科学技術のアネクドート

「まだ間に合う!糖尿病」。間に合わなくなるかもしれない日本の研究。


きょう(2011年)1月31日発売の『週刊東洋経済』では、「まだ間に合う!糖尿病」という特集が組まれています。この特集の「薬物療法は選択の時代へ」と「糖尿病克服の日は来るか」という記事に原稿を寄せました。

糖尿病は、膵臓の膵島というところにあるβ細胞からインスリンというホルモンが出にくくなったり、インスリンが血管内で余分な糖を処理しにくくなったりする病気です。血液のなかの糖が処理されないままほおっておくと、神経症、網膜症、腎症や動脈硬化などの合併症が起こります。

糖尿病には、β細胞からインスリンがまったくといってよいほど出なくなる1型と、インスリンの出が悪くなったり効きが悪くなったりする2型に大きくわけられます。今回の特集では、メタボリック症候群や肥満とも関係する2型に焦点が当てられています。

「糖尿病克服の日は来るか」という記事では、東京大学幹細胞治療研究センターの中内啓光教授ら、先端科学の研究者への取材がもとになっています。

中内教授は、ブタの体内で人の膵臓をつくり、患者に本人由来の膵島を移植するという医療をうちたてようとしています。このブログの(2011年)1月3日の記事「“工場”で再生して取りもどす」にある内容です。

この方法で使われようとしているのが、ヒトのiPS細胞(人工多能性幹細胞)やES細胞(胚性幹細胞)。どちらの細胞にも、目的の種類の細胞に分化する能力があります。

「機能的にはiPS細胞もES細胞もいっしょ」と話す中内教授。しかし、iPS細胞のほうが、倫理的な問題をほぼ解決しているといわれます。ES細胞は人の萌芽ともいえる胚を使うのに対して、iPS細胞は胚を使わなくてもつくることができるからです。

では、iPS細胞が倫理的課題に対しても“万能”なのかといえば、けっしてそうとはいえません。

iPS細胞を使った研究にも、政府が倫理的な理由で歯どめをかける場合があるのです。文部科学省は、ヒト由来の細胞と、動物由来の細胞が混ざった胚を、生物の胎内に入れることを禁止しています。ヒトiPS細胞もこの中に含まれています。

海外に目を向けると、英国では申請をすれば研究の許可が得られる状況。米国でも、少なくとも自費で研究をする分には、完全に研究が許されています。中国に至っては、制度自体が打ちたてられておらず、“研究したい放題”です。

日本の幹細胞研究に対する厳しさは、世界的な研究競争から取りのこされる状況を打ちたてるのかもしれません。そうなってから「あのとき規制を緩めればよかったのに」と言っても間に合いません。

記事で、中内教授はこう語っています。「新しい医療は、当初は受け入れられなくても、理解されることで支持を得ていくもの。科学者のやりたいことが自由にできるようになるべき。ただし、そのために重要なのは研究の透明性を保つこと」。

研究する中での科学的課題とともに、研究する外での制度的課題があるのが、いまの日本の幹細胞研究をめぐる状況です。

『週刊東洋経済』「まだ間にあう!糖尿病」特集号のもくじはこちら。
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乗せられて「よし、それじゃあ私が説明しよう」


米国や英国のテレビ局がつくる科学ドキュメンタリー番組には、“一定のかたち”が見受けられます。

何人かの研究者がつぎつぎとインタビューに応えるかたちで登場し、「A博士の話、B博士の話、C博士の話、そしてまたA博士の話」といったようにつないで展開させる手法です。

日本の番組でもこのような方法が使われないわけではありません。しかし、米英の番組ほど、形式化しているわけでありません。

たとえば、英国のドキュメンタリー番組では、研究者一人ひとりに行った取材内容が、つぎのようにつなげられることがあります。

A博士「その問題はあまりに根深すぎるんだ。いま、ここで説明するのはむずかしいな」

B博士「よし、それじゃあ私が説明しよう。この方程式の根底にあるのは……」

べつべつに撮影した取材内容を編集でつなげて、あたかもA博士の話を受けてB博士が話しだすといったように、映像を展開させるわけです。

それにしても、そんなに都合よく「よし、それじゃあ私が説明しよう」などといったセリフを研究者が話してくれるものでしょうか。

英米と日本のドキュメンタリー番組づくりでの大きなちがいに、「ディレクターが細部にわたる取材の台本を用意しているかいないか」があるといいます。

日本では、質問する内容くらいは研究者にあらかじめ伝えるものの、「このようなセリフを話してください」といった指示をすることはまずありません。

しかし、英米のドキュメンタリー番組づくりでは、番組制作者が取材対象者に「では、次のシーンではこのように話ししてください」と、言ってもらうセリフをあらかじめ伝えることが多いといいます。

「では次に『よし、それじゃあ私が説明しよう』とおっしゃってください」「はい、わかりました」。そんなやりとりが、撮影前に行われているのです。つまり、番組制作者側が用意した台本あるいは物語に、取材を受ける研究者側は“乗せられている”ことになります。

日本では「ドキュメンタリー番組だというのに、そんなことをしたら“やらせ”では」と思われかねない手法です。しかし、英米では“台本ありき”は常識のように行われています。

この常套手段によって、英米のドキュメンタリー番組では「よし、それじゃあ私が説明しよう」といった都合のよい研究者のセリフが聞かれるのでしょう。

「ドキュメンタリー」とは「虚構を用いず記録に基づいてつくったもの」の意味。では「虚構」とはなにかというと、「事実でないことを事実らしくしくむこと」。

英米のドキュメンタリー番組で研究者が話している内容は、「事実ではない」とはいえません。英米のドキュメンタリー番組制作者がやっているのは、「事実を事実らしくしくむこと」となります。日本人には違和感をもたれそうですが。
| - | 23:59 | comments(0) | -
情報豊富、「健康と医学の博物館」開館


東京・本郷の東京大学医学部に「健康と医学の博物館」が(2011年)1月20日に開館しました。

1858(安政5)年、「神田お玉ケ池種痘所」という医療施設が開かれました。当時、江戸の街で否定的であった天然痘予防法の種痘をはじめた医療施設。これが東京大学医学部の起源です。創立から150年を記念し、152年目のことし博物館が開かれたというわけです。

館は、もともとあった医学部総合中央館の1階の一部を改造してあります。館内の空間はおもにふたつ。常設展示と企画展示の空間にわかれています。

常設展示では、東京大学医学部の歴史や研究室の紹介が展示物とともにされています。1890年代に使われた聴診器、1960年代に使われた胃カメラなどが置かれています。


いっぽう、企画展示の空間のほうでは、「感染症への挑戦」という企画展が開かれています。2011年5月上旬までの予定。

種痘は感染症を防ぐために行われたもの。そのことにちなみ、感染症についての知識提供と、東京大学での感染症研究の歩みなどが紹介されています。


感染症の概要、東京大学を中心とした感染症対策の歴史、感染症対策に役立てられてきた道具、そして、感染症研究の未来といった、四つのテーマからなっています。

この企画展で特徴的なのは、情報の多さ。菌類のミニチュア版や、大正時代の天然痘ワクチン、手術着といったものも置かれていますが、はるかに多いのは説明の掲示板です。


病原体の感染経路、病原体発見の歴史、破傷風菌の血清療法の確立、次世代ワクチンの開発が進む、がんのウイルス療法といった、古今の感染症研究についての情報が、一枚一枚の掲示板に書かれています。これらの情報をひとまとめにすれば、厚めのブルーバックスが1冊できあがることでしょう。

来場者にとってありがたいことに、展示物の撮影はフラッシュをたかないかぎり自由。「感染症について一から勉強したい」という人にはおあつらえむきです。

東京大学医学部「健康と医学の博物館」のホームページはこちら。
開館についての報道発表はこちら。


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東京23区での目撃情報、ハクビシンがタヌキ抜く


「東京タヌキ探検隊!」というプロジェクトを主宰している動物ジャーナリストの宮本拓海さんが、このたび「東京タヌキ報告書」(2011年版)を発表しました。

東京にヒト、イヌ、ネコ、ネズミ、コウモリ以外の野生哺乳類が暮らしていることは、宮本さんの活動やマスメディアによる紹介ですこしずつ知られるようになってきました。今月(2011年1月)6日の東京新聞でも、皇居や赤坂御用地を闊歩するタヌキが紹介されています。

宮本さんは、毎年にわたり「タヌキなどの野生哺乳類を東京23区で見た」といった目撃情報を集めています。2010年に寄せられたタヌキの目撃情報は137件。前年の169件からやや減っています。

いっぽう、宮本さんが「驚きの結果になりました」と話すのが、ハクビシンのことです。ハクビシンはジャコウネコ科の哺乳類で、体長50センチメートルほど。体は全体的に黒っぽいのですが、鼻すじは白。そのため「白鼻心」とよばれています。上の写真は剥製。

2010年の23区内でのハクビシンの目撃情報件数は、159件。前年の146件とくらべても増えています。

目撃される地域も、タヌキとちがいます。タヌキが、練馬区、杉並区、板橋区など北西の地域でよく見かけられるのに対して、ハクビシンは「薄く広く分布している」(宮本さん)。過去3年間の目撃情報では、23区すべての区で目撃されたといいます。

宮本さんは、23区にハクビシンについて「少なくとも数百頭のレベルでの生息は確実である」と推しはかっています。また、都会にはりめぐらされている電線が、ハクビシンの生活を支えているとも言います。「ハクビシンにとっては森林の樹上と似たような環境に見えることだろう」。

これからも、都会で暮らすタヌキ、ハクビシン、アライグマ、アナグマ、キツネなどの野性動物の目撃情報を集め、またみずからで探しまわるようです。「東京タヌキの調査研究は地域住民からの目撃報告に支えられています。これからもご支援をよろしくお願いします」とよびかけています。

「東京都23区内のタヌキ、ハクビシン、アライグマの目撃情報の集計と分析」(2011年1月版)はこちら。2008年から2010年のタヌキやハクビシンの目撃分布図なども載っています。
「東京タヌキ探検隊!」のホームページはこちら。
| - | 18:35 | comments(0) | -
おなじ相手におなじ話をしているのに気づいたときは必死


めったにあることではありませんが、人と話している最中に「あっ、この話、まえにもこの人にしたことがあった」と、気づくことがあります。

口に出したことばから、まえにおなじ相手に話した場面が思いだされたり、まえにも聞いたことがあるような返事を相手から聞いて思い出されたり。

おなじ話を何度もされると、「あの人、またおなじことを言ってやがる」と、嫌気がさす人もいることでしょう。「まえにも話したかもしれませんけれ」などと、予防線を貼って会話にのぞむ人さえいます。

「おなじ話をおなじ相手に繰りかえすまい」と意識している人が、だれかにおなじ話をしてしまい、その行為の最中、そんな自分に気づいたとしたら、かなりの衝撃を受けることでしょう。「あっ、いま俺、やっちゃっているじゃん」と。

「あっ、この話、この人にまえにしたことがあった」と気づいた瞬間、それまでの滑らかな口調は、急にしどろもどろになることでしょう。話しも上の空に。

相手から「あ、この人、前とおなじことを言ってるのに気づいてないよ」と思われるかもしれません。おなじことを繰りかえし言ってしまった人にとっては、そう思われていると思うことがいやになるわけです。

その後にとる行動は、人によっていろいろとありそうです。

「まえに話したことだけを伝えるだけではないのだぞ」ということを示すため、新たな話をむりやり加える。これはとっさの気転が必要になりそうです。

まえに話したことであることを承知して、ひととおり話しおえたあと、「まえにも話したことだけどね」と“倒置法”でひと言を付けくわえる。これはなかなか現実的な対処法でしょう。

まえにおなじ話をしたことがあるということにはなにも触れないで、ただ時が過ぎるのを待つ。これは忍耐力が求められそうです。

または、むりやりべつの話題にかえてしまう。相手に「まえにおなじ話をされたな」と認識されている場合、「むりやり話題を変えようとしているな」とも思われるおそれが高いわけでリスクは高めです。

もっとも、おなじ相手におなじ話を平気でできることが、性格的にはいちばん楽なのかもしれません。
| - | 13:27 | comments(0) | -
賠償してから賠償額の対価を請求する


使っているものは材料などが劣化して、いつかは壊れゆくもの。壊れたものが原因で、人が傷を負うこともあります。たとえば、テレビや暖房の爆発事故などもそのひとつです。

人がものが原因で被害を受けたとき、その責任はだれが負うのでしょう。日本には「製造物責任法」(PL法、Product Liability法)という法律があります。

従来は、ものが原因で人が傷ついたとき、その被害者にあたる訴えた側が、ものをつくったメーカーにミスがあったことを証明しなければなりません。しかし、複雑な技術をともなうものづくりでは、これは至難のわざとなります。

そこで、メーカーに製造物責任をもたせたのが、製造物責任法。被害者が、製造者に責任を負わせることができます。

国がかわると法律も変わるもの。製造物責任について、中国では2010年7月、「権利侵害責任法」という法律が可決し、公布されました。これは、損害賠償などを争う民事裁判などで用いられる法律。権利を侵した側が権利を侵された側に対して負う責任のあり方などを定めています。

権利侵害責任法では、ものが原因で被害を受けたときの責任のあり方としてつぎのような条文があります。

―――――
第四十三条 
製品に欠陥が存在したことにより損害が生じた場合、被権利侵害者は製品の製造者に対して賠償を請求することができる。また製品の販売者に対しても賠償を請 求することができる。
製品の欠陥が製造者によって生じたものである場合、販売者は賠償を行った後、製造 者に対して返還を求める権利を有する。
販売者の過失により製品に欠陥が生じた場合、製造者は賠償を行った後、販売者に対して返還を求める権利を有する。
―――――

たとえば、中国で、ある人が使っていたテレビが火を噴いて、その人がやけどを負ってしまったとします。このやけどを負った被害者は、テレビをつくったメーカーに「けがしたからお金を払ってください」と、賠償請求することができます。これは、日本の製造物責任法と同様です。

この条文で特徴的なのは「賠償を行った後……返還を求める権利を有する」とある部分。

この法律の条文に沿うと、メーカーは、被害者から「あなたがたのつくったテレビを使っていて、こんな火傷を負ってしまった」と賠償請求を受けたとき、まずは賠償をすることになります。メーカーがたとえ「それはテレビを販売した人が爆発する原因をつくったのです」と主張したとしても、まずは訴えた側に賠償をするわけです。

納得いかないテレビメーカーが、支払った賠償額をとりもどしたいならば、こんどはテレビメーカーが販売した人に賠償請求の訴えを起こして、「テレビが爆発する原因をつくったのはテレビを販売したあなたたちですかからね」ということを証明しなければなりません。「販売者の過失により製品に欠陥が生じた場合、製造者は賠償を行った後、販売者に対して返還を求める権利を有する」という文がこれに当たります。

メーカーと販売した人の立場がぎゃくになっても、おなじことがいえます。ひとつ前の「製品の欠陥が製造者によって生じたものである場合、販売者は賠償を行った後、製造 者に対して返還を求める権利を有する」という文がこれに当たります。

いったん訴えた側に賠償をしてから、賠償額をとりもどすため、原因をつくったと思われるほかの人に賠償を求める。このようなしくみになっているわけです。

もちろん訴えた側の主張が通っている必要もありますが、訴えた側にとにかく賠償額が支払われるという、被害者側の権利を大きく守る考え方といえそうです。

ぎゃくに、訴えられた側は、自分が責任を負ういわれはないことを証明しなければ賠償額をとりもどせないわけです。

参考文献
岡村道久「製造物責任法(PL法)入門」
日本貿易振興機構北京センター知的財産権部編「中華人民共和国権利侵害責任法」(日本語訳)
「中国ビジネス相談Q&A 『中華人民共和国権利侵害責任法』について」(1)〜(3)日刊華鐘通信
| - | 23:59 | comments(0) | -
法然800回忌を「大作」でしのぶ


きょう2011年1月25日は、浄土宗の開祖・法然の命日からちょうど800年となります。

死者に対する17年、25年、50年、100年など年忌を「遠忌」(おんき)といいますが、没後800年は「大遠忌」といわれています。きょうは法然の大遠忌となるわけです。

倉敷市中央の大原美術館では、法然の大遠忌を記念して「法然上人没後800年『芹沢けい介の法然上人』」という小さな展覧会が開かれています。(2011年)3月27日(日)まで。

芦沢銈介は(1895-1984)は染織工芸家。みずからが浄土宗信者であり、法然の姿を数々描いてきました。

芹沢が法然の姿を描くようになったきっかけは、版画家の小川竜彦から「法然の絵伝をつくってほしい」と依頼を受けたことでした。

一念発起した芹沢は、法然の姿とはどのようなものだったのかを探るべく、古作絵本や絵巻などをひもとき深く研究しました。

そして1941年、法然の64場面における姿を描いた『法然上人絵伝』を完成させます。編者は民藝運動家の柳宗悦(1889-1961)と浄土宗僧侶の望月信亨(1869-1948)。

展覧会では『絵伝』のうち、逝去した往年が天に逝こうとしている姿を描いた「御往生」などが展示されています。寝台の上に横たわる法然。雲の切れ間から差しこむ光。雲の曲線の輪郭に紅色や水色があしらわれています。

芹沢は『絵伝』について「私の私家本中最も力を入れた大作」と振りかえっています。

べつの作品では、白地の麻に黒い線でくっきりと描かれた「法然上人御影」があります。型絵染という芹沢が開発した染めの技法を使って、法然の上半身を描いています。


大らかな目尻。ちょっとおちょぼな口。芹沢が法然の姿を描くきっかけをつくった小川竜彦は、芹沢が描く法然の絵を、「光があり、浄さがあり、自由さがある」と讃えています。

ほかに、小説家の佐藤春夫(1892-1964)が朝日新聞に連載し、講談社で単行本になった『極楽から来た』の挿絵集『極楽から来た挿絵集』なども展示されています。

きょうは、ほかにも京都の浄土宗総本山・知恩院で法要が行われるなどしました。各地で法然がしのばれています。

大原美術館の「法然上人没後800年『芹沢けい介の法然上人』」は2011年3月27日(日)まで。美術館による企画展のおしらせはこちら。
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ボタンの底に「カチッ」のしかけ
ふだん、あたりまえのように使っている製品には、「あたりまえすぎて気づかないけれど、けっこう気もちいい」感覚がついているものです。

携帯電話やマウスなどの“押しボタン”がある製品をつくるとき、開発者たちがとても重視するのは、“クリック感”だといいます。「カチッ」という指の感触と音のことです。


クリック感を、数値で表すとグラフのような線になります。横軸は変位、つまりボタンを押す指の位置の移動距離。縦軸は、指がボタンにかける荷重です。

ボタンを押していくに従って、荷重が加わっていきますが、あるところまで指が進むと、急に荷重が弱くなります。グラフの谷のところにあたります。

その瞬間、「カチッ」と感じるわけです。

ボタンにこの感覚を付けるためには、おもにふたつの方法があります。

ひとつは、ボタンのそこの部分に金属のドーム状の型を入れる方法。指がボタン表面のラバーを押すと、そのラバーと接している金属ドームが力を受けてへこみます。このとき「カチッ」というクリック感が生まれるわけです。

金属ドームを使う方法では、わずかな力で鋭いクリック感と音を出すことができます。

いっぽう、金属ではない物質でクリック感を演出する方法もあります。導電ゴムやエンボスシートといった樹脂をドーム状にしたものを、ボタンの底の部分に置きます。指でボタン表面のラバーをを押すと、おなじく樹脂のドームがへこみます。

クリック感という点では、金属ドームのほうに軍配が上がりそうです。

非金属の樹脂でクリック感を得るには、金属ドームのものより指の移動距離が長くなります。そのため感覚的には、「カチッ」というよりも「ブワッ」としたものに。

電子レンジや洗濯機などのボタンには、この非金属方式が使われていることが多くあります。費用的には金属ドームを使うよりも安く済むものの、クリック感を得るための方法としてはやや劣るといった評価のようです。

ちかごろは液晶ディスプレイにボタンを表示し、そこを指で触れれば操作できる方法も多く使われています。駅の自動券売機やアップルコンピュータのiPhoneなどに使われる「タッチパネル」です。こちらは、指で触れたときのクリック感は出しようがないので、せめて音の効果を出すくらい。

しかし、いくらほかの携帯電話でクリック感になれているからといって、タッチバネルを押したときの“寂しさ”はあまりありません。

これらのことからすると、「クリック感を得られても、得られなくても構わないけれど、中途半端はよくない」といった結論が導かれそうです。

参考ホームページ
特許庁資料室「クリック感触」
| - | 23:39 | comments(0) | -
「小が大を呑みこむ」を赤裸々に


日本IBMの広報誌『無限大』の2011年新春号が、このたび発行されました。

特集の主題は「求む! グローバル人材」です。日本発のグローバル人材が不足しているといった問題提起があります。この特集の「目指すはハイブリッド企業 “小が大を呑んだ”日本板硝子の決断とグローバル人材戦略」という記事などに原稿を寄せました。日本板硝子相談役の出原洋三さんへのインタビュー記事です。

日本板硝子は2006年、ガラス製造の世界シェアで上位にあった英国ピルキントンを買収しました。大規模な企業が小規模な企業を買収するのがふつうです。この買収劇は驚きをもって、“小が大を吞みこんだ”などといわれました。

出原さんは、ピルキントン買収をしかけた当事者。企業の成長を持続する必要があったこと、他社からの企業買収への予防線をはる必要があったこと、研究開発の資金を保つため規模拡大が必要だったこと、などを買収の背景にあげます。

そして、買収へ。ことの真相を振りかえります。

―――――
 当初、買収は考えていませんでした。提携を考えていたのです。そのためピルキントンの株式の保有率を10%、20%と増やしていきました。ところが、英国の法律で、企業の株式を30%以上買い占めようとする場合、すべての下部を買わなければならないことになっているのです。ピルキントンの経営側も、20%そこそこしか保有していない私どもを経営陣にいれようとはしません。
 そこでピルキントンを買収することが現実的になってきたのです。
―――――

結果的に、買収に乗り出したというのが経緯のようです。

買収が終えてからの、真のグローバル企業になるためへの試行錯誤もありました。「外国での滞在経験を重ね、英語で議論やビジネスの交渉をこなせる」のがグローバル人材であるという認識は、ピルキントンとの接触を重ねるうち、「世界のさまざまな国の、さまざまな考えを持つ人々を動かし統率していくことができる人」へと変わっていったと言います。

日本板硝子の社長はここまで二人つづけて外国人。英国人のスチュアート・チェンバースが“家庭と事情”を理由に退任したあと、2010年6月には米国人でデュポン副社長だったクレイグ・ネイラーが招かれました。

しかし、将来的に目指しているのは、「日本出身の優秀な人が育って社長に」ということ。また、日本企業のよさと、外資系企業のよさの両方を組み合わせる“ハイブリッドな企業”も目指しています。

日本企業が海外企業に接する中で、グローバル人材を育てることのダイナミズムが語れています。

『無限大』2011年新春号の各記事は、ホームページから読むことができます。「無限大 No.127」のご紹介はこちら。
| - | 23:39 | comments(0) | -
「ナッシュカリーアメリカン本店」のナッシュカリー――カレーまみれのアネクドート(30)


蔵の街、倉敷発の“アメリカンカリー”が、中国地方そして東京を席巻しています。

倉敷市の中央にある美観地区から歩くこと30分。蔵のたたずまいはどこにもなくなり、広い道と田んぼとコンビニエンスストアが見えるふつうの住宅街に、カレーの香りが漂います。

西中新田にあるのが「ナッシュカリーアメリカン」本店。倉敷のカレーといえば、このナッシュカリーが代表格といわれています。倉敷市内3店だけでなく、おとなりの岡山市に2店、さらに広島県福山市に2店、さらにさらに東京の大田区にも東京本店があります。

ナッシュのカリーは“アメリカン”。献立のいちばん上に書かれた「ナッシュカリー」には、ナス、シメジ、ホウレンソウ、チンゲンサイ、それに豚バラ肉が豪快に入っています。キャンプの飯盒炊爨で豪快に具材をぶち込んでつくったよう具だくさんの内容。ご飯はターメリックで薄黄色に染まっています。

店のなかは、家族づれも多く、親子のあいだで「うまいじゃろ」「そうじゃろ」と岡山弁が飛び交っています。そして日本人の店員もみなアメリカンっぽく活気あり。

カレーのほうはというと、ルゥは辛くありません。辛さの調節は20倍までできますが、基本は甘口です。これは、野菜などの具の味を立たせるための作戦かもしれません。この店は、契約農場から仕入れた、農薬や化学肥料を使わない米や野菜を使っています。

ルゥは脇役で、むしろ野菜とターメリックライスが主役。野菜と肉と米の強い個性を、カレーのルゥが結びつけているようです。

日本のカレーといえば、本場インディアンか、輸入元ヨーロピアンか、ご当地ジャパニーズが主流。アメリカンをコンセプトに打ち出したカレーはめずらしいものといえます。

ルゥが“激辛”だったり、野菜が見えないほど溶けこんでいるようなカレーにあらず。辛さでは勝負せず、見た目でも具を多くしているあたりに、アメリカンな雰囲気が漂います。

「ナッシュカリーアメリカン」のホームページはこちら。
倉敷本店の食べログ情報はこちら。
| - | 15:48 | comments(0) | -
「寛解」より「根治」。でも、難しい。


人のからだがふだんの状態ではなくなり、ふだんなら営まれるはずのはたらきが営まれなくなってしまい、苦しみが生まれることを「病気」といいます。

病気になるには、かならず病気が起きるまでの過程があるはずです。それが解明されていても、解明されていなくても。

病気にともなう苦しみなどの症状が消えれば、その人はかつての日常とほぼおなじ生活を送ることができるようになります。ただし、その解釈はわかれます。

まず、一時的に病気の症状が軽くなったり消えたりした状態のことを、「寛解(かんかい)」といいます。症状が現れるまでの過程のどこかで歯止めをかけるなどして、症状が現れないようにしているわけです。

たとえば、細胞の「受容体」という場所に、ある物質がかちっとはまると症状が起きることがありますが、この受容体にべつの薬が入りこんで物質がはまるのをじゃまして、症状を起きさせないとうのはその典型例。

病気の症状から遠ざかることは患者にとってはよいことです。それでも寛解の状態では、まだふたび症状が起きるおそれが残っています。

いっぽう、病気の症状が現れるまでの過程をさかのぼっていけば、どこかで病気の原因にたどりつくはずです。

原因と結果の対応を考えると、原因が消えてなくなれば当然、その原因がもとで引き起こる結果もなくなるはずです。これを病気にあてはめると、病気の原因が消えてなくなれば、その原因がもとで起きる症状も起きなくなるわけです。

このような病気の解決法は、「寛解」とは区別して「根治」とよばれます。根治は、「原因療法」といいかえられることがあります。

すくなからぬ医学研究者たちは、研究している病気に対して根治がおこなえる方法を開発することを、研究の大きな目標としています。

しかし、これまでの医学の歴史で、病気の根治の方法が開発されたという例はそう多くはありません。いかに病気を根治することが難しいかがうかがえます。そもそも、人は確実に死へと向かうもの。その流れに逆らうのだから、根治が難しいのは当然なのかもしれません。

参考ホームページ
「病院の言葉」をわかりやすくする提案
| - | 23:42 | comments(0) | -
上司からの理不尽な返事は“ありがたい”


人が「こうあるべきだ」と思う道すじに合わない状態を「理不尽」といいます。考えかたや常識の異なる人びとがいて世のなかができているのですから、理不尽と感じられることが起きるのもむりはありません。

とはいえ、理不尽なことを突きつけられたとき、人は怒りをおぼえてしまうものです。脳の「扁桃体」という部分が、交感神経の末端に「ノルアドレナリンを出すように」と指示を出します。すると、心拍数や血圧などが高まるわけです。「あたまに血がのぼる」といった表現も、あながちうそではありません。

人は怒ると、つい反抗や反論をしたくなるもの。ちかごろは、怒られた人が逆に怒ることを「逆ぎれする」ともいいます。

たとえば、自分が職場でつくった書類に対して、上司に徹底的に内容を改めるよう口出ししてきたり、本文はすべて書きなおしといったダメ出しを受けたりしたとき、多くの人は反発心をもつことでしょう。本人にしてみれば、すくなくとも「自分は最善を尽くした」結果が、提出した書類なのですから。

実際、上司から提出書類についてけちょんけちょんの評価を受けたとき、どのような対応をとるのがよいのでしょうか。

怒りあるがままにまかせて、上司に立ちむかうという人もいるでしょう。しかし、上司との関係が悪化することは必至です。会社や部署が変わらないかぎり、その後も関係がつづくことを考えると最善策とはいえなさそうです。

ことばに詳しいある人は、こんなことを言います。

「自分が怒りをおぼえるような返答や指示がきたときは、その人に対して『ありがとうございます』とだけ返事して、ほかのことはつらつらならべないようにするといいかもよ」

「ありがとうございます」は、人に対しての感謝の表現であるというのが常識です。しかし、ことばを分解して見るとどうでしょう。

「有り」「難く」「ござる」と、なります。

つまり、「存在がめったにない」とか「めずらしい」といったことが、本来の「ありがとうございます」の意味となるわけです。この意味から、近世以降、感謝の意味が強まっていったといいます。

上司から理不尽な返答がきたとき、部下が上司に「ありがとうございます」と言うとします。

このとき、部下は、「ありがとう」に、「そんな理不尽な指示をする人なんて、部長、あなたぐらいしかいないもんだ。あなめずらしや、めずらしや」という意味を込めるわけです。

いっぽう、上司のほうは、部下から「ありがとうございます」と返事がくれば、「おお、私が伝えたことを受けとめてくれたんだな」と、感謝の返事としてとらえることでしょう。

部下にとっては怒りの表出になり、上司にとっては感謝の受けとりとなる「ありがとうございます」。両方の意味を包含する便利な表現というわけです。

「でも、気をつけなければならないこともある」と、その言葉に詳しい人は付けくわえます。

「面と面で向かうコミュニケーションをしているときは、いくら『ありがとうございます』って言っても、顔が感謝の表情になっていないだろうからね」。

メール、あるいはせめて電話での短時間の会話に「ありがとうございます」の返事は有効なようです。
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「鈴木義幸の人を動かす問いの力」連載開始


日経ビジネスオンラインで、きょう(2011年1月19日)、「鈴木義幸の人を動かす問いの力」というコラムがはじまりました。このコラムの編集を連結社とともにしています。

鈴木義幸さんは、コーチ・エィというコーチング企業の社長。「コーチング」とは、仕事における成功を導く技術を指導し訓練することです。鈴木さん自身、米国の大学院で臨床心理学を修了しており、いまも企業の上層部などにコーチングをしています。

コラムのテーマは、「人を動かす問いの力」です。

「問い」はふつう、自分が知りたい情報を得るためにほかの人に尋ねること。いっぽう、鈴木さんが活動するコーチングの世界には、もうひとつべつの「問い」があるといいます。

それは、自分がほかの人に得てほしい情報を得てもらうためにする、というもの。よく「自問する」といった表現が使われます。だれかに自問をさせるための“しかけ”のひとつが、その人に対する「問い」なのです。

第1回の記事は、「人の成長は『問い』から始まる」というテーマ。

そもそも、人が「考える」ということはどういうことか、そして、その考える作業のひきがねとなる「問う」ということはどういうことかを、その効果や具体例をもとに鈴木さんが説明します。

国語辞典などに「問う」は、「物事を尋ねただして返答をはっきりさせる」とあります。しかし、鈴木さんは、「返答をはっきりさせる」問いでなく、「相手が簡単に答えを出力することのできない」問いを、上司が部下に投げかけることの大切さを説きます。

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出口を探して、その問いは脳の中を動き続けます。そして、自分の中に蓄積された経験や知識だけで出口に至るアウトプットを見つけることができなければ、その問いは外の世界に情報を求めます。

 外の世界から手に入れた情報を自分の知見とブレンドして再び考え、問いに対する答えを見出そうとします。

 その行為にこそ、自発的な学びがあります。
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雇用が流動化する中で、教育の機会をわざわざ用意して部下を教えこむということの費用対効果が見合わない状況が増えてきています。職場でのコミュニケーションのなかで、人をどのように育てるのか、その理論と実践法を、隔週で紹介していくコラムです。

日経ビジネスオンライン「鈴木義幸の人を育てる問いの力」はこちら。
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結果的に酸素

植物は、動物にはけっしてまねできない営みを、なにとはなしにやってのけます。人を含む動物たちは、植物のその営みがあるからこそ、命をつないでいけるわけです。

植物の営みのなかで起きる、「酸素をつくる」という現象もそのひとつ。いま人は、自分たちの手で酸素をつくれるようにもなりました。しかし、地球上の大半の酸素は、いまもなお植物たちによってつくられています。

植物の酸素づくりは「光合成」とよばれる過程のなかでおこなわれています。

太陽などの光エネルギーが植物の葉にあたると、葉に含まれる水分が酸化します。この反応の手助けをする役割が「葉緑素」というものです。葉緑素は、読んで字のごとく、“葉”にある“緑”の色の“素”。

葉が緑であるのはこの葉緑素が多く存在する結果です。光エネルギーを受けた水が酸化するのを手助けするのが葉緑素の目的のひとつです。

水がエネルギーによって酸化すると、プロトンとよばれる水素イオン、それに電子、そして酸素が生まれるのです。

これで、酸素がつくられました。

植物にとっては、酸素をつくることが光合成のすべての目的というわけではありません。この先の過程で、電子は、ニコチンアミドアデニンジヌクオチドリン酸(NADP+:Nicotinamide Adenine Dinucleotide Phosphate)という酸化型の物質を、NADPHという還元型の物質に変化させます。

このNADPHはさらに糖という栄養がつくられるさらなる過程のなかで材料として使われます。

植物の光合成にとって、酸素は課程の結果として生まれてくる“脇役”のようなもの。そして、かつての地球では、植物が光合成の過程でつくりだした酸素は猛毒でした。

しかし、この酸素という毒に耐えた生物は生きのこり、生きのこった生物たちは、その後、酸素をもとにエネルギーをつくる呼吸という営みをはじめたのです。

参考文献
東京工業大学生活協同組合「人工光合成が創り出す未来」
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街のみどりが“拡大”を食いとめる


街のなかにある“みどり”は、ほぼだれの目から見ても「あったほうがよいもの」と考えられます。とはいえ、そんなみどりにも、さまざまな役割があります。

見のがしてならないのは、みどりは大地震による災害が拡大するのを食いとめてくれる、という点。林や森、草地や田畑、学校の校庭、さらに水辺までをふくむ、「緑被地」として括られる場所は、災害が起きたとき、被害拡大防止の役割をいろいろと果たします。

震災と緑被地の関係で、多くの人が思い浮かぶのは、「揺れのあとに起きる火事の拡大を防いでくれる」ということでしょう。

火は、たてものからとなりのたてものへと移りゆくもの。そのとちゅうに火の勢いをさえぎる空地があれば、火はそれ以上、先へ行くことがありません。

植えられている木々にも、にた効果があるようです。たてものとたてもののあいだに木があると、燃えているたてものからの熱線でうまれる輻射熱を、上のほうに追いやることができます。これにより、となりのたてものに火が燃え広がることを抑えられることが、実験によっても証明されています。

震災のとき、緑被地はほかの点でも役に立ちます。

通り道としても使うことができます。人が火の近くから安全なところへと逃れる。救急隊が人を救いに行く。消防隊が火を消しに行く。これらの目的を緑被地はかなえてくれます。

また、緑被地があれば、そこに居つづけることこともできます。河川敷などの広場は、一時避難場所にも指定されています。けがをした人を担ぎこんで、緑被地で手あてをすることもできます。

さらに、ものの置き場としても、緑被地は役立ちます。たてものが崩れたことでできたがれきをしばらく置いておいたり、避難生活でうまれたごみをしばらく置いておいたり。

さまざまな役割が、緑被地にはあるわけです。

実際、いまから16年前に日本人が経験した阪神・淡路大震災では、街のなかにある緑被地が、防災や避難場所の役割を果たすということがあらためて認識されました。大きな災害を経験することで、緑被地のありがたさを人々は身をもって学んだのです。

みどりは「あったほうがよいもの」というのは、みんなの思うこと。とりわけ大地震や大火のときは、その思いが強くなるわけです。「人の命を救うみどりもあるのだ」と。

参考文献
国土交通省2005年3月「まちづくりにおける防災評価・対策技術の開発」報告書
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「何々ジャパン」は日本人向きかも

カタールで行われているサッカーのアジア選手権では、イタリア出身のアルベルト・ザッケローニ監督の指揮のもと、日本代表のたたかいがつづいています。

チームの愛称は「ザック・ジャパン」。国名のまえに監督のよび名がつく、といったかたちです。かつて、も「トルシエ・ジャパン」や「ジーコ・ジャパン」など、おなじように「監督のよび名」と「ジャパン」という組みあわせがありました。

チームに「日本代表」でなく、「何々ジャパン」のような愛称を付けることには、とりわけ、とりわけアジア系の民族についていえば、それなりの正の効果があるようです。

こんな実験があります。

米国で研究する社会心理学の研究者が、アングロサクソン系の小学5年生と、アジア系の小学5年生に、それぞれ算数が上達する目的でつくられたゲームをしてもらいました。アングロサクソン系と、アジア系のグループにはさらに、つぎのような区分けがなされました。

「自分がゲームのなかで乗りこむ宇宙船の名前を、自分で名づけることができる」

「自分がゲームのなかで乗りこむ宇宙船の名前は、クラス投票でいちばん人気の高かったものとする」

このように、ゲームのなかの宇宙船のよびかたについて、「自己決定組」と「クラス決定組」にわけたのです。

さて、このゲームは算数の成績を高めるためにつくられたものでした。

後日、「アングロサクソン系」と「アジア系」という軸と、さらに「自己決定組」と「クラス決定組」という軸でわけられた、計4チームの成績が評価されました。

結果、アングロサクソン系では、宇宙船の名前を自分で決めた生徒のほうが、成績が上がったのに対して、クラスで決められたものでゲームした生徒のほうは成績の向上が見られなかったといいます。

対して、アジア系では、クラス全体の人気で決められた宇宙船の名前と聞かされてゲームをした生徒の成績のほうが、宇宙船の名前を自分で決めた生徒よりも成績が高くなったといいます。

いちがいに、すべてのおなじ条件の集団であれば、これとおなじ結果が出てくるかといえば、そうとはかぎらない面もあるでしょう。しかし、個人による名前の選択と、集団による名前の選択の効果が、民族のあいだで見られることが示唆される結果ともいえます。

この結果から敷衍すれば、日本代表に「何々ジャパン」と付けることは、日本人選手にとっては決してむだなことではないとなりそうです。

ただし、問題は「何々ジャパン」の「何々」の部分。ここに、監督のよび名が付くことについては、監督との信頼感が醸成されないと、選手に「われわれは監督のために試合をしているのではない!」などといった要らぬ感情をもたれてしまうこともあるといいます。

野球の日本代表では、原辰徳監督は、「原ジャパン」とよばれることを受けいれず、報道でも「サムライ・ジャパン」が使われたといわれています。

「ザック・ジャパン」の「ザック」は、「ザッケローニ監督」の愛称からくるもの。まだ、日本人のよび名が冠につくより、片仮名での名前が冠せられるほうが、あらぬ方向や要らぬ感情へと進む度外は少ないのかもしれません。

参考文献
シーナ・アイエンガー著、櫻井祐子訳『選択の科学』
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インプット回数を増やす


多くの記者にとって、取材をとして人から話を聞いた内容を記事の原稿にするまでのあいだに、“音声起こし”という過程があります。

ICレコーダやテープレコーダなどの録音機器に取材での音声を録ります。その音声を再生して、コンピュータのメモ帳などで文字化します。この文字化が「音声起こし」の作業。

その後、音声起こしされた文を、記事の原稿づくりに活かしていくわけです。

“インタビューもの”とよばれる記事は、基本的に取材対象者が話した言葉を、ほぼ全面的に語りの文章としてつかうもの。聞き手の「――ということはそのときは、もう知っていたのですか?」といった、質問文を噛ませるかたちが多くあります。

このインタビューものでは、録音と音声起こしの作業はほぼ欠かせません。すこし表現をこなれたものにしたり、割愛したりはあっても、一言一句をそのまま文章にするからです。よほど記憶力がよい人でなければ、録音をしないとあとでたいへんなことになります。

いっぽう、一記事のなかに「『そのとき、私はまだ、知りませんでした』と、この教授は話している。」のように、取材対象者の話した内容がカギカッコ内で紹介されるような記事もより多くあります。

1分間や3分間の短いコメント取りであれば、録音を音声起こしするまではしない、という記者もいることでしょう。さらに、30分間や1時間の取材であっても、録音をしないことを信条にしている記者もいます。

しかし、取材と記事づくりのあいだに、音声起こしの過程をはさむことには、いろいろな利点もありそうです。

ひとつは、「取材をした記事としての正確性が高まる」というもの。記者の取材時の筆記と、「あのとき、たしかあの人はああいっていたな」という記憶のみでは発言内容が、おぼつかなくても、録音があればそれに頼ることはできます。

音声起こしをもとに、記事のなかに取材対象者の言葉を入れれば、「そんなこと言った覚えはない」「いえ、おっしゃってました」といった記事発行後の問題を防ぐ、あるいはすくなくとも問題になったときの証拠とすることができます。

ひとつめの利点は多くの人が考えているところでしょう。

もうひとつの利点としてあるのが、「2度目のインプットをできる」という点です。

音声起こしという作業は、取材で聞いた内容をもういちど聞きなおす作業です。これを行うと、記者の頭のなかが整理され、「よし、書こう」という気が起きてくるわけです。さらに、この音声起こしの作業をして、つくった文章をもういちど読みかえせば、3回目のインプットになります。

実際に原稿を書いている途中でも、「そういえば、あのキーワードを強調していたよな」と、取材対象者の発言を思いだす場面があります。そのとき、音声起こしのテキストデータがあれば、「検索」をしてその発言があった前後の部分なども原稿に踏まえることができるわけです。

これだけの利点があります。しかし、音声起こしの作業自体は、地味で苦痛をともなうもの。かんたんにいえば「面倒くさい」わけです。

音声起こしの専門家もいるので、そうした人に依頼すれば、お金で音声起こしデータを買うことはできます。

しかし、ふたつめの利点である「2度目のインプット」には、話の全体を整理して俯瞰するといった、大きな利点がありそうです。

記者のなかには、音声起こしの効用をこんなふうに表現する人もいます。「“おまじない”のようなものだね。書く気を高めるため儀式になっているよ」。


取材本番では、取材が行われた部屋の様子、雰囲気、取材対象者の表情など、話で得ることのほかにも、いろいろと得ておくべき材料はあります。これに加えて、話の中身も得ておくとなるとたいへんな作業ではあります。
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“なにげない用たし”を小さな箱がサポート

駅のトイレに入り、“小”のほうの用をたしている最中、どこに視線が定まるでもないという男性は多いでしょう。

そんななかで男性は、視線とほぼおなじくらいの高さ、便器のうえあたりの壁に金属の小さな“箱”がおかれているのに気づくかもしれません。“小”の便器に一対一対応で備えつけられている、10センチ四方ぐらいの小さな容器です。

容器には“calmic”(カルミック)というロゴがあしらわれています。そして、そのロゴの周囲には、容器の内側へと通じる細長い穴がいくつも。どうやら空気の抜け穴になっているようです。

ぼおっと用をたしているだけで、視界のなかに入ってくるこのカルミックの容器。いったいなんのためにあるのでしょうか。

ロゴにある「カルミック」は、この容器をつくっている「日本カルミック」という会社のブランドのこと。日本カルミックは、レントキル・イニシャルという7万人の従業員を擁する英国系のサービス企業と提携している会社です。

日本カルミックの情報によると、駅のトイレなどで見かける小さくて四角い金属の容器は、「サニタイザー」といいます。英語で“sanitize”は「衛生的にする」という意味なので、日本語らしくすれば「衛生くん」とか「衛生マン」といったことになるでしょう。

小さな容器のサニタイザーには、6つもの機能がかねそなわっているといいます。それは、洗浄、防臭、衛生、詰まり防止、芳香、節水節電。

水洗便所では、タンクから水が流れてきて便器を洗います。そのとき、水の流れの途中にこのサニタイザーの容器があります。容器には薬剤が入っており、これが便器の洗浄などに一役買っているもよう。

日本カルミックは、最もよく見かけるサニタイザーである「MK7」について、つぎのように説明しています。

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この独特のメカニズムは、水洗時にパイプの詰まり防止やバクテリア繁殖の抑制、洗浄と防臭を効果的に行います。

特殊な静菌・洗浄剤が、便器表面からトラップ、排水管の中をきれいにします。 これによりバクテリアの繁殖や日常定期清掃では除去しきれないスケールの付着を防止します。また、フレグランスが優しく心地よい香りでウォッシュルーム全体の空気を清潔でフレッシュに保ちます。
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サニタイザーは鉄道会社が買うのではなく、「駅のトイレにサニタイザーを付けます」という契約をして、レンタルをするかたちがとられています。つまり買いきりではありません。同社は、同社が長いことメンテナンスをつづけることの大切さを強調しています。

ちかごろは、金属製の円筒のかたちをした「サニタイザーMK14」も、新製品としておしているもよう。こちらは“大”の便器にもついています。

トイレで、どこに視線を定めるでもなくただふつうに用をたすという、ごく無意識的な行いをとどこおりなく済ませられるのは、小さな容器の6方面にわたる活躍があるからかもしれません。

参考ホームページ
日本カルミック「サニタイザーMK7」
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あっちを立てたけれどこっちも立った


目の前に立ちはだかっていた“壁”を打ちやぶることを「ブレークスルー」とよくいいます。ものごとの成功には、「ふりかえってみると、あの“壁”を打破できたのが大きかった」というブレークスルーが、ひとつやふたつあることが多いようです。

「とにかくなにかブレークスルーを起こしたい」と考えているような人は、“トレードオフの関係”を見つけて、その打破に挑むのがよいかもしれません。

トレードオフの関係とは、「あっちを立てればこっちが立たず」という状態のこと。中学校の数学で習う「反比例」のグラフのx軸の値とy軸の値のような関係です。

あっちを立てればこっちが立たないのだから、そうかんたんにこのトレードオフの関係を打破できるわけではありません。しかし、どうにか打破をして、研究開発の成功に結びつけたという例はあります。

眼鏡をかけないで立体感を味わうディスプレイに、トレードオフの関係の打破があったといいます。

従来の裸眼三次元ディスプレイには、「解像度が上がるほど、立体感が損なわれる」という関係がありました。

日立製作所が2009年、トレードオフ関係を打破したといいます。小型プロジェクタを16台ならべた方式により、解像度は高くて、立体感もこれまでより保たれているという状態に達したのです。

また、船などの乗りもののエンジンには、「窒素酸化物の排出量を減らそうとすると、燃料の消費量が増えてしまう」というトレードオフ関係があります。

これを、ヤンマーが2009年に打破したといいます。1940年代に発明されていた「ミラーサイクル」とよばれるエンジンのサイクルと、ヤンマー独自の燃焼方式などを組み合わせることにより、燃料の消費量を減らすことなく窒素酸化物の排出量を減らすことに成功。窒素酸化物の排出量規制への対策に貢献したといいます。

エネルギー関連では、バイオマスエネルギー関連で有名なトレードオフの関係があります。それは「食用植物をバイオマスエネルギーとして使おうとするほど、食糧としての収穫量は減ってしまう」というもの。ガソリンに代わるバイオエタノールの原料となるサトウキビは、その代表例です。

アサヒビールは、沖縄県の伊江島でのバイオエタノール製造実験で、このトレードオフ関係を打破しました。従来のサトウキビよりも、単位面積あたり2倍以上のエネルギーを生みだす「高バイオマス量サトウキビ」を育てて、これからバイオエタノールをつくることで、「1本分で、食糧に使う分もエネルギーに使う分も両方まかなえる」という状況をつくるのに成功したのです。

トレードオフの関係は、世の中のいろいろなところに潜んでいるものです。

いまの時代、最も大きなものは、「経済成長と地球環境問題拡大」かもしれません。経済が成長すればするほど、地球環境問題は深刻化するといった関係です。このトレードオフ関係を効果的に打破する方法は、まだ見つかっていません。

参考ホームページ
日経Tech-On!2009年6月8日「解像度と立体感のトレードオフを打破した,裸眼の立体映像表示システム」
ヤンマー2009年5月28日ニュースリリース「『IMOのNOx2次規制対応エンジンの鑑定書取得』について」
アサヒビール、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構、九州沖縄農業研究センター2006年1月31日ニュースリリース「高バイオマス量サトウキビを用いたバイオマスエタノール製造・利用の実証研究エネルギー用作物の開発からエネルギー利用までを一貫して行う、日本初の取り組み沖縄県・伊江島で、本日より本格スタート」
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「人の能力として」が、ほかの尺度を凌駕する。

食べもの材料を食べられるようにこしらえるのが「料理」です。料理は、食べるため、あるいは食べてもらうためにあります。

食堂などで食事をとらずに自分で料理することは、たいていほとんどの人が“よいこと”と考えているようです。読書をすることがたいていの人に「よいことだ」と思われるのとにているかもしれません。

料理という行為が「よいこと」なのかどうか。さまざまな尺度から評価ができそうです。

ひとつの尺度として「料理は健康によいか」というものがあります。

たまねぎ、にんじん、ほうれんそうと、具だくさんの料理をつくるほうが栄養のバランスがとれて健康によさそうです。とはいえ、街の食堂でも小鉢をたくさん取れば、栄養のバランスをとることはできます。

ここでの要点は、料理をするほうが、食材の品目や量などの選択を広くもてるということなのでしょう。外食では献立にも限りがありますし、量もある程度までしか選ぶことはできません。料理をすれば加減は料理人しだいとなります。

健康と関連して、「料理はダイエットによいか」という尺度もあります。30歳、女性、体重50キロという人が30分かけて料理をしたとします。このときの消費熱量は32キロカロリー。

これは車の運転を30分したり、風呂に30分つかったりするよりも、すくない消費熱量。料理をすることでの運動効果はあまりないようです。

またべつの尺度として「料理は仕事の効率によいか」というものもあります。これは、あきらかに外食のほうに軍配が上がりそうです。

料理をすれば食材の準備から食べ終わるまで、最低でも30分はかかるでしょう。いっぽう、街の食堂やそば屋に入れば、10分で食事は終わります。20分の時間をかせげるわけです。

まだまだあります。「料理は家計によいか」も大事な尺度のひとつ。牛丼が200円代で食べられる時代ではありますが、一般的には「自炊のほうがお金が浮く」とはいわれます。これはやや料理をするほうに部がありそうです。

では、「料理は地球環境にやさしいか」はどうでしょうか。食堂が大量に食材を仕入れて食べものをつくるのに対して、料理をするときは多くの人がスーパーマーケットなどで容器に入った魚や肉を買います。

容器材料はリサイクルにまわされることもありますが、その率は日本ではせめて半分ほど。日本容器包装リサイクル協会のデータでは、容器包装プラスチックのリサイクル率実績は「約50%」となっています。

また、食べものをまとめて大量に下ごしらえして、まとめて給仕したほうが、一軒の家ごとに料理してつくるよりも、エネルギー効率もよさそうです。

こうして評価を考えていくと、料理が外食よりも優れている尺度は、あまり多くはなさそうです。

しかし、それでも料理は一般的に「よいこと」と考えられるのはなぜでしょう。

人にとって大事な尺度がもうひとつあります。それは、「料理は人の魅力を高めるのによいか」というもの。

「あの人は料理ができる」といったことは「あの人は料理ができない」といったことより、あきらかに評価を高めます。「あの人は料理が趣味だ」もおなじような効果があるでしょう。タモリさんは、その好例です。

料理は人の技と直結するわけです。大むかしから人類をふくむいきものは、生きるために食べなければなりませんでした。その命の生存にかかわる営みとおおいに関係する料理ができるかできないかは、いきものとしての人の能力の評価にとって多大なものなのでしょう。

ほかにも評価の尺度は探せばきりがなさそうです。しかし、「料理は人の能力や魅力を高めるか」といった尺度は、ほかのいろいろな尺度を凌駕してしまうほど、重いものなのかもしれません。
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始まりも終わりも頭のなか


ほとんどすべてのものごとには、“始まり”と“終わり”があるものです。ものごとが、繰りひろげられているこの宇宙にも、始まりと終わりがあるというのが有力な説です。

始まりのほうは、理論物理学の世界で説がほぼ定まっています。およそ137億年前、なにもなかったところで突然に大爆発が起き、宇宙が始まったというもの。「ビッグバン」とよばれています。

地球から見えるさまざまな銀河のほぼすべてが遠ざかっていることがわかり、宇宙が広がっていることがわかりました。逆に、時計をまきもどせば宇宙はどんどん小さくなっていき、はじまりは、全宇宙のエネルギーが凝縮された点にまでもどるはずです。これが、「ビッグバン」を支持する基本的な論拠のひとつになっています。

いっぽう、終わりのほうは、ビッグバンほどに天文学者たちの説がまとまっているわけではありません。宇宙の終焉をめぐっては、複数の説があります。

「宇宙のすべてのものが引きさかれて、素粒子に帰してしまう」という説は、「ビッグリップ説」とよばれています。宇宙の膨らみかたがどんどん急になり、その急激な宇宙の広がりに、星などが耐えきれなくなり、すべてのものがちぎれていく、といったもの。「Rip」は、英語で「引きさく」を意味します。

「宇宙はいつかちぢみ始めていき、最後にはふたたびひとつの点にもどる」という「ビッグクランチ説」もあります。宇宙が自身の重力によって収縮しはじめ、なにもかもが一点に収まるというもの。

これらの説があるいっぽうで、「宇宙はいつまでもこのままで終わることはない」という説もあります。

宇宙の終わりかたをめぐる諸説に大きくかかわってくるのが、「暗黒エネルギー」とよばれるもの。宇宙に存在するエネルギーの7割以上を占めているとされていますが、なかなか観測をすることができません。

このダークエネルギーが増えつづけていけばビッグリップが起き、一定であれば宇宙は静的で終わりは迎えないといわれています。

まちがいなくいえるのは、“宇宙の終わり”がどうなるかを人間は考えて解くことはできるものの、この目で見ることはできないということ。太陽がすこしずつ膨張をしていき、40億年後ごろには、地球を飲みこんでしまうといいます。

仮に、人類が有人宇宙開発技術で太陽系以外の星へとたどり着いていたら……。宇宙の終わりを肌身で感じられるころまで、人類が生きている可能性は、限りなくゼロに近いでしょうが、仮にそのころまで生き残っていても、宇宙の終わりを目で確かめることはできなさそうです。

いつかビッグリップやビッグクランチが起きれば、その過程のなかで人類は最期を迎えるでしょう。よって、宇宙の終わりをこの目で見とどけることはできません。また、「宇宙に終わりはない」ということがわかれば、人は宇宙の終わりを見とどけることはありません。
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命の言葉でひっかかる「アネクドート」、5周年。


このブログ「科学技術のアネクドート」は、きょう(2011年)1月11日で、始めてから5周年を迎えることになりました。

5年間、毎日のように記事を発しつづけていますが、記事を書くことに慣れることは決してありません。長くつづけることのすべてが、慣れにつながるのではないようです。

しかし、ここ1年ほどは、日々1000から1500件ほどのアクセス数をいただいており、書くことへ原動力のひとつになっています。

また、研究者などからちょっと興味をそそる脇の話を聞くと、同行する方たちから「いまの話は“アネクドートネタ”ですね」と言っていただき、心の支えをいただいています。

どうもありがとうございます。

ブログには「管理者ページ」というものがあり、ここで「検索キーワード」の件数を調べることができます。検索キーワードは、ブログに載っている言葉のうち、どの言葉を検索してこのブログにたどり着いたかがわかるもの。

このところ検索キーワードの第3位は「脳梗塞」。第2位は「腎臓病」。病気についての言葉がつづきます。

そして、第1位は、なんと「自殺」です。2010年6月の「“入口”で気付いて自殺を防ぐ」といった記事がよく検索されるようです。

これらの言葉の検索件数は拮抗しています。生死や健康にかかわる言葉が多く検索されていることは偶然の結果なのでしょうか。いずれも、言葉としてはよく使われるもので、めずらしい言葉がブログにひっかかったというものではなさそうです。

生死や健康についての記事が多くの方に読まれるということからしても、正確な情報を偏ることなく伝えることに、よりいっそう気を引きしめていかなければなりません。

6年目のアネクドートも、ぜひお付きあいのほど、よろしくお願いします。
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オランダから「青いバラ」より青いバラ


東京・銀座4丁目の交差点の花屋に、ひときわ人の目を引くバラがおかれています。

花びらについているのは、青、緑、黄色、オレンジ、ピンクなどの色。花の名は、「レインボーローズ」。

バラの花への着色をめぐっては、技術開発の歴史があります。日本のサントリーが、英語で「不可能」という意味をももつ「青いバラ」をつくろうと1990年からとりんできました。

バラ以外の青い花からの青色の遺伝子をバラに導入することで、2004年に青みを帯びたバラを発表しました。サントリーでは、いま「ブルーローズアプローズ」という品種で販売しています。

しかし、サントリーの“青いバラ”の色は、どちらかというと紫色に近い印象があります。

いっぽう、銀座の花屋におかれているのは「レインボーローズ」。こちらのバラの花びらに見える青は、だれが見ても「青」と答えるほどの鮮やかさです。

レインボーローズはオランダ生まれ。リバー・フラワーとF・J・ザンベルゲン・アンド・Znという会社が共同開発をして、2006年に着色技術で成功をおさめました。

とはいえ、サントリーのブルーローズアプローズとは、つくりかたがまったく異なるようです。レインボーローズのほうは、「ベンデラ」という白いバラに、茎から色素を吸いあげさせて花びらを色づけするとされています。

茎には維管束という、水の通り道がいくつもあり、それぞれの道とそれぞれの花びらには対応関係があるもよう。そこで、付ける色素をいろいろと変えて、この七色のバラをつくっているといわれています。

サントリーのブルーローズアプローズが、地の色そのものを青く変えようとして生まれたのに対して、オランダ発のレインボーローズは、地の白色をべつの色に染めることで生まれたわけです。

「青いバラ」の青さの軍配では、レインボーローズに部がありそう。しかし、花えらびには、ただ「青が鮮やか」というほかにも、開発の経緯や花ことばなど、選ぶ要素はいろいろあるものです。

ちなみに、ブルーローズアプローズの花ことばは「夢かなう」。レインボーローズのほうは「奇跡」です。

参考ホームページ
バラの花束.com
朝日新聞コミミ口コミ2007年5月4日「目を奪う七色のバラ」
サントリー「『青いバラ』開発ストーリー」
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「クレプスキュール・カフェ」のビーフカレー――カレーまみれのアネクドート(29)


図書館や博物館などの公共施設の食堂にあるカレーというと、「メニューにないとなんなので、用意してある」といったものも多くありました。

しかし、図書館や博物館がこじゃれた屋内テーマパークのように変化していくにつれ、合わせるように「食堂」は「カフェ」へ、「ライスカレー」も「カリーライス」へと変わっていくのかもしれません。

展覧会で美術作品を味わったあとはカフェへ。せんだいメディアテーク1階多目的空間の一角にあるのが「クレプスキュール・カフェ」です。

このカフェは、ベルギービールやベルギー料理が味わえる店として東京に展開する「ブラッセルズ」が運営するもの。奥のバーカウンターで店員が食べものや飲みものをきりもりし、客はテーブル席で食べたり飲んだりします。

公共施設に定番のカレーももちろん、あり。楕円形の白い皿にライスが半分、カレーが半分盛られたビーフカレーです。

特徴はルーの辛さにあり。

カレー専門店の辛いカレーにくらべれば辛くはありませんが、それでも辛いカレーの部類に入るもの。口に入れたときからストレートな刺激が伝わってきます。食べていると、だんだんと額に汗がにじんでくる辛さです。

カフェの“場所”もべつの味をそえます。せんだいメディアテーク1階の天井高は7メートル。その一角にあるカフェで、開放感にひたることができます。遠くの大きな界が作品を眺めながらのひととき。

公共施設のカレーが、かつてあまり辛くなかったのは、子どもが食べても辛すぎると感じないようにするための配慮もあったのでしょう。

しかし、自治体が企業などに公共施設の運営を委託する指定管理者制度も始まってから年数がたち、大人むけなどのコンセプトをもった館も定着化しました。この変化がカレーの味にもたらす影響もすくなくなさそうです。

クレプスキュール・カフェのホームページはこちら。
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巨大な宇宙を巨大カンバスに描く
仙台市春日町のせんだいメディアテークで、「第8回加川広重巨大水彩画展」が開かれています。(2011年)1月10日(月祝)まで。

加川広重さんは、宮城県蔵王出身の美術家。巨大なカンバスに水彩画を描いています。今回は、高さ5メートル、幅16メートル以上の大きさの新作を2点、展示しています。

「星団の誕生」

「星団の誕生」は、宇宙のなかの星団を描いた作品。星々の渦を多彩な色を使って描いています。巨大な作品のため、鑑賞者は巨大な星団を間近で見ているような感覚になります。

「太陽と星の間」

もうひとつの作品は「太陽と星の間」。地平線の向こうから太陽の光を受け、大地の生物たちが営みをつづけています。多彩な色を使いつつ、全体は暖色。来場者が太陽の光のあたかさを感じられる作品です。

巨大な水彩画の制作方法についての解説もあります。

作品全体の骨組みは、長方形のパネルを上下に2枚、左右に数枚ならべたもの。そのため、角材の枠にベニアをはりつけるところから始めます。そして紙を濡らして膨張させてはりつけ。紙が乾くときに収縮するので、波うつことがありません。そして小さなサイズでまずイメージを立ててから、本番の描画へ。展示会場ではパネルを釣りあげて合体させていきます。

1月8日(土)には、メゾ・ソプラノ声楽家の後藤優子さんと、ピアニストでシンセサイザー奏者の菅野静香さんが共演し、コンサートも行われます。

「第8回加川広重巨大水彩画展」は、せんだいメディアテークで1月10日(月祝)まで。入場無料。せんだいメディアテークのイベント情報はこちら。

あわせて1月11日(火)まで、仙台市春日町2-8の「ギャラリー杜間道」でも、「水彩小品展」が開かれています。
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体のなかでも連携作業


体の組織は、ほぼおなじかたち、おなじ大きさで、はたらきも似ている細胞の集まりのこと。この組織が集まって器官をつくります。

いっぽう、世の中の組織は、似たような目的をもった人たちによる有機的なはたらきをする集まりのことをいい、この組織が集まってさらに大きな団体や機関をつくることもあります。

からだのしくみと社会のしくみは、よく、似ているところが指摘されたり、違うところが指摘されたりします。

生体の器官については、それぞれのあいだでの“横のつながり”とでもいう関連性がわかっているものもあれば、わかっていなかったものもありました。

わかっているものは、たとえば腎臓という器官でレニン・アンジオテンシン系という物質がつくられると、それによって血管の幅が縮まって血圧が上がる、といったもの。

わかっていなかったものがわかってきた例もあります。肝臓と膵臓のはたらきの関連性はそのひとつです。

肝臓は、エネルギーのもとであるグリコーゲンをつくったり、貯めたり、分解したり、さらに血糖を出したり、毒をなくしたりと、さまざまなはたらきをもつ器官です。いっぽう、膵臓は、膵液とよばれる消化液を出したり、膵臓のなかのランゲルハンスのβ細胞というところからインスリンという物質を出して、血液のなかの糖の量を調節したりします。

からだが肥えてくると、肝臓で「細胞外シグナル制御キナーゼ」(ERK:Extracellular Regulated Kinase)という物質の動きが活発になります。すると、インスリンを出す膵臓のβ細胞が増えていくことがマウスの実験でわかってきました。

肝臓での変化が、膵臓での変化をもたらす。この二つの器官のあいだにある存在が神経細胞です。「細胞外シグナル制御キナーゼ」が活発になったというシグナルが、脳を経由して膵臓に伝わり、これにより膵臓がインスリンをたくさん出すようになるといいます。

社会のしくみのなかには、あるグループのなかにAという企業とBという企業がある形態が多く見られます。A社という企業の経営体質が健全ではなくなってくると、それがグループ本部に伝わり、関連企業のB社にグループが難局を乗りきれるよう人員を増強するということもありえます。

肝臓と膵臓の関係と、A社とB社の関係がおなじといえないような、複雑なしくみもあることでしょう。ただし、生体と社会という場所はちがっても、社会のしくみから生体のなかのしくみをさぐったり、生体のしくみを参考に社会のしくみを考えたりする可能性はあるのかもしれません。

参考文献
Imai J. et al. “Regulation of pancreatic beta cell mass by neuronal signals from the liver.” Science, 2008 Nov 21, 1250-4
| - | 23:59 | comments(0) | -
(2011年)3月27日(日)と28日(月)は「第4回サイエンス映像学会」


催しもののおしらせです。

科学映像の制作、研究、開発、作品発表をし、映像教材による教育普及を目指す「サイエンス映像学会」(養老孟司会長)が、2011年3月27日(日)と28日(月)に学会を開きます。共催は青山学院大学社会情報学部、後援は関西大学東京丸の内キャンパス。

第4回となる学会の開催テーマは「サイエンス映像の定義の拡張」。両日にわたって、基調講演やシンポジウム、全体発表などが行われます。

3月27日(日)は、神戸大学大学院医学研究科の杉本真樹特命講師が「ライフサイエンスを可視化する医領解放構想:医療3.0」といった主題の基調講演をする予定。杉本さんは、映像技術を駆使した医療のしくみづくりとして「医療3.0」という概念を提唱中。

細分化が進んだ医療は「医療1.0」。全領域型の医師育成でできた医療を「医療2.0」。いっぽう、情報技術を全面的に取りいれた新たしいしくみの医療が「医療3.0」。この新しい概念について語られることでしょう。

ほかにも、27日(日)には、「iPadが変える読書の近未来」(仮)というシンポジウム、また、「映像をベースにした電子図鑑の国際的展開」(仮)と「NHK番組『大科学実験』の制作メソッド」(仮)という全体発表が行われる予定です。「大科学実験」は、教育番組の国際コンクール「日本賞」を受賞するなどしています。

翌28日(月)には、「科学が迫る長寿の秘訣」というシンポジウムや、「拡張AR(Augmented Reality)で感動を創る恐竜展の科学」という全体発表が予定されています。

第4回サイエンス映像学会は2011年3月27日(月)と28日(火)、東京・南青山の青山学院大学にて。暫定版のおしらせはこちらです。
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2011年も、科学からカレーまで


ことし2011年も「科学技術のアネクドート」では、世の中の海に漂うさまざまな知識や情報を小咄にしてお伝えしていきます。

昨年2010年は、新聞社などの大規模マスメディアが、個人などの小さな規模の発信者の情報を追いかけるという現象があいつぎました。海上保安官によるユーチューブへの尖閣諸島ビデオの投稿事件や、ウィキリークスでの国家機密情報の漏出などのできごとです。

組織などの大規模な主体で伝えられることと、個人などの小規模な主体で伝えられることの棲みわけが先鋭化しています。このブログは個人という主体が伝えるもの。大規模組織からは伝えられないような、「こんな側面もある」といった記事を伝えていきます。

また、2011年度は、国の科学技術基本計画の第4期がはじまる年度でもあります。これとべつに独立行政法人の研究機関の国立化への流れも起きており、科学政策にいっそうの注目が集まりそうです。日本を中心とした科学政策の動向も追いかけていきます。

「医学・医療」や「エネルギー・環境」の分野は、これからもさらに関心が高まっていく分野になることでしょう。科学、技術、そして医学・医療におけるさまざまな研究成果や、そのサイドストーリーも紹介していきます。

カレーへの探究もつづきます。「カレーまみれのアネクドート」では、ことしも全国のさまざまカレー店に潜入(入店)し、香辛料とライスが引きだす“味の調和の妙”を伝えていきます。

また「sci-tech世界地図」というシリーズものでは、ひきつづき世界各地の“科学技術ゆかりの地”をバーチャルに訪れ、その場所で起きたできごとを紹介します。おなじくシリーズものの「法則古今東西」では、世にいわれている法則の数々をとりあげ、「公式」でも「定理」でもない世の中のおきてに目を向けていきます。

書評の頻度も増やしていく予定。新旧国内外とわず、読みごたえのある本を数多く紹介していきます。

あなたからの、「こんな催しものがあるので伝えてほしい」といった情報もぜひお待ちしています。

ことしも、当ブログへのお付きあいを、どうぞよろしくお願いします。
| - | 10:32 | comments(0) | -
“工場”で再生して取りもどす


人のからだのそれぞれの臓器は、それぞれの役割を担っています。臓器がその役割を担えなくなってしまうと、多くの場合、病気や障害がおきます。

たとえば、膵臓という臓器がはたらかなくなると、インスリンというホルモンが出なくなったり出にくくなったりして、血液のなかの糖を処理できなくなります。こうしておきるのが糖尿病です。

はたらかなくなった膵臓のかわりに、はたらく膵臓を移植する医療技術は確立されています。しかし、他人から臓器提供を受けるチャンスにはかぎりがあります。すべての人が、はたらく膵臓を取りもどすには程遠い、というのが現状です。

では、自分の細胞から“新たな膵臓”をつくりだして、それを自分の体にあてはめることができないか。この方法が将来の医療として考えられています。失われた臓器や細胞のはたらきを再生するという点で再生医療に位置づけられます。

どうやって、新たな膵臓をつくるのでしょうか。膵臓をつくる“工場”となりうるのが、動物のからだです。

2010年までに、マウスとラットを使ったつぎのよう段階を追った実験が日本で行われ、成功しています。

まず、膵臓の発生をつかさどるPdx1という遺伝子を破壊されたマウスの胚に、マウスのiPS細胞(人工多能性幹細胞:Induced pluripotent stem cells)を入れ、仮親の子宮へ移し、子マウスを誕生させます。すると、この子マウスには、注入したiPS細胞からつくられた膵臓が備わっており、膵臓としての役割をはたしていることがわかりました。

ここまでの段階で、iPS細胞などの多能性幹細胞を使えば、子マウスの体内で膵臓をつくり出せることがわかったのです。

つぎに、ラットの多能性幹細胞をマウスの胚に入れ、ラットとマウスからできる「キメラ」とよばれる状態の子を誕生させることを試みます。「キメラ」とは、ここでは、2種類の遺伝的に異なる細胞からひとつの個体を誕生させること。「マウスの胚」と「ラットの多能性幹細胞」で、「マウスとラットのキメラな子」を生み出すわけです。

さらに、逆方向として、マウスの多能性幹細胞をラットの胚に入れ、マウスとラットのキメラの子をつくることも試み、これも成功しました。

ラットとマウスについていえば、どちらかの胚と、どちらかの多能性幹細胞を結びつけて、キメラの子をつくることがきたわけです。白いマウスと黒いラットからできたキメラの子は、頭が白、からだが黒といった見た目をしています。

ここまでの段階で、マウスの膵臓を人工的につくることと、マウスとラットからキメラの子をつくることができたわけです。

最終段階として、これらの二つの成果を結びつけます。ラットのiPS細胞を、Pdx1という遺伝子を破壊されたマウスの胚に入れます。そして、誕生させた子マウスの膵臓がどうなっているかを見ます。

結果、この子マウスには、ラットのiPS細胞からつくられた膵臓がそなわっていました。そして、血糖に対する処理も正常であることがわかりました。

ここまでをまとめると、この一連の実験では、マウスの膵臓をつくる、マウスとラットからキメラの子をつくる、そしてマウスにラットのiPS細胞を入れてマウスの体内にラット由来の膵臓をつくる、といったことに成功したことになります。

さて、ここでの「マウス」をブタなどのより大きな動物に、また「ラット」を糖尿病を患うヒトに置きかえてみるとどうなるでしょう。

ヒトの糖尿病患者のiPS細胞をブタの胚に入れ、子ブタを誕生させれば、子ブタはヒトの糖尿病患者の膵臓を備えることになります。これを取りだして、インスリンが出る機能をヒトの糖尿病患者に移植すれば、自分の細胞からつくりだした“新たな膵臓の機能”をはたらかせることができるようになるわけです。

この流れから考えられるのは、ブタの体とヒトの細胞を使って、ヒトの臓器をつくりだすための研究が試みられること。ただし、いまのところ、厚生労働省の指針では、ヒトと動物の細胞が混ざった胚を胎内に移植することは禁止されています。

技術の準備は着実に整いはじめています。その技術を使う許可を、国がどこまで出していくかが、“工場による臓器再生”の焦点のひとつとなりそうです。

参考ホームページ
科学技術振興機構と東京大学による2010年9月3日の共同発表「多能性幹細胞を用いてマウスの体内でラットの膵臓を作製することに成功」
時事通信「ブタの胎児にヒト万能細胞=臓器再生へ、研究計画―東大など」
| - | 22:50 | comments(0) | -
1911年、受難と栄光の年

ことし2011年は、「世界化学年」です。

国際純正・応用化学連合(IUPAC:International Union of Pure and Applied Chemistry)という国際団体や、日本の学術会議などが、国際連合教育科学文化機関(UNESCO:United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)にはたらきかけ、実現しました。

2011年が世界化学年であるのは、化学界にとっていろいろと節目の年でもあるから。IUPACが設立されてから100年となります。

もうひとつの「100年」もあります。ことしは、女性研究者のマリ・キュリー(1867-1934、写真)がノーベル化学賞を受賞してから100年にもあたり、世界化学年を定めた理由にもなっています。

マリ・キュリーは、「キュリー夫人」として知られるポーランド出身の物理学・化学の研究者。女性初のノーベル賞受賞者であるとともに、史上初の二度のノーベル賞受賞者でもあります。

一度目の受賞は、1903年の物理学賞でした。フランスの物理学者アンリ・ベクレル(1852-1908)一人と、マリとマリの夫ピエール・キュリーの二人が、賞を半分ずつわけあうことになりました。夫妻への受賞理由は「アンリ・ベクレルにより発見された放射線現象についての合同研究による多大なる功労への表彰として」。

最初の受賞から8年後の1911年に、マリは今度はノーベル化学賞を受賞することになります。

マリにとって、1911年という年は、二度目のノーベル賞受賞という輝かしい年であるとともに、大波乱の年でもありました。

最愛の夫だったピエールには1906年、馬車による交通事故死で先立たれていました。夫を失ったあともマリは研究をつづけ、科学アカデミー会員の候補として推薦を受けました。

しかし、フランスの物理学者エドアール・ブランリーとのあいだで、“ひとつの空席あらそい”をめぐり支持者たちが対立を激化。新聞紙上をまきこんだ誹謗中傷合戦にまで発展したといいます。1911年1月に行われた選挙の結果、キュリーは落選となりました。

それから数か月後、従来の研究活動に戻っていたマリの身に、ふたたび新聞媒体からの“荒波”が押しよせます。ブリュッセルで開かれていたソルベー会議という国際物理会議に出席中の11月4日、新聞に「マリが不倫をしている」と大きく報じられてしまったのです。

報道によると、相手は亡き夫ピアールの教え子だったポール・ランジュバン。ポールはポールの妻と別居状態にあり、私生活の悩みをマリに相談していました。それを機に、マリとポールの仲は親密になっていったといいます。ソルベー会議にも、マリとポールはともに出席していました。


ソルベー会議での写真。座って肩肘をついている女性がマリ・キュリー。前列右端がポール・ランジュバン。

マリがポールに宛てて書いた「あなたが彼女(妻)といるとわかっているときは、私の夜は恐るべきものとなって、眠れません」といった手紙までもが、公表されてしまったといいます。

とくだね記事が出てから、マリをめぐる報道は過熱し、マリは会議開催中の退席を余儀なくされました。自宅に帰っても群集に取りかこまれ、親友の家に身を隠すほどでした。

そうした大騒動の渦中、マリに届いた知らせが、「ノーベル化学賞受賞」でした。「ラジウムとポロニウムを発見し、ラジウムの単離、その性質や注目すべき元素からなる化合物を研究することにより、化学の発展に多大なる功績をつくったことを表彰して」というのが今度の理由です。

スキャンダルの渦中にあるマリに対して、主催側のスウェーデン国さえ、授与式への参加を見合わせてはどうかと打診したといいます。

しかし、マリは授賞式に出席することと主催者側に伝え、ストックホルムでの授与式に実際に出ました。

受賞式では気丈に振るまったものの、この年の騒動はマリの心身を相当に疲れさせていたのでしょう。年末に、うつ病と腎炎から入院をし、翌年にはサナトリウムでの療養生活をすることになりました。

ポールとの恋は実らなかったマリは病気からの復帰後、ふたたびもくもくと研究生活を続けたといいます。

放射線と長いあいだ向きあってきたマリ・キュリーは、1934年に白血病でこの世を去りました。

人の数にくらべたらそれほど多くはないノーベル賞受賞者のなかでも、人々から忘れられていく人物もいれば、いつまでも語りつがれる人物もいます。マリ・キュリーは、研究業績や「女性初の受賞」「二度の受賞」といった側面だけでない、人としての語りつがれるものを生前からもっていたのでしょう。

2011年世界化学年日本委員会ホームページはこちら。

参考文献
セアラ・ドライ著 増田珠子訳『科学者キュリー』
参考ホームページ
Nobelprize.org “The Nobel Prize in Chemistry 1911”

余談ですが、じつはマリとポールの恋の話にはつづきがあります。

二人の恋は実らなかったものの、二人の孫たちが二人の縁を補完します。マリの孫娘のエレーヌと、ポールの孫息子のミシェル・ランジュバンは結ばれ、結婚を果たしたのでした。
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