科学技術のアネクドート

“読ませたいところ”に図版を入れない


本、雑誌、インターネットなどの記事は、おもに文字要素と図版要素で成りたっています。文字要素というのは、見出しや本文などのこと。図版要素というのは、写真、図解、イラストなどのことです。

写真集や画像集には図版要素がなければなりたちません。しかし、世のなかの記事の多くは文章を読ませるものなので、文字要素がないとなりたたない記事がほとんどを占めます。

文字要素と図版要素を考えたとき、文字要素だけでなりたつ記事や書物はあります。新聞の「ベタ記事」や、多くの小説などはその例です。

しかし、文字要素があるなかに、図版要素を入れることの大切さを、編集者や執筆者は知っています。文章だけでは、読者が想像しづらいような情報に対して、図版が入っていれば、読者は「ああ、こんなかたちの植物なのね」とわかります。

また、編集者や執筆者は、人の目を引きつけるための戦略として、図版を入れることもあります。たとえば、本屋で雑誌がたくさん置かれているなか、客がぱらぱらぱらと雑誌をめくったとき、文字だらけの内容に好印象をもつか、図版の多い内容に好印象をもつかといえば、多くの人は図版の多い内容に引かれるようです。そのため、図版を多く入れていくという編集方針があります。

では、図版要素を文字要素のなかに、どのように入れていけばよいのでしょうか。基本は、図版に関係する本文の情報が書かれてある近くに、図版を入れることになります。

しかし、手の細かい編集者などには、図版を入れる位置をさらに吟味する人もいます。

たとえば、記事の文章で「ここは大切な読ませどころだ」というところが出てきます。取材対象者の“決めぜりふ”などです。

その文のすぐ脇に図版を置いてしまうと、読者の視線は図版のほうに向けられるようになり、決めぜりふへの視線や意識の集中をそぐこともおこりえます。まず目に飛び込んでくるのは、文字でなく図版のほうです。

そこで、「ここは大切な読ませどころ」といった部分は、文字要素の文だけにするわけです。図版と文字の距離的な近さを義性にしても、「文章で読ませるところは読ませる」という方法です。
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「時報」「天気予報」以外にも「100番台」にさまざまなサービス


NTT東日本とNTT西日本、それにNTTコミュニケーションが「コレクトコール」というサービスなどを2015年7月末に終わらせることを発表しました。

コレクトコールは、電話を受けた側の人が通話料金を支払うことにできるサービスです。通話が始まる前に、受けた側が通話料を支払うことに同意してから通話がはじまります。会社の遠くの出張先から公衆電話で職場に電話をするときなどに便利です。しかし、携帯電話など、通話の手段がいろいろと広がったため、サービスを終了させるようです。

コレクトコールの電話番号は「106番」。NTTは、コレクトコールのほか、「100番台」に、ほかにもいろいろなサービスを集めています。よく知られるのが「時報の117番」「天気予報の177番」「事件急報の110番」「火事急報・救急車要請の119番」あたりでしょうか。しかし、あまり知られていないサービスもあります。

「100番」は、通話が終わったとき、その通話の料金や通話時間を知ることのできるサービスです。オペレータを介して話したい人と電話をします。話しおえて電話を切ったあと、通話料金と通話時分を知らせてくれます。ただし、有料です。

「114番」を押すと、「お話し中調べ」というサービスを使うことになります。これは、電話で話したい相手が、いまほかの人と通話中かどうかを教えてくれるサービス。ふつうに電話をして、相手が通話中だと、「ツーツーツー」という通話中を知らせる音がなります。これでも通話中であることを知ることはできるわけですが、通話中でない場合は、相手が電話に出ることもあります。そのおそれを避けながら、相手が通話中かどうかを調べることができるわけです。

「118番」は、海を仕事場にしている人なら知っているかもしれません。「海上の事件・事故の急報」をすることができます。海上保安庁にかかるのです。

「159番」は、「空いたらお知らせ」という有料のサービス。相手の電話が終わり次第、通常の電話の音とは異なる呼びだし音で知らせてくれるサービスです。

2015年7月のサービス終了では、コレクトコールのほかに、上記の「100番」、災害などのとき登録機関からの非常扱いや緊急扱い通話が優先されるサービスの「102番」、自動応答装置によるコレクトコールの「108番」、それに、番号案内で案内された番号にそのまま電話がつながる「DIAL104」も提供が終わります。

参考資料
NTT東日本・NTT西日本・NTTコミュニケーションズ 2014年1月30日付「接続通話サービス(100、102、106、108、DIAL104)」の提供終了について」
http://www.ntt-west.co.jp/news/1401/140130b.html
NTT東日本「電話の3桁番号サービス」
http://web116.jp/phone/telephone/#100_title
 
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“門外漢”の校閲にも効果



本づくりや雑誌の記事づくりの過程では、「校閲」という作業があります。原稿や、印刷前の段階の「ゲラ」ともよばれる校正刷に記されている内容について、誤りを示したり、不足な点を補ったりする作業です。

通常、だれが校閲の作業をやるかというと、「校閲者」とよばれる専門職業の人がやることが多くあります。記者や編集者に、組織に所属した社員とフリーランスがいるように、校閲者にも出版社内の人と、出版社外の人がいます。

校閲には共通言語といえるようなルールがあります。「トルツメ」や「半角アキ」などの指示の表記などがほぼ決まっているために、校閲内容を編集者や執筆者に伝えることができます。校閲の専門家はこうしたルールに忠実にのっとって作業をします。

しかし、校閲をすることのできる人は専門の校閲者だけではありません。ときに校閲をしたことのない人に校閲の作業をしてもらうことにも、それなりの効果があるとされる場合があります。

とくに、校閲者が上のような校閲のルールのほか、科学なら科学、経済学なら経済学、映画なら映画の知識に長けている場合、その分野の校正刷を確認しようとすると、“教養が校閲のじゃまをする”ことがあるというわけです。

その点、その分野に長けていない”門外漢”のほうが、校正刷を読んでいて「ここは不可解だな」「ここはひっかかるな」といった部分に出くわすことが多くなるかもしれません。

校閲のプロに校閲をしてもらう。さらに、その分野の専門家にも校閲をしてもらう。さらにさらに、その分野の専門家でない人にも校閲をしてもらう。このくらいの多重作業ができれば、かなりの校閲の成果となるでしょう。お金と手間はかかりますが。
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内視鏡で撮ったり照らしたり洗ったり切ったり

内視鏡の先端
写真作者:de:Benutzer:Kalumet

人はいろいろな体の部分を患います。体の内側の器官や臓器にも病は生じます。そうした患者の体に対し、医者は口や肛門などの“体の穴”から器具を入れて治療を試みようとします。

内視鏡もそうした目的のための器具のひとつです。

内視鏡には、やわらかな管がついています。医者などの医療スタッフは、その先端を患者の体のなかに入れていきます。内視鏡の先端まで「ファイバ」とよばれるガラス繊維を束ねたものが伸びていて、その先端にはレンズがついています。このレンズは、患者の患部などの“物”からの光を受けるため「対物レンズ」とよばれています。

内視鏡の先端には、対物レンズのほかにもいくつかの素子があります。

人の体のなかは口や肛門から光が届かず暗いので、内視鏡で患部を診ようとするときは光を照らさなければなりません。そこで「照明レンズ」という、光を照らすためのレンズがあります。装置によっては、内視鏡の先端に照明レンズが2個ついているものもあります。

また、「送気・送水ノズル」とよばれる穴がついている先端もあります。ここからは、管を通って水や空気が出てきます。内視鏡を使うまえに患者は食べものを食べないようにするとしても、対物レンズや照明レンズが汚れることがあります。この送気・送水ノズルで、その汚れを洗浄するわけです。

さらに、内視鏡によっては先端にもうひとつ「鉗子口」とよばれる穴が空いています。「鉗子」というのは、外科手術で体の内側の組織などを挟んでつかむための器具のこと。指でもつ鉗子ははさみのような形をしています。

鉗子口は、内視鏡で使うための専用の鉗子を通すための穴。内視鏡のレンズで患部を診ながら、鉗子口から出てきた切除器具などによってポリープなどの患部を切って取りのぞくこともできるわけです。

さらに、この鉗子口に、患部にたまった水分などを吸引する役目をもたせている内視鏡もあります。

内視鏡の先端の直径は、機能などによりますが、細いもので5ミリメートルほど。そこに、これら数々の素子が別々についているわけです。内視鏡に慣れている医療従事者や患者にとってみれば慣れた器具かもしれません。初めて内視鏡を見たり触ったりする人にとってみれば、細いのにいろんなことができる器具というところでしょう。

参考資料
オリンパス「内視鏡の構造と仕組み」
http://www.olympus.co.jp/jp/medical/gastroenterology/structure/
ウィキペディア「内視鏡」
http://ja.wikipedia.org/wiki/内視鏡
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「ゼロをプラスに」のほうで儲けようとする


人の行為について「マイナスをゼロにすること」と「ゼロをプラスにすること」をわけて考えるときがあります。

「マイナスをゼロにする」というのは、解決しなければならない問題を解決する、あるいは悪くなった状況を元に戻す、といったものです。病気を治すとか、遅れを取りもどすとかいったことは、「マイナスをゼロに戻す」行為によく当てはまりそうです。

いっぽう「ゼロをプラスにする」というのは、いまの状況でも問題はないものの、さらに現状を超えて便利さや快適さ得る、といったものです。たとえば、車をもっているところに、さらに私用ジェット機を手に入れるといったことは、たいていの場合「ゼロをプラスにする」行為ととらえられます。多くの人が「車があればそれでいいじゃないか」と考えているからです。

このように二つの行為を頭のなかで整理することはできます。しかし、現実的には「これはマイナスをゼロにする行為」「これはゼロをプラスにする行為」などとはっきり線引きすることはできません。自分のなかでも時と状況によって線の位置が変わってきます。それに、自分は「マイナスをゼロにする」行為だと思っても、他人は「ゼロをプラスにする」行為であることもあります。

さらに、積極的にお金を儲けようとする人や企業は、「ゼロをプラスにする行為」をむりやりにでも創りだすことに没頭します。多くの人が、なければないでべつに困りはしないような状況に対して、「これがあると便利」と思わせるものやことを創りだします。そして、「これがあるとこんなに便利になります」と謳い、人びとに「あるといいのかもな」と思わせ、そのものやことを買わせるわけです。

情報技術などの世界では、ものやことの売り買いのとき「ソリューション」ということばが使われます。複数の商品を組み合わせたパッケージ商品のことを指したり、ものだけでなく人材や社会基盤などをふくめたシステムとしての商品のことを指したりします。

「ソリューション(Solution)」は、「問題を解決する」といった意味の「ソルブ(Solve)」から来るもの。つまり、解決しなければまずい問題が起きていることに対しての解決策としての意味で「ソリューション」は使われるはずです。

しかし、「とりわけ問題のない現状よりもっと便利」といえるような商品についても、「ソリューション」は使われるようになっています。たとえば、「快適ソリューション」といった宣伝文句はその一例です。

こうして、明らかに「ゼロをプラスにする行為」であることを知りながら、商品をつぎつぎと創りだし、それを売ることを人は積極的につづけてきました。

人が欲深になることを「欲望のエスカレーション」などといいます。しかし「欲望のエスカレーター」を開発して、その装置に人びとを乗せている人がいることもまたたしかです。

ちかごろの人類の営みをグラフにしたときの指数関数的な伸びには、こうした人びとのおこないが関わっているのかもしれません。
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子どものころの趣味を忘れずに進路を選ぶ


興味をもっていた趣味を仕事としている人はいます。自分のやりたいことが仕事になっているわけであり、こうした人に対して「理想的、うらやましい」と考える人もいます。

そういう「趣味が仕事に」という人の生いたちを聞くと、多くの場合「子どものころからそれが好きだったんです」という答がきかれます。「物心ついたときから虫とりが好きで、昆虫学者になりました」とか「小学生時代から壁新聞づくりが好きで、記者になりました」といったものです。

しかし、子どものころからおとなにいたるまで、ずっとその好きな趣味が連続していたかというと、人によっては「そうではなかった」と答える人もいます。

そういう人は、幼稚園や小学校に通っていたころは、自分の好きなままに、虫とりや壁新聞づくりをします。

しかし、中学生になると、そうした好きな分野とはまた異なる部活動をはじめたり、学校の勉強、塾がよい、受験勉強などに時間を使ったりして、なにかと忙しくなります。

この期間、そうした人たちは好きな趣味をしばらくは封印することになります。あるいは、自分が小学生時代までその趣味が好きだったということを忘れてしまう場合もあるでしょう。

忘れてしまった人は、大学受験や就職活動では、子どものころの趣味とは関係ない道を選び、選んだ道を進んでいくことが多くなるでしょう。

いっぽうで、自分が好きだったことを忘れずにいた人は、大学受験や就職活動で、自分はなにが好きだったのかと思いかえしてみて、「そういえば虫とりをよくしていたな」とか「そういえば壁新聞づくりをよくしていたな」と思いだして、その道もいいのではないかということで、進路を選ぶことがあるでしょう。

もちろん、中学校や高校の忙しい時期であっても、自分の好きなことを貫きとおして過ごして、その道野専門家になる人はいます。そうでない人にとっては、子ども時代の好きだったことを振りかえってみるという行為は、おとなになったときの仕事の選びかたに大きく関わってきそうです。
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アメリカカブトガニから“青い血”

アメリカカブトガニ
写真作者:Didier Descouens

“血の色”というと、人の考えからすれば“赤”ということになります。人の血が赤いのは、血のなかにヘモグロビンという赤い色素がふくまれているため。ヘモグロビンは、血のなかで酸素を運ぶという大切な役割をもっている物質です。

しかし、生きものの血の色は赤だけではありません。

たとえば、カブトガニからとりだした血液は青いことが知られています。

カブトガニは、節足動物、つまり、体に節があって、それぞれの節には関節があって、といったつくりをもつ動物のひとつです。見た目からしてかたそうな甲羅に覆われています。そして、とがった尾っぽを一本つんと出しています。よく「生きた化石」などといわれますが、おなじく「生きた化石」とよばれる魚の「シーラカンス」とはまったくべつものです。

カブトガニが体のなかで酸素を運ぶ物質は、人などにおけるヘモグロビンとはちがいます。カブトガニではヘモシアニンという物質が、酸素を運ぶ物質として使われているのです。ヘモシアニンそのものは、無色透明をしていますが、酸素と結びつくと青くなります。

なぜ、ヘモシアニンが青くなるのでしょう。これは、ヘモシアニンをなりたたせている金属の成分が銅イオンであることに関係しています。この状態の銅イオンにふくまれる電子は、赤や緑などの光を吸収するいっぽうで、青い光だけは吸収しません。そのためヘモシアニンは青色となって見えるのです。ヘモシアニンはカブトガニの血1リットルに50グラムはふくまれているといいますから、カブトガニの血は全体として青に染まります。

1968年、米国の血液学者ジャック・レビンと医学者フレデリック・バンが、カブトガニの仲間であるアメリカカブトガニの青い血から血球をとりだして、そのはたらきを調べました。すると、ほんのわずかな量の血球があれば、細菌をゼラチン質に固めてしまうことを見いだしました。

このカブトガニの血のはたらきを利用した薬が開発されました。「リムルス試薬」とよばれ、調べたい物質のなかに毒となるような細菌が入っていないかどうかを調べることができます。

さらに、カブトガニの血球により、エイズウィルスの繁殖がおさえられるということも研究でわかってきました。そのため、カブトガニの青い血はさらに人に注目を浴びることになりました。

実際、アメリカカブトガニが生息する米国では、リムルス試薬をつくる企業が、アメリカカブトガニを捕まえて、帯でしばって心臓から“採血”をして、青い血をとりだしています。そのようすを写した写真を載せている記事もあります。

カブトガニの個体数が減ってしまうことを防ぐため、血を採ったあとのカブトガニはふたたび海辺に放されるそうです。この一連の作業を「カブトガニの献血」などという人もいますが、カブトガニは献血しようとは思っていないことでしょう。人間側の都合を反映した表現です。

もちろん、自分たちの血に人間が驚いていることなど、カブトガニは“われ関せず”です。

参考資料
笠岡市「カブトガニの血液の利用」
http://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/ketueki.html
Medical Archives of The Johns Hopkins Medical Institutions「The Frederick B. Bang Collection」
http://www.medicalarchives.jhmi.edu/sgml/bang.html
土谷正和「最近のカブトガニ事情」
http://www.wako-chem.co.jp/siyaku/info/life/talk_lal/tlal-46.pdf
ウィキペディア「カブトガニ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/カブトガニ
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人間のような生命体が見つかったときの人間にとっての意味は大きい

NASA

地球以外の天体に生物はいるのか。この疑問に対して、「いる」ことを支持するような発見が増えてきています。

地球とよくにた天体が、宇宙のどこかで見つかれば、その天体に生物がいるかもしれません。太陽系に地球などの惑星があるのとおなじように、みずからエネルギーを放つ恒星に惑星を従わせているものがあることがわかっています。太陽系以外での惑星を天文学者などは「太陽系外惑星」とよび、それを探してきました。

2013年10月には、発見された系外惑星の数は1000を超えたといいます。自分で光らない惑星を発見するのはむずかしいため、発見されていない系外惑星は、宇宙にそれこそ星の数ほど、いやそれ以上あるかもしれません。

となると、おびただしい数がある系外惑星のどれも地球とそっくりなものがない、ということを考えることのほうがむずかしくなってくるでしょう。地球以外の天体に生命は「いる」という可能性はこれからも確実に高まっていきそうです。

では、人間のような、ことばを使ってコミュニケーションしあうことができるような生物を人間発見することはできるのでしょうか。これについては、研究者たちの意見もいろいろとありそうです。

しかし、いえるのは、もし人間のような生物を宇宙で発見できたとき、その意味は、人間がこれから生きながらえていくためにも、とてつもなく大きいだろうということです。

宇宙は、広い空間とともに、長い時間ももっています。そんな長大な宇宙のなかで、人間とおなじようなコミュニケーションをとれる生物を見つけることができたとします。

その生物は人間とおなじくらいの歴史、つまり500万年くらいの歴史しかもっていないかというと、おそらくそうではないと考えられます。空間が広くて時間も長い宇宙において、たまたま500万年の歴史をもつ高等生物どうしが宇宙で巡りあうという確率はきわめて低いからです。

すると、人間が見つけた宇宙での高等生物は、おそらく長い歴史をもっていることになるでしょう。その生物は、コミュニケーションなどができる能力をもちながら、人間よりも長い歴史をつくることに成功したはずだと考えてよいわけです。

つまり、宇宙のなかで人間とおなじような生物を見つけることは、人間もその宇宙の生物を見ならえば、長きにわたって存続しつづけることができるという確証を得ることに近づくわけです。ただし、長い歴史をもっているその生物のことを見ならうかどうかは人間の判断次第ということにはなりますが。

参考資料
関根康人『土星の衛星タイタンに生命体がいる!』
http://www.amazon.co.jp/dp/4098251930
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水素を化石燃料からつくる


「21世紀は水素社会」とよくいわれます。水素をエネルギーの中心とする世の中をつくっていこうとする動きがあるからです。そのかたちとなっているのが燃料電池。電気をとりだして使うためのこの装置には水素が使われています。燃料電池は、「エネファーム」などの家庭用のエネルギー供給システムで使われていますし、また台数はすくないものの燃料電池車も走りはじめています。

「水素を使う」ということは、ふたつの水素原子が結ばれた水素分子(H2)という物質を使うことになります。しかし、水素分子が地球上に天然にあるわけではありません。燃料電池などを使うときには、どうにかして水素分子を用意しなければなりません。

水素分子をつくるには、すくなくとも水素原子がふくまれている物質を用意しなければなりません。その物質を材料に化学変化を起こし、水素分子をつくっていくわけです。この技術を「改質」といいます。

改質で実際どのように水素をつくるかというと、おもな方法として、化石燃料から水素分子をつくることがあります。たとえば、化石燃料のひとつ、メタンという物質を材料にします。メタンは、炭素原子1個と水素原子4個で、CH4のかたちをとっています。このメタンから水素分子を、つぎのようにつくります。

メタン(CH4)に水(H2O)を反応させると、一酸化炭素(CO)と3組の水素分子(3H2)になります。これで、まず水素をつくりだすことができます。

さらに、一酸化炭素(CO)に対して、水(H2O)を反応させると、二酸化炭素(CO2)と1組の水素分子(H2)になります。これで、もう1組の水素分子をつくりだすことができます。

このように、メタンと水の組みあわせから、化学反応を起こすことによって、水素分子をつくっていくわけです。

化石燃料はメタンガスだけでなく、さまざまかたちで存在しています。そこで「圧力スイング吸着法」(PSA:Pressure Swing Adsorption)といった方法が使われています。

圧力スイング吸着法では、吸着剤を使いますが、ガスの成分によって吸着量が異なってきます。これを利用して、いろいろな成分が混ざったガスから、ほしい物質を分離していくわけです。水素製造装置の場合、ほしい物質は水素分子ですので、圧力スイング吸着法で水素分子をとりだしていくことになります。

水素が存在しづらい地球で、まとまった水素をつくる技術が進んでいます。

参考資料
安田勇「燃料電池用水素製造技術の開発」『季報 エネルギー総合工学』2005年7月号
http://www.iae.or.jp/publish/kihou/28-2/04.html
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直径25ナノメートルの管が細胞のかたちを決めていく
直径25ナノメートルの管が細胞のかたちを決めていく

細胞は、細胞核、細胞膜、ミトコンドリアといった、さまざまなもので成りたっています。細胞をつくる要素のなかには「微小管」というものもあります。生物の器官の場合、そこにそれがある理由がとくにないのにそこにそれがある、ということはあまり考えられません。微小管にも役割があるわけです。

まず、微小管は細胞のどんなところにあるのでしょうか。モデルとしては、細胞が分裂しようとしていないとき、細胞内部の外側に複数本あります。といっても細胞は自然界に無数にありますから、実際のところはどれも細胞の外側にあるというわけではありません。

微小管は、アルファチューブリンとベータチューブリンという、2種類のたんぱく質でできています。モデルとしては、アルファチューブリンとベータチューブリンそれぞれの球でできた列が横に並んでおり、それらが巻いて管をつくります。これにより、なかに空洞ができているかたちをとります。この管の直径は25ナノメートルしかありません。


微小管のつくり。色のちがいがアルファチューブリンとベータチューブリンのちがい。
画像作成者:Boumphreyfr

微小管は、細胞骨格のひとつとされています。細胞骨格とは、細胞のかたちを決めるのにかかわったり、また、細胞の運動にもかかわったりする要素のことです。つまり、微小管は、細胞のかたちや運動のしかたを決めるひとつとなるわけです。

たとえば、微小管の向きが、植物細胞のなかのセルロースという繊維とおなじ向きであると、細胞は縦方向へ伸びていきやすくなります。その積み重ねで植物の茎などが縦に伸びていくことになります。

また、微小管の両端は、「プラス端」と「マイナス端」とよばれる種類で区別されています。重要なのは、微小管は対称ではないということです。この非対称性を利用して、細胞内のモーターたんぱく質という物質が、いろいろな物質を正しいところへと運びます。モーターたんぱく質が正しくはたらくことにより、細胞のなかにあるアデノシン三燐酸(ATP:Adenosine TriPhosphate)といった物質が、運動エネルギーに変わっていきます。微小管は、モーターたんぱく質が運ぶ物質の“レール役”も果たしているわけです。

それにしても、直径25ナノメートルの管というのはとても小さなもの。インフルエンザウイルスの大きさはおよそ100ナノメートルなので、微小管を輪切りにした大きさでいえば、インフルエンザウイルスよりはるかに小さいわけです。

しかし、それほどの小さい微小管に対しても、顕微鏡の技術により細かいつくりがわかるようになってきています。理化学研究所が超解像顕微鏡法という技術を応用して、25ナノメートルの大きさのものを見わけることのできる方法を開発したと、2012年12月に発表しています。

この顕微鏡法により、微小管は、ここが端っこだろうと考えられていたところから、さらに100ナノメートル突きでていて、その突きでたところにがんの遺伝子と思われる因子などが結びついていることなどがわかってきました。

細胞についても、まだ知られつくされているわけではないのです。微小管についての発見はこれからも起きるでしょう。

参考資料
日本細胞生物学会「微小管不安定化因子」
http://www.jscb.gr.jp/glossary/category_glossary.php?category_id=5&category=微小管
理化学研究所 2012年12月13日付「細胞の維持に必須な微小管の最先端構造が明らかに」
http://www.riken.jp/pr/press/2012/20121213
日本学術振興会「最先端・次世代研究開発支援プログラム 形態形成における微小管細胞骨格の役割の解析」
http://www.jsps.go.jp/j-jisedai/data/life/LS128_outline.pdf
京都大学 2012年5月31日付「正常な細胞分裂に不可欠なタンパク質の機能と構造を解明」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2012/120531_1.htm
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断絶のない日本に「不合理」が残される


国や地域の文化を特徴を考えるとき、その場所で受けつがれてきたものが時間的に連続しているか、それとも断絶したことがあるかは大切なことのようです。

身近な例のひとつが日本と中国です。

日本は、すくなくとも4世紀に大和朝廷が畿内を支配してからいまにいたるまで、国家の断絶というものはありませんでした。たしかに、太平洋戦争で米国に占領され、その後、米国文化が大きく入ってきたことはあります。しかし、米国による統治を余儀なくされた沖縄などの一部地域をのぞけば、日本の土地では日本が生きながらえてきたわけです。

いっぽう、中国では、10世紀から11世紀にかけて北方民族の王朝である遼が、12世紀から13世紀にかけておなじく北方民族の王朝である金が、いまの中国の北半分に進出し、支配しました。さらに、13世紀から14世紀にかけてはモンゴル民族の元が中国の全土を支配し、国を統一しました。中国で大半をしめる漢民族からすれば、ここで自国の歴史は分断したことになります。

植物学者の中尾佐助(1916-1993)は、こうした歴史をもつ日本と中国をひきあいに出して、連続してきた国と、分断したことのある国の文化をちがいをつぎのように述べています。

国家がおなじ民族により連続してきた日本について、中尾は「古代の遺風、遺物を消し去ることなく、細ぼそとして、あるいは変化しながら、日本の国内のどこかに残してきたという効果を生じていると考えられる」と述べます。

これに対して、国家がほかの民族に支配されて断絶をくりかえしてきた中国については、「棄て去るものは実に容赦なく棄て去ってしまう性格があると私は感じている」と述べています。そして、断絶のあとにあらわれるのは高い「合理性」であるとも。

では、国家が連続してきた日本は不合理な国であるのかというと、中尾はそれを否定しません。そして、「人間はもともと不合理の存在である。不合理の心情を持つ人間にとっては、また不合理は合理的必要物でもあろう。人間の本性がこうしたものである以上は、多くの民衆にとっては断絶がおこるより、常に歴史の連続のある社会に住むことが、心情的には安楽容易であろうというものであろう」とつづけます。

いまの日本には、寺社仏閣や料理など、さまざまな歴史的なものがあります。それらひとつひとつには、建てられた年代や作られはじめた年代があります。江戸時代につくられたものかもしれないし、奈良時代につくられたものかもしれません。

しかし、それらは”日本の歴史的なもの”というくくりで違和感なく認識することができます。それをことばにするとすれば、「なんでもあり。でも、その“なんでも”はどこかつながっている」とでもなるでしょうか。日本人が“なんでもあり”を受け入れるのは、国家が断絶なく続いてきたことと関係しているのでしょう。

参考資料
中尾佐助『現代文明ふたつの源流』
http://www.amazon.co.jp/dp/4022920335
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小出五郎さん、逝く


日本科学技術ジャーナリスト会議のメーリングリストによると、科学ジャーナリストの小出五郎さんが、(2014年)1月18日(土)朝、心不全のために亡くなりました。72歳でした。

小出さんは、東京大学農学部で放射線生態学を専攻。卒業後、1964(昭和39)年に日本放送協会(NHK)に入局し、科学関連のドキュメンタリー番組づくりなどに携わってきました。

代表作のひとつは、1984年に放送された「NHK特集 世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」。当時の米国とソ連が保有する核兵器5万発が戦争に使われたら、地球はどうなるか。この問いを発端に、世界の科学者や専門家126人に取材をして、そのシナリオを描いたものです。この作品は、イタリア賞と文化庁芸術祭でいずれもドキュメンタリー部門の大賞を受賞しています。

その後、NHKの解説委員をつとめるかたわら、日本科学技術ジャーナリスト会議の運営する「科学ジャーナリスト塾」では初代塾長をつとめました。この塾を卒業して、実際に科学ジャーナリストや科学ライターとして活躍している人は多くいます。また、小出さんは同会議の会長もつとめました。

一言一句が正確ではありませんが、生前の小出さんは“取材”という行為について、こんなことを言っていました。

「取材をするまえ、自分のなかで『これはきっとこういうことだろう』と仮説を立てておく。そして取材に臨む。専門家からは答がくる。その返事が自分の仮説とどのように異なるか。そのちがいを味わうことが取材の楽しさだと思うんだな」

これが小出さんの手法だったわけです。著書の書名にも『仮説と検証』とあります。

笑顔で会話が始まっても、自分の納得いかない話になると、表情が曇りだす。そして、「いやぁ、それはどうだろうか」と議論を始めることもある。本当に身近で親しい人に対してほど、その議論は深まっていったことでしょう。

小出さんのブログ「科学ジャーナリストの5656報告」の最後の記事は(2014年)1月10日付で「『戦争する国、平和する国』でゼミ」というもの。前日に法政大学で特別ゼミをおこなったときに話題にした、コスタリカのオスカル・アリアス・サンチェス元大統領へのインタビューを核に構成したドキュメンタリーのことに触れています。

「(コスタリカは)1949年制定の憲法で『戦争放棄』を宣言、国家の政策として平和主義、環境立国、教育の充実を重視する国になりました。小さいながらも、いわば、大きな星を回る惑星ではなく、自分で光を発する恒星のような国になったのです」

「もちろん、理想だけでは弱肉強食の国際社会を乗り切っては行けないという、政治、経済などのリアリズムがありますから、紆余曲折はあるものの、独自の路線で生きてきた国として評価できる点は今日でも多々あります」

「それは2014年になった今も私の中で変わっていない点です」

そして、学生たちに対して、カナダのジャーナリストのナオミ・クラインが書いた『ショック・ドクトリン』(磯島幸子・村上由見子訳、岩波書店)を読むことをすすめて終わっています。

大きなもののなかに巻かれていかない。そして、若い世代に語りかける。小出さんの考えと行いが、最後の記事でも現れています。もちろん、この記事が最後のものになるとは、本人は考えてもいなかったでしょう。

ご冥福をお祈りします。
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浅い水底、少ない対流、激しい寒暖差で“おみわたり”
長野県諏訪市の諏訪湖では、毎年、冬に“おみわたり”という現象が起きるかどうかが話題となります。

湖に氷がはります。氷のはった湖面が割れて盛りあがります。それが筋になり伸びていきます。こうした現象が、寒い冬では諏訪湖におきます。

このような氷の裂ける現象は湖でもめずらしいこと。水の底までの深さが数メートルと浅いこと、水が流れる対流が起きづらいこと、それに夜と昼の寒暖差が激しいことなどが、湖面で氷が裂けるための条件とされています。諏訪湖はこれらの条件に適しているわけです。

「おみわたり」は「御神渡り」とも書きます。なにが“渡る”のかというと、出雲神話の主神である大国主命(おおくにぬしのみこと)の子の、建御名方神(たけみなかたのかみ)とされています。

「国譲り」という争いごとに敗れた建御名方神は、信濃の国にくだり、諏訪までたどりつきました。建御名方神が、女神である八坂刀売命と会った夜の帰り道、湖面が凍っていたため船を出すことができず、氷の上を走って帰っていったといいます。その翌日、湖面の氷に連なる一筋に気づいた村人たちは、神の足跡であると考えて「御御渡り(おみわたり)」とよぶことにしたそうです。

諏訪湖のまわりにある諏訪大社には、上社と下社がありますが、上社には建御名方神が奉られ、下社には八坂刀売命が奉られています。

諏訪湖では、氷の筋が、南北にふたつ、東西にひとつできると、諏訪市内の八剱神社が「御渡りの拝観」という神事を開いて、宮司や氏子が協議して「これはおみわたりです」と認定します。毎年の記録は「当社神幸記(とうしゃしんこうき)」と「御渡帳(みわたりちょう)」という記録に綴られ、500年以上もさかのぼって“神の足跡”をたどることができます。

地元紙によると、諏訪地方は(2014年)1月16日には氷点下10.0度までさがり、湖全体を氷が覆ったとのこと。おみわたりができれば、今回で3季連続となります。


過去の諏訪湖おみわたり

参考資料
「諏訪湖の御神渡り」『サイエンスウィンドウ』2008年1月・2月号
信毎web 2013年1月18日付「諏訪湖『御神渡り』膨らむ期待 宮司らが湖面に乗って氷確認」
http://www.shinmai.co.jp/news/20140118/KT140117SJI090006000.php
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速度、加速度、ジャイロではかる


情報技術の進化のなかで、センサの技術が果たした役割は大きいといわれます。センサは、音、光、温度、圧力、流量などの、人が調べたい量を検知して、それを処理しやすい信号に変換する素子のことです。

なにをはかりたいか、つまり用途によって、さまざまなセンサがあります。すこし区別がしづらいのが、速度センサ、加速度センサ、ジャイロセンサといったものでしょうか。いずれも、はかりたいもののすぐ近くか内側にセンサをつけます。

速度センサは、対象としているものの速度をはかるためのセンサです。ドップラー効果を利用したものなどがあります。

センサが電波を発するとき、その電波を受けとる装置があります。この装置が、受けとる電波が長いほど、装置からセンサは遠ざかっていることになります。逆に装置が受けとる電波が短いほど、装置からセンサは近づいていることになります。つまり、センサから発する波長を調べることによって、そのセンサーのそのときの速さをはかるわけです。

加速度センサは、対象としているものの速度の変化をはかるセンサです。たとえば車などの乗りものは、動いていないときは時速0キロメートルだったのに、動いて速度があがると時速100キロメートルにもなります。時速0キロメートルから、いきなり時速100メートルになるはずはないので、このあいだには、速度の変化があるはず。その速度の変化をはかるのが、加速度センサというわけです。

近ごろでは、3軸、つまり左右、前後、上下のみっつの方向について、加速度をはかることのできる3軸加速度センサがよく使われています。このセンサでは、おもりのまわりにばねを4個ほどつけておきます。はかりたいものが動くと、それに伴っておもりも動き、それによって4個のばねも引っぱられたり、押されたりします。その4個のばねの状態がどのように変わったをもとに、加速度を調べるわけです。

ジャイロセンサは、対象としているものの、回転角度での速度、つまりどれだけの速さで回転しているかをはかるものです。日本語では「角加速度センサ」ともよばれます。

ジャイロセンサでは、いくつかのしくみが選ばれて使われます。なかでも、小さなセンサでは「コリオリの力」が使われます。たとえば、なにかの物体を回転させます。すると、物体の速度、回転角速度、質量のみっつの要素を掛けた力が、回転軸に対して直角にはたらきます。これがコリオリの力です。このコリオリの力の検出をもとにして、回転角速度を求めることができます。

加速度センサとジャイロセンサのちがいを、画面で見られる「ジャイロセンサーと加速度センサーの合成」という動画もあります。

参考資料
「加速度センサ、角速度センサのしくみ」『Design Wave Magazine』2007年8月号
http://www.cqpub.co.jp/dwm/contents/0117/dwm011700700.pdf
「MEMSジャイロ・センサの基礎知識」『Design Wave Magazine』2004年11月号
http://www.cqpub.co.jp/dwm/contents/0084/dwm008401080.pdf
ウィキペディア「加速時計」
http://ja.wikipedia.org/wiki/加速度計
e-Words「加速度センサー」
http://e-words.jp/w/E58AA0E9809FE5BAA6E382BBE383B3E382B5E383BC.html
| - | 20:43 | comments(0) | trackbacks(0)
研究者は「安定の島」を探す


きのう(2014年1月)16日のブログは「原子核の世界のマジックナンバー、点いたり消えたり」という記事。原子核物理学における「マジックナンバー」の話題となりました。

原子核物理学におけるマジックナンバーとは、「原子核が決まって安定する陽子または中性子の数」のことです。たとえば、20はマジックナンバー。陽子が20個ある原子核、または中性子が20個ある原子核は安定します。

では、たとえば、陽子が20個で、中性子も20個という原子核はどうなるでしょう。「安定」に「安定」が重なって、とても安定するはずです。実際、陽子20個、中性子20個の原子は、40Caとよばれるカルシウム原子のひとつであり、カルシウム原子のなかでは96.9%を占めます。それだけ安定しているということです。

このマジックナンバーの重なったものから、「安定の島」が生まれるのではないかと考えられています。それはつぎのような話によるもの。

いまのところ宇宙には118種類の元素があることになっています。このうち、天然に存在する元素は90種類ほど。あとの20種類弱は、地球上にいる人間がつくりだしたものです。

しかも、その人間がつくりだした元素はどれもはかないものばかりです。原子核が安定しないため、できたとことを確かめるまでもなく、ほかの原子核の姿に変わってしまいます。研究者たちは、元素がつくられた痕跡を追いかけて、「たしかにあの瞬間、つくりたかった人工元素がつくられていた」ということを確かめるのです。

しかし、人工元素ははかないものばかりかというと、そうでもないのではないかと考えられています。

もし、陽子と中性子ともにマジックナンバーである人工元素をつくりだすことができれば、安定に安定が重なるので、その人工元素は例外的にとても安定して存在しつづける可能性があります。そのようなことを考えた米国の化学者グレン・シーボーグ(1912-1999)は、そのような安定した人工元素の存在を「安定の島」として提唱しました。

なぜ、“島”なのかというと、陽子の数を縦軸に、中性子の数を横軸にとった「核図表」という地図のなかで、安定した人工元素は、存在するとしたら、ほかの天然元素や人工元素のある領域とは遠く離れているからです。

たとえば、「フレロビウム298」という物質が考えられます。フレロビウム298にかぎらず、フレロビウムの陽子は114個あり、この陽子の数はマジックナンバーです。また、中性子については184がマジックナンバーとして知られています。つまり、陽子114個のフレロビウムが中性子を184個もった状態であるフレロビウム298は、人工元素のなかでは例外的に安定するのではないかと考えられているのです。

こうした「安定の島」の物質をつくりだしたところで、それがどのように役立つかはなんともいえません。しかし、「安定の島」の存在に魅力を感じ、その島を目指しつづける研究者はいます。

参考資料
「世界で初めてナトリウム同位元素の”中性子スキン”を発見」『理研ニュース』1995年11月号
http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/publications/news/1995/rn199511.pdf
ウィキペディア「安定の島」
http://ja.wikipedia.org/wiki/安定の島
ウィキペディア「フレロビウム」
http://ja.wikipedia.org/wiki/フレロビウム
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原子核の世界のマジックナンバー、点いたり消えたり


「マジックナンバー」というと、プロ野球であるチームがあと何勝しさえすれば優勝できるかを示したものを思い浮かべる人は多いでしょう。

しかし、マジックナンバーということばが使われる分野はプロ野球だけではありません。大きく飛んで、原子核物理学の分野でも使われます。

原子をばらばらにほぐすと、中心にある原子核と、まわりにある電子とにわかれます。このうち、さらに原子核をばらばらにほぐすと、ほとんどの種類の元素では、陽子と中性子にわかれます。

たとえば、ヘリウムという原子について見てみると、多くの場合、2個の陽子と2個の中性子があります。合計で4個。また、炭素という原子について見てみると、多くの場合、6個の陽子と6個の中性子があります。合計で12個となります。

しかし、なかには“変わり者”の原子もいます。たとえば、ヘリウムには、2個の陽子と1個の中性子からなる原子核をもったものもあります。2個と1個を足して3個なので、「ヘリウム3」などとよばれます。おなじように、炭素には、6個の陽子と7個の中性子をからなる原子核をもったものもあります。6個と7個を足して14個なので、「炭素14」などとよばれます。

このように、おなじヘリウムという名の元素でも、またおなじ炭素というなの元素でも、中性子の数が異なるため、全体としての質量が異なるものがあります。同一の元素に属するけれども、質量数が異なる原子を、「同位体」といいます。

20世紀の研究者たちは、さまざまな元素の同位体を詳しく調べていきました。すると、あっというまに原子核が崩壊してしまう不安定な同位体と、原子核が姿を変えずに保たれる安定な同位体があることがわかってきました。

さらに、それらの陽子や中性子の数を調べていくと、とりわけ原子核が安定した状態に落ちつく陽子の数や中性子の数があるということがわかってきたのです。

たとえば、2、8、20、50、82、126といった個数の陽子または中性子をふくむ原子核は、いろいろな元素でとても安定することがわかってきました。

そこで、これらの数を特別視した研究者は、これらの数を「マジックナンバー」とよぶことにしたのです。マジックナンバーを、日本語で「魔法数」とよぶこともあります。

原子の条件によりますが、いままで「マジックナンバーだ」と思われてきた数がその後の研究で消えたり、あるいは「これはマジックナンバーではない」と思われてきた数がじつはマジックナンバーであることがわかったりしています。まだ完全に解明されきったわけではありません。

たとえば、中性子については28はマジックナンバーと考えられていましたが、マグネシウムの同位体について調べると、マジックナンバーをもつ原子核のかたちをしていないことがわかりました。そのため、中性子の数としての28は、マジックナンバーとはいえなくなってきています。

たとえば、陽子の数より中性子の数のほうが多いような原子核では、中性子の数が34個のときにその原子核が安定することが2013年にわかってきました。

プロ野球のマジックナンバーは、ほかのチームとの成績の状況によって灯ったり消えたりします。おなじように、陽子や中性子のマジックナンバーも、科学の進展によって、灯ったり消えたりします。

参考資料
大塚孝治「原子核の魔法数」
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/keywords/27/02.html
東京大学・理化学研究所 2013年10月10日付「重いカルシウムで新しい『魔法数』34を発見」
http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/sakurai_g/news/kiji1167/
理化学研究所 2013年11月20日付「消える『魔法数』28 重いマグネシウム同位体の原子核は全て大きく変形」
http://www.riken.jp/pr/press/2013/20131120_1/
| - | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0)
「野菜を食べるカレー キャンプエキスプレス池袋店」の一日分の野菜カレー――カレーまみれのアネクドート(53)


「駅のなかでカレーを食べる」といえば、立ちぐいそば屋のセットメニューとして出されるカレーライスを食べる、あるいは、カレースタンドですぐに出してくれるカレーライスを食べる、といったあたりでしょうか。

しかし、個性的な店がまえやメニューで勝負しているカレー店の関連店が、駅のなかに店を出すといったことも起こりはじめています。

東京のJR池袋駅の南口改札から、改札内に入ったすぐのところにあるのが「野菜を食べるカレー キャンプエクスプレス池袋店」です。

カレーで「キャンプ」といえば、東京・千駄ヶ谷にある「野菜を食べるカレー キャンプ」を思いうかべるカレー好きは多いでしょう。このブログでもかつて記事になりました。最寄りの代々木駅から歩いて5分ほど。店のなかにスプーンがシャベルのかたちをしていたり、水の入った器がピクニック用の水筒だったりと、キャンプの飯盒炊爨でつくるカレーの雰囲気をかもしています。

この千駄ヶ谷の「キャンプ」の協力を受け、日本レストランエンタプライズが駅のなかに出しているのが「キャンプエキスプレス」です。JR池袋駅のほか、JR品川駅、JR海浜幕張駅、西武線の所沢駅、東急線の武蔵小杉駅のなかにも店を開いています。

「キャンプエキスプレス」で出されるカレーのメニューはというと、まず「一日分の野菜カレー」。これは千駄ヶ谷の「キャンプ」でも“太鼓判”になっているカレーとおなじ名です。ただし、「キャンプエキスプレス」のほうが若干、野菜などの具の量はすくなめかもしれません。

ほかにも、「キャンプエキスプレス」のカレーの名は、千駄ヶ谷の「キャンプ」にあるメニューにある名と重なります。「キャンプ」自体がひんぱんにカレーのメニューをかえていますので、現時点で「キャンプエキスプレス」と「キャンプ」で、重なっているメニューとそうでないメニューがありますが。

本家の「キャンプ」のカレーとくらべてしまう人は、「駅のなかでのカレーは『キャンプ』とまったくおなじとはいえないかも」などと、微妙なちがいを感じてしまうかもしれません。いっぽう、従来の駅のなかで食べてきたカレーライスにくらべる人は、「こんなカレーがエキナカで食べられる時代になったか」などと、大きなちがいを感じることでしょう。

ちなみに、メニューを頼んでからカレーが出てくるまでの時間は、「キャンプエキスプレス」のほうが早めの傾向があるようです。

日本レストランエンタプライズによる「キャンプエキスプレス」のホームページはこちらです。
http://www.nre.co.jp/shop/brand/camp/
| - | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0)
色わけをして土地の利用方法を知る
地図にはさまざまな種類があります。よく知られている地図に、等高線が引かれたり、田畑や建てものの種類ごとに印のついた地形図があります。また、地形図よりもさらに広範囲の土地のありさまを描いた地勢図もあります。

人の生活がより具体的に示されている地図としては、土地利用図というものがあります。

土地利用図は、それぞれの場所の土地がどのように利用されているかを、地図上に色分けして示したもの。たとえば、凡例を見てみると、「建物の密集地、高層建築」には赤、「造成地や空き地」にはねずみ色、「森林」には緑色、「田」には黄緑色、「砂浜、河原」にはねずみ色などとなっています。

この土地利用図の色分けの多さは、地図としての特徴にもなっているようです。国土地理院による子ども向けの土地利用図の説明では、「6色刷りの美しい地図なので、見るだけでも楽しめます」とあります。ただ見ることそのものを目的とする使いかたも堂々と紹介しているわけです。

また、土地の使いかたとして、その土地のもつ自然の潜在力を活かそうとする方法を、自然立地的土地利用などといいます。土地利用図との関連では、自然立地的土地利用を目的とする地図も描かれます。どのような植物の集団が見られるか、つまり植生を示した地図や、自然立地的土地利用の観点からどのような土地利用がなされるべきか、つまり自然立地的土地利用区分を示した地図などがあります。

土地利用図は技術的な進歩も見られます。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は「だいち」という地球観測衛星を使って、筑波大学との共同で、「高解像度土地利用土地被覆図」という地図をつくっています。高性能可視近赤外放射計2型という技術による観測データを使うなどして、日本のほぼ全域をおよそ30メートルの解像度で9つの種類の土地利用状況にわけてあります。


高解像度土地利用土地被覆図(大阪周辺)©JAXA

土地利用図は、行政や造園家などが地域計画をするときの基礎的な資料として使われています。また、都市の機能や耕地の利用状況を把握するためにも使われています。もちろん、自分たちの土地を知るという教育目的でも使われています。

参考資料
国会図書館リサーチ・ナビ「土地利用図」
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-601030.php
国土地理院「土地利用図」
http://www.gsi.go.jp/KIDS/map-index/riyou-map.htm
宇宙航空研究開発機構 だいち「高解像度土地利用土地被覆図ホームページ」
http://www.eorc.jaxa.jp/ALOS/lulc/lulc_jindex.htm
「平成22年度景観生態学 自然立地的土地利用計画について」
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スマートフォンの操作はあまりに無防備


スマートフォンを操作するときの動作はどのようなものでしょう。多くの人は、利き手の片手でスマートフォンを手にもちます。そして、画像に示されているボタンなどを親指を上下左右に動かして操作します。

「物を握る」という動作とは、手の五本指を内側に曲げて、物と指とのあいだに空きをつくらないようにすること。このなかで親指は、ほかの4本の指が圧す力を一手に受けとめる大切な役割を果たします。

ところが、その親指を画面の操作に使っているのですから、当然、スマートフォンを“しっかり握る”ということはできていません。

さらに、人はスマートフォンを操作しているとき、インターネット、メール、ゲームなどに集中しています。つまり、まわりの状況には気を配っていないことになります。ひったくり犯からすれば、きわめてひったくりを狙いやすい状況にあるといえるでしょう。

もちろん、無防備にさらされるのはスマートフォンだけではありません。スマートフォンが現れるまえの携帯電話でも、無防備に操作をするという点ではちがいはありません。しかし、2013年11月に都内でひったくりがあった機種の多くは、高い額で転売することのできるiPhoneの新機種でした。

人びとがその態度をあたりまえのようにしているため、社会での“盲点”はあるものです。そうした盲点に犯罪者は狙いをつけるのでしょう。

参考資料
日本経済新聞 2013年11月19日付「『歩きスマホ』狙い、ひったくり 都内で被害相次ぐ」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1903P_Z11C13A1CC1000/
日刊ゲンダイ 2013年11月23日付「都内でひったくり相次ぐ なぜ『iPhone』は狙われる?」
http://gendai.net/articles/view/life/146130
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水素のつくる量として「Nm^3/h」


水素はとても軽い物質です。そのため地球にそのままのかたちで存在しているわけではありません。いっぽうで、未来のエネルギーとして注目される燃料電池には、水素が材料の気体として使われます。そのため、燃料電池を使うためには、材料の気体である水素分子(H2)をつくらなければなりません。

水素をつくるときに現れる単位に「Nm^3/h」というものがあります(^3は3乗のこと)。「N」というと、力の大きさを表す「ニュートン」という単位の記号「N」がよくしられています。でも、この場合の「N」は「ニュートン」ではありません。

「Nm^3/h」を日本語読みすると、「毎時ノルマル立方メートル」ということになります。「h」は、「時間」や「一時間」を意味する“hour”ですので、「/h」で「1時間あたりに」といった意味になります。なじみがないのは、「ノルマル立方メートル」のほうでしょうか。

「ノルマル」は「標準」を意味する“Normal”の頭文字を指します。この「標準」とは、ガスなどの気体の量を調べるときに「標準状態ではかった場合のことです」ということを意味しています。その標準状態とは、摂氏0度、1気圧つまり1013.25ヘクトパスカルのことを意味します。

気体の体積は、温度が一定のとき、圧力が2倍になると2分の1になります。これは「ボイルの法則」。また、気体の体積は、圧力が一定のとき、温度が1度、高くなると、摂氏0度のときの気体の体積の273分の1ずつ増えていきます。これは「シャルルの法則」。つまり、ガスなどの気体は、条件によって、増えたり減ったりするわけです。

これは、ガスなどの気体を売り買いするとき便利ではありません。ガスを売る側にとっては、ガスを売るとき圧力を減らしたり、温度を高めたりして、膨らんだガスを売ったほうが得をします。しかし、買う側はこんなことされたら逆に困ってしまいます。

そこで、「ノルマル立方メートル」という単位が出てきます。「標準状態ではかった場合のことです」という尺度を使えば、現実での圧力や温度を気にする必要はなくなります。

水素をつくるとき、「1時間あたり、何ノルマル立方メートルの水素をつくることができるか」が、製造技術の尺度のひとつとなっています。たとえば、大型の水素製造装置では、5万Nm^3/hの水素製造能力があるといいます。これは、1時間あたり標準状態で5万立方メートル。ほかの量にたとえると、競泳などで使われる深さ2メートルの50メートルプール20杯分になります。

参考資料
日本貿易会「燃料電池」
http://www.jftc.or.jp/kids/eco-hint/low_carbon/approach04_5.html
サンエイエアー.jp「空気量を表示する単位、Nm3(ノルマルリューベ)とm3(リューベ)の違い、分かりますか?」
http://www.sanei-air.jp/hpgen/HPB/entries/81.html
三菱化工機 2013年2月26日付「水素ステーション向け新型高性能 小型水素製造装置(HyGeia-A)を開発、販売を開始」
http://www.kakoki.co.jp/news/pdf/p130226.pdf
環境用語集「Nm3」
http://www.weblio.jp/content/Nm3
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書評『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』
宇宙飛行士の採用募集が今後いつあるかわかりません。しかし、こうした作品の影響もあり、つぎがあれば応募者は多くなるのではないでしょうか。そして、こうした書物が世に出た以上、選抜試験はさらに水準の高いものになるのではないでしょうか。

『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』(大鐘良一・小原健右著、光文社新書、2010年、260ページ)


宇宙飛行士という職業は選ばれて決まる。ほかの企業で社員が選ばれて決まるのとおなじだ。いまのところ、日本での宇宙飛行士は宇宙航空研究開発機構(JAXA)が数年に一度の頻度でおこなっている選抜試験をとおして選ばれる。

いってしまえば、“社会人採用の入社試験”のひとつ。しかし、この入社試験の様子を描いた作品ができ、また注目を集めるのは、宇宙飛行士が類まれな職業だからだろう。日本では11人しかいないという希少性、そして、宇宙を仕事場のひとつとする特異性が、この職業にはある。

この本は、2009年にテレビで放送された「NHKスペシャル 宇宙飛行士はこうして生まれた 密着・最終選抜試験」の制作者のふたりが、放送後に本のかたちで出したものだ。ドキュメンタリー番組の書籍版といえる。

この番組と本によって初めて明らかにされた宇宙飛行士選抜試験の内容そのものが、世間的な社会人採用活動からすれば変わっている。最終関門まで進んだ10人の受験者を、密閉空間に入れて、そこで来る日も来る日も折り鶴を折らせたり、チーム分けして宇宙飛行士を癒すロボットをつくらせたりする。そして、選考委員が受験者の一挙手一投足すべてを監視カメラで観察するのだ。

このときのJAXAの募集は、国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士を採用するためのもの。試験とおなじような状況が国際宇宙ステーションにはある。宇宙のなかの密閉空間で宇宙飛行士は何日も共同生活を送る。地上で用意された極めてストレスのかかる状況でも力を発揮できた人は、宇宙飛行士になるにふさわしい。そうした思想が、このような特異な試験のかたちに現れている。

本では、10人がどのような仕事をしてきたのか、また、なぜ宇宙飛行士を目指そうとしているのかといった背景の紹介をまじえながら、この類いまれなる選抜試験の詳細を追っていく。テレビでの50分という短い尺には収まりきらない情報が加わっている。テレビでは伝えきれなかった試験の詳細や、受験者の人となりを伝えたいという思いが著者たちにあったのではないだろうか。そのテレビ番組の補完の役割を、この本は果たしている。

どんな人が宇宙飛行士として選ばれるか。取材を通して見えてきたその像を、著者はこう表現する。

「どんなに苦しい場面でも決してあきらめず、他人を思いやり、その言葉と行動で人を動かす力があるか」

最終的に、この選抜試験の受験者から3人が宇宙飛行士になった。だが、最終選抜を受験した10人すべてが、この著者たちの表現をすでに満たしている人たちだったのだということがわかる。

『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』はこちらでどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4334035701
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ブログが現れて16年、このブログが始まって8年


「科学技術のアネクドート」は、きょう(2014年)1月10日(金)、8周年となりました。

インターネットは、個人が情報を発信する機会を爆発的に広げました。そのなかで、ブログまたはウェブログとよばれる手段は、使われだしてから年数の経つものとなりました。

1997年12月、米国のコラムニストのジョーン・バーガー(1953-)が、みずからのサイトのなかで「ロボット・ウィズダム・ウェブログ」という連載を始めました。これが、「ウェブログ」または「ブログ」ということばの使われはじめとされています。また、ブログの機能が備わったサービスもこの年の4月に登場したとされています。

日本では、2000年に「ホット・ワイアード・ジャパン」の日本語版で、「人気急上昇中の『ウェブログ』とは」という記事が配信されたのを機に、「ウェブログ」や「ブログ」ということばが本格的に知られるようになったといいます。

記事では「非常に面白いサイト形式『ウェブログ』の人気が急上昇しており、『コンテンツ至上主義』が蘇りそうな兆しが見える」と伝えています。米国で配信された記事の日本語訳版であるため、「人気急上昇」といっても、日本では「ウェブログ」や「ブログ」は、まだほとんど知られていなかったことでしょう。

その後、2001年ごろからブログをやりはじめる日本人も増えはじめ、翌2002年には急速に普及しました。その後、2005年ごろに流行りだし、いまや死後となった「ウェブ2.0」時代を象徴するメディアのひとつとしてブログがとりざたされてもいました。

このブログが始まった2006年1月ごろ、すでに「ブログをやっていない人は、個人情報発信者してはかなり出遅れている」という風潮もありました。いまでいえば「ツイッターをまだやらないのですか」というのとにた雰囲気でしょうか。

それからも8年が経ったわけです。ブログが日本に上陸してから数えれば14年ぐらいが経ったわけです。

ブログはもともと、日本では個人ホームページや掲示板サイトなどがあるなかで普及しだしたものです。ブログという媒体が現れたあとも、フェイスブックやツイッターといった、ブログとは異なる情報発信媒体が現れてきました。

しかし、個人ホームページは始めるまでにブログよりもちょっとした手間がかかり(かかりそうであり)、掲示板サイトは発言の匿名性が高くなる傾向があり、フェイスブックは仲間うちでの情報共有の向きが強く、ツイッターは1回での発言を140字以内に収める必要があるなどと、インターネット上の個人発信媒体にはさまざまな特性があります。これらのなかで、ブログはこのいずれとも、共通する部分をもちながらも、このいずれともちょっとちがう部分をもっています。そこに、ブログという媒体が存在しつづける理由があるのかもしれません。

とはいえ、一般的には、選択肢が多くなるほど、そのなかのひとつの存在感は薄くなっていきます。そのひとつが選ばれることもすくなくなります。ブログだけがその運命をたどらないという保証はなにもありません。

将来、だれもブログなどやらなくなった世の中になったとしたら、このブログはつづいているのでしょうか。なんともいえませんが、そこには大きな決断といったものはなさそうです。

とはいえ、9年目に入る「科学技術のアネクドート」をよろしくお願いします。

参考資料
閾ペディアことのは「ブログの歴史」
http://www.kotono8.com/wiki/ブログの歴史
WIRED.jp 2000年2月25日付「人気急上昇中の『ウェブログ』とは」
http://wired.jp/2000/02/25/人気急上昇中の「ウェブログ」とは/
ウィキペディア「ブログ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ブログ
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「画像で検索」で実用的に、創造的に、検索


グーグルのインターネット上の検索サービスに、「画像で検索」というものがあります。

インターネットをする人であれば、「画像検索」は、よくするでしょう。たとえば、「カエルウオ」とことばを入れて「画像」で検索すると、蛙のような顔をした魚の写真の数々が示されます。これで「カエルウオって、蛙そっくりだ!」と驚くことができます。

この、グーグルの「画像検索」で、ことばを入れる欄の右端にカメラの印があります。ここを押すと出てくるのが「画像で検索」の窓です。そこで、本来ことばを入れる欄に、手もちの画像データをドラッグしてきて入れます。すると、その画像とおなじ、またはよく似ている画像の数々が画面上に示されます。まさに「画像で」画像を検索することができるわけです。

仕事などで「画像で検索」が便利なのは、「あ、これなんかいいな」と、とりあえず保存していたインターネット上の画像を、あらためて検索できることです。

「これなんかいいな」と思って保存しておいた画像を、正式に画像の所有者に頼んで使わせてもらおうとする。そのとき、以前はその画像のURLアドレスなども記録しておかないと、ことばで検索をしなければなりませんでした。しかし、人の記憶はあいまいなため、なかなか画像のあるサイトにたどりつくことはできないこともあります。

ここで、「画像で検索」を使えば、すぐに画像があったサイトにたどりつくことができます。さらに、おなじ画像でさらに大きな画像がインターネット上に存在するということがわかるときもあります。

より創造的な「画像で検索」の使いかたとしては、「これとこれが似ているとは」といった驚きをえるというものです。

たとえば、「画像検索」で「赤色巨星」と入れると、赤々とした星のイメージの画像を見ることができます。ちなみに、赤色巨星とは、太陽などの恒星の年老いた姿といえます。

この赤色巨星を保存し、「画像で検索」で、その赤色巨星の画像を検索欄に入れてみます。すると、赤色巨星とおもわれるイメージ画像が出てくるのはもちろん、ほかにも、さまざまな似た画像が出てきます。

たとえば、表面が赤い光で赤く染まった「眼球」の画像が検索されます。そこでさらにこの画像が示されているサイトを見てみると、「眼からの細胞が世界で初めてインクジェットプリントされた」といった記事にあたります。

眼球だけではありません。赤いラベルの貼られたレコード盤、バラの花、赤月、赤提灯、赤く光ったハロウィンのカボチャなど、さまざまな“似て非なる”画像が出てきます。

おそらく、「画像で検索」では、検索したい画像の配色や模様といった要素のほかに、画像が載ったサイトに使われている言葉なども総合的に勘案して、ほかのおなじ画像や似た画像が示されるのでしょう。
| - | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0)
「訓練は本番より高度に」


人には、“本番”にのぞむ機会があります。マラソン選手でいえばマラソン大会、舞台俳優でいえば芝居本番、研究者であれば学会発表、といったものです。

そうした本番で自分が成果を発揮できるようになるために、その人がとりくむのが訓練です。練習、あるいは稽古といってもよいでしょう。あることを本番でうまくできるように、技術的あるいは身体的な練習を継続的におこなうことを訓練といいます。

本番でうまくできるようになるための訓練とは、どのようなものでしょうか。訓練をおこなって本番にのぞむような仕事を職業としているさまざまな人の話をまとめると、「本番よりも厳しいことを訓練でおこなう」ことが大切といえそうです。

たとえば、運動選手であれば、本番でルールに定められた距離を走ったり、目標にしている成果を目指したりするうえで、それよりも長い距離を走ったり、それよりも厳しい目標設定を設けたりするようにします。そうすれば、本番では「練習でやってきたことにくらべれば楽なものだ」と感じることができるでしょう。

あるいは、問題なくこなせる確率が高い本番での作業について、訓練のときにわざと困難な状況をつくりだして、それにとりくむといった方法もあります。こうすれば、「訓練であれだけたいへんな思いをしたのだから、本番はそれほどむずかしいことは感じなかった」と思えるでしょう。

こうしたことは、本番での心や体の余裕などにつながりそうです。

訓練と本番の関係を示すことばとして、「訓練は本番のように、本番は訓練のように」というものがあります。もちろん、このような意識で訓練と本番にのぞむことは大切といえます。

しかし、より質の高い訓練と本番をもとめている人や組織にとっては、「訓練は本番より高度に、本番は訓練のように」といったほうがよりふさわしいのかもしれません。
| - | 19:00 | comments(0) | trackbacks(0)
宇宙飛行士たちは験をかつぐ(下)
宇宙飛行士たちは験をかつぐ(上)


写真作者:Petar Milošević

前日の記事では、米国航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士たちが伝統的に行っている“験かつぎ”の数々を見てきました。宇宙飛行と地球帰還で成功をおさめた宇宙飛行士の行動にあやかった験かつぎが多いようです。

ロシアから宇宙へ飛びたつ宇宙飛行士たちも験かつぎをしています。しかも、米国より、量は豊富で、かつ過激な内容もふくまれています。

宇宙飛行士たちが訓練などで滞在していたモスクワ郊外の「星の街」をあとにするとき、「追悼の塀(Memorial Wall)」とよばれる場所にカーネーションを置きます。これは、世界初の有人宇宙飛行を成功させながらも、後年の訓練中に不慮の死をとげたユーリ・ガガーリン(1934-1968)や、宇宙飛行のミッション中に亡くなった4人のロシア人飛行士を悼むもの。

ロシアの人を乗せる宇宙船はソユーズといいます。飛行士はソユーズに乗りこむ準備のため発射用基地のあるバイコヌールという街で過ごします。ここでは、ソユーズが打ちあげ48時間前に鉄道で発射台へ運ばれるとき、飛行士たちはその作業に“立ちあってはならない”とされているそうです。立ちあうことが不吉をもたらすと考えられているからです。また、この日、宇宙飛行士たちは髪を切ります。

打ちあげ前日になると、飛行士たちは正教会の牧師から祝福を受けるとともに、大量の“清めの水”を浴びせかけられてずぶ濡れになります。

また、宿泊しているホテルの裏庭に、記念植樹をすることも伝統的なしきたりとなっています。植えられるのは楡(にれ)などの苗木。かつては打ちあげ当日におこなわれていましたが、近ごろは打ちあげ前日におこなわれているようです。

さらに打ちあげの日の晩には、飛行したちは家族たちと、ソ連時代の1969年につくられた映画「砂漠の白い太陽(White Sun of the Desert)」をかならず観ます。1973年、ソユーズ12号のミッションで無事に地球に帰ってきた飛行士たちが、打ちあげ前にこの映画を観ていたことから、これも験かつぎとなっているようです。

打ちあげ当日になると、飛行士たちは朝食に決まってシャンパンをちびちびと飲みます。そして泊まっていたホテルをあとにするとき、ホテルのドアに自分たちの名前をサインします。

いよいよ発射台へ。バスで向かっている途中、決まって宇宙飛行士たちは、「わが家の近くの緑の芝生(The Green Grass Near My Home)」という軽快なロックを聞きます。

発射台まで1キロと近づいたところで、バスが停まります。飛行士たちはバスを降りて、タイヤに向かっておしっこを引っかけます。これも伝統的なしきたり。ユーリ・ガガーリンが1961年に成功すれば世界初となる有人宇宙飛行に向けてボストーク1号に乗りこもうとした寸前、このような行為をしました。それを、いまの宇宙飛行士たちはかたくなに受けついでいるといいます。2011年にバイコヌール宇宙基地から飛びたった古川聡さんも著書で「その流儀に従った」と証言しています。


ユーリ・ガガーリン

なお、女性宇宙飛行士は強要されていないものの、おしっこを容器に入れておいてタイヤに引っかけることもあるようです。

このほかにも、発射前、ロシアの飛行士たちは恒例行事として卓球やビリヤードをします。

おびただしいほどの“決められた行為”を宇宙飛行士たちは守っているわけです。宇宙飛行士のなかには、こうした験かつぎや迷信を信じない人もいるでしょう。しかし、すくなくとも「決められている物事を飛行士や支援担当者たちがともにおこなう」ということで、打ちあげやその先の宇宙滞在に向けての士気を高めたり、緊張感をほぐしたりする効果はあるのでしょう。了。

参考資料
毎日新聞 2011年6月4日付「ソユーズ宇宙船 不思議な『験担ぎ』の数々…」
http://grandpahiro-chan.blogspot.jp/2011/06/blog-post_04.html
産経ニュース 2013年11月7日付「ガガーリン以来の験担ぎ 若田さん、卓球でリラックス」
The Space Review 2008年5月27日付 “The losing hand: tradition and superstition in spaceflight”
http://www.thespacereview.com/article/1137/1
The Space Review 2008年5月27日付 “The losing hand: tradition and superstition in spaceflight”
http://www.thespacereview.com/article/1137/1
| - | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0)
宇宙飛行士たちは験をかつぐ(上)

NASA

宇宙飛行というと、“非科学ではない”ものごとで満たされているような印象をもつ人も多いことでしょう。科学や技術の粋が駆使され、物事の判断もリスク確率が指標になるといった具合です。

ところが、そんな科学的思考至上主義とは正反対に、宇宙飛行士たちはとても多くの“験かつぎ”をしているといいます。とりわけ、有人宇宙開発を争ってきた米国とロシアの宇宙飛行士のあいだには、かたくなに守られている験かつぎのしきたりがいくつもあります。

数々の験かつぎの方法を、米国編とロシア編にわけて紹介します。きょうは米国篇から。

米国航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士の多くは打ちあげの日の朝食のとき、炒り卵とステーキを食べる習わしがあるといいます。これは、1961年に米国の「マーキュリー3号」で米国人として初めて宇宙へ行った宇宙飛行士アラン・シェパード(1923-1998)が飛行の前にこの献立の朝食を食べていたことに由来します。

スペースシャトルの船長は打ちあげ前に、宇宙服に着替える部屋で技術担当者たちとカードゲームをします。そして船長がゲームに負けるまで、そのカードゲームがつづきます。そこで行われているゲームはブラックジャックかポーカーとされています。

また、その着替えの部屋では、アポロ計画の時代からずっとおなじ「イージーボーイ」とよばれるリクライニング椅子が置かれているといいます。この椅子に飛行士たちは座って、減圧症という症状を防ぐために血液から窒素が排出されるのを待ちます。このとき、「かつての英雄たちとおなじ椅子に自分も座ったんだ」と思いを馳せる飛行士もいることでしょう。しかし、厳密にいうと、アポロの時代の宇宙船搭乗員は3人。いっぽう、スペースシャトルの搭乗員は7人なので、4人が座る椅子はアポロの飛行士とは本当は関係ないものでした。

また、験かつぎとまでは行きませんが、宇宙飛行士にはお決まりの行動もあります。

宇宙飛行士が宇宙船に国際宇宙ステーションに到着すると、ステーション内で待っていた宇宙飛行士が「結合モジュール」とよばれる、ステーションと宇宙船のつなぎ目の空間で鐘を鳴らすことになっています。これは、米国の宇宙飛行士が海軍のしきたりをまねて行っているものです。

こうした米国の飛行士の験かつぎのさらに上を行く数々の験かつぎがあるのがロシアです。つづく。

参考資料
The New York Times 2006年9月7日付 “Turning to Lady Luck to Bless Launchings”
http://www.nytimes.com/2006/09/07/science/space/07luck.html?_r=0
WIRED 2012年8月10日付 “Peanuts, Blackjack and Pee: Strangest Space Mission Superstitions”
http://www.wired.com/wiredscience/2012/08/space-mission-superstitions/
宇宙航空研究開発機構「国際宇宙ステーションNASAステータスレポート」
http://iss.jaxa.jp/iss/report/02_21.html
The Space Review 2008年5月27日付 “The losing hand: tradition and superstition in spaceflight”
http://www.thespacereview.com/article/1137/1
| - | 22:43 | comments(1) | trackbacks(0)
「引っぱられだこ」でなく「引っぱりだこ」
「引っぱりだこ」ということばがあります。「人気者」や「売れっ子」のことを指すことばです。「あの作家は、いくつもの出版社から原稿の依頼があって、もう引っぱりだこだねぇ」などと使われます。

ことばの由来の情報源でよく触れられているのは「引っぱりだこ」の「だこ」は、なにをさすかということ。海の生きもののの「蛸」なのか、玩具の「凧」なのか。どちらを使ってもよいと書いているとともに、ただし、どの情報源でも、もともとは海の生きものの蛸のことを指していたとされています。干物にするとき、蛸の足を方々に広げるさまに由来しているということです。


「引っ張りだこ」が表紙を飾る本『目でみることば』(おかべたかし文、山出高士写真、東京書籍)

複数の情報源がみなそのように「蛸の足」由来説を書いているのですから、それはそのとおりなのでしょう。しかし、なぜ「引っぱりだこ」であって、「引っぱられだこ」ではないのか、といったことについて説明がなされている情報元はありません。

たとえば、ウィキペディアの「タコ」の項目では、「ひっぱりだこ」について「人気のある人物や物が多くの人に求められる状態を言う日本語」とあります。「求められる」ということは、やはり「蛸」が主体となるわけですから、「引っぱり」や「引っぱる」ではなく、「引っぱられ」や「引っぱれる」のほうが、その人気者により寄りそった表現となるはずです。

しかし、そうなっていないということは、「引っぱりだこ」と表現する人の視点が、「引っぱる側」にあると考えるのが自然そうです。つまり、その作家が「引っぱりだこ」なのは、引っぱる側の事情によるものと考えるほうが妥当となるわけです。すくなくとも、売れっ子の人が自分で「自分は引っぱりだこ」と言うのはあまりふさわしくなさそうです。

より現実的なことばの使われかたの事情として、「引っぱられだこ」は言いづらく、「引っぱりだこ」のほうが言いやすいということもあったのでしょう。

「引っぱりだこ」のほか、日本語には、ひどい仕うちをつづけざまに受けることを「踏んだり蹴ったり」といいますが、これも当事者の視点でいえば「踏まれたり蹴られたり」がよりふさわしそうです。しかし、「踏まれたり蹴られたり」は言いづらく、「踏んだり蹴ったり」のほうが言いやすいとは、だれもが感じるでしょう。

この現実的事情からすると、引っぱられる側の売れっ子に対して「引っぱりだこ」を使うのも、それはそれで合理的となります。

ことばに厳密でありたい人が「引っぱられだこ」と言っても、「え、いまなんていったの」などと、そこで進んでいた会話が止まってしまうでしょう。ことばの議論をしかけたい場合はべつとしても、「引っぱられだこ」でなく「引っぱりだこ」を使うほうが、会話を滞りなく進めるうえでは無難といえそうです。

参考資料
語源由来辞典「ひっぱりだこ」
http://gogen-allguide.com/hi/hipparidako.html
NHK「クイズ ことばの語源は?!」
http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/104121.html
ウィキペディア「タコ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/タコ
| - | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0)
辛さのちがい、大きくは辛み成分のちがい、小さくは香り成分のちがい
食べものには“辛い”ことで知られるものがあります。ひとえに“辛さ”といっても、その内容はさまざま。たとえば、カレーの辛さと大根おろしの辛さを「おなじ辛さだ」と考える人はあまりいないでしょう。


唐辛子

まず、唐辛子の辛さの成分は、カプサイシノイドと総じてよばれている物質によるもの。カプサイシノイドは、さらにいくつかの成分に細かく分けることができます。カプサイシンはその代表的なもの。ほかに、ディヒドロカプサイシンやノルディヒドロカプサイシンなどもあります。

体の表面にあるバニロイド受容体というところにこれらの辛み成分が“はまる”と、唐辛子を食べたときのぴりっとした辛さを感じることになります。


にんにく

にんにくも、生のものをかじったりすると辛いことがあります。この辛みは、アリシンという辛み成分によるもの。ただし、はじめからにんにくはこの辛み成分をもっているわけではありません。にんにくはユリ科の植物ですが、このユリ科の植物は、アリインというアリシンと名のにた物質をふくんでいます。このアリイン入りの細胞が傷つけられると、アリイナーゼというべつの物質と結びついて、辛み成分であるアリシンがつくられます。

にんにくとおなじ辛み成分のつくられかたをするのがたまねぎです。たまねぎもにんにくも、おなじユリ科の植物です。


わさび(写真作者:663highland)

わさびも辛い食材の代表的存在です。わさびは、シニグリンという物質をもっています。このシニグリンそのものは辛くなく、むしろ苦いとされています。しかし、わさびがすりおろされるなどして傷ついたとき、シニグリンがほかの物質であるミロシナーゼという酵素と混ざりあい、その結果アリルイソチオシアネートという物質が生まれます。このアリルイソチオシアネートがわさびの辛み成分です。

このわさびの辛さと基本的におなじなのが、大根の辛さです。大根とわさびはおなじアブラナ科の植物です。


からし(写真作者:Rainer Zenz)

黄色いからしも辛い調味料ですが、じつはからしの原料となるカラシナもアブラナ科の植物です。しかし、わさびとからしでは、すこしだけ辛さがちがうと感じている人もいるでしょう。これは、わさびにはあって、からしにはない香り成分があるからです。その香りの代表的な成分が、6-メチルチオヘキシル芥子油という物質。こうした物質からなるわさび特有の“新緑”を連想させる香りを、グリーンノートといいます。

唐辛子以外の、にんにく、たまねぎ、大根、わさび、からしの辛さには、鼻を突きとおすような“ツーン”とした感覚がともないます。これは、ここにあげた唐辛子以外の辛み成分は揮発性といって、気体になって鼻の粘膜を刺激するためです。唐辛子のカプサイシノイドは不揮発性のため、辛さが鼻を突きとおしません。

まとめると、つぎのようになります。

唐辛子の辛み成分は、不揮発性のカプサイシノイド。
にんにく、たまねぎの辛み成分は、揮発性のアリシン。
わさび、大根、からしの辛み成分は、揮発性のアリルイソチオシアネート。

辛さのもととなる食材の原料はみな植物です。これらの植物は、動物たちに食べられないための生存戦略として、食べられそうになる状況で辛さが出るしくみをもつようになったと考えられています。

参考資料
JBpress 2013年8月2日付「『激辛』世界一を目指さないのにはワケがある」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38360
JBpress 2013年3月22日付「体のためには強烈なにおいのニンニクを」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37405
コトバンク「アリシン」
http://kotobank.jp/word/アリシン
金印「わさびの知識」
http://www.kinjirushi.co.jp/dictionary/karami/karami.html
知識の宝庫! 目がテン! ライブラリー「なぜ辛い? 旬のワサビ」
http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/05/03/0327.html

大根、わさび、カラシナを「ユリ科」と書いていましたが、正しくは「アブラナ科」でしたので訂正しました。ああさんにご指摘いただきました。ありがとうございます。2016年1月23日。
| - | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0)
2014年も科学の話から非科学のはなしまで


「アネクドート」とは、「小話」という意味のことばです。「科学技術のアネクドート」では、2014年も、科学技術やそのほかの分野のアネクドートを伝えていきます。

2014年は、日本のエネルギー関連で大きな動きがあるかもしれません。洋上風力発電の実用に向けた試験が日本近海で2013年よりようやく本格化しました。また、電力買い取りなどの再生可能エネルギーの普及への支援制度も、これまでの太陽光中心から風力にも力を入れる向きが見られはじめました。原子力発電の再稼働の問題をふくめ、エネルギーの話題はひきつづき関心をよぶことでしょう。当ブログでは、大きな組織では伝えられないような、「こんな見方もある」といった小話を伝えてつづけていきます。

つぎのような連載もつづきます。

カレー道の探求「カレーまみれのアネクドート」は、回を重ねること52回となりました。しかし、日本全国の“カレー多様性”にくらべると、この数はまだ序二段にもなりません。撮影のためのスマートホンをルゥに入れないようにしながら、2014年も、一皿ごとに展開される香辛料とライスの“辛い調和の妙”を伝えてきます。

世の中に存在する「法則」にも目を向けていきます。「法則古今東西」では、自然科学、社会科学、そのほかの分野をふくめ、「法則」とよばれているものをひとつずつとりあげていきます。これまで21回を重ねてきました。その法則が導き出されるようになるまでの逸話などを伝えていきます。

「sci-tech世界地図」という連載では、世界各地の“科学技術ゆかりの地”をバーチャルに訪れ、その場所で起きたできごとを紹介しています。

ほかにも、話題になっている本やなっていない本の書評、1話分で収まりきれないときの短期シリーズ、世間で問題になっていないようなことばの問題、科学や技術とは関係ない多くの話題なども伝えてきます。2014年もよろしくお願いします。
| - | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0)
2014年は「世界結晶年」

国際結晶学連合「世界結晶年2014」マーク

2014年は「世界結晶年」です。国際連合総会が、国際結晶学連合、ユネスコ、国際科学会議などの支援のもとに2012年に定めました。

結晶とは、原子、分子、イオンなどの物質が、空間的に規則正しくならんだ固体のことをいいます。結晶のかたちやつくりのしくみを研究する、結晶学という学問分野もあります。

世界結晶年が定められた背景には、1世紀前の1914年前後に結晶をめぐる科学的成果が多く上がったことがあります。

たとえば1912年、ドイツの物理学者マックス・フォン・ラウエ(1879-1960)は、結晶のX線回折という現象を発見しました。結晶のX線回折とは、放射線の一種であるX線が、障害物となるはずの結晶の格子を超えて、その影となるところまで届く現象をいいます。逆に、X線による回折を結果を分析して、結晶がどのような並びかたをしているかをしることもできます。1914年、ラウエは結晶研究関連の業績でノーベル物理学賞を受賞しました。

日本人の研究者も結晶学に貢献をしてきました。X線による回折実験の研究を進めた寺田寅彦(1878-1935)や、雪の結晶の分類をした中谷宇吉郎(1900-1962)などです。

もうひとり、結晶の研究者として、世界結晶年の日本委員会がホームページで紹介する研究者がいます。物理学者の西川正治(1884-1952)です。

西川の結晶学の業績として世界的に知られているのは、スピネル型と分類される化学物質の結晶構造を決定したことです。スピネル型とは、「スピネル」または「尖晶石」とよばれる鉱物がとる結晶とおなじつくりをもった結晶の型をいいます。スピネル型の物質は、「AB2X4」の化学式をもちます(A、B、Xは元素)。たとえば、スピネルの化学式はMgAl2O4です。ほかにLiMn2O4のマンガン酸リチウム、FeCr2O4のクロム鉄鉱などがあります。

西川はスピネル型結晶の構造を決定するとき、数学の「空間群」という分野を結晶学にとりいれました。さかんになってまもない結晶学に、これまた誕生してまもない数学の一分野を駆使してみせたのです。

じつは西川は、はじめ大学院の研究では大気中の放射性物質測定という結晶学とは関係ない作業をしていたといいます。担当教官は木下李吉という放射線の分野の教授でした。

しかし、その後の進路を結晶学へと導くできごとがありました。

ある日、大学の廊下を西川が歩いていると、その側の部屋のドアが開いて、人が出てきました。おなじ帝国大学の教授だった寺田寅彦です。寺田の顔を見ると、なにやらうれしそうな表情で、「まあ入りたまえ」と西川によびかけ、部屋に入れたそうです。

以下はこのときを回想する西川のことばです。西川のことばを、物理学者の上田良二(1911-1887)が西川から聞いた話として紹介しています。

「(寺田)先生は片手に岩塩のかなり大きい結晶片をつまんで、その孔(X線の出口)のすぐ前にかざし、片手に持たれた蛍光板を少し離して覗きながら、『そら見えるだろう』と言われた。……しかし、てんで何も見えなかった」

「そのうちに眼が次第に暗黒に慣れてきたのだろうか、結晶を動かすと同時に、フト蛍光板の上に、光るものが動いたような気がした。ハッと思ってよく見ると、見える見えるたくさんの光斑が随所に見えて、それが結晶を動かすとともに動いて行き光を増したり消したりする」

「(寺田)先生は『こうやって見ているとじつに面白い。色々な結晶でそれぞれ特徴があり、また結晶に限らず他のものでも面白い模様が見えることがある』とおっしゃって、いろいろ説明して下さった」

こうして、寺田寅彦のX線回折の実験に立ち会うことのできた西川は、寺田からの勧めもあって、結晶学の分野に進路を向けていくことになったといいます。

寺田は、当時、東京帝国大学地震研究所の研究者でした。寺田が実験した結晶X線回折は、地震研究とは関係ありません。しかし、幅広く研究をする寺田の守備範囲ではありました。寺田の勧めで、研究分野を最終的に西川は変えるのですから、寺田の存在感の大きさを感じさせます。

スピネル型結晶の構造決定などで花を咲かせた西川は、その後、理化学研究所、そして東京帝国大学で結晶学の研究や教育に携わり、1950(昭和25)年に発足した日本結晶学会の初代会長にもなりました。

結晶X線回折もその後おおいに発展し、デオキシリボ核酸の二重らせん構造が発見されたときに使われもしました。いまでは、工業、考古学研究、犯罪捜査など、さまざまな分野で利用されています。

世界結晶年2014日本委員会「世界結晶年2014(IYCr2014)について」はこちら。
http://www.iycr2014.jp/introduction.html

参考資料
世界結晶年日本委員会委員長 飯島澄男ら「世界結晶年日本委員会設立趣意書」
http://www.iycr2014.jp/prospectus.pdf
上村泰裕 「上田良二『西川正治先生のこと』」
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~kamimura/uyeda4-03.htm
八王子市「八王子市名誉市民」
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/profile/gaiyo/
| - | 23:10 | comments(0) | trackbacks(1)
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