科学技術のアネクドート

病院存続のため「3020運動」


スーパーマーケットがきゅうりやトイレットペーパーの値段を決めてよいのとちがって、病院が勝手に「入院した患者にいくら払ってもらう」とか「X線による透視診断をしたから患者にいくら払ってもらう」といった値段を決めることはできません。

病院が行う医療全般について、それぞれの行為に点数が決められています。「1点が10円」として、その点数を積み重ねることにより、病院が得られる報酬が決まるのです。これは「医療報酬制度」とよばれています。

一部の病院では、診療点数を上げるため、「3020運動」という試みが行われています。

「3020」は「30」と「20」にわかれます。

まず「30」の意味は「初診の紹介率30%以上をめざす」というもの。病院の外来に訪れる患者のなかには、ほかの医療機関から「あの病院で治療を受けると効果的だろうから紹介します」と紹介を受けて訪れる人もいます。また、救急車などで救急外来などに運びこまれる患者もいます。これらの患者数が、初診患者のうち何パーセント占めるか、その数値が紹介率となります。

病院が紹介率30%以上の実績をもっていると、入院基本料という診療報酬の基本料金に加えて、いろいろな診療得点が加算されるのです。「1日あたり紹介外来特別加算50点」「1日あたり急性期入院加算155点」など。そのため、「紹介率30%以上をめざそう」となるわけです。

つぎに「20」のほうは、「平均在院日数20日以内をめざす」というものです。「在院日数」というのは患者が入院している日数のこと。この日数をより短くしていこうというわけです。

患者を入院させるときには、入院基本料という診療報酬が病院に入ります。この入院基本料は、わりと点数が高いめ、1人の患者を長く入院させておくよりも、より多くの患者を入院させるほうが、全体としての診療報酬を得やすくなるわけです。

しかし、過度に「20」へのとりくみが進みすぎると、患者を追い出すことになりかねません。このあたりはバランスが大切となりそうです。

病院の収入の大部分が診療報酬の制度で決まるのですから、病院側はいかに診療点数を上げるかに心血を注ぐわけです。もちろん、患者の病気を治すということは大前提にありますが、そのためには病院が存続しなければなりません。

参考文献
高知県医労連「診療報酬の仕組み」
| - | 23:59 | comments(0) | -
つくりかたがだいたいおなじ

食の世界には、作りかたはだいたいおなじだけれど、できあがりはべつのものというものはけっこうあります。

カレーと肉じゃがのレシピは、ほぼ途中までおなじです。具はじゃがいも、にんじん、豚肉など、共通するものが多くあります。

日本の食文化に特徴的な「発酵」という過程を踏む食品のなかにも、作りかたがにているものがあります。発酵とは、酵母や細菌などの微生物が、有機化合物を分解して、アルコールや炭酸ガスなどを生じさせること。

日本酒と醤油のつくりかたもよくにています。

材料となるものは、日本酒のほうは米。醤油のほうはおもに大豆。どちらの過程でも、材料を蒸します。

そのつぎの段階で登場するのが麹かび。菌類の一種で、含まれているアミラーゼがでんぷんを糖にかえます。甘味やうま味などの味を出すのに関わる大切な菌です。麹かびを、酒造りでは蒸した米のうえにまぶします。醤油づくりでは蒸した大豆に入れて混ぜます。

その後、酒づくりでは、麹、蒸した米、水、それにアルコール発酵のもととなる酵母をいれて、米粕の残ったもろみをつくります。いっぽう、醤油づくりでは、麹、蒸した大豆に加えて塩水を入れて混ぜ合わせ、大豆粕などが残ったもろみをつくります。

その後、酒でも醤油でも時間をかけて樽のなかに置いて熟成させます。最終的に液体として出てくるのが、酒であり醤油となります。

元になる材料と、途中で入れる材料がすこし異なるだけで、製造工程はほぼおなじ。それほど深く、「発酵」というものが日本の食文化に根付いているということでしょう。

岡直三郎商店「醤油の製造法」
永井本家「日本酒の作り方」
| - | 23:59 | comments(0) | -
自治体が自治体を支援(下)

宮城県内の仮設住宅

東日本大震災の被災地の市区町村すべてが、被災地以外の市区町村と姉妹都市や友好都市の関係を保っているわけではありません。

たとえば、計画的避難区域に指定された福島県飯舘村には、3月11日時点で姉妹都市や友好都市の関係を結んでいる市町村はありません。また、気仙沼市や釜石市とおなじく、巨大な津波に襲われた岩手県陸前高田市も、姉妹都市や友好都市の関係を結んでいる市町村がありません。福島第一原発から20キロ圏内の浪江町が友好都市関係を結んでいるのは、中国江蘇省興化市です。

もちろん、姉妹都市や友好都市の関係を結んでいない自治体に対しても、国や県などが支援の手をさしのべてはいます。しかし、これからの長い復興への道のりを考えると、持続的な支援の方法が必要なのかもしれません。

そこでいま、「対口支援」(たいこうしえん)という方法が注目を集めています。

「対口支援」は、2008年に中国の四川省で起きた大地震のとき、中国政府がとりいれた支援の方法です。「人口」ということばがあるように、中国語で「口」は「人」のことを意味します。「対口」で「ペアを組む」といった意味になります。つまり、「対口支援」は、被災地の自治体と被災地でない自治体が対となって、ともに復興に向けたとりくみを進めていこうという復興策です。日本語では「ペアリング支援」ともよばれています。

実際、四川大地震からの被災地復興では、この対口支援が功を奏し、復興のスピードを速めたと評価されています。

日本学術会議は(2011年)3月25日、東日本大震災の対応でも、対口支援を講じることを提言しています。その内容はつぎのようなものです。

―――――
1 復興に向けて、被災地ではない特定の県、もしくは市町村(支援側)が、被災地の特定の自治体と協力関係を結び、互いに顔の見える持続的支援を行っていく。

2 支援側は、それぞれの被災地の実情、考え方を踏まえて、人的支援、物資支援、避難所供給、復興まちづくり支援など、様々の支援を行う。

3 国は、この支援に必要となる法の整備(地域復興支援法等)を行い、財源の手当てを行う。

4 自治体間の組み合わせについては、総務省、全国知事会、全国市長会、全国町村会などが、これまでの蓄積を活かし、被災地の特定の自治体の規模、被災状況、課題、これまでの支援経過などを総合的に判断し、決定する。

5 ペアリング支援の期間は、3年間とする。被災した自治体は、支援自治体の協力を得て、早急に復興目標の策定を行い、その実現に向かってともに努力する。
―――――

日本でも、対口支援が試されています。滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、鳥取県、徳島県からなる関西広域連合は、東日本巨大地震からわずか2日後の3月13日、各県府県が分担して、東北の岩手県、宮城県、福島県それぞれに支援をすることを決めました。

また、大阪市も6月に入り、対口支援を制度化するよう、政府に申しいれする動きを見せています。府県と県といったレベルのほか、市町村と市町村といったより細やかな対口支援も重要となるでしょう。また、支援を長つづきさせるためには、日本学術会議の提言にもあるように、国が法整備をして、財源の手あてを行うことも重要になります。

被災地の復興の道のりでは、被災を受けた自治体そのものが自立していくことが重要となります。その自立を加速させるひとつの要素として、被災を受けなかった自治体の長期にわたる支援があるわけです。

参考記事
産經新聞 2011年3月26日「分担決め、きめ細かい支援継続 関西広域連合の『対口支援』」
産經新聞 2011年6月4日「大阪市、被災地『対口支援』制度化申し入れ」

参考文献
日本学術会議東日本大震災対策委員会 2011年3月25日発表「東日本大震災に対応する第一次緊急提言」
| - | 10:05 | comments(1) | -
自治体が自治体を支援(上)

2011年3月13日、気仙沼市

大震災の被災地となった市町村が復興しようとするとき、被災地以外の市町村からの支援は重要です。支援のしかたには、自治体職員やボランティアの派遣、物資の援助、金銭的な援助と、さまざまあります。

支援をする側と、支援を受ける側。この関係はどのように成立するのでしょう。

まず考えられるのが、「姉妹都市」や「友好都市」を結んでいる市町村どうしの、支援の申しでと支援の受けいれです。

「姉妹都市」は、文化交流や親善を目的として結びついた都市と都市のこと。「友好都市」もほぼおなじ意味で使われます。ともに、国際的な都市間でも、国内での都市間でも、使われることばです。

(2011年)3月に起きた東日本巨大地震を受けて、姉妹都市や友好都市を結んでいる市町村どうしで、復興支援などの輪が広まっています。

3月11日、宮城県気仙沼市を大津波と大火災が襲いました。6月18日時点で、死者975名、行方不明者495名、避難者2713名という、たいへんな被害になっています。

この気仙沼市と友好都市の関係を結んでいる自治体のひとつが東京都目黒区です。目黒区は、気仙沼市に対して区の建築・土木職員を派遣しました。家屋被害の調査や、罹災証明書発行などの職務を担いました。また、事務職員も派遣して、災害義援金や災害弔慰金の受けつけなどを担っています。このほか、目黒区は、宮城県角田市とも友好都市の関係を結んでおり、角田市にも建築職員を派遣しています。

岩手県釜石市にも、巨大な津波が押しよせました。6月21日時点で、死者867名、行方不明者371名、避難者1670名となっています。

釜石市が友好都市関係を結んでいる自治体のひとつが、富山県朝日町です。1984年に提携しました。朝日町は、震災後、釜石市に対して見舞金や義援金、それに支援物資などを贈りました。さらに、釜石市内の避難所で炊きだしを行ったり、避難者に対して空き家を提供しようとしたりと、多面的な支援を行っています。

このように、姉妹都市や友好都市による支援の輪が広がるいっぽうで、べつの結びつきによる支援が必要な被災地市町村もあります。すべての市町村が、どこかしらと姉妹都市や友好都市の関係を結んでいるわけではないからです。つづく。

参考ホームページ
東京都目黒区「被災地へ目黒区職員を延べ195名派遣」
富山県朝日町「東日本大震災・関連情報」
| - | 23:59 | comments(0) | -
書評『4つのカラーで見直そう これからの働き方』
世界では有用だとして知られているけれど、日本では知られていないビジネス上の手法というのも、じつはまだあるものなのかもしれません。本書で紹介される「バークマン・メソッド」もそのひとつです。



バークマン・メソッドは、人の行動パターンを分析する方法だ。米国の空軍で開発され、その歴史は50年以上にもなる。

参加者は、まず数々の設問に答えていくことになる。その結果は統計学的に分析される。そのつぎに、自分の行動特性を把握する段階がある。

「田」の字のように描かれる4つの領域がある。それぞれの領域は色付けされて、第一段階の設問を受けた人の行動特性をその4つのどれかに当てはめることができる。左上の領域は、レッドで、直接仕事を進める「実効促進型」。右上は、グリーンで、人と会って関係性を保ちながら仕事を進める「関係構築型」。右下のブルーは、じっくりとアイデアを練る「企画立案型」。そして左下のイエローは、間接的に管理や運営を行う「管理進行型」だ。

ただ、自分の性格がどの範疇に入るのかを単一的に示すものではない。「興味があるもの」「得意なもの」そして「ストレスを感じたときのもの」といった、三つの場合の行動パターンを、この「田」のなかにうちこむことになる。「田」のなかに「興味」「得意」「ストレス時」を頂点とする三角形が描かれるわけだ。

この行動分析をすることは「自分を知る」ことになる。そして、この「自分を知る」という行為が、組織内での人間関係の円滑化や、パフォーマンスの向上にもつながるという。自分が得意としている仕事の進め方や、ストレス時に陥る行動のとりかたが自分でわかっていれば、他の人に自分の足りないところを補ってもらうことができるからだ。著者は「『自分』も前よりも『周囲』に活かされることで機能し、『周囲』もあなたの対応によってより「活かされる」状態をつくることができます」と述べる。

さらに、上司や管理者にとって有用なことに、組織内のメンバーが一斉にバークマン・メソッドに参加すれば、組織の中ではたらく人たちのパフォーマンスや性格の関係性を把握することもできそうだ。

実際の組織では、人事異動があり、リーダー的立場の人が組織から抜けでてしまうことがある。その後任になるのは、たいていの場合、サブリーダーだった人物だ。だが、元リーダーと元サブリーダーは、「関係構築型」と「管理進行型」の組み合わせでうまい具合にバランスがとれていたということもある。「関係構築型」の元リーダーが抜けてしまったいま、この組織は、もういちどバランスのとりかたを考える必要があるだろう。そうした、組織のバランス関係も、このバークマンメソッドで把握することができるという。

バークマンメソッドを取り入れている企業は、世界では8000社。参加した人は300万人にも及ぶ。日本で知られていないのは、このメソッドを伝える人材自体が不足している点などもあるのだろう。著者は、日本人で唯一のバークマン・メソッドの日本マスタートレーナーだ。設問の日本語訳化なども求められている。

人間関係の構築や、パフォーマンス力の高い組織の構築などを目指している人にとって、本書は方法論を検討するうえでの一助になる。

『4つのカラーで見直そう これからの働き方』はこちらでどうぞ。
| - | 23:59 | comments(0) | -
かつて「絆」で結ばれていたものは人と獣

人と人の強い結びつきを象徴することばとして「絆」(きずな)があります。「絆」は、歌の名前、映画の名前、小説の名前、まんがの名前などで、さかんに使われてきました。

日本の人工衛星の名前にも「きずな」が使われています。2008年2月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)ガ、H-IIAロケットに載せて打ちあげたもの。その目的は、「いつでも、どこでも、誰でも」インターネットの高画質映像や動画を見ることができるようにすること。超高速アンテナなどを搭載して、技術的な実験を行います。

「絆」ということばには、複数のものが結ばれているといった語感があります。いまでは、その「複数のもの」は人と人であり、「絆」は主従関係というよりも対等関係の象徴として使われています。

この「絆」ということばが、どこから来たのか。辞書や語源辞典などでは、結ばれるものとしてあるのは、いっぽうは「人」、もういっぽうは「動物」となっています。

人が飼っている馬や犬や鷹などの動物は、つなぎ止めておかなければどこかに逃げていってしまう可能性があります。そこで、人は「絆」を使うことにしました。つまり、「絆」は動物をつなぎ止める「綱」だったのです。

平安時代の歌謡集『梁塵秘抄』には、「御厩の隅なる飼ひ猿は絆離れてさぞ遊ぶ」といった表現も見られます。絆から解きはなたれ、自由になった猿の光景が思いうかばれます。

人と動物の関係を考えれば、あきらかに絆で結ばれるものには主従関係があります。この「絆」の意味は、時代とともに転じていき、道具を指すより、「関係の絶ちがたさ」や「離れがたさ」といった効果を指すようになっていきました。

語源までさかのぼって「絆」ということばを使うかどうか考えるよりも、漢字1文字、ひらがな3文字であらわせる語感がよさなどが優先されて、「絆」は広く使われています。

参考文献
『広辞苑』第五版

宇宙航空研究開発機構「超高速インターネット衛星―『きずな』」
| - | 23:59 | comments(0) | -
「植物工場の野菜が甘く巨大に育つ理由」


日本ビジネスプレスのウェブニュース「JBpress」で、きょう(2011年)6月24日(金)「植物工場の野菜が甘く巨大に育つ理由」という記事が配信されました。この記事の取材と執筆をしました。

東京・ の玉川大学に、2010年「フューチャーサイテックラボ」という研究棟が建てられました。この研究棟の1階は、植物工場研究施設となっています。太陽の光をいっさい使わず、かわりに発光ダイオード(LED:Light Emitting Diode)で野菜などの植物を照らして育てる方法が試みられています。

記事では、この植物研究施設の管理者である農学部の渡邊博之教授が、この近未来的ともいえる研究の内容を紹介しています。

発光ダイオードの光は、蛍光灯などの光とちがって、せまい範囲によく輝く光を照らしつづけることができること。しかも、発光ダイオードは光の三元素である赤、緑、青といった色を単独で光らせることができます。このため、強い赤の光や、強い青の光を植物に照らしつづけることができます。

光を受ける植物には、“好きな色”があるといいます。つまり、「この色の光を受けると、どんどん光合成をおこなう」といった色があるのです。発光ダイオードを使うのに都合がよいことに、多くの植物は青や赤の光をよく好みます。

発光ダイオードにより、単色の強い光を照らしつづけると、植物はどのような反応を示すか。渡邊教授が一例として紹介するのが、チンゲンサイやコマツナの“巨大化”です。

チンゲンサイやコマツナを含む植物は光を受けると、栄養をつくる光合成のほかに、光形態形成というべつの反応を示します。光形態形成は、光を受けることで、植物が背丈を伸ばしたり、分化させたり、またそれらを止めたりする営みです。

青色の光だけを照らしつづけたチンゲンサイやコマツナは、光形態形成という点では「暗闇に置かれる」という状態となんら変わらないことになります。植物にとって、青色の光は形態形成には関係のない光だからです。

暗闇にチンゲンサイやコマツナが置かれると、必死に光を求めようとして、背丈を伸ばそうとしたり、葉を広げようとしたりします。

いっぽうで、チンゲンサイやコマツナは、光合成をするという点では、青色の光は大好きな光となります。太陽の白い光のうち、とりわけチンゲンサイやコマツナは、青色の波長を受けて光合成を営んでいるのです。

つまり、青の単色の光は、チンゲンサイやコマツナにとって、背丈を大きくしたり葉を大きくしたりさせる“暗闇”であると同時に、光合成をさかんにさせる”光”でもあるわけです。

青い光だけを浴びつづけたチンゲンサイやコマツナは、葉をめいっぱいに広げて光合成をするのですから巨大化するわけです。

記事には、実際に玉川大学の植物工場研究施設で巨大化したチンゲンサイの様子も紹介されています。また、赤い光で甘いリーフレタスをつくるといった方法も紹介されています。

渡邊教授は、「植物の生物反応のすべては光によるもの」と、光が植物にとって最重要であることを強調しています。

JBpressの記事「植物工場の野菜が甘く巨大に育つ理由」はこちら。
この記事の前篇「太陽光よりも野菜が育つ工場」はこちら。
| - | 18:13 | comments(0) | -
いきものの力を機械・装置に活かす
機械や装置というと、鉄やアルミニウム、あるいはプラスチックなどの材料でできて、「カシャーンカシャーン」とか「グイーングイーン」とか機械音を響かせるような印象がもたれがちです。

機械の本質は、運動をして外からあたえられたエネルギーを、役に立つかたちに変えるということ。この役割を果たすことができれば、機械が金属である必要はありません。ある意味で、人や動物や植物などのいきものは、機械の集まりといえるわけです。

そこで、いきものの細胞や物質を部分的に取り出して、工業用の機械として使う技術があります。

たとえば、「モーター」は動力を生じさせるための機械。模型などに使われるマブチモーターのように電池を使って動かすものがよく思いうかばれます。

いっぽう、ヒトや動物などのなかにも、このモーターの役目を果たすような細胞があります。心臓という臓器をつくる心筋細胞です。心筋細胞は、細胞を活かす栄養など、必要な物質があたえられつづければ、ヒトや動物のからだのなかになくても動きつづけることができます。

このため、「心筋細胞を使ったモーター」といった装置をつくるという考えが浮かんできます。この“モーター”を使えば、マイクロメートルの寸法のポンプや、回転機構などをつくることもできます。作動装置のことを「アクチュエーター」とよびますが、とりわけ心臓の細胞を使ったこれらの作動装置は「心筋細胞アクチュエーター」とよばれ、研究者により開発が進められています。

また、いきものから取りだせる材料をもとにした装置もつくられています。

動物などのからだのなかには、多くの酵素とよばれる物質があります。酵素は、いきものの体のなかでなされる化学反応の触媒、つまり刺激役のような役割を果たします。とくに、臓器のひとつである肝臓は、いろいろな酵素をつくります。

この酵素を動物のからだの外にとりだして、これを物質をつくったり、物質の性質を調べたりすることに使うこともできます。酵素などの触媒を使って、化学反応を起こさせる装置は「バイオリアクター」とよばれています。

これらの“機械”や“装置”をつくるには、もとになる心臓や肝臓などを構成する細胞が必要。生きているヒトや動物からとりだすことも不可能ではありません。

しかし、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を「心筋細胞になるように」あるいは「肝細胞になるように」と分化誘導させれば、動物のからだをそのまま使う必要もなくなります。こうした“機械をつくる”という側面からも、細胞をつくりだす研究がとりくまれています。

参考ホームページ
東京農工大学森島研究室「バイオMEMS技術を利用した生命機械システムの構築」
長岡技術科学大学産学融合トップランナー養成センター「細胞と機械とのハイブリッドマイクロマシンの開発」
東京大学大学院工学系研究科北森研究室「心筋細胞バイオマイクロアクチュエーターポンプ」
| - | 23:59 | comments(0) | -
「鈴木義幸の人を動かす問いの力」が最終回


日経ビジネスオンラインのコラム「鈴木義幸の人を動かす問いの力」が、きょう(2011年)6月22日(水)の第12回で最終回となりました。このコラムの編集を、連結社とともにしてきました。

鈴木さんは、企業の長などをコーチングするコーチ。その経験などから、人と人とのコミュニケーションにおける「問い」の大切さや、役立ちぶりを実感してきました。

コーチの立場から、鈴木さんは「問い」の意義をこう伝えてきました。

―――――
コーチングで相手に投げかける「質問」は、質問者の便益のためではなく、相手に得て欲しい「何か」のためのものです。相手の中に、切実にこちらが築き上げたい「何か」があるから質問するのです。
―――――

連載では、その「何か」にあたるものを得るための方法を、各回で伝えてきました。たとえば、部下に「自分は人の話を聞いていない」ということを気づかせるための問いの発しかたや、新しい職場に来た人が落ちいりやすい“ドツボ病”から救うための問いの発し方などです。

最終回「不毛な怒りの静め方」では、対外的には柔軟にこなしながらも、対内的には部下に声を荒らげるような人物を例に、「問い」によって、その人の“怒りのしくみ”に改善をあたえる方法を示しています。「つい怒ってしまう」の「つい」は、自分で引きおこすものだということを鈴木さんは論じています。

職場で、学校で、家庭で、「問いの力」が発揮される場面は多くありそうです。

「人を動かす問いの力」第1回から第12回までのすべての回を、ご覧いただくことができます。一覧のもくじはこちらです。
| - | 19:46 | comments(0) | -
血清を使わずに細胞を培養

細菌などの微生物や、細胞などの生物の一部分を、シャーレなどの人工的な条件の下で増やすことを「培養」といいます。

培養で細菌や細胞などを増やすと、実験を長く続けることができるようになります。また、実際に特定の細胞を医療で使いたいときも、培養で細胞の個数を増やすことができます。

細胞の培養には「血清」が付きものでした。血清は、血液がかたまるときに分離する液体で、タンパク質、糖質、脂質、ビタミンなどが混ざっています。血清には栄養がたくさん含まれているため、細胞を増やすときにも好都合となります。

実際に、細胞の培養で血清を使うときは、ウシ、ウマ、ニワトリ、ヤギ、ブタなどの血清が用いられることが多くあります。これらの動物由来の血清を、シャーレなどの上に敷いて、この培地のうえで細胞を増やしていきます。

しかし、細胞の培養に血清を使うことのデメリットもいくつかあります。

たとえば、血清に毒性が含まれているというのは代表的なデメリットです。細胞を増やすのにとってよからぬ細菌やウイルスの毒などが含まれていることがあるのです。

また、血清に含まれる栄養分にも、その血清をつくりだした個体が育った環境などにより、かたよりが見られます。いつもおなじ条件で細胞を培養するということがむずかしいわけです。

そこで、生物学の実験では「無血清培養」という新しい型の培養法が行われるようになっています。血清を使わずに細胞を培養するわけです。

血清の代わりに使うのは、インスリンなどのホルモン、それに細胞を接着するための物質などです。また、再生医療の手法として期待がもたれるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を増やすための無血清培養法として、「塩基性線維芽細胞成長因子」(bFGF:basic Fibroblast Growth Factor)といった細胞成長因子を使う方法も、2010年に東京大学や長岡技術科学大学などの共同研究で開発されています。

ヒトなど、ある種類の生物の細胞を増やすのに、ほかの種類の生物由来の物質や、正体がまだじゅうぶんにわかっていない物質を使うのは、基本的には避けるべきでしょう。無血清培養が、細胞増殖に新たな道をつくっています。

参考文献
愛媛大学農学部動物細胞工学教育分野「無血清培養法」

参考ホームページ
高岡聡子「培地のお話 血清」

参考記事
共同通信 2010年11月24日付「安全性高いiPS細胞作製に成功 動物由来の材料使わず」
オリンパス 2009年11月13日「bFGFの欧米における創傷治癒分野に関するライセンス契約について」
| - | 23:59 | comments(0) | -
必死に背伸びして書く


ある自称ジャーナリストが、環境問題についての本を書いたそうです。

その本が、ある雑誌編集者の目にとまったといいます。この雑誌編集者は、次号で環境問題の特集を担当することが決まっていました。そこで、このジャーナリストに「環境問題について取材させてほしい」と依頼。「私でよければ」と、自称ジャーナリストから快諾を得ました。

取材当日。蓋を開けてみると、こんな調子だったようです。

「いまの日本のエネルギーの構成比はどうなっているのでしょうか」
「ええと、原発がたしか、2割だったですかな、いやちがう4割、でなくて3割か」

「新エネルギーと再生可能エネルギーのちがいはあるのでしょうか」
「ええと……。たしかその、ことばのちがいだけで、そんなに変わらなかったような気がします、個人的には…… orz 」。

雑誌編集者は「こんな人に取材を申しこむんじゃなかった」と、がっかりしましたとさ。

物書きの世界には、こんな“掟”があるといいます。

「自分が理解できていることだけを書け。理解できていないことは書くな」

これは、執筆するテーマを理解し、咀嚼したうえで原稿を書かないと、読者に迷惑をあたえてしまうということを意味した掟です。では、「理解できたことがあまりに小さすぎて原稿を書けない」という場合、どうすればいいか。答えは「原稿を書いてはいけない」となります。

この自称ジャーナリストは、この掟に従って、自分なりに調べごとをし、自分なりの理解の範囲を広げ、本の原稿を書いたのでしょう。しかし、その記事に書かれた内容は、必死に背伸びをした結果でしかありませんでした。

この自称ジャーナリストに雑誌編集者は取材をし、自称ジャーナリストが必死に背伸びをしたこと“以外のこと”を、いろいろと聞いたわけです。自称ジャーナリストは、自分が必死に背伸びをしたこと“以外のこと”を、雑誌編集者から聞かれたわけです。

必死に背伸びをして本の原稿を書く。これは、自分のセリフを必死に丸暗記して英語劇の舞台に立つこと、あるいは、演奏する楽譜だけを必死に覚えてギターの演奏会に出ることとにています。

では、その役者が英語を話せるかというと、そうとはかぎりません。その演奏者がほかの曲のコードを見て演奏できるかというと、そうとはかぎりません。その自称ジャーナリストが、本に書いたこと以外のことを語れるかというと、そうとはかぎりません。
| - | 23:59 | comments(0) | -
確率論で宗教の必要性を説く


宗教について「信仰すべきだ」と言う人にはどのような人がいるでしょうか。

もっとも考えやすいのは信者の人びとです。「私どもが信じている宗教にあなたもお入りなさい」と勧誘します。これは、布教、宣教、伝道などともいわれます。

より多くの人の幸福を願う気持ちから布教をするとともに、布教する本人が「私は何々教を信じています」と多くの人に告白することで、信仰心を高める効果もあるといわれています。

いっぽうで、信者でない人でも、「宗教を信仰すべきだ」と言うべき合理的な理由があるともいいます。

人びとが宗教に対して信仰心をもつことで世のなか全体がよい方向に進むということがあるならば、世の中をよくする手段のひとつとして人びとが宗教を信じることは推奨すべきであり、「宗教を信仰すべきだ」と言うべきだということです。

随筆家の内田樹さんは、(2011年)3月に起きた福島第一原子力発電所の放射性物質漏れ事故を例に出して、神への畏怖の念が欠けていたことが大事故につながったということを言っています。

「いちばん欠けていたのは、恐怖や畏敬の念だった。荒ぶる神をどう静めるかというマインドがまったくなかった。あったのは効率と便利の発想のみで、人間の手で軽々しく扱えない危険なテクノロジーを扱っているのだというマインドセットがなかった」

さらに内田さんは、宗教の存在の本質的な理由をつぎのように話します。

「宗教は、宗教があったほうが人間社会が生きのびる確率が高いという理由から、人間がつくったもの。あるいは、存在しないものや神霊などを、あるかのように語ることにより、人間社会はより人間的になる。真の意味の合理的発想があって、宗教はつくられた」

不法投棄が甚だしい場所にお地蔵さんを置いてみたらどうか。大都市の中心部に大仏を建立したらどうか。原子力発電所を古墳のかたちにしてみたらどうか。こうした試みは、笑いばなしや絵空事としてかたづけられてしまいがちです。“手段としての宗教”のあり方が、いまより開かれた議論になったとき、人びとと宗教の距離は変わってくるのではないでしょうか。

この記事は、(2011年)6月14日に日本科学技術ジャーナリスト会議が主催した、内田樹さんの講演会の内容をもとにしています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
(2011年)6月22日(水)は「打ち水大作戦&キャンドルナイト」


催しもののおしらせです。

「打ち水大作戦本部」事務局が、ことし2011年の夏至にあたる6月22日(水)の昼から夜にかけて、東京・芝公園の東京タワーで「打ち水大作戦&キャンドルナイト」という催しものを開きます。

「打ち水大作戦」は、2003年から作戦に賛同する団体が集って行っている試みで、ある日、ある時間帯に、市民にいっせいに打ち水することをよびかけています。もともと社会実証実験として始まり、いっせいに打ち水が行われた昼間に街で0.5度ほど気温が下がったという成果も出ています。同事務局は「みんなでいっせいに打ち水して、真夏の気温を2℃下げよう」という合言葉のもと、毎年続けてきました。

ことし2011年は、節電の必要もあり、6月22日(水)の夏至から、8月23日(火)の処暑までの2か月間を「節電にチャレンジする期間」としています。とにかく、たくさん打ち水をして、節電に心がけてみては、というわけです。

東京タワーでの催しものはキャンペーン期間の始まりとして行うもの。13時から催しもの開始で、打ち水大作戦は14時から。また18時夜の部では、キャンドルアーティスト高橋奈央さんの参加による、キャンドル点灯式や、音楽の演奏などが行われます。

同事務局は「(去年の猛暑のときにくらべたときの今年の最大電力供給量について)620万キロワットが不足しています。そしてこの電力の不足する時間は平日のあさ9時からよる8時まで。なんと半日にもなります!!」と、電気を消して節電に挑戦することを市民によびかけています。

「打ち水大作戦&キャンドルナイト」は、夏至の2011年6月22日(水)。昼の部は13時から15時まで。夜の部は18時から20時まで。雨天決行です。

打ち水大作戦本部事務局からのメディア向け発表資料には、当日の詳しい予定が書いてあります。こちら。また、ポスターもあります。こちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
昭和6年「青年日本號」ローマへ飛ぶ(下)
法政大学経済学部2年生の栗村盛孝と、教官の熊川良太郎が操縦する小型機「青年日本号」は、1931(昭和6)年5月29日に東京・羽田飛行場を離陸したあと、最終目的地ローマに到着するまでのあいだ、各主要都市に降りたち親善友好を行いました。

海外への向かう前には大阪の木津川飛行場に着陸しています。この世紀のイベントを支えていた報道機関は朝日新聞社でしたが、毎日新聞の5月30日付にも、大阪到着の様子が興奮ぎみに書かれています。

―――――
愛機から下りた操縦士栗村盛孝、熊川良太郎両氏は永見十八銀行監査役令嬢朝子さんのぶ子さんから栗村君に法政大学校友会の花束が贈られ又本社からも松下飛行士から花束が両君に贈られた、その時甲子園の全日本学生陸上競技大会に来阪中の法政大学競技部員が同大学の校歌を高唱して盛んなる歓迎を行った、両氏は着陸後直に旅館鶴村家に向い同所に一まず寛ぎ午後五時から開かれる関西学生航空聯盟、法政大学校友会関西支部主催の晩餐会に赴いた、なお同機は三十日午前六時木津川飛行場を出発平壌に向う予定である 

栗村君語る
鈴鹿にかかった時雨が降り出して上野の方へ出ました今日はかなり機体が揺れ静岡では苦しめられ却って箱根の方が楽に越せました 
―――――

その後、日本を離れると、現在の韓国ソウルにあたる京城、満州が建国される直前の黒竜江省ハルビン、ソ連の首都モスクワ、第一次世界大戦から復興したドイツのベルリン、ベルギーの首都ブリュッセル、海峡を渡った英国の首都ロンドン、また海峡を渡りフランスの首都パリ、フランスの港町マルセイユ、そして、イタリアの首都ローマへと向かったのでした。

途中、アジアとヨーロッパの境界をなすシベリアのウラル山脈越えがあるなど、飛行計画は過酷なものでした。モスクワに到着する直前など合わせて3度の不時着があり、エンジンの交換なども余儀なくされました。

しかし、羽田飛行場を離陸しておよそ2か月後の1931(昭和6)年8月31日17時57分、青年日本号は、ローマのリットリオ飛行場に到着を果たし、1万3671キロの長旅を終えたのでした。

法政大学の快挙を機に、翌1932(昭和7)年、明治大学や早稲田大学などが保有していた小型機も、日本と満州国の間の親善飛行を試みるなどしました(明治大学機は成功、早稲田大学機は福岡県の海岸に不時着)。

しかし、飛行機技術がまだそれほど進歩していない時期に、日本からローマまでを大学生が教官と2人だけで飛んだというのは、日本の航空史黎明期の快挙でした。

参考ホームページ
機械は動かないと…「学生が1万4000kmを国産複葉機で羽田からローマまで飛んで行ったのは1931年」
神戸大学電子図書館システム「大阪毎日新聞 1931.5.30(昭和6)ローマを目ざす 『青年日本』号大阪着」
| - | 23:59 | comments(0) | -
昭和6年「青年日本號」ローマへ飛ぶ(中)
1931(昭和6)年5月29日、東京湾をのぞむ真新しい羽田飛行場に、多くの人びとが集まりました。新聞記者やカメラマンのほか、法政大学総長の秋山雅之介、東京市長の永田秀次郎、さらには首相の若槻礼次郎までもがこの場に居合わせたといいます。

法政大学経済学部2年生の栗村盛孝と、教官の熊川良太郎が操縦する小型機「青年日本号」の飛行を見届けるためです。

飛行計画は、朝鮮半島、満州、シベリヤ、欧州を経由して最終目的地であるイタリアのローマに到着するというものでした。

開港から2年、1933(昭和8年)の羽田飛行場

この一大イベントを計画した、法政大学航空研究会会長の内田百蠅蓮当日の様子を後に発表した随筆『つはぶきの花』のなかで、つぎのように振りかえっています。

―――――
翌五月二十九日午前十時三十七分、「青年日本號」は航空研究会長であつた私の出發命令の手旗信號で滑走を始め、滑走路のわきの小椅子の上に立つてゐる私の前で滑走車輪を浮かした。さうして鷺が澤山ゐる向うの森の樹冠すれすれに、小さな、夢の様に小さな飛行機が飛んで行つた。
―――――

羽田飛行場から、べつの目的地に向けて飛びたった飛行機は、この「青年日本号」が初めてでした。

石川島飛行機製作所からこの飛行機を譲りうけたのは日本学生航空連盟。そして、この連盟の結成を呼びかけたのが朝日新聞社です。同日の夕刊で、朝日新聞は大々的に「青年日本号」の飛行を報じました。その記事の見出しはこのようなものでした。

「吾等の『青年日本号』訪欧の壮途に上る」

約3か月にわたる、ローマまでの飛行が始まりました。つづく。

参考ホームページ
法政大学「法政と航空の歴史」
安部譲二『連載小説 トンボのように』「第一回 “離陸”」
「青年日本號」
| - | 22:48 | comments(0) | -
昭和6年「青年日本號」ローマへ飛ぶ(上)

日本の学生が海外に行こうとしなくなったということが聞かれるようになって、しばらく経ちます。

そうしたいまの状況からは考えがたいことですが、かつての日本では、学生が自分で飛行機を操縦して海外に行ったというできごとがありました。

法政大学の校歌は、佐藤春夫が作詞したものです。この校歌の2番につぎのような言葉があります。

「われひと共に認めたらずや 進取の気象質実の風 青年日本の代表者」

「青年日本の代表者」と歌われるこの校歌がつくられたのは昭和4(1929)年のこと。いっぽう、昭和6(1931)年には「青年日本号」と名づけられた飛行機が、完成したばかりの羽田飛行場から飛びたとうとしていました。

「青年日本号」は、石川島飛行機製作所が試作したR-3型という小型の飛行機です。石川島飛行機製作所は、軍用機としてこのR-3型をつくりましたが、エンジンが不十分ということで、一部の飛行機は納入に至りませんでした。

空軍から不合格とされたうち、1機が日本学生航空連盟といういまもつづく団体に寄贈されることになりました。この日本学生航空連盟は、若者たちのあいだに飛行機熱が生まれたのを機に、朝日新聞社がよびかけて昭和5(1930)年に結成されたものです。

寄贈された飛行機を学生に操縦させて欧州まで飛ばす――。そんな壮大な計画を思いついたのが、かの小説家・内田百蠅任后F眦弔1920(大正9)年から法政大学の教授に就任していました。そして、1929(昭和4)年、“日本の航空”を創った男としてしられ、のちに全日本空輸の副社長になった中野勝義に懇願され、法政大学の航空研究会会長に就任したのです。

内田は1931年、自分の誕生日である5月29日に、新しい羽田飛行場から飛行機を飛び立たせることを計画しました。操縦士として指命したのが、経済学部2年生だった栗村盛孝と、教官で一等飛行士の熊川良太郎のふたりでした。

内田は、きたる飛行日の前日にあたる5月28日、当時の練習場だった立川飛行場から、完成したばかりの羽田飛行場へ「青年日本号」を空輸しました。のちに内田は『つはぶきの花』という随筆のなかで、誇らしく「今日の国際空港羽田の地面に最初の著陸の滑走車輪を印したのは『青年日本號』である」と、述べています。つづく。

参考ホームページ
法政大学「法政と航空の歴史」
「青年日本号」
| - | 23:59 | comments(0) | -
科学の美しさを企画に

科学の分野では、ものごとを観察するため写真撮影が欠かせません。観察のために撮った写真には“美”を感じられるものも多くあります。そして、それを美術的な企画にして市民などに見てもらう企画もあります。

科学技術団体連合が2006年から、毎年4月の科学技術週間に開催している「科学技術の『美』パネル展」もそのひとつ。科学技術団体連合は、科学技術関連の財団法人などが加盟する組織です。

「科学技術の『美』パネル展」は、科学技術団体連合が学校、科学館、公共施設にパネルを貸出するもの。連合は「研究等の過程や成果などで発生した美しく感動的な画像を、科学者や研究者だけが驚き、楽しんでいるのはもったいない!そんな画像を研究者から公募し、一般の方々とも『美しい現象』や『見たことのない』画像の感動を共有しながら科学技術に関する興味をより広げていただきたいと思っております」と、説明します。

展覧会はコンテスト形式になっており、2010年度の最優秀作品には、理化学研究所大型放射光施設(Spring-8)の松下智裕主幹研究員による「電子が作る毬」が選ばれました。

また、顕微鏡学の発展と普及を目指す日本顕微鏡学会は、「日本顕微鏡学会写真コンクール」という企画を行っています。

このコンクールでの受賞作は、どちらかというと顕微鏡写真で撮影された写真を画像加工するなどしてしあげたものが多いようです。同学会は対象作品を「学術的、技術的に高度と認められる顕微鏡写真、芸術的な顕微鏡写真、ユニークな顕微鏡写真を募集します。 あらゆる形式の顕微鏡法による作品を含みます(種々の技法を併用しても可)」としています。

過去の受賞作品の一部をホームページで見ることができます。

米国では、先進材料学会(MRS:Material Research Society)という組織が、半年に一度の頻度で「『最も美しい電子顕微鏡写真』コンテスト」を開いています。こちらも、電子顕微鏡写真を対象としたもの。インターネット情報サイトの「ワイアード」が、詳しく伝えています。

科学研究の進歩と、カメラ、望遠鏡、顕微鏡などの観測技術の高まりにより、美しい科学の写真はこれからも増えていきそうです。

参考ホームページ
大型放射光施設「JASRI研究員が『科学技術の「美」パネル展』で表彰される」
日本顕微鏡学会写真「平成20年度コンクール受賞作品」
ワイアード・アーカイブズ「『最も美しい電子顕微鏡写真』コンテスト」
| - | 23:59 | comments(0) | -
「徹底図解 身を守る科学知識」


きょう(2011年)6月13日(月)発売の『週刊東洋経済』では、「もうニュースにだまされない 徹底図解 身を守る科学知識」という特集が組まれています。この特集の「国内の放射線の基準値はどのように決まるのか」と「土壌や海の放射性物質 影響はいつまで続くか」という記事の取材・寄稿をしました。

福島第一原子力発電所から放たれた放射性物質をめぐって社会問題にまで発展したのが、100ミリシーベルトや50ミリシーベルトといった低線量の被ばくで健康への影響があるかどうかです。

とくに、福島県内の学校の校庭を使ってよいかどうかの判断として、国から「年間の放射線量の上限は20ミリシーベルト」という値が出されたのを受け、保護者たちが激怒することになりました。

1000ミリシーベルトなどといった高い放射線を浴びるのでないかぎり、放射線被ばくのリスクとしては「がん」がもっぱらの対象となります。年間20ミリシーベルトを被ばくすると、がんのリスクが上がるのかどうかは、データ不足のためなんともいえないというのが実情です。

いっぽう、20ミリシーベルトより高い放射線を被ばくしたとき、つぎのようなデータが広島や長崎で原子爆弾の被ばくを受けた人たちを対象とした疫学調査から出ています。

「30歳で1000ミリシーベルト被ばくした人が70歳で固形がんになるリスクは、被ばくしない人にくらべて1.5倍」

このデータからまた、つぎのようなこともいえるとされています。

「100ミリシーベルト被ばくした人のがんのリスクは1.05倍」

これより低い線量のリスクは、データ不足であることや、ほかのがんのリスクに埋もれたりしてしまうために、よくわかっていないというのが実情です。

仮に、「1000ミリシーベルトで1.5倍」「100ミリシーベルトで1.05倍」とすると、問題になっている「20ミリシーベルト」では計算上のリスクは「1.01倍」ということになります。計算的には、がんのリスクが1.01倍になる放射線量を校庭利用の判断の値にすることが妥当かどうかをめぐり、大きな問題になっているわけです。

ちなみに、国立がん研究センターが調べて発表した生活習慣におけるがんのリスクでは、野菜不足の人ががんんなるリスクは、野菜不足でない人にくらべて1.06倍ということです。これは、年間20ミリシーベルト被ばくしたときの計算上のがんのリスク上昇の6倍ということになります。

また、運動不足の人ががんになるリスクは、運動不足でない人にくらべて1.15〜1.19倍となっています。これは、年間20ミリシーベルト被ばくしたときの計算上のがんのリスク上昇の15〜19倍ということになります。

なにをもって危険か安全かを判断するかは人それぞれです。科学的根拠とされるものを自分の判断基準にする人もいれば、みんなが危険と騒いでいるという事実を自分の判断基準にする人もいます。人の意思や価値判断はかんたんに否定できるものではありません。

特集ではほかにも「科学的根拠」「データ、統計」「リスク」「抗がん剤」「コレステロール値」「予防接種」「電磁波」「地震予測」「地震危険地域」「地球温暖化」「電気自動車」という、いまのニュースでひんぱんに取り扱われることばが並んでいます。“科学的根拠”というものに迫ろうとする挑戦的な特集です。

『週刊東洋経済』のホームページはこちら。

参考文献
国立がん研究センター「がんのリスクの大きさ<何倍程度大きいか>」
| - | 22:03 | comments(0) | -
ピアノ線からコイルばね


らせん状に巻かれたコイルばねの素材としてよく使われるのがピアノ線です。とくに、直径5ミリメートル以下のばねにはよく使われます。

ピアノ線は、その名のとおり、もともとピアノの弦として19世紀ごろから使われてきました。成分は鉄と炭素の合金で、炭素の比率が高くなっています。といっても、その率は0.8%から0.85%ほどで、ほとんどは鉄となります。ほかに、シリコン、マンガン、リン、硫黄、銅もすこしだけ含まれています。

不純物のすくない高級スクラップなどを用意し、それを電気炉などに入れて溶かします。そして、炉の外で、溶かした合金を鋳型に流しこみ形を整える鋳造や、合金を回転機にかけて引きのばし材質を均質化させる圧延などの工程を経ます。さらに、有害な傷などがないかを入念に検査して、ピアノ線をしあげます。

さらに、このピアノ線からばねをつくるときは、ピアノ線をらせん状にするためのコイリング
マシンといった機械を使います。コイリングマシンには、コイリングピンというピッチツールという器具が付いていて、ここにピアノ線がとおされると、ピアノ線はくるくるとらせん状に。そして、最後にカッターがピアノ線を切り落とし。これで、ばねができるわけです。

こうして、ピアノ線は、ひずみエネルギーを蓄えたり、衝撃を緩和したりするのに使うばねへと変身します。

参考ホームページ
日本ばね学会「第1回 ピアノ線と硬鋼線」
理研発条工業「ばね教室 ばねの製造」
| - | 23:59 | comments(0) | -
1967年にも「原子力をやめて太陽光」
福島第一原子力発電所の事故を受けて、「原子力を止めて、太陽光を」といった気運が高まっています。

じつは、1967(昭和42)年にも、あることをめぐり「原子力を止めて、太陽光を」というできごとが起こっていました。

この年の8月、学生の競技大会「ユニバーシアード」の東京大会が行われました。そして、東京・霞ヶ丘の国立競技場で行われた開会式では、順天堂大学卒業生の陸上選手・沢木啓祐が聖火を灯しました。

この聖火について、はじめ、原子力により採火することが大会主催者の組織委員会で検討されていたというのです。

前年の1966年7月には、茨城県東海村の東海発電所で、英国から導入した原子炉が日本ではじめて営業運転を始めていました。このころ、原子力は“希望のエネルギー”として考えられていたのです。競技大会で聖火を採る方法は、そのころの世相を反映したものが多く見られます。

ところが、「原子力から聖火を」というこの案は、とりやめとなってしまいました。原子力から火を得るためには技術的な問題がまだ残っており危険が伴うためというのがその理由です。


そこで、組織委員会は、石炭、石油に次ぐ“第三の火”原子力から採火をあきらめました。この代わりにとられた採火方法が、太陽光を集めて火をつける、といったものでした。

「原子力は危険なのでとりやめて、その代わりに太陽光を使う」。この構図は、どこかいまの日本で起きている気運と重なります。

ちなみに、このユニバーシアード大会では、社会主義国の不参加や開会式が雷雨で一日順延などがありましたが、水泳競技で世界記録が続出するなど、みのりある成功の大会となりました。

参考記事
朝日新聞1967年5月19日付「原子の火からの採火は取りやめ ユニバーシアード大会」

参考ホームページ
昭和ラプソディ「昭和42年7〜9月」
UNIVERSIADE HISTORY「ハプニングを乗り越え、みごとなユニバーシアードを成功させた東京大会。」
| - | 23:59 | comments(0) | -
原則、サッカーは流し、野球は止める
 サッカーと野球という二つのスポーツを比較する話はたまにあります。経済論、応援論、文化論、地域論などから語られます。

もうすこし細かく、審判が球に当たった場合のその後の処理のしかたに比較すべき点はあるでしょうか。

サッカーで、試合中に選手が蹴った球が審判にあたったとき、「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」という規則の第9条に、こう書かれてあります。

―――――
フィールド内で、ボールが競技者以外の者に触れる
主審と副審は試合の一員であるので、ボールがインプレー中、ボールが主審または一時的にフィールド内にいた副審に触れた場合でもプレーは続けられる。
―――――

つまりこのガイドラインによれば、ボールが審判に当たって球の方向が変わって敵にボールがわたったり、あまり考えられませんが、ゴールになったりした場合は有効ということになります。

なお、よくサッカーで「審判は競技場に転がる大きな石」と表現されることがありますが、このガイドラインでは、「試合の一員」と記されています。

いっぽう、野球の試合中、打者が打った球が審判にあたった場合、どうなるのでしょう。「公認野球規則」という規則の「6.08」にこのような記述があります。

―――――
打者は次の場合走者となり、アウトにされるおそれなく、安全に一塁が与えられる。
(中略)
野手(投手を含む)に触れていないフェアボールが、フェア地域で審判員または走者に触れた場合。ただし、内野手(投手を除く)をいったん通過するか、または野手(投手を含む)に触れたフェアボールが審判員に触れた場合にはボールインプレイである。
―――――

野手に触れるまえの球が審判にあたったとき、打者には一塁があたえられるわけです。内野を通過した球では「ボールインプレイ」つまりプレイ続行となるわけですが、そうでなければ、プレイを止めて、打者を一塁に進ませることになります。

また、本塁で審判をする球審に対しては、さらに「5.09」でべつの規則が記されています。

―――――
次の場合にはボールデッドとなり、走者は一個の進塁が許されるか、または帰塁する。その間に走者はアウトにされることはない。
(中略)
(b) 球審が捕手の送球動作を妨害(インターフェア)した場合──各走者は戻る。
―――――

たとえば、投手が投げた球を捕手が受け取り、2類へ盗塁をした走者を刺そうと球を投げたとします。このとき、捕手がもっている球が審判にあたった場合、走者が盗塁に成功しても、1塁に戻されることになります。実際、このような事例が、2008年に甲子園で行われた夏の高校野球全国大会でありました。

サッカーでは「試合を流す」のに対して、野球では「試合を止める」というのが、大きな原則となっているわけです。この点からも、サッカーは“流れていくスポーツ”であり、野球は“展開していくスポーツ”であるという性格がうかがえます。

参考文献
『競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン』
『野球規則 2010』
| - | 23:25 | comments(0) | -
6月9日、少なくとも三つの記念日


だじゃれやことば遊びが多種多様なのは、それだけその国や社会の文化が成熟しているからだといいます。“数字の語呂あわせ”の多さも文化の成熟度をはかる尺度になることでしょう。

きょう「6月9日」は、日本の一年のなかで数字の語呂あわせにふさわしい日のひとつといえます。「ろく」と「く」で、いろいろなことばに結びつく「ろっく」という語呂をつくることができるからです。

月と日の語呂あわせから、記念日がつくられます。もちろん『6月9日」も語呂によるいくつかの記念日があります。

まず、6月9日は、音楽の「ロックの日」です。リズム・アンド・ブルースとカントリー・アンド・ウェスタンの融合から生まれたのがロックン・ロール。この6月9日がロックの日でなかったとすれば、残るはエルヴィス・プレスリーの誕生日や命日あたりでしょうか。

6月9日は「ロックウールの日」でもあります。ロックウールは「岩綿」ともよばれる人工素材です。珪酸塩という物質を高温で溶かし、それを空気中に吹きとばしてつくる綿です。つくりかたは綿飴とにています。断熱材や吸音材などに使われます。

「ロックウールの日」を定めたのは、日本ロックウール工業会。ロックウール製品の製造、販売、施工業者から組織された同業会です。

「ロック」は、「岩」をあらわす“Rock”のほか、「錠」をあらわす“Lock”のかたかな読みでもあります。そこから、6月9日は「我が家の鍵を見直すロックの日」でもあります。

こちらの「ロックの日」は、錠前取扱業者からなる日本ロックセキュリティ協同組合が決めた記念日。組合のホームページには、トップに「6月9日は『我が家のカギを見直す69の日』身の回りの防犯をチェックしましょう!!」と掲げています。

かくして、「6と9」という似たかたちの数字が使われること、「ロック」という語感が心地よいこと、そして、“Rock”と“Lock”が英語でさまざまな意味をもつことなどが重なって、6月9日は、いろいろな記念日となっています。

参考ホームページ
ウィキペディア「6月9日」
ロックウール工業会「ロックウール工業会の概要」
日本ロックセキュリティ協同組合ホームページ
| - | 20:33 | comments(0) | -
打ち水に冷、湿、風の効果


冷房を使うかわりに“打ち水”をすることで、暑さをしのぐ方法があります。道ばたや庭に水をまくのが打ち水。暑さ対策のほか、ほこりをしずめる役割も果たします。

打ち水をすることで、効果的な場合は3度ほどその場の温度が下がるといわれています。

打ち水で温度が下がるのは、まかれた水が気化熱という熱エネルギーをたくさん奪うからです。気化熱は、液体が気体に変わるときに要る熱エネルギー。道に水をまくと、液体の水が蒸発して気体に変わります。このとき、水がその場に熱としてあるたくさんのエネルギーを使うわけです。熱エネルギーが奪われたその場は、涼しくなります。

しかし、打ち水によるその場への影響は、気温が下がるだけではありません。

ほかの影響としてまずあるのが、湿度が上がるということです。水が蒸発するとき、その場の空気に含まれる水蒸気の量は増えますから、湿気を感じるようになります。これは、「涼をとる」という打ち水の目的からすれば、負の効果といえます。

いっぽうで、風も起きやすくなります。空気の密度は、気温が低くなると高くなります。摂氏100度の空気の密度は、1立方メートルあたり0.946キログラムなのに対して、0度の空気の密度は1立方メートルあたり1.293キログラム。

打ち水によりその場の気温が低くなると、空気の密度が高くなります。いっぽう、水が打たれなかったまわりの空気は密度がそのままなので、場所による密度の差が生まれて、密度の高いところから低いところへと空気が移動するわけです。これを人はそよ風として感じます。

全体としては打ち水は涼をとる効果がありそうですが、状況によりその効果はさまざまなもよう。岐阜県多治見市では、打ち水をするとさらに暑くなる気がするといった旨の声が市民から寄せられ、行ってきた打ち水作戦を2010年から中止することになったといいます。

もし、涼をとるために打ち水をしてみて涼をとれない結果になるのであれば、目的達成とならないので、やる意味は小さくなります。涼しくなったと感じられるかどうかは、打ち水は簡単にできるので、まずは一度、庭先などで試してみるのが手となりそうです。

参考記事
読売新聞2010年8月4日付「『暑さ日本一』多治見で打ち水中止」

参考文献
杉山大志、杉山昌広、小松秀徳「打ち水による電力不足緩和について」『電力中央研究所社会経済研究所ディスカッションペーパー』
国立天文台編『理科年表』1989年版
| - | 23:59 | comments(0) | -
数字書体展示会
日本語の文字は漢字をあわせると1万7000字あるともいいます。いっぽう、アラビア数字というと1、2、3、4、5、6、7、8、9、0の10字。10字のみだと、印刷などに使う書体も、1万7000字を揃えるよりはかんたんにつくることができます。

代表的あるいは特徴的な数字の書体をのぞいてみます。


Apple Casual。“Casual”(カジュアル)は「思いつきの」といった意味。サインペンかなにかで気のおもむくまま書いたような書体です。

Century。欧文書体といえばこれ、というほど伝統的な書体です。機械式活字父型彫刻機という機械をつくったリン・ボイド・ベントン(1844-1932)たちが活字書体としてつくりました。

Cooper Black。この「クーパー」は人名で、この書体を開発したオズワルド・B・クーパーの名前からとったもの。Cooper Blackは1926年につくられました。

Eccentric。“Eccentric”は「風変わりな」という意味があります。たしかに、「8」「9」などを見ると上下のバランスが極端で、風変わりです。英字も風変わり。

Futura Medium。ドイツで第二次世界大戦以前に設立されていたデザイン教育学校「バウハウス」の非常勤講師だったパウル・レナーにより開発されました。バウハウスのデザインを代表するような書体となっています。

Georgia Regular。文字により上下位置が異なる点が特徴。本のページを表す「ノンブル」などでよく見ます。

Helvetica Bold。実直な感のあるフォントです。スイスの書体家マックス・ミーディンガーとエデュアード・ホフマンが開発しました。

Lucida Fax。数字では「1」が特徴的ですが、ひげが水平か垂直になっています。

Mona Lisa Solid。レオナルド・ダヴィンチが描いた「モナ・リザ」を意識しています。ルネサンス期の絵画作品の雰囲気が漂います。

Times RomanとTimes New Roman。英国の新聞社タイムズが開発した書体。“Roman”はアルファベットの書体のひとつで、“ひげ”が付いているもの全般をさします。両フォントはほとんど変わらないように見えます。実際、数字10字中9字まではおなじ書体ですが、「5」の右上だけが異なります。

Times Romanのほうは、右上にひげが付いているのに対して、Times New Romanではひげがとれてより簡略化されています。

数字が多用されるような雑誌記事の特集などでは、数字書体の数々を駆使するだけで立派なデザインになるともいわれています。
| - | 23:59 | comments(0) | -
“見る”に対して“触れる”インターフェイス
 人とコンピュータなどの機械の接点は、ユーザインタフェイスとよばれます。パーソナルコンピュータの場合、人の手や眼と、コンピュータの画面やキーボードやマウスなどの接点がユーザインタフェイスとなります。

コンピュータをめぐっては、アナログとデジタル、現実と仮想などのように、いろいろな比較のなかで説明がされてきました。ユーザインタフェイスにも、ここ数年、新しい比較の軸が生まれているようです。

多くのパーソナルコンピュータでは、マウスで操作するとその結果が、画面内に反映されます。このような視覚的機能に関係するインタフェイスは「グラフィカル・ユーザインタフェイス」(GUI:Graphical User Interface)とよばれてきました。

いっぽう、インターフェイスのもうひとつの概念として興ているのが、「タンジブル・ユーザインタフェイス」(TUI:Tangible User Interface)です。

「タンジブル」とは、「触れて感知できる」といった意味の英語です。では、タンジブル・ユーザインターフェイスとはどのようなものなのか。米マサチューセッツ工科大学メディア・ラボ教授の石井裕さんは、つぎのように説明します。

―――――
TUIは触れて感知できる「タンジブル」な情報表現を用いることにより、表現(出力)メディアそのものを操作(入力)のメカニズムとしても利用できる。さらに、インタンジブルな情報表現とタンジブルな情報表現をシームレスに組み合わせることにより、ダイナミックでより直接的なインタラクションを可能にする。例えば、タンジブルな建築模型をセンサーが追尾し、コンピューターが光の様態を計算、インタンジブルなデジタルの影としてプロジェクターが投影する。これにより、模型を手で動かしながら、影の動きや光の反射などをシミュレートできるのだ。
―――――

コンピュータに対して操作情報を入力するとき、すべすべしたマウスを触わるのでなく、ごつごつとした建築模型を触わる。その結果が、触れることのできない画面内にも反映されるということでしょう。

触れるインターフェイスと、触れないインターフェイスの境界線がなくなっていく方向に進んでいくようです。

いまのパーソナルコンピュータでキーボードやマウスといった入力専用装置を使っている状況は、将来「ずいぶんと形式ばったインターフェイスがかつてあった」と言われるようになるのでしょうか。

参考記事
石井裕「タンジブル・ビット:ビットとアトムを融合する新しいUI」
| - | 23:59 | comments(0) | -
新型蚊帳がマラリアを防ぐ


今年2011年の夏は、節電への協力のため「冷房を使うまい。今年は蚊帳でも使うか」と考えている人もいるでしょうか。

「今年は蚊帳でも」というくらい、日本では蚊帳は使わなくなりました。昭和40年ごろが蚊帳生産量の頂点でしたが、その後は減っていき、いまでは蚊帳製造業がめずらしい存在に。

いっぽうで、先端技術を駆使した新しい型の蚊帳が、アフリカなどの海外で役立てられようとしています。

新しい蚊帳の名前は「オリセット・ネット」。東京・本郷の東京大学健康と医学の博物館「感染症への挑戦」でも展示されています。

この蚊帳の網の目は、直径が1.5センチほど。いっぽう、蚊の大きさは大きいものでも5から6ミリほど。大きさだけで考えれば、蚊はかんたんに蚊帳の内側に入ることができそうです。

しかし、オリセット・ネットの技術がそうさせません。蚊帳の網には防虫剤が練りこまれており、これが蚊の侵入を防ぎます。

しかも、ポリエチレンでできた網には「コントロール・リリース」とよばれる加工が施されてあります。

「コントロール・リリース」は、日本語では「放出制御」などとよばれる技術。薬品などが製品から溶けだす速度を調節する技術をいいます。つまり、網の内側からじわじわと殺虫剤が出てくるため、5年以上にわたり使うことができます。

住友化学がおもにアフリカ向けに開発しました。血球が破壊されて高熱が出るマラリアを引き起こすハマダラカから、人びとをまもります。

世界保健機関(WHO)も、長期残効型殺虫蚊帳の効き目に注目し、使用を奨めているところです。

参考展示
東京大学健康と医学の博物館「感染症への挑戦」

参考ホームページ
住友化学のアフリカ支援「オリセット(R)ネットとは」
植田蚊帳「癒しの空間…蚊帳のある生活」
| - | 23:59 | comments(0) | -
「サイゼリヤ」の野菜のカレードリア――カレーまみれのアネクドート(33)

焼きカレーが2000年代に入り一時期ブームになりました。ライスの上にカレーをのせ、さらにその上にチーズをまぶして焼いた料理です。

北九州の門司港が発祥の地とされており、門司港周辺の多くの喫茶店などでは、焼きカレーが献立として出されています。しかし、ふつうのカレーライスにくらべると、全国で焼きカレーを出している店はさほど多くありません。

そうしたなか、「これって、焼きカレーではないか」と噂がたっている店の献立があります。

サイゼリヤの「野菜のカレードリア」です。

サイゼリヤは、ファミリーレストランの全国チェーン店。徹底した効率化などで値段を抑えているわりには、おいしいという評判が多く聞かれます。

店の献立のなかには、「野菜のカレードリア」があります。サイゼリヤの代表的な献立のひとつが299円の「ミラノ風ドリア」ですが、その脇を固めるように、399円の「野菜のカレードリア」があります。

皿の中央の6割がたはチーズの焦げ目で覆われています。そのまわりは焦げていないチーズ。スプーンやフォークでこの表面を割ると、なかからターメリックで色付けされたライスが現れます。

焼かれてさくさくしたチーズと、水分を抑えめにしてあるライス、さらに自己主張をしすぎないカレーの風味が相まって、カレードリアの味をつくります。

「ドリア」とは、バターライスや具の入ったピラフにホワイトソース・チーズをかけてオーブンで焼いた料理のこと。このチーズの部分にカレー味をつけて、野菜を多めに乗せたのが、「野菜のカレードリア」。

いっぽう、「焼きカレー」は、米飯のうえにカレーソースとチーズなどをのせオーブンで焼いたものが一般的です。

つまり、「野菜のカレードリア」と「焼きカレー」はほぼいっしょということができます。

焼きカレーがブームになっても、サイゼリヤは「野菜のカレードリア」を「焼きカレー」とは名のりません。伝統的な焼きカレーに対する敬意の表れでしょうか。

ちなみに、2011年6月4日(土)現在、サイゼリヤのホームページのメニューに「野菜のカレードリア」は載っていませんが、各店では献立として出しています。いちおう、サイゼリヤのホームページはこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「今年の夏は食中毒にご用心」


日本ビジネスプレスが発行するウェブニュース「JBpress」で、きょう(2011年6月)3日、「今年の夏は食中毒にご用心」という記事が配信されました。執筆は白田茜さん。この記事の編集をしました。

4月に、焼肉チェーン店で腸管出血性大腸菌O111が病原菌となる食中毒が発生しました。この事故後の政府の対応がまず紹介されています。

これまでの罰則なき衛生基準だったことを指摘するとともに、5月より厚生労働省が都道府県などに対し、衛生基準を満たさない業者に生食用肉の取扱いを中止することを求めた「緊急監視」を行なっていることを紹介しています

さらに記事では、とりわけこの夏の節電による食中毒の危険性に対して、注意をよびかけています。

「停電があったか否かをよく確認し、自宅の冷蔵庫の温度が上がっている可能性を考慮に入れて、冷蔵庫内の食品を食べて下さい」とする有識者のことばを紹介。

さらに、2000年に発生した雪印乳業食中毒事件を検証しています。この事件では、11時から14時までのわずか3時間の停電で、細菌が増殖しました。この事件を思いかえす意義はありそうです。

企業と個人のそれぞれが用心するべき要点が書かれた記事になっています。JBpressの記事「今年の夏は食中毒にご用心」はこちら。
| - | 19:51 | comments(0) | -
『サイエンスウィンドウ』編集部「東日本大震災とこれからの理科教育」の内容を公開
 科学技術振興機構(JST)発行する理科教育の雑誌『サイエンスウィンドウ』の編集部が、このたび「東日本大震災とこれからの理科教育」という緊急座談会の詳細をホームページで公開しました。

この座談会は、東日本巨大地震が起きた3週間後に開かれたもの。全国の小学校、中学校、高校の教諭や講師と、自然科学研究機構生理学研究所の永山國昭さんらが集まり、東日本大震災を受けての、いまの児童・生徒への接しかたや、今後の理科教育の進めかたなどを討論しました。司会は同誌編集長の佐藤年緒さん。

兵庫県立神戸高校の理科教諭で、阪神大震災があったとき兵庫県立芦屋高校につとめていた数越達也さんも参加。阪神大震災以降、なぜ予知ができなかったのか、被害が大きくなったのはなぜかといったことを考える授業を行なったり、生徒に被災と復興を見つめるための自由課題を出したりしてきました。

震災を教育の中で扱うことへのむずかしさも披露しています。

―――――
学校の中では、「頑張ってやってください」という先生方と、「震災などという思い出すのも嫌なのに、どうしてそんなことをテーマにした授業をやるんだ」という先生方に、真っ二つに分かれました。
―――――

しかし、学校の外からは励ましの声が届いたり、100校ほどの学校から問い合わせがあったりしたと言います。

数越さんは、みずからの教育経験から「自分の体験を単に文章 に残してみようというようなことを言っても、あまり有効でないのではないかなと私は思っています」とも語っています。

編集部は、「座談会の詳録をぜひ、ご活用ください」とよびかけています。

「東日本大震災とこれからの理科教育」の議論の内容は、『サイエンスウィンドウ』ホームページで見ることできます。こちらです。
数越さんのプレゼテーション資料はこちらです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
日本数学会が「ジャーナリスト・イン・レジデンス」の参加者募集
 「ジャーナリスト・イン・レジデンス」という制度があります。ジャーナリストやライターなどに、一定のあいだ“現場”を経験してもらうために、研究者コミュニティが迎えいれるというものです。

日本数学会数理科学振興ワーキンググループは、「数学のジャーナリスト・イン・レジデンス」プログラムを企画しており、ジャーナリストやライターなどの参加を募集しています。

―――――
 最近、出前授業やサイエンスカフェなど、大学を含む研究機関からのアウトリーチ活動が 盛んになりつつあり、同時に、それは社会的な責任であると考えられています。 しかし、それを効果的に実施するには、それなりの経験とスキルが必要です。 
そのような状況で、専門的な学問内容を理解し、かつそれを伝えることが出来る高いコミュニケーション能力を身につけた人材が必要であると考えます。そのようなことに興味のある方に、実践の場を 提供するのが本プログラムです。
―――――

同ワーキングループは、「文章だけでなく、写真、映像、イラストなどのメディアの方の参加も歓迎します」としています。

2011年度は、6月24日が応募しめきりの予定。受け入れ機関は、東京大学、理化学研究所、名古屋大学、京都大学、九州大学となっています。

「数学のジャーナリスト・イン・レジデンス (JIR)プログラム」ののお知らせは、こちらです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< June 2011 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで (JUGEMレビュー »)
サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
数学の大難問「フェルマーの最終定理」が世に出されてから解決にいたるまでの350年。数々の数学者の激闘を追ったノンフィクション。
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
amazon.co.jp
Billboard by Google
モバイル
qrcode
PROFILE