科学技術のアネクドート

目的をかなえようとすると表面積が増えていく
さまざまな生きものは、自分たちにとって都合のよくなるように、あるいは便利なように、“表面積”を増やそうとしています。

たとえば、人をふくむ脊椎動物の小腸には、絨毛や微絨毛という突起があります。断片をみると、まるでリアス式海岸のようにうねっています。これらの突起の表面積を合わせると、人の小腸の場合でテニスコート1面分にもなるといいます。


十二指腸の絨毛

小腸は、食べものの栄養分を吸収するための器官。そこで食べものとなるべく効率よく触れあって栄養分を吸収するために、絨毛や微絨毛をかたちづくって広い表面積を確保していると考えられています。

おなじようなことは、人の脳にもあてはまります。人の脳の表面はしわしわになっています。容積のかぎられた頭蓋骨のなかに、しわしわになってむりやり収まっているかのようです。この脳の表面の部位は、大脳皮質といいます。神経細胞がたくさん集まっていて、知性、感情、意思、言語、情動などの高次なはたらきをつかさどっています。

ほかの動物の脳では、これほどしわしわにたたまれている脳の表面はありません。人は進化のなかで大脳皮質の表面積を広げていき、その結果、さまざまなはたらきを受けもつ領野を獲得していったと考えられています。


脳の一部の断面、外側が大脳皮質

人工物でも、表面積を増やすことで、目指していることを効率的に実現させようとするとりくみがあります。

たとえば、装置のなかで生じる熱を空気中によりたくさん逃がすために、ヒートシンクという金属板が使われています。

ヒートシンクは、土台となる板の上に、いくつもの「フィン」とよばれるべつの板を垂直に立てたような形をしています。あるいは、垂直に立てるのは板でなく棒である場合もあります。

ヒートシンクの役割は熱を逃すこと。そこで、空気と触れあう表面積が広ければ広いほど、効率よく熱を逃がすことができるようになります。また、ヒートシンクには、熱がなるべくスルーされるよう、熱抵抗の低いものが使われます。

このように表面積が増えると都合がよいことの理由はいろいろです。ただし、「表面積をなるべく増やす」必要性のあるところでは、効率のよいかたちを求めた結果、そのかたちは必然的に決まっていくのかもしれません。

参考資料
愛-madoka.com「小腸」
http://www.i-madoka.com/small-intestine.html
理化学研究所「大脳皮質発生研究チーム」
http://www.riken.jp/research/labs/cdb/neocort_dev/
ウィキペディア「ヒートシンク」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒートシンク
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医療の練習、マネキンからロボットの時代へ


日本の企業、大学、政府が、「ロボット手術室」の共同開発に乗りだすと、(2014年)6月29日付の読売新聞が伝えています。「ロボット手術室」で、ロボットアームや核磁気共鳴映像法(MRI:Magnetic Resonance Imaging)などの機器をたがいにつなげて、データをやりとりできるようにするといいます。

ロボットと医療にはさまざまな接点があり、相性のよい分野といえます。ロボットが医療分野でおおいに役立てられると期待されていて、研究者や企業などが研究開発を進めているのです。

読売新聞の「ロボット手術室」の記事では、人間より精密な動きをするロボットアームを使うことを想定しているようです。しかし、手術や治療のあらゆる作業をロボットアームがおこなうということは、いまはまだ考えられません。そこで、人間である医者の手作業による技術を高めていくことは、治療・手術の成功率を高めるために、やはりこれからも大切になります。

“医者の卵”である研修医たちは、手作業の技術を高めるために練習をしています。たとえば、患者の口から管を気管に入れて気道を保とうとする気管挿管の練習などをおこないます。

とはいえ、実際の患者などの人間を対象に練習をすることは、危険があるためできません。そこで、こうした練習では、これまでよくマネキンが使われてきました。

しかし、マネキンはマネキン。研修医が口から管を入れるとしても、なんの反応も示しません。もし、気管挿管のやりかたに適切でない点があったら、生身の人間が対象であれば、血圧が上がったり心拍数が上がったりと、なにかしら生命徴候に異変が現れるはずです。しかし、相手がマネキンではそうした異変を示してくれません。

そこで、ロボットの登場となります。

マネキンの代わりに、気管挿管を受ける患者と同じような上半身のつくりをした人型ロボットを台のうえに寝かせます。この人型ロボットには、患者の肌に近い樹脂で覆われていますが、内部には駆動素子や感知器などがついています。研修医が管を入れる作業に対して、実際の患者とおなじように反応を示します。時間が経つにつれて患者の状態が変化したり、不適切な手技で患者の状態が悪くなったりといったことを再現するのです。

こうしたセンサつきのロボットを使えば、1回ごとの練習作業に対して、歯にどれだけ力がかかってしまったかとか、入れた管の深さは適切だったか、それに本当に作業をしたら成功だったのか不成功だったのかなどを測定・判定し、作業後に数値で示すこともできます。いわば、カラオケでうまさに応じて得点が示されるシステムのように、練習作業の技術力が評価され、より技術を高めることに生かされるわけです。

この気管挿管の練習を行うためのロボットは、すでに早稲田大学と京都科学の共同研究開発を経て実用化されています。こうした医療技術を高めるための練習に使われるロボットの存在もまた、医療分野とロボット分野の相性のよさを示す一例となっています。

参考資料
読売新聞 2014年6月29日付「『ロボット手術室』開発へ 精密メスなど連動」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-00050171-yom-sci
RTPedia「気道管理ロボット」
http://www.rt-gcoe.waseda.ac.jp/wiki/index.php/気道管理ロボット
京都科学「評価型気道管理シミュレータ」
https://www.kyotokagaku.com/jp/educational/products/detail01/mw11.html
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人の細胞、最長で1メートルにも


人の細胞のなかで最大のものは卵子といわれています。直径は約0.1ミリメートル。シャープペンシルや尖った鉛筆の先端を紙にトンと置いたときできる黒い点とだいたいおなじ大きさといわれています。

卵子が人にとって最大の細胞ということはよく知られています。しかし、人のからだには、長さ1メートルにもなるべつの細胞があるということはさほど知られていません。

その細胞とは、刺激信号を受けとり伝える役割をもっている神経細胞です。ひとつの神経細胞のなかに、おもに三つの部位があります。

ひとつは、神経細胞体。これは、ほかの細胞にも見られる細胞核などの小器官が収まっているところです。いわば、神経細胞の本体といえます。

そして、この本体の神経細胞体から伸びている突起が2種類あります。これらも刺激を受けて伝えるという神経の役割を考えたとき、本体の神経細胞体とはまたべつにこれらも大切なはたらきをもっています。

2種類ある突起のひとつが樹状突起です。ほかの神経細胞からの刺激を受けとる役割をしています。よび名のとおり、樹木のように枝わかれをしています。また、樹状突起はひとつの神経細胞体に複数みられます。つまり、まわりの複数の神経細胞から刺激を受けとっていることになります。

そしてもうひとつの突起が軸索です。刺激の信号をほかの神経細胞の樹状突起へと伝える枠割をもっています。軸索のほうはひとつの神経細胞に1本しかありません。

神経細胞の長さが1メートルにもなりうるのは、この軸索が伸びるからです。長い軸索をもった神経細胞は、背骨のうち下のほうに位置する腰髄や仙髄から、膝のあたりまで伸びています。この神経を、座骨神経ともよびます。

神経細胞から軸索が伸びるときは、伸びていく突起の表面を覆う膜成分が、神経細胞体からつぎつぎに供給されていきます。

そして、軸索の先端にあたる部分は、「こっちに来なさい」「こっちには来るな」という“道路標識”のような因子をたよりに伸びていきます。これで、軸索はおかしな方向に伸びていかないようにしているといわれています。

卵子は大きく形を変えることなく丸いままですが、神経細胞は軸索の端を伸ばしていき、最長で1メートルにも達します。神経細胞のほうを、「人のからだのなかでもっとも大きな細胞」とよんでもよいのかもしれません。

参考資料
理研BSIニュース「神経突起が伸びる方向を変えるしくみを発見」
http://www.brain.riken.jp/bsi-news/bsinews38/no38/research1.html
家庭医学館「脳、脊髄、神経のしくみとはたらき」
http://kotobank.jp/word/脳、脊髄、神経のしくみとはたらき
ウィキペディア「神経細胞」
http://ja.wikipedia.org/wiki/神経細胞
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
材料の両端の温度差で「熱抵抗」を示す
ものづくりでは、使おうとする材料について、熱が伝わりやすいか、伝わりにくいかが重要になることが多くあります。たとえば、部屋のなかを保温したり遮熱したりするための断熱材の特徴は、部屋の外側と内側で熱が伝わりにくいことにあります。

こうした材料の特性を示す値に、「熱抵抗」があります。

抵抗とは、もともと「外部から加えられる力に抗うこと」。物理学では「伝わりにくさ」を示す量として、「電気抵抗」のようにしばしば使われます。江戸時代末期の1862(文久2)年に『英和対訳袖珍辞書』という英和辞書が出版されたとき、「resistance」の訳語として「抵抗」が載り、それがそののち物理学にも使われるようになったとされます。

「抵抗」と「伝わりにくさ」の語感には共通するところもあるため、「抵抗が(電気や熱などの)伝わりにくさ」であるということを理解することに、あまり苦労はいりません。

熱の伝わりにくさを示す熱抵抗は、「℃/W」などの単位で示されます。℃は温度、Wはワットのこと。

ワット(W)が、時間あたりの仕事量のことを示しており、熱の分野では時間あたりの熱量のことを示します。具体的には、1ワットとは、1秒間に0.24カロリーの熱量が出ることを意味します。

では、熱源が1ワットであるとき、その材料の両端での温度差はどうなるかを示したものが熱抵抗です。

たとえば、放熱のための板状の材料の両面に、それぞれ発熱体と放熱体を付けたとします。発熱体と放熱体の間に放熱材が挟まれたような状況です。

もし、熱抵抗が30℃/Wというときは、発熱体の1ワットに対して、発熱体と放熱体のあいだをとりもつ断熱材料の両端の温度差が30℃になることを示します。


熱抵抗が30℃/W

いっぽう、熱抵抗が3℃/Wというときは、発熱体の1ワットに対して、発熱体と放熱体のあいだをとりもつ放熱材の温度差が3℃になることを示します。


熱抵抗が3℃/W

つまり、おなじ仕事率の1ワットであっても、熱抵抗が高いと温度差が大きくなり、熱抵抗が低いと温度差は小さくなるわけです。熱抵抗が表す数値は、材料の両端の温度差であるということが肝になります。

熱抵抗では、ほかに熱抵抗を示す式のなかで、「θj-a」や「θj-c」といった表現を使うことがあります。これは、θ(シータ)はいわば添字で、「j-a」というのは「半導体の接合部(junction)と空気(air)の間」を、また「j-c」というのは「半導体の接合部(junction)とパッケージ・ケース(case)の間」を意味します。つまり、どことどこの間の熱抵抗であるのかを「θj-a」や「θj-c」などで示すわけです。

参考資料
Taica技術用語集「な行」
http://www.taica.co.jp/gel/words/na.html
ローム「熱抵抗について」
http://rohmfs.rohm.com/jp/products/databook/applinote/ic/power/switching_regulator/thermal_resistance_appli-j.pdf
ウィキペディア「熱抵抗」
http://ja.wikipedia.org/wiki/熱抵抗
スーパー大辞林「抵抗」
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「思わぬ」という“枕詞”で安全を守ろうとする


鉄道会社の駅員は、駅や鉄道の利用客の安全を守ろうとしながら、定時での列車の運行も守ろうとします。とくに、日本の鉄道会社の駅員や社員は、外国の鉄道会社にくらべてその意識が高いと、外国人旅行者などからも賞賛されています。

朝や夕方の時間帯では、電車に乗る客も駅を使う客も多くなるため、とくに気持ちが入ることでしょう。

電車が発車時刻になると、電車にむりに乗りこもうとする客に自制をうながすため、駅員はマイクロフォンを使って、客につぎのようなよびかけをすることがあります。

「電車から離れてください。接触すると、思わぬけがをすることがあります」

このよびかけの効果の有無はさておいて、客に電車から離れてもらいたい理由として「思わぬけが」に遭ってほしくないことをあげているわけです。

駅員だけではありません。鉄道会社そのものも、ホームページでつぎのように客に注意をよびかけています。

「発車間際の駆け込み乗車は、ドアに挟まれたり、転倒したりするなど、思わぬけがにつながります」(東急電鉄)

「電車の扉が開く際、手や指、かばんが戸袋に引き込まれ、思わぬけがをされることがあります」(小田急電鉄)

「駆け込み乗車をされると転んだり、ドアに挟まれたり思わぬけがをすることがありますのでおやめください」(芝山鉄道)

ここで日本語として議論あるいは興味の対象になりうるのは「思わぬけが」という表現です。

「けが」というものは、いまではおもに「負傷する」ことを指していいます。そして重要なのは、その負傷が「不注意」や「不測」によって起こるものであることを本来的に含んでいるという点です。もともと「けが」は、体に負った傷を指すことばでなく、「過ち」などの意味で使われていたことばともされています。

「思わぬ」というのは「思ってもみない」ということなので、「不注意」や「不測」を意味することになります。

つまり、「思わぬけが」という表現を分解すると、「不測の不測の負傷」ということになるわけです。

厳密な意味からすれば、駅員や鉄道会社は「接触すると、思わぬけがをすることがあります」でなく、「接触すると、けがをすることがあります」というのが、意味の重複のない表現となります。

では、「接触すると、思わぬけがをすることがあります」という表現をやめて、「接触すると、けがをすることがあります」としたほうがよいのかというと、そうともいえません。

このよびかけを駅員や鉄道会社がしている目的は、客に「けがをさせない」ということになります。そのとき、「けが」と表現するよりも「思わぬけが」と表現するほうが、「けが」の危険を伝えるときに効果的だからです。

昔の歌には、「垂乳根の母」という表現が使われていました。「垂乳根」は「母」の意味なので「母の母」となります。ですが「垂乳根の」は、歌の句調を整える「枕詞」という手法として多いに使われていました。

「思わぬ」は、いまの時代にも生きる“枕詞”ともいえそうです。単に「けがをする」でなく、「思わぬけがをする」と言われるほうが、聞く側の客にとってもドキッとする度合いが増すことでしょう。

参考資料
東急電鉄「安全運行へのお願い」
http://www.tokyu.co.jp/railway/guide/attention/
小田急電鉄「安全報告書2010:お客さま、沿線の皆さまとともに」
http://www.odakyu.jp/csr/safety_report/2010/10.html
芝山鉄道「芝山鉄道安全報告書 平成19年」
http://www.sibatetu.co.jp/sreport_19.pdf
語源由来辞典「けが」
http://gogen-allguide.com/ke/kega.html
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「最も進んだ」結果、使い勝手の悪い事態に
きのう(2014年6月)24日付の記事「『時代を先どりしすぎていることになるのかもしれません』」は、アップルコンピュータが発売するコンピュータの“独走ぶり”についての話でした。そのつづきの話です。

「ひと目でわかります。最も進んだAppleのノートブックです」

これは、アップルのコンピュータ「マッキントッシュ」のホームページ冒頭にある、ノート型コンピュータ「MacBook Pro」についての惹句です。「ひと目でわかります」というのは、おもに「レティーナ・ディスプレイ」という画面のことを指しているようです。

レティーナ・ディスプレイとはアップルが独自によんでいる画像がきめ細やかなディスプレイのこと。13インチの画面で400万以上、15インチの画面で500万以上の画素、つまり画像を構成する最小の“粒”があります。レティーナ・ディスプレイは、おなじアップルのスマートフォン「iPhone4」以降のシリーズにも使われています。

このコンピュータが「最も進んだ」ものであることは、ソフトウェアの“付いていけなさ”ぶりからわかります。

マッキントッシュは伝統的に編集デザインなどの業務のために使われてきました。理由はさまざまですが、アップルのオペレーションシステム「マックOS」が、対向するマイクロソフトの「ウィンドウズ」より「使い勝手がよい」という評判がおおむねありました。

マッキントッシュで編集デザインなどをする人に多く使われてきたソフトウェアが、アドビ社の製品です。「フォトショップ」「イラストレーター」「インデザイン」は今日日、編集デザイン用ソフト“三種の神器”ともよばれています。さらにPDFファイルの内容を編集できる「アクロバット」も合わせて、マッキントッシュを使っている編集者やデザイナーなどはかならずといってよいほど、これらのソフトウェアを使っています。

しかし、レティーナ・ディスプレイを搭載したMacBook Proで、2014年6月現在、「インデザイン」のCS6という二番目に新しい版のソフトウェアや、「アクロバット」のXというこれも二番目に新しい版のソフトウェアを使おうとすると、ある問題がおきます。

その問題とは、「インデザイン」や「アクロバット」の表示全体が、レティーナディスプレイに粗く映ってしまうというもの。



上の画像は、レティーナディスプレイで「アクロバット」を開いたときの画面を撮ったものです。上のアップルマークや「Acrobat」などと示されている部分はきめ細かで、下の赤丸・黄丸・緑丸や、アイコン、「作成」などと示されている部分は粗くぎざぎざになっています。

このような画像のきめ細かさ・粗さの差は、上の部分がレティーナ・ディスプレイに対応したMac OSの範疇であり、下の部分が、レティーナ・ディスプレイに対応していない「アクロバット」の範疇であるためにおきます。

アドビ社は、アップルのレティーナ・ディスプレイ搭載型コンピュータの発売を受けて、「フォトショップ」と「イラストレーター」のCS6の版については、粗くならない対応を後追いでしました。

しかし、「インデザイン」のCS6や「アクロバット」のXについては、いまのところレティーナ・ディスプレイに対応する予定を発表していません。

さらに、アップルもアドビも、レティーナ・ディスプレイに対応しないで粗く示されるソフトウェアがあるということを、大きな声で伝えようとはしていません。

アップルにとっては、このことを大きな声で伝えると、「だったら、レティーナ・ディスプレイの新しいコンピュータを買うのはやめておこう」と買い控えをする人が増えるためということが考えられます。

アドビにとっては、「だったら、レティーナ・ディスプレイに対応した新しい版にするか」と、切りかえる人が増えることを望んでいることが考えられます。切りかえにはお金がかかります。

編集デザインでは、「インデザイン」などの編集用ソフトウェアに、「あたり」とよばれる、データ量をあえて落としておいた画像をとりいそぎ当てはめておくことがあります。データの容量が軽いと操作しやすいためです。

画像が「あたり」のままで印刷が行われると、当然ながら印刷物もぎざぎざの粗いものに。これは出版事故のひとつです。

いまのレティーナ・ディスプレイのコンピュータは、「インデザインCS6」を使っても、「アクロバットX」を使っても、「あたり画像」か「正画像」かの区別がつきづらいという大きな問題を抱えています。

「最も進んだ」コンピュータが、「最も使い勝手のよい」コンピュータとなるわけではありません。それどころか、「使い勝手の悪い」コンピュータになりさがってしまうこともあることが、このぎざぎざ画面問題からはわかります。

なお、レティーナ・ディスプレイに対応していないソフトウェアは、アドビの製品にかぎらず、数多くあります。

参考資料
アップルコンピュータ「MacBook Pro 特長」
https://www.apple.com/jp/macbook-pro/features-retina/
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「時代を先どりしすぎていることになるのかもしれません」
企業にとって、客との関係をどう保つかは課題のひとつです。多くの企業は「お客さまのために」と、客が求めていることに応じようとする姿勢を見せます。

しかし、「お客さまのために」を最優先することは義務ではありません。ときに、「自分たちが未来の社会をつくるから、客はそれについてくるように」という姿勢を示す企業もあります。

その姿勢を明確に示している企業のひとつがアップルコンピュータといえます。

2013年から売られているアップルのノート型コンピュータ「MacBook Pro」には、それまでの機種についていたいくつかの機能がなくなっています。アップルは明確な意志をもってその非搭載をおこなっているようです。

MacBook Proの新機種には、まず、CDやDVDなどの円盤ディスクを動作させる「光学式ドライブ」がありません。


2013年から発売のMacBook Proの右側面

これについて、アップルは製品紹介のなかでつぎのように説明しています。

「私たちは、最も厳しい性能基準にたどりつくまで、あらゆる細部を徹底的にデザインし、設計し、製造し、組み立てました。その過程で、回転するハードドライブや光学式ディスクといったかさばる古いテクノロジーは、より新しい、より高性能なテクノロジーに道を譲りました」

回転するハードドライブは、いわばコンピュータのなかでの“裏方役”なので、使う側からすれば“代役”が働けばそれで済む話です。しかし、光学式ディスクについては、いまなお多くの人がDVDなどを使っています。もし、MacBook ProでDVDを見たい場合は、外付の光学式ディスクドライブを買って線でつないぐしかありません。

いまもかなりの需要をもって使われている方法を、アップルは「古いテクノロジー」としたわけです。

これだけではありません。MacBook Proの新機種や2008年に発表されたMacBook Airには、これまでのコンピュータについていた有線LANの端子口がついていません。つまり、光ファイバなどの有線で情報通信をすることを前提としないつくりになっているわけです。これらのコンピュータで有線通信をしたい人は、端子口のあるアダプタを買って、線をつなぐことになります。


左側面

光ケーブルなどを使った有線通信では、やりとりできる情報量が多く、理論値ながらいまも一般的に無線通信の2倍以上の情報量をおなじ時間でやりとりできるとされています。

アップルのサポートセンターのあるアドバイザーは、新しいMacBook Proに有線LANの端子をつけなかった理由をつぎのように説明します。

「これはある意味、私どもアップルが時代を先どりしすぎていることになるのかもしれません」

有線通信はだんだんと廃れていき、無線通信だけで通信がなりたつ時代になっていくので、いまの通信使用者の使い勝手を犠牲にして早めに対応したと、解釈することができます。

DVDや有線通信を使っている消費者がアップルのコンピュータから去っていくのか。消費者がアップルの姿勢を受け入れて、ともに新しい社会を築いていくのか。それとも、DVDや有線通信を使えないことを知らずに消費者が新しいコンピュータを買って、しかたないとあきらめるのか。いくつかの“道”があります。

参考資料
アップルコンピュータ「MacBook Pro あえて信じられないほどパワフルにしました」
https://www.apple.com/jp/macbook-pro/design-retina/
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「“毒ガス流言”で女性がマスク」を疑ってみる
(2014年)6月17日から22日にかけて、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞などが、長崎市調査団による米国国立公文書館への訪問調査を報じています。この訪問調査により、原爆投下から間もない長崎のようすが写された写真200枚が確認されたといいます。

そして、どの新聞の特派員も、原爆投下から40日ほど経った長崎で「マスクをつけた女性」が歩いている姿が写っている写真に注目し、これを記事にしています。

その写真は、爆心地から南におよそ500メートルの浜口町(いまの川口町)で撮られたものと推定されています。当地にあった三菱重工業長崎造船所浦上寮の防火壁が女性たちの背景に写っていることから場所を特定できるようです。

写真では、雨で濡れた道を男女5人が歩いている姿が写されています。雨がまだ降っているのか、みな帽子や布切れを頭にかぶっています。

そして、5人のうちの2人が白いマスクをつけているのがわかります。

3紙の特派員記者はいずれも、原爆投下後の長崎に「毒ガスがまかれた」といううわさがあったことを示すものではないだろうかという推定を書いています。

読売新聞の記事には、この写真の裏に「原爆の放射線の不安―この女性たちは、髪や歯が抜け落ちるというこの地域の情報を信じて、長崎の爆心地の空気を吸わないために、マスクをしている」と書かれていたことも報じています。

長崎に原爆が落とされてから間もないころの街のようすを写した写真は、今回、初めて見つかったわけではありません。従軍カメラマンだった山端庸介(1917-1966)が記録した写真や、進駐してきた米軍が撮影した写真なども残されています。それらを集めた『原爆被爆記録写真集』という写真集も、長崎市から出版されています。

では、『原爆被爆記録写真集』にも、マスクをつけた人の姿が写されているのでしょうか。

写真集を見るかぎりではマスク姿の人はだれもいません。生存している人が写されている写真はぜんぶで32点ありますが、マスクはおろか、毒ガスから身を護るような素振りをしている人も見あたりません。


長崎市『原爆被爆記録写真集』より

『原爆被爆記録写真集』に収められている写真と、今回、米国立公文書館で見つかった「マスクの写真」にちがいを見いだすとすれば、「マスクの写真」のほうは雨の日に撮られたものであるという点がちがいます。もし、「とくに雨の日は、毒ガスの成分をふくむ雨が降ってくるから注意」といった流言があったとすれば、雨の日に撮られた写真にマスクをつけた人が写っていても不思議ではありません。

いっぽうで、毒ガス流布説とは異なる「マスクの理由」を見いだすことはできないでしょうか。

この写真の撮影日は、1945年9月16日とされています。一般市民の藤城かおるさんがインターネットに発表している「長崎年表」によると、当日は「連合国軍先遣隊500人が出島岸壁から上陸、九州海運局長崎支局を接収」した日でした。

さらに、「年表」で興味深いのは、その3日前の9月13日に、長崎県が関係市町村に対して、連合軍がやってくる前に伝えた内容です。そこには、「個人の直接接触は避ける。特に婦女子は笑顔を見せたりしない」「日本婦人として自覚し隙を見せぬ」といった注意事項があります。

「笑顔を見せたりしない」「隙を見せぬ」といった注意事項が伝えられたタイミングや、連合軍が長崎に上陸したタイミングと、マスクをした女性が写っている写真が撮られたタイミングはほぼ一致します。だからこそ、この女性たちがマスクをしていたと考えるのは、推しはかりすぎでしょうか。

今後、米国立公文書館で見つかった200枚の写真から、原爆投下から間もない長崎の市民のようすが、より明らかになってくることでしょう。

参考資料
朝日新聞 2014年6月22日付「被爆後症状、毒ガスと誤解? 長崎市民、マスク姿の写真」
http://digital.asahi.com/articles/ASG6L2FZXG6LTOLB001.html
毎日新聞 2014年6月17日付「長崎原爆 市調査団、米国立公文書館で写真200枚確認」
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20140618org00m040004000c.html
読売新聞 2014年6月17日付「長崎爆心地不安のマスク 毒ガス流言示す?写真」
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20140617-OYS1T50063.html
長崎年表「昭和時代(7)」
http://f-makuramoto.com/01-nenpyo/01.nenpyo/1945-s07.html
長崎市『原爆被爆記録写真集』
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(2014年)6月25日(水)は「“STAP騒動”にみる科学研究の現在」
催しものの案内です。

(2014年)6月25日(水)、東京・丸の内の「3×3 Labo」で、「“STAP騒動”にみる科学研究の現在」というトークイベントが行われます。主催は、朝日新聞WEBRONZA。

ことし1月に発表された「STAP細胞」をめぐっては、その後、研究成果を報告した論文に「ねつ造」があったと調査を進めていた理化学研究所が発表し、同研究所に所属する小保方晴子研究ユニットリーダーもSTAP細胞について書いた論文を撤回することに同意しました。研究成果は白紙になる見通しです。

STAP細胞の論文に疑義がもたれはじめてから、3か月ほど。徐々に、「ねつ造」と認められたSTAP細胞の論文はどのような理由と背景で作られたのか、また、マスメディアはどのようにSTAP細胞の存在を信じこみ、その後の報道を展開していったのか、といったことが検証されはじめる時期でもあります。

このトークイベントでは、科学誌や科学論を専門とする研究者と、新聞で長らく科学報道に携わってきた科学ジャーナリストが対談をします。

研究者のほうは、米本昌平さん。総合研究大学院大学教授で、東京大学教養学部客員教授もつとめています。米本さんは、著書『バイオポリティクス』(中公新書)の執筆など、生命科学の諸問題を考察した長年の活動に対し、2007年に科学ジャーナリスト賞を受賞しています。ほかに著書として『地球環境問題とは何か』(岩波新書)なども。

いっぽう、科学ジャーナリストのほうは尾関章さん。朝日新聞社でおもに科学記者として、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めました。2013年に退職後も、科学や科学報道についての言論活動をしています。最近の著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)があります。

「“STAP騒動”にみる科学研究の現在」は、6月25日(水)18:30から、東京・丸の内の富士ビル3階「3×3Labo」で。トークイベント終了後の20:00から21:00までは参加希望者による交流会も行われます。

トークイベントと交流会の参加費は、税込1000円となっています。クレジットカードによる決済などは、22日(日)いっぱいでしめきりのようですが、参加希望者は「webronza-m@asahi.com」宛に、イベント後の交流会にも参加するかどうか、名前、名前のふりがな、年齢、性別を23日(月)までにメールで送信すると対応受付されるようです。

「3×3Labo」の会場案内はこちらに載っています。
http://www.ecozzeria.jp/fujibldg33/
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木々の姿をまねして「フラクタル日よけ」


夏になると、太陽の光が地球に射しこむ角度が大きくなるため、日射しが強くなります。直射日光を避けて日よけの下で過ごそうとする人も多いことでしょう。

街なかの公園などにある日よけには、日射しをさえぎる屋根や、ヘチマなどの植物の蔓や葉で覆われるものが多くあります。

いっぽう、これらの日よけとは一線を画す「フラクタル日よけ」という日よけが街なかで見られることがあります。たとえば、写真は東京・豊洲の「ららぽーと豊洲」の敷地内の、生きものが集うビオトープにあるもの。

「フラクタル」とは、かたちの種類のひとつ。「部分が全体と自己相似するかたち」と説明されます。つまり、ある部分に近づいて拡大しても、また、ある部分から遠ざかって縮小しても、見た目が変わらないようなかたちをフラクタルといいます。

フラクタルのかたちのひとつとして知られているのが、「シェルピンスキーガスケット」。三角形のなかに逆三角形をくりぬきます。すると、底辺が下にある三角形がみっつと、逆三角形がひとつになります。さらに底辺が下にある三つの三角形のなかを、それぞれ逆三角形でくりぬきます。これをくりかえしていくと、下の図のようなかたちになります。これが、シェルピンスキーのガスケット。

上の作業をこれをくりかえしていった図形では、どんなに拡大しても縮小しても、おなじ模様になります。


シェルピンスキーのガスケット

じつは、自然界の木々はみずからの姿をフラクタルにしています。木の枝葉を、拡大して見ても縮小して見ても、ほぼおなじ形状になっています。こうすることで、木の表面を葉っぱで多い尽くすよりも風通しがよくなり、木が生きていくのに有利な状況となっています。

この木のつくりを人がまねしたのが、フラクタル日よけ。普通の屋根の下にくらべると、フラクタル日よけの下の体感温度は、2度から3度、低くなるといいます。

京都大学の人間・環境学研究科や奈良女子大学理学部などの研究者たちが、フラクタル日よけを開発しました。建材製造業の積水化学工業や、建築業のロスフィーなどにライセンス、つまり使用許可を出しています。

まだ、フラクタル日よけが見られる箇所は、100か所に至りません。普及するかどうかは、費用対効果にかかってくるのでしょう。

みんなの地球科学プロジェクト「フラクタル日除けについて」
http://www.gaia.h.kyoto-u.ac.jp/~fractal/why-so-cool.htm
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「品種開発で輸入品に対抗、枝豆はまだまだ美味しくなる」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2014年)6月20日(金)「品種開発で輸入品に対抗、枝豆はまだまだ美味しくなる」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

これから7月、8月にかけてと枝豆をよく店で見かけるようになる時期です。枝豆も農作物なので、おもに“枝豆農家”が栽培し収獲しています。では、枝豆のタネはどのように開発されているのでしょうか。そもそも枝豆のタネとはなんなのでしょうか。

こうした疑問を解くため、各種作物の種や苗の生産・販売などを行っている雪印種苗という企業の千葉研究農場に取材をしました。雪印種苗は、いまの雪印メグミルクの前身である北海道興農公社が1941(昭和16)年に種苗事業をはじめたのを端緒とする企業です。千葉市稲毛区の、まだ畑の残るような土地に千葉研究農場はあります。

枝豆は、植物の大豆(ダイズ)が熟しきらないうちに収穫して、その莢についている豆を食用とするものです。もし、熟しきるまで育てていけば、より大きな豆になり、それがタネになります。

取材では、同社の園芸作物研究グループで枝豆のタネの開発などをしている坪倉康隆さんが、枝豆を含む各種の大豆の種を見せてくれました。こちらのページに写真があります。

枝豆のタネは大きいですが、写真の奥にある小さな粒々のタネはとても小さいもの。坪倉さんによると、じつはこれが“野生の大豆”といいます。

野生の大豆、つまり大豆の原種は「ツルマメ」とされています。ツルマメのタネは黒。タネが黒いことは、大豆でも丹波黒などの「黒豆」で見られます。しかし、粒の大きさは、枝豆のタネの10分の1もないほどです。

原種から、多様性がひろがっていきました。はじめは植物そのものが適者生存や自然淘汰を経験するなかで、より大豆らしくなるなどしていったのでしょう。その後は、人による交配などにより手が加えられ、人にとっての食用作物としての特徴などが加えられていきました。

記事では、豆腐などに使われる大豆と枝豆として使われる大豆のちがいや、枝豆のタネの実際の開発方法、さらに枝豆の輸入品の現状なども、坪倉さんに語ってもらっています。

JBpressの記事「品種開発で輸入品に対抗、枝豆はまだまだ美味しくなる “おつまみの王者”枝豆の歴史といま(後篇)」 はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40992
また、「ビールに枝豆」という定番の組み合わせの始まりを追いかけた前篇「『ビールに枝豆』の組み合わせはいつから始まったのか」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40926
| - | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0)
キーレスで預けたことそのものを忘れる


電子マネーの役割を果たすICカードがあたりまえのように使われるようになり、駅などに置かれていたコインロッカーの姿も変わりました。「キーレスロッカー」とよばれるロッカーが多く見られるようになりました。

「キーレス」とは「鍵要らず」のこと。鍵の役割をICカードが果たします。

ロッカーについているセンサの部分にICカードをかざします。すると、ICカードにロッカーを使っていることが記録されます。ロッカーから荷物をとりだすときは、ふたたびICカードをロッカーのセンサにかざします。これでロッカーが開きます。

お財布がわりのCカードですので、ロッカー使用量もICカードから引き落とされます。現金での支払いもできます。

このキーレスロッカーを製造する企業は、商品案内で「カギの紛失・管理が不要」ということを謳っています。「カギがないので、従来のようにカギの紛失、補給などの業務管理は不要になります」と。

そもそも鍵が存在しないのだから鍵を紛失することはありえません。これは一見、便利そうに思えます。

しかし、利用者にとっては、鍵がないならないなりの、べつの問題も抱えることになりそうです。

キーレスロッカーを使ったことのある人が、こう言います。

「つくば駅でキーレスロッカーに荷物を預けたんだが、帰りにロッカーに荷物を預けたことを忘れて秋葉原駅まで戻ってしまったんだ。またつくば駅に戻って荷物をとりだして秋葉原駅へ引き返した。往復時間90分!」

鍵がないと、自分がロッカーに荷物と預けていることそのものを忘れてしまうという危険性も強くなるわけです。

ロッカーに預ける荷物の多くは、ふだんは持ち歩かないような物。ロッカーに荷物を預けているということを意識しなくなると、そのまま忘れてしまうことになりやすいものです。

そうしたとき、ポケットにロッカーの鍵が入っていると、ポケットに手を入れたときなどに「きょうはロッカーに荷物を預けているんだった」ということを思いだすことができます。

ふたたび「荷物を預けた」と意識するとっかかりである鍵の存在がないことは、意外な盲点になりえます。もっともキーレスロッカーの製造業者はそのことも気づいているのかもしれませんが。

参考資料
アルファ「キーレス&キャッシュレス対応コインロッカー」
http://www.kk-alpha.com/locker/dl/suica.pdf
| - | 17:07 | comments(0) | trackbacks(0)
数式は理論の一要素


自然科学や数学の分野では、なにかのものごとを説明するとき、「数式」が使われます。とくに、物理学や数学の分野などは、数式が数多く登場します。

「E=mc²」。これは、アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)が、特殊相対性理論を発表したときに合わせて登場させた数式です。

「E」はエネルギー、「m」は質量、「c」は光束度を表しています。エネルギーと質量がイコールで結ばれていることの意味は、「物質から質量が失われればエネルギーが生じる」ということです。わずか数トンの爆弾から、都市をまるごと破壊するようなエネルギーが生じることを、「E=mc²」は示したのです。

理論と数式とは、どのような関係にあるのでしょう。

「特殊相対性理論といえば、E=mc²」といったことを思いうかべる人もいるでしょう。また「E=mc²といえば、特殊相対性理論だよね」と言う人もいるはずです。

では、「理論すなわち数式」といえるかというと、そうではありません。上のふたつのせりふを、おそらく省略せずに表現すれば「特殊相対性理論といえば、E=mc²という式を思いだす」とか「E=mc²といえば、特殊相対性理論に出てくる式だよね」とかになるはずです。

「理論」ということばには、つぎのような意味がつけられます。

「個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また、実践に対応する純粋な論理的知識」(デジタル大辞泉)

「科学研究において、個々の現象や事実を統一的に説明し、予測する力をもつ体系的知識。狭義には、明確に定義された概念を用いて定式化された法則や仮説を組み合わせることによって形作られた演繹的体系を指す」(スーパー大辞林)

「個々の現象」を「筋道を立てて組み立て」ようとするとき、科学者や数学者は数式を使います。また、「演繹的体系」を形作ろうとするとき、科学者や数学者は数式を使います。

つまり、数式とは、理論を成りたたせるための手段のひとつに“なりうる”ようです。

しかし、理論と数式の関係において、数式がいつでも理論を成りたたせるための手段かというと、かならずしもそうとはいえません。

上にある、「E=mc²」という数式は、しばしば特殊相対性理論の「帰結」と説明されます。帰結とは、最後にたどりつく結論のことです。特殊相対性理論をつきつめると「E=mc²」に達するということです。特殊相対性理論という論を進めるために「E=mc²」を登場させるわけではないので、この数式は「手段」とはいいづらい点があります。

「数式は、理論を構成するための、必須ではない要素のひとつ」ということまではいえそうです。

参考資料
小学館『デジタル大辞泉』
三省堂『スーパー大辞林』
| - | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0)
どんな支離滅裂な夢でさえも受けいれてしまう


よくよく考えてみると、絶対にといってよいほどありえない状況が、夢見のなかでは起きます。

ある人は、2013年のプロ野球のペナントレースで最下位に終わった、ヤクルトスワローズと日本は無ファイターズの選手たちが、「なあ、俺たち弱かったよなぁ。野球では、他のチームに負けてばかりだったから、サッカーをやってどっちが日本一弱いか決めようぜ」「よし、わかった、そうしよう」と言って、サッカーを始めたという夢を見たそうです。

現実からすれば支離滅裂なことが夢で起きるのは、人が起きているとき経験したり見たりした内容の断片を、脳がつなぎあわせてしまうからといわれます。そうしたことを脳がなぜするのかは、まだよくわかっていないようです。

さらに、ふしぎなのは、現実ではけっしてありえないような内容であっても、夢を見ているほとんどの人は、その内容を「ありえない」などと疑うことなく、驚くほど素直に受け入れてしまうことです。

もちろん、夢のなかで起きている理不尽なことに対して、自分自身が不満を抱いたり、抵抗の姿勢を示したりすることはあります。しかし、その夢のなかの理不尽なことが、現実からすれば支離滅裂であるということには、気づかないわけです。

これは、夢を見ながら「自分はいま夢を見ているのだ」とか「これは夢なのだ」ということを意識していないことを意味しています。

「明晰夢」という夢があります。これは、夢を見ていることを自覚している夢のこと。夢を見ながらも、思考や判断などの高度な精神作用が営まれる「前頭葉」いう脳の部分が、半分ぐらい覚醒していることで、明晰夢が起きるといわれています。明晰夢を見ている人は、しばしば、その夢の内容を制御することができるともいいます。

「明晰夢」という言葉が存在するということは、裏がえせば、ほとんど人は明晰夢でない夢を見ている、つまり、自分が夢を見ていることを意識することができないことを意味します。

明晰夢を見ることのない、ほとんどの人が、夢のなかのことをすべて、“ありえること”として受け入れるわけです。その結果、夢から醒めたとき、「ああ、いまのは夢だったのか。夢でよかった」と、よろびまでも感じることになります。

参考資料
ウィキペディア「明晰夢」
http://ja.wikipedia.org/wiki/明晰夢
| - | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0)
宣伝すればするほど逆効果になることも


企業や大学などの組織は、自分たちの組織の魅力を宣伝しようとして、広告を出したり、冊子を作ったりし、それを世の中に露出させます。たとえば、企業はなるべく優れた人材に自分たちの会社に入ってもらおうとして、会社案内の冊子を作ります。

自分たちの魅力を伝えたいと考える組織にとって、広告や冊子は「出せばプラスの効果を得られるもの」ということをあたりまえに考えがちです。

もちろん、費用対効果を考える人はいるでしょう。その広告や冊子をお金を投じて世に出して、そのお金を払ったより高い宣伝効果を得られるかどうかという尺度で考えるわけです。

しかし、「効果があるかどうか」という視点にはもうひとつ、つい見おとしがちながら大切なことがあります。それは、「宣伝することがプラスの効果になっているのか」、いいかえれば「宣伝をすればするほどマイナスの効果になっていはいないかどうか」という観点です。

たとえば、ある出版社が、高校生を読者対象に数学をテーマにしたシリーズ本を出すにあたり、その宣伝をする冊子を作ったとします。

出版社は、冊子のなかで、それぞれの数学書を書いた著者に「著者より一言」というコラムをつくり、そこに著者からのメッセージを載せることにしました。

著者から届いた原稿がつぎのようなものでした。

「本書は、数学者たちが扱っている代数学の魅力的な部分を切りとり、その魅力を高校生諸君に伝えようとするものである。一例を挙げると、小平次元の応用として一次元では、滑らかな射影曲線は種数により離散的に分類され、その種数は任意の自然数をとることができることを、順を追ってひも解いていく云々かんぬん……」

もちろん高校の数学のレベルをはるか飛びこえて、こうした難解に思える内容の数学書を読む意欲のある人であれば、魅力的な「著者より一言」に思えるでしょう。

しかし、たいていの高校生は、どんな本があるのだろうかとこの冊子を手にとって読んでみただけで、「ああ、こりゃ自分には手に負えないレベルの本なんだな」と思うことになります。

つまり、この冊子は読まれれば読まれるほど、冊子に書かれてあることが敬遠されてしまうという逆効果になるわけです。

こうしたことを避けるため、その広告や冊子を実際にこれから手にする読者対象に原稿や校正刷の段階で読んでもらい「これだとむずかしすぎて取っつきにくい印象をあたえます」または「このくらいだったら読みやすいと思います」といった感想をもらい、改稿するという方法があります。

しかし、実際のところ、そこまで手間ひまをかけて広告や冊子をつくるような組織は多くはありません。
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人びとの目に届かないところに弾み車

ガソリンエンジン用の弾み車
写真作者:100yen

機械には、しくみはおなじでありながら、さまざまな場面に使われるものがあります。「弾み車」とよばれる装置もそのひとつ。英語では、フライホイール(Flywheel)ともよびます。

機械には、回転運動を伴うものがさまざまあります。たとえば、レコード演奏機ではレコードを回転させますし、車のエンジンの一部であるクランク機構でも、往復運動を回転運動にかえて動力を得ています。また、宇宙の軌道上にある人工衛星などには、弾み車を使ったリアクションホイールという装置で、ジェット噴射を使わずに方向を制御させるしくみがあります。

たいていの機械では、回転運動が安定していればいるほどよいものです。フライホイールは、おもにその役割を果たします。

たとえば、車のエンジンの回転運動では、吸入、圧縮、燃焼、排熱といった段階を踏みますが、それぞれので動く速さが異なるため、放っておくと回転がぎくしゃくしてしまいます。そこでフライホイールをクランク機構のはしに取りつけて、ぎくしゃくするはずの回転運動を滑らかな回転運動に変えます。

また、人工衛星に使われる弾み車では、ロータとよばれる回転機構を軸受とよばれる回転用の道具で支えながら、ロータを高速で回転させたり、また逆回転させたりします。これにより人工衛星の姿勢を制御することができます。

意外なところでは、無低減電源装置にも弾み車が使われています。電気エネルギーを、はずみ車で回転運動のエネルギーにして貯めておき、停電が一瞬、起きたときは、そのはずみ車に貯められていた回転エネルギーを電気エネルギーに換えて、電力供給が途絶えないようにします。

人びとの目のあまり届かないさまざまなところで、弾み車が必要な回転を支えています。

参考資料
いまさら聞けない!? 自動車用語辞典「フライホイール」
http://homepage3.nifty.com/KMG/dic/furaihoiiru.html
宇宙航空研究開発機構「ホイール用軸受、コントロール・モーメント・ジャイロ(CMG)用軸受の研究」
http://www.ard.jaxa.jp/research/eisei/ei-wheel.html
ウィキペディア「フライホイール」
http://ja.wikipedia.org/wiki/フライホイール
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橋が跳ねあがり隅田川を巨船が通る


東京の中央区を流れる隅田川にかかる橋のひとつに「勝鬨箸」があります。銀座から築地を抜けると、橋の上にはアーチがふたつかかり、その下を多くの車が行き来しています。夜には、アーチの部分が緑色の、また欄干の下の部分が青色の光で電飾されています。

この橋が特徴的だったのは、可動橋だった点です。

勝鬨橋のちょうど中間あたりには、ふたつのアーチがかかっていない部分があります。ここで、かつて橋がふたつに割れて跳ねあがっていました。

朝日新聞系列のニュース映画社だった朝日動画社が、1940(昭和15)年3月17日に開通間近の勝鬨橋の“試運転”のようすを記録した「勝鬨橋・可動橋の試運転」という映像を配信しました。運転棟のボタンを押すと橋が跳ねあがり、その下の隅田川を欄干までの高さよりも高い船が通っていくようすが映されています。

いまは、車と人が行き来するだけですが、かつては都電勝鬨橋線という路面電車も勝鬨橋のうえを走っていました。1947年に橋を通る路線が開通し、築地と月島のあいだを結んでいました。

橋の開通から都電の開通までは7年ほどの時間がありますが、「勝鬨橋・可動橋の試運転」の映像には、当初から路面電車の線路が橋の上に敷かれていたことも映されています。当時、計画的な交通輸送網が考えられていたことがわかります。

1953年ごろまでは、1日5回ほど橋が跳ねあがり、かさの高い船が隅田川を行き来していたといいます。

しかし、計画時に、東京が空前絶後の高度経済成長を迎えるといったことを、橋の開発者もだれも予想していなかったことでしょう。車や都電の交通量が増えると、橋を跳ねあげる機会は減っていきました。

東京五輪を間近に控えた1964(昭和39)年には、隅田川の上流に佃大橋がかかりました。この橋は跳ねあげ式でないため、かさの高い船は通れません。勝鬨橋を跳ねあげる意味そのものも小さくなってしまったのです。

最後に勝鬨橋が船を通すために跳ねあがったのは1967(昭和42)年。可動橋としての役割を果たし終えました。翌1968年には、都電の交通も終わりました。しかし、その後も、東京湾に広がる豊洲、有明、台場などの埋立地の人口は増え、橋のうえを車、トラック、バスが激しく行き来しています。

きょう6月14日は、勝鬨橋が1940年に正式開通した日でもあります。

参考資料
ウィキペディア「勝鬨橋」
http://ja.wikipedia.org/wiki/勝鬨橋
朝日動画社「7 勝鬨橋・可動橋の試運転」
https://www.youtube.com/watch?v=nV9kesIW4YI
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健康診断の基準が揺らぐ(下)
健康診断の基準が揺らぐ(上)



(2014年)4月4日に日本人間ドック学会が発表した報告書「新たな健診の基本検査の基準範囲 日本人間ドック学会と健保連による150万人のメガスタディー」には、つぎのように書かれてあります。

「ここで示した基準範囲はいわゆるスーパーノーマルの人はこの検査値の範囲である事を意味するものであり、専門学会がガイドラインで示している疾患判別値とは異なる」

「スーパーノーマル」というのは、日本語にすれば「超正常」。つまり、人間ドックを受けて、超正常だった人のLDLコレステロールや血圧やボディマスインデックスの値を調べてみると、「異常なし」とされていた基準値を上回っている人もそれなりにいた、というわけです。

この結果について、臨床研究適正評価教育機構(J-CLEAR)が、(2014年)5月14日に出した「日本人間ドック学会発表の基準値に関しての当機構の見解」という発表のなかで、明確な説明をしています。

「このたび日本人間ドック学会が発表した基準値は、あくまでも2011年に人間ドックと健診を受けた人のデーターから、その時点で健康と考えられる人の血圧、コレステロールの分布範囲を示したものであり、将来の脳卒中や心筋梗塞などを発症する可能性に対する安全基準に言及した数値ではありません」

つまり、日本人間ドック学会は現状のことについて述べているのであり、将来の危険性についてはなにも述べていない、ということです。

大きく報道がなされたあと、日本人間ドック学会は“火消し”に躍起となりました。発表から3日後の4月7日には、「4月4日報道機関へ公表した内容について」という発表で、公表データについて「今すぐ学会判定基準を変更するものではなく、厚生労働省には特定健診の保健指導基準が性別、年齢別によって数値が違うものがあるという事実をご報告した段階である」と補足しています。

日本人間ドック学会からすれば、超正常な人の現状に焦点をしぼったものであることや、途中段階のものということを言っておきながら、マスメディアが先走りしたと捉えていることでしょう。

しかし、マスメディア側からすれば、「『健康』基準 広げます」と見出しに書きたくなるような報告書の内容を公表したじゃないか、という言い分になるでしょう。

健康の基準をめぐっては、過去にもコレステロールの基準値をめぐって、異なる学会から、ふたつの基準が示されるという事態がありました。

混乱を招くだけでなく、自分にとって都合のよい基準のほうだけ信じて治療を止めるといった一般の人びとも現れるおそれがあります。

参考資料
日本人間ドック学会・健康保険組合連合会 検査基準値及び有用性に関する調査研究小委員会「新たな健診の基本検査の基準範囲 人間ドック学会と健保連による150万人のメガスタディー」
http://www.ningen-dock.jp/wp/wp-content/uploads/2013/09/プレスリリース用PDF(140409差し替え).pdf
日本人間ドック学会 健康保険組合連合会 2014年4月7日付「4月4日報道機関へ公表した内容について」
http://www.ningen-dock.jp/wp/wp-content/uploads/2014/04/報道された内容について-各位)1.pdf
日本研究適正評価教育機構 2014年5月14日付「日本人間ドック学会発表の基準値に関しての当機構の見解」
http://j-clear.jp/teigen4.pdf
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健康診断の基準が揺らぐ(上)


健康診断の基準をめぐって、大きな混乱が起きています。

ことし(2014年)4月、日本人間ドック学会が、「新たな健診の基本検査の基準範囲 日本人間ドック学会と健保連による150万人のメガスタディー」という報告書を公表しました。同学会と健康保険組合連合会が、「新たな検査値の基準範囲」を作成したというものです。

従来、健康診断などで設けられていた基準値と異なる内容もあり、とくに「悪玉コレステロール」ともよばれるLDL(Low Density Lipoprotein)コレステロールについては、「従来の基準値より上限値がかなり高くなった」としています。

ほかにも、血圧の“上”の値について、130未満を「異常なし」としていたのが、4月の発表では147でも「健康」とされています。肥満かどうかの目安となる「ボディマスインデックス」については、25以上が「肥満」とされていましたが、あらたに男性は27.7まで、女性は26.1までだったら「健康」ということです。

この発表に、マスメディアが飛びつきました。「『健康』基準 広げます」(朝日新聞)、「人間ドック学会理事長がついに告白『高血圧なんて、本当は気にしなくていい』」(週刊現代)といった見出しを立てて、一般の人びとの興味を誘いました。

日本人間ドック学会は、4月の報告書で「しかし、今回設定した基準範囲は各専門学会が推挙する基準値とは定義や設定方法が異なるので、同一に比較はできない」といった“但し書き”を記しています。

しかし、マスメディアが、こうした但し書きを大きく見出しにするようなことはまずしません。報告書に書かれてある、ニュース性をもった主題とは異なるからです。

一般の人びとからすれば、「いままで言われてきた基準と、新しく言われている基準と、どちらを信じればいいのか」ということになります。つづく。

参考資料
日本人間ドック学会・健康保険組合連合会 検査基準値及び有用性に関する調査研究小委員会「新たな健診の基本検査の基準範囲 人間ドック学会と健保連による150万人のメガスタディー」
http://www.ningen-dock.jp/wp/wp-content/uploads/2013/09/プレスリリース用PDF(140409差し替え).pdf
日本人間ドック学会 2014年5月12日付「週刊現代(5月24日号)に掲載された内容について」
http://www.ningen-dock.jp/wp/wp-content/uploads/2013/09/週刊現代について-各位).pdf
朝日新聞 2014年4月5日付「『健康』基準 広げます 人間ドック学会、血圧や肥満度」
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11068566.html
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感覚を総動員して右目の障害を克服

第35代横綱双葉山

大相撲の第35代横綱は、双葉山(1912-1968)です。いまの横綱の一人、白鵬が尊敬している歴代横綱の一人でもあります。

双葉山が横綱だったのは1938(昭和13)年春場所から、1945(昭和20)年秋場所まで。そして関脇時代から横綱3場所までのあいだ、69連勝を記録しました。この記録に白鵬が挑んだものの、63連勝どまり。双葉山の記録は前人未到のままです。

双葉山は相撲をとりながらも、右目の視力がほとんどなかったといわれています。これは、5歳のとき、吹き矢が右目に直撃して、右目をけがしたことによるもの。

人をふくめ目のふたつある動物は、それぞれの目からものの対象までの位置がことなることを利用して、自分と対象物との距離感をもつもの。両目のうち、どちらかの視力が失われると、対象物の距離感をつかむのがむずかしくなります。

しかし、そうした不利な体の条件があるにもかかわらず、双葉山は横綱に上りつめました。

双葉山はどのように、片目だけによる距離感のとりづらさを克服していたのか。皮膚の専門家で知られる傳田光洋さんは、著書のなかで感覚のすべてを使っていたのではと推測しています。

「一瞬の立ち合いの場面、相手との距離を視覚で認識するのが困難だったであろうこの横綱は、おそらく視覚以外の感覚を総動員して『情報』を把握していたのでしょう。あるいは相撲そのものが実は視覚以外の感覚による『技』なのかもしれません」

感覚というものが、視覚なら資格だけ、触覚なら触覚だけ、といったように独立はしていないことをうかがわせます。

参考資料
傳田光洋『第三の脳 皮膚から考える命、こころ、世界』
http://www.amazon.co.jp/dp/4255004013
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明治初期にも「迷路」が大はやり


1980年代、遊戯施設として「迷路」が流行したことがありました。

使い道の決まっていない広い土地などに、鉄柱とシートを組み合わせた“壁”を使って迷路がつくられました。客はスタートから迷路のなかを歩いてゴールを目指します。どのくらいの時間でたどりつけるかなどを楽しむのでした。ゲームソフト「ポートピア連続殺人事件」の実際版といったところです。

遊具施設としての迷路が日本に1980年代にはじめて現れたのかというと、そういうわけではありません。驚くほど昔からおなじ目的の迷路はありました。

1876(明治9)年、横浜の野毛にあった老松学校のとなりに、植木屋が花屋敷を開きました。この花屋敷の遊戯施設として迷路がつくられたといいます。

この迷路を発案したのは、江戸時代から明治にかけて活躍した記者の仮名垣魯文(1829-1894)。小説『安愚楽鍋』や、滑稽本『西洋道中膝栗毛』などの著作で知られています。

横浜は迷路のさかんな土地となったようです。翌1877(明治10)年には、伊勢佐木町にも迷路がつくられたといいます。もっとも、これらの迷路は、現代の鉄柱やシートの組み合わせでなく、植物の垣根によりつくったものとされます。完成までそうとうの歳月がかかったことでしょう。

垣根でなく、柵を張ることでつくった迷路も現れました。1877年ごろは、迷路が大流行したようで、読売新聞4月12日付には「『まごつき道』が五十五、六か所もあります」と記されています。

遊戯施設の迷路のよびかたは、「まごつき道」のほかに「八幡不知(やわたしらず)」なども。これは、一度入ったら出られないと言い伝えられている千葉県市川市にある「八幡のやぶ知らず」という竹林のよび名からきたもの。さながら、百貨店のなかのショッピング通路を「何々銀座」とよぶようなものでしょうか。

明治時代の迷路の流行からすると、1980年代の迷路の流行は再流行。この期間に迷路の流行がなかったとすれば、約100年ぶりの再流行といえそうです。

参考資料
湯本豪一『明治ものの流行辞典』
http://www.amazon.co.jp/dp/476012845X
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ふとした瞬間でも考えぬいた末でもひらめきはやってくる


ひらめきが起きる場所を示す表現に「3B」があるといいます。“Bed”つまり「ベッド」、“Bath”つまり「風呂場」、そして“Bus”つまり「バス乗車のような移動中」。これらの頭文字から「3B」というわけです。

これらに共通しているのは、いずれも「ひらめくぞ!」と気張るのにふさわしい場所ではないということ。ベッドや風呂場でリラックスしているときや、移動中とくになにも考えるでもないときなどに、ふと「あ、ひらめいた!」となるわけです。

科学者や数学者にも「ひらめき」の瞬間はあるようです。より劇的にいえば「天啓が下りてくる」瞬間があるようです。

「3B」の場所でひらめいた例として2000年以上も語りつがれているのが、古代ギリシャの物理学者アルキメデス(紀元前287頃-紀元前212頃)が「アルキメデスの原理」を風呂場で発見したという話です。

シラクサの政治指導者ヒエロンが金細工師に作らせた“純金”の王冠が、純金ではないのではという疑惑が浮かんでいました。ヒエロンはアルキメデスに「王冠が純金かどうか壊さずに調べるように」と命じました。

アルキメデスがこの課題を抱えたまま風呂に入ると、「固体を流体中に浸すと、それが排除した流体の重さに等しいだけの浮力をうける」とする原理をひらめいて、「わかったぞ」と叫びながら裸で街を走りまわったといいます。もっとも、この発見では、風呂場そのものも原理を発見するための潜在的な道具となったわけですが。

アルキメデスとおなじくらい劇的なひらめき、あるいは天啓が起きた人物に、ドイツの物理学者ウェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976)がいます。

ハイゼンベルクは1925年、大学を卒業したばかりのときに、現代の物理学で大切な「不確定性原理」という原理を発見します。しかし、そこに至るまでは難儀でした。ハイゼンベルクは重い花粉症をわずらい、顔はぱんぱんにふくれあがっていたといいます。そこでゲッティンゲンの都会のから離れて、花粉症の起こりづらい北海のヘルゴラント島へ行きました。

ここで、ハイゼンベルクは抱えていた苦難から一時期、解放されたのかもしれません。小島で泳いだり、散歩をしたりして過ごしていました。そしてある夜、瞬間的にひらめきが起き、不確定性原理につながっていく運動方程式をひらめいたといいます。

「ふとした瞬間」でなく、「集中力で考え抜いた末に」天啓が下りてきたという例もあります。3世紀半以上、解けないままだった「フェルマーの最終予想」という数学の難題を解いて「定理」にした英国の数学者アンドリュー・ワイルズ(1953-)の例がそれです。

ワイルズは、一度は「フェルマーの最終予想」の証明が果たせたと確信しましたが、証明のほころびが見つかり挫折しかけます。しかし、自分が失敗した理由を知りたくなり、自分の部屋の中で20分にわたり論文を睨めながら、ものすごい集中力で考えぬきました。

すると、天啓が下りてきて、失敗の理由を得るとともに、過去に自分で葬った数学の理論がやはり使えるという境地を得たのでした。ワイルズは後日、テレビ番組の取材で「突然、まったく不意に、私はこの信じがたい天啓を得たのです。あんなことは二度と起きないでしょう…」と答え、思いだして涙を流しました。

「3B」の場所でひらめくにしても、自分の部屋のなかで考えぬいてひらめくにしても、また一般の人でも、研究者でも、これらの話にもうひとつ共通していることがありそうです。それは「ずっと考えこんでいる前段階」があってこそというもの。ある課題を抱えつづけていて「ああでもない、こうでもない」と答がでないでいる期間を経ることが、ひらめきや天啓を得るのに必要な段階となるようです。

参考資料
石川幹人「『超常現象』を本気で科学する」
http://www.amazon.co.jp/dp/4106105713
奥山幸祐「20世紀前半量子力学の確立と半導体への応用へ」
http://floadia.com/column/semi_4.pdf
BBCテレビ“Fermat's Last Theorem”
http://www.bbc.co.uk/programmes/b0074rxx
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
『宇宙飛行士になるには』発売


新刊のお知らせです。『宇宙飛行士になるには』という本が、ぺりかん社から(2014年)6月に発行されました。この本の取材と執筆をしました。

ぺりかん社は、将来の就職を考える若い世代に、職業別に仕事内容と就職方法を紹介する「なるにはシリーズ」を刊行してきました。学校図書館などで手にとったことのある人も多いかもしれません。

『宇宙飛行士になるには』は、かつて2000年に同社から、宇宙開発事業団(いまの宇宙航空研究開発機構)編著の本として刊行されました。その後、日本をとりまく有人宇宙開発の状況は大きく進展しました。国際宇宙ステーションが完成し、また新たな宇宙飛行士も誕生しています。また、宇宙開発の方法を定める「宇宙基本法」といった法律もつくられました。

そこで、ぺりかん社が『宇宙飛行士になるには』を全面的に改めることになったわけです。

新しい本は、宇宙飛行士や宇宙飛行士を支える人たちへの取材をもとにした「ドキュメント」と、日本の宇宙航空研究開発機構や米国の航空宇宙局(NASA)さらに、それらを取材した書籍などの数々の資料をもとにした就職のための「解説」でなりたっています。

宇宙飛行士としては、古川聡さん、大西卓哉さん、それに山崎直子さんに取材しました。

古川さんは、2011年に国際宇宙ステーション長期滞在を果たしました。滞在時に得た“感覚”をいろいろと聞いています。

大西さんは2011年に認定された、もっとも新しい日本人宇宙飛行士の一人で、2016年に国際宇宙ステーションに滞在する予定です。宇宙飛行士選抜試験をどう乗り越え、その後どう訓練に臨んでいるかを語ってもらっています。

山崎直子さんは、2010年にスペースシャトルで国際宇宙ステーションを訪れ、物資移送責任者の役割を果たしました。その後、2011年に宇宙航空研究開発機構を退職。ほかの飛行士たちとはまたちがう視点で宇宙飛行士になるために大切なことを語ってもらっています。

最新の話題として、2013年から2014年にかけて国際宇宙ステーションに滞在し、日本人初の船長になった若田光一さんの、今回のミッションでの動向も収録しています。ほかにも宇宙飛行士を支える、教官、交信担当者、医療担当者、技術者などへの取材もしています。

宇宙飛行士の職場は宇宙。しかし、宇宙での滞在期間は、地上での訓練期間にくらべてわずか。しかも、人口からすれば一握りの人しか職に就けず、特殊な仕事でありながらそれほど高給というわけではありません。

それでも、有人宇宙開発に従事する人たちは仕事に誇りをもっています。その大部分は「宇宙への純粋な興味」によってなりたっているのかもしれません。

宇宙航空研究開発機構のみなさんと、山崎直子さん、それに編集担当の加藤欣子さんにご協力いただきました。

ぺりかん社による『宇宙飛行士になるには』の案内はこちらです。
http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000001665&type=&flg=
アマゾンのページはこちらです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4831513806/
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
東大リサーチキャンパス公開、高校生が多数参加


東京・駒場の東京大学駒場リサーチキャンパスで、2014年度の「キャンパス公開」が6月6日(金)7日(土)行われています。

キャンパス公開とは、ふだん大学のキャンパスに来ることのない学外の人などをキャンパスに招いて、大学で活動している人が自分たちがどんなことを日ごろやっているのかを公開すること。

駒場リサーチキャンパスは、東京都渋谷区駒場にある東京大学のキャンパスのひとつ。教養学部がある「駒場Iキャンパス」の西どなりにあります。駒場リサーチキャンパスには、1949年に発足し、建築などの分野に強い生産技術研究所と、1987年に発足し、環境・エネルギーや材料など分野に強い先端科学技術研究センターがあります。

生産技術研究所が2020年の住宅のありたい姿について実験している「コマハウス」では、家に住む人が意識しないでも快適な暮しを送るためのさまざまな施設を紹介しています。

ハウスに装備されている「みまもチャット」というシステムでは、駒場キャンパスから遠く離れた住宅のようすをカメラとセンサでモニタリングします。その住人の動きが感じられないなど異常を検出すると、コマハウスにあるライトが赤くひかります。一人暮らしをする高齢者などを、遠くにいながら見守ることができるシステムです。

そのほか、棟内の各研究室も研究内容をパネルなどで公開しています。研究室を率いる教授などの研究者や、その下で研究している大学院生などが研究内容を説明をしてくれます。

7日(土)のキャンパス公開では、学校の制服を着た高校生たちが数多く来場しました。来客者の階層別では、一般人や連携企業社員などよりも高校生のほうがはるかに多くいます。駒場リサーチキャンパスには大学1年から4年までの学生が所属する学部がありません。参加している高校生たちは「東大に合格すること」を目的としているのでなく、「東大で研究をすること」を目的あるいは手段と考えているのかもしれません。

東京大学リサーチキャンパスの2014年のキャンパス公開は、きょう7日(土)17:00まで。東京大学によるお知らせはこちらです。
http://komaba-oh.jp

東京大学生産技術研究所の実験住宅「コマハウス」のホームページはこちらです。
http://www.commahouse.iis.u-tokyo.ac.jp
| - | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0)
軽いのに、とても強い
「重さ・軽さ」と「強さ・脆さ」は、まったく一致するというほどでないにしろ、いっぽうの度合が強まれば、もういっぽうの度合も強まる印象をもたれます。つまり、ものが重いと強そうだし、ものが脆いと軽そうだということです。

しかし、こうした印象をくつがえす、「軽いのにとても強い物質」もあります。

炭素原子でできた物質は、ダイヤモンドや、カーボンナノチューブ、フラーレンといった具合に、なにかと特徴的で話題にのぼりやすいもの。おなじく炭素原子でできた「グラフェン」も、これらの物質とおなじかそれより特徴的といわれています。

グラフェンは、炭素原子が6角形の網目状につながったつくりをとっています。この物質がグラフェンであるかぎり、この“網目”が重なるように結ばれることはありません。このように、一層のみでなりたっている膜を「単層膜」といいます。単層膜であるグラウェンの層の厚さは原子1個分のみです。


グラフェンの構造のイメージ
作者 AlexanderAlUS

日本では、炭素原子からできた物質として、1985年に英国の化学者ハロルド・クロトー(1939-)や米国の物理学者リチャード・スモーリー(1943-2005)らが発見したサッカーボール形の「フラーレン」や、1991年に飯島澄夫さんが発見した「カーボンナノチューブ」などがよく知られています。

グラフェンはというと、炭素原子が多層になってできている「黒鉛(グラファイト)」の“一層分”であることは研究者に認識されていました。1987年には「グラフェン」ということばが登場しました。

そして、2004年、オランダ人の物理学者アンドレ・ガイム(1958-)とロシア人の物理学者コンスタンチン・ノボセロフ(1974-)がグラフェンを“発見”しました。二人は2010年にノーベル物理学賞を受賞しています。発見から受賞までの6年という年数は、現代のノーベル賞の状況からすると短いものであり、それだけ重要な発見だったと評されています。

グラフェンのなかの電子はとても軽い状態をとっています。電子が軽いということは電子が速いということ。電子はとても早い速度で運動することができます。その速さは、光の速さを扱う相対性理論のなかで扱われるほどのもの。実際の実験でも、光の速さの30分の1ほどに迫る速度で電子が運動していることが示されました。

これほど電子が速く運動すると、電気抵抗が小さくなります。そこで伝導膜などへの応用も開発されています。

さて、グラウェンは軽さと強さを兼ねそなえた物質です。単層膜のため、1グラムで3000平方メートルもの広さを覆うことができます。つまり物質として軽いわけです。それでいて130ギガパスカルというとても高い引っぱり強度にも耐えられるほど強靭でもあります。

研究開発者たちは、炭素物質に新たに仲間入りしたグラフェンを使って、これまでにない性能をもった材料を製品をつくろうとしています。物理学的な魅力と応用面での可能性の両方をかねそなえた物質といえるでしょう。

参考資料
白石誠司「グラフェンの性質とその応用」
http://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/42/sc42-2.pdf
natureダイジェスト「ノーベル物理学賞はグラフェンの革新的実験がスピード受賞」
http://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/specials/36220
ウィキペディア「グラフェン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/グラフェン
総合科学技術会議「原子薄膜の魅力(3Dから2Dへのパラダイムシフト)」
http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/innovation/nanowg/7kai/siryo3-1-4.pdf
| - | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0)
月表面はあまりに熱しやすく冷めやすい

NASA

地球は「奇跡の星」と表されるほど、生きものにとっては絶妙なバランスのうえになりたっています。液体の水が多くあります。窒素や酸素などをちょうど保っていられるほどの重力もあります。

そのため、地球に住んでいる人びとが、地球にいるのとおなじ感覚でべつの天体に行ったとしたら、とんでもない目に遭うかもしれません。

地球からもっとも近い天体の月の環境も地球の環境とは大きく異なります。

地球から、日の移ろいとともに月の満ち欠けが見えます。太陽の光が射しこんでいるところが光の部分に、そして差しこんでいないところが影の部分になっているわけです。月では、地球の時間にして29.53日ごとに、昼と夜が交互に訪れます。つまりこれが「月齢」とよばれる、月の満ち欠けの周期です。

地球にいても、太陽の光がじかに射しこんでいるところの気温は高くなり、影の差しているところの気温は低くなる向きがあります。しかし、月はその気温差が地球にくらべてとんでもなく極端です。

米国航空宇宙局(NASA)の「アポロ計画」では1970年代、アポロ15号や17号が月面に到達したとき、月面の実際の温度がどのくらいかが測られました。

すると、月の表面では、日が照っているときは摂氏106度にもなります。ところが、日影に入ると一気に温度が下がり、氷点下183度にまで下がることがわかりました。そしてふたたび日が照りだすとあたりは一気にまた106度の世界になります。

これほど月の表面の温度が極端に変わるのは、月には熱を包んで保つ大気がほぼないためです。

ちなみに、月の地面のなか深さ67センチメートルのところでは、日が射していても影になっていても温度変化はほぼなく、氷点下20度弱に保たれているようです。

2009年には、米国航空宇宙局の無人月面探査機「エルクロス(LCROSS:Lunar Crater Observation and Sensing Satellite)」が、月表面のいたるところの温度をはかることに成功しました。その結果、月の南極のクレーターにある、太陽の光がけっして射しこむことにない「永久影」とよばれる場所の温度は、氷点下238.3度であることがわかりました。


「エルクロス」が観測した“昼”と“夜”の月表面の温度分布
 NASA/UCLA

月に探査機を送りこむにしても、ふたたび人が月に降りたって滞在するにしても、この月面の光と影の温度差の影響をうまく制御していかなければなりません。

参考資料
ナショナルジオグラフィックニュース 2009年9月24日付「LRO観測データによる月面温度分布図」
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2009092402
名古屋大学推進エネルギーシステム工学研究グループ「月面長期滞在方法に関する研究」
http://www.prop.nuae.nagoya-u.ac.jp/old/research/research06.html
宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙教育センター「月面の環境」
http://edu.jaxa.jp/himawari/pdf/2_moon.pdf
| - | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0)
東京五輪マラソン、どの時間帯でも“犠牲”が出る


東京五輪が2020年に開催されることになり、開催に向けたさまざまな課題も浮かんできています。たとえば、新しい国立競技場をどういう設計のもと建築するか、議論がくすぶりつづけています。

開催が近づいてくるにつれて、陸上競技のマラソンをどの時間帯に行うかも、より議論されるようになってくるでしょう。東京の夏は暑いからです。

計画では東京五輪が開かれるのは2020年7月24日から8月9日まで。そこでこの期間の、東京の日ごとの平均気温を、気象庁がとった1981年から2010年までの平均値で見てみます。

最高気温は7月24日から4日間は30度台ですが、28日からあとは31度台に入り、8月3日から9日にかけてはいずれも31.4度。31.4度は、一年のなかで平均最高気温の頂点にもなっています。

いっぽう、最低気温は7月24日が23.9度で期間中では最低。その後は日が進むにつれて最低気温も上がっていき、8月5日から9日にかけては24.8度となっています。

五輪でのマラソンは、大会期間中の最後のほうにおこなわれるのが慣例。しかし、東京五輪では最後のほうの日に開こうとするほど、暑い日にあたるおそれが高くなるわけです。

多くのマラソン代表選手にとっては、暑い季節の大会では、気温が高くないほうが自分の力を発揮できるもの。そこで、7月下旬の東京の時間ごとの気温の変化を見ると、やはり日の入りから日の出までの時間帯の気温が日中より低く、24時あるいは翌日の午前1時あたりがもっとも低くなる傾向にあるようです。

となるとマラソンを夜に行うという考えかたも出てきます。陸上競技場で行われる1万メートルの競技などは、夜の照明の下でおこなわれることがあります。

東京五輪のマラソンでは、すでに新宿区の国立競技場をスタートとゴールに台東区の浅草を折り返しとする走路が予定されています。スタートからゴールまで都心を走りますので、夜の2、3時間ほど、選手が識別できるくらいまで沿道を照明で照らすことはできるでしょう。

また、参加人数はロンドン五輪の出場者数などから男女とも100人強が予想されます。このくらいの人数であれば、「闇に乗じてコースを離れ、地下鉄で“ワープ”した」といった不正がないかも確認できそうです。

懸念されるのは、テレビ放送で走者の映りをよくするため、選手にスポットライトを正面から当てる必要性が出てくることです。

暗いなか正面から自分のからだを光源で照らされると、光源のまわりの視界が極端に悪くなります。夜に対抗車の照明が目に入ったとき、まわりの景色が見えなくなりひやっとするような状態がつづくわけです。選手にとってはストレスでしょう。

暑いことを承知で昼間に開くか、選手が照らされつづけることを承知で夜に開くか、テレビ放送の選手の映りがすこし悪くなることを承知で夜に開くか。いまのところ、どんな選択肢をとっても、なにかを犠牲にしなければならないようです。

参考資料
気象庁「東京7月 平年値(日ごとの値)主な要素」
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_d.php?prec_no=44&block_no=47662&year=&month=7&day=&view=
気象庁「東京8月 平均値(日ごとの値)主な要素」
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_d.php?prec_no=44&block_no=47662&year=&month=8&day=&view=
NAVERまとめ「2020年東京オリンピック(五輪) 競技会場マップ マラソンコース」
http://matome.naver.jp/odai/2137860434992549101
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
お金になる記事にかかわる記事を個人ホームページに載せるのは微妙


多くのもの書きがホームページやブログで記事を書いています。ほとんどの場合、そのホームページやブログの記事を課金制にして稼ぐのでなく、日々の興味あることなどを無料の記事にして載せています。

出版社などからテーマや原稿料の条件があたえられて記事をつくろうとしていれば、もの書きは当然ながらその記事のテーマに対して興味をもつようになるものです。

しかし、お金をもらって書く記事のテーマに興味があっても、そのテーマそのものをホームページやブログの記事にしようとすると、微妙な問題も出てきます。

たとえば、あるもの書きが、出版社から頼まれてヤモリの足を模した強粘着性テープをテーマとする記事をつくることになったとします。

このことに興味をもったからといって、記事をつくるまえに記事そのものの内容をホームページやブログに書いてしまうと、出版社から出す記事の価値は大きく減ってしまいます。出版社側は「記事を先にホームページに載せやがって」と、いい顔をしないでしょう。

取材をする前に、取材対象者がすでに語っている記事などを参考に、みずからのホームページやブログで記事を書くというのも微妙です。

取材対象者が過去に語っている話であれば公知の内容です。それをまとめたとしても、新たにつくる記事とはべつの内容になるはずです。

しかし、出版社の編集担当者がそのもの書きのホームページの記事を見たら、「あいつ、下取材をした内容をホームページで書いてしまっているんじゃないか」と勘ぐるかもしれません。事実はそうでなくても、不信感は起きるものです。

取材をした直後に、そのテーマに関係がないわけではない記事をホームページやブログに載せるというのも微妙です。たとえ、取材で聞いた話とは一線を画す記事にしているとしても、取材対象者がその記事を目にすれば、「なんか取材内容とにたようなことを個人のホームページに書いているな。雑誌の記事のための取材と聞かされていたけれど」と、不信に思うかもしれません。

自分自身のホームページやブログで書く記事より、出版社から原稿料を受けて書く記事を大切にしているもの書きは、記事づくりにかかわる人から訝しまれないようにすることが大切になります。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
魚を見るだけでなく食べる


人はいろいろな視点から同一のものを見ることができます。火というものを料理のための利器として見るとともに、火事などの災害を起こすもとと見ることもできます。原子力を電力のもとと見ることもあれば、爆弾の材料と見ることもできます。

日本人にとって「魚」も、おもにふたつの視点から見る対象とされてきました。

ひとつは、食べものとしてです。

日本列島は無数の川をたたえ、また四方を海で囲まれています。川にも海にも魚がいます。こうした土地で暮らしてきた日本人は「魚食の民」ともよばれいます。日本人にとって、漁や釣りによって獲れる魚は、むかしもいまも大切な栄養源です。

もうひとつは、食べることにくらべて重視されていませんが、見ものとしてです。つまり魚は鑑賞の対象でもあります。

魚をペットとして飼っている人がいます。また、魚を水槽で飼って来客者に見せる水族館という組織もあります。魚を見ていても、直接的な体への栄養になるわけではありません。しかし、魚が泳いでいる姿を眺めているだけで、癒されたり、一生懸命であることを考えさせられたりする人はいることでしょう。

「食べる」と「見る」。これは「殺す」と「生かす」のちがいともいえます。このふたつの行為があまりにかけ離れているためか、なかなか魚を「鑑賞し、賞味する」ということは行われてきませんでした。

しかし、このふたつをおなじ場所で体験できる水族館もあります。

神奈川県横浜市金沢区の「横浜・八景島シーパラダイス」では、2013年3月に「うみファーム」という施設がオープンしました。八景島・シーパラダイスには、もともと「アクアミュージアム」という名の水族館がありました。アクアミュージアムはほかの水族館と変わらず、魚を見て楽しむ施設です。

いっぽう、おなじシーパラダイスの敷地にできた「うみファーム」では、魚釣りをしたり魚とりをしたりして、その魚を「食べる」という体験をすることができます。客は、アジや旬の魚を釣ったりとったりして、それを施設内で調理して食べるのです。

「うみファーム」のねらいを、シーパラダイスはこう説明しています。

「魚釣りや魚とりなどで海を楽しみ、その魚を食べることで命の大切さを体験しましょう。(略)『とって、食べる』という『いのち』をいただく『食育』を体験、自らの手でとった魚の味は特別な“海育”体験となることでしょう」

水族館は魚と接することのできる場所。そうであれば、人びとがながらく接しかたのひとつとして行ってきた「食べる」という行為も水族館で体験してもらうべき。こうした考えが、「うみファーム」の根底にはありそうです。

参考資料
横浜・八景島シーパラダイス「うみファーム 食育ゾーン」
http://www.seaparadise.co.jp/aquaresorts/shokuikuzone.php
安部奏『さかなのすごい話』
http://www.amazon.co.jp/dp/4800219329
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「車内での通話はご遠慮」がつづく


電車のなかで携帯電話を使った会話をすることを鉄道各社は「ご遠慮ください」としています。

その理由として、いくつかのことがいわれています。

ひとつは、携帯電話で使われる電波が、医療機器のペースメーカーを誤作動させるというもの。電車によっては、優先席ちかくでは通話しないことはもちろん、電源を切ることまで促しています。

しかし、実際にペースメーカーが誤作動を起こして重篤な事故につながったという事例は起きたことがないという指摘もあります。

もうひとつは、「他のお客さまへのご迷惑となるため」というもの。具体的には、携帯電話での会話がほかのお客さんに不快をもたらすためということです。

電車のなかでは、おなじ会社の社員どうし、家族どうし、友人どうしなどで、ごく当たり前のように“会話”はおこなわれています。その会話と携帯電話での会話では、声の大きさにそれほどちがいはありません。ときには、車内で大声で対話をつづけるような2人組や集団もいます。

携帯電話の通話が、複数人の人がいるなかでの対話と異なるのは、周囲の人には相手の声が聞こえないということです。

「あ、もしもし。いまちょっと電車だから手短にどうぞ」
「………」
「ああ、うん、その件はもう、連絡済みだから」
「………」
「え、そんなことになってるの! だったら会社に戻らなくちゃ」

車内でふつうに過ごしていれば、だれかが携帯電話で通話している声は聞こえてきます。しかも、相手の音声なしで。すると、なにを話しているのかが、聞きたくなくても気になってくるというわけです。

では、いっそうのこと、電車のなかでの携帯電話の使用は「相手の声がまわりに聴こえるモードにしておけばオーケー」とすればどうなるでしょうか。

それでもおそらくは、「より不快になった」という乗客の声が高まることでしょう。公共の場で、見えないだれかと人が話をしているという状況に、人間はまだ違和感をおぼえないほど慣れてきているわけではないのです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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