科学技術のアネクドート

「エムシー・カフェ 丸の内オアゾ」のビーフカレーライス――カレーまみれのアネクドート(34)


欧風カレーを出している洋食屋や喫茶店のなかには、ハヤシライスを献立に並べているところがあります。

「ご飯にソースをかける」というかたちが似ていることから、カレーライスとハヤシライスは比べる対象になりがち。そして、たいていの店では、カレーが主役を貼るのに対して、ハヤシライスは脇を固める役に回ります。

そんななか、書籍や高級舶来品の店として丸善のカフェでは“逆転現象”が起きています。東京・日本橋の旧本店や、丸の内の新本店のカフェでは、献立表の最初に写真とともに紹介されているのが「早矢仕(はやし)ライス」。

「早矢仕」とは、丸善の創業者である早矢仕有的(はやしゆうてき、1837-1901)の名字。ハヤシライスは、この早矢仕が丸善ではたらく丁稚にふるまった料理だったという説があります。丸善としては、“ハヤシライス発祥の地”を全面的にアピールしようとしているわけです。

そのため、マルゼンカフェにおいては、カレーライスは珍しくも、ハヤシライスの脇を固める役まわり。献立表には「早矢仕とカレーの2色ソースライス」や「早矢仕とカレーの2色オムライス」といった、調和的あるいは呉越同舟的な食べものもあります。

とりわけハヤシライスをおすすめしているカフェで給仕されるカレーライスはどのようなものでしょうか。丸の内本店4階のマルゼンカフェ入口のショーケースには「オリジナルビーフカレーライス」のサンプルが置かれていません。献立表に載っているのみです。

しかし、ハヤシライスを押し出す店だからといって、カレーライスにもぬかりなし。皿に楕円形に盛られたライス。ライスの上には、小さく刻まれたパセリ。そして、上品にかかるカレーのルゥ。

野菜はルゥに煮込まれていて、ほとんど姿が見えません。そのぶん、自己主張しているのが牛肉。丸い皿、丸く入れられたルゥのなかに、四角いかたちで5つほど入っています。

味は、カレー粉の辛さよりもソースの上品さが上回ります。ご飯の量とソースの量の比率もちょうどよいくらい。そして牛肉はかなり固めで、しっかりした歯ごたえがあります。

「主役はハヤシライス」と、“運命づけられた店”で、カレーライスはしっかりとその存在意義を保っているのでした。

「M&C Cafe 丸の内オアゾ」の食べログ情報はこちら。
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青梅の梅にウイルス危機
東京都の西部にある青梅市は、市の名前にもあるように梅の木が多くあります。多摩川にかけての吉野梅郷は有名で、1万本が植えられています。

市の花は「うめ」。市のホームページでは、「寒気をやぶって、早春いまだ残る雪を割るようにほころぶ梅の花。甘いふくよかな香りは、ひっそりと春の到来を告げる。白梅の楚々とした気高さ、紅梅のしっとりとした艶やかさ、ともに趣深いもの」と、市花を詩的に紹介しています。

ところが、ちかごろ、「青梅市の梅が危機に瀕している」という話が聞かれます。梅の木が感染症にかかっていることがわかったのです。

梅の木の葉に、白い輪紋があらわれています。感染症の原因は、プラムポックスウイルスというウイルス。モモやスモモも含むPrunus属の植物に感染するウイルスで、1915年に欧州で発見されました。おもに、アブラムシがウイルスを媒介していると考えられています。

プラムポックスウイルスに感染した梅の葉。東京都農業振興事務所「庭木のウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス)の調査にご協力をお願いします」より

これまで、欧州、アジアの一部、北米、南米などでこのウイルスは見つかってきました。しかし、日本でこのプラムポックスウイルスが見つかったという報告はこれまでありませんでした。

まだ、青梅市の梅からは見つかっていませんが、プラムポックスウイルスに感染すると、梅の実の表面にも斑紋があらわれます。人がその梅を食べても問題はありませんが、商品価値はいちじるしく落ちてしまいます。

農林水産省は2009年4月に、「プラムポックスウイルスによるウメの病気の発生の確認と対応について」という報道資料を発表。青梅市の梅がプラムポックスウイルスに感染したという第一報を出しました。

その後、東京都などの調査により、八王子市、あきる野市、日の出町、奥多摩町でも、プラムポックスウイルスに感染した梅の木が見つかりました。対応として、感染がわかったり、感染の疑いのある木は、伐採のうえ廃棄されています。

2011年6月には東京都が、青梅市の梅、桃、李(すもも)などの木の所有者に、7月から8月に行われる調査の協力をよびかけています。「この対策を進めるには、ウメ輪紋ウイルスの感染状況を正確に把握する必要があります。このため、東京都では青梅市と協力して、ウメ、モモ、スモモなど、住宅地に植えられている庭木について、平成23年も調査を実施することになりました」。

見つかってから2年。事態はなかなか収束に向かっていないようです。もし「青梅から梅が無くなる」といった事態になれば、市にとっては死活問題となります。

参考資料
青梅市の市章・木・花・鳥
農林水産省2009年4月8日発表「プラムポックスウイルスによるウメの病気の発生の確認と対応について」
同「プラムポックスウイルス(plum pox virus)とは」
東京都農業振興事務所「庭木のウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス)の調査にご協力をお願いします」
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「醤油にまつわる『偶然』の物語」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2011年)7月29日(金)、「糖尿病治療に結びついた醤油の酵素研究 醤油にまつわる『偶然』の物語(後篇)」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

醤油はもとをたどれば中国由来。中国の保存食「醤」(ひしお)が、仏教伝来とともに日本に伝わってきました。この醤が、日本で「未醤」(みしょう)という食品になり「味噌」が生まれ、さらに味噌桶にたまった液体が「醤油」の原型である「たまり」になったといわれています。

こうした醤油の歴史を紹介するのは、東京農業大学醸造学科の舘博教授。醤油づくりに大切な麹菌の研究者ですが、醤油の文化や歴史にも精通しており、「醤油博士」とよばれています。

今回の後篇では、醤油の機能性について、舘教授の研究成果をもとに紹介しています。舘教授の師は、「麹菌を国菌にすべき」と提唱したことで知られる一島英治氏。舘教授と一島師は、X-プロリルジペプチジル-アミノペプチダーゼ(XPAP)という物質を醤油から“偶然にも”発見しました。

XPAPは、醤油づくりの過程で麹菌がつくっている酵素のひとつ。このXPAPは、ふたつの意味で研究的に重要であることがわかってきました。

ひとつは、XPAPが醤油のうま味と深く関わっていたこと。醤油づくりでは、麹菌がつくりだす酵素に活躍してもらいます。酵素は、タンパク質を分解する物質。酵素がタンパク質を分解するほど発酵が進み、醤油が味わい深くなります。

この麹菌は、いろいろな酵素をつくりだしていますが、とくにタンパク質の分解の鍵となる酵素がこのXPAPだったのです。これも舘教授の研究により明らかになりました。

もうひとつは、XPAPが糖尿病で重要となる物質ととても似ていたということ。人の臓器のひとつ小腸は、食べものが通過するとGLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)とDPP-4(ジペプチジル・ペプチダーゼ-4)というふたつのホルモンをほぼ同時に出します。

GLP-1は、人のからだが高血糖になりつづけないように多能な仕事を行います。膵臓のβ細胞に「インスリンを出して血糖値を下げてください」と指令を出したり、脳に「腹八分目に抑えてください」と信号を送ったり。

いっぽう、この多能なGLP-1が小腸からでるやいなや働かせなくしてしまうのが、DPP-4。GLP-1の鎖をつぎつぎと切っていくのです。

じつは、醤油のXPAPは、人のからだのDPP-4と、分子量や働き方がとても似ていることがわかってきました。この発見から、XPAPを用いた糖尿病新薬の研究開発や、さらにXPAPのはたらきを阻害する成分を醤油から抽出することが目指されています。

醤油から発展したこの先端研究。舘教授は、「まあ、応用研究はどなたかに任せましょうか。私にはお醤油の分野がありますから」と悠々と答えます。

JBpress「糖尿病治療に結びついた醤油の酵素研究 醤油にまつわる『偶然』の物語(後篇)」はこちら。
前篇の「味噌と醤油はどちらが先に生まれたのか」はこちらです。
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書評『温泉と健康』
読んで、入って、健康になりましょう。



「この仕事が終わったら温泉にでも行こう」などと思って、仕事にとりくんでいる人は多いだろう。日本人にとって温泉は“ごほうび”でありつづけた。

広い湯船にどっぷりと浸かって、からだの芯まで温める。そんな「温泉に入る」という行為は、だれもが「健康によい」と考えるもの。だが、脱衣場などに書かれてある効能を見ても、ピンとこない。実際、温泉に入ることは、どのようにからだによいのだろう。

こうした疑問に対して、科学的に答えてくれるのが本書『温泉と健康』だ。著者は、温泉気候医学や環境保養地医学を専攻としてきた北海道大学の名誉教授で、日本だけでなく、ドイツなど海外の温泉保養地にも何度も訪れている。

温度25度以上で地中から湧き出ている水は、すべて温泉となる。また、厳密には、天然ガスを除いた「水蒸気その他のガス」も温泉法という法律では「温泉」に定義されている。

では、温泉を「温泉たるもの」にしているのはなにか。著者はこう答える。「温泉水は、熱、水、化学成分の三つの要素から成り立っている。だが、『温泉が温泉であるのは、水温よりも溶けている化学的成分に特色があるから』と筆者は思っている」。

その化学的成分からして、温泉には「単純温泉」「ナトリウム-塩化物(食塩泉)」「二酸化炭素泉(炭酸泉)」「硫黄泉」そして「放射能泉」に分類されるという。それぞれの種類の温泉について、著者は効能や入浴時のアドバイスや加えていく。

たとえば、二酸化炭素泉では、「薬理的効果の上からは、この気泡をできるだけ拭い取らないようにすることが大切なポイント」と述べ、硫黄泉については「入浴すると、皮膚内に血管を広める物質がつくられて、前述した二酸化炭素泉同様に、皮膚が赤くなったり、不感温度が変わり実際の温度よりも二-三度熱く感じたりする」。

また、温泉では「かけ流し」であることが評判になるが、かけながしがなぜよいのかにも科学的理由があるようだ。「多くの温泉水は地上に出た直後から秒あるいは分単位で物理化学的性質が変わってしまい、からだへの働きや薬としての効果も低下したり、まったくなくなったりしてしまうものがある」と著者は述べる。

古くから日本では、温泉地に何週間も滞在して、病気を治療する「湯治」が行われてきた。著者は、温泉やそのまわりの環境には総合的な保養力があることを強調する。

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とくに温泉療法では、単なる温泉浴ばかりでなく、心身のリラクセーション、ストレスからの解放、温熱療法、理学療法、運動療法、食事療法などに総合的に取り組むことが望ましい。温泉療法は楽しく、気軽にでき、しかも安全で副作用などの少ない統合医療のひとつといえる。
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温泉の効き目を科学的に知って、温泉のことをもっと好きになりたいという人にとってはうってつけの本となる。

『温泉と健康』はこちらでどうぞ。
| - | 23:59 | comments(0) | -
人の耳の一部は魚にとっての鰓


飛行機に乗っていると、やがて耳のあたりがすこし痛くなってきます。そこで、鼻を指でつまんで鼻の穴を塞ぎ、口も塞ぎながら、それでも呼吸をしようとします。

すると、耳で「ぼん」という音が。これで、それまで聴こえていた音が変わるとともに、耳の痛さがなくなります。

これは、耳の穴から体のなかの空気が出ていき、耳のなかの空気の圧力が、体の外の空気の圧力とおなじに戻ったしるし。耳の穴は空気の通り道になっているわけです。

そもそも、人をふくむ哺乳類の耳の一部は、魚でいうところの鰓(えら)でした。魚にとって鰓は呼吸をするための器官。その鰓が耳の一部に代わったのだから、耳の穴に空気が通るのもあまり無理はありません。

動物の進化を大きく見ると、海で棲んでいた魚から、陸上で暮らす哺乳類などの脊椎動物へという系譜をたどります。

陸に上がった動物は、魚とちがって、鰓から空気をとりいれて呼吸する必要がありません。口や鼻の穴から、存分に空気を入れられるようになりました。

いっぽう、陸に上がった動物は、聴覚を発達させていきました。魚が棲んでいる水中にはなくて、人などの哺乳類が暮らす陸上にあるのが、空気の振動です。音は、水の振動とともに、空気の振動によって、伝わってきます。

陸に上がった動物にとって、空気の振動としての音を捉えることは、とても重要になったわけです。

そこで、陸上の動物たちは、不要になった呼吸器の鰓を、耳の一部である中耳という器官につくりかえていったいったのです。

中耳は、耳の穴の入口である外耳と、耳の歳深部の内耳のあいだにあります。おもな役割は、音を受けたときに起きる鼓膜の振動を、中耳のなかにある耳小骨という骨で受けて、内耳に伝えること。

動物は、進化の過程で、自分たちのもっている器官のはたらきを、自分たちの暮らしに都合よいように変えていったわけです。聴覚器は、「寄せあつめでつくられた感覚器」といわれます。

参考文献
岩堀修明『図解 感覚器の進化』
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書評『日本「再創造」』
未来を語ることには“リスク”が伴います。「あのころ描いていらっしゃった未来になったけれど、描いていた未来とちがうじゃないですか」と、いわれかねないからです。しかし、この著者はそんなリスクをものともせず、日本と世界の将来像を描きだします。




元東京大学総長で、いまは三菱総研の理事長である著者が、世界とその中での日本の目指すべきビジョンを提案している。

世界は三つの大きな課題を抱えているという。専門家をしてさえ見解を統合できなくなるような「爆発する知識」、資源を消費しすぎたあまり見えてきた「有限の地球」。そして、国が先進国化する結果としての「高齢化する社会」などだ。

日本は、この三つの課題を抱えている。とくに「高齢化する社会」は世界に先駆けて、だ。だが、著者はいまの日本の状況をポジチィブに捉えようとする。いずれ世界の多くの国が、日本とおなじような課題に直面しようとするなかで、日本がひとあし先にこれら課題を解決すれば、「課題解決先進国」となるからだ。

本書で著者が掲げる大きなビジョンはふたつ。「ビジョン2050」と「プラチナ社会構想」だ。

以前の著書『地球持続の技術』(1999年、岩波新書)でも掲げていたのが、「ビジョン2050」。これは、2050年の時点の世界であるべきエネルギーの利用法を描いたもの。その要点は、「エネルギー効率を三倍にすること」「物質循環システムを構築すること」「非化石エネルギーの利用を二倍にすること」。

将来、地球温暖化や資源枯渇が起きることを前提にしている。とりわけ、エネルギー利用の効率性を高めていくことに力点を置いている。

また、「プラチナ社会構想」は、エネルギー問題のみならず、これからの社会全体のあり方を示したもの。著者はここで、市民主体の社会づくりを目指そうとする。「市民が主体となり自治体を場として、市民と産官学が連携して暮らしをよくしていこうというのが『プラチナ社会構想』である」。

「グリーン・イノベーション」による低炭素社会の実現、「シルバー・イノベーション」によるすべての人たちが参加する活力ある高齢社会、「ゴールデン・イノベーション」によるTを効果的活用が、プラチナ社会の実現につながるという。

著者はもともと化学分野を専門とする工学者だった。「ビジョン2050」や「プラチナ社会構想」を実現させるための根拠として、世界の現状を示すデータを材料にした計算結果を紹介している。論に説得力を増しているのはこの計算的根拠だ。

世界の現状を説いたり、その課題だけの対処法を示したりする人は多い。だが、これほど明確に未来のビジョンを打ち上げる人は稀有だ。しかし、大目標があるからこそ、人はその目標に向かって動くもの。「ビジョンとは、知を統合した前向きな像たることが重要と私は思う。将来は停滞していくという悲観的な見通しだけで、人びとの間に活力を生むことはできない」と著者は説いている。

『日本「再創造」 』はこちらでどうぞ。
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平均年齢の若い自治体を「村」が占める

日本の市町村のうち、「村」は、2011年4月の時点で184あります。「市」の786、「町」の754。平成の市町村大合併により、いまや村は希少な存在になりつつあります。

「村」と聞いて、想起されることはなんでしょうか。海、山、里山といったよい印象とともに、過疎化や限界集落といった負の印象を抱く人もいるでしょう。

高齢化が進む地域という印象もあるかもしれません。若者は中学や高校を卒業すると都会へと出ていき、残るは高齢者といったような印象です。実際、全国の村では、平均年齢が着実に高くなっていることでしょう。

しかし、すべての村で高齢化が進んでいるわけではありません。たとえば、島でできた村には例外的な年齢構成比がよくあるようです。

東京都には、ぜんぶで8の村があります。内陸の檜原村をのぞいて、新島村、三宅村、利島村、神津島村、御蔵島村、青ヶ島村、小笠原村の7つが島嶼部にあります。

東京都のすべての自治体のなかで、もっとも平均年齢が低いのは、7月に世界自然遺産に登録された小笠原村。39.49歳です。東京都の平均年齢43.88歳よりも4.39歳、低いことになります。

また、都内での平均年齢の低さ第2位は、御蔵島の39.54歳。第3位も島嶼部の青ヶ島村で40.90歳となっています。東京都の島嶼部の村々の住民は、若い人が多いのです。

東京都の島嶼部の島々の平均年齢の低さには、それなりの理由がありそうです。かなりの島民が、医療従事者や学校教員として島外から赴任してきた人で占めます。こうした外部からの移住者に若い人が多いようです。そして、人口がわずか数百人の村なので、すこしでも若者が入ってくると平均年齢も影響を受けやすいといったことが考えられます。

しかし、おなじ東京都の島嶼部でも、三宅村の平均年齢は53.81歳。これは、檜原村の56.63歳に次ぐ高さです。三宅村は2000年、雄山の噴火で全島民が島の外へ避難するという憂き目にあいました。島への帰還のとき、若者は都市部に残り、昔から島に愛着ある年齢の高い人たちは島に戻るといった傾向が考えられます。

参考文献
東京都「結果の概要」
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食堂の“価格崩壊”で客が不快感


飲食店は、通常の料金よりも安く食べものを提供するさまざまなサービスをしています。

ある客が、街なかの中華食堂に入りました。品書きを見ると「ライス 150円」「ライス(大)200円」と記されています。ライスの大盛りに追加料金を課すのは、飲食店ではよくあることです。

その客は、店員に「餃子と、酢豚と、ライス大盛り」と頼みました。店員は「餃子と、酢豚と、ライス大盛りですね。承知しました」と復唱。

注文してしばらく所在なく店を見まわすと、壁に注目に値する貼り紙が貼ってあります。

「サービス! ライスはおかわり自由です」

この貼り紙の存在を知り、客に混乱が生じました。「ライスおかわりは自由……」

この中華食堂は、品書きに、「ライス」より50円増しの「ライス(大)」があります。それと同時に、「ライス」は「おかわり自由」というサービスもやっているのです。

ライス大盛りの場合は50円増し。ライスをおかわりしたときは0円増し。この50円分の差が生まれる理由はなんだろうかと客は必死に考えました。「ライス大盛りのほうがライスおかわりよりも特大盛り」ということが考えられるかもしれない。それでもライスおかわりを2回以上すれば相殺されそうな話だ。

疑問の解決ができない客は店員に聞きました。「すいません。ライス大盛りは50円増しなのに、おかわりは自由ってどういうことですか」。

店員は、ひとこと言いました。「えー、と。あ、いけね」。

けっきょく、この客は「ライス大盛り」を取りけして、「ライス」を頼み、のちほどライスをおかわりしたのでした。

人は、「あの人はこれだけ得したのに自分は得しなかった」という不公平さや理不尽さに、とりわけ不快感をもつといいます。

店側にとっては、「大盛りを注文するとおかわりするより損をする」とか「セットを注文すると単品ずつで注文するより損をする」とか、そういう“価格崩壊”の状況は避けるのが得策でしょう。
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“PANDA”が光を通す(後)
「PANDAファイバ」のコアの経路の中には、「偏波モード」とよばれる波の伝わりかたのモードが、通常はふたつ、存在します。

コアのかたちが完全な円形であり、クラッドとコアの位置も完全に点対称になっていれば、このふたつの偏波モードは独立したまま長い距離、保たれることになります。

しかし、実際は、コアが微妙に楕円形になっていたり、クラッドとコアの位置が全体的にすこし右にずれていたりで、完全な対称にはなっていません。

すると、ふたつの偏波モードのあいだが、結びついてしまうなどしてしまいます。光を運ぶことにとって、ふたつの偏波モードの結合はよろしくないわけです。

そこで、ふたつの偏波モードを独立させたまま保つことはあきらめます。ぎゃくに、ふたつの偏波モードのちがいをより際だたせれば、ふたつの偏波モードは独立したままの状態を保てるようになります。

そこで、取り入れらたのが、コアのすこし外側に、ふたつの「応力付与部」つまり、パンダの眼縁を置くという方法ものでした。

ふたつの応力付与部を置くことにより、光と光にかかる力の関係に変化が生まれます。パンダの眼縁の間を走るコアの光は、応力付与部に対する方向(図の横方向)では引っぱられ気味になります。いっぽう、応力付与部のない方向(図の縦方向)には圧され気味になります。

こうなると、光が物質を通して二手にわかれる「複屈折」とよばれる現象が起きやすくなります。これにより、ふたつの偏波モードのちがいが、より際だつようになるのです。


複屈折の例

PANDAファイバを開発したのは、NTT R&Dフェローの岡本勝就さんや、同じくNTTの保坂敏人さん、それに茨城大学の佐々木豊さんら。岡本さんらが電電公社時代、茨城電気通信研究所に在籍していたころ、伝送状態をいかに良好に保つかを試行錯誤していた結果、このPANDAファイバの原型をうみだしたといいます。

パンダの顔のような「PANDAファイバ」とは話がうまくできています。じつは、もともと岡本さんら研究者のあいだでは、「パンダの顔に似ているね」ということから、研究開発段階でこのファイバを「パンダファイバ」とよんでいたとか。

その後、なんとかして“しかる名前”をつけるべく、岡本さんや佐々木さんが試行錯誤し、“Polarization-maintaining AND Absorption-reducing fiber”という名前を付けました。“Polarization-maintaining”は「偏波を保つ」、“Absorption-reducing”は「(損失をもたらす光の)吸収を抑える」という意味です。こうした略語による名前に“AND”を堂々と用いるとは、大胆な発想です。

「PANDAファイバ」は「パンダファイバ」の呼び名ありきだったわけです。しかし、それよりもまずは、光を良好に伝えようとする開発者の大志と技術ありきだったわけです。

参考文献
古河電工時報109号「偏波保持光ファイバ」
『ビジネスコミュニケーション』2005年6号「研究分野の世界の顔“NTT R&Dフェローに聞く”5」

参考ホームページ
symphotony.com「偏波保持ファイバーの構造と特徴」
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“PANDA”が光を通す(前)
光による情報のやりとりに欠かせない道具が、光ファイバです。日本は光通信大国ともいわれ、企業はもちろん、家庭のインターネットでもブロードバンド通信の道具として光ファイバが使われています。

光ファイバはガラス製。ガラスの中に光を通すというのが基本原理です。

いろいろな光ファイバの種類があるなかに「PANDAファイバ」というファイバがあります。

PANDAファイバの断面図(イメージ)

見た目のとおり、パンダの顔に似ています。白い丸顔のなかに、黒い眼縁の部分が、そして中央に鼻があります。

それぞれの部分は、ガラスでできています。それぞれ、どんな役割があるのでしょうか。

まず、真ん中の鼻の部分は「コア」といいます。この部分に、情報をやりとりするための光が走るわけです。

そして、まわり全体の白い丸顔の部分は「クラッド」といいます。コアの部分がむきだしだと、コアのガラスが折れたり、水滴が付着したりして、光が効率的に送れなくなります。そのため、クラッドでコアを覆うわけです。かんたんにいえば、クラッドはコアに走る光を守る役割をします。

PANDAファイバをもっともパンダらしくさせているのは、黒い眼縁の部分にあたる、ふたつの丸でしょう。これは、ふたつとも「応力付与部」といいます。応力付与部も、コアとは成分の異なるガラスでできています。

なぜ、パンダの眼縁のような応力付与部が必要なのでしょうか。つづく。
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“放射線を習う世代”誕生へ
 学校の授業で学ぶことが、将来なんの役に立つかを具体的に説明することは、むずかしいものです。

しかし、「学校でなにか勉強した覚えがある」というのと、「学校でなにも勉強しなかった」というのでは、やはりその分野に触れることになったときの心構えは異なってくるのでしょう。

2012年度から導入される学習指導要領により、中学校の理科の授業で「放射線」が扱われることになっています。

中学の理科は、物理や化学を学ぶ「第1分野」と、生物や地学を学ぶ「第2分野」にわかれています。2012年度からの第1分野には、エネルギー資源の利用や科学技術の発展と人間生活とのかかわりを学ぶ「科学技術と人間」という項目があります。

そして、その項目はさらに、「エネルギー」と「科学技術の発展」にわけられており、「エネルギー」の内容のなかで「人間は、水力、火力、原子力などからエネルギーを得ていることを知るとともに、エネルギーの有効な利用が大切であることを認識すること」とあり、ここで「放射線の性質と利用にも触れること」と定められています。

学習指導要領は、何年もかけて次の期間の内容をどうするかを文部科学省が検討していくものです。とうぜん、この新しい学習指導要領は、(2011年)3月11日以降の福島第一原子力発電所事故よりも前からありました。2005年2月から学習指導要領の見直しが始まり、2008年3月に内容の改訂が発表されています。

福島第一原発事故以降、放射線の危険性が学校や生徒の内外で心配されているなかで、2012年から、中学校で放射線の性質について触れる授業が行われることになります。

中学で放射線について理科の授業で扱うのは約30年ぶり。

多くの人は放射線に対してなじみがありません。それが、放射線に対する不安を大きくさせる理由のひとつなのでしょう。理科の授業で放射線の性質を習うことにより、“放射線について中学校で習った世代”が世に出るわけです。義務教育のなかで放射線の性質を学ぶことで、目に見えないものを“正しく恐れる”世の中に一歩前進となるでしょうか。

参考ホームページ
文部科学省「新学習指導要領・生きる力 第2章 各教科 第4節 理科」
工藤和彦「中学校の授業と放射線」
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つぶした空き缶を入れるのに十分な入口は直径100ミリ

客の入りがすくない電車やバスを走らせることを、よく「空気を運ぶ」といいます。乗りものの器のなかに、客は入っておらず、空気が入っているからです。

空き缶などの空き容器をトラックなどに乗せて運ぶときも、「空気を運ぶ」に近い状態になっています。ジュースやビールは胃の中に入ると、缶の中に入っているのは空気のみ。その状態の缶を運ぶわけです。

空き缶をなるべく効率よく運ぶためには、飲み終えた缶をぺしゃんこにつぶしておくことが大切になります。ぺしゃんこにすれば、空き容器の体積は減り、1台のトラックでよりたくさんの空き缶を運べるようになるからです。

ここで問題になるのは、空き缶を一時的に回収する容器の入口が小さいということです。

ある人が、コンビニエンスストアでジュースを買って飲みました。「缶の運搬業者に空気を運ばせないように協力しよう」と思って、空き缶をぺしゃんこに。ところが、コンビニエンスストアの前のくず入れに入れようとしてもなかなか入りません。ぺしゃんこにした分、空き缶が横に広がったからです。

この空き缶を、仮に完璧にぺしゃんこにすることができたとすると、上から見たかたちは「○」から「―」へと変わるわけです。

では、「―」のかたちになった空き缶の横幅はどのくらいでしょうか。

いま出まわっている350ミリリットルの空き缶の直径は約64ミリ。円周の長さは、「円周率×直径」ですので、約200ミリとなります。「○」を「―」のかたちにしたときの横の長さは、円周の長さの半分になりますので、最大100ミリほどになるわけです。実際は完璧につぶすことができないので、100ミリになることはなさそうですが。

すくなくとも、くず入れの入口の幅を100ミリにしておけば、「缶の運搬業者に空気を運ばせないように協力しよう」と思った人がぺしゃんこにつぶした空き缶を入れることができるわけです。

くず入れの入口が小さい場合、ぺしゃんこにした空き缶はくず入れに入らず、くず入れの脇などに捨てられることになります。
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ウシに毒、ネズミに毒、人に薬


1920年代、カナダの農場にいる牛のあいだに、奇怪かつ深刻な病気が起きました。ウシの出血が止まらなくなり、つぎつぎと死んでいったのです。

カナダ、アルバータの獣医病理学者フランク・スコフィールドは1922年、「腐ったスイートクローバーを食べさせたことが、この病気の原因である」と報告をしました。スイートクローバーというのはマメ科の植物で、名前のとおり甘い香りを放ちます。日本語では「シナガワハギ」ともよばれます。やせほそった土地でも成長するため、農場経営者にとっては牧草がわりとして最適だったのです。

この甘い香りは、クマリンという芳香物質によるもの。しかし、スイートクローバーが腐っていくとき、微生物によってこのクマリンはジクマロールという物質に姿を変えるのです。そして、のちの研究で、このジクマロールに血液に対して抗凝固作用があることがわかりました。

血液は、さまざまな要素により固まっていきます。肝臓でつくられるビタミンKも血を固まらせる要素のひとつです。

スイートクローバーが腐ることでできるジクマロールは、このビタミンKの血を固まらせるはたらきを抑えます。そのため、腐ったスイートクローバーを食べたウシは、いつまでも出血が止まらないのでした。

ジクマロールについての研究が進み、この構造をもとにワーファリンという化学合成物質がつくられました。

薬や血管病についてくわしい人は、ジクマロールやワーファリンは、抗血栓薬のなかの抗凝固薬としてなじみがあるでしょう。心臓でできた血の固まりが脳に移り、脳の血管を詰まらせる脳塞栓という病気を防ぐためなどに使われています。

しかし、もともとワーファリンは、人の病気を防ぐために使われていたのではありません。ネズミに使われていたのです。ネズミの病気を防ぐため、ではなく、ネズミを退治するためです。

ワーファリン入りの餌を食べたネズミは、網膜のある眼底というところから出血を起こします。すると、やがて目が見えなくなっていき、明るいところもとめて外へと出てくるのです。つまり、人にとってはこれでネズミを駆除するということになります。

ウシにとっての毒が、ネズミにとっての毒となり、さらにその後、人にとっての薬になったわけです。ただし、血液を固まらせないというのは、人にとっても出血が止まらないといったことを招く危険をともなうもの。使いかたのむずかしい薬のひとつとされています。

参考文献
jishindawa.com「ワルファリンの歴史」

参考ホームページ
役に立つ薬の情報〜専門薬学「ワルファリン物語:抗凝血薬の発見」
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『枕草子』にも『日本書紀』にも「なでしこ」


「なでしこ」には、さまざまな意味と、さまざまな言葉のゆかりがあるようです。

植物の「ナデシコ」は、ナデシコ科に属する草。8月から9月に花を咲かせます。なかでもカワラナデシコという草は、別名ヤマトナデシコといいます。写真のような、先が裂けた可憐な花弁を五つ付けます。花言葉は「純愛」「大胆」「勇敢」。ちなみに、母の日に贈られるカーネーションもナデシコ科の花です。

清少納言は『枕草子』で、ナデシコについて、何回か言及しています。

「草の花はなでしこ、唐のはさらなり。やまともめでたし」
「絵に描くと劣るもの、撫子、菖蒲、桜。物語で愛でたしと言っている男女の容姿」

見てながめるのはよいけれど、スケッチするにはむずかしかったようです。

なお、植物には「ビジョナデシコ」という、讃えに讃えるような名の草もあります。こちらは、ロシア原産の草であり、日本古来のものではありません。植物の名に「ビジョ」がつくときは、小さな丸い花が房になり咲く様子を意味します。

「撫子」(なでしこ)の呼び名をもっていたのは、日本の神話『日本書紀』に登場する奇稲田姫(くしなだひめ)。出雲国の足名椎(あしなずち)と手名椎(てなずち)という神の、8番目の娘にあたります。娘たちはつぎつぎヤマタノオロチに食べられてしまい、奇稲田姫も食べられてしまいそうになったところ、須佐之男命が現れてヤマタノオロチを退治します。そして、奇稲田姫は須佐之男命の妻になるのでした。

奇稲田姫が「撫子」とも呼ばれたのは、親の足名椎に「足を撫でる」、手名椎に「手を撫でる」の意味があり、ここから「撫でるように大事に育てられた姫」だったからとする説があります。

このように、奇稲田姫が親から愛撫されて育てられたことから、「撫でし子」つまり可愛がる対象としての娘たちが「なでしこ」とよばれるようになったようです。花の名に「ナデシコ」がついたのは、花の印象からして「撫でし子」のようだということでつけられたのでしょう。

2011年の新語・流行語大賞に「ワールドカップ・なでしこ(ジャパン)」などといった言葉が入選し、新生児の名前に「ほまれちゃん」が多くなることは確実です。
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一時しのぎにうちわ


夏の季節になると、部屋に蚊が入ってきます。暑いからと玄関側を鎖で半開きにしている家などでは、夜、寝ている最中に「プーン」とあの音が聞こえてくるのではないでしょうか。

熱帯夜。多くの人は、部屋の灯りを消しても暑くてなかなか寝つけません。それでも30分ほどすれば、うとうと。ところが、眠っていると突然「プーン」という蚊の音が耳元に。

蚊対策として考えられるのが、蚊とり線香ですが、家にない場合もあります。しかし、真夜中にわざわざ蚊とり線香を買うために起きてコンビニエンスストアまで行くのには大きな苦痛が伴います。

布団やタオルケットを体に被せて眠るのも一考ですが、顔まで覆わないとあのプーン音からは逃れられません。どうにかならないものか……。

急場しのぎの蚊対策として、「部屋をうちわで扇ぎまくる」という方法があるといいます。

蚊が「プーン」と音を立てて近づいてきたら、うちわでその音のあたりを「ぶゎさぶゎさぶゎさ」と、ものすごい勢いであおぎます。さらに、蚊がどこにいるのかわかない場合は、とにかく部屋中を「ぶゎさぶゎさぶゎさ」とあおぎまくります。

蚊は体長5ミリメートルほどと小さないきもの。そんな蚊にとって、人が思いきりあおいだうちわの風は、ものすごい突風となるわけです。突風の直撃を受けた蚊は、風に吹かれるまま、ひゅーんと遠くへ飛ばされます。

ものの話、そのとき蚊はかなりの衝撃を受けるようで、しばらくは身うごきがとれなくなるともいいます。蚊が弱っているあいだに寝てしまうというのがこの作戦。

しかし、突風に吹かれたからといって蚊は死んでしまうわけではありません。そして、おそらく蚊はまだ部屋の中でいるため、しばらくしたら息を吹きかえすことでしょう。

一時的に精神的ストレスをやわらげるための方法というところでしょうか。
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雑誌は「魚で進む『放射能濃縮』」、研究者は「生物濃縮はかなり低い」


食物への高濃度放射線の問題はすこしずつ沈静化に向かうかに思われていました。しかし、このたび、放射線濃度の基準値を超える肉牛が出荷されていたことがわかり、また食と放射線の問題がぶりかえしたかたちです。

「放射性物質がついた稲わらを肉牛が食べる。その肉牛を人が食べる」というのが、この場合の食物連鎖の過程です。「稲わら→肉牛→人」なので、放射線源と人は“2次のへだたり”といえます。

いっぽう、魚介類では、もし海水に放射性物質が含まれている場合、「海水→食物プランクトン→軟体類→甲殻類→小型魚類→大型魚類→人」といったように、いくつもの段階を経て最終的に人が放射性物質をとりこむことが考えられます。

食物連鎖の知識をもつ人が気にとめるのは「生物濃縮」という現象でしょう。生物濃縮は、「食べられる・食べる」の関係がくりかえされ、大きい魚や人の段階まで進むと、大きい魚や人は、濃縮された有害物質をとりこむことになるという現象です。

一部の報道機関は、福島第一原子力発電所事故を受け、東日本近海の魚介類で、放射性物質の生物濃縮を懸念する記事を出しています。

たとえば、『AERA』(2011年)7月18日号の「魚で進む『放射能濃縮』」という記事では、「放射能汚染は、食物連鎖の中でより高次の捕食者へと広がる傾向も見られる」とした上で、東京海洋大学の石丸隆教授の「基準値超えまではいかないが、福島県沖ではヒラメのセシウムでも、高めのデータが出た。ヒラメは肉食でほかの魚を食べる。時間の経過とともに、食物連鎖でセシウムが移行しつつあるようだ」との談話を紹介。

さらに、記者は「魚や貝に取り込まれた放射性物質は、海水の濃度に比べて体内ではより高濃度になる。『生物濃縮』と呼ばれる現象だ」と続けています。

魚介類への放射性セシウムの生物濃縮は、「食べられる・食べる」の関係がすすむにつれて、どのくらい進むのでしょうか。

(2011年)6月1日に東京・弥生の東京大学で開かれた日本農学会の公開シンポジウムで、元水産庁中央水産研究所海洋放射能研究室の吉田勝彦さんが、同研究所の笠松不二男氏が1999年に魚介類の放射性セシウムの生物濃縮の進みかたを調べた結果を紹介しました。

それによると、海水中の放射性セシウムの濃度を1とすると、動物プランクトンの段階で10倍から100倍のあいだとなります。

しかし、軟体類、甲殻類、小型魚類、大型魚類と進んでも、放射性セシウムの濃度は、10倍から100倍のあいだにとどまり、最初の段階の植物プランクトンとあまり変わらないことを吉田氏は示しています。

もうひとつ、参考になるのが、水銀やDDT(DichloroDiphenylTrichloroethane)といった、放射性物質以外の有毒物質の生物濃縮の度合です。

魚介類の放射性セシウム濃度は、先ほどの吉田氏の発表によると、海水の放射性セシウムの濃度に比べて10倍から100倍。いっぽう、水銀については、海水中の水銀の濃度を1としたとき、魚介類での生物濃縮の濃度は360から600倍に、また、DDTについては、海水中のDDTの濃度を1としたとき、魚介類では12000倍になるといいます。

これらのことから、吉田氏は「(放射性セシウムの)生物濃縮はかなり低い」と結論づけています。

じつは、『AERA』のおなじ記事でも、1999年に笠松不二男氏が発表した研究成果が紹介されています。海水での放射性セシウムの濃度を1としたとき、ハタハタは35倍、ヒラメは68倍、カツオは122倍、ブリは122倍といった数値が並んでいます。

笠松氏の発表したおなじ成果を、『AERA』は「魚で進む『放射能濃縮』」というタイトルで記事にし、吉田氏は「(放射性セシウムの)生物濃縮はかなり低い」と結論づけたわけです。おなじ調査結果でも、伝える意味合いは、その人の立場などにより大きく変わってくるものです。

参考記事
朝日新聞出版『AERA』2011年7月18日号「魚で進む『放射能濃縮』」
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「野菜嫌いの子供がいなくなった学校」


日本ビジネスプレス発行のウェブニュース「JBpress」で、きょう(2011年7月)15日(金)、「野菜嫌いの子供がいなくなった学校 1学期の終わりに『真の食育』を考えた」という記事が掲載されています。執筆者はジャーナリストの藤田貢崇さん。この記事の編集をしました。

学校給食の歴史と意味を考える記事になっています。給食は子どもに栄養をあたえるためのものだけでなく、教育の機会として利用されるものに位置づけが変わってきました。2009年には学校給食法が改正され「食に関する正しい理解と適切な判断力を養う」ことが目的として謳われるようになりました。

では、学校はどのようにして、給食を教育の機会にしているのでしょうか。記事では、科学技術振興機構発行の理科教育誌『サイエンスウィンドウ』で、藤田さんが学校を取材したときの内容が紹介されています。

札幌市内の小学校では、給食の調理で出てくる食材くずや給食の食べのこしなどを堆肥にして、その堆肥で野菜をつくり、ふたたび給食の食材に充てる「さっぽろ学校給食フードリサイクル」という試みをしています。

これにより、子どもの給食の食べのこしはすくなくなっているそうです。やはり、自分たちで手塩にかけて育ててきた野菜を残すまいという心になるのでしょう。もちろん、食べのこしの量を減らすことが目的ではなく、食べものを残さずきちんと食べる習慣をつけることに意義があるわけです。

食をつうじた教育は「食育」とよばれます。学校給食法改正に先だち、2005年に制定された「食育基本法」では、食育を、「さまざまな体験を通じて『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること」などと定義しています。

抽象的になりがちな食育の、具体的な姿が、JBpressの記事と『サイエンスウィンドウ』の記事では紹介されています。

JBpressの記事「野菜嫌いの子供がいなくなった学校 1学期の終わりに『真の食育』を考えた」はこちら。

「さっぽろ学校給食フードリサイクル」の詳しい紹介がされている『サイエンスウィンドウ』2010年4月5月号はこちらで読めます。記事は12ページにあります。
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病院は「出来高払い」から「定額払い」へ


(2011年)6月30日(木)の記事「病院存続のため『3020運動』」で、病院が行う医療行為に点数が決められており、点数の積み重ねで病院が得られる報酬が決まるということを書きました。これは「出来高払い」です。

しかし、日本の病院の報酬制度は、変わりつつもあります。それは「出来高払い」から「定額払い」への変化です。

2003年、医療界では「診断群分類」(DPC:Diagnosis Procedure Combination)という新しい分類のしかたが使われはじめました。入院患者を、傷病の名前、診療行為、重症度によって分類します。疾患の種類は500以上、診断群の分類は1800以上に細分化されています。

この診断群分類を使って診療報酬を決めれば、「注射を打ちました」「薬をあたえました」といったひとつひとつのできごとによる評価でなく、「どんな病気に対してどんな診療をしたか」といった包括的な評価が行われるようになります。診断群分類をつかった包括的な評価であるため、この報酬制度は「診断群分類包括評価」とよばれます。

出来高払いから定額払いになることの利点として大きいのは、患者にとって医療費の削減につながること。出来高払い制度の場合、病院が報酬を得るには、なるべく患者に医療行為を積み重ねればよいことになります。すると極端な場合、もう治療は必要もない患者に対して、薬があたえられつづけるといったことが起きうるわけです。

また、病院側にとっても、急患を治療する急性期病院での経営が安定化するなどの利点があげられています。

しかし、医療行為が多くても、少なくても、病院が定額で報酬を受けることになれば「なるべく最小限の医療行為で済ませてしまおう」といった考えかたが生まれかねません。医療に質を保ちにくくなるおそれがあるという点は、出来高払い制の問題点ともされています。

日本の病院の数は、2010年の時点で約8700。いっぽう、診断群分類包括評価を導入している病院の数は1300ほどとなっています。

参考ホームページ
厚生労働省「平成22年度診療報酬改定関係資料(DPC)」
厚生労働省「医療施設動態調査」(平成22年2月末概数)
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「卒業後に就職活動」の道ひらく


東京大学がこのたび、入学時期を春から秋に移す検討を始めていることがわかりました。日本の新学年は4月から。いっぽう、欧米の新学年は9月からが一般的です。

日本の最高学府である東京大学が9月入学生を始めるとすると、他の大学への影響も必至です。さらに、大学前の高校などにも影響はあるかもしれません。

東京大学は、日本と欧米の半年間の入学時期のずれが、留学をしづらくさせており、国際競争力をさまたげていると考えています。日本も9月入学になれば、区切りよく1学年分や2学年分を使って留学することができるようになります。

それ以外にも、9月入学制の利点はありそうです。

大学評論家の山内太地さんは以前、大学の9月入学生は学生にとって利点があることを指摘していました。いま、多くの大学生は、3年から4年にかけての、勉学にとって重要な時期と就職活動の時期が重なります。

もし「9月入学、9月卒業」という秋を中心にした大学生活になれば、卒業後から翌年4月の企業入社時期の半年間を就職活動に充てることができるようになります。学生の期間中は学業に専念し、そのあと集中的に就職活動にうちこむわけです。もちろん、これには企業側が自主的に青田刈りをしないといった姿勢も求められます。

実際、早稲田大学国際教養学部など、4月入学だけでなく、9月入学も実施している大学・学部もあります。

東京大学の試みが、「高校、大学、脇目もふらず企業就職」というキャリアアップのあり方に風穴を空けることになるでしょうか。

参考記事
毎日新聞2011年7月1日付「東大:秋入学を検討 国際化促進狙い、年内にも方針」
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南極の動物、向かうところ敵なし


昼間、街なかをパトロールしている猫とばったり遭遇して眼が合うと、猫はささっと車の下へと隠れてしまいます。「なにをされるかもわからない得体の知れないものに出あったら、とにかく逃げるべし」という本能が埋めこまれているのでしょう。

得体の知れない物体が近づいてきたとき、安全つまり「白」と判断するか、危険つまり「黒」と判断するかは、ある程度、動物に本能として埋めこまれているようです。

そして、多くの動物は、とりあえずは「黒」と判断して警戒するようです。猫が知らない人と眼があって逃げるのも、ヌーがチータを察知して逃げるのも、「とにかく逃げるべし」という本能がはたらくからです。

判断力が高い個体のほうが、さまざまな場面で生きのびることができます。生きのびることは、自分の遺伝子を次の世代に伝えることにつながります。

この「生きのびる」という目的のために「とにかく逃げるべし」という行動を選ぶことを、多くの動物は選択してきたわけです。動物の本能の名残か、福島第一原子力発電所事故の直後は、多くの関東圏の人びとが西日本へと向かいました。

しかし、「得体のしれないものに出あったら、とにかく逃げるべし」がすべての動物に当てはまるわけではありません。

人に対する無警戒ぶりで一部の人びとに熱狂的なファンをつくっているのが南極のペンギンです。南極に船が付いて、人が陸地に降りてきたとしても、まわりにいるペンギンは人間から逃げようとしません。

観光地と化した南極では、自然環境を守るため、「動物からは5メートル以上離れる」といった自主ルールをつくっているところもあります。ところが、離れようと思っても、ペンギンのほうから人に近づいてくることもあり、ルールを守るのが難しいこともあるといいます。

南極は、ホッキョクグマのいる北極とちがって、あまり大きな天敵がいません。そのため「大きなものが近づいてきたら、とにかく逃げるべし」といったプログラムが、南極のペンギンには埋めこまれていないようです。

そのため、大きな体の人間が近づいてきても「敵が来た」という本能的な認識が、まるで生まれないといいます。

南極を訪れる人の数は年々増えているとのこと。「なんかよくわかんないのがまた来たね」「そだね」といったくらいの感覚で、ペンギンは人びとの南極到着を見ているのかもしれません。

参考文献
佐藤克文『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ』
参考記事
読売新聞2009年2月23日付「観光客とペンギン密集」
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人の嗅覚は退化、聴覚は進化


人は音を聞くことのできるいきものです。きょうも好い音、悪い音が聞こえてきます。

すべての動物が音を聞くことができるわけではありません。人をふくむ哺乳類、両生類、爬虫類、鳥類といった脊椎動物、そして昆虫だけが、聴覚をもっています。とはいえ、昆虫の中でもトンボやシミといった古くから生きている昆虫には聴覚がありません。

動物が鳴いたり、風が木にぶつかったり、雨が地面を叩きつけたりすると、そこには空気の振動がうまれます。その振動が、波として人や動物の聴覚器官に伝わるわけです。

音の波は縦波。上の方向から下の方向へなどと、波が1秒間に向きを変える度数を「周波数」といい「ヘルツ」の単位で表します。人が聞くことのできる音の周波数は20ヘルツから2万ヘルツ(20キロヘルツ)ほどまで。しかし、周波数の高い音を聞けるのは一般に若い世代のみ。そこから、1万7000ヘルツ(17キロヘルツ)のモスキート音による若者撃退法といったものも開発されました。

もともと聴覚は、魚類のもつ平衡感覚だったといいます。魚類から両生類がわかれでたときには、平衡感覚と聴覚もすでにわかれていたといいます。

その魚類の“成れの果て”である人についての聴覚の進化には、ふたつの大きなできごとがあったといいます。

ひとつは、人が誕生するまえ。人の祖先にあたる哺乳類が2億年ほど前に誕生したときといいます。2億年前は恐竜全盛の時代で、地球に誕生したばかりの哺乳類は、小さくて弱く、存在できる場のかぎられた少数派だったわけです。

そこで、恐竜たちが眠っている夜に、哺乳類は活動することを余儀なくされました。そこで、暗闇でも活動できるため、哺乳類は嗅覚とともに聴覚を発達させたわけです。

もうひとつは、人が誕生してから。意思疎通の方法としてことばを獲得したことにより聴覚を進化させたのではないかといわれています。喉が長くなるほうに進化することにより、人はさまざまな音を出しわけることができるようになりました。こうしたことに伴い、それを聞きわけるための聴覚も進化していったようです。

人の五感のうち、嗅覚は退化したといわれますが、逆に人は聴覚を進化させてきたのです。

参考文献
西野浩史「昆虫の聴覚器官 その進化」

参考ホームページ
中島祥好「耳と心 (聴覚心理学入門)」
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釈迦もドラッカーも“一歩ひく姿勢”を保ちつづけた


(2011年)7月10日(日)、東京・千駄ケ谷の紀伊國屋書店新宿南口店で、「釈迦とドラッカー 二人の賢者が考えた『生き甲斐』の組織マネジメント」というセミナーが開かれました。新潮社と紀伊國屋書店の共催。企画と司会は新潮社の三辺直太さん。

新潮選書から『「律」に学ぶ生き方の智恵』を出版した仏教学者の佐々木閑さんと、ダイヤモンド社のベストセラーとなった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を出版した小説家の岩崎夏海さんという、異色の組みあわせによる講演と対談です。ふたりが、釈迦とドラッカーの組織論の、共通点や相違点を探しだしました。

佐々木さんは、『「律」に学ぶ生き方の智恵』で、釈迦がつくった「律」を紹介しています。
「律」は、出家者の教団「サンガ」での生活規則。佐々木さんによると、サンガは人びとから布施を受けることが生命線となる組織でした。そのため、釈迦は、出家者たちに組織を維持するうえで守ってほしい最低限の生活規則をつくったのでした。

釈迦の布教活動の姿勢を、佐々木さんは「納得しない弟子はそれっきり」と表現します。釈迦が至った悟りを、悟りに至っていない人びと、つまり弟子たちに伝え、悟りのほうへ導くことが釈迦の後半生の仕事となりました。

そこで、自分が考えていることを「これはこうなのだ」と貫きとおして、相手に教えを説くのでした。

しかし、その教えに対して、疑問を感じたり、価値を見いだそうとしなかったりする相手もいるわけです。また、サンガに入ったものの、やはり釈迦の教えに従えないと考えた弟子もいたことでしょう。

賛意を示さなかった人びとに対して、釈迦はけっして追いかけることはしなかったといいます。つまり「納得しない弟子はそれっきり」。

佐々木さんによると、釈迦はある日、フフンカバラモンなる人物に教えを説きました。ところが、フフンカバラモンは「ふん」と鼻であしらい、釈迦の近くから立ち去ったそうです。そのときも釈迦はただ座って、じっとしていたといいます。「………」。

自分のいうことは絶対的とするものの、賛同しない人に対しては、けっして無理強いさせないという姿勢を釈迦は貫いたわけです。

いっぽう、経営学者ピーター・ドラッカーのほうにも、貫きとおしたことがありました。

それは、自分からけっして組織をつくろうとしなかったことです。岩崎さんは、ドラッカーが自分は「舞台袖から舞台と観客を見る傍観者」であると自認していたことを紹介しました。その割りきりかたが、組織というものを客観的に見る目につながったところはあるのでしょう。

組織のなかに人をむりやり取りこもうとしない。組織をみずからでつくろうとしない。釈迦もドラッカーも、一歩ひいた姿勢を保っていたようです。

佐々木閑さんの著書『「律」に学ぶ生き方の智恵』はこちらで。
岩崎夏海さんの著書『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』はこちらで。
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「臨機応変な対応」の印象は手作業から


赤い車体。1ドアの片びらき。ロングシートの窓にはロングカーテン。京浜急行は、東京と神奈川の大都市間を結ぶ電車です。

品川、川崎、横浜と、JRの東海道線とほぼ並行に走り、横浜から先は、金沢文庫や金沢八景といった独特な名の駅をとおって、逗子海岸や三浦海岸のある三浦半島へ。駅を通過するごとに、車内は通勤色から行楽色へとすこしずつ変わっていきます。

JRが国鉄だった時代から、京浜急行は大鉄道網を擁する組織を向こうにまわし、熾烈なサービス競争を展開してきました。とくに、品川駅から横浜駅のあいだは、JRに乗ろうが京浜急行に乗ろうがどちらでもよい客は多いはず。そんな“浮動客”をいかに取りこむかは重要です。

人身事故などが起きたあとの京浜急行の復旧の早さに目をみはる客は多いようです。

首都圏の鉄道などに詳しい事情通はこんなことを指摘します。「京浜急行には、手作業で電車を動かす文化がいまだに残っていて、それがダイヤグラムが乱れたときの対応の早さにつながっているのさ」。

列車を走らせるのには信号が必要です。いま、多くの電鉄会社は、その信号の管理をコンピュータにより行っているようです。ただし、いったん人身事故などが起きてダイヤが乱れると、複雑な列車の運行をコンピュータでは対応できない部分もあり、復旧に時間がかかることがあるようです。

いっぽう、京浜急行は、停車場内に進入することの可否を指示する場内信号機の入力を手作業で行っているとされます。ダイヤが乱れたときも、走っている電車ごとに「駅に入ってよい」とか「ちょっと待っていろ」とかの指示を、臨機応変にすることができるわけです。

こうなると、人身事故などが起きたあとも「とにかく、列車を走らせられるところまでは走らせよう」といった対応も可能に。列車の行き先の変更なども生じますが、京浜急行は臨機応変な素早い対応をすると、客からは見られるようです。

極端にいえば、京浜急行とそれ以外の電鉄会社の対応のちがいは、「状況は元に戻っていないものの電車をとにかく動かすか」と「状況が元に戻るまで電車を動かさないか」といえるのでしょう。そのちがいを生みだすのが、列車の管理を一部いまだ手作業で行っているか、コンピュータに任せているかの差というわけです。

「JRで人身事故が起きたとき、なかなかダイヤが復旧しないため、とばっちりを受けるのも京浜急行だけれどね」と、事情通は説明します。
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ナポリタン発祥に横浜説と三越説


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」に(2011年)7月8日、「ナポリではなく横浜生まれ、『ナポリタン』こそ日本の正統派スパゲティだ」という記事が掲載されました。執筆者はライターの澁川祐子さん。この記事の編集をしました。

スパゲティをたまねぎ、ピーマンなどとともに炒め、ケチャップで和えた「ナポリタン」は、イタリアのナポリではなく、日本が発祥地です。バーモンドカレーが米国生まれでなく、ジャワカレーがインドネシア生まれ出ないのとおなじようなもの。

では、日本のどこでだれが「ナポリタン」を生み出したのか。記事では澁川さんがその真相に迫まります。

いま、一般的によくいわれているのが「横浜誕生説」。終戦間もないころ、横浜・山下町にあるホテルニューグランドの総料理長だった入江茂忠が、進駐軍のもちこんだスパゲティをトマトソースなどと和えて給仕したことがナポリタンのはじまりとされています。

しかし、戦前の日本にすでにナポリタンは存在していたことを示す記述も存在します。喜劇芸人の古川ロッパが戦前に書いた日記です。澁川さんは、こう紹介します。

―――――
『古川ロッパ昭和日記 戦前篇』(晶文社)で実際に確かめてみると、1934(昭和9)年12月22日の日記に<三越の特別食堂てので、スパゲッティを食ってみた。淡々たる味で、(ナポリタン)うまい。少し水気が切れない感じ>とある。

 ロッパの食べたナポリタンがはたして現在のナポリタンと同じものだったかは不明だ。「水気が切れない感じ」とあるから、オーブン料理ではなく、茹でた麺にソースを絡めたものだろう。どんなメニューにせよ、「ナポリタン」というパスタ料理はやはり戦前から存在していたのだ。
―――――

ことの真相はいかに。

発祥の地と流布される横浜のホテルニューグランド1階の喫茶店「ザ・カフェ」で「ナポリタンを」と注文すると、給仕は誇らしげにこのようなことを言ってきます。

「ご存知ですか、この店でドリアも生まれたんですよ。ドリアもまたよろしくお願いします」

ナポリタン目当てでナポリタンを注文する客に対して、このセリフを用意しているのでしょう。給仕係のこのことばのなかで聞き逃せないのは、「ドリアも生まれた」という部分。ナポリタンを注文して「ドリアも生まれた」ということは、ホテル側としては「ナポリタンはこの店で生まれた」ということを自認しているはず。

すくなくとも、ホテルニューグランド内では、「自分たちのホテルでナポリタンは生まれた」ということで通っているようです。

いっぽう、古川ロッパが戦前にナポリタンを食べたとされる三越は、三越でナポリタンが生まれたということを語ってはいないようです。もちろん、戦前に三越でナポリタンが出ているのが事実だったとしても、三越で生まれたということまではいいきれませんが。

澁川さんの推測は「いろいろあった『ナポリタン』の中で、炒めた具材とトマトソースにロングパスタを和えるという、現在のナポリタンの原型を世に広く提示したのが入江だったのではないだろうか」というもの。

わずか60年や70年前のことであっても「初めて」のことについて真相を知るのがむずかしくなることがあるようです。ナポリタンがナポリ生まれでないことはいえそうですが。

JBpress「ナポリではなく横浜生まれ、『ナポリタン』こそ日本の正統派スパゲティだ」の記事はこちらでどうぞ。
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不便にして機能をもたせる


テレビのアナログ放送の終了が近づいてきました。東日本大震災の被災地である岩手県、宮城県、福島県などをのぞけば、(2011年)7月24日(日)がアナログ放送最後の日となります。アナログ放送の復活がないかぎり。

地上デジタル放送に移ることを推しすすめてきた総務省は、地上デジタル放送のよい特徴を地デジカに宣伝させています。

たとえば、映像が二重映りになったり、音声に雑音が入ったりする「ゴースト」が、地上デジタル方法では、なくなるといいます。

ほかに特徴として、地デジカに言わせているのは、番組への参加が可能になること。電話回線やインターネット回線などを使った双方向機能により、リモコンのボタンを押せば、番組のクイズやアンケートに参加できるというわけです。おなじく、リモコンボタンを押せば、画面で番組表を見て、録画の予約をすることもできます。

二重映りや雑音がなくなるという点は、アナログからデジタルにかわることの大きな利点といえるでしょう。いっぽうで、番組への参加はリモコンでなく電話を使えばこれまでもできましたし、録画予約もビデオを指でセットすればできました。

地上デジタル放送になることについて、失われることをデジタル放送推進者たちが多くを語ることはありません。

アナログ放送からデジタル放送にかわり、チャンネルの切りかえに時間がかかるようになりました。アナログ放送ではリモコンボタンを押したり、チャンネルをまわしたりすれば、瞬時に1チャンネル、4チャンネル、8チャンネルと切りかわりました。

しかし、地上デジタル放送では、チャンネル切りかえに1秒から2秒ほどの時間がかかります。チャンネルをよく切りかえる人にとっては、この時間差はストレスになるようで、掲示板サイトには「地デジのチャンネル切換の遅さは異常」といった板がたくさん立っています。

地上デジタル放送でチャンネル切りかえに時間がかかるのは、データをいちど圧縮して家庭などのテレビに送り、テレビでそれの圧縮データを解答してから映すようになったため。

なぜ、このような方式になったかといえば、デジタル放送にハイビジョン映像やデータ放送などのさまざまな機能をもたせたためといいます。

視聴者参加型の番組にしたり、文字データを提供したりすることの代償として、チャンネルきりかえが遅くなったわけです。

おなじような理由から、地上デジタルテレビの時報もあいまいなものになっています。圧縮と解凍にかかる時間がテレビによりまちまちのため、統一的な時報の情報を届けられなくなったわけです。

テレビの時報による時計あわせをそうひんぱんにする人は多くなさそうです。しかし、チャンネル切りかえについては、1日で10回や100回おこなう人はざらにいるでしょう。

チャンネル切りかえの遅さに不便さを感じている人に、不便さを感じなくさせるにはどうしたらよいでしょうか。より大きな便利さを視聴者に提供して不便さを忘れさせるか、データの圧縮と解凍を速くする技術を開発するかのどちらかとなりそうです。

参考ホームページ
総務省「地上デジタル放送ってなに?」
COBS ONLINE 2009年7月23日付 永井祐子「地デジ表示が遅いのはなぜ?」
| - | 23:57 | comments(0) | -
“それなりの重み”で便利に使われる


iPhoneやスマートフォンなどの、携帯端末を使う人が増えています。

これらの装置を手に持ってみると、手がつかれるほどではないものの、それなりの重みを感じる人も多いことでしょう。この重量の大部分は、充電池の重さによるものとされています。

アップル・コンピュータのスティーブ・ジョブズやスマートフォンの開発者たちは、あまりこんな使われかたは想定しなかったでしょうが、この適度な重さの携帯端末が「文鎮」として重宝しているといいます。

文鎮は、風などで紙が散らないように、抑えておくおもしのこと。

たとえば、屋外のカフェで仕事をしているときなどに、とつぜんの強風が吹いて生きて、書類が飛びちってしまうこともあります。こうしたとき、iPhoneやスマートフォンを書類の上に置いておけば、よほどの突風でないかぎり、紙が飛びちることはありません。

また、買ったばかりの本などで、まだ折り目がついていないようなとき、放っておくとページが閉じてしまうことがあります。iPhoneを置けば、両手を離して作業をしても、ページが閉じてしまわずに済むというわけです。

いまの時代、わざわざ文鎮をかばんに入れて持ち歩く人は多くありません。わざわざ文鎮を持つほどではないものの、iPhoneやスマートフォンが代わりの役割を果たせば、それなりに便利となります。

iPhoneの重さは、初期のものが135グラム。その後、つぎのiPhone3Gでは133グラム、iPhone3GSでは135グラム、iPhone4では137グラムと、増えたり減ったりしながらも、わずかに重くなってきています。これは、文鎮として使うという点では、悪いことではありません。

いっぽう、スマートフォンでは、109グラムといった軽いものも、164グラムといった重いものもあります。

「軽薄短小」ということばがあるとおり、こうした携帯端末が軽くなるように努力している技術開発者のほうが多いことでしょう。しかし、まったく別の便利な使いかたがあることを考えると、その方向性がかならずしも叶っているとはいえますまい。

参考ホームページ
私的.info「REGZA Phoneとこの冬発売予定のスマートフォンのサイズ・重量を比較」
| - | 23:59 | comments(0) | -
夏に甘酒


あまざけは「醴」とも書きます。「酒」の右側の「酉」と、「濃」の右側の「豊」で「醴」。濃い酒ということから醴は「こさけ」とも読みます。

酒にもかかわらず、多くの甘酒はアルコール分がありません。日本酒のつくりかたとくらべると、その理由がわかります。日本酒も甘酒も、まずは、蒸したお米に麹菌を振りかけます。

このあと、日本酒づくりでは、さらに酵母とよばれる菌を加えます。酵母は字のごとく、酵素の母体。酵素は、蒸し米を分解してアルコールを生み出す「発酵」の担い手です。酵母会ってこその発酵、つまり酵母あってこそのアルコール生成となるわけです。

いっぽう、多くの甘酒づくりでは、酵母を加えることなくできあがりとなります。このつくりかただとアルコールは生じません。酒にくらべて甘酒のほうが短い時間でつくれ、「一夜酒」などともよばれます。

「甘酒」の季語が夏であるということは、俳句を詠んでいる人や江戸文学に詳しい人にはよく知られています。江戸時代、人びとは暑気ばらいとして、冷やした甘酒をよく飲んでいたといいます。

甘酒の成分には、ビタミンB1、B2、B6、パントテン酸、イノシトール、ビチオン、必須アミノ酸、ブドウ糖と、さまざまな栄養素が含まれています。暑い季節に飲んだら元気になるということを、江戸の人びとは知っていたのでしょう。

甘酒の季語が夏であるということが知られているのにくらべて、甘酒を歌った俳句にどのようなものがあるのかは知られていないようです。

「あま酒の地獄もちかし箱根山」与謝蕪村

暑い盛りにふつふつと濁り水が湧きあがる箱根の大湧谷の様子を、熱い甘酒と重ねあわせたのでしょうか。

「一夜酒隣の子迄来たりけり」小林一茶

甘酒を飲むことは貴重な機会だったのか、それとも、甘酒といえども酒であることからおとなの飲みものだったのか。甘酒に興味津々な子どもの様子が浮かんできます。

「百姓のしぼる油や一夜酒」宝井其角

其角は松尾芭蕉の一番弟子。やはり、油と肩をならべるほど、一夜酒つまり甘酒は貴重な滴だったのでしょう。

いまやお茶漬けでさえも冷やして、胃袋にかっこむ時代。暑い夏、冷たい甘酒の復権があってもよいくらいです。

参考ホームページ
東京ガス「食の生活110番Q&A 甘酒と白酒の違い」
「季語と歳時記 甘酒」
| - | 23:59 | comments(0) | -
文化はあるが、文明はない。


日本には「文化」はあるけれど、「文明」はないといいます。

通信販売でおなじみなのは「日本文化センター」。これが「日本文明センター」となると、どこか高尚そうだけれど安直そうな、違和感を覚えてしまいます。ほかにも包丁の種類としてあるのは「文化包丁」。住宅にあるのは、「文化住宅」。

インターネットの文字検索でも、「“文化”」ということばは12億3000万件も該当しますが、「“文明”」は5億7700万件。明らかに「文化」のほうが社会のなかのことばとしてもよく登場すること示しています。

日本には、文化はあるけれど文明はない。このことについて、科学哲学者の村上陽一郎さんは、ことばの成り立ちから、その理由を説きあかします。

「文化」を示すことばとしてあるのは“calture"。もともと“calture”も、「耕す」というラテン語の“colo”から来ているといいます。耕すことから「文化」とよばれるものが生まれたのだから、農耕社会には「文化」が当てはまる、つまり農耕社会があれば、そこでは「文化」が起こりうる、となるわけです。

では「文明」はどうでしょうか。村上さんは、「文明」の辞書的意味を「生産手段の発達によって生活水準が上がった状態。民主制などの近代的な社会制度を備えている」と紹介しつつ、しかし、この意味では筋が通らないことを指摘します。

古代エジプト、古代ローマ、古代中国、メソポタミアなどの「文明」発祥の地において、生産性を高める工業化や、近代的なものの象徴とされている民主化があったかというと、かならずしもそうではないからです。

文明は、“civilization”と表現されます。このなかの“civil”は、ラテン語の”civis”から来ており、「市民」や「都市」を表しています。では、“civilization”の表象される本質的な意味とはなんなのか。

神の手によって行われてきたすべてのことを、人の手におきかえていったことが、“civilization”ということばのもつ概念的な意味だと村上さんは言います。そして、文明化された人びとは、文明化されていない人びとに、自分たちも文明化するよう矯正・教化をしていったとも言います。

日本には、神の手によって行われてきたことを、人に手におきかえることはありませんでした。自分たちのしてきたことを矯正・教化しようとしたのは、せいぜい太平洋戦争のときぐらいで、しかも、それは大失敗に終わりました。

文明をもつこと自体は絶対的によいものではなく、よいのかどうか議論する余地のあるもののようです。

この記事は、2009年12月11日に行われた「科学技術と知の精神文化」(日本学術会議、科学技術振興機構主催)における村上陽一郎さんの講演内容を参考にしています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
ラー油のベタベタ問題、解決せず。


4年以上も前になりますが、「餃子のお供の、あの感じ。」という記事で、ラー油の容器のベタベタ感について触れました。ラー油製造業に聞いたところでは、ラー油の容器がベタベタするのには、つぎのような原因があるとのことです。

「ラー油は、他の基礎調味料よりも使用頻度が少なかったり、一度の使用量が少ないことが想定されます。一度の使用量が少ない場合などは、サラダ油よりも油を切り難かったり、一度垂れた油の付着部分を伝って、次回も油切れし難くなることが考えられます。これが余計に容器に油が付着しやすい原因になっている可能性があります」

その後、ラー油のベタベタ問題はどうなったのでしょうか。

大手の食品製造業では、「プッシュ機能つきラー油」の開発が進みました。ふたを開けると、ふたとおなじプラスチック素材のボタンのような突起があります。ここを人さし指で押すと、少しの量のラー油がぴゅっと出てくるというものです。

この「プッシュ機能つき」のラー油を売っているのは、食品製造業のなかでも大手の複数の企業。そのなかでも1社は、ふたの部分に「液だれしない!ワンプッシュキャップ」という文字をかぶせています。

ところがどうでしょう。使い方によるのかもしれませんが、いぜんとして液だれは確実に起きているようです。ラー油を皿の上に完全に出しきったように思えても、やはり粘り気が強いのがラー油の液。口のまわりに若干のラー油が残るのでしょう。

しかも、使い終わったあと、ふたを締めるものだから、プラスチックが触れあっている部分にラー油がべたーっと広がっていくようです。

こうなってきたら、指で押すボタンの部分にも、ラー油の液がついてしまうのはもう時間の問題です。使うたびにふたの部分をちり紙などで拭かないかぎり、指がラー油まみれになることに……。

「液だれしない!」ことを売りにするラー油も、自然に使っているうちにふたのまわりがベタベタになるようです。ラー油のベタベタ問題は、まだ終わりを見ていません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
『東京女子大学 by AERA 女子力!』発売


朝日新聞出版社が(2011年)6月29日、『東京女子大学 by AERA』というムックを発行しました。このムックの研究者紹介記事の取材と執筆をしました。

『AERA』が、大学をまるごと紹介するムックを出すのは、『明治大学 by AERA』『東京大学 by AERA』につづいて3冊目。大学側が出版社にムック形式の出版を依頼するといった需要は増えているようです。

東京女子大学というと、文学や哲学など、文系の印象をもつ人も多いかもしれません。しかし、現代教養学部のなかには数学や自然科学や情報科学を学ぶ数理科学科があり、また、大学院にも数学を専攻する理学研究科があります。

取材をした数理科学科情報理学専攻の内藤正美教授は、数学を駆使して医療などの技術を高める研究の担い手。筋萎縮性側索硬化症(ALS:Amyotrophic Lateral Sclerosis)の患者が、自分の「はい」や「いいえ」の意思をまわりの人が認識するための装置「心語り」の開発に携わってきました。

表情をつくるのもままならない患者の意思を、脳の波形を分析することで読みとります。とはいえ、患者の脳の波形の変化は、患者個人により大きく変わるもの。さらに、心拍や呼吸のリズムも脳の波形を読みとるという点では“雑音”となります。そうしたなかで、統計学や解析学などを駆使して、複雑な波形のなかから一定の傾向を読みとり、患者の意志は「はい」なのか「いいえ」なのかを判別します。

ゼミでは、6人の4年生が、実際に自分たちの脳の波形を読みとる作業をしていました。教授の指図が出るまでもなく、自分たちから率先して装置の使い方を知ろうとします。

ほかにも、数学の計算につきものの近似解が、実際の解とどれだけ近いのかを計算する「制度保障付き数値計算」の研究をする数理学科情報理学専攻の荻田武史准教授や、データを重視する自然科学のアプローチで眼の心理学を研究する人間科学科コミュンケーション専攻の小田浩一教授なども登場します。

編集担当者によると、東京女子大学の大学生協では即完売で、緊急の追加注文も出ているとのこと。『東京女子大学 by AERA』はこちらでどうぞ。
『AERA』のホームページにも、詳しい内容が載っています。こちら。
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