科学技術のアネクドート

「サボテンや肉牛とちがってイルカでは違和感」


和歌山県太地町が、イルカとふれあうことのできる海洋哺乳類公園を5年以内に開園させるそうです。AFP通信が報道しています。

さらにこの公園では、イルカを食べながらイルカとのふれあいを楽しむという計画があるといいます。ニュースサイト「VICE」が、太地町の職員担当者の話として伝えています。

鯨やイルカを食べるという食文化のない海外の人びとにとっては、VICEによるニュースを知って「イルカを食べるとは」ということで驚くことでしょう。

いっぽう、日本人にとっては、イルカを食べること自体はそれほど驚くべきところではないでしょう。かつて日本人はイルカと同類の鯨を多く食べてきたからです。イルカは鯨より小さいだけであって生物学的なちがいはありません。現に太地町では、鯨のほかにイルカを食べるという食文化があります。

それでもなお、日本人がこのニュースを知って違和感をもつとすれば、「イルカを味わいながらイルカショウを観る」という将来おこりうる状況について、ということでしょう。

観て味わう対象と食べて味わう対象がおなじになるという状況そのものは、考えられうることです。

たとえば、「サボテン公園でサボテンを鑑賞しながら、サボテンステーキを食べる」といったことを、実際に各地のサボテン公園で行うことができます。

また、「肉牛を近くで観ながら、牛肉ステーキを食べる」といったことを、各地の観光目的の牧場で行うことができます。

これらの事例からすると、「イルカとふれあいながら、イルカの肉を食べる」ということも、これらの事例ににた状況といえなくもないと考える人はいるでしょう。

それでもなお、「サボテンや肉牛の場合と、イルカの場合はやはりちがう」と違和感をぬぐいきれない人がいるとすれば、そのちがいはどこからくるのでしょう。

イルカの表情に、サボテンや肉牛よりも強い愛嬌を感じるために違和感をぬぐいきれない人もいるでしょう。あるいは、イルカに触ることができることを売りにするといった、この公園での対象物との距離の近さを感じるために違和感をぬぐいきれないという人もいるでしょう。

この話題は、日本語にも訳されて、匿名掲示板サイトなどでも話題になっています。「斬新な発想」という反応があるいっぽうで、「さすがにドン引きです」といった反応もけっこう見られます。

なお、VICEのニュースを見ると、太地町の職員の発表について「“さまざまな海産物を食べながら、それは鯨やイルカの肉をふくむものだが”、イルカと泳いだり遊んだりすることができる公園の建設を計画している」と報じています。

参考記事
AFP 2013年10月7日付「イルカ漁の太地町、海洋公園をオープンへ」
http://www.afpbb.com/articles/-/3001001
VICE News 2013年10月10日付 “A NEW WATER PARK IN JAPAN WILL LET YOU PLAY WITH DOLPHINS WHILE YOU EAT DOLPHINS”
http://www.vice.com/en_ca/read/a-water-park-in-japan-lets-you-play-with-dolphins-while-you-eat-dolphins
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「これぞヴィンテージの風味、現代に甦った『蔵囲』昆布」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2013年)11月29日(金)「これぞヴィンテージの風味、現代に甦った『蔵囲』昆布」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

福井県敦賀市には昆布問屋が多くあります。これは、おもに江戸時代から明治時代にかけて、北海道で穫れた昆布が日本海を行き来する北前船などの廻船によって敦賀で荷揚げされたため。その後の琵琶湖経由で京都や大坂さらには西国へとつづく「昆布ロード」に欠かせない地が敦賀だったのです。

この敦賀に本社を構える昆布問屋に「奥井海生堂」という老舗があります。4代目社長の奥井隆さんは、昆布という食材を和食に欠かせない大切なものと考えています。昆布食の伝統を守ろうとする姿勢がひしひしと伝わってきます。

この記事でもそうですが、なかでも「蔵囲(くらがこい)」という昆布の加工法がマスメディアの注目を集めています。蔵囲とは、昆布を最低でも1年、長ければ2年、3年、それ以上にわたり蔵のなかで、一定の温度と湿度を保ちながら寝かしつづけること。

こうして長いこと蔵のなかで寝かせておいた昆布でだしをとると、だしの色は琥珀に近い色になり、味は甘くなるといいます。

この蔵囲は、かつての敦賀では“しかたなく”おこわれるようになったものといえます。昆布が北海道から届いたのは秋から冬にかけて。雪の季節に昆布を琵琶湖まで運ぶのはたいへんだったので、当時の昆布商たちは一冬、蔵で昆布を寝かさざるをえなかったのです。

ところが、そうして寝かせた昆布が、京都などの料理人においしいと評判になりました。このような経緯で技術が確立されたといわれています。

そして現代において、この加工法を行っている昆布問屋がきわめてまれなため、マスメディアなどが注目するようになったのでしょう。この記事も例外ではありません。

そして、NHKなどの放送局が、なぜ蔵囲昆布がおいしいのかを検証しはじめました。たとえば、NHK総合の「ためしてガッテン」で、奥井海生堂の昆布をとりあげた特集も組まれました。奥井さんの話では、番組制作者により味の変化の検証などが行われたといいます。

その結果、蔵囲された昆布において、一般的に食材の風味をよくするとされるアミノ・カルボニル反応がおきていることが明らかになったのです。

昆布の蔵囲をめぐるこの事例は、伝統的によいとされてつづけられてきたことが、現代の科学によって確かめられた典型例といってよさそうです。

奥井さんは「私自身はものすごく興味があるというわけではありません」「それでも、外部の方々から求められて、研究材料を提供することはあります。そして、私どもが経験則として教えられてきたことが、結果として証明されていることはけっこうあります」と話しています。

「これぞヴィンテージの風味、現代に甦った『蔵囲』昆布 日本の味は昆布だしとともに(後篇)」はこちら。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39293
昆布や昆布だしの歴史を追った前篇「『昆布ロード』は宝の山の通り道だった」はこちらです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39233
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宇宙誕生まもなく宇宙のほとんどを占める元素がつくられた


宇宙にある元素のなかで、存在比の圧倒的に高いものは水素です。宇宙のすべての炭素の重さを1とすると、宇宙における水素すべての重さは1万になります。水素は、元素のなかでもっとも軽い物質なので、いかに水素の存在が多いかがわかります。

水素のつぎに宇宙を占領している元素がヘリウムです。宇宙のすべての炭素の重さを1とすると、ヘリウムは1000となります。つまり、水素の10分の1ぐらいは存在することになります。

水素とヘリウムのつぎとなると、存在比はとても低くなります。3番目は酸素ですが、宇宙すべての炭素の重さ1に対して2。水素の5000分の1、ヘリウムの500分の1しかありません。

これだけの水素とヘリウムがつくられたのは、宇宙のはじまって38万年後ごろと考えられています。

ビッグバンという宇宙創成時の大爆発が起きてしばらくしてからの数分間、いまにくらべれば小さな宇宙では、高温・高エネルギーのなかで核融合がくりかえされました。核融合とは、原子の中心となる核が接触して、より重い原子の核になることです。そのころの宇宙では、水素やヘリウム、それにリチウムなどの原子核がつくられていたと考えられています。

その後、宇宙が膨らむとともにすこしずつ冷えていき、宇宙はプラズマという状態で満たされるようになりました。このころの宇宙は「冷えていき」といってもまだ100万度ほどありました。

そして宇宙創成から38万年後、さらに宇宙が冷えて3000度ぐらいまでになると、プラズマ状態も続かなくなります。ここで原子核は電子と結びついて、安定した原子がつくられるようになりました。水素原子やヘリウム原子が、私たちの身のまわりにあるようなかたちで生まれたのです。

より重い原子がつくられたのは、恒星が誕生してからのことになります。つまり、ビッグバン後に宇宙でつくられた原子核がもととなった原子が、いまの宇宙の原子の存在比のほとんどを占めているということになります。

参考文献
サイモン・シン『宇宙創成 下』
http://www.amazon.co.jp/dp/4102159754/
参考文献
国立天文台「宇宙はどのように生まれたのか?」
http://www.nao.ac.jp/study/uchuzu/univ02.html
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私たちはみな“科学をする人”


「科学者」というと、多くの人は「特別な分野で仕事をしている人びと」と思うかもしれません。しかし、科学的な考えかたや行いかたでものごとにとりくんでいる人を、広い意味での科学者と考えれば、子どももおとなもみな科学者である資格をもっているといえます。

なにが「科学的」なのかということが問題になります。多くの人びとは科学的ということに対して、あまり分析することがありません。

米国のノースカロライナ自然科学博物館は、『シェアリング・サイエンス 子どもを科学者や技術者と結びつける』という本で、科学的な行いをつぎのように分解しています。

「観察」。見たり、触れたり、嗅いだり、味見したり、聴いたりといった、語感を使った行為がかかわっています。

「実験」。なにかを変えてそれがどうなるかを見るなどします。

「協力」。ものごとを行ううえで、仲間とともに行うということです。これも、いまの多くの人が研究や開発にかかわる科学においては大切なこととされています。

「記録」。観察や実験したことを書きとめておくわけです。

「計測」。ものさし、定規、ストップウォッチ、計量器などを使って、量をはかります。

「整理と分類」。色、大きさ、形、重さなどで、特徴をふりわけていきます。

「比較」。もっとも速いもの、もっとも大きなもの、もっとも遠いものなどを見ていきます。

「分析」。なにがもっとも際だって起きているかなどを調べます。

「情報共有」。まわりの人に「こんなことがわかりました」と伝えます。

すでに実践している人もいるかもしれませんが、理科の授業を受けもっている先生などは、科学的な行いを分類しようとすればこうなるということを意識して生徒に接すると、学ばせかたが変わってくるのかもしれません。

さらに、教育現場だけでなく、ふつうに暮らす市民にとっても、いわゆる科学リテラシーを身につけて生活するのに、これらの分類があるという考えかたは大切かもしれません。

参考文献
North Carolina Museum of Life and Science “Sharing Science: Linking Students with Scientists and Engineers : a Survival Guide for Teachers”
Arthur A. Carin “Teaching Modern Science”
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宙、海、微、それぞれの世界に写真コンテスト
世界ではさまざまな自然科学や工学技術に関連する「写真コンテスト」が、毎年のように開かれています。三つの分野から代表的なものを見てみます。

グリニッジ標準時で知られており、いまではケンブリッジにある「グリニッジ天文台」は、宇宙の写真のコンテスト「アストロノミー・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー・コンテスト」を開いています。


アストロノミー・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー・コンテスト

2008年から開かれているもので、宇宙に関する美しい写真を毎年つのっています。なお、応募は、写真共有サイト「フリッカー」を通じて行われています。

2013年はすでに賞が発表されています。「総合、そして地球と宇宙」というカテゴリーでは、豪州のマーク・ギーさんの撮影による作品「星々を導く光(Guiding Light to the Stars)」が受賞しました。ほかにも、「深い宇宙」や「私たちの太陽系」といったカテゴリーで、それぞれの天文写真家が受賞しています。

いっぽう、眼を海のほうに向けてみると、米国の自然フォトコンテスト運営組織「ネイチャーズ・ベスト・フォトグラフィ」は、おなじく米国などに拠点を構える非政府団体「ダイバーズ・アラート・ネットワーク」、そして水中カメラメーカー「ウェット・ピクセル」とともに「オーシャン・ヴューズ・フォト・コンテスト」を開いています。2013年は12月5日まで作品を応募しています。


オーシャン・ヴューズ・フォト・コンテスト

2012年の最優秀作品は、「夕暮れ時のレモンザメ(Lemon Shark at Sunset)」という作品。水のなかから顔を出さんとしているレモンザメを近距離で撮影しています。遠くには、沈んでゆく夕日が写っています。

一気に、微細な世界にも目を向けてみましょう。日本の光学機器メーカーのニコンは、「ニコン・スモール・ワールド」という顕微鏡写真のコンテストを開いています。直近では、2014年4月30日まで、作品を募集しています。


ニコン・スモール・ワールド

光学顕微鏡で撮影した、生命の美しさや精緻さから、順位を決定するもの。2013年の第1位には、「キートケロス・デビリス、群生プランクトン(Chaetoceros debilis (marine diatom), a colonial plankton organism)」という作品が輝いています。オランダのウィム・ファン・エグモンドさんが撮影しました。250倍の顕微鏡に写しだされたこの微生物は、黄金の螺旋を描いています。

グリニッジ天文台などによる「アストロノミー・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー・コンテスト」のホームページはこちら。
http://www.rmg.co.uk/whats-on/exhibitions/astronomy-photographer-of-the-year/
ネイチャーズ・ベスト・フォトグラフィ「オーシャン・ヴューズ・フォト・コンテスト」の募集ホームページはこちら。
http://www.naturesbestphotography.com/enter_othercompetitions.php
ニコンによる「ニコン・スモール・ワールド」のホームページはこちら。
http://www.nikonsmallworld.com
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快適音量、ラジオよりテレビのほうが大きめの可能性も


人がラジオを聞くときとテレビを見聞きするとき、どちらのほうが音量を大きくしているのでしょうか。あるいは、二つの媒体に接するにあたり、音量のちがいはないのでしょうか。

データはとぼしいながら、それぞれの媒体に対する“最適音量”を調査した研究があります。

音の大きさを測る単位には「デシベル」(dB)が使われます。音圧が1平方メートルあたり 2×10−5N(ニュートン)のときを「0デシベル」として、音の強さが100倍になるごとに20デシベルを加えます。なかでも環境音を測るときなどには「A特性音圧レベル」(dBA)という単位が使われますが、これは通常の「デシベル」に雑音を感じるという点での補正をかけたもの。

ラジオについては、人間生活工学研究センターが、30歳から49歳までの壮年者たちと65歳から74歳までの前期高齢者たちで、「聞き取るのにちょうどよい音量」を調べたところ、壮年者では46.2デシベル、前期高齢者では50.9デシベルとなったそうです。

いっぽう、テレビについては、広島大学大学院教育学研究科でいまは教授をしている岩重博文さんが、「生活音が居住者の日常生活におよぼす影響に関する一考察」という論文のなかで、調査結果を述べています。大学生17人、社会人5人、主婦3人に対して、テレビでの「快適音」の傾向を調べました。

このうち5人を対象に「騒音レベル」と「快適-不快」の関係を調べた相関図を見てみると、5段階のうち「快適」にもっとも近い度合と、2番目に近い度合とあわせた結果では、50デシベルから55デシベルあたりが中央値になっているようです。

条件や対象が異なるため絶対にそうとは決められませんが、このラジオとテレビに対する音量の感じかたの調査からすると、ラジオのほうがテレビよりも小さな音量で快適感を得られるということになります。

テレビというメディアでは音声と映像と両方が人に届くのに対して、ラジオというメディアでは音声のみが人に届きます。これからすると、ラジオのほうが情報を受けるとき音に頼る度合ははるかに大きくなるため、音を大きくすることが重要になってきそうではあります。

ところが、このふたつの結果からするとむしろ逆で、より大きな音で快適さを感じるのはテレビのほうでした。

もし、おなじ条件、おなじ対象者の前提でおなじく「ラジオよりテレビのほうが適切音量は大きい」という結果になるとすれば、映像とのつりあいがテレビでは考慮されて聞き心地のよい音も自然とラジオより大きくなるとか、あるいはラジオのほうが集中して耳を傾けるので聞き心地のよい音は自然とテレビより小さくなるとか、そのようなことになるのでしょうか。

参考文献
人間生活工学研究センター「高齢者向け生産現場設計ガイドライン 聞き取りやすい音量」
http://www.hql.jp/project/funcdb2000/guideline.ver.2/gl-cyoukaku.pdf
岩重博文「生活音が居住者の日常生活におよぼす影響に関する一考察」
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/74006416/Kyoikugaku_kenkyuka_2_54_347_353_iwashige.pdf
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国民の休日、過去には消滅したことも
国会議員がつくる「『山の日』制定議員連盟」が、8月11日を「山の日」という国民の祝日にすることを議員提案することを決めたと報じられています。早ければ、2015年から実施されるということです。

人が一年間のある日を“特別な日”とすることについては、とくに法律的な制限はありません。しかし、その日を国民の祝日にしようとすれば話は別です。「国民の祝日に関する法律」という法律で、国民の祝日が定められているからです。国会で、法律を改正しなければなりません。

いま、日本には15の国民の祝日があります。米国や英国などの国々がだいたい10日前後であることからすると、日本の祝日は多いことになります。「山の日」が祝日になれば全16日。

では、国民の祝日だった日が休日でなくなったことはあるのでしょうか。日本では、1948(昭和23)年に「国民の祝日に関する法律」が施行され、それまで「休日」とされてきた計6日分が休日でなくなりました。1月3日の元始祭、1月5日の新年宴会、2月11日の紀元節、4月3日の神武天皇祭、10月17日の新嘗祭、12月25日の大正天皇祭です。ただし、2月11日は、いまも建国記念の日として国民の祝日になっています。

このように、休日が消滅するといったことは、なかったわけではありません。しかし、1948年の改正で廃止された休日は天皇にゆかりのあるもので、戦後、日本を占領していた連合国軍の意向が色濃く反映されています。

戦後の祝日については、今回の「山の日」とおなじように、成立に至るまでに人びとのはたらきかけなどがあったものもあり、かんたんに「祝日が多すぎるからこの日は休日から外す」といったことにはならないでしょう。

「山の日」を8月11日とするのは、お盆休みあたりなので、企業活動にあたえる影響が小さいと考えてのことだといいます。そうだとすれば、8月13日や14日、16日などのお盆期間中を「山の日」としたほうが、より平日が休日にかわるという点での影響はすくなさそうです。

参考記事
読売新聞「8月11日は山の日、異論も…『祝日多すぎる』」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131122-OYT1T00890.htm?from=ylist
参考ホームページ
ウィキペディア「国民の祝日に関する法律」
http://ja.wikipedia.org/wiki/国民の祝日に関する法律
未来経済研究所「日本の休日『みんな一緒に』の非効率」
http://www.study-mirai.org/works/ojo0505.htm
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宇宙誕生以前のようなものは存在しない


宇宙がはじまる前にはなにがあったのか——。人びとが天文学の話をするとき、しばしばこのような話題がのぼることがあります。

その答えとしてよくいわれるのは、「宇宙誕生よりも前の状態など存在しなかった」というもの。宇宙がはじまることによって、時が流れはじめたのだから、それよりも前に時間があることはない。よって「存在しなかった」ということになるというわけです。

この答えを聞いても、ぴんとこない人もいるでしょう。そういう人たちに対して、つぎのようなたとえ話を使って、その疑問にこたえる人もいます。

「たとえば、あなたが『北極よりも北にはなにがあるのだろうか』とたずねるとしよう。でも、考えてみて。“北極よりも北”というものは存在としてありえないのだから、北極よりも北になにがあるかを考えることそのものが意味をなさないのであって、『そのようなものは存在しない』という表現しか見あたらない。それとおなじように、宇宙誕生よりも前について『そのようなものは存在しない』としか表現しようがない」

たしかに理論的には、北極の北なんて存在しないのとおなじように、宇宙のはじまりの前なんて存在しないというのには、それなりの説得力があります。

宇宙の誕生は、いまでインフレーションという、通常の世界では信じがたいような現象ではじまったといわれています。ひとつの原子よりもさらに小さいような“点”が一瞬のうちに膨張し、その直後にビッグバンとよばれる大爆発がおこり、宇宙空間が膨張しつづけたと説明されています。

しかし、この理論とはべつの観点で、この宇宙がはじまるより前にも存在するものがあったのではないかとする理論もまたあります。インフレーションが起きる前にも、“ひとつ前の宇宙”が存在しており、その“ひとつ前の宇宙”が収縮しきったときに、その反発からいまの宇宙が誕生することになったというのです。この理論は「サイクリック宇宙論」といわれています。いわば、誕生から終焉までのひとつの宇宙が、数珠つなぎになっているというモデルです。

しかしながら、サイクリック宇宙論の観点からしても、やはり「1回目の宇宙のはじまりの前にはなにが存在していたのか」ということが疑問に出てくることになります。この問題は循環するわけです。

参考文献
サイモン・シン『宇宙創成』
http://www.amazon.co.jp/dp/4102159746
河合光『はじめての<超ひも理論>』
http://www.amazon.co.jp/dp/4061498134
参考ホームページ
ヴィオニッチの科学書『サイクリック宇宙論』
http://obio.c-studio.net/science/109.htm
ウィキペディア「サイクリック宇宙論」
http://ja.wikipedia.org/wiki/サイクリック宇宙論
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広報誌『無限大』から、広報ウェブ媒体「Mugendai」に


日本IBMの広報媒体「Mugendai」で、このたび「藻類が日本を産油国にする 2種の藻をハイブリッド高速増殖させ、エネルギー自給ができる日がやってくる」という記事が配信されました。筑波大学大学院生命環境科学研究科教授の渡邉信さんがとりくんでいる、藻類からエネルギー資源を得る研究を紹介しています。この記事の取材と執筆をしました。

日本IBMは、1969年に広報誌『無限大』を雑誌媒体として創刊し、ことし2013年まで年2回の頻度で発行してきました。おもに企業の上層ではたらく人などに日本IBMが配布していましたが、おなじ内容の記事をホームページでもそのままPDFのかたちで見ることができました。

しかし、時代の流れというものもあるのでしょう。このたび、日本IBMは、紙媒体で印刷することをやめ、ウェブで読む記事として内容を刷新しました。媒体の名前も『無限大』から「Mugendai」へとかわったのです。

従来の雑誌としての媒体についても、誌面レイアウトそのままの記事をウェブで見ることはできました。もちろん、誌面の文字ぐみが縦ぐみなのでウェブでも縦に読むことになっていましたが。すくなくとも「記事をウェブで読む」ということでは、かつてもいまもかわらなかったわけです。

しかし、この媒体に接しつづけてきた読者には、やはりウェブに移行して大きくかわったという印象をもつ人も多いことでしょう。ウェブページの文字ぐみとしては当然ながら横ぐみになり、写真ももちろんカラーで掲載されています。

さらに大きいのは、フェイスブックを使っている読者が記事をおすすめするための「いいね!」機能が加わったり、ツイッターを使っている人が記事の感想などを書いて人びとに広める「ツイート」機能が加わったりしている点でしょう。この方法は、日経ビジネスオンラインやJBpressといったウェブ媒体での記事では、もはや当然の方法となっています。読者は読んだ直後に、自分の感想などを表現することができるため、雑誌より“参加型”の媒体になったと、かつてからいわれています。

さっそく、渡邉さんが登場した記事には「ここまで具体的に進んでいるとは知らなかった」「こういうのドンドン研究してください」といったツイッターでの反応も見られます。

mugendaiの編集部は、ホームページで「今回、より多くの方に情報をご提供することを目的に、デジタルメディアとしての『Mugendai』を開始することにいたしました」と記しています。

過去の紙媒体での記事へのウェブ上のリンクが途ぎれてしまっているなど、整備中のところもあるようですが、老舗的広報誌のデジタル媒体化の成功例となるでしょうか。

日本IBMの「mugendai」ホームページはこちら。
http://www.mugendai-web.jp
渡邉信さんが登場する「藻類が日本を産油国にする 2種の藻をハイブリッド高速増殖させ、エネルギー自給ができる日がやってくる 前篇」はこちら。
http://www.mugendai-web.jp/archives/339
おなじく「後篇」はこちらです。
http://www.mugendai-web.jp/archives/416
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機械の内視鏡で見づらいところを見る

Borescope Application by Landy Atkinson

「内視鏡」は、内蔵に病気をもつ患者に対して、患部のところまでファイバースコープなどを届かせて、患部のようすを見るための装置です。見えづらいところに“眼”を届かせて見ることができます。

見えないところを見たいというときの対象は、なにも人間のからだのなかにかぎったことではありません。機械の中身に異常はないかを見る、といった必要性もあります。

そこで、“機械に対する内視鏡”とでもいう役割を果たす装置も開発されています。「ボアスコープ」といいます。

英語で書くと“Borescope”となります。“bore”は「穴をあける」などの意味のほかに「パイプなどの内部空間」といった意味があります。「穴」に関係することばです。また、“Scope”は「観察器械」のこと。

ボアスコープは、ねじを回すドライバーのようなかたちをしていています。さらに、ドライバーでいうところの、ねじを取りつける付け根の部分には取っ手がついているものもあります。

そして、ドライバーでいうねじのところに、対象物を見るためのしくみがあります。管のまっすぐ先のところで対象物を見るもののほか、管のななめ前で対象物を見るもの、さらに管のななめ後ろで対象物を見るものもあります。

さらに穴のなかや機械のなかは暗いので、そこでもようすがわかるための光を照らすしくみも兼ねそなわっています。

かつて、飛行機のエンジンの検査では、いちいちエンジンを分解して、異常がないかどうかを調べる必要がありました。これには手間と時間がかかります。しかし、全日本空輸(ANA)の技術者が、ボアスコープを駆使することによってエンジンを分解しなくてもエンジンの内部を検査することのできる技術を開発しました。この方法は、いま航空機のエンジン点検での世界標準にもなっています。

参考資料
日本航空技術協会「弊協会『会長賞』受賞者について」
http://www.jaea.or.jp/pdf/jushosha.pdf
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2013年の新語・流行語候補、科学技術関連は小粒ぞろい


「2013ユーキャン新語・流行語大賞」の候補が発表されました。今年は、テレビのドラマやコマーヤルメッセージから、人びとが実際に使うようになるようなことばが生まれており、大賞選びは“激戦”のようです。

候補語のうち、科学技術に関することばでは、どのようなものがあがっているでしょうか。

「PM2.5」。中国での大気汚染が日本にも影響しかねないということで、このことばがしばしば新聞などに載りました。PMとは“Particle Matters”の頭文字をとったもので、日本語では「粒子状物質」とよばれます。いっぽう「2.5」というのは、2.5マイクロメートルをあらわしたもの(1マイクロメートルは1000分の1ミリメートル)。PM2.5は、粒子状物質の大きさがおよそ2.5マイクロメートル以下のものを指します。PM2.5は、人の呼吸器系の奥深くまで入りやすいことから、その飛散が問題となっています。

「ビッグデータ」。これまでのデータベース管理ソフトウェアで扱う能力を超えるほどのサイズのデータのことを指すことばです。しかし、単にこうした“大きすぎる”という意味だけではこれほど世のなかで使われることはなかったでしょう。なぜ、ビッグデータということばがこれほど使われているかといえば、これからの情報技術をビッグデータの分析に使えばビジネスなどで役立つ知見を導きだせるという期待がもふくまれているからです。ビッグデータを、最新のコンピュータで分析することにより、ビジネスに役立つようななんらかの傾向などを得ることができるといわれています。

「ご当地電力」。全国津々浦々の地域でつくられる電力のことをいいます。太陽光発電やマイクロ水力発電といった小規模な発電法を使って、その場で電力を得ます。電線で遠くから街まで電力を運ぶ原子力発電の方法とは対極的です。

「ダイオウイカ」。日本放送協会の「NHKスペシャル 世界初撮影! 深海の超巨大イカ」で一躍知られるようになった生物です。属名は”Architeuthis”。これは「最高位のイカ」といった意味になります。ダイオウイカの撮影を通じて、海にはまだまだ知られざる生きものが暮らしているということを人びとは知ることになりました。

「汚染水」。2013年についていえば、このことばはもっぱら、福島第一原子力発電所の敷地内にある放射性物質を多くふくむ水という意味で使われてきました。なぜ、流行語の候補になったかといえば、この水を貯めているタンクからこの水が漏れだしており、環境中に放射性物質をまきちらしていることが心配されているからでしょう。原子力発電所に面した海にまで、この水が漏れでているとも報じられています。

「コントロールされている」。いっぽうで安倍晋三首相が、福島第一原子力発電所での汚染水の漏れかたについて、「コントロールされている」と発言しました。このことばが発されたのは、9月7日にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた国際五輪委員会での東京五輪招致プレゼンテーションにおいて。プレゼンテーション直後、メディアなどで「外国に対して原発事故の心配を払しょくした」といった評価もありました。しかし、冷静に立ちかえると、海への汚染水漏れがコントロールされているのか怪しいということになり、この発言の真偽はいまも尾を引いています。

これらのことばが「倍返し」「じぇじぇじぇ」「今でしょ」などをさしおいて、新語・流行語対象になることはあるでしょうか……。

「2013ユーキャン新語・流行語大賞」の候補語は、こちらから見ることができます。
http://singo.jiyu.co.jp

参考記事
朝日新聞 2013年6月9日「広がる『ご当地電力』市民ファンドが原動力」
http://www.asahi.com/business/update/0609/TKY201306080389.html
参考ホームページ
ウィキペディア「ダイオウイカ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ダイオウイカ
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「メールを送った相手にファクスまで送るとは、いかにもナベさんらしい」
「いかにも」ということばがあります。会話や文章で使う人もいることでしょう。

たとえば、会社の職場で、「メールを送った相手にファクスまで送るとは、いかにもナベさんらしい」などと言う人がいるかもしれません。

「いかにも」ということばを、漢字をまじえて書くと「如何にも」となります。「如何」は「どんなふう」とか「どう」とかいった意味のことば。ここから「如何にも」は、「どんな風に考えても」とか「どう見ても」とかいった意味に本来なるのでしょう。

ことばに対する語感を考えた場合、この「いかにも」には、嘲笑の要素がすこしだけありながらも愛着もふくまれており、また、見くびり感がすこしだけありながらも憎めなさもある、といった絶妙な雰囲気を醸しだすことができます。

たとえば「メールを送った相手にファクスまで送るとは、いかにもナベさんらしい」と発言する場合、メールを送った相手にファクスを送るなんて通常の人では考えにくいけれど「ナベさん」であればやるだろう、といった語感がふくまれています。

ほかの人はやらない、つまり、ある意味で常規を脱する行為という点では、その人に対して「特異的である」もっといえば「信じがたい」といったことを「いかにも」と発言した人は考えているわけです。

しかし、それにとどまりません。「いかにも」が直接的にかかるのは「ナベさんらしい」。つまり、その特異的で信じられない行為をするのは「ナベさん」だからこそだと「ナベさん」のことをとても個性的に見ていることにもなります。

さらに「いかにも」と発することができるのは、その人のことをよく見ていたり、よく知っているたりするため。つまり「いかにも」と言うには、長らくその人と接していたり、深くその人を知っていたりする必要もでてきます。このあたりが、愛情的な語感を醸し出しているのかもしれません。
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理科で学ぶ内容を関連づけて地図に(下)
理科で学ぶ内容を関連づけて地図に(上)

全米科学振興協会(AAAS:American Association for the Advancement of Science)は、2003年より、学校で学ぶ理科教育のそれぞれの内容の関連を“地図”にした、「科学リテラシーの地図帳(Atlas of Science Literacy)」という一覧表をつくり、公表しています。2007年には第2版が出ています。

この“地図帳”では、「科学の性質」「数学の性質」「技術の性質」「物理的環境」「生活環境」「人間の構造」「人間の社会」「デザインされた世界」「数学的な世界」「歴史的な視野」「共通テーマ」「思考習慣」という12の大テーマが設けられています。さらに、それぞれの大テーマにはいくつかの細分化された小テーマの“地図”があります。

この“地図”を見てみると、第1・2学年、第3〜5学年、第6〜8学年、第9〜12学年という大きな区分があります。そして、それぞれの区分において、なにを学ばせるかが短い文章になっています。

より重要なのは、それぞれの学ばせる内容のあいだには矢印がついていて、その内容がどの内容とつながっているかが明確になっていることです。

たとえば、「物理的環境」の大テーマのなかにある「天気と気候」という小テーマを見てみます。第1・2学年には、学ばせる内容として「いろいろなことに変化は起きるものである」と書かれてあり、そこから矢印が四つ出ています。



そのうちのひとつの矢印の先をたどると、おなじく第1・2学年で学ばせる内容として「気温や降水(降雪)量は、毎年おなじ月において、最高、最低、平均の傾向がある」と書かれてあります。

この内容からさらにふたつの矢印が出ています。

ひとつは、第3〜5学年で学ばせる内容で、それは「天気はいつも変化し、気温、風向、風力、降水量といった測ることのできる量で表すことができる。一定の特性をもった空気の大きな塊が、地球の表面を動く。この空気塊の移動や相互作用は天気予報に利用される」というもの。

もうひとつは、すこし飛んで第6〜8学年で学ばせる内容で、それは「地球表面のある場所の気温は、毎日そして年間を通じてある程度は予想できるパタンで上がったり下がったりする傾向がある」というもの。

児童・生徒に学ばせる内容が、この「天気と気象」とは別のところと関連づけできる場合もあります。その場合、べつの種類の点線で、どんなテーマと関連しているかを指し示しています。

この“地図帳”づくりの基礎になっているのが、「ベンチマーク(Benchmark)」とよばれているもの。全米科学振興協会が1993年に策定した、各学年ごとの学習内容です。“地図帳”では、このベンチマークに記されている内容との関連づけもされています。

このように、「科学リテラシーの地図帳」では、さまざまな分野でのさまざまな学びの内容には“つながり”があることを、見えるかたちで示しているのです。

全12学年、全分野にわたって、それぞれの学ぶ内容の相関関係を考え、それを表現することは、そうかんたんなことではありません。日本では、群馬県総合教育センター産業科学グループ理科研究班など一部の組織で理科教育の“全体図”づくりが試みられています。こうした試みの全国的な広がりが理科教育にとって大切なことはいうまでもありません。(了)


参考文献
全米科学振興協会『Atlas of Science Literacy Volume2』
丹沢哲郎「『すべてのアメリカ人のための科学』の開発に至る背景」
http://www.jst.go.jp/csc/science4All/link/download/sub1-028.pdf
参考ホームページ
群馬県総合教育センター「理科学習内容の系統・関連図(系統性)」
http://www2.gsn.ed.jp/houkoku/2004c/04c09/kei_zu/kei_touzu.html
| - | 18:14 | comments(0) | trackbacks(0)
理科で学ぶ内容を関連づけて地図に(上)
森羅万象のできごとのうち、自然科学の分野で扱われる対象はかなりの部分を占めます。物質について学ぶのも科学や理科においてですし、人体について学ぶもの科学や理科において。宇宙について学ぶのもおなじです。

さらに、それぞれの分野には、学校教育において「いつの段階でなにを学ぶか」がおおよそ決められています。もちろん学校によっては、先生が「ちょっと学年を先どりして、このことも教えておこう」と、みずからの裁量で高い学年で学ぶ内容を教育することもあるでしょう。

学年が進むごとに、児童や生徒は新しいことをつぎつぎと学んでいきます。しかし、その“新しいこと”が、“まったく新しいこと”かといえば、そうともかぎりません。

たとえば、小学5年生の理科では、「天気の変化は、映像などの気象情報を用いて予想できること」を学びますが、その1学年下の小学4年生の理科では「水は水面や地面などから蒸発し、水蒸気になって空気中に含まれること」を学んでいます。小学4年生のときに「空気には水が水蒸気というかたちでふくまれている」ということを知っておけば、小学5年生のときに「水蒸気をはかることでも天気の変化を予想できるのではないか」と考えを伸ばすこともしやすくなるでしょう。

各学年で学ぶ科学や理科の内容が、その上下の学年のどの内容とつながっているのか。それを把握していれば、教える先生のほうも「みんな、4年のときに水蒸気のことを習ったでしょう。これから、それと関係する天気の話をするよ」などと、別学年の授業内容と関連づけて効果的に教えることができます。

こうした、各学年での理科の授業内容の“関連づけ”を行い、それを公表している組織として、全米科学振興協会(AAAS:American Association for the Advancement of Science)があります。この協会は1848年に設立され、科学雑誌『サイエンス』を刊行していることでも知られています。

全米科学振興協会は2003年より、「科学リテラシーの地図帳(Atlas of Science Literacy)」という一覧表をつくり、公表しています。これは、米国の初等と中等の教育12学年の各学年で、児童・生徒が学ぶ内容がいかにほかの学年の内容とつながっているかを視覚化した関連図です。つづく。


「科学リテラシーの地図帳」第2版

参考ホームページ
全米科学振興協会「Project 2061 Atlas of Science Literacy, Volumes 1 and 2」
http://www.project2061.org/publications/atlas/default.htm
文部科学省「学習指導要領 第2章 各教科 第4節 理科」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/cs/1320025.htm
参考文献
丹沢哲郎「『すべてのアメリカ人のための科学』の開発に至る背景」
http://www.jst.go.jp/csc/science4All/link/download/sub1-028.pdf
| - | 20:16 | comments(0) | trackbacks(0)
重要な説の提唱者、日の目を見ず
科学の世界には、なにかの理論についての“提唱者”がいます。提唱者の提唱がのちに正しいと認められ、偉大な提唱だったことが明らかになっても、そのとき提唱者はすでに世にいないということがあります。

いまでは天文学の定説となっている「ビッグバン」にまつわる提唱もそのひとつです。ビッグバンとは、宇宙は大爆発(ビッグバン)から始まったという説です。

まだ、「ビッグバン」というよびかたさえなかった1922年、ソビエト連邦(いまのロシア)の数学者だったアレクサンドル・フリードマン(1888-1925)が、『ツァイトシュリフト・フュール・フィジーク』という学術誌に一本の論文を発表しました。


アレクサンドル・フリードマン

このころ物理学の世界では、アルバート・アインシュタイン(1879-1955)が提唱した「宇宙定数」という考えに対して議論が起きていました。アインシュタインは「宇宙は静的である」と信じていましたが、自分のうちたてた相対性理論からすると宇宙は重力によって縮んでいくことになります。そこで、重力に対して釣りあうような反発力の存在を唱え、宇宙定数として表したのです。

フリードマンはこの論文で、アインシュタインの宇宙定数がゼロだとしたら宇宙はどうなるかをいろいろと説きました。そして、宇宙に星がたくさんあるとすれば、その星々の重力により宇宙は縮んでいくし、宇宙に星があまりないとすれば、逆に宇宙は膨らみつづけていくということを数学的に示したのです。

フリードマンが示した数学の式には欠陥がなく、それはアインシュタインが唱えていた静的な宇宙と反するものでした。かつてフリードマンはアインシュタインの説を否定していましたが、フリードマンが撤回をはたらきかけると、アインシュタインは「フリードマン氏の説は正しい」と認めたといいます。

このフリードマンの説明は、アインシュタインをはじめ多く当時の多くの研究者が抱いていた「宇宙は静的である」という考えをうちやぶる画期的なものでした。

しかし、いま歴史をふりかえってみるとそれは“画期的”といえるのであり、フリードマンが示した「動的な宇宙」のモデルは、当時の研究者たちのあいだではほとんど取り扱われませんでした。

論文の発表からわずか3年後の1925年、フリードマンはほぼ無名のまま、37歳の若さで死亡しました。死因は腸チフスとも肺炎ともいわれています。

フリードマンの死後、米国の天文学者エドウィン・ハッブル(1889-1953)が、宇宙は広がっていることを天文観測をもとに発見しました。これにより、研究者たちは「フリードマンなる人物がかつて論文で書いていたことは重要だったのだ」と気づき、評価しだしたのでした。

参考文献
サイモン・シン著 青木薫訳『宇宙創成(上巻)』
http://www.amazon.co.jp/dp/4102159746
参考ホームページ
コトバンク「宇宙定数」
http://kotobank.jp/word/宇宙定数
ウィキペディア「アレクサンドル・フリードマン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドル・フリードマン
| - | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0)
「おいしい」理由にたんぱく質と糖の反応


肉にたれを付けて焼くと、こんがりと焦げめのついたおいしそうな焼き肉になります。実際、それを食べてみると、多くの人は香ばしい風味に「おいしい」と感じることでしょう。

では、実際に焼き肉のなにが、人を「おいしい」と思わせているのでしょう。

肉やたれなどの食材がもっているうまみというのも、もちろんその要素です。しかし、肉をただ焼いて食べたり、たれをただそのまま飲んだりしても、たれの焦げめのついた焼き肉を食べるときよりは、あまりおいしさを感じません。

焼き肉とは、メイラード反応という化学反応の結果が結集されたものであり、このメイラード反応の結集が、おおいに人を「おいしい」と思わせているのだといわれています。

食べものの材料には、たんぱく質や糖といった物質がふくまれています。たとえば、肉にはたんぱく質が豊富にふくまれていますし、たれには糖が豊富にふくまれています。また、肉にも多少の糖もふくまれていますし、たれには多少のたんぱく質もふくまれています。

これらのたんぱく質や糖のふくまれた肉やたれが混ざった状態のものを焼く、つまり加熱すると、化学的な変化がおきます。たんぱく質は、さらに20種類のアミノ酸という物質でできています。そのアミノ酸のつくりの主要部分であるアミノ基と、糖のつくりの一部となるカルボニル基が、熱によって反応した結果、メラノイジンという褐色の色素ができるとともに風味が漂うことになります。アミノ基とカルボニル基が反応することから、この反応はアミノカルボニル反応ともよばれます。

メラノイジンによってできる褐色が、たれつき焼き肉を焼いたときのこんがりとした焼き色です。メイラード反応では、食べものの表面に香ばしさが加わったり、さまざまな香り成分が出たりするため、これらの要素がからみあって、人に「おいしい」という感覚をあたえているようです。

もし、たれつき焼き肉を焼きつづけたままでいると、どんどん焼き色が増えていき、そのうちに焦げてしまい炭と化します。メイラード反応は、糖とたんぱく質の化学反応の、ごく初期に見られる反応といえます。

人の体のなかでもメイラード反応はおこわれています。ただし、食材を火で焼くなどして起きるメイラード反応は、人のからだのなかで行われる反応よりはるかに強いもの。メイラード反応でメラノイジンのほかにできたアクリルアミドという化合物は、からだの細胞を傷つけるため、がんを引き起こすのではといわれています。しかし、焼いて食べることに慣れきっているいまの人では、アクリルアミドなどのメイラード化合物に対して抵抗力を身につけているという説もあります。

参考ホームページ
コトバンク「アミノカルボニル反応」
http://kotobank.jp/word/アミノカルボニル反応
関西食文化研究会「メイラード反応とは何か?」
http://www.food-culture.jp/event/110626_07maillard_repo/report01.html
肉焼き総研「お肉のおいしさを演出する『メイラード反応』とは?」
http://nikuyakisoken.jp/cr/report01.html
千代田病院「発がん性物質 アクリルアミド」
http://www.chiyoda-hospital.or.jp/2011042c.html
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人間よりもはるか自在に性転換


魚にもオスとメスはあります。人が概念として抱いているような性よりも、よほど柔軟な性のしくみをもっている魚も多くいます。オスからメスへ、あるいはメスからオスへと性転換することができるのです。

たとえば、映画の主人公“にも”なった「カクレクマノミ」というスズキ目スズメダイ科の魚がいます。カクレクマノミは、自分のおかれた立場にあわせてかなり自在に性転換することができます。

カクレクマノミは、ふだんイソギンチャクの近くで集団で暮らしています。この集団のうち、もっとも大きなからだのものがメスになります。また、そのつぎに大きなからだのものがオスになります。そしてこのメスとオスがカップルとなり、産卵をします。

オスにとって、相手のメスは、新しい命を授けるための大切な存在。そんな相手のメスにもし先立たれてしまえば、生きていく理由を見つけるのが大変そうです。ところが、カクレクマノミが悲しみにひたることはありません。相手のメスに先立たれたオスのカクレクマノミは、自分がメスへと性転換するからです。

この新しくメスになったクマノミに対して、すこしからだの小さなクマノミがオスとなってカップルになります。こうして、ふたたび生殖活動がはじまるのです。

性転換する魚のなかでは、ホルモンの分泌のしかたが変わってくるといいます。性転換する魚の多くは卵巣と精巣の両方をもっています。そして、その魚が「卵巣を大きくすべきとき」と感じれば、そう仕向けるホルモンが多く分泌されます。いっぽう、その魚が「精巣を大きくすべき」と感じれば、そう仕向けるホルモンが分泌されます。

では、魚たちはどのように「卵巣を大きくすべきとき」または「精巣を大きくすべきとき」と感じるのでしょう。一概にはいえませんが、自分の眼で見て自分の立場を判断する魚は多いようです。たとえば「あれ、メスがいなくなったぞ」といった状況を視覚的な情報として得たとします。その魚は「メスがいなくなったので、自分が卵巣を大きくすべきときだ」と感じ、オスがメスになる、といいます。

ほかにも、幼いころ、身のまわりの温度によってオスになったりメスになったりする魚もいます。ヒラメの稚魚はその一例で、海水が18℃くらいだとメスとなり、それより高い温度になるとオスになることが知られています。

性転換を自在にする魚からすれば、「男は男、女は女を貫きとおすのがほとんどである人間の生態とはなんと柔軟性に欠けていることか」と思われることでしょう。

参考ホームページ
おさかな図鑑「カクレクマノミ」
http://www.ats.co.jp/photogallery/diving/fish/kakurekumanomi.html
岩波書店「新刊の紹介 性転換する魚たち」
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0409/sin_k193.html
こだわりアカデミー「魚類の性転換の研究から、環境問題解決の一つの糸口が見付かるかもしれません。長濱嘉孝氏」
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000001047_all.html
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湾への吹きよせ、気圧の低さ、湾の浅さで高潮甚大被害
フィリピンのレイテ島では、(2013年の)台風30号の直撃により大きな被害がでました。一部の報道によると死者は1万人にのぼるおそれがあるといいます。

台風の被害で犠牲者がでるとき、その原因はさまざまあります。伊豆大島を(2013年の)台風26が襲ったときには、台風による大雨で土石流が起き、これで家が流され多くの人が義性になりました。また、台風による大雨では川が増水します。増水した川に足をすくわれて溺れて義性になるということもよくあります。

フィリピンでの今回の被害の多くは、高潮(たかしお)が原因だと伝えられています。

高潮とは、台風をふくむ低気圧によって海水面が異常に高くなる現象をいいます。

台風や低気圧が近くにない、ふつうの状態の海では、1日に1回から2回、月の引力の影響で満潮と干潮をくりかえします。これとはべつに、台風や低気圧が近づいて、風が海岸に向かって吹くと、風が海の水を海岸のほうへと吹きよせるため、海岸のあたりで海面上昇が起きます。この、台風や低気圧の影響による海面上昇を高潮といいます。

高潮が起きる原因としてもうひとつ、台風や低気圧の影響で海のあたりの気圧が低くなることもあるといわれています。気圧とは、空気の圧力のこと。たとえば、高気圧が海の近くにあるとき、海面は高い気圧におさえつけられていることになりますから、これによって海面が高くなることはなく、むしろ低くなると考えられます。しかし、台風などの低気圧が海の近くにあると、逆に空気によるおさえつけが弱くなるため、ふたがとれたように海面が高くなるわけです。

気象庁の解説によると、1ヘクトパスカル気圧が下がると海面は約1センチメートル高くなるといいます。台風30号では最大895ヘクトパスカルになったといいます。これは、1気圧1013ヘクトパスカルよりも118ヘクトパスカルも低いことになります。台風が最大の勢力だったときは、気圧の影響だけで通常より118センチメートルも海面が上昇していたことになります。

ほかにも、レイテ島のまわりの湾では、水深があまりなかったことも高潮の被害を拡大したといわれています。水深がある湾では、台風の風によって吹き寄せられた海水が、湾の縁にぶつかってから押しもどす効果が強くなります。しかし、水深のあまりない湾では、吹き寄せられた波を押しもどす効果が小さく、多くの波が湾を乗りこえてそのまま街のほうへと向かっていってしまったと考えられます。


フィリピンに近づく台風30号。画面の左端がフィリピンの海岸線
NASA Goddard MODIS Rapid Response Team

ちなみに「高潮」で「こうちょう」と読むときは、月の満ち欠けによる満潮によって、海面が最も高くなっている状態のことを指します。

参考記事
朝日新聞2013年11月13日付「浅く長いレイテ湾、高潮被害拡大の要因か 台風30号」
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311110406.html
参考ホームページ
気象庁「高潮と潮汐」
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/4-1.html
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
“最後の注文”の受けかたに本心あるかも


その日の営業を終える間近のレストランなどでは、店員が客それぞれに「注文の追加はないか」を聞いてまわります。それ以降に客から注文を受けたとしても、店側としては厨房の片づけもあるし、店員が帰らなければならないし、いろいろ困ってしまうからです。たいてい、閉店時刻の30分前または1時間前に、注文の追加がないかを確認するようです。

店員が客に対して追加の注文がないかどうかを確かめるときには、似て非なるふたつの言いかたがあるようです。

「1時半でラストオーダーになりますが、ご注文はもうよろしいでしょうか」

「1時半でオーダーストップになりますが、ご注文はもうよろしいでしょうか」

このふたつでちがうのは「ラストオーダー」と言うか、「オーダーストップ」と言うかのみ。おなじようなことを聞いてはいるものの、そこには店あるいは店員個人の姿勢をうかがうことができます。

「ラストオーダー」と言われた客は、“ラスト”の“オーダー”なので、「注文できる最後の機会」として、文字どおり最後の注文をするかもしれません。「じゃあ、最後にパエリアをお願いします」。

いっぽう、「オーダーストップ」と言われた客は、“オーダー”の“ストップ”ですから、「注文はこれで打ちどめ」として、注文の終わりを悟るかもしれません。「もう結構です」。

経営を重視する店の視点からすれば、店員が閉店時刻間際、客に注文の追加がないかどうかを聞いて「注文あり」となれば、最後の最後まで商売できたのですから御の字といえましょう。

しかし、店員個人の労働的視点からすれば、閉店時刻間際に「注文あり」となれば、閉店時刻後さっさと片づけをして帰りたいのに最後の最後でパエリアを注文されて仕事が増えちまったよ、ということになりそうです。

最後の注文の聞きかた。心の奥に隠された本心あり。

ちなみに、ファミリーレストランのサイゼリヤでは、店員によって「ラストオーダーです」と「オーダーストップです」の、両方の言いかたが聞こえてきます。店員の裁量にまかされているのでしょう。
| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0)
若田光一さんと“熊”、前回も今回も
宇宙飛行士の若田光一さんが(2013年)11月7日(木)、ロシアのソユーズ宇宙船に乗って国際宇宙ステーションに行きました。

打ちあげのときのようすは、インターネットなどで中継されました。そのとき中継の視聴者たちのあいだでちょっとした話題になっていたのが「熊のぬいぐるみ」です。ソユーズ宇宙船のなかで、若田さんたちの頭上に吊りさげられ、中継映像では、ほぼ後ろ姿だけが映っていました。ときどき若田さんが、打ちあげ時にもリラックししていたのでしょう、この熊をぽんぽん叩くなど、ちょっかいも出していました。

このぬいぐるみは、ロシアで2014年に開かれるソチ五輪のマスコットのホッキョクグマ。アムールヒョウ、うさぎのヨーロピアンヘアとともに人気投票で選ばれました。


ソチ五輪マスコットの印刷された記念切手

若田さんと熊をめぐっては、今回の4回目だけでなく、3回目の宇宙飛行でも縁があります。2009年3月から7月まで国際宇宙ステーションに長期滞在していたときも、今回のソチ五輪のマスコットとはべつの熊のぬいぐるみが宇宙へ行き、若田さんら飛行士たちと過ごしました。

そのときの熊は、日本航空が若田さんに贈ったもので「ラッキーベア」といいます。ふだん運動選手などが飛行機を使って競技大会などに臨むときに、日本航空が贈るもの。若田さんは1989年から1992年にかけて、日本航空で整備士として働いていたことがあります。その縁で日本航空が若田さんに贈ったといいます。

どちらの熊も厳しい積載重量制限をクリアして宇宙に行くことができましたが、より“重責”を担っていたのは今回のソチ五輪マスコットの熊のほうといえるかもしれません。

ソユーズ宇宙船が打ちあげ後、重力から解きはなたれた瞬間を体現するという役割です。若田さんたち飛行士は、重力から解きはなたれても宇宙船のなかでじっとしている必要があります。いつ、重力から解きはなたれたか、宇宙飛行士を見ているだけでは、よくわかりません。そこで、熊に無重力になった瞬間にぷかぷかと浮いてもらうことにしたわけです。

なお、今回、若田さんたち3人の飛行士がソユーズ宇宙船から国際宇宙ステーションに乗り移ったときの中継映像では、熊の姿はありませんでした。国際宇宙ステーションとドッキングしたソユーズ宇宙船で、留守番をしているところでしょうか。

参考記事
時事通信 2013年11月7日付「宇宙船内で手を振る若田光一さん」
http://www.jiji.com/jc/p_archives?id=20131107194053-0016145194
47NEWS 2010年5月6日付「宇宙生活の“クマ”公開 羽田空港、若田さんと滞在」
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010050601000050.html
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昆布に吹いている白い粉は甘み成分


昆布の味の成分というと、うまみ成分のグルタミン酸がよく知られています。グルタミン酸は、物理化学者の池田菊苗(1864-1936)が1907年にグルタミン酸ナトリウムのかたちで、うまみ成分であることを解明しました。昆布から抽出し、これがだし汁のうまみの正体であることを明らかにしたのです。「うまみ調味料」ともいわれる「味の素」でも、グルタミン酸ナトリウムのかたちで主成分にもなっています。

しかし、昆布には、グルタミン酸ナトリウムのほかにも、大切な味の成分がふくまれています。その成分とは「マンニット」あるいは「マンニトール」とよばれる、甘みをつくりだす物質です。

マンニットは糖アルコールという、甘味料などにも使われる物質のひとつです。糖類のひとつのマンノースという物質にあるカルボキシル基(-COOH)が水酸基(-OH)に置きかわったかたちをしています。

乾物の昆布の表面に、白い粉のようなものがついていることがあります。この粉は、塩やカビなどとかんちがいされがちですが、その正体はマンニットです。

もともとマンニットは昆布の中身に栄養素としてふくまれています。昆布をしばらく保存していると、そのうち乾燥してきて、水分が外へ出ていくようになります。このとき、水分といっしょに、昆布の内側にふくまれている栄養素も外へ出ていくようになります。そうして白い粉となって現れたものが、マンニットなのです。

昆布の表面の白い粉は、甘みの成分そのものなので、きれいに拭きとってしまうのはもったいない。そのままの状態でだし汁に使ったり、料理したりするのが得策といえそうです。

ちなみに駄菓子の「都こんぶ」の表面についている白い粉は、製造元の中野物産によると秘伝の“魔法の粉”なのだそうで、そこまでいうのであればマンニトールが主成分というわけではなさそうです。

参考ホームページ
東京大学理学研究科 大越慎一「うま味の発見と池田菊苗教授」
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/treasure/02.html
をぐら屋「昆布のまめ知識」
http://www.ogurakonbu.co.jp/terms/category/nutrient/
中野物産「都こんぶ 製造工程紹介」
http://www.nakanobussan.co.jp/miyako/
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「駅は電車を止めるのでなく通すもの」

東海道本線と東北本線を結ぶ新路線。秋葉原駅付近

鉄道の路線網では、地方のローカル線で廃線がおきていくなかで、大都市圏ではつぎつぎと路線どうしがつながっていきます。ある線が、ほかのある線に乗り入れて走る直通運転がつぎつぎとおきているわけです。

JR東日本列車の東海道本線と東北本線では、2014年度に直通運転がはじまる予定です。東海道本線の起点である東京駅と、東北本線の実際上な起点となっている上野駅のあいだを線路で結んで、東海道本線が東北本線に、また東北本線が東海道本線に乗り入れるようになるといいます。

東北本線の起点は東京駅。東京から秋葉原や上野などを通っていく山手線や京浜東北線などは、名目上は東北本線を走っていることになります。しかし、実際の上野から尾久、赤羽、大宮と通って宇都宮、仙台、盛岡方面へ向かう東北本線では、上野駅を起点として走っています。

中距離輸送をになう東北本線と東海道本線とが直通運転をはじめれば、たとえば、東北本線の宇都宮駅や高崎線の高崎駅などから東京駅まで、さらに東海道本線の新橋駅まで、乗りかえることなく行くことができます。郊外から都心に通勤をしている人には朗報といえそうです。

また、東北本線に乗って上野駅まできた人が東京駅や品川駅のほうへさらに向かうには、上野駅と東京駅のあいだも結んでいる京浜東北線や山手線などの電車に乗りかえる必要がありました。地下鉄などほかの電車を使うこともできますが、多くの人はそのままJRの京浜東北線や山手線を使うことになります。そのため、東北本線と東海道本線の直通運転がはじまると、京浜東北線や山手線の混雑緩和にもなるといわれています。

いっぽうで、一部の人からは「上野駅がさらに“たんなる停車駅”になってしまう」と残念がる声もあがっています。上野駅は東北地方とのあいだを結ぶ列車の起点・終点だったため「北の玄関口」などともよばれてきました。

しかし、1991年に東北・上越新幹線の起点・終点がそれまでの上野駅から東京駅に伸び、上野駅は新幹線のたんなる停車駅と化しました。さらに、2014年度には東北本線も上野駅を執着・起点とする列車はなくなるか、あっても激減することが考えられます。

今回の直通運転化もそうですが、鉄道会社はつぎつぎとべつべつの路線を結びつけて直通運転化を進めてきました。ここには、「駅とは、列車を長らく停車させておくものでなく、一時停車させて通過させるものである」という考えかたがうかがえます。
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「物質量から質量」「質量から物質量」が化学の難関


高校の化学の勉強でつまづきやすい代表的な題材のひとつが「モル(mol)」にかかわるところといわれます。

モルとは、物質量つまり原子や分子などの個数を示す単位で、「1モルは6×10の23乗個」と決まっています。これはよく「1ダースは12個」というときの「ダース」とおなじようなものと説明されます。ここまでは「10の23乗個を便宜的にモルというのだな」と考えればよいだけなので、まだつまずく人はすくないでしょう。

いっぽう、モルを体積であらわすと、「1モルで22.4リットル」と決まっています。たとえば、1モルつまり6×10の23乗個の酸素分子(O2)は、22.4リットルの体積を占めることになります。

酸素分子の場合、原子2個から成りたっているので、分子6×10の23乗個分で22.4リットルを数えるのか、原子6×10の23乗個分で22.4リットルを数えるのかあたりは、つまずきのもとになりそうです。しかし、「1モルで22.4リットル」という決まった関係があるので、これも「そういうものなのだ」と割り切って覚えやすい対象といえそうです。

もっと高い難関は、モルと原子量または分子量の関係を考えなければならないことでしょう。

原子量とは、炭素の安定同位体である12Cの質量を12とし、これを基準にして表す各原子の質量のことをいいます。水素は1、酸素は16などとします。そして、分子量は、その分子を構成する原子の原子量の和ということになります。たとえば、水(H2O)の分子量は、水が原子量1の水素が2個と、原子量16の酸素が1個から構成されるので18とします。

モルと原子量または分子量のあいだには、「その物質が1モルあるとすると、その物質の質量は原子量または分子量にグラムをつけたものとなる」といった関係があります。

たとえば、分子量2の水素分子(H2)が1モルあれば、そのときの質量は2グラムとなります。分子量32の酸素分子(O2)が1モルあれば、そのときの質量は32グラムとなります。分子量18の水分子(H2O)が1モルあれば、そのときの質量は18グラムとなります。

これとは逆に、化学の試験などでは、その物質の質量がわかっているときに、何モルあるかを求める問題も出されます。たとえば「2グラムの水素分子は何モルか」といったものです。これは1モルとなります。

それぞれの物質にそれぞれの分子量があるなかで、モルで示される物質量からグラムで示される質量を求めたり、逆にグラムで示される質量からモルで示される物質量を求めたり。「分子量」「物質量」「質量」と、まぎらわしいよび名も出てきて、やはり難関と感じる人には、難関となります。

参考ホームページ
化学勉強法【フレームワーク式】「mol計算〔基本〕」
http://kagakuimage.com/morukeisan.html
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「何々学博士」が減り「博士(何々学)」が増えていく


大学の教授などの名刺を見ると、肩書きに「博士」がついていることが多くあります。博士号を取得したしるしです。

しかし、よく名刺を見てみると、人によって「理学博士」と書かれてある肩書きと、「博士(理学)」と書かれてある肩書きがあります。そして、どちらかというと、年齢を重ねた研究者の名刺には「何々学博士」と書かれてあり、比較的若い研究者の名刺には「博士(何々学)」と書かれてある傾向があります。

これは、1991年6月にいまの文部科学省にあたる文部省が「学位制度の見直し」を行ったことにちなみます。同省は、経緯をつぎのように説明しています。
_____

大学審議会から「学位制度の見直し及び大学院の評価について」答申が行われたが、学位制度の見直しについての主な内容は次のとおりである。

ア 博士の種類について、○○博士のように博士の種類を専攻分野の名称を冠して学位規則上限定列挙することは廃止し、学位規則上は単に博士とすること。

イ 各大学院において博士を授与する際には「博士(〔専攻分野〕)」のように、各大学院の判断により、専攻分野を表記して授与すること。 
(以下略)

文部省としては、この答申を踏まえ、平成3年6月、学位規則の改正を行った。今回の学位規則の改正においては、学校教育法の改正により諸外国と同様に学士を学位として位置づけることも内容とした学位制度の全般的な改正を行っているが、併せて、大学関係者自身の意識改革と自主的努力によって、特に博士の学位授与の促進が期待されるところである。
_____

「何々学博士」から「博士(何々学)」へ。この意味するところは、学問分野に限定した博士よりも、とにかく博士というものを生みだすことに重きをおいたものといえるかもしれません。

1991年以降に、博士号を取得した人の肩書きには「博士(理学)」のような表現あるということになります。「何々学博士」は減っていくいっぽうで、「博士(何々学)」は増えていくいっぽうとなります。​なお、博士にかぎらず、修士についても、この制度の見直しは当てはまります。

この国の制度の見直しに額面どおりにしたがうと、俗にニックネームで「何々博士」とよばれるような人でも、1991年以降にその称号を認められたようであれば「博士(何々)」とよぶのがふさわしいことになります。

たとえば、カエルのことならなんでも知っている「カエル博士」は「博士(カエル)」に、豆腐のことならなんでも知っている「豆腐博士」は「博士(豆腐)」になります。しかし、人びとは「博士」ということばを接尾辞のように使うことに慣れしたしんでいるため、俗称にまで括弧書きでの表現を当てはめる人はほとんどいません。

参考資料
文部科学省「我が国の文教施策(平成3年度)学位制度の改善」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad199101/hpad199101_2_152.html
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上司に聞こえるところで部下が電話
仕事であたりまえになっていることでも、よくよく考えてみるととてもやりづらいということがあります。

「職場でほかの社員がいるなかで電話をかける」という行為もそのひとつでしょう。複数の社員がいる会社などで、ごくごく日常的に見られる行為ではあります。

職場で、いつもどおり直属の上司が自分のすぐ近くに座っています。そんな状況のなかで、自分がまだ上司に伝えていない人物にはじめて電話をかけるとします。「誰々先生のお宅でしょか。はじめてお電話さしあげます、私、何々社のなにがしと申します……」。

電話で一通りの話しが終わったあと、ある種の“所在なさ”を感じる社員は多いことでしょう。電話の相手と込み入った話しをし、しかも自分が電話でした発言が、すぐ近くに座っている上司の耳に届いていると思えるからです。

この電話をかけた社員がとる行動として、「部長、担当の案件でお話を伺えそうな方を見つけたために電話してみたら、今度お会いできることになりました」などと電話内容を上司に伝えることと、「……」となにも言わずに仕事をつづけること、などがあるでしょう。あるいは、上司から「いまの電話はなんだったの」と聞かれて、答えるといった場合も考えられます。

いずれの場合にしても、上司やほかの社員の耳の届くところで電話で会話をするということは、その会話内容が込み入ったことであれば、ふつうに考えれば相当に勇気の必要な行為です。

上司は自分ではないため、自分という社員がしているすべてのことを上司が完全に把握しているわけではありません。そこは節目ごとに「担当の案件は、このようなことになっています」と、上司に報告をして補っていきます。

しかし、上司の報告をするまえに、仕事を進めておくことはいくらでもあります。

電話をかける前に「部長、いまから電話をするのですが、担当の案件でお話を伺えそうな方への相談です」と上司にいちいち告げたり、「はぁあ、いまからあの案件で話しを聞けそうな人に電話をしてみようかな」と聞こえよがしにひとりごちたりは、なかなかしないもの。

こうした事情から、「上司がいないときに電話をかける」「上司がいない場所に移ってそこで電話をかける」「電話でなくメールを送る」といった行為を選択する社員もすくなくはありますまい。
| - | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0)
気象の制御は予言どおりにいかず
いつの時代にも人は未来のことを予測しようとします。

古くは20世紀がはじまったばかりの1901(明治34)年1月2日と3日、報知新聞が「二十世紀の豫言」という記事で100年後の未来、つまり2001に実現していることを予言しています。

また、1960(昭和35)年には、いまの文部科学省にあたる科学技術庁が監修となり、第一線の科学者たちが40年後、つまり2000年ごろの未来を予測した『21世紀への階段』という本もあります。この本は最近、復刻版が出ました。


『復刻版21への階段 第1部』弘文堂刊

これらの予測・予言では、「当たった」ということに目が向けられがちです。たとえば、国外でのできごとを絵として即座に見ることができる技術は昔の予測・予言の対象になっています。これは、いまでいうインターネットや衛星中継。予測・予言が当たったわけです。

しかし、過去の予測・予言どおりにはなかなかどうしてならないことや、予測・予言の段階でもむずかしいとあきらめている場合もあります。

その代表例が、気象の制御でしょう。

たとえば、日本列島に直撃するのが確実な台風の進路を、技術によって列島からそれるようにしむけることはできないか。このようなことは、いつの時代も人びとの興味をわきたててきました。

たとえば、「二十世紀の豫言」には、つぎのような記述があります。

氣象上の觀測術進歩して天災來らんとすることは一ヶ月以前に豫測するを得べく天災中の最も恐るべき暴風起らんとすれば大砲を空中に放ちて變じて雨となすを得べしされば二十世紀の後半期に至りては難船海嘯等の變無かるべしまた地震の動搖は免れざるも家屋道路の建築は能く其害を免るゝに適當なるべし

また、『21世紀への階段』には、科学の力で台風や地震を防ぐことができるかが論じられていますが、50年経っても完全な制御はむずかしいといった趣旨で、あまりうまくかないという予測がなされているのです。

実際、気象の予測、つまり天気予報の精度は高まっていますが、それを超えて気象を制御するところまでには、すくなくとも大規模な気象では至っていません。

どのように台風ができるのか、どのように雨は降るのか、といったしくみは科学的に解明されています。しかし、それは気象のごく一断片を切りとっただけ。地球上でさまざまなことが起きる複雑な気象をまえに、台風を制御するといったことはまだむずかしい段階です。

参考文献
報知新聞「二十世紀の豫言」
http://hochi.yomiuri.co.jp/info/company/yogen.htm
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
仕事していたら演奏がはじまり……


ごくまれにながら、街なかのカフェやレストランでは、その店を営業したまま演奏会などの催しものを開くことがあります。たとえば「開店15周年」といったことで、夜の営業時間中に音楽家をよび、店の一角を演奏場所に設定して1時間ほどの演奏会をおこなうわけです。

このことを知らないでその店を訪れた人の多くとっては、ちょっとした“当たり”の気分になることでしょう。コーヒーなどのお金を払うだけで、プロの音楽家の演奏を楽しむことができるのですから。

いっぽうで、このことを知らないでその店を訪れた人のごく少数にとっては、そのカフェで仕事をするうえで演奏会がはじまることは、ちょっとした“想定外”のできごとになります。

カフェで仕事をするのが常となっているあるもの書きは、こんな体験談を示します。

「カフェで仕事をしていたら、店員さんが丁重に『あのぅ、すいませんが、あちらの席へご移動していただいてよろしでしょうか』と言ってきたんだ。『30時間後にライブを予定しておりまして』とのことで」

「それで、席を移して仕事をつづけていたら、リハーサルがはじまり、いよいよ本番がはじまった。そんなところに電話がかかってきて、まわりが大音量なもので、自分の声もつい大きくなって、切り終わるとどうもまわりの人びとに白い目を向けられて」

「え、店を出ればいいじゃないかって。そうなんだけれど、ここで書類をつくって送らないとまずかったのだなぁ。それに、いまさら身支度をして店を出る雰囲気でもなくなってたね」

「そうこうしているうちに、となりのカップルの客が演奏に合わせて聞こえよがしに大きな手拍手をするようになって。それで私も、キーボードを打ちながら、たまに手拍子をして、とても中途半端だった」

「たぶん、立ちのきを求められているのだけれど、なかなか立ちのかない家の主人もこんな心境なんだろうな。はぁ……」
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芝エビやブラックタイガーの代わりにバナメイ浸透中
宿泊施設での食品メニュー偽装が問題になっています。これらの報道でよく出てくるのが、「バナメイ」というエビ。芝エビの代わりに使われていたエビです。

まず、芝エビは、体長15センチメートルほどの海でとれるエビ。クルマエビ科に分類されます。生きているときのからだの地の色は灰色から薄黄色で、そこに青い点々がたくさんあります。熱するときれいな紅色になります。

いっぽう、芝エビにくらべて、あまりことばとしては聞かないのがバナメイのほうでしょう。

バナメイは、中南米エクアドル原産のエビ。このバナメイもクルマエビ科のエビです。日本でも、2000年代後半から、芝エビやブラックタイガーなどの大きな車エビの仲間の代わりとして、よく使われるようになってきました。

日本では、バナメイの屋内型養殖も行われています。陸上養殖技術を開発するアイ・エム・ティーが屋内型養殖のシステムを開発し、新潟県の妙高雪国水産が屋内養殖を実際に行い、バナメイをつくっています。

バナメイも天然では海水育ちですが、塩分濃度0.5%という“ほとんど淡水”という環境で育てることも可能。このような塩分濃度の低い水のなかで育てることにより、ウイルスが活発化しないため感染症などを防ぐことができ、また、バナメイの体内のエネルギーが成熟ホルモンに使われやすくなるため成長も早いといいます。

バナメイは「安価なエビ」として食品加工業者などのあいだでは注目を集め、実際に芝エビやブラックタイガーの代わりに使われだしていたわけです。ちなみに、今回の問題を受けて辞任した阪神阪急ホテルズの出崎弘社長の記者会見での話によると、「(5000円のコースで)芝エビではなくバナメイだったことの差額は50円」だったということです。


若いバナメイの固体

参考記事
「新たな魚類養殖技術」『化学と工業』2011年5月号
読売新聞 2013年10月29日付「バナメイ使っても差額『50円』辞任の社長強調」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131029-OYT1T00200.htm
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生きものが雪山を染める

クラミドモナス・ニバリスの電子顕微鏡写真

世界の各地では、雪が赤く染まったり、緑色に染まったりする現象が見られます。それぞれ、「赤雪」や「緑雪」などとよばれています。

雪が染まる現象が起きるのは、たいてい寒さが和らいだ雪どけのころ。赤雪や緑雪は、雪にちりなどがついて汚くなったから染まるのではありません。そこで暮らしている藻類の色が赤や緑のために染まるのです。

藻類とは、水のなかで光合成をするなどして無機物から有機物をつくり、みずから栄養をとって暮らす生きもののこと。水のある環境では藻類が生きられるわけで、雪どけ水のなかや、気温が高まり雪のあるところに降ってきた雨の水たまりのなかなどに藻類が暮らしています。

このような藻類は雪氷藻類とよばれます。雪どけのときとはいえ、とても寒い環境のなかで暮らす生きもののため、極限生物のひとつにも位置づけられています。

日本にも雪氷藻類はいます。たとえば、クロロモナス・ニバリス(Chloromonas nivalis)は日本でも見つかる、雪氷藻類の代表的なもの。葉緑素をもっているため緑色を示します。また、カロテノイドという赤い色素ももっているため、赤色を示すこともあります。山形県の月山や、滋賀県の伊吹山などで観察されています。雪がなくなる直前の2週間ほどしか繁殖しないといいます。

ほかにも、クラミドモナス・ニバリス(Chlamydomonas nivalis)も代表的な藻類です。第繁殖するときには、北アルプスなどの山を赤く染めるほどにもなります。

雪のあるところに藻類が暮らしているということだけでも驚きのたねですが、雪氷藻類は、昔からいまにかけて降りつもった雪が保存された氷床コアという氷の柱から、それぞれの時代の環境などを調べるときにも、この藻類が役立てられます。多さなどを見ることで、その時代の暖かさなどがわかるためです。

参考文献
松崎令ら「月山に出現するChloromonas nivalisの接合子壁における翼形状の違いとその系統分類学的意義」『山形大学理学部裏磐梯湖沼実験所報』
http://repo.lib.yamagata-u.ac.jp/bitstream/123456789/5005/1/fsulr-016-00110019.pdf
竹内望ら「伊吹山山頂の残雪表面の雪氷藻類」『雪氷』2011年9月号
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ダイヤを使えない……cBNがあるじゃないか
とても硬いものとして、あまりによく知られているのがダイヤモンドです。しかし、ダイヤモンドに弱点がないかというとそうともかぎりません。

ダイヤモンドは宝飾品であるほかに、人工でつくったものが工業用途に使われています。硬いために、ほかの硬いものを削ったり切ったりするのに使われるのです。

しかし、ダイヤモンドにとって相性の悪い相手もあります。その相手とは、鉄、コバルト、ニッケルといったもの。高温の環境で、これらの物質をダイヤモンドで削ったり切ったりしようとすると、化学反応が起きて、ダイヤモンドの炭素量が奪われる、つまりぼろぼろになるといいます。

鉄などのようなごく身近な金属を加工するとき、人工ダイヤモンドを使えないのは、不便な話に聞こえます。しかし、人はダイヤモンドのほかにも、工業用に使える硬いものをつくりだしているため、あまり不便だと落ちこむことはなさそうです。

ダイヤモンドを使うのを避けたい材料に対して使われているのは、「立方晶窒化ホウ素」(cBN:cubic Boron Nitride)という材料です。

窒化ホウ素というのは、窒素(N)とホウ素(B)の原子が結びついたもの。化学式は「BN」です。炭素が、黒鉛になったりダイヤモンドになったりさまざまな構造になるのとおなじように、窒化ホウ素も、窒素とホウ素の原子の組みあわせでさまざまな構造になります。

そのなかで立方晶窒化ホウ素は、ダイヤモンドとおなじように立体的な構造をもちます。このとき、窒素の原子ではほかの原子と結びつく役割の電子対が1個あまります。いっぽう、ホウ素の原子ではほかの原子と結びつく役割の電子対が1個たりなくなります。そのため、窒素が差しだした電子対を、ホウ素が共有します。これは配位結合という原子の結びつきで、原子どうしの結束を強くします。

窒化ホウ素は、ふつうの温度や圧力のもとでは、立体的な構造になっておらず、六角形のように結ばれた元素がいくつも層をなした六方晶の構造になっています。ここに、高い圧力をかけると、構造が変わり、立方晶つまり立体的な構造をもつ結晶に変わるのです。この変化は、黒鉛に高い圧力をかけると人工ダイヤモンドに変わるのとよくにています。

立方晶窒化ホウ素は、1957年、米国ジェネラル・エレクトリック社の化学者だった、ロバート・ウェンター・ジュニア(1926-1997)によってはじめて合成されました。そして、この材料はジェネラル・エクトック社により、「ボラゾン」という商品名で売られるようになりました。いまも、硬い物質を切ったり削ったりするときの工具材料や、合金をすばやく切るときの工具材料として使われています。

参考ホームページ
「砥石」と「研削・研磨」の総合情報サイト「ダイヤモンドの耐熱性(耐熱温度)はどれくらいですか?」
http://www.toishi.info/faq/question-ten/diamondheatresist.html
ウィキペディア「立方晶窒化ホウ素」
http://ja.wikipedia.org/wiki/立方晶窒化ホウ素
ウィキペディア「Robert H. Wentorf, Jr.」
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_H._Wentorf,_Jr.
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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