科学技術のアネクドート

ピクトグラムに新展開
公共施設などで示されている絵文字を「ピクトグラム」といいます。文字による案内では、その言語が読めない人がいます。しかし、絵文字であれば、言語を超えてなにを示しているかわかる可能性があります。

そこで、ピクトグラムでは、だれもが見ても、その絵がなにを示しているかがわかるように、極限までむだな表現の要素を削りおとしています。

このピクトグラムに、新展開ともいえなくもない新たな動きが出てきています。

2013年、デザイナーのTopeconHeroesダーヤマさんが、「ヒューマンピクトグラム2.0」というサイトを開設しました。かんたんにいうと、このサイトは「これまでに見られなかった格好を含めた人のピクトグラムの画像データを、各種デザイン目的で、無料でダウンロードすることができる」というものです。

サイトには、皮肉的で、人びとの心をくすぐるような人のピクトグラムが掲げられています。


クビになった人


座禅


アイドルっぽいポーズ


竜巻注意


人生オワタ

作者のTopeconHeroesダーヤマさんは、ホームページで「ピクトグラムはほとんどの場合、公共交通機関や、バリアフリーなどの標識に使われるため、雰囲気が真面目なものが多く、やや面白みに欠けるので、くだらないポーズなど多めにバリエーションを増やしていく事にしました」と経緯を説明します。

ピクトグラムは特徴や個性を極限まで削った絵。それに対して、かわいらしいという感情が芽ばえてくるので、人の心はふしぎです。

近年は雑誌などのエディトリアルデザインにもひんぱんに使われるようになっています。やはりかわいらしさが感じられるからでしょう。さらに、「ヒューマンピクトグラム2.0」のようなピクトグラムの発展系でピクトグラムが雑誌やパンフレットに載る機会は多くなるかもしれません。

TopeconHeroesダーヤマさんは、ホームページで「人型のピクトグラムが使いたいデザイナーさんや企画職の方は、どんどん使って早く帰りましょう」とメッセージを送っています。

参考資料
「ヒューマンピクトグラム2.0」
http://pictogram2.com
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「100年に一度の大雨」が1年に二度あることも


天気予報で豪雨が予想されるとき、気象予報士は「100年に一度の猛烈な雨が予想されています」などと予報します。

こうした「30年に一度の大雨」や「100年に一度の大雨」という表現を、ひんぱんに聞いていると感じる人も多いでしょう。「100年に一度が、そんなに多くくるのだろうか」と。

気象庁は、こうした「何年に一度の大雨」という表現で示す値を「確率降水量」とよんでいます。

確率降水量は、ある現象が平均的に何年に一度起きるかを表した値である「再現期間」のなかで一度起こると考えられる降水量のことをいいます。

たとえば、ある地点での、過去100年間に、1日で150ミリメートルの雨が降った回数が1回だとします。いっぽう、天気予報でのその地域の降水量が1日150ミリメートルに達すると予測されれば、「100年に一度の猛烈な雨が予想されます」と報じられます。

天気予報で「100年に一度」や「30年に一度」などの表現を100年ぶりや30年ぶりよりもひんぱんに耳にするのは、対象となる場所が1地点でなく、数多くあるからです。つまり、「30年に一度の大雨」が、いろいろな場所で起きているわけです。

また、「100年に一度」といっても、かならずしも100年に一度ずつその規模の雨が起きるわけではありません。これは、あくまで確率的な話。サイコロで「1」の出る確率が6分の1だからといって、「1」が出たあとにつづけて「1」が出ないとはかぎりません。

「確率降水量」による情報の効果はいくつか考えられます。

まず、情報を得た人が「100年に一度とは、たいへんな雨になるんのだな」と警戒心を強める効果がありそうです。

また、長い目で見れば、どの地域でどのくらいの大雨がどのくらいの頻度で降るかという情報を得られるので、その地域の土地計画や防災計画などにも役立てられそうです。

参考資料
気象庁「確率降水量とは」
http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/riskmap/exp_qt.html
気象庁「確率降水量に関するQ&A」
http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/riskmap/faq_qt.html
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脳が体重の“目標値”を調整するというセットポイント説あり


人それぞれの体重には「セットポイント」とよばれる“量”があるという説があります。

セットポイントとは、その人のからだに組みこまれた体重の目標値のことをいいます。人のからだでは、つねに体重が一定になるように脳がはたらいて、代謝や食欲が調節されるというのです。

このセットポイント説によると、脳の視床下部という部分が、自分のからだのエネルギーの貯まり具合を感知します。もし、貯まっているエネルギーがからだにとっての目標量よりすくないと、もっとエネルギーを貯める方向に脳がはたらくといいます。

では、自分の体重のセットポイントはいったいどのくらいなのか。これに大きく影響しているのは遺伝子とされます。およそ7割が遺伝子により決定づけられているという話もあります。

重要なのは、このセットポイント説でいわれている「からだに組みこまれた体重の目標値」が、「意志として達成したい体重の目標値」と異なる点です。

たとえば、体重80キログラムの男性が、「もっと痩せよう」と一念発起して、体重を10キログラム減らしたとします。みずからの身長が160センチメートルであることを考えると、明らかに体重が多すぎると考えたからです。

しかし、この人の体重のセットポイントが80キログラムだとすると、10キログラム減ったとしても、脳はまた80キログラムに回復させようとはたらくことになります。

こうして、意志としての体重の目標値に到達したとしても、体重のセットポイントは異なるため、ダイエットをした人はリバウンドが起きやすく、また、食べて太ろうという痩せの人も痩せから抜けだせないといいます。

セットポイントは、おなじ人でも年齢を重ねるごとに高くなる傾向にあるといいます。ダイエットでの体重減少を目指している人にとって、これほどそれを阻む印象をあたえる説はないかもしれません。逆に、からだのしくみよりも意志が優っていれば、意志としての体重の目標値を保てるのかもしれませんが。

参考資料
宮側敏明「肥満とその対策」
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/DB00011377.pdf
柳澤輝行「インターネットで入手する薬物の危険性」
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「歩留まりが高い」はよいこと

写真作者:Norio NAKAYAMA

日本は、漢字という、ひとつひとつの字が意味をもつ「表意文字」を使う国です。数々あることばのなかには、そのことばから思いうかびそうな心象とは反対の意味があたえられているものがあります。

たとえば、「気のおけない」は「気楽な」を意味します。また「役不足」は「能力に対して役目が軽すぎること」を意味します。

人によっては「歩留まり」ということばも、そのひとつかもしれません。

「歩」という字と「留」という字のつながりを考えると、単純に「あゆみ」が「とまる」という語感が思いうかばれそうです。「止まる」ということばは使われていないものの、「止まる」と「留まる」はほぼおなじ意味で使われます。

「歩みが止まる」というと、進んでいたものごとが先へ進まなくなってしまうような心象が浮かんできます。

では、ものづくりなどの世界で実際に使われている「歩留まり」のことばの意味はというと、すくなくともこのことばに負の心象をいだかせるような意味はありません。

「歩留まり」とは、「加工するとき、使う原料に対する製品の出来高の割りあい」のことをいいます。

たとえば、100という量の原料を使ってものをつくるとき、できあがった製品に原料の100がすべて使われていれば、100分の100で、歩留まりは100%ということになります。

また、100という量の原料を使って、その原料の50が使われていれば、100分の50で、歩留まりは50%となります。

このことからわかるように、歩留まりが高いことは、原料に対する不良品の量がすくなくなるわけですから、よいことになります。

「歩留まり」は「歩」と「留(ど)まり」ということばから成りたっています。

「歩」は、「ある量に対するほかの量の比」をいうときに使われます。その使われかたでもっとも知られていることばは「歩合」でしょう。たとえば、仕事量に応じて報酬が支払われるしくみを「歩合制」といいます。

いっぽう、「留(ど)まり」は、数量や程度の限度をあらわすときに使われます。

これからすると、「ある量に対するほかの量の比の限度」ということになります。これは「材料の量に対する製品ができる量の比の限度」、つまり「歩留まり」の意味と合います。

「歩留まり」ということばをあまり使ったことのない人に対しては、「歩留まりを高める」より、「歩留まりをよくする」と表現するほうが親切かもしれません。あるいは、「歩留まり」ということばを使わずに表現するのがより親切かもしれません。

参考資料
OIC「歩留」
http://www.ogatainvestment.com/keieisyanotamenoyougoshyu770.html
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「科学ジャーナリスト塾」第13期の募集(2014年)10月3日(金)まで


このブログで(2014年)8月29日(金)に記事にした「科学ジャーナリスト塾」の第13期生の募集が、主催団体の日本科学技術ジャーナリスト会議のホームページなどでおこなわれています。

科学ジャーナリスト塾は、科学ジャーナリストを目指す人たちを育てる塾。2002年の秋、同会議に所属する有志ある科学ジャーナリストたちが開きました。一時期、運営母体が別団体に移りましたが、2013年の第12期から、ふたたび同会議が運営母体となり開催しています。

今期の塾の主題は、「科学を伝えること」。塾生は「科学を伝えることのあり方や技、さらに科学と社会をつなげる方法」などを学ぶことになりそうです。

塾の主催者は、「塾では、科学ジャーナリストの「こころざし」と「技」をはじめ、これまでの試行錯誤や失敗体験からの教訓、さらに科学コミュニケーションの方法や工夫など実践例に学びます」としています。

実際の活動については、10月から翌2015年3月までの計12回の火曜日に東京・内幸町のプレスセンタービルで開かれる「塾」での講義や議論が主となります。また、通期にわたり参加する塾生には、記事を書いてみて、現役の科学ジャーナリストなどからコメントを受ける機会もあたえられます。

塾費は、12回通しで1万5000円。資料費、文章指導、科学技術ジャーナリスト会議が開く月例会の参加費がふくまれます。また1回参加の塾費は、2000円です。

第1回は10月7日(火)を予定しており、塾への応募のしめきりは10月3日(金)です。

塾の主催者は、「科学を伝える仕事に就きたいと願う若い人の学びの場として、また新聞・テレビの科学の解説者、フリーライター、科学コミュニケーターたちが互いの経験を伝え合う場をつくります」とよびかけています。

科学ジャーナリスト塾第13期の応募の詳細は、日本科学技術ジャーナリスト会議ホームページにあります。こちらです。
http://www.jastj.jp/tcsj.html
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「猫鍋」に猫は協力的

写真作者:Takuya Murakami

インターネットの画像サイトなどで「猫鍋」の写真がよく見られるようになりました。「鍋」といっても、猫の肉を鍋で食べるのではありません。鍋のなかに1匹または複数匹の猫が、体を丸めて入っている姿が「猫鍋」です。

グーグルの画像検索で「猫鍋」と入れると、鍋のなかに猫が入っている写真が下のほうまでえんえんとつづきます。

猫の飼い主は、これほどまでにわが猫を鍋にして、世に見せたいのでしょう。それと同時に、飼い主が「猫鍋」を試みるときは、猫もかなり協力的になるようです。

猫は、だだっぴろいところにいるよりも、壁のような、自分の体が触れる物体があるところのほうを好むようです。むかしからの習性として、すこしでも安全に身を置ける、閉所に近いところを見つけようとするのでしょう。

鍋のなかは、猫の願いをかなえる場所のひとつとなります。すっぽり入れば、からだの半分くらいを壁のようなものに付けていることができるからです。

また、紙袋などを見つけると、そのなかに進んで入ろうとするのも、猫が身を置くところを見つけたからだとされています。

「猫鍋」に入っている猫は、どれもくつろいだ表情を見せています。

参考資料
山根明弘『ねこの秘密』
http://www.amazon.co.jp/dp/4166609904
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牛乳配達を模倣して輸送のムダを減らす


物流の分野では「ミルクラン」とよばれる輸送のしかたがおこなわれていることがあります。

ミルクランがどういう輸送のしかたであるかを説明するには、ミルクランでない従来の輸送のしかたとくらべるとよさそうです。

自動車工場で自動車を作るには、さまざまな部品が必要となります。そのさまざまな部品は、別べつの部品メーカーで作られます。たとえば、ハーネスとよばれる内装の電線はハーネスメーカーで、ガラスはガラスメーカーで、タイヤはタイヤメーカーで、といった具合です。

また、コンビニエンスストアが品揃えをするには、さまざまな食材が必要となります。そのさまざまな食材は、別べつの食品メーカーで作られます。たとえば、お菓子はお菓子メーカーで、ビールはビールメーカーで、肉まんは製パン企業で、といった具合です。

従来の輸送のしかたでは、それぞれの部品なり食材なりを作った各メーカー側が、自動車工場やコンビニエンスストアに部品や食材をもちこみます。

これに対してミルクランでは、自動車メーカー側やコンビニエンスストア側が、部品メーカーあるいは食材メーカーを巡回して、部品または食材を集め、自分のところへ運んできます。

巡回をして必要な部品や食材を集めることをどうして「ミルクラン」とよぶのか。これには諸説があります。

かつて米国では、牛乳配達人が牛乳屋を出発すると、毎日、決まった経路で、牛乳の入った瓶を配達すると同時に、牛乳が空になった瓶を回収していき、そして元の牛乳屋に戻りました。この行動ににた輸送のしかたであるため「ミルクラン」とよばれるようになったというのがひとつの説です。

1990年代まで、小さな地域単位では小規模な牛乳集積場がありました。いっぽう、ほとんどの農場は小さな搾取場しかもっていなかったため、牛乳販売会社がいちいち牛乳をもらいに行くのは経済的ではありませんでした。そこで、牛乳は農場経営者によって集積場まで運ばれ、あとは、牛乳販売会社の牛乳搬送車が2日に一度の決まった頻度で集積場を決まった経路でめぐり、牛乳を集めて牛乳販売会社まで戻ってくるという方法がとられるようになりました。この経緯から、ミルクランとよばれるようになったともいわれます。

日本ではどちらかというと、後者の説のほうが支持されているようです。

ミルクランをおこなうことで、輸送の費用、工場側の部品在庫費用、工場における検品管理費用といった調達費用全体を低く抑えることができます。

また、定時運行をすることにより、発送や到着時刻が一定になるため、生産計画を立てやすくなります。

また、前工程から後工程に部品を納めるのでなく、後工程から前工程に部品を取りにいくので、必要な部品を必要な量だけ供給するというムダのない輸送が可能になります。

また、工場に入っていく部品や食材の搬送車が減るため、交通の安全性が高まったり、二酸化炭素排出量を低く抑えたりすることもできます。

参考資料:
日本通運「ミルクラン輸送」
http://www.nittsu.co.jp/truck/services/milkrun/
ウィキペディア「Milk run」(英文)
http://en.wikipedia.org/wiki/Milk_run
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腸内細菌叢の乱れがインスリン抵抗性を引きおこす


英国の科学雑誌『ネイチャー』の2014年9月17日付の記事に、人工甘味料を摂ると糖尿病や肥満になる危険が高まるという内容の報告が掲載されて話題になっています。

イスラエルの研究者ジョサム・スエズたちの研究グループが報告したものです。実験では、サッカリン、スクラロース、アスパルテームといった人工甘味料をあたえられたマウスでの代謝の変化が起き、砂糖をあたえられたマウスよりも血糖値が高まったといいます。

また、380人の人を対象にした調査でも、人工甘味料を摂取量の多い人は、摂取量の少ない人にくらべて体重が多かったり、血糖値が高かったりする傾向が見られたということです。

この論文で執筆者たちが注目しているのが、腸内細菌のバランス変化です。マウスの実験では、人工甘味料をあたえられたマウスの腸内細菌叢における炭水化物分解経路の増加を検知したといいます。「細菌叢」というのは、さまざまな細菌の群がりのことをいいます。

では、どのようなしくみで、腸内細菌のバランス変化が、血糖値を高めるなどの影響をもたらしうるのでしょうか。

これまでの研究では、つぎのような仮説がいわれています。

腸内細菌叢が乱れると腸管のバリア機能が低くなり、腸内細菌が腸管をすり抜けて血管へと入っていきます。すると、炎症が引き起こされます。すると、からだの細胞が、血糖値を低くさせるインスリンという物質をとりこみづらくなるといいます。つまり、腸内細菌叢の乱れが、インスリン抵抗性を引きおこすというわけです。

今回の『ネイチャー』の研究の内容と、いま挙げたような仮設が、直接的に結びついているかの記述はありません。今回の発表がもとで、人工甘味料と糖尿病や多重増加の関係をめぐって、さまざまな議論が起きることになりそうです。

参考資料
Taylor Feehley     & Cathryn R. Nagler “The weight costs of non-caloric sweeteners”『ネイチャー』2014年9月17日付
http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature13752.html
NHKニュースウェブ 2014年9月18日付「人工甘味料 “血糖値下がりにくい”」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140918/k10014684921000.html
順天堂大学 2014年6月4日付「日本人2型糖尿病患者における『腸内フローラのバランスの乱れ』を発見」
http://www.juntendo.ac.jp/graduate/pdf/news09.pdf
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「添加物も無添加も、あらゆる食材は量によって“毒”になる」


出版社「ウェッジ社」のニュースサイトWEDGE Infinityで、きょう(2014年)9月22日(火)、「学びなおしのリスク論」という連載記事が始まりました。この連載の執筆をしています。

日本人は、ものごとをリスクの視点で考えるのが苦手であるとよくいわれます。自分の身にふりかかりそうなことを、「どのくらい危ないのか」でなく、「危ないのか、危なくないのか」というどちらかに決めつけようとしがちです。もちろん、白黒で判断したいと考えるのは 日本人だけではないでしょうが、日本人は「どのくらい」という程度で判断することをあまりしようとしません。

もういちど、リスクというものはどのようなものであり、リスクの観点でものごとを判断することにはどのような意義があるかを学び考えなおしてみるというのが、この連載の主旨です。

第1回のテーマは「食品添加物」。「添加物も無添加も、あらゆる食材は量によって“毒”になる」という記事の題です。

鈴鹿医療科学大学副学長で、「健康食品管理士」という資格制度を運営する日本食品安全協会の理事長でもある長村洋一教授に取材をしました。

食品添加物は、とりわけ日本人が「摂りたくない」あるいは「摂らないに超したことはない」と考えがちなものです。逆に「無添加」「合成保存料未使用」といった謳い文句のついた食品や飲食店に対しては「これを食べたい」「ここで食べたい」と積極的になります。

その背景には、「食品添加物は健康に危険」という先入観が多くの人に植えつけられているのでしょう。

「食品添加物であるから体によくない」「有機野菜だから体によい」といった、「それがなにであるか」で健康リスクがあるかどうかを判断すべきではないというのが、長村教授の主張でした。記事の題にあるとおり「あらゆる食材は量によって“毒”になる」ということです。

長村教授は、「大切なのは“量”です」と、リスクを量の概念でとらえることの大切さを述べています。

食品添加物については、安全性と有効性の確認を必要とする「指定添加物」とよばれるものは、使用可能な量が食品衛生法に基づいた方法で決められています。これに従ったものであるかぎり、食品添加物を摂取しても健康に被害が及ぶことはありません。

「添加物は危険、無添加は安全」という、正しいといえない判断基準だけで食品が選ばれている現状からすると、リスクに対する考えかたやリテラシーの成熟した時代はまだやってきていないといえそうです。

「学びなおしのリスク論」では、月1回ほどの頻度でさまざまな分野のリスクを考え、そこから学べることをまとめていく予定です。第1回「添加物も無添加も、あらゆる食材は量によって“毒”になる」はこちらでどうぞ。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4210
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多くの作業を一瞬でこなす


日本では、もはやどの企業も情報通信技術(ITC:Information Communication Technology)を活用している状況にあるといえます。計算にパソコンや電卓でなくそろばんを使っている企業はもはやほぼ皆無でしょうし、社内外の連絡をメールでなく手紙や直接訪問だけで済ませている企業もほぼ皆無でしょう。

情報通信技術は、企業がなにかを実現させるための手段であるべきものです。では、企業は情報通信技術を駆使することで、どのような効果を得ていると実感しているのでしょう。

全国中小企業取引振興会が2014年3月に「中小企業の情報利活用に係る実態調査」の結果を公表しています。これによると、情報化により「十分な効果があった」と「やや効果があった」と答えた項目のなかでもっとも高かったのは、「業務の迅速化」だったということです。その率は80.3%にのぼります。ちなみに第2位は社内情報の共有化で71.3%、第3位は業務品質の向上で61.6%でした。

そもそも、どうして情報通信技術の活用は、業務を迅速化させるのでしょう。

かつて人の手でおこなっていたさまざまな作業を、代わりに情報通信技術でおこなえるようになりました。

最たるものは、計算です。コンピュータがなかったときは、数値を紙に書いたり、そろばんを使ったりして計算をしていました。しかし、いまではコンピュータに入っている計算ソフトに数値を入れれば計算結果がたちどころに出てきます。

さらに、計算結果を使ってものごとを分析することも、情報通信技術で瞬時にできるようになりました。計算式を用意しておけば、計算の作業と同時に分析の作業もすることができます。

伝達という作業も情報通信技術が得意とするものです。たとえば、ものづくりの現場において、材料の不足が発生した場合、その情報を遠くにある部品供給企業にインターネットを使って一瞬で知らせることができます。人が、何々の部品が何個足りないと電話をかけて伝えるよりも早く済みます。

検査や確認という作業でも情報追伸技術が効果を発揮します。部品に電波を発信できるIC(Integrated Circuit)タグを付けておけば、部品くみたて工場に納入するとき、部品の種類と数が合っているかどうかを検査することができます。これを人がやろうとすると、部品を1個ずつ数えあげなければなりません。

掲示、つまりなにかを見せる作業も一発です。その時点で何台の製品が作られているのかといった情報を、画面にリアルタイムで表示させることができます。もしこれを人がやろうとすると、製品を1台、作りおえるごとに、ホワイトボードに「正」の字の棒線をマーカーで書いていくような作業が必要になります。

計算、分析、伝達、検査・確認、掲示。情報通信技術により、これらの作業がなされる時間は膨大な計算処理などを除けばいずれも“一瞬”です。これらの作業を人が手でおこなう場合にかかる作業時間の集積分が、そのまま業務の迅速化の効果につながるわけです。よくよく考えてみると、情報通信技術がもたらすものは驚異的です。

参考資料
全国中小企業取引振興会「平成25年度中小企業の情報利活用に係る実態調査 (概要版)」
http://zenkyo.or.jp/it/pdf/H25_rikatuyou.pdf
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寄生する虫と寄生される虫は似たものどうし――法則古今東西(22)
昆虫には、寄生する種と寄生される種の関係がなりたつ種どうしがあります。寄生とは、異なる種の昆虫がともに生活していながら、いっぽうが利益を受け、もういっぽうが害を受けるという関係にある状態をいいます。

この寄生する昆虫と寄生される昆虫の関係は、「エメリーの法則」に支配されていると考えられています。

エメリーの法則は、寄生する昆虫と寄生される昆虫は共通の祖先から分かれた、近縁な種どうしであるというものです。

1909年、イタリアの昆虫学者カルロ・エメリー(1848-1925)は、昆虫における社会寄生は、密接な関係の種または属どうしの寄生になる傾向があると述べました。社会寄生というのは、寄生する昆虫が、寄生される昆虫のもつ社会性をもとに利益を得るといった種類の寄生です。


カルロ・エメリー

たとえば、アリの仲間には、別種のアリの巣に入って幼虫や蛹などを奪って自分たちの巣に持ちかえり、自分たちの巣で成虫になったアリを働きアリとして奴隷化する種があります。こうした寄生のしかたは社会寄生のひとつといえます。

エメリーの法則にしたがえば、社会寄生する側のアリと社会寄生される側のアリは、近縁種どうしにあるというわけです。

日本に生息しているヤドリウメマツアリというアリも社会寄生をします。ヤドリウメマツアリには働きアリに当たる役目がいません。そこでべつの種のアリの巣に入り込んで、あたかも自分がおなじ種のアリであるように振るまい、世話をしてもらうのです。

では、どのようなアリに寄生するかというと、その相手はウメマツアリ。ヤドリウメマツアリとウメマツアリはそっくりで、もっとも類縁どうしてあることも調べられています。

寄生する昆虫が寄生される昆虫とまったく異なるような種であると、巣のなかに入ってきたとき、寄生される側の昆虫に「明らかに異物が入りこんできたぞ」と認識されてしまいます。

しかし、巣のなかに入ってきた昆虫が近縁種であれば、寄生される側の昆虫にばれずに済む可能性が高くなります。このことからも、エメリーの法則は理にかなったものであるとされています。

参考資料
丸山宗利『昆虫はすごい』
http://www.amazon.co.jp/dp/4334038131
ありんこって・・・・・「トピックス」
http://ant-diary.com/AriShiiku/001-Ari/Koudou.html
ウィキペディア「Emery's rule」(英文)
http://en.wikipedia.org/wiki/Emery%27s_rule
ウィキペディア「寄生」
http://ja.wikipedia.org/wiki/寄生
科学研究費助成データベース「アリ類の二型雄に関する進化生態学的研究」
https://kaken.nii.ac.jp/d/p/09640749.ja.html
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「計測装置を背負って泳ぐ鮭、子づくりの仕組みが明らかに」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2014年)9月19日(金)「計測装置を背負って泳ぐ鮭、子づくりの仕組みが明らかに 鮭に見る自然と人工の調和(後篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

サケは、人が管理する度合いの高い魚のひとつといえるでしょう。とくに日本では、川に戻ってきたサケの雄と雌を捕獲し、人工的に孵化させて、次の世代を稚魚まで育ててから、川を選んで放流します。サケには自分が育った川に3、4年後に生殖するために帰ってくる「母川回帰」の習性があるため、放流する川を選べば、その川に戻ってくるわけです。

魚のなかで、サケの生態はよく知られているほうですが、それでもまだ謎はあるものです。たとえば、川に遡上したサケは、どのように雄と雌とが子どもをつくるか。雌が放つ卵に、雄が精子を放つといった基本的なことは知られていますが、そのときのサケの細かい行動や様子まではじゅうぶんに観察されていません。

そこで、いまサケの行動を観測するため、「バイオロギング」という方法が使われています。バイオロギングは、データロガーとよばれる小型の計測装置を動物にとりつけ、その行動を記録するもの。データロガーの種類によって心電活動、筋電活動、加速度などを測ることができます。測った情報は、電波により受信するか、データロガーを回収するかで得ます。動物を客観的に観察して行動を捉えるのでなく、動物の身になって行動を捉える方法です。

かつてデータロガーは大きく、アザラシやペンギンなどの大きな動物でなければつけることができませんでした。しかし、機械の小型化が進み、サケやマグロなどの魚に対してもバイオロギングで観測することができるようになりました。

記事では、バイオロギングを観測手法のひとつにしてサケの生態などを研究している牧口祐也さんが研究成果を紹介しています。実際、サケにデータロガーをつけているときの写真もあります。

人間とサケとの関わりかたはどうあるべきか。こうした課題があるなかで、バイオロギングによるサケの研究はつづいています。

JBpressの記事「計測装置を背負って泳ぐ鮭、子づくりの仕組みが明らかに 鮭に見る自然と人工の調和(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41742
日本人とサケとの関わりの歴史を追った前篇「日本の鮭を増やしたイノベーション、失敗続きの人工孵化が実現するまで」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41700
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「日本科学未来館」を「日本未来科学館」と

写真作者:Nagashima

東京・青海には日本科学未来館という科学館があります。2000年に開館し、以来、大人も楽しめる催しものを開いたり、数多くの科学コミュニケーターとよばれる人材を輩出したりと、従来の科学館とは一線を画す活動をしています。館長は毛利衛さん。

2014年7月からは、「トイレ? 行っトイレ! ボクらのうんちと地球のみらい」という斬新な企画展も開き、注目を集めています。この企画展は10月5日(日)までおこなわれています。

さて、あらためて、この科学館の名は「日本科学未来館」、ひらがなでは「にっぽんかがくみらいかん」です。また「未来館」という略称もあり、館のロゴには「Miraikan」とあります。

しかし、この科学館の名を初めて述べるような人のなかには、次のように館の名を述べることがあります。「日本未来科学館」つまり「にっぽんみらいかがくかん」。「未来」と「科学」が逆になるのです。

インターネットで検索しても、「日本未来科学館」と記述しているサイトはかなりあり、グーグルでは1万8600件に上っています。ほとんどは個人ブログなどに見られるものですが、なかには公的な報道発表に「日本未来科学館」が混入されてしまっているものもあります。

この場合、正式名とは異なるよびかたがされてしまう要因はどこにあるのでしょう。

「科学」ということばと「未来」ということばは、世にあまたあることばのなかでは、関連性の高いものどうしであるともいえます。どちらも先端的な雰囲気を醸しだすことばです。

では、「科学」と「未来」と、どちらがその後につづく「館」との親和性が高いか。

人びとは、長らく「科学館」という熟語を一般名詞として使ってきました。いっぽうで、「未来」に「館」をつける「未来館」という熟語は、日本科学未来館のような固有名詞でしか使われません。ちなみに、ほかには長野県佐久市の「子ども未来館」や、東京都江戸川区の「子ども未来館」などがあります。

おそらく、多くの人は「科学館」ということばの固まりがあるために「未来」のほうが先に来ると判断するか、あるいは「未来が先か、科学が先か」とあやふやななかでこの固有名詞を述べることを迫られて「科学館」を優先する結果、「日本未来科学館」となってしまうのでしょう。

ただし、言い慣れている人にとってみれば「日本科学未来館」のほうが、リズムに乗って心地よく発言することができるようです。
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カラー図版入り単行本は敬遠されがちの仮説あり


本づくりのなかで、ハードウェアとしての検討対象になるのは、判型、ページ数、色数、ハードカバーかソフトカバーかといった仕様を決めることです。

たとえば、単行本では縦188ミリメートル、横127ミリメートルの「四六判」や、縦210ミリメートル、横148ミリメートルの「A5判」などがあります。四六判では文章を縦に組むとしっくりとくるのに対して、より大きなA5判では文章を横に組むとしっくりといった“相性”があります。

色数についても、検討対象になることがあります。色数とは、印刷に使うインキの色の数のこと。たいていブラックつまり黒のインキが文字の印刷などに使われますが、これにシアン、マゼンタ、イエローのインキを加えると、色の組みあわせでカラーにすることができます。また、これら4色の組みあわせでなく、はじめからショッキングピンクなどの特定の色をした「特色」とよばれるインキを使う場合もまれにります。

本の仕様を検討する編集会議の場で、信頼のおけるベテラン編集者がつぎのように話しました。

「なぜか書籍の本文ページに挿入する図版をカラーで表現したりすると、どうも読者にとって敬遠される傾向があるんですよね」

これに近いことを、本屋で本を選ぶときにも経験した人もいるかもしれません。ふつうの単行本や新書を選んでいるなかで、カラーの挿入図がふんだんに使われているような中味の本に出合うと、なんとなく買う気がしなくなるという心理です。

もし、信頼のおけるベテラン編集者が言うような傾向がほんとうにあるとすれば、どうしてそうなるのでしょうか。

長年、人の目は白い紙にブラックのインキで印刷された本文という仕様に慣れてきました。そこに図版があるとしても、多くの場合、本文とおなじくブラックのインキ1色で表現されるものがもっぱらでした。

そうしたなかで、カラーの図版が入っているような書籍を目にすると、どこか違和感を覚えるのかもしれません。カラーの絵が多く使われてきた雑誌でもなく、カラーの画像がもはやあたりまえのインターネットでもなく、カラーの図があまり使われてこなかった書籍に対しては、特有の違和感が起きるという仮説です。

あるいは、こういう仮説も立てられそうです。書籍の図版をカラーにするとなると、「カラー図解」がその本の特徴になりえます。すくなくとも編集者には、カラーであることを売りにしようとする傾向はあるようです。書名にも「カラー図解!」といった副題を入れ、帯にも「カラー図解満載!」などの惹句を並べます。

しかし、「書籍とは本来、文章を読むものである」という概念がある人にとって、カラー図解がふんだんに使われていることは、それだけ文章を読む量が減ってしまうことになります。ふつうの書籍の寸法や外見でありながら、ページをめくってみるとカラー図解がふんだん。すると、「この書籍は、どちらかというと図解のほうに力を入れてつくられているのではないか」という心理がはたらくこともありえるでしょう。

もちろん、カラー図解がたくさん入った書籍を見て、「図版もカラーで、情報が盛りだくさんだ」と歓迎してその本を買いたくなる人もいるでしょう。

しかし、印刷技術が進んでカラー印刷がかんたんにできるようになった時代でも、書籍ではカラー図版があたりまえという時代にはなかなかなりません。

長年、個人が蓄積してきた、「本といえばこのイメージ」というイデアが、本を見るときに自然とはたらいているのかもしれません。読者にも、編集者にも。

参考資料
第一印刷「本のサイズ(判型)と本の種類」
http://www.daiichiinsatsu.co.jp/200_support/2313_booksize.html
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泳者に水泳肩


運動のなかでも水泳は、泳ぐ能力さえあれば、けがの危険がすくない運動種目と考えられています。浮力の高い水のなかで体を動かすため、走っているときのように重力による衝撃を体の一点で受けることはありません。

しかし、水泳がまったくけがと無縁かというとそうではありません。水泳で体を酷使しすぎると、けがにつながることがあります。

とくに、クロールやバタフライといった、腕から肩にかけてを回して前に進む水泳種目では、あまりに泳ぎすぎると「水泳肩」とよばれるけがになるおそれがあります。

水泳肩は、英語で「スイマーズ・ショルダー」ともいいます。泳いでいるとき、とくに水をかいて前に進もうとするときや、かき終えて水から出した腕をふたたび前にもっていこうとするときなどに肩に痛みを覚えるものです。肩の痛みを覚えたままさらに泳いでいると、プールから出たあとも腕を上げるだけで痛みが走るといった症状が現れることがあります。

痛みの原因は肩を構成する部位どうしが擦れあって、そこで炎症が起き、その炎症が痛覚を脳に伝える細胞を刺激して、痛みを覚えると考えられています。こうした体の部位どうしの衝突によって痛みを覚える症状を「インピンジメント症候群」といいます。

では、水泳肩ではどの部位どうしが擦れあって炎症が起きるのでしょうか。

まず、かかとのアキレス腱ほど知られていませんが、肩にも腱があります。腱は、筋肉を骨と結びつける線維性の束で、おもに硬いたんぱく質でできています。肩にある腱は「肩腱板(けんけんばん)」といい、鎖骨よりも背中側に横たわっています。そして、腱板は四つの筋肉とつながっていて、そのひとつがいちばんてっぺんにある「棘上筋」という筋肉です。

クロールやバタフライをするとき、この肩腱板につながる棘上筋とぶつかり合っているのが、肩甲骨です。肩甲骨は、背中を鏡で見たときに左右に見える突起の部分を含む骨で、広く肩を形づくっています。正確にいうと、この肩甲骨とつながっている「烏口肩峰靱帯(うこうけんぽうじんたい)」という靱帯の部位あたりが、棘上筋と擦れあっているようです。

ごく簡単にいうと、水泳肩は、肩の腱のあたりと、肩甲骨のあたりの、異なる部位どうしが、腕を回しすぎることでぶつかり合って起きる症状といえます。

炎症により起きる痛みは、運動後の心地よい疲れとは別ものです。運動後の心地よい疲れに対してはストレッチ体操で筋肉や関節を伸ばすと疲労回復の効果があるとされています。しかし、炎症による痛みに対して、ストレッチ体操をすると、かえって炎症をひどくさせてしまうことになりかねません。水泳肩を予防するためにストレッチ体操をするのは効果的でしょうが、症状が起きて痛みがひどいなかでのストレッチ体操は、かえって症状を悪化させるおそれがあります。

炎症を鎮めるには、炎症が起きている体の部位をそっと休めることが効果的とされます。

また、一度、水泳肩の症状が起きたあと、水泳をつづけていると再発するおそれもあります。これに対しては、腕に力がかからないように無理なく腕を回すといった、泳ぎかたの改善なども対処法であるとされています。

この記事は、インターネットの情報をまとめたものです。実際に痛みを覚えて治療を考えている方は、医師に相談してください。

参考資料
健康トピックス「水泳選手の肩の痛み(スイマーズショルダー)の原因はストレッチで予防」
http://tsurumi.e-chiryo.jp/article/14924333.html
カラキュレ「肩が痛い!水泳肩の治療は保存療法が有効です」
http://www.karacure.com/pub/47292ce6029dc57ecf94bc8a481d054a
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爆笑を誘うには小さな声で


人はどうして笑うのか。笑いの法則はなかなか複雑でことばで表現しにくいとされています。しかし、話のなかで、本来進むはずの展開とは異なるずれが起き、かつ、そのずれがありながらも理論は保たれていると、そこで笑いが起きるといわれています。

漫才師や噺家たちは、いわば人を笑わせることで商売をしているわけですが、そうした話芸にも人を笑わせる法則というのがあるのかもしれません。

しゃべくり漫才で一世を風靡した、夢路いとし・喜味こいしの二人、それにいまも上方落語界の重鎮として活躍している笑福亭仁鶴などの話しかたには、一定の声の抑揚があります。

それは、笑わせるための言葉を、声高に発するのでなく、小さな声でぼそっと発するというものです。とりわけ「おとぼけ」ともいわれる間の抜けた言葉で人を笑わせるようなときには、この手は効きそうです。

小さな声を発したところで、客にその言葉が通じるのかという不安が生じそうです。しかし、話で笑いをとれる漫才師や噺家たちは、その不安を乗りこえてコツを得ているのかもしれません。

いっぽう、若手の漫才師や落語家、あるいは受けの悪い漫才師や落語家たちは、笑わせようとするとき、そのための言葉を大きく声を張りあげて客の耳に届かせようとする傾向があるようです。

もし、放送番組で笑い話などを聞いていて、「どうも、こいつらの話についていけないんだよな」などと感じるのであれば、それは大きな声でなかば威圧的に笑いを誘おうとする手法に対して、嫌気や拒絶感が生じているからかもしれません。

参考資料
大屋多恵子・宇津木聡「笑いってなんだろう?」『Rikejo』第20号
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必要なものを必要なときに必要な量だけ作る


ものづくりをしている工場では、工員たちが調達された原材料や部品などを加工して、製品にしていきます。そのときの製品の生産のしかたは、企業や工場によってさまざまあります。こまかく分ければ、工場の数だけ生産方法の数があるといってもよいでしょう。

生産方法が数多くあるなかでも、よく知られていて多くの企業が模倣しているのが、トヨタ自動車の「トヨタ生産方式」(TPS:Toyota Production System)です。

トヨタ生産方式にはさまざまな勘所がありますが、そのひとつを表現するのが「ジャストインタイム」(JIT:Just In Time)でしょう。これは、よく「必要なものを必要なときに必要な量だけ生産する方式」と表現されます。そして、この方式で「かんばん」とよばれる道具が使われることから、ジャストインタイムを「かんばん方式」といいかえることもあります。

ただし、「かんばん」は特徴的ながらあくまで手段です。トヨタ生産方式の本質は、ジャストインタイムで表現されるものにあります。

トヨタ生産方式ではない、従来の一般的なものづくりでは、原材料や部品を調達するという“上流”から、ものづくりの流れを見ていき、製品が作られ出荷されるに至るということになります。この考えかたで大切になるのは需要予測、つまりどれだけ製品が売れるかを予測することです。製品が1000個売れるという予測が立てば、1000個分の部品を用意すればよいことになります。

しかし、需要予測を完璧にできるわけではありません。突発的な事情によって、1000個売れるはずが、100個しか売れない、あるいは製品があれば10000個は売れていた、といった状況も起きえます。つくりすぎや欠品が起きるわけです。

いっぽう、トヨタ生産方式では、従来の一般的なものづくりとは逆の発想をします。ものづくりの“下流”から、ものづくりの流れを見ていくのです。

ある製品について1000個の需要がある現実があれば、その現実に即して、ものづくりの最終工程にいる担当者が、ひとつ上流の工程の担当者に「1000個分の部品をください」と伝えます。すると、その担当者も、ひとつ上流の工程の担当者に、1000個分の部品を作るのに必要な数の原材料を「ください」と伝えます。こうして、“下流”の求めに対して“上流”が応じていくのです。

こうすることで、抱える在庫を必要最低限の量に抑えることができ、在庫をもつことによる損失のリスクを低減することができます。

トヨタにかぎらず、トヨタ以外のさまざまな企業がトヨタ生産方式を導入しているのは、それほどこの生産方式が魅力的であるのでしょう。

参考資料
トヨタ自動車「ジャスト・イン・タイムについて」
http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/production_system/just.html
コンサルソーシング「『トヨタ生産方式(TPS)かんばん生産』JIT 必要なモノを必要な時に必要なだけつくる!」
https://www.youtube.com/watch?v=UFuo4PNxRjo
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“スジ屋”がダイヤをつくる、立てなおす


ふだん使っている鉄道には、いつどの列車がどの駅に着くかといった運行計画があります。この運行計画を図にしたものが「ダイヤグラム」です。

ダイヤグラムはふつう、縦軸と横軸からなるグラフになっていて、縦軸には路線の駅名を、横軸には時刻をとります。そして時の経過とともに駅間を移動していく列車の動きを線で引いていきます。するとその線は斜め線になります。「ダイヤグラム」や「ダイヤ」とよばれるのは、上り列車と下り列車があることから、いくつも斜め線が交差して、複数のダイヤモンド形の模様がつくられるからといいます。

ダイヤグラムの斜め線は、鉄道業界では「スジ」とよばれています。まさに、ダイヤグラムに筋が引かれることからこういいます。

そして、ダイヤグラムをつくる人は鉄道業界で「スジ屋」とよばれています。正式には、輸送計画担当者などの役職名がありますが、職人気質の要素が多いため、愛称として「スジ屋」というよばれかたがあるようです。

多くの列車では、普通列車のほか、急行や特急なども走っています。急行や特急は、普通列車をある駅で追い抜いていくことがあります。また、乗りかえ駅では、べつの路線の列車も駅に停車します。さらに、終点に着いた列車は折りかえしで運行する場合もあれば、車庫に入る場合もあります。

複雑な条件がさまざまあるなかで、安全第一で考えながらも、いかに多くの客にとって便利な運行計画をつくるか。これがスジ屋たちの腕の見せどころといいます。JRでは、1990年代、ダイヤグラムづくりにソフトウェアが導入されたそうですが、ダイヤグラムの細かい部分はやはり紙に手作業で筋を引いてダイヤグラムをつくる場合も多いようです。

年に何度かおこなわれるダイヤ改正だけが、スジ屋の出番かというとそうではありません。日々起きる突発的な事故により「ダイヤの乱れ」が生じたときも出番となります。事故によって乱れた運行計画を、安全を保ちながら、いかに通常どおりに戻していくか。そのために、緊急にダイヤグラムをその場でつくりなおして、運行計画を立てなおすこともあるといいます。

どの鉄道会社にも“スジ屋”がいて、優れたダイヤグラムを日々目指しているといいます。社員研修などによりスジづくりが上達することもあるでしょうが、もともとこの手の作業が好きで上達した“スジ屋”もいるかもしれません。

参考資料
毎日放送 VOICE「鉄道ダイヤを支えるスジ屋」
https://www.youtube.com/watch?v=Lj7ka2sSRM4
JR西日本「鉄道に生きる」
https://www.westjr.co.jp/company/issue/bsignal/04_vol_98/rail.html
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治療に向けた長い道のりの第一歩に


人工多能性幹(iPS:induced Pluripotent Stem)細胞を使った治療のための臨床研究が、理化学研究所などの研究チームにより世界で初めて行なわれました。理化学研究所などが(2014年)9月12日(金)に発表しました。

対象となったのは、滲出型加齢黄斑変性という眼の病気をもった70歳の女性患者です。患者本人の皮膚細胞からつくったiPS細胞をもとにした上皮シートを眼に移植しました。大きな問題は起きていないとのことです。

では、今回の手術が“治療”なのかというと、正確にはそうではありません。

まず、この手術は、“治療が社会であたりまえに行われるようになるための人を対象にした研究”におけるものという位置づけになります。

研究者が研究を積みかさねて、“ある病気をもつどんな患者に使っても効き目が確実で安全と思える治療法”を開発したとします。

では、その治療法を、すぐに国が「だれにでも使っていいですよ」と認めるかというと、そうはいきません。研究者が開発したばかりの段階では、その研究者が「効き目も安全性も確実」と確信していても、そうであることを確かめてみないと危険があるという考えかたをします。

そこで、「試験に協力してもいいですよ」と言ってくれる患者を複数人、集めて、その患者たちに治療を試してみるのです。今回とおなじ治療法では、6人の患者に治療を試して、手術後4年後まで経過を追っていくということです。

臨床試験にもいくつか種類があります。大きくは、「薬事法」という法律に従っておこなわれる試験か、「指針」という厚生労働省の方針に従っておこなわれる試験かで分かれます。

前者のほうは、大部分が治療法や薬を開発しようとする企業がおこなうもので「治験」ともいいます。

いっぽう、後者のほうは、製薬会社が手を出さないような手術の方法などについての試験を、研究者あるいは医師が主導でおこなうものです。今回の臨床試験はこちらのほうに当てはまります。指針にはいくつかありますが、「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針」に当てはまります。

今回の手術が“治療”とはいえないもうひとつの理由は、大幅な視力回復を期待するものではなく、安全性を確認することをおもな目的とするものだからです。

臨床試験では、効果と安全性の両方を確かめる必要があり、今回はどちらかというと安全性を確かめることに着目したものといいます。もちろん、手術が成功だとすれば、多少の効果があってもよいでしょうが。

今回のiPS細胞を使った手術の一例目は、iPS細胞が社会で治療に役立てられる時代になるための大きな第一歩といえます。しかし、患者のだれもが受けられる、治療という段階まで至るには、まだ年数がかかります。

参考資料
理化学研究所・先端医療振興財団 2014年9月12日付「第一症例目の移植実施について」
http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140912_1/
理化学研究所・先端医療振興財団「滲出型加齢黄斑変性の臨床研究」
http://www.riken-ibri.jp/AMD/index.html
多能性幹細胞安全情報サイト「『ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針』に基づいた臨床研究」
http://www.nihs.go.jp/cgtp/cgtp/sec2/sispsc/html/table2.html
医薬基盤研究所「治験と臨床研究、臨床試験」
https://www.nibio.go.jp/guide/page1.html
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アンドロメダに“涙”

アンドロメダ銀河
NASA

太陽系が属する銀河以外で、近い位置にある銀河のひとつがアンドロメダ銀河です。近いとっても地球から230万光年もありますが。

このアンドロメダ銀河には“涙”がついているということが、2000年代に入ってからの天文学の研究で明らかになってきました。そのよび名も「アンドロメダの涙」といいます。写真ではありませんが、研究者の森正夫さんの記事内のページで画像を見ることができます。

アンドロメダ銀河は地球から観測すると全体として楕円形のかたちをしています。この楕円形を“眼”と捉えると、眼の右下あたりから“涙”のような星屑が吹きだしていることがわかってきました。

では、この“涙”の正体はなんなのか。これを、専修大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校の共同研究チームが、筑波大学のスーパーコンピュータを使って解きあかしたのです。

アンドロメダ銀河の直径はおよそ10万光年とされています。このアンドロメダ銀河にいまからおよそ10億年前、400分の1の質量の小さな銀河が近づき、そしてアンドロメダ銀河全体のもつ重力によって捕まりました。捕まったといってもすべて吸いこまれてしまったわけではなく、引きさかれて散らばったのです。

その散らばった残骸がアンドロメダの涙であるとされています。涙の長さはおよそ40万光年あるといいます。

シミュレーションによると、アンドロメダ銀河と小さな銀河が接しはじめてから本格的に衝突
するまでに2億年ほどかかったといいます。銀河と銀河が衝突するといっても、実際は銀河はすかすかの星でなりたっているため、星と星がぶつかりあうことになります。とても規模の大きな話です。

アンドロメダの涙は、天体望遠鏡の精度がよくなったことによって発見されました。そして、どうして“涙”が出ているのかは、コンピュータシミュレーションの能力が高まったことによって解明されました。

これからも、よく知られている星について、発見や解明がなされるかもしれません。よく知られているといっても、まだわからないことだらけも同然なのです。

参考資料
森正夫「アンドロメダの涙、その真実」
http://www2.ccs.tsukuba.ac.jp/Astro/Members/mmori/M31/M31-j.html
久保田裕二「性能及び機能と信頼性の両立を目指して」
http://www.toshiba.co.jp/tech/review/2008/08/63_08pdf/a01.pdf
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細胞のがん化は極性の乱れ


粘着テープには、つるつるとした表面側と、べたべたした裏面側があります。もし、表面側も裏面側と同様にべたべたしていたら、使い勝手がとても悪くなります。なので、表と裏で表面の性質が異なるのは、この場合よいことです。

これとにたような話が、からだのなかでもいえます。

からだの組織のうち表皮は、体内の消化管にいたるまで体すべてを覆っているシートですが、からだの外側に接している面と、からだの内側に接している面では、性質が異なってきます。

この異なる性質がある状態を「極性がある」といいます。表皮だけでなく、からだの細胞や組織には、ある方向に対してはある性質をもち、べつの方向に対してはべつの性質といった極性が見られます。

表皮の極性の例として、よく腸の上皮があがります。からだの内側に接している面には絨毛とよばれる突起が無数について養分の吸収をしますが、からだの外側に接している面にはこの絨毛はありません。

もし、細胞や組織に極性がなかったとしたら、ある方向に対して生じる性質が、べつの方向に対しても生じてしまうことになります。細胞の世界が混沌状態に陥ってしまいます。

それでも問題が起きなければよいではないか、ということになりますが、そうはなりません。表皮細胞の極性の異常は、がんと密接に関わっているからです。

たとえば、表皮では、細胞が極性を保ちながら増殖しようとします。しかし、表皮の細胞ががん化すると極性が失われてしまいます。こうなると、無秩序に細胞が増殖をはじめるなどして、がんが広がっていきます。

逆に、細胞の極性のしくみが明らかになれば、そこからがんが起きて広がるしくみなどを知ることができるようになるかもしれません。

がん治療との接点があることから、生物学の分野で細胞の極性の研究が進んでいます。

参考資料
理化学研究所 2013年8月24日付「腸管粘膜の異常増殖に関わるタンパク質を発見」
http://www.riken.jp/pr/press/2013/20130824_1/
神戸大学 2011年3月11日付「がんのもとになる異常細胞を上皮組織が排除する仕組み」
http://www.med.kobe-u.ac.jp/info/2010/docs/igaki_110315.pdf
横浜市立大学大野研究室「CELL POLARITY:細胞極性」
http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~ohnos/research/Polarity/Polarity1.html
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技術としくみでバスの定時運行を目指す


電車が走っている線路は、電車だけが走るためにあります。いっぽう、バスが走っている公道は、バスだけが走るためにあるわけではありません。公道では自然渋滞なども起き、時刻表どおりに運航することが電車よりもむずかしそうです。

できるかぎり定時運行をするために、バスを走らせるバス会社や道路を管理する行政は、さまざまな策を打っています。

電車とおなじように、バスも専用の道を確保してそこを走ることができれば、定時運行に近づきます。そこで、「バス優先通行帯」が設けられている道路があります。バス以外の車が右左折のため以外で入ると違反になる専用レーンと、バス以外の車はバスが近づいてきたときすみやかにほかの通行帯に移らないと違反になる優先レーンがあります。これらのバス優先通行帯では、道路の色を変えて、それとわかりやすいようにしています。

赤信号も定時運行のさまたげになるもの。とはいえ、信号は守らなければなりません。そこで「バス優先信号」という信号システムが使われています。信号のある交差点にバスが近づいてくると、光ビーコンとよばれる感知器がその交差点で反応します。その情報が信号機に伝わり、青信号の時間を長くしたり、赤信号の時間が短くしたりするしくみです。

この二つのしくみをふくむ、バス優先のシステムは「公共車両優先システム」(PTPS:Public Transportation Priority System)とよばれています。

また、バス優先通行帯を、さらに際立たせたようなものとして「ガイドウェイバス」があります。他の車が走る道とは一線を画す、ガイドウェイという専用道路を設置して、その道路をバスが走ります。ガイドウェイ自体は電車あるいはニュートラムの線路に近いものがあります。日本では、名古屋市交通局が運行している「名古屋ガイドウェイバス」がただひとつの事例となります。

それでも定時運行がむずかしい場合は、すこしでもバス利用客のストレスを和らげることがつぎの手になるのかもしれません。その手段としてあるのが「バスロケーションシステム」。GPS(Global Positioning System)を使って、バスがどこを走っているかの情報を、スマートフォンやバス停表示に伝えるシステムです。

これらの運行システムとともに、運転手の技量も相まって、できるかぎりの定時運行が目指されています。

参考資料
大阪市交通局「定時運行をめざして」
http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/enjoy/web_museum/bus/aim.html
UTMS協会「公共車両優先システム(PTPS)」
http://www.utms.or.jp/japanese/system/ptps.html
まるはち交通センター「名古屋ガイドウェイバス探検隊!」
http://www.maruhachi-kotsu.com/tanken/6gw-index.html
横浜市道路局「バスロケーションシステム」
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/plan/bus/busloca.html
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“健康バイアス”をマスメディアが助長する


きょう(2014年)9月8日(月)発売の『週刊東洋経済』で「クスリの裏側」という特集が組まれています。『週刊東洋経済』の薬関連特集はおよそ2年ぶり。医薬品分野に長けている編集者が職場に戻ってきたのではないかと推測されてます。

特集の「基準値とは何だったのか」という記事の取材と執筆をしました。

人間ドックや健康診断などで、自分のからだの状態がどうかを判断する目安が基準値です。今年4月、日本人間ドック学会が「新たな健診の基本検査の基準範囲」という発表をしたあと、基準値が緩和されたのだと誤解したマスメディアが大きくこの発表内容を報じました。結果、市民が従来の基準値と新しい基準値とどちらを信じたらよいのか迷うような状況になりました。

今回の記事では、従来の基準値と、4月に発表された基準値の意味のちがいや、一連の問題を振りかえりがなされています。

日本人間ドック学会が4月に発表した血圧値やコレステロール値などの一部の基準値の範囲は、たしかに従来の基準値よりも広がっています。ただし、これには将来の心筋梗塞や脳卒中などのリスクについては検討されていないもの。従来の基準値で治療が必要と診断された人は、自分の血圧やコレステロールなどの値がたとえ新しいほうの基準値の範囲内に収まっていても、ひきつづき治療が必要となります。

しかし、どんな学会のどんな基準値であっても、自分の値が下回っていることになれば、「ああ、私はやっぱり治療の必要はないんだ、きっと」と、自分に都合よく受けとめてしまう人も出てくるでしょう。実際、取材である医師は、病院に来なくなった患者がいたと証言していました。

自分の身にふりかかる健康や病気のできごとを、すべて自分の都合のよいように解釈しようとする心の状態を「健康バイアス」といいます。今回、取材をした医師の一人がその危険性を提唱しています。災害の警報が鳴っていても、「自分には関係のないこと、大丈夫だ」と解釈しつづけようとするのとにています。

今回の基準値をめぐる騒動で、治療を受けたくない患者たちの健康バイアスを助長したのはマスメディアでした。誤解による「基準値緩和」だけでなく、あえて「高血圧は心配しなくていい(と、えらい人は言っている)」と読者をあおっているかのような誤解をあたえたメディアもありました。

健康バイアスにより被った被害の責任者は患者本人です。しかし、そのバイアスに患者以外の者が関与するのもまた事実といえます。

「クスリの裏側」特集が掲載されている『週刊東洋経済』の案内はこちらです。
http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/20140908/
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大工道具は、縦挽き鋸、台鉋、指矩で進歩
家を建てるための数々の工具は大工道具とよばれています。日本で使われている大工道具の多くは、大陸から伝わってきました。おなじく大陸から伝わってきた仏教を布教するための寺院を建てる必要があったためです。

寺院建築に使われていた工具は、奈良時代になると上流貴族の家づくりなどにも使われるようになりました。また、平安時代には町家などにも使われるようになりました。

大工道具に大きな技術の進展があったのは、15世紀から16世紀にかけてです。

切る道具では、「縦びき鋸」とよばれる道具が使われだしました。「縦びき」とは、木材を繊維の目とおなじ方向に引くことです。縦びき鋸を使うことで、貴重だった板を多くつくることができるようになりました。これで、天井や壁にも板があてがわれるようになりました。ちなみに縦にき鋸は「大鋸(おが)」ともよばれ、挽いたとき出るくずは「大鋸屑(おがくず)」といいます。


縦挽き鋸で木を削る大工。葛飾北斎『富嶽三十六景 遠江山中』

削る道具にも進化がありました。台鉋(だいがんな)が使われるようになったのです。木の台に刃が付いたかたちの鉋で、いまも使われている大工道具です。縦びき鋸などで来られた材木を仕上げるのにとても有効でした。外国の鉋は押して削るのに対して、日本の鉋は引いて削ります。

19世紀、江戸幕府の大棟梁だった平内延臣(1791-1856)が、和算などを取り入れ、規矩術とよばれる計測術を確立しました。「規」はコンパスのことを指し、「矩」はさしがねのことを指します。

さしがねでは、表目には「1尺5寸7分」といった通常の目盛が刻まれているのに対して、裏目の外側には表目の目盛にルート2をかけた目盛が刻まれました。これで、正方形1辺の長さの対角方向の長さを目盛を一目するだけで把握できるようになりました。この目盛は「角目」といいます。

また裏目の内側には表目の目盛に円周率の3.14をかけた目盛が刻まれていました。円の直径を見れば円周の長さを目盛を一目するだけで把握できるようになりました。こちらの目盛は「丸目」といいます。

いまでは、大工道具にも電動のこぎりなどの機械的なものが増え、現代化しています。しかし、鋸で木を切ったり、鉋で木を削ったり、さしがねで寸法を測ったりとうい技術は、いまも大工が基本として身に付けている技術です。

参考資料
稲葉和也・中山繁信『日本人のすまい』
http://www.amazon.co.jp/dp/4395270212
ひとかえ大きな木「日本建築の架構」
http://chounamoul.exblog.jp/9937620/
ウィキペディア「規矩術」
http://ja.wikipedia.org/wiki/規矩術
松岡正剛の千夜千冊「松村貞次郎 大工道具の歴史」
http://1000ya.isis.ne.jp/0379.html
大阪府教育センター「さしがね」
http://www.osaka-c.ed.jp/ed/h18/dougu/1hakaru/p1_1_3.html
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「多摩川にサケを…」に“ぎりぎり”の意図

多摩川

1982年から1983年にかけて、宝酒造の焼酎「純」のテレビ広告で、「カムバック・サーモン」というキャンペーンがおこなわれていました。

ナレーターの「澄みきった水や空気が僕たちの故郷だ」という声とともに、「多摩川にサケを…」の文言が表れ、そしてタレントの石原良純さんが「純」を美味しそうに飲む、といったテレビ広告です。ほかに、ナレーターの「人間、濁っちゃいけないな」の声とともに、赤ふんどし姿の石原さんが「純」を飲む、といったバージョンもありました。

「純」のラベルにも「多摩川にサケを呼び戻そう」と貼られたものが売られていました。宝酒造は「純」の売りあげの一部を、サケを川に戻す市民運動団体に寄付するなどをしていたといいます。

マスメディアを使ってのキャンペーンが始まる前から、市民運動は高まっていました。1981年から1982年にかけてのシーズン、多摩川では30万匹のサケの稚魚が放流されました。サケが母なる川に戻ってくるのは3年後のこと。1984年から1985年にかけて、多摩川で6件のシロザケが川に遡上してきているのが見つかったのです。数万匹に1匹の割合で、サケが戻ってきたことになります。その後のシーズンでも放流はつづけられ、2年後の1986年から1987年のシーズンには27件に増えました。

「多摩川にサケを…」という願いをかなえるのは、本来とても厳しいものだったといえます。

多摩川は東京都と神奈川県の県境の川です。この多摩川は、サケの分布する南限を超えたところにあります。サケの生息分布の南限を示す一般的な説として、「サケは銚子かぎり」というのがあります。つまり、千葉県の銚子を河口とする利根川には遡上するものの、それより南の川では遡上しても例外的とされてきたのです。

多摩川の河口は東京湾であり、利根川よりも南。寒冷な場所で過ごすサケが戻ってくる川としては温かすぎるというわけです。

しかし、サケが来るかどうかぎりぎりの場所である多摩川にサケを戻そうとしたのは、運動をしかけた人の知識不足によるものではありません。ぎりぎりは意図的だったのです。

運動の発起人のひとりで科学ジャーナリストの馬場錬成さんは、2009年11月のブログのなかで経緯をこう記しています。
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その昔、縄文時代には和歌山県まで遡上していたサケは、都市化する河川の水温上昇と汚染に影響を受け、年々、遡上河川は北上してサケの南限は東北地方にまで北上していた。

そこで筆者らは、多摩川をきれいにして再びサケが遡上する河川にしようとのキャンペーンを展開し、サケをシンボルとした環境運動に広げていった。

これが当時の世に言う「カンバック・サーモン運動」である。
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都市化によって東京湾や多摩川の温度が上昇していることを見こしたうえで、それでもサケを多摩川に戻そうとしていた意図がうかがえます。

ちなみに、この2009年11月、多摩川に雄と雌のサケが久しぶりに遡上して、産卵を果たしたのでした。馬場さんは、「ビッグニュースが飛び込んできた」として、上の引用にあるような文をブログにしたためたわけです。

この2009年11月の「多摩川にサケ遡上」は、多摩川周辺に住んでいる市民の人が発見によるもので、通報を知人から受けた方が、水中カメラで産卵を映像に収めることにも成功したようです。こちらです。
https://www.youtube.com/watch?v=OvtmpePl8_4

その後、多摩川にサケが遡上してきたというニュースは聞かれません。しかし、一般的にサケの生息分布の南限とされている利根川には、確実に放流したサケが大人になって戻ってくる数が増えているようです。2005年には2000匹ほどの遡上数だったのが、2011年には15000匹ほどになったといいます。

参考資料
YOU TUBE「1982/83 宝焼酎 純」
https://www.youtube.com/watch?v=hQYIpf61pu0
ウィキペディア「純(焼酎)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/純_(焼酎)
マルハニチロ サーモンミュージアム「クイズサーモン110問」
http://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/kids/05/answer.html
多摩川サケの会「回帰情報」
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/2024/hmng.html
多摩川親子探検記 2009年11月5日付「サケ科?サケか!?サクラマスか!?」
http://tamagawalk.exblog.jp/12258347/
同2009年11月6日付「2009年 多摩川にサケがやってきた!!」
http://tamagawalk.exblog.jp/12270046/
馬場錬成のブログ 2009年11月「サケ、多摩川で産卵」
http://babarensei.coolblog.jp/blog/2009/11/post_79.html
tektosense 2012年9月12日付「関東周辺で鮭の遡上率が増えているの話」
http://www.tektosense.co.jp/index.php/archives/367
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
科学を生活に役立てる


科学者の本分は、解きあかされていない現象などを解きあかすことにあるといわれます。人は、知的な欲求に駆られる動物ですので、その欲求を知的に満たそうとするわけです。とくに自然の理を解きあかそうとする人たちは、理学者ともよばれます。

科学者とはべつに、工学者あるいは技術者とよばれる人たちもいます。おなじ理工系という分野のなかで科学者と一括りにされる場合もありますが、科学者と工学者や技術者は異なると考える場合が大半です。どちらかというと、科学者に対するものとして技術者のよびかたが、そして理学者に対するものとして工学者のよびかたが使われます。

では、技術者や工学者の本分とはどのようなものでしょう。

技術は、人の生活に役立てるようとする手段を指します。そして、そのために科学が応用されます。また、工学にも技術と近い意味があります。科学の知識を応用して、ものを生産するための手段を“研究する学問”が、工学です。つまり、技術は手段を指すものであり、工学は研究を指すものです。

技術者あるいは工学者は、すでに存在する科学の知識を利用して、生活に役立てようとすることがあります。

しかし、技術を開発しようとしても、まだ科学の知識が揃っていないという場合もあります。その場合は、自分自身で科学的な研究もおこない、知識を得るといったことも行ないます。ある意味で、技術者や工学者には科学者の要素も含まれていることになります。もちろん、科学者も自分が発見したことを、自分自身でさらに役立つものに応用させようとすることがあります。

日本にくらべて世界では、歴史的に科学と工学は大きく離れた分野として扱われる傾向はあるようです。いっぽう、日本では、科学と技術、あるいは理学と工学はかなり近しい存在として見られる傾向があるようです。西欧から科学と技術の知識が明治時代初期にほぼ同時に入ってきたことや、伝統的にものづくりが重視されてきたことなどがその背景にはあるのでしょう。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
“200年住む家”が建ちならぶ社会を創る――人という名の“住む”動物(8)
猿人の暮らしの場、樹上から地上へ――人という名の“住む”動物(1)
肉食獣を避けて洞窟を住みかに――人という名の“住む”動物(2)
マンモスやトナカイの骨を柱に住み家を建築――人という名の“住む”動物(3)
三内丸山遺跡に竪穴住居と掘立柱建物あり――人という名の“住む”動物(4)
木柱、煉瓦塀……風土が構法を定める――人という名の“住む”動物(5)
住み家の工夫で四季変化に耐える――人という名の“住む”動物(6)
長屋暮らしからアパート、団地生活へ――人という名の“住む”動物(7)


東京・新宿の家並み

世界の住み家と日本の住み家をくらべたとき、よくいわれるのは「日本の住み家は寿命が短い」ということです。

日本の住み家の寿命は、30年とも50年ともいわれています。そのくらいの年数が経つと、主たちはわが家を壊し、その跡地に新しい住み家を建てます。“壊しては建て”がひんぱんにおこなわれるさまは“スクラップ・アンド・ビルト”ともよばれます。

いっぽうで、住み家を長持ちさせることで知られる英国では、20世紀のはじめごろに建てられた家でさえ、いまもほぼ壊されることなく使われつづけているといいます。主たちはわが家が建てられてから100年を超えても寿命としていないわけです。

「日本の家の寿命が短いのは木造だから」という認識を多くの人がもっています。しかし、木造建築の家でも、維持管理や修繕をつづけていけば100年を超える“長寿”を実現することも可能です。むしろ、まだ使えるのに、家が手狭に感じられるようになったり、相続などの事情で手放さなければならなくなったりといった、別の事情で家が壊されることのほうが多いようです。

住み家が早いうちに壊されてしまうことにより、地球の資源を使いこみすぎてしまうことや、家の資産価値がすぐになくなってしまうことなどの弊害が起きえます。住宅メーカーなどにすれば、家の建てかえまでの年数が短いほうが儲かるといった利点はあるでしょうが。

長もちさせることのできる住み家は、長もちさせよう。こうした考えから、「200年住宅」という標語が2000年代から掲げられるようになりました。2007年、福田康夫政権下の自民党が「200年住宅ビジョン」という構想を掲げました。大学の工学者や住宅メーカーなども賛同し、産学官をあげてのとりくみとなりました。

「200年住宅」の設計思想で特徴的な点は、住宅の構造にかかわる壁や梁などの部分を耐久性の高いものにしたうえで、その構造のなかに展開される内装や間取りなどは、いままでのより自由に変えられるようにするといったことです。こうしたつくりの住宅は、「スケルトン」つまり「骨」と、「インフィル」つまり「それを埋めるもの」でなりたつことから「スケルトン・インフィル住宅」(SI住宅)などとよばれます。

「200年住宅」に積極的なハウスメーカーは、ミサワホームや無印良品などです。ミサワホームはブランド「ハビタ」で、「住まいづくりを変えてゆきませんか」と提案します。また、無印良品も「窓の家」を、200年住宅としてうちだしています。

ただし、たんに技術面で特徴的な家を建てればよいわけではありません。将来、200年も長もちする家もあれば、従来どおり50年しかもたない家もあるといった状況が生まれてきます。家は資産価値の対象になるため「この家は何年もつのか」といった視点で客観的に評価できる基準が必要になります。そのため、全国の各家に、病院のカルテのような「住宅履歴書」という記録を付けるべきだといった話もあります。制度面も伴うことが大切というわけです。

長もちのする家に家族が何世代にもわたって住む。こうしたことが実現する社会では、人びとが感じる“豊かさ”の実態もまた変わっていることでしょう。了。

参考資料
野城智也「『新たな豊かさ』実現のための住宅長寿化」『Housing Finance』2009年夏号
知恵蔵2014「200年住宅」
http://kotobank.jp/word/200年住宅
朝日新聞掲載キーワード「200年ビジョン」
http://kotobank.jp/word/200年住宅ビジョン
ウィキペディア「スケルトン・インフィル住宅」
http://ja.wikipedia.org/wiki/スケルトン・インフィル住宅
ミサワホーム「HABITA 200年住宅」
http://www.habita200.jp/menu01/200/
| - | 20:37 | comments(0) | trackbacks(0)
長屋暮らしからアパート、団地生活へ――人という名の“住む”動物(7)
猿人の暮らしの場、樹上から地上へ――人という名の“住む”動物(1)
肉食獣を避けて洞窟を住みかに――人という名の“住む”動物(2)
マンモスやトナカイの骨を柱に住み家を建築――人という名の“住む”動物(3)
三内丸山遺跡に竪穴住居と掘立柱建物あり――人という名の“住む”動物(4)
木柱、煉瓦塀……風土が構法を定める――人という名の“住む”動物(5)
住み家の工夫で四季変化に耐える――人という名の“住む”動物(6)

日本では、明治時代になると、西洋からさまざまな技術が入ってきて、世の中に影響をあたえました。家の建てかたや住まいかたにも、その影響は現れてきます。

華族や政府高官といった限られた人びとの間では、1880年代後半ごろからすこしずつ、洋風住宅を建てて住むという暮らしぶりが見られるようになっていきました。当時は、東京大学工学部の前身である工部大学校で、欧米の技師たちから学びを受けた建築家も育ちはじめたころです。しかし、敷地内に洋風住宅が建てられるも来客用で、実際の生活はおなじ敷地内の和風住宅という形式もあったといいます。

いっぽうで、大多数の庶民にとっての住み家は貧弱なものでした。江戸時代の住み家として特徴的だった「長屋」の形式が、明治時代にも引きつがれました。長屋は、ひとつの棟のなかに、居住空間が連続する集合住宅です。大正時代に入っても、住宅の3分の1は長屋だったといいます。

いっぽうで、長屋生活から脱し、「中廊下型」といわれる一軒家に住みはじめる家族も現れはじめました。玄関から廊下がはじまり、廊下の両脇に、部屋、風呂場、台所などが置かれます。都市部で、いわゆる中産階級が増えたことが背景にありました。もちろん、この時代、こうした家は木造で平屋建てがもっぱらでした。

関東大震災で家を失った人たちを救済する目的で建てられたのがアパートです。1924(大正13)年、財団法人「同潤会」が発足し、東京や横浜の各地に鉄筋コンクリートのアパートを建てました。同潤会アパートです。共同風呂、理髪店、屋上の共同洗濯場などがありました。いまの東京・表参道の表参道ヒルズのある場所にも建っていました。


戦後間もない表参道の同潤会アパート

太平洋戦争になると、日本ではいたるところで空襲を受け、家々は火事で焼かれてしまいました。人びとは、木材やトタンの板でつくった「バラック」や、防空壕の跡などで雨風をしのぎました。

敗戦から10年、1955(昭和30)年になると、「団地」が日本各地に建てられるようになります。かつての同潤会を参考に、日本住宅公団が設立され、団地を分譲したり賃貸したりしていきました。昭和40年代になると、大都市近郊や郊外に、団地などからなる大規模住宅地が造られるようになりました。ニュータウンです。

このように、近現代に入り、日本の住み家は多様化を見せて、めまぐるしく姿を変えていきました。「街が新陳代謝をするかのよう」といった表現も、住宅の建てかえの頻度の高さから来ているのでしょう。


団地

西洋にくらべても、日本の住宅は建てかえまでの期間が短いといわれます。そこで、“長もちする家”を目指す動きもでてきました。つづく。

参考資料
稲葉和也、中山繁信『日本人のすまい 住居と生活の歴史』
http://www.amazon.co.jp/dp/4395270212
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
「決勝で引きわけの場合、両校準優勝」は理論的


(2014年)8月に兵庫県でおこなわれた第59回全国高等学校軟式野球選手権では、準決勝で崇徳高校と中京高校が延長50回を戦い、話題になりました。この試合は3対0で中京高校が勝ち、当日に行われた決勝でも、三浦学苑を2対0で下し、優勝となりました。

この一連の話題のなかで知られたのが、「決勝戦で引きわけの場合、両校準優勝になる」という大会規定があることです。「なぜ両校準優勝なのか。両校優勝にさせてあげればよいのに」といった声があがっているといいます。

勝負ごとで決着がつかないとき「預(あずか)り」という状態になることが競技によってはあります。

「預り」は、動詞の「預かる」から来たもの。なにを預かるかといえば「勝負を預かる」わけです。そして、だれが勝負を預かるかといえば、「勝負を管理している人」、具体的には審判あるいは大会主催者などの立場の人となるわけです。

「預り」の縁が深いのは相撲です。大相撲では、勝負が長びくなどして決着がつかないと、行事や審判委員がその勝負を預かることがありました。これは引きわけの一種とされます。

ただし、「預り」とは似て非なる「引分」という裁定もあります。引分のほうは、水入りを重ねるほど勝負が長びいて対戦力士がともに疲れはててしまい、勝負がつかないと審判員が判断した場合に下すものです。近年の対戦では、1974年9月場所11日目に、三重ノ海と二子岳が対戦したとき引分となりました。

いっぽう、相撲でいう「預り」のほうは、たとえ疲れていなくても両者の勝敗が決まらないときに、行事または審判員が勝負を決めずに預かるわけです。現代の大相撲では「預り」は見られませんが、江戸時代には上位力士どうしの対戦でたがいの面子をたもたせるといった事情から、預りが多く見られたといいます。星取表には「ア」と書かれていたといいます。

勝負を管理者がその勝負を預かれば、その勝負で「負け」が生じることはありません。同時に「勝ち」も生じることはありません。

では、この状況を野球などのトーナメント方式の大会の決勝戦にあてはめてみるとどうでしょう。

なんらかの事情によって、決着がつかない勝敗は「預り」となります。勝敗がつかないということは、優勝も生じないため、優勝も「預り」となります。この理論からすると優勝チームは存在しないことになります。

トーナメント方式の大会において、優勝につぐ最高位は準優勝です。そのため、優勝預りが起きた大会での最高位チームは準優勝となる、という理屈がなりたちます。

いっぽう、陸上競技や競泳などの順位を決める運動競技では、同着の場合、両者1位になることが通例です。どちらも「1位」ということは事実であり、「両者2位」とする理由はありません。

「預り」による両者準優勝は、勝敗をつける対戦型の競技において、筋を通すとそうなるものといえるでしょう。とはいえ、決勝まで進んだ末に、大会規定で両校が引きわけになったのであれば、両者を讃えて「両校優勝」としてあげたいというのが、おおかたの人びとの思いかもしれません。

参考資料
大相撲.com「相撲の勝敗」
http://ozumou.com/archives/31
ウィキペディア「預り(相撲)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/預り_(相撲)
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
軽量な物の重さの感覚的基準を探せ
人は自分の体重を気にすることは多くあるものの、持っている物の重さなどをあまり気にすることはありません。ダンベル運動をするときは、大きく「2kg」などと刻まれているからべつかもしれませんが。

重量の軽い物はとくに、その重さが感覚として身につきづらいものです。たとえば、「ふつうの速さで歩くと1時間でおよそ240キロカロリーを消費し、体重換算でいうと約33グラム減る」といいます。しかし、「33グラム」というものが、どれだけの重さであるのかを感覚的に理解するのはかんたんではありません。

容積であれば、小さじ1杯分とか、東京ドーム1個分といった基準になるものがよく言われるため、「だいたいこんなものか」ということがわかります。「小さじ何杯分」と言われて、それでもわからないかもしれませんが、すくなくとも安心はします。

また、長さであれば、人は自分の身長や東京タワーの高さを知っていたり、定規もよく目にしますので、長さの基準もだいたい身につけていることになります。

では、物の重さの基準を感覚的に身に付けていないかというとそういうわけではありません。

1円玉の重さは、ちょうど1グラムです。買いもののとき、お釣りで1円玉を手のひらに乗せられることがあります。1枚であれば1グラム、2枚であれば2グラム、3枚であれば3グラム……となります。「枚」と「グラム」の単位がおなじ数字で対応しているため、覚えやすさもあります。

この感覚的な基準を認識したところで、「ふつうの速さで歩くと1時間でおよそ240キロカロリーを消費し、体重換算でいうと約33グラム減る」という情報をふたたび考えてみると、1時間歩くことで1円玉にして33枚分の重さが減るということになるわけです。

「1円玉で何枚分」という説明はまだあまりされていないので、広めようとする方はねらいめかもしれません。

| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
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