科学技術のアネクドート

人は森からものを得る――みどりを見つめる(2)


森林に見られるような生物多様性から、人が受ける“めぐみ”には三種類あるとされています。

ひとつめが、「ものをあたえてくれる」というものです。食料、水、燃料、繊維、化学物質、また、医学や生命工学などで役立つような遺伝子などを、森から得ることができます。

食料は、人にとっても森の生物多様性のめぐみを感じることのできる例です。

もし、毎日の食事で、1種類の食材だけしか食べることができれなければ、栄養がかたよってしまいます。なにより、食事に飽きてしまいます。

食材や料理の種類が多いほど、人をふくむ動物は栄養のバランスよく、おいしく食べものを味わうことができるようになります。

さらに、食材や料理には“味”があります。甘い、酸っぱい、香ばしい。こうした味のちがいも生物多様性が保たれているためにあるのです。

食べもののほかにも森のめぐみはあります。

森の植物には、人のからだの調子をととのえてくれるものがあります。植物から、薬のもとになる物質を得ることができます。

人が身につける服も、植物や動物からとられてきました。いまでは、綿や麻や絹などの繊維の原料は、栽培や養蚕の技術が発達して森ではないところで得ることができます。しかし、かつては森のような自然からこれらの繊維を得ていたのです。

参考文献
『サイエンスウィンドウ』2010年8-9月号「人に与える3つの恵み」
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森は生物多様性の縮図――みどりを見つめる(1)


「森」という字も「林」という字も「木」が集まってできています。森には木がたくさんあります。

人が意図的にスギなど一種類の木だけを植えたようなところでなければ、スギ、ヒノキ、マツ、モミといった葉が針のような針葉樹や、コナラ、ブナ、カエデ、タケなどの葉が広くて平たい広葉樹をいろいろと見ることができます。

森で目に飛び込んでくる色といえばみどりです。しかし、森にしばらくいつづけると、木や草だけでなく、ほかの種類の植物、そして動物が生きていることが感じられます。

なぜ森にはさまざまな植物と動物がいるのか。その答えをかんたんにいえば「食べもの(栄養)がたくさんあって生活しやすいから」ということになります。

緑の葉をもった植物は、太陽の光や水をもとに葉のしくみで栄養、つまりブドウ糖やデンプンなどの炭水化物をつくります。人びとにとっても炭水化物が多く含まれたご飯やパンが大切な栄養になるように、森にすむ植物や動物にとっても生きていくために必要な栄養になります。

木から栄養をもらう植物や動物がいると同時に、さらにそれらの植物や動物を食べる動物もいます。

たとえば、クヌギやナラなど実であるドングリには炭水化物がたくさん含まれています。このドングリを、リスやムササビなどの小さめの動物が食べ、さらにそのリスやムササビなどを、テンなどの大きめの動物が食べます。

地面を見れば、下草が生えています。草にも炭水化物はたくさんふくまれています。この草をコガネムシなどの昆虫が食べます。そのコガネムシをクモが食べ、そのクモをネズミが食べます。

こうして、植物の炭水化物という栄養を源に、いろいろな植物や動物が森のなかで“栄養を摂る、摂られる”のつながりをもちあいながら生きているわけです。森という環境は、多くの生物にとっては“すみ心地”がよいわけです。

何種類もの生物がいることを含め、異なる生物やそのしくみがたくさんあることを「生物多様性」といいます。地球のいろいろな環境のなかでも、とりわけ森は生物多様性がつくられやすい場所といえます。森に入ることで生物多様性を感じることができます。

参考ホームページ
WWFジャパン「特集『生物多様性』」
森林・林業学習館「針葉樹林と広葉樹林」

5月4日に訪れる「みどりの日」に向けて、みどり、森、自然を見つめなおす記事をシリーズでお届けします。
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「これほど日本人がカレー好きなのにはワケがある」


インターネットの情報媒体「日本ビジネスプレス」(JB Press)で、(2011年)3月28日(月)、「これほど日本人がカレー好きなのにはワケがある」という記事が配信されました。執筆者はライターの澁川祐子さん。この記事の編集をしました。

カレーが生まれた地はインド。インドのカレーはインドを支配していた英国へとわたりました。そして、英国のカレーが明治初期に日本にわたってきました。いまでは、日本人は一年間に84食、カレーを食べている計算になるといいます。

記事では、日本人にとっては国民食となった「カレー」の原点や、カレーが日本人に広く受け入れられるようになった理由などを、古い文献などをたよりに探っています。

カレーが広まった背景としてあげられているのが、カレーが広がるより前に日本で「ぶっかけ飯」と「あんかけ麺」が多く食べられていたということ。江戸風俗研究家の故・杉浦日向子さんの記事などをもとに、カレーライスはぶっかけ飯とあんかけ麺をあわせた「日本初の『あんかけご飯』」として定着したと伝えています。

もうひとつの理由として澁川さんはカレーの味の特徴に注目しています。つまり、辛いためになににでも合うえに、スパイスの配合を変えるだけで味も調整することができるため、応用がききやすいということです。

1893(明治26)年の雑誌『婦女雑誌』には、鰹節の煮汁と醤油を使ったカレーの調理法。1904(明治37)年ごろには、東京・早稲田の「三朝庵」でカレーうどん。1918(大正7)年には浅草の「河金」でカツカレー。1927(昭和2)年には東京・深川の「名花堂」でカレーパン。「アレンジし放題」です。

材料を輸入し、それを加工して日本特有のものにするという技術は、工業だけでなく食の文化にも当てはめることができそうです。

読むだけでカレーが食べたくなる記事です。記事「これほど日本人がカレー好きなのにはワケがある」は、「日本ビジネスプレス」、ダイヤモンド社の「ダイヤモンドオンライン」、講談社の「現代ビジネス」の3媒体が共同で開いた特設サイト「食の研究所」の「食の源流探訪」というシリーズの初回にあたります。日本人の定番食を毎月とりあげ、その定番になるまでの流れをひもといていきます。

記事はこちらからどうぞ。
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進化学の祖「失われた環」を懸念
進化学の世界には、「失われた環」という存在があります。英語で「ミッシング・リンク」つまり“Missing Link”ともいいます。

いま地球上にはさまざまな生物がいます。これは生物の進化のなかでの“最新状況”ということができます。

いっぽう、地球上のさまざまな場所では化石が発掘されています。化石を見れば、むかしの
生物はこんなかたちをしていて、こんな生活を送っていたのか、ということがわかります。“大昔の状況”がわかるわけです。

しかし、進化学には大きな謎がまだ残されているといいます。その謎は、進化学の祖チャールズ・ダーウィン(1809-1882)みずからが気づいていたものでした。

チャールズ・ダーウィン

ダーウィンは著書『種の起源 第6版』のなかで、ミッシングリンクのことを触れています。

「かつて存在した中間変種の数は実に膨大であるに違いない。では何ゆえ、あらゆる地質累積やあらゆる地層はこのような中間的連結環で満たされていないであろうか」

“最新状況”はいまの生物の様子でわかる。“大昔の状況”は生物の化石からわかる。しかし、その中間を埋めるような証拠品がなかなか見つからない。このことを、ダーウィンは気にかけていたのです。

大昔の生物から最新の生物に至るまでには、生物は世代を重ねるごとにすこしずつ進化していったと考えられます。しかし、その途中の状態をつなぐべき存在の化石が見つからないのです。

その存在が見つかったとき、大昔の生物から最新の生物へと進化をとげた過程が明らかになるわけです。

とはいえ、ミッシングリンクは発見されてきてもいます。ダーウィンの時代には、サルからヒトへの進化の系譜をつなぐリンクが失われていました。しかし、ダーウィンは、「将来、かならずヒトとサルを結ぶミッシングリンクが発見されるにちがいない」とも述べていました。

その後、アウストラロピテクス、ジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人、クロマニョン人の化石が発掘されています。これにより、サルとヒトの間のミッシングリンクはほぼリンクになったのです。

参考ホームページ
創造論/進化論の学術的研究「進化論の本質」
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知的財産に“学官産”の歴史あり(4)
高橋是清らの尽力により、1885(明治18)年、「専売特許条例」が制定されました。日本の特許制度はこれで再出発しました。

専売特許条例の公布を受けて、日本で初めて特許を得たのは、堀田瑞松(1837-1916)という人物でした。

堀田は1837(天保8)年、但馬(いまの兵庫県豊岡市)で生まれました。堀田の家は、刀の鞘の塗師として生計を立てていました。若いころの堀田は「寸松」の名。22歳になると京都へ向かい、鉄筆とよばれる小刀一本で木彫りをする鉄筆一刀彫を極めました。

堀田は、この技法を駆使して漆の厚板に絵を彫り、紫檀の置物台をつくりました。そしてこれを孝明天皇に献上しました。紫檀の置物台を受けた孝明天皇から堀田は、めでたい意味のある「瑞」という字を名前の一部として賜りました。これにより堀田の名は「寸松」から「瑞松」になりました。

その後、漆工芸家として成功していた堀田は、「専売特許条例」が施行されたころ、国が船の塗装技術で大きな課題を抱えているという話を聞きました。

当時の鉄製の船は、海水による船底のさびがひどく、約半年ごとにドックに入れて塗装をしなおさなければなりませんでした。防さびの技術が開発されれば、船をひんぱんにドックに入れる必要がなくなります。

そこで堀田は、漆を主成分とする塗料を船底に塗ってみてはどうだろうかと考えました。そして、海軍省の横須賀造船所のほうへと出向き、実際の海軍の船を使って塗装の試験をしました。

1885(明治18)年7月1日、高橋是清が所長だった専売特許所に特許を出願し、1か月後の8月14日に特許権を得たのでした。

以下が、堀田の出願した特許の中味です。

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一、堀田錆止塗料及ビ其塗法

右ハ私ノ發明ニシテ従来世上ニ使用セラレザル塗料及塗法ナルハ勿論一切御條例ニ相觸候儀無之且此願書及別封明細書ニ記載セル事實ニ相違之廉無之段確信候間拾五箇年ヲ期限トシ専賣特許證御下付相成度依テ御免許料金貳拾圓相添此段奉願候也
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塗料には、「第一號」から「第四號」まであり、それぞれ主成分である「生漆」のほか、「鐵粉」「鉛丹」などが含まれています。さらに、種類によっては、「柿澁」「酒精」「生姜」「酢」などがわずかに含まれていました。これらの材料で、膜割れを防いだり、層と層の付着をよくしたりしたのです。

この「堀田錆止塗料及ビ其塗法」を皮切りに、日本の産業を支える企業家たちが、つぎつぎと特許権を得ていきます。

豊田佐吉(1867-1930)は「木製人力織機」で、特許第1195号を得ました。その後も豊田は、布を織る速度を落とさずに横糸を入れることのできる「豊田自動織機(G型)」を発明。この特許権を、英国のブラット社に譲渡することで100万円を獲得し、自動車事業への資本金にしました。


豊田佐吉

御木本幸吉(1858-1954)は1896(明治29)年に「真珠養殖」で特許2670号を、高峰譲吉(1854-1922)は1901(明治34)年に「アドレナリン」で特許第4785号を、鈴木梅太郎(1874-1943)は1911(明治44)年に「ビタミンB1」で特許20785号を取得するなどしています。

知的財産権は、学を代表する福澤諭吉により紹介され、官を代表する高橋是清により花開き、そして、産を代表する民間出身者や企業家たちによって利用されていったのでした。

“産官学”ならぬ、“学官産”が、日本の知的財産権の定着化への流れとしてあります。了。

参考文献
特許庁「日本の十大発明家」
参考ホームページ
但馬の百科事典「堀田瑞松」
日本化学塗料「会社概要」
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知的財産に“学官産”の歴史あり(3)
福澤諭吉が紹介した特許権などの知的財産権の考えは、その後、国により知的財産権の制度の確立で実っていきます。

しかし、知的財産権という考えは、当時の日本人にとってはほぼ未知なるもの。浸透するまでには時間がかかりました。

元号は慶應から明治へ。行政は江戸幕府から日本政府へ。1871(明治4)年、日本初となる特許法「専売略規則」が、いまの内閣にあたる太政官から布告されました。

しかし、この日本初の特許法は、日の目を見ることがありませんでした。翌1872(明治5)年には廃止に。特許法がたちゆかなかった理由は、いくつかいわれています。

ひとつは、優秀といえる発明がほとんど生まれず、政府にとって特許の登録の手間ばかりがかかっていたというものです。

当時、政府の工部少輔という役職だった山尾庸三(1837-1917)という人物が、当時の最高官庁である「正院」に、つぎのような廃止の伺いを立てています。

「障害多クテ効益少ク右規則施行之時未到儀相考申候」

発明に対して特許権をあたえるべきかどうかを審査する人材が不足していたという理由もあげられます。福澤諭吉が『西洋事情』で特許権を紹介してからまだ3年。いまより情報伝達の速度がはるかに遅い明治においては、審査のしかたについての情報や知識がじゅうぶんに広まっていなかったのでしょう。

そんななか、専売略規則が廃止されたころに官の道に入ってきた若き青年がいました。高橋是清(1854-1936)です。

高橋是清(中央)と家族

高橋是清は、1854(安政元)年、江戸の芝露月町で生まれました。少年期に、横浜に居を構えていたジェームス・カーティス・ヘボンに学びました。その後、渡航費の着服被害に遭うなど苦労しながらも、米国への留学を果たします。

1874(明治7)年、文部省官僚になってまもなかった高橋は、培ってきた英語力を発揮すべく、文部省の雇われ米国人デビッド・モーレーの通訳をしていました。

高橋は、モーレーから、日本の知的財産権制度の遅れをつぎのように指摘されたといいます。

「外国人は、日本人が外国品を真似たり、商標を盗用して、模造品を舶来品のようにして販売していることを非常に迷惑に思っている。米国では発明、商標、版権の三つを智能的財産(Three intellectual properties)と称して最も重要な財産としている。日本でも発明・商標を保護する必要がある」

この指摘を受けた高橋は、知的財産権の重要性を思いしり、海外の制度の研究などを始めました。

しかし、特許権の制度をあらためて導入しようとする高橋に対して、農商務省の農、商、工担当の各局長から、特許制度導入に反対の意を唱えられたといいます。高橋は、受けた反対の理由をこうふりかえっています。

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その理由を摘んで申せば、専売特許は本邦人の特徴たる模造偽作の自由を阻壓する、従って国内の製造業の促進を妨げ、これがために被る国家の不利益は言うべからざるものがある。その事は外国に関する故、一応外務当局者をして外国の了解を求めしむる必要があるというような論旨であった。これは私の少しも予想しておらなかったことである。
―――――

当時の日本人は、「模造偽作」つまり、本ものをまねて偽ものをつくることが特徴であると考えられていたことがうかがえます。

知的財産権にまだ慣れない産業側に説得を重ねるなど、知的財産権の必要性を高橋はその後も訴えつづけました。

モーレーの指摘から10年後の1884(明治17)年に、まず知的財産権のひとつである商標権を制度化した「商標条例」が発布されました。つづいて1885(明治18)年に、まえの「専売略規則」では日の目を見なかった特許権をあらためて制度にした「専売特許条例」が制定されました。

これらの法律の成立にあわせて、順に、農商務省工務局に「商標登録所」と「専売特許所」が置かれるようになりました。高橋は、両方の組織の初代所長に就いています。のちに、これらの組織は統合され、「特許局」そして「特許庁」へと呼び名が変わっていきます。そのため、高橋は「初代特許庁長官」とされています。

その後、高橋は1906(明治39年)、いまの三菱東京UFJ銀行にあたる横浜正銀行の総裁に、1911(明治44)年には日本銀行の総裁に、1921(大正10)年には、総理大臣へと地位をのぼっていきました。

参考文献
高橋是清「特許局の思出(要旨)」

参考ホームページ
特許庁「産業財産権制度の歴史」
経済産業省「特許の歴史を旅しよう」
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知的財産に“学官産”の歴史あり(2)

世界に目を向けて見ると、特許権という考えは欧州で発展しはじめました。

イタリアでは1443年、イタリアのヴェネチアを統治する君主が、アントニウス・マリニという人物の「水なしで動く製粉機」の開発に対して、世界初とされる特許権をあたえました。1474年には、世界最古の文章化された特許法として「発明者条例」が公布されています。

英国では、為政者が利益を得る目的で特許権をあたえたのが始まりとされています。

1561年に、女王だったエリザベス一世が、「独占的実施権」という権利を公布しました。エリザベス一世は、英国で輸出産業を興すために、毛織物の技術を高めて輸出することを考えました。

そして、毛織物技術の発達していない英国で技術を高めるより、ヨーロッパ大陸のフランドル地方で毛織物をしている職人の技術に頼ったほうがよいと考え、職人たちを英国に招き入れました。エリザベス一世は、この職人たちに、「毛織物の生産と販売を独占的にしてよい」という権利をあたえたのです。

職人たちは、独占的に毛織物を作り儲ける見かえりに、エリザベス一世に上納金を納めたのでした。

英国では、この方法が加速します。「もっと上納金がほしい」と考えた英国王室は、毛織物の生産と販売にかぎらず、さまざまな職業に対してもおなじように独占的に製造と販売を行なうことのできる権利をあたえていきました。

そして1624年、英国議会は「専売条例」という法律を定めました。この法律では、発明をしたことと、新しい事業を始めることにかぎって、特許権をあたえられるようになりました。この専売条例の公布が、いまの知的財産権の基本的な考えにつながっているといいます。

そのほかの欧米の国々でも、米国では1790年、フランスでは1791年、ドイツは遅れて1877年にそれぞれの国の特許法が成立しています。

欧州で根付いていった特許権の概念が日本にもちこまれたのは、1860年代、江戸から明治へと時代が変わりゆく時期でした。広めたのは福澤諭吉(1834-1901)です。

1860(万延元)年、サンフランシスコに渡航中の福澤諭吉。左は、米国人少女テオドーラ・アリス

諭吉は、1834(天保5)年、大坂で藩士の子として生まれました。20歳の前半、長崎へと向かい、蘭学を学びました。大坂の蘭学医だった緒方洪庵の適塾にも入り、さらに蘭学を学びます。

そして、20歳代なかばで、江戸へと向かいました。26歳のとき、西洋文化が入りはじめた横浜の様子を見て「蘭学は役に立たない。これからは英学だ」と思うようになったといいます。

それから1年後、1860(万延元)年には、日米修好通商条約の批准書を交換する遣米使節団の一人として、咸臨丸に乗り米国へ。はじめて、西洋の文化を肌身で感じることになりました。

その後も、諭吉は1861(文久元)年から1862(文久2)年にかけて、幕府使節団のひとりとしてフランス、英国、オランダ、ドイツ、ロシア、ポルトガルを回り、西洋の事情に精通していきます。

西洋の各国での見聞を、諭吉は『西洋事情』という本にしました。この中の「外編」という編で、諭吉は「發明の免許」として特許権のことを紹介しています。

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世に新發明の事あれば之に由て人間の洪益を成すこと擧て云ふ可らず。故に有益の物を發明したる者へは、官府より國法を以て若干の時限を定め、其時限の間は發明に由て得る所の利潤を、 獨り其發明家に附與して、以て人心を鼓舞するの一助と爲せり。之を發明の免許(パテント)と名づく。

譬へば爰に一士人ありて、水の漏らざる布を製することを發明すれば、則ち國法に由て若干の時限の間は獨り此布を製して利を得べしとの免許を受け、此免許を以て私有の産と爲す。抑も獨り物を製して獨り其利を專にするは、壟斷の利を占めて他人の損を爲すに似たれども、其發明に由て世の裨益たること大なるが故に、世間の爲めに謀りても、其所得は所損を償て遙かに餘あり。
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上の最後の文で、諭吉は、特許権を独占することによる「他人の損」と「世の裨益(世への役立ち)」をくらべています。「所得は所損を償て遙かに餘あり」と、特許権は世のためになると述べています。

こうして、日本の知的財産権は、日本の学問を築いた一人、福澤諭吉からとりいれられたのでした。つづく。

参考ホームページ
特許庁「産業財産権制度の歴史」
Japan On the Globe「国際特許戦争の罠」
デジタルで読む福澤諭吉
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知的財産権に“学官産”の歴史あり(1)


ある人が、努力のすえに、なにかを発明をしたとします。「これは、いままで誰もつくってこなかった、まったく独創的な発明品だ!」。

この時点で、この人は“知的財産”という財産を得たことになります。「財産」というとお金や土地などの、かたちあるものが思いうかばれがち。いっぽう、知的財産とは、人があれこれと考えた成果に対して付けられる価値のことです。

発明するために、あれこれと努力して考えたことに対して、社会は「それも価値があることだ」と認めているわけです。

この知的財産は、多くの場合、ただ黙っていては、ほかの人に「いい発明ですね」と使われてしまいます。自分が努力して考えたことで財産を得たのに、それを勝手に使われてはもったいない。

そこで、自分の知的財産をもっていることを権利にしようとする考えが生まれます。これが知的財産権とよばれるもの。

知的財産権のおもなものは、特許権です。人が発明をしたものを「勝手に利用されたくない」と思ったとき、「これは私の発明です。つきましてこの発明を守る権利を私にあたえてください」と国に対して申しこむわけです。

国はこの申しこみを受けると、「新しいものだろうか。進歩性のあるものだろうか。産業で利用できるものだろうか」といったことを審査します。その結果、「これの申しいれは、知的財産の権利をあたえるのにじゅうぶんだ」と判断すれば、晴れてもうしこみをした人に「特許権」という権利があたえられます。

発明に特許権がつくと、権利をもった人は、その発明をもとにしたものを作ったり、ものを使ったり、そのものを誰かにわけあたえたりすることを独りじめすることができます。

いまの日本の法律では、特許権が認められると、特許を得るために国に申しこみをしてから20年間、その権利を使うことができるようになっています。

知的財産権そのものを、「とてもよくできた人間にとっての知的財産だ」と言う人もいます。

日本で、知的財産権という考えかたはどのように生まれたのでしょう。福澤諭吉が海外から持ちこんだといわれています。つづく。
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尺度の変更でマグニチュード「8.8」そして「9.0」へ


(2011年)3月11日に太平洋沖で起きた巨大地震では、地震の規模を示すマグニチュードについて、気象庁は「9.0」と発表しています。

このブログの3月11日(金)付の記事「日本の気象庁は『気象庁マグニチュード』を採用」で、「モーメントマグニチュードと似ていながら、若干異なるマグニチュードを日本の気象庁は使っています」と伝えました。

しかし、気象庁は3月13日(日)にマグニチュードを9.0とすると発表した資料「『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震』について(第15報)」のなかで、「ここで示す地震の規模は、CMT解析によるモーメントマグニチュード(Mw)」と注釈をつけています。

「マグニチュード9.0」は、ふだん気象庁が採用してきた「気象庁マグニチュード」はあてはめず、べつの「モーメントマグニチュード」をあてはめたものであるということです。

なお、「CMT解析」とは、「セントロイド・モーメント・テンソル(Centroid Moment Tensor)解析」のことで、地震の位置、規模、発生のしくみを同時に求める方法のことです。

また、“Mw”の“M”は「マグニチュード」のこと。“w”は、“mechanical work accomplished”という用語の“work”からきたもの。この用語は、日本語に直訳すると「完遂された力学的仕事」となります。

「モーメントマグニチュード」は、世界的に広く使われている地震の尺度です。気象庁はホームページで以下のような説明をしています。

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地震は地下の岩盤がずれて起こるものです。この岩盤のずれの規模(ずれ動いた部分の面積×ずれた量×岩石の硬さ)をもとにして計算したマグニチュードを、モーメントマグニチュード(Mw)と言います。(中略)その値を求めるには高性能の地震計のデータを使った複雑な計算が必要なため、地震発生直後迅速に計算することや、規模の小さい地震で精度よく計算するのは困難です。
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規模の小さい地震で精度よく計算するのが困難だったため、気象庁は独自に開発した「気象庁マグニチュード」という尺度を使ってきました。しかし、今回の巨大地震では、尺度を「モーメントマグニチュード」にしたわけです。

気象庁は、今回の巨大地震について、直後に発表した7.9から、8.4へ、8.8へ、9.0へとマグニチュードを変更してきました。

このうち、8.4から8.8への変更のとき、「気象庁マグニチュード」から「モーメントマグニチュード」に変更されたようです。地震学者の島村英紀さんは、自身のホームページでつぎのように述べています。

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今回の大地震(東北地方太平洋沖地震)で気象庁が発表したマグニチュード9というのは、気象庁がそもそも「マグニチュードのものさし」を勝手に変えてしまったから、こんな「前代未聞」の数字になったものだ。

17時30分にマグニチュード8.4からマグニチュード8.8に変更された。このマグニチュード8.8は「モーメント・マグニチュード」の数値である。モーメント・マグニチュードは気象庁マグニチュードとは違い、「地震の震源で、どのくらい大きな地震断層が、どのくらいの長さで滑ったか」を解析して求めるマグニチュードだ。気象庁マグニチュードとは決定の原理が違う。気象庁マグニチュードではこのような大きな数値は出ない。
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気象庁が使ってきた「気象庁マグニチュード」は、小さな地震をすぐにはかるのには向いています。いっぽう、これほどの巨大な地震をはかるのには、向いていないようです。

あまり大きくは伝えられていませんが、マグニチュードが8台と9台では、行政や市民の受ける印象も大きく変わってきます。

参考文献
気象庁2011年3月13日発表「『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震』について(第15報)」

参考ホームページ
気象庁「地震について」
島村英紀のホームページ「2011年3月21日に追記2。東日本を襲った巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で」
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だれも無理をしない結果、ものが買われなくなる。
 福島第一原子力発電所のまわりにある県の野菜や牛の原乳などから、法律で定められた規制値をこえる放射性物質が検出され、出荷停止の対象が広がっています。

出荷停止の措置とはべつの問題として、いわゆる“風評被害”の問題も起きはじめていると報じられています。

「風評」とは、世間の評判やうわさのこと。今回の場合、規制値をこえる放射性物質が検出されていない地域の野菜や牛乳でさえ、スーパーマーケットなどで客が買おうとしなくなることが考えられます。

生産者と消費者は、野菜や牛乳などの“もの”を通じて結ばれるもの。しかし、風評の問題がおきると、立場のちがいが際だってしまいます。

店の棚にならんでいるものを、消費者は買う買わないか、選ぶことができます。店側から「1人につき5個限定」といった制限がかかることもありますが、それは店が決めた独自ルールであり、ほとんどの消費者は「売る側がそういうならしかたない」と受け入れます。

いっぽう、「お店に入ったお客さまは1人につき1個、かならずこの品を買わないと帰れません」といった独自ルールを客に課す店はありません。その日は売上が立ったとしても、「そんなこという店は、二度と行くか」と客に言われる危険性が高いからです。

消費者には、基本的に「買わない自由」があるわけです。

では、出荷停止を受けた県のとなりの、出荷停止になっていない県から届いたものと、まったく遠くの地域から出荷停止や関係する影響とは無縁の県から届いたものがある場合、消費者はどちらを選ぶでしょうか。

多くの消費者は、「出荷停止になった県のとなりの県から届いたものは、ふだんより放射性物質の値が高く含まれているのではないか。だったら、遠い県でつくられたものを買っておこう」と判断するのでしょう。そこまで、思慮深く考えずに、ただ直感的にそう判断する場合が多いでしょうが。

ひとりやふたりが、そのような判断をして、ものを買わないということであれば、経済的な影響は大きくありません。しかし、消費者の多くが出荷停止についての情報を得るのは、マスメディアを通じてです。

マスメディアは、政府が発表した出荷停止の措置を市民に伝えることを役割とする立場です。そして、「基準値を超えたものを食べても、ただちに健康の被害はない」という解説を加えながら、事実として「出荷停止の処置を受けた県もある」とういことも伝えるわけです。

消費者もマスメディアも、立場的に無理をしていません。しかし、結果として、規制値を超えていないものも買われないという事態が起きてしまうわけです。

いまのところ、風評被害に対する対策の主流は、国や自治体などの行政が、被害を受けた人に補償金を払うことにあります。これまで何度も風評被害が起きているにもかかわらず、ほかの有効な対策がないという点に、被害を抑えることの難しさが見えます。
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震災後は脳卒中の危険性も増加
 きのう(2011年3月21日)の記事では、日本心臓病学会が震災直後の心臓病に注意をするようよびかけているという情報を載せました。

震災が起きたあとは、ほかの病気になる危険性が高くなることも研究調査によって明らかにされています。

1995年の阪神淡路大震災の前後では、被災地のひとつ、北淡町の住民を対象に、脳の血管が詰まったり破れたりする脳卒中にかかる人数がどれだけ変化したかを見る調査が行われました。

調査では、震災のあった1995年1月から4月までと、震災前年1994年の1月から4月までで、脳卒中になった住民の人数がくらべられました。結果、5時から11時、11時から17時、17時から23時、23時から5時の四つの時間帯で、いずれも震災後のほうが脳卒中になる人の数が前年をうわまわる結果となりました。

時間帯別で、とりわけ差が出たのは夜中から午前中です。23時から5時にかけて脳卒中になった人の数は、1994年の6人に対して1995年の11人。また、5時から11時にかけての時間帯では、1994年の15人に対して、1995年の21人となりました。

おなじ調査では、心臓をとりまく血管に異常が起きる冠動脈疾患についても、夜中から午前中で、1995年のほうが前年よりかかる人の率が多くなりました。

脳卒中と冠動脈疾患のいずれも、一般的にストレスが発症の要因になることがしられています。ストレスが起きると血圧が高くなり、それにより血管内の血の固まりがはがれ、それにより血管が詰まる、といったことが起きるのです。

血圧は、目が覚めて起きるときに高くなることがしられています。震災によるストレスが加わると、この傾向に薄謝がかかることが考えられます。

大きな震災が起きたあと、ストレスを軽くすることそのものがむずかしい状況がつづきます。

避難所では夜、電気を消してすこしでも被災者が眠れる環境を整える。可能であれば、プライバシーを確保できる環境を整える。また、血圧測定をこまめに行なう。これらのことが、大切といわれています。

参考文献
苅尾七臣「大災害時の心血管イベント発生のメカニズムとそのリスク管理」
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「急な息苦しさなどにご注意」日本心臓病学会がよびかけ
日本心臓病学会が、東日本の太平洋沖で起きた大地震の被災地の方々へ、緊急のポスターをつくりました。

この学会は、心臓病の実際の治療を中心テーマとして、関係する問題について研究したり、若手医師に教育をしたりしている組織です。会員数は約9千人。

ポスターには3種類あります。



ひとつめは「被災地のみなさま 心臓病学会からの連絡」という見出しのもの。

「急におこった息苦しさ」「急におこった胸の痛みや圧迫感」「冷や汗をかいたりはきけがする」「動悸がして、脈がはやい(毎分100回以上)」「気が遠くなる感じや、気を失った」「急に足がむくみ、痛みやだるさがある」といった症状がでたときは、医師に相談するようよびかけています。

また、心臓病の治療をしている方々に対して、「(薬の)内服が不定期になりやすい」として注意しています。具体的には「人工弁手術などでワルファリンを服用中」「冠動脈にステント治療をしている」「高血圧で3種類以上の薬をのんでいる」「心不全で治療を受けている」といった方々は注意が必要といいます。


ふたつめは「災害時にはエコノミークラス症候群に注意してください」という見出しのもの。

エコノミークラス症候群は「肺塞栓症」ともいいます。長時間、足を動かさずおなじ姿勢でいると、足の深部にある静脈に「血栓」という血の固まりができ、これが肺の血管を詰まらせます。

飛行機のエコノミークラスの乗客が姿勢を変えないことでよく起きることから、このようによばれています。しかし、エコノミークラスの座席だけでおきるわけではありません。

同学会は予防をよびかけています。要点は、「長時間にわたって同じ姿勢を取らない」「できる限り、こまめに水分を補給する」のふたつ。


みっつめは「災害時には、ストレスによる心臓病(たこつぼ心筋症)に注意してください」という見出しのもの。

「たこつぼ心筋症」は、災害後などに過度のストレスを受けた人がかかりやすい心臓病のひとつ。同学会の説明によると、心臓の筋肉が収縮しにくくなり、正常に血液を送りだすことができなくなる状態を指します。

「胸の痛み」「胸に強い圧迫感」「呼吸困難」が起きたときは、医師に相談してくださいと、よびかけています。

日本心臓病学会のホームページにも、「被災地の皆さま 循環器学会・心臓病学会からの連絡」として、ポスターが紹介されています。こちらです。
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最接近と満月が重なって「スーパーフルムーン」

米国航空宇宙局(NASA)によると、(2011年)3月19日(土)、地球と月の距離が最も近づく日です。

地球と月の平均の距離は約38万4000キロメートル。いっぽう、今回の最接近では、35万6577キロメートル。約2万8000キロメートル近づくことになります。

また、もっとも離れているときは約40万5000キロメートルなので、これにくらべると約4万8000キロメートル近づくことになります。

月は地球のまわりをまわっています。その軌道は完全な円ではなく、楕円です。

月が地球を一周する時間、つまり公転周期は、27日と7時間43分12秒ほどです。27日と7時間ほどで、楕円軌道を描きながら、地球のまわりを一周しているわけです。

ではなぜ、「地球と月の距離が最接近」が、27日ぶりでなく、19年ぶりになるのでしょうか。

NASAのホームページに出ている見出しは、“Super Full Moon”、つまり「スーパーフルムーン」。そしてつぎのような説明があります。

「3月19日、めずらしい大きさで美しい満月が、日没のころ東から昇ってくるだろう」

つまり、ここで大切なのは「満月である」ということです。

月は地球のまわりを27日と7時間で楕円軌道で公転しているので、この27日と7時間のいずれかあいだに、地球との距離がもっとも近づく瞬間と、もっとも遠ざかる瞬間があってもよいはずです。

このうち、もっとも近づく瞬間と、満月が重なることで、NASAが「スーパーフルムーン」とよんでいる月が見られるようです。

NASAのホームページでは、主任研究者のジェームズ・ガービン博士が、「スーパーフルムーン」でなく、「スーパームーン」の定義について、こうこたえています。

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「スーパームーン」は、軌道上の月が地球に平均よりわずかに近づいたときの状況のことであり、その効果は満月と同時に起きたときにもっとも気づかれやすいです。
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なお、日本の天文研究機関である国立天文台では、2011年3月19日の月の最接近については、とくに情報を出してはいません。

参考ホームページ
NASA“Super Full Moon”(英文)
NASA“Goddard's Chief Scientist Talks About the 'Supermoon' Phenomenon”(英文)
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電力使用量、時代ごとに大きく増加
危機がおきてからの対応には、応急処置と長期計画があります。

福島第一原子力発電所で起きている放射性物質流出事故では、放射線を発する燃料を冷やしたり、電力系統を回復させたりすることがきわめて重要な応急処置となります。

応急処置についての予断はゆるしません。さらに今後、話題になってきそうなのはこれから先、電気の供給は大丈夫なのだろうか、という問題です。

この問題を考えるとき、1年間の電気の使われ方を示すグラフが参考になります。



電気事業連合会調べ。1975年と1985年度は9電力計。ほかは10電力計。『エネルギー白書2010』より

電気エネルギーが大量に使われるのは、温度を高めるたり低めたりするときです。つまり、暖房や冷房を使うと、電気エネルギーも多く使われます。

3月から5月にかけての春の時期は、10月から11月にかけての秋の時期とならんで、電力はどちらかというと使われない時期になります。これは、明らかにあまり暖房が使われないためと考えられます。

例年、電力の需用量が頂点を向かえるのは、8月です。おもに冷房を使うからです。正念場をむかえるのは、むしろこれからとなります。

いっぽうで、電気の需要は時代ごとに高まってきていることもわかります。

1965年は、どの月も1万1000万キロワット時あたりを推移していました。これは、まだ社会全体がそれほど電気を使うことが少なく、冷房や暖房もあまり普及していないかったことが考えられます。

注目すべきは、1995年度と2000年に入ってからの年度のグラフです。1995年度、もっとも多く電気が使われたのは8月。このとき8月の電力使用量は、729億6200万キロワット時でした。

いっぽう、2008年4月の電力使用量は、720億450万キロワット時。これは1995年にもっとも使われた月である8月とほぼおなじ量になります。

15年前とたたないうちに、もっとも電力が使われた月の電力使用量が、あまり電力が使われない月の電力使用量とほぼおなじになっているわけです。

1995年といえば、阪神大震災があった年。あのころとくらべて、「電気を使うようになった」という実感がわきにくい人のほうが多いのではないでしょうか。しかし、日本はその後も確実に電気を多く使いつづけています。

時計の針をもとに戻すことはそうかんたんではありません。夏場にかけての電力需要の高まりを、どう乗り越えていくかが、国、電力企業、そして市民にとっての大きな長期計画の課題となりそうです。

参考文献
『エネルギー白書2010』
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2011年3月18日(金)日本学術会議で「今、われわれにできることは何か?」

緊急の催しもののおしらせです。

(2011年)3月18日(金)「今、われわれにできることは何か?」という科学界、産業界、メディア関係者などの方々に向けた緊急集会が、東京港区の日本学術会議講堂で開かれる予定です。時間帯は、15時から17時まで。

日本学術会議は、科学についての大切な課題を話しあったり、研究のつながりを進めたりする役割をもつ組織。総理大臣の所轄の下にありながら、政府からは独立しています。

開催趣旨は以下のとおりです。会長の金澤一郎さんの名前で伝えられています。

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このたびの史上最悪となりました東北関東大震災に直面し、科学者の立場から国民に対し何がしかのメッセ―ジを発するべきではないかとお考えの方もおいでのことと思います。

わが国の学術は厳しい自然環境との戦いの中で発達してきたといえます。今回の災害は、人類の幸せを追及することを目的として精進してきたわれわれ科学者に自然の力の強さを見せつけ、科学・技術の力の限界をあらためて認識させる結果となりました。

また、自然災害の二次災害である原子力発電所からの放射性物質の漏出については、我々科学者に大きな課題を残すこととなりました。

災害の復旧、原発の修復に献身的に努めておられる関係者の方々に心から敬意を表するとともに、我々は学術の立場から今後どのような貢献ができるのか、我が国のこれからを見据えた復旧へのメッセージを国民に伝えることが求められています。

このような状況に鑑み、大変急なことではありますが、科学界、産業界、メディア関係者などの方々との意見交換を行う機会を持ちたいと考えております。交通網が完全に復帰していない状況ではありますが、以下のとおり非公式な会合の場を設定いたしました。万障お繰り合わせのうえ、ぜひご参集下さいますようお願い申し上げます。
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2011年3月18日(金)15時から17時まで、東京都港区六本木7-22-34の日本学術会議講堂で開かれる予定です。

日本学術会議は「御参加の方は、以下の連絡先まで御連絡ください」と発表しています。
日本学術会議事務局 審議第二担当 Email: s253@scj.go.jp Tel: 03-3403-1056

日本学術会議によるおしらせはこちら。

今後の電力状況などから、変更される可能性もありますので、最新の情報にご注意ください。日本学術会議のホームページはこちら。
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原産協会が福島原発の状況を一覧表で公表
 福島第一原子力発電所では、1号機から4号機までの炉心が壊れており、注水など炉心を冷やすための作業がつづいています。

日本原子力産業協会は、「福島原子力発電所の状況」という一覧表を随時発表しています。

この協会は社団法人で、原子力についての調査研究や知識交流などをはかる機関です。定款の「事業目的」に、「わが国の国民経済と福祉社会の健全な発展向上に資することを目的とする」とあり、基本的に原子力発電を推進する立場で活動をしてきました。

同協会は、事故以前からマスメディアに対してこまめに原子力関連情報を発信しつづけてきました。大手新聞社を含む複数の報道機関やフリーランスの記者が同協会からの情報を頼りにしてきました。

一覧表の発表は、3月16日(水)19:00時点で第7版まで。一覧表では、福島第一原子力発電所の1号機から6号機まで、それに福島第二原子力発電所の1号機から4号機までの状況を、公開情報をもとにまとめたもの。

「炉心燃料健全性」「格納容器健全性」「使用済み燃料プール内の燃料健全性」といったそれぞれの項目について、重要度を「低」(緑色)「高」(黄色)「深刻」(赤色)にわけて表示しています。この重要度は、日本原子力産業協会の評価によるもの。

同協会は事故発生以降、海外向けに英語で、福島第一と第二の原子力発電所の各機の状況を発信してきました。この日本語版もつくり、公開しているもの。

(2011年3月)15日(水)は、更新が3回。情報の速報性は、ラジオやテレビのニュースなどがまさります。いっぽう一覧性では、この情報がまさっています。

福島第一原子力発電所の事故情報のお知らせは、日本語版、英語版とも、日本原子力産業協会のニュース一覧からリンクが貼られています。入口はこちらです。
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「東京-ニューヨーク間0.1ミリシーベルト」は宇宙に近づくから
※2011年3月16日(水)20:30まで、この記事で「ミリシーベルト」を「マイクロシーベルト」と表記していました。マキさんよりご指摘をいただきました。
※また、「宇宙線」を「宇宙船」と表記していました。ミキ タイラーさんよりご指摘いただきました。とりわけ正確な情報を伝えるべきときに、不正確な情報を伝えてしまい申しわけありませんでした。お詫びして訂正いたします。


巨大地震から5日目。大きなできごとがたてつづけに起きています。こわいのは“慣れ”です。

(2011年3月)15日(火)には、福島第一原子力発電所から高濃度の放射線量が原発周囲から検出されました。

新聞やテレビで何度も出された図が、「マイクロシーベルト」や「ミリシーベルト」という値と、人体への影響との関係を示した「線量スケール」といわれるグラフです。

「シーベルト」は、人体が放射線を被爆する大きさの単位。放射線から身を護る研究で業績のあったスウェーデンの物理学者ロルフ・シーベルト(1896-1966)にちなんだ呼び名です。

放射線医学総合研究所は、線量スケールのくわしい図をホームページに載せています。さらに出典は、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR:United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation)2000年報告」「国際放射線防護委員会(ICRP:International Commission on Radiological Protection)2007年勧告」「日本放射線技師会医療被ばくガイドライン」などとなっています。

線量スケールでは、「0.1ミリマイクロシーベルト」がどれほど人体に影響をあたえるかのたとえとして、「飛行機で東京-ニューヨーク間を移動」というものがあります。往復すると、0.2ミリマイクロシーベルトとなります。

東京からニューヨークまで飛行機に乗っていると、なぜ0.1ミリマイクロシーベルトの放射線を体に吸収することになるのか。

放射線医学総合研究所の説明には「高度による宇宙線の増加」とあります。

宇宙には、高いエネルギーの放射線があります。これが宇宙線。大きな星の最終段階である超新星の爆発によってできるといわれています。

宇宙空間にある宇宙線は、水素の原子核である陽子、ヘリウムの原子核、炭素の原子核、窒素の原子核などでできています。

地球のまわりをとりまくオゾン層がかなりの宇宙線に歯止めをかけますが、それでも地球に入ってきます。地球に入る宇宙線は、陽子、中性子、中間子、また、電子、ガンマ線などでできています。

飛行機ほどの高さで移動すると、それだけ宇宙線という放射線がたくさん飛びかう空間に近づくことになります。そのため、たとえとして、飛行機に乗って長距離を移動したときに、人体が吸収する放射線の量が示されているのです。

参考ホームページ
放射線医学総合研究所「東北地方太平洋沖地震に伴い発生した原子力発電所被害に関する放射能分野の基礎知識」
長瀬ランダウア「放射線の基礎知識」
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危険の聞き方に注意
 東日本の太平洋沖で起きた大地震の影響で、福島第一原子力発電所の状況が心配されています。

テレビの報道などでは、刻一刻と変わる状況を司会者側が解説者側に問う場面が多く見られます。

ある番組内では、福島第一原子力発電所の状況について、ゲスト役が解説者役にこう質問をしていました。「それで結局、状況は危険なのですか。危険ではないのですか」。

この質問に見られるのは、「明確な説明を聞きたい。明確な結論を求めたい」というゲストの実直な思いです。報道を耳にしている多くの人びともおなじような思いがあることでしょう。

しかし、この質問には二つの論点が含まれています。

ひとつは、なにに対する危険であるかを明確にすべきということです。周辺住民の健康に被害が起きる危険なのか、東京のスタジオにいる自分自身の健康に被害が起きる危険なのか。

もうひとつは、危険とはつねに確率的なものとして考えるべきということです。危険というものを「ある」「ない」の二つだけの答えで話すのには、それこそ危険が伴います。

「危険」とは、「危害または損失の生ずるおそれがあること」を指します。そして、「おそれ」というものは、ほとんど「可能性」ということばとおなじです。

仮に、「状況は危険なのですか。危険ではないのですか」という質問に対して、「ある」「ない」でしか答えられないとすると、ほとんどの質問に対する答えは「ある」となってしまいます。

このような場合、「なにについて、どのくらい危険なのか」を問わなければなりません。そして、解説者はなるべくわかりやすく「どのくらい危険なのか」を説明することを努めなければなりません。できるかぎり、「どのくらいの影響」が「どのくらいの確率」で起きるのかを示すことが重要になります。

正確な情報が求められるなか、番組制作側は、司会者やゲスト質問のしかたについても、事前に指導をすべきです。
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大部分の電気は貯められない方式
東京電力は、東日本の太平洋沖で起きた大地震の影響で、供給地域で「計画停電」を行なう予定があることを発表しています。

いま、日本の市民や企業に使われている電気の多くは、「貯めて使う」という方法で使われるようにはなっていません。

これは、技術的に電気を貯めることが不可能というわけではありません。実際、乾電池では貯められた電気を使っているものですし、パーソナルコンピュータにも充電池があり、しばらくは電源なしで使うことができます。

しかし、電力企業などの電気事業者は、電気を貯めるような方式で市民や企業に電力を供給しているわけではありません。この方式にしてしまうとむだが多く、またそれに関係して、あまりに高く付いてしまうからです。

エネルギーは、いろいろな状態に姿を変えることができます。500円硬貨を20枚集めて「1万円」とするのも、1000円札を10枚集めて「1万円」とするのもおなじであるのと似ています。電気というエネルギーを充電池などに貯めようとするとき、いったん「化学エネルギー」というエネルギーに姿を変えます。

しかし、エネルギーの姿を変えようとするとき、どうしてもむだが生まれてしまいます。100の電気エネルギーを100の化学エネルギーに変えることはできません。

なるべく多くの電気エネルギーを化学エネルギーに変えようとすると、それだけ高い技術が必要になります。また、エネルギーを貯めるための装置を用意するにはお金がかかります。

仮に、1人が1日に使う電気をすべて単3乾電池から取りいれようとすると、5000本が必要になるといいます。

これらの理由で、発電所でつくられた電気エネルギーは貯めない方法で使われています。

そのため、電力会社は、過去の電気使用量などのデータから、「何曜日のこの時間には、このくらいの量が市民や企業に使われるだろう」と予測して、電気を供給しているわけです。

計画停電を計画している東京電力は、計画停電をする目的について、「今後予想されます電気の使用量に対し、供給力が大変厳しい状況にあることを踏まえ、予見性ないまま大規模な停電に陥らないよう」と(2011年)3月13日(月)21時に発表しています。

参考ホームページ
電気学会「公開シンポジウム『電気はどうやって運ばれるの? 大停電を防ぐには』質問回答集」
東京電力「需給逼迫による計画停電の実施と一層の節電のお願いについて」
(情報は変更・改訂される可能性があります)
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通信部員が被災直後の街を記録す

大災害が起きたとき、被災者はどこから情報を得ようとするでしょうか。

新潟県が2005年におこなったアンケート調査では、「ラジオから」が79.8%、「テレビから」が74.3%と高く、ほかは「県や市町から」の42.6%、「自分であたりを見回る」の32.3%とつづきます。

配送網が断たれやすい新聞は、もっとも被災者にとって頼りにならない情報源といえそうです。しかも、紙の新聞は、どれだけ早く情報を載せようとしても、すくなくとも1時間はかかるでしょう。

災害時における新聞報道の役割は、テレビやラジオのような“いまの情報”を伝えるのとは一線を画すことになります。

大震災を起こした地震のしくみなどを詳しく解説することはそのひとつでしょう。

しかし、新聞に載るのは、ことが起きてしばらく経ってからの“後づけ”的な記事ばかりではありません。新聞には、災害直後の状況をいち早く記録することができる力もあるのです。

きょう(2011年)3月12日(土)の読売新聞大阪版朝刊には、東北沖で起きた巨大地震の直後の宮城県気仙沼市の様子を撮影した写真が、2面、12-13面、23面、24面に、大々的に載っています。

安全は確保したのでしょうが、街に押しよせた津波とほぼおなじ目の高さで、津波に翻弄される車や浸水した家の写真が載っています。壊滅的な被害を受けた街と、それを見ている市民の背中を写した写真も見られます。

撮影時刻は3時30分台から4時30分で、地震が起きてから1時間ほどしか経っていません。

なぜ、新聞が地震直後の街の様子を撮影することができるのでしょうか。

新聞社は、県庁所在地や中核都市に総局や支局といった支部組織をもつほか、人口のあまり多くない市町村に「通信部」という拠点をもっています。

通信部に常駐している記者はたいてい一人。ふだんは、地域の催しものや、地元で有名な名人などを紹介する「地ダネ」とよばれる記事を書くなどしています。

気仙沼市にも、このような地ダネなどを書きながら日々を過ごしていた通信部記者がいたのです。巨大地震直後、カメラと通信用のコンピュータを手にし、気仙沼市の街を撮影したわけです。

この記者自身も、津波にさらわれそうになったことがわかります。地震が起きたときに気仙沼市にいなければ書けない記事を書いています。

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大津波が3階まで押し寄せた。宮城県では三陸沿岸の町を巨大津波が相次いで襲った。気仙沼市では多くの家や車が濁流にのみこまれ、流された。
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テレビやラジオでも、たまたま大災害が起きた地点に居合わせた記者やアナウンサーが、街の様子を電話で伝えることがあります。いっぽう、新聞にはいつどこで大災害が起きても、「誰かがその瞬間を記録する」という情報網を張りめぐらせているのです。

通信部などに詰めているのは、たいてい入社1年目や2年目の記者の役割。毛細血管のようなネットワークを擁する新聞の報道でしか伝えられない記事をつくるという大役を果たしたのでした。

参考文献
新潟県「新潟県民『危機意識アンケート』結果について」
読売新聞2011年3月12日(土)朝刊
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日本の気象庁は「気象庁マグニチュード」を採用


東北地方の太平洋沖で、マグニチュード8.8の巨大地震が発生しました。今回の地震の大きさは、世界で20世紀以降に起きた大地震のなかでも、5番目に匹敵するとされています。

地震の大きさを示す値が「マグニチュード」。「大きな」という意味をもつ“mag”と、性質や状態をあらわす名詞をつくるための接尾辞“-itude”からきています。“mag”は、「最大限」を意味する“maximum”の“max”などの語源でもあります。

1930年、米国の地震学者チャールズ・リヒター(1900-1985)がマグニチュードの概念を考えました。

リヒターが考えた当時のマグニチュードは、「地震の波の振れ幅が10倍大きくなると、マグニチュードが1上がる」という単純なものでした。

しかし、その後、より地震の姿を正確につかもうという目的のもと、各国でさまざまなマグニチュードの計算方法が開発されていきました。

よく聞くのは「モーメントマグニチュード」。日本の地震学者・金森博雄などが考えました。地震は断層のずれで起きます。このモーメントマグニチュードは、「断層面積」と「断層すべりの量」の積に比例します。

いっぽう、モーメントマグニチュードと似ていながら、若干異なるマグニチュードを日本の気象庁は使っています。気象庁は「気象庁マグニチュード」とよび、“Mj”で示される場合があります。Mは「マグニチュード」のこと、jは「ジャパン」のこと。

気象庁マグニチュードは、2003年9月以前と、以降で内容が異なります。

モーメントマグニチュードはたしかに物理的な計算で測れる便利な値でした。しかし、小さな規模の地震では計測しづらいなどの難点もありました。

そこでまず、1970年代後半、気象庁は地震の速度をはかれる地震測定器を導入して、地面の動く速度から地震を測定する方法を開発しました。これで求められる「速度マグニチュード」を従来のモーメントマグニチュード類似値(変位マグニチュード)とあわせて計算するような方法で、マグニチュードを算出したのでした。これにより、小さな地震の大きさも早くきちんとはかれるようになりました。

その後、地震測定の技術が進んだことにより、速度マグニチュードとモーメントマグニチュード類似値をより正確にあわせることができるようになってきました。また、地震計や置き場の一新があり、モーメントマグニチュード類似値が小さく観測されてしまう場合もみられるようになりました。

そこで、2003年9月、気象庁は新しい気象庁マグニチュードを導入することになりました。

それまで、速度マグニチュードと、モーメントマグニチュード類似値の差が0.5以上あるときは後者を優先し、0.5以上の差がないときは両者の値の平均をとって「気象庁マグニチュード」としてきました。

2003年以降は、過去の経験値から、速度マグニチュードをモーメントマグニチュード類似値とよりよく一致させるような計算式を生みだしたのです。これが、気象庁発表のマグニチュードとして、いまも使われています。

マグニチュードの計算方法は複雑。そのため、「マグニチュードが1増えると地震の大きさは32倍になる」「マグニチュードが2増えると地震の大きさは1000倍になる」といった大まかの目安がいわれています。

今回の東北沖地震のマグニチュードは8.8。阪神大震災のときが7.3。この差から、「阪神大震災の100倍以上の大きさ」という表現も聞かれはじめています。

参考ホームページ
気象庁2003年9月17日「気象庁マグニチュード算出方法の改訂について」
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書評『クロマグロ完全養殖』
「プロジェクトX」にもとりあげられるプロジェクトを、プロジェクトに関わった研究者たちが学術的に述べます。



日本人が食べるマグロのうち、わずか1.8%にしかならないのがクロマグロだ。しかし、クロマグロからとれるトロや中トロは、いまや高級食材となっている。

このクロマグロは「養殖」が行なわれてきた。しかし、養殖のうちでも「完全養殖」をすることは至難の技だった。

子どもの魚をべつのところからもってきて、いけすなどで大きく育てる。これは養殖のなかでも「畜養」とよばれる。いっぽう、「完全養殖」の条件は、はじめにべつのところから子どもの魚をもってきて育て、次の世代の卵をかえし、さらにその魚を育て、次の世代の卵をかえすことだ。

完全養殖に成功すれば、理論的にはそのいけすで何世代にもわたって魚を育てゆくことができる。天然ものを獲って魚の数を減らすこともなくなる。

ことクロマグロについては、完全養殖を行なうのはたいへんにむずかしかった。肌が敏感すぎて、マグロは網、壁、人の手などに触れるだけでかんたんに絶命してしまうのだ。もともとクロマグロは大洋を泳ぎながら生活する種だ。これを養殖することはむずかしい。まして完全養殖となればさらにむずかしい。

近畿大学水産研究所は2002年、クロマグロの完全養殖に世界で初めて成功した。本書は、この研究に携わった近畿大学の研究者たちが、それぞれの担当の研究成果などを書いたものだ。

クロマグロの完全養殖については、2002年の成功以降、NHKのドキュメンタリー番組や、ノンフィクション作家が書いた書籍などで広く伝えられた。いっぽう本書は、研究の側面からきわめて科学的に、クロマグロについてわかったことを報告している。

たとえば、ふ化して30日ぐらい経った魚では、夜、水槽の壁にぶつかって絶命してしまうことが多い。そこで、光を与えるべきかどうかを研究者は調べた。

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クロマグロ稚魚の生残率等に及ぼす明暗周期の影響を調べた。すなわち、32日齢の稚魚を3基の3トンFRP水槽に40尾ずつ収容し、12時間毎に150lxの照明をつけた明暗区、24時間明るくした恒明区、24時間暗くした恒暗区をそれぞれ設けて7日間飼育した。その結果、恒暗区の魚は飼育3日目にほぼ全滅し、12時間毎の明暗区でも飼育4日目の生残率は30%以下であった。一方、24時間明るくした恒明区は試験終了時に70%以上の高い生残率を示した。
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このような具合で、壁の模様のつけかたや餌の配合のしかたなどについても詳しく書かれてある。

論文調なので、“物語”を読みたい人は筋がちがってしまうかもしれない。だが、クロマグロ養殖の研究成果をまとめた本書には、またべつの価値がある。

『近畿大学プロジェクト クロマグロ完全養殖』はこちらで。
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獲って見るから「クロマグロ」


いきもののよびかたは、その地域の人びとの生活と深くかかわっています。

「クロマグロ」は、スズキ目サバ科に属する魚。体長は250センチ、体重は300キロにもなります。

卵からかえってから2週間ほど、体長1センチ未満のものは「仔魚」とよばれています。その後、2週間後から1か月ほどの段階では体長も1センチ以上になり「稚魚」として成長します。さらに、孵化から1か月以降になると、15センチにも成長し「ヨコワ」とよばれるようになります。

これら子ども時代を日本の近海で過ごしたマグロは、その後、北米の近海まで泳いでいき、そして7年経つと日本に戻り、その後、台湾の東あたりで過ごして仔づくりをするとされています。

クロマグロは、その名のとおり体の色は黒っぽいもの。とくに背中から尾びれにかけてはかなり黒くなっています。

しかし、クロマグロは最初から黒いわけではないようです。

英語でクロマグロのことを“Bluefin Tuna”といいます。直訳すると「青ヒレマグロ」となるわけです。

なぜ、日本で「クロマグロ」とよばれ、英語圏で「青ヒレマグロ」とよばれるのか。そこには、食文化が大きく関わっているようです。

クロマグロは、生きて海を泳いでいるときは、体の色が青みがかかっています。海外の切手でも青い魚として描かれています。

ところが、クロマグロは死ぬと色素が変化して、青かった背中や尾びれが黒くなるのです。

西洋人はクロマグロをたくさん食べてきたわけではありません。そのため、生きているクロマグロを観察して「あのマグロは尾びれが青いな。“青ヒレマグロ”とよぼう」と命名したのです。

いっぽう、日本人はむかしからクロマグロを獲って食べてきました。

釣りあげたクロマグロはやがて死に、魚河岸や市場でせりにかけられ、そして人びとによって食べられてきたわけです。

海のなかで泳ぐクロマグロを見るより、獲ったあとの死んだクロマグロを見る機会のほうが多かった。そのため、日本では「アオマグロ」でなく「クロマグロ」とよばれているといいます。

ほかにも日本人はクロマグロに「ホンマグロ」という別名を付けました。「やっぱりマグロはこれでなくてはね」という思いが伝わってきます。

参考文献
阿部宏喜『カツオ・マグロのひみつ』
参考ホームページ
水産総合研究センター「クロマグロが生まれてから漁獲され始めるまで」
WWFジャパン「マグロという生物:クロマグロ」
魚・水生生物の切手ギャラリー
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燃料電池利用エネルギーに新たな動き(下)

家庭用燃料電池コージェネレーションシステム「エネファーム」(ENE FARM)は2009年、都市ガスを供給する会社や石油を売ってきた会社などにより販売されるようになりました。

2011年に入って、エネファームを手掛ける企業の動きが活発になっています。

東京ガスは、電機メーカーが製造した燃料電池をエネファームとして販売しています。同社は1月、エネファームの新製品を4月から発売することを、共同開発したパナソニックとともに発表しました。

これまでの製品とおなじく、電解質に稿分子膜を使った「PEFC(Polymer Electrolyte Fuel Cell)型」です。日本語では「固体高分子形燃料電池型」ともよばれます。

新製品の特徴はおもに二点。ひとつは、エネルギーの効率性をよくした点。「定格発電効率」というエネルギーの効率性の値が、世界最高だった37%を上回る、40%になるといいます。

もうひとつは、価格を下げた点。システムの簡素化や小型化などによるもの。これまでより70万円、値下げして、希望小売価格2,761,500円となります。さらに、補助金などにより使用者の実質的な負担は100万円台なかばになる見通しです。

JX日鉱日石エネルギーも、エネファームを2009年から販売してきた企業です。同社は2月、2011年10月に「SOFC(Solid Oxide Fuel Cell)型」のエネファームを販売開始すると発表しました。

きのうの記事のとおり、SOFC型は電解質にセラミックを使う燃料電池で、日本語では「固体酸化物形燃料電池」とよばれます。

同社も、東京ガスに負けじと「世界最小・世界最高の発電効率を有する家庭用燃料電池コージェネレーションシステムです」と発表。この「世界最高の発電効率」は「45%」で「2011年2月24日現在、当社調べ」とのこと。価格は270万円程度を予定しています。

大幅に価格を下げた新機種の発売に対して、方式まで変えた新機種の発売。競争の熱は激化しています。燃料電池車の市場化がなかなか進まないいっぽうで、家庭で使う燃料電池はひろまりつつあります。

参考ホームページ
東京ガス2011年2月9日発表「家庭用燃料電池「エネファーム」の新製品発売について」
JX日鉱日石エネルギー2011年2月24日発表「家庭用燃料電池「エネファーム」のラインアップ拡充について」
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燃料電池利用エネルギーに新たな動き(中)
水素と酸素で電気をつくる燃料電池が実用化された例として、「エネファーム」(ENE FARM)という装置があります。

エネファームは、「家庭用燃料電池コージェネレーションシステム」とよばれる装置の愛称。エネルギーや化学関連の各企業が発売する製品の統一名称。いわば「ラガービール」のようなものといえます。

「エネファーム」(新日本石油2009年01月28日報道発表資料より)

燃料電池で電気をつくるには水素と酸素が必要。酸素のほうは、空気中に20%もあるため、わざわざつくる必要はありません。いっぽう、水素のほうは、都市ガスや灯油などから人工的につくりだす必要があります。

こうして水素と酸素によって発電をすると、副産物が生まれます。まず、水素と酸素が結びつくので、水が副産物としてできます。

そのほかに、もうひとつ、熱も副産物として生まれるのです。この発電したときの排熱も、熱エネルギーとして利用することができます。

「コージェネレーション」を英語にすると“cogeneration”。“co-”は「ともに」といった意味の接頭辞。“generation”には「生成」意味があります。

つまり、「熱と電気をともに発生する」という意味になります。エネファームは、熱と電気を同時につくることができるため、「コージェネレーションシステム」とよばれているわけです。

2009年に「エネファーム」という名前での発売が開始となりました。2011年3月現在、エネファームは燃料電池の「PEFC型」という型が採用されています。燃料電池には、いくつかの型があるのです。

エネファームで使われてきたPEFC型は“ Polymer Electrolyte Fuel Cell”の頭文字をとったもので、日本語では「固体高分子形燃料電池」とよばれます。水素イオンを負極から正極まで移動させる電解質に、高分子でできた膜が使われます。

PEFCは、燃料電池の主要な型としてエネファームなどに使われてきました。しかし、課題がないわけではありません。PEFCが水素イオンを移動させるという役割を果たすときの温度は70度から90度。この温度で高分子膜のはたらきを活発にさせるには、いまのところ貴金属の白金が必要なのです。

いっぽう、PEFC型の燃料電池にとって代わると有力視されているのが「SOFC型燃料電池」です。

SOFCは、“Solid Oxide Fuel Cell”の頭文字をとったもの。日本語では「固体酸化物形燃料電池」とよばれています。PEFCとのちがいは電解質にセラミックとよばれる、非金属の無機物質が使われている点。

セラミックを使うと、イオンが負極から正極にうつるための最適温度は、900度から1000度という高温になります。

熱を通しやすい特徴をもつセラミックもあります。とはいえ、温度を900度や1000度まで上げるのは大変なことです。

しかし、SOFC型がPECF型にくらべてまさっているのは、セラミックの電解質をよく働かせるための物質にニッケルなどの安い材料を使えるという点。

燃料電池の代表的な型は、このPEFC型とSOFC型です。ほかにも電解質になにを使うかによって、PAFC型(リン酸型)、MSCF型(溶融炭酸塩型)などがあります。

冒頭のとおり、エネファームで使われてきたのはPEFC型燃料電池。しかし、ここに来てあらたな動きも出てきているのです。つづく。

参考ホームページ
新日本石油2009年1月28日発表「家庭用燃料電池『エネファーム』の販売開始および普及に向けた共同宣言について」
日経BPネット「燃料電池の分類」
IBTimes「低炭素社会への切り札、家庭用燃料電池普及のカギとなるのは?」
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燃料電池利用エネルギーに新たな動き(上)
電池の種類のひとつに燃料電池があります。水素と酸素を使って電気を生みだすしくみをもった電池です。

学校の理科の授業では、水を電気によって酸素と水素に分解する「水の電気分解実験」を習います。燃料電池のしくみはこの逆。水素と酸素を用意して、これらを結びつけて水にする過程で電気をとりだします。

容器のなかに三つの“口”を用意します。ひとつの口から水素を入れます。もうひとつの口から酸素を入れます。すると、最後の口から水が出てきます。水は「H2O」と表現されることからわかるように、水素と酸素でできています。

みっつの口がついた容器のなかには、負電極と正電極という板が入っています。

まず、負電極は、口から入れられた水素を、電子とイオンにわける役割をもっています。この電極の役割により、電子がつくられます。この電子をだせば、電気エネルギーとして使うことができます。

いっぽう、正電極は水をつくるための場所。容器のなかに残った水素イオンが正電極へと向かいます。また、電気エネルギーとして使われた電子もふたたび容器のなかへ入っていき正電極へと向かいます。さらに、口から入った酸素も正電極へと向かいます。

正電極に、水素イオン、電子、酸素が向かうわけです。このみっつの要素が揃うと水になります。みっつめの口から水が出てくるわけです。

この容器は空気ばかりでみたされているわけではありません。正電極と負電極のあいだには、電解質という物質が水に溶けて満たされています。

電解質は、水素原子のうち大きいほうのイオンを通し、小さいほうの電子を通さないという、変わった能力をもっています。そのため、負電極に接している電解質は、つぎつぎと水素イオンを通します。いっぽう、電子は通さないため、これをとりだして電気エネルギーに使うわけです。

また、電解質は正電極とも接しています。電解質のなかをとおってきた水素イオンを、正電極に受けわたすわけです。


燃料電池はこのようなしくみをもっています。

自動車では、燃料電池を載せて走る「燃料電池車」が、ホンダやトヨタなどの各自動車メーカーで行われ、実際に行政機関がお金を払って車を借りて公用車として使うなどの動きがでています。しかし、まだ一般の人びとがハイブリッド車や電気自動車を買いもとめるのとちがって、普及はしていません。

水素を供給するため「水素ステーション」を増やさなければならないなどの、基盤整備の課題が大きくあることが大きな理由のひとつです。

いっぽうで、すでに燃料電池を使った装置が市民に利用されている分野もあります。「エネファーム」(ENE FARM)とよばれる分野です。つづく。

参考文献
漆原次郎『図解 次世代エネルギーのしくみからカラクリまでわかる本』
参考ホームページ
NEDO技術開発機構「よくわかる! 技術解説 燃料電池・水素」
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筆頭著者に困ったら傘形論文
 科学の世界は、「理づめで成りたっている」という印象からか、たずさわる人びとも冷静沈着と受けとめられがちです。プロレスラーと科学研究者で、どちらが冷静沈着な印象があるかと聞かれれば、十中八九の人は「科学研究者」と答えることでしょう。

しかし、科学研究者も人間。研究であつかう対象には冷静沈着であっても、人間相手に対してまでそうとはいえません。人間だもの。科学研究者にもいがみあいは起きます。

研究者どうしがいがみあう原因のひとつに、「論文での筆頭著者をだれにするか」をめぐる対立があるといいます。

論文は、研究の結果を書きあらわした文書のこと。科学分野では『ネイチャー』や『サイエンス』などの雑誌の編集部に論文の原稿を投稿し、認められれば掲載となります。「論文を書かない研究者は、絵を描かない画家とおなじ」といわれるほど、研究者にとって論文書きは基本的な営みです。

論文の冒頭には、「だれが論文を書いたか」を示す著者記載欄があります。ちかごろの論文では、この名前欄にひとりの名前だけが載ることはすくなくなりました。共同研究者や、研究室単位での研究が増え、複数の研究者が論文づくりに携わるようになったからです。

また、むかしから、研究室の若手などが書く論文に、その研究室の長にあたる教授の名前も併せて載せる慣習があります。

複数の名前が載る論文をつくるとき、「科学研究者の人間的な部分」があらわれてくるようです。「誰の名前がいちばん先に来るか」が、議論、論争、さらに不仲の原因になるというのです。

助教と助教、あるいは准教授と准教授のように、おなじ地位で、研究におなじくらいの貢献をした二人がいると、どちらの名前を先に載せるか決めづらくなります。

また、管理的立場である研究室長の名前を載せるときも、いちばん先に載せるか、いちばん後にのせるか、ふたつにわかれます。

論文の著者の序列は、「おもにだれの研究成果なのか」を示すうえで大切。だれもが納得いくような、公正な論文の著者の書きかたはないのでしょうか。

江戸時代には、複数の名前を載せる方法として、「傘形連判状」というものがありました。連判状は二人以上の人が署名した文書です。

一揆を起こした農民が、厳しい年貢のとりたてをする藩に「恐れ乍ら願い上げ奉り候事」と、救済を求めて連判状をだしました。

「傘形連判状」では、複数の署名が輪を描くように書かれ、一周しています。これにより、だれが連判状の代表者であるかをわからなくしたのです。

ときは現在。「筆頭著者をだれにするか」「私だ」「いや私だ」「私だろ」「私だ」「しかたない、傘形論文でいくとしよう」といった制度があることは聞きません。

参考ホームページ
岩手県立博物館「傘形連判状」
| - | 23:59 | comments(0) | -
長居に「無言」の噂あり


店舗展開をしている喫茶店やファストフード店で、電子機器用の電源サービスが拡大しています。

かつては、東京を中心に店舗展開する喫茶店ルノアールが「電源使用可能」をうたうくらいでした。いまや、マクドナルドに加えて、スターバックスでも電源を使える店が多くなりました。

外勤が多い人や、自由業の人などにとって、このような電源使用可能喫茶店を“拠点”として重宝している人も多いようです。コーヒー1杯で、コンピュータの電源を気にすることなく仕事にうちこむことができるわけです。

店側にとって、電源を提供しながらも、客に長居をされるともうけは減ってしまいます。それなりの対策を打つ企業も見られます。

“老舗”ルノアールでは、電源使用客に「電源使用は2時間まででよろしくお願いします」などと、あらかじめ断りを入れている店員の姿があります。2時間は、0%に近かったコンピュータの充電を100%にするくらいの時間でしょうか。

「どこの企業とはいわないが、こんな傾向があるみたいだ」と店側を分析する、ある長居客がいます。

「店に入るでしょ。コーヒーを頼むでしょ。それで、電源のあるところでコンピュータを使って仕事をする。すると、いつのまにか3時間や4時間たってしまうんだ」

「で、長居しすぎたなと思いつつ、店から出ていくでしょ。するとね、店員のだれからも『ありがとうございました』って言われないの」

この人物によると、統計をとったわけではないが、電源使用可能店舗で3時間以上の電源を使って長居をしたとき、十中八九は「ありがとうございました」と言われないといいます。

しかも、前払いの店舗を展開する複数の企業で、この傾向が見られるといいます。

店舗を展開する喫茶店やファストフードは、接客マニュアルを用意しており、アルバイト初心者でも均一のサービスを提供できるようにしているといいます。

「きっとこれは、『3時間を超える長居をしている客には退店時にあいさつのことばをかけない』とマニュアルに書かれているにちがいないな」

マニュアルに書かれていようがいまいが、それだけ長居されては、店員は「ありがとうございました」と声をかける気持ちにはなりますまい。
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切らずに治療、陽子線・重粒子線の時代へ
 がんの治療法には、“線”を使ったものがあります。

よく知られているのは「放射線治療」というもの。放射線には、ヘリウムの原子核であるアルファ線、電子あるいは陽電子からなるベータ線、そして波長が短いガンマ線などがあります。放射線治療では、コバルトという原子などから出るガンマ線を使います。また、ガンマ線と波長がおなじかすこし長いくらいのX線を使うこともあります。

放射線を細胞に強くあてると、細胞の核のなかにあるDNA(デオキシリボ核酸)が破壊されます。これで、がんの細胞を死なせるわけです。がんの細胞が死ねば、がん細胞の分裂でがん細胞が増えることを防ぐこともできます。

しかし、強い放射線を人にあてると、がんになっていないほかの細胞をも傷つけてしまいます。放射線が体にあたると、体の表面ちかくでもっとも多くの線量を受けることになります。

体の奥のほうにがんがある場合、よほど強く放射線をあてなければ、放射線が届かないわけです。そこで、体のいろいろな方向から、がん細胞があるところに放射線をすこしずつあてる方法がとられています。

しかし、放射線をあてる量が強すぎると、やはりほかの細胞を傷つけてしまいます。

より効果的にがん細胞を狙いうちするため、放射線のなかでも特殊な“線”が使われています。「粒子線」とよばれるものです。

粒子線は、イオン、中性子、電子といった粒子が一定方向に飛んでいる状態のこと。がん治療では粒子線のなかでも「陽子線」や「重粒子線」とよばれるものが使われます。

陽子線は、水素の原子核である陽子が飛んだ状態。また、重粒子線は電子よりも重い粒子の線のことを指します。この定義からすると、陽子も重粒子線に含まれます。がんの治療で重粒子線というと、炭素イオン線などのことをいいます。

陽子線や重粒子線は、エネルギーの状態によって、体に入ってから「人の体のどこでエネルギーをたくさん放出するか」が変わります。英国の物理学者ウイリアム・ヘンリー・ブラッグ(1903-1942)が発見したことから、この現象は「ブラッグ・ピーク」とよばれています。

このため、がん細胞の位置を定めて、粒子線のエネルギー状態も制御すれば、体の他の部分をあまり傷つけることなく、がん細胞をねらいうちできるわけです。

陽子線治療や重粒子線治療は、まだ保険が適用されていないため、患者が費用の全額を自分で
払う必要があります。今後、これらの治療を行える施設や専門家が増えていけば、より普及していくことになるでしょう。

参考ホームページ
医用原子力技術研究振興財団「切らずに治す重粒子線がん治療」
国立がん研究センター東病院「陽子線治療について」
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横から入れて、縦に光らす。
携帯電話が進化をつづけています。より軽く、より薄くという方向に進むほかに、“よりきれいに”をかなえる技術もつくりだされています。

携帯電話の背面で光る「イルミネーションパタン」もそのひとつ。なにもしかけのないような平面なのに、着信があると模様が光りはじめます。

しくみはおもにふたつ。

ひとつは、発光ダイオードを直接うめこんで、背後から光を放つ方式。

しかし、発光ダイオードをうめこむ方式では、模様として光らせたいそれぞれの位置に対応して、発光ダイオードを配置させる必要があります。電気をかなり消費してしまいます。

そこで、もうひとつのしくみとして使われているのが、真横から光を入れて縦方向に反射させる方式。
光らせたい透明板の側面に発光ダイオードをいくつか置きます。そして、透明板の面と並行に発光させます。

透明板の途中には、スキーのモーグルのジャンプ台のような凸部が、レーザー加工などが施されて置かれています。この凸部の角度は45度。発光ダイオードからの光がこの凸部に当たると、そこで直角に反射して、縦方向に向きを変えるわけです。

この方式を使えば、発光ダイオードを、光らせたい部分と一対一対応で置く必要がありません。

いま、この光を導く板は、3mmや5mmの薄さにまでなっています。“よりきれいに”はこれからも進化し続ける、技術の開拓領域になることでしょう。

参考ホームページ
スガツネ工業「イルミパネル」
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