2013.07.31 Wednesday
永田徳本からトクホン
人の名前を、商品の名前や会社の名前にすることがあります。ファストフード店のマクドナルドは、創業者マック・マクドナルドとディック・マクドナルドのマクドナルド兄弟からくるもの。本屋のTSUTAYAは、江戸時代の版元である蔦屋重三郎の名字にちなんでいます。
トクホンは、どうでしょう。
トクホンは、1901(明治34)年に、鈴木由太郎が創った薬屋です。当時の店の名前は鈴木日本堂でした。1933年に、外用消炎鎮痛プラスター剤としてトクホンを売りだしました。そして、1989(平成元)年には、鈴木日本堂は会社の名前もトクホンにしています。
同社はホームページに、トクホンの名前の由来をこう書いています。
「トクホンの事業精神は、社名の由来ともなった、室町後期から江戸初期に活躍し、安価な治療で広く庶民に親しまれた放浪の医聖、『永田徳本』の『野にあって人を治す』の精神に遡ります」
トクホンも、人の名前から来ていたわけです。
永田徳本は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての医師です。永田徳本には、さまざまな伝説が残っています。三河で生まれましたが、甲斐に移り住んだとされます。甲斐の武将だった武田信虎と武田信玄の侍医であったともされ、さらに江戸幕府の第二代将軍だった徳川秀忠の病も治したといわれます。
おそらく、永田徳本
永田徳本は「甲斐の徳本、1服18文」と声をあげて薬を売ったといいます。また、どんな治療でも18文以上のお金を受けとることはなかったといいます。すると「甲斐のトクホン、1服18文」は「甲斐に住んでいる徳本といいますが、1服18文以下で売ることができます」という意味になるでしょうか。
治療のしかたには“攻め”の姿勢が見られたようです。当時の病気の治しかたは、病気の部分を温めるといった穏やかなものが主流だったといいます。しかし、永田徳本は、そうした消極的な方法を使わないで攻撃的な薬剤を活用したといわれています。
驚くべきは、永田徳本がたいへんな長寿だったかもしれないということです。室町時代の1513(永正10)年に生まれ、そして亡くなったのは江戸時代が始まってから27年になる1630(寛永7)年といいます。これが本当であれば、117歳か118歳まで生きていたことになります。
トクホン創業者の鈴木由太郎やトクホン関係者が、永田徳本の子孫であるという話はありません。しかし、なんのゆかりがなくとも、このような数々の伝説を残す魅力的な人物に対して、つい商品名や社名に「トクホン」の名をつけてしまいたくなるのもむりないことかもしれません。
参考ホームページ
トクホン「ご挨拶」
トクホン「沿革」
朝日日本歴史人物事典「永田徳本」