科学技術のアネクドート

暦は人に忘れさせ、思いださせる


大みそかという日は、多くの人が「あと何時間できょうがおわる」ということを、ほかの日より意識する日です。その日をまたげば、新しい年となるからです。

この意識は、自然のリズムとはべつの、人がつくりだした「暦」からうまれた産物といえます。人は太陽や月のうごきを参考にしながら、自分たちの暮らしに都合のよい「暦」というものを開発しました。結果、一年のいちばん最後にあたる日というものが必然的にできあがりました。つまり、大みそかです。

いきもののほぼすべてが、自然のリズムに同調して生きています。鳥の多くは、太陽が大地を照らしはじめるとともにさえずりはじめ、太陽が地球の向こうがわに隠れるとともにねぐらに帰ります。寒くなると南のほうへと渡ってくる鳥もいます。自然がつくりだす自然のリズムに、いきものは忠実です。

「自然のリズム」と「暦」という、ダブルスタンダードをつくり出したいきものが人といえるでしょう。自然のリズムに忠実に生きることをよしとする人は、時計や暦を気にせず、鳥や動物とおなじ生活を目指すかもしれません。日が昇ったらからだを動かしはじめ、日が沈んだらからだを休めるといった生活です。

そうした、自然に同調的なくらしに人がどこかあこがれるのは、先祖が暦をつくったことへのいまなをつづく戸惑いのあらわれと、いきものとしての遺伝子の名残なのかもしれません。

しかし、そのいっぽうで、人は古の人がつくった「暦」というものを、意識せずにおおいに頼りにしています。

2011年、日本人の関心のおおくは、東日本大震災に向けられました。

「ことしの3月10日までに起きたできごとが大むかしのことのようだ」という声が、いろいろな人から聞かれます。サッカー男子日本代表がアジア杯で優勝したのは2011年のこと。注文して実際にとどいたおせち料理が貧相だったと問題になったのも2011年のこと。そうしたできごとを、大震災はずいぶんと過去のものにしました。

暦を開発した人たちは、そこまで考えなかったかもしれませんが、暦には、つぎのような効用があることに気づかされます。「たいへんなことがあった日々をいったん終わらせて、新しい日々を迎えることができる」ということです。「よいお年をお迎えください」や「来年はよい年になりますように」というあいさつには、そうした意味が無意識のうちにこめられているのでしょう。

もちろん、その年が終わったとしても、忘れてはいけないようなことは数多くあります。被災地での震災からの復興は、2011年で終わるわけではありません。巨大地震のあとにおきた原発事故の検証は、2011年で終わらせるわけにはいきません。

その点、起きたできごとを忘れないという点でも「暦」は大切な役割をはたします。2012年3月11日になれば、「巨大地震から1年」となり、人びとは震災への思いを新たにすることでしょう。「2年目の復興にどうとりくむか」や「反省点をつぎの大地震にいかに活かすか」といった議論もされていくでしょう。

たいへんだった一年をいったん閉じることも、たいへんだったできごとをみんなであらためて振りかえることも、暦あってのこと。好むと好まざるとにかかわらず、いまを生きる人の多くは、人がつくった時間の概念のなかで生かされているのです。

ことしも「科学技術のアネクドート」をお読みいただきありがとうございました。よいお年をお迎えください。
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「伝統食材に隠されていた『うま味』の化学反応」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2011年)12月30日(金)、「伝統食材に隠されていた『うま味』の化学反応 日本の風味、海苔の秘密(後篇)」という記事が配信されました。記事の取材と執筆をしました。

古くから日本人が味わってきた食材をひとつとりあげ、その歴史と先端科学を追う連載。2011年最後の記事のテーマは「海苔」です。海苔店の“御三家”のひとつといわれる、日本橋の山本海苔店に取材をしました。

山本海苔店は、ホームページに「こちら、海苔研究所」というページもあるように、企業内研究所を設けています。1961年、東京の海苔の産地だった品川区大森に置かれました。その後、神奈川県秦野市の工場内に移設されています。

企業の研究所、しかも海苔店の研究所とは、なにをするところでしょうか。

記事にも登場してもらった、研究所員の南誓子さんによると、設立の大きな目的は「海苔の陸上養殖について研究するため」だったそうです。

いま、食卓や食堂に出まわっている海苔は、海苔のもとになる海藻を海で養殖してつくられるもの。養殖網に海苔の”芽”を種つけして海水に入れておくと、芽が育ち伸びていきます。これをすくいとって機械にかけて、紙状の海苔のかたちにします。

もし、栄養や温度が管理された室内のプールのような場所で、海苔を養殖することができたらどうでしょう。美味しい海苔が育つ条件さえわかれば、海の温度変化や赤潮の発生などを心配することなく、年中、美味しい海苔がとれることになります。

しかし、海で養殖するよりも美味しくて安上がりの海苔を陸上養殖でつくるのは、“行うは難し”なのでしょう。その後、研究所は新しい目的をもって進んでいくことになったようです。

記事では、最近の研究所のとりくみとして、うま味成分のひとつ「イノシン酸」の研究を紹介しています。イノシン酸は焼海苔に含まれるうま味の要素。しかし、焼海苔のなかにただぽんと置かれているわけではなく、アデニル酸アミナーゼという酵素と唾液の化学反応によって“うまみ味が出てくる”ことがわかってきました。

イノシン酸が口のなかでどのように出てくるのか、そのしくみが詳しくわかれば「海苔の美味しさ」をはかる尺度のひとつに加わるかもしれません。

おなじく記事に登場する山本海苔店の中島美冬さんが話していたのは、「海苔がきらいな人は日本人にはほとんどいない」ということ。たしかに、「私、海苔が苦手でして」と言う人はめったに見かけません。

海苔の味の解明がさらに進めば、日本人の舌と海苔の味の深い関係がさらにわかってくることでしょう。

日本ビジネスプレスの記事「伝統食材に隠されていた『うま味』の化学反応 日本の風味、海苔の秘密(後篇)」はこちら。
海苔の歴史を追った前篇「天皇に献上する発明品だった『味付海苔』」はこちらです。
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2011年の画期的科学成果、2位以下に日本発の快挙も


科学雑誌『サイエンス』が選ぶ「今年(2011年)の画期的科学成果」。きのう紹介した第1位の「予防としてのエイズ治療」に次ぐ、九つの成果はどのようなものでしょう。

「小惑星からの塵が長きにわたるパズルを解く」。日本の宇宙船「はやぶさ」が、地球のもっともありふれた隕石の起源の謎を解くためのおみやげを持ちかえった――。

日本の科学の誇りと化した「はやぶさ」。小惑星イトカワの砂を微量ながら採取して、地球に戻ってきました。

「現代の人間にひそむ古代の人間のDNA」。今日を生きる人々も古代人のDNAをもっていることがわかり、われわれの先祖が別種の古代人と交わっていたことを示唆している――。

2010年の画期的科学成果のひとつに選ばれていた「ネアンデルタール人のゲノム解読」の続編的成果です。3万年以上前に生きていたネアンデルタール人という人類が、いまを生きる多くの民族の祖先と性交渉をしていたことがわかってきました。

「光化学系IIの構造」。今年、日本の研究者は光合成に不可欠なたんぱく質である「光化学系II」の構造を特定した――。

岡山大学大学院の沈建仁教授や大阪市立大学の神谷信夫教授らは、日本の温泉地にあるラン藻から、光合成の“現場”ともいえる光化学系IIというシステムをとりだし、その構造を解きあかしました。光合成では、植物は水を水素と酸素に分解します。その触媒の中心は、マンガン元素4個、カルシウム元素1個、酸素元素5個、そして水分子4個で成り立っていることがわかりました。光エネルギーを効率よく得る技術につながる成果です。

「荒々しい原始宇宙における静穏のポケット」。科学者たちは初期宇宙の水素ガス雲を今年になって見たのだ。驚くほど長く保たれたビッグバンの遺物であるかもしれない――。

現代宇宙のモデルでは、ビッグバンの直後にはもっとも軽い三つの元素しか存在しないとされてきました。しかし、初期の宇宙には、最低限の重い元素が存在していたということがわかってきました。

「マイクロバイオームの謎を徹底調査」。研究者たちは、ランダムなものでなく、私たちの体内の微生物コミュニティは大きくいって、三つのエンテロタイプに当てはまることを発見した――。

ここに出てくる「ミクロバイオーム」とは「人体にすむ微生物相」といった意味。また「エンテロタイプ」とは「グループ」といった意味。人の腸内のバクテリアを観察すると、低脂肪・高繊維タイプと、高脂肪・低繊維タイプのエンテロタイプに分けられ、さらに高脂肪・低繊維タイプからは、もう一つの低脂肪・高繊維タイプが派生していることがわかってきました。それぞれは、「プレボテラ」「バクテロイズ」「ルミノコッカス」とよばれています。

「将来有望なマラリアワクチン試験」。何十年もの失望の末に、「RTS, S」とよばれるマラリアワクチンの小試験の成果が上がった――。

アフリカの複数の国のこどもたちを対象にした、「RTS, S」とよばれるマラリアワクチンの大規模臨床試験が行われました。こどもがマラリアに感染する危険性が半減するという、希望のもてる成果が得られました。

「不可思議な太陽系外惑星の数々」。科学者たちは、惑星がどのように形づくられ軌道に落ちつくのかについて再考を迫られるような、惑星系の数々を発見した――。

驚くべきことに、太陽と水星のあいだよりも短い距離に、五つの大きな惑星の軌道が入っている惑星系が発見されました。ほかにも、太陽系での太陽にあたる主星が見あたらない惑星系や、主星が二つある惑星なども見つかりました。宇宙の家族構成もさまざまといったところでしょうか。

「ゼオライトが驚きをあたえつづける」。今年、研究者たちは、ゼオライトの孔の寸法仕立ての新しい方法を見つけ、より薄くて安い膜を編みだした――。

ゼオライトとは、結晶のなかに大きな孔をもつ鉱物を総称したものです。このゼオライトの孔の寸法を調整するのに効果的な方法が開発されました。ゼオライトは、孔が空いていることから“分子ふるい”として使われてきました。今後、物質をふるいわけるうえでさらに便利な膜が現れるかもしれません。

「老いた細胞と老い」。それ以上は分裂しない細胞が老いを促すこと、そして、その細胞を処理することが健康維持につながうることを示す確固たる証拠がある――。

老いに抗うというのは人の永遠の課題。古くなった細胞をとりのぞくと、健康に長く生きることにつながることがわかってきました。といっても、まだマウスを使った実験の段階ではありますが。

第1位をふくめた10の画期的科学成果のうち、当ブログで今年すこしでも触れたものは「はやぶさ」の帰還と「光化学系II」についての紹介くらいでした。いずれも日本人の研究者の成果によるものです。

人びとは、2012年にどんな夢を見るでしょうか。そして、科学者たちはその夢をどれくらいかなえるでしょうか。

参考記事
Science “Breakthrough of the Year, 2011”
AFP BB News 2011年12月23日付「サイエンス誌の科学10大成果、1位はHIV治療薬の効果『はやぶさ』も」
| - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
2011年の画期的科学成果、トップは「予防としてのエイズ治療」


米国科学振興協会(AAAS:American Association for the Advancement of Science)が発行する科学雑誌『サイエンス』は、(2011年)12月23日発行号で「今年の画期的科学成果」を発表しました。例年どおり「第1位」一つと、「次点」九つの成果を紹介しています。

第1位となったのは、ヒト免疫不全(エイズ)ウイルスの感染者に対する大規模臨床試験の成果です。

ヒト免疫不全感染症を引き起こすウイルスは、「レトロウイルス」とよばれます。レトロウイルスは人などの宿主に感染すると、RNAである自分の遺伝情報を宿主の細胞のDNAに組みこみます。この組みこみは、「DNAからRNAへ」という流れとは逆方向に遺伝が進むことから「逆転写」とよばれています。

このレトロウイルスの逆転写を起こさせないようにすれば、エイズが引き起されないようになります。そのはたらきをもつとされる注目の薬が「抗レトロウイルス薬」(ARVs:AntiRetroViral drugs)です。

これまでも、抗レトロウイルス薬は、エイズになることを防ぐのに効果があるとされて、感染者などに使われてきました。しかし「薬の効果は証明されたことではない」と考える“懐疑者”もいました。

米国ノースカロライナ大学世界衛生感染症研究所のマイロン・コーエン所長ら国際研究チームは、「HPTN052」という臨床試験を行ってきました。臨床試験とは、実際の患者などに対してに、新しい薬や治療法に効き目があるか、また安全かを確かめる試験です。

試験は、異性愛者のカップルのうち、どちらかがエイズに感染している1763組を対象にしたもの。この1763組をふたつの群にわけて、いっぽうの群には、ただちに抗レトロウイルス薬による治療を始め、もういっぽうの群には、エイズが進むと数の減るT細胞が1立方ミリあたり250個を下回ってから抗レトロウイルス薬による治療を始めることにしました。

その結果、早めに抗レトロウイルス薬を使った治療を始めた群では、相手への感染が認められたのは1例だったのに対して、遅く治療を始めた群では相手への感染が27例ありました。この結果から、「HPTN052」を行ったエイズ予防試験ネットワークは、早期の抗レトロウイルス薬による治療は、異性愛者への感染の危険性を96パーセント減らすと発表しました。

『サイエンス』は、HPTN052の試験は「エイズの流行に対する未来の答にもなる重要な示唆となった」という理由から、この研究成果を2011年の画期的科学成果に選びました。

「予防としてのエイズ治療」(HIV Treatment as Prevention)と記事の見出しにあるように、この成果は、病気の治療の基本である「早めに手を打つ」ということが、いかに重要であるかをあらためて示すことにもなりました。

「宇宙のもっとも遠いところから、細胞のもっとも深いところの謎まで、科学の研究が見られた」という2011年。次点の九つの研究成果は、あすの記事で紹介します。

参考記事
Science “Breakthrough of the Year, 2011”
AFP BB News「早期の抗レトロウイルス療法でパートナーへのHIV感染リスク低下、米研究」
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コバルトにも「ばなれ」


いろいろな世界にいろいろな「ばなれ」があります。若者の「自動車ばなれ」や「テレビばなれ」などです。日本人の「科学ばなれ」は昔ほどは聞かなくなりました。

「コバルトばなれ」という「ばなれ」もあります。

コバルトは、金属元素のひとつで、1735年にスウェーデンの化学者イェオリ・ブラント(1694-1768)が発見しました。コバルトの色は鉄ににた灰色をしています。色の名前に「コバルトブルー」がありますが、これは水酸化コバルトと水酸化アルミニウムというふたつの物質を混ぜて焼いてつくる青色の顔料のことです。

これまでコバルトは、合金やめっきなどをつくるときの材料として使われてきました。最近では、飛行機エンジン用のスーパーアロイともよばれる超合金をつくる材料としても使われています。

しかし、コバルトは手に入れにくい“レアメタル”であるため、コバルトを扱ってきたメーカーなどは「できれば、コバルトに代わる物質を使って済ませたい」と考えるようになってきています。

とくに「コバルトばなれ」が進んでいるのは、充電池に使われる正極材という材料です。リチウムイオン2次電池の正極材には、コバルト酸リチウムという材料が使われてきましたが、最近では、ニッケル酸リチウムやマンガン酸リチウムといった、コバルト以外の材料が使われていて、「コバルトフリー」(コバルト要らず)といったことを謳う会社も出てきています。

「コバルトばなれ」の背景にあるのは、おなじ役割を果たすことのできるほかの材料にくらべて価格が高いこと。さらに、追い打ちをかけて2008年には、コバルト相場のこれまでにない高騰もありました。

さらに相場が不安定である背景としては、2割以上を産出しているコンゴ民主共和国の政情が不安定であることや、先物取引の投機筋が意図的に高騰させようとしたことなどがあります。

2011年に入ったいまでは、コバルトの価格ははるかに低くなっています。しかし、いったん始まった「コバルトばなれ」の流れは、かんたんに元に戻ることはなさそうです。

参考文献
矢野経済研究所「リチウムイオン電池材料市場に関する調査結果2009」
南博志「コバルトの需要・供給・価格動向等」
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リチウムイオンの牙城に危機(下)



2010年までの時点で、リチウムイオン電池がどのように使われているかというと、もっぱら「民生機器の電池」としてというものでした。

民生機器というのは、デジタルビデオカメラや携帯電話やパーソナルコンピュータといった、おもに個人が使う機器のことです。これらの機器では当然のように充電式になっていて、その蓄電池にリチウムイオン2次電池が使われているのです。

しかし、2020年には、リチウムイオン電池の使われかたに大きな変化が出ているだろうといわれます。民生機器よりも大きな道具にリチウムイオン2次電池がつぎつぎと使われるようになっているという予測です。

2009年から2010年にかけては、電気自動車が普及しました。富士重工業が「プラグインステラ」を、三菱自動車が「アイミーブ」を、さらに日産自動車が「日産リーフ」を発売しました。これらの電気自動車の蓄電池に使われたのが、リチウムイオン電池です。

いっぽう、2009年までに発売されてきた、電気とガソリンと両方で動くハイブリッド車に搭載されていた蓄電池はニッケル水素2次電池というもの。この電池は、正極に水酸化ニッケル、負極に水素吸蔵合金、電解液に水酸化カリウム水溶液を使うもので、リチウムイオン2次電池が普及するまで広く使われてきました。

かつては自動車を動かすような大型蓄電池として、リチウムイオン電池は安全性や価格などの面でまだニッケル水素2次電池よりも劣ると判断されてきたのです。2009年にトヨタ自動車が発売したハイブリッド車「新型プリウス」も、ホンダが発売したハイブリッド車「2代目インサイト」も、いずれも載せられていたのはニッケル水素2次電池でした。

しかし、エコカー用蓄電池の大きな流れは、ニッケル水素2次電池からリチウムイオン2次電池へ。2011年にトヨタ自動車が発表したプラグインハイブリッド車「プリウスプラグインはブリッド」では、リチウムイオン電池が使われています。他社が発表するエコカーの蓄電池もリチウムイオンで占められています。

エコカーの普及が進むのは確実といわれています。いっぽうで、リチウムイオン電池の次世代にあたる蓄電池の開発や本格的な実用化は数年か10年以上はないのではないかといわれています。こうしたことから、自動車メーカーに多くのリチウムイオン2次電池を供給することのできるメーカーが、リチウムイオン2次電池の世界での影響力をもつようになることが考えられています。

エコカー用リチウムイオン2次電池でも、いまのところ勢いのあるのは、つぎつぎと世界の自動車メーカーと提携を組んでいる韓国企業のLG化学。日本のメーカーの反攻はなるでしょうか。了。
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リチウムイオンの牙城に危機(中)



リチウムイオン電池は、1991年にソニーが発売をしてからというもの、日本の電機メーカーが長らく世界市場でのシェアの大部分を占めてきました。

日本でのリチウムイオン2次電池の代表的メーカーとしてあげられるのは、パナソニックに吸収合併された三洋電機です。つねに、三洋電機は、ビデオカメラやデジタルカメラ、携帯電話や携帯端末、ノート型コンピュータ、オーディオプレーヤーなどに使われるリチウムイオン2次電池をつくってきました。

日本企業では、この三洋電機につづいて、“本家”のソニーや、三洋電機を吸収合併したパナソニックなどが控えるといった状態が数年つづいてきました。

しかし、2000年以降、勢力を高めてきたのが韓国勢です。韓国の企業がリチウムイオン電池の市場に参入してきたのは、2000年のこと。それから10年で、日本企業の牙城を脅かし、さらに崩すところまできたのです。2011年4月から6月までの3か月では、ついに韓国の企業がつくったリチウムイオン電池の出荷シェアが、日本の企業のシェアを抜き、大きな話題になりました。

韓国のリチウムイオン電池メーカーは大きくは二つです。

韓国のサムスンSDIは、韓国の巨大企業グループであるサムスンの傘下にある電気機器メーカー。2011年4月から6月の3か月では、世界市場シェアで25%とし、2位になった三洋電機の18%を大きく引き離しました。三洋電機とパナソニックを合わせても23%なので、1位にちがいはありません。

また、韓国のもう一社のLG化学も、同時期に17%のシェアを占めており、三洋電機に迫る勢いです。

よく、韓国企業の躍進は韓国政府が一体となってのものであるという話があります。まさにリチウムイオン電池の攻勢のしくみも、これに当てはまります。

韓国政府は2010年7月、2020年までの長期計画のなかで、リチウムイオン電池を次世代の基幹産業として育成することをまとめました。2020年までに、韓国企業によるリチウムイオン電池の世界シェア50パーセントを確保するとしています。

サムスングループも、子会社のサムスンSDIに対して、リチウムイオン2次電池分野への投資を2020年までに5兆4000億ウォン(約3700億円)の規模で行うことを、2か月までの2010年5月に発表しています。

日本企業のシェアが落ちていき、韓国企業のシェアが伸びていく。こうした大きな流れのなかで、もうひとつ注目すべき、市場の動向があります。それは、“エコカー”ともいわれる電気自動車やハイブリッド車に、リチウムイオン電池が本格的に使われるようになってきているということです。つづく。

参考文献
経済産業省2011年5月「スマート社会における競争優位の確保」

参考記事
ロイター 2011年9月1日付「リチウムイオン電池シェア、韓国勢が日本勢を初めて逆転」
日本経済新聞 2010年7月14日付「リチウムイオン電池、韓国、官民で基幹産業に、政府、2020年までの長期計画」

参考ホームページ
三洋電機「業務用電池」
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リチウムイオンの牙城に危機(上)


いま、携帯電話、ノート型コンピュータ、さらに電気自動車などの蓄電池には、おもに「リチウムイオン2次電池」が使われています。

電気をとりだすためには電子の移動が必要です。そのために、電子を多く帯びた負極と電子の足りない正極というふたつの部分を用意して、電子にこのあいだを行き来させます。その電気の行き来を担わせる物質にリチウムイオンが使われるものがリチウムイオン電池。さらに、充電と放電ができる電池には頭に「2次」ということばが付きます。

リチウムイオン電池の原点となる開発は、米国でされたといわれています。1980年に米国の固体物理学者ジョン・グッドイナフが、リチウムと酸化コバルトの化合物であるコバルト酸リチウムという物質を、正極に使う提案をしました。

その後、日本でもリチウムイオン2次電池の開発が進み、1985年には、日本モリセルという会社が1985年、リチウムと二硫化モリブデンという材料を使った電池を開発しました。これが、自動車携帯電話に使われ、初めて実用化されたリチウムイオン2次電池ともいわれています。

しかし、リチウム金属を使って充電と放電をすると、発熱や発火が起きることが多く、この商品は1989年に回収されてしまったといいます。

いま、「リチウムイオン電池の世界初の実用化」として知られているのは、ソニーの業績です。ホームページでも「ソニーでは、体積当たりの容量が高く、小型、軽量、長寿命を特長とするリチウムイオン電池を1991年に世界で初めて商品化」と謳っています。

こうして、日本の企業により商品化がされたリチウムイオン2次電池は、その後、十数年にわたり、日本のお家芸となってきました。

しかし、2000年代後半から、「リチウムイオン電池といえば日本メーカーの製品」という構図が崩れてきました。つづく。

参考文献
小槻勉「リチウム電池の歴史と現状」『資源と素材』2001年117号

参考ホームページ
ソニー2004年12月9日付「業界最高レベルのエネルギー密度を実現したリチウムイオン電池 発売」
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『日産 驚異の会議』発売


新刊のおしらせです。

『日産 驚異の会議 改革の10年が生み落としたノウハウ』という本が、このたび東洋経済新報社から出版されました。

日産自動車の社員が日々、行っている「会議」の方法を、会議を開発した社員や会議を駆使している社員たちに取材して、まとめたものです。

いま日産自動車の最高経営責任者となっているカルロス・ゴーン氏が日産自動車にやってきたのは1999年。それ以降、日産自動車は業務改善のためのいろいろな改革をしてきました。そのひとつが、会議手法の確立です。

会議の方法が開発されてから10年とすこし。社員たちの話によると、日産自動車はこの「日産の会議」の手法によって、さまざまな課題を現実的に解決してきたといいます。それは、改革を進めていく道に転がるさまざまな問題のかけらをきれいに拾いあげて、道をつくっていくための方法です。

実際、意思決定者が会議の本体に参加しない、あるいは、議事録づくりそのものの作業をしないなど、ほかの企業ではあまり見られないような方法を、日産自動車の社員はしてきました。そうしたノウハウと、会議で使っているツールを、一つひとつ紹介していきます。

章立てと内容はつぎのようなものです。

第1章「震災対応がどこより迅速だったわけ!」では、東日本大震災直後からの日産自動車の生産体制復旧への道のりをドキュメントで伝えています。トヨタ自動車やホンダなどの競合他社より早く復旧を果たせた裏側には、「日産の会議」の社内への浸透がありました。

第2章「その日に始まり、その日に結論を出す!」では、会議の結論を先送りせず、効果的な結論を会議の終わりの時刻までに出す手法を紹介します。

第3章「意思決定者は会議に出席しない!」では、章名のとおり意思決定権をもつ社員が会議の本体に出席しないという、一風かわった会議手法とその利点を伝えます。会議メンバーに役割をもたせることの意義と効果も紹介します。

第4章「議事録をつくらない!」では、会議の整然とした終わらせかたを紹介します。

第5章「イノベーションは会議からも起こせる!」では、日産自動車が開発した電気自動車「日産リーフ」の発売までのプロジェクトと、そこで駆使された会議手法を紹介していきます。

第6章「会議が変われば店頭も変わる!」では、日産自動車の販売店の契約数向上という課題を「日産の会議」により達成したストーリーが展開されます。

第7章「横浜F・マリノスも変わった!」は、日産自動車系列のサッカークラブ横浜F・マリノスの集客作戦に「日産の会議」がどう使われたかを、球団社長の証言どおりに記述した章です。

第8章「会議こそもう一つの共通言語である!」では、大局的な視点から、グローバルな発展をとげる企業における会議の役割を考えていきます。

ほとんどの組織が、会議でものごとを決めるという作業をしているもの。しかし、会議に対しての人びとの反応には「労力のむだ」といったものが多くあります。「これだったら、うちの会社でも活用できそうだ」といった「日産の会議」の手法に焦点をあてて、その内容を伝える一冊です。

東洋経済新報社による『日産 驚異の会議』の紹介はこちらです。
アマゾンのページはこちらです。
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未解決だった「弁当容器の傾き問題」に光明
弁当屋などで買った弁当をレジ袋に入れて持ち帰ると、だんだん弁当容器が傾いていき、しまいに縦になって、容器のなかのおかずが寄ってしまうことがあります。

この問題は、暮らしのなかの未解決問題として、長らく君臨しつづけてきました。しかし、解決に向けた研究をしている人がおり、試行錯誤の成果もあがっています。

大阪学院大学情報学部の学生だった横田新吾さんは、「ビニール袋で弁当箱を傾かせずに持ち歩く方法」という卒業論文を2006年度につくり、インターネット上にも発表しています。

論文によると、弁当が傾く原因のひとつの考えかたとしてあるのは、力のかたよりというもの。袋に入った弁当容器は、袋の“壁”全体から圧力を受けつづけるため、いったんある方向に弁当容器が傾くと、二度と修正されることがなく、最終的には圧力の最もかからない縦向きになってしまうと分析しています。

論文で示されている解決策には、実行性の課題もあります。その解決策とは、レジ袋の底に本2冊を置いて、その上に弁当容器を置くというもの。こうすることで弁当容器を傾かせる横方向の圧力が、弁当容器にほとんど掛からなくなるといいます。

しかし、弁当を買うときに本2冊をもっている可能性はあまり高くはありません。それに、レジ袋に本を入れる作業の手間が、弁当を傾かせずに済む利点を上回るかというと、人によりけりでしょう。

横田さんも論文の中で「弁当を買うときにいつも本を買うわけではないし、持っているわけでもない。より簡便な方法が望まれる」と、考察しています。

インターネットでは、レジ袋に弁当容器を入れても傾かない、べつの方法が紹介されています。“tensainikki”という名前の人がユーチューブで「弁当がかたむかないレジ袋の結び方」を披露。こちらは本などの道具は要らず、比較的かんたんです。

大きめのレジ袋のまんなかに弁当容器を入れ、袋にふたつついている手もち部分を大きく結びます。これにより、まんがで酔っぱらった旦那がおみやげの寿司を手にぶらさげてもつような状態をつくることができます。「ドンダケ袋を振りまくりやがってもOK!」と紹介しています。

この解決法の課題は、ふだんより大きめのレジ袋をもらうということでしょう。店員にその声がけさえ成功すれば、問題は解決されそうです。

ただし、レジ袋に入れるのは弁当容器だけ、とはかぎりません。みそ汁の容器や、キムチのパックなどほかの商品も入れる場合もあるため、このときの弁当容器傾き問題には、若干の課題が残されていそうです。

参考文献
横田新吾「ビニール袋で弁当箱を傾かせずに持ち歩く方法」

参考動画
ユーチューブ “tensainikki”「弁当がかたむかないレジ袋の結び方」
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配慮型社会に「住宅モード」


救急車のサイレンというと、通りすぎたときから音が低く聞こえるようになる「ドップラー効果」がよく話のたねになります。しかし、ドップラー効果だけが音を低くするわけではありません。

日本じゅうで見かける救急車のサイレンには、高音の「ピーポー」と低音の「ピーポー」があります。

高音の「ピーポー」は、従来からあるもの。1970年に「救急自動車に備えるサイレンの音色の変更について」という通知が出され、それまでの「ウーウー」といういまの消防車のようなサイレンから「ピーポー」になりました。周波数つまり音の高さも、高い「ピー」のほうは960ヘルツ、低い「ポー」のほうは770ヘルツと定めされています。

以来、救急車のサイレンにはこの高音の「ピーポー」が使われつづけてきましたが、問題もありました。夜中に出動した救急車のサイレンが騒音になり、「眠れない」などの声が市民から上がったのです。

そこで、救急車のサイレンをつくっている「大阪サイレン」という企業が、もうひとつのサイレン音を開発したのです。2001年には「救急車用電子サイレン」という発明名で特許を得てもいます。

この新しいサイレンの様式は「住宅モード」とよばれています。大阪サイレンの説明によると、「『住宅モード』とは、サイレンの音質に着目し、ピーポーサイレンの音色を損なわず音量も最低限確保した上で、その周波数等を調整し、耳障りな音が少なくソフトな音質のサイレンを鳴らす機能」のこと。

救急車を動かす救急隊員は、「住宅モードスイッチ」を押すと、従来の960ヘルツと770ヘルツの「ピーポー」から、すこし低い850ヘルツと680ヘルツの「ピーポー」にサイレンを切りかえることができます。

救急車のサイレンは、車の運転者や通行人などに、救急車が近づいたことを知らせるためのもの。音が人の耳によく届くことがあるべき姿です。それからすると、住宅モードのサイレンは、人の耳に音を届かせるという目的からは一歩、後退したモードといえます。

しかし、配慮を示すことが大切な社会です。

参考文献
特許公開番号2001-249673「救急車用電子サイレン」

参考ホームページ
大阪サイレン「『住宅モード』付きピーポーサイレン 」

ユーチューブで、従来のサイレンから住宅モードのサイレンに切り換わるときの音の変化を聴くことができます。以下のURLの映像の16秒あたりです。
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「グン…ヴィーン」は冷媒ガス圧縮開始の合図


冷蔵庫は断続的に「ヴィーン」と、うなりを上げます。家のなかの冷蔵庫のうなり声はあまり気になりませんが、旅館などに置かれている冷蔵庫には、とつぜん「グン…ヴィーン」とうなりはじめたり、予測がつかないため緊張を強いられます。

冷蔵庫がうなりを上げるのは、冷蔵庫についているモーターが動くからです。では、モーターはどのような役割を果たしているのでしょう。それを知るため、冷蔵庫がものを冷やすしくみを見てみます。

冷蔵庫のなかでは、冷やす材料である冷媒ガスという気体が管を通って循環しています。気体は圧縮すると高温になり、液化すると低温になるという性質があるため、装置で冷媒ガスの高温化と低温化を繰りかえせば、

まず、冷蔵庫の外側に付いている「圧縮器」(コンプレッサ)という装置で、冷媒ガスは高圧になります。ガスは高圧になると高温になるため、圧縮機を通った冷媒ガスは高温となっています。

この高温の冷媒ガスが、管を通ってつぎに「凝縮器」(コンデンサ)という装置にたどりつきます。凝縮器は、おなじく冷蔵庫の外側に付いていて、くねくねした管と放熱用の細棒からなる装置。ここで、溶媒ガスは熱を放出し、温度を凝固点以下まで下げ、液体になります。

液体になった冷媒は、ひきつづき管を通っていよいよ冷凍庫のちかくへ。そして冷凍庫のまわりにある「蒸発器」(エバポレータ)という装置を通ります。蒸発器は、その名のとおり冷媒を液体から蒸発させて気体にする装置です。

冷蔵庫がものを冷やすポイントはこの段階にあります。ここで冷媒は、液体から気体になるときまわりの熱を奪うのです。これは、打ち水で水が水蒸気になるとき、まわりから気化熱という熱を吸収するのとおなじこと。これで、冷凍庫と冷蔵庫のなかを冷やしているのです。

気化された冷媒は、ふたたびもとの圧縮器へと返っていきます。つまり、冷媒が気体になるのと液体になるのをくりかえすなかで、液体の冷媒が気体になるときに熱を奪う現象を利用して、ものを冷やしているわけです。

さて、「ヴィーン」とうなりを上げるモーターはどこでうなっているかというと、最初に説明した圧縮器でうなっています。冷媒ガスを圧縮するためには、なんらかの動力が必要。そこで、モータの回転運動を、ピストン運動に変えて、冷媒ガスを圧縮するのです。そのときのモーター音が、あの「ヴィーン」です。

なお、モータの回転運動をピストン運動に変える圧縮方式は「往復圧縮」または「レシプロ圧縮」といい、冷蔵庫の圧縮器でよく使われる方式です。

モータがとつぜん「グン…ヴィーン」とうなりはじめるということは、当然ながら圧縮運動を行っているときと行っていないときがあるあるわけです。冷凍庫と冷蔵庫を冷やすべき時間にはモーターがうなりだし、冷やさなくてもよい時間にはモーターが黙っています。いっぽう、とつぜんモーターがうなりだすため、人はどきっとします。

参考ホームページ
TDK 電気と磁気の?館「冷蔵庫のルーツと冷凍技術の進展」
打ち水大作戦「打ち水の効果に関する質問」
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「お父さん」より54年早く、宇宙へ


ソフトバンクのコマーシャルでは、犬の姿をした「お父さん」が、宇宙飛行士の古川聡さんに「宇宙に初めて行ったのは犬ですから」と言われて一念発起し、宇宙へ旅立ちました。「お父さん」自身は“宇宙経験”に興奮ぎみのようです。

人間よりも早く宇宙に行ったのは犬などの動物でした。1957年11月3日には、「ライカ」とよばれるメスの犬が、ソ連の人工衛星スプートニク2号に載せられて宇宙へ。地球に生きる動物として初めて宇宙の周回軌道に乗ったといわれています。

当時、ソ連は米国とのあいだで、「人を宇宙に行かせる」ということを目的とした開発競争の只中でした。宇宙に人を行かせるという目標を達成するうえでの、一段階として犬を宇宙に行かせるということが起きたわけです。

スプートニク2号に乗せられた「ライカ」については、はじめから地球に帰還させる計画はありませんでした。つまり、宇宙のどこかで死を迎えることになっていたわけです。

ソ連の航空宇宙当局が伝えたところでは、ライカはスプートニク2号の発射後、1週間ほどは生きていて、その後、餌に薬をあたえて安楽死をさせたということになっていました。

しかし、ライカがいつ死んだかについては、その後、あらたな見解が出るようになりました。

1990年代後半には、ライカが乗せられていたかごの過熱で、うちあげ4日後には死んでいたという話が、ロシアの政府筋から出されました。

さらに、2002年10月には、モスクワ生医学研究所の生物学者で、スプートニク計画に関わっていたディミトリ・マラシェンコフが、米国での国際会議で重大発表をしました。スプートニク2号うちあげ後、ライカはパニック状態になり、数時間後には死んでいたというのです。

マラシェンコフが発表した論文では、発射直後、スプートニク2号は時速2万8800キロにも達し、ライカの拍動は通常の3倍にも達していました。これはライカが入っていたカプセルの過熱、怯え、そしてストレスによるものと考えられています。そして、5時間から7時間のうちに、ライカの生命兆候は見られなくなっていたといいます。

ライカは「お父さん」ほど、宇宙を満喫することはできなかったようです。その後、犬の宇宙飛行では、1960年8月19日、スプートニク5号に乗せられた「ベルカ」と「ストレルカ」という犬が、宇宙で周回軌道に乗ったあと、地球への帰還を果たしています。

「お父さん」は無事、“地球帰還”を果たせるでしょうか。「お父さん」も“宇宙旅行”ができる時代を迎えたのは、こうした犬を使った宇宙開発への試みの積み重ねがあってのことといえます。もっとも「お父さん」は犬ではないといいますが。

参考記事
Dogs in The News.com 2002年10月3日付 “Message from the First Dog in Space
Received 45 Years Too Late”
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「マッチポイント逗子店」のチキンエッグカレーライス――カレーまみれのアネクドート(38)

三浦半島の相模湾に面した逗子市は、小高い山や崖の多い街。狭い道に車と人がしげく通っています。そんな逗子の街の一角にあるのが「マッチポイント」という店。海のほうへと向かいバスがひっきりなしに通る道路に面したバーです。

入口のとびらの小ささにくらべて、店のなかはカウンター席のほか、テーブル席もいくつかあって広め。カウンター奥にはバーらしく酒瓶がいくつも置かれ、逗子の海に落ちていく夕日に反射して輝いています。

ビール、ワイン、カクテル、フードと、豊富な献立。なかでもカレーライスの種類は豊富です。ランチタイムには、エッグ、トマト、チキン、きのこ、ナス挽肉、ポークなどのカレーが献立表にならびます。

15時以降のバータイムには、チキンエッグカレーライスも。黒い大皿に盛られて出てくるのは、カレールゥ、ルゥに乗った骨付き鶏肉と半熟卵、それに量感のあるライス、ライスの横にそえられたサラダ。

カレーライスを構成するすべての具材がしっかりと存在しています。それでいて「自分が主役」と自己主張しすぎることはありません。ルゥはマイルド。鶏肉は味付け控えめ。卵には粉チーズがかかっていますが、むしろ卵はルゥとの相性がよし。どんな酒にも合いそうな、バーのカレーです。

店内に流れる音楽はスローテンポのレゲェ。ゆったりと逗子の日暮れ前の時間は流れていきます。

「マッチポイント逗子店」の食べログ情報はこちら。
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書評『空のほほえみ』
変化する風景の数ほどに、それを表現することばというものはあるもの。そんな風景とことばの魅力がちりばめられた、空の写文集です。



空の表情はじつにさまざまだ。昼と夕方と夜とでは、染まる色が変わる。そして雲が絶えず空に現れてはかたちを変えていく。

そんな空の表情を「ほほえみ」というタイトルで集めたのが、この『空のほほえみ』という写文集だ。著者の高橋健司氏は、元気象庁職員の写真家。ベストセラーになった空の写真集『空の名前』を出したことでも知られる。

7月から始まり、各月5個から8個のテーマをもとに、随筆と空などの写真とが見開きで載っている。

たとえば、12月のテーマのひとつは「根雪近し」。「根雪」は、雪どけの季節までとけないで残る雪のこと。北国では根雪が降ろうとするころ、冬の虹が見られることが多いという。

「気圧配置が冬型になると、北風の造る積雲が流れてきて、通り雨を降らせるからだ。この雨を時雨という。雲は数分間で通り過ぎて雨は止む。すると陽が射して、鮮やかな虹が懸かるのだ」

豊富な気象の知識と語彙、それに美しい写真で展開されていく。部屋にいながらにして四季の移りかわりを味わうことができる贅沢な一冊だ。「行合の雲」「返り咲き」「羽雲」「季節の綱引き」「山笑う」など、美しい日本語の数々にも触れることができる。

著者は31年間、気象にかかわる仕事に携わってきた。仕事で役立ててきた歳時記の季語に、自分なりに視覚化をしてみようと思いたったことが、空の表情を撮るきっかけとなったという。

そしてこうも。「季語の数は多いので、視覚化しなければいけない自然現象は多く、まだまだ作業の終わりはみえない」。

長年にわたり空と向きあっている著者でさえ「終わりはみえない」という。それだけ、季節の表情はさまざまだといことだろう。これからも、空の表情を撮りつづけ、読者に伝えつづけてほしい。

『空のほほえみ』はこちらからどうぞ。
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世界で48番目においしい飲みものは「容器入りの菌」

米国メディアのCNN(Cable News Network)が運営するサイト「CNN GO」が(2011年)12月9日、「世界のおいしい飲みもの」第48位に日本の「ヤクルト」を掲げました。

この発表は、「世界のもっともおいしい飲みもの50」(World's 50 most delicious drinks)という記事で発表されたもの。CNN GOが、フェイスブックを使った世論調査により、50傑までをランキングしました。

CNN GOは、第48位に入ったヤクルトをつぎのように評しています。

「容器入りの菌を飲むということは、どんなに好意的ないいかたをしても、世界的に受ける行為とはいいがたい。しかし、思いきって飲んでしまえば、バニラ味の舌への染み込みが、100ミリの容器よりも大きな価値があると思わせることになる」

ヤクルトは、ヤクルト本社が1935(昭和10)年に売りはじめた乳酸菌飲料。CNN GOが「容器入りの菌」と表現しているのが「乳酸菌シロタ株」です。

医学者でヤクルトの実質的な創業者となる代田稔(1899-1982)は1930年、腸で悪い菌を退治する強い乳酸菌があるのを発見しました。この菌は、胃液や胆汁といった体から出てくる消化液にも負けないほどの強いものでした。

代田は、この乳酸菌をさらに強くさせる培養に成功しました。そして、この菌を入れた乳酸飲料を「ヤクルト」として発売したのでした。「ヤクルト」は、エスペラント語で「ヨーグルト」を意味する「ヤフルト」からつくられた商品名。

いまヤクルトは、日本だけでなく、台湾、ブラジル、タイ、韓国、オランダ、ベルギー、英国、中国をふくむ世界で、毎日3000万本も飲まれているといわれています。これだけ飲まれるということは、健康的な飲みものであるとともに、おいしい飲みものであるという点でも、世界的に評価されているということでしょう。

ちなみに、「世界のもっともおいしい飲みもの50」の第1位から第3位は、「水」「コカコーラ」「コーヒー」でした。

参考記事
CNN GO 2011年12月9日付 “World's 50 most delicious drink” 

参考ホームページ
ヤクルト「乳酸菌シロタ株の歴史」
ヤクルト「国際事業」
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最終回、3ページで伏線回収
まんがや小説やノンフィクションには、物語性があります。
しかし、作者はかならずしも、物語を最後まできっちり考えてつくっているわけではありません。とくに、まんがの連載には、人気があればつづき、人気がなければうちきりといった進めかたがあります。作者にとっても、連載がいつまでつづくか、先の展開を見通しづらいわけです。
そのようなことから、「伏線回収」ということばが生まれました。
「伏線」とは、物語などで、のちのちに展開されることがらを、あらかじめほのめかしてくという意味です。
連載のはじめのほうで、作者は壮大な構想を練るわけです。「主人公の両親が悪魔にさらわれてしまったという設定にしておこう」。
ところが、まんがに人気がないと、突然のうちきりがやってきます。
編集「すいませんが、愛読者カードで3週連続最下位となってしまったため、来週で打ち切りとさせていただきます」
作者「…………」。
作者は、すでに張っておいた伏線に対して、あたえられた最終回の機会で、どうにか決着をつけなければなりません。そのために行われる行為を「伏線回収」とよぶことがあります。
打ちきりとなる連載の最終回が、いつもどおり20ページや30ページあたえられるとはかぎりません。ときには3ページしかあたえられないといったこともありえます。
インターネット上では「伏線回収が異様に上手い」と評判になっている『ソードマスターヤマト』という“作品”があります。
打ちきりとなった最終話「希望を胸に」の回で、主人公のヤマトは、10回刺さないと死なないと伏線が張られていた「四天王」の一人「サイアーク」を、一回刺しただけでやっつけました。そのときのサイアークのセリフが「オレは実は一回刺されただけで死ぬぞオオ!」というもの。
さらに、3コマ後で、ヤマトは残る四天王の三人をすべてやっつけます。
残されたのは、あと1ページ。四天王をやっつけると悪魔の大ボス「ベルセバブ」が現れました。ここで、究極ともいえる伏線回収が繰りひろげられます。以下は、ベルセバブとヤマトの会話です。
ベルセバブ「ヤマトよ…戦う前に一つ言っておくことがある お前は私を倒すのに『聖なる石』が必要だと思っているようだが…別になくても倒せる」
ヤマト「何だって!?」
ベルセバブ「そしてお前の両親はやせてきたので最寄りの町へ解放しておいた あとは私を倒すだけだな クックック……」
ヤマト「フ…上等だ… オレも一つ言っておくことがある このオレに生き別れた妹がいるような気がしていたが別にそんなことはなかったぜ!」
ベルセバブ「そうか」
こうして、伏線をすべて回収したうえで、ヤマトはベルセバブに戦いを挑もうとするというところで、最終回は終わっています。
見事、作者は「大ボスを倒すために聖なる石がなければならない」という伏線、「主人公の両親が捕われの身である」という伏線、「主人公の生き別れた妹を探さなければならない」という伏線を回収したのでした。
この「ソードマスターヤマト」最終回は、インターネット上でも画像で見ることができます。たとえば、こちら。
しかし、じつはこの作品は「伏線回収の例」として、漫画家の増田こうすけさんが『ギャグマンガ日和』というまんがのなかで挿入したもの。つまりパロディです。
しかし、パロディにしては、突然に打ちきりになり、3ページで伏線回収をしなければならなくなったまんがの悲哀がにじみ出ています。打ちきりのまんがの最終回の形式として「ソードマスター型」とよばれる分類がつくられるまでになっています。
参考ホームページ
アンサイクロペディア「ソードマスターヤマト」
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速さより移動手段であることを優先して「車道通行が原則」

自転車は歩道でなく車道を走るようにと警視庁が指導を徹底することを発表してから1か月半が経ちました。街のようすはあまり変わっていないもようで、狭い歩道ではあいかわらず歩く人と自転車に乗る人がすれちがっています。

(2011年)12月13日(火)付の東京新聞には、高校生からの「肩身が狭い自転車通学」という投書がありました。

―――――
 道路交通法上、自転車は車道を走ることになっている。しかし、安全を考えれば、歩道を走らざるを得ないこともあると思う。
 私たち自転車は、どこを走ればいいのだろう。歩道を走れば歩行者に迷惑を掛ける。車道を走れば自分の身が危ない。
―――――

法律を真に受けとめて守ろうとすると危険な目に遭うというのは、車の速度制限を守って道路を運転することとにています。

車道と歩道のあいだを“板挟み”状態になっている自転車は、どこを走ればよいのでしょうか。

交通事故になる確率や、交通事故になったときの重大さといった見方からも検討することができますが、「どこを走るのが、人の営みとしてより違和感がないか」といった見方からも検討することができます。つまり、自転車の通行は、歩行者の歩行の姿に近いのか、自動車の走行の姿に近いのか、といった観点です。

まず、自転車の速度は、人に近いのでしょうか、自動車に近いのでしょうか。自転車の平均速度は、だいたい時速14キロほどといわれています。これに対して、人の歩く速さは時速4キロほど。また、自動車が一般道を走る速さは時速30キロほどといわれています。

これからすると、自転車が走る速度は、自動車が走る速度より、人が歩く速度に近いといえます。速度という点からすれば、自転車は歩道を走るほうが、違和感がなさそうです。

いっぽう、自転車が走るというときの形状は、人に近いのでしょうか、自動車に近いのでしょうか。自転車は、そもそも金属などでできた車両であって、車輪も付いています。これに対して、人は靴こそはくものの基本的には体そのものが移動のための道具となります。また、自動車は自転車とおなじく、金属などでできていて、車輪も付いています。

つまり、自転車は道具であり、その点では自動車に近いといえます。移動のための道具として考えると、自転車は車道を走るほうが、違和感がなさそうです。

自転車は車道を走ることと法律で決まっているのは、そもそも自転車も車両なのであり、歩行者に近い位置にあるとうより、自動車に近い位置にあるという考えかたがあるからでしょう。警視庁は「道路交通法上、自転車は軽車両と位置づけられています。したがって、歩道と車道の区別のあるところは車道通行が原則です」としています。

日本での自転車保有台数は8,600万台。いまも多くの人が、車道で自転車をこぐことに違和感を覚えているというのが現実です。

参考記事
東京新聞2011年12月13日付 石割慎一朗「肩身が狭い自転車通学」

参考ホームページ
警視庁「自転車の交通ルール&マナー」
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「テラヘルツ」が注目の的に


ここ1、2年、「テラ」ということばを耳にする機会が増えています。「テラ」は、「ミリ」や「キロ」とおなじように、数と単位とのあいだに入る接頭辞です。

ギリシャ語で「怪物」を意味する「テラス」(teras)ということばにあります。このギリシャ語のことばから「テラ」は生まれたといわれています。「怪物」というと「とてつもない大きさ」が想起されます。そのイメージにたがわず、「テラ」は「1兆」という大きさを意味します。

このところ「テラ」を耳にする機会が増えた背景には、電波の分野で「テラヘルツ」という単位に注目が集まっていることがあります。

「テラ」は「1兆」。いっぽう「ヘルツ」というのは、波の細かさを示す単位。「1ヘルツ」は「1秒間に1回の振動があった」ということを意味します。

このことから、「1テラヘルツ」といえば「1秒間に1兆回の振動があった」ということになります。もはや「ブルブル」では表現することができない波長の短さといえます。

これまで電波や光の世界では、テラヘルツ帯の波を検出することはむずかしいことでした。いわば、テラヘルツ帯は未開の領域だったのです。

しかし、ちかごろになって、テラヘルツの細かい波を検出して、役立たせようとする研究開発が行われるようになりました。

一例は、無線通信への応用です。半導体メーカーのロームと大阪大学は、2011年11月、テラヘルツの波長帯で無線通信に成功したと発表しています。

これまでの無線では、テラヘルツ波よりも波長の長い中波や短波といった波が使われてきました。これに対して、テラヘルツ帯の波ははるかに短い領域に入ります。

テラヘルツ帯を使った無線通信の技術が進んでいけば、通信手段の小型化や高速化、さらに消費電力の軽減などにつながっていくといわれています。

10年前、ナノテクノロジーが関心を集め、「10分の1」を意味する「ナノ」が世に広まりました。未開の領域だった「テラヘルツ」をめぐる研究開発が進んでいけば、しょこたん以外にも多くの人に「テラ」が使われていくことでしょう。

参考記事
朝日新聞 2011年11月22日付「ロームと阪大、テラヘルツ帯で無線通信に成功」
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インド建築を毛嫌いした英国人が建設、ニューデリー100年
「王の道」とインド門

日本のマスメディアはまるで記事にしていませんが、きょう(2011年)12月12日は、インドのニューデリーが首都になってからちょうど100年の日です。

100年前のインドは英国の統治下にありました。英国は17世紀からインドに東インド会社を置くなどして影響をおよぼしていました。1857年にはセポイとよばれるインド人の傭兵が反乱を起こし、これを機にムガル帝国が滅亡。1877年に、インドは「英領インド帝国」としてイギリスの植民地になったのでした。

1911年まで、英領インドの首都はインド東部のコルカタ(カルカッタ)でした。英国王でもあり、同時にインド皇帝でもあったジョージ5世が1911年12月12日、首都をデリーにすると宣言。デリーの南5キロのところに、行政の首都であるニューデリーが建設されはじめました。

自然発生とはちがうかたちつくられる街には、建築家の手が必要です。ニューデリーは、エドウィン・ラチェンズ(1869-1944)とハーバート・ベイカー(1862-1946)という二人の英国人建築家によって建設されました。

ラチェンズもベイカーも英国政府から指命されて、新首都の建築に携わることになった身。本当のことをいうと、二人とも当時のインドに見られた建築のことを気嫌いしていたようです。

ニューデリー100年を記念したニューヨークタイムズの記事によると、ラチェンズは彼の妻にインドの建築物を「本質的に、子どもの建築様式だ」と説明したといいます。また、タージマハル廟でさえも「小さいのにとてもお金のかかるビールだよ」。

いっぽうの、ベイカーも、これからインドに来ようとするラチェンズに宛ててこう手紙を書いていたといいます。

「専制国家、万歳! あなたがインドに船でいらっしゃるときには、アジア征服のためにヘレスポント海峡を渡ろうとしているアレキサンダー王のようなお気持ちにきっとなることでしょう」

ふたりとも、あまりよい性格ではなかったのかもしれません。

しかし、インドの建築物を毛嫌いしていからこそか、二人はニューデリーを整然とした都市にしあげていきます。街の中心に「中央公園」を置き、「王の道」とよばれる目抜き通りには、インド副王官邸、政府庁舎、議事堂、国立公文書館、国教教会、インド門などの名建築物を建てていったのでした。

デリーが首都として宣言されてから、ラチェンズとベーカーは新都市の建築をつづけていきました。そして、宣言から20年後の1931年にニューデリーの建設完了が宣言されたのでした。

インド人も、インド建築を毛嫌いしていた二人の英国人建築家がつくった都市を認めたのでしょう。インドが英国から独立してからもニューデリーは首都のまま、いまに至っています。

参考文献
櫻井孝「インドの首都」

参考記事
NewYork Times 2011年12月12日付“New Delhi's Controversial Birth”

参考ホームページ
本江正茂「大英帝国のインド新帝都計画に関する研究」
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「連れ重送」を「空気入れ」で防ぐ

家庭用のプリンタには、1万円台といった安いものも売られていて、身近な家電製品になっています。

しかし、使う側にとって厄介な問題がひとつ。プリントをすると、印字された紙が出てくるとき、2枚以上が重なって出てくることが、機種によってひんぱんに起きます。これには、「連れ重送」というよび名まで付いています。

なぜ、連れ重送は起きるのでしょうか。印刷に詳しい人の話によると、これには静電気が多いに関係しているとのこと。

印字される紙は、プリンタ内の「給紙ローラー」という円柱状の回転棒と、「分離パッド」という板のあいだを通過します。このとき、1枚だけが送りだされることになっているのです。

給紙ローラーは、印字されるべき紙を、摩擦により引っぱりだして送りだそうとします。ところが、この給紙ローラーのもつ摩擦力よりも、印字される紙とその下の2枚目の紙のあいだにある摩擦力のほうが強いと、2枚目の紙もいっしょにくっついてきてしまうのです。

紙は、乾燥して水分がすくなくなったりすると、静電気を帯びてくるもの。下敷きで髪の毛をなでなですると、静電気が生まれて紙がけばだちますが、これとおなじように、紙と紙のあいだにも静電気が生まれ、印字で送りだされるとき、2枚目の紙が「おれも付いていく」とまとまわりつくのです。

印刷に詳しい人は「静電気による連れ重送を防ぐかんたんな方法がある」と言います。「紙に空気を入れるのです」。

まず、給紙トレイに入れる紙の束を両手で持ちます。そして、それを「U」の逆、つまり「Ω」のようなかたちにします。


そして、そのまま紙の束を、平行に戻そうとします。すると、紙と紙のあいだに空気が入ることになります。


これにより、紙と紙がぴったりとくっつくことで帯びていた静電気がなくなり、印字のときも連れ重送されることがすくなくなるといいます。

新品のプリンタを買っても、連れ重送は起きるもの。プリンタメーカーにとっても、そうとうにやっかいな問題であることはたしかなのでしょう。

機械の技術を高めて、連れ重送を防ぐ方法を開発することも進めるべきでしょうが、連れ重送の問題があることを認めて、より積極的に「お客さまにも連れ重送を防ぐことができます」といったことを伝えてもよいのではないでしょうか。

日経PCオンライン「紙詰まりを防ぐ使い方のコツ---さようなら、給紙トラブル(2)」
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ナンバープレート、華やかさでは外国の勝利
東京・有明の東京国際展示場で、あす(2011年)12月11日(日)まで「第42回東京モーターショー」が開かれています。

展示棟のブースの一角では「世界のナンバープレート展」が開かれています。主催は全国自動車標板協議会。

展示物では、日本の自動車で使われてきたナンバープレートが歴史順に並べられています。しかし、来場者により人気があるのは、世界のナンバープレートのほう。華やかなものや遊び心のあるものが目を引いているようです。


タイのナンバープレートは、板の下地が無地でないものがあります。遠くの山並みに夕日が沈みゆくなか、王様らしき人物が、人魚のような姿をした女性に笛を吹いているという、ロマンティックな絵が描かれています。

このプレートの左側は小型車を、上の右側は交付順を、下は「ラヨン」という県名を示しています。


いっぽう、カナダの北西にあるノースウエスト準州で使われているナンバープレートです。準州内に生息しているホッキョクグマのかたちをしています。

ナンバーの上段には“EXPLORE CANADA'S ARCTIC”とあり。「探検しよう、カナダの北極!」といったところでしょうか。また、番号は希望により登録されるようで、このプレートは「2 COLD」。“too cold”の意味が込められていているようです。登録者は「寒すぎるじゃねぇか」と表現したかったのでしょう。


「JAPAN」の文字があるのは、オーストラリアのナンバープレート。オーストラリアの自動車に「JAPAN」とは、どういうことでしょう。

オーストラリアのナンバープレートでも番号は希望することはできます。ただし、通常は、数字とアルファベットで5文字または6文字で表現されるもの。これは、高いお金を払って登録した特別な番号のもののようです。また、色や図柄などを選択することもできます。

ナンバープレートの役割は、交通規則違反でのとりしまりなどで使うというもの。日本でも登録者がナンバーの希望を出したり、自治体が「富士山」などのご当地ナンバーを導入したりしています。しかし、世界の風変わりナンバーにくらべると、まだまだ生真面目なデザインといえそうです。

「世界のナンバープレート展」は、全国自動車標板協議会のホームページでも様子を見ることができます。こちら。
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地球の空気がはたらいて「皆既月食の赤い月」

NASA

(2011年)12月10日(土)、日本全国で皆既月食を観察することができます。

「太陽」「地球」「月」の位置どりで、このみっつが一直線にならび、月に当たる太陽の光を地球がさえぎるため、月が欠けていきます。これが「月食」です。

「皆既」とつくのは、月がすっぽり地球の影に入ってしまい、それまで月に当たっていた太陽の光が当たらなくなることを指します。

21時45分から満月が欠けはじめ、皆既月食になるのは23時6分から23時58分まで。翌11日(日)の1時18分には、もとの満月の姿に戻ります。

月食は、いにしえの時代から、人びとの関心をよぶ天文現象でした。平安時代から鎌倉時代にかけて生きた歌僧の西行(1118-1190)が月食のことを歌っており、西行の歌集『山家集』に収められています。

―――――
月蝕を題にて歌よみけるに
いむといひて影にあたらぬ今宵しもわれて月みる名や立ちぬらむ(『山家集』新潮1154番・夫木抄) 

(月食は忌々しいといって人びとが影にあたろうとしない今夜、私は無理してでも月を見よう。悪い名声が立たなければよいのだけれど)
―――――

西行の歌からは、月食は不吉な現象であると考えられていたこと、そして、西行は好奇心からか月食をあえて観察する決意を固めたことがうかがえます。天にある丸いものが欠けてゆくということを、人は不吉な現象と考えるのでしょう。

皆既月食のあいだ「薄赤く染まる」月の姿も見ることができます。これも不吉さを印象づける要素だったのかもしれません。

皆既月食になった月は、地球の影に隠れたためにまったく見えなくなってしまうというわけではありません。地球に空気があることが関係して、皆既月食のときの月は薄赤く染まって見えるのです。それはつぎのようなしくみです。

太陽、地球、月が一直線になっている位置どりのとき、太陽からの光は、まず地球の縁へとたどりつきます。太陽の光には、波長の長い赤いものから、波長の短い青いものまで、幅広くありますが、青いほうの光は地球の空気によって散乱されやすいのです。

いっぽう、赤いほうのひかりは、地球の空気に対しても散乱されにくい性質をもっています。夕日の太陽が赤いのも、赤い光だけが散乱されずに、人びとの目まで届くからです。

こうして、太陽から放たれた光のうち、赤い光だけが地球の縁を通過することができました。さらに、地球の空気は、太陽からやってきた光をわずかに屈折させるはたらきももっています。地球にやって来る光を、すこしだけ内向きににすぼめるのです。

こうして、太陽からの赤い光だけが地球の両縁の空気を通過し、その赤い光が内側にすぼまっていきました。その赤い光が反射するのが月の表面。そのため、皆既月食のときの月は赤く見えるのです。

天気がよければ、日本全国で10日(土)夜、皆既月食を見ることができます。

参考ホームページ
西行辞典「月蝕」
国立天文台「皆既月食中の月の色について」
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「新川デリー」のカシミールカレー――カレーまみれのアネクドート(37)


東京・中央区の永代通りを日本橋から東に進んでいくと、地下鉄茅場町駅と門前仲町駅のあいだに、新川という埋立地の小島があります。さらに進むと青い光でライトアップされた永代橋。でも、橋は渡らずに道を南へ折れて徒歩5分。「新川デリー」が街なかのビル1階にたたずんでいます。

東京のカレー屋で「デリー」といえば、ルウの茶色さと辛さで有名な「カシミールカレー」を出す、湯島や銀座の「デリー」がよく知られています。

新川にある「新川デリー」は、銀座デリーの元店長だった浅野秀夫さんが独立して開いたお店。名前に「デリー」とあるように、“のれんわけ”をした店で、皿にも湯島や銀座のデリーのロゴマークが入っています。

新川デリーの献立表にも、「カシミールカレー」「コルマカレー」「インドカレー」と、湯島や銀座のデリーとおなじ料理名が見られます。すると、湯島や銀座のデリーをよく訪れる客は、新川デリーの味とくらべてしまうもの。

たとえば、辛さ五つ星の「カシミールカレー」。ルウとライスがべつべつに出されてくるのは湯島のデリーといっしょです。

いっぽう、わずかながらのちがいもあります。新川デリーでは、びんのなかに入ったチーズが添えものとして出されます。湯島や銀座にも出されるピクルスと味付けたまねぎはいっしょ。

カレーの具のほうは、新川デリーのほうがじゃがいもがすこし小ぶりのようではありますが、大きな鶏肉が三つ入っているのはかわりありません。

残るはルウの味。新川デリーのほうが湯島のデリーより若干、辛さが抑えられています。また、バターが多く使われているのでしょう。“丸まった味”を出しています。「辛くて食べるのがたいへん」といったまでではありません。

ただし、新川デリーには、辛さ五つ星の「カシミールカレー」の上をゆく、辛さ五つ星のさらに3倍の「ストロングカシミールカレー」や、辛さ五つ星に「?」が加わった「ハバネロカシミールカレー」も、限定メニューとして食べることができます。辛さの極みは、これら限定カレーに譲ったとも考えられます。

新川デリーのカレーの味こそ、「デリー」のカレーの本来の味と評する人もいるくらい。デリー初期の味は、東京の小島の店で受け継がれているわけです。

新川デリーのホームページはこちら。
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うまみ「1+1+1」で激増

「空腹は最大の調味料」とはよくいわれます。お腹がすいていれば、どんな食べものでも「うまい」と感じることができるのでしょう。

いっぽうで、空腹かどうかにかかわらず、人の味覚には「うまみ」という要素があることが日本人研究者の業績によってわかっています。

うまみの成分としてあげられる物質は、おもに三つあります。

うまみ成分の原点的な存在は「グルタミン酸」。化学者の池田菊苗(1864-1936)が1907年、昆布のうまみ成分の正体が、グルタミン酸ナトリウムという物質であることを発見しました。うまみが、はじめて成分として単離されたのです。

このグルタミン酸ナトリウムは、1909年から発売されているロングセラー「味の素」の成分でもあります。また、タンパク質の材料であるアミノ酸のなかでも、エネルギー源としてもっとも利用されやすい物質のひとつです。

「イノシン酸」もうまみ成分のひとつです。こちらは、1847年にドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒによって発見された物質です。1924年には、池田菊苗の弟子だった小玉新太郎が、かつお節からイノシン酸ナトリウムという物質として抽出したことで、うまみ成分のひとつとして加えられました。

イノシン酸は、ヌクレオチドとよばれる、共通したかたちをもつ物質のひとつです。ヌクレオチドは、有機塩酸と糖と燐酸基という物質が結びついた化合物です。

「グアニル酸」もうまみ成分のひとつです。1957年に化学者の国中明が、シイタケのなかのグアニル酸がうまみを呈することを発見しました。

グアニル酸も、ヌクレオチドのひとつです。リボ核酸(RNA:RiboNuckeic Acid)を構成する物質のひとつでもあります。

グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸。これらのうまみ調味料の成分は、「1+1+1=3」のような足し算の関係でうまみが増えていくのかというと、そうではありません。

グアニル酸で功績をあげた国中は、イノシン酸ナトリウムやグアニル酸ナトリウムに、グルタミン酸ナトリウムを加えると、うまみが“激増”するということを発見しました。これは「うまみの相乗効果」とよばれています。

2008年には、うまみの相乗効果のしくみも発見されています。舌の細胞の表面に、グルタミン酸とイノシン酸が「T1R1」という受容体にはまることを、米国の研究グループが発見しました。

このT1R1にイノシン酸がカチッとはまるのは、貝のようなかたちをしたT1R1の開閉部分。いっぽう、T1R1にグルタミン酸がはまるのは、貝のかたちの内側のほう。

貝のなかにグルタミン酸がはまっている状態で、イノシン酸がはまると、貝がしっかりと閉じてグルタミン酸を逃さなくさせます。これによりうまみが激増するということです。

参考記事
毎日新聞2008年12月26日付「昆布だしとかつおだしの相乗効果…仕組み解明」

参考ホームページ
味の素「カラダをささえる20種類のアミノ酸 グルタミン酸」
北九州イノベーションギャラリー「1924年(大正13年)生命・環境」
ヤマサ「医薬の世界でも活躍 現代」
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アサクサノリ、生きているのは数地点のみ
東京湾

朝ごはんの定番食材としてあるのが、海苔。ラーメンにのせたり、おむすびにくるんだりしても食べられます。

家庭や旅館などの食卓にのぼる乾いた海苔には、「浅草海苔」というよび方がついています。

江戸時代、江戸湾の浅草あたりで海苔が採れていました。この浅草地域で採れていた海苔「浅草海苔」といわれるようになったといいます。

その後、海藻学者の岡村金太郎(1867-1935)が「浅草海苔」は分類としてひとつの種であることを確かめ、この「浅草海苔」の日本での学問上の和名を「アサクサノリ」としました。

アサクサノリは太平洋戦争前まで、日本のさまざまな海辺で養殖されてきました。しかし、戦後、海苔の需要が増えていき、アサクサノリの養殖ではその需要を満たすことができなくなってきました。

そこで、アサクサノリとおなじ、ウシケノリ科アマノリ属の「スサビノリ」という種が養殖の対象とされるようになりました。さらに、アサクサノリがかつて採れていた東京湾はもとより、日本全国各地で海岸線の工業化が進み、アサクサノリのすみかはじょじょに消えていったのです。

いま、アサクサノリは、環境省の「レッドデータブック」により、「絶滅危惧I類(CR+EN)」という分類に指定されています。絶滅危惧I類(CR+EN)というのは、絶滅の一歩手前から絶滅の二歩手前の段階にあるような、絶滅の危機に瀕している種のことです。

日本全国では、浅草海苔が生育している地点が確かめられたのは、2001年の時点で8か所のみとなっています。

日本では、食卓などで食べられる乾いた海苔のことを総称して「浅草海苔」といいますが、浅草海苔はアサクサノリにはあらず、なのです。

参考ホームページ
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正誤表までも印刷して出版
本、新聞、ちらし、包装紙。印刷物は人がつくるものです。人がつくるものであるかぎり、誤字や脱字は起こりうるものです。いまの時代も、むかしの時代も。

いまの時代、本に誤字や脱字があったとき、2刷以降の印刷で誤りを訂正することで済ませたり、ホームページに正誤表を載せたりする出版社はあります。ただ、訂正内容を列記した「正誤表」を挟みこむ出版社は、まれかもしれません。

明治時代に出版された本にも、活字をまちがえる誤植はありました。誤字・脱字の訂正について、いまの時代とちがうのは、本の中に正誤表が印刷されて発行されている本が見られるということです。

たとえば、岡勇という人物が1879(明治12)年に翻述した『西洋果菜調理法』という、西洋の野菜類を使った料理法の本があります。見開き2ページとして50ページほどの本ですが、最後のページの1ページ前に「正誤」という見出しで、正誤表が載っています。



この正誤表を見るかぎり、この本における誤植のしかたは、三つぐらいに分けられます。

ひとつめは、似ている活字を選びまちがえたもの。「指棄ハ捐」とあるのは、「捐棄」が正解でした。また、いまでもじゃがいものべつのよび方として使われる「馬鈴薯」の「鈴」を「金へんに今」としてしまっています。

ふたつめは、活字の並び順をまちがえたもの。「損ルスハスル」とあるのは、「損スル」とすべきところを「損ルス」としてしまった誤植です。

そしてみっつめは、いわゆる脱字。「等分ノ下ヲ」の「ヲ」を脱字したため、「字脱ス」としています。

それにしても、正誤表をつくったり、誤りの訂正を示したりするのは「印刷をしたあと」というのがいまの時代の常識です。いっぽう、『西洋果菜調理法』では、本のなかに正誤表が印刷されています。いったい、これはどういうことでしょう。

かつての本が「和装」という製本方法でつくられていたことと関係しているのかもしれません。和装本は、和紙などを二つ折りにし、それを幾重にも重ねて、最後に糸を紙に通して閉じることでつくられる本。

本の前のほうの紙から順番に活字を組んで印刷をしていけば、本の最後のほうあたる紙を印刷するときには、すでにそれまでのページの印刷が済んでいることになります。前のほうのページの誤字や脱字がすでに発見されていたので、最後にあたる紙に正誤表を刷ることができたということが考えられます。

正誤の表のすぐ脇には「札幌活版所印行」とあります。「印行」は「印刷」のこと。つまり、「この本の印刷は札幌活版所が行いました」ということを、正誤表のすぐ脇に記したわけです。

これには、「誤植をしでかしたのは、私ども札幌活版所です」といったはずかしめの意味が込められているのかもしれません。

参考文献
岡勇訳述『西洋果菜調理法』
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そのキンクが事故のもと


人が関心を注ぐべきものごとには、きちんとよび方が付けられるものです。

写真のように、なにかの線がよじれることは、日常生活のなかでもよく見ること。電話の受話器と本体をつなげるコードも、いつのまによじれていくことがあります。

こうした線のよじれは「キンク」といいます。もともと英語の“kink”ということばから来ており、「よれ、よじれ」や「きまぐれ、変態」さらに「肩のこり」などを意味します。

電話のコードがどんどんキンクを起こしていくのは、受話器を片方の手から片方の手にもちかえるときに、無意識のうちにコードを回転させており、その行為が積みかさなった結果だといわれています。

電話コードのキンクぐらいであれば、あまり問題は起きませんが、線をつくる工場の製造工程では、キンクはできるだけ避けるべきものとされています。キンクが事故の原因になるからです。

たとえば、医療では、血管のなかにカテーテルという細線を入れていき幹部まで到達させ、そこで先端に付けておいた薬を置くなどの方法がとられることがあります。このとき、カテーテルにキンクが起きていると、薬を置くまでに時間がかかるだけでなく、血管を傷つけたりすることにもつながります。

また、海底ケーブルなどでも、ケーブルの傷や断線は、かつてはケーブルのキンクが原因となっていたことが多かったもよう。

ケーブルのキンクは、たとえばAという線とBという線をひとつの管の中に入れて平行に走らせるようなときに起きるようです。この管を曲げたとき、曲線の内側を走る線Aのほうが、曲線の外側を走る線Bよりも、長さがあまってしまいます。それにもかかわらず、管が曲がっている上で、さらにむりやり線の端を合わせようとしたりすると、長さをもてあましていたほうの線Aに長さ上のむりがかかり、キンクを起こしてしまいます。

のびのびとさせてやるほうが、ストレスがかからないのは、線にもいえることのようです。

誠 Biz.ID「電話機の『コードねじねじ現象』が発生する理由」
宗塚啓司「産業用高速インターフェイスケーブルの特長と使い方」
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会える予定を確率で伝えたところで予定確定せず

人と人が会うことで成り立つ世の中では、「日程調整をする」ということがよくあることです。あいさつ、うちあわせ、取材など、さまざまな目的で日程調整が行われます。

A社の人から「来週の水曜でしたら空いています」などと候補日を示されたとします。しかし、忙しい人は、この週の月曜から金曜のどれかの日に、B社の人とのべつのうちあわせが入る約束をしており、その日程は、B社の人からの返事まちになっている、といったこともあります。

そうしたとき、たいていA社の社員に対して、「来週の水曜ですか。別件が入るおそれがありますので、べつの日のほうが確実なのですが」とか、「来週の水曜ですか。別件が入るおそれがありますが、その返事が来たらすぐにお伝えします」とか、答えることが多いようです。

つぎのような答えかたはどうでしょうか。

「来週の水曜日ですか。別件が入るおそれがありまして、その確率は20%ぐらいです」

B社とのうちあわせが入る可能性のある日は、月曜、火曜、水曜、木曜、金曜の、5候補日。実際にうちあわせをするのは5候補日のうちの1日。

つまり、水曜日にB社とのうちあわせが入ってしまう確率は20%あるわけです。そこでこの人は、別件が入るおそれが20%あるとA社の社員に伝えたのでした。

一般的に日本人は「リスク」や「確率」の情報によってものごとを判断することは苦手といわれますが、予定を決めるといったことにはとりわけの完全なる会える確証性が求められるようです。

たとえ別件が入る可能性が「20%」でしかなくても、「では、予定が決まったらお知らせください」ということになるのが大半です。
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靴の染みこみ、底から、すき間から


雨の日に道を歩いていると、履いている靴が水に染みこむものか、染み込まないものかがわかります。

明らかに靴の底に穴が開いているような靴でなくても、じわじわと足の底の靴下が濡れていくのを感じるといった経験がある人も多いでしょう。

見たところでは、水が染みてくるような原因がつかめない。しかも、水たまりを避け、水はけのよいアスファルトの上を選んで歩いているにもかかわらず、じわじわと水が靴のなかに入ってくる……。

いったい、靴はどのように染みてくるのでしょうか。靴に水が染み込むうえでは四つの経路があるといわれています。

一つ目は、靴の底から水が入るというもの。明らかに靴底に穴がなくても、高級な革靴などももともと水が染み込みやすい材質のため足が濡れてきます。高級な靴だからといって、かならずしも水が染み込まないわけではないのです。

二つ目は、靴底とアッパーのすき間から入るというもの。「アッパー」は靴の底以外のところを指します。靴底とアッパーは、糸などで縫われていたり、接着剤が付いていたりします。しかし、水という分子は0.1ナノメートル、つまり100億分の1メートルといった、小さな穴も通ります。糸や接着剤で靴底とアッパーをつないでも、どこかしらのすき間から水が染み込んでくる可能性はあります。

三つ目は、アッパーの素材から入るというもの。革や布などでできたアッパーは、やはり水が入りやすいといえます。ただし、アッパーは地面に接してはいないため、濡れた道路を歩いているときアッパーから水が入ってくるということは多くはなさそうです。

四つ目は、アッパーのすき間から入るといもの。とくに、ひも靴などでは、靴ひもを通す穴をふくめ、水が入りやすいすき間が多くあります。ただし、三つ目のアッパーの素材と同じく、よほど上から水が降ってくるのでなければ、足の底がじわりと塗れてくることとは関係は薄そうです。

「じわじわと足の底のあたりの靴下から濡れてくる」という嫌な問題は、経路の一つ目の「靴の底から」と、二つ目の「靴底とアッパーのすき間から」水が入ることとおおいに関係していそうです。

逆に考えてみれば、雨の日の靴は、水で濡れた地面に何百回も何千回も接しているわけです。靴が濡れないほうが奇跡と考えてもよいのかもしれません。
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