科学技術のアネクドート

降りられても乗れない電車が深夜を走る
電車の遅れについてのデータはあまり明らかにされていません。

それでも「時間帯別の電車遅延発生率」といったデータがあるとすれば、もっとも率が高くなる時間帯は午前0時などの深夜になるのは明らかです。終電車が遅れがちだからです。

終電車は、駅で接続するほかの路線に遅れがあるとき、定刻に駅を出発しません。遅れている電車に乗っている客の乗りかえを待たずに終電車が駅を出てしまうと、客が家路につけくなってしまうからです。定刻より30分や1時間も遅れて出発する終電車もあります。

終電車が大幅に遅れると、奇怪な電車と化すことがあります。

たとえば、御茶ノ水駅と千葉駅のあいだを走るJR総武線各駅停車の終電車は、遠くの千葉駅行きが0時32分発。千葉駅ほど遠くない津田沼駅行きがそのあと0時46分発。

しかし、秋葉原駅にとまる京浜東北線というべつの路線の遅い時間帯の電車が大幅に遅れると、つられてこの千葉駅行き終電車や津田沼駅行き終電車も大幅に遅れます。

まれに、総武線各駅停車の千葉駅行き終電車が、後発の津田沼駅行き終電車の発車定刻より遅い時刻に秋葉原駅を出発するといったことも起きます。たとえば、午前1時、秋葉原駅発。

この場合、秋葉原から先の駅で津田沼駅方面の電車を待っている人たちにとって、この千葉駅行き終電車が津田沼駅行き終電車を兼ねることになります。この千葉駅行き終電車は、ふだんの津田沼駅行き終電車よりも遅い時間帯を走るわけですから。

とはいえ、津田沼駅行き終電車が走らないわけではありません。ダイヤグラムの編成上、千葉駅行き終電車が秋葉原を出発したあとにも、秋葉原駅に大幅な遅れをもって到着する京浜東北線の終電車があるからです。

そのため、津田沼駅行き終電車が定刻より1時間7分遅い、午前1時53分に秋葉原駅を出発したとします。

すると、この津田沼駅行き終電車は、秋葉原駅で乗りこんだ客を乗せながらも、回送扱いになります。1本前の千葉駅行き終電車が、ふだんの津田沼駅行き終電車の役割を果たしたとみなせるため、秋葉原より先の駅で津田沼駅行き終電車に客を乗せることはありません。つまり回送扱い。

実際、各駅の表示板でも「回送」と表示されます。

津田沼駅行きでありながら……

回送扱い

「終電車でありながら回送電車」という電車に客は乗って家路につきます。降りれても乗ることはできない奇怪な電車がつぎいつ走るか、だれも予測することはできません。
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百科事典の説明のちがいを「夢」に見る


ある題材で報告書や記事をつくるとき、情報収集の第一段階として便利なのが百科事典です。調べたい題材の情報や知識が、短いながらもあまねく載っているからです。

図書館に置かれている百科事典は、出版社のちがいはあっても内容はどれも似たものと思われがち。しかし、項目によってはそうともかぎりません。ときには、どちらを信じたらよいのやら、と迷うような記述もあります。

たとえば、「夢」という項目を、小学館の『日本大百科全書』と、平凡社の『世界大百科事典』で見くらべてみます。

『日本大百科全書』は、夢を見るとくの眠りの状態について、つぎのように説明しています。

「一九五七年シカゴ大学のクライトマンとアゼリンスキーは、夢に関する画期的な研究を発表いた。すなわち、夢を見ているときは眼球が急速に動くことを発見した」

眠っているとき眼球が急速に動くことを、英語の“Rapid Eye Movement”の頭文字から“REM”つまり「レム」とよびます。そしてこの時期の睡眠を「レム睡眠」、あるいは、外見は眠っているのに脳は覚醒状態にあることから「逆説睡眠」とよびます。

上の記述からは「夢を見ているときは逆説睡眠のとき」と捉えることができます。その後もこの論調で、説明は進みます。

「クライトマンの弟子デメントは一九六〇年ごろに次のような実験をした。すなわち、被験者にレム期が訪れると、ただちに彼を起こして夢をみさせなくした。するとその翌日は彼のパーソナリティに動揺がみられ、さらにこのような『断夢』を五日間続けると、かなりの精神障害が現れた。(中略)逆説睡眠以外のときに睡眠を妨げてもこうした障害は生じないので、人間は夢を必要とするものであることがわかる」

この説明の最後の1文からは、逆説睡眠をしていないときの時間帯に、人は夢を見ていないことが推測されます。

さて、いっぽうの『世界大百科事典』は、『日本大百科全書』の「夢を見ているときは逆説睡眠のとき」という論調を覆しにかかります。

逆説睡眠をしていないときの睡眠は、おもに「ノンレム睡眠」とよばれます。これは、眼球が急速に動く「レム」という現象が起きていないため。『世界百科事典』は、ノンレム睡眠と夢の関係をつぎのように説明します。

「その後、研究が進むにつれて、ノンレム睡眠時の夢の想起率(夢の想起回数/覚醒回数)も上昇し、最高74%になっている」

つまり、逆説睡眠でないときの時間帯でも、最高で74%の人は夢を見ているということを『世界大百科事典』は説いているわけです。さらに、逆説睡眠つまりレム睡眠とノンレム睡眠での夢のちがいまで言及します。

「夢の内容からみると、レム睡眠時には〈夢想型の夢〉といわれるものが多く、一方ノンレム睡眠時には〈思考型の夢〉といわれるものが多い」

ここでの「夢想型の夢」とは内容が明瞭な夢のこと。「思考型の夢」とは内容が明瞭ではない夢のこと。夢の質はちがうとしても、ノンレム睡眠中でも人は夢を見ていると『世界大百科事典』はいっています。

「夢」の説明がこうも異なるのは、執筆者の背景のちがいも関係していそうです。『日本大百科事典』での「夢」の項目の執筆者は心理学者。「夢」の項目の展開順も、まずフロイトやユングなどの心理学者による夢の解釈を述べてから、「夢を見ているときは逆説睡眠のとき」的な記述をしています。

いっぽう『世界大百科事典』での「夢」の項目の執筆者は大脳生理学者。この人物は、脳と夢見の関係のみを述べ、フロイトやユングなどによる夢の解釈の説明はべつの心理学者の説明に譲っています。

また、出版年もこのちがいに関係しそうです。『日本大百科全書』の発刊は1988年。いっぽう『世界大百科事典』はというと1998年。百科事典にかぎったことではありませんが、後発のものは先発のものの内容を見ながら、内容を吟味することができます。

参考文献
平凡社『世界大百科事典29』
小学館『日本大百科全書23』
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iPS細胞を飛躍台に“直接技”つぎつぎと


スポーツの世界では、一人の選手がひとつの技術的な壁をやっとのことで超えると、つぎつぎとほかの選手もその壁を超えられるようになるといいます。体操で「ウルトラC」などとよばれていた技を、大会でひとりが成功させると、堰を切ったように、ほかの選手も成功できるようになるというのが典型例です。

おなじようなことは、科学の世界でも起こりえます。

京都大学の山中伸弥教授が、ヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立をマウスでしたのが2006年8月。ヒトで樹立したのが2007年11月。これらから5年ほどで、研究者たちがつぎつぎと、iPS細胞の樹立とおなじ、あるいはそれを超えるほどの利点のある研究成果を生みだしています。

2011年1月、米国スタンフォード大学の分子生物学者マリウス・ワーニッグたちの研究チームが、マウスの胎児のしっぽにある繊維芽細胞という細胞から、神経細胞をつくりだしました。

繊維芽細胞とは、皮膚が傷ついたとき傷を治すうえで活躍する細胞。この繊維芽細胞から、脳のなかに張りめぐらされる神経細胞をつくったわけです。

この研究成果が注目されたのは、いったんiPS細胞をつくることなく、直接、繊維芽細胞を神経細胞にしたため。iPS細胞は、繊維芽細胞などにOct3/4、Sox2、Klf4、C-Mycという4つの遺伝子を、運び屋役のウイルスを使って入れ込むことでつくられる細胞です。このiPS細胞を特定の環境で培養させることで、研究者が「これになってほしい」と思っているねらいの細胞に分化誘導させるのです。

繊維芽細胞から、直接、目的の細胞をつくる方法は、いったんiPS細胞をつくってから目的の細胞をつくるのよりも優れているといいます。つぎのような利点があるからです。

ひとつはがん化の心配がすくないということ。iPS細胞にはがん化の危険性があります。iPS細胞から目的の細胞をつくって、患者のからだに取り入れたとしても、その細胞ががん化してしまえば命に関わります。いっぽう、直接的につくられる細胞はがん化するおそれがiPS細胞よりすくないとされます。

また、目的の細胞をつくるまでの時間が短くなることもあります。たとえば、繊維芽細胞をiPS細胞にしてから神経細胞のもとになる幹細胞にするには、最低でも2か月の期間がかかりました。いっぽう、直接的に神経幹細胞をつくる方法で必要な時間は2週間ほど。一刻の猶予も許されないような患者の治療で、この差は大きなものがあります。

繊維芽細胞などから、いったんiPS細胞を使わずに目的の細胞をつくるほうほうは、「ダイレクト・リプログラミング」や「直接的運命転換」などとよばれています。

このダイレクト・リプログラミングの研究成果をスタンフォード大学のマリウス・ワーニッグらが打ち立ててからというものの、つぎつぎと軟骨組織をつくった、心筋細胞をつくった、肝細胞をつくった、といった報告が出ています。マウスだけでなくヒトの細胞でのダイレクト・リプログラミングに成功した研究もでています。

ダイレクト・リプログラミングでは、山中教授がiPS細胞をつくるために使った遺伝子が使われることもあります。iPS細胞という画期的成果が踏み台としてなければ、ダイレクト・リプログラミングの方法が確立されるまで、もうすこし時間がかかっていたかもしれません。

参考記事
日本経済新聞 2010年11月26日付「再生医療に新手法 一足飛びに細胞作製、iPS介さず」
慶應義塾大学医学部 2012年3月28日付「皮膚の細胞から2週間で神経幹細胞を作成することに成功」
九州大学・科学技術振興機構 2011年6月30日付「マウスの皮膚細胞から肝細胞を直接作製する方法の開発に成功」

参考ホームページ
薬学用語解説「繊維芽細胞」
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東北人の“手間”と“暇”がものに移る


東京・六本木の「21_21デザインサイト」で、「テマヒマ展 東北の食と住」という展覧会が開かれています。(2012年)8月26日(日)まで。

21_21デザインサイトは、デザイナーの三宅一生さん、佐藤卓さん、深澤直人さんがディレクターとなり、ジャーナリストの川上典李子さんとともに企画展を行なっている館。

「テマヒマ展」は、グラフィックデザイナーの佐藤さんと、プロダクトデザイナーの深澤さんが、東北の「食と住」に焦点をあてたもの。展覧会のチームが東北各地へ出向き、各地の人びとが手間と暇をかけてつくったものを集め、それを展示しています。

冬の長い東北で、人びとは雪や木などの自然をできるかぎり利用してものをつくってきました。

食べものでは、「凍(し)み餅」という白い餅が、数珠のようになって縄に吊るされ飾られています。餅を火であぶってやわらかくしてから水で冷やし、これを野外に吊るします。この作業を2日、3日とくりかえし、餅を凍みさせます。さらに、凍みさせた餅を土間に置き、2か月ほど自然乾燥させてできあがりとなります。

おなじく雪のなかで凍みさせる食べものとして、豆腐を1週間にわたり凍らせる「凍り豆腐」も展示されています。

いっぽう生活品では、「ボッコ靴」が人目を引いています。輪ゴムとおなじような色をした長靴。色の理由は、すべて天然のゴムでつくっているから。「ボッコ」とは山形で「雪」の意味の表現ともいわれています。

ボッコ靴は、1980年代につくられなくなりました。つくる人がいなくなったためです。しかし、青森県の靴店を営む1968年生まれの工藤勤さんが2005年にボッコ靴をつくりはじめ、いちど消えた火がまた灯りました。

川上典李子さんの話によると、すべて工藤さんの手作りで1日1足ほどしかつくれないため、予約の状態が長らくつづいているといいます。

来館者は、自分がつくらずとも、手間暇をかけてつくったものに愛着を感じているようす。東北の人びとの手間暇が、形、質感、光沢といったものの特徴を決めるすべてに反映されているのでしょう。

展示室では、木枠にガラス板が敷かれてできた展示台の上に、凍み餅やボッコ靴をふくむ実際の食べものや生活品が置かれています。天井から照明が射しこみ、展示物の影がコンクリートの床面に写しだされ、実物と影を二重に楽しむことができます。

「テマヒマ展 東北の食と住」は、21_21デザインサイトで8月26日(日)まで。館からの開催情報はこちらです。
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風力普及の動機は設備投資額から発電量へ


「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」が(2012年)7月1日から始まります。これにより、日本で普及の立ちおくれが目立っている風力発電の普及は加速するでしょうか。

2002年から2012年のあいだに、日本の風力発電の設備容量は5倍ほどの約250万キロワットになったと伝えられています。これだけを見ると確実に風力発電は普及しているように伺えます。

しかし、世界各国の風力発電の累積設備容量を見ると、2010年時点で、中国は約4500万キロワット、米国は約4000万キロワット、ドイツは約2700万キロワットなどと続きます。これらのなかで約250万キロワットの日本は、立ちおくれているといってもよいでしょう。

経済産業省は(2012年)4月、総合資源エネルギー調査会基本問題委員会で、2030年の時点で、発電量の35%を自然エネルギーでまかなうことを考えると、風力発電の比率はいまの30倍の12%に高める必要があるとしています。

風力発電にかぎりませんが、普及策として「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」が始まります。これは、再生可能エネルギーを使って発電された電気を、一定の期間と価格で東京電力などの電気事業者が買い取ることを義務づけるもの。その負担分は、市民が払う電気料金に上乗せされます。

予定されている風力発電の買取価格は、20キロワット未満が57.75円、20キロワット以上が23.1円で、いずれも買取期間は20年間。ちなみに太陽光は発電量にかかわらず42円。ただし買取期間は10キロワット未満が10年、10キロワット以上が20年となっています。これらの価格は、ほぼ普及を推進する業界の要望どおりとされています。

いっぽう、固定価格買取が始まることにより、普及のための政府系の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の補助金が2010年度から打ち切られました。この影響で2011年度の風力発電の出力増加は、2002年からの10年間で最低と落ち込んでいます。

とはいえ、これまでの政府系の補助金制度では、導入の初期段階においては、設備投資をどれくらいの金額でしたかに応じて補助金があたえられるしくみでした。

そのため、事業者にとっては、「風力発電をすること」でなく「発電するどうかはさておき風力発電設備をつくること」が重要になっていたとも指摘されてきました。この問題は、補助金のうちきりと固定買取価格制度のはじまりで解消されそうです。

固定買取価格制度により、風力発電の普及は加速するのかどうか。ソフトバンクなどの大手企業が風力発電所の建設計画を進めており、影響が注目されています。

参考文献
飯田哲也「NEDO補助事業の問題点(とくに風力発電について)」
参考記事
朝日新聞 2011年11月10日付熊本版「風力 風車、適地選定がかぎ 羽根に負担、故障続発 熊本県」
朝日新聞 2012年4月12日付「風力発電『30倍必要』自然エネ35%なら 経産省」
東京新聞 2012年5月20日付「風力発電10年で5倍 250万キロワット 買い取り制度でさらに期待」
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日本作品が韓国市場を席巻
ここ何年か、日本のテレビで韓国系のドラマや歌番組などが多く放映されるようになりました。1週間のうち10時間以上を、韓国系の番組で占める編成を組むテレビ局も現れています。

「韓流」とよばれる韓国のドラマや、「K-POP」とよばれる韓国の歌謡曲に触れる機会をよろこぶ視聴者がいます。いっぽうで、あまりの番組の多さに嫌気を指す視聴者もいます。日本の放送が、韓国に席巻されていると感じている人もいるでしょう。

ある国の文化が、べつの国に入りこんで、凌駕したり席巻したりする現象は、日本の放送業界にかぎった話ではありません。逆に、日本の文化が、韓国に入りこんで席巻しているような分野もあるといいます。

漫画や、若者向けのライトノベルとよばれる小説は、とくに日本の席巻ぶりが顕著です。

昨2011年には、韓国の本屋で、漫画やライトノベルの月刊売上の上位20位までが、すべて日本の作品で占められたということが起こりました。尾田栄一郎さん作の『ワンピース』、かきふらいさん作の『けいおん!』、森本秀さん作の『G・DEFEND』といった日本でもよく読まれる作品が韓国市場でも上位に入っています。

日本作品の市場を席巻した結果、韓国で活躍していた漫画家たちは国外の新たな活躍の場を探すといった流動現象も見られるようになりました。『サンケンロック』や『H・E』などの作品を手掛けるボウイチさんなどです。

出版社と出版社のあいだの力関係などがありながらも、最終的に作品が書店で客の手にとられて買われるかどうかが勝負。日本で放映されている韓国系番組を最終的に視聴者が見るかどうかとにている部分があります。

いっぽうで、リモコンを押せば流れている受動的なメディアのテレビに対して、書店まで買いにいく能動的なメディアの漫画といった、メディアの特性のちがいもあります。客が能動的な行動を求められるメディアに対して、日本の作品が国外市場を席巻している状況ともとれます。

参考ホームページ
2ちゃんねる「【韓国】6月の人気コミック&ラノベ、1位から20位まで全て日本作品 韓国コミックストーム集計 [06/30]」

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「先端科学が変えていく酒づくりの定説」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2012年)5月25日(金)、「先端科学が変えていく酒づくりの定説」という記事が配信されました。記事の取材と編集をしました。

酒のなかでも日本酒は「国酒」。風土記の時代から日本酒づくりには改良が重ねられてきました。

日本酒づくりの歴史の最先端にあるいま、日本酒の成分に新たな科学的解析が加えられています。その成果のひとつとして、記事でとりあげているのが、山形県鶴岡市にある慶應義塾大学先端生命科学研究所が行なっている「メタボローム解析」です。

「メタボローム解析」とはどのような方法でしょう。「ゲノム(genome)解析」という言葉が参考になります。

“genome”は「遺伝子」を意味する“gene”と「全体」を意味する“-ome”からなる「遺伝子全体」という意味のことば。ヒトゲノムやイネゲノムなどの各生物の遺伝子全体のしくみを解析するのが「ゲノム解析」です。

「メタボローム(metabolome)」ということばにも、「全体」を意味する“-ome”が付いています。そして、前に来るのは“metabolite”という単語の一部。これは、細胞の営みの中で化学反応によってつくられる「代謝物質」を意味します。

つまり、メタボローム解析は、「代謝物質全体のしくみを解析すること」という意味になります。

ゲノム解析もメタボローム解析も、「全体のしくみ」を理解することが共通点。これは、はじめに森羅万象が記述された事典をつくっておくようなものといえます。その後、なにか調べたいことがあるときは、つくっておいた「森羅万象事典」を見て、「こういうことか」と理解するのです。

先端生命科学研究所はこれまでも、だだ茶豆と枝豆をメタボローム解析して、だだ茶豆のどんな成分がだだ茶豆特有の濃厚な香りをもたらすのかを解明していました。これも、網羅的な情報を得ておいてから、さらに調べたいことを調べたことでの成果です。

今回は日本酒を対象としたメタボローム解析。そして、日本酒をメタボローム解析した結果、日本酒づくりについての新しい知見がわかってきたのです。火入れをした酒と生酒をくらべてみると、「成分が安定する」といわれてきた火入れの酒のほうが、変化の大きい成分があることもわかってきました。

なぜ、日本酒を解析しようとしたかを、研究所長の冨田勝教授に聞くと、「いちばんのきっかけは日本酒が好きだからです」とのこと。家族みなが日本酒好きで、“利き酒”をしたりしているといいます。

冨田教授が持論として公言しているのは「サイエンスは究極の遊び」ということ。自分の好奇心のままに「それがどうなっているのか」を追究していく姿勢があります。

「先端科学が変えていく酒づくりの定説 日本酒、熟成の温故知新(後篇)」はこちら。
前篇の「パスツールより300年早かった『酒に火入れ』の技」はこちらです。
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地道な絞りこみで原因を見つける
コンピュータには「ワード」などのソフトで表示できない外字があります。この外字をふくんだ文章を、まず「メモ帳」や「テキストエディット」などの簡易ソフトでつくってコピーし、正式としてワードに貼り付けるとどうなるでしょう。

貼りつけたワードの文章すべてが文字化けしてしまいます。



文章が文字化けする原因は、文章のどこかに外字が存在すること。その外字を見つけて、ひらがなやべつの文字に代えれば、文字化け問題はいちおう解決となるわけです。しかし、どの字が外字であるのかは、なかなか見当がつきません。

そこで、「メモ帳」での文章を、大きく前半と後半にわけてみます。前半をコピー・アンド・ペースとしてみて、「ワード」で文字化けしていたら、前半に外字がふくまれていることに、文字化けしなかったら後半に外字がふくまれていることになります。

前半に外字がふくまれていず、文字化けなしで貼りつけられたとすれば、後半をさらに前半と後半にわけて、コピー・アンド・ペーストします。こうして、「文字化けを起こす問題の外字がこれだ」と見つけます。

「全体を区切って見つけていく」という方法は、科学の研究の世界でも行なわれています。

たとえば、研究者が、ある病気を抱えている患者の、病気の原因をつきとめようとしています。これまでの研究から、あるたんぱく質が患者の細胞のなかで欠けていることが病気の原因であるとわかりました。しかし、どのたんぱく質が欠けているのかはわかりません。

そこで、研究者は、この病気をもっていない正常な人からいろいろなたんぱく質を抽出して、AとBの群にわけました。そして、このたんぱく質を患者のからだから取りだした細胞に入れていました。

Aの群を入れた患者の細胞はなにも変わりません。どうやら患者に欠けているたんぱく質がこのAの群にはなかったようです。

いっぽう、Bの群を入れた患者の細胞に変化がおきました。患者の細胞から、病気の現象がなくなったのです。どうやらBの群のなかに、患者には欠けているたんぱく質が存在しているようです。

さらに研究者は、このBの群を、B1の群とB2の群にわけて、おなじく患者の細胞に入れてみました。すると、B1群を入れられた患者の細胞ではなにも変わらず、B2群を入れられた患者の細胞に変化が起きました。どうやらB2の群のなかに、患者には欠けているたんぱく質が存在しているようです。

こうして、研究者はつぎつぎと絞りこんでいき、ついに患者の細胞に欠けているたんぱく質を見つけ出したのでした。

何段階もかかる地道な作業です。しかし、見つけたい物質を確実に見つけることのできる確実な作業でもあります。
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書評『遺伝子はダメなあなたを愛してる』
どこからでも読めるエッセイ集。でも、全体として伝わるものがあります。



科学者でありながら読ませる書き手。日本では稀有な二物保持者、福岡伸一氏によるエッセイ集である。

『週刊AERA』の連載をまとめたもので、1話は1600字ほど。科学のちょっとした専門的解説が入りつつも、数分でつぎへつぎへと読み進められる。

専門の生物学をふくむ科学の視点から説くことと、自然を愛するという視点から語ること。それぞれのエッセイでは、このふたつがエクソンとイントロンのように折りなされる。

自然というシステムがいかに巧みにできているかを知らせてくれる話がいくつもある。たとえば、「ドリトル先生シリーズ」を愛読していた昆虫好きの著者がチョウの“棲みわけ”を紹介する。

チョウの幼虫は種類ごとに餌となる植物を禁欲的なほどにかぎっているのだ。アオスジアゲハはクスノキ、キアゲハはパセリやニンジン、クロアゲハはミカンかサンショウ、ジャコウアゲハはウマノスズクサといったように。なぜか。

―――――
栄養価的に見ればどんな植物をたべてもさほどかわりがないはずなのに、自らの分を守っているのは、限られた地球の資源をめぐって種のあいだでできるだけ競争が起きないよう互いに棲み分けているからです。
―――――

科学の視点は、いま人びとが行なっていることにも注がれる。たとえば、コラーゲンを食べて美肌効果をねらっている人びとへの忠告は、つぎのようなものだ。

―――――
コラーゲンでお肌つやつや! というのは、そういう気がするということ。その心理効果までは否定しません。けれど、生物学的には、髪の毛を食べたら、髪の毛がふさふさ! と同じ主張になります。
―――――

著者は分子生物学という科学の一分野を研究する科学者だ。上に示した話のように、ものごとが合理的かどうかを科学的な視点から見ようとする。しかし、著者が科学者であるより前に人として生きてきた感覚も大切にしている。命の長さもなにもかもが遺伝子の戦略に支配されているとする論には、つぎのように述べる。

―――――
確かに、生命は巧妙な生存戦略や繁殖方法を編み出していますが、あらゆることを利己的な遺伝子の合目的性から説明しようとしたり、生命の特性や容態を、部分的に切り取ってそこだけを適応的に説明すると、しばしば無理な議論や作り話になってしまいがちで、生命が本来的にもつ自由度が見失われてしまうのではないか。そんなふうに私は感じるのです。
―――――

遺伝子は自由であるべき。これが著者の主張だ。なにごとも「こうなっている」と決定づけず、自由を求める。そうした視点を、著者の主張はもたらす。

『遺伝子はダメなあなたを愛してる』はこちらでどうぞ。
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江戸時代の歩きかたに論争


人が「ふつうに歩いて」と言われたとき、両手両足はどう動くでしょうか。

多くの人は、左足を前に出すとき右腕を前に出し、右足を前に出すとき左腕を前に出すことでしょう。

しかし、江戸時代の人びとは、この歩きかたとはちがう体の動かしかたで歩いていた可能性があります。その歩きかたは「ナンバ歩き」とよばれています。

「ナンバ歩き」が載っている辞書には、こう書かれていています。「右手と右足、左手と左足を同時に前に出す歩き方。江戸時代にはふつうの歩き方であったともいわれる」(『デジタル大辞泉』)。

現代の人びとの多くは、左足が前に出れば自然と右手が前に出ると思いがち。しかし、「歩く」というきわめて基本的な人の動きがかつてはちがっていた、しかも、左足を前に出すとき左手を前に出していたのが「ふつうの歩き方」だったとなれば、いまの歩きかたは「自然な体の動き」といえるのかわからなくなってきます。

江戸時代を撮影した映像などないため、実際に江戸の人びとが「ナンバ歩き」をしている姿を見ることはできません。では、なぜ人びとが「ナンバ歩き」をしていたといえるのかというと、江戸時代や明治時代初期の絵や写真などから推測したものといいます。

なかでも飛脚を描いた絵は「ナンバ歩き」あるいは「ナンバ走り」がかつてあったことの根拠になっているとされます。たとえば、この写真など。

たしかに、この飛脚は、左足が前に出ているとき、右手は前に出ています。しかし、右手は手紙を挿した竹竿を持っています。そのため、右手が前に出ているのはあたりまえととることもできます。

手になにも持っていない飛脚を描いた絵もあります。葛飾北斎(1760-1849)の「富嶽百景」の一枚に、荷物を背負った飛脚とともに、手ぶらの飛脚が描かれています。

ところが、この絵の飛脚は、両方の手を後ろに反りかえらせているため「ナンバ歩き」をしていたのかはわかりません。

「ナンバ歩き」は、日本人のふつうの歩きかたとして、実在したのでしょうか。神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授の秋元忍さんは、シンポジウムのなかでつぎのように述べています。

―――――
近代以前の日本人がみな、いわゆる「なんば」と言われる歩き方をしていたという確証はない。「なんば」歩きをする身体は、歴史学的な手続きを経て再構成され、認識された事実として存在していない。その身体は仮説の上塗りによる虚構の中に存在しているのみである。「なんば」歩きを自明のものとし、展開される議論は食う論である。
―――――

手ぶらで歩く飛脚の姿が描かれた絵は希少。さらに「ナンバ」ということばの語源も不明。こうしたことから「ナンバ歩き」をめぐっては存在の有無をめぐる論争が起きています。

参考文献
ていぱーく「北斎の描いた継飛脚」
神戸大学「身体が語る人間の発達:『なんば』という行動を通して」

放送大学附属図書館「職人 飛脚」
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“経験なし”の動きに“鏡”の反応にぶく


人やサルなどには、「ミラーニューロン」というものが脳にあるとわかっています。「ミラー」は「鏡」のこと。「ニューロン」は神経細胞のこと。

ある人が、他人が飛びはねているを見たとき、自分自身の脳でも自分が飛びはねるのに関係する神経細胞が活性化します。つまり、他人の動きにかかわる神経細胞の“合わせ鏡”のような神経細胞が、ミラーニューロンといえます。

おそらく、どんな人もラジオ体操などで「飛びはねる」という動作をしたことはあるでしょう。他人が飛びはねているとき、自分のミラーニューロンは反応しているものの、自分の体は飛びはねるまでにはいたっていない、というのが自分の体で起きていることといえそうです。

では、自分がいままで試したこともないような体の動きを他人がしているのを見たら、その動きに対応する自分のミラーニューロンは、飛びはねているときとおなじように反応するのでしょうか。

こんな実験があります。

バレエ経験者7人と未経験者7人が、他人が宙がえり動作と飛びはね動作をしている映像をそれぞれ見ました。このときの大脳の運動誘発電位という、体の筋肉に対して引きおこされる刺激を測ったのです。

すると、運動誘発電位の振れ幅については、経験者と未経験者のあいだであまりちがいはありませんでした。

しかし、運動誘発電位そのものの増減については、差があらわれました。経験者の運動誘発電位は、他人の宙がえりを見ているときも、飛びはねを見ているときも増えました。いっぽう、未経験者の運動誘発電位は、他人の宙がえりを見ているときは減り、飛びはねを見ているときは増えたのです。

7人と7人という被験者のすくない実験なので、これをすべてのものごとに当てはめることはできません。しかし、この結果は、「体を動かした経験あってこそ、対応するミラーニューロンが活発になる」といったことの示唆になりそうです。

参考文献
肘井崇紘ほか「大脳皮質のミラーシステムに注意した全身運動の学習メカニズムの解析」
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皆既日食から3年、つぎ見られるのは18年後


あす(2012年)5月21日(月)、晴れているか薄ぐもりであれば、日本で金環食または部分日食が見られます。

金環食は日食の一種。月が太陽の中央をおおうため、太陽の光が環状に見えます。いっぽう、2009年に日本の一部でも見られた皆既日食は、見た目の月の大きさが太陽と一致するか太陽よりも大きくなったときに起きる日食です。

皆既日食になるか、金環食になるかは、地球と月と太陽の位置関係により決まります。地球から月まで距離が近く、月から太陽までの距離が長いと、見た目の月が比較的大きくなるため皆既日食に。地球から月までの距離が遠く、月から太陽までの距離が短いと、見た目の月が比較的小さくなるため金環食になります。

報道では、さかんに金環食の予報をしています。しかし、2009年7月22日の日本の一部で観測された皆既日食にくらべると、今回の金環食の話題はややすくなめのようです。

天文学の予測精度はきわめて高いため、21世紀中におきる皆既日食と金環食の頻度は計算されています。世界では、皆既日食は75回。金環食は72回。

日本では、皆既日食は2009年を基準にすると46年ぶりで、つぎに見られるのは26年後。いっぽう、あす2012年の金環食は25年ぶり。つぎに見られるのは18年後となります。

日本では、金環食のほうが皆既日食よりすこしだけ、感覚が近いわけです。

そのほか、つい3年前の2009年に皆既日食があったため、大きなくくりで「日食がおきる」と捉えたとき、今回の金環食には「またあるのね」という感覚がつきまとうのかもしれません。

ともあれ、晴れか薄ぐもりであれば、いつもとちょっとちがった一週間のはじまりとなりそうです。

参考ホームページ
せんだい宇宙館「21世紀(2001〜2100年)に起こる金環日食と皆既日食の一覧」
つるちゃんのプラネタリウム「金環日食の解説 2012年5月21日」
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書評『いいたかないけど数学者なのだ』
日本の数学の代表者の一人である数学者が自身を綴り、友を紹介したエッセイです。



「もちろん、私自身は変人ではない」

これは、この本のあとがきにある著者の最後の一文だ。とかく変人に見られがちな数学者という職業をしていることに対しての、著者自身の認識である。

師は、数学のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞を授賞した故・小平邦彦氏。その下で、数学のなかでも難解といわれる代数幾何学を長年にわたり研究してきた。ちなみに、代数幾何学とは、高次の代数方程式を満たす点がつくる図形や図形どうしの関係を研究する学問のこと。

とはいえ、代数幾何学の話がこの本の中に出てくるわけではない。

まず、著者がどのように数学の道を歩んできたのか、その自伝が展開される。数学の極意を得たのは、高校時代の数学教師「H先生」の明快な講義を聴いたからだという。たとえば次のような説明だ。

「方程式の応用問題は未知数をxで表すとき、1つの量を2通りの考えで表して等式をつくります。するとxの方程式ができるから、これを解けばいいのです」

著者は東京大学に入ると、「S君」という友人ができた。本では、その後、このS君の「読書ノート」を、著者が紹介するかたちで進む。

著者が「長くつきあっているうちに彼の持つすごい力がだんだん分かってくる」と評価し、尊敬していたS君。ところが、37歳の若さにして、他界してしまった。この「S君」の「読書ノート」は、遺族から著者が渡されたものだった。

森鴎外『舞姫』、坂田昌一『中間子理論研究の回顧』、トルストイ『戦争と平和』などをむさぼり読む「S君」。だが、徐々に、授業を欠席し、集中力を欠き、「築いたと思った知識のやぐらは、じつは紙、砂のそれであった」と書くに至る。

学生時代の「S君」の苦悩の色が徐々に増していく記述が生々しい。著者にとって、「S君」の「読書ノート」を紹介したことには、「S君」への冥福の祈りとともに、自身の心の整理の意味が込められていたのかもしれない。

「『数学者は真理を愛し、人にやさしい』のであり、度が過ぎても気にしないため、変人と見られやすいだけである」。これも著者の数学者に対する表現である。真理を愛し、人にやさしい数学者の綴ったエッセイが本書だ。

『いいたかないけど数学者なのだ』はこちらでどうぞ。
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科学ジャーナリスト賞2012中山さん「書かないことを書いた」
科学ジャーナリスト賞2012では、朝日新聞社記者の中山由美さんにも科学ジャーナリスト賞が贈られました。朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」の2011年11月7日から23日までの「第3部 観測中止令」というシリーズに対してです。

中山由美さんのスピーチ(一部抜粋)です。


中山由美さん

「このたびは科学ジャーナリスト賞をありがとうございました」

「事務局から(受賞の)ご連絡を受けたとき、科学ジャーナリストという名が私にふさわしくないことを私がいちばんわかっていました。いままで、南極で越冬したり、北極へ行ったり、もういちど南極へ行って、隕石を探すのに研究者といっしょに氷上生活を1か月半したり、“極道”を極めてきました。サイエンスに迫るというより、世界の果てまで研究者を追いかけまわしている記者です」

「今回の賞は、私の力というより、連載のおもしろさによるものだと思っています。松本仁一さん(元朝日新聞編集委員)というアンカーや、依光隆明さん(朝日新聞特別報道部デスク)、宮崎知己さん(特別報道部)たちが連載をつくってくれたおかげです」

「いまも連載は続いていますが、この連載のおもしろさは、結論が出なくても徹底的にディテイルにこだわり、だれが、いつ、どのようなところで、どのようにしゃべったかを事こまかに書くことです。おなじ取材をしても、(通常の記事では)ここまで書かないだろうというところまで書かせてもらったところは魅力があったと、取材しているほうも思いました」

「連載というと、上・中・下などで終わってしまうものですが、かっこよくまとめず、ひとつのはなしが“尻きれとんぼ”で、続きはどうなるのだろうと推理小説を読んでいくようなテンポでやったのがまた、読者をつなげられた理由だったのかなと思います」

「私の担当の第3部は全15回でしたが、20回や30回つづいた部もあります。取材している過程までがその連載に入ってきます」

「今回の連載のおもしろさは、役人とのやりとりだったと思います。発端は、3月31日の午後6時ごろ(気象庁)気象研究所が1954年から行ってきた放射能観測を止めるという発表したことです。放射能関係の予算を、今回の原発事故に向けるからといいます。それはわかるのですが、なぜずっと測りつづけてきて、3月11日以降も数値を取りつづけているものを予算カットしなければならないのか」

「文部科学省や気象庁に行くと、もっともらしい説明をするわけです。緊急予算はやはり関連の機関から回すものでしょうと、言います。一般人とのずれが始まってくるわけです」

「(ふだんの報道では)それを『文科省の何々課はこう言った』と私どもは書いてしまいますが、この連載では『文科省の何々課の誰々さん、何歳はこう言った』というところまで書きます。おたがいに緊張感も出てくるわけです」

「予算が止められたなかで、研究者が観測するためのものが足りなくなってきたとき、べつの機関が『こういうのを使ってください』と便宜をはかったという記事を書きました。文科省のその人は、いったいどこの機関のことですかと言ってきました。なぜかと聞くと、予算の使い道を報告してくれないと困るからという感覚でした」

「記事に対するリアクションを(記事に)書けてしまうという、ふだんやっていないことをやったことがおもしろかったです。そこで役人と一般人とのずれが出てくるわけですが、読者かの反応があったのも印象に残っています」

「私の担当回の後半、たまたま休載が入りました。誌面の都合上だったのですが、役人とのぎりぎりのやりとりが書いてあったところだったので、『なにか圧力がかかったのではないか』『差しとめになったのではないか』という電話が会社に来ました。『中山記者を守ってください』という手紙まで来てびっくりしました。実際、圧力はありません」

「いままで書いてきた記事で、これほどのリアクションはなかったです。どれだけ読者(の期待)に応えられていたのかと考えました。これぞ読むべきニュースということで書いたことは、読者が本当に求めていたことなのか、逆に疑問になりました」

「(書籍化された)『プロメテウスの罠』をここに持っています。取材班に「まだまだ連載は続いていることを宣伝してこいよ」と言われました。読者の方が求めているかぎり、いろいろなテーマで続けたい連載です」

「私もまた担当したいと思っていますが、このような賞をいただき、ハードルが上がり、つぎはむずかしいなとも思っています。どうもありがとうございました」

学研パブリッシングによる、書籍化された『プロメテウスの罠』の紹介はこちらです。
アマゾンでの紹介はこちらです。

日本科学技術ジャーナリスト会議のホームページより「科学ジャーナリスト賞2012 の受賞者が決定!」はこちら。各授賞理由もあります。

受賞者のみなさん、おめでとうございます。
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科学ジャーナリスト賞2012山崎さん「おなじように原子力問題を描くのはむずかしい」
科学ジャーナリスト賞2012では、大賞のほか、賞の受賞者が2名います。

東京工業大学名誉教授の山崎正勝さんに、著書『日本の核開発:1939〜1955 原爆から原子力へ』に対して賞が贈られました。学術書的な本でありながら選考での評価が高く、受賞となりました。

山崎正勝さんの受賞スピーチです。

山崎正勝さん

「今回の科学ジャーナリスト賞の受賞は、私にとって予期できないことでした」

「私はジャーナリストでもありませんし、今回、出した本も、一般読者を想定はしていましたが、基本的には実証的な専門書でした。科学者が啓蒙書を書くということも(賞の対象)カテゴリーに入っているわけですが、それもちょっと当てはまらないと思いました」

「そういう本が科学ジャーナリストのみなさまの目に止まったのは意外な感じがしまして、出版社の績文堂に『科学技術ジャーナリスト会議事務局から一次審査が通った』という連絡があったときも、まさか自分の本が受賞に至るとは思いもしませんでした」

「私がこの本のとくに戦後編で目指したのは、1980年代からアメリカなどで始まった冷戦期科学史という分野での方法論を、日本の戦後科学史の分析に使おうということでした」

「冷戦時代、東西陣営の双方で政治的なプロパガンダが展開されました。しかしながら、冷戦終結後、米ソなどで公表された資料からは、戦後の科学技術に関しても、いろいろな虚像があり、そして隠れた実像があったということが明らかになっていました」

「米ソの影響を強く受けていた日本ではいったいどうだったのでしょうか。原子力問題は、冷戦の影響をもっとも強く受けた分野のひとつです。『国内外で公表された資料を使って、新しい歴史が開けるのではないか』ということが、私のもともとの出発点でした」

「戦後の日本の原子力の歴史の理解に関しては、いまなお論争的な議論がたくさん存在します。そのため、本のはしがきにも書きましたように、執筆に際しては極力“私個人”を排除して、公表された当時の議事録などを使って具体的な証拠を示すやり方で書き進めるようにしました」

「タイトルの『日本の核開発』には、すこしセンセーショナルな響きがあるかと思いますが、本の中身はいたってまじめに、実証的に研究したものになっています」

「福島原発事故以降、原子力問題についての関心が社会的に高まりました。脱原発という声も広まってきていました。このような中で、私の本は特別に目立った主張をしているわけでもありませんので、この本がどのように読まれるかに多少の懸念がありました」

「しかし、このたび私の予想に反しまして、科学技術ジャーナリスト会議の方々、とくに選考委員のみなさまから評価を受けてこのような素晴らしい賞をいただくことができ、たいへんうれしく光栄に感じているところです」

「私の本で扱ったのは1955年までで、原発は出てきません。『3・11』関連で受賞させていただいたというのはよくわかるのですが、(原発については)なにも書いていません。そういうこともあり、本の出版の続編を求める声もいただきました」

「しかし、今回の本とおなじ密度で、日本の原子力問題を描くには、国内の未公開資料もあり、そういう問題を克服しなければなりません。実際そういうことをやるのは、そうとう難しいと私は感じているところです」

「報道機関の方たちは新しい資料を得ることに非常に熱心に取り組まれています。そういう方たちを見ながら、また、他の人たちとの共同作業を通じてこれらの問題をひとつひとつ解決しながら、福島原発事故に至る歴史を解明できれば、その活動の一環をすこしでも担うことができればと考えています。本日はたいへんありがとうございました」

績文堂ホームページによる、山崎さんの著書『日本の核開発』の紹介はこちらです。
アマゾンのページはこちらです。
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科学ジャーナリスト大賞2012増田さん「システムとしての悪の解明を」
科学ジャーナリスト賞2012の大賞は、NHK文化福祉番組部チーフプロデューサーの増田秀樹さんにも贈られました。2011年9月18日と25日に放映されたETV特集「原発事故への道程」の番組に対してです。

増田秀樹さんの受賞スピーチ(一部抜粋)です。

増田秀樹さん(右)、左は森下光泰さん、中は松丸慶太さん

「このたびは、たいへん栄えある賞をいただきまして、まことにありがとうございます」

「私はふだん、ETV特集の制作統括をしています。今回は前篇・後篇ということで、私が代表になりましたが、実質的に今回の番組をつくったのは、前篇が松丸慶太(ディレクター)で、後編が森下光泰(ディレクター)です」

「こういう賞をいただき、最近、職場で上司や仲間から電話がかかってくると、『科学ジャーナリストの増田くんはいるか』と言われます。私自身は、瓦版屋の末裔と自認はしていますが、ジャーナリスト、ましてや科学ジャーナリストという大層な者とはまったく思っていません。昔はディレクターもやっていましたが、どちらかというと(制作番組は)歴史分野が多く、とても不相応な賞をいただいたなと感じています」

「原発(をテーマとした番組)ということで、ETV特集はたくさんやりました。『ネットワークでつくる放射能汚染地図』をシリーズを放送したり、『アメリカから見た福島原発事故』や『世界から見た福島原発事故』という視点でも放送しました。受賞いただいたような、歴史的な過程で原発事故を見つめるという切り口でやったりもしています」

「なぜ、このような番組が多くなったのかといいますと、歴史的にも大きな転換点であるということから当然かもしれませんが、『私たちが今年は』とも思いました」

「ご紹介いただいたように、去年も一昨年もNHKが科学ジャーナリスト大賞をいただきました。3回連続の受賞はどうかと、申しわけない気持ちですが、NHKとしては『3・11』以降、がんばらなければ存在価値がないというふうに、私だけでなくみんなが考えていました」

「(NHKは)公共放送ですので、東京電力にもスポンサードされていません。受信料だけで成り立っているので、民放がどうかということではなく、基本的にそういった意味でのしがらみは一切ありません。公共放送として自由さを発揮し、いいたいことをいわなければ、なんのための公共放送かということにということがあります。自分もふだん自由な形でやっていますので、こういうとき、がんばってやってみようではないかということでやってきました」

「賞をいただいた番組『原発事故への道程』は、さきほど相澤益男先生(選考委員、総合科学技術会議議員)からご紹介いただきましたように、1970年代、1980年代にこの国の原発政策の中枢を担った人たちが、基本的には公開しないという前提のもと密室で話した録音テープがかなりの量ありまして、それをもとにしています」

「原発事故が起こってから出る話は、当然それを前提にしていますのでなんとでも言えます。ところが、その時その時になにを言ったのかは、まさか将来このような事故がおきるということを考えていたのどうかわかりませんが、やはり客観的に意味があると思います」

「大事故の犯人探しをして糾弾したところで、たかが知れていると思っています。それより、なぜこういうことになってしまうのか(が重要です)。日本人の習性といいますか、取材していてわかったことですが、どの人もいわゆる原子力村の人びとや、あるいは反原発の人びとも含めて、『日本が悪くなればいい』とか、『人が不幸になればいい』とか思っている人は一人もいません。みんな『豊かになりたい』『豊かにしたい』という気持ちでやっていながら、結果としてひとつの県がもしかしたら住めなくなってしまうといほどの悪が生じたわけです」

「そういうシステムとしての悪のようなことがなぜ起きるのかということが、いま起きている放射能の汚染の実態を解明するということとはまた別にありそうです。われわれ日本人が科学技術とどう向き合ってきたのかということを、冷静にバイアスをかけないで見なければならないとわれわれスタッフは思い、この番組に取り組みました」

「こういうことが共有化できたとき、二度、三度、このようなことが起きないための、なんらかの教訓になる、それを遺したいと思いました」

「原発事故だけを考えるべきでは本当はありません。今回の事故から学ぶということは、防潮堤を高くするということだけでありません。原発とは関係ない、ライフサイエンス、医療、バイオテクノロジー、宇宙開発などのリスクヘッジが本当にできているのかということも含めて考え直さないと、この事故から、この犠牲から、われわれは学ぶことになっていないのではないのでしょうか」

「得ることはどんどん増えていると思います。科学ジャーナリスト賞という栄誉ある賞をいただきましたので、がんばっていきたいと思います」

「相澤先生からは(講評で)番組に対する甘さを指摘され、まったくもっともなことだと思っています。じつは、『原発事故への道程』での根本の資料となった、『島村原子力政策研究会』という“本丸”は、核燃サイクルについても語っています。いま、松丸が中心になり、核燃サイクルがなぜこのように迷走したのか、“ごみの捨て場”がないのなぜここまで進んできたのか、それから、核の平和利用と核兵器が別個で進んでいたのでなく、たがいに影響しあっており、日本の核保有や核をもたせないという話と日本の核燃サイクルが密接にからんできているという話を、いま掘り下げているところです」

「放送は6月17日でして、今日いろいろご注文いただいたことを反映したような内容になっていけばいいと思っています」

「本日はまことにありがとうございました」

NHKのETV特集「原発事故への道程」のホームページはこちらです。
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科学ジャーナリスト大賞2012茂木さん「手間と時間をかけた」


(2012年)5月15日(火)、東京・内幸町の日本記者クラブで「科学ジャーナリスト賞2012」の賞贈呈式が開かれました。

科学ジャーナリスト賞は、日本科学技術ジャーナリスト会議が、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰するもの。今回で第7回となります。

4日にわけて、大賞と賞の受賞者によるあいさつの要旨を伝えていきます。

大賞は今回2作品。下野新聞社発達障害取材班代表の茂木信幸さんと、NHK文化福祉番組部チーフプロデューサーの増田秀樹さんが受賞しました。

下野新聞社の茂木信幸さんの受賞スピーチ(一部抜粋)です。

茂木さん、右後ろはキャップの山崎一洋さん

「本日は、過分なる賞をいただき、ありがとうございます」

「私ども下野新聞は、宇都宮市に本社があります。今回の連載は、一地方紙の、どちらかというと地味な連載でしたが、こういう形で光を当てていただき、本当に感謝しています」

「発達障害は、いまではいろいろなメディアで取りあげられ、関心は高まっています。相手の気持ちが読めない、集団行動ができない、うまくコミュニケーションがはかれないといったものです。この会場にも何人かいらっしゃるかもしれないというほど身近な問題であり、そういう点から、連載のタイトルは『あなたの隣に 発達障害と向き合う』としました」

「(連載企画の)きっかけは、教育問題に通年企画で取り組もうということでした。取材班の山崎一洋(編集局社会部)をキャップとしたところ、どうやら小中学校の現場で、発達障害のお子さんに苦労している先生が多い、とわかりました。まず栃木県内の現状をきちんと取りあげて、そこから連載をしていこうということで始まりました」

「栃木県内の小中学校と大学1200校すべてにアンケート調査をし、それをベースに展開していきました」

「今回、実名で報道したことが評価されたということもありましたが、特定の障害のある方のお話を、どう社会性のある、読者に共感をもっていただけるキャンペーンにしようかと考えました。そのなかで、やはり、そうした方々との信頼関係を築いて、私どもの目的を理解していただき、さらにもう一度『この内容で大丈夫でしょうか』と、確認しながら連載を続けました。手間と時間をかけたところをきちんと評価していただいたことに、本当に感謝します」

「連載を始めるにあたり、非常に不安でした。ちょっとまちがうと、偏見あるいは差別の助長につながってしまうのではないかと思ったのです。あるいは、社会的な共感が得られるのかというところでどうなんだという不安がありました」

「しかし、いざ連載を始めてみますと、『うちの子も発達障害かもしれない。そういうことをきちんと紹介する機関を教えてほしい』とか、『学校の先生にこの連載を読んでほしい』『障害がある子がいることを理解してほしい』という声が100通以上、寄せられました」

「読者の人びとの励ましや支援、なかにはおしかりの声もいただきましたが、それがキャンペーン報道として成り立った大きな要因だと思います」

「今回の受賞がひとつのきっかけになり、7月上旬に多少の追録・増補した形で書籍化する運びになりました(会場から拍手)。出版の際にはお付き合いいただければと思います。きょうは本当にありがとうございました」

下野新聞のホームページはこちらです。
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“地異”の風情に今昔のちがい

自然災害には、さまざまな種類があります。台風、雷、竜巻、大雪、などなど。

災害に遭った人たちにとっては深刻なことですが、いっぽうで、これらの自然現象に日本人はすこしの風情をあたえてきました。

かつて人びとは、台風を「野分」(のわき)とよび、松尾芭蕉は「猪もともに吹るる野分かな」と詠んでいます。また、雷も「神が鳴る」ものが由来。この神は虎の皮のふんどしをはいて、へそをとりにくるという、神様には失礼ながら愛嬌のある側面をもっています。

風情を感じることのできる自然災害があるなかで、その例外といえるのが、いまの時代における地震や津波といった現象でしょう。東日本大震災や阪神大震災が起きるまえから、地震や津波に対して、人びとはそれを風情として味わうようなことはしていませんでした。

台風や雷などが“天変”であるのに対して、地震や津波は“地異”にあたるもの。とつぜん地面を揺りうごかすような自然現象に対して、やはり風情を味わうような余裕はないのかもしれません。

しかし、江戸時代ごろまでは、地震に対する人びとの見方も、すこしちがっていたようです。

かつて、人びとは、鯰が地震を起こすものだと信じ「鯰絵」という絵をつくってきました。大きな鯰のうえに、小さな人間たちがのぼって懲らしめようとしている絵や、壊れたたてものの後かたづけを、人とおなじくらいの大きさの鯰が手伝っているといった絵です。


もちろん江戸時代にプレートテクトニクスなどの理論はなかったため、鳥獣戯画の流行などと重なって、鯰絵も流行ったのでしょう。

それに加えて、かつての大地震には“世直し”につながるものでもありました。住みかなどが壊れると、幕府や地元の富豪たちが被災者に施しをあたえることが習慣になっていました。そのため、地震後の街では、活気さえ生まれていたといいます。

地震の原因は鯰からプレートの動きへ。施しから地震保険へ。科学の進歩や社会制度の変化にともない、地震に対する人びとの見方も大きく変わっていきました。それは、風情がなくなり、深刻さが増すという方向です。

参考文献
『サイエンスウィンドウ』2008年9月号「いにしえの心」
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オンリーワンよりナンバーワン


産業界ではひとむかし前、「オンリーワン」であることが、とても価値のあることとして賞賛されてきました。

まず、「ナンバーワン」というのは、一般的に、数ある競争相手のなかで一番目の地位を得ていることを指します。たとえば、ある部品の出荷量のシェアでナンバーワンといったことを、産業界やマスメディアは重視します。「一位じゃなきゃだめなんですか」という国会議員の素朴な疑問に対して、「やはり一位であることは大切」と産業をつくりだす科学技術の世界のお偉方たちは答えました。

これに対して「オンリーワン」は、競争相手がいないというほどに独占的な地位を占めていることを指します。「1分の1」なのでナンバーワンの変化型ともいえます。たとえば、ある部品をつくることができるのはある企業だけといったようなもの。こちらも、産業界やマスメディアは重視してきました。

しかし、このところ「オンリーワン」の産業に対して、かつてほど重視がされなくなっている側面もあるようです。

ものづくりを長年つづけている製造業の製品開発担当者は、つぎのように言います。

「オンリーワンというのは、いまや取引先から嫌がられる風潮さえあるのです」

オンリーワンが、嫌がられるというのはどういうことでしょうか。この担当者はつぎのようにつづけます。

「取引先にとってみたら、いまのご時世、ものづくりについても、安全なほうへ安全なほうへと、ものごとを進めようとするもの。万一、うちの会社が潰れたりして、オンリーワンの部品が供給されなくなったりとすると、それで製品づくりができなくなってしまう」

「だから、オンリーワンの部品を選ぶのでなく、複数の部品メーカーがつくっているような、ノット・オンリーワンの部品を選ぼうとするわけです」

部品を集積させて製品を作るメーカーがオンリーワンの部品を敬遠する背景には、製品メーカーの業績が悪くなるなどして、リスクをとるよりも確実性をとるようになったといったことがあるようです。

この話からすると、部品メーカーにとって見れば、「他者に追従はされながらも、つねにナンバーワンの地位を保つ」ということが大切になっている側面もあるようです。
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「答弁の義務だけを負っているわけではないんですよ」

橋下徹大阪市長が、囲み取材をした放送局の記者に対して“激怒”したとして、話題になっています。大阪市は、この記者会見の模様をインターネットで公開しています。

世論の多くは、橋本市長の会見での主張に沿って、質問した記者を「アホな質問をした」などと、記者をばかにする論調が目立ちます。

「取材者対被取材者」という点からすると、この二人のあいだのより重要なやりとりは、つぎのものでしょう。

市長「ぼくの質問に答えてもらってよいですか」
記者「いや、私のほうからお聞きするんですけど」
市長「お聞きするんじゃなくてこの場は議会でもないので答弁の義務だけを負っているわけではないんですよ。どうですか」

取材をする側は、取材を受ける側が取材を受けてあたりまえという考えかたについおちいりがちです。

しかし、人と人とのコミュニケーションという観点からすると、取材をする側は取材を申しこむことがほとんど。いっぽう、取材を受ける側は取材を引き受けることがほとんど。

極端な話をすると、取材をする側のお願いに対して、取材を受ける側はそのお願いに“引き受けてやる”わけです。世の中での人どうしの依頼するほうと依頼されるほうの立場を考えると、通常は、圧倒的に依頼をされるほうが上手になります。取材する側は、取材を受ける側に「取材させてください」とお願いしなければ、かなえたいことが成立しないからです。

橋本市長が「答弁の義務だけを負っているわけではない」と記者に言ったのは、このことを突いているのでしょう。

ジャーナリストという職業の本分に、もともと「お上の動きを監視する」という役割があります。これにより、世の中がより健全なほうに向かうのだとすれば、記者が議員や首長などの立場にある人に質問をすることは、社会的に認められてしかるべきでしょう。

しかし、その外の枠には、人が人に対して、依頼をする、依頼を受ける、という立場関係があります。その立場関係があることをわきまえて、取材者は取材に臨むことを求める被取材者は確実におり、その人の主張も社会的に認められてしかるべきでしょう。
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名誉ある業績が動詞に


人は、人の名に「る」などをつけて、動詞にしようとします。

日本で人びとやマスメディアが、よく動詞化の対象にするのは政治家たち。

たとえば、2011年3月の大地震後、官房長官だった枝野幸男氏が不眠不休で震災や原発事故の対応にあたったことから、「枝る」ということばが生まれました。「寝る間を惜しまずはたらく」や「上司に恵まれないため努力を強いられる」といった意味。

首相だった安倍晋三氏が体調悪化との理由で首相を辞任を表明したときも、渋谷の人びとは「あたしも、あしたのバイト、安倍っちゃおうかしらー」と言ったといわれます。つまり「安倍る」で「仕事も責任もなにもかもを放りなげてしまう」といった意味。

日本では、人びとやマスメディアは、人名の動詞化にしばしば、皮肉や揶揄の意味あいを込めるようです。そして、流行語や俗語の域にとどめ、じきにすたれさせていきます。

いっぽう、世界に目を向けてみると、人名の動詞化が、日本とは対極的な具合におこなわれることがあります。つまり、人名の動詞化に、尊敬や賞賛の意味あいを込め、いつまでもそのことばを使いつづけるわけです。

たとえば、英語には「パスチャライズ」ということばがあります。

“-ize”つまり「-アイズ」は、しばしば動詞化のために使われる接尾辞で「何々化する」といった意味をもちます。

このことばの接尾辞“-ize”の前にくるのが、“pasteur”。発音は「パストゥー」。つまり、フランスの化学者ルイ・パスツール(1822-1895)のことを意味しています。

パスツールは「近代細菌学の祖」ともいわれるほど、細菌についてのさまざまな研究や技術をうちたてました。数ある業績のひとつに、「アルコールを飛ばさずに酒のなかの細菌を殺す方法の開発」というものがあります。

細菌を殺すには、細菌の入った液体をぐつぐつと高温で煮立たせれば済みます。しかし、ワインなどの酒に対してこの殺菌法を使うと、せっかくのアルコール分が飛んでしまい、ワインのおいしさがそこなわれることに。

そこで、パスツールは、ワインの風味は保つため、液体を煮立たせないほどの温度に温めて、殺したい細菌あるいは殺せる細菌だけは殺すという方法を思いついたのです。

パスツールが活躍していた時代、「生命とは自然に発生するもの」という考えかたが強くありました。しかし、パスツールは、ワインの風味が変わってしまうのは微生物のためであるということを見抜き、ある程度の高温で微生物を殺すという方法を考えついたのでした。

パスツールのこの業績から、「低温殺菌する」という意味のことばとして、“pasteurize”つまり「パスチャライズ」ということばが生まれました。さらに、これが名詞になって「低温殺菌法」という意味の“pasteurization”つまり「パスチャライゼーション」ということばも使われています。

「パスチャライズ」は、日本語での人名動詞として考えると「パストゥる」といったことになるでしょうか。「この牛乳は、パストゥられてるから、すこし長もちするよ」。

パスツールが亡くなってから116年が経ちました。英語辞典には、“pasteurize”という動詞や、“pasteurization”という名詞がちゃんと載っています。日本でも「パスツーリゼーション」などとよばれています。パスツールはいまも動詞として、その存在を示しつづけているわけです。

参考ホームページ
日本パスツール協会「今までの活動内容」
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住居表示50年、「何丁目何番地」以外にも
 

きょう(2012年)5月10日は、日本で「住居表示に関する法律」が施行されてからちょうど50年になります。

住居表示とは、市街地など人や物の往来の多い場所に対して、「何々町何丁目何番何号」といったように「番」そして「号」まであたえた場所の表しかたをいいます。この方式を住居表示に関する法律で定めたわけです。

住居表示に関する法律が施行されるまえは、「何々町何丁目何番地」あるいは「何々町何番地」といったように、町名と番地で場所が表されてきました。しかし、むかしから使われていた番地の境目は、新しくできた道路とは関係なし。そのため郵便配達や土地管理などがやっかいなことになっていたのです。

日本の都市部の住居表示で、“例外”といって多くの人が思いうかべるのは京都市かもしれません。京都市は、政令指定都市のなかでは唯一、住居表示を導入していないからです。

たとえば、京都に本社をかまえる京セラの所在地は「京都市伏見区竹田鳥羽殿町6」。堀場製作所の所在地は「京都市南区吉祥院宮の東町2」。

しかし、京都市以外にも、住居表示をめぐる“知られざる例外”があります。

山形空港もある山形県東根市の一部の地域では、つぎのように住居が示されています。

「東根市板垣大通り16」「東根市神町営団大通り46-5」「中島東通り26」

場所をあらわす名前のつぎに番号がひとつついていることから、京都市の表示と似ています。しかし、東根市の表示は、京都市のとはちがい、れっきとした住居表示。これは日本ではめずらしい「道路方式」とよばれる住居表示なのです。

東根市では、市内を走る通りに対して、起点と終点をもうけて、終点に向かって右側の住居には、1、3、5などの奇数を、左側の住居には2、4、6などの偶数をふっていきます。

また、北海道の浦河町の一部でも、東根市とおなじく「道路方式」を採用。「浦河町昌平町駅通25」や「栄丘西通21」といった住居表示が見られます。

道路方式の住居表示に適した地域として、自治体の説明では「道路が碁盤の目のように整然としていること」がよくあげられます。しかし、東根市も浦河町も、たしかに碁盤状になっているところはあるものの、さほどほかの市町村とちがいはありません。

むしろ、大きな道路の脇にのみ民家や商店が多くならび、道路から離れると民家や商店はすくなくなるといった居住地の特徴が関係していそうです。なお、欧米では「何々ストリート14」のように、道路方式による住居表示が採用されているところがほとんどです。

街を走る通りの脇に番号が振られて、それが住居表示になるのは、「何丁目何番何号」で住みなれた人びとからは、新鮮に受けとめられるもの。「わが街でも道路方式を採用すべきだ」といった声は根づよくあるようです。

住居表示に関する法律の施行から50年後。この先50年後、日本の表示形式は変わっているでしょうか。

参考文献
国土交通省「通りの名前を利用した道案内」
瀬田裕「住所表示より捉える秩序と都市空間把握の関係」
| - | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0)
「やばい」が使われすぎてやばい


街のなかやインターネット上で「やばい」や「ヤバイ」ということばがひんぱんに使われています。

街のなかでは、コンビニエンスストアの前で、若者が「うぉー、このおでんのだし、やばい」とか「うぉー、このアイス、まじやばい」と言っています。

インターネットでは、年齢は不詳ですが、インターネット利用者が「何々すぎてヤバイwww」といった表現で、掲示板や動画のサイトに書き込みをしています。たとえば、動画サイトでは、「外国人のU.N.オーエンの演奏がおもしろすぎてヤバイwww」「戦地から帰ってきた飼主に歓喜のワンちゃんが興奮しすぎてヤバイwww」といった投稿者からの見出しとともに、その動画が紹介されています。

もともと「やばい」は、江戸時代にうまれたことば。江戸時代、犯罪者の収容所は「厄場」(やば)とよばれていました。これに形容詞の「い」がついて、「やばい」。盗人などが、警官役の同心などに取りしまりを受けそうになったとき、「このままでは厄場行きだ」と身の危険を感じて、「やばい」と言ったといわれています。

しばらく「やばい」は盗人などの隠語でしたが、戦後になると闇市などで、取り締まりを受ける危険性から「やばい」が使われるように。その後、市民に定着していきました。

1990年代、「やばい」の意味に、大きな変化があらわれます。否定的な意味だけでなく、肯定的な意味でも使われるようになったのです。

2004年の文化庁による「国語に関する世論調査」では、16歳から19歳の男性で75.6%、女性で65.8%が、「良い」「おいしい」「かっこいい」などをふくむ「とてもすばらしい」の意味で、「やばい」を使っていると答えています。その後も、「やばい」の肯定的な使いかたは増えていることでしょう。

おでんのだしがおいしすぎると感じたり、よろこぶ犬の姿を見て、自分が刑務所に入ると感じる人は皆無でしょう。ただし、いまの肯定的な「やばい」の表現に、本来の「やばい」の語感が失われているかというと、完全に失われているとはいえますまい。

自分がどうにかなってしまい、自分の身によからぬ影響が及びそうだと感じられるくらいに、ものすごい。こういう語感が、いまの肯定的な「やばい」にも残っていそうです。「やばい」を発する当人がそこまで噛みしめているかはべつとしても。

いっぽうで、なんでもかんでも「やばい」と表現するのは、言葉の貧困化にもつながるので、避けるべきだとする意見も、肯定的な「やばい」を使っていない人たちからは聞かれます。

「やばい」を肯定的に使う人が増え、それが自然なものと受けとめられるのが当たり前になれば、そのことばの広がりは止まりそうもありません。

参考記事
北海道新聞2005年7月14日付社説「若者語 言葉は世につれ、だが」
参考ホームページ
文化庁「平成16年度『国語に関する世論調査』の結果について」
日本語俗語辞書「やばい」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
眠りながら脳は聞きわけ


ラジオを聞きながら、うとうと眠ってしまうことはあるでしょうか。時間が経つと電源が切れるようにしておかないと、ラジオの音は出っぱなしになります。

この人が、つぎにラジオの音を認識するのは、しばらくの眠りから覚めたとき。「あ、ラジオつけっぱなしのまま眠っていたんだ」。

このような音声をつけっぱなしで眠ってしまう経験をくりかえす人は、このような体験を口にします。「眠りから覚める直前まで、音はなにも聞こえてこないのに、眠りから覚めた瞬間に音が聞こえてくるようになる」。

眠りから覚めるとき、急に“音の聞こえ”が復活するというのです。

眠っているときも、耳に栓がされるわけではないため、耳は音を受け入れています。そして、耳が受けた音は、人が起きているときとおなじく、神経をとおって脳へと伝えられます。

では、なぜ、眠っているとき音が聞こえなくことがあるのか。それは、脳そのものが音を受けとめないでいるためといわれます。

睡眠の大きな目的は、起きているときはたらきつづけていた脳が休むため。脳は、音の刺激に対しても、なるべくならじゃまされずに休み続けていたいのでしょう。

しかし、眠っているとき、完全に脳が音をつけつけないでいると、危険な目に遭遇していることを察知しにくくなってしまいます。雷が「ピシャーン」と鳴っているにもかかわらず、眠っていて脳が音を受けとめなければ、その人は雷に打たれてしまうことだってあります。

そこで、眠っているときの脳は、ふだんよく聞きなれているような音を受けつけず、ふだん聞きなれていないような音を受けつけているのです。冒頭のラジオを聞きながら眠った人は、そのラジオから出てくる司会者の声になじんでいたのでしょう。

めざまし時計の音が毎朝おなじにもかかわらず、たいてい起きることができるのは、眠りが浅い段階に入っていることや、静かななかで突然に音が聞こえることなどの理由が考えられそうです。

とはいえ、「あすの朝は、めざまし時計で絶対に起きなければならない」といった重圧のかかっている人は、めざましの音を聞きなれない音にかえてみると、べつの意味での“危険な目”に遭遇するおそれは減りそうです。

参考記事
Excite Bit「眠っている間でも『耳』は聞こえているのか」
参考ホームページ
快眠hack「寝ているときは『耳は聞こえてる』?」
| - | 22:42 | comments(1) | trackbacks(0)
スタジアムでリズムが速くなる
 人は、ほおっておくとだんだん定期的なリズムが遅くなることがあります。自分自身に厳しくないと、夜型になっていったり、定期的なしめきり仕事のペースが遅れていったりというのがその典型です。

いっぽうで、人は、ほおっておくと定期的なリズムが速くなることもあります。

たとえば、プロ野球の外野席で繰りひろげられる応援には定期的なリズムが速くなる傾向がしばしば見られます。

野球場によっては、近隣住民への配慮から、観客のリズムをとるのに有効な太鼓という道具を使えないところがあります。たとえば、神宮球場では夜6時以降、太鼓をつかっての応援ができなくなります。

すると、両軍の応援者が陣どる外野席では、私設応援団のトランペット吹きや笛吹きが応援を導き、一般の観客がメガホンや手拍子でそれに付いていくといったことになります。

応援では、選手の名前を連呼したり、おなじ旋律の応援歌を繰りかえしたりするもの。このとき、ほぼ決まって、メガホンや手拍子のリズムが速くなっていきます。むしろ、トランペット吹きや笛吹きが、観客たちの素早くなるリズムに導かれるように。

応援のリズムが速くなることでとりわけ大きな影響を受けるのが、広島カープの応援者たちでしょう。カープへの応援では、トランペット吹きが応援歌を奏でると、その旋律に合わせて観客が踏み台昇降運動をはじめます。

実際、神宮球場での応援を導いている「東京緋鯉会」という私設応援団のホームページには、神宮球場での応援のよさとともに辛さがつづられています。

―――――
この球場のメリットは、ファンが多く声援が選手に届きやすい。
が…太鼓が使えないため、応援がバラバラになってしまうことがデメリット(泣)
スクワットが自然と早くなり、ラッパも早くなる…。これ超ツライんすよ(笑)
―――――

ヤクルトの応援席から、ものすごい速さでカープファンが踏み台昇降をしているのを見るのは壮快感がありますが、実際に踏み台昇降をしているファンたちはたいへんな運動を強いられます。

野球を観ている人たちの多くは、つぎの投球に対して打者は打つだろうかと、そわそわしているもの。心臓の拍動もふだんにくらべたら増していることでしょう。そうした緊張を強いられる状況では、本能的にくりかえしのリズムのスピードは速まっていくものなのでしょう。

参考ホームページ
東京緋鯉会「各球場での応援方法」
http://www.geocities.jp/higoi_tokyo_official_hp/rule.html
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
降水確率はふたつある尺度のひとつ


人は、未来にふりかかることを「リスク」としてとらえます。そして、「どのくらいのリスクなのか」を考えるとき、しばしばリスクを「おきる確率はどのくらいか」と「おきたときの影響はどのくらいか」というふたつの尺度でとらえようとします。

たとえば、「80%の確率で100人が軽いけがをする」というリスクと、「20%の確率で100人が死ぬ」というリスクを考えたとき、おきる確率は80%と20%であるのに対して、おきたときの影響は100人の軽症と100人の死亡となるわけです。

この確率と影響をかけあわせて、どちらのほうがリスクが高いか、また、どちらを優先してリスク対策をとるかといったことが、考えられていきます。

確率の大きさと影響の大きさというふたつの尺度からリスクを考えることは、組織や企業、また個人の頭のなかなどでひんぱんに行なわれています。しかし、人びとの身近な生活で、「確率の大きさはよく考えられるものの、影響の大きさはあまり考えられていない」という分野もあります。

天気予報は、その典型的なものといえるでしょう。

人びとにとっての大きな関心事は、「出かける時間帯に雨が降るか」ということ。そこで、天気予報の降水確率を気にします。

「神奈川県東部、あす正午から18時までに1ミリ以上の雨が降る確率は90パーセント」。報道や電話などの天気予報では、このような情報が流されています。

「降水確率は90パーセント」と聞くと、人びとは「90パーセントか。これはすごく降りそうだな」と考えるもの。ただし、ここでの「降りそうだな」は、天気予報のありかたにしたがえば、「雨が降るかどうか」という尺度においての「降りそうだな」ということになります。

「90パーセント」と聞くと、人びとは「けっこう本降りかも」などと想像をふくらませがち。しかし、この「90パーセント」という確率には「雨がどのくらいの量、降るか」という尺度はここにはふくまれていません。

ある人が、野外での催しものに出かけるとき、天気予報では現地の降水確率は「90パーセント」だったとします。実際に、会場につくと、雨がぽつぽつと降りだし、傘をさすことに。しかし、その後どうにか天気はもちこたえ、本格的な雨にはなりませんでした。

この場合も、90パーセントの降水確率に対して、実際に雨がぽつぽつであれ降ったのであれば、この降水確率の予想はほぼ正解だったことになります。

リスクを厳密にはかるという点では、降水確率とともに降水量も考えるとより自分への影響がどのくらいか考えられるようになります。天気予報でも、台風や大雨が近づいているときは、「予想される雨量」を示してはいます。

とはいえ、たいていの場合において、降水確率が高ければ高いほど、雨の降る量も多くなるような感覚を人はもつようです。

参考ホームページ
Excite Bit「『降水確率100%』は大雨か?」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「みどりの学術賞2012」中村太士さん、自然をもとの姿に戻す


2012年度の「みどりの学術賞」は、きのう紹介した新城長有さんとともに、北海道大学大学院農学研究科教授の中村太士さんに贈られました。

中村さんは、森と川と人の関わりかたについての研究をつづけてきました。北海道大学の学部生時代、「木々があるから山がくずれないのではない。山がくずれないから木々が立っているのだ」と師から教わり、“森が川に”あたえる影響を調べることにしました。

北海道苫小牧市内の川で調査すると、川の水温がもっとも高いのは、真夏日の多い8月でなく、まだ肌寒い5月であることもあることがわかりました。なぜ、暑い8月より涼しい5月のほうが水温が高いのか。現地調査をしたところ、8月は川のまわりの森が生いしげり、川に差しこむ日光をさえぎることがわかりました。5月にはまだ木の葉っぱが茂っていないため、日光がよく川に差しこみ、水温が上がっていたのでした。

ここからわかることは、川のまわりにある森の存在が、川の環境に影響をあたえるということです。

米国での留学経験で中村さんは、研究分野を超えた研究の大切さを感じたといいます。「木も、いきものも、人も、川もすべてが結びついている」ということを思い、帰国後、日本での河川流域のありかたを問いなおしはじめました。

中村さんがおもな研究対象のひとつとしたのが、釧路湿原。太古の時代に海水が出入りしたことでつくられた日本有数の湿原です。

この釧路湿原は、1960年ごろから農地開発などのため、蛇行した川が直線になるなど、大きく姿を変えていきました。その結果、湿原に土砂が多く流れこむことになり、湿原の面積も減っていきました。すめる動物がすめなくなっていきました。

中村さんの活動には、問題解決のための実践的なプロジェクトがともないます。直線になっていた釧路市茅沼地区の釧路川を、もとの蛇行した形に戻すプロジェクトにも携わり、いま川のこの部分は曲がった川になっています。

自然再生に対する中村さんの考えかたが端的に示されたことばがあります。それは「順応的管理」。自然をもとの姿にする試みをしてみて、うまくいけばその方法を進め、うまくいかなければまたべつの方法を試みるといったものです。「人間である以上、失敗があるのは当然であるし、失敗があってこそ技術的発展が可能になるのではないか」と以前、中村さんは述べていました。

自然の再生を考えたとき、「失敗したらとりくみは終了」では済まされません。自然がみずからでもとの姿に戻ろうとするのを、人が手だすけするといったくらいのゆったりさが、自然再生には必要なようです。

内閣府「みどりの学術賞」ホームページによる中村太士さんのプロフィールはこちら。
中村さんの業績を紹介した読みもの「森と川のつながり」はこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
「みどりの学術賞2012」新城長有さん、人手不要のイネ雑種強勢を実現


きょう5月4日は「みどりの日」。内閣府は、みどりの日にちなんで、国内で植物、森林、緑地、造園、自然保護といった「みどり」についての学術上の功績をあげた人に「みどりの学術賞」を贈っています。2012年で6年目。

2012年の「みどりの学術賞」は、琉球大学名誉教授の新城長有さんと、北海道大学大学院農学研究科教授の中村太士さんに贈られました。二人が研究してきたことを、2日にわけて紹介します。

新城長有さんは、イネの花粉の特徴に目をつけ、みのりの多いイネを育てる方法を開発しました。

作物として育てている植物に対して、人びとはこれまで「雑種強勢」というしくみでの改良を重ねてきました。たとえば、AとBというべつの種類のトウモロコシを交配させて、Aの優れたところと、Bの優れたところの両方をかねそなえた、“両親よりも優れた”トウモロコシをつくる、といったものです。

この方法をイネでも当てはめられるかというと、そうかんたんにはいきませんでした。イネはふつう、自分の雄しべと自分の雌しべのあいだでの受精を通じて、つぎの世代の種、つまりコメをつくるからです。雑種強勢をイネにあてはめようとすると、人の手で雄しべの花粉を雌しべに付ける作業が必要となり、費用対効果に見合いませんでした。

これに対して、新城さんは、人の手を使わなくてもイネで雑種強勢を実現する方法を生みだしました。

AというイネとBというイネがここにあります。ふつうにしていたら、Aは自分で自分の子を、Bも自分で自分の子をつくってしまいます。AとBを交配させるには、人の手間が必要。莫大な作業量になるため、採算に見あいません。

そこで、Cというべつのイネを登場させます。このCには「花粉をつくらない」という性質が細胞質に備わっています。このCを母系として、ここでは人の手を使って、まずは父系のAと交配させます。

そして、こうして生まれた子どもをまた父系にし、いっぽうふたたびCを母系として、さらに交配させていきます。

「花粉をつくらない」という性質は、かならず母系で遺伝していくもの。人の手で何回も交配をくりかえしていくとどうなるでしょう。ほとんどが父系のAの性質を受けつぎながらも「花粉をつくらない」という性質だけは母親ゆずりという、A'というイネができるのです。

こうしてできたA'を今度は母系として、また、はじめのBを父系として、田んぼの列に交互に植えます。A'は花粉をつくらないため、自分で受精してコメをつくることはありません。そこで、A'はとなりにいるBの花粉を受けて受精することになります。

これで、A'とBのあいだの交配が、人の手作業による受粉をしなくてもできることになります。

ただし、A'の細胞質は花粉をつくらない性質をもっているので、子どもの種が生まれてもその種は花粉をつくってくれません。これでは都合が悪いので、この点をどうにかする必要があります。

そこで、「花粉をふたたびはたかせるようにする遺伝子」をもった種類のイネをBとして使うことにするのです。細胞質がもっている「花粉をつくらない」という性質を、遺伝子がもっている「花粉をつくらせるようにする」という性質で打ちけしてしまうわけです。

これで、A'とBという2種類のイネで雑種強勢を利用することができるようになりました。この一連の方法を、新城さんは開発しました。

イネにかぎったことではありませんが、雑種強勢のしくみで人が期待することは「収穫量が増える」ということ。この方法でつくられるコメは、「ハイブリッド米」とよばれています。

新城さんのこの研究にとっては残念なことに、日本ではコメの消費量が減っているため、ハイブリッド米などの多収量のイネを育てる必要がなくなっています。しかし、人口が増えつづけている世界では、いぜんとして食糧不足が深刻な状況。新城さんの研究は、世界の食糧危機をすくうための糧になっています。

内閣府「みどりの学術賞」ホームページによる新城長有さんのプロフィールはこちら。
新城さんの業績を紹介した読みもの「みのり豊かなイネ」はこちら。
| - | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0)
日本酒の「コク」にペプチドの役割


酒などの飲みものの風味のひとつに「コク」があります。しかし、「甘み」や「辛み」などにくらべると、「コク」はやや漠然とした感触ととらえる人も多いでしょう。

「コク」を漢字にすると「酷」。穀物が熟した状態を指すのがコクの由来で、それが酒などの深みのある味わいという意味になっていきました。味そのものの深みや、その味の深みがつづくことによる後味の強さなどが、コクといわれています。

コクは、どのようにつくられるのでしょうか。

たとえば、日本酒では出荷前の貯蔵の段階でおよそ200種類もの成分が生まれます。これらの成分が、日本酒を熟成させます。この熟成段階でコクも生まれてきます。

日本酒のコクをつくりだすおもな成分は「ペプチド」といわれています。ペプチドとは、アミノ酸2個以上が結合した物質のこと。アミノ酸はたんぱく質をつくるもとであり、20種類のアミノ酸からたんぱく質がつくられます。そのため、ペプチドもたんぱく質の一部分であるといえます。

日本酒づくりのなかで、ペプチドはわりとはじめの段階でつくられます。

日本酒づくりでは、まず精白した米を洗って水を切ってから、この米を蒸します。ここで蒸米にふりかけるのが麹菌。麹菌のもっている酵素により、米のでんぷんをブドウ糖にかえるのが、麹菌をふりかけるおもな目的ですが、それでけではありません。

蒸米に麹菌をふりかけると、おなじく麹菌の酵素のはたらきで、蒸米のたんぱく質も分解されて、これがペプチドになるのです。

ペプチドそのものは、日本酒づくりの後の工程で必要な酵母というものを増やすのに必要といわれています。ペプチドは、その後の貯蔵の段階でも残ると考えられ、これが日本酒のコクをつくる大きな要素になると見られています。

なお、日本酒中のペプチドはほかに、酸味や苦味にも関係しているといわれています。

ただし、日本酒のコクをペプチドだけがつくるのかというと、そういうわけでもなさそうです。日本酒のコクには、ほかにもアルコールの一種であるグリセリンといった物質も関係していると考えられています。

日本酒づくりのなかで、多種多様な成分が生まれ、その微妙な関係性がコクをはじめさまざまな風味をつくりだしているといえそうです。

参考文献
産業総合研究所関西産学官連携センター「ペプチド・オリゴ糖・合成ポリマー等の分析」

参考ホームページ
中埜酒造「日本酒の知識」
菊正宗「『おいしさの秘密は麹』の巻」
笹一酒造「日本酒活用あれこれ」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
分析と計算の合わせ技で代謝の総てを調べつくす


いきものの細胞は、“ものづくりの工場”にたとえられます。細胞という工場は、体の外からとりいれた物質を材料にして化学変化を起こし、新たな物質をつくります。細胞のこの営みを代謝といい、細胞がつくる物質を代謝産物といいます。

細胞がつくる代謝産物はさまざま。大腸菌などの微生物の細胞は数百種類、人などの哺乳動物の細胞は数千種類、植物の細胞は数万種類の代謝産物をつくります。

いきものの細胞でどのような代謝産物がどのようにつくられるのか。これを調べつくして、しくみを応用すれば、食品の風味や機能を高めたり、薬を創ったりすることにつながるかもしれません。

そこで、分子生物学では、“代謝の総て”を知りつくすための研究が行われています。この研究は、「メタボローム解析」とよばれています。

「メタボローム」は「メタボロ-」と「-ーム」からなることば。「メタボロ-」は、「メタボリック・シンドローム」の日本語訳が「代謝症候群」であることからわかるように、「代謝の」という意味。いっぽう、「-ーム」は、「遺伝子の総体」を意味する「ゲノム」といったことばからわかるように、「総体」や「総て」という意味。

このふたつが組みあわさり、「メタボローム」は「代謝の総て」という意味になります。遺伝子のしくみを総て知りつくす「ゲノム解析」があるように、代謝のしくみを総て知りつくす「メタボローム解析」があるわけです。

何万種類もの代謝産物がどのようにつくられるかを網羅的に把握するにはどうすればよいか。メタボローム解析では、しばしば「分析」と「計算」の合わせ技が使われています。

まず、分析のほうは、どのような分子が新たにつくられたかを、分子の質量を計測したり、分子の種類ごとに分離したりすることで探っていくというもの。

代謝産物の構成要素であるさまざまな分子には、それぞれ特有の質量があります。逆に、分子の質量がわかれば、その情報からどんな代謝産物がつくられているか見当をつけることができます。この分子の質量を求めるために、質量分析計という道具が使われます。

ただし、なかにはべつの種類なのに質量がまったくおなじという分子も。そこで、べつの方法で分子を分別する必要も出てきます。これには、クロマトグラフやキャピラリー電気泳動装置という道具が使われます。

こうして、どのような分子がつくられたかを分析することから、どのような代謝産物がつくられているかを探っていきます。

しかし、調べれば調べるほど、いろいろな分子がつくられていることがわかっていきます。

データがすくないうちは、その限られたデータから、どのような代謝産物がつくられたかを人の手で計算して、推測することもできます。しかし、データが膨大になってくると、人の手ではあまりにも時間がかかってしまうことに。

そこで用いられるのが、計算です。

分析の結果として出てきた「この分子がふくまれていそうだ」というデータを、コンピュータに入れていきます。それらのデータから、コンピュータがどのような代謝産物がどのくらいの量ふくまれているか求めていくのです。生物のしくみに関する複雑な計算は、とくに「バイオ・インフォマティクス」とよばれています。

分析の段階は、細胞にふくまれる物質そのものを扱う“ウェット”な世界。計算の段階は、データを扱う“ドライ”な世界。ウェットな世界の分析者と、ドライな世界の計算者は、それぞれの技を合わせることで、代謝産物の総てを知りつくそうとしています。

参考文献
曽我朋義「日本発の新技術『メタボローム解析』で、世界をリードする」
参考ホームページ
ジナリス「メタボローム解析とは?」
| - | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)
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