科学技術のアネクドート

大びん633ミリリットル、謎は謎のまま


飲食店で「瓶ビール」と頼むと、たいていの店では、500ミリリットルの「中びん」が出されます。

中瓶が出てくる店ほど多くありませんが、「瓶ビール」と頼むと、633ミリリットル入った「大びんが出てくるところもあります。

中びんにくらべて大びんの容量は133ミリリットル多いのみ。グラス軽く1杯分の差しかありません。

しかし、大びんには手に持ったときの重みがあります。グラス1杯分を入れてもまだ序の口。大びんは、店側と客側と双方の“気合い”を感じさせる容器といえます。

大びんに入っているビールの容量は633ミリリットル。中びんの容量の500ミリリットルにくらべると、大びんの容量は明らかに数値として切りの悪いものといえます。なぜ大びんの容量は、633ミリリットルという切りの悪い数値なのでしょうか。

633ミリリットルが大びんの容量として均一に定められたのは、1944(昭和19)年のこと。それまで各ビールメーカーの大びんの容量は、もっとも大きいもので3.57合(643.9922ミリリットル)、もっとも小さなもので3.51合(633.168ミリリットル)と、すこしだけばらつきがありました。

「大は小を兼ねる」という諺がありますが、これはビールの容量にもあてはまります。3.57合が入るもっとも大きな大びんは、3.51合を入れることができます。対して、3.51合が入る大びんは、3.57合を入れることはできません。

統一される4年前の1940(昭和15)年、酒税法が改められました。ビールの生産量に応じて課税される税金と、物品の出荷される数量に応じて課税される税金が合わさった量に応じて徴収されたいた税は、ビールの出荷される数量に応じて課税される税に改められたのです。これを機に、ばらばらだったビールの大瓶の容量を統一する動きがありました。

こうして、大びんは633ミリリットルに定められたといいます。

しかし、謎は残ります。もっとも大きな大びんの容積が、なぜ633ミリリットル、つまり3.51合だったのかという根本的な理由にはたどりついていません。

また、酒税法が改正されてから、大びんが633ミリリットルに統一されるまで、4年かかっています。なぜ、これほどの歳月がかかったのでしょうか。

こうした真実は知られないまま、きょうも飲食店や居酒屋で大びんは飲まれています。

参考資料
ビール酒造組合「ビールの大びんの容量はなぜ633ml?」
http://www.brewers.or.jp/faq/answer.html
サントリー「ビールの大瓶の容量は、なぜ633mlなのですか?」
http://www.suntory.co.jp/customer/faq/001703.html
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「ぜ」のはずが「ゼ」
マッキントッシュのコンピュータを使っている人のなかには、自分が意図していないのに、ひらがなで画面に現れるはずの「ぜ」が、カタカナで「ゼ」と現れてしまうことを経験する人もいるといいます。

たとえば、ある人は、メールで「これからもぜひよろしくお願いします」と書こうとして、そのようにローマ字入力方式でキーボードを打っていました。

ところが、「これからもゼひよろしくおねがいします」と、「ゼ」だけがカタカナになってしまいました。「ゼ」だけカタカナで変換をすると「ゼ比よろしくお願いします」となってしまい変換失敗となります。

また、ある人は、テキストエディットで「俺は待ってるゼ」と書こうとして、そのようにローマ字入力方式でキーボードを打っていました。

すると、最後の「ぜ」が本人に撮っては偶然にも「ゼ」と、カタカナで現れました。これで「俺は待ってるゼ」。わざわざカタカナ変換をしなくても済んだのでした。およそ0.5秒ほどの作業時間短縮につながりました。

とはいえ、多くの文章表現を考えれば、「ゼ」だけカタカナで表現したい場合のほうが圧倒的にすくなそうです。「ぜ」を打ったはずが「ゼ」とカタカナで表現されたことで得する場合はめったにありません。

「ぜ」以外の、たとえば「ざ」や「ど」といった文字は、本人が意図せずにカタカナになってしまうということは起きません。

マッキントッシュにもともとついている日本語入力プログラム「ことえり」には、「shift」キーを押しながら、ローマ字入力方式で文字を入れると、画面にはひらがなでなくカタカナの文字が現れます。

たとえば、「shift」を押しながら「A」のキーを押すと「ア」と出てきます。「shift」を押しながら「G」「A」と押すと「ガ」と出てきます。

「shift」は一般的にキーボードの左側と右側にありますが、左側の「shift」のすぐ右になにがあるかといえば「Z」キーがあります。

意図せずに「ぜ」が「ゼ」になってしまう人は、意図せずに「Z」キーの左どなりにある「shift」を同時に押してしまっているのでしょう。

カタカナの文字を出すためのこの操作は「かんたんで便利」としばしばいわれますが、わりとラフなキー使いをする人にとっては、「ちょっと不便」な機能となっているようだゼ。

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本の書名「9割」が流行中
本の書名には、流行があります。流行のしくみはかんたんなもの。名前で売れたと思われる企画が登場すると、ほかの出版社などがその書名をまねするわけです。こうしてにたような書名の本がたてつづけに出ていきます。

ふた昔まえの1994年には、「サルでもわかるニュース」という番組をもとにした関連本も出ました。これをきっかけに、その後1990年代後半から2000年代前半にかけて「サルでもわかる」が書名についた本が連発されました。『サルでもわかるミステリー進化論』『サルでもわかる「伸びない会社」』『サルでもわかる英語教室』といった具合です。

ちかごろの書名で流行といえるのが、「9割」ということばを使ったものです。『心配事の9割は起こらない』『人の命は腸が9割』『もの忘れの9割は食事で治せる』『伝え方が9割』『9割の不眠は「夕方」の習慣で治る』といった具合です。

「9割」ということばが効果的に使われた初めての本はどのようなものだったのでしょうか。

国会図書館の検索機能を使うと、1998年に『センター英語9割getの攻略法』という参考書が出ていることがわかります。ただし、その後は「9割」を使った書名の本はあまり続きません。

爆発的な「9割」流行を引きだしたのは、2005年に出版された『人は見た目が9割』(竹内一郎著、新潮新書)でしょう。この本は100万部以上発行されたといいます。翌2006年から『躾が9割』『仕事ができる人は「話し方」が9割』『話し上手は「相づち」が9割』とつづきます。



「9割」ということばは、本を出す立場の人たちにとって都合のよいことばともいえます。「10割」や「絶対」といったことばを書名につけると強烈な印象をあたえられますが、本の内容の信憑性を失う危険ももつことになります。これに対して「9割」ということばには、「例外もあるけれどね」といった余地を残しながらも「いちばん大切なのはこれだ」ということを示せる便利さがあるわけです。

出版社は、流行があればそれに乗っかりやすいもの。しばらくは「9割」の流行はつづくのではないでしょうか。
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宇宙で「和」をもってリーダーシップとなす
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、きょう(2014年)2月25日(火)、国際宇宙ステーションに滞在している若田光一さんが船長に就任するのが3月9日(日)になるということを発表しました。

国際宇宙ステーションの船長はコマンダーともよばれます。船長は、搭乗員6人全体の指揮官の役割を果たします。ミッションの実施、搭乗員の安全、国際宇宙ステーションを構成する要素などの機能維持、それに安全などの責任をもちます。

これまで国際宇宙ステーションでは、38人の宇宙飛行士が船長をつとめました。日本人では若田さんが初であり、日本の進めてきた宇宙開発が各国に信頼されたあかしのひとつとも評価されています。

国際宇宙ステーションでの船長就任はこれからですが、地上ではすでに若田さんは船長としての役割を果たしてきました。国際宇宙ステーションにともに滞在する搭乗員と地上で訓練するとき、船長に就任する予定の人が搭乗員側の代表者として、地上の訓練指導官などとの調整をするからです。

これまでの記者会見や報道などで、若田さんは船長に就くにあたり、搭乗員や地上スタッフとの「和」を大切にすることを強調してきました。飛行前の2013年7月に、文部科学省が行った若田さんへのインタビューでは、若田さんはこう話しています。

「(宇宙では)いろんな実験を数多くします。しかも、それを宇宙飛行士チームみんながそれぞれの力を発揮して、チームとしての能力を最大限に発揮できるようなリーダーシップをとっていく。これが私のとくに後半に課された任務です」

「みんなとのチームワークよく、コミュニケーションをきちんととって、クルーの仲間だけではなくて、日本、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、カナダ、各国の地上管制局のみなさんとのコミュニケーションをきちんととりながら、リーダーシップを発揮していきたいなと思っています。そのへんに注目していただければなと思います」

これまで、米国人やロシア人を中心に、さまざまな個性のもちぬしが、国際宇宙ステーションの船長をつとめてきました。なかでも軍人出身者が約3分の2と多く、これまでの船長はほかの搭乗員を強く引っぱっていく人が多かったとされています。「和」を大切にする若田さんのリーダーシップのとりかたに注目が集まります。


若田光一さん(左)。国際宇宙ステーションに搭乗しているロシアのミハイル・チューリン宇宙飛行士(中)、米国のリチャード・マストラキオ宇宙飛行士とともに。
NASA

参考資料
宇宙航空研究開発機構 2014年2月25日付「若田光一宇宙飛行士の国際宇宙ステーション(ISS)第39次コマンダー就任予定について」
http://www.jaxa.jp/press/2014/02/20140225_wakata_j.html
文部科学省「若田宇宙飛行士インタビュー(2013年)」
http://www.youtube.com/watch?v=47ZMxznMPXw
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心理的瑕疵物件に告知の義務


住宅などの物件には“いわくつき”のものがあります。たとえば、その住宅に前に住んでいた人が自殺をしたり、その住宅で人命が失われる火災が起きたりといったものです。

こうした“いわくつき”の住宅は、一般的には「事故物件」などとよばれています。

また、よりきちんとした用語として「心理的瑕疵物件」というよび名もあります。「瑕疵」というのは、欠点のことを意味し、ここでは法律的に人の権利や物に欠陥があることを指します。

住宅業界では、新たに入居しようとする人が入居をためらうような事故が過去にあった物件については「こういうことが過去にありました」ということを、入居希望者にあらかじめ伝えておかなければなりません。伝えないと、お金を払って入居するかしなかという選択権を奪われるという考えかたのようです。

そして、こうした心理的瑕疵物件については、建物の間どりや駅までの移動条件などを記した販売図面に「告知事項あり」と小さく書かれます。これは、この物件が心理的瑕疵物件であるということを示す合図といえます。実際に賃貸業者は、その内容を告知しなければなりません。

ただし、販売図面に「過去の居住者が自殺」などと生々しく書いていたら物騒なため、「告知事項あり」といった表現になっているのでしょう。

事故の内容にもよりますが、たいてい心理的瑕疵物件については、家賃が従来の3割引や半額といった安いものになります。

世の中には、さまざまな業種があるもので、全国各地の心理的瑕疵物件をグーグルの地図上に表して、それを無料で公表している企業もあります。

こうした心理的瑕疵物件に興味ある人びとのあいだでよく知られているのが「大島てる」という企業です。人の名前のような企業ですが、資料などを見るとこの企業の中興の祖が大島てるさんという名前だったそうです。企業そのものの創業は1837(天保8)年にさかのぼるといいます。

自分がこれから寝泊まりしようとしている部屋で、過去に事故があったら……。気にならずに得だと考える人もいるでしょうし、気になってしかたない人もいるでしょう。心理的瑕疵物件であることの告知は、気になるほうの人に住むかどうかの選択権をあたえるものといえます。

「大島てる」の事故物件公示サイトはこちらです。
http://www.oshimaland.co.jp
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「読みとばしていただいてかまわない」に逃げの姿勢


科学書などの本では、多くの読者に知られていないような理論や概念が出てくることがあります。ひも理論や双有理変換や量子井戸といったことを知るための本があり、さらにこれらのなかでも「はじめての」「入門」「初心者でもわかる」などと、一から知ることを目的とした本があるわけです。

こうした、多くの人にとってむずかしい理論や概念のまわりには、やはり多くの人にとってむずかしい理論や概念がたくさんあります。

すると、こうした本のなかには、つぎのような文句が出てくることがあります。

「ここから説明する内容はとりわけ理解するのに時間がかかるものなので、すこし読んでむずかしいと思われた方は、つぎの第3章まで読みとばしていだいてもかまわない」

素直な性格の読者からすれば「そうか、むずかしいのか。ちょっと読んでみて、この部分を読むかどうか判断しよう」となるかもしれません。

しかし、「読みとばしていただいてかまわない」という文句には、議論の要素もふくまれます。

本そのものの理想的ななりたちは、こういう解説書の場合、あるひとつの理論や概念を説くことにあります。となると、そのひとつの理論や概念を伝えるために、本来的には「読みとばしてもかまわない」部分などないはずです。本に書かれてあるすべてのことが、あるひとつの理論や概念を説くためにあるはずですから。

なかには、本編から脇にそれた話が「コラム」や「補遺」のような扱いで載っていることもあります。こうした本のしくみがあるのであれば、「読みとばしていただいてかまわない」と書かれた部分も、コラムや補遺にするのが筋でしょう。

「読みとばしていただいてかまわない」という表現は、著者が原稿をつくるなかで書く場合もあります。また、著者の原稿を読んだ編集者が「これは読者にはむずかしすぎるだろう」と判断して原稿に加える場合もあります。

どちらの場合にしても、この文句に暗にあるのは「読者にとって読まなくてもよいような内容を書いてある」あるいは「むずかしいことを優しく伝えることができなかったのでその努力を放棄した」といった、“逃げ”の姿勢です。
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「今昔マップ」で疑似時間旅行


日常生活とは異なるところに身をおきたいとき、人は旅に出ることがあります。たとえば、東京にいる人が沖縄に行ったり北海道に行ったりします。

では、場所を移すほかに、日常生活とは異なるところに身をおく方法はあるでしょうか。その願いをかなえようとする人のなかには、場所を移すのでなく、時を移すことを考える人もいるでしょう。時間旅行をすることはかないませんが、古地図を眺めることは、その願いに、わずかでも近づく方法になります。

古地図を眺めると、むかしといまの変わらないところと変わったところの両方を見ることができます。たいていの場合、地形や幹線道路、特徴的な敷地などから、「古地図のこの地点は、いまでいうあの地点だな」と想像することができます。

あるいは、古地図を左に置いて、いまの地図を右に置いて、それぞれを見くらべるということもできなくはありません。しかし、縮尺がおなじでないとむずかしいものです。

できるならば、古地図の地点と現在の地図の地点を正確に照らしあわせたいもの。

そうした願いをかなえるインターネット上の地図も現れています。

埼玉大学教育学部准教授の谷謙二さんは、「今昔マップ on the web」という地図サイトを開発し、一般公開しています。この地図の別名は「時系列地形図閲覧サイト」。

画面の右側にはおなじみとなったグーグルマップがあります。そして左側には1800年代後半から2000年代までに発行された、各種の地形図を示すことができます。

たとえば、「首都圏編」というデータを選択して、「1896〜1909年」の地形図を選べば、画面左側には「宮城」と記された東京の中心地の地図が出てきます。「宮城」は「皇居」の昔のよびかたです。

地図上には、カーソルが示されています。マウスでクリックしながら地図上のカーソルを上下左右に動かすと、左画面の古地図と右画面のいまの地図の両方が、ちょうど対応しながら上下左右に動いていきます。

古地図といまの地図の場所を完全に対応させながら古地図を眺めるという、地図好きにとっての念願がかないました。

この「今昔マップ on the web」での地図の楽しみかたのひとつは海岸線の探索です。たとえば、1896年から1909年の古地図で、東京湾の海岸線にそってカーソルを移動させていきます。すると、いまの地図でのカーソル対応位置は陸地になっているところばかり。

かつて品川駅の東側にはすぐに東京湾が広がっていたことは、鉄道好きや古地図好きには知られている話ですが、まさにむかしは東京湾の海岸線にそって東海道線が走っていたことがわかります。

谷さんは、さらに昔の地形図と、いまのグーグル航空写真などを重ねあわせる機能をもたせた「今昔マップ2」という地図ソフトも開発しました。地図の使いかたが大きく広がっています。

谷謙二さんが開発した「今昔マップ on the web」はこちら。
http://ktgis.net/kjmap/index.php
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「“パンパン”になりやすい塩好き日本人の血管」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、(2014年)2月21日(金)「“パンパン”になりやすい塩好き日本人の血管 再入門、塩分と血圧の危うい関係(前篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

塩分を摂ると高血圧になるということはよく知られています。では、塩分を摂るとどのようにして高血圧になるのか。そのしくみのほうはそれほど知られていません。そのしくみを、血圧について詳しい東京都健康長寿医療センター顧問の桑島巌さんが答えています。

血圧は、血管が流れてくる血液に対して受ける圧力のこと。なぜ血圧が高くなったり、低くなったりするかといえば、血管にある水分の量が多くなったり少なくなったりと、心臓のポンプ機能が高まったり弱まったりするからです。

では、なぜ血管にある水分量が高くなったり、心臓のポンプ機能が高くなったりするのでしょうか。そこに、塩分が関わってくるわけです。

桑島さんは、圧力が高くなった血管の状態を「パンパン」という表現を使って説明します。塩分を摂取すると、体は塩分を薄めるために水を必要とする。水が体に取り込まれると血管が水で満たされ、「パンパン」の状態になる。こういうしくみで「パンパン」な血管の状態がつくられるとのこと。

日本人が一日に塩分を摂る量は、男性で11.3グラム、女性で9.6グラム。減ってきたとはいえ、世界の人びとのなかでも多い状態にあります。桑島さんによると、背景にあるのはむかしから塩漬けなどの食べものが多かった食習慣。日本人の多くは「パンパン」になりやすい体質をもっているともいいます。

「“パンパン”になりやすい塩好き日本人の血管 再入門、塩分と血圧の危うい関係(前篇)」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39987

28日(金)配信予定の後篇では、高い血圧を低く抑えるために、どのように減塩にとりくめばよいか、実践的なアドバイスを桑島さんが語る予定です。
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「下付」の原則に例外x
新聞、雑誌、インターネットなどの記事では、出版用語で「下付き」とよばれる表記がされていることがあります。ほかのふつうの文字よりも下側のほうに記される文字のことをいいます。

化学式を記すときには、この下付がよくつかわれます。物質の元素の数をあらわすとき、下付で書くのがふつうだからです。たとえば、二酸化窒素という物質があります。窒素(N)1個と、酸素(O)2個が結びついたものです。これを活字で表現するとこうなり
ます。



「2」の部分が下付となっているわけです。

とくに新聞や雑誌などの紙媒体を発行している企業などは、どこも下付などの表記のルールを厳しくまもってきました。大きな新聞社などには、手引きやマニュアルもあるといいます。

しかし、この下付の表現で、そのルールを破って例外的に使われている表記もあります。

たとえば、上の二酸化窒素のほか、一酸化窒素、亜酸化窒素などの窒素がふくまれる酸化物は窒素酸化物とよばれます。この窒素酸化物を化学式で表すとき、よく見られるのがつぎの表記です。



「N」と「O」の文字があり、そのつぎに「x」があります。この「x」が、一酸化窒素のように1個であったり、二酸化窒素のように2個であったり、いろいろあるため、これらを総称して「NOx」と書くわけです。

しかし、上にある「NOx」の「x」は下付を使った文字ではありません。もともと小文字の「x」はとても小さく、また、左どなりに大文字の英字があるため、下付にしなくてもなんとなく下付に見えてしまうわけです。

「NOx」の「x」を下付にしたとき、表記はつぎのようになります。



もちろんこれでも読めますが、「x」がとても小さくなるため、あえて下付にしていない出版社などもあるようです。

マス媒体は、こうしたことばの表記では、形式主義をとるところは多くあります。しかし、窒素酸化物については、実用主義をとっているところがあるわけです。あるいは下付にするかどうかを検討していないだけのところもあるかもしれませんが。
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「なにを」が役立たなくても「どのように」は役立つ


大学や研究機関だけでなく、企業にも研究者がいます。製品を開発するために日々、より適した材料はないか、より適した工程はないかといったことを求め、仕事をしています。

企業で仕事をする研究者には、大学や大学院で専攻していたテーマをそのまま企業での研究で続けている人、分野としてはおなじながら研究対象は異なるという人、大学時代の研究となんのつながりもない研究を企業で始めた人、それぞれいます。

このうち、大学時代とまったくおなじ研究を企業でつづけている、という人は多くありません。

企業にしてみれば、製品開発に直接役立つ研究分野を大学で専攻していた人を雇えば、即戦力となるはずです。しかし、そういう考えかたで人を雇うことをあまりしていないようです。

学生を企業や社会に送りだす大学側も、卒業生には企業に入ってもおなじ研究テーマをつづけてほしいと思っているかというと、多くの場合そうではなさそうです。

となると、大学で専攻してきた研究の実績は、企業に入ったら役に立たなくなるのでしょうか。

たしかに、研究内容そのものでいえば、大学での専攻とは異分野にあたる研究をすることになるわけです。大学時代の研究内容が役立つことは、製品に使おうとする材料がたまたま大学時代に扱った材料といっしょだったといった偶然的な要素がなければ、あまりなさそうにみえます。

しかし、「大学でなにを研究するか」という考えかたのほかに「大学でどのように研究するか」という考えかたもあります。この考えかたからすると、大学で研究してきたことは企業で役立たないということにはなりません。

仮説を立てて、それを確かめるための材料を集めて、検証する。こうした研究の方法は、大学での研究でも企業での研究でも共通しているところがあります。

大学とは、企業に入ってからも対象とするであろう研究成果を得る場でなく、企業に入ってからも通用するであろう研究手法を得る場である。こういう考えで大学時代を過ごせば、大学での研究生活の過ごしかたもちがってくることでしょう。
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「西暦・元号」問題に「88」が効く


2014年は平成26年です。西暦と元号の両方を使う国で暮らす人にとっては、「いま」が西暦何年で、かつ平成何年なのかを知っておくことが当然のように求められています。

多くの人にとって、「いま」の年の把握よりむずかしいのは、過去のあるときの西暦と元号の行き来です。たとえば2013年が平成何年にあたるのか、あるいは平成元年が西暦では何年にあたるのか。日常会話や仕事の文書作成で西暦と元号を切りかえなければならない場面は起きるものです。

「西暦でも平成でも偶数の年だったよな」となんとなく思っている人もいれば、「新聞やインターネットに頼ればいいや」とはじめから諦めている人もいるでしょう。

西暦と平成の年の切りかえには、本質的なむずかしさも含まれています。そのむずかしさとは、西暦から元号に変わるときに年の数は小さくなるのに、下2桁での数は大きくなるということです。

たとえば、2013年は平成25年でした。当然ながら、「2013」から「25」に切りかわるとき、大きな数字から小さな数字になっています。しかし、下2桁でいえば西暦の年は「13」で、元号の年は「25」となり、小さな数字から大きな数字になっています。

西暦と元号の切りかえでは、小さくなる要素と大きくなる要素が混ざっている。このちょっとした複雑さが、頭のなかでの切りかえをさせにくくしている要因かもしれません。

要領のよい人は、西暦と元号を行き来するとき「88」という数字を頭の引きだしから出してくるようです。「88」は語呂もよく覚えやすい数字といえそうです。

たとえば、「2013」から「88」を引くと「1925」になります。このうち、下2桁だけに注目すると「25」となります。これは「西暦2013年」に対する「平成25年」に対応します。

また、たとえば「1」から「88」を足すと「89」になります。このときの「1」は「平成元年」のことで、これに88を足した「89」は、「1989年」の下2桁に対応します。

多くの人は、なんとなく「2000年代は平成10年代あたり」とか「2010年代は平成20年代あたり」といった感覚は身に付けているでしょうから、そこに「88」という数字を足すな引くなりしてみて、そのあいまいだった感覚を明確にする。そういう作業が頭のなかで繰りひろげられるのかもしれません。
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地が黒の校正紙に半透明の付箋が効く
雑誌づくりなどでは、完成に近い段階で校正という作業を行います。校正紙に印刷された文字に対して、校正者や編集者がおもに赤ペンで修正したい文字を囲み、修正後の文字を書きくわえていきます。また、不要と思える文字に対してもおもに赤いペンで削除したい文字を囲み「トル」という校正記号を書きくわえます。

こうした校正作業がつづくわけですが、なかには赤ペンでの朱入れをしづらい校正紙もあります。地が黒っぽい紙に、白抜きの文字で印刷されているといったものです。

黒い紙に赤ペンで書いても、赤より黒が勝ってしまうため、読みづらくなります。朱入れした内容は、印刷所の担当者などへの“伝言”です。この伝言が読みづらいと、修正指示の見落としも起きてしまいます。

そこで地の黒い紙に朱入れをするとき、編集者はいくつかの工夫をします。

ひとつは、校正紙を白黒反転させて複写し、それを朱入れをするための校正紙にするという方法です。地の黒い部分は白くなり、また白抜きの文字は黒くなります。ふつうのよくある校正紙とおなじ配色になります。

しかし、環境によっては白黒を反転させる装置が近くにないという場合もあります。そのようなとき、半透明の付箋紙を使う編集者もいます。

校正したい箇所に半透明の付箋紙をぺたっとはります。そして、その上から朱入れをするわけです。これの校正紙を受けとった印刷所の担当者は、半透明の付箋紙をぺらぺらとめくって、修正の作業を行います。

校正者や編集者はこれまでも半透明紙をテープなどで校正紙に止めて、その上から朱入れをすることをしてきました。近ごろでは、無印良品などが半透明の付箋紙を売るようになり、付箋をそのまま貼ればよいといった便利さになってきています。

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川の流域の積雪量をスキーと航空写真で測定
(2014年)2月の太平洋側の大雪で、山梨県全域や埼玉県秩父地方などは過去にないほどの深い雪に覆われています。

木々や積雪対策をしていない建物などは、積もった雪の重さに耐えられずにしなだれたり潰れたりしてしまいます。雪の重さを感じさせられるできごとです。

では、あるまとまった地域に降る雪は、どのくらいの重さになるのでしょうか。それを先駆的に調べたのが、物理学者で雪の結晶の研究でも知られる中谷宇吉郎(1900-1962)です。

1948年、中谷は雪を資源として捉え、その資源量を測ろうとしました。対象の地域として選んだのが北海道の忠別川です。忠別川は大雪山などの山々を源流とし、川上盆地南部へと流れています。この流域に降りつもる雪の量を調べることにしました。


旭川市内を流れる忠別川。2013年12月30日に撮影。
写真作者:DrTerraKhan

中谷は雪の量を調べれば、それが春になるとすべて融けるため、どれだけの雪解け量を得られるかがわかると考えたわけです。

実際、中谷は冬場に忠別川の流域をスキーでまわり、550地点で雪の深さなどを実際に測りました。

しかし、それだけでは忠別川流域全体の雪の降りかたを把握することができません。そこで、終戦直後の日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ:General Headquatrers)の天然資源局という当局に、空から忠別川流域を航空写真で撮ってもらうように掛けあったのです。もちろん当時は、衛星写真もなく、航空写真で空から大地を撮ることそのものがとても珍しいことでした。

中谷は、天然資源局への求めが通じて、航空写真を得ることができました。

こうして、忠別川流域の積雪の量を計算し、「一冬に約2億トンの雪が降る」ということを割りだしたのでした。

こうした、あるまとまった川の流域の雪の総量を調べるという試みは世界でも類いまれなるものでした。中谷のこの研究が認められ、その後は電力会社や行政などがこうした調査を引きつぐことになりました。

その後、降水量を調べる技術は進み、日本全国での年間降水量もわかるようになりました。国土交通省資源部の調べでは、1981年から2010年のデータをもとにすると、日本全国で年間でおよそ6400億トンの降水量があり、また、そのうち人が使うことのできる水資源はおよそ4100億トンとされています。

参考資料
漆原次郎「資源活用と被害対策 2つの側面で見る雪氷学」『化学と工業』2014年1月号
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スポーツ競技の情報通信化が拡大


スポーツ競技の情報通信化が進んでいるといわれます。とくに、選手が競技をおこなっている最中や直後に、選手や監督などが情報通信技術を使って、その場で戦略や技術の改善をするといった即時的な使われかたが増えています。

古くは、F1レースなどの自動車競技で、ピットにいる監督などとサーキットを走っているドライバーが、無線通信を使ってタイヤの交換時期などを伝えるといった方法が使われてきました。

2010年のバレーボール世界選手権や2012年のロンドン五輪などのバレーボールでは、女子日本代表をはじめとするチームが「データバレー」とよばれる情報技術戦略を使い関心を集めました。試合がおこなわれているときにチームの分析担当者が必要な統計データをコンピュータで探して、それを監督やコーチがもっているiPadに伝えるという方法です。

かつては分析担当者がまとめたデータを紙で出力し、それを監督などが試合中に戦術に活かしていたといいます。しかし、iPadなどの情報通信端末を使うことでより使い勝手がよくなったとされます。

ソチ五輪でも(2014年)2月17日から23日までおこなわれるボブスレー競技で、公式計時企業のオメガが開発した「オメガ測定装置」というセンサ技術が試験走行のときに使われます。スピードセンサー、3D加速度センサー、3Dジャイロセンサーといった各種センサーの入った装置をそりの前方に付けて、そりが競技場を曲がりながら進んでいるときの速度などを、選手がそりで滑っているときに計測します。

スポーツ競技の除法通信かが進む背景には、競技運営側が競技のレベルを高くするために選手やチームが機器を使うことを許可する向きがあります。

それとともに情報通信企業にとっても、スポーツ競技の試合は、自分たちの開発した技術を競技関係社だけでなく、試合場やテレビでの観戦者などに効果的に売りこめる好機にもなります。

情報通信技術がさまざまなところで使われている状況を考えると、これからも情報通信技術が使われるスポーツ競技は増えることはあっても減ることはなさそうです。

日本経済新聞 2011年8月1日付「iPadと動画が変えた戦術 女子バレー飛躍の舞台裏  スポーツを支えるIT(2)」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0803L_Y1A800C1000000/
オメガ 2014年2月6日付「冬季オリンピック ソチ大会の公式計時を担当するオメガがボブスレーの計時ツアーを実施」
http://www.omegawatches.jp/jp/news/international-news/international-news-detail/2547
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「宇宙の暗黒時代」に生まれた星が見えてきた
宇宙の歴史には、「宇宙の暗黒時代」とよばれている時期があります。宇宙が始まりの30万年後から億年単位のあいだがそれに当たります。

宇宙が始まってから30万年が経ったところで、広がった宇宙は冷めていき、水素と電子が結ばれていきました。それまで勝手に飛びまわって、前に進もうとする光を散乱させていた電子が落ちついてきたのです。これで、光はまっすぐ進めるようになり、宇宙の視界がひらけて晴れあがったかような状態になりました。このときの宇宙の状態を「宇宙の晴れあがり」とよぶ人もいます。

しかし、宇宙が晴れあがったあとに「宇宙の暗黒時代」が訪れるのです。光が通るようになって見通しがよくなったはずなのに、なぜ“暗黒”が訪れたのでしょう。

「宇宙の暗黒時代」というときの「暗黒」は、「人の眼からはなにも見えない」という状況をたとえたものです。つまり、光学望遠鏡で観測できるような、光を放つ星はまだ存在していないということから、「宇宙の暗黒時代」とよばれるようになりました。

しかし、この「宇宙の暗黒時代」に星が存在していなかったわけではありません。人は、光を頼りにしない天文観測装置を駆使して、次々と「最古の星」を見つけています。

2006年には、日本の国立天文台がハワイにもっている「すばる望遠鏡」が、地球から128億8000万光年先にある銀河を観測しています。128億8000万光年先にあるということは、すくなくとも128億8000万光年前の光がその星から地球に達していたことになります。

その後、最古の星さがしは進み、これまで133億年前には誕生していたとされる銀河が見つかっていました。

そして、きのう(2014年)2月13日(木)、オーストラリア国立大学の天文学者ステファン・ケラーの研究チームが、136億年前に誕生したとみられる星を発見したと発表しました。この星は「SMSS J031300.36-670829.3」というよび名がつけられています。

この星そのものは、地球から136億光年先に存在しているものではありません。太陽系とおなじく天の川銀河のなかにあり、地球からは6000光年しか離れていないといいます。

しかし、それでもこの星が“最古参”であることがわかったのは、ケラーの研究チームが、この星の鉄の含有量を調べたためです。


ケラーの研究チームが「SMSS J031300.36-670829.3」の観測に使った「スカイマッパー望遠鏡」
写真作者:Iridia

ビッグバン直後の宇宙には、水素、ヘリウム、それにわずかなリチウムという元素しかなく、古くに誕生した星の鉄含有量はとても小さいと考えられています。

ケラーの談話によると、「SMSS J031300.36-670829.3」の鉄含有量は、いまわかっているどの星とくらべても60分の1未満しかないといいます。こうしたことで、この星を136億年前に誕生したと推定したわけです。最新の天文学の成果では、宇宙は138億年前に創られたといわれています。このふたつの数字が正確だとすれば、宇宙創成からわずか2億年後に誕生した星を見つけたことになります。

「宇宙の暗黒時代」から存在していたいくつかの星が見つかったとしても、まだその時期の宇宙のようすを明確に観測したというわけではありません。しかし、天文学者たちは、確実にこの暗黒時代にメスを入れています。

参考資料
コトバンク「宇宙の暗黒時代」
http://kotobank.jp/word/宇宙の暗黒時代
すばる望遠鏡 2006年9月13日付「最も遠い銀河の世界記録を更新」−宇宙史の暗黒時代をとらえ始めたすばる望遠鏡
http://subarutelescope.org/Pressrelease/2006/09/13/j_index.html
CNN 2014年2月13日付「136億年前に誕生した『最古の星』、銀河系に 豪チーム」
http://www.cnn.co.jp/fringe/35043829.html
AFP 2014年2月13日付「『最古の星』発見、決め手は鉄含有量 豪研究」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140210-00000042-jij_afp-sctch
| - | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0)
科学が起こるはるか前から“蛇”がいた
科学にまつわる話のなかで登場する動物がいます。量子力学における「シュレーディンガーの猫」、生理学における「パブロフの犬」、情報学または数学における「タイプライターを打つ猿」などです。

いっぽうで、科学という考えが成立するよりもはるか昔から、人間の思想のなかで存在しつづけ、さらにいまの科学にも大きな影響をあたえている動物があります。

その動物とは蛇の一種で、よび名を「ウロボロス」といいます。


ウロボロス

「ウロボロス」(ουροβóρος)とは、古典ギリシャ語で「尾を飲みこむ蛇」のことをいいます。上の絵にあるのがウロボロスの像。まさに尾を飲みこんでいます。

この蛇の像の原型は、紀元前1600年ごろの古代エジプト文明にまでさかのぼるとされます。エジプト神話における太陽神ラーを夜に護る神メヘンの、ラーをとりかこんだ姿が原型で、それが古代ギリシャに伝わり、哲学者たちが「ウロボロス」と呼ぶようになったといわれています。

このウロボロスが象徴しているのは「終わりと思われるものが、じつは始まりとつながっている」ということです。

たとえば「永劫回帰」という考えがあります。すべての存在は意味や目標をもっていないが、その存在は永遠にくりかえされ、そのなかで生きようとする者は生の絶対的肯定を得ることができるといった考えです。ウロボロスは、こうした永劫回帰を象徴しているとされています。

現代の科学に通じるところとしては、「ごく小さいものと、ごく大きなものは、つながっている」ということの象徴であるとも解釈されます。

たとえば、量子力学の分野で扱われるようなごくごく小さな素粒子といったものを解明することが、とても広い宇宙の起源の謎を解くことにつながるとされています。

宇宙の始まりはどうなっているのか。宇宙の終わりはどうなっているのか。こうした宇宙をめぐる根源的な謎を、いまを生きる科学者たちは突きとめようとしています。近ごろでは、「宇宙の終わりは、もうひとつの宇宙の始まりとつながっている」という考えが理論物理学者たちのあいだで起きています。

人びとがこうした考えにたどりつくよりもずっと前から、ウロボロスはそうしたことを悟っていたのかもしれません。

参考資料
京都産業大学 物理部 物理科学科「ウロボロス(ouroboros)の蛇」
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/department/physics/top/deptphys.html
コトバンク「ウロボロス」
http://kotobank.jp/word/ウロボロス
ウィキペディア「ウロボロス」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウロボロス
| - | 01:28 | comments(1) | trackbacks(0)
『宇宙兄弟』に物語の緻密な計画

NASA

漫画雑誌『モーニング』で小山宙哉さんが連載している『宇宙兄弟』は、2008年に第1回が始まってから5年以上が経ちました。これまでに映画化やアニメ化がなされたり、関連のムックや新書が出たりと、大きな盛りあがりを見せています。

コミック各巻に対するアマゾンでの読者書評でも、「みんなに勧めたい希有な漫画」「これほどワクワクしたコミックはないです!!」「子供逹にも見てほしい作品」などといった感想が並んでいます。全体的に高い評価を得ているようです。

『宇宙兄弟』は、1993年生まれの主人公・南波六太(なんばむった)と、3歳年下の弟で先に宇宙飛行士になった南波日々人(なんばひびと)、それに仲間の宇宙飛行士たちが葛藤したり成長したりするようすを描いたものです。

どのような点が、読者から高い評価を受ける要因となっているのでしょう。

まず、ひとつには、一期一会的に出会った仲間たちが、あたえられた試練をともに乗りこえていく“物語”が連続していることがあげられます。たとえば、宇宙飛行士候補となった六太や同期生たちが、米国の砂漠でのサバイバル訓練を助けあいながら完遂させていきます。また、月面で生命の危機に脅かされた日々人たち宇宙飛行士を、地上スタッフが知恵を出しあって救います。

実社会の宇宙飛行士たちにおいても、たとえば同期の仲間とは特別の連帯意識が生まれるといいます。この作品では、主人公たちが超えるべき課題を明確にさせて、それを仲間の協力で超えていく過程を作者がしっかりと描いていきます。

実社会の人物からすれば“ズレた”個性をもつ登場人物が多く登場するところは、読者にちょっとした和みの効果をあたえます。たとえば、兄弟に会いに米国にやってきても好物のうどんを食べることに固執する父や、六太に合うたびにいたずらをしかけて楽しむ先輩宇宙飛行士など。こうした登場人物の、実社会とのズレ感を出すことで、読者を和ませていきます。

作者は“謎とき”または“サスペンス”の要素を盛りこむこともあります。たとえば、宇宙飛行士選抜試験を追った回では、六太たち最終候補者たちが過ごす閉鎖空間で何者かによって時計が壊されるという“事件”が起きます。だれがなんの目的で時計を壊したのかを読者にしばらく示さないまま、話は進んでいきます。そして、その後の回で“たね明かし”を主人公の気づきとともにしていきます。作者は、各登場人物の心情もしっかり描写していきます。

宇宙開発のようすをリアルに、かつ近未来を設定にして描いていることも、現実味をもたせながら物語展開を自由に幅広くさせることにつながっています。この作品で小山さんが描いているのは、2025年以降の宇宙開発のようす。時制を“いま”でなく“未来”にすることで、登場人物が月面で活躍する場面を描くなど、現実社会ではまだ起こっていないことを描いています。

もちろん、いままだ起きていない話を想像力をはたらかせて、すでに起きている話とおなじようにリアルに描くことは、作者の創造力のなせる技といえるでしょう。

物語の展開を緻密に企てること。そして、フィクションであることを最大現に活用しながら宇宙開発の最大限リアルに表現すること。作者の小山さんのこうした実力があって、『宇宙兄弟』は人びとの興味を引きつづけてきたものといえそうです。
| - | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0)
塩分を摂るほど水分を欲する


大昔、生きものはみな海のなかで暮らしていました。生きものたちは、海のなかで暮らしている分には、生きていくうえで必要な塩分の確保に苦労することはありませんでした。海水に塩分がふくまれているからです。

しかし、生きものが塩分豊富な海とわかれて陸上で暮らしはじめると、とくに動物たちはどうにかして塩分を確保する必要が出てきました。

ここで、体のしくみを陸上モードに変える動物たちがあらわれました。腎臓から排泄された塩分を、ふたたび体の細胞に吸収するしくみをもつようになったのです。この塩分の再吸収のしくみで、陸の動物たちは、海のなかにくらべてすくない量の塩分で、どうにか暮らしていけるようになりました。

ひるがえって現代、人は塩分不足に苦労するどころか、塩分過剰を気にするほどの塩分過剰時代を生きることになりました。いってみれば、塩分の再吸収というしくみは、あまり必要ないものになったのです。

しかし、必要があってもなくても、塩分の再吸収はおこなわれます。塩分を摂る量が多くなり、塩分の再吸収が行きすぎたものになると、体内ではたくさんの水を必要とするようになります。体は、ある一定のナトリウムの量に対して、ある一定の水分の量を保つようにはたらくからです。

この一定ナトリウム量に対して一定水分量が必要というしくみがあるため、人が塩辛い食べものを食べたとき、喉が渇いて水を飲みたくなります。

もし仮に、喉が渇くのをがまんして水を飲まないでいるとしても、細胞のなかに貯えられていた水分が、細胞の外へと移動して、これでいちおうは「体のなかに一定の水分量を」という形をとることになります。

これらの結果、血管には多くの水分が存在する状態になります。これは、いわばゴムホースのなかをたくさんの水が通るようなもの。ホースの壁、つまり血管壁には圧力がかかります。こうして、塩分を摂りすぎると血圧が高くなると考えられています。

参考資料
東京大学病院「塩分の摂りすぎによる血圧上昇のしくみを解明」
http://www.h.u-tokyo.ac.jp/research/topics/topics_archives/002.html
下澤達雄、穆勝宇、藤田敏郎「塩分の過剰摂取と高血圧の関係」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu/50/4/50_250/_pdf
佐々木直亮のホームページ「体液調節のしくみ」
http://www.music-tel.com/naosuke/nao-h/salt09taieki3-5-24.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
重い星の中心はぐしゃっと崩れ大爆発を起こす
星の一生の閉じかたには重さによって様々なパタンがあります。太陽よりも8倍以上重い星の“最期”は、とてつもなく大きな爆発をともないます。

太陽より8倍以上重い星は、時が経つと外側がどんどんふくらんでいき、赤色超巨星とよばれる星の状態になります。この赤色超巨星は、太陽などの軽い星がたどる結果である赤色巨星よりも、はるかに直径が大きく、はるかに明るい星のことをいいます。

こうした星の最期には、その中心部分でダイナミックな変化が起きます。

星の中心部で、水素やヘリウムやリチウムといった軽い原子の原子核が、つぎつぎと合わさって、より重い原子核になる、核融合という現象が起きます。

核融合で、つぎつぎと重い原子の原子核がつくられていき、最後には星の中心で鉄の原子核ができます。

星の中心でつくられた鉄の原子核は、だんだん大きくなっていきます。そして、太陽よりも1.3倍から数倍の大きさに達すると、その重さで支えきれなくなります。そこで、星の中心がぐしゃっとつぶれます。

この収縮で、鉄の原子核は中性子のかたまりに変化し、中性子星という星が生まれます。鉄の原子核が潰れたあとの星のため、大きさは直径で10キロメートルほどしかありません。しかし、1立方センチメートルあたりの質量は1000万トン以上にもなります。

さらに、鉄の原子核がつぶれたときの反動による衝撃波を受けて、星の外側で大爆発が起きます。これが、重い星における超新星爆発です。

地球に住む人間にとって、わりと身近なオリオン座の左肩にあるベテルギウスがあります。このベテルギウスからは、光の脈動や、直径の収縮といった、“星の末期症状”が観測されています。ベテルギウスの重さからして、この星が重い星における超新星爆発を起こすかどうかは微妙なところとされています。


オリオン座。左上の赤く輝く星がベテルギウス。
NASA

可能性としては、もうベテルギウスは超新星爆発をすでに起こしているのかもしれません。地球からベテルギウスまでの距離はおよそ500光年あります。過去500年のうちに、ベテルギウスが超新星爆発を起こしているとしたら、その爆発のようすは、いまから長くとも500年後までには観測できることになります。その場合、地球の生物にとっても、とてつもない影響がおきると懸念されています。

理科年表オフィシャルサイト「超新星とは何か」
http://www.rikanenpyo.jp/kaisetsu/tenmon/tenmon_016.html
理大の“栞”「その14:超新星」
http://www.ous.ac.jp/kikaku50/jei/bookmark/bm014e.html
宇宙科学研究所キッズサイト「星の一生」
http://www.kids.isas.jaxa.jp/zukan/space/star.html
コトバンク「赤色超巨星」
http://kotobank.jp/word/赤色超巨星?dic=daijisen
長沼毅 “超訳”科学の言葉「オリオン座の超新星 超新星爆発の恐怖」
http://webmagazine.gentosha.co.jp/naganumatakeshi/vol278.html
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人の性格は変わりうる


人の性格は変えることができるのか。これは、すくなからぬ人が人生のどこか途中で考える疑問でしょう。

ことばの定義にもよりますが、性格は変えることができるとする理論があります。

精神科医で遺伝学者のロバート・クロニンジャー(1944-)は、性格を、人の個性をつくりあげる要素のひとつとしました。さらに性格は、「自己志向性」「協調性」「自己超越性」といった特徴で説明することができるとしました。

自己志向性というのは、自分で決めたことを実現していく能力を示すもので、責任感などとしてあらわれます。協調性は、ほかの人の考えを受けいれてうまくやっていく力を示すもので、寛容さなどとしてあらわれます。そして、自己超越性とは、自分自身を達観して見る能力を示すもので、悟りなどしてあらわれます。

クロニンジャーは、性格を成りたたせるこれらの要素は、人が経験を積むことによって、人生のなかで変わってきうるものであるとしています。つまり、責任感の強い人になること、協力的な人になること、そして自分自身を達観した人になることは、生き方次第で可能だといういことです。

いっぽうで、クロニンジャーは、個性を成りたたせる要素として、「性格」とはべつに「気質」というものもあげています。気質とは、無意識で感情的な反応を特徴づけるものです。そして、気質のほうは、性格とちがって、生まれながらにして人がもっているものだとしています。

気質はさらに、「新奇性探究」「損害回避」「報酬依存」「固執」というよっつの特徴で成りたつものと、クロニンジャーは考えました。

新奇性探究は、好奇心の強さ。損害回避は、慎重さ。報酬依存は、人の好きさ。固執とは、ものごとを貫きとおすこと。一言でいうと、そう表現できます。

変わらない気質という土台の上に、変わりうる性格というものがあって、これで人の個性となる。さらに、人の個性と人の個性が触れあって、人と人との相性が決まっていくということです。

参考資料
茂木信幸『「苦手な顧客」とどう向き合えばいいのか』
http://www.amazon.co.jp/dp/4492557083
| - | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0)
太平洋側の大雪は春の兆し


きょう(2014年)2月8日(土)、太平洋側でも大雪が降りました。暦のうえで季節はすでに春なのに、雪があまり降らない地域で大雪となると、その地域の人は「春は名のみ」と思うことでしょう。

しかし、太平洋側での雪は、春が訪れはじめたことを示す兆しでもあります。西高東低という冬型のか威圧配置が崩れた結果だからです。

冬、日本付近の気圧配置は、西に高気圧、東に低気圧の「西高東低」がつづき、安定します。しかし、そうしたなかで立春ごろになると、移動性の低気圧が西から東へと移動するような気圧配置が見られるようになります。

この移動性低気圧が、本州より南側の太平洋を通過すると、低気圧に向かって吹く北風の影響もあり、太平洋側に大雪を降らせるようになります。

では、なぜ、安定していた西高東低の気圧配置が崩れだすのでしょう。

「西高東低」というときの、西にある高気圧は大陸に居すわっているものです。冬のシベリアあたりの大陸はとてもよく冷えているため、高気圧が安定して居すわることになります。高気圧の中心つまり気圧の高いところから、まわりの気圧の低いところへと風が吹きだすため、シベリアから日本列島へと風が吹いてきます。このシベリアに居座っている、大気のかたまりをシベリア気団といいます。

しかし、シベリアあたりの地域がいつまでも、おなじ寒さであるわけではありません。すこしずつ、寒さが緩んでくると、安定して居すわっていたシベリアの高気圧の勢力も衰えてきます。

すると大陸では、シベリア気団とはまた異なる、揚子江気団という大気のかたまりが形づくられるようになります。この揚子江気団から高気圧と低気圧がつぎつぎと、東つまり日本のほうに移動してきます。こうなると西高東低の気圧配置は過ぎさりしものとなります。

シベリア気団が勢力をはって安定していた気圧配置が、揚子江気団が勢力をはる不安定な気圧配置へと変わってきたため、日本列島の南岸の太平洋で低気圧が移動し、太平洋側に大雪が降るわけです。季節は冬から春へと向かっています。とはいえ、真冬のように寒いですが。

参考資料
熊本地方気象台「移動性高気圧」
http://www.jma-net.go.jp/kumamoto/kishoumemo/20130213memo-high.pdf
| - | 18:19 | comments(0) | trackbacks(0)
(2014年)2月23日(日)まで「アンデスを越えて」


神奈川県小田原市入生田の生命の星・地球博物館で、企画展「アンデスを越えて 南米パタゴニアの火山地質調査から」が開かれています。(2014年)2月23日(日)まで。

生命の星・地球博物館は、神奈川県立の博物館で、地球の誕生から現在までの歴史を時間の流れを追って展示しています。いん石や太古の地球の地殻などの石の数々、三葉虫やアンモナイトなどの化石の数々、チョウや人面カメムシなどの標本の数々などが展示されています。

「アンデスを越えて展」は、南米のアルゼンチンとチリの両国の南部にわたるパタゴニアという地域を踏査した日本人研究者たちの見聞を表示板や展示物として示したもの。

展示物の多くは石などの鉱物です。花崗斑岩、石英斑岩、閃緑岩、花崗閃緑岩といった石が並べられています。



また、アルゼンチンとチリで採集された砂の数々も、ワイングラスに入って並べられています。砂は、岩石が雨や風などに削られて小さくなった粒をいいます。



石や砂の種類の多さは、その地方の地殻のダイナミックさを表しているといってよいでしょう。

パタゴニアでは、海洋プレートが南米大陸の下にもぐりこんだ結果、相対的に陸が隆起して、アンデスという巨大な山脈がつくられました。高い山脈と深い海溝という地形は、日本列島と日本海溝ににています。さらに、氷河による浸食や強風の吹きさらしなどの影響で大地がむきだしになり、地質調査には向いた地域とされているそうです。

「アンデスを越えて」という企画展名は、アンデス山脈の東側の大平原にある火山や溶岩台地などを調査するため、研究者たちがアンデス山脈の峠を何度も行き来したため。アンデスには標高6000メートル級の山が多く連なっています。

荒涼としているように見えるパタゴニアでも、鉱物をみるとその表情は豊かです。

企画展「アンデスを越えて 南米パタゴニアの火山地質調査から」は、2月23日(日)まで、神奈川県立生命の星・地球博物館で。この企画展への入場は無料です。常設展への入場には入場料がかかります。企画展のお知らせはこちらです。
http://nh.kanagawa-museum.jp/exhibition/special/ex107.html
| - | 18:08 | comments(0) | trackbacks(0)
これまでにない構図は「ゴーストのほうが専門家」という点だけ


作曲家として知られている佐村河内(さむらごうち)守さんが発表してきた楽曲が、新垣隆さんという作曲家によってつくられていたことがわかり、大きく報じられています。

きょう(2014年)2月6日(木)には、新垣さんが“謝罪”会見を開きました。「彼が世間を欺いて曲を発表していることを知りながら、曲を書き続けた私は、佐村河内さんの共犯者です」と話したそうです。

また、作品を販売してきたレコード会社も、“謝罪”をするとともに、“憤り”をあらわにしているといいます。

18年間、佐村河内さんの曲はべつの人につくられてきたわけです。そして、その事実が隠しとおされてきたわけです。結果的になのか意図的になのかはべつとしても。

他人がつくってきた作品を、あたかも自分の作品として出すという行為について、新垣さんは謝罪をし、報道はこれを問題視しているようです。

しかし、本人が創作したのではない作品を、その人の名で世に出すということは、本などの世界ではごくあたりまえにあることです。著者として本に名前の載る人が“お抱え”のライターを擁している、出版社がライターに代筆をもちかける、といったことは出版界では日常茶飯事です。

佐村河内さんはプロの作曲家として名が通っていたにもかかわらず、代作者を使っていたということが問題の核心だとします。

しかし、これとおなじような構図は出版界にもあります。ジャーナリストあるいは評論家として名の通っている人が、ゴーストライターに原稿を書かせるという構図です。佐村河内さんと新垣さんの関係も、これとにています。

もし、佐村河内さんがじつは音楽に長けていない素人であり、プロの作曲者に楽曲を書いてもらっていたのだとすれば、本人と代作者のあいだに大きな実力差があったということになります。

この点は、出版界でのゴーストライティングにもあまり見られない構図です。一般的に、本のゴーストライティングでは、科学の知識をもっている科学者がゴーストライターに代筆させたり、経済の知識をもっている経済評論家がゴーストライターに代筆させたりするものだからです。

たとえば、科学について知識のない人が『量子力学のすべてを話そう』といった書名の本を出すようなことがあれば、今回の問題の構図とにてきます。しかし、本を出したあと、その見識について、読者やマスメディアから質問されることもあるので、そこまでのリスクを背負って専門的な本を自分の著者名で出す人は希有です。

今回の代作問題の構図と一般的な本などの作品の代作の構図を整理すると、「その分野に長けているわけでないと思われる人が、代作者の創作によって作品を世に出した」ということが、一般的な著作物の代作の状況とのちがいとなります。

このことが問題ということなのでしょうか。それとも代作そのものに問題となる要素があるのでしょうか。
| - | 17:39 | comments(0) | trackbacks(0)
「細胞の自発的な初期化」の瞬間を動画でも
理化学研究所がこのたび開発した「刺激惹起性多能性獲得(STAP)細胞」が、科学の話題としてはめずらしいほどの盛りあがりを見せています。

大きな話題となった理由の半分くらいは、若き女性研究者が研究成果をうちたてたということでしょう。

とはいえ、大きな成果でなければ、これだけ報道媒体などがとりあげることもありません。

再生医療への可能性を広げるといった応用面のほかに、科学的な側面での大きな成果はどこにあるのでしょう。理化学研究所が発表で使ったことばを借りれば、「動物の細胞でも自発的な初期化が起こりうる」ことを示したということにつきます。

動物の命のはじまりである受精卵は、これから皮膚、骨、臓器といったいろいろな細胞に分化していく能力をもっています。しかし、いったん皮膚の細胞になったり、いったん骨の細胞になったりすると、もう、その細胞が髪の毛の細胞になったり、眼の細胞になったりすることはないと考えられてきました。

歩みを進めた細胞はべつの種類の細胞にならないということを否定する研究成果はすでに打ちたてられていはいました。山中伸弥さんや米国のジェームズ・トムソンさんは、体の細胞をiPS細胞(誘導多能性幹細胞)にして、さらにそれをさまざまな臓器や器官の細胞に分化させることに成功しました。細胞を初期化することができたわけです。

しかし、iPS細胞をつくる場合は「山中ファクター」とよばれる複数の遺伝子を体細胞に組みこむ過程を経ます。つまり、細胞を“いじる”ことで細胞を初期化するわけです。

いっぽう、STAP細胞をつくるとき、細胞のなかに遺伝子などを入れることはないといいます。細胞の内側をいじることなく、細胞の外側の環境を整えることで、細胞を初期化させるわけです。理化学研究所の発表にある「自発的な初期化」とは、細胞みずからが外の環境に応じて初期化することを意味しています。

理化学研究所は、マウスの体細胞が自発的にSTAP細胞に変わっていくようすを示した動画も公開しています。マウスのリンパ球という細胞が、時間が経つにつれて緑色を帯びていき、また、縮こまっていきます。緑色になるのは、細胞が初期化することを証明するために小保方さんたちがしこんでおいたもの。

この映像は、これまでありえないと思われていた、もしくはありえるかどうかなど考えられこともなかった、細胞の自発的初期化を記録したもの。「パラダイムの転換」が起きる瞬間を映しだした動画ともいえます。

参考資料
理化学研究所 2014年1月29日付「体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見」
http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140130_1/
rikenchannel「Pluripotent cells generated by STAP/リンパ球初期化3日以内」
http://www.youtube.com/watch?v=lVNbwzM2dI0&feature=youtu.be
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「9−3÷1/3+1」問題の背景に、全角・半角の表記統一優先主義
ヤフーのトップページなどに出る「検索データ急上昇ワード」に、「9−3÷1/3+1」という式が現れました。多くの人が、この言葉ならぬ式を検索しようとしていたわけです。

この式は、朝日新聞が(2014年)2月4日(火)に配信した「9−3÷1/3+1=? 新入社員の正答率4割」という記事に載っているものとおなじです。

記事によると、大手自動車部品製造企業が、高校卒業者と大学卒業者の新入社員にこの計算問題を課したところ、正答率が4割にとどまったということです。そしてそれを、中部経済連合会が、ものづくりの競争力についての提言に、能力低下の事例として盛りこんだといいます。

この記事に興味をもった人は実際に計算をしたことでしょう。そして、かなり多くの人が、「10」という答を得たようです。

分数のところの分母は3、分子は3になるので、この部分は1。すると、「9−1+1」となり、10となるわけです。



ところが、記事の最後には「答えは『1』」とあります。

ここで、「答が1となるためには式をどう捉えたらよいか」を考えた人は、つぎのような式のかたちを思いえがいたようです。



これだと、問題の部分は、「3」を「3分の1」で割るので、「9」となります。式全体では「9−9+1」となり、新聞が出した答えのとおり、1となるわけです。

実際、中部経済連合会の「日本のものづくりの競争力再生と産業構造転換の促進」という資料の20ページには、つぎのような計算式が載っています。



「朝日新聞デジタル」の記事の式を見て、多くの人が「1」という答を出せなかったとすれば、分数や分母と分子の数字の1字分の大きさや、その間に引く括線のありかたに原因があったのでしょう。

「朝日新聞デジタル」は「3分の1」を「1/3」と表記しています。つまり括線は分子も分母も括線も全角で表記しています。この式のほかの文字要素、たとえば「9」や「−」なども、記事上ではおなじく全角で表記しています。

人の脳は「1/3」があまりにそれぞれ離れすぎているため、「3分の1」というひとつの情報として捉えづらくなります。

そのため、「9−3÷1/3+1=」という式では、「3÷1」をはじめに計算してから、それを「/3」つまり「3で割る」という計算作業をした人が多く出たのでしょう。

インターネット上の記事での「9―3÷1/3+1=」という式の答が「1」となるようにデジタル文字で伝えるためには、下記のような、全角数字記号と半角数字記号をまぜて表現するのが最善です。

「9―3÷ 1/3 +1=」

しかし、新聞での用字用語の方法としては、全角文字と半角文字の混在は避けなければならないのでしょう。この記事の本文中のほかの数値をふくむ情報も「87%」や「9割」のように、全角になっています。

伝えること優先主義か、表記の統一優先主義か。この場合、伝えることのほうを義性にして、表記の統一優先主義を貫きとおした結果といえそうです。

参考資料
朝日新聞デジタル 2014年2月4日付「9−3÷1/3+1=? 新入社員の正答率4割」
http://digital.asahi.com/articles/ASG235FPJG23OIPE024.html?iref=comkiji_redirect
中部経済連合会の「日本のものづくりの競争力再生と産業構造転換の促進」
http://www.chukeiren.or.jp/policy_proposal/pdf/01.teigensyo.pdf
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「ノロ気味」「インフルエンザ気味」とは言わないけれど……


2014年の冬も、ノロウイルスとインフルエンザウイルスが流行しました。これからの春にかけてもしばらくは流行がつづくことでしょう。

ノロウイルスは食中毒や胃腸炎などのもととなるウイルスです。患者の糞便や嘔吐物などから、人の手をとおして経口感染するなどします。潜伏期間は24時間から48時間ほどとされ、ノロウイルスに感染すると、吐き気、嘔吐、下痢、腹痛などの症状が出ます。

インフルエンザウイルスは、高い熱などの症状のもととなるウイルスです。くしゃみやせきなどから経口感染します。

ノロウイルスやインフルエンザウイルスによる感染症では、これまた感染症である風邪で「風邪気味」というのとちがって、「ノロ気味」とか「インフルエンザ気味」といったことばをなかなか聞きません。

「風邪気味」というのは、すこし風邪を引いている状態をいいます。鼻水が出たりするけれど、すこし無理をすれば、ふだんの生活をとおすことができるくらいの症状といえましょう。

では、ノロウイルスの感染症に“ちょっとかかる”ことや、インフルエンザに”ちょっとかかる”ことはあるのでしょうか。

さまざまな情報を総合すると、つぎのようなことがいえそうです。

ノロウイルスの感染症については、感染しても吐き気や嘔吐や下痢までに至らず、「ちょっと風邪かな」というくらいでとどまることは多くあるようです。体が、もちこたえたといえるでしょう。

いっぽう、インフルエンザについては、まず予防策や対処策によって軽い症状で済ませられることが知られています。

インフルエンザワクチンの接種は、インフルエンザにかかる可能性を減らすのに有効であるほか、インフルエンザにかかった場合の重症化防止にも有効とされます。予防接種をしていたことで、インフルエンザ気味で済むという場合はありそうです。

また、インフルエンザに発症してから48時間に、「タミフル」の商品名で知られるオエルタミビルリン塩酸といった抗インフルエンザウイルス薬を使えば、インフルエンザの症状を緩和することができるといいます。使うタイミングなどによりますが、インフルエンザにかかっていながら、あまりひどくはならない症状で済ませることができそうです。

また、インフルエンザウイルスには、A型、B型のほかに、C型とよばれる種類があります。A型やB型は大流行の原因になります。C型は大流行の原因になるとはいわれません。

このC型のインフルエンザウイルスに感染すると、鼻風邪くらいの軽い症状を発する場合が多いといいます。風邪気味とにた症状といえそうです。

では、インフルエンザワクチンを接種せず、かつ、抗インフルエンザウイルス薬を使わず、かつ、感染したインフルエンザウイルスがC型ではない、という人が“インフルエンザ気味”といったゆるい症状になることはあるのでしょうか。

ノロウイルスウイルスとおなじく、インフルエンザウイルスに対しても、感染はしても発症には至らないといったことはあるようです。しかし、感染者が、高熱になってしまうか、まったく健康なときとおなじように過ごすかのどちらかしかないということは、考えにくいことです。

やはり、“インフルエンザ気味”という症状もあるのでしょう。しかし、いわゆる風邪気味の症状と区別がつきづらいのもたしかなので、わざわざ「インフルエンザ気味」と言う人はすくないものと考えられます。

参考資料
厚生労働省「ノロウイルスに関するQ&A」
http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/kanren/yobou/040204-1.html
厚生労働省「インフルエンザQ&A」
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou01/qa.html
マイクリニック「インフルエンザ 症状と種類、予防まで」
http://www.myclinic.ne.jp/imobile/contents/medicalinfo/gsk/top_topic/topic_64/mdcl_info.html
医薬品医療機器総合機構「患者向け医薬品ガイド タミフルカプセル」
http://www.info.pmda.go.jp/downfiles/ph/GUI/450045_6250021M1027_1_27G.pdf
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ほんとうは「ポエト」、でも「ポエマー」


インターネット上では、さまざまな俗語が生まれています。なかには、和製英語が俗語として定着したインターネット用語というのもあります。

「ポエマー」はそのひとつでしょう。

このことばの元になっているのは、英語の「ポエム」(poem)。「詩」という意味です。この「ポエム」に、「何々をする人」の意味の接尾辞の“-er”がついて、「ポエマー」(poemer または poemmer)となったようです。

しかし、グーグルなどの検索で“poemer”や“poemmer”と入れて検索しても、英米のサイトにこのことばが出ている様子はありません。

大学受験の英単語を勉強した人や、ふだん英語を駆使している人は知っているかもしれませんが、「詩人」という意味のことばは“poemer”や“poemmer”でなく、“poet”といいます。カタカナで示すと「ポエト」または「ポエット」あたりでしょうか。

「何々する人」を指す英語の接尾辞には、“-er”のほか、“-ist”、“-or”、“-ician”、“eer”、“-ese”などいろいろあります。しかし、「詩」の意味の“poem”から「詩人」つまり「何々する人」のかたちで“poet”になるというような事例は見られません。

こうした例外的な用法から、インターネット利用者も、誤用として「ポエマー」を使いはじめたのでしょうか。誤用で使われはじめたインターネット用語の例としては、「既出」(きしゅつ)が「ガイシュツ」ということばになったものなどがあります。

しかし、インターネット上の発言者が、「ポエマー」を使うときには、純然たる「詩人」とはべつの意味あいをもたせているといいます。

「ポエマー」の使いかたをさまざま見ていると、そこには若干の嘲笑や茶化しがふくまれていることがうかがえます。

たとえば、ツイッターやブログで、あたかも詩のような内容や文体の記事を発しているスポーツ選手や俳優などに対して、インターネット発言者は匿名掲示板に「ツイッターで誰々がポエマーになっている件wwwwww」などというタイトルをつくって、その内容を紹介します。ちなみに「w」は「(笑い)」が略されたもの。草ににていることから「草」ともよばれます。

さらに、インターネット発言者のコメントを見ると、「ポエマー」たちの発言に違和感を覚えている人は多いようです。その違和感とは「ロマンティシズムに陶酔している」「恋愛相手へのメッセージととれる発言を公表している」といったもの。自己陶酔や、他人事である私情を示すことへの“恥ずかしさ”、俗語でいえば“痛さ”を、すくなからぬインターネット利用者たちは感じるようです。

インターネット発言者は、「詩人」を意味することばをいいたいときは「詩人」ということばを使えば済みます。「ポエマー」ということばをわざわざ出して使うのには、それなりの理由があるわけです。
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日本の株式会社の歴史から40数年、社内報が創られる


社内報という媒体があります。会社の従業員たちが読む会社情報です。

2人以上からなる会社は、だれかが1人でできないことを実現するためにつくられるのが本分といわれることがあります。組織が大きくなると、従業員にとって、おなじ会社のなかでほかの従業員がどんな仕事をしているのか、また、どんながんばりをしているのかが、わからなくなります。また、経営者が直接、従業員に目指していることを言葉にしてかける機会もすくなくなります。

そこで、会社は社内報を発行することによって、いろいろな部署の従業員の活躍ぶりや、経営者の訓話などを伝え、従業員のはたらく士気を高めようとするわけです。

日本の社内報の歴史はというと、1903(明治36)年6月、鐘淵紡績の兵庫支店で発行された『兵庫の汽笛』という社内報が国内初のものとされています。鐘淵紡績は2008年に歴史を終えたカネボウの前の名まえ。会社は、1887(明治20)年、糸や繊維の素材を糸にする紡績業として始まりました。

社内報という媒体を始めた人は、兵庫支店の工場長だった武藤山治(1867-1934)とされています。武藤は三井銀行神戸支店副支配人でしたが、1894(明治27)年、鐘淵紡績兵庫支店に移り、工場の長となり、悪化していた業績の改善に挑みました。

武藤には、定期刊行物を発行する手腕も備わっていたようです。三井銀行に入るまえ、「新聞広告取扱所」という会社を設立し、そこで『博聞雑誌』という雑誌をつくっていました。その後も、三井銀行に入るまでに、英字新聞の翻訳記者をつとめるなどしています。

『兵庫の汽笛』が発行された1903年6月のつぎの月には、『鐘紡の汽笛』と雑誌名をあらためて、兵庫工場だけでなく、全国の鐘淵紡績社員が読む雑誌になったといいます。

1903年の創刊というと、「社内報にも歴史がある」という印象をあたえそうです。しかし、

日本発の株式会社ともされる海援隊が創られたのは、1865(慶應元)年。諸説あるなかで、おなじく日本発の株式会社とされる兵庫商社が創られたのは1867(慶應3)年。これらの会社の設立からは40年以上が経っていたことになります。社内報の歴史開始までこれほどの歳月がかかったのは、社内報自体が必要とされなかった、あるいは、社内報をつくろうとする発想がなかった、のどちらかでしょう。

ちなみに海外では米国マサチューセッツ州のローウェル紡績の女子行員が1840年に発行した社内文芸誌『Lowell Offering』が世界初の社内報ともいわれています。また、1868年には米国の保険会社イートナー生命保険が『Life Aetna Maizer』という、より本格的な社内報を創刊したといいます。

日本では戦後、昭和30年代に、会社の従業員の士気やコミュニケーションを高めることの大切さをどの会社も考えるようになったのでしょう、社内報の全盛期を迎えたといいます。

昭和30年代にくらべれば、会社の従業員がコミュニケーションをとる手段は格段に増えました。イントラネットや社内ブログ、社内ソーシャルネットワークサービスなどの電子媒体で、従業員同士のコミュニケーションを促そうとする会社は多く見られます。

しかし、従業員の活躍が、社内報という紙の媒体にきちんと印刷されるということに意義を見いだしている企業がなくなったわけではありません。多くの会社では社員が“片手間”で社内報をつくることもあるようですが、ほぼ社内報づくりに勤務時間を費やしている従業員がいる会社があることもまたたしかです。

発行するには費用もかかるけれど、めぐりめぐって会社と従業員の利益になるという考えかたが根強く残っているのかもしれません。

参考資料
ウィキペディア「カネボウ(1887-2008)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/カネボウ_(1887-2008)
クロカワ創商「社内報の歴史」
http://www.sousyou.net/history7.html
神戸大学同窓生ニュース「桑原哲也名誉教授(営)が、『カネボウの興亡』を書評(2010.07.30)」
https://www.kobe-u.com/topics/2010/07.html
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