科学技術のアネクドート

モバイル・デバイス・マネジメントでなくしたスマートホンを遠隔操作

会社が社員に仕事のためのものを貸しあたえることがあります。

むかしは会社が貸しあたえるものといえば制服でしたが、いまは携帯電話やスマートホンなどの電子機器を貸しあたえることが会社によっては当たり前になってきています。

会社が貸しあたえた電子機器には、使う社員が相手にしている顧客などの情報が入っています。社員がこの電子機器をどこかになくしてしまうと大事になります。実際、会社が「会社貸与携帯電話の紛失について」といったプレスリリースを出すこともあります。

2010年1月に電力会社がプレスリリースで発表した事例では、会社が貸しあたえた携帯電話1台が紛失し、このなかに「お客さまの社名、個人名、電話番号」27件が入っていたということでした。

会社が貸しあたえたものをなくすと、社会に公表することになる、たいへんな時代です。

社員が仕事用で使う電子通信機器をなくしたときなどに使われはじめた技術が、モバイル・デバイス・マネジメント(MDM:Mobile Device Management)です。

たとえばA社が、営業社員たちにスマートホンを貸しあたえたとします。ところが、ある営業社員が、顧客の情報が入ったスマートホンをなくしてしまいました。

このとき、A社がモバイル・デバイス・マネジメントのサービスに入っていれば、リモート・ロックという機能を使って、スマートホンの操作を無効にすることができます。

会社の情報管理者が、モバイル・デバイス・マネジメント用のサーバを使って、なくなったスマートホンに「出荷時の状態に初期化しなさい」などの命令を出すことができます。このスマートホンが命令を実行してみずからを初期化。これで、顧客の情報漏洩といった問題を防ごうとするわけです。

会社は、社員がスマートホンをなくしたときだけでなく、社員が会社の仕事とは関係ないアプリケーションなどを使っているときにも、モバイル・デバイス・マネジメントで問題のアプリケーションを強制的に除去することができます。

また、社員ひとりひとりに委ねていた電子機器内の情報の更新などを、会社が一元的に管理することもできます。

会社が貸しあたえるものは、原則的に会社のもの。その考えからいえば、会社が社員ひとりひとりに貸しあたえた電子機器の情報や内容を、会社が管理するというのは合理的といえます。

参考記事
ビジネスネットワーク「基礎から学ぶ『MDM(モバイルデバイス管理)ツール』の選び方」
中部電力 2010年1月20日「会社貸与携帯電話の紛失について」
参考ホームページ
アップルコンピュータ「iOSのモバイルデバイス管理について」
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クモの糸が顔に当たってもクモへの影響は小さそう


人の体は大きいため、いつどこでほかの動物に致命的な影響をあたえているかわかりません。

典型的な例は、なにも考えず道を歩いているとき、たまたま道を歩いていたアリを踏んづけてしまうことです。「一寸の虫にも五分の魂」の信念をもつ人が、靴底に付いたアリの死骸をたまたま見かけてしまったら、アリに対してただただ申しわけない気もちになることでしょう。

では、つぎのとき、人は動物に致命的な影響をあたえるでしょうか。つまり、なにも考えず道を歩いているとき、顔のあたりにクモの糸が当たったときです。

まれに、街中や山中などで、顔や手にクモの糸が引っかかるのを感じたことがあるでしょうか。おそらくそれはクモの糸でしょう。

そして、顔や手にクモの糸が当たったということは、そのクモの糸を引きちぎってしまったおそれもあります。

クモがあるところから、べつのところの壁などまで、自分で出した糸を伝って移動する場面は、実物や映像などでよく見かけます。また、クモは長い距離を移動する場合、ときに広い海を隔てて大陸間を移動することさえあるという話もあります。

これらの話を結びつけると、人が顔や手に当たって引きちぎってしまった糸の持ち主であるクモが、たとえば日本から北米大陸にかけて太平洋を横断中だったとしたら、糸を引きちぎられたために大海原に落ちて命を失ってしまうこともあるのでしょうか。

「一寸の虫にも五分の魂」の信念をもつ人にとってはよろこばしいことに、おそらくその心配はなさそうです。

たしかにクモは、自分の糸を利用して、遠くの地まで移動することはあります。しかし、長距離移動をするときは、あるところから糸を放って、移動先のところに糸が付いてから、その糸を伝っていくのではありません。

大空に向けて糸をぴゅーっと出し、糸を風や上昇気流に乗せます。そして、自分もその糸の最後のところにくっついて、ぴゅーっと飛んでいくのです。

つまり、クモは糸を伝って移動するのでなく、糸に乗って空を飛行するわけです。もし、顔や手に糸が当たったとしても、あるところとあるところを結んで移動するための糸を断線したおそれはすくなさそうです。

空を飛行するクモは、孵化した直後のもの。飛行することで、共食いを防ぐことができるともいいますし、種としての生存範囲を広げることもできるといいます。

クモの糸に当たると幸運になるといった言い伝えはありませんが、「この糸で空を飛んだんだなぁ」と思いを馳せると、すこしだけ幸せな気もちになれるかもしれません。

ちなみに、クモが飛行移動を始める瞬間を撮影した「Ballooning Spider 蜘蛛(ワシグモ科)の遊糸飛行」という動画があります。こちら。

参考文献
千葉県環境生物部自然保護課生物多様性センター「クモ類」
参考ホームページ
雑学情報サイトの雑学王「クモの飛行」
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動脈硬化予防ガイドライン改訂、女性の事情を考慮

病気の治療法の方針は、その病気や治療に関係する学会による「ガイドライン」にもとづきます。何年かに一度、新たな研究成果を反映させるため、ガイドラインが改訂されます。

2012年6月、日本動脈硬化学会が「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版」を発表しました。2007年から5年ぶりの改訂です。

大きな改定点は「相対リスク評価」から「絶対リスク評価」になったこと。これまでは健康な人にくらべて、動脈硬化の原因となる脂質異常症のリスクが何倍あるかを相対的に示してきました。

これを、その患者が今後、脂質異常症になるリスクがどのくらいかを絶対的に示すことになりました。患者が自分自身のリスクを受け止めるようになる効果をねらったものとされます。

ほかに、絶対リスク評価ほど大きな改定点ではありませんが、薬物療法の開始を考慮するタイミングも改定されました。「一次予防においても、LDLコレステロール値が180mg/dL以上を持続する場合は薬物療法を考慮する」という記載が行われます。

一次予防とは、過去に冠動脈疾患になったことのない人がとりくむ治療のこと。また、LDL(Low Density Lipoprotein)コレステロールとは、いわゆる悪玉コレステロールのこと。LDLコレステロールの多さが血液1デシリットルあたり180ミリグラム以上の状態が続くと、薬物療法を考えることになります。

これは、裏をかえせば、LDLコレステロール値が1デシリットルあたり180ミリグラム未満であれば、薬物療法は考えなくてよいということ。

2007年のガイドラインでは、低リスクの人に対してはLDLコレステロール値を160ミリグラムまで下げることを、中リスクの人に対しては140ミリグラムまで下げることが目標とされていました。

しかし、女性は閉経すると、LDLコレステロール値が高く動脈硬化予防ガイドライン改訂、女性の事情を考慮なる傾向にあります。旧来のガイドラインでは、そうした女性の生理的事情があまり考えられていなかったため、これらの目標値を簡単に上回ってしまうことが多くありました。そのため、女性が薬物療法を受けやすい状況が続いてきたのです。

ガイドライン改訂により、女性の薬物療法の数が減ると予想されています。できることならば薬は使わずに症状を改善すべきという思想が反映されているといえそうです。

参考文献
北徹「日本動脈硬化学会 5年ぶりガイドライン改訂『絶対リスク』で患者を評価」
セラピューティック・リサーチ・オンライン「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版(6月刊行予定)改訂のポイントが発表される。」
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書評『太鼓という楽器』
表紙を飾る写真は太鼓の胴の原料となる欅(けやき)です。



日本でもっとも古くから使われている楽器は太鼓といわれている。打ち鳴らした太鼓の低音は、地を伝い遠くまで届きやすい。そこで通信手段として、太鼓を使っていたのだ。

いま打たれている締太鼓や張太鼓の原型は、その後、6世紀なかばの古墳時代に、大陸から輸入されてきたもの。その後、日本を代表する打楽器として、使われつづけ、いまも使われている。

本書『太鼓という楽器』は、日本人にとっていまも重用されている太鼓に焦点をあてて、その種類、製法、模様、科学などを紹介していく本だ。浅野太鼓文化研究所が出している雑誌の特集を編集しなおして本にした。

写真が充実している。附締太鼓。細太鼓。桶胴太鼓。かつぎ桶太鼓。長胴太鼓。大太鼓。ダ太鼓といった太鼓の数々がカラー写真で紹介されており、日本における太鼓の種類の広がりを感じさせる。また、製法の紹介でも、楓などの原木から胴がつくられる工程や、膜に使われる牛革が張られるまえの全形などの写真があり、材料と技術あっての太鼓であることを感じさせる。

科学の視点から太鼓の音の伝わり方を紹介した章は独自性に富んでいる。

太鼓好きや太鼓職人などの被験者に、感情を定量化する「感性スペクトラム解析装置」などを使って、安静時と実演中や目を閉じているときと開いているときなどで、どのような感情のちがいが現れるのかを調べた実験を紹介している。たとえば、太鼓の音を目を閉じて聴いているよりも、目を開いて聴いているときのほうが喜びの度合が増えるなどの結果が示されている。

太鼓を生で聴いたとき、CDなどにくらべて“心に響く”ような感覚になるのはなぜか。これには周波数の可聴領域が関係しているという。生で聴いているとき、太鼓の音が伝わるまでに吹く風や空気の揺れなどが、それまで聞こえてこなかった非可聴領域の音波を表出させることもあるのだ。

そして、非可聴領域の豊富な音を耳にすると、脳幹が刺激されて「大きなものに抱かれているときのような安心感」がもたされるという。

冒頭に三味線やピアノなどの太鼓以外の楽器が紹介されたり、牛革の用途の多種多様ぶりといった太鼓とは直接的に関係のない話が続いたりする部分はやや冗長であるが、それでも和太鼓の基本的な知識を身につけるにはもってこいの本といえる。

『太鼓という楽器』はこちら。
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「最善を尽くすこと」が「嫌がらせをすること」と受けとめられる


「最善を尽くしてすること」が「嫌がらせをすること」に思われてしまうことがあります。

ある物書きは、しめきり時間の表現のしかたに厳密な態度をとっていたといいます。担当編集者から「原稿しめきりは27日までということでお願いします」と連絡を受けると、こう判断しました。

「27日までということで、ということは、28日にならないうちに、ということ。27日の23時59分までに原稿を提出すれば、編集者からの求めに応じられることになる」

編集者は「27日の午前中までに」とか「27日の17時までに」といった「時間」までは指定してこなかったわけです。そのため、27日の23時59分、もっと厳密にいえば、27日の23時59分59秒99までに原稿が編集者に届けば、問題ないと考えることができます。

さらにこの物書きは、「しめきりまでのあたえられた時間で最善のかぎりを尽くす」ということも信条としていました。ぎりぎりまで遂行を重ねて、でもしめきりになったら、そこまでの最善を尽くした作業の結果として、原稿を編集者に送信するのでした。

「時間の表現のしかたに厳密主義」と「しめきりまで最善を尽くす主義」のふたつをかねそなえた物書きは、原理的には「かならずしめきりぎりぎりの時刻に、その段階で最善の状態の原稿を提出する」ということになります。

いっぽう、原稿を受けとる側の編集者は、27日のしめきりの日、原稿を待てども待てどももらえないことになります。そして、27日の23時59分すぎ、メールの受信を念のためにすると、「受信1件」。

「お世話になっています。きょうしめきりの原稿を提出します。物書きより」

orz。この物書きに原稿を依頼するかぎり、何度も何度も「23時59分に原稿拝受」を経験することになるでしょう。物書きの主義や信条を察することのできた編集者は「あの人はそういう人なんだ」と納得あるいはあきらめがつくでしょうが、この主義や心情を理解できないと「嫌がらせか!」といらいらが募ることになります。

なお、現実問題として、指定したしめきりを物書きに破られたとしても、原稿の質が高ければ「まあ、いいや」となる編集者はいるもようです。
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空気で光を閉じこめろ
日本の多くの家庭では、通信に光ファイバが使われています。「ファイバ」はもともと「線維」や「細い線状のもの」といった意味。ガラスの細い線が、情報信号の役目をもつ光の、通り道になっています。

もうすこし詳しく見てみると、一般的な光ファイバの断面には、コアとよばれる中心部と、クラッドとよばれる周辺部があります。コアは石英ガラスとゲルマニウムなどでできており、周辺部は石英ガラスでできています。

光が通るのは、中心部のコアの内側。クラッドのほうへ出ていきそうになった光は、コアとクラッドの境界面で反射して、またコアの内側のほうへと戻ってきつつ、前に進むのです。

一般的な光ファイバの断面

光ファイバには、使うにあたっての御法度があります。それは「折りまげてはいけない」というもの。折りまげてしまうと、そこで光の角度に大きな変化が生まれ、光がいちじるしく滞ってしまいます。結果、届く光信号も届かなくなってしまいます。

意図的に折りまげるのは御法度ですが、そうでなくても光ファイバの設置のしかたによっては、ほぼ直角にカーブさせなければならない場合もでてきます。

そこで、光ファイバを急角度にカーブさせても、できるだけ光信号の情報量を損失させないための技術もあります。

コアのまわりのクラッドに“空孔”を何本か入れるのはそのひとつ。コアの線を、複数の空気の孔の線で囲んでしまうのです。

空孔のある光ファイバの断面

コアの材料である石英ガラスとゲルマニウムの混合物と、空孔に満たされている空気は、どちらも透明ながら、光の屈折率が大きく異なります。通常の光ファイバでの、コア(石英ガラスとゲルマニウム)とクラッド(石英ガラス)の組み合わせよりも、コアと空孔の組み合わせのほうが、光の屈折率の差は大きくなります。

屈折率の差が大きくなると、それだけ光は異なる材料の境目の面の内側に閉じこめられやすくなります。空孔によって、この閉じこめ効果を高くするわけです。

多くのものでは、空気といったら「なにもない」も同然とみなされるもの。しかし、光を閉じこめるという点では「空気も使いよう」となります。

参考文献
NTTアクセスサービスシステム研究所「曲げ損失を抑制し伝送特性に優れた光ファイバを 使用した局内光ケーブルの開発」
参考記事
ASCII.jp×TECH 2011年1月11日付「光ファイバは曲げるとどうなる?」
参考ホームページ
古河電工「次世代光ファイバを実現する空孔構造ファイバ技術」
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計画を立てて緊急事態でも事業継続
2011年の東日本大震災では、同業者でありながら事業復旧までが早かった企業と遅かった企業の大きな差が見られました。

もちろん工場が震源に遠いか近いかといったちがいもその差に現れるでしょうが、大災害を受けても事業を続けられる備えがあったかどうかのちがいもその差に現れたことでしょう。

東日本大震災やタイの洪水被害を受けて、企業や自治体などは「事業継続計画」(BCP:Business Continuity Planning)というとりくみに関心を寄せています。

事業継続計画とは、損害が予想されるような事故に対して、あらかじめ事業が継続するように計画を立てておくことをいいます。英国規格協会の定義では「潜在的損失によるインパクトの認識を行い実行可能な継続戦略の策定と実施、事故発生時の事業継続を確実にする継続計画。事故発生時に備えて開発、編成、維持されている手順及び情報を文書化した事業継続の成果物」。

大きな流れとしては、まず、事業を続けるにあたっての急所となるような部分を特定したり、その急所で事故が起きたときにどれだけの損害になりそうかを評価したりします。

つぎに、企業としての具体的な事業継続計画をつくります。緊急事態になったときどのような組織体制をとるかや、復旧までどのくらいの時間を目標にするかなどを考えて文にします。

そして、事業継続計画を運用していきます。これは「事業継続マネジメント」(BCM:Business Continuity Management)ともよばれます。

事業継続計画を運用していくなかで、実際に事故が起きたときなどに新たな課題も見えてくるでしょう。そこで、効果を検証したり、課題に対する改善策を立てたりして、事業継続計画がより効果を発揮するようにしていくのです。


事業継続マネジメントの流れ。経済産業省「企業における情報セキュリティガバナンスのあり方に関する研究会 報告書」より。

「備えあれば憂いなし」ということばがあるように、かねてから事業継続計画の大切さは企業に認識されていたはずです。しかし、ここにきて、コスト削減のための生産拠点や物流拠点の集約化、情報システムへの依存の増大化、予測できないリスクの増加といった背景が強くなり、あらためて事業継続計画の大切さが見直されています。

参考資料
経済産業省「企業における情報セキュリティガバナンスのあり方に関する研究会 報告書」
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環境破壊に景観破壊で「風力反対」の声も


原子力発電の反対運動がだんだんと大きくなっています。(2012年)7月16日に東京で行われた「さようなら原発10万人集会」には、原発反対運動では過去最高となる7万人が参加したといいます。

原子力発電への反対運動ばかりが目立ちますが、脱原発社会にむけて期待のかかる再生可能エネルギーに反対する声もないわけではありません。とくに風力発電には、原発反対ほどではありませんが、反対の声が聞かれます。

風力発電の利用に反対する人たちの理由はどのようなものでしょうか。

主な反対理由として、「自然が破壊される」というものがあります。「山のなかや、海のなかに風車を立てれば、その周囲の環境が破壊されることになる、よって風力発電は反対」といった主張です。

たとえば、東京電力とユーラスエナジーは、静岡県東伊豆町と河津町の三津筋山周辺に東伊豆風力発電所を建設する計画を立てています。計画では建てられる風車の数は計21基。これに対して、「天城三筋山風力発電問題を考える河津町民の会」といった団体は、「みんなの力で、かけがえのない伊豆の自然を守りましょう」というスローガンを掲げ、国民に計画反対の署名の協力を訴えています。

「自然」というなかに、生態系や野生動物をふくめる場合、「バードストライク」を問題視して、風力発電を反対する人びとも愛鳥家を中心にいます。まわる風車の羽根に鳥がぶつかってしまい、傷ついたり死んだりする危険性が高まるわけです。

日本鳥類保護連盟は、風力発電に反対を表明しているわけではありませんが、「風車によるバードストライク問題を重要課題として取り上げ、バードストライクが解消されるよう取り組んでいきます」という姿勢を示しています。

「自然が破壊される」と同様のものとして「景観が破壊される」という強い反対理由もあります。橋やタワーなどとちがい、視界のなかに風車を入れたくない人は多くいるのです。

上で紹介した計画中の東伊豆風力発電所をふくむ伊豆半島での風力発電に対して、「伊豆の山並み景観研究会」はホームページ内で「『醜悪なる巨大風車』写真展」というページを設け、景観が損なわれることの重大さを訴えています。「白田の町の西南の小高い場所からの素晴らしい眺めはこの通り白い邪魔者に破壊されました」「熱川風車のため景色は台無し」といった紹介文もあります。

「健康が破壊される」という反対理由をあげる人もいます。自分の住んでいるところの近くで風車が回ると、騒音や低周波音による健康被害を受けるので、風車の建設に反対するといった考えかたです。

騒音や低周波音の健康被害の有無をめぐっては、風車推進側は「ない」と主張し、住民側は「ある」と主張する、というのが世界の潮流です。日本では、環境省が苦情を訴える住民の家の中で調査をしており、騒音や低周波音を確認できなかった場合と、確認できた場合の両方の結果が出ています。

「自分の仕事に危機が迫る」という反対理由を上げる人も、これから増えてくることが考えられます。海のなかに風車を建てたり浮かべたりする洋上風力発電所の建設が進めば、漁場によからぬ環境変化が起こり、獲れていた魚介類が獲れなくなってしまうというおそれです。

福島県沖では、浮体式洋上風力発電の計画が進んでいます。いっぽうで、福島県漁業組合からは、計画反対の声も上がっていると伝えられています。野崎哲会長は報道の取材に対して、「我々の魚場を失うということであれば、放射能も、浮体式風力発電も同じ。はっきり言って(設置は)福島の漁業の死滅につながる」と懸念を表明しています。

このほかに、「風車を日本に建ててもさほど効果が得られず意味がない」といった消極的な反対意見も見られます。

まとめると、風力発電を反対する理由には、「自然が破壊されるから」「景観が破壊されるから」「健康被害がありそうだから」「職業の危機がありそうだから」「やっても効果が小さいから」といったものになります。

参考文献
東京電力「『東伊豆風力発電所』の新設計画について」
環境省「風力発電施設から発生する騒音・低周波音の調査結果(平成21年度)について(お知らせ)」
日本騒音制御工学会「平成23年度風力発電施設の騒音・低周波音 に関する検討調査業務報告書」
参考記事
福島中央テレビ2011年12月26日付「福島県沖に設置検討 風力発電施設に反対相次ぐ」
参考ホームページ
「天城三筋山への巨大風車建設反対と工事の中止を求める署名にご協力ください」
日本鳥類保護連盟「風力発電によるバードストライクについて」
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やる気は継続性を重視して――リバウンド現象の原因と対策(3)


ダイエットと薬における効果のリバウンド現象を見てきました。いっぽう、人の心のなかにもリバウンドはありそうです。「やる気のリバウンド」です。

この「やる気のリバウンド」は、早稲田大学臨床教育科学研究所長のカワン・スタント教授がよんでいるもので、この考え方を紹介した記事によると、一度やる気を示しても、時間が経つとやる気のなさが元に戻ったり、元に戻る以上になってしまうことを指します。

やる気がある日とつぜん沸いてくるという経験は、多くの人にあることでしょう。だれかから心の琴線に触れることを言われたり、あるいは本を読んで刺激を受けたり、あるいは「このままではだめだ」という自分のなかのマグマだまりが噴火しはじめたり。

しかし、やる気をもって始めたことも、たいてい長くはつづきません。「三日坊主」ということばが、人間の性を象徴しています。むしろ、やる気があった分、その反動は大きなものとなり、やる気のなさとなって自身の心にふりかかることさえあります。

やる気のリバウンドは、どのように起きるのでしょうか。スタント教授は、やる気をもってなにかを始めても、成果があらわれるまでに時間がかかるため、成果が現れて楽しくなる前にその行動を止めてしまうと分析します。「行動に習慣性を持たせなければいけない」。

やる気の保ち方や、やる気のリバウンドへの対処法を、評論家の岡田斗司夫氏も語っています。

岡田氏は「レコーディング・ダイエット」というダイエット法の提唱者。そのダイエットの本質は「太る努力を止める」というもの。太ったのは自分が努力してきたからだと考え、その努力を止めようとすることで食べる量を減らしたといいます。

これとおなじことが、やる気を出すことにもいえると岡田氏は話します。

―――――
やる気をださない努力をいかにするかで、やる気をださないことはこんなにいいことで、だから俺はやる気を出さないためにこんなことをしてる、帰ったら即ネットを見る……
(中略)
できるだけ飲み会に参加しないで帰る、だからこんなに楽しいとか書く。書いてるうちに、実は楽しくないよなとふっと気がついてくる。そこで反対しないで、書くだけでいい。書いて気が済んだら、そしたら必要最低限のやる気が出る。それ以上、やる気を出そうとしたらリバウンドが来ます。
―――――

「やる気がないのは自分の努力の賜物だ」と考えると、やる気が起きてくるという理論です。そして、やらない気を伸ばして、必要最低限のやる気にとどめるほうが、やる気のリバウンドを起こさないと説きます。

やる気が出たときは、その人にとって行動が活発になるという意味で好機なのでしょう。しかし、そのやる気を放置したままにするのでなく、長くつづくよう自分で制御することが大切となります。(了)

参考記事
白壁達久「第11講 やる気にもリバウンドがある」『日経ビジネスオンライン』2009年1月17日付 
参考ホームページ
FREEex「週刊SPA!週刊SPA!8/2号(7/26発売)岡田斗司夫インタビュー全文」
レコーディング・ダイエット2.0のススメ「レコーディング・ダイエットの本質とは?」
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対処療法ゆえにふたたび症状――リバウンド現象の原因と対策(2)


リバウンドという現象が見られるのは、ダイエットの食事制限だけではありません。薬の効果についてもリバウンド現象がある場合があるといわれています。

たとえば、感染症にかかったときに使う抗生物質を使っているときは病原菌が死んでいき、病気が治ったかにみえます。しかし、使い終わったあとは、以前よりもその感染症になりやすくなることがあります。

また、神経を鎮静させる睡眠剤や抗不安薬などを使っている人も、薬を使わない時期、かえって不安が強くなることがあります。

高血圧でもリバウンドがいわれています。患者が血圧を下げる降圧剤を飲みつづけており、血圧を低めに保つことができていました。しかし、ある日から急に降圧剤を飲まなくなると、急に血圧が高くなってしまう。そうしたことが起きうるのです。

これらの現象は、薬のリバウンドとよばれています。原因はどのようなものでしょう。

抗生物質でのリバウンドの場合、薬を使ったあとに、その薬に対する耐性をもった病原菌が増えるため、より治りにくくなるといわれています。

また、睡眠剤や抗不安剤、さらに降圧剤などの場合は、対処療法による効き目が切れたためふたたび症状が現れたということがいえそうです。

病気の治療には、対処療法と根治療法があります。根治療法とは、病気の大元の原因を治してしまうこと。医療の世界では、根治療法で治る病気というのはまだほとんどありません。

そのため、対処療法がおこなわれます。対処療法は、原因を治すことはできないものの、原因から起きている症状を和らげる療法のこと。

睡眠剤や抗不安剤を使うと、一時的に神経を静めることができます。しかし、その効き目が切れると、原因はまだ解決されたわけではないので、ふたたび薬が必要な体調になってしまうわけです。

降圧剤でもおなじことがいえそうです。降圧剤を使わなくなったとき血圧のリバウンドが起きたということは、降圧剤により血圧が下がっていたのだということができそうです。

薬により症状が緩和されても、薬を飲みつづけるようにといった指示や推奨を病院や製薬会社は出します。患者のリバウンドを防ぐためという大義名分がそこにはあります。

参考ホームページ
慶應義塾大学病院 医療・健康情報サイト「不安障害」
脳神経疾患研究所/総合南東北病院「薬局だより 薬のリバウンド現象」
血圧ドットコム「高血圧Q&A」
All About「抗生物質の作用と効果」
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ダイエットにからだも慣れていく――リバウンド現象の原因と対策(1)


人のなにかを行うときは、つねに一定の度合でそのことが続いていくことよりも、度合が変動を繰りかえしながらそのことが続いていくことのほうが多いのかもしれません。その人をとりまくさまざまな変化のなかで、その人も生きているからです。

人にふりかかる「リバウンド」も、変動を象徴する現象のひとつです。よい効果を望んであることを行ったあと、急にその効果とは逆のことが起きることをいいます。

「リバウンド」と聞いて、多くの人が想像するのは、ダイエットでしょう。ダイエットをして体重が落ちるものの、ダイエットを止めたり、停滞期に入ったりすると、体重が元に戻ってしまったり、逆に増えてしまったりするというのです。

ダイエットのリバウンドがなぜ起きるのか。生物学的な原因として、つぎのようなことがいわれています。

食事制限をしばらくつづけていると、からだがエネルギーの消費をすくなくさせて、からだの状態を保とうとするようになります。これは、ホメオスタシスとよばれるはたらきのひとつ。生物のからだが、まわりの環境やみずからの運動などの変化に応じて、体内環境を一定の範囲に保とうとするはたらきのことをホメオスタシスといいます。

食事制限をしている人のからだは、摂取するエネルギーが不足ぎみということを感知して、エネルギー摂取量がすくなくても生きていけるようなホメオスタシスのモードをとるわけです。

この期間、ダイエットをしても、あまり体重は減っていきません。ここで、効果が見られずにダイエットをやめてしまっても、すくないエネルギーでからだを保つホメオスタシスのモードはそのまま残ります。にもかかわらず、食事制限前の食事量に戻るため、体重が勢いよく増えてしまいます。結果、リバウンドにつながるというわけです。

ダイエットでのリバウンドの原因はほかにもいわれています。

食事制限を中心とするダイエットをつづけると、からだについていた筋肉も減っていきます。筋肉はいわばエネルギーの消費屋。その筋肉が減ってしまうため、あまりエネルギーを費やさないでも済むからだになってしまうわけです。

ダイエットをつづけていると、効果が薄れる時期が来るわけです。その時期にあきらめずにダイエットを続けられるかどうかがよく問われます。

しかし、これらの原因は、おもに食事制限をおこなったときに見られるもの。運動をさかんにしながら、食事制限もおこなうといったバランスの大切さを示しています。

参考ホームページ
パナソニック「なぜリバウンドするの」
参考記事
日経BPnet 2010年8月18日付「スロトレで『いつも燃えてる』体づくり『成功への道』」
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昔から夏は「ご飯に水」だった


お茶漬けメーカーの永谷園は、ここ数年、夏になると「冷たいお茶漬け」をしきりに宣伝しています。

テレビ広告では、ご飯にお茶漬けをふりかけてから、さらに茶碗に氷をのせ、そこにおそらく冷えた水を注ぎ、「冷たいお茶漬け」を涼しそうにさらさらと食べる様子が演じられています。

お茶漬けとは熱いお湯やお茶をかけて食べるものだという考えが心のなかにある人は、この「冷たいお茶漬け」に違和感を覚えるかもしれません。また、「オフシーズンの儲けかた」を研究している人は、「夏の冷たいお茶漬けとは、永谷園も考えたな」と感心するかもしれません。

とうの永谷園は「お茶づけを、夏の暑い時期にもよりおいしく召し上がっていただきたいとご提案させていただきました」と、「冷やし茶漬け」を考案し、宣伝しはじめた経緯を説明しています。

ただし、ご飯に冷たい水をかけて食べることは、なにも永谷園が初めて考え出したものではありません。日本の長い歴史においては、過去にもおなじように、ご飯を冷たい水でかきこむという食べかたがあったのです。

紫式部作の『源氏物語』に「常夏」という巻があります。この巻の冒頭につぎのような文があります。

―――――
例の大殿の君達、中将の御あたり尋ねて参り給へり。「さうざうしくねぶたかりつる、折よくものし給へるかな」とて、大御酒参り、氷水召して、水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ。
―――――

暑い日、宮殿のなかで光源氏たちは、酒を飲み、氷室からとりだした氷を水に入れた氷水を飲み、そして「水飯」(すいはん)という食べものをとっていたのです。

「水飯」とは、炊いたばかりのご飯である「姫飯」(ひめいい)や、乾燥して保存しておいた「干飯」(ほしいい)に、水をかけたもの。

水飯が出てくるのは『源氏物語』だけではありません。13世紀ごろの説話『宇治拾遺物語』の巻第七にも「三条中納言水飯の事」という節があり、「冷飯」が出てきます。

三条中納言とよばれる藤原朝成はひどく太っていました。医師の和気秀重から「夏は水漬けで食事をするとよいですよ」と忠告され、ダイエットに水飯を食べたのでした。しかし、三条中納言はがっつがっつと水飯を食べたため、お相撲さんのようになってしまわれたという話です。

宮中では、飯もあれば、もちろん水もあります。そこで、暑ければ、わざわざ熱い飯を食べるのでなく、水をかけて冷たく飯を食べるという発想は、むしろ合理的ともいえます。

永谷園がすすめている「冷やし茶づけ」に違和感を覚えるとすれば、「お茶づけは熱い食べもの」という考えがあまりに定番だからでしょう。熱いお湯をかけて食べる現代のお茶づけの存在が、昔からあった水飯を遠ざけていたといってもよいのかもしれません。

参考ホームページ
永谷園「テレビCM紹介 わさび茶漬け『冷やし作るよ』篇」
永谷園「よくある質問 『冷やし茶づけ』とは何ですか?」
源氏物語「常夏」
日本古典文学摘集「宇治拾遺物語 巻第七 三 三条中納言水飯の事」
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インスリン注射「ついに」から「早めに」に変わる可能性も


人の膵臓では、インスリンというホルモンがつくられています。インスリンは、体のなかにとりいれた糖分を、肝臓や脂肪などにとりこませるはたらきをもっています。

このインスリンがまったく出なくなったり、出てもはたらきが悪くなったりすると、糖尿病と診断されます。インスリンがまったくといってよいほど出なくなる症状は「1型糖尿病」、出てもはたらきが悪くなる症状は「2型糖尿病」とよばれています。

2型糖尿病の治療には、薬を使ったものがあります。膵臓を刺激してインスリンを出しやすくしたり、食後に急に増える糖の量を抑えたりと、薬の効きかたはさまざまあります。そのなかには、インスリンを直接、体に注射して入れるという方法もあります。

インスリン注射は、1型糖尿病の患者には必須。いっぽう、2型糖尿病の患者には、これまで重症の場合にいわば“最後の手段”として用いられてくることが主流でした。

しかし、ここにきて「インスリン注射を早めにしておいたほうが糖尿病治療にはよい」という話が出てきています。

実際の糖尿病患者を相手に治療法の有効性や安全性を調べる「ORIGIN(Outcome Reduction with on Initial Glargine Intervention)」という臨床試験が6年間をかけておこなわれ、2012年6月にその結果が試験を実施した製薬大手サノフィから発表されました。

東京医科大学病院で糖尿病・代謝・内分泌科の小田原雅人主任教授は、この試験の結果について、「1型糖尿病、2型糖尿病ともに、血糖値を早期からコントロールすることによって、心血管イベントを含む慢性合併症の長期的な抑制効果があることが、試験から明らかになった」と、サノフィ系列企業主催の記者発表で解説しています。

試験では、「インスリングラルギン」というインスリン薬を早期にとりいれた糖尿病患者の群と、標準的な治療をおこなった患者の群のあいだで、心血管死や心筋梗塞や脳卒中の発生のリスクなどが調べられました。

結果、心血管死や心筋梗塞や脳卒中の発生のリスクや、全死亡などでは、インスリン早期とりいれ群と、標準的治療群のあいだに有意な差はありませんでした。

しかし、空腹時血糖異常や耐糖能異常といった症状を示す、“境界型”あるいは“糖尿病予備群”といわれる人たちについては、インスリン早期とりいれ群のほうが標準治療群よりも、2型糖尿病への進行を28%遅らせられることを示す結果が出たといいます。

これは、糖尿病予備群が早めにインスリン注射を受けることで、本格的な糖尿病になる率を小さくすることができると解釈することができます。

なぜ、インスリンを早めにとりいれると2型糖尿病になりにくくなるのでしょう。

理論として、大量に糖がからだに入る状態がつづくと膵臓がインスリンを出すのに疲れてしまうが、インスリンを早めに補えば膵臓を疲れさせにくくする、という考えがあります。

また、安全性については、インスリングラルギンとがんの発症リスクとのあいだに関連は認められないとされています。

また、治療によりかえって血糖値が低くなりすぎる低血糖については、重度の場合は、標準治療群の年間1人あたり0.003件に対して早期インスリンとりこみ群で0.01件。全般的な低血糖については、標準治療群の1年間100人あたり5.2例に対して、早期インスリンとりこみ群では16.7例となっています。

これまで、インスリン注射が始まったら「自分の糖尿病治療もついに来るところまで来てしまった」と悲観的に考えられる向きがありました。新しい試験結果によって、こうした考えかたも変わってくるでしょうか。

参考記事
サノフィ 2012年6月14日付「サノフィ、糖尿病予備群および早期糖尿病の患者を対象とした世界最長・最大の無作為化臨床試験であるORIGINの結果を発表」
マイライフ手帳ニュース 2012年7月9日付「サノフィ・アベンティス、糖尿病メディアセミナーを開催、早期インスリン治療の安全性と有効性についてORIGINスタディの結果から解説」

参考ホームページ
ミクス「ORIGIN インスリン グラルギン早期導入で心血管イベント、がんリスク上昇せず」
NHKあさイチ「女性もご用心! 糖尿病」 

インスリン注射をふくむ糖尿病治療の方法については、医師に相談し、医師からの指示を受けるようにしてください。
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入れかわりながらも保たれていく


さまざまな組織があるなかで、学校は、いつまでも活発さを保ちつづけることのできる組織といわれます。組織の多くを占めている生徒や学生が、毎年かならず一定の数、入れかわっていくからです。

大学では、4年前に入学した学生が卒業していきます。大学院に進学する学生もいますが、その学生とて多くは修士課程や博士課程を修了すると、新たな場所へと移っていきます。高校も、3年前に入学した生徒が卒業し、新たな進路先へと巣立っていきます。

組織を構成する人びとがこれほどの数と頻度で入れかわる組織は、学校のほかにそう多くはありません。任期のない研究機関では人材があまり変わらないため、大学よりも活性化しづらく、マンネリ化が起こりやすいと指摘されます。

組織のなかで多くの人が入れかわっていくのに合わせて、人のほかに変わっていく部分もあるでしょう。年度が改まって、「今年度からこの制度を学校に導入します」と学校側や学生自治会などが新しいことを始めれば、それがその学校の新しい制度になるわけです。

しかし、これほど多数の学生や生徒が入れかわるにもかかわらず、確実に受け継がれていく学校の雰囲気や文化もあるものです。それはしばしば「校風」と表現されます。

英国の教育学者フィリップ・W・ジャクソンは1968年に上梓した『ライフ・イン・クラスルーム』という著書のなかで「隠れたカリキュラム」という概念を唱えました。教員や教師が意図したことを超えて、生徒や学生が暗黙裡に身につける経験の総体のことをいいます。

学校に入学した生徒や学生は、校内や校庭で上級生たちが活動している様子を見ます。休み時間に中庭でバレーボールをさかんにやっている上級生を見れば、自分たちも中庭でバレーボールをやろうとなるわけです。それが受け継がれていき、休み時間はバレーボールがさかんという校風になるわけです。

多くの上級生が夏場ポロシャツを着て登校している姿を見れば、自分たちもポロシャツでとなるわけです。それが受け継がれていき、その高校の服装の文化が校風になるわけです。

そして、自分たちでどの程度まで自由にイベントを企画したり、時にははめを外したりしても大丈夫かといったことも、学生や生徒のあいだで代々受け継がれていきます。それが「うちの学校は自由」という校風となっていくわけです。

校風や隠れたカリキュラムの存在は、学校のなかで過ごしているうちは気づきにくものかもしれません。くらべられるのは、高校生であれば中学時代まで、大学生であれば高校時代までの学校くらいだからです。

しかし、その学校を巣立ち、新たな組織に入り、しばらくしたときに「自分の学校の校風はこうだった」と味わうことができます。そして、校風を味わえるのも、学校という組織が学生や生徒が入れかわっていく装置であるからこそといえます。

参考文献
瀬川武美「『隠れたカリキュラム』の考察 その1」
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使うためのエネルギーは「量より質」


「質」と「量」というふたつのものは、どちらが大切であるか、くらべられることがよくあります。

身近なところでは、料理を味わうにあたって「高級食材か食べ放題か」といった問題があります。ただし、質が悪くて量が少ない料理や、質がよくて量も多い料理もあるにはありますが。

人びとが暮らしで使うエネルギーを考えたとき、まちがいなくいえるのは「量より質」。つまり、どれだけの量のエネルギーがあるのかでなく、どれだけの質のエネルギーがあるかのほうが大切ということです。

たとえば、石油や石炭などは、エネルギーを使うという点ではとても質の高いものといえます。わずかな体積の石油や石炭でも、燃料に使えばたくさんの電気や熱を得ることができます。

しかし、いったん石油や石炭が熱に変わってしまうと、急にエネルギーの質は下がってしまいます。たとえば、石油ストーブで部屋を暖める場合、暖まった分の熱エネルギーをふたたびぎゅっと集めて、石油とおなじような質の高いエネルギー燃料に戻せるかというと、そう簡単にはいきません。それに、もしこれを実現しようとすると、たいへんな量のエネルギーが必要になります。

エネルギーの質は、高いほうから、石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料、温度の高い液体、温度の高い気体、温度の低い液体、温度の低い気体といった順になります。そして、これらほとんどのエネルギーの源になっているのが、太陽エネルギーなのです。これらのなかで太陽のエネルギーはもっとも質の高いエネルギーということができます。

宇宙全体を考えたときのエネルギーの量は、いつのときも変わらないとされています。「エネルギー保存の法則」という法則に支配されているからです。これは、人が使えるエネルギーが無尽蔵に存在するということを意味しているのではありません。

物理には、エネルギー保存の法則だけでなく、「エントロピー増大の法則」という法則もあります。時間が経つとともに、エネルギーの質は下がっていくばかり、つまりエントロピーは増大していくばかりであるということをこの法則は示します。

量がたくさんあっても、質の低いエネルギーばかりでは、質の高いエネルギーを捻出することは簡単にはできません。そのため、暮らしに使うエネルギーは「量よりも質」といえるわけです。
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氷点下10度、48時間かけて純氷づくり


暑い夏、氷を求めたくなる季節です。

氷の質を示すキーワードに「純氷」があります。「純」な「氷」ということばの語感から、透きとおった氷を想いおこさせます。

製氷業界には、純氷の定義があります。多くの製氷会社のホームページでは、純氷を「良質の原料水をエアレーションしながら48時間以上かけてつくった氷」と説明しています。

氷をつくるための水は「原料水」とよばれています。純氷づくりでは、原料水として、活性炭や濾過器で濾過したり、さらに純水器という装置で水のなかのイオンを取りのぞいたりした水が使われます。

そして、アイス缶といわれる容器に原料水を入れます。アイス缶は、縦50センチ、横30センチ、高さ100センチほどの容積をした缶。

さらに、アイス缶に入った原料水に「エアレーション」を行います。水槽で熱帯魚などを飼うとき、棒のようなかたちの装置で空気をぽこぽこと出しますが、おなじように、アイス缶のなかの原料水にこぽこぽと空気をあたえて、原料水を撹拌させるのです。

アイス缶では、缶の底や下のほうから原料水が氷に変わっていきます。このときエアレーションをおこなうことにより、原料水のなかの空気や不純物が氷と分離していきます。これで、氷のなかに白い気泡ができるのを防ぐわけです。

そして、原料水を純氷に変えていく工程では、48時間以上をかけます。時間をかけることでエアレーションによる不純物の除去をじっくりおこなうことができます。また、氷点下25度など低い温度で急激に氷をつくると、氷にひびが入ってしまうこともあります。

かといって、氷をたとえば氷点下5度などの低い温度でじわじわ凍らせようとしても、あまりに時間がかかってしまいます。そこで、氷点下10度ほどの温度で、48時間をかけて凍らすのです。

こうして技術と時間をかけてつくるのが純氷。氷は透きとおります。また、結晶の密度が高く、ひきしまります。お金を払って手に入れる価値ある氷ができるわけです。

参考ホームページ
秋田の氷屋秋田製氷「家庭で透明な氷は作れないのか?」
京橋氷業「純氷とは」
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ルビ振りに“余計なお世話”の危険性
印刷物には「ルビ」つまり「振りがな」が付きものです。

「ルビ」は、活字で版を組んでいた時代に、本文用に使う「5号」という大きさの活字に対して、振りがなに「7号」という大きさの活字を用いていました。

この「7号」の活字は、「ルビー」とよばれる英国での古活字の大きさとおなじ。そのため、振りがな用の活字や、振りがなを「ルビ」とよぶようになりました。「振りがな」より「ルビ」のほうが出版業界用語としての色合いが強いわけです。

出版物においては、執筆者本人がルビを振る提案をするときもあれば、編集者やデスクとよばれる原稿を精読する立場の人たちがルビを振る指定をするときもあります。また、誤字脱字や内容の誤りがないかなどを確認する校正者がルビを振る提案をするときもあります。

印刷物ではたいていの場合、読みの難しい漢字の横にルビが振られます。たとえば、北海道には「音威子府駅」という駅がありますが、漢字だけを示しても読みかたがわからない人が多いため、「音威子府」の傍に「おといねっぷ」というルビを振るわけです。

また、読みかたの分かれる漢字の熟語の横にもルビは振られます。「錦織」という性を「にしきおり」と読む人が多いなかで、記事に登場する「錦織」さんが「にしこり」の場合は、「にしこり」とルビを振ります。


読みかたがわかりにくい漢字の傍にルビを振るのは原則。しかし、活字によく親しんでいる人たちから「ちょっとかっこわるい」と思われてしまうルビの振りかたもあります。

ちょっとかっこわるいとされるルビの振りかたの代表例は、固有名詞ではない漢字に振られるルビ。ただたんに、読みかたのむずかしいからと傍に振られるルビです。

たとえば、小説で「僕は心のなかで、ひと際大きな声で叫んでみたのだった。ああ、なんと鬱陶しいことかと」といった文があるとします。ここで、「鬱陶しい」ということばの読みかたがむずかしいからといって、「うつとう」とルビを振ることがあります。


小学生や中学生などに漢字を覚えてもらうという教育目的がある場合、たしかにこの場合もルビを振ればその目的に近づくことでしょう。

いっぽうで「鬱陶しい」をどう読むか知っている人のなかには、「固有名詞ではないのだし、こんなのは読めるでしょ。わざわざルビを振るだなんて、うっとうしい」と興ざめしてしまう人もいることでしょう。

もちろん、固有名詞以外でも、読みかたのむずかしいことばにルビを振るのは、執筆者や編集者の親切心と捉えることもできます。いっぽうで、執筆者や編集者は、とくに決めセリフのような重要な文でのルビ振りは、読んでもらう相手によっては“余計なお世話”と化すリスクもふくんでいることを頭に入れておいてよさそうです。
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氷のステンドグラスは夢の技術


聖堂に光をとりこむステンドグラスは、赤、黄、青、緑などのさまざまな色を組みあわせた模様になっています。

色つきのガラスはどのようにつくるのでしょう。ひとつの方法は、ガラスの表面に色を上塗りするというもの。もうひとつは、ガラスのなかに化合物をふくめて色をつける方法。二酸化マンガンを加えると紫色、酸化銅を加えると青緑、二酸化セレンを加えるとみかん色、といった具合です。

透明な板状のものなかに色をふくめて光を通す透明な色つきの板をつくる。このようなガラスで可能な着色も、ガラスと似て非なる物体ではできません。

透明で色のついた氷をつくることはいまのところできないのです。

かき氷の好きな人であれば、一度は考えたことがあるでしょうか。イチゴ味やメロン味やブルーハワイ味のシロップをそのまま凍らせて、透明で色のついた氷を味わおう、と。

しかし、かかんに挑んでも失敗することでしょう。氷のブロックのなかで、色のついた部分と色のつかなかった部分がかたよってしまうはずです。あるいは、色はついても不透明な氷に。色つきシロップでなくても、たとえば、紅茶でもほうじ茶でも緑茶でもおなじことになります……。

氷とは、水が氷点下の温度で固体になったもの。液体から固体に状態が変わるとき、水(H2O)の結晶構造が変わります。かんたんにいうと、元素と元素のあいだのすき間がとても狭くなるのです。

そのため、この氷の結晶構造のなかに色を表現する原料は入り込めなくなります。

水素と酸素がつぎつぎと結ばれていくと、色をつくる原料はその場から追いだされていくわけです。

あるいは、氷の中心が不透明になってしまいます。冷凍庫でブロック氷をつくるようなときに経験があるでしょうか。水は容器のふち側から中心にむけて凍っていくため、水分子以外の不純物をなす分子が追いつめられていくと、不透明な氷ができあがってしまうのです。

水素と酸素が折りなす結晶構造のなかに、入り込むことのできる分子もあります。フッ素、アンモニア、塩素といった分子です。しかし、残念なことに、これらの分子には色がついていません。これらの物質に色つき氷の夢を託すことはむずかしそうです。

氷に透明な色をつけるというのは、氷づくりに携わる人にとって夢の技術なのかもしれません。この夢が実現すれば、バーのカクテルのメニューもさらに豊富になることでしょう。冬場に行われる雪祭りや氷祭りにも「氷のステンドグラス」が登場することでしょう。

参考文献
八藤眞「水と氷」『食の科学』1997年9月号
池井晴美 岩井友梨 小林紫乃 宮阪明日香(長野県木曽青峰高校)「色ガラス作り」
参考ホームページ
今関靖將「実践『氷業学』」
氷鑑「壮大な浄化装置として」
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「科学の知識がない」と言い「法律の知識がない」と言いかえす


科学技術の世界で生きる人たちと、法律の世界で生きる人たちは、理解しあうことができるのでしょうか。

1994年に「バイオ裁判」とよばれる裁判が開かれました。

この裁判を傍聴した、生命科学の専門誌の記者(当時)は、メールマガジンでつぎのような感想を述べました。

―――――
 記者として何回か、この裁判を傍聴いたしましたが、この歴史の転換点とも言える判決が、果たしてわが国のベスト&ブライテストによって行われたかというと、極めて疑問でした。
(中略)
 実に驚愕いたしましたが、裁判の途中で、模造紙に二重螺旋や丸を書いて、 そもそも遺伝子とは、プラスミドとはという講義を弁護士や証人が長々と行っていたのです。まるで出来の悪い中学の生物学の授業です。それがしわぶき一つしない、大阪地方裁判所の法廷で真面目に繰り広げられ、裁判官も眉一つ動かさず聞いている。まさに、漫画です。その場で大声で笑わなかった のは、本当にあっけに取られていたからに過ぎません。
(中略)
 わが国も米国の連邦巡回裁判所のような特許専門裁判所を創設すべきだと いう、内閣官房知的財産戦略推進事務局長の荒井寿光氏の主張は、わが国の 問題を鋭く突くもので、是非、早急に制度改革を進めるべきだと私も確信しています。
―――――

この記者は、科学のことを理解することができていない法律家たちが、中学校レベルの理科の授業のような説明が法廷で行われていたことに、あっけにとられていたようです。そして、特許権などと関係する技術を専門的に扱うような「特許専門裁判所」の創設を主張したのでした。

この記事は、法曹界の人びとが名をつらねる、「知的財産訴訟検討会」という首相官邸内の委員会で話題の対象にのぼりました。法学者の委員が、このメールマガジンの記事に対して、つぎのような感想を述べたといいます。

―――――
この科学ジャーナリストの見方というのを拝見いたしまして、ちょっと驚いたことは、科学ジャーナリストの方というのはこんなにレベルが低いのかなと思いました。
 つまり、裁判官のことを中学生並みだと書いてあるんですけれども、(略)法律論というか、例えば司法に対する理解であるとか、法律というものがどういうものであるかとか、(略)現在の特許制度というものをちゃんと理解しておられるのだろうかとか、三権分立が人類の叡智などと書いてあるんですけれども、本当に三権分立がわかっておっしゃっているのかなという気がしまして、このくらいの制度に対する理解でもって特許裁判所が必要だなどと言われてしまうと、ちょっと困ってしまうな、というのが率直な感想でございまして。
―――――

つまり、この法学者は、記事を書いた科学ジャーナリストは法律に対する理解のなさを嘆いているわけです。

この科学ジャーナリズムの世界の住人は法曹界の住人に対して「彼らには科学の知識がほとんどない」と言い、法曹界の住人は科学ジャーナリズムの住人に対して「彼には法律の知識がほとんどない」と言いかえす。これはまさに、自分を中心に置いてみた見方であり、売り言葉に買い言葉であります。

ただし、一点だけ、おたがいの世界の住人たちには、共通点といえる特性をもっています。自分は知識的職業を営んでいるという高めの自尊心をもつ傾向にあるということ。この自尊心の高さが、理解しあうことに対しての高いハードルになっているようです。

この記事は、2012年7月13日(金)に開かれた「研究と社会をつなぐ…科学技術と報道のあり方を探る」での講演内容を参考にしています。

参考文献
知的財産訴訟検討委員会資料「バイオ特許裁判に関するジャーナリストの見方」(日経BP社メールマガジン2003年4月4日号より)
参考ホームページ
知的財産訴訟検討会「(第7回)議事概要」
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自分の反応「自分の動機から」を重視


人がなにかに反応するとき、それは外からの刺激があっての受動的なものなのでしょうか。それとも、自分の内側からわきおこる能動的なものなのでしょうか。

自分の内側からわきおこる動機づけこそ人の反応をつくりだすとする理論に「選択理論」というものがあります。ウイリアム・グラッサーという米国の心理学者が提唱したものです。

グラッサーは、選択理論では、自分が行う選択によって、反応のしかたが変わってくるということを説いています。たとえば、電話が鳴ったときの反応は、「電話の相手は好意をもった話をしてくるだろう」と思うか、「電話の相手は私によからぬ話をしてくるだろう」と思うかで、その電話に出るか出ないかがかわってくるというわけです。

ほかに、グラッサーは、内側からわきおこる動機づけには5種類があるとしています。それは「生存」「愛・所属」「力」「自由」「楽しみ」という欲求。そして、これらの欲求が満たされた「上質世界」とグラッサーはよびます。

上質な状態をつねに頭において生活する人は、おなじ電話のベルがなったという局面でも、「どうしたら上質な結果を得られるだろうか」ということを考えの軸において反応をするといいます。対して、上質な状態とは反対に、つねに「失敗したらどうしようか」ということを考えの軸においている人もいます。この両者の考えかたの差が、創造性が発揮されるかされないかという結果になり現れるといいます。

また、グラッサーは、人の抱く上質世界は人によりさまざまなので、自分の考えかたを相手に押しつけることはできないとも説いています。

実際、人がなにかに反応をするときには、外からの刺激を受けてという側面もあれば、自分の内側からわきおこる動機によって側面もあるのでしょう。たとえば、電話に出るという場合も、だれかが電話をしてくるという外からの刺激もあれば、ベルが鳴っている最中に電話の話の内容に「きっとよい話だ」と考える内側からの動機づけもあるわけです。

その点からすると、選択理論は「反応のなかで自分が選択する部分をより重視しようとする考えかた」と捉えることができそうです。そして、「どうせ行動をとるのであれば前向きに考えるほうがよい」ということを思いおこさせる理論であるともいえそうです。

参考ホームページ
NPO日本リアリティセラピー協会「選択理論概要」
選択理論.jp「選択理論とは」
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(2012年)7月13日(金)は「研究と社会をつなぐ…科学技術と報道のあり方を探る」

催しもののおしらせです。

(2012年)7月13日(金)、東京・五番町の科学技術振興機構東京本部別館で、「研究と社会をつなぐ…科学技術と報道のあり方を探る」というフォーラムが行われます。社会技術研究開発センター(RISTEX)と日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)の共催です。

社会技術研究開発センターは、社会の具体的な問題を解決する研究開発を推進する機関で、科学技術振興機構(JST)の一組織です。また、日本科学技術ジャーナリスト会議は、科学技術ジャーナリズムの向上や発展を目的とした団体。

研究組織とジャーナリズム集団が双方の立場から、科学技術と報道のあり方を探るというのがこの催しものの主旨。社会技術研究開発センターによる「科学技術と人間」という研究プログラムのうち、「医療」と「科学と法」の分野の研究プロジェクトの内容を題材にして、研究を社会に役立てるにはどうしたらよいかを考えていきます。

発表・問題提起の題材に予定されている研究プロジェクトは、つぎのふたつ。

医療の分野では「自閉症にやさしい社会 共生と治療の調和の模索」。金沢大学教授の大井学さんが研究内容を発表します。

また、科学と法の分野では「不確実な科学的状況での方的意思決定」。リブラ法律事務所弁護士の中村多美子さんが研究内容を発表します。

研究内容の発表後、総合ディスカッションが行われます。コーディネーターは大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授の小林傳司さん。大井さんと中村さんのほか、「科学技術と人間」の領域総括をする科学哲学者の村上陽一郎さんや、日本科学技術ジャーナリスト会議会長で元朝日新聞論説委員の武部俊一さんも登壇する予定です。

村上さんは、催しものの開催に対して、つぎのように述べています。

「科学・技術の研究成果が、市民の社会生活に直接強い影響力を持つ現代に、一般の市民がひたすら受け身で、結果を追認するだけの状況を、何とか改善する余地はないものか、それを目指してRISTEXの私どもの領域は活動してきました。それは科学技術ジャーナリストの活動とも通じるところがあると確信します。多くの方々の参加と活発な議論を期待いたします」

「研究と社会をつなぐ…科学技術と報道のあり方を探る」は、千代田区五番町7の科学技術振興機構東京本部別館で7月13日(金)18時30分から21時まで。無料ですが、定員は参加申しこみの先着60名。

申込先は、日本科学技術ジャーナリスト会議事務局(hello@jastj.jp)または、社会技術研究開発センター窓口(kagakuforum@ristex.jp)へ。催しものの案内はこちらです。
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ゆるやかは低く、小刻みは高く


大相撲の興業では「櫓太鼓」という太鼓が使われます。

杉の丸太で櫓を組み、16メートルの高さのところに太鼓を置いて朝から打ちならします。これで、相撲が行われることを周囲に知らせるのです。

太鼓にかぎったことではありませんが、弦楽器や打楽器が出す音の高さは、叩いたり弾いたりしたときに生まれる空気の振動の多さによって変わってきます。一定の時間における振動の数が多いと音は高くなり、少ないと音は低くなります。

そのちがいは、たとえば、音の高さの異なる太鼓のうえに卓球の球などを置くとわかります。低い音を奏でる太鼓の革の上では、卓球の球はゆっくりと振動をします。いっぽう、櫓太鼓のような高い音を奏でる太鼓の革の上では、卓球の球は小きざみに振動をします。

この卓球の球の振動がゆっくりか小刻みかが、そのまま一定の時間における空気の振動の数になるわけです。

和太鼓では、太鼓の革のしめかたを紐か釘で調整することができます。きつくしめて革の表面がぱんぱんに張れば、打ちならしたときの空気の振動は小きざみに。これで、音が高くなります。

また、太鼓の音の高さを決める要素のひとつは、太鼓の口径に対する胴の長さ。胴が長いと甲高い音に鳴ります。

大相撲で使う櫓太鼓の特徴は、とりわけ甲高い音を出すこと。かつては、江戸の蔵前で鳴らした櫓太鼓の音が、遠く房総半島の木更津あたりまで聞こえていたともいわれます。

参考ホームページ
NHK「音の高低と物の運動」
ヤマハ「音響の基礎」
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「2012 ADC展」メッセージ性の高い広告が多数


東京・銀座のクリエイションギャラリーGBとギンザ・グラフィック・ギャラリーで、「2012 ADC展」という展覧会が開かれています。(2012年)7月28日(土)まで。

ACDとは、東京アートディレクターズクラブのこと。東京に拠点を置く広告美術団体です。毎年、前年5月から当年4月までに発表されたポスター、新聞・雑誌広告、テレビコマーシャルなどを審査し、ADC賞という広告デザイン賞を発表しています。「2012ADC展」は2011年5月から1年間の作品のうち、大賞や賞などの広告作品を展示するもの。

銀座8丁目のクリエイションギャラリーGBには、大賞に選ばれた、本田技研工業の「負けるもんか。」という広告のポスターとコマーシャルフィルムなどが展示されています。

サーキット場の道路には歴代のホンダの名車が発表の時系列順に並べられています。「Honda A型」「RC143」「スーパー・カブ」「シビックCVCC」「インサイト」そして、その先頭を行く「NSXコンセプト」。つぎのようなコピーが付いています。

―――――
がんばっていれば、いつか報われる。待ち続ければ、夢はかなう。
そんなの幻想だ。たいてい、努力は報われない。たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢はかなわない。そんなこと現実の世の中ではよくあること。
だけど、それがどうした? スタートはそこからだ。
技術開発は失敗が99%。新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。
さあ、きのうまでの自分を超えろ。きのうまでのHondaを超えろ。

負けるもんか。
―――――

「ザ・パワー・オブ・ザ・ドリームズ」というホンダの企業スローガンを体現したような広告です。フィルム編も紹介されています。

この広告を手掛けたアートディレクターの河合雄流さんは「負けるもんか。このメッセージをどういう気持ちで、受けとってもらうかその温度感を大切に作りました」と感想を寄せています。

旭化成は、「考えよう。答はある。」という広告でADC賞を受賞しました。ポスター一面の大部分は、“白い箱”。その両となりには家が建っています。この“白い箱”の白地に書かれてあるのがつぎのコピー。

―――――
広い土地を、
手に入れるのは難しい。

けれどもやはり、
都市に住もうと思う。

狭さの中にも、豊かさはつくれる。
緑はなくても、風は吹く。

そんな知恵や工夫や技術が、
この国にはきっと、あるのだから。

考えよう。
答はある。
―――――

都市のなかの狭い空間ながらも無限に広がる家のデザインの可能性が“白い箱”に詰められています。クリエイティブ・ディレクターは平山浩司さん、コピーライターは磯島拓也さん。

銀座7丁目のギンザ・グラフィック・ギャラリーでは、ADCの会員作品が展示されています。国立科学博物館の「縄文人展」のポスターは、ポスターの中央に頭蓋骨を頂点から見た写真が配置された作品。アートディレクターは佐藤卓さん、写真は上田義彦さんによるもの。なお、会場での展示作品には、「縄文人展」でのポスターにくらべて、博物館ロゴが横向きに配置されるなど、若干レイアウトの変更が見られます。


2011年は、東日本大震災が起きた年。濃淡のちがいはありますが、広告のデザインやコピーには日本の復興へのメッセージが込められたものが多く見られます。

「2012 ADC展」は、2012年7月28日(土)まで。入場無料。
ギンザ・グラフィック・ギャラリーのホームページはこちらです。
ADCによる「2012 ADC賞」受賞者名簿はこちらです。
| - | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0)
「大喜利を教育に」の声と実践あり


「大喜利」というと、テレビ番組「笑点」で、司会者の三遊亭歌丸の問いに対して、回答者の噺家たちが笑わせる話をするという形式で知られています。

もともと、大喜利は「大切り」と書き、歌舞伎や寄席での最後の演目のことを意味していました。寄席で大喜利が笑点のようなかたちになったのは、最後に噺家たちをたくさん登場させて、おもしろいことをやらせようという興業者のサービスから始まったとされています。

複数の回答者からおもしろい応えを募って紹介する大喜利形式の番組は「笑点」だけでなく、NHKの視聴者参加型の「ケータイ大喜利」や、数人の芸人がお題に対するモジリで勝負する「フットンダ」などにも見られます。

この大喜利を国語教育のひとつとして子どもたちにさせてみてはどうかという声があります。「ケータイ大喜利」の審査委員長役である芸人の板尾創路さんがよく提案しています。

たとえば、先生が「夏休み」というお題で「謎かけ」を子どもに考えさせます。子どもが考えること10分。子どもたちが順番に「夏休みとかけて何々と解く。そのこころは何々」と発表していくわけです。

大喜利では「謎かけ」のほか、「あいうえお」などのまとまった複数の字を頭文字として連続した文章をつくる「あいうえお作文」や、世の中のできごとなどを滑稽に五七五で表現する「川柳」なども出されます。

国語力を付けるという点では、大喜利には言葉あそびの要素が多く含まれます。語彙力や表現力が身につくことでしょう。また、考えなければ答をつくれないので想像力もはたらかせることになりそうです。どんな答をだすと教室でウケるかといった感覚も身につけることができそうです。

そして、大喜利だけあって、先生の授業のしかたがうまくいけば笑いの絶えない授業になるかもしれません。

実際に、大喜利を参考にした授業を実践している中学教諭もいるようです。八王子市立の中学校に勤務する池田修教諭は、「『笑点』の『大喜利』からのスタート」というエッセイを発表し、お笑いを授業に取りいれるための実践法を紹介しています。

「教科書の内容をこなすので精一杯」という先生もいることでしょう。しかし、ふだんとは趣のちがう授業を児童は求め、よろこぶものかもしれません。

参考ホームページ
池田修「『笑点』の『大喜利』からのスタート」
| - | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0)
脂肪を燃焼しやすい時間帯は朝食後


食事制限でダイエットに励む人にとって、脂肪を貯めやすい時間帯は気になるところでしょう。では、運動ダイエットに励む人が参考にすべき、脂肪を消費しやすい時間帯はあるのでしょうか。

まず、脂肪を貯めやすい時間帯は夜といわれています。

これは、夜の時間帯にかぎって、脂肪を蓄積する方向にはたらくたんぱく質があるからです。そのたんぱく質は「BMAL1」とよばれるもの。このたんぱく質は、脂肪を蓄積する酵素を増やすはたらきをもっており、その量は夜22時から翌未明の2時までが多くなるとされています。

いっぽうで、おなじ運動をするのでも、もっとも脂肪を燃焼しやすい時間帯があるとされています。それは、朝食後2時間ほど。この時間帯に、交感神経という神経系がもっともよくはたらくからです。

交感神経とは、中枢が背骨内部の脊髄のなかにある神経で、血管や皮膚や汗腺や内臓の筋肉などに広がっています。

朝、起きたあとは、リラックスモードをつかさどる副交感神経から、活動モードをつかさどる交感神経に“体内スイッチ”が切りかわります。さらに、朝ご飯を食べたあとは、食べる前よりも交感神経が活発になるともいわれています。

脂肪を燃焼するには、交感神経がよくはたらいていることが大切ということから、朝のしかも朝食をとったあとの時間帯が最適とされるわけです。

ただし、血圧の高い人は要注意。交感神経が活発になる朝の時間帯は、血圧が急に上がるため、脳卒中や心筋梗塞などが多い時間帯でもあります。高血圧の人は、これらの発作を避けるため、朝食後の過度の運動は控えたほうがよいでしょう。

サラリーマンの人にとっては、朝食の時間帯に運動をするのはきわめてむずかしいことかもしれません。朝、早起きをして運動する時間を確保するか、それとも、通勤に電車を使わず走って仕事場まで行くか。ただし後者の場合は、汗だくで職場に行くのは職場で嫌がられそうです。

「朝は運動できない」という理由で運動するのをやめるより、どんな時間帯でも運動をすることが、運動ダイエットには大切であることは明らかです。

参考文献
「ワークショップ 肥満症Q&A パート1 概念、成因、合併症」
参考記事
マイナビニュース 2012年4月21日付「トレーニングによる体脂肪燃焼が最も効果的な時間帯は?」
参考ホームページ
ダイエットコラム「夜遅く食べると太る4つの理由 食べると太る時間とは?」
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
「伝説的未解明現象」の解明に懸賞金1000ポンド


英国王立化学会が「伝説的な未解明現象」に対する説明に、1000ポンドの懸賞金をかけて募っています。

その未解明現象とは「なぜ、温かい水は冷たい水よりも速く凍るのか」というもの。たとえば、摂氏35度の水と摂氏5度の水を凍らす実験を行うと、35度の水が凍るまでの時間は、5度の水が凍るまでの時間よりも短くなるといいます。

この現象は「ムペンバ効果」とよばれています。1960年代にエラスト・B・ムペンバというタンザニアの高校生がこの現象に気づいたため、そうよばれるようになりました。

しかし、王立化学会が「伝説的な未解明現象」と示しているように、この現象は古くから著名人に指摘されつづけてきました。アリストテレス(紀元前384-紀元前322)はこの問題で多いに悩んでいたといいます。

また、英国の哲学者ロジャー・ベーコン(1214-1292)も著書『大著作』のなかでこの現象について言及しています。さらに、英国の哲学者フランシス・ベーコンも著書『ノブム・オルガヌム』のなかで「わずかにぬるい水はすっかり冷たい水よりも凍りやすい」と述べています。

こうした数々の著名人もふしぎに思いながら、解けない謎が「ムペンバ効果」なのです。

王立化学会は、「審査員たちは型破りで独創的な提案を待ち望んでいる」としています。説明のために使う媒体は、記事、図解、あるいは映像でもかまわないといいます。

ムペンバ効果の再現性が低いため、科学的とはいいづらいという声も上がってきています。王立化学会の説明募集によって、氷の謎は解けるでしょうか、それともさらに凍りついてしまうでしょうか。

英国王立化学会による募集記事「王立化学会は伝説的な未解明現象の説明に1000ポンドを提供」はこちら(英文)。応募機関は(2012年)7月30日までです。
| - | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0)
「ブー」の由来は明らか、「ジャン!」は不明


人が人と意思疎通をはかるなかで、“効果音”を積極的に使うタイプの人がいます。たとえば、数ある写真のなかから1枚を選ぶようなとき、プレゼンテーションをする人がこういう効果音を使います。

「じゃあ、つぎの写真にいきますよ……ジャン!」

この人が口で発する「ジャン!」は、いったいなんなのでしょうか。なにかを初めて人に見せるとき、驚きをもたせるための効果音であるということは、多くの人は見当がつくでしょう。しかし、多くの人が共通してその効果音を「ベーン!」でも「ポン!」でもなく「ジャン!」と発するのには、その由来や経緯があってもよさそうです。

おなじような効果音で、由来がはっきりしているのは「ピンポーン」「ブー」です。クイズのような問題を出したとき、解答が正しいときは「ピンポーン」、誤りのときは「ブー」と出題者が口で言います。

この「ピンポーン」と「ブー」という効果音は、放送局の東京放送(TBS)の美術部につとめていた、金野寿雄さんと柴田勳さんが開発したものとされています。

柴田さんは、TBS勤務時代の回想録のなかでこう証言しています。

―――――
なにか問題を出して正しい場合に「ピンポーン」と言う人がいます。クイズ番組から来ていると思います。
この「ピンポーン」「ピロピロ」とか「ブー」の音を作ったのは音声さんとお思いでしょうが、実はTBS美術部なのです。私も生みの親の一人です。
昭和45年頃TBS美術部 金野寿雄さんと私でアキバを駆けずり回り、いろいろな音を聞いてまわりました。ブーはすぐ決まりましたが「ピンポーン」はなかなか気に入ったものが無く、結局玄関のチャイムを改良して使う事にしました。
―――――

「ピンポーン」のほうは音の間延びが嫌で、その後、集積回路を使って「ピロピロピロ」という音にしたといいます。その後、放送局にこの効果音は定着して「ブーピロ」というよびかたまで付いたといいます。

人びとがクイズやなぞなぞに興じるとき「ピンポーン」や「ブー」という効果音を使うのは、明らかにテレビのクイズ番組の影響といえそうです。人が「ピロピロピロ」と発声しないのは、口で再現するのが大変だからでしょう。

「ブーピロ」の由来から考えると、「ジャン!」もテレビ番組で使われだしたのがはじまりという可能性は高そうです。視聴者に伝えたい情報が描かれたフリップボードを出演者がカメラにさしだしたとき「ジャン!」という効果音がなるといったもの。

しかし、この手法を駆使した典型的な番組をたどってみると、「ジャン!」が使われていそうで使われていない番組もあります。

たとえば、1975年から1984年まで日本テレビが「テレビ三面記事ウィークエンダー」という番組を放映していました。タレントのリポーターに複数のフリップボードで紙芝居形式に“B級事件”の顛末を報告させる番組です。番組の音源を聞いても「ジャン!」のような効果音はあらわれず、レポーターのしゃべりでたんたんと報告は進みます。

いっぽう、最近の番組ではTBS系列の「サンデー・ジャポン」という番組で、フリップボードを出すとき「ジャジャジャン!」という効果音が使われています。「ジャン!」の派生系と考えられます。

しかしながら、いつだれが「ジャン!」の効果音を始めたのか、さらにいえば典型的な「ジャン!」という効果音がテレビ番組で使われていたのか、有力な情報は見あたりません。そうであれば、人による「ジャン!」が、ほかの経緯からはじまった可能性もぬぐいきれません。じつはベートーベンの「第五交響曲」の「ジャジャジャジャーン」からだったとか、効果音を積極的に使う紙芝居屋のかけ声からだったとか……。

ちなみに、「ジャン!」の電子音を聴くことのできるサイトがあります。「ジャン!」だけを聴こうとしてして実際に聴くと気が抜けるかもしれません。こちらです。

参考ホームページ
柴田電機有限会社「元電飾マンの回想」
YouTube「ウイークエンダー(1981/4/11録音)
| - | 21:54 | comments(0) | trackbacks(1)
「質量誕生理論」の裏づけなる
きょう(2012年)7月4日、欧州合同原子核研究機関(CERN)という研究機関が、「ヒッグス粒子」という粒子を発見したと発表しました。NHKテレビのニュースをはじめ、大きく報道されています。

ヒッグス粒子が発見されたことが、どのようにすごいのでしょう。川合光著『はじめての〈超ひも理論〉』(講談社新書)の記述をもとに、そのすごさを紐といてみます。

ヒッグス粒子は、素粒子のひとつで理論的には存在することが予言されていました。「ヒッグス場」というところから現れるというのです。

「ヒッグス場」ということばにある「場」とは、物質と物質のあいだに相互作用を引きおこす物質や空間のようなもの。ヒッグス場は、相互作用を引きおこす空間のひとつなのです。

では、ヒッグス場はどのような相互作用を引きおこして、どのように物質を変化させるのでしょうか。

ヒッグス場には、対称性を破りやすいという場としての性質があります。たとえるなら、ヒッグス場はワインボトルの瓶底のようなもの。頂点にビー玉を置くと、かならずどこかへ転がってしまいます。頂点にビー玉が置かれていたときの対称性が破れるのです。



この対称性を破りやすい性質をもつヒッグス場が、ある時点で「クオークの物質場」とよばれるべつの場に作用したと考えられてきました。

クオークとは、かつて最も小さいと考えられてきた基本素粒子で、いくつかの種類があります。このクオークが運動していた場が、クオークの物質場です。

クオークの物質場で運動していたクオークたちは、ヒッグス場が作用してきたことにより、自分たちの性質を変えることになりました。対称性を破りやすいというヒッグス場の影響を受けて、クオークたちの対称性も破られたのです。

その結果、クオークたちは、新たに獲得したものがありました。「質量」です。

それまでのクオークたちは、どろどろとしたスープのような状態で、質量をもたずに存在していたと考えられます。ヒッグス場に影響を受けて質量を獲得しました。さらにそのつぎの段階に基本粒子としてのクオークが誕生があるのです。

基本粒子としてのクオークが誕生するきっかけをつくったのはヒッグス場。さらに、質量という量をこの宇宙につくり出すきっかけも、ヒッグス場がもたらしたと考えられてきたのです。

ここまでの話は、英国の理論物理学者ピーター・ウェア・ヒッグス(1929-)による理論で、一連のしくみは「ヒッグス機構」とよばれてきました。

しかし、この理論はあくまで理論だったのです。ヒッグス場から現れてくるヒッグス粒子が実在することが確かめられれば、この理論が裏づけられたことになるとして注目されてきました。

そして実際に、ヒッグス粒子は存在したのです。質量という、あってあたりまえのように思われている量が存在しはじめるきっかけとなった場がたしかにあることが、ヒッグス粒子の存在により確固たるものになりました。

参考文献
川合光『はじめての〈超ひも理論〉』
参考記事
NHKニュース「ヒッグス粒子と見られる粒子発見」
日本経済新聞 2012年7月4日「ヒッグス粒子とみられる新粒子発見 国際チーム」
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
小麦粉でできてもいるし、うどん粉でできてもいる


人がものを覚えるとき、ことばを頼りにすることはよくあります。しかし、それぞれのことばには包含関係があり、しばしばそれがものを覚えるときのさまたげになります。

たとえば、ある人がこう言いました。「うどんって小麦粉でできているんだよね」。

これを聞いたべつの人がこう言いました。「あれ、でも『うどん粉』っていうよね。だからうどんはうどん粉でできているんじゃないの」。

まず、小麦粉には、弾力性を醸しだすグルテンというたんぱく質が含まれており、そのグルテンがどれだけ粉に含まれているかや、グルテンの粘弾性が強いかなどによってよびかたが分かれます。

グルテンの量が多く、またグルテンの粘弾性が強いものは「強力粉」。逆に量が少なく、粘弾性が弱いものは「薄力粉」。その中間に位置するのが「中力粉」です。

強力粉、中力粉、薄力粉のうち、うどんに使われるのは中力粉が主流。よって、中力粉は「うどん粉」ともよばれています。

ただし、ことばの使われかたの歴史からすると、むかしは小麦粉のことを「小麦粉」とはあまり言わず、むしろ「うどん粉」と言っていたようです。小麦粉の用途がもっぱらうどんをつくるためだったからです。広辞苑の「饂飩粉」の項目には「小麦粉の別称」と載っています。

とはいえ現在では、うどん粉は、小麦粉のなかでもうどんによく使われる中力粉、あるいは中力粉よりも粘弾性の弱い薄力粉などを指すようになっています。

結局のところ、「うどんって小麦粉でできているんだよね」と「うどんはうどん粉でできているんじゃないの」は、両方とも「そのとおり」となります。

参考文献
『広辞苑第五版』
参考ホームページ
日清製粉グループ「小麦の種類」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
できるかぎり「アクトス」で利益確保を


「アクトス」という薬があります。2型糖尿病の治療薬のひとつで、肝臓や筋肉や脂肪などのからだの場所でインスリンという物質がよりはたらくようにしむけます。インスリンは、膵臓のベータ細胞というところから出てくる、血液中の糖を減らす役割を果たす物質。つまり、アクトスのはたらきで血液中の糖が減るため、糖尿病の治療につながるわけです。

アクトスをめぐっては、ここ1年あまり、さまざまなできごとがありました。

ひとつは訴訟です。2011年6月に、武田薬品工業が医薬品製造業18社を訴えたのです。アクトスを作り、売っていたのは武田薬品でした。

対して、薬の特許が切れたあとにおなじような薬をつくって安く売る後発薬のメーカーも、アクトスと同様の薬を2011年6月から売ろうとしていました。後発薬メーカーは、「アクトスの特許が切れた」と考えて、アクトスの後発薬を売り出すことにしたのです。

しかし、武田薬品工業は、後発薬メーカーがアクトスとおなじような薬を売ろうとしているのは、「組み合わせ特許の侵害にあたる」と考えて訴えたわけです。

2011年1月に、アクトスの物質としての特許はすでに切れました。しかし、αグルコシダーゼ阻害剤というべつの糖尿病治療薬とアクトスを組みあわせた薬についての特許や、おなじくビグアナイド薬やSU薬というべつの糖尿病治療薬とアクトスを組みあわせた薬についての特許は、2017年まで残っています。

この「組みあわせた薬」の解釈が、武田薬品と後発薬メーカーとのあいだで争われています。

武田薬品は「組みあわせた薬の特許は、組みあわせず単剤を併用することもカバーしている。後発薬メーカーがアクトスとおなじような薬をつくるのは私たちの特許権をおかしている」と考えたわけです。

いっぽう、後発品メーカーは「組みあわせ薬の特許は、組みあわせてつくった配合薬についてのもので、単剤としてアクトスとおなじような薬をつくるのは問題ない」と考えたわけです。

この訴訟問題が進むうちに、おなじ2011年6月、フランスの規制当局が、患者がアクトスを新たに使わないようにという通達を出しました。アクトスを使った患者は、アクトスを使わない患者よりも、膀胱がんになる危険性が高くなるという研究結果を受けてのものです。武田薬品は2011年7月、フランスでアクトスを回収しました。

しかし、武田薬品は2012年1月に、欧州医薬品評価委員会が「添付文書に、新たな投与禁忌、使用上の注意を追記し、適切な患者さんを投与対象とすること、および患者さんに対して定期的な有効性と安全性の確認の必要性を追記することで、そのリスクを軽減できる」という結論を出したとして、ひきつづきアクトスを日本などで売りつづけてゆく決意を発表しました。

その後、2012年6月には、カナダの研究チームがアクトスについて、「アクトスの服用によって膀胱がんが発症する絶対リスクはなお低いものの、アクトスを2年以上服用すると、がん発症リスクが倍に上昇する」と英国の医学雑誌に発表しました。

アクトスにより糖尿病を治療することの利点と、膀胱がんになる危険性のどちらが大きいか、これからも比べられていきそうです。

武田薬品が訴訟を起こしたり、外国で使用中止になってもなお売りつづける姿勢を示した背景には、アクトスが莫大な利益をもたらす薬であるということがあります。国内だけで、年間の売りあげは500億円以上とされます。利益をもたらす薬を、かんたんに手放すことはできないと考えるのは、どの企業であってもおなじでしょう。

参考文献
医薬品医療機器総合機構 2011年7月11日「ピオグリタゾン塩酸塩製剤のフランス等における使用制限について」
武田薬品工業 2012年1月10日「欧州委員会によるピオグリタゾンの評価に関する結論について」
日本ジェネリック製薬協会「5月後発医薬品追補、『アクトス』に27社76品目」『JGA News』2011年2・3月合併号
日本ジェネリック製薬協会「アクトス後発医薬品の販売差し止め求め18社提訴」『JGA News』2011年7月号

参考記事
ロイター「カナダの研究者、武田『アクトス』のがん発症リスク調査結果を発表 英医学誌」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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