科学技術のアネクドート

ハイゼンベルクの不等式、改められる――不確定性原理の新展開(3)

理学部のある東北大学青葉山キャンパス

「ハイゼンベルクの不確定性原理に欠陥あり」は、2012年1月に急に言われ出したことではありません。

名古屋大学の数学者である小澤正直さんは、かねてからハイゼンベルクの不確定性原理として示される式を、理論的に改める試みをしてきました。

ハイゼンベルクの不確定性原理は、「物の位置と運動量の両方を正確に得ることはできない」いうもの。これを、式であらわすと、つぎのようになります。

「位置の測定誤差 × 運動量の測定誤差 ≧ プランク定数 / 4π」

この式は、つぎのことを表しています。

位置の測定誤差を小さくすれば、運動量の測定誤差は大きくなってしまう。かといって、運動量の測定誤差を小さくすれば、位置の測定誤差は大きくなってしまう――。

いっぽう、小澤さんは2003年、東北大学にいた当時、このハイゼンベルクの式をつぎのように改めました。

「位置の測定誤差 × 運動量の測定誤差 + 位置の測定誤差 × 運動量の標準偏差 + 運動量の測定誤差 × 位置の標準偏差 ≧ プランク定数 / 4π」

ハイゼンベルクの式とのちがいは、左辺に「位置の測定誤差 × 運動量の標準偏差」と「運動量の測定誤差 × 位置の標準偏差」が加えられたことです。ここに出てくる「標準偏差」というのは、測定をするときの手順とはべつの意味をもつものです。

つまり、この式にしたがえば、条件によって左辺は、もともとハイゼンベルクの示していた「位置の測定誤差 × 運動量の測定誤差」より大きな値が得られることになります。その値が、不等号「≧」があるため、「プランク定数 / 4π」以上になる必要があります。

つまり、「位置の測定誤差 × 運動量の測定誤差」は、考えられていたよりも小さい値で済む場合もあるということ。これをいいかえれば、「ハイゼンベルクによって示されていたほど、位置または運動量に誤差が生じない場合もありうる」ということになります。

小澤さんによってハイゼンベルクの不確定性原理の不等式は改められました。その式は「小澤の不等式」とよばれています。しかし、2003年の時点では、ハイゼンベルクの不等式から小澤の不等式への変更は、まだ理論上の世界でのもの。

小澤の不等式が「本当にそのとおりだ」という確証を得るために、「実験してみたら、やっぱりそうなった」という結果が求められていました。それを実験で証明したのが、ウィーン工科大学の長谷川祐司さんでした。つづく。

参考文献
細谷暁夫「小澤正直氏の受賞に寄せて」
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砥粒、結合剤、気孔でスライス

ものづくりでは、いろいろな材料を切りとることが必要なときがあります。光学器械に使われる水晶や、通信機器に使われるセラミック基板などを、思いどおりの形に切るといったときです。

そのとき使われる機械に、スライサとよばれるものがあります。切るための台などの上に、水晶やセラミック基盤などの対象物を置きます。そして、高速回転する“石”を対象物に当てて、切っていくわけです。

このときに使われる“石”は「砥石」あるいは「砥石車」とよばれています。砥石は本来、刀などどの硬いものを研いだり磨いたりするための石ですが、硬いものを切るときにも砥石が使われます。

この砥石は、おもに三つの要素から成りたっています。

ひとつめは「砥粒」。対象物を切るときの刃の役割を果たすもので、これがないと対象物を切ることはできません。

ふたつめは「結合剤」または「ボンド」とよばれるもの。ボンドは接着剤の商品名としてよく聞かれますが、ここでは砥粒である切れ刃をしっかりと支える役割を果たします。ボンドといっても、日曜大工に使う「木工用ボンド」のようなものではなく、金属の粉末を焼結してつくる「メタルボンド」といった材料が使われることが多くあります。

みっつめは「気孔」。つまり、穴です。対象物を切るため、砥粒の刃を対象物に当てていくと、どんなに切り幅を狭くしても、かならず切りくずがでてきます。この切りくずを逃すために、スライサに穴が開いているわけです。

砥石、結合剤、気孔。これらのほかに、スライサで硬いものを切りとるときは、研削液とよばれる液も使われることが多くあります。

スライサで対象物を切るときには、摩擦が生まれるため、切れにくくなったり、温度が急に高くなったりします。これらの抵抗性を減らすために、界面活性剤、乳化剤、灯油などの液が使われるのです。

切断や研削や研磨といった加工技術は日本のお家芸のひとつ。より細いものや、より特殊なものを切る技術が進んでいます。

参考ホームページ
タナカ技研「切断加工」
「砥石」と「研削・研磨」の総合情報サイト。
「砥石のなかみ:砥石の三要素」
「研削液(研削油)の役割は何ですか?」
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「雑種は強し」を使ってたわわに実らせる


いま食べられている野菜やお米などのさまざまな作物は、大昔からそのままの味やかたちで存在していたわけではありません。

人には「もっとおいしいものを食べたい」とか「もっと収穫量をあげたい」とかいった願いがありました。そこで、人びとは作物に工夫をして、いまの野菜やお米の種類をつくりだしたのです。

作物にたくさん実をつくらせたり、まわりのストレスに耐える強さをもたせたりする方法として、「雑種強勢」とよばれるしくみが使われることがあります。雑種強勢は「ヘテローシス」ともよばれています。

作物などにおいて、あるひとつの種類の母親と父親から誕生した次世代より、ある種類の母親とべつの種類の父親から誕生した次世代、つまり“雑種の次世代”のほうが、優れていることがあります。たとえば、実を付ける量が多くなったり、異常気象などに対して強く耐えられるようになったりするのです。これが、雑種強勢です。

雑種強勢のしくみを使ってつくった作物は「F1作物」などともよばれます。「F」というのは、英語で「雑種世代」を意味する“Filial”の頭文字。「1」は、“1st”つまり「第一」の意味。つまり、雑種世代のうちの第一世代の作物であるため「F1作物」とよばれています。

雑種強勢のしくみを使って育てられている作物でよくしられるのはトウモロコシ。米国で1920年代から雑種強勢を使った品種改良が行われ、収穫量が飛躍的に高まったといいます。

ただし、雑種強勢のしくみを利用できるのは、基本的に「F1」つまり雑種第一世代まで。雑種第一世代と雑種第一世代どうしが誕生させた「F2」では、優勢遺伝と劣勢遺伝の法則により、強くない遺伝子が混ざってしまうことがあります。そのため、種をつくる会社などは、父親と母親の種を毎年とっておき、毎年おなじ組みあわせで、雑種第一世代の「F1」をつくりだしているのです。

参考ホームページ
野口種苗研究所「交配種(F1)野菜とは何だ?【1】」
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ものごとを正確に測ることは難しい――不確定性原理の新展開(2)



ドイツの物理学者だったウェルナー・ハイゼンベルクは「物の位置と運動量の両方を正確に得ることはできない」と唱えました。運動量とは、重さと速さを掛けあわせた量のこと。

たとえば、Aさんという人が、電子くらいの大きさしかない小さな粒について「位置」と「運動量」を測ろうとしたとします。

粒の位置それに運動量は、その粒に光をあてて反射する情報から知ることができます。

そこでまずAさんは、電子くらいの小さな粒がどこにあるのか、その位置を測ることにしました。波長の短い光をその粒にあててみると、粒の正確な位置が測れることがわかりました。

しかし、この調子で粒の運動量も測ろうとすると問題が起きました。

波長の短い光というのは高いエネルギーをもつもの。この光をあてると、粒はひゅーんとスピードを上げて飛んでいってしまいました。粒を測るための道具である短い波の光が、粒の運動量を変えてしまったのです。

ならばということで、Aさんは、こんどは粒の運動量を測ろうとしました。さっきのように、光の高いエネルギーで粒が飛んでいってしまわぬよう、波の長い光を粒に当てました。

しかし、この調子で粒の位置も測ろうとすると問題が起きました。波長の長い光というのはきめ細かくありません。この光をあてても、粒のきちんとした位置までははかることはできないのです。

Aさんは思いました。「ハイゼンベルクの言うとおりだ……」。

そもそも「ものごとを正確に測る」ということはほんとうはむずかしいものです。

たとえば、「コップに入った水の温度を正確に測りなさい」という問題に対して、温度計をコップの水に入れて温度の値を見るとします。しかし、温度計がもっている熱が、コップのなかの水の温度を変えてしまうのは、かんたんに想像できます。

ハイゼンベルクは、「ものごとを測るということには限界があるのだ」という考えを物理学者たちに説明するために、この原理を式にして表しました。

「位置の測定誤差 × 運動量の測定誤差 ≧ プランク定数 / 4π」

大切なのは、この式が「≧」を境にした不等式で表されていることです。たとえば「x × y ≧ 1」という式を考えれば、xをいくら小さくしてもその分yが大きくなり、yをいくら小さくしてもその分xが大きくなることは明らかです。

おなじように、位置の測定誤差をいくら小さくしても運動量の測定誤差はその分だけ大きくなってしまい、逆に運動量の測定誤差をいくら小さくしても位置の測定誤差はその分だけ大きくなってしまう。このことをこの不等式は示しています。

こうしてハイゼンベルクの不確定性原理は確立されました。

この「あっちが立てば、こっちが立たず」を示す不確定性原理の式を書きなおしたのが、名古屋大学の小澤正直さんです。つづく。

参考記事
ウェブ論座 尾関章「教科書だって疑ってかかれ―不確定性原理考」
読売新聞 2012年1月16日付「不確定性原理に欠陥…量子物理学の原理崩す成果」
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「『老化防止に納豆』を科学する」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2011年)1月27日(金)、「『老化防止に納豆』を科学する」という記事が配信されました。記事の取材と執筆をしました。

日本の食卓に欠かせない食材のひとつが納豆です。箸でかきまぜると糸を引くあの姿、鼻に届く独特のかおり、口と舌で覚えるねばねばの食感。食材としての特徴を客観的に捉えると、納豆はかなり“際もの”といえるのかもしれません。

糸を引く納豆の起源は謎とされています。しかし、納豆菌がいる稲藁と、それに納豆菌が増える場所である大豆のふたつがあれば、あとは温度の条件により「大豆」は「納豆」へと変身します。どの次期のどの場所でも、納豆が誕生する可能性があったともいえるのでしょう。

日本人は、納豆に対して、おいしい風味であるという認識とともに、健康を保つためにも大切であるという認識を長らくもちつづけてきたのでしょう。記事では、納豆の健康効果について、代表的なものを紹介しています。

なかでも、ここ何年かで注目があつまっているのは「納豆にはポリアミンという物質が豊富に含まれている」という事実。

「ポリアミン」は、「多くの」という意味をもつ「ポリ」と、化合物の一種である「アミン」ということばによるもの。「アミンを多くもっている物質」といった意味になります。

納豆にポリアミンが豊富に含まれていることはわかっています。では、ポリアミンはからだに摂りいれられると、どのようなはたらきをするのでしょう。

ポリアミンが活躍する場所は血管のなか。とくに、動脈とよばれる、心臓からからだのすみずみへと血が運ばれていく血管のなかです。

動脈が弾力を失ってもろくなると「動脈硬化」という病気になり、動脈硬化がさらに進むと「脳梗塞」や「心筋梗塞」などのこわい病気へとつながります。

近年、その動脈硬化が起きる要因として、「動脈の炎症」がいわれてきました。動脈が慢性的にヒリヒリの状態になって、それが動脈硬化をもたらすというのです。

この「動脈の炎症」から「動脈硬化」へという道筋を阻むのではないかと期待されているのがポリアミンです。記事では、どのように動脈が炎症を起こし、どのようにポリアミンがそれを阻むのか、また、納豆を毎日食べた人と納豆を毎日食べなかった人のあいだでどのような差が生まれたのか、といった研究の中身を紹介していきます。

記事では、全国納豆協同組合連合会専務理事の松永進さんに話をうかがいました。日本人の健康長寿は納豆がつくった──。そんな表現が似合うほどの知見が納豆からは数多く見出されています。

JBpressの記事「『老化防止に納豆』を科学する 食卓の定番「納豆」の歩んできた道(後篇)」はこちら。
納豆の歴史を追った前篇「起源は謎、日本人の好物『ネバネバ、ズルズル』」はこちらです。
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「練馬区のタヌキ情報」が急減


動物ジャーナリストの宮本拓海さんが(2012年)1月、「東京都23区内のタヌキ、ハクビシン、アライグマの目撃情報の集計と分析」を発表しました。

「いまの東京にもタヌキがいる」という事実は、メディアなどでとりあげられ、東京の人たちを中心にかなり知られるようになりました。その情報の火付け役のひとりが宮本さん。いまも、東京に棲むタヌキの情報を集め、そしてみずからでタヌキを追いつづけています。

今回の発表は、2009年から2011年の3年間、東京23区でのタヌキ、ハクビシン、アライグマが目撃されたという情報を集計したもの。タヌキ454件、ハクビシン558件、アライグマ43件の目撃情報があったといいます。

宮本さんが考察しているのは「練馬のパラドックス」と銘うった現象です。

練馬区は、東京23区の北西にあり、すぐ北は埼玉県。武蔵野大地という大きな大地のなかにあり、23区のなかでは指折りの自然が豊富な区です。

しかし、2010年から2011年にかけて、練馬区でタヌキを目撃したという情報が急減したといいます。2009年は23区の全情報中22.9%を「練馬区のタヌキ」で占めていたのに、2010年は9.9%、2011年は0.8%と一気に落ちています。

こういう情報を前にすると人は「みどりの豊富だった地域で自然破壊が進んでいるのでは」と考えてしまいがち。いっぽう、宮本さんはかんたんに「みどりが減ったから」と決めつけてはいません。

練馬区でタヌキを目撃したという情報が減ったことについて、「人口密度が低いこと。人口密度が低いと、目撃確率も低くなる」「タヌキの存在が珍しくないため」「『これ以上の目撃情報は必要ないだろう』と思い込まれているのかもしれない」などの理由をあげています。

これらは、目撃情報を集めることによって、統計をとるという方法の課題にも捉えられるでしょう。生息の集中地、個体群の行動範囲、営巣場所などをつかむには、1平方キロメートルあたり2件以上の目撃情報が必要とのこと。しかし、練馬区やとなりの板橋区ではそれに達せず、「長期的な調査では、この欠落は大きな痛手」としています。

宮本さんは、「本当に生息数が減少している可能性も否定できず、今後の情報収集では特に注意をしていかなければならない」ともしています。

状況がわかるのは、タヌキについての多くの情報が寄せられてこそ。「東京タヌキ探検隊!はあらゆる地域の目撃情報を必要としている。練馬区、板橋区の目撃情報を遠慮なく知らせてほしい」と宮本さんは市民に呼びかけています。

「東京都23区内のタヌキ、ハクビシン、アライグマの目撃情報の集計と分析」(2012年1月版)はこちらです。
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あちらが立てば、こちらが立たず――不確定性原理の新展開(1)


(2012年)1月、「ハイゼンベルクの不確定性原理の欠陥実証」という物理学のニュースが話題なりました。名古屋大学の数学者である小澤正直さんと、ウィーン工科大学の物理学者である長谷川祐司さんによる研究の成果といいます。

「ハイゼンベルクの不確定性原理」とは、ドイツの物理学者だったウェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976)によって1927年に提唱された物理学の基本的な原則です。「20世紀は物理学の時代」などといわれてきました。つぎつぎと、物理学者によってあたらしい物理の原理や法則がうちたてられていったからです。

不確定性原理は、物理の時代をつくるのに欠かせない、大切な原理と評価されています。大学の基礎物理学の教科書に、ハイゼンベルクの不確定性原理はかならずといってよいほど載っています。

「あっちが立てばこっち立たず」ということばがあります。ハイゼンベルクは、物理の世界でも、「あっちが立てば、こっちが立たず」がかならず起きるということを唱えました。

たとえば、Aさんという人が、動いている球に興味があって、「この球の、位置と運動量を測ろう」と考えたとします。「位置」というのは、球がどこにあるかということ。「運動量」というのは、球の重さと速さがどのくらいか、ということです。

しかし、この人にとって残念なことに、ハイゼンベルクは「物の位置と運動量の両方を正確に得ることはできないのです」と唱えていたのです。

Aさんが、球の位置を正確に測ろうとするとします。すると、どうしても球の運動量、つまり重さと速さの正確な値を知ることができないというのです。いっぽう、Aさんが、球の運動量、つまり重さと速さの値を正確に測ろうとするとします。すると、どうしても球の正確な位置を知ることはできないのです。

「でもさ、野球の球がどの位置にあるのか、そして、どのくらいの重さで時速何キロ出ているのかといったことは測れそうなものだが」とAさんは考えました。そのとおり、目に見える大きな球であれば、それがいまどの位置にあって、運動量はどうなのかを調べることはできます。

しかし、球の大きさがどんどん小さくなっていき、たとえば電子のような目には見えないとても小さな粒(つぶ)を測ろうすると問題が起きてきます。ハイゼンベルクの不確定性原理にしたがうと、同時に位置と運動量を正確に知ることはできないのです。まさに「あちらが立てば、こちらが立たず」。

なぜ、「あちらが立てば、こちらが立たず」が起きてしまうのでしょう。ハイゼンベルクは「ものごとを測るということには限界があるのだ」と考えました。つづく。

ハイゼンベルクの不確定性原理と、このたびの小澤正直さん・長谷川祐司さんによる不確定性原理の新展開を、何回かにわけて追っていきます。

参考文献
名古屋大学
「現代物理学の根幹である不確定性原理の破れを観測 ナノの世界の深淵を語る基本原理に穴」
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KもMもHもあり――ビタミンの発見(下)


動物が、自分のからだでつくることはできないものの、自分のからだの健康に欠かせない物質がビタミンです。

ビタミンは、A、B、Cなどのほかにも、いろいろな種類があります。

「ビタミンK」は、血が固まるのを促すはたらきをもったビタミン。この「K」は、ドイツ語で「凝固」を意味する“Koagulation”の頭文字をとったもの。種類としてはおもに2種類があります。

まず、「ビタミンK1」は「フィロキノン」ともよばれ、緑黄色野菜や海藻などのなかに多く含まれています。また「ビタミンK2」は「メナキノン」ともよばれ、納豆などのなかに多く含まれています。

ビタミンKは、からだのなかにあるグルタミン酸というタンパク質を、γカルボキシグルタミン酸という物質にかえる手助けをします。このビタミンKのはたらきによって、血液を固まらせる物質がカルシウムと結合するようになり、これで血液が正常に固まっていきます。

また、ビタミンKのうち、とくにビタミンK2には、カルシウムの吸収を助けて骨を強くさせるというはたらきもあるといいます。骨をつくるために、ビタミンK2は欠かせないわけです。

「ビタミンM」もあります。ほうれんそうなどの緑黄色野菜に含まれていることから「葉酸」ともよばれるビタミン。動物の肝臓つまりレバーからも多く摂ることができます。このビタミンMは、血を造るのに有効とされています。なお、ビタミンMは、「ビタミンB9」ともよばれ、ビタミンBの仲間に含まれています。

「ビタミンH」も。卵黄のなかから発見されたビタミンで、「ビオチン」とよばれることも多くあります。この「H」はドイツ語で「皮膚」を意味する“Haut”から来たもの。マウスの皮膚にできる炎症を防ぐということから、この「H」がつけられました。なおビタミンHもビタミンBの仲間に含まれていて「ビタミンB7」ともよばれています。

ほかにも、「ビタミンF」「ビタミンJ」「ビタミンL」「ビタミンN」「ビタミンO」「ビタミンP」「ビタミンQ」「ビタミンT」「ビタミンV」「ビタミンU」などとよばれる栄養素もあります。ただし、これらは、かつてビタミンだと思われて名付けられたものの、その後、ほかのビタミンとはたらきがおなじだとわかったなどしたため、いまでは「ビタミン様物質」とよばれています。

科学者たちは、ビタミンをつぎつぎと発見していきました。そして、「それが欠乏するとどのようなことが起きるか」を解明していきました。ビタミンは、人に健康な暮らしもたらす大切な要素です。そして、ビタミンの解明は、人に健康な暮らしをもたらす大切な知見です。

参考文献
町田忍『納豆大全!』

参考ホームページ
国立健康・栄養研究所「ビタミンKとは」
国立保健医療科学院「葉酸Q&A」
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からだに大切でも自分のからだはつくれない――ビタミンの発見(上)
「ビタミン」と聞くと「からだによさそう」といった印象を強くもつ人は多いことでしょう。「仕事のビタミン」「恋のビタミン」「心のビタミン」などといったことばも多くあり、「摂ると元気が出る」といった語感があります。

からだによさそうだという印象があるいっぽう、ビタミンとはどういうものであるか、そのちゃんとした定義はあまり知られていません。また、ビタミンには、よく知られている種類のほか、さまざまなアルファベットがついた種類があることもあまり知られていません。

ポーランドの生化学者カシミール・フンク(1884-1967)は、下半身にだるさやまひが起きる「脚気」という病気の研究をしました。その結果、米ぬかに含まれる化学物質を摂らなくなると、人は脚気にかかることを発見しました。


カシミール・フンク

その化学物質は、「アミン」(amin)とよばれる種類に分類されます。そこにフンクは「生命にかかわる」という意味の「ビタ」(vita)という接頭辞をつけて、「ビタミン」(vitamin)と名づけたのでした。欠乏すると脚気を起こすこのビタミンは、いまビタミンB1とよばれています。

人は、米ぬかなどの食材からこの化学物質を摂らないと脚気になります。つまり、人は健康に生きていくうえでは、体の外から取り入れなければならない物質があるわけです。ビタミンB1のほかにも、つぎつぎとそうした物質が見つかっていきました。

そこでいま、「ビタミン」は、日本ビタミン学会などによって、つぎのように定義されています。

「微量で体内の代謝に重要な働きをしているにもかかわらず自分で作ることができない化合物」

からだの健康によいとされる物質や、生きていくうえで欠かせない物質はいろいろとあります。そのなかでもビタミンは、動物が自分自身のからだのなかではつくることができないという、ほかの物質とは異なる点があるわけです。

科学の進歩にともなって、ビタミンがつぎつぎと発見されていきました。いずれも足りないと発育不良になるビタミンA、口内のただれを起こすビタミンB2、貧血や衰弱などになるビタミンCなどはよく知られています。

ほかにも、ビタミンはいろいろあります。つづく。

参考ホームページ
日本ビタミン学会「ビタミンとは」
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自分の雄しべと雌しべで次世代をつくらず子孫繁栄

桜の木にはつぎのような特徴があります。

「1本の木の花粉と雌しべからは、つぎの世代のたねをつくることができない」

多くの花では、雄しべの花粉が雌しべのあたまにくっつくことで、つぎの世代のたねが生まれます。桜にも、そのしくみがあります。しかし、1本の桜どうしのなかで、雄しべの花粉が雌しべのあたまにくっついたとしても、つぎの世代の桜はうまれないのです。

このように、ひとつの固体の花粉によって受精が行われない植物のしくみを「自家不和合性」といいます。

植物が自分自身の雄しべと雌しべで自分のこどもをつくらないようにすることには、利点があります。

利点のほうは、多様性ができるため、自分の遺伝子をより生き残らせることができる可能性が高くなるというものです。もし、自分自身で自分のこどもをつくれるしくみになっていると、ほかの種類の木との受粉をすることがないので、自分自身の純粋な遺伝子を何世代も受け継がせていくことになります。

いつの日か、その植物の遺伝子に対して攻撃するような強力なウイルスがあらわれたとしたら、その植物はいっせいに死んでしまうおそれがあります。

しかし、自家不和合性により、必然的にほかの種類の木との受精しか認められなければ、つぎの世代の植物は、2種類の遺伝子が混ざることになります。これをくりかえせば、強力なウイルスに対して負けない遺伝子が混ざった木も存在しだすでしょう。つまり、一斉にウイルスにやられてしまうようなことを防げ、遺伝子の繁栄につながるわけです。

いっぽうで、自分自身の雄しべと雌しべで自分のこどもをつくれないということは、かんたんにつぎの世代を生み出すことができないという欠点にもつながります。そのため、植物のなかには、自分の雄しべの花粉が自分の雌しべのあたまに付くことで、つぎの世代を誕生させる「自家受粉」のしくみをもっている植物もいます。

日本の街なかでよく見られるソメイヨシノという桜は、自家不和合性の植物。つまり、1本の木の花粉と雌しべからは、つぎの世代のたねをつくることができません。しかし、日本じゅうに見られるどのソメイヨシノも遺伝子のなかみはおなじとされます。つまり、ソメイヨシノは、一本ずつ人の手による挿し木や接ぎ木で、全国に広がっていったのです。
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7回くりかえすと「新奇追求性」高し
新しくものが発売されたり、だれかが新しいファッションをしたりしているとき、すぐに飛びつく人と、なかなか飛びつかない人がいます。

あたらしいものが世に出たとき、最初に飛びつく人は“イノベーターズ”とよばれます。販売が始まってから販売が終わるまでのうち、最初の2.5%を占める人びとがイノベーターズです。

いっぽう、もうブームは去ったというころにようやく手を出す人は“ラッガーズ”とよばれます。「ぐずぐずしている人」という意味の“Laggard”からくるもので、ものを買った人のうち最後の16%がこの層に当たります。

もちろん、けっきょく買わなかったという人ももっと多くいるわけで、その人たちにくらべれば、ラッガーズも飛びつきがよいといえるのかもしれませんが。

新しもの好きであるかどうかという人の気質は、遺伝的な影響が大きくあるといわれています。

脳の神経から神経へと伝わっていく物質を神経伝達物質といいますが、そのなかのひとつにドーパミンという物質があります。アドレナリンやノルアドレナリンといった筋肉の収縮などに関係する物質の前身となる物質です。

神経細胞から放たれたドーパミンを、つぎの神経細胞で受けとるときの「受容体」という細胞のシステムに関係する遺伝子があることが、1990年代中頃までにわかっています。

この遺伝子がデオキシリボ核酸(DNA)のなかでくり返される回数は、人によって異なっていて、7回以上くり返されている人は、新しいものに対する興味が高いといういことが、英国の科学誌『ネイチャー・ジェネティクス』で発表されています。

じつは、日本人は、この新奇性追求に関わる遺伝子をもっている人は少なく、アングロサクソン系の人びとの25分の1ともいわれています。衝動買いをしたり、街なかで気になった人にすぐに声をかけたりといったことは、日本人にはあまり多くないのかもしれません。

この新規追求性が高いことが人にとって絶対的によいことかどうかについては、また別問題。それに、気質はそう変わらなくても、環境の慣れによって人の考えかたはもちろん変わってくるもの。「自分は新規追求性に欠ける」と信じているか「自分は新奇性追求が高い」と信じているかが、ほんとうは大切なのかもしれません。

科学研究費補助金データベース「パーソナリティ形成における遺伝的影響と養育環境との相互作用に関する心理、社会遺伝学的研究」
All About 中嶋泰憲「リスキーさに引かれる!? 新奇性追求気質」
ベンチャー通信Web「おもしろいことをやれば成功する 堀場雅夫」
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『137億光年の宇宙論』発売


新刊のおしらせです。

『137億光年の宇宙論』という本が、このたび朝日新聞出版から出版されました。朝日新聞出版が2012年1月より刊行した「朝日おとなの学びなおし!」というシリーズの第一弾です。

著者は法政大学教授で天文学が専門の藤田貢崇さん。この本の編集の一部をしました。

宇宙や天文についての一般書はこれまでにもいろいろと出ています。そのなかでこの本の特長はつぎのようなもの。

まず、宇宙全体の話題を、それぞれの段階ごとに網羅していること。地球から見た宇宙の話から始まって、その後、太陽を眺め、惑星を眺め、銀河系の果てにたどりつき、ブラックホールをかすめ、暗黒物質(ダークマター)に近づきます。

「パワーズ・オブ・テン」という映画のように、だんだんと視点が宇宙の果てへと向かっていくわけです。宇宙全体の話を網羅することができたのは、著者の藤田さんの知識の広さによるもの。

また、宇宙観測で得られたきれいな天体のかずかずを集めた巻頭カラーページもあります。

コロナを放ったり、皆既日食のとき木もれ日のような光を放ったりといった太陽のさまざまな表情。渦巻き型や円盤型などの形をした銀河のかずかす。2011年11月に観測された、もっとも遠くにある銀河の写真などを見ることができます。

本の構成はつぎのようになっています。

第1章の「地球から宇宙を探る」では、天体観測が世界のどこでどのように行われているのかに焦点があてられ、いろいろな望遠鏡や天体観測所が紹介されています。

第2章「謎に満ちた星、太陽」では、私たちの母なる星である太陽の謎が多く紹介されています。皆既日食のときにしか見られないような“太陽の素顔”もわかります。

第3章「太陽系の兄弟たち」では、太陽の“子どもたち”である惑星が順番に紹介されています。

第4章「銀河系、中心に巨大なブラックホール」では、太陽系の所属する銀河系に焦点があてられています。銀河系の中心には巨大なブラックホールが存在することがわかってきています。

第5章「銀河の形を楽しむ」では、銀河系から飛び出して、宇宙のさまざまな銀河の成り立ちや種類が紹介されています。銀河のつくる形はじつに多様性に富んでいます。

第6章「ブラックホールのエネルギー源」では、いまなお謎の多い天体であるブラックホールに迫っていきます。ブラックホールがたんなる暗黒の星ではなく、その周辺ではいろいろな物理現象が繰りひろげられていることがわかります。

第7章「ダークマターとダークエネルギーの謎」では、宇宙の重量の大部分を占めるとされているダークマターや、さらに見えないエネルギーであるダークエネルギーへの言及があります。ダークマターの謎ときをめぐって、さまざまな天文学者や研究者たちが登場します。

第8章「宇宙のこれまでとこれから、宇宙への夢」では、これから宇宙はどのような歩みをたどっていくのか、説としていわれている宇宙論が紹介されます。宇宙に終わりはあるのか、また、地球以外にも生命は存在するのかといった深遠な謎にも触れられています。

なかでも詳細に書かれているのが、第6章などで触れられる「ブラックホール」について。ブラックホールというとすべてを飲みこむ漆黒の物体といった印象があります。中心部はそうなのですが、ブラックホールの周囲となると、とても“にぎやか”な物理現象が見られるようです。

たとえば、ブラックホールになりゆく星は「連星」といって、近くにもうひとつの星があることが多いといいます。そして、ブラックホールと化した星のほうに、もういっぽうの星のガスが吸いこまれていきます。このとき、ブラックホールに向かってガスが渦潮のように円を描いて中心部へと向かっていくことが推測されています。これは「降着円盤」とよばれるもの。

また、ブラックホールの周囲には、強力なエネルギーが生じていて、そこから「高速ジェット」とよばれるエネルギーの吹きだしが起きているとも考えられます。

これらのブラックホールのまわりで起きている物理現象について、とりわけていねいに説明がされています。

著者の藤田さんは、この本のなかで「宇宙の研究に関するニュースがこれからも新聞やテレビに取り上げられ、少しずつ人類の宇宙観が変わっていくことだろう。そうなっても、私たちの好奇心や楽しむ心が変わることはない。本書が、読者の皆さんの好奇心を引き付ける『ブラックホール』になることができれば、とても嬉しく思う」と述べています。

朝日おとなの学びなおし!『137億光年の宇宙論』はこちらでどうぞ。
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「ガラク」のやわらかチキンレッグと野菜スープカレー――カレーまみれのアネクドート(39)


「札幌とカレー」といえば「スープカレー」を連想する人も多いでしょう。ルゥに小麦粉や油などでとろみをつけることなく、さらさらとしたスープ状のルゥと具材をおわんのなかによそいます。

1970年代に札幌で誕生したというのが定説。何度か全国的なブームも起きました。ブームが起きれば、スープカレーを出す店の数も増えるもの。小麦粉や油を抜いただけの、形式的なスープカレーなども出てくれば、「店で出すスープカレー全体」としての質は落ちてしまうことになります。

しかし、本場の札幌には「さすが本場」と客をうならせるようなスープカレー専門店もあります。

札幌の歓楽街すすきのの交差点から北に1ブロック、東に2ブロック行ったところにあるのが、札幌スープカリー専門店「ガラク」(GARAKU)。店は2階だてのたてものの2階。スキー場のロッジにあるような幅のせまい木の階段をのぼって店に入ります。

扉をあけた瞬間ただよってくるのは、香辛料を焦がしたような香ばしい空気。カントリー調で統一された店内の雰囲気とあいまって、はじめて訪れた客に期待を抱かせます。

上の写真にあるのは、「やわらかチキンレッグと野菜」。黒い陶器の皿には、熱のこもったカレースープ。それに、にんじん、じゃがいも、れんこん、キャベツ、パプリカ、ブロッコリーなどの野菜。さらに骨つきの鶏肉がまるごと入っています。

スープのなかにまぎれているのは黒い粒々。店内にただようスパイスをこがしたものなのか、たまねぎや香草を炒めたものなのか、味にコクが出ています。

しかし、ガラクのスープカレーの味の驚きは、その先に待っています。なかでも舌と鼻に大きな衝撃をあたえるのは、鶏肉とブロッコリー。具材としてただスープのなかに入っているのではありません。どちらも“味の二段構え”があります。

まず鶏肉。手間暇をかけて、香草で味付けをしているのでしょう。辛いカレースープとはまたべつの香ばしい風味が口のなかに広がっていきます。

さらにブロッコリー。カレーのなかのブロッコリーといえば、脇役であることがほとんど。このスープカレーでも見た目は脇役です。

しかし、客はこのブロッコリーを口に入れたとたん、ただの脇役ではないことに気づきます。なかには、ブロッコリーを食べた瞬間「あっ!」と思わず感嘆の声が口からもれでてしまう客もいるほど。

ブロッコリーは素揚げされているようです。もし、味に「こんがり」という表現が使えるならば、まさにこのブロッコリーのしあがりは「こんがり味」。カレースープの辛さがしばし脇にやられてしまうほどの強烈な風味です。

しかし、それだからといってカレーの味のなかでこのブロッコリーの味が浮いてしまうわけではありません。

ガラクの店員たちは、スープカレーという食べものに対して、研究に研究を重ねてきたのでしょう。店にただよう香ばしい空気で沸きおこる期待をけっして裏切りません。「さすが本場」と客を驚かせるスープカレーです。

ガラクのホームページはこちら。
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いまをよく知っているから「激動の時代」


人は、自分が知っているものごとに対しては、知らないものごとよりも、敏感に意識したり反応したりするようです。

たとえば、「あなたがもっとも不安に思っているものは次の四つのうちのどれですか」といったアンケートの質問があるとします。この手の質問に対して、人は「自分が不安に思っているかどうか」よりも増して、「自分がその物事をよく知っているかどうか」を重視して、「これがもっとも不安」と答える向きがあるといいます。

知れば知るほど、その物事に対する不安は増えてくるのでしょう。

うえの例は、アンケートにおける人の心理の一端を示したものですが、「知っているものごとに敏感」という人の心理は、もっと大きな状況のなかでも見られそうです。

たとえば、新聞や雑誌の取材記事などで、識者たちはよくつぎのような発言をします。

「われわれがおかれた現在は、歴史的に考えても、大きな転換点にさしかかっています」
「激動するいまの時代のなかで、この国はどのように進んでいくべきか。そのあり方を考えなければなりません」
「私たちは、これまでになかったようなパラダイムシフトを、いままさに経験しているわけです」

とかく、識者をはじめとする人びとは「転換期」「激動の時代」「パラダイムシフト」といった表現が好きなようす。「現在は安定期」「さざ波もたたない」「ずっとパラダイス」といった表現はあまり使いません。

しかも、20年前の識者も、10年前の識者も、いまの識者も、おなじように「転換期」「激動の時代」「パラダイムシフト」を連呼します。おそらく10年後も、20年後もおなじでしょう。

いまを生きている人びとがもっともよく知っているのは、「いま」や「最近」といった範囲で起きているできごとです。自分たちがいま生きている環境のなかでは、日々なにも起きないということはありません。人びとは、生きているいまにおける変化を肌身で体験しながら日々を送っているわけです。

いっぽう、自分が生きてこなかった「むかし」や「過去」、そして自分がまだ経験していない「これから」や「未来」といった時点でのできごとに対しては、いまを生きる人びとはそれほど知っているわけではありません。

そのため、いつまでたっても人びとの口からは「転換期」「激動の時代」「パラダイムシフト」が出てくるのでしょう。

こうした表現がなされていた時代が、ほんとうにその表現どおりだったのかどうかは、10年、あるいは100年、あるいは1000年たてばわかります。
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川のまわりの森が川を冷やす
川のまわりにはなにがあるでしょう。

コンクリートの堤防や芝生の土手があるような川もありますが、木々に囲まれた川も日本にはまだあります。

川のまわりにある森林は大きく「水辺林」とよばれています。川は上流から下流へと流れていくもの。水辺林は、そこで見られる木の種類などによって、大きく「渓畔林」と「河畔林」とにわけられます。

山のなかのどこかに、川の“最初の一滴”があります。そして、その滴は集まり川の源流となります。それから渓流とよばれる、斜面の急な谷川を下っていきます。

この渓流となっている川のまわりにある森林が渓畔林。北海道の渓畔林を例にして見ると、代表的な木としては、葉がハートのような形をしたカツラ、高さ25メートルにも達するトチノキ、下駄や箸などの原料にもなるサワグルミなどがあります。


その後、川の水は急流からなだらかな流れの扇状地へと向かっていきます。渓流から運ばれた砂や小石が堆積した結果、扇のようなかたちの地形がつくられます。

この扇状地まで来ると、川のまわりの森林は河畔林とよばれるようになります。おなじく北海道の河畔林で代表的な木としては、春に紫淡緑色の小花を咲かせるハルニレ、樹皮と果実が染料に使われるハンノキ、楕円形の小葉を9個つくるヤチダモなどがあります。


渓畔林や河畔林は、川や川辺で暮らしているいきものに対して、さまざまな恵みをあたえます。生活の場そのものになったり、落ち葉が水辺で生きるいきものの餌になったりといったこともその例。

さらに、意外と知られていないことですが、水辺林には木陰をつくって川の水温を低く保ち、冷たい水で生きる魚に暮らす場所をあたえるという役割もあります。川の水温は、直射日光が当たるところではぐんぐんあがり、木陰になっているところでは抑えられます。冷たい水のなかで暮らす魚にとって、渓畔林や河畔林は大切な存在となります。

渓畔林や河畔林がこれらの役割を果たすためには、一般的に、木の高さとおなじ20メートルから30メートルの川からの幅が必要といわれています。

参考文献
北海道立総合研究機構林業試験場「河畔林のはたらきとつくり方」
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「平清盛!」に妙な感じの声
 (2012年)1月からNHKでドラマ『平清盛』が始まりました。初回視聴率は歴代で下から3番目。さらに兵庫県知事が初回の番組について「画面が汚い」と批判したり、第2回について「おもしろくなりそう」と激励したり、話題になっています。

それほど話題になっていないものの、「番組の宣伝にどこか違和感を覚える」と感じている人もいるようです。ある番組宣伝視聴者は言います。

「『たいらのきよもりぃっ!』って松山ケンイチが叫んでいるでしょ。あれが頭に変な意味でひっかかっていて……」

NHKテレビの『平清盛』番組宣伝では、主役で平清盛を演じる松山ケンイチさんの声で「平清盛!」と、番組名が呼ばれます。このよび方が、捉えかたによっては躍動的であり、捉えかたによっては怒号的なのです。

「あれって、捉えかたによっては平清盛自身が、自分の名前を『たいらのきよもりぃっ』って怒りながら言っているような感じだけれど、あまりそういうことが起きる場面ってないよね」

番組宣伝で「平清盛!」と声を発している人物として、いろいろなことが考えられます。

ひとつめは、テレビ番組内の世界とはいえ、「平清盛」本人が「平清盛!」と自分の名を呼び叫んでいるという状況です。

「おぬし、名はなんと言う……」と知らぬ人に尋ねられた平清盛が「たいらのきよもりぃっ!」と自己紹介するといったことになります。

しかし、自己紹介をするにあたって、自分の名前を「野田佳彦!(のだよしひこーっ!)」とか、「谷垣禎一!(たにがきさだかずぅっ!)」などと叫ぶだけの人はそうめったにいません。

もうひとつ考えられるのは、「平清盛扮する松山ケンイチさん」が「平清盛!」と番組名を呼び叫んでいるという状況です。

テレビドラマの番組宣伝で、主役が番組名を言って紹介するということはよくあること。たとえば、「『さすらい刑事純情派』お見逃しなく」とか「『渡る世間は鬼ばかり』ご覧ください」といったものは想像できます。

いっぽう、番組宣伝で主役が番組名を言うとはいえ、「平清盛」という人物名が番組名になったものを呼ぶというのは、状況としてかなり複雑で考えさせられます。

「本当は番組名でなく、松山ケンイチさんが自分が演じる対象人物の名前を叫んでいるのだろうか。でもいったいなんのために。それに、なぜ怒りながらそれを言うのだろうか……」

違和感である人にとっても、「平清盛!」の叫び声が、心に残るものとなり、多くの人が番組を見ることにつながるでしょうか。
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日本の地形が日本の四季をつくる


「日本は四季のある国」とよくいわれます。こういわれるということは、世界には「常夏の国」や、「冬と夏しかない国」が多いのでしょう。

緯度が高くも低くもなく、ちょうどよい場所に日本列島があるため、春夏秋冬おりおりの風情を味わえるのだと思われがちです。

しかし、日本は四季がある国として見合う、“ちょうどよい場所”にあるのかというと、そうともいえない点もありそうです。「こんな場所にあるのに、こんな四季の現象が起きるとは」といったことも起きているのです。

その典型例は豪雪でしょう。

冬季五輪が開かれた長野市とおなじくらいの緯度にどのような都市があるか世界地図で見てみます。すると、トルコのアンカラ、スペインのマドリッド、ポルトガルのリスボン、イタリアのナポリ、ギリシャのアテネなどは、すべて長野市よりも高緯度つまり北にあります。

これだけの緯度が低い地域に雪がたくさん降るということは、世界的にもめずらしいことといわれます。

日本海側の地域に冬、雪が降るのは、大陸からの北風が日本海で水分をもつようになり、それが日本列島のまんなかを走る山脈にぶつかって、雪雲がたくさんできるからです。

このような、風が吹き、海があり、山があり、といった条件がそろっているからこそ、日本とくに日本海側の地域には冬に雪が降るわけです。

おなじく、冬に流氷が見られるのも、日本においてが北半球ではもっとも低緯度になるといいます。この流氷も、アムール川の河川水の流入が関係しているといいます。

その国に四季があるかどうかというのは、緯度としてどの位置にあるかよりも、地形がどうであるかのほうが大切になる側面もあるわけです。
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「世界最小の魚」の座うばわれず


とても小さなカエルがこのたび発見されたといいます。体長は7.7ミリ。1円玉の直径が20ミリなので、その半分もありません。これまでに見つかったなかで最も小さな脊椎動物というこで、たとえば読売新聞はつぎのように伝えています。

―――――
 体長が平均7・7ミリしかない新種のカエルを、米ルイジアナ州立大学などのチームが西太平洋のパプアニューギニアで発見した。
 脊椎動物としては世界最小という。科学誌プロスワン電子版に12日発表した。この新種は、同国東部の熱帯雨林の腐葉土で2009年8月に捕獲された。これまで最小の脊椎動物は、マレーシアなどに生息するコイ科の魚で、体長7・9〜10・3ミリだった。
―――――

脊椎動物というのは、脊椎つまり背骨を体の支えにして生きている動物です。人も背骨をもっているので脊椎動物です。

上の記事のように報じられると、「最小の座」を譲った「マレーシアに生息するコイ科の魚」が気になる人も多いでしょう。

これまで世界最小の脊椎動物とされてきたのは「ドワーフフェアリーミノウ」とよばれるコイ科の魚です。「ドワーフ」とはおとぎ話などに出てくる「小びと」のこと。また「フェアリー」とは民間伝承などで出てくる妖精のこと。さらに「ミノウ」とはコイ科のうち「ヒメハヤ」という種類の魚のこと。さながら「小びとのような妖精のようなヒメハヤ」といったところでしょうか。

このドワーフフェアリーミノウも、2006年に見つかったばかりの魚。体長は、オスが9.8ミリほどで、最も小さなものとしてはメスで見つかった7.9ミリでした。大英自然史博物館のホームページでは写真も紹介されています。

インドネシアやマレーシアの泥炭低湿地や、ブラックウォーターとよばれる木の生い茂った湿地を流れる川に棲んでいます。これらの住処の特徴は、酸性であること。ふつうの雨水の100倍以上も酸性の水のなかで暮らしているといいます。

ドワーフフェアリーミノウは、「世界最小の脊椎動物」の座はうばわれましたが、「世界最小の魚」のままではあります。

小さな動物の存在は人が見ていないだけのようで、一節では地球上の9割の生物が未発見といいます。ドワーファリーミノウよりも、また今回の極小カエルよりも、さらに小さな脊椎動物が見つかるのも、また時間の問題なのかもしれません。

参考記事
読売新聞 2011年1月13日付「7・7ミリ新種カエル発見…脊椎動物で世界最小」
ロイター 2011年8月25日「地球上生物の『種』、9割がまだ発見・分類されず」

参考ホームページ
大英自然史博物館“World's smallest fish”
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『高血圧、効く薬効かない薬』発売


きょう(2012年)1月13日、朝日新聞出版から『高血圧、効く薬効かない薬』という新書が発売されました。著者は東京都健康長寿医療センター副院長の桑島巌さん。

この本の執筆協力をしました。執筆協力とは、著者の伝えたいことを軸に構成を検討したりして、本づくりに協力することです。

桑島さんは2007年12月に、朝日新聞出版から『高血圧の常識はウソばかり』という新書を出しています。この前作は3万部以上発行のロングセラーとなりました。それから4年とすこし。高血圧をめぐる研究は刻一刻と進み、新たな知見も増えたといいます。桑島さんご自身にも、あらたに読者に伝えたいことが増えてきたようです。そこで新刊の出版となりました。

『高血圧、効く薬効かない薬』は高血圧関連の「薬」を中心テーマにしたもの。高血圧を抑える薬である降圧薬には6種類ほどあります。それぞれ販売される前には患者の協力により大規模臨床試験が行われ、薬の効き目が確かめられています。

しかし、タイトルにあるように、降圧薬には「効く薬」と「効かない薬」があるのだと桑島さんは述べています。

人の病気を治すための薬の多くは、病気になるメカニズムに手を打つことで効果を発揮します。では、高血圧という病気には、どのようなメカニズムがあるのでしょうか。

桑島さんは、高血圧にはおもに「パンパン型」と「ギュウギュウ型」の2種類があると話します。「パンパン」「ギュウギュウ」とは血管の状態のこと。血管が水分で満たされて血管壁が受ける圧が高くなるのが「パンパン型」です。いっぽう、血管がせばまることにより血圧が高くなるのが「ギュウギュウ型」です。

パンパン型とギュウギュウ型それぞれにメカニズムがあり、それぞれに対応する降圧薬があります。

しかし、パンパン型とギュウギュウ型の患者の比率に合わせてそれぞれの降圧薬が使われているかというと、そうはなっていません。桑島さんはその点を指摘し、降圧薬との正しい付き合いかたの数々を紹介します。

本は全8章の章立て。内容はつぎのとおりです。

第1章「高血圧のタイプを知る――『ギュウギュウ型』と『パンパン型』」では、基礎知識として高血圧には「ギュウギュウ型」と「パンパン型」があると語られています。自分の高血圧がどちらであるかの目安もあります。

第2章「降圧薬のしくみ」では、いま日本で使われている降圧薬にどのようなものがあるのかが紹介されています。降圧薬はおもに対ギュウギュウ型と対パンパン型にわかれますが、メカニズムに応じてさらに6種類の降圧薬にわけられます。

第3章「タイプ別、降圧薬との付き合い方」では、“よい降圧薬”の選びかたや降圧薬との付き合いかたのアドバイスが書かれてあります。その薬が自分の高血圧に合っているのかをチェックすることができます。

第4章「効かない薬がなぜ使われる」では、効き目の大きな薬が使われず、効き目の小さな薬が使われるといった現状が、実例をもとに紹介されます。製薬業界や医学・医療界の裏側にある“薬を売るためのカラクリ”が披露されます。

第5章「降圧薬が効かなかったら二次性高血圧を疑え!」では、ここまでの章で紹介してきた降圧薬では改善されない高血圧があることに触れます。例外的な高血圧といえるかとうとそうともいえず、患者数は日本で200万人いるとも。的確な治療法も示されています。

第6章「脈の乱れによって起こる脳梗塞、そのドキドキが怖い」では、高血圧がもとで起きる病気のうち、とくに怖い脳梗塞についてとりあげられています。脳梗塞の新薬についても触れられています。

第7章「『健康バイアス』が健康を蝕む」では、高血圧とは無縁にも思われる若い世代などに対する桑島さんの警告的メッセージが示されます。「健康バイアス」ということばを使って、病気への用心を促します。

第8章「『コレステロール』と『メタボリック症候群』」では、高血圧の周辺トピックとして、「コレステロール論争」や「メタボリック症候群の問題」が語られています。コレステロール値は下げるべきかどうか、桑島さんの結論は明確です。

ここ数年、医療界でさかんに謳われるようになった「科学的根拠にもとづいた医療」(エビデンス・ベースド・メディシン)に対して桑島さんは危機意識を抱いています。「高血圧の治療に真剣に取り組んでいらっしゃる読者のみなさんに、真の効果的な治療に出合っていただきたいという思い」から、本はつくられました。

『高血圧、効く薬効かない薬』は、こちらでどうぞ。
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「っ、っ、っ」の冗長性で通り過ぎを防げる


電子情報の世界では「冗長性」をもたせることが大切といわれます。

たとえば、「0」という情報を、AというコンピュータからBというコンピュータに伝えようとするとします。このとき、たんに「0」と送ると、「0」がなにかのまちがいで「1」となったとき、ほんとうに送りたかったのが「0」なのか「1」なのかわからなくなります。

そこで、「0」という情報を「00000」と冗長性をもって送れば、「1」がどこかに混ざっても「00100」となり、ほんとうに送りたかったのは「0」だったのだとわかります。

この冗長性は、ネットワークなどにまちがいがあったとしても、それをまちがいにさせないための方法といえます。

まちがいを起こすのはマシンだけではありません。マシンを操作する人も、マシンに増してまちがいを起こします。やはり人による操作に対しても冗長性をもたせることが効果的な場面があります。

スマートホンや携帯電話で「かな文字」を入力するときは、「あ」「か」「さ」「た」「な」などと表示されているボタンを指で押して、入力したい文字を表示します。たとえば、「う」と入力したいときは「あ」のボタンを3回押せば「う」が出てきます。

この操作は、日本語に慣れ親しんできた人であればわりと簡単です。子どものころ学校で「あいうえお」というかなの語順を学び、暮らしのなかでも「あいうえお」と口ずさむ場面が多くあるからです。

しかし、かな入力で、唯一といってよいほど例外的にうまくいかない文字があります。それは促音の「っ」。

「っ」は「つ」を小さくした文字であるため、「た」のボタンを押すと入力できる「たちつてと」の組みのなかに付け加えられていることが多いもよう。たとえば、iPhoneでは、「た、ち、つ、て、と、っ」のならびになっていて、「た」のボタンを6回押すと「っ」が画面に表示されます。

しかし、この操作に失敗する人は多いのではないでしょうか。「たちつてと」のつぎに「っ」があるという感覚がふだんはあまりないため、「っ」を入力しようとしても、「た、ち、つ、て、と、っ、た、ち、つ……」のように「っ」を通り過ぎてしまうわけです。なかには、二度、あるいは三度、通り過ぎる人もいるようです。

そこで、「っ」に冗長性をもたせてやると、通り過ぎることは少なくなります。「た、ち、つ、て、と、っ、っ、っ、た、ち、つ……」のように、「っ」を三つぐらい連続で続けておけば、どうでしょうか。

冗長性をもたせることにより、通り過ぎてしまうこともすくなくなるでしょう。
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書評『日本全国 納豆大博覧会』
教科書を発行している東京書籍という出版社は、知る人ぞ知る「一般書の宝庫」でもあります。デザイン書から納豆の本まで、ジャンルも幅広く、デザインも多種多様な一般書をとりそろえられる教育系出版社は、東京書籍くらいしかないのではないでしょうか。



スーパーマーケットの棚で、こんにゃく、しらたき、豆腐のならびに置いてある納豆。中身は丸い粒々なのに、パッケージは真四角。たいていラベルには「大粒」などと商品名がでかでかと毛筆体で書かれてある。

しかし、どれもおなじとひとくくりにしてはなるまい。納豆にも、製品の数があるだけ風味の種類がある。

毎年「全国納豆鑑評会」なる納豆の審査会まで開かれているのだ。全国納豆協同組合連合会の主催で、納豆の製造技術改善と品質の向上を目指して行われているという。

本書『日本全国 納豆大博覧会』は、2001年から10年間にわたり、この全国納豆鑑評会で入選した“よりすぐり”の納豆銘柄を、パッケージデザイン、原料大豆の種類や産地などのデータ、豆の硬さや糸引きや香りの度合などとともに解説を加えたもの。

それぞれのパッケージに収められている実際の納豆の姿はというと、それもちゃんと載っている。見開き左下に、少し糸を引いた納豆の粒々の写真がある。

素人目からは、変わり豆をのぞけば、どのページをめくってもおなじ粒の形にしか見えない。でも、納豆業界の人たちはきっと見分けがつくのだろう。

冒頭にある「納豆の話」も味がある。

この納豆についての解説文は、監修者で農学博士の小泉武夫氏によるもの。小泉氏は、海外に滞在するときも納豆は欠かさず持っていくという大の納豆好き。氏の納豆愛が、文章からぷんぷん漂ってくる。

―――――
私は、まず醤油をかけずに糸がネバネバするまでかき回します。そして醤油をひとたらししてからまたかきまぜ、さらに醤油をひとたらしかけてかきまぜることを繰り返します。最後はトロントロンになるまでかきまぜます。薬味はからし、とうがらし、わさびといろいろありますが、私は刻みネギです。刻みネギを撒き散らした納豆の香りは、居ても立ってもいられないほど、大好きな組み合わせです。
―――――

もちろん、個人的な食べかたを紹介するだけではない。

糸を引く「糸引き納豆」と糸を引かない「寺納豆」の由緒について、また、寺院の納所(なっしょ)でつくられたことから「納豆」とよばれるようになったという名の由来について、はたまた、藁のなかにひそみ大豆を納豆にする納豆菌の存在について、つぎつぎと解いていく。

氏の、納豆の魅力を伝えたくてしょうがない気持ちが伝わってくる。

ただの白黒の文字ばかりの本に仕上がっていたら、ただのマニアックな納豆業界本になっていたことだろう。納豆の四角いパッケージを想起させる正方形の判型や、一銘柄ずつていねいに撮った美しいカラー写真など、装幀の妙によって多くの納豆好きを惹きつけそうな本に仕上がっている。

『日本全国 納豆大博覧会』はこちらでどうぞ。
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気のせいでない“23:59”の多発、「アネクドート」6周年


このブログ「科学技術のアネクドート」は、きょう(2011年)1月10日(水)で、始めてから6周年となりました。

昨年の5周年の日にもおなじことを書きましたが、記事を書くことに慣れることは決してありません。長くつづけることと、慣れることは、ほんとうはべつのことなのです。

長らくお読みいただいている方は、つぎのような傾向を読みとっておられるかもしれません。

日付が変わったのに、数時間あるいは十数時間経つと、更新日時が“前日の23時59分”に戻っている記事は増えつづけています。気のせいではありません。

おなじようなテーマの記事が数日あけて2回ほど掲載されることも多いようです。1回目の記事は、雑誌やウェブの記事づくりの下調べのためであり、2回目の記事が雑誌やウェブに載ったことを報告するため。わかる人にはばればれです。

ブログには「管理者ページ」があり、ここで「検索キーワード」の件数を調べることができます。ちかごろの「検索キーワード」で多いのは、第1位から順に「TPP」「腎臓病」そして「ビスフォスフォネート」。

「TPP」は、昨年になり日本政府が交渉に参加することにしたことから、検索されるようになったのでしょう。当ブログでは、2011年4月16日に「『TPP参加の足かせは農業、待ち受ける「大打撃」の本当の中身とは』」というウェブニュースの記事を紹介しました。

長らく、第2位にありつづけているのが「腎臓病」です。2010年10月14日に「腎臓病の進行で避けがたい『生活の質』の低下」という記事を載せました。当ブログで「腎臓病」ということばが拾われるくらいということは、ほかの病気の情報にくらべて腎臓病についての情報は不足しているのかもしれません。

「ビスフォスフォネート」というのは物質の名前で、リン元素や酸素元素などからなる無機質の分子です。この物質と関係が深いのが宇宙飛行士。当ブログでは2009年8月26日に「若田さんが宇宙で使いつづけた『ビスフォスフォネート』」という記事を載せました。おそらく、2011年11月に165日の宇宙滞在を終えて地球に戻ってきた古川聡さんの成果により「ビスフォスフォネート」ということばが注目されているのでしょう。

「ビスフォスフォネート」のように、あまり聞かれないようなことばが検索の上位にあがっています。「ウェブ2.0」ということばが聞かれなくなったのと時をおなじくして、「ロングテール現象」ということばもあまり聞かれなくなりましたが、「ロングテール現象」はありつづけているようです。

きのうがあり、きょうがあれば、おそらくあしたもある。きのうの記事があり、きょうの記事があれば、おそらくあしたの記事もある。そうした帰納的な法則の虜になって、記事の更新はつづいていくことでしょう。たぶん。

7年目の「科学技術のアネクドート」も、ご愛読どうぞよろしくお願いします。
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黒鉛「372mAh/g」どまり
黒鉛の表面

開発者たちは、いまあるものよりも性能のよい製品を生みだそうとして、ほかの開発者と争っています。

その開発競争にはときどき、「性能をよくしていったところでたどりつく限界」というものが目に見えている場合があります。理詰めで計算をすると「もうこれ以上は性能はよくなることはない」ということがわかってしまうのです。

たとえば、携帯電話やノート型コンピュータの充電池として使われているリチウムイオン電池の材料にも、「性能をよくしていったところでたどりつく限界」があります。

リチウムイオン電池には、正極と負極というふたつの電極のあいだをリチウムイオンという物質が行き来することで電気を得るしくみの電池。その負極のほうに、炭素原子からなる「黒鉛」という物質を使うと、どうしても、ある数値より大きな量の電流を流すことができなくなります。

その数値とは「372mAh/g」。

「mAh/g」という単位は「1グラムあたりミリアンペア時」という日本語に置きかえられます。「1グラムあたり」というのは、「負極材という材料1グラムを考えたとき」という意味。また「アンペア時」というのは、電気の量の単位。1アンペアという量の電流が1時間、流れつづけたときの電気の量をいいます。これに「ミリ」が付いているので「1000分の1倍」されるわけです。

つまり「372mAh/g」とは、「材料1グラムあたり、0.372アンペア時」という意味になります。

なぜ黒鉛でできた負極材には、この「限界」があるのでしょう。よく、こうした「理論的な限界」の理由としてあげられるのは、ふたつの要素が反比例の関係になっているというもの。「Aの値を高めればBの値が下がり、Bの値を上げればAの値がさがる」というものです。

しかし、「372mAh/g」は、反比例の関係にあるわけではありません。

その理由は、この黒鉛という物質のかたちにあります。

黒鉛という物質は「さぁさぁ、私どものなかにお入りなさい」と、ほかの物質を招き入れることができます。リチウムイオン電池の負極材として使われるとき、黒鉛はリチウムイオンを招き入れて、貯めこんでいくのです。「さぁさぁ、リチウムイオンや、私どものなかにお入りなさい」。

こうして、招かれたリチウムイオンは、黒鉛でできた“たてもの”のなかに、カポッ、カポッと入っていきます。

しかし、いくら黒鉛に包容力があるといっても、そこには「限界」があるのです。黒鉛は炭素元素からできていますが、6個の炭素元素で1個のリチウム原子を受け入れるのが最大限となります。6人で1人の面倒を見るのがいっぱいいっぱい。5人で1人なんて面倒みきれない。そのような限界です。

黒鉛でできた“たてもの”なかにリチウムイオンが入れば入るほど、負極材のエネルギー密度は高くなることになります。「まだ入る」「まだ入る」「まだ入る」……「ああ、もうこれ以上、リチウムイオンは入らない」。この状態のときに生み出される電気の量が「372mAh/g」なのです。

開発者たちの競争は進み、いまや黒鉛を使ったリチウムイオン電池では「372mAh/g」という限界にほぼ達してしまいました。

開発者たちは「もう限界だな」と嘆いているでしょうか。ところがただ悲嘆しているばかりでもないようです。

黒鉛を使った場合は「372mAh/g」の限界はあるものの、シリコンなどほかの金属の物質をこの負極材に使ったときは「372mAh/g」を突きやぶり、さらに上を目指すことができるからです。

参考ホームページ
特許庁「二次電池 リチウムイオンおよびリチウム二次電池の最新技術動向」
田門肇「リチウムイオン電池用負極炭素材料の開発」
| - | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0)
英国短期研修「解き明かされゆく宇宙」から「デジタル映画作成の実践的入門」まで


日本の学生は海外留学をしなくなったといいます。1年間をまるまる海外で過ごすと、就職活動に乗り遅れるからなどといいます。しかし、夏休みなどを使った短期での海外大学体験であれば、その心配はありません。

実際のところ、海外大学の短期研修などでは、どのようなことを学べるのでしょうか。

たとえば、英国のケンブリッジ大学には、ペンブルック・カレッジというカレッジがあります。ペンブルック伯のアイルマー・ド・バランス爵の夫人が、夫の死後、1347年に設立した伝統的なカレッジです。

このペンブルック・カレッジは、日本大学からの学生を「サマースクール」として受け入れており、約1か月、学生がこのカレッジで短期研修を受けています。

2010年のサマースクールでは、2科目の講義が選べるコースとして、つぎのような科目が用意されていました。

「現代グローバル経済」「天文学:解き明かされゆく宇宙」
「20世紀の芸術と建築」「ケンブリッジの科学:過去、現在、未来」
「デジタル映画作成の実践的入門」「現代の英国社会」
「動物行動学」「ローマ植民地から世界帝国まで」

どれも、魅力的に教養を得られそうな看板が掲げられています。シラバスを見てみると、たとえば「天文学:解き明かされゆく宇宙」では、つぎのような講義内容が紹介してあります。

「宇宙の中身」「王立グリニッジ天文台の時、位置、歴史」「天文学者の道具」「星の誕生と死その1」「星の誕生と死その2」「太陽と気候変動」「宇宙のはじまりと銀河の広がり」「太陽系」「私たちは孤独か」。天文好きの学生であれば、多くの人がそそられそうな講義がつづきます。講義を受けもつ人物は、ケンブリッジ大学の天文学者です。

また、2科目を選ぶコースのほかに、上の1科目と語学クラスを選ぶコースも用意されています。

短期留学の意義は、海外の雰囲気に触れたり、現地の学生と対話をしたりといったことにあるのかもしれません。しかし、充実した講義内容もまた、短期留学生たちにとって糧に加えられることでしょう。

参考文献
Pembroke College Department of International Programmes Nihon Summer School Programme 2010
| - | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0)
切りかわるという特徴が欠点にも


駅の構内などでは、紙のポスターのかわりに、電子媒体を使った掲示物が多く見られるようになりました。デジタルに表示することから、「デジタルサイネージ」(Digital Signage)ともよばれています。

紙のポスターにくらべて、デジタルサイネージは電子的な表示板をつくり、置くための初期費用はかかります。しかし、紙とちがって印刷する必要がなく、また、発光ダイオードや有機エレクトロルミネッセンス(有機EL)といった、光る媒体を使うために紙よりも目立つともいわれています。

さらに、紙貼りのポスターの場合は、広告の出稿期間が過ぎたら、紙を一斉にはがして、新たな広告に貼りかえなければなりません。いっぽう、デジタルサイネージであれば、広告内容の切りかえは、コンピュータの操作ひとつでできます。

表示内容の切りかえが簡単にできることから、いま使われているデジタルサイネージ広告では、「10秒に1回」などという頻度で表示を切りかえるようなこともしています。

これは、ひとつの表示板で、ふたつやみっつといった広告内容を一時に表示できるといったことなので、一見、利点のようにも思えます。

しかし、表示の切りかえができることが利点であるかどうかは微妙なところ。広告内容の切りかわりは、見ていた広告を見られなくなることを余儀なくされるからです。

たとえば、デジタル広告で、展覧会のお知らせが表示されているとします。このデジタル広告を見た人は、まず広告のデザインや「何々展」といった大きな文字に引かれて広告を見ることでしょう。

「お、何々展がやっているのか。行ってみようかな」。この人はそう思って、展覧会の会場や、開催日時などの詳しい情報をさらに見ようとします。

しかし、その瞬間、「お土産は名菓、何々堂へ」という広告に切りかわってしまいました。orz。

表示内容をかんたんに切りかえることができるのは、デジタルサイネージの技術を活用できる利点と考えられています。しかし、こと広告や表示にかぎっては、見ている途中で切りかわってしまうという実際の問題と、それに、切りかわるのが嫌だから見なくてもいいやという心理的な問題が付きまといます。

「広告が切りかわるまであと何秒」といったカウントダウンを表示するか。人が近くにいるときには表示が変わらないよう人感センサを付けるか。それとも、デジタルの利点を捨てて、切りかわらない広告とするか……。
| - | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0)
国土3.6%の太陽電池が日本の電力消費をカバーする計算


「もし仮に、太陽光発電だけで日本の電力をまかなうとすると」といった議論がよくなされます。「狭い日本」といいますが、どのくらいの広さが必要になるのでしょうか。

『エネルギー白書』を参考にすると、2009年度に日本で使われたすべての電力量は、計算しておよそ「9331億キロワット時」となります。

計算上の世界ですが、この9331億キロワット時というエネルギーの量を補うためには、9331億キロワット時を発電する面積分の太陽電池が必要となります。

いま、神奈川県川崎市で発電している大規模な太陽光発電所では、11ヘクタールの面積で、1年間に740万キロワット時を発電することができるといいます。計算上は、1ヘクタールの面積で、1年間におよそ「67万3000キロワット時」の電力をつくれることになります。

つまり、日本で1年間に消費するすべての電力量である9331億キロワット時を、1ヘクタールで1年間につくることのできる電力量である67万3000キロワット時で割れば、計算上の日本で消費するすべての電力量をまかなうために必要な面積が出るわけです。

計算すると、およそ「138万6478ヘクタール」ということになります。

いっぽう、日本の国土の面積は、3778万3500ヘクタール。つまり、3778万3500ヘクタールのうち、138万6478ヘクタールを太陽光発電の土地に使えば、計算上は日本で消費する電力をすべてまかなえることになります。これは率にして3.6%。100ある面積のうち、3.6の面積を、太陽光発電のために使えばよいことになります。

といっても、ここまでの話は計算の世界での話。実現を考えると、そうかんたんな話ではありません。

農林水産省によると、日本で太陽光発電に使えると期待されている耕作放棄地は39万6000ヘクタールです。この面積だけでは、日本のすべての電力をまかなうための3分の1にもなりません。

さらに、曇りの日には太陽は太陽電池を照らしてくれません。また、夜には太陽は太陽光発電をまったく照らしてくれません。もし仮に、太陽光発電だけで日本で消費する電力をまかなうとすれば、曇りの日や夜に使うための蓄電池も必要となるでしょう。

参考文献
資源エネルギー庁『エネルギー白書2011』
東京電力「川崎市臨海部におけるメガソーラー計画の概要」
農林水産省 2011年3月発表「耕作放棄地の現状について」
| - | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0)
差があるところに価値あり


価値というものは「差があるところに生まれるもの」といいます。

たとえば、人は知識の差を埋めようと努力します。その知識とは、就職活動をするうえで身につけておくべき時事問題への知識であったり、気象予報士の資格を得るために身につけておくべき気象学の知識であったりします。

「ほかの就職活動生がもっている知識にくらべて、自分の時事問題への知識が足りていない」あるいは「気象予報士に合格するには、自分の気象の知識はまだ足りていない」といった、目指すべきものに対しての差があるからこそ、人はそれを埋めようとするわけです。

その差があるからこそ、「就職活動に必須の時事問題集」とか「目指せ合格! 気象予報士」といったような参考書が売れ、また有料の講習会にも人が訪れるわけです。

情報についても、自分がもっているものに差を感じれば、人はその差を埋めようとします。そして、そこに商売としての価値が生まれます。ニュース番組に広告主があらわれ、新聞が買われるのは、人びとのあいだで情報をもっていることと、情報をもっていないことに差があるからと見ることができます。

「体重をいまより10キロ減らしたい」といった体重の差に対してはダイエット産業があります。「年収を倍にしたい」という収入の差に対しては就職・人事サービスがあります。そして、この差を埋めようとしている人たちを手だすけすれば、その対価をえることができます。

もし、自分が努力をしても、それほど差が埋まらない、または、差が生まれないということがわかれば、差が埋まることがわかっているときほどに人は努力をすることはないでしょう。それでも、人がなにかを行いたいと思うのであれば、それは、娯楽や没頭といったたぐいのものになります。

個人単位で考えれば、「就職活動に必須の時事問題集」といった参考書を買って読めば、ほかの就職活動生なみの知識を得ることができ、その人が感じていた差は埋まったのかもしれません。

しかし、世の中全体を考えれば、いつまでたっても「就職活動に必須の時事問題」や「目指せ合格! 気象予報士」といった参考書は売れつづけ、ダイエット産業や就職・人事サービス産業はありつづけています。

大きく見れば、いつもどこかで差が、存在しつづけている証しです。
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
電気の使い手に先輩


人が電気を使うようになったのは、18世紀のころ。日本では江戸中期に平賀源内(1728-1779)が静電気を使った「エレキテル」を発明しました。また、1800年には、イタリアの物理学者アレッサンドロ・ボルタ(1745-1827)が「ボルタの電池」を発明しています。

人が電気をみずからの生活のために使うようになってからは200年とすこし。いっぽう、人よりもむかしからみずからの生活のために電気の使ってきた“先輩”が、動物界にはいます。

南アメリカのアマゾン川に生息しているのは、「デンキウナギ」。シビレウナギ科の淡水魚で、「シビレウナギ」ともいいます。ただし、日本人に親しみ深いウナギとは、生活のしかたなどは大きくちがいます。長さは2メートルにもなります。

デンキウナギにほかの魚が近づいてくると、筋肉の細胞でできた「発電板」という体の部分がビリビリと発電します。発電する体の部分は、全体の5分の4にも。1個1個の発電板から出てくる電気は微々たるものですが、これが数千個あるため、何千ボルトもの電圧になります。

近づいてきた魚は電気をビリビリと感じてイチコロです。デンキウナギは電気でビリビリさせて魚を弱らせて食べるのです。

デンキウナギのほかにデンキナマズも電気の使い手です。南アフリカのナイル川に生息するデンキナマズは、ナマズ科の淡水魚。全長は90センチほどで、ほかの魚が近づくとビリビリと電気を出してつかまえたり、敵を近よらせないようにしたりしています。

電気というと人間からすれば人工的につくりだすもののような印象もありますが、デンキナマズやデンキウナギの存在は、電気が自然界にあることを知らせてくれます。
| - | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0)
2012年のアネクドートも、科学からカレーまで


「アネクドート」とは、「小話」や「逸話」のこと。「科学技術のアネクドート」では2012年も、世の中のアネクドートを記事にして伝えていきます。

東日本大震災というとても大きなできごとがあった翌年にあたる2012年。ことしはどのようなことがおきるでしょうか。大規模な組織からは伝えられないような、「こんな側面もある」といった記事を伝えていきます。もちろん、ニュース性のまったくないような、重箱のすみをつつく内容の話も積極的に伝えていきます。

一話ごとの記事とともに、つぎのような連載も2011年までにひきつづき、つづけていきます。

カレーへの探究「カレーまみれのアネクドート」は、2011年までで38回をむかえました。これまでには、カレーを撮るために手にしていたiPhoneをすべらせて、カレールゥのなかに入れてしまうことも多々。2012年も、全国のさまざまなカレーに直面し、香辛料とライスが醸しだす“味の調和の妙”を伝えていきます。

世の中の法則にも目を向けています。「法則古今東西」は、自然科学、社会科学、そのほかの分野をふくめ、「法則」とよばれているものをひとつの記事でひとつとりあげ、その法則が導き出されるようになるまでの逸話などを伝えていきます。2011年までで18回を重ねました。

「sci-tech世界地図」というシリーズ連載では、世界各地の“科学技術ゆかりの地”をバーチャルに訪れ、その場所で起きたできごとを紹介しています。

また、書評では、科学技術関連の本を中心に、その本の読みときかたを含め、新旧国内外をとわず、本を評していく予定です。

2012年も、当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。
| - | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0)
2012年は「国際協同組合年」

国際連合は、毎年、その年の「国際年」を定めています。世界にいろいろとある問題のなかで、とくに重点的に問題解決をはかるべきものに対して、国連が全世界の団体や個人によびかける期間のことです。

2011年までのまでの3年間では、2009年が「世界天文年」「国際和解年」「国際天然繊維年」、2010年が「国際生物多様性年」「文化の和解のための国際年」、2011年が「国際森林年」でした。

そして、ことし2012年は、「国際協同組合年」です。

協同組合というのは、生活する人びとや、はたらく人びと、また中小企業などが、くらしや仕事をよりよくすることを目指した団体のこと。よく知られる協同組合としては、生活クラブ事業連合生活協同組合連合会(生協)や、全国大学生活協同組合連合会(大学生協)、全国農業協同組合会(JA全農)などがあります。

国際協同組合年には、どのような目的があるのでしょうか。

「2012国際協同組合年全国実行委員会」によると、つぎのみっつの目的があります。

(1)協同組合についての社会的認知度を高める……協同組合の貢献・協同組合の世界的ネットワーク・コミュニティ構築や平和への取組などについて知ってもらう
(2)協同組合の設立や発展を促進する
(3)協同組合の設立や発展につながる政策を定めるよう政府や関係機関に働きかける

そして、スローガンも以下のように決められました。

「Co-operative enterprises build a better world」(協同組合がよりよい社会を築きます)

(2012年)1月13日には、国際年のキックオフイベントとして、東京・神宮前の国連大学で、国際協同組合年全国実行委員会が「協同組合がよりよい社会を築きます」フォーラムを開きます。

協同組合というものは、設立しさえすれば自然によりよい社会を築くほうに進んでいくというものではありません。もちろん、人びとや企業が協同組合に入るのは、自分の生活やはたらきぶりをすこしでもよくしたいという願いから起きるものです。

しかし、おなじ分野ではたらく人でも、協同組合に加入した人だけが特別な恩恵を受けるといったことにつながることもあります。さらに、協同組合そのものが利益や特権を保つことを目指す組織になってしまっている場合があるともいわれています。

協同組合そのものがどう自分たちの組織を運営していくかもふくめ、協同組合というものを考えるきっかけになる年に、2012年はなるでしょうか。

参考ホームページ
2012国際協同組合年全国実行委員会「国際協同組合の概要」
| - | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0)
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