科学技術のアネクドート

「賛成」が数えられなくても「起立多数」


国会では、議長が議員に対して議案に賛成か反対かの意志表明をもとめて、議案の可否を決定する「採決」の場面が見られます。国会の採決でとられる方法はさまざまです。

議長が「ご異議ございませんか」と議員たちに問い、議員たちが「異議なし」と口頭で答えることにって議長が可決を宣言する方法は「異議なし採決」とよばれています。これは、国会運営における“うちあわせ”の役割を果たす議員運営委員会で、あらかじめ全会派が議案に賛成し、かつ、ほかの採決方法の提案がなかったときにとられるものといいます。

ほかの採決方法では、衆議院と参議院のあいだで異なるものもあります。

衆議院では「起立採決」という方法がとられます。議長が賛成の議員の起立を求め、起立している議員が多いか、着席している議員が多いかを眺め、起立の議員が多いときは「起立多数、よって本案は可決されました」と可決を、着席の議員が多いときは「起立少数、よって本案は否決されました」と否決を、宣言するといったものです。

しかし、国会では、賛成または反対の意思を表明できる議員全体のうち、何人が起立したか厳密に数えられているわけではありません。この採決についても、議院運営員会で各会派ごとの賛成・反対があらかじめ調べられます。その結果から「起立多数」になるかどうか議長はあらかじめわかっているということになり、厳密には起立議員の数は数えられないようです。

いっぽう、参議院では「起立採決」でなく、「押しボタン式投票」という採決方法がとられます。議席に賛成と反対の意志を示すための押しボタンがとりつけられていて、そのボタンを押すことで、賛成票と反対票をほぼ瞬時に数えることができるというしくみです。1998年1月招集の国会から始まりました。

そして、両議院で行われているもうひとつの採決方法に「記名投票」があります。議員の名前が記された白色と青色の木札を議員が渡されます。賛成の場合は白い木札を、反対の場合は青色の木札を演壇に持っていき投票します。

記名投票や押しボタン式投票などでは、明確な賛成票と反対票の数がわかりますが、起立採決や異議なし採決では、本当に「起立多数」なのか、あるいは「異議なし」なのか、それを保証する手段はありません。

実際、会派のなかには「この法案だけには反対する」といった議員もいるわけで、その反対の意思表明は、公式記録上には残らないということになります。いかに政党や会派としての賛成・反対の意思表明が議員個人より優先されているかがうかがえます。

参考資料
参議院「参議院のあらまし 押しボタン式投票」
http://www.sangiin.go.jp/japanese/aramashi/keyword/osibotan.html
河野太郎オフィシャルウェブサイト「第20号『異議があります!』」
https://www.taro.org/ml/hardcopy/20/page03.html
ウィキペディア「表決」
http://ja.wikipedia.org/wiki/表決
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「セよりパのほうが試合時間が長め」の背景にルールのちがいの可能性


プロ野球で1試合にかかる時間はだいたい3時間強。2015年もいまのところ、9回試合のみでは3時間10分、全試合では3時間16分となっています。

ただし、セントラル・リーグとパシフィック・リーグでは1試合の平均時間にわずかながら差がついています。

2015年の現時点まででは9回試合で、セントラル・リーグは平均3時間8分。パシフィック・リーグは3時間12分。パシフィック・リーグの試合時間のほうが4分ほど長くなっています。全試合でも3時間16分に対して3時間18分。傾向はおなじです。

2014年も、9回試合でセントラル・リーグは3時間16分だったのに対して、パシフィック・リーグは3時間18分で、パシフィック・リーグのほうが長めです。全試合でも3時間16分に対して3時間18分・やはりパシフィック・リーグのほうが長め。

過去にさかのぼってみても、パシフィック・リーグのほうが試合時間がすこしだけ長いという傾向が見られます。

2分や4分という差なので、大きなものとはいえません。しかし、両リーグとも1年間に約400試合が組まれているなかで、パシフィック・リーグのほうが試合時間が長くなる。そこには、やはり原因があるのでしょう。

セントラル・リーグとパシフィック・リーグの試合のルールで明らかにちがうのは、投手が打者としても打席に立つか立たないかです。

セントラル・リーグのほうでは投手が打順に組みこまれています。いっぽう、パシフィック・リーグでは投手を打席に立たせず、打撃専門選手である「指名打者」を打順に入れることができます。投手を打席に立たすこともルール上はできますが、投手よりも指名打者のほうが打力が高いため、パシフィック・リーグの各監督は指名打者を当然のように打順に入れます。

セントラル・リーグのチームの監督は、攻撃で投手に打順が回ってきたとき、代打を出す機会があります。そして、代打策が成功しようが失敗しようが、つぎの守備のときには頭から投手を交代をしなければなりません。

いっぽう、パシフィック・リーグの監督は、そもそも投手が打順に入らないので「投手に代打を出す」ということはまず起きません。投手に代打を出して投手交代させる機会がない分、パシフィック・リーグのほうが投手交代の時期は守備のときの頭でない場合は多いといえそうです。

ここに試合時間の差が生まれる原因があるのかもしれません。

攻撃と守備が変わるときには、投手が練習で捕手とキャッチボールしたり、野手どうしが練習でキャッチボールしたりして2、3分の時間がかかります。

かならず存在する攻撃と守備の入れかえ時間に、投手交代で新たに登板する投手が投球練習をすれば、野手どうしのキャッチボールなどの練習時間と同時進行となるため、投手交代に費やされる時間は攻撃と守備の入れかえ時間に大部分が吸収されます。

しかし、守備のときの途中で新たに登板する投手が投球練習をするときは、いわば投手交代のためだけの時間をつくることになるため、試合の長時間化により大きく寄与します。

投手に代打をするため、つぎの守備のときに頭から投手交代をする機会が多い分、セントラル・リーグのほうが1試合にかかる試合時間が短くなるという仮説です。

参考資料
日本野球機構オフィシャルサイト「2015年 セ・パ公式戦 平均試合時間」
http://www.npb.or.jp/statistics/2015time.html
日本野球機構オフィシャルサイト「2014年 セ・パ公式戦 平均試合時間」
http://www.npb.or.jp/statistics/2014time.html
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3列分に客は1列


利用客の多い駅などでは、電車を待っている客に「3列乗車」の協力を求めているところがあります。電車のドアが開く位置の左側に3列、右側にも3列、客が並ぶというものです。

とくに朝や夕方の混雑時間帯では、1列ないし2列で並んでいると列の最後尾が駅の奥の突きあたりまで達してしまいます。対面式の駅ではホームを移動しづらくなります。島式の駅では反対側の線に電車が入ってくるので危険です。

しかし、3列乗車の協力を求めている駅のホームであっても、実際には3列で客が並んでいない場合が見られます。それなりに混んでいても、たいていは2列といったところでしょうか。場合によっては1列というときもあります。

どうしてなかなか3列にならないのか。客が2列で並びはじめ、その客のうしろにほかの客が並びはじめたら、先頭のところに空いている列に客は並びづらくなります。なぜなら、すでに並んでいる2列分の客の最後尾よりも、自分が前に行くことになるからです。しつけや品行を重んじる日本人の国民性と関係がないとはいえないでしょう。

(2015年)5月25日には、3列乗車をめぐって悶着があったといいます。東京・西新宿の京王線新宿駅で、3列乗車のホームを客が2列でしか並んでいなかったところ、3列目の先頭に母子の客が並びました。しかし、後ろで並んでいた男性客がこの母を注意し、乗った車内で座るのを制止された母子が「うちの子が触られた」「くそじじい出てこいよ」と声をあげて悶着がつづいたということです。

この母子が車内でとった言動については、悶着を助長させたため批判の声も出ているようです。

しかし、3列乗車の列の残り1列に、客が並んでいなければ、そこに人が並んだとしてもルール違反ということにはなりません。野球場のチケット売場が3列分あって、たまたま2列に人が並んでいるなかで1列分が空いていたら、やってきた客はその1列分に入って進むことでしょう。

3列分を設けているのに、2列または1列しか客が並ばないというのは、駅の構造やしくみに欠陥があるからといえます。

かつて、電車の7人がけロングシートで6人しか座らなかった状態がありましたが、座席のお尻の位置にくぼみをもたせたり、3人目と4人目の境目にアルミ棒を縦に置いたりして、半強制的に7人で座るようにする試みがありました。いまもそれはつづいています。

おなじように、駅の利用客に3列で並ばせたいのであれば、より「ここは3列である」ということを強調するしかけというものが必要となります。

参考資料
J-CASTニュース 5月27日付「母娘が列に割り込み、制止した男性を痴漢呼ばわり? 京王線・新宿駅ホーム上のトラブルが騒動に」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150527-00000006-jct-soci
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連結幌の締金に“横一線”


このブログの(2015年)5月24日(土)の記事「連結幌が移動する乗客を守る」という記事で、列車の車両と車両をつなぐ「連結幌」をとりあげました。

この連結幌については、もうひとつ、車輌整備に携わる人たちの“単純ながら役に立つ知恵”がうかがえます。

連結幌の側面には「締金」とよばれる金具がついています。乗客がつかまるための手すりの脇にあります。この締金は、連結幌の幌枠と、車輌の枠とを固定する重要なもの。

この締金をよく見てみると、水平方向に色付きの塗装が横一線になされているのが見えます。ナットやボルトなどの金具を固定するための工具、それに金具そのものにかけて、横一線に塗装がされています。

これは、「Iマーク」などとよばれる印。締金が取りつけられた初期の段階で、この「Iマーク」をつけておきます。

車両の整備をするとき、ボルトを緩めて締金のパーツをバラバラにし、車輌の整備が終わると、またボルトを締めて締金をもとの固定した状態にするという作業があります。

このとき、締金が元の状態に、きちんと固定されているかどうかを確認するためにあるのが、この「Iマーク」。もし、マークが横一線に並ばずにずれているとすると、それは初期段階の締めかたになっていないことを意味します。

人の感覚はときによって変わるもの。また人の力は人によって異なるもの。感覚を頼りにしていると、固定しなおしたはずの締金に緩みが生じているということもありえます。そこで、だれがみても確認できるよう、締金に「Iマーク」の基準をつけているというわけです。
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予測を検証すると大きく外れていることも

NOAA/NASA GOES Project

人はさまざまなものごとが「将来どうなっているか」を予想したり予測したりします。予想や予測があれば、それらをもとに「では、いまどうするか」と意思決定をしやすくなるからです。

ただし、「何年には状況はこうなっているだろう」と立てた予測について、実際にその「何年」がやってきたとき、予測がどれだけ合っていたかを検証する機会はさほど多くありません。

この「過去における未来の予測」の検証がまったくなされないわけではありません。有名なものには1901年1月に報知新聞に掲載された「二十世紀の豫言」とその検証があります。

報知新聞の特集記事では、20世紀中に実現しているであろう技術として「無線電信電話」「遠距離の写真」「7日間世界一周」などが掲げられました。そして20世紀が終わると検証がなされ、23項目のうち13項目が「実現した」つまり、予言が当たったと評価されました。

しかし、さまざまな予想・予測が、このように優れているというわけでもないようです。

米国では、「2000年の時点でのエネルギー消費量はどうなっているか」を、1960年代から1970年代にかけて、さまざまな機関が予測をしました。

たとえば、米国技術協議会(American Engineering Council)は1960年代はじめ、2000年時点における米国の年間一次エネルギー消費量を、およそ17京英熱量と予測しました。「一次エネルギー」とは、人が使うエネルギーの加工前の自然界に存在するエネルギーのこと。また「英熱量」とはエネルギーの単位でBTU(British Thermal Unit)ともいい、1英熱量は1055.06ジュールに相当します。

また、米国内務省は1970年代、たてつづけに3回、2000年時点における米国の年間一次エネルギー消費量を予測しました。それは、20京英熱量に迫るものでした。

なかには予測の値に大きな幅をもたせた団体もありました。フォード財団は、およそ11京英熱量から19京英熱量の範囲内になるだろうという予測を1970年代前半にしています。

では、これらの予測に対して、実際の2000年の米国の年間一次エネルギー消費量はどうだったかというと、10京英熱量未満でした。

大きな量なのでわかりづらいですが、いずれの予測についても、実際の2000年のエネルギー消費量をかなり超えて見積もられていたのです。上にあげた3団体による予測のほか、米国鉱山局や石油大手のカルテックスなどの各機関についても、軒並み予測が実際の2000年のエネルギー消費量を超えていたといいます。

1973年と1979年には石油危機がありました。この危機を受けて、人びとはエネルギーを効率よく使うようになった結果、2000年時点のエネルギー消費量は予測を大きく下回ることになったと分析されています。

予想や予測は、意思決定をするための材料であると考えれば、意思決定の“とっかかり”としてとにかく立ててみるという考えかたもできるのかもしれません。

しかし、あまりにも予想や予測を検証してみて、あまりにも現実の結果とかけはなれているのであれば、その理由を分析し、その後の予想や予測に生かしていくということも大切にはなります。

参考資料
バルーク・フィッシュホフ、ジョン・カドバニー共著、中谷内一也訳『リスク 不確実性の中での意思決定』
http://www.amazon.co.jp/dp/4621089188
日本総研 2008年6月16日付「過去の未来予測の検証」
http://www.jri.co.jp/page.jsp?id=7020
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道の“つぎはぎ”は効率的な工事のしるし


道路を歩いていると、アスファルトの上に白い文字で「仮ホソウ」や「仮舗装」などと書かれているのを見つけることがあります。たしかに、その部分のアスファルトは、ほかの道路と色がちがっています。道路全体をみわたすと、つぎはぎのような模様になっています。仮舗装は、いかにも“仮”っぽい印象をあたえます。

仮舗装とは、その道路の下に埋められている配管などの工事が終わっていないために、最終的な舗装ができずに一時的に舗装をすることをいいます。

では「すべての工事が終わっていない」とは、どういう状況なのでしょうか。

かんたんに考えられるのは、何日もかけておこなう工事です。人通りの少ない深夜などに道路の下の配管の工事を行いますが、朝になり人通りが多くなると通行のさまたげになるので仮舗装をするわけです。

しかし、それ以外の場合にも仮舗装がなされることがあるようです。

たとえば、横浜市道路局の説明によると、水道、下水道、ガスなどの工事については、無用な掘りかえしを防いだり、工期の短縮をはかったりするため、いろいろな種類の配管の工事をつづけておこなうようにしているといいます。

とはいえ、水道の配管の工事が終わるかどうかのうちに、つづけて下水道の工事を行えるというわけでもないのでしょう。しかし、そこで立派な舗装をしてしまうと手間もお金もかかります。そこで、ある工事が終わってから、おなじ場所でべつの工事をするまでのあいだ、仮舗装をしておくということもあるようです。

ちなみに「仮ホソウ」や「仮舗装」などと記すには、「マーキングプレート」という文字のかたちをくり抜いた板を仮舗装の道に置き、上から白いスプレーを吹きかけるようにします。

参考資料
横浜市道路局「管理課Q&A」
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kanri/faq/qa-ans01.html
アイデア・サポート「仮舗装マーキングプレート」
http://ideasupport.co.jp/products/p0231.html
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緑茶を飲むほど全死亡リスクが低下


「緑茶を飲むとからだによい」ということはむかしからいわれてきました。その効果を科学的に確かめるような研究の結果が発表され、話題になっています。

国立がん研究センターの予防研究グループが、「緑茶を習慣的に摂取する群において、男女の全死亡リスクが低い」とする研究結果を同グループのホームページに発表しました。論文としても『Annals of Epidemiology 2015』という媒体に掲載されています。

この研究は、40歳から69歳の男女およそ9万人を、1990年または1993年から2011年にかけて追跡した調査結果をもとに、緑茶の習慣的な摂取量と全死亡リスクなどの関連を検討したもの。全死亡とは、あらゆる死因による死亡のことをいいます。

追跡期間に1万2874人が亡くなりました。この死亡者に着目すると、緑茶を1日1杯未満しか飲まない群を1としたとき、1日5杯以上飲む群の全死亡リスクは、男性で0.87、女性で0.83となったということです。1日1杯未満から1日5杯以上まででは、緑茶を飲む量が増えるほど、全死亡リスクが下がるという傾向も見られます。

また、この研究では、緑茶の習慣的な摂取量と死因別の死亡リスクの関連についても調べられました。すると、心疾患や脳血管疾患、また呼吸器疾患などによる死亡リスクは1日1杯未満しか飲まない群より1日3〜4杯、また1日5杯以上飲む群のほうが低く抑えられていることがわかりました。

さらに、事故などによる外因死のリスクについても、緑茶の摂取量が多い女性で低くなるという結果も出たということです。

ただし、緑茶の摂取量とがんの死亡リスクについては、関係性は見られなかったといいます。

同グループは、「緑茶と死亡リスクはどう関係しているのか」についても触れています。緑茶に含まれるカテキンには血圧や体脂肪や脂質を調節する効果があるとされる上に血糖値改善効果もあるとされていること、緑茶に含まれるカフェインが血管内皮の修復を促して血管を健康に保つとされていること、カフェインに気管支拡張作用があり呼吸器機能の改善効果があるのではないかといわれていること、などをあげています。

また、緑茶の摂取量が多い人で外因死リスクが減っている理由については、緑茶にふくまれるテアニンやカフェインが認知能力や注意力の改善に効果があるのではないかとされているという説をあげていますが、同時に「はっきりとした因果関係は分かっていません」ともしています。

こうした追跡調査では、緑茶を飲むことが直接的に死亡リスクを減らすのか、それとも緑茶を飲むような健康生活を心がけていることが死亡リスクを減らすのか、といったことまではわかりません。

しかし、緑茶を多く飲む人は飲まない人より全死亡リスクは減るということはいえそうです。

参考資料
国立がん研究センター 2015年5月7日発表「緑茶と死亡・死因別死亡、コーヒーと死亡・死因別死亡について」
http://epi.ncc.go.jp/jphc/745/3533.html
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連結幌が移動する乗客を守る


列車の車両と車両のあいだにはつなぎ目があります。このつなぎ目は「連結幌(れんけつほろ)」とよばれています。

連結幌は、乗客が乗っている車両からべつの車両へと安全に移動するためのもの。どのような機能を満たしているべきかというと、つぎの三つがあげられます。

まず、列車の動きに対する順応性が高いこと。連結幌の近くにいるとわかりますが、自分の乗っている車両ととなりの車両では、上下に左右にと、かなり異なる動きをします。この車両どうしの複雑な揺れに対して、順応できるものでなければなりません。

つぎに、耐久性が高いこと。連結幌の外側は野ざらし状態です。強い雨が降ると、「幌布」とよばれる蛇腹状の部分に雨が当たる音が聞こえます。また、よく晴れた日には日光も照りつけます。こうした過酷な気象に対して耐久性が求められます。

また、燃えにくいことも大切です。もし車両で火災が起きたとき、連結幌が火災を延焼を助長する役割でなく、防止する役割をはたさなければなりません。

連結幌の幌布には、おもに「ターポリン」とよばれる素材が使われています。ポリエステル繊維を合成樹脂で覆うようにつくられています。もともとは、繊維に油状の液体である「タール」を塗って防水性を高めていたことから「ターポリン(tarpaulin)」とよばれていました。いまは、繊維を覆っている材料は合成樹脂になっているようです。

国内での連結幌の大多数は「成田製作所」というメーカーによるもの。1946(昭和21)年、鉄道車両を製造する日本車輌製造から発注を受け、強度や安全性を考慮した連結幌をつくりはじめました。

ちなみに、連結幌の部分では大きく揺れたり金具がついていたりするため、乗客がいつづけることは危険です。各鉄道会社は、乗客が連結幌の部分に立ちどまることを禁止しています。

参考資料
波多野幹夫「国内向け車両用連結幌について」『鉄道車両工業』2010年7月号
http://www.tetsushako.or.jp/page_file/20111215174623_5k7ZDM4bx6.pdf
成田製作所「成田製作所70年のあゆみ」
http://www.narita.co.jp/histry/
ダイニックグループ「新製品で市場拡大」
http://www.dynic.co.jp/company/80/chno5/ch05-7.html
日本テント製作所「ターポリンと帆布・キャンバスの違いって何ですか?」
http://www.nihontent.com/wp2/テントによくある質問qa/ターポリンと帆布・キャンバスの違いって何です/
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「食べものですか」「織りものです」
関西のまちを歩いていると、「クレープ」という看板が掲げられている大きな工場を見かけることがあります。さらに、その工場のべつの看板には「ちぢみ」とも記されてあります……。

「ちぢみ」といえば、朝鮮風のお好み焼きの「チヂミ」を思いうかべる人もいるでしょう。「チヂミ」は、小麦粉や卵などを混ぜて薄く焼いた食べもののこと。いっぽう「クレープ」といえば、おなじく小麦粉や卵などを混ぜて薄く焼いた食べものこと。


クレープ
写真作者:Hajime NAKANO


チヂミ
写真作者:Koji Horaguchi

では、その工場は「クレープ」や「チヂミ」といった“粉物”の食品をつくっている工場なのでしょうか。しかし、こぢんまりとした料理屋や屋台で“粉物”を出しているならともかく、大きな工場で大量生産するほどのものでもなさそうです。

もし、「クレープ」「ちぢみ」と書いてある看板が掲げられている工場を見たら、おそらくその工場は織物工場でしょう。

「クレープ」は、もともとはフランス語で、“crêpe”と書きます。たしかに、薄く焼いて食べる菓子のことを指します。しかし、それ以外にもことばの意味があります。

クレープの語源はというと、「撚りを強くした糸を縮緬(ちりめん)のようにして細かい「皺(しぼ)」とよばれるしわをつけた織物のこと。この織物の模様が、小麦粉や卵などで薄く焼いてつくる菓子の表面の模様とにていたため、お菓子のほうもあとから「クレープ」とよばれるようになったということです。


ちぢみ(クレープ)の一種、ちりめん
写真作者:Asanagi(talk)

いっぽう、「ちぢみ」には、朝鮮語の「チヂミ」のほかに、日本語の「縮」ということばがあります。縮は、布面に細かい皺をほどこした織物のこと。「縮織り」ともよばれています。

「クレープ」と「縮(ちぢみ)」は、布に皺をほどこすという点でほぼ共通しています。いっぽう「クレープ」と「チヂミ」も、小麦粉と卵を混ぜて薄く焼くという点で似ています。

ちなみに、朝鮮語の「チヂミ」のほうは、「平たく伸ばして焼いたもの」という意味の、韓国南部で使われている方言とのことです。

もし、会話で相手が「クレープやらちぢみやらを作っています」と話してきたら、念のため「織物のほうですか、それとも料理のほうですか」と確認したほうがよいかもしれません。

参考資料
語源由来辞典「クレープ」
http://gogen-allguide.com/ku/crepe.html
ウィキペディア「チヂミ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/チヂミ
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「野菜炒めがズブズブになってしまう人へのアドバイス」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2015年)5月22日(金)「野菜炒めがズブズブになってしまう人へのアドバイス こうすれば失敗しない初心者の料理(後篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

料理をする男性が増えています。しかし、主婦とちがって毎日のように料理をするわけではなく、「たまにする」という人が多いことが各種の実態調査などからわかっています。

料理を「たまにする」だと、なかなか初心者の域を抜けだすことができません。たまに上手くいく料理もあるけれど、失敗する料理もあります。そこで、「料理の成功と失敗のわかれめはどこにあるのか」という疑問をもとに、女子栄養大学短期大学部准教授の豊満美峰子さんに話を聞きました。

具体的な初心者向け料理をとりあげて、そこでの成功と失敗の分かれめを豊満さんに解説してもらています。なかでも「野菜炒めがシャキシャキでなく、水気でズブズブになってしまう」という失敗例は多くの初心者が経験するところ。

豊満さんは、野菜炒めのズブズブ化の原因を指摘します。まず、炒めすぎると、炒めおわったあとも余熱により野菜が温められつづけ、これで野菜のシャキシャキ感が失われていくとのこと。

さらに、調味料を早めの段階で入れてしまうと、塩や醤油などが野菜の水分を出してしまうため、これで水気がフライパンに多くでて、ズブズブになってしまうということです。

豊満さんは、美味しい料理には科学的な理由があるという考えのもと、教育活動をつづけています。それは、栄養士の資格取得を目指す学生に教えるとき、美味しく料理をつくることともに、栄養価の高い料理をつくることが大切で、理屈を重視しなければならないからとのこと。

出版された監修書『料理のコツ 解剖図鑑』にも、本の帯に「『おいしい!』には科学的理由があった!」の文字が踊っています。

今回の記事では、野菜炒めのほかに、カレーやチャーハンといった基本中の基本といえる料理をとりあげ、成功と失敗の分かれめを解説しています。

「野菜炒めがズブズブになってしまう人へのアドバイス こうすれば失敗しない初心者の料理(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43838
初心者にとっての調理器具の選びかたや、ご飯の炊きかたや保存のしかたなどを紹介した前篇「余ったご飯を冷蔵庫に入れてはいけない!」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43769
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日本酒づくりは清酒酵母とともに

写真作者:isado

お酒などをつくるときに「酵母」が使われています。酵母は、5〜10マイクロメートルの大きさの丸いかたちの菌類です。たとえば日本酒づくりでは、米からつくられた糖をアルコールに変えますが、酵母が糖を分解してアルコールにしてくれるわけです。

日本酒をつくるために使われる酵母は「清酒酵母」といいます。全国の酒蔵がそれぞれ清酒酵母をつくっているわけではありません。酵母をつくっている組織がべつにあり、そこから頒布されているのです。

頒布元のひとつが日本醸造協会。「きょうかい酵母」という名前でさまざまな酵母がつくられています。大きくは醸造中に泡を生じさせる「泡あり酵母」と、泡を生じさせない「泡なし酵母」にわかれます。

それぞれの酵母には「何号」という号数がついています。たとえば、泡あり酵母の「6号」は「発酵力が強く、香りはやや低くまろやか、淡麗な酒質に最適」、泡なし酵母の「1501号」は「低温長期型もろみ経過をとり、酸が少なく、吟醸香の高い特定名称清酒に適す」といった具合です。

日本醸造協会のほかにも、各都道府県の工業技術センターや食品研究所、また大学や一部の酒造メーカーなどでも酵母は開発し、頒布されています。

近年、清酒酵母には睡眠の質を高める効果があるとする研究結果も出ています。

ライオンは、筑波大学の国際統合睡眠医科学研究機構との共同研究で、清酒酵母には深い眠りを誘発する脳内物質「アデノシンA2A受容体」を活性化するはたらきが高くあるということを発表しました。そして2014年には、清酒酵母を配合したサプリメント「グッスミン 酵母のちから」という製品も発売しています。

もともと酒づくりでは酵母がはたらいていたわけですが、酵母というかたちで分離されていたわけではありません。日本で清酒酵母が分離されたのは、19世紀の終わりごろ。醸造学者の矢部規矩治(1868-1936)が1893年、日本酒を漉すまえの「もろみ」から清酒酵母を分離し、1895年には“Saccharomyces sake”という名がつきました。それから120年、清酒酵母は日本酒づくりに使われてつづけています。

参考資料
日本醸造協会「きょうかい酵母 清酒用」
http://www.jozo.or.jp/koubo/wp-content/uploads/2015/05/きょうかい酵母%E3%80%80清酒用アンプル、スラント.pdf
ウィキペディア「清酒酵母」
http://ja.wikipedia.org/wiki/清酒酵母
ライオン 2014年5月13日発表「『「清酒酵母』に“睡眠の質“を高める効果があることを世界で初めて発見!」
http://www.lion.co.jp/ja/company/press/2014/962
ライオンウェルネスダイレクト「グッスミン 酵母のちから」
https://www.lionwellnessdirect.jp/koubo/
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ゴールド免許証、運転予定なしのペーパードライバーならもつにふさわしい


自動車の免許証に「ゴールド免許証」があります。運転免許証更新のとき、「運転免許経歴5年以上、かつ過去5年間無事故、無違反」という人があたえられるものです。そして、ゴールド免許証をあたえられる人は「優良運転者」とよばれます。

「優良運転者」ということばそのものの意味は「ほかの人にくらべて優れている、運転する人」となります。この意味からすると「ゴールド免許証のもちぬしは、運転に優れている人」と考えてよいでしょう。

では、ゴールド免許証のもちぬしは、すべて優れた運転をしているのでしょうか。

運転免許証を取得した人のなかで、実際は車を運転しない人を、俗に「ペーパードライバー」といいます。運転免許証を取得後、車を運転しない時期がつづけば「運転免許経歴5年以上、かつ過去5年間無事故、無違反」の条件を満たせるため、ペーパードライバーは運転をしないでいれば、ほぼかならずゴールド免許証をあたえられることになります。

実際、ゴールド免許証取得者の多くはペーパードライバーだといわれています。

このように、ペーパードライバーの運転経験はほとんどありません。その人たちが運転をするとしたら、むしろひんぱんに運転するゴールド未取得者よりも、無事故や無違反を破るおそれは大きいでしょう。運転に不慣れで、事故や違反をおかしやすいからです。

このことからすると、「優良運転者」にあたえられる「ゴールド免許証」の取得者である「ペーパードライバー」は、「優れた運転をする」とはいいがたい状況にあります。

ことばの意味からすれば矛盾をふくんでいるので問題といえそうですが、いっぽうペーパードライバーがゴールド免許をもつのにふさわしいかという点では、「もつふさわしい」といえる人と、「もつふわさしい」といえない人がいそうです。

「もつにふさわしい」という人は、今後も車を運転をする予定のないペーパードライバーです。

ゴールド免許証をもつことで、免許更新時の講習の時間は従来の1時間にくらべて30分ほど短くなります。また、運転免許試験場とは異なる優良運転者免許更新センターというところで更新できるようになります。さらに、任意保険の保険料が割引きされるといった恩恵を得られます。これらは、“交通事故を起こす危険性が低いからこそ”の恩恵といえます。

つまり、これからも運転する予定がまったくないペーパードライバーは、交通事故を起こす危険性がきわめて低いのですから、これらの恩恵を受けられるゴールド免許を「もつにふさわしい」といえます。

いっぽう、これから運転をする予定のあるペーパードライバーは、ほんとうに運転をするとききわめて事故を起こす危険性が高いため、免許更新時の講習をむしろ従来よりも長時間かけて受けたほうがよさそうです。

このことを考えると、これから運転をする予定のあるペーパードライバーが、ゴールド免許を取得するのにふさわしいかというと、講習時間が短いという点では、「もつにふさわしい」とはいえなさそうです。

なお、運転の初心者であることをまわりの運転者に知らせるために、通称「若葉マーク」とよばれる「初心運転者標識」があります。普通免許を取得後1年を経過しない運転者は車に「若葉マーク」をつける義務を負いますが、1年を経過した人が「若葉マーク」をつけても違反にはなりません。そのため、ペーパードライバーが運転をするときは車に「若葉マーク」をつけたほうがよさそうです。

参考資料
NAVERまとめ「【優良運転者】ゴールド免許取得によるメリットとは」
http://matome.naver.jp/odai/2142000246304931301
ウィキペディア「ゴールド免許」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゴールド免許
ウィキペディア「初心運転者標識」
http://ja.wikipedia.org/wiki/初心運転者標識
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科学ジャーナリスト賞2015大石和江さん「各年代の編集長の思いが詰まっている」
「科学ジャーナリスト賞2015」では「特別賞」がもうけられました。特別賞は科学ジャーナリスト賞が2006年に始まってから10回目で初となります。

特別賞は、東京理科大学近代科学資料館代表で、科学コミュニケーターの大石和江さんに贈られました。「企画展示『科學雑誌 科学を伝えるとりくみ』」に対してです。

大石さんの受賞のスピーチの要旨です。


大石和江さん

「東京理科大学近代科学資料館はどこにあるのだろうという方もいるでしょう。(学生スタッフたちが壇上に上がる)常勤は1人ですが、学生たち若手がアルバイトスタッフとして週2、3回ローテーションでつとめてくれています。ポスターをつくった学生、年表をつくった学生、科学実験について調べた学生、年代考証をした学生など総動員で、理科大の情報力を高めました。国会図書館や、東京大学、科学博物館などでばらばらになっている科学雑誌を調べました」

「雑誌のためばらばらで、残っていないものが多いことを感じました。創刊がいつなのかはわかりますが、廃刊がいつなのかわからず、年表をつくるのがたいへんでした」

「創刊号を見ると、各年代の編集長の思いがぎっしり詰まっています。こういう思いで149年前からずっと科学雑誌はつくられてきたのだな、科学を普及しようとしつづけてきたのだな、でも、いまも科学の普及(の重要性)はいわれつづけているな、わかりました」

「科学ジャーナリストのみなさんにも(この企画展を)知っていただきたいと思い応募しました。このような特別賞という結果になり、私たちがいちばん驚いています」

「学内での評価で『いいことやっていたのだね』と言われたのがいちばん大きなありがたいことと思っています。これからもがんばっていこうという気にほんとうになりました。みなさまに祝していただき、ジャーナリストたちとともに賞をいただき、ほんとうにうれしく思っています」

東京理科大学理科大学近代科学資料館のホームページこちらです。
http://www.tus.ac.jp/info/setubi/museum/

(2015年)5月25日(月)からは、東京・九段北の千代田区立千代田図書館で、関連展示も行われる予定です。
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科学ジャーナリスト賞2015浅井健博さん「伝えるべきテーマと確信して放送した」

「科学ジャーナリスト2015」では、報道番組が一作品「賞」の対象になりました。2015年2月22日放送のNHKスペシャル『腸内フローラ 解明! 驚異の細菌パワー』の番組に対してです。NHK制作局科学環境番組部NHKスペシャル『腸内フローラ』取材班代表を代表して、チーフ・プロデューサーの浅井健博さんが、オーナメントを受けとりました。

浅井さんのスピーチの要旨(一部抜粋です)。


浅井健博さん(手前)

「チーム一同うれしく思っています。ありがとうございます」

「『腸内フローラ』というタイトルは美しいですが、ありていにいえば(この番組は)便の話です。編集の当初コンピュータグラフィックスはすくなかったですが、表現のむずかしい世界で、かなり今回はコンピュータグラフィックスの力を多用して、なんとかこの世界観を伝えられたのではないかと思っています」

「いま、NHKスペシャルは年間100本ぐらい放送されています。そのなかで科学や自然の分野は1割ぐらいです。せいぜい年間、放送できて10本ぐらいになります。そのなかで医療や科学の最先端を放送するとなると1、2本です。その1、2本の枠を目指して、大勢の仲間が提案を出すなかで勝ちぬいていかなければなりません」

「そこでなにを放送するか(考えることが)、ものすごくむずかしくあります。つぎからつぎへと研究情報や医療情報が出てきます。インターネットを介してたくさんの情報が巷に流されています。100あるうちのひとつを選ぶのでなく、『これこそがいま伝えるべきテーマなのだ』と定めることがむずかしくあります」

「番組スタッフは、相当数の論文をひもとき、さらに海外の研究者にも直接当たって、『これは伝えるべきテーマである』と確信して放送するに至りました。情報が多い時代であればこそ、一人ひとりが丹念に取材をしていくことが大事となります」

「僕らの世代は(2014年に急逝した元NHK解説委員の)小出五郎さんに直接、現場で薫陶を受けた最後の世代です。私がお会いしたのは(2011年)3・11の(福島第一原子力発電所)爆発事故の直後です。なにか小出さんに会いたくて、ラジオに出ていた小出さんのところをうかがいました。そのときの小出さんは、わりと穏やかな顔をしていて、『心配することないからやるべきことをやりなさい』とおっしゃていました。今回、受賞できて、すくなからず恩返しできたかなと思っており、うれしく思っています」

NHKスペシャル『腸内フローラ 解明! 驚異の最近パワー』のホームページはこちらです。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0222/
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科学ジャーナリスト賞2015添田孝史さん「大手メディアができないこと追いかけていきたい」
「科学ジャーナリスト賞2015」では「賞」が、科学ジャーナリストの添田孝史さんにも贈られました。『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波書店)の著作に対してです。添田さんは、元朝日新聞の科学報道にたずさわる記者でした。

受賞した添田さんのスピーチの要旨(一部抜粋)です。


添田孝史さん

「朝日新聞出版に企画を拾っていただきました。2011年11月、石橋克彦先生から携帯電話がかかってきて、どうせ暇しているだろうから国会事故調査委員会の手伝いをしたらといわれたのがこの企画のとっかかりです」

「しかし、実質の調査期間は4か月だけ。東京電力は肝心の資料をじらして出そうとしません。電気事業連合会の重要な資料などが出てきたのは、(国会事故調査委員会報告書の)ドラフトができあがる2週間前でした。それを資料の「参考編」に押しこみました。そしてそれを読みやすくしたのが、今回の『原発と大津波』のきっかけです」

「資料をもとにつくったので、ほかの人がやろうとすればできるものでした。柳田国男さんは『文藝春秋』でやりはじめておられ、私のもっていない資料ももっているようでした。困ったなと思いつつ取材をやりはじめました。関連する文書をかき集め、関連する論文を読み、わからないところがあれば学者のところをに押しかけて話を聞きました。オーソドックスな手段をつづけてできあがったのがこの本です」

「福島の事故はわからないことがいっぱいです。フリーの立場で、大手のメディアができないことを深く追いかけていきたいと思います」

添田さんの著書『原発と大津波』の岩波書店による紹介はこちらです。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1411/sin_k799.html
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科学ジャーナリスト賞2015加藤正文さん「再びの公害に頭を殴られた」
「科学ジャーナリスト賞2015」では「賞」が、神戸新聞東京支社編集部長兼論説委員の加藤正文さんにも贈られました。『死の棘・アスベスト 作家はなぜ死んだのか』(中央公論新書刊)の著作に対してです。

受賞した加藤さんのスピーチの要旨(一部抜粋)です。


加藤正文さん

「(袋を手に持って)きょうはアスベストの原石をもってきました。ケベック州の山奥の鉱山で取材しましたが、お土産として売られているのです。カナダ政府はアスベストは安全といっており、倉庫に行くとアジアに送られるアスベストがいっぱいありました。自国では使わずアジアに送っているのです」

「いまもブラジル、ロシア、中国などではアスベストが使われています。地球規模で2億トンあります。アスベストには『永遠不滅』という意味があります」

「私は3歳のとき親の転勤で尼崎に転居しました。そしていきなり公害病になりました。阪神工業地帯からは大企業が膨大な亜硫酸ガスを出していました。道路騒音もあました。昭和40年代前半の阪神間にはたいへんな公害がありました」

「神戸新聞社に入り、年を経て、2005年にJR尼崎駅のすぐ近くのクボタがアスベストの被害(をもたらしていたこと)を発表しました。クボタは国内債の石綿(アスベスト)製造企業だったのです」

「私は頭を殴られたような感じがしました。平成元年(1989年)に記者になり、阪神支局に勤務して、公害問題は私も被害者でありよく知っているはずでした。加害者と被害者のどちらにもていねいに取材してきた自負がありました」

「しかし、2005年、クボタのアスベスト問題を毎日新聞がスクープし、これで頭を殴られました。農機具を作っていたクボタが海外のアスベストを港から輸入して、日本通運が運んで、クボタがそれを石綿パイプにし、それを世界中に出荷していました」

「(アスベスト問題の発覚から)10年を迎えました。死者は430人を超え、アジア最悪の(アスベスト)被害となっています。中皮腫の発症は、アスベストを吸ってから10数年から50年かかります。尼崎で生まれて東京に出てきた方が、突然50歳になって中皮腫と診断されるのです。工場で勤務したこともなく、どこで吸ったのか思いうかびません」

「(著書名を)『死の棘』としたのは、島尾敏雄さんの著名な『死の棘』を意識してというのもありましたが、日本に突き刺さった“死の棘”はけっして消えていないということを示すためでもありました」

加藤さんの著書『死の棘・アスベスト』の中央公論新社による紹介はこちらです。
http://www.chuko.co.jp/tanko/2014/06/004601.html
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科学ジャーナリスト賞2015山本洋子さん「『正しく恐れることは難しい』ということばに共感」
「科学ジャーナリスト賞2015」では、きのう紹介した「大賞」のほかに、「賞」が4作品の関係者に贈られました。

中国新聞で2014年10月28日から2015年2月17日まで連載されていた「廃炉の世紀」は「賞」の対象作品のひとつ。中国新聞社編集局経済部記者の山本洋子さんが受賞しました。スピーチの一部です。


山本洋子さん

「2010年から2013年まで、私はこのプレスセンタービルの2階にある中国新聞東京支社で勤務をしていました。2011年3月11日は、東京で迎えました」

「当時、3月11日から原子力緊急事態宣言が出て、原子力保安院のレクが始まり、東京電力の記者会見が始まり、私はチームの一員として原子力保安院の記者会見に参加しました」

「そこで痛感したのは、なんて原子力のことを知らないのかということでした。サプレッションチャンバーやスプレー冷却系といったものが、どのようなかたちをしているのか、ドーナツ型とはどんな感じなのか、知りませんでした。現場でああいったことが起きていたのに、記者会見では端緒を得るための知識をもちあわせていない自分の無知に直面しました」

「また、今年は広島での被爆から70周年ですが、『フクシマとヒロシマ』という企画の取材班として、2011年5月から福島に1年ほど通いました。当初、科学者や研究者が福島にきて説明をするとき、『正しく恐れることが大事』ということばを何度も耳にしました」

「『正しく恐れる』。そういった感じはそのとおり思いつつも、みなさんが寺田寅彦のことばを使っているなかで、その原著を見ると『物事を必要以上に恐れたり、全く恐れを抱いたりしないことはたやすいが、物事を正しく恐れることは難しい』とありました。このことばに共感しました。福島の取材をつうじて(それを)痛感するところがありました」

「なにが正しくて、なにが正しくないのか。今回の福島での被曝では、広島の被爆者のデータが研究に活かされているといいますが、どこまでわかっていて、どこまでわからないのか。ひとつ、命題として残りました」

「そういう経緯もあったため、社内のチャレンジ制度があるならということで、今回の取材をすることになりました。それが今日までの経緯です」

中国新聞アルファで「廃炉の世紀」を読むことができます。こちらです。
http://www.chugoku-np.co.jp/column/?localfrom=hairo
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科学ジャーナリスト大賞2015須田桃子さん「科学的なアプローチで深層に迫っていきたい」


きょう(2015年)5月14日(木)、東京・内幸町のプレスセンタービルで、「科学ジャーナリスト賞2015」の贈呈式がおこなわれました。

科学ジャーナリスト賞は、日本科学技術ジャーナリスト会議が、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成績をあげた人を表彰するもの。今回で第10回となります。

今回の受賞者は、大賞、それに創設からはじめての特別賞をふくめて6名。それぞれの受賞者のスピーチの要旨を一部抜粋して伝えます。

大賞を受賞したのは、毎日新聞科学環境部記者の須田桃子さん。『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋)の著作に対して大賞が贈られました。


須田桃子さん(手前)

「今日はこんな晴れがましい場に立たせていただき、ありがとうございます。2006年に科学ジャーナリスト大賞をとったのは(毎日新聞)科学環境部の元村有希子さんでした。私がこの部署に来て1年のときでした。その9年後、自分がこのような賞をもらえるとは思っていなかったので不思議です」

「2006年は、山中伸弥教授がiPS細胞を開発した年でした。STAP細胞は、iPS細胞を上回るものと発表されていたので、大々的に報じられた側面もあると思います。私もiPS細胞を目の当たりにしていたので、(今回のSTAP細胞については)当時を思いだして興奮しました。まったく疑うことなく信じきっていました。しかし、瞬く間にいろいろな疑義が生じました。昨年(2014年)3月のなかばには、『これは科学史に残るスキャンダルになる』と思いました」

「ところが、不正の舞台となった理化学研究所は、早期の幕引きを図ろうとするいっぽうでした。真相究明にはきわめて消極的でした。唯一、積極的にとりくんでいた検証実験も、もともと論文にない手法を使うという、首を傾げたくなる対応がつづきました。これがまかりとおってしまえば、社会に対する科学の信頼を失うだけでなく、私たち科学ジャーナリズムの信頼も失われる。ある時期からそういう危機感や焦燥感を感じながら取材をしました」

「『捏造の科学者』を読んでくださった読者に、『この事件の初期の疑義の提示や分析では、2ちゃんねるやブログが大きな役割を果たしたのに、それがあまり書かれていない』と書かれていました。そのとおりだと思います。『ネットで』と一言で片づけてはいけないと考えています。2チャンネルをはじめとするインターネットの掲示板などが大きな役割を果たしたのはちがいありません」

「ただ、いっぽうで、関係者への取材をつづけるなかで、次第にネットの上のどこにもない情報を得られるようになっていきました。ネット上にあふれている情報は玉石混交でしたが、そのなかから知りたい、かつ報道すべき内容を抽出して吟味する。そこでは通常の取材活動は不可欠でした」

「関係者に直接取材したり、記者会見で質問できるのは記者だからこそです。記者やジャーナリストの役割や責任も、私自身、この事件で再認識した気がします」

「(STAP現象を報じた論文の)筆頭著者の小保方(晴子)さんが若い女性だったこともあり、象徴的でスキャンダラスな報じられ方がなされました。小保方さん側にも、なぜか、情緒に訴えかけるような主張のしかたがありました。事件そのものの背景というところで、ジェンダーの問題はさけて通れないのは確かなところです」

「でも、私は科学記者として、あえてジェンダーの問題は脇において、あくまで科学的なアプローチで深層に迫っていきたいという意志がありました。『捏造の科学者』では、そこをいちばん意識しながら書きました。事件の背景や構造に迫るとき、関係者の言動が科学者として適切だったのかという問いかけをもって取材をし、書いてきました」

「いま振り返ってみても、理化学研究所側の言い分の再調査や残存資料、STAP研究で残った資料を解析せざるをえなくなったのは、STAP細胞の存在を覆す新たな解析結果が出たからでした。STAP細胞はES細胞だったと証明したのも、最先端の技術による詳細な科学的解析によるものです」

「今回、理化学研究所の自浄作用が働いたかどうかは疑問で、検証の余地があります。(論文は)白紙撤回、STAP細胞は虚構だったという事実を明るみにしたのは科学の力であり、私たちとおなじ危機感をもっていた科学者のみなさんの良心であり、科学的なアプローチの報道によるものだったと確信しています」

「本の終わり方をどうしようかと悩みました。やはり科学者コミュニティの力、また科学的アプローチによる力はあります。だれが捏造したのかは最後まで明らかになりませんでしたが、研究が虚構であったことはすぐ明らかになったということは評価されるのではないでしょうか。私自身、この事件で科学への信頼を失ったわけではないということを明記したくて、いつの日かふたたび新しい“世紀の大発見”があるということを楽しみにしているという終わりかたにしました」

『捏造の科学者 STAP細胞事件』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4163901914
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「酵素」と「酵母」、似て非なる

似て非なることばは、ときに理解のさまたげる要因にもなります。「酵素」と「酵母」というふたつのことばも、その一例かもしれません。

酵素というものはたんぱく質で、大切なのは自分自身は変わらずに物質を変化させる「触媒」としての役割をもっているということです。酵素によって、たとえばでんぷんは糖に、たんぱく質はアミノ酸に、脂質は脂肪酸に変わっていきます。

酵素は、物質に化学変化を起こさせるわけです。米などの糖類を酒などのアルコールに変えるのもまた酵素です。

いっぽう、「酵母」ということばには、「母」がついています。これは、「ものをつくるもとになるもの」という意味の「母」。「母音」などというときの「母」とおなじです。

では、酵母は、なにをつくるもとになっているのでしょう。酵母は、「酵素をつくるもとになっている」ということができます。

酵母は菌類です。規模からいっても、酵素がたんぱく質という物質であるのに対して、酵素は菌類という生物。酵母からつくられる酵素があるというわけです。

「酵」という字は、もともと「酒のもと」という意味をもっていました。酒のもとの要素が「酵素」であり、酵素の母体のひとつが「酵母」であるわけです。

ですので、「酵素でアルコール発酵させて酒をつくる」とも「酵母でアルコール発酵させて酒をつくる」ともいうことができます。後者のほうがよく使われそうですが。

なお、おなじ「こう」という読みが含まれていることばに「麹」があります。麹は米などを蒸してねかし、そこに麹黴を加えて繁殖させたもの。酒づくりでは、米のでんぷんを糖に変える役割をもっています。この糖に変わったものを、さらにアルコールに変えるのが、酵素あるいは酵母ということになります。

参考資料
JBpress 2013年6月21日付「『酵素ジュースできれいになれる』は本当か?」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38051?page=3
ニッスイ「おいしさを科学する 発酵」
http://www.nissui.co.jp/academy/taste/13/index.html
秋田県立大学生物資源科学部応用生物科学科醸造学講座ホームページ「醸造の知識あれこれ」
http://www.akita-pu.ac.jp/bioresource/dbt/BREW/acquaintance.html
職人醤油「醤油の知識 発酵」
http://www.s-shoyu.com/know/kh/063.htm
菊正宗「日本酒の造り方 麴」
http://www.kikumasamune.co.jp/toshokan/01/01_04.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
信濃には「ちくま」と「つかま」

千曲川

長野県には千曲川という川があります。奥秩父の長野、山梨、埼玉の県境にある甲武信岳のあたりを源流とし、長野県内を流れているときは千曲川とよび、その先の新潟県に入ると信濃川とよびかたが変わります。

「千曲」と書いて「ちくま」と読みます。かつて、JRの大阪と長野を結ぶ急行列車にも「ちくま」という列車がありました。このことばの由来はどういったものでしょうか。おもにふたつの説があるようです。

ひとつは、「千曲」という字からわかるように、千曲川が蛇行を繰りかえしているからというもの。たしかに、いまの地図で見ても、中野市や栄村あたりを流れる千曲川は、蛇行をくりかえしています。

しかしながら、なぜ「千曲」と書いて「ちくま」と読むのか。「千」は「千歳飴」などのことばがあるように「ち」と読みます。いっぽう「曲」は「曲(ま)がる」という読みかたがよくあるもの。すると、「千曲」を「ちま」と読んでもよさそうなもの。

しかし、「曲」には「くま」という読みかたがあるのです。「隈」とおなじで、「折れ曲がって入りくんでいるところ」を意味します。

「千曲」のもうひとつの由来の説も、川の流れる土地が関係します。中野市から下流にかけての千曲川では、狭く切りたった崖のところがいくつもあります。崖のことを「ちく」とよび、また袋状の湿地のことを「ま」とよびます。ここから、「ちくま」とよばれるようになったという説もあります。

「ちくま」と読むことばには「千曲」のほかに「筑摩」があります。長野県の西側の地方は「筑摩」とよばれていました。しかし、千曲川の流れるところと重ならないわけではありませんが、筑摩とよばれた地域はだいぶ西のほうにずれています。

「筑摩」のほうは、万葉仮名では「豆加萬(つかま)」とよばれていたということです。明治時代に廃藩置県で「筑摩県」が置かれたとき、「筑摩」を「ちくま」とよぶようになったとされています。

「千曲」と「筑摩」。どちらの字を宛ててもよいというわけにはいかなそうです。

参考資料
国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所「千曲川について」
http://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/contact/faq.html
カネヤマ果樹園「『ちくま』は筑摩に非ず 松本市薄川万葉歌碑に想う」
http://www.matsuaz.biz/kaneyama-kajuen/2014/09/25/1411587147595.html
ウィキペディア「筑摩郡」
http://ja.wikipedia.org/wiki/筑摩郡
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「ダルビッシュ」のチキンカレーとダルカレー――カレーまみれのアネクドート(63)


東京・笹塚は、新宿と八王子を結ぶ京王電鉄の駅があることから新宿区と思われがち。でも、笹塚があるのは渋谷区です。そんな渋谷区にある笹塚駅の真上の雑居ビル内に、インドカレー店「ダルビッシュ」があります。

インドカレー店さまざまあれど、ここは(おそらく)インド人の店員さんが調理をし、給仕をする、“純”なインドカレー店です。

店の前にある券売機でメニューを選びます。カレーの種類は、チキン(鶏肉)、マトン(羊肉)、ダル(豆)、ホウレンソウ、ベジタブル(野菜)、キーマ(挽き肉)などと、インドカレーの定番の味がひととおり揃っています。

標準のメニューはカレー単品にナンやライス。でも、カレー2種類を選べるメニューもあります。日本のインドカレーのなかでの定番中の定番「チキン」と「ダル」の組みあわせでは、チキンカレーの辛さと、ダルカレーの豆の甘さとがそれぞれ特徴的。インドカレーの店としては、とても標準的な味といえましょう。

味とはべつに、この店全体として捉えたときの大きな特徴もあります。それは、客の目のまえで調理が繰りひろげられる、席と厨房の近さです。

店の構えは雑居ビルのアーケードに面して細長。奥行きのない横並びのカウンターと並行して厨房も奥行きなく横に広がります。

とくに目と鼻の先で、インドカレーの調理を見ることができるのは、カウンター席の左手。ナンや鶏肉を焼く竈、タンドリーが、客の目線から50センチとないところにあります。さらに近い距離で、(おそらく)インド人のシェフがナンの具材を手でこねます。

その横には、フライパンが三つほど。客の注文を受けて、手際よくフライパンに具やルゥが入れられていき、強火であたためられていきます。

狭い見せながら、竈を置く本格志向のインドカレー店。「ダルビッシュ」の食べログ情報はこちらです。
http://tabelog.com/tokyo/A1318/A131807/13037949/
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遷座400年の神田祭、威勢よく


「平成27年神田祭」が、東京・外神田の神田明神とその周辺で、(2015年)5月15日(金)にかけておこなわれています。10日(日)には、200ほどの神輿が街を練りあるき、神田明神の本殿の前に練りこむ「神輿宮入」がおこなわれました。

神田明神は正式には「神田神社」といいます。730(天平2)年、出雲系の氏族が武蔵国豊島郡芝崎村に入植すると、「だいこくさま」として知られる大己貴命(おおなむちのみこと)を祀ったことが神田明神の起こりとされています。ほかに、「えびすさま」として知られる少彦名命(すくなびこなのみこと)や、平将門(生年不詳-940)も祭っています。

「神田」という町の名は、神田明神が建てられるよりも前からあったようです。この地には、伊勢神宮の「神田(おみた)」がありました。「神田」は、神社が所有する領地のことをいいます。この土地の「神田」を鎮めるために、神田明神は建立されたといいます。

今年の神田祭は、「遷座400年」と位置づけられています。これは、もともといまの千代田区大手町にあった神田明神がいまの場所である外神田に移ってから400年という節目を意味しています。

5月15日(金)には、「例大祭」が行われます。例大祭は、毎年、定まった日におこなう大祭のことで、神田明神の場合5月15日となっています。例大祭に合わせて、神輿宮入や、土曜日の神幸祭などが行われるといってもよいのでしょう。

東京には、「神田神保町」や「神田小川町」のように「神田」を冠する町は数多くあり、広がっています。新しいビルがつぎつぎと建ち、新しい街がつくられていくなかで、東京の伝統的な祭は、これからも永くつづいていくことでしょう。



参考資料
平成27年神田祭特設サイト「お勧め」
http://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/event/
日本経済新聞 5月11日付「神田祭、遷座400年に熱気『セイヤ、セイヤ』威勢良く」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H1J_Q5A510C1CC1000/
ウィキペディア「神田明神」
http://ja.wikipedia.org/wiki/神田明神
ウィキペディア「神田」
http://ja.wikipedia.org/wiki/神田

 
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“手間暇”の先に快適さ


使ってきたものや住み家にほころびが出てきたとき、どうするか。そこでは人の性格が現れるものです。新しいものに買いかえるという人もいるでしょう。また、対処するのが面倒なので放っておく、つまり使えなくなった機能をあきらめるという人もいるかもしれません。

ほころびを直して、ものや住み家を使いつづけるというのも選択肢のひとつです。

大きく壊れてしまったものを元の状態に近づけるのは、修理や修繕といわれます。いっぽうで、大きく壊れていない状態ながら、よく使える状態を保とうと、部品を交換したり、直したりすることを手入れといいます。

修繕や手入れをしてものや住み家を使いつづけるということは、直感的には面倒くさいことかもしれません。お金をかけて交換する部品を入手したり、時間をかけてほころびかけている部分を直したりするのですから。まさに“手間暇”がかかるわけです。

しかし、修繕や手入れをしたとき、手間隙というコストがかかってしまうだけかというと、そういうわけでもなさそうです。手間暇をかけて修繕や手入れをすると、それだからこその快適性を得られるという利点もあります。

ある木造建築家は、「快適性とは面倒くさいことでもある」と話します。「快適」とは、心やからだの望むどおりの条件が満たされることですので、面倒くさければ、「望むどおり」とはいえないとも考えられます。

しかし、手間暇をかけて手入れや修繕をすることで、「自分がこの快適性を得た」という心は強まることでしょう。ものや住み家に“はなれがたさ”がわいたり、資源に対して“ありがたみ”が芽ばえたりしてきます。

日本人は古来、木などの天然資源でできた家や道具を、手直しや修繕を加えて使いつづけてきました。しかし、いま、家の建てかえ年数は40年とも30年ともいわれています。

建てかえや買いかえをすることで瞬時に快適さを得るというやりかたもあれば、修繕や手直しをすることでより深みの伴う快適さを得るというやりかたもあるわけです。
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アジサイの“花弁のようなもの”は萼
梅雨の時期に入る前の季節、道端ではアジサイが花を開かせる準備をしています。花が開いときは、赤や青などの色のついた部分が、葉より大きくなります。しかし、花を咲かす前の蕾は、葉と葉のあいだに小さく付いているだけの可愛らしい姿をしています。



アジサイはユキノシタ科の植物。「アジサイ」は、もともと「アヅサヰ」とよばれていました。「アヅ」は「集まるさま」をいい、また「サヰ」は「真藍(さあい)」という色の表現から来ているとされます。

漢字では「紫陽花」。これは、中国の杭州西湖にある招賢寺にあった花に当てられた漢字とのこと。しかし、この「紫陽花」が日本で見られるようなアジサイとはちがうものだったと考えられています。

アジサイには、「四葩(よひら)」というべつのよび名もあります。

「葩」とは花弁のこと。“花弁”のような片が4つほどまとまっているから「四葩」とよぶのでしょう。

しかし、花弁のように開いている部分は、植物の「萼(がく)」の部分で、ほかの多くの草花では緑色です。アジサイでは「周辺花」などともよばれます。

では、「花」の部分はどこにあるかというと、花弁のような「萼」に隠れてちょこんと見えるべつのかたちのものがあります。そこは、雄しべと雌しべがあるため「両性花」とよばれます。

萼(周辺花)と花(両性花)のちがいがわかりやすいのは、「ガクアジサイ」でしょう。まわりで大きく開いているのが萼で、萼に囲まれて中央に見えるつぶつぶ状のものが花となります。もともと「アジサイ」といえば、このガクアジサイでした。



もうすぐ梅雨の季節。アジサイが“花”を開かせたら、すこし観察してみてはいかがでしょうか。

参考資料
語源由来辞典「あじさい」
http://gogen-allguide.com/a/ajisai.html
東邦大学理学部「あじさい」
http://www.sci.toho-u.ac.jp/bio/column/015079.html
東山動植物園「アジサイの『花』はどこ?」
http://www.higashiyama.city.nagoya.jp/17_blog/index.php?ID=3139
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「人型ロボットをつくって人間を解明する」と、「人型ロボットをつくって人間を助ける」と

写真作者:Jiuguang Wang

人はなぜ人型ロボットをつくるのか――。これは、理工系分野に数ある“根本的な問い”のひとつとされます。

人は、なんらかの目的を達成しようとするとき、そのための方法を考えます。そして、その方法は、しばしば「人型でないかたち」に落ちつきます。たとえば、「自分のかわりに部屋を掃除してほしい」と考えた人は、「ルンバ」という円盤型のロボットをつくりだしました。「ルンバ」の開発者は、「円盤型で床を這わせるのが、もっとも掃除をするのに合理的なかたち」と考えたのでしょう。

ほうきでほこりを掃くために、人は腰をかがめなければなりません。かならずしも、人型が掃除をするのに合理的なかたちをしているわけではありません。

人がなんらかの行為をロボットに代わりにしてもらおうとするとき、そっくりそのまま人型のロボットを用意する必要性はないわけです。「人型ありき」でロボットを開発をすることは、目的にあった形状を求めていく工学的な考えに反するとする見方もあります。

しかし、それでも“人型ロボット”を開発する理由はあると考えるロボット工学者はいます。

理由のひとつは、「人間を解明するため」。人型ロボットとは人の動くしくみを模したロボットのこと。人の動きをロボットで模倣しようとすると、いかに人が複雑なしくみでなりたっているかがわかるといいます。

しかし、そのなかから人の動きのしくみを抽出して、人の構造を部分的にでも模すことはできます。その営みが「人間を解明する」研究を進めるわけです。

では、なんのために「人型ロボットをつくって人間を解明する」のか。そこまで突きつめれば、「純粋に人は人間について知りたいから」ということになりそうです。

理由のもうひとつは、「人の機能を代替したり補完したりする装置を設計するため」というもの。ロボット工学者は、たとえば、足の不自由な人に、足の代わりとなる装置を使ってもらおうとします。このとき、人型ロボットの開発を進めていれば、効率よくモデルをつくりだして、足の代わりとなる装置の開発に活かすこともできます。

こちらは、「人型ロボットをつくって人間を助ける」という、“役に立つ”方向での目的といえます。

ちかごろ製品化が進んでいる、意思疎通をするとされる「ペッパー」といったロボットは、どちらかというと「人型ロボットをつくって人間を助ける」という“役に立つ”系のロボットといえるのかもしれません。

しかし、人との意思疎通をおもな目的としたロボットは、足の代わりとなる装置をつくるといった“不自由な状態を解消するためのロボット”とは一線を画します。

人は、目の前に人がいれば、話す必要がなくても話すもの。おなじように意思疎通ができるロボットがいれば、意思疎通する必要がなくても意思疎通をしようとすることでしょう。

こうして、不自由を解消するという明確な目的とはことなるかたちで、人の社会にロボットが入ってこようとしています。そうしたロボットに対して、「このロボットは役に立つ」と思うかどうかは、その人の価値による部分も大きくあります。明確な目的がないほうが、かえって創造のたねが生まれやすい場合もあるわけで、予測できない創造的成果をもたらす可能性もありそうです。

参考資料
高西淳夫「工学が明かす身体の巧妙さ」『別冊日経サイエンス179』
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0401/sp_1.html
| - | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0)
注射でなく粘膜にワクチン


画像作者:Davi Sommerfeld

感染症の予防法として、かねてから「ワクチン」が使われています。ワクチンとは、各種の感染症の原因となるウイルスや菌などの微生物からつくった抗原のことをいいます。

ワクチンを体に入れると、体はそのワクチンの対象とする病気に免疫機能をもつようになります。たとえば、インフルエンザ・ワクチンを体に入れると、体はインフルエンザに対する免疫をもつようになるわけです。ただし、インフルエンザには種類があるため、そのワクチンがかならずその季節に流行するインフルエンザに対する免疫力を引きおこすかはまたべつですが。

ワクチンというと、インフルエンザやはしかなどの予防接種で注射するものという印象が強くあります。しかし、ワクチンを体に入れる方法は注射だけではありません。

粘膜ワクチンとよばれる種類のワクチンがあります。これは、ワクチンを注射でなく、口から入れて、喉や腸などの粘膜で増やして、粘膜の細胞に対して免疫力をもたせようとするもの。

日本では「ポリオワクチン」が粘膜ワクチンとして知られています。口からポリオワクチンを飲み込むと、腸の粘膜まで達します。ワクチンはごく微弱な毒性のポリオウイルスといえるので、これで腸の粘膜はごく微弱な毒性のポリオウイルスに感染します。これにより、腸の粘膜は免疫力をもつようになります。

粘膜ワクチンの利点はどこにあるのでしょう。まず、粘膜のその場に直接、ワクチンが届いて免疫をもつようになるという点があります。

また、粘膜に達したワクチンは、その後、血液のなかにも入っていきます。ウイルスにとって血液は、人の体中に蔓延するための経路となるため、血液が免疫をもつようなれば、これでウイルスの移動経路を断てることにもなります。

日本では非認証のため、保険が適用されませんが、米国や欧州ではインフルエンザ・ウイルスに対する粘膜ワクチンも使われています。「フルミスト」というワクチンで、鼻の穴に噴霧すると、鼻の奥の粘膜にワクチンが付きます。ここでインフルエンザに対する免疫をもたせるわけです。

予防接種というと、「痛い注射をするからこそ効きめがある」と考えられがちです。しかし、痛い思いをしないでも免疫力を高めることのできる予防接種の方法は、病気の種類によってはあるわけです。

参考資料
ジャパンワクチン「ワクチンとは? 予防接種とは?」
http://japanvaccine.co.jp/patient/vaccine_knowledge/
みやたけクリニック「不活性ポリオワクチン」
http://www.miyacli.com/vaccine/aboutdptp.html#aboutipv
福田こどもクリニック「鼻腔噴霧インフルエンザワクチン(フルミスト)について」
http://www16.ocn.ne.jp/~fcc/flumist.pdf
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「みどりの学術賞2015」寺島一郎さん、「小さな視点からだけでなく大きな視点からも」


2015年度の「みどりの学術賞」は、きのうの記事で紹介した進士五十八さんとともに、寺島一郎さんにも贈られました。寺島さんは東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の教授。葉が、太陽光をどのように吸収し、利用しているのか、そのしくみを明らかにしました。

草木のみどりの葉は、太陽からの光を利用して、二酸化炭素と水から炭化水素と酸素をつくりだしています。この営みは「光合成」として知られています。

しかし、葉は光を受ける表面のほうと、裏側のほうとで、均一に光を受けて光合成をしているわけではありません。寺島さんは、葉の光の受けとめかたのちがいを研究で突きとめました。

葉の表面のほうでは、円柱のかたちの細胞が整然と並んでいます。そのつくりを「柵状組織」といいます。いっぽう、葉の裏側のほうでは、細胞がわりかしばらばらに置かれています。そのつくりを「海綿状組織」といいます。

葉に光が当たると、光は葉の表面のほうの柵状組織をスムーズに進んでいきます。そして光がその葉の裏面の海綿状組織のほうまで進むと、そこでいろいろな方向に散らばっていきます。

このようにして、葉は光を奥のほうまでまんべんなく行きわたらせていることを寺島さんは発見したのです。「葉の表面側と裏面側で、光の吸収のしかたに大きな ちがいがあることがわかりました。これを見つけたと きはうれしかった」と話しています。

そして、寺島さんは、葉が光合成をどのようにしているかについても調べました。葉の裏側のほうには、光を集めるための「アンテナ」が表面のほうより多いことを確かめました。葉の裏側のほうには光は届きにくいため、より多くのアンテナがあるのです。

これにより、1枚の葉で、光の受けとめかたの変化と、光合成のしかたの変化には関連があることを、寺島さんは突きとめました。

1枚の葉の営みを対象とする寺島さんの研究に大きな影響をあたえたのが、樹木全体の営みを研究する先駆者の業績でした。東京大学の門司正美氏と佐伯敏郎氏が導いた「門司・佐伯の理論」という業績です。

植物には、背が高くて太陽の光を受けやすいものもあれば、背が低くて太陽の光がなかなか届かないものもあります。そこで、地面から20センチメートルずつなどの高さで植物を刈り取り、それぞれの高さにどれだけの葉っぱや茎があるのかを調べます。これにより、光の届きやすい高いところでの植物の光の使い方や、光の届きにくい地面のほうでの植物の光の使い方を知ることができるようになります。

この方法を提唱した門司と佐伯は、植物がどのように光を利用しているのかを示す理論式もうちたてました。

寺島さんは、東京大学の学生時代、佐伯氏が講義で氏自身の理論を説明しているのを聞いて、「1枚の葉についても、空に近い部分と、地面に近い部分とでは、光の受けとめ方がちがうのではないか」と考えたのでした。そして、佐伯氏の研究室に所属して以降、上に紹介したような研究成果を上げていきました。

寺島さんは、自身の研究を進めるとともに、若い研究者を指導する立場にもなっています。「植物を研究するとき、小さな視点からだけでなく大きな視点からも植物のことを見られるような研究者を育てたいと思っています」と話しています。

内閣府による「みどりの学術賞」のホームページはこちらです。
http://www.cao.go.jp/midorisho/
| - | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0)
「みどりの学術賞2015」進士五十八さん、日本庭園の研究から「緑と農のまちづくり」を実践

写真掲出者:Zarusoba~commonswiki

5月4日は、「みどりの日」です。自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日とされています。1989年から2006年までは、4月29日がみどりの日でしたが、同日が「昭和の日」になったため、2007年から5月4日に移りました。

内閣府は、「みどりの日」についての国民の造詣を深めるために、2007年より「みどりの学術賞」を創設して、国内で「みどり」に関する学術上の顕著な功績のあった人に、賞を贈っています。

第9回となる2015年度の「みどりの学術賞」では、東京農業大学名誉教授で元学長の進士五十八さんと、東京大学理学部教授の寺島一郎さんが受賞しました。

進士五十八さんは、日本式庭園の空間や景観の特徴を科学的に分析しました。そして、その成果を「緑と農のまちづくり」の実践に生かしています。

世界の国ぐにには庭園があります。そして、一国のなかにもさまざまな庭園があるわけですが、そのさまざまな庭園には、“その国らしさ”が現れるものです。

日本の庭園では、自然の石や木などがよく使われる向きがあり、これが日本式庭園の特徴のひとつとされています。

では、なぜ日本の庭園では、自然の石や木がよく使われるのか。かつて、こうした問いに対する答は、「仏教思想の影響が強かったから」といった歴史家の視点によるものがもっぱらでした。

ここに進士さんは、「科学的に日本庭園を分析する」という手法を導入しました。日本の数ある庭園を対象に、立地、地形、植生、方位、水利、面積、利用目的といった数多くの尺度から、客観的にその特徴を調べていったのです。

すると、たとえば、庭園の広さと園路の曲がりかたには関係性があるといったことがわかってきました。庭園が広いと園路の曲がりかたはゆったりとなり、狭いと園路の曲がりかたは複雑になるといったものです。しかし、その庭園に、外の景色をとりこんだ「借景」の技法が使われていると、園路の曲がりかたは、借景のない庭園よりゆったりめになるといいます。

こうした日本式庭園の分析から、進士さんは日本の庭園に共通する根本原理をまとめました。その根本原理をさらに突きつめると、「農」にたどりつくといいます。

日本人は、稲作のために棚田の石積や盛切土などの農業技術を発達させてきました。また、水田の溜池や用水路などの土木技術も発達させてきました。それとともに、日本人は石や木にまで魂があるとする感性をもちつづけてきました。こうした農業技術と、自然を敬う心とが、日本庭園の基盤を支えてきたのだと進士さんは結論しています。

そして進士さんは、このような日本における庭園づくりの技術を、より大きな規模のまちづくりや国づくりにも応用すべきだと考えました。日常生活圏を構成する都市の住環境として、300メートル四方に樹林地、水面、草地、裸地などをふくむ自然面率が占める限界割合を50パーセントとする「グリーンミニマム」の考えなどを提唱しました。そしてその考えは、実際の都市における「緑の地域計画」などに生かされてきました。

庭園には“用と景”、つまり、使うことと味わうことのバランス感覚があるといいます。安全で便利であること、美しいこと、水が循環して生きものが生きられること、社会の求めに応じられること、地域らしさがあり故郷を感じられること。こうしたことを、庭園の“用と景”から学んだと進士さんは言います。

そして、「この原則に根ざしたまちづくりをこれからもすすめていきたいと思います」と話しています。

あす5日(火祝)は、第9回のもう一人の受賞者である、寺島一郎さんの業績を紹介する予定です。

内閣府による「みどりの学術賞」のホームページはこちらです。
http://www.cao.go.jp/midorisho/

参考資料
進士五十八「住環境に於けるグリーンミニマムについての研究」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004660019
| - | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0)
語りの勢いを削がないでおく

写真作者:Matthew Hurst

記者が記事の材料になるものごとを、専門家や当事者に聞いて集めることを「取材」といいます。その記事の質を高める要因のひとつが取材といえます。これまで明かされたことのない話を得られれば、その記事の価値は高まります。

取材には、疑惑がもたれている当事者に対して、その真偽を糺すような類のものもあります。しかし、そうした記者が批判的な姿勢で臨む以外の取材では、取材対象者に大いに語ってもらうことが大切になります。

このとき、記者が、取材対象者に対して、取材対象者の語りの勢いや流れを止めないでおくかは、大切な課題のひとつとなります。

記者は取材対象者に大いに語ってもらうことを目指しているとします。しかし、その語りの勢いを止めるような質問はさまざまあります。

取材対象者が答えに窮してしまうようなことを問うのはそのひとつでしょう。

記者「先生、いまのカナダの再生可能エネルギーの利用状況はどうなっているのでしょうか」
専門家「え、カナダですか……。カナダねぇ、どうだろう、バイオマスがよく使われているのかな……」

専門家といえども知らないことはあります。専門家であればなんでも知っているだろうという前提で質問をすると、専門家から「わからない」という答を引きだしてしまい、これが専門家としての威厳にその場で傷をつけてしまうことになります。その後、語りの勢いがすくなくなってしまう場合もあります。

専門家が切りかえせるかわからないような、別の視点を指摘するのも危険が伴います。

専門家「携帯電話がどんどん進化していって、いまはスマートフォンが市場を席巻するまでになったでしょう」
記者「でも、先生、スマートフォンは携帯電話からの進化系でなく、パソコンを小さくしてそこに電話機能も付随させたっていう見方もありますよね」
専門家「ん、あぁ、そう。そうですね、そういった見方もあるかもしれませんね。ですが…………。うー……」

その取材対象者に取材できる機会がその場かぎりであれば、その場でなるべく記事にするときに引っかかりそうなことがらを記者が質しておくことは必要かもしれません。

しかし、もう一度その取材対象者に会える場合は、その場で取材対象者が答えられるかが微妙な疑問はあえて投げかけず、語りの勢いを削がないほうが、全体的にはよい取材になる可能性があるわけです。

では、記者が抱いた疑問をどのように正せばよいか。取材がいったん終わってから、メールなどで、「さきほどの取材でいただいたお話に関連して、すこし質問をさせていただきます」とか、「次回の取材のときに、この点について伺えればと思います」とか、時間を置いて質問をしなおせばよいのです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
乳酸菌の活躍でお酢いらずの鮒寿司

写真作者:Yasuo Kida

日本には、地域に根ざした伝統的な料理がさまざまあります。滋賀県の琵琶湖のまわりで食べられてきた「鮒寿司(ふなずし)」もそのひとつです。

鮒寿司は、コイの仲間の淡水魚であるフナを塩づけしたあと、お腹に飯を詰めて、飯と交互に重ね、重石をして発酵させた食べもの。鮒寿司をつくるときに鍵となるのが「発酵させる」という過程です。発酵とは、細菌などの微生物がエネルギーを得ようと有機化合物を分解し、酸やアルコールなどをつくる過程のことをいいます。

お酢を使わず発酵で酸味をもたせる寿司は一般的に「熟れ鮨」といいます。鮒寿司もお酢を使わずに酸味をもたせる食品であるため、熟れ鮨の一種とされています。

鮒寿司をつくるとき活躍するおもな微生物はなにかというと、乳酸菌です。

乳酸菌とは、有機化合物である糖類を分解して、乳酸に変える菌のこと。乳酸菌が乳酸を生み出すことは「乳酸発酵」とよばれます。鮒寿司では、フナをおもに塩と飯で乳酸発酵させます。この乳酸発酵により、腐敗を防ぐとともに、アミノ酸などのうまみ成分も増すため、鮒寿司は酸味とうまみの効いた独特の味になります。

「乳酸菌」は菌の総称です。鮒寿司には鮒寿司特有の乳酸菌が活躍していることもわかっています。見つかった乳酸菌は「すし乳酸菌」とよばれています。すし乳酸菌には、アトピーなどのアレルギーを抑えたり、消化管における免疫機能をよくしたりする効果があるとされています。

鮒寿司は、奈良時代にはすでに木簡にその名前が記されていました。米が豊富にとれる土地で、酸味の効いた食べものとして鮒寿司は誕生したのでしょう。腐敗しにくい保存食として供され、かつ健康にも効果をもたらす。こうしたいくつかの特徴が、いまも鮒寿司食が根づよくつづいている要因なのかもしれません。

参考資料
ウィキペディア「鮒寿司」
http://ja.wikipedia.org/wiki/鮒寿司
“乳酸菌”って、どんな菌? 分かりやすい基礎講座(その2)
http://www.nyusankin.or.jp/scientific/moriji_4.html
ウィキペディア「なれずし」
http://ja.wikipedia.org/wiki/なれずし
近江農産組合「健康新発見! 乳酸菌の恵み」
http://www.ouminousan.com
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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