科学技術のアネクドート

住み家の工夫で四季変化に耐える――人という名の“住む”動物(6)
猿人の暮らしの場、樹上から地上へ――人という名の“住む”動物(1)
肉食獣を避けて洞窟を住みかに――人という名の“住む”動物(2)
マンモスやトナカイの骨を柱に住み家を建築――人という名の“住む”動物(3)
三内丸山遺跡に竪穴住居と掘立柱建物あり――人という名の“住む”動物(4)
木柱、煉瓦塀……風土が構法を定める――人という名の“住む”動物(5)

木々の豊富な日本では、木造の住み家が多く建てられてきました。しかし、江戸時代や明治時代までは、家々に電気やガスが通っているはずもありません。春夏秋冬の四季があるなかで、人びとはさまざまな工夫を凝らして、自然変化に対応する居住空間をつくってきました。

光を採り入れるために、町家などでは「高窓」をこしらえました。高窓は、普通の窓より高い位置にある窓のことです。窓を高くすることで、太陽の光を部屋の奥まで導くことができます。また、地面で反射した太陽光を、屋根の軒の裏側でさらに反射させ、その反射光も高窓から採り入れるといった工夫をしました。


高窓

夏場は、暑さをしのぐことで快適さを求めようとしました。窓の工夫では、夏場に吹いてくる風の方角に向いた壁に、窓を設けました。室内のごみなどを外に掃きだすための「地窓」とともに高窓を利用して、地窓から入り込んできた風を、上昇気流で高窓から送りだすといったことをします。

また、風とおしをよくするため、風が通るところに部屋を連続的に配置させる「続き間」にしました。必要に応じて、ふすまや障子で仕切ることで、部屋を分割することもできます。1階と2階のあいだの天井をなくして空間を広く確保する「吹き抜け」も、おなじように風通しをよくする効果があります。


続き間

いっぽうで、冬になると寒さへの対策が大切になります。高窓などから差しこんできた太陽光からの熱を、なるべく家の外に逃がさないようにするため、蓄熱性を高めます。たとえば、家壁や部屋壁を、土を塗り固めてつくった「土壁」にするといったことがあげられます。「雨戸」にも蓄熱効果があります。

座敷の外側に板敷の「縁側」を設けるのも、寒さを和らげる効果があるといいます。居間が家のいちばん外側に接するという状態を避けられるからです。

また、部屋の床を四角に切って、そこで火を燃やす「囲炉裏」によって暖をとる家もありました。煮炊きなどの料理も、囲炉裏でできます。


囲炉裏

これらの工夫は、人びとが四季の変化に対応して、なるべく快適な生活をすごしたいという必要から生まれたものです。つづく。

参考資料
日本の住まいの知恵に関する検討調査委員会編『今に生きる日本の住まいの知恵』
http://www.amazon.co.jp/dp/4890678166
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
木柱、煉瓦塀……風土が構法を定める――人という名の“住む”動物(5)
猿人の暮らしの場、樹上から地上へ――人という名の“住む”動物(1)
肉食獣を避けて洞窟を住みかに――人という名の“住む”動物(2)
マンモスやトナカイの骨を柱に住み家を建築――人という名の“住む”動物(3)
三内丸山遺跡に竪穴住居と掘立柱建物あり――人という名の“住む”動物(4)

青森市の三内丸山遺跡の住居跡からは、地面を掘って床とした竪穴住居から、地面に穴を掘って柱を立て屋根を構えた掘立柱建築へと、住み家の構法が変わっていったことがうかがえます。

竪穴住居と掘立柱建築。どちらの構法による住み家にも、後の時代に見られる住み家には欠けているものがありました。それは、礎石(そせき)です。

礎石とは、建造物の土台として据える石のこと。礎石をいくつも置いて、それぞれの上に木柱をはめるなどして立てます。


南禅寺三門の礎石
写真作者:masatoshi_

礎石を置くようになったのは、木柱を腐らせないためです。古来の掘立柱建築では、木柱が立っていても礎石がないため、地面に接するところから木柱が腐ってしまいます。そのため、ひんぱんな建てかえが必要でした。

いっぽう、礎石を置いてその上に木柱を立てれば、木柱は腐りません。建てかえ不要で、長いこと建てものを利用することができます。

いくつもの礎石に木柱を立てます。さらに、柱と柱のあいだを水平方向にわたす横木、つまり「梁」を構えます。こうしてつくった構造の上に屋根をこしらえて、人びとはそれを住み家としました。

屋根を柱で支える住み家は、礎石をとりいれたことで、より頑丈なものになりました。大きな石と木が豊富にある日本のような地域では、礎石と木柱による建築法が発展していきます。この構法は、いまの日本では「伝統構法」とよばれています。

いっぽうで、屋根を柱で支えない方式の住み家もあります。

外国には煉瓦を積み重ねて壁とし、その煉瓦の壁によって屋根を支えるつくりの住み家も多く見られます。煉瓦は、粘土に砂や石灰などを加えて、型に入れて火で焼きかためたもの。煉瓦と煉瓦のあいだの目地は、石灰に砂を混ぜて水で練ったモルタルなどが使われます。

煉瓦のほかにも、石、さらに氷の豊富なところでは氷を積みかさねて、それを壁にすることで住み家をつくる方法は、「組積造(そせきぞう)」といいます。積みかさねる煉瓦の材料である粘土、あるいは石、あるいは氷に豊富な地域では、組積造による住み家がつくられていきました。


煉瓦でできた壁
写真作者:Fabian Viol

風土が住み家の方式を定めるのです。つづく。

参考資料
高畑由起夫研究室「住まいの人類学Part2:平地へ進出する時、屋根を支えるのは柱か壁か?」
http://kg-sps.jp/blogs/takahata/2011/03/03/3722/
ウィキペディア「木造軸組構法」
http://ja.wikipedia.org/wiki/木造軸組構法
ウィキペディア「組積造」
http://ja.wikipedia.org/wiki/組積造
| - | 15:07 | comments(0) | trackbacks(0)
「科学ジャーナリスト塾」第13期、2014年10月開講へ


日本科学技術ジャーナリスト会議が運営する「科学ジャーナリスト塾」の第13期が、2014年10月7日(火)から開かれることになりました。同会議の会員メーリングリストで伝えられています。今後、同会議のホームページにも申しこみのための情報が載る見通しです。

科学ジャーナリスト塾は、科学ジャーナリストを目指す人たちを育てる塾。2002年の秋、同会議に所属する有志ある科学ジャーナリストたちが開きました。一時期、運営母体が別団体に移りましたが、2013年の第12期から、ふたたび同会議が運営母体となり開催しています。

今期の塾は、10月7日(火)から2015年3月16日(火)までの第1、第3火曜日を基本に全12回、行われます。場所は、東京・内幸町プレスセンタービル8階の特別会議室。時間帯は19時から21時。

塾では、期を通じてのテーマが設けられています。今期のテーマは「科学を伝えること」。同会議は、主旨をつぎのように伝えています。
_____

3・11以降の震災・原発事故報道などに見られるように、科学を伝える仕事には難しさが伴い、また基本姿勢も問われています。塾では科学ジャーナリストのこころざしをあらためて問うとともに、これまでの試行錯誤や失敗体験の教訓、さらに科学コミュニケーションの方法や工夫について実践例を学びます。
会員相互の研鑽の場として、また科学を伝える仕事に就きたいという若者が新聞・テレビでの科学の解説者、フリーライター、科学コミュニケーターたちの経験を学ぶ場として期待してください。
_____

予定されているおもな内容は、参加塾生の関心を伝え合う、塾創設の「こころざし」に学ぶ、塾卒業生からの話題、会員からの話題科学ジャーナリスト賞の大賞・優秀作に学ぶ、など。最終的には、塾生がレポートを発表する予定です。また、同会議が毎月、科学・技術の分野の重要人物を招いて開く月例会に無料参加もできます。

塾費は12回通しで15,000円とのことです。

入会志望の方は、今後、日本科学技術ジャーナリスト会議のホームページに、第13期の科学ジャーナリスト塾のお知らせが掲載される見通しです。興味ある方は確認してください。URLはこちらになります。
http://www.jastj.jp
| - | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0)
「だいち2号」広島土砂災害地の観測データを送信
広島市の安佐南区と安佐北区で(2014年)8月20日(水)未明に起きた土砂災害では、28日(木)22時現在で、死者72人となりました。行方不明者の捜索活動はいまも続いています。

2014年5月に打上げられたばかりの人工衛星からも、被災地の状況を示した地形情報の画像が送られています。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は(2014年)8月22日(土)、5月に打上げた陸上観測技術衛星「だいち2号」から送られてきた、広島市の土砂災害発生地域の観測データを発表しました。その後も、25日(月)、28日(木)と、観測データを送りつづけています。


打ちあげ前の「だいち2号」
©宇宙航空研究開発機構

同機構の発表によると、観測データは、被災地周辺の鳥瞰図や、地形の線状構造を示した衛星写真など。

鳥瞰図のほうは、前号機「だいち」が観測したデータから作成された3次元地形情報を重ねあわせたものです。公開されている画面では、見づらいものの、土砂災害が発生している様子を捉えています。こちらです。

また、線伏構造とは、衛星写真から尾根や谷などを撮影したときに見られる直線的な地形のこと。英語で「リニアメント」ともいいます。この線伏構造を移した衛星写真が「だいち2号」から送られてきました。こちらです。

画像の上が今回の「だいち2号」によるもの、下が2010年9月の「だいち」によるもの。上の画像の橙色の線が、新たに形成された伏線構造といいます。同機構は「土砂災害に伴う地形変化の影響と考えられます」としています。

これらの画像は、「だいち2号」に搭載されている「PALSAR-2」というレーダーを活用したもの。PALSAR-2は、“Phased Array type L-band Synthetic Aperture Radar-2”の頭文字をとったもの。「だいち2号」の本体から、左右に展開されたパネル群の部分にあたります。


「PALSAR-2」を左右に広げた「だいち2号」の線画
©宇宙航空研究開発機構

「だいち」に搭載された「PALSAR」では、10メートルの大きさの物体を識別することができましたが、「PALSAR-2」のほうは1メートルの大きさまで識別することができます。

可視光線でなく、マイクロ波Lバンドという電波の一種を利用して、地形情報などを得ているため、雲や夜などの影響も受けず、観測をつづけることができるといいます。

「だいち2号」は、地図作成、地域観測、災害状況把握、資源探査などのさまざまな目的のために開発された人工衛星。宇宙航空研究開発機構は、今回の観測データを内閣府や、国土交通省などの防災担当機関に提供しているといいます。一般向けにも、随時、情報を公表しています。こちらです。

参考資料
宇宙航空研究開発機構地球観測研究センター 2014年8月28日更新「だいち2号による、広島市土砂災害の観測結果について」
http://www.eorc.jaxa.jp/news/2014/nw140822.html
宇宙航空研究開発機構 2014年5月26日付「陸域観測技術衛星2号『だいち2号』(ALOS-2)のLバンド合成開口レーダ(PALSAR-2)アンテナ展開結果について」
http://www.jaxa.jp/press/2014/05/20140526_daichi2_j.html
ウィキペディア「リニアメント」
http://ja.wikipedia.org/wiki/リニアメント
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
蛭子能収さんの理想は「自分も行くよ」より「やめとくよ」
漫画家の蛭子能収さんがこの(2014年)8月、『ひとりぼっちを笑うな』という本を上梓したとのことです。ラジオ番組「荻上チキ・Session-22」 に、きょう8月27日(火)午前0時台からゲスト出演し、この本にも書かれている友人論や人づきあい論を説いていました。

蛭子さんは、基本的に人づきあいが苦手と考えているようで、たとえば、料理屋で皿に盛られて出てくる料理を、自分以外の人と小分けに共有して食べたりするのが苦手と言います。

また、テレビ番組のプロデューサなどの“おごり”で招かれる会合についても、1軒目の食事ぐらいはよいものの、2軒目のキャバレーでは嬢と話さなければならず、それが苦手だと言います。そのため、懐に手品を用意しておいて披露し、どうにかその場をやり過ごすこともあるとのこと。

路線バスを乗りつぐ紀行番組にもよく出演していますが、本当は3人などで集団行動をするより、1人でぶらぶらと繁華街を歩いて、酔っ払いを素面で観察するほうが好きだとも言います。

そんな蛭子さんが、理想とする友人像を語りました。それはつぎのような人だそうです。

週末どこかに出かけようと誘ったとき、「うん、わかった。自分も行くよ」と言ってくる人でなく、「いや、自分は週末べつのところに行きたいから、やめとくよ」と言ってくる人。

相手からの誘いに、無理して同調する人でなく、正直な気持ちのまま返事できる人こそが、気のおけない仲であるという主張と考えられます。この主張の背景には、基本的には一人でいるほうが心地よいから、一人でいる心地よさを阻害されないような友人をもつことが理想なのでしょう。

蛭子さんには、本職の漫画よりも、テレビ番組からつぎつぎと仕事の依頼が舞いこんでくるようです。ラジオ番組での発言からすると、「一人でいるほうが心地よい」という気持ちがありながらも、そうはいかない集団での仕事に対して「お金が入るんだったら引きうける」といったことで応じているようです。

「一人でいるほうが心地よい」気持ちと、「仕事は拒まず引き受ける」という気持ちが相まって、蛭子さんの表情には「まあ、しかたないか」といった哀愁が醸しだされているのでしょう。


『ひとりぼっちを笑うな』(角川Oneテーマ新書)
| - | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0)
「新聞を読むから好成績」とはいえない


文部科学省が今年2014年4月、小学6年生と中学3年生に実施した「全国的な学力調査」に関連して、日本経済新聞が8月25日(月)「小中とも新聞読むほど好成績 全国学力テスト」という記事を出しました。共同通信の配信記事です。

記事によると、全国学力テストのとき対象の児童と生徒におこなったアンケートを文部科学省が分析したところ、よく新聞を読む子どものほうが学力テストの平均正当率が高いという結果が出たということです。

たとえば、小学校6年対象の「国語B」では、「(新聞を)読まない」と答えた児童の正答率は52.0%だったのに対して、「ほぼ毎日読む」と答えた児童の正答率は62.3%だったといいます。中学3年の「国語B」でも「読まない」と答えた生徒の正答率が49.3%だったのに対し、「ほぼ毎日」と答えた生徒の正答率は57.2%だったといいます。

記事には「家庭や学校で新聞を読むことは学力向上に効果があると言えそうだ」と書かれてあります。本当でしょうか。

「新聞をほぼ毎日読む」と答えた児童と生徒の「国語B」の正答率が、「読まない」と答えた児童の正答率より高かったというのは事実といえます。しかし、この事実だけから、「新聞をよく読むことが学力向上に効果がある」という結論を導くことはできません。

新聞をよく読むような家庭は、教養を得ることに積極的であり、その表れとして子どもの教育についても熱心かもしれません。「教養を得ることに積極的な家庭で育った子は、学力テストの正答率が高いし、新聞もほぼ毎日読んでいる」といったことも考えられます。

また、新聞を購読する家庭は、購読していない家庭より、経済的に余裕があるのかもしれません。経済的に余裕があれば、子どもの教育費にかけるお金が多くなってもおかしくありません。「教育費を多くかける家庭で育った子は、学力テストの正答率が高いし、経済的余裕から購読されている新聞に接する機会も多い」ということも考えられます。

さらに、文章の読解を得意とすることが生活習慣にも現れているという関係性もあるかもしれません。「読解力を試される学力テストで正答率の高かった児童や生徒は、文章を読むことを苦手としないため、新聞をよく読む」ということも考えられます。

もちろん、「新聞を毎日のように読んでいることで文章の読解力が高まり、その結果国語のテストの正答率が高くなる」といったつながりも否定できません。ただし、新聞をほぼ毎日読む児童や生徒の正答率が比較的高かった原因は、それだけではないということです。

集団の現象や傾向を数量的に把握する統計には、「因果関係」と「相関関係」があります。因果関係は、一方が原因であり他方が結果であるというつながりがあることをいいます。相関関係は、一方が変われば他方も変わるというようなつながりがあることをいいます。

記事の「家庭や学校で新聞を読むことは学力向上に効果がある」は因果関係を示しているものです。しかし、アンケート結果と学力テストの正答率のつながりは相関関係を示しているにすぎません。実際、文部科学省も発表では、アンケートと成績の関係を「相関関係」と表現しています。

過去にも「新聞をよく読む子は成績がよい」という関連性を、因果関係として述べる記事が世に出されています。そのたびに誰かしらから指摘を受けています。

参考資料
日本経済新聞 2014年8月25日(月)「小中とも新聞読むほど好成績 全国学力テスト」
http://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040003_V20C14A8000000/
文部科学省 2014年8月25日(月)「平成26年度全国学力・学習状況調査の結果について」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/1349697.htm
谷岡一郎『データはウソをつく 科学的な社会調査の方法』
http://www.amazon.co.jp/dp/4480687599
| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0)
「久しぶり」の「ぶり」は「5年ぶり」の「ぶり」


歌手の小柳ルミ子が1983(昭和58)年に「お久しぶりね」という曲を発表し、翌年にかけてよく聞かれました。作詞・作曲は杉本真人。「お久しぶりね あなたに会うなんて」と、歌詞のはじめに楽曲名が登場します。

日本人の会話や挨拶では「久しぶり」はよく使われるもの。「久しぶり!」と単独で使われることもあれば、「久しぶりですね」と助動詞もつけて使われたり、「久しぶりに晴天に恵まれました」と格助詞をつづけて使われたりもします。「久しぶり」の語源はどうなっているのでしょう。

「久し」のほうは、「ひさしい」ということばもよく知られているので、想像つきやすいもの。「久しい」は、時が長く経過していることを表すことばです。

ちなみに、「久」の字そのものは、「尸(しかばね)」を横に倒して、さらに後ろから棒で支えている様子を捉えたことからできた象形文字とされています。人が死ぬことで「永久の存在」になるということから、時が長く経過していることを意味するようになったとされています。

いっぽうの「ぶり」のほうは、漢字も使うと「振り」あるいは「風」となります。おもに、ありかたや量などを示すために、名詞などにつけて使われるもの。

様子をあらわすものとしては、「枝ぶり」「歩きっぷり」などがあります。

量をあらわすものとしては、「大ぶり」「小ぶり」などの大きさにかかわるもの。そして、「半年ぶり」「5年ぶり」などのように時間にかかわるものがあります。

時間にかかわるものは、「ぶり」の前にくる時間に対して、それだけ長い時間をかけてふたたびおなじ状態に戻ることを指すことになります。「5年ぶりの復帰」などといいます。

そして、「久しぶり」の「ぶり」も「久しい」という感覚的な時間に対して、それだけ長い時間をかけてふたたびおなじ状態に戻ることを指すものとなります。ただし、解釈するにあたってすこしむずかしいのは、「5年」や「半年」のような名詞でなく、「久しい」という形容詞に「ぶり」が付いているというところでしょう。

参考資料
スーパー大辞林
NAVERまとめ「ほんとうは怖い漢字の由来 久」
http://matome.naver.jp/odai/2129628202362446901/2129644058765246803
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
樹状突起と軸索のあいだに神経細胞体


人が目でものを見たり、皮膚でものを感じたりできるのは、体に神経が通っているからです。人のからだの神経の種類には、脳から脊髄にかけて走る中枢神経と、からだのすみずみまで走る末梢神経があります。

神経細胞は、外からの情報の伝達や処理を行うための細胞です。広い意味での神経細胞は、神経細胞体、樹状突起、軸索というおもに三つの部分からなりたっています。

神経細胞では、樹状突起の先端で神経伝達物質を受けとり、軸索の先端のシナプスから、その受けとった神経伝達物質をつぎの神経細胞へと送るというしくみが知られています。1個の神経細胞に、樹状突起は複数あり、軸索はひとつあります。

では、樹状突起と軸索の中心にある神経細胞体はどのような役割をもっているのでしょうか。

神経細胞体には、デオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)を含む細胞核があります。ですので細胞分裂をおこなって、細胞が増えていくことになります。つまり、神経細胞のなかで、まず、細胞分裂を担っているのが、この神経細胞体ということになります。

ただし、神経細胞は、個体の発生初期のころに細胞分裂をして増えたあとは、細胞分裂をすることがありません。このため、細胞非再生系などとよばれています。

また、樹状突起や軸索などが長く伸びていくためには、その材料としてタンパク質が必要となりますが、神経細胞体はそれらタンパク質を合成する役割をもっています。神経細胞体でつくられたタンパク質の材料が、モーター分子とよばれるべつのタンパク質によって、樹状突起あるいは軸索へと運ばれていき、それぞれが長く伸びたり、役割を果たしたりできるようになるのです。

また、神経細胞体は、樹状突起から軸索まで至る道のりの途中に存在することになりますので、神経伝達物質を送る中継地点ということにもなります。

神経細胞は細胞のなかでも大きいことが知られています。神経細胞体については、ヒトのもので3マイクロメートルから18マイクロメートルほど。人のからだの一般的な細胞の大きさは6マイクロメートルから25マイクロメートルほどとされるので、神経細胞体そのものはあまり大きくはありません。ただし、神経細胞体から運ばれていくたんぱく質などの材料が、ときに合わせて1メートルもの長さになる軸索や樹状突起をつくりだすのです。

参考資料
ウィキペディア「神経細胞」
http://ja.wikipedia.org/wiki/神経細胞
原子力百科事典 ATOMICA「放射線の細胞系への影響」
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-02-02-08
科学技術振興機構 理科ねっとわーく「細胞って何」
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0340/contents/f0/03/f03000.html
| - | 23:59 | comments(1) | trackbacks(0)
「重複なく、漏れなく」ものごとを分析する


ビジネスの世界では、ものごとの状況を整理するために「MECE(ミーシー)」という考えかたを使うことがあります。業界によっては、あたりまえに「その構成は、ちゃんとミーシーになっているかね」とか「ミーシーを考えてみたのですが、なかなかうまくいかなくて」などと使われています。

MECEは、“Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive”の頭文字をとってたもの。日本語に訳すと、「たがいに相いれず、まとめてあますところなく」といったことになります。よりかんたんに「重複なく、漏れなく」といった表現も使われています。

たとえば、なにかの問題を解決するため、その問題の原因をつきとめるとします。たいていの場合、問題の原因はいくつかにわかれるため、それを洗いだしていくことになります。

その結果、原因がA、B、Cというものになったとします。このとき、A、B、Cそれぞれの原因の内容が、それぞれ重複したり包含関係になったりしないようにすることが大切というわけです。

たとえば、「社員の遅刻が多い」という問題に対して、その原因を考えたとき、「社員たちの残業が夜遅くまである」という原因と「社員の生活が夜型になっている」という
原因があがったとします。しかし、このふたつは、「社員の残業が夜遅くまであるから、社員が夜型生活になる」という関連性があります。そのため、MECEの考えかたからすると、

こうした分析を「重複なく」で行うのがよいのは、理解が簡単になり、相手にも伝わりやすいなどの利点があるからです。逆に「重複あり」になっていると、たとえば、その原因を解消するための解決策も重複したものになってしまいます。その対策も効率が悪くなるおそれがあります。

いっぽう、「漏れなく」のほうは、あるできごとを構成する要素をすべてあげることを意味します。問題の要因をあげるということであれば、大きな要因も小さな要因も取りこぼしなく、すべてをあげることを指します。

「漏れなく」あげるのがよいのは、分析や問題解決の完成度が高まるからです。たとえば、問題の要因をあげるなかで漏れがあり、かつその漏れが問題解決に大切な要素であるような場合、漏れの部分を考えないと筋ちがいな問題解決しか出なくなるおそれがあります。

本来、ものごとを分析するときは、重複なく、漏れなく行うのがあるべきこと。しかし、なかなかそうもいかないため、「MECE」ということばが現れ、重視されているのでしょう。

参考資料
日経Bizアカデミー「『ピラミッド構造』と『MECE』が基本」
http://bizacademy.nikkei.co.jp/business_skill/logical/article.aspx?id=MMACzo001023042012&page=1
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「光明が見えてきた『お弁当傾き問題』」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2014年)8月22日(金)「光明が見えてきた『お弁当傾き問題』レジ袋内の「汁だく」事故は防げるのか?」という記事が配信されました。記事の取材と執筆をしました。

“小さいけれど確実な不幸”として多くの人が経験しているのが、レジ袋に入れた弁当が傾いて、容器内のおかずが寄ったり、汁がごはんに染みたりすることです。記事では「レジ袋内の弁当傾き問題」と表現しています。

記事をつくるにあたり、2社への取材を試みました。

1社目は記事に登場する、弁当などの容器が傾かないレジ袋「ランチビークル・ライト」を開発したアスラビットです。同社は、容器が傾かないレジ袋を、2012年以来、“第4世代”まで開発してきました。設計思想として、「かならず先達の知恵を学び、アレンジすること」を旨としているとのことです。もちろんこの会社との、お金のやりとりなどはありません。

もう1社、取材を試みたのは、大手コンビニエンスストアチェーンを運営する持株会社です。「レジ袋内の弁当傾き問題」に対してなにかとりくみをしているか、また、レジ袋内の弁当が傾かないための工夫はあるかを聞こうとしました。

また、「ランチビークル・ライト」のような容器の傾かないレジ袋が開発されても、社会で広く使われなければあまり意味がありません。現時点で採用を検討しているかも聞こうとしました。

しかし、取材については「(応じることは)厳しい」との返事があったため、コンビニエンスストア側の反応は記事では伝えられていません。

もし、コンビニエンスストア側が、レジ袋のかたちの改善などに消極的であるとすれば、ふたつの理由が考えられそうです。

ひとつは、費用がかさむということです。たとえば、アスラビットが開発したレジ袋は通常のレジ袋より、形がやや複雑なためその分、費用はさらにかかりそうです。同社も「製袋加工が多少複雑となり、そこに手作業要素が入るとコスト高にもなってしまう」と認めています。

もうひとつは、「地球環境にやさしい」という企業の印象を社会にあたえることを考えたとき、レジ袋は削減したいモノの象徴になります。「レジ袋を改善しました」ということを広く伝えるのは、企業の印象としてあまりよくと捉えられるため、積極的にならないといったことも考えられます。

JBpressの記事「光明が見えてきた『お弁当傾き問題』」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41531
| - | 17:31 | comments(0) | trackbacks(0)
カビがつくるマイコトキシン、発がん性も


食に関わる話題などで、「マイコトキシン」ということばを聞くことがあります。どういう意味でしょう。

「マイコトキシン」とよく言い換えられるのが、「カビ毒」です。

カビは、菌類のうち菌糸からなる原糸体をつくり、キノコに見られるような子実体をつくらないものをいいます。カビというと、毒のあるものを想像しがちですが、かならずしも人体に悪影響をあたえるものばかりではありません。たとえば、酒やしょうゆなどの醸造にはコウジカビというカビが使われ、有益です。

いっぽう、体に悪影響をもたらすカビもあります。それらのカビがつくる毒素が、カビ毒、つまりマイコトキシンです。

厳密にいうと、カビそのものが毒であるというのでなく、カビがつくりだす物質が毒であるということになります。カビは増殖する途中で、いろいろな化学物質をつくります。化学変化によって物質を変える代謝によって毒をつくるため、つくられた毒は代謝産物とよばれます。

代謝のなかでも、生命体にとって必要なものを一次代謝といい、それ以外のものを二次代謝といいます。カビにとって、カビ毒をつくることは二次代謝になるため、カビ毒は二次代謝産物ともいわれています。

食品に生えるカビから生じるマイコトキシンには、ピーナッツ、とうもろこし、そば粉などから検出されるアフラトキシン、小麦粉やポップコーンなどから検出されるフザリウム、ハト麦、そば粉、製餡原料豆などから検出されるオクラトキシンなどがあります。

なかでも、アフラトキシンは発がん性物質であることが知られています。とくにB1という型のアフラトキシンは、天然物のうちでもっとも強力な発がん性物質とされます。こうしたことから、日本対がん協会は「がんを防ぐ12ヶ条」のひとつに、「カビの生えたものに注意」を掲げています。

マイコトキシンからがんが生じるのは慢性毒性ですが、そのほか、食べたあと急性に食中毒が出ることも知られています。この食中毒は、まとめて真菌中毒症とよばれています。

参考資料
大阪府立公衆衛生研究所メールマガジン「カビが産生する毒:マイコトキシン」
http://www.iph.pref.osaka.jp/merumaga/back/57-1.html
東京都福祉保健局「カビとカビ毒」
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shokuhin/kabi/files/kabi.pdf
日本対がん協会「がんを防ぐ12か条」
http://www.jcancer.jp/about_cancer_and_checkup/がんを防ぐ12か条
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
ゼリー食品に熱量0キロカロリーの炭水化物


コンビニエンスストアなどで売られているゼリー食品には、「熱量0キロカロリー」を謳うものがあります。森永製菓が発売している「ウィダーinゼリー」シリーズにも「カロリーゼロ」という商品があります。

商品の裏側などに印刷されている「栄養成分表」を見ると、やはり「熱量 0kcal」と書かれてあります。しかし、おなじく表を見てみると、「炭水化物 11.4g」とも書かれてあります。

炭水化物というと、エネルギー源になるので、熱量が含まれていそうな印象をもたれます。しかし、「熱量 0kcal」。どういうことでしょうか。

知られているのは、炭水化物のなかでも「食物繊維」とよばれるものには熱量がほぼないということです。たとえば、こんにゃくは、炭水化物でできていますが、その炭水化物の成分のほとんどが食物繊維のため、熱量はほぼありません。

こんにゃくの主成分の食物繊維は、グルコマンナンというもの。グルコマンナンを分解するような酵素を私たち人はもっていません。そのため炭水化物でありながらも、体に吸収されず、グルコマンナンから得られる熱量はゼロということになります。

では、「ウィダーinゼリー ゼロカロリー」にグルコマンナンが入っているのかというと、原材料名にそれらしきものは見あたりません。食感はこんにゃくに近いものがありますが、原材料は異なるようです。

そこで原材料名をくまなく見てみると、「エリスリトール」という名前が書かれています。

エリスリトールは、炭水化物のひとつ。これが「熱量 0kcal」を実現させている炭水化物なのです。

では、エリスリトールは食物繊維なのというと、そうではありません。炭水化物は、おもに熱量をもつ糖質と熱量をもたない食物繊維に分けられますが、エリスリトールは糖質のほうに属します。

糖質なのに熱量ゼロ。これを、エリスリトールは糖質のなかで唯一なしとげている物質ということです。

エリスリトールは、ほかの糖質とおなじように小腸でとてもよく吸収されます。しかし、その後、血中でそのエリスリトールがエネルギーに変わることなく、大部分が尿として排泄されてしまいます。また、糞便としても排泄されます。

体の中に残されたわずかなエリスリトールは大腸などで発酵して、ほとんどがメタンや二酸化炭素などに変わります。それ以外に、わずかに発酵したものがエネルギーとして利用されることもあります。

まとめると、エリスリトールは炭水化物のうち糖質に含まれるものの、ほとんどがエネルギーに変えられないまま体外に出てしまうため、熱量はほぼゼロということになります。このエリスリトールをおもな原材料としているゼリー食品は、「熱量0キロカロリー」を謳っているわけです。

参考資料
ウィダーinゼリー「カロリーゼロ」
http://www.weider-jp.com/jelly/zero.html
高橋翻訳事務所「コンニャクは食べても太らない?」
http://www.takahashi-office.jp/column/seibutsugaku/97.htm
三菱化学フーズ「糖質 エリスリトール 非う蝕性とゼロカロリー」
http://www.mfc.co.jp/product/tourui/erisuri/zero_cal.html
三菱化学フーズ「糖質 エリスリトール 代謝」
http://www.mfc.co.jp/product/tourui/erisuri/metabolism.html
| - | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0)
顧客とメディアとで別の“顔”


企業には、さまざまな“顔”があります。その顔は、相手が株主か、顧客か、行政か、メディアか、社員かによって変わってきます。

同一のことが話の対象になっている場合でも、企業は相手により異なる顔を示すことがあります。たとえば、顧客に向けて見せる“顔”と、メディアに向けて見せる“顔”とでは大きく異なる、という場合がします。

たとえば、「コンピュータのOS(オペレーション・システム)が改まったら、前のOSの版よりも使いづらくなった」ということに、コンピュータ使用者が不満を抱いているとします。

その不満をいだいたコンピュータ使用者は、直接、意見を伝えるために、OSを開発・販売するIT企業に電話あるいはメールをします。「お客さまセンター」などといわれる対応担当部署に連絡をすると、担当者が応じることでしょう。

「いつもご愛顧ありがとうございます。ご指摘いただきました、新しいOSが使いづらいという点につきましては、ほかのお客さまからご指摘をいただいている点でございまして、当社といたしましても問題があるとの認識はございまして、ただいま改良に向けて検討をしている最中でございまして……」

顧客満足を目指している企業は、このような感じで、その利用客に返答することでしょう。

いっぽう、多くの客が抱く新OSの使いづらさの問題について、OSを開発・販売するIT企業はどう認識ているのか、改善を検討しているのかを取材し、世に伝えたいと考えた記者がいるとします。その記者は、おなじIT企業に取材の依頼をします。「広報室」などといわれる対応担当部署に連絡をすると、担当者が応じることでしょう。

「すいません、その件、取材対応は厳しいので、今回はちょっとお引き受けできませんね」

顧客満足を目指している企業でも、そうでない企業でも、このように記者に返答してくることはありえます。もちろん、顧客に対する対応とおなじように、ていねいに取材を受けるという返答をしてくることもあります。

もし、おなじ問題について連絡を受けて、客に対して示す“顔”とメディアに対して示す“顔”がちがうということがあれば、それはなぜなのでしょうか。

企業にとっては、自社のイメージが損われることを、マスメディアに公表されたくはないものです。そのため、「取材対応は厳しい」という返事で済ませようとすることはありえます。

しかし、それでけでなく、メディアに対する印象がよくないということもあるのでしょう。ふだんからメディアの印象がよくない、あるいは、その取材を依頼した記者の印象がよくない、このような不信を、企業はメディアに対しても抱いているものです。
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
四角形、座るにはやや都合悪し、吊るすには都合よし


四角形には、当然ながら隅が四つあります。道具を考えたとき、四角形のかたちがもたらすものはなんでしょうか。

まず、椅子や机には座面や机上が四角形のものが多くあります。その端から脚が4本伸びていて地面へと向かいます。

座面が四角形であればまあまま座りやすいですし、机上が四角形であればまあまあ勉強や食事もしやすいものです。部屋の角のような空間に置いてもぴたりとはまります。世の中で使われている椅子や机の中でもっとも多いかたちはおそらく四角形でしょう。

しかし、安定性となると、四角形の椅子や机がかならずしもよいわけではありません。4本の脚のうちどれか1本の長さがすこしちがうだけでぐらぐらと揺れてしまうからです。その点、3本脚の椅子は、原理的にかならずどの脚も床面に付きますので、ぐらぐら揺れることはあまりありません。

では、ものを手に持ったり吊るしたりするための道具では、四角形はどのようなことをもたらすでしょうか。

「もっこ」という道具があります。「もっこう」とも読みます。「持籠(もちこ)」ということばが転じて「もっこ」とよばれるようになったとされています。

もっこは、土砂や農作物などの物を、手にもったり吊るしたりして運ぶための道具です。

縄を網のように正方形に編みます。そして、この正方形の網の四隅に吊り具をつけます。そして、吊り具の四隅に縄をかけます。その4本の縄を手で持つと、自然と網の四隅がたわんで、土砂や農作物が包まれます。また、4本の縄を棒で吊っても、おなじように物が包まれます。四角いハンモックとおなじような原理ですが、ハンモックは四角い網の2辺が棒で支えられているのに対して、もっこにはそれがありません。

もっこの網がもし三角形でできていたら、どこかの辺から土砂や農作物がぽろぽろとこぼれ落ちやすくなることでしょう。また、もっこがもし五角形や六角形でできていたら、物を運ぶうえでは問題ないかもしれません。しかし、縄を五角形や六角形に編むのはたいへんですし、縄を多く使うことにもなります。

つまり、物を吊るして運ぶもっこの場合、四角形がもっともよいわけです。

ちなみに「もっこ」を感じで書くと「畚」。きちんと字のなかにも、“四角い網”が使われています。

参考資料
デジタル大辞泉「畚」
http://kotobank.jp/word/畚
| - | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0)
海の影響で釧路の夏は涼しい


日本列島の気候を局地的にみると、低地のなかで8月、とりわけ涼しい場所があります。

北海道の釧路です。

天気予報で、釧路だけ最高気温が20度前後といったこともよく見かけます。

気象庁の統計情報によると、釧路の8月6日から16日まで10日間における平年の平均気温は、18.2度。暑いことで知られる本州の熊谷では27.0度ですので、8.8度の差があります。また、同じ北海道の札幌では22.6度ですので、4.4度の差があります。関東の避暑地で知られる軽井沢でも20.7度ですので、2.5度の差があります。

釧路では、真夏日の頻度は10年に1回しかないといいます。どうして釧路の8月は、とりわけ涼しいのでしょう。

釧路の位置は北海道の東側、太平洋を臨むところです。このあたりの太平洋では、カムチャツカ半島の東のベーリング海から千島列島に沿って南下する「親潮」という寒流が流れています。この親潮によって冷やされた空気が流れてくることが、涼しさの理由のひとつとなっています。

いっぽうで、釧路のはるか南には太平洋高気圧があり、温かい南風も入ってきます。太平洋側では霧が発生し、釧路にもかかります。8月、釧路では2日に1日は霧が出るとされています。霧がかかると日が照らないため、あまり気温が高くなりません。これもまた、釧路が涼しい理由のひとつとされています。

こうしたことで涼しい釧路。避暑地としての売りこみもさかんです。

参考資料
気象庁「期間平均気温」
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/tenkou/alltable/tem00.html
気象庁釧路地方気象台「釧路の四季について」
http://www.jma-net.go.jp/kushiro/web/kus-season.htm
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
前線と自分の位置関係が「夏」か「秋」かを決める

気象庁発表2014年8月16日(土)21:00の天気図

ことし(2014年)8月の日本列島では、台風11号が去ったあとも、各地で雨が多く降っています。天気図を見ると、お盆の週末に雨を降らせたのは前線です。日本列島を停滞前線が東西に横切っており、梅雨時の天気図を思いおこさせます。

そもそも、この前線は、梅雨の時期に「梅雨前線」とよばれていたものとかわりありません。梅雨が明けても前線が消滅せず、表れることもあるのです。「戻り梅雨」などともいわれます。

ごく単純にいうと、日本の夏から秋にかけての気候は、三つにわけることができます。自分の住んでいるところが前線より南にあるか、前線より北にあるか、前線のすぐ真下にあるか、といったものです。前線の位置は、前線を押しやる太平洋高気圧がどれだけ勢力をもつかによっても変わってきます。

自分の住んでいるところが前線より南にある場合、前線に対して太平洋から温かく湿った空気が入ってきますので、蒸し暑くなります。「暑い、夏だ」と感じさせるような気候です。

いっぽう、自分の住んでいるところが前線より北にある場合、北方の比較的乾いた涼しい空気が前線に向かってやってきますので、からっと涼しくなります。「もう秋だ」と感じさせるような気候です。

そして、前線のほぼ真下では、温かい空気と涼しい空気がぶつかって上昇気流が起き、雲ができて雨が降ります。「雨だ」となるわけです。

2014年の太平洋高気圧は、平年より強くなる見込みがされていましたが、ここ数日の天気を見るとそうともいえません。長い目で見れば中庸な勢力となるでしょうか。

参考資料
日本気象協会 2014年7月16日付「2014年の夏は、西日本を中心に5年連続の猛暑のおそれ!」
http://www.jwa.or.jp/news/2014/07/post-000400.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
糖質に甘い物質と甘くない物質
ご飯も砂糖も炭水化物であることが知られています。炭水化物のまたの名は糖質。「糖質」の「糖」は、「砂糖」の「糖」です。

おなじ糖質のご飯と砂糖でも、舌ざわりでの味の印象はかなりちがいます。ご飯もすこしは甘いけれど、砂糖のほうがはるかに甘みを感じます。どうしておなじ糖質であるのに、ご飯と砂糖で甘味のちがいがあるのでしょうか。

ご飯にはデンプンが多くふくまれています。デンプンは糖質の一種です。さらにご飯のデンプンは、アミロースとアミロペクチンという物質にわけることができます。アミロペクチンが多いと粘り気のあるご飯になり、アミロースが多いと粘り気ないご飯になります。


アミロースの構造式


アミロペクチンの構造式

アミロースもアミロペクチンも、どちらも構造式を見てみると鎖状になっています。この鎖は、単糖という糖質の構造の最小単位がいくつも連なったもので、多糖類とよばれます。つまりデンプンは多糖類というわけです。

いっぽう、砂糖のおもな成分はブドウ糖と果糖という単糖が結びついたもの。これをショ糖といいます。ショ糖のように、単糖がふたつ結ばれている物質は、二糖類とよばれます。


ショ糖の構造式。

さて、人は甘味をどこで感じているかというと、舌の表面です。舌の表面には味蕾(みらい)とよばれる受容体があります。この甘味の受容体に物質がカチッとはまると受容体が刺激を受け、これが味覚として脳に伝わり、「甘い」と感じるのです。

この受容体は、ではなにとカチッとはまるかというと、おもにブドウ糖です。

砂糖はブドウ糖と果糖のふたつが結ばれている構造をしています。このふたつのうちのブドウ糖が受容体にカチッとはまれば、それで甘味を感じることになります。ふたつの単糖のうちのひとつがはまればよいのですから、めずらしいことではありません。

いっぽう、ご飯のほうは長い鎖でなりたっており、受容体にカチッとはまることができるのは、長い鎖の末端だけとなります。つまり、量のわりには受容体にカチッとはまる部分はまれ、ということになります。

このため、ご飯を食べても、はじめの舌ざわりでは、すこしは甘さを感じるものの、砂糖ほどは甘みを感じないということになります。

しかし、ご飯をよく噛んでいると、唾液にふくまれるアミラーゼという酵素が出てきて、これがデンプンを分解します。デンプンがアミラーゼにより分解されると、二糖類にまでなります。二糖類は、甘味の受容体に手軽にカチッとはまるため、甘味を感じやすくなります。つまり、ご飯を噛めば噛むほど甘みを感じるようになるわけです。

参考資料
林原「糖の基礎知識 糖とは」
http://www.food.hayashibara.co.jp/sugar/
Yahoo!知恵袋「多糖類は単糖類や二糖類のように甘みを示さないと教科書にありましたが……」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1495447129
ウィキペディア「デンプン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/デンプン
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
「ホームランボールにご注意」と言わないのは間が悪いから


プロ野球などの設備の整った球場での試合では、ファウルボールが観客席に飛びこむとき「ファウルボールにご注意ください」とか「打球のゆくえにご注意ください」とかいった場内放送があります。また、観客席にいる係員が、ボールが近づいてくることを知らせるため笛を鳴らします。

しかし、おなじ打球が観客席に入る場合でも、「ホームランボールにご注意ください」という場内放送をする球場はありません。なぜでしょうか。

巷には、いくつかの理由がいわれています。「1 ホームランボールはファウルボールにくらべて打球が遅いから」「2 ホームランはファウルにくらべて多くないから」「3 ホームランのときは盛り上がっているので注意しづらいから」といったものが代表的です。

どれもそれらしく聞こえます。しかし、理論的あるいは実証的に理由になっていないと考えられるものもあります。

「1 ホームランボールはファウルボールにくらべて打球が遅いから」というのは、たしかにその傾向があるのは事実でしょう。打者がバットでボールを打ったときの初速は速いものの、その後はじょじょにボールの速度は空気抵抗で落ちていきます。

しかし、ホームランボールも硬球であり、体に当たれば衝撃を受けます。実際に、試合前の選手の打撃練習中には、打球が内野席に飛び込もうが外野席に飛び込もうが、係員が笛を鳴らして危険を知らせます。つまり、たとえ外野席に飛ぶ打球の速度が内野席に飛ぶ打球より遅くなっても、当たればけがをするほどの衝撃はなおもあることを表しています。

では、「2 ホームランはファウルにくらべて多くないから」というのはどうでしょう。

たしかに、打撃練習では選手がぽんぽんと外野席まで打球を飛ばすので、多くのボールが届いて危険です。だから、打撃練習中は危険を知らせ、試合中は危険を知らせなくなるというのは、正しい理論のような印象をあたえます。

しかし、「多くないから」というのはあくまで量の問題です。内野席でも外野席でも、当たればけがをする衝撃を保った打球が飛んでくるからには、どこにいても注意は必要になります。人口が少ない町だから交番が要らないとはいかないのと、おなじようなものです。

すると、上の三つのみが理由の候補であるとすれば、やはり消去法的に「3 ホームランのときは盛り上がっているので注意しづらいから」しか当てはまらないのではないでしょうか。

たとえ応援球団が大量失点で劣勢でも、応援球団の選手がホームランを打てば、それだけで盛りあがあります。ホームランが出たのに盛りあがらない球場は、無観客試合ぐらいしかありません。閑古鳥のないていた川崎球場や大阪球場でも太鼓やドラが打ち鳴らされて盛り上がります。

そこに間髪を入れず「ホームランボールにご注意ください」と場内放送を入れるのは、さすがに間が悪いということなのでしょう。

なお、これら以外の理由の候補に、「ホームランボールには観客が盛り上がるため、打球が近づくことに注意をうながす必要性は低くなるから」という理由もいわれています。これは、3の理由を正当化するものといえそうです。

参考資料
Yahoo!知恵袋「『ファールボールにご注意下さい。』はあっても……」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463503484
| - | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『ヒトはどうして死ぬのか』
文系テーマの本が多い幻冬舎新書のなかで、純粋な科学分野のテーマの新書です。

『ヒトはどうして死ぬのか 』田沼靖一 幻冬舎新書 2010年 176ページ



かつて「死」というものは、科学の対象として疎んじられていたようだ。1980年代には、「もし宇宙人が地球に来て生物学の教科書を読んだら、彼らは『地球上の生物は死ぬことがない』と信じるに違いない。……細胞がどのようにして死に至るかについては何も書かれていないのだから」と論文で述べた生物学者もいたという。

1998年、英国の生物学者シドニー・ブレナーがC・エレガンスという線虫を使って、細胞の死を遺伝子のレベルで解明した。そして、米国の生物学者ロバート・ホロヴィッツが、「遺伝子に制御された細胞死」のメカニズムを解明する研究を進めた。

だがじつは、ブレナーやホロヴィッツが活躍するより以前に、ジョン・F・カーという病理学者が、細胞がみずから一定の過程を経て死んでいくのを観察していた。カーがつけたこの細胞死は「アポトーシス」(aptosis)。ホロヴィッツの研究とともに、カーの研究も研究者たちに再認識され、細胞死の科学は隆盛となっていった。

本書は、そうした細胞の死を主題に、ヒトを含む多細胞生物がどうして死ぬのかを、日本の分子生物学者がやさしく解説したものだ。

細胞のアポトーシスを見つめてきた著者は、その“美しさ”を、「DNAが切断され、細胞が小さな断片となっていく過程を暗闇のなかで見ると、そこではまるで宇宙の超新星爆発のような光景が展開されています」と表現する。

アポトーシスとは、似て非なるプログラムされた細胞死も紹介する。それは、「アポビオーシス」(apobiosis)というもの。神経細胞のような再生しない細胞には、「耐用時間の上限」を超えると死んでいくようなプログラムがあるという。アポトーシスが細胞の「自死」であれば、アポビオーシスは細胞の「寿死」であるという。

細胞の死とともに、多くの読者が知りたいのは、個体の死だ。どうしてヒトは死ぬのか。その問に対する答えも最後の章で示してくれる。生物が交配して子孫を残す「性」のしくみをもったときから、そのしくみのなかで生きる生物は死をもつようになったという。それは、種の健全な存続のためだ。

「老化した個体が生き続けて若い個体と交配し、古い遺伝子と新しい遺伝子が組み合わされれば、世代を重ねるごとに遺伝子の変異が引き継がれて、さらに蓄積していくことになるでしょう。もしこのようなことが繰り返されると、種が絶滅して、遺伝子自身が存続できなくなる可能性があります」

「『性』による『生』の連続性を担保するためには『死』が必要であり、生物は『生』とともに『死』という自己消去機能を獲得したからこそ、遺伝子を更新し、繁栄できるようになったのです」

生と死は、白か黒か、陽か影かといった、相対する存在として捉えられがちだ。だが、本書を読めば、生と死は対立するのでなく、生のなかに包含されているものとして捉えなおすことができる。死への恐怖にかわりないとしても、死への見つめかたはすこし変わってくるかもしれない。

『ヒトはなぜ死ぬのか』は、こちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4344981812
| - | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0)
電話会議、行うは難し


「言うは易し、行うは難し」という言葉があります。言ってみることは簡単なものの、それを実行するのはむずかしい、といった意味です。前漢の政治家だった桓寛(生没年未詳)の『塩鉄論』という本に「言易行難」として出てきます。

電話会議や電話取材も、「言うは易し、行うは難し」の行為といえるでしょう。人と人が面と向かう会議や取材よりも相当にむずかしいからです。

会議は、一般的には人と人がおなじところに集まっておこなうもの。いっぽう、電話会議では、会議をする場所に参集できない人が、電話で参加をします。たとえば、本社会議室には5人が集まり、地方の支社から1人や2人が電話で参加するといった形式がとられます。また、取材でも聞く側と応える側が、面と向かって合わずに、電話で会話をする場合があります。

人びとは、人と人と会うことをいまも重視しているのでしょう。電話会議や電話取材は、「人人が面と向かう会議や取材にくらべたら、若干、価値の低いもの」と捉えられる向きがあります。たとえば、日本の首相と米国の大統領が面と向かって会談をするときより、電話で会談するときのほうが、ニュースの取り扱い方も小さくなります。

しかし、話す相手が自分の目の前にいない状態で、ものごとを決めたり、話の題材を得たりすることは、目の前にいる場合にくらべて厳しい状態といえます。

まず、自分の声が相手にちゃんと届いているかどうかという不安があります。もちろん、相手が反応すれば、声は届いているのでしょう。しかし、会議や取材では“しばらくの沈黙”もあるもの。電話を通じての会話となると、しばらく沈黙するだけで「相手に聴こえなくなったのではないか」といった心的圧力がかかります。そのため、取材などでは、直接話すときよりも間髪を入れず質問をする必要があります。

また、電話の声が、肉声より明朗ではないことも明らかです。そのため、電話から聞こえてくる話が、部分的に聴きとれなくなる場合もあります。しかし、聴こえないたびに「いまなんとおっしゃいましたか」と質問すると、それだけで対話が弾まなくなってしまいます。しかも、音声が途切れたり、ハウリングもしたりして、たいへんです。

もちろん、電話を通じてなので、どんな服装や格好をしていても、あまり気にされることはありません。1人であれば、寝間着や裸で参加しても相手には気づかれません。とはいえ、服装がどうであるかは、会議や取材での意思疎通がうまくいくかとはほぼ関係ありません。

会議や取材に臨む人は、「電話会議だから、いつもの会議よりも気軽でいいや」と思いがちです。実際は逆で、入念な準備が必要なのです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
核攻撃に対する国民保護、具体性は乏しく――原爆と生存者たち(3)
原爆の放射線量はチェルノブイリ事故の400分の1――原爆と生存者たち(1)
原爆の被ばく者、白血病の影響が大――原爆と生存者たち(2)


1945年8月、広島への原爆投下

原子爆弾や水素爆弾などの核兵器は、使われると破壊的な爆発が起きるほかに、放射性物質を環境中に放出します。実際に、1945年8月に広島や長崎に投下された原爆について、放射性物質の放出により白血病などのがんになった人が増えたと見積もられています。

仮に、将来、核兵器が実際に使われるような事態に陥った場合、破壊的な爆発による死を運よく免れて生きのびた人たちは、放射線の被ばくから身を護らなければなりません。そのような有事を想定した、対応のしかたを国は決めているのでしょうか。

米国とソ連を中心に冷たい戦争がつづいていた時代、国によっては防護策を国民に伝える動きがありました。

たとえば、スイス政府は1969年に『民間防衛』という本をつくり、スイス国民全員に配りました。ここには、核兵器による攻撃を受けた場合の防護策が書かれています。
_____

もし戸外で核爆発にぶつかったら、すぐ地面にうつ伏せになること。爆発とともに生ずる放射線は、光と同じように直線的に広がるから、地面の小さなくぼ地にでも入っていれば、放射線の一部分を免れることができる。

放射能による汚染が強い場合には、鉄道や郵便、その他いろいろな企業も、数日間活動を停止しなければならないので、食料その他の供給もストップする。家畜は死ぬか、あるいは死ななくても飼料や飲み水を通じて放射性物質が体内に入るので、肉やミルクは食用に適さなくなることもある。

われわれは、何日も、何週間も、放射能の汚染を受けない備蓄品だけで生活できるように準備しておく必要がある。

(『民間防衛』より)
_____

また、英国も国営放送のBBCが、核兵器攻撃を受けたときにラジオで流すための原稿を用意していたことが知られています。

では、日本はどうでしょう。日本では、「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」という法律が2004年6月に制定されていて、その第百七条で、放射性物質や放射線による汚染が生じたときの国の対処の規則を示しています。
_____

内閣総理大臣は、武力攻撃に伴って放射性物質、放射線、サリン等若しくはこれと同等以上の毒性を有すると認められる化学物質、生物剤若しくは毒素又は危険物質等による汚染が生じたことにより、人の生命、身体又は財産に対する危険が生ずるおそれがあると認めるときは、対処基本方針に基づき、関係大臣を指揮し、汚染の発生の原因となる物の撤去、汚染の除去その他汚染の拡大を防止するため必要な措置を講じさせなければならない。

(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」第百七条より)
_____

この法律にもとづいて、「国民の保護に関する基本方針」という方針が立てられています。ここでは「核兵器を用いた攻撃」に対して、なされるべき事柄がつぎのように書かれています。
_____

放射性降下物は、爆心地付近から降下し始め、逐次風下方向に拡散、降下して被害範囲を拡大させる。このため、熱線による熱傷や放射線障害等、核兵器特有の傷病に対する医療が必要となる。

避難に当たっては、風下を避け、手袋、帽子、雨ガッパ等によって放射性降下物による外部被ばくを抑制するほか、口及び鼻を汚染されていないタオル等で保護することや汚染された疑いのある水や食物の摂取を避けるとともに、安定ヨウ素剤の服用等により内部被ばくの低減に努める必要がある。また、汚染地域への立入制限を確実に行い、避難の誘導や医療にあたる要員の被ばく管理を適切にすることが重要である。

(「国民の保護に関する基本方針」より)
_____

広島や長崎で被ばく者を出した国がつくったとはいいがたいほど具体性に欠けています。広島市は、2007年に発表した「核兵器攻撃被害想定専門部会報告書」という報告書で、「核兵器攻撃がもたらす具体的な被害想定やこれに基づく対応策は示されていない」と指摘しています。

また、「国民の保護に関する基本方針」は国民を保護するための指針なので、国民に対する直接的なよびかけではありません。

法律や指針を受けて、各都道府県や地方自治体は、都道府県版や市町村版の「国民保護計画」を策定しています。しかし、自治体としての国民保護のありかたを定めたもののあれば、三重県桑名市のように市民に直接よびかけをするものあり、表現はまちまちです。

皮肉にも、福島第一原子力発電所事故のときにおこなわれた周辺住民の退避のさせかたが、放射性物質が拡散した場合の“課題の多いモデル”となったかたちです。しかし、原発事故と核攻撃では、大きく状況がちがってきます。核攻撃を受ける危険性が現実問題を帯びてきたとき、国民はその対処法を知るということになるのでしょうか。了。

参考資料
nanapi 2014年4月13日付「スイスに学ぶ核兵器・原子爆弾が使われたときの対処法」
http://nanapi.jp/115181/
イーガブ「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律 抄」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H16/H16HO112.html
総務省「国民の保護に関する基本方針」
http://www.fdma.go.jp/html/intro/form/pdf/kokuminhogo_unyou/kokuminhogo_unyou_main/shishin.pdf
広島市「核兵器攻撃被害想定専門部会報告書」
https://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1141957716995/files/houkokusyo.pdf
桑名市「桑名市の国民保護」
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/23,10804,c,html/10804/leafret.pdf
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
原爆の被ばく者、白血病の影響が大――原爆と生存者たち(2)
原爆の放射線量はチェルノブイリ事故の400分の1――原爆と生存者たち(1)


原子爆弾投下直後の長崎
山端庸介撮影

広島と長崎に原子爆弾が投下された直後、それぞれの地で生存して活動していた人びとがいました。原爆の放射線による体への影響はどのようなものだったのでしょうか。

公益財団法人の放射線影響研究所は、前身の原爆傷害調査委員会の時代から、広島と長崎で原爆による直接的な死を免れた人びとに対して、長きにわたり健康への影響の調査をしてきました。

原爆による放射線の影響としてもっとも特徴的なのは、がんになる人が増えたということです。とりわけ、「血液のがん」といわれる白血病にかかる人の率が高くなりました。

放射線影響研究所の研究では、1シーベルトという線量当量を被ばくした2,819人のうち、白血病で死亡した人は56人。このうち84%が、放射線に起因する死亡割合とされています。なお1シーベルトというと、広島に投下された原爆で、爆心地から半径2キロぐらいのところにいた人が被ばくした放射線量ということになります。また、被ばく線量が5ミリシーベルト以上の被ばく者で、白血病で死亡した人のうち、49%が放射線に起因するとされています。

白血病ほどではありませんが、ほかのがんについても原爆の放射線が死亡リスクを高めると報告されています。白血病以外のすべてのがんで死亡した人のうち、7%が放射線に起因するとされています。

広島の原爆投下当日、爆心地近くに数時間滞在した人への被ばく量は、0.2シーベルト(200ミリシーベルト)、投下の翌日では数時間の滞在で0.1シーベルト(100ミリシーベルト)だったといいます。

爆心地に原子爆弾がそのままありつづけるわけではなく、放出された放射性物質は風にのって大気中に拡がるため、爆心地や爆心地に近い場所でも日が経つにつれ放射線量は低くなっていったことでしょう。とはいえ、爆心地近くに何日も常駐しなければならなかった人がいるとすれば、健康への影響がでるほどの被ばくをしていたことになります。

広島と長崎に原爆が投下され、放射線影響研究所などが被ばく者に対して健康への影響を調査したことなどから、放射性物質が体へ影響をあたえることがわかってきました。原発事故が起きたら、原発に近くに住んでいる人びとが退避を余儀なくされるのも、放射線を被ばくすることでの死亡や健康被害を避けるためです。

しかし、世界で原子爆弾がはじめて投下された広島や長崎の人びとは、自分たちの街に投下された爆弾が原子爆弾というものであり、それが放射性物質を放出して体に悪い影響をおよぼすといったことを、まだ知るはずもありませんでした。当時の日本で、原爆の存在と、体への影響の可能性があることを知っていた人は、かぎられた軍人と研究者くらいだったことでしょう。

広島や長崎に投下された原爆で放出された放射線総量は、チェルノブイリ原発事故や福島第一原発事故にくらべるとすくないとは言われます。しかし、その後、核兵器開発が進み、世界に存在する核兵器の破壊力は、広島や長崎に投下された原爆をはるかにしのぐものになりました。

その点からすると、「もし、新たに原爆が投下されたら、生き延びた人は放射線に被ばくすることから避けなければならない」といった考えかたが生じるはずです。

この点について、行政の対応はどうなっているのでしょうか。つづく。

参考資料
那野比古「広島爆心地244シーベルト、印ケララ州年間20ミリシーベルト、65万シーベルトに耐える菌」
http://www.vec.or.jp/2011/08/19/column_062/?backone=1
原子力百科事典ATOMICA「原爆放射線による人体への影響」
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-02-03-10
| - | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0)
原爆の放射線量はチェルノブイリ事故の400分の1――原爆と生存者たち(1)

原子爆弾で破壊された広島市電と道を歩く人びと

きょう(2014年)8月9日、長崎は太平洋戦争での原子爆弾投下から69年を迎えました。また、広島も3日前の8月6日、原爆投下から69年を迎えました。

原爆投下により、広島も長崎も、一瞬にして万単位の人びとが命を失いました。けがを負った人も数多くいます。いっぽうで、原子爆弾の爆風が体に当たるなどの直接的な被害を被らなかった市民は、原爆投下後のかなり早い段階から、負傷者の命をまもるため、また街を復興させるために活動をしています。

たとえば、広島では原爆投下から3日後の1945年8月9日には、広島電鉄市内線の一部が再び走りはじめています。長崎でも、原爆投下から3日後の8月12日には、長崎本線の道ノ尾-長崎間での運転が再開されています。市民は、市内各地に救護所を設けて、負傷者の看護などにあたってもいます。

2011年3月の福島第一原子力発電所事故を経験した現代の人びとからすると、「原爆直後、広島や長崎の被災地で活動をしていた人びとは、放射線の影響を受けなかったのだろうか」といった疑問が浮かぶかもしれません。

たしかに、原子爆弾は爆発すると放射性物質が環境中にばらまかれます。きのこ雲に乗って大気中にばらまかれたり、また、放射性物質が付いた雲とともに空から「死の雨」として降ってきたりして、環境は放射線で汚染されます。

しかし、広島と長崎に投下された原爆による放射性物質の総量は、深刻な原発事故で放出される放射性物質の総量にくらべると大きくはないといわれます。その量は、1986年4月のチェルノブイリ原発事故の400分の1と見積もられています。ちなみに、福島第一原発事故で放出された放射線総量はチェルノブイリ原発事故の10分の1とされています。

原爆が放出する放射線量が、重大な原発事故よりすくないからといって、広島や長崎で原爆投下直後は生きのびることができた人びとに体への影響がなかったわけではありません。

広島と長崎の人びとの、原爆投下後の放射線の影響については、放射線影響研究所が被爆者などに長年にわたり追跡調査をすることにより、わかってきています。つづく。

参考資料
ウィキペディア「広島市への原子爆弾投下」
http://ja.wikipedia.org/wiki/広島市への原子爆弾投下
長崎年表「昭和時代(7)」
http://f-makuramoto.com/01-nenpyo/01.nenpyo/1945-s07.html
国際原子力機関 Frequently Asked Chernobyl Questions“12. How does Chernobyl’s effect measure up to the atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki?”
http://www.iaea.org/newscenter/features/chernobyl-15/cherno-faq.shtml
外務省、環境省、厚生労働省、規制庁「原子放射線の影響に関する国連科学委員会による2011年東日本大震災と津波に伴う原発事故による放射線のレベルと影響評価報告書」
https://www.env.go.jp/chemi/rhm/conf/conf01-07/ref02_5.pdf
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
ストレッチに血管を若がえらせる作用


ストレッチは、筋肉や関節などを伸ばす体操です。運動する前におこなうと肉離れを防ぐ効果があることや、ふだんからおこなうと肩こりなどを防ぐ効果があることがわかっています。

加えて、ストレッチによって、血管にもよい影響が起きるということがわかってきています。ストレッチをすると、血管がやわらかさを得て、血管年齢が若くなるといういことがいわれています。

以前から、筋肉を伸ばしたり縮めたりすることで、細い動脈のまわりの交感神経が影響を受けて、それにより血流が増えるということがいわれていました。

では血流がよくなるとどうなるのかというと、血管が拡がります。

血管は、内側から順に内皮、中皮、外皮という膜で覆われていますが、血流がよくなると内皮の細胞から一酸化窒素という物質が出てきます。この一酸化窒素には血管を拡張させる作用があります。

そして、血管が拡がれば、血圧が下がります。

血圧とは、血管壁が血流に対して受ける圧力のこと。細いゴムホースに水を通すよりも、太いゴムホースに水を通すほうが、水の勢いはゆるやかになり、ホースの壁が受ける水圧が減ります。これとおなじことが、拡がった血管についてもいえます。

また、ストレッチをすると、全身がリラックスするため、それにより血管が柔らかくなるといいます。

国立健康・栄養研究所の宮地元彦さんがNHKの番組で説明したところでは、3か月のストレッチで、血管年齢が5歳ほど若がえる、つまり血管がやわらかくなるということが明らかになったといいます。はじめてから1週間で血流がよくなり、そして3か月で血圧が下がる効果が見られるといいます。

参考資料
Steven S Segal “Integration of blood flow control to skeletal muscle: key role of feed arteries.” 
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10759588
NHK「きょうの健康 運動で健康『しなやかな血管をめざせ』」
薬学用語解説「一酸化窒素」
http://www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi?一酸化窒素
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
書評『素材を使わないデザイン』
この本の出版社「パイインターナショナル」は、デザイン書・ビジュアル書を中心に手がける出版社です。

『目を引く! アイデアが光る! 素材を使わないデザイン』バイインターナショナル 2013年 192ページ


さまざまなエディトリアル・デザインの実例を集めた本は、大型書店に行けばいくつか置いてある。あらゆる方向性のデザインの実例を載せた本や、「フライヤー作成用」「インフォメーション・グラフィックス」といった、用途別の実例を載せた本もある。いっぽう、本書はこうした本とは一線を画している。デザインの方向性が似ているものを集めているからだ。

そのデザインの方向性とは、書名にあるとおり「素材を使わないデザイン」。実例集ながら、章立てはいちおうあって、「形でみせる」「パターンでみせる」「色でみせる」「文字でみせる」の順になっている。

ここでいう「素材」とは、写真やイラストや図解などのこと。「素材を使わない」なのだから、図版の要素を排したエディトリアル・デザインということになる。この方向性というと、グラフィックデザイナーの田中一光(1930-2002)が手がけたデザインを思いうかべる人も多いだろう。幾何学模様と配色のみで情報を伝えるデザインに惹かれる人も多かった。

だが、「素材を使わない」デザインを手がけているのは、田中一光だけではないことが、この本を開いてみるとわかる。形、模様、色、文字などの要素を駆使して情報を届けようとしているデザインが並んでいる。

それぞれのデザインの事例には、「制作コンセプト」つまり、どうしてそのデザインを意図したかが書かれていて、これが参考になる。

たとえば、渋谷ロフトリニューアルオープンのポスターのデザインは、横長の版面のなかに、カラフルな吹きだしの数々が散りばめられたものと、おなじ横長の版面のなかに、モノクロの吹きだしの数々が散りばめられたもの2点でなりたっている。このデザインの制作コンセプトは、「さまざまな種類の品ぞろえが豊富で美積感があるロフトの店舗を表現するため、色鮮やかな配色と透明感を意識して制作」とある。

制作コンセプトを読んでいくと、考えぬいて「素材」をあえて排除したデザインにした場合が多いことがわかる。図版の力を借りないため、アイデアやセンスがそのデザインの完成度に直結している。

とはいえ、予算がない、写真が見つからない、イラストレーターに頼む時間がないといった消極的理由で「素材」を使わないというデザイナーも現実にはいることだろう。そうした人たちにとっても「文字と模様と配色だけでもなんとかなる」と勇気づけさせてくれる一冊になるにちがいない。

『素材を使わないデザイン』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4756243584
| - | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0)
息むと血圧が下がって上がる


ビンのふたが開いたりときや、重い荷物を腰を使って持ちあげようとするとき、あるいは腕相撲をするとき、人は息を止めて、思いきり「グッグググー!!!」と力を入れます。息を詰めて力を入れることを「息む」といいます。

息むことよって、ふたが開いたり、重い荷物が持ちあがったり、腕相撲に買ったりすればよいのですが、それを超えて自分の体がふらふらになり倒れてしまうことがあります。最悪の場合、死んでしまうこともあります。

息んでいるとき、人の顔はどうなるかというと、たいてい赤くなります。血の気があらわになるのだから、体では大きな変化が起きているのでしょう。

息んでいるときの体の状態の変化は、「バルサルバ効果」によって説明されます。これは、イタリアの解剖学者アントニオ・マリア・バルサルバ(1666-1723)が、息んで力を入れていたことにちなんだよび名です。

実際、息んでいる人の血圧を測った実験がいくつもおこなわれています。息む直前、最中、直後の血圧の値はどうなるかというと、直前は安定しているものの、最中は上の血圧が低くなり、そして直後になると一気に上の血圧も下の血圧も高まるといったグラフが描かれます。

息んでいる最中に血圧が下がるのは、つぎのような作用が立てつづけに起きるためとされています。息を止めると胸から腹にかけての内圧が高まり、これで大静脈が圧迫され、静脈の血液が心臓に行かなくなり、心拍数が低下することで、血圧が下がる……というわけです。

息んだ直後には、べつの体の変化が起きます。圧力を感じる圧受容器という器官が刺激されて、活動電位の頻度が低くなります。すると、これにより脈拍数が増えたり、体のすみずみの血管が緊張したりして、この結果、血圧が一気に高まるのです。

息んだ人が、そのまま体をふらふらさせて倒れてしまうというのは、息んでいる最中のバルサルバ効果によって血圧が下がるために起きるもの。

いっぽう、息んだ人がそのまま死んでしまうというのは、上記の急激な低血圧で頭のうちどころが悪かったというほか、息んだ直後の急激な高血圧が引き金になって、血栓が血管で詰まり、脳卒中や急性心筋梗塞を起こしてしまう結果によるものもあるようです。

ちなみに英語版のウィキペディアには、アントニオ・マリア・バルサルバの肖像画が載っていますが、とても穏やかな表情をしています。

参考資料
佐賀県教育センター 講座授業事例集「高等学校生物I 学習指導案」
http://www.saga-ed.jp/tanken/kouza_jirei/h22/hs/kou2sei.pdf
日本財団図書館 教育用小冊子「血圧測定に必要な循環生理学の知識」
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1998/00046/contents/037.htm
ウィキペディア「バルサルバ効果」
http://ja.wikipedia.org/wiki/バルサルバ効果
| - | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0)
神経組織の自己組織化を研究、笹井芳樹さん逝く


理化学研究所発生再生・科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が、(2014年)8月5日(火)に亡くなりました。自殺と見られます。伝えられた遺書の内容からすると、STAP細胞をめぐる騒動で心労が重なっていたようです。

笹井さんは、生命科学者として「組織の自己組織化」というテーマをもち、研究にとりくんできました。自己組織化とは、一般的には、混沌とした状態から複雑な構造が、他からの力を受けることなく形づくられてゆくこと。笹井さん本人は「パターンのないところから自発的にパターンが形成されるということ」と表現しています。

とくに、着目したのは、動物の脳の自己組織化です。脳のあらかたの部分は、特定のたんぱく質のはたらきにより形づくられます。しかし、より複雑で精緻な脳のしくみは、たんぱく質などの外因物質によってつくられるというのでは説明がつきません。そこで笹井さんは、細胞どうしの相互作用による自己組織化で、複雑な脳の形がつくられると考えたのです。

とはいえ、それを実証する実験の手段が揃っていません。そこで、笹井さんは自分たちでその手段を開発しました。

細胞の分化を観察する従来の方法は、実験皿に栄養細胞を浸して、ES細胞から神経細胞などを分化誘導させるというものでした。しかし、分化する細胞が皿に付いてしまい、2次元的な観察しかできません。

そこで、笹井さんは、ES細胞を酵素でばらばらにしてから再びそれを凝集させたものを材料にして、これを神経分化を阻害する要因を除いた培養液に浮遊させ、神経細胞の分化誘導を観察する方法を開発しました。発生再生・科学総合研究センターの同僚だった渡辺毅一さんの功績も大きいといいます。

この方法は、「無血清凝集浮遊培養法」(Serum-free Floating culture of Embryoid Body-like aggregates with quick reaggregation)とよばれるようになりました。笹井さんは、ヒトの神経細胞の分化誘導も、この方法で成功させています。

さらに2011年4月には、マウスのES細胞から立体的な人工網膜組織をつくることにも成功しています。網膜の形成は、初期胚のときにつくられる間脳が突出するところから始まり、「眼杯」とよばれる器状の形に変化してから、複数の層からなる網膜が形づくられていきます。こうした自己組織化のしくみを、発見していったわけです。自分たちで開発した手段によって。

笹井さんは、2013年1月の取材記事で、細胞を分化誘導することを考える時代は終わったと述べています。それとともに、からだの組織を創りだすことを考える時代に入ったと述べてもいます。取材では、「今後の10年では、体の中の細胞の社会を再構成することを可能にしていくための研究が進むと思います」とも述べています。

さまざまな研究の成果と、さまざまな研究の課題を残したまま、笹井さんは亡くなりました。ご冥福を祈ります。

参考資料
iPSトレンド「インタビュー『この人に聞く』脳に関連する組織を立体的につくる(1)笹井芳樹氏」
http://www.jst.go.jp/ips-trend/column/interview/13/no01.html
iPSトレンド「インタビュー『この人に聞く』脳に関連する組織を立体的につくる(2)笹井芳樹氏」
http://www.jst.go.jp/ips-trend/column/interview/13/no02.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
テロメアが長くはならないしくみを詳しく解明

分裂をしている細胞

長寿と寿命についての研究が、2014年に前進しています。「生命の回数券」などとも形容される遺伝子「テロメア」が修復されるときのしくみが明らかになってきました。

ヒトなどの細胞の多くは、分裂を一定回数くりかえすと、それ以上は分裂をしなくなることが知られています。これは、「テロメアがすり減る」ということで説明されています。

テロメアは、ヒトをふくむ真核生物とよばれる生物の染色体の末端にあるくりかえしの塩基配列のこと。染色体は、A(アデニン)T(チミン)G(グアニン)C(シトシン)という4種類の”文字”が塩基配列という列をつくることでできていますが、テロメアの部分では文字の並びがくりかえされています。たとえば、ヒトのテロメアでは「TTAGGG」という6文字がくりかえされ「TTAGGGTTAGGGTTAGGGTTAGGGTTAGGGTTAGGG……」となっています。

このテロメアは、細胞分裂がなされるたびに「TTAGGGTTAGGGTTAGGGTTA……」が20字ぐらいずつ短くなっていきます。そして、細胞分裂が50回から60回目ぐらいくりかえされると、それ以上、分裂しなくなります。そうなると、細胞分裂で新しい生まれてくることはなくなります。これが、生命個体が不死でなく“寿命”をもっていることのしくみであると考えられています。

しかし、テロメアが徐々に短くなっていくという規則が当てはまらない細胞もあります。たとえば、ヒトの生殖細胞では、細胞分裂をくりかえしてもテロメアは短くなりません。生殖細胞では、テロメラーゼという酵素がはたらき、テロメアがすりへった分、テロメアを修復するからです。また、がん化した細胞の多くも、テロメアーゼがはたらくため、細胞そのものは死なずに分裂をくりかえすのです。

いっぽうで、「テロメアが、以前よりも長くなる」という現象も、ある特別な条件では起きています。

たとえば、酵母菌では、SUMO(スモ)というタンパク質が失われると、テロメアが以前よりも長く伸びることがわかっています。逆にいうと、SUMOがはたらくからこそ、テロメラーゼが短くなったテロメアを修復したとしても、そのテロメアは以前よりは長くはならないわけです。

2014年に入り、関西学院大学理工学部の田中克典教授と米国イリノイ大学シカゴ校医学部の中村通教授たちの研究グループは、どのようにSUMOがはたらくのかを詳しく調べました。

SUMOは、テロメアに付いているTpz1というタンパク質と結びつきます。SUMOに付かれたTpz1は、テロメラーゼのはたらきを抑えることのできる、べつのStn1というタンパク質に作用します。これで、テロメラーゼは、テロメアをそれまでより長く伸ばすようなことはしなくなるわけです。

この研究は、酵母菌を対象におこなわれたもの。しかし、関西学院大学は「ヒトの細胞にも適応できる可能性が高いとされます」としています。そして、このしくみが「ヒトの細胞にも存在する可能性が考えられます」ともしています。

参考記事
関西学院大学 2014年4月8日付「染色体の末端配列テロメアの長さを保つ新たな仕組みを解明」
http://www.kwansei.ac.jp/press/2014/press_20140408_009020.html
神戸新聞 2014年6月28日付「細胞の老化などに関係 テロメア修復仕組みを解明」
http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201406/0007097245.shtml
ウィキペディア「ヘイフリック限界」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘイフリック限界
| - | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0)
形成体が体の組織づくりの“ほとんど”を支配
体を支える軸となる「脊椎」をもつ生きものを、脊椎動物といいます。脊椎動物たちは、頭があって骨があって内蔵があってといった点では、体のつくりはだいたい共通しています。では、脊椎動物は、どのように形づくられていくのでしょうか。

まず、脊椎動物では、卵と精子が結ばれて受精すると、その後、卵割とよばれる細胞分裂をします。それとともに、栄養のもととなる卵黄が使われて、胚という段階にたどりつきます。細胞が、だいたい50個ないし100個ほどに分裂した段階です。

胚の段階は、さらにいくつかの段階に分けられますが、胚が「嚢胚」とよばれる状態になっているとき、すでに部位が分類できる状態になっています。それは、内胚葉、中胚葉、外胚葉とよばれるもの。内胚葉は、消化管、肝臓や膵臓、肺などのもとであり、中胚葉は、筋肉、骨、循環器、排泄系、生殖器などのもとであり、外胚葉は皮膚、神経、感覚器などのもとです。つまり、この嚢胚の段階で、動物の体それぞれの部分に分かれはじめるわけです。

このうち、中胚葉に生じるある小さな組織が、体の形づくりに大きな影響をあたえるということがわかっています。

ドイツの動物学者ハンス・シュペーマン(1869-1941)は、脊椎動物のひとつである両生類などを対象に、胚の研究にとりくみました。そして、中胚葉に存在する小組織が、体のそれぞれの組織への分化を誘導させているということを発見しました。


ハンス・シュペーマン

この胚における小組織は、シュペーマンの名をとって「シュペーマン形成体」あるいは「シュペーマン・オーガナイザー」などとよばれています。

シュペーマン形成体からは、「コーディン」とよばれる物質が分泌されます。このコーディンの濃度が、体のどんな部位に分化するかを決めます。たとえば、コーディンの濃度が高いところでは、頭や背骨などの個体の背側の部分がつくられ、また濃度が低いところでは腹側の部分がつくられるのです。

「オーガナイザー」は、「組織者」などの意味をもつことばです。まさに、体の各部分をつくりだすという意味で、組織者のような役割を果たすわけです。

しかし、シュペーマン形成体があらゆる体の部分をつくる組織者になっているのかというと、そういうわけでもありません。

その後の実験で、シュペーマン・オーガナイザーが存在する場である中胚葉がなくても、分化してつくられていくことなどがわかってきたのです。たとえば神経の相当な部分は、中胚葉なしでも分化され、つくられていきます。

シュペーマンによるオーガナイザーの発見は1905年のこと。シュペーマンは、この発見がもとで、1935年にはノーベル生理学・医学賞を受賞しています。当時の研究者たちの多くは、あらゆる体の組織の形成は、シュペーマンが発見したこの形成体に支配されていると考えるようになりました。しかし、見方によっては、研究者たちがシュペーマンの偉大な発見に引きづられすぎたともいえなくなさそうです。

参考資料
理化学研究所「動物の体を相似形にするメカニズムを発見」
http://www.riken.jp/pr/press/2013/20130607_1/digest/
慶應義塾大学 黒田研究室「研究内容2」
http://kerolab.jp/frame_R/info.htm
iPSトレンド「笹井芳樹氏インタビュー」
http://www.jst.go.jp/ips-trend/column/interview/13/no01.html
ウィキペディア「ハンス・シュペーマン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・シュペーマン
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
千葉で聴けなかった千葉での千葉ロッテ戦を衣笠さんの解説で北海道の番組で聴く
インターネットでラジオを聴けるサービス「radiko(ラジコ)」で、全国どこにいても全国のラジコ加盟局のラジオ放送が聴ける「radiko.jpプレミアム」が2014年4月に始まりました。運営会社ラジコによると、およそ3か月後の7月11日現在で、プレミアムの会員は10万人を超えたそうです。

プレミアムの月額費は税別350円。開始3か月で会員が10万人を超えたことに、同社は「“配信エリアの枠を超えてラジオが聴きたい”というユーザーの方の需要が予想以上に大きかったためとみています」と自賛気味です。

プレミアム会員登録した人の理由はさまざま考えられます。純粋にラジオが好きというほか、引っこし前に親しんでいた放送が懐かしくて、という人もいるでしょう。

通常放送では聴けないプロ野球の試合を聴くため、というのも大きな理由となりそうです。たとえば、大阪の中日ドラゴンズファンは愛知で放送されている中日戦を、神奈川の福岡ソフトバンクファンは福岡で放送されているソフトバンク戦を、東京の広島カープガールは広島で放送されている広島戦を、プレミアム会員になれば聴くことができます。

首都圏では近年、プロ野球の試合がおこなわれていても、通常の番組を放送することが増えています。“費用対聴取率”の関係でしょう。しかし、地元に1球団しかないような地域では、シーズンほぼ通年、地元球団の試合を実況放送しています。これも“費用対聴取率”の関係からなのでしょう。

地元球団が、敵地に遠征している場合でも、その試合の実況放送がおこなわれます。たとえば、福岡ソフトバンクが東北楽天と仙台で試合をするとき、福岡の放送局はソフトバンク戦を実況放送します。たとえば、千葉に住んでいる福岡ソフトバンクの応援者が、千葉にいながら仙台でおこなわれている福岡ソフトバンク戦を、福岡の放送局の放送を通じて聴けるわけです。

対戦カードによっては、地元球団の地元の試合でありながら、いままでなかなか聴くことのできなかったラジオ実況放送を聴くこともできるようになりました。

たとえば、千葉に住む千葉ロッテマリーンズファンにとって、千葉ロッテマリーンズが本拠地の千葉で行う試合をラジオで聴く機会は多くありません。首都圏を本拠地とする球団のラジオ実況放送といえば、読売ジャイアンツの試合がほとんどだからです。

しかし、プレミアム会員になれば、たとえば、千葉での千葉ロッテ対福岡ソフトバンク戦を、福岡の放送局がおこなっている実況放送によって聴けたり、おなじく千葉での千葉ロッテ対北海道日本ハム戦を、北海道の放送局がおこなっている実況放送によって聴けたりすることができます。

では、ふつうは千葉で聴けない千葉でおこなわれている千葉ロッテ対北海道日本ハム戦を、だれが実況放送しているのでしょう。

民間のラジオ放送では、「ネット」とよばれる放送局どうしの番組制作の協力体制が充実しています。たとえば首都圏の放送局では実況放送をする予定のない試合でも、その放送局のアナウンサーと所属解説者が実況し、放送を必要とする地域にその放送内容を“生”で届けているのです。こうした放送を「裏送り」といいます。

そのため、千葉でのロッテ対日本ハム戦を、関東のTBSラジオの解説者であり広島カープ出身の衣笠祥雄さんが北海道のラジオ局向けに解説しているといった、マニアが喜びそうな放送も聴くことができます。

こうしてラジオの愛好者に一定の評価を得ている「radiko.jpプレミアム」ですが、課題がないわけでもありません。

まず、350円というプレミアムの月額費にも「高すぎる」といった声があがっています。

また、スマートフォンの「ラジコ」アプリで番組を聴いていると、ひんぱんに音声が途切れる問題点は、聴取者に大きな不評を買っています。これはプレミアムのサービスだけではありませんが、お金を払っているのであればなおさら途切れないでほしいというのがプレミアム会員の実情のようです。

インターネットを介したラジオは、本来のラジオ聴取者をより惹きつける段階といえます。今後、ふだんラジオを聴いていない人たちをとりこむことめるかどうかが、つぎの段階の課題といえそうです。



参考資料
radiko.jp 2014年7月14日付「プレミアム登録会員数が開始から約3か月で10万人到達」
http://radiko.jp/newsrelease/pdf/20140714_001_pressrelease.pdf
| - | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< August 2014 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE