているんです」と言って協力を得て、「片手で顔を覆いかくしている若い女性の絵をもとにした簡単な物語をつくってください」という課題が書かれた用紙を見せました。この絵は、「絵画統覚検査」(TAT:Thematic Apperception Test)という心理テストで用いられる絵のひとつです。

吊り橋の上でのこうしたやりとりが終わると、女性インタビュアーは用紙の端をちぎって、名前と電話番号を書き、「もしあなたがさらにお話したければ、連絡してください」と男性に伝えました。

この一連の作業が、このカピラノ吊り橋の上で、18歳から35歳の18人の男性に対して行なわれたのです。

そして、被験者となった男性たち18人のうち9人から、女性インタビュアーに電話がかかってきました。いっぽう、おなじ行為を、川の上流にあるヒマラヤスギでできた頑丈な橋でおこなったところ、対照群の被験者となった男性たち18人のうち、女性インタビュアーに電話をかけてきたのは、2名のみだったということです。

カピラノ吊り橋は、1889年、スコットランド人でバンクーバー公園局長だったジョージ・グラント・マッカイ(1827-1893)の手で建設されました。当初は鉄線でなく麻のローブだったようです。

ダットンとアロンによると、実験時のカピラノ吊り橋は、端から端まで鉄線のつけられた板でできています。幅は5フィート(約1.52メートル)、長さは450フィート(137.16メートル)。さらにこの吊り橋の特徴を、「落下してしまいそうという印象をあたえるほど傾き、揺れうごき、不安定なこと」「この印象を助長するような低さの鉄線の手すり」「岩場や浅い急流に至る230フィート(約70メートル)の高さ」とあります。実際この吊り橋では、1990年代以降、橋から人が落ちる事故がいくつか起きています。

いまや、グーグルのストリートビューで、このカピラノ吊り橋を擬似的に「渡る」ことができまし、橋の途中から眼下の川を覗くこともできます。「この橋で、女性インタビュアーに電話番号のメモを渡されたら」と想像をめぐらすこともできます。

ダットンとアロンの所属していたブリティッシュ・コロンビア大学から、カピラノ吊り橋までは、車などで18キロメートルほど。自分たちの仮説を検証するには、おあつらえ向きの吊り橋だったのでしょう。

「吊り橋効果」の実験がおこなわれた「カピラの吊り橋」は、世界地図上のこちらにあります。

参考資料
Donald G. Dutton & Arthur P. Aron “Some Evidence for Heightened Sexual Attraction under Conditions of High Anxiety”
http://gaius.fpce.uc.pt/niips/novoplano/ps1/documentos/dutton%26aron1974.pdf
日本心理学会「心理学の法則ってどのくらい確かなものですか?」
http://www.psych.or.jp/interest/ff-39.html
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具体例を聞くことがものをいう

写真作者:Heinrich-Böll-Stiftung

原稿づくりのための材料を、専門家や当事者から集めることを「取材」といいます。取材では、一般的に言われていることでなく、その取材対象者からでなければ聞けないことを得ることが大切になります。

その取材対象者からでなければ聞けないことのひとつに、「具体的な話」があります。その人の独自の考えかたや、その人の独自の知見を聞くことも大切ですが、その人が経験した具体的な話を聞くことは、とくに「語り」で展開するような本や記事ではおなじくらい大切になります。具体的な話は、説得力を高める材料になるからです。

本や記事には、書き手や伝え手の「伝えたいこと」があります(あるはずです)。「伝えたいこと」が読者に伝わるには、「伝えたいこと」のほかに「そう考える理由」そして「それを示す具体例」が揃っていると効果的です。

  「こうである(伝えたいこと)。なぜならこうだからだ(理由)。たとえばこんなことがある(具体例)」

たとえば、取材対象者が「会社では、社員どうしがあいさつすることは大切です(伝えたいこと)。あいさつで意思疎通しやすい環境が保たれるからです(理由)」と言ったとします。

これに、説得力をさらに高めるには、具体例まで聞きだすことが必要です。

「会社では、社員どうしがあいさつすることは大切です(伝えたいこと)。あいさつで意思疎通しやすい環境が保たれるからです(理由)。私の職場では朝夕のあいさつ運動をしていますが、とりくみ前よりも職場に活気が生まれました(具体例)」

取材対象者みずから具体例を言ってくれない場合もあるので、書き手が「具体的になにかやっていることはありますか」と聞かなければなりません。

極端な話をすれば、「伝えたいこと」や「理由」といった理論的な話を使わず、「それを示す具体的な例」を伝えるだけで、読者に「伝えたいこと」が通じてしまうこともあります。イソップ寓話の「北風と太陽」は、具体的な例だけを物語で伝えるだけで、「厳格に接するより、寛容に接するほうが、相手は動く」という「伝えたいこと」を見事に伝えています。

実際の取材では、書き手が取材対象者に「たとえばどんなことを経験しましたか」と聞くことがつい億劫になってしまいがちです。取材で最初に「たとえばどんな経験をしましたか」と聞いたところ、取材対象者に困った顔で「うーん、ちょっと思い出せませんけれどね」と返されるとします。すると「答えられない」「答えてもらえない」という微妙な雰囲気になります。

ふたたび「たとえばどんな経験をしましたか」と聞いて、「うーん、それもちょっと思い出せません」と返されると、さらに微妙な雰囲気なります。「答えられない」「答えてもらえない」がつづくことは、おたがいに避けたいため、書き手のほうが具体的な逸話を聞きだすことをためらってしまうことになりかねません。

具体的な逸話を聞いても「答えられない」「答えてもらえない」。取材でそのような状況に陥らないために、事前に取材対象者に「取材ではできるだけ、誰々さまが経験なさった具体的なできごとを聞きたく思います」と伝えておくことが、なによりの手となります。

それをしたうえで、さらに取材のとき、質問をはじめるよりも前に「きょうは、できるだけ誰々さんが経験なさった具体的なできごとを聞ければと思っています。質問のたび『たとえば、どんなことがありましたか』と聞きますが、どうか嫌がらないでください」などと、あらかじめ断りを入れておけば、具体的な話を何度も聞くときの心の壁は低くなります。
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どうともとれるけれど、それなりに通じなくもない


ことばには「どうともとれるけれど、それなりに通じなくもない」とでもいうような、悪くいえば曖昧、よくいえば融通のきくものがあるものです。

大学入試などのために古文を勉強している人は、塾の講師などから「あはれなり」の訳しかたについて教わったことがあるかもしれません。

「『あはれなり』が出てきたら単に『感慨深い』と直訳すること。以上」

「あはれなり」には、「悲しい」といった意味もあれば、「いとしい」といった意味もあります。しかし、「悲しい」と解釈すべき「あはれなり」を「いとしい」と訳したり、逆に「いとしい」と解釈すべき「あはれなり」と「悲しい」と訳したりすると点をもらえません。

そこで、悲しさもいとしさも包含している「感慨深い」という訳をつけておけば、どんな「あはれなり」に対しても、正しい解釈をしたということになるわけです。

「感慨深い」は、古文の試験で答えるとき以外にも便利に使うことができます。たとえば、政界で、自分の政敵にあたるような人物が亡くなったとき、政治家は「彼との論争の日々は感慨深いものがある」などとコメントすることがあります。本音では「いまでも憎たらしい」と言いたいのかもしれませんが、表向き慎むべきときには「感慨深い」と言っておくにとどめる人はいることでしょう。

もうひとつ、「淘汰」ということばも、曖昧かつ融通のきくことばのひとつです。

淘汰とは、自然環境で、生存に適するものが残り、適しないものが消えていくこと。つまり、残る生物は「淘汰」され、かつ消えていく生物も「淘汰」されるわけです。

「地球にいま存在する生物は、淘汰された結果、生存しているものだ」
「地球にすでに存在しない生物は、淘汰された結果、絶滅したものだ」

「淘汰」の置きかえ語として「選択」もあります。「選ばれる」というと、「残る」という語感だけになりますが、「選択される」というと「残る」だけでなく「消えていく」という語感もふくまれるから、日本語はなかなか奥深いものです。

「地球にいま存在する生物は、選択された結果、生存しているものだ」
「地球にすでに存在しない生物は、選択された結果、絶滅したものだ」

意味をどのようにでも解釈できることばでもそれなりに通じてしまうのは、「文脈を読む」あるいは「押して察する」といった日本語の使いかたの特性とも関係しているのかもしれません。
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離脱の動揺、子どもたちの遊びでも



英国で(2016年)6月23日(木)国民投票がおこなわれ、欧州連合からの離脱に賛成する票が過半数を超えました。英国は今後、欧州連合からの離脱の手つづきを進めることになりそうです。

それまで属していたところから抜けだすことを「離脱」といいます。かつて世界を支配し、いまも数すくない先進国のひとつである英国という国そのものがほかの国々との連合を離脱するというのは、世界史のなかでも最大規模の離脱といえるのではないでしょうか。

しかし、規模の大小はあれども、「ふたつ以上のものが組みあわさってなりたっていたグループからひとつが抜けでることになったために影響が生じる」という構図は、どこにでもあることではあります。

たとえば、昭和生まれの子どもたちは、かつて放課後みんなで集まって鬼ごっこをしたり、野球をしたりして過ごしました。子どもの遊びです。

学校で「なあ、きょうも遊ぼぞうぜ」とクラスの友だちどうし数人が約束をして、公園に集まって遊びはじめます。そして遊びは盛りあがります。

ところが、遊んでいた数名のうちのひとりが突然に「なあ、俺もう家に帰る」と言いだします。遊びがおもしろくなかったのか、家でファミコンをしたくなったのか。いずれにしても、本人からすれば、仲間のひとりとしてその遊びに加わっていることよりも、家に帰ることのほうが利が大きいと感じたのでしょう。

数人で遊んでいたなかで、一人が「離脱」を表明すると、残った子たちに動揺が起きます。これまでなにごともなく保たれていた均衡が、一人の離脱で大きく崩れることに。残された一人ひとりは、口に出さずとも「このまま残った俺たちだけで遊びをつづけて、おもしろいんだろうか」などと感じるようになります。

その直後、「なぁ、俺ももうそろそろお家に帰る」と言いだす子が現れると、一気にその日の子どもたちの遊びは終焉へと向かっていきます。つぎつぎと「俺も帰る」「僕も帰る」となり、「じゃあねバイバイ」ということに。

いっぽう、「なぁ、俺ももうそろそろお家に帰る」と言いだす人が現れずに、一人が残った状態でしばらく遊びがつづければ、その新たな状況を残った子たちが定常状態と認識しはじめ、日が暮れるまで遊びがつづく場合もあります。

これほど、グループ内で初めて離脱者が現れたときは、残された構成員たちに大きな影響を及ぼします。グループが存続するか解散するかの分かれ目にもなります。まして、そのグループ内で影響力のある構成員が離脱を表明するとなればなおのこと。小学校のクラスの人気者が「なあ、俺もう家に帰る」と言ったときの動揺は大きなものになります。

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「裏のほうがごつごつ」は偶然にあらず

米国の探査機「クレメンタイン」が撮影した月の裏側

人類の技術が月の裏側の撮影にはじめて成功したのは1957年10月のこと。ソビエト連邦(いまのロシアなど)の無人月探査機「月3号」によってです。この探査機は10月4日にうちあげられ、18日、モスクワ放送により撮影成功を伝えられました。

月はおよそ27日の周期で自転しながら、地球のまわりを公転してもいます。そのため、地球に対してはいつもおなじ面のみを見せています。

実際の月の裏側のようすは、表にくらべて起伏のはげしいごつごつしたものでした。とりわけ、かつての隕石の衝突によって生じたクレーターが、表よりもたくさん見られました。月の裏側のようすが初めてわかったとき、多くの人びとは驚きをもったともいいます。「裏側はこんなに粗野なのか」と。

月の表側よりも裏側のほうが、クレーターでごつごつしているのは偶然なのでしょうか。コイン投げをしてたまたま起伏の穏やかな面が自分たちのほうを向き、クレーターだらけのごつごつした面が裏側となっただけなのでしょうか。

そうではありません。月の裏側のほうがごつごつしているのにも理由が考えられます。

月の表側はいつも地球のほうを向いています。いっぽう、月の裏側はというと、いつも地球とは逆のほうを向いています。もし、月の表側に向かって隕石が進んできたとすると、はるかに引力のある地球に引っぱられて地球に衝突することが多くなるはずです。しかし、月の裏側に向かって隕石が進んできたときには、隕石からすると地球は月よりも奥のほうにあるという位置関係になるため、地球に衝突することは考えられません。

つまり、月の表側は隕石の衝突が避けられるのに対して、月の上側は隕石の衝突を避けられないことになります。このちがいが、月の表と裏の表情のちがいをもたらしていると考えられます。

参考資料
朝日新聞デジタル 2015年9月5日付「月の裏側 38万キロかなたからの写真」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11945468.html
酒井邦嘉『科学という考え方』
https://www.amazon.co.jp/dp/4121023757
ウィキペディア「ルナ3号」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルナ3号
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「もったいない」概念がないと説明は長くなる

写真作者:shuets udono

このブログでまえに「『もったいない』と『使いすて』が同居」という記事がありました。日本人には「もったいない」と「使いすて」の精神が兼ねそなわっていそうだという話です。

「もったいない」は、よく外国人の社会にはこれまでなかった概念だといわれます。日本特有のスープである「だし」が、ローマ字で“Dashi”として世界に広まっているのとおなじように、“Mottainai”という単語も世界的に広まっているといいます。

“Mottainai”ということばや概念を説明する外国語での記述からも、その国にずばり当てはまることばがないため、語感を多くのことばで説明しようとする向きが見られます。

たとえば、英語のWikipediaでの“Mottainai”の項目には、つぎのような内容の説明が、英語でされています。

「Mottainaiは、むだづかいに関する後悔の念を伝える日本のことばである。“Mottainai!”という表現は、食べものや時間といった有用なものがむだづかいされているときに感嘆詞としてただ一語で発せられ、その意味は『なんたるむだづかい!』あるいは『浪費するな』といった意味となる。『むだの多いこと』というもともとの語感に加えて、このことばは『不信心、不敬』あるいは『身に余る』といった意味にも使われる」

「もったいない」を、これほど長いことばで説明しているということから、いかに「ほれこんな感じ」とかんたんには伝えづらい概念であるかがわかります。

しかし、英語のwikipediaには、「もったいない」ということばの意味に該当するような英語のことわざも紹介されています。それは、“waste not, want not”というもの。これは「むだがなければ不足もない」とか「浪費なければ窮乏なし」とかいった意味です。

そして、米国のアラン・マクイランとアシュレイ・プレストンという二人の人物により編集された『グローバルにローカルに』(Globally and Locally)という本の記述を引いて、「価値あるものを無にするな」と訳せるかもしれないともしています。

ある言語圏において、なにかの概念を表すことばが存在しなければ、その概念そのものも存在しないとまではいえません。しかし、ひとつのことばとして明確に表わされるほどの精神がなかったとも考えられます。

こうしたことから、「もったいない」という概念は、すくなくとも日本語以外の言語圏ではあまり短いことばとしては存在しなかったか、かつて存在していても廃れてしまったかということになりそうです。

ちなみに、アイヌ語では「もったいない」に近い意味のことばに、“aniska”、“cikari”、“ikaraski”、“inunuke-an”などがあるようです。かつての北海道にもや樺太などにも、「もったいない」の精神はかなり強くあったのかもしれません。

参考資料
wikipedia “Mottainai”
https://en.wikipedia.org/wiki/Mottainai
アイヌ語電子辞書
http://homepage3.nifty.com/tommy1949/aynudictionary.htm
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千葉県民のことを思いつつ取手でつくられる


キリンが大胆なネーミングでビールのキャンペーンを打っています。

各都道府県で、その地域の名前がついたビール「一番搾り」が売られています。たとえば、千葉県で売られているのは「千葉づくり」。ほか「信州づくり」や「神戸づくり」などのように、都道府県名とは異なる地名をつけたビールもあるようです。

「千葉づくり」。そのラベルには「取手工場製造」とあります。東関東の地理に詳しい人は違和感を覚えるかもしれません。取手という地は、千葉県のおとなり、茨城県の南部にあるからです。



これまで千葉県は、浦安市の「東京ディズニーランド」や成田市の「新東京国際空港」、また船橋市の「ららぽーとTOKYO-BAY」のように、なにかと東京にちなんだネーミングがなされるということが話題になってきました。一方、今回の場合は、茨城県内の取手にある工場で作られたビールであるけれど、「千葉づくり」。「千葉」が全面的に強調されています。

「千葉づくり」のどのあたりが「千葉」なのでしょう。

ラベルの裏側を見るとこんなことが書かれています。

「千葉の皆さまと、地元のことを語り合いました。おおらかな千葉の人のしあわせな時間に、一番似合うビールをつくるために」千葉支社長 重田吉浩



またキリンのサイトにはこんなことが書かれています。

「おおらかで、地元愛が強い。そんな千葉の人のしあわせな時間に、似合うビールができました。(略)“食材の宝庫”千葉の、旬の素材を引き立てる、千葉だけの一番搾りを、お召し上がりください」

千葉県でつくられたわけでもなく、千葉県産の材料が使われているわけでもなさそうです。しかし、千葉県民が千葉県民のために企画したことがひしひしと伝わるようなコンセプトです。むしろ、「千葉思い」とか「千葉のため」とかいった表現が、ふさわしいかもしれません。

ちなみに、取手工場のある茨城県で売られるビールにはどんな名がついているかというと、「取手づくり」。こちらは、「取手でつくられた『取手づくり』」ということになり、言っていることとやっていることがより一致します。ラベルの正面に「茨城県取手工場限定醸造」と記されていて、堂々としています。

参考資料
キリン「キリンの9つの工場から47都道府県の一番搾り」
http://www.kirin.co.jp/products/beer/ichiban/ji/is_47/
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猫の立場からすると人は猫

相手の立場になってものを考えることは大切だとはよくいわれるもの。部長が部下の立場になって、旦那が奥さんの立場になって、もの書きが編集者の立場になって考えると、相手を慮って行動できるようになるということです。

人は人ですので、あたりを歩いている猫のことを人として「あ、猫だ」と見ます。けれども、猫の立場なってみるとどうでしょうか。猫は人のことをどのように見ているのでしょう。

この素朴な疑問については、2014年から2015年にかけて、英国の猫を研究する人物の著書や取材記事が話題となり、一般の人びとのあいだでも定説と化しました。

その定説とは「猫は人のことを“からだが大きな猫”と見ている」というもの。

人のからだの大きさは猫の3倍以上もあります。しかも四本足で歩く猫とちがって、二本足で直立して歩いています。人の立場で見れば、このちがいは大きなもの。しかし、猫はそんな人が視野に入ってきたとしても、「なんかしらんけど大きな同類がおるなぁ」くらいの認識でいるようです。

どうして、猫は人のことを人とは見ずに、猫と見ているということがいえるのか。これは、犬の人に対する反応とくらべて観察するとわかるといいます。

まず、犬のほうは、同類つまり犬と出会うときと、人と出会うときとで態度を変えるといいます。たとえば、犬が犬と遊ぶときと、犬が人と遊ぶときでは、遊びかたがちがってくるといいます。

これに対して猫のほうは、同類つまり猫と出会うときと、人と出会うときとで態度を変えるようなことは、これまで見つかっていません。猫に対しても人に対しても、相手にまとわりついたり、となりに座ったりという社会的行動のとりかたはおなじといいます。

猫はせず人だけがする行為、たとえば餌をあたえられるといった行為には、餌に寄っていくといった反応をします。しかし、これも、餌をあたえている人に寄っていくわけではなく、猫にとっての「なんか知らんけれど大きな同類」が示している餌を確保するために寄っていくもののよう。

人は猫を猫として認識し、猫に愛着があれば「かわいい」と思う。猫は人を猫として認識し、猫に愛着ある人のことをなんとも思わない。これはある種の「片思い」のような状態です。しかし、そんな片思いでも人間がやきもちを焼かないのは、やはり相手が人でなく猫だからなのでしょう。

参考資料
ナショナルジオグラフィック 2014年1月28日付「ネコは飼い主をネコと思っている? 動物行動学者が語るネコの感覚」
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20141215/428394/
マイナビニュース 2016年5月6日付「猫は人間のことを"猫"だと思っているってホント?  獣医師が解説」
http://news.mynavi.jp/news/2016/05/06/307/
ハフィントンポスト 2015年9月10日付「残念だが、猫はあなたをそれほど必要としていない(研究結果)」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/09/your-cat-really-doesnt-need-you-around_n_8114002.html

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水素のつけくわえにルテニウムが仲だち

ルテニウムの結晶
写真作者:Metalle-w

いまのところ118種類の元素が認められています。それぞれの元素には、さまざまな特徴があるもの。たとえば、「ニホニウム」のよび名が内定した113番元素のように、実用的な使われかたはこれといってないものの、知名度としてはとても高い元素があります。

逆に、一般的にあまり知られていないものの、じつはある分野ではとても役立っている元素もあるものです。

原子番号44の元素といえば、「ルテニウム(Ru)」。水素やナトリウムや鉄などの元素のくらべると有名ではありません。しかし、ほかの物質の化学反応の仲だちをして反応を促す「触媒」としての役割を果たすため、化学者たちのあいだで重宝がられています。

元素を、「族」という、周期表で縦に並ぶ群で分けることがあります。「族」に属する元素どうしでつくりがにていて、それらの性質に共通性があるからです。

ルテニウムは、周期表の左端から8番目の列にあります。8番目の列にある族を「8族」といいます。また、8族から10族までのうち、横の行にあたる5周期目と6周期目に位置するルテニウム、ロジウム、パラジウム、オスミウム、イリジウム、白金の6種類の元素は、酸やアルカリにおかされにくいといった性質が共通しているため、まとめて「白金族」とよばれます。

白金族のひとつ、ルテニウムは1844年、ロシアの化学者カール・クラウス(1796-1864)により、ウラル地方で採れた白金の砂のなかから発見されました。クラウスはその後、ルテニウム単体の分離にも成功しています。

その後、研究が進み、いま、ルテニウムは「不飽和結合の物質を水素化する」ための触媒としてよく使われています。

不飽和結合とは、原子と原子のあいだに2対または3対の電子対が共有されて結合のしかたのこと。とくに炭素原子どうしのこうした結びつきかたを指して、不飽和結合ということが多くあります。

ルテニウムは、この不飽和結合をしている物質と水素を反応させて、不飽和結合に水素をつけくわえる「水素化」という反応を促します。たとえば、アンモニアの合成、甘味料の合成、また都市ガスの製造などにルテニウムの触媒が使われます。

2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治さんの研究業績のひとつが、「触媒的不斉水素化反応の開発」というもの。「不斉」とは、分子における原子の並びかたが対称性をもたないこと。ルテニウムを基本とする物質を水素化の触媒として使い、不可能とされていた分子の「右手型」「左手型」のつくり分けに成功しました。

ルテニウムをふくむ白金族の元素は、酸化や還元の作用を強くもたらします。そのため、反応を促進する触媒としてよく使われています。

参考資料
科学技術週間「元素周期表」
http://stw.mext.go.jp/common/pdf/series/element/element_a9.pdf
ブリタニカ国際大百科事典「ルテニウム」
https://kotobank.jp/word/ルテニウム-150899
ウィキペディア「ルテニウム」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルテニウム
デジタル大辞泉「水素化」
https://kotobank.jp/word/水素化-539935
エヌ・イー ケムキャット「ルテニウム触媒」
http://www.ne-chemcat.co.jp/business/chemical/catalyst_d.php?dt=01&t=01&no=03
名古屋大学博物館報告「名古屋大学博物館第3回特別展記録 2001年ノーベル化学賞記念 野依良治ノーベル賞への道」
http://www.num.nagoya-u.ac.jp/outline/report/pdf/018_11.pdf
名古屋大学・科学技術振興機構 2015年8月28日付「天然に豊富なカルボン酸を効率よくアルコールに変換する触媒を開発」
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20150828-2

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宇宙創成期の星と宇宙の端の星の距離は138億光年にあらず

画像作者:Unmismoobjetivo

宇宙の歴史は、およそ138億年前にインフレーションそしてビッグバンというできごとで始まったとされています。かつては、およそ137億年前といわれていましたが、観測技術の進歩などで「138億年前」がより正確な数値となっているようです。

星が放つ光は、1年間で、およそ9億4600億キロメートルにあたる1光年の距離を進みます。では、ビッグバン直後に誕生した星の光を、宇宙の果てにいる宇宙人が捉えたとき、その宇宙人は距離にして138億光年の距離にある星を観測したということになるのでしょうか。

答えはノー。ビッグバン直後に生まれた星と、宇宙の果ての近くにある星との距離はもっとずっと遠く、観測可能なかぎりでも「465億光年」あるといわれています。

これは、ビッグバンが起きてからというもの、宇宙が膨張しつづけていると考えられるからです。

たとえば、138億年前から膨らみつづけている風船があるとします。この風船では、138億年前の膨らみはじめた直後では、中心あたりと風船の端の距離はそう遠くはありませんでした。しかし、風船が膨らめば膨らむほど、中心あたりと風船の端の距離は遠くなっていきます。

地球は宇宙の端にあるわけではありません。しかしそんな地球のあたりからでも、138億年をゆうに超える距離を進んだ光が観測されています。

米国航空宇宙局や欧州宇宙機関などが共同で管理している「ハッブル宇宙望遠鏡」は、きりん座の方向にある「MACS0647-JD」という星からの光を捉えました。この星は、地球からの距離が319億光年あるとされています。同時に、この星は、宇宙誕生からわずか4億年後の134億年前に誕生したことになります。

MACS0647-JD
画像作者:European Space Agency/NASA

宇宙の歴史が138億年であるのに対して、ハッブル望遠鏡が観測した「MACS0647-JD」が319億光年の距離にあるとなると、この星の光は319億年前という宇宙誕生よりはるか前に放たれたようにも思えてきます。しかし、もともと近くにあった光が、宇宙の膨張によって距離が遠くなってしまっただけなので、光が光速を超える速度で届いたということにはなりません。

465億光年という距離は、あくまで「半径」です。宇宙の端から端まで、つまり「直径」は、およそ930億光年となります。「138億」というひとつの基準から考えると、いかにビッグバン後の宇宙が広がっているかがうかがえます。

参考資料
石坂千春「“宇宙の果て”が137億光年でない理由」
http://www.sci-museum.jp/files/pdf/study/research/2010/pb20_061-064.pdf
ウィキペディア「MACS0647-JD」
https://ja.wikipedia.org/wiki/MACS0647-JD
ウィキペディア「観測可能な宇宙」
https://ja.wikipedia.org/wiki/観測可能な宇宙

| - | 12:51 | comments(0) | trackbacks(0)
刺激の大きさと感覚の大きさはイコールでない――法則古今東西(26)

人には五感があり、日々さまざまな刺激を感じているものです。外で鳥がさえずれば、それが音という刺激となって耳から脳へと入ってきます。灯台から光が放たれれば、それが光という刺激となって目から脳へと入っていきます。

ただし、ある刺激の大きさのちがいと、その刺激を受ける感覚の大きさのちがいは、かならずしもイコールの関係ではありません。

たとえば、ある大きさの音を人が聞くとします。その後、2回目に大きさを最初の10倍にした音をまたその人が聞くとします。その人は、当然「さっきの音よりも大きくなった」と受けとめることでしょう。

では、その人が1回目と2回目で感じた音の大きさのちがいとおなじ感覚を、2回目との比較において抱くには、1回目の何倍の大きさの音が必要になるでしょう。

1回目の10倍の音を2回目に聞いたのだから、今度は1回目の20倍の音を聞かせれば、1回目と2回目で感じた音の大きさのちがいとおなじ感覚をいだくように思われます。

しかし、実際は、1回目の100倍の大きさの音を聞かせないと、その感覚を抱くようにはならないといいます。

これは、「ヴェーバー・フェヒナーの法則」とよばれる法則によって裏づけられているもの。この法則は「感覚の大きさは、刺激の強さの対数に比例する」と表せます。

ドイツの生理学者エルンスト・ヴェーバー(1795-1878)は、人が刺激の強さのちがいに気づくことができる最小の刺激差は、基準となる刺激の強さに比例すること発見しました。

たとえば、1という音の大きさが、1.1になったとき初めて「音が大きくなった」と気づくのだとすれば、2という音の大きさが、2.2になったとき初めて「音が大きくなった」と感じるということです。

さらに、ヴェーバーの弟子にあたるドイツの物理学者グスタフ・フェヒナー(1801-1887)は、ヴェーバーの法則を拡張して、刺激の大きさと感覚の大きさのあいだには、対数の関係がなりたつという仮説を唱えました。

たとえば、1という音の大きさが10になったとき「音が大きくなった」と感じる大きさは、10という音の大きさが100になったとき「音が大きくなった」と感じる大きさとおなじである、ということです。

この二人の研究者の名をとって、いまでは「ヴェーバー・フェヒナーの法則」といわれています。

ヴェーバー・フェヒナーの法則は、厳密にいえるものというよりは、近似的にいえるものではあります。しかし、その対象が、音や光だけでなく、臭い、味、肌触りといった五感にかかわるすべてに当てはまるといいます。適応範囲の広い法則といえそうです。

参考資料
酒井邦嘉『科学という考え方』
https://www.amazon.co.jp/dp/4121023757
日本大百科全書「ウェーバー‐フェヒナーの法則」
https://kotobank.jp/word/ウェーバー‐フェヒナーの法則-1507555
ウィキペディア「ヴェーバー‐フェヒナーの法則」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェーバー‐フェヒナーの法則

| - | 14:11 | comments(0) | trackbacks(0)
「カフェインもタウリンも疲れを取らない?」

日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」できょう(2016年)6月17日(金)「カフェインもタウリンも疲れを取らない? 疲労研究者に聞く『食と抗疲労』(前篇)」という記事が配信されました。

疲労も科学研究の対象となっています。疲労全般に関する研究発表などを目的に2005年に設立された日本疲労学会は、疲労の定義を「過度の肉体的および精神的活動、または疾病によって生じた独特の不快感と休養の願望を伴う身体の活動能力の減退状態」としています。

記事では、食と抗疲労の関係について、大阪市立大学疲労医学講座の特任教授の梶本修身さんが解説しています。「『疲労を起こしにくくする』という点では、食事が大いに関わってきます。一方で、『生じた疲労を取り除く』には睡眠しか方法はありません。(略)役割が異なるので、両方とも大事です」とのこと。

梶本さんは、大阪市立大学で疲労の研究をつづけるいっぽう、東京・新橋に「東京疲労・睡眠クリニック」を2015年8月に開業しました。これには、梶本さんらが研究で開発した「疲労回復CPAP」という装置を社会で広く使ってもらいたいというねらいがあったそうです。

CPAPは、Continuous Positive Airway Pressureを略したもので、日本語では「経鼻的持続陽圧呼吸療法」といいます。寝ているとき、装置を使って空気を鼻から気道に送り、気道の通りをよくすることで、いびきを改善します。

いびきは気道が狭くなってしまっている証。気道が狭くなっているのに呼吸で肺に空気を送りこむという状態は、細い管のストローにもかかわらず息を入れて風船を膨らそうとしているようようなもの。眠っているあいだずっと、細いストローで風船を膨らます作業をくりかえしているとすると、相当なエネルギー負荷になります。これが、慢性疲労の原因になることもあるようです。

従来のCPAPは、いびきより重度の症状である睡眠時無呼吸症候群を治療するために使うものでした。いっぽう、梶本さんらが開発した「疲労回復CPAP」は、いびきをかくくらいの健常者を対象にしたもの。空気圧の変動を個人の状態に応じてプログラミングすることで、呼吸数や呼気と吸気のタイミングを自動調整するしくみが備わっているそうです。

日本には、いびきをかく人は2000万人いるといわれています。「疲労回復CPAP」によって、いびきを改善することで、多くの人が日々抱えている疲労を軽くする。そのようなねらいが、クリニック開業にはあるそうです。

記事では、抗疲労のために睡眠とともに大切となる食の話を梶本さんがしています。巷でよく耳にする、カフェインやタウリンが疲れを取らないというのは本当でしょうか。「カフェインもタウリンも疲れを取らない? 疲労研究者に聞く『食と抗疲労』(前篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47099

来週24日(金)には、記事の後篇として、食品にふくまれる抗疲労成分の話がくりひろげられる予定です。
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原子とは粒子、元素とは種類
113番元素に「ニホニウム」のよび名がつくといった話題により、元素への社会的関心がほんのすこしだけ高まっているようです。

「元素」ににたことばに「原子」があります。ちがいはなんでしょう。

原子のほうは、物質をつくる基本的な粒子のことをいいます。たとえば、「1個の原子」というときは、原子のことを指す粒子が、2個でも3個でもなく1個であることを意味します。

原子は粒子なので、そのつくりも説明されます。原子は、中心に位置する1個の原子核と、それをとりまく何個かの電子からなりたちます。さらに原子核は、陽子と中性子という性質の異なる微粒子からなりたっています。

たいていは、原子と原子が結びついて複数個になっており、それを分子といいます。たとえば、「O2」と書かれるのは酸素分子ですが、これは酸素原子(O)が2個、結びついたものです。

酸素原子や水素原子というときの原子については、じつは酸素なら酸素、水素なら水素であっても、原子核をつくる陽子と中性子の個数の合計が異なるものがあります。

たとえば、自然界にある水素原子については、陽子と中性子の個数の合計が、1個のもの、2個のもの、3個のものが存在します。

自然界にもっとも多く存在するのは、原子核が1個、つまり陽子1個のみからなる「軽水素」とよばれる水素原子です。「1H」と書かれます。


数研出版『化学図録』より

原子核が2個、つまり1個の陽子と1個の中性子からなる「重水素」とよばれる水素原子も、自然界にはわずかにあります。これは「2H」と書かれます。

さらに、原子核が3個、つまり1個の陽子と2個の中性子からなる「三重水素」とよばれる水素原子も、自然界にはごくごくわずかにあります。これは「3H」と書かれます。

自然界に存在しない、つまり人工的にのみつくれる水素原子もあります。原子核が4個の「4H」、5個の「5H」、6個の「6H」、7個の「7H」といった水素原子です。

もっとも多い「1H」でも、人工的にもつくるのがむずかしい「7H」でも、水素原子は水素原子です。だとすると、これらをまとめて「水素」とよぶ場面も起きます。

原子核の合計がいろいろある原子は、水素のほかにもあります。酸素原子にも、原子核の合計が16個で、8個の陽子と8個の中性子からなる「16O」のほかに、8個の陽子と9個の中性子からなる「17O」、また8個の陽子と10個の中性子からなる「18O」などもあります。酸素原子の場合、原子核の合計の個数でいうと17とおりもあります。

原子核が合計いくつあっても、水素原子は水素原子。酸素原子は酸素原子。だとすると「水素という物質の種類」や「酸素という物質の種類」をひとまとめにくくるような概念のことばがあるとよさそうです。

そこで、「元素」ということばが登場します。陽子の数がおなじである原子により構成される物質の種類を指すことばが元素です。たとえば、「水素という元素には、原子核が1個の水素原子、原子核が2個の水素原子、原子核が3個の水素原子などがある」ということができます。

理科の教科書などについている「周期表」については、「元素の周期表」ということが多く、「原子の周期表」とはあまりいいません。これも、それぞれの表に書かれてある「水素」「ヘリウム」「リチウム」「ベリリウム」などが、種類としての意味に重きを置いているからでしょう。


数研出版『化学図録』より
| - | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0)
平行透視図を描く――立体視への挑戦(5)

人は平面で立体を伝えようとしてきた――立体視への挑戦(1)
手前の馬と奥の馬を重ねて示す――立体視への挑戦(2)
“手前”を下に、“奥”を上に描く――立体視への挑戦(3)
遠くのものをかすませて描く――立体視への挑戦(4)

実際の空間ではないところに、あたかも立体的に感じさせるものを描く。人間の、そうした立体視への挑戦を追っています。その原点にあるのが、遠景と近景を描いて表現する遠近法でした。

古代から、対象物を重ねて描く、上下(奥のほうを上、手前のほうを下)に描く、濃淡(奥のほうを淡く、手前のほうを濃く)描くなどの、ある種の遠近法が絵画などに使われていたことがわかっています。

古代に使われていた遠近法として、いよいよ「透視図」が登場します。

透視図は、英語で“perspective”と書きます。もとは、ラテン語で「透かし見るを意味する“prospicere”の完了分詞である“prospectus”からのものとされます。

透視図は、人が目で見ているものに対して覚えるのとおなじような遠近感が現れるように、そのものを絵として描いた図のことをいいます。

たとえば、目の前に箱があるとします。正面にひとつの面が大きく見え、その右側にもうひとつの面が、さらに上側にまたべつの面が見えているとします。

これを透視図の一種である「一点透視図」という図として描こうとすると、箱の辺のうち、見た目で垂直または水平の辺はそれぞれが平行になるように線を描き、見た目で斜めの辺のほうはある1点へと収束するように線を描きます。この「ある一点」は消失点といい、透視図では1点のほか、2点、3点の消失点を設定して描くこともあります。それぞれは、おいおいの回で登場していくことでしょう。


一点透視図

ただし、古代の人類が、ここまで厳密な透視図を描いていたかというと、そうではなかったようです。

下の図は、上の一点透視図とおなじように、箱のような立体を描いたものです。しかし、上の一点透視図とは斜めの線の描きかたが異なります。斜めの線もすべてが平行に描かれています。水平、垂直、そして斜めのすべての線が、それぞれに平行なわけです。

斜めの線は平行ですので、たとえ、それぞれの線を伸ばしても、消失点で収束することはありませんし、交差することもありません。こうした図も、透視図のひとつと見なされ「平行透視図」とよばれます。


平行透視図

古代の人たちの描いた透視図の歴史は、この平行透視図から始まったと考えられています。その理由として考えられるのは、ほかの透視図にくらべて、描くのがかんたんだったからです。

いまの人が「紙と鉛筆を使って箱を立体に描いてください」と言われたとき、おそらく十中八九の人が、一点透視図や二点透視図ではなく、平行透視図として箱を描くことでしょう。見た目の忠実さからいえば、平行透視図のほうが劣るものの、「斜めの線も平行に描けばよい」というのは気楽です。

図の描きかたは、かんたんなものから進んでいくと考えれば、古代の人が透視図を平行透視図から始めたというのは、理にかなっているといえます。つづく。

参考資料
小学館『世界美術大事典』
桶田洋明・波平友香・山元梨香「絵画と遠近法I 東西の比較から絵画教育の可能性をさぐる」
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/12061/1/AN10374875_v20_p59-68.pdf

| - | 20:16 | comments(0) | trackbacks(0)
昔の映像のアナウンサーの声がおなじに感じられる


写真作者:Yasuhiko Ito

ユーチューブなどの動画サイトでは、過去の報道映像を見ることができます。1日前や1年前のニュースもさることながら、戦後から昭和30年代にかけてのモノクロの映像も多く見られます。テレビの黎明期のニュースやドキュメンタリー番組のほか、映画館などで本作上映前に流された「ニュース映画」などの映像も残っているわけです。

半世紀以上前の報道映像では、アナウンサーの「声の質」がどれもおなじように感じられます。もちろん、声の主が男性か女性かぐらいは区別できますが、あたかもおなじ男性が、またはおなじ女性が話しているように感じられるわけです。

たとえば、男性アナウンサーの声については、「昭和28年(1953年)のニュース」という動画と、1955(昭和30)年の「朝日ニュース 日本の道」という動画を聴きくらべてみます。声の主がちがう人物であるのは明らかではあるのですが、それでもどことなくにたような声に感じられます。

声の質がよりにているのは女性のほうでしょうか。たとえば、1956(昭和31)年の「住宅」という報道映像と、1968(昭和33)年の「毎日ニュース マンガブーム」という映像を聴きくらべてみます。女性アナウンサーの声がかなりにています。

昔の報道映像のアナウンサーの声がにているという指摘や疑問は、インターネットでもよく話題にされていて、「似ていない」「そんなことはない」といった否定的な意見はあまり見られません。

では、声がにている理由はなんなのか。人びとの推測などから、いくつからの理由が考えられそうです。

まず、昔のアナウンサーは、高い声で明瞭に話すことを求められていたのではないかというものです。マイクロフォンの性能がいまほど高くなかったため、だれもが聞きやすい「ニュース読み」として、甲高い声で明瞭に話すことが必要だったという説です。実際、いまの放送での「ニュース読み」にくらべると、昔のアナウンサーの声は男女とも高い傾向があります。原稿を読む速度がゆっくりだったことは、明瞭さとかかわっているでしょう。

また、べつの理由として、昔の日本人の体格のせいだとする推測もあります。体重も身長もいまより小さかった昔の日本人は、高い声になりがちだったというわけです。たしかに、からだの大きな人のほうが声は低く、小さな人のほうが声は高いという傾向はあるようです。

より大きな理由として、いまの人びとが「昔のアナウンサーはいまと異なる話しかたをしている」という大きな括りで、昔の報道映像に接しているということもあるのではないでしょうか。これは、昔のアナウンサーや映像に原因があるのでなく、むしろ昔の報道映像を見聞きしている現代人の側に原因があるといえます。

これとにた理由ですが、いまの人びとが「昔の映像に乗って流れる音声といえばこんな感じ」という先入観をもっているのかもしれません。モノクロの暗めの映像に乗って不気味な交響曲が効果音として流れ、それが止むと甲高い声のナレーションが入る。こうした「昭和20〜30年代ニュース映像イデア」を、いまの人びとは自分たちのなかでつくりあげているというわけです。「昭和20〜30年代ニュース映像イデア」をもって当時の報道映像に接する人は、アナウンサーの声を「やっぱりこの声の質だ」と、ひとつの枠のなかに入れてしまうのかもしれません。

昭和20年代や30年代のニュース映像の声の質にくらべると、いまのニュースのほうが多様性があるように感じられはします。しかし、それも、50年後の人びとからしてみれば「50年前の平成時代のニュース映像を見ると、みな声の質がおなじように聴こえる」と感じられるのかもしれません。

参考資料
Yahoo!知恵袋「昔(戦前など)の映像を見ていると……」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1447469859
Yahoo!知恵袋「昭和40年代の映画を見ていると……」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1344784573

| - | 18:26 | comments(2) | -
「チンボラソこそ世界最高峰」の話題、高まる
世界最高峰としられているのが、ネパールと中国チベット自治区の境にあるエベレストです。標高は8848メートルです。

しかし、近ごろ、真の世界最高峰は、中米エクアドルにあるチンボラソという山だとする話題が起きています。


チンボラソ
写真作者:Eduardo Navas

チンボラソは標高6267メートルで、エベレストより2581メートル低いことになっています。

しかし、地球は北極と南極を結んだ線を軸にして回転しているため、赤道あたりにかかる遠心力が強くなり、楕円体のかたちをしています。地球の中心から赤道までの半径は6378.14キロメートルであるのに対して、地球の中心から北極点または南極点までの半径は6356.755キロメートルで、21.385キロメートルもの差があります。

チンボラソは赤道のすぐ南のほう、南緯1度27分50秒のところにあります。いっぽう、エレベストは、北極の真上にあるわけではありませんが、赤道からはかなり離れていて、北緯27度59分16秒のところにあります。

そのため、山の高さを「地球の中心からの距離」ということで計算しなおすと、チンボラソの高さは6,384.4キロメートルとなり、エベレストの高さ6,382.3キロメートルを抜いています。

この計算でいくと、エベレストは「世界最高峰」の上位20傑にも入らなくなってしまうそうです。

いっぽう、チンボラソという山は古来「男」にたとえられ、おなじエクアドルにあるトゥングラワという火山を「女」の伴侶とする擬人化がされてきたそうです。

そして、19世紀のはじめごろまで、人類はチンボラソのことを「地球でもっとも高い山」と信じられてきたそうです。もちろん、地球の中心からの距離を考えて「地球でもっとも高い」としていたのではなかったでしょうが、見方によっては当時からの事実は保たれているということもいえます。

参考資料
グノシー 2016年5月29日付「エベレストの標高を超えたと主張する『山』」
https://gunosy.com/articles/aG2uC
The New York Times 2016年5月16日付 “The Mountain That Tops Everest(Because the Earth Is Fat)”
http://www.nytimes.com/2016/05/17/world/what-in-the-world/the-mountain-that-tops-everest-because-the-earth-is-fat.html?_r=0
ウィキペディア「チンボラソ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/チンボラソ
| - | 14:40 | comments(0) | trackbacks(0)
宿が外れぬよう尻尾の先でひっかける


ヤドカリは、そのよび名のとおり、宿のように守ってくれる巻き貝などの殻を借りて過ごしています。そして、自分のからだが大きくなると、借りていた宿を出て、べつの宿を借ります。

沖縄県の伊江村では、人工樹脂でできた赤いキャップのようなものを貝のかわりに借りているヤドカリを住民が見つけ、地元の新聞で話題になっています。

ヤドカリが宿をかえるときのようすを捉えた映像も多くあります。それらを見ると、ヤドカリの手際よい引っ越しのしかたがわかります。まず、手狭になった宿から出てきたヤドカリは、新しい宿におしりのほうから入っていき、いったん「五右衛門風呂」に入るような体勢をとったあと、からだを前のほうに傾け、重力も利用してくるりと宿を半回転させ、宿を背負うような体勢をとります。

これで引っ越しは終わり。人間の引っ越しが、家具やら家電製品やら蔵書やらも運ばなければならずたいへんであるのにくらべて、ヤドカリの引っ越しはじつに身軽です。

ヤドカリにとって宿となる貝殻などのかたいものは、けっして自分のからだではありません。それにもかかわらず、宿をかえるとき以外は、宿を背負ったまま砂浜や岩場を歩きまわることができます。人間でいえば、自分のからだより一回り大きい容器を背中につけながら、四つん這いでよちよち歩くようなものです。すぐに、背中の容器が外れてしまいそうなものですが、ヤドカリはどのようにしているのでしょう。

ヤドカリはカニやエビなどとおなじ甲殻類で、宿なし状態のからだはザリガニをずんぐりむっくりさせたようなかたちをしています。そして、その尻尾の先端には「尾肢」とよばれる、やすりのようにぎざぎざした部分があります。これを宿にひっかけることで、宿が外れないようにしているといいます。

宿が、巻き貝のように螺旋状の空間のあるものであれば、尾肢をふくむおしりのほうを奥までいれると外れにくくはなりそうです。すさみ町のえびとかにの水族館は、ヤドカリにガラス製の透明な宿に引っ越してもらったようすを動画で投稿しています。からだを宿の奥のほうまでくるくると入れて、外れないようにしているよすうがわかります。

伊江村で、人工樹脂のキャップを新たな宿にしたヤドカリは、宿が外れやすい問題に苦戦していないでしょうか。それとも、キャップの内側の刻みをうまく利用して、しばらくの安住の宿としているのでしょうか。

参考資料
沖縄タイムズ 2016年6月12日付「ヤドカリさん、キャップの住み心地は? 沖縄・伊江島」
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=172862
海うらら 海洋生物観察記「ヤドカリ不動産のお客様」
http://www.biol.s.u-tokyo.ac.jp/users/naibunpi/Umi-urara/Hermit-crab.pdf
| - | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0)
下り走りで筋肉痛


ふだんランニングまたはジョギングをしている人は、どのような場所を走っているでしょうか。

街なかなどの都会に住んでいる人は、たいてい、平坦な道、つまり地面が水平なところを走っているのではないでしょうか。

しかし、たまに「旅先の箱根で走ろう」などと企てると、上り下りの坂道を走ることになります。

出発地と到達地がおなじ場所であれば、平坦な道であろうが上り下りの坂道であろうが、位置エネルギー的には「プラス・マイナス・ゼロ」ということになります。平坦な道では高低差はありません。上り下りの坂道では高低差はあるものの、上り坂を登った分、下り坂を降りることになるので、高低差は相殺されます。

いいかえると、上り下りの坂道を走るとき、上りで苦しい思いをした分、下りで楽な思いをできるので、位置エネルギー的には平坦な道を走るのとなんら変わらないということになります。

しかし、実際、ふだん平坦な道でしか走っていない人が、たまに上り下りの坂道を走るとなると、たとえ平坦なコースとおなじ距離を走ったとしても、疲れかたがちがってくるようです。

経験者はつぎのように語ります。

「上り下りの坂道を走った翌日は、太ももの表側の筋肉が痛くなる。階段を降りるときに痛さが走って、手すりを使って降りなければならないくらいになるんだ」

太ももの表側の筋肉は、「大腿四頭筋」とよばれます。上り下りの坂道を走ったあと大腿四頭筋が痛くなるのには、おもに下り坂を走りおりることが影響しているようです。

下り坂を走りおりているとき、平坦な道を走るときにくらべて歩幅は広くなります。さらに、ふだんないような速度が出ることへの注意から、からだがややうしろにのけぞるようになり、からだの重心より前に足を着地させることになります。また、坂を下るときの重力も手伝って、下り坂では着地の衝撃力が増します。

これらの平坦にはない要素を受けて、大腿四頭筋はふだんより引きのばされます。しかし、引きのばされたままではまずいので、これに抗うため大腿四頭筋は縮まる力も強くなります。

つまり、平坦な道を走るときよりも、筋肉の引きのばされる力と縮まる力の振れ幅が大きくなるわけです。このため、坂道コースを走ったときには、太ももが筋肉痛になると考えられています。ふだんから坂道コースでランニングやジョギングをしている人は、太ももの筋力がついているでしょうからこのかぎりではありませんが。

この筋肉痛は、坂を走るなかでも下り坂で起きるので、極端な話、平坦な道と下り坂のみの道でおなじ距離を走れば、下り坂を走るほうが楽だけれど、その後の太ももの筋肉痛は強い、ということにもなりそうです。

参考資料
鍋倉教授の楽しく走ってステップアップ「下り走のメカニズム 坂を走る身体負荷と技術3」
http://www.jognote.com/column/stepup/back/2015-04-01.html
| - | 18:22 | comments(0) | trackbacks(0)
第2弾は第1弾を超えがたい


世の中の経験則として、「第2弾の作品は第1弾よりもヒットせず、第3弾の作品は第2弾よりもヒットしない」といわれます。

編集者が企画した本がベストセラーになったとします。あるいは、放送ディレクターが制作した番組が高い視聴率を得たとします。

そんなとき、たいていの人は「第2弾をつくろう」と考えるようです。

なぜ、第1弾がヒットすると、第2弾を作ろうとするのか。いくつかの理由がありそうです。

ひとつは、第1弾が世の中の人びとによく知られたため、おなじタイトルの作品をふたたび世に出せば、認知度がはじめから高いので第2弾もヒットすると考えるというものです。作り手は「あのヒット作の第2弾が登場!」などと宣伝します。

また、第1弾で、この手の企画がヒットするものであると保証されたため、第2弾を作るということもあるでしょう。企画や内容がよくなければヒット作品にはなりにくいもの。その点、第1弾のヒットは企画や内容のよさを示すものであり、おなじ企画や内容の第2弾を出せば、それもヒットするだろうと考えることができます。

多くの企画者は、第2弾を作ることを予定しながら第1弾を作るわけではありません。世の中に出した作品がヒットした結果、それを第1弾と位置づけて、第2弾を企画するという場合が多いようです。そして、実際のところ、第1弾がヒットした作品では、第2弾も“それなり”にヒットする傾向はありそうです。

しかし、ここで超えがたい壁となるのが「第1弾のヒットぶり」です。たとえば、ある本が10万部、売れたとします。出版業界で10万部、売れるとは相当なヒット。編集者は当然のように、第2弾を作ります。

ところが、多くの場合、第2弾は、第1部で記録した10万部の売りあげを超えません。経験豊富な編集者の一人は、「“七掛け”になるのがヤマですね。第1部で10万部売れれば、第2部は7万部どまり。さらに第3部もとなれば5万部には届かないということです」と言います。

一般的に第2弾の売れゆきが第1弾を超えられないことにも、理由は考えられます。

その作品を買ったり観たりする人からすれば、第1弾から触れようとするもの。第2弾から触れる人や、第2弾に触れてから第1弾も触れるかどうか考える人は、そう多くありません。となると、第2弾は第1弾を超えられないことになります。

なかには例外的に、第2弾のほうがヒットした作品もあります。映画では「ターミネーター2」や「マッドマックス2」などは、第1弾よりもヒットしたとされています。あるいは「男はつらいよ」や「釣りバカ日誌」のように、何十作もつづくシリーズになれば、その途中のある作品だけ興行成績がほかよりよかったということは起きるでしょう。

しかし、たいていは「第2弾より第1弾。第3弾より第2弾」となるようです。

いわば「尻すぼみ」となるわけですが、それでも第1弾でヒットの結果を出した人は、第2弾を作ろうとします。「第1弾ほどは売れないだろう」というのと、「第2弾もそこそこ売れるだろう」というのを天秤にかけたとき、後者のほうが重くなるからです。
| - | 15:54 | comments(0) | trackbacks(0)
日本的ごみ処理、海外でいちように感嘆の反応

写真作者:pop★

日本人は自分たちのしていることやもっている技術の高さをなかなか客観視できません。そのため、海外の人たちの反応を見ることが、それを知る手がかりになります。

たとえば、日本人のごみ処理に対する意識や技術について、海外の人びとはどう感じているのか。それを翻訳して紹介しているまとめ記事があります。

ごみの分別のしかたは自治体によりけりですが、4種類や5種類に分けるのが日本ではごく普通のこと。東京に住む日米ハーフの人が、世界の人びとに「君の国でも実施されたらどうする」と問いかけたところ、さまざまな反応があったようです。下記はそのごく一部です。

「私は全然悪いとは思わないわ。その必要性がありさえすれば。個人的には分別があることによって、無駄な買い物を控える要因になると思いますよ(いいことです)」(ニュージーランドから)

「俺は強く反対するだろうね。回収業者の仕事だろうと。業者が既にほぼリサイクルしてるんだから、俺らが分別する必要はないだろって」(カナダから)

「日本と同じ分別をやらないといけなくなったら、絶対に面倒だよ。環境にはとてもいいことだけど、作業がかなり増える」(アメリカから)

また、集合住宅の管理人が休んだたため、ごみ置き場にごみが溜まったものの、そのごみの溜まりかたが理路整然としているのを写真で見せられた中国人の反応も、べつのサイトにあります。

「日本ではゴミはダンボール、紙、電気、衣類、生ごみなどで、11種類に分けるそうだ」(中国から)

「もう病気だな・・・」(中国から)

「くそ、この国はいつもそうだ。とても変態的だ。確かにこのような精神を習うことは正しいが、民族性も影響されたらまずいと思うな」(中国から)

さらに、東京都内の「新江東清掃工場」というごみ焼却施設を見学したタイ人が、見学で撮影した写真を、自国の人びとに伝えたそうです。そのときのタイ人たちの反応も、べつのサイトで見られます。

「日本はゴミの焼却施設ですら、こんな風に清潔で綺麗なんだね」(タイから)

「こんなしっかりした施設は建設費用もきっと高いよね。でも、タイでもいま無駄に使ってる予算をちゃんと取り分ければ、絶対に建設可能だと思うんだ」(タイから)

「いくつかの写真はまるで空港の中みたいだね〜」(タイから)

これらの感想は、サイト投稿者というかぎられた人びとのなかでの、さらにごくわずかな人びとの声にすぎません。ですので、これらが世界の人びとの総体的な感想とはなりません。しかし、どちらかというと評価は高いことを示すような感想と、自分たちにはとてもできそうもないという諦めを示すような感想が多いようではあります。

参考資料
海外の反応|マグナム超語訳! 2014年9月19日「海外『もし日本のゴミの分別が、君の国でも実施されたらどうする?』の反応」
http://nextneo.blog.fc2.com/blog-entry-474.html
中国四千年の反応! 海外の反応ブログ 2015年8月24日「中国人『これが世界一と言われる日本のゴミ分別だ!!!』『もう病気だろ・・・』中国の反応」
http://chinareaction.com/blog-entry-2151.html
親日国タイの反応 2014年1月23日「タイ人『日本のごみ処理施設を見学してきたけど凄いwww』」
http://thailog.net/2014/01/23/8185/
| - | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0)
占領軍の職業訓練導入後、日本企業で社内研修制度が確立


社内研修のことが、世間で話題になることはあまりありません。企業は、経営状況が厳しくなると、交際費、交通費とともに、研修費を削減するといわれるそうです。企業にとって研修の優先順位はさほど高くなく、そのため社内研修も人びとの話題にならないのかもしれません。

「社内研修」のように「社内」ということばがつくのは、「社外研修」があるなかで、「社内」の研修であることを強調するためです。社外研修とは、おもに社員を社外で研修させることをいいます。これに対する「社内」ですので、社内研修には、社員を社内で研修させることとなります。

日本での近代的な職業訓練は、敗戦後の1948年ごろ占領軍の指導のもと、その方法などが導入されたといわれます。占領軍司令部の民間通信局(CCS:Civil Communication Section)が、米国式経営管理訓練を日本に導入すべく、経営幹部層に対して「CCS講座」を開きました。

占領軍はほかに、中間管理者層に対する「MTP」(Management Training Program)や、現場監督者層に対する「TWI」(Training Within Industry)などの職業訓練プログラムも導入しました。

1958年には、職業訓練法という法律が制定されました。のちに全面改正されたため「旧職業訓練法」とよばれています。この第3条は「事業内職業訓練」の項目となっていて、専門工の養成や訓練のほか、職長訓練も系統的に導入することが定められました。また、一定の基準に適合する事業内職業訓練を認定し、認定訓練には公共職業安定所から指導員を派遣するといった便宜もはかられることになりました。

戦後の、日本の大手企業の社内研修の歴史を調べた研究もあります。

日本大学経済学部教授の小暮雅夫さんは、キヤノンにおける社内研修制度を調べています。「キヤノンにおける社内研修制度の展開過程」という論文によると、キヤノンの人事課が主催となり計画的に新入社員教育が始まったのは1953(昭和28)年とのこと。背景には、カメラの大衆化が始まり、男性の熟練者のみが手づくりでカメラを作る時代の終焉があったようです。

旧職業訓練法制定の翌年にあたる1959(昭和34)年には、キヤノンは基幹技能者の育成を目指して「技能研修所」を開設します。当初、研修生は中卒新入社員でしたが、生産技術の高度化がより求められるようになった1963年には、工業高校新卒社員10人が選抜して、研修所に入所させたといいます。

また、おなじ1959年の2月には、部課長を対象とする「仕事の教え方」(TWI-JI:Training Within Industry - Job Instruction)という研修がおこなわれ、また4月には現場監督者を対象とする「人の扱い方」(TWI-JR:Training Within Industry - Relations)という研修がおこなわれたそうです。

いっぽう、三菱電機の亀山正俊さんは、自社の社内研修の歴史などを「三菱電機の人材育成」という記事にまとめています。

これによると、三菱電機本社が主催する「電子技術講座」が1978年に開講しました。それまでも、社内研修は同社の各拠点でおこなわれいましたが、本社が主催した研修はこれが初だったようです。背景には、急速な電子化の要請にこたえる必要性があったようです。

その後、キヤノンが技能研修所を開設したのとおなじように、三菱電機も1990年に「技術研修所」を設立。さらに2004年には経営やビジネスの分野の研修もとりこんで、「人材開発センター」を設立したといいます。

戦前の個人の技にものづくりを頼っていた時代が終わり、終戦後、占領軍の職業訓練導入を受け、高度経済成長期に自社での研修が本格的に制度化され、さらに研修センターなどの施設も社内にできた……。このような歩みは、日本の大手製造業にすくなからず当てはまりそうです。

参考資料
逆瀬川潔「職業訓練の変遷と課題」
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/ksakasegawa52.pdf
木暮雅夫「キヤノンにおける社内研修制度の展開過程」
http://www.eco.nihon-u.ac.jp/assets/files/34kogure.pdf
亀山正俊「三菱電機の人材育成」
http://sokeizai.or.jp/japanese/publish/200706/201103kameyama.pdf
| - | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0)
地図に残されたかたちをたどる(3)神奈川県川崎市上平間
地図に残されたかたちをたどる(1)福岡県八女市龍ケ原
地図に残されたかたちをたどる(2)千葉県船橋市行田

地図や航空写真を目を凝らしてみると、円形の輪郭をなしているように見えなくもない場所をたどっています。今回がいちおうの最終回。

神奈川県川崎市の上平間には、かなり崩れているものの、円形に縁どることのできる地域があります。「梅干形」とでもいったらよいでしょうか。


グーグル・マップ航空写真より

画面の下のほうにあたる南側には、平間配水所という川崎市の水道施設があります。そのあたりから右まわりでたどっていくと、緑道を通ってJR南武線のすぐ東側の小道に抜け、右手に県立川崎工業高校を見ながら進むことになります。このあたりまでは、南武線に沿って道がほぼまっすぐ進んでいるといえなくもありません。

しかし、その後、道路は東へ東へと弧を描くように住宅地のなかを分けいるように進んでいきます。そして、南武沿線道路という大きな道路を超えてからも、道路は右まわりで弧を描くようにして曲がっていきます。

そして、平間中学校のところで、この弧はいったん途ぎれてしまいますが、一回り外側から、ふたたびなんとなく弧を描くような道路がつづいきます。途中にまっすぐな道路もあるものの、またもとの平間配水所に戻ってきます。

かなりひしゃげた形ですが、全体として円形に見えなくもありません。

おとといの回の八女市龍ケ原の「正八角形」と、きのうの回の船橋市行田の「円形」は、いずれも軍関係の施設がつくりだした輪郭の名残でした。

しかし、この上平間の場合、どうやら軍事関係の施設とは関係ないようです。この地に軍事施設があったというような歴史は見あたりません。太平洋戦争より前、1936(昭和11年)に日本の陸軍が撮影した航空写真でも、上部やや左側に梅干形の輪郭が大きく写っています。

より古い時代の地図での描かれかたを求めて「今昔マップ」を見てみると、1909(明治42)年製版の地形図「溝口」でも、すでに梅干形の輪郭になっていることがわかります。

さらに、明治前期の「第一軍管区地方2万分1迅速測図原図」という地図を基本としている「歴史的農業環境閲覧システム」を見ても、梅干形の輪郭になっています。そして梅干形の内側は「水田」と書かれています。


農業環境技術研究所「歴史的農業環境閲覧システム」より

このあたりは、東に多摩川が流れ、すぐ西に「二ヶ領用水」とよばれる江戸時代からある人工用水路が流れています。水の豊富な地域であったことはまちがいなさそうです。

多摩川は江戸時代「暴れ川」だったそうです。すると、大蛇行する多摩川が弧を描き「半ば完全な円形」といえる地形を生み出した、ということは考えられそうです。

しかし、この上平間に大きく蛇行していた川がかつて流れていたというような歴史は、なかなか聞かれません。

「第一軍管区地方2万分1迅速測図原図」を見ると、梅干型の内側に位置する平間公園という公園には、かつて田んぼのなかにぽつねんと神社があったようです。しかし、いまはその神社もなく……。

上平間の「梅干形」の謎は残されたままとなりました。了。
| - | 21:20 | comments(1) | trackbacks(0)
地図に残されたかたちをたどる(2)千葉県船橋市行田
地図に残されたかたちをたどる(1)福岡県八女市龍ケ原

地図や航空写真に見える、「決まったかたち」がある場所の歴史を追っています。

関東地方で、円形の輪郭をつくる道路として知られているのが、千葉県船橋市の行田公園の周囲にある一周2.5キロメートルほどの環状道路です。中山競馬場から南東に500メートル足らずのところにあります。

環状道路の西側で、JR武蔵野線に邪魔されるように道が不規則になっていたり、東側で、諏訪神社という神社の敷地の関係からか道がやや円形の内側にへこんでいたりするものもの、それ以外はほぼ完全な円形の輪郭をしています。


グーグル・マップ航空写真より

人間や土地の自然な営みでつくられる地形からすると、この完全な円形は明らかに人為的といえそうです。そして、やはりこのかたちも軍関係の施設と関係しています。

かつて、この地には、「海軍無線電信所船橋送信所」とよばれる無線電信所がありました。その歴史は古く、1915(大正4)年の開所といわれます。前年までドイツの総合企業シーメンスが建設にかかわっていましたが、第一次世界大戦が始まり敵国関係となったことから、シーメンスの技術者が図面を焼いて国へと帰ってしまい、海軍がやっとのことで開所したとされています。開所年には、ハワイとのあいだでの無線通信に成功し、軍用の通信がはじまりました。

この送信所からは、太平洋戦争開戦期、真珠湾攻撃をしかける部隊に「ニイタカヤマノボレ1208」の電文が送信されたりもしました。敗戦後、1966年に返還され、1972年に解体が終わっています。

1944年の船橋市を写した航空写真でも、船橋競馬場の右下に、円形の敷地があり、その中心部に施設とみられる建屋があることがわかります。

こうした無線通信施設は、船橋送信所だけでなく、よく円形をしています。これは、一説に、設置型のアンテナ設備を張りめぐらせるときにふさわしいかたちということです。

さらに、地図や航空写真には、目を凝らしてみると、決まったかたちをしているような気がする程度の輪郭をなす場所があるものです。つづく。

参考文献
ウィキペディア「海軍無線電信所船橋送信所」
https://ja.wikipedia.org/wiki/海軍無線電信所船橋送信所
K.ARIMORIのお天気日誌「曇天のダービー・デー。西日本は明日から崩れる」
http://blog.livedoor.jp/kunio0027/archives/52077541.html
| - | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0)
地図に残されたかたちをたどる(1)福岡県八女市龍ケ原
このブログでは、2008年6月「時代がつくった八角形の島」という記事がありました。愛知・老津の海のなかにかつてあった「大崎島」という八角形の輪郭をした人工島について書いたものです。昭和10年台に島はつくられたようで、戦後、まわりの海も埋めたてられていきました。いまはトピー工業という企業の敷地の一部となり、痕跡がわかりづらくなっています。

大崎島は、軍用飛行場として使われていました。南北と東西の滑走路を置くことができ、かつ埋めたての土の量が少なくて済むために八角形の地形となったようです。

こうした、理由があって、正多角形や円形などの決まったかたちを地図に残している場所というのは、探せば見つかるものです。そして、こうした場所には、やはり特徴的なかたちになった理由というものがあるものです。

福岡県八女市龍ケ原とその周囲のには、道路の輪郭から、大崎島とおなじく八角形が浮かんできます。一周の長さはおよそ3.5キロメートルほど。


グーグル・マップ航空写真より

国土地理院の1910年の地形図「福嶋」には、この八角形の道路のある地域が左下のほうに含まれています。しかし、八角形を確認することはできません。

インターネットの情報を総合すると、この地にも軍用の飛行場があったようです。「筑後陸軍飛行場」あるいは「岡山飛行場」とよばれていたもの。陸軍学校で福岡県大刀洗村に置かれていた「大刀洗陸軍飛行学校」の分教所という位置づけでした。飛行機の乗員を養成するのがおもな目的でした。大刀洗陸軍飛行学校が開設されたのが1940年10月なので、1910年の地形図に実体があるべくもありません。

大刀洗陸軍飛行学校は戦争末期の1945年2月、第51航空師団の一部に改編されるかたちで閉鎖となったようです。

しかし、敷地のかたちが跡形もなくなることはありませんでした。たとえば、1947年に米軍が撮影した現地の航空写真では、中央やや左上に、明らかにほかの土地の色とは異なる“更地”のようなところが確認できます。

また、1962年撮影の航空写真でも左上のほうに八角形を見ることができます。更地だった跡地には、田畑や家らしきものが置かれています。

こうした、地図のなかに痕跡を残しているものは、ほかにもあります。いくつか見ていくことにします。つづく。

参考資料
War Birds「岡山飛行場」
http://www.warbirds.jp/airport/fukuoka/okayama.html
ウィキペディア「大刀洗陸軍飛行学校」
http://ameblo.jp/hiborogi-blog/entry-11954447383.html
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス USA M665 125 久留米」
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=187269
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス MKU621 C9 21 久留米」
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=552770
| - | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0)
会議では叱れるが、一対一では叱れない

写真作者:Kohei Fujii

3人で話をしているときは平気でいるものの、そのなかのだれか1人が「ちょっとトイレに行ってくる」などと席を外すことがあります。すると、2人きりになったとたん、相手との雰囲気がぎくしゃくすることがあるかもしれません。

3人以上いるからこそ、その人との会話がすんなり行なわれていたともいえそうです。あるいははじめから2人きりで話をする予定だったときには、“覚悟”ができているためそれほどぎくしゃくはしないかもしれませんが。

おなじようなことは、職場でだれかがだれかをしかるときにも当てはまることです。

一般的に会議の場には、すくなくとも3人以上の関係者が出席をします。すると、ほかの出席者が席についているなかで、「お前は、なんでいつもこうなんだ!」などとある人を叱りとばす人がいます。会議の場での個人攻撃です。

組織の運営のしかたをよく考えている人や、ビジネス書のたぐいをよく読んでいる人であれば、人前で叱るということはやるべきでないことであると気づいているはずです。会議に参加しているほかの人びとの士気が悪くなりますし、叱りとばされた本人も仕事上の注意を受けるだけでなく、屈辱を味わうという感覚も抱くからです。

ある人に対して仕事上、叱らなければならないときは、ほかの人びとが見ている前でなく、一対一になったときにすべきであるというのが鉄則とされています。

では「お前は、なんでいつもこうなんだ!」と叱りとばした人が、一対一になったとき、おなじ口調で「お前は、なんでいつもこうなんだ!」と叱りとばすかというと、いったいどのくらいの人がそれをできるでしょうか。

もちろんなかには一対一のときも容赦せず、きちんと叱る人はいることでしょう。しかし、一対一の場合、叱りとばす側の人も、おじけづくことはあります。ふだん、2人だけになったときに会話をきちんとできてないような相手であればなおさらのことです。

会議で個人を叱りとばしている人は、ほかの人びとが会議に同席していることで“勢い”を得られたからこそ叱りとばすことができているのではないでしょうか。

叱るという行為は、組織として目標を達成したり、成果を出したりするためには必要なことです。しかし、叱る側の人は勢いに任せるのでなく、組織全体への影響を考えて、慎重さ、計画性、そして勇気をもって叱らなければなりません。
| - | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0)
運動すれば疲労するし、栄養も使われる


人などのからだが、運動などで機能を発揮したことにより、その機能が下がることを、一般的に「疲労」といいます。

人などの生きものは疲労しても、また疲労する前のからだの状態に戻すことができます。眠ることは疲労からの回復に大切とされていますが、食べることにもなんらかのかかわりはありそうです。

食べることのおもな目的は、食べものから、からだの機能を保ったり、エネルギー源になったりする栄養をえることにあるといいます。すると、疲労回復と栄養摂取とには、なんらかのかかわりがありそうです。

運動をすると、からだのなかに貯えられた炭水化物、たんぱく質、脂質などがエネルギーに変わっていきます。

また、エネルギーの消費量が増えると、これらの栄養素とはべつに、ビタミンの必要量も増えることがわかっています。とくにビタミンB1は、エネルギーの貯蔵や供給を仲介するアデノシン三リン酸(ATP: Adenosine TriPhosphate)という物質がつくられるのに大切な役割を果たします。

これらのことから、運動をしつづけていれば、からだが運動をしつづけるための機能は低下する、つまり、疲労するし、また、からだに貯えていた炭水化物、たんぱく質、脂質、また、ビタミンの量が減ることになります。

体に貯えていた炭水化物が一時的になくなったとしても、脂肪としてからだについていた脂質などがエネルギー源に変わるため、何日か食べものを摂らない日がつづいたとしても、少なくとも生きつづけることはできます。

とはいえ、食べものから栄養を摂らないでいれば、疲労が増大するほうに進むことはあっても、疲労が回復するほうに進むことはなさそうです。

参考資料
明治「疲労回復のための食事」
http://www.meiji.co.jp/sports/savas/lecture/n6_2.php
アリナミン「疲れの対処法 食事とビタミン編」
http://alinamin.jp/tired/kotsu/taisyo4.html
アリナミン「疲れの対処法 運動とビタミン編」
http://alinamin.jp/tired/kotsu/taisyo8.html
| - | 12:55 | comments(0) | trackbacks(0)
「トレド」のカツカレー――カレーまみれのアネクドート(80)


東京・神楽坂はかつての花街の面影を残します。けれども、学生街でもあります。坂とお堀のあいだに屹立するように、東京理科大学神楽坂キャンパスの建てものがいくつもあり、学生たちも坂や横丁を歩いています。

そんな東京理科大生が昔から使いつづけてきた定食屋のひとつが、トレド。1972年から神楽坂でカレーなどの料理を出しつづけてきました。

店が謳うのは、「継ぎ足しカレー」。ルゥを創業以来ずっと継ぎたしてきたといいます。しかしながら、2009年に東京理科大学の周囲の再開発があり、いったん店は閉店。ルゥの継ぎたしもそのときに途だえたということです。

しかし、2011年、東京理科大学が神楽坂に面した地に「PORTA神楽坂」という施設を建てたのを機に、その1階に「トレド」は復活しました。そして、新たな店でも「継ぎ足しカレー」が復活しました。

カレーの献立のひとつが「カツカレー」。さくさくのカツがライスのうえに乗せられて出されます。そして、やはり洋食屋、継ぎたしのルゥはグレービーボートに入れられて出されます。

ライスの量やカツの厚さはあまりありませんが、継ぎたしのルゥをかけると、ライスにもカツにもほどよくなじみ、これで三位一体の成立となります。ルゥの味はさほど辛くはありません。

店では話好きなマスターが、家で飼っている犬の話を、カウンターの店員としています。そして店の外の坂を、せわしなく学生や背広姿の会社員たちが歩いていきます。

「トレド」の食べログ情報はこちら。
http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13127692/dtlrvwlst/
| - | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0)
嗜好品の売りは、より細かく、より鋭く


身のまわりのものは、ぼんやりと、生きていくうえで欠かせないものと、味わうためにあるものに分けることができます。欠かせないものは「生活必需品」などとよばれ、味わうためにあるものは「嗜好品」などとよばれます。

とくに食べものについては、嗜好品がいろいろとあります。おもなものは、酒、お茶、コーヒー、それに菓子などでしょうか。

必需品であれ、嗜好品であれ、ものをつくる企業からすれば、多くの人びとにその商品を買ってもらわなければなりません。ただし、嗜好品については、なくても人びとが致命的に困るわけではありません。もちろん、コーヒーが大好きな人がコーヒーをとりあげられたら「コーヒー飲めないとは、なんてこった」と思うでしょうが、栄養不足で死ぬことはありません。

嗜好品については、いかに人びとに好きになってもらうかが大切になるわけです。そのための努力や競争を企業がすればするほど、嗜好品の売りの部分は細かくなり、また鋭くなっていきます。

お菓子の「食感」をめぐっては、微細化もしくは複雑化といえる進化が見られます。

たとえば、森永製菓は「ベイク」というチョコレート菓子について、「パリッ!ととろける2重食感」という文句を使って、複雑な食感を宣伝しています。外側はパリッとした層でつつみ、そして内側はとろけるようにしているとのこと。食べる人を、歯ざわりで驚かせるのでしょう。

また、明治は「ポップザック」というチョコレート菓子で、食感の独特さを宣伝しています。「最初はバターの味わいがふわっと口に広がり、中のパフ全体にチョコレートが染み込んで、最後までチョコを味わえます」。

買った人が、食べてからその食感に気づいて、ふたたび買ったり、ほかの人に薦めたりするのではありません。企業は「食感が独特である」ということを、宣伝文句としてみずから謳っているわけです。ここに、食べなくても致命的に困りはしないものを食べてもらうための企業の意識が見えます。

参考資料
森永製菓「ベイク 商品紹介」
http://www.morinaga.co.jp/bake/index.html
明治「ポップザック」
http://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/popzack/
| - | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0)
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