科学技術のアネクドート

面積比はほぼおなじ、人工と非人工でわかれる――みどりを見つめる(15)
木の種類の分けかたに、「針葉樹」と「広葉樹」を区別する方法があります。“針”のようにとがった葉を付ける木が針葉樹で、“広”がった葉を付ける木が広葉樹です。

地球の歴史のはじめのころ、地球にいた植物といえばコケ類やシダ植物といった原始的なものでした。その後、地球に針葉樹が登場したのが、いまから3億年ほど前といわれています。また、広葉樹の登場は、いまから1億年から1億5000万年前とされています。

つまり、針葉樹、そのつぎに広葉樹の順で誕生したことになります。針葉樹のほうがつくりが単純で、広葉樹のほうがつくりが複雑であることからも、この順がうかがえます。

針葉樹林の森

まず、杉や松などのほとんどの針葉樹では、種にあたる「胚珠」とよばれる部分が単純に”むきだし”になっているのいます。このような植物は「裸子植物」といい、多くの針葉樹の特徴のひとつとなっています。

葉っぱがついたまま、落ちずに冬を超す種類が多いのも針葉樹の特徴です。

また、外側からは見ることができませんが、針葉樹の幹の内側は、水分を上へと送るための通り道が一本になっていません。進化的には、不完全な状態といえます。

いっぽう、樫、楢、栗といった広葉樹は、より複雑なつくりをしています。


広葉樹林の森

ほとんどの広葉樹では、胚珠が“むきだし”でなく、別の層で覆われています。このような植物は「被子植物」とよばれています。

また、桜や紅葉などに見られるように、多くの広葉樹では、寒い季節になると葉を落とすしくみをもっています。

水分を上のほうへと送るしくみについても、広葉樹は一本の管でつながっています。進化の後が見られます。

日本の森の面積全体では、針葉樹のほうが広葉樹よりすこし広めです。そして、木を挿したり植えたりと、人が手を加えてつくった森は、ほぼ針葉樹で占められています。針葉樹は成長が速いため、木材などとして早く手に入れるのに向いているわけです。いっぽう、人工林でない森では、8割が広葉樹で占められています。

参考ホームページ「森林・林業学習館 針葉樹林と広葉樹林」
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「世界は原発で覆われている」


朝日新聞出版が(2011年)4月27日(水)、『アエラ臨時増刊 原発と日本人』を発売しました。原発事故の被害者などの語りを紹介した「100人の証言」や、原発関連の取材記事などをまとめた98ページの雑誌です。「世界は原発で覆われている」という記事の、原発一覧表づくりと寄稿をしました。

1954年に、ソ連のオブニンスク原子力発電所が世界ではじめて実用の原子力発電を行なってから半世紀以上。世界地図には原子力発電所の設置場所を示す点がつぎつぎと付けられていきました。

とりわけ原子力発電所が密集している地域は、北アメリカ、西ヨーロッパ、それに日本からベトナムにかけての東アジア。9割以上が北半球に集中しています。

世界の原子力発電所を一覧にすると傾向も見えてきます。「建設の古い原発には沸騰水型、新しい原発には加圧水型」というのもそのひとつ。

原子力発電の方式で代表的なものは、原子炉を冷却する材料に“ふつうの水”を使う軽水炉型です。この軽水炉の型をさらにわけると、沸騰した水を使って原子炉を冷却する「沸騰水型」と、高い圧力をかけた水を使って原子炉を冷却する「加圧水型」となります。

加圧水型は、すべての原発の65%以上を占める多数派であるとともに、いま建設されたり、建設が計画されたりしている原発のほとんどに採用されています。たとえば、14個所で建設や計画が進む中国ではほぼすべてが加圧水型です。

いっぽうで日本の原発の過半数に「沸騰水型」が使われています。放射性物質漏れ事故が起きた福島第一原子力発電所も沸騰水型です。

米国や日本、それに“脱・原発”をはかるドイツなどで加圧水型と沸騰水型が混在するのに対して、ひとつの型で統一させている国もあります。たとえば、カナダでは他方式となる「カナダ型重水炉型」が採用されています。ふつうの水よりも重い「重水」とよばれる水を使う方式のひとつで、天然ウランを利用することができます。

いまのところ、中国やインドでは原発の基数は比較的すくなく、かならずしも人口の多い地域に原発が多いというわけではありません。しかし、BRICsとよばれるブラジル、ロシア、インド、中国などの経済発展のいちじるしい国々は、国の発展を支えるエネルギー源として原子力に頼ろうとする姿勢を示しています。

いまは原発の空白域になっている場所にも、今後、原発の点が増えていきそうです。


『AERA臨時増刊 原発と日本人』はこちらでどうぞ。
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「福島の土壌はこうすれば生き返る」


日本ビジネスプレス発行のウェブ媒体「JBPress」で、きょう(2011年)4月28日(木)、「福島の土壌はこうすれば生き返る」という記事が掲載されました。この記事に寄稿しました。3日前に前篇が掲載された「福島の土壌にどれだけ放射性物質が広がったのか」という記事の後篇です。

福島第一原子力発電所の事故により、放射性ヨウ素や放射性セシウムなどが発電所周辺の地域に広がりました。「浜通り」といわれるこの地域では、米や野菜などのさまざまな種類を扱う農業が営まれてきました。その土壌に放射性物質が降りそそいだわけです。

米や野菜をふくむ植物は、放射性物質をおもに二種類の経路で取りいれます。ひとつは、葉の表面などに放射性物質が付くことによるもの。そしてもうひとつが根が水分を吸収するとき、水の中に放射性物質が含まれていることで取りいれられるもの。

根から取りいれる経路のほうは、土に放射性物質が含まれているかぎり、栽培する野菜の種類を入れかえたりしても放射性物質をしばらく取りこみつづけることになります。植物でなく、土のほうが汚染されているからです。

では、汚染された土壌をどのように処理すれば、農業を奪われた農家が農業を営めるようになるのか。今回の後篇では、その考えられる方法や、方法を支える科学技術を紹介しています。

記事では、放射線医学総合研究所研究基盤センター長の内田滋夫さんたちに取材をしました。内田さんは、これまでの研究で、土壌から農作物に放射性物質が移るときのしくみを解明してきました。福島県から「放射性物質の農産物に対する影響に関するアドバイザー」を依頼され、引き受けてもいます。

広い地域にわたる栽培用土壌を事故前の状態に近づけるという、すくなくとも日本ではこれまで行なわれてこなかった取り組みがなされていくことになります。

農業復活への道筋を立てるなかで、これまでの科学技術の知見が活かせる可能性はあるのかもしれません。そのいくつかを、内田さんの談話などとともに紹介しています。

なによりも大切になるのは、個別に得られている知見を結集させて、物事に取り組むことでしょう。その役割を担えるのは、科学そのものではなく、人間のほうです。

JBPressの記事「福島の土壌はこうすれば生き返る」はこちら。
前篇の「福島の土壌にどれだけ放射性物質が広がったのか」はこちら。
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津波による“暗黒物質”は正体不明


きょう(2011年)4月27日(水)、東京・内幸町の日本記者クラブで産業技術総合研究所活断層・地震研究センターの宍倉正展による講演会が行われました。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議。

演題は「地層が訴えていた巨大地震の切迫性 貞観地震津波の痕跡からわかること」。宍倉さんは同センターの海溝型地震履歴研究チーム長です。3月の東日本巨大地震が発生する前から、東北地方沿岸の太平洋で7世紀におきた「貞観地震」とよばれる大地震の津波影響がどれほどだったかを調べてきました。

過去の津波が内陸のどこまで達したかを調べる方法のひとつに、運ばれてきた砂の痕跡を調べる方法があります。宍倉さんは、この方法を使うなどして、貞観地震の津波の大きさなどを測ってきました。

会場からは、「今回の東日本巨大地震の津波のあと、大量のへどろが残されたがどこからきたのか」という質問がありました。

津波の被災地の写真などでは、瓦礫が散乱するいっぽうで、大量のへどろも見られます。「(津波が到来した地域の)どこに行っても、泥でおおわれている」と宍倉さんも話します。

宍倉さんは、「へどろの起源はわからない」と言います。

今回の津波とよく比べられるのが、2004年12月にインドネシア近海でおきたスマトラ島沖大地震による津波です。このスマトラ島大地震の津波では、へどろはあまり見られませんでした。この点では、今回の東日本巨大地震と大きく異なります。

しかし、調査が進めばへどろの起源はわかってきそうです。へどろのなかに含まれる「微化石」とよばれる数ミリ以下の小さな化石などを調べれば、「起源が解明できるのではないかと期待している」(宍倉さん)。

ものが大量に存在しているとしても、その正体が何者かわからないということもあるわけです。“暗黒物質”は、宇宙空間にあるだけではないもよう。

この記事は、日本科学技術ジャーナリスト会議主催の月例会の内容を参考にしたものです。
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科学ジャーナリスト大賞2011に『封印された原爆報告書』


日本科学技術ジャーナリスト会議が(2011年)4月25日、「科学ジャーナリスト賞2011」を決定したことを発表しました。

科学ジャーナリスト賞は、同会議がすぐれた科学ジャーナリストの活動をたたえる賞です。2006年に創設されました。

2011年の科学ジャーナリスト大賞は、NHK広島放送局のチーフプロデューサー春原(すのはら)雄策さんと、ディレクター松木秀文さんに、テレビ番組『封印された原爆報告書』に対して贈られる予定です。

同会議は、受賞理由として「原爆被災者に対して日本自らがおこなった医学的調査の報告書を、密かに米国に渡して核戦略に利用されていたという驚くべき事実を掘り起こし、スクープ・ドキュメンタリーしてまとめあげた見事な作品」と評しています。

科学ジャーナリスト賞は、病理診断医でサイエンス・サポート・アソシエーション代表の榎木英介さんと、京都大学霊長類研究所長国際高等研究所学術参与の松沢哲郎さんに、贈られる予定です。

受賞対象の作品はそれぞれ『博士漂流時代「余った博士」はどうなるか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)と『想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心』(岩波書店)という本です。

同会議は、榎木さんの『博士漂流時代』に対して「いわゆるポスドク問題、博士余剰の実態、原因、問題点などを多くのデータを示して浮き彫りにし、鋭く分析したうえ、これからどうすべきか著者なりの解決策も提言している。時宜にかなった好著」という受賞理由を挙げています。

また、『想像するちから』に対しては「30年におよぶチンパンジー研究の成果を『こころ』というキーワードに凝縮して分かりやすく解説した。科学者が自らの研究内容と『科学者のこころ』を伝える優れた啓蒙書の見本ともいうべきもの」としています。

日本科学技術ジャーナリスト会議による発表「科学ジャーナリスト賞2011の受賞者が決定!」はこちら。一次審査を通過した作品も紹介されています。

NHKによる『封印された原爆報告書』の紹介ホームページはこちらです。

ディスカヴァー・トゥエンティワンによる『博士漂流時代「余った博士」はどうなるか?』の紹介ホームページはこちらです。

岩波書店による『想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心』の紹介ホームページはこちらです。
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「スマートグリッド」の“賢さ”がひとり歩き


きょう(2011年)4月25日(月)発売の『週刊東洋経済』では、「最悪の夏を乗り切る 電力欠乏全対策」という特集が組まれています。この特集のコラム「スマートグリッドは切り札となるのか」に寄稿しました。

スマートグリッドとは、コンピュータやインターネットなどの情報通信技術などを駆使して、エネルギーの安定供給や省エネルギーなどを可能にするための送電網のこと。「スマート」には「賢い」、「グリッド」には「送電網」の意味があります。

取材では、エネルギーのやりとりを管理するための技術などを開発している企業の統括者や、持続可能なエネルギー政策の実現を目指している特定非営利活動法人(NPO:NonProfit Organization)の専門家に話を聞きました。

異口同音に聞かれたのは、「スマートグリッドの“ひとり歩き”」に対する懸念です。

スマートグリッドの概念は、2000年代前半に米国や周辺でおきた停電や電力不足を機に生まれました。それからというもの、世界的に「将来のエネルギー供給はスマートグリッドが担うのだ」という雰囲気のなかで各国で導入に向けた期待が、エネルギー業界のなかで高まってきていました。

米国では送電線と家庭内をつなぐ地点にスマートメーターとよばれる装置が付けられ、家のどの製品にどのくらいの電力が使われているのかなどを把握する動きが、試験的に始まっています。

日本でも、太陽光発電や風力発電などの、天候に左右されやすい電力が送電網に入ってきたときの電圧変化にも対応できるような装置などが開発されています。

しかし、具体的にどのようなかたちでスマートグリッドが市民の生活に導入されるかの見通しは、まだ無いに等しいのが現状です。スマートグリッド関連のどの技術を、どのくらいの地域の規模で、どのタイミングで導入するのかといった方策が、すくなくとも日本では見えてきていません。

取材によれば、「スマートグリッド」という言葉に「なんでもかんでもエネルギー問題を解決してくれる」という過度の期待がかかっているいっぽうで、普及に向けた実際の筋道が明確ではないという状況になってきているようです。

2011年夏に懸念される電力不足に対して、スマートグリッドはにわかに脚光を浴びています。脚光を浴びたことを機に、「電力網をどう変えていくのか」を具体的に議論すべきときがきています。

『週刊東洋経済』の紹介ホームページはこちらです。
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やんばるの森にも癒しの効果あり――みどりを見つめる(14)


みどりには、「人を癒す」効果があるとむかしからいわれてきました。

1930年ごろ、森と癒しの関係を「フィントンチッド」とよばれる物質から説きあかそうとする説が生まれました。この物質は、テルペノイドとよばれる天然化合物を主成分とするもので、“森の香り”をつくります。木々は、殺菌力もあるこのフィントンチッドを放っているという説です。

その後、1982年には、日本でも政府が「森林浴」を推奨するなどしていました。

しかし、みどりと癒しの関係は「なんとなく効果がありそう」というあいまいな域をなかなか脱することができませんでした。そこで、2000年前後になると、「どのくらい、みどりが人の心と体を癒すのか」知ることを目指す研究が始まるようになりました。

癒しの効果を調べるために、人の唾液の成分の変化などが測られます。たとえば、芝生にいる人と、香りのするラベンダーの近くにいる人それぞれに対して、唾液のなかにアミラーゼとよばれる物質がどれだけ含まれているかを調べます。唾液のなかのアミラーゼは、人がストレスを感じると濃くなることが知られています。

実際に研究者が測ると、芝生は「休息」の場所として、またラベンダー畑は「気分転換」の場所としての効果があると考えられました。

この研究とはべつに、沖縄県北部「やんばるの森」に入った人に対して、ストレスの度合の参考になる血圧、脈拍などを調べる実験が行なわれました。都市にいる人と比べるのです。

その結果、森林に入った人は脈拍で都市より5.7%、血圧は3.8%低くなったといいます。人がリラックスしているときにはたらく副交感神経も、都市より森林でのほうがはたらきが安定することがわかりました。

みどりと癒しの関係を探る研究では、体の状態の変化を調べるほか、実験の対象者に心理的な変化を聞きとる方法もとられています。ちかごろ、森で癒されることは「森林セラピー」ともよばれています。

参考ホームページ
科学研究費補助金データベース「植栽及び自然景観の認知と人間の生理機能変化との関係の明確化」
参考記事
琉球新報2007年10月25日付「やんばるの森林に癒やしの効果」
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問題解決のために活躍して失業しない


きのう(2011年4月22日)付のこのブログの記事「問題解決のために活躍して失業する」では、「問題解決型」の仕事には「自分が仕事をすればするほど、自分が仕事を失う方向に進む」という本質があるという話をしました。理論的には、問題を解決することが仕事である以上、仕事をして問題を解決すれば、仕事をする必要がなくなるわけです。

しかし、問題解決型の職業ながら、本質的に仕事がなくなるということがありえない、という職業もあります。

医療従事者、つまりは医者が、その典型例です。

医療とは、「医術で病気をなおすこと」です。医療に従事する人たちは、人びとがかかった病気をなおすことを大きな目的としています。世の中で病気は“問題”として扱われているのは明らかなので、「病気をなおす」という行為は「問題を解決する」という行為に近いといえます。

もし、警察官や戦場カメラマンが大活躍をすれば、究極的には「世の中から犯罪がなくなった」あるいは「世界から戦争がなくなった」という状態を得ることは理論的には可能でしょう。

いっぽう、医療従事者の仕事の場合はどうでしょう。大活躍をして、その場では「患者の病気を治す」という問題解決を導きだせるかもしれません。しかし、病気をなおした人にも、その後かならず死があります。

病気を、なおしても、なおしても、なおしても、いつか人は死んでしまうわけです。

いまは、その色合いは薄くなったといいますが、医療の現場には、かねてから「死は医療の敗北である」という考えかたがありました。簡単にいえば、「患者を死なせては行けない」という考えかたです。

人がいつかは死んでしまう以上、医療従事者は「最終的には“敗北”という結果になるにちがいない戦いに挑み、いったんは勝つけれど、最後には負ける」という戦いをしていることになります。

医療従事者が、問題解決型の仕事でありながら、仕事を失わないのは、すべての人が「病気はなおりうる。でもかならず死ぬ」という運命をもっているためです。はてしない戦いがある以上、仕事が尽きることはありません。
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問題解決のために活躍して失業する


人の行為には「問題を解決する」ものと「いまの状態に問題はないが、よりよくする」ものがあります。これは、職業の傾向にもあてはまります。

犯罪がおきれば警察官が事件解決のために動きますし、火事が起きれば消防隊が火を消そうとします。つまり、どちらかというと問題解決型となります。

いっぽう、美術館の学芸員はよりよい展覧会を目指そうとしますし、図書館司書は市民と本とのよりよい出合いを目指します。こちらはどちらかというと現状改善型です。

どちらの職業でも、従事者は仕事に対する対価として報酬を得ています。この点では共通しています。本質的に異なるのは、その役割に永続性がありうるかどうかです。

警察官は自分たちの仕事を通して、犯罪のない社会を目指そうとします。その目的のために、警察官が大活躍をして、犯罪の起きない社会が実現したとします。

犯罪のない社会が目指され、そしてそれが実現した世の中では、ひきつづき犯罪の予防につとめるための警察官は必要かもしれませんが、すくなくともいまの数ほどは必要なくなるはずです。犯罪のない世の中が実現されると、理論的には、すくなからぬ警察官がすべき仕事を失うことになります。

ある、戦場カメラマンが講演会で、撮影してきた戦争写真をひととおり披露したあと、「戦争の悲惨さをひとりでも多くの人に知っていただき、世界で悲劇が起こらないようになることを願っています」としめくくりました。

その後の質疑応答で、会場の聴衆からこんな質問があがりました。「戦争の撲滅のためにお仕事をしているようですが、戦争が撲滅されたら戦場カメラマンさんはなにをなさるのですか」。

戦場カメラマンは、「うーん、そうですねぇ。人びとの平和な様子を撮ろうとするかな」と笑いながら答えましたが、すこし不意をつかれた様子でした。

つまり、問題解決型の職業では「自分が仕事をすればするほど、自分が仕事を失う方向に進む」という本質を含んでいるわけです。

ところが、問題解決型の職業でありながら、未来永劫にわたり問題解決がなされずに、職業の永続性が保証されているような職業もあります。つづく。
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寿命をまっとうしたら3000年――みどりを見つめる(13)


木の一生はのはじめの段階には、種から芽が生えるという現象があります。植物の芽生えには、種が吸いとる水、15度から30度くらいの適当な温度、そして、芽生え段階での活発な呼吸をささえる酸素の三つの条件が必要となります。

芽生えた植物は、途中で死んでしまうことが多々あります。しかし、1年、2年と成長を続ける木もあります。その段階まで達した木は、「稚樹」あるいは「若木」とよばれるようになります。

木がその後も無事に成長を続けてゆくと「成木」に達します。木の高さでは5メートルから10メートルほどになれば、成木の仲間いりとなります。

ほとんどの木は、成木になる前に、葉、根、幹のいずれかのはたらきに異常がおきて、死を迎えてしまいます。

しかし、なかには命をまっとうする木もあります。

木が命をまっとうするとき、その寿命はだいたい数百年になるといわれています。さらに寿命の長いものでは、屋久島のスギの樹齢が2000年から3000年、米国カリフォルニア州にあるセコイアの樹齢が3500年から5000年といわれています。

樹木の寿命が長いのは、葉や根がいつも新陳代謝をくりかえしていて老化しづらいからといわれています。
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否定的書評にリスクあり

インターネットや紙媒体などでは、本の書評が多く見られます。オンライン店のアマゾンなどでは、「カスタマーズレビュー」といわれる、読者による本の感想を紹介する欄もあります。

多くの書評は、「評価する」と好意的に書かれる場合が多いようです。しかし、なかには「内容が不十分」とか「読むのに費やした時間を返してくれ」という意味合いが込められた、否定的な書評も見られます。

とりわけ、書くことを生業としている人にとって、否定的な書評を書くことは、若干の覚悟をともなう、あるいは危険をはらむものになります。

あるものかきが、「ほんとうにあった話です」と言って、こんなことを話します。

「社会制度のあり方について論じられた本を読んだのです。その本では、まさに“机上の空論”のような論しか並べられていませんでした。『ああ。現実に起きている問題を考えない研究者なのだ』と思って、そう思う理由を並べたような書評をつくったのです」

事件が起きたのは、それから2年後のことだったと、その書評者は続けます。

「ある出版社から、有識者会議の議事内容を一冊の本にまとめるから、会議に出席して原稿をつくってほしい、という依頼がきました。その出版社の担当者と事前うちあわせも済んで、あとは有識者会議が開かれる当日を待つだけでした」

「それで、待っていたら、会議の日の2日前に、出版社の担当者から電話がかかってきたんです。『きみ、何年か前に誰々という先生が書いた本の書評を書いてインターネットに載せたことがあるよね』」

「書評をつくったことを思い出して『ああ、ありますが』と答えると、出版社の担当者からこう言われました。『今度の有識者会議の座長が、その本を書いた先生なんだよ。それで、君が書いた書評を前に読んでいたそうで、あんな書き方をするライターに仕事を任せたくない、と言われてるんだよ』」

けっきょく、このものかきは、有識者会議の内容をまとめるという仕事から外されてしまうことになったといいます。

否定的な内容をともなう書評には、「後日、その本人とともに仕事をする」という危険性をともないます。それの危険を覚悟のうえで否定的な書評を書く人もいれば、その危険を避けて否定的な書評を書かない人もいます。
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細胞への侵入者が葉緑体に――みどりを見つめる(12)

木や草の葉っぱを顕微鏡などで見てみると、細胞があり、さらにその中に「葉緑体」とよばれる小さな器官があることがわかります。

葉緑体は、酸素や栄養がつくられる光合成という営みが行なわれる現場です。

地球が誕生したときから葉緑体があったわけではありません。地球の歴史のなかで、葉緑体はどのようにつくられたのでしょうか。いまの学説では「草木の祖先とシアノバクテリアという小さないきものが出あったことで葉緑体がうまれた」と考えられています。

シアノバクテリアは、細菌の一種で「藍藻」ともよばれています。見た目は、みどり色や紫色や紅色です。

地球上のいきものの居住地は、海から陸へと広がったと考えられています。逆にいえば、多くのいきものが海にとどまっていた時代があったわけです。その時代、シアノバクテリアもまだ水の中にしかいませんでした。

しかし、過去のある日、シアノバクテリアは陸へと上がっていきました。そして、陸に生えていた草木の先祖にあたるいきものの細胞に入りこんだといわれています。

入りこまれたほうの植物の先祖は、シアノバクテリアの侵入を受けいれました。その証拠になるのは、葉緑体のなかのDNA(デオキシリボ核酸)の存在です。

植物は、細胞の核のなかにDNAをもつだけでなく、細胞のなかの葉緑体のなかにもべつのDNAをもっています。これは、もともとシアノバクテリアのDNAだったのだと考えられています。葉緑体のDNAとシアノバクテリアのDNAはよく似ているということもわかっています。

きっとシアノバクテリアにとって、植物の細胞のなかは暮らしやすい環境だったのでしょう。いっぽう、植物にとってシアノバクテリアの侵入は、栄養をつくってもらうことにつながるため都合がよかったのかもしれません。

葉緑体が生まれたのは、シアノバクテリアが植物に入りこんで暮らしはじめたからだとする説は、「共生説」とよばれています。
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野球に合わない「時間制限」の概念


2011年のプロ野球が4月12日からはじまりました。電力不足などの影響で、巨人対東京ヤクルトの開幕戦が山口県宇部市の地方球場で行なわれたり、平日にデーゲームが行なわれたりと、例年と異なる開幕です。

試合の規則という点で、昨2010年と大きく異なることがあります。延長戦の扱われかたです。

セントラルリーグそれにパシフィックリーグとも、2011年の公式戦では「延長戦は12回終了で同点の場合は引き分けとする。ただし、試合開始時から3時間30分を過ぎて新しい延長回に入らない」という規定を設けました。

2010年までの公式戦では、延長戦は12回までとなっていました。この点は変わりませんが、新たに「試合開始時から3時間30分を過ぎて新しい延長回に入らない」という規則が加わったわけです。

本来、野球は「時間制限」の概念とは無縁な競技です。投手が自分の意思で「いま投げよう」と思ったときに投げることで試合が進みます。そして、1回の攻撃で3アウトになればかならず、攻撃側は攻撃をうちきらなければなりません。

そのような性質がある以上、野球は、選手が急ごうが急ぐまいが決着に左右されない競技なのです。

しかし、ここに「試合開始時から3時間30分を過ぎて新しい延長回に入らない」という規則が加わると、その原則が崩れます。

たとえば、「引き分けではだめで勝たなければならない」という課題をもったチームと「引き分けになってもいいので負けなければいい」という課題をもったチームが対戦するとします。

延長戦10回で、試合時間はすでに3時間25分が経過といったとき、勝たなければならないチームの投手は球をつぎからつぎへと急いで投げ込むことが起こりえます。

実際、1988年10月19日、近鉄バファローズ(いまのオリックスバファローズ)が「勝てば優勝、引き分けでは優勝を逃す」という条件の最終戦で、これにきわめて近い事態がおきました。

この年、近鉄の所属するパシフィックリーグには、「試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニング終了を以って打ち切り」という当時の規則がありました。延長10回表の近鉄の攻撃が無得点に終わった時点で、4時間経過まであと3分。裏のロッテの攻撃を3分で終えなければ優勝を逃すということになり、近鉄の加藤哲郎投手が投球練習を省いてまで試合を急ごうとしました。しかし、甲斐なく4時間を超えてしまったため、近鉄は優勝を逃しました。

急ごうが急ぐまいが決着のつく競技という野球の特徴からすれば、試合時間の制限があるのは不向きとなります。今回の規則が検討される過程では「今年は9回までで延長戦は行なわない」という案もありました。こちらの案のほうが、野球の特徴からすれば合理的だったといえます。

参考記事
スポーツニッポン2011年4月12日「延長上限3時間30分など…セパ今季変更点」
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都会の森に三つの役割、五つの大切なこと――みどりを見つめる(11)
東京・浅草寺

森の自然を満喫することのできる場所は、郊外や山ばかりではありません。都会のなかにある森でも自然の気を浴びることはできます。東京などの大都市にも、お公家さんが所有していた庭を一般公開したところや、寺社仏閣の雑木林などがまだまだあります。

都会におけるみどりには、人々にとっていくつかの役割があります。

ひとつは、自然環境をよくするという役割。たとえば、この夏、首都圏などでは冷房を使いづらい状況になりそうですが、都会の森に行けば若干の涼しさを感じることができそうです。植物は、太陽から吸収したエネルギーの3分の2を水の蒸発散に使っています。打ち水をすると、あたりが涼しくなるのとにた効果があるわけです。

また、都会のみどりには防災という役割もあります。火災の延焼を広い芝生の緑地が防いでくれたり、避難路や避難場所という場をあたえてくれたりします。

そして、都会の中に美しさをもたらし、心の安らぎや豊かさをあたえてくれるという役割もあります。

都市の公園が制定されたのは、日本では1873(明治6)年のこと。太政官布告で、つぎのようなお達しがありました。

―――――
古来ノ勝区名人ノ旧跡地等是迄群集遊観ノ場所(東京ニ於テハ金龍山浅草寺、東叡山寛永寺境内ノ類、京都ニ於テハ八坂社、清水ノ境内、嵐山ノ類、総テ社寺境内除地或ハ公有地ノ類)従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ、公園ト可被相定ニ付、府県ニ於テ右地所ヲ択ヒ、其景況巨細取調、図面相添ヘ大蔵省ヘ伺出ヘシ。
―――――

東京・浅草の浅草寺が日本で初めての「公園」となったのです。

都会の緑地をつくり、まもっていくためには、人の手が必要です。「こんな緑地をつくりたい」という理想、緑地をまもるための法律、実際に緑地をつくるための計画、緑地をつくって保つための財政制度、それに、つくられた緑地をつぎの世代に引きついでいく継承活動などが大切とされています。

参考ホームページ
みどりの学術賞「読本『みどりは人から人へ』石川幹子」
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「TPP参加の足かせは農業、待ち受ける『大打撃』の本当の中身とは」


日本ビジネスプレス発行のウェブ媒体「JBPress」で、「TPP参加の足かせは農業、待ち受ける『大打撃』の本当の中身とは」という記事が(2011年)4月15日(金)付で掲載されました。執筆は白田茜さん。この記事の編集を、JBPress編集部とともにしました。

TPPとは、環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Partnership)のことで、太平洋周辺諸国で自由貿易圏をつくっていこうと、2006年にニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイで始めた協定です。その後、米国や豪州などが参加し、日本も参加への検討を始めていました。

東日本大震災により、日本がTPPに参加するかどうかの議論はいまのところ一時中断のようなかたちになっています。しかし、今後また議論は再燃していくでしょう。

TPPに日本が参加すると、米国といった大きな貿易国との輸出入についても、ほとんどのものに関税をかけられなくなる可能性が高くなります。

白田さんの記事では、日本がTPPに参加した場合、とくに農業分野でどのような変化が起きるを解説しています。

農林水産省がとりまとめた“予測”では、コメ、小麦、砂糖、牛乳、肉類、果物など、ほぼすべての農産品について、日本での農産業が縮小するだろうとしています。

いま、日本は、海外からの輸入農作物に対して、コメで7788%、砂糖で328%、小麦で252%など、高い関税をかけています。

TPPに参加すれば、農業国から農作物が関税なしで日本に入ってきます。そうなれば、当然、米国産の米はとても安い価格で、市場に出まわります。日本の農家は、厳しい価格競争のなかで戦わなくてはならなくなります。農業をやめてしまう農家も増えてくるでしょう。

もちろん、農作物の価格が安くなるので、消費者は安い価格で食料を手に入れる機会は増えるかもしれません。いっぽうで、食料自給率や農家の問題を考えると、「それでいいのか」という議論もおこります。

白田さんは、「政治家も『後れを取るな』と焦るだけではなく、時間をかけて冷静に分析し国民と対話することが求められている。菅首相は『開国する』と繰り返しTPP参加への意欲を示している。経済界と農業界の間の深いミゾは埋まらないままだ」と記事を締めくくっています。

白田さんの解説記事「TPP参加の足かせは農業、待ち受ける『大打撃』の本当の中身とは」はこちらでどうぞ。

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「これでいいのだ」に乗せようとする


ものが世の中に浸透していくとき、使い手の人びとにすんなりと受けいれられるようにすることが大切になります。そこで、ものをつくる側は、あの手この手で「これでいいのだ」と思わせる戦略を考えます。

たとえば、充電して走る電気自動車は、走っているときに二酸化炭素を出さないという点が売りですが、弱点もあります。

一度の充電だけで走ることのできる距離は、いまの電気自動車では200キロほど。800キロも走るおなじ型のガソリン車にくらべて、なんどもエネルギーを補給しなければなりません。使い勝手の点では劣るわけです。

これに対して、電気自動車を出す製造業者たちは、こんな「これでいいのだ」と思わせる戦略に打ってでています。

「電気自動車は、都会のなかでのお買いものや、企業の方の営業まわりなどに向いています」

たしかに一度に200キロしか走れないとすれば、大阪から福岡や東京まで行くような長距離移動にはあまり向いていません。いっぽう、ちょっとした買いものや、かぎられた地域の営業で使えば、一日に200キロも走ることはないので、走っているとちゅうに充電をせずに済みます。

しかし、200キロしか走ることのできない電気自動車も、800キロ走ることのできるガソリン車も、どちらも都会のなかでの買いものや営業まわりをすることができます。

「電気自動車は、都会のなかでのお買いものや、企業の方の営業まわりなどに向いています」という宣伝を、消費者が「ああ、そう使えばいいのね」と受けいれてくれば、企業側にとっては都合よいもの。

しかし、買ったものをどのように使うかは、本質的には買った側の自由。使う側にとってみれば「電気自動車で長い距離を走ろうしたら悪いのかよ。長く走れないからといって、つくる側が使いかたを勧めようとするなよ」という話しになります。

賢い消費者は、「走る距離が短いことの説得材料を考えるより、走る距離を長くする技術的な材料開発してくれ」と思っていることでしょう。
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有性、無性、それぞれに生存戦略――みどりを見つめる(10)


男と女のいる人からすると性があるのは当然のようですが、自然の世界には、性がない種類もおおくいます。

植物にも、性があるものと性がないものがあります。性があるものは、有性生殖という方法で次世代をつくります。性がないものは、無性生殖という方法をとります。

有性生殖では、雄しべと雌しべによる交配がよく知られています。たとえば、雄しべでつくられた花粉が、雌しべでつくられた卵細胞と受粉します。その後、雄のほうの精細胞と、雌のほうの卵細胞の核どうしが合体することで受精します。

人間の場合、父親と母親の半分ずつの遺伝子情報を次世代の子どもが受け継ぐことになります。植物の有性生殖でも、両方の親世代の遺伝子を受けつぐことになります。

そのため、有性生殖では、受け継がれる遺伝子の組みあわせが多くなり、「寒さに強い」とか「日差しに強い」といった、特徴的な個体が生まれやすいのです。その環境に適した個体が、“適者生存”で生きのびていきます。

いっぽう、植物の無性生殖で雄と雌がありません。親が単身で、みずからとおなじ遺伝子をもつ次世代をつくります。この次世代は「クローン」ともよばれます。

無性生殖するマザーリーフ

無性生殖の場合、親と子の遺伝子はほぼおなじです。そのため、有性生殖の植物のように、環境に対応する遺伝子の多様性をもてるわけではありません。

しかし、無性生殖の植物は、次世代が誕生するまでの期間が早いのです。そのため、多くの次世代をつくることができます。

無性生殖のほうが生殖の速度がついているのに、自然の世界が無性生殖の植物だけにならないのはなぜでしょう。それは、とりわけ無性生殖がウイルスや細菌の攻撃を受けて、数の増加を抑えられているからと考えられています。

参考ホームページ
みどりの学術賞「読本『命をつたえる』矢原徹一」
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「水蒸気」は見えるものに、「放射能」は漏れるものに定着

東日本大地震による福島第一原子力発電所の事故をめぐって、連日、事故の状況が報道されています。

事故後に報道でよく聞かれたのは、「建屋から水蒸気が見える」と「大量の放射能漏れ」といった表現です。この二つの表現は、言葉のなりたちからすると、本来、こう表現すべきものではありませんが、完全に定着したようです。

たとえば、(2011年)3月28日の朝日新聞では、「噴き上がる水蒸気、崩れた壁…上空から見た1〜4号機」という見出しの記事がインターネットに出ています。本文にも、「建屋側面からと、屋上にあいている複数の穴から、水蒸気とみられる白い煙が上がっている」とあります。

「水蒸気」というのは本来、目に見えるものではありません。“水”が“蒸”発して“気”体になったものが水蒸気です。お鍋に水を入れて、火で沸騰させたとき、目に見えないけれど上がってくる空気があります。たとえば、あれが本来の水蒸気です。

この記事の場合、見出しは「噴き上がる湯気」あるいは「噴き上がる煙」とすべきで、本文はただ単に「白い煙が上がっている」とすべきところです。「水蒸気とみられる」とありますが、本当は、水蒸気はみられません。

マスメディアなどの組織は、見えないはずの水蒸気を「見た」と伝えているわけです。

「放射能漏れ」は、これまでも使われてきた表現ですが、今回の福島第一原子力発電所の事故で、完全に定着を果たした表現といえます。

もともと「放射能」は、放射性物質が放射線を出す性質または現象のことをいいます。「能」という言葉には、「なしえる力」とか「ききめ」という意味があります。これらからすると、「放射能」は、「放射」と「性能」を組み合わせた「放射性能」という意味をもっているはずです。このような言葉はありませんが。

「放射能漏れ」となると、「放射線を出す性能が漏れる」という意味になります。「溢れだす才能、みなぎる能力」といったような、「性能」と「漏れる」を組みあわせた表現がないわけではありません。

しかし、放射能をもっている物質という意味の「放射性物質」や、放射能をもつ物質が発する線という意味の「放射線」が言葉としてあるからには、「放射性物質漏れ」や「放射線漏れ」と表現を使うほうがより適切でしょう。

マスメディアなどの組織から、「放射能漏れ」という表現が漏れだしている状況です。

「水蒸気が見える」や「放射能漏れ」という表現は、それぞれの報道機関などが、ふさわしいかどうかは別として、より伝わりやすい表現だという判断で、使っているのかもしれません。

言葉というものは“いきもの”です。多くの人びとや影響力のある人びとが、本来とは異なる使いかたをすれば、それは広がり定まっていくものともいえます。今後、教科書や辞書での「水蒸気」や「放射能」の説明や定義が変わる可能性もあります。

参考文献
『広辞苑第五版』
参考記事
朝日新聞3月28日「噴き上がる水蒸気、崩れた壁…上空から見た1〜4号機」
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森と森を回廊でつなぐ――みどりを見つめる(9)

栃木県・那須高原

いろいろな種類の生きものがいると、人を含む生きものは、いろいろな恵みを得ることができます。生物の多様性を保つことを考えれば、自然の豊かな森の面積は大きいほどよいということになります。

しかし、いっぽうで都市の郊外化が進み、森林だった土地に、大規模な住宅地や団地や研究学園都市などが建てられています。

植物も動物も、すくなくとも“森のその先”に自然がつづいていれば、自分の遺伝子を広げていくことができます。しかし、“森のその先”がコンクリートやアスファルトで固められた人の生活空間になっていると、自分の遺伝子を広げることができません。生物の多様性はそこで広がらなくなります。

そこで、森と森を分断させず、連結させることで、植物や動物を移動しやすくさせて、生物の多様性を保とうという考えかたが生まれています。この考え方にもとづいて、「緑の回廊」という言葉もうまれています。「回廊」は、もともと「長くて折れ曲がった廊下」のこと。森と森を、森によってつなげることで“回廊”とします。

緑の回廊のプロジェクトを進めているのは林野庁。木の伐採などを禁止した保護林どうしをつなげて、保護林ネットワークをつくる構想を立て、この構想をもとに「緑の回廊」を全国各地に定めています。

たとえば、「日光・那須塩原緑の回廊」では、栃木県の日光市、矢板市、那須塩原市、塩谷町などにわたり、那須、高原、日光のあたりの保護林を連結させています。さらにこの緑の回廊が、近くの「緑の回廊日光線」につながる設定にもなっています。

2009年4月時点で、日本では24の緑の回廊が設定されています。

参考ホームページ
林野庁「緑の回廊」
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いま、「つくって削減するか、つくらず削減するか」の岐路
 福島第一原子力発電所をはじめとする東日本での発電所事故を受けて、環境省の南川秀樹環境事務次官が記者会見で、2020年までに1990年比25%削減を目標とした温室効果ガス削減へのとりくみについて、「見直し議論の対象となる」と話した、と伝えられています。

原子力発電は、石炭や石油などの化石燃料による火力発電とくらべて、おなじ発電量あたりで二酸化炭素などの温室効果があるといわれるガスをすこししか出しません。そのため、地球温暖化対策の主要な役割を担わせたいと、国は考えてきたわけです。

国の方針とおなじく、東京電力は、2018年までに非化石エネルギーを全供給量の半分以上にすることを目標に掲げていました。そのうち、太陽光発電などの再生可能エネルギーに担わせる率が8%であるのに対して、原子力に担わせる率は47%としてきました。この目標は、東京電力だけでなく、全国の大手電力企業でも共有されています。

「2020年までに1990年比で25%削減」の目標には、「原子力発電所9基を新しく建てる」ということを前提にしていました。今回の原子力発電所事故を受けて、原子力発電所を新しく建てることは世間的に難しい状況です。

地球温暖化防止の切り札と考えていた原子力発電所が建てられないのであれば、地球温暖化を進めることにも影響があるという考えかたが、発言には含まれていそうです。

しかし、「見直し議論の対象となる」という発言を受けて、違和感や疑問をおぼえる人も少なくないでしょう。

このたびの東日本大地震により、原子力発電所や火力発電所が使えなくなりました。つまり、大震災以前にくらべて、電気の供給量は減ったわけです。需要側の市民が知恵を出しあい、がまんしながら、電力供給量が減ってもどうにかその状況に応えようとしています。

そして、人びとが知恵を出すことにより、どうにか逼迫する電力の需給を乗りこえようとする最善策を出そうとしています。

もし、人びとの知恵と工夫によりこの需給逼迫問題を乗り切ることができれば、「すくない電力供給量のなかででも、原子力発電所を建てないでどうにかやっていける」ということになります。

どうにかやっていけるのであれば、原子力発電所を建てる必要性はすくなくなります。

もし仮に「化石エネルギーを使う火力発電所を、原子力発電所にきりかえるはずだったのに」ということであれば、今回の事故を機に、その予定分を再生可能エネルギーで代替するといった考えかたが起きてもおかしくはありません。原子力発電所でなく火力発電所を新たにつくりはじめるより、太陽電池をつくって置くほうがはるかに小回りが効きます。

エネルギーの使用量が増えることを前提に、原子力発電という技術で地球温暖化を防止しようとするのか、それとも、原子力発電が使えないということを前提にエネルギーの使用量をおさえようとするのか、人びとはこの岐路にも立たされています。

参考記事
毎日新聞2011年4月4日「原発事故で25%削減目標見直しも 環境省」
『無限大』第126号「再生可能エネルギーに向けて本格始動する電力会社の取り組み」
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はじめから日本人は日本の自然の一部――みどりを見つめる(8)

「森林」から、「手つかずの自然」を連想する人も多いようです。人が介入しないでそのままの状態にしておけば、森はいつまでもいまの状態でありつづけるといった感覚です。

しかし、地球上の森林には、手つかずでいまの状態になったものと、“手をつけて”いまの状態になったものと、両方があります。

手つかずの代表例が、ブラジルに広がるアマゾン川のまわりのジャングルの大部分です。世界のさまざまな自然保護団体が、原生林をまもろうととりくんでいます。

いっぽう、手がついた森と考えられているのが、日本の森の大部分です。日本は、国土面積の3分の2を森で占めるほど、森に覆われています。この日本の森は、大昔、日本人が、ある介入をしたことによっていまの状態になったといわれています。

2万年ほどまえの最後の氷河期、中国大陸と日本は陸つづきだったとされています。このとき、多くの植物の種が、大陸から日本へと入ってきたといわれています。

この植物の種の移動よりも1万2千年前にあたる、いまから3万2千年前、すでに大陸から日本へと人の移動があったと考えられています。3万2千年前は大陸と陸続きでなく、大陸からの人びとは船などを使って九州あたりにたどり着いたことが想像できます。

多くの植物が大陸から入ってくる前であっても、ある程度の森などの自然はあったことでしょう。大陸から渡ってきた日本人の祖先は、野山を焼いて開墾したり、森にすむシカを獲って食糧にしたりして、生活を営んでいたと考えられます。

焼かれた土地は太陽の光があたる土地になりました。また、人がシカを獲ったためシカの数もあまり増えずに、餌の下草の量は保たれ続けていたと考えられます。

このような人の営みによる“お膳立て”があったなかで、2万年前に、大陸と日本が陸つづきになり、ここに新たな植物の種が大陸から入ってきました。日本人の祖先が切り開いた土地に、新たな植物が生えていったというわけです。

この説からは、日本人は、日本の自然の一部に最初のうちから組み込まれていた、もしくは、いまの自然の一部をつくる原因となったということがいえそうです。
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大人にも、夏の課題


東日本大震災からもうすぐ1か月になります。

震災の影響をごく大きくわけると、ふたつになりそうです。

ひとつは、地震や津波により被害を受けた方々の暮らしが一変したことです。いま、被災地では“ゼロからの再出発”にこれから立ちむかおうと奮えている方々も多くいることでしょう。進んでいく道はとても険しいものかもしれません。しかし、ゼロの状況がマイナスの状況になることは、きっと少ないはずです。

もうひとつは、福島第一原子力発電所の放射性物質流出により人々の暮らしが変わったことです。こちらは、まだ事故になった原子力発電所の核燃料を完全に制御できたわけではありません。まだ“ゼロからの再出発”というわけにはいかない状況です。

福島第一原子力発電所の周辺の住民の生活や農業や漁業で生計を立ててきた方々の仕事がこれからどうなっていくのか。これまで、ほぼ経験したことのない状況に人が直面しています。

深さはともかく、より広い範囲に影響が及んでいるのが、電力需給の問題です。東北電力は4月17日まで、東京電力は6月3日まで、計画停電を行なわない予定を発表しています。

しかし、電力会社から家庭や会社に送られる電気は基本的に貯めることができません。そして、熱を発するような道具に対して電気エネルギーは多く使われます。これらの状況からすると、暑くなる夏、ふたたび電力需要量が供給量を上まわるほど逼迫するのは目に見えています。

この構図をごく単純化すると、「原子力発電所が使えなくなったため、使える電気の総量が少なくなった」ということになります。運転できなくなったのは原子力発電所だけではありませんが、単純化すると、そういうことになります。

これまでも、原子力発電の利用をめぐっては、賛成派と反対派、あるいは容認派と否定派が激しく対立してきました。「どちらでもない」という答えが多くなりがちな日本人にはめずらしく、賛成と反対の意見の対立が鋭くなるテーマといえるでしょう。

原子力利用の是非をふくむ、エネルギー利用のありかたをめぐる議論では、しばしばこんな意見が出されました。

「地球環境のためにエネルギーをなるべく使わない生活を心がけようと言う人も、いまさら電気を使わないような原始的な生活に戻る気まではおきないんじゃないの」

江戸時代や明治時代、人びとは暮らしのなかで電気を使っていませんでした。それでも生活はできていました。しかし、いまの人びとが江戸時代や明治時代の電気なしの生活に戻ることができるか。上の疑問文は、昔に戻ることの難しさを指摘したものです。

「原始的な生活に戻る」というほど原理的ではないものの、いまはすこしだけ「エネルギー利用のあり方を実感を伴って考える」状況に近いといえます。

「原子力発電を使わなくなると、使える電気の総量が減る」という状況は、2011年3月11日より前は、“机上の空論”だったわけです。しかし、3月11日以降は、これが現実のものになりました。

もっとも選択を迫られるようになったのは、原子力発電の利用に反対の立場をとっていた人でしょう。それは「暑い夏でも冷房を使うことができない。それでも、あなたは原子力発電の利用に反対しつづけるのか」という選択です。

「暑いのも寒いのもやはり困る。原子力発電の利用はしかたあるまい」となるか、「われわれは本来のあるべき生活を取りもどせたのだ。原子力発電はやはり要らない」となるか。こんな単純な二元論には収まらないような、建設的な考えも多く生まれてくることでしょう。

一人ひとりに否応なしにあたえられる夏の課題は、大きなものになりそうです。
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育っている木が炭素を吸収――みどりを見つめる(7)


森林などから採った木を、火を燃やす薪として使うことができます。

これは、木の成分として、水素とともに炭素(C)という“燃える材料”があるためです。薪を燃やしていくと、炭になることからも、木には多くの炭素が含まれているということがわかります。

いっぽう、地球温暖化のおもな原因とされている二酸化炭素にも、炭素の原子が含まれています。二酸化炭素をあらわす化学式「CO2」の“C”は、炭素のCです。

つまり、森林には、地球温暖化のもととされる二酸化炭素の構成元素である炭素を木々のなかにしまい込んでおくというはたらきがあるのです。

森林の木々が炭素を含ませることができるのは、植物が光合成をするからです。光合成では、太陽の光、水とともに二酸化炭素を吸収して、酸素や炭水化物をつくります。つまり、二酸化炭素に含まれる炭素をどんどん取りこんで、炭水化物にして炭素を貯めておくわけです。

この、森林の炭素吸収の効果は、地球温暖化防止への対策をとるうえでも大切な要素とされています。

1997年に京都で行なわれた「第3回気候変動枠組条約締約国会議」(COP3)では、1990年以降に植林した木々による二酸化炭素の吸収量を、二酸化炭素の排出量の計算から差し引くという決まりになりました。この考えかたは、いまにいたるまで続いています。

京都会議で決められた2008年から2012年の温室効果ガス排出量の削減目標である「1990年比でマイナス6%」という数値では、およそ3分の2にあたる、マイナス3.9%を、森林による二酸化炭素の吸収に頼るという計画が立てられました。

実際、「マイナス6%」を達成した2008年度の日本の温室効果ガス削減では、マイナス3.5%が森林吸収によるものでした。

では、1本の木にどれだけの炭素が含まれているのでしょう。樹齢80年のスギの木1本では、1年間に14キログラムの二酸化炭素を吸収しているとされています。スギ160本を集めると、自家用車1台が1年で排出する二酸化炭素を吸収することになります。

日本の森は、国土の3分の2を占めています。日本の森全体が1年間で二酸化炭素を貯める量は、およそ8300万トンになります。

木の種類によって、「さほど二酸化炭素を貯めない木」と「二酸化炭素を貯めやすい木」があります。

ここ何十年では、コナラ、ブナ、カバノキなどの広葉樹は、さほど二酸化炭素を吸収してこなかったとされています。1960年代からこれまで、炭素蓄積量はほぼ横ばいという計算があります。

日本の広葉樹林は、古くからその土地に生えていたものが多く、木としての成長があまりありません。そのため、木の成長にとって重要な二酸化炭素を多くは吸収しないのです。

いっぽう、スギ、ヒノキ、マツなどの針葉樹は、ここ数十年、二酸化炭素を多いに吸収してきました。これは、人が木材を得るために針葉樹を積極的に植えるようになった結果です。のびざかりの木は、たくさんの二酸化炭素を必要とします。新しく植えた針葉樹がすくすく育つのにともなって、炭素も針葉樹に取りこまれていったのです。
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森も新陳代謝――みどりを見つめる(6)


遠くの山々を見ていると、いつも変わらない森の姿があるように思われます。しかし、森では長い時間をかけながら、すこしずつ、そして確実に、“新陳代謝”が行なわれています。

強い台風などが森を襲うと、強風によって木がなぎ倒されます。また、川が流れが増すと地面がえぐりとられて、川の近くに生えている木が倒されます。

木の葉や枝に積もった雪の重さに木が耐えられなくなり、根こそぎ木が倒れてしまうこともあります。ときに、根こそぎ木が反っくり返って倒れてしまう、“木の根がえり”という現象が起きることもあります。

ほかにも、地震による地すべりで木が広い範囲にわたり流されてしまったり、雷が落ちて幹が割れてしまったり。また、人による火の不始末などから山火事が起こり、木が焼かれて死んでしまうこともあります。

木には、生をまっとうして寿命を迎えるよりも早い段階で、突然死を迎えることが多くあるわけです。

木の命が終わりを迎えると、倒れたり、枯れ果てたりするため、そこの部分だけ高い木が生えていない状態になります。これは「林冠ギャップ」とよばれます。森のなかにぽっかりと“穴”が空くわけです。

生きている木では葉が生いしげっているため、太陽の光が地面のほうまであまり届きません。しかし、林冠ギャップができると、その“穴”の部分に光が射しこんできます。

暗くうっそうとして冷たかった地面に、太陽の光が当たるようになり温められると、そこから新しい新しい木の芽が出てきます。

林冠ギャップの大きさや形によっても、そこの地面に新たに生えてくる木が異なってきます。たとえば、山火事が起きたあとの場所には、ナラやクリの木が育ちやすいといったことがわかっています。

森の木々は「部分的に林冠ギャップができては、また元のように修復されて」を繰りかえしながら、全体としては森の状態が保たれているわけです。このような、森の動的平衡の状態を「ギャップダイナミクス」あるいは「パッチダイナミクス」といいます。

なんらかの原因で木の命が途絶え、林冠ギャップができるのは、1ヘクタール1年間あたりで0.6本から1.1本とされています。つまり、100メートル四方の森で、1年間に1本分ほどの木が倒れ、そこに光が射しこむようになるわけです。

大規模な山火事や地すべりなどが起きないかぎり、森の“新陳代謝”が起きていることを目で見て感じることはなかなかありません。森の時間は人の時間にくらべてゆっくりと流れているため、人は森の変化に気づきづらいのかもしれません。

参考ホームページ
みどりの学術賞「『「森は教えてくれる』中静透」
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2011年4月29日(金)から「東日本大震災 被災者支援 チャリティー写真展」


催しもののおしらせです。

日本写真家協会(JPS:Japan Professional Photographer Society)主催の「東日本大震災 被災者支援 チャリティー写真展」が(2011年)4月29日(金)から、東京・赤坂のフジフイルムスクエアで行なわれます。5月5日(木)まで。

日本写真家協会は、プロの写真家により1950年に結成された組織です。このたびの東日本大震災の事態をふまえ、被災者支援のためのチャリティ展覧会を企画しました。

展覧会で購入された売上のうち、経費をのぞいた全額を関係機関を通して被災地に送ります。

展では、木村伊兵衛、土門拳、熊切圭介、細江英公、相澤正をはじめとする総勢200名の写真家の写真が展示される予定です。展示数はぜんぶで500点。日本写真家協会は、売上目標を500万円としています。

日本写真家協会による「東日本大震災 被災者支援 チャリティー写真展」は4月29日(金)から5月5日(木)まで。東京都港区赤坂9-7-3の富士フイルムスクエアにて。

日本写真家協会のホームページはこちら。
フジフイルムスクエアの交通案内はこちらです。
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自然の世界から心の豊かさを得る――みどりを見つめる(5)
森などにある生物多様性が人にもたらす“めぐみ”のみっつめは、「精神的な安らぎや豊かさをあたえてくれる」というものです。

人びとは、自然のなかに“美しさ”や“象徴性”というものを見いだして、それに名前や形をあたえてきました。

たとえば、多種多様の木々があり、さらに春夏秋冬の季節の変化がある日本では、木々に関係する色の名前が数多く生まれました。


『日本の伝統色』(長崎盛輝著、青幻舎刊)に紹介されている255の色のうち、「桜色」「松葉色」「若竹色」のように木に関係する名前が使われているのは83色にものぼります。また、植物全体では120色、生物全体では146色にものぼります。

見分けがつくかつかないかというほどの繊細な色の種類は、生物多様性がつくったものということができるわけです。

また、生物多様性は、いろいろな場所で、“その地域によく見られる植物”をつくりだします。  

その地域に特徴的な木や森などがある場合、人びとはそこに地域の象徴性を見出してきました。そして、その地域の人びとの結びつきを強くするために、自然を材料にしたシンボルやエンブレムなどのマークをつくってきました。

人びとに一体感をもたらすためのシンボルマークづくりに、生物多様性が一役買っているわけです。

参考文献
『サイエンスウィンドウ』2010年8-9月号「人に与える3つの恵み」
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木の進化、針葉樹から広葉樹へ――みどりを見つめる(4)
木の分類のしかたのひとつに、「針葉樹か広葉樹か」というものがあります。字のごとく、“針”のようなとがった葉をした木が針葉樹、“広がった”かたちの葉をした木が広葉樹です。

地球には初期のころ藻類やシダ植物などの植物しかありませんでした。その後、まず現れたのが針葉樹で、いまからおよそ3億年前とされています。いっぽう、広葉樹の登場は遅く、いまから1億5000万年前から1億年前と考えられています。

針葉樹のほうが植物の進化史のなかで早く、広葉樹のほうが遅かったのは、それぞれのつくりの単純さ・複雑さかげんを見てもわかります。

スギやマツなど、針葉樹では「胚珠」とよばれる種の部分がむき出しになっているのがほとんどで、単純なつくりをしています。このような植物は「裸子植物」とよばれています。つまり、針葉樹と裸子植物はほぼおなじ、ということになります。


スギ、針葉樹

また、外側からは見ることができませんが、針葉樹の幹のなかには、水分を上のほうへ送るための導管が一本の管状になっていない「仮導管」とよばれる管があります。

また、針葉樹のほうは寒い季節になっても、針のような葉がついたままで冬を超すのがほとんどです。

いっぽう、カシ、ナラ、クリなどの広葉樹のつくりはより複雑です。まず、広葉樹では胚珠が、まわりのべつの層に覆われているのがほとんどです。このような植物は「被子植物」とよばれています。広葉樹と被子植物はだいたいおなじ、ということになります。

トチノキ、広葉樹

水分を上に送る管についても、広葉樹のほうは一本につながっており、進化のあとが見られます。また、サクラやモミジなどの葉が散ることからわかるように、広葉樹では寒くなると落葉します。

日本の森の面積全体では、針葉樹のほうが広葉樹よりもすこしだけ広め。

人工林、つまり木を挿したり木を植えたりしてできた森の面積では、ほぼすべて針葉樹が占めます。針葉樹は成長が速いため、計画的に人工林として植えるのには向いているわけです。

いっぽう、植林によらない天然林では、およそ8割を広葉樹が占めています。

参考ホームページ
森林・林業学習館「針葉樹と広葉樹」
木の情報発信基地「広葉樹、その妙なる調べ」
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放射性同位体を厳密に測定

福島第一原子力発電所の放射線流出事故を受けて、福島県を中心とした各地で、野菜や原乳などの放射線量の測定が行なわれています。

問題となっているのは、おもに、ヨウ素131とセシウム137。これらは「放射性同位体」といいます。「放射性同位体」は「放射性」と「同位体」からなることばで、「放射性」は、「粒子線や電磁波ともよばれる放射線を出す性質のある」という意味。

また「同位体」とは、元素なりたたせる要素のうち、陽子の数はおなじながらも、中性子の数が異なる元素のことをいいます。

ヨウ素131は、ヨウ素の放射性同位体です。セシウム137はセシウムの放射性同位体です。これらの放射線を出す能力をもった元素が体に大量にとりこまれると、体のなかで細胞の核の中にあるDNAを傷つけます。その結果、がんなどの健康被害が起きます。

そうなることを避けるために、野菜や原乳などに、どれだけヨウ素131やセシウム137などが含まれているかを各都県は調べています。

実際の放射性同位体の量のはかりかたには、手引書があります。2002年3月に厚生労働省の当局「医薬局食品保健部監視安全課」がまとめたものです。

この手引書には、分析する食品中の放射性同位体や放射性物質の対象によって、五種類の方法が紹介されています。放射性ヨウ素を測定する方法、ウランを分析する方法、プルトニウムを迅速に分析する方法、放射性ストロンチウムを分析する方法、そして「放射性同位体それぞれ」を意味する「核種」を分析する方法です。

このうち、放射性ヨウ素を調べる方法を見てみます。

手引きには「NaI(Tl)シンチレーションサーベイメーター」という装置を、ヨウ素を測る第一段階に使うということが示されてあります。

“NaI”というのは、化学式から「ヨウ化ナトリウム」のこと。また、“Tl”は「タリウム」という物質のことで、カッコに入っているのは「少し含ませた」という意味です。また「シンチレーション」は「きらめき」を意味する英語で、ここでは「放射線が衝突して発光すること」。そして「サーベイメータ」は「測定器」のことです。

まとめると、「NaI(Tl)シンチレーションサーベイメータ」は、「タリウムを少量ふくむヨウ化ナトリウム放射線が衝突したときの発光を用いた測定器」といった意味になります。これが、放射性ヨウ素を測定する装置です。

いっぽう、測定する野菜は、あらかじめハサミなどの刃物で細切りにし、タッパなどの容器に入れます。容器にはなるべくすきまをつくらぬよう、たとえば1リットルの容器に0.5キロの細切り野菜を詰めます。そしてこの容器をビニルテープなどで固定して、ポリ袋に入れます。

この試料に、Nal(Tl)シンチレーションサーベイメータを密着させます。30秒で間隔で3回測り、その平均値を計算します。

なお、「NaI(Tl)シンチレーションサーベイメータ」では、放射性ヨウ素のほかに、同じ放射性同位体のセシウム137などもいっしょに測られてしまいます。そのため、数値にはセシウム137の放射線が混在していることがあります。

放射性同位体の測定はきわめて微量な対象を測るもの。厳密な方法が定められています。

参考文献
厚生労働省「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」

実際に計測をする場合は、上記参考文献にかかげた手引書をお読みください。
| - | 23:57 | comments(0) | -
バランス調節が人へのめぐみに――みどりを見つめる(3)


生物多様性から人が受ける“めぐみ”として二番目にあげられるのが、「自然環境のバランス調節」というものです。このバランス調節の結果、人がめぐみを受けることがあります。

たとえば、自然界で暮らす昆虫どうしに“天敵”の関係があることで生態系のバランスが保たれることがあります。

チョウやガの幼虫であるイモムシには、「寄生バチ」とよばれる天敵がいます。

寄生バチは、ハチのなかで寄生をする期間をもったもののこと。たとえば、幼虫の段階でイモムシのからだに寄生して、イモムシのからだのなかに卵を産みつけます。これによってイモムシは死んでしまいます。

イモムシの数が多くなりすぎることを寄生バチが抑えているわけです。

このバランス調節が人の食物供給にもつながります。人にとっての食物となる植物をイモムシに食べ尽くされることなく、自分たちの食料にすることができています。

また、マメコバチというハチ体長10ミリ強ほどの小さなハチがいます。このハチには特殊な毛があって、リンゴなどの果樹の花粉を付けることができます。マメコバチは、花粉をたくさん集めて団子状にし、それを次の世代に食べものとしてあたえています。

同時に、マメコバチは木から木へといろいろなところを飛びまわるため、花粉を運ぶ役目をします。マメコバチが飛びまわった結果、果樹が実をつくるために必要な「受粉」が行なわれることになります。

生物たちは、おそらく「自然界のバランスを調整しよう」などとは考えてはいません。しかし、全体として見ると生物多様性があるために環境のバランス調整がとれます。そして、その恩恵を人は受けることになります。

参考文献
『サイエンスウィンドウ』2010年8-9月号「人に与える3つの恵み」
| - | 21:39 | comments(0) | -
繊細なクロマグロ、津波でも死ぬ


日本ビジネスプレス発行のウェブ「JB Press」の特設サイト「食の研究所」で(2011年)4月1日(金)、「世界初!研究所生まれのクロマグロが卵を産んだ」という記事の前編が公開されました。この記事に原稿を寄せました。

和歌山県にある近畿大学水産研究所は、クロマグロの完全養殖を2002年に32年かけて達成しました。「完全養殖」というのは、幼魚を人工的に育てて親魚にし、産卵・受精させ、次世代を孵(かえ)し、さらに、この世代の仔魚を人工的に育てて親魚にして、次々世代を孵すということ。

はじめの幼魚は天然からもってきますが、その次の世代からは天然の魚に頼らず、すべて養殖に世代サイクルをつくります。このサイクルからクロマグロを食用として出荷すれば、天然の魚を獲らずにクロマグロを食することができ、いま問題になっている漁獲高の減少や国際取引の禁止などとは無縁になるわけです。

この記事の取材は、3月11日(月)の午前中に行なわれました。東北の太平洋沖で巨大地震が起きた3時間前に行なわれたものです。その後、和歌山県にも大津波警報が発令されました。

和歌山県では、人的被害はありませんでした。しかし、後日の報道によると、近畿大学が養殖しているこのクロマグロには影響があったようです。

養殖をするためのいかだで4400匹のクロマグロを飼育していたところ、7基で120匹が死んでいるのが見つかったといいます。多くの死んだクロマグロは、大きさ35センチほどの0歳魚でした。

クロマグロ完全養殖に32年の歳月がかかった大きな原因は、「クロマグロが繊細である」ということ。すこしでも水質など、暮らしている状況に変化があるとそれがストレスとなります。

また、人に皮膚をすこしさらわれたり、水槽の底やいけすの網などに触れるだけで、傷がついて死んでしまいます。

いかにクロマグロが繊細であるかが、今回の地震による死でもわかります。

記事の前半では、クロマグロが完全養殖されるまでの道のりを紹介しています。しかし、これで目的完了というわけではありません。後半では、クロマグロの完全養殖を達成してからその後の、クロマグロの供給安定化にむけての近畿大学のとりくみを紹介する予定です。

記事は、「食の研究所」で掲載されています。こちら。

参考記事
読売新聞2011年3月16日「和歌山の近大マグロ、120匹死ぬ…津波で?」
| - | 23:59 | comments(0) | -
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