科学技術のアネクドート

「仕上げは朝にやってくる」
朝というと、たいていの人にとって一日の仕事などがこれから始まろうとする時間帯です。しかし、朝に“しあげ”がなされるできごとが、人の体のなかでは起きるといいます。

朝の7時ごろから9時ごろまでの時間帯は、脳卒中で倒れる人がとりわけ多いといわれています。

脳卒中は、脳の血管の異常で、細胞が死んでしまう病気。具体的な病気としては、血管が詰まる脳梗塞と、血管が破れる脳出血がおもにあります。高血圧や、脂質異常症などの生活習慣病が脳卒中のおもな原因です。

人が脳卒中になるまでには、血管の中での過程があります。

高血圧や脂質異常症などの人の血管は、壁にプラークというどろどろした脂肪のかたまりが引っかかりやすくなっています。プラークが壁にじょじょにこびりついていくと、ぼろっとはがれるときがあります。


プラークがはがれた壁には、血小板という血液の成分(上の写真)が寄ってきます。皮膚の傷ついたところに集まって修復しようとします。皮膚から血が出たとき、かさぶたができるのは血小板の働きによるもの。これと似たことが、プラークがはがれたあとの血管の壁でも起きるのです。こうしてできた固形物を、血栓といいます。

かさぶたを想像すればわかるとおり、血小板が集まった表面はかたくなります。これと似たものが血管の壁に血栓としてできるわけです。血管は血液の通り道。道の途中に堅い血栓ができれば、血が流れるじゃまとなります。

そして、この血栓で血管が詰まると、脳梗塞となり、それより先の細胞に酸素や栄養が運ばれなくなり、細胞が死んでしまうわけです。半身不随などの重い後遺症が起きる場合があります。

プラークがはがれて血栓ができるという現象が起きる時間帯として多いのが朝です。人は朝、目覚めると活動するために自然に血圧が急に高くなります。

血圧が高くなると、血の流れ方が急に速くなり、これがプラークをはがす引き金となります。

夜から朝にかけて、血管の内側にじょじょにたまっていったプラークがぼろっとはがれて血栓ができ、脳卒中が起きる。この「仕上げ」の作業が行われるのが、朝というわけです。

「朝の仕上げ」を考えれば、朝の急激な活動はなるべくなら避けたいところ。しかし、通勤ラッシュやきょうもあしたもつづきます。
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人の心も引き寄せる


「琥珀」には、“古きよきもの”や、“懐かしいもの”といった意味あいが付いてまわります。これは、黄や茶をおびた色感や、太古の産物であるという経緯などから、うまれてくる印象なのでしょう。

琥珀は、地中のなかに埋もれた木の液などでできた化石のひとつです。宝石としても扱われており、宝石言葉は「喜び」「社交性」「人間関係」「柔軟」「創造」などとされています。美しい琥珀色からは、このような言葉が連想されるのでしょう。

電気との関係も深いものがあります。英国の物理学者で「磁気学の父」ともいわれるウイリアム・ギルバート(1544-1603)は、「電気」の語源である「エレクトリック」という言葉をつくりました。ギルバートは「エレクトリック」に「引き寄せられる」というもの性質の意味をあたえたのでした。そして、この「エレクトリック」は、「琥珀」を意味するギリシャ語「エレクトロン」から来ています。

紀元前のギリシャでは、すでに琥珀は貴重な装飾品として扱われていました。琥珀のことを詳しく知る人々は、琥珀を毛皮でこすると羽毛やほこりが引き寄せられていくことを知っていました。

琥珀による不思議なこの現象にはじめに言及したのは ギリシャ最古の哲学者タレス(紀元前6世紀ごろ)だったといわれます。著述はなく、すべて口述されたことばを弟子たちが受け継いでいったとされており、諸説はあります。

羽毛やほこりを吸い寄せるこの力は、いまでは静電気がおきたことによるものと解明されています。ものの表面でじっとしている電気が静電気。ものとものが摩擦することによっても起きます。

静電気を帯びているということは、その物体がプラスの電子またはマイナスの電子をため込んでいるということ。たとえば、物体の表面マイナスの電子をため込んでいると、その物体の近くにある別の物体の表面にはプラスの電子が集まって、マイナスの電子に近づこうとします。そして、実際に近づき、くっついてしまうこともあります。マイナスの電子が、プラスの電子が引かれあったため、ひとつの物体がもうひとつの物体を吸い寄せたのです。

ギルバートは、琥珀とは別の物体でも、こするとほかの物体が吸い寄せられることをしっていました。しかし、かつてから琥珀がほかの物体を吸い寄せるという話をしっていたため、この性質に、「琥珀」が語源の「エレクトリック」をあたえたのでしょう。琥珀は、ギルバートの好奇心も引き寄せていたようです。

参考文献
谷辰夫「歴史に学ぶ(1)電気の起源」『東京理科大学科学フォーラム』2003年6月号
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男性「65IU/L」以上、女性「27IU/L」以上は危険域


健康診断は、病気を予防したり早めに見つけたりするために医師が行う診断のこと。「健診」(けんしん)と略されることがあります。

にたことばに「検診」があります。こちらは、「がん検診」や「生活習慣病検診」などのように、特定の病気を早く見つけて治療するための手段のことです。

健康診断では、体についてのさまざまな数値が単位を伴って結果票に示されます。一般に知られているのは、肥満の度合をはかるBMI(ボディ・マス・インデックス)や、血圧の値などですが、知っているようで細かくは知られていない、でも知っておいたほうがよい、数値と単位があります。

お酒をよく飲む人は、肝臓検査の値を気にするほうがよさそうです。指標となるものは「γ-GTP」という酵素がどれだけ血液の中に含まれているか。γ-GTPは「ガンマ・グルタミルトランスペプチターゼ」のことで、肝臓などの細胞が壊れていると、それだけ多くの量が血液に流れ出てきます。

γ-GTPの単位は「IU/L」。「L」は血液の量を示すリットル。「IU」は、習慣的に使われる実用単位のひとつで「国際単位」といいます。男性で65IU/L以上、女性で27IU/L以上になると、アルコール性肝障害や慢性肝炎などの病気が疑われます。

血中脂質検査の値である「総コレステロール値」も、単位や基準についての知名度は薄いもの。総コレステロール値は、採取した血液に含まれるコレステロールの総量。コレステロールには、「悪玉」(LDL:Low Density Lipoprotein)と「善玉」(HDL:High Density Lipoprotein)があります。さらに、中性脂肪値という別の数値も登場して、次の式であらわされます。

総コレステロール値を計算する場合は、「総コレステロール値=悪玉コレステロール値+総善玉コレステロール値+中性脂肪値の20%」。

悪玉コレステロール値を計算する場合は、「悪玉コレステロール値=総コレステロール値−総善玉コレステロール値−中性脂肪値の20%」。

コレステロールの単位は「mg/dL」。「1デシリットル」の血液の中に、コレステロールが何ミリグラム含まれているか、です。総コレステロールが219mg/dL以上だと脂質異常症や甲状腺機能低下症が疑われ、逆に130mg/dL以下だと逆に甲状腺機能亢進症や低栄養などが疑われます。

単位が意味するところを覚えるのはかなり難しいもの。単位が覚えられなくても、数値だけは覚えておくとよいかもしれません。

参考ホームページ
東京慈恵会医科大学付属病院(本院)「健診結果票の正しい見方」
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泣きピタに「赤ちゃん新聞」をカシャカシャ


ぐずっている赤ちゃんをいかに泣きやませるかは、お母さん・お父さんの勝負のしどころ。ちかごろでは、赤ちゃんが泣くのをピタと止める「泣きピタ」の技術がママの間で競われているようです。

乳幼児のおもちゃをつくる「ピープル」は、「赤ちゃん新聞」という“新聞”を“発行”しています。

白い布の表と裏に印刷された記事。この新聞の特徴は“音が鳴ること”です。

新聞を手にとると、表の布と裏の布に挟まれた素材が、“カシャカシャ”と音を立てます。

この“カシャカシャ音”は、赤ちゃんを泣きやませるのに向いている音とのこと。実際に使っている、7か月の赤ちゃんのママいわく、「たしかに、泣きやむ効果はあるかも」とのこと。

赤ちゃん新聞の記事にもそのことが。「『レジ袋のカシャカシャ音』を聞かせるとぐずっている赤ちゃんが泣きやむって話を読んだので早速ウチの子にためしてみました。すると、不思議なくらいピタッと泣きやむんです」。

赤ちゃん新聞のカシャカシャ音は、レジ袋などのカシャカシャ音よりも強調されており、むしろ“カチャカチャ”といった音が聞こえてきます。

「泣くのは赤ちゃんの仕事」とはいいますが、ママやパパにとっては時や場所を選ばない赤ちゃんの“ぐずり”をあやつれるかは大切なこと。「どうすれば泣きやむのか」といった“泣きピタの技術”が出そろうにつれて、「そもそもなぜ泣きやむのか」といった“泣きピタ”の科学が進む期待も高まります。

「ピープル」のホームページはこちら。
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拾えばさまざま、“ニュースなワクチン”


(2010年)6月24日の記事「『世界最高の偽薬検査』結果で“ワクチン不信”を打ち消す」で、日本では副反応が心配されすぎる風潮があり、ワクチンはあるものの使われていない現状があること伝えました。

“使い切れていないワクチン”を含め、ニュースになっているワクチンはさまざまです。

「子宮頸がん予防ワクチン」は、子宮頸がんという女性のがんを予防するためのワクチン。子宮頸がんは、原因がほぼヒトパピローマウイルス(HPV)であると特定されているめずらしいがんです。とくに、HPV16型とHPV18型という型が、子宮頸がんの主な原因。この2つの型のウイルス感染を防ぐのが子宮頸がん予防ワクチンです。

半年のうちに3回接種する必要があり、費用の合計は約5万円と高額。そのため、いま、ワクチン接種費用の助成する自治体が増えています。

「インフルエンザ菌b型ワクチン(Hibワクチン)」は、名前に「インフルエンザ」とつくものの、インフルエンザウイルスとは関係ありません。インフルエンザ菌b型は、脳や脊髄を覆う髄膜に感染して髄膜炎という病気を引き起こす病原菌。4歳までの子どもがインフルエンザ菌による髄膜炎を多く発症し、発熱、嘔吐、けいれんなどの症状を起こします。重い場合は、発育障害などの後遺症や死をもたらすこともあります。

日本ではHibワクチンは2008年12月から接種できるようになりました。2〜7か月の子どもに、4〜8週間の間隔で3回注射します。さらに1年をおいてもう1回注射します。

「三種混合ワクチン」は、ジフテリア、百日ぜき、破傷風という、子どもがかかりやすい三つの病気を予防するための混合ワクチンです。“Diphtheria”、“Pertussis”、“Tetanus”の頭文字から、「DPTワクチン」ともよばれます。3〜12か月の子どもに、3〜8週間間隔で3回注射します。

「麻疹ワクチン」は、麻疹(はしか/ましん)を予防するためのワクチンです。麻疹ウイルスという感染力の強いウイルスが原因で、発熱や発疹が主な症状。患者の1000人に1人は重症化して脳炎が起きます。5〜6歳の子どもがかかりやすいものの、2007年には10〜20歳代にも流行しました。

麻疹ワクチン接種が有効な予防法ですが、最近では子どものころ予防接種をした人が大人になってから感染する例も見られます。麻疹と似た症状の風疹を予防するワクチンとの混合ワクチンとして用いられる場合もあります。

「口蹄疫ワクチン」は、牛、豚、山羊、羊などの動物の間でウイルス感染する口蹄疫の拡大を食い止めるためのワクチンです。2010年に宮崎県を発端とする口蹄疫では、ワクチン接種を受けたあと家畜の殺処分が義務づけられました。被害を受けた酪農家への保証や支援が国や自治体の急務となっています。
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生物多様性の恩恵、薬でも。
2010年は、名古屋で生物多様性条約国会議が開かれる年。「生物多様性」という知識や概念について、今後いろいろなメディアで扱われることでしょう。

人は、生物多様性あるいは生態系の恩恵を、さまざまな場面で受けているといいます。生物の多様性から“もの”を供給してもらえるというのも、そのひとつ。

たとえば、薬はかつて、自然にある草木などの成分を取り出したものでした。これを塗ったり飲んだりして使います。漢方薬はいまも使われています。

虫さされの薬として使われるザゼンソウです。

下痢に効くとされるオミナエシです。


あかぎれを治すシュンランです。

自然そのものが、化学物質の宝庫といえます。ある植物が虫に餌にされるのを防ぐため、その虫が苦手とする化学物質を進化の中でつくり出す。こうした生物と生物の関係が無数にあるおかげで、人はそのうちいくつかの化学物質を薬としても使わせてもらっているのです。
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「世界最高の偽薬検査」結果で“ワクチン不信”を打ち消す


(2010年)6月23日(水)、東京・内幸町の日本記者クラブで、「ワクチン予防医療フォーラム」の第2回公演会が開かれました。主催は、ワクチン予防医療フォーラム。後援は、日本小児科学会と第一三共製薬。

日本赤十字医療センター小児科顧問の薗部友良さんが、「ワクチンの必要性と安全性 副反応問題の多角的検証」というテーマで講演しました。

感染症の菌やウイルスを弱毒化あるいは無毒化したものがワクチンです。ワクチンを接種することで感染症から体をまもる状態をつくることができます。その菌やウイルスによる感染症を予防するための方法です。

しかし、日本では「ワクチンによる副反応が心配」という声が根強く、ワクチンによる効果的な感染症予防があまりなされていない状況です。健康な体の人がワクチンを接種して、かえって脳炎などになり、健康を害してしまう危険があるのではという心配があります。

薗部さんは、ワクチンが本当に危険なのかを示す例として、偽薬検査について紹介しました。偽薬検査は、薬やワクチンの効き目や副反応を客観的に調べるのに有効とされている方法です。

本当の薬やワクチンをあたえられる被験者と、偽物の薬やワクチンをあたえられる被験者の、それぞれの経過を見て、本当の薬やワクチンにどれほどの効き目や副反応があるかを調べます。

偽薬検査では、検査の客観性を保つため「二重盲検法」をとることがあります。「二重」とは「医者も、患者も」という意味。医者も患者も、その薬が本物か偽物か知らされない状況で偽薬検査が行われます。医者も患者も「これは本物の薬だ」あるいは「これは偽薬だ」といったバイアスをもつことができなくなります。

薗部さんは、「世界最高の偽薬検査」とよばれる、フィンランドでの検査を紹介しました。

この検査では、フィンランドの双子581組を対象にしたもの。まず双子の姉に、麻疹と耳下腺炎と風疹に効く「新三種混合ワクチン」を接種します。いっぽう妹には、偽ワクチンを接種します。そして3週間後、今度は姉に偽ワクチンを、妹に本物のワクチンを接種します。もちろん、二重盲検法も取りいれられました。

双子に参加してもらい、きわめて公正な状況で、本物のワクチンと偽ワクチンの効き目や副作用のほどを比べたわけです。

結果、接種後1日から6日では、本物のワクチンを接種した人の17%に発熱の症状が見られました。対して、偽物のワクチンを接種した人でも17%に発熱の症状が見られたといいます。

つまり、本物でも偽物でも、17%の人が6日後までに発熱したということです。なお、9日から10日後の経過を見た比較では、本物のワクチンで発熱が見られた人は24%、偽ワクチンで発熱が見られた人は18%でした。

薗部さんは、ワクチン接種後の発熱などの障害は、「流行性の風邪によるもの」と結論。この偽薬試験を、ワクチンが悪者扱いされることが不当であることを証明したものと位置づけます。

行政が「ワクチン接種を義務化します」といって強制力を行使しないかぎり、ワクチンを接種するかどうかは市民の選択。客観的試験の結果が市民の判断材料になるには、報道のあり方、市民のリスク概念の理解のしかたを含め、課題は多くあります。
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「『3日坊主』を卒業できる、健康運動生活」開始


日経BP社の総合情報サイト「日経BPネット」で、「『3日坊主』を卒業できる、健康運動生活」という連載記事が始まりました。この記事の編集を連結社としました。

タイトルの名のとおり、健康を保つための運動を三日坊主にならないように長続きさせる秘訣を紹介する記事です。運動にもさまざまありますが、毎回、前後編で“その道”の専門家に話をうかがいます。

今回、登場するのは、静岡理工科大学の富田寿人准教授。「どうやったら『3日坊主』を脱してウォーキングを続けられるか!?」をテーマにした話が展開されます。ルポライターの澁川祐子さんとカメラマンの風間仁一郎さんが取材しました。

富田教授は、静岡県袋井市で行われている、市民参加のウォーキング活動を支援してきました。袋井市が1993年に「日本一健康都市宣言」をしたことをきっかけに、市民のウォーキング熱を高めるいろいろなしかけをしてきました。

その一例が、「ウォーキングマップ」づくり。市民みずからにウォーキングの経路をつくってもらい、市民が主体的に活動に参加するかたちをつくりました。そうしてつくったウォーキングマップを道順に、ウォーキングキャラバンを実施。ほかの地域の市民に“おらが街”を紹介する機会をしたてました。

肝心のウォーキング長続きの秘訣について、富田さんは「気楽な気持ちでいたほうが、歩くことがストレスになりません」と、自由気ままに歩くことをすすめています。時間帯も「朝に時間的な余裕がある人は朝歩けばいいし、夕方に余裕がある人は夕方歩けばいい」「朝15分、夕方15分というように2回に分けてもかまいません」。

富田さんの活動や言葉は、「歩かされる」のでなく「みずから歩く」という意識をもつことが、長続きには大切であることをあらためて気づかせます。

運動は健康によいのはわかる。しかし、健康によい運動を長続きできるかは別問題。連載では、「問題の長続きをどう実現するか」に焦点をあてています。

日経BPネットの新連載「『3日坊主』を卒業できる、健康運動生活」はこちら。
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(2010年)6月27日(日)は「地域とともにあゆむ天文教育・普及」


催しもののお知らせです。

天文普及教育研究会が(2010年)6月27日(日)、東京・江東区の日本科学未来館で、同研究会の関東支部会を開きます。

天文普及研究会は、1989年に発足した、天文教育や天文の普及に関心のある人が集まる、会員制の研究会。天文の教育と普及について、情報を交換しあう活動を進めています。

今回の関東支部会では、「地域とともにあゆむ天文教育・普及」というテーマで、発表、講演、パネルディスカッションなどを行います。

午前中の発表では、テーマにちなんだもののほか、天文普及教育についての一般的な発表が行われる予定。

会場となる日本科学未来館の見学をはさんで、午後の講演では未来館の科学コミュニケーション推進室・代島慶一さんが、「日本科学未来館における友の会イベントの取り組みについて」というテーマで話します。

その後のパネルディスカッションでは、天文普及に携わる専門家などが「天体観望会等天文イベント開催における課題」というテーマで意見を出しあいます。

パネラーは、天文普及研究会・学校への天文普及支援ワーキンググループ代表代行の水野孝雄さん、日食情報センターの塩田和生さん、川口市立科学館の根本しおみさん、国立天文台・天文情報センターの縣秀彦さん。学校、天文同好会、科学館・博物館、地域・市民というそれぞれの立場から、イベント開催の課題を論じあいます。

天文普及の課題のひとつとしてあげられているのが、地域密着型の活動をどのように発展させていくか。科学技術分野のアウトリーチ活動などにも参考になるようなディスカッションが期待されます。

天文普及教育研究会の関東支部会は、2010年6月27日(日)東京・江東区の日本科学未来館7階会議室1にて。参加費は会場使用料として500円ほど。また、未来館の見学は入館料が別途必要です。

参加もうしこみなどは、天文普及教育研究会のホームページのご案内をご覧ください。こちらです。
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「はやぶさ」を擬人化できる日本人
NASA

サッカーワールドカップ2010で日本代表が熱戦をくりひろげる裏で、石川遼選手が全米プロゴルフで奮闘する裏で、6月13日、日本の小惑星探査機「はやぶさ」が地球にかえってきました。

このブログでは、2006年2月28日、「『はやぶさ』の名の由来」という記事を載せました。「アトム」でほぼ決まりかけていたこの無人探査機の名前は、選考役のひとりが「原子爆弾を連想させる」と言ったことにより、第二候補の「はやぶさ」で落ちついたという話です。宇宙航空研究開発機構(JAXA)的川泰宣さんの講演をまとめています。

2006年2月時点で、「はやぶさ」は、およそ3億キロ離れた地球に戻るため、小惑星イトカワから出発したばかり。イトカワから1万キロほどの宇宙空間にあったものと考えられます。それから4年をかけて、地球に戻ってきました。

新聞などの報道では「はやぶさ」を、いきものにたとえて表現する見出しの数々が並んでいます。

「お帰り『はやぶさ』、豪の砂漠にファンら続々」(読売新聞)

「はやぶさ君、人気急加速 数々の危機克服に共感」(毎日新聞)

「探査機帰還―はやぶさ君に笑われまい」(朝日新聞)

また、JAXAの川口淳一郎プロジェクトマネージャーの声を、そのまま記事の見出しにしたものもあります。

「はやぶさに助けられてここまでこれた」(日本経済新聞)

だれもいない、なにもない、暗闇の宇宙空間を、3億キロにわたり飛びつづけ、イトカワという荒涼とした小惑星に着陸する任務を果たし、また3億キロを飛びつづけ、最後にはカプセルだけを地球に落として、自分は光となって姿を消す……。

新聞記者や整理部が、擬人化あるいは“擬鳥化”して書くのにまさにふさわしい、「はやぶさ」の全行程だったといえそうです。

もし、米国でおなじような“帰還劇”が行われていたら、このような記事の表現はされるでしょうか。もうすこし冷静に客観的に「無人探査機が地球に帰還した」と伝えるかもしれません。

「はやぶさ」を生きものにたとえるという日本人の行為は、ロボットに対して感情移入をする日本人の特性と似たものがありそうです。日本人のロボット好きは世界有数。ぎゃくに、欧米ではロボットを「奴隷」あるいは「敵」と考える風習が強いといわれます。

日本人には「アニミズム」という超自然感が根をはっているといわれます。アニミズムとは、自然のありとあらゆるものには、形だけでなく、心が宿っていると考える信仰です。このアニミズムの存在が、日本人にロボットや機械に感情移入をさせる理由のひとつになっているという説があります。

「はやぶさ」の帰還は、今後もしばらくは日本の宇宙開発技術、宇宙航空産業、あるいは映画や本などの文化などにプラスに働くことでしょう。その盛り上がりは、「はやぶさ」を生きものにたとえることのできる日本人の特性ならではの部分もあるでしょう。

鉄の機械を、友だちにも、英雄にもすることができる。本人はなかなか気づかないことかもしれませんが、これは日本人の大きな才能のひとつなのかもしれません。
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“入口”で気付いて自殺を防ぐ


人が自殺をはかるまでには“過程”があるといわれます。

政府の『自殺対策白書』(平成19年度版)には、自殺した人の心理を分析すると「自殺を自ら選んだのではなく、追い詰められ、どこにも行き場がなくなり、唯一の解決策が自殺しかないという状態に追い込まれる過程が見えてくる」とあります。このほかに、「役割喪失感から、危機的な状況にまで追い込まれてしまう過程」や、逆に「役割を背負いすぎて、耐えきれなくなるといった過程」もあるといいます。

自殺へのさまざまな過程があるなかで、毎年のように最大の原因となっているのが、「うつ病」です。抑うつ気分、悲哀、絶望感、不安、焦燥、苦悶感などをともない、体調がすぐれなくなる精神の病気です。

政府は、「うつ病から自殺へ」という過程を食い止めるためのキャンペーンを実施しています。そのキャッチフレーズは「眠れてますか?」というもの。

不眠とうつ病には深い関係があるといわれています。

まず、うつ病の徴候のひとつとして不眠が指摘されています。自分自身や家族が、うつ病にかかっていることに気づくためには、まず自覚症状を感じること。わかりやすい自覚症状のひとつが不眠というわけです。政府は、「2週間以上の不眠が、休日も含め続くときは、うつのサインかもしれません」と注意をよびかけています。

不眠はうつ病の結果としてあらわれるとともに、不眠はうつ病の原因にもなりうるといいます。睡眠不足をもたらす不眠が長く続くと、糖尿病や高血圧などとともに、うつ病になる危険性が高くなることが報告されています。

いずれの場合も、「眠れない」という日が2週間もつづけば「うつ病から自殺へ」と向かう過程の入口にいるおそれがあるわけです。

自殺は、一人の人が失われてしまう、最も避けたい状況です。そうなってしまうよりも前の、入口の段階で気付いて、食い止めようというのが、政府のキャンペーンの背景にはありそうです。

政府の自殺対策「眠れてますか?」キャンペーンはこちら。

参考文献
『自殺対策白書(平成19年度版)』
清水徹男「実は大切な『睡眠』の問題」
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「デニーズ」のインド風デリチキンカレー――カレーまみれのアネクドート(23)


ファミリーレストランでも、カレーは献立からは外せなくなった一品です。たいがいは、欧風カレーが用意されている模様。

いっぽう、ファミリーレストランのデニーズは2010年夏、世界各地にちなんだ本格的なカレーのメニューを出しています。

「デニーズ世界のカレーツアー」と銘打ったもので、インド、欧州、日本、そしてサッカーワールドカップの開催されている南アフリカにちなんだカレーを用意しています。

「インド風デリチキンカレー」は、香辛料と鶏肉を多く使ったもの。こう診療に加えて、トマト、ヨーグルト、たまねぎなどを混ぜ合わせた、王道的なインド風カレーです。ご飯と、ルウは、べつべつの器に入れられてやってきます。底の深いスプーンで、鶏肉やルウをすくって、ご飯に掛けていきます。

鶏肉は、ごろごろとした胸肉が使われていて、一口で食べるにはちょうどよい大きさ。また、ルウには辛さもあります。ファミリーレストランというと、レギュラーメニューでは辛さ抑えめながら、口がひりひり感を覚えるほどの辛さです。

「ファミリーレストランのカレー」から脱却するひとつのかたちが「世界のカレーツアー」には見られます。

デニーズの「世界のカレーツアー」ホームページはこちら。
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「前駅」目の前にあらず
 なにかの施設を指して、名前に「何々前」とつく駅は、いろいろとあります。東京では、東京メトロの「国会議事堂前駅」や「新宿御苑前駅」など。

このように駅名につく「前」は、「建物の正面」という意味からきているものと考えられます。もともと「前」は、「目辺」や「目方」と書く「まへ」から来ているといいますから、目に見える範囲や、目の届くほうを指しているのでしょう。

しかし、「前駅」のなかには、実際にその施設の正面とはほど遠い場所にあるものもけっこうあります。

たとえば、神奈川県川崎市にある、小田急線の「読売ランド前駅」は、川崎市と東京都稲城市にまたがる「よみうりランド」への足が便利であることが読みとれる駅名です。

しかし、読売ランド駅を降りても、目の届くところによみうりランドがあるわけではありません。

読売ランド前駅からよみうりランドへ歩いて行く場合、駅前に商業施設が立ち並ぶ南口とは逆の、古民家が立ち並ぶ北口に出て、どこへ向かうか知れない山道を入っていきます。そして進むこと1キロメートル。たどり着くのは、よみうりランドが運営するサッカー場などがあるあたり。よみうりランドの正面には、そこからまた数百メートル歩く必要があります。

このような状況のため、読売ランド前駅の駅前からは、よみうりランド行きのバスが運行されています。

小田急線の「読売ランド前駅」の場所をより客観的にあらわした名前は、「読売ランド裏駅」になりそうです。

「何々大学前駅」もよく見られます。そして「何々大学前駅」の多くも、大学の目の先にあるわけではない場合が多いようです。

駅前から、学生たちの波に従って歩くと、階段を上ったり、坂道を下ったりで、20分ほどかけてたどり着く大学名もあります。

こうした駅は、大学側が、その路線の中で最も大学と距離の近い場所に駅を建設するよう電鉄会社を誘致したり、駅が建設される途中の段階で大学側が「駅名は、何々大学駅でお願いできませんか」と誘致したりしているのでしょう。

しかし、その実は、読売ランド前駅よろしく、駅から大学が目に入るわけではありません。より客観的に駅名をつけるとすれば、「何々大学はなれ駅」や「何々大学はずれ駅」がふさわしい場合があります。
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風土が傘のかたちをつくる

日本列島は梅雨まっさかり。傘の花が開く季節となりました。

道具は風土とともに進化するといわれます。傘も地域によって、形が発展する道具といえるでしょう。

三重県の尾鷲市は、雨の多い地域として知られています。太平洋から吹いてくる湿った空気が紀伊山地でぶつかり、そこにできた雨雲が尾鷲に雨を降らせます。これからは梅雨にくわえて台風による雨も多く降ることでしょう。

この尾鷲の地で、1927年から傘や提灯をつくっている「河合屋」は、「尾鷲傘」という傘をつくっています。尾鷲傘の特徴は、骨の数が12本あること。普通の傘は6本なので倍あります。

河合屋のホームページによると、尾鷲のような雨の多いところでは、軽くて小さい傘はすぐに壊れてしまいます。河合屋の店主は、洋傘の骨をつくる企業にかけあって、骨の数が12本の特注品をつくってもらうことになりました。これが尾鷲傘の誕生です。

サッカーのワールドカップ2010では、オランダが日本の対戦国となっています。オランダは風車の国としてもしられるように、強風が吹く風土です。

このオランダで2006年、強風にも負けない傘がつくられました。オランダのセンズアンブレラ社がつくったもので、特徴は、上から布を見たとき対称形ではないこと。骨の短い側と長い側があり、短い側を風が吹いてくる正面に向けてさします。

ふつう形をした傘が強風にあおられると、傘の骨と布がひんむけてしまう“おちょこ”になります。いっぽう、この傘は空気力学を応用してデザインされており、実験では時速100キロメートルの風にも耐えられたといいます。このたび日本にも上陸し、ワールドカップの話題とともに情報番組などでもとりあげられます。

雨がふるかぎり“傘ばなれ”は起きそうもありません。もつべきは100円傘か、機能美のある傘か……。

尾鷲傘を売る河合屋のホームページはこちら。
オランダのセンズアンブレラ社のホームページはこちら。
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出版社が「紙とデジタルの連動・共存」を表明中

アップルコンピュータの新型コンピュータ「iPad」が(2010年)5月28日に発売されました。それによって動きが活発になってきたのが電子書籍です。

作家の瀬名秀明さんや小説家の桜坂洋さんらの執筆者を擁する「合同会社電気本」という会社は、このたび「AiR エア」という電子書籍をiPadなどで発売することになりました。執筆者が出版社や取次をとおさず、電子書籍のコンテンツを売るかたちとなります。電気本ホームページによると、「AiR エア」は「紙の書籍換算で約300ページ以上のボリュームで、しかも出版社でも難しいエッジの効いた企画が連続」とのこと。

また、個人を基本とした執筆者の集まりだけでなく、これまで紙の本を売ってきた出版社もiPadで読める電子書籍の発売を計画しています。

いま日本国内では、33の出版社がつくる「日本電子書籍出版社協会」という団体が、電子書籍のこれからの動きをにぎる位置にいます。加盟している会社は、講談社、集英社、新潮社、角川書店、文藝春秋、マガジンハウスなど。日本の出版業界を代表するような会社名が名をつらねています。

日本電子書籍出版社協会は、2010年秋に1万点の電子書籍をiPad向けに発売することを予定していると報じられています。ただし、対象となる電子書籍は、すでに「電子文庫パブリ」というサービスから携帯電話などにダウンロードされている作品。「ケータイで楽しめているものが、iPadでは秋まで待たされる」ということでもあります。

電子出版が広まれば、「AIR エア」のように、出版社や取次を介さない”中ぬき”の出版ビジネスがつぎつぎと起きるでしょう。となると、出版社側にとっては電子書籍の存在は敵対的なものにもなりかねません。

日本電子書籍出版社協会代表理事の野間省伸さん(講談社副社長)は、2010年3月に行われた同協会の設立総会で、三つの理念を語っています。

ひとつめは、「著作者の利益・権利を確保すること」。本などの著作物には、著者がその中味を独占的に利用することのできる「著作権」という権利が生まれます。電子書籍が使われる時代も、著作者の利益や権利を確保しますという、著作者側に向けられたメッセージととらえることができます。

ふたつめは、「読者の利便性に資すること」。読者である一般の人たちが「便利だな」と思えるようなことをしていこうということです。この理念をよくとらえれば「技術的にはできそうなのに、なぜ出版社はやろうとしないのだ」といった状況は回避されそうです。

みっつめは、「紙とデジタルの連動・共存」。紙の媒体にいつまでも固執するのでなく、かといってデジタルの媒体だけに肩入れをするのでなく、両方の媒体がともに活かされるような状況を目指しているととらえることができます。

この三つの理念からは「出版社は電子書籍に積極的な姿勢を見せている」と考える人も多いでしょう。電子出版の技術の恩恵を受ける立場にあるのは読者や著者。読者や著者は、出版社側によって掲げられたこれらの理念がほんとうに具体化されていくかを、しばらく見張る立場になったともいえそうです。

電子書籍「AiR エア」のホームページはこちら。
「3つの理念」が掲げられている、日本電子書籍出版者協会の「ご挨拶」はこちら。
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「この本さえあれば」と言って説得す

物書きが科学書や科学記事を書くとき、その道の専門家に取材することはほぼ必須条件となります。とりわけ、科学者や数学者の人物像に迫るような記事では、その人物に取材しないのと取材するのでは、雲泥の差がでてきます。

そこで物書きは、研究者に取材に応じてもらえるように頼むことになります。

しかし、依頼した研究者からすべてがすべて「はい、よろしくおねがいします」と返事をもらえるわけではありません。

研究者の立場になれば、取材依頼を受けたとしても、“頼まれごと”であるかぎり、とうぜん断る権利もあるわけです。研究者が取材を断るときの理由も、いくつかの代表例があります。

まず、「研究者は研究に徹するべき」という信念がある研究者は、取材に応じる必要なないと考えるでしょう。たとえば、「自分が取材を受けないで研究に徹していれば、その時間分だけ病気に苦しんでいる患者を救うことができる」と考えて、取材を断る医学者がいてもおかしくありません。

ものかき側にとっては残念なことですが、「過去の取材で嫌な思いをした」という研究者も、取材を断ろうと考えるでしょう。たとえば、自分が話した意図から大きく逸れた内容の記事を書かれた、といった経験があれば「取材はもうごめん」となるわけです。

さらに、「もともと人と会うのが嫌い」という研究者もいることでしょう。研究こそが自分が心を傾けるべき相手であり、見ず知らずの記者になんか会うべくもない、といったところ。

研究者が研究をして給料をもらうのとおなじように、物書きも記事を書いて原稿料をもらっています。となれば「取材はお断り」という研究者をどうにか説得して、取材の椅子に座ってもらうことも仕事のうちとなりましょう。

研究者に取材を受けてもらうために大切なのは「なぜあなたでなければならないのか」を伝えることだといわれます。「この主題を人々に伝えるためには、先生からお話をいただくしか方法はないと考えています。ぜひ、お話をうかがえないでしょうか」と言って、気持ちを伝えるわけです。「自分の代わりはいないのだ」という認識が負に働くことはまずありません。

それでも取材に応じてもらえない研究者もなかにはいます。マスコミ嫌いや、人嫌いの研究者にどうしても取材に応じていただきたいという場合、より高度な依頼の方法があるといいます。

「先生のご研究を思う存分に語ってください。それをあますことなく原稿にさせていただきます。この本さえあれば、ほかの記者から同様の取材依頼を受けても『自分が伝えたいことは、あの本にすべて書かれてあるから、それを見てください』といって断ることができますよ」

英国の科学ジャーナリストのサイモン・シンは、実際にこれと似たことを言ってアンドリュー・ワイルズという取材嫌いの数学者から承諾をとりつけたといいます。曰く「きちんとしたドキュメンタリーを作ってしまえば、以後どんな取材の申し込みがあっても、『あの番組ですべて答えたのでそれを見てほしい』と断ることができる」。

もちろん、このような説得は、その研究者についてあらかじめ知りうることはすべて知っておくような準備がなければできません。さらには、その研究者に対する“愛”も必要なのかもしれません。
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立ちあがれ! つぶつぶ……


「国民が主役の政治をつくっていこうではありませんか、みなさん!」
「そうだ、そうだ!」
「それでは、ご起立のうえ、ご唱和ください」
「えい、えい、おー!」

ある人が示した意見に、ほかの人が同感することを「共鳴」といいます。政治の世界では、リーダー的存在の人物が壇上で「何々していこうではありませんか」とよびかけをすると、同士が「そうだ、そうだ!」といって、しまいにはみんなが立ちあがり、「えい、えい、おー!」などの声を出す、といった形式がよく見られます。

共鳴という現象は、もともと人の心の状態を表したものではありません。もともとは物理の現象をあらわしたものであり、これが転じて人にも当てはめられるようになったのです。

物理の世界での「共鳴」は、外からのなんらかの刺激を受けた対象が、固有の振動をはじめること。「共振」ともいいます。

共鳴をしてみんなが立ちあがるのは、なにも政治の世界だけではありません。物理の実験でも、“みんなが立ちあがる”姿を目で見ることができます。

科学館などには「クントの実験」とよばれる透明の管が展示されているところがあります。この実験は、ドイツの物理学者アウグスト・クント(1839-1894)により考案したことからこの名がついています。ユーチューブでも実験の様子を見ることができます。

いま科学館などで行われているクントの実験では、アクリル管のなかに、発泡スチロールなどの目に見えるつぶつぶを敷きつめます。管のかたほうはつぶつぶがこぼれないように蓋をしておき、もうかたほうは音が出る装置と密閉させてつなぎます。

この音が出る装置は、つまみをひねることで音の高い・低いを自在に操れるようになっています。そこでつまみをひねっていくと、ある高さになったときだけ、突然に管のなかで変化がおきます。管のなかのつぶつぶが、いっせいに“立ちあがって”きれいに整列するのです。

「音波」ということばがあるように、音には波の性質があります。音が出る装置から管に音が届けば、管のなかにも波がおきます。ふだんこの波は、いろんな方向で壁にぶつかるなどして、空間のなかをばらばらに進みます。

しかし、ある一定の音の高さになったときだけ、波がばらばらにならず、ぴたっとそろって管を進むことがあります。このそろった波を受けて、発泡スチロールのつぶつぶも足並みを揃えて“立ちあがる”のだと考えられます。

まるで、つぶつぶのひとつひとつから、「えい、えい、おー!」という掛け声が聞こえてきそうです。しかも、その足並みは政治家よりそろっています。

クントの実験の動画はユーチューブで掲載されています。

参考文献
上野佳奈子「クントの実験による定在波の可視化」
熊本県立熊本工業高校物理部「気中共鳴管の中の粒子がつくる構造について」
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脳の“ホルモン工場団地”は垂れ下がり型


ホルモンは、ホルモン焼きをべつとして、ふつう人がお目にかかることのない物質です。からだのある組織や器官からホルモンは出されて、血液などにまざってからだのべつの組織までたどりつき、そこで変化をあたえるのがホルモンです。

人がホルモンになかなかお目にかかれないのは、からだの内部をめぐる物質であり、かつ、種類はいろいろあるものの、ごく少ない量しかからだでつくられないからです。

この得体の知れないホルモンを様々な種類にわたってつくっている、“ホルモン工場団地”のひとつが、人の脳のなかにあります。「脳下垂体」とよばれる場所です。

脳下垂体は字のとおり、脳から垂れ下がったように突きだしている細胞のかたまりです。大きさは小指の先端ほどで、重さはわずか0.5グラムほど、1円玉の半分くらいしかありません。

この小さな脳下垂体は、人が生きるのに欠かせない、さまざまなホルモンを出しています。種類をあげると、成長ホルモン、性腺刺激ホルモン、甲状腺刺激ホルモン、副腎皮質刺激ホルモン、黄体形成ホルモン、メラニン細胞刺激ホルモン、抗利尿ホルモン、子宮筋収縮ホルモンといったもの。「ホルモン」の前につく漢字が、そのホルモンの働きを意味すると考えるとよいでしょう。

脳下垂体でつくられるこれらのホルモンには共通点があるものもあります。たとえば、女性の月経をうながすもととなる性腺刺激ホルモンと、ふだんの生活におけるエネルギー代謝をうながすもととなる甲状腺刺激ホルモンは、糖の化合物をもった糖鎖という物質がついたタンパク質でできています。

さらに、細かく調べた研究の結果、これらのホルモンは、サブユニットというさらなるふたつの“下部組織”のタンパク質でできていることがわかっています。α鎖とβ鎖というもので、α鎖はどれも共通ながら、β鎖はどれも異なる分子であることもわかっています。

つまり、脳下垂体が生みだすこれらの糖鎖がついたホルモンでは、β鎖がどのようにつくられるのかによって、ホルモンそのもののつくられ方がある程度わかることになります。

脳に垂れ下がった小指ほどの大きさしかない“ホルモン工場団地”のはたらきについてこれらのことが調べられているのは、ホルモンというごく少ない量の物質がいかに生命にとって大切であり、ごくわずかな量の物質のつくられかたやはたらきかたがいかに不思議なものであるかをあらわしています。

参考ホームページ
明治大学遺伝情報制御研究室「ホルモン遺伝子の発現調節機構」
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明治通りに“環八雲”は起きず
 東京では、大きな道路にそって、上空に雲ができる現象がしばしば観察されてきました。

代表的なものは「環八雲」とよばれる雲のつらなりです。「環八」は、都道311号環状八号線とよばれる道路で、大田区の羽田空港から、多摩川の脇を北へと走り、北区の赤羽に至る道路です。「環状」と名前はついているものの、実際は東京の西側に弧を描くようなかたちをしています。

この環八通りの上空に雲のつらなりができることが、1969年にアマチュア気象学者によって発見され、その後「環八雲」とよばれるようになりました。

おなじように「環七雲」もあります。「環七」とは「環状七号線」のこと。環状八号線より西側を走る道路で、こちらは大田区の平和島から、世田谷区駒沢、杉並区大原、板橋区大和町、足立区西新井などを通って、江戸川区の海沿いまでをつなぐ道路です。弧を描く環八通りにくらべると、環七通りは“環状”に近い「C」の字型の道となっています。

この環状七号線の上空にも、雲がつらなるようにできる日があるといわれます。

1960年代後半に発見された環八雲は、しばしば大気汚染の象徴としていわれてきました。つまり、環状八号線をたくさん走る車の排気ガスによって雲が生まれるという、単純でわかりやすいしくみで社会にも受け入れられることになったのです。

たしかに環状八号線は、むかしもいまも交通情報でいつも渋滞が報じられるような、交通量の激しい道です。しかし、単にいつも渋滞が起きる道ということであれば、環状八号線のほかにも東京には多くの道があります。

たとえば、環八や環七よりさらに内側を走る「明治通り」という「C」の字型の環状道路は、平日も週末も交通量が多いことでしられます。また、世田谷区の多摩川から渋谷区までを結ぶ玉川通りという道も渋滞が多く、加えて通りの大部分はさらに首都高速道路が高架道路として並走しています。これらの道の上に「明治通り雲」や「玉川通り雲」が生まれるという話はありません。

環状八号線は東京湾をのぞむ羽田空港を起点とし、環状七号線も平和島という東京湾のすぐ近くを起点としています。東京湾からの海風がそのまま道に流れこみやすいという環境が共通しています。さらに、環状八号線は、東京湾からの風と神奈川県の相模湾から吹いてくる風がぶつかる場所でもあります。

交通渋滞が激しいということは、排気ガスの粒子が多くあるということ。とともに、車の排気ガスの熱で地面も温められ、ヒートアイランド現象も起こしやすくなります。こうした要素とともに海風の影響もあいまって、環八雲や環七雲が現れているといまでは考えられています。

参考文献
神田学・井上裕史・鵜野伊津志「“環八雲”の数値シミュレーション」
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1型糖尿病の患者家族団体が3研究への助成を決定


今年2010年3月22日の記事で、特定非営利活動法人「日本IDDMネットワーク」が、1型糖尿病の研究助成金を公募していると伝えました。

IDDMは、“Insulin Dependent Diabetes Mellitus”の頭文字をとったもので、日本語にすると「インシュリン依存型糖尿病」となります。糖尿病というと生活習慣病という印象の強い病気ですが、インシュリン依存型糖尿病は、ある日とつぜん起きる原因不明の糖尿病。食事などで体に取り込まれた唐を処理するインシュリンという物質が完全に欠乏してしまう病気です。「1型糖尿病」ともよばれています。

日本IDDMネットワークは、この1型糖尿病の患者や家族などからなるネットワークです。同会は、阪神タイガース投手で1型糖尿病患者でもある岩田稔投手をはじめ、いろいろな人々から寄付金を集めてきました。その寄付金を、1型糖尿病の治療に結びつく研究に役立てててもらうため、研究公募をしています。

同会は、(2010年)6月8日、第2回となる2010年の研究助成先を発表しました。昨2009年の研究2件にひきつづき、つぎの3件の研究に対して、それぞれ100万円ずつの助成をします。

1件目は、京都大学再生医学科研究所の角昭一郎准教授が応募した「ブタ膵島によるポリビニルアルコール(PVA)マクロカプセル化膵島(MEIs)の研究」。

膵臓には、インシュリンを分泌する「膵島」または「ランゲルハンス島」とよばれる部分があります。膵島をもっているのは人だけではありません。ブタももっています。そこで、ブタの膵島をポリビニルアルコールという物質で包み、これを人に注射して人体内でインシュリン分泌をうながそうとするのが治療のあらまし。研究では、効き目はどうか、また安全性はどうかといったことを確かめます。

2件目は、横浜市立大学医学研究科の谷口英樹教授が応募した「ヒト膵細胞を用いた血管構造を有する膵島創出法に関する臨床応用技術の開発」。

インシュリンを分泌する膵島の「ベータ細胞」という細胞を“工業的に生産”するための研究開発です。人の膵ベータ細胞を大量生産するための“株”をつくり、それを使った治療法の効き目や安全性を確かめます。

さらに、その技術を応用させて、人がもっている膵島とおなじような立体組織をつくるための方法も研究します。iPS細胞で膵ベータ細胞をかんたんにつくることができる時代を見すえての研究といえそうです。

3件目は、東北大学代謝疾患医学コアセンターの片桐秀樹教授が応募した「体内での膵β細胞再生による1型糖尿病に対する治療法の開発」。

片桐教授の研究グループは、マウスの体内にはりめぐらされた神経ネットワークの組織を刺激すると、マウスの膵ベータ細胞が増えるという発見をすでに発表しています。この成果を応用すれば、人が自分のもっているベータ細胞を体のなかで再生させることにつながります。その方法を開発するのが、今回の研究の内容です。

3件の研究は、いずれもナノテクノロジーや再生医療といった先端的技術を用いるもの。1型糖尿病を根本から治療するための足がかりとなる可能性をもっています。

患者や家族という“当事者”の団体が、集めた寄付金で直接的に研究者の研究を支援するというやり方は、日本ではまだ多くありません。寄附という行為そのものが社会に定着していないという背景もあります。

ただ、患者にとってみれば、この行為は大きな意義をもったものといえるのでしょう。日本IDDMネットワークの参加者の方は、「医療者の治療に従うことしかできなかった患者が、自分自身の手で、自分の病気を治すことに参加できることの意味の大きさを感じます」と話しています。

日本IDDMネットワークのホームページはこちら。
「新着情報」に、「1型糖尿病研究基金第3回助成金決定のお知らせ」が出ています。
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「野分」を詠む江戸の俳人


夏になり、もうすぐやってくるのは台風の季節です。毎年、日本に少なからぬ被害をあたえるとともに、水の恵みもあたえてくれます。

台風の本格的な季節は「二百十日」とよばれます。立春から数えて210日目のことで、9月1日ごろ。農家にとって二百十日は、台風の被害に見まわれるおそれの多い厄日とされています。さらに、その10日後の「二百二十日」もおなじ理由で厄日とされています。10日ごとに厄日を置くとは、やはり古の人は台風への警戒にぬかりなかったのでしょう。

とりわけ二百十日や二百二十日ごろの嵐を、かつては「野分」(のわき、のわけ)とよんでいました。野原の草をわけて風が吹くために、こういわれていたようです。

野分は、江戸時代の俳人にとっても、句のよい材料になっていました。江戸の有名な三人の俳人が、それぞれ「野分」を季語にして句をつくっています。

芭蕉野分して盥に雨をきく夜哉 芭蕉

松尾芭蕉(1644-1694)は38歳のとき、上の句を詠んだといいます。「芭蕉」は松尾芭蕉の俳号にもなっていますが、ここでの「芭蕉」は庭に植えられている芭蕉という植物のこと。嵐の夜、盥(たらい)に漏れ落ちてくる雨音に耳を傾けながら、芭蕉は唐の詩人だった杜甫や、北宋の詩人だった蘇東坡が詩をつくった心をしのんでいたようです。

榎野分して浅間の煙余所に立 蕪村

与謝蕪村(1716-1783)は、すぐ近くに見える榎の木が野分でゆれているのと、遠くの浅間山の煙も流れているのを、ひとつの句のなかで表現しています。野分の影響を受ける近くと遠くの自然の対比が絵になります。

山は虹いまだに湖水は野分哉 一茶

小林一茶(1763-1827)は、野分が立ったあとの自然のありさまを観察しました。雨が過ぎて山のほうではすでに虹が見えるものの、湖の水面はまるで草原を分かつように波が立っているという、気づきをこれも遠近の対比で詠んでいます。

芭蕉や蕪村や一茶が生きていたころは、衛星写真もなく、野分をもたらす雲の姿が渦を巻いているとは知るよしもなかったでしょう。しかし、夏から秋にかけて、毎年のように嵐がおとずれるということを、古の人々は知っていました。彼らは風情をもって野分を俳句で詠んでいたのです。
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ゾロアスター教より前からあった“拝火教”


世界史の教科書などには「ゾロアスター教」という宗教が紹介されています。宗教そのものとの結びつきが弱い日本人にとってゾロアスター教は「教科書に出てくる宗教」といった印象が強いことでしょう。

ゾロアスター教は、紀元前の時代に“ザラスシュトラ”という人物が「アフラ・マズダ」という神からの教えを受けて創始した宗教とされています。「ザラスシュトラ」の英語読みが「ゾロアスター」。つまり、ゾロアスター教は「ザラシスシュトラによって始まった宗教」ということになります。

教科書などでゾロアスター教は「拝火教」と表現されることもあります。この言葉からも、ゾロアスター教はとりわけ「火」を「崇拝」する宗教であることがわかります。イランには聖火台の遺跡も見られ、いまもインド西部などにわずか残るゾロアスター教徒が、昔から灯され続けてきた火を絶やさぬようにしているといいます。

ただし、「ゾロアスター教」と「拝火教」がまったくおなじものというわけではありません。この宗教のほかにも、火を崇拝する宗教はいろいろとあるからです。

アーリア人であるザラスシュトラがゾロアスター教を創始するより前にも、アーリア人は宗教をもっていました。そして、その宗教も、火を崇拝するものだったとされます。

宗教と風土の関係は密接なもの。アーリア人が当時暮らしていたイラン高原は寒く、火はとても価値のあるものだったようです。さらに、火は動物を焼くこともできます。犠牲となるけものの脂を神に捧げるというとき、火を使うことはとても合理的な方法でもあったようです。

ザラスシュトラが創始した宗教は、アフラ・マズダという新しい神を最高位に据えるなど、それまでにあった宗教にくらべてかなり変革的なものだったといいます。いっぽう、火を拝むという儀式については、ゾロアスター教にも受け入れられたのです。

もっとも、ザラスシュトラ本人は火を拝むという行為をものすごく崇敬していたわけではないようです。火を拝み、灯された火を受け継ぐことの象徴性は、後世になってより強くなっていったようです。

参考文献
岡田明憲「拝火教とその教え」『文化遺産』1999年10月号
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師の哲学を批判しても師を非難せず

プラトンとアリストテレス

師匠と弟子という関係は、いつの時代にもあるもの。そして、師匠と弟子という関係は、いつの時代ももろさをともなうものなのかもしれません。弟子が師匠の高みに近づくほど、弟子の師匠に対する見方も変わってくるからです。

古代ギリシャ哲学における師弟関係の代表格といえば、プラトン(紀元前427年-紀元前347年)とアリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)です。

アリストテレスは子ども時代に父も母も亡くし、それからは義兄により育てられました。アリストテレスは義兄に冷たくあしらわれるどころか、熱心な教育を受けていたといいます。そして、17歳にして、プラトンが創設したアテネのエリート学校「アカデメイア」に入学しました。

アリストテレスが入学したとき、プラトンは二度目となるシチリア島シュラクサイへの旅行に出かけていました。プラトンはみずからの理想主義をシュラクサイで広めようとしたものの、シュラクサイを支配していたデュオニシスに拒否されて、あえなくアテナに帰ってきます。プラトンの帰国は、アリストテレスがプラトンから直接的に学ぶ機会をあたえる結果ももたらしました。

知識や智慧を愛したアリストテレスは、当然ながらプラトンを師事し、プラトンが著していた書物の数々をこよなく読んでいたといいます。

しかし、プラトンの哲学や思想をいろいろと学ぶにつれて、アリストテレスの心のなかに、どうしても受け入れがたいプラトンの考えかたが出てくるようになったといいます。

プラトンは、ものごとには「イデア」があると主張していました。イデアは、人それぞれがあるものごとに対して抱いている共通の姿のこと。たとえば、人それぞれが「りんご」を想像するとき、その姿はすこしずつ微妙にちがうかもしれませんが、「赤い」とか「丸い」とか「へたがある」とかはおそらくだれもが思うことでしょう。この共通する部分が「イデア」といえます。

プラトンは、「イデア」というものは、現実世界とはべつの、イデアの世界に存在するのだと考え、その考えを広めようとしました。しかし、アリストテレスはイデアの世界にイデアがあるということを考えることはできなかったのです。

たとえば「リンゴ」に対するイデアとして「赤」「丸」「へた」「皮」などというイデアがあるとすると、それらのイデアにはさらにべつのイデアがあるはずであり、行きつくところは「無数のイデア」になってしまうではないかとアリストテレスは考えました。それらのイデアどうしの関係がどうなるのか、答えを見いだせなかったのです。

アリストテレスは、イデアは人間の空想の産物にしかすぎないと考えました。そして、師匠プラトンが唱えたイデア論を批判することが、アリストテレス自身の哲学を深めていったといわれています。アリストテレスは、イデアはものごとから超越しているというが、そうでなく、ものごとに内在している原理があると考え、それを「形相」と名づけました。

こうして、アリストテレスはプラトンの哲学をいわば“踏み台”にしていったわけです。

しかし、アリストテレスはプラトンの思想を批判したからと言って、プラトンという人間そのものを否定したわけではありませんでした。師匠のイデア論を批判するにあたって、アリストテレスはつぎのように述べたといいます。

「形相を導き入れた人々が私に親しい友なので困難である。しかし真理を保つには私的感情を離れるほうが望ましいし、また当然でもあると思われる。(略)真理を友情よりも尊重することが神聖な義務なのである」

いまでは、プラトンの論もアリストテレスの論も、両方ともギリシャ哲学を語るうえでは欠かせないものになっています。

参考文献
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「子どもの病気 全解明」


きょう(2010年6月)7日発売の『週刊東洋経済』では、「子どもの病気全解明」という第一特集が組まれています。特集の「難しい病気 心臓病」という記事に原稿を寄せました。

子どもの心臓病は、大人の心臓病と中身が大きく異なります。大人の心臓病は、高コレステロールや高血圧などの生活習慣病がひきがねとなって、心臓をとりまく血管に血栓という“つまり”が起きる心筋梗塞が代表例です。

いっぽう、子どもの心臓病は、生まれながらの病気がほとんど。心臓の内側にある“部屋”の穴が開いていたり、心臓と肺をつなぐ血管が狭くなっていたりといった状態で生まれてきます。これらの異常が原因で肺の高血圧が重症化するなどします。

心臓のなんらかの異常を抱えたまま生まれてくる赤ちゃんは日本では100人に1人。症状の軽い重いの差はあるものの、少ない数ではありません。また、乳児・幼児の心臓検診では子どもにじっとさせて心電図をとることがしづらいため、不整脈などを発見することはむずかしい状況。小学校、中学校、高校の心臓検診ではじめて不整脈がわかる場合が多いといいます。

先天性心臓病の原因は、遺伝によるものだけではありません。子どもも親も、病気の有無を選ぶことはできません。ほかの子は元気なのに、「うちの子にかぎってなぜ病気に」といった心の負担は大きなものがあるでしょう。

取材に応じた心臓病検診の専門家は、「専門医の説明を正確に聞くことで、不安を取り除ける」と話します。この言葉の背景には、わが子の病気を信じたくないあまり、病気の核心部分の説明に耳をふさいでしまう親の苦渋ぶりがうかがえます。

特集の別のページでは、子どもに対するケアについての記事もあります。子どもに対しても、自分の病気や治療がどういうものであるかをわかりやすく説明して、“心の準備”をさせる「プレパレーション」が大切といいます。

病院によっては、チャイルド・ライフ・スペシャリストや、ホスピタル・プレイ・スペシャリストといった肩書きの専門職をおくところも出てきているとのこと。

大人の病気は、生活習慣や老化といった要因もあるため、“よく起きるもの”ととらえられ、それだけ世の中の関心も高いものがあります。いっぽう、人口比率からしても子どもの病気は大人の病気より少数派。その当事者でなければ関心はもたれづらいという実状があります。

『週刊東洋経済』2010年6月7日発売号のもくじはこちら。
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「流転」と「不変」の高みを導く(2)
エンペドクレス

ヘラクレイトスは「すべてのものは、もともと火がかわっていったものだ」という万物流転説を唱えるいっぽう、パルメニデスらは「かわっていくようにみえるのはすべて感覚がおこす“仮像”にすぎず、理性のぶぶんではほんとうはかわっていないのだ」という不変説を唱えました。

このふたつの説は、対立するように見えます。しかし、「すべてのものはかわっているのであって、かわっていないのである」という、高みへと導いた人物がいます。ヘラクレイトスより45歳若く、パルメニデスより20歳若い、シチリアの哲学者エンペドクレスです。

流転説と不変説の対立を、もう一段高いところに上げさせるため、エンペドクレスは四元素説というものをもちこみました。「すべてのものは、火と、水と、土と、空気の四つで成りたっている」というものです。これはのちに「四元説」とよばれるようになり、エンペドクレスの時代に続くプラトンやアリストテレスなども、この四元説を思想の前提にすることになりました。

こうすることによって、世のすべてのものは「火と土が組みあわさったものだ」とか、「水と土が組みあわさったものだ」とか、もとにある四つのものを組みあわせることでできていると説明することができます。

ヘラクレイトスが「火」のみがすべてのものの大元であると考えたのとちがって、四つのものをすべての構成要素とすれば無理はなくなります。また、この四つの構成要素自体は不変であるとしているため、パルメニデスが唱えた不変説とも根本的に対立することはありません。

理論の鋭く立つエンペドクレスは、その人となりからも、鋭いまなざしを感じられた人物だったようです。彼は当時の時代で80万人もの人口を擁し繁栄を極めていた地元アクラガス(いまのイタリアのアグリジェンド)について、こう述べたといいます。

「アクラガスの人びとは、まるで明日にでも死ぬかのような贅沢な暮らしをしているが、しかし住居のほうは、永遠に生きつづけるであるかのような家を建てている」

エンペドクレスは、役人を嫌っていたことも伝えられています。役人のひとりから食事に招待されたことがありました。ところが、宴たけなわになってきたにもかかわらず、酒が食卓に出てきません。ほかの招待された市民は黙っていましたが、エンペドクレスは「酒が来ないではないか」と招待主に言いました。

すると、招待主は「もうすぐほかの役人さまがご到着なさいますので、いらっしゃいましたらお酒を用意します」

さて、その役人がやってきました。すると、その役人はすぐに独裁者的な態度をとりはじめたといいます。「いいか、みなのもの、酒を飲むか、さもなくば、酒を頭からかけろ!」。

この場では、エンペドクレスはただ沈黙をつらぬいていました。しかし、その翌日、彼は招待主と後からやってきて独裁的な態度をとった役人を法廷で訴えて、死刑に処すことに成功したといわれています。

役人に対しては、きわめて冷徹だったのかもしれません。しかし、彼は思想のなかで「愛」というものも重視していたのです。

すべてのもののもととなっている火、水、土、空気の四つは結びつきもしますし、離れることもあります。それぞれのものどうしを引き合わせるものは「愛」であり、ぎゃくに遠ざけてしまうものは「争いや憎しみ」であると彼は考えたのです。

いまの科学を知っている現代の人びとからすると、元素の融合と分離に、愛と争いをもちだす点は、かなり非科学的にうつるかもしれません。

しかし、世の中の元素は複数の種類があり、それらの結びつき方によって、さまざまな表現形になるという考え方は、人びとの自然への見方に大きな影響をあたえました。了。

参考文献
ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝』
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「流転」と「不変」の高みを導く(1)
古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(紀元前535年ごろ-紀元前475年ごろ)は、すべてのものは火でできていて、土や水は、すべて火の交換物であると考えました。火の象徴である太陽の存在が、ヘラクレイトスにとっては大きかったのでしょう。

ヘラクレイトスの理論は、すべてのものは、火から始まって、水へ、土へと代わっていくということから、「万物流転説」などとのちによばれるようになりました。

いっぽうで、ヘラクレイトスとはぎゃくに、「すべてのものはかわらない」と考えた同時代の哲学者もいました。パルメニデス(紀元前515年ごろ-没年不詳)です。彼は、ひとつのものがほかのものにかわっていくというのであれば、その最初にあったものはいったいなにからかわって最初のものになったのだと言いました。


パルメニデス

こうして、「万物流転説」とは逆の説をパルメニデスは唱えるようになりました。しかし、実際この世界には、火も土も水も空気もあります。パルメニデスもそれを否定するわけには行かないでしょう。

パルメニデスは、感覚的なものよりも理性的なものに真実があると考えました。そして、かわっていくかように見えるものは、すべて“仮像”であるとしたのでした。哲学には、真理をもとにしたものと思惑をもとにしたものがあると考え、真理のもとにあるものは理性であって感覚ではないと考えたのです。

すべてのものは変わるというヘラクレイトスの考えと、すべてはかわらないというパルメニデスの考え。このどちらを信じるべきなのでしょうか。

対立したり、矛盾したりしていそうなことのなかからも新しい考え方というものは出てくるものです。この世界のギリシャ哲学の世界には、もうひとり、エンペドクレスという人物がいました。エンペドクレスといいます。つづく。
| - | 23:59 | comments(0) | -
講談社「リケジョ」プロジェクトを本格的に始める


講談社が、(2010年)6月から「リケジョ」というプロジェクトを本格的にはじめています。会員誌の企画・編集に参加しました。

世の中、歴史愛好女性の「レキジョ」が流行。いっぽう、「リケジョ」は、理系分野で活躍する女性や、これから理系を目指す女の子のこと。「リケジョ」プロジェクトは、理学進学を目指している女子中高生の進路選択を応援するものです。

このプロジェクトは会員制で、2010年7月31日まではモニター会員を募集中。8月31日までの期間中は無料です。

講談社が「リケジョ」を雑誌でなく、“プロジェクト”と銘うっているのは、さまざまな媒体により理系を目指す女子を支援していくためのもの。

会員専用ホームページには、150人以上の「先輩リケジョ」が、会員からの進路についての質問などに直接答える「先輩リケジョQ&Aルーム」を設けています。解答者は、京都大学大学院農学研究科、東京大学大学院理学系研究科などの研究者のたまごや、環境装置メーカー企画職や医師など民間で働いている人たちなど。

また、会員ホームページには大学データベースもあります。大学の所在地や学生数などの基本データのほか、学部の女子学生比率や寮の定員数など、理系女子学生にとって必要な情報を提供していきます。

さらに、大学卒業後の進路情報として、理系の職種を「食を届ける」「モノをつくる」「命を救う」などの切り口で12分野にわけて情報提供する「リケジョブ」のサービスもあります。

もちろん、合わせて雑誌も創刊。6月初旬に会員誌『リケジョ』の創刊プレ号を発行しました。

「リケジョブ」の一分野として「“きれい”にかかわるお仕事が知りたい!」という特集を組んでいます。日本医科大学医学部出身の皮膚科女医、信州大学繊維学部出身で福助につとめる女性、杏林大学保健学部出身で計測機器製造業タニタの商品・販売企画課ではたらく女性などが登場して、いまの仕事の魅力などを語っています。

科学の話題に焦点をあてた「リケジョサイエンス」では「深くて甘〜いスイーツの世界へようこそ」というスイーツ特集。甘さを感じるメカニズムなどの疑問を解消するQ&A、民間企業とスイーツを共同開発した大学研究室のルポルタージュ、さらに“機能性スイーツ”の紹介をしています。

このところ、大学も理系学科に女性学生をとりこむことに積極的です。背景には、少子化もあるのでしょう。入学者を確保するため、これまで少なかった理系女子を増やそうとする試みです。

一世代前までは、親が娘よりも息子のほうに教育や進路への投資をし、女子が理系に進学することには積極的ではないという時代もありました。しかし、女性が社会に進出するなかで企業は、男女問わず実力のある人を重視する傾向は少しずつ高まってきています。娘を理系分野に進学させて、より具体的な学びをさせたいという親も増えてきていることでしょう。

今後、講談社は会員誌『リケジョ』は定期的に発行をしてく予定です。講談社「リケジョ」のホームページはこちら。
| - | 23:59 | comments(0) | -
頭を抱えるチームメイト、口を開くガララーガ


(2010年)6月2日に行われた米国大リーグのデトロイト・タイガース対クリーブランド・インディアンズ戦で、タイガースのアルマンド・ガララーガ投手が9回2死まで完全に相手打者を抑えながら、最後の打者の内野ゴロを審判がセーフと誤審したため、完全試合を逃すというできごとがありました。

試合後、審判当人も「私のキャリアで最大のコールだった。若い選手の完全試合を台無しにしてしまった」と誤審を認めています。

問題となった場面は、ユーチューブなどでも見ることができます。打者が一塁に駆け込むより、最後に打球を処理したガララーガ投手のグラブに球が入るのが早いのは明らかです。

さて、審判が「セーフ」と告げたあと、映像では選手や観戦者の表情が映しだされます。多くの人が、“頭を抱える”しぐさをしていることがわかります。

「頭を抱える」は、困ったときや途方に暮れたときの状態を表す比喩として使われるもの。しかし、この場面では、ガララーガ投手とともにゴロを処理した内野手、ほかのチームメイト、球団関係者と思われる背広を着た人物、球を打ったインディアンズの選手でさえ、実際に頭を抱えています。

人はなぜ、途方に暮れたとき頭を抱えるのでしょう。

「頭を抱える」という行為そのものを対象にした研究はなかなか見あたりません。しかし、人の手を動かすしぐさの正体を調べるための実験はあります。

米国アルバータ大学の研究者エレナ・ニコラディスは、二カ国語を使える子どもに、内容のおなじ話を、第一言語と第二言語を使って朗読してもらいました。それぞれで、被験者の子どもの手の動きはどうだったかを観察しました。

エレナ博士の当初の予想に反して、より流暢に話せる言語のほうで手振りがよく見られる結果となりました。

「手振りは、あなたのストーリーの一部を思い起こさせる助けになっている。つまり、手振りが人を記憶や言語にアクセスさせる助けとなるため、話をもっと語ることができるようになるのです」と、エレナ博士はこの研究結果を考察しています。

頭を抱えるという行為は、向こうからなにかが飛んできたとき、危険を回避するための行為でもあります。これは、体のなかで脳も、眼も、口も、鼻も、耳も兼ね備えている頭を守るための行為なのでしょう。

いっぽう、タイガース対インディアンズ戦で、誤審のあとに頭を抱えていた選手たちは、エレナ博士の考察からすると、なにかの言葉を発するために頭を抱えたということがいえるかもしれません。しかし、途方しきっていた彼らからは、なんの言葉も出てこない様子でした。

映像には、頭を抱えていない人も映されました。完全試合を逃してしまったガララーガ投手です。彼はこの場面では言葉も発さず、頭を抱えず、ただ苦笑いをするのみ。

しかし、ガララーガ投手は試合後、取材で完全試合を達成できなかったことを訊かれると口を開いてこう話したといいます。「完全な人間は誰もいないさ」。

参考記事
Science News2005年5月11日記事“Hand Gestures Linked To Better Speaking”
| - | 23:59 | comments(0) | -
「キッチン南海」のカレーライス――カレーまみれのアネクドート(22)


背広を脱いだサラリーマンが汗を拭いながらスポーツ新聞をよんだり、学生が古本屋で買ったばかりの文庫をよんでいたり。気どらない洋食屋が、東京・神田神保町にある「キッチン南海」です。

店を入ると狭い通路とカウンター。その奥に4人がけのテーブルがありますが、一人客が相席で座っていることもしばしば。店のなかは、カウンターごしの厨房でコックがフライパンで肉を炒めている音が響きわたるばかりです。

洋食屋のカレーライスというと、ハンバーグや揚げものなどがならぶ献立の“脇をかためる”存在になりがちです。キッチン南海のカレーライスはそうではありません。客は、しょうが焼きとフライの定食を注文するか、カレーライスやカツカレーなどのカレー類を注文するか、大きくふたつにわかれています。

キッチン南海のカレーライスは、これまた気どらないカレーライス。大皿に盛られたライスにルウがたっぷりと掛けられる、ただこれだけです。

はじめてカレーライスを頼む客は、ルウの色に驚くことでしょう。典条の白色灯に照らされたルウが黒光りしています。カウンターにおいてある揚げもの用のソースとくらべても遜色ないほどの色の濃さです。

ところが味のほうはソースっぽくありません。色ほどにこてこてもしていません。辛さでいえば中辛。辛さよりもコクで味わわせるカレーです。気持ちやわらかめのライスとの相性もよし。

キッチン南海に足しげくかよう客は、きょうもまた店の前で考えているかもしれません。「きょうは、しょうが焼きで行くか、それともカレーにするか」と。

キッチン南海神保町店の情報は、こちらで。
| - | 23:59 | comments(0) | -
知ることから始める高血圧治療(9)

高血圧というと、「塩分の摂りすぎかもしれない」「脂っこいものの食べすぎかもしれない」「ストレスが原因かもしれない」「たばこかも」「いや、酒かも」「遺伝にしておこう」などと、さまざまな原因を思いうかべることができます。

これらの原因は「これこそが原因だ」と決めつけることはできません。こうした種類の高血圧は本態性高血圧といいます。高血圧患者の95%は本態性高血圧によるものといわれています。

いっぽう、高血圧をきたす原因が明らかな場合もあります。こちらは、二次性高血圧といいます。

二次性高血圧の多くは、腎臓などのからだの器官に異常があると起きます。

このうち、頻度がわりかし高いのが、腎実質性疾患という病気が原因でおきる高血圧です。腎臓は、毛細血管が糸まり状になった糸球体や、ふくろ状のかたちをした腎盂という部分などがありますが、腎実質性疾患は、これらの部分におきる異常です。蛋白尿などが見られると、この病気の疑いがあります。高血圧になると、腎臓への影響がさらに大きくなりますので、血圧を下げる治療は大切になります。

また、腎血管性高血圧は、腎臓をつくる動脈が狭くなったり閉じたりすることでおきる高血圧です。すべての高血圧患者の1%は、この腎血管性といいます。

ホルモンをつくるからだの器官は内分泌臓器といいます。この内分泌臓器が腫瘍となり、ホルモンが出すぎることで高血圧になることがあります。おもな病気は、副腎皮質というところからでるアルデステロンが濃くなる原発性アルデステロン症や、副腎髄質というところ出るカテコールアミンが濃くなる褐色細胞腫などです。

また、高血圧がひきがねになり脳卒中がおきるのとは逆に、脳卒中や脳外傷により高血圧が引き起こされるという矢印もあります。

社会問題にもなっている、睡眠時無呼吸症候群も二次性高血圧とのつながりが強くあります。本人は眠っているつもりでも、体のスイッチは“リラックスモード”にならないために夜間から朝方にかけて血圧が高い状態がつづくということです。

高血圧の診断では、まず、本態性のまえにこれらの二次性高血圧の原因となる病気がないかを診ることから始めます。高血圧の原因が明らかあれば、それを取り除くことで高血圧を解消できるという理論からです。

しかし、高血圧とともに、これらの病気も深刻なもの。単に高血圧を治すための治療ではなく、総合的に病気を治療することになります。

「高血圧治療ガイドライン」は、2000年に発行され、2004年と2009年に改訂がありました。いまもまだ、高血圧についてはわからない点が多くあります。今後もあらたな知識が疫学的研究や臨床試験でわかってきたところで、ガイドラインは改められていくことになりそうです。了。

参考文献
『高血圧治療ガイドライン2009ダイジェスト』
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