科学技術のアネクドート

経産省、2030年の“経産省的理想的エネルギー需給の姿”を示す
エネルギーは、石油、石炭、原子力などのように、いろいろなかたちをとることができます。そこで、どのかたちのエネルギーがどれだけ使われるのかを構成比で示すことができます。

経済産業省は、2010年7月、「2030年のエネルギー需給の姿」という資料を発表しました。

ここには、まず「一次エネルギー供給」としての、エネルギーの構成比が掲げられています。一次エネルギーとは、自然界に天然のかたちで存在するエネルギー源のこと。変換や加工されたかたちである電気、都市ガス、ガソリンなどの二次エネルギーと対比して使われることばです。


一次エネルギー供給

日本での一次エネルギー供給の2007年度の実績と2030年の推計を比べてみると、まず全体の供給量が減る推計がされています。

ただしこれは、ほかの団体が推計している一次エネルギー需給見通しからすると、省エネルギーがかなり進展した場合の状況といえそうです。たとえば、日本LPガス協会は「2030年度省エネ進展」というモデルで、2030年度の一次エネルギー供給を5億3600万原油換算キロリットルと見通していますが、いっぽう、経産省の2030年推計は、これをさらに下回る5億1700万キロリットルとしています。

一次エネルギー供給とはべつに、「電源構成」という点から見た構成比のグラフもあります。これは、二次エネルギーの代表格である電力が、どんな一次エネルギーによってつくられるかの比を示すもの。一次エネルギーにおける電力の比率は、1990年以降だいたい4割ほどで、すこしずつ割合は増えています。2007年度は44%。

電源構成の構成比は「設備容量の内訳」と「発電電力量の内訳」という2種類にわかれます。

設備容量の内訳

設備容量とは、発電することのできる“最大能力”を示す値。設備容量の内訳を見ると2007年度では、水力発電を含む再生可能エネルギーは21%、原子力は20%、石炭は16%、LNG(液化天然ガス:Liquefied Natural Gas)24%、石油など19%となっており、これらの要素別で見ればバランスがとれているといえます。

いっぽう、2030年度の設備容量の内訳では、再生可能エネルギーの設備容量がおよそ2.5倍、構成比にしておよそ2倍になることが掲げられています。原子力も設備容量そのものは増えることを見込んでいます。対して、地球温暖化につながるとされる化石燃料の発電能力に対しては、いま以上は頼らないようにしようしています。

発電電力量の内訳

電源構成のうち「発電電力量の内訳」のほうは、実際の発電によるエネルギーの量を示すもの。2007年度の実績では、再生可能エネルギー9%、原子力26%、石炭25%、LNG28%、石油等13%となっています。

いっぽう、2030年の推計では、再生可能エネルーは約2割、原子力は約5割、石炭は約1割、LNGも約1割、石油等は0に近い比率が掲げられています。

経産省は、再生可能エネルギーと原子力を「ゼロエミッション電源」として強調します。これは、ゼロエミッションとは、環境に負荷をあたえるような排出物を出さないこと。「ゼロエミッション電源」は、温室効果ガスとされる二酸化炭素などを出す化石燃料と対比して使われています。

政府の省庁のうち、原子力を後押しする役割をおもに担っているのは経産省。2030年度の推計を見ると、ゼロエミッション電源のなかでも、原子力に対して力を入れていこうとする姿勢がうかがいしれます。

なお、資料の冒頭には「本資料は、経済産業省が独自に試算した結果を参考資料として提示するものであり、『エネルギー基本計画』閣議決定の前提・根拠ではない」という注意書きがあります。

参考資料
経済産業省「2030年のエネルギー需給の姿」
日本LPガス協会「LPガスの概要」(2005年2月)データ
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秋葉原駅「タンドールガル」のチキンカレーライス――カレーまみれのアネクドート(28)


乗りかえ駅の商業施設、“駅ナカ”は、あたりまえのものになりました。「駅のカレー」といえば、定番は立ち食いそば屋のライスカレー。しかし、いまや駅ナカで本格派カレーが食べられる時代です。

東京のJR秋葉原駅は、東西方向と南北方向の電車の交差点。駅構内の1階に「トーキョー・フード・バー」というフードコートがあり、その一角に「タンドールガル」というインド料理店があります。

タンドールガルがこのたび始めたメニューは、チキンカレーライス。これまでこのお店は、ナンとカレーの組みあわせを売りにしてきました。ここに来て、王道のチキンカレーで原点回帰といったところでしょうか。

店の前で注文してまもなく、つややかな白いライスと薄茶色いルゥの面積がちょうど半々になったチキンカレーライスが出されます。

ここはフードコート。近くの食卓に座れば、左どなりのネクタイ姿のサラリーマンが食べるのはきつねうどん。右どなりの若い女性が食べるのはパンとコーヒー。食文化のるつぼのなかで食べるのはチキンカレーライス。

ルゥの中には、たまねぎと数々の香辛料が、完全には溶けずに残っています。ライスがカレールゥに染みこむまではいかないものの、汁気の多いカレーです。辛さはそれほどないものの、それでも食べているうちに静かに舌が辛さを覚えてきます。店側が付けてくれるレッドペッパーパウダーの小瓶をお好みで振るもよし。

鶏肉は、一口大のものが四つほど。香辛料が染みこんでいるわけではありませんが、歯ごたえはあり。“しっかりチキンカレーを食べている”感を覚えることができます。

「電車を乗りかえるついでにカレーを食べる」という駅ナカ食は、「カレーを食べるために電車を降りる」といったものにちょっとずつ近づいてきているようです。

「タンドールガル」は、秋葉原駅構内。ホームページはこちら。
食べログはこちら。
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「咬害」から線をまもる


地下鉄の信号用ケーブルや、地中を走る電線などには、どんなところにも線を遮断する“厄介者”がいるといいます。

ネズミです。ネズミが線をかじってしまい、信号途絶や停電などが起きることがあるのです。人による「公害」ならぬ、ネズミによる「咬害」ということばもあるほど。

日本で、線をかじるネズミは、ドブネズミやクマネズミなど。ドブネズミは、名まえのとおり下水溝などで活動をしています。ちなみに生物学の実験で使われるラットはドブネズミの変種です。また、クマネズミは、登ることが得意なので、どちらかというと地上より高いビルの中などにいます。

いずれのネズミも、線をかじることに変わりはありません。ネズミにとってビニル被膜やその中の銅線が大好物というわけではなく、また、お腹がすいているわけでもありません。ネズミたちは、自分の歯が伸びていくのを防ぐために、歯を磨いで削らなければなりません。自分の歯を削るための対象のひとつが、ケーブルや電線というわけです。

対策はいろいろあります。

線を覆う層に、金属製のものを一層ほどこすというのはひとつの方法。たとえば、ステンレス性の、厚さ0.05ミリのテープを巻きつけるだけでも効果はあるといいます。

ネズミが苦手な薬剤の成分を含ませた塗料を線に縫ったり、成分を含ませたテープに巻き付けたりする、化学的な方法もあります。

とくにネズミにとって強烈な忌避物質となるのが、唐辛子の辛みをもたらす物質として有名なカプサイシンです。からだが小さく、臭いにも敏感なネズミにとっては、カプサイシンの刺激は強すぎるもよう。カプサイシンを線の表層に練りこむわけです。

これらの方法は、なにも手を打たない場合よりも確実に効果をあげているようです。とはいえ、これらは水際作戦。ネズミに線をかじられる直前の段階で、導線をまもっているわけです。

「ねずみ算」という表現もあるほどです。数の多さと多産ぶりからして、根本的にネズミを地下の空間から排除しようとすることは、まずもって不可能なのでしょう。

参考文献
昭和電線ケーブルシステムズ「防鼠ケーブル」
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鳥の特徴から「ホトトギス」


山道の崖下にひっそりと咲く花。名前を「ホトトギス」といいます。ユリ科の多年草で、秋に上の写真のような花を咲かせます。

漢字で表すと「杜鵑草」。鳥のホトトギスには「不如帰」だけでなく「杜鵑」がよく使われるので、植物のほうは、これにただ「草」が付いただけとなります。

鳥の名前が植物に使われているのは、ホトトギスだけではありません。たとえば、ヒユ科の「ケイトウ」という植物は、赤い花を天のほうに向かってまっすぐに咲かせます。その姿が鶏のとさかににているため「鶏頭」と名づけられたといいます。

また、ラン科には「チドリ」ということばの付く植物がいろいろあります。「ミズチドリ」(水千鳥)、「アオチドリ」(青千鳥)、「ヤクシマチドリ」(屋久島千鳥)など。これらは、鳥のチドリが飛ぶ姿から付けられたといわれています。

では、植物の「ホトトギス」は、どのようなことで「ホトトギス」と付けられたのでしょうか。花のかたち、あるいは葉まで合わせた全体のかたちが、鳥のホトトギスとにているのでしょうか。

鳥のホトトギスは、植物のホトトギスのかたちとちがって、それほどからだを全方向に広げて羽ばたくような鳥ではありません。

にているのは、花びらの斑点の模様です。

植物のホトトギスは、白い花びらを基本に、まだらに紫色の色素が散りばめられています。いっぽう、鳥のホトトギスの腹の部分も、白い毛の中に黒い毛がまだらに含まれています。

鳥の名前がそのまま植物の名前になっているのは、「ホトトギス」くらいのものだといわれています。「ホトトギスノハラ」でなく「ホトトギス」。名付け親は、木の枝に止まるホトトギスを下から眺めていたのかもしれません。


参考ホームページ
みんなの趣味の園芸「植物図鑑」
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「ガリレオ」は金星を2枚撮影していた。
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、17世紀のイタリアで活躍し「近代科学の父」とよばれています。とくに天文学への貢献は大きいものがありました。

よく知られているガリレイの貢献は、木星の衛星の発見です。1610年、ガリレイは後に「イオ」「エウロパ」「ガニメデ」「カリスト」とよばれるようになる四つの衛星を、望遠鏡を使って発見しました。

ガリレイは金星に対しても、発見をしたことがあります。おなじく望遠鏡を使って、金星が満ち欠けすることや、見た目の大きさが変わることを発見したのです。

しかし、いまの世の中では、“ガリレイの星”といえば、どちらかというと、木星。発見されていなかった衛星を発見したことのほうが、業績の評価は高いのかもしれません。

米国航空宇宙局(NASA:National Aeronautics and Space Administration)は、1989年10月、「ガリレオ」という名の宇宙探査機をスペースシャトルを使って打ち上げました。「ガリレオ」の目的は、ガリレオが見つけた木星の衛星や、木星そのものを探査すること。ガリレイにちなんだ木星や衛星を調べる探査機に「ガリレオ」と名付けるのは、ごくまっとうなことといえます。

とはいえ、探査機の「ガリレオ」も、金星との関係がなかったわけではありません。

1990年2月10日、探査機「ガリレオ」は宇宙のなかで“スイングバイ”という動きを計画的にとりました。天体に近づいて、その天体の重力に引きよせられていき、宇宙空間を進む向きをくるりと変えるのがスイングバイです。向きを変えるのに天体の重力を使えば、燃料を使う必要はありません。そのため、宇宙探査器ではスイングバイがさかんに利用されています。

この日、探査機「ガリレオ」がスイングバイで近づいた星は、金星でした。金星まで1万6130キロのところまで近づき、くるりと向きを変えることに成功しました。この距離は地中と月の距離のおよそ25分の1です。

NASAが探査機「ガリレオ」にスイングバイをさせることよりもさらに計画的だったのは、「ガリレオ」に金星の写真を撮影させたことでした。

金星に近づいたガリレオは金星を被写体にして写真を撮りました。枚数は、1枚でなく、2枚です。2枚を撮ったというのにも意味があります。



金星にも、地球とおなじように“雲”があり、星全体を覆っています。すこし時間をおいて、金星を2枚撮影することで、“雲の流れ方”を観察することができるわけです。この2枚の写真を比べることで、東西にとても速い風が吹いているということがわかりました。

さらに、2枚の写真では、受けとる波長も変えていたため、金星の表面から高い位置での雲の速度と、低い位置での雲の速度も観察することができました。高い雲のほうでは風速が100メートルにもなっているということが確認されました。

木星に向かう前に一瞬だけ立ちよった金星を、カシャ。カシャ。この2枚の写真によって、謎の多い星だった金星の正体が見えてきたといいます。

いま、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、「あかつき」という探査機を金星に近づけています。計画どおり進めば(2010年)12月7日(火)には、金星の周回軌道に達する予定。

計画が成功すれば、「ガリレオ」の2枚の写真よりも、さらに多くの情報を得られることになります。しかし、「ガリレオ」が撮影した2枚の金星の写真は、日本による金星探査の礎のひとつになってもいるのです。

参考ホームページ
宇宙航空研究開発機構「金星探査機『あかつき』(PLANET-C)」

この記事は、日本科学技術ジャーナリスト会議が2010年11月26日に主催した、JAXA中村正人氏による講演会「金星探査機あかつきが切り開く世界」の内容も参考にしています。
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WEBRONZA、2010年12月より「科学・環境」記事を開始
 朝日新聞は、2010年12月1日(水)より、インターネット上のサイト「WEBRONZA」で「科学・環境」分野の記事を掲載します。

朝日新聞社によると、WEBRONZAは、「いち早くニュースを読み解き、激変する社会に確かな明日を提示する。時代と向き合う新言説空間」とのこと。学者、専門家、ブロガー、論説委員、編集委員らがニュースの解説や論を展開しています。

これまでの分野は、「政治・国際」「経済・雇用」「社会・メディア」の3分野でした。ここに「科学・環境」が加わるわけです。

執筆者は次のような人びとです。

サイエンスコミュニケーターで、『科学との正しい付き合い方』や『カソウケンへようこそ』などの著者でも知られる内田麻理香さん。大阪大学コミュニケーション・デザインセンター教授で、科学哲学や科学技術論などに詳しい小林傳司さん。

産業技術総合研究所の安全科学研究部門長で、環境リスク学を専門とする中西準子さん。京都大学理学研究科教授で、ゴリラやサルなどの霊長類から人類の進化を捉える研究で知られる山極寿一さんら。

WEBRONZAの購読には料金がかかりますが、「科学・環境」は12月中はとなるそうです。

新聞メディアにおける「科学」の本格的なウェブ展開のひとつとなるでしょうか。朝日新聞によるお知らせ「WEBRONZA『科学・環境』ジャンル来月スタート」はこちら。
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「ロコモ」、流行語では終わらない

新語・流行語大賞の候補にあがっていないものの、「ロコモ」ということばと考え方が、すこしずつ世の中に浸透してきています。

「ロコモティブ」(locomotive)とは、日本語で「運動の」という意味。ここでは「運動器の」という意味がよりふさわしいといえます。「運動器」とは、骨や関節や靱帯、脊椎や脊髄、筋肉や腱、末梢神経などのからだを支え動かす役割を果たす器官のこと。

また、「シンドローム」(syndrome)は、さまざまな病の徴候を示す「症候群」の意味です。

つまり、ロコモティブ・シンドロームとは運動器症候群のこと。この言葉が示すものは「運動器障害により、要介護になるリスクの高い状態になること」となります。

「シンドローム」または「症候群」とよばれているほどですから、ロコモにはいろいろな原因があります。大きくわけると二つの原因になるといいます。

ひとつめは「疾患が主のもの」。たとえば、変形性関節症。傷んだ関節の軟骨が修復されるとき、正常に修復されないため周囲の部分に負担がかかって痛みなどを伴うものです。また、骨が萎縮してもろくなる骨粗鬆症はよくしられています。骨粗鬆症による円背なども運動器そのものの疾患です。

もうひとつは「加齢が主のもの」。年齢が高くなると、筋力が落ちたり、持久力が落ちたり、運動の速度が落ちたり、バランス能力が落ちたりします。これらの衰えがあいまって、運動機能全体が落ちていきます。

ロコモティブ・シンドロームがそのまま「寝たきり」という意味をもっているわけではありません。しかし、寝たきりや要介護の原因のひとつとなります。また、ロコモと認知症、またロコモとメタボリック・シンドロームを合併する人は多いともいわれます。

日本整形外科学会は2007年、「ロコモ」あるいは「ロコモティブシンドローム」という言葉と概念を提唱しました。このような言葉を広めようとする背景として、日本が高齢社会に完全に突入したことがあげられます。

「ロコモ」という言葉が、流行語という一過性のものに終わらない可能性は高いでしょう。

参考ホームページ
日本臨床整形外科学会「ロコモティブ症候群」
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アルツハイマー病の仮説がじょじょに移行


日本に認知症の患者は220万人ほどいるといわれています。おもな認知症の種類としては、脳の血管に小さな梗塞が起きて発症する脳血管性認知症や、運動障害を併発するレビー小体型認知症、そしてアルツハイマー性の認知症があります。

最も多いのはアルツハイマー性の認知症(アルツハイマー病)で、認知症全体の4割から6割ほどを占めるとされます。

アルツハイマー病の原因として長らく「βアミロイド仮説」というものが説明されてきました。

アミロイド前駆体タンパク質(APP:Amyloid Precursor Protein)という物質が脳のなかにあります。この物質が酵素に2回、切断されることによってその断片がβアミロイドタンパク質という物質に姿を変えます。

βアミロイドタンパク質は、おたがいにくっつきやすく、くっつくと今度は繊維化して、脳の神経細胞にひっつきます。こうして斑点のようなものが脳にできるのです。この斑点は「老人班」とよばれています。

βアミロイドタンパク質が集まり、繊維化して老人班をつくる。アミロイド仮説では、これがアルツハイマー病の原因であると考えられてきました。

しかし、「βアミロイドタンパク質が繊維化することとアルツハイマー病の発症することには関係がないのでは」という論が、ここ2、3年、上がってきています。

βアミロイドタンパク質がつくった繊維には毒性がないこと、また、βアミロイドが多くつくられようが少なくつくられようが繊維の蓄積には関係がないことが、わかってきました。老人班があろうがなかろうが、アルツハイマー病にかかる人はかかるのです。

とはいっても、βアミロイドタンパク質とはまったく関係ない物質がアルツハイマー病の原因とされはじめたわけではありません。

アミロイド前駆体タンパク質からβアミロイドタンパク質はつくられ、これが繊維化するわけです。この課程のうち、βアミロイドタンパク質から繊維ができる途中につくられる多量体という状態の物質がほんとうのアルツハイマー病の原因物質ではないかという説が新たに出てきています。

脳内のそれぞれの神経細胞は、シナプスとよばれる部分で信号を受けわたしします。この大切なシナプスのところに、多量体が作用して悪影響を及ぼしているのではないかというのです。

しかし、新しい説もまだ“仮説”の域を脱したとはいえません。アルツハイマー病の原因さがしは、いまだ五里霧中といったところでしょう。

参考文献
亀谷富由樹「アミロイド仮説とAPP細胞内の断片」『精神研NEWS』2008年1月
東京都老人総合研究所「アルツハイマー病のおきるしくみと治療/現在と未来」
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院内で臓器移植の橋わたし


「院内移植コーディネータ」という役職があります。

もともと「コーディネート」(coordinate)とは「調整する」という意味。「者」の意味がつく“-or”がついて、「コーディネーター」は「調整者」の意味になります。

臓器移植では、臓器の提供者であるドナー側から、臓器移植手術を受ける患者であるレシピエント側へ必要な臓器が提供されることになります。

このとき、移植コーディネーターは、臓器を提供する可能性が生まれた患者の家族に臓器提供とはどのようなものであるかを説明する、家族が最終的に臓器を提供するかどうかの決定をしやすくさせる、移植手術を行う医療チームと連絡をとりあう、臓器を運搬する、また日ごろから臓器移植についての理解を高めてもらうように市民に情報提供をする、といった役割があります。

移植コーディネーターには、これまで、日本臓器移植ネットワークという社団法人に所属している人と、日本臓器移植ネットワークが委託した都道府県コーディネーターとよばれる人がおもにいました。

これらに加えて、脳死者の臓器提供が行える医療機関などでは、新しく院内コーディネーターという役職が置かれることが増えています。その医療機関のなかで働いている医師や看護師などがその役割を担っています。また、「院内コーディネーター」としての認定制度などを設けている県もあります。

各地方自治体が院内コーディネーターの制度を本格化させた背景には、臓器移植法の改正による制度の変更があります。2010年1月から7月にかけて、おもにつぎの改正内容が施行されました。

「本人の書面による臓器提供の意思表示があった場合であって、遺族がこれを拒まないとき又は遺族がないとき」という現行法での臓器摘出の要件にくわえて、「本人の臓器提供の意思が不明の場合であって、遺族がこれを書面により承諾するとき」という新たな要件もくわわりました。このどちらかの場合がかなえば、臓器摘出を行うことができるようになったわけです。

また、臓器移植法の改正により、「臓器提供の意思表示に併せて、書面により親族への臓器の優先提供の意思を表示することができることとする」という内容も加わりました。

これらの改正があったため、医療機関内ですぐに臓器提供の可能性がある患者の家族と意思疎通できるコーディネーターの役目が重要になりました。

各県の人口などによって異なりますが、20人ほどの院内コーディネーターがいる県もあります。

参考記事
読売新聞「臓器移植推進 院内コーディネーター導入…滋賀」2010年2月19日
山形県腎等臓器移植推進機構「臓器移植について」
厚生労働省「改正臓器移植法の一部が施行され、平成22年1月17日から『親族への優先提供の意思表示』が可能になります」
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死と臓器移植のタイミングを分けて考える


日本で「脳死」の基準は、厚生省(いまの厚生労働省)の基準として、つぎのようなものになっています。

・深昏睡
・瞳孔拡大
・脳幹反射の消失
・平坦脳波
・自発呼吸の消失
・以上の状態が6時間以上続くこと

このような基準をもって、その人は「死んでいるか」「死んでいないか」を判断するわけです。

このような脳死の判定基準が設けられているのは、おもに臓器移植によって助かる見込みのある人の命を救おうとしているためといえます。臓器移植という医療が発達しなければ、これほど脳死をめぐっての厳密な判定はなされなかったことでしょう。

しかし、「脳死を定義することで臓器移植を行えるかどうかの判断を明確にする」という見方よりも、より広く、かつ根本的な視野で、「臓器移植を行えるかどうか」の判断を考えることもできます。

1987年、デンマークの「デンマーク倫理評議会」は、厚生大臣に「脳死の判定をどうすべきか」という問いに対する報告をする必要がありました。デンマーク倫理評議会は、医療についての様々な問題に対して、厚生大臣に勧告をする機関です。当時、欧州の国でただひとつデンマークだけが脳死判定がなかったのです。

デンマーク倫理評議会は、脳死と臓器移植をめぐって、つぎのような三つの論点を示しました。

・人間が死ぬのはいつか。
・人間を生かしつづける努力をやめてよいのはいつか。
・ほかの人間に臓器を移植するために、一人の人間から臓器を摘出してよいのはいつか。

それまで世界では、脳死と判断されることが、臓器移植のための大きな条件と考えられていました。いっぽう、デンマーク倫理評議会の示した論点では、一番目の「人間が死ぬタイミング」と、三番目の「臓器移植を行うタイミング」を明確に区わけしたわけです。

結局、この評議会が示した三つの区分けで考える方法は、当時のデンマーク政府に拒絶されました。一番目と三番目をべつべつの問題として考えると、死んでいないと定義される人間から臓器移植を行うことが理論的には可能となり、これを議論するのはあまりに過激すぎると政府は判断したようです。

デンマーク倫理評議会から「ほかの人間に臓器を移植するために、一人の人間から臓器を摘出してよいのはいつか」という論点があがった背景には、死の判定からすれば生きているものの、意識がなく回復も見込めない人間に対してどのように接していけばよいのかという倫理的問題があります。

『生と死の倫理』の著者として知られるオーストラリアの哲学者ピーター・シンガーは、「私たちは、決して意識をもつことのない人間に対してこれまでとは違った対応の仕方を見つける必要がある」と述べています。

参考文献
マーク・シンガー『生と死の倫理』
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割引率で電力コストの順位は変わる
 電力企業が供給している電気は、石炭火力、液化天然ガス(LNG:Liquefied Natural Gas)火力、原子力などにわけて考えることができます。

それぞれの発電方法に対しては、それぞれの発電コストがあります。この発電コストの目安として使われているのは、資源エネルギー庁電力・ガス事業部政策課などが管轄している、総合資源エネルギー調査会電気事業分科会コスト等検討小委員会がまとめた資料です。

この小委員会の報告では、1キロワット時あたりの発電コストは、一般水力が11.9円、石油火力が10.7円、液化天然ガスが6.2円、石炭火力が5.7円、そして原子力が5.3円などとなっています。

この計算で大きく関わってくるのが「割引率」とよばれるものです。資源エネルギー庁の「割引率」の説明には「長期的投資効率を評価するなどの目的で、将来価値を現在価値に割り引く際に用いる利率のことをいう」と、あります。

一度つくった発電所などは、何十年も使われつづけていくため、現在の「100円」と将来の「100円」とでは価値は変わっています。そこで、将来のお金を、現在の価値に換算する必要があり、それを発電コストの計算に入れています。その換算の割合が「割引率」です。

上の「液化天然ガスが6.2円、石炭火力が5.7円、そして原子力が5.3円」といった計算は、「割引率3%」として計算しているもの。

いっぽう、国際機関である経済協力開発機構(OECD: Organization for Economic Co-operation and Development)は、日本の発電コストの割引率を10%として計算した数値も出しています。

それによると、1キロワット時あたり、ガス火力6.4円、石炭火力が6.9円、原子力が5.9円となり、原子力が最も高いコストになります。

割引率は、電力会社が銀行から受ける融資の金利に連動します。低い金利で銀行から融資を受け続けることができれば「割引率3%」のほうが「割引率10%」より妥当な値となります。海外よりも日本の電力会社は低い利率で融資を受けられる状況にあり、これが「火力より原子力のほうが安い」とされる要因のひとつになっています。

参考文献
伊藤浩吉「原子力発電の温室効果ガス 限界削減コストについて」
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収入が収支を上まわるまで10年以上。
 太陽電池は、使用者にとっては、「はじめに高額のお金を通しして、その費用を徐々に回収するもの」の典型です。

はじめに太陽電池を買うときにかかる費用は、200万円に近い100万円代後半ほど。もし、家の新築とセットでなく、すでに建ててある家の屋根にとりつけようとすると、さらに屋根の改修費がかかり200万円を超えることがあります。

この「およそ200万円」の「収支」から、太陽光発電関連のさまざまな「収入」を埋めていけば、いつかは「はじめの200万円は回収できた」となるわけです。

「収入の部」はというと、まず大きいのが補助金です。国や多くの地方自治体は、市民が太陽電池を買うに当たっての補助金を出しています。国の補助金は、2010年度で太陽電池の能力1キロワットあたりに対して7万円。また、地方自治体では、東京都が1キロワットに対して10万円を補助するなどしています。

一般家庭での太陽電池の能力は、3キロワットほどなので、国と地方自治体からの補助金で50万円ほどになります。ただし、国の補助金のほうは、事業仕分けで「20%削減」の判定を受けたため、2011年度は2010年度より学が額くなるかもしれません。

また、2009年から始まった「余剰電力買取制度」による収入もあります。家庭で使われた太陽電池由来の電気エネルギーが余った場合、電力会社が通常の電力料金の2倍ほどで買いとるというもの。

この買取制度がはじまった2009年度は、1キロワット時あたり48円で買いとり。また、2010年度分も、おなじく48円でした。太陽電池の普及を促す制度なので、これからはこの額はだんだんと安くなっていくことが予想されます。

いま太陽電池を購入すれば、10年間、固定価格で電力会社が余剰分のエネルギーを買いとってくれます。各家庭の事情にもよりますが、これにより10年間で100万円くらいの収入が見込まれるという試算があります。

また、電気料金の節約という点も「収入」の要素になります。いままで東京電力や関西電力に支払っていた電気料金の一部を、太陽光発電であがなえるわけです。この節約代は、10年間で35万円ほどという試算があります。

はじめの投資が200万円に対して、国や自治体の補助金は50万円。余剰電力の買い取りが100万円。電気代の節約で35万円。収入のほうは、10年間使いつづけて185万円ほどとなります。

つまり、10年経って残るは15万円の赤字。すでに固定買取制度は10年間なので、これ以上の買取はありません。あとは、電気代の節約にたよるのみ。3年ほどすれば節約代は10万5000円となり、ここでようやく収入が収支を上回ることになります。

となると、買った太陽電池が大切になるのが「とりあえず13年間もつか」となります。いま、日本の各メーカーは太陽電池の出力保証を10年間としています。

食べ放題で、先にお金を払っておいて、あとは食べたいだけ食べるのが好きか、それとも食べる料理ごとにその都度その都度、お金を払っていのが好きか。こうした人の性格も、太陽電池の購入の際の大きな決め手となるかもしれません。
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「『行基図』は行基作か」に賛否両論


学問の対象が過去のものであればあるほど、「本当かどうか」はわかりにくくなるのが定めといえます。

奈良時代に、行基(668-749)という僧がいました。いまの大阪府堺市から高石市にかけての河内国の出身といわれています。

平城京の建築や、飢饉などで庶民の生活が困窮していた時期。行基は、各地を行脚して民を救済したり、必要な橋、池、布施屋という旅人の収容施設などをつくったりして、“行基菩薩”とあがめられました。晩年には、朝廷から買われて東大寺の大仏づくりのために活躍したともいわれます。

行基は、「日本ではじめて日本地図をつくった人物」ともいわれます。うえの画像にある地図は、行基がつくった地図を模したものとされ、このような地図をまとめて「行基図」といいます。

海岸線のかたちなどは大ざっぱです。しかし、平安京のあった山城国を中心に、北は津軽大里から南は薩摩まで“各国”の位置がわかります。

行基図をめぐっては、「行基がつくったものだ」「いやちがう」と、諸説がとびかっています。

行基図が行基によるものであるという根拠としては、現存する地図に「行基菩薩作」といった言葉が見られること、行基や仲間が布教活動で諸国をまわっていたことなどが挙げられます。

いっぽう、「いやちがう」という人の説にも、根拠があります。行基図で中心に描かれているのは山城国。しかし、行基が生きていたころの日本の中心地は、奈良の平城京や、恭仁京(くにのみやこ)といういまの奈良県の木津川地方でした。

また、行基の業績が記された「行基年譜」という資料などを見ても、いまの青森県にあたる津軽地方や、鹿児島県にあたる薩摩どころか、大和、山城、河内、和泉、摂津の畿内より外に行った足跡は見られません。

すくなくとも、行基本人が、江戸時代の伊能忠敬のように、日本全国を歩きまわって地図をつくったものではなさそうです。行基が携わったかどうかはさておき、上に示した画像のような地図は、「行基図」とよばれています。
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地球に眠る石油の量を計算する(下)

石油の埋蔵量の計算法のみっつめにあるのが、「物質収支法」とよばれるものです。

「物質収支」とは、化学反応の起きる系のなかに投じた物質の量と系から得られた、物質の量と収支のこと。化学の「質量保存の法則」を利用して、「対象の物体のなかから、この物質についてはこれだけの量が減ったのだから、この物質が残っている量はこれだけのはずだ」といった計算をします。

物質収支法では、もともとあった石油の量の1割ほどが採取されたあとで計算する必要があります。

よっつめにあるのが、「油層シミュレーション法」などとよばれるものです。油層の大きさ、油層に占める孔の割合、油層の浸透率や飽和率などをあらかじめ調べおき、それをシミュレーション・モデルに入力します。

ここから導かれる値によって、もともとこの油層の埋蔵量がどのくらいだったかをまず求めます。さらに、石油の生産歴がある油層では、これまでの生産量の実績や、油層の条件などのデータと、モデルとなる計算値とを比較することで、もともとあった埋蔵量の見なおしも行います。

きのうの記事で紹介した「容積法」と「曲線減退法」さらに、「物質収支法」と「油層シミュレーション法」。これらの方法を駆使して、石油の確認埋蔵量を計算します。

2007年末では、石油の確認可採埋蔵量は、全世界で1兆2,379億バレル。中東が6割、欧州・ユーラシア、アフリカ、中南米がそれぞれ1割、その他の地域で1割といった割合です。可採年数は「42年」という計算がでています。

参考ホームページ
石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)「石油・天然ガス用語辞典」
電気事業連合会「でんきの情報広場」
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地球に眠る石油の量を計算する(上)


「石油が枯渇するまであと40年」ということが、かなり前からいわれて続けています。

この「40年」という数値は、ある年における世界中の石油の「確認埋蔵量」を、その年の世界中の石油の「生産量」で割って計算されるものです。

つまり、「10」の量の石油が生産された年に、「400」の量の石油が眠っていることがわかっていれば、「あと40年は石油を採りつづけられるだろう」という計算になります。これが「石油が枯渇するまであと40年」という表現になるわけです。

では、「これだけの量の石油が眠っている」という確認蔵量の計算は、どのように行われるのでしょうか。

石油の確認埋蔵量は、おもに四つの方法で評価されているといいます。

ひとつめは「容積法」というもの。石油が貯まっている岩つまり「油層岩」には、石油が貯まる孔があるはずです。この孔のなかに、石油がどれだけ入っているか、その体積を計算するものです。

埋蔵量=(油層岩の体積)×(油層岩の体積に対する孔の体積の率)×(1−孔に含まれる水の率)÷(油容積計数)

「油容積計数」とは、「地表という条件における単位体積あたりの原油が、油層内の条件にあるときに占める体積」のことをいいます。

ふたつめは「減退曲線法」といいます。ある油層岩について、石油がつくられつづけると、油層の圧力が低下したり、油に対する水の量の比率が高くなったりして、石油の生産率がだんだん低くなっていきます。

そこで、生産率の減り方の傾向が最もよく一致する曲線に照らしあわせて将来の石油生産量の減り方を予測します。つづく。

参考ホームページ
石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)「石油・天然ガス用語辞典」
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/dicsearch.pl?sort=KANA&sortidx=&target=KEYEQ&freeword=埋蔵量評価
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むかし小野川、いま稀勢の里
小野川喜三郎

大相撲の九州場所2日目、東前頭筆頭の稀勢の里が、横綱の白鵬を寄りきりました。白鵬の連勝を止めたのは稀勢の里でした。

過去にも連勝の記録があるということは、かならずといってよいほど、連勝を止めた人物がいることになります。双葉山に70連勝させなかったのは、安藝ノ海という力士でした。

もう一人、大相撲でおなじくらいの連勝を阻止した力士がいます。小野川です。

小野川喜三郎(1758-1806)は近江国出身で、はじめ「大坂相撲」とよばれる大坂での土俵にあがっていました。その後、江戸の相撲に足を踏みいれました。

小野川と近い世代の力士に谷風梶之助(1694-1736)がいました。こちららは陸奥出身で「関ノ戸」という門に、いまでいう部屋入りを果たし、活躍します。

1782(天明2)年の3月場所7日目、二段目という地位にいた小野川は、大関だった谷風と勝負しました。このとき、谷風は今回の白鵬とおなじ63連勝を果たしていたといいます。

体と腕っぷしで上まわる谷風に対して、小野川は技巧派としての取りくちを展開したといいます。そしてこの日、小野川が谷風を下し、谷風の連勝を63で止めたのでした。

この相撲は、相撲の歴史のなかの名勝負のひとつに数えられているといいます。

この勝負を闘って敗れた谷風は、1789(寛政1)年に、相撲界で最初に横綱を締めることを許されたといいます。逆にいえば、63連勝しながら、まだ横綱をしめることを許されていなかったわけです。

谷風には遅れましたが、谷風を破った小野川も、後に、第5代横綱の地位を許されることになりました。場所の数が少なかった江戸時代、小野川の幕内成績は144勝13敗4分10預3無勝負40休だったといいます。

昭和時代、双葉山を破った安藝ノ海も、その後、横綱まで登りつめました。

今回、横綱の白鵬を倒した稀勢の里も、おそらく「白鵬の連勝を63で止めた力士」として、歴史に残ることでしょう。数十年、数百年後の相撲史のでは「横綱・稀勢の里」という呼び名になっているでしょうか。
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一命をとりとめた。闘病がはじまった。
 様々な病気に対しては、治療法が進歩することにより、“一命をとりとめる”ことができるようになりました。しかし、一命をとりとめることができても、完全に体の機能が戻らず、もとの生活どおりにならないことも多くあります。

脳卒中はその代表例といえます。脳の血管がつまったり、破れたりする、脳の血管病です。

塩分を多くとる国民性から、日本人は脳卒中になる人が多く、1970年代後半までは、日本における死因の第1位でした。1970年には、人口10万に対して、脳卒中で死ぬ人は180人ほどいました。

しかし、その後は「塩分の摂りすぎは高血圧から脳卒中への階段を登ることになる」といった知識が国民に普及したり、動脈硬化に対する治療が進んだりして、脳卒中による死亡率は低くなっていき、2005年の時点で人口10万人あたり110人ほどになっています。

さらに、2005年からは「血栓溶解療法」という、脳卒中が起きた直後、脳の血管が詰まったのを溶かす緊急的な方法により、一命をとりとめる人も多くなっています。

脳卒中による死亡率の低下は特筆すべき傾向にあるといえます。しかし、その裏側で、脳卒中の治療を受けている患者の数は増えているようです。国立循環器病センターの情報によると、脳卒中死亡者が多かった1965年に比べて、4倍から5倍になっているといいます。

命は救えた。しかし、病気との闘いがはじまった。というのが、脳卒中についていえることかもしれません。

“寝たきり”の原因として、脳卒中が締める割合は37.9%。寝たきりの原因の第1位となっています。

参考ホームページ
国立循環器病センター「脳卒中予防の秘けつ(改訂版)」
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“愚行”が20世紀の社会、産業、環境に影響を与えた―sci-tech世界地図(8)
米国ペンシルベニア州タイタスビルという街の南に、小さな油田の跡があります。この油田の跡は、「ドレーク油田」といわれます。この油田こそが、石油産業時代が始まるきっかけをつくった地とされています。

エドウィン・ドレーク

米国に、エドウィン・ドレーク(1819-1880)という一人の男がいました。バーモンド州出身で、職業を転々とした流浪の人物です。1850年代前半までニューヨーク・アンド・ニューヘイブン鉄道という会社の社員としてはたらいていました。ニューヘイブンは、コネチカット州南部にある都市です。「ヘイブン」(Haven)は「港」や「安全地帯」を意味することば。「ニューヘイブン」という地名は、米国の様々な州にあります。

妻を亡くして、家を売り払い、宿で暮らしていたドレークのところに、ニューヘイブン銀行の頭取をしていたジョージ・タウンゼントという人物が「ロック・オイルの開発のため、はたらかないか」と声をかけました。

「ロック・オイル」とは、いまでいう「石油」のこと。当時はまだ「地面から滲みでてくる物質」というほどにしか、その存在は知られていなかったようです。ニューヨークの弁護士だったジョージ・ビセルという人物が、この魅力的な物質に目をつけ、「ロック・オイルで儲けよう」と、タウンゼントを誘い、発掘者を探していたのです。

鉄道会社社員だったドレークは「なんでも屋」として知られていました。そこで、タウンゼントらに“山師”としての才能を買われたというわけです。

1857年12月20日、こうしてドレークとタウンゼントは、小集落だったタイタスビルに足を踏みいれました。

2010年のタイタスビルの街なみ

このとき、ドレークには、ある称号が与えられたといいます。それは「大佐」。自尊心がひときわ強かったとされるドレークに対して、タウンゼントは「大佐」という呼び名を与えることで、働く気を高めさせようとしたのでしょう。

この後の、ドレークの油田発見までの作業は「ドレークの愚行」とよばれています。油田がいっこうに見つからなかったからです。街の住人は彼の山師としての仕事を「ドレークの愚行」(Drake's Folly)と冷やかしました。また、出資者たちからも「オイル・ロックなんて、見つからないではないか」と非難されたといいます。

ドレークとタウンゼントがタイタスビルに足を踏み入れてから1年10か月後の1859年8月。ニューヘイブンに戻っていたタウンゼントは、ドレークに手紙を送りました。「8月末をもって、この作業は終了とする。支払いをすべて済ませて、ニューヘブンへと戻ってくるように」。

住民たちからの非難の声をまるで気にすることなく、ドレークは石油を当てるための作業をもくもくと続けました。当時の郵便事情は、いまに比べてはるかにのどかなもの。タウンゼントからの手紙も、まだドレークのもとには届いていませんでした。ただ、もくもくとロック・オイル探しを続けるのみ。これこそが、“ドレークの愚行”です。

そして、タウンゼントが作業終了を予定していた日の4日前にあたる1859年8月27日、ドレークとともに働いていた採掘工が、深さ21メートルのところで、道具がひっかかったことに気づきました。

翌日、ドレークらがその現場に行くと、集められた木樽のなかには、なみなみと液体が満たされていたといいます。ロック・オイルです。

こうして、現代産業を支えつづけることになる石油は、小さなタイタスビルという街で見つかりました。

ドレークはあくまで雇われの身。オイル・ロックを当てたことによる利益の大半は、ホワイトカラーのビセルやタウンゼントらに渡りました。ドレーク自身は、油田の発見以降も、大した富を得ることもなかったといいます。

しかし、油田の発見者を評価した人は評価しました。ペンシルバニア州は、わずかながらも、ドレークが生涯をどうにか暮らしていけるほどの年金を、ドレークの死まであたえつづけたといいます。ドレークは1880年にこの世を去りました。亡きがらは、タイタスビルに葬られたといいます。

ドレークがあの世からこの世を見ることができているとしたら、もっとも自尊心を守ることができたのは、ドレークが油田を発掘した場所に「ドレーク油田」という地名がついたことかもしれません。

自分自身が掘り当てた石油が、20世紀の社会、産業、環境に、大きな影響をあたえることになるとは、“山師”ドレークも思わなかったでしょう。

ドレーク油田は、米国ペンシルバニア州タイタスビルにあります。地図はこちら。
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この国の美を見る、「日展」


東京・六本木の国立新美術館で、「第42回日本美術展覧会」(日展)が開かれています。2010年12月5日(日)まで。

日展は、毎年秋に行われている美術の大規模な展覧会です。

1906(明治39)年、文部大臣の牧野伸顕が、欧州に滞在していたとき文化の高さに触れた経験から、公設の展覧会を催すことを決定。翌1907(明治40)年、「第1回文部省美術展覧会」(文展)が開かれました。これが日展の発端です。1946(唱和21)年からは、いまの「日本美術展覧会」の名前となりました。いまは「日展」という法人が主催しています。

展示は、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の各部門からなり、それぞれ公募したなかからの入選作品を展示しています。ほかの展覧会よりも、ところせましと並べられている展示作品の多さも特徴です。


日本画では、噴煙を高々とあげる桜島の姿を描いた作品が、来場者の目を引いていました。手前には海、奥には桜島。カンバスの面積の7割以上を黒々とした噴煙で覆っています。大胆な構図で、壮大な自然の模様を描いています。

洋画の作品で多いのは、雪の景色を描いた作品です。日本の四季の自然のなかで、雪を美の対象として捉えている画家は多いようです。「白」や「白銀」として表現される雪の景色も、光の射しぐあいなどでさまざまに変化します。


「雪の朝」という作品では、近くに湿地を、遠くに雪に覆われた山を配置。積もった雪に反射する光の具合によって、稜線を表現しています。青空のなかには山肌から煙がうっすらと。

用いる素材の材質が、作品の出発点となるとされるのが工芸美術です。鍛金、木彫、染色、紙など、さまざまな素材を使った作品が並んでいます。より、素材の特徴が活かされた作品が評価を受けているようです。


「騰々の夏」という特選作は、海、雲、空、日差しなどを、鍛金技法で表現した作品。下の海の部分は青く輝き、上の雲の部分は白銀に輝いています。受賞理由には、「雲には錫(すず)被(び)きをほどこし古来より伝わる銅の酸化皮膜が光や海を巧みに表現している」と評されています。

日展の主題となっているのが、「この国の美を見る」。様々な芸術家がとらえた「日本の美」を味わうことができます。

国立新美術館での「第42回日本美術展覧会」(日展)は2010年12月5日(日)まで。日展のホームページはこちらです。

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仕掛人「蔦重」が、江戸に華を与えた。


東京・六本木のサントリー美術館で、「『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎』展」が開かれてます。2010年12月19日(日)まで。

蔦屋重三郎(1750-1797)は、江戸で活躍した出版人。浮世絵師の喜多川歌麿(1753-1806)や、戯作家の山東京伝(1761-1816)など、江戸の著名人たちの作品を売りだす“仕掛人”として才能を発揮しました。愛称は“蔦重”(つたじゅう)。

展覧会では、蔦重と関わりをもった著名人たちの作品をとおして、出版人としての蔦重の歩みを紹介しています。

江戸の花街・吉原で育った蔦重は、遊女の美しき姿を浮世絵師に描かせました。『玉屋内若梅』(むめのいろか)は歌麿の画。そこに道理和軽という狂歌師が歌を付けます。「うぐいすのなじむはずなりうつくしき はなもいきじもはるの若梅」。

狂歌は、世の中の滑稽なものごとをおもしろおかしく詠んだ短歌。蔦重は狂歌集を数多く出版しました。展示のなかで人々の目を引いていたのが、歌麿による『画本虫撰』(がほんむしえらみ)。

一枚の絵の中に虫を2種類描きます。絵の中には狂歌師たちが詠んだ歌も2句。虫の名前や生態にちなんだ恋の歌です。

たとえば、蝉は三輪杉門が詠ったもの。「うき人のこころは蝉に似たりけり 声ばかりしてすがたみせねば」

またべつの絵では、蝶が頭をつっこんで花の蜜を吸っている絵。そこに稀年成が好色的な歌を載せます。「夢の間は蝶とも化して吸てみむ 恋しき人の花のくちびる」。

こうした狂歌集を多く出版するいっぽうで、蔦重は当時の初等教育の教科書である「往来物」の出版を手掛けるなどもしました。確実に売れる刊行物を出して、資金面を強固にしたようです。

階下に進むと、”謎の浮世絵師”と称される東洲斎写楽の浮世絵が見られます。

江戸時代、大相撲はいま以上に人気の娯楽だった模様。写楽による『大相撲土俵入』は、力士の土俵入りを描いたもの。桟敷席はもちろんのこと、遠くのやぐら席まで、鈴なりの人、人、人です。

出版人は、いまの世でいえば“プロデューサー”にあたるもの。プロデューサー蔦屋重三郎の活躍は、江戸の街を華やかなものにしました。

「『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎』展」はサントリー美術館で、2010年12月19日(日)まで。展示作品には、期間中に入れ替わるものもあります。サントリーによるおしらせはこちらです。
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生物多様性条約の会議で宿題を背負ったのは報道者

(2010年)10月30日まで名古屋市で開かれていた国連生物多様性条約の第10回締約国会議では、「名古屋議定書」が採択されました。

生物多様性をめぐる国際交渉の柱のひとつにあるのが、「遺伝資源の利用から生じた利益の公正かつ衡平な配分」です。これは、「人の役に立つ遺伝子をもっている生きものを使うことでなにか得をしたことがあれば、関係者のみんなでその得をわけあおう」というもの。

どちらかというと「遺伝資源を利用する側」である先進国と、どちらかというと「遺伝資源を提供する側」である途上国の間で、遺伝資源の利益配分について対立がありました。

そこで、第10回会議の議長国である日本は、遺伝資源からの利益について「化合物や加工物を含める」「過去のことにはさかのぼらない」「不正利用に対しては各国が監視機関を設ける」といった議定書案をみずから出し、採択までもちこみました。議長みずからが議定書案を出すのは、めずらしいことといわれます。

生物多様性条約に締結していない米国をのぞけば、さまざまな立場がありながらも、多くの国がいちおうの決着を見たことになります。

いっぽう、なかなか“決着”が見られないのは報道者たちかもしれません。市民に対して、生物多様性の問題を暮らしの身近なところに引きつけて報じることが難しいというのです。

あるジャーナリストはこう話します。「生物多様性のことを取材すると、“真綿とけんかしている”ような感じになる。生物多様性の実態がわからない。どれだけのことがおきているのか、定量化をするための“ものさし”にあたるものがなかなか見あたらない」。

2010年6月、国連環境計画が韓国の釜山で主催した国どうしの会合では、「生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」(IPBES:Intergovernmental science and policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services)という機関を発足させることが決められました。

「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC:Intergovernmental Panel on Climate Change)の生物多様性版とされる機関で、生物多様性の異変などに関わるデータを集めて、生物多様性に関わる意思決定に科学的根拠などを提供する役割を担います。このような機関が発表した情報に、報道機関は飛びつくことでしょう。

また、効果はさておき、地球温暖化問題に対しては市民に「暖房は20度までにしましょう」といった具体的よびかけができるものの、生物多様性については、なにを市民によびかけ、伝えたらよいのかがわからない、といった声もあります。

「そもそも、生物多様性の問題は、市民がなにかに取り組むことで効果を得られるような話ではないのではないか」。

つかみどころのむずかしい生物多様性を市民にどう伝えるか。今回の名古屋の会議で大きな宿題を背負うことになったのは、国よりも報道者たちかもしれません。
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北海道大学が鈴木章さんのノーベル化学賞の解説映像を公開
今年2010年のノーベル化学賞は、リチャード・ヘックさん、鈴木章さん、根岸英一さんに贈られることになりました。

鈴木さんは名誉教授として北海道大学に籍をおいています。その北海道大学が、(2010年)11月10日(水)に、賞受賞理由にもなった鈴木さんの「クロスカップリング」という研究の業績と、研究者としての人物像を紹介する「映像」と「電子ブック」を公開します。


映像の題名は「有機合成が変えた世界 化学のフロンティアを切り拓く」。鈴木さんと、共同研究者で、北海道大学工学部特任教授の宮浦憲夫さんが登場し、鈴木さんと宮浦さんが開発した「鈴木-宮浦クロスカップリング」の内容を紹介します。



また、電子ブックは「鈴木章 ノーベル化学賞への道」という題名で、64ページにわたるもの。「第1章 ノーベル賞への道」から「第6章 ノーベル賞受賞」まで、クロスカップリング反応発見までの経緯や、ほかの分野への波及効果などを紹介します。鈴木さんの受賞を聞いた宮浦さんの「体が熱くなるのを覚えた」といった、生々しい証言もあります。

受賞者発表後の報道では、賞受賞理由となった「クロスカップリング」の紹介に四苦八苦している様子がありました。いっぽう、映像と電子ブックを企画した同大学の(CoSTEP)高等教育推進機構・科学技術コミュニケーション教育研究所部門は、「初めての、『ほんとうに納得できる解説』です」と自信のほどをうかがわせています。

また、「中学校で習う化学の知識があれば理解できるようになっていますので、電子ブックと映像を組合わせ、中学や高校での教材として利用することもできます」とも話しています。

受賞者が所属する組織ならではの紹介ということができましょう。

北海道大学による映像「有機合成が変えた世界 化学のフロンティアを切り拓く」はこちらでどうぞ。
また、電子ブック「鈴木章 ノーベル化学賞への道」はこちらでどうぞ。
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「松竹堂cafe」の豆腐と野菜のカレー――カレーまみれのアネクドート(27)


東京・本郷の東京大学には、いくつもの門があります。有名なのは赤門。その北の正門も、多くの学生が行き来します。

赤門や正門に比べて、南向きに面した龍岡門は“裏門風情”が漂います。その龍岡門からかすが通りを渡ったところにあるのが「松竹堂cafe」というカフェです。

店内はテーブル席が20席ほどのこじんまりしたお店。昼間の店内では、空きコマの女子学生たちがコーヒーを飲みながら読書にひたっている姿。また、研究者が雑誌社の記者やカメラマンから取材を受けている姿も見られます。

喫茶にうってつけなカフェですが、“カフェめし”も充実。メニューに、「ステーキ丼」や「牛たんのハヤシライス」などがあるなかで、「豆腐と野菜のカレー」もあります。

出てきた大皿には、左半分に玄米のライス、真ん中に、かぼちゃ、なす、ピーマン、パプリカ、プチトマトなどの色とりどりの野菜。そして右半分にはルー。

忘れてならないのは、豆腐。揚げた一口大の豆腐が2個、自己主張をしない程度に入っています。

カレールゥはそれほど辛くありません。個性的な野菜や豆腐などの味をじゃましないほどのまろやかさです。

スプーンは木製。舌ざわりをまたやわらかいものにしてくれます。

トレーには、さらにサラダ、スープ、酢漬け野菜もついて、“健康的にしっかり食べる”ことができます。

これぞ、“カフェめしのカレー”。女子学生たちも、しっかり食べて午後の授業へと戻っていきます。

11時から22時まで営業。日曜はお休み。「松竹堂cafe」の食べログ情報はこちらです。
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「本戦は大いなる予選」の声、根強く


プロ野球の「日本シリーズ」で、千葉ロッテマリーンズが、中日ドラゴンズを4勝2敗1分けで下し、日本一となりました。

プロ野球では、パシフィックリーグとセントラルリーグで、それぞれ本戦144試合を終えたあと、上位3球団が「クライマックス・シリーズ」を戦い、このシリーズで勝ち残った球団が日本シリーズへと出場できることになっています。

ドラゴンズは、セントラルリーグでの1位、つまりリーグ優勝球団でした。いっぽう、マリーンズは、本戦3位から、クライマックス・シリーズで埼玉西武ライオンズ、福岡ソフトバンクホークスを破って日本シリーズに出場し、ドラゴンズも破って日本一となったのです。

新聞各紙は、試合終了後すぐ、マリーンズの日本一達成を「史上最大の下克上」と評しています。

「下克上」は、下位の者が上位の者の地位や権力をおかすこと。リーグ3位だったマリーンズが、同2位のライオンズ、1位のホークス、そしてセリーグ1位のドラゴンズを破ったのですから、「下克上」はぴったりくるものがあります。

しかし、この「下克上」は、冠に「史上最大」とはついても限定的なものともいえます。そもそも、2003年までは、本戦終了後に上位球団が日本シリーズをかけて戦う制度がありませんでした。リーグ3位の球団が日本シリーズを戦うことができる可能性は2004年からのもの。「史上最大の下克上」は「2004年から」という限定的なものといえます。

リーグ3位からの日本一を果たすことのできる現在の制度には、批判の声もかなりあります。元楽天イーグルス監督の野村克也さんや、現ドラゴンズ監督の落合博満さんなどは、いまの制度に反対といいます。

3月のペナントレース開幕から日本シリーズで日本一までの流れを整理すると、144試合の本戦は、クライマックス・シリーズ進出球団と、本拠地・適地などを決めるためのの位置付けとなります。そして、引き分けの場合を除いて、最大8試合のクライマックス・シリーズで日本シリーズに挑める球団が決まり、最大7試合の日本シリーズで日本一の球団が決まります。

このため、144試合のペナントレースを「大いなる予選」と揶揄する関係者もいます。

本戦で1位球団が独走しても、今回のマリーズンのように、他球団が3以内に入れば、日本一になる権利があるため、興業的にはプラスになるわけです。さらに、クライマックス・シリーズの試合も興業的には”ボーナス”的意味合いがあります。

「史上最大の下克上」に、どこかしらけた雰囲気があるのだとすれば、いま行われている制度の違和感がなすものといえるかもしれません。
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(2010年)11月26日(金)は「科学技術とメディアのより良い関係に向けて」


催しもののお知らせです。

早稲田大学が、(2010年)11月26日(金)、「科学技術とメディアのより良い関係に向けて」というシンポジウムを開きます。

この催しものは、早稲田大学から生まれた「サイエンス・メディア・センター」という団体の発足を記念して行われるもの。サイエンス・メディア・センターは、科学技術の研究者と科学ジャーナリストや科学の物書きなどとのあいだを媒介する役割をもつ組織のこと。科学技術振興機構社会技術開発センターの研究開発プログラム「科学技術と社会の相互作用」の一つのプログラムとして構築計画が採択されています。

催しものは、2部構成。

第1部では、「豪・英・日サイエンス・メディア・センターからの報告」。すでに運営して、実績を積んでいる、英国の豪州のサイエンス・メディア・センターから、それぞれフィオナ・フォックスさんと、スザンナ・エリオットさんを招きます。また米国からは、科学記者のリン・フレッドマンさんが登壇。さらに、日本のセンターの理事で、早稲田大学ジャーナリズムコース教授の瀬川至朗さんも、日本のセンター発足を紹介する模様です。

第2部で、豪・英・米・日パネルと会場のディスカッション「科学技術とメディアのコミュニケーションを活発にするために」。

科学技術の情報がより活発に、より正しく伝えるために必要なものなどを、各登壇者が議論します。進行役は、朝日新聞報道局科学医療グループの高橋真理子さん。

日本のサイエンス・メディア・センターは、この催しものについて、「各国での研究者とメディアをつなぐ取り組みを報告していただき、さらにこのような活動をより活発にするために私たちできることを、参加者で議論し、共有したいと考えています。科学技術コミュニケータ、科学技術の研究者、メディア関係者など、科学技術情報の発信に関心がある皆さんのご参加をお待ちしています」と話しています。

サイエンス・メディア・センターのスタートアップ・シンポジウム「科学技術とメディアのより良い関係に向けて」は2010年11月26日(金)18:15から。早稲田大学大隈小講堂にて。事前に立食パーティもあります。申し込みなどはこちらから。

また、前日11月25日(木)には、リン・フリードマンさんとの「国際広報を考えるワークショップ」を開く予定です。サイエンス・メディア・センターによるお知らせはこちら。
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職場の居眠りに“病的原因”の影


仕事中に眠ってしまったことがある人は、3割ほどにのぼるといいます。

清涼菓子『FRISK』を売るクラシエフーズが2010年、「仕事中の眠気に関する実態調査」をしたところ、「これまでに仕事中に眠ってしまったことはありますか」の質問に、「ある」と答えた人は32%いたといいます。

また、仕事中に眠たくなるときについては、「デスクでの仕事中」の56%についで、「社内の会議中」が28%にのぼりました。

上司が部下に「誰々くんはどう思うかね」といって意見を聞こうとしたら、その部下が眠っていた。あるいは、部下が部長に「一点、ご相談があるのですが」と顔色をうかがったら、その上司が眠っていた。このような場面もおこりうるわけです。

取材でも、取材側で、質問をする役目でなく、取材を見守る役目にあるとき、眠ってしまう人もいるかもしれません。取材者が「あとほかに、質問はよろしいでしょうか」といって、振りむくと眠っていた、という場面……。

仕事の場で居眠りされるのは、臨席している人にとってはよい思いはしないでしょう。まして、その場をとりもつ側の人が眠ってしまったら、よばれた側にとっては迷惑な話です。「人をよびつけておいて、居眠るとはなにごとだ!」。

しかし、仕事中の居眠りを完全に「失礼な!」とすることも、すこしむずかしい時代になってきているのかもしれません。医学・医療の進歩により、居眠りをしてしまう病気があることもわかってきているからです。

「睡眠時無呼吸症候群」はその代表例でしょう。夜中、喉のあたりの筋肉が緩んで気道が狭くなってしまい、たびたび起きてしまう病気です。本人は眠っているつもりになっていることも多いようです。その人が、昼間の仕事で居眠りをしてしまう。これは病的な居眠りといえます。

まわりの人は「居眠りするなんて失礼な!」と怒ろうとしても、その原因が病気であるとわかれば、やみくもに怒ることもできますまい。しかも、居眠りをする人が、ただ、夜更かしをして眠いだけなのか、それとも睡眠時無呼吸症候群などの病気をもっていて眠いのか、判断はつきづらいものです。

この構図は、「新型うつ病」の場合と似ているかもしれません。新型うつ病の一例は、職場ではうつ状態になるが、職場以外の場所では健康的な生活を送ることができる、といった状態。むかしは、たんなる「怠け病」と思われていたのに、医学・医療から「新型うつ病」という概念が広がることにより、職場の管理者も当人を叱責しづらくなります。

居眠りの新たな病的原因がわかるなどして、居眠りが起きることもやむなし、となった日、職場の状況も変わってくるかもしれません。

「では、眠っている参加者以外のみなさんで多数決をとりたいと思います」……。

参考ホームページ
PR TIMES「ビジネスマン、3人に1人は『仕事中に居眠り』の経験あり!」
| - | 23:59 | comments(0) | -
下げすぎがよくないときもある。


生活習慣病であるかどうかの判断は、「基準値を超えているかどうか」でなされることが大半です。糖尿病の場合、血液のなかのヘモグロビンというたんぱく質のうち、「ヘモグロビンA1c」という種類の占める比率が6.1%以上になると「闘病病型」と判断されます。

基準の値を超えて病気と見なされると、その病気の治療として「基準値の範囲内に戻そうとする」試みが行われることがほとんどです。

しかし、その値を下げすぎると、かえってよくないことが起きることもあることが、糖尿病についての試験でわかってきています。

2008年、米国糖尿病学会は「ACCORD(Action to Control Cardiovascular Risk in Diabetes)」という試験の結果を発表しました。ACCORDは直訳すれば、「糖尿病における心血管リスクを管理するための活動」となります。

生活習慣などが原因でおきる糖尿病の患者に対する治療を二つの群にわけました。ひとつめは、「ヘモグロビンA1cの値を厳密に下げて管理しましょう」というもので「強化治療群」といいます。ふたつめは「標準的な治療をしましょう」というゆるいもので「標準治療群」といいます。

強化治療群は、ヘモグロビンA1cの値を6.0%未満にすることを目標にしました。いっぽう、標準治療群は、ヘモグロビンA1cの値を7%台に保つことを目標にしました。

ヘモグロビンA1cの値は6.1%以上になると「糖尿病型」ですから、「6.0%未満」のほうが「きちんと下げる」ことになります。

試験では、この二群の患者がその後、どうなっていったかを追跡しました。

すると、強化療法群のほうが、標準治療群よりも、平均3.5年の追跡調査のなかで「総死亡」という値が高くなったのです。「総死亡」は、どんな原因もふくむ死亡者数の数です。強化療法群の総死亡は257例だったのに対して、標準治療群の総死亡は203件でした。

このような明らかな差がでたため、ACCORD試験は途中で中止になりました。

糖尿病の治療では、ヘモグロビンA1cの値などを下げすぎると、かえって「低血糖」という状態におちいることがあります。重度の低血糖症を起こす人は、ほかの病気を合併したり、死亡率が高くなったりすることがわかっています。

糖尿病の患者は、ヘモグロビンA1cの値は下げたほうがよいけれど、下げすぎるとよくない。糖尿病治療の難しさを表すACCORD試験の結果といえそうです。

参考文献
石田俊彦「ACCORD/ADVANCE」『糖尿病診療のベーシック インスリンをめぐって』
| - | 23:59 | comments(0) | -
「最後にメッセージをと言われても、困るんだよなー」
 物書きが人に会って、記事にするための話を聞く行為を「取材」といいます。記事になる話の“材料”を“取得”するわけです。

1時間や1時間30分ほど、物書きの取材者が取材対象者にねほりはほりと話を聞きます。そして、聞きたいことをひととおり聞いて、いよいよ取材も終わりかという段階へ。

ここでたいていの場合、取材者は取材対象者に、次のようなことばを投げかけるようです。

「では最後にメッセージをお願いします」

このことばに含まれている意味は、「では取材の最後に記事を見る読者に向けてあなたの伝えたいことをおっしゃっていただくようお願いします」といったものになります。

「では最後にメッセージをお願いします」と言われた取材対象者は、「はい」といってあたりまえのように”メッセージ”を語りだす場合と、「メッセージ……。何を言ったらいいかな……」と考えだす場合があります。

取材者と取材対象者の立場からいうと、「最後にメッセージを」と言われて「何を言ったら……」と考えだすほうが、ごくふつうといえましょう。前提として、取材者が取材対象者に「話を聞かせてください」と申しいれをして、取材が行われるのがふつうだからです。

「聞きたい話があるので質問させてください」という前提でありながら、「最後にメッセージをお願いします」となれば、取材対象者は「何を言ったら……」となるでしょう。

取材になれている取材対象者によっては「いつも、最後にメッセージって言われるんだけど、これ、困っちゃうんだよなー」と正直に心を吐露する人もいます。

「では最後にメッセージを」と言われて、ふつうに「はい」と言って語りだす取材対象者がいるのは、「最後にメッセージを」が取材時だけでなく、取材記事にもそのまま掲載される、紋切型になっているからかもしれません。

グーグルで「"最後にメッセージをお願いします"」と入れて検索すると、35万7000件の検索数がありました。

物書きの立場からすれば、取材記事を取材対象者からのメッセージで締めるのは、記事の終わらせ方として無難な部分もあるのかもしれません。「今後のなりゆきが注目される」に匹敵する、取材記事版の紋切型といえそうです。

| - | 23:59 | comments(0) | -
“あの日のにおい”が漂う教室で、成績悪化


いつもと少しちがう“におい”がすこしでも鼻に入ると、人はそのにおいをいつまでも記憶のなかにしまっておくようです。そして、そのにおいを“嫌な経験”をしている最中に鼻に入れると、人はそのにおいをかぐたびに、負の影響を受けるようです。

英国で、こんな実験が行われたといいます。

被験者をA群とB群にわけて、それぞれ、A教室、B教室に入ってもらいます。ふたつの群は、おなじ筆記試験に臨みます。

この筆記試験は、短い時間のあいだに難問を解かなければないもので、被験者たちはそうとうな重圧を強いられるものです。

A群とB群には、まったくおなじ問題が出されます。唯一異なるのは、A教室には被験者がふだんあまり嗅がないような独特のにおいをうっすらと部屋に充満させるのに対して、B教室では、そのようなにおいを漂わせなかったことです。

試験の結果は、A群、B群とも同じぐらいの成績でした。もともと、難問を設定したのですから、両群とも成績はよくありません。

この試験が行われてから数日後、またA群とB群の被験者に集合がかかりました。今度も、同じような内容の難問を解くことになりました。

そしてこの日、A群が筆記試験を行った教室では、数日前の“あのにおい”をふたたを漂わせます。いっぽう、B群が使う教室にはあいかわらず何のにおいも漂わせません。

この日の試験結果に差が表われました。

B群のほうは、数日前にやった試験であるという経験がプラスに影響して、数日前よりよい平均の成績はよくなりました。

いっぽう、A群のほうはというと、数日前の試験の成績よりも、さらに悪くなってしまったといいます。

試験の問題内容も時間もおなじ。唯一異なるのは、教室にふだん嗅がないようなにおいを漂わせているかどうか。A群の被験者は、難問を解くという嫌な経験をしたときの記憶がにおいとともによみがえったのではないかと考えられているようです。

参考文献
『においの記憶』
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多能工化に“重圧から解放”の効果


ものつくりの現場では、「多能工化」がキーワードのひとつになっています。

「多能工化」ということばは「多能工」と「化」にわけることができます。

ものをつくることを生業とする人のことを「何々工」とよぶことがあります。「熟練工」は技に熟達した人、「期間工」は工場で契約で働く人、「造仏工」は仏像をつくる人のことです。

「多能工」は、「“多”くの種類の作業をこなす“能”力をもった“工”」のこと。あれもできれば、これもできるという、なんでもこなせる人のことです。

「多能工」に「化」が付いて、「多能工化」となります。「人を、なんでもこなせる人にする」という意味が込められています。政府関連のホームページには、「一人の人が複数の作業を、また、一つの作業を複数の人ができること、つまり、多能工化」といったように、多能工化の意味が説明されています。

いろんな作業をすることができる人をつくりだすことを、わざわざ「多能工化」と表現するのは、その作業にそれなりの利点や意義があるからです。

「ものをつくる」「ものをはかる」「ものを検査する」という三つの工程が揃うことで完了する作業があるとします。

多能工化がなされる前は、「ものをつくる人」「ものをはかる人」「ものを検査する人」がそれぞれ独立しています。Aさんがつくったものを、Bさんがはかり、最後にCさんが検査をして、作業完了となるわけです。

この場合、まだ多能工化されていないので、ある意味で、Aさんは「ものをつくることしかできない人」、Bさんは「ものをはかることしかできない人」、Cさんは「ものを検査することしかできない人」ということになります。

もし、Aさんから「今日は休ませてください」と電話が入り、工場に来なかったとしたら、BさんやCさんは、その日は手持ち無沙汰になってしまいます。はかったり、検査したりするものを唯一つくることができるAさんが工場に来ないのですから。

対して、多能工化がなされることによって、AさんもBさんもCさんも「ものをつくることができ、はかることができ、検査することができる人」、つまり、多能工になります。

こうなれば、Aさんから「今日は休ませてください」と電話が入り、工場に来なかったとしても、BさんとCさんは、一連の作業をはじめからおわりまで行うことができるようになります。

多能工化は、生産における作業の効率を高めることにつながります。とともに、「自分が休んだら、みんなに迷惑がかかる」という心の重圧が取り払われるという意味もあります。

参考文献
日産自動車(株)NPW推進部『実践「日産生産方式」キーワード25』
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