科学技術のアネクドート

ナレーターが実況を開始


かつて、海外のサッカーを紹介するテレビ番組で、「その番組での選手紹介役のナレーターが、番組内でそのまま試合の実況をはじめる」ということがありました。このように書くと、なにも変なことはないように感じられます。しかし、番組を見ていた人は、強い違和感をおぼえたといいます。

その番組の前半では、海外で活躍する外国人選手のプレイぶりを、過去の映像や本人への取材などをまじえて紹介していました。そこに、ナレーターが「誰々選手はイングランド出身。プロデビュー以来、強豪クラブを渡りあるいて、スター選手への階段をのぼっていきました」などと、たんたんと声を被せていきます。

その後、番組では、このナレーターが「では、ここからは、誰々選手が出場した最新の国内リーグの試合をご覧いただくことにしよう」と話し、実際に試合の様子の映像が流れはじめました。

その試合の実況も、ひきつづきこのナレーターがつとめたのです。

「さあ、キックオフの笛が鳴りました。ボールを回していくのはアウェイのAチーム。いっぽう、守るBチームの誰々選手はミッドフィルダーで出場。あっと、ここで敵チームの強烈なシュート。キーパーすばやく反応してボールをキャッチ!」

番組の前半ではたんたんととりあげた選手のことを紹介する口ぶりだったのに、後半の試合の実況では「あーっと!」「おーっと!」「決まった、ゴール!」などと実況者としての臨場感ある口ぶりに切りかわりました。

ふつう、番組のナレーターはその番組の尺内ではナレーターに徹します。そして試合の様子を実況するときにはべつのアナウンサーが実況役をつとめます。しかし、この番組では予算のかぎりがあったのでしょう。ナレーターが実況にそのまま突入という“珍事”が起きました。

番組を見ている人は、ナレーターは番組の目に見えないが声は聞こえる進行役としての役割を当然のことと受けとめます。いっぽう、実況担当者は試合のようすを多少の感情の起伏をもって伝える役割を当然のことと受けとめます。この二つの役割が、継ぎ目なしにおなじ声で行われたため、番組を見ていた人は強い違和感を覚えたのでしょう。
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書評『植物はすごい』
この本を発行している中央公論新社の新書の表紙カバーも緑色です。たまたまですが。



人の暮らすところの身のまわりにも、さまざまな植物が生きている。植物がいることは、人にとってあたりまえすぎて、あらためてどのように生きているのか考えることはあまりないかもしれない。本書『植物はすごい』は、数々の植物の生きかたに目を向けた本だ。

歩いたり飛んだりできる動物とちがって、植物はその場にじっとしているのみ。自分の子孫を繁栄させるためには、たねを遠くまでやって広めることが大切になる。そこで、たねをふくむ甘い果実を鳥などに食べてもらい、鳥にたねをふくむ糞をまき散らしてもらう。これが、植物の基本的な生存戦略だ。

とはいえ、じっとしている植物には、生きているあいだにも難題がいろいろとおそいかかる。そこで、それらへの対しかたをもつことも大切だ。

本書では、そうした植物の生存戦略を「自分のからだは、自分で守る」「味は、防衛手段!」「病気になりたくない!」「食べつくされたくない!」「やさしくない太陽に抗して、生きる」「逆境に生きるしくみ」「次の世代へ命をつなぐしくみ」というテーマにわけて紹介していく。

長く生きてきたそれぞれの植物には、生きのこるための能力が備わっている。

たとえば、緑黄色野菜ともよばれるカボチャなどの植物は、カロテンという物質を豊富にもっている。カボチャなどは、このカロテンを使って多くさらされると害になる酸素を抑えるほか、さらにカロテンをビタミンAにかえて不足したビタミンAを補うこともしているのだという。

また、冬でもみどりを枯らすことのない常緑樹は、冬の寒さをすこしでもしのぐため、からだに糖をたくさんもっているという。水のなかに糖が溶けこむほど、その液の凍る温度が低くなる。このしくみを利用して、氷点下になってもからだを凍らすことなく、みどりのままで過ごせるのだという。

こうしたしくみは、人が植物のしくみを調べることで知られるようになったもの。しかし、そのようなしくみが解きあかされるよりもずっとむかしから、植物たちはこのしくみをもちつづけてきた。だからこそ、いまも本書で紹介される植物たちは生きているのだ。

ハエトリソウやシメコロシノキといった、人から見れば特殊な生きかたをしている植物も登場する。しかし、多くの植物は、人が野菜や果物として食べたりする身近なもの。身近な植物たちにも、生きる工夫があることに驚かされる人は多いだろう。本書では、植物のすごさを「すごい」「すごい」と連呼しているが、そうした表現がなくても植物のすごさを感じることができる。

『植物はすごい』はこちらでどうぞ。
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大学の工学部、おそらく日本が世界初
日本にとって科学技術とは、その大半が西欧からのものを受けいれたもの。江戸時代までの日本的な科学技術でなく、明治以降の西欧からの科学技術を重視したのです。

そのような日本でも、科学技術の分野でほかの国よりもいち早く行ったことがあります。それは、大学に工学部を設けたというもの。

大学の工学部の芽は1871(明治4)年までさかのぼります。前年に、明治政府が殖産興業政策を推し進めるために「工部省」という機関を設けました。その長を、のちに初代総理大臣になる伊藤博文(1841-1909)がつとめました。

工部省は、西欧から建築技術をとりいれるため、工部省の附属教育機関として「工学寮工学校」を設けました。この工学寮工学校では、1873年(明治6)年に「大学」がおかれ、1877(明治10)年、「工部大学校」という名にあらためられます。場所は、いまの東京・霞が関。文部科学省のあるあたりにありました。

工部大学校の校舎

工部大学校では、英国の技師ヘンリー・ダイアー(1848-1918)が「都検」といわれる実質的な校長の役職に就きました。そして、のちに東京駅などを建築する辰野金吾(1854-1919)や、のちに赤坂離宮や奈良博物館などを建築する片山東熊(1854-1917)などを輩出します。

その後、1885(明治18)年、日本の官庁制度が変わり、工部省は廃止されました。そのため、工部省の附属機関としての工部大学校も短い歴史を終えることになります。

しかし、もちろん工部大学校の実質がなくなるわけではありません。1887(明治19)年、工部大学校の設立とおなじ1877年に設立された東京大学の学群のひとつになったのです。工部大学校を統合した東京大学は、「帝国大学」とよばれるようになりました。

帝国大学には、法科、医科、文科、理科とともに、工部大学校からの流れを引きつぐ工科の各大学置かれました。これらは、いまの大学の学部にあたります。つまり、東京大学の前身の帝国大学に工学部が置かれたわけです。

科学哲学者の村上陽一郎さんなどの話によると、当時、工学部がほかの学部とおなじ位置づけで置かれるのは、外国にはなかったことといわれます。日本よりもはるかに工学が発達していた欧米では、工学的な技術を扱う人は専門職とされ、理学などの学問を行う立場とは一線を画していたのです。

しかし、日本には、科学技術の伝統や素地といったものがありませんでした。建築やインフラストラクチャーなどの基盤技術をいかに素早く発展させるか。必要な技術であれば学問分野として扱うことに当時の教育行政者たちは違和感を覚えなかったのでしょう。

帝国大学の工科大学は、いまも東京大学工学部として続いています。そして、日本の発展を支えた数々の技術を生みだしつづけてきました。

参考ホームページ
ウィキペディア「工部省」
ウィキペディア「工部大学校」
ウィキペディア「東京大学」
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「青色LEDがもたらしたさんま漁のイノベーション」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2013年)9月27日(金)「青色LEDがもたらしたさんま漁のイノベーション さんま、その食と漁(後)」という記事が配信されました。記事の取材と執筆をしました。

さんはま日本人にとってなじみの旬の魚です。しかし、漁師がさんまをどのように獲っているのかはあまり知られていないようです。

漁師たちは、いま「棒受網漁」という漁法で、さんまを獲っています。これは、光をたくみに利用した方法。さんまには、光のあるほうに向かって進もうとする「正の走光性」という性質があり、これを利用するのです。

棒受網漁のしくみ。赤い光はさんまを浅いところに集めるためのもの。

船のまわりに「灯具」とよばれる光を放つ道具をいくつも備えつけておきます。夜、そしてさんまの群れがある海域に近づき、灯具すべてに灯りをつけて海を照らします。これでさんまは船のまわりに集まります。

つぎに、船の左側の灯を消して、右側だけで海を照らすようにします。正の走光性により、さんまの群れは船の右側だけに集まります。

そうしているあいだに、船の左側から、竿につけた棒受網とよばれる網をのばします。風などによって船と網の距離ができたら、今度は船の左側の灯をつけて、右側の灯は順番に消していきます。全体的には、船の灯は、右側から左側へと移っていくわけです。

すると、さんまたちも、光を追いかけて、船の左側へと移っていきます。そこにあるのは棒受網。網のなかに集まったさんまの群れを一気に捕獲します。

この棒受網漁は、太平洋戦争前後の1940年代に開発されました。それまでの巻網や刺網といった方法よりも、効率よくさんまを獲ることができるようになり、いまも棒受網漁が続いています。

しかし、2000年代後半になり、棒受網漁は棒受網漁でも、その中身に大きな変革が起きました。これまで、漁師たちがさんまの棒受網漁で使っていたのは、白熱灯やメタルハライド灯といった灯具。しかし、東京海洋大学准教授の稲田博史さんが、棒受網漁に青色発光ダイオードなどを使うことを提案しました。

白熱灯は熱エネルギーに変わってしまう量がとても多く、またメタルハライド灯は光を灯すまでに時間がかかるため灯具にシャッターをつけることになります。いずれにしても、エネルギーがかかります。

それを、発光ダイオードに切りかえることで、効率よくさんまを獲ることができます。なかでも、さんまは“青色”の光に敏感。青色発光ダイオードが開発されたことを機に、稲田さんは技術革新を仕掛けはじめました。

記事では、稲田さんが漁師たちに、発光ダイオードを受け入れてもらうまでの経緯などを紹介しています。ただたんに魚を集めるための「集魚灯」から、魚の動きを制御して漁をするための「漁灯」へ。さんまの棒受網漁には技術革新が起きたのはつい最近のことです。

「青色LEDがもたらしたさんま漁のイノベーション さんま、その食と漁(後)」はこちらです。
さんま食やさんま漁の歴史を追った前篇「殿様を虜に!『下品』な魚は美味だった」はこちらです。
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時宜を逸して、話さないのが不自然なほどに

人には、時宜を逸することがあります。

ある公務員の人は、フィットネスクラブの水泳教室に通うことを日課としていました。その頻度は週に8回。毎日の1回では飽きたらず、日曜日だけ2回、開かれる午前の部と午後の部の両方にも通っているといいます。

しかし、健康を病的に目指すようなご時世。おなじような常連はこの人だけではありません。すくなくとも週7回はおなじ水泳教室に通っている人が、二人はいるといいます。毎回、水泳教室で姿を見るため、この二人は自分とおなじく熱心な会員だと認識するようになりました。

さて、この公務員がフィットネスクラブに通いだしてから、すでに5年にもなります。ほかの常連の二名も、この公務員が通い出したときから目にしていたので、フィットネスクラブに通いはじめてからすくなくとも5年になります。

5年もおなじ教室にいれば、ふつうは“仲間”のような間柄になるもの。しかし、この水泳教室には、そうした間柄になることを阻みかねない状況がありました。指導員が参加者たちに話しかけるなどのコミュニケーションはとるものの、参加者どうしはコミュニケーションをとらなくても受けることができるのです。

この公務員は、フィットネスクラブに通いはじめたころ、ほかの常連の二人と話すことがありませんでした。ほかの参加者と話すこともさしてなかったので、とくにおかしいことではありませんでした、はじめのうちは。

ところが、歳月が経ち、毎日のように二人の常連とは教室で会っていると、かえって話さないほうが不自然に感じられるようになってきたといいます。

「ほかの新しく入ってきた人からはあいさつされて話すこともあります。また、ほかの常連の二人も、新しく入ってきた人からあいさつをされれば話しています。でも、私がその二人と話すことはありません」

「なぜかって。はじめのころに話すタイミングを逃してしまったからです。いまさら、話しはじめるのが、かえって不自然になってしまったのです」
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イルカとサメがにた進化、人と犬がにた進化
イルカは哺乳類ですが、サメは魚類です。でも、このふたつの生きものは海を泳いでいる点や、その体形などがよくにています。そのため、「イルカも魚類である」と勘ちがいする人もいます。

魚類と哺乳類は、進化の系譜のなかで、かなり古い段階に枝わかれしました。海から陸上に生きものが上がってきた4億年前よりもさらに古い時代に、進化的には枝わかれしたとされています。

それにもかかわらず、いわば枝わかれが起きたそれぞれの枝の先っぽのほうで、おなじような体形の生きものがそれぞれ現れたわけです。これは偶然の一致でしょうか。

生きものは、何世代もかけて進化していくものです。その進化の方向性には、その生きものをとりまく環境が大きく関係してきます。

たとえば、海のなかで素ばやく泳ぐためには、体はくねらせられるほうがよいでしょう。ひれがついているほうがよいでしょう。こうしたことから、魚類のサメの体形も、哺乳類のイルカの体形がおなじようになりました。また、水面の上から見ると黒は見えづらく、水面の下から見ると白は見えづらいため、魚類のサメのからだの色も、哺乳類のイルカのからだの色も、おなじようになりました。


イルカ(右)とサメ(左)

このように、進化の系統としてはまったく異なる生きものどうしが、似たような特徴をもつようになることを「収斂進化」といいます。「収斂」とは、ちぢむこと。系統的には離れているふたつのものが、ちぢむように似たものどうしになるわけです。

あまり実感はわかないかもしれませんが、人もほかの生きものとのあいだで収斂進化をしたと考えられています。その生きものとは犬です。

人は、ほかの人とのあいだでコミュニケーションを柔軟にとったり、愛着をもって人と接したりするような方向で、これまで生きつづけてきました。

いっぽう、犬のほうも、ほかの犬や人などの個体にたいしてコミュニケーションを柔軟にとったり、愛着をもってほかの犬や人と接したりするように進化してきたと考えられています。

つまり、ほかの者との接しかたという点で、人と犬は収斂進化をしてきたという考えかたがあるのです。あまりぴんとこないかもしれませんが。

参考文献
高岡洋子「イヌ-ヒト間の社会的やり取りから見たイヌの社会的知性」
参考ホームページ
進化戦略研究会「コラム サメとイルカとイクチオサウルス」
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「愚痴」が「愚痴をこぼす」みたい
「愚痴をこぼす」という表現があります。言ってもしかたがないことを言って嘆くことをいいます。とくに、職場で上司のお小言を受けいれがたいと思いながらも聞いているような人が、そのあとに愚痴をこぼすようです。

「愚痴」ということばは、魚の名前にもあります。「愚痴をこぼす」の「愚痴」とおなじく、「ぐち」と読みます。

魚の愚痴は、スズキ目ニベ科の魚で、大きさは20センチメートルから30センチメートルほど。白愚痴、黒愚痴、赤愚痴、黄愚痴といった種類があります。とくに白愚痴は、石持(いしもち)ともいわれます。魚の愚痴は、食用として市場などでも扱われます。

慣用表現で使われる「愚痴」と、魚の名前としてある「愚痴」。どちらが先に使われていた「愚痴」なのでしょうか。

魚の愚痴を釣ったことのある人は体験したことがあるかもしれませんが、愚痴を釣ると、「ぐぅぐぅ」という音がすることがあります。これは、産卵期の愚痴に聞こえる音で、浮き袋が振るえる音。

この「ぐぅぐぅ」という音が、まるで「愚痴をこぼす」ような音に聞こえるということから、この魚に「愚痴」という名前がついたといわれています。つまり、「愚痴をこぼす」が先で、「魚の愚痴」は後ということ。

釣られた魚の愚痴は、「ぐぅぐぅ」と音を立てながら「なんで、わいが人間に釣られなきゃいかんのや」と、不満を嘆きたくなっているかどうかはわかりません。


白愚痴(しろぐち)

ちなみに、愛想がないことを「にべもない」といいますが、この「にべ」は、魚の愚痴が属するニベ科の「鮸膠(にべ)」から来たもの。魚の鮸膠を煮ると膠(にかわ)になります。膠の粘着力は強いので、その反対の意味の「にべもない」は、粘着力がない、つまり親密感がない、つまり愛想がないという意味になります。

参考文献
参考ホームページ
香川県「香川の魚 グチ」
ウィキペディア「シログチ」
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自分が「12.8人のうちの1人」になると思わない

東京五輪が2020年に開催されることになり、「7年後の世の中はこうなっている」と未来予想をする人が増えました。

すくなからぬ人は、2020年の話や2020年までの話をするとき、つぎのような前提あるいは願望に立っているようです。

「2020年まで自分は生きている」

高齢のスポーツ評論家などには、「2020年に自分は生きているかわかりませんけれどね」などと発言する人もいます。しかし、「自分は2020年まで生きていたい」と願望する高齢者の方ももちろんいますし、意識するまでもなく「自分は2020年まで生きている」という前提に立っている若い人もたくさんいます。

実際、2020年までに、日本人の何人が生きつづけており、何人がこの世を去っているのでしょうか。ごく大まかながら、つぎのような計算ができそうです。

国立社会保障・人口問題研究所が発表した「日本の将来推計人口(平成24年1月推計)」によると、死亡中位かつ出生中位という仮定に立った場合の2020年の日本の人口は、1億2410万人になっているといいます。

いっぽう、2013年の日本人の人口は、推定で1億2724万7000人といいます。

つまり、2020年の時点の日本の人口は、2012年の日本の人口よりも314万7000人、減っているという計算になります。

この314万7000人は、ただ純粋に2020年までに死んでいく人の数ということではありません。なぜなら、2020年までに生まれてくる人もいるからです。

では、2013年から2020年までのあいだに生まれてくる人はどのくらいいるのでしょう。おなじ予測では、2020年時点での0歳から14歳までの人口を1456万8000人としています。このうち、2020年の時点で7歳から14歳までの人は、すでに2012年の時点で生まれているので、単純な年齢構成の比率(0〜6歳の7歳分:7〜15歳の8歳分)から、この人たちを除きます。

すると、2012年から2020年までに、679万8400人が新たに日本で生まれてくることになります。この人数の中には、残念ながら幼くして命を落とす人もいるでしょう。その人たちも2020年時点の日本の予測人口である1億2749万8000人のなかに折りこみ済みとなります。しかし、いまの日本では幼年期の死亡者は少ないので、無視することにします。

ここまでをまとめると、2013年から2020年までに新たに生まれてくる人は679万8400人であり、かつ、2020年の日本の総人口は2013年よりも314万7000人、減っているということになります。

679万8400人も新たに生まれたにもかかわらず、全人口としては314万7000人、減ってしまうということは、この二つの数を足した数が2012年から2020年までに“新たに死んでいく人数”ということになります。

その数は、994万5400人。

これは、いま日本で生きている100人のうちのおよそ7.8人。いいかえれば12.8人に1人が、2020年まですでに死んでいるという計算になります。

まとめると、日本でいま生きている人のうち、2020年に100人中92.2人の人が生きつづけており、100人中7.8人の人が死んでいるという大まかな予測になります。

すくなからぬ人びとは「12.8人のうちの1人に私はなっていない」という希望や前提をもちながら、東京五輪が開かれる2020年の話をしているのでしょう。

参考文献
国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成24年1月推計)」
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ばりばり砉がした


漢字の読みかたには、中国における発音にもとづいて読む「音読み」と、漢字の意味にもとづいて訳した日本語で読む「訓読み」があります。

たとえば、「秋」という漢字を音読みで読めば「しゅう」となり、訓読みで読めば「あき」となります。

訓読みのほうには、いわば日本人の暮らしの都合にあわせて、便利な読みかたをつけたものも見られます。たとえば、紙面を数えるのに使う「頁」という漢字を音読みで読めば「けつ」となりますが、これを訓読みで読むと「ページ」という、外来語の読みになります。にたような訓読みには「米」で「メートル」や、「煙草」で「タバコ」などがあります。

訓読みの都合よさが極端に進んだのでしょう。なかには1文字の漢字でとても長い訓読みをするものもあります。

たとえば、「砉」。

この字は、「ほねとかわがはがれるおと」という訓読みをします。いっぽう、音読みでは「ケキ」と読み、「砉然」などと使います。その意味は「骨と皮がはなれるように、ばりばりと音を立てるさま」。訓読みとほぼおなじ意味です。

使いかたは、こうなるでしょうか。

「バーベキューで薄皮肉を食べようとしたところ、ばりばり砉がした」

また、「𤮳」という字があります。

この字は、「あるきかたがただしくない」という訓読みをします。中国の漢字字典『字彙』にも載っていないようなめずらしい字を収めた事典『字彙補』には「せん」と読むと書かれていて、「行くこと正しからず」という意味が載っているといいます。

「𤮳」の訓読みでの使いかたは、「砉」よりすこしむずかしくなりますが、こうなるでしょうか。

「運動会の行進の練習で一人だけ𤮳」

文字は文化の現れ。これからも、時代ごとの人の都合にあわせて、長い読みの訓読みは増えていくかもしれません。

参考ホームページ
長訓読み選手権
ニコニコ大百科(仮)「単語記事:缶」
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くしゃみが一どきに1回、2回、3回以上……
人のようすを見ていると、一どきのくしゃみが1回で終わる人、2回つづく人、3回以上つづく人がいるようです。

2回や3回以上つづけてくしゃみをする人にも、1回で終わるときはあるのでしょう。しかし、ふつう1回や2回で終わってしまう人が3回も4回もとつづくことはあまりありません。

くしゃみが起きるのは、自分のなかに入ってきた異物を除こうとするため。鼻は穴なので、ほこりや菌などの小さなものが鼻のなかに入ってきます。鼻の粘膜を刺激されると、ほこりや菌を自分の外に出そうと、ものすごい勢いで息を吐きだします。これがくしゃみ。ただし、まわりの人にくしゃみの飛沫などがかかるとそれはそれで迷惑になりますが。

一どきのくしゃみの回数のちがいは、どこからくるのでしょうか。

まず、くしゃみが止まらないというときは、よほどの外側からの刺激が強い場合か、病気であるか、といったことが考えられそうです。ティッシュペーパーなどで鼻の粘膜が刺激されれば、くしゃみが3回、4回と重なります。また、アレルギー性鼻炎などのときも、一どきのくしゃみの回数は増えるようです。

しかし、そのような“異常事態”のときでなく、ふつうのくしゃみでも人により回数は異なります。

諸説あるようですが、巷では、くしゃみをするうえでの“キャパシティ”が人により異なるからということがいわれています。

たとえば、肺活量が大きい人は連続で3回も4回もくしゃみをすることができ、逆に肺活量が小さい人は1回や2回で終わるというもの。

また、くしゃみを3回以上、連続でする人は、その回数を保てるくらいの筋力がついているともいわれます。

しかし、肺活量や筋力があるとは思えないような小さな女性が、一どきになんども“くしゃん、くしゃん、くしゃん”をくしゃみをくりかえしているようなときもあります。

しかし、ふつう1回や2回でくしゃみが終わる人でも、一どきに何度もくしゃみが出るときもあります。

歌手の宇多田ヒカルさんも抱くこの疑問。なかなか解明されていないようです。

参考ホームページ
学研サイエンスキッズ「どうしてくしゃみがでるの」
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「魚を食べると頭がよくなる」のもとは植物


かつて、よくスーパーマーケットの鮮魚棚の前などで、「おさかな天国」という歌が流れていました。軽やかな旋律にのせて、女性の歌手が「魚 魚 魚 魚を食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる」と連呼していたので、いまも耳に焼きついている人はいることでしょう。

一般的に、「魚を食べると頭がよくなる」といわれるのは、魚のからだに、ドコサヘキサエン酸という物質がふくまれているからです。ドコサヘキサエン酸は、不飽和脂肪酸のひとつで、DHA(DocosaHexaenoic acid)ともいわれます。

ドコサヘキサエン酸は、脳などにある神経細胞の膜をやわらかくしたり、神経細胞どうしのつながりを強くしたりするはたらきをもっているとされています。そのため、「頭がよくなる」といわれているわけです。

では、スーパーマーケットに売られている魚たちが、みずからドコサヘキサエン酸をつくれるかというとそういうわけではありません。

魚もまた、強いものが弱いものを食べる食物連鎖のなかで生きています。植物性プランクトンを動物性プランクトンが食べ、動物性プランクトンを小魚が食べ、小魚を大魚が食べ、といった関係があります。

ドコサヘキサエン酸は、もともとは植物性のプランクトンのなかにふくまれています。その植物性プランクトンを、動物性プランクトンが食べ、その動物性プランクトンを小魚が食べ、その小魚を大魚が食べます。そして、食物連鎖の各段階におけるいきもののからだのなかでは、ドコサヘキサエン酸の濃さがすこしずつ高まっていきます。これは、生物濃縮とよばれる現象。

つまり、鮮魚棚などにならぶ大きな魚のドコサヘキサエン酸のもとをたどれば、植物性プランクトンまでさかのぼれるわけです。

ちかごろ、どの食用魚も養殖で育てられるようになってきました。そのえさに、ドコサヘキサエン酸がふくまれるプランクトンなどを用意しないと、「魚を食べると頭がよくなる」という根拠が失われてしまいます。

ドコサヘキサエン酸のたくさんふくまれる餌を魚にたっぷり食べさせれば、ドコサヘキサエン酸の多くふくまれた魚をつくることができる。ドコサヘキサエン酸のふくまれない餌を魚に食べさせなければ、ドコサヘキサエン酸をふくむ魚をつくることにならない。養殖には、その幅が大きくあります。

参考ホームページ
ニッスイ「EPA、DHAを上手に摂るには」
三重県海水魚協議会「お魚の健康」
栄養ナビ!ドットコム「EPA、DHA」
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“揺れから電気”で電池要らず


電池というものに束縛された暮らしは、電池要らずの暮らしを考えれば厄介なものです。高いお金でエネルギーを買わなければなりません。また、もちあるかなければなりません。

できることなら電池要らずの生活をしたいもの。そこで“環境発電”という考えが出てきます。身のまわりで得られるエネルギーを利用して発電をすることをいいます。英語では環境発電に近い意味の「エナジー・ハーベスティング」ということばもあります。

たとえば、人が歩いたり車が走ったりするときに起きる“振動”は、環境発電の重要なエネルギー源となります。揺れているということは運動エネルギーが生まれているということ。このエネルギーを電気エネルギーに換えることができれば、暮らしの役に立つかもしれません。

これを実現するための素子に「エレクトレット」というものがあります。

「電子」を意味する「エレクトロン」と、「永久磁石」を意味する「マグネット」のそれぞれのことばの一部をとってつないだことばが「エレクトレット」。半永久的な電荷をもつことのできる誘電体を意味します。誘電体とは、電気を伝えるよりも、電気を貯える性質にすぐれた物質のこと。絶縁体ともよばれ、プラスチックやセラミックなどはその例です。

エレクトレットを使って、どのように身のまわりの振動による運動エネルギーを電気エネルギーに換えるのでしょうか。

エレクトレットのしくみを利用した発電装置には、エレクトレット素子についたエレクトレット電極と、バネによって振動する対向電極という電極があり、向かい合っています。これで、電荷が生まれます。

そして、バネによって振動する対向電極がゆらゆらと横に振動すると、それによりこの電荷が導線を移動します。これで、周期的に大きさと方向が変わる交流電流が生じるのです。

この発電装置では、みずからの振動と環境の振動の周波数が重なりあうと、共振という現象が起きることが重要となります。

振動による発電で起こすことのできる電力は、たとえば携帯電話などに使われる電力の1%にも満たないほどといいます。しかし、そのくらいの弱々しい電力を起こすだけで事足りる用途もあります。補聴器やセンサなどです。電池要らずが実現したときの便利さは、身のまわりのそこかしこにありそうです。

参考記事
「ウェアラブルを支えるマイクロエネルギー」『ネイチャーインタフェイス』2006年12月発行号
参考資料
エレクトレット環境発電アライアンス「振動発電センサモジュール」
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ファミリーマートで手が“びくっ”と動く


2012年ごろから、コンビニエンスストアでビールなどのアルコール類を買うとき、「年齢確認」がそれまでより厳しくおこなわれるようになりました。ほぼ、どの店でも、店員がアルコール類のバーコードを読みとると、「年齢確認が必要な商品です」という音声が聞こえてきます。

さらに、画面で「20歳以上ですか」と聞かれ、20歳以上の人は「はい」のところを触れることを求められることもあります。

この、画面に触れることまでを求めているかどうかは、店によってちがうようです。大手でも、セブンイレブンやローソンでは、客は画面の「はい」に触れることを求められます。いっぽうで、ファミリーマートでは、客は画面の「はい」に触れることまでは求められません。

しかし、アルコール類を買う客にとっては、セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートのいずれの店で買おうとも、それほど大差はありません。

そこで、ファミリーマートでアルコール類を買おうとしている客を、うしろから観察するとどうでしょう。ごくたまに、「年齢確認が必要な商品です」という音声が聞こえてきた直後に、手が“びくっ”と動く客が見られます。

この客は、ひんぱんにセブンイレブンやローソンでアルコール類を買って、画面の「はい」のところを触れている客と推測されます。なかには、年齢確認をもとめられる前から、画面で指を何度もぽんぽんぽんぽんと押して、「年齢確認が必要な商品です」と“言わせない”客もいるくらいです。

つい、画面の「はい」に触れる必要のないファミリーマートでも、やろうとしてしまうのでしょう。

このように、一定の経験によって後天的につくられた反射行動を、条件反射といいます。ソ連(いまのロシア)の生理学者だったイワン・パブロフ(1849-1936)が発見しました。パブロフが犬にえさをあたえるときかならず鈴を鳴らすようにしたところ、えさがなくても鈴の音が聞こえただけで犬はよだれをたらすようになったといいます。

おなじように「年齢確認が必要な……」と聞こえてくるだけで、客は画面の「はい」を触れようとするようになっているわけです。

参考ホームページ
コトバンク「条件反射」
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チャンスの発見に「二重らせん」のしくみ


「二重らせん」というかたちがあります。やわらかい“はしご”をくるくるとひねったようなかたちです。

分子生物学者ジェームズ・ワトソン(1928-)とフランシス・クリック(1916-2004)の発表したデオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)のつくりとして よく知られています。

他方で、「チャンスを発見する」ときにも、「二重らせん」のようなしくみがあるといいます。その二重らせんは、「チャンス発見学」という研究分野で提唱されているモデルです。

二重らせんの「二重」のうち、一本目のらせんをなすのが、人の営みです。なにかのものごとに関心をもち、理解し、発案し、行動または模擬し、評価と選択をし、そしてまた関心をもつ、というらせんを描いていきます。

そして、二本目のらせんをなすのが、コンピュータを使った営みです。上にあるような、人が関心を寄せるものごとやその人の考えたことをテキストに表したものをデータとして、コンピュータがそのデータからマイニングをします。マイニングとは、なにかの傾向や関係性を見つけだそうとすること。

つまり、人が新しいチャンスを発見するための筋道と、コンピュータがデータを受けとってマイニングする過程を並行させながら、そこから相互作用が起こることで、新しいアイディアをつくりだしていくことが、この二重らせんモデルの示すところとなります。

ビッグデータからなにかの傾向や関係性を見つけだそうとする試みは、いまさかんに行われています。しばしば、このビッグデータ活用に対して、人は「コンピュータに任せておけばよい」という考えをもちがち。

しかし、チャンス発見の二重らせんで太く描かれるらせんは、むしろ人の営みのらせんのほうです。

参考文献
大澤幸生監修・著『チャンス発見の情報技術』
岡崎直観・大澤幸生・石塚満「チャンス発見のための統合型データマイニングツール Polaris」
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「希土類元素」の「希土」から「キドカラー」


昭和の時代、テレビの商標に「キドカラー」というものがありました。日立製作所が、つくっていたカラーテレビの商標で、1968年から売りだしました。

街なかの電気店にある黄色いくちばしと緑赤青の光の三原色のしっぽをもった鳥の「ポンパくん」というキャラクターのプラスチック看板、「キドカラー号」という飛行船、ピーナッツが謳う「日立キドカラーの歌」、王貞治選手が出演するテレビ広告など、「キドカラー」はさまざまな露出をしました。

「キド」というと、多くの人は「木戸」という2文字を思いうかべるでしょうか。そこから「木戸さんが開発したカラーテレビ」を考え、「日立も開発者の名前を商標にもってくるとは思いきったものだ」などと思いこむ人もいたかもしれません。あるいは、「和風民家の木戸を開けると見えてくるカラーテレビ」を考え、「日立は電化製品を和風でうりだしているのか」などと思いこむ人もいたかもしれません。

どうやらそうではないようです。

キドカラーの「キド」は、化学などの分野で話になる「希土類元素」の「希土」をかたかなにしたものといわれています。

希土類元素とは、元素の周期表の左から3列目にある元素をまとめてよんだもの。英語では「レアアース・エレメント」ともよばれます。

日立製作所は、ブラウン管テレビの赤色発光体に、ユウロピウム(Eu)やテルビウム(Tb)といった元素を使いました。ユウロピウムはカラーテレビ用の赤色蛍光体のほかに、原子炉の制御棒などにも使われる元素です。また、テルビウムは鉄(Fe)やコバルト(Co)などとの合金のかたちで、光磁気ディスクの磁性膜にも使われます。

これらの希土類元素が使われることで、テレビのブラウン管上の光の明るさを示す「輝度」も高まったとといいます。そのため、「希土」と「輝度」の二重の意味が、「キドカラー」にはかけられていると考えられています。

なお、鳥のキャラクターの「ポンパくん」は、体を緑色にして四葉のクローバを加えた「エコポンパくん」に“リニューアル”したそうです。

参考文献
『スーパー大辞林』
参考ホームページ
ウィキペディア「キドカラー」
コトバンク「レアアース」
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書評『教科書を飛び出した数学』
表紙カバーの裏側には、丸善出版のロゴマークを指さして「この出版社はいいね」と言いたげな「7」の数字がいます。


「なぜ、数学を勉強しなければならないのか」。子ども、あるいは大人もふくめて多くの人が思うであろうこの問いに対して、教師や数学者などはいろいろな答えを用意する。そのひとつがこうだ。「数学は役に立つから」。

本書は、教科書で習うような数学が、社会で役に立っていることや、生活で役立てられることを示そうとしたもの。書名のとおり「教科書を飛び出した数学」があることを知ることができる。著者は、千葉大学教育学部教授で、教育方法学や授業実践開発などを専門としている。

「数学が役に立つといっても、役立つ数学はほんとうはあまり多くないのでは」。社会における数学についてすこし深く考えた人は、そういう実感をもっているかもしれない。著者もその点について言及していて、否定しない。

「本来、数学は、社会で直接何かの役に立てるための学問とは考えられません。むしろ、基本的には社会の中で役立つかどうか等関係なく研究されてきた学問だと言えます」

とはいえ、人の想像力あるいは創造力とはすごいもの。社会で役立つかなど関係なく研究された数学を、社会で役立てつようにした事例もある。たとえば、本書で著者が紹介するのは「素数を使った暗号」などだ。

素数とは、1と自分自身以外には約数をもたない正の整数。2、3、5、7、11、13……などだ。

この素数と素数を掛けた数が、ある種の暗号での“鍵”のひとつとして使われている。素数と素数を掛けたその数を逆に、素数と素数に分けること、つまり素因数分解することは、大きな数になるほどむずかしくなる。コンピュータでも歯が立たないほどだ。掛けるのはかんたんだけれど、素因数分解するのはむずかしいという、一方通行的な数学の特徴が生かされるのである。

著書はほかにも、音律の理解に使われた整数比、電気工学に使われている虚数、JR線の“一筆書き”で最長距離を求めるためのグラフ理論などの話を紹介している。

縦書きで書かれているとはいえ、もちろん数学の本なので数値やはたくさん出てくるし、計算式もすこしだけある。

しかし、話のねたは、国立大学付属中学の3年生への選択授業の内容をもとにしたもの。基礎的な数学の知識とと、なにより「社会と数学のかかわりあいを知りたい」という興味がある人は、本書を読めば期待どおりに“教科書を飛び出した数学の活躍ぶり”を実感できることだろう。

『教科書を飛び出した数学』はこちらでどうぞ。
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アスタリスク「*」でワイルドに検索


知っている人にとっては「なにをいまさら」という話でしょうが、グーグルなどでことばを検索するとき、「検索式」とよばれる式を検索欄に入れることがあります。

たとえば、検索すると、知りたいとは思わないおなじことばがたくさん出てきてしまうこともあります。そのときは、[A-B]のように、半角の「-」(マイナス)を入れると、Bとことばは含まれないようになります。たとえば[長嶋-茂雄]とすれば「長嶋茂雄」を除いた「長嶋」が検索されます。

便利な機能ながら、知る人ぞ知るといった存在にとどまっている検索式に、「アスタリスク」を使ったものがあります。半角で「*」が、アスタリスクの検索式の記号。

アスタリスクは、Aという文字列の前やあとに入れたり、またはAという文字列とBという文字列の間に入れたりして使います。たとえば[*A]や[A*]や[A*B]といった具合に。

こうすると、「*」の部分には、グーグル側がどんな文字列でも探して入れてくることになります。たとえば[長嶋*]として検索すると、「長嶋茂雄」や「長嶋有」や「長嶋医院」などと出てきます。どんな名前だったか、あるいはどんな文字だったか、探したいことばの一部はわからないけれど、ほかの部分はわかっているといったときに、アスタリスク検索は便利になります。

この「*」は、どんな文字列でもきてよいということから「ワイルドカード文字」などとよばれます。

さらに、ことばを厳密に探したいときには["ABC"]のように、探したい文字列を2重引用符「"」で括れば、「ABC」以外で、それに近いような文字列は探されないことになります。

試しに["長嶋*雄"-"長嶋茂雄"]で検索してみると、「長嶋茂雄」ではない「長嶋なんとか雄」という文字列がたくさん出てくることになります。「長嶋サミ雄」とか「長嶋ドラ雄」とか出てきました。
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前置詞を“絵”で心える


英語には前置詞がいくつもあります。たとえば、“on”や“at”や“into"といった語のことです。名詞の前にこれらの語を置くので「前置詞」とよばれます。

前置詞を使うことにより、その文のほかの語との関係を示すことができます。たとえば、“on the road”といえば、直訳すると「道のうえに」という意味。ここから“on the road”は、「旅行して」や「遠征中で」といった意味で使われています。

英語を母国語としない人が英語で意思疎通するとき、さまざまある前置詞を適切に使うのはむずかしいこととなります。“on”なのか“in”なのかなどで迷うこともしばしばあるでしょう。

そこで、英語や英語学習に長けている人のなかには「前置詞は絵として身につけよ」と言う人もいます。

たとえば、インターネット上には、“prepositions of place and movement”といった見出しの絵があります。こちらです。

赤い球は、前置詞の前におかれる語を意味し、ねずみ色の箱や球は前置詞の後におかれる語を意味します。たとえば、“on”を表す絵では、赤い球が箱の上に乗っています。“Yaji-Kita on the road”という句でいえば、赤い球が「弥次・喜多」で、箱が「道」。つまり「旅をしている弥次・喜多」あるいは「弥次喜多道中」といった意味になります。

ひとつの前置詞をとってみても、さまざまな意味があります。たとえば、“on”には、「……の上に」のほかに「……がもっている」「……に所属している」「……に載って」「……のおごりで」「……にもとづいて」「……についての」など、さまざまな意味があります。

これらの意味は、すべて「箱のうえにある赤い球」という像と結びついています。あえてことばであらわせば、「接触」や「付着」となるでしょう。

「……がもっている」であれば、たとえば、“I don't have any money on me.”で、自分とお金が付着していないということから、「いまもちあわせのお金がない」という意味になります。また、「……にもとづいて」であれば、たとえば、“on the ground that ……”で、基盤(ground)に付着してということで、「なになにという根拠にもとづいて」といった意味になります。

インターネット上にある前置詞の絵は「場所と動作の前置詞」のため、“with”や“to”などの状態をあらわす前置詞の絵はありません。しかし、これらの前置詞も絵として思いえがいて、頭に焼きつけることはできそうです。
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「おれが叩いたんじゃないんだよぉ」

街なかにいくつもの店をかまえる喫茶店には、事務室兼控え室の部屋があります。とびらには「Private」の文字。この「Private」は「仲間うちの」といった意味でしょう。

店によって異なりますが、控え室のすぐとなりあたりには、客が使う化粧室があります。こちらのとびらには「Toilet」などと書かれてあります。

控え室と化粧室があまりにも近い店では、客のあいだで「私じゃないのに問題」という深刻な問題が起きることがあるといいます。

店員が休憩をとるなどで控え室に入るとき、とびらをこんこんと叩いて入っていきます。「入ります」という合図でしょう。

控え室と化粧室があまりに近いと、このこんこんと扉を叩く音を、化粧室で用を足している人は、だれかがわが化粧室を叩いているのとかんちがいします。いえ、かんちがいをしているというより、とびらを叩いている音が確実に聞こえてくる、といったほうがよいかもしれません。

店員の控え室の行き来が多いな店では、一人の客が化粧室で用を足している間に、こんこん、こんこん、こんこんと、何度もとびらを叩く音がしてきます。

これは用を足している人にとって焦るもの。化粧室の外から何度もとびらを叩くが聞こえれば「早く出ろよ、おい!」といわれているも同然だからです。

ある店では、化粧室にべつの客が入っているため、客が空くのをとびらの前で待っていました。すると、店員がそのとなりの控え室のとびらをこんこん。すぐまたべつの店員が控え室のとびらをこんこん。化粧室に入っている客は、そのたびに咳払いをしました。

化粧室の前で待っていた客は、用を足して出てきた客に「何度も叩くんじゃねえよ」と睨まれたそうです。睨まれた人は心のなかで叫びました。「おれが叩いたんじゃないんだよぉ」。

街なかの“盲点”がここにひとつあります。
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宇宙の年齢は変わりゆく(3)
宇宙の年齢は変わりゆく(1)

Ia型超新星「SN1006」
NASA

宇宙を観測する技術が高まり、宇宙の年齢は「137億歳、誤差2億年」から「138億歳」へと移りかわってきました。

ところが2013年、これまで求められてきた宇宙の年齢を大きく覆すかもしれない発見がさらにありました。

宇宙には、超新星とよばれる天体があります。星が最期に大爆発を起こして輝きを放っている状態をいいます。

この超新星には、観測結果として水素の吸収線が見られるかどうかや、硅素の吸収線が見られるかどうかなどにより、いくつかに分類されています。

分類のなかで「Ia(いちエー)型」とよばれる超新星には、ある特徴があるといわれてきました。それは「爆発のしかたが一様に対称である」というものです。つまり、爆発のしかたに“ゆがみ”がないということです。

人にとって都合のよいことに、この爆発しても“ゆがみ”のないIa型の超新星は「標準光源」として利用することができます。

標準光源とは、天文学で星までの距離などをはかるときに使われる、星の光のこと。光源は、観測者から近いほど明るく見え、遠おざかるほど暗く見えます。そこで、もともとの光源の明るさがわかっていれば、その光源の見かけの明るさ(暗さ)とくらべることで、その光源がどのくらい離れたところにあるものか、つまり観測者と光源の距離がわかります。

人が標準光源として使ってきたIa型超新星に「SN1006」という星があります。これは、天文学の尺度では“ごく最近”の1006年に出現した超新星。藤原定家(1162-1241)が日記『明月記』に「一條院 寛弘三年四月二日 葵酉 夜以降 騎官中 有大客星 如螢惑」と記しており、1006(寛弘3)年4月2日に「螢惑」つまり火星のように明るく輝く星が現れたことを述べています。

Ia型超新星のひとつであるSN1006に、現代科学の正確な眼が向けられました。京都大学の内田裕之日本学術振興会特別研究員などグループが、このSN1006が“ゆがんだ爆発”を起こしていることを、日本の宇宙観測衛星「すざく」を使って確かめたのです。

これまで、標準光源が標準光源たりえたのは、爆発に“ゆがみ”がないとされていたからでした。ところが、標準光源であるSN1006の爆発には、じつは“ゆがみ”があったのです。

では、なぜこのIa型超新星の爆発の“ゆがみ”の発見が、宇宙の年齢を大きく覆すことになりうるのでしょう。

上で述べたとおり、Ia型超新星を観測すると、本当の明るさ見かけの明るさとのちがいからその光源がどのくらい離れているかがわかります。

くわえて、そのIa型超新星に対しては、「赤方偏移」という現象も観測することができます。赤方偏移とは、観測者から遠ざかっている光源の光の色は、その光源が発している本来の色よりも赤みが増すという現象です。救急車のサイレンの音が、自分から遠ざかると低くなるのと原理はおなじです。

星の赤方偏移では、その星の遠ざかる速度が高ければ高いほど、赤みは増します。つまり、そのIa型超新星の赤方偏移の度合がわかれば、どのくらいの速さで観測者から遠ざかっているのかもわかるわけです。

以上のことから、Ia型超新星については、地球にいる観測者からどのくらいの距離にあるかと、どのくらいの速さで遠ざかっているかを調べることができます。これらのことがわかれば、逆に、「何年前の宇宙はまだこれだけしか膨らんでいない」ということを求めることができます。その計算を突き詰めていけば、宇宙が膨らみはじめたのが何年前か、つまり宇宙の年齢は何歳かがわかるのです。

Ia型超新星のひとつであるSN1006の明るさには、じつは“ゆがみ”がありました。距離を測るためのものさしの目盛りが、1ミリメートルでなく1.2ミリメートルであれば、そのものさしで測った距離も実際より1.2倍ずれることになります。これとおなじように、宇宙の距離をはかるものさしとして利用されてきたIa型超新星の“目盛り”の前提が、“明るさによりけり”だった可能性が出てきたのです。

これからも、SN1006などのIa型超新星を標準光源として使おうとすれば、明るさのゆがみを補正しなければならなくなります。それができたとき、正確な宇宙の年齢があらためて求められることでしょう。了。

参考記事
宇宙航空研究開発機構 2006年6月「今年のミレニアムスター」
京都大学 2013年7月2日付「藤原定家の超新星は非対称爆発をした X線天文衛星『すざく』が明らかにした標準光源の『ゆがんだ』形状」
参考ホームページ
理科年表オフィシャルサイト「天体の距離」
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宇宙の年齢は変わりゆく(2)

欧州宇宙機関の宇宙観測用人工衛星「プランク」
NASA

米国航空宇宙局(NASA:National Aeronautics and Space Administration)が打ちあげた「ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機」(WMAP)による「宇宙の年齢は137億歳、誤差2億年」という成果に対して、より精度の高いとされる宇宙の年齢が2013年3月に発表されました。

その新たな成果による宇宙の年齢とは「138億歳」というもの。これは、欧州宇宙機関(ESA:European Space Agency)が打ちあげた「プランク」という宇宙観測用人工衛星の観測結果をもとに、欧州宇宙機関などが発表したものです。

プランクは2009年5月に打ちあげられたもの。WMAPよりも8年ほど新しい衛星です。いってみれば、プランクの宇宙を測る能力は、米国航空宇宙局が2001年に打ちあげたWMAPを上回ったのです。より、高い精度で、宇宙背景放射における温度のゆらぎを調べることに成功しました。


「プランク」の観測をもとにした宇宙背景放射における温度のゆらぎ
NASA

考えられていた年齢よりも、1億歳、宇宙は年寄りだったことになります。宇宙の年齢が1億年異なっていたとしたとき、その意味の大きさをどう見いだせばよいでしょうか。

たとえば、人間の1世代がおよそ30年なので、この宇宙の年齢のずれのあいだには、およそ333万世代分がふくまれることになります。そもそも、これほどの世代をこれまで人類が生きてきたわけではありません。人類の“年齢”は500万歳といいますから、20倍、足りないわけです。

いっぽうで、「137億対138億」という比較の問題として考えれば、13歳8か月だと思われていた少年が、13歳と9か月だったと捉えることもできます。

宇宙は138億年前に生まれたということで、年齢問題も一件落着のように思われました。ところが、この宇宙の年齢をはかる前提が大きく覆されるかもしれない発見が、さらに2013年に発表されたのです。その鍵をにぎるのは、「Ia型超新星」といわれるとても明るい星です。つづく。

参考記事
CNN 2013年3月22日付「宇宙は138億歳? 通説より1億年高齢」
時事通信 2013年3月23日付「宇宙誕生は138億年前 星や銀河の物質は4.9% 欧州衛星が精密観測」
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宇宙の年齢は変わりゆく(1)

宇宙の年齢はいったい何歳なのでしょうか。

1990年代、「宇宙はおよそ130億年前に誕生した」といわれてきました。宇宙は膨張していて、その膨張は、あるところ(たとえば宇宙の真んなか)から遠くなるほど速くなります。風船が膨らむときとおなじようなものです。

これを逆手にとり、ある場所から遠く離れたところと、ある場所からさほど遠く離れていないところでの膨張の速さのちがいを調べれば、いつごろ宇宙は膨らみはじめたのかを計算することができます。その結果、1990年代、宇宙はおよそ130億年前ぐらいに生まれたと考えられてきました。

その後、2003年になり、「137億年で誤差は2億年」ということが、高い精度で求められました。米国航空宇宙局(NASA:National Aeronautics and Space Administration)が2001年6月に打ちあげた人工衛星「ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機」(WMAP:Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)がこれを明らかにしました。

WMAPは、宇宙が膨張している証拠となっている宇宙背景放射という、宇宙にあまねく存在する電磁波を観測するための衛星です。宇宙背景放射の光は、どこをとっても絶対温度で2.73度とされています。ところが、じつは、わずかに宇宙背景放射の温度にはゆらぎがあることがわかっていました。

ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機(WMAP)が観測した宇宙背景放射における温度のゆらぎ
NASA

この宇宙背景放射における温度のゆらぎとは、宇宙が誕生して間もないころに生じた温度のむらを反映したもの。宇宙背景放射は、宇宙誕生から38万年後に宇宙が“透明になった”ときに現れました。この宇宙背景放射での温度のゆらぎを調べ、ゆらぎを再現するようなモデルをつくることで、宇宙の年齢を求めることができるということがわかっていたのです。

WMAPは過去のおなじ目的で打ちあげられた観測衛星よりも精度高くゆらぎを観測しました。100万分の数度のゆらぎまで調べることのできる制度です。その結果、宇宙の年齢は137億歳であるこということがわかりました。

しかし、この137億年には「誤差2億年」という条件もついていました。

そして、2013年になり、「宇宙の年齢は138億歳」とする観測結果が新たに出てきたのです。つづく。

参考ホームページ
国立科学博物館「宇宙の質問箱 宇宙の年令は何才なのですか?」
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開催前に大地震、開催中に猛暑の懸念


アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれている国際五輪委員会の総会で、2020年の五輪が東京で開かれることがで決まりました。事前の五輪招致についての都民の支持率は70%だったといいます。多くの都民や日本国民が「2020年、東京五輪開催」によろこんでいるのではないでしょうか。

これは、2020年に行われる予定の東京五輪にかぎったことではありませんが、いくつかの懸念もあります。

ひとつは、2020年までのあいだに、東京ちかくを震源とする首都直下型の大地震が起きるおそれがあるということです。

研究機関が首都直下でマグニチュード7.0の地震が起きる確率を計算しています。政府の地震調査委員会は「30年以内に70%程度の確率」としているほか、統計数理研究所の尾形良彦名誉教授は「5年以内に30%弱」という計算結果を公表しています。東京大学や京都大学による計算結果も、この統計数理研究所の値にそう遠くありません。

東京五輪の多くの会場となる湾岸地域では、大きな地震が起きたとき液状化現象のおそれがあります。会場の工事期間中に大地震が起きたら、工期の延長などは避けられないでしょう。しかし、上のような地震発生確率を考えれば、ありえない話ではありません。大地震が起きたあとの街や工事の復旧が可能であるのかという懸念があります。

開催期間が東京で猛暑日が連続するような時期であることへの懸念もあります。

すでに、2020年の東京五輪の時期は、7月24日から8月9日に行われることが計画されています。しかし、この時期は35度以上の猛暑日がつづく日々。2013年の8月上旬、東京では猛暑日が一週間以上つづきました。暦のうえでもこの時期はもっとも暑いとされる「大暑」とほぼ重なります。

五輪を観る海外からの観光客とともに、実際に競技を行う選手たちが熱中症などにならないか、という懸念があります。すくなくとも、東京の真夏の気候がどうであるかの情報を、世界によく知らせておく必要があるでしょう。

ちなみに、1964年に行われた東京五輪は10月10日からの開催で、暑さとはほぼ無縁でした。

これらの懸念に対しても、ある程度は技術的に対応することは可能でしょう。五輪開催に支障をきたさない減災計画を立てたり、現代版うち水といったヒートアイランド対策をあらたにこうじることなどです。

しかし、天変地異や気象現象は基本的に避けられないもの。これらのことも想定に入れた五輪の計画が、大地震から遠ざかっていて、猛暑とは親しくなっている東京という街ではとりわけ必要になります。

参考記事
日本経済新聞 2012年4月23日付「『M7は5年内に30%弱』首都直下型で試算 統計数理研 発生確率、手法で数値差」
森田正光 2013年9月8日付「2020年東京オリンピックは猛暑か!」
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物書きにも“シーズ先行型”と“ニーズ先行型”
 ものづくりには、「シーズ」と「ニーズ」ということがよくいわれます。

シーズというのは、企業があらたに開発をすることで、消費者に提供できるようになる技術や材料などのこと。シーズは「種子」の意味で、これから芽をださせて、花を開かせるものという意味がふくまれています。

いっぽう、ニーズというのは、消費者が提供されることを望んでいるものごとのこと。ニーズのほうは「必要する」の意味の「ニード」が名詞になったものです。

ものづくりでシーズとニーズが話題の対象になるのは、ものづくりに携わる人びとのなかで「どちらを先行するほうがよいか」という課題があるからです。

シーズ先行型のものづくりでは、まず、大学の研究者や企業の中央研究者の研究開発者などが基礎的な研究で成果をあげることから始まります。「これは、なにか製品に使ったらおもしろいことになりそうだ。ものづくりにどう活かしていくかこれから考えよう」といった具合に開発が進んでいきます。

いっぽうニーズ先行型のものづくりでは、まず、企業の市場調査や営業活動から始まります。「お客さんは、こういったことを望んでいる。これを実現するための技術や製品を開発することを考えていこう」といった具合に開発が進んでいきます。

シーズ先行型とニーズ先行型の考えは、物書きにもそのまま当てはめることができます。

記者や編集者などの企画者が、「これは記事にしたらおもしろそうだ」というような題材を得て、それを記事にするというのはシーズ先行型。よく記事の材料になる話を「ねた」といいますが、これは「種」から来ているといわれています。

いっぽう、記者や編集者などの企画者が、「こういう話を読者は知りたがっているようだ」という情報を得て、それを記事にするのがニーズ先行型。企画者は、読者アンケートや社会動向などからニーズを得ます。

製品としてのものをつくる世界では、確実に成功するのはニーズ先行型のほうなどとよくいいます。いっぽう、記事づくりで多いのは、圧倒的にシーズ先行型のほうでしょう。ただし、シーズとニーズが合致したときに、ヒットする本や記事が生まれる確率は高まりそうです。
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弱い力が“曲げ”をかなえる
電子的に表示するようなコンピュータ画面のような装置は、紙などのアナログな道具とちがって、曲げづらいという難点があります。紙はくるくると丸めるようなこともできますが、たとえばiPadでむりやりおなじようなことをしようとすると壊れてしまいます。

しかし、化学の分野の研究者たちは、電子的な媒体を“曲げる”という試みを進めています。有機エレクトロニクスという分野の技術を使うのです。有機エレクトロニクスとは、物質のなかでも炭素をおもな成分とする有機物を使って、電子的なはたらきを引きだすための研究分野のこと。

たとえば、電子を通したり通さなかったりする半導体の性質をもつ有機物があります。この有機物を、プラスチックの表面に塗りつけたり、あるいは蒸気のしくみで付けたりします。これで半導体を使えば電子を操作することができ、電子を操作することができれば電子的な表示も可能になるため、これにより曲げることのできる電子表示装置を実現することができます。

半導体の性質をもつ有機物「ペンタセン」(上)と「フタロシアニン」(下)

この曲がるというわざを、無機物、つまり炭素をおもな成分としていない物質で実現するのはむずかしいこと。なぜ、無機物では曲げることがむずかしく、有機物では曲げることができるのでしょう。

有機物は、無機物とおなじく、原子や分子どうしが結びついてなりたっています。しかし、その結びつきかたには異なる点があります。有機物におけるその結びつきは、無機物とはちがい、ファンデルワールス力という力でなされています。

ファンデルワールス力は、分子間力ともよばれ、分子と分子のあいだではたらく力のことをいいます。分子と分子がとても近づくと反発力になりますが、分子と分子が遠ざかると逆に引きつけあう力になります。

このファンデルワールス力は、ものともののあいだにはたらく力のなかでは、弱い部類に入ります。ファンデルワールス力にくらべて、無機物の原子どうしを結びつけるイオン結合などの力は、より強くはたらきます。

半導体の性質をもつ有機物をプラスチックなどの曲がる材料に付ける技術として、ちかごろは超微細インクジェットとよばれるプリンタも開発されています。つまり、プリンタで紙に文字や絵の模様を付けるように、超微細インクジェットでプラスチックに有機半導体を付けるわけです。

人と装置が接するところを、インターフェイスなどとよびます。有機エレクトロニクスの技術により曲げられる電子表示装置が使われるようになれば、インターフェイスの幅がまた広がることになります。

参考文献
八瀬清志「有機分子デバイスの製膜技術I 真空蒸着法」
参考ホームページ
コトバンク 知恵蔵2013の解説「有機エレクトロニクス」
ソニー「技術情報 有機トランジスタ」
参考記事
東京大学 竹谷純一研究室 2013年1月29日付「有機半導体の高性能化をもたらす塗布技術の開発に成功」
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書評『風土』
亜熱帯化しているといわれるいまの日本。内向化しているといわれるいまの日本人。もし和辻哲郎が生きていたら、どのような論を展開することでしょうか。


日本の代表的な哲学者である和辻哲郎(1889-1960)が著した『風土』は、いまもなお日本人の知の精神文化などを探究する人びとに読まれている。

この本は、書名のとおり「風土」を主題とした本だ。和辻は冒頭で、風土を「土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称」と定める。この風土こそが、日本、中国、インド、アラブ、欧州など、世界各地で生活を送る人びとに特有の精神構造をつくったのだとしている。

単純な例をいえば「暑いと人びとは解放的になる」とはよくいわれること。暑いというのは気候の特徴のひとつであり、風土の要素にふくまれる。この暑いという風土が、人を解放的にさせているといえる。

こうした風土と人の精神性を、モンスーン地帯、砂漠地帯、草原地帯というみっつの地域から考察していく。

たとえば、日本をふくむアジアに広がるモンスーン地帯では、熱帯的な暑さと湿気がもたらされる。この高温多湿な風土で暮らす人びとは、自然の暴威に耐えつつ、豊かな自然の恩恵を受けており、受容的で忍従的な精神性をもつ向きがあるという。

いっぽう、アラブには、乾燥によって生気もなくただ荒々しいだけの砂漠地帯が広がる。過酷な風土のもと、人びとは自然ともたたかいながら生きなければならない。そこで、人びとは団結をしなければならなかった。その集団が自然や他の集団とのたたかいのなかで生きのびることに人びとは身を捧げた。一人ひとりが力と勇気を極度に発揮するようになったという。

もっとも穏やかで安定している風土が、欧州で典型的な草原地帯のものだ。日ごとの、また一日のうちでの気候の変化にとぼしく、畑には雑草も生えない。そのため、草原地帯での農業はモンスーン地帯などにくらべて格段に楽となる。従順たる自然が、人びとを「自然は自分たちが支配できるもの」という精神を生んだのだという。

日本における風土と人間の関係についても、和辻はより深く考察している。モンスーン地帯にふくまれるので、日本人の精神性も大きくいえば、上記のような「受容的で忍従的な精神性」で示すことができる。

それに加えて和辻は、猛烈な勢いで近づいては去っていく台風に日本の風土の特徴を見いだそうとする。台風に特徴的な日本の風土から、日本の人間の精神性に、烈しさと静けさの両面性を求めている。それは、つぎのようなものだ。

「忍従に含まれた反抗はしばしば台風的なる猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、しかしこの感情の嵐のあとには突如として静寂なあきらめが現れる。受容性における季節的・突発的な性格は、直ちに忍従性におけるそれと相俟つのである」

「日本の人間の特殊な存在の仕方は、豊かに流露する感情が変化においてひそかに持久しつつその自給的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が反抗においてあきらめに沈み、突発的な昂揚の裏に俄然たるあきらめの静かさを蔵すること、において規定せられる。それはしめやかな激情、戦闘的な恬淡である」

『風土』における和辻の論がいまも賞賛されているのは、風土を大きく三つに類型化して、そこに暮らす人びとの精神的特徴を示したからだろう。三つのものを並べて、そのちがいを鮮明に印象づける。この単純さに導かれて、説得される人は多い。

ただし、この論考には批判もある。和辻は風土の特質を、気象統計などの客観的指標から導きだしたわけではない。戦前ごくわずかな人しかできなかった自身の留学体験や、外国に詳しい専門家からの見聞などが、和辻の論考の根拠となっている。

歴史家の井上光貞がこの本の解説で指摘しているように、この本が和辻の主観を多くふくむ論考できていることは、この本が批判を受けるときの根拠にもなってきたともいう。

しかし、そのような短所をはるかに凌駕する、圧倒的な洞察力がこの本にはある。風土を三つに類型化した単純さとともに、このきわめて強い洞察力もまた、いまなお人びとが本書に惹きつけられる理由となっていそうだ。力強い筆致に、多くの読者は圧倒されるにちがいない。

『風土』はこちらでどうぞ。
| - | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0)
「工」に“真理の探究”と“人間の社会”


ものをつくることを示す字に「工」があります。画数はみっつのかんたんな文字です。しかし、この一文字だけで「つくること」「つくる人」「つくる産業」など、さまざまな「つくる」についてのものごとを表すことができます。

「工」という字が、なぜ、このようなつくりをしているのか。いくつかのことがいわれており、深さがあります。

まず、「工」は、工作にかかわる道具を形どった象形文字といわれています。ただし、その道具がなにであるのかには諸説あるようで、寸法をはかるために使う「さしがね」を形にしたとか、木を切るときに使う「おの」を形にしたとか、いわれています。

いっぽう、「工」という字が、なぜ天側と地側に横線があり、それを縦線がつなぐような形をとっているのか。この形が意味するところから「工」の字のつくりを説くこともあるようです。

まず、天側にある横の線は、真理の探究を示しているといいます。真理の探究とは、人が知りたいと思ったことを探っていくこと。理学的な営みといえます。

いっぽう、地側にある横の線は、人間の社会を示しているといいます。地側にあるので、地平のようなものでしょう。

そして、真理の探究と、人間の社会を、縦の棒がつないでいるわけです。ここには、真理の探究は人間の社会とつながっている、という意味を示すといわれています。

かんたんにいえば、知りたいと思って探ってみてわかったことは人の役に立つという意味になるでしょう。わずか三つの画数の「工」には、深い意味が隠されているようです。

参考ホームページ
OKコラム「漢字の成り立ち辞典」
象形文字の秘密「『一』の追求 その21』
東北大学工学研究科・工学部「学部長講話」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
(2013年)9月4日(水)から30日(月)は「La Forêts Rouges メープルの赤い森」
写真展のお知らせです。

写真家の小林廉宜さんが、(2013年)9月4日(水)から30日(月)まで、東京・田園調布のDeco's Dog Cafe 田園茶房で、「La Forêts Rouges  メープルの赤い森」という写真展を開きます。

小林さんは1963年福岡市生まれの写真家。“楽園写真家”として知られる三好和義さんに師事し、その後1992年に独立しました。雑誌に、写真とともにエッセイを連載するなどの活動もしています。

「La Forêts Rouges  メープルの赤い森」はカナダのメープル街道の紅葉を撮影した写真作品を集めた展覧会。メープル街道は、カナダのナイアガラからケベックまでの800キロの道のりで、メープル(かえで)の木が多いことから、このようによばれています。

小林さんは、雑誌『家庭画報』の連載で、世界15か国、20か所以上の“森”を撮影してきたといいます。その後も、独自に森の撮影をつづけてきました。著書として写真集『森の惑星』も出版しています。そして、いま発売中の『家庭画報』10月号で、何度か訪れていたメープル街道を取材することに。

写真展では、『森の惑星』での取材時の未発表作品もふくめ、十数点の作品を展示するそうです。

会場のDeco’s Dog Cafe 田園茶房は、犬をつれて入ることができるカフェ。喫茶しながら、小林さんのメープル街道の写真を見ることができます。

小林さんの写真展「La Forêts Rouges  メープルの赤い森」は、9月4日(水)から30日(月)まで、東京都大田区田園調布2-62-1の東急スクエアガーデンサイト北館1階にあるDeco’s Dog Cafe 田園茶房で。このカフェの営業時間、つまり小林さんの作品を見ることのできる時間は、午前10時から午後20時までです。

Deco’s Dog Cafe 田園茶房の案内はこちら。地図のリンクもあります。「代官山」と「田園調布」の案内がありますが、写真展が開かれているのは「田園調布」のほうです。
小林廉宜さんのホームページはこちら。数々の森の写真を見ることもできます。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
『ニッポン定番メニュー事始め』発売
 

新刊のお知らせです。

ライターの澁川祐子さんが、このたび『ニッポン定番メニュー事始め 身近な食べもののルーツを探る。』という本を彩流社から出しました。この本は、日本ビジネスプレスで澁川さんがいまも連載している「食の源流探訪」を書籍化したものです。

日本人が“定番”として食べている料理をひとつずつとりあげ、その事始めや、全国への広がり、さらに発展などを追っていきます。とりあげる料理は「カレー」「オムライス」「コロッケ」「メロンパン」「しゃぶしゃぶ」「ちゃんぽん」「冷やし中華」「モンブラン」「あんぱん」など。「考えてみれば、よく口にするこの食べものはどこから来たのだろう」と思えるような料理ばかりです。

澁川さんは、多くの話で、定説をくつがえすような文献を紹介しています。たとえば、「ナポリタン」。

この“西洋風料理”が、イタリアでなく日本で生まれたということは、よく知られた話かもしれません。

さらに、ナポリタンは横浜にある「ホテルニューグランド」で誕生したという説があります。1945(昭和20)年、ホテルの総料理長だった入江茂忠(1912-1989)が、進駐軍に出す料理として考案したというもの。

しかし、澁川さんは、ナポリタンについての文献を調べたところ、戦前すでにスパゲティに「ナポリタン」の名がついていたことを示す記述を見つけました。コメディアンの古川緑波(1903-1961)が、1934(昭和9)年に綴った日記のなかで、「三越の特別食堂てので、スパゲティを食ってみた。淡々たる味で、(ナポリタン)うまい」と記していたのです。

澁川さんは、原稿を書くにあたり、「文献によってできるだけ事実を明らかにしようと務めた」と振りかえっています。「一般に出回っている説を、文献によってあらためて検証してみようと考えたのである」とも。

これは、インターネットにより知識や情報が大量に拡散されることに対するたたかいともとることができそうです。澁川さんは「調べるたび、『歴史は作られるもの』という言葉を実感した」と感想を述べています。

紹介されている料理は、日本人にとっての定番ばかりです。その数々の定番の料理は、どれも日本人のだれかが外国の料理をヒントに「日本で食べるとしたら」と考えだしたもの。その料理の加工ぶりに、日本人の特性や文化を感じることができます。

紹介している料理は26種類。すべてに、いわくつきの事始めがあります。

『ニッポン定番メニュー事始め』は、こちらでどうぞ。
彩流社のホームページでも紹介されています。こちらです。
| - | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0)
大地震をまだ経験していない


静岡県の沖の遠州灘から、宮崎県の沖の日向灘にかけての海底には、南海トラフという細ながい溝が走っています。フィリピン海プレートが沈み込んでいる部分で、巨大地震の巣となっています。

南海トラフでもっとも新しく起きた大地震は、1946(昭和21)年12月21日に起きたマグニチュード8.0の昭和南海地震です。

南海トラフを震源とする大地震はくりかえし起きています。南海地震のほかに、震源地のちがいにより東海地震や東南海地震といった大地震もくりかえし起きています。

1946年といえば、いまから67年前。その後、太平洋岸には、つぎつぎと新しい構造物がつくられてきました。それらの構造物は、まだ大きな地震を“経験”していないことになります。

そのひとつとして、大きな地震が起きたとき安全性は大丈夫なのかと防災研究者からも懸念されているものがあります。東海道新幹線です。

東海道新幹線に乗ったことがある人は、車窓から「いまトンネルをくぐっている」「いま橋のうえを通っている」「いま高架橋を通っている」といったことが見た目でもわかります。

東海道新幹線は、東京から新大阪まで線でつながっています。しかし、その線の土台となるものは、盛土、鉄橋、高架橋などさまざまあるわけです。なぜ新幹線がさまざまな土台のうえを走るかといえば速度を出すためでしょう。なるべくおなじ高さでまっすぐ進むことが、速度を落とさず走ることにつながります。

しかし、安全面にとってよからぬことに、土台の種類がちがうと、土台のかたさや強さにもちがいが起きます。

土台のかたさや強さがちがうとどうなるか。大地震が起きたとき、震源からの波の伝わりかたが異なってくるのです。揺れかたや揺れの幅が、たとえば盛土と高架橋によって異なってくるわけです。

もし、大地震が起きたとき、新幹線が盛土と高架橋の境目を走っていたら……。その境目で土台どうしのずれがおきたり、土台と土台の境目が角度をつけて割れたりすることが起こりえます。そこを新幹線が通れば、脱線は避けられないでしょう。

これまで、なぜ東海道新幹線が、このような大事故を起こさずにいままで来れたのかといえば、そのような大事故を起こす大地震が起きてこなかったからです。東海道新幹線が開業したのは東京五輪直前の1964(昭和39)年10月。昭和南海地震の18年後のことです。

関西大学社会安全学部教授で、内閣府の下に置かれている南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ主査の河田惠昭さんは、共著書『事故防止のための社会安全学』のなかで、つぎのように述べています。

「これまで安全だったのは、たまたま脱線転覆するような地震の揺れに遭遇していないからだと自分は考えてきた」

1946年以降につくられた構造物は、東海道新幹線だけではありません。大きな構造物のほとんどは、まだ大きな地震を経験していません。これまで企業や行政がとってきた耐震設計だけでは、どうすることもできないこともあるのです。

参考文献
関西大学社会安全学部編『事故防止のための社会安全学』
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