科学技術のアネクドート

白い粉と白い粉で黄色い麺


中華そばの麺は、うどんやそうめんなどの麺にくらべると黄色みがかっています。なぜでしょう。

よく思われるのは、卵の黄味の色ではないかということ。中華麺には原料の小麦に卵を含めた「卵つなぎ麺」といった麺もあります。しかし、卵つなぎ麺でなくても、麺は黄色みを帯びています。

中華麺が黄色いのは、「かんすい」という食品添加物が使われているからです。

「かんすい」には対応するさまざまな漢字があり「鹸水」「礆水」「鹻水」「堿水」「梘水」「碱水」などと書きます。

麺をつくるとき、原料の小麦粉に水を混ぜるだけでは、滑らかさは出るもののコシは出ません。なお麺のコシとは、しっかりした粘りや弾力性のことで、麺を断面図で考えたときの外側に水分が多く含むものの内側に水分があまり含まないという水分の勾配などで生まれるものです。

べつのほうほうとして、小麦粉を食塩水でこねて麺をつくる方法もあります。しかし、この場合、コシは出るものの、やわらかさはあまり出ません。

そこでかんすいの登場となります。小麦粉に水とともにかんすいを入れて混ぜると、小麦粉の「グルテン」とよばれるタンパク質に作用して、やわらかさとコシの両方が生まれるのです。なお、かんすいは、「梘水」などと「水」の字を使いますが、いまつくられているかんすいはほとんどが白い粉状のものです。

小麦粉は白く、かんすいも白いのであれば、なぜ中華麺は黄色みがかるのでしょう。ここには化学反応があります。

小麦のなかには、フラボンという物質が含まれています。このフラボンに色はついていません。ところが、小麦粉のなかにあるフラボンと、かんすいの成分である炭酸ナトリウムや炭酸カリウムなどのアルカリ性の物質が混ざると、フラボンの構造のうちH基やOH基とよばれるところに、原子の置き換わりが起き、これによりフラボンが黄色くなるのです。

かんすいは、麺にやわらかさとコシの両方をあたえるためのもの。しかし、かんすいにより結果的に黄色みがかった麺の色もまた、ラーメンの風味の大切な要素になっています。

参考文献
「かんすいの市場・法規制」『月刊フードケミカル』2011年第8号

参考ホームページ
岩手らーめんデータベース「らーめんの科学」
ラーメンワンダーランド「かんすい」
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「天氣も人工で左右」と技術を誇る


日本冷凍空調学会の前身にあたる日本冷凍協会が発行していた『日本冷凍協会誌』という雑誌があります。1926(大正15)年第12号に、つぎのような宣伝文句の広告が載りました。

「天氣も人工で左右出來る時期が來た」

これは、いまの空調設備メーカー高砂熱学工業の前身にあたる高砂暖房工事という会社が出した広告。高砂暖房工事は、いまの東京・八重洲にあたる京橋區五郎兵衛町に本社を置いていました。

注目すべきは「天氣も人工で左右」という惹句。大正時代末期、すでに日本に人工降雨のような技術があったのでしょうか。

いま試みられている人工降雨は、飛行機を飛ばして雪のもとになる粒をまく方法によるもので、「雲の種まき」ともよばれています。前年の1925年には、すでに朝日新聞社の「初風号」と「東風号」が東京と欧州のあいだを飛んでいたといいますから、飛行機を飛ばすことはできたでしょう。

しかし、日本で人工降雨が試されたのは1950年代からと一般的にいわれています。「天氣も人工で左右出來る時期が來た」と言いきってよいのでしょうか、高砂暖房工事は。

この宣伝文句の下にある「営業課目」つまり事業内容をよく見てみると、こう活字が刻まれていることがわかります。

「各種製造工業に於て作業上最も適當なる空氣状態を来さしむる空氣の温湿度調整法應用に関する事業一般の研究」

この文では、冒頭の宣伝文句にある「天氣」が「空氣」に。しかも「各種製造工業に於て」とあるということは、「天氣を人工で左右」とは、工場などのなかの空調を指しているのでしょう。

さらに詳しく広告を見ると、つぎのような「研究」の内容を指すことばが並んでいます。「暖房――換氣」「オゾーン發生装置」「一般建築物の夏期冷室」……。

当時、広い空間のなかに冷房などをきかすことは画期的なことでした。翌1927年に、おなじ高砂暖房工事が「三越呉服店演藝場の冷房装置成る」という広告を打っているくらいです。

建てもののなかの空気を暖めたり冷ましたり、また湿らせたり乾かしたりするといことも、相当な高い技術だったことがうかがえます。

高い技術を前にして、この広告のコピーライターは、つい「空氣」でなく「天氣」ということばまでを使ってこの会社の技術の高さを知らしめたかったのでしょう。筆を滑らせたとしてもしかたありますまい。

高砂熱学工業は、東京ドーム、大阪ドーム、六本木ヒルズ森タワーなどの大型施設の空調システムを担う企業になっています。「天気を左右」できるかは別として、屋外に負けぬほどの広い空間の空気を左右する技術をもっています。

参考文献
高砂暖房工事広告『日本冷凍協会誌』1926年第12号
高砂熱学工業「技術紹介2012」
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書評『模倣の経営学』
日本文化は中国文化の模倣そのもの。そう考えると、気軽に模倣できるようになるかもしれません。



「猿まね」ということばもあるように、「模倣」というととかく卑下すべきものと考えられがちだ。だが、本書『模倣の経営学』で、著者は「 」と、企業が模倣することをおおいに勧める。

ある企業を「模倣する」といってもその段階はいろいろある。製品やサービスを模倣することはわかりやすくてまねしやすいが、その効果は長続きしない。そこでより効果的な模倣としてあげられるのが、企業の事業のしくみを模倣するということだ。事業のしくみは目立たないし、まねをするのにも時間がかかる。だが、その効果は長続きすると説く。

では、ある企業のしくみをどのように模倣して、自分たちのものにすればよいのか。ここで、著者は「守破離モデリング」というモデルを紹介している。

「守破離モデリングというのは、まず徹底的に倣い、その上で『お手本』の教えを破り、しかる後に自らのモデルを確立するというものである。いわば、『お手本』の肯定から始まり、それを否定しながらも、最終的には最初の『お手本』を矛盾することなく調和された青写真を描くということである」

モデルにすべき企業のしくみをそっくりそのまま模倣しようとしても、そのうち課題や矛盾がでてくる。模倣される企業と模様する企業では、個性や文化が異なるからだ。しかし、そうした課題や矛盾を乗り越えたところに、「模倣から自社のものへ」という結実化があるのかもしれない。

著者が展開するこうした理論に説得力をもたせるのが豊富な事例だ。ヤマト運輸は米国の運送業UPSを手本にして、集配車1台ごとの収支で損益分岐点を定めたことが詳述されている。

コーヒーショップのスターバックスとドトールの模倣比較論もある。それぞれの創業者がフランス・パリの立ち飲みカフェと、イタリア・ミラノでのエスプレッソバーから、店構えの発想を得たという。

さらには、教育業界で孤高の存在となっているKUMON(公文式)については、なぜほかの教育産業企業が「模倣できないのか」といった分析もなされている。全国共通の教材が共通言語となり、指導者間のネットワークをつくり出しているのだ。

そもそも、なにもないところかなにかを打ちたてるという独創は、企業のしくみにかぎらず、人の営みとしてはすくないもの。裏をかえせは、独創的といわれるような営みの原点に模倣があるということになる。

手本とすべき企業のしくみを自社仕様にするだけで、それは独自のしくみになる。あらためて考えてみるとそうなのだという気付きを著者はもたらしてくれる。

『模倣の経営学』はこちらでどうぞ。
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規格争い、エコカー充電では「チャデモ」と「コンボ」

製品が世の中に出はじめて間もないころには、「規格あらそい」が繰りひろげられます。

有名な例では、ビデオデッキのVHS型とベータ型の規格あらそいがあります。この争いでは、企業の努力などによりVHS型に軍配が上がり、VHS型が主流になりました。

電気自動車やプラグインハイブリッド車といった充電型の自動車でも、いま規格あらそいが繰りひろげられています。充電器の方式をどうするかというもの。

日本では、電気自動車やハイブリッド車に関係する多くの企業が「チャデモ(CHAdeMO)方式」という規格を採用し、この方式を広げようとしています。

「チャデモ」とは、“CHArge de MOve”ということばをもじったもの。メーカーがつくった「チャデモ協議会」の説明では、「動くためのチャージ」「電気」「クルマの充電中にお茶でもいかがですか」といった意味が含まれているといいます。

電気自動車の充電方法には、直流(DC:Direct Current)電気を使うものと、交流(Alternating Current)電気を使うものの2種類があります。直流電気を使うほうが充電は速く行えるため「急速充電」とよばれます。交流充電を使うほうは、一般の家で使われているコンセントを使って充電するようなもので「普通充電」とよばれます。

チャデモ方式の特徴は、直流による急速充電と、交流による普通充電の充電口がわかれている点。また、直流による急速充電では、充電する側のコネクタと、充電される側の車の間で信号のやりとりをして、最適な充電状態を決めあってから充電するという技術も使われています。

いっぽう、米国やドイツなどの自動車メーカーなどが推しすすめている規格は「コンボ方式」といいます。

コンボ方式のチャデモ方式との大きなちがいは、直流による急速充電と交流による普通充電を一体化している点。つまり、電気自動車への電気の差しこみ口は1個のみとなります。

現状の普及具合では、チャデモ方式のほうが一歩進んでいます。日本が電気自動車の開発などで一歩先を行っているため。すでに「日産リーフ」などの充電のために使われています。いっぽう、コンボ方式のほうは2013年からの実用化が目指されています。

しかし、チャデモ方式では30分で8割の充電が行われるのに対して、コンボ方式では15分間でフル充電できるといった技術的な利点もあります。

世界で電気自動車が普及していくとなると、「差し込み口をどうするか」といった規格あらそいは避けて通れないことになりそうです。

参考ホームページ
CHAdeMO協議会
自動車技術者のための情報サイト「普及が進むEV・PHEV用充電コネクタの今後 矢崎総業」

参考記事
誠ブログ「どうなる?電気自動車の充電方式!『CHAdeMO』と『コンボ』」
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書評『はじめての〈超ひも理論〉』
森羅万象を切りきざんでいくと、現れるのは「ひも」。そう考えると、いろんなことがうまくいくようです。



「超ひも理論」は、「ものの最小にして究極の構成単位はひも状の物質である」と考える物理学の理論のこと。原子を構成する素粒子を、さらに構成するものの形を突きつめると、ウナギのようなひも、あるいは輪ゴムのような閉じたひもになるという。究極の構成要素をひも状のものと考えると、宇宙すべての物理現象がうまく説明できるという。

たとえば、自然界には「4つの力」とよばれる力がはたらいている。「重力」「電磁力」「強い力」「弱い力」だ。これらのうち、電磁力、強い力、弱い力を統一的に説明する「標準模型」とよばれる理論は20世紀後半にうちたてられていた。

しかし、どうしても「重力」をふくめて統一的に説明する理論はうちたてられないできた。もし「超ひも理論」が完成すれば、この4つの力を束ねれることになる。宇宙のはじまりのほうで枝分かれした4つの力に対する説明が完全につくようになる。

「超ひも理論」を紹介する本は多い。そのなかで、本書のとりわけ特徴的なのは、読者がイメージしやすいという点だ。

目には見えない世界の話であることと、あまりにも現実ばなれしている話であることから、「超ひも理論」は自然科学のなかでも難解な分野のひとつとされている。その難解さに対して、研究者である著者と、執筆や図作成を担う科学ジャーナリストが、読者に理解させることに果敢にも挑んでいる。

その手法は、ひもの具体的な形や宇宙のはじまりの様子などを絵で表現していること、それに、時空を「かご」に、かごのなかの「りんご」を場の状態に喩えて対称性の概念を説明するなど喩え話を多用していることだ。

表現の工夫をかさねて超ひも理論の経緯を説明したうえで、後半では著者が自身の研究成果を紹介する。「超ひも理論」に対して「行列」の概念を導入することで、これまで説明がつかなかったことに説明がつくようなった。より「超ひも理論」の完成に近づいたことになる。

さらに、最後には、著者が提唱する「新サイクリック宇宙」という概念も紹介されている。宇宙はこれまで50回ほど、拡張と収縮をくりかえしてきたとする理論だ。ただし、この学説を確固たるものにする理論はまだ不足しているとして「付録」扱いにしている。謙虚だ。

この世界には10次元があるといった、現実世界では考えづらいことも、計算をつきつめればそうでなければならないということになる。つくり話でなく物理学的に証明されている話であるということが、読者の魅力をかき立てる根本的な理由となるのだろう。その魅力を十分に伝えている一冊。

『はじめての〈超ひも理論〉』はこちらでどうぞ。
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マイナスがプラスに、プラスがマイナスに

小学1年生の算数で、「足し算」や「引き算」の勉強をします。その後、中学生になり「プラス」と「マイナス」ということばが数学に出てきて、加わるものは「プラス」、引かれるものは「マイナス」とあたりまえのように覚えるようになります。

しかし、人は、自分が熱中していることに対しては、それが「プラス」のことなのか「マイナス」のことなのかわからなくなるような錯覚をもつときもあります。「マイナス」が「プラス」のことになり、「プラス」が「マイナス」のことになるのです。

典型的な例は体重でしょう。ここに、ダイエットで体重の減量を目指す人がいます。「よし、1か月で5キロ減らすぞ!」。

この人は、ダイエットとして毎日河川敷を走ることにしました。そして、三日坊主を乗り切り、ダイエットをはじめて2週間。体重計で自分の体重をはかってみました。すると80キロあった体重が77キロになっていました。

「おお、やった3キロ減った!」

たしかに、80キロから77キロになったので、「80−3=77」で、3キロ減ったことになります。

しかし、この人は毎日、河川敷を走ることによって、「体重を減らす」ということを「貯金した」わけです。感覚的には、「マイナス」つまり「体重減」を、「プラス」つまり「加算」していくようなものに。

この気分を式で表せば「80+(−3)=77」となるでしょう。

ところが、つぎの2週間、この人は河川敷を走らずに暴食に走ったため、体重はこんどは増えてしまいました。「77キロが80キロに逆もどりか。orz 」

この人は、暴食することによって、「体重を減らす」ということを「後退させた」わけです。感覚的には、「マイナス」つまり「体重減」を、「マイナス」つまり「減少」させていくようなもの。

この気分を式で表せば「77−(−3)=80」となります。
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話している相手が眠気に襲われる


日々の暮らしのなかで、眠気に襲われることはあることです。眠気が催すものを「睡魔」と魔物にたとえるほど。

眠気に襲われるタイミングは、大きくふたつとされます。ひとつは、睡眠時間が足りないことから脳が眠りを求めたとき。もうひとつは、概日リズムという人に組みこまれた体内時計により、眠気が強くなる時間帯が訪れるときです。こちらは、昼の2時ごろ眠気の頂点を迎える人が多いようです。

眠いけれど眠ってはならないという状況があることから、雑誌やインターネットなどには、「一瞬にして眠気を解消するテクニック」などとして、眠気に襲われたときの対処術が紹介されています。

しかし、なかなか見られないのは、その逆です。自分が眠気に襲われたときの脱しかたは、「コーヒーを飲む」「飴をなめる」「議論に集中する」などといろいろ書かれてあるものの、“相手が眠気に襲われたときの脱せさせかた”は書かれていません。

あるもの書きは、取材のときの体験をこう話しています。

「多忙で知られる研究者に、30分だけ時間をもらって取材することになったのです。当日、その研究者と一対一での取材が始まったのですが、こちらから質問すると沈黙がしばらくのあいだつづきましてね。どうしたのだろう、と相手の顔を覗きこむと、まぶたを開けたまま眠りはじめたのでした」

部屋のなかで一対一。自分より相手のほうが目上。眠気が襲ってきたのは自分ではなく相手。このような特殊な状況を迎えたとき、対処のしかたの種類はあまり多くはなさそうです。

ひとつは、より大きな声で相手と対話をするということ。目覚まし時計で人が起きるように、近くに大きな音があると人の眠りは妨げられるものです。しかし、睡魔はそれくらいのことではなかなか去ってくれません。

「私も1.5倍の大きな声で質問をするようにしたのですが、沈黙が続いて、やがて眼の白い部分が見えはじめました」

もうひとつは、相手が眠りから覚めるのをじっと待つということ。とくに、相手が目上のときには、眠っていた相手に眠っていたことなど素知らぬような態度を示すことが大切となります。しかし、この方法もいつ相手が目を覚ますのかがわからず、「30分だけの取材」といったときはかなり危険となります。

自責の念が強い人は、相手に眠気に陥らせないような話をすること、と考えるでしょう。ありきたりの話をするのでなく、相手自身の話などをして、眠気よりも興味を引きだすというわけです。

この書き手はどうなったかというと、白目をむいて眠りはじめた相手をまえに困りはてていると、「トントン」と部屋をドックする音を聞きました。秘書の人がお茶をもってきたのです。扉を叩く音、第三者の登場、そしてお茶という三つが登場することによって、相手は眠気から脱したといいます。「まあ、これは結果オーライですね」。
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大きなことをした直後に死ぬともったいない


「もったいない死にかた」というものはあるでしょうか。

たとえば、野球でのアウトのとられかたとして、つぎのような場合が考えられます。

1点差を追うチームが、9回裏、2死1塁の場面を迎えました。ここで打者が放った打球は、バックスクリーン横の観客席へ。逆転サヨナラ2点本塁打! となるはずです。

塁上の走者は、あまりにうれしかったのでしょう。2塁あたりで、本塁打を打った打者を迎えると、抱きあいながらそこで一回転しました。

この走者と打者の動作を見た審判は、「アウト」と宣告しました。前の走者を後の走者が追いぬくとアウトになるからです。これで、打者に本塁打は認められず、走者もホームインしていないため1点も入らず、試合に敗れたのです。

また、プロレスでは、つぎのような場合が考えられます。

世紀のタイトルマッチで、レスラーが敵に対して「吊り天井固め」を見事に決めます。吊り天井固めは、攻め手が、敵の両ひざ裏を自分の両足で、敵の両腕を自分の両手で固定してから倒れこみ、自分がマット上にあおむけに寝るような姿勢で、敵の体を吊り上げる大技です。

ここでレフェリーが「ワン、ツー、スリー」とマットを叩き、試合が終わりました。吊り天井固めをしかけた攻め手の両肩がマットに付いていたため、3カウントをとられて敗れたのです。

野球やプロレスでなく、現実世界で「もったいない死にかた」となると、つぎのような場合でしょうか。

どんな危険なことにも挑戦するスタントマンが、「世紀のスタント」に試みました。オートバイで、幅40メートルもある川を、踏み台を使って向こう岸まで飛びこえようとするのです。

その場に居あわせた観客だけでなく、テレビ中継で全米が注目するなか、スタントマンは果敢にもオートバイをあやつり、見事に40メートルの川をひとっ飛びし、見事、向こう岸へと着地しました。

スタントマンは、直後のインタビューで拍手喝采を浴びながら、「これまでいくつものスタントに挑んできたけれど、きょうほど特別な日はない。愛する家族に感謝するよ」と話しました。

その帰り、オートバイで家に帰るとちゅう、そのスタントマンは交通事故に遭い、死亡してしまいました。

これらの“死にかた”は、どれも本当に起きたものではありませんが、どれも近い状況が起きたことはあります。

起死回生の好機を迎えたり、絶体絶命の危機から見事に生還したりと、大きなことをした直後、あっけなく死を迎えてしまったとき、その死にかたを「もったいない」と考える人は多そうです。

「人の命の価値はおなじ」といわれることはありますが、どのようなことをしたあとに命を落とすかによって、その見方はすこしちがってくるのかもしれません。
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「食卓で毎日使われている『組み換え』の調味料」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2012年)6月22日(金)、「食卓で毎日使われている『組み換え』の調味料」という記事が配信されました。記事のための取材と編集をしました。

「遺伝子組み換え」ということばから、多くの人が「得体のしれないもの」「遺伝子が組み変わるとは大事」「体に摂りいれないほうがいい」といったことを想像し、不信感をぬぐえない、あるいは拒絶するという状況が、長らくつづいています。

遺伝子組み換えとは、あるいきものに、べつのいきもののもつ遺伝子を組みこむということ。遺伝子組み換えされたいきものは、組みこまれる前にはなかった特性や機能を得ることができます。

この遺伝子組み換え技術を使って育てる作物が遺伝子組み換え作物。遺伝子組み換え作物がふくまれる食品が、遺伝子組み換え食品です。

遺伝子組み換え作物には、どのような目的があり、どのような種類があるのか。また、日本に遺伝子組み換え作物や遺伝子組み換え食品はどれだけ出回っていて、人々は食べているのか。こうした現状そのものも、あまり知れわたっていません。「遺伝子組み換え」というだけで思考停止となってしまうからでしょう。

そうした遺伝子組み換え食品の現状を、北海道大学農学研究院教授の松井博和さんに投げかけました。松井さんは、遺伝子によって発現する酵素という物質の専門家。

松井さんは、生物学の研究者から見た遺伝子組み換えのほんとうのところを、なるべく多くの市民に知ってもらう活動をしてきました。北海道で2005年に公布された「遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」の条例案審議における座長などもつとめるなどして、推進派と反対派の“対話”を促しています。

市民に科学的な知識の説明をするうえで、松井さんは「たとえるなら」とたとえ話を駆使します。「遺伝子組み換え技術」を「酵素発現技術」と表現してもよいという松井さんは、遺伝子と酵素の関係をつぎのようにたとえて説明します。

―――――
海外の友人が日本に住むあなたの家に来て、「君の家が気に入った。君の家とまったく同じ日本風の家を私も建てるよ」と言ったとします。これを実現するためには、2つの方法が考えられます。

 1つ目は、あなたの家をそのまま船に載せて運んでしまうという方法です。しかし、これはあまり現実的ではありません。

 これに対して2つ目の方法として、設計図を手に入れて、日本建築の材料と大工も探して家を建てるということが考えられます。

 ここで言う、家の設計図が遺伝子であり、建てられた家が酵素であると言えます。つまり、遺伝子組み換えの大部分は、設計図である遺伝子を植物に組み入れることで、ある働きを持った酵素を発現させることなのです。
―――――

ほかの場所から、設計図をもっていき、ほかの場所で家を建てる。これが遺伝子組み換えといえるでしょう。

記事では、こうしたたとえ話を使いながら、遺伝子組み換え技術を説いていきます。そして、父と母をかけあわせて遺伝子の突然変異をうながす交雑という技術と、遺伝子を組み換えるという技術のどちらが利点があるか、述べています。

次週29日(金)配信の後篇では、後篇では、遺伝子組み換え食品の安全性をどう考えるべきか、結論を聞きだす予定です。

「食卓で毎日使われている『組み換え』の調味料 遺伝子組み換え食品の真実(前篇)」はこちらです。
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「電車に時計なし」の理由にトラブル防止説


ほとんどの電車には、時計が付いていません。たとえば、新幹線の客室の出入口の上にある電光掲示板にも、時計はいかにも付いていそうで、付いていません。

電車に時計がない理由はいろいろといわれています。

まず、費用面の負担が大きいからというもの。日本の鉄道で客を乗せる客車の数は、ここ十数年あまりかわらず、5万両ほど。もし、1両に1000円の時計を1個付けるとすると5000万円かかります。

5000万円であれば、鉄道会社にすれば大したことなさそうです。しかし、実際は5000万円で済まないでしょう。1両に1個だけでは時計を付ける効果は小さいからと、3ドアの左右に1個ずつ付けると1両で6個が必要に。さらに、故障をしたときの補修費なども相当な額が見こまれます。

時刻が狂った時計をなおすのに手間がかかるからという理由もいわれています。日本で鉄道が走りはじめたのが1872(明治5)年。いまの時計の正確さにくらべれば、むかしの時計はすぐに狂いました。付けないほうが管理が楽。そうしたことから「電車に時計なし」の慣習が、いまにつづいているとも考えられます。

しかし、これらの理由は、電車だからこその理由にはなりません。電車とおなじような公共の場に、おなじような理由で時計がないということはないからです。たとえば、電車が停まる駅の構内には、時計が多くあります。

そこで、電車だからこそ時計を付けないという理由が探されることになります。

有力な説としていわれているのは、鉄道会社が客とのトラブルを抑えたいからというもの。この説には、鉄道のダイヤグラムの乱れが関係します。

電車が朝のラッシュなどで時刻表どおりにならず遅れだした場合、客のだれもが見るような時計の存在は、ストレスや怒りを助長させる道具になりかねません。人と会うなどの約束の時刻が決まっているのに、動かない電車のなかでその時刻が近づいたり、過ぎたりするのはストレスのもと。電車に時計を置かないほうが無難、というわけです。

調査会社マイボイスコムの調べでは、2005年の時点で腕時計をもっている人は86パーセント。さらに、外出のときに腕時計あるいは携帯電話のすくなくともどちらかを持ちあるく人は、96パーセント。ほとんどの客はなくても困らないという点も、「電車に時計の必要なし」を後おしします。

しかし、近ごろでは、すこしずつ電車のなかに時計が置かれはじめてきてはいます。ドアの上にデジタルの情報や広告を示す画面を設けた車両が増えており、この画面に時計を“映像”として流せるようになったからです。

これからは電車のなかの時計も増えてくるのではという考えかたがあるいっぽう、電車が遅れたときの客のストレスによる車内トラブルが増えるのではという心配もあります。鉄道会社の公式見解はありません。

江戸時代まで昼と夜の長さの差がどうであれ、昼の長さを6つで等分し、夜の長さを6つで等分して、それぞれを「ひとつ」とした時法が使われていました。夏と冬とで「ひとつ」の長さがちがっていたわけです。

しかし、1873年(明治6)年、太陰暦から太陽暦に移ったのとともに、1日を24時間で均等に割る定時法が導入されました。定時法がとり入れられた背景には、鉄道の運行時刻を正確に管理する必要が出てきたためといわれています。

時を刻む時計は鉄道がもたらしたものの、鉄道の車両のなかには置かれてきませんでした。

参考ホームページ
マイボイスコム「自主企画アンケート結果 腕時計」
http://www.myvoice.co.jp/biz/surveys/8207/index.html

参考文献
国土交通省鉄道局監修『鉄道統計年報』
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(2012年)8月18日(土)は「日本デジタル教科書学会 設立記念全国大会」


催しもののおしらせです。

(2012年)8月18日(土)、東京・渋谷の青山学院大学で「日本デジタル教科書学会 設立記念全国大会」が開かれます。

日本デジタル教科書学会は、2012年5月に発足した学会。「デジタル教科書・教材」についての学術研究や実践授業によって、効果や意義を発信することが学会の目的です。新潟市立上所小学校教諭の片山敏郎さんが会長をつとめます。

設立の背景にあるのは、内閣府が2010年5月に「新たな情報通信技術戦略」を決定したこと。内閣府は、この戦略の具体的な政策のひとつに「デジタル教科書・教材などの教育コンテンツの充実」を掲げています。

デジタル教科書とは、生徒が情報端末をもち、先生が電子黒板に板書をして、これらを電子的にネットワークでつなげて授業を充実させようとするシステムのこと。内閣府は戦略のなかで、2020年度までに小学校の児童や中学校の生徒それぞれに情報端末を1台もたせるという目標を掲げています。

戦略や目標を示すのは政府ですが、実際にデジタル教科書を使った授業をするのは学校の先生や児童・生徒。教育界では、まだその方法が議論しつくされていないといいます。

日本デジタル教科書学会は、「研究分野、所属学会や研究会の枠を超えて集い、現場の教師と研究者が相互に協力しながら、デジタル教科書・教材に関する可能性や課題解決法の提案、デジタル教科書・教材を活用した授業実践研究を行い、我が国における教育のこれからの発展に資することをめざします」としています。

8月18日の設立記念全国大会では、「未来に輝く笑顔のために 今、新たな学びが始まる」を、大会のスローガンにしています。

午後には「日本のデジタル教科書について語ろう 1人1台全導入に向けて」というシンポジウムが開かれます。研究者の立場からは、白鴎大学教育学部長の赤堀侃司さんら、教育現場からは学会長で新潟県立上所小学校教諭の片山敏郎さん、行政からは佐賀県統括本部情報課情報企画監の廉宗淳さんが登壇する予定です。コーディネータは、学会副会長で新潟大学博士研究員の上松恵理子さん。

ほかに総会、各セッション、ランチタイムセッション、さらに夜には懇親会が開かれる予定です。

日本の学校教科書は国による検定を通ったものだけが法律上は使われています。この制度による教科書は1949年から。それ以前もそれ以降も、教科書は紙でできたものでした。教科書のメディアが紙からデジタルに変わるというほどの大きな変化は、過去には教科書の誕生ぐらいしかなかったことでしょう。

子どもたちのために、デジタル教科書の可能性を引きだせるかどうかは、大人の用意のしかたにかかっています。

日本デジタル教科書学会による「設立記念全国大会」は8月18日(土)青山学院大学にて。の案内はこちらです。
「日本デジタル教科書学会設立のお知らせ」はこちらです。

参考文献
教科書協会「教科書Q&A」
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細胞が美しく死んでいく

細胞の死にかたは、二つの種類にはっきりとわかれます。ある人は、それを「美しくない細胞死」と「美しい細胞死」と表現します。

「美しくない細胞死」のほうは、「壊死」といいます。やけどを負って皮膚がただれて細胞が死んだり、ウイルスに感染して細胞が死んだりといった死にかたは壊死にあたります。

対して「美しい細胞死」のほうは、「アポトーシス」といいます。「この時期になったら死ぬこと」という計画が組みこまれている細胞があり、このしくみによる死にかたがアポトーシスにあたります。

もっともよく知られるアポトーシスの現象はオタマジャクシのしっぽの消滅でしょう。オタマジャクシのしっぽの細胞には「かえるになる時期になったら死ぬこと」という計画が組みこまれているため、その時期になったら消えゆくのです。

アポトーシスが「美しい細胞死」と表現されるのは、その過程の鮮やかさがあるからです。

その「時期」が近づくと、まず細胞はいびつなかたちをしていたものでも丸くなります。これは細胞を包む細胞膜の構造が変わってくるから。

つぎに、DNA(デオキシリボ核酸)や遺伝子のありかである細胞核がぎゅーっと縮こまってきます。この影響で、細胞は小さくなっていったり、細胞のなかにすかすかのすき間が生まれたりします。

すると、細胞核のなかのDNAがばらばらにばらけていきます。つながっていたDNAがほどけていく様子は、ネックレスの珠がひとつひとつ散りぢりになる様子とにています。これはDNAの断片化とよばれる過程で、この散りぢりになった珠のひとつひとつはヌクレソオームとよばれます。

しまいに、細胞そのものが散りぢりになり、アポトーシス小体とよばれる粒つぶになりました。そして、このアポトーシス小体は、マクロファージという貪食なるべつの細胞に食べられてしまいました。

丸くなって、ぎゅっと縮まり、散りぢりになって、ぱっと食べられる。これが、細胞の「美しい死にかた」です。

参考ホームページ
日本獣医師会「アポトーシスとネクローシス」
サイエンティストライブラリー特別編「死の側から生を見る分野を確立 長田重一」
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アイデアを支持させるには技術が大切


人は、自分のアイデアから企画をかためると、それでとりあえず満たされてしまうようです。

しかし、組織のなかでみずからアイデアを実現させるには、そのアイデアをまわりの人びとが支持してくれなければなりません。もっとも、そのアイデアを評価するのが自分だけであれば話は楽ですが、いつもそのような場合ばかりではありません。

米国の経営学者ジョン・P・コッターは、自分のアイデアを支持させる技術を真剣に考えました。コッターはまず、人が関心を向けるのはもっぱらアイデアを出すことであるが、そのアイデアを人に支持してもらうのはまったくべつの話であると述べます。アイデア出し重視、アイデア浸透軽視というわけです。

それでは、アイデアの浸透を重視するとして、実際どのように自分のアイデアを人に説明すればよいのでしょう。コッターはつぎのように述べます。

「我々は、『データや理屈でみんなを説き伏せ、攻撃してくる奴は、脅威にならないよう、IQの力で打ち負かせ』と教えられてきました。しかし、実際には、有能と言われる人たちは、弾丸のように言葉を浴びせかけたりはしません。相手に敬意を払い、しかも単純明快で常識的に対応します」

これは、日本の社会では共感できることですが、論を闘わせたり説きふせたりすることに重きを置く米国の社会では意外なことなのかもしれません。

敵対している上司は「きみの提案は生煮えである」と言い、変化を好まない同僚は「これをやるのはたいへんだ」と言い、耳を貸さない社長は「社員を説得するのは無理だろう」と言ってきます。

自分があたためたアイデアを潰されないようにするにはどうすればよいか。コッターは、五つの経験則を述べています。

「トラブルメーカーを排除するな。招き入れ、敬意を持って接する」。経験則なのでその理論はコッターからはあまり述べられていません。アイデアを広めようとする側にも覚悟は要るようです。

「データや情報で相手をやっつけようとして、とうとうと反論を述べてはならない。単純明快に説明する」。このうち「単純明快に説明する」はべつにして、これはどちらかというと日本人の得意技あるいは、ふだんからの行いといえそうです。

「どんなに相手に食ってかかりたくとも、私情を挟んではいけない」。ごもっともと思う人も多いでしょう。

「グループ全体に目を配りなさい。また、そうなりやすいが、批判してくる相手にこだわってはいけない」。アイデアを潰そうとする一部の人だけに気をとられると、よくないことがおきるということでしょう。

「場当たりは避ける」。数分の準備で場当たりな発現を避けることができる場合もあるとコッターは説きます。

コッターが答えているこのインタビュー記事では、「アイデアに磨きをかけて、まわりを支持させる」といった方法はとりあげられていません。これは、よいアイデアかどうかは関係なく、とにかくアイデアを否定してくる人がいることを意味していそうです。

参考文献
ジョン・P・コッター「自分のアイデアを指示させる技術」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』2011年2月号
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関係解消まで約束したうえでの信頼は高まる


人は、人を信頼することで進化をしてきたといわれています。

米国の社会心理学者シェリー・テイラーは「親子の絆や協力、善意の人間関係が、脳の発達を促す決定的要因」であり、「人類に種としての成功をもたらした」ものであると述べています。

もともと、人の赤ちゃんは、親などまわりの面倒なしで生きることがほぼできません。そのため、生まれたばかりの赤ちゃんも親の目と顔を見つめ、親の声に頭を向けます。「信頼する」という性が組みこまれている証しといえるでしょう。

とはいえ、人と人との信頼がビジネス書の主題になったり、「うらぎり」や「詐欺」ということばが存在していることからすれば、人は人に全幅の信頼を置けるわけでもなさそうです。

人と人が信頼関係を正しく育むにはどうしたらよいのか。米国の社会心理学者ロデリック・M・クラマーは、人と人の「適切な信頼関係」を導くためのルールをいくつかあげています。

そのルールのひとつが、「小さく始める」というもの。はじめから人に対して全幅の信頼を置くのでなく、ちょっとした信頼の合図を相手に示すことから始めるとよいとクラマーはいいます。これは「浅い信頼」とよばれるもの。

たとえば、ヒューレット・パッカード社の上層部は、社員に申請書や手続き要らずで、週末に会社の備品を持ちかえることを認めていたといいます。ふつうの企業では「備品持出申請書」などをつくり、上司の印鑑をもらうもの。ヒューレット・パッカードは、その手続きを省いたことで、「社員のみなさんを信頼しています」という小さな合図を社員に示したのだとクラマーは説きます。

適切な信頼関係を築くためのもうひとつのルールが「免責条項を明文化する」というもの。人と人が一致協力してなにかをしようとするとき、「こうなった場合は関係を解消しよう」とあらかじめ決めておくと、人は仲間に対してやる気を起こし、熱心に協力するというのです。

自分が信頼をおこうとしている相手が、信頼を醸成できないときのリスク対策をしっかりもっているということを知るほうが、相手に対して気楽に信頼をおくことができ、結果、これが信頼関係をよりよいものにするとクラマーは説きます。

また、「相手のジレンマを理解する」というルールもクラマーは掲げます。「相手のジレンマ」とは、相手が自分を信頼しうる人とみなしてよいかどうか迷っているような状況のこと。自分が相手を信頼しようか迷うのとおなじように、相手も自分を信頼しようか迷っているのだということです。

そこで、相手に「自分を信頼してもらって大丈夫ですよ」と安心材料をあたえることが大事になります。「これまでに調査したなかで、とりわけ信頼関係を築くことに秀でた人たちには、交渉相手の立場を気遣い、共感の姿勢を示す人がいる」とクラマーは述べています。

そのほかにクラマーが掲げるルールは「おのれを知る」「強力なシグナルを送る」「人物だけでなく役割も考慮する」「警戒を怠らず疑問を抱くことを忘れない」というもの。これから人との信頼を築こうとする人にとっては示唆となりそうです。

参考文献
ロデリック・M・クラマー「信頼の科学」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』2009年9月号
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目標達成に「権力」は使いよう

米国の作曲家ジェームズ・バーンズ(1949-)は、「権力は人を酔わせる」と言いました。そのうえで、酒と権力のちがいもつぎのように説いています。「酒に酔った者はいつか醒めるが、権力によってしまった者は、醒めることを知らない」。

権力は、ほとんどの人びとに、忌み嫌われるものと考えられています。権力者自身も、自分は権力をもっていることに気づかず「権力なんて握るべきではない」と考えているかもしれません。

しかし、なかには権力を組織を率いたりプロジェクトを進めたりするための「道具」としておおいに活用することを薦めている研究者もいます。

スタンフォード経営大学院教授のジェフリー・フェッファーは、権力をもつ人びとを研究し、さらにその成果を実践することのすすめとその術を説いています。

フェッファーは、「政治的にうまく立ち回り、権力を求めれば、結果が出ることがはっきりと証明されている」と述べます。その根拠として、モチベーション研究で知られる社会心理学者デイビッド・マクレランドの研究を引き、人間関係重視型、目標達成重視型、そして権力追究型のみっつのマネジャーのうち、もっとも成功するマネジャーは権力追究型であるという結論を紹介します。

権力を行使される側の人びとの多くは、権力的なものに対して拒絶反応を示すもの。そこでフェッファーは、上手な権力の使いかたの要点もいくつか掲げています。

たとえば「説得力のあるビジョンを掲げる」こと。フェッファーは、説得力と社会的に価値ある目標があれば、権力をより容易に行使することができると説きます。

これは、まわりの人たちに「自分に付いてこい」とただ言うのではなく、「自分はこういうことを実現させたいんだ、そのためにはこれが必要なんだ、だから自分に付いてきてくれ」とビジョンやその理由を付けくわえることで、まわりの人たちを納得させるということでしょう。

また、「親密に接する」ことも要点のひとつといいます。たとえば、米国の映画協会を30年率いたジャック・バレンティは「パーソナル・タッチ」を重視したといいます。それは、メールでなく、直接顔を合わせること、それができなければ電話すること、さらにもらった電話はすぐに折り返すこと。こういった、ことを積み重ね、相手との親密さを醸しだしたといいます。

もうひとつ、フェッファーは「敵を取り込む」という示唆的な要点も掲げています。敵をチームの一員にするか、システムに取り込むことで、敵のエネルギーをちがう方向に向けることができるというわけです。

敵を取り込むという方法は、言うは易し行うは難しの一例でしょう。しかし、自分のすることに不満を言ってくる人に対して、その不満を解消するようにしてあげると、敵愾心を沈まるといいます。結果として、自分を貶めるために向けていた力を、自分の目指す方向に向けてくれることも場合によってはあるでしょう。

「権力」ということばそのものが、人びとに嫌な印象を植えつけるもの。「自分は権力を行使して、プロジェクトを成立するのだ」と思いながらも、けっしてそれを口外せずに、これらのことを実行していくことが大切なのかもしれません。

参考文献
ジェフリー・フェッファー「戦略の遂行と課題達成のカギを握る『権力』の使い方」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』2010年11月号
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「足尾銅山写真データベース」公開される
「足尾銅山写真データベース」報道発表より

「足尾銅山写真データベース」という写真検索システムが、きょう(2012年)6月15日(金)、インターネットで公開されました。

足尾銅山は、1610年に発見され、近代では古河財閥が経営していた栃木県の銅山です。19世紀後半の明治時代初期、この銅山からは鉱毒が近くの渡良瀬川に流れだし、栃木県と群馬県に住む下流の人びとが、稲の立ちがれや、煙害などの被害を受けました。

この足尾銅山を買収した古河市兵衛(1832-1903)に仕えた、小野崎一徳 (1861-1929)という写真家がいます。一徳は、足尾に来た1883(明治16)年から、亡くなる1929年(昭和6)年まで、足尾銅山での人びとの営みや銅採掘のようすなどを写真に収めつづけていました。

ところが、一徳が撮った写真はその後、散逸していくことに。そこで、孫の小野崎敏さんが祖父の写真をふたたび収集。敏さんはこれらの写真を編纂して、2006年に新樹社から『足尾銅山』という写真帖を出してもいます。

しかし、現時点で1000枚にも及んでいる写真の多くには説明がありませんでした。そこで、科学ジャーナリストの小出五郎さんや、法政大学教授の藤田貢崇さんらが「足尾銅山・映像データベース研究会」という会を発足。敏さんから、写真一枚ずつについて聞きとりを行ない、4年をかけて説明を加えていきました。

この作業は途中段階にあるため、公開されている写真は227件。登録写真や説明は今後も増やしていくということです。

データベースには「写真名」「撮影時期」「撮影場所」「説明」それに「フリーワード」の欄があり、適当なことばを入れると該当する写真が検索されます。

たとえば「写真」の欄に「鉄道」と入れると、「神子内未成鉄道橋」という写真が検索され、説明には「日光方面の細尾峠の下にあたる栃木平。谷は神子内川(みこうちがわ)。橋は馬車が往来するドコビールだが、未完成の頃の写真である」という情報が得られます。

また、検索欄になにも入れずに検索をすると、写真の一覧を見ることもできます。賑わう銅山の街や、鉱夫たち、それにむき出しになった山の斜面などの写真があります。

研究会は「これまでの成果として足尾銅山の光と影をウェブに公開するものです。さらに、『足尾、水俣、福島』の今日性と国際性を考慮して英語版を作成し、世界に発信する計画です」としています。

「足尾銅山写真データベース」はこちら。

参考文献
大森弘喜「書評 小野崎敏編著 小野崎一徳写真帖『足尾銅山』」
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書評『夢の分析』
一人の人の夢から、心の状態と、社会の状態が見えてきます。



「夢分析」という心理療法がある。

心の問題を抱えた「クライアント」とよばれる受診者が、カウンセラーの前で自分の見た夢を語る。過去の心的外傷などが無意識にあって、それが意識に影響をあたえているために起きる心の病がある。そこで、クライアントは無意識から意識の領域にあらわれた夢の内容をはっきり語り、カウンセラーはその語りに耳を傾ける。これにより、カウンセラーが抱えていた負の影響をなくしてしまおうとするのが、夢分析という心理療法のあらましだ。

著者は、川合隼雄に師事し、夢分析や箱庭療法を実践してきた臨床心理学者。この著者のところに訪れた「Aさん」が語った14の夢を、著者がひとつひとつ分析していく。

前提としてあるのが、夢分析は一対一対応ではなりたたないということ。このクライアントはこの夢をみたからこういう症状にちがいない、といった対応関係は絶対的なものではない。著者はつぎのように述べる。

「イメージとなにかを一対一対応的に結びつけて早急に夢を解釈することは控えよう。夢をみていく際には、もっとじっくりと夢のイメージに戯れるように関わりつつ、夢のなかに示される諸々のイメージ同士の関連や、その差異、相似などに注意を払っていくことが大切だからである」

このことばどおり、著者は、クライアントの「Aさん」が語った夢の内容を丹念に分析していく。

はじめの夢は、「Aさん」が広い海のなかでさびしくしているというもの。この夢の内容が、時が経つにつれてじょじょに「Aさん」のなかで変容していく。ある夢のなかでは山々が現れ、またある夢のなかでは「Aさん」は水のなかに落ちる。

夢の変化に著者は意味を見出していく。たとえば「山々」の登場は、自分が生きるうえでの「主体」が自分自身でないという状況にある「Aさん」にとって、その「主体」が現れてきたことを意味するからだという。

分析において重視されているのが時代背景だ。人がみる夢は、その時代に自分が生きているからこそ、その夢の内容になる。自分が生きていない時代を背景とする夢をみることはほぼない。たとえば、著者はつぎのように述べる。

「ひとりひとりが快適に腰掛けられる一人用の椅子の出現は近代まで待たねばならなかった。そのような個人の座席の成立をもってはじめて、『会社に行くと、私の席がない」とか「私はどこに座ればよいのだろうかととまどっている』といった近代人がよくみる夢が可能になってくる」

その人がみる夢に対して、社会的背景を熟慮しつつ夢分析を行なっていく。「なぜ、一人の人がある日みた夢から、そんなに社会背景や時代背景を掘りさげる必要があるのか」と感じる読者もいるかもしれない。

だが、「これが夢分析を実践する心理学者が考えることなのだ」と思いながら読みすすめると、夢分析の本質を垣間みた気もちになれるだろう。夢も夢分析も深いもの。その深いものに真摯に向きあうからこそ、夢分析はクライアントにとっての“療法”たりうるのかもしれない。

『夢の分析』はこちらでどうぞ。
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トップダウン型、建設的で本質的


組織の意思決定には、「トップダウン型」と「ボトムアップ型」があるといわれます。

トップダウン型とは、組織の上層部が「これをするように」と意思決定し、組織の下部へと指示するような管理のしかたのこと。「上意下達」などともよばれます。

いっぽう、ボトムアップ型とは、下部から上層部に「こうしましょう」と発案することによって意思決定する管理のしかたのこと。もしことばがあるならば「下意上達」となるでしょうか。

物事を対比させて考える世のなかで、トップダウン型とボトムアップ型は、しばしば「どちらが優れているか」をめぐる議論の的になります。

目指されるべき型と考えられがちなのは、ボトムアップ型のほうでしょう。たとえば、会社で若手や係長や課長あたりまでの社員たちが自発的に意見をつぎつぎと出して、それが会社の成長をもたらすといったストーリーは、しばしば、「組織とはこうあるべき」といった論で語られます。

いっぽう、トップダウン型というと、組織の上層にいる人物たちが「いいからこうしろ」と力づくで下部の社員たちに命令するような意味あいが付きまといます。「トップダウン」に「上が下をおさえつける」といった語感を抱く人も、すくなくはありますまい。

こうした印象の差はどこからくるのでしょう。明らかにちがうのは、組織におけるトップとボトムの人数の差です。

トップは社長や部長などの「長」のこと。会社や部署で、長の存在はひとにぎりです。いっぽう、ボトムは長の下にいる「下部」のこと。こちらは、会社や組織でたくさんいます。たくさんいるボトムが、たくさんの意見を出せば、おのずと組織は活性化するといった印象が、「ボトムアップ」にはありそうです。

とはいえ、トップダウン型の組織管理がすべて悪いというわけではありません。組織管理のはじまりがトップダウンである場合と、ボトムアップである場合では、状況やその後の展開のしかたがちがってきます。

トップダウン型がもとになってボトムアップが促されるということはよくあります。たとえば、会社の社長が「職場が元気ないな。よし、社員に積極的な発案をするように促そう」と考えて実行したとします。これにより、下部の社員たちから改善の提案などが出されることに。

いっぽう、ボトムアップ型がもとになってトップダウンが促されることもありますが、こちらはまれであり、しかもよくない状況であることが多そうです。会社の下部ではたらく社員たちが「うちの社長、明確な指示がなくてほんと困るよな。もっと明確な指示を出してもらうように言おうぜ」と考えて実行したとします。これにより、社長から社員たちに指示が出されることに。

どちらかというと、トップダウンでボトムアップを促すほうは「ゼロがプラスになる」といった状況であるのに対し、ボトムアップでトップダウンを促すほうは「マイナスがゼロになる」といった状況といえそうです。

また、この場合、トップダウンでボトムアップを促すほうは、不満や希望をもっている人は1人や少人数であるのに対して、ボトムアップでトップダウンを促すほうは、不満や希望をもっている人は大勢となります。この点も、組織全体として「ゼロがプラスになる」印象か「マイナスがゼロになる」印象か、ちがいの原因になります。

そもそも組織とは、ある人が「こんなことを実現したい」という意思を抱き、それに賛同した人が付いてくるというのが原型。自然な組織のありかたを考えると、トップダウン型のほうがより本質的といえるのではないでしょうか。
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エネルギー漫画『H・E』コミック第1巻が発売


漫画家のBoichiさんによる『ジャンプ改』の連載『H・E The HUNT for ENERGY』が、このたびコミックになり、第1巻が発売されました。

『H・E』は、エネルギーを主題にした作品。「日本エネルギーコーポレーション」というエネルギー企業を舞台に、プロジェクトチームの社員たちが、この会社の主力事業だった石油に代わるエネルギー事業を見つけていきます。

こうした設定は、いまの日本のエネルギー関連企業の現実と重なる部分も多いにあります。いっぽうで、漫画ならではの設定も。主人公の成島ヒロは、エネルギーの不思議な“流れ”を眼で見ることができます。

成島によって「エント君」と名づけられたこのエネルギーの“流れ”には2種類あります。青い「エント君」たちは木や太陽などから出ており、いっぽう赤い「エント君」たちは燃やした木などから出ています。“3・11”の直後、成島は、東北の空がまっ赤に染まっているのを目にしました。

この「エント君」を見られるという成島の能力が、今後のエネルギー探しの鍵をにぎってきそうです。

第1巻では、主人公の成島はじめプロジェクトメンバーの結成や、はじめに目をつけた太陽光発電のリサーチなどが繰りひろげられます。

エネルギーを題材にした連載漫画作品はこれまで例がなさそうです。『H・E』は、福島第一原発事故以降の日本の状況と重なりあう部分が多く、また、「川崎市」の太陽光発電所など、実在するエネルギー生産拠点も多く出てきます。

コミックでは、付録として「Boichi 日本漫画界生存記」もあります。韓国出身のBoichiさんが、日本に活動拠点を移してからの日本での苦労や希望が描かれています。

集英社による『H・E』の紹介はこちら。
アマゾンのページはこちらです。
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条例で地域の安全・安心を確保する――遺伝子組みかえをめぐる法(5)
これまで見てきた、カタルヘナ法、食品安全基本法、食品衛生法、飼料安全法、薬事法はどれも国の法律です。いっぽう、遺伝子組みかえをめぐる“法”として、県などの地方自治体が「条例」を設ける例も出てきています。

条例とは、県や市などの地方自治体が、管理する事務について議会の議決によって制定する法のこと。条例は、国の法律と違反しないかぎりにおいて定めることができます。国の法律よりも強い規制が行なわれることも実際はあります。

北海道は、ほかの地方自治体にさきがけて、2005年に「北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」を制定しました。

北海道では2003年、農業・生物系特定産業技術研究機構の北海道農業研究センターが遺伝子組みかえイネを栽培したところ、市民が「説明不足だ」などと反発しました。こうした経緯があり、道は2005年に条例を制定しました。

道は、この条例の趣旨を、「遺伝子組換え作物の開放系での栽培によって、一般作物との交雑や混入が起これば、 周辺の生産者をはじめ、地域農業全体の大きな経済的損失や生産・流通上の混乱、さらには消費者の健康への影響が懸念されることなどから、交雑や混入が生じないよう厳重な管理体制の下で行うためのルールを定めた」と説明しています。

遺伝子組みかえ作物を管理なしに栽培していると、非遺伝子組みかえ作物に遺伝子組みかえ作物の遺伝子が入ってしまうことによる風評被害や、住民の健康被害への懸念が高まることなどから、対策を立てたといえそうです。

条例では、農家が畑などで遺伝子組みかえ植物を育てる「開放系一般栽培」について、栽培者が地域説明会を開いたあと知事に許可を申請すること、知事は食の安全・安心委員会の意見を聴取して許可・不許可を決定すること、また、知事は栽培許可者に対して必要に応じて勧告、栽培中止命令、必要な措置命令、許可の取消しを行うことを定めています。

開放系一般栽培とはべつに、研究機関が研究ほ場で試験目的のために遺伝子組みかえ植物を育てる「開放系試験栽培」についても手つづきを定めています。試験研究機関は遺伝子組みかえ植物の栽培について地域説明会を開いたあと知事に届け出ること、知事は食の安全・安心委員会の意見を聴取すること、知事は研究機関に対して必要に応じて勧告、栽培中止命令、必要な措置を命令することを定めています。

「北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」で定められた制度のしくみ(北海道農政部「遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例の概要」より)

神奈川県も、2010年に「神奈川県遺伝子組換え作物交雑等防止条例」を制定しました。開放系栽培を行なう者は、遺伝子組みかえ作物と一般作物が交雑することや、遺伝子組みかえ作物が一般作物に混入することを防ぐための措置をとらなければならないこと、また知事への届け出をすることや説明会を開くことなども定めています。

農林水産省は、2002年11月、遺伝子組みかえ作物について「生産・流通上の混乱を招かないための交雑・混入防止措置の徹底」を指導することを地方自治体に通達しています。自治体での条例制定は、この通達を受けてのものと考えられます。

遺伝子組みかえに対して、各地域の住民が、食品として食べることは安全か、環境を荒らしてしまうおそれはないか、倫理的に許されることなのか、といった懸念を根強くもっているということも、条例の制定には関係していそうです。了。

参考文献
北海道「北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」
北海道農政部「遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例の概要」
神奈川県「神奈川県遺伝子組換え作物交雑等防止条例」
松井博和「北海道『遺伝子組換え作物に関する条例』の背景と経緯」
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薬事法で薬としての安全を高める――遺伝子組みかえをめぐる法(4)
遺伝子組みかえ技術の使い道は食品だけではありません。

体に摂りこむものとしては、薬にも遺伝子組みかえ技術が使われています。薬には、いきものを材料につくるものもあり、遺伝子が組みかえられた材料が薬として使われるわけです。

世界初の遺伝子組みかえ薬品は、ヒトインスリン製剤といわれています。1982年、イーライリリー社が、人間のインスリンをつくる遺伝子を大腸菌に組みこんで培養し、糖尿病治療のためにヒトインスリンをつくりました。

その後も、遺伝子組みかえ薬品は、人の血液を材料としてつくる血液製剤の代わりとして、人の血液を使わないで遺伝子組みかえ血液製剤などが開発され、血液凝固などのために使われています。これらの製剤は、血液凝固因子という遺伝子を、仔ハムスター腎臓細胞や、チャイニーズハムスター卵巣細胞などに組みこむことでつくられます。

医薬品の安全性を確保するための法律は、厚生労働省が管理する「薬事法」です。製薬企業が新薬を広く製造・販売したいときも、この薬事法にのっとって申請手続きをします。一般的には、製薬企業が、マウスなどを対象とした動物試験や、人を対象とした臨床試験などの段階を経て、安全性と有効性を確かめたうえで、そのデータを医薬品医療機器総合機構という独立行政法人に申請し、製造・販売の許可を得ます。

遺伝子組みかえ薬品については、2003年7月30日から施行された改正薬事法のなかで、「生物由来製品」または「特定生物由来製品」という位置づけにされ、安全対策が強化されたといわれます。

生物由来製品とは、おもに動物に由来する原料や材料を使った薬などのことで、このなかには遺伝子組みかえタンパク質などもふくまれます。また、特定生物由来製品とは、おもに人の血液や組織に由来する原料や材料を使った薬などのことで、上の遺伝子組みかえ血液製剤は、この特定生物由来製品にふくまれます。


薬事法における生物由来製品と特定生物由来製品(厚生労働省「医薬品・医療機器の適正な使用により、より安心できる医療の提供を」より)

生物由来製品や、特定生物由来製品は、まだ知られていない感染症の原因をもっているおそれが否定できないことなどから、とりわけ安全対策を充実させようということになったわけです。

具体的には、生物由来製品には「生物」と、特定生物由来製品には「特生物」という表示をすることが義務づけられています。遺伝子組みかえ製剤である場合は、「遺伝子組換え製剤」といった表記もします。

また、特定生物由来製品をあつかう医療従事者は、患者に書面などで有効性や安全性や適正に使うための必要事項を説明することなどが義務づけられています。

遺伝子組みかえ技術をめぐっては、食品として食べられるためにスーパーマーケットなどで売られるより、薬として人を治療するために病院や薬局で扱われるほうが、人びとの抵抗は小さいといわれています。つづく。

参考文献
厚生労働省「遺伝子組換え製剤について」
参考ホームページ
製薬協「ゲノムQ&A バイオ医薬品と遺伝子治療」
比留間潔「遺伝子組換えアルブミン製剤」
厚生労働省「医薬品・医療機器の適正な使用によりより安心のできる医療の提供を」
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食品安全基本法と飼料安全法で飼料としての安全保つ――遺伝子組みかえをめぐる法(3)
遺伝子組みかえ作物をからだに摂りこむのは人だけではありません。人が飼育する豚や牛などの家畜も、遺伝子が組みかえられたえさを食べることがあります。

こうした遺伝子組みかえ飼料の安全を確保することも、法律で定められています。

食品の安全を確保するための“憲法”「食品安全基本法」の下には、飼料の安全性を確保するための法律もあります。農林水産省が管理する「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律」がそれで、「飼料安全法」ともよばれています。

飼料安全法の目的は、「飼料および飼料添加物の製造等に関する規制、飼料の公定規格の設定およびこれによる検定等を行うことにより、飼料の安全性の確保及び品質の改善をはかり、もつて公共の安全の確保と畜産物等の生産の安定に寄与すること」。

この飼料安全法の上での義務として、2007年4月1日より、安全性が確保された遺伝子組みかえ飼料でなければ日本国内で流通することができないということになりました。

それまでも1996年より「組換え体利用飼料の安全性評価指針」という指針が、農林水産省の事務次官から通達されていました。しかし、遺伝子組みかえ飼料が国際的に出回ってきたことから、一段階上の法律で安全性の確保を義務化することになったのです。

遺伝子組みかえ飼料の安全性を確認するための手続きは、企業が遺伝子組みかえ食品を流通させたいときに踏む手続きとにています。

まず、遺伝子組みかえ飼料を使いたい企業が、農林水産省に申請をします。この申請を受けて、農林水産大臣は、内閣府の食品安全委員会に、申請を受けた遺伝子組みかえ飼料の安全性評価を頼みます。また、飼料や飼料添加物などについての重要事項を調査・審議する農林水産省の農業資材審議会という会にも安全かどうかの意見をはかります。

食品安全委員会からの評価の結果や、農業資材審議会からの答申を受けて、農林水産大臣が遺伝子組みかえ飼料の安全性が認めれば、その飼料は公表されて流通できることになります。


飼料安全法における遺伝子組みかえ飼料の安全性確保の流れ(農林水産省 消費・安全局
畜水産安全管理課「遺伝子組換え飼料のリスク管理措置について」より)

では、どのような安全性を遺伝子組みかえ飼料に対して評価するのでしょうか。

家畜が摂りいれる遺伝子組みかえ飼料についても、人が食べる遺伝子組みかえ食品とおなじように、従来の非遺伝子組みかえ飼料とおなじように安全かを基本に考えます。遺伝子組みかえ飼料の場合、具体的には、新しくつくられるタンパク質が家畜に害を及ぼさないか、また、新しくつくられるタンパク質や、家畜の体のなかで変化したタンパク質が人に害を及ぼさないか、といった点で安全かどうかが確かめられます。

2005年6月1日には、飼料安全法にもとづいた安全性の確認がなされていない米国シンジェンタ製の遺伝子組みかえトウモロコシ「Bt10」が、米国産の飼料のなかに混入していることがわかりました。殺虫タンパク質をつくるなどの特徴があり、すでに承認されている「Bt11」という遺伝子組みかえトウモロコシと似ています。

2005年6月6日にはシンジェンタ社が農林水産省に「Bt10」の安全性を認めるよう申請をし、その後、農林水産省と厚生労働省は、Bt10は飼料それに食品の安全上の問題はないと考えられるとしました。もともと、このBt10はシンジェンタ社が商品化を予定していたものではなく、誤ってほかのトウモロコシに混入してしまったものでした。

その後、農林水産省は、安全性が認められていない遺伝子組みかえ飼料が、誤って飼料に混入することは大量流通のなかではある程度は避けられないとして、「混入基準」というものを設けました。日本とおなじような安全性審査が行なわれている国でつくられた遺伝子組みかえ飼料のなかに、1%以下の割合で日本で認められていない遺伝子組みかえ飼料が入っているとしても流通禁止などの対象にはしないことにしたのです。

これまで遺伝子組みかえ作物は、おもに雑草を死なせる除草剤に耐えたり、病気を広げるウイルスに耐えたりすることができることを目的につくられてきました。

しかし、米国の飼料メーカーは、畜産物の栄養成分や風味を高めるための遺伝子組みかえ飼料をつくることを目指して開発を進めています。

参考文献
北海道農政部酪農畜産課「遺伝子組換え飼料等の安全性確認の法的義務付けについて」
農林水産省 消費・安全局 衛生管理課「未承認組換えDNA技術応用飼料 Bt10トウモロコシについて」
農林水産省 消費・安全局 畜産安全管理課「遺伝子組換え飼料のリスク管理措置について」

参考ホームページ
法令データ提供システム「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律」
農林水産省畜産局流通飼料課  吉田稔「組み換え体利用飼料の安全性について」
デュポン「飼料としての遺伝子組換え農作物Q&A」
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食品安全基本法と食品衛生法で食としての安全保つ――遺伝子組みかえをめぐる法(2)
作物に遺伝子組みかえを行なうおもな目的は「除草剤をまかれても枯れにくくさせる」というものです。

作物にとって雑草は大敵。その雑草を取りのぞく除草剤には「グリホサート」や「グルホシネート」といったものがあります。

グリホサートをまかれた植物は、育つのに必要なアミノ酸をつくることができなくなり、死んでしまいます。そこで、トウモロコシなどの作物に遺伝子組みかえをして、アミノ酸をつくれるようにしてやります。すると、グリホサートをまかれて雑草は死んでいくいっぽう、遺伝子組みかえ作物だけは生きのこることになります。

また、グルホシネートをまかれた雑草は、植物にとって害になるアンモニアを分解できなくなるため、アンモニアが貯まりすぎて死んでしまいます。そこでトウモロコシなどの作物に遺伝子組みかえをします。遺伝子組みかえによって、アンモニアを分解させないはたらきをもつホスフィノスリシンという物質をはたらかせなくするのです。すると、グルホシネートをまかれて雑草は死んでいくなかで、遺伝子組みかえ作物だけは生きのこることになります。

2012年はじめに話題になった遺伝子組みかえパパイヤは、「パパイヤリングスポットウイルスコートプロテイン遺伝子」という遺伝子を組みいれたもの。パパイヤ栽培では、パパイヤリングスポットウイルスという感染源が、パパイヤに斑点をつけたり糖度を落としたりして問題になっていました。この病気を防ぐために、パパイヤの遺伝子を組みかえたわけです。

このような遺伝子組みかえ作物に対して、「食べる場合の安全性は保たれているのか」という心配があります。この心配に対して、遺伝子組みかえでつくられた食品の安全性を確保するための法律があります。おもに「食品安全基本法」と「食品衛生法」のなかで、安全性確保のしくみが定められています。

「食品安全基本法」は、食品の安全を確保するための“憲法”のようなもの。この“憲法”の下に、具体的な法律として「食品衛生法」が位置づけられています。

2001年4月1日から、食品衛生法の上での義務として、安全性審査がなされた遺伝子組みかえ食品しか国内で流通してはならないことになりました。

安全性審査はつぎのような手順で進められます。

まず、遺伝子組みかえ食品を取りあつかおうとする企業が、厚生労働省に「この遺伝子組みかえ食品を取りあつかいたい」と申請します。申請を受けた厚生労働省は、企業が自分たちで用意した安全性を評価するための詳細資料を、内閣府の食品安全委員会に提出し、「安全性が妥当か調べてください」と頼みます。

食品安全委員会が安全性を評価して「安全性に問題ない」となれば、その結果を厚生労働省に返事します。その返事を受けた厚生労働大臣がその遺伝子組みかえ食品をつくったり売ったりしてよいと判断することで、その遺伝子組みかえ食品は流通することになります。いっぽう、「安全性に問題がある」となった場合は、再評価を行なうことになります。


安全性審査の流れ(厚生労働省医薬食品局食品安全部「遺伝子組換え食品Q&A」2011年6月1日改訂第9版より

安全性審査では、組みこむ遺伝子はよく解明されているか、組みこまれた遺伝子がどうはたらくかや、遺伝子組みかえで新しくできたタンパク質はアレルギーなどの人にとって有害なことを引き起さないか、組みこまれた遺伝子が間接的に有害物質をつくるおそれがないか、遺伝子組みかえによって食品の栄養素が大きく変わらないか、などの点から評価されます。

なお、2001年4月からは、遺伝子組みかえ食品に「遺伝子組みかえである」と表示することも義務になりました。表示義務は、上で見た厚生労働省の定める食品衛生法と、また、農林水産省の定める「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」(JAS法)にもとづいて行なわれています。つづく。

参考文献
厚生労働省医薬食品局食品安全部「遺伝子組換え食品Q&A」
食品安全委員会「遺伝子組換えパパイヤのリスク評価を行ないました」
消費者庁食品表示課「食品表示に関する共通Q&A(第3集:遺伝子組換え食品に関する表示について)」
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カルタヘナ法で生物多様性の安全保つ――遺伝子組みかえをめぐる法(1)
通りすがりさんから、法や議定書のよびかたにつき、「カルタヘナ条約」とご指摘をいただきました。訂正します。2013年1月30日。

ことし(2012年)はじめから、遺伝子組み換え食品の話題が新聞などで取りあげられています。

米国で育てられている「遺伝子組みかえパパイヤ」の輸入が日本で解禁されたり、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP:Trans-Pacific Partnership)により日本での遺伝子組みかえ食品の扱いかたが変わる可能性が出てきたからです。

「遺伝子組みかえ」とは、植物などのいきものの遺伝子に、ほかの植物の遺伝子を組み入れること。これまでも、人がいきものの遺伝子を変えることは、植物の品種改良などで行なわれてきました。遺伝子組みかえは、種を超えて、短時間のうちに、確実に、いきものの遺伝子を変えるという点で品種改良とは異なります。

遺伝子組みかえについて、市民は根づよく「ほんとうに安全なのだろうか」と不安をもっています。そのなかでも「なにについての安全か」、つまり安全の対象となることがらはさまざまあります。

日本では、遺伝子組みかえについて、安全の対象となることがらごとに法律があります。

「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」は、法の名前にふくまれているように、「生物の多様性」についての法律です。

この法律のべつのよびかたは「カルタヘナ法」。カルタヘナは、1999年に生物多様性条約締約国会議が開かれたコロンビアの都市。この会議で、日本をふくむ条約締約国は、生物多様性の観点から、遺伝子組みかえ生物が国境を超えるときのルールを決めました。

ルールの中身は、野外で育てた遺伝子組みかえ生物をほかの国に輸出するときに輸出側の国にその旨を伝えることや、遺伝子組みかえ生物を輸入する側の国は生物多様性への影響を評価したうえで「輸入してもいいです」あるいは「輸入してはなりません」と相手の国や人に伝えることなどです。


カルタヘナ議定書にのっとった遺伝子組みかえ生物の輸出入手続き(環境省「バイオセーフティに関するカルタヘナ議定書について」より)

このルールは「カルタヘナ議定書」として2000年に採択され、2003年9月に発効となりました。カルタヘナ議定書を受けて、日本で正しくルールを用いるためにつくられた法律が「カルタヘナ法」です。

遺伝子組みかえ生物を育てるとき、ほかの遺伝子組みかえでないいきものが、生存競争のなかでやられてしまわないか。遺伝子組みかえ生物が、もともとその近くにいた野性の生物と交雑して、野性のいきものに影響をあたえないか。遺伝子組みかえ生物が害のある物質をつくりだして、まわりの草木や虫に影響をあたえないか。

これらのことが、遺伝子組みかえと生物多様性の関係では心配されています。

そこで、外で育てる遺伝子組みかえ生物については、これらの生物多様性への影響が出るおそれがないと認められたものにかぎって、食料や飼料などに使うことができるようにカルタヘナ法で定めたのです。

また、実験室や工場などの屋内で扱う遺伝子組みかえ生物に対しては、環境中にそれが広がらないように決められた方法で使うことができることも、カタルヘナ法で定められました。

ほかの「安全」の対象については、どのような法律があるのでしょうか。つづく。

参考文献
厚生労働省「遺伝子組換え食品Q&A」
バイオセーフティクリアリングハウス「ご存知ですか? カルタヘナ法」
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「スパイスロード」の一番星カレー――カレーまみれのアネクドート(42)


福岡の中心街、天神から西鉄に乗って2駅。西鉄平尾駅で降りて百年橋通りを東へ500メートル。マンションの一角を左に曲がります。

この道順は、インドカレーの店として呼び声の高い「スパイスロード」を来訪するためのもの。店に看板はありません。でもスパイスの香りで「ここか」とわかります。

店のドアに貼られているのは、「うまさ優先 今月いっぱい八百円 一番星カレー」の貼り紙。店のなかに入ると、目に飛び込むのがピンク色の壁。そして、厨房で座って客待ちをしているマスター。

「きょうは800円のカレーだけですけれど、いいですか」とマスターは客がくるたびに確認します。ほかのメニューはなし。マスターが研究開発したカレー1品を、客は食します。ただし、ライスは白いふつうのライスのほか、“黄金のライス”、さらに“ハーフ・アンド・ハーフ”まで選べます。漬物もらっきょうとパパイヤ漬けを選べます。

1品のみだからかマスターの手際はよく、「きょうは800円のカレーだけですけれど、いいですか」から3分ほどで一番星カレーが出されます。

店の内装は歓楽街のパブのごとし。いっぽうで、出されるカレーは上品そのもの。タージマハルを連想させるような白くて丸い皿のくぼみにはカレールゥ。鶏のもも肉が行儀よくみっつ並んでいます。その奥には、白と黄金でわけられたライスの小山。頂には、らっきょうがふたつ、自己主張することなく乗せられています。

ルゥの味は、食べはじめから辛さが口を襲うようなことはなく、何種類ものスパイスがあとになって効いてくる“じわじわ系”です。味のバランスは、マスターが研究を重ねた末のものなのでしょう。べつの時期には「インド修行カレー」なるメニューも出されていました。

店の雰囲気を味わい、マスター入魂のカレーを味わう。昼の短い時間、数坪の狭い店はもはや別世界。二重の味わいを経験した客は店を出て、いつもの福岡の街へと戻っていきます。

「スパイスロード」の食べログ情報はこちら。
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最重要課題の先延ばしが重要課題の遂行をもたらす


やりたくないけれどやらなければならない仕事がある。そのようなとき、どうすればその仕事をやることができるでしょう。

スタンフォード大学の哲学者ジョン・ペリーは、多くの人間が抱えるこの永遠なる課題に対して、つぎのような示唆的な論を述べました。

「より重要な仕事を先延ばししておくことだ」

遂げるのがものすごくたいへんに思える仕事を抱えているとき、人はその仕事にくらべればかんたんに思える仕事には手を付けるというわけです。

たとえば、ジョン・ペリーは、この論を述べたエッセイ「いかに先延ばしをして、物事をやりとげるか」を執筆したとき、つぎのような書類を抱えていたといいます。学生の進級がかかった論文、評価しなければならない助成金計画書、精読しなければならない学術論文の原稿……。

これらの仕事をこなすことにくらべたら、エッセイを一本書くことは大したことではなかったのでしょう。そのために、彼はこのエッセイを書くことができたのだといいます。

「ああ、この仕事をやらなければ」というときに、「でも、まずはこっちから手をつけるか」と考えたことのある人は多いでしょう。この自分に起きる心理を利用するわけです。

ペリーはこの業を「構造化された先延ばし」と名づけました。この業で重要なのは、構造化された先延ばしをしている人は、まったくなにもしないことはないことであるとペリーはいいます。大切なことを先延ばししている人は、鉛筆を削ったり、植木に水をやったりという、まずまず有意義なことをするわけですから。

エッセイの終わりのほうで、ペリーはこれまた示唆的な、つぎのようなことを述べています。

「必要なのは、妄想的にふくれあがった仕事の重要性や、虚構的に設定された仕事のしめきりを、あたかもそれらが一大事であり、差し迫ったものであるかのように認識できるようになることだ」

ジョン・ペリーはこのエッセイ「いかに先延ばしをして、物事をやりとげるか」の業績によって、2011年にイグノーベル文学賞を受賞しました。

参考文献
John Perry “How to Procrastinate and Still Get Things Done”
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「脂」も「肝」も増えるまえにふくらむ

「大きくなっていくもの」には、およそふたつの大きくなる方法があります。「増える」という方法と「ふくらむ」という方法です。

「お釜のなかで、お米をいっぱいにするにはどうしたらよいか」という問いが出されたとします。ある人は「お釜に米つぶを溢れるくらいまで満たす」と答えました。これは「増える」ほう。べつの人は「お釜のお米を炊く」と答えました。これは「ふくらむ」ほう。

では、動物のからだが大きくなるとき、その方法はどうでしょうか。

お腹まわりが大きくなるといった肥満では、「ふくらむ」ことから始まります。肥満化を担う主役は脂肪を貯える脂肪細胞。この細胞ひとつの大きさは、直径70マイクロメートルから90マイクロメートルほど。この細胞が脂肪をとり込みつづけると、ひとつひとつがふくらんでいき、それぞれ直径1.3倍ほどになります。

しかし、脂肪細胞といっても、いくらでも脂肪を貯めこめるわけではありません。1.3倍までふくらむと、それ以上はふくらまなくなります。それでも脂肪を摂りつづけていると、こんどは脂肪細胞が「しかたないなぁ」と、分裂しだします。ここから「増える」ことがはじまるわけです。

もうひとつ、動物のからだの内側には、大きくなる部分があります。肝臓です。エネルギー貯蔵物質のグリコーゲンを貯めたり、血糖を出したり、アルコールを解毒したり、もくもくと大車輪のはたらきをします。

肝臓は「再生する臓器」として知られています。かなりの部分を切りとってしまっても、また肝臓は大きくなっていくのです。たとえば、手術で7割の部分を切り除いたとしても、2、3か月すればほぼ元の大きさに戻ります。

肝臓のおよそ8割は、肝細胞という細胞でできています。つまり、肝臓が切ってもまた大きくなるのには、この肝細胞が鍵をにぎることになります。大きさは20マイクロメートルほど。脂肪細胞ほど大きくありません。

これまで、肝臓が切られたあと、肝細胞が分裂して増えていくことで肝臓が大きくなる、つまりは再生すると、なんとなく考えられてきました。

しかし、東京大学分子細胞生物学研究所のチームが、肝臓が大きくなる方法を「ちゃんと確かめてみよう」と考えました。

研究チームは実験で、マウスの肝臓を7割ほど切り除いたあと、肝細胞に目印となるタンパク質を入れて、細胞分裂の回数を見てみました。

すると、1個の肝細胞につき、平均0.7回、分裂したといいます。

しかし、この計算は割に合いません。3割しかなくなった肝臓の肝細胞がすべて0.7回分裂しても、元の大きさにならないからです。元の大きさになるには、肝細胞が平均1.6回、分裂しなければなりません。

分裂で増えているのでなければ、肝臓はどのように大きくなっているのでしょうか。

研究でわかったのが、肝細胞は「増える」よりも「ふくらむ」ということでした。じつは、7割を切り除いた肝臓では、残された肝細胞が1.5倍の大きさにふくらんでいたのです。

しかも、3割だけを切り除いたマウスの肝臓では、肝細胞がふくらむだけで、元の大きさに戻ってしまったといいます。

ここからいえることは、肝細胞もまずはふくらんで肝臓を大きくさせ、それだけでは元の大きさにならない場合は、肝細胞が分裂して増えるということ。つまり、肥満のなりかたと、順番としてはおなじだったわけです。

脂肪細胞も肝細胞も、とりあえず自分だけでどうにかしようとして、どうにもならないときには人の手を借りる、のではなく、自分を分身させていくということになります。

参考文献
杉原甫「脂肪細胞の増殖」
参考記事
東京大学分子細胞生物学研究所「肝臓の再生を担う肝細胞の驚くべき性質を解明」
肝臓の再生を担う肝細胞の驚くべき性質を解明
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日本画の世界、植物も擬人化
日本の絵画には、古くからいきものを擬人化したものが見られます。

もっとも古い部類では、12世紀から13世紀につくられたとされる「鳥獣戯画」があります。仲よさそうに入浴する兎や猿、これまた仲よさそうに相撲をとる蛙と兎などが描かれています。

「鳥獣戯画」巻一、相撲する動物たち

また、19世紀なかごろには、松村景文を師とする画家の西山方園が、きりぎりすやばったなどの虫が草花を高く掲げて行列をしている「虫行列図」を描いています。

動物の擬人化には、擬人化するとユーモラスぶりを生み出せることや、想像を超えた表現ができることなどの効果があります。擬人化の絵をほのぼのと描いた画家にも、そうしたねらいがあったのでしょう。

動物を擬人化した絵ほど知られていませんが、いきものの擬人化は植物にも見られます。

日本の絵画には、「百鬼夜行絵巻」という作品があります。「百鬼夜行」とは字のごとく、百ものさまざまな鬼が夜に歩くこと。その様を描いたのが「百鬼夜行絵巻」です。

ひとくちに「百鬼夜行絵巻」といってもいろいろな作品があります。そのなかでも、東京国立博物館が所蔵している「百鬼夜行絵巻」と、京都市芸術大学が所蔵している「百鬼夜行絵巻」異本には、それぞれ擬人化された瓢箪の姿が描かれています。

「百鬼夜行絵巻 異本」東京国立博物館蔵(田中貴子ら著『百鬼夜行を絵巻をよむ』より引用)

「百鬼夜行絵巻 異本」京都市芸術大学蔵(田中貴子ら著『百鬼夜行を絵巻をよむ』より引用)

共通するのは、お腹のあたりに太鼓があること、笑顔であること、そして「瓢箪」といいながらも蕪のようであること。

仏教の思想には、「草木国土悉皆成仏」という考えかたがあります。これは、草木や国土のような心をもたないものも、みな成仏するということ。「すべてのものに命あり」という思想です。そうした思想から、植物が擬人化して描かれることも故なしとしません。

参考文献
藤岡摩里子「日本絵画史における動物の擬人化」
伊藤信博「植物の擬人化の系譜」
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『震度7を生き残る』東京直下の活断層は謎だらけ

朝日新聞出版が(2011年)4月20日に発行した『AERA臨時増刊 震度7を生き残る』という雑誌が売れているようです。編集者によると、3刷が決定し、刷部数は9万4000部になるといいます。

2011年3月に東日本巨大地震が起きてから、首都直下型地震などに対する予測を研究機関があいついで出しています。2011年9月に、東京大学地震研究所の研究チームが「マグニチュード7級の首都直下型地震が約4年以内に70%の確率で発生する」とする予測をまとめ、これが2012年1月、新聞などで大々的に報じられました。その後、2月にこの研究チームは「4年以内の確率は50%以下」と修正しています。

また、京都大学防災研究所は、首都直下型地震について、「5年以内に28%、30年以内に64%」と確率を試算しています。いっぽう、政府の地震調査委員会は2004年に「30年以内に70%」という確率を発表しています。

統計のしかたなどで地震予測の確率は変わってくるため、さまざまな数値が並んでいる状況。加えて、首都圏直下型のような地震そのもののにも不明な点が多く、それも「いつ起きるのか」という社会の不安の一因になっているようです。

首都直下型もふくめ、陸地やその近くで起きる地震は「内陸型地震」あるいは「直下型地震」とよばれています。活断層とよばれる過去100万年間にずれたことのある断層が動くことで、内陸型地震は起きます。いっぽう、東日本巨大地震のような海洋プレートのひずみが解放されて起きる地震は「海溝型地震」あるいは「海洋型地震」とよばれています。

記事では、東京の中心部にも活断層が埋まっている可能性があることを、東京大学地震研究所の佐藤比呂志教授が、取材に対して答えています。埼玉県の荒川低地の地下で見つかった活断層が、東京都の新宿あたりまでつながっている可能性があるといいます。

しかし、佐藤教授は「あくまで、まだ推定の段階」「不確実なモデル」とも話しています。

おなじ記事では、この活断層の存在に対して、産業技術総合研究所平地地質研究グループの平野清秀グループ長が「地下になにかがあるのは確かだが、周辺の地形の形状から判断すると、活断層ではなく、すごく古い時代の地殻の傷の名残ではないか。ただ、それを示す証拠も弱い」と話しています。

活断層は、東京の立川断層のように、地面にむき出しになっているものもあります。むき出しの断層では、調査のしやすさもあります。しかし、地下にひそんでいる断層がどこまでつながっているのかを調べるのは、とくに地上に建物が密集している都市圏ではむずかしさがあります。直接、地下の断層を調べるのでなく、応力のかかり方などをコンピュータで計算するといった方法がとられます。

関東地方では、5月29日(火)と、6月1日(金)に、たてつづけに最大震度4の地震が起きました。中規模の地震がまた人びとの不安を高めています。『AERA臨時増刊』の売れゆきも伸びていくでしょう。


朝日新聞出版による『AERA臨時増刊 震度7を生き残る』のお知らせはこちら。

参考記事
『AERA臨時増刊 震度7を生き残る』「最も危険な断層が東京中心部にある」
| - | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0)
目立たないけれど致命的


人のからだの動きの支えとなる組織にはどのようなものがあるでしょう。

関心が向けられがちなのは筋肉です。たくましく筋肉がついている人に、躍動的な印象をもつ人も多いことでしょう。

しかし、骨についた筋肉だけで人はからだを動かせるわけではありません。筋肉にくらべると脇役になりますが、腱という組織も人が体を動かすうえで大切な存在となります。

腱は、筋肉を骨に結びつける組織です。もっとも有名な腱は、両かかとのうしろ側にある「アキレス腱」でしょう。

膝よりしたの足には、「ふくらはぎ」という別名をもつ腓腹筋と、ふくらはぎの外側の平目筋があります。このふたつの筋肉と、かかとの骨のうしろ側とをくっつけているのがアキレス腱です。

ギリシャ神話の英雄アキレスは、神話のなかで不死身の強さをほこっていました。しかし、そんなアキレスにもただひとつ弱点がありました。かかとです。アキレスは、神話でのトロイアの王子パリスに、かかとを射られて、死んでしまいました。

この神話から、かかとのあたりの腱には「アキレス」という冠名が付いたといわれています。

アキレス腱をふくめ、腱は白い色をしています。これは、腱の成分がおもにコラーゲンという物質でできているため。コラーゲンは硬いたんぱく質の一種。繊維芽細胞という細胞からつくられます。水のなかなどで温めると溶けてゼラチンになりますが、普通の温度では白い色をしています。

スポーツ選手などにとって大きな問題はアキレス腱の断裂。腱のなかでもっとも大きなこの腱が断裂すると、歩くこともままならなくなります。ふたたび元の状態にするには、かかとの皮膚を切りひらいて、断裂したアキレス腱を縫いあわせるか、あるいは皮膚を切りひらかずに、皮膚のうえから縫いあわせるか、といった手術がなされます。

いくら屈強な人でも、アキレス腱が断裂してしまったら動けません。そのため、「アキレス腱」は、強い者がもっている弱点にもたとえられます。筋肉ほど目立った組織ではありません。しかし、致命的に大切な組織といえます。

参考ホームページ
achilles-nabi.com「アキレス腱痛・断裂症状の解説」
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