2010.12.31 Friday
“かたちあるもの”に価値の継承力
ことし2010年は、奈良時代の都が平城京に移ってから1300年にあたる節目の年でした。平城京があった奈良県は、大々的に「平城遷都1300年祭」を通年で開きました。イメージキャラクターの「せんとくん」も話題づくりに一役かいました。
東大寺には「盧舎那仏像」があります。いわゆる「奈良の大仏」です。聖武天皇(701-756、在位724-749)の発願により、745(天平17)年からつくられはじめ、752(天平勝宝4)年に、開眼供養会という“魂入れ”の儀式が行われました。この大仏が、東大寺の本尊です。
聖武天皇が統治していた時代、豪族たちの勢力あらそいに加え、国内では疫病がはやり、社会情勢は不安定だったといいます。仏教を信仰していた聖武天皇は、国民の信仰心を高めるための方法を考えました。大仏の造営もそのひとつでした。
大仏の高さは14メートルほどあります。仏教の経典のひとつ『華厳經』には、「盧舎那仏は宇宙そのものである」といったことが説かれてあります。宇宙的な寸法に近づくためにも、“大きな仏”の造営が必要だったのでしょう。
大仏をつくった中心人物は、国中公麻呂(生年不詳-774)という仏師とされています。
粘土で、大仏のあらかたのかたち、つまり塑像をつくります。そしてそのまわりに土の鋳型をかたちづくります。塑像と鋳型の間にはすきまを残しておき、ここに溶けた銅を流し込み、形をつくっていきます。大きさが大きさだけに、足元から顔へと、8回にわけて溶かした銅を流し込んでいったといわれています。
過去に二度の焼失がありました。1180(治承4)年の戦による焼きうちと、1567(永禄10)年の兵火によるものです。さらに、これらの前には855(斉衡2)年、地震により首が取れてしまったこともあります。
これらの災厄のたびに、人々は修復や再興にとりくみました。そして、およそ13世紀を経たいまもなお、人々は東大寺の大仏を拝んでいます。
いわば、大仏の造営は、奈良時代における「ものづくり」の一大事業だったわけです。
平城遷都から1157年後、明治時代がはじまりました。日本は西洋文明をつぎつぎに取りいれてきました。しかし、それ以前にも日本にものづくりの技術があったことは、奈良時代に建てられた大仏や、そのほかの寺々の壮麗さを見れば一目瞭然です。
“かたち”があること。その“かたち”につくった人の心が込められていること。そして、その“かたち”が、人々に「いつまでも受けつぎたい」と思わせる美しさをもっていること。これらのことが相まったとき、その価値は代々引きつがれていくのでしょう。
いま、日本の「ものづくり」が、外国の「しくみづくり」に敗れる場面がしばしば見られます。いくら、日本がものづくりの技をみがいても、人々がものを受け入れるしくみそのものを外国に変えられてしまうため、敗れてしまうという論があります。1年や10年の短い視点で見れば、そのとおりなのでしょう。
しかし、100年や1000年の長い目で見れば、ものづくりによりつくられた“かたちあるもの”には、価値を継承させるより強い力があるのかもしれません。目に見えるものの力強さです。
今年も「科学技術のアネクドート」にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。来年も、どうぞよいお年をお迎えください。
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