(2011年)5月17日(火)、東京・内幸町の日本記者クラブで「科学ジャーナリスト賞2011」の賞贈呈式が開かれました。
科学ジャーナリスト賞は、日本科学技術ジャーナリスト会議が、科学技術に関する報道や出版、映像などで優れた成果をあげた人を表彰するもの。今年2011年で第6回となります。
3日にわけて、大賞と賞の受賞者によるあいさつの要旨を伝えていきます。
大賞を、NHK広島放送局チーフプロデューサーの春原雄策さんと、ディレクター松木秀文さんが受賞しました。2010年8月6日に放送されたNHKスペシャル『封印された原爆報告書』の番組に対して贈られたものです。
1300人にのぼる日本の調査団や、国を代表する医師、科学者がさんかして、原爆被害の実態を詳細に伝える報告書がつくられました。しかし、その資料は米国へとわたるものであり、被爆者のために活かされることなく“封印”されつづけました。
春原雄策さんのあいさつです。
「NHK広島放送局の春原ともうします。このような素晴らしい賞をいただき、本当にありがとうございます。表彰された4人のうち、私だけ文系で、科学とは関係ない道を歩んできた人間です。正直、この場に立たせていただいてるのはいささか戸惑いもあります。大勢のスタッフがいて制作した番組です。私はスタッフを代表してこの場に立たせていただいていると思っています」
「今回の番組に、あえて『封印された』という言葉を使っています。もちろん、この報告書は門外不出だったわけではありません。米国の公文書館に行けば閲覧できますし、一部は日本でも出版されているものであります」
「『封印された』という言葉に込めた意味があります。その現場でひん死の重傷を負った人たちの治療に当たった人がいるのも事実ですが、あれだけの大がかりな調査を被爆直後に一線級の人たちが集まって広島と長崎で行なっていたにもかかわらず、そのことがその後の原爆症認定や被爆者救済の点で活かされることがなかった。その重さというのを、あえて『封印された』という言葉に私たちは込めたわけです」
「当時、調査にあたった複数の関係者からご意見をいただきました。意図的に封印したわけではないし、当時は米国の占領下で、調べたものは米国に提供せざるを得なかったし、調べた内容を日本国内で公表することもできなかった。それはそのとおりなのです。私たちは、調査にあたった科学者や医師の責任を問うためにこの番組をつくったのではありません。いまにつながる話として、描きたかったのです」
「その後、報告書は日本にもあったわけです。被爆者の解剖標本は、米国に渡されたわけですが、1970年代に返還要求があり返ってきています。そうした生きたデータ、被爆者の命の記録が、その後の原爆症の認定や救済のために活かされることがなかったのはなぜなのだ、むしろ、それを切り捨てるほうに使われてきたのではないか、と思います。その後の国の責任を思います」
「被爆から65年経ってから制作した番組です。広島にいらした方は、そういった調査が行われたことや、中味を、あるところにいけば閲覧できるということも知っていたわけです。ただし、65年経つまで、なにが書かれていたのかをすべて調べるということをしてこなかった。私たちマスコミの責任もとられるべきだと思っています」
「そのなかで今回、被爆者の方をはじめ、たくさんの方々が番組の取材に協力していただきました。多くの方々が80歳代から90歳代です。取材に応じてこなかったのだけれども、自分が話ができるうちに話しておきたいということで協力していただいた方も数多くいらっしゃいました」
「広島で取材をしていて思うのは、当時のことを知る人はほとんどがお亡くなりになって、まさにいまがご本人から話を聞ける最後の時だということです。実際、さっきのダイジェストで映っていた「自分はモルモットみたいだ」と語っていた方は、この放送の4か月後、残念ながらお亡くなりになりました」
「いろいろな思いを込めてつくった番組です。これからもそういった人たちに向き合いながら、私たちはこうした番組をつくりつづける責任があります。今回のこの賞は私たちにとって励みになりました」
「最後になりましたが、科学的な知識のない私が制作統括した番組です。多少とがった部分のある番組ですが、そうした番組にこのような賞をくださった日本科学技術ジャーナリスト会議のみなさまの度量の大きさといいますか、ご決断に、あらためてお礼を申しあげたいと思います。本当にありがとうございました」
松木秀文さんもあいさつしました。
「このたびは、このような賞をいただきましてありがとうございました。私は大学では地球科学の研究をしていまして、修士課程まで進んで研究者になろうと思っていたのですが、“漂流”を始める前にNHKに拾っていただいて、いまに至っています」
「ずっと科学とは関係ない番組をつくってきました。広島に来て原爆のことをテーマに取材することになり、ようやく科学的な知識を活用することができるようになりました。これまで春原からは『無駄な学歴』と揶揄されてきましたが、このような賞をいただきましたことで、決して無駄ではなかったと多少は胸を張れるかなと思っています」
「今回の番組は、報告書が軸になっています。私は理系だったとはいえ、医学的なことはまったくわからず、専門家の方にひとつひとつ教えていただきながら、なにが書かれているのか、なにを調べていたのかということを勉強させていただきました」
「ただし、それはあくまで知識であって、情報であったと思います。それをもっと立体的なものにする、“わかる”ものでなく“感じる”ものにするには、大勢の被爆者の話をひたすら聞いていくしかないと思って、やりました」
「戦後生まれの私が話を聞いてわかるとは、おこがましいことです。耳を傾けて寄り添うことしかできませんでしたが、はじめはただの数字やデータとしてしか見えなかったものが、その後ろにひとりひとりの人間の命や活きてきた人生があるといことを手触りを持って感じられるようになって、この番組のメッセージは強くなっていたのだろうと思います」
「これからも原爆の番組をつくり続けようと思っています。まさに原爆自体が科学が生んだ手段でありますし、科学的なこととその切っても切り離せない番組なってくると思う。そのなかで、今回の原発の事故も含めて、核や放射能とどう向き合っていくのか、そのベースになるのがヒロシマ、ナガサキだろうと思っています。科学的なものの背景にある命や人権を大切にしながら、この賞に恥じない番組を制作していきたいと思っています」
「最後になりますが、取材に協力していただいた方、いっしょの志をもって番組に向きあった仲間、そして家族にお礼を申しあげます。今日は本当にありがとうございました」
日本科学技術ジャーナリスト会議「科学ジャーナリスト賞2011 の受賞者が決定!」はこちらです。