科学技術のアネクドート

「『無死1塁で送りバント』という定石とリスク 『なにもしない』という戦術が利益を最大化することも」


ウェッジ社のニュースサイトWEDGE Infinityで、(2015年)4月30日(木)、「『無死1塁で送りバント』という定石とリスク 『なにもしない』という戦術が利益を最大化することも」という記事が配信されました。「学びなおしのリスク論」の第7回です。

この連載では、これまで「リスクを避ける」という見方がされてきましたが、今回は「リスクをとる」という、より積極的なリスクとの接しかたについてのものです。

成功をおさめるためには、ときに「リスクを冒す」あるいは「リスクテイクする」といったことが必要になる場面があります。そのリスクテイクのとりかたを興味の対象として先鋭化させたものが対戦型スポーツ競技といえるでしょう。なかでも野球は、「無死1塁」や「二死満塁」といった局面が1試合で50回以上も訪れる、“局面のスポーツ”であるため、どの局面でそのチームがどのようなリスクテイクをとるかが、興味の対象になります。

この記事では、野球1試合で3、4回は生じるとされる「無死1塁」という場面で、監督がどのような戦術を選ぶといったリスクテイクのとりかたと、「無死2塁」という場面で、打者がヒットを打ったときに、3塁コーチが2塁走者を本塁に突入させるかというリスクテイクのとりかたを、おもにテーマにしています。

取材に応じてもらったのは、合同会社「DELTA」代表の岡田友輔さん。野球を対象とした統計学的な戦術と戦略の手法「セイバーメトリクス」の観点から野球の分析をつづけています。

その試合でどういう策を選ぶかを“戦術”とすれば、球団がシーズンの優勝を勝ちとるためどのように戦力を整備して管理するかは”戦略”といえます。“戦略”のほうもまた、野球を統計学的に分析する対象となります。むしろ、“戦略”のほうが適しているという見方もあります。打者の打率や、投手の勝ち星数などよりも、よりその選手の実力を評価できる尺度があると岡田さんは記事で指摘しています。

当然と思われてきたような戦術や、新聞などで日々あたりまえのように報じられてきた選手成績があります。そうしたに考えかたとは異なる考えかたにも関心を向けることの大切さを、野球の統計学的分析の結果は示します。

「『無死1塁で送りバント』という定石とリスク 『なにもしない』という戦術が利益を最大化することも」の記事はこちらです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4933

この記事の取材と執筆をしました。
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女性にくらべ圧倒的少数派ながら料理男子は昔より増


女性にくらべて男性のほうが料理をしないという傾向は、明らかにあるようです。

象印マホービンが2014年9月におこなった「夫と妻の料理に関する意識調査」では、毎日料理をすると答えた女性(妻)は71.7%だったのに対して、男性(夫)は8.5%。「ほとんどしない」と「まったくしたことがない」の合計では、女性は0.8%だったのに対して、男性は38.0%だったといいます。

料理をする人という点では、男性はまったくの少数派となるわけです。しかし、その少数派の意識や実態は、昔にくらべて、より料理をするほうへと変わってきているようです。

日清オイリオは、1997年と2009年に、「男性の料理に関する実態・ 意識、食生活、生活全般、 プロフィール等について」を聞く調査をおこないました。1997年の調査と2009年の調査では、サンプル数が384名から799名に増えた点や、質問数が37問から53問に増えた点、また郵送調査からインターネット調査にかわった点などはありますが、20歳代から60歳代の既婚男性を対象とした点など、基本的な調査のしくみはおなじになっているようです。

この調査で、料理をつくる頻度を聞いたところ、「ほぼ毎日」と答えた調査対象の男性は、1997年が9.8%だったの対して、2009年は25.8%まで増えたとのことです。

男性が料理をする理由としては、「興味があり、好きだから料理を作る」という答が、1997年から2009年にかけての伸び具合としてもっとも大きくなりました。なお、2009年の答でもっとも高かったのは「手作りの方が経済的であるから」でしたが、この答は1997年の調査では用意されていません。

そして「考察」では、「男性の料理の位置付けは、『趣味』から『日常』へとなりつつある」としています。

あくまで、料理をする比率では女性より男性のほうが圧倒的に少数派ですが、それでも男性が料理にかかわる機会は確実に増えてきているようです。

ちなみに、「男子厨房に入らず」ということばが「男性は料理などすべきではない」という意味でとられる向きがありますが、このことばの真意はべつにあるようです。「男子」はもともと「君子」を指していて、君子のような徳の高い人が厨房で家畜が屠殺されているのを見ると、その料理を食べられなくなってしまうから、厨房に入らないほうがよい、という意味のようです。

参考資料
象印マホービン「夫と妻の料理に関する意識調査」
http://www.zojirushi.co.jp/topics/otto_tsuma.html
日清オイリオグループ「男性の料理に関する意識・実態の変化」
http://www.nisshin-oillio.com/report/academic/images/2010_1/2010_1_b.pdf
Yahoo!知恵袋「男子厨房に入らず、とは誰が言い出した言葉ですか」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12105388457
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「危機管理」に「リスクマネジメント」と「クライシスマネジメント」が含まれる

ミュージカル『富の戦争』のポスターに描かれた1893年恐慌

日本語と英語のあいだで、にた意味に捉えられながらも、じつはすこし異なる意味をもつことばがあります。「技術革新」と「イノベーション」はそのひとつでしょう。「イノベーション」には、技術革新だけでなく、新生産方式の導入、新市場の開拓、資源開発、組織改革などの要素もふくまれています。

では、「危機管理」と「リスクマネジメント」はどうでしょう。辞書などでは、しばしば「危機管理」を英訳したことばが「リスクマネジメント(Risk Management)であると出てきます。

「管理」と「マネジメント」ということばは、ほぼいいかえられることばとして扱われています。すると、焦点になるのは「危機」と「リスク」がおなじかちがうかということになってきます。

「危機」ということばを単独で見てみると、「リスク」でなく「クライシス(Crisis)」ということばのほうが当てはまりそうです。

「リスク」のほうは、「金融恐慌のリスクがある」といったように、まだ起きていないことに対する危険性を指すものです。“Risk”の語源は、「勇気をもって試みる」という意味のラテン語の“Risicare”といいます。

いっぽう「クライシス」のほうは、「金融クライシスが起きた」といったように、すでに起きている危機的状況を指すものです。“Crisis”の語源は、「決定」や「選別」という意味のギリシャ語の“Krinein”とされています。よいほうに向かうか、悪いほうに向かうかの分岐点といったところでしょう。

これらのことばの関係どおりに捉えると、「危機管理」は「クライシスマネジメント」となり、その本質的な意味は「いま起きてしまっている危機的状況を管理すること」となりそうです。そして、「リスクマネジメント」のほうの本質的な意味は「害を起こしうる危険性を管理すること」となるでしょう。

しかし、日本語では「危機管理」の同義語として「クライシスマネジメント」はあまり使われません。「いま起きてしまっている危機的状況を管理すること」の意味としても「危機管理」あるいは「リスクマネジメント」が使われています。「クライシス」ということばが、「リスク」よりも日本語として定着していないということもあるのでしょう。

日本語の「危機管理」は「リスクマネジメント」はかなり曖昧に混同され、事後的な「クライシスを管理する」という意味だけでなく、事前的な「リスクを管理する」という意味でも使われがちです。

参考資料
文部科学省「イノベーションとは」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa200601/column/007.htm
『ウィズダム英和辞典』
『ウィズダム和英辞典』
BPnet SAFETY JAPAN 2005年7月5日付「『リスクマネジメント』と『危機管理』は、ここがちがう」
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/f/01/
ウィキペディア「リスク」
http://ja.wikipedia.org/wiki/リスク
小林誠『初心者のためのリスクマネジメントQ&A100』
https://pub.nikkan.co.jp/uploads/book/pdf_file4d8c30835b7e5.pdf
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「ノーベル賞学者とアスリートが予測『10年後の日本』」


きょう(2015年)4月27日(月)発売の雑誌『プレジデント』で、「異色対談 天野浩/為末大 ノーベル賞学者とアスリートが予測『10年後の日本』」という記事が出ています。2014年にノーベル物理学賞を受賞した天野浩さんと、陸上の世界選手権で銅メダルを獲得した為末大さんの対談記事です。

科学者とアスリートという対談の組みあわせは、ふつうに考えると“異色”です。しかし、為末さんの未来に向けた技術を知ろうとする質問と天野さんの答えにより、未来志向の対談がくりひろげられています。

記事では、天野さんが実用化への道をひらいた青色発光ダイオードが、10年後の日本をどう変えていくかといった話があります。発光ダイオードは、たんに照明や画像表示装置などで人の暮らしに役立てられるだけでなく、医療や食糧といった関係のあまりなさそうな分野でも、本格的に役立てられようとしています。

天野さんと為末さんは、研究とスポーツという営みの共通点も見いだそうとしています。たとえば、モチベーションの保ちかた。

「スポーツだと、金メダルを獲った瞬間の自分の姿を想像しつつも、『昨日できなかったことが今日できるようになる』ということに小さな喜びを感じられるから続けられる……という側面があります」(為末さん)。

これと似たようなモチベーションの保ちかたを、天野さんもしてきたようです。

「日々の研究をおもしろいと感じることと、将来の時点で拍手喝采を浴びること。その両方があることが、研究者のモチベーションが続く理由なんだと思います」(天野さん)

また、科学者にもアスリートにも、ものごとに打ちこんで、自分を進歩させる時期があるようです。そのときには、“情報の遮断”が大切だということを二人とも話しています。「世界にはこれほどのライバル選手がいる」とか、「過去にさまざまな研究者がおなじテーマの研究で挫折した」といったような情報を遮断しておく、つまり“知らないでおく”ことが、練習や研究に打ちこむ状態をつくるというわけです。実際ふたりとも、情報が遮断された環境のなかで打ちこんだ時期があったといいます。

天野さんと為末さんの対談記事が載っている『プレジデント』2015年5.18号の目次はこちらです。
http://www.president.co.jp/pre/new/index/

この対談記事の構成をしました。なお、この対談をあますところなく伝える長尺版が、 べつのインターネット媒体でも、今後あらためて公開される予定です。
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笑いの“道具”として座布団を使う


日本テレビの長寿番組に『笑点』があります。大喜利では、司会役の桂歌丸が出すお題に対して、レギュラーメンバー5人が答えていきます。前座の演芸より大喜利のほうが人気は高そうです。

大喜利における“座布団”の役割とはどのようなものでしょうか。

お題に対してメンバーが“よい答え”をしたときには、司会者役の歌丸の判断で「山田くん、座布団1枚やってください」などと言います。まれに「座布団2枚やってください」となる場合もあります。

ぎゃくに、メンバーが“よくない答え”をしたときには、「おい山田くん、座布団1枚もっていきなさい」となります。メンバーが歌丸についての“死亡ネタ”などを答えたとき「座布団ぜんぶもっていきなさい」という場合もあります。

また、メンバー1人の答えに対して、歌丸が「全員の座布団をぜんぶもっていきなさい」と言う場合もあり、これには「歌丸ジェノサイド」という俗語までつけられています。たとえば、三遊亭楽太郎(いまの圓楽)が、メンバー全員に手をつながせて「お手々つないでーお通夜に行けば―」と歌ったあと、歌丸のことを指して「遺体がしゃべった!」と答えました。これに対して、歌丸は全員の座布団を没収しました。

座布団が10枚たまると“豪華賞品”がもらえることになっています。この前提があるために、視聴者は、座布団が8枚、9枚とたまっていくことや、一気に座布団がなくなってしまうことなどに、ハラハラドキドキします。

しかし、座布団10枚による“豪華賞品”も、たとえば、「身から出たサビ」が賞品だと言って、ネタからわさびのはみ出した寿司を贈ったことなどがあります。賞品で大切なことは、“豪華さ”よりも“笑いをとる”ことのようです。

つまり、座布団は、『笑点』という番組のなかでは、笑いを引きおこすための“道具”としておおいに活かされているわけです。しかし、視聴者がからすれば、いちおうは「10枚貯まれば豪華賞品」と聞かされており、かつ数枚たまっていた座布団が一気になくなることもあるので、座布団の増減にそれなりの関心をもつわけです。

もし、『笑点』の大喜利に、座布団の制度がなく、司会者のお題にメンバーがたんたんとおもしろいことを答えるだけでは、いまも視聴率で20パーセント以上をとるような人気番組にはならなかったかもしれません。

参考資料
ニコニコ大百科(仮)「歌丸ジェノサイド」
http://dic.nicovideo.jp/a/歌丸ジェノサイド
ウィキペディア「大喜利(笑点)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/大喜利_(笑点)
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ドローンの規制は“ゆるゆる”、ロボットの規制は“きつきつ”

写真作者:Carlos Honda

小型無人飛行機「ドローン」が、首相官邸屋上のヘリポート脇に墜落したという事件がありました。「自分が官邸にドローンを飛ばした」とする人物が出頭したため、この事件そのものは収束へと向かいそうです。しかし、この事件が示した問題は大きいものです。とくに法律の整備については、これからも議論されていきそうです。

ドローンの飛行可能領域については、「航空法」という法律や「航空法施行規則」という規則で定められています。

航空法の第99条の2の第一項では、航空交通管制圏、航空交通情報圏、高度変更禁止空域または航空交通管制区内の特別管制空域といった、航空機の飛行に影響をあたえる空域では、飛行物を飛ばしてはいけないと定められています。

では、それらの空域とはどこを指すのか。航空法施行規則の第209条の3には、これらの空域は、地表または水面から150メートル以上の高さであるとしています。

ここまでの話は航空機の飛行に影響をあたえる空域についてのものですが、いっぽう、航空法の第99条の2の第二項では、上記のような「空域」以外の空域でも、航空機に影響を及ぼすおそれのある行為をするときは通報が必要と書いてあります。

そして、航空法施行規則の第209条の4には、その空域が、航空路内では地表または水面から150メートル、航空路外ではおなじく250メートル以上の高さであることが書かれてあります。

つまり、航空機の飛ぶような場所では150メートル以上の高さでドローンを飛ばすことはできないし、航空機の飛ばないような場所でも250メートル以上の高さでドローンを飛ばすことはできないわけです。

逆にいうと、それ以外の空域、つまり飛行機の飛ぶような場所では150メートル未満、飛行機の飛ばないような場所では250メートル未満の高度を守っていれば、ドローンをどこでも飛ばすことができるわけです。

「ドローンを飛ばす」という場合、「この空域は制限されている」という法文が掲げられているため、それ以外の空域では飛ばしてよいということに、現状ではなっています。

いっぽう、地上を無人で移動するようなロボットは、道路交通法とのかねあいで、道のうえを移動してはならないことになっています。

これは、道路における危険を防止することなどを目的とする道路交通法が、「歩行者」と「車両および路面電車」を通行の主体と想定してつくられているため。「歩行者」と「車両および路面電車」に当てはまらないものは、とにかく通行してはならないということのようです。「セグウェイ」などの人を乗せて走ることを支援するロボットについては、2015年3月に政府が規制緩和をしていくという方針が報じられていますが。

現状としては、ドローンを飛ばすことについての法律は“ゆるゆる”であり、ロボットを移動させることについての法律は“きつきつ”だったといえます。今回のドローンの首相官邸墜落のような事件が起きることにより、法律の整備を検討せざるをえない状況になりました。今後、新たな規制が設けられることでしょう。

参考資料
朝日新聞 2015年4月25日付「欧米より緩い規制 高度250メートル未満、届け出不要」
みずほ中央法律事務所「無人ドローン運用に必要な許認可とケアすべき法律問題 現行法・解釈」
http://www.mc-law.jp/kigyohomu/15660/
日刊工業新聞 2015年3月3日付「セグウェイなど搭乗型移動支援ロボット、規制緩和」
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1520150303aaaf.html
法令データ提供システム「航空法」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO231.html
法令データ提供システム「航空法施行規則」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27F03901000056.html
弁護士法人リバーシティ法律事務所「ロボットを公道で走行させることについての、道路交通法上の問題」
http://www.rclo.jp/general/report/cat03/146/
法令データ提供システム「道路交通法」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35HO105.html
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ホームドア「安全対策」に目を向ける(下)

写真作者:keyaki

きのうの記事「ホームドア『安全対策』に目を向ける(上)」では、新型のホームドアの発表資料の説明として、「テレスコピックタイプ」「エリア検知センサ」「プロジェクター」「LED」といったことばが並びました。

これらに共通するのは、いずれも電力で作動するものであるということです。電力で作動する装置が発達すればするほど、高まるのは停電が起きたときのリスクです。

鉄道の駅の電力は、鉄道会社が管理している変電所から送られてきますが、その変電所そのものが停電してしまうと、駅に電力が送られない場合もあります。

すると、電車の扉は開いても、駅のホームドアが開かないということも起きえます。実際、2014年7月に東京で豪雨があったときには、京王電鉄の調布駅で、駅に停まる電車の扉は開いているものの、ホームドアは開かないという事態も起きています。ツイッター利用者が「ホームドアが変なことに」と写真つきで投稿しています。

電車に乗っている満員の乗客は、いち早く電車から降りて駅の外へと向かいたい。しかし、駅の停電でホームドアが自動では開かず、避難するまでに時間がかかり、犠牲者が増える……。洪水や火災が起きたとき、このような惨事になる心配はないのでしょうか。

いま、実際に駅で使われているホームドアでは、手動でドアの開閉をすることはできるようにもなっているようです。しかし、緊急避難が必要なとき、すべてのホームドアを駅員が自力で開けて、乗客を降ろすというにはとても長い時間がかかりそうです。たとえば、4扉10両編成の電車では、40か所のホームドアを自力で開けなければなりません。

駅員だけではあまりに時間がかかるため、乗客の協力も必要になるかもしれません。しかし、停電時にホームドアを自力で開閉する方法はもとより、ホームドアが手動で開閉することそのものを知っている乗客はほとんどいないことでしょう。

平常時には、ホームドアがあることにより、電車との接触事故などのリスクは確実に減ることでしょう。しかし、緊急時にホームドアがあることにより、避難の妨げとなるリスクもありそうです。緊急時にホームドアが停電で開かなくなるという事故はまだ起きていないため、「手動で動かせるから大丈夫」ということで済まされていると見ることもできます。

参考資料
神戸新聞 2007年3月1日付「JR大阪駅の大規模停電 変電所機器にトラブル」
http://www.47news.jp/CI/200703/CI-20070301-4137153.html
高見沢サイバネティックス「ホームドア」
http://www.tacy.co.jp/products/kotsu/door/door.html
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ホームドア「安全対策」に目を向ける(上)

写真作者:Ryosuke Sekido

駅の安全対策としてホームドアの設置がじょじょに進んでいます。国土交通省によると、2014年9月末時点で、全国593駅に設置されているといいます。

いまのところの課題は、扉の数が異なるさまざまな電車がホームに入ってくる駅での対応でしょう。異なる鉄道会社の電車が相互乗り入れするため、片面に3ドアある電車と4ドアある電車が、おなじホームに入ってくる場合もあります。

この課題への対策として、三菱重工交通機器エンジニアリングは(2015年)4月22日(水)、2扉車、3扉車、4扉車のいずれにも対応できる改良型マルチドア対応ホームドア「どこでもドア」を開発し、三菱重工業の工場で運用検証試験を始めたと発表しています。

三菱重工交通機器エンジニアリング「どこでもドア」の説明には写真も載っています。しかし、「どこでもドア」がどのように異なる扉数の電車に対応するのかは、この写真からは、いまひとつよくわかりません。

文章の説明を見ると、つぎのような記述があります。
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扉にテレスコピックタイプ(2段伸縮の入れ子方式)を採用し、戸袋幅を限界まで縮めると同時に開閉幅を広げた戸袋付ドアもラインアップ。支柱(戸袋なし)タイプのドアと組み合わせることで、より大きい停車位置のずれに対応することも可能です。
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読解がむずかしいですが、どうやら「どこでもドア」のドアは、使うときに外側をまず伸ばしてさらに内側を伸ばすことのできる望遠鏡(テレスコープ)のように、2段階の伸びることで閉まるようです。

これにより、電車の扉が開いて「どこでもドア」のドアをしまうときの収納用の戸袋の幅をぎりぎりまで短くすることができるようです。これにより、ホームドアの開閉幅を広くして、異なる扉数の電車に対応するということのようです。

2文目の「支柱(戸袋なし)タイプ」というのは、棒が上下することでホームドア開閉の役割を果たす形式のホームドアのことのようです。こちらの形式のホームドアは社会実験が行われていて、映像で見ることもできます。「支柱(戸袋なし)タイプ」だけを使うのでなく、「どこでもドア」を組みあわせると、どのように大きい停車位置のずれに対応しやすくなるのかは今後の説明を待つことになりそうです。

さらに、「どこでもドア」の、安全対策についての説明もあります。
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安全対策では、人や荷物を感知するエリア検知センサにより、音声による注意勧告を行うとともに、扉の開閉動作を抑止。開閉機構を内蔵した支柱にプロジェクターまたはLEDを設置することで、扉の強化ガラス部に警告文字を投映したり、光による警告を表示できるようにしました。
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どうやら、人や荷物が挟まれそうになったとき、音声で注意をし、かつ扉の動きが止まるようです。そして、「どこでもドア」のドアでない部分にデジタル表示を設けて、「はさまれ注意!」などと文字情報で警告することもできるということのようです。

駅のホームにホームドアという安全装置をつけることで、ホームに入ってくる電車にまきこまれたり、転落してしまったりという事故を防ぐことができます。飛びこみ自殺を防ぐ効果があるともされています。

人のあふれそうなホームに、通過列車が高い速度で通過していくようないまの状況を考えると、ホームドアの設置は急ぐべき課題ともいえます。

しかし、もうひとつの「安全対策」にも目を向ける必要がありそうです。つづく。

参考資料
国土交通省「鉄道 ホームドアの設置状況(平成26年9月末現在)」
http://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk6_000022.html
三菱重工 2015年4月22日発表「扉数・扉位置が異なる車両に対応した改良型ホームドア「どこでもドア®」を開発」
https://www.mhi.co.jp/news/story/1504225635.html
YOUTUBE seibusen2000「拝島駅 昇降式ホームドアが稼動!」
https://www.youtube.com/watch?v=6W5zqw8_Gto
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1956年、南極観測隊のためにガムを開発


人がなかなか行かないような場所に行って滞在しようとするとき、どんな食べものをもっていくかは重要な課題になります。滞在期間が長くなるほど、「ただ腹を満たせばよい」だけでなく「栄養のバランスがとれる」といったことが重視されていきます。

日本の南極観測では、観測隊が「ガム」を食料のひとつに携えることになりました。

1956(昭和31)年11月、53人の隊員からなる「南極地域観測予備隊」が南極を目指し、観測船「宗谷」で出発しました。映画にもなった「タロ」と「ジロ」などの樺太犬も同乗しています。

その準備にあたり出発5か月前の6月、副隊長だった西堀栄三郎(1903-1989)が、ロッテを訪れ、隊員が携行するチューインガムの開発を依頼したのでした。

ガムを携行する目的は、たんなる“口さみしさ”の紛らわせといったものではなかったようです。西堀の依頼で開発されたガムは、「船中食用」「基地食用」「行動食用」「非常食用」などの種類ごとにつくられました。それぞれの用途別に、ビタミンやミネラルなどの量が変えられていたともいいます。

ガムへの着色も、黒、緑、赤、黄色といった鮮やかなものでした。これは、もし南極で道に迷ったとしても、氷の上に落としたガムの噛みかすが、捜査の役に立つということを期待してのことだったといいます。

さらに、南極にもっていくガムの開発では「暑さ対策」も検討されたといいます。南極はもちろん厳寒の地ですが、観測船「宗谷」は南極へ行くために暑い赤道の直下を通らなければなりません。暑いところを通過するときにガムが変質してしまっては、南極に着いたときに役に立たないということになりかねません。そこで、寒さにも暑さにも変質しないようなガムがつくられたといいます。

こうして、南極向け特別仕様のガムが開発され、観測隊出発の1か月前の10月に、ガムの贈呈式が行われたのでした。幸いにして、「非常事態でガムが役に立った」というような場面はなかったようです。

この「南極で食べられたガム」の印象を受けて、ロッテは1960年、南極の澄んだ空気の爽やかさや氷山のような冷たさを想起させる「クールミントガム」を発売したのでした。

参考資料
小野延雄「南極チューインガム物語」『南極』2001年10月18日号
http://www.jare.org/jareOB_Hc/na_club/nankyoku/Nankyoku_No09.pdf
ロッテ商品情報「クールミントガム」
http://www.lotte.co.jp/products/catalogue/gum/01.html
ロッテ「グリーンガム&クールミントの進化」
http://www.lotte.co.jp/products/category/gum/history/coolgreen.html
ウィキペディア「南極地域観測隊」
http://ja.wikipedia.org/wiki/南極地域観測隊
ウィキペディア「西堀栄三郎」
http://ja.wikipedia.org/wiki/西堀栄三郎
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本づくりで執筆者が“自主規制”


マス媒体では、しばしば「表現の自主規制」が話題になります。表現の自主規制とは、表現をする人や組織が、「ここまで表現しちゃっては、まずいんじゃないか」と考えて、自分たちで表現に規制をかけることをいいます。日本では憲法で「言論の自由」は保証されています。

たとえば、歌謡の世界では、差別的に捉えられうる用語が歌詞や題名にふくまれている楽曲を、レコード会社が発売中止にしたり、放送局が放送禁止にしたりして、自主規制する場合があります。

本づくりの世界でも、ある種の“表現の自主規制”が起きかねないような場面があります。たとえば、組織あるいは組織に所属する人が本を出そうとするとき、「どこまで書いてもよいのか」という問題が、かならずといってよいほどあがってきます。そうしたとき、“自主規制”の芽が出てきます。

組織が出すような本では、その本づくりにさまざまな部署がかかわります。当事者のほか、知的財産管理担当部署、広報担当部署、営業担当部署、などなど。また、直接的に携わる人自身の性格もさまざまです。

読者の「知りたい」という願望に応えるということに積極的な部署や人は、たとえば「企業内での激しい議論の末に方針が固まっていった」といったことを、具体的な社員の名前まで出して、生々しく伝えたいと考えることでしょう。

しかし、いっぽうで、「そんな企業内での内紛じみたことを本に書いたら、世間の自社へのイメージが悪くなる。株主たちに示しがつかない。とんでもない!」と考える部署や人もいます。企業内の内実を知らせるような生々しい表現は一切してはならないと考えることでしょう。

ここで“表現の自主規制”の問題がでてきます。多くの場合「そんな表現とんでもない!」と考える部署の人がその本の執筆者ではないからです。たいてい、企業が出す本では、社内の執筆に長けた社員か、出版社が用意する外部ライターが書くものです。

「そんな表現とんでもない!」と考える部署の人から、実際に執筆する社員やライターに、執筆にあたってのガイドラインが示されます。たとえば、「他企業のことには触れてはいけない」「社員の実名を出してはいけない」「自社にマイナスのイメージをもたらすようなことは書いてはいけない」といったものです。

こうしたガイドラインをあらかじめ言いわたされると、実際に執筆する人は、無難な表現へ、無難な表現へと、表現の自主規制をかけてしまいかねません。その結果できあがるものは、読者の「知りたい」に応えていないような、無難な表現に終始した原稿となります。

この表現の自主規制が、冒頭の歌謡の世界における発売中止や放送禁止と異なるのは、本をつくっている段階からすでに表現者が自主規制をしてしまっているということです。

「そんな表現とんでもない!」と考える立場の部署や人の考えを尊重しつつ、無難な表現に終始した原稿にしないためには、自主規制の種になるような“ご法度”を、実際に執筆する人には示さないことです。できあがった原稿を、「そんな表現とんでもない!」と考える人が、「この部分は削りたい」「この部分は表現を丸めたい」と、みずからで改めていけばよいのです。
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「西は薄い、東は濃い」に賛否両論


関西と関東をくらべるといった雑誌や放送番組の特集がよくあります。こうした特集のなかでしばしばとりあげられるのが、「関西人の食べる料理は薄味で、関東人の食べる料理は濃い味」というものです。

この「西は薄い、東は濃い」という概念は、おもにうどんなどの汁の味付けや色などからくるものと考えられます。関西で食するうどんなどの汁の味付けや色は薄く、関東で食するうどんなどの汁の味付けや色は濃いといったものです。

しかし、「西は薄い、東は濃い」といった概念には「ほんとうにそのとおりだ」とする説と「ほんとうはそうではない」とする説が見られます。

ほんとうに「西は濃くて東は薄い」とする説としては、たとえば、日本テレビの長寿番組「所さんの目がテン!」での実証取材があります。2001年10月28日に放送された「大阪うどん うす味の謎」という回では、大阪の「今井」と東京の「上野藪蕎麦総本店」での汁の塩分濃度を測り、「上野藪蕎麦総本店」の汁のほうが2倍以上、塩分濃度が高かったとしています。

また、ではなぜ関西の料理は薄味になったのか、その経緯を説明しようとする情報も見られます。

たとえば、大阪で展開する料理専門学校グループ「辻調グループ」の「きつねうどん」を説明するホームページには、つぎのように「だし」の文化が大阪の薄味と関係しているとしています。
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大阪の料理に関していえることですが、「出し汁」に対して大変神経を使います。よく「関西は薄味」といわれますが、それは出し汁がきいているから薄味ということもいえるのです。
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ではなぜ大阪をはじめとする関西では、出し汁に対して神経を使うのか。この説からすると、だしの原料となる昆布などが、北海道から日本海を経由して敦賀、琵琶湖、京都、そして大坂へと多く入りこんでいったからとされます。

いっぽうで、関東の味が濃いのはそうとしても「西は薄い」というのは迷信だとする説もあります。

いみじくも、「所さんの目がテン!」を放送しているのとおなじ日本テレビが2013年11月、「月曜から夜ふかし」という番組で、「本当に関西は薄味なのか問題」というテーマの特集を放送しました。この番組では、市販されているカップうどんの関東向けと関西向けの味を計測しました。結果、関西向けの味の塩分濃度は、関東向けの味の塩分濃度よりも高かったということです。汁の色は関東向けのほうがうす口醤油を使っていたため、薄かったもようです。

結局、この「西は薄い、東は濃い」という概念は、とりあげる食材の条件などによって、「ほんとうにそうだ」となる場合もあれば、「ほんとうはそうではない」となる場合もあるということかもしれません。

ただし、関西人の気質が「特徴を濃厚にもっているさま」を示す「こてこて」といったことばで示されることから、関西圏以外の人たちに「関西人はこてこてなのに、食べる料理の味は薄い」といった際だった例外的な印象をもたれることはありそうです。その例外的印象がまた、「西は薄い」という説を強めているのかもしれません。

日本テレビ 知識の宝庫! 目がテン! ライブラリー「大阪うどん うす味の謎」
http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/01/10/1028.html
辻調グループ「きつねうどん」
http://www.tsuji.ac.jp/hp/jpn/osaka/kitune.htm
YOUTUBE「月曜から夜ふかし 動画 関西人の薄味アピール問題 茨城県のキャッチコピー 2013年11月4日」
https://www.youtube.com/watch?v=Gz9qQ6AFG5E
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前足を自由に動かせるからこそ“猫パンチ”

写真作者:dabravo

米国の映画俳優ミッキー・ロークさんが1992年6月、東京・両国国技館でボクシングの試合に臨み、ダリル・ミラー選手に初回2分14秒、ノックアウト勝ちを収めました。このときのダウンの決め手となった右フックは「こんな一撃で相手がリングに沈むとは。猫パンチ並みだった」と当時かなりの評判になりました。

しかし、人間のパンチを「猫パンチ並み」と評したら、猫たちに失礼かもしれません(猫はなにも気にとめていない可能性のほうが高そうですが)。

猫は、前足を移動するためだけに使っているわけではありません。たいてい片方の前足を地面に接地させておきながら、もう片方の前足で相手の動物などに「猫パンチ」をくりだすことがあります。勢いがついて接地させていたほうの足も地面を離れることがありますが。

猫は、ほかの猫などの動物とじゃれあうため、あるいは「こっちに来るな」という態度を見せるため、はたまた本気でケンカをするために、猫パンチをくりだすとされています。そして、「パンチをくりだせる」という能力は、おなじ4本足の哺乳類である犬などにはなく、特有のものといいます。

猫はもとはといえば鼠などの餌を狙ってしとめるハンターです。狩りをするとき、獲物に近づいてから、瞬発力で一気に飛びかかろうとします。

このとき、犬などとちがって前足が後足とは独立して自由に動くことで、相手の獲物に飛びかかりやすくしていると考えられています。

狩りをするうえで有利な体のつくりとして、後足とは独立してい前足を自由に動かせる。その自由に動かせる前足を利用して、猫パンチもくりだすことがある、といったことのようです。

なお猫が本気のケンカをしようとして、猫パンチをくりだす場合などには、爪がむき出しになっていることもあるので、接するときには注意が必要です。

参考資料
YOUTUBE「ミッキーローク猫パンチ」
https://www.youtube.com/watch?v=bGS5MxnDDHk
YAHOO! 映像トピックス「猫パンチ17発を受ける犬のスロー映像」
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/animal_pet/p3d25e4f72ef68784ca0270bbf43de72e
猫学部「必殺! 猫パンチをする気持ち」
http://www.e-nioi.jp/pet/kougi/cat-kimochi/8.html
山根明弘『ねこの秘密』
http://www.amazon.co.jp/dp/4166609904
pepy「猫がパンチをする意味は?威力はどれくらい?」
http://pepy.jp/4062
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「ご飯離れでも、なぜかふりかけ市場は拡大の謎」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きのう(2015年)5月17日(金)「ご飯離れでも、なぜかふりかけ市場は拡大の謎 “ご飯のお供”のたどる道(後篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

「ふりかけを食べる」とはあまりいいません。「ふりかけで(ご飯を)食べる」とはよくいいます。ふりかけはいつの時代も「ご飯のお供」であるわけです。

そのご飯そのものを日本人は昔より食べなくなったということはよく知られているところです。1人あたりのコメの年間消費量は、もっとも食べられていた昭和30年台後半の半分未満にまで減っています。そのいっぽうで、ふりかけの市場規模はいまなお拡大中といわれています。主食が食べられなくなっているのに、主食のお供はより食べられるになっているというわけです。どうしてこのようなことが可能なのでしょう。

取材に対応してもらったふりかけメーカーの広報担当者は、「食べていない人に食べてもらえるようなふりかけを出していけば、市場はこれからも拡大していくと思います」と話します。

たしかに、ご飯を食べている人すべてがふりかけをかけているわけではありません。ふりかけを使っていない人に使ってもらうことができれば、主食のコメの消費量が減っても、ふりかけはより食べられるようにはなります。

とはいっても、ふつうに考えると“言うは易し行うは難し”です。

ふりかけ市場が活況でありつづける背景には、「のりたま」や「ゆかり」といった定番化したふりかけがあるなかで、新たな客を増やすべく新商品を投入しつづけるメーカーのとりくみがありそうです。そこにはさらに、ふりかけメーカー間の“しのぎを削るシェア争い”というものが背景にありそうです。

取材したメーカーから示された、2013年発売のふりかけを試食してみると、これまでのふりかけの概念を超えるような、香りの高さや歯ざわりのさくさく感などがありました。記事では、従来の製法との大きなちがいを広報担当者に詳しく語ってもらっています。

「ご飯離れでも、なぜかふりかけ市場は拡大の謎 “ご飯のお供”のたどる道(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43546
前篇では、「ご飯にも乳房にも!? 日本人とふりかけの歴史」と題して、食材としてのふりかけの源流や、商品としてのふりかけの起源などをひもといています。こちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43469
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「科学ジャーナリスト賞2015」大賞に毎日新聞の須田桃子さん


日本科学技術ジャーナリスト会議が(2015年)4月17日(金)、「科学ジャーナリスト賞2015」を決定したことを発表しました。

科学ジャーナリスト賞は、日本科学技術ジャーナリスト会議がすぐれた科学ジャーナリストの活動をたたえる賞です。2006年に創設されました。

第10回となる今年は、各媒体あわせて96作品の応募がありました。

同会議は大賞を、毎日新聞科学環境部記者の須田桃子さんに贈ることを発表しました。『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋)の著作に対してです。

贈呈理由をつぎのように説明しています。

「STAP細胞事件は、2014年の最大の科学事件だった。もちろん事件を起こしたのは科学者であり、それを増幅させたのは研究機関だったが、メディアもまったく無関係とは言えない事件である。本来なら新聞部門で応募してもらってもいいケースだが、事件が一段落したところで、新聞記者がもう一度、最初から調べなおして書物にまとめるという作業も大事なジャーナリズム活動だ。須田記者の事件への肉薄ぶりと分かりやすく再構成しなおした筆力は、見事というほかない」

また、賞を、サイエンスライターの添田孝史さんに、また、中国新聞社編集局経済部記者の山本洋子に、また、神戸新聞東京支社編集部長兼論説委員の加藤正文さんに、 また、NHKスペシャル「腸内フローラ」取材班に贈ると発表しました。

添田孝史さんへは、『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波書店)の著作に対して。贈呈理由はつぎのとおりです。

「工場で小さな火事があっても刑事責任が問われるのに、あれほどの被害を出した原発事故は誰一人責任を問われていない。その理由は「大津波が想定外だったから」ということになっているが、実は、想定外どころか、さまざまな想定があり警告が出されていたことを明らかにしたのが本書である。想定や警告を無視したのは、政府や電力会社だが、同時にメディアの責任も極めて大きいことを示している」

中国新聞社の山本洋子さんへは、2014年10月28日から2015年2月17日に連載された記事「廃炉の世紀」に対して。贈呈理由はつぎのとおりです。

「原発にはいかに問題が多いか、廃炉や廃棄物処理の難しさを丹念に追った中身の濃い内容で、とくに国際的な取材にも力を入れ、海外の事情もよく分かる。廃炉にかかる膨大な時間とカネ、除染と言っても移染にすぎない放射性物質の厄介さがひしひしと伝わってくる地方紙としては出色の報道記事である」

神戸新聞の加藤正文さんへは、『死の棘・アスベスト 作家はなぜ死んだのか』(中央公論新社)の著作に対して。贈呈理由はつぎのとおりです。

「アスベストの怖さを実によく調べており、ここまで放置してきた日本の対策の失敗を浮き彫りにしている。とくに、十数年から50年以上たって発症することは、これからも被害が出てくることを示しており、現在だけでなく「未来の課題だ」という指摘は実に重い」

NHKスペシャル「腸内フローラ」取材班へは、2015年2月22日放送のNHKスペシャル「腸内フローラ 解明! 驚異の細菌パワー」の番組に対して。贈呈理由はつぎのとおりです。

「腸内細菌の働きを、コンピューター・グラフィックを駆使して迫力ある映像として見せた。医療革命の一断面をうまく切り取った優れた科学番組である。コンピューター・グラフィックが多すぎるきらいはあるが、目に見えないものを見えるようにするにはやむを得ないところもあり、今後の発展への貴重なステップとはなろう」

また、今回は10回目で初となる「特別賞」を贈ることになりました。東京理科大学近代科学資料館代表で科学コミュニケーターの大石和江さんへ、2014年10月17日から11月29日に開催された企画展示「科学雑誌 科学を伝えるとりくみ」に対してです。贈呈理由はつぎのとおりです。

「科学ジャーナリスト賞の対象として、以前から博物館や科学館の展示も加えると公表してきたが、展示はその期間が過ぎると見られなくなってしまうため、これまで授賞はなかった。そこで今回は、受賞しそうな展示をピックアップして、期間中に選考委員に見てもらうという方式をとり、比較的評価の高かった理科大の科学雑誌展に特別賞を贈ることにした」

受賞者のみなさん、おめでとうございます。

日本科学技術ジャーナリスト会議による発表「JASTJ賞2015が決定しました」はこちらです。
http://jastj.jp/jastj_prize.html
| - | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0)
人工知能が「記号」だけでなく「概念」も生みだすように

写真作者:Institute for the Study of the Ancient World

人工知能の分野では、いま“第三の波”が起きているとされています。第一の波は古く1950年台後半から1960年台にかけて。このときは、人間が調べたいことを探索する技術が高まりました。第二の波は1980年台。コンピュータに知識が加えられようとしてきました。

しかし、第三の波が起きる前までは、「人工知能の技術がいくら高まっても、人工知能は人間の思考と同様あるいはそれを超越するような水準には達しない」と考えられてきました。そこには本質的な問題があると見なされてきたからです。

その本質的な問題とは、「人工知能が学習するきっかけを人間が設定しなければならない」というものでした。

たとえば、「鶴と亀が合わせて8匹、足の数が合わせて26本であるとき、鶴と亀は何匹いるか」という問題があるとします。ここで、人間は「鶴の数をx、亀の数をy」などとして、「x+y=8,2x+4y=26」という連立方程式を立てて、「x=3,y=5」つまり「鶴は3匹、亀は5匹」と導くわけです。

しかし、こうした問題をあたえられたとき、「これは鶴亀算とよばれる連立方程式だ」と解く方法を考えることができるのは人間だからこそです。コンピュータが自動的にこの問題をあたえられて「この問題を解くには連立方程式を立てればよい」と“発想”することはできませんでした。人間が、「こういう問題を解くには連立方程式を使えばいい。連立方程式とは……」と最初に知識をあたえなければならないのです。その知識をあたえさえすれば、コンピュータは学習をして人知を超えるような計算をすることができるようになるわけですが。

しかし、2013年ごろから訪れている“第三の波”では、この「学習するきっかけ」を人工知能がみずからで構築することができるようになってきたといいます。

コンピュータや以前の人工知能は、あるものごとを「記号」として捉えることはできましたが、それを「概念」として捉えることはできませんでした。しかし、社会のものごとについてのデータ量が膨大となった今日日、コンピュータにその膨大なデータをあたえると、そこから「概念」に当たるものを学習することができるようになりはじめたといいます。

膨大なデータをあたえられるだけでなく、人工知能もまた学習の水準を高めています。情報の入力と出力のあいだに「隠れ層」とよばれる中間段階を設けて、ここで情報認識を何度もくりかえすことで、対象とするものごとの特徴をより正確に抽出していきます。こうした方法で人工知能が学習するのを「ディープラーニング」といいますが、「ディープ」がつくのは、情報認識を何度もくりかえす、つまり“深く掘りさげていく”といった語感から来ているようです。

いまはまだ、人工知能が「学習するきっかけ」をみずから生みだせる分野は、画像解析などの限られたものとなっています。しかし、これからは人工知能がみずから行動計画を立てたり、言語を理解したりする時代がやってくると人工知能の研究者は見ているようです。

参考資料
ウィキペディア「シニフィアンとシニフィエ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/シニフィアンとシニフィエ
日本科学技術ジャーナリスト会議 2015年3月31日(火)月例会 松尾豊・東京大学准教授「人工知能の未来」
 http://youtu.be/XOTG5MydrBo
「どこまで人間の脳に迫れるか?」『TERA』第62号
http://www.nttcom.co.jp/tera/tera58/pdf/p02_06.pdf
| - | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0)
交差点を左折なら「左」、助走路から右側の本線に合流なら「右」
インターネット上で、3、4年に一度くらいの頻度で話題になる、車の運転のしかたについての話題があります。それは「方向指示器を右に出すか左に出すか」という問題です。

方向指示器はウインカーともいいます。運転している車を左折させようとするときには、車体左側の前後についている方向指示器を点滅させます。右折しようとするときにはおなじく右側の方向指示灯を点滅させます。

明らかに右に曲がるときには「右」を、左に曲がるときには「左」を迷うことなくだせばよいわけです。ところが、公道には「右」とすべきか「左」とすべきか微妙な地点もあります。



たとえば、上のような道路で、左下から車を進めていくとします。すると、本線の2車線
の街道に出くわすわけですが、このとき方向指示灯を「右」とすべきか「左」とすべきかはなかなか微妙なところです。

運転手の視点からすれば、まず左前方にハンドルを切ります。しかし、いちばん左の側道のような車線をすこし進んでから本線に合流するときには、右前方にハンドルを切ります。

道路交通法第五十三条には、つぎのような文言があります。

「車両の運転者は、左折し、右折し、転回し、徐行し、停止し、後退し、又は同一方向に進行しながら進路を変えるときは、手、方向指示器又は灯火により合図をし、かつ、これらの行為が終わるまで当該合図を継続しなければならない」

このなかの「左折し、右折し、転回し、徐行し、停止し、後退し、又は同一方向に進行し」というそれぞれの行為に対して、「左」を出すか「右」を出すか具体的には書かれていません。

しかし、「左折し(略)進路を変える」という文節は「交差点を左に曲がる」ことを指しているのは明らかです。また「進行しながら進路を変える」という文節は、「本線に合流するときに曲がる」ということを指すのは明らかです。

となると、方向指示器を出すべき地点が「交差点」なのか、それとも「本線に合流するための助走路」なのかのちがいによって、方向指示器を左右どちらに出すかが変わってくると解釈できそうです。

では、交差点とはどのような場所なのか。おなじく道路交通法の第2条には、交差点を「十字路、T字路その他二以上の道路が交わる場合における当該二以上の道路の交わる部分をいう」と定義しています。

上の図で左下から上に向かう道路を走る車は、道なりに進んでいくと、2車線の本線のさらに左側に用意されている車線に進むことになりそうです。この車線は本線に合流するための「助走路」と一般的によばれています。

そして助走路から本線に合流するときには、進行方向に対して合流すべき本線が左右どちら側にあるかに従って、右側にあれば「右」の方向指示器を、左側にあれば「左」の方向指示器を出すことになります。

この道路の場合は、本線の左脇に助走路がついているとみなせるので、方向指示器は「右」を出すということでよさそうです。

なお、上の図は、神奈川県横浜市に実際にある道路の地図をトレースしたものです。現場の写真もインターネット上で見ることができます。こちらです。

参考資料
e-GOV「道路交通法」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35HO105.html
交通事故示談交渉相談センター「交差点とは」
http://www.sase-office.jp/category/1683757.html
車のまぐまぐ!「本線への合流、ウインカーはどっちに出す?」
http://car.mag2.com/kakekomi/rule/080805.html
普通二種技能試験攻略法
http://www.masmas.net/menkyo/manual/taxi/
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
規則として兼業は認められているけれど……

写真作者:Kevin Dooley

会社員が兼業をすることがあります。仕事のしかたが多様化していくにしたがって、そうした事例は増えていっているのではないでしょうか。

労働者の地位の保護・向上などについてを定めた労働法には、企業の従業員が兼業をすることについての定めはとくにありません。いっぽう、各社が用意している就業規則には、従業員の兼業についての規則を定めている場合もあります。

就業規則で兼業をすることが認められていない場合、それを破って兼業をしたとすれば就業規則違反になります。会社からなにかしらのおとがめを受けるおそれがあります。

いっぽうで、就業規則に兼業について定めたような文言がなければ、「兼業は禁止されていない」ということになります。就業規則的には兼業をしてもよいわけですが、ここで一つべつの問題が起きえます。兼業のしかたによっては「倫理上の問題」が残されることがあるわけです。

兼業としてかかわる仕事が自分の本来の業務とはかけはなれている分野の場合は、本業と兼業のバランスを保っていれば、さほど問題になることはなさそうです。たとえば、レストランの厨房で調理人をしている人が、兼業が認められているため、中古アパートの経営にも携わるといった場合、「料理」と「不動産」という異分野での仕事になるので、よほどの“からくり”や“たくらみ”などがないかぎり、この二つの業務から問題が起きることはすくなそうです。

いっぽう、本業と兼業の分野が似かよっている場合には、もうすこし注意が必要かもしれません。たとえば、本業としてレストランの厨房で調理人をしている人が、兼業が認められているため、兼業としては「料理批評のプロ」などとして、べつのレストランで給仕される料理の評価を雑誌や放送などの媒体にする場合はどうでしょう。

本人からすれば、自分の本業で得てきた専門知識を活かせるのですから、その兼業そのものはやりやすいものとなりそうです。

いっぽうで、その人が兼業として評価した料理を出すレストランの立場からしてみれば、「けしからんこと」と捉えられかねません。もし、その料理の評価が低いものであれば、相対的にその兼業者が本業でつくる料理の評価は高まることにもなります。しかも、報酬でも兼業でも本業でも報酬を得ることになります。

「もし、他のレストランの料理の批評をしてお金を稼ぐのであれば、本業のほうをやめてからにしたらどうなんだ」。このような声がその分野に携わる人から上がることもあります。

すくなくとも、法律を破るようなことはしていない。あとは、その兼業をしても自分自身が良心の呵責に耐えられるか。それが問われてくることになりそうです。

参考資料
近江法律事務所「どうする? 従業員の副業」
http://www.oumilaw.jp/kouza/39.html
就業規則に副業禁止と記載がなければ副業可能?
http://kindlyheart.com/prohibition/就業規則に副業禁止と記載がなければ副業可能?
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
水が100度を超えていく


水の沸点は、1気圧の大気中では100度です。しかし、水という物質の温度の上限が100度なのかというとそういうわけではありません。

水を鍋などに入れて温めていくとやがて沸騰します。沸点に達すると、水は液体から気体つまり水蒸気になります。この水蒸気は厳密にいうと「飽和蒸気」という状態にあります。飽和蒸気とは、液体といっしょにあってエネルギーが変化しないときの、その物質の蒸気のことをいいます。

この飽和蒸気をさらに加熱しようとします。しかし、100度を超えてもしばらくは熱が吸収されていくため100度以上になりません。このとき、飽和蒸気は2256.9キロジュール(539.1キロカロリー)というエネルギーのままで保たれます。

しかし、さらにその飽和蒸気に熱をあたえようとすると飽和蒸気の状態を脱して、この水の温度は100度より高くなっていきます。このときの水の状態は「過熱水蒸気」といいます。

100度の飽和蒸気のときには、吸収していた熱が外部の空気で冷やされたりして失われると、すぐに水の分子が凝縮をして白い湯気になります。つまり気体から液体に戻ってしまいます。

いっぽう、100度を超えて過熱水蒸気になると、外部の空気で冷やされても、過熱状態が保たれていれば水の分子は凝縮しません。つまり液体にならないわけです。

この過熱水蒸気は1912年にはすでに発見されていました。そして、さまざまな目的で使われてきました。たとえば、過熱水蒸気を200度から900度ほどまで加熱して悪臭ガスを分解するのに使ったり、200度から400度ほどまで加熱してくだものから農薬をとりのぞくのに使ったりといったものです。

また、身近なところでは、調理器具にも使われています。シャープの「ヘルシオ」というオーブンレンジでは、この加熱水蒸気のみで料理を瞬間的に加熱します。この方法を使うと、料理の酸化や細胞破壊を抑えることができるといいます。

参考資料
産学官の道しるべ「過熱水蒸気とは? 熱放射性ガス」
https://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2006/02/articles/0602-03/shiryo/0602-03siryo.pdf
TLV 蒸気の知恵袋「蒸気の状態による分類」
https://www.tlv.com/ja/steam_story/0612rinkaisui.html#cont03
コトバンク「飽和蒸気」
https://kotobank.jp/word/飽和蒸気-132552
宮武和孝「過熱水蒸気とその利用」
http://kinkiagri.or.jp/activity/Sympo/sympo52(101116)/miyatake.pdf
阿部茂「過熱水蒸気加熱を行った場合の食品表面の油脂酸化抑制効果」
http://www.food.hro.or.jp/news/note/jyohou_090904_kanetsu2.pdf
シャープ「ココがちがう! ヘルシオと過熱水蒸気オーブンレンジ」
http://healsio.jp/feature/difference.html
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書評『勝てる野球の統計学』
元ヤクルトスワローズの宮本慎也選手の応援歌に「どんな打球でもそらさない」という歌詞がありました。本書を読むと、この歌詞の意味をより深く味わえるかもしれません。


『勝てる野球の統計学 セイバーメトリクス』鳥越規央・データスタジアム野球事業部 岩波科学ライブラリー 2014年 112ページ


野球に対する監督やチームとしての見方や、観客としての観方に変化が起きはじめている。統計学を駆使した「セイバーメトリクス」という手法が一部でさかんになってきており、これにより「野球でこれまで言われてきたこと」と「データが示すこと」の差が明らかになってきたからだ。

「セイバーメトリクス」は野球のための統計学のことで、「セイバー(SABR)」は米国野球学会(Society for American Baseball Research)の頭文字をとったもの。また「メトリクス(Metrics)」は「測定法」などの意味をもつ。米国の大リーグでは1970年代からデータ重視の野球が議論されるようになり、その度合は時とともに高まっているようだ。

本書『勝てる野球の統計学』は、このセイバーメトリクスの入門書に位置づけられている。楽天にいた田中将大投手が楽天で24勝を上げ、ヤクルトのウラジミール・バレンティン選手が日本新記録となる60本塁打を打った2013年の日本プロ野球を題材にしている。

とくに日本での野球の定石では、「出塁した走者を犠打(バント)で得点圏に送れ」というものがある。無死一塁や無死一二塁、あるいは2死一塁といった場面でも打者は犠打を試みることが多い。

だが、セイバーメトリクスの観点からすると、無死一塁という状況での得点期待値、つまり「そこから何点の得点を期待できるか」は0.821であるのに対して、犠打を成功させたあとの1死二塁では、0.687とむしろ得点期待値が下がってしまうという。1点でも得点をする確率もわずかながら下がってしまうという。

ほかにも、2013年のシーズン最優秀選手には記者たちの投票で田中将大投手が選ばれたが、WAR(Wins Above Replacement)という、控えレベルの選手にくらべて1年間で何勝分の貢献をしたかという尺度からすると、田中投手は2位となり、1位は西武の浅村栄斗になるという。「233人の記者の中に浅村を1位と主張する『セイバーメトリクス重視派』がいても良さそうなものだ」というのが著者のメッセージだ。

データ野球というと、野村克也元監督が「ID(Important Data)野球」を標榜してチームを優勝や日本一に導いた事例が思い浮かばれよう。だが、著者によると、「ID野球のデータ解析手法は、おそらく統計学の初歩的なものしか使われていない」のであって、野村監督の瞬時に相手選手の個性を把握する力が大きかったとしている。

サッカーやバレーボールといったさまざまなスポーツにデータが駆使される時代だ。これまでセイバーメトリクスは、試合のなかでの采配というより、球団運営などの大局的な意思決定などには実用的とされてきた。

だが、データをリアルタイムに蓄積できる時代だ。今後は采配や選手指導にもサイバーメトリクスが役立てられる時代がやってくるのかもしれないし、もう役立てられているのかもしれない。

『勝てる野球の統計学』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/400029623X
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技術があっても規格化が遅れて普及せず


「スマートハウス」とよばれる未来型の家が提唱されて久しくなります。

スマートハウスとは、太陽光発電、高度な電力量計算ができるスマートメーター、家庭でのエネルギー消費の効率化をはかれるホーム・エネルギー・マネジメント・システム(HEMS:Home Energy Management System)といった装置を駆使して、エネルギーの使いかたを効率的にする家のこと。1980年代に米国で提唱され、日本でも2011年の東日本大震災より前から、二酸化炭素の排出量を抑えるといった課題に対して関心が集まっていました。

スマートハウスでは、家で使うエネルギーの利用効率を高めるだけでなく、出かけた先から風呂のお湯を張っておいたり、鍵しめを確認したりと、さまざまな便利さももたらすとされてきました。

しかし、日本では、太陽電池やハイブリッド車ほどスマートハウスが普及しているという雰囲気はありません。市場調査企業の富士経済の予測によると、2020年のスマートハウス関連製品・システムの市場規模は2013年にくらべて139.1%の2兆8,886億円といいます。伸び率が7年間で1.5倍にもならないというのは、伸びなやみの状況を示しているといってもよさそうです。

どうしてスマートハウスが普及しないのか。この分野に精通している大学研究者は、“企業の意地の張りあい”に、普及しない要因があるといいます。

スマートハウスの中核を担う装置であるHEMSを、電気製造業の各社がすでに製品化しています。しかし、その研究者によると、電機メーカーがHEMSを手がけた住宅では、その企業の製品でなければHEMSによって制御されない場合が多いということです。

しかし、よほどの“パナオタク”や、よほどの“ソニーマニア”などでなければ、家電製品を一社のもので揃えるという家庭はまずありません。にもかかわらず、各企業に「自社の規格を主流に」という糸があるのでしょう。技術はあっても普及しない状態というわけです。

電機メーカーが“意地の張りあい”をしているのであれば、電機メーカー以外の立場の組織などがHEMSの規格統一化に一役買う必要が出てきます。2012年にようやく経済産業省が、スマートメーターとHEMS、また各家電製品のあいだで情報をやりとりするとき、「エコーネットライト」という標準規格を使うことを定めました。

研究機関でも、たとえば東京大学の生産技術研究所が「コマハウス」という未来対応型の実験住宅を建てて、スマートハウスやHEMSのよりよい使いかたについて実証実験を進めています。

家のなかのHEMSなどのシステムと電気製品がエネルギー利用の効率化をはかることができれば、それはたしかに「スマート」といえます。しかし、その「スマート」を普及させるための進めかたが「スマート」といえるかというと、日本ではそのようではないみたいです。

参考資料
富士経済「スマートハウス関連の国内市場を調査」
https://www.fuji-keizai.co.jp/market/14069.html
毎日新聞 2012年2月29日付「経産省 スマートハウス普及へ、電力規格を統一」
http://mainichi.jp/select/biz/news/20120225k0000m020067000c.html
矢野経済研究所「大手ハウスが注力する『スマートハウス』」
https://www.yano.co.jp/page/show.php?id=138&template=5
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赤崎さんにも中村さんにも「窒化ガリウム」へのこだわり

写真作者:Adam Greig

2014年、赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの3人に贈られたノーベル物理学賞の授賞理由は、「高輝度で省電力の白色光源を実現可能にした青色発光ダイオードの発明」というものでした。

実現するのがむずかしいとされていた高効率の青色発光ダイオードを開発するために、この3人が材料として注目してきたのが「窒化ガリウム」でした。

窒化ガリウムは、ガリウム(Ga)と窒素(N)からなる化合物で、組成式は「GaN」です。

青色の発光ダイオードをつくるための研究は1960年代から世界で行われていました。このときも、窒化ガリウムは材料として有力候補とされていました。

ところが、研究者たちが窒化ガリウムで青色発光ダイオードを作ろうとしてもなかなかうまくいきません。窒化ガリウムの結晶を作る必要がありますが、その品質が高まらないのです。そのため、1970年代なかばには、窒化ガリウムを材料とする青色発光ダイオードの開発は下火になりました。かわりにセレン化亜鉛(ZnSe)や炭化ケイ素(SiC)などのべつの物質からなる化合物の研究がつづきました。

しかし、名古屋大学や松下電器(いまのパナソニック)の研究者だった赤崎さんも、また日亜化学の研究者だった中村さんも、窒化ガリウムを青色発光ダイオードの材料に使うことにこだわりつづけました。

赤崎さんが窒化ガリウムにこだわったのは、この物質が硬くて丈夫だったからだといいます。青色発光ダイオードが暮らしのなかで使われることを考えたとき、長時間安定して作動する材料でなければならないという信念があったようです。「我ひとり荒野を行く」という孤高の心境だったと伝えられます。その後、弟子として天野さんら研究仲間と、窒化ガリウムでの青色発光ダイオード開発を進めていくわけですが。

また、中村さんが窒化ガリウムにこだわったのは、「人のやっていない材料で開発をする」といった心があったからのようです。中村さんは2010年の記事で、「大手がやっている材料は絶対やるまい」「やけくそですからね。ただ人がやっていない材料というだけで選んだのです」と述懐しています。

1978年、赤崎さんはすでに、「有機金属化学気相成長法」(MOCVD:Metalorganic Chemical Vapor Deposition)とよばれる方法で窒化ガリウムの結晶を作るという方針を決めていました。化学反応を使って基板のうえに薄膜を作る方法を「化学的気相成長法」(CVD:Chemical Vapor Deposition)といいますが、原料ガスに有機金属を使う場合は「有機金属」が冠されます。窒化ガリウムの結晶を作るときには、トリメチルガリウムという有機金属がおもに使われます。

大きな課題は、結晶を成長させるための基板になにを使うかということでした。赤崎さんは1985年、サファイアの基板のうえに窒化アルミニウム(AlN)の層を作り、そこに原料ガスを降りつもらせていく方法で、窒化ガリウムの結晶を作っていきました。

さらに中村さんは1991年、横方向から原料ガスのトリメチルガリウムやアンモニアなどを流し、さらに上方向から押しつけるための窒素と水素を流すという「ツーフロー有機金属化学気相成長法」を開発しました。これでより品質の高い青色発光ダイオードを作ることができるようになり、1993年に当時、中村さんが所属していた日亜化学工業から青色発光ダイオードが発売されることになったのです。

参考資料
朝日新聞 2014年10月16日付「青い光、不屈の成果 青色LED、3氏ノーベル賞」
ウィキペディア「窒化ガリウム」
http://ja.wikipedia.org/wiki/窒化ガリウム
PlusE 2014年10月8日付 赤崎勇「コバルトブルーに魅せられて 前人未到のGaN p-n接合への挑戦」
https://www.adcom-media.co.jp/remark/2014/10/08/19433/5/
PlusE 2010年6月25日付 中村修二「窒化ガリウムを選んだのはやけくそでした」
https://www.adcom-media.co.jp/remark/2010/06/25/2020/
製造業技術用語集「MOCVD」
http://www.weblio.jp/content/MOCVD
Tech-On! 「青色LED訴訟の『真実』問われる相当対価『604億円』の根拠」
http://techon.nikkeibp.co.jp/NEWS/nakamura/mono200406_2.html
| - | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0)
(2015年)4月28日(火)は「研究成果をなぜ発表しどのように伝えるのか」

催しもののお知らせです。

2015年4月28日(火)、札幌市北8条西5丁目の北海道大学学術交流館で「研究成果をなぜ発表しどのように伝えるのか 科学と社会のより良い関係をめざす」というシンポジウムが開かれます。北海道大学物質科学フロンティアを開拓するAmbitiousリーダー育成プログラムと科学技術広報研究会の共催によるもの。

大学や研究所ではたらく研究者たちは、研究の成果を論文や記者会見などのさまざまな媒体で発表します。そうした発表の意味、課題、伝え方、また伝わり方などを考えるというのが、このシンポジウムのねらいのようです。

主催者や共同主催者の挨拶などのあとの基調講演では、北海道大学副学長の新田孝彦さんが、「なぜ科学技術の倫理なのか 組織と研究者」という演題で話す予定です。また、事例紹介として大阪大学准教授の中村征樹さんが「研究成果の発表と研究倫理」という主題で話す予定です。

その後は、論点提示と総合パネル。論点提示では、理化学研究所多細胞システム形成研究推進室広報担当の南波直樹さん、毎日新聞科学環境部副部長の永山悦子さん、近畿大学医学部講師で『嘘と絶望の生命科学』などの著書をもつ榎木英介さん、早稲田大学教授で生命美学プラットフォームmetaPhorest代表の岩崎秀雄さんが、それぞれの立場から論点を提示します。

そして、総合パネルでは「研究成果発表を『なぜ』『どのように』行うかを問い直す」という主題で、それぞれの論点提示者が登壇します。進行役は日本科学技術ジャーナリスト会議会長の小出重幸さん。

4月28日(火)は祝日の前日。主催者は、「科学技術倫理、科学史、科学技術政策、科学技術広報、科学技術コミュニケーション、ジャーナリズム、大学院教育など、多様な視点でこの問題に取り組みます。研究者・大学教員、院生・学生、広報担当者、メディア、行政職、一般市民など、多様な立場の方々がステークホルダーとしてご参加ください」と参加をよびかけています。

「研究成果をなぜ発表しどのように伝えるのか 科学と社会のより良い関係をめざす」は4月28日(火)北海道大学 学術交流会館大講堂で13時から。参加無料ですが、事前登録をした人が優先となります。主催者による詳しい案内はこちらです。
http://ambitious-lp.sci.hokudai.ac.jp/open_event/2842.html
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「私からかけなおしますよ」「いや、大丈夫ですよ、この電話で」

写真作者:Sascha Kohlmann

人と人の意思疎通のしかたのひとつに電話があります。電話がなかったころは、直接その人に会いにいくか手紙を送るかといったことが主流でした。夏目漱石の小説でも、会いに行った人が留守だと「じゃあ、夕方まで待ちますよ」と時間をつぶすといった場面があります。

電話よりあとの時代に発明された電子メールにくらべても、「かければすぐ相手と通じる」ことができるという点は電話の利点といえましょう。

しかし、すべての電話にすべての人が出られるわけではありません。電話に出られない用事をこなしている、あるいは電話の着信に気づかないといった理由が考えられます。

そこで、「電話のかけなおし」となるわけですが、ここで「どちらがかけなおすか」といった問題が起きることがあります。

電話の作法として、「はじめにかけたほうがかけなおす」というものがあるようです。留守番電話に「また私のほうからかけますので」などと伝えておき、しばらくしてからあらためてかけるといったものです。

「はじめにかけたほうがかけなおす」ことにはいくつかの理由が考えられます。

自分から要件があって電話をしようとしたのだから、あらためて電話すをするときも自分から、という立場的なものあるかもしれません。

しかし、もっと大きな理由として、自分の用件なのに相手に電話代を負担させることになってしまう、といったことがありそうです。たしかに、電話で用件を受けるほうが電話代を負担するというのは、筋のとおった話ではなさそうです。

しかし、「電話に出られなかったほうがかけなおす」ということにも、それなりの利点があります。

そのもっとも大きな利点は、自分の都合のよいときに相手に電話をかけることができる、というものでしょう。

相手に「また私のほうからかけますので」と留守番電話に入れられて、そのとおり相手からの電話を待つことになると、いつ電話がかかってくるかわかりません。移動中かもしれませんし、食事中かもしれません。電話をかける相手は、自分の都合がどうなのかわからないことがほとんどなので、時や場所を選んでくれることもほぼありません。

電話代を自分で払うという「負担」よりも、自分が落ち着いた状況になったら自分の意志で電話をかけてきた相手に電話をかけなおすことでの「負担軽減」のほうが大きい場合もあるわけです。

ただし、「負担」と「負担軽減」のどちらを大きく感じるかはその人次第のところもあって、なかなかむずかしい問題です。

そこで、電話を受けたのに出られなかったほうの人が電話をかけると、はじめに電話をしてきたほうが「私からかけなおしますよ」と提案する場合があります。こうすれば、相手は電話で話すのに都合のよい時間帯であることが確かめられたうえで、これ以上は電話代を相手に負担させないで済む、というわけです。

「はい、もしもし」
「あ、もしもし。電話いただきましたよね」
「そうです。すいません、私からかけなおしますよ」
「いや、大丈夫ですよ、この電話で」
「いえいえ、私からかけなおしますよ!」
「いや、大丈夫だからって!」
「いやいや! 私からかけなおすといっているでしょうに!!」

この対話がさらにつづいていくと、「この意地っ張りが!」「意地っ張りはどっちだ!!!」などと、電話での口論に発展する場合もあるので注意が必要です。飲食店で「私が払いますよ」「いやここは私が」が口論に発展するのと同様に。

最近では無料で通話することのできる電話サービスもありますから、電話代の負担を気にして、わざわざ電話のかけなおしをするといった必然性がなくなる場合もあります。これは、どちらがかけなおすかが口論に発展することを防ぐことの一助にもなるわけです。
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原則、あとにくる品詞のものが主体


食べものには、それぞれによび名があります。そして多くの食べものは料理をしてつくられるものであるため、その料理の作業を表す動詞が、食べものの名前に使われるものが多くあります。

たとえば、「氷(こおり)」は、「凍る」という動詞が名詞になったものです。また、「ふりかけ」は、「ふりかける」という動詞が名詞になったものと考えられます。

動詞だけでなく、名詞と動詞がくみあわさったことばが元で食べものの名前になることもあります。「焼き肉」は「焼く」という動作と、その対象である「肉」が組みあわさったものですし、「挽き肉」は「挽く」という動作と、その対象である「肉」が組みあわさったものです。

「焼き肉」や「挽き肉」は、「動詞」がまずきて次に「名詞」がくるもの。食べものの名前の“文法”では、たいてい後につく品詞のことばが、その食べものの主体となる向きがあるようです。「肉そば」が、「肉」をのせた「そば」であるように。

しかし、「名詞」がまずきて次に「動詞」がつづくような食べものの名もあります。たとえばというもの。「海苔巻き」は「海苔」(名詞)を「巻く」(動詞)というもの。また「大根おろし」は、「大根」(名詞)を「おろす」(動詞)というもの。

こうした「名詞」がまずきて次に「動詞」がくる食べものの名のでは、どちらが主体なるのでしょうか。

国文学者の森山卓郎さんは、「料理の文法!?」という随筆で、次のように述べています。
_____

 名詞(調理法にちなむもの)+料理法(動詞連用形) という形で一語の複合名詞になる場合です。しかし、 ご心配なく。この場合も、後ろが意味の中心だという ことは言えそうです。後ろに来るのは料理法にちなむ 動詞ですから、全体として「そのような料理法」、「そのような料理法による料理」を表します。
_____

やはり、「名詞」「動詞」という順であっても、うしろにくる「動詞」のほうが主体であるようです。

しかし、「卵焼き」は「卵」(名詞)を「焼く」(動詞)であるのに対して、「茹で卵」は「茹でる」(動詞)対象としての「卵」(名詞)となります。あとにくる品詞が主体であるという原則には、例外もあるようです。それがことばのなりたちということなのでしょう。

参考資料
語源由来辞典「氷」
http://gogen-allguide.com/ko/koori.html
森山卓郎「料理の文法!?」
http://www.kyokyo-u.ac.jp/outline/kankobutsu/kouhou/pdf/129_kenkyu.pdf
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“ひも”をつけて宇宙ゴミを処理


人間の営みで出てくるのがゴミです。増えていくゴミをどう処理するか。この問題は、地球上の話だけではありません。宇宙空間でも使いはたされた人工衛星や放たれた部品などが「宇宙ゴミ」として漂っています。

宇宙には大気がほぼないため、空気による摩擦が生じません。そのため宇宙ゴミは時速およそ2万5000キロといった速さで移動しています。これが宇宙ステーションや人工衛星にぶつかると大きな傷になり、宇宙ステーションや人工衛星が使いものにならなるおそれもあります。

人工衛星や国際宇宙ステーションなどが地球の上を回っているように、宇宙ゴミも地球の上を回っています。この宇宙ゴミを処理するための方法として、宇宙ゴミを大気圏に突入させて、そのときの摩擦熱で燃やしつくすといった方法が考えられています。

しかし、宇宙ゴミはなにもしなければ、地球の上をほぼおなじ高さを保って回りつづけることになります。どうやって宇宙ゴミを大気圏に突入させるのでしょう。

いま、世界の宇宙開発機関で研究開発が進んでいるのが、宇宙ゴミに“ひも”を付けて宇宙ゴミの周回軌道の起動を地球側に近づけていき、しまいに大気圏に突入させるという方法です。宇宙航空研究開発機構(JAXA:Japan Aerospace Exploration Agency)研究開発本部の広報誌『宇宙開発最前線!』第6号で、その技術が詳しく紹介されています。

ひもを使って宇宙ゴミを処理する装置は「導電性テザー」とよばれています。「導電性」は「電気を通すことのできる」といった意味。また「テザー」は「ひも」のことをいいます。

導電性テザーを使った宇宙ゴミの処理は、物理学の理論を駆使したもの。まず、人工衛星の残骸などの宇宙ゴミに棒をひっかけます。そして、そこからアルミなどでできたテザーを地球とは逆方向に伸ばしていきます。

テザーも宇宙ゴミとともに地球の上を回るわけですが、ここでテザーは地球磁場の影響を受けて、地球側から宇宙側に向けて電気を通すことになります。

地球磁場の力とテザーを流れる電流の力が生じると、さらに「ローレンツ力」というべつの力が生まれます。ローレンツ力は、地球磁場の進行方向と電流の進行方向それぞれに対して垂直にはたらく力のこと。オランダの理論物理学者ヘンドリック・ローレンツ(1853-1928)が発見しました。

導電性テザーのついた宇宙ゴミは地球の上を一定方向で回っていますから、その方向に抗うようにローレンツ力をはたらかせれば、だんだんと宇宙ゴミは勢いを失っていくことになります。勢いを失うと、相対的に地球の重力の影響を大きく受けるようになり、地球へと引っぱられていきます。そして、大気圏へとゆっくり突入しながら摩擦熱で燃えつきることになります。

導電性テザーの構想では、急に宇宙ゴミを大気圏に落とすのでなく、地球の上を宇宙ゴミが何周もしているなかで、すこしずつその勢いを失わせていきます。テザーの長さは、数百メートルから数キロという長いものになります。

宇宙ゴミの処理方法には、ほかにもイオンエンジンというエンジンを宇宙ゴミに取りつけて進む方向を誘導するといったことが考えられています。いくつかの宇宙ゴミ処理の方法があるなかで、導電性テザーは、装置自体や宇宙ゴミを移動させるための推進剤を使わずに済むことが利点。宇宙ゴミを処理する手段の選択肢の大きな一候補になっています。

参考資料
宇宙航空研究開発機構『宇宙開発最前線!』第6号
http://www.ard.jaxa.jp/publication/pamphlets/pdf/saizensen6.pdf
| - | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0)
チンドンコンクール参加者たちへの表現、対応さまざま


(2015年)4月4日(土)から5日(日)にかけて、富山市総曲輪で「チンドンコンクール」が開かれたそうです。全国のプロとアマチュアのちんどん屋たちが56組がコンクールに参加したそうです。1955年に第1回を開いてから、今回で第61回目になる伝統的な行事です。

いろいろな媒体がこのコンクールのことを報じています。

「全国のチンドンマンがユーモアあふれる芸を競い合う「全日本チンドンコンクール」が4日、富山市で始まった」(読売新聞)

「華やかに着飾った全国のプロアマ計五十六組のチンドンマンが頂点目指し、にぎやかな笛や太鼓の演奏を響かせた」(中日新聞)

「富山の桜の名所・松川べりには全国各地から集まったプロのチンドンマン30組が、見頃を迎えた桜の下をチンドン太鼓やトランペットをにぎやかに鳴らして練り歩き、沿道の人たちは拍手を送っていた」(日テレNews24)

これらのニュースに共通しているのは、チンドン屋のことを「チンドンマン」と表現していることです。英語では、「マン」は複数形になるので、チンドン屋という集団を指すのであれば、本来は「チンドンメン」となりそうですが。

主催者の富山商工会議所のポスターを見ると、「チンドンマンがチンドンコンクールの宣伝にやってまいりました」と書かれてあるので、公式資料での表現に沿ったかたちといえなくもありません。

なかには、NHKニュースウェブが「全国から集まったチンドン屋さんたちが商店街などを練り歩きました」のように「チンドン屋さんたち」という表現を使っている報道もあります。あるいは、ANNニュースのように「30チームが参加し」のように、「ちんどん屋」も「チンドンマン」も使わずに報じているところも見られました。

各報道の表現を見ていると「ちんどん屋が」とか「ちんどん屋たちが」という表現そのものを避けながら、このコンクールの主体たちを表現しようとしていた跡がうかがえます。

放送禁止用語を扱うサイトによると、日々現金収入がある職業を指す「何々屋」ということばを放送局などは使わないようにしているようです。また、「何々屋さん」とすれば問題ないとする向きもあるようです。

さらに、この「チンドンマン」という表現に対して、ニュースに触れた一般の人たちの琴線に触れたのでしょう。各方面から“つっこみ”が入っています。

「チンドンマンってなんだよ チンドンパーソンって言えよ」

「そこまで言うなら『チンドンパーソン』にすべきでは。 フェミニストは抗議しないのか」

「ちんどんマンじゃなくて、チンドンパーソンだろう!」というと、妻はゲラゲラ笑いましたが、同じ事を大教室講義で言ってみても、無反応でした orz」

近年では、職業などを指すことばを「何々マン」と表現すると、「『マン』は男性のみを指すことばとして使われてきたが、その職業には女性もいる」という観点から、「パーソン」を使う場合が増えてきました。

そのため「チンドンマン」でなく「チンドンパーソン」とすべきという“つっこみ”が各方面から入ったわけです。この場合も、厳密には「チンドンパーソンズ」となるかもしれませんが。

ちなみに今回のコンクールでは、東京のチーム「チンドン芸能社 美香」が優勝をしました。

読売新聞 2015年4月5日付「チンドン、富山に集合」
http://www.yomiuri.co.jp/local/toyama/news/20150404-OYTNT50383.html?from=ycont_top_txt
中日新聞 2015年4月5日付「チンドンマン 富山集結 きょうまで 全日本コンクール」
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2015040502100020.html
NHK NEWS WEB 2015年4月4日付「富山 全日本チンドンコンクールが開幕」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150404/k10010038491000.html
ANNニュース 2015年4月4日付「太鼓の技やアイデア競う 富山でチンドンコンクール」
https://www.youtube.com/watch?v=9H1LZBdmC_g
(放送事故、ハプニング)タレコミコーナー「放送禁止用語」
http://www.jiko.tv/housoukinshi/sabetsu3.html
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戦前にも「お腹まわりにベルト」の健康法
お腹にベルトを付けて振動させる「振動ベルト」が通信販売などでさかんに宣伝されています。その効果のほどは、「教えて!goo」などの回答を見るかぎり「痩せたいんですよね? だとしたら
全然効果ないですよ」「ダイエット効果については・・・・・・・ですね」などと経験者らしき人たちが回答しています。

振動はしないものの、お腹まわりにベルトを締めることで健康の効果を引きだせると謳った商品は古くからあったようです。

1941(昭和16)年8月3日付の朝日新聞には、防空壕の広告などの横に、「鳩尾加壓器(みづおちかあつき)」という器具を宣伝する広告が載っています。



「鳩尾(みづおち)」とあるのは、「みぞおち」のこと。胸の中央下側にあるくぼんだところをいいます。また「加壓」とは「加圧」のこと。広告の筋肉隆々の人の装着図をみると、みぞおちのあたりを圧すようにこの器具をつけるようです。

広告には、つぎのような宣伝文句があります。

「健康 鳩尾を落とすと、胃腸がメキ〃丈夫になる」とあります。新宿の伊勢丹で扱われていた器具のようです。

そして「開発元」となっているのは「林式健體會本部」という組織。この「林式」とは、帝国心霊学研究會という組織が1932(昭和7)年に発行した「心霊術講義録第三巻」という書籍によると、林章樹という人物が唱えていた健康法のようです。この本には、「治療の要點」がつぎのように説明されています。
_____

一、不自然な姿態を自然の姿態に矯正する。
二、神経の過敏なるものは沈静し、麻痺せるものは刺戟を與へ神経作用を健全ならしむ。
三、骨髄及び内臓の轉位を矯正する。
四、内分泌の異常を除去し、新陳代謝を促進せしむ。
五、筋肉及腱の、弛緩せるものは収縮せしめ、又緊張の度高きものは弛緩せしむる。
六、脂肪過多を除去する。
_____

これらの「治療の要點」を見るかぎりは、現代の療法にも通じるような、かなりまともなことがかかれてあります。ただし、「霊力を以って人間自然に有する癒の力を誘導し」などと書かれているあたりは、現代の科学と相容れない部分があります。「鳩尾加壓器」は、おそらく「一」「三」あたりの要点に沿ったものとして開発されたのではないでしょうか。この器具にはラジウムが含有されていて、そのガスが有効だという話もあります。

1932年の「心霊術講義録第三巻」で林式健體法が説明されていて、鳩尾加壓器の広告が載っているのが1941年ですから、この健康法はかなり長く続いていたことをうかがわせます。

いまも、「みぞおちを押すとストレスに関係するツボが刺激されてリラックスするなど体調がよくなる」といわれています。「くぼみを押して健康になる」という点では、昔もいまも着目点はおなじのようです。

この「鳩尾加壓器」や林章樹のことは、「定斎屋の藪入り」というブログにも、詳しく書かれてあります。こちらです。
http://d.hatena.ne.jp/josaiya/20120604/1338817641

参考資料
朝日新聞 1941年8月3日
教えて!goo「お腹に巻いてプルプルと振動が出る『アレ』は効果ありますか?」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3419403.html
帝國心靈學研究會『神霊術講義録 第3巻』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107174?tocOpened=1
定斎屋の藪入り「頭山の身体は健体会に引受けてもらふ」
http://d.hatena.ne.jp/josaiya/20120604/1338817641
Naverまとめ「みぞおちってどこにある? からのなんとなく気になる"みぞおち"雑学」
http://matome.naver.jp/odai/2138745216641460301
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「弁償しないままでは済まない」というわけではない


人は謝るとき、決まったことばを使うことが多いようです。

「ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした」

「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

この「申しわけありません」と「すみません」はきわめてよく使われる謝るときのことばです。

このふたつのことばを、ことばどおりの意味で考えると、どのようになるでしょう。

「申しわけありません」の「申しわけ」とは、「いいわけ」とか「弁解」ということです。それが「ありません」という状態なのだから、「弁解のしようがない」という意味になります。

ではもういっぽうの「すみません」はというと、「済む」に打ちけしの「ない」がついた「済まない」が原型となります。

問題の対象は、なにが「済まない」かとなります。

たとえば、ある人が、この世に二つとない骨董品を落として割ってしまったとき、骨董品のもち主に「すみませんでした」と言ったとします。

この場合、多くの人は、その実感はなくても「弁償しないままでは済まないことになってしまった」という語感から「すみませんでした」というものと考えそうです。

しかし、謝るときの「すみません」は、むしろ「澄みません」の字を使ったほうがよりふさわしく、「このままでは自分の気もちが澄まない」ということから来ているとされています。もともと「済む」と「澄む」は、「きれいになる」といった共通の意味をもつことばでした。

「申しわけありません」も「すみません」も、つまり自分の心のなかのいたたまれない状態を相手に伝えているということになるわけです。どちらかというと「申しわけありません」のほうがより深刻に考えている気もちがつたわるでしょうか。

なお、ほんとうは謝りたくないときのささやかな抵抗を示すため、「もうしわけありまへっへったー」とか「どうもすみまぇー」などと言う人もいます。語尾を濁して、言いきらないわけです。

参考資料
『スーパー大辞林』
語源由来辞典「すみません」
http://gogen-allguide.com/su/sumimasen.html
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まずは液晶の分子を規則正しく並べることから

写真作者:ivva

スマートフォンやコンピュータの画面などに液晶ディスプレイが使われています。液晶とは、固体と液体との中間の性質をもった物質のこと。液晶には、光の向きをねじれさせる性質をもったものがあり、このしくみを利用すると光が通ったり遮られたりします。光が通るところでは色が発せられ、光が通らないところでは色が発せられません。液晶ディスプレイでは、その組み合わせでさまざまな模様や文字を表現しています。

ただし、液晶の分子をディスプレイの板の上にそのまま乗せるだけでは、通る光が通りにくくなったり、その逆のことが起きたりして都合がよくありません。液晶の分子それぞれを規則正しく整列させる必要があります。

そこで、液晶の分子を規則正しく並べるために「配向膜」とよばれる膜を用意します。この膜にはギザギザの溝が何列も刻まれていて、それぞれの溝に液晶の分子が埋まっていきます。ここで液晶の分子をより規則正しく並べるために、ナイロンなどを巻いたローラーを配向膜の上にかけていきます。配向膜の表面をローラーで擦ることにより、液晶の分子がきれいに並んでいくのです。

近年では、配向膜の上に乗っている液晶の分子に紫外線を照らして、液晶の分子を規則正しく並べるといった非接触型の並べかたも開発されています。

また、2014年には名古屋大学で、液晶の分子が空気に触れる側に「スキン層」とよばれる層を設けて、これで液晶の分子の向き方を自由に制御する方法が開発されています。

液晶分子は一般的に直径が0.4ナノメートル、長さが2ナノメートルほどで、タイ米の米粒のような形をしています(1ナノメートルは10億分の1メートル)。こうした微細な物質を扱うナノテクノロジーは日本人の得意とする技術とされています。液晶ディスプレイの開発などにかかわるこうしたナノテクノロジーも日本でつぎつぎと進歩しています。

参考資料
高頭孝毅「液晶の配向技術」
http://www.e-lcdinfo.com/lcdinfo015006.pdf
ウシオ電機「液晶光配向技術」
http://www.ushio.co.jp/documents/technology/lightedge/lightedge_36/ushio_le36-06.pdf
名古屋大学 2014年2月24日付「空気界面を利用した液晶分子の光配向技術を開発」 
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20140224_eng.pdf
シャープ「液晶ディスプレイの原理」
http://www.sharp.co.jp/products/lcd/tech/s2_1.html
ウィキペディア「液晶ディスプレイ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/液晶ディスプレイ
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「コロンビアエイト」のホウレン草キーマ――カレーまみれのアネクドート(62)


大阪のカレーといえば、1910(明治43)年創業の「自由軒」や、1947(昭和22)年創業の「インデアンカレー」などのように、伝統的なものがあります。

いっぽうで、ちかごろ開業したカレー店にもまた急速に口コミなどで評価をあげているところがあります。中央区道修町、地下鉄堺筋線の北浜駅の徒歩圏内にある「コロンビアエイト」も、食べた人から食べていない人へと口づてで評判の広がっているカレー店です。

建てものの2階を入ると、アパートのワンルームほどの空間にカウンター席が10席ほど。面と向かった厨房空間でマスターがカレーを盛りつけています。

ひき肉を基本とするキーマカレーが主軸です。そこに練ったほうれん草を入れた「ホウレン草キーマ」というカレーもあります。「こちらはお時間をかなりいただきます」とのこと。よく煮込むことが必要のようです。

マスターは、炊飯ジャーのなかからサフランライスを茶碗によそい、白くて円い皿の真ん中にとんと置きます。そして、フライパンで煮込んでいたホウレン草入りのキーマカレーを上からていねいにかけていきます。細かく切られたいんげんやレーズンもライスのまわりを囲むように置かれていきます。

さらに粉状の香辛料をかけ、白い玉ねぎなどをていねいに乗せます。そして皿のまわりを布巾で拭いてきれいにして客に出します。「食中にごいっしょにどうぞ」と、甘くないグレープフルーツも付いていきます。

カレーの味は、見た目とおなじく、スパイスの風味が直接的に舌に感じるもの。あとからじわじわ辛くなるといったものでなく、あくまで実直に香辛料の風味が伝わってきます。かといって、食べられないほどの辛さがあるわけではありません。献立にはべつに「花火」とよばれる辛口のキーマカレーがあります。

「ホウレン草キーマ」だけでなく、ほかのカレーも時間をかけてていねいにつくられます。一皿ごとに“逸品”を完成させるといったマスターの思いがあるのでしょう。オフィス街、正午も過ぎると、店の部屋のそとには行列ができます。

「コロンビアエイト」の食べログ情報はこちら。
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270102/27015618
北浜本店のほか、堺筋本町店と阿波座店もあります。
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