科学技術のアネクドート

記録は手段


人の記憶には、短期記憶と長期記憶があります。たったいま話したことやいま見たことが記憶としてとどまるのが短期記憶。記憶していられるのは、20秒間や30秒間ほど、しかもせいぜい7個ぐらいの事柄でしかありません。

いっぽう、長期記憶は、何か月前、あるいは何年前といった過去のできごとを記憶するものです。

しかし、人間はすべてのことを映像のように記憶できるわけではありません。そこで「記録」という行いが大切になってくるわけです。

ひとつめとして、「忘れゆくことをつなぎとめる」ということがあります。忘れたり、覚えがあいまいになるのを見越して、なにが起きたかを記録しておくわけです。

たとえば、記者にとって、メモをとったり、取材での音声を録ったりすることは、あとで原稿を書くためにとても重要になります。

ふたつめとして、「情報をみんなで共有する」ということがあります。あるできごとを記録しないと、そのできごとに居合わせた人が記憶を頼りに口で伝えるなどしなければ、人びとにそのできごとの情報が広まりません。

また、口で伝える内容は、人から人へと伝わるにつれて、あいまいなものになりがちです。記録して伝えることで、効率的かつ正確に情報を共有することができるわけです。

このように、記録をする目的があるということは、記録という行いそのものは、目的というよりも手段であることがわかります。
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エネルギーがテーマの漫画「H・E」連載開始


集英社の漫画雑誌『ジャンプ改』(JUMP X)第4号で、「H・E The Hunt for ENERGY」という連載が始まりました。作者は韓国出身のBoichiさん。この漫画の監修役をしました。監修とは、漫画の内容をチェックしたり、ストーリーづくりのための下調べをしたりする役割です。

『ジャンプ改』は、2011年6月に創刊した月刊誌で、『週刊ヤングジャンプ』の増刊に位置づけられています。

「H・E The Hunt for ENERGY」は、タイトルのとおり「エネルギー」を題材とした連載。石油の供給をおもな事業としていた「日本エネルギーコーポレーション」の社長室に、3人の若い社員が集められました。そこで言いわたされたのは、「次世代エネルギー事業メンバー」として、「日本の次世代エネルギーを探せ!」ということ。

「3・11」以来のエネルギー危機により、この企業は石油事業からの転換をはかることに。そこで、次世代エネルギーのハンターとして選ばれたのが、3人の社員です。

現実社会が、大震災を受けてのエネルギー利用の転換期を迎えたなかで、こうした背景の設定にはリアル感があります。

いっぽうで、漫画ならではのSF的な設定もあります。主人公の成島ヒロは、ある特殊な視力をもっています。それは、世の中に存在するエネルギーの質が「色」として見えること。木から出てくるエネルギーは青く、燃やした木に残るエネルギーは赤く見えます。いま、ヒロが見ている光景は、血のように赤く染まった世界。

石油からの転換を目指すという会社の目的を言いわたされたヒロやたちは、日本にふさわしい次世代エネルギーを探すことができるのか。

連載漫画で、社会のなかで使われるエネルギーそのものを主題にとりあげた作品は、これまでほぼなかったのではないでしょうか。

作者のBoichiさんは、漫画家としての職業のために、大学で物理学を、大学院で映画を先行した、筋金入りの漫画家です。

編集部は、「Boichi先生の『日本に元気を!』の願いで始まった新連載エネルギー漫画、もうご覧頂けたでしょうか? 突飛な設定ですが大真面目に日本のエネルギー問題に取り組みます」と話しています。

集英社「ジャンプ改」第4号は(2011年)9月26日(月)発売に発売されました。おしらせはこちらです。
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重要な役割をあたえると欲動が生まれる

人は、役割をあたえられるとやる気が起きると、よくいわれます。なぜ、役割をあたえることがやる気に結びつくのでしょうか。

ハーバード・ビジネススクール教授のニティン・ノーリアたちは、「新しい動機づけ理論」という論文のなかで、人の行動のすべての基盤になるもののひとつに「理解することへの欲動」があると述べています。

「欲動」とは、人間を行動に駆りたてるような内側からの力のこと。「理解することへの欲動」は、脳のなかに先天的に埋めこまれているものであるとされています。

ノーリアたちは、「理解することへの欲動」をこう説明します。

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人間は、自分をとりまく世界の意味を理解することを欲する。物事を解明し、合理的な行動や対応を明らかにする科学的、宗教的、文化的な理論を確立し、世界を説明したいと望む。意味ないことをしていると感じれば、欲求不満を覚える。答を見つけ出そうと挑戦すれば、やる気が湧いてくる。職場で何か有意義な貢献を果たしたいと思うのは、この欲動があるからだ。
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自分のすることに、「意味がある」と理解しようとする欲動があるのだというわけです。

では、この「理解への欲動」を人に高めてもらうにはどうすればよいか。ノーリアたちは、「具体的かつ重要な役割をになうように職務設計する」ことが、組織上の急所のひとつになると述べています。

なぜ、その人に対して、具体的で重要な役割をあたえるようにすれば、「意味のあることをしている」と実感するようになるというわけです。

参考文献
ニティン・ノーリア、ボリス・グロイスバーグ、リンダ=エリン・リー、スコフィールド素子訳「新しい動機づけ理論」『ハーバードビジネスレビュー』2008年10月号
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水位計測のもとにピエゾ抵抗効果


水のなかでは、水が及ぼす圧力、つまり水圧がかかります。水深が10メートル増すごとに、約1気圧分の圧力が増していきます。

水圧が測れれば、その測っている場所までどのくらいの深さの水があるのかもわかります。つまり、水圧により水位をはかることができます。

そこで、水圧を測るために「ピエゾ抵抗効果」という原理が使われています。「ピエゾ」とは、ギリシャ語で「圧す」といった意味があります。

このピエゾ抵抗効果の特性を使うことで、水圧を測る装置は「ピエゾ抵抗効果型圧力センサ」とよばれています。このセンサでは、空洞とピエゾ抵抗効果が重要となります。ピエゾ抵抗効果型圧力センサの構造はつぎのようなもの。

ガラスなどの基板の上にシリコンを乗せます。このシリコンには「ダイヤフラム」という空洞部分をつくっておきます。さらに、シリコンにはもうひとつ、ピエゾ抵抗を受ける「ひずみゲージ」とよばれる部分をつくっておきます。

センサが水圧を受けると、シリコン層の空洞であるダイヤフラムが微妙に変形して、シリコン層がたわみます。このわずかなたわみが起きると、ひずみゲージはピエゾ抵抗効果を発揮します。その結果、電気抵抗の値が変化します。

この電気抵抗の値の変化を、電気信号に変えて回路で増幅して水圧の値として読みとるのです。

ピエゾ抵抗型水圧センサをつくっているTDKはホームページで、この原理をつぎのようにたとえています。「ほっぺたにスティックのりを塗って乾かし、ほっぺたを膨らましたり、すぼめたりすると、皮膚の突っ張りが感じられます。スティックのりに相当するのが歪ゲージ、皮膚の突っ張り感覚がセンサ信号」。

参考文献
オムロン「技術編 圧力センサ」

参考文献
TDK「ピエゾ抵抗効果を利用した小型圧力センサ」
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「緑色の粉に見る日本の『ものづくり』の原点」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2011年)9月26日(月)、「緑色の粉に見る日本の『ものづくり』の原点 日本人と『抹茶愛』(後篇)」という記事が配信されました。記事の取材と執筆をしました。

抹茶は、茶の新芽を摘んで蒸したあと、そのまま乾かし、碾いて粉にしたものです。これを、お湯のなかに入れれば、茶の湯の「おてまえ」として供されるお茶の成分になります。さらに、和菓子、洋菓子、主食などの食べものの食材に混ぜれば、スーパーマーケットやコンビニエンスストアで売られる加工用食品の材料にもなります。

記事では、前篇と後篇にわけて、抹茶が日本の伝統的な嗜好品になっていった歴史をたどるとともに、現代の抹茶に“現代の視点”がどのように注がれているかを見ていきます。

抹茶の原点であるお茶は、8世紀ごろに、日本の遣唐使が中国の唐から種を持ちかえったことで広まったとされます。当時、中国でもお茶は流行の最先端を行っていました。日本人は、本場の最先端を早くも日本にとりいれたかたちです。

当時のお茶は、酸化させないために茶葉を煮てから、それを固めて乾かしたもの。この葉っぱのかたまりである「餅茶」を「茶研」という道具で碾いて粉にし、これをお湯に入れて飲んでいたのです。

「抹茶法」は13世紀前半ごろに日本の世に広まりました。臨済宗を開いた栄西(1141-1215)が中国留学で経験したお茶についての体験を『喫茶養生記』として、日本で広めたのでした。

しかし、この当時の抹茶もあいからわず茶研で粗く碾かれたものであると推定されています。茶研で茶葉を碾いても、舌で感じられるほどの粗い粉にしかならないことが、記事に登場する伊藤園中央研究所食品科学研究室長の沢村信一さんらの研究でわかっています。『喫茶養生記』には、茶研に代わる新たな碾きかたは書かれていません。

その後、さらに茶葉を細かく碾くための「茶臼」という道具が13世紀から14世紀ごろにかけて使われはじめるようになって、ようやく“抹茶らしい抹茶”がつくられるようになるのでした。

日本が得意とする「加工技術」が、抹茶の製法や接しかたにも見られます。茶摘みの前に葉っぱから日の光を遮る「被い下栽培」や、和菓子にも洋菓子にもラテにも抹茶の粉を入れてしまう「抹茶味」の食品の開発などなどです。記事では、このような抹茶文化の発展を、沢村さんとともに見ていきます。

日本ビジネスプレスの記事「緑色の粉に見る日本の『ものづくり』の原点 日本人と『抹茶愛』(後篇)」はこちら。

前篇「だから抹茶は愛される、数百年の歴史に秘密あり」はこちらです。
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「遠隔医療」があるのなら


医療の世界では「遠隔医療」という技術が進んでいます。

地方で暮らす患者が都市にある総合病院まで行って、専門医に診てもらうのはたいへんなこと。そこで、患者が暮らす地方にある診療所と、都市の総合病院をインターネットで結びます。

患者は、地元の診療所に詰めている地元の医師を介して、病状などを都市の総合病院にいる専門医に伝えることができるわけです。インターネットで患部の画像を送ったり、問診での音声を送ったりすることができます。

この患者の病状などの情報を受けた専門医は、診療所の医師に「こういう治療を施してみてはどうか」と伝えます。そして、診療所の医師が患者に対して治療を行います。

さて、人のけがや病気を治すという行為は、しばしば、機械の故障を修理するという行為とおなじ文脈でとらえられることがあります。とすれば、遠隔医療とおなじように、「遠隔修理」があっても、なにもおかしくはありません。

たとえば、日産自動車は、2010年12月の電気自動車「日産リーフ」の発売に合わせて「リモート・テクニカル・アシスタンス」というシステムをとりいれました。

車の持ち主は、「この車、故障したのでは」と思ったら、販売店に車を持っていきます。そして、販売店の整備担当者が故障の有無などを診ます。

整備担当者が修理できる程度の故障であれば、販売店のその場で修理することもできます。しかし、整備担当者では手に負えないような故障となると、これまでは車を補修工場に送って修理しなければなりませんでした。

いっぽう、リモート・テクニカル・アシスタンスを使うと車を補修工場まで送る必要がすくなくなります。整備担当者が、故障があると思われる部分を撮影するなどして、その映像を日産自動車の技術センターに送信します。

技術センターの技術士は、故障の情報を受けると、すぐに修理すべき部分や修理内容を判断します。そしてその結果を整備担当者に伝えます。結果を受けた整備担当者は、その場で故障した車の修理にとりかかります。

遠隔医療とまったくおなじシステムが自動車の修理で行われるようになったわけです。

参考文献
村瀬澄夫「遠隔医療の現状と課題」

参考ホームページ
日産自動車「日産のサービス」

参考記事
InnovationS-i 2010年11月16日付「日産、ネット経由でEV診断『リーフ』量販後押し、故障対応新システム」
ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2011年1月19日付「日産、ネットを利用した遠隔修理システムでEV対応を強化」
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「親和図法」単純だからこそいまなお続く
 頭の整理の方法は、単純なものほど根強く使われつづけるのかもしれません。その一端を示す例が、「親和図法」という情報整理法がいまも使われているということにあります。

「親和図法」は、ブレインストーミングで人が出した数々の発想や意見を整理するための方法です。

ブレインストーミングとは、「新製品のネーミングをどうするか」や「雨の日に傘をもたないで済む方法にはどのようなものがあるか」といったテーマをもとに、会議の参加者たちが、とにかく思いつくままに意見を出しあう作業のこと。テーマに関連する発想であるかぎり、どんな意見であろうともほかの参加者から「そんなのはだめだよ」と否定されることはありません。

会議の参加者からつぎつぎと、思いついたことが出てくるのは、ブレインストーミングをするにはよろこばしいことです。しかし、あまりにも思いついたことが多く出すぎると、参加者たちの頭の整理がつかなくなってしまいます。

多くの思いつくことのなかから、きらりと光るアイデアというものは出てくるものです。しかい、思いついたことがあまりに多すぎてまとまっていないと、その光るアイデアが埋もれてしまい使われないことも起こりえます。

そこで、情報整理のために親和図法という方法が使われます。「親和」とは、親しんでたがいに結びつくこと。つまり、仲がよいことです。

会議の参加者は、あたえられた時間内に思いつくだけ、用意されたカードやポストイットなどにその内容を書いていきます。

5人の参加者が10個の思いつきを書けば、それだけでたちまち50枚の記入済みカードができるわけです。

この50枚のカードを、親和性のある内容ごとにグループ化していきます。たとえば、「雨の日に傘をもたないで済む方法は」というテーマに対して、参加者たちが、「雨合羽を着る」「レインコートを身につける」「外出をしない」「地下街へ出かける」「ポリ袋をかぶる」などとカードに書きこんでいったとします。

こうして参加者が出したカードを、整理していきます。たとえば「雨合羽を着る」「レインコートを身につける」「ポリ袋をかぶる」といった仲のよさそうな内容のカードを近くに寄せあつめ、「身につける関連」という見出しのカードを置きます。

また、すこし離して、「外出をしない」「地下街へ出かける」という仲のよさそうなカードを近くに寄せあつめ、こちらには「建てもの関連」といった見出しのカードを置きます。

こうして、掲げた見出しに含まれるカードを集めることで、情報を整理していくわけです。

思いついたアイデアを、移動させることのできるカードやポストイットの上に書いて、あとで仲間どうしにする。そして見出しをつける。ただこれだけの作業ではあります。しかし、いまも親和図法は、企業などにおける品質管理(QC:Quality Control)のための大切な手法として使われています。

参考ホームページ
[意味?]-ISOミニ辞典「QC手法」
FK-PLAZA「親和図法」
国際規格マネジメント「品質版Info(4)」
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「なにから手を付けたら」なときに「ペイオフ・マトリクス」
 「なにから手を付けたらよいかわからない」といった状況に陥ることがあります。たとえば、ある会社が会議を開き、顧客満足度をあげるための方策を検討し、よい案を実行しようということになりました。出しをすることになりました。

経営者にとってはよろこばしいことに、会議では、営業、企画、開発、製造といった各部門の担当から、じつにさまざまな案が出されていきました。

しかし、出された案をすべて実行するには予算がかかりすぎてしまいます。この経営者は迷いはじめました。「いったい、なにから手を付けていけばよいのだろう」と。

このような優先順位づけをするときの手法として「ペイオフ・マトリクス」というものがあります。

「ペイオフ」(Payoff)には、「支払い」「結果」「仕返し」「献金」などのさまざまな意味がありますが、ここでは「結果」や「効果」といった意味がしっくりきます。また、「マトリクス」にも「基盤」「母型」「母岩」「行列」などのいろいろな意味がありますが、ここでは「行列」の意味を指します。

なにかの行動を起こすときには、「どのくらい実現しやすいのか」という「実行性」と、「どのくらい効果があるのか」という「実効性」のふたつの尺度で考えることができます。

たとえば、営業担当は「電話受付サービスを朝9時から夜9時までにしているのを、24時間体制にしましょう」という案を出しました。

たしかに、アルバイトを増強させればどうにかなるので実効性はありそうですが、夜中から朝にかけて電話を受けつけたとしても、あまり電話はかかってこなさそうです。「実行性」は高いけれども「実効性」は低い、といった案です。

いっぽう、企画担当は「商品をすべて、“木村拓哉さんご愛用”とか、“ペ・ヨンジュンさんご推薦”とか銘うって、注目度を高めるようにしましょうよ」という案を出しました。

たしかに、広告を打つでもなく有名人が使っていることを紹介できれば、効果は大きそうですが、木村拓哉やペ・ヨンジュンがその商品を知っているかさえもわからない状況においては、絵に描いた餅。「実効性」は高いけれど、「実行性」は低い、といった案です。

ペイオフ・マトリクスでは、このように成果の度合を、実行性と実効性というふたつの軸で考えます。実行性の軸を「高い・中くらい・低い」、実効性の軸を「高い・中くらい・低い」として、出された案がそれぞれどこに位置づけられるかを評価します。

たとえば、「実行性は中くらいだけれど、実効性は高い」といった案は、2点と3点で5点。「実行性は高いけれど、実効性は低い」といった案は、3点と1点で4点となります。あるいは、模造紙に大きな縦横軸の表をつくって、実行性と実効性の度合の交点に印を付けていきます。

こうすることで、実行性と実効性という、成果を占うための重要なふたつの尺度をもとに、優先順位を付けていくことができるわけです。ペイオフ・マトリクスでなにから手を付けるかを決めれば、大事なことから着手するという大義名分がたちます。

また、案を出した人たちに納得してもらいやすい、という効果もあります。点数や視覚といった、だれにとってもわかりやすい尺度で評価がおこなわれるため、「なぜ、自分の案よりほかの人の案が採用されるのか、納得いかない」といった不満を和らげることができるわけです。そのため、会議の場で意見が多く出され、どれを採用すべきか紛糾したときなどにも利用されています。

たんに、「やってみる価値がありそうか」というひとつの軸で優先順位をはかるのでなく、「どのくらい実現しやすいのか」と「どのくらい効果があるのか」というふたつの尺度をもちだすことが、人びとに「この案から始めよう」と決めるときの安心をあたえるのでしょう。

参考ホームページ
Offtheball LLC 代表 竹内仁のブログ「ペイオフマトリクス」
ビジネス・ブレークスルー「触発する、かみ合せる(3)行動を促す」
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心も機能美を受けとめる。

人は、「美しさ」を感じることのできるいきものです。

美意識の度合は異なるとしても、「これとこれをくらべたらどちらが美しいか」と問われたとき、大多数の人が「こちらだ」と答える傾向はあります。このことからすると、大多数の人に共通する「美しさの価値判断力」があるといえそうです。

では、人はなにに「美しさ」を感じるのでしょうか。

極彩色に塗られた屏風や、豪華絢爛な服装に美しさを感じる人もいるかもしれません。これらの美しさは、「飾られた美しさ」あるいは「演出された美しさ」といえます。

いっぽうで、人に美しさを感じさせるためには、「飾り」や「演出」がかならずしも要るというわけではなさそうです。

人は「美しい」というイデアから、「むだのない」あるいは「機能的である」といった状態を想像することもできます。

この美の種類は「機能美」とよばれます。機能本位で、余分な飾りがないところから感じることのできる美しさが、機能美です。人の「こうしたい」「こうありたい」という目的がかなうことを最優先にデザインされた結果、得られる美しさが機能美です。

しばしば人は、この機能美は形あるものに備わっていると考えがちです。「形態は機能に従う」(Form follows function.)ということばで機能美を表現したルイス・サリヴァン(1856-1924)の職業は建築でした。

しかし、人は「美しさ」を、実際に目に見える物体のかたちからだけでなく、方法、システム、コミュニケーションといった、物体ではないものからも感じとることができます。

「機能美」ということばに含まれる「機能」も、物体としてある道具に対してのみ表現されるものではありません。むしろ、物体としての道具以外のことに対して表現されることが多いのではないでしょうか。「試みた方法が機能した」や「システムが機能している」や「機能的なコミュニケーション」といったように。

つまり、人は、物体としてある道具に対してのみでなく、方法やシステムやコミュニケーションに対しても「機能美」を感じることができるのです。

たしかに、物体を伴わない機能美は、視覚としては捉えにくいため、だれもが「これ、美しいね」と共感することのむずかしさはあります。

しかし、物体が伴わないとしても、その場の参加者が理想とする状況に対して、最大公約数的な成果が得られるシステムや、最小の投資で最大の効果を引き出すような方法に、人は、ことばとして表しがたい心地よさを覚えます。

視覚が受けとめるだけでなく、心が受けとめる「機能美」があるのです。
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揮発性有機化合物の3割削減目標、達成は確実な状況
「何年度までに、何年度にくらべて、何割を削減する」といった、ものの排出量を減らすための目標設定は、温室効果ガスに対してのみ行われているのではありません。

温室効果ガスにくらべて、あまり知られていませんが、「揮発性有機化合物」(VOC:Volatile Organic Compounds)とよばれる物質に対しても、環境省は排出量削減の数値目標を立てています。その目標とは、「2010年度までに、
工場等の固定発生源からのVOC排出総量を2000年度比で3割程度抑制すること」。 

揮発性有機化合物とは、常温で蒸発して大気のなかでガスになる有機化合物のこと。さらに、有機化合物とは、炭素原子がほかの原子や分子とともに含まれている物質のことです。

揮発性有機化合物が使われている製品の代表格は塗料。日本での、揮発性有機化合物の排出量の半分ほどを占めているといわれています。無色の液体のトルエン、おなじくキシレン、臭いのある無色の酢酸エチルといった揮発性有機化合物が塗料には使われています。


トルエン(左)とキシレンの一種(右)

ほかに、身近なところでは印刷インキや接着剤、またガソリンスタンドなども、揮発性有機化合物の発生源となっています。

その場で塗料や接着剤を使ったとしても、そこからつぎつぎと揮発性有機化合物は蒸発していきます。大気中に含まれるかずかずの揮発性有機化合物は、光化学オキシダントや、浮遊粒子状物質といった大気中の物質をつくるもとになります。これらの物質は、目や器官などを刺激して呼吸器障害などををもたらす光化学スモッグをもたらします。

環境省や都道府県などは「3割削減」にむけて、企業などによびかけをつづけてきました。たとえば、塗料では揮発性有機化合物が多く含まれる「溶剤系」よりも、塗装膜をつくるための成分だけが含まれている固体の「粉体系」などを使うことをすすめてきました。

「2010年度までに」という期限は、もはや過ぎています。ただ、2010年度が終わればすぐに、その年度の揮発性有機化合物の排出量がわかるわけではありません。2010年度の結果はまだ公表されていません。

参考として、2009年度までの揮発性有機化合物の排出量のデータはあります。環境省が、2011年3月に発表した「揮発性有機化合物(VOC)排出インベントリについて」という報告書によると、2009年度は823,551トン。これは、基準年とした2000年度にくらべて、42%の削減となっています。この下がり具合からすると、2010年度も3割削減は実現されていることでしょう。目標達成は確実な状況。

目標達成の背景には、行政の働きかけとともに、企業の努力もあります。企業にとっても「わが社では地球環境にやさしい製品をつくっています」という宣伝することは戦略上、重要になってきました。そのため、揮発性有機化合物をなるべく使わない製品をつくるようになってきています。

参考文献
環境省「揮発性有機化合物(VOC)の排出抑制制度の概要」
環境省「すぐにできるVOC対策」
環境省2011年3月「揮発性有機化合物(VOC)排出インベントリについて」

参考ホームページ
フタバ工業「粉体塗装とは」
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書評『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』
2011年8月、この本の主役は、アップルの最高経営責任者という役からは離れました。その後も本は売れています。日本人にとってのプレゼンテーションの手本という地位は変わらないのでしょう。


「プレゼンテーション」ということばの大元は「贈りもの」つまり「プレゼント」にあるという。米国アップルの最高経営責任者だったスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションには、聴衆への“贈りもの”がいつもあると評判でありつづけた。

その、ジョブズのプレゼンテーションの秘訣を、メディア対応法やコミュニケーション技術のコーチである著者が述べたのが本書だ。

見ぶりや手ぶりといった身体的動作だけでなく、聴衆を驚かせる仕掛けや、アウトラインつまりもっとも伝えたい一文のつくりかたなど、「伝えかた」全般のことが書かれてある。

人々が知りたいのは新製品についての情報なのではなく「なぜ注目する必要があるのか」であるといった、読者の心を刺激する示唆的な話も多く示されている。

しかも、そうした勘所を示す事例に使われているのが、おもにジョブズのプレゼンテーション。ジョブズのプレゼンテーションを評価している人にしてみれば、贅沢な学びの時間であるにちがいない。

ただし、この本自体の“プレゼンテーション”が素晴らしいかというと、すくなからぬ読者が違和感を覚えるのではないかという部分も見あたる。

ひとつは、本文の流れを分断する囲み記事が多すぎることだ。だいたい3ページの1話ほどの割合で、本文の途中に囲み記事がさしはさまれている。本文に書かれてあることこそ肝であるとすれば、肝に集中しにくい本のつくりになっている。

もちろん、囲み記事が気に障る読者は読みとばせばよいのだろうが、読者にそうさせることは読者に対するプレゼンテーションの原則からは外れているといえよう。

もうひとつは、ジョブズのプレゼンテーションのみが題材になっているわけではない、ということだ。ジョブズのプレゼンテーションの“反面教師”役として、たとえばマイクロソフトのビル・ゲイツのプレゼンテーションが引きあいに出されるのは、読者も理解できよう。

しかし、優れたプレゼンテーションをする見本役としても、ジョブズ以外の人々がつぎつぎ登場する。たとえば、元副大統領のアル・ゴアや、現国務長官のヒラリー・クリントンのプレゼンテーションなども詳しく解説されている。

これは、「ジョブズのプレゼンは、ジョブズのプレゼンは、ジョブズのプレゼンは」と、一辺倒にならないための緩和剤ともとれるが、焦点が「ジョブズのプレゼンテーション」からややぼやけたと感じる読者もいたことだろう。

こうした難点はあるものの、この本はよく売れているし、評価も高いようだ。実践的なプレゼンテーションの技術だけでなく、読むことによって仕事のやる気が出てくるとか、そういった副次的効果も大きいのかもしれない。

もし、日本でも、読めないほどの文字がぎっしり詰めこまれたパワーポイントのプレゼンテーションを見る機会が減っているのだとしたら、この本の貢献が大きいのかもしれない。ただし、プレゼンテーションについての本を好んで買うのは、プレゼンテーションが長けた人のほうなのかもしれない。

『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』はこちらでどうぞ。
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品種を保って美味を保つ


食べられる植物の美味しさを管理するため、人は「品種」を大事にしてきました。

品種は、遺伝のとき、特定の形質をおなじくする一群のことをいいます。ある植物のある品種が、「食べると美味しい」ということがわかれば、その品種どうしを交配させるなどして、べつの品種が混ざらないようにしていきます。こうして、その品種ならではの「美味しさ」を何世代にもわたり保つわけです。

たとえば、いま栽培されているお茶のうち、85%ほどを占めているのが「やぶきた」という品種です。

やぶきたは、もともと存在していた種のなかから選ばれたもの。お茶の研究家・育種家だった杉山彦三郎(1857-1841)が1892年、静岡市内の試験地のとなりに生い茂っていた竹やぶを開墾し、その敷地の北側でとれたお茶の木を「やぶきた」と名づけたのでした。

また、とくに抹茶用の品種として、京都府の宇治地方で育てられている品種に「あさひ」や「さみどり」などがあります。

あさひは、1953年、宇治の茶業研究家だった平野甚之丞によって育てられた品種で、当地にもともと生えていた品種を「平野11号」として登録したもの。全国茶品評会に数多く受賞しています。

また、さみどりも1953年、宇治地方の農家だった小山政次郎が、もともと生えていた品種を「小山69号」として登録したもの。葉の色には光沢があり、また、香味に優れていると評価されています。

これらのように、もともとその場に生えていた品種を選んで、その品種を保ちつづけていくことのほかに、品種改良も行われてきました。美味しさにとってプラスになる優れた遺伝的性質をもつ品種どうしを、人の手によって何世代かにわたり交配させて、より優れた遺伝的性質をもつ品種を生み出すのです。

品種管理や品種改良は、お茶にかぎらず穀物、野菜、果物など、さまざまな食用植物でおこなわれています。人の、“美味なるもの”への追究の結果といえるでしょう。

参考ホームページ
お茶街道「人物クローズアップ 第9回」
京都府「宇治品種について」
山政小山園「お茶のはなし」
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結論が議事録ですりかえられる。
のちのち人に伝えたり、自分たちでふりかえったりするために、話したことの「記録」が行われます。会議における「議事録づくり」はその典型。会議において、だれがどのようなことを話したか、また会議の結論はどのようなものだったかを記録にします。

企業などの会議では、書記のような専門の役割をになう人が議事録をつくるわけではないことから、たいてい若手の社員が「勉強のためだから」といった名目のもと、議事録づくりをまかされることが多いようです。

しかし、入社1年目や2年目の社員が議事録づくりを行うほど、かんたんにはいかないような場合も多くありそうです。

大きな問題は、議事録確認段階での発言増やしや発言減らしです。

議事録づくりの担当が、議事録の文案をつくると、たいていの場合、会議出席者に議事録の文案を回して「確認」をすることになります。「お気づきの点がありましたら、ワードの変更履歴を記録するかたちで、ご修正をお願いします」。

こうして、各部署の、課長や部長により議事録文案が目通しされ、議事録づくり担当のもとに戻ってくると、ワードのファイルはまっ赤になってかえってきます。

なかには、「結論:次期新規商品の販売時期は、年末とする」と書かかれてあった文案が、販促課長の課長によって「結論:次期新規商品の発売時期は、年末以降とする」などと変えられている場合もあります。「発売時期は、年末とする」と「発売時期は、年末以降とする」では、内容が大きく異なります。

会議の実際の結論では、「年末までに販売することにします」という共通見解がえられたものだという結論に達していたのかもしれません。しかし、会議に出席していた販促課長の“心”は、さにあらず。「わが販促課では、もうこれいじょう年末キャンペーンの商品を増やすことはできんな」という気持ちで満たされていたのかもしれません。

こうして、結論とは異なる内容に改変された議事録確認が行われるわけです。議事録づくりの担当者は、この販促課長が書きくわえた内容の処理に困ってしまいます。「もういちど、この販促課長によってあらためられた文面を、会議参加者たちに連絡したほうがいいのだろうか」と。

こうして、苦労の末につくられた完成版の議事録も、関係者のすべてがあらためて見ることはすくなそうです。完成版の議事録を読みかえすような暇はないからです。あらたにこなすべき仕事があるなかで、「完成版の議事録を見かえす」という行為の優先順位は、とても低いものになります。

結論が「次期新規商品の発売時期は、年末以降とする」にすり替えられた議事録が完成版になったとしても、そのすり替えに気づかない関係者もいることでしょう。こうして、議事録となったことでさえ共通見解が得られないまま、といったことが起こるわけです。

不思議なことに、そのような齟齬の状態がつづいたとしても、結局その組織が破綻するようなことはすくなく、どうにか継続されていきます。しかし、議事録づくりで生まれた結論のずれは、どこかのだれかにストレスを集中させていることにはちがいありません。
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金属オキシ酸で蓄電池の性能向上
 電気自動車などで電気を貯める役割をはたす蓄電池には、触媒とよばれる物質が使われることがあります。触媒は、自分自身は化学反応をしないながらも、べつの物質の化学反応をうながす物質のことをいいます。

蓄電池は、マイナスの性質を帯びた電子が集まる正極材と、プラスの性質を帯びた正孔という穴を増やす負極材などで成りたちます。たとえば、正極材に触媒が使われることがあるのです。

正極材の触媒として注目されているひとつが、「金属オキソ酸」とよばれる物質です。金属オキシ酸は、「ポリ酸」あるいは「ポリオキソメタレート」ともよばれます。

「酸」は、水に溶けると水素イオンを生じ、また、塩基という物質と反応すると塩(えん)と水を生じる物質全般を指します。この酸のうち、「XOm(OH)n」あるいは「HnXOm+n」という化学式で表される酸のことを「オキソ酸」といいます。この化学式のなかで、「X」は中心となる原子、mは酸素原子(O)の個数、nは水酸基(OH)の個数をあらわしています。

オキソ酸には、たとえば、硫酸(H2SO4)や塩素酸(HClO3)といった物質が知られています。硫酸は、中心物質が硫黄(S)。塩素酸は中心物質が塩素(Cl)となっています。いっぽう、「金属オキシ酸」は、中心物質として金属が当てはまるオキシ酸のことを総称したもの。たとえば、金属オキシ酸の中心物質になる金属物質としては、リン(P)、マグネシウム(Mg)やタングステン(W)などがあります。

金属オキシ酸は、酸化触媒としての役割があることがわかっています。べつの物質と酸素を結びつける、つまり酸化をうながすのです。

この金属オキシ酸の中心物質となる金属を制御して置いたり、金属オキシ酸を配列よく並べたりすれば、蓄電池の正極材の性能がよくなり蓄電の性能が上がる、つまり多くの電気をためられるようになるといわれています。

参考文献
科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業NewsLetters 2006年1号

参考ホームページ
Polyoxometalate
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会議は踊る。されど進まず。(3)

フランス皇帝ナポレオン(1769-1821)

1814年9月1日に始まった「ウィーン会議」は、参加各国が領土の獲得をめぐって対立したことと、参加各国の要人が優雅な舞踏会に明けくれたという理由などから、長びきました。翌1815年になっても、会議が終わる気配がありません。

もともと、この会議は、フランス皇帝だったナポレオンが戦争に敗れて島流しになったあとの、欧州の体制を決めるためのものでした。ところが、1815年3月以降になると、会議場だったウィーンのシェーンブルーン宮殿に、不穏な情報が流れます。

「ナポレオンがエルバ島を脱出したようだ」

この情報は、事実でした。ナポレオンは1815年2月26日、エルバ島を脱出して、3月1日、フランスのカンヌへ上陸し、パリへと進軍を続けました。そして、3月20日にはふたたびパリへと入り、ナポレオン失脚後に皇帝に即位していたルイ18世をけちらして、皇帝の座にふたたび就いたのでした。

エルバ島にいたナポレオンも、ウィーン会議がいっこうに進んでいないという情報を知っていたようです。

シェーンブルーン宮殿で優雅に舞踏会に明けくれていたウィーン会議参加者たちはにわかに焦りだしました。ナポレオン失踪後の欧州秩序を取りきめようとしていたのに、そのナポレオンがふたたびフランスに戻ったのですから。

この状況は、現在の会議の風景にも重なるものがありそうです。会議が進展するのは、会議自体の作用によってではなく、会議の場とはことなる外的な情勢の変化によって、ということが見うけられます。ナポレオンがエルバ島を脱出したという情報で、会議が急に動きだしたのは、外部要因による会議の進展の典型といえそうです。

急遽、ナポレオンと敵対していた同盟諸国側は3月25日、ウィーン会議で「ナポレオンの復帰を向こうとする」とし、また、ナポレオンを打倒するため「第七次対仏大同盟」を結成して、戦争を始めたのでした。ナポレオンは皇帝復帰の3か月後にはワーテルローの戦いで同盟諸国に破れ、ふたたび退位し、南太平洋のセントヘレナに島流しになりました。「百日天下」です。

ナポレオンと同盟諸国との戦争中も、ウィーン会議はつづきました。結局、ウィーン議定書というとりきめが結ばれて会議が終結したのは、ナポレオンがパリに皇帝に復帰してから82日後、そしてナポレオンがワーテルローの戦いで敗れるわずか9日前にあたる、6月9日のことでした。

1815年、ウィーン会議で決まった「ウィーン体制」は、38年後の1853年、クリミア戦争の勃発で終わります。9か月かかって決まった欧州体制が、40年も保たれることはありませんでした。了。
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会議は踊る。されど進まず。(2)



1814年9月1日に、ウィーン会議は始まりました。フランス皇帝ナポレオン敗戦後の欧州体制を決めるための会議です。この会議は終わるまでに9か月もかかったのでした。

会議が長びいた理由は、参加者である欧州各国の利害対立だけではありません。会議があまりにも優雅だったというのがもうひとつの理由としてあげられます。

この会議に参加した各国の要人たちは、貴族階級ばかり。欧州のグルメなセレブリティたちが、一堂に会する機会でもあったわけです。会議場となったウィーンのシェーンブルーン宮殿は、ハプスブルク家の歴代君主が離宮として使っていた豪華絢爛な宮殿。そこで、会議の参加者たちは、夕方になると晩餐会を開いたり、舞踏会を開いたり、宴に明けくれていたといいます。

欧州じゅうの金もちの貴族たちが長時間にわたりウィーンに滞在するものですから、これを勝機にとらえた娼婦たちがウィーンに詰めかけ、都はバブルのような状況が起きていたようです。

こうした晩餐会と舞踏会に明けくれる、長丁場というよりちんたらぐだぐだの会議進行に対して、「会議は踊る。されど進まず」といったことばがうまれたのでした。

このことばを発した主は、フランスのリーン家の7代目で陸軍元帥だったシャルル・ジョゼフ・ド・リーニュ(1735-1814)のものといわれています。シャルル・ジョゼフは文才にも優れていました。

シャルル・ジョゼフ・ド・リーニュ

いっぽうで、国語辞典の「会議は踊る」の項目では、「各国代表が舞踏会に興じて一向に議論が進展しないことを評した、フランス代表タレーランの言葉」とも書かれています。シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754-1838)は、ウィーン会議当時、ルイ18世に外務大臣として仕えており、ウィーン会議ではナポレンオンが敗走した後のフランス自国の領土をまもることが使命でした。タレーランは「一日の4分の3は、舞踏と宴会だった」とも記したといいます。

だれが言い放ったことばであるとしても、とにかく会議は進まなかったわけです。現代の会議でも、その日の会議が終わってからの歓迎会や食事会はよくあること。夜の宴が楽しみでいる会議参加者も、たてまえ上は会議を粛々と行うといった態度はとるでしょう。いっぽう、ウィーン会議では、会議と舞踏会の主従関係が逆転していたのかもしれません。

では、いつまでたっても終わらない気配のウィーン会議を終わりに向かわせたものはなんだったのでしょう。それは、会議参加者の内的要因ではなく、会議非参加者の外的要因だったといいます。敗れて流刑地にいたはずのナポレオンが、脱出してフランスに戻ってきたというのです。つづく。

参考文献
『広辞苑第五版』

参考ホームページ
大沢洋子税理士事務所「会議の秘訣」
オーストリア散策「『会議は踊る』はなぜ名言?」
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会議は踊る。されど進まず。(1)


gooリサーチなどが、「適正だと思う会議時間」を日本の20歳以上の正社員に聞いたアンケートがあります。それによると、もっとも多かった回答は、「30分以上1時間未満」で60.0%。2番目に多かった「1時間以上2時間未満」の30.2%のほぼ2倍となりました。

「30分から1時間」といえば、昼休みとおなじくらいの時間です。会議はさっとやってさっと終わらせたいと多くの人が思っているようです。

しかし、世界史を見てみてみると、「終わるまで9か月もかかった会議」というものがあります。19世紀の前半、オーストリアのウィーンで開かれた「ウィーン会議」です。

1814年9月1日、ウィーンのシェーンブルーン宮殿に欧州の各国の代表が集まりました。この会議は「会議をするための会議」ではなく、きちんとした目的がありました。参加者たちからすればその目的は「ヨーロッパを立てなおすこと」といったことになります。

ウィーン会議が開かれるまえの欧州では、1789年にフランス革命が起きました。そして、1800年代に入ると、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトとその同盟国が、英国、オーストリア、ロシア、プロイセンなどの列強とつぎつぎに戦争を起こし、そして破れました。この戦争処理のしかたを、欧州の各国で話しあったわけです。具体的には、欧州の領土をどの国がどう獲得するかを決めるための話あいでした。

なぜ、ウィーン会議が9か月もかかったのか、それにはいくつかの理由がいわれています。その理由には、現代の長びきがちな会議への示唆も含まれていそうです。

まず、参加者たちの利害関係が激しく対立したということ。これは、目的ありきの会議で、その会議の参加者も任意でなく、その参加者でなければならないと決まっているときには、おこりうることです。

ナポレオンが率いていた時代のフランスは、イタリアやドイツにも領地を広げていました。しかし、そのナポレオンが敗走したわけです。フランスのものになっていた土地をどの国が収めるのかといった点で、対立があったといいます。

また、フランスと戦った側のロシアはナポレオンによって分割されていたポーランドを、おなじくフランスと戦ったプロイセンはナポレオン戦争後に解体されたザクセン王国を、併合したいと要求しました。しかし、他国からの反対を受けました。

こうした、“がちんこ”の利害対立とはべつに、もうひとつウィーン会議を長びかせた理由がいわれています。それは、この会議があまりにも優雅だったということです。つづく。

参考ホームページ
goo Researchポータル「会議に関する意識調査」
自由のための戦い「自由主義と国民主義」
神戸マンツーマン指導専門学院「世界史の目」
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「あとはよろしく」といって意思決定者は会議場を退出


会議で決まることを実行するかどうかは意思決定者の手に委ねられています。会社でいえば取締役や社長などが、意思決定をすることが多いようです。

この意思決定のための会議において、「意思決定者が参加しない」という方法があります。「ワークアウト」とよばれるものです。

米国ゼネラル・エレクトリック(GE)の会長兼最高経営責任者だったジャック・ウェルチには、社内の会議に対して、ある不満がありました。「研修所での社員研修では自由な雰囲気があるのに、会社内にその雰囲気が行きわたっていない」。

こうしたことから、ウェルチは自由闊達に意見が飛びあう会議の手法を考えていきました。数十人の社員が参加して、2、3日にわたる会議を行うこと。「ファシリテータ」とよばれる進行役が助言をしながら会議を進めること。重要な問題を選んで会議を行うこと。こうしたことがワークアウトでの特徴としてあげられます。

なかでももっとも大きな特徴のひとつは、意思決定者の会議退席でしょう。

会議のはじめは、意思決定者は会議場にいます。そして、会議の参加者によびかけます。「この組織がいまやっていることはこれこれこういうことです。しかしながら、これこれこういった課題も抱えています。どうにかしてそれを解決したいのです」。

そして、意思決定者は「じゃ、あとはよろしく」といって、会議場を退席するのでした。

2、3日にわたる意思決定者抜きでの議論の末、会議の参加者間での結論が出ました。ここで、ふたたび意思決定者が会議場に呼ばれます。

「社長、私どもで話しあいをしました結果、これこれこういう方針で行く案が結論として出ました。いかがでしょうか」。このように会議出席者側から、意思決定者側に会議の説明が行われます。

それを聞いた意思決定者は、その場で結論を下します。「うん。わかった。その案をとりいれて、実行するようにしていこう」あるいは「いいや、それは却下だ」と。こうして、意思決定者による意思決定が行われるわけです。

会議に意思決定者が参加しない意義はどこにあるのでしょう。端的にいえば、「自由闊達な意見を参加者が出せる」ということにあります。

意思決定者が会議の席に座って、しかめ面をしたり、うなずいたり、「俺はこう思うんだよ」と意見を述べたりすれば、その雰囲気が会議場を支配することになります。そのなかで、若手社員が意思決定者とは異なる意見を「私はこう思います」と発言することは挑戦に受けとめられます。

威勢のあるボスがいないところで、社員どうしが「なあなあ、ボスが言ってたあの案件、どうするよ」「そうだなぁ、こうするしかないんじゃないかなぁ」「俺はこう思うけれどね」と、意見を自由に出しあうということは、会社内ではよく見られる光景でしょう。意見交換が闊達になることもよくあります。これを「ワークアウト」という会議の制度にしてしまったわけです。

「ワークアウト」(Work Out)ということばの意味を、ウェルチは「不必要な仕事を取りのぞくという意味だ」と述べたといいます。2日間にもわたって数十人が集まる会議を「必要な仕事」にさせるには、意思決定者の不参加が大切ともいえるのかもしれません。

参考ホームページ
@IT情報マネジメント「ワークアウト」
ITpro「ワークアウトとは」
ビジネス・ブレークスルー「GEに学ぶ企業変革(4)ワークアウト」
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初の共同作業、まず会うべし――法則古今東西(17)


これだけインターネットやメールなどの通信手段が発達するなかでも、「人と会ってうちあわせをするという行為が重要ではなくなった」という話を聞きません。

たとえば、顧客先につくった書類を納品することを生業としているフリーランスの人にとっては、大都市で暮らそうが、地方の村で暮らそうが、通信手段が保たれていさえすれば、どこからでも納品できる時代にはなっています。ワードなどの書類をメールに添付して送信すればよいだけですから。

しかし、ひんぱんにうちあわせがあることを考えると、地方暮らしをすることはいろいろと不利になります。本人が何時間もかけて大都市まで向かわなければならないこと。それに、顧客先に「わざわざうちあわせで来てもらうのもたいへんだから、ほかの人に頼もうか」と考えてしまうこと、などなど。

では、うちあわせをしない世の中というのは、ありえるのでしょうか。また、幸せでありつづけるのでしょうか。

うちあわせを重視している物書きはこんなことを言います。「これまでの経験からして、編集者との仕事が軌道に乗らずうまくいかないときには、かならずといってよいほどの共通パタンがあるんだ。それは、顔合わせなしに、仕事が始まるということだ」。

たとえば、べつのだれかからの紹介を受けて、当事者どうしが仕事で協力関係になるということはよくあること。このとき、当事者どうしが顔合わせをしないで仕事を始めることもあります。

「私にもそういう経験があった。いまも最悪だったと反省しているのは、顔合わせはおろか、電話で相手の声も聞くこともなく、すべてメールだけで連絡をした仕事さ。顔も声もどんな人かわからない相手から、メールで『ここを変更してください』などと注文が来るのだけれど、どうもメールどおりに変更しようという気にならなかったなぁ」

この物書きによると、けっきょくその仕事は、2か月ほどで打ち切りになったそうです。

心理学では、「単純接触効果」とよばれる法則があります。米国の心理学者ロバート・ザイアンス(1923-2008)が1968年に発表したもので、みっつある法則のうちのひとつめにつぎのようなものがあります。

「人は、知らない人に対して攻撃的で冷淡な対応をする」

その人のことを知っているかどうかが、その人のことに好意的に接するか、攻撃的にふるまうかに影響をあたえるということです。

この法則には三番目まであり、ふたつめは「人は、会えば会うほどその人を好きになる」、みっつめは「人は相手の人間的側面を知ったとき、その人をもっと好きになる」とつづきます。

とくに用がなくても顧客を訪れて世間話でもすべきという営業担当の心得としてしられています。営業担当者にかぎらず、初めて仕事をともに進めるような人にとっては、「早めに顧客には会っておくべし」ということも、より強調されてよいのでしょう。
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臼で、ボールで、ジェットで粉づくり


世の中には、たくさんの粉があります。小麦粉、カレー粉、メリケン粉。「何々粉」とつくことばは、国語辞典には144個も載っています。食べもののほかにも粉は、セメントや石灰などの工業用にもあります。

粉の存在にくらべて粉をつくる道具はあまり知られていません。しかし、いろいろな種類があります。粒径の大きなものを、砕いていき小さな粉にする方法はおもに三つあります。

「石臼」は、粉をつくる道具の代表格。古くから使われているため、なじみ深く感じる人も多いでしょう。大きくは「上石」と「下石」という上下ふたつの石からできています。上石の下向き表面と、下石の上向き表面は、「臼面」とよばれる溝が刻まれています。

上石に空いた穴に、粉にしたい材料を入れます。すると、材料は上石と下石のあいだのすき間へ。この状態で、上石の外側にひとつついた「挽き手」とよばれる取っ手を回すと、上石がぐりんぐりんと回ります。粉にしたい材料は、臼面に挟まれてつぎつぎと粉砕されていきます。
これにより、ごろごろとした材料は粉に変わっていくわけです。

現代の技術を利用した道具として「ボールミル」があります。「ボール」は、英語で書くと“Bowl”。お鉢のことを意味します。「ミル」は“Mill”で「粉砕器」や「製粉機」の意味があります。「水車小屋」を指すこともあります。

横に傾いた金属製の器に材料を入れてふたをします。そしてスイッチを入れると、器がミキサー車のように回転します。器のなかでは、粉になる材料が器の回転でころころと転がります。このとき、材料と材料がぶつかり合って、砕けていきます。これで粉をつくっていくわけです。

さらに強力な道具として「ジェットミル」も使われています。「ジェット」は「噴射」の意味。

こちらの方法でも、器に材料を入れます。ボールミルと異なるのは、器のなかに入った材料に、器の外から空気の噴射圧力をあたえる点。ボールミルとちがって器そのものは動きません。しかし、器のなかの材料は空気の噴射ではげしく動きます。そしてぶつかり合います。

たんに、空気の噴射で材料がぶつかるだけでは、粉のかたちはごつごつしたものになり、大きさもばらばらになってしまいます。そこで、器のなかで材料が左回転といったように、一定の方向に回転するようにします。

石臼、ボールミル、ジェットミル。このみっつの道具を使うと、一般的に粉の小ささはジェットミル、ボールミル、石臼の順に小さくなるといいます。より、細かい粉をつくるためには、伝統的な手作業よりも機械作業が向いているということになります。

ただし、いままで石臼でつくりつづけてきた食べものなどでは、ボールミルやジェットミルでつくった粉よりも石臼でつくった粉のほうが食べ心地がよいと感じる場合もあります。長年、「この大きさの粉ぶ慣れてきた」といった、過去からの舌ざわりの記憶があるのでしょう。

参考文献
日清エンジニアリング「気流式粉砕機 スーパージェットミル」

参考ホームページ
石臼の佐藤工房「碾臼の各名称」

参考動画
「DEMによるボールミル・シミュレーション」
「卓上ボールミル」
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「放射能をつけちゃうぞ」に多重の不適切内容
鉢呂吉雄経済産業大臣が(2011年)9月10日、野田佳彦総理大臣に辞表を提出し、受理されました。

福島第一原子力発電所の視察を終えた8日夜、東京の議員宿舎の前で報道陣のひとりに、防災服をすりつけるしぐさをして、「放射能をつけちゃうぞ」という主旨の発言をしたとされることが、辞任の原因のひとつになっていると伝えられています。

言動に対しての資質を問う声は多く聞かれます。いっぽう、防災服をすりつけるしぐさをして、「放射能をつけちゃうぞ」という主旨の言動をとったことそのものについての正確性のなさを大真面目に指摘する報道や言論は見られません。

鉢呂氏や野田首相らは8日、福島原子力発電所内に車で入り、車のなかから原子炉建屋を視察したと報じられています。このとき、鉢呂氏や首相が着ていたのは、直前の作業員たちへの激励の写真からすると、放射線防護用の白い服装でした。

いっぽう、そのあと、午後4時ごろに伊達市を訪れたときの閣僚たちの格好は、青い服装。これが「防災服」とよばれている服装のようです。とうぜん、放射線量が高い原発内の場所から離れたときは、除染のうえ、白い防護用の服から青い防災服に着がえたはずです。

そのうえで、青い防災服を報道陣になすりつけて「放射能をつけちゃうぞ」という主旨の発言をしたということは、除染をしてべつの服に着がえたとしても自分の身から放射線がとりのぞかれていないということをことばで表していることになります。

この言動を内容どおりに受けとめれば、放射線防護用の服装を着ることが、その目的を果たしていないということになります。額面どおりに受けとめれば、これはこれで大きな問題でしょう。

また、「放射能をつけちゃうぞ」ということばを鉢呂氏がそのままの表現で話したとすれば、これもやや正確性を欠いた表現となります。

「放射能」は、放射性物質が放射線を出す「能力」や「性質」のことをいいます。そうした能力や性質を、人に近よって「つけちゃう」とは表現しません。たとえば、だれかをまえに、その人に対して「英会話力をつけちゃうぞ」と発言することがあまりないことを考えると、発言内容そのものがすこしおかしいことがわかります。

「放射能をつけちゃうぞ」よりも、「放射性物質をつけちゃうぞ」とか「放射線をあなたにも」とかのほうが、科学的な表現としてはより適切になります。放射性物質はセシウム137などの放射する能力をもった物質です。放射線は、放射性物質から放たれた電磁波のことです。

こうした話の指摘がなされないのは、鉢呂氏の言動が冗談であることをみんながわかっているからです。しかし、べつの意味で冗談ではなくなり、鉢呂氏は経済産業省を辞任することになりました。
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「聴・臭・味・触」で錯覚を感じる(4)アリストテレスの錯覚


錯覚という現象は、古代を生きた人々にも気づかれていました。とくに、物事の洞察に長けていた哲学者は、錯覚にも気付きやすかったのでしょう。

「アリストテレスの錯覚」とよばれる錯覚があります。これは触覚に関する錯覚。人の皮膚がものに触れると、「なにかに触れている」という感覚が起きます。皮膚に無数にある「触点」(しょくてん)や、そのほかのいろいろな受容体が接触の刺激を受けるためです。

この錯覚がよく知られているのは、名前に「アリストテレス」が付いているからという理由のほかに、だれもが実際に試してみて実感しやすいからという理由があります。

この錯覚の実験で使うのは、手の人差し指と中指、それに棒切れだけです。

はじめに人差し指のうえを中指がまたぐように交差させます。

そして、人差し指と中指が交差したところ、つまり「又」の字の裂け目あたりに1本の棒切れをあてがいます。この棒切れは、人差し指の皮膚と中指の皮膚の両方に同時に触れるようにします。

すると、どうでしょう。両指が触れている棒切れは1本でしかないはずなのに、あたかも2本の棒切れがべつべつに人差し指と中指に触れているような感覚を覚えるのです。

この錯覚の効果は、自分は目を閉じて、まわりの人にはじめは1本の棒切れで、中指、そして人差し指と、順番にふれてもらい、つぎに1本の棒切れで2本の指にふれてもらうと、より感じるようになるでしょう。棒切れ1本で触れているのか、2本で触れているのかがわからなくなってきます。

この錯覚は、「交差指錯覚」ともよばれています。「アリストテレスの錯覚」という名前の由来については、この錯覚の歴史をさかのぼるとアリストテレスにたどりつくことができる、といった記述も見られますが、その真偽は定かではありません。
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「聴・臭・味・触」で錯覚を感じる(3)辛みという痛み


「聴・臭・味・触」で錯覚を感じる(3)辛みという痛み

「烈火カレー」や「地獄ラーメン」といった辛さの強い食べものを食べると、当然ながら「辛い!」と感じます。激辛のカレー店で客を観察していると、辛さのあまりじっと座っていられず、椅子のうえで腰をくねくねしているような客も見られます。

「辛い」といえば、味のことを指す表現と考えられています。しかし、「辛みは味にあらず」というのが正確なところです。

舌の表面には、いろいろな味の刺激を受けとめる「受容体」があります。その受容体は種類があり、甘み、しょっぱみ、酸っぱみ、苦みなどの味をそれぞれ受けとめる役割を果たしています。なお、舌の先端のほうで甘みを、舌の付根のほうで苦みを感じるといった、役割分担の話は学説の翻訳作業における誤りとされています。どの舌の位置でもこれらの味を感じるのです。

しかし、舌の受容体が受けとめる味の種類の中に「辛み」が含まれないというのは事実のようです。ラットに辛みのある物質をあたえても、味を舌から脳に伝える神経にはなんの反応もなかったという実験の報告もあります。

辛みが味ではないというのであれば、その正体はなんなのか。じつは、「辛みとは痛みである」ということがわかっています。

動物の皮膚には「痛点」とよばれる無数の点があります。痛みを脳に伝える神経が密集している点で、ここに痛みの刺激があると「痛い」と感じます。

この痛点は、舌の表面にも多くあります。そして、香辛料などの辛み物質は、舌の痛点を刺激します。これにより、人は「辛い!」と感じるのです。

たとえば、風呂の浴槽に唐辛子を入れて、その風呂に浸かるとします。すると、だんだん痛くなってきます。これは、腕や足にある痛点が唐辛子の“辛み物質”を感じるからです。

もちろん、辛さというものは複雑な要素でできています。たとえば「タバスコ」も、唐辛子だけでなく、塩や酢なども入っています。舌の痛覚はタバスコの辛み物質を感じるとともに、舌の味覚の受容体はタバスコのしょっぱみや酸っぱみを感じます。

食べものは匂いもともなうもの。辛い食べものにも、唐辛子、わさび、大根などさまざまな“辛さの種類”があります。これらの辛さのちがいは、匂いが鼻に抜けたときに嗅覚として感じられるちがいといわれています。

つまり、辛さは、味として感じられるものではなく、痛みと匂いのコラボレーションとして感じられるものというわけです。激辛カレーを食べたときは「あ、痛い!」というほうが生理学的には正しいのですね。

参考文献
沼田綾香「辛味刺激の嗜好と唾液分泌量の関係」

参考ホームページ
I-NOBI WORLD「辛味の真実」
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「聴・臭・味・触」で錯覚を感じる(2)自臭症


ネズミは、天敵のネコやキツネの姿をいちども見たことがなくても、ネコやキツネの臭いを嗅いだだけで怯えるといいます。嗅覚の記憶は、動物の遺伝子のなかにしっかりと刻みこまれているようです。

自分の経験だけでなく、先祖の経験についても、記憶を鮮明によびだすことができるのが嗅覚。しかし、そんな記憶との結びつきのつよい嗅覚でも、錯覚を起こすことがあるのです。

嗅覚の錯覚として知られているものに「自臭症」というものがあります。読んで字のごとく、自臭症とは「自分は臭っている」と思いこむ症状のことです。ほとんどの場合、この心配は思いこみといいます。

なぜ、「自分は臭っている」という心配が思いこみなのか。それは、つぎのような理由からです。

新築のたてものに入ると、たいていの場合、“新築の臭い”を感じます。塗ったばかりのペンキや張ったばかりの板などから臭いがまだ出ているからです。

しかし、しばらく新築のたてもののなかにいて、このたてものから出てくるときには、すでに“新築の臭い”は忘れているはずです。嗅覚は、その場の臭いのすぐに順応するため、はじめは「臭いな」と感じても、その後はなにも臭いを感じなくなるのです。

だとすれば、仮に自分自身に体臭などの臭いがあるとしても、その臭いのごく近くにいる自分はその体臭に順応するはずです。

この理論からすれば、「自分は臭っている」ということを自分の鼻から感じることはありえません。それにもかかわらず「自分は臭っている」と思うというのは、思いこみだということになります。

ただし、ぎゃくの場合もあるので注意が必要かもしれません。

たとえば、にんにくたっぷりのラーメンを食べたとしても、すぐににんにく臭に、自分自身が順応してしまい「自分は臭っている」と気づかなくなります。しかし、その人はにんにく臭を発しつづけているのであり、「自分は気づかないけれど、他人には臭っている」ということになるのです。

臭いについては、敏感すぎるのは自分によくないけれど、鈍感すぎるのは他人によくない、ということでしょう。

参考ホームページ
泌尿器科の常識と盲点「慢性膀胱炎・間質性膀胱炎の症状分析」
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「聴・臭・味・触」で錯覚を感じる(1)無限音階


「錯覚」は、感覚器官をつうじて「こうだ」と感じられる刺激が、客観的に見て「こう」と観察される刺激と合わないことをいいます。

錯覚というと、目で見たときに覚える違和感のことが想像されがちですが、錯覚はほかの感覚器官でも起きるものです。では、聴覚、臭覚、味覚、触覚という感覚では、どのような錯覚があるのでしょうか。

聴覚では、「無限音階」とよばれる錯覚があります。英語では「シェパード・トーン」とよばれます。認知科学者のロジャー・シェパードが名づけたため。

版画家マウリッツ・エッシャーがつくった「無限階段」という絵はよく知られています。上っていくとふたたびもとの位置に戻ってしまう、周回する階段を描いた絵です。

「無限音階」は、いわばこの「無限階段」の聴覚版。たとえば、飛んでいる飛行機の音を聞いていると、聞こえてくる音がだんだん高くなったり、だんだん低くなったりします。そのまま音が高くなっていけば、いつかは人が音として感じられる周波数域を超えてしまうため、聞こえなくなってしまうはず。

しかし、「無限音階」は、じょじょに音が高くなっていくものの、聞いているうちにいつのまにかもとの高さの音に戻ってしまうのです。

ユーチューブなどには、無限音階を実際に聞くことのできる音源が数多くあります。たとえば、“Audio Illusion - Forever Rising Melody(Shepard Tone)”など。

無限音階のしくみはつぎのようなものです。

音階には「1オクターブ」あるいは「1200セント」とよばれる音程があります。たとえば、「ドレミファソラシド」と口ずさんだときの、低い「ド」と高い「ド」の間隔のこと。カラオケでは、高い音階で歌いはじめてしまったために、途中であきらめて1オクターブ下げて歌う人がよくいます。

無限音階では、「だんだんと高くなっていく音」を出すのに合わせて、その「だんだんと高くなっていく音」よりも1オクターブ低い音を出します。そして、最初に聞こえていた音がじょじょに小さくなり、1オクターブ低い音がじょじょに大きくなっていきます。この「1オクターブごとの重複」を、人の音の聞こえる周波数のなかですべておこないます。こうすることで、無限に高くなっていく音を表現しているわけです。

参考ホームページ
不思議な音の博物館「無限音階」
平野拓一「シェパードトーン(無限音階)」
| - | 23:59 | comments(0) | -
タイヤがスピンオフして筋肉に

科学技術の分野には「スピンオフ」とよばれるできごとがあります。スピンオフは、軍事目的や宇宙開発目的など、特定の分野で開発された技術や製品が、民間の作業に使われることを指します。

有名なところでは、インターネット。もともと米国の防衛技術として開発されたネットワークでしたが、これがワールド・ワイド・ウェブという民間のネットワークに転用されました。また、いまカーナビゲーションに使われているGPS(Global Positioning System)も、もともとは米国国防総省が開発した軍事目的の技術でした。

これらのスピンオフの例は、国家が保有する技術が民間に転用されたもの。いっぽう、民間のある分野の技術が、民間のべつの分野に転用されるという例もあります。

自転車ロードレースの最高峰といえば、ツール・ド・フランス。フランスの国内を一周する全長4000キロのレースです。

レースで選手は、市街地の平坦路も山岳地帯の悪路も自転車を走らせます。この長旅に耐えなければいけないのは、選手の体だけではありません。自転車のタイヤも耐久性がなければなりません。

ツール・ド・フランスで使われるタイヤはチューブラーといいます。チューブラーは、内側のチューブを袋状の布で包み、地面と接れる部分にゴムを貼ったつくりをしています。

袋状の布や、接地面のゴムも大切ですが、内側のチューブもまた大切です。このチューブはラバーチューブといい、ゴムでできています。このゴム材料は、“Advanced Rubber Compounds”といいます。日本語にすれば「改良型ゴム合成材」といったところでしょうか。パンクなどの問題が起きないことが目指されています。

じつは、このツール・ド・フランスで使われているチューブが、介護や労働の支援技術にスピンオフされています。

マッスルスーツという装着用具があります。人の肩から腕にかけて、“人工的な筋肉”を装着することで、ふだんはできないような人の動きを支援します。たとえば、介護の現場では何枚もの布団などをもつことは大変ですが、マッスルスーツを装着すればありえない枚数をもつことができるようになります。また、ずっと腕を上げていなければいけないような重労働でも、このマッスルスーツが支援します。

このマッスルスーツの人工筋肉にあたるところに、ツール・ド・フランスのタイヤに使われているチューブが使われています。チューブは円柱形をしているため、ソーセージの端と端を縛るようにして必要な長さで封じます。そして、この長細い風船のなかに、高圧の空気を入れます。これによって、“筋肉”は直径方向に膨らみ、縦方向に縮みます。外部から空圧を自在に入れるようにして、動きに応じて“筋肉”をはたらかせるというしくみ。

ツール・ド・フランスのタイヤからスピンオフして開発されたマッスルスーツ。過酷な人の動きを支えているという点でチューブの使われかたは共通しています。その使われかたを支えているのは、ラバーチューブの耐久性です。

参考文献
日本経団連防衛生産委員会「科学技術国際戦略と安全保障関連技術」
東京都自動車整備振興会「てんけんくんのオモシロ新技術 人間が着用するロボット『マッスルスーツ』」

参考記事
日経BPネット 2004年8月18日「東京理科大、介護支援向けに空圧アクチュエータ駆動『マッスルスーツ』開発」

参考ホームページ
Bicycle Buys.com “Hutchinson Quartz Tour de France 700x23C Folding Tires”
| - | 23:58 | comments(0) | -
原発性アルドステロン症、日本で400万人の可能性
正体が解明されることにより、「じつは患者数がこんなにもたくさんいた」ということが突然のようにわかってくる病気があります。

原発性アルドステロン症もそのひとつです。1990年代なかばまでは、「まれな病気」として知られていました。しかし、2000年代なかばになり、日本人では患者が200万人から400万人はいるということがわかってきました。

「原発性」というのは、その病気そのものが原因であることがわかっていることを示すことば。病気には、まずこうなって、つぎにこうなって、さらにこうなるから症状が出る、といった段階を踏むことがありますが、「原発性」とつくと「まずこうなって」の段階が症状になるわけです。

「アルドステロン」ということばもあまり聞きなれません。アルドステロンは、ホルモンのひとつ。からだのお腹のうしろ側に二つ付いている腎臓の上にある副腎という器官から出てきます。副腎は7グラムほどの重さしかありません。その表面の副腎皮質とよばれるところから、アルドステロンは出てきます。


アルドステロンは、人が生きるために必要なナトリウムを確保するようにはたらくホルモンです。人のからだにナトリウムがあるおかげで、細胞の浸透圧が保たれ、水分が調整されています。

しかし、原発性アルドステロン症になると、アルドステロンが多くつくられすぎてしまいます。その結果、血のなかにはナトリウムが多い状態に。これにさらにからだが「ナトリウムを薄めないと」と反応して、血液中の水分を増やそうとします。

血管は、血液や水分の“交通量”が増えると圧されます。これにより血圧が上がります。つまり、原発性アルドステロン症によって、高血圧になるわけです。

2000年代なかばまでは、血液の成分のなかにアルドステロンがどのくらい含まれているのかをはかることはむずしかったのです。ベッドの上で安静にしていないとはかれないなど、条件があったためです。

しかし、はかりかたの技術が進歩して、アルドステロンの量がわかるようになってきました。それとともに、レニンといった、ほかの高血圧の原因となる物質の量との区別もつけられるようになってきました。

それにより、日本人で、原発性アルドステロン症の患者は、高血圧患者の3.3%から10%ほどを占めているといういことがわかってきたのです。

日本には、高血圧の患者そのものが多くいます。その数は3500万人とも4000万人とも。そこで「4000万人の高血圧患者のうち、10%が原発性アルドステロン症」という計算をすると、「アルドステロン症の患者は日本人で最大400万人」という数が導かれるわけです。

高血圧そのものが、脳卒中や心筋梗塞などの重い病気につながる病気です。その高血圧のかなりの原因が原発性アルドステロン症で占められていたというのは、人びとの健康に関わる大きな事態といえるでしょう。

参考ホームページ
難病情報センター「原発性アルドステロン症」
NHKためしてガッテン「薬も減塩も効かない!?急増する謎の高血圧」
医学用語辞典「原発性」

参考記事
日経メディカルオンライン 2010年6月25日付「原発性アルドステロン症診療の新常識」
| - | 23:57 | comments(0) | -
『模倣品対策の新時代』発売

新刊のおしらせです。『「独りの力」から「つながりの力」へ 模倣品対策の新時代』という本が、このたび発明協会から出版されました。

人は模倣をして生きる動物です。人類の文化は模倣により成立します。しかし、自分が独創的につくったものを模倣されると、その人が困ってしまったり、世の中が困ってしまったりすることも事実です。

そこで、人は、自分が独自につくったものを「知的財産」と見立て、この財産を護る「知的財産権」という考えかたを生み出したわけです。いま、知的財産権にあたるものには、特許権、意匠権、商標権、著作権などがあります。

しかし、こうした権利が存在するということは、裏をかえせばそれだけ知的財産は盗まれやすいということになります。

実際、日本の多くの企業は、作った製品を外国の企業にまねされています。このまねされて製品を「模倣品」といいます。特許庁がおよそ4000の日本企業を対象に行った調査では、日本企業の4社に1社ほどが、1年間だけでなんらかの模倣品の被害に遭っているという結果が出ました。

模倣品があとを絶たない背景には、国によって模倣に対する温度差があることもあります。たとえば、中国では「模倣をするのは悪いことではない」と考える文化がいまも根強くあります。中国政府は、先進国の仲間入りをするには、知的財産権の制度を外国なみに確立しなければならないと躍起です。

この本は、模倣品対策のいまと、これからのあるべき姿を、日本企業の被害や対策の事例、国外の背景、知的財産の歴史などの視点から示すものです。模倣品対策にとりくんでいる日本のメーカー、日本政府、独立行政法人、また、中国の模倣品事情や法律に詳しい弁護士や税関関係者などに取材をしてまとめました。

かんたんに章立てを紹介します。

第1章「狙われゆく日本企業」では、模倣品問題と格闘している日本企業を紹介し、実際の模倣品被害とはどのようなもので、模倣品メーカーとどのような争いが繰り広げられているかを示します。

第2章「メイド・イン・ザ・ワールド、スプレッド・イン・ザ・ワールド」では、日本企業がどんな国・地域で、どのような被害を、どれだけ被っているのかを俯瞰していきます。「世界の工場」とされている中国を中心にとりあげています。

第3章「日本の常識が通用しない」では、日本と海外の常識のちがいをいくつかの事例で示します。「まさか、こんなことで責任を負わされるとは」と思いたくなるような事件が実際に起きています。

第4章「立ちあがる、日本」では、模倣品対策に乗り出している企業の成果を紹介しています。模倣品対策は“工夫と忍耐による知恵くらべ”。模倣品メーカーにこれ以上の模倣をさせないため、さまざまな手を駆使している企業があります。

第5章「模倣品対策のミッシングリンク」は、企業と企業がボトムアップに手を取りあっていけば、一企業だけで得られる模倣品対策の成果よりも大きな成果が得られる、という提案をしています。

判型は新書判、184ページの本。発明協会による本の紹介はこちらです。
アマゾンの紹介はこちらです。
| - | 23:47 | comments(0) | -
地球内部で21兆ワットの崩壊進行中
きのう(2011年9月1日)の記事「放射性物質問題の大元は放射性物質」で、地球の内部の熱の発生源についての話をしました。自然界の放射性物質が崩壊することで、地熱が生まれているというものです。

この話には、つづきがあります。

ちかごろになって、この放射性物質の崩壊による熱エネルギーの正確な量や、地熱のエネルギー源の詳しい比率がわかってきたのです。

東北大学のニュートリノ科学研究センターは(2011年)7月19日、「地球反ニュートリノ観測で、放射性物質が地熱の生成に占める割合は半分程度であるということを世界で初めて実測した」と発表しました。

岐阜県神岡町の神岡鉱山跡には、「カムランド」(KamLAND:Kamioka Liquid-scintillator Anti-Neutrino Detector)という東北大学同センターの研究装置があります。かつて東京大学が運用していた「カミオカンデ」という研究施設の跡地に置かれています。地上からの深さは1000メートル。

カムランドは、「液体シンチレータ反ニュートリノ観測装置」ともよばれています。「液体シンチレータ」という、放射線により光を放つ蛍光の液体を使って、「地球反ニュートリノ」とよばれる素粒子を見つけだす装置です。


カムランドの概略図

地球反ニュートリノは、地球内部にあるウランやトリウムなどの天然の放射性物質の崩壊によって生まれます。カムランドによって、地球反ニュートリノの発生量などを調べていけば、天然の放射性物質がどのくらい、崩壊による熱エネルギーを生み出しているのがわかるわけです。

地球反ニュートリノの観測を続けてきた結果、同センターは「すべての放射性物質を考慮すると21兆ワットの放射性物質起源の熱生成」が起きると発表しました。21兆ワットのうちわけは、マントルのウランやトリウムからが10兆ワット、マントルの上にある近くのウランやトリウムから7兆ワット、カリウムなどほかの放射性物質から4兆ワットです。

21兆ワットとはどのくらいの仕事率かというと、「1トン車21億台を1秒間で1メートルの高さまでもちあげるくらい」の仕事率になります。途方もないエネルギーであるのにまちがいはありません。

あらかじめ、地球の表面での熱の流量は44兆2000億ワットであることがわかっていました。このことから、「放射性物質が地熱の生成に占める割合は半分程度」ということが導かれたわけです。

なお、残りの半分の熱は、マントルよりもさらに内側にある外核や内核からのもので、地球がつくられたときの熱の名残とされています。

参考記事
東北大学ニュートリノ科学研究センター 2011年7月19日付「地球反ニュートリノ観測で判明、『地球形成時の熱は残存している!』

参考文献
文部科学省『平成19年版 科学技術白書』
| - | 15:50 | comments(0) | -
放射性物質問題の大元は放射性物質
福島第一原子力発電所事故では、放射性物質が陸や海に広がったり、使用済み燃料が冷やされず温度が高くなったり、いろいろな問題が起きました。放射能の特異さを見せつけられたかたちです。

原発事故で起きた放射性物質についてのさまざまな問題は、元をたどっていくと、放射性物質に行きつきます。これは禅問答ではありません。

まず、原発事故で電源が失われたのは、巨大地震あるいは巨大地震で起きた大津波によるものです。

東日本の太平洋沖の海底には、プレートの境界があります。巨大地震が起きるまえ、東北地方などの陸地が乗っている北米プレートの下に、太平洋プレートが移動して沈みこんでいくことで“ゆがみ”が生まれていきました。そして、北米プレートがこのゆがみに耐えられなくなって跳ねあがりました。これが巨大地震のしくみです。

つまり、東日本巨大地震は、太平洋プレートが日本列島に向かって移動しつづけていたために起きたといえるわけです。

では、太平洋プレートが移動しつづけるのはなぜでしょうか。

地球上のプレートは、ベルトコンベアにたとえられます。ベルトコンベアには、乗りはじめと、乗りおわりの位置があります。おなじく太平洋プレートにも、地球の表面に出てくる場所と、地球の内部へ沈んでいく場所があります。

太平洋プレートが沈んでいく場所は、さきほどの話のとおり、北米プレートとの境目あたり、今回の巨大地震の震源地付近になります。いっぽう、太平洋プレートが出てくる場所は、「東太平洋海嶺」とよばれる一帯です。

「海嶺」とは、海底の長くつらなった高まりのことで「海底山脈」ともよばれます。南米大陸沖から北米大陸沖にかけての太平洋海底につらなる海嶺が、東太平洋海嶺です。

海嶺では、たえず地球内部から、マントルという層の固体が上がりつづけています。上がってきた固体は海底に達すると左右へと広がります。その結果、海嶺でプレートの固体があらたにつくられ、海嶺を境に左右両方へ移動していくことになるのです。


海嶺のイメージ

では、地球内部のマントルを、つねに地球表面に向けて移動させているエネルギーの正体とはなんでしょうか。

熱は低いところから高いところへと上っていくもの。これは、空気中だけでなく、地球内部のマントルにも当てはまることです。つまり、マントルがもっている熱エネルギーが、マントルそのものを上へ上へと移動させていくわけです。

では、マントルを上へと移動させる熱エネルギーとはいったいなんなのでしょうか。

じつは、その熱エネルギーの多くは、自然界の放射性物質がつくっていると考えられているのです。

原子力発電所にある使用済み核燃料がなかなか冷めないのは「崩壊熱」とよばれる熱が生じるからです。崩壊熱とは、放射性物質が崩壊するときにつくられる熱のこと。

これとおなじように、地球内部のマントルでは、ウランやトリウムといった、自然界の放射性物質が崩壊をしつづけており、これによって熱が生まれているのです。

「原発事故で起きた放射性物質についてのさまざまな問題は、元をたどると、放射性物質に行きつく」ということになるわけです。

参考資料
中久喜伴益「数値モデリングから見た金星・地球のマントルダイナミクス」

参考ホームページ
山賀進のWeb site「地球の科学」
北海道大学工学部「福島第一原子力発電所の事故についてのQandA」
| - | 23:59 | comments(0) | -
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