科学技術のアネクドート

「“Toll”はドイツ語で“狂った”」が鵜呑みされ


人が感染症に負けないでいられるのは「免疫」というしくみがあるからです。免疫のしくみでは、体が“自分”と“自分でない者”を区別して、“自分”のほうを守ろうとします。

ここ数年、免疫の研究で注目をあびているのが「Toll様受容体」です。受容体とは、細胞の表面などにある、決まった物質を受けとめる鍵穴のようなもの。物質と受容体がかっちりとはまると、なにかのはたらきがおきます。

Toll様受容体が発見されるまえと発見されたあとでは、免疫のしくみへの見方が大きく変わりました。

免疫のしくみでは、“自分でない者”がやってくると、「サイトカイン」とよばれる物質が細胞から現れでてきて「おい、みんなで守ろうぜ」と、ほかの物質を活発にはたらかせます。

まえは、このサイトカインが現れでてくるのは、体の細胞がストレスを受けるからと考えられてきました。つまり、細胞がダメージを受けることで、サイトカインが現れでてくると考えられていたわけです。

しかし、Toll様受容体が発見されて、どうもそうではないらしいということになったのです。

このToll様受容体は、人などのいきものがもともともっている受容体です。“自分でないもの”が細胞にむかってやってくると、このToll様受容体がそれを受けとめます。それによって、サイトカインが現れでてくる、というしくみがわかったのです。つまり細胞は、“自分でない者”がやってきてからあたふたするのでなく、「いつでも準備オーケー」だったわけです。

Toll様受容体は、“Toll”の“様”な“受容体”ということから名前がついています。つまり、Tollという受容体がもともとあり、それに似ているためにつけられた名前。では、Tollとはなんなのでしょう。

本当のTollは、ショウジョウバエの体のなかにありました。ショウジョウバエは、多産で特別なエサも必要ないため、研究者が好んで実験に使うハエです。

ショウジョウバエですでに明らかになっていたToll受容体とおなじようなしくみが、人などの動物にもあったため、“Toll”の“様”な“受容体”つまり「Toll様受容体」という名前がついたわけです。

では、ショウジョウバエの受容体に付けられた“Toll”とは、どういう意味なのか。インターネット上の辞典ウィキペディアには、「Tollは1980年代にショウジョウバエで正常な発生(背腹軸の決定)に必要な遺伝子として発見された(“Toll”はドイツ語で“狂った”の意味)」とあります。

ほかのホームページにも、鵜呑みしたように「Tollはドイツ語で“狂った”という意味だそうです」と聞き伝えをしています。ウィキペディア情報を受けたと考えられます。

しかし、なぜ「正常な発生に必要」な遺伝子なのに「狂った」なのかは書かれていません。

ドイツ語の“Toll”には、「狂った」というような負の語感だけでなく、「すごい」といった正の語感もあるといいます。

ドイツで研究をしている日本人研究者ブロガーは、「誰だよ、『"Toll"はドイツ語で"狂った"の意味』って書いたの」と書いています。

「Tollは正確な英語訳も日本語訳もないけれど、Fantastic(とてもすばらしい、すてきな、すごい)とかWonderful(すばらしい)とか、Cool!(クール)とか。一説にはセクシーという意味もある。 つまりそういうのを全部混ぜたような意味」。いまの日本語でいえば「やばい」のようなものでしょう。

ウィイペディアの「(“Toll”はドイツ語で“狂った”の意味)」は、まさにトルほうがよいのかもしれません。

参考文献
科学技術振興機構ERATO「審良自然免疫プロジェクト 基本理念」
参考ホームページ
海外研究者のありえなさそうでありえる生活「自分の研究を説明する難しさ その2」
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経営理念がものづくりを継がせる
どの会社にも「経営理念」があります。会社が事業や計画をおこなうときの、根本的な考えかたのことです。

社員が一人のような会社では、唯一の社員である社長が経営理念を心に秘めることもあるでしょう。いっぽう、大きな会社になればなるほど、社員一人ひとりの進むべき方向性を示すために、経営理念を明文化することが大切になります。

日本を代表する総合電機製造業3社の経営理念とは、どのようなものでしょうか。


液晶ディスプレイ、太陽電池、プラズマクラスターなどのヒット商品を出すシャープの「経営理念」です。

―――――
 いたずらに規模のみを追わず、
 誠意と独自の技術をもって、
 広く世界の文化と福祉の向上に貢献する。
 会社に働く人々の能力開発と
 生活福祉の向上に努め、
 会社の発展と一人一人の
 幸せとの一致をはかる。
 株主、取引先をはじめ、
 全ての協力者と相互繁栄を期す。
―――――

1文目には、規模拡大を優先するのでなく、心と技で世界に貢献することが謳われています。2文目には、従業員と会社がともに幸せになることを謳っています。3文目で、株主や取引先のことも忘れてはいないということがわかります。

かつてはウォークマンで一世を風靡し、いまはゲーム機のプレイステーションが世界で売れているソニーには「品質憲章」というものがあります。

―――――
 ソニーは、お客様の声に耳をかたむけ、
 「高い品質で、安心して使っていただける商品」
 「心のこもったカスタマーサービス」
 をお届けし、お客様の期待を超えることをめざします。
―――――

「品質憲章」は、創業者の一人である井深大が1946年に起草した「設立趣意書」や、2003年に同社が導入した「ソニーグループ行動規範」などに見られる理念を徹底するためにつくられたものとされます。

「お客様」「カスタマー」「お客様」と、1文のなかに顧客を示す表現が3つ出てきます。顧客のことを最優先で考えていることがわかる文です。さらに「お客様の期待を超える」という、高い理想が掲げられています。


2008年に松下電器産業から社名を変えたパナソニックには、経営理念の一部をなす、つぎのような「綱領」と「信条」があります。

―――――
綱領
 産業人たるの本分に徹し
 社会生活の改善と向上を図り
 世界文化の進展に寄与せんことを期す

信条
 向上発展は各員の和親協力を得るに非ざれば得難し
 各員至誠を旨とし一致団結社務に服すること
―――――

「綱領」とは、組織の目的や方針などを要約して示したもの。「信条」とは、かたく信じることがら。

「綱領」は1文になってはいるものの、1行ごとにそれぞれ目指すべき点があります。1行目は従業員のことを、2行目は社会との関係を、3行目では世界との関係を述べています。

「信条」では、従業員が和をなすことが、向上発展には不可欠であることを説いています。また、従業員は真実の心をもって、一丸となって会社の仕事をすることも謳われています。一人ひとりが組織をつくるということをかなり意識した内容になっています。

経営理念は、その会社の憲法のようなもの。「経営理念がなくなったり、伝えられなくなった会社は、もはや会社の体をなしていない」とまでいう経営者もいます。3か月や半年しか伝えられないコマーシャルメッセージなどに比べ、企業理念は深いものがあります。

参考ホームページ
シャープ「経営理念・経営信条」
ソニー「製品品質・サービスの理念・基本方針」
パナソニック「行動基準」
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「サザエさん症候群」に加えて「24時間テレビ症候群」
日本社会を生きる人びとの一部には、「サザエさん症候群」という症状があるといいます。日曜の夕方に放映されるアニメ番組「サザエさん」を見ていると、「あすからまた一週間が始まるのか。いやだなー」と憂鬱な気分になるというもの。

あくる日が祝日や休日となる日曜に、サザエさん症候群となる人はとても少ないといいます。あくる日がお休みなら、日曜の夕方は、ふだんの土曜の夕方とおなじような気分になるからです。

きょう、2010年8月29日の日曜日は、人々の憂鬱さはまた格別なものがあるかもしれません。夕方、テレビを見ると「サザエさん」とともに、「24時間テレビ」の終盤が放送されているからです。

暑い時期の風物詩といえば、花火大会、海水浴、盆踊り、ラジオ体操、高校野球などさまざまありますが、暑い時期の締めくくりに来るのが「24時間テレビ」です。

はるな愛が涙ながらにマラソンのゴールテープを目指し、メイン会場では、“チャリチーTシャツ”を着た加山雄三や萩本欽一たち出演者がみんなで「サライ」を大合唱する。この映像を見ると、「ああ、これで8月ももう、終わりなんだなー」という気分になる人も多いでしょう。

きょうは、週1回の「サザエさん症候群」に加えて、年に1度の「24時間テレビ症候群」が加わる、憂鬱の特異日なわけです。

「24時間テレビ症候群」の対象は、小学生から高校生ぐらいまでの若い世代。なぜなら、8月もあと2日とすこし。大部分の地域で9月に入ると学校の授業がふたたび始まるからです。

「サザエさん症候群」や「24時間テレビ症候群」で、あまり出てこない議論があります。「憂鬱になるなら、休まなければいいのに」と「憂鬱になるなら、見なければいいのに」というもの。

土日が休みであることが、次の月曜からの仕事が憂鬱になる度合を高めます。ならば、土日も休まずに働けば、その憂鬱の度合は軽減されるはず。それでも「休まなければいいのに」という議論がばかばかしく聞こえるのは、基本的に人は休みたいからなのでしょう。

「憂鬱になるなら、見なければいいのに」も、あまり聞かれません。その理由は、テレビ番組は症候群の原因にあまりなっていないからということが考えられます。

「サザエさん」を見ようが見まいが、日曜の夕方という時間や雰囲気はやってくるのです。「サライ」の合唱を聞こうが聞くまいが、夏休みの終わりという時期や空気はやってくるのです。
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痛みをわけると4種類
 『広辞苑』の「痛み・傷み」の項目には、5つの意味があり、このうち1番目と2番目が、人の感じるものとなっています。

「(1)(病や傷などによる)肉体的な苦痛。(2)なやみ。悲しみ。」

悩みや悲しみを「痛み・傷み」と表しているわけです。悩みは“鈍痛”、悲しみは“尖痛”あたりでしょうか。

医療、とりわけ終末期医療の世界では、傷みをより細かく4つに分けています。

ひとつめは、「身体的な痛み」。これは『広辞苑』の1番目の意味とおなじです。たとえば、がんが進行すると、病巣が大きく、また硬くなり、まわりの組織を刺激するようになります。この刺激を細胞の受容体が受けとると、脳に刺激が伝わり痛みを感じるようになります。

ふたつめは、「精神・心理的な痛み」です。これは『広辞苑』の2番目の意味と重なる部分があります。不安や恐怖にかられることは、この痛みに含まれます。身体的な痛みと精神・心理的な痛みには、密接な両方向の関係があるともいいます。

ここから、『広辞苑』の意味とはやや離れていきます。みっつめは、「社会的な痛み」というものです。病気になって仕事を失ったり、入院することで家庭や親しい友人から遠ざかったり。病気になる前にはなかった、社会生活や人間関係の問題が生まれることがあります。これらの問題は「社会的な痛み」とよばれます。

そして、よっつめにあるのが「魂の痛み」あるいは「スピリチュアルな痛み」とよばれるもの。自分が目にする多くの人が健康な生活を送るなか、「なぜ自分がこのような病気にならなくてはならないのか」と、そこはかとなく感じる痛みです。「悲しみ」という表現と近い部分もありますが、精神・心理的な痛みより深いところから起きる痛みといえます。

これらの痛みは分類されてはいますが、「全人的な痛み」として括ることができます。「全人的」とは、知識、情念、意志、感覚などの、人間がもつ“人間らしさ”を表現することば。「全人的な痛み」は「人としての苦痛」といいかえることもできます。
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「門司港JAZZ INN六曜館」の焼きカレー――カレーまみれのアネクドート(25)


ライスの上にカレーをのせ、さらにその上にチーズをまぶして、ドリアのように焼く。こうしてできあがるのが“焼きカレー”です。きわものが好きなカレーファンを中心に、知名度はあがってきています。

焼きカレー発祥の地とされるのは、北九州市の門司港。港の近くの栄町銀天街にあった喫茶店で昭和30年代、余ったカレーをグラタン風に焼いたところ美味しかったため、店のメニューにしたという話があります。

焼きカレーは門司港の観光名物に。街には、焼きカレーを出す飲食店が30件ほどあります。駅から歩いて5分、港町の交差点の一角にあるのは「門司港JAZZ INN六曜館」。観光地化された広場の店とは異なる、港街の喫茶店のたたずまいです。

店の中には、カウンターやテーブルとともに、ピアノや大型のスピーカー。ここは店の中で演奏も行われるジャズ喫茶で、店内にもリズムある音が流れています。

メニュー表には、一番上にシーフードカレーがあり、焼きカレーはその次。焼きカレーを前面に押し出さないあたりが、この喫茶店の小さな誇りと余裕を感じさせます。

注文から10分ほどで出てくるのは白い皿によそられた焼きカレー。皿には、ところどころ皿に焦げあとがあり、多くのカレーを焼いてきたことがうかがわれます。

焼きカレーは三層をなしています。上は焦げ目のついたチーズ。その下には水分のおさえられたカレールゥ。その下にドリア風になったライスがあります。

1スプーン目。まず、舌がチーズの香ばしさを、歯がカリカリ具合を感じます。チーズの量はたしかに多めですが、決してカレーの主役の座を奪いません。大いなる引き立て役です。

いっぽうのカレーの風味は、すこし遅れてやってきます。チーズに味を打ち消されるわけでなく、しっかりとした味でライスを覆います。具にはあさりなどの魚介類が入っています。

2スプーン、3スプーンと進み、舌がじょじょに慣れていくと、口の中でチーズとカレーの風味が渾然一体となっていきます。そして、次の山場はスプーンが半熟の卵を割ったとき。色は目立ちませんが、とろとろとした卵の中身が焼きカレー全体にしみていきます。

昭和30年代、すでにカレーはインド料理や西洋料理からは独立した日本食となっていました。一方、グラタンやドリアなどの洋食は、いまほど食べられていなかったに違いありません。日本と西洋の二つの料理が、皿の中で焼かれて一つの料理になったのです。ハイカラな料理は港町から生まれます。

「門司港JAZZ INN六曜館」の情報はこちらでどうぞ。
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「リスク」を「収益の源泉」と捉える


労働安全衛生マネジメントシステム(OSHMS:Occupational Safety and Health Management System)は、組織のさまざまな安全性を高めるための制度です。しかし、安全を意識的に高めようとしてもなお、組織の安全をおびやかすことがらはなくなりません。

そこで、組織は「リスクマネジメント」という考えかたもとりいれようとします。

「リスク」は「危険」のこと。「マネジメント」は「管理」や「処理」のこと。「リスクマネジメント」は、直訳すれば「危険管理」となります。

経済産業省が出している『先進企業から学ぶ事業リスクマネジメント 実践テキスト』という教科書では、「リスク」と「リスクマネジメント」の定義はつぎのようなものになっています。

「リスクとは組織の収益や損失に影響を与える不確実性」

リスクというと、「よからぬことを引き起こす要素」と捉えられがちですが、この定義では「組織の収益」にも影響を与えるものとなっています。

ただし、「よからぬ」面のみに焦点をあてて「リスク」と言うこともあります。この教科書には、日本規格協会(JIS)という団体が出している「リスクマネジメントシステム構築の指針」で示されている「リスク」の性質も紹介しています。

「1 その事象が顕在化すると好ましくない影響が発生する」
「2 その事象がいつ顕在化するか明らかでないという発生の不確実性がある」

よからぬ影響を及ぼすもので、しかも、いつ起きるかわからないことを、リスクの本質としているわけです。

教科書では、いっぽう、「リスクマネジメント」についても定義がされています。

「リスクマネジメントとは収益の源泉としてリスクを捉え、リスクのマイナスの影響を抑えつつ、リターンの最大化を追及する活動」

この定義での要点はみっつ。「リスクは収益の源泉になりうること」「リスクの負の部分の影響は抑えるべきであること」「リスクがあるなら、それに対するリターンの最大化をねらうべきであること」。ここでも、リスクには利益をもたらす側面もあることがいわれているわけです。

しかし、「リスク」というと、「目を背けようとするもの」という意識が強くあるようです。さらに「リスク」が「よからぬこと」になると、それを隠そうとしたり、そこからの責任を逃れようとする人の行動も多く見られます。これは、これまで人が自然にとってきた“リスク回避”の行動なのかもしれません……。

リスクはどこにでもあるものであると考え、リスクを「収益の源泉」と捉えることは、“言うは易し行うは難し”の面もあります。影響力のある人が、多くの人に対してリスクへの考えかたを改めさせようとするなどの、地道なとりくみが求められそうです。

参考文献
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「あってあたりまえ」を意識する。


あってあたりまえのものごとを、「空気」にたとえることがあります。ふだんは存在に気づくことさえないものの、いざその存在が危うくなったり薄れたりすると、すぐそれに気づきます。携帯電話、通勤電車、自分の健康などは、その例でしょう。

“安全”にも、“あってあたりまえ”が当てはまるのかもしれません。「今日は安心した」と話すほうが「今日は危ない目にあった」と話すよりもまれです。ふだんの状態が安全であるからこそ、「今日は危ない目にあった」となるわけです。

ふだんは気づかない、空気のような存在だからこそ、安全を意識的に獲得しようとすることが大切なのかもしれません。

工場や事業所などで、安全な状態を保ちつづけるために確立されている制度のひとつが、「労働衛生マネジメントシステム」です。英語で表すと、“Occupational Safety and Health Management System”。頭文字をとって、“OSHMS”ともよばれます。

労働衛生マネジメントシステムは、1999年に労働省(いまの厚生労働省)が指針を示したも制度です。1972年に制定された「労働安全衛生法」という法律がもととなり、「労働安全衛生規則」という政令がおなじ年に労働省から示されました。「規則」は、法律より強くないながら、行政による命令のひとつです。

いまの労働安全衛生規則「第24条の2」には、「厚生労働大臣は、事業場における安全衛生の水準の向上を図ることを目的として事業者が一連の過程を定めて行う次に掲げる自主的活動を促進するため必要な指針を公表することができる」という文言があります。

つまり、労働安全衛生法がもとで、労働安全衛生規則がつくられ、労働安全衛生規則がもとで、労働安全衛生マネジメントシステムがつくられたわけです。法律や規則とちがって拘束力はありませんが、この労働安全衛生マネジメントシステムを導入している企業も見られます。

「中央労働災害防止協会」という組織は、労働災害の絶滅を目指し、「OSHMS」という認定制度を設けています。同協会が労働安全衛生マネジメントシステムの特長は四つ。それぞれの意味するところも記しておきます。

(1)全社的な推進体制
 経営トップが安全衛生方針を発信することを促しています。

(2)危険性又は有害性の調査及びその結果に基づく措置
 危険性や有害性を調査することで、労働者の危険や健康障害を防ぐという考えかたを示しています。

(3)PDCAサイクル構造の自律的システム
 計画(Plan)、実行(Do)、評価(Check)、改善(Act)という四つの行為をくりかえすことで、状況を改善しつづけることを目指します。安全を保つため、つねにPDCAをくりかえすわけです。

(4)手順化、明文化及び記録化
 労働安全衛生マネジメントシステムに関わる人の、役割、責任、権限を明文化します。

同協会は、「労働安全衛生マネジメントシステムを運用、構築中、あるいは、設備・作業の危険有害要因のリスク評価を実施している事業場は、これらの取り組みを実施していない事業場に比べて、災害発生率(年千人率)が3割以上低い」としています。

安全は、空気のように“あってあたりまえ”のもの。しかし、あたりまえのことを保つことに意識的に取りくむことで、“空気”を失う率を減らすことはできるようです。

参考ホームページ
中央労働災害防止協会「OSHMS(労働安全衛生マネジメントシステム)」
法令データ提供システム「労働安全衛生規則」(昭和四十七年九月三十日労働省令第三十二号)
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「深い話を聞き出すとき、三段階の方法」


得たい情報、知識、意見などを人が人に聞く行為は、「聞きとり」といいます。刑事は被害者や重要参考人に事情聴取をします。民俗学の研究者は、研究対象の地域の住民に話を聞きます。記者は、有識者や話題の人に取材をします。

話を聞く対象は、無口な人から多弁な人までさまざま。とくに無口な人が相手の場合、聞き手は、いかにあますことなく相手から話を聞きだすかが大切になります。

かずかずの取材をしてきた記者は、こんな話をします。「相手から深い話を聞き出したいとき、どうすればよいか。三段階の方法があると思う」。

まず、第一段階は「こう答えてきたら、さらにこう聞く」という作戦を準備万端に整えておくということ。相手が業界のむずかしい用語を使ってきても、それに対応できるよう勉強をしておいたり、想定問答集ならぬ想定答問集を心のなかで用意しておいたり。「相手はね、無意識のうちに記者の知識がどれくらかを推しはかるんだよ。この記者、いろいろ調べているなととなれば、深い話をしてくることもある」。

ただし、すべてがすべて準備万端になるとはかぎりません。急に取材となったり、忙しくて取材のため勉強する時間がなかなかとれなかったり。

「そんなときは次の手だ。相手が話したことを確認するように聞きかえすんだ」。取材対象者が、「業界の現状はなかなか厳しいものがある。課題としては後継者の育成がある」などと話をしてきたら、記者は「そうですか、そうですか。すると将来的には、人材不足の状況になりそうですね」と返します。

「後継者育成の問題がある」と「将来的に人材不足になる」は、ほぼおなじことを繰りかえしているにすぎません。しかし、おなじことを繰りかえすことにも、さらに深い話を聞きだす効果はあるといいます。

「人は話をしていると乗ってくるもの。さらなる質問が思い浮かばないからといって、話題を変えてしまうのはもったいない。そこで、相手が言ってきた話に対して、確認をするように聞きかえす。こうすることで、相手がまだ言いたりなかった話を続ける。相手に、“自分はあなたの話を理解しています”という示して相手を安心させる効果もあるね」

しかし、取材に慣れていなかったり、性格的に緊張しやすい人は、相手の話の内容に付いていけなくなる場合もあります。気づいたら、ただ相槌をうっているだけで、頭のなかはまっしろに。あるいは混乱して真っ黒に……。

そんな場合は、第三段階の方法に突入します。「相手の話を追えなくなってしまった状況でも、さらに深い話を聞きたいときは、辛いかもしれんが、ただ黙っていなさい」。

手紙やメールとちがって、人と人が面と向かって行うコミュニケーションは、おたがいの“助けあい”で繰りひろげられます。メールだと回答した相手先がさらに、質問のメールをしてこなければ、それでコミュニケーションは一段落。

「でもね。これが対話となると、その場で相手に理解してもらおうとしたり、沈黙の間を埋めようとしたりして、多くの場合、相手はさらに話をしてくるものだ。自分がその沈黙に耐えられるかが勝負なんだけどね」

準備万端に予習。それができなかったら、相手の話した内容をそのまま返す。それもできなかったらしばらく黙っている……。「三段階の方法があると思う」。
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8月24日(火)は「世界の温暖化報道の過去・現在・未来」


催しもののお知らせです。

(2010年)8月24日(火)、早稲田大学で、「世界の温暖化報道の過去・現在・未来」トイウワークショップが行われます。日本環境ジャーナリストの会、国立環境研究所、早稲田大学政治学研究科ジャーナリズムコースの共催です。

「地球温暖化」が世の中で本格的にいわれはじめたのは1979年。この年2月、国連の専門機関である「世界気象機関」などが「第1回世界気候会議」を主催しまいた。当時は、地球温暖化と地球寒冷化の両方の説がささやかれている時代。将来的にどうなるかといった結論は出ませんでしたが、この会議を受けて気候変動の研究を推進するための「世界気候計画」がとり決められるなどし、気候変動に対する調査研究の気運が高まりました。

また、この年、米国の学術機関である「全米科学アカデミー」が、「気候に対する人為起源の二酸化炭素の影響」という主題で、それまでの学術的な研究報告をとりまとめました。この報告書に「21世紀なかばに二酸化炭素濃度は2倍になり、気温は3±1.5度、上昇する」という予測が明記されました。

地球規模の環境問題への関心がたかまっていくなかで、報道機関は地球温暖化の話題をとりあげ、世界の市民の間に浸透させていきました。

地球温暖化が予測とともに伝えられはじめてから30年あまり。ワークショップでは、いま、世界の温暖化報道の現状はどうなっているのかを考えてます。

ワークショップの副題は「欧米の研究者と日本の記者が語る」。講演では、米国のメディア社会学者で、コロラド大学教授のウェル・ボーイコフさんが登壇します。ボーイコフさんは、5大陸の地球温暖化についての報道状況を、報道の件数と内容の両面から分析してきました。

討論も行われます。パネリストは、環境研究所環境計画室長の青柳みどりさん、早稲田大学ジャーナリズムコース教授で元毎日新聞科学環境部長の瀬川至朗さん、朝日新聞編集委員の竹内啓二さん。司会は、日本環境ジャーナリストの会会長で、毎日新聞科学環境副部長の田中泰義さん。

入場無料で、事前登録は不要です。「世界の温暖化報道の過去・現在・未来」は、8月 22日(火)16時から18時、早稲田大学早稲田キャンパス11号館604号教室にて。早稲田大学ジャーナリズムコースによるおしらせはこちら。
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書評『のうだま』
「脳がからだを動かす」のでなく、「からだが脳を動かす」。そんなからだしくみを利用した「やる気」アップのためのさまざまな知恵がまとまっています。



人は、“やる気”という得体のしれないものと一生つきあっていかなければならない。

前の日、「明日はあれとこれはやるぞ!」と、やる気にあふれる。その翌日、「うーむ、なんだかやる気が出ないな」とうだうだしていたら夕暮れ時。夜になって取り組みはじめたら、ようやくエンジンがかかってきた。そんな経験をもつ人も多いだろう。

仕事や勉強などに対して、やる気が出ないとき、どのようにやる気をとりもどせばよいのか。その実践法と理論がかかれてあるのが、この『のうだま』だ。イラストレーターの上大岡トメが、薬学博士で東京大学准教授の池谷裕二に、「やる気をだすための知恵」を授かり、それを絵と文で読者に伝える。

「のうだま」とは「脳をだます」こと。人の脳にはだまされやすいという性質があり、この性質を活かせば、やる気が起きるのをただ待つだけでなく、意識的にやる気を起こさせることもできるという。

基本的な方法は4つ。「からだを動かす」「ちがうことをする」「適度なごほうびをあたえる」「あこがれの人になりきる」。いずれも脳のなかにある「淡蒼球」とよばれる“やる気の源”を刺激することにつながる。

「モチベーション」や「やる気」といったことばが書名にある本は巷にあふれる。この本が抜きん出ているのは、説得力が高い点だ。

たとえば、とにかくからだを動かすと、あとから脳のほうでやる気が出てくるという話。多かれ少なかれ読者が経験したこともあるだろうが、この理論を池谷氏はつぎのように説いている。

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脳とカラダではどちらが先に発達したでしょうか。もちろんカラダです。カラダのない脳はありませんが、脳がない動物はいくらでもいます。つまり「脳」は、進化の歴史のなかでは新参者なのです。そんなわけで、脳はカラダの奴隷になってしまっています。
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なるほど、たしかに。「どうもやる気が起きないなぁ」と、うだうだしている人は、まさに“頭でっかち、からだすぼみ”の状態になっているようだ。

よくいわれていることに対して、新しい見方を示してくれるのも、この本の特徴だも。たとえば、「マンネリ化」について。マンネリというと、「またかよ。もう飽きた」というマイナスの印象が付きまとうが……。

マンネリにはプラスの側面もあるという。面倒くさい作業が「マンネリ化」すれば、「もう慣れた」となって、面倒くささがなくなるのだ。面倒くさいことを、面倒くさいとさえ思わせなくなることも、広い意味で「脳をだます」ことのひとつといえるだろう。

もっとも、「からだを動かす」ことや、「ちがうことをする」といった試みをするためのやる気さえない人は、まずそれをどうするかが重大な課題となる。さすがにその点までは触れられていない。

すくなくとも、本を読んでから半日から1日ぐらいは、どんな人もやる気が出そうだ。この本そのものが「読んでみるとやる気が出てくる」読書体験を味わえる内容になっている。「とにかくこの本を読んでみる」というところまでたどり着くことも、やる気の起きない人にとっては重大な課題にはなるけれど……。

『のうだま』はこちらでどうぞ。
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爪楊枝、ミクロに見れば“詰まらせ楊枝”。


古くから使われているものは、“伝統”という箔がつくため、しばしば「すぐれたもの」と考えられがちです。しかし、新しいことがいろいろとわかってくると、その道具は長所があるだけではないということがわかってくるものです。

楊枝は、歯と歯のあいだにはさまったものをとりのぞいてきれいにするための道具。奈良時代または平安時代に、中国から伝わったとされます。かつては“楊柳(やなぎ)の枝”が使われていたため、「楊枝」とよぶようになりました。

その後、爪楊枝が開発されます。楊枝よりも小さく、「爪先の代わりに使うもの」という意味から、頭に「爪」が付きました。

ちかごろでは、キヨスクなどで売られる弁当の割箸入れのなかに、爪楊枝が入っています。割り箸入れに印刷されているわけではありませんが、「弁当を食べたあと、この爪楊枝で歯をきれにすることもできますよ」という意味が込められていそうです。

たしかに、弁当を食べたあと、しーしーと爪楊枝を歯のあいだに入れれば、大きな食べかすは掃除されます。

しかし、歯医者さんには、爪楊枝で歯の掃除をすることをすすめない人もいます。

見た目ではわかりませんが、爪楊枝の先端を顕微鏡で見てみると、木材でできているため表面がささくれだっていることがわかります。

そんなぎざぎざした爪楊枝で、歯や歯茎をごしごしとこすっているわけです。ごしごしとすることで、かえって虫歯のもとになる細菌やごく小さい食べかすなどを、歯と歯のあいだの奥まったところにおいやって詰まらせてしまうことにもなるといいます。

マクロな気分は、「食べた。爪楊枝で歯を掃除した。きれいになった!」であっても、ミクロな世界は、「食べた。爪楊枝で歯がこすられた。虫歯のもと!」のようです。

爪楊枝にくらべて日本人にはあまりなじみがありませんが、楊枝は楊枝でも「糸楊枝」があります。歯と歯のあいだに糸を入れて、それを前後に動かすことによって、汚れをかき落とす道具です。

歯茎にあてながらこすると、歯肉を傷つけてしまうので注意が必要ですが、細菌を歯と歯のあいだの奥に追いやらず、かきだすという点では、爪楊枝より糸楊枝のほうが優れているといいます。「爪楊枝を使うなら、糸楊枝をつかいましょう」と言っている歯医者さんもいます。

参考文献
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個人と集団の利益が真正面から対立


個人は、集団をつくるための構成要素です。個人なくしては、仲間や集団はつくれないともいえるでしょう。「友達讃歌」というアメリカの童謡には「一人と一人が腕組めば、たちまち誰でも仲良しさ」という歌詞があります。

いっぽうで、個人は「集団と対立するもの」と考えられるときもあります。国語辞典の「個人」の項目には、「社会集団に対して、それを構成する個々別々の人」と、載っています。

個人と仲間の関係性が、連関的なものであるか、対立的なものであるかは、捉えかたのちがいによるのでしょう。

「利益」という点から見ると、世の中には、個人と集団がほぼ真正面から対立することがらがいろいろとあります。

身近な例は、電車の“間隔調整”です。

電車に乗っていると、「後続列車が遅れているため、この電車は当駅で少々停車をします」と車掌に告げられて、強制的に電車の出発を待たされることがあります。

「当駅で少々停車」するはめになった先行列車の乗客たちは、「後続列車が遅れたなんてことは知ったこっちゃない。早く目的の駅まで電車を走らせてくれ」と腹を立てます。自分の時間を奪われるのですから。

しかし、鉄道会社がとるこの措置は、集団的な利益になります。後続列車との間隔が空くと、その後続列車に人が多く乗り込むことになり、よけい運行に時間がかかります。さらに後続の列車の遅れをひきおこすことに。そこで、遅れず走っていた先行列車も、「当駅で少々停車」することになるわけです。

大事件や大事故が起きたあとの反応にも、個人と集団の対立が見られます。

飛行機の墜落事故が起きたとします。自分の左右前後に座っていた人たちは、みんな亡くなってしまったものの、自分だけが生き残ったという経験の持ち主は、「できるならば一刻も早く、いまいましい事故のことなんて忘れてしまいたい」と願うでしょう。「人は忘れることができるから生きていける」ともいいます。

しかし、大事件や大事故に対して、つぎのような決まり文句が社会にはあります。「事故のことを風化させてはならない」。

「風化させてはならない」とは、「忘れてはならない」ということ。個人的には忘れたくなるようなできごとも、社会的には忘れてはならないことになります。

事故の当事者である個人にとって、この社会の中に身をおくことは、辛いことになるでしょう。

医療の世界でも、個人と集団の利益の対立があるといいます。

遺伝子診断などをはじめとする医療技術は進歩し、いまや、個人の体質や薬剤感受性にあった方法で治療を行う医療行為が確立されつつあります。これは「オーダーメイド医療」といわれています。

しかし、それでいて、医療の方針を決める医学会や、医療行為を管理する政府機関などは、いろいろな「治療ガイドライン」をつくって、医療従事者に従わせようとします。治療ガイドラインは、けっして特定の個人のためにつくられるものではありません。「このように治療すれば、だれにでも効果が期待できる」という前提でつくられるものです。

個人向けの医療技術が発達しているいっぽうで、集団向けの医療方針がつぎつぎと打ち出されているわけです。その人に効き目てきめんのオーダーメイド医療があったとしても、ガイドラインが示す方法にあてはまらないため、個人向け治療ができないといった事態が起きないともかぎりません。

集団としては利益を得られるが、個人としては利益を得られない。あるいは、個人としては利益を得られるが、集団としては利益を得られない。こうした利益対立も、個人と集団は対立するものという概念の一要素になっているのでしょう。
| - | 23:59 | comments(0) | -
ネットストアに問い合わせようとしたら「のちほど、こちらから電話します」


電話での対話には、電話をかける側と、電話を受ける側がいます。

おたがいで「そのうち電話をする」ことが約束されている場合、電話をかける心理より、電話を待つ心理のほうがなにかと心の負担は大きいようです。

「のちほど、こちらから電話します」と言った側は、「食事をとってから電話をかけよう」とか「お酒が抜けてから電話をかけよう」とか、自分にとってよい状況を選んで電話をかけることができます。

いっぽう、電話を待つ側は、食事中に相手から電話がかかってくることもあれば、お酒を飲んでいるとき電話がかかってくることもあります。あるいは、電話を受けるため、食事をはじめるのをためらったり、お酒を控えたりする人もいるでしょう。かかってくるであろう電話に行動を束縛されている状況ともいえます。

電話をかけるよりも、電話を受けるほうがなにかと心の負担が高い――。この心理を、企業の電話対応システムも応用しているのかもしれません。

ちかごろ、ネットストアなどは、ホームページを連動した電話対応法を導入しています。

ホームページには、「電話でのお問いあわせはこちら」との表示。これは、どんなネットストアでも目にするもの。しかし、その画面に問い合わせ先の電話番号がないこともあります。

では、客はどのように電話で問いあわせるのでしょうか。

かわりに、入力欄を用意します。その近くには、「お客さまの電話番号を入力してください。こちらからお客さまに電話をさせていただきます」との説明文。

たとえば、アマゾンジャパンの「電話での問い合わせ」は、「お客様のご指定の電話番号に、お電話します。電話に出ると、カスタマーサービスに自動的に転送されます。音声メニューが流れますので、メニューを選択してください。担当者におつなぎします」となっています。

この説明書きの近くには、客側の電話番号入力欄と「呼び出すタイミング」の選択欄があります。「呼び出すタイミング」の選択欄を開けると、「今すぐ」か「5分以内」かを選べるようになっています。

そして「呼び出す」ボタンをクリック。これで、アマゾンジャパンの電話担当者から、客側に電話がかかってくるというしくみです。

ほかにも、アマゾンジャパンには、ホームページの深いところに、会社への電話番号が示されています。しかし、アマゾンジャパンに電話で問い合わせをしたい多くの客は、この“逆電話制度”のページにたどりつくことでしょう。

アマゾンジャパンをはじめとする各企業がどのような目的で、この“逆電話制度”を導入しているのかは、明らかではありません。

しかし、考えられるのは、客側からの電話の本数がすくなくなることと、いたずら電話などが減ることです。その理由として考えられるのは、電話を受けるほうが心の負担が高くなり、客側に「わざわざ電話をかける必要もないか」という心理をもたらすことです。まさに、「のちほど、こちらから電話します」の優位性が働いているといえましょう。

企業から電話をするのだから、「局番0120」で通話料を負担するのと、費用的には同じか上回るかもしれません。しかし、それを上回る利点が、この“逆電話制度”にはあるようです。
| - | 22:15 | comments(0) | -
筋トレで“いつも燃えてる”からだづくり


日経BPネットの「『3日坊主』を卒業できる、健康運動生活」というコラムで、「スロトレで『いつも燃えてる』体づくり『成功への道』」という記事が、きょう(2010年8月)18日(水)配信されました。執筆は松田尚之さん、撮影は佐藤類さん。この記事の編集を連結社と担当しました。

「スロトレ」は、「スロートレーニング」を略したことば。ごく簡単にいえば、「スロトレ」は、ゆっくりした速度で行う筋力トレーニングのことです。

取材を受けてくれたのは、スロトレの提唱者の一人である近畿大学講師の谷本道哉さん。谷本さんは、師であり、東京大学教授であり、ボディビルダーである石井直方さんとともに『スロトレ』という本を2004年に上梓。いまも本は売れつづけており、アマゾンでも76件の感想が載るほどの反響となっています。

記事では、スロトレの話に入る前段として筋トレの話から。そもそも筋力トレーニングにはどのような体への効果があるのかという疑問に、谷本さんが答えます。

「まずひとつは、筋肉がついて基礎代謝の高い、つまり普段から良くエネルギーを消費する体になること。もうひとつは、体力がついて普段から活動的に動けるようになること。これが結果として生活習慣病の予防にもつながるわけです」

人は、からだの外からエネルギーを取りいれながら生きています。1日じっとしていても、呼吸したり、内臓が動いたりするためエネルギーが必要です。命を保つために必要な最低のエネルギーの入れ出しが「基礎代謝」です。

筋肉はいわば、よい意味でのエネルギーの浪費家。ふだんから筋力トレーニングに励んで、筋肉をたくさんつけておけば、基礎代謝が高くなるわけです。これは、太りにくいからだになることを意味します。

筋肉がつくということは、体力が高まることにも関係します。体力が高まれば日々の生活が活動的になるので、これも“健康運動生活”にとってはプラスの作用となります。

ここまでは、一般的な筋力トレーニングの話。記事の後半は、谷本さんが提唱する「スロトレ」の話に移ります。

「筋肉を鍛えるためには普通、何らかの方法で重い負荷を掛けます。ただし、これにはリスクもあります。いちばん心配なのは、筋肉や関節のケガ。また筋トレ中、力んだ状態のときに一時的に血圧が上がるので、高血圧の人にも強くは勧めにくい。スロトレは、こうした一般的な筋トレの弱点をカバーするメソッドなのです」

実際に谷本さんがスクワットをする写真でスロトレを紹介します。

谷本さんの話に触発されて、自分でもスロトレを試したという記者の松田尚之さんは、「これ、端で見てるより、かなりキツイですね?」との感想。トレーニング理論によくある“楽して鍛える”とは一味ちがう、でも効果的な運動法であることを伝えています。

日経BPネットのコラム「『3日坊主』を卒業できる、健康運動生活」の「スロトレで『いつも燃えてる』体づくり『成功への道』」は、こちらでどうぞ。

運動の長続きに直結したスロトレの魅力が語られる後編も、9月上旬に掲載の予定です。
| - | 21:42 | comments(0) | -
本拠地・敵地の常識、反例も


プロ野球、中日ドラゴンズの2010年の成績の極端さが話題なっています。本拠地でとても強く、敵地でとても弱いのです。

8月16日までで、中日は108試合を終えて、57勝49敗2分。本拠地では38勝14敗1分で、24の勝ちこしがあります。いっぽう、敵地では19勝35敗1分で、16の負けこしがあります。これほど対照的な戦績になることはあまりありません。

プロ野球やサッカーJリーグのような対戦型の競技では、本拠地と敵地で試合があります。戦う相手にも本拠地があるからです。チームが本拠地をもたないといった特殊な場合でないかぎり、1シーズンでの本拠地試合と敵地試合はほぼ半分ずつになります。

そして、今年の中日ほど極端にはならなくても、ほとんどの場合、本拠地試合のほうが戦績がよくなります。

「本拠地での試合のほうが強いのがあたりまえだ」というのは常識として考えられています。しかし、本拠地であっても、敵地であっても、試合中の選手の人数はおなじ、試合中の天候はおなじ、試合中の試合場の面積はおなじです。

では、なぜ本拠地のほうが強く、敵地に乗りこむと本拠地試合ほどよい戦績をおさめられないのでしょう。

本拠地と敵地で差が出る要素もいろいろあるといわれています。

だれもが思いつくものが、応援する観客の人数のちがい。阪神タイガース以外のチームの選手は、阪神の本拠地の甲子園球場で試合するとき「阪神ファンの大歓声は精神的な重圧になる」と、よく言います。

その試合場の環境に慣れているかどうかの差もあるといいます。球の転がりかたや跳ねかたなどは、それぞれの試合場の地面の状態によって変わるもの。事情を熟知しているほうが、エラーやミスは少なくなるという理論です。

選手の体力的な負担もちがってきます。3チーム以上のリーグ戦で、本拠地と敵地で行われる試合数が半分ずつとすれば、前の試合会場から次の試合会場への移動距離は、ふつう、敵地試合のほうが長くなります。

これらの代表的にいわれる要因から、こまごまといわれる要因まで、いろいろな要因が重なって、「本拠地試合のほうが強い」という傾向になっているようです。今年の中日は、いまのところこれらの要素が顕著に出てしまったのでしょうか。

なかには、「本拠地試合のほうが戦績がよろしくなかった」というシーズンの成績を記録するチームもごくたまにあります。

プロ野球では、2006年にパシフィックリーグでシーズン3位だった福岡ソフトバンクホークスが、本拠地試合(主催試合)で36勝28敗4分、敵地試合で39勝28敗1分となり、「敵地でのほうが強かった」という結果になりました。翌2007年にシーズン1位だった日本ハムファイターズも、本拠地試合(主催試合)で39勝30敗3分、敵地試合で40勝30敗2分と、わずかながら「敵地でのほうが強かった」という結果を残しています。

「本拠地では有利、敵地では不利」という常識がありながらも、その“反例”がないわけではないということです。常識的な理論を打ち破り「敵地でも有利」という条件を見つけるための糸口が、このような反例にはありそうです。もっとも「敵地のほうが強い」という成績を残すため「本拠地で手を抜こう」となっては本末転倒ですが。

参考ホームページ
日本野球機構オフィシャルサイト
| - | 23:59 | comments(0) | -
人や機械の手で呼吸を保つ
人は、からだの外の空気から酸素をからだに取りこんで、二酸化炭素をからだの外に出します。これは、呼吸とよばれます。

人の細胞は、ブドウ糖などをエネルギーにかえることで体温を保ったり、筋肉を動かしたりします。このときのエネルギーづくりに必要なのが酸素です。逆に、酸素が足りないと、人はこれらのことをすることができません。つまり、命をたたれるわけです。

しかし、人は肺で呼吸できなくなったり、呼吸がむずかしくなったりする場合があります。このとき、その人自身ではない外の手によって呼吸を保つ方法があります。これが人工呼吸です。

人工呼吸というと、呼吸が止まった人に対して、べつの人が呼気を吹きかけて呼吸を行う「マウス・トゥー・マウス」という方法があります。自動車運転免許の講習で方法を習います。

いっぽう、「人から人へ」でなく、人工呼吸器を使って呼吸を保つこともあります。



病院を舞台にしたテレビドラマなどでよく見られるものは、マスクで口の部分を覆って酸素を入れるもの。しかし、これ以外にも方法はあります。


交通事故で呼吸を確認できなくなったなど、より緊急なときには、気管挿管という方法がとられます。口または鼻から、管を入れて肺まで空気を送りこむ方法です。しかし、患者が無意識のうちに手で人工呼吸器を払いのけてしまうなどの突発的な事故が起こる危険もあります。一命をとりとめるための方法といえるでしょう。

いっぽう、より長い期間、呼吸を人工的に確保するときは、気管切開とよばれる方法が行われます。これは、喉元の下あたりに穴を空けて、そこに「カニューレ」とよばれる管を挿入します。この管から、酸素を入れて、呼吸を保つのです。

気管切開による方法は、長期間の人工呼吸が必要なときのほか、口や鼻から喉にかけてが閉塞しているときにも施されます。

また、呼吸を保つのとはべつに、肺に入った痰を吸い上げて外に出すためにも気管切開が行われることがあります。この目的で使われる管は「ミニトラック」とよばれ、カニューレよりは細くなります。

交通事故などの緊急事態、手術や手術後など、人工呼吸はさまざまな場面で使われます。いわゆる延命治療にも使われますが、その目的で使うのには家族を含む患者側にとってためらいが強いもよう。ある病院が「終末期の意思確認」を患者本人や家族に行ったところ、ほぼ全員が人工呼吸の装着を望まなかったといいます。望まない率は、胃ろうなどによる栄養摂取などよりも高かったともいいます。

“栄養が摂れるかどうか”より、“息があるかないか”を、“命があるかないか”と重ねあわせる人が多いのかもしれません。
| - | 18:04 | comments(0) | -
胃に“直接管”で栄養摂取


人は病にかかると、口から食べものや飲みものの栄養を摂ることができなくなることがあります。

たとえば、認知症や脳卒中などにより、みずからで食べものを飲みこむことができなくなることがあります。また、脳に障害はなくても、飲みこむための喉の内側の筋肉が弱くなっても、うまく飲みこむことができなくなります。

栄養を体に運ぶ入口のところで問題を抱えてしまう。このような患者は、栄養が摂れないために命を絶たれてしまうのでしょうか。

口から栄養を得なくても、体が栄養を得る方法がいくつかあります。

この場合、まず胃などの体にとりこんだものを消化する器官がちゃんと働くかどうかを見きわめます。働かない場合は、静脈に針を刺して、ここから栄養を体に入れていくことになります。

いっぽう、胃などがちゃんと動く場合は、ほかの栄養摂取法が選ばれます。

一時的に口から栄養を摂ることができないような場合は、鼻に管をさします。鼻水を“ごっくん”とすると飲みこめることからもわかるように、鼻の奥は、食道方面へとつながっています。鼻から管を入れて胃まで届かせ、栄養を胃に送りこむわけです。このような栄養摂取法は「経鼻チューブ」などとよばれています。

胃などの腸が働く場合、主流となっている栄養摂取法がもうひとつあります。「胃瘻」と書いて「いろう」といいます。「瘻」は、もともと首のあたりの腫れものを指すことばですが、胃ろうはこれとは内容が異なります。

胃の外側のお腹のあたりに直径5ミリほどの孔を空けます。あいた孔に、プラスチックの管を通します。胃の内側で風船をふくらますなどし、お腹の側で“ボタン”とよばれる器具をはめるなどして、管を固定します。

この管から、たんぱく質、脂質、糖質、ビタミンや微量元素などの栄養素が混ぜ合わされた液体を胃に直接入れます。

胃にしてみれば、口から食道を通って食べものがやってくるのも、胃ろうに通した管から栄養液が入ってくるのも基本的には変わりません。胃ろうの管から、胃が働いて栄養を消化するわけです。

病院で胃ろうをつくる手術をしたあと、高齢の患者は療養型の病院や、老人ホーム、あるいは自宅で、生活を送ることになります。使い続けていると、管が汚れてきたりするため、6か月に一度ほど、病院で注入器具の交換をします。

胃ろうは、1979年に米国の医師ミシェル・ガウドラーとジェフリー・ポンスキーがはじめて成功しました。以来、胃ろうを施す例が広がっています。日本で胃ろうが施された人は、40万人とも60万人ともいわれます。

口から栄養を摂れない場合、「ならば、胃ろうで」というのが、いまの医療の自然な流れになっています。

しかし、栄養を摂れない人に対して、ほぼ例外なく「ならば、胃ろうで」と、人工的に栄養を摂れるようにさせることが、自然な流れといえるのか、といったことは、議論にもなりつつあります。

高齢者が増えていくなか、より多くの人または家族が胃ろうに接する機会をもつことになるでしょう。

参考ホームページ
PEGドクターズネットワーク
| - | 19:45 | comments(0) | -
世界を追いかける“つくばナノテク”(4)

2010年6月30日(水)、「つくばイノベーションアリーナ」の第1回公開シンポジウムが開かれました。産業技術総合研究所、物質・材料研究機構、筑波大学、経団連などからの代表が、新しくできるナノテクノロジーの拠点に対しての抱負などを語りました。

今後、日本のナノテクノロジーはどうなっていくのでしょうか。ナノテクノロジーに携わる研究者や政策者などの間には、ここ3、4年ほど、“危機感”のようなものが漂っていたようです。背景には、海外のファンドリー拠点が強化されていくのに加えて、日本政府からの予算の支援に見あった成果がなかなか出てこないという焦りもあるようです。

日本の国としての科学技術の政策を決めるものとして、「科学技術基本計画」というものがあります。科学技術基本法という法律に基づいてつくられた計画で、2006年度から2010年度までは「第3期基本計画」の下で日本の科学技術は動いてきました。

第3期計画では、「重点推進4分野」として、「ライフサイエンス」「情報通信」「環境」「ナノテクノロジー・材料」という四つの分野にとくに税金を多くつぎ込んできました。社会や経済への貢献が高く、国民の関心も高いと判断されたからです。

第3期の期間は、あと6か月とすこしで終わりとなります。次に控えているのが「第4期科学技術基本計画」です。

計画を立てる内閣府の総合科学技術会議は、すでに第4期の計画の内容を固めるため、2009年10月から基本政策専門調査会を開いています。会議では、すでに第4期計画の基本方針案が示されています。

第3期の期間中、日本ではiPS細胞など生命科学分野での技術が大きく進み、また、地球温暖化対策も日本みずからがハードルの高い目標を示しました。状況は大きく変わってきたわけです。

これらのことから、第4期計画では「2大イノベーション」として「グリーン・イノベーション」と「ライフ・イノベーション」の推進を国家戦略の柱にそえることになりそうです。ひらたくいえば、環境対策に貢献する科学技術と、生命に貢献する科学技術をとくに推しすすめていくということです。

では、ナノテクノロジーへの支援はどうなるのでしょうか。環境対策や生命科学にナノテクノロジーが貢献するということはもちろんあります。しかし、2010年6月に示された第3期計画の基本方針案で「ナノテクノロジー」が登場するのは1か所。「国家を支え新たな強みを生む研究開発の推進」として、産業の基板を支える「新たな強み」の一例に「ナノテクノロジー」が登場するのみです。

これまでの流れからいえば、日本のナノテクノロジーが、かつての勢いを失いつつあるといってもよいのでしょう。その中で立ちあがろうとしている、ナノテクノロジーの一大拠点が、つくばイノベーションアリーナです。

危機があるときこそ、人びとは力を発揮して難局を乗りこえようとするもの。日本のナノテクノロジーが一歩も後退することのできない状況のなか、“つくばナノテク”は船出しました。了。

参考文献
文部科学省「科学技術基本計画について」(第3期)
総合科学技術会議基本政策専門調査会「科学技術基本政策策定の基本方針(案)」(第4期)
| - | 23:59 | comments(0) | -
世界を追いかける“つくばナノテク”(3)
 日本企業による半導体製造拠点「日の丸ファウンドリー」の構想は、2006年に立ちあがったものの、半年後、実現しないまま“終結”をむかえました。

海外で強力なファンドリーがつぎつぎとつくられていくなか、“日本発のナノテクノロジー技術の再建を”という夢が「つくばイノベーションアリーナ」に託されたかたちです。この拠点形成の運営最高会議には、産業技術総合研究所(産総研)、物質・材料研究機構(物材機構)、筑波大学のほか、企業界からも経済団体連合会(経団連)が加わっています。

つくばイノベーションアリーナでは、どのようなナノテクノロジー技術の研究開発が目指されるのでしょうか。鍵となる技術として浮かんでくるのが、「ビヨンドCMOS」です。

CMOSは、“Complementary Metal Oxide Semiconductor”の頭文字をとったもので、日本語にすると「相補型金属酸化膜半導体」となります。一つの基板のうえに、トランジスタ、抵抗、キャパシタ、ダイオードなどのいろいろな素子を集めてできる大規模集積回路(LSI)のなかで、重要な役割を果たす要素が「CMOSトランジスタ」です。

基板にのるいろいろな素子は、年を経るとともに微細化していきます。素子を小さくすれば、おなじ大きさの装置のなかに情報をより多く詰めこむことができます。コンピュータが小型化していき、いまではiPhoneやiPadがつくられるようになったのも、基板にのる素子が小さくなったからです。

CMOSトランジスタのオン・オフスイッチにあたる「ゲート」の長さは、いまや数十ナノメートルの段階まできました。シャープペンの芯を“とん”と白い紙に突いたときできる黒い点の、1万分の1ほどの大きさの素子がつくられているわけです。

しかし、CMOSトランジスタの微細化も限界にきているといわれています。これからもコンピュータの性能を高めていくため、微細化のほかの観点からCMOSトランジスタの性能を上げていく必要が出てきました。

いま、研究開発者のあいだでは、三つのトランジスタの性能を高めるための方向性がいわれています。

ひとつめは「モア・ムーア」というものです。「これからもCMOSの材料を新しいものに変えるなどして、CMOSの性能を上げていきましょう」という発想です。

コンピュータ技術の世界には、「集積回路におけるトランジスタの集積密度は18〜24か月ごとに倍になっていく」という経験則があります。微細化はいつも一定の割合で進んでいくというこの経験則を発見したのは米国インテル社のゴードン・ムーア。彼の名前にちなんでこの経験則は「ムーアの法則」とよばれています。ムーアの法則をさらに進める意味で「モア・ムーア」という言葉が生まれました。

ふたつめは「モア・ザン・ムーア」という方向性です。ムーアの法則による技術進歩をしのぐ「モア・ザン」の技術をつくりだそうとするもの。CMOSに新しい機能を追加したり、べつの機能が備わった素子と融合させたりすることで、“ムーアの法則の上を行く”技術進歩を目指すわけです。

「モア・ムーア」や「モア・ザン・ムーア」とはかなり異なる方向性が、みっつめの「ビヨンドCMOS」です。「ビヨンド」つまり“Boyond”は、「超えて」を意味する前置詞。「ビヨンドCMOS」は、「いつまでもCMOSの性能向上にとらわれるのでなく、CMOSとは異なる原理をうちたてて、CMOSの性能をはるかにしのぐ装置をつくりましょう」という考え方です。

これらのみっつの方向性は、正面から対立するわけではありません。いま進んでいる「モア・ザン・ムーア」の技術に、まだ進んでいない「ビヨンドCMOS」の技術を少しずつ融合させていくといった方法があるともいわれています。

いずれにしても「ビヨンドCMOS」となる技術を打ち立てることが、世界的なナノテクノロジーの競争では有効打になりそうです。つくばイノベーションアリーナにおける技術開発でも、とうぜん「ビヨンドCMOS」となる技術が目指されることになるでしょう。つづく。

参考文献
平本俊郎「Beyond CMOSとは?」『応用物理』2008年第3号
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世界を追いかける“つくばナノテク”(2)


「ファンドリー」という言葉があります。つくばで計画されているナノテクノロジーの新拠点「つくばイノベーションアリーナ」(TIA)でも、コアインフラのひとつに「ナノデバイス実証評価ファンドリー」というものがあります。

「ファンドリー」は英語では“Foundry”。もともと「鋳造所」や「鋳造工場」といった意味をもつことばでした。鋳造は、金属を型に流し込んで、金属の“もの”をつくることです。ナノテクノロジーを駆使する半導体づくりが行われる場所も「ファンドリー」とよばれるようになったのです。

いま、世界では、ふたつの半導体ファンドリーが巨大な拠点になっています。

ひとつは台湾にあります。「台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング」(TSMC)という会社が台湾の北西部、新竹のサイエンスパークに大きなファンドリーを構えています。

この会社は、1987年に設立されました。2002年に半導体生産の世界10位に入り、2008年末には、売上高が世界のファンドリーの2分の1を占めるまでに成長しました。

もうひとつの世界的なファンドリーは、米国にあります。

2009年3月、「グローバルファウンドリーズ」という企業が、カリフォルニア州サニーベールに立ち上がりました。米国の半導体製造業アドバンスト・マイクロ・デバイシーズ(ADM)に加えて、中東のアブダビ国が強力な出資を行い立ち上がった会社です。

同年9月には、世界第3位のファンドリーだったシンガポールのチャータード・セミコンダクターの株式を買収することを発表。翌2010年1月に、両勢力がひとつになり、いまグローバルファウンドリーズは、TSMCに次ぐ世界2位にまで駆けあがりました。

2000年代後半に入ってから、じつは日本でも大規模なファンドリーを立ち上げようとする動きがありました。

2006年、日立製作所、東芝、ルネサステクノロジが、「先端プロセス半導体ファウンドリ企画」という会社を設立し、企業の壁を超えた日本のファウンドリーを立ち上げようとしていました。この3社に、富士通とNECエレクトロニクスの2社も加わり、日本の半導体製造業が結集しようとしたのです。ファンドリーに付けられた名前は「日の丸ファウンドリー」。

しかし、わずか5か月後の2006年6月、先端プロセス半導体ファウンドリ企画は“解散”を発表しました。

参画した各企業の発表文には、次のような「結論」が書かれています。

―――――
(1)65ナノメートルの半導体製造に関しては、国内外の半導体ビジネスの状況等を考慮し、事業化を見送ること。

(2)45ナノメートル以降の半導体製造技術に関して、国際競争力強化の観点から、当該プロセス技術の半導体各社間での互換性向上の必要性を踏まえ、各社の設計資産が有効に再利用されるよう、プロセス技術の一定レベルの標準化をめざすことが望ましいこと。
―――――

(1)には、「いまは『日の丸ファウンドリー』をつくる時期ではない」という判断がにじみ出ています。(2)には、「解散するにしても、せめて企業間での技術の標準化は目指そう」ということを言っています。

もともと企業と企業は競業者どうし。すべての企業にとって利益があがるようなしくみをつくるのはむずかしいものがあります。拠点をどこにつくるか、人材をどのくらい投じるか、技術が他者に漏れるのをどこまで許すか。日本有数の企業、それも2社でなく5社が足並みを揃えるのは至難の業でしょう。

「日の丸ファウンドリー」の断念で日本企業が停滞しているうちに、TSMCは勢力を伸ばし、
グローバルファウンドリーズは立ち上がらんとしていたのです。つづく。

参考ホームページ
東芝2006年6月13日発表「半導体ファウンドリの事業化に関する検討を終結」
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世界を追いかける“つくばナノテク”(1)


茨城県つくば市といえば、日本でも有数の“研究学園都市”といわれます。筑波大学などの大学とともに、独立行政法人の研究機関がさまざま集まっています。つくば市が研究学園都市になることは、当時まだ“筑波郡”だった1963年に閣議で決まりました。

このつくば市に、あらたな科学技術関連の“拠点”としての顔が加わる予定です。つくば市にある、産業技術総合研究所、物質・材料研究機構、筑波大学が、つくば市に「世界的なナノテクノロジー研究開発拠点」をつくることで、昨2009年に合意しています。

ナノテクノロジーとは、「10億分の1メートル」を意味する「ナノメートル」の寸法を中心とした微細な加工技術のこと。小型化が進むコンピュータの開発などには、大切な技術となります。微細な加工を施して製品をつくるときは、材料になにを使うかも大切になります。もともともっている材料の機能性を活かせば、つくりたい製品に少しでも近づけることができるからです。

産業技術総合研究所(産総研)は、2001年、工業技術院や全国15の研究所を統合して立ち上がった日本最大規模の研究機関。研究職員が2300人以上います。2001年より、経済産業省の傘下からはなれ、独立行政法人になりました。

物質・材料研究機構(物材機構)も、つくば市内にある独立行政法人の研究所。こちらも2001年、金属材料技術研究所と無機材質研究所という二つの研究所が統合されて立ち上がりました。物質や材料などの研究開発をおもに行っています。

世の中に最も知られているのは、筑波大学でしょう。つくば市内に広大な面積をもちます。「産・学・官」の連携をとりながら学際領域の最先端研究を推進するため機関「先端学際領域研究(TARA)センター」などが、ナノテクノロジー研究を推し進めてきました。

産総研、物材機構、筑波大学は2009年6月、日本経団連の参加も得て、「つくば市に世界的なナノテクノロジー研究開発拠点を形成する」ということで合意したのです。

具体的には、「つくばイノベーションアリーナ」(TIA)という研究開発拠点が、つくば市内の産総研と物材機構の構内に整備される予定。たてものの概要などはまだ明らかになっていませんが、重点的に行う研究は、「5つのコア領域」として予定されています。

5つのコア領域とは、「パワーエレクトロニクス」「ナノエレクトロニクス」「N-MEMS」「ナノグリーン」「カーボンナノチューブ」「ナノ材料安全評価」。N-MEMSとは、“Nano Micro Electro Mechanical Systems”のことで、ひとつの基板のうえに、電子素子、センサ、電子回路などを集めたもので、微細な加工技術が使われます。

さらに、つくばイノベーションアリーナの計画では、中心となるナノテク関連の設備やネットワークとして「3つのコアインフラ」もあげられています。「ナノデバイス実証評価ファンドリー」「ナノテク共用施設」「ナノテク大学院連携」です。

ナノテクに携わってきた日本の民間企業も、つくばイノベーションアリーナに参画する予定。三菱電機、東芝、日立製作所、富士通、日本電気などの電機製造業や、トヨタ、日産自動車、本田技研工業などの自動車製造業も「想定参画企業」に名を連ねています。

国も、経済産業省や文部科学省がナノテク拠点の形成を支援します。2008年度と2009年度、2省合計で182億円の補正予算を盛り込みました。

まさに、“オールジャパン”体制で、ナノテクノロジーの研究開発拠点が日本のつくば市に生まれようとしているわけです。

とはいえ、いまになって、なぜナノテクノロジーの世界的拠点が生まれようとしているのでしょうか。背景はいろいろあります。つづく。

産業技術総合研究所2009年6月18日発表「つくばナノテクノロジー拠点形成の推進について」はこちら。
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100歳以上の高齢者、遺伝子の謎も


100歳以上の高齢者のありかを、市役所などの自治体があまり把握できていなかったことが話題になっています。世の中の影の部分が映しだされたかたちです。

100歳以上の年齢の方は、英語で「センテナリアン」とよばれています。日本語でも「百寿者」などとよばれています。「寿」という字が含まれているという点に、やはり長生きは喜ばしいことという意味が込められています。

学問にも、長寿の秘訣を研究する「高齢学」や「長寿学」といった分野があり、研究がされています。

しかし、長寿には謎の部分もまだまだ多いもよう。高齢学に詳しい研究者は、「センテナリアン・パラドックス」とよばれる現象が百寿者には見られると話します。

「センテナリアン」は「百寿者」のこと。いっぽう、「パラドックス」は、一般的に正しいと思えるような話とは逆の説。「逆説」ともよばれています。

ある人が、病気になる危険がどれだけあるかは、おもに遺伝的な要因と、環境的な要因によって決まります。遺伝的な要因とは、父や母などから受け継がれた遺伝子の性質による病気の原因のこと。いっぽう、環境的な要因とは、たばこや食事などの生活習慣やストレスといった、外的な病気の原因のこと。病気の種類によって、遺伝的要因の影響が強いか、環境的要因の影響が強いかはかわってきます。

とはいえ、病気になりやすい遺伝子を父や母から受け継げば、やはり自分も病気になる危険は高くなるもの。

しかし、百寿者たちの遺伝子を調べてみると、みなさんはかならずしも長寿のために有利な遺伝子をもっているというわけではないのです。むしろ、100歳以上まで生きる人は、長く生きるうえでは不利になるような遺伝子を多くもっている場合のほうが多いといいます。

なぜ、長生きに不利な遺伝子を多くもっているにもかかわらず、なぜ百寿者は100歳以上の長生きをすることができるのでしょうか。

説はいろいろと出ています。

長生きをするのに不利な遺伝子をもっているけれど、その分まだ解明されていない長生きに有利な遺伝子ももっているのではないかという説があります。

また、不利な遺伝子をもちながらも、それをあり余って克服できるほど生活習慣がよいとう人もいるのではといわれています。

しかし、センテナリアン・パラドックスの謎は、まだ完全には解明されていません。

今回の「消えた100歳」問題のような社会的な謎とともに、100歳上のお年寄りには、「センテナリアン・パラドックス」のような科学的な謎もまだおおくあるようです。
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空気の循環に、ななめ向きの風で、台風発生。


沖縄県の南海上で台風が発生しました。通常の台風にくらべると、やや北の緯度で台風が発生したことになります。

気象庁による台風の説明は、つぎのようなもの。

「熱帯の海上で発生する低気圧を『熱帯低気圧』とよびますが、このうち北西太平洋(赤道より北で東経180度より西の領域)または南シナ海に存在し、なおかつ低気圧域内の最大風速(10分間平均)がおよそ17メートル毎秒(34ノット、風力8)以上のもの」

熱帯低気圧が成長すると台風になるわけです。

海面の温度が26.5度以上であることなど、台風が生まれるための条件はいくつか知られていますが、発生のしくみそのものにはいくつかの説があります。有力なのは「偏東風波動説」という説です。

赤道付近は暑いため、空気が温められて上のほうへとのぼっていきます。この空気は北へと向かい、北緯30度付近の上空でたまります。北緯30度というと鹿児島県の種子島あたり。

空気がたまるということは、空気がたくさんあることを意味します。またの名は高気圧。夏場、日本の太平洋上、北緯30度付近で勢力をはる高気圧は「太平洋高気圧」あるいは「北太平洋高気圧」といいます。

高気圧で空気がたまりすぎれば、よぶんな空気をどこかに出さなければなりません。そこで、上空にたまった空気が下へと降りていき、海面のほうへ吹き出していきます。この空気が海面付近にたどりつくと、空気は海の中には潜っていけないため、赤道付近へと戻っていきます。

つまり、赤道から北緯30 度付近にかけては、空気が循環しているのです。

もし、地球が静止していれば、この循環する空気は、ただ南と北を行ったり来たりするだけ。しかし、地球は自転をしています。空気の循環する向きに、ななめの向きが加わります。北緯30度付近から赤道ちかくにかけては、「偏東風」または「貿易風」とよばれる、東向きの風がつねに吹きます。

台風の発生には、この偏東風が鍵となります。海水温が高いことと、激しい上昇気流があることで、もくもくと積乱雲が発生しますが、ここに偏東風が加わると空気に渦が生まれるようです。

こうしてできた積乱雲の渦こそが、熱帯低気圧つまり台風のたまごということになります。8月は、台風の発生数が1年で最も多い月です。

参考ホームページ
気象庁「台風とは」
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天竜川、諏訪湖に始まる。
湖は、川の河口にもなり、川の源流にもなります。川からの水が湖に注がれ、また、湖の水が川に出ていくわけです。

長野県の岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市にまたがる諏訪湖も、川から水が注ぎ込み、また別の川に水が流れていきます。

諏訪湖に水を注ぐほうの川は、15の一級河川、5の準用河川、11のその他普通河川で、合計31本の川があります。大きな川には、湖畔の南東側に注ぐ上川、おなじく南東側に注ぐ宮川などがあります。

いっぽう、諏訪湖から水が出ていくほうの川は、有名な天竜川のみ。諏訪湖畔の西側、岡谷市の水門から天竜川の流れははじまり、南へと進み、静岡県浜松市の太平洋まで213キロを流れていきます。


天竜川、奥が諏訪湖

諏訪湖にある天竜川のはじまりの水門が、釜口水門です。水の流出量を調整しています。

初代の釜口水門は、1937(昭和12)年に完成しました。水の流れを塞きとめる水門をつくるには大量の土砂が必要。そこで、いまの岡谷市にあたる旧・平野村には、土砂のあった川岸三沢という地区から、約3キロに鉄道を敷いて、トロッコで土砂を運ぶことになりました。

村は、1924(大正13)年に米国ヘイト・ルート・ヒース社でつくった当時最新鋭の機関車を購入していました。この機関車に引かれた20台ほどのトロッコが、川岸三沢と釜口水門工事現場を行き来しました。

その後、1950(昭和25)年た1961(昭和36)年に諏訪湖で大洪水があり、諏訪湖の治水のあり方が見直されました。そこで1988年、天竜川への流れ込み口に「新釜口水門」がつくられました。

釜口水門近くにある湖畔の公園には、諏訪湖と天竜川の治水の礎を担った機関車が展示されています。


参考文献
長野県諏訪建設事務所『みんなで知ろう「諏訪湖のあゆみ」』
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絹糸、織り、模様でさまざまな絹織物


絹糸のおもな使い道は、絹織物にすることです。

日本には、さまざまな絹織物の様式があります。経糸に生糸を、緯糸に濡らした生糸を織りこむ羽二重(はぶたえ)。経糸に撚りのない生糸を、緯糸に糊つけの生糸を使って織る縮緬(ちりめん)などの種類があります。

経糸と緯糸をどのように、縦横に重ねあわせるか。その種類はおもに三つあります。

基本的なものは「平織」(ひらおり)。経糸2本、緯2本を最小単位にして、上下に交叉させながら織る方法です。

「斜文織」(しゃもんおり)は、経糸が緯糸を、また緯糸が経糸を、何本分か跨ぐなどしますが、その交点が斜めの方向に連続していきます。「綾織」(あやおり)ともいいます。

「朱子織」(しゅすおり)という織りかたもあります。経糸と緯糸5本以上から構成される織り方で、経糸または緯糸のどちらかが表側に出る面積が多くなります。光沢を出せるのが特徴です。

このようにして、織られた織物には、模様がほどこされることがあります。模様のつけかたはふたつ。

ひとつめは、平織や斜文織などの織りかたのパターンを変えて模様をつくるなどする、織り模様。これには、2種類以上の色糸を使って模様をあしらう縞、金銀糸を織りこんだ錦、かすったような模様を織りだす絣(かすり)などがあります。

ふたつめは、植物などからとれる色素の染料で染め上げる染め模様です。

使う絹糸の状態、経糸と緯糸の絡ませかた、模様の入れかたによって、多種多様な絹織物ができるわけです。

参考文献
日本絹業協会 ジャパンシルクセンター『シルクの手引書』
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粘り気を活用して絹づくり


蚕が口から出す一本の糸は直径0.02ミリメートル。くもの糸とおなじく手でちぎることができます。この細い糸が束ねられて、絹糸という丈夫な糸になります。

蚕が出す1本の糸を金太郎飴づくりのように切ってみると、真ん中に2本の束があり、そのまわりを別の物質がとりかこんでいることがわかります。ちょうど「θ」の字のような断面をしています。

真ん中に走る2本の束は「フィブロイン」とよばれる物質。フィブリルとよばれるタンパク質の繊維が束になったものがフィブロインです。グリシン、アラニン、セリン、チロシンといったアミノ酸からできています。

いっぽう、2本のフィブロインの束を囲んでいるのが「セリシン」。こちらも、タンパク質でできています。

蚕が口から出した糸をさわると、ねばねばとしています。これは、糸の外側のセリシンによるもの。この粘り気があるからこそ、蚕は丸い繭をつくることができるのです。

絹糸をつくりたい人間にとってみれば、セリシンの粘り気はじゃまな存在。そこで、人間は、絹糸をつむぐ前に繭を煮ます。セリシンは熱湯に入れると、完全にではありませんが、溶けていきます。

セリシンが溶け出した繭を、「みごぼうき」という手で持てる大きさの“ほうき”でなでると、繭の糸がからみつきます。このなかから長くたぐるための糸口を見つけ出します。

この作業を、数本の繭糸に対して行います。数本分の繭糸を束ねて絹糸にするためです。

粘り気のあるセリシンは、完全に溶けているわけではないので、数本分の繭糸を束ねると、糸どうしがよく合わさります。さらに、束になった繭糸を乾かすと、セリシンがかたまってきます。セリシンがちょうど接着剤の役割をして、丈夫な絹糸ができるわけです。

体長5センチメートルほどの蚕が出す糸は1200メートルほど。蚕の糸づくりの力と、たんぱく質の性質があって、人間は絹糸をつくることができるのです。

参考ホームページ
岡谷インターネット美術館「製糸のおはなし」
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“水からの伝言的”実験計画を女の子が紹介


小学校の夏休みも、そろそろ後半。“自由研究”のテーマを決めておくべきころとなります。

早朝の民放テレビの情報番組では、小学生にマイクを向けて「夏休みの自由研究はなにをするの」と取材していました。

子どもたちがそれぞれの計画を披露しているなかで、こんな研究内容をカメラに向かって話す女の子がいました。

「おなじ草を2本うえて、片方にはほめ言葉やよい言葉を話しかけながら育てて、もう片方にはなにも話しかけないで育てて、2本の花がどう育っていくか、ちがいを見るの」

女の子はカメラの前ですこし照れながらも、眼ざしは真剣です。自由研究が計画どおりに進めば2学期のはじめには、学校の先生に研究結果を提出するのでしょう。

片方の対象物によい言葉を浴びせかけて、もう片方の対象物にはよい言葉を浴びせかけない、という内容は、『水からの伝言』という写真集を連想させます。この写真集は、水の結晶に対して「ありがとう」などの“よい言葉”を話しかけると美しい結晶が観察でき、「ばか」などと“悪い言葉”を話しかけるとかたちの乱れた結晶が観察できる、ということをメッセージにしたものです。

いまの科学からすれば、とうていありえない内容ながら、本のメッセージが市民の共感をよび、ベストセラーになりました。

この女の子の自由研究では、水の結晶に話しかけるのでなく、植物に話しかけるわけです。実験の結果はどうなるでしょうか。

女の子が、夏休みの終わりごろまでこの実験にまじめにとりくむとすれば、予想される結果はふたつに場合わけできそうです。

ひとつめは、「2本の草とも、育ち方に差はなかった」というもの。2本の草が8月の下旬までに、花を咲かせるか、花を咲かせないかはべつにして、おなじくらいに背が伸びて、おなじくらいに葉っぱが広がって、大きな差は見られなかったという結果です。

この結果は、『水からの伝言』の内容がウソだと信じている人に「あたりまえだ」と認められるようなものです。「『ありがとう』などと言葉をかけても、かけなくても、水さえあたえれば植物はふつうに育つに決まっているでしょう」。

ふたつめの考えられる結果は、「よい言葉を話しかけて育った草は育ったのに対して、よい言葉を話しかけないで育てた草は育ちが悪かった」というものです。

この結果は、『水からの伝言』の内容がウソだと信じているような人にとっては納得の行かないものとなるでしょう。「話しかける言葉がどうかなんて、関係ないはずだ」。

話しかける言葉がどうかは、関係ないのでしょう。しかし、水やりのしかたには、影響がでてくるかもしれません。

もし、女の子が、「よい言葉を話しかける草のほうが、きっとすくすく育つんだよ」という思いが強ければ、無意識に水のやりかたに差をつけることになるかもしれません。自分では意識しないまでも、よい言葉を話しかけているほうの草には水を適量やり、よい言葉を話しかけないほうの草には適量より少ない量の水をやるわけです。

やる水の量はおなじにする決まりがあったとしても、よい言葉を話しかけているほうの草にはじょうろの口を向け、よい言葉を話しかけないほうの草にはじょうろの口をそらすかもしれません。

『水からの伝言』よりもまして、実験者の思いが実験のなかみに影響を与える可能性が高いのが、この女の子のやろうとしている実験です。

この実験の内容は、女の子自身が思いついたのか、まわりの大人からあたえられたのかはわかりません。大人である番組スタッフが、ほかの子どもたちが紹介した自由研究と横ならびに紹介したのは事実です。

「よい言葉を話しかけて育った草は育ったのに対して、よい言葉を話しかけないで育てた草は育ちが悪かった」という結果が出たとき、この実験は科学的ではないということを、大人はどのように説明するでしょうか。それとも、説明しないでしょうか。
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箸の使用に“自然発生説”あり


8月4日は、語呂どおりの「箸の日」。東京・赤坂の日枝神社では毎年、箸を燃やして感謝し、無病息災を祈る「箸感謝祭」が行われます。

食べるための道具として、箸は中国の前漢時代(紀元前202-紀元8)より前から使われていたといわれます。箸文化はまわりの地域へ。いまでは、ベトナム、朝鮮半島、日本などの東アジア文化圏で箸がおもに使われています。

日本では、飛鳥時代の7世紀に大陸から箸がわたってきたというのがよくいわれる説。しかし、これとは異なる説もあります。輸入ものでなく、箸は日本でも自然に発生したのではないかというのがその説です。

平安時代につくられた辞書には、「箸」という字は「上」または「助」と発音するということが書かれてあるといいます。これととともに「箸」については、「波之」あるいは「波志」と書いて「はし」とよむ和名もすでに存在していたのです。

つまり、道具としての箸とともに「箸」という字が日本に伝わるよりまえから、すでに「はし」とよばれていた道具が日本に存在していたのではないか。「箸」という字が日本に伝わると、日本人はこの「箸」という字にも「はし」というよびかたを付けたのではないか、というわけです。

二本で使う箸は、スプーンとちがって、“指の延長”として“つまむ”という作業の役割も果たします。それだけではありません。切り分ける、挟む、すくい上げる、巻き付ける、ほぐすといった、指でできる技は、箸を使ってもできるのです。“道具”というよりも“指の延長”。そのように考えれば、たまたま落ちていた二本の木の棒などを使って、指の動作をまねしてみた古の日本人がいても、不思議ではありません。

参考文献
「いにしえの心 科学散歩」『サイエンスウインドウ』2010年春号
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終末期医療の優先順位は、患者の意志、家族の推定意志、医者の判断。


死期が近づいている患者やお年寄りに行われる医療は、「終末期医療」といいます。医療の基本方針が「病気を治す」という点だったことからすると、早晩、死を迎えることがわかっている患者を対象にする終末医療は特別な医療ともいえます。

死を直前にした患者がどう余命をすごすかは、とうぜん患者の意志で決めるべき問題です。しかし、患者の病が重くて、家族や医者と意思疎通がはかれず、患者本人の意思を伝えられないという場合もあります。そのため、終末医療の中味をどのように決めるかが問題となっています。

厚生労働省は、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を2007年につくり、示しています。

もっとも大切な原則としてあるのはインフォームドコンセント。「医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされ、それに基づいて患者が医療従事者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本としたうえで、終末医療をすすめること」とあります。

具体的な方法は、「患者の意志が確認できる場合」と「患者の意志が確認できない場合」にわかれます。

まず、患者がどのような最期を希望しているかがわかるときは、当然ながら患者本人からの石が最優先されます。ガイドラインは、患者と医者側が話しあいをじゅうぶんにおこない、その合意内容を文書にしてまとめておくことを方針としています。

ときが過ぎるとともに、患者の意志が変わっていくこともあります。医者側のすべきこととして、「その都度説明し患者の意志の再確認を行うことが必要である」としています。

いっぽう、より難しいのは、患者の意志が確認できない場合です。

まず、患者の家族が、患者本人がどのような治療を受けることを”望んでいそうか”を推し量れるときは、その「推定意志」を尊重して、最善の治療方針をとることが基本となります。

家族にも患者の意志がつかめないこともあります。その場合は、家族と医者がじゅうぶんに話合って、患者にとって最善の治療方針をとることが基本となります。

患者の家族がいないという場合もあります。また、多く考えられることとして、患者の意志がわからないながらも、家族が「医者である先生におまかせします」と医者側に治療を委ねる場合があります。この場合は、医者側が、患者にとっての最善の治療方法をとることが基本。医者の終末医療の方針がとても重要になってくるわけです。

厚生労働省は、「終末期医療のあり方について、患者・医療従事者ともに広くコンセンサスが得られる基本的な点について確認をし、それをガイドラインとして示すことが、よりよき終末期医療の実現に資するとして、厚生労働省において、初めてガイドラインが策定されました」と、このガイドラインをつくった理由を述べています。

厚生労働省「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」はこちら。
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「タージマハール新橋店」のターリー――カレーまみれのアネクドート(24)


「タージマハール」といえば、インド北部のアグラにある“みたまや”。ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハンが愛する妃のために建てたとされています。そんな「タージマハール」が、東京のサラリーマンのメッカ、新橋にもあります。

新橋駅から南西に歩いて10分。繁華街のはずれにあるインド料理屋です。日本のインド料理屋「タージマハール」という名は、さながら海外の寿司屋に“Fuji”などと名がついているようなものなのでしょう。

赤い看板のある入口から階段で地下の店へ。

店の中には、日本のすだれが掛かっていたり、西欧のクラシック音楽が流れていたり、インドカレーの香りがただよったり。国際的な雰囲気がただようのは、意図的というよりも結果的です。

この店のメニューは、「大皿」を意味するターリーのセット、または、カレーの単品が中心。タリは、カレー2種類と、鶏と豚の肉を焼いたもの、サモサ、サラダ、チャパティ、そして薄く色のついたサフランライスが大皿に盛られています。

カレーは、チキン、ポーク、ビーフ、チャナ豆などから選べ、さらに辛さも甘口、中辛、辛口の3段階があります。チャナ豆は、小指の先の大きさほどの丸い豆。小皿に20粒ほど入っています。

ルゥは、サフランライスの中にしみ込んでしまうほど、さらさら。タージマハールは北インドにあるものの、ルゥのさらさら度は南インドのカレーです。辛口のルゥは、スパイスが皿の底のほうにたまるのか、食べていくうちにだんだんと辛くなり、最後のほうは激辛に。

辛いカレーを求めて店に来る客も多いもようです。「タージマハール新橋店」の食べログ情報はこちら。
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