科学技術のアネクドート

書評『新エネルギー源の発見』
アマゾンなどのインターネット書店で本を買うと、想像していた内容とかなり異なる場合もあります。大人がこの本を注文した場合もそうなるかもしれません。「なんだ、子ども向けの本か」と。しかし、この本に限っては、それだけでは終わらなさそうです。


大きな判型、大きな活字、そして「図書館用堅牢製本図書」。この本が、学校図書館などにおかれて、子どもに読まれることをねらいとしているのは明らかだ。しかし、大人が読んでも、じつに貴重な読書体験を得られることになるだろう。

新エネルギーや再生可能エネルギーとよばれるエネルギーを中心に、その技術を誰がどのようなきっかけで発明したかが書かれある。

この本は翻訳書で、もともと英国で書かれたものだ。情報は、あまり日本人向けに加工されていない。しかし、日本人の視点に立っていない点が、かえって新鮮さを与える。

たとえば、新エネルギーがたくさん登場する中で、最初に説明があるのは風力発電だ。日本の本であれば、まず太陽光発電となりそうだが、太陽光発電は「太陽エネルギー」の項目内で、太陽熱発電の説明のつぎに出てくる。

エネルギー開発に貢献する科学については輝かしい栄光がある英国だが、こと新エネルギーの技術開発となるとあまりぱっとしない。逆に、だからこそ中立的な視点でエネルギーのことが捉えられているといえそうだ。

さらに、日本ではあまり知られていない新エネルギーの開発話もふんだんに紹介されている。「ゲサ風車」(ブレードが3枚の主流型風車)とか、「ラッセル・オール」(ラジオの技術開発から太陽電池の性質を発見した米国化学者)とか、グーグルで日本語検索をしても検索されないような固有名詞がたくさん出てくる。数ある新エネルギーの“ことはじめ”を、これほど明解に伝える本は日本にはなかったのではないか。

子ども向けだからといって決してあなどってはならない本が出版された。大人が新エネルギーの歴史をすばやく把握するのに最適の児童書だ。

『新エネルギー源の発見』はこちらでどうぞ。
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薬が広く使われるまでに長い階段


医薬製造業などが医薬品や医療機器を製品として製造・販売するためには、日本では国からの承認を受ける必要があります。ただし、「これ、作ってみたので売りますよ」「うん、わかったよ」というほど簡単に承認がおりるわけではありません。

医薬品や医療機器の製造・販売が承認されるため、医薬製造業はさまざまな“階段”をのぼっていかなければなりません。

基礎研究をして医薬品や医療機器の開発の算段がついたら、まず動物などにより開発品の効果をためす前臨床試験を行います。いきなり人間相手では危険が高いため、動物で効果のデータを集めるのです。

そのうえで、医薬製造業は「人間を相手にした試験を始めさせてください」という治験計画届 を厚生労働大臣に提出する必要があります。こうして始まるのが臨床試験。治験ともいいます。

この臨床試験も「相」という名前で細かく段階がわかれています。

第I相では、健康な成人を対象に、薬が体のなかでどのように吸収、分布、代謝、排泄されるかを見たり、副作用などの有害性はないかを見たりします。

第II相では、今度は軽度な患者を対象にして同様の試験を行います。

第II相では、実際にその薬を使うことが考えられる患者を対象にした試験です。より実用化に近づくため、第I相や第II相より大規模に行われます。

医薬製造業は、こうした臨床試験の実績を重ねた上で、「これだけの試験をしまして、効果も安全性もまちがいありませんので製造・販売させてください」と、国に申請します。これが、製造販売承認申請です。これを受けて厚生労働省が所轄する医薬品医療機器総合機構がその製品を審査。承認されると、医薬品あるいは医薬機器として製造できることになります。

しかし、承認がおりたからといって医薬製造業は喜んでばかりはいられません。その医薬品や医薬機器に保険が適用されなければ、「あの製品は高価だから手が出せないや」となってしまいます。そこで、製造・販売する品に保険が適用されるよう、保険収載の努力をすることになります。

こうして基礎研究から保険収載までのあいだに、いくつもの候補が淘汰されていき、ほんの一握りの製品が広く治療に使われることになります。
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科学技術コミュニケーターの無給状況つづく
 三菱総合研究所科学・安全政策研究本部ホームページの「ウイークリーコラム」に、科学技術研究グループ研究員の小野槙子さんが、「科学技術コミュニケーターの奮闘を支える」というコラムを寄稿しています。小野さんは、北海道大学の科学技術コミュニケーター養成ユニット出身。

コラムの説明では、科学技術コミュニケーターは「研究の中で生まれた科学技術情報を、何らかの方法によって一般の人たちと結びつけようとしている人たち」とあります。具体的には、科学ライターのほか、研究所、博物館・科学館、教育現場で活動する人たち……。

小野さんは、科学技術コミュニケーターの現状を、「需要が高まっているのかもしれない」としながらも、「サイエンス・ライターなどほんの一握りの人たち」をのぞいて、「多くはボランティアとして草の根的活動に留まっている」と説明します。

なぜ、科学技術コミュニケーターには、無給奉仕者が多いのでしょう。つぎの3点が理由として上がっています。

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科学技術コミュニケーターの存在意義が、研究者自身を含めた広く世の中に理解されていない。

活動資金等の裏づけがないため、活動が持続しない。サイエンス・カフェなどのイベントなどは、「出ては消える」状態である。

活動の受け手が限られている。「科学技術」と聞いて、今の日本ではほとんどの人がげんなりする状態である。結局イベントなどに参加する一般の人は、一部の元々科学技術に興味を持っていた人に限られており、無関心層に働きかけるのは難しい。
―――――

これらの理由をひとことでいえば、「科学技術コミュニケーターの活動が深く根付いていないから」ということになるのでしょう。まさに「草の根」の現状です。

しかし、3番目の科学技術に対する気嫌いについては、それを脱しつつある気配もあります。(2009年)3月13日に内閣府が発表した「科学技術と社会に関する世論調査」によると、「科学技術についてのニュースに関心がある」と解答した人は63%。これは2007年の62%を2ポイントうわまわり、過去最高になりました。

「景気回復が実感できない」という言葉がよくあります。世の中には、「科学技術に対する関心度の高まりを実感できない」といった集団心理状態もあるのかもしれません。

科学技術コミュニケーターによる活動が奏功して市民の科学技術のニュースへの関心が高くなったことも考えられます。もし、そうだとすれば、科学技術コミュニケーション活動は成功をおさめたことになります。

しかし、それでもなお、無給奉仕の現状が変わらず、それが問題になっているのだとすれば、社会のしくみに問題がありそうです。原稿料の制度がむかしから確立されていた科学技術ライターのような職業とちがって、科学技術コミュニケーターという新しい社会的役割に対価が支払われることもまだ根付いていないというのが現状のようです。

小野さんは、「科学技術コミュニケーターの供給側のエネルギーは充分である。必要なのは、コミュニケーターと科学技術をつなぐ強力なパイプ、安定した活動の場である」と述べています。

三菱総合研究所科学・安全政策研究本部「科学技術コミュニケーターの奮闘を支える」はこちらで読めます。
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子どもには子どもの挨拶


義務教育で学んだことは、大人になってからじわじわと役立つようになるとよくいわれます。平城遷都は710年で「“納豆”食べたい平城京」。平安遷都は794年で「“鳴くよ”うぐいす平安京」……。こうした学習があったからこそ、必要なときいつでも時代区分を頭の引き出しから出せるというもの。

しかし、子どものころ学校で学んだことが、大人の社会で通用するかというと、かならずしもそうでないことがあります。

“わかれの挨拶のしかた”もそのひとつ。

1日の授業が終わり、学級活動の時間が済むと、日直の号令とともに、「さようなら」。先生も「はい、さようなら」。

これが、毎日のわかれの挨拶としてあたりまえでした。しかし、大人の社会では「さようなら」は、より重大な意味をもつ傾向が強くあります。

仕事を終えた部下が部長に向かって「部長、今日もありがとうございました。さようなら」と言えば、部長は「……さよならって」と、違和感をもつことになりそうです。あるいは不安を抱くかもしれません「さよならって、まさかあいつ……」。

逆に部長が、先に仕事を終えた部下に「おう。さようなら」と声をかけても、部下は「俺、クビになったのかな」などと不安に思うことでしょう。

別れの挨拶をしたあと、両者が次にコミュニケーションをとるまでに間ができますから、最後に交わし合った言葉は重要になります。

多くの会社や大人の組織集団でのわかれの挨拶は、部下が「お先に失礼します」と言って、上司が「お疲れさん」などと答えるのが通例となっています。

「さようなら」は、もともと「左様なら」あるいは「然様なら」から来ているもの。「それでは」のような意味で、そのうしろに「帰ります」とか「失礼します」といったことばが省かれているわけです。これからすると「じゃあね」や「ほなね」も「さようなら」に入るでしょう。

しかし「さようなら」を単独で使うと、やはり「もう、しばらくは会わない」とか「本当にお別れだ」といった意味が強くなってしまいます。

では、小学校や中学校などで、学級活動が終わったとき、生徒が「お先に失礼します」と言い、先生が「はい、お疲れさんでした」というべきなのでしょうか。

方針によっては、この挨拶を励行している学校もきっとあるのでしょう。しかし、挨拶のしかたも“年相応”というものがあるもの。子どもが「さようなら」といって日々下校するのに違和感がないかぎり、子どものわかれの挨拶は「さようなら」でもじゅうぶん通用しているわけです。

いまは年度末。大人の社会でも子どものころに挨拶した「さようなら」が、すこし違う意味で使われる季節でもあります。
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「カレーの店 夕月」の夕月カレー――カレーまみれのアネクドート(20)


長崎市内で展開する「カレーの夕月」のカレーは、見た目が特徴的です。

盛られるルーは、ショッキングピンクあるいはサーモンピンクがかった色。真白なご飯の色と対照的。この生えたルーの色がちょうど三日月のようなかたちをしています。

味のほうは、食べていくうちにじんわりと辛くなる程度で基本は甘みの強いカレーです。ほのかに、ポタージュあるいはクリームシチューのような風味が鼻に届きます。

お店のホームページにも「実はどちらかと言うと、想像以上にまろやかな風味のカレーなのです。カレーなのにまろやかな味の秘密、それは夕月カレーの誕生から一度も変わっていないスパイスの調合と、ルゥの中に溶け込んだ野菜とのバランスにあります」とあります。

市内のショッピングモール「みらい長崎ココウォーク」にある支店の店員いわく、「色が関わっているって……。そうですね、うふふ。何が入っているかですって……。それは秘密です」とのこと。やはり企業秘密のようです。

具は少なめながら、ルーとご飯がちょうどよい按配の比率。ペース配分に苦労することなく食べることもできるでしょう。

夕月は創業1958年という地元では伝統的なカレー店。お店のホームページから、カレーパックを購入することもできます。

「カレーの店 夕月」のホームページはこちらです。
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「ところが」の第一義は「したところが」
 段落のなかの前の文章と後の文章のあいだには、ふつう何らかのつながりがあります。

入学試験の現代文対策などで、予備校講師が強調するのが、「逆接の関係を示すことばに注意」ということ。逆説の関係を示すことばとは、「でも」「だが」「しかし」「ところが」などです。逆説の関係を示すことばが出てくる場合、その言葉より後の文章のほうが意味が重くなり、前の文章は後にくる文章の引き立て役になるといいます。

「今日は雨だった。でも、温かかった」

逆説の関係を示す言葉があるなかで「ところが」は、ほかのことばより、かなり異なる位置づけにありそうです。

一般的に「ところが」が使われる場面では、局面転換や時間経過などがともなうことが多いようです。

「朝は雨だった。ところが、昼からはかんかん照りになった」
「朝は雨だった。しかし、昼からはかんかん照りになった」

後者の「しかし」を使う場合でも、意味が通じないわけではありません。しかし、前者の「ところが」を使うほうが、状況が一気に転換されることを感じられます。

しかし、辞書で「ところが」を見てみると、その定義はかなり一般的な語感とは異なることがわかります。『広辞苑』には次のようにあります。

ところが【所が】
助詞(1)「したところ(が)」の形で、後のことが続くことを示す。順接にも逆接にもなる。…すると。…たけれども。「応募した―すぐ採用された」(2)仮定の逆接を表す。たとえ…しても。「考えた―分かるはずもない」
接続
しかるに。そうであるのに。

「助詞」が最初に来ているということは、やはり「したところが」の使い方が本来的なのでしょう。しかも「順接にも逆接にもなる」とあります。

「接続詞」で使われる場合の意味は「しかるに」「そうであるのに」。これらは、とくに局面転換や時間経過などの要素を含む必要はなさそうです。

ちなみに「だが」の項目を見てみると、「しかし。けれども」とあり、「しかし」の項目を見ると「そうではあるが。けれども」とあります。

こうして、逆接の言葉を辞書でたどっていくと“ぐるぐる回り”になってしまいそうです。

「ところが」が局面転換や時間経過を含んでいることは、「したところが」に見られるように、動詞を受けての次につなぐ言葉だったことが由来としてありそうです。
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日本人の“寒がり化”


まだ寒さは残りますが、ようやく季節は冬から春へと移ってきました。

日本の風土的特徴のひとつははっきりした四季があることです。しかし、「住む」という点からすると、暑い夏と寒い冬の両方があるため過酷ともいえます。

とくに、電気がまだなく冷房や暖房の設備がなかった古い時代は、いまよりずっと過酷だったのでしょう。

鎌倉時代の歌人である兼好法師(1283-1352)は『徒然草』のなかで、居住環境をどの季節に合わせるのがよいか、つぎのようにつづっています。

「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなるところにも住まる。暑き頃、わろき住居は堪えがたきことなり」

つまり、夏をしのぐことを考えた住まいをつくるべきで、冬はどうとでもしのぐことができる、という旨を兼好法師は述べています。

ときは変わって現代。『理科年表』には「暖房日数」と「冷房日数」という値がのっています。暖房日数とは、1日の平均気温が10℃以下の平年の初日から終日までの日数のこと。冷房日数とは、1日の平均気温が24℃以上の平年の初日から終日までの日数のこと。

兼好法師が「むねとすべし」と述べていた夏ですが、冷房日数を見てみると、札幌は0日、仙台は26日、東京は65日、京都は75日、大阪は83日、鹿児島は94日、那覇は153日などとなっています(1961-1990年)。

いっぽう、兼好法師が「いかなるところにも住まる」と述べたのは冬。では、暖房日数はというと、札幌194日、仙台158日、東京117日、京都127日、大阪117日、鹿児島89日、那覇0日などとなっています(同)。

鹿児島や那覇などの南国をのぞいて、大部分の都市は暖房日数より冷房日数のほうが多いわけです。

温暖化が進めば、冷房を使う日数がより多くはなってくるでしょう。いっぽうで、昔の日本人に比べていまの現代人の“寒がり化”も進んでいるのかもしれません。
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“産廃Gメン”が「自由会議」を運営
 『産廃コネクション』『リサイクルアンダーワールド』『スクラップエコノミー』などの著書で知られる石渡正佳さんが、「石渡メソッド自由会議」というホームページを立ち上げています。

石渡さんは千葉県の職員。産業廃棄物の不法投棄を取り締まる“産廃Gメン”として、千葉県内の不法投棄現場を取り締まり、不法投棄件数を激減させるなどしてきました。触発された地方自治体も多く、不法投棄取り締まりは全国的に波及しました。

しかし、石渡さんによると、2008年秋以降の経済不況により、産業廃棄物処理業界も厳しい経営を迫られることになりました。それにより、不法投棄、とりわけダンプに不法の廃棄物を積んで夜闇に乗じて捨て去っていく“ゲリラ投棄”がまた増加しています。

このような背景から、石渡さんは「産廃処理業界全体の優良化を支援する」ことを目指して、個人ホームページ「石渡メソッド自由会議」を2010年1月に開始しました。

ホームページの看板に掲げられている「石渡メソッド」とは、石渡さんが開発した産廃処理業者経営診断法。産業廃棄物処理事業振興財団という団体が運営する「産廃情報ネット」で公開されている産廃処理業者の経営情報を分析することが主眼です。

石渡さんはこの「会議」を非営利で行っているため、だれもが自由に利用できます。いまのところ、産廃業者に対する評価制度である「中間処理エキスパート」に認定された55社の分析を完了し、一次スクリーニング検証、二次生産性検証、三次総括検証を公開中です。

「石渡メソッド自由会議」はこちら。
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「人のことは人でないとわからない」


きょう(2010年3月24日)、東京・内幸町の日本記者クラブで、東京大学大学院薬学系研究科教授の杉山雄一さんによる講演会が行われました。主催は生命科学フォーラム。講演の主題は「薬物トランスポーター研究 創薬支援における重要性」。

杉山さんは、薬を患部まで届かせる役割をになう“トランスポーター”あるいは“運び屋”とよばれる分子を研究してきました。薬の運ばれ方を、数学的により評価する手法を開発しています。

「よく使う絵があるのです」と言って、杉山さんは1枚のグラフを示します。おなじ図をインターネット上でも見ることができます(5ページ目)。四角、三角、丸の点がそれぞれ20個から60個ほど、第一象限に散らばっています。相関関係のなさそうな“てんでばらばら”な点だらけ。

このグラフは、縦軸に「ヒトのバイオアベイラビリティ」を、横軸に「動物のバイオアベイラビリティ」をとったもの。バイオアベイラビリティは薬学用語で、「体にとりこんだ薬が、どれだけ体内でも薬として利用されるか」といったもの。たとえば、ある薬について飲んだ分がすべて薬として作用すれば、その薬のバイオアベイラビリティは100になります。

グラフは、ある薬について、動物実験をしたときのバイオアベイラビリティと、ヒトで実験したときのバイオアベイラビリティがそれぞれどのくらいかが第一象限に記されているのです。四角形、三角形、丸は、実験対象となった動物の中でも、それぞれ霊長類、イヌ、げっ歯類を表しています。

もし、ある薬について、「動物でのバイオアベイラビリティが100、ヒトでのバイオアベイラビリティも100」という結果になれば、グラフの点は、横軸が100、縦軸も100の座標におかれます。「動物でのバイオアベイラビリティが50、ヒトでのバイオアベイラビリティも50」という結果がでた薬は、横軸が50、縦軸も50に。動物実験でもヒトへの実験でも、おなじ程度のバイオアベイラビリティとなれば、グラフの点は原点から右上にきれいにならぶはずです。

しかし、示されたグラフは、“てんでばらばら”。動物ではバイオアベイラビリティが100だったのにヒトでは20のものや、動物では20だったのにヒトでは100のものなどもあります。

薬の治験では、まず動物実験で効き目などを把握してから、次の段階としてヒトで実験を行うのが手順。しかし、バイオアベイラビリティに関するかぎり、動物で効いたからといって、ヒトに効くとはかぎらないようです。逆もまた真なりです。「人のことは人でないとわからない」と杉山さん。

杉山さんは現在、動物実験で薬のバイオアベイラビリティなどを調べるのでなく、ヒトにごく微量の薬をあたえてみて、それがどう作用するかを調べる「マイクロドーズ臨床試験」という方法の実現に向けた研究などを行っています。この研究などにより、臨床試験段階で候補になった薬が実際に市場化される率が8%から30%に高まることが期待されています。
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1型糖尿病の根本治療研究に助成、研究を公募中


昨2009年8月28日の記事で、特定非営利活動法人「日本IDDMネットワーク」がつくった1型糖尿病の広報映像について紹介しました。

IDDMは、“Insulin Dependent Diabetes Mellitus”の頭文字をとったもの。「インシュリン依存型糖尿病」と訳されます。体に取り入れられた糖を処理するインシュリンという物質そのものが欠乏する種類の糖尿病で、「1型糖尿病」ともよばれています。

日本IDDMネットワークは、1型糖尿病や小児糖尿病、また若年発症糖尿病の患者の自立を支援する団体です。

支援の一貫として、同ネットワークは「1型糖尿病研究基金」という基金を設けてきました。基金で募ったお金を、1型糖尿病の根本治療を進める研究者に託して、研究開発を進めるためです。これまで200万円の基金を、大阪大学と徳島大学の各研究者に対して助成するなどして、実績と成果をあげてきました。

昨2009年は、プロ野球阪神タイガースの本格派左腕で1型糖尿病患者でもある岩田稔投手が、1勝を上げるごとに10万円を同ネットワークに寄附することを表明。その意思に共感するファンなどからも寄附があり、1年で300万円が集まりました。

そこで同ネットワークは、この300万円分の基金をふたたび1型糖尿病の根治に向けた研究に助成することにしました。4月16日(金)まで募集し、200万円を上限に研究費の助成をする予定です。

2010年6月から2011年3月までに実施する研究が対象で、助成を受けて行った研究についての報告や公表が課されます。

同ネットワークの尾白登紀子さんは、「広く多くの方から応募していただきたい」と話しています。

日本IDDMネットワーク「1型糖尿病研究基金第3回助成金公募のお知らせ」はこちら。
日本IDDMネットワークのホームページはこちら。
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紙幣をスキャンさせないアドビ
偽札づくりで犯人が逮捕されたというニュースはあとをたちません。日本でも20年に一度ほどされるお札の刷新には、偽造されないための新技術を組み込む目的があります。

犯人からしてみれば、偽札づくりには、本物の模様をスキャニングする技術が必要。これに対して、民間企業は世界の国家銀行を支援すべく技術で対策をとっています。

画像ソフト世界大手のアドビシステムズは、「フォトショップ」や「フォトショップエレメンツ」といった画像処理アプリケーションの最近の版にスキャニング防止の機能を入れています。

紙幣をスキャンすると、スキャニング機は動きますが、そのあと画面に「このアプリケーションでは、紙幣イメージの編集はサポートされていません」の表示が。



「紙幣イメージのコピーと配布の制限に関するインターネットの情報」があると書いてある、“www.rulesforuse.org/”にアクセスすると、「中央銀行偽造防止グループ(CBCDG)」という団体のホームページに行きます。

中央銀行偽造防止グループは、主要10か国の蔵相と中央銀行総裁会議にて中央銀行総裁の要請により組織された、31の中央銀行ならびに銀行券印刷当局からなる組織。日本銀行もこの組織に加盟しています。

中央銀行偽造防止グループは、ホームページでは次のような情報を出しています。

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CBCDGは、パーソナル・コンピュータやデジタル画像処理機器・ソフトウェアが銀行券の偽造に利用されるのを防ぐため、偽造防止システム(Counterfeit Deterrence System <CDS>)を開発しました。CDSは、これを自主的に採用しているハードウェアやソフトウェア・メーカーを通じて、パーソナル・コンピュータやデジタル画像処理機器が、保護された銀行券画像を取り込んだり複製したりすることに用いられるのを防ぐ役割を果たしています。
―――――

複数の海外報道によるとアドビシステムズは、この紙幣スキャン防止技術を、ひそかにアプリケーションに忍ばせていたことを2004年に認めています。もちろん、アドビはその技術の詳細を明らかにしていません。

フォトショップ使用者が紙幣の模様を画像に取り込もうとするのは、紙幣の偽造目的以外がほとんどでしょう。使用者からの「やりすぎだ」という声もあがっています。

中央銀行偽造防止グループ「銀行券とその偽造防止対策について」
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“大学マニア”による『こんな大学で学びたい!』が発売

大学研究家の山内太地さんが、このたび『こんな大学で学びたい! 日本全国773校探訪記』を新潮社から出版しました。山内さんは全国の大学を行脚しつづけ、日本の4年制大学773校すべてを含む1100以上のキャンパスを訪問した経験の持ち主です。

山内さんは「大学マニア」を自認。さまざまな大学を訪れてみると、見えてきたのは「大学の優劣を偏差値で決め付けるのではなく、それぞれの大学に、そしてそれぞれの人に価値があるということだった」といいます。偏差値という括りでない、大学の個性はあるものです。

本は全6章からなります。

第1章「大学めぐり事始め」は、大学マニアになったきっかけを語る章。

第2章から第5章には、それぞれ「さすが! 伝統校の実力」「教育熱心! 環境良好!」「がんばれ地方大学! 47都道府県イッキ語り」という、それぞれの切り口から大学を語った章が並びます。

さらに、第6章「大学マニアは見た! びっくりキャンパス大集合!」では、“卒業生の4人に1人が進路不明”や“年収220万円のフリーター先生”がいる大学を匿名で紹介しています。

ここ5年ほど、大学にも淘汰の波が来るといわれてきました。2007年、国立の大阪外国語大学が大阪大学に統合されたり、北海道の私立短大・文化女子室蘭短期大学が2009年に閉校したりなど、その兆しが見えつつあります。校風や学校文化は学生や教員により自然につくられていくものである反面、大学が存続のため個性や魅力をつくりだしていくことが求められています。

山内さんは、「優れた教育、研究などに取り組んでいる大学を、偏差値に関係なく紹介した。700以上の大学をコメントで紹介しているほか、とくに注目する大学は取材写真入りでくわしく案内している」と話しています。

『こんな大学で学びたい! 日本全国773校探訪記』はこちらで。
山内太地さんのブログ「世界の大学めぐり」による本の内容紹介はこちら。
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2月の影響を受けるのは3月

毎月、決められた日に締め切りがやってくる人びとにとって、3月は“鬼門”です。2月の短さの“つけ”が、3月にやってくるからです。

たとえば、きょう「19日」に連載の原稿を提出しなければならない物書きは、先月の締切日である2月19日から数えて28日後にしあげなければなりません。1月19日から2月19日までは31日間なので、3日も短いことになります。

3月の締め切りまでの日数は、ふだんより“31分の28”倍に短縮されるわけです。これは、ふだん31秒でこなせばよいことを28秒でこなさなければならないのとおなじ。1日の長さが24時間であるのは何月でも変わらないので気づかれづらいですが、3月はかなりのペースアップを求められることになります。

なぜ、2月は短いのでしょう。

いまの暦の源流は、古代ローマ時代にさかのぼります。じつは、1年のうち冬のあいだには、月に名前がついていませんでした。冬は、農作業もお休みなので、月に名前がなくても困る人はいませんでした。なので、名前のついた月が始まるのは3月からだったといいます。つまり、1年の始まりの月は3月だったのです。

その後、冬の月にも名前がつきました。さらにユリウス・シーザー(紀元前100-紀元前44)がローマをおさめた時代には、1年を365日にすることや、1年の始まりの月を1月にすることが決まりました。しかし、3月が年のはじめとする文化は根強かったため、2月が閏年の調整月になりました。

じつは、このシーザーの時代には、2月は30日あったといいます。閏年の年でも29日。いっぽうで、8月がいまより1日少ない30日間だったのです。

2月が1日減ってしまったのは、カエサルの養子であり後に皇帝となったアウグストゥス(紀元前63-紀元14、画像)のしわざ。アウグストゥスは、8月を1日増やして31日にしました。しかも、自分の名前になぞらえて、8月の月名を「オーガスト」にするなど、暦に対して威勢をふるいました。

結果、2月は1日減り、閏年でも29日、ふつうは28日になったのです。

2月が短くなった影響を受けるのは3月。アウグストゥスの暦改革のとばっちりを受けるのは現代人。

日本では、大型連休を地域ごとに振り分けることが政府により検討されています。しかし、一年が何日であり、ひと月が何日であるかは基本的に全世界共通。2月を1日増やして、別の月の31日を1日減らすのは、そう簡単ではありますまい。

参考記事
読売オンライン「2月はなぜ28日まで」
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「科学するこころ」を開いて4年目


科学技術振興機構の理科教育雑誌『サイエンスウィンドウ』の2010年春号が発行されました。文部科学省系の独立行政法人が出す、学校の先生を対象にした雑誌です。コンセプトは「科学するこころを開く窓」。

2007年創刊の雑誌は、この号で4年目。毎号、理科や科学技術に関する特集テーマと、「かがくを伝える舞台裏」や「サイエンスのお仕事図鑑」などといった連載でなりたっています。

春号の特集は、「いただきますの向こう側」。札幌市八軒北小学校を取材しています。同校は「さっぽろ学校給食フードリサイクル」という取り組みのモデル校。給食で出た生ごみの堆肥化を進めているとのこと。さらに独自に、子どもたちが「堆肥くん」とよんでいる生ごみ容器に、ミカンやバナナの皮を入れ、微生物による生ごみの堆肥化もしています。

子どもたちの変化は、給食での野菜料理の残量が減ったことといいます。サラダの残量は23%から6%にまで減ったとも。肥料づくりをすることにより、野菜との結びつきがより強くなり、「食べ残してはいけない」という心が芽生えたのでしょう。

特集の制作協力は、北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット。同講座でとりまとめにあたった藤田貢崇特任教授は、記事で「『食』への問いは限りない冒険にもなる」と話しています。

雑誌ですが、独立行政法人発行のため広告欄はもちろんなく、どのページも理科教育についての情報が満載です。「編集部からのメッセージ」によると、「全国の96%の小中高校に配布されております」(佐藤年緒編集長)。

『サイエンスウィンドウ』は、一般の人がウェブからも読むことができます。ホームページはこちら。
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人が見ているのは枠ごしの世界

ジェームズ・キャメロン監督の映画『アバター』の興業成績が好調です。アカデミー賞では芳しい結果は獲られませんでしたが、多くの人が作品を観るということ自体も評価指標のひとつになるでしょう。

この作品のハード面での特徴は、専用の眼鏡をかけて3次元映像を体験すること。観客の視線が眼鏡の枠内を通過するかぎりにおいて、立体映像の世界を感じることができるわけです。1985年の国際科学技術博覧会(つくば万博)などでも、眼鏡をかけて立体的に見る映像がはやりました。

とはいえ眼鏡の枠ごしの映像体験は、まだめずらしいもの。

しかし、眼鏡をかけない枠ごしの世界体験は、つねに起きていることだといいます。

人は、世の中のものごとを認識するとき、たいがい「フレーム」というものを用意しているといいます。認識の対象に接するとき、その人の頭脳のなかに定められた枠組みがフレームです。フレームは「先入観」と近いものがあります。

たとえば、ある一人の人を認識するとき。かなりの人は「あの人は理系だ」とか「あの人は文系だ」といったフレームを用意するといいます。「理系フレーム」または「文系フレーム」を通してその人と接することになります。

理系出身の人が「あしたの降水確率は30%だそうですよ」と言ってきたとき、「理系フレーム」ごしに「天気を確率的に考えるとは、理系っぽいな」などと、その人の言動を捉えようとします。もちろん、「理系らしく……」などと言葉になるほど強く認識するわけではありませんが。

フレームを当てはめてしまうと、対象とする人の“本質”を見失うことにもなりかねません。「どうせあの連中は“ゆとり世代”だから」などと「ゆとり世代フレーム」ごしに見てしまうと、その人の本当の実力や真心を感じられなくなってしまうかもしれません。

だからといって、フレームを排除すればよいのかというと、そうともかぎりません。人がまわりの人やものごとを認識するとき、フレームがなければその対象を認識しづらくなるからです。フレームなしでは、「なんだか捉えようのない人」とか「どうも落ちつかない出来事」として、認識されるかねません。

人が認識をするうえで、フレームは必要。だとすれば、いろんなフレームを持ち合わせ、時と場合によって掛けかえることが大切なのでしょう。サングラスをかけて『アバター』を観ると、またちがう世界を感じられるかもしれません。
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データをめぐる研究者と報道者のギャップ


きょう(2010年3月16日)、東京・内幸町の日本記者クラブで、国立環境研究所地球環境センターの江守正多さんの講演会が行われました。主催は日本科学技術ジャーナリスト会議。

江守さんは、雑誌、ウェブ、朝まで行われる討論番組などに登場し、“ミスター地球温暖化予測”などともよばれています。報道との接点をもったのは2004年。環境省での記者会見で「具体的な数字ははっきり言えないが」と断わりを入れたにも関わらず、新聞に「2050年の日本 真夏日100日」と書かれた経験から、受け手との間の「ギャップ」を感じたといいます。

江守さんも、一般向けに原稿を書くときなどは、「正確かつ嘘でなく長くない表現を探している」と話します。その例としてあげたのが、気候変動に関する政府間パネルが掲げた2100年までの気候変動予測。

よく、この予測データをめぐって、報道は「最大6.4℃上昇」といった表現を使います。対して江守さんは、このデータも「66%の信頼区間」が前提であることを指摘。6.4℃という上昇幅が完全ではないことを示す留保条件があるということです。

そこで江守さんは「最悪のシナリオの場合、6.4℃もの上昇がありうる」という表現を使っているとのこと。「シナリオ」が複数あることや、6.4℃の上昇を「ありうる」という可能性の話にしているわけです。

地球温暖化に対しては、「温室効果ガスがおもな原因ではないのでは」あるいは「そもそも温暖化していないのでは」といった“懐疑論”も根強くあります。

江守さんは、「地球の気候 当面『寒冷化』」という見出しの新聞記事を紹介。21世紀に入ってからの平均気温が、気候変動に関する政府間パネルが示した温暖化予測と隔たりを見せていることを示すグラフに注目しました。「もっと長い時間軸のグラフを示すべき。予測された変動幅には入っている」と話しました。

研究者の立場から、研究者側と報道側の立場の相互理解を目指す場もつくる江守さん。「相互理解をして立場がよくわかる関係をつくり、どうやればうまく伝わるかを考えていきたい」と話しています。
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書評『日本の空をみつめて』
多忙な人が読めば、束の間こころにゆとりが生まれることでしょう。


著者を「白髪に白い歯の笑顔のNHK気象キャスター」として記憶している人も多いだろう。NHKの解説委員としてテレビカメラの前に立つまでは、気象庁の予報官だった。

太平洋戦争のとき海軍技術少尉として国内で天気図を書いていた。その後、1949年に気象庁に入庁した。空をみつめて60と数年が経つことになる。日本の空模様と自分の人生を振り返ったのが、この『日本の空をみつめて』だ。

気象と季節の関係は切っても切れないものだが、著者の文章からは自然と四季を愛する言葉が出てくる。とりわけ、四季について感銘を受けたのは、兼好法師の『徒然草』に見られる季節感だったという。

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若い頃から『徒然草』をよくひもといた。とくに「季節論」として感銘を受けたのは第百五十五段の「春暮れてのち夏になり、夏はてて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋は則ち寒くなり……木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして、落つるなり」であった。
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こうした四季の移ろいの機微に感動できるのは、著者もまたその機微を感じることができたからだろう。物事の発見を、次のように述べてもいる。

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ディスカバーとはカバーを取り除くことである。その取り除くべきカバーは、発見される事物を覆っているのではなく、多くは見る人の心眼の前に垂れ下がっているのだ。
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ところどころで、その心願は自らの人生にも向けられる。妻に先立たれ、うつ病にかかり自殺を試みたということが赤裸々に語られる。そして人生の晩年を、次のように気象に喩えて表現する。

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やがて必ず木枯らしが吹き荒れ、また泣き喚くにちがいない。が、いまはただ、小春日和にできる仕事を精一杯した上で、「今宵酒あれば今宵酔い、明日愁い来たれば明日愁う」(絶句詩・権審)の心境で過ごしたいと願うのみである。
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気象庁勤務時代、長野県や鹿児島に赴任していたころの連載を主に再録したしたもの。ご当地にちなんだ話題が多い点は、地元の人々にとっては興味の尽きないところだろう。四季折々の豊かな日本語とともに、人の一生とはなにかをしみじみと感じさせる本だ。

『日本の空をみつめて』はこちらでどうぞ。
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ウインカーがこわれたときは手信号


オートバイが交差点で右折や左折をしようとするとき、運転者は「ウインカー」とよばれる方向指示器の明かりを点滅させます。右のウインカーを“カチッカチッカチッ”とさせれば右折の合図。逆もまた同様です。

もしこの方向指示器がこわれて、点滅しなくなってしまった場合、修理が済むまで車を運転してはいけないことになるでしょうか。

通念上はそのようですが、法令上は方向指示器が点滅しなくても運転することができます。運転免許をとりたての方であれば、記憶に新しいかもしれませんが、「手信号」という方法で右折・左折などの合図をほかの運転手に示す方法があります。

片手をハンドルから離して、その手で合図を送ります。たとえば、2輪車を運転するときは、ふつう左手を出すことになっており、左折するときは以下のように左手を横に伸ばします(絵文字は「原付免許を取りたいブログ。」を参考)。

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いっぽう、右折しようとするときは、以下のように左手を肘のところで曲げます。

  (^_^) |
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大型や中型の2輪車のほか、原動機付き2輪車でも、また普通自転車でも、この方法は同じです。

さらに古い記憶がある方は、小学校のころに行われた交通安全教室で、自転車に乗りながら手信号の指導をうけた覚えがあるかもしれません。

しかし、実際に手信号をしている運転者の姿を見かけることはほぼありません。「左折可」や「安全地帯」などのめずらしい道路標識に出合うより、手信号をする運転者を見かけるほうがめずらしいのではないでしょうか。

実際問題として、片手を離しながら右折や左折をするのは、そうとうな平衡感覚も必要です。運転に慣れていない人がやろうとすると、かえってよろめくなど危険な目にあうことも。

いまも、交通安全教室などでは基本的に手信号について教えているようですが、かならずやるようにと教えているわけでもない模様。法令的な話と現実的な話のちがいを垣間見ることのできる事例です。

参考ホームページ
Excite Bit コネタ「自転車の手信号、いつからやらなくなったの?」
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くらべられる梅は否定的


梅の開花前線が、日本列島を北上しています。東京の青梅市などでは満開に近づいてきたとのこと。

桜の開花にくらべて、梅の開花はそれほど話題にはなりません。桜よりも、花芽の数が少なく、また季節の実験では冬が終わらないころに咲くため、地味な印象があるのでしょう。

梅にまつわる言葉はいくつもありますが、ほかの木と比べられることが多くあります。それらは、あまり好ましい意味には使われません。

「根性」に、植物の名がついて「柿根性」や「梅根性」といわれます。

ふだん食べている柿の実は、未熟なとき渋くて食べられたものではありませんが、時が経てば甘くなってきます。こうしたことから、ほかの人の意見などに柔軟に変化できる性質は「柿根性」とよばれます。

対して、梅の実は煮たり焼いたりしても、どんなに手を加えてもすっぱいまま。そのため、執拗でいったん思い込んだら変えがたい性質二対しては「梅根性」がついています。

「楠学問」と「梅の木学問」もあります。楠のほうは、成長が遅いながらも大木になることから、進みがゆっくりながら将来は大成するような学び方のことをいいます。

対して「梅の木学問」のほうは、梅の木の成長は速いながらも大木にはならないことから、進みは速いながら将来は大成しないような学び方を指します。

おなじように「楠分限」といえば手堅い財産家のことをいい、「梅の木分限」といえば、成上りの金もちのことをいいます。

どれも梅にとってはあまりよいいわれ方をしていません。気の毒な存在といえるでしょう。しかし、気の毒な位置づけにしているのは人間のほうです。

梅は梅のまま、なんということなく、きょうも花を咲かせます。
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『間違いだらけのアンチエイジング』出版


新刊のおしらせです。

『間違いだらけのアンチエイジング』という新書が朝日新聞出版から出版されました。著者は杏林大学医学部教授の鳥羽研二さん。この新書の構成をしました。構成とは、原稿まとめることです。

「アンチエイジング」は「抗加齢」ともいわれ、齢をとり老いていくことに対してあらがい、いつまでも若くいることを目指すとりくみのこと。骨粗鬆症を抑えるホルモンをからだに充填したり、皮膚のしわをのばすとされるボトックスという弱い毒素を注射したりといったことがアンチエイジングの処法の代表例です。

鳥羽さんは、アンチエイジングに対して、正確な情報が伝わっていない場合が多いことを指摘します。アンチエイジングをすすめる産業や医療業界では、アンチエイジングのよい点ばかり強調されることが多く、体や健康への悪影響については触れられない現状があるのではと考えています。

米国では国家機関の委員会がアンチエイジングでもうける人びとを「スネーク・オイル・セールスマン」だとして批判したことがありました。スネーク・オイル・セールスマンとは、質や効果が疑わしくもあるが過大視されているような商品を売る人のこと。

しかし、日本では国や医師などがアンチエイジングの問題点を公然と指摘することはこれまであまり見られませんでした。この本が、アンチエイジングに対する日本での議論の機会のひとつになるのかもしれません。

鳥羽さんは、アンチエイジングとは異なる考え方として「ウィズエイジング」を提唱しています。老いと“ともに”生きるのが、ウィズエイジングの本質。語彙力や洞察力など、年をとり老いることで得られるものに光を当てています。

「アンチエイジングとは異なる、真の意味での豊かな人生について、考えるためのご参考にしていただければ嬉しく思います」

『間違いだらけのアンチエイジング』はこちらでどうぞ。
| - | 23:59 | comments(0) | -
「北陸」が走らなくなる時代

JRの寝台特急「北陸」は、東京・上野駅と北陸・金沢駅の517キロを8時間弱でむすぶ列車です。この「北陸」が、おなじく上野と金沢を結ぶ夜間急行「能登」とともに2010年3月12日(金)、廃止となります。

日本を走っていた多くの寝台特急の強みは、夜遅くに出発して朝早くに到着すること。東京での出張後、飲みあかして新幹線で帰れる最終列車を乗り過ごしても、その後に出発する寝台特急に乗れば、翌朝、新幹線の始発列車よりも早く北陸に戻ることができます。出張をする会社員などにとっては便利な足でした。

しかし、寝台特急は、運賃と特急料金のほか、寝台料金が必要となり、新幹線で移動するよりも割高です。例えば、上野から金沢まで「北陸」でB寝台という比較的安い寝台で移動しても17,110円。いっぽう、新幹線と特急でおなじルートを移動すれば12,490円。「北陸」のほうが4,620円高い計算です。

寝台特急は割高という声に対して、JR東日本は「北陸フリーきっぷ」という周遊きっぷを発売して応えてきました。上越新幹線や特急のほか「北陸」のB寝台も使えて、東京と北陸地域の往復21,400円というお得なきっぷです。

しかし、これでもおなじ深夜帯を走る高速バスの料金よりはるかに高い料金設定。規制緩和で格安料金がつぎつぎ打ち出されたバスでは、4000円で東京と金沢方面を結ぶ便も出ています。こうした時代背景もあり、寝台特急は減っていきました。

すでに廃止された九州と東京を結ぶ寝台特急を含めても、「北陸」は乗車率の高い列車だったといいます。その「北陸」に終止符が打たれるということは、JRも寝台特急の役割は果たしたという認識があるのでしょう。2014年には長野新幹線が北陸地方まで延長され、北陸新幹線が開業する予定です。



いっぽう、客たちには「北陸」廃止を惜しむ声も多くあります。高速バスとはちがって、水平に寝られることから寝台特急は「移動ホテル」ともいわれます。個室を予約すれば、わずか数時間で狭いながら、一人だけの時間も確保できます。「北陸」の廃止が決まった昨2009年12月からは「北陸」の寝台はほぼ予約で埋まっていました。

「北陸」の愛称がついたのは1950年のこと。60年間走り続けたこの列車は、あさって12日(土)からは走らなくなります。
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撲滅に大臣の決断(2)
ポリオウイルスのイメージ

1960年代前半、日本ではポリオウイルスによる小児麻痺が流行していました。この病気を防ぐのに効き目がある生ポリオワクチンは輸入に頼るしかありませんでした。

日本が生ポリオワクチンを輸入しようとする場合、頼りになる国といえばソ連とカナダくらいでした。当時、日本とソ連は東西冷戦の最中。国交もありません。さらに、国は生ポリオワクチンの接種に対して慎重な姿勢をとっていました。

「わが子に生ポリオワクチンの接種を」という母親たちの叫び声に応じたのが、当時の厚生大臣だった古井喜実でした。

1961年6月、生ポリオワクチンの安全性が確認されていないなかで、古井は“超法規的措置”を決断します。それは、ソ連とカナダから生ポリオワクチンを緊急輸入するというものでした。そして、国民に対して談話を発しました。

「事態の緊急性に鑑み、専門家の意見は意見としても、非常対策を決行しようと考えた矢先、これらの方々もこのことに理解の態度を示してくれたことは、何ほどか私を勇気づけた。責任はすべて私にある」

生ワクチンのリスクをすべて自分の責任で引き受けて、生ワクチンの輸入に踏み切ったのです。

そして、古井の決断は功を奏しました。1300万人の幼児に生ワクチンの接種が行われ、日本じゅうで流行していた小児麻痺は一気に沈静化したといいます。

日本の医療行政は、多大な利益よりも、極小の危険性を重視する向きがあるといわれます。「なぜ、うちの子にかぎって憂き目に遭わなければならないの」という日本人の被害者意識もその一因といわれます。当時の厚生省も、姿勢はおなじだったのかもしれません。

ただ一人、厚生大臣の古井喜実は決断をしました。勇気ある決断だったといえるかもしれません。しかし、その決断をさせたのは、母親たちを中心とした国民運動の高まりでもあったのです。いまからおよそ半世紀前のできごとです。(了)

参考ホームページ
阪大微生物研究会「ワクチンと予防接種制度」
| - | 20:47 | comments(0) | -
撲滅に大臣の決断(1)

ポリオウイルスのイメージ

ちかごろの厚生労働大臣は、在任期間中よりも任期前や任期後のほうが活発な発言をする向きがあるようです。大臣職が忙しすぎるのか、専門外のことが多すぎて責任ある発言をしづらいのか……。

いまから二世代前の1960年、古井喜実(1903-1995)という政治家が厚生大臣になりました。第二次池田勇人内閣で初入閣をしたのです。

当時の日本は、緊急に対策をとるべき感染症問題を抱えていました。小児麻痺の流行です。

小児麻痺は、子どもの神経中枢がウイルスにおかされることでおきる運動機能障害のことで、ポリオともよばれます。原因はポリオウイルスという病原体が子どもに感染するというもの。古井が厚生大臣になる前年、1959年の9月から北海道夕張市などで流行しはじめ、翌1960年には全国的に流行しました。ウイルスが延髄という体の中枢にまで達して重病化し、死んでしまう子どもも増えていました。

子どもを小児麻痺から守るためには、ワクチン接種が重要であることはわかっていました。そこで古井が大臣をつとめる厚生省は1961年3月、6か月から3歳の子どもに、“不活化ポリオワクチン”を定期的に接種することを法律で定めました。

ワクチンは、感染症をもたらすウイルスや細菌を弱毒化または無毒化したもの。人の体にとりこまれると病気にはかからずに免疫ができ、感染症にかかりにくくなります。また、不活化ワクチンは、ウイルスや細菌を殺したうえで、抵抗力(免疫)をつくるのに必要な成分を取り出して毒性をなくしてつくったワクチンです。

不活化ワクチンでは、ウイルスや細菌は死んでいるため、まちがってそのウイルスや細菌が症状を引き起こすことはまずありません。しかし、効き目が弱いという難点もあります。

日本じゅうで流行していた小児麻痺に対して、不活化ポリオワクチンだけでは流行の拡大を防ぐことはできそうにありませんでした。子どもの健康を心配する母親たちは、しゃもじを片手に「生ワクチンを配れ」と市民運動をはじめました。

生ワクチンは、文字どおりウイルスや細菌がまだ生きているワクチンです。毒性を弱めているだけのため、ウイルスや細菌が症状を引き起こす可能性もあります。しかし、ワクチンとしての効き目は不活化ワクチンよりも強いのです。

しゃもじを手にした当時の母親たちは、ワクチンウイルスによる病気というリスクを覚悟のうえで、子どもへの生ポリオワクチンの接種を求めたのです。

しかし、当時の国際情勢が壁となってそこに立ちはだかりました。つづく。

参考ホームページ
清水文七「わが国のポリオ大流行とその対策についての記録」
小泉重田小児科「不活化ワクチン」「生ワクチン」
| - | 23:59 | comments(0) | -
「化学気相蒸着法」を分解する
 太陽電池の電気を生みだす部分に必要不可欠なのが「製膜」とよばれる技術。「半導体づくりは膜づくり」とよばれます。基板という“台座”のうえにそれぞれの役割をもった薄い膜を何層も重ねていきます。

「膜」というとオブラートやシートのようなものを上から被せるような印象がありますが、太陽電池や半導体で広く使われているのは化学蒸着気相法(CVD、Chemical Vapor Deposition)とよばれる方法です。

「化学気相蒸着法」。むずかしそうな漢字が並びますが、それぞれの熟語や字をばらしてみると、正体がおぼろげに分かってきます。

まず「化学」。化学変化を起こして膜をつくる方法であることがわかります。

つぎに「気相」。「相」は姿や性質を表す言葉ですが、「気相」なので、つまりガスの状態であることを示します。

最後に「蒸着」。これは「蒸発」の「蒸」と「接着」の「着」からなる言葉です。膜になる材料を蒸発させたうえで接着させるということになります。

これらをまとめると、化学蒸着気相法は、“化学”的な方法により“気相”になっている材料を、“蒸”発させて“接”着させる方法ということになります。

化学気相蒸着法では、器状あるいは箱状の密閉された装置のなかに基板を置きます。膜として乗せたい原料を含むガスでこの装置のなかに入れて、いろいろな方法によりガスになっている原料を膜の状態にします。

ガスを化学的に接着させる方法はおもにみっつ。熱による方法、光による方法、そして、プラズマによる方法です。

このうちプラズマは、熱や光に比べるとあまりなじみのないものかもしれません。プラスとマイナスの電気を帯びた粒子が入り混じっている状態の気体のことをいいます。装置に満ちたガスを、このプラズマの状態にして、遊離基(ラジカル)やイオンという物質を発生させて分子の動きを活発にさせることで蒸着させます。

プラズマ化学気相蒸着法の優れている点は、数多くの物資を蒸着させることができる点。セラミックス、金属、合金、半導体などのさまざまな物質を扱うことができるのです。

参考文献
高井治「プラズマCVDの基礎」
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2009年3月14日(日)は「Live!オーロラ for DOME TAMAROKUTO」


催しもののお知らせです。

(2010年3月)14日(日)、東京・西東京市の多摩六都科学館で、「Live!オーロラ for DOME TAMAROKUTO」が開かれます。

この催しものは、世界最大級となる27.5メートル径のプラネタリウムを使って、米国アラスカ州チャタニカで観測されるオーロラを映しだすもの。空一面をとらえることのできる魚眼レンズを使って、空を全方位的に映し出す「全天ライブ中継」を行います。

オーロラを生中継で映し出す「Live!オーロラ」は、2006年に「遊造」の社長である古賀祐三さんが始めたもの。これまでも、アラスカ州上空のオーロラの模様をインターネットや携帯電話などに配信してきました。オーロラは撮影するのが難しいといわれます。鮮明な撮影技術と北極圏と日本の中継技術の開発により、「Live!オーロラ」は実現しているといいます。

今回の催しものでは、古賀さん本人による解説はもとより、また収録されてきた150万枚を超える画像や18000時間以上の撮影をもとに編集された映像の公開、さらには、音楽アーティスト「アクアマリン」の生演奏なども行われる予定です。

受付は18:00からで、実施は19時から20時まで。全席予約制で定員は200名です。参加には、館の特別観覧料1000円が必要です。詳しくは、「Live!オーロラ for DOME TAMAROKUTO」のホームページをご覧ください。こちらです。
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脳梗塞による半身不随を再生医療で回復


きょう(2010年3月)6日、東京・品川の東京コンファレンスセンターで、文部科学省橋渡し研究支援推進プログラム成果報告会「再生医療臨床研究の現状」が行われました。

「橋渡し研究推進プログラム」は、文部科学省が進める医学・医療支援事業。“橋渡し”するものは、基礎的な研究と応用的な治療です。医学の研究の目的は、おもに患者の病気を治療することにありますが、研究と治療のあいだの段階には“溝”があるとされ、その橋渡しが大切といわれています。

今回は「再生医療」とよばれる技術についての成果発表が行われました。再生医療は、病気やけがで働かなくなったり失われたりした体の器官を、外からの働きかけで再生させる技術です。プログラムに参画する大学や団体の研究者が、心臓、眼、骨、歯などの体の各器官に対する先端的な再生医療研究の成果を報告しました。

ある医療技術が全国で広く行われるようになるには、動物を対象にした実験、人を対象にした臨床試験、また、厚生労働省に治療を認めてもらう申請などの各段階を経る必要があります。動物実験の段階から臨床試験の段階を中心に、さまざまな技術開発の内容を研究者が紹介しました。

札幌医科大学の本望修特任教授は、「脳梗塞に対する自己骨髄幹細胞の静脈内投与」という題で発表。

脳梗塞は、脳の血管が詰まって神経細胞などに栄養が行かなくなる病気です。脳梗塞で死亡する場合はひとむかし前より減りましたが、それでも神経細胞がやられてしまうため重い後遺症が残ります。片方の手足は動くものの、もう片方の手足が思うようには動かず、ものを握れなかったり、歩行しづらくなったりする半身不随はその代表例です。

札幌医科大学の研究では、脳梗塞で半身不随になってから時間が過ぎた患者の体の動きを回復させる医療技術の開発に取り組んでいます。

この医療では、患者本人の体から骨髄幹細胞とよばれる細胞を取り出して、体外で1万倍に培養し、本人の静脈に注射します。これにより、神経栄養因子とよばれる物質が神経細胞に行きわたらせるなどして、失われていた神経の働きを回復させます。

会場では、脳梗塞から1か月半後に骨髄幹細胞静脈投与治療を受けた患者の映像が流れました。この患者は、ほとんど動かなかった右手が治療後うごくようになり、ものを握ったり両手で“ばんざい”をしたりするまで至りました。本望特任教授によると、この患者は職場復帰を果たしたといいます。

これまで、脳梗塞になった人が重い障害が残さないためには、発症から遅くとも3時間以内に詰まりを溶かす処置をしなければなりませんでした。適わなかった患者は、来る日も来る日もわずかにしか動かない手足を動かすような、辛抱を強いられるリハビリテーションに取り組まなければなりません。

今後、骨髄幹細胞の静脈投与によるこの医療が一般的なものになれば、後遺症に苦しむ多く患者が生活の質をとりもどせるかもしれません。

ほかには、機能が低下した心筋に対して、心筋幹細胞や骨格筋芽細胞とよばれる細胞をあてがって機能を回復させる医療や、眼の角膜の再生などの医療などが、普及の直前まで来ていることを感じさせるものでした。

科学技術・医学医療のなかでも、再生医療は技術開発のスピードの速い分野のひとつです。

文部科学省の「橋渡し研究支援推進プログラム」のホームページはこちら。
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「サイエンスライター」も「科学ジャーナリスト」もウィキ的にはほぼおなじ


ことがらの全体像を把握したいときに、多くの人はインターネットで検索をします。結果、最上位、2番目あたりに示されるのが、「ウィキペディア」へのリンクです。

「サイエンスライター」で検索しても、やはりウィキペディアへのリンクは2番目に来ます。ちなみに最上位は「Category:日本のサイエンスライター - Wikipedia」という関連ページへのリンク。

以下は、ウィキペディアでの「サイエンスライター」の記述です。

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サイエンスライター(英: Science Writer)は、科学、自然科学に関連する記述を専門に行う著作家。「科学ライター」「科学ジャーナリスト(Science Journalist)」とも呼ばれることもある。欧米では「サイエンス・ジャーナーリスト(Science Journalist)」と呼ばれることが一般的である。

サイエンスライターは、ジャーナリズムの観点から科学を解説・説明すると同時に、高度で複雑な専門用語や難解な数式などを簡素かつ明確に説明する能力・技術・解説能力を必要とする。
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「サイエンスライター」や「科学ライター」と、「科学ジャーナリスト」は厳密には異なり、肩書きをわけている人もいます。ライターは書くことを生業の目的としている人。いっぽう、ジャーナリストは、書くことで政治を監視するなどの別の目的を果たそうとする人といったちがいです。立場や能力により「ジャーナリズムの観点から科学を解説・説明する」ことをしないサイエンスライターもいます。ともあれ、職業としては、「サイエンスライター」も「科学ジャーナリスト」も、ほぼいっしょに括られる場合が多いようです。

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サイエンスライターの多くは自然科学全域を活動領域とし、科学専門誌への寄稿や新聞への記事提供を行う。また、文筆活動以外にも学校教育の場などで科学世界への好奇心を持ってもらう体験授業、フィールドワーク、広報活動を行うこともあり活動領域は多岐にわたる。
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寄稿先の媒体として、「科学専門誌」や「新聞」があげられています。ほかにも、一般経済誌の記事や、書籍のゴーストライティング、また政府系団体の会議録や報告書作成など、寄稿先は多岐にわたります。

また、文筆活動以外の活動をする人も多くいるのはたしかなこと。科学についてを人前などで語れる人を求めるという社会的需要と、記事を書くだけでは生計が厳しいという個人的な需要とが一致した結果といえるのかもしれません。

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就業形態もフリーランスから基礎研究部門の担当者、新聞社の科学担当者、科学者などさまざまな領域の人材からなり、特定領域からの出身者による偏りはみられない。大学や研究所に勤務する科学者が本名とは異なる作家名を使いライターとして活動することもある。
―――――

研究者とサイエンスライターと、二足のわらじをはいて活動している人はいます。ただし、二足のわらじをはく人は、「自分はどちらかというと研究者(でいたい)」と思っている人と、「自分はどちらかというとサイエンスライター(でいたい)」と思っている人の両方がいます。

参考ホームページ
ウィキペディア「サイエンスライター」
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CuとInとSeでCIS太陽電池
昭和シェル石油報道発表画像より

太陽電池の基本的なしくみは、p型半導体とn型半導体というふたつの材料を重ねあわせることにあります。

この重なりあった半導体に光が当たると、マイナスの性質をもつ電子と、プラスの性質をもつ正孔が生まれ、電子はn型半導体のほうへ、正孔はp型シリコンのほうへと集まっていきます。この状態で、p型半導体とn型半導体の両方に電極をつけて1個の電球につなぐと、電流が起きて光がつきます。太陽光が電気へと変換されたわけです。

p型やn型の半導体にはシリコンという物質を使うのが主流。シリコンを使った太陽電池は「シリコン系太陽電池」とよばれます。いっぽう、シリコン半導体とは別の物質を使った太陽電池の実用化も進んでいます。その代表例が「CIS太陽電池」です。

“CIS”は、三つの物質の元素記号の頭文字をあわせたもの。その三つの物質とは、Cu(銅)、In(インジウム)、Se(セレン)のことです。この三つの物質を化学的に結合させて、シリコン太陽電池のp型半導体にあたる材料にします。つまり、CIS太陽電池とは、p型の材料に銅とインジウムとセレンの化合物が使われた太陽電池ということです。

p型をCISの化合物にするだけでは太陽電池にはなりません。CIS太陽電池は、ほかの種類の太陽電池とおなじく、いくつもの層を重ねあわせることで電池の役割をはたします。

まず、基板となるのがガラスです。青い板ガラスが使われます。

その上に、金属電極層とよばれる層が乗っかります。これは、太陽電池にふたつある電極のうちのひとつ。

その上に、CIS化合物の層が乗っかります。シリコン系太陽電池のp型半導体とおなじ役目で、このCIS化合物層で太陽からの光を吸収します。

その上に、バッファ層という層が乗っかります。この上には、n型の層が乗ることになるので、バッファ層はp型CIS層と、n型の層のあいだに挟まれた位置づけになります。「バッファ」は「緩衝物」という意味があります。この上のn型の層をつくるときに傷をつけづらくしたり、p型とn型のたがいの層を重ねるときに程よい加減にしたりと、さまざまな役割をはたします。

バッファ層に使われる代表的な物質は、硫黄と水酸基を含む亜鉛混晶化合物で、化学式はZn(O,S,OH)x。Znは亜鉛、Oは酸素、Sは硫黄、OHは水酸基を表します。世界的には化学式にするとCdSの硫化カドミウムという物質が使われるのが主流ですが、日本では過去にカドミウムによる汚染問題が起きたことから使用が避けられています。

このバッファ層の上に、透明電動膜層というn型の層が乗っかります。透明電動膜層は、酸化亜鉛(ZnO)が使われます。

こうして、ガラス基板、金属電極層、CISの光吸収層、バッファ層、透明電動膜層が重なることによって、CIS太陽電池はつくられています。

CIS太陽電池の特徴は、太陽光を効率よく電気に変換する能力に優れている点、太陽光の吸収のしやすさを示す光級数係数が大きいためより少ない物質でより大量に太陽電池をつくることができる点、純度の高いシリコンという供給が不安定な物質にたよる必要がない点などがあげられます。

参考文献
NEDO技術開発機構「よくわかる! 技術解説」太陽電池
掛川一樹「昭和シェルの次世代薄膜CIS系太陽電池」
NEDO研究評価委員会「『太陽光発電技術研究開発(先進太陽電池技術研究開発)』事後評価報告書」
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2010年3月3日付けの記事は、記事関係者からの連絡を受けて非公開としています。ご了承ください。
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価値観に組みこまれる科学


科学というと、自然現象について客観的に観察や分析をするものという印象をもたれることが多いようです。

みずからの発見した科学的成果によって戦争兵器が開発され、多くの死者が出た場合、社会的な批判を受けるおそれはあっても「戦争兵器の開発につながる科学的発見をしたため」という理由で罰を受けることはありません。

それほど、価値観と科学はわけへだてられて考えられてきたものだったのです。これまでは。

しかし、いまは、価値観と科学をいつまでもわけているわけにはいかない時代に入ったといわれます。

たとえば、「トランス・サイエンス」ということばがあります。「トランス」(trans-)とは、「よこぎって」や「超越して」という語感をもつ接頭辞。科学哲学者の小林傳司さんは、トランスサイエンスを「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域」と定義しています。

“価値観に組みこまれる科学”もあります。つまり「達成したい目的」というものがまず前提にあって、その目的の達成にはどうすればよいかを研究するような科学です。

その例によくあげられるのは、“地球環境に対する科学”です。

たとえば、「環境保全学」という学問分野があります。農学部をはじめとする学部で、環境保全学の専攻や教室を設けている大学も多くあります。それぞれの専攻・教室がこの学問をどう説明しているかといいますと……。

―――――
土、水、およびそこに生息する動植物やそれらを取り巻く大気等を大きなシステムとして人間社会と調和的に関連させて捉え、自然環境を保全していくことが必要とされている。

そこで、本専攻では、土、水、大気、野生動植物、森林、山地、都市、人間を対象に、生産と保護とを融和させるための多様な知識と技術の習得をはかることにより、自然環境の持続利用と保護、回復に関わる保全学の教育を行う。

自然・人工環境の仕組み、環境問題の現状認識、環境保全とその対策等について幅広い知識を有し、現代社会における環境問題の本質を理解し、解決まで導くことのできる人材を育成する。

海洋環境における様々な現象を理解し、変動機構を解明すると共に、海洋環境の保全と修復を目指して、人間活動に伴って加えられた海洋環境への負荷を抑制・除去するための方策を打ち立てます。このため、物理学、化学、生物学、数学、情報科学などの理学的な取り組みに加え、環境保全のための工学や現象を社会科学的な視点から価値判断するなど総合的・学際的な教育研究を行います。
―――――

目指しているところは、「自然環境を保全していくこと」「環境問題の本質を理解し、解決まで導くこと」「海洋環境への負荷を抑制・除去するための方策を打ち立て」です。

いまの地球環境がどういう状態であるかという客観的な視点より、環境をいかに保全していくかといった、一歩ふみこんだ前提がこの学問分野にはあります。

もちろん、これまでも科学が軍事目的や政治目的のために使われてきました。ただし、そこでの科学は、使いようによっては軍事目的や政治目的にも使われる、といった意味の強いものでした。いっぽう、環境保全学に見られる科学は、限定的な価値にもとづいて、限定的な目標を実現するために用いられるものといえます。

問題提起が科学の結果なされ、その問題が人びとの価値により判断され、さらにその価値に基づく解決法が科学を使って提示される、といったことが起きているわけです。価値に基づく科学は、いまのところ、その価値を大多数の人びとが共有しているために、それほど問題にはなっていません。
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