科学技術のアネクドート

「質が落ちてもいいから」は成立しにくい


さまざまなビジネスでは、発注側と受注側の条件の折りあいがつくと取りひき成立となります。たとえば、出版社がもの書きに「7月末までに、200ページ程度の本の原稿を書いてほしい」という依頼をし、もの書きが「受けます」と応じれば取りひきが成立となります。「受けません」と断れば取りひきは不成立となります。

受注側が「受けません」と返事するときの理由はいろいろあります。諸事情のひとつに「作業をする時間がない」という理由があります。7月末までには、ほかの仕事をいろいろ受けてしまっているため、200ページの本を書く仕事を受けたとしても、3日間しか執筆期間にあてられそうもない。だから「受けません」というわけです。

しかし、出版社がもの書きに「仕事を受けません」と言われても、仕事を発注する余地は残っていそうです。依頼をした発注側の編集者は「そうでしたら、3日間だけ確保していただき、その時間のなかで200ページ分を書いてください。原稿の質が悪くなっても構いません」と、食いさがることができます。

あるいは、受注側のもの書きも「受けません」と断るほかに、「3日しか時間が取れない。その時間で最善を尽くすが、質が悪くなることを覚悟していただくということでよければ受けます」という返事をできるはずです。

しかし、現実的な問題を考えると、「質は落ちてもいいので仕事をお願いする」とか「質が落ちることを覚悟してもらって受注する」とかいった取りひきは、あまり多くありません。さらにいえば、「質が落ちてもいいのであれば受けます」といった返事をする受注者もあまりいません。

仮に、受注側が作業時間をほとんど確保できないため、作業時間を確保提供できる場合にくらべて、提供するものの質が50%くらいにしかならいとします。発注側が「質が50%くらいになっても構いませんから」と言っているのだから、それに応じればよいような話に思えます。

しかし、受注者には「どうせ作業をするのであれば、時間を確保して自分でも納得できる作業をしたい」といった作業へのこだわりや、「質の悪いままで納品したりすれば業界での評判を落としかねない」といった名声を下げることへの懸念がはたらくものです。

単純な経済原理だけでは、取りひきは成立しないというのが現実社会です。
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新大阪から東京までJR以外の鉄道でもけっこう進める


大阪と東京のあいだを電車で移動しようとするとき、多くの人が東海道新幹線を使います。新幹線のなかった時代には、国鉄の特急を使っていたことでしょう。「こだま」「つばめ」「はと」などの特急が走っていました。これらはいずれも、JRまたはその前身の国鉄の列車です。

しかし、もの好きな人や、なんらかの理由でJRの電車を乗りたがらない人は、「大阪から東京まで、JRではなく私鉄の電車で移動しようではないか」と考えるかもしれません。できるだけJRを使わないで新大阪駅から東京駅まで行くなると、どのような経路があるでしょう。

新大阪駅からは、新幹線が京都方面に北上していくのとは逆に、大阪市営地下鉄の御堂筋線で大阪市内のなんば駅まで南下します。ここで、近鉄の大阪難波駅に移って、近鉄電車の難波線、大阪線、名古屋線を乗りついで名古屋駅まで行くことができます。実際は近鉄特急に乗れば、大阪難波駅から名古屋駅まで乗りかえずにたどりつくことができます。

名古屋駅からは、名鉄でさらに東へと向かうことができます。名古屋本線で、豊橋駅までたどりつけます。

しかし、ここから急激にJR以外の鉄道の脈が細くなります。とにかく東を目指そうとなると、豊橋駅の近くの駅前駅から、豊橋鉄道という路面電車に乗ることになります。その東の端は赤岩口駅。

しかし、残念ながら赤岩口駅から先はJRも私鉄も路線がありません。豊橋駅へ戻ります。「できるだけJRを使わない」という条件なのでJR線に乗れないわけではありません。しかたなく豊橋駅からJRの東海道線に乗って、東へ進みます。すると2駅先に新所原駅があり、ここで天竜浜名湖鉄道の天竜浜名湖線に乗りかえることができます。

浜名湖の北岸を通って、東へ東へと進むと、時間はかかりますが、掛川駅までたどりつくことができます。

しかし、掛川駅からは「できるだけJRを使わない」旅人にとって、つらい道のりとなります。JR東海道線や東海道新幹線と平行して走るような私鉄がないからです。なるべくJR線に乗っている時間を短く済ませようと、掛川駅から東海道新幹線で静岡駅まで行きます。

静岡駅からは、市街をすこし北に歩くと静鉄という私鉄の新静岡に行くことができます。ここから、静鉄清水線に乗り、東へ行けるところまで。すると、東の終点は新清水駅となります。

新清水駅から先は鉄道がないので、すこし歩いて、JR東海道線の清水駅へ。ここからはさらに長くてつらいJR線乗車となります。JR東海道線で東京方面に進むと、神奈川県の早川駅に着きます。

早川駅から私鉄の箱根登山鉄道の箱根板橋駅まで歩いて行くことができます。距離にして500メートルほどです。

箱根板橋駅から箱根登山鉄道に乗って東へ進むと、1駅で小田原駅に着きます。

小田原駅から先は、関東の私鉄に詳しい人であれば「小田原と東京方面を結ぶJRのライバル、小田急があるじゃないか」と、ピンとくるでしょう。小田急小田原線で一気に東京都の新宿駅へ。この路線にはロマンスカーという特急もあります。

新宿駅まで来ればもう大丈夫です。東京メトロ丸ノ内線に乗れば、1本で東京駅に着くことができます。

新大阪駅から東京駅まで電車で行くのに、JR線に乗らなければならないのは、豊橋-新所原駅間、掛川-静岡駅間、清水-早川駅間となります。およそ500キロメートルの道のりのうち、140キロメートルほどを、しかたなくJR線に乗ることになります。逆に、それ以外は私鉄で移動することができます。
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缶切りを使えない子供に呆れるのはお門ちがい


世のなかの話題のなかで、「いまの若い人たちはなになにさえもできなくなった」という類のものがあります。

たとえば、匿名掲示板サイトでは「いまの子どもは、黒電話での電話のかけかたを知らない」といったことが話題になっています。黒電話の各数字の溝の部分をボタンとまちがえで、指をかけてダイヤルを回さず、指でないボタンを押そうとするというのです。

この手の「いまの若い人たちは何々でさえ」を挙げれば、切りがありません。

「いまの若い人たちは、缶切りで缶をあけることができない」
「いまの若い人たちは、マッチで火をつけることができない」
「いまの若い人たちは、栓抜きで栓を抜くことができない」
「いまの若い人たちは、駅の自動券売機でのきっぷの買い方がわからない」

これらのことをあたりまえのようにすることができる大人たちからすれば、「そんなこともできないとは」と嘆き、または呆れるということでしょう。人間はなにごともつい自分の能力を基準に考えるもの。自分ができるけれど、他人はできないようなことには、自分に対する優越感、あるいはできない人への蔑みをもちがちです。

しかし、黒電話で電話をすることのできる人が、できない人のことを嘆いたり呆れたりするのは、すこし“おかどちがい”かもしれません。

なぜ、若い人たちは黒電話で電話をかけらないのか。なぜ、若い人たちは缶切りで缶を開けることができないのか。

そのほとんどすべての理由は、「世のなかでそれが必要なくなったから」です。

黒電話は、すくなくとも2002年まで細々と作られつづけていました。しかし、携帯電話やスマートフォンが電話の主流となったいまでは、めったに目にすることもありません。

缶切りは100円ショップなどでいまも売られています。しかし、缶切りを使って縁を切っていかなくても、プルタブで一気にふたを開けられる容器が多くなりました。食品会社は、消費者の便利を考えて、つぎつぎとプルタブ方式の缶詰を導入していきました。

マッチで火をつける必要もなくなりました。ライターやチャッカマンなどの道具が出まわったからです。栓抜きで抜く栓も減り、プルタブ式が主流となりました。自動券売機できっぷを買う必要もなくなりました。チャージ式のICカードが出まわったからです。

これらの、しくみの変化を生みだしているのは、みな大人たちです。大人たちが「いまの若者は何々さえできなくなった」と言う現象は、自分たちの世代がまいた種が実ったということを意味しているといえます。

逆に、LINEやソーシャルゲームなどのように、「いまの大人たちがあまり使いかたを知らない」という道具もいろいろとあります。

参考資料
2ちゃんねる「【悲報】今のガキは黒電話のダイヤルが回せないらしい」
http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1401276770/
| - | 17:45 | comments(0) | trackbacks(0)
大量生産が批判されがち時代でも社名に「マスプロ」


おなじ品質でおなじかたちの製品を大量につくりだすことを「大量生産」といいます。すくなくとも、産業革命が英国を皮切りに起きた18世紀なかばより前には、いま製品で見られるような大量生産は、印刷などのかぎられた分野をのぞけば起こりえませんでした。

大量生産のことを、英語では“Mass Production”(マス・プロダクション)といいます。日本では、「マス・プロダクション」をさらに短縮させて「マスプロ」とも表現します。

そして「マスプロ」と短縮されると、大量生産のよからぬ点を強調するような意味あいで使われることがより多くなるようです。たとえば、大講義部屋に多くの学生を詰めこんで講義するような大学教育を「マスプロ教育」といいます。誰も彼もを大学で大量生産的に教育させるという点から、大学の大衆化を揶揄したことばとして使われがちです。

では、「マスプロ電工」はどうなのでしょう。

マスプロ電工は、テレビの受信機器やアンテナ、衛星受信機器などを製造・販売し、工事もおこなう製造企業です。従業員数は1000人未満の規模ながらも、テレビアンテナのシェアでは王座に君臨しています。

衛星放送などのアンテナを買った人は、製品を通してこの企業を認識している人も多いでしょう。

そのほかでは青江三奈などの歌手が「見えすぎちゃって困るのぉ」と歌っていたテレビ広告でも多くの人にマスプロ電工あるいはマスプロのアンテナを印象づけていました。

昔からのプロ野球ファンにとっては、マスプロ電工というと、かつてプロ野球のロッテ・オリオンズ(いまの千葉ロッテ・マリーンズ)の本拠地だった川崎球場を思いだす人もいるでしょう。バックネット裏のフェンスに「マスプロ電工」の広告が掲げられ、テレビ中継のときはいつも画面に示されていたからです。

どの企業の創業者も、すくなくとも悪い印象はもたせないような社名をつけようとするものです。自分の名前をつけたり、創業地の名前をつけたり、あるいは縁起のよい造語をつくってそれをつけたりといった具合に。

マスプロ電工の創業は1953(昭和28年)。当時は「マスプロ技研」という社名でしたが、「マスプロ」はついています。

いまの地球環境に配慮する時代にくらべれば、昭和30年代の高度経済成長期が始まるまでは、“マス・プロダクション”に対して、人びとの悪い印象はさほどなかったかもしれません。一定の品質が保たれたものを多くつくることのできる技術は価値あるものだったでしょう。

そのため、同社は「マスプロ」を社名に冠したのかというと、そうではないようです。

マスプロ電工のホームページには、社名の由来が、創業者の端山孝の紹介とともにこう記されています。

「社名の『MASPRO』は Master of Productionから造語したもので、『生産の覇者』になるという端山の大きな志を込めています」

「マスター・オブ・プロダクション」。略して「マスプロ」。やはり、この社名も縁起のよい造語から来ていたのです。

「大量生産」の意味の「マスプロ」ということばが批判的に捉えられている現在においても、マスプロ電工は社名から「マスプロ」を外そうとしていません。「大量生産を目指す企業なのか」と誤解されることよりも、「生産の覇者」になるという創業者強い意思を受けことを選んでいるのでしょう。

参考資料
マスプロ電工「マスプロ電工の歩み」
http://www.maspro.co.jp/corp_info/history/index.html
| - | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0)
「ソーマ」のチキンカレー――カレーまみれのアネクドート(58)


大阪・梅田の中心街から淀川のほうに向かって歩いて20分ほど。阪急電車の梅田からは一駅。中津界隈に残る下町風情の街の一角に、「SOMA(ソーマ)」というインドカレー屋があります。

平日の昼食どきを過ぎても、店の外まで人が並ぶほど。香辛料の香り漂う店のなかは、古い建屋を改装して、本、レコード、そしてスパイスなどを並べています。板張りの床は昔からのままなのでしょう。店員や客が歩くたびにわずかにきしみます。

献立のいちばん上に記されている「お肉のカレー」のチキンカレーは、野菜と鶏のすじ肉を盛ったカレーライス。丸い平皿の中央に、雑穀米のご飯が盛られ、そのまわりにはぽてっとせずあっさりめのルゥ。香辛料のつぶつぶがルゥのなかに漂っています。

そして、皿の脇に、わんさかと乗せられている鶏のすじ肉。「お肉のカレー」では、メニューによって豚バラ、ラムキーマ、牛スジ、ビーフなど各種の肉が乗るもよう。

店員さんが「混ぜて食べてください」と言います。

スプーンで、ご飯、野菜、鶏肉をルゥとかき混ぜて渾然一体化させます。味は、香辛料がばちっと効いて、口のなかがひりひりとしながらも、ふしぎとほぼ辛くありません。ルゥの香ばしさと、ナス、カボチャ、鶏肉などの具材の味が辛さに消されずに生きています。

正午にお店は始まり、13時ごろになるとすでに売りきれのメニューも出はじめるようです。梅田からちょっと足を運べば出合えるかもしれない、希少なカレーです。

ソーマの「食べログ」情報はこちら。
http://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27065233/
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もとをたどればみなおなじ
一見、べつの原材料が使われているように思われる食品であっても、じつはその生産工程をさかのぼっていくと、おなじ原材料にたどりつくといったものがあります。

たとえば、「緑茶、紅茶、ウーロン茶」は、いずれもお茶であっても、多くの人は味や色などから異なる種類の飲みものと思っています。

しかし、緑茶、紅茶、ウーロン茶のもとをたどっていくと、どれもツバキ科の「カメリアシネンシス」という植物でできています。緑茶をつくるときは、この茶の樹を発酵させません。ウーロン茶では半分ほどの度合で発酵させます。さらに、紅茶では完全に発酵をさせます。

つまり発酵度によって、おなじ原材料が緑茶に、ウーロン茶に、そして紅茶に使われるわけです。

この3種類のお茶ほど意外ではないかもしれませんが、「もやし、枝豆、きなこ」という組みあわせもまた、もとをたどればおなじ原材料にたどりつきます。その原材料は大豆です。

まず、スーパーマーケットなどで食用に売られている、もやしは、大豆をはじめとする豆でできています。大豆を水に浸し、その後、水から出して、ざるに入れておきます。暗いところに置いておくと、すぐに芽が出てきます。芽が出てから3日後ぐらいのもやしが食べごろといいます。


もやし

つぎに、枝豆。石灰をまいて土を耕します。さらに、肥料をまいて土を耕します。その土に、大豆のタネ、つまり大豆そのものを撒きます。水やりをして60日後、10センチメートルほどに育ったところで肥料を足したり、土を寄せたりします。さらに20日後、実がふくらんだところで根こそぎもぎとります。


枝豆

なお、近ごろ、よく店に並んでいる「だだちゃ豆」も枝豆のひとつ。山形県の鶴岡あたりで育てられてきた在来種をこのようによんでいます。「だだちゃ」とは「おやじ」といった意味の方言で、いわば「おやじ豆」ということになります。

きな粉は砂糖にまぶして甘くして食べることが多いため、原材料が大豆であることは、あまり知られないかもしれません。

きな粉をつくるとき、枝豆よりもさらに大豆を育てつづけて完熟させます。これを炒ると、節分の豆まきのときに使われるような、かたい豆になります。その皮をむいて挽いたものがきな粉です。


炒り大豆

大豆には、たんぱく質、食物繊維、ミネラルなどを多くふくんでいるので、もやし、枝豆、きな粉と、いずれの食材からも栄養を豊富に得ることができます。

ほかにも、しょうゆ、みそ、納豆、豆腐、油揚、湯葉、豆乳といったように、大豆が原材料になっている食材は多くあります。かつて肉をあまり食べなかった時代、日本人は栄養豊富な大豆の食べかたを工夫して、いろいろな食材に変身させていました。

参考資料
麹の小堀産業「大豆もやし」
http://www.koborisanngyou.com/daizumoyasi.htm
竹田市農業情報「野菜のつくり方 枝豆」
http://e-nougyo.taketa-agrinet.jp/e_yasai/yasai/edamame.html
ウィキペディア「だだちゃ豆」
http://ja.wikipedia.org/wiki/だだちゃ豆
ウィキペディア「きな粉」
http://ja.wikipedia.org/wiki/きな粉
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みずからで“理系の壁”をつくる


自然科学や工学などの「理系」あるいは「科学技術」とよばれる分野に苦手意識をもっている人はすくなかずいます。

その多くの人は、「理系の性質あるいは理系的思考が絶対的に嫌い」といった理系分野そのものへの嫌悪感をもっているということではなさそうです。

いっぽうで、学校で勉強をしているうちに、どこかでつまずいたり、乗りこえられなかったりした「壁」があり、そこから勉強についていくのに苦労して苦手意識をもつようになったという人は多そうです。

苦手意識とは拒絶感に発展しやすいもの。理系分野の話になると「自分はまったくの文系でしたので、理系のことはてんでわかりません」と告げる人も多く見られます。

しかし、大学などの学歴では文系を専攻していながらも、“ふつう”に科学技術の話題についていったり、科学技術分野を主題とする企画を立てたりする人ももちろんいます。おそらく、理系が苦手だから文系を選んだのでなく、理系に苦手意識をもっていないのでしょう。

理工書などを読むときには、文系であるほうが有利な面もあるという考えかたもあります。文系出身で自然科学書の書評子をつとめているある人は言います。

「文系であれば、いろいろな文章に触れる機会も多いでしょう。それに、国語での読解力も高い人も多いでしょう。であれば、自然科学書に書かれてある難解そうな文章を読解することも、むしろ得意にこなせるんじゃないのかな」

自然科学のことについて書かれてあることも、結局のところは文章の連なりだというわけです。

「もし、読む本や接する企画が理系にかかわることであるというだけで拒絶感を示すのであればもったいない。はじめて抵抗感があっても、何度かくりかえしていけば理系といわれる分野にも慣れてくるのではないかな」

「もっとも、理系分野に拒絶反応を示している人たちが理系を拒絶しなくなったら、理系で書くことのできるもの書きの存在価値は減って仕事にありつくことはたいへんになるかもしれないけれど……」
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「ひた」に「むき」
ひとつの仕事に熱中しているようすを「ひたむき」といいます。「佐藤部長のひたむきな仕事への姿勢を社員のだれもが尊敬していた」といった使われかたをします。

「ひたむき」の語源はどのようなものでしょうか。どのようなことばの要素でなりたっているのでしょうか。

考えられるのは「ひた」と「むき」というふたつのことばの要素でなりたっているというものです。

ただし、「ひた」と「むき」のあいだでことばの要素としての区切りがあるにちがいないと決めてかかることもありますまい。たとえば、ほかのことばで「だらしない」「みっともない」といったことばがありますが、「だらし」と「ない」とか「みっとも」と「ない」でできているわけではありません。

あるいは「ひたむき」の「ひ」が、もともと「し」で、もともとは「下向き」だったなどといった由来だったらおもしろいでしょう。江戸方言では、「質屋」が「ひちや」といったように、「し」が「ひ」と発音されます。「上さえ見ず下を見ながらがむしゃらにあるものごとにとりくむ」といった語源だったら……。

では、と辞書を見てみると、どうやら「だらしない」と同様のなりたちとはちがうようです。また、「し」から「ひ」への発音の変化があったわけでもなさそうです。

「ひたむき」は、漢字で書くと「直向き」。「ひた(直)」と「むき(向き)」できちんとわかれているようです。

「直」には「ひた」という読みかたもあります。「徹する」さまを表します。あらためて「ひた」をとり出してみると「ひたあやまり」「ひた走る」「ひた隠し」などと、けっこう使われてはいます。

ただし、「ひた」そのものは、ことばの一単位というよりは、上記のように接頭辞として扱われているようです。
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「TPPで押し寄せる外国産食品、安全確保の砦となる国際協定とは」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2014年)5月23日(金)「TPPで押し寄せる外国産食品、安全確保の砦となる国際協定とは 輸入食品はどこまで安全なのか(後篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

環太平洋の国どうしの自由貿易を目的している環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐっては、日本は米国やほかの参加国との交渉で紆余曲折をしています。しかし、大勢としては、妥結にむけて協議が進められています。

いまも日本人は、食べもので得られる熱量の6割以上を輸入食品に頼っています。TPPによる自由貿易が果たされれば、今後、外国でつくられた食品が日本に輸入される機会は増えることでしょう。

そうなったとき、日本でこれまで守られてきた食に対する安全性は保たれるのか。記事ではこれを論点に、公益財団法人の日本輸入食品安全推進協会常務理事の鮫島太さんと、元常務理事の佐藤勝也さんが、見通しを答えています。

同協会は、輸入食品の安全性確保のため、自主管理体制の確立推進、人材育成、情報収集・提供などに力を入れている団体で、大手食品製造業などの正会員90社と賛助会員2社が加盟しています。もともと輸入、生産、流通、販売に携わる企業による協議会として発足し、1992年には社団法人になりました。2011年には公益社団法人に認定されました。

一般的に、日本の食の安全は高水準に保たれていると考えられます。TPP協議が妥結して、TPPが始まると、日本で行われてきた食の安全水準を守るための制度は崩れていくのでしょうか。

鮫島さんはその考えには否定的です。その根拠として「衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)」を示します。「自国の食の安全基準と他国の食の安全基準が異なるような場合、科学的正当性があれば、このSPS協定によって自国の安全基準を適用できることになっています」。

SPS協定は世界貿易機関(WTO:World Trade Organization)の設立などについて定めた「WTO協定」のひとつ。鮫島さんの説明するように、安全性の基準が二つの国どうしで異なるとき、科学的根拠をもって自国の安全基準を適用することができることを定めています。

ただし、なにをもって安全基準とするのかといった部分は未知数のところもあります。安全基準の異なる品目については、輸出する国と輸入する国のあいだでひとつひとつ安全基準を詰めていく必要があるかもしれません。まだなんともいえない部分を抱えたままTPP交渉は続いていきます。

JBpressの記事「TPPで押し寄せる外国産食品、安全確保の砦となる国際協定とは 輸入食品はどこまで安全なのか(後篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40748

この記事に先がけて1週間前に掲載された、前篇「昔のように怖がる必要はない中国産食品」では、輸入食品の安全性と危険性をめぐる現状を伝えています。こちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40684

日本輸入食品安全推進協会のホームページはこちらです。『新訂Q&A食品輸入ハンドブック 』などの出版物案内もあります。
http://www.asif.or.jp
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弁護士はその局面での最善を尽くす



他人であるパーソナルコンピュータ使用者になりすまして、インターネット経由で脅迫状を送るなどした「PC遠隔操作事件」をめぐっては、被告が真犯人であることを認めました。急展開を見せています。

被告のこれまでの話しぶりに世の中の人びとの注目が集まったのはさることながら、この被告が「自分が真犯人である」と認めたあとでもうひとつ注目が集まったことがあります。

弁護士の対応ぶりです。

弁護士は、前日まで被告から「自分は無実である」と言われたことを前提に被告を弁護してきたわけです。ところが急転直下、被告から「自分は真犯人である」と告げられました。

これで被告を弁護するための策はまったくのご破算になりました。

「自分は無実」と主張してきた被告に、弁護士は嘘をつかれていたわけです。「なんでそんな嘘をついてきたのだ」という感情がわくのが、ひとりの人間としてはふつうです。

しかしながら、この弁護士の態度はべつでした。弁護士という職業人としてのあるべき姿を、この弁護士は結果的に示すことになりました。

弁護士の本分とはなんでしょう。

弁護士とは、訴訟事件や非訟事件、また行政庁に対しての不服申し立て事件に関する行為などを行うことを職務とする職業人のことをいいます。刑事裁判の場合、被告の不利益となる量刑がなるべく重くならないように弁護をするわけです。

より強い表現でいえば、弁護士は弁護を“しなければならない”立場にあるともいえます。

今回の場合、弁護士は、被告が真犯人であることを認めるまでは、被告の「自分は無実」と示した行為に対し、その申したてが通るように、つまり被告の無罪を得るために、さまざまな手を尽くしてきました。

もし、被告が保釈中に「真犯人」を名のるメールを発信する行為に走らなければ、裁判では無罪を得る可能性もありました。無罪になったところで、世の多くの人びとは「でも、どう考えても被告が犯人ではないか」と疑ったでしょう。

いっぽうで、弁護士にとっては、その仕事はいわば成功をおさめたことになります。被告の不服申したてを通したことになるのですから。

「最善を尽くす」ということばがあります。その局面、その局面で、もっとも有利な状況を得るためにはどうしたらよいかを考え、その方法に全力を出すことです。

「自分は真犯人である」と全面的に認めた被告に対しても、この弁護士は、「どうすれば無罪を得られるか」から、「どうすれば量刑がすこしでも軽くなるか」に課題を切りかえて、最善を尽くすことになりました。

この事件は、弁護士という職業のありかたを考えさせる事件にもなりました。

参考資料
弁護士ドットコムトピックス 2014年5月20日付「『佐藤弁護士が批判される理由はない』ベテラン弁護士が語る『刑事弁護人』の心得」
http://www.bengo4.com/topics/1540/

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セに対してパ


2014年のプロ野球では5月20日(火)から、パシフィック・リーグ球団とセントラル・リーグ球団が戦う「セ・パ交流戦」が始まりました。6月下旬まで行われ、各チームのペナントレース争いの成績に加算されます。

交流戦の時期になると、巷で話題にのぼるのが、パシフィック・リーグの存在です。パ・リーグは、福岡ソフトバンク・ホークス、オリックス・バファローズ、千葉ロッテ・マリーンズ、埼玉西武ライオンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、北海道日本ハムファイターズの6球団でなりたっています。

もちろんセ・リーグの話題もありますが、とりわけこの時期にパ・リーグに関心が高まるのは、パ・リーグが、より人気があるとされるセ・リーグの比較対象として考えられるからでしょう。

むかしから、パ・リーグは、「人気のセ・リーグ」に対して「実力のパ・リーグ」とよばれてきました。「実力の……」とは聞こえがよいものの、この句は実際には「パ・リーグの人気はセ・リーグにくらべてない」ということを暗に示しているものです。

パ・リーグ球団を応援する人は、どちらかというとめずらしい。たとえば、京阪神地方に住みながら、セ・リーグの阪神でなくパ・リーグのオリックスの応援者であるのはめずらしい。パ・リーグを応援する人は、“物好き”の対象として見られる風潮もありました。

このことは、パ・リーグ球団の応援者たち自身も認識はしているのかもしれません。セ・リーグ球団にくらべると、どちらかというと少数派にあたるパ・リーグ球団ファンには“連帯意識”が強くあるといわれます。

たとえば、交流戦では、自分が応援するパ・リーグ球団以外のパ・リーグ球団がセ・リーグ球団に負けたほうが、自分の応援する球団が抜けだせることになります。ソフトバンクファンであれば、ほかのパ・リーグ球団であるオリックス、ロッテ、西武、楽天、日本ハムが敗れることは、自分の応援するソフトバンクが“ひとり勝ち”状態になるためうれしいはず。

しかし、実際のところ、すくなからぬパ・リーグ球団の応援者は、応援する以外のパ・リーグ球団が、むしろセ・リーグ球団に勝つとうれしくなる傾向が強いようです。

これは、セ・リーグ球団の応援者とは異なる点。たとえば、阪神の応援者の多くは交流戦で、パ・リーグ球団に巨人が負かされればよろこぶことでしょう。

こうした構図からすると、パ・リーグ球団の応援者も、そしてその周囲にある世間も、いまなお多くの人が“セ・リーグに対するパ・リーグ”という構図でプロ野球を見ているのかもしれません。
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1980年代あたりから「保存版」


雑誌や新聞の記事づくりでは、見出しで読者の関心を誘うことが、手にとって読んでもらうために大切になります。雑誌の特集や新聞の一面など、“顔”といえる記事の見出しはとくに大切になります。編集者たちは魅力的な記事の見出しをあれこれ考えようとします。

定番の見出しの句のひとつに「保存版」があります。「保存版」と銘うっておいて「博物館のすべて」のような具体的なテーマを掲げる方法は、いまも雑誌の特集記事などでそれなりによく見られます。

いつごろから、雑誌記事で「保存版」という句が使われるようになったのでしょう。

国内で刊行される雑誌の多くを保管している国会図書館には「雑誌記事検索」のサービスがあります。そこで論題名に「保存版」と入れてみます。すると、3200件以上の記事が検索されます。

さらに、出版年の古い順に並べてみます。すると、もっとも古い記事は1981年10月に日刊工業新聞が発行した『電子技術』という雑誌の「マイコン汎用OS CP/Mの実践的利用技術 要約保存版」にたどりつきました。


その2年後の1983年10月にも、『電子技術』では「MS-DOS実践利用技法 要約保存版」という記事が組まれており、これが検索結果では二番目に古い「保存版」となります。

「要約保存版」という句からは「MS-DOSの利用法を要約したので保存して使ってくださいね」といった、真の意味での「保存版」の雰囲気が漂います。

その後、1990年まで「保存版」と銘うった記事は見られません。つぎに古いのは、1990年8月に美術出版社が発行した『美術手帖』の特集「拡大する美術」のなかの「Datafile国際美術展(保存版)」という記事です。

『美術手帖』の編集部あるいは営業部の人たちが「保存版」ということばを気に入ったのか、そのつぎの「保存版」の記事も『美術手帖』の記事で、1991年2月号のもの。「決定保存版 コラボレーティヴ・アーティスト大事典」とあります。いまの「保存版」の使われかたらしくなってきました。

「決定保存版」のほかに「完全保存版」や「永久保存版」も「保存版」をさらに強烈にさせる句としてよく使われます。

国会図書館の雑誌記事検索の結果によると、もっとも古い「完全保存版」の記事は、日本港湾協会が発行する『港湾』という雑誌の1992年7月号にあるもの。「完全保存版 夏、爽快 情熱ビーチ600選」という記事です。「ビーチ600選」というほどですから、完全保存版と銘打つのにふさわしい記事だったのでしょう。

いっぽう、「永久保存版」はというと、検索結果では、小学館の『週刊ポスト』1998年8月28日号にあります。こちらは大衆紙の記事らしく「真夏の夜のスペシャル・ガイド 永久保存版 懐かしの『ポルノ&AV』名作ビデオ30傑」とあります。

「保存版」は「捨てられやすい雑誌の記事ではあるが、捨てずに保存しておく価値がある発行物」といった意味あいで使われます。つくり手が力を入れてきちんと記事をつくりました、ということを暗に示すことのできる、発信側にとって便利な句といえます。保存版であるかどうかの判断は読者に委ねられるとはしても。

なお、国会図書館の雑誌記事検索の情報は日本で発行されたあらゆる記事を網羅しているわけではないため、ここで紹介した「保存版」より古い記事がある可能性もあります。
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運動の健康効果「週2回で150分」でも「週7回で150分」でもおなじ


健康を保つ目的のために運動をしている人にとって、「こまごまと運動すること」と「まとめて運動すること」で効果にちがいがあるかは関心事のひとつでしょう。

まず、近年いわれてきたことに「たとえわずかな時間での有酸素運動でも積みかさねれば、連続的な有酸素運動とおなじ減量効果を得られる」というものがあります。

たとえば、わずか10分の時間でも細かく3回に分けてランニングをすれば、30分のランニングを1回するのとおなじように熱量を消費でき、どちらもおなじ減量効果を望めるということです。これは、かつて「有酸素運動で減量効果を得るには、最低30分は有酸素運動をつづけなければならない」といった過去の定説を覆したものです。

2013年になり、もうすこしだけ長い期間における「こまごま」か「まとめて」か論争に一石が投じられました。

「週にひんぱんに運動するのと、まとめて運動をするのでは、合計の運動時間がおなじであれば健康への効果は変わらない」とする実験結果を、カナダのクイーンズ大学教授のイアン・ジャンセンさんたちが『アプライド・フィジオロジー・ニュートリション・アンド・メタボリズム』という雑誌に発表したのです。

ジャンセンさんたちは、カナダ人の成人2324人に、週150分を超える運動をしてもらいました。このとき、対象者を「週150分超の運動を週5日から7日おこなう高頻度群」と、「週150分超の運動を週2日から3日しか行わない低頻度群」に分けました。そして、両方の群について、糖尿病、心臓病、脳卒中の危険性にどう影響をあたえるかを調べました。

その結果、高頻度群でも低頻度群でも、これらの危険性を減らす影響はおなじだったといいます。

ジャンセンさんは、クイーズ大学の報道発表記事のなかでこう説明しています。

「たとえば、平日にまったく運動をしないが、週末に150分超の運動をする人は、毎日の日課として20分から25分の運動で合わせて週150分超の運動をする人と、おなじ健康の利益を得られることになります」

自分自身に「週5回運動をするぞ」と誓った人が、たとえそのノルマを達成できないとしても、週の残りの日にまとめて運動すれば、すくなくとも健康への効果を得られるというわけです。もっとも、1時間や2時間もずっと走りつづけて、ひざを傷めてしまうといったことにならなければの話ですが。

参考資料
クイーンズ大学 2013年6月24日付「IAN JANSSEN - TOTAL AMOUNT OF EXERCISE IMPORTANT, NOT FREQUENCY, RESEARCH SHOWS…」(英文)
http://www.queensu.ca/skhs/news-and-events/in-the-news/ian-janssen-total-amount-of-exercise-important-not-frequency-research-shows
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3人の犠牲を記憶にとどめるため「アポロ1号」
宇宙飛行士の若田光一さんが(2014年)5月14日(水)、4度目となる宇宙飛行を終えて地球に帰還しました。国際宇宙ステーションと地球の行き来に使われるソユーズ宇宙船から出てきた3人の宇宙飛行士のなかで、若田さんがもっとも元気そうでした。

日本人の宇宙飛行士はこれまで、東京放送(TBS)記者だった秋山豊寛さんをふくめ12人。いずれも存命です。もちろん宇宙飛行の途中や訓練で命を落としたということはありません。

しかし、国外に目を向けてみると、世界では19人の宇宙飛行士が宇宙飛行の使命のなかで、また11人が訓練のなかで、命を落としています。

1960年代、米国は「アポロ計画」を進めていました。1961年、大統領だったジョン・F・ケネディ(1917-1963)が、「今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成にわが国が取り組むべき」と、上下両院合同議会で演説したことで、この計画は始まりました。

1969年7月、「アポロ11号」により「人類を月に」という目的は達成されました。また、1970年11月に月に向かった「アポロ13号」では、月へ向かう途中で爆発事故が起き、3人の宇宙飛行士に命の危機が訪れましたが、人びとが知恵を出しあい、3人を地球に生還させたため「成功した失敗」と評されています。

これらのできごとにくらべて知られていないのが、「アポロ1号」についてです。


アポロ1号の徽章
NASA

ケネディの演説以来、「アポロ計画」は進んでいました。1967年1月までに、米国航空宇宙局(NASA:National Aeronautics and Space Administration)はアポロ計画では無人機で4度、宇宙飛行を成功させていました。人を月に遣るための実績をつくっていたといってよいでしょう。

つぎは人を乗せて宇宙飛行の実績をつくっていく段階です。ところが、事故は起きました。1967年1月27日、米国ヒューストンのケネディ宇宙センターで、2月21日の宇宙飛行に向けて訓練が行われていたとき、アポロ司令船で火災が起きました。

これにより、バージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーの3人の宇宙飛行士が犠牲となりました。

グリソム飛行士は、火災が起きるまえに「酸っぱい臭いがする」ということに気づいていたといいます。また、宇宙船に流れこむ酸素の量が多すぎるという警告音もくりかえし鳴っていたといいます。しかし、職員が調査を重ねた結果、「問題なし」となり訓練がつづき、火災となりました。


火災を起こした司令船
NASA

犠牲となった3人の宇宙飛行士は生前この宇宙船を「アポロ1号」とよんでいたそうです。自分たちを乗せて宇宙に向かう宇宙船をほこりに思っていたのでしょう。事故後、NASAの職員は事故を記憶にとどめるため、このときの宇宙船を正式に「アポロ1号」とよぶようになりました。

人が宇宙に行くことには、命がかかっています。多くの人びとの犠牲のうえで、いまの有人宇宙開発があるわけです。

参考資料
月探査情報ステーション「アポロ1号というのはあったのですか?」
http://moonstation.jp/ja/qanda/F403
ウィキペディア「アポロ1号」
http://ja.wikipedia.org/wiki/アポロ1号
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科学ジャーナリスト賞2014吉野さん「失敗もさらけ出した」
「科学ジャーナリスト賞2014」では、漫画家のあさりよしとおさんにも「賞」が贈られました。『宇宙へ行きたくて液体燃料ロケットをDIYしてみた 実録なつのロケット団』という本の著作に対してです。

あさりさんの代理で贈呈式に出席した、学研教育出版の編集担当の吉野敏弘さんが、受賞スピーチをしました。


吉野敏弘さん

「このたびは過分な賞をいただきありがとうございますと、あさりさんが言っていました。本人が不在ですので、あさりさんの紹介をさせていただきます」

「あさりさんは漫画家です。弊社で26年、連載されている『漫画サイエンス』で、小学生向きに科学を伝えておられます。26年間、ご自身で取材し、資料を集め、考えて漫画をつくっています。ロケット開発、人体、新素材と、あらゆるジャンルの話をわずか16ページでまとめる仕事を26年間、つづけています。いまも連載していて、その編集担当が私です」

「私は漫画についてうちあわせしたいのですが、あさりさんはロケットの話をつづけます。私はロケットの話はもういいからと思っていましたが、それをくりかえしているうちに、ちょっとおもしろいなと思うようになってきました」

「最初『ロケットを作っています』といわれました。日常会話でロケットの話をだされたら『そんなばかな』となりますが、聞けば聞くほど本格的なもののようで、そこには夢がありました。贈呈理由に『ワイワイガヤガヤ手製のロケットをつくりだし』とありましたが、中年のおとなたちが手弁当で集まり、知恵をもちよってロケットを開発していったそうです」

「そのような話を聞いたら非常におもしろくなり、あさりさんに『書籍にしましょう』と言いました。そのようなかたちでこの本の企画がスタートしました」

「あさりさんと話していたのは、ものづくりとはどういうことかを表現しようということでした。あさりさんは、いままで描いてきた小学生向けの科学漫画で、科学をブラックボックスにしていません。技術をそのまま受け入れてしまうことはありがちですが、ブラックボックスにしません。それがどのようなものかをわかりやすく紹介していこう、となりました」

「この本で書かれてあることは失敗だらけです。その失敗が科学の積みかさねや発展につながっていくのだから、失敗もさらけ出していきましょうというかたちでこの本ができあがりました」

「科学ジャーナリスト賞という名前はかっこいいとあさりさんは話していました。この本が賞の名にそぐうのかという話もありましたが、いただけるならいただこうとなりました。どうもありがとうございました」

学研出版サイトによる『宇宙へ行きたくて液体燃料ロケットをDIYしてみた 実録なつのロケット団』の紹介はこちらです。
http://hon.gakken.jp/book/1340570200
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科学ジャーナリスト賞2014瀬川さん「金森先生の話を残したかった」林さん「地震学の成果を本にすることは必要」
「科学ジャーナリスト賞2014」では「賞」が、元カリフォルニア工科大学地震研究所所長の金森博雄さん、『AERA』編集部編集委員の瀬川茂子さん、関西大学社会安全学部准教授の林能成さんに対しても贈られました。3人は、朝日新聞出版の朝日選書『巨大地震の科学と防災』の著者、構成者、構成者として携わりました。賞はその著作に対してのものです。

賞の贈呈式では、瀬川さんと林さんが出席しました。まず、瀬川さんによる金森さんの受賞のことばの代読です。


林能成さんと瀬川茂子さん

「このたびはたいへんすばらしい賞をいただきましてどうもありがとうございます。金森先生からメッセージが届いているので読ませていただきます」

「このたびは私たちの著書『巨大地震の科学と防災』ついて、思いがけず科学ジャーナリスト賞を、瀬川・林両氏とともに受賞することになり、たいへん光栄に存じます」

「私は、自然のはたらきに魅せられ、地震や火山の物理に興味を抱き、物理や数学の道具を使って、興味深い自然現象を解きあかすことによろこびを感じてきました。不幸にして、地震はわれわれの社会に多大な災害をもたらします。科学技術のすばらしい発展を恩恵を受けるいっぽうで、自然災害のインパクトは現代の高度に発展した社会において、ますます深刻なりつつある。その効果的な軽減策は、今日の重要な課題であります」

「多くの地震学者と同様、私は研究成果が災害軽減に役立つことを願い、そのためには研究成果が社会に正しく伝わることがきわめて重要と思っています。しかし、私のようにほとんどの研究活動を大学で過ごしたものにとって、たいへんむずかしいことだと痛感しておりました」

「瀬川・林両氏との共同作業により、社会との接点を得ることができ、私自身、多くの共感をもてることができました。審査委員の諸先生方が、そのことの重要性を認識して、私たちの著書を評価してくださったのであれば、審査委員会こそのその賞に値すると思います。どうもありがとうございました」

瀬川さんのスピーチです。

「金森先生は非常に謙虚な方で、自身のことを『職人』とよばれています。職人が自分の技を磨いていい作品をつくっていくようなかたちで、地震波形をどうやって解いていくかといういう観点でこの世界で生きてこられました。だからこそ業績をあげられたのだと思います。先生のお話をたくさん聴くことができ、私はいい時間を過ごすことができたと思います」

「阪神大震災が起きたとき、神戸の方々は神戸では地震は起きないと思っていました。神戸のあたりは活断層がたくさんあるので、地震学者はいつ地震が起きてもおかしくないと思っていました。その後、地震学者は反省し、自分たちがわかっていることを一般の人たちに伝えなければいけない、となりました」

「東日本大震災のときは、地震学者も東北の太平洋沖でマグニチュード9の地震が起きるとは想定していなかったので、科学者は、不確実なことや過不足なことがあることを伝えるほうがいいのではないかとおっしゃっています。すごく自信をなくしているかたちです」

「そのとき、金森先生は、なんで日本の地震学者は反省しているのですかねと、ひょうひょうとしておられました。地震学でできることとできないことがあるのはわかっているのですから、わかっていることをやればいいのですとのことで、本当にご自分の進む道がはっきりされている感じでした」

「この先生のお話をなんらかのかたちで残したいなと思いました。本になるかどうかわかりませんでしたが、インタビューをしました。おかげさまでこういうかたちになりました。今日はありがとうございました」

林さんのスピーチです。

「私は地震学者で、東京大学地震研究所で博士号を取って、名古屋大学で助手をしていたとき金森先生に出会いました。金森先生は『地震の職人』とおっしゃっています。われわれ地震学者にとって神様的存在です。その金森先生が、カリフォルニア工科大学を定年退職され、毎年2か月ぐらいずつ地震学を研究する日本の大学に来ていました。北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学に5年ほど、毎年来るという時期がありました。名古屋大学で金森先生とお昼ご飯を食べているとき、先生は毎日おもしろいお話をされていました」

「私はそのころ、文理融合の防災研究をするということになっていました。私はもともと地震学者でしたが、心理学者といっしょに被災者にインタビューする仕事をしていたら、自分もちょっと場踏みをしてみようと思い、金森先生のオーラルヒストリーを2007年、2008年に行いました。それが、本の最初の2章分と、最後のところに書かれています」

「最初、原稿をある程度まとめて、某大学の出版会に持っていったら、地震学者の生きざまに興味のある人はほとんどいないから、本にならないと言われ、一度、原稿は眠っていました」

「私も任期つきのポストを転々としていたので、職を移るたびに原稿のことを忘れがちになります。そのとき瀬川さんから、いま金森先生にインタビューをしながら本をつくっているのだけれど、あなたも相当、お話を集めているらしいじゃない、いっしょにやりませんかとお声がけをいただき、今回の本が完成した次第です」

「瀬川さんが金森先生にインタビューしたのが2011年5月、東日本大震災以降です。私がインタビューしたのはそれより前でした。しかし、金森先生のおっしゃることは大震災があろうともぶれることはありません。どうやって生きてこられたかがよくわかります」

「いっぽうで、最新の地震学の成果、あるいは地震学ではわからないことがなにであるかを本にしていくという作業は必要だと私も思っていました」

「今回の本を評価していただけるのであれば、金森先生というスーパースターの研究者が悩みながら研究していくなか、どこがどうわかり、どこがどうわからないのかというプロセスを見せるかたちにできたのがよかったのではないかと私自身は思っています。このプロジェクトに参加させていただき、瀬川さんにも感謝しています。どうもありがとうございました」

朝日選書『巨大地震の科学と防災』の紹介ページはこちらです。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15493
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科学ジャーナリスト賞2014阿部さん「データ密度の高さが人を救うツールに」
​「科学ジャーナリスト賞2014」では、きのう紹介した「大賞」のほかに、「賞」が3作品の関係者に贈られました。

NHKスペシャル「“いのちの記録”を未来へ 震災ビッグデータ」は「賞」の大賞作品のひとつ。報道局社会番組部チーフ・プロデューサー三村忠史さんが受賞しました。

贈呈式では、三村さんの代わりにNHK報道局報道番組センター社会番組部ディレクターの阿部博史さんが受賞のスピーチをしました。

阿部さんの受賞スピーチです。


阿部博史さん

「今回はこのようなすばらしい賞をいただきまして光栄です。ありがとうございます」

「東日本大震災は、多くの犠牲をともなった、私たちにとって本当に辛い経験です。その震災を、NHKとしてさまざまな映像や証言を重ねながら記録していますが、同時にさまざまな電子データが記録されていました。地球上にこれほどのデータが蓄積されたことはかつてないことです」

「こういうデータをどのように掘り出せばよいのか。グーグルやツイッターなどさまざまなデータ保有者にご協力いただき、この番組は制作されています」

「日本の人口密度は高いといわれます。災害がひとたび起きるととても大きな被害を負うといいます。いっぽうで、こういうデータをうまく活用できるようになると、データの密度が高いことが私たちの命を救うツールにもなるともいえます」

「人がすくない沿岸部などではデータが使えないということもいわれますが、リアス式海岸の地域の人びとの営みを見ると、山でなく沿岸部に集中して住まわれているのがわかります。情報密度は高いといえます」

「震災が起きた2011年ごろのでデータを集めました。必要十分なデータが集まりました。もし震災がさらに2年まえに起きていたら、番組は成立していません。データ数がまったく足りないからです。人がいたか、逃げられたか、戻ったか、渋滞があったかなどがわかりません。科学と名のつく賞に似つかわしくないデータの状況になっていたと思います」

「震災から3年が経ちデータはどうなったでしょう。それぞれのデータは3倍から10倍の量になっています。データのカバー率は、2011年では7割でしたが、9割を超えています」

「こうなると、私たちが車の情報から、もし火事が発生して通れない道があるすれば、そのような通れない道には車の痕跡が一台もないといったことを見つけ、火事の状況を推定するのに活用できるのではないかということを、研究者や国が検討しはじめています」

「『震災ビッグデータ』の番組を第2弾、第3弾とつづけています。次なる課題はリアルタイムでの活用です。被害の全容を明らかにして、震災1年後に番組にするのでは遅すぎます。3日間が経って放送してもやはり遅いのです。1時間後に状況がわかるようにしなければなりません。もっといえば、津波警報が出たとき親水域に何人いるかわかれば、人の多いところによびかけができるのではないか。そういうところまで究極的にはもっていきたいというのが私の希望です。番組をつくることによってそのように進めばと思っています」

「番組で、私はビッグデータの分析をしてきました。データで見たことがすべて正しいというわけではありません。データが膨大であればあるほど、バックチェックが大切になります。沿岸部の住民のみなさんにデータを見ていただきながら、その現象が実際に起きていたと多くの方に確認できた段階で放送しています」

「取材者にとって多くの手間がかかります。でも、こういう仕事があたりまえのようになってくるのではないかと思っています」

「この場を借りて、取材にあたったディレクターや、可視化のためいろいろなプログラムを開発しているメンバーに感謝したいと思います。ありがとうございました」

NHKスペシャル「震災ビッグデータ」の紹介ホームページはこちらです。
http://www.nhk.or.jp/datajournalism/about/
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科学ジャーナリスト大賞2014白石さん「みなさんと共有したいという思い」


きょう(2014年)5月14日(水)東京・内幸町のプレスセンタービルで、「科学ジャーナリスト賞」の贈呈式がおこなわれました。

科学ジャーナリスト賞は、日本科学技術ジャーナリスト会議が、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰するもの。今回で第9回となります。

4日にわけて、大賞と賞の受賞者によるスピーチの要旨を伝えていきます。

大賞を受賞したのは、OurPlanet-TV代表の白石草(はじめ)さん。「東電テレビ会議 49時間の記録」という映像作品の制作に対して、大賞が贈られました。


白石草さん

白石さんのスピーチ(一部抜粋)です。

「このたびは科学ジャーナリスト賞の大賞までいただき、そういう賞をいただくとは思っていなかったのでたいへん驚いています。こういうかたちで光を当てていただき、ありがとうございます」

「OurPlanet-TVは2001年から活動しているNPOのメディアです。ふだんはインターネット上で動画を配信しています。テレビ局では扱いにくい人権問題や環境問題などのテーマを扱っています。3・11以降は震災や原発関係を多く扱っています」

「われわれはインターネットのメディアであり、大手のマスメディアからすると東京電力の会見に出るのも手続きを踏んでいます。その権利を得るのがふだんからたいへんです。ふつうのメディアでしたらパスで入れますが、私たちは手続きがたいへんです。すこし大きい国際会議になるといろいろな書類を出したり、自分たちの身分を証明しなければなりません」

「そういうなかで東電テレビ会議が公開されました。公開されるにあたり、朝日新聞が報道キャンペーンをしたり、東電に訴訟をしている株主の方々が証拠保全の申したてをしたり、いろいろなプロセスを経て公開されたというのが第一段階にありました。われわれはその活動に心から敬意を表します」

「ようやく公開となり、なんとかしてテレビ会議の様子を見ることができましたが、初めて見たときは驚きました」

「われわれは記者クラブに入っているわけでもないので、経産省などには事故が起きたときには行っておらず、マスメディアの報道や仲間のジャーナリストの双葉町などでの取材に頼りました。いい取材がありました。自衛隊など、ふつうとはちがう情報ソースにも取材し発信していました」

「東電テレビ会議を見たら、詳しく当時の状況がわかるわけです。何時に炉心損傷が起き、何時に炉心有用が起きるということを、プラントごとに予測しています。シミュレーションもしていて、20キロメートル圏内はこれだけ汚染するということをずっと話しているもようもあります」

「ものが調達できず、バッテリー、ガソリン、携帯電話のバッテリー、車、現金がなくなっていきます。現場でこのようなことが起きていたのかと本当にびっくりしました」

「われわれはふだん中に入って全部を見ることはむずかしく、一般市民の方とあまり変わらない立場で取材しています。これを多くの人たちに共有しなければならないと思い、どういう形で共有したらよいかをずっと悩みました。どうやすれば全部もちだせるのだろうと、東電と交渉しました」

「いろいろなマスメディアの働きかけもあって、2011年3月12日10時19分から丸1日と1時間の映像を得ました。その公開されたうち、私たちが編集したのは10時間分です。49時間のなかの10時間が使える素材としてあり、それをさらに3時間30分ほどに編集しました」

「時がどういうふうに過ぎたのか、どういうことがここで起きたのかをみなさんと共有したいという思いでした。私とスタッフの平野くんたちと、3人だけの組織であり、有給があるのもこのスタッフ3人で、あとはボランティアでやっています」

「そのなかで、2週間ぐらいほかの仕事をやりつつ編集をしました。おもに平野くんが緻密で職人的名作業をしました。時計の表示などをひとつひとつ、ぜんぶ手作業で入れました」

「映像をつくる作業を何度も繰りかえすなかで、自分自身いろいろな発見ができました。このまえ、初めて福島県内でも上映をしました。ため息をつかれる方が多かったですが、いまからやってくださいと多くの方に声をかけていただきました。いまはインターネットで流すかたちをとっていませんが、なるべく多くの方に見てもらえればいいなと思っています」

「本当にありがとうございました」

OurPlanet-TV「東電テレビ会議 49時間の記録」の紹介ホームページはこちらです。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1664

あすからは賞の受賞者のスピーチを伝える予定です。
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
「日産『V-up』、システム部門で成果生む」


きのう(2014年)5月13日(月)から、日経BPの情報技術サイト「ITpro」で、「日産『V-up』、システム部門で成果生む」という連日で全5回の特集が始まりました。この特集の取材と執筆をしました。

「V-up」は、日産自動車が2001年から導入している課題解決の手法です。日産自動車は、「討議」とよばれる会議をはじめとする課題解決の進めかたを定式化し、それを日産自動車本体のみならず、国内外のグループ企業にも浸透させています。

これまでにもV-upをテーマとした記事や本などは、経済誌やビジネス書などの分野で出ていました。いっぽう、特集の載っているITproは、おもに情報技術についての話題を提供するサイトです。そこで、この特集では、「課題解決手法であるV-upを企業の情報技術関連部門で使うとどうなるか」といったことに視点を当てています。

きのう13日(月)の「グローバルで3500億円以上の効果」という記事タイトルにつづいて、きょう14日(火)には「課題の定義がうまくいけば、50%は解決したも同然」という記事タイトルとなっています。

「課題の定義がうまくいえば、50%は解決したも同然」とは、日産自動車の社内で言われている格言のようなもの。社員たちがどのような課題にとりくむのかがきちんと決められていると、その課題の解決も半分は見えている、といった意味です。

「V-up」では、部長などの立場にある「課題のもちぬし」が、部下などの力を借りて「課題定義書」という書類をつくります。「課題名」「課題の背景」「目標」「期限」「前提条件」「予想効果金額」「課題解決のチームメンバー名」などを記す欄があります。実際「V-up」で課題解決を始めるときには課題定義書にそれぞれのことばを入れて、それを討議よりもまえにチームメンバーなどと共有しているといいます。

情報技術にかかわる企業や部署では、しばしば「ソリューション」ということばが使われます。もともと、英語の“Solve”の「解く」「解決する」といった語源から、「ソリューション」は「解決策」などの意味がつけられました。さらにそこから発展し、情報通信の分野では「ソリューション」は課題を解決する手段としての「情報通信システム」を指すまでになっています。

情報技術関連部署が、システムを構築するときにも「なにが課題なのか」を明確にしておくことは重要です。こういった点から、課題定義を重視している「V-up」は、情報技術関連部署の仕事と深くつながりがありそうです。

あす14日(水)の第3回からは、日産自動車の情報技術関連部署の社員たちが登場します。「V-up」を駆使した問題解決手法の事例を紹介していく予定です。


ITproの特集「日産『V-up』、システム部門で成果生む」のトップページはこちらです。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140421/552068/
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「インデアンカレー」のインデアンカレー――カレーまみれのアネクドート(57)


大阪で長いこと店舗を展開してきたカレー店が、東京に進出しています。

「インデアンカレー」は1947年、大阪・南波の法善寺横町西で創業しました。それから、大阪に一号店を合わせて7店、兵庫県芦屋に1店を出しました。

そして2005年、東京・丸の内に、関東で初出店となる「丸の内店」を出しました。大阪で「インデアンカレー」を食べて過ごしたあと東京にやってきたカレー好きにとって、丸の内店の開店は朗報だったことでしょう。

「インデアンカレー」のカレーライスは1種類のみ。店の名前にもなっている「インデアンカレー」です。ほかには、カレールゥをかけたスパゲティやハヤシライスなどがあります。

見た目はシンプルなカレーライス。ぽてぽてっとしたルゥに、牛肉のかけらがいくつか入っています。そのルゥが、ライスにまんべんなくかけられて出てきます。

多くの人がこのカレーの特徴に挙げるのがルゥの味です。スプーンですくったルーを口に入れた瞬間、舌は甘さを感じます。ところが一瞬ののち、間髪を入れずに辛さが舌をふくむ口全体を包みこむのです。その後、辛さで充満した口のなかでは、ルゥと熱いご飯が入ってくるごとにじわじわ辛さが増していきます。

しかし、不思議と「辛くて食べられない」という限界には達しません。食べているあいだは、ほのかな種火がいつまでも口のなかで消えないような感覚になります。そして、添えもののピクルスや水を口に入れると、また不思議と最初の甘さがすこしだけよみがえります。

「インデアンカレー」の店主はこう表現します。

「一口食べると、懐かしい甘さが舌の上に拡がり、ホッとした途端に辛さの玉が弾ける、、、お客さまから『口ん中が火事や!』と言われながらもご愛顧いただいてきましたのが、私共のインデアンカレーです」

「カレーは沢山のスパイスに野菜とフルーツ、選び抜いた肉を使って、調理しております」

甘さのあと一瞬遅れてやってくる辛さがどのようにつくられるかについては多くを語っていません。店のキャラクターのインデアンも寡黙そうな顔つきをしていますが、味の秘密を知っていそうな顔でもあります。



大阪での味を東京でも味わうことができます。

「インデアンカレー丸の内店」の店舗情報はこちらです。
http://www.indiancurry.jp/shop/marunouchi.html
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飛行機に“高い翼”と“低い翼”
飛行機はおもに飛んでいるとき、バランスをとる必要があります。風が吹くなかで空を飛ぶことになるため、その風からの影響を受けにくいようなつくりにしなければなりません。

たとえば、セスナ機などのむかしからある多くの小型飛行機では、もっとも大きな翼である主翼が、胴体よりも上側についています。こうしたつくりの飛行機は「高翼機(こうよくき)」とよばれます。

飛行機が飛びたつと、空気の流れに対して斜めの角度になった翼が空気から揚力を受けます。つまり、地面側から上空側へ浮かんでいくような力を受けるわけです。


高翼機

このとき、飛行機の重心のある胴体より翼が下側についている機体よりも、上側についている機体のほうが、安定して飛行をつづけることができます。高翼機は、飛行経験のあまり豊富でない操縦者が操縦するのにも適しているといえましょう。

一方で、「低翼機(ていよくき)」とよばれる飛行機も見られます。こちらは、胴体よりも主翼が低い位置についている飛行機です。


低翼機

たとえば、ボーイングやエアバスなどの作るジェット旅客機は、窓側の座席から主翼を見下ろすことができることからわかるように、胴体のどちらかというと下側についています。また、ジェット戦闘機の多くも、翼は胴体の重心の高さよりも下側についているといいます。

これらの低翼機では、たしかに風を受けたときなどに機体が不安定になります。しかし、不安定になった機体を制御する技術が発達しているため、その技術を加えるのにお金はかかるものの、不安定さを補うことができます。ジェット戦闘機などでは、敵からのミサイルをかわしやすくするために、まず動くことを重視して翼を低くしているといわれています。

参考資料 ウィキペディア「高翼機」
http://ja.wikipedia.org/wiki/高翼機
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くらべるものがあるから「地球は小さい」


「地球は小さい」と感じている人がいます。インターネットでは「地球って意外にちっさ過ぎると思うんだが・・・」といった話題もあがっています。

「小さい」や「大きい」という概念は多くの場合、相対的なものです。つまり「小さい」と感じるのは、ほかの大きなものとくらべるからです。

実際インターネットでは、地球とくらべる天体として、太陽や赤色巨星などが紹介されます。太陽の直径は139万2000キロメートルで、地球の直径の109倍ほどあります。

「地球は小さい」といった概念は、太陽の大きさを実測できなければ生まれなかったでしょう。かつて地球は人間にとって全空間の絶対中心的存在とされていたため、地球が小さいという概念そのものがなかったはずです。

天体でくらべるのとはべつに「地球は小さい」と感じることのできる観点があります。かつては遠く離れた海外の目的地にたどりつくために、命がけで何百日もかけて“海外”に渡らなければなりませんでした。しかし、いまでは飛行機で数時間で着けるようになりました。そのため「地球は小さい」と感じる人がいるわけです。

この場合も、昔の人びとが感じていたであろう地球の広さあるは大きさにくらべて、地球は狭くあるいは小さく感じられるようになったということになります。これも相対的な概念です。

では「人生は短すぎる」と感じる場合はどうでしょう。

2012年の日本人の平均寿命は女性で86.41歳、男性で79.94歳といいます。日本は世界のなかでも長寿国に入っています。日本人が「人生は短すぎる」というとき、これは世界の多くの国の人びとの平均寿命にくらべてのはなしではないはずです。

では、人が「人生は短すぎる」と言うとき、その人は絶対的に「人生が短い」と感じているのでしょうか。

そう感じている人もいるでしょう。

そのいっぽうで、人生を細かく切りきざんだ一定期間で“くらべごと”をして「時間は短い」と感じ、それを人生にあてはめているという人もいるでしょう。

1日、1週間、1か月、1年といった一定期間に、すべきことをこなせずに「時間が足りなかった」と感じる経験はだれもがもつものです。

これは、「一定期間にこれだけのことをこないしたい」という理想状態と、「一定期間にこれしかできなかった」という現状をくらべてのこと。それを敷衍して、人が「人生は短すぎる」と感じるということはありそうです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
社会的立場からしてお笑いの題材にしてはならない


理化学研究所発生・再生科学総合研究センター研究ユニットリーダーの小保方晴子さんについて、さまざまな話題が出ています。一部は小保方さんや小保方さんの弁護士などから、一部は理化学研究所から、一部は共同研究者から出る話ですが、それらを増長させて大部分の話題を出しているのはマスメディアです。

(2014年)5月に入り、テレビ朝日とフジテレビが、お笑い番組でそれぞれ視聴者に小保方さんを想起させるパロディのお笑いネタを放映し、これらも話題になりました。ただし、小保方さんをお笑いのネタにしているのはこのふたつの番組だけではありません。ラジオ番組でも本人を装ったパロディの投稿はがきが選ばれ、司会者に読まれるなどしています。

小保方さんのいまの社会的立場は、理化学研究所という独立行政法人に所属する研究者です。職業研究者の称号である博士号に合った研究をしてきたかは別問題としても、すくなくとも、お笑いの対象にされ、それが稼ぎのもとにもなりうる人とは明らかに立場が異なります。

フジテレビの番組では、パロディのネタの予告編で批判的反響が大きく、本放送を見送ったといいます。この成りゆきについて、番組のメイン出演者であるナインティナインの岡村隆史さんは、ラジオ番組で「小保方さんを小馬鹿にしたようなネタではまったくなかった」「小保方さんがこのコーナー見たら笑ったと思う。小保方さんの病院に持って行ってあげたらちょっと笑顔戻るかもわからんなっていうくらいのコーナーだった」などと話したということです。

お笑いを伝えるほうの立場からすれば、こういう見方もありうるのかもしれません。しかし、パロディ予告編では、小保方さんにあたると思われる人物に「阿呆方さん」というよび名が付けられていました。芸能人でない人が、自分のことを「阿呆」よばわりされたら、ほとんどの人が「小馬鹿」あるいは「馬鹿」にされたと不快感を覚えます。これで「小馬鹿にしたようなネタ」と思わせないことはできません。

さらに、小保方さん本人が予告編の内容に不快感を示し、弁護士を通じてフジテレビに抗議文まで送っています。「本放送をすべきだった」という立場の話が、小保方さんや一般の人びとの賛同を得られることはありません。

お笑いの対象となっている人が芸能人と異なる立場にあたることから、本放送をするかしないかにかかわらず、公共の電波で伝えることを許されている組織が、そのような企画をつくること自体がまちがっています。これは、小保方さんについてだけの話ではありません。また「めちゃ×2イケてるッ!」にかぎった話でもありません。

参考資料
JCASTニュース2014年5月9日付「めちゃイケ『阿呆方さん』放送見送りにナイナイ岡村『小保方さんが見たら笑ったと思う』」
http://www.j-cast.com/2014/05/09204250.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
疲労も体の警告のひとつ


「あー疲れた」を口ぐせにしている人がいます。「疲れ」は、「疲労」ともいいます。だれもが疲労を日常的に経験するものではありますが、「疲労とはなにか」となると、さまざまな説明があります。

まず、疲労の定義としてよく見られるのが「作業の能力が低下した状態である」というものです。そして、疲労度を、「ある一時点から連続的に特定の作業をして、それ以上は実行できないというところまでしたときに達成される作業量」とする定義もあります。

これらは疲労の結果として見られる人の体の現象と捉えることができそうです。疲れているから作業能力が低下するわけです。すると、多くの人が知りたいのは、「なぜ疲れるのか」ということになりそうです。

人が疲労を覚える目的としては、命にかかわる危険を知らせるためといえそうです。これとにた例として、痛みがあります。痛みを感じことにより、人は「傷を癒そう」と対処します。もし痛みを感じなければ、けがした部分が放ったらかしになり、より体の状態は危険で深刻なものになるはずです。疲労についても、体が自分自身に発する警告と捉えることができるわけです。

では、どのようなしくみで疲労は起きるのか。これもさまざまなことがいわれますが、疲労を肉体的な要因によるものと、精神的な要因によるものにわける考えがあります。

肉体的な要因というのは、筋肉を酷使するような作業です。たとえば、水泳を1時間も休みなくつづけていれば、手で水を掻くのも大変になってきます。

いっぽう、精神的な要因とは、よく「肉体的疲労以外の疲労」と説明されます。より詳しくは、長いこと考えごとをつづけたときに起きるような精神疲労と、肉体的疲労には至らない作業ながらも記憶や感情や意志などが関係して起きるような神経疲労にわけることができます。

ほかにも、紫外線や騒音などを受けるといった物理的な要因や、化学物質にさらされるといった化学的な要因、ウイルスや細菌に感染するといった生物学的な要因などもいわれています。

参考資料
文部科学省科学技術振興調整費 生活者ニーズ対応研究「疲労および疲労感の分子・神経メカニズムとその防御に関する研究」班「疲れとは何?」
http://www.hirou.jp/P04/01-1.html
「ここまでわかった! 疲労の正体」『暮しと健康』2010年5月号
http://www.fuksi-kagk-u.ac.jp/guide/efforts/research/kuratsune/sum/kurashitokenkou.pdf
障害者職業総合センター「障害者の高齢化と疲労に関する基礎的研究」
http://www.nivr.jeed.or.jp/download/shiryou/shiryou07_01.pdf
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
ものを管理するしくみはバーコードからRFIDタグへ
ものを管理するためのしくみとして、長らくバーコードが使われてきました。

バーコードは太さや間隔の異なる線による模様であり、バーコードリーダーとよばれる読みとり装置で読みとることができます。その模様はどれも似て非なる固有のものであるため、「それがそれでであること」を識別できるわけです。そのためバーコードが製品に印刷されたり部品に貼られたりして、チェーン店のポイント・オブ・セールス(POS:Point Of Sales)とよばれる情報管理システムや、工場での部品在庫管理などに役立てられてきました。

このバーコードに代わるしくみとして物流などの世界で導入されているのが、RFIDとよばれる技術です。

RFIDは、Radio Frequency IDentification Systemを略したもので、「アール・エフ・アイ・ディー」とよばれます。日本で直訳すると「無線周波数認識方式」となるでしょうか。

バーコードに代わるものなので、RFIDを使う目的はバーコードとにています。つまり、商品の情報管理や部品の在庫管理などのために使われます。そして、商品や部品にバーコードを印刷したりシールで貼ったりするのとおなじように、RFIDでも「タグ」とよばれる薄くて小さい付箋あるいは硬貨のようなものを商品や部品に付けます。


RFIDのタグの一例
画像作者:Sakurambo(talk)/ SMARTCODE Corporation

このタグにもバーコードとおなじように、「それがそれであること」を識別できる固有の情報が組みこまれています。

RFIDがバーコードと大きくちがうのは、識別するために読みとり装置を近づけてかざす必要がないという点です。RFIDにはいくつかの方式がありますが、空間のどこかに電波あるいは電磁波を発生するアンテナを置き、そのアンテナとタグのあいだで電波あるいは電磁波のやりとりをすることで、そのタグから固有の情報を得ます。

ひとつひとつの商品や部品について、いちいち読みとり装置をかざす必要のあるバーコードにくらべて、かざす手間が省けるために人手や時間を省いておなじような情報管理や在庫管理ができるわけです。

RFIDのタグは電子的なしくみであるため、印字するだけでよいバーコードにくらべて費用がかかることや、水濡れに弱いことの難点もあります。しかし、多くの組織が使うようになればなるほど、タグにかかる費用は安くなっていくことでしょう。総体的にバーコードよりも便利で手間いらずとなれば、普及は加速していきそうです。

参考資料
大塚ビジネスサービス「RFID×バーコードシステム比較」
https://www.otsuka-bs.co.jp/event_support/visitor/data/comparision/index.html
菱電商事「RFID(無線ICタグ)ソリューション」
http://www.ryoden.co.jp/fa/ccd/rfid/
日本自動認識システム協会「RFIDの基礎」
http://www.jaisa.jp/about/pdfs/20130401RFID.pdf
e-Words「RFID」
http://e-words.jp/w/RFID.html
| - | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0)
かたちを工夫して「トンネルドン」を抑える


身のまわりにはなにもないように感じられますが、地球上には空気があります。風が吹くのは空気が移るためですし、多くの人工衛星が地球に落ちる前に燃えつきるのは空気と擦れあうためです。

空気があることを感じることのできる現象が、かつて新幹線のトンネルの出口でありました。欠堂の関係者が愛好者などのあいだでは「トンネルドン」とよばれる現象です。もうすこしきちんとした用語として「トンネル微気圧波」ともよばれています。

新幹線にはいくつものトンネルがあります。あるトンネルに新幹線が入ったとします。すると、トンネルの出口側で「ドン」という衝撃音が起きていたのです。

新幹線がトンネルに入ったときの空気の波は、トンネル内で逃げ場を失ったままトンネルの出口側へと移っていきます。そのあいだに新幹線が移動することで空気が圧縮されていき、トンネルの出口で一気に解きはなたれるため、「ドン」という衝撃音が出ていたのです。

「トンネルドン」が起きるかどうか、線路のつくりにも関係しました。路線に石を敷いたバラスト軌道という線路では、新幹線が入ることにより移るトンネル内の空気が石どうしのあいだに吸収されて「トンネルドン」は起きませんでした。たとえば東海道新幹線はバラスト軌道です。

しかし、コンクリート板の上に線路を敷くスラブ軌道とよばれる方式では、石が敷かれないためトンネル内を移る空気が吸収されません。そのため、日本では山陽新幹線の開通以降、この「トンネルドン」問題が深刻化しました。

新幹線のトンネルの近くにいる人や動物にとっては、迷惑な音でありつづけました。これに対して鉄道会社は、問題解決に乗りだします。

たとえば、新幹線の先頭車両のかたちが、まん丸の鼻のようなかたちでなくなったのも「トンネルドン」対策とされています。先頭車両において、先端つまり鼻先から、おなじかつ最小の比率で断面積が大きくなるようなかたちがとられると「トンネルドン」の衝撃を抑えることができます。

700系とよばれる新幹線の先頭車両は、イカのようなかたちになりました。これは、なるべく鼻先からおなじかつ最小の比率で断面積が大きくなるようなかたちをとりつつ、横揺れをさせない、というふたつの対策の結果としてのかたちといいます。

また、トンネルについても対策がとられました。トンネルの入口に、緩衝工とよばれる、トンネルよりも断面積の大きな筒を付けることもその一つです。

これらの対策がとられた結果、「トンネルドン」はいまではあまり聞かれなくなりました。

参考資料
曽根悟『新幹線50年の技術史』
ウィキペディア「トンネル微気圧波」
http://ja.wikipedia.org/wiki/トンネル微気圧波
ウィキペディア「スラブ軌道」
http://ja.wikipedia.org/wiki/スラブ軌道
| - | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0)
「みどりの学術賞2014」井手久登さん、みどりを保つ土地計画の手法を確立


2014年度の「みどりの学術賞」は、きのうの記事で紹介した柴岡弘郎さんとともに、井手久登さんも贈られました。井手さんは、東京大学名誉教授。農学の一分野である「緑地学」とよばれる分野での業績が評価されました。

街のなかにある公園や、平野に広がる田畑などは、みどりの豊かな土地です。みどりが豊かだからといって、それらは自然のままの状態というわけではありません。人が「ここをみどりのある場所にしよう」と計画したものです。その土地を公園や田畑にかえたあとも、その状態を維持していくことが必要になります。

公園や田畑の利用計画がきちんと立てられないと、街づくりや農村づくりのなかで、そのうようなみどりの土地を後から確保することはむずかしくなります。

そこで、井手さんは、街づくりや農村づくりのなかで、あらかじめみどりの場所をなるべく多く確保するための手法を編みだしたのです。その方法は生態学の一分野である植物社会学の考えをもとにしたもの。植物社会学とは、ある場所に生きている植物の群れの単位、分類、構造、分布、環境、動態などを研究する分野です。

植物社会学にも相通じる、井手さんの都市計画の方法で要点となるのが「地図」を使うということです。

まず、もし人の生活の影響がなければ、この場所にどんな植物が群生するかを示す「潜在自然植生図」という地図を用意します。さらに、おなじ地域の土壌がどうなっているか、また、地形がどうなっているかといった地図も用意します。

そして、それらの情報を束ねあわせます。これにより「なるべくみどりを活かすかたちで土地を利用することを考えると、ここには田畑、ここには緑地、ここには集落があるのがふさわしい」といったように、みどりを活かした土地の利用のしかたを具体化するための地図をつくりあげます。その地図は「自然立地的土地利用計画図」とよばれています。

この方法によって、街づくりや農村づくりの計画段階からみどりの土地にすべき場所を示しておけるようになりました。さらに、その土地で育てるのにふさわしい農作物がなにであるかを示したり、災害に強い家並みを考えたりしやすくなり、街づくりや農村づくりの方法は進歩しました。

自分たちのために自然のままの土地の状態を変えていくのでなく、自然のままの土地の状態に人のほうがなるべく合わせていく。かつての日本にあった、このような考えかたを活かすための方法ともいえます。

内閣府が発表した「第8回『みどりの学術賞』受賞者の決定について」にある、井手さんのプロフィールはこちらです。井手さんの業績も載っています。
http://www.cao.go.jp/midorisho/houdo/pdf/ide.pdf
| - | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0)
「みどりの学術賞2014」柴岡弘郎さん、植物の伸長のしくみを解明


5月4日は「みどりの日」。自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日とされています。

政府は、「みどりの日」について、国民の関心と理解を促し、「みどり」について国民の造詣を深めるため「みどりの学術賞」を設けています。この賞は、国内で植物、森林、緑地、造園、自然保護など分野で学術上の顕著な功績のあった個人に内閣総理大臣が毎年、授けるもの。第8回となる2014年度は、大阪大学名誉教授の柴岡弘郎さんと、東京大学名誉教授の井手久登さんが受賞しました。

柴岡さんは、植物の茎などの部分に目を向け、植物が生長するしくみを探ってきました。

柴岡さんは高校生のころ、すでに植物の本格的な研究活動に取り組んでいました。植物図鑑の「向日葵(ヒマワリ)」の項目に「太陽ニ向ヒテ廻ル事ナシ」と書かれてあるのを見て、疑問を感じました。そこで、生物部の顧問の先生から「どうだキミひとつ見てみんか」と言われて、観察をすることになったといいます。

すると、ヒマワリの茎の先は、つぼみをつけて花を咲かせようとしているときまでは、太陽の動きと合わせるように東から西へ向きを変えていることを見つけました。植物図鑑の記述とは異なる動きをヒマワリは見せたのです。

柴岡さんはその後もヒマワリの研究をつづけます。夜中のヒマワリの茎が真上を向いたあと、東に向き、さらに真上に向きを戻してからまた東に向くといった複雑な動きをすることなどを突きとめました。また、ヒマワリは太陽の光を奪われても“くせ”から首ふりを続けるといったことも見いだしました。

大学院を修了すると、柴岡さんは植物のジベレリンというホルモンに目を向けました。ジベレリンには、植物の背を伸ばすはたらきがあることは知られていました。しかし、実際どのようなしくみで背を伸ばさせるのかは明らかになっていませんでした。

研究者たちによる過去の研究成果を調べると、植物の細胞が伸びていくときの向きは、細胞壁のなかのセルロースの線維の向きで決まっていて、さらにセルロースの線維の向きは、細胞のなかの微小管という要素の向きと合っていることがわかりました。

柴岡さんは、ジベレリンが微小管の並びかたを変えることで、セルロースの向きも決まるのではないかと考え、それを確かめる実験をしました。すると予想どおり、微小管が壊れてジベレリンの効き目がなくなったため、茎は伸びずに太っていきました。さらに、セルロースがつくられないようにする薬を使って茎の様子を見ると、やはり茎は伸びずに太っていきました。

そして、最後に、ジベレリンの液に浮かべた茎の細胞を、電子顕微鏡で観察して、ジベレリンがセルロースの線維と微小管を制御していることを実際の目で確かめたのです。柴岡さんがジベレリンのはたらきかたを解き明かしたことに対して、世界の研究者が高く評価しました。

柴岡さんは、自分の目で見て確かめることを研究で重視してきたそうです。植物を見て、植物に聞いて、答えをもらってまた考える。この研究スタイルは、若い研究者にも大きな影響をあたえました。

内閣府が発表した「第8回『みどりの学術賞』受賞者の決定について」にある、柴岡さんのプロフィールはこちらです。柴岡さんの業績も載っています。
http://www.cao.go.jp/midorisho/houdo/pdf/shibaoka.pdf

あす5日(月祝)は、第8回のもう一人の受賞者である、井手久登さんの業績を紹介する予定です。
| - | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0)
アルミカップの熱はすぐ伝わる


無印良品では、「アルミマグカップ」という食器が売られています。アルミニウム製の簡素なかたちのコップで、器のほか取っ手だけがついています。

無印良品のものにかぎりませんが、アルミニウム製マグカップを使ったことのある人は、器がとても冷たくなったり熱くなったりすることに驚いたことでしょう。ガラスなどのコップにくらべて、器に入れた飲みものの冷たさや熱さがじかに伝わってきます。さらに、器に入れたばかりの熱湯を飲もうものなら、唇がやけどしてしまいます。

物において温度の高いところから、温度の低いところへ、物質が移ることなく、また電磁波などで伝わることもなく、熱が移っていくことを「熱伝導」といいます。

熱の伝わる速さは、それぞれの物質によって異なります。そしてそれを「熱伝導率」という数値でくらべることができます。

熱伝導率とは、対象となる物質に温度の傾きがあるとき、その温度の高いほうから低いほうへと運ばれる熱エネルギーの大きさを定めたもの。単位は「W/(m・K)」などで表されます。Wはワット、mはメートル、Kはケルビンを表します。これは、1メートルの厚さで、かつ両端の温度差が1度である板を考えたとき、何ワットの仕事率があるかを示したもの。ちなみにワットとは「1秒あたりの1ジュールの仕事率」のことであり、ジュールはエネルギーの量を示す単位です。

まとめると、熱伝導率「W/(m・K)」はつぎのようなものになります。

1メートルの厚さの対象物の両端に1度の温度差があるとき、1秒間で熱エネルギーが通過する量。

アルミニウムは、熱を伝えやすい物質、つまり熱伝導率の高い物質です。その率は236W/(m・K)。ガラスは約0.6W/(m・K)、木材は約0.2W(m・K)といいますから、桁ちがいです。

ほかに熱伝導率の高い物質として知られるのは、銅。アルミニウムよりも高い403W/(m・K)にもなります。さらに、ダイヤモンドは2000W(m・K)にもなります。

さまざまな物質における熱伝導率のちがいは、その物質を構成する原子の結びつきの強さに関係しています。熱は、原子が振動することで起きます。原子の結びつきが強いと、それだけ振動で起きる熱も速く伝わるわけです。

参考資料
大阪教育大学種村研究室「熱伝導率 熱の伝わる速さ」
https://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/exp/netuworld/seisitu/ritu.html
神戸製鉄「ダイヤモンドの基礎物性」
http://www.kobelco.co.jp/products/r-d/tdg/erl/diamond/base/index.html
Yahoo!知恵袋「ダイヤモンドの熱伝導率が高いのはなぜですか?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1018993785
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
ファンは「レコードどおり」を、歌手は「レコードとちがう」を望む


歌手は、レコード、CDあるいは音楽データといった媒体で楽曲を出します。レコーディングをした楽曲が、そうした媒体に記録されて人びとの耳に届くわけです。

レコードから聞こえてくる歌も、ラジオから流れてくる歌も、ユーチューブで見られるミュージックビデオも、すべておなじ歌いかたとなります。これは当然のこと。おなじレコーディングのときの歌が使われているのですから。

楽曲がヒットすると、人びとはひんぱんにその楽曲を耳することになります。そして、レコードやラジオを通じて耳にする“その歌われかた”が、脳に定着することになります。

人によっては、おなじ楽曲でも、レコードの歌われかたとは異なる歌われかたを耳にすると、それに違和感を覚えるようにもなります。そして「レコードで聞くいつもどおりの歌いかたを聞きたい」と思うようになるわけです。

しかし、歌手も人間です。レコードとまったくおなじ歌いかたをすることはできません。それどころか、何百回も何千回もおなじ歌を歌いつづけていると、歌いかたに変化をつけたくなるのでしょう。コンサートで歌手は、レコードでの歌いかたにはなかったビブラートをきかせてみたり、わざと伴奏と歌をずらしたてみたりと、アレンジをするようになります。

こうなるとファンの「レコードどおりの歌いかたで聞きたい」という願いと、歌手の「レコードとは異なる歌いかたで歌いたい」という願いは、広がっていくばかりです。最初のころの歌われかたの痕跡がまったくなくなるような場合さえあります。

「レコードでの自分の歌いかたを聞くことを望んでいるファンはすくなからずいるのだろう」と認識している歌手も多いことでしょう。

しかし、それでもなお、レコードとはちがう歌いかたでアレンジをしたがるのは、芸術家として新たな表現を開拓しようとする心があるかもしれません。あるいはふだんの歌いかたに飽きてしまったからかもしれません。実際は、その両方なのかもしれません。
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