科学技術のアネクドート

インフルエンザ、毎年死者はなくならず


インフルエンザが本格的に流行する季節をむかえようとしています。

過去の患者数の推移を見ると、12月から増えはじめ、1月または2月に患者数の頂点をむかえる年が多くなっています。なかには、2009年に「新型インフルエンザ」ともよばれたA型H1N1亜型インフルエンザの流行により10月から12月に患者数が多かったという年もありますが。

インフルエンザに感染する人は、日本では毎年1000万人ほどいるとされています。12人に1人は感染するという計算です。

インフルエンザウイルスに感染することで死亡する人も、毎年います。その数は、2013年からの10年では161人から1514人とされています。毎年、死亡者が出ているわけです。

年代別の死亡者はというと、例年では、やはりお年寄りが多いようです。年によって異なりますが80歳代の死亡者数が最も多く、また、90歳代、70歳代の死亡者数も多くなっています。ほかの世代では、0歳から4歳の乳幼児も、これ以外の世代にくらべて多くなっています。

しかし、2009年から2010年の新型インフルエンザが流行したシーズンではこのかぎりではありません。2010年3月30日の時点で、たしかに70歳から79歳で23人、80歳以上で22人の死亡者がいますが、40歳から49歳で31人、50歳から59歳でも31人と、上回っています。

インフルエンザの死亡者数には、「超過死亡概念」という考えかたによる死亡者数もあります。超過死亡概念とは、インフルエンザが流行したことによって、直接的または間接的にインフルエンザや肺炎などでの死亡が増加することを指すものです。仮にインフルエンザワクチンの有効率が100%であったとしたら、ワクチン接種によって回避できたであろう死亡数を意味しています。

この超過死亡概念での死者数でいうと、日本では例年およそ1万人の死亡者がいると考えられています。

参考資料
社会実情データ図録「インフルエンザによる死亡者数の推移」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1955.html
厚生労働省「日本におけるインフルエンザ A (H1N1) の死亡者の年齢別内訳/死亡例まとめ(平成22年3月30日現在)」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/rireki/100331-03.html
厚生労働省「新型インフルエンザに関するQ&A」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
「かざす」を使う場面が増加


あることばが多く使われるかどうかは、時代とともに変わっていくものです。その最たるものが流行語といえるでしょう。しかし、流行語でなくても、技術の台頭などにより使う場面が多くなったことばもあります。

IC(Integrated Circuit)カードやスマートフォンなどを、情報の読みとり装置に近づけることを、人は「かざす」といいます。インターネットで「かざす」を検索すると、やはり「PASMOをかざすだけで、利用記録を保存」とか「スマホをかざすと写真が動き出す」とか出てきます。画像の検索でも、多くはカードやスマートフォンを手で持って装置に近づけている場面の画像が示されます。

「かざす」は「翳す」と書きます。「翳」の1字では「えい」「かげ」「かすみ」「さしば」「は」とさまざまな読みかたがあります。

たとえば、「えい」と「さしば」と「は」ほぼおなじ意味で、毛布や絹布などを張ったうちわ形のものに長柄をつけた道具のことで、貴人などに左右からかざして顔を隠すために使われていました。

いっぽう、「かげ」の読みだと、光がさえぎられて当たらないという意味の「影」や「陰」とほぼおなじ意味になります。

さらに、「かすみ」では、空気中の小さな水滴やちりなどで遠くがはっきり見えなくなる「霞」とほぼおなじ意味になります。

これらからすると、「かざす」の「翳」は、本来であれば“通る”はずのものをさえぎるといったときに使われることばといえそうです。それぞれ、顔をさえぎる、光をさえぎる、景色をさえぎるといったことになります。いずれも物理的にいえば、電磁波が通るのをさえぎるということになるでしょう。

ICカードやスマートフォンを「かざす」という場合、多くの人は、読みとり装置のうえに「そっと置く」とか「近づける」といった語感をもっているかもしれません。実際「かざす」には、「火鉢に手をかざす」のように「ものの上のほうに手をさしだす」といった意味があるので、この意味に近いともいえます。

しかし、読みとり装置から発信される電波を、ICカードやスマートフォンが受信するといった意味でも、なにもなければ電波がそのまままっすぐ飛んでいくところをさえぎるわけですから、「かざす」のことばが当てはまるといえそうです。

ICカードやスマートフォンと読みとり装置のあいだは、接触しなくても情報のやりとりがなされます。こうした方式は非接触型などとよばれます。非接触型の情報技術が発展したため、むかしから使われてきた「かざす」ということばが近年よく使われるようになったわけです。

参考資料
スーパー大辞林
| - | 19:12 | comments(0) | trackbacks(0)
早稲田駅近くに早稲田大学の知られざるキャンパス
早稲田大学の学生たちの多くは、東京メトロ早稲田駅の出口を出て、早稲田通りを穴八幡宮のある馬場下町の交差点方面へと向かいます。この交差点で左に曲がる学生は文学部のある戸山キャンパスへ、右に曲がる学生は政治学部や経済学部などのある早稲田キャンパスへと入っていきます。

しかし、早稲田駅のまわりには、早稲田大学の学生でさえあまり知らないような、もうひとつのキャンパスがあります。

早稲田駅から早稲田通りを馬場下町交差点方面へ向かわず、逆の神楽坂方面へと向かいます。すると、駅から歩いて1、2分のところで、ビルとビルの合間にひっそり門が構えられてあります。


ここは、「早稲田大学喜久井町キャンパス」の入口。門を入るとすぐに、狭い上り坂になっていて両端には階段があります。


坂を上っていくとすぐ、右手に進む階段が。しかし、この階段は、喜久井町キャンパスの主だった研究棟に向かう道ではありません。「多目的グランド」とよばれる、テニスなどが行われる広場へと通じる道です。


そこで右手の階段をのぼらず、左手に折れると、「理工学術院総合研究所 喜久井町キャンパス」という道案内の看板が。看板のすぐ背後には古民家があったり墓地があったりします。


矢印にしたがい、さらに坂を上っていくと、右手には「多目的グランド」が見えます。


いっぽう、坂を登った左手には、おもだった研究棟である「41号館」があります。

このキャンパスで学生向けに授業が行われることはめったにありません。そもそも早稲田駅周辺のキャンパスのほとんどは文系の学部で占めているため、理工学術院に用事のある学生はほぼいないのです。ちなみに、早稲田大学の理工学術院は、東京メトロ西早稲田駅の近くにある西早稲田キャンパスに大きな研究棟を構えています。

狭い敷地のなかに、研究棟と多目的グランドがひしめきあっているといった喜久井町キャンパス全体の雰囲気です。

しかし、この狭くて小さなキャンパスからは、早稲田大学が伝統的に強みとしている人型ロボット研究成果なども生まれています。

門には「無用の者の立ち入りを禁止します」との立て札があるので、喜久井町キャンパスにとくだん用のない学生は行きづらいかもしれません。しかし、門の外からでも、その独特なキャンパスの佇まいを感じることはできます。

早稲田大学による喜久井町キャンパスの案内はこちらです。
http://www.waseda.jp/top/access/kikuicho-campus
| - | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0)
「『交通事故より地震が怖い』現実と感覚にリスクのギャップあり」


ウェッジ社のニュースサイトWEDGE Infinityで、きょう(2014年)11月27日(木)、「『交通事故より地震が怖い』現実と感覚にリスクのギャップあり」という記事が掲載されました。「学びなおしのリスク論」という連載の3回目です。

人は、生きていくうえで、さまざまなことに対してリスクを感じます。しかし、統計的に「このくらい危ない」と算出されるリスクと、感覚として「このくらい危ないのではないか」と想像するリスクには、差がある場合もあります。

どうして、認知上のリスクと統計上のリスクには差が起きるのか。こうしたことを、リスク工学を専門とする筑波大学の谷口綾子准教授に尋ねました。人の本質として、認知上のリスクと実際上のリスクに差が出ることは避けられないようです。

記事でも触れられていますが、実際のリスクが高いことを人びとに知らせるための手法も開発されています。

高知県土佐町の住人に、土砂災害のリスクに対する意識を高めてもらうため、筑波大学、京都大学、岩手大学、国土交通省技術政策総合研究所の研究者たちが共同で、「土砂災害危険カード」と「コミュニケーション・アンケート」という印刷物を住人たちに配りました。

土砂災害危険カードは、その名のとおり、土砂災害の危険を知らせるためのカードです。

こうした配布物をつくる人は、つい、あれもこれもと多くの情報を盛りこんでしまいがちですが、このカードでは伝えるべき情報を極力しぼりこみ、かつ、配布対象者に直接的に伝える表現がなされています。

たとえば、表紙には、つぎの文言があるのみです。
_____

高知県土佐町の皆様へ

あなたは「土砂災害」を知っていますか?

四国山地では、大雨が降ると頻繁に土砂災害が起きています!
_____

試みでは、この土砂災害危険カードを配った住民に、「コミュニケーション・アンケート」と称するアンケートも配りました。アンケートでは、土砂災害危険カードに書かれてあることをもとに、「『土砂災害は、どの山で起きても不思議ではない』ということを知っていましたか?」といった質問をします。これに対して、住民は「ア.知らなかった イ.何となく知っていた ウ.よく知っている」という選択肢に丸をつけていきます。

谷口准教授は、「アンケート形式で書いてもらうと、危険を具体的に想起してもらえます」と話しています。

あるリスクについて、自分で承知しているかを自答してもらう。一見、地味な試みともいえそうです。しかし、それを“やる”と“やらない”とでは、リスクに対する意識は大きく異なってきそうです。

なにかのリスクに対して、「そんなことがあるとはまったく知らない」といった無関心にさせない。かといって、「自分でどうにかなる」と自信過剰にはならない。その中庸あたりの意識を人びとがもつことが、“正しくリスクを把握する”という点で、大切なのかもしれません。

谷口准教授たちが行った試みを報告した論文「土砂災害に対する 住民の警戒避難行動促進のための働きかけ手法」は、こちらです。
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/images/stories/PDF/Fujii/201006-201012/editorial/hayashi.pdf

「『交通事故より地震が怖い』現実と感覚にリスクのギャップあり」の記事はこちらです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4482
| - | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0)
六角形が“幻の月”をつくる

写真作者:aivas14

夜空に浮かぶ月は、ときにさまざまな表情を見せてくれます。地平線ちかくに浮かぶ月が大きく見えるのは目の錯覚とされているのでべつとしても、「幻月(げんげつ)」という魅惑的なよび名の表情を見せてくれることがあります。こちらは目の錯覚ではありません。

幻月とは、実際の月の左右に見られる、月のような光のことをいいます。写真には、輝く月の右側に、薄く虹色で照っている光があります。これが幻月。実際には、左側も山の斜面の影に幻月が現れていたかもしれません。

どうして幻月が現れるのか。そこには、氷晶という、小さな氷の結晶の存在がかかわっています。氷晶にはさまざまなかたちがありますが、六角柱をつぶして六角形のコースターにしたようなかたちのものがあります。

この薄くて平たい六角柱の氷晶は、群となって、風がないときに水平状態を保ちながら空気中をゆったりと漂うことがあります。

1個の六角柱に注目してみます。光が六角柱の6辺のうちの1辺に向けて斜めに入ってくる場合があります。すると、光は六角柱の氷晶のなかに入ったところでまず内側に屈折し、さらに氷晶から出ていくときにさらに内側に屈折します。これが、六角柱の氷晶の群れで、そこいらあたりに一斉に起きます。

月から放たれた光の一部が、氷晶の群れに捕まり、角度を変えさせられてしまうわけです。

六角中の氷晶を通った光は、プリズム現象により分光されます。そのため、幻日は虹色に見えることがしばしばあります。

このようにして、幻月は起こります。また、おなじしくみで、太陽の光が氷晶の群れに捕まったときには「幻日」が起きます。

氷晶ができやすいのは冬の季節。めったに見られるものではありませんが、見ようと意識していると、幻月が見えることがあるかもしれません。

参考資料
気象光学現象「大気と海の科学」
http://www.s-yamaga.jp/nanimono/taikitoumi/kishokogaku.htm
ウィキペディア「幻日」
http://ja.wikipedia.org/wiki/幻日
| - | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0)
しゃぶしゃぶの食べかたをめぐる議論がすこしだけ沸騰中


“しゃぶしゃぶの食べかた”が議論されることがあります。

「しゃぶしゃぶ」という料理やことばは、大阪ににある永楽町スエヒロ本店の元店主が1952(昭和27)年に考えついたとされています。擬態語の「しゃぶしゃぶ」を料理名にしてしまったという点に、発想の工夫がうかがえます。

しゃぶしゃぶについてなんの知識ももたず、はじめてしゃぶしゃぶを出された人は、この「しゃぶしゃぶ」という擬態語の料理名が最大のヒントになりそうです。

しかし、「しゃぶしゃぶと食べる」と思いついても、なにをどう“しゃぶしゃぶ”したらよいのかまで思いうかばない人もいることでしょう。「箸を鍋に入れてだしをしゃぶしゃぶとするのかな」「口に具材を入れてから、だしといっしょにしゃぶしゃぶとするのだろうか」などと……。

しゃぶしゃぶの食べかたを知らない人は、そこまで奇抜な発想をしなくても、ふつうの鍋の食べかたを思いうかべるかもしれません。つまり、野菜を入れたあと、皿に並べられている肉をつぎつぎと鍋のなかに入れ、だしが煮えて具全体に火が通ったら箸で食べる、という食べかたです。

実際、こうした食べかたは、「しゃぶしゃぶお肉全入れ問題」として、食育などの題材にされている模様です。

しゃぶしゃぶに詳しい芸人は、正しいしゃぶしゃぶの食べかたをつぎのように説明しました。

「肉を1枚、箸でつかんだら、それをだしのなかに入れて、箸を離さずに2、3回ほど肉をだしにくぐらせて食べるものです」

たしかに、このしゃぶしゃぶの食べかたは、正しい食べかたといえそうです。実際にさまざまなしゃぶしゃぶの写真を見ても、箸で肉をだしに入れようとしている瞬間を写したものが多くあります。

しかし、箸で肉をはさんでから、一度も箸の位置を変えないで食べようとすると、肉をしゃぶしゃぶとしたあとも、箸の影に当たる部分は赤いまま残ってしまいます。豚肉のしゃぶしゃぶなどでは、よく肉を熱に通さないと、食中毒につながるおそれがあります。

「箸を離さずに2、3回ほど肉をだしにくぐらせる」という食べかたが正しいのであれば、箸でしゃぶしゃぶと肉をくぐらせているあいだに、すこしだけ箸で肉を挟む圧力をゆるめて、肉をなかば自由に泳がせていくうちに、熱を通すといったすこし高度な箸使いの技が必要になってくるかもしれません。

なお、「しゃぶしゃぶの木曽路の接客術」という動画では、中居さん姿の店員が、皿に置かれたしゃぶしゃぶの肉の端を箸でつまんでだしの上に置くように入れたあと、箸をいったん離して肉の中央あたりではさみ直してからしゃぶしゃぶとしています。こうすれば、箸の影に隠れて日が通らない部分はなさそうです。

参考資料
世界の果てのはてな「『しゃぶしゃぶお肉全入れ問題」を通して食育やコミュニケーションについて考える
http://stein.hatenablog.com/entry/2014/06/12/091657
ユーチューブ「しゃぶしゃぶ木曽路の接客術」
https://www.youtube.com/watch?v=TNPcyKqfRvI
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
胴上げをスペインにもち込んだのは城彰二さん

写真作者:frontriver

スペインのサッカー・リーグでは、バルセロナのリオネル・メッシ選手が(2014年)11月22日(土)、セビリア戦で3ゴールを決め、リーグ通算得点を253点とし、歴代最多記録を更新しました。

2ゴール目を決めたあと、メッシ選手はチームの選手たちから祝福の胴上げを受けました。写真では、メッシ選手もほかの選手もよい表情をしています。

さて、メッシ選手が胴上げされている姿を見て、ほんのわずかな“違和感”を覚える人もいるかもしれません。「胴上げの文化は日本特有のものではなかったのか」と。

まず日本では、胴上げの発祥は長野市の善光寺にあるとされます。年越しの行事のとき、堂童子とよばれる役割の人などを順番に胴上げしていきます。「わっしょい、わっしょい」と三度ずつ胴上げをしていくそうです。この胴上げの行いは、すくなくとも江戸時代初期から行われているようです。

さらに江戸時代には、年末のすす払いなどに祝儀あるいは制裁として人びとが胴上げしていたともいいます。かならずしも祝福の意味だけではなかったのです。

さて、海外スポーツのなかでもとりわけ、今回のメッシ選手の場合とおなじように、スペインのサッカーチームの選手たちが胴上げをする傾向があるようです。2007年には、レアル・マドリードがリーグ優勝したとき、ファビオ・カペッロ監督を胴上げしています。翌2008年にも、スペイン代表チームが欧州選手権で優勝すると、ルイス・アラゴネス監督を胴上げしました。その後も、ことあるごとに、スペインのサッカーチームの選手は胴上げをしています。

これには、つぎのような説があります。

サッカー元日本代表の城彰二さんが2001年、スペインのサッカーチームであるバリャドリードにレンタル移籍しました。

日本から来た城選手に対して、チームの選手たちは「日本人がよろこびを表すときどうするのだ」と聞きました。すると、城選手は「胴上げをするんだよ」と答えたという話です。

このときチームの一員だったゴールキーパーのセサル・ドミンゲス選手が、バリャドリードからレアル・マドリードに移籍すると、このチームを引退するディフェンダーのマヌエル・サンチス・オンティジュエロ選手を胴上げする提案をし、胴上げしたといいます。

これで、スペイン中に胴上げ文化が広まり、その後いわば定着したというのです。

日本の伝統文化はたいてい、「中国から遣唐使とともに伝来」とか「オランダから宣教師とともに伝来」といったものですが、スペインで胴上げが伝統文化となったら、「日本から城彰二とともに伝来」ということになりそうです。

参考資料
NEWAGE 2014年11月24日付“Messi breaks La Liga goals record”
http://newagebd.net/69663/messi-breaks-la-liga-goals-record/#sthash.DlSzI2f4.dpbs
長野県教育委員会「善光寺の『胴上げ』儀式」
http://w1.avis.ne.jp/~wakaomi/douage/douage_of_zenkoji.html
ウィキペディア「セサル・サンチェス・ドミンゲス」
http://ja.wikipedia.org/wiki/セサル・サンチェス・ドミンゲス
Yahoo!知恵袋「優勝したスペインの選手が監督を胴上げしていて驚いたのですが」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1443561034
| - | 23:59 | comments(0) | -
『血管を強くする23の習慣』発売


新刊の案内です。

桑島巌さんの著書『血管を強くする23の習慣』が(2014年)11月22日(土)、KADOKAWAから出版されました。

桑島さんは、東京都健康長寿医療センターの顧問で、東京医科大学特任教授もつとめています。これまで、『高血圧の常識はウソばかり』(朝日新聞出版)、『9割の高血圧は自分で防げる』(中経の文庫)などの、高血圧に関する本を上梓してきました。

このたびの本は高血圧からさらに対象を広げて、「血管」にかかわる病気や健康法などをテーマにしています。「23の習慣」というのは、血管年齢を若く保つための、食事と運動の習慣を指しています。

もくじには、「第3章 食事のしかたが血管の老若を決める」「第4章 運動で血管若返りの効果てきめん」といった章が並んでいます。そして、この二つの章には、「『具だくさん』は味を濃く感じるための工夫」「『ダークチョコレート』毎日一口で動脈硬化を防ぐ」「『歩く、走る、こぐ、泳ぐ』が有酸素運動のチャンス」「『運動は頻度より時間』と心得る」といった見だしが並んでいます。

ほかにも、「第1章 血管は若返らせることができる」「第2章 放っておくだけで確実に進む血管病」「第5章 自分の血管を正しくケアする」といった章立てになっています。

KADOKAWAの多メディア戦略の一環でしょう、著者の桑島さんみずからが本を紹介する動画もあります。このなかで桑島さんは、つぎのように語っています。

「薬はよい面もありますが、副作用があるということもあります。なるべく薬は飲まないという方針が重要です。みずから努力して、たとえば運動や食事の毎日の積み重ねによる生活習慣の改善が大事となります。血管病を防ぐための生活習慣について、細かくわかりやすく書いていますので、読んでいただきたいと思います」

また、桑島さんによる本の紹介の動画はこちらです。
https://www.youtube.com/watch?v=o-BeVoZ5BF4
桑島巌さんの本『血管を強くする23の習慣』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4046005130/
| - | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0)
アナウンサーは感動しても「鳥肌が立つ」を使わない


ラジオのサッカーJリーグの実況中継で、実況担当のアナウンサーと解説者のあいだでつぎのようなやりとりがありました。

解説「いやぁ、いまのプレーはすごい! つい鳥肌が立ちましたねー」
実況「ほんとうは『鳥肌が立つ』をこの場面で使ってはいけないのですが、きょうの試合にかぎっては使ってもよいことにしましょう」
解説「なぜ、『鳥肌が立つ』を使ってはいけないのですか」

このアナウンサーの話によると、「鳥肌が立つ」は、恐怖などを表現するときのことばであり、素晴らしいプレーに感動したというような場合は使うのに適していないということです。

たしかに、国語辞典によると「寒さや恐ろしさ、あるいは不快感などのために、皮膚の毛穴が縮まって、鳥の毛をむしったあとのようにぶつぶつが出る現象」とあります。

鳥肌が立つのは、交感神経のはたらきによるものとされています。交感神経とは、興奮したときや運動したとき、血圧や血糖値を高めたりして、からだの活動力を高めようとする神経のこと。人が、寒さや恐ろしさなどの刺激を感じると、交感神経がはたらき、それぞれの鳥肌のつぶつぶにあたる立毛筋という筋肉を縮めさせます。これにより、鳥肌が立つわけです。

猫などでも、敵が目の前に現れると、臨戦態勢になり、毛を逆立たせます。あれも、いわば猫の鳥肌が立っているようなものです。

さて、人間はサッカーの素晴らしいプレーに感動したときなどに、鳥肌は立たないのでしょうか。

興奮状態におかれるわけですから、交感神経がはたらきます。怖いときに鳥肌が立つのとおなじような生理現象がからだの皮膚では見られてもおかしくありません。

ことばの定義として、怖いものに対して「鳥肌が立つ」と限定すれば、素晴らしいプレーに感動したとき、「鳥肌が立つ」ことにはなりません。

しかしながら、素晴らしいプレーに感動して皮膚に変化が起きることを端的に表すようなことばは、これといってなさそうです。

「いやぁ、いまのプレーはすごい! つい交感神経がオンになって立毛筋が収縮しましたねぁ」とか、「つい毛穴が強く閉じられましたねぇ」とか言うのでは、聞いている人が興ざめしてしまいます。

もっとも、近ごろでは、このサッカー解説者が話したように、感動したときに「鳥肌が立つ」を使うことは、あたりまえのようになっています。解説者は「鳥肌が立つ」を使い、実況担当のアナウンサーは規則のため使わない、といった程度でもよいのかもしれません。

参考資料
ウィキペディア「鳥肌」
http://ja.wikipedia.org/wiki/鳥肌
メンジン「疑問氷解!感動すると鳥肌が立つ仕組みとは?」
http://menzine.jp/trivia/torihadakandou6785/
| - | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0)
「こんにゃくの逆襲なるか? 新発想の加工品で市場開拓を目指す」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBPress」で、きょう(2014年)11月21日(金)「こんにゃくの逆襲なるか? 新発想の加工品で市場開拓を目指す 孤高の食材、こんにゃくのイノベーション(後篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

こんにゃくは、いまや四季を問わずに食べられていますが、かつてはこんにゃくに芋の収穫時期である11月から12月にかけてが旬でした。こんにゃく芋は寒さに弱いため、芋をから作っていた時代は、日もちしなかったのです。先週14日(金)に配信された、前篇の記事では、江戸時代に農民がこんにゃく芋を粉にしてからこんにゃくを作る製法を編み出したというイノベーションの話が展開されています。

後篇となる今回は、現代の“こんにゃくイノベーション”を起こそうと、研究開発をつづけている滝口強さんが登場します。

どの食材にも、「何々博士」の異名をとるような人はいるものですが、滝口さんは、まさに「こんにゃく博士」といったところ。 群馬県立産業技術センターに長らく勤めていたころはこんにゃくを始めとする県の特産物についての研究開発をし、定年退職後も未来食品研究所という屋号でこんにゃくに関わる研究開発をつづけています。

滝口さんが強調していたのは、伝統的な食材には固定観念もついてまわりやすいということです。

こんにゃくといえば、写真にあるような「板こんにゃく」か、おでんなどに入れる「白滝」を想像する人が多いことでしょう。あまりに、この定着したイメージがあるため、こんにゃくの原料を、これまでにない食材にするという発想が、あまり生まれてこなかったのではと、滝口さんは分析します。

滝口さんは、こんにゃくをこんにゃくたらしめる主成分「コンニャクマンナン」のもつ潜在力をもっとさまざまな形で活かしたいと考えています。記事では、コンニャクマンナンと水とアルカリ性物質を凍らせて、ナタデココのような食感の食材を作る「凍結組織化法」などを紹介しています。

さらに、地元の企業と新たなこんにゃく加工品を開発中とのこと。現代の“こんにゃくイノベーション”は起きるでしょうか。

「こんにゃくの逆襲なるか? 新発想の加工品で市場開拓を目指す 孤高の食材、こんにゃくのイノベーション(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42254

こんにゃくの歴史を追った前篇「江戸時代に起きた「こんにゃく」史上最大の革新とは」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42193
| - | 13:20 | comments(0) | trackbacks(0)
スマホ利用者、“ダイアログボックスのずれ問題”を経験中
スマートフォンなどの端末機器が登場し、生活が便利になったように見えます。しかし、こうした道具を使うときには、使ったなりのストレスも感じるものかもしれません。

多くの人がスマートフォンを使うたびに感じるちょっとしたストレスに、「ダイアログボックスのズレ問題」がありそうです。

たとえば、駅で電車に乗ろうとするとき、目的駅まで早く着くのは、各駅停車に乗ったままか、つぎの駅で快速に乗り換えたほうがよいか、それともつぎの駅で地下鉄を使ったほうがよいか、といったことを短時間で調べるといった状況は、よくあることでしょう。

このとき、多くの人は「Yahoo!乗換案内」で調べるかもしれません。

ところが、この乗換案内の画面が出てきてすぐに「出発」のダイアログボックスに駅名を入れようとすると、“ダイアログボックスのずれ問題”が生じます。

路線情報の画面が現れた直後はまだ、ページが完全に準備できていない状態で、1秒後ぐらいに、画面トップに「Yahoo!乗換案内」といった文字と、緑色の電車を模したアイコンなどが表れます。


「Yahoo!乗換案内」表示直後の画面

すると、ダイアログボックスはわずかながら下へと移ってしまいます。これにより、ダイアログボックスが移る前の位置には「運行情報」のボタンが来てしまうことに。


「Yahoo!乗換案内」表示1秒後の画面

コンピュータがここで反応するのは、駅名を入力するダイアログボックスでなく、「運行情報」のほう。当然のように、「運行情報」が開かれます。利用者が調べたいのは、運行情報でなく、出発駅から到着駅までの最短経路だというのに。

まだ、人間が指を動かして反応する速度に、コンピュータの画面切りかえが追いついていない状況です。しかし、解決策は見えています。画面トップに「Yahoo!乗換案内」といった文字や緑色の電車のアイコンなどが出なければ、この、急ぎで使いたいときに生じる“ダイアログボックスのずれ問題”はなくなるはずです。

使うごとにストレスを覚えるけれど、「まあいいか」で済まされるような、改善されないちょっとした問題が電子機器にはあるものです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
2014年の新語・流行語候補、科学技術関連に有力なものも


自由国民社はきょう11月19日(水)、「2014ユーキャン新語・流行大賞」の候補語を発表しました。今年も、50個の候補語のなかには科学技術関連のものが選ばれています。

「STAP細胞はあります」。4月9日に理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーが、1月のSTAP細胞の研究発表以来、公の場に出て記者会見を受けました。記者に「STAP細胞はあるのでしょうか。ないのでしょうか」と質されての答です。さらに「素人の私たちが、なにをもって信用したらよいのでしょうか」と質されると、小保方さんは「STAP現象が各地で再現できるようなふうになるべきですね」と答えました。しかし、半年以上が過ぎたいまも、STAP現象が再現されたという報告はありません。

小保方さんの所属する理化学研究所発生・再生研究センターは11月21日(金)、研究室の数を半減させる予定です。また同日、小保方さんはユニットリーダーから一研究員に変更となります。

なお、「リケジョ」は候補語にあがりませんでした。

「デング熱」。デング熱ウイルスによる感染症のことをいいます。このウイルスに感染した患者の血を蚊が吸うと、蚊の体のなかでウイルスが増え、さらにその蚊がほかの人の血を吸うことで、その人にウイルスが感染します。日本では今年8月、70年ぶりにデング熱になった患者が、東京や神奈川などで見つかりました。

フランスの製薬企業サノフィは、デング熱に対するワクチンを開発しており、2015年後半には実用化される見通しという報道もあります。

「ミドリムシ」。体から鞭毛という一本の細い毛が出ていて、これを使って移動します。それとともに、体に葉緑体をもっていて植物のように光合成をします。そのため、動物と植物の区別がつきづらい生きものです。「ユーグレナ」ともいいます。

ミドリムシが注目されたのは、食材としての機能性の高さが企業や人びとに知られるようになったからでしょう。ビタミン類やミネラル類などが豊富です。ミドリムシの別称とおなじ名の「ユーグレナ」という企業は2005年に、ミドリムシを大量生産する方法を開発していました。

「ビットコイン」。インターネット上で流通している電子マネーのことを指します。紙幣や硬化などは存在せず、デジタル的に取引されます。円などの実際の通貨とは、ウェブ上で行うことができます。その際、銀行などに頼む必要がないため手数料を払うことなく換金できます。

今年2月、ビットコインの取引業者「マウントゴックス」が、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請し、受理されたと発表しました。経営破綻したということです。ビットコインは国が管理するような通貨ではないため、顧客のもっていたはずの75万ビットコインと同社がもっていた10万ビットコイン、同社の発表では金額にして114億円程度 がなくなってしまいました。

ビットコインの危険性を知らしめた経営破綻でした。しかし、その後もビットコインによる取引はインターネット世界で続けられており、今後も続いていくことでしょう。

「新語・流行語大賞」の発表は12月1日(月)に発表される予定です。

参考資料
NHK NEWS WEB 2014年11月15日付「小保方ユニットリーダー 一研究員に」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141115/t10013222591000.html
日本経済新聞 2014年11月4日付「デング熱ワクチンが効果 仏、来年にも実用化」 
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H2F_U4A101C1EAF000/
読売新聞 yomi Dr.「栄養モリモリ ミドリムシ…食べて飲んで、人気広がる」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=107642
コトバンク「ビットコイン」
https://kotobank.jp/word/ビットコイン-189548
日本経済新聞 2014年2月28日付「マウントゴックス破綻 ビットコイン114億円消失」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC2802C_Y4A220C1MM8000/
東洋経済オンライン 2014年10月29日付「楽天グループも導入、復活するビットコイン」
http://toyokeizai.net/articles/-/51701
| - | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『諦める力』
アマゾンのカスタマーレビュー数は(2104年)11月時点で70件ほど。反響の大きさが現れています。

『諦める力 勝てないのは努力が足りないからじゃない』為末大著 プレジデント社 2014年 240ページ


世のなか「諦めないこと」と「諦めること」では、おそらく8割ぐらいの率で「諦めないこと」が重視されているのだろう。それは、マスメディアが成功者たちの声ばかりをとりあげて伝えるからでもあるし、教育の場で「諦めましょう」など教えるのはもってのほかという雰囲気があるからだ。

本書は、大多数の人が表向きには大切だと言う「諦めない」ことではなく、多くの人は口にすることのない「諦める」ことを主題として、その大切さを述べぬいた一冊である。著者は、陸上の世界選手権400メートルハードルで銅メダルを獲得したアスリート。引退後はスポーツにかぎらず、ニュースのコメンテータなどとして活動している。

副書名にある「勝てないのは努力がたりないからじゃない」。これこそが、この著者の伝えたいことであり、本書で徹頭徹尾つらかれている内容である。

陸上競技を8歳ではじめてから10年間は、100メートルの選手でありつづけた。中学ランキングの1位になるなどしていた。しかし、競技人口が突出して高いこの競技から退き、400メートルハードルに切りかえることを、先生から諭された。体格的にむずかしいことを、先生は見抜いていたようだ。

100メートルに対する未練もあったが、自分より背が伸びた選手がつぎつぎと現れ、「これはどう考えても抜かれるよな……」と認めるようになったという。こうした経験から、「諦める」ことの大切さが自分の身についていったのだろう。

しかし、「諦める」を履きちがえてはならない。著者は、投げやり人生を気楽に過ごそう述べているわけではない。「諦める」の意味するものは、自分の果たしたい人生の目的を達成するため、手段を切りかえようということである。

このとき大切なのは、自分がどういう状態にあるかを客観的に捉え、認めることだ。「実際、競技人生を振り返って、自分の自信の核になっているのは勝ったことではなく、負けを受け入れ、そこから立ち直ったこと、勝負に負けたことくらいで傷つかなくなったことである」と著者は述べる。諦めることは、認めることでもある。

精神論だけでなく、「諦める」ための実践的な方法にも踏み込んでいる。「この日までに何秒というタイムを出せなかったらやめる」といったように、続けるか諦めるかのラインを自分で設定しておく。自分がそのラインに到達しなくなったら、それが潮時だとすっきり「諦める」ことができる。

著者が語るメッセージは、世間一般でいわれている「諦めないことが美徳」という話と逆行するものである。そうでありながら、多くの人がつい共感してしまう言葉が散りばめられている。多くの人の心のなかで、「これでよかったんだ」という安心感が生まれているのではないか。

人生にとって大切なことを突きつめて考え、それを言語化することができた。だからこそ、この本は生まれたのだろう。

『諦める力』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4833420481
| - | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0)
トリレンマよりはジレンマ

写真作者:Julia Manzerova

「ジレンマ」は多くの人が耳にしたり、あるいは使ったりすることのあることばでしょう。

思いどおりにしたいふたつのことがらのうち、一方を思いどおりにすると他方に不都合が起きるといった状況を指すことばです。「こちらを立てればあちらが立たず」といった表現でも説明されます。

「ジレンマ(Dilemma)」の“Di-”は、「ふたつの」などを意味する接頭辞です。この接頭辞を、「みっつの」などを意味する“Tri-”に換えた、「トリレンマ(Trilemma)」ということばもあるといいます。

「ジレンマ」の対象はふたつのことであるのに対して、「トリレンマ」の対象は、みっつのことになります。そこから、三つのことを同時に思いどおりにしようとしてもできないといった状況を示すことが多いようです。

たとえば、「サービス経済のトリレンマ」といった考えがあります。経済のなかでサービス産業が幅を利かせるようになると、所得平等、雇用拡大、税負担抑制というみっつを同時には満たせなくなる、というものです。

しかし、さまざまいわれる「トリレンマ」のみっつの要素が、どれも均等に影響をあたえあうものであるかというと、かならずしもそうではありません。

たとえば、「環境問題のトリレンマ」という考えがあります。対象となるみっつのこととは、経済発展、資源確保、そして環境保全です。

もし、経済発展を優先させると、資源確保がままらなくなると同時に、環境保全にも悪影響が出てきてしまいます。

いっぽうで、資源確保を優先させると、環境保全にはつながるものの、経済発展をさまたげしまうおそれがあります。

さらに、環境保全を優先させると、資源確保にはプラスになるものの、一般的に経済発展をさまたげてしまうおそれがあると考えられています。

経済発展、資源確保、環境保全。このみっつの要素では、どちらかというと、
「経済発展」と「資源確保や環境保全」が対立するといった傾向にあるため、トリレンマとしながらも、ジレンマの要素も多分にふくまれているわけです。

ものごとを考えるとき、なるべく単純化できればそれに超したことはありません。トリレンマを出さずにジレンマで話せるのあれば、それに超したことはないでしょう。

参考資料
ウィキペディア「ジレンマ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジレンマ
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
サッカー予選で“極端すぎる”トーナメント


対戦型の競技などで、優勝などを決める方法に「トーナメント」があります。一試合ごとに、敗者は退き、勝者どうしを戦わせて、最後に勝ち残った者またはチームを優勝とする方法です。甲子園球場での高校野球全国大会や、サッカー・ワールド杯の予選リーグ戦後の決勝までの試合などに採用されています。

もともと、「トーナメント(Tournament)」は、中世西欧における騎士の馬上槍試合を意味していました。これが、20世紀はじめごろから、試合方法を指すことばになったといいます。

競技大会でトーナメントの方式を採用する利点に、すべての出場者あるいは出場チームが負ければその時点で敗退という明確な規則があることがあります。

また、リーグ戦では、偶数の出場者または出場チームでなければ、どこかのグループだけ奇数で戦わなければならないといったことが生じます。トーナメントであれば、1人または1チームを2回戦から戦わせるといったことにすれば済みます。

出場者の強弱によって対戦の組み合わせの調整をはかれるということがあります。大会運営者に「強豪」と評価されたチームは「シード」の選手あるいはチームとして、初戦を免除されるわけです。

さらに、出場者や出場チームのなかで、明らかに強いという場合には、初戦につぐ2回戦も免除されるといった場合があります。

そうした試合免除の極端な例として、人びとにとりあげられているのが、長崎県で2003年に行われた「第55回県高校総合体育大会」の男子サッカー予選です。

その年の夏に長崎県で開かれた「長崎ゆめ総体」を目指して、出場校がトーナメント方式でたたかいました。優勝校と準優勝校の2校が本戦の総体に出場できる設定となっていました。

このときの出場校は33校。このうち32校は、1回戦で16校に、2回戦で8校に、3回戦で4校に、4回戦で2校に、とトーナメントの試合としては順当に絞られていきました。絞られた2校は、島原商業と海星高校。この2校の対戦では、島原商業が海星高校をくだしました。

しかし、島原商業は優勝ではありません。なんと、この段階になってはじめて国見高校が現れて、島原商業と優勝をかけて戦ったのです。この大会で国見高校は「スーパーシード」という扱い。本戦の総体に出場できるのは2校なので、国見は実質上、予選を免除されたかたちになります。

こちらに、そのときのトーナメント表と結果が載っています。

結局この決勝で、国見高校は島原商業を5対0で破り、優勝しました。国見のあまりの強さに、このような極端なトーナメントに反対の声はさほどあがらなかったようです。

参考資料
コトバンク「トーナメント」
https://kotobank.jp/word/トーナメント-105504
バブリブロ「【トーナメント】こういうのって他のチーム納得してんの?」
http://blog.livedoor.jp/lc_test/archives/3205147.html
長崎新聞 2003年5月14日付「サッカーで強過ぎる国見、予選“免除”」
http://www.nagasaki-np.co.jp/sports/2003/yume/kiji/83.html
長崎新聞 2003年6月10日付「国見が5-0で島原商に快勝 7年連続16回目のV」
http://www.nagasaki-np.co.jp/sports/2003/05/08.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
がまんすべき咳と、出すべき咳と

写真作者:Konrad Lembcke

乾燥した季節になると、咳をする人が街なかで見られるようになります。演奏会場など、咳をしてはいけない場所でもつい咳は出てしまうもの。たいへんです。

咳が出るのを、出るがままにしておくほうがよいのでしょうか。それともなるべく咳が出ないようにがまんしておくほうがよいのでしょうか。

一般的にいわれているのは、咳の内容によって対処法が異なるというものです。咳の内容で大きく分かれるのは、「乾いた咳」か「湿った咳」かというもの。

乾いた咳とは、おもに痰がからまない咳のことをいいます。擬音語を使うと「コンコン」と出る咳のこととよくいわれます。

乾いた咳が出つづけると、喉から肺にかけての炎症が悪化していきます。そのため、積極的に咳を出すようなことはしないほうがよいと考えられているようです。

いっぽう、湿った咳とは、痰が絡むような咳のこと。こちらは「ゴホンゴホン」と出る咳のこととよくいわれます。

湿った咳は、肺や気管支にある痰を出すために出るものです。これをがまんしていると、痰が肺や気管支にたまっていくことになるため、咳をがまんすることはうよくないこととされています。

咳というものは、沈めようとしても出てしまう生体反応のひとつ。これを抑えこみすぎることは、体の理にかなっていることとはいえません。辛い場合は、医師の診断を仰ぐことも大切になります。

参考資料
アボットジャパン「長引く咳ミニ辞典」
http://www.abbott.co.jp/medical/library/pamphlet/nagabikuseki.pdf
Yahoo! 知恵袋「咳は出るにまかせて、したほうがよいのでししょうか。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114008560
日経Gooday「たかが咳、されど咳 秋口の長引く症状にどう対処?」
http://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100022/092000001/
| - | 23:48 | comments(1) | trackbacks(0)
エッセイは気楽に読ませるため緻密に書くもの


世のなかには、さまざまな文章があふれています。職業としてものを書く人がつくる記事でも、どの媒体でだれに対して伝えるかによって記事の分類は異なってきます。

たとえば、「報道記事」と「エッセイ」とよばれる、異なる種類の記事があります。

報道記事は、新聞の第1面に載るような記事で、事件などのできごとを、広く読者に伝えることを前提としています。最近、夕刊の第1面トップ記事などでは、報道的でなく時代変化を読ませるといったおもむきのものも見られますが。

報道記事では、まず伝えたい事実の概略を述べ、その後、その事実の周辺情報や、その事実に至るまでの経緯、今後の見とおしなどを述べていきます。

いっぽう「エッセイ」は、雑誌のコラムに載るような記事で、形式にさほどとらわれず、個人的観点からものごとを述べるものといういことができます。「個人的観点」が多いに活かされるという点が、エッセイの報道記事との大きなちがいでしょう。

もちろん報道記事でも、事実を伝えるための表現のしかたなどによって記者の観点がすこしは入りますが、ものごとを考えるときの自分の立場がより強く出されているのがエッセイといえるでしょう。

ほかにも、報道記事とエッセイのちがいを見つけることができます。

報道記事もエッセイも、読者が「読んでみるか」と興味をもつことをもって読まれるものであることは共通しています。しかし、報道記事のほうが、「いま読んでおくと自分のためになる」といった要素は多くふくまれます。そのため、「読んでみるか」の敷居が低いといえましょう。

いっぽう、エッセイは、報道記事よりも「いま読んでおくと自分のためになる」といった度合は低くなります。その点、エッセイのほうが「読んでみるか」の敷居が低いわけで、その敷居が低ければ「最後まで読んでみるか」の敷居も当然ながら低くなります。

つまり、エッセイのほうが最後まで読ませることがむずかしい記事であるといえます。読者を飽きさせず最後まで読ませるためには、対象とするテーマ、筆者の着眼点、魅力的なタイトル、読者を引きつけるリード文、そして難解な用語などへの可能なかぎりの説明など、さまざまな工夫が必要となります。

読者は気楽に読むものであっても、筆者は気楽に書けばよいのでなく、気楽な雰囲気を感じてもらうように、緻密に書く必要があります。

しかし、報道記事とエッセイでも、原稿をつくるうえでの共通点はあります。たとえば、「記事のなかでもっとも伝えたいことを伝えるために文章を組みたてる」といったことは、どんな種類の記事でも共通して目指されるものです。

エッセイは「散文」ともいわれますが、この「散文」とは、韻律、字数、句法などの表現のしかたに制限がないことをいうだけであって、「伝えたいことをあれもこれも入れてしまう」ことを指しているわけではありません。伝えたいことがただひとつだけ盛り込まれた記事は、読者に伝わりやすいという点で共通しています。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
プラスなら危険回避、マイナスなら危険追求――法則古今東西(23)

写真作者:Adrian Sampson

賭けごとで、負けつづけているのだけれど、「これが最後だ」とまた賭けを打って、さらに負けが混んでいく、つまりハマってしまう人がいます。

しかし、人は本質的に、賭けで負けている分をできるだけ回収しようとするもののようです。

米国の経済学者ダニエル・カーネマン(1934-)は、人びとに対して、つぎのような質問をしました。

「あなたの前に、つぎの二つの選択肢が示されたとする。Aは、無条件で100万円を得られる選択肢。Bはコインを投げて表が出たら200万円を得られるが、裏が出たらなにも得られないという選択肢。どっちを選ぶか」

AもBも、選択で得られる見こみの金額は100万円です。しかし、カーネマンにこのような質問をされた人の多くは、Aのほうを選びました。

つぎにカーネマンは、つぎのような質問をしました。

「あなたは200万円の借金をしているとする。あなたに、つぎの二つの選択肢が示されたとする。Aは、無条件で100万円が得られる選択肢。つまり、借金が100万円になる。Bはコインを投げて表が出たら200万円を得られるが、裏が出たらなにも得られないという選択肢。どっちを選ぶか」

この質問でのAもBも、選択で得られる見こみの金額は100万円です。ところがところがこの質問をされた人の多くは、Bのほうを選びました。

つまり、人は、自分に貯金が起きるような話であれば、利益を得られないようなリスクをもつ選択肢を避けようとし、いっぽう、自分の借金が減るような話であれば、借金を帳消しにする可能性をもつ選択肢を積極的にとろうとする、というわけです。

このような実験から、カーネマンと共同研究者の心理学者エイモス・トベルスキー(1937-1996)は、「人は基準値よりプラスの領域では危険を避けようとし、基準値よりマイナスの領域では危険を冒そうとする。その度合は、プラスやマイナスの絶対値が大きいほど強くなる」という理論を導きました。この理論は「プロスペクト理論」とよばれています。人がどのような状況に置かれていて、どのような基準値を設けているかにより、人の意思決定は左右されうるのです。

参考資料
ウィキペディア「プロスペクト理論」
http://ja.wikipedia.org/wiki/プロスペクト理論
ex Buzz words「プロスペクト理論」
http://www.exbuzzwords.com/static/keyword_3393.html
| - | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0)
「消費税増」よりも「消費増税」がよく使われ


消費税を8%から10%に引きあがるのかどうかが、人びとのあいだで大きな関心ごとになっています。新聞でも「日経平均72円高 消費増税巡る要人発言で振れ大きく」(日経新聞)「消費税『上げられる状況でない』7割」(朝日新聞)などと、とりあげられています。

消費税をめぐって、おそらく多くの新聞社の記者や見出しをつける整理部を悩ませているのが、消費税を引きあげることを一言で的確に表す方法がなかなか見つからないということです。

消費税を増税するのだから「消費税増税」でよいではないか、となりそうです。しかし、「増税」ということばには「税」が使われているので、「消費税増税」では「税を増税する」ということになります。「客が増客する」とか「額が減額する」などとはふつうはいわないため、「消費税増税」を使うことにためらいはありそうです。

だとすると「消費税増」にすればよいではないか、となります。しかし、「しょうひぜいぞう」とことばにして発音すると、違和感をおぼえる人は多いでしょう。「税増(ぜいぞう)」ということばはないたく、さらに「増税(ぞうぜい)」ということばは定着しているため、違和感をおぼえるのでしょう。

「消費税引き上げ」はよく使われる表現です。しかし、見出しなどに使おうとする場合、「引き上げ」と4文字も費やすのは、もったいないことと考える見出し決め担当者も多いことでしょう。

そこで、「消費増税」ということばが使われています。「消費税」と「増税」を結びあわせると「消費増税」となるのでしょう。しかし、これだと「消費」がどこにかかっていくのかがあいまいです。もともと「消費税」という熟語でなりたっていたのですから、そこに「増税」だからといって「増」が入ってくると、やはりすこしおかしなことになります。

ここのところ、8%から10%にふたたび引きあげられるので、「消費再増税」などの表現も使われだしました。ことばに対してこだわりをもっている人にとっては、10%にすべきかどうかとともに、消費税を引きあげることをどう短くどう表現すべきかも、気になる問題かもしれません。
| - | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0)
人もまた音を出す(下)
人もまた音を出す(上)



人は声を出したり、両手を叩いたりと、自分のからだから意図的に音を出すことができます。

そのいっぽうで、音を出そうと意識しなくても、からだから出てしまう音もあります。

おならは、意図的に音を出そうとすることもできるし、意図せず音が出てしまうこともある、意識と無意識の両方にかかわる体の音といえます。音の出るおならと、音の出ないおならのちがいは、おならのガスが出る速度とガスの量で決まるとされます。速度が高いほど、また量が多いほど、おしりから出る勢いが強くなり、肛門が振るえます。また、肛門を締めると高めの音が出て、緩めると低めの音が出ます。

お腹がなるという現象は、ほぼ完全に意図せずに起きる生理現象といえるでしょう。空腹になると、十二指腸からモチリンというホルモンが分泌されます。このモチリンは、空腹の胃に作用して、胃を波打たせます。この胃の動きにより、ぎゅるるるといった音が出てきます。なお、胃が音を発するほど激しく波打つ動きをするのは、食べものがなくなり空っぽになった胃に残っているはがれ落ちた細胞、増えすぎた細菌、それに余計な粘液などを掃除するためと考えられています。

耳鳴りは、本当は音が鳴っていないのに音が鳴っているように感じるものと考えられがちです。しかし、そうした耳鳴りのほかに、まわりの人が耳をすませば本当に聞こえてくる耳鳴りもあります。これは他覚的耳鳴とよばれています。筋肉の痙攣や血管の拍動によって、実際に聞こえるような音がするのです。

眠りにも音はつきものです。眠っているとき自分ではなかなか気づかない音に、いびきがあります。口腔の奥の軟口蓋や舌根とよばれる部分が、さまざまな原因で気道をふさぐことがあります。気道がせまくなった状態で呼吸をすると、出入りする呼気と吸気でせまくなったあたりが振るえて空気を揺らし、これが音として聞こえます。

いびきをまわりで寝ている人が聞くのはなかなか辛いものがありますが、おなじく寝ている人から聞こえてくる歯ぎしりも、なかなか辛い音です。歯ぎしりは、上の歯と下の歯が触れあうことで出る音です。上下の歯を擦りあわせる歯ぎしり、強く噛みしめる歯ぎしり、その両方が含まれる歯ぎしりがあるとされています。ぎりぎり、かりかりといった音が出るため、まわりの人は辛いものがありますが、寝ている本人はほぼ気づきません。しかし、歯がぼろぼろになるといった症状はあらわれます。

音を出そうとしなくても、音が出てしまう。これもまた、人をふくむ動物が生きている証しです。

参考資料
ウィキペディア「いびき」
http://ja.wikipedia.org/wiki/いびき
きわ歯科クリニック「歯ぎしりはなぜ起こる?」
http://kiwa-shika.com/info/3198.html
朝日新聞 Do!科学「おならの音は、何で決まる?」
http://www.asahi.com/shimbun/nie/tamate/kiji/20130204.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
人もまた音を出す(上)

写真作者:anthony kelly

動物は、からだのうごきによって音を鳴らすことができます。セミは、腹のなかの発音筋という筋肉で発音膜という皮のようなものを動かして鳴きます。また、スズムシは、右前羽の裏側にあるぎざぎざの部分と、左前羽の表側にある爪のような部分をこすり合わせることで鳴きます。

人については、さまざまなしくみで、音を鳴らしたり、音が鳴ったりします。

もっとも人にとってなじみ深い人の音は、声でしょう。肺から送られてくる呼気が、喉口腔にある声帯とよばれる粘膜状のひだを振るわせます。これにより、声のもととなる音が生じます。さらに、舌、口、歯、鼻などを使うことで「あいうえお」などの発音をします。

声のほかに、意図的に音を出す方法として、拍手もあります。手のひらと手のひらを瞬時に合わせて離すと、空気の振動が起きます。これが、自分やまわりの人の耳そして脳へと届くわけです。手のひらどうしだけでなく、手と膝、手と腹、手とおでこなど、体のほぼどんなところでも音を出すことができます。

声や拍手にくらべて、用途はすくないものの、口笛も音を出す手段です。唇をせばめながら呼気を出そうとすると、唇のすぐ近くで乱気流が発生し、これで空気が振動します。さらに、この振動を口腔で共鳴させることで、意図的に高い音を出したり低い音を出したりすることができます。

口笛と似た音の出しかたに、指笛もあります。代表的なやりかたのひとつは、親指と人差指を使うもの。このふたつの指の先をくっつけて輪をつくり、この輪を舌に押しあてて、唇を閉じて呼気を出すようにします。

ほかに、用途はほとんどないものの、人によっては癖でやってしまう、関節鳴らしがあります。関節を曲げていくと、ポッという音が出ます。音が鳴るのには諸説があり、まだわかっていない部分が多くありますが、つぎのような説が有力です。関節を曲げると、関節の動きを滑らかにする滑液という液体が一定の場所から流れていき、真空のような部分ができます。そして小さな気泡がたくさん生じて、これがはじけて大きな音になるというのです。

このような音は意図的に出そうとして出るものですが、意図しないでも出てしまう音というものもあります。つづく。

参考資料
広島市インターネット講座「セミ博士になろう!!」
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1323047989838/index.html#3
中京テレビ でんじろう先生の日曜実験室 ラブラボ「秋の鳴く虫」
http://www.ctv.co.jp/hapiene/lovelabo/2007/1007/index.html
富士通研究所「人の声の出る仕組み」
http://jp.fujitsu.com/group/labs/techinfo/techguide/list/voice-processing_p02.html
TBS全国こども電話相談室「手をたたくとなんで音が出るのですか?」
http://www.tbs.co.jp/kodomotel/science/20051002_1.html
ウィキペディア「口笛」
http://ja.wikipedia.org/wiki/口笛
ウィキペディア「クラッキング(関節)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/クラッキング_(関節)
 
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
カード式から電子マネーが浸透


硬貨や紙幣などの現金で支払いをせず、楽天Edy、nanaco、Suica、PASMOなどの電子マネーで支払いをすることが、暮らしのなかで確実に増えてきています。

人びとがこうした電子マネーをもつようになったきっかけとして大きかったのが、通勤・通学の定期券に、お金を貯める(チャージする)機能が付いていたことでしょう。

2007年3月、通勤・通学の定期券がJR東日本ではSuica(スイカ)に、また、首都圏の私鉄や地下鉄などではPASMO(パスモ)になりました。これらの定期券を使えば、通勤・通学定期区間以外の電車を利用するときの支払いもできます。つまり、「きっぷ」を買わなければならない場面がとてもすくなくなったのです。

さらに、SuicaやPASMOなどで支払いできる対象が、駅の自動販売機で売られている飲みものや、キオスクで売られている商品などに拡大していきました。こうなると、定期券としてもつようになったSuicaやPASUMOなどを使って買いものをする人は増えていきます。

電子マネー実用化に重要な役割を果たした技術に、ソニーの開発した「FeliCa(フェリカ)」とよばれる非接触ICカード技術方式があります。SuicaやEdyなどの電子マネーに使われています。もともとソニーは、FeliCaを非接触型ICカードのための技術として開発しました。

定期券としてFeliCaの技術がはじめて採用されたのは、1998年とされます。このときは、広島市のモノレール「スカイレールサービス」で「IC定期券」として使われました。

電子マネーには、SuicaやPASMOなどのカードによる電子マネーのほか、携帯電話やスマートフォンに組み込まれた「おサイフケータイ」もあります。おサイフケータイはNTTドコモが始めたサービスですが、ほかの携帯電話キャリア会社も「おサイフケータイ」と称して使っています。

では、カードによる電子マネーと、携帯電話に組み込まれた電子マネーでは、どちらが使われているのでしょう。

FeliCaの技術を推進している企業「フェリカネットワークス」が2014年7月に発表した「ユーザー調査 - 電子マネーとおサイフケータイ利用に関するユーザー調査結果」によると、「おサイフケータイ」所有者のうち、おサイフケータイによる電子マネー利用率は24.0%にとどまり、カードなどの電子マネー利用率は55.3%を占めたといいます。

このことからも、SuicaやPASMOのようなカード型の電子マネーがよく使われていることがわかります。

参考資料
ウィキペディア「FeliCa」
http://ja.wikipedia.org/wiki/FeliCa
フェリカネットワークス 2014年7月「ユーザー調査 - 電子マネーとおサイフケータイ利用に関するユーザー調査結果」
http://www.felicanetworks.co.jp/osaifu/user.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
もの書きはさほど“創作”をしない


もの書きが、「創作活動に勤しむ」などと紹介されることがあります。

「創作」ということばには、「それまでになかったものを初めてつくりだす」という意味がふくまれています。また、辞書を引くと、もととなる材料があるうえで文章をつくる翻訳などに対する作業として、「作家の主体的創造力によって作品をつくりだすこと」という意味もあるようです。

「創作活動に勤しむ」とはよく聞きますが、「それまでになかったものを初めてつくりだす」ということは、そうかんたんなことではありません。

たとえば、もの書きが随筆を書かなければならないという場合を考えてみます。

随筆の主題を考えるとき、多くはどこかで耳にしたり目にしたりして得た知識や情報のなかから「あの話おもしろかったよな」と思うものを「主題にしよう」と考えるわけです。つまり、それまでになかった主題を初めてつくりだすのでなく、すでにだれかには知られている題材をとりあげることのほうが圧倒的に多いわけです。「題材選び」とはよく聞きますが、「題材づくり」とはあまり聞きません。

題材は既存のものを使うとして、それまでなかった文章展開のしかたを目指すもの書きはいることでしょう。

しかし、文章展開のしかたにも“型”というものがあります。逆に、そうした型を破るような書きかたをした文章は、読者にとって親しみのない型になりますので、あまり受けいれられないかもしれません。

このように考えていくと、もの書きの「創作活動」とよばれるもののほとんどは、模倣によってなされるものとなります。

もちろん、模倣の組みあわせはたくさんありますので、その結果はそのもの書きでしかつくりえないものになるでしょう。

つまり、世で「創作」とよばれるものは、「それまでになかったものを初めてつくりだす」のでなく、「その人でしかつくりえないものをつくりだす」といったものなのです。
| - | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0)
「優先席が設けてあります」

写真作者:shibainu

電車やバスなどの公共交通機関には、お年寄りや体の不自由な人、また妊婦などが優先して座る「優先席」があります。

優先席があるということを乗客に伝えるため、車内には音声が流れ、つぎの駅名を伝える電光表示には文章が流れていきます。

よく聞いたり見たりするのは、つぎのお知らせでしょう。

「各車両には優先席が設けてあります。お年寄りや体の不自由な方、妊娠中や乳幼児をお連れのお客さまがいらっしゃいましたら、席をお譲りくださいますよう、お願いいたします」

このうち、はじめの「各車両には優先席が設けてあります」という1文は、検討の余地がありそうです。

「優先席が」のつぎに「設けてあります」ときます。「設ける」というのは、「用意をする」とか「設備を作りそなえる」という意味なので、主語は“人”のはずです。しかし、この文の見ための主語は「優先席」となっています。

ですので、まずもって「優先席が設ける」という表現はおかしいことになります。

しかし、それでも乗客があまりこの文に違和感を覚えないとすれば、述語が「設けてあります」となっているからと考えられます。

「設けてあります」は、「設けます」と「あります」を合わせたことばです。もし「設けて」を略すと「あります」となります。「あります」であれば、「優先席が」が主語に来てもおかしくありません。「優先席があります」。

つまり、「優先席が設けてあります」は、「優先席があります」という文が本質であり、そこに「設けます」という動詞が付けくわえられているだけ、と考えると違和感が薄れるわけです。

「設ける」は、目的語を必要とする他動詞であるのに対して、「ある」は、目的語を必要としない自動詞です。日本語では、「売り回る」(売る・回る)のように、他動詞と自動詞が連なって使われることがあります。「設けてあります」も、そのひとつと考えられなくはありません。

そもそも、「優先席が設けてあります」にあまり違和感を覚えない人が多いとすれば、なんども電車やバスのなかで耳にしているからなのかもしれません。
| - | 20:20 | comments(0) | trackbacks(0)
江戸時代、“百珍本”が流行

醒狂道人何必醇著『豆腐百珍』の挿絵(国立国会図書館蔵)

人が料理をするときレシピを頼りにするというのは、いまにかぎった話ではありません。たとえば江戸時代にも、レシピを紹介する料理本は多くありました。

江戸時代にベストセラーとなった料理本のひとつが、『豆腐百珍』です。

はんこを作る職人だった曽谷学川(そだにがくせん、1738-1797)という人物が、1782(天明2)年、「醒狂道人何必醇(すいきょうどうじんかひつじゅん)」という戯号で、100種類の豆腐料理の作りかたを紹介した『豆腐百珍』を出しました。

醒狂道人何必醇は、100種類の豆腐料理をただ並べるだけでなく、格付けもしました。「絶品」が最高位で、湯豆腐である「湯やつこ」、ごま油で揚げた豆腐を油抜きして葛湯で煮る「油煠(あげ)ながし」、豆腐の田楽にからし酢みそや芥子の実をかけた「礫でんがく」などを挙げています。「石燒とうふ」は次点の「妙品」、「絹ごし豆腐」は第三位の「通品」、そして「よせとうふ」は最下位の「尋常品」とあります。

料理本の作りこみのしかたがよかったのでしょう、『豆腐百珍』は飛ぶように売れました。

ただし、「百珍」と名のつく料理本は、豆腐にとどまりません。

たとえば『蒟蒻百珍』があります。1846(弘化3)年、「嗜蒻陳人(しにゃくちんじん)」という雅号の人が、100の蒟蒻料理を揃えました。いまも食べられている「田楽」も載っています。ほかに、こんにゃくを好みの大きさに切って丸揚げにする「遠山」や、こんにゃくをゆでて庖丁の背でつぶして丸め、くず粉をつなぎに使って黒ごま入り味噌であえる「砂糖豆」など、いまはほぼ作られていないながらも、おいしそうなレシピが載っています。

また、『甘藷百珍(いもひゃくちん)』は、さつまいもの百珍料理本。これは『豆腐百珍』の刊行からまもない時期に、姉妹編として出されたといいます。著者は「珍古楼主人(ちんころうしゅじん)」。

まだまだあります。『鯛百珍料理秘密箱』は、1785(天明5)年に出された鯛料理の百珍本。さらに、翌1786(天明6)年、江戸と大阪で出された大根の料理本3冊が、まとめて『大根百珍』となりました。“百珍化”の勢いがついたのでしょう。

切り口のおもしろい本が売れれば、ほかのテーマでもおなじような切り口で本を出すというのは、いつの時代も変わらないようです。100種類の料理を揃えるからには、当時もめったに作られないような料理もあったはず。著者たちの創造力が思い浮かばれます。

参考資料
JBpress 2014年3月20日付「豆腐の格付けが江戸時代のベストセラーに」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40227
渡辺篤二「伝統食品としてのこんにゃく」『食の科学』1999年9月号
地域に根ざした食・農の再生フォーラム「百珍本」を読む
http://karusyoku.com/hyakutin/hyakutin_mokuji.html
| - | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0)
「お問い合わせフォーム」にいまも字数制限


企業に質問がある人の多くは、とりあえず、ホームページにある「お問い合わせ」をクリックすることでしょう。インターネット経由で質問をする場合、その後の実際の質問のしかたは大きくふたつにわかれます。

お客様対応窓口などのメールアドレスが記されてあり、それをクリックすると、その人が使っているメールのアプリケーションが立ち上がってメールをする場合と、「お問い合わせフォーム」が用意されていて、入力窓に名前やメールアドレスや質問内容を打ち込んでいく場合です。

「お問い合わせフォーム」を使っている企業はいまも多くあります。かならず名前などの情報を記入してもらえるので、管理しやすいのでしょう。

そして「お問い合わせフォーム」でいまもってよくあるのが、質問の字数制限です。画面に「400字以内でお願いします」といったことが書かれている場合もあれば、なにも書かれておらず、質問を送信しようとすると「字数制限を超えています」と示される場合もあります。もちろん、字数制限なしの場合もありますが。

この字数制限は、なぜ存在するのでしょうか。

ホームページをつくるソフトウェアでは、入力窓に何字まで入れることができるか設定する方法があるようです。ホームページ管理者は、この設定で「400字まで」などとしているのでしょう。

しかし、設定があることは、なぜ字数制限が存在するのかの答にはなりません。ホームページ管理者は、必要ないと思えば「字数制限なし」とすればよいわけですから。

膨大なデータがやりとりされるご時世、文字の数が多くなったとしても、その企業のサーバーに大きな負荷をかけるようなことはないでしょう。そうであれば、字数制限は、データのやりとりに制限があった時代の名残りというこでしょうか。

実際のところは、1日にかなりの数の質問がくるため、長文を読むのがたいへんだというのが実情なのかもしれません。質問をする側は、字数制限内で伝えたいことをまとめるのですから、すこし文章力が高まりそうです。

しかし、ある編集者は、相談内容などを事細かに説明するため、質問フォームの字数制限ではどうしても相談事を伝えきれないと悟ったといいます。「そのときは、おなじ質問フォームで3回に相談内容を分割して送信しました」。

字数制限が「400字まで」などと書かれている質問フォームに対しては、「文字数カウンター」のような便利なサイトもあります。こちらです。
http://ao-system.net/lettercounter/
| - | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0)
灰汁で固いゲルになる
アニメ『ルパン三世』に登場する石川五ェ門は、斬鉄剣をもってしてもこんにゃくが斬れないことに気づき、悩んだ時期がありました。こんにゃくからしてみれば、五ェ門の斬鉄剣に対する防具として役立ったわけです。

斬鉄剣ほどの名刀がどうしてこんにゃくを斬れないでいたのかはあまり解明されていませんが、こんにゃくがどうしてぷるぷるとしたゲル状になるのかはある程度、解明されています。そこには、こんにゃくのつくりかたがかかわっています。

こんにゃくの材料はこんにゃく芋ですが、芋のまま食べようとしてもえぐみが強すぎてとても食べられません。酸性が強すぎるのです。そこで、こんにゃく芋の酸性を中和させるため、アルカリ性の灰汁(あく)を使います。かつて、灰汁に草木を燃やしたあとの灰である草木灰が使われていました。いまでは、こんにゃくのつくりかたが進化し、こんにゃく芋を薄く切って粉に対して、灰汁として消石灰や炭酸ソーダなどを使うことでえぐみを消しています。


こんにゃく芋

こんにゃくづくりにおいて、灰汁にはもうひとつの大切な役割があります。それが、こんにゃく芋やこんにゃくの粉をゲル状に固くするというものです。

こんにゃくに特徴的な成分に、グルコマンナンがあります。これは、単糖類のぶどう糖(グルコース)と、おなじく単糖類のマンノースからなる物質です。ぶどう糖を「グ」、マンノースを「マ」とすると、「-グ-マ-グ-マ-マ-グ-マ-マ-マ-グ-グ-マ-グ-グ-マ-マ-グ-グ-マ-マ-マ-グ-グ-マ-マ-マ-マ-グ-グ-マ-マ-マ-マ-マ-」といった並びかたをしています。

ここに、灰汁のようなアルカリ性の物質が入ってくると、アセチル基という原子団が脱離します。その結果、グルコマンナンどうしが水素結合という結びつきを起こします。これをきっかけに、グルコマンナンを構成する原子が三次元的なつながりをもつようになり、ゲル化が進むと考えられています。

なお、灰汁はこんにゃくのえぐみをなくしたり、ゲル状のこんにゃくをしたてたりしたあとも、こんにゃくに居すわりつづけます。その結果、こんにゃくはpH11というとても強いアルカリ性の食材になっています。

参考資料
日本こんにゃく協会「こんにゃくができるまで」
http://www.konnyaku.or.jp/dekiru/f_dekiru02.html
宮越俊一「こんにゃく今昔」『化学と工業』2013年12月号
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
「横からの用事が長いほど集中力回復時間も長くなる」を深読み


インターネットや書物などのさまざまな場で、日本では2012年に刊行された、ウィリアム・パワーズ著『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』(有賀祐子訳、プレジデント社)という本の一節が引用されています。それは、つぎの一節です。
_____

心理学の知見によると、頭を使う仕事をやめて横から入ってきた用事に対応すると、感情や知覚はたちどころに肝心な仕事から離れはじめ、別件に長いあいだ気を取られていると、元に戻るのに要する時間も長くなるという。いくつかの推定によると、集中力を回復するのにかかる時間は中断時間の10〜20倍におよぶこともある。
_____

この一節を読んで、「ああ、わかるわかる」と納得する人は多いことでしょう。せっかく、頭を使う仕事をしていたのに、電話などにより自分が主としていない要件で中断されると、仕事への集中力を削がれてしまうというわけです。

しかし、この一節をよく読んでみると、「はたしてそうだろうか」という疑問も浮かびえます。

ひとつは、「集中力を回復するのにかかる時間は中断時間の10〜20倍」という部分です。たとえば、仕事をしていて、携帯電話に知人から電話がかかってきたとします。その知人の電話は、「うちの職場のボスのことが許せなくてさ。聞いてくれるかい」から始まり、知人の職場に対する愚痴に終始しました。それが1時間に及んだとします。

では、電話を切ってから、「さあ、もとの仕事に戻るぞ」となったとき、電話がかかってくる前の集中力が回復するまでに10時間から20時間もかかるでしょうか。「仕事に戻らなければ」という気もちがあれば、せめて10分や20分でふたたび集中力を回復できるのではないでしょうか。

もうひとつは、そもそも集中力はさほど長続きはしないので、横から入ってきた用事で中断されても、さほど影響なないかもしれないということです。人の集中力の継続時間は、一般的に15分とか最長40分とかいわれます。タイミングにもよりますが、そうであれば横から入ってきた用事に対応することは気分転換の要素になる場合もあります。

ちかごろ、脳科学ではデフォルトモードネットワークという脳活動があることがわかってきました。これは、自動車が停まっても、いつでも走れるようエンジンはかけておくのとおなじように、脳はいままでしていた仕事から離れても、無意識的に情報の処理や整理をしているという説です。

もっとも、この本の著者も、「心理学の知見によると」「いくつかの推定によると」「こともある」とあるように、断定を避けた表現を使っています。むしろ、仕事で忙しいのに、むだに長い電話や頼みごとをされたときにストレスを感じるという経験のほうが、この一節にに対して読者が共感する引き金になっているのではないでしょうか。

参考資料
ウィリアム・パワーズ著 有賀裕子訳『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』
http://www.amazon.co.jp/dp/4833419955
小川和也『デジタルは人間を奪うのか』
http://www.amazon.co.jp/dp/4062882833
R25 2008年12月4日付「人の集中力が持続する時間はどれくらいなの?」
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20081204-90005742-r25
「複数の仕事は同時にやるべきか、一つずつか?」『プレジデント』2014年9月29日号
日経サイエンス2010年6月号「浮かび上がる脳の陰の活動」
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/1006/201006_034.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『誰が「知」を独占するのか』
いまの世界と日本のデジタル情報管理の現状を知ることのできる一冊です。


『誰が「知」を独占するのか デジタルアーカイブ戦争』福井健策 集英社新書 2014年 248ページ


もはや、いまの世界では「デジタル」なしでは生活ができないといえるほど、デジタルは浸透した。0と1の記号だけからなるという単純なしくみが、20世紀からいまにかけてのデジタルの爆発的な普及の要因となったのだろう。

デジタルの大きな用途のひとつに「情報を保存する」ということがある。そして、保存された情報は人びとによって活用されていく。

本書『誰が「知」を独占するのか』は、このデジタル情報の保存と活用のしかたについてを述べた本だ。著者は、著作権などに強い弁護士で、国立国会図書館審議会の委員などもつとめる。

副題にある「デジタルアーカイブ戦争」は、情報という資産をだれがどのように管理するかで、世界情勢まで変わってくるという意味を込めたものだろう。グーグルやアマゾンといった米国発の巨大な情報蓄積媒体に対して、フランスの国立図書館長だったジャン=ノエル・ジャンヌネーが『Googleとの闘い』という著書を出して、「文化の一極支配と序列化への危惧」を示し、対抗心を打ち出した。

だが、本書は、デジタル情報を扱う組織や国の覇権争いよりも、日本におけるデジタル情報管理制度の課題と解決策を示すことに重きが置かれている。

ここ何年かで、大きな変革があったのが、日本の国立国会図書館のデジタル化だ。新たな館長の就任で、従来、年間1、2億円のみだったデジタル化予算が、2009年度には127億円となり、退任時まで227万点のデジタル化がなされた。国会図書館利用者も「デジタル資料が多くなったな」と気づいたことだろう。

今後、画像や映像もふくめたデジタル情報の管理と利用を考えると、「孤児著作物」とよばれるデジタル情報の扱いかたが大きな課題となりそうだ。たとえば、放送局がある映像作品を公開しようとするとき、法的には、著作権のほか、その作品に登場する人びとの肖像権などがあるため、作品に関わる広範な人物に「デジタル資料として公開してもよい」という許可を得なければならない。

この作業を緩和するため、「権利者探しに『相当な努力』をしましたが、それでもできませんでしたので、努力の結果をもって公開させてください」と、文化庁長官に伝え、長官が「公開してよい」と裁定する制度はある。しかし、それでもたいへんな労力を伴うため、NHKや学習参考書出版社などごく一部にしかこの制度は使われていない。

著者は「個別の裁定でなく一定の条件を満たせば自己責任で使えるような『制限規定』にする」という提案を述べている。いまインターネットで、だれもが気軽にユーチューブなどに、著作権や肖像権のある映像を無断で掲載している実状を考えると、こうした法的な規制緩和は当然の流れになってくるのだろう。

『誰が「知」を独占するのか デジタルアーカイブ戦争』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4087207560
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
遺伝子異常をデータベース化しがん治療に活かす

画像作者:GDS Infographics

多細胞生物の細胞分裂が不規則になり、無制限に増殖し、周囲の組織を侵したり、ほかの臓器に転移したりして生きものを死に至らしめる病気――。これががんという病です。

とはいえ、ひとえに「がん」といっても、その表情や振るまいかたは、さまざまです。

たとえば、いろいろな細胞に分化する能力をもつ幹細胞の性質をもったがん細胞を「がん幹細胞」といいますが、このがん幹細胞の遺伝子に異常が起きることもあります。すると、さまざまなタイプのがん細胞が生じる傾向になります。また、がん細胞が増えるのを速くする遺伝子に異常が起きることもあります。すると、おなじタイプのがん細胞が生じる傾向になります。どの細胞の、どの遺伝子で異常が起きるかによって、その後のがんの進行のしかたはさまざまになるわけです。

とはいえ、“傾向”はあるわけです。そのため「こういう遺伝子異常が起きている人は、こういうがん治療をするのが効果的」といった、がんの進行の傾向に応じた治療を考えることも有効になります。

このような考えかたから構想されているのが「がん遺伝子のデータベース化」です。まず、がんの進行のしかたを傾向別にモデル化します。つぎに、新たにがんが生じていることがわかった患者の遺伝子異常のきたしかたを調べます。そして、その患者の遺伝子異常が、どのがん遺伝子異常のモデルに近いかを調べ、その結果に応じてがん治療の戦略を打ちたてるわけです。

まだ、こうしたがん遺伝子のデータベース化は構想中の段階です。こうした方法を実現させるには、情報処理技術を応用するバイオインフォマティクスという研究分野の発展が欠かせません。データが蓄積されていけば、より詳細ながんの進行のしかたの傾向がわかり、モデルも増えていくことでしょう。

参考資料
日本経済新聞 2014年3月18日付「がん進行 数式で予測」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG16008_X10C14A3TJM000/
文部科学省がん研究分野の特性等を踏まえた支援活動「スパコンでがんのシステムを暴き、がんを御すシステムがん研究」
http://ganshien.umin.jp/research/main/miyano/index.html
| - | 19:59 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< November 2014 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE