2011.12.31 Saturday
暦は人に忘れさせ、思いださせる
大みそかという日は、多くの人が「あと何時間できょうがおわる」ということを、ほかの日より意識する日です。その日をまたげば、新しい年となるからです。
この意識は、自然のリズムとはべつの、人がつくりだした「暦」からうまれた産物といえます。人は太陽や月のうごきを参考にしながら、自分たちの暮らしに都合のよい「暦」というものを開発しました。結果、一年のいちばん最後にあたる日というものが必然的にできあがりました。つまり、大みそかです。
いきもののほぼすべてが、自然のリズムに同調して生きています。鳥の多くは、太陽が大地を照らしはじめるとともにさえずりはじめ、太陽が地球の向こうがわに隠れるとともにねぐらに帰ります。寒くなると南のほうへと渡ってくる鳥もいます。自然がつくりだす自然のリズムに、いきものは忠実です。
「自然のリズム」と「暦」という、ダブルスタンダードをつくり出したいきものが人といえるでしょう。自然のリズムに忠実に生きることをよしとする人は、時計や暦を気にせず、鳥や動物とおなじ生活を目指すかもしれません。日が昇ったらからだを動かしはじめ、日が沈んだらからだを休めるといった生活です。
そうした、自然に同調的なくらしに人がどこかあこがれるのは、先祖が暦をつくったことへのいまなをつづく戸惑いのあらわれと、いきものとしての遺伝子の名残なのかもしれません。
しかし、そのいっぽうで、人は古の人がつくった「暦」というものを、意識せずにおおいに頼りにしています。
2011年、日本人の関心のおおくは、東日本大震災に向けられました。
「ことしの3月10日までに起きたできごとが大むかしのことのようだ」という声が、いろいろな人から聞かれます。サッカー男子日本代表がアジア杯で優勝したのは2011年のこと。注文して実際にとどいたおせち料理が貧相だったと問題になったのも2011年のこと。そうしたできごとを、大震災はずいぶんと過去のものにしました。
暦を開発した人たちは、そこまで考えなかったかもしれませんが、暦には、つぎのような効用があることに気づかされます。「たいへんなことがあった日々をいったん終わらせて、新しい日々を迎えることができる」ということです。「よいお年をお迎えください」や「来年はよい年になりますように」というあいさつには、そうした意味が無意識のうちにこめられているのでしょう。
もちろん、その年が終わったとしても、忘れてはいけないようなことは数多くあります。被災地での震災からの復興は、2011年で終わるわけではありません。巨大地震のあとにおきた原発事故の検証は、2011年で終わらせるわけにはいきません。
その点、起きたできごとを忘れないという点でも「暦」は大切な役割をはたします。2012年3月11日になれば、「巨大地震から1年」となり、人びとは震災への思いを新たにすることでしょう。「2年目の復興にどうとりくむか」や「反省点をつぎの大地震にいかに活かすか」といった議論もされていくでしょう。
たいへんだった一年をいったん閉じることも、たいへんだったできごとをみんなであらためて振りかえることも、暦あってのこと。好むと好まざるとにかかわらず、いまを生きる人の多くは、人がつくった時間の概念のなかで生かされているのです。
ことしも「科学技術のアネクドート」をお読みいただきありがとうございました。よいお年をお迎えください。