科学技術のアネクドート

キーが壊れたらべつのキーに役割を


コンピュータにむかって“気合い”を入れすぎると、キーボードのキーが壊れてしまうことがあります。とくに気合いを入れて押される傾向のある「リターンキー」などの主要キーは、外れたり割れたりしやすいもの。

マッキントッシュのコンピュータで、あるキーが壊れてしまった場合、正規店のアップルストアの「ジーニアス・バー」という修理カウンターで相談すると、返事としてふたつの可能性があります。

ひとつめは、たまたま店に壊れたキーの代替品があり、その場ではめかえてくれるというもの。こちらは無料で行なわれます。

しかし、キーの代替品がないときは、ふたつめの可能性が出てきます。

それは、キーボードをすべて交換するというもの。ひとつのキーのみ交換すれば済むにもかかわらず、総とりかえとなります。これは歯が1本だけ欠けたのに、総入れ歯にするようなものです。しかも、修理費は2万円以上はするといいます。

店員からふたつめの返事をされてしまったとき、ジーニアスな使用者でなくとも、1個のキーのためにキーボードを総とりかえするのはあまりにばかばかしいと考えるもの。そこで、壊れたキーの代替品がバラ売りで売っていないか探すことになります。その求め先もおもにふたつあります。

ひとつめは、マッキントッシュの中古コンピュータや関連製品を中心に扱っている店に出向いたり電話をかけたりして、求めているキーが売っているかを確認するというもの。

ふたつめは、オークションサイトで「mac リターンキー」などと検索して、出品している人がいないかを探すというもの。

しかし、コンピュータの機種は、発売時期によってさまざま。このふたつの方法で確実に手に入るとはかぎりません。

交換費を2万円以上も払いたくないし、かといって探しても代替品が見つからない場合、あきらめて剥きだしのキーを押しつづけるしかないのでしょうか。

急場しのぎの対策として、「キーの役割の変更」があります。

たとえば、リターンキーが壊れて使えなくなった場合、ほかのキーにリターンキーの役割を担わせるのです。

たとえば、MacBook Proというノート型コンピュータでキーの役割をかえたいときは、“KeyRemap4MacBook”というアプリケーションを無料でダウンロードのうえ使います。

代替キーとして妥当なのは、リターンキーのすぐ下には「右Shiftキー」あたりでしょう。左側にある「左Shiftキー」はひんぱんに使われるものの、右Shiftキーのほうはめったに使われません。そこで、右Shiftキーにリターンキーの役割をになわせるのです。

これで、リターンキーがまったく使えないという最悪の事態は免れることができます。

しかし、何万回も押し続けてきたキーとはべつのキーに新たな役割をもたせるときは、指の慣れも必要になります。

“KeyRemap4MacBook”のダウンロードサイトはこちらです。
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「おいしさの決めては『小豆、水、技』」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2012年)3月30日(金)、「おいしさの決めては『小豆、水、技』 『あんこ』の歩んできた道(後篇)」という記事が配信されました。記事の取材と執筆をしました。

和菓子などに欠かせないあんこの源流は中国。しかし、いまのような小豆を使った甘味ある食材と化したのは日本の歴史においてです。

「あんこ」の由来は中国の「餡(あん)」。日本の伝わってきた南北朝時代の当時、中国の食習慣から餡とは肉の具材のことだったと考えられています。

肉食の習慣がない日本で、いにしえの人びとは肉のかわりとして小豆を餡に使ったのです。さらに、砂糖が日本で広まっていくのにともない、甘味の餡も食べられるようになっていきました。

こうして日本で、「餡」は「あんこ」へと変わっていったのです。

あんこの日本での発展史を前篇で追ったうえで、後篇では、現代のあんこやである製餡所に取材。取材先の製餡所が「3つの恵み」とよんでいる「小豆」「水」「技」へのこだわりを、科学的に裏付けできるかどうかを見ていきます。

たとえば小豆。「小豆と“相談”しながらあんこづくりをしていくのです」とは、製餡所の主人のことば。あんこの滑らかさや照りを出すためには、小豆を煮ることが必要です。

しかし、小豆を煮すぎても、小豆のでんぷんの糊化が進みすぎてしまい、ねばねばしすぎたあんこになってしまいます。

そこで火加減とともに重要になるのが、選別された小豆を使うこと。煮たときに小豆ごとに“むら”ができぬよう、ひび割れした小豆や石豆という固い状態になった小豆を除外し、かつ、均一な形や色などで選別した小豆を使っているといいます。

こうしたあんこづくりの経験則に、科学的に裏付けがなされていきます。

たとえば、あんこの研究者により、皮のついている通常の小豆と、皮をとってしまった小豆の両方を煮て結果をくらべるという実験が行なわれています。小豆があんこになる量は、皮をとってしまった小豆のほうが少ないという結果に。しっかりと皮で覆われた小豆が重要であるということの証しといえるでしょう。

記事では、製餡所が大切にしている、水や技についての経験則も紹介。その科学的な裏付けを試みます。

JBpressの記事「おいしさの決めては『小豆、水、技』 『あんこ』の歩んできた道(後篇)」はこちらです。
あんこの歴史を追った「『饅頭食べたい』、禅僧の思いが生んだ日本の甘み」はこちら。
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密度はリチウムイオン電池の1000倍超――空気電池が未来を拓く(2)



充電池をふくむ電池では、電子を移動させて電気をとりだします。電子を移動させるためには、導線の入口のところに負極と正極というふたつの電極を設ける必要があり、さらにこの電極には、活物質という材料を含めておく必要があります。

活物質は、電気をとりだすのにはよからぬ分極という現象を防ぐためのもの。正極の活物質を正極活物質、負極の活物質を負極活物質とよび、それぞれべつの物質が使われます。

活物質のうち負極活物質のほうに金属リチウムを使い、正極活物質のほうに「空気」を使う充電池を、リチウム空気電池といいます。「リチウムイオン電池」の「リチウムイオン」とは、負極と正極のあいだを行き来する物質のことをさすのに対し、「リチウム空気電池」の「リチウム空気」とは、負極活物質と正極活物質に使う物質のことをさしています。ただし、リチウム空気電池でも、正極と負極のあいだを行き来するのはリチウムイオンとなります。

空気の成分のおよそ78%が窒素で、およそ21%酸素。リチウム空気電池の正極活物質で使う「空気」とは、空気のうちの酸素をさします。

この充電池が放電をしているとき、電子は道線を通って負極から正極へと流れますが、それとともに電子がなくなってプラスの性質を帯びたリチウムイオンが、電池のなかの電解液を通って負極から正極へと移っていきます。

そして、正極にたどりついたリチウムイオンは、ここで空気の中の酸素と反応して、過酸化リチウムという物質になります。ここで、充電が行なわれると、酸素はお役御免となり大気へ。酸素が去ったあとの過酸化リチウムはリチウムになり、ふたたび陽極へと戻っていきます。

この繰り返しにより、リチウム空気電池は放電と充電をくりかえすことになります。

リチウム空気電池が注目されているのは、目を見張る性能のよさが期待されるからです。

まず、これまでの充電池にくらべて軽くすむようになります。たとえば、いま使われているリチウムイオン二次電池では、正極にリチウム金属酸化物という重たい金属が使われています。これに対して、リチウム空気電池の正極はといえば酸素。金属の正極活物質を置く空間を省くことができます。

また、負極活物質についても、リチウムイオン電池では炭素材が使われています.これに対して、リチウム空気電池の負極活物質はリチウム金属。この変更によっても、容積あたりに蓄えられる電気エネルギーの密度が高くなります。

リチウム空気電池のエネルギー密度は、リチウムイオン電池に対して、1000倍以上になると目されています。つづく。

参考ホームページ
トヨタ自動車「次世代二次電池の研究成果」
参考記事
CNET 2012年1月17日付「IBM、2020年にリチウム空気電池の量産を目指す」
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新たな職場に移してこそ真の多能化


企業などの組織では、「人材の多能化」が課題のひとつとなります。

「多能化」とは、字のごとく、多くの能力をもつ状態と化すこと。たとえば、お菓子工場で働く工員が、これまではイチゴのせしかできなかったものの、新しく、ラインに流れてくるお菓子の不備をチェックする能力も得たとします。このとき、この工員は多能化することができたといえます。

人材が多能化することの組織にとっての利点は、柔軟な人材配置ができるようになるということです。

イチゴのせを必要とするお菓子が不人気で販売終了となったとき、イチゴのせしかできない社員は仕事をもてあましてしまいます。しかし、この工員が多能化していれば、べつのお菓子の製造ラインで最終チェックをする仕事にすぐ配置転換することができます。

組織にしてみれば、より多くの人材がより多くの仕事をこなすことができるという状態が理想的ということになります。

人材の多能化をめぐっては、「ほんとうにその人材は多能化したのか」ということが問われることがあります。

もっぱらイチゴのせをしていた人が工場内研修を受けて、新たにお菓子の不備チェックをすることができる人材になったと工場から認められたとします。しかし、研修を受けて多能化を認められることと、ほんとうに多能化できるようになることは、べつということもあります。

イチゴのせをしていた工員が、ときどきべつのお菓子の不備チェックに駆り出されることがあるとします。しかし、ときどきしか駆り出されないため、お菓子の不備チェックになれているわけではありません。そのため、多能化が認められたとしても、この工員はお菓子の不備チェックで誤りをおかすことも考えられます。

その人材がほんとうに多能化を果たすにはどうすればよいでしょうか。そのひとつの方法として、「多能化した人材を、新たな技を使う職場に異動させる」ということがあります。

イチゴのせをしていた工員が、工場内研修でお菓子の不備チェックもできるようになったとします。組織は、この工員を「イチゴのせもできるけれど、いざというときお菓子の不備チェックもできる人材」とするのでなく、「お菓子の不備チェックをする人材」にしてしまうのです。

こうすれば、この工員は、メインの仕事としてお菓子の不備チェックをすることになります。研修で得た技術を、たまにでなく、いつも仕事に活かすことになります。こうなれば、研修で得た知識を、オン・ザ・ジョブ・トレーニングでさらに磨くことができるため、多能化が本物になることでしょう。

この工員が、これまでなれていたイチゴのせの仕事をしなくなることは、組織にとって一時的な痛手となるかもしれません。しかし、このことは、組織がより多くの人材がより多くの仕事をこなすことができるという状態をかなえるために必要な過程でもあります。
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正極活物質に空気――空気電池が未来を拓く(1)


電気自動車やハイブリッド車が使われるようになり、充電池の主役は「リチウムイオン二次電池」となりました。モーターショウで展示される未来の自動車にも積まれているのはもっぱらリチウムイオン二次電池です。

容積あたりにどれだけ電気を蓄えられるかが充電池の性能となります。リチウムイオン二次電池は、これまでの主役だったニッケル二次水素電池より性能がよいために、主役の座を奪いました。

では、未来永劫リチウムイオン二次電池が充電池の主役の座にいつづけるかというと、そうはならないでしょう。充電池にかぎったことではありませんが、技術革新により製品の主役の座は代わっていくのが世の常だからです。

リチウムイオン二次電池のつぎに主役となる充電池とはどのようなものでしょうか。有力候補のひとつとして開発が進んでいるのが、「リチウム空気二次電池」という充電池です。

リチウム空気二次電池とはどのような充電池か。それを見るため、まず、いま主役の座にあるリチウムイオン電池のしくみを見てみます。

電気をとりだすためには電子の移動が必要となります。そのため、電子を多く帯びた負極と、電子の足りない正極というふたつの部分を用意して、電子にこのあいだを行き来させます。その電気の行き来を担わせる物質にリチウムイオンが使われるものが、リチウムイオン電池です。

正極と負極の電極には、活物質とよばれる物質がふくまれます。電気を起こす反応に関与する物質で、分極という現象が起きるのを防ぐ役割をもっています。分極とは、電流と反対向きの電流が生じる現象で、電気を生み出す電池にとってはよくない現象。これを、活物質が防ぐわけです。

リチウムイオン電池では、正極側の活物質にリチウム金属酸化物が、負極側の活物質に炭素材がよく使われています。

これに対して、リチウム空気二次電池では、正極の活物質に「空気」を、負極の活物質に金属リチウムを使うことを基本的なしくみとした充電池です。空気を使うとはどういうことでしょうか。つづく。

参考文献
真下清孝ら「リチウムイオン電池負極用バインダ樹脂」
参考ホームページ
マクセル「電池の用語集」

次世代充電池の有力候補として気体が高まっているリチウム空気二次電池を、しくみや開発動向などの視点から複数回にわたり紹介します。
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道路そのものを太陽電池に


太陽電池の置き場所といえば、むかしは電卓や時計のなか。いまは、家や建物の屋根や広大な空地です。

これからは“道に太陽電池”の本格的な時代がやってくるかもしれませんし、やってこないかもしれません。

どの国の国土でも、それなりの面積を占めているのが道路です。日本では、高速道路、国道、都道府県道、市町村道を合わせた道路の総延長が126万8743キロメートル。かりに道の幅を平均4メートルとすると、およそ50万ヘクタール。国土の1%以上を占める計算になります。

この広大な面積の土地を太陽光発電に使えないか。そうした構想を、米国の企業が真剣に検討しています。その名も、ソーラーロードウェイ社。

いま多くの道路はアスファルトという石油がもとの材料でつくられています。この道路の床面を、車が通っても壊れない強度をもつソーラーパネルに敷きかえようというのがソーラーロードウェイ社の構想。

同社のホームページには、これまで見なかったような、細かい丸い模様がいくつも並んだ太陽パネル製の道路の想像図が示されています。

しかも、道路に太陽光パネルを敷きつめるだけではありません。このパネルに発光ダイオードを取りつけ、これを輝かせて道路のセンターラインや「速度落とせ」などの表示をする発想もあります。

米国政府は、同社の研究を応援。2009年10月には、同社と研究契約を結んだと報じられています。

ソーラーロードウェイ社ほどの“夢”はありませんが、日本でも道路の防音壁を太陽電池にして発電しようとする試みがあります。

三菱化学は、“塗る太陽電池”ともいわれる塗布変換型有機太陽電池の開発を進めています。この太陽電池は、プリンタでフィルムや紙のうえにベタ塗りをするように、太陽電池の半導体を塗ってつくるというもの。

薄くて曲げやすいため、高速道路の防音壁などの丸みのあるところに置く利点があるといいます。いっぽう、この種類の太陽電池のエネルギー変換効率は10%ほど。いかに変換効率を上げるかが課題になります。

もちろん、設置するのに見合うように費用を下げていくことも大きな課題。「道路そのものを太陽電池に」という構想は道なかばにあります。

参考文献
高速道路調査会「米連邦運輸省、ソーラーロードウェイ社と研究契約(太陽光発電舗装盤)」

参考記事
朝日新聞 2011年7月19日付「塗る太陽電池、実用化めど 三菱化学、13年春ごろ発売」

参考ホームページ
Solar Roadways
三菱ケミカルホールディングス「有機太陽電池」
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見附、追分、広小路――街の名前に歴史
日本の地名には、その場所で果たされていた役割や付けられた意味がそのまま地名の一部になったものがあります。それは、歴史とも深く関係するものです。

まず、「何々見附」とよばれる地名があります。

東京では「赤坂見附」という地下鉄の駅名があるほか、四谷見附などの土地のよびかたも。また、東海道の宿場にはいまの静岡県磐田市に「見附宿」が、新潟県には「見附市」があります。


赤坂見附

見附は、見張り番が置かれていた施設をさします。たとえば、江戸城には「三十六見附」とよばれる見附がありました。赤坂見附や四谷見附は、この見附があった場所です。城のまわりだけでなく、街道の宿場の入り口にも見附が置かれました。

「何々追分」という名前も見られます。

東京・新宿の3丁目の交差点は、「新宿追分」ともよばれており、交差点の角には「追分交番」という交番もあります。また、長野県には「信濃追分駅」が、北海道と秋田県にもそれぞれ「追分駅」があります。

新宿追分交差点

追分とは、分岐点のこと。「Y」の字のように、こちらに進むと何々街道、こちらに進むと何々街道といった分岐点です。語源は「馬を追い、分けるところ」から来ています。

たとえば、新宿追分は、日本橋から下諏訪まで通じる甲州街道と、新宿追分から青梅を通って甲府で甲州街道に合流する青梅街道の分岐点になっています。信濃追分駅の近くにも、中山道と北国街道の分岐点があります。

なお、民謡にも「何々追分」とよばれる歌が多くあります。これは、信濃追分の宿駅でうたわれた歌が「追分節」とよばれるようになり、それが各地に伝わったためです。

ちなみに、追分に「これから道がふたつに分かれるところ」という意味合いがあるのに対し、おなじ「Y」の字のようなところでも「ここでふたつの道がひとつに合わさるところ」という意味合いで「落合」という地名も残っています。

「何々広小路」もよく聞く地名です。

東京では、「上野広小路」という地下鉄の駅や、「大崎広小路」という私鉄の駅があります。また、静岡県三島市にも私鉄の「三島広小路駅」があります。

上野広小路

広小路とは、道幅の広い道のこと。江戸時代の1657年、「明暦の大火」とよばれる大規模な火事が起きました。これを受け、江戸幕府は広い道をつくって、火事の火を除けるような対策をとりました。こうした大きな道が「広小路」とよばれるようになっていきました。

見附、追分、広小路。街の地名には歴史があるものです。
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戦前の野球ヒーロー、24年で散る

「戦地に逝ったワセダのヒーロー 松井栄造の24年」という展覧会が、東京・早稲田の早稲田大学構内會津八一記念博物館で開かれています。(2012年)4月21日(土)まで。

松井栄造(1818-1943)は、静岡県出身の野球選手。少年時代、故郷をはなれ、岐阜市に転校。いま県立岐阜商業とよばれている岐阜商業学校に入学し、野球部に入りました。

1935年の全国選抜野球大会で全国制覇を、また、1936年の夏の全国大会でも全国制覇をとげ、松井は投打に活躍しました。

岐阜商業を卒業した松井は、1937年、早稲田大学第二早稲田高等学院へ。1939年には早稲田大学商学部へ。戦前、日本の野球といえばプロ野球よりも大学野球のほうが盛り上がりを見せていました。松井の早稲田大学入学は、国民の大きな関心事でした。

早稲田でのデビュー戦は、東京六大学野球秋のリーグ戦の立教大学戦。同点の9回から登板し、延長11回まで無得点に抑えて勝利。その後、松井は肩を痛めていたことから、打者として活躍します。

学生時代の大きなできごとは、卒業時期のくりあげでしょう。英米との関係が緊迫していた1941年、勅令によりこの年度の大学生は12月にくりあげで卒業となったのです。松井は、このとき大学4年生。勅令直後の立教大学戦でも松井は活躍し、5季ぶりのリーグ優勝をはたしました。

早稲田大学を卒業すると、1942年、松井は都市対抗野球の強豪だった藤倉電線(いまのフジクラ)に就職。しかし、会社づとめからわずか10日間で陸軍に志願して入隊しました。戦地へ向かう直前には、早稲田大学野球部の合宿所をたずねたといいます。

1943年4月28日、東京大学野球聯盟は戦禍のなかで解散を余儀なくされます。その1か月後の5月28日、22時10分、中国湖北省の戦場で、松井は突入のときに銃弾を頭に受け死亡しました。

戦地に向かうとき、松井は遺書を書いていました。「戦死の事を知りましたならば、勇敢に戦って戦ひ抜いて微笑って死んで行った雄々しい姿を想像して下さい」。

展覧会では、松井の野球選手としての活躍ぶりを、現存する写真で紹介するほか、親しくなった作家・尾崎一雄(1899-1983)との文通の手紙なども公開されています。

いまも、高校野球から大学野球、そして社会人へと進んでいくヒーローはいます。甲子園のスターから、東京六大学野球のスターへ、そしてプロ野球へと進んだ斎藤佑樹投手と、松井栄造を被らせる人もいるかもしれません。

しかし、戦争により松井栄造のその後の野球人生あるいは人生は絶たれることになりました。若くして死ぬことはしばしば伝説化の対象になります。この展覧会の副題にも「松井栄造の24年」とあります。人生のはかなさやあっけなさも感じさせる展覧会です。

會津八一記念博物館による企画展「戦地に逝ったワセダのヒーロー 松井栄造の24年」の案内はこちら。
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『「苦手な顧客」とどう向き合えばいいのか』発売


MOKIコンサルタント代表でコンサルタントの茂木信幸さんによる著書『「苦手な顧客」とどう向き合えばいいのか 「感情労働営業」スキルを高める方法』がこのたび刊行されました。出版社は東洋経済新報社。この本の編集をしました。

茂木さんは、製薬企業で、営業を10年、マーケティングを5年、営業企画を3年、人事・人材開発を4年つとめたあと、人事コンサルタントとして独立し、同社を設立。慶應ビジネススクールで修士課程も学んだ経歴の持ち主です。

本のテーマは、サブタイトルにある「感情労働営業」というもの。多くの人にとって聞きなれない新鮮なことばかもしれません。茂木さんは感情労働営業を、つぎのように説きあかします。

「『感情労働営業』とは、自分の感情をコントロールし、演技をしながら相手の感情を好ましい状態に喚起し、商談成立に向け相手の行動変容を促す営業行為のことです」

世の中の仕事には、肉体を資本とするガテン系の「肉体労働」や、頭脳を資本とするインテリ系の「頭脳労働」などがあります。

これらとおなじならびで、感情を資本とする仕事を「感情労働」ということができます。その感情労働を駆使した営業のしかたが、感情労働営業といえます。

感情労働営業をイメージしやすい仕事としては、航空機のキャビンアテンダントなどがあります。実際の腹のなかはどうであれ、つねに笑顔で乗客に接して、“素敵な空の旅”を演出しようとします。

キャビンアテンダントは典型的な例ですが、人と接するような仕事であれば広く、感情労働営業を意識した仕事のしかたはあてはまります。実際、本のなかではケーススタディとして、会社の営業担当者が登場し、「苦手な顧客」とのコミュニケーションを克服していく様子も描かれています。

感情労働営業には、“演技”がともなうもの。自分がそうとは思っていなくても、相手である顧客がそうだと思っていることに合わせるといった演技が必要になります。

茂木さんは、演技をするということを「決して悪いことではない」と捉え、演技のすすめを説いています。

「『演技をする』とは、“適切な演技”を“うまく行なう”ことによって相手との関係性を強化し、こちらの意図した行動や考え方に向かわせるようにすることです」

人と接する仕事をしている人が、「仕事上の感情コントロール」や「仕事上の演技」の大切さを実感することのできる内容です。

『「苦手な顧客」とどう向き合えばいいのか 「感情労働営業」スキルを高める方法』はこちらでどうぞ。
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振動が弱くなり不安が増す


携帯電話やスマートホンの振動が弱くなっています。

「バイブが弱くなっているため、本当にわかりづらい」「ポケットに入れてるとバイブがまったく感じない」といった書き込みが、インターネット掲示板などで多く見られるようになりました。

振動機能は、携帯電話やスマートホンに組みこまれた「振動モータ」という装置によるもの。モータの回転軸のさきに、重心をわざと不釣りあいにした分銅がついています。着信があるとモータが回転しますが、回転軸につながっている分銅が不釣りあいであるため、ブルブルブルと振動が生まれます。

分銅の不釣りあいの度合を大きくすれば、そのぶん振動は大きくなります。かつての携帯電話では、分銅の不釣りあい度合は大きかったのでしょう。

しかし、携帯電話やスマートホンをつくる会社は、あえて振動の大きさを弱めているようです。

振動を弱める背景には、ほかの人に迷惑をかけないようにするという配慮が考えられます。喫茶店では、数人がけのテーブルのうえに携帯電話やスマートホンを置く人が多くいます。だれかの携帯電話やスマートホンに着信があると、まわりの客にもテーブルの振動が伝わります。この“よそ様の振動”を不快に感じる人は多くいます。

携帯電話やスマートホンの使用者本人も、とつぜん大きな振動に対しては不快を感じやすいもの。実際に震えたときはドキッとし、「いつケータイが震えるか」と不安になります。

こうした背景があり、携帯電話やスマートホンをつくる企業はあえて振動機能を弱めていると考えられます。

しかし、振動が弱まることの不利益もあります。着信を感じることができないという使い勝手の悪さはもちろんこと、心のもちようにかかわることでも振動の弱さが問題になることがあります。

街のなかにはさまざまな振動があります。車が道路を通ったときの振動、工事現場で重機を使っているときの振動、冷蔵庫の冷却用モータによる振動などなど。

これらの振動は、すぐそばで受けとめなければ、あまり大きくは感じられません。弱い振動として感じるか、あるいは感じないかといったくらいの振動として受けとめることになります。

携帯電話やスマートホンの着信の振動が弱くなってきているため、街なかで起きる弱い振動とあまりちがいを感じられなくなってきているのです。たとえば冷蔵庫のモーターがヴィーンと動きはじめたときの振動を、着信の振動とまちがえてびくっと反応する人もいます。

冷蔵庫だけではありません。ちかごろの携帯電話やスマートホンの振動とおなじ弱さの振動は多くあります。街なかで振動が起きるたびに「自分のケータイが震えているのでは」と感じることに。しかし実際に携帯電話の表示を見ても、なにも起きていません。「なんだ、気のせいか」。

“気のせい”というよりは、自分の携帯電話やスマートホン以外のものの震えに敏感になっている証拠でしょう。携帯電話やスマートホンでひんぱんに通話をしているような人は、極端な場合、強迫観念的に「いつも着信が来ているのではないか」と感じることになります。

かつては、携帯電話やスマートホンの振動は大きかったので、それとわかりました。しかし、振動が弱くなったことで、街のなかの振動にまぎれてしまい、これがかえって不安や不快を増やすことにもつながっているようです。

参考ホームページ
並木精密宝石「振動モータ 技術紹介・原理機構」
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組織の“くすぶり”もがんのもと

がん細胞は、正常の細胞が分裂していくとき、異常な細胞になってしまうことがひきがねで生まれます。がん細胞が生まれることと関係しているのがからだの組織の「炎症」です。

ころんで膝小僧を打つと、うったところが腫れることがあります。これも炎症のひとつ。物理的作用、化学的作用、あるいは細菌などのしわざにより、組織が赤くなったり腫れたりすることを炎症といいます。

組織の炎症によって起きるがんの代表的なものに胃がんがあります。

まず、ヘリコバクター・ピロリという細菌に胃が感染すると、萎縮性胃炎や胃潰瘍といった炎症系の病気になることがあります。さらに、これらの炎症がつづくと、胃がんに発展することがあります。

また、大腸がんも炎症が関係していることがるといわれます。潰瘍性大腸炎などの炎症系の病気が長びくと、大腸がんになりやすくなります。

ピロリ菌から胃の炎症が起きて胃がんにという経過では、感染症がかかわっています。いっぽう、潰瘍性大腸炎から大腸がんへという経過では感染症がかかわっていないものの、どちらの炎症も激しいものがあります。

しかし、激しくない炎症でも、じわじわと炎症がつづくことで、がんになったりがんが進んだりすることもわかっています。

がんの発生と関係する炎症のひとつとして「慢性炎症」があります。組織が長いこと強くはないストレスを受けつづけるなどして、じわじわとした炎症がくすぶっているような状態をさします。

じわじわとくすぶるような慢性炎症に対しても、組織は元どおりになるよう修復を試みます。このときに起きうるのが「組織リモデリング」というもの。組織がもとの状態に戻ろうとするものの、完全にもとの状態に戻ることができず、組織のはたらきに影響をあたえることをいいます。

組織リモデリングが起きなくても、組織が慢性的に炎症を起こすような状態がつづくと、それにより、がんの予備群ともいわれる前がん病変や、がんになる確率を高めるとされます。

参考文献
熊本大学2011年11月17日付「発がんの感受性およびがん転移の増加を促す因子を同定!」
佐藤信紘「喫煙と消化器疾患 特に消化器炎症・発がんへの影響」
山昭三 安福一惠「慢性炎症とがんとのかかわり」
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春分の日、昼はすでに夜より長い
「昼と夜の長さがおなじになる日」が春分の日とよくいわれます。しかし、実際そうではありません。国語辞典には「昼夜の長さがほぼ等しい」とあり、「ほぼ」とついています。

たとえば、2012年の春分の日にあたる3月20日、東京での日の出と日の入りの時刻は、5時45分と17時53分でした。日の出から日の入りまでの長さは12時間8分あります。いっぽう、未明から日の出までと日の入りから日の終わりまでの時間を足すと11時間52分。このふたつの時間帯には16分もの長さのちがいがあります。

春分の日なのに、ふたつの時間にこれだけの長さのずれがあるのは「日の出」と「日の入り」の定義と深く関係しています。

天文学でいう「日の出」とは、「太陽の上縁が東の地平線にくる瞬間」のこと。つまり、太陽のてっぺんが地平線に見えはじめたときが日の出のときとなります。

ほぼ日の出

いっぽう「日の入り」とは、「太陽の上縁が西の地平線に隠れる瞬間」のこと。つまり、太陽がすっぽりと地平線の影の向こうに収まったときが日の入りとなります。

ほぼ日の入り

春分の日に「ぴたり12時間」になるのは、夜明けのとき太陽の中心が地平線を過ぎてから日暮れのときふたたび太陽の中心が地平線を過ぎるまでの時間です。

一般的に、昼間は日の出から日の入りまでを指し、夜は日の入りから日の出までを指すもの。そのため、春分の日は、昼のほうが夜よりも十数分すでに長くなっているといえます。

ちなみに春分の日をなぜ祝うかというと、「国民の祝日に関する法律」に「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とあります。秋分の日については「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」。自然を愛すべき春分の日と、人を愛すべき秋分の日が半年ごとにやってきます。

参考文献
『広辞苑』第五版

参考ホームページ
国立天文台「春分の日・秋分の日には、昼と夜の長さは同じになるの?」
法令データ提供システム「国民の祝日に関する法律」
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他人にとっては「悲しみ」、本人にとっては「あきらめ」


「なくて七癖」とは、人には多かれ少なかれ癖があることを示したもの。「自分でしているのに自分で気づいていないおこない」のひとつにあげられそうなのが「ため息をつく」ということです。

たとえば、会社で、部長のくだすたいていの意思決定を「よくないもの」と思っている課長がいるとします。部長、課長、そして係長や社員など部のメンバーが集まる会議で、部長が「この企画を具体化するかどうかについては、しばらく様子を見ることにしよう」と発言しました。

すると、課長から漏れてきます。

「はぁー」

課長は、部長が発言するたびに自分がため息をついているということに気づいてないようです。部長も、自分が発言するたびに課長がため息をついていることに気づいていないようです。

しかし、会議の場にいる係長や部下たちは、「部長が話す、そして課長がため息をつく」のパタンに気がついているようです。ふだん、課長は部長を立てるように接しているにもかかわらず、課長の口からため息がでてしまう。どうやら反射的にため息が出てしまっているようです。

人は、日常生活において、なぜため息をつくのか。この課題を心理学的に研究し、「イグ・ノーベル賞」を受賞した研究者がいます。ノルウェイのオスロ大学で心理学を専攻するカール・ハーバー・テイゲンです。

テイゲンは、他人がつくため息に対する解釈と、自分がつくため息に対する解釈は異なるといいます。

たとえば、会社で課長が会議の席で「はぁー」とつくため息に対して、まわりにいる多くの人は「悲しみ」の合図として受けとめるといいます。「しばらく様子を見ることに」というはかばかしくない意思決定がなされたことに、課長が「はぁー」とため息をしたとすると、ほかの社員たちは「きっと課長は悲しんでいるのだろう」と感じとるのです。

しかし、ため息をつく本人は悲しいからため息をつくのでしょうか。テイゲンは、ため息をついた本人は、悲しみよりもべつの感情を抱いているといいます。つまり、ため息をつく本人にとってのそのため息は、なにかまたはだれかに対する「あきらめ」の表現であるといいます。

そしてテイゲンはこう結論づけました。

「ため息とは、放棄しなければならない行為や計画や願望の非意図的表現であり、新奇性のある構想にとってかわる前に起きうる休止をつくりだす」

テイゲンの理論からすると、この会社の課長は、部長の「しばらく様子見を」という発言に対して、おそらく悲しんでいるのではありません。

「だめだこりゃ」と、希望を捨てたのです。

参考文献
Karl Halvor Teigen“Is a sigh ‘just a sigh’? Sighs as emotional signals and responses to a difficult task”
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書評『あんこの本』
文と写真とで、たんと食べさせてくれます。



世にもめずららしい「あんこの本」だ。和菓子屋、甘味所、そして製餡所などを著者が一見ずつたんねんに取材し、それぞれの菓子をつくりだしている「あんこ」の魅力を伝えていく。

著者は開口一番、「あんこが苦手だった」と告白する。どれを食べてもあんこ味の饅頭やおはぎは単純な味にしか感じられなかったからだという。

ところがどうだ。本書に登場するあんこたちは、多くの場合は主役として、ときには脇役として、じつにさまざまな姿を示している。本なので実際に食べることはできないが、文や写真を見るかぎり、あんの味もさまざまにあることがわかる。

たとえば、京都・平野宮西町にある菊屋の「栗の子」。蒸した丹波栗とこしあんを合わせて、それを茶巾しぼりにした和菓子。透明のパックのなかに行儀よく8個、栗の子が入っている。

栗ようかんでは、栗とあんこの境目がくっきりしているが、この栗の子は、栗の黄色とあんこの茶色にグラデーションがかかっている。栗の子のことを、店の人は「栗のお刺身」とよび、著者は「あんこのおつくり」という。どちらも味わうには新鮮なうちが大切だという意味だ。

いっぽう、出町柳にある出町ふたばの「豆餅」は、餅こそ主役。そこで、店は、あんこを目立たせないように、塩を入れない製法をとっているという。

あんこをその和菓子のなかでどのように位置づけていて、どのように活かしていくか。その機微が、店の人たちの語りによって積みかさなっていく。店の人びとが生活をかけてつくってきた和菓子に対するこだわりや、背負ってきた人生の語りが、それぞれの話を味わい深くさせている。

毎日のようにあんこ菓子を食べても飽きがこないように、いくつもの記事をつづけて読んでも飽きがこない。そう思う読者も多いことだろう。著者の筆に力ゆえか。あんこの魅力ゆえか。

『あんこの本』はこちらでどうぞ。
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日々5000個のがん細胞を“なかったこと”に


人のからだでは、毎日5000個のがん細胞が生まれているといわれています。

それでも、多くの人はその日に生まれたがん細胞を、がんの病気に発展させません。日本人のうち、一生のいつかの時期にがんになる人は2人に1人。ぎゃくに、2人に1人は、毎日5000個のがん細胞がつくられていても、がんにならずに一生を過ごせる計算になります。

毎日5000個ほどのがん細胞が生まれているにもかかわらず、それががんの病気に直結するわけではないということです。これはなぜでしょうか。

人などの動物のからだのなかでは、細胞分裂がくりかえされています。細胞のなかにある核がふたつにわかれ、それにともなって細胞質がくびれていき、ふたつの細胞になります。

この細胞分裂のとちゅうでなされているのが、核のなかにあるデオキシリボ核酸(DNA)のコピーです。核が分裂するときに、DNAもふたつにわかれます。ちなみに、核とDNAと遺伝子の関係は、核のなかにDNAがあり、DNAのなかに遺伝子があるというもの。

DNAコピーでは、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という四つの文字で表される塩基という単位ごとにコピーされていきます。このコピーでは、ふつうアデニン(A)に対してはチミン(T)がペアになり、グアニン(G)に対してはシトシン(C)がペアになります。

ところが、DNAのコピーはすべてがすべて正確にはなりません。しばしば塩基の“ミスコピー”が起きることがあります。たとえば、アデニン(A)に対してチミン(T)がペアになるはずのところが、なぜかペアの相手もアデニン(A)となってしまう、といったことがあります。

DNAがミスコピーされると、異常な細胞をつくりだすことになります。このような“よからぬ偶然”が積みかさなった果てに、がん細胞が生まれます。

しかし、からだには、がん細胞が発生してもそれをやっつけるしくみが備わっています。

たとえば、DNAのミスコピーによって生まれた異常な細胞に対して、DNA修復遺伝子という遺伝子が「ここのコピーがうまくいっていない」と異常を見つけだして、その異常を修復します。

また、がん細胞ができてしまったとしても、ナチュラルキラー細胞というべつの細胞が「異物が近くにいるぞ」と気づいて、その異物にあたるがん細胞をやっつけにかかります。

こうしたからだのしくみが備わっているため、一日に5000個のがん細胞が生まれたとしても、がんの病気に発展する道のりが断ちきられるのです。

しかし、こうしたからだがもつ修復のしくみをかいくぐって、がん細胞が分裂をつづけて、大きながん細胞のかたまりになっていくことがあります。こうなると、病気としてのがんになります。

参考ホームページ
グランソール・メディカルサービス「がん細胞は毎日作られる」
NHK「ここが聞きたい!名医にQ ここまでわかった!がん予防術」
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警備ロボットは夜、見張られる


ロボットをいかに人の役に立てるかは、世の中の課題のひとつになっています。福島第一原子力発電所の事故でも、放射線量が強くて人では立ち入れないような場所にロボットを立ち入らせるプロジェクトが立ちあがっています。

人ができることとおなじかそれ以上のことをして人の役に立つという状況を、人はロボットに求めるようです。そうした点で、ロボットがまだ人とおなじ役割を果たしているとはいえないような逸話も過去にはありました。

万国博覧会では、科学・技術の先端を示すためにロボットが展示されることがあります。「ロボットがこんなことまでできるようになりました」というのを来場者に示すことで、科学・技術の進歩を紹介するわけです。

ある万国博覧会でも、当然ながらロボットの展示が行なわれました。そのロボットとは、警備ロボット。

人の職業には警備員やガードマンとよばれるものがあります。泥棒などの犯罪者がたてもののなかに入らないようにいつも見張りをします。

その警備員のかわりとなる役割を果たすロボットが警備ロボット。その万国博覧会でも、華々しく「セキュリティはこの警備ロボットたちにおまかせあれ!」とお披露目されました。来場者からはかなりの注目を浴びました。

さて、夜の21時になり、万博はその日は閉幕。来場者たちは帰っていきます。その後、警備ロボットを展示していた会場では、来場者たちの目のないところで、こんな光景が見られたといいます。

それは、「パビリオンの部屋に置かれた警備ロボットが盗まれないようにするため、人の警備員が朝まで見はりをしている」光景。

たてものに入られないように警備をする役割をになうロボットを、盗まれないように人が警備するという状況が、数年前の万国博覧会であったといいます。

もちろん、万国博覧会は未来の世の中の姿を示すためのものなので、警備ロボットがほんとうに警備員の役割をになえることにはなりません。そのため、このようなトートロジーに陥りそうなことが起きたわけです。
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“涅槃の風”は西から


きょう(2012年)3月15日は、春のおとずれを思わせる日差しでした。しかし、いったん曇りや日没で日がくれると、西からの風が吹き、春はきたかまだかと感じさせることになります。

春分の日になるかならないかのころの、この西からの風は「涅槃西風(ねはんにしかぜ)」とよばれています。

3月15日、旧暦でいう2月15日、仏陀つまり釈迦は仏教の理想の境地に達して、死に至りました。涅槃は絶対的な静寂に達した状態ともいわれます。

そんな穏やかな状況のなかから、強く寒い北風ではなく、やさしく暖かい西風が吹くのです。この風を、涅槃の前後のころに西方浄土からの誘いと考えられてきました。

この時期、涅槃西風が吹く状況を科学的に見ると、どのようなことになるのでしょう。。

西から風が吹いてくるということは、西のほうの気圧が高く、東のほうの気圧が低いということをあらわしています。これはちょうど、水がかさの高いところからかさの低いところに移っていくようなもの。空気は気圧の高いところから気圧の低いところへとむかっていくものです。

3月のお彼岸あたりの気候として「西風が吹く」ということには、おもにふたつのしくみがあると考えられます。

ひとつは、涅槃西風のときにも西高東低の冬型が保たれているということ。西に高気圧、東に低気圧があるというときは、北西から南東にかけて風が吹きやすくなります。

この風は、西風というよりは北風に強いもので「冬はまだだな」ということを思わせます。

ふたつめは、日本付近を移動性低気圧が西から東へと進むと進むようになったということ。低気圧の中心に向かって風は吹きこんでいきます。その風が西向きになると、涅槃西風の西向きと一致します。

涅槃西風は、どちらかというとやわらかい風をさします。このことからすると、弱い移動性高気圧にともなう西風あたりのことをいうのでしょう。
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クエスチョン・イン・レクチャー方式で「テラヘルツ波をわかりやすく伝える」


きょう(2012年)3月14日(水)、東京・内幸町のプレスセンタービルで「テラヘルツ波をわかりやすく伝える」という講演会が行なわれました。主催は、日本科学技術ジャーナリスト会議。

日本科学技術ジャーナリスト会議が後援している物理学の賞「サー・マーティン・ウッド賞」の2011年度受賞者である東京工業大学の河野行雄准教授が、受賞理由となった研究の講演をしました。演題は「低次元電子系の機能に基づいたテラヘルツ波の検出」。

テラヘルツ波というのは、1秒間に1兆回ほどの振動をおこす電磁波のこと。目に見える光と目に見えない電波の中間どころの波長にある波で、検出やイメージング化がむずかしい領域でした。

そのテラヘルツをきめ細かく検出することに河野さんは成功しました。

ふつう、波の検出では、きめ細かく画像としてとらえようとしても、波長より細かくとらえることはできません。いっぽう、河野さんは、その波長を波長より小さな穴にとおすと“漏れだしていくる”近接場光という光に注目。この近接場光を駆使して、きめ細かなテラヘルツの像を検出することに成功しました。

講演会は「クエスチョン・イン・レクチャー」方式という方法で行なわれました。これは、講演者の講演の途中で、区切りを入れて、「ここまでの話の内容が理解できたか」を聴衆に確認し、わからないという人は、講演者に質問をするという方法。

わかったという人は「!」が書かれた緑色のカードを上げ、わからないことがあったという人は「?」が書かれた赤色のカードをあげます。そして、「?」を上げた人は講演者に質問をします。

講演者が「わからないことがあればいつでも質問してください」と言って進む講演会はよくあります。クエスチョン・イン・レクチャー方式は、その方法を“見える化”するもの。今回の講演でも、はじめは「!」がほとんどでしたが、話が進むにつれてすこしずつ「?」を上げる人の率が多くなっていきました。

講演者も聴衆もふくめ、全員参加型。カードを掲げるごとに聴衆と質問と河野さんの回答がとびかう講演会となりました。
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「野菜を食べるカレーcamp」の一日分の野菜カレー――カレーまみれのアネクドート(41)


カレーは、その個性的な味から、しばしば主役の座をうばうもの。カレーの辛さゆえに、カレーまみれになる食材の味を“上書き”してしまうことがあります。

しかし、カレーを主役でなく、具材のひきたて役に位置づけているカレー屋もあります。

たとえば、東京・千駄ヶ谷にある「野菜を食べるカレーcamp(キャンプ)」。代々木駅から商店街を歩くこと5分、ビルの半地下にあるカレー屋です。

店名にもあるように、「野菜を食べる」ということが店のコンセプト。店へと降りていく階段や、入口の脇にも、ところ狭しとトマトやたまねぎやにんじんなどの野菜がごろごろ置かれています。

「camp不動の一番人気」と献立にも書かれてあるのが、「1日分の野菜カレー」。「1日分」というのは、国が推奨する1日分の野菜摂取量とおなじ350グラムの野菜が使われているから。まさに、店のコンセプトを具で表したメニューといえます。

木製のテーブルに、飯盒炊爨の容器に入ったスプーンと、金属器の水、さらに遠足で使うケトルに入ったおかわりの水が置かれ、待つこと数分。「1日分の野菜カレー」の登場となります。

具である野菜を主役に、カレーを野菜の引き立て役にするというのは、そうかんたんなことではありません。たいてい、野菜にくらべてカレーの味がとても強いからです。

しかし、キャンプはこの難題に挑んでいます。

カレールゥの味は辛さ抑えめ。客は、ルゥを通常より辛くすることを選べはします。しかし、通常の辛さがもっとも野菜の味をひきだすようになっています。

さらに、野菜の量も、ルゥを圧倒させています。トマト、たまねぎ、なす、ピーマン、小松菜、ジャガイモ、れんこん、パプリカ、にんじんなどなど、小さなフライパンの器のなかに、野菜がてんこもり。

野菜が盛られているなかに、カレーがかけられているという構図です。

ごろごろとした野菜は、どれもほかのカレー屋の具にくらべて大きめに切られています。一口目はれんこん、二口目はたまねぎ、三口目はピーマンといったように、一口につき1種類の野菜を楽しむことができます。

ここまで野菜が主、カレーが従であれば、「カレーなしで野菜だけを食べさせればよいではないか」と考える人も出てくるでしょう。しかし、ルゥにはルゥで、引き立て役という重責を担わされているのです。それzれの野菜をばらばらに存在させず、つなぎあわせるのがカレーの役割です。

24席の小さな店のなかで、「キャンプ」感を味わえるかどうかはべつとしても、「野菜をおいしく食べる」ということにはどの客も満足することでしょう。

野菜を食べるカレーcampの食べログ情報はこちら。
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書評『もっとわかる放射能・放射線』
原発事故が起きてから1年。いまなお多くの人びとは放射性物質の実体がわからずにいます。放射性物質についての基本的知識を得ようとする人の求めは、これからもつづいていくことでしょう。



この本は2章立て64ページの電子ブック。福島第一原子力発電所の放射性物質漏れ事故から1か月と1週間後の2011年4月18日に“緊急出版”された。2011年4月といえば、世間では、まだ原発事故に対する“衝撃”がやまず、むしろ放射線の人体への影響がますます心配されていたころだ。

放射性ヨウ素や放射性セシウムなどの放射性物質に対しても、専門用語はよくニュースで連呼されていた。だが、それを市民に対してうまく説明することができないことが、メディアのジレンマにもなっていた。

世の中が抱えていた不安に関連して、まえがきにはこの本が生まれた理由が記されている。「ニュースをもっと理解できるよう、放射能や放射線に関する基本的なことがらを、わかりやすくまとめてみようと思い立ちました。そうしてできあがったのが本書です」。

第1章では、放射線そのものについての知識を得ることを目的としている。とくに単位の「ベクレル」「グレイ」「シーベルト」について、実際の新聞報道などの数値を例にして、説明を試みている。

ほかに、放射性物質は風で運ばれることや、放射線には人が生活のなかでつねに浴びつづけている「自然放射線」も含まれることなどが書かれている。

第2章では、放射線に被曝したときの基本的な考えかたが示されている。短時間に放射線を浴びたとき、浴びた量がしきい値を超えると病気が起きることを示す「確定的影響」と、浴びた量が増えるほどがんになりやすくなるリスクが増していくことを示す「確率的影響」のちがいの説明などだ。

「もっとわかる」ということを考えたとき、伝え手はたとえ話を駆使したり、例として示す数をなるべく単純なものにしたりすることもできる。いっぽう、この本では、あまりたとえ話は見られない。また、実際に新聞などにとりあげられた放射線量などの数値を例にしている。

たとえ話でわかったつもりにさせるより、事実を正確に伝えることに重きをおいたのかもしれない。実際に起きていることを引き合いに出すことに重きを置いたのかもしれない。あるいは“緊急出版”のために、本づくりの迅速性を優先させた結果なのかもしれない。

科学ライターや科学コミュニケーターたちは、科学の各分野の専門家ではない。すべての科学の分野について知識の引き出しをもっているわけではとうぜんない。

原発事故がおきるより前、放射性物質の体系的な知識をきちんともっていた科学ライターや科学コミュニケーターは多くなかった。多くのライターやコミュニケーターは、この時期、放射性物質の知識をインプットしてからアウトプットするという作業に追われていたはずだ。

著者である北海道科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)の執筆者たちも、多くは放射性物質の知識を新たに得てから執筆を始めたにちがいない。

ただ、そうしたなかで、原発事故から1年経っても知識を得るのに役立つ“本”を電子ブックとして無料配布したことに価値を見出してもよいのかもしれない。

『もっとわかる放射能・放射線』はこちらで読めます。
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天災でも受け入れがたい、人災はまして受け入れがたい


東日本巨大地震が起きてから、きょう(2012年)3月11日で、1年になりました。

巷では、「巨大地震から1年」でなく、「震災が起きてから1年」とよくいわれます。しかし、「震災」は1日で収まるものではありません。元どおりかそれ以上の暮らしをすることができない方々がいることからすると、「震災から1年」でなく「いまも震災はつづいている」ともいえます。

この巨大地震による影響は、愛する人が奪われたといったものから、家の停電を余儀なくされたといったものまで、大小さまざまなものがありました。なかでも人びとの関心の高さからすると、津波と原子力発電所の放射性物質漏れ事故が、地震による大きな影響としてあげられそうです。

東日本巨大地震による死者・行方不明者は1万9000人以上。そのうち9割強が、津波によるものです。津波対策に建設された防波堤は、巨大な津波をまえにほぼ倒壊したといいます。

いっぽう、福島第一原子力発電所の放射性物質漏れ事故では、避難指示区域から避難者数は11万3000人ほどにのぼりました。そのいっぽうで、放射性物質を被曝したことによる急性的なからだの異変で亡くなった方は1人も出ていません。

いままで1万数千もの命が犠牲になった津波と、いまのところ1人の命も犠牲になっていない放射性物質漏れ事故。これほどの犠牲者数の差がありながらも、人びとの関心の高さはおなじか、むしろ放射性物質漏れ事故のほうが高いようです。

このふたつの事故には、たんなる犠牲者の数のちがいでははかりきれない、質的ちがいがあるからこそ、どちらも重い問題として受けとめられているのでしょう。

津波は、地震という自然現象によってもたらされた自然現象です。もちろん津波の高さが防波堤の高さの想定を超えていたり、地震直後の津波の高さ予測が低く見積もられたりといった、人の営みが被害を大きくした部分はあります。しかし、地震や津波そのものを起きないようにすることはできません。

自然の人びとへのしうちは甚大なものでした。甚大なものではありましたが、これまでも人びとには、自然現象による災害を受けとめてきた過去がありました。

放射性物質漏れ事故は、いわば津波とは対極的な位置づけにあります。

原子力発電は、20世紀の人びとがうちたてた核物理学の成果としてなしとげられたものでした。原子力発電所を建設したのは人でした。人の営みの結果として、放射性物質漏れ事故が起きました。

かんたんにいえば、原発事故はだれもが認める人災だったわけです。

福島県を中心に、家に帰ることもままならない人や、身のまわりの放射線量を心配しながら生活を送らなければならない人は多くいます。

政府などは、放射線量がどれくらいかを住民の方々に実際に見てもらって、「これなら安全だ」と納得してもらえるようにしたいと考えているようです。それで納得の行く人もいるでしょう。

しかし、それでもなお「いや、やはり心配だ」と考える人が出てもしかたありません。

「なぜ、こんなことになってしまったのだ」という思いのもとをたどっていけば、そこには「人災」という存在があります。理不尽な目にあった理由が、知らない人がたちがつくった原子力発電所の、得体もしれない放射性物質であるという点に、犠牲者数だけでは語れない、放射性物質漏れ事故の災害意識の根深さはあります。

参考文献
内閣府 2012年2月「原子力被災者への取組について」
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「名古屋に戻って新横浜へ」に自然の摂理への違和感


「自然の摂理に反する」。このことばは、人びとがいのちをめぐる倫理を話しあうときに使われます。

自然の摂理とは「自然界を支配している道理や法則」といった意味で、自然的であることを考えればこうすべきだろうという規範を示すもの。「延命を目的とするだけの治療は自然の摂理に反するかどうか」や「クローン動物をつくることは自然の摂理に反するかどうか」といったように使われます。

生命倫理ほど重大な問題ではありませんが、「移動」という人の営みについても「自然の摂理」に反しているかどうかをめぐり、ささやかな議論がなされることがあります。

東海道新幹線の「のぞみ号」は、愛知県名古屋駅と神奈川県新横浜駅のあいだを停車駅なしで走ります。名古屋駅を出発すると、愛知県の大府市、刈谷市、安城市といった都市を通過して、静岡県、そして神奈川県へと入っていきます。

大府市や刈谷市や安城市に住んでいる人びとは、新幹線を使って新横浜駅やそのさきの東京方面に用事があるとき、おもにふたつの選択肢をもつことになります。

ひとつめが、新横浜駅とは逆方向の名古屋駅まで東海道線などで行って、名古屋駅から「のぞみ号」で新横浜駅方面へ行くというもの。

ふたつめが、新横浜駅への方向の途中にある三河安城駅まで東海道線などで行って、三河安城駅から「こだま号」で新横浜駅方面へ行くというもの。

「こだま号」は新幹線のすべての駅に止まるため、三河安城駅から新横浜駅まではおよそ2時間20分ほどかかります。いっぽう、名古屋駅から「のぞみ号」に乗って新横浜駅まで行くときは、1時間30分たらずとなります。

つまり、大府市や刈谷市や安城市にすんでいる人が、目的地である新横浜駅やそのさきの東京方面に行こうとするとき、新横浜駅や東京方面からは遠ざかる名古屋駅まで戻って「のぞみ号」に乗るほうが、早く目的地にたどり着けることになります。

道中に高い山があったり、湖があったりするときは、迂回をすることはあります。しかし、名古屋駅まで戻ってから新横浜駅まで行くときは、迂回でなく逆行をしてから折り返すことになります。

人は目的地へとたどりつこうとする場合、目的地のほうへ目的地のほうへと近づいていくもの。移動にかかる時間が短くなるとはいえ、名古屋駅まで逆行して新横浜駅へ向かうのに違和感を覚えるという人もいます。その人たちには「自然の摂理」に反するという思いがあるからかもしれません。
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書評『ニュースの科学用語 これでわかった!』
日々の新聞の記事のなかで、なんらかのかたちで科学・技術の話に関係しているものは多いときには3、4割、すくないときにも1、2割は含まれています。こうしたニュースに出てくる科学のことばを整理して把握したい人もいることでしょう。



新聞やテレビニュースなどでは、さまざまな科学・技術の話題やことばが出てくる。新聞では、ことばの解説が充実してきているが、後日あらためて調べなおすことまでする人はすくないだろう。

『ニュースの科学用語これでわかった!』は、ニュースに出てきそうな47のことばまたは話題を4ページほどで解説した、ことばと話題の解説集だ。

大きく、「宇宙」「地球」「環境・資源」「いのち・健康」「物質」「現代社会と科学」という6つの分野に分けられていて、それぞれには、「小惑星探査機『はやぶさ』」「レアメタルとレアアース」「メタンハイドレート」「エピジェネティクス」「カーボンナノチューブ」「ユビキタス」などといった見出しがならぶ。

各記事では、まず180字程度でそのことばや話題の「概略」が述べられ、つぎに実際の新聞記事の引用がある。その後、本文では、そのことばや話題についてのしくみや背景や課題や解決策などが示される。図表による解説もついている。

執筆者は、北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)の受講生15人たち。これだけ執筆者が多いと内容や筆致のばらつきが気になるところだが、まずまずならされている。

難易度は、そのことばや話題を解説するための説明書きにも、科学や技術の専門用語が使われている場合が多いので、ふだんから新聞に触れているなどの基礎知識は求められる。

トピックの選定という点では、2012年1月発行ではあるものの、前年の大きな話題だった地震、津波、放射性物質漏れ事故などについての解説記事はあまり見られない。いっぽう、宇宙についてのトピックは「はやぶさ」以外にも、「GPSと準天頂衛星初号機『みちびき』」「系外惑星探査」「火星探査」「月の水」などと充実している。

どのような科学用語が知りたいかは人さまざま。出版社のホームページに「目次」が載っているので、あらかじめ調べておくと自分の知りたい話題と合致しているかどうか、読むうえでの参考になるだろう。

『ニュースの科学用語 これでわかった!』はこちらでどうぞ。
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ペンギンからすれば「自然への帰還」の可能性も


東京・臨海町の葛西臨海水族館から、ペンギン1羽が近くを流れる旧江戸川のほうへ出ていったと話題になっています。

ウェブ上の新聞記事には「脱走ペンギン、旧江戸川スイスイ?水族館から」や「『ペンギンが海泳いでる』葛西臨海水族園の1羽逃亡中」などと見出しがならんでいます。また、葛西臨海水族館のニュース発表では「フンボルトペンギン1羽の脱出が判明しました」とあります。

フンボルトペンギンは、南米大陸のペルーからチリにかけての東海岸にすんでいるペンギンです。南極ではなく、南緯5度から南緯33度あたりのわりとあたたかなところで生きているため、気候の点ではいまの日本では生きるのにさほど問題はなさそうです。

しかし、フンボルトペンギンはふだん群れをなして生きています。旧江戸川や東京湾に野生のペンギンはいませんので、1羽でいるということは、ふだんの暮らしとはいいがたいものがあります。

水族館から出ていったペンギンに対して、「脱走」や「逃亡」や「脱出」ということばが使われています。どれもにたことばで、「ぬけだして逃げさること」などの意味があります。「脱走ペンギン」ということばは、短い表現で済むので伝え手には便利なのでしょう。

人間が水族館という人工的環境のしたで飼育また管理していたわけです。「脱走」「逃亡」「脱出」ということばは、その人間の主観的立場からの表現といえます。

水族館は法律的には博物館のひとつ。水族館にも博物館法における存在意義があてはまります。つまりそれは、「資料を収集し、保管し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする」(博物館法第2条)というもの。

この水族館の意義や目的をまっとうするうえで不利益になるという点では「脱走」「逃亡」「脱出」といった表現はふさわしいものといえそうです。

いっぽう、出ていったペンギンの立場からすれば、「脱走」というより、より広大で自然な環境のほうへ「足が進んでいった」ということかもしれません。

自然のほうへ帰っていったという意味で「帰還ペンギン」、あるいは自然のあるほうに導かれていったという意味で「導かれペンギン」という表現があっても、おかしくありますまい。

参考ホームページ
法庫ドットコム「博物館法」

参考記事
葛西臨海水族園 2012年3月4日付「フンボルトペンギンの脱出について」
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細胞が電磁波を使って未知の情報伝達


21世紀は生物学の時代といわれます。20世紀から21世紀にかけて、分子生物学などの生物学が発展しました。

しかし、なおも細胞については未解明のことがあります。細胞が、どのように骨の細胞や心筋の細胞や脳の細胞などに分化していくのか。なぜ細胞には分裂数の限界があるのか、など。

細胞どうしがどのように情報伝達をおこなうのか、ということにも未知の点があります。

しかし、この細胞の情報伝達をめぐっては仮説があります。

ドイツ生まれで英国で活躍した物理学者ハーバート・フレーリッヒ(1905-1991)は、1960年代後半、つぎのような仮説を提唱しました。

「細胞は、テラヘルツからミリの長さの波長帯で共鳴振動しており、その振動が生命活動に未知の重要な役割を果たしている」

細胞がふたつに分裂したり、細胞が皮膚や骨や心臓などに分化したりするうえで、“司令部”のような役目の存在はありません。

たとえば、人間は「おまえは皮膚になれ」とか「きみは骨になれ」といった命令をどこかから受けて細胞が皮膚や骨などの一部になっていくというようなからだのしくみをもっていません。細胞は、自分のまわりの細胞のたちの状況から、“空気を読んで”、皮膚になったり骨になったりしていくともいわれています。

細胞が分裂や分化をするからこそ、人には組織や器官ができて、人らしいかたちになるのです。こうした細胞の営みでは、細胞どうしの情報伝達がおこなわれていて、その情報伝達手段として、細胞どうしが微弱な電磁波を出しあっているのだとフレーリッヒは考えました。

フレーリッヒの仮説によると、細胞は情報共有をするために「テラヘルツ波」や「ミリ波」という波長帯の電磁波を発します。

テラヘルツ波とは、1秒間に1兆回ほどの振動を起こす電磁波のことで、ちょうど可視光線と電波の中間の波長帯にあたります。またミリ波はテラヘルツ波よりすこし波長の長い範囲にある電磁波のことです。

細胞どうしが、とても小さな波長の電磁波を出し合う。細胞の“ご主人”である人間にも感じられぬほどの弱さで細胞たちは“プルプルプルプル”と共鳴的に振動しあう。これで、“未知の”情報伝達をしあう、というのです。

人の知りえぬ手段で細胞どうしが情報伝達しているという印象から、フレーリッヒ仮説は“トンデモ科学”に思われることもありそうです。しかし、真剣にこの仮説の解明にとりくんでいる研究者たちもいます。

ここ数年、テラヘルツ波の解明が進んできてきます。フレーリッヒの“仮説”が”定説”に変わる日は来るでしょうか。

参考文献
応用物理学会「応用物理分野のアカデミック・ロードマップの作成報告書」
科学技術振興機構「チーム型研究(CREST) 研究提案書 生体環境に適合したハイブリッドテラヘルツセンシンク」
参考記事
理研ニュース2006年6月号「理研におけるレーザー研究の歴史と今後の展望」
参考ホームページ
名古屋大学エコトピア科学研究所 川瀬研究室
| - | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0)
「あん粒子」があんこの食感を左右する


あんぱん、あんまん、あんみつなどのお菓子に「あんこ」は欠かせません。あんこがないと、ただの「ぱん」「まん」「みつ」になってしまいます。

あんこは、小豆や白小豆やうずら豆などを材料にしてつくられるもの。これらをゆでて、砂糖をまぜて、さらに煮つめてつくります。

あんこづくりにたずさわる人たちのあいだでいわれているのが、「あん粒子」の大切さです。

たとえば、小豆には皮があります。この皮に包まれているのは、子葉とよばれる部分。この子葉の部分を細胞ごとに見てみると、つぎのような構造をしています。

細胞の外側は細胞壁。細胞壁の内側にあるのが細胞膜。さらに細胞膜に包まれた内側には、でんぷんとたんぱく質があります。

ここで小豆をゆでてみます。すると、小豆の子葉の細胞に変化が起きていきます。細胞膜のなかのたんぱく質がだんだん固まっていきます。また、おなじく細胞膜のなかのでんぷんが糊のようにねばねばしてきます。

そして、おとなりとぴたりとくっついていた細胞どうしが、離ればなれになっていきます。これは、水のなかで小豆が加熱されることにより、接着剤のような役目をしていた細胞間物質が溶けてしまうため。

こうして、ばらばらになった細胞は、たんぱく質がいくつかのでんぷんの粒子を包んだかたちのものになります。これが「あん粒子」です。つまり、小豆をゆでると、子葉の細胞がばらばらになり、あん粒子になるというわけです。

このあん粒子が集まってできたものは「生あん」といいます。生あんに砂糖をまぶしてできるのが、あんこです。

小豆を例にすると、あん粒子の大きさは、50マイクロメートルから250マイクロメートルほど。このうち、100マイクロメートルほどのあん粒子でつくられたあんこは、なめらかな舌ざわりのこしあんに向いているといいます。

小豆には粒の大きなものもあります。大納言はそのひとつで、あん粒子も平均120マイクロメートルほどと、一般的な小豆のあん粒子より大きめです。大納言は、小倉あんとよばれるあんこの材料になります。

100マイクロメートルか120マイクロメートルかという、あん粒子の大きさのわずかなちがいが、人の舌ざわりに影響をあたえます。

参考文献
丹羽昭夫「小豆あんの機能性と保存性の向上」

参考ホームページ
井村屋「あずきのたんぱく質について」
堀井正二「あん製造における砂糖の役割」
加藤淳「小豆のおいしさ 舌ざわりと渋みが影響」
| - | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0)
とげとげしさで身をまもる
人間にもいるのかもしれませんが、いきものには「とげ」をもっている種類がいくつかあります。


ハリネズミ

ハリネズミは、多くの人が写真や映像で見たことがあるでしょう。ハリネズミにも十数種類あり、そのうちナミハリネズミというハリネズミの体長は25センチほど。

顔とお腹と足のほか、すべてがとげに覆われています。そして、危険な目にあうとくるくると身を丸めて、とげとげしき球体のようになります。眠るときも、身をまもるためとげとげしき球体になります。

ヤマアラシ

ハリネズミににた哺乳類に、ヤマアラシがあります。どちらもネズミ目ですが、ハリネズミがハリネズミ科であるのに対して、ヤマアラシはヤマアラシ科。ヤマアラシのほうが体長は30センチから80センチと大きめです。

ヤマアラシは背中から腰にかけてとげをもっています。もちろん危険な目にあったときには、このとげで相手を刺すことも。刺すまえには、からだを振ってとげととげで音を立てて驚かせるという方法もとっています。

ヤマアラシは体温を保つために身を寄せあいます。とげがあってたいへんそうですが、とげのない部分で触れあって体温を保とうとします。

ハリセンボン

海のなかにもとげとげしい生きものがいます。ハリセンボンはそのひとつ。フグのなかまで、とげはうろこが変化したもの。ふだんはとげを寝かせていますが、危険な目にあうと体をぷくーっとふくらませてとげとげしくなります。

なお、ハリセンボンのもっているとげの数は400本ほどです。

ウニ

ウニもとげとげしい動物として忘れてはなりますまい。寿司屋でお目にかかる前は、何本ものとげで覆われています。

ウニのとげには毒があります。とげは踏んだり触ったりしてくる動物に痛みをもたらすもので、動物の皮膚のなかでいつまでも炎症を長びかせます。

もちろんウニのとげは敵から身をまもるための自衛的手段となります。ただし、ほかにもウニはとげをうまく使っています。それは移動手段。しけなど海が荒れているときは、とげを動かして海から岩場へと出ていきます。そして吸盤で岩に吸いついて、耐えしのびます。

とげをもつ多くの生きものは、自分が危険な目にあったときに反応をしてとげを立たせるもの。目に見えないながらもつねにとげとげしい態度をとる人間とは、とげのありかたが大きく異なります。

参考文献
『広辞苑』第5版

参考ホームページ
ナショジオキッズ「どうぶつ図鑑 ハリネズミ」
海の中道海洋生態科学館「ハリセンボンは針千本?」
メルクマニュアル家庭版「海洋生物による刺し傷とかみ傷」
ハダテ水産「うにの豆知識」
| - | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0)
(2012年)3月7日(水)から「INOCHI Requiem GAIA @ 比叡山延暦寺」


催しもののおしらせです。

滋賀県大津市坂本本町の比叡山延暦寺で、(2012年)3月7日(水)から11日(日)まで、「比叡山アートプロジェクト」のプレセレモニー「INOCHI Requiem GAIA @ 比叡山延暦寺」が行なわれます。

比叡山アートプロジェクトは、京都府と滋賀県にまたがる比叡山を舞台に、世界に向けてアートを発信し、また世界からアートを受信するプロジェクト。「人間が全ての生命と宇宙を調和し明日を生きる、その生き方を見つけるヒントをアートから与えてもらう」(プロジェクトチーム)ことを目指しています。

このプロジェクトは、比叡山山頂にあった人工スキー場を「聖地」にするという人々の想いから始まったもの。将来的には、京都国際芸術祭に発展させることを目指しています。

7日から11日までのプレセレモニーでは、延暦寺のなかでさまざまな芸術の催しものがひらかれます。

7日(水)10時からは根本中堂で、奉納演奏「東北への祈り」として、バイオリニストの斉藤アンジュ玉藻さんによるユルゲン・ヴォルフ作曲の曲の演奏が行なわれます。

また、7日(水)から11日(日)にかけては、根本中堂と中庭で、現代陶芸家の近藤高弘さんによる「HOTARU」アート・インスタレーションという展示が行なわれます。近藤さんは、これまで焼物芸術により水を表現するという発想のもと「銀滴」「ミスト」「零度」などの各シリーズを発表してきた芸術家です。

東日本巨大地震から1年にあたる最終日3月11(日)には、14時より阿弥陀堂で、奉納演奏「鎮魂」として、音楽プロデューサー岡野弘幹さんが手がける演奏会が行なわれます。また、14時30分からは、比叡山延暦寺の東日本大震災犠牲者慰霊法要もあります。

プロジェクトでは、「比叡山を聖地化し、近い将来、多くのアーティストや賛同者を得て高品位な世界のアートを受発信する拠点となることを目指しています」としています。

比叡山アートプロジェクトのプレセレモニー「INOCHI Requiem GAIA @ 比叡山延暦寺」のポスターはこちら。
プロジェクトチームの京福電気鉄道などが発表したお知らせはこちら。
| - | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0)
スイーツの賞味期限は長い

お菓子には、賞味期限がとても長いものがあります。

たとえば、ねりようかんの賞味期限は常温保存で「製造後1年」などと、とても長く設定されています。さらに「賞味期限後さらに1年はお召しあがりいただける」といったことを示しているメーカーもあります。

なぜ、ようかんの賞味期限がそうも長いのか。これには、砂糖が多く含まれていることが関係していそうです。

ようかんの原材料表示には、「小豆、砂糖、小麦粉、水飴、葛粉、寒天、食塩」などとあります。小豆のつぎに多いのが砂糖。砂糖がたくさん含まれているわけです。

この砂糖には賞味期限がありません。食品衛生法などの法律で、賞味期限を記すことを免除されています。

食べものが腐るのは「自由水」という水があるため。自由水は、読んで字のごとく、自由に動きまわることのできる水のことです。食べものの成分に束縛されて動かない「結合水」に対して「自由水」とよばれています。

砂糖には、まわりの水分を吸収して離さない性質があります。砂糖は、腐るもとになる自由水を少なくさせて、腐ることとは関係ない結合水を多くする性質があるのです。

そんな砂糖がたくさん入っているようかんは、腐りにくいために賞味期限がとても長いわけです。

いっぽう、氷菓子であるアイスクリームには、賞味期限がありません。食品衛生法で、賞味期限の表示が免除されています。アイスクリームにも砂糖が多く使われていますが、賞味期限がないのはべつの理由によるものです。

アイスクリームは、氷点下18度以下で保存するということが前提になっています。アイスクリームを高い温度に置いておくとかたちが変わってしまい、商品価値が落ちるため。

氷点下18度という、これほどの低温で保存しておけば、アイスクリームを腐らせるような菌が繁殖することはありません。つまり賞味期限を気にする必要がないわけです。

ただし、アイスクリームを常温で保存しておけば、やがて溶けてしまい、そのまま放っておけば菌が繁殖していくことでしょう。

参考ホームページ

上野製薬「塩分や糖分が食品保存に果たす役割」

http://www.ueno-fc.co.jp/foodsafety/pdf/enbun_tobun_yakuwari.pdf

ニッスイ「砂糖が生み出す日本料理の多彩な味の世界」

http://www.nissui.co.jp/academy/taste/01/03.htm

6mgの情報館「アイスクリームに賞味期限がないのに冷凍食品にあるのはなぜ?」

http://6mg.net/354

| - | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0)
(2012年)3月17日(土)は「対談 ロボットと人間の違いってなんだろう?」

催しもののおしらせです。

(2012年)3月17日(土)、東京・西新宿の朝日カルチャーセンター新宿教室で、「対談 ロボットと人間の違いってなんだろう?」という対談会が行なわれます。対談をする講師は、朝日新聞編集委員の尾関章さんと、作家の瀬名秀明さん。

『あしたのロボット』などのロボットに関する小説なども上梓してきた瀬名さんに対して、人間みのある科学記事を書きつづけてきた尾関さん。ロボットと人の境界をめぐる対談が繰り広げられそうです。

朝日カルチャーセンターのおしらせには、「ロボットは思想を持てるのか。iPS細胞は、わたしたちにどんな希望と恐怖をもたらすのか。科学の可能性や、科学を文学として表現すること、さまざまな本を読む喜びや楽しみなど、科学と文学の境界を越えて語り合います」とあります。

尾関さんも瀬名さんも、朝日新聞の読書欄の書評委員としての経歴があります。尾関さんによると、二人は書評委員会では「天敵」だったとのこと。書評でとりあげる科学書の「とりあい」をする仲だったからからとのこと。

瀬名さんは、科学書の書評集として『科学の栞』を上梓しています。尾関さんは、朝日アスパラクラブの記事のなかで、17日の対談では「『科学の栞』から、瀬名さんの読書観を紡ぎ出してみたい」と抱負を語っています。「科学と文学」あるいは「科学書」といった切り口でも、対談に花が咲きそうです。

「対談 ロボットと人間の違いってなんだろう?」は3月17日(土)13時30分から。受講料は一般参加の方が3,990円。朝日カルチャーセンター会員が3,360円。朝日カルチャーセンターによるお知らせはこちらです。

http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=145261&userflg=0

| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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