科学技術のアネクドート

具体例もなるべくわかりやすいものを


ものごとを人に伝わるようにしたいとき、「具体例」を示すという方法があります。

たとえば、科学のむずかしい理論を伝えようとするとき、その概念を述べるだけでは、相手に伝わりそうにないという絶望的な状況があります。そのようなとき、具体的な例を示しながら説明していくわけです。

具体例を示す目的は、むずかしい概念をなるべく読者に伝わるように伝えるというもの。これを考えたとき、具体例の示しかたにも、ある鉄則があります。

それは、「具体例もなるべくわかりやすいものを選ぶべきである」というものです。

「なんだそんなのあたりまえじゃないか」と思われる人もいるでしょう。しかし、この鉄則にしたがっている執筆者ばかりかというと、けっしてそんなことはありません。

たとえば、数学の定理を説明しようとするとき、2などの小さな数と、1523などの大きな数のどちらも具体例として当てはめることができるとします。わざわざ1523などの大きな数を当てはめなくても、2を当てはめて例を説明することができるのならば、執筆者は具体例に2という数字を当てはめて説明すれば、それでよいわけです。

さらに、2で当てはめみたた場合がもっともかんたんな例だったので、つぎに、もう一段階むずかしい3という数字を当てはめてみてます。3でもやはり当てはまるということを示せば、それでほぼ読者には納得してもらえることでしょう。

具体例もなるべくわかりやすいものを選ぶべきという鉄則は、本のなかでケーススタディ(事例研究)を試みるときにもあてはまります。事例としてふさわしいのは、読者のだれもが状況を思いうかべることができるようなありがちな話です。かつ、込みいった説明の要らない単純な話であれば、なおよいでしょう。

しかし、本などの具体例のなかには、あまりわかりやすいものでないものが出てくることがひんぱんにあります。なぜなのでしょう。

まず、執筆者の知識の限界が考えられます。執筆者にとっては、その具体例はもっとも身近なものだったため、具体例を示したわけです。しかし、その具体例が読者にとっては身近でない場合もあります。すると読者は、「なんだか具体例もむずかしいな」と感じることになります。

あるいは、べつの意図がふくまれているかもしれません。つまり、むしろ具体例のほうを示したいために、文章をその具体例のほうにもってきている、ということです。
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「百聞は一見」に「考」「行」のつづき


くりかえし人の話を聞くよりも、みずからの目で確かめるほうがよくわかるということをいう故事成語に、「百聞は一見にしかず」というものがあります。聞いて想像するよりも見て直観するほうが情報を得やすいと、むかしの人は考えたのでしょう。

あまり知られていませんが、「百聞は一見にしかず」には、つづきがあります。

「百見は一考にしかず」

聞くよりもはるかに情報を得やすいとされた「見る」という行為を何度も積みかさねたとしても、ただ一度だけ「考える」という行為には及ばない、というわけです。たくさん見ても、考えなければしかたない、といったところでしょうか。

それにしても、「百聞は一見にしかず」にくらべて「百見は一考にしかず」はあまり知られていません。グーグルの検索では「"百聞は一見にしかず"」では106万件の該当がありますが、「"百見は一考にしかず"」は1万9100件にとどまります。この差はどこからくるのでしょうか。

直感的にそのことばを受け入れやすいかどうかということがあるのかもしれません。かんたんにいえば、「百聞は一見にしかず」のほうが「そのとおりだ」と合点が行くわけです。

聞くという行為と見るという行為はくらべやすいもの。いっぽう、見るという行為と考えるという行為を直感的に結びつけることのできる人は多くなさそうです。また、100回も見たことに対して、1回だけ考えることが勝るのかという点にも、疑問符をつける人はいるかもしれません。

さらに、「百見は一考にしかず」には、つづきがあります。

「百考は一行にしかず」

見るよりもはるかに価値が高いとされた「考える」という行為を何度も積みかさねたとしても、ただ一度だけ「行う」という行為には及ばない、というわけです。たくさんかなえても、行わなければしかたない、といったところ。

このことばについては、「案ずるより産むがやすし」「なせばなる、なさねばならぬなにごとも」「やってみなはれ」といった、似たような意味のことばも多くあり、人びとの直感に合っていそうです。「百見は一考にしかず」のあとにくることばにもかかわらず、グーグルの検索では、2万4500件と「百聞は……」より上まわっています。

ことば尻を捉えればの話ですが、一回「聞く」のと、一回「行う」のでは、じつに100万倍もの価値の差がある、ということになります。ものすごい開きですね。
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書評『トヨタの片づけ』
大型連休、新年度での部署の変更で身のまわりの片づけを一気に行う人は多いようです。連休の中休みの3日間にやるという人でも、すぐ読むことのできる本です。



なにも意識せずに仕事をしていると、じょじょに身のまわりのものが乱雑になっていく。これは多くの人に当てはまる経験則ではないだろうか。ものが置かれる定位置はあるはずだが、くりかえしものを使っていると置かれる位置がずれてくる。さらに、新しいものが入ってきて置き場がなくなってくる。そしていつしか仕事場に無秩序がつくられる……。

本書は、職場などの仕事環境をいかに整理・整頓して、仕事を効率的に行う環境をつくるか、その方法を紹介するものだ。手本になっているのはトヨタの生産現場だ。著者の「OJTソリューションズ」は、トヨタ自動車とリクルートグループにより2004年に設立されたコンサルティング会社。トヨタのものづくりの現場で活躍してきた元トヨタマンの知恵を片づけの本にまとめている。

トヨタのものづくりには「トヨタ生産方式」という体系だった方式があることが知られている。大企業が行っているものづくりの方法を知りたくなるという願望は、多くの読者にあるだろう。

まず、本書では、トヨタでは片づけという作業にどのような哲学をもっているのかを示してくれる。たとえば、ムダは利益に変えることができるという理論だ。ムダを探して、ムダを省くことで、効率性や生産性は高まる。つまり、ムダを探すことは宝を探すこと。そうトヨタの社員たちは考えて、徹底的なムダの排除を行ってきた。

だが、本書では、「トヨタのやりかたはこう」という視点にとどまることはない。多くの読者は「あの企業がやっていることを知りたい」だけでなく、「あの企業がやっていることを自分の職場でも活かせたら」という願いをもって、こうした本を手にとるものだ。本書は、「トヨタのやりかたはこうですよ」だけでなく「それをあなたの職場に当てはめるとこうなるのでは」という、読者の職場の現状になるべく視点を合わせようとしている。

たとえば、トヨタでは身のまわりのものを「いま使うもの」「いつか使うもの」「いつまでも使わないもの」の三つにわけているという。そして「いつか使うもの」には、いつまでに使うか期限を設け、その起源までに使わなければ「いらないもの」とする。そして「いつまでも使わないもの」ともども、積極的に処分をしていく。

この方法は、トヨタでは確立されているものだ。では、読者の職場でこれを浸透させるにはどうすればよいか。著者は「決裁権を持っている人とじっくり話し合って理解を求めるか、決裁権を持っている人を巻き込んで、一緒に整理するという方法をとるとよい」といったことまで述べている。

この例で見られるように、とくに組織の職場においては、片づけのルールを社員に浸透させることが重要となりそうだ。しかし、まずは、だれかがいつか実践をしてみるということから、職場の環境改善は始まる、ということもある。

『トヨタの片づけ』はこちらでどうぞ。
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「なるほどですね」と言う風潮あり

「なるほどですね」という発言が増えているようです。

「今回、新しい制度を導入することにしたねらいはなんですか」
「長年おなじ体制で硬直化した組織を活性化ためです」
「なるほどですね」

「なるほど」は、感嘆詞のひとつで、相手のことばに同感の気もちを示すときに言います。

「なるほど」に「ですね」を付けくわえるときの人の心理状態とは、どのようなものなのでしょうか。

相手に対して、ていねいさを示そうとするため「ですね」を付けくわえるということはいえそうです。たとえば、上司との対話で、上司の話に対して「そう」と言うか「そうですね」と言うかといえば、あきらかに「そうですね」となります。「です」は助詞のひとつで、「だ」「である」の丁寧語です。

これとおなじく考えれば、「なるほど」と言いはなつよりも、「なるほどですね」と「ですね」をつけたほうがていねいさが増すということになります。

しかし、「なるほど」に「ですね」を加えることに違和感を覚える人もいるでしょう。

同感の気もちを示すには「そう」や「おっしゃるとおり」などのことばもあります。これらには「そうですね」や「おっしゃるとおりですね」のように、「ですね」をつけても違和感がありません。

「そう」や「おっしゃるとおり」に共通するのは、相手にかかわる事態を指すものであるということです。「そう」は、相手からの内容が伝わらないと「そう」とは言えませんし、「おっしゃるとおり」も、相手からの内容が伝わらなければ「おっしゃるとおり」と言うことはできません。

いっぽう「なるほど」は、相手が話す内容について、自分で咀嚼して納得したという過程をふくむことばです。相手に話の内容を言われて、自分ではあまり気づいていないか、うすうす気づいていたか、でも、言われてみて理解することができた、といった感覚をともないます。

ことばの問題は「そのことばを使っても問題ないか」という実用的な問題に行きあたります。「なるほどですね」を使っても問題ないかどうか。

相手がどう受けとめるかによるところは大きいでしょう。ていねいさのあらわれと受け止めてくれる相手であれば、「なるほどです」もよし。おかしな日本語だと受け止めてくれる相手であれば「なるほどですね」は使わないほうがよさそうです。

ただし、「なるほどですね」を使わなくても「そうですね」「おっしゃるとおりですね」を使えばほぼ済むので、使わないでいるほうが無難ともいえます。

参考ホームページ
許容される日本語「なるほどですね」
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「科学ジャーナリスト賞2013」大賞に朝日新聞「原発とメディア」の上丸洋一さん


日本科学技術ジャーナリスト会議が(2013年)4月22日(月)、「科学ジャーナリスト賞2013」を決定したことを発表しました。

科学ジャーナリスト賞は、日本科学技術ジャーナリスト会議がすぐれた科学ジャーナリストの活動をたたえる賞です。2006年に創設されました。

同会議は大賞を、朝日新聞社「原発とメディア」取材班代表の上丸洋一さんと隈元信一さんに贈ると発表しました。朝日新聞が2011年10月から2012年12月まで306回にわたり連載した「原発とメディア」の報道に対してです。

授賞理由をつぎのように説明しています。

「福島原発事故のような重大な事故を起こした責任の一端はメディアにもあるとの反省をこめて、原子力報道の歴史を発端から現在に至るまで詳細に点検し、自社の報道の過ちを含めて厳しく検証した報道は高く評価できる。どんな報道にも検証が必要なことは分かっていても、先輩や同僚記者の仕事を批判することは避けたくなるものだが、そこへあえて挑み、とくに事故が起こってからの報道についても「発表依存」に陥った過ちを自ら追及し反省している姿勢は大賞に値する」

また、賞を毎日新聞社科学環境部再生医療取材班代表の八田浩輔さん、NHKエンタープライズ自然科学番組エグゼクティブ・プロデューサーの岩崎弘倫さん、日本テレビ報道局ニュースセンター チーフディレクター加藤就一さんに贈ると発表しました。

毎日新聞の八田さんには、「韓国人に未検証の幹細胞治療」を含む再生医療検証報道(2012年12月)に対して。授賞理由はつぎのとおりです。

「臓器移植や生殖医療などでは日本の規制が厳しいので外国へ出ていくケースが多かったのに、韓国から日本にやってくるという逆のケースもあることをスクープした。折から再生医療をめぐる法改正にも影響を与え、タイミングもよかった。たとえ他社の動きは鈍かろうとも、新聞の生き残る道はスクープにある。また、iPS細胞など再生医療がこれから注目を浴びる折でもあり、取材班の目配りのよさを高く評価したい」

また、NHKエンタープライズの岩崎さんには、NHKスペシャル「世界初撮影!深海の超巨大イカ」(2013年1月13日放映)の番組に対して。授賞理由はつぎのとおりです。

「宇宙に比べると地味な海洋の、それも深海で、このようなドラマが展開されているとは驚きである。科学番組としても、あるいはエンターテイメント番組としても優れた作品であり、映像も鮮明で、高く評価したい」

そして、日本テレビの加藤さんには、NNNドキュメント `13「活断層と原発、そして廃炉〜アメリカ、ドイツ、日本の選択〜」(2013年1月27日放映)の番組に対して。授賞理由はつぎのとおりです。

「福島原発の事故のあと、日本のあちこちの原発に活断層が走っている疑いが浮かび上がり、大きな問題になっている。この番組は、活断層が見つかって廃炉処分にしたアメリカのケースなどを淡々と追い、原発の安全性の確保がいかに難しいか、廃炉処分といってもいかにやっかいなものか、を静かに浮かび上がらせ、『地震国、日本』が抱える原発の重さを訴えた。『民放もNHKに負けてはいない』ことを示した優れた作品だといえよう」

受賞者のみなさん、おめでとうございます。

日本科学技術ジャーナリスト会議による発表「科学ジャーナリスト賞2013の受賞者が決定!:はこちらです。
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マグネシウムとアルミニウムでマグナリウム
 もののよび名には、あるものの名前とあるものの名前をかけあわせたものがあります。「ポテト」と「トマト」を交配させてつくる植物のよび名は「ポマト」ですし、「大森」と「蒲田」という地名から付いた東京の区のよび名は「大田区」です。

「マグナリウム」という物質もあります。これは、マグネシウムとアルミニウムからなる合金です。ただし、「マグネシウム」と「アルミニウム」をそのままかけあわせても「マグネニウム」や「アルミシウム」となります。「マグナリウム」は、「マグネシウム」を基本にしつつ、「アルミニウム」の「アルミ」の部分を強調したかったのでしょう。

マグナリウムの化学式は「AlMg」。マグネシウム元素とアルミニウム元素が1対1の比率になっています。

用途としては、溶接ワイヤー、セラミック用の触媒、電導性塗料などに使われていてさまざまです。

そのほか、身近なところでは、打上花火などの花火の材料としても使われるようになっています。アルミニウムもマグネシウムも、燃えるときに白く光るため、花火の輝きを強める材料として合金のマグナリウムが使われるわけです。とくにマグネシウムは、マグネシウムは酸素と結びつきやすいため明るい状態で燃えやすく、また、アルミニウムは燃焼するときにガスが出ないため熱が集まって高温となり、強い白色の光が出やすいのです。

また、ロケットの推進剤、つまりロケットを打ち上げるときの燃焼剤としてもマグナリウムは使われています。マグネシウム元素には高い着火性が、アルミニウム元素には
高い燃焼性があるため都合がよいわけです。

参考文献
宇宙航空研究開発機構「高エネルギー物質研究会 研究成果報告書」
参考ホームページ
関東金属「マグナリウム粉末(Al-Ng粉末)」
高木煙火「花火について」
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扱う物質をREACHで登録、情報開示――RoHS指令とREACH規則(下)


きのうの「有害6種類の使用をRoHSで制限」という記事では、欧州連合が実施している「RoHS指令」という電子・電気機器を対象とした有害化学物質の使用規制を見てきました。

欧州連合は、「REACH規則」というべつの定めも製造業などの企業に対して課しています。REACH規則は、Registration, Evaluation, Authorization and Restriction of Chemicalsの頭文字をとったもので、化学物質の登録、評価、認可、規制を目的とした規則です。欧州加盟国全体でそのまま適用されます。

REACH規則にのっとって、欧州連合内で物質を年間1トン以上製造または輸入する企業は、登録手続をしなければなりません。

また、完成品を製造する企業は、顧客や消費者から要求があったとき45日以内に含有情報を提供しなければなりません。情報開示をうまくやらない企業は、顧客や消費者からの信頼を損なうことになります。この点も、企業がREACH規則を守るうえでの影響力になっているようです。

REACH規則で対象となる物質はどのようなものでしょう。きのうの記事で紹介した、欧州の「RoHS指令」では、電子・電気機器に使用される6種類の有害化学物質を制限の対象としていました。

いっぽう、REACH規則では、規制の対象となる「高懸念物質」とよばれる物質は約1500種類あり、うち100種類以上が指定されています。アントラセン、4,4'-ジアミノジフェニルメタン、フタル酸ジブチルといった物質です。指定物質は1年に何度かの頻度で増えているため、企業は動向を注目する必要があります。

環境対策に対して“攻めの姿勢”をとっている企業は、REACH規則やRoHS指令を遵守していることを積極的に示すことで、企業としての信頼性を高めようともしています。

参考ホームページ
EICネット「REACH規則」
日本環境「用語解説」
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有害6種類の使用をRoHSで制限――RoHS指令とREACH規則(上)


部品、材料、それに製品などをつくる多くの製造業は、いまや日本国内にとどまらず、欧州などの外国にも納品しています。日本と外国では、ものの扱いについての規則がちがうため、企業が注意しなければならない点もあります。

欧州連合で実施されている、「RoHS指令」と「REACH規則」という定めをまもることは、その代表的なひとつです。これらの定めは、有害化学物質を使うことを制限するものです。地球や人体の環境に悪影響を及ぼす危険をなるべく小さくするという目的があります。

RoHS指令とは、“Restriction of the use of certain Hazardous Substances in electrical and electronic equipment Directive”の頭文字などをとったもので、電子・電気機器における特定の有害物質を使うことを規制する指令のことをいいます。

規制の対象となる物質は6種類。カドミウム、水銀、鉛、六価クロム、ポリ臭化ビフェニール、ポリ臭化ジフェニルエーテルといった物質です。

しかし、これらの物質をまったく製品にふくめないというのはむずかしい話。そこで、「この量を超えると違反になる」という含有閾値が設けられています。カドミウムでは均質材料の重量に対して最大0.01%の重量、その他の物質では0.1%の重量が、含有閾値となります。

RoHS指令を企業が破ったとき受ける罰則は各国によって異なります。たとえば、ドイツでは最大で5万ユーロの罰金、フランスでは1500ユーロの罰金、英国では有罪判決になると上限なしの罰金などとなっています。

RoHS指令は、2003年2月に公布され、2006年7月に施行されました。

いっぽう、電子・電気機器だけでなく、あらゆる製品にふくまれる有害化学物質を制限するための定めが、2007年6月から施行されているREACH規則です。つづく。

参考文献
日本貿易振興機構「欧州製品環境規制(WEEE、RoHS)に対する各国の取り組み状況」
参考ホームページ
エムエスツデー「グリーン調達の現状(1)RoHS指令からREACH規則まで」
J-Net21「ここが知りたいRoHS指令」
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将棋は平均80通り、チェスは平均35通り

プロ棋士5人と、コンピュータ将棋ソフト5種が戦う「電脳戦」の第2回が(2013年)4月20日(土)までに行われ、通算でプロ棋士側の1勝3敗1分けとなり、コンピュータ将棋ソフトが勝利しました。20日の最終戦、東京大学の研究者が開発した「GPS(Game Programming Seminar)将棋」というソフトが、三浦弘行八段を102手で破りました。

今回は、将棋で人が機械に敗れるというニュースでした。これと同様のニュースは、1997年5月にもありました。IBM社のチェス専用スーパーコンピュータ「ディープブルー」が、チェス世界王者だったアゼルバイジャンのガリ・カスパロフを2勝1敗3分で破ったのです。

情報技術の分野では「ついに、将棋も機械が人に勝つ時代がきたか」という声を上がっているようです。「ついに」というのは、チェスで機械が人に勝ってから、長い歳月が経ったことのあらわれでもあります。チェスでの勝利から将棋での勝利まで16年もかかったのです。

なぜ、チェスでの勝利と将棋での勝利のあいだに16年間の歳月の差があったのでしょう。そこには、将棋のほうがチェスよりありうる指し手の数が多く、より複雑であるからという理由があります。

将棋の指し手の数は、1手目で30通りあります。また、ありうる指し手がもっとも多くなる場合、593通りになるといいます。平均すると、80通りくらいになると考えられています。ちなみに、対局が不利になり王手などをされると、次に打てる手がかぎられてくるため、指し手の数は減ってきます。

いっぽう、チェスの場合、指し手の平均は35通りとされます。

これだけの差が出るのは、将棋の駒数が両方で20駒なのに対してチェスでは16駒であること、将棋のますの数が81ますであるのに対して、チェスでは64ますであること、などが関わってきます。また、将棋では敵陣に入ると「歩」を「金」とおなじ動きのとれる「と」に変えることができるなどの、指し手の幅を広げる規則もあります。

もうひとつ、差が出る大きな原因としていわれているのは、将棋ではとった敵の駒を自分の駒として再利用できるということです。

規則の多様さゆえにありうる指し手の数も多く、機械は先の手を予測して判断するのが大変でした。

参考記事
日本経済新聞 2013年4月19日付「プロ棋士脅かすコンピューター将棋 成長著しく」
朝日新聞 2013年4月21日付「A級棋士も敗退 将棋電王戦、ソフトが5局で3勝」
参考ホームページ
Yahoo!知恵袋「将棋の指し手の数(指し手可能性)は?」
将棋の茶店「芹沢鴨?」「羽生名人はなぜ強いか。羽生善治の分析。その48」
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材料かわれば色かわる
炎の色はひとつではありません。ガスバーナーから出る炎は青く、また花火の色は黄色、緑、橙色と、さまざまです。世の中にはさまざまな色が見られるのを考えれば、炎にいろいろな色がついているのもふしぎではありません。

塩にもふくまれているリチウムやナトリウムなどのアルカリ金属、それにカルシウムやストロンチウムなどのアルカリ土類金属とよばれる物質、それに銅などは、高温で熱せられると「熱励起」という反応を起こします。

熱励起とは、物質の原子が熱エネルギーを得て、原子のまわりをまわっている電子が高いエネルギーをもつ状態に移ることをいいます。

電子は、原子核のまわりの決まった道筋をまわっています。ここで熱励起がおきると、電子は熱エネルギーを吸収して外側のべつの道筋に“飛びうつって”いきます。

しかし、外側のべつの道筋に飛びうつった電子は、もともとの道筋から離れていて不安定な状態にあります。そのため、すぐにまたもとの道筋に“飛びうつって”戻っていきます。これを物質が基底状態に戻るといいます。

このとき、電子は熱によって高まっていたエネルギーをまた放出します。今度は電子がエネルギーを光として放出するのです。

それぞれの種類の物質には、励起状態と基底状態のあいだのエネルギーの差が決まっています。光エネルギーには、「このくらいのエネルギーのときにはこの色が見られる」といった関係があります。そのため、それぞれの種類の物質で、発せられる光の色がかわってくるのです。

このような、それぞれの金属に特有の色を示す反応を「炎色反応」といいます。


(左)リチウムと(右)ストロンチウムの炎色反応

たとえば、アルカリ金属のリチウムを熱すると黄色い炎が見られ、アルカリ土類金属のストロンチウムを熱すると赤い炎が見られる、といった具合です。

ぎゃくに、ある材料を構成するさまざまな原子が高温で光を発するときの色を分析すれば、その材料がどんな原子で成りたっているのかを推測することができます。この技術は「原子発光分析」とよばれています。

参考資料
佐藤勝昭「基礎から学ぶ光物性」
参考ホームページ
東邦大学メディアネットセンター「燃焼科学 燃焼と光<炎色反応>」
朝日新聞「ののちゃんのDO科学 花火の色は、どう作る?」
キヤノンサイエンスラボ・キッズ「色と光 花火の色のひみつ」
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バスや地下鉄の24時間化、人間性摂理の議論はあまり起こらず
 東京との猪瀬直樹知事が、都営バスや都営地下鉄を24時間運行する意向を示しています。24時間運行が行われているニューヨークの地下鉄を視察して影響を受けたもようと伝えられています。

24時間営業が行われる場合、都営バスと都営地下鉄で一斉に始まるのでなく、限定的に始めていくようです。猪瀬知事は、2013年末、渋谷・六本木間の都営バスで、24時間運行を始めることを示唆しています。

東京には都営バスや都営地下鉄のほか、民間のバス会社によるバスや、東京地下鉄という会社による地下鉄も走っています。24時間化を始めれば、これらのバスや地下鉄などにも、波及効果があるかもしれません。

はやくも、マス媒体などではバスや鉄道の24時間営業化に対する影響が語られています。

人びとの仕事の面ではこれまで終電があったため、仕事に区切りを付けられたが、なくなると深夜まで会社で残業する事態になりうるといった心配の声があります。いっぽうで、そのような仕事をよしとする人には歓迎の声もあります。

また、社交や恋愛の面では「終電がなくなっちゃったから朝まで明かそう」といった口実を出せなくなるため心配だという声もあります。

しかし、そもそもの人としての生態学的側面を考えたとき、24時間営業化に合っているのか、という議論はさほどされていません。つまりその議論とは「もともと人は昼行性の動物だったので、真夜中にバスや地下鉄を使うのは、人間性の摂理に反しているのでは」というものです。

人は哺乳類です。人類がまだ誕生していなかった時代、もともと哺乳類は、恐竜の昼の活動を避けてひっそり暮らすため夜行性でした。しかし、恐竜が絶滅すると、すこしずつ哺乳類にも昼に活動する“昼行性”の動物が猿などで現れはじめました。これらの昼行性の動物には、昼での活動に便利なように、眼の色覚が夜行性の動物よりも発達しています。つまり、いろいろな色を認識できます。

その昼行性の哺乳類のはしくれとして人がいるわけです。しかし、人間をふくむ動物は、まわりの環境にかなり順応することができるため、“夜型”の人が出るなどしています。

深夜運行しているバスや地下鉄を利用するかしないかの判断をするのは、利用者の選択によるものです。しかし、バスや地下鉄がその時間帯に走っていれば、それを利用しない手はないと考えるのもまた人間です。
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「薬や健康食品と『トクホ』は何が違うのか」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2013年)4月19日(金)「薬や健康食品と『トクホ』は何が違うのか 謎多き『トクホ』の正体に迫る(前篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

「トクホ」とは、「特定保健用食品」のこと。バンザイをしている人のシルエットが刻まれたマークがトクホの目印で、コンビニエンスストアなどで「メッツコーラ」「ペプシスペシャル」「ヘルシアコーヒー」などが売られていておなじみです。

トクホの表示には、「体に脂肪がつきにくい」や「血圧が高めの方に」「食後の血糖値が気になる方に」といった表示が見られ、そのような効果が“ありそう”なことは、だれから見ても明らかです。

しかし、「トクホをとっておけば大丈夫」といった安心材料にトクホは見なされがち。どのように効果が確かめられているのか、どの程度の効果があるのか、といった「トクホがなぜトクホなのか」といった点まで、消費者は関心をもっているかというとそうともいえなさそうです。

そこで、トクホとはどのようなものか、だれがどうトクホを決めるのか、サプリや薬とはどうちがうのかといった、トクホをめぐる数々の疑問に対して、国立健康・栄養研究所情報センター長の梅垣敬三さんに解説をしてもらいました。

国立健康・栄養研究所は、「『健康食品』の安全性・有効性情報」というホームページを開き、ここでトクホを製造販売している企業から集めた273件のトクホの製品情報を事細かに伝えるなどしています。

梅垣さんは、「トクホは食品である」ということを強調します。体に対してよい影響をあたえる効果がある点では薬とおなじですが、薬ほど効き目が強いわけではありません。逆に、薬で起きるような副作用がトクホで起きるわけでもありません。

「もし、薬と同様に強い作用のあるものがトクホに申請されたとしても、有害な影響も起きるだろうから食品としては認められないと思います」と、梅垣さんは話します。

では、トクホがうたっている健康への効果はどのくらいのものなのか。4月26日(金)配信予定の「後篇」でその具体例を梅垣さんとともに見ていく予定です。

人びとは、脂っこいものや熱量の高いものを食べることの“後ろめたさ”を解消するためにも、トクホを手にとるのかもしれません。しかし、「トクホさえとれば大盛りスタミナ定食を食べても大丈夫」といえるのでしょうか。

「薬や健康食品と『トクホ』は何が違うのか 謎多き『トクホ』の正体に迫る(前篇)」の記事はこちらでどうぞ。
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日本初の特許法公布は4月18日でなく4月7日
きょう4月18日は、「発明の日」です。いまの特許法にあたる「専売特許条例」という法が、1885(明治18)年のこの日に公布されたことから、1954(昭和29)年から発明の日となりました。

では、日本における特許法がこの「専売特許条例」からはじまったのかというと、そうではありません。じつは、日本にはもっと古くに特許法が成立していた歴史があります。

専売特許条例が公布される14年前の1871(明治4)年4月7日、「専売略規則」という法が、太政官の布告として公布されました。太政官とは、明治政府の最高機関で、いまの内閣府のようなものです。

この「専売略規則」こそが、日本における初めての特許の法律であるとされています。しかし、長つづきせず、公布からわずか1年後の1872(明治5)年には廃止されてしまったのです。

なぜ、「専売略規則」が短いあいだに廃止されたのか。その理由を一言でいうと、日本で特許を扱うには時が熟していなかったからということになります。

当時、特許の法律はあっても、特許の権利を得るのに値するような発明の申請はなかなか出されず、政府からすれば特許登録の手間ばかりがかかっていたようです。政府の工部少輔という役職に就いていた山尾庸三(1837-1917)は、太政官の最高官庁である正院に、つぎのように伺いを立てました。

「障害多クテ効益少タ右規則施行之時未到儀相考申候」

まだ「専売略規則」を試行する時はやってきていないと思うということを、山尾は述べたのです。

山尾庸三

それに、申請された発明に特許の権利をあたえるかどうかを判断する審査員の人材不足もあったと考えられます。

特許という制度を福沢諭吉(1834-1901)が『西洋事情』という本によって初めて日本に知らしめたのは1867(慶應3)年のこと。発明者に対して特許権があたえられるという、当時の日本にしてはまったく新しい考えかたが、入ってきてまだ3年とすこしということを考えれば、特許を審査することのできる人がいないのも無理はなかったのでしょう。

こうした事情から、「専売略規則」は廃止となりました。その後、1874(明治7)年、文部省(いまの文部科学省)の官僚だった高橋是清(1854-1936)が、文部省に雇われていた教育者デビッド・モーレーから日本の特許制度の遅れを指摘されて、あらためて特許の法律を確立しなければならないと考えたのでした。

高橋の尽力により、1885(明治18)年のきょう4月18日、「専売特許条例」が公布されました。「専売略規則」が公布された4月7日でなく、「専売特許条例」が公布された4月18日が「発明の日」となっているのは、「専売特許条例」こそ特許の法律として定着したからでしょう。

高橋是清

参考文献
参考ホームページ
特許庁「産業財産権制度の歴史」
産業財産権法:改正法の附則「明治4年太政官布告第175号」
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「スープカリー・スパイススマイル」のチキン野菜のスープカレー――カレーまみれのアネクドート(46)


東京・本郷は坂の街。東京ドームから本郷三丁目方面に上っていく壱岐坂のとちゅうに、こじんまりとしたスープカレーの店があります。店の名は「スープカリー・スパイススマイル」。細長い店内のなかに、白いチェアとテーブルが置かれ、昼の時間の客は相席しながら、スープカレーを注文しています。

メニューに並んでいるのは「野菜」の文字。野菜の種類が多く、また分量は、たとえばにんじんは一口では入らないといった具合に大きめです。

客は、スープの種類としてスタンダードのほかトマトと豆乳を、辛さの度合としてふつうから超激辛までを、ライスの量として小中大を選ぶことができます。ライスはターメリック(鬱金)という香辛料で黄色く色づけされたもの。この香辛料によってまろやかな風味がただよいます。

「チキン野菜のスープカレー」では、具材の主役はやはり鶏肉。スポーンとフォークで、簡単に骨から鶏肉をひきはなすことができます。噛んだ感触はもちろんやわらか。肉のなかに香辛料の風味がしみこんでいます。

スープのほうは、まるでオニオンスープを濃くしたようなの半透明な色をしています。まさに“ルゥ”ではなく“スープ”。香辛料の種類は「10種類以上」とのことで、それぞれの味の均衡がとれていて、全体でしっかりとした辛さをつくり出しています。

種類の多い野菜のなかでは、ブロッコリーに特筆すべき味がついています。食べた瞬間、嫌みのない香ばしさが口のなかで広がっていきます。また、串にささった椎茸があるのも特徴的。

坂を上り下りしていたら、素通りしてしまうほどの小さな入口と小さな店内。しかし、出されるスープカレーは“しっかりもの”。スープカレーが好きの店主が、練りに練ったものであることを感じさせます。

スープカリー・スパイススマイルのホームページはこちらです。
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「テレビを見ない」に“よいこと”の向き


テレビをまったく見ない人が、若い世代を中心に増えているといいます。

NHK放送文化研究所の調査では、テレビを見る時間を1日あたり「0分」と答えた20歳代男性は、1987年12%、1997年25%、2007年26%と増えています。20歳代女性も、おなじく9%、11%、17%と増えています。2010年代でも、この傾向に変わりはないでしょう。

若い世代のテレビばなれには、さまざまな原因がいわれています。生活環境の点では、携帯電話やスマートフォンなどの普及で、テレビを見ることからインターネットを使うことに生活の中心が移ったといわれます。また、番組制作の点では、テレビ番組そのものがつまらなくなったともいわれます。

放送局にとってみれば由々しき事態でしょうが、なにをして過ごすかを選ぶ若い世代にしてみれば、ただ単にテレビを見ないという選択をしているだけで、なんということはありますまい。

「テレビなしの生活」は、えてして「よい生活」と考えられる向きがあるようです。インターネットで「テレビを見ない」と検索すると、「メリット」「お金を稼ぐ絶対法則」「安眠・快眠」といった付随することばが見られます。「テレビを見ないなんて、ナウな情報に乗りおくれるぞ」などと否定的に「テレビを見ない」ことを捉える発言はあまり見られません。

媒体は媒体でも、「読書ばなれ」や「新聞ばなれ」と聞くと、人びとは「これは問題だ」と感じ、「テレビばなれ」と聞くと、人びとは「これはよいことだ」と感じる傾向がありそうです。このちがいはどこからくるのでしょう。

テレビは、人の行動からするときわめて受動的な媒体です。つまり、つけっぱなしにしていれば、人はそこから情報を受動的に得ることになります。ラジオもおなじく受動的な媒体ですが、音声だけでなく映像も流れてくるテレビのほうが受動的な度合が強いため、よりテレビのほうが矢面に立たされる可能性はありそうです。

いっぽう、本や新聞は、人の行動からすると能動的な要素をふくむ媒体です。人は、本や新聞に対して、買う、手にとる、文字を追うといった、積極的なはたらきかけをします。

媒体との接しかたが受動的なものか、能動的なものか。このあたりも、接するべきではないという捉えられかたと、接するべきであるという捉えられかたのちがいを生みだしている要素なのかもしれません。

参考文献
荒牧央、増田智子、中野左知子「テレビは20代にどう向き合ってゆくのか」『放送研究と調査』2008年6月号
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巨大地震の被害内容に各種「あきらめ」の心配

つぎにやってくる巨大地震を前にして、「あきらめ」や「あきらめないで」ということばが人びとの目や耳に触れられるようになってきました。

内閣府中央防災会議「防災対策推進検討会議」のもとに設置された南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループは、2012年8月と、2013年3月に、南海トラフ地震での被害想定を発表しました。南海トラフ地震とは、日本の太平洋沖の海底に広がる南海トラフという細長い窪地で広く連動して起こることが心配されているマグニチュード9級の巨大地震のこと。最悪の場合、死者は32万人になるといいます。

とくに「あきらめ」ということばをよく使っている朝日新聞の記事や、南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループの会議の資料などを総合すると、「あきらめ」にはさまざまな意味の種類があることがわかります。

まず、日本に拠点をおく企業が巨大地震への備えをあきらめるという「あきらめ」です。たとえば、南海トラフ地震での激しい揺れや、その後の高い津波が起きると、太平洋の海岸沿いにある工場などは大きな被害を受けることでしょう。そのため、企業が日本における防災対策をあきらめて、地震のすくない海外に拠点を移してしまうという心配があるわけです。

あるいは、海外企業も、日本に主要な拠点をおくことをあきらめて、日本への投資を控えるということもあるわけです。これらのことは、2011年の東日本巨大地震後の企業の対応などを見れば、起こりえることと考えられます。

つぎに、一般市民が巨大地震への備えをあきらめるという「あきらめ」も記事にとりあげられています。

南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループの被害想定発表は当初2012年5月に行う予定でした。しかし、発表は3か月後の8月にずれ込みました。ワーキンググループが厳しい想定で国民のあいだに「あきらめ」の感が広がることを懸念し、対策をとれば被害を減らせるということも示すことにしたためと伝えられます。

これは、「最悪の場合、死者32万人」という発表を知った被害想定領域の市民が「そんなに死者が出るのだったら、私も死んでしまうのだろうな。だったら、防災の準備をあきらめよう」という人が現れるということでしょう。しかし、多くの人は「まさか自分がその32万人の1人になるはずない」と思うものでしょう。ワーキンググループが発表した南海トラフ地震における二次被害の想定では避難者は950万人といいます。避難者950万人に対して、死者32万人は、3.3%という比率になります。

そして、巨大地震が実際に起きたときに避難をあきらめるという「あきらめ」もとりあげられています。

ワーキンググループの会議では、「一人では避難できないため、あきらめてしまう人もいる。そういう人をどのように避難させるか」といった有識者の発言がありました。あまりにも巨大な天変地異を受けて、自分の死から逃れようとするのでなく、自分の死を受け入れようとする人が生じるのではないかという考えです。

巨大地震が起きるまえと、起きたあとと、それぞれの段階に企業あるいは人が「あきらめ」を示す可能性があるわけです。そして、それは避けるべきことであるというのが、ワーキンググループや国の見解であるようです。

参考資料
内閣府(防災担当)2012年8月21日「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ(第6回)議事概要について」
参考記事
朝日新聞 2012年8月30日付「『最悪』直視、対策探る 南海トラフ被害想定『死者32万人』東日本大震災を教訓に」
朝日新聞 2013年3月19日付「あきらめぬ防災を模索 南海トラフ地震、経済被害想定220兆円」
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“立ちさりかた”に人知れぬ技術


人びとのいるなかで自分だけつぎの用が迫っているとき、あるいは親しく話す人がいなくて所在ないというとき、その人は“その場からの立ちさりかた”を考えることになります。

そしてそこには、人知れぬいろいろな技術や方法があります。

まず、おもむろに腕時計や壁時計に目をやり、「あ、もうこんな時間かぁ」などとつぶやいて、これから帰りのしたくをはじめるということをしぐさで示すという方法はよく使われます。とつぜん「私、帰ります!」と人びとに言うよりも、時計を気にするしぐさをとったほうが、人びとに「帰る」と宣言することに対する唐突感を減らすことができるという考えがはたらくのでしょう。

このような方法で無事に「あ、お疲れさまでした!」などと、残る人びとからあいさつをされれば、その方法は成功といえます。

しかし、時計をちらと見るしぐさが通用しない場合もあります。

たとえば、あまりに人びとの話しあいが白熱して、自分が時計を見るしぐさをしてもだれからも見向きをされないとき。また、あまりに議論が白熱したとき。「あ、す、すいません。私これで失礼します」とも、なかなか言いづらいものです。その人は、話の腰を折ってしまうことに引けめを感じるのでしょう。

最高レベルで立ちさりかたを気にする人で、しかもNTTドコモの携帯電話を使っている人は、携帯電話で「111番」に電話をするかもしれません。

「111番」をかけていったん電話を切ると、10秒後ぐらいに電話がかかってくるのです。これは本来、着信のテストのためのサービス。しかし、この着信音を鳴らしておもむろに電話に出て、人からかかってきたのでもないのに「あ、もしもし。はいはい。いまから行きますのでねぇ」などと、空の返事をしてから「つぎの予定の人が待っているんで、議論の途中ですいませんが私はこれで」などと言ってその場を立ち去るわけです。

視覚的なしぐさで通用しなければ、着信音と演技の会話という音声的な反応で、まわりの人びとの気を引かせるわけです。

より多く人が使っているであろう無難な方法のひとつに、フェイドアウト法があります。

「フェイドアウト」(fade out)とは、「じょじょになくなる」という意味の熟語です。映画などでは、映像や音がだんだんと消えてなくなっていくことを示すことばとしても使われます。

白熱した議論のなかで、ある人は、すこしずつすこしずつほかの残る人びとに気づかれないように身支度をして、すこしずつすこしずつ席を立ち、そしてドアを静かに開けて去っていきました。フェイドアウト法に成功したわけです。

ほかの人にとっては、気づいたらその人がいなくなっていた、ということになります。しかし、あらかじめ「きょうは14時で帰らせていただきます」と伝えていたり、あるいは「議論が白熱していたのでフェイドアウトさせていただきました」と正直なメモを書きおきしたりしておけば、大した問題にはなりません。

なにより、ほかの人が帰ることに対して、まわりの人びとは帰る本人が気にするほど気にしないものかもしれません。
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「人から人」になると感染が一気に拡大
 中国で鳥インフルエンザ(H7N9)による人への被害が広がっています。(2013年)4月13日までに、死者は11人になったと報道機関は伝えています。

また、報道機関がこの鳥インフルエンザについて関心を寄せているのは、「人から人への感染」が起きたか、それとも「鳥から人への感染」にとどまっているか、ということです。このちがいにはどのような意味の大きさがあるのでしょう。

鳥から人にインフルエンザなどのウイルスが感染することは、めったに起きることではありません。たとえば、インフルエンザウイルスに感染している鳥の毛を人がむしったり、あるいは鳥に触れて料理をしたり、感染している鳥に濃厚に触れることがなければ、人が鳥のウイルスに感染することはめったにありません。

今回の中国の場合は、そのめったにないことが各地で起きて、死者は11人になったということがいえます。

ところが、人への感染がめったにない状況から、ありふれた状況へと変わってしまうときがあります。それは、感染症を引きおこす鳥のウイルスが変異して、人から人への感染力をもつ新型のウイルスになったときです。

インフルエンザなどのウイルスは、人や動物のからだのなかで、とてもよく変異をおこします。そのため、鳥から人に感染するのみだったウイルスが、人から人に感染するウイルスに変わることがあります。

鳥から人へは濃厚な接触がなければ感染しませんでした。ところが、人から人へとなると、くしゃみでしぶきがとぶなどの簡単なことで、ウイルス感染が起きるようになります。

しかも、新型ウイルスに対しては、ワクチンが解明されていないため、いったん感染するとなすすべがなくなるのです。

今回の、鳥インフルエンザウイルスについては、株とよばれるウイルスを分離培養したものが、4月10日に日本の国立感染症研究所に届きました。これから、このインフルエンザに効果的なワクチンなどがつくられていきます。まさに時間との戦いです。

参考ホームページ
厚生労働省健康局結核感染症課「鳥インフルエンザと新型インフルエンザ」
参考記事
朝日新聞 2013年4月9日付「WHO、『人・人』感染を調査 中国の鳥インフルで疑い」
産經新聞 2013年4月10日付「感染研にウイルス株届く ワクチン開発などに役立てる」
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金曜夜から土曜朝にかけ国立競技場でリレーマラソン

東京・霞ヶ丘町の国立競技場で、きょう(2013年)4月12日(金)夜から、「フライデーナイト・リレーマラソン in 国立競技場」という競技大会が開かれています。主催はアールビーズスポーツ財団。

国立競技場のトラックと競技場の外周からなる1周1.4キロの周回コースを、最少1人から最大12人のチームで走りつづける大会です。19時に号砲が鳴り、「3時間リレーマラソン」では22時まで、「12時間リレーマラソン」では13日(土)の朝7時まで。モータースポーツの「耐久レース」をリレー形式のマラソンで行うようなものです。

チームには駅伝とおなじく「タスキ」があたえられ、このタスキを渡していくことになります。

とはいえ、3時間と12時間あわせて250チームほどが出場しますので、何週は知ったかなどを審判員がいちいち確かめることはしません。そのかわり、タスキに「ランナーチップ」という小型発信装置を埋め込み、これで各チームのタスキが何周したかがわかるようになっています。


タスキリレーのゾーンは大会の地図上にはありますが、厳密なものではありません。このランナーチップが、コース沿いに電波を発信しつづけていれば、「だれかがタスキをつないで走っているだろう」と察しがつくからです。

かねてから日本人のあいだで走ることの人気はありました。ちかごろでは、仕事前の朝に走る、通勤で走る、昼休みに走る、仕事のあとに夜走る、そして休日前の真夜中に走るなどと、走る時間帯の24時間化が、とくに都会で顕著に進んでいるようです。

12日の夜から13日の早朝にかけて、東京の最低気温は7度と冷えこみます。参加者たちは寝袋や防寒具を用意して、「チームのだれかしらが走りつづけている」状態を保とうとします。

「フライデーナイト・リレーマラソン in 国立競技場」のホームページはこちら。
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「科学ジャーナリズムアカデミー」2013年5月に開講


講座の開講の案内です。

法政大学経済学部教授の藤田貢崇さんのゼミナールが、(2013年)5月から「科学ジャーナリズムアカデミー」という講座を開きます。

発起人の藤田さんは、科学誌『ネイチャー』の翻訳なども手がけてきた科学ジャーナリストで、いまは法政大学経済学部で科学ジャーナリズムなどの教育をしています。講座では、科学ジャーナリストや科学ライターなどを目指す人や、わかりやすい文章を書きたい人、翻訳をしたい人などに役立つ、講義と実習を用意しています。

5月11日(土)にオリエンテーションがあり、以降、2014年1月11日(土)までに、だいたい隔週で土曜の午後に法政大学市ヶ谷キャンパスで講義が行われます。

講座は日程順に「ライティング」「レクチャー」「科学英語」の三つで、それぞれ5回の授業となります。

「ライティング」では、「わかりやすく、伝わる文章を書きたい!」という主題で、添削を交えながらの指導が行われます。

「レクチャー」では、「ジャーナリズムの本質を知りたい!」という主題で、科学時番組制作や時事問題解説などの豊富な経験をもつ元NHK解説委員の小出五郎さんが講義形式で教えます。

そして「科学英語」では、「英語の文章を読むコツを知りたい、翻訳してみたい!!」という主題で、藤田さんが、英語の文章のポイントを押さえながら正しく理解するコツを伝えます。翻訳の実習もあります。

法政大学関係者のみならず、一般の人の受講も募っています。ただし、それぞれのコースには定員があり、申し込みの際に提出する「受講の動機(200 字以内)」により選考が行われるとのことです。

藤田貢崇ゼミナールの「『科学ジャーナリズムアカデミー』開講のお知らせ」はこちらです。
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部分の権利でくまなくまもる


自分にとって大切なものをできるだけくまなくまもりたい。どうすればよいか。

このような課題をもつ人は「バリアをなるべく広く張る」ということを考えます。たとえば、西欧では中世、街を敵の侵入からまもるため、街そのものを高い壁で囲うことをしました。

いっぽうで、自分にとって大切なものをできるだけくまなくまもるため、人は「バリアを一部分だけに張る」という方法をとることもあります。ある制度のなかにおいてのみ効きめがあるというものではありますが。

自分が創作したものを支配する権利に「知的財産権」があります。知的財産権にはさらにいくつか種類があり、そのひとつに「意匠権」があります。意匠とは、形や模様などの工夫のこと。だれかがあらたに製品の意匠をしたとき、国に「これは私が意匠しましたから、まねされない権利をもちたいです」と出願して登録されれば、その人は意匠権をもったことになります。

たいてい、意匠権を得る人は、製品そのものの意匠に対する権利を得ます。たとえば、家具メーカーが新しくつくった椅子に対する意匠権を得るとき、椅子そのものに対する意匠権を得るわけです。

しかし、意匠権を定めた日本の意匠法では、意匠権の保護の対象となる「物品」のなかに、「物品の部分」も含まれています。これはどういうことでしょう。

たとえば、A社という家具メーカーは、新しくつくった椅子そのものに対する意匠権を得ました。とりわけその椅子のなかで、A社が気に入っていたのは背もたれの意匠です。「とてもよい背もたれをつくることができたぞ。これからつくるいろんな椅子にもこの背もたれを採用しよう」。

ところが、べつのB社という家具メーカーが、背もたれはA社のものとおなじで、座や脚はべつの形にした椅子をつくって売りだしました。

A社は「われわれが工夫してつくった背もたれをまねするとはけしからん」と腹を立てました。これに対してB社は、こういう言い分で対抗しました。「われわれB社がつくった椅子の全体の意匠は、A社の椅子とは異なるものです。ほら、座も脚もA社の椅子とはかたちがちがうでしょう」。

実際、B社のこのような言い分が、かつては認められることがありました。意匠法における「物品」に「物品の部分」はふくまれていなかったからです。

しかし、これでは、物品全体のなかのごく一部を変えただけで、他の人がオリジナルの製品をまねすることができてしまいます。それでは問題になるため、物品のなかの特徴的な意匠のみに対する意匠権が制度として得られるようになったのです。この意匠権の制度を「部分意匠」といいます。

A社は、自社でつくった椅子の背もたれの部分を部分意匠として出願し登録すれば、だれにも背もたれをまねされなくなります。そこで、A社は心おきなく、ほかの椅子にもこの背もたれの意匠を採用していったのでした。

他の人にまねされないように、物の部分を権利でまもることが、さまざまな物をくまなくまもることにつながるわけです。逆に、権利の範囲を広げれば広げるほど、他の人にちょっとだけちがう部分をつくることでまねされてしまうわけです。

参考ホームページ
特許庁「部分意匠導入の趣旨」
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結晶の成長には“過”が大切


「長年の努力が結晶になる」などとよくいいます。これは人のこと。いっぽう、人が長年の努力を積みかさねるのとはまたべつの精緻な物理現象により、物質は結晶になります。

物質の結晶とは、原子や分子がくりかえしの型をもって並んでいるようなもののこと。身近なところでいうと、塩は結晶です。ナトリウムイオンと塩化物イオンが、たがいちがい規則正しく並んでいます。

気体のなかでも結晶は大きくなっていきますが、液体のなかのほうがより大きな結晶がつくられやすいようです。

まず、結晶をつくっている物質とまったくおなじ物質の液体が結晶に触れて、結晶が大きくなっていく場合があります。このときの成長法を「融液法」といいます。たとえば、水という液体のなかで、水が固体になったものである氷の結晶が大きくなっていくというのは、その一例です。

この融液法で結晶が大きくなるとき、液体が「過冷却」という状態になっていることが、成長の速度を高めるうえで大切になります。過冷却とは、液体などが理論的には凝縮するはずの温度以下なのに、まだ凝縮が起こらないことをいいます。

刺激をあたえずそっと液体を冷やしていくとき過冷却は起きやすくなります。ところが、その過冷却になっている液体が、なにかの刺激を受けると、一気に液体が凝縮して固体になります。

この「一気に液体が凝縮」することが、結晶が大きくなるときにも効いてくるわけです。

つぎに、結晶をつくっている物質が溶けている液体が結晶に触れて、結晶が大きくなっていく場合もあります。この成長法を「溶液法」といいます。半導体の基板をつくるときなどには、この溶液法が使われます。

溶液法で結晶が大きくなるとき、溶液が「過飽和」という状態になっていることが、成長の速度を高めるうえで大切になります。過飽和とは、溶液のなかに溶解度以上の物質が溶けている状態のこと。つまり、溶液には物質を溶かすキャパシティが決まっていますが、そのキャパシティを超えた状態を過飽和といいます。

塩の結晶がつくられるときも、塩の溶けている水が過飽和状態にあるときに、その成長の速度が高まります。

人の努力には、さまざまな形や内容があります。そのさまざまな努力の積みかさねが“努力の結晶”となるわけです。いっぽう、自然界では、さまざまでなくワンパターンの構造のくりかえしが“物質の結晶”となるわけです。

参考文献
大石修治、宍戸統悦、手嶋勝弥『フラックス結晶成長のはなし』
参考ホームページ
北海道大学低温科学研究所「結晶成長のムービー 過冷却水から成長する氷結晶のパターン形成」
たばこと塩の博物館「塩の正体 いろいろな結晶」
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(2013年)4月11日(木)は「『これまでにないスイッチ』の可能性と有用性を説く」


講演会のお知らせです。

(2013年)4月11日(木)18時30分から、東京・白山の富山会館で、「『これまでにないスイッチ』の可能性と有用性を説く」という講演会が開かれます。東京大学大学院工学系研究科教授の千葉大地さんによる講演。主催は、日本科学技術ジャーナリスト会議です。

千葉さんの専門分野はスピントロニクス。電子がもつ電荷を利用した工学をエレクトロニクスといいますが、さらに電子がスピンをもつという特性をも合わせて応用した工学をスピントロニクスといいます。

スピンとは、電子が“自転”すること。電子が右まわりに自転するか左まわりに自転するかによって、磁石でいうS極またはN極のような状態が生じます。このような電子のスピンの特性を、技術に応用しようとする研究が進んでいます。

講演では「半導体と金属における強磁性の電界制御」という研究の成果の紹介があります。千葉さんは、世界で初めて、室温で金属に電圧を加えるだけで、金属を磁石の性質をもつ状態から磁性をもたない状態にスイッチできることを明らかにしました。それまで、磁石の性質そのものを、電気的にオンやオフさせることはむずかしいと考えられてきました。この概念を覆す研究成果を生み出したことになります。

この研究成果は、消費電力の極めて小さな磁気記録メディアへの応用や、コイルを使わない磁界発生器などへの応用につながるものと期待されています。

「半導体と金属における強磁性の電界制御」という研究は、日本の研究機関において凝縮系科学の優れた業績を挙げた若手研究者に贈られる「サー・マーティン・ウッド賞」の2012年度(第14回)の受賞理由にもなっています。

「『これまでにないスイッチ』の可能性と有用性を説く」は、4月11日(木)18時30分から、東京都文京区白山5-1-3の富山会館内5階会議室にて。日本科学技術ジャーナリスト会議の会員は無料。会員以外の方も参加できますが、参加費は1,000円となります。

日本科学技術ジャーナリスト会議によるお知らせはこちらです。
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空気がなかなか入らず“トクトク音”


ワインやウイスキーを“音”で楽しむという人もいることでしょう。とくに、栓を空けて酒をグラスに注ぎはじめた瞬間の“トクトクトク”という音に魅了される人は多いようです。

“トクトク音”が聞こえてくるのは、注ぎはじめの、瓶のなかに酒などの液体が満たされているときのみ。このとき、注ぎ口の部分を酒が覆うようにしてグラスへと流れていきます。つまり、酒によって注ぎ口が蓋をされているような状態で、注ぎ口の外側から空気は入りづらくなっています。

しかし、瓶の外側から空気がまったく入ってこないわけではありません。とぎれとぎれに空気は瓶のなかへと入っていきます。ただし、とぎれとぎれに入ってくるため、まだほとんど酒に満たされている瓶のなかで、空気がちぎれる泡になります。

この瞬間の音が、トクトク音の一回分の「トク」になるといいます。

グラスにワインやウイスキーをしばらく注いでいると、トクトク音は聞こえてこなくなります。瓶のなかの酒の量が減ると、酒がグラスに注がれるとき、瓶の注ぎ口を蓋するほどまでにはなりません。注ぎ口の隙間から、空気が自由に瓶のなかに入っていきます。空気がちぎれて泡になるような現象は起きませんので、トクトク音も起きないことになります。

この、トクトク音も味わいのひとつ。ワインやウイスキーを製造する種類メーカーは、トクトク音をいかに質の高いものにするかの研究もしているといいます。

参考ホームページ
サントリーなるほどコール赤坂5丁目分室「ウイスキーをグラスに注ぐときの『トクトクトク』という音が聞けるのは最初の一回だけ、 毎回この音を聞くことはできないのでしょうか?」
参考文献
広島工業大学『広島工大』2003年187号「『流れの夢コンテスト2003』にてOBが特別賞受賞」
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米国の連邦取引委員会、顔認識技術の利用法を提言

 

(2013年)4月3日付のこのブログに「機械が顔から性別や年齢を推定」という記事がありました。顔認識技術や顔属性推定技術といった情報技術により、機械が人の顔を自動的に識別することができるようになっている、という話です。
 
機械が、不特定多数の人を記録して認識するということをめぐって、問題や懸念が起きていないわけではありません。

そこで米国では、米国連邦の独占禁止法と消費者保護法を管轄する連邦取引委員会(FTA:Federal Trade Commission)が、2012年10月、“Facing Facts Best Practices for Common Use of Facial Recognition Technologies”(直面する事実 顔認識技術利用のベストプラクティス)という報告書を発表し、企業などが顔認識技術をどのように利用するのが適切か、提言をしています。
 
連邦取引委員会のスタッフは、この提言で“Companies should……”つまり「企業は何々すべきである」という表現で三つの「すべき」を掲げています。
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第一に、企業は、顔認識(両眼や両耳などの特徴的寸法や間隔といった特定的な測定)を可能とする像から集積された、消費者像や身体特徴を記録した情報の合理的なデータ機密保持を維持するべきである。オンラインで特定の像をだれもが入手しやすくなったことが顔認識技術の商業利用性を高める要因になっていることから、そのような像を蓄積している企業は意図しない二次的利用をもたらしうる未公認のスクレーピング(ウェブのデータを必要な部分だけ抽出して利用すること)を防止する措置を、適切に講じることを考慮すべきである。
 
第二に、企業は収集した消費者像や身体特徴の記録に対し、適切な保持や処分の実施を確立し維持すべきである。例えば、もし、消費者が、バーチャルで眼鏡を“試着”するための登録をウェブサイトで行い、そのウェブサイトに写真をアップロードし、のちにそのウェブサイトの登録を削除した場合、その写真の必要性はもはやなくなったのであるから廃棄されるべきである。
 
第三に、企業は顔認証の製品やサービスを開発する際、情報の扱いが難しいことを認識を考慮すべきである。例えば、顔認識技術を使うカメラが装備された電子看板を開発する企業は、そのサインをどこに置くかを考慮し、浴室、ロッカールーム、健康施設、また子供が集まる場所などに置くことは控えるべきである。
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企業は顔認識技術をどの程度まで活用してよいか、まだわからない状況といえます。連邦取引委員会がこのような手引きを示すことにより、企業が顔認識技術を利用しやすくするようにするねらいも、このような提言にはありそうです。
 
米国連邦取引委員会の報告書“Facing Facts Best Practices for Common Use of Facial Recognition Technologies”はこちら(英文)。

参考記事
米国連邦取引委員会 2012年10月22日付“FTC Recommends Best Practices for Companies That Use Facial Recognition Technologies”(英文)
Yahoo!ニュース個人 小林啓倫 2012年10月23日付「米FTC、顔認識技術の活用に関するガイドラインを発表」
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知らない人と横どなりを歩きつづける


めったにありませんが、歩道を歩いていると、“他人とおなじ速度で横どなりを歩きつづける”という状況が起きます。

人と人が横どなりを歩きつづけるというとき、そのふたりは夫婦だったり、友人だったり、同僚だったりします。人それぞれに心地よい歩速というものがありますから、知りあいが横どなりを歩くときは、どちらかがどちらかに速度を合わせて歩くことになります。

いっぽう、他人どうしが横どなりをずっと歩きつづけるというのは、どのようなときでしょう。

まず、心地よい歩速がふたりのあいだでおなじであることが、歩道で横どなりを歩きつづける条件のひとつになりそうです。おたがいにこの歩速で歩くのが自分にとっては心地よいと感じているわけです。

しかし、ふたりの心地よい歩速がそろっているとしても、歩きはじめがいっしょでなければ横どなりを歩きつづけることにはなりません。そこで、横断歩道の信号まちなどで止まっていて、信号が青にかわった瞬間から横どなりで歩きはじめるというのが、べつの条件になります。

ただし、知らない人が歩道で横を歩いている場合、たいてい、どちらかがわざと歩速を高めて相手を追いぬかすか、あるいは、どちらかがわざと歩速を緩めて相手に先を譲るかするものです。

そうならないというのはどういうことでしょう。

考えられることのひとつは、おたがいに自分の歩調をつらぬく信念をもっているということです。「自分はこの速度で歩くのが心地よい。なぜ、知らぬ他人に、自分の速度の影響を受けなければならないのだ」と思う人どうしが歩道を歩いていれば、たがいに信念を貫き、ずっと横どなりを歩きつづけることになります。

信念があまりなくても、ふたりとも必要性に迫られて急がなければならず、しかもふたりとも最高ペースで歩くときの速度がおなじという場合も、しばらく横どなりを歩きつづけることが起こりえます。この状況を、第三者が見た場合、ふつうのかっこうをして二人が競歩をしているような不思議な光景にうつるかもしれません。

人と人のコミュニケーションのとりかたはさまざまです。人と人が歩くスピードを合わせる、あるいはずらすというのも、広い意味でのコミュニケーションといえるでしょう。

参考文献
成瀬九美「速度調整のコミュニケーション機能」
| - | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0)
“せめぎあい”のなかで取材依頼


物書きが記事づくりをするときに、多くの場合「取材」という作業がともないます。取材とは、記事にするための“材料“を“取ってくる”作業。具体的には、記事の主題の当事者や、その主題に精通した専門家に会って話を聴くことをさします。

取材にかぎったことではありませんが、人に会って話を聞くとなれば、「お会いさせてください」と依頼しなければなりません。

多くの物書きにとって、この依頼をどのタイミングで行うかはちょっとした課題のようです。

まず、記事づくりには、「何月何日までに原稿を編集担当者に提出する」というしめきりが決められています。遅くともそのしめきりの前日には取材を済ませなければなりません。

もちろん、相手の予定を読めないので、取材依頼は早いにこしたことはないと考えられます。しかし、「取材の必要が生じたらすぐに取材依頼」となるかといえば、なかなかそうもいきません。

取材を依頼するとき、物書きは相手に「どのような主旨の記事で、どのような話を聞きたい」といった主旨を伝える必要があります。ごく大まかに「リニアモーターカーについてお聞きします」とか「メタボリック症候群についてお聞きしたいです」などと主題を伝えるだけでも依頼の形にはなります。しかし、大きな主題を伝えるだけでは、相手はなにを答えたらよいのかよくわかりません。

そこで、さらに「リニアモーターカーの開発で誰々さんが携われた何々という技術の開発経緯について伺います」とか、「メタボリック症候群の診断基準の変更点についてお聞きします」とかいったように、具体的になにを聞きたいかまでを示したほうが効果的となります。これにより、取材対象者は、「ああ、この話ね」とより納得がいくようになります。

さらに、「なぜ、誰々さんに取材をしたいのか」といった、取材対象者がその人でなければならないという必然性を考える物書きもいます。「あなたでなければだめなのです」ということを示せば、「それならわかった。取材を受けよう」と相手が思う可能性も高まるからです。

このように、取材対象者に依頼の段階で断れないようにすると、いろいろなことを調べなければならなくなるわけです。

しかも、たいていの物書きはその取材対象者について詳しく知っているわけではありません。編集者に「誰々さんを取材してみたらいかが」と言われ、その人の名前を初めて聞く、あるいは、編集者にテーマをあたえられ、調べていくうちにその人の名前を耳にするようになる、といった場合が多いのです。

日数をかけて下調べを綿密にすれば、取材対象者に依頼で断られる可能性は低くなるでしょう。いっぽうで、日数をかけて下調べを綿密にすれば、取材可能日が減っていくので取材できない危険性は高くなります。

このふたつの“せめぎあい”のなかで、「もう、相談しなければだめだ」と尻に火がついたとき、取材の依頼をする。こういう物書きはすくなくないと考えられます。
| - | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0)
機械が顔から性別や年齢を推定


人が、まだ知らない人に対して抱く関心に、「男か女か」「年齢は何歳ぐらいか」といったものがあります。これらを推しはかるとき判断基準になるのが「顔」です。

ちかごろでは、人が人の顔を見なくても、機械が機械の前に現れた人の顔を認識することにより、その人の顔を認識して性別や年齢を判断する技術が進んでいます。これらの技術は「顔属性推定技術」などとよばれます。

人の顔には、性別や年齢層ごとに特徴があります。顔属性推定技術を開発しているオムロンのホームページによると、たとえば子どもの顔は、おとなの顔より目が大きくて位置が高く、目と眉のあいだが広く、鼻や口が小さく、顔の輪郭が丸くてあごが小さい、といった特徴があるといいます。

顔認識技術をサービス提供する企業は、人の顔の画像を膨大に集めているといわれています。そして、機械に、これらの膨大な顔情報の“学習”によって開発された技術があるといいます。上にあげた子どもの顔を推定するような方法のほか、顔の骨格、しわ、たるみなどの、各属性における顔の特徴を解析して、そこから性別や年齢を推しはかっていきます。

デジタルカメラなどに掲載されている、顔を認識してレンズ焦点をあわせる技術は、「顔認識技術」とよばれますが、これは単に「顔がある」ということを検出するためのもの。

また、施設の入口などで、訪れた人が部屋に入ってもよい人であるかどうかを、機械が顔を認識することで判断する技術もあります。これは、あらかじめ用意しておいた部屋に入ることを許されている人の顔のデータをもとに、部屋の入口に立っている人の顔がにているかどうかを機械が判断する技術です。

いっぽうで、顔属性推定技術では、機械が大量のサンプルに対して顔のパターンの“学習”を行っていきます。これまでの顔認識などの技術よりも進んだ技術ということができそうです。

参考ホームページ
オムロン「セグメントセンサ(性別・年代分析システム)」
参考記事
マイナビニュース 2011年7月26日付 林昌希「人間の顔があるかを判断する『顔検出』技術(1)『顔検出』と『顔認識』」
同 2011年8月9日付「人間の顔があるかを判断する『顔検出』技術(2)テンプレートマッチング」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
科学信仰の対象はひんぱんに変わりうる


人は、なにかを信じることを心の頼りにして生きていきます。日本人は、世界の人びとにくらべたら度合いは低いですが、めぐりあった宗教を信じることを頼りに生きている人は多くいます。

宗教を信じる人ほど多いわけではありませんが、科学を信じることを心の頼りにして生きている人もなかにはいます。「科学信仰」や「科学崇拝」ということばもあります。

人には、生きていく場面ごとに、なにかの判断をしなければならないときが生まれます。そのとき「科学的にはこの確率が高そうだ」といった尺度をもつことができれば、それが選択の判断材料になります。そのように使われる科学の知識や素養は「科学リテラシー」といわれます。

「科学信仰」や「科学崇拝」になると、「科学リテラシー」にくらべて、科学を選択の尺度にする度合いは高まります。「科学ではこういうことが言われているのだから、こちらを選ばなければならない」といった意識が、その人を支配します。

宗教における教義の変更は、相当に大きなこととなります。宗教のなかで教義は真理とされています。なかには教義の変更を可能としない宗教の派もあります。それでも教義の変更が必要だと感じた人は、脱会したり分派したりするのでしょう。

いっぽう、科学において「正しい」といわれていることは、宗教における教義の変更にくらべ、ひんぱんに変更されていきます。パラダイムの転換が起きるわけです。

地球のまわりを太陽などの天が回るとする天動説は、その後、地球が太陽のまわりを回っているとする地動説に変わりました。また、19世紀まで、光の伝播に必要とされていた「エーテル」という媒質は、その存在が否定されるようになりました。

このようなパラダイムの転換は、科学のさまざまな分野で起きます。そして、パラダイムの転換ほどではない小さな変更は、ほぼあらゆる分野でもっと多く起きます。

科学的に正しいと考えられてきたことを信仰してきた。しかし、その正しいと考えられてきたことでなく、べつことが正しいと考えられるようになってきた。そのようなとき、科学信仰者のなかには「いままで信じてきたのはなんだったのだ」と絶望するかもしれません。

そのようなことで絶望しないために「科学には真理の変更はつきものだ」ということも受けとめて対応する人もいるでしょう。これは、科学の特性を理解したうえで、科学を信仰するという考えかたです。

日本をふくむ多くの国では、信仰の自由が法律で認められています。科学を信仰することはその人の自由です。

しかし、科学のことをそこまで信じていない、あるいは、科学に関心がないという人がいるのもまたたしかです。そういう人たちは科学信仰者に「あの人は科学でものごとを考えることができるみたいですごいねぇ」という感心とともに、「でも、科学では正しいからという尺度だけで生きるのはちょっとねぇ」という違和感も抱くかもしれません。すくなくともいえるのは、宗教信仰ほど、科学信仰が、人びとに受けいれられてはいないということです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
両トクホコーラ、有効性の方向に大差なし


特定保健用食品のコーラ「メッツコーラ」をキリンが発売したのが2012年4月。発売からもうすぐ1年になります。いっぽう、おなじく特定保健用食品の「ペプシスペシャル」をサントリーが発売したのは2012年11月のことでした。

どちらの“トクホコーラ”も、お腹まわりを気にする人びとにとって“救い”になっているようで、ヒット商品になったといいます。

特定保健用食品は「からだの生理学的機能などに影響を与える保健機能成分を含む食品」(消費者庁)のこと。販売するには、食品の有効性や安全性について審査を受け、表示について国の許可を得る必要があります。

キリンもサントリーも自社のトクホコーラの有効性や安全性についての情報を国立健康・栄養研究所に提供するなどして公表しています。

では、このふたつのトクホコーラの有効性に、ちがいはあるのでしょうか。

まず、実際の表示はどうなっているかというと……。

メッツコーラのほうは「本品は、難消化性デキストリン(食物繊維)の働きにより、食事から摂取した脂肪の吸収を抑えて排出を増加させ、食後の血中中性脂肪の上昇をおだやかにするので、脂肪の多い食事を摂りがちな方、血中中性脂肪が気になる方の食生活の改善に役立ちます」と書かれてあります。

ペプシスペシャルのほうは「本品は、食事から摂取した脂肪の吸収を抑えて排出を増加させる難消化性デキストリン (食物繊維) の働きにより、食後の中性脂肪の上昇を抑制するので、脂肪の多い食事を摂りがちな方、食後の中性脂肪が気になる方の食生活の改善に役立ちます」と書かれてあります。

どちらにもたいしたちがいはありません。表示から「難消化性デキストリン」という物質が作用をもっていることがわかります。この物質は、加熱処理したじゃがいものでんぷんをアミラーゼで加水分解し、さらに未分解物から難消化性成分を分取して脱塩、脱色して調製された水溶性の食物繊維です。

では、有効性試験の内容はどうでしょうか……。

メッツコーラのほうはというと、空腹時血中中性脂肪値が正常高値域からやや高めの成人男女90人を対象にした試験をしています。

難消化性デキストリンを含むメッツコーラと、難消化性デキストリンを含まないコーラを、90人がどちらかわからないように両方とも飲みました。

すると、メッツコーラを飲んでから2時間後、3時間後、4時間後の血中中性脂肪や、血中濃度曲線下面積(AUC:Area Under the blood concentration time Curve)の抑制が認められたといいます。つまり、飲んだあと脂肪の値が抑えられたということです。

いっぽう、ペプシスペシャルのほうも、空腹時血中中性脂肪値が、正常高値域からやや高値域に属する成人の男女90人を試験の対象にしています。

対象者は、メッツコーラの試験と同様に、難消化性デキストリンを含むペプシスペシャルと、難消化性デキストリンを含まないペプシコーラを、90人がどちらかわからないように両方とも飲みました。

すると、ペプシスペシャルを飲んでから2時間後、3時間後、4時間後の血中中性脂肪値や曲線下面積が、低い値を示したということです。

さらに、ペプシスペシャルの試験には、血中中性脂肪値の変化量についても書かれています。ペプシスペシャルを飲んだほうは、単なるペプシコーラを飲んだほうとくらべて、飲んでから3、4時間後の血中中性脂肪値の変化量や曲線下面積変化量で低値を示したといいます。

ペプシスペシャルの有効性をめぐっては、もうひとつ、べつの試験が行われています。

その試験は、健常な成人の男女10人を対象としたもの。対象者はペプシスペシャルと単なるペプシコーラの両方をどちらかわからぬかたちで、1日3回の食事のあとに10日間にわたり飲み、また11日間にわたり飲まない生活をしました。

そして、飲んでから3日後の便が採取され、便中の脂肪量が測定されました。すると、ペプシスペシャルを飲んだほうの便には、単なるペプシコーラを飲んだほうの便よりも多くの脂肪量が測定されたといいます。つまり、脂肪がより多く便として排泄されたわけです。

より詳しく試験を行っているという点では、サントリーのペプシスペシャルに軍配はあがりそうです。

しかし、この提供情報を見るかぎり、異なる材料を使っていたり、反対の効果が出たり、といったことはないもようです。

参考文献
消費者庁「特定保健用食品」
参考ホームページ
国立健康・栄養研究所「『健康食品』の安全性・有効性情報 キリンメッツコーラ」
同「ペプシスペシャル」
日本食品機能研究会「食品の機能性・学術報告 難消化性デキストリン」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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