科学技術のアネクドート

唐辛子の辛さは天敵の細菌対策


唐辛子は赤みを帯びていて、いかにも辛そうです。ほんとうのところ、なぜ辛いのでしょうか。

唐辛子が辛い化学的な理由は、唐辛子にカプサイシンという物質が多く含まれているからです。カプサイシンは、炭素元素18個、水素元素27個、窒素元素1個、そして酸素元素3個からなる化合物。人などが皮膚の表面でカプサイシンを受けると、受容体が刺激されてひりひりとした感覚が脳に伝わります。これが、人が唐辛子を辛いと感じる原因です。

しかし、では、なぜ唐辛子はカプサイシンを多くたくわえて、辛さを発する必要があるのでしょう。これには、化学的な理由とはまたべつに、進化生物学的な理由があります。

唐辛子には、天敵といえるような菌類がいます。フザリウムというかびの一種です。唐辛子はこのフザリウムに感染されると、生きのびることがとてもむずかしくなります。唐辛子にフザリウムが感染するのは、唐辛子の実の汁をナガカメムシという虫が吸い、そこに傷口ができるためです。

唐辛子がフザリウムの感染から実を守るには、どうにかしてフザリウムを寄せつけなくする必要があります。そこで、フザリウム対策として、唐辛子はカプサイシンをつくることにしたといわれています。カプサイシンには、フザリウムの成長を妨げるはたらきがあることがわかっています。

唐辛子にも種類により、辛さはさまざまあります。その傾向は、湿度の高いところでは辛い実をつけ、感想したところでは辛い実をつけないというもの。いっぽう、唐辛子の天敵のフザリウムには、水分を好む傾向があります。

つまり、水分が多いところではフザリウムが多くいるため、唐辛子は辛くなる必要があり、水分が少ないところではフザリウムがあまりいないため、唐辛子は辛くなる必要はない。この考えとも一致するわけです。

人は、フザリウム対策としての辛さを、カレーやキムチやトムヤンクンや北極ラーメンなどの辛い料理の香辛料として使っています。唐辛子にとってのフザリウム対策としての辛さを、人は味わっていることになります。しかし、たまにあまりに辛いため、人でもその辛さにやられてしまうことはあります。

参考ホームページ
むしのみち「唐辛子が辛い進化生物学的な理由」
健康コラム「巧妙な仕掛け」
参考記事
AFP 2011年12月22日付「トウガラシ、辛いか辛くないかの決め手は水分」
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“問題の前提”から外れる受験者がいるときも


組織などが人を選ぶとき、試験で問題を出して、高い点をあげた人を選ぶということがよくあります。学校による入学試験や、企業による採用試験などはその例です。

応募条件にもよりますが、問題にのぞむ受験者は、さまざまな背景をもっています。性別もちがえば、育ってきた地域もちがう、ということも。そのため、出題側はなるべく、どんな受験者にも受け入れられるような“問題の前提”を考えることが大切になります。

多くの地域の受験者とってその前提が当てはまるとしても、一部の地域の受験者にとってその前提があてはまらないということもありえます。そして、そのことに出題側が気づかずに出題をしてしまうこともありえます。

たとえば、大学入試の小論文で、「水道水をミネラルウォーターなみの味にするにはどうすればよいと考えるか、述べなさい」といった出題があるとします。

この問題でおそらく前提になっているのは、「水道水はミネラルウォーターよりもおいしくない」ということでしょう。これは、多くの地域の人がそのように思っている常識。出題者はその常識から、「水道水をミネラルウォーターなみの味にする」ための方法を受験者に考えさせようとしたわけです。

しかしながら、まれに、ミネラルウォーターにおいしさの点で劣らない水道水を飲むことができる地域もあります。わき水が豊富な地域では、水道水を濾過処理することなく、まさにミネラルウォーターの状態で飲むこともできます。

その地域に住む人が、「水道水をミネラルウォーターなみの味にするにはどうすればよいと考えるか、述べなさい」という問題を出されたら、すこし困ってしまうでしょう。その人にとっての常識は「水道水の味はミネラルウォーターなみ」だからです。

出題者は、せめて問題の前に「多くの地域では、水道水はミネラルウォーターにくらべて、味が悪いといわれています」などといった前提となる説明をしておくことが求められます。しかし、あまりにも前提が常識的なときもあります。出題者がその前提には例外があるといういことに、気づくかどうかが大切になるでしょう。
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骨髄でつくられ、脾臓で壊される


切り傷をつくると、そこから血が出てきます。一見、たんなる赤みを帯びた液体のようですが、血のなかには、赤血球、白血球、血小板といった粒々が含まれています。

赤血球は、酸素を運ぶ役割を果たします。赤血球にふくまれるヘモグロビンという物質が赤いため、血の色は赤みをおびています。

白血球は無色の赤血球より大きめの球で、好中球、リンパ球、単球などにわけることができます。このうち、好中球と単球は、からだのそとからやってくる細菌や異物などを食べて、外からの敵の侵入を防ぎます。また、リンパ球は、外からの敵に対して自分をまもるための抗体をつくるなど、免疫反応に関わります。

血小板は、血液を固まらせる役割を果たします。切り傷をつくると、のちにかさぶたができます。血小板がはたらくことにより、かさぶたができます。

赤血球、白血球、血小板。これらは骨髄というからだの部分でつくられます。骨髄は、骨の中心をなす部分。ここで、いろいろな種類の細胞になる能力をもつ幹細胞が、赤血球、白血球、血小板になっていくのです。

血の成分は骨髄でつくられることは、わりと知られています。しかし、血の成分がつくられっぱなしでは、いつか血液のなかに赤血球、白血球、血小板があふれかえってしまいます。そこで、古くなったこれらの成分を、からだのどこかで壊す必要があります。しかし、からだのどこでこれらの成分が壊されていくかは、あまり知られていません。

赤血球と血小板は、脾臓という臓器で壊されます。脾臓は、人ではおなかの左上にある臓器で、長さ12センチ、幅7センチ、厚さ5センチぐらいの大きさがあります。

いっぽう白血球はというと、敵を食べるなどの役割を終えると、自分からばらばらになり死んでいく道を選びます。このように、からだをつくる構成要素が、計画的に死を迎えることを、「アポトーシス」といいます。

人が病気にかかったり、老化が進んだりしないかぎり、その人のなかの赤血球、白血球、血小板は、増える分だけちょうど減るようにできています。つまり、動的平衡を保ちながら、きょうも血の成分はつくられ、血の成分は捨てられていくわけです。

参考ホームページ
ウィキペディア「脾臓」
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肌は合うが、皮膚は合わない


「肌」と「皮膚」のちがいはなんでしょうか。

たとえば「あの人とは肌が合うだよね」といいます。この「肌が合う」は、気が合うことをいいます。ここでいう「肌」は「学者肌」などというときの「肌」とおなじものです。

「肌」の「はだ」は、「体の端」つまり「はた」や「はて」に由来しているという考えかたがあります。このあたりの由来からすると、古くから使われていることばであることがうかがえます。

いっぽう、「あの人とは皮膚が合うんだよね」とは、たとえ肌が合う人のことであっても、まずもっていいません。もちろん「学者皮膚」ともいいません。「学者独特の肌」はあっても「学者独特の皮膚」はないのでしょう。

「皮膚」というと、「肌」よりも医学や生物学の用語という意味合いが強いようです。さながら、「虫」ということばと「昆虫」ということばのちがいのようなものでしょう。「虫のいい話」とはいいますが、「昆虫のいい話」とは、昆虫についてのためになる話をするときのほかには、あまりいいません。

皮膚は、動物のからだの表面を覆っている組織のことです。この点では、「肌」とあまり変わりません。

しかし、皮膚は、動物によっては、多層になっていることもあります。たとえば、人では、表皮、真皮、皮下組織という層でなりたっています。

表皮はもっとも外側の層で、体を覆う、感覚を得る、汗などを出す、水分などを吸う、といった役割があります。

真皮は、表皮よりも内側にある層で、コラーゲン繊維とエラスチンというたんぱく質が、皮膚全体の弾力を保つためのクッションの役割を果たします。

そして、皮膚のもっとも内側にある皮下組織は、膠原繊維、弾性繊維、脂肪細胞といったものからなり、皮下脂肪で栄養を貯めたり、体温を保ったりする役割をしています。

「肌」が脂肪で栄養を貯めていそうかというと、そういう語感をもたれません。肌よりも皮膚のほうが、厚みもあることもわかります。「肌」は人の目から見える体の表面部分なのに対して、「皮膚」は体を解剖したときに見える体の表面部分なのです。

参考ホームページ
語源由来辞典「肌」
スキンケア大学「肌の構造とその役割」
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食のまわりに“未解決問題”
 人は1日に3回ほど食事をします。無数の人たちが、これほどひんぱんに食事をしているのだから、たいていの“食についての問題”は解決されていそうです。しかし、いまなお、多くの人を悩ませる未解決問題はあります。

ひとつめは、コンビニエンスストアやスーパーマーケットなどで買った弁当を、レジ袋に入れると傾いてしまう問題です。

レジ袋のなかに弁当を水平に入れても、レジ袋をもって歩いているうちに、すこしずつ傾いていき、気づくと弁当の中身が片方に寄っています。そうなると、かならずといってよいほど、おしんこなどの軽い食材は定位置に残ることがありません。ときに唐あげと唐あげの間に移ったり、ときにはごはんの上に散らばったりしています。

レジ袋のなかに、弁当のほかにペットボトルなどの重いものを入れようものなら、あっというまに弁当は傾いてしまいます。また、自転車に乗りながら弁当を水平に保とうとしても、あっというまに弁当は傾いてしまいます。

コンビニエンスストアや弁当屋が「レジ袋における弁当の傾き問題」を解決すれば、売上げが増すかもしれません。特許で儲けることもできるかもしれません。しかし、いまだにだれもが「この手があったか」と納得するような解決策は現れていないもようです。

また、ラー油の容器がベトベトする問題もあります。しょう油やお酢の入った容器とちがって、ラー油の入った容器はなぜか、表面がべとべとしてくるという問題です。このブログでも過去に「餃子のお供の、あの感じ。」「ラー油のベタベタ問題、解決せず。」というそれぞれの記事で、考察やラー油製造業への質問結果などもまじえてとりあげました。

なかには、納豆の容器にいっしょに入っているパック入りからしのように、小さなパックにラー油を詰めて販売している場合もあるようです。

しかし、これは対処的な対策であり、ラー油の容器をべとべとさせないという根本的な解決とはいえません。

インターネットなどでのラー油容器をもっている人の発言を見ても、「いつのまにかべとべとになっているんですよね」などと不思議さをかくせない様子です。

そして、遮蔽容器に食べものや飲みものの入った食品では、残りの量がわからないという問題もあります。典型的な例が「フリスク」や「ミンティア」などのタブレット菓子でしょう。

これらの商品を買ったばかりのときは、残りの個数を気にすることなく食べることができます。ところが、食べていくと、だんだん残りの個数が減っていき数個に。

このとき、残り1個であれば、容器を振ると「カラッ、カラッ」と1個だけのむなしい音になります。しかし、2個や3個のとき容器を振ると、たくさん個数があるときとあまり音は変わりません。

そのため、気にしないで「フリスク」や「ミンティア」を食べていると、突然、振ってもなにも出てこない「残りゼロ」がやってくるわけです。

この問題に対しては、遮蔽容器でなく、半透明などのスケルトン容器を使えば、解決しそうです。しかし、コストがかかるのでしょうか、あるいは光にさらすと味が変わってきやすいのでしょうか。なかなか、中身を見ることのできるタブレット菓子は登場しません。
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「もちろん、将来を考えれば、富士山が噴火する可能性は100%です」


富士山が、世界文化遺産に登録されました。さっそくテレビなどの報道陣は、富士山へと駆けつけて、登山者や観光客によろこびの声を聞くなどしています。

しかし、数か月前まで、富士山麓で異常なわき水が見られたり、箱根町で群発地震が起きたりするたびに、報道機関は「富士山はいつ噴火するのだろうか」と、危機感をあおるような報道をしていました。

人びとの興味の移りかわりの速さに対して、富士山はどっしり構えて黙っています。

火山の兆候を感知することは、地震にくらべれば可能性の高いものです。地震とちがって、火山には明らかな前触れが起きやすいからです。

もちろん、活火山である富士山にも、異常な兆候がないかを調べる観測システムはあります。

富士山は円錐形。その円錐をとりかこむように、気象庁、防災科学技術研究所、東京大学地震研究所などの機関の観測機器が置かれています。

富士山の山頂から半径10キロ圏内に、地震計が16基。ほかに、地盤の傾斜を測る傾斜計が7基。地殻の変動を測るGPS(Global Positioning System)が18基。さらに、地下の熱を捉える全磁力計が4基、置かれています。

では、マス媒体が一時期騒いでいたように、富士山に噴火に可能性は高まってきているのでしょうか。

東京大学地震研究所が、ホームページにこんなことを記しています。

「もちろん、将来を考えれば、富士山が噴火する可能性は100%です」

富士山にも、いまから何千年後までの間か、あるいは何万年後の間か、いつかの日にかは、噴火する日がくるのでしょう。なので、「100%」というわけです。しかし、こう続きます。

「ただし、現時点では噴火に直接つながることを示す観測データはありません」

火山研究の観点からは、噴火の予兆と認められるような現象は観測されていないということです。

テレビや雑誌の報道で、「富士山が噴火するのでは」と心配してきた人は、富士山の話題が世界遺産に移っているので、しばらくはその心配も薄れそうです。もっとも、安心しきっているより、すこしは心配しているぐらいのほうが、天災への覚悟としてはよいかもしれませんが。

参考記事
Business Journal 2013年1月1日付「富士山噴火は必ず起こる?システム誤動作、健康被害、経済被害…」 
参考ホームページ
東京大学地震研究所「富士山が噴火する可能性は0%ですか?」
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いっしょに育てて効率よくエネルギー獲得


このブログの2011年8月31日付の記事で「ミクロな生物が“石油みたいなもの”をつくる」として、バイオマスエネルギー資源になりうる「ボトリオコッカス・ブラウニー(ボトリオコッカス)」という藻類を紹介しました。

ボトリオコッカスは、光合成をして二酸化炭素を吸収するとともに、炭化水素というエネルギー源をつくってくれる植物です。石油資源に代わる、エネルギーを得られる植物として注目されています。

さらに、このボトリオコッカスと、べつのもうひとつの植物を同時に育てることで、より効率よくエネルギーを得ようとする考えがあります。

そのもうひとつの植物とは、「オーランチオキトリウム」という藻類。オーランチオキトリウムがボトリオコッカスとちがうのは、自分が必要とする炭素を得るために、有機化合物を使うという点。

ボトリオコッカスのほうは、多くの植物がするように、自分が必要とする炭素を得るために、太陽の光を使って光合成をします。これに対して、オーランチオキトリウムのほうは、炭素を得るために光合成をすることはありません。そのため、色も緑ではなく灰色。そのかわり、外から有機化合物を得ることで炭素を得るのです。このような生物を、他家栄養生物あるいは有機栄養生物といいます。

ボトリオコッカスは光合成が必要なので、人がエネルギーを栄養とすれば屋外で育てる必要があります。いっぽう、オーランチオキトリウムのほうは、光合成が必要ないので人がエネルギーを得るときは屋内の水槽などで育てればよいわけです。

このふたつを同時に育てると、なぜ、より効率よくエネルギーを得られるのでしょうか。

オーランチオキトリウムは、自分自身では有機化合物をそれほど多くはもっていません。しかし、ボトリオコッカスのほうは、人によりエネルギー源を採られたあとの残りかすに、有機化合物が多く含まれます。

そこで、まず、ボトリオコッカスの残りかすを溶かして、それをオーランチオキトリウムに栄養源として使ってもらうことができます。

いっぽう、ボトリオコッカスのほうは、エネルギーの炭化水素をつくるための養分として、窒素やリンなどの無機栄養分をほしいのですが、ふつうの環境ではあまり多く得ることができません。

でも、オーランチオキトリウムは、窒素やリンなどの無機栄養分を多くもっています。そこで、オーランチオキトリウムを培養するときに使った、無機栄養分たっぷりの排水を、ボトリオコッカスにあたえるのです。

オーランチオキトリウムは、「有機栄養分がほしい。自分としては無機栄養分をもっている」とのこと。

ボトリオコッカスは、「無機栄養分がほしい。自分としては有機栄養分をもっている」とのこと。

「だったら、おたがいに融通しあえばいいじゃないか!」

このような物語を人はつくりあげたわけです。実用化はまだですが、「つくば国際戦略総合特区」で、その技術開発が進んでいます。

参考文献
つくば国際戦略総合特区「藻類タイムトラベル」
参考ホームページ
筑波大学 渡邉信・彼谷邦光研究室「Project オーランチオキトリウム」
仙台市「藻類バイオマスに係る研究開発の推進」
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人ではありえない株の取り引きから、人ではありえない株価下落


株価の乱高下がひんぱんに起きているように見られます。

このような状況に対して、麻生太郎財務大臣は、乱高下の一因として、自動プログラムで高速売買を繰り返す「超高速取引」があるという見方を示したと伝えられています。超高速取引はHFT(High Frequency Trading)ともよばれます。

従来、株式の取引は、人が売りと買いを判断して、その都度、売りまたは買いの発注をしてきました。いまでも大半は、人の判断により売りと買いの発注が行われています。

ところが最近になり、コンピュータを駆使して、株価の変動があると人ではできないくらいの一瞬で売りや買いの発注をし、さらにそれを人ではできないくらいにひんぱんにおこなうやりかたが、広まっているのです。この方法を、超高速取引といいます。東京証券取引所での株式の売買代金の3割をこの超高速取引が占めるようになったといいます。

どのくらい“超高速”なのかといえば、その速さは「1000分の1秒単位」といわれています。人の判断のはるかに上を行く速さです。

超高速取引で使われている手法に「アルゴリズム取引」というものがあります。野村証券の用語解説によると、アルゴリズム取引とは、「コンピューターシステムが株価や出来高などに応じて、自動的に株式売買注文のタイミングや数量を決めて注文を繰り返す取引のこと」。具体的には「自らの取引によって株価が乱高下しないように売買注文を分散したり、また株価が割安と判断したタイミングで自動的に買い注文を出したりする」とあります。

人が株の売り買いの判断に介入するより、ある一定の戦略をインプットした機械にまかせたほうが、利益が高まるという考えかたのもと、アルゴリズム取引はおこなわれているのでしょう。

2010年5月6日には、米国の株式市場で、ダウ工業株30種の平均が347.8ドル暴落する事態が起きました。この暴落の原因にも、超高速取引が関わっているのではないかと、米国証券取引委員会は見ています。

その日、ある投資顧問会社が、アルゴリズム取引で、ある企業の株に対して巨額の売りを発注したといわれています。これに対して、ほかの超高速取引をする機械は、その株を買う判断をしました。しかし、買いの新規注文が成立した買いポジションという段階で、その状態があまりに膨らみすぎると、その状態を解消するように機械が動くようになっていたといいます。これで、買いから一気に売りに転じられ、相場全体が売りへ向かってしまったとされます。

株の暴落というものはたまにありますが、なかでも瞬間的に急落することを「フラッシュ・クラッシュ」といいます。2010年5月6日の米国株式市場では、上記の株価暴落がわずか10分のうちにおきています。

株式の取引は複雑であるため、フラッシュク・クラッシュの原因は明確にはわかっていません。

株価の変動いうものは本来、フラクタルなものであるといわれています。フラクタルとは、ある部分を切りとっても、より広い範囲を切りとっても、おなじ形をしている図形のこと。株価の変動でいえば、1日の上下動の、1か月間の上下動、1年間の上下動、どれを切りとっても、どれが1日で、どれが1か月間で、どれが1年間か、グラフとしては見分けがつかない、ということです。

しかし、このところ株式の売買で使われはじめた「超高速取引」により、1年間など上下動では描かれないようなグラフが、1日や1時間のグラフでは描かれるようになってきているのかもしれません。

参考文献
ロイター 2013年5月28日付「株価乱高下の背景、超高速取引が一因=麻生財務相」
日経ヴェリタス2011年6月26日付「超高速売買、ミリ秒の攻防 株価乱高下の要因にも」
初心者のためのFX外貨用語解説「買いポジション」
コトバンク「フラッシュクラッシュ」
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自分の主張など読んでもらえないから取材
雑誌などの記事をつくるとき、人に会って取材をするということはつきものです。随筆や書評、あるいは書き手が記事の主題の当事者などでないかぎりは、人に取材をしてそれを記事にするということがほとんどです。

書き手が記事の主題を専門家なみに詳しく調べて、それをもとに自分の伝えたいことを書いたとします。読者に伝わる情報としては、その主題の専門家に取材をしてそれを伝えるのと変わりはなさそうです。

しかし、それでもなお、人に取材をして伝えることの意義はあるのでしょう。

読者の多くは、その記事の書き手のことを知っているわけではありません。いわば、無名の書き手の記事を読まされることになるわけです。そして、書き手がいくらその主題を専門家なみに調べてあげて書いたとしても、しょせん無名の書き手は無名の書き手。

良心的な読者は「お、この記者はよく調べているな」と思うかもしれません。しかし、多くの読者は「何処の馬の骨かしらない記者が、知ったかぶりを書きやがって」と感じるでしょう。読者は、記者を専門家でなく記者として見ているからです。

そこで、専門家の登場ということになります。読者は、あるいはその専門家の名前をはじめて聞くかもしれません。それでも、「何々に詳しい何々大学の誰々教授はこう話す」などのように、肩書きがあったうえでそのひとの発言があれば、読者はそれを「専門家が述べている専門的な発言なのだな」と捉えることでしょう。

よほどの高名なコラムニストやノンフィクション作家などでないかぎり、記者は自分の考えや主張を自分自身の言葉をつかって伝えようとしても、伝わりません。読者は、知らない一記者の主張などに耳をかすほど時間をもてあましているわけではありません。

書き手が読者に伝えたいことがある。そのときは、専門家や当事者に取材をして、その人に自分の意見を語ってもらうことが、読者に伝えたいことを伝える近道になるわけです。
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「『酵素ジュースできれいになれる』は本当か?」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、(2013年)6月21日(金)「『酵素ジュースできれいになれる』は本当か? 酵素と生食の真相を追う(前篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

ここ何年か、「酵素ジュース」や「酵素食材」とよばれる食品が、「健康食品」であるとして流行しています。

酵素とは、生物の消化や吸収といった、体のなかでおこなわれるほぼすべての化学反応を引き起こす物質のこと。人も自分のなかで酵素をつくることができます。いっぽう、野菜や果物も自分のなかで酵素をつくることができます。

人がつくる酵素は、年とともにだんだん減っていくといわれています。そのため、足りなくなった酵素を、体の外から補給して補おう、というのが「酵素ジュース」や「酵素食材」などを「健康食品」であるとする人たちの主張です。

記事では、愛知学院大学心身科学部健康栄養学科教授の大澤俊彦さんが、このような主張に対する見解を述べています。大澤さんは、食品と生命機能の関わりを研究テーマとしている機能性食品の専門家です。

結論をいうと、健康の効果を謳う「酵素ジュース」や「酵素食材」については、その食品に含まれている酵素が健康に効果をもたらすということはほとんどないということのようです。

人も酵素をもっています。そのなかのひとつに、胃のなかでタンパク質を分解する「タンパク質分解酵素」というものがあります。

いっぽう、酵素はタンパク質です。酵素ジュースとして体のなかに取りこむ酵素も、タンパク質です。

ということは、酵素ジュースの酵素は、人間の胃のなかにある酵素によって、ばらばらに分解されてしまいます。

ここからは大澤さんの論ではありませんが、「酵素ジュース」とよばれるジュースを飲んで、では健康効果がまるでないかというと、そうとはいえなさそうです。なぜなら、酵素ジュースは、ビタミンなどの体によい成分が多く含まれているからです。いわば「酵素ジュース」は「ビタミンジュース」なのであって、「ビタミンジュース」を飲むことに対して、健康効果を期待することできます。

「酵素ジュース」を飲んでも、酵素は胃で分解されてしまうので、酵素の作用は期待されない。かといって、分解されてしまうので有害ともいえない。さらに、酵素ジュースは、酵素以外の部分で健康効果を期待できるので、結果として健康効果を得られる人もいる。

このようなからくりが、ありそうです。

「『酵素ジュースできれいになれる』は本当か? 酵素と生食の真相を追う(前篇)」はこちらです。
6月28日(金)掲載予定の後篇では、関連する「生食」について、ひきつづき大澤さんの話を聞く予定です。
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「一刀斎」のチキンカレー――カレーまみれのアネクドート(48)


甲府市の中心街、丸の内。木でできた急な階段をのぼっていったところに「一刀斎」というカレー屋があります。

ドアを開けると、漂ってくるカレーの香り。柄のついた茶色い椅子、それにレンガ風の壁。店内には昭和の雰囲気が残されています。

手前のカウンター席では、サラリーマン風情の客が雑誌を読みながらカレーを食べています。奥の広い厨房ではマスターがカレーづくり。

カレーの献立はいたってシンプルで、チキンカレーとオムカレーのみ。大盛りや特盛りも選べます。

チキンカレーのルーの色は、すこし緑がかったような黄色。この色は一見、甘そうに見えます。しかし、実際は、辛さが口のなかに直接的に伝わってくる、ストレート系の辛さ。ルゥのなかに、香辛料のつぶつぶを見ることができます。約15種類の香辛料を使っているそうです。

また、鶏肉は、それほど自己主張することもなく、4つほどのかけらがルゥのなかにつかっています。

チキンカレーは500円。オムカレーは680円。手ごろな価格で、甲府のサラリーマンたちの腹をいつも満たしてくれるカレー専門店です。

「一刀斎」の食べログ情報はこちらです。
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ポリフェノールの量を“青色”から調べる
きのう付(2013年6月18日)のこのブログの記事「タマネギから“黄色”をとりだす」では、タマネギなどの植物からポリフェノールという物質の色素をとりだす方法を紹介しました。

ポリフェノールは色素として使われるだけではありません。人の体のなかで発生する活性酸素という毒をとりのぞいたり、病気の原因となるような細菌を殺したりと、さまざまな効果があるといわれています。

人にとって関心事になるのは、その植物や食べものに、ポリフェノール類がどれくらいふくまれているか、つまりポリフェノールの含有量を知るということになるでしょう。

ワインや蒸留酒などにタンニンなどのポリフェノール類がどのくらいふくまれているか。それを調べる方法として「フォーリン・デニス(Folin Denis)法」というものがあります。米国の化学者だったオットー・フォーリン(1867-1934)とワイリー・デニス(1879-1929)が1915年に発表した、古くからある方法です。

オットー・フォーリン

ポリフェノールは、亀の子の形をしたベンゼン環の「H」の部分が「OH」になったフェノールという物質が複数つながったつくりをしています。このフェノールを基本とした物質は、アルカリ性のなかで、酸素が奪われていく「還元反応」を起こします。

たとえば、ポリフェノールにおいて、リンタングステン酸やモリブデン酸といった物質が還元されると、ポリフェノールが青色を示します。

その青色が“どのくらい濃さの青”であるのかを、基準となる青色とくらべることができれば、ポリフェノール類がどのくらいふくまれているのかがわかってきます。

青という色は、光を波としてみたときの山と山あるいは谷と谷の距離が700ナノメートルから770ナノメートルほどの赤い光が吸収されたときに示される色です。そこで、ポリフェノール類により示された青い色が、700ナノメートルから770ナノメートルの光をどのくらい吸収しているかを調べることで、ポリフェノール類の量を調べるわけです。

このフォーリン・デニス法は、「AOACインターナショナル」という国際的な団体が公認した測定法となっています。

参考資料
長野県工業技術総合センター食品技術部門「食品中のポリフェノール総量分析について」
竹林若子ら「ナスポリフェノール量がラジカル捕捉活性および抗酸化活性に及ぼす影響」
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タマネギから“黄色”をとりだす

健康の効果をうたう食品などには「ポリフェノール」という物質がふくまれていることがあります。

「ポリフェノール」は、「たくさん」という意味の「ポリ」と、亀の子の形をしたベンゼン環の「H」の部分が「OH」になった物質「フェノール」からなりたっています。ポリフェノールはフェノールの構造を複数もった物質のことです。

フェノールの構造をもった物質はたくさんあります。つまりポリフェノールの種類はたくさんあるわけです。

よく知られている物質名では、たとえば「フラボノイド」があります。さらにフラボノイドには、茶やワインにふくまれ殺菌作用などのある「カテキン」、ぶどうの皮や紫いもなどにふくまれ赤紫色をした「アントシアニン」、茶や柿などにふくまれ苦みをもたらす「タンニン」などがあります。

最近ではコーヒーにふくまれるポリフェノールの一種「クロロゲン酸」に、脂肪を消費するはたらきがあるとして、ヘルシアコーヒーの宣伝材料に使われたりしています。

なぜ、植物がポリフェノールをもつのか。それは、植物が自分自身を害からまもるためと考えられています。

たとえば、ポリフェノールはさまざまな色素になります。これは、植物が紫外線などから身をまもるため。また、ポリフェノールは苦み成分でもあります。これは、植物が敵に食べられないようにするため。

人は、こうしたポリフェノールの色や苦みを逆手にとって、暮らしに使ったり風味として味わったりするようになったわけです。

では、植物から色素としてのポリフェノールをとりだすには、実際どのようにするのでしょう。一例としてタマネギの皮から黄色の色素をとりだす技術をみてみます。タマネギの皮が黄色っぽいのは、ポリフェノールの一種ケルセチンといった物質が黄色を示すからです。

タマネギの皮から、エタノールと水と水酸化ナトリウムを使って溶液を抽出します。そして、この溶液からエタノールをとりのぞきます。その後、この液体を酸で処理してから加熱することで固体をとりだすことができます。この固体が、黄色の色素ケルセチンです。

ポリフェノールの種類はさまざま。黄色だけでなく、赤い色素などを、似た方法でとりだすこともできます。

こうして得られたポリフェノール色素で、絹や綿などの生糸を染めたりすることもできるといいます。

ほかにも、ポリフェノールには種類により、動脈硬化や心筋梗塞などの病気を防ぐ作用や、眼の疲れを和らげる作用などがあるといいます。これほど人にとって都合のよいポリフェノールがレアメタルなどとちがって争奪の対象にならないのは、なんらかのポリフェノールがほとんどの植物にふくまれているからでしょう。いわば、人はポリフェノールにかこまれて生きているわけです。

参考資料
吉見泰治「たまねぎの皮を利用したポリフェノールの効率的な抽出と染色法」
参考ホームページ
ウィキペディア「ポリフェノール」

記事では、当初「ケルセチン」を「ケセルチン」と記していましたが、Qさんからのご指摘をいただき、訂正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。
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「会議の定式化」を


きょう(2013年)6月17日(月)発売の『週刊東洋経済』で、「会社を変える会議」という特集が組まれています。この特集の「日産自動車 V-upプログラム」を紹介する記事で取材と寄稿をしました。

企業や組織で開かれる会議を、社員が問題に感じている向きはあるようです。

NTTデータ経営研究所が2012年10月に発表した「『会議の革新とワークスタイル』に関する調査」では、いつも感じている問題・課題についてgooリサーチ登録モニターに聞いたところ、「無駄な会議等が多い」が45.0%、「会議等の時間が長い」が44.1%、「会議等の頻度が多い」が36.7%に上ったといいます。

はじめから問題や課題を問う方法のため数値は高めに出たかもしれません。しかし、多くの人にとって会議というものに対して負の意識があるのは、事実なのでしょう。企業などで、社員が合理化や改善活動などを進めるなか、会議だけはなかなか合理化や改善の対象にならないのかもしれません。

しかし、組織に属したり、組織と接したりしている人の大多数は1年に少なくとも何度かは会議に出席するはずです。そうであれば、定式化された会議の行いかたや議論の進めかたを、会議に参加する機会をもつ人たちが共通に身につけておいてもよいのかもしれません。

たとえば、小学校、中学校、高校での国語の授業に「話しあいの進めかた」というカリキュラムを設けてもよいでしょう。「英語」や「情報」などとおなじく、「会議」という教科を設けるまでには行かないでしょうか。

実際、各大学にある英会話部(ESS:English Speaking Society)には「ディスカッション・セクション」という部門があります。会議でものごとを決めることを目的とした部門です。大学間で春と秋のシーズンごとに共通の社会問題がテーマとして出され、それをもとに各部員が自分の意見を携えてテーブルにつきます。

そして、ある程度、定式化された方法によって、議論を進めていくのです。それは、いうなれば、スポーツをするときに守るべきルールがあるために、どんな相手とも試合をすることができる、というのと似ています。

『週刊東洋経済』の記事にある、日産自動車にも「V-upプログラム」という定式化された課題解決法があります。そして、社員たちは「討議」で課題解決策を導いていきます。日産自動車のように会社の規模が大きいほど、会議や討議のしかたが定式化されていることが重要性をもつようになります。

取材を受けた日産自動車の社員は、「新興国などで、これまで日産の仕事の経験がなかった人たちが急に垂直立ち上げで拠点を築くような場合、どうコミュニケーションをとるか。これ(V-up)がなかったらどうなっていただろうな」と話します。

「無駄な会議が多い」という問題意識をもっている人に、そう思わせないためには「無駄な会議をしない」つまり「成果の上がる会議をする」ということが大切になります。その方法論の数々が、この特集には記されてあります。

『週刊東洋経済』2013年6月22日号のお知らせはこちらです。

参考資料
NTTデータ経営研究所「2012年10月5日『会議の革新とワークスタイル』に関する調査」
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「(略して)テレコ」というよりも「てれこ」


雑誌などをつくるとき、「今回の雑誌づくりの体制はテレコにしたいと思います」などと言う人がいます。

A班とB班にわけて、雑誌づくりをたがいちがいにすることをいいます。第1号、第3号、第5号のように奇数号はA班がつくり、第2号、第4号、第6号のように偶数号はB班がつくるといったものです。

「テレコ」と聞いて、思い浮かべる人が多いのは「テープレコーダー」でしょう。テープレコーダー、略して、テレコ。むかしのカセットテープには、A面とB面があります。「A面はA班で、B面はB班」と考えると、A面(A班の雑誌づくり)が終わったら、B面(B班の雑誌づくり)で、またA面に戻る、といった具合に、テープレコーダーの特徴としっくりと合います。

しかし、この「テレコ」の語源は、テープレコーダーを略したものではないといいます。

歌舞伎に「てれこ」ということばがあります。ふたつのちがった筋を、多少の関連をもたせて、たがいちがいに展開していくことを「てれこ」といいます。これは「手入れ」ということばに、接尾辞の「こ」がついたもの。

漫画や小説などでも、たがいに関係しているAとBというふたつの物語を、章や回ごとにたがいちがいに展開させていく方法があります。

この歌舞伎での「てれこ」という展開のしかたから、かたやAという話(A班による雑誌づくり)がまず進み、つぎにBという話(B班による雑誌づくり)がつぎに続くといった雑誌づくりなどの体制にあてはめたというわけです。

テープレコーダーの略語の「テレコ」が由来とするのはあまやりだとしても、たとえとしては歌舞伎の「てれこ」とおなじくらいにぴたりと当てはまっています。
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「かならず」よりも「絶対に」のほうが強い


「言われたことをかならず守るように」と「言われたことを絶対に守るように」というふたつの表現は、意味あいはにています。しかし、意味の強さに差を感じる人もいることでしょう。「かならず」よりも「絶対に」のほうが意味が強いと感じる人が多いのではないでしょうか。もし、そうだとすれば、その差はどこからくるのでしょう。

「かならず」のほうは、ひとつの例外もなく物事が起こるさまをいいます。

ある人が「言われたことをかならず守るように」と言われたとき、この人は「こうせよ」と言われた10のことに対して、例外なく10を守らなければなりません。「かならず」とは、例外がありえないことです。

いっぽう「絶対」のほうは、文字の意味からすると、“対”になるものが“絶”している、つまり、比較するものごとが存在しないさまを示しています。「絶対」の反対語は「相対」。「相対」のほうは、ほかとの関係があるなかでものごとがなりたっているさまをいいます。

ある人が「言われたことを絶対に守るように」と言われたとき、この人は「言われたことを守らない」と選択することはおろか、「言われたことを守らない」という選択肢があると考えることさえ許されていないことになります。言われたことを守ることが「絶対」だからです。

このようにくらべると、「かならず」より「絶対に」のほうが、やはり意味は強いといえそうです。

「かならず」のほうは、「10個のものごとがあたえられれば例外なく10個すべて」といったような意味あいになります。とりあえず、「10個のものごと」があたえられたとき、その人は「10個のものごと」をAとして処理することも、Bとしてして処理することもできなくはない環境ではあるものの、そこでとる選択はAしかありえないという意味になるでしょう。

「絶対に」のほうは、「10個のものごとがあたえられれば最初からそれら10個はAとして処理されるだけ」といった意味あいになります。「10個のものごと」があたえられたとき、その人は「ただAとして処理されるしかない10個のものごと」をあたえらたことになるでしょう。「かならず」とちがって、はじめから例外など考えられないわけです。
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(2013年)6月14日(金)からは「ガリレイの生涯」
劇の公演の案内です。

劇団の文学座は、(2013年)6月14日(金)から25日(水)まで、東京・東池袋の「あうるすぽっと」で、「ガリレイの生涯」という演劇をします。作者はベルトルト・ブレヒト、訳は岩淵達治、演出は瀬久男。

演題の「ガリレイ」は、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)のこと。原作は、演題のとおり、ガリレイの生涯を描いた戯曲です。

ガリレイは、日が昇ったり沈んだりするのは、天がまわっているからではなく、地球がまわっているかであるという「地動説」を唱えました。しかし、地球こそが中心であると考える教皇たちの反感を買うことになり、異端審問審査にかけられます。劇では、このガリレイの葛藤や苦悩を表現するといいます。

ガリレオ・ガリレイ

原作者のブレヒトは、ドイツの劇作家。第二次世界大戦では、ナチスから逃れて亡命生活を送っていました。戯曲のなかでブレヒトは“ガリレイ”に、つぎのようなことを語らせています。

「もし科学者が権力者に脅迫され、知識のための知識だけで満足するようになったら、科学はただ新たな苦しみを産み出すことになり、何か新しい成果を獲得したといってあげる歓喜の叫びは、恐怖の叫びによって答えられることになるだろう」

この言葉には、人の思惑に利用されない科学の自由を求める原作者の心がありそうです。

主演は、石田圭祐。三木敏彦、大滝寛、中村彰男なども出演します。

文学座による劇「ガリレイの生涯」のお知らせはこちら。

参考記事
読売新聞 2013年6月5日付「高瀬久男演出『ガリレイの生涯』…文学座、初のブレヒト劇」
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メールで「夜おそくにすいません」


大学の客員教授などは、学生と課題の連絡や受け取りなどをメールですることがあるといいます。ある客員教授は、学生からメールが夜おそくに届いたメールの連絡文に、つぎのようなメッセージが入っていることに気づきました。

「誰々先生、こんな夜遅くにすいません。課題をつくりましたのでお送りします」

この客員教授は「メールなのに、こんな夜遅くにすいませんとは、謙虚な学生もいるものだ」と思いました。

従来、メールという通信手段は、受けとる側が「受信をクリックする」ことで届くもの。あるいは、メールで自動受信を設定している人もいるでしょうが、その場合でも「メールを開く」ことで届きます。

つまり、メールでは、受信者が受けとる意志をもつことではじめてメッセージを受けとることになります。ふつうは。

しかし、携帯電話などでメールをやりあっている人たちには、受信をするたびに携帯電話が鳴ったり震えたりする機能を使っている人もいます。とくに、携帯電話のサービスの一環としての「docomo.jp」などのメールアドレスを使っている人は、携帯電話の着信感覚で、メール受信を認識しているのでしょう。

そうしたメールの使いかたをしている人は、夜おそくにメールを送ることは、相手の携帯電話を鳴らしたり震わせたりして、受信を知らせることになると考えるわけです。そのため、この客員教授にも「こんな夜遅くにすいません」と、謝ったのでしょう。

さて、この客員教授は、学生の多くが携帯電話的なメールの送受信をしていることに気づかず、夜おそくに課題の連絡を出しました。

すると、つぎの授業でこの客員教授は学生からこう言われたそうです。

「もう先生! なんであんな真夜中にメールを送ってくるんですか。眠っていたのに起きちゃったじゃないですか!」
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「市場規模世界1位」が日本の孤独を示す


米国の調査会社IHSが、2013年に日本の太陽光発電の市場規模がドイツを抜いて世界1位になる見通しになるとまとめました。(2013年6月)12日、複数の新聞や報道機関が伝えています。

2008年まで日本は市場規模世界1位でした。その後、2009年から2012年までドイツが世界1位に。今回、日本はひさしぶりに世界第1位に戻ることになりそうです。

この報道だけを切りとれば、「日本がナンバーワンになるのはすばらしい」と見ることもできます。しかし、より大きな視点をもつと、どうなるでしょう。

太陽光発電は、再生可能エネルギーのひとつです。このほかにも、風力発電や太陽熱発電など、さまざまな再生可能エネルギーがあります。そして、日本以外の世界各国は、もはや再生可能エネルギーの主力を太陽光発電であるとは考えていません。

日本以外の、ドイツ、米国、中国などの国々では、太陽光発電を上回る規模で風力発電が導入されています。風力発電のほうが、おなじ投資費用に対して得られるエネルギーが太陽光発電などより大きい、つまりコストが安いのです。

日本が風力発電に向いていない国かといえば、かならずしもそうともいえません。実際、海に風車を置いてまわす洋上風力発電の研究開発は行われています。ただ、実用化までの速度が遅いのです。

日本が太陽光発電に力を入れ、市場規模で世界1位にふたたびなったことそのものは、可能エネルギーの普及という点からすれば、プラスの状況を示しているもののといえます。実際、再生可能エネルギーの買いとり制度を背景に、市民の太陽電池を買いたいという意欲をともなっているようです。

しかし、「日本の再生可能エネルギーには太陽光がある」と考えるか、「日本の再生可能エネルギーには太陽光しかない」と考えるか。どちらで、この事実を捉えるかで、見かたは大きく変わってきます。

参考記事
中日新聞 2013年6月12日付「日本の太陽光市場1位に 13年、2兆円規模」
産経ニュース 2013年6月12日付「日本の太陽光市場、世界1位に 今年2兆円規模へ 米調査会社」
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体のなかで化学反応を手伝い
いきもの体のなかではさまざまな化学反応がおこなわれています。化学反応というのは、物質をなりたたせている原子と原子の結びつきが変わり、べつの物質の変わっていくことを指します。

たとえば、人のからだでは、食物を水と反応させて、アミノ酸やぶどう糖などをつくりだす「消化」という化学反応があります。これらを栄養やエネルギーにして、人は生きていくわけです。

また、植物では、太陽の光をエネルギー源として、水と二酸化炭素から、ぶどう糖と酸素をつくる「光合成」という化学反応があります。こうして得たぶどう糖と酸素で、植物たちは生きていくわけです。

これらの化学反応をひきおこす要素のひとつが「酵素」とよばれる物質の数々です。酵素は、たんぱく質の一種で「生体触媒」ともよばれています。

触媒というのは、それ自体は変化しないものの、ほかの物質の化学反応の仲立ちをするような物質のこと。体の外にも触媒となる物質はあります。たとえば、過酸化水素水を入れた容器に、二酸化マンガンを加えると、酸素が発生します。このときの二酸化マンガンは触媒です。

いっぽうで、体のなかにも触媒となる物質は数多くあります。たとえば、でんぷんを水を使って分解して、ぶどう糖をつくりだすことを手伝う「アミラーゼ」。唾液のなかにふくまれています。アミラーゼが体のなかで触媒としてはたらくため、動物はエネルギーをぶどう糖という使えるかたちにして保てるのです。


アミラーゼの構造イメージ

過酸化水素という物質を酸素と水に分解することを手伝う「カタラーゼ」といったものです。過酸化水素水というのは、活性酸素の一種。体のなかにありつづけると、すぐに動物は死んでしまいます。そこで、カタラーゼがこの猛毒をすぐに分解しているのです。

このような、体のなかで化学反応をひきおこす役割を果たしているのが、体のなかにある触媒、つまり酵素です。

体のなかのある物質が、化学反応でべつの物質に変わるときには、エネルギーが要ります。多くのエネルギーを必要とする化学反応はなかなかおきません。そこで、酵素は、物質が変化しやすい不安定な状態になる手伝いをするのです。

参考文献
『スーパー大辞林』
『日本大百科全書』
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「起業100のアイデア」のかたわらに人との出会い


(2013年)6月10日(月)発売の『週刊東洋経済』で、「起業100のアイデア」という特集が組まれています。この特集の一部取材と執筆をしました。

数々のベンチャー企業の創業者たちに取材をして、起業をするうえで大切だったアイデアを聞きだすという新しい企画です。「100」という数字に誇張はなし。実際、100の企業の創業者たちの起業アイデアが載っています。

記事に登場する創業者たちは、自分から「起業をしたい」と思って起業した人たち。しかも、基本的には自分の会社を勢いよく成長させている、もしくは成長させたいと思っている経営者です。快活で、自分の立てた目標に向かって確実に歩んでいて、かつ自信もある、という感じが伝わってきます。

記事では「アイデア」というものに焦点が当てられています。しかし、起業をするのに重要だったのは、アイデアだけではなさそうです。取材をした多くの創業者たちは、「人との出会い」や「人への気づき」というものが、起業を決断する重要な要素だったということを言っています。

たとえば、インターネットの英語教材を提供している教育系企業の起業者は、脳科学を研究していた人物に出会い、その人物から学習と脳の関係を理論的に説かれたといいます。そこで、この起業者は、「なんとなくこういう学習ツールがあればいいよな」という思いを「これなら実現できる」という決心に変えたといいます。

また、乳幼児と親がいっしょにスマートフォンなどで音楽を楽しむアプリを提供している企業の起業者は、起業を志していたとき、自分の子どもが自分のスマートフォンを勝手にいじって遊んでいるのを見て「子どもが楽しめる音楽のアプリを」と直感したそうです。

ほかに、大学のおなじ学部だった出資者と開発者がたまに会合などで会っているなかで、起業をすることになったという例もあります。

「起業をしたい」と思っている人や、「こんなアイデアを形にしたい」と思っている人が、人との出会いで後押しを受けて、起業を果たすという場合は多いのでしょう。

「起業100のアイデア」が載っている『週刊東洋経済』6月15日号のお知らせはこちらです。
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(2013年)6月29日(土)は「がん患者さんの暮らしが広がるアイデア展2013」
 催しものの案内です。

国立がん研究センターは、6月29日(土)から、東京・築地の中央病院で「がん患者さんの暮らしが広がるアイデア展2013」を開きます。

がん治療は、ここのところ急な進歩をしています。抗がん剤などを使った化学療法や、放射線などをがん患部に当てる放射線治療などをしながら、仕事や家庭で日常生活を送ることのできる患者も増えてきました。

この変化により、がん患者やその家族には“がんとともに暮らす”という考えかたも増えてきているでしょう。展では、がん患者の生活の質を高めるための工夫の数々が紹介されそうです。

「暮らしが広がる展示コーナー」では、「食べる」「装う」「身体を動かす」「安らぐ」「排泄」「リンパ浮腫(に対する)」といった生活の場面ごとに、それぞれの工夫を感じることのできる展示や実演が行われる予定です。

たとえば「食べる」では、食欲がないときや味覚が変わったというときの“お助けメニュー”を紹介したり、実際の試食コーナーを設けたりするということです。また、「装う」では、ウィッグや帽子の使いかたを試したり、スキンケア・メイク用品などの紹介を受けたりすることもできそうです。

そのほか、セミナーでは、国立がん研究センターの職員が、リンパ浮腫のマッサージ指導をしたり、抗がん剤治療についての話をしたりします。

ファッションデザイナーのコシノジュンコさんと、キャンサーリボンズ副理事長の岡山慶子さんとの「どんな時でも美しく」という対談も開かれる予定です。

がんという病気への向きかたやイメージがすこし変わるかもしれません。「がん患者さんの暮らしが広がるアイデア展2013」は6月29日(土)国立がん研究センター中央病院にて。国立がん研究センターによる詳しいお知らせはこちらです。
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むずかしいことを伝えるときは“たとえ話”で


説明のむずかしいことを人に伝えたいとき、人は“たとえ話”を使うことがあります。

もっとも単純なたとえ話のかたちは「AはBのようだ」といったものでしょう。「今宵の月はお盆のようだ」とか、「彼の発言は剃刀のようだ」といったように使います。

科学・技術のこむずしい考えやものごとを人に伝えるときにも、このたとえ話は効きます。

たとえば、血圧というものを伝えようとするとき、血管を道に、血液を車にたとえることがあります。道を車がたくさん通れば、それだけ道は車から力を受けます。おなじように、血管を血液がたくさん通れば、それだけ血管は血液から力を受けます。このときの血管が血液から受ける力が血圧というわけです。

話の受け手にとってなじみないような話を、なじみある話にして伝えることができるのがたとえ話です。

とはいえ、伝えるのがむずかしい考えやものごとを、たとえ話を使って伝えるときには、注意しなければならない点もいくつかありそうです。

まず第一に「たとえるもののほうが、たとえられるものよりも、話の受け手にとってなじみあるものでなければならない」ということです。

むずかしいことを、かんたんなたとえで説くわけですから、かんたんなたとえのほうがむずかしいことがあってはなりません。

そして第二に「たとえるものと、たとえられるものの対象が、おなじでなければならない」ということもあります。

「太陽の活動は、くりかえし寄せる波のようだ」というたとえであれば、「太陽の活動」と「くりかえし寄せる波」はともに“状態”を示しています。しかし、「太陽の活動は、丸いお盆のようだ」というたとえは、ふつう成り立ちません。太陽の活動は状態であるのに対して、丸いお盆はかたちであるからです。

そして第三に「たとえるものの特徴的なことがたとえられなければならない」ということです。

たとえば、納豆は、食べものであるとともにねばねばしたものでもあります。納豆が食べものであるからといって、「この石けんは納豆のように食べられる」と話しても、話の受け手はちんぷんかんぷんでしょう。納豆は食べものであるとはいえ、わざわざ納豆を引きあいに出す必要がないからです。

いっぽう、「アカモクという海藻は、納豆のようにネバネバしている」というたとえであれば、「納豆といえばネバネバしているもの」という納豆の特徴を活かしているわけです。

たとえ話には、「インターネットは神経のようだ」といった紋切型のものもあります。しかし、まだだれも気がついていないだけで、じつはこれをこれでたとえることができる、といったものが眠っているのかもしれません。
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日産自動車が課題解決プログラムのサービスを提供


日産自動車は(2013年)6月7日(金)、課題解決プログラム「V-up」を活用した外部研修サービスを始めたことを発表しました。

V-upは、日産自動車が国内外の系列企業をふくめて実施している課題解決の手法です。部門横断型のクロスファンクショナルなチームで課題可決にのぞむこと、中小規模の課題には中小規模のやりかたで、大規模の課題には大規模のやりかたで行う課題解決メニューがあること、課題解決のための会議を視覚化していることなどの特徴があります。

日産自動車は2001年にV-upを社内で導入し、12年間これを続けてきました。長くつづいてきたのは、やはりこの課題解決法で成果が上がっているからでしょう。それぞれの課題にとりくむ社員は、課題解決したときの効果を金額換算でいくらになると試算しているといいます。

その結果、V-upのことを紹介した『日産 V-upの挑戦』によると、1年間で金額にして300億円の効果を生んでいることになるといいます。

この外部研修サービスは、日産自動車とリクルートマネジメントソリューションズが連携しておこなうもの。日産自動車側は研修の提供を、リクルート側は営業と販売を担当するとのこと。

また、(2013年)7月4日(木)には、東京・丸の内の住友不動産丸の内ビルで、このV-upを紹介するセミナー「カルロス・ゴーンが生んだ課題解決プログラム 10年現場で磨き続けた実践的課題解決プログラム」を開催するそうです。入場は無料。定員は40名。

そのお知らせには、「課題解決プログラムV-up」がついに公開されます。満を持してのサービス開始といったところでしょう。

日産自動車の発表「日産自動車、課題解決プログラム『V-up』を活用した外部研修サービスを開始 株式会社リクルートマネジメントソリューションズと業務委託契約を締結」はこちらです。
7月4日(木)に開かれるセミナー「日産-リクルートマネジメントソリューションズ提携記念セミナー カルロス・ゴーンが生んだ課題解決プログラム 10年現場で磨き続けた実践的課題解決プログラム」のお知らせはこちらです。
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最初と最後に力を入れる


部下や発注先に対して指示を出す人のなかには、「とくに作業の最初と最後に力を入れる」という人がいます。

なにかの課題が発生しているとき、それを部下や発注先に解決させる。そのような場合、指示者はまず、「作業の最初」を大切にします。その人は、部下や発注者に対して「いま起きていると私が考えている課題はこういうものだ。その課題を解決したい。日時はいつまでに。予算はいくらまでで」ということを、きちんと伝えます。

最初のところで、この意思疎通をはかっておけば、指示をする人の願いと、部下や発注先の行いがずれていくことを防ぐことができます。

もし、課題解決にあたる部下や発注先が複数いるときや、会議で課題解決策を定めたいときは、「課題はこういうものだ」ということを紙などに書いて、あらかじめ共有しておくことも有効でしょう。

そして、「解決すること」が決まれば、その指示者は、基本的に部下や発注先にまかせます。ここには、「どのように解決していくかについては、あなたを信頼しているから自由にやりなさい」といったメッセージがふくまれます。

課題解決の期日が近づいてきたとき、この指示者はもう一度、力を入れます。「最後に力を入れる」わけです。

できることならば、課題解決の完成度を高めたい。あるいは、課題解決を実際にやっている人にラストスパートをかけたい。このようなことから、この人は、期日の終盤になると、ふたたび課題解決の実行者とことこまかに意思疎通をとるといいます。

最初と最後に力を入れ、その途中は実行者にまかせる。かといって、実行者からの相談があれば、それに応じる。そのようにして、この指示者は実行者からの信頼を得、かつ課題解決をきちんと実現するのでした。
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未経験でも経験している前提で説く必要あり
 科学技術を題材にものを書く人のなかには、科学技術の分野で研究や仕事をしてきた人と、そうでない人がいます。その比率は、半々か、やや前者のほうが多めでしょうか。

どちらであっても、「経験したことがないことについて、知っているように書かなければならない」という場面にあうことがあります。

たとえば、生命科学の研究での手法に「ポリメラーゼ連鎖反応」(PCR:Polymerase Chain Reaction)というものがあります。調べたいデオキシリボ核酸(DNA:DeoxyriboNucleic Acid)を増幅させることのできる方法です。

遺伝子などを題材にする記事では、ポリメラーゼ連鎖反応に触れることはよくあります。いっぽう、読者はこの手法を知っていない人も多いため、物書きはこの手法で、デオキシリボ核酸を増幅させていく手順を説く必要があります。

しかし、科学技術の物書きのなかで、生命科学を専攻した経歴をもち、かつポリメラーゼ連鎖反応を実際に行ったことがある人はむしろ少数。この手法を、研究者に見せてもらったことのある人も少数でしょう。

それにもかかわらず、「書き手である自分はその手法を知っている」という立ち位置で、その手法の手順を説いていかなければならない場合もあります。

時間や伝手があれば、その書き手は、だれか生命科学の研究者に「ポリメラーゼ連鎖反応を説明したいので、実際の手順を示していただけますでしょうか」と頼んで、実際の手法を見ることはできるでしょう。しかし、時間がない、伝手がない、などの理由で、そこまで行っている書き手は多くはありません。

ポリメラーゼ連鎖反応をした経験のない書き手が、ポリメラーゼ連鎖反応の説明を書いてみた結果、ポリメラーゼ連鎖反応をした経験のある研究者から「ちょっと、手順を省きすぎているな」とか「ちょっと、使いかたの要点がずれているな」と思われるおそれもあるわけです。

このところ、「ジャーナリスト・イン・レジデンス」という試みが、大学の研究機関などで行われています。これは、研究機関がジャーナリストなどの書き手に対し、研究の現場に滞在してもらって、実際の研究に触れてもらうという試みです。

このような試みは、科学技術の物書きの“知ったかぶり的説明の頻度”をすこしは減らすことになるでしょう。しかし、自然科学の分野は数多くありますから、すべての分野のことを“経験済みで書く”ということは、まずもってむずかしいことでもあります。
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ほんとうは“はさんで”ものを“つかむ”

NASA

手の指を曲げてしっかりとものを支えもつことを「つかむ」といいます。通勤電車でつり革や手すりをつかんでいないと、電車が揺れたときほかの人の腕をつかむことになりかねません。

宇宙で、機械がなにかを“つかむ”とき、実際どのようにしているのでしょう。

国際宇宙ステーションには、カナダがつくったロボットアームとよばれる“腕”が付いています。

このロボットアームのひとつの役割が、“つかむ”こと。たとえば、国際宇宙ステーションに荷物を載せてやってくる補給機を、国際宇宙ステーションに付けるとき、このロボットアームが使われます。

ロボットアームにつかまえられる補給機のような機器はペイロードとよばれます。まず、ペイロード側の端を見てみると、“棒”のような突起物がついています。この棒の先端はすこし太くなっていて、えのき茸のようなかたちをしています。

このえのき茸のような棒を、ロボットアームは“つかむ”のです。しかし、そのつかみかたは、人が指でつかむのとは大きく異なります。

ロボットアームの“つかむ”部分にあたる先端は、土管のような円筒形をしています。つまり内側が空洞になっているのです。この空洞の中に、えのき茸のような棒が、まず入っていきます。これで“つかむ”準備は整いました。

ここで、ロボットアームの先端の円筒のふちに3本のワイヤが見えてきます。これらのワイヤは、ふだん円筒のふちに沿ってしまわれています。しかし、ワイヤの先端の片方だけが円筒のふちを滑るようなしくみになっていて、いざ“つかもう”とするとき、そのしくみがはたらくのです。

これにより、はじめ円筒のふちに沿ってしまわれていたワイヤは、だんだんと円筒の内側を張るようになっていきます。

しかも、このワイヤは3本いっせいに動きます。3本とも、円筒の内側を張るようになっていくわけです。

これを円筒の外側から見ると、3本のワイヤで三角形がつくられ、だんだんその三角形が狭まっていくようなかたちになります。

この狭まっていく三角形の内側に位置しているのが、ペイロード側のえのき茸のような棒です。ワイヤによる三角形が小さくなり、ついに棒をはさむようになりました。

さらに、このワイヤによる三角形は円筒の奥のほうへと動いていきます。えのき茸のような棒のほうも小さくなった三角形にはさまれていますから、つられて円筒の奥のほうへと向かいます。

えのき茸のような棒がつながっているのはペイロードの本体です。つまるところ、ペイロードとロボットアームはこれでがっちりとくっつくことになります。

この一連の動作が、ロボットアームにおける「つかむ」という行為といえます。

さて、いったん3本のワイヤに棒がはさまれると、棒はなかなか抜けなくなります。なぜなら、棒の先端がえのき茸のようになっていて、抜けようにもその先端がひっかかるからです。

ロボットアームにおけるこの「つかむ」という行為は、本当のところ「はさむ」と表現したほうが真実に近いといえそうです。しかし、「ロボットアームが補給機をはさんだ」などと表現すると、洗濯ばさみのような動きを想像する人も出てくることでしょう。

いろいろなことを考えた場合、「つかむ」という表現がもっとも適切なのかもしれません。

参考ホームページ
宇宙航空研究開発機構「スペースシャトルのロボットアームはどのようにして物をつかむのですか」
宇宙航空研究開発機構「ロボットアーム」
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酵母は菌、酵素は分子、発酵は作用
「酵」のつく字からなる熟語は、およそ三つあります。「酵母」「酵素」「発酵」です。これらの意味するところのちがいを知ることが、科学の話に親しみをもてるようになるかどうかの鍵になる、といったらおおげさでしょうか。

まず「発酵する」とはいいますが、「酵母する」「酵素する」とはいいません。「酵母」と「酵素」は“もの”だからです。ここで、発酵は作用であり、酵素と酵母はものであるという区別がつきました。

つぎに「酵母」は、「酵母菌」とよぶことがあります。このことから、酵母は菌であることがわかります。そして「酵母」に「母」とつくのは、発酵という作用を生みだすもととなるものという意味があるからでしょう。酵母は「発酵の生みの母」というわけです。

酵母の写真

いっぽう、「酵素」には、「元素」などに使われる「素」がつきます。ここから、すごく小さなものであることを察することができそうです。実際、酵素は分子の集まったもの。菌である酵母にくらべると、とても小さいものであるということになります。


一種の酵素のイメージ

ここまで類推したところで、「酵」という字の部首に注目します。「酉」は「酒」という字とにています。「酵母」も「酵素」も「発酵」も、どれも酒づくりに関係していそうだとわかります。

実際、酵母にはたとえばビール酵母や葡萄酒酵母といったものがあり、これらの酵母がはたらくと、糖が分解されてアルコールになります。こうしてビールや葡萄酒などの酒がつくられます。

日本酒づくりでは、麹菌という菌から、アミラーゼという種類の酵素をつくりだします。この酵素は、お米のでんぷんを糖に分解する、化学反応の担い手としてのはたらきをもっています。その後、日本酒づくりでも清酒酵母という酵母が使われ、糖が分解されてアルコールになります。こうして日本酒がつくられます。

酵母は、糖を分解してアルコールをつくりだす菌類。酵素は、化学反応を起こさせる分子の集まり。そして発酵は、酵母などの細菌が糖などを分解してアルコールなどをつくるはたらき。まとめると、そのようなことになります。

ちなみに、酵素が物質で、酵母が菌であるということを区別するための語呂あわせに、「素(そ)れはものだけれど、母(ぼ)くは生きている」というものがあるといいます。

参考資料
『スーパー大辞林』
参考ホームページ
日本醸造協会「お酒造りの小さな主役 清酒酵母の話し」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
日本の駅が世界の駅乗降客数上位を独占か

新宿、渋谷、池袋、大阪・梅田、横浜、北千住、名古屋、東京……。これらはなにを表すかというと、“世界”において、年間乗降客数の上位にある駅名です。“まとめサイト”などで示されています。

東京駅より下位には、品川、高田馬場、難波、新橋、天王寺、秋葉原、京都、三宮、大宮、有楽町・日比谷、西船橋、目黒、大門・浜松町、上野、押上とつづきます。あくまで“世界”における年間乗客数が上位の駅名です。ようやく24番目に、日本以外にあるパリ北が出てきます。

上位23駅まで、さらに上位100位中83駅までを日本の駅で占めているといいます。

旅行関連情報を配信する「WorldHacks!」というサイトの調べという話もありますが、定かではありません。このデータが本当であるとすると、この順位はいかに日本人が鉄道という交通手段を日々、利用しているか、また、利用することができるか、ということを意味しています。

日本よりも人口が多い国は多くあります。しかし、たとえば米国での通勤は車で、国民はさほど鉄道を移動手段と考えていないでしょう。

また、人口がとりわけ多いインドや中国などでも、たとえば新宿、渋谷、池袋などの駅で見られるのとちがって、2分に1本、電車がやってくる過密スケジュールにはなっていません。また、鉄道発祥の地、英国では10分以内の遅れはあたりまえと考えられているといいます。

多くの日本人は、会社や学校に行くため、電車に乗ります。そして、多くの会社や学校では「始業は朝9時から」とか「朝の学級活動は8時30分から」といったように、開始時刻が決まっており、この時刻からすこしでも遅れると遅刻あつかいになります。

このような、時刻どおりに組織に来ることに対する厳密性を考えたとき、通勤手段としてもっとも頼りにできるのが、日本の場合は鉄道なのでしょう。

ちなみに24位に入ったというパリ北駅は、パリを流れるセーヌ川の北側の10区にあるターミナル駅。国鉄と、メトロなどを運営するパリ交通公団というふたつの鉄道会社の駅となっています。そして、25位には台湾の台北駅が入っています。しかし、そのすぐ下には日本の町田駅という、日本人にしてみれば地方都市にある“ごくふつう”の駅になっています。

参考ホームページ
世界経済新聞 2013年1月29日付「世界の年間駅乗降客トップ50」
| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0)
郵便はひとつで、インターネットは複数で

セオドア・ベイル

米国にセオドア・ベイル(1845-1920)という鉄道郵便の事務員がいました。彼は1860年代の末、そのころの郵便物を相手に届けるとき、配達の経路がかならずしもひとつになっていない、ということを気にかけていました。

郵便袋は、ときにこちらの経路へ、ときにあちらの経路へとわたります。その結果、相手に届くまでの日数は数週間、まずい経路をたどれば数か月になることもあったようです。

このような状況を知り、ベイルは、郵便の配達経路をひとつだけにしたらどうかと考えるようになりました。届ける相手がおなじ人であれば、郵便袋がわたっていく経路をいつもおなじにする。このような方法を唱えたのです。

ベイルの考えから、新しい郵便配送のしくみが取りいれられました。その結果、配達期間は前にくらべて2週間も早くなったといいます。

ベイルはのちに米国の電話会社AT&Tをつくり、この会社の中興の祖とよばれるまでになりました。

さて、情報を届けるという点ではおなじながら、このヴェイルの考えとは真逆の考えかたで行われている情報伝達があります。インターネットです。

インターネットが発達するより前、情報通信の経路はヴェイルが考えだした郵便配達のしかたとおなじく、ひとつだけでした。たとえば米国の軍は、一本の電話回線を使って拠点と拠点の通信をしていたのです。

しかし、1969年、米国で電話中継基地が破壊される事件があり、軍の通信がまったくできなくなるという事態になりました。そこで、米国軍は、ある地点の中継基地が使えなくなったとしても、経路を迂回して情報が伝わるようにする通信網をつくることにしたのです。

そのネットワークが爆発的に発展したのがいまのインターネットです。インターネットで情報信号を伝えようとするとき、可能性としてその経路はたくさんあります。

郵便配達でベイルが抱いていた懸念とは、郵便を相手に届けるまでの経路がまちまちのため配達期間もまちまちになってしまうということでした。この考えからすると、さまざまな経路で情報を届けるインターネットでも情報が届くまでの期間がまちまちになってしまいそうです。

しかし、電話の声がすぐ相手に届くことからもわかるように、ケーブル回線や光回線を使った情報伝達の速度はとても速いのです。そのため、インターネットの使用者は、情報がどの経路を通っているかなど気にすることなく、インターネットをすることができます。

参考文献
アルビン・トフラー『第三の波』
「インターネットはどう世界とつながっている?」『サイエンスウィンドウ』2013年冬号
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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