科学技術のアネクドート

銭湯の代名詞は江戸川区発


東京・篠崎の江戸川区文化プラザで、「江戸川区のモノづくりのモノ語り」という企画展が開かれています。(2011年)3月13日(日)まで。

江戸川区の企業や在住者の“モノづくり大国ニッポン”への貢献ぶりを、実際のモノやパネルなどを展示して紹介しています。

展示室の奥には、銭湯でよく見かける光景が。「ケロリン」の湯桶がうずたかく積まれています。

解説によると、ケロリン湯桶は江戸川区中葛西にある「睦和商事」という会社の、山浦和明さんの発想によりつくられるようになった桶。北海道で見かけたアルミ製の風呂桶から発想が生まれたとのこと。

ケロリン湯桶は、最初からケロリン湯桶だったわけではありません。1960年代前半、山浦さんは「この新しいプラスチック桶に広告を入れたら」と思いたち、解熱剤「ケロリン」をつくっていた富山県の内外薬品に「広告を出しませんか」と営業しました。

この営業に内外製薬が乗り、試験的に東京の温泉にケロリン湯桶が置かれることに。試した結果は良好でした。そこで、東京五輪が開かれる前年の1963年、全国の銭湯にケロリン湯桶が置かれるようになったのです。

湯桶に薬の広告というミスマッチだけが、注目を集めたひけつではないようです。

何度と銭湯に行っても、いつも色鮮やかなケロリン湯桶を客が目にする。そのための印刷技術にも工夫がされています。

睦和商事のホームページによると、ケロリン湯桶の印刷では、インクを“乗せる”のでなく“埋め込む”形にしてあります。これにより、熱などに強く、広告が鮮明な湯桶ができたのです。

展示の説明では、かつてのケロリン湯桶は白だったものの、汚れを目立たなくさせるようにするために桶を黄色にしたといった逸話も書かれています。

ケロリン湯桶のほかにも、砂、金属、樹脂などを吹き付けて表面を加工する「サンドブラスト」の技術や、1958年に江戸川区松江で誕生した日本初のプラモデルやプラモデルの金型技術なども展示されています。

「江戸川区のモノづくりのモノ語り」は、3月13日(日)まで。ポスターはこちら。
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多様性と恣意性が理解のさまたげに

新聞やテレビニュースで使われる表現について、新聞社や放送局などの組織は、用字用語の統一をはかっています。

しかし、時事的な話題で使う言葉はとても流動的。記者まかせ、あるいはデスクまかせということが多いようです。

新聞では、鳥インフルエンザの記事で「H5型」とか「H5亜型」とか「H5N1型」とかいった表現が並んでいます。

インフルエンザウイルスを大きくわけると、まずA型、B型、C型というものにわかれます。このうち、昨今の鳥インフルエンザや、おととし2009年に人のあいだで流行した新型インフルエンザのウイルスは、すべてA型です。

A型には、さらに「亜型」という、“A型の似たものどうし”の型に細かくわけられます。

ここでのわけ方には、二つの基準があります。それは「ヘマグルチニンというタンパク質が15種類あるうちの、どの型か」と「ノイラミニダーゼというタンパク質が9種類あるうちの、どの型か」というもの。

人にたとえてみれば、「男性か女性か」という性別があり、さらに「A型か、B型か、O型か、AB型か」という血液型があるようなもの。この場合の分類のしかたは「男性のA型」や「女性のO型」といったものになります。

おなじようにA型のインフルエンザウイルスでも、「ヘマグルチニンは何型」で「ノイラミニダーゼは何型」ということで、わけられます。

いま、九州や三重などで問題になっている鳥インフルエンザウイルスは、すべて「H5N1型」とよばれるもの。これとおなじ意味で「H5N1亜型」と表記しているときもあります。

ここでの“H”は、「ヘマグルチニン」の英語“Hemagglutinin”の頭文字をとってのもの。また、ここでの“N”は、「ノイラミニダーゼ」の英語“Neuraminidase”の頭文字をとってのもの。

つまり、「H5N1型」あるいは「H5N1亜型」というのは、「インフルエンザウイルスのA型のうち、ヘマグルチンの型は5で、ノイラミニダーゼの型は1のもの」ということになります。

日本では、国が、Hの15種類のうち、H5型とH7型を“高病原性”の鳥インフルエンザとすると指定しています。

新聞の報道では「H5N1型」と表記することもあれば、「H5型」だけを表記することもあります。後者の場合、N型がまだわかっていないことや、省略しているだけのことなどがあります。さらに“H”をおなじ意味で“HA”と表記したり、“N”をおなじ意味で“NA”と表記することもあります。

表記の方法の場合わけを考えてみても、「型」か「亜型」か。「H型のみ」か「N型のみ」か「H型とN型」か、「HやN」か「HAやNA」といった具合にさまざまあります。

英字と数字という、ほとんど意味の伴わない文字でこれだけの表記の場合分けがある点は、市民への理解をさまたげる要因にもなりそうです。
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書評『カツオ・マグロのひみつ』
カツオやマグロを味わえるのは寿司屋や食卓だけではありません。本で味わうカツオとマグロ。



カツオもマグロも日本人の食文化に深く関わってきた。おなじサバ科に属する魚だ。

カツオは、煮て炙って鰹ぶしにしたり、そこからだし汁をつくったり、日本の食べものにうま味を加えてきた。いっぽう、マグロは江戸時代まで「しび」とよばれ、「死日」を想像させることもあり避けられてきたというが、そんな話は今は昔。寿司に欠かせないネタになっている。

カツオ・マグロと日本人の接点は、もっぱら食卓にある。赤い切り身。軟らかい歯ざわり。米やしょうゆとの相性もよし。では、そんなカツオやマグロは生きているとき、どんな生きかたをしているのだろう。

『カツオ・マグロのひみつ』は、魚類の体のしくみを生化学的に調べてきた研究者が書いた、カツオとマグロの生き方入門だ。

カツオもマグロも基本的にいつでも泳いでいる。泳がずにはいられないのだ。金魚などは、口からとりいれた水に含まれる酸素をエラに流すためにエラぶたの筋肉を動かすが、カツオやマグロにはエラぶたに筋肉がなくこれができない。そこで、速く泳ぐことで口からエラに水を流して呼吸する必要があるのだ。

動的な生活を支えるためのしくみが、カツオ・マグロの体に多く見られる。

たとえば、体のかたちもそのひとつ。むだのない流線形で水の抵抗を極力へらしている。また、尾ビレのつけねのキールとよばれる部分が発達しており、体は動かさずにヒレだけを動かすことができる。これがすばやい動きをつくりだす。

「レーテ構造」とよばれる、体の内部のしくみも著者は紹介する。「レーテ」はラテン語で「網」のこと。エラから体にかけての動脈は冷たく、血合筋から心臓にかけての静脈は温かい。この動脈と静脈が網の目のようになっているため、ここで熱交換が行われる。これにより、体温を高く保つことができるという。

体温を高く保つことができれば、運動も機敏になるし、栄養豊富な北の海でも泳ぎつづけることができる。「この自由はカツオ・マグロにとっては、われわれ恒温動物には想像もできないほどのよろこびなのではないだろうか」と著者は、魚たちの思いをはたらかせて代弁する。

研究者だからこその詳しい記述がある。とともに「ダイエットの方法をマグロから学ぶ」話や、「ヘミングウェイの『老人と海』でサンチャゴが釣りあげたマグロを推しあてる」話などの余談も多い。

「カツオやマグロの体のしくみを、ちょっと専門的に知っておどろきたい」といった人に向いている本だ。

『カツオ・マグロのひみつ』はこちらでどうぞ。
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歩道で「ゆずりあい」という名の「意地のはりあい」
むかし、自動車会社のテレビ広告で、こんな内容のものがありました。

歩道で、ある男が、見知らぬべつの男を追いぬこうと、すこし早歩きする。すると、追いぬかれようとした男が、追いぬかれようとしていることに気づき、すこし早歩きをする。無言どうしのまま、ふたりは真剣な顔で、どんどん早く歩いていく……。

人に追いぬかれると、わずかながら自尊心を傷つけられると思う人もいるもの。そんな人の機微を示した広告でした。

街なかの歩道では、ちょっとした意地のはりあいが、ほかにもあります。

ある人が歩道を歩いている。向こうから人が歩いてくる。

そこで、ちょっと左側に方向を変えて、向こうからくる人とすれちがえるようにしようとする。

ところが、向こうからくる人もすれちがえるようにと、おなじ側に進む方向を変えてくる。



「自分のほうが先に左側にずれたのだから」という心から、左側をとおることを是が非でも目指す。

すると向こうからくる人も「自分がゆずろうとしたのだから、ゆずられまい」と思ったのか、ますますおなじ方向へと向かってくる。


ここまでくると、一歩もひけなくなり、道のはしっこで、塀を向いてじっとたたずむ。


すると、向こうからくる人も「絶対にゆずられまい」と思ったのか、きた道を、後ずさりする。


動物は、「利他的行動」とよばれるふるまいを起こすことがあります。自分の損をかえりみずに他者の便益をはかるために行動をとることです。

この場合、おたがいの人が利他的行動をとろうとした結果、「その場にたたずむ」あるいは「その場からあとずさりする」という、意地のはりあいに発展しました。

自分がわざわざ負担になることまでして、相手に不利益となることをさせる行動は「いじわる行動」とよばれます。

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書評『シゴトの渋滞、解消します!』


夜なかの3時に仕事のメールを送る人がいる。仕事が数珠つなぎで、まだ“一日の仕事”を終えることができないでいるのかもしれない。

ひとつの仕事が遅れると、つぎにこなすすべき仕事が玉突きのように遅れ、さらにつぎのつぎにこなすべき仕事がさらに遅れていく。これは「仕事の渋滞」だ。

状況を脱するには、とりあえず暇になる日が訪れるまで仕事をしつづける、という手もあるかもしれない。でも、そうやって2週間たてば、2週間後にはまた仕事の渋滞が起きているというが忙しい人の常だ。

「仕事の渋滞が、また渋滞をよぶ」という状況を打破するには、「いまある渋滞」を解消するしかない。そこで、『シゴトの渋滞、解消します!』の出番となる。

著者は「渋滞学」を日本で広めた第一人者。自動車道路の渋滞スポットでの車の流れを分析し、車間距離を意識的にとる車を置くだけで渋滞が大幅に解消される、といった方法を編みだしてきた。

世に見られる物理的な渋滞は、個人や組織がかかえる仕事の渋滞にも当てはめられるというのが、著者の一貫とした理論だ。

たとえば、道路では車と車のあいだの距離が詰まってくると、渋滞が起きる。

これを仕事にあてはめれば、スケジュールとスケジュールのあいだがきつきつに詰まっていると、仕事の渋滞が起き、冒頭のような状況になるという。

だから、仕事にも車間距離が必要。「仕事も、手順の『流れ』で成立しているために『流れの詰まり(渋滞)』の生まれるポイントは交通渋滞とほとんど変わらない」。

では、どうすればよいのか。著者の主張をかんたんにあらわせば、「100%を目指すな」ということになる。

たとえば、工場では、限界生産能力の7割で仕事をつづけることが、仕事量ととして最適である、といった理論が実証済みだという。

また、仕事や勉強をやりかけのままで終えることにより、翌朝すぐにつづきの仕事にとりかかることができるため、勢いがつくともいう。

こんなことまで話すから気持ちいい。「自分の全力というのは、『個人のパフォーマンスを最大にするのと同時に、自分のエゴも最大限に発露させてしまう』というところもあると想像できるのです」。

流れと滞りを長いあいだ研究してきた著者だけあって、洞察力は鋭い。

でも、理論に裏うちされる話だけでなく、著者が「これが真理だ」と信じているということが根拠になる話も多く出てくる。著者の個性が際だつのは、むしろ理づめでない部分のほうだ。

渋滞に目をつけて学問にしてしまうところからいって、ふつうの研究者とはわけがちがう。かといって、数理的な理論とかを無視しているわけでは決していない。それでいて、悟りをひらいた僧のような達観的心理も備えている。

理論と主観の微妙で絶妙なバランスを保ちつつ進んでいく話に、しばし「仕事の渋滞」は脇に置かれるのだった。

『シゴトの渋滞、解消します!』はこちらで。
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風車のつくりに語呂あわせ

大学受験の勉強で、周期表、公式、年代、助動詞などを覚えるため、“語呂あわせ”を使ったという人は多いことでしょう。

「とにかく覚えればいいんだ」「いや、話の筋にそって覚えたほうがいい」と、賛否はあります。しかし、インターネットなどで語呂合わせが出まわっているということは、いまだに勉強法のひとつとして根づよく残っているということでしょう。

語呂あわせは、なにも受験勉強だけに使えるものではありません。受験のほかにも、覚えなければいけないものごとはたくさんあります。

環境・エネルギー分野の雑誌記事などを書く記者が、こんな語呂あわせを思いついたそうです。

「プレハブのローターまわして成せるのは、増速・ブレーキ・発電機。4世紀からタワーの基礎がため」

このものかきによると、この語呂あわせは、「風力発電の風車のつくりを、風を受けてからエネルギーが地面に達するまでの順にしたもの」。

この文章には、つぎのことばが、語呂として入っているといいます。

「プレ」は「ブレード」。日本語では「刃」の意味で、風を受ける羽のことです。

「ハブ」は「ハブ」。日本語では「中心」。ブレードの要の部分。

「ローター(まわして)」は「ローター軸」。ローターは「回転子」ともいわれます。ハブの背後に付いていて、ブレードを回転させる役割をもっています。

「成せる」は「ナセル」。これは、フランス語で、気球などの「かご」の意味があります。つぎの三つの装置を包みこみます。

「増速」は「増速機」。自転車のギアのようなもので、ブレードからローター軸にかけてのゆっくりとした回転を、この装置ですばやい回転にかえています。

「ブレーキ」は「ブレーキ装置」。増速機で回転の速度は高まるものの、回転を安定させるためにはブレーキも必要。増速機のあとに、ブレーキ装置がついています。

「発電機」は、そのまま「発電機」。ここで、回転によって得られる運動エネルギーは、電気エネルギーへと変換されます。

「4世紀」は、ちょっとむりやり感もありますが、「ヨー制御」のこと。「ヨー」は英語で、「左右に首を振る」といった意味があります。つまり、風向きに対応して、ヨー制御でローターやナセルの向きを変えるわけです。

「タワー」は、「タワー」。風車における、長くて大きな支柱のことです。

「基礎がため」は、「基礎」のこと。ビルなどとおなじように、地面より下には、巨大な風車を支える基礎が必要です。コンクリートなどで、基礎を固めます。

おさらいすると、「“プレ” “ハブ”の“ローターまわして” “成せる”のは、“増速”・“ブレーキ”・“発電機”。“4世紀”から “タワー“の“基礎がため”」

語呂あわせ。この記者にとっては、風力発電の研究者への取材などで、とっさに対応するための必要な手だったのでしょう。
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「エネルギー」と「バンド」で「エネルギーバンド」
 むずかしい概念を理解しようとするとき、たいていの場合、“ことばを分解していくこと”が足しになります。

たとえば、半導体などの用語に「エネルギーバンド」ということばがあります。このことばは、「エネルギー」と「バンド」にわかれます。

原子のまわりには、原子に近い順に、K殻、L殻、M殻、N殻という円軌道があり、この軌道に電子がおさめられています。原子から遠い円軌道になるほど、その軌道の電子がもつエネルギーは高くなっていきます。

つまり、N殻、M殻、L殻、K殻の順にエネルギーは高いわけです。

電子を携えた原子は、ふつう、一個がぽつんとあるわけではありません。原子のすぐとなりにも原子があり、またそのとなりにも原子があり、近づいています。

すると、K殻、L殻、M殻、N殻での、電子のエネルギーは、原子が集まるほど重なりあっていきます。

1個の原子がたずさえる電子がもつエネルギーは、ごく小さく細い線のようなものであっても、いくつもの原子がたずさえるいくつもの電子が集まれば、だんだんと線と線が重なりあい、帯のようなものになっていきます。

つまり、「(電子のもつ)エネルギー」が「バンド」(帯)になっている状態が、「エネルギーバンド」となるわけです。

ことばを分解してみたり、外来語をよくしっている日本語に、また、日本語をよくしっている
外来語におきかえたり、試行錯誤のうちにだんだんと概念の理解が進んでいくものなのかもしれません。

参考ホームページ
教えて! ローマンティック「エネルギーバンドギャップという考え方」
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譲りあうとバーの時間もうれしい


ブライアン・アーサーという複雑系をあつかう経済学者がいます。複雑系とは、ものごとの流れや動きを決める要素がとても多いため、どうなっていくかの予測がむずかしい対象のことをいいます。

そんな、アーサーは「バーの問題」という問題をつくりました。

―――――
雰囲気のよいバーがある。生演奏が聞けるし、お酒もおいしい。客にとって、バーが空いているときはうれしいひとときを過ごせるが、バーが混雑しているときはいやな思いをしてしまう。

至福か不快かのわかれめは、50人という客の人数。バーの客が50人に満たなければ、客は「空いているな、うれしい」と感じ、50人以上になれば「混んでいるな、いやだ」と感じる。

バーに行くべきだろうか、行かぬべきだろうか。
―――――

問題の内容は、禅問答のようなもの。でも、この問題には、「あなた自身がバーに行くべきかどうか」という問いのほかに、「より多くの人がうれしい時間をすごすようになるには、どうなればよいか」という問いもあります。

「バーに行くか行かないか」と「バーが空いているか混んでいるか」で、つぎのような場合わけができます。

「バーに行ったら、空いていた」。つまり、うれしい。
「バーに行ったら、混んでいた」。つまり、いやだ。
「バーに行かなかったが、空いていた」。つまり、うれしい。
「バーに行かなかったが、混んでいた」。つまり、いやだ。

この四つの場合を考えたとき、もっとも、たくさんの人がうれしいと感じるようにするには、人々がどうふるまえばよいのでしょうか。

アーサーが出した答えは、「いちどうれしいと思える機会を得たら、つぎは他人にゆずる」というものでした。

たとえば、「バーに行ったら、空いていた。うれしい」と思ったら、つぎは「バーに行ったら、空いていた」とは異なる場合を選ぶということになります。

渋滞学を提唱する西成活裕さんは、著書のなかで、「これは、説教や道徳ではありません。数学的に証明されてることなのです。集団全体の利益を最大にする戦略が『利益を交代で味わう』となるのは、なかなか粋なのではないでしょうか」と述べています。

参考文献
参考ホームページ
つれづれカブコラム「エル・ファロル・バーの問題」
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包餡機がまんじゅうをつくる


ものをもので包んでつくる食べものはいろいろあります。観光地のみやげもの屋や新幹線の駅などで売られているまんじゅうは、その代表例です。

あずき、白あずき、うずら豆などをゆで、砂糖をまぶして甘味をつけて餡をつくります。これを、小麦粉や米粉でつくった皮で包みます。そして蒸します。これでまんじゅうのできあがり。

ところによっては、いまでも手づくりでまんじゅうをつくっているお店もあるでしょう。しかし、まんじゅうは大量生産品。多くの品は、器械を使って自動的につくられています。

まんじゅうをつくる機械は「包餡機」(ほうあんき)とよばれています。

包餡機のなかで、包むための生地が円筒状にされておかれます。この筒のなかに、餡になる具を入れます。そして、円筒になっている生地を切断します。これで、餡を皮で包むことになります。あとは、このまんじゅうを蒸かす工程。

これで、みやげもの屋で売られているまんじゅうができあがります。

包餡機を導入したまんじゅう屋の話では、熟練工の手によっても、1時間に200個のまんじゅうをつくるのがやっと。いっぽう、包餡機を使えばおよそ10倍の2000個をつくることができます。

6個入りも、12個入りも、36個入りも、どれをとっても同じかたちのまんじゅう。包餡機が一気につくっているわけです。

参考ホームページ
旭南高砂堂日記 by 店主「『包餡機』という機械」
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予想を上回る回答をしてきたとき辛い


盛りあがっていた場の雰囲気が一瞬、冷えてくることがあります。「予想を上回る回答」問題が起きたときもそうです。

たとえば、テレビやラジオの番組で、司会役がゲスト役に、「オープニング・クエスチョンでーす」などといって、番組の主題にかかわる問題を出すことがあります。

「つづいて、誰々さんにオープニング・クエスチョンでーす。いま、世界でもっとも深くまで素もぐりをした人の記録は、何メートルでしょう、か」

たいてい、この手の問題を出すとき、ねらいとしてあるのは、「へえ! そんなに深いところまで人は機械なしでもぐることができるのですか!」といった、驚きを引きおこそうとすること。ゲストが“正解より下回る回答”をすれば最善、“正解とおなじ回答”をすれば次善といったことになります。

ところが、正解よりも上回る答えをゲストが口にしてしまうことがあります。

「ええ、どのくらいだろう……。じゃあ、180メートル!」

2010年時点での素もぐりの世界記録は、「深さ116メートル」です。これに対して「180メートル!」という答えは、出題側の意図をはるかに超えてしまったものになります。

こんなとき、ゲストが「2000メートル!」などと、飛んだ答えをしていれば、司会者は「そんな深くまで、もぐれるわけないやろ!」などと笑いとばして、その場をしのぐこともできるでしょう。

しかし、正解が116メートルに対して、ゲストから「180メートル!」のように微妙に正解を上回る回答が出てきた場合、番組制作者や司会者の側は、ちょっと困ってしまいます。司会者は、ゲストが予想を上回る答えを口にしたことを受けとめるしかありません。

「ああ、おしい。ちょっと、それは深すぎでしたね。これまでの世界記録は、深さ116メートルなんですよー」

ゲストも、こうした問題が出される機会に慣れていれば、「正解よりも上回る回答をしないほうが盛りあがるのだ」と承知しているはずです。にもかかわらず、「180メートル!」と、正解を上回る回答をしてしまったとなれば……。

「ああ、そうなんですね。でも、人が100メートル以上も自分の力で潜れるなんて、すごいものですねー……」

このような返事が考えられる最善の対処法となるでしょうか。「でも」が大切です。

とはいえ「予想を上回る回答」だとわかったときは、ゲストの顔はすこし引きつりぎみになりますし、会場で見ている観客や番組を見ている視聴者も、すこしだけ辛い気分になります。

この「予想を上回る回答」問題には、対応策はあるのでしょうか。

まず、回答を二者択一や三者択一にするといった方法があります。回答を出題者が制御することができれば、「深さ116メートル」に対して「2万メートル」といった、まさかの答えを防ぐことができます。

さらに万全を期す場合は、三者択一問題などにして、さらに正解となる選択肢を最も大きな数値にしておく、といった方法があります。

「世界でもっとも深くまで素もぐりをした人の記録は、何メートルでしょう。A、16メートル。B、56メートル。C、116メートル」

こうしておけば、「予想を上回る回答」は、絶対といってよいほどでないわけです。

人に驚きを引きおこさせるために、人に考えさせたり構えさせたりすることには、いっていのリスクが伴われます。

参考ホームページ
リファイド ニュース2010年5月3日「世界で一番深く潜った男」
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電子表示にさわってジュースを選ぶ

JR東日本の駅で、2010年から電子表示の自動販売機が置かれています。

たいていの時報販売機では、缶ジュース、缶コーヒー、ペットボトルの水、お茶などを模した円筒が棚の上に置かれ、これをみて客が選ぶようになっています。

または、紙カップに入ったコーヒーなどでは、選ぶボタンの近くに、「ネスカフェ・ブラック」のようなアナログの表示が付いています。

いっぽう、電子表示の自動販売機は、これまで商品が置かれていた部分一面が、液晶ディスプレイに夜電子表示になっています。

お金を入れるなどして、電子表示のうち、買いたい商品の部分にさわると商品が出てくるわけです。


ただたんに、電子表示になっただけではありません。

この自動販売機を置いているJR東日本ウォータービジネスの情報によると、自動販売機には感知器がついていて、コンピューターが購入者の年代や性別を判定し、属性ごとに“おすすめ商品”を表示します。

また、季節や時間帯などによって、商品の示し方に変化をさせて、客の需要をよびおこすこともできます。

電子技術を使って情報を示す方法は、近年は「デジタルサイネージ」とよばれています。街なか、とくに電車内や駅構内などでは、紙や板での表示が、すこしずつ電子表示に代わってきています。

電子表示を推進する企業などは、アナログ表示と電子表示のどちらが、客に情報を効果的に伝えられるかの実験も行っています。

ある企業が行った実験では、おおむね紙表示より電子表示のほうが、「画面が見やすい」などの点で優っていたといいます。

しかし一点、電子表示が紙表示に劣っていたこともあったといいます。

それは、「表示がいつまでも変わらない」こと。

アナログ表示であれば、そこに示された情報は、貼りかえられないかぎりは変わることはありません。

いっぽう、電子表示では、その特性を活かすためか、10秒や20秒のあいだに表示が切りかわり、べつの情報が示されることがあります。「せっかく興味をもってみていたのに、べつの表示に切りかわっちゃった」という残念さが、「表示がいつまでも変わらないこと」で電子表示が劣るという軍配につながっているのでしょう。

とはいえ、デジタルサイネージを展開する企業はとうぜん、効率的な表示のしかたも追究していると考えられます。いろいろな課題も、電子の力で克服することになるでしょうか。



JR東日本ウォータービジネスによる2010年8月10日の発表「夢の飲料自販機 エキナカ本格展開へ」はこちら。
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ナノテクノロジー、真の力が問われる時代へ


東京・有明の東京ビッグサイトで、「第10回国際ナノテクノロジー総合展・技術会議」が開かれています。あす(2011年)2月18日(金)まで。

ナノテクノロジーは、ナノメートル(10億分の1メートル)から数百ナノメートルといったごくごく小さな寸法の物体や物質を扱う技術のこと。ものの大きさがごくごく小さくなると、日常の生活では見られないような現象が起きます。それを、道具や材料に活かそうというわけです。

10回目となるナノテクノロジー展。10年前の2001年は、前年の野依良治さんのノーベル化学賞受賞が決まったり、『日経サイエンス』が「ナノテクノロジー」特集を組んだり、いわばナノテクノロジー全盛の時でした。

それから10年が経ちました。この先5年の日本の科学政策の方針となる「科学技術基本計画」が2012年度から始まろうとしています。この計画では、「日本の強みを活かすイノベーションの推進」という方針のなかに「ナノテク(中略)等における革新的な基盤技術の研究開発を統合的に展開することで、国民の利便性、 生産性の向上、産業競争力の強化に資する新たなイノベーションを創出する」と、ナノテクノロジーの重要性がもりこまれています。

しかし、今年度までの第3期科学技術基本計画では、ナノテクノロジー・材料分野は、ライフサイエンス、情報通信、環境とならぶ「重点分野」のひとつでした。これに比べて、第4期でのナノテクノロジーの扱いは、やや劣るようです。

会場では、独立行政法人の研究機関や研究資金配分機関が、大きな区画で展開しています。
経済産業省系の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、ナノファイバーとよばれる素材の実物を展示するなどして、来場者をひきつけています。

ナノファイバーは1ナノメートルから100ナノメートルほどの細さの糸を使ってつくる素材。髪の毛の太さの1千分の1や、1万分の1の細さです。これほど糸を細くすると、通常の糸にはなかった新しい物性があらわれてきます。

たとえば、繊維をナノファイバーにするだけで抗菌性があらわれることがわかっています。また、伸ばしても破れないような布をつくることができます。ナノファイバーでつくられたスポーツウェアが展示されています。

ナノテクノロジーや材料の分野は日本の得意分野。いっぽうで、国の後押しする力は弱くなってきました。商品やプロジェクトに、とにかく「ナノ」と名づければ、お金が入ってくるような時代ではなくなってきたなか、ナノテクノロジーの真の力が問われる時代を向かえつつあります。

第10回国際ナノテクノロジー総合展・技術会議のホームページはこちら。
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まずII、あとからI

多くの植物の葉は、太陽などから降りそそぐ光を使って、二酸化炭素と水から、栄養素であるでんぷんをつくります。そして、酸素もつくります。この現象は「光合成」としてしられています。

葉が光を受けると、チラコイド膜という膜のなかで、まず「光化学系II」とよばれるしくみがはたらきます。膜のなかにある、緑のつぶつぶである葉緑素が活性します。そして、水をとりこんで、水素のイオンであるプロトンと酸素にします。酸化の反応です。

同時に、「光化学系II」の反応では「P680」とよばれるしかけが、光をうけて励起します。P680というよばれかたは、吸収する波長が最大680ナノメートルであるため。光によりP680が励起するとエネルギーが高められ、電子がとなりの受容体につぎつぎ送りこまれていきます。

この反応の結果、電子は光化学系IIを出ていきます。そして、いったん、「シトクロムb6/f複合体」というところに移ったあと、さらに、今度は「光化学系I」よばれるしくみのほうに入っていきます。

電子を受けとった光化学系Iは、こちらも光のエネルギーを受けると、今度は電子をフェレドキシンというたんぱく質に渡します。そして、フェレドキシンとやりとりをしたあと、最終的にニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸(NADP:Nicotinamide Adenine Dinucleotide Phosphate)という物質をもたらします。負の性質を帯びた電子を、受けわたしてしまうので、こちらは還元反応となります。

さて、この一連の現象は、「光化学系II」ではじまり「光化学系I」でおわります。IIが先で、Iが後というのはどういうことでしょう。

これは、発見されたのが「光学系I」のほうが先だったという、単純な理由から来ているようです。

参考ホームページ
福岡大学機能生化研究室「光合成」
「FPの家」槻岡建設「植物はハイテクよりハイテク」
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「賞を贈ろうとする」のと「賞を受ける」のは別
賞という制度には、本人による自薦で内定する場合と、そうでない場合があります。

本人による自薦には「自分はこの賞を受けるのに適していると思う」という意思がつきます。受賞内定となれば、とうぜん本人は賞を受けることになります。

では、本人による自薦でない場合はどうか。

手続き的には、主催者が受賞者に「われわれ何々賞事務局は、あなたに賞を授与したいと考えています。受けていただけますか」とうかがい、受賞者が「ありがとうございます。受けたいと思います」と答えて、内定となるのが筋です。

しかし、この手続きがとられないような賞もなかにはあるもよう。世界でもっとも知られ、もっとも栄えある賞のひとつとされるノーベル賞も、この手続きが踏まれないときがあるようです。

2009年に、ノーベル物理学賞を受賞した、益川敏秀さんは、主催者のノーベル委員会から電話がかかってきたときのことを、こう振りふりかえります。

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「受けていただけますか?」ではなく、「決まりました」という感じ。受けるのが当然で、断る人なんかいるわけないという感じで知らせがきたので、カチンときたわけです。僕はカチンとくると、江戸っ子でもないのに口調がべらんめえになる。「なに言ってやがんでぇ。のしつけて返してやらぁ」って(笑)。
―――――

カチンときたあと、益川さんは、押しよせる報道陣から取材を受けました。そこで「たいして嬉しくない」ということばが口をついて出てしまったということです。

ノーベル賞といえども、受賞するかしないかは本人の意思次第。実際、賞の歴史のなかで、受賞を拒否した人もいます。

まず、1958年、ノーベル委員会は文学賞をソ連の詩人ボリス・パステルナーク(1890-1960)に贈ることを決めました。長編小説『ドクトル・ジバゴ』が評価されてのこと。


ボリス・パステルナーク

ところが、委員会がパステルナークに賞を贈ろうとしていることが、ソ連にも知れわたると、ソ連の報道はいっせいにパステルナークに対する非難をはじめます。

パステルナークは、芸術至上主義のもちぬしといわれていました。しかし、当時のスターリン政権では言論統制が強く、政府にとってパステルナークは排除すべき存在だったのです。

結局、パステルナークは政府からの強要を受け、受賞を辞退することになりました。

1964年には、ノーベル委員会は、おなじくノーベル文学賞を、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトル(1905-1980)に贈ろうとしました。

しかし、サルトルはノーベル文学賞を、みずから辞退しました。その理由は、「個人と個人のあいだに差別をもたらすようなものは一切、拒否する」といったもの。

ジャン・ポール・サルトル

サルトルの受賞拒否については、あらかじめそうなるだろうという予想が立てられていたといいます。

パステルナークは受賞拒否を余儀なくされた身ですが、サルトルはまさに自分の意志で受賞を拒否しました。

賞主催者が賞を贈ろうとする意思を示すのはまったくの自由。いっぽうで、どんなに権威ある賞であっても、その賞を受けるかどうかを決定する自由が、受賞対象者にはあるわけです。

サルトルは、「作家は、組織に変えられることを許容することを拒否しなければならない。それが最も立派な形式でなされようとしても」とも述べたといいます。

参考文献
益川敏秀 山中伸弥『「大発見」の思考法』
参考ホームページ
We didn`t start the fire(ハートにファイア)「1957年」
データベース・ノーベル文学賞
長崎新聞2009年2月21日「水や空」
TIME-az.com「1964年11月22日」
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研究者の幸福度最下位ニッポンは、国民の幸福度指数も低い。


自然科学の研究者たちは、自分の境遇に幸福を感じているのかどうか。そんなことを探る実験的な調査を、英国の科学誌『ネイチャー』が2010年に行っています。

世界各国の研究者に、「給与」「休暇取得権」「医療保険給付」「出産・育児休暇」「年金・退職金制度」「1週間当たりの労働時間」「独立性」「上司や同僚とのディスカッションやアドバイス」という8項目に対して、満足しているかを段階で答えてもらうというもの。1万500人以上から回答が寄せられたといいます。

日本人にとって考えさせられるべきは、「日本人の研究者は国外の研究者に比べて、まるでいまの境遇に満足をしていない」といえるような結果が出た点です。

2010年6月の結果発表の記事によると、欧米や日中韓の16か国のうち、研究者の満足度が総合的にもっとも低かったのが日本でした。

上の8項目のうち、日本では「休暇取得権」「1週間当たりの労働時間」「上司や同僚とのディスカッションやアドバイス」の項目が最下位。ほかの項目も、すべて各国平均よりも低いという結果です。

いっぽう、記事には“日本が1位”というデータがひとつだけあります。「学術研究機関における研究者の給与」です。およそ年72,000ドルで、これは米国や英国などをもうわまわるもの。

世界的には、学術研究機関より産業界の研究者のほうが給与額は高いようです。しかし、日本や英国はその差は1万以内になっています。

データのみから見る日本の研究者の現状はつぎのようなものようです。“休みが取れないほど忙しい。なので、上司や同僚とまともな話しあいができない。でも、給与はそこそこいい”。

『ネイチャー』が念いりに注意をしているのは、「研究者に限らず、仕事に対する満足度や幸福度指数を低く回答する傾向がある国や地域がある」という点。国ごとに人々が「幸福だ」あるいは「幸福でない」と思う傾向が異なっているというわけです。

そこで、オランダのエラスムス大学が行っている幸福度調査による各国民の幸福度指数も参照しています。

この指数を、研究者の総合満足度と重ねあわせると、国民の幸福度と研究者の幸福度には関係があるもよう。研究者の幸福度1位のデンマークは国民の幸福度指数も1位。いっぽう、研究者の幸福度が最下位付近の日本、中国、インドなどは国民の幸福度指数も低いのです。

日本の科学政策担当者や重鎮的研究者は、日本の研究者が満足していないという結果に、落胆した人も多いかもしれません。しかし、幸せや満足の度合をはかるのはそもそも難しいものです。

仮に「幸せではない」あるいは「満足していない」と感じている研究者が、そう感じるマイナス要素を埋めることができたとします。

その瞬間は「ああ、よくなった。満足」と感じることでしょう。ところが、またちょっとすれば、つぎの目指すべき満足のステージが見えてきて、けっきょく「満足していない」ということになる。これが人の常ともいえます。

幸せや満足というものは、人が得ようとして得るものと捉えるよりも、人がもともともっているかどうかで捉えるものと考えるほうが適切なのかもしれません。

『ネイチャー』2010年6月24日号「研究者キャリアアンケート:幸せな研究者、不幸せな研究者」の記事はホームページで日本語で読めます。こちら。
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「八木カレー」のオリジナルベースインドカレー激辛――カレーまみれのアネクドート(31)

熊本の中心街から路面電車で10分。蔚山町という電停でおりて5分歩くと、古城町という街に「八木カレー」があります。

熊本城の高台のふもとの街の一角、白塗りの壁の2階建てのたてものの1階がお店です。おもてから見ると、カウンター数席の小さな店内に見えます。でも、入ってみると奥行きがありテーブル席があるとわかります。

“激辛カレー”で知られる店。品書きの黒板が壁に掲げられてあります。オリジナルベースとココナッツベース、インドカレーとエッグカレーとマトンカレーなど、そして、マイルドと中辛と辛口と激辛の各種からカレーを選びます。

オリジナルベースのインドカレーの激辛が、奥の厨房で主人によってつくられ出てきます。大海に浮かぶ孤島のように、ライスがこんもりと盛られ、ルゥにひたされています。

見た目がまっ赤というわけではありません。しかし、茶色いルゥには、辛さのもとになる香辛料のちいさなつぶつぶが多く入っています。ライスも鬱金で黄色くしただけでなく、カレー粉をまぶしてカレーピラフのようにしているようです。

激辛カレーのワンスプーン目。

ほんの3秒も経たぬうちに、実直なまでの辛さが舌から脳に伝わります。

辛さには「じわじわと来る」とか「辛うまい」といった表現がよく使われるもの。しかし、この激辛カレーはそんなものではありません。はじめから辛い、「剥きだしの辛さ」です。

辛いカレーでは、いっときのオアシスとなるのが具。じゃがいもや鶏肉などを食べることで、いっときだけ辛さから遠ざかることができます。

このカレーの具は、じゃがいも、かぼちゃ、えのきだけ、かいわれ、おくら、まめ、などなど。あまりに激辛のため、これらの具がオアシスにはなりません。むしろ、具に残る熱さが、辛さを助長させて、よけいに辛いほどです。

頼れるものは、たまねぎの酢漬けと水ぐらい。食べるたびに汗と鼻水がでてきます。

それでも、まったく歯が立たないわけではありません。

登れないと思えるような高い山も、一歩ずつを積みかさねていけば、頂にたどりつけるもの。辛くて食べきれないと思えるカレーも、ワンスプーンずつを積みかさねていけば、完食にたどりつきます。半分、苦行ですが……。

食べている最中は「激辛にするのではなかった」と思っても、食べてから幾日もたつと「食べに行こう」と思わせるのがカレー。この店には再訪客が多いもようです。

八木カレーの食べログ情報はこちらです。
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「通話可能車両を設けてみては」


ソフトバンクの孫正義社長が、大阪市の平松邦夫市長と会い、大阪市営地下鉄が走っているとき携帯電話のメールや通信が使えるようにすることでふたりの意見が一致したと報じられています。2011年度末には、8路線すべてで整備を済ませるとのこと。

携帯電話の電波では、音声通話用とメールやインターネットの通信用の周波数帯がおなじといいます。技術的には「地下鉄が地下を走っていても、携帯電話の音声通話が使える」ようにすることは可能なのでしょう。

実際、大阪市営地下鉄に先駆けて、JR西日本の山陽新幹線は、姫路駅から岡山駅までのあいだの相生トンネルなどで携帯電話の通話を可能にする事業について、国からの補助金を受けています。

大阪地下鉄で携帯電話のメールや通信ができるようになったとき、こんな車内放送が流れるようになるのでしょうか。

「ザ・ネクスト・ステーション・イズ・ウメーダ…………フレッシュサウナの大東洋へはこちらで…………大阪市営地下鉄では、携帯電話のメール・通信が可能です。ただし通話はご遠慮ください」

地下鉄でも携帯電話で通信ができるようになれば、「通話はさせてもらえへんのやろか」と思う乗客は、いまより出てくるでしょう。もし、通話はできない技術を導入したとしても、大阪地下鉄には地上を走る部分がけっこうあり、通話をしようとする人が増えるかもしれません。

鉄道会社が、車内での携帯電話による通話をさせないのは、ほかの乗客にとって迷惑になるからといいます。日本民営鉄道協会の調べでは、「携帯電話の着信音や通話」を迷惑行為とした人は28.0%だったといいます。

車内で人どうしが会話をしているよりも、携帯電話で一人の人が電車にはいない人と会話しているほうが、ほかの乗客には違和感をあたえるのでしょう。また、携帯電話の使用自体が、心臓ペースメーカーへの電波障害のおそれもあるといわれています。

大阪市営地下鉄で通信可能サービスが始まるのを機に、いっそのこと「女性専用車両」のように「通話可能車両」という車両を設けてみては、という声も上がってくることでしょう。

では、そのような車両を望んでいる人はどれだけいるのか。インターネット上のアンケートでは、「電車にて、携帯電話通話OK車両ほしくない?」の問いに対して、「どっちでもいい」が37.8%、「携帯OK車両ほしい」が30.8%、「携帯電話はもってのほか」が23.8%、「棄権」が7.6%、という結果もあります。

けっこう「どっちでもいい」話なのでしょうか……。orz

「通話可能車両」をつくったところで、その車内でまたなにか揉めごとなどが発生しやすくなるのかもしれません。あるいは、「1両目は女性専用車」「2両目は通話可能車」「3両目はヘッドホンステレオ使用可能車」「4両目はパソコン使用可能車」「5両目は飲食可能車」などと“専用”と“可能”のオンパレードの坂を滑べりおちるのをためらっているのでしょうか。

とはいえ、通信が可能となったついでに、一定期間だけでも試みてみる価値はありそうです。

参考ホームページ
朝日新聞2011年2月5日「地下鉄で携帯OK、大阪でも 市長と孫正義氏が合意」
総務省近畿総合通信局2010年2月19日発表「山陽新幹線、岡山まで携帯電話の通話が可能に」
川崎市総合教育センター「電車の中で、なぜ『携帯電話での通話をやめてください』とアナウンスが入るのでしょうか?」
ライブドアニュース ネットリサーチ ビジネス「電車にて、携帯電話通話OK車両ほしくない?」
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抗アルツハイマー薬登場も“大きな期待”は小さい
アルツハイマー病は、認知症の中で日本で最も患者数の多い病気といわれます。しかし、2010年まで、アルツハイマー病の進行を抑えるための薬は1種類しか使われてきませんでした。

2011年は、日本で久々にアルツハイマー病関連新薬の登場の年となります。状況は変わるでしょうか。

アルツハイマー病に対して使われてきた薬は、長らく「ドネペジル」(製品名はアリセプト)というものだけでした。

ドネペジルの構造

アルツハイマー病の患者の脳では、アセチルコリンという神経伝達物質の分泌量が減っていることが知られていました。アセチルコリンは、コリンアセチルトランスファーゼという酵素のはたらきで分泌量が増え、またいっぽう、アセチルコリンエステラーゼという酵素のはたらきで分泌量が減ります。

アセチルコリンエステラーゼの働きを抑えれば、アセチルコリンがたくさん出るようになります。このしくみをもったのが、ドネペジルです。

ドネペジルが日本で使われはじめたのは1999年。それからは11年間、アルツハイマー病関連新薬は登場しませんでした。

2011年1月から、「ガランタミン」と「メマンチン」という新薬が日本で使われることになりました。国から許可が下りてから、実際に使われはじめるまで時間がかかるため、2011年の春以降に本格的に使われるようになりそうです。

ガランタミン(製品名はレミニール)は、ドネペジルと同じく、アセチルコリンエステーラーゼの働きを抑えるしくみをもつ薬。加えて、これまでの薬になかったしくみとして、ニコチン性アセチルコリン受容体という物質と結びついて、アセチルコリンが多く出るように、神経伝達の効果を高めます。

メマンチン(製品名メマリー)は、ドネペジルやガランタミンとはちがうしくみをもっています。脳のなかの「NMDA(N-メチル-D-アスパラギン酸)受容体」という物質と結びつくことで、カルシウムイオンを脳の細胞へ入れにくくし、これによって脳の細胞死を抑えるというもの。

まずは、ガランタミンとメマンチンが登場します。さらに、「リバスチグミン」という薬も続けて登場する予定。アセチルコリンの分泌を促す点は、ドネペジルやガランタミンと同じですが、貼り薬として使える点が特徴的といわれます。

薬の種類が多くなるのは、医療にとってはよいこと。しかし、ドネペジル、ガランタミン、メマンチン、リバスチグミンのいずれもが、アルツハイマー病の原因そのものにはたらきかけるものとはいえません。

そもそも、アルツハイマー病の原因が解明されていないのです。それぞれの新薬に対して、「効果のほどはドネペジルとあまり変わらないのでは」という医療関係者の声も聞かれます。

参考ホームページ
ヤンセンファーマ2011年1月21日発表「アルツハイマー型認知症治療剤『レミニール(R)』製造販売承認取得のお知らせ」
第一三共2011年1月21日発表「NMDA受容体拮抗アルツハイマー型認知症治療剤『メマリー(R)錠5mg、10mg、20mg』製造販売承認取得のお知らせ」
薬事日報 2011年1月25日「抗認知症薬『メマリー』『レミニール』が登場」
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書評『「大発見」の思考法』
すべての研究者にあてはまるわけではありますまい。とはいえ、研究者ならではの思考法が垣間みれる一冊です。



山中伸弥と益川敏英。iPS細胞(人工多能性幹細胞)を樹立した生命科学の研究者とノーベル物理学賞を受賞した研究者。ふたりの名は科学に興味ある人でなくとも知っているくらいに知れわたっている。

このふたりが忙しいあいまを縫って対談を行った。本書は、その対談を会話文でつづったものだ。

息投合したのか、司会者の質問のふりかたがうまかったのか、山中氏も益川氏も、かなり赤裸々に“科学の本当のところ”を披露している。

たとえば、科学の研究に論文発表はつきものだが、発表済みの論文には記述のまちがいもあるという。そんなとき、あとから発表するべつの論文で、自分がおかした記述まちがいをどう取りつくろうか。

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益川 「この式が間違っていましたので、このように訂正して下さい」なんて絶対に言いません。
 どうするかというと、「あそこの式は、こう読まれるべきである。こう読まれなければいけない」というような書き方をする(笑)。
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このくらいの太々しいほうが、競争力のある研究者と評されるのだろう。

山中氏もまた、iPS細胞にかかわる逸話をおおいに語っている。「iPS細胞」の“i”は、はやりの“iPod”などをまねて山中氏が小文字にしたというのはよく知られた話。さらに、この命名をめぐって、こんなことが語られる。

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山中 我々が命名した「iPS細胞」という名前をアメリカの研究グループが論文中で使ってくれたのも、そういうネットワークのおかげじゃないかと思うんです。何度もアメリカにわたってむこうの研究者と親しくしてきましたから、彼らも、「シンヤが付けたiPS細胞という名前を、勝手に変えるのはかわいそうかな」と思って、使ってくれたのかもしれない。
―――――

iPS細胞の開発は、山中氏だけでなく、米国ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソンもさかんに行っていた。激しい研究競争のなかでも、トムソンは山中氏が名づけた「iPS」を尊重したわけだ。競争相手はよきライバルであることをうかがわせる。

『「大発見」の思考法』という書名に対しても、山中氏、益川氏の両者がその方法の一端を紹介している。ひとことでいえば、“逆転の発想”だ。

山中氏は、あとすこしでiPS細胞を樹立するという段階で、もとの細胞に導入する24種類の遺伝子の選びかたを考えていた。24種類まではしぼられた。だが、すべてが必要なわけではなさそうだ。この状況で、山中氏の研究チームの助教が思いつく。

―――――
山中 高橋くんが、こんなことを言いました。
「二十四個の中から、遺伝子を一つずつ減らしてみたらどうですか?」
―――――

24種類の遺伝子から、遺伝子Aを除いたら、iPS細胞はつくられた。遺伝子Bを除いたら、iPS細胞はつくられた。遺伝子Cを除いたら、iPS細胞はできなかった。といった具合に引き算式に試していくことで、iPS細胞がつくられるための4種類の遺伝子を特定したという。

益川氏のノーベル賞受賞理由となった「cp対称性の破れ」の発見にも“逆転の発想”があった。この理論を説明するには、クォークとよばれる素粒子が4種類、必要だと考えられていた。だが、4種類のクォークではどうしても説明しきれない。

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益川 ある日、僕は家で風呂につかりながら、「カッコ悪いけど、クォークが四種類あってもうまい理論は組み立てられません、という論文を書くことにしよう」と、心に決めたんです。ここでもう4次元モデルに見切りをつけようとしたわけ。そう決めて湯船から立ちあがった瞬間、「あっ!」と閃いた。「四つにこだわっていたからダメだったんだ。六つにしたらうまくいくじゃないか!」と。
―――――

この閃きが、「小林・益川理論」とよばれるようになる研究業績につながった。

「大発見」ならずとも、ちょっとした“気づき”を起こすためのヒントが多く語られている。文章も構成者によってほどよく整理されていて、iPS細胞やcp対称性の破れについての説明もわかりやすい。

研究者の生きかたや考えかたを気軽に読める。それでいて、読者自身の思考法の足しになる話は多い。ふたりの経験が豊富だからこそなせるわざなのかもしれない。

『「大発見」の思考法』はこちらからどうぞ。
| - | 23:59 | comments(0) | -
江戸の女性もファッションに敏感


熊本市二の丸の熊本県立美術館で、「浮世絵にみるファッションの世界」という展覧会が開かれています。(2011年)2月27日まで。

浮世絵は、江戸時代に広まった大衆画。多くは版画による絵です。人物が大きく描かれるもの絵が多くあり、美人画は花形でした。

フライヤーにも描かれているのが、歌川豊国(1769-1825)の『遠眼鏡美人図』。「遠眼鏡」とは、いまでいう望遠鏡。オランダで発明されてからわずか5年後、1613年には徳川伊家康に献上されたといいます。

江戸中期にも流行した遠眼鏡。屋外の座敷で、遠くの富士山でも眺めているのでしょう。いまの時代でいえば、「最新の3次元眼鏡をはめた女優」といったところ。絵の右外にはだれかがいるらしく、女性の眼はそちらのほうに向けられています。

着物は緑と紅の対照的な色。また、服と並んでもうひとつのファッションの見せどころだった髪には、かんざしが数多く刺さっています。

展のおしらせの「解説」にも紹介されている『桜下美人逍遥図』は、鳥文斎栄之(1756-1829)が描いた浮世絵。

桜の花びらの下で、四人の女性がそれぞれ、花を見つめたり、地面に落ちた花びらに手を伸ばしたり、会話をしたりしています。このころ、体系のファッションは細くてしなやかな“柳腰”だったといいます。右に立つ女性の着物の流線型が美しく描かれています。

ほかにも目をみはる作品は多々。歌川国峰の『潮干狩図』は、江戸時代のレジャーだった潮干狩で、母親が息子にはまぐりを指しだす瞬間が描かれています。遠く海のむこうの陸地のぼけ具合と、人物たちの着物の鮮やかが対照的です。

また、三畠上龍の『犬と美人図』は、足元の犬が裾を加えて御御足があらわになった美人の絵。飼い犬なのか、美人は穏やかな表情で、内輪をもって犬を払おうとします。なぜか胸元もはだけており、セクシーな浮世絵です。

江戸時代のファッションの最先端が、浮世絵をつうじて感じられる展覧会です。「浮世絵にみるファッションの世界」は、熊本県立美術館で2月27日(日)まで。美術館によるおしらせはこちらです。
| - | 23:43 | comments(0) | -
“本物”と“疑似”、使われる場は別世界
お肌の健康を保つため、コラーゲンが世の中でもてはやされています。

ただし、コラーゲン入りのフカヒレやラーメンは、肌のつややかさに直結するわけではありません。食べものとして体に取りこんでも、消化・吸収されてしまい、肌の一部にはならないからです。

コラーゲンを含むお肌の膜は、「基底膜」とよばれています。肌の表皮と真皮との境目には、基底膜があり、これが二つの層の間にはさまれています。

コラーゲン

いっぽう、生物の現象を分子の寸法でとらえる分子生物学の世界では、「疑似基底膜」とよばれる膜が活用されています。

英語にすると、“synthesized Basement Membrane substratum”または“sBM”。人工的につくった、基底膜に似た構造です。

この疑似基底膜が重宝がられているのは、ES(胚性幹)細胞の分化誘導におおいに役立つから。ES細胞は、さまざまな種類の細胞に分化する能力と、自分自身を複製することができる能力をもちあわせた細胞で、胚を使って人工的につくられます。

このES細胞を使って、たとえば膵臓などの系統の細胞に分化誘導したいとき、疑似基底膜のうえにES細胞を組みあわせれば、効果的に膵臓系統の細胞へと導かれるといいます。

さらに、疑似基底膜は、幹細胞を使って上皮組織をつくろうとするときなどにも役立てられます。

本物と疑似。使われる場はかなり別世界です。

参考文献
国立環境研究所「バイオナノ協調体による有害化学物質の生態影響の高感度・迅速評価技術の開発」
国立環境研究所研究者紹介
| - | 13:04 | comments(0) | -
「ホール効果」の「ホール」は「穴にあらず」の落とし穴
物理の現象のひとつに「ホール効果」とよばれるものがあります。

物質には、電流が流れるものと流れないものがありますが、電流の流れる物質を考えます。

この物質の電流の流れている方向に対して垂直の方向に、磁石の力の影響をあたえると、電流の方向とも磁力の方向とも垂直になるような角度に、電流を生じさせる原因となる新たな力が発生するというものです。

乗りもののたとえでいえば、東京の秋葉原駅で南北に走る山手線と東西に走る総武線が十字で交差するたびに、地中から空に向かう新規の乗りものが走りだすようなものです。

電流と磁場の状態を制御することにより、電子の進行方向を変えることができるわけです。磁場の大きさを測る磁気センサや、電流の状態をはかる電流センサなどには、このホール効果が使われています。

「電流と磁石でべつの方向に新たな力が生まれるとは」。そう興味をもった人が、さらにくわしくホール効果のしくみを知りたいと考えました。「まずは、ホール効果を研究する工学者の講演を聞いてみるとしよう」。

ところが、講演を聴いているうちに、この人は「いまいちわからないな」と思うようになってきました。「“ホール効果”というけれど、いつになったら“穴”が登場するのだろう」。

電磁気学では、負の電荷をもった電子に対して、正の電荷をもった粒子のようにふるまう部分を「ホール」とよびます。負の電子が抜けているため、穴があいたとみなされ、ホールとよばれるわけです。このホールは「正孔」ともよばれています。

工学者の講演では、いっこうに、この「ホール」つまり「正孔」が登場しないわけです。

講演を聴きにいった人が、あとでこの工学者に聞くと、その答えがわかりました。

「ホール効果の“ホール”は人名なのです」

米国にエドウィン・ホール(1855-1938)という物理学者がいました。ホール氏は1879年、物理学の学位を得るための実験として、金箔やガラス板を材料にした実験をしました。その成果として、のちに「ホール効果」とよばれるようになる現象を発見したのです。

英語にすると「ホール効果」は“Hall Effect”。「穴」のほうの“Hole Effect”ではありません。

最近では、ホール効果からの応用として「量子ホール効果」や「スピンホール効果」といった現象もしくみ解明が進んでいます。ほかの言葉がつらなって、ますます「ホール」が、人名であるということは見えづらくなっています。

物理などの現象を理解するうえでは、現象の名前に注目することが大切。思わぬところに理解をさまたげるような、“落とし穴”があるのかもしれません。


エドウィン・ホール

参考文献
勝矢大輔「ホール効果」
科学技術振興機構など「世界で初めてマグノンのホール効果を観察」

この記事は、日本科学技術ジャーナリスト会議が2011年2月1日に行った月例会の内容を参考にしています。
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1946年夏場所は直前まで開催予定だった
大相撲の(2011年)春場所が開催されないことが決まりました。力士による八百長が原因です。番狂わせの多い“荒れる春場所”は、“沈黙の春場所”となってしまうわけです。

本場所が行われないのは、65年ぶり。1946(昭和21)年の夏場所以来となります。

当時の大相撲は1年に2場所の制度。太平洋戦争中も大相撲は行われ、1944年には、風船爆弾工場として接収された旧両国国技館にかわり後楽園球場が使われたり、1945年6月の夏場所では旧両国国技館が焼失したため屋外で非公開7日間という日程で行われました。

戦前の旧両国国技館

戦時中も行われていた相撲は、終戦の翌年1946年には開催中止となりました。理由は「旧両国国技館の改修が遅れたため」といわれています。

しかし、過去の雑誌記事などは、開催の事前まで夏場所が開かれる動きがあったこともうかがわせます。

たとえば、日本相撲協会が発行する『相撲』の1946年2・3月合併臨時特集号では「危局克服」という特集のもと、「夏場所本極り」という記事が掲載されています。

また、同年4月に入っても、博文館が発行する『野球界』という雑誌で、「夏場所好取組勝負予想」という記事が載っています。好取組の例は、「照国対羽黒山」「羽黒山対千代ノ山」「安芸ノ海対佐賀ノ花」などなど。

1946年、日本は連合国軍による統治を受けていました。連合国軍の指示で旧両国国技館は、「メモリアルホール」という名で再建されようとしていました。しかし、夏場所には間にあわなかったようです。

連合国軍による占領下でなければ、おそらく日本相撲協会は、どこかの屋外広場を使って夏場所を開いていたのでしょう。

しかし、4月から5月ごろにかけて、占領軍による「中止」の指示で、開けなくなったことが考えられます。

その後、メモリアルホールが使える状態になったのは、同年11月で、この場所で秋場所が開かれました。しかし、その後はメモリアルホールでの開催の許可が下りず、大相撲はしばらく神宮外苑などの屋外で開催することになりました。

1946年夏場所の中止も、日本相撲協会にとっては苦渋の決断だったのでしょう。しかし、今回の協会内の力士が原因で余儀なくされた中止とは、まったく異質の理由でした。

参考ホームページ
「エキサイト大相撲」
「占領期新聞・雑誌情報データベース」
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文系よりまだ有利。でも前年比の落ちこみは大きい。
「氷河期」という表現は、地球史よりも学生の就職活動でおなじみになりました。

厚生労働省は1月に、2011年春卒業見込み大学生の就職内定率は過去最低の68.6%であることを発表しています。10人中3人が、まだ就職先が決まっていない状況です。

「大学卒。すぐ就職」という進路に入らないかぎり幸せをつかめない、というわけでもないでしょうが、多くの学生が企業などへの就職を目指すなかで、まだその目標が叶わない人が多くいることは、由々しきことといえます。

厚生労働省が発表している就職内定率のデータでは、複雑な結果も見られます。文系・理系別の就職内定率です。

2011年春卒業見込みの大学生(大学院生含まず)の就職内定率は、文系が68.3%。理系が71.3%。

この数値を見るかぎりでは、理系のほうがまだ就職には有利という状況といえます。

しかし、このデータと関係するほかのデータを見ると、理系学生や親が心配になる結果も見られます。


厚生労働省2011年1月18日発表資料より

まず、前年比で見てみると、文系は去年のおなじ時期にくらべて、就職内定率が3.7%の下落だったのに対して、理系は7.3%の大幅な下落。状況は、理系のほうが厳しくなってきているといえます。

まだ、就職内定率で理系のほうが3.0%上回っているのは、私立大学の存在があります。私立大学の学生の就職内定率は、文系66.1%に対して、理系67.8%。この私立大学の理系の優位差が、「3.0%上回り」の原因になっています。

しかし、かといって私立大学の理系学生は、けっしてよろこべる状況にはありません。理系の67.8%は、国公立大学の理系学生の就職内定率75.6%にくらべると、はるかに低いからです。

理系は、大学院の修士課程まで進んでから就職する人も多いため、状況は複雑です。とはいえ、単純に文系・理系でくらべてみると、現状ではわずかに理系のほうが有利といえそうです。そのいっぽうで、昨年と今年でくらべてみると、あきらかに理系は厳しい状況になっているわけです。

参考文献
厚生労働省2011年1月18日発表「平成22年度大学等卒業予定者の就職内定状況調査(平成22年12月1日現在)大学卒業予定者の内定率は過去最低の水準」
| - | 23:59 | comments(0) | -
ヒマラヤでひっそり生きる草花が主役


東京・本郷の東京大学総合研究博物館で、「ヒマラヤ・ホットスポット 東京大学植物調査50周年」という特別展が開かれています。(2011年)2月27日(日)まで。

ヒマラヤは、インドとチベットの間に東西につらなる大山脈。いまのインドはかつて大きな島でした。これが海を北上してアジア大陸にぶつかり、押しあがってヒマラヤ山脈ができたといいます。

東京大学は、ヒマラヤにおける植物多様性の研究を1960年代からしてきました。押し葉標本にした数は40万点。そして、数々の新種も発見しています。

会場では、押し葉標本や液体に保管された標本の数々、調査に使った道具、大型植物の実物大模型などが展示されています。


ヒマラヤの草花は、どれも大型植物のセイタカダイオウなどをのぞけば、地味なものが多く、高地にひっそりとたたずんでいるようです。

しかし、過酷な環境のなかでの生存戦略はさまざま。雨に打たれてうなだれたように花をつけるのは、キク科のCremanthodium。また、ケシ科のPhlomisは、地面にへばりつくように花を咲かせます。

また、ふかふかの座布団のような姿をした「クッション植物」も生きています。クッションの内側は、夜でもまわりの気温より高く、保温性があることがわかりました。


高山でけなげに生きのびようとする植物たち。その姿を見つめつづけた研究者たち。主役をヒマラヤの植物たちに据えている展示方法は、植物を研究する人々の慎ましやかな心を象徴しているかのようです。


特別展示「ヒマラヤ・ホットスポット 東京大学植物調査50周年」は東京大学総合博物館で、2011年2月27日(日)まで。博物館への入場は無料です。
| - | 23:57 | comments(0) | -
角は牛から、パンツは虎から、肌は雷から


きょう2月3日は節分。「鬼は外、福は内」と豆まきをした人もいることでしょう。鬼の役に徹して外に飛びだしていった人もいることでしょう。お疲れさまです。

鬼の頭には牛のような角。はいているパンツはみな虎柄。そして体の色は、赤、青、黒、緑とさまざま。いでたちはけっこうファッショナブルです。

角と虎柄パンツには、方角が関係しているといいます。鬼が出入りする「鬼門」は東北の方角にあり、これは十二支で表すと、丑と寅のあいだになります。そこで、鬼は牛のような角をもち、虎の柄のパンツをはいているのだといいます。鬼の自由意志かどうかはわかりません。

では、色とりどりな肌の色のほうはどうか。これには、雷の光の色と関係しているのでは、という話があります。

人が目で体感する雷は黄色や白に見えますが、カメラなどで撮ると雷の状態によって様々な色に写ります。ものが放射する色は温度によって変わるのです。

雷が、どちらかというと赤く光るときがあります。マイナスの電荷の雲から、地上にバリバリバリと落ちる「負極雷」(ふきょくらい)です。こちらの雷はジグザグに折れ曲がって、電流は小さくなるので温度は低め。

いっぽう、雷は青色に光るときも。プラスの電荷を帯びた雲から、地上に一直線にドカーンと落ちる「正極雷」(せいきょくらい)が落ちるとき、青く光ります。正極雷はエネルギーが強いので温度が高め。温度が高いものの光は青くなるのです。

また、雷が落ちるはじめる瞬間には「先駆放電」という放電が起きます。このときの光の色は、緑色になることがあるといいます。

赤鬼、青鬼、緑鬼。みっつ揃いました。でも、鬼の代表的な色にはもうひとつ、黒があります。故いかりや長介さんの雷コスチュームも、黒でした。

“黒い雷”は「雲間放電」という現象で説明できるといいます。雷はすべてがすべて地上に落ちるわけではありません。雲と雲のあいだを放電する雷があります。これが雲間放電です。

真っ黒な入道雲のなかで、音は聞こえずに光る。これが、黒鬼の起源ではないかというわけです。

節分でのコスチュームのような鬼の姿は、平安時代ごろから見られたといいます。「鬼の色は雷の色から」という説が本当だとすれば、当時の人々の雷を見る眼は、いまのカメラと同じくらい研ぎすまされていたのかもしれません。

参考文献
饗庭貢『カミナリなんて怖くない』
| - | 22:54 | comments(0) | -
“逸話”も“トリビア”もコンピュータに聞け

人間がコンピュータよりまさる能力はいくつもあります。いっぽうで、コンピュータが人間よりまさる能力もあります。

「検索」もそのひとつ。文書やデータなどの情報から、必要なことがらを探しだすことです。

たとえば、読んでいる小説のなかで「そういえば、どこかのページに“愛敬痘痕”という言葉がでてきた場面があったな」と思い出したとします。人が「愛敬痘痕」を検索するときはページをぱらぱらめくるわけですが、見逃してしまうことも。いっぽう、電子書籍などのコンピュータ上の検索機能では「愛敬痘痕」と入力すればかならずひっかかるわけです。

膨大な情報の海であるインターネットのなかで、求めていることを検索するとなれば、コンピュータの独壇場。しかし、そのコンピュータの能力を使うことができるのが人間です。

たとえば、人に「へえ」と思われることを喜びとする人が話題の種をしいれようとするとき、インターネット検索で「“この話には続きが”」と検索するといいます。

逸話めいた話がいったん終わってから、さらに興味ぶかい後日談などを述べるとき、人は「この話には続きがあります」などと表現して、延長戦をはじめるもの。

そこで「“この話には続きが”」と入れて検索すれば、ウェブ上の興味ぶかい後日談にありつくことができるわけです。

グーグルで「“この話には続きが”」検索をすると該当件数は424,000件。これだけの後日談や延長戦があるのです。

「“答えは何々です”」検索というのもあります。記事の原稿の導入部分などで、テーマが読者と身近であることを示そうと考えて、その題材を探すときに「“答えは日本です”」などと検索します。

すると「それでは、世界最大のとうもろこし輸入国は何処でしょうか。 その答えは、日本です」とか「ネギの生産量が世界一の国はどこ? 答えは日本です」などとひっかかります。

こうして得られた情報をもとに、「世界で一番ネギをつくっている国と、世界でいちばんトウモロコシを輸入している国はいっしょ。どこかというと、日本なんです」などと原稿で使うというわけです。

インターネットの検索機能を使えば、ウェブ上に求めている言葉が存在するかぎり、コンピュータはかならず答えてくれます。となれば、いかに検索内容を練るかが人と人の知恵くらべになります。
| - | 23:57 | comments(0) | -
故郷に帰れなかった失敗が進化をもたらす


進化の系譜をさかのぼると、人の祖先は魚にたどりつくといいます。

「進化の系譜」とはいうものの、人からすれば祖先の魚にも人が驚くような能力があるもの。

たとえば、魚には「母川回帰」(ぼせんかいき)という能力をもったものがあります。サケはその代表格。生まれ育った川に、ふたたび戻ってきて産卵をします。

なぜ、サケは生まれ育った川に戻ってくることができるのか。これは長年の謎です。

においにとても敏感で、故郷のにおいを嗅ぎとることができるといった説や、川と海を泳いできた“道順”をすべて覚える能力があるといった説、また、太陽や地磁気を自分の位置把握のための道具にしているといった説まであります。

こうしたサケの能力の高さを知ると、人はつい「すべてのサケが故郷の川に戻ってくるのだ」と思ってしまいがちです。

しかし、実際はそうではありません。そして、そうではないということがサケという集団にとっては大切なことになります。

サケには、すぐれた成績で母川回帰する種類と、ややおとる成績の種類があるといいます。いずれにしても、産卵まで生きのこる100匹のうち、100匹すべてが故郷の川に戻ってくるわけではないのです。

もし仮に、サケに「故郷に戻って産卵するぞ」という意思があるとすれば、別の川をさかのぼってしまうことは、そのサケにとっては失敗といえます。「あれ、どうやらこの川、子どものころに過ごした川じゃないぞ」。

でも、ぎゃくに、仮にすべてのサケが完璧に故郷に戻ってくるとするとどうなるでしょう。石狩川で育ったサケが100%石狩川に戻り、千歳川で育ったサケが100%千歳川に戻ったとしたら……。

サケは、それ以上、広い範囲で生活することがなくなってしまいます。石狩川出身のサケは石狩川に戻るだけ。千歳川出身のサケは千歳川に戻るだけ。分布域が広がらないわけです。

「あれ、どうやらこの川、子どものころ過ごした川じゃないな」「あら、あたしもこの川、見おぼえがないわ」。こうしたサケのオスとメスがいれば、「見なれないけれど、この川で産卵しませんか」「ええ、お受けしますわ」となり、その川で新たなサケの命がうまれることもありえます。

“母川回帰の失敗”があるからこそ、サケの生息範囲は広がり、また遺伝子の多様性が広がることになります。

母川回帰できなかったサケが「失敗した」と感じるかどうかはわかりません。もし、これがサケという一個体にとっての失敗だとしても、サケ科というより大きな集団からすれば進化のもとになるわけです。

参考文献
上田宏「サケの感覚機能と母川回帰」
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