科学技術のアネクドート

事業仕分けが“火”を付ける
 民主党政権が2009年から始めた“事業仕分け”では、仕分け人から、基礎科学を進める事業に対して、政策効果を明確にできない研究には国費を投入できないなどという厳しい意見が突きつけられ、つぎつぎと予算削減などの評価があたえられました。

具体的なプロジェクト以外でも、基礎研究の推進を鈍らせる仕分けの評価がありました。大学の研究者が研究をするうえでの“軍資金”である「科学研究費補助金」などの研究資金にも、「予算要求の縮減」という評価が打ち出されました。

こうした事業仕分けの結果に、ノーベル賞受賞者などが反対の声を上げたほか、東京大学、京都大学、大阪大学などからなる国立10大学の理学部長会議も2009年に「事業仕分けに際し“短期的研究成果主義”から脱却した判断を望む」という緊急提言をしています。

文部科学省は、財務省に「これだけの予算を基礎研究にあてたいので予算をください」と要求する立場にあります。そこで、2010年9月に「事業仕分け結果・国民から寄せられた意見と今後の取組方針について」というまとめを発表。「国民から寄せられた意見」の一部を紹介しています。

たとえば、科学研究費補助金への評価結果に対しては、「賛成する意見は概ね2割」「反対する意見は概ね7割」などとし、賛否の比率を紹介しています。どの意見も、およそ事業仕分けの結果に反対する、つまり「基礎研究にも予算を」という側の意見のほうが多いようです。

基礎研究のための予算を縮小するという全体的な方針を受けて「意見をください」といわれれば、「それには反対」と考える人びとから多く意見が寄せられるのは、当然のことといえるでしょう。

文部科学省は(2010年)8月に、2011年度予算として財務省に要求する内容(概算要求)を発表。ここでは、基礎研究に対する予算向上の姿勢が見てとれます。

「ライフイノベーションによる健康長寿社会の実現に向けた研究の推進」という項目では、iPS細胞(人工多能性幹細胞)や、脳科学などの基礎研究をすすめるための予算を拡充しています。

「科学技術力による成長力の強化」という枠組みでは、2010年度よりも126億円も要求する予算が減りましたが、この中で、科学研究費補助金の予算は、事業仕分け結果に反して「拡充」、課題解決型の基礎研究を推進する「戦略的創造研究推進事業」に対しても「拡充」をうちだしています。

こうした概算要求の結果を見るかぎり、「基礎研究の予算削減を」という全体的な方針を打ち出した事業仕分けは、市民や文部科学省の反発心に火をつけることに寄与したといえるかもしれません。

参考資料
国立大学法人10大学理学部長会議「緊急提言 事業仕分けに際し“短期的研究成果主義”から脱却した判断を望む」
文部科学省「平成23年度概算要求主要事項」
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がん細胞のとりのこしを踏まえて治療する
「小さすぎて目に見えなくても、そこに存在する」というものがあります。がん細胞も、そのひとつです。

がんの切除手術では、病巣のところとそのまわりの細胞を切りとります。これで、がん細胞はからだからなくなる、はずです。

しかし、いまの医療では、目に見えないほどのがん細胞を取りのこしてしまうおそれがあります。この場合は、がんがあったのとおなじ部分で再発することになります。

また、血管をとおってほかの体の部分に移ってしまったがん細胞も、最初のうちは小さすぎて見つけることができません。そのがん細胞が増殖すると、転移がんということになります。

小さながん細胞は、たいていの場合は人がもっている免疫というしくみで、退治することができます。しかし、免疫をかいくぐったがん細胞は、すこしずつ、確実に増殖をくりかえしていきます。

こうして、手術で取りのぞいたはずのがんが再び発生することになるのです。

もちろん、がんは再発しうるものであることはわかっているので、再発しないためのさまざまな方法も考えられています。

最初のがん切除手術のあと、からだのいろいろなところにある「リンパ節」という大豆ほどの大きさの器官の状態を調べます。リンパ節はリンパ液という体液がたまる場所で、がんの転移が起こりやすいことがわかっています。そこで、がんに近いところから遠いところにかけて、がん細胞があるかどうかを検査します。

黒いところがリンパ節

また、最初のがんの手術がおわってからすこし経つと、たいていの場合「術後補助療法」という治療が行われます。からだに残ってしまっているがん細胞が育つのを抑えるための治療です。その方法はおもに三つ。

化学療法とよばれる方法では、抗がん剤という薬を注射したり飲んだりします。がん細胞の増殖を抑え込みますが、正常な細胞にも影響をあたえてしまいます。胃や腸などの消化器の粘膜に障害が起き、吐き気、食欲不振、下痢などが起きやすくなります。

放射線療法は、がんがあったところに放射線を照射して、がん細胞のDNA(デオキシリボ核酸)に障害をあたえ、がん細胞が増えていくのを抑えます。化学療法とちがって、がんがあったところだけを“ねらいうち”することができます。

内分泌療法は、乳がんの手術のあとに施されます。がん細胞が育つのを促すホルモンのはたらきを抑えるもので、ホルモンの分泌を抑えるもの、ホルモンが働きだすための“鍵穴”をふさいでしまうもの、問題のホルモンをつくりだす酵素の働きを抑えるものなどがあります。

また、2010年9月には、大阪大学の医学系研究科外科学講座の山本浩文講師の研究グループが、大腸がんについて、がん細胞が転移する前に検出する方法を開発し、ニュースになりました。

研究グループは、大腸がんの患者の尿には特殊なたんぱく質が含まれていることを発見。このたんぱく質に反応する抗体をつくりました。すでに、100人以上の患者に対して、効果を試しているといいます。

中外製薬「ここが知りたい『がんの再発・転移』」
河野範男「乳がん術後補助療法にアロマターゼ阻害剤を飲むこれだけの根拠」
乳がん情報ネット「術後補助療法(アジュバント療法)」
時事通信 2010年9月16日「大腸がん再発診断、実用化へ 細胞特定する抗体作製 転移前の早期発見期待・大阪大」
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血管の病気は「Aが起きたのでBが起きる」式

さまざまな病気は、「何々病」「何々症」「何々疾患」のような表現で表されます。ただし、それぞれの病気には、起きる段階というものがあります。

「Aという病気が進行する。それにより、Bという病気が発症する」といったように、病気と病気の間には関連性があります。ある病気に伴って起きる病気のことを「合併症」といいますが、この言葉には「AとBがいっしょに起きる」という意味とともに、「Aが起きたのでBが起きる」という意味も含まれているのです。

「Aが起きたのでBが起きる」というかたちの代表例が、循環器系の病気です。その段階はおもに三つあります。

まず、高血圧、脂質異常症(高脂血症)、糖尿病、肥満などの“生活習慣病”が、第一段階となります。1998年に世界保健機関が「メタボリック症候群」という名前を付けましたが、その要素となっているのが、これらの病気です。

高血圧、脂質異常症、糖尿病などは、自覚症状がないまま進行していくのが特徴です。そのため「静かなる殺し屋」(サイレントキラー)などとよばれています。

これらの病気を治療しないでいると、次の段階として、動脈硬化症という病気が起きます。動脈は、血液を心臓から全身へと送る血管のこと。この動脈の壁が厚くなったり、硬くなったり
するのが、動脈硬化症です。

高血圧になると、血管の壁にいつも負担がかかり、血管が傷んでいきます。脂質異常症になると、血液のなかで増えすぎた脂質が、血管の壁に沈着していきます。糖尿病になると、血液の中のタンパク質が糖化したり、善玉コレステロールが減るなどして、血管が傷んでいきます。

こうして血管が痛んで、弾力性が失われた状態が動脈硬化です。動脈は、体の至るところにはり巡らされた道路網のようなものですから、動脈硬化は体じゅうのどこででも起きます。

動脈硬化が進むと、動脈の壁にくっついたプラークというどろどろとした粥状のものが、突然はがれることがあります。剥がれた跡は傷つきますので、ここに血小板という血液の成分が多く集まってきて、修復しようとします。皮膚が傷ついたときにできるかさぶたのようなものが、動脈の壁にも起きるのです。

体の表面の皮膚とはちがって、動脈は細い管のようなものですから、血小板が集まって固くなると管の幅が狭くなってしまいます。この固まったものは「血栓」とよばれます。まさに、血管に栓をする、つまり血管をふさいでしまうわけです。

こうなると第三段階になります。脳の毛細血管に血栓が起きれば、脳梗塞という病気になります。また、心臓のまわりの冠動脈という血管に血栓が起きれば、心筋梗塞という病気になります。「梗」も「塞」も、「ふさがる」という意味があります。

また、腎臓も糸球体という血管でできた臓器です。ここでは血栓はあまり起きないものの、動脈硬化が進むと、老廃物を体の外に尿として出す腎臓の機能が低下してしまいます。

脳、心臓、腎臓は、場所はちがうものの、すべて基本的には血管でできた臓器ということができます。そのため、動脈硬化をはじめとする血管の傷みから引き起こされるさまざまな病気は「血管病」とよばれることもあります。

一括りにできないこともありますが、血管を舞台にした病気では、「生活習慣病から動脈硬化へ。動脈硬化から脳、心、腎の血管病へ」という大きな流れがあるわけです。そして、血管病の先には死や生活の質の低下という、さらに先の段階が待っているのです。


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黒鉛に材料を加えてアスベスト代替材に


熱しやすく冷めやすい科学技術報道の代表例としてよく引き合いに出されるのが「アスベスト問題」です。2005年に、民間企業の社員や家族がアスベストがもとで死亡していたことが報道されると、一気に社会問題化しました。しかし、その後、アスベスト問題の報道記事は少なくなっています。

2008年9月に、日本では、労働安全衛生法施行令の改正により、アスベストが製品の重量の0.1%を超えるものを製造したり輸入したりすることが禁じられました。

とはいえ最近では、旧東京都立日比谷図書館の改修工事にアスベストが見つかり、2010年4月の開館予定が秋にずれ込むなどといった報道もなされています。いぜんとして問題そのものは消えていないわけです。

アスベストは、健康被害は大きい反面、耐熱性などに優れた便利な材料でもありました。たてものの天上や壁だけでなく、様々なところにも使われたのです。

ガスケットとよばれる道具にも使われてきました。ガスケットは、管と管をつなぐところに詰めて、管の中を流れるガスなどが漏れてしまうのを防ぐための道具です。

アスベストを使ったガスケットに代わるものとして用いられているのが黒鉛です。黒鉛は、炭素元素からなる鉱物で、身近なところでは鉛筆の芯にも使われています。

天然の黒鉛に熱処理などをすることで、層が積み重なっている黒鉛を“膨張”させます。こうして「膨張黒鉛」という材料にして、これをガスケットに使います。

アスベストが使われていたころから、膨張黒鉛はガスケット材に使われてはいました。しかし、機能性はアスベストより低かったのです。そこで、黒鉛にべつの材料を加えて、性能を上げるための技術開発が行われています。

加える材料として、ポリテトラフルオロエチレン(PTFE:PolyTetraFluoroEthylene)という材料があります。「テフロン」という商品名で知られるフッ素樹脂のことです。黒鉛に、柔らかいプリテトラフルオロエチレンを配合させて、膨張黒鉛だったときよりももろさを抑えます。

また、膨張黒鉛の表面に耐熱粘土膜を、性能を上げる技術も開発されています。厚さ1ナノメートルほどの粘土の結晶を積層させた「クレースト」という粘土膜をつくり、これを保護層として膨張黒鉛の表面に付けます。

いままで使われてきた材料に新らしい材料を加えることで機能性を高める方向で、アスベストに代わる新しいガスケット材の開発は進んでいます。

参考文献
黒河真也「高機能ノンアスベストシート『ブラックハイパーNo.GF300』」『バルカー技術誌』2004年秋号
産業技術総合研究所「アスベスト代替ガスケットを開発」2007年1月17日
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大学の評価、スポーツ競技と異なる事情も
日本の国立大学は、国の政策で2004年に法人化されることになりました。形式的には、文部科学省の内側にあったのが、文部科学省の外側に出たわけです。これにより、国立大学の自由度は高まったといわれます。

いっぽうで、「独立したのだから、国立大学は自分たちで自活してください」ということになり、競争原理が導入されました。国から国立大学に配分される予算もじょじょに減ってきています。国立大学には大学の教育研究を支えるため「運営費交付金」という文部科学省の予算が配分されていますが、国立大の法人化後、この運営費交付金は一年ごとに約1%ずつ減額されてきています。

2010年3月には、文科省が86ある国立大学に対しての総合評価の結果を明らかにしました。いわば国立大学の“通信簿”のようなもの。“成績優秀者”には、2011年度の運営費交付金の配分を増やし、ぎゃくに“成績下位”には運営費交付金を減らします。

総合評価の上位3校は、奈良先端科学技術大学院大学、滋賀医科大学、浜松医科大学でした。いっぽう、下位3校は、弘前大学、和歌山大学、琉球大学となっています。東京大学は6位。京都大学は10位でした。

総合評価はどのような尺度で行われているのでしょうか。評価方法を検討・作成した大学評価・学位授与機構の「国立大学法人及び大学共同利用機関法人における 教育研究の状況についての評価」という書類には、大学の教育と研究についての、分析項目が示されています。



上のような分析項目により、合計点のうち研究に3割、教育に3割の配点がされます。あわせて、大学全体の教育研究達成度に2割、業務運営達成度に2割の配点をして、これで総合評価をするわけです。

書類を提出する国立大学側は、このような評価のしくみを事前に知ることができます。これは、ある意味で当然のことに思えるかもしれません。もし、スキーモーグルや体操のようなスポーツ競技で、選手に評価の基準がなにもしらされていなければ、選手はどんな技に磨きをかけてよいかわからず、困ってしまいます。

しかし、大学の評価には、スポーツ競技の評価と事情が異なる点もあります。

どのような点が評価されるかを知らされていると、大学がその評価だけをとにかく伸ばそうとして、他の点はなおざりにされるおそれがあります。すると、多くの大学が、評価の対象になる点だけが強みになり、評価の対象にならない点は弱みになるという、大学群全体としてアンバランスな状況になってしまうことも考えられます。

また、評価には、公平さを保ったり、評価のしやすさを考えたりすると、どうしても数値的な成績が優先されてしまいます。

評価は、公正さや理解しやすさを追究するほど、その評価をめぐる競争で出される結果は、いびつなものになってしまうおそれをはらんでいるのかもしれません。本質的なむずかしさがあります。

参考文献
読売新聞2010年3月25日「文科省が国立大を順位付け…トップは奈良先端大」
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「高血糖の記憶」は消し去りがたい


人は“忘れられる能力をもった動物”であるとよくいわれます。消し去りたい記憶をいつまでも抱えこむことなく、消し去ることができるというわけです。

脳の機能としては、たしかに記憶を引き出しの奥の見えないところに追いやっておくことはできそうです。しかし、脳でない体の細胞についてはどうでしょうか。

人のからだには、「高血糖の記憶」あるいは「グライセミック・メモリ」とよばれる特徴があるといいます。

高血糖とは、血液のなかの糖の濃度が過剰であるとじょうたいのことで、糖尿病であるかどうかを測る目安になります。

長いあいだ高血糖の状態がつづくと、その“記憶”が体にしみついてしまうといいます。思いたって、運動療法や食餌療法を始めて、血糖値を下げたとしても、高血糖が続いていた時期の体のダメージは残ったままになってしまうのです。

米国とカナダで、1型という糖尿病をもつ患者を対象に大規模な試験が行われました。

血の中の赤血球のたんぱく質に、どのくらい糖がこびりついているかを示す指標に、ヘモグロビンA1cというものがあります。試験では、ある患者群に対しては「とにかくがんばって、ヘモグロビンA1cを6%まで下げましょう」と励ましつづけました。いっぽう、もうひとつの患者群に対しては、ヘモグロビンA1cの値に気にせず治療をつづけました。

その結果、まず、ヘモグロビンA1cが6%まで下がることを目標にした患者群のほうが、糖尿病が引き起こす網膜症になっている率ははるかに少なくなりました。

さて、ここからが大切です。この試験が終わったあと、「ならば、ヘモグロビンA1cの値に気にせず治療しつづけてきた患者も、やはり値を下げるようにしたほうがいいだろう」ということにになり、そのような治療が行われることになりました。

実際に、後からヘモグロビンA1cの値を下げることに挑んだ患者たちも、値を下げることができました。ところが、4年後、この患者群に対して、あらためて網膜症の率を調べると、明らかに網膜症が進行してしまっていたのです。

ヘモグロビンA1cの値を低くすることに成功しても、値が高かったときの“記憶”が残っており、網膜症が進行してしてしまったのではないかと考えられています。

高血糖の状態が長くつづくと、血糖値を下げても体が覚えてしまっているというわけです。この説にしたがえば、血糖値の高い時期は、一時期でもないほうがよいということになります。

参考文献
竹内正義「生活習慣病におけるTAGE(toxic AGEs)病因説」
琉球新報2007年12月25日付「高血糖の記憶 合併症進行させる糖化現象」
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「風を使えるエネルギーに」の理想は59.3%――法則古今東西(15)


エネルギーは、光から電気へから、熱から電気へ、また電気から熱へと、すがたを変換させることができます。太陽の光や熱や、地球に吹く風、上から下へ流れる水などによるエネルギーを電気に変換するのが自然エネルギーや再生可能エネルギーとよばれるエネルギーです。

変換できるといっても、100あるエネルギーをまるごと目的としたエネルギーに変換できるわけではありません。100のうち、変換したいかたちにどれだけ変換できるかを表すのが、変換効率です。

風力エネルギーを電気エネルギーに変換するという場合、風がもっている100のエネルギーのうち30を電気エネルギーにすることができれば、変換効率は30%ということになります。

風車が100受けるエネルギーを、すべて電気エネルギーに変換できればよいのですが、そうはいきません。風力エネルギーの変換効率には、「ベッツの法則」という法則により、「いくら効率よく変換しても、これ以上は変換しない」という限界があるのです。

もし仮に、風力発電機、つまり風車が、吹いてくる風を100%受け止めて電気エネルギーに変換することができれば、変換効率は100%になります。これは理想的に思われます。しかし、100%のエネルギーを電気に変換できる代償として、風をすべて風車が受け止めてしまうため、風の流れも100%とめてしまうことになります。よって風車はまわりません。

風を風車が受け止めて電気エネルギーに変換することと、そのために風車を回転させること。このふたつをもっとも効率よくこなせる点があるわけです。

風力エネルギーを電気エネルギーに変換されるするときは、吹いてくる風をタービンという機械で回転させることで運動エネルギーのかたちを整えてから電気エネルギーにします。

ドイツの物理学者アルバート・ベッツ(1885-1968)は、風力エネルギーを運動エネルギーに変換するとき、風車の後の風速が3分の1に低下するとき変換効率が最もよくなるということを導き出しました。その最大効率は「27分の16」つまり、約59.3%となります。

しかし、実際の風車では、空気抵抗の問題などから、ベッツの法則で示された59.3%には達せず、風力を運動エネルギーにする段階で、最大でも45%ほど。さらにこれを電気に変換するときにも損失があるため、風力エネルギーから電気エネルギーへの変換効率は20%から40%ほどとなっています。

参考ホームページ
「ベッツの法則の理解の為に.」
石田博「風力発電:日本の現状と問題点」
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「・」に「軽視されてませんか」の意味こめる


「日本学術会議」という機関があります。総理大臣の所轄の下にありながら、政府からは独立しているという機関で、科学についての大切な課題を話しあったり、研究のつながりを進めたりしています。

(2010年)8月、学術会議は政府に対して「法における『科学技術』の用語を『科学・技術』に改正」すべきであるという勧告を出しました。

ほとんどの国民は「『科学技術』でも『科学・技術』でもどっちでもいいじゃん」と思うか、「え、なに」とさえ思わないくらいの話かもしれません。しかし、この勧告にはそれなりの背景があります。

「科学技術」には、おもに二つの意味があります。「科学と技術」という意味と、「科学にもとづいた技術」という意味です。

「科学と技術」は双子のような対等関係ですが、「科学にもとづいた技術」となれば、「科学」は「技術」を修飾するために使われる言葉になります。つまり「科学にもとづいた技術」は「科学」でなく「技術」なわけです。

日本人が「科学技術」ということばを使う場合、「科学と技術」でなく「科学にもとづいた技術」の意味あいが使うことが多いと、学術会議は考えています。

「『科学技術』は、どちらかというと『技術』のことになる。『科学』のことではない。そんな『科学技術』ということばが国の法律に使われると、研究もどうしても『技術』よりになってしまう。これは、科学にとってはよくないことだ」というのが、学術会議のメッセージの大まかな内容です。

このメッセージには、「基礎研究」を軽視しがちな政府への警鐘が含められていると考えられています。

大学の理系などで行われている研究は、「基礎研究」と「応用研究」とよばれる区分けがあります。ごく大ざっぱにいえば、基礎研究は、自然界や数学界でまだわかっていない法則を発見するための研究のことで、応用研究は、人々の暮らしなどに役立つものを発明するような研究のことです。

ちょうど、「科学」と「技術」の関係とおなじ位置付けにあるのが「基礎研究」と「応用研究」となります。

応用研究は、人々の暮らしなどに役立てることが目的である以上、「なんの役に立つのか」といわれれば、明確な答えがあります。

しかし、基礎研究のほうは、「なんの役に立つのか」と問われても、「人類の知的好奇心をかなえるのに役に立つ」とか、「いつかなにかの役に立つ」とかいう答えになります。事業仕分けに見られるように、市民に対しての説明がつきづらい基礎研究に対して税金をつぎ込むのはいかがなものかという雰囲気が強くなってきています。

「科学技術」を「科学・技術」に変えることは、ただ「・」が一字増えるよりも大きな「基礎研究が軽視されていませんか」という意味が込められているわけです。

日本学術会議による勧告「総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」はこちら。

なお、このブログの名前「科学技術のアネクドート」には「科学と技術の小咄」という意味が込められています。「科学にもとづいた技術の小咄」ではありません。
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気の遠くなる作業をして「トロマラマ」に
東京・六本木の森美術館で、「MAMプロジェクト トロマラマ」という展覧会が開かれています。「ネイチャー・センス展」との併催。

MAMプロジェクトとは、同美術館が若手芸術家を応援するプロジェクト。12回目となる今回は、インドネシアの3人組アーティスツ「トロマラマ」の作品を展示しています。

トロマラマの作品の特徴は「コマ撮り」。静止画を短時間で撮影していき、それをつなぎ合わせて流れのある映像のように見せます。


「違和感」という作品は、「バティック」というインドネシアの染色技術で点画の絵を用意し、これをコマ撮りします。

投影画面の近くで見てもただいくつもの点々がつぎつぎと映されるだけですが、何歩か下がっておなじ画面をみると、人の顔の表情の変化として捉えることができます。鑑賞者からは「見ている自分がつい、映像をおぎなってしまう」との声も。


通路に展示されているのは「ザー・ザー・ズー」という映像作品。こちらは色とりどりのボタンを置いて写真を撮影し、それをコマ撮りにして映像化しています。ボタンの大小で、背景と人物を区別するなど、事細かな芸術があります。


音楽が鳴りひびく部屋の中に入ると、「戦いの狼」という映像作品が。ボタンを並べるよりも、バティック染めをするよりも、さらに手間のかかりそうな版画によるコマ撮りで、ロックバンドが演奏する映像を再現しています。

版画を延々と彫る作業は気の遠くなるもの。膨大な時間がかかる作業で「トラウマ」になったことから「トロマラマ」というアーティスツ名が誕生したといいます。

地道な作業の積みかさねにより、静止画は映像作品に。その作業の膨大さを想像し、ただ呆れるばかりの表情を見せる鑑賞者もいます。トラウマになるほどの作業も、芸術表現といえるのかもしれません。

「MAMプロジェクト トロマラマ」は2010年11月7日(日)まで。森美術館による案内はこちら。
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自然観は三者三様


東京・六本木の森美術館で、「ネイチャー・センス展」という展覧会が開かれています。2010年11月7日(日)まで。

吉岡徳仁、篠田太郎、栗林隆という芸術家・デザイナー3人が、自然を知覚する潜在的な力や日本の自然観などにまつわる作品を出展しています。


吉岡徳仁は、1967年生まれのデザイナー。自然現象や自然原理をデザインの思想に取り込んできました。光、雪、嵐、風などの特定のかたちや色をもちづらい現象をものづくりのなかに含めます。


今回の展では、特殊光学ガラスでつくったテーブルやベンチなどを出展しています。スペースシャトルにも使われたガラス素材を使っており、テーブルはこの素材を使うなかでは最大規模のもの。長方形のテーブルの断面からは、5メートル先の向こうの断面の先までが見通せるほどの透明度です。


ほかに、羽毛で雪を再現した作品なども展示されています。手前では“雪”が舞いあがり、奥では“雪”が降るという、自然に見られる景色を見ることができます。


篠田太郎は、1864年生まれの芸術家。篠田の自然観を考えるうえでの鍵は「森羅万象」。人間がつくる人工物も、自然のなかの一要素と捉えます。


『残響』という作品では、大きな各スクリーンに、篠田が撮影した東京や東京郊外などの映像を映します。「人工物は自然の一要素」という感覚で都市をあらためて見ると、ビルや高速道路の橋桁なども、また新鮮なものとして捉えなおすことができます。人間以外の自然には“直線”でかたちづくられるものがない、といった気づきも得ることができます。


小さな部屋の中には、崖から白い方形の平面に赤い液体が流れつづける作品が展示されています。白い崖から流れる赤い滝が方形の地に流れ出す様子は、古代の宇宙観を想像させる、とった解説もありますが、むしろ、人のからだをめぐる血をより強く意識する鑑賞者も多いことでしょう。白い平面と、それを覆う赤い液体の色が対照的です。


栗林隆は1968年生まれの芸術家。ドイツ留学時代に、ドイツ人の中にいる日本人としての自分を強く意識したといいます。そのような経験から「境界線」を主題とした作品に取り組んでいます。


広い部屋は、1メートルほどの高さで和紙がかぶさっており、鑑賞者はその下を這いまわります。ところどころに穴があいており、そこから首を出すと、白樺のような木の幹がいくつも立っています。鑑賞者は、地中の中にいた虫が境界線をこえて地上に出てくるような感覚をもつことができます。


次の空間には、土でできた小山がそびえています。その脇の階段を上ると、小山の頂上のすぐ下に、水平の透明ガラスが置かれていることがわかります。このガラスは海水面を象徴するもの。地球の大地が“氷山一角”のようなものであることを鑑賞者は感じることができます。このガラスに栗林は、人間と自然の境界という意味も込めているようです。

3人のデザイナー・芸術家が展示する作品は合計9作品とすくないながら、鑑賞者はじっくりと時間をかけて3人が表現したいことを感じとろうとしている様子。三者三様の自然観があります。

「ネイチャー・センス展」は2010年11月7日(日)まで。森美術館による案内はこちら。
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日本科学未来館の催しものがぞくぞく……
 催しもののお知らせです。

東京・青海の日本科学未来館では、9月下旬から10月上旬にかけて、かずかずの催しもの開かれます。

(2010年)9月23日(木祝)までは、中秋の名月にちなんで「未来館でお月見2010」が開かれます。

最後の日の9月23日(木祝)には、「月に挑む!―世界をリードする日本の月探査ロボット計画」が開かれます。日本が進めようとしている月探査計画の指針を、「月探査に関する懇談会」座長の早稲田大学総長・白井克彦さんと、ロボットデザイナー・園山隆輔さんが講師として説明します。

また、館内の大広間につらされている映像球体「ジオ・コスモス」が、10分に1回、普段の地球の姿から月面の姿に変わります。

9月25日(土)には、「京都大学霊長類研究所公開講座 サル・ヒト・人」という講演会が行われます。京都大学霊長類学研究所の研究者が「サルにことばがわかるのか」「類人猿ボノボ:メスたちの平和力」「ゲノムを通して我が身を知る」「ブータンのサルと人」という四つの主題で講演を行います。

おなじ25日(土)には、「人とアンドロイド」というシンポジウムも開かれます。大阪大学教授で、自分とそっくりの人型ロボットを開発したことでしられる石黒浩さんや、ロボット関連の著書を出す作家の瀬名英明さんなどが登壇し、「遠隔操作アンドロイドによる存在感の研究」という国の予算による研究の成果を報告します。


「サルから人へ」をとるか「人からアンドロイドへ」をとるか……。

10月2日(土)には、「科学技術がひらく未来」という公開シンポジウムが行われます。科学雑誌『サイエンス』の編集長ブルース・M・アルバーツ氏や、フランスの科学館「科学産業都市」の館長クローディ・エニュレ氏などを招き、科学技術のあり方などを議論します。

主催者などによる各催しものの案内はこちら。
「月に挑む!―世界をリードする日本の月探査ロボット計画」
「京都大学霊長類研究所公開講座 サル・ヒト・人」
「人とアンドロイド」
「科学技術がひらく未来」
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書評『エネルギー問題!』
薄くて気軽に読める本が多い中、分厚い本格的な本は売れているのでしょうか……。



エネルギーにかかわる問題を扱った本で、“網羅的で分厚い”といったものに出合う機会はすくない。網羅的で分厚いエネルギーの知識をもつ人がすくないからだ。

「原子力についてはA氏、太陽光発電についてはB氏、風力発電についてはC氏……」といった分担執筆のかたちの本がつくられることもある。だが、その手の本は足並みが乱れていることが多く、「まとまったものをじっくり読んだ」という気になれない人も多いだろう。

そんなジレンマ的な状況打破にかぎりなく近づいた本が、この『エネルギー問題!』だ。

石油、石炭、天然ガス、原子力、再生可能エネルギーと、ほとんどのエネルギーの種類に言及がある。さらに、地球温暖化問題、エネルギー観、エネルギー史、エネルギー政策といった、横断的な話題もたっぷりと語られている。

これほど網羅的にエネルギー問題を語れる著者とは、いったいどのような人物なのか。略歴にある肩書きは、国際エネルギーアナリスト、日本エネルギー経済研究所参与、熱・電気エネルギー技術財団評議員、国際石油交流センター理事、APECエネルギーデータ分析専門家グループ議長などなど。“網羅的”といってもいいのではというほどの役職の数々だ。

本の特徴は、データ重視。解説書的な側面が強い。いろいろな資料をもちだして、“エネルギーの現状”を伝える。たとえば、2000年から2007年の間に、世界のエネルギー消費量が増えたが、消費量の伸びがいちばん大きかったのは石炭で、増加分の半分ほどを占めていたという。数値のデータだけでなく、世界はこれまで7回の“エネルギー革命”を経験してきたといった史実的なデータも多く示してくれる。

また、エネルギー問題を考えるうえで示唆に富むような話題も豊富だ。たとえば、こんな経済論があるという。

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S・ジェボンズという経済学者は、エネルギー利用効率の向上と需要の減少を同じだと見ることは誤った考え方であり、その逆が正しい考え方である。エンジンの効率向上は石油消費量を増大させると主張したのです。(略)効率が上がれば、その財、サービスの価格が下がり、そのために需要が増大するからである、というまさに経済学の原理に基づく答えを出したのです。
―――――

木を見て森を見ず、もしくは、人が行うことには矛盾がはらんでいる、といったことを実感できる。

それでは、著者の主張とはどういったものなのか。全体を通して見えてくるのは、再生可能エネルギーの普及にはまだ克服すべき課題が多くあり、原子力の利用度を高めるべきだ、というものだ。

再生可能エネルギーに頼りにくい理由のひとつとして、エネルギー密度の低さを著者は挙げる。山手線の中くらいの面積を占める米国の風力発電施設でも、電力は原子力発電所1基を下回るという。

また、太陽光発電で、原子力発電所1基分の出力の目安とされる100万キロワットを達成するとしたら、山手線の内側の3分の2の面積を太陽電池で覆わなければならないという。

期待を寄せているのは原子力発電のほうだ。著者によると、まだ原子力技術の利用は始まったばかりで、「これからは軽水炉・再処理・高速炉の三位一体の開発、また、従来どちらかといえば片隅に追いやられていた小型炉、トリウム炉の開発といったものにも政策的努力を追加する必要」があるのだという。

このあたりの論調に、「知識が豊富なほうを応援したくなる心理」を感じる読者もいるかもしれない。

とはいえ、エネルギーという主題について、これほどの知識、情報、主張を一挙に示すことのできる人はそうはいまい。今どきの本にはめずらしい、まさに“読みごたえ”を感じることのできる一冊。

『エネルギー問題!』はこちらで。
| - | 22:23 | comments(0) | -
幻想的だけれど現実的な「建築と東京の未来」


東京・神宮前のワタリウム美術館で、「藤本壮介展『山のような建築 雲のような建築 森のような建築』」が開かれています。2010年11月28日(日)まで。

藤本壮介は、1971年、北海道生まれの建築家。代表作に、大分市の住宅「House N」や、東京・小平市の武蔵野美術大学美術館・図書館などがあります。

展覧会では「建築と東京の未来」という主題に対して、藤本が大小さまざまな立体物で回答を提示しています。

展示場所は2階から4階までの3フロア。

2階には、1分の1寸法の巨大な作品がひとつ展示されています。


図のような断面のかたちをしたポリカーボネートの管を無数に組み合わせて、透明感ある構造体をつくっています。来場者は、この管がつならなった壁とも仕切ともいえないものの間を歩きまわります。「雲のような建築」のなかにたたずむ経験をすることができます。

3階では、細い棒で支えられたたくさんの台座の上に、小さな模型などが置かれています。藤本が建築の発想をするうえで考え、つくっていた物体の数々。建築物が完成するまでの過程のなかの“萌芽期”をかたちとして見ることができます。


奥のほうにあるのは、いくつもの家のかたちを縦横に連ねた上図のような模型。この発想は、東京・板橋区内に実際に建てられた木造集合住宅「Tokyo Apartment」として結びつきました。

藤本は「素材や質感を張ってみる。そうして何か発想できないかと試してみる」と、発想と具体化のあいだの過程を紹介しています。

4階では展示室一体に、藤本が描く未来の東京の姿が展開されています。作品名は「空中の森/雲の都市」。


図のような棒の上に物体を乗せた構造体が所狭しと並べられています。この構造物が無数に並ぶことで、空中に浮かんだ雲のような都市を表現します。来場者は、空に浮かびながらも密集した都市の風景を眺めることになります。

藤本は、次のような思いを述べています。

「狭い路地、木造の小さな建物たち、地上を覆う電線、看板や塀の断片、ポストやそのほかのこまごまとしたもの。それらに囲まれて、僕たちは何となく安心感を得て、同時にどこまでも冒険したくなる開放感を感じているのです」

自分が育った北海道の森にこの作品の原風景を感じていたようです。背の高い木々は藤本のからだを囲み、安心感も開放感もあたえていたのでしょう。

未来の都市の風景は幻想的ではあります。しかし、そこに現実味を感じる人もいるでしょう。芸術家や思想家でなく、人が住むたてものを建てる建築家が考える未来の都市が示されているからです。

「藤本壮介展」は2010年11月28日(日)まで。ワタリウム美術館のホームページはこちらです。
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文科省、「大型プロジェクト推進」のパブリックコメントを募集


文部科学省はこのたび、作業部会がまとめた「学術研究の大型プロジェクトの推進について」という案に対して、市民から「パブリックコメント」を募集しています。期間は2010年10月12日(火)まで。

パブリックコメントとは、行政機関が政令などを定めようとするとき、あらかじめ案を示し、市民から意見や情報を募る手続きのこと。「意見公募手続き」などともよばれます。

今回のパブリックコメント募集は、文科省の「科学技術・学術審議会学術分科会研究環境基盤部会学術研究の大型プロジェクトに関する作業部会」という部会が話しあいの末に出した「審議まとめ(案)」に対してのもの。

同部会は、大型プロジェクトの例として、「Bファクトリー」とよばれる高エネルギー加速器施設や、ハワイに建てられた日本の国立天文台の「すばる望遠鏡」などを挙げています。「大型」とは、建物の大きさというよりも、予算規模の大きさのことをいっているのでしょう。

そして、「今後は、社会や国民の幅広い理解を得ながら、大型プロジェクトに一定の資源を継続的・安定的に投入していくことを、国の学術政策の基本として明確に位置付けることが必要」として、それを実現するための具体策として、「ロードマップの策定」を提案しています。

ロードマップとは、「何年後までに、世の中でこの目標を達成しているようにしたい。そのためには、このプロジェクトは何年後までにこの段階にいっているとよい」という、将来的な道のりを描いた計画書のことです。

「審議まとめ」の別表には、「グリーンイノベーション研究拠点の形成」や「衛星による全球地球観測システムの構築」など、計43の大型プロジェクトについて、実施主体、所用経費、計画期間、主な課題・留意点などが記されたロードマップが掲げられています。

同部会は、今回の意見募集内容として、「大型プロジェクトの推進の意義や性格等の基本的な考え方、それらを踏まえた具体的な推進方策について」「『ロードマップ』の策定方法や内容等について」「大型プロジェクトの着実な推進に向けた社会や国民とのコミュニケーションの強化方策や財政措置の在り方等について」「その他」の4つを挙げています。

パブリックコメントについては、「市民参加型の行政の実現に近づく」という利点がいわれるいっぽうで、「あらかじめ市民に意見を聞いておいたという“証拠”を、逆に利用される」「意見を出す市民はだいたい決まっており、市民の総意を反映させることはできない」などとの批判もあります。

今回のパブリックコメントでは、どのくらいの市民の声が集まり、どのくらい案に対しての影響することになるでしょうか。

文部科学省「『学術研究の大型プロジェクトの推進について(審議のまとめ)(案)』に関する意見募集の実施」のお知らせはこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
“ものづくり”固執から脱却の時代へ


成功事例というものは、時とともに価値が正から負にかわっていくこともあります。成功した経験があると、しばらくの間は「今回もまた、成功事例に倣ってやればうまくいくさ」となります。

実際に、これでまた成功を収めることもあるでしょう。しかし、成功事例がすべての状況になかで通じるわけではありません。“あのとき”は成功したとしても、まわりの状況が変われば、“今回”成功するとはかぎらないわけです。

日本の近現代を大きく見れば、「“ものづくり”で成功してきた」ということができるでしょう。緻密に設計をして、精密に部品を組み立てて、故障の起きない高性能のものをいろいろつくってきたのです。その性能の高さは、世界中に受け入れられてきました。

ものづくりでの成功事例を、日本人は今後も活かしつづけることができるのでしょうか。

日本が誇ってきた、ものづくりの成功事例をこれからも続けていくとすれば、ものづくりの技をさらに磨いていくことになるでしょう。

しかし、ものづくりの技を超えた段階に、さらに世界に受け入れられるイノベーションが存在するといいます。たとえば、米国の半導体製造業「インテル」のビジネスモデルです。

インテルは、半導体の性能にとりわけこだわったわけではなく、むしろインテルの半導体と切っても切れない電子回路基板を台湾の企業に安価につくらせて、それを世界に普及させました。このビジネスモデルで、世界を制覇したといわれています。

ものづくりによる成功事例とはべつの成功事例がすでに世界を席巻している分野が数多くあるのです。

日本はこれからも、得意分野のひとつとして、ものづくりの技術を磨きつづけることでしょう。これはこれで失ってはいけないものなのかもしれません。

しかし、ものづくりで世界を極めたという成功事例にいつまでもしがみついているだけでは、あらたな発展はありません。

ものづくりの技を組み込んで、異なる強みを身につける。ものづくりの技にこだわることから脱却して、まったく異なる強みを身につける。多くの分野では、それを考えなければならない時代に入っているようです。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「伸び盛りの学校を探せ」


朝日新聞出版の週刊誌『アエラ』の2010年41号(9月13日発売)に、「伸び盛りの学校を探せ」という記事が出ています。執筆は教育ライターの長尾康子さん。

高校や中高一貫校における、有名大学合格者数は年とともに変わるもの。勢いがある学校、勢いのない学校の情報は、中学・高校への進学先を考える親子にとって大切な情報となります。

記事には、いくつかの鍵となる学校の取りくみが紹介されています。

「特進クラスの廃止」。優秀な生徒を集めた「特進クラス」を設ける学校があります。ぎゃくに、この制度をあえて止めた学校の進学実績が上げたといいます。特進クラスに入れなかった生徒の意欲を考えて、フラットなクラス構成にすることを考えたといいます。

「共学化」。男子校が女子も受け入れ、女子校が男子も受け入れ、男女共学になる学校が増えているといいます。これは、大学受験に直結する効果をねらうほかに、「教学がふつう」と考える保護者が増えたことなどが背景にあるようです。

「新校舎」というのも、大切なのかもしれません。図書室を便利な場所に構えたり、職員室をガラスばりにして生徒が質問に行きやすいようにしたりと、新校舎になったことでの効果をならう学校の思惑もあるようです。

2011年は新規開校の予定がないものの、東京都などでは公立でも中高一貫校が増えており、「息子・娘の6年間を1校にあずける」という場合が増えています。各学校の取り組みや実績を紹介する情報は、より重要性を増しているようです。

『アエラ』2010年9月20日増大号の内容はこちら。
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「コレステロールは体によい」の裏に製薬企業とガイドライン作成者の関係批判

コレステロールは、血管の壁にくっつくと動脈硬化を起こすとされる物質です。とくに、体の中に「悪玉コレステロール」ともいわれる「LDL(Low-Density Lipoprtein)コレステロール」が多くあると、心筋梗塞や脳卒中などになる危険が高くなるといわれてきました。

いま、この向きとは逆に「LDLコレステロールの値が高いほうが、人は死ににくくなる」と主張する学会が表われ、議論の的になっています。

これまでの常識に反する声明を出しているのは日本脂質栄養学会。このたび学会は「長寿のためのコレステロールガイドライン 2010年版」という資料を発表しました。この資料の「要旨」を、インターネットで見ることもできます。

「要旨」には、ガイドラインの各章での要点が整理されて書かれています。14章までありますが、このうち、第4章に、学会の主張が強く表われています。

第4章「コレステロールの基準値を決める上で最も重要なエンドポイントは総死亡率である。40〜50歳以上、あるいはより高齢の一般集団では、TC 値の高い群で癌死亡率や総死亡率が低い。これらの集団には、コレステロール低下医療やコレステロール低下をめざした食品を勧めない」

「エンドポイント」とは、治療に対する評価をするときの項目のこと。「コレステロールの基準値を決める上で最も重要なエンドポイントは総死亡率である」とは、つまり「けっきょく、コレステロールを多くとることで死亡率が上がるのか下がるのか、この評価をいちばん大切にしなければならない」と言っているわけです。

学会は、コレステロールと死亡率の関係を調べてみると、「TC値」(血清コレステロール値)が高い集団はおしなべて死亡率が低いという結果が表われたといいます。そこで、第6章では、つぎのように結論づけています。

第6章「血清コレステロールの善玉(HDL-C)・悪玉 (LDL-C) 説は、その根拠が崩れた」

さらに、一般の人にも伝わるよう、わかりやすく「一般集団ではLDLコレステロール値の高い群のほうが総死亡率は低い(長生きである)」と明言しています。

コレステロールで引き起こされる病気が高脂血症(脂質異常症)です。日本脂質栄養学会とは別団体の「日本動脈硬化学会」は、これまで高脂血症の治療のため医師などに読んでもらう「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」をつくってきました。

日本脂質栄養学会が、この日本動脈硬化学会のガイドラインづくりに異をとなえたかたちです。日本脂質栄養学会は、「日本動脈硬化学会が」と名指ししていないものの、従来のガイドラインには編集者と製薬企業のあいだに“深い関係”があったことをほのめかしています。

「今回、日本脂質栄養学会が中心となり、高脂血症のガイドラインを編集することになったが、本ガイドラインには今まであまり知られていなかった多くの事実が含まれている。それが可能になった理由は編集委員のほとんどが製薬企業から研究費等をもらっていないからである」(『長寿のためのコレステロールガイドライン 2010年版』序文より)。

医療の世界におけるガイドラインには、治療の方針が書かれます。そこには「この薬を使うとよい」という薬の使い方も指針として載ります。このとき、製薬企業からガイドラインの編集委員にお金がわたれば、お金を出した製薬企業に有利になるようなガイドラインの書かれ方になるというのが、日本脂質栄養学会の主張です。

今後、「LDLコレステロールは体にとってよいかどうか」という議論はさらに続いていくことでしょう。その裏側には、製薬企業とガイドライン作成者が“深い関係性”をもつことの是非の議論もあるわけです。

参考文献
日本脂質栄養学会 コレステロール ガイドライン策定委員会「長寿のためのコレステロール ガイドライン2010年版(要旨)」J. Lipid Nutr. Vol.19, No.2(2010)
| - | 14:47 | comments(0) | -
「カレー屋パク森」のパク森カレー――カレーまみれのアネクドート(26)
中盛り

典型的なインドカレーや欧風カレーなどとは一線を画し、独自性をうちだすカレーがあります。東京・九段南に本店を置く「カレー屋パク森」の「パク森カレー」もそのひとつ。

ご飯が円形に盛られます。その上に、ひき肉入りのルゥを煮詰めたドライカレーが乗っかります。いっぽう、ご飯の横には、とろとろに煮込まれたルゥがかけられています。白いひとつの皿で、ドライカレーとルゥカレーのふたつを味わいます。

ドライカレーの香りが鼻に届くより前に、わずかに味噌のような風味が来ます。口に入れてからは、ひき肉の触感にくらべ、カレーのルゥのしっかりした味が強し。ご飯とドライカレーの盛りの厚さは4対1ほど。この比が、口のなかでの全体のバランスを保ちます。

ルゥカレーのほうも忘れてはなりません。野菜などの具材はよく煮込まれて、ほぼ完全にルゥに溶けこんでいます。ご飯がすべてドライカレーに隠れているため、ルゥカレーとご飯をいっしょに食べるときは、ドライカレーも加わることになります。

しかし、ルゥカレーとドライカレーはけんかをおこしません。口のなかですぐ、ふたつのカレーのボーダーレス化がおきます。しっかりした風味のスパイスが、ふたつのカレーの束ね役となっているのでしょう。

パク森は、「いろんな国のいろんなカレーのいろんな美味しさを追求したら、こんなカレーになりました」と、結果としてパク森カレーが完成したことを謳っています。「野菜、フルーツ、スパイスをふんだんに使って納得のいくまで炒めて煮込んだ日本人の口にあったオリジナリティ豊かなカレーです」。

ドライカレーとルゥカレーの二本立てという形式で独自性を出すパク森カレー。しかし、客の舌が肥える時代、ただ形式がめずらしいだけでは長つづきはしません。味で勝負するための形式なのですね。

「カレー屋パク森」のホームページはこちら。
| - | 21:57 | comments(0) | -
水分がなくなり、黄色くなり、たくあん


東アジアの各地では、大根をつけものにした食べものがいろいろあります。

中国では、塩を二度つけ込んだり、一度目は塩でつけてから二度目に唐辛子を加えたりして食べることがあります。

韓国でも、大根をキムチづけにした、カクテキという食べものがあります。日本の焼肉屋の献立にも見かけることがあります。

日本での代表的な大根のつけものといえば、たくあんです。江戸初期の臨済宗のおしょうさん沢庵宗彭(1573-1645)が発明したともいわれています。


たくあんの特徴といえば、まず色。これは、カレー粉を黄色くさせているのとおなじく、鬱金という植物の黄色い成分が使われているからです。最近では、合成着色料により色付けされることも多くなりました。

白い大根が黄色いたくあんに変身してしまうため、たくあんが大根からつくられていることに気づかない人も多いでしょう。

さらに、大根にくらべてたくあんのほうが断面積が小さいことも、「大根からたくあん」を気づかせづらくしているようです。

たくあんをつくるとき、「日干し」という過程を経ます。洗濯物をほすように、大根を干すわけです。大根は下ろしたとき、「こんなに水がでるのか」と驚くほど水気を含んでいます。大根100グラムに対して、水分は7割ほどあるといいます。

日干しした大根からは、水分がどんどん抜けていくわけです。行きつくところは、しなしな状態。収穫したばかりの大根を曲げることはできませんが、日干しした大根はへなっと俺曲げることができます。

水分が抜けることで、大根がもともともっていた味が濃くなるという効果もあります。また、大根から水分を抜いてたくあんにすることで、日持ちもよくなります。「たくあん」は、沢庵さんが開発したからでなく、「貯え漬け」から派生した名前だという説もあります。

「たくあんよ、おまえはもともと、みずみずしくて白かったんだな」としみじみしながら、ぽりぽり食べれば、味わいもまた深まることでしょう。

参考ホームページ
デイリーポータルZ「検証・キュウリは牛乳より水分が多い」
| - | 11:59 | comments(0) | -
毒トカゲの唾液から糖尿病の薬


自然には、人のからだの病気を治す物質があふれています。毒をもつ爬虫類でさえ、人の病気を抑えてくれる成分をあたえてくれることがあります。

米国南西部やメキシコには、「ヒーラ・モンスター」とよばれる毒トカゲがいます。日本語での名前は「アメリカオオトカゲ」。

まだら模様でいぼいぼのある皮で覆われており、だれがどう見ても「毒があるに決まっている」と思わせる風体をしています。上の画像はグロテスクさを抑えていますが、実際の写真はこちらで見ることができます。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Gila.monster.arp.jpg

1992年、米国ブロンクス退役軍人病院出身の糖尿病専門医ジョン・エン教授は、このヒーラ・モンスターの出す唾液に、ある特殊な成分が含まれていることを見つけました。

その特殊な成分とは、「エクセンディン4」とよばれるようになる物質。このエクセンディン4は、人の糖尿病を抑える「グルカゴン様ペプチド-1」という物質とつくりがよく似ていたのです。

グルカゴン様ペプチド-1は人がもっているホルモンで、たべものを食べたあと小腸にあるL細胞というところから出てきます。このホルモンが血流に乗って膵臓のβ細胞というところまでたどり着くと、そこで鍵穴の役割を果たす受容体にかちっとはまり、「インスリン」というべつのホルモンを分泌させることになります。

インスリンは、たべものを食べたときに血中に多くなる糖を少なくする役割をもっています。インスリンの出が悪くなると糖がなかなか減りません。これが、糖尿病の原因のひとつになっています。

ぎゃくに、インスリンがよく出るようになれば、血中の糖の量を抑えることができるわけです。

「たべものを食べる、グルカゴン様ペプチド-1が出る、膵臓のβ細胞までたどりつく、インスリンが出る、血中の糖を抑える」という連鎖反応が起きれば、糖尿病に対して効き目がでるわけです。

ところが、このグルカゴン様ペプチド-1は、出てくるとすぐに分解されてしまうという欠点があります。活発にはたらきはじてからわずか1、2分で、濃度が半分になってしまうのです。

この弱々しいグルカゴン様ペプチド-1に似ている成分を、毒トカゲのヒーラ・モンスターの唾液から取りだすことができるのです。取りだされたエクセンディン-4を、膵臓のβ細胞に与えると、グルカゴン様ペプチド-1のときとおなじように受容体が刺激され、インスリンを出すことがわかったのです。

毒トカゲの唾液から取りだしたのとおなじ成分を化学的に合成して、「エクセナタイド」という薬が誕生しました。この薬は日本ではまだ発売されていません。いっぽう、ジョン・エン教授とヒーラ・モンスターのいる米国では、この薬はとても売れているといいます。

米国の多くの糖尿病患者が、この薬で糖尿病の窮地から救われています。そして、成分の発見者であるジョン・エン教授は、いまや百万長者になっています。アメリカンドリームのひとつといえるでしょうか。

参考文献
参考ホームページ
Diabetes in control .com “Dr. John Eng's Research Found That The Saliva Of The Gila Monster Contains A Hormone That Treats Diabetes Better Than Any Other Medicine.”2007年9月18日
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エネルギーは劣化する。


きのう(2010年9月9日)の記事では、エネルギーは電気、光、熱、位置、運動といったように、さまざまな形で存在しているというお話をしました。そして、さまざまな形はとっているけれど、地球を含む宇宙においてはエネルギーの総量は変わらないという話をしました。

宇宙は閉じた世界ですが、地球という世界も“だいたい閉じた空間”ということができます。地球が頼りにできるエネルギーのほとんどが太陽からのものです。この太陽から地球に入ってくるエネルギーと、ぎゃくに地球から宇宙に出ていくエネルギーの量はほぼ釣りあいがとれています。つまり、地球が抱え込んでいるエネルギーは、ほぼ一定といえるわけです。

このことから、地球という“だいたい閉じた空間”でも、ほぼエネルギーの総量は変わらないということになります。地球という土俵のうえで、エネルギーはときに電気になり、ときに光になり、ときに熱になり、かたちを変えているわけです。

地球におけるエネルギーの総量が変わらないのであれば、エネルギーの枯渇を心配する必要はないはずです。化石燃料というかたちでエネルギーを得ることができなくても、ほかのかたちでエネルギーを得ることができそうだからです。これは、「5円玉をべつの硬貨に代えていきましょう」ということになり、つぎつぎと世の中から5円玉が減ってしてしまっても、その分、1円や10円を増やせばあまり困らないのとにています。

化石燃料というかたちで存在するエネルギーがなくなっても、地球のエネルギーの総量は変わらないわけです。

だとすれば、なぜ、いま世界は「化石燃料のエネルギーがなくなってしまう。大変だ」と騒いでいるのでしょうか。

ここで関係してくるのが「エネルギーの劣化」です。エネルギーには、人が使う上で質のよいものと、劣化したものがあるのです。

火力発電所、水力発電所、原子力発電所、太陽電池、風車などの設備・道具を使うと、エネルギーは電気エネルギーというかたちをとります。この電気エネルギーを使えば、光エネルギーに変えて明るく照らすこともできますし、熱エネルギーに変えて部屋を温かくすることもできます。つまり、使い勝手が高いので、質がよいわけです。

いっぽう、質の悪いエネルギーの代表格が、空気の中に散らばった熱エネルギーです。車を走らせても、電球を点けても、少なからずエネルギーは熱というかたちに変わります。空気の中に散らばってしまった熱エネルギーを、ふたたび寄せ集めて使い勝手のよいエネルギーに変えるのはとても難しいのです。

これは、調味料のしょうゆの状態とにています。しょうゆは、瓶にきちんと入っていれば、おさしみにかけることも、納豆にかけることもできます。

しかし、瓶1本分のしょうゆが、琵琶湖のなかに含まれているとしたらどうでしょう。膨大な堆積の琵琶湖から、瓶1本分のしょうゆを寄せ集めることは、まずもってむりな話です。

化石エネルギーにより捻出されたエネルギーは、車を走らせたり、照明を点けたり、いろいろな役割を果たします。とともに、熱として空気中に放たれ、質が劣化します。

大きく考えれば、劣化したエネルギーも、また別のエネルギーのかたちに変わり、それを人が利用することになるかもしれません。しかし、劣化したエネルギーをもとの質の高いエネルギーにもどすには、より大きなエネルギーが必要となるのです。
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エネルギーは「生みだす」ものにあらず――法則古今東西(14)
表現にこだわる記者や編集者は、「エネルギーを生みだす」ということばづかいに、“要検討”の朱入れをするかもしれません。

火力、水力、原子力、また、太陽光や風力による発電では、電気エネルギーというエネルギーが発生します。「エネルギーを生みだす」でも通じそうです。

しかし、「電気エネルギー」が発生するためには、そのもとになるエネルギーが存在しなければなりません。なにもないところから、エネルギーが突然わいて出てくることはないのです。

これは、「エネルギー保存の法則」という物理の法則からいえる話です。エネルギー保存の法則は、「熱力学第二法則」ともよばれます。「ある閉じた系の中のエネルギーの総量は変化しない」と表すことができます。1842年に、ドイツの物理学者ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤーが論文で発表しました。


ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー

たとえば、宇宙空間は“閉じた系”なので、このエネルギー保存の法則があてはまります。人からすれば「宇宙は無限に広がっている」と思ってしまいそうです。しかし、宇宙の果ては存在するとされており、宇宙は“閉じた系”になります。

宇宙には、光エネルギー、電気エネルギー、熱エネルギー、位置エネルギー、運動エネルギーなど、さまざまな形でエネルギーが存在します。ときに、太陽光発電のように光エネルギーが電気エネルギーに変わり、またときに電気釜のように電気エネルギーが熱エネルギーに変わることがあります。

しかし、エネルギー保存の法則にしたがえば、「ある閉じた系の中のエネルギーの総量は変化しない」のですから、太陽光発電によって電気エネルギーをつくったとしても、“エネルギーそのものを生み出した”わけではないのです。

こうしたことから、表現にこだわる記者は編集者は「エネルギーを生みだす」ということばづかいに引っかかるわけです。「電気エネルギーを生みだす」はよくても、「エネルギーを生みだす」は“要検討”、と。

そこで、べつのことばづかいが検討されることになります。なにもないところからエネルギーを生みだすのではありません。別の形になっているエネルギーを、ほしい形に変えるのです。よく使われるのは「エネルギーを変換する」。これだと、ある形のエネルギーを別の形のエネルギーに変えるという意味合いを出すことができます。

「エネルギーを捻出する」といった表現を使うこともあります。「捻出」とは、ひねりだすこと。太陽光という、そのままではほとんど使えないエネルギーを、電気という使いやすいエネルギーに、うまく変えるため「エネルギーを捻出する」となるわけです。

「エネルギーを生み出す」のでなく「エネルギーはそこにある」。そのそこにあるエネルギーをいかに使いやすいものにするかに、人は発電などの技術を駆使しているわけです。
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書評『ほんとうのエネルギー問題』
二酸化炭素による地球温暖化説を疑う代表格の一人による本です。



「CO2による地球温暖化説なんていうものはそもそも疑わしいもので、知識人の間では懐疑説が主流になっているのだ。だからこそ、今、私たちが考えなければいけないのは、CO2削減うんぬんではなく、エネルギーが枯渇してしまうという『エネルギー危機』の問題なのである。今の生活を失うことになる現実が、目前に迫っていることを強く主張したい」

この前提をもとに、著者が考えるところのエネルギー問題が語られている。原子力発電に対しては危険なので“ノー”。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーについては“イエス、バット……”といったところが、主張の方向性だ。

「正しい知識」を身につけるためには「わかり易く説明してある書物が必要だ」と著者は言う。「私が本書を出版しようと考えた理由のひとつはここにある」そうだ。たしかに、200ページ弱の本だが、2時間もあれば読めてしまう。

ただ、「正しい知識」を身に付けることができるかという点では、信頼性は疑わしい。

たとえば、なぜドイツや中国の太陽電池メーカーが、日本を抜き去っていったのか、について理由を言っている。「これは日本政府が太陽光発電に対する補助金を打ち切った二〇〇五年を分岐点に、日本のメーカーの凋落が始まった事情から勘案すれば火を見るよりも明らかである」。

しかし、太陽光発電の議論では、国ごとの太陽電池普及率と、国ごとの太陽電池生産量は、べつべつの話として語られることが多い。メーカーは太陽電池を国外に輸出することもできるからだ。実際、中国では太陽光発電の普及率はまだ微々たるものだが、それでも中国メーカーは輸出攻勢に出て、生産量シェアを拡大している。

また著者は、日本の風土は太陽電池の普及にはめぐまれていないと言っている。「日本にはパネルを張る広大な土地がない。広く平らな土地は農地と競合してしまう。さらに太陽光がない夜もさることながら、天候の変化が激しい日本においてはいつでも太陽光にめぐまれない事情がある」。

しかし、いま日本の農村には耕作放棄地という広大な土地がある。使われていない田畑は太陽電池を設置するのに適した場所と考える開発者や専門家は多い。また、日本とおなじく天候にめぐまれているわけではないドイツで太陽光発電が普及していることを見れば、「日本においてはいつでも太陽光にめぐまれない」とも言っていられないだろう。

風車についても「微風対応の風車は強風が吹くと壊れる恐れがあり」と言っているが、いま設置されているたいてい発電用風車は、一定以上の強風が吹くと回転を中止するしくみが備わっている。壊れる恐れがあるからだ。

著者は「どんなに美辞麗句を並べても人は高いエネルギーよりも安いエネルギーを使うのだ」と言っている。この市場原理はまっとうだ。この市場原理からすれば、太陽光発電や風力発電などの新しいエネルギーは、化石燃料がほんとうに枯渇したとききには普及していくことになるだろう。

ただし、最後のほうでは「ローカルな発電を個人や小さな会社に普及させるためには電力会社が使用量(ママ)をとって電線を解放し、国民が自分で作ったエネルギーをだれもが販売できるようにすると良いだろう」などと、建設的な話も出てくる。ここまでたどり着くかどうかが問題だ。

生物学者として自然環境問題や外来種問題を理論的に鋭く説いていた印象からすれば、「ほんとうのエネルギー問題」については“論理で攻める”というより“言い放つ”感をもつ読者は多いかもしれない。

『ほんとうのエネルギー問題』はこちらで。
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漢方薬を輸入しづらい時代に


(2010年9月)6日(月)、東京・内幸町の日本記者クラブで、富山大学和漢医薬学総合研究所教授の小松かつ子さんによる講演会が行われました。主催は、日本科学技術ジャーナリスト会議。

講演の主題は「薬用植物と地球環境」。今年10月に名古屋で開かれる「第10回生物多様性条約締約国会議」では、国どうしで遺伝子資源の利用などによって得られる利益の公平な分けかたなども議論される予定です。

漢方薬も遺伝資源の利用のおもな対象となります。小松さんは、これまで中国やモンゴルを訪れ、漢方薬のもととなる植物がどのような状況にあるのかを現地調査してきました。

中国では、鎮痛のために使われる「甘草」や、喘息などのときに使われる「麻黄」など、漢方薬の主成分となる植物が多く生えていました。しかし、小松さんは「中国では砂漠化が深刻になっている」と小松さんは話します。このような環境的な要因から、中国でも漢方薬の成分となる植物が取りづらくなっているようです。

また、中国では、農薬に対する規制が年々きびしくなっています。漢方役になる植物を栽培するなどのため、ある土地で農薬がたくさん使われていたとすると、厳しくなった残留農薬の規制で、その土地では栽培できなくなってしまいます。そこで、漢方薬の成分となる植物を栽培するための主要産地が、ほかの土地に移っていきます。

中国全体の状況としては、漢方薬の成分をほかの国に輸出しづらい状況になってきているようです。

いっぽうモンゴルにも、漢方薬の成分となる植物を栽培しています。しかし、場所によっては甘草を栽培していた近くの湖が干上がってしまった事例もあると小松さんは言います。その原因は気候変動ではありません。湖に注ぎ込む川の上流で金鉱が見つかり、人が川の流れを変えてしまったといいます。「自然環境の変化には、人為的なものも多いことがわかります」と小松さんは話します。

日本でも漢方薬の成分となる植物はつくられているものの、日本人はこれまで漢方薬づくりの大部分を大陸からの輸出に頼ってきました。その状況は、じょじょに変わりつつあります。
| - | 23:59 | comments(0) | -
変わる緩和ケアの概念、変わらない緩和ケアの医療

きょう(2010年9月6日)発売の『週刊東洋経済』の特集は「後悔しない! 終末期医療」というもの。「緩和ケア 治療開始とともに始まる苦痛を取り除くケア」という記事などに原稿を寄せました。

終末期医療とは、人生の最期が近づいている人に対して行われる医療のことです。病気を治すことよりも、患者にとって満足の行く死を迎えることに重きが置かれます。

「緩和ケア」も、終末期医療に欠かせない治療法のひとつでした。患者が抱える苦痛を和らげるのが、緩和ケアの本質です。

しかし、「治療をあきらめて緩和ケアに切りかえる」という緩和ケアの概念は、ひとむかし前のものになりつつあります。世界保健機関(WHO)の「緩和ケア」に対する定義の変化が見られます。

1989年時点で、緩和ケアの定義は次のようなものでした。

「緩和ケアとは、治癒を目指した治療が有効でなくなった患者に対する積極的な全人的ケアである(後略)」

2002年になると、定義が次のように改められました。

「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、霊的な問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、生活の質を改善するためのアプローチである」

重要なのは、最初のほうです。対象は「治癒を目指した治療が有効でなくなった患者」から、「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族」へ。

これを、概念図で表すと、次のような変化になります。

かつての医療では、がんなどの病気をなおすために続けられた治療を、急に緩和ケアに切りかえました。

いまの医療では、病気を治すための治療と、苦痛を緩和するための治療は、両立しているわけです。

しかし、新しくなった緩和ケアの概念は、まだ世の中になかなか浸透していないのが実情。市民があまりこの変化を知らないのは、実際の医療の現場でも「治療とともに緩和ケア」があまり行われていないからです。

WHOの2002年の緩和ケアの定義からすれば、「生命を脅かす疾患」を治療するすべての医師が「治療とともに緩和ケア」を始めるべきです。しかし、死に近い病気を扱うがん科や老年科の医師でさえ、良質な生活の質を重視するなどの、基本的な緩和ケアの概念が身についていないことがあるもよう。

取材に応じた緩和医療科の医師は「地域社会や医療のあり方が変わっていかないと、超高齢化社会の中で大きな社会的苦痛を味わうことになる」と話しています。

『週刊東洋経済』「後悔しない! 終末期医療」特集号のお知らせはこちらでどうぞ。
| - | 23:59 | comments(0) | -
エネルギー・環境ビジネスを「つくりだす」「使う」「伝える」にわける

エネルギー資源枯渇問題や地球環境問題の関心の高まりととに、これらのテーマでビジネスを展開する企業が多くなりました。となると、「エネルギー・環境」というひとつのくくりで、業界を見なおす必要があるのかもしれません。

とはいえ、エネルギー・環境のビジネスといってもその中味は広いもの。そこで、整理のしかたのひとつとして「エネルギーをつくりだす業種」「エネルギーを使う業種」「エネルギーを伝える業種」のみっつにわけてみるのも手かもしれません。

「エネルギーをつくりだす業種」とは、地球上にあるエネルギーを捻出して電気やガスという形にするまでの段階を担う業種です。

具体的には、火力・原子力・水力などの電力企業、太陽電池や風車をつくる電気機器製造業、バイオエタノールなどの自然由来のエネルギーを捻出する食品業、などなどです。

ほかにも、地熱発電、水素エネルギーによる発電、ガスなど、新旧さまざまなエネルギーをつくりだす方法があり、それにともなって企業もいろいろあります。

「エネルギーを使う業種」とは、供給を受けたエネルギーを利用して何かをするときに関係する業種のこと。

代表的な業種は、自動車製造業です。どの車メーカーも、電気でモーターを動かして走る電気自動車、ガソリンと電気を使いわけて走るハイブリッド車、水素エネルギーで走る燃料電池車などの開発を進めています。

また、これら低公害型自動車の開発にともなって、2次電池の製造業も注目を浴びています。2次電池は、電気エネルギーを必要なとき充電したり使用したりすることのできる電池。電気自動車やハイブリッド車などには、リチウムイオン電池という2次電池が搭載されはじめています。

ほかに「エネルギーを伝える業種」があります。エネルギーをつくり出す側と、エネルギーを使う側とを、つなぐ必要があります。たとえば電線は、山の奥や海の側の発電所から、それぞれの家や会社まで電気を送るための道具です。

今後、エネルギーを伝える業種で注目されることが確実な技術が「スマートグリッド」です。コンピューターの情報技術などを駆使して、電気エネルギーの伝わりかたをうまい具合に管理・制御し、無駄を出さないようにするための技術です。

エネルギーをつくりだす業種、使う業種、伝える業種、いろいろありますが、すべてはエネルギーという等価交換のできる資源でつながっています。その業種における、限られた技術に目を向けているだけでなく、“おとなりの業種”や“関係する業種”と連携をとりあって、しくみや精度をつくっていくことが、エネルギー・環境という業種ではとくに求められます。
| - | 21:06 | comments(0) | -
GBR駆除製品ネーミング会議で“擬態語”話される

なかなか涼しくならないこの夏、虫を駆除する品々の活躍はつづきます。

長年のヒット商品といえばアース製薬の「ごきぶりホイホイ」。誘引剤で誘きよせ、あの黒い姿を見ずに捨てられるといった便利さのほか、製品の名前の親しみやすさもロングセラーの理由になっているのでしょう。実際、他社の似た製品には「ごきぶりコロコロ」といった名前も見られます。

「ごきぶりホイホイ」に多いに触発された同業他社の、こんなネーミング会議が想像されます。ここから先、話題の虫の名前が連呼されますので、別ページに表示します。
続きを読む >>
| - | 18:25 | comments(0) | -
「秋味」の“酔いの回りの早さ”をメーカーはやんわり否定

秋の季節、酒屋やコンビニエンスストアなどでは、秋限定のビールが棚に置かれています。キリンビールの「秋味」もそのひとつ。20年間も期間限定発売をつづけている秋の定番ビールです。

同社は「通常のビールの約1.3本分の麦芽をたっぷりと使用、アルコール度数は少し高めの6%と、味覚の秋にふさわしい、しっかりとしたコクと飲みごたえのビールです」と、「秋味」の特長を説明しています。

多くのビールアルコール度数は5%。ふだんよくビールを飲んでいる人は「アルコール6%」は、「あ、ちょっとアルコールが高めだな」ということに気づくことでしょう。

なかには、こんなことを感じる人もいるようです。「アルコール度数が高いのはしってるけれど、どうも『秋味』は酔いの回りが早いような気がする」。

アルコール度数が1%高いことのほかに「秋味」は酔いやすいりゆうがあるのではないか、という気づきです。「たとえば、アルコール5.0%の『キリンラガービール』を1.2缶ぶん飲むのと、『秋味』を1缶ぶん飲むのでは、秋味のほうが酔いやすいのではないか、と」。

「キリンラガービール」のアルコール度数は5.0%。「秋味」のアルコール度数は6.0%。秋味のほうが1.2倍、アルコール分が多いわけです。「キリンラガービール」を「秋味」の1.2倍飲めば、体が取り入れるアルコールの量はおなじになります。

この「秋味」の謎をもった人が、キリンビールに問い合わせすると、次のようなていねいな回答がありました。

「お酒の酔いの程度は、血中アルコール濃度によって変わります。したがって、酔いの程度は摂取したアルコール量に比例しますが、アルコールの種類は関係ありません」

「ビールや発泡酒等の缶に『%』で表示しておりますアルコール分は、液体100ml中に含まれるエチルアルコールの容量(ml)でございます」

「例えば、秋味350mlを1本お飲みになると、アルコール分6%×350ml÷100=21mlのエチルアルコルを摂取する事になります」

「一方、ラガービール350mlを1.2缶お飲みになると、アルコール5%×(350ml×1.2)÷100=21mlとなり、上記の秋味と同量のエチルアルコールを摂取することになります」

ここまでは、「秋味」の酔いの回りの早さを感じた客の考えどおりです。「しかしながら」と、キリンビールからの回答はつづきます。

「しかしながら、その日のご体調や一緒に召しあがるお料理等も酔いに影響する場合もございますので、酔いの回りが早いとお感じになられることもあるかと存じます」

とりわけ、「秋味」には、酔いの回りを早くする要因が、アルコール度数のほかにあるわけではないということのようです。

「秋味」の酔いの回りが早いと感じたこの人は、このビールのコクの高さなどを味わいながら、「うーん秋味、うまい」と、すこし酔っていたのかもしれません。

キリンビールの発表「発売20年目の秋の定番ビール『キリン秋味』を発売」はこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
(2010年)9月11日(土)から「光の謎を解き明かせ!」

画像は記事内容とは関係ありません

催しもののお知らせです。

東京・青海の「船の科学館」で、(2010年)9月11日(土)から26日(日)まで、「光の謎を解き明かせ!」という展示会が開かれます。主催は日本科学協会。

科学研究や技術開発を推し進める日本科学協会が、このたび「光」を主題にした体感型の実験装置をつくりました。

同協会は「大人が子供に伝えよう 日常の科学シリーズ」という巡回展を行ってきました。第1弾として発表された「台風」についての実験装置に続き、今回シリーズ第2弾として、光についての装置が生まれたわけです。

どのような体感型の装置が開発されたのか、まだ詳しくは発表されていませんが、近々、報道関係者への内覧会なども開かれ、明らかになっていくでしょう。

船の科学館は「さまざまな『光の謎』に取り組みながら、知っているようで知らない『光』の正体に迫り、あらためて『光』に秘められた不思議と驚きを体感することができます。ぜひ一度ご覧下さい」としています。

「船の科学館」での「大人が子供に伝えよう 日常の科学シリーズ」第2弾「光の謎を解き明かせ!」は9月11日(土)から26日(日)まで。同館の入館券がなくても見学することができます。

「船の科学館」によるお知らせはこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「どうせやるなら楽しんでそれをやれ」はけっこう危険


「どうせやるのであれば楽しんでそれをやれ」という、格言のようなことばがあります。

人には、嫌であってもやらなければならないことが出てきます。ほかの人がおこした不始末の尻拭い、ふだんより3時間早く起きなければならない出張、原稿の全書きなおし、などなど。

たとえ面倒であっても取りくまなければことが先に進まないようなとき、「どうせやるのであれば楽しんでそれをやれ」という言葉が生きてくるわけです。

おなじ3時間の作業であっても、「ああ、もう早く帰りたい」といらいらを引きづりながら行うのと、「どうせなら楽しんでやろう」と自分に言いきかせて行うのでは、楽しもうとするほうがそれなりに充実した3時間をすごせるというものです。

頭の切りかえに、「どうせやるのなら楽しんでそれをやれ」は効き目がありそうです。尻拭いも、早起き出張も、原稿書き直しも、頭を切りかえてやれば、終わってからのすっきり感をえられるかもしれません。

しかし、「どうせやるのなら楽しんで」は、注意してやらなければならないときもあるといいます。

ある人はこんな経験談を披露します。

「だれもやろうと名乗り出なかった同期会の幹事の役割をまわされてね。『まあ、どうせやるなら楽しんで』と、気持ちを切りかえてやったんだよ。そうしたら、まわりの人から『楽しそうにやっていますね』といわれて、どんどん自分に仕事を回される羽目になった。orz」

脳はだまされやすいといいます。「どうせやるのであれば楽しんで」と言いきかせて取り組めば、ほんとうは楽しくないようなことでも、その時間はそれなりに楽しくなるかもしれません。

しかし、その楽しんでいる姿をほかの人に見られると、「楽しんでやっていそうだな」と思われてしまうわけです。

いやなことを楽しもうと思ってやっていくうちに、ほんとうに楽しくなればそれはそれで、本人にとっては幸せなことでしょう。

いやなことを楽しもうと思ってやっていても、それがいやなことを乗り切るための一時しのぎであれば、人には見られないことが得策でしょう。
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